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#角島灯台公園
kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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yotchan-blog · 4 months
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2024/6/3 7:59:52現在のニュース
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□■□ 山口県下関市豊北町 角島 Tsunoshima island, Houhoku Town, Shimonoseki City, Yamaguchi prefecture, Japan □■□ #photographer #artist #art_of_japan_ #tokyocameraclub #special_spot_ #ig_gallery #ig_japan #team_jp_ #cools_japan #as_archive #leica #yamaguchi #山口県 #山口 #角島 #角島灯台 #角島灯台公園 #角島大橋 #角島大浜海水浴場 #tsunoshima #igで繋がる空 #ダレカニミセタイソラ #死ぬまでに行きたい世界の絶景 #旅行 #絶景 #カコソラ #イマソラ #東京カメラ部 #写真好きな人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 □■□ (Tsunoshima)
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amiens2014 · 2 years
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角島/山口県下関市【ドライブ】海士ヶ瀬公園駐車場〜角島大橋〜角島灯台〜しおかぜコバルトブルービーチ〜しおかぜの里角島
角島とは 角島(つのしま)は、山口県下関市豊北町大字角島にある島だ。 2000年に角島大橋(つのしまおおはし)が開通すると、そのフォトジェニックな景観でたちまち人気の観光地となった。 2000年に開通した角島大橋。リゾートのような白い砂浜とコバルトブルーの海が広がる絶景からSNSでも話題となり、テレビCMやロケ地としても多く取り上げられ、またたく間に日本トップクラスの絶景ポイントとして紹介されるようになりました。 橋の長さも無料で渡れる一般道としては日本屈指の長さです。(1,780m) 青く美しい海を眺め、海風を感じながらサイクリングや散歩を楽しむのもおすすめです。 特に夏の晴れた日は海の青と道路の白、島の緑のコントラストが美しく、まさに絶好のフォトスポットです。 角島大橋|見る・遊ぶ|【公式】山口県観光/旅行サイト おいでませ山口へ から引用 (more…)
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2ttf · 12 years
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judachigeiju · 6 years
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
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七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
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杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
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十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
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七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
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山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
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八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
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尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
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七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
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七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
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三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
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県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
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近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
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雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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xf-2 · 6 years
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 ご家族の高齢化もあり(ということは被害者も高齢化していくということで)、ここしばらく、救出運動の中で「もう待てない」という言葉が何度も語られてきました。
 しかし、今回の米朝首脳会談を基礎にして拉致問題の今後の対応を進めるなら「いつまでかかるか分からないが、まだ待て」ということになります。ストックホルム合意の二の舞です。日朝でやるといっても米国が体制を保証し、米韓合同軍事演習も中止して、場合によっては在韓米軍も撤退させるというのでは北朝鮮の最大の脅威はなくなったわけで、真面目に交渉に応じるはずはないからです。
 日本がカネを出さないといっても、トランプ大統領が「非核化のカネは日本と韓国が出す」と言ったのは安倍総理も何らかの言質を与えたからでしょう。「そのうちうまいこといくからさあ、今は我慢して出しといてよ」と言われても、米国頼みでやってきたのですから断ることはできないでしょう。やり方はどうするのか知りませんが、国民が止めなければ結局その方向に向かうはずです。
 トランプ大統領が米韓合同軍事演習を「挑発的な戦争ゲーム」とし、「カネがかかるからやめる」と言ったのは米国の中でも驚きをもって受け入れられているようです。予測不能な大統領ですからこれからも何をするか分かりません。本当に「もう待てない」なら、今回の米国頼み戦略(?)は失敗だったという認識の上に新たな戦略を立てるべきです。そうしなければミッドウェーの後の帝国海軍のような結果になるのではないでしょうか。
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧(平成30年6月1日現在確認分) 《平成28年(2016)以前》------------------------------------------------- ※確認出来たものを逐次入れていますが、あくまで氷山の一角です。実際には遥かに多くの事件が起きています 昭和62年(1987) 1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京) 平成2年(1990) 10月28日 福井県美浜町久々子海岸 ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日 美浜町沖合や海岸 遺体2体(20代~40代) 平成10年(1998) 12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体(男性) 12月16日 島根県浜田市 ���体1体(女性) 12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。 12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊) 平成11年(1999) 1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私たちの船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) 1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 平成13年(2001) 12月16日 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231読売東京) 12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版) 平成14年(2002) 1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版) 1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版) 1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m 後方にハングルと数字)(140110読売石川版) 1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの) 3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版) 4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊) 12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ) 平成15年(2003) 1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網) 3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝  茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後) 平成16年(2004) 12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト) 平成18年(2006) 1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊) 1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊) 1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊) 1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊) 1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊) 平成19年(2007) 6月 青森県西津軽郡深浦町 木造船・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。 平成20年(2008) 1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊) 3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版) 平成23年(2011) 9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送) 9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊) 平成24年(2012) 1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版) 1月19日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版) 4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2~3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) 12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1~2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) 12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字) 上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」) 平成25年(2013) 11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗料でハングル、ジャンパーのような衣類) 12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊) 12月25日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版)※300512時点でも現存 12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版) 12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版) 平成26年(2014) 8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国) 平成27年(2015) 1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売) 10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 木造船1隻・遺体1体(271209読売) 11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売) 11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売) 11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表 11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日) 11月6日 北海道松前町沖 木造船・遺体2体(271107読売東京朝刊) 11月14日 新潟県佐渡市沖 木造船・遺体1体(271209読売) 11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体(271209読売) 11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体(271209読売) 11月22日 福井県越前町沖 木造船・最低でも7人とみられる遺体・遺骨(271209読売) 11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売) 11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売) 12月2日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(海保の司法解剖結果で死後1~6カ月経過 靴にハングル)(271207・1209読売東京朝刊) 12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売) 12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売) 平成28年(2016) 5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版) 6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版) 10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版) 10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他) 10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版) 10月30日 青森県つがる市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版) 12月5日 京都府舞鶴市 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体(一部白骨化)(TBSあさチャン) 《平成29年(2017)以降》--------------------------------------------------- ※出典については逐次書き加えています。石川関連のほとんどが北國新聞、新潟関連の大半は新潟日報の記事です。 平成29年(2017) 1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部 1月6日 新潟県上越市柿崎区 木造船 1月6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊) 1月7日 福井県小浜市犬熊 木造船 2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船 2月11日 石川県金沢市 木造船 2月15日 京都府京丹後市間人 木造船 2月15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船 3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船 3月14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部 3月18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売) 3月22日 石川県羽咋市寺家町 木造船 3月28日 京都府京丹後市 木造船 4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台西300m 木造船(長さ約10m幅約5m)・遺体1体 5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部 5月2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船 6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船 6月26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載 男性遺体1体身長約168センチ) 7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部 8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船 9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船 9月25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部 11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載) 11月15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助 11月16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体 11月16日 秋田県にかほ市 木造船 11月19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記 11月20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見 11月21日 山形県鶴岡市暮坪海岸 木造船(長さ7m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載(庄内ブルーリボンの会資料には全長10mとの記載あり) 11月23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など) 11月23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。 11月24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ約14m幅約3.2m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等 11月25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 11月26日 新潟県佐渡市石花 遺体1体 11月26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載) 11月26ないし27日 青森県西津軽郡深浦町艫作(へなし)椿山展望台西200m 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載) 11月27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部 11月27日 石川県羽咋市 木造船 11月27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片) 11月27日 青森県下北郡佐井村 木造船(長さ12.3m幅3.6m 船首に115489 エンジン付き 後部は一部破損するも櫓はほぼ原型) サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット(要確認) 11月28日 ���海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名 11月28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着 11月28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。 11月30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体(地元で聞いた話では遺体はなかったとのこと) 12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m) 12月1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船 12月1日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 12月2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体 12月2日 山形県鶴岡市米子漁港 木造船(長さ10m弱)遺体3体(4日に漂着 庄内ブルーリボンの会) 12月4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部 12月4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船 12月4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船 12月4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体 12月4日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢 木造船(12日に遺体→別記) 12月5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m) 12月5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体 12月5日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載) 12月7日 秋田県男鹿市五里合漁港北100m砂浜 木造船(「913300」と記載)・遺体2体 12月7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット) 12月7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体1体 12月7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体 12月7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部 12月7日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見 12月8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着) 12月9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用 12月9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船 12月9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体 12月9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体 12月10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体(上半身のみ) 12月10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m) 12月12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 12月12日 新潟県村上市沖 木造船 12月12日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載) 12月12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部 12月12日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢千畳敷橋付近海上 遺体3体(12月4日の漂着船が岩にぶつかって破損し中から流れ出たものと思われる) 12月12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部 12月13日 山形県遊佐町吹浦西浜海岸周辺 遺体1体 12月13日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体 12月13日 秋田県男鹿市北浦入道崎灯台南約2km 木造船(長さ7m幅1.9m) 12月13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体 12月13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載) 12月13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船 12月14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体 12月14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 12月14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本 12月14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m) 12月14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部 12月15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船 12月15日 新潟県佐渡市下相川 木造船(長さ約13m幅約3m 岩場で大破したがそれ以前はイカを干すヤグラや集魚灯の一部も残っていた) 12月15日 青森県下北郡佐井村津鼻崎南 木造船(船首に「567-66341」)1週間前の漂流時には船全体の形があったがその後時化で崩壊し海岸に各部分が海岸に漂着) 12月15日 山形県鶴岡市五十川海岸 遺体1体 12月16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部 12月16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載) 12月17日 石川県珠洲市 木造船の一部  12月18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船 12月18日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ10m弱) 12月19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体 12月19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず) 12月20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船 12月21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示) 12月21日 新潟東港沖18キロ 木造船 12月21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m) 12月21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた 船尾に「0-세・98180단천」)・遺体4体(佐井村資料には記載なし)佐井村資料には女性もののようなビニールと思われるバッグ、ライフジャケットなどが写っている。バッグの中身はタバコ、タオル、歯ブラシ、書類らしきものなど) 12月23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載) 12月24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり) 12月24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体 12月24日 山形県酒田市浜中海水浴場周辺 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト) 12月25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m) 12月29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) 12月29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり) 平成30年(2018) 1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー) 1月4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部 1月4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側 木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m) 1月4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 1月5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部 1月5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明 1月6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字) 1月7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着) 1月7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部 1月8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m) 1月8日 秋田県男鹿市野石申川海岸若美漁港南1km砂浜 木造船の一部(長さ約7.7m幅約1.9m船底とエンジン) 1月10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さともに3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) 1月21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた) 1月24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり) 1月24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ5.45m幅1.5m) 1月28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載) 1月30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 1月31日 山形県鶴岡市マリンパーク鼠ヶ関 木造船の一部 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。 2月2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載 2月4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載) 2月7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載)  2月9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記) 2月10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし) 2月11日 石川県加賀市美崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國) 2月13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國) 2月13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載) 2月15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり) 2月20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載) 2月21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国) 2月21日 石川県輪島市門前町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国新聞) 2月22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國) 2月24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁) 3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國) 3月10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國) 3月12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國) 3月13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國) 4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。 5月16日 北海道爾志郡乙部町 木造船の一部 5月31日 青森県中泊町小泊漁港付近 木造船
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mofmofp · 3 years
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珍しい四角い灯台、安乗埼灯台【ドローン 空撮】【登れる灯台16基】登ってきました。和歌山県
花のシーズンには灯台の周りや海岸の崖に色とりどりの花が咲き誇っています。 大きな広場とともにあり休憩施設も完備されていてピクニックにもよい場所でした。 登れる灯台16基のひとつで、展望台まで登ることが可能です。 灯台手前に、車を数台止められる無料駐車場も在り、かつ、公園化されており、その園地の一角に、灯台資料館があり、灯台とセットで見学することが出来、この灯台の歴史、機能・役割などを学べる。 館内には、3分の1の模型で、初代の木造八角形の灯台が復元展示され、映画「喜びも悲しみも幾歳月」に関する資料も展示されています。 安乗埼灯台(あのりさきとうだい)は、三重県の志摩半島にある志摩市の安乗崎の突端に立つ白亜四角形の中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれています。周辺は、伊勢志摩国立公園に指定され、リアス式海岸の造形する風光明媚の地。   木下惠介監督、佐田啓二・高峰秀子主演の映画「喜び…
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□■□ 山口県下関市豊北町 角島 Tsunoshima island, Houhoku Town, Shimonoseki City, Yamaguchi prefecture, Japan □■□ #photographer #artist #art_of_japan_ #tokyocameraclub #special_spot_ #ig_gallery #ig_japan #team_jp_ #cools_japan #as_archive #leica #yamaguchi #山口県 #山口 #角島 #角島灯台 #角島灯台公園 #角島大橋 #角島大浜海水浴場 #tsunoshima #igで繋がる空 #ダレカニミセタイソラ #死ぬまでに行きたい世界の絶景 #旅行 #絶景 #カコソラ #イマソラ #東京カメラ部 #写真好きな人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 □■□ (Tsunoshima)
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chaukachawan · 4 years
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バイタリティは尽きない
ハベです。ギリにはなりました。団員紹介です
32期
Martin Parle
32期の留学生枠。ちゃうか留学生の系譜を引き継いでくれて嬉しい。けどほとんど喋ったことがないのが悲しい。身長あるし、顔がいいので死ぬほど舞台映えすると思うので今後の活躍に期待。慣れない環境で大変なこともあると思うけど、ちゃうかを楽しんでほしいな。
 ピンキー
最初に会ったとき、すげえ奴が入ってきたなと思った。演劇的なバックグラウンドもそうだし、本人のキャラとしてもそうだし。彼女のような人間が入ってちゃうかにどんな刺激を与えるのか、これからも楽しみにしています。実際32期の中でもちゃうか民というより演劇人として積極的に動いてくれていて、周りを引っ張ってくれている。
 加美千尋
32期小道具のホープ。ちゃうかに入ってくれた当初、裏方に興味を示してくれて嬉しかったことを覚えている。今回の公演では舞美だか大道具だか小道具だかよく分らんもの、要するに作業が大変でめんどくさそうなものを担当してくれていて、仕上がったもののクオリティーの高さにびっくりした。いつか役者をやってくれるみたいな話も聞いたので頑張ってほしい。
 久保勇貴
生まれも育ちも関西の人間からすると、東京出身の人に対してどんなノリで絡んでいいのかよく分らないところがあるんだけど、くうやは最初っからちゃうかのノリに合わせた状態で僕の前に現れた。助かる。あふれ出るいい人感で、何かとこれから苦労をしょいこむこともあるかもしれんけど発散することも大事やで。
 雑賀厚成
ツッコミともボケとも分類できない、シドにしか確立できないポジションを確立しているように見えます。役者としても、どんな役に対しても自分を飲まれず役と向き合ってくれている。ちなみに僕とよく似ていると言われる。実際シドが写っている写真を見て「なんで俺がおんねん」ってなったことがあるのはここだけの話。今の彼の人気ぶりを見ると嬉しくなってくるな。
 佐藤舞弥
スタッフとしてはちょくちょく関わることがあったけど、ちゃんと対面で話したのは正直ごく最近の事です。スタッフでは特にあれこれ言ったわけではないのに最初から質の高いものをぱっと出してきてくれてびっくりした。多分元から理屈では説明できないセンスを持っているんだと思う。メイクでもこれからもっと活躍してくれそう。なんかちゃうか以外でもいろいろ大変そうだけど、自分の体を大切にしてね。
 黒川ビルディング
ちゃうかに入って最初の公演で脚本を通してしまう奴。常人には考えられないような数のスタッフに入る奴。この前音楽の話でめちゃくちゃ盛り上がった奴。何かとクセの強いキャラをやりがちなので今度は正統派主人公とかやってほしい奴。なんでも自分で抱え込もうとすることがあるので、時には雑でもいいから人に仕事をぶん投げてほしい奴。
 かけうどん
生協のかけうどんってコスパ最強だと思っています、じゃなくて。自分で大道具チーフ振っといて申し訳なくなるレベルで今回の公演の舞台って大変だったと思うんですよ。初チーフでこれはすごい。マジで。自信を持ってこれからの大道具ライフを過ごしてほしい。最初からこの仕事に関しては結構積極的でいてくれて、めちゃくちゃ嬉しかった���個人的に時たま炸裂する爆弾発言が楽しみだったりする。来世は幕班でいっぱいベニ割りできるといいね…
 中津川つくも
割と初期からちゃうかに興味を持ってくれた子なんだなーって思ってたら、なんか高校のころから知ってくれていたらしい。マジで!? ちゃうかでの活動も、ちゃうかの人間も丸ごと楽しんでくれていそうで良かった。短期間で舞監を任されて、大変なこともあると思うけど、ちゃうかの人間はみんなつくものことが好きなのできっと大丈夫。
 永満柊人
背が高い。細長い。めちゃくちゃスタイルがいい。彼にもいつか役者してほしいな~。自分がチーフの時に作業場で何回か仕事をしてもらったけど、作業エースとしてこれから期待できそうな仕事ぶりだった。宣美の仕事もこなせるし、スタッフの所属が自分とほぼ同じだったので勝手に応援している。別団体での活動とかもあって大変そうだけど、ちゃうかにしかない魅力を見つけてくれると嬉しいな。
 橋本貴欣
この公演の役者が決定する直前に入団を決めてくれて、即役者参加という嵐のような人。稽古に行くことが無かったから通しで初めて演技を見たけど、一発見て「すげえいい演技するな」と思った。それが声がいいからなのか読み方なのか、その辺は分からないんだけどとにかくいい演技だった。多分舞台に上がると化けるタイプの役者なんだと思う。これからもいろんな役に憑りつかれてほしい。
 廣瀬功一郎
正直、対面でもオンラインでも会ったことがないのです。悲しい。個人的に結構前のOBに顔が似ていると思っていたのでいつか話してみたかった。今後彼が公演に参加してくれるなら、僕はきっとそれを目当てに見に行くと思います。
 藤丸翔
演劇経験者のスタオンという、今までにない新しいタイプの強キャラ。じつは彼、ちゃうかに入って初めての活動が炎天下の中での新歓公演のバラシだったんですよね。本人は「間違えて日曜大工サークルに入ったんかと思いましたわ」って言ってたんだけど、そりゃそうだよな。そんな始まり方でやばい団体と思われたらどうしようと若干心配してたんだけど、完全に杞憂でした。照明の人間としてオペ席から公演を牛耳る姿はとても頼もしかった。日常会話の中でもいいツッコミをするので、いつかそれを舞台の上でも披露してくれないかな~と思っている。
  コロナだなんだで先が見えず、鬱々としていたちゃうかに新たな光を灯してくれたのは間違いなく彼ら彼女ら32期だと思います。新歓活動も満足にできない中、ちゃうかを見つけてくれて本当にありがとう。これからもちゃうかを楽しんでくれたら嬉しいです。
  31期
 鰻白河ミニ
先輩か後輩か分からんやつ。今だからこそ言うけど、最初の頃はどうやって接していいかマジで分からんかった。ごめん。人への絡み方は未だに謎だけど、他より豊富な経験値の分、ちゃうかでの作品づくりにも真面目に向き合ってくれていたし、芝居に対してストイックな部分も見せていた。この前飲んでた時、ちゃうかの先輩後輩としてというか、一人の演劇人として会話ができたような気がしてなんか嬉しかった。本人的にはちゃうかの皆との関わり方で悩んでる部分もあるかもしれないけど、多分今のままで問題ないと思う。
 トニーー板倉
最初のオムニから見てきた後輩。なんかよく分からないタイミングで急に仲良くなった気がする。俺なんかしたっけ。演劇に対しての情熱というか、ハングリー精神が人一倍強かった奴だと思う。普段はちょけたりすることも多いけど、ずっと目の奥はギラギラしていたし、自分の力で作品をもっとよくしてやろうという気迫が伝わってきた。割と早い段階からちゃうかに興味を持ってくれていたのもあって、この団体そのものにかける気持ちも強い。こういうやつがこれからのちゃうかを作っていくんだと思う。期待してます。
 伊藤星乃介
推しの後輩である。役者にしろスタッフにしろ、正直なんでもスマートにこなすというイメージは無くて、役のイメージや仕事に対して泥臭くも必死に食らいつき、理想のものができるまで決して離さない。そんな姿勢がかっこよくて、そして頼もしかったんや。その精神を見て人は付いてくるんだろうし、きっとどこに行ってもやっていける。彼のチーフの下で仕事ができて嬉しかったし、10月公演の大入りは一番涙腺にきたわ。ありがとう。
 小宮山殊里
役者として参加した公演はそんなに多くはないんだけど、見るたびに成長していると思う。外公の頃からいい演技してたけど。彼女の演技は何というか、目と耳を通ってから体の奥の方にドスっと来る演技なのです。何言ってんだって感じだけど、要するに彼女にしか出せない味があるのです。それがいい味を出しているのです。プライベートについての話をすることはあまりなかったけど、意外なところで共通点があったりしていた。
 尾形莉奈
とても苦労をかけてしまった後輩。ごめんなぁ。舞監としてもそうだし、31期の一員としてもちゃうかの一員としても本当に大変なことが多い一年だったと思う。それでもいろんなところでアイデアを出してくれたり、みんなをまとめてくれたり、助言してくれたりめちゃくちゃ頼りにしてました。ちゃうかが現状問題なく公演が打てているのは彼女のおかげです。本当にありがとう。頼っといて何だけど、この状況だからこそより仲良くなれた部分があった気がします。いつ何時でもラインの口調が変わらないのが安心感あった。
 Anna
本当によく頑張っている。あまり自分を責めすぎないでほしい。彼女が今までやってきたことは間違いなくちゃうかの歴史に刻まれているし、これからもそうだ。とても気が回る子で、困っている人がいれば絶対に見逃すことはないし、手が空いていれば積極的に仕事を求めてくれる。ありがたかった。絶対に手を求めている人はいるし、君がそういう姿勢でいる限りちゃうかでは活躍の機会があるだろう。これからもちゃうかを楽しんでほしい。
 カーメン
最近ちゃうかで見ることが減ったなぁと思っていたら、外部劇団に参加しててびっくりした。もともと母国の方でも似たような活動をしていたという話も聞いたし、それがこっちの形と混ざって新しいスタイルを築いてくれそうでこれからがどんどん楽しみな役者。大道具作業に何回か来てくれてありがたかった。
 国分栞
実習やら免許やらなんやらで最近とても忙しそう。なんだけど本公演では衣装に関して、彼女がいないと役者が何もできないレベルで大活躍している。彼女のはつらつとした声は舞台の上に役者がいっぱいいてもよく抜けて聞こえるし、全部楽しそうにやってくれるから見てて気持ちがいい。なんか後輩の中で彼女と酒飲んだ時が一番盛り上がる気がする。これからもなんでもいいからちゃうかと関わってくれたら嬉しいな。
 津島ヨモツ
最初のオムニでひたすらいじられていた人が、まさかここまで驚異的な存在になるとは。脚本家としても活躍する一方で、一人のちゃうか民として誰よりも将来のことを真剣に考えてくれていたと思います。彼女の熱量や活力にただただ圧倒されてきた二年間でした。最近に関しては正直色々思うところもあったかもしれないけど、稽古場での様子とか写真とか見ると楽しそうにしてくれていてちょっと安心しました。変態の役をくれてありがとう、一番反響のあったキャラでした。
 島﨑愛乃
彼女もまた苦労をかけた後輩。そもそも彼女が担当している役職が多いかつ重いっていうこともあるんだろうけど。気が回るというか、すーごい色んな事に気が付いてくれる人という印象です。周りが大変なことになってバタバタしていても常に冷静な目と判断力を持ってくれていて、ずっと助けられっぱなしでした。それでいて稽古場でもキャスパ担当だったり演技指導だったりと常に忙しそうにしている。頼っといて何だけど、体は大切にしてほしい。ヤンキーで共演したのは今ではいい思い出です。
 須田颯人
彼も常にいるタイプのスタオン。最近何かといじられる機会が増えてきた気がするけど、映像公演をやるとなった時は頼もしすぎて泣きそうになった。ちゃうかが始まって未だかつてないチャレンジをするにあたって、一番先頭に立って公演を作り上げてくれた。本当にありがとう。今回は照明オペをやっているのでいよいよ技術職マスターになりつつある。ちゃうかの中で終わるには惜しすぎる人材。すでに出てるけど、もっと色んな所で活躍してちゃうかの名前を轟かせてほしい。
 西岡克起
本人のキャラと相反して、最近シリアスな役をやりがち?その辺にいてくれるだけで嬉しい人。割と最初の方からしゃべるようになった後輩で、その時の親しみやすさそのままで先輩としての強度を身につけた。今のちゃうかの中で一番組織の顔としてしっくりくる存在だと思う。実際外部公演にも積極的に参加してくれていてこれからまたどんどん伸びていくんだろうな。諸々楽しみにしてるぜ。
 西田幸輝
西田が西田「さん」って呼ばれがちなのは多分僕のせい。この場を借りて謝っておきます。31期の大道具チーフ枠を誰にするかは先輩と結構ギリギリまで悩んだんだけど、気が付けば誰よりもチーフが似合う存在になっていた。最初と比べて自分に自信を持って動くようになってくれたと思う。最近の公演ではもはや抜けた先輩に対するノリと同じ感じで頼りにいってた。いつでも冷静沈着な姿はもはや見習うべきですね。これからの大道具を頼みます。
 なしもとはな
彼女もオムニから見ている後輩。とはいってもあまり稽古に行けなかったので、初対面で誰やねんこいつみたいな目で見られたのを覚えています。最近は色んな部署の作業場で一緒になる。その辺の男子よりゴリゴリに作業をする。一番印象的なのは何かの会話の中で「ボコボコにしますよ?」って言われたこと。実際に人をボコしたりはしないんだろうけど、その心意気でちゃうかのポンコツ男子たちを引っ張っていってほしい。
 橋本悠樹
もう誰も彼に対して艶でいじる人はいなくなった。もし舞台に関して問題が起きても、どっしりと構えるようになったと思う。舞美会議とかの様子を見てて、本当に頼もしくなったと感じます。10月公演の演技を見てこっち系もできんのね!?となった。演技の幅が広くて羨ましい。脚本の雰囲気関係なく役者のオファーが来るのは、何より彼が役者をすると役が生き生きするからで、どんなキャラでも受け止めきれるその演技力の懐の深さが彼の強みなんだと思います
 福島亜理沙
僕の記憶が正しければ31期の中で一番最初に喋った人だと思う。確かその時の会話が面白すぎて「絶対ちゃうか向きの人間やで!!」って言いまくった記憶がある。最近は役者を見ることは減ったけど、どういう状況であろうと居るだけでその場をありさワールドに染め上げてしまう。そこに入った者は彼女に笑い飛ばされ、ちっぽけな悩みなんてどうでもよくなる。最近はふらっと現れては後輩を捕まえて喋っているのをよく見るので、キャラ保ちつつちゃんと先輩ムーブしてくれて頼もしい。
 堀文乃
多分ちゃうかを引退したらみんなとはしばらく会わなくなるのであって、この文章もそのつもりで書いてるんだけど、彼女は例外でちょっとしたらまた会うんですよね。とりあえずそっちでもよろしくね。ちゃうかの看板を背負って一体どこまで行くんだろうか。オムニの時にハサミを振り回して発狂してた人がここまでの存在になるとは先輩として誇らしい話だし、結局ちゃうかを愛してくれていそうなのも嬉しい話。コロナで立ち消えになったけど、実は違うところで同じ座組になってて後から「あれぇ!?」ってこともあったのでこれからもなにか一緒にできたらいいなぁ。
 山内一輝
オムニから見てるし、ずっと役者をしてくれているんだけど未だに掴みどころがないという印象です。ただ役者をしている姿は完全に職人というか、どんな役にも自分なりの味付けをしてくれる。どこにでもハマるテトリスのピースみたいなもんなのかな。今まで演じてきてくれた役的にも、死角がない役者さんだと思います。あと面倒見がすごくいいんだろうな。いい後輩をたくさん育ててくれそう。これからのちゃうかをよろしくな
 楽園うさぎ
ちゃうか男子の中でも、他の人には無い視点と発想、そして発言の切れ味を持ち合わせている31期のジョーカー的存在。だと思ってたんだけど、最近なんかかわいい一面もあるんだなと思うようになってきた。役者もスタッフも、気づいたらさらっとこなしている印象がある。最初の公演でパンをむさぼり笑いをもぎとる、とんでもない爆発力のやつが入ってきたとワクワクしていた。
 おはようさぎ
1年前、ノリとテンションが男子校だった29期の先輩方が抜けて、ちゃうかのテンション盛り下がるかなぁとか思ってたんですけど、完全に杞憂でした。ちゃうかちゃわんには、ガウスがいる。後輩とすぐに仲良くなってくれるし、作業とかでも常に自分から仕事を求めてくれたし(マジで酷使してきたと思う)、何よりその場に「楽しさ」を提供してくれる。思えば彼にずっと甘えていました。特に助けられたのは草刈りの時。そのままいけばただの拷問だったものを、夏の1イベントに変えてくれたのには本当に感謝してます。ありがとう。
  コロナの中でちゃうかが揺れる中、誰よりもちゃうかの未来について真剣に考えてくれた期だったと思います。ぶっちゃけぶつかることもあった30期はもういなくなります。後は任せました。ちゃうかをよろしくお願いします。
  30期
 渡邉あみ
多分だけど一番働かせてしまった同期。とにかく僕がなんか作業をしようとするとそばに現われて手伝ってくれた。それはちゃうかの外に出てもそうだったから頭が上がらない。だというのにプライベートでも仲良くしてくれて、本当にありがたかった。面倒見のお化けみたいなやつで、いろんな人に対してかいがいしく世話をしていた。時にはもっと他人に当たってもいいし、自分をもっと大切にしてほしい。プロデュース頑張ってな。これからも応援してます。
 樹木ききっ…♡
呪いをかけてしまった同期。いや本当に今思い出しても恥ずかしいな。最初の方はそんなに喋れなかったけど、舞台、照明とタッグを組んで色んな公演を経験しながら切磋琢磨していくうちに強固な信頼が築けたんだと思う。秋公演で久々に一緒に仕込んだ時にソウルメイトみたいなことを言われて嬉しいやら今度はこっちが恥ずかしいやらなった記憶がある。思いで補正もあるかもしれんけど、新人公演がちゃうかで一番楽しい公演だったし、最後の役者が彼女の脚本で僕は幸せでした。
 GEO
僕の大道具チーフ=発狂、みたいなことをよく言われるんだけど、それの原点になったであろう同期。昔は何かとぶつかることもあったけど、最近は双方が双方の違いを認識しだしてうまくいってる気がする。そして何よりちゃうかにコロナ禍とは思えない程の新入生が入ってくれたのは間違いなく新歓隊長として動いてくれていた彼のおかげ。新歓期間が無限に続くような大変な一年だったけど、本当にお疲れ様でした。いつでも30期の中心にいて周りを引っ張ってくれるような奴でした。
 LUCE
最近あんまり会えてないのが悲しい同期。音響として仕事をする彼女は安心感そのものでオペ席から舞台を見下ろす姿はとても凛々しく、スタッフとしてのカッコよさを詰めこんだようだった。みんなの前に現れる数は多くはないが、後輩たちからの信用は絶えることなく、彼女��影響力と人望を感じています。
 小澤裕貴
心の安寧をもたらしてくれる同期。稽古場にいてくれてちょっと話すだけで、心が落ち着くというか、精神が安定する。彼のセリフ読みは本当に彼にしか表現できない間とかテンポとかがあって、例え先輩であろうがその脚本の演出であろうがそれを真似することはできなかった。同じ脚本に出てて焦ったわ。学年がひとつ上で、そのせいか知らないけど全体を包み込むような包容力があった。
 岸田月穂
同期の中で1番、演劇に対して貪欲な人だったと思います。色々と外部の公演に呼ばれたり、オーディションを受けたりとても精力的に活動していた。ちゃうかでの役者は何かとぶっ飛んだキャラが多かった気がするけど。新人の時にドツラでフ〇ックサインをされたのはいい思い出です。これからも役者を続けて欲しい、舞台の上で輝き続けて欲しい人です。どうでもいいけど、ちゃうかの倫理モラルが崩壊したときに最後の砦というか良心になるのは彼女だと思ってました。
 木下梨実
学科が同じ、そんで役者スタッフも結構被っていたので、1番行動を共にした同期じゃないでしょうか。お互いの大変なタイミングが重なっていたので、何度も精神的な支えになってくれていました。彼女が一人で立て看を作っている側で、僕が一人で大道具作業をするっていう状況が新人で結構あって、秋公演でまた同じような状況になってしんどいしんどい言いつつ内心結構楽しかったのはここだけの話。いろいろぶつかることも無くはなかったけど、今まで仲良くしてくれてありがとう。
 小林秋人
僕です。大学に入ったときはまさか演劇をやるとは思ってなかったし、演劇始めたときはまさか座長になるとは思ってなかったし、座長になったときにはこんな世の中になると思ってなかった。みんなが最後までちゃうかを好きでいてくれたら嬉しいです。
 髙木悠
彼も学部学科が一緒だけど、ばたけはどちらかと言うと腐れ縁って感じの同期。ちゃうか民の中で1番仲良くなるの早かったしな。全身を個性で武装した特攻兵みたいな奴で、とにかく当たって砕けろの精神で物事に挑み、相手もろとも砕け散ったかと思えばケロッとした顔で帰ってくる。何とも清々しい生き様だったと思う。ちゃうか以外でも色々大変だったと思うけど、最後まで役者姿を見せてくれて嬉しい。そしてこれからも頑張ってほしい。
 大不自然賃夫
おぅ古家!!最初の方はやるべきことをまともにやらないちゃらんぽらんみたいな感じでいけ好かない奴だったけど、秋公演の時に後輩から泣きながら手紙渡されるのを見て、人って変わるものだしこいつはいい先輩になったんだなと思った。実際に彼がちゃうかに与えた影響はあまりにも大きいし、僕の演劇ライフにも多大な影響を与えたやつでした。最後までちゃうか民の前では演劇大好きなお兄さんをやってくれてちゃうかの劇団としての面を引き締めてくれたと思う。
 東崎望
今回の公演で久しぶりに顔を見せてくれて嬉しかった。結局彼女の演技を見ることができたのは新人の時だけだったけど、今あっても同じノリとテンションで接してくれて助かりました。彼女は学年が一個上なので酒で暴走する傍ら、年上らしい安心感や包容力をちょくちょく感じていた。酒で暴走するけど。彼女に時間の余裕ができたら卒公とか参加してくれたら嬉しいなぁ。酒で暴走するけど。どこ��で飲み行きたいな。
 備前桃子
一番喧嘩した同期。お互いに気が立っているタイミングがずれていたので、しょっちゅう舞美と大道具の間でもめ事を起こしていた。けど結果いい舞台ができたと思うし、毎回最後はオードリーみたいなノリで仲良くなる。今だからこそ言うけど、もめるたびに「そっちが悪いんだよ!」みたいなことを言ってた場合、大体僕の方が悪かったです。ごめんなさい。最近は作業から足が遠のき気味だったけど、後輩の反応を見てやはり30期の舞台美術には彼女が必要なんだと痛感した。
 三葛麻衣
ちゃうかを愛し、ちゃうかに愛された同期だと思います。3年前、入学直後に新歓公演を観たときの純真を一つも崩すことなく引退まで走り切ったのは本当に尊敬している。これは誉め言葉になるのか分からないけど、誰よりもちゃうかが似合う人です。外部にもいろいろ参加してるんだけども。今後が存在は語り継がれていくんだろうし、なんなら37期ぐらいとも普通に仲良くできそう。箱で一緒に衣装作ってそう。30期の存在を一番印象付ける人です。お疲れ様でした。
 渡部快平
色んな意味で変わった同期。オムニからの付き合いなんだけど最初はマジで寡黙かつ、頭が回るのでこんな奴が班員の大道具チーフしなあかんのかと怖くなった記憶がある。こいつと舞監、舞台で組んだ公演はなんか大変なことになりがちで、毎回二人で頭を抱えつつ最後にはいいものになって打ち上げでぶっ壊れるの繰り返しだった。ちゃうかの謳う「バイタリティ」と「サバイバビリティ」は彼と一緒に学んだんだと思う。その意味では一番の戦友だし、秋公演でまた一緒にできて嬉しかった。
  え
何やってんだエアーマン!どこ行ってんだエアーマン!30期の中でつなぎの役割を果たし、期としての一体感を生み出していたのは彼だったと思う。いなくなってから痛感したわ。誰とでも分け隔てなく接するし、一人一人との関わり方はまさに誠実。作業の時はあまりにも仕事が丁寧で某GEOと温度差で熱が出そうになったけど、安全面の基準とかは彼の見方が一番信頼できた。エアーマンは彼にしかできない視点でちゃうかを良くしようとしてくれていて、遠隔ではあったけどずっとちゃうかを支えてくれた。ありがとう。
 lulu
副座長様です。頭の回転と思考の深さが高次元で両立していて、なにか議論になったときは彼女が中心になって話を進めてくれた。副座に指名したときはまさかこんな大変なことになるとは思ってもいなくて、しんどい仕事に巻き込んでしまったなぁとはなるのですが、彼女が副座じゃなかったらどこかでこの組織は破綻していたと思うし、いろいろ任せてしまって申し訳ないやらありがたいやら…。本当に副座に指名して良かったです。ありがとう。稽古場でもバリバリ活躍する彼女のエネルギーはすごいと思います。お疲れ様でした。
 中戸太一
本人はここに名前を書かれるのはあんまり良しとしないかもしれないけど、新人公演で主役を演じた彼は先に引退した今でも間違いなく30期の一員だし、紹介しちゃいます。人生何週目やねんって感じの奴で、30期に人間的な彩をもたらしてくれたのは彼だったと思います。変えますかで再び彼の演技を観れて嬉しかった。今は全然連絡も取らなくなり何してるのかも分らんけど、とにかく元気に過ごしていてほしい。またどこかで会えたら嬉しいな。
  やはり同期です。引退はさみしい。充実した三年間をくれました。またどこかで楽しいことができるといいですね。
  終わ���!ちゃうかってこんな大きな組織だったんですね。コロナで大変な世の中になったからこそ、ちゃうかちゃわんという劇団のバイタリティとサバイバビリティを見ることができたと思っています。
 千秋楽の幕が上がります。頑張ってください。それでは
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kijinhajime-0218 · 4 years
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角島の海へ‼‼‼
どうも( •̀ ω •́ )✧
日頃のストレスをどうにかして取り去りたい鬼神はじめです!
旅行行きたい。旅行行きたい。旅行行きたい。と毎日呪文のように唱えております(←怖い)
旅行行くとしたら、温泉入ってマッサージ受けれるところがいいなぁ…と
今まではUSJやディズニー等の遊ぶことを求めてた旅行スタイルでしたが、
最近リラックスを求める旅行スタイルへとシフトしてきました。
そうなってくるとやはり「あぁ…疲れてるんだなぁ…」と思い知らされますねwww
ウイルス騒動がなければ、今頃は温泉旅行行ってたんだろうなぁ…(。・ω・。)
さて、今回は日帰り旅行に行ってきました。
目的の場所は山口県の角島 と 長門市の楊貴館。
角島は言わずと知れた有名な場所ですね。
本州と角島を結んだ大橋がとても有名です。
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上記の写真は見覚えのある方が多いのではないのでしょうか?
※2020.11.03(火)の文化の日は本州と角島が橋でつながって20THだったそうです。
ですが鬼神はじめは人が少なそうな2020.11.01(日)を”あえて”選びました。(本音:20THなんて知らなかったぞ…( ̄へ ̄))
まぁそんなことはさておき、人生で二度目の角島(一度目は小学校2年生の時に知り合いとキャンプへ行ったとき)感想を述べるとしたら。
やはり海が綺麗でしたね╰( ̄ω ̄o)
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大橋渡っててもわかるのよ…。綺麗なのが。
流石に沖縄の海には負けますが(比べるもんじゃない)
自分の住んでる地元の海よりも断然きれいでした。
灯台公園まで車を走らせて、駐車場で少しばかり休憩&お昼ご飯。
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※鬼神はじめの手作り弁当です。
お品書き
・シーチキンの炊き込みご飯(おにぎり)&モーゼのたくあん←
・卵焼き
・ウインナー
・砂ずりのから揚げ
・エビフライ
・枝豆
栄養面とバランスは置いといて\( ̄︶ ̄*\))
前日に作ったにしては頑張りました←
ご飯を食べ終わって休憩後、車から降りて灯台付近をウロウロしておりました。
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※インスタ映えしそうな場所の近くには、海上保安庁所有の灯台。
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※灯台は期間限定公開だそうです。入場300円。
灯台に上りたかったのですが、灯台のてっぺんに沢山の人がいたのと、
11/1の1週間前から足を痛めており、上まで階段を登りきれる自信がなかったので断念しました。
さらに言えば海岸に降りてシーグラスを取りたかったのですが、時間の都合上断念(´。_。`)
14:00に貸し切り温泉を予約しており、灯台付近をウロウロし終わったのが13:15頃でした。
角島から楊貴館まで大体35分…。
うん。無理ぽ(T_T)
というわけで、シーグラスは次回にして車に乗って長門市の楊貴館へ。
山口県長門市 湯谷湾温泉ホテル楊貴館公式サイト
楊貴館は西日本観光旅館?TOP3に入るほどの有名な旅館だそうです。
(確かにホテルに入ったときの印象は”高そう”だった)
今回は泊りではなく、貸し切り温泉だけを��能することに。
お値段は45分で3,300円。
オフシーズンだったので人がいなかったです(チェックインの時間も関係ありそうですがソコはノーコメで)
お風呂の感じはこんな感じでした↓
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広くて豪華…( •̀ ω •́ )✧
美人の湯だそうで、お肌がつるつるになりました(╹ڡ╹ )テヘ
ホテルの受付の人や支配人さん・番台さんもいい感じの人で次回は泊りに来ようかなぁ…等考えながら、楊貴館を後にしました。(お金貯めて贅沢しなければ←)
さて目的は果たしたし次はどうしようかなぁ…。帰るか?と思っていたら
角島に行く道中に見つけた”人類学ミュージアム”という看板を思い出し、興味本位で行くことに。
人類学ミュージアム…。
名前のインパクトが強くてついつい足を運んじゃいましたwww
道中で見つけた施設等に興味本位で行くのも旅の醍醐味ですね(❁´◡`❁)
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※疲労のあまり施設の写真を撮り忘れるという無能ぶりを発揮!
申し訳程度にパンフの写真を晒す(´。_。`)
どうやら土井が浜で見つかった弥生人のお墓をテーマにした博物館のようでした。
土井が浜で見つかった骸骨は何故全員海をむいて埋葬されていたのか…?
何故同じ弥生時代の人たちなのに、地域によって頭蓋骨の形が違うのか…?等。
上記のことをテーマに貝殻や骨等が展示されていました。
ミュージアムから少し離れたところにドームがあり、中に入ると実際の発掘現場を再現された施設がありました。
骨は全てレプリカでしたが、一人でこのドーム内にはいれないなぁ…。と
建物内が静かなのも相まって少し不気味さは感じられましたw
人類学ミュージアムを後にして、九州地方に帰ることに。
夜ごはんは福岡県北九州市門司区でハヤシライスを食べて帰りました。
場所はミルクホール。門司港レトロのエリア内にあります。
大正時代にOPENしてからずっとここ門司区にいるみたいです。
内装はリニューアルしてはいるものの、やはり歴史を感じる気がしますね←
門司港レトロの夜景を堪能しつつミルクホールに向かっておりましたが、お写真沢山撮りました←
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とても充実した1日になりました。
次の日(2020.11.02)は福岡県八女市に行く予定です。
抹茶大好き人間なんでこれまた楽しみ(╹ڡ╹ )マッチャー
それでは次回は八女市に抹茶を求めに‼‼‼‼
お茶への旅へ( ゚д゚)つ Bye
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shodoshima-oliveyh · 4 years
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小豆島1周ウルトラウォーク開催(10月31日-11月1日)と歩行者の通過時間について
 2016年に40周年大会を開催し幕を閉じた小豆島1周100キロウォークが小豆島1周ウルトラウォークとして新たに行われることが決定しました。
 当初は6月開催の予定でしたが、コロナウィルス感染症のため延期。
 その後の協議の結果、新たな開催日は10月31日から11月1日で感染症対策を行った上で実施することとなりました。
 当施設はスタート・ゴール地点にある宿泊施設として大会を過去の大会と同様にサポートします。
 実際の大会についての進行は主催者によって行われますが、開催当日の歩行者の通過予測時間をご案内します。
 歩道の歩行になりますが、ルートによっては夜間の歩行になり、普段は人が歩くのが少ない場所に歩行者がいる事になります。お車などの通行の際はご注意いただきますようお願いします。
 皆様のご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。
 歩行者の通過目安時間
 ユースホステル 集合・スタート 8:00-14:00(スタートは12:30より。密を避けて時差スタート)
 釈迦が鼻園地 15:00-18:30
 ふるさと村 16:00-19:00
 土庄町役場 18:30-20:30 
 大阪城残石記念公園 22:30-0:30
 大部公民館 0:30-2:30
 福田港 3:00-5:30
 橘峠 5:00-8:30
 大角鼻灯台 6:30-10:00
 坂手・田浦・安田 7:00-12:30
 ユースホステル ゴール
 ※  通過時間はあくまで目安です。
 ※密を避けるために時差スタートします。歩くスピードにも個人差があるため通過目安は長めに書いています。  大会概要HP  https://www.actrep-sports.com/ultra-walking/shodoshima/
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blacksupersonic · 4 years
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アルコール依存症に苦しんだ過去から復活、フランス漫画界から高い評価を受ける高浜寛。今年は、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。自分の仕事を「過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと」という。天草島の緑深い山あいの家で、話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:宮井正樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
異色の作家の受賞
今年4月、『ニュクスの角灯(ランタン)』(リイド社、全6巻)で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した。年間通じて最も優れたマンガ作品に贈られる賞で、最終候補作にはベストセラー作品『鬼滅の刃』も挙がっていた。
もともと「地味な作風」(本人談)で、高い画力と物語作りのセンスから玄人筋では評価が高かったものの、一般的な知名度が高かったわけではない。選考委員の一人で仏文学者の中条省平もこの作品を、「高浜寛という作家を、知る人ぞ知る異色の存在から、もっと大きなスケールの、普遍的な物語の面白さと感動とをあたえてくれるマンガ家へと脱皮させ」たと評した(2020年5月20日付「朝日新聞」夕刊より)。
「40歳をすぎて、私も中堅の自覚ができてきました。自分のことばかりではなく、全体のことを考えていく責任が出てきていると思います。その世代なりにあげていかなければいけない成果があるとも思いますし」
たかはま・かん/熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)、『泡日』『凪渡り――及びその他の短篇』『トゥー・エスプレッソ』『蝶のみちゆき』『SAD GiRL』『エマは星の夢を見る』『ニュクスの角灯』『愛人 ラマン』など。ほぼ全ての作品がフランス語訳され、イタリア、スペイン、ドイツでも多くの作品が出版されている。今月28日に、『扇島歳時記』第1巻が発売される
主な舞台は、19世紀末の長崎とパリ。西南戦争で親を亡くした美世は、「私なんか」が口癖で、自分の意見を言うことに慣れていない。長崎の輸入道具屋で働き始めた美世が店主の百年(ももとし)をはじめ、まわりの大人たちの導きで、人生を切り開いていく。随所に、豊かな線で表現される当時の衣装や習俗が挿話として登場する。
しかしこれが単に美世の成長物語にとどまらないのは、百年の恋人、ジュディットの存在だ。パリの高級娼婦であるジュディットは社交界の花形だが、生活は荒れていて、アルコールに依存している。物語の終盤、美世との出会いによって、ジュディットが「光の方へ」歩き出す勇気を得るシーンが美しい。
作家性が強く、扱う題材も地味だった初期作品群と比べて、この作品は娯楽としてのマンガの楽しさにあふれている。
「エンターテインメントですよね。みんなに『少女マンガだ』って言われます。ラストのドタバタも少女マンガらしい。若い人を励ますような気持ちで描いたかな」
その気持ちの裏側には、アルコール依存に苦しんだ、若いころの経験がある。
「若いころは家族と離れて、北関東の学園都市で生活していたので、問題を相談できるような年上の女性が少なくて、健康なほうにいけなかった。幸いにしてサポートしてくれる人たちと出会うことができたし、考え方も成熟してきて、かつての自分がなぜ生きづらかったのかがいまはわかる。そうすると、同じように苦しんでる若い人たちのことが見えるようになってきて」
フランス漫画界との出会い
もともとマンガ家になろうとは思っていなかった。大学2年生のとき、飲み会でさらっと描いたマンガを面白がった友人が、あるメジャー青年誌に持ち込んだ。
「私の知らない間に見せにいく約束を取り付けてきた。面白いけど上質紙に描いてあるから、ケント紙に描き直して持ってきませんかと言ってもらって、持っていったら賞を取ったんですよね」
担当編集者がつき、デビューを目指して準備を始めるが、途中で編集長が代わり、作品が採用されなくなった。
「私は、老人を主人公にしたりして、なにげない日常のストーリーを描いていた。でも、編集部から売れるものを描いたほうがいいと言われて。売れるものってなんだって聞いたら、若者が主人公でとか、恋愛要素があったりとか、ひと夏の成長物語だったりとか。当時はそういうものにあまり興味がなかったんですよね」
「対極のところに行ってみよう」と、青年誌「ガロ」に持ち込むと一発で賞を取り、掲載が決まった。大学卒業目前の冬のことだ。
マンガアシスタントの経験はない。そのころ、フランス人マンガ家フレデリック・ボワレが「ヌーベルまんが」を提唱し、バンドデシネ(フランス語圏のコミック)とマンガの中間のような作品を発表していた。高浜は、日本に住んでいたボワレにメールを送った。
「『ヌーベルまんが』は、『日常を描く』という活動だったんですよね。SFとか、非日常的なものではなく。そのときの私はそうだそうだと思って、私もマンガ家だし、チャンスがあったら誘ってくださいって言ったんです。そうしたら、何か一緒にやりませんかという話になって」
「海外でも評価されるマンガ家」と形容されることがあるが、より正確には、日本とフランスのハイブリッド。フランス語圏ではバンドデシネ作家として受け入れられている
高浜は、ボワレとの合作『まり子パラード』を描き上げる。そして、出版社を探すためにフランスの国際的なマンガマーケットであるアングレーム国際マンガ祭に持ち込んだ。大手出版社カステルマンが興味を持ち、ボワレとの共著だけでなく、高浜自身に描くチャンスを与えてくれた。
「あとはずっとカステルマンで描いてて、気心の知れた人が別の出版社に移籍するとそっちでもまた仕事をくれるようになって。常に何か仕事をしているような感じになりました」
アルコール依存症に
若くて才能のある作家の登場にフランスのメディアも注目し、渡仏するたびにいくつもの雑誌やテレビの取材を受けた。その中には、ファッション誌の「ELLE」など、高浜自身が憧れて読んでいたような有名な雑誌もあった。
「がんばったらその先にあるような世界がいきなりやってきて、しかも思っていたのと違ったから、パニックになってしまったんですよね。長旅で疲れた頭で、同じような質問に何度も答えて。知らない人ばかりで気も使うし、通訳をはさんで何日も何日も、テレビやって雑誌やってラジオやって。そのたびにお酒を飲んでた。そうしないとこなせなくて」
日本でも、「ガロ」で描いた短編が高く評価された。「ガロ」が休刊したあとは、「マンガ・エロティクス・エフ」などのオルタナティブなマンガ雑誌で連載を持ち、締め切りに追われて徹夜が続く。
お酒を手放せなくなっていたころ、あるアート誌の取材を受けた。いつものように徹夜明けで、アルコールをキメてから出かけていった。掲載号が発売されたとき、自分の写真にショックを受けた。
「1ページまるまるの写真は、すごいむくんだ顔をしてて。適当に着ていった服の胸元がけっこう深く開いてて、こんな服着ていかなきゃよかったとか、いろいろ思ったりしましたね。別のときは、頭がハゲかけたこともあったし。20代の女性としては『これは厳しい』と思いました(笑)」
不眠にも悩まされ、睡眠導入剤を服用するようになった。だるくてだるくて、起き上がれない。1日に2時間ぐらい仕事ができればいいほうで、連載が続けられなくなった。
「まだ準備ができていないうちに、過大な評価をされてしまったんですね。少女時代が終わって、女性としての人生が始まったばかりのころに」
崩れていく自分を観察
お酒と薬をやめることができたのは、32〜33歳のときだ。何年も深い底をただよう間には、発作的に薬を過剰摂取して救急車で運ばれ、一命を取り留めたこともあった。いっぺんにやめられたわけではなく、当初は薬をやめてもお酒はやめられず、むしろ増えたときもあった。
「最終的にはちょっと幻覚みたいなのを見たときに、もうこれは浮上しなければまずいと思って。そこからパタッとやめて上がってきたんですけど」
自立への第一歩として、親元を離れ、熊本市内に家賃1万2000円の激安アパートを借りた。自助グループと病院に通い、うなぎ屋でアルバイトをしながら、『四谷区花園町』という作品を描き上げた。
2013年に『四谷区花園町』を刊行。翌年に『蝶のみちゆき』を描き上げ、さらに翌年、『ニュクスの角灯』の連載をスタートさせた
「(アルコール依存から回復する前とあとでは)180度変わりましたね。その前は一人では立てない状態、そのあとは一人でちゃんと立ってる状態。以前は、何かに依存しないと立てなかった」
高浜は、「お酒を飲んだ自分」を観察したことがある。
水底で暮らした長い年月を経て、断酒に成功したのが2011年ごろ。それからお酒は一滴も口にしていなかったが、2016年の熊本地震に遭い、古いアパートは全壊。翌月に住む場所は見つかったが、しばらくして半年ほどスリップ(再飲酒)した。
「どんなふうに崩れていくのかを、興味を持って観察している自分がいたんですよね。最初の1、2カ月は仕事ができていたけど、3カ月、4カ月と経つうちに、長編の構成を頭の中でキープすることが困難になってくるんです。パースがゆがんで絵もうまく描けなくなる」
『愛人 ラマン』執筆へ
スリップから抜け出したころ、大きな仕事が高浜のもとに舞い込んできた。フランスの作家マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン』の漫画化だっ���。
旧知のフランス人のエージェントから「小説の漫画化をやってみない?」と提案された。「『愛人 ラマン』はどうかという話になったとき、私も『それしかないよね』という感じだったんですよね」
デュラスの『愛人 ラマン』が日本でベストセラーになったのは、1992年のことだ。ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイの主演で映画化もされている。デュラスが仏領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代を振り返る。貧困家庭の白人の少女と裕福な中国人青年との性愛は、センセーショナルだと話題を呼んだ。
デュラスは1996年に亡くなったが、フランス文学に詳しい野村昌代(アンスティチュ・フランセ東京メディアテーク主任)によれば、「フランスでは現在も評価が高く、その恐るべき才能、作品のクオリティーの高さから、よく読まれている」という。
高浜は高校生のころ、デュラスにはまってよく読んでいた。
「(小説の)少女とあまり変わらない年齢で読んだんですね。面白かった。『自分たちのことが書かれている』と思って読んでいました。『少女が年をとるとこうなるんだ』というのを見せられたような気がして。なんとなく自分もその呪いにかかったような感じがしました」
40歳をすぎて読み返すと、違う感想を持った。
「あの少女のことを、自分よりも経験があって、大人の世界を知っていて、しらけた感じで生きてるんだと思ってたけど、ほんとうは絶望的な状況に置かれていて、そのせいであんなにはすっぱでつっぱってたんだってことが、いまわかったという感じでしたね。当時はよくわからなかった」
高浜版『愛人 ラマン』は今年1月にフランスで発売された。翌月日本語版を刊行。高浜が描く少女はやせていて目の下にクマがあり、とても美少女には見えない。映画でジェーン・マーチが演じた、未成熟な色気がただよう少女ともまた違うキャラクターだ。最初から最後まで、登場人物のほとんど誰も笑顔を見せず、うだるような暑さの中で、行き場のない思いと苛立ちが沈殿していくさまが、オールカラーの独特な色彩で表現されていく。
「つらい状況って、どうやって耐えるか、どのくらい耐えればいいのかがわからないから、怖い。人が亡くなったときは心の痛みはこれぐらい続くんだ、でも耐えていれば絶対に薄れていくんだとか、そういうことを教えてくれる人を見つけるのが難しい。昔だったら、母親がいて父親がいて、祖父母がいて、両親が機能しなくてもおじさんおばさんとか、いろんな大人が身近にいたからなんとかなったけれども、いまはそういう環境のほうが珍しくなっている」
「単純に希望を持つことって大きいですよね。で、希望を持ってる人のそばにいるっていうことも大きいかもしれない。誰か牽引力のある人がそばにいれば、その人に引っ張られてみんないいほうにいくってこともあるだろうし。でも都会ではなかなかそうなりにくい気がします」
山あいの仙人のような暮らし
昨年、仕事場を熊本市内から天草に移した。山あいの一軒家に夫と二人で住み、マンガを描く。犬2匹と猫3匹、山羊2匹を飼い、井戸の水を飲む。
「(コロナの影響は)ここにいる分にはあまり感じないですね。もともと週に1、2回、町へ買い物に出るくらいで。DVDを借りに行ったりはしますけど」
「山に住まないといけない」と思った理由をこんなふうに話す。
「このあたりは植林された山じゃなくて、原生林が残っているんです。過去に健康を害して仕事ができなくなった経験があり、それを元どおりに修復するのにとても時間がかかったので、最初から害になる要素の少ないところで暮らしたいと思いました。それに、町にいると絶対必要なわけではない、細かな予定が入りすぎてしまう。仙人みたいな人は必ず山に住むでしょ?」
月の半分は、「月刊コミック乱」と「トーチweb」に連載中の新作「扇島歳時記」の執筆に集中する。主に使うのはシャープペンシル。基本的にペン入れはせず、黒鉛の芯の硬軟を自在に操って、ニュアンスに富んだ線を描く。
連載中の「扇島歳時記」の舞台は、『ニュクスの角灯』から10年ほどさかのぼった長崎。共通する人物も登場する
もともと、描きたいことはどんどん浮かぶほうだ。アルコール依存から回復してからは、生まれ故郷の天草と、自身のルーツがある長崎を、歴史をさかのぼって丹念に取材している。
「扇島歳時記」のために長崎・出島の詳細な見取り図を作成し、『ニュクスの角灯』では大浦慶という実在した女性実業家を登場させるなど、フィクションの中に綿密に取材したノンフィクションを巧みに織り交ぜる。
「最近はもう、マンガ家といっても歴史マンガ家なので。歴史マンガ家のすることは、過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと。歴史を調べていると、向こうから飛び込んでくるんです。人知れず亡くなった人とかが、描いてほしいとメッセージを送っているのかもしれない」
「扇島歳時記」のノートの1ページ。絵や演出のうまさに定評があるが、本人は「取材してシナリオをつくる作業が好き。絵を描くのは2番目」と言う
次回作の構想を楽しそうに話す姿を見ていると、描けない時期があったとは思えない。「描けないことは苦しかったですか」と聞くと、少し考えて、「待たせていることがしんどかったですね」と答えた。カステルマン社が「描き下ろしで」と依頼してくれた中編は、描き上げるのに5年かかった。
どの時代を描いていても、高浜の作品には「いま」がにじむ。『愛人 ラマン』で描かれた少女の絶望は「いまもあまり変わらないと思う」と言う。
「20年前よりも状況が悪くなっているかもしれません。どこか依存症みたいな子がたくさん��ますよね。ツイッターを見ていると、いろんな人の不安定な情緒がぽんぽんぽんぽん目に入ってくる」
ただ、そこで感受するつらさや病みを、そのまま作品にしようとは思わない。
「そういうのを描けばいまの人たちの共感を得られるのかもしれないけれども、私はそれが必ずしも良いことだとは思わないんです。それより、過去に生きていた人たちがどういうふうに健康的な暮らしをしていたかとか、どういう考え方をしていたかとか、そういうことを描いたほうが、読んでくれた人が本当の意味で前向きになれるんじゃないかと思っています」
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gunosy-news · 4 years
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あわや死亡事故…子ども時代の危険行動、今考えると相当ヤバイ
集計期間:2020年6月13日~6月15日 回答数:16257
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小さな子どもは好奇心いっぱいで怖いもの知らず。数秒でも目を離すと何をするかわからない生き物です。
そこで今回は「いま考えると危なかった、子ども時代の行動」についての調査を行いました。
いま考えると危なかった、子ども時代の行動はありますか?
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回答者16257名のうち、子ども時代に危ない行動を取っていたと考える人は全体の約7割という結果に。
ここからは具体的な行動例を見ていきましょう。
いま思うと恐ろしい…子供のころの無茶な行動
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<飛び降り・落下・高所系>
・マンションの5階曲がり角の部分から、4階にジャンプ
・道に面している崖を段ボールで何度も滑って遊んでいた
・小学生の頃は遊具のいちばん高い所から飛び降りてた。ブランコも思いっきりこいでから飛び降りていた。 
・大きな落とし穴を友達とほり、近所の大人に注意をうけた
・8階のベランダからおもちゃ大量に落とした
・小学校の2階のベランダから、1階の水が溜まっているドラム缶に飛んだ
・自転車の補助輪を外して1人で練習中緩やかな下りでスピードが出てしまい止まれなくなり道路から3、4メートル下の河原に自転車ごと転落した
・保育所の卒園旅行で船に乗り、柵と柵の間に(柵の外は当然海)何気に体をはめて両手でつかまっていたら、母が青ざめて、危ないと言って、引っ張ったので、落ちずに済んだ。今考えると怖い事をしていた
・傘を開いて手に持ち2mを超える高さから飛び降りてた。着地の時、地面は土だったけど固く、足はものすごく痛かったけどスリル満点でやめられなかった
・小学校高学年の頃、団地の集会所の屋根の上(2階程度の高さ)から、公園の砂場に飛び降りて遊んでいた。同級生を無理やり飛ばせた事もあり、砂場の縁がコンクリートのような硬い囲いだったので、今考えると怖いことをしていたと思う。誰も怪我をしていなかった事が幸い
・毎日毎日三階建てより高い倉庫を低い建物から順に飛び乗り、命綱無しで屋根から屋根へ…ある日突然屋根から15m下のコンクリートへ腰から落下。30分位立てなかった
・向かいの家に桜の大樹があり、しょっちゅう高いところまで登って遊んでいた。(今考えるとそれ自体が危険だったかも)しかしそれ以上に、毎年ある時期になるとその木に大量の毛虫が発生し、道の至る所にも毛虫の大群が…親からは「毛虫がたくさんいるから登るのやめなさい!」と言われていたのに全く気にもせず登って遊んでいたのはやはり子どもだったからだろうか…今考えるとぞっとする
・山の中で、あけびの蔓が延びていて それにつかまって、みんなでターザンごっこをして遊んでいたが、下は谷だった。蔓が切れたら、谷底に真っ逆さまだった
↑子どもは高いところが大好き。昔はマンションやビルの屋上へ普通に行けましたね…
<誤飲・誤食系>
・川の水を飲んでいた
・虫を食べていた 
・鼻にビーズを詰めた
・病院でもらった薬だったと思うが、味が好きで、こっそり飲んだりしていた。
・どんぐり飴を舐めてて喉に詰めて7歳位の時本当に死ぬかと思った
・祖母の家に遊びに行った時に、まだ赤ちゃんだった私は灰皿にあったタバコの吸殻を食べてしまったそうです。
↑何でも口に入れてしまうのもあるあるですね。筆者の友人も、ゲームの真似で野生のキノコを口にして大変なことになりました。
<知らない人・不審者系>
・雨に濡れて帰っていたら、知らない女性が家まで車で乗せてくれた。
・しらない男性から道を尋ねられ、車に同乗して道案内した。
・小3の時に近所で大きい家を建てていて大工さんがいたので中を女友達3人で見せてもらっていたらいきなり大工のおじさんが下半身を出して私たちに近づいてきて怖かった。
・上級生達とホームレスをからかったらハサミを持って追いかけられた。
・友達と一緒に、お菓子を買ってくれた知らないおじさんと遊んでいた。友達に抱きついてきて気持ち悪かったので走って帰ったけど、今考えれば変質者だ。
・まだ幼稚園くらいの頃に、知らないお兄さんに誘われてバイクの後ろに乗ったことがある。誘拐しようかなとか言っていたような…。今思うと危なかったなと。
・小さい時、知らない人についていき家にお邪魔していたこと。刺青入った人達が庭で大きな蛙を殺していた。小さい時、近所の独身で独り暮らしの男性のアパートに友達と通っていた。母に知られ怒られて行かなくなりました。
・一人暮らしのおじさんの家に複数の女子たちが遊びに行って、庭で飼われている犬と遊んでいた。今思うと不法侵入だし、おじさんは家で内職してたので、すっごい迷惑だったと思う
・公園でお菓子をあげると言って体を触ろうとするおじさんにみんなで群がってお菓子を奪い取ってはみんなで殴ったり蹴ったりしていた。どっちが加害者なのか分からない状態だったけれど、おじさんが本気で掴んだりしてきていなかったなと思っている。もしおじさんを怒らせたりしていたらどうなっていたのか分からない。
・女性ですが、動物を沢山飼っている親戚でもなんでもない独身おじさんの家に動物目当てでよく遊びに行って昼寝などしていた。何事もなくてよかった・・・
・小学生の頃、島の友達に会いに行こうとして、船に乗り遅れ、近くにいた知らないおじさん?おじいちゃん?の漁船で送ってくれる事になり、喜んで乗っていきました。その方が良い方だったから、優しい人がね、、、と心があたたかくなったけれど、そうじゃなかったら、、、その当時は母親に、よく乗っていくわ、、、お母さんだったら、絶対乗らない、、、と言われ、なんでいけないの、、、と思っていましたが、今なら娘に同じ事を言います。でも、昔はそういう親切な方がたくさんおられたから、良い時代もありましたが、、、今は、一番大事なものが失われ、良い人が、逆に辛い思いをする時代になったと感じます。
↑純粋ゆえの警戒心のなさ……。「知らない人についていっちゃダメ」という教育がいかに大事か思い知らされるエピソードばかりです。
<刃物・火遊び・危険物系>
・学校で木の枝などを使って弓矢を作って飛ばしていた。
・爆竹を人の庭に投げ込んだ
・殺虫剤+ライターで火炎放射
・爆竹や水風船などを通行人や通行する車両の前に投げて爆発させていた。
・ロケット花火を手に10本を手に持ったまま、火をつけて、手を離すのが遅かった為大火傷してしまい痛い思いをした事は、忘れません。
・小学校下校時、捨てられた石綿を触りまくってた手を洗ってもチクチクして、やばいものだと本能で感じた
・幼稚園の頃、母親のカミソリで手のひらの生命線などの線を切った。カミソリがなんだか知らずに興味でやってしまい痛い目を見た。もっと深く切っていたら危なかった。
・子供の頃、川で遊んでいて割れたウイスキーのガラス瓶が落ちており、割れた所を持って投げて右手の人差し指をざっくり切った。関節のスジは切らなかったから、良かったけど、切っていたら二度と指が曲がらなかったと思うとゾッとした。
・空き地に穴を開けて、周りの草を刈り、穴の中に新聞紙と刈った草を入れて穴の半分を拾った鉄板でふさいで穴の中に火をつけて、あぜ道に生えていた稲穂を鉄板焼きにして米ポップコーン風を作った事。失敗してたら大火事になっていた気がする。川の近くでよかったです。すぐに消火できたので。
・海に行って学校から盗んだアルコールを燃やして焚火してたらいつの間にか火がなくなり近くに廃車の車が空いていたので物色したら灯油があったので火を付けたら車ごと燃えて大変だったけど逃げた。
・ひげ剃りで、皮膚をそって、アカを取ろうとした。
↑子どもといえば「触っちゃダメ」と言われるものに興味津々。痛い目を見てから初めて「触ってはいけない理由」を学ぶこともありますが、中には取り返しのつかないような事故も…
<感電未遂>
・高さ3メートル以上の柵に登り、電線に触る
・木登り中、電線をよく握っていました
・コンセントにピン留めを突っこんで、指先が少し黒く焦げたこと。ビリッと感電したことと、母が驚いて飛んで来たことを覚えています。
・コンセントにつないだままのこたつのコードを鉄製ペンチで切ったこと。
・コンセントに裸の銅線を突っ込んで、花火みたいに遊んでた。
・コンセントにコード繋いだまま、延長コード直してて…団地一列停電に…しかも、そのドライバーの持ち手が欠けていて、金属むき出し…触ってたら感電死してたかも?
↑運が良かったとしか思えないエピソードばかり。火花の散る様子に危ない魅力を感じてしまう気持ちを思い出します。
<道路・線路・車両がらみ>
・閉まりかけた踏み切りをくぐって、こけた
・1時間に1本しか電車が来ない田舎だったので線路を歩いたりしたことがあった
・線路に寝そべってガタンゴトンと電車が近づいたら逃げる
・線路に置き石…田舎のだったとは言え、今考えると迷惑や危険の言葉では済まずゾッとします
・夏のパチンコ屋で、昼間車の中で待っていたこと
・車の助手席で飛び跳ねてフロントガラスを突き破ったこと
・親の目を盗んで車から出て保育園の駐車場で遊んでいたらお迎えに来た車にひかれて車の下敷きになった。
・トラックの排気ガスの匂いが好きで、止まってる車の後���にわざわざ行って嗅いでた。いろんな意味で危なかった。
・採石所で遊んでて大人がきて見つかると思って隠れてたらその横に10トンダンプが横で砂を上げて生き埋めになりそうになった
↑時代や地域によっては線路に侵入するのもたやすく、電車の本数も少ないため危機感を抱きにくいのかも。
<山岳遭難・水難未遂など>
・家の裏が山だったから小学校の頃から1人で山に入って遊んでいた。今は熊が頻繁に出てから入山できないが子供の頃は怖さを知らないから絵本のくまさん感覚にしか思っていなかった
・10歳前後の頃、人気の無い山を何時間も歩き回っていた。田舎で親は共働きで祖父母に育てられていたため、色々緩かった。今思うと、10歳前後の女児が一人で山歩きなんて怖い。
・用水路の中に入り込んで遊んでた。雨の後は水量が増えて、���し流される感じが面白かった。
・遊泳禁止の海に子どもだけで行き、波打ち際にうつ伏せに寝転がり、高波が来た時に誰が最初に逃げ出すかチキンレースをしました。兄が波にさらわれ、危うく溺れるところでしたが、自力で波打ち際まで辿り着き、ことなきを得ました。今考えると恐ろしいことをしていたと思います。
・小学生の頃、海に釣りに行ってテトラポッドの間を飛び回ってた。落ちてテトラポッドの隙間で溺れ死んだ方が結構居ました。
・池で、係留してある、エンジン搭載の船に、勝手に飛び乗って、こどもだけで、魚釣りをしていた。
・子供だけで作ったイカダで、増水した淀川を渡った事。
↑ 子どもの山岳遭難や水難事故は毎年のように発生しています。くれぐれも今の子どもたちが真似しませんように。
<生き物系>
・蛇を捕まえて遊んでいたけど今思えば噛まれていたら大変な事になってただろう。
・野生のイソギンチャクを見た時、生態をよく知らない状態で、触手に手を突っ込んだ事があります。
・奈良市内で住んでいた頃、幼少時代に鹿のしっぽを引っ張って、後ろ足で蹴られて泣いて帰った記憶が…。
・クワガタ採るためにスズメバチの居る所に行って木の枝だけで戦ってた。
・焚き火して ザリガニ焼いて食べていた
・外の大きな鉄格子でハスキーを飼っていて、兄にその檻の中へ閉じ込められた。温厚なハスキーだからよかったが、4歳の私が大型犬に勝てるわけもなくハスキーの野性の血が騒がなくてよかった…
↑正しい知識がないと大人でも痛い目を見るのが生き物にまつわる行動。腕力も体力も大人にかなわない子どもは余計に注意が必要です。
<その他>
・タンスの引き出しを出して、登って遊んでた。タンスが倒れてたら、大怪我していたと思う。
・エスカレーターに乗るとスカートをはいているのに座る スカートが挟まったら危ないとよく注意されました
・知らずに洗剤を混ぜてた。
・コンタクトレンズに憧れて、飴を薄くして目の中に入れた
・近くに廃棄部品置き場のようなところがあって、そこに金属カバーに入ったベアリングがたくさんあって、その金属カバーを壊してベアリングを取り出すのがはやっていた。今思えば何が面白いのか、取り出したベアリングを何に使ったのか覚えていないが、タガと金槌を使ってケースを叩いていたら左コメカミあたりに破片がかすり、生温かい血がたらっと流れてきたことがある。今考えるともし破片が目や頭に刺さっていたら、失明や大怪我していたのではないかと思い、今でも寒気がする。
・熱々のハンバーガーを食べたときに、ふと、何度あるのか疑問に。迷わず体温計(当時は水銀)を刺しました。当然、体温計は破裂し、ハンバーガーを台無しにしただけではなく、母に「この右脳人間!」と叱られました。水銀は、セロテープで拾いました。もうしません。
・アスパラガスを全く知らずにたくさん抜いて遊んでしまった農家のおばあさんが鬼の形相で追いかけてきたのは今でも忘れられない
・近所の青果市場で真夏、人気が無くなった午後、悪ガキ連中と西瓜割り。勿論 うず高く積んであった山での事なので命中率の良かった事。
・すごく小さい頃ご飯を食べてる時に割り箸を加えたまま机の下に潜り込んだら上顎に割り箸が刺さり凄い穴が開いて、今思えばもう少しで頭まで突き抜けていたかも知れないと思う。かなり小さかったけど鮮明に覚えている。
↑いま思えば危険だった、というより実際に危険な目に遭っていたりほとんど犯罪のような報告もチラホラ…子どもからは片時も目を離してはいけないと思わされるエピソードばかりでした。
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xf-2 · 7 years
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ご案内の通り毎号のニュースに北朝鮮船や人の着岸・漂流情報を入れています。ほぼ毎回追加修正を行っていますが、これでもおそらく一部だと思います。全国紙・地上波のキー局の報道では報道は稀になってきており、それぞれの地域の地元紙や地元のテレビで報じても他の地域には届いていません。
 現状では海保も警察も着岸・漂流に関する情報を提供しておらず、また都合の悪い情報は隠されています。その中で毎日のように北朝鮮の船が漂着しているという状態です。おそらく前にニュースで書いた「漁民以上、工作員以下」の人間も何人かは既に上陸していると思われます。事態の進展によっては昨年から行っている「『その後』プロジェクト」の議論のようなことが起きて収拾できなくなる可能性もあります。
 お役所に任せてもおけないのでまずは情報の共有のため、今後も着岸・漂流に関する情報はできるだけ収拾・公開していきたいと思います。マスコミ一般を問わず各地でそのような情報をお持ちの方はぜひお知らせ下さい。また、この情報の拡散にもご協力よろしくお願いします。
<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等> ※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。
・2月17日(土)14:30 拉致問題を考える国民の集いin大阪(政府拉致問題対策本部・大阪府・大阪市・府内全市町村主催) ・会場 KKRホテル大阪(大阪市中央区馬場町2-24 森ノ宮駅徒歩10分) ・調査会村尾副代表が参加 ・問合せ 大阪市人権企画課(06-6208-7619) ※事前申込みが必要です。
・3月2日(金)18:30 「その後」を考える集い4 in 石川(特定失踪者問題調査会・救う会石川主催) ・会場 野々市市交遊舎(ののいちし・こうゆうしゃ 野々市市二日市1-2 JR野々市駅北口隣接 北陸自動車道金沢西インターより5分 076-294‐8166)ß ・荒木代表他調査会役員・加藤博「『その後』プロジェクト」特別顧問らが参加 --------- 《平成29年以降の北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸・漂流》H30/2/11現在
1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部  6日 新潟県上越市柿崎区 木造船1隻  7日 福井県小浜市犬熊 木造船1隻 2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船1隻  11日 石川県金沢市 木造船1隻  15日 京都府京丹後市間人 木造船1隻  15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船1隻 3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船1隻  14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部  18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船1隻  22日 石川県羽咋市寺家町 木造船1隻  28日 京都府京丹後市 木造船1隻 4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台付近 木造船1隻・遺体1体 5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部  2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船1隻 6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船1隻  26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船1隻(「0제16749」と記載 遺体1体(男性・身長約168センチ) 7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部 8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船1隻 9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船1隻  25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部 11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7メートル)1隻 船体にハングル表記  15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助  16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体  16日 秋田県にかほ市 木造船  19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7メートル)1隻 船体にハングル表記  20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6メートル)1隻 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っており周辺で救命胴衣6個発見  21日 山形県鶴岡市五十川八斗島南  木造船(長さ7メートル)1隻 船体にハングルや「89829」の数字が記載  23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船1隻(長さ約10メートル)1隻 船体にハングルが記載  23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20メートル)1隻 プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。  24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ7メートル 船首付近に「556-60756」と記載)1隻 白骨化した遺体8体 北朝鮮製たばこ等  25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船1隻・遺体1体  26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4メートル 黒く塗られ数字のようなもの記載)  26日 青森県西津軽郡深浦町 木造船1隻(船首部分に「2093」の数字が記載)  27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部  27日 石川県羽咋市 木造船1隻  27日 青森県西津軽郡深浦町 木造船(船首に赤い文字で「2093」と記載)1隻  27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船1隻(長さ12メートル幅2.5メートル 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片)  28日 青森県下北郡佐井村 木造船1隻 サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット  28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船1隻(長さ約10メートル 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名  28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船1隻・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着  28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される 12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船1隻  1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船1隻  2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船1隻(長さ約9.5メートル)・遺体2体  2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船1隻(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体  4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部  4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船1隻  4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船1隻  4日 山形県鶴岡市温見米子漁港沖 遺体3体  4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体  4日 青森県西津軽郡深浦町 木造船1隻・遺体2体  5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船1隻  5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体  6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載)1隻  7日 秋田県男鹿市五里合 木造船(「913300」と記載)1隻・遺体2体  7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット)  7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船1隻  7日 新潟県佐渡市両津湾内 木造船1隻  7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部  8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部  9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用  9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船1隻  9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体  10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体  10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船1隻  12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船1隻・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。  12日 新潟県村上市沖 木造船1隻  12日〜13日 石川県羽咋市 木造船の一部  13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船1隻・遺体2体  13日 秋田県男鹿市北浦入道崎 木造船1隻  13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体  13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載)1隻  13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船1隻  13日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載)1隻  14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体  14日 青森県深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部  14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船1隻・人骨5本  14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船1隻  14日〜15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部  15日 石川県金沢市金沢港沖に漂流船   16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部  16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載)1隻  17日 石川県珠洲市 木造船の一部   18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船1隻  19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船1隻・遺体2体  19日 石川県���咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず)  20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船1隻  21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6メートル幅2.75メートル 船首にハングル表示)1隻  21日 新潟東港沖18キロ 木造船1隻  21日 新潟県粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5メートル横1.2メートル)  23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4メートル幅約2.2メートル 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載)1隻  24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船1隻(21日のものと同じ可能性あり)  24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体  24日 山形県酒田市浜中 遺体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト)1体  25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約8メートル、幅約2メートル)1隻  29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化)  29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3メートル幅1.6メートル高さ1.43メートル 煙突あり) 平成30年(2018) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1メートル幅約2メートル 船底及びスクリュー )  5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13メートル幅約3.5メートル 船首にハングル)1隻 その後不明  6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4メートル幅約2メートル 白地に赤の数字)  7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10メートル幅約3メートル ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着)1隻  8日 新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5メートル幅約1.5メートル)1隻  8日 秋田県男鹿市野石申川海岸 木造船の一部(長さ約7.7メートル幅約1.9メートル)  10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着町。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15メートルの距離 長さ16メートル幅高さともに3メートル 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個)1隻  21日 新潟県粟島八幡神社から200メートルの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2メートル幅1.3メートルのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた)  24日 石川県志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15メートル幅1.9メートル高さ1メートル平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり)  28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400メートル)木造船(長さ5.871メートル、幅1.87メートル 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載)  30日 石川県志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。  2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5メートル幅約2.7メートル 船体に赤い字で「556-60269」と記載  4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4メートル幅約1.9メートル 赤い数字のような文字が記載)  7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5メートル幅約2メートル 「760-75200」と船体に記載)   9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船1隻(船体に番号表記)  10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500メートル、長さ約12メートル幅約2メートル 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200メートル、長さ約5.4メートル幅1.5メートル 船尾破損 文字番号等記載なし) ---------- ・channelAJER(チャンネル アジャ)では代表荒木の担当する番組『救い、守り、創る』を送信しています。会員制ですが1回30分の番組の前半は無料で視聴していただけます。 http://ajer.jp
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 長野県飯島町 ] 聖徳寺庭園 Shotoku-ji Temple Garden, Iijima, Nagano の写真・記事を更新しました。 ーー“アニメ聖地巡礼 発祥の地”を支える聖徳太子ゆかりの寺院の、巨石が印象的な #枯山水庭園 。 ・・・・・・・・ 石上山 聖徳寺はJR飯田線・田切駅🚉の目の前にある寺院。3つの大石を配した枯山水庭園が見られます。 2019年の松本アウェーからの庭園巡り。数年ぶりに訪れた国指定名勝『光前寺庭園』からの流れで初めて訪れました。 元は「太子堂」という聖徳太子の創った仏像を安置した仏堂だったのを、江戸時代初期の寛永年間に『太子院 聖徳寺』として創建。1717年(享保2年)に現在地に移転。幕末の1835年、1846年と連続して火災🔥に見舞われ、先の聖徳太子作の仏像や記録を焼失。現在の本堂は明治38年の再建されたもので、最も古いのは1775年(安永4年)建立の庫裏――と説明板にはある。 …のですが、観光公式サイトの写真と見比べると庫裏も近年再建または改修工事をされた様子。(庭園越しに見る渡り廊下の感じが違うので) 元々知ったきっかけが長野県の公式観光サイト、庭園の説明もそれぐらいにしか載っていない(ご住職も「庭園と言う程ではないんですが…」と謙遜しておられた)ので詳細は不明ですが、元は安永年間建立の庫裏の中庭だったと考えると江戸時代中期の作庭なのかなあ(激しく憶測です)。 渡り廊下の先の枯流れまで一体化した庭園だったのかなと思うとだいぶ迫力ある枯山水。自然石の石灯籠が何基もあるのも良い感じ。 聖徳寺前の駐車場(広場)には #アニメ聖地巡礼発祥の地 の碑が立ちます。 平成のはじめにJR田切駅をはじめとする伊那地域が漫画『究極超人あ~る』のOVAの舞台となり、それ以来ファンが田切駅を訪れるという習慣が起こり始めたのがアニメにおける #聖地巡礼 のはじりとされるため。 この石碑はちょうど訪れた1年前の2018年7月に建立。聖徳寺もその土地一角を無償で提供、イベントの集合写真にもご住職が写っておられる(笑)お寺と地域、コンテンツとの関わり合いの印象的な事例の一つとして。 聖徳寺はこの南信州庭園めぐりで足を運んだ中では最南に位置する庭園…なのですが、同じ飯島町内には『西岸寺』というお寺にも庭園があるっぽい。次回は更に南まで足を延ばしたい。 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/shotokuji-temple-iijima-%e8%81%96%e5%be%b3%e5%af%ba%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 #garden #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #японскийсад #landscapedesign #japanesearchitecture #japanarchitecture #飯島 #飯島町 #長野 #長野県 #上伊那 #伊那 #田切 #枯山水 #karesansui #石庭 #rockgarden #おにわさん #oniwasan (聖徳寺) https://www.instagram.com/p/CA1vcQJJt5g/?igshid=nv0zr1pthmh3
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