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#赤身ヘッズ
ラスベガスを動かすキーマン達
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Daniel Andrew Beal
LasVegasでは「Andy Beal」の名で知られ投資家〝Big Whale〟
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Andy Bealは大学在籍中の24歳でBaylor University(大学)を中退して不動産投資を始め3年間で100万ドルを得ることに成功。この$100万を資本に投資会社を設立し、2004年にはラスベガスに銀行「Beal Bank」を創設し全米に37支店を構え、67歳を迎える2019年6月には総資産72億ドルを超える大富豪に成り、銀行は銀行業のほか不動産投資などで莫大な富を一代で築いた正に破天荒な実業家。
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「Beal of America」の創設者で、その関連企業では会長職を務める一方、41歳の時「フェルマーの最終定理」の証明に100万ドルの懸賞金を個人で出したことでも知られる 。
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ダラスに在住し、 Investments 会社を設立すると宇宙ロケットを製造する会社
をテキサス州フリスコで始めるなど話題を呼びフォーブス誌で「最も裕福なアメリカ人の一人」に選ばれている。
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2000年3月、48歳の Daniel Beal は、真剣にポーカーを学び始め、2001年2月に映画「Ocean's Eleven」の舞台となったことで有名な Bellago Las Vegas の「Bobby's Room」を訪れ、$80/$160のハイレ��トなリミットホールデムをプレーした。
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レジェンドDoyle Brunsonの息子Todd Brunsonは、Bobby's Roomに訪れた初心者にヘッズ・アップの対戦を申し出た。
カモるつもりが日本円にして1千万円以上を失うという大敗に終わる。
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これがこれから先長く続く〝Big Whale〟とハイステークスのポーカープレーヤーチームの対戦が始まった。
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昨年87歳で惜しくも亡くなった〝Doyle Brunson〟をリーダーに億万長者に対抗する為のグループを創設。
後に「CORPORATION」と呼ばれる様になる。
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舞台は『Bellagio Hotel and Casino Poker Room Bobby’s』
2001年3月7日水曜日
Ted Forrest
20分間で50万ドルのバンクロールの80%を失っていた。
冷静さを保ち希少なBigPot1つからゲームのリズムに乗り原点まで回復。
セッション終了時には100万ドル以上の利益を得ていた。
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〝Professor〟のニックネームを持つ世界最高のLimit Hold’em Player『Howard Lederer』
3時間以内にDaniel Bealを仕留め100万ドルを獲得した。
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Daniel BealはHeads-Up中のCheckやCallの比率に敗因があると考え、ダラスへと戻ると52枚のカードの組み合わせから様々なハンドが勝つ可能性を判断するために膨大な試行錯誤をし様々なシチュエーションを設定して、それを100万回実行し可能性を確認した。
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2001年12月11日火曜日
この日初戦のTodd Brunsonから圧倒的な勝利を収めたDaniel Bealは、ジェニファー・ハーモン、ジョン・ヘニガン、テッド・フォレスト、シャオ・ジャン、チップ・リースと次々と打ち破り一掃し、4日間でDaniel BealはCORPORATIONから530万ドル以上の利益を上げPro Poker Player達を破産の危機に追い込んだ。
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Heads-Up対戦におけるPro Poker Player達の通常戦略は「可能な限りアグレッシブにプレーする」だったが、今回の遠征でのDaniel Bealは、多くのハンドでショーダウンをプレーする対策を確り練っていた。
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Ted Forrestは、Showdownでの対決を前提に対策を考え伝統的な受動的〔消極的〕戦略を守り〝ややパッシブ〟にプレーし、Daniel Beal にPotを獲得させる考えを持っていた。
「弱いHANDSでは極力戦いを避け」
「大きなPotではアグレッシブに戦う」という戦法で小さなPotを与え、大きなPotの多くを奪っていく。
この戦略が功を奏したのか、340万ドルを取り戻すことに成功。
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そして、Anchorman〝Howard Lederer〟がDaniel Beal を打ち倒し、CORPORATIONの損失を全額取り戻し、Daniel Beal はビジネスで失った額よりもはるかに大きい資産を失った。
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Daniel Beal は新たな勝負の準備期間に6ヶ月費やし、2003年4月にLasVegasに戻った。
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先鋒〝Barry Greenstein〟
バリー・グリーンスタインとプレーし、次鋒はPoker Legend〝David Edward "Chip" Reese〟
続いて〝Howard Lederer〟
と次々制しDaniel Beal は初日に200万ドル以上プラスで終了。
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翌日から3日間連続で〝Jennifer Harman〟との対戦になり、Daniel Beal は900万ドルを失う。
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Daniel Beal はアグレッシブなスタイルで長くプレーしすぎて集中力を欠いていたことが敗因だと考えた。
問題点は、些細な不注意でさえ勝負に大きな影響を与えるので、集中力が切れるとテルが読まれやすいことだ。
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Daniel Beal は、数日間休息し戦略を練ってJennifer Harmanに新たに挑戦。
早朝から8時間で史上最高額でプレーし300万ドル以上を取り戻し終了となった。
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翌日から2日間連続で Todd Brunson と対戦。
初日はDaniel Beal が200万ドルの勝利。
2日目は、Todd Brunson が罠を仕掛け決定的な巨額Potを獲得。
Daniel Beal は「敗北に繋がると分かっていたミスをやってしまった。自分に嫌気がさす」と愚痴った。
2003年4月の遠征では最終的に1300万ドルを失うことになった。
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2004年5月10日
翌年 Daniel Beal は再びラスベガスへ。
史上最高のレート$100,000/$200,000の戦い。
この年のCORPORATION構成には「ガス・ハンセン」と「フィル・アイビー」といった新しいPlayerが加わってMEMBERは15名以上になっていた。
先鋒〝Xiao Zhang〟には130万ドル勝利。
次鋒〝Howard Lederer〟には630万ドル負けた。
Howard Ledererに負けている金額は他のプレーヤーを遥かに大きかった。
1日休息した5月12日水曜日
勝率の高い〝Todd Brunson〟と15時30分から21時45分迄のセッションで勝利。
5月13日木曜日
Howard Ledererを指名したDoyle Brunsonに Daniel Beal は「今後、Howard Ledererとの対戦は拒否する」と宣言。
Doyle Brunsonは、疲労困憊と体調不良などでCORPORATION-MEMBERから対戦プレーヤーを選出するのが困難になっていた。
Ted ForrestとPhil Iveyは不参加を明言していた。
対戦相手選出に時間がかかり、最終的に〝David Edward "Chip" Reese〟が前回の負けを取り戻す為に対戦することが決定。
結局19時過ぎに開始され翌日11時40分に終了し、再び800万ドルを獲得する勝利を収めた。
昼食休憩後〝Bill Hermit〟との対戦。
14時30分から16時30分までの2時間で500万ドルを獲得。
次の新しくMemberに参加した〝Gus Hansen〟が対戦することになり、アグレッシブなプレースタイルでリードを奪い200万ドルを勝ち取っていたが、 経験豊富なDaniel Beal の戦略を学んでいないGus Hansenは、AggressiveにBluffを仕掛けてCatchされる大敗が重なり、18時までには勝ち分の200万ドルを返上し、更に200万ドルを献上することになり、Gus Hansenは限界に達しDaniel Beal に降参し対戦を終えた。
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次の対戦相手となったのは〝Jennifer Harman〟
対策を研究した Daniel Beal は、Jennifer Harmanを破り、これまでの赤字をゼロにした上、更に150万ドルをJennifer Harmanから勝ち取り収支の逆転を果たした。
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最終的に、Daniel Beal は$100,000/$200,000の史上最高レートの戦いで1,170万ドルを持ってラスベガスを去った。
CORPORATIONの大惨事ともなる損失を負って Pro Poker Player達にとっては最悪な勝負になった。
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悪夢の対戦から僅か2週間程度でDaniel Beal はBellagio-Bobbys Roomに現れた。
5月24日月曜日
28歳の〝Phil Ivey〟がDaniel Beal に挑戦することになった。
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2日間のPhil Ivey vs Daniel Beal の対戦は〝Phil Ivey〟が160万ドルの勝利で終了。
5月26日水曜日〝Todd Brunson〟
6時間の対戦でDaniel Beal が500万ドル勝利。
5月27日木曜日〝Howard Lederer〟
8時間の対戦で、930万ドルの敗北。
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4年間の挑戦で大敗した〝Daniel Andrew Beal 〟は、その原因を「プロ達の優れたスキルによるものではなく、自分自身の弱さによるものだと確信した」と振り返り「問題点を脳は理解しつつあるが、ビジネス取引のことと同時に考えを巡らせなければならなかったことが負けを大きくした原因だ」と挨拶しラスベガスを去った。
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2001年から2004年までのDoyle Brunson 率いる Pro Poker Player〝The Corporation〟vs Daniel Andrew Beal の対戦は、Michael Craig の著書〝The Professor〟に記されている。
著書によると当時の Corporation Member は、
Todd Brunson
Ted Forrest
Jennifer Harman
Minh Ly
Dodd Brunson
Howard Lederer
David Grey
Chip Reese
Gus Hansen
Phil Ivey
Barry Greenstein
Lyle Berman
 and others. 
15名程度で Doyle Brunson が仕切っていたと書かれている。
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2006年2月1日水曜日
Doyle Brunson 率いる Pro Poker Player〝The Corporation〟vs Daniel Andrew Beal の対戦第二章が開始される。
会場を「Bellagio Las Vegas Hotel and Casino」から「Wynn Las vegas」に変更してイベント的に開催されることになった。
初日〝Todd Brunson〟と5時間程度戦い「160万ドル」の勝利でスタート。
2月2日木曜日
〝Jennifer Harman〟〝David Grey〟〝Ted Forrest〟の3Playerと対戦。
Jennifer Harmanに100万ドル負けるが、その後のDavid GreyとTed Forrestから100万ドルを取り返し、この日の勝敗はイーブン。
2月3日金曜日
Ted Forrestが再挑戦
Aggressiveのプレースタイルで攻撃したTed Forrestだったが、結果はDaniel  Bealの「90万ドル」勝利で終了。
2月4日土曜日
Ted Forrestが「絶対に勝つ!」と再三挑戦するもこの日は引き分けで終了。
最終日5日日曜日
初戦で敗退した〝Todd Brunson〟が挑戦し勝利した。
Daniel  Beal は「300万ドル」の損失で一旦ダラスに戻り、
翌週12日日曜日、再び Wynn Las vegas のPoker Roomを訪れた。
迎えたのはDoyle Brunson と共にPoker Roomに入ってきた
〝Jennifer Harman〟
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午前中はDaniel Beal が200万ドルのリードで昼食となり、最終的にDaniel Beal は「500万ドル」の損失で終了となった。
2月13日月曜日
連敗が続いている〝Todd Brunson〟が挑戦。
Todd Brunsonが250万ドルのリードで終わると思われたセッションの終盤でDaniel Beal に逆転されTodd Brunsonは「120万ドル」を失う結果で終了。
2月14日火曜日
Ted Forrest が気合の再々挑戦!
気合いで700万ドルを取り戻したものの終盤2時間でTodd Brunson同様逆転されTed Forrest はまたも「350万ドル」を失う。
2月15日水曜日
Ted Forrest が全財産を賭けて戦ったが、すぐにショートスタックになりDoyle Brunson 率いる Pro Poker Player〝The Corporation〟のバンクロール「1,000万ドル」が空になった。
2006年2月20日月曜日
Doyle Brunson は、Daniel Andrew Beal にThe Corporation の再挑戦を依頼し、それに応えたDaniel Beal がLas Vegasに戻ってきた。
54歳になったDaniel Beal は、Doyle Brunson 率いる Pro Poker Player〝The Corporation〟の挑戦を受ける為にWynn Las Vegas のPoker Roomにチェックインした。
Doyle BrunsonがCorporationの最終兵器として送り出したのは〝Phil Ivey〟
対戦は夜からスタートし翌日の19時に終了。
初日はPhil Iveyの200万ドル勝利。
2月22日水曜日
Phil Iveyの460万ドル勝利。
2月23日木曜日最終セッション日
スタートから4時間程度で両者が突然立ち上がり握手。
最終的な勝敗は、Phil Iveyが「2,660万ドル」の勝利。
Daniel Andrew Beal は〝The Corporation〟に対する挑戦を辞めることを発表。
2006年のPhil Ivey vs Daniel Andrew Beal の対戦物語は、マイケル・クレイグがBluff誌の記事で紹介している。
その後〝Daniel Andrew Beal〟は、6人の子供を持っていたが、2009年57歳の時に離婚し莫大な財産を失うが、2021年5月時点で「94億4,000万米ドル」の個人資産を持つ。
『自由意志論』を唱えるDaniel Andrew Bealは、完全自由主義者の「リバタリアン」で、社会経済での自由主義とは異なり、リバタリアニズム〔Libertarianism〕は個人的な自由をも重んじる思想でトランプを支持している。
2023年5月14日に他界したDoyle Brunsonの純資産は「7,500万ドル」
Phil Ivey
資産1億ドルを超える Pro Poker Player
戦歴から「ポーカー界のタイガー・ウッズ」と呼ばれ
WSOPでは、2014年にブレスレットを10個獲得し38歳で史上最年少プレイヤーに輝く。
WPTでは、9回のファイナルテーブル進出し、1つのタイトルを獲得。
"Pour one out for Bobby's Room"
Bobby Baldwin
「ボビーの部屋に乾杯」の合言葉で伝説の〝Bobby's Room〟は、1978年のWSOPで28歳最年少優勝し連続して4つのブレスレットを獲得した後にスティーブ・ウィンにスカウトされて1984年にGOLDEN NUGGRT CASINOの社長に就任。
1987年にはMirage Casino の初代社長に就任し世界最大のポーカー大会を開催、1998年に開業したBellagio Casino の社長に就任した〝Bobby Baldwin〟に因んで命名された特別室。
2018年に経営者が変わったことによって〝Legends Room〟に変更され、内装も新品にリニューアルされたがデザインはテーブルのフェルト色を変えたこと以外は基本的に変更はされることなく新しくなった。
古い壁紙やソファー、テーブルなどは映画会社に売却され2001年公開の映画「Ocean's Eleven」の撮影で使用された。
Bellagio Casinoを離れたBobby Baldwinは、2009年にARIA Resort & Casino をオープン。
ARIA のPoker Roomには〝Daniel Andrew Beal〟との対戦で史上最高額を獲得して勝利した〝Phil Ivey〟に因んで〝The Ivey Room〟が創られた。
しかし、Phil Iveyは訴訟で問題になり〝Legends Room〟に変更されることになる。
2018年MGM社を退社した〝Bobby Boldwin〟は、コンベンションセンターなどを併設しラスベガスで最も高い地上 224m、68階、3644室のマリオット系列カジノホテルとして建設の「Fontainebleau(フォンテンブロー)」をJeffrey Sofferから
Witkoff Group and New Valley LLCが買収し投資家の亡き息子の名前〝Drew〟の名称で「The Drew Las Vegas」を2020年に開業すると発表
し、Bobby Boldwinが社長に就任。
しかし・・・
この土地での建設は波乱が多く順調に進んだことがない。
時を遡ること、1948年 
カジノホテル「サンダーバード」運営。その後「シルバーバード」「エル・ランチョ」と改名後1992年に「エル・ランチョ」閉店
2000年 
不動産開発会社ターンベリーアソシエイツが土地を買収、ホテルビルを爆破。
2001年 
ロンドンをテーマとしたホテルの建設を計画するが、911アメリカ同時多発テロ事件直後の経済悪化の為計画は中止
Jeffrey Soffer(ジェフリー・ソファー)氏がマイアミで成功していた「フォンテンブローマイアミ」の姉妹ホテルとして2009年完成予定で「フォンテンブローラスベガス」の建設を計画。
30億ドルを超える大きなプロジェクトで2007年に北ストリップ地区で着工したが、リーマンショックで経営母体が倒産し2009年に頓挫。翌年に投資家のCarl Icahn(カール・イカン)氏が1億5,000ドル(約230億円)という激安価格で買い取られ、2017年まで放置して4倍相当の6億ドル(888億円)で投資グループWitkoff Group and New Valley LLCに売却し650億円を儲けた。
投資家の亡き息子の名前〝Drew〟の名称で2022年に開業すると発表したが、2020年に建設中の火事で10ミリオン(約15億円)の損害に加わりコロナパンデミックで経営難に陥り訴訟問題に発展。工事は75%完成の状態で頓挫。
最初に計画したマイアミの投資家グループJeffrey Soffer(ジェフリー・ソファー)氏が約3.7ビリオンドル(約5,400億円)で再買収に成功し、最終的に当初の計画通りマイアミの姉妹施設として「Fontainebleau Las Vegas」が2023年12月13日にオープンするここととなった。
初期計画から18年越しのオープンになったが「運が悪いホテル」「呪われているホテル」と悪い噂が後をたたず、オープン1か月以内に4人の経営陣が辞めている。
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naruphis · 5 years
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探求心で探究心。 #赤身ヘッズ #赤身肉 #ごんう #しぞまいにぞ。#赤身パンチライン ちょっと #腕上がったか #タイム #ローズマリー #香草 #tomato #cheese https://www.instagram.com/p/B0kX9L_jz2kviRwgAFgpZwfL2dL2KfNZEQNWXs0/?igshid=1ahqhvldasj6q
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2011/05/10 鬼 “湊” Interview
「このアルバムは『音楽として』聴いてほしい。それはヘッズって呼ばれる人にも。もちろん原点的にはヘッズに向けてを考えるんですけど、それじゃリスナーが広がらないですよね。聴く人の幅を広げるためにも音楽性を高めていかないとなって。それは元々持っていた感情なんだけど、それが強く出ましたね」
 昨年末に犬式 a.k.a. Dogggystyleの柿沼和成、The FUNKY PERMANENTSの佐々木"TOM"孝浩と結成したバンド:ピンゾロ a.k.a. 鬼二家でのアルバム「PPP」をリリースしたばかりの鬼が、ミニ・アルバムとなる「湊」をリリース。「赤落」や「獄窓」、そして彼のこれまでの経歴といった部分で、ある意味ではスキャンダラスな側面が注目されがちな部分も否めなかった彼だが、「PPP」で見せたミュージシャンシップを今作にも落とし込みつつ、リリックに関してもダークな側面も含めながらもポジティヴティにもしっかりと目を向け、これまで想起されていた鬼のイメージを変えるに十分な充実作となって完成した。これまでの鬼の作品に対して苦手意識を感じていたリスナーにこそ聴いてほしい、“音楽的”な一枚だ。 インタビュー:高木“JET”晋一郎
■鬼さんはリリース・スピードは遅くないタイプだと思うんですが、ピンゾロでの「PPP」が昨年12月にあったばかりなので、このスピードでのソロ・リリースは驚きました。制作のモティヴェーションが現状では高まってるという感じですか? 「そうっすね。まあ、求められていればやりますという感じで」
■その意味では自分が求められてるのは何故だと思います? 「うーん……そういうこと訊くんだ(笑)。でも、怖いモノ見たさなんじゃないかな」
■フフフ、なるほど。それは言い得て妙ですね(笑)。 「『こいつ何言うんだろう』とか『なに出してくるんだろう』っていうのはあると思うんですよね」
■確かに「次に何が出るのか」っていうのは鬼さんの場合本当に見当がつかないですよね。僕自身の経験としても、僕が一番最初に見たのは4、5年前に池袋のbedの平日に……。 「あー、『鬼がらみ』だ。DJプレイ中にSMショーやってたときでしょ?(笑)」
■そうそう(笑)。 「で、SEEDA、ダースレイダー、A-THUG、BES、漢……みたいなマイク・リレーもあって」
■そのときに「なんだこれ!」って衝撃を受けたのを憶えてて。そういう感情は、今までのディスコグラフィから考えても感じます。例えば「赤落」や「獄窓」でセンセーショナルな部分を提示したら、「PPP」ではあそこまでジャジーなモノを提示して、言葉から音へガッと進んだり。そして、今回はその二つに同時に注力してるなって。 「そういう打ち出しをするなら、(リリース間に)空きがない方がいいと思うんですよね」
■その意味では制作的にも自分にカウンターを当ててくという感じですか? 「そっちの方が自分が飽きないんですよね。それが重要。ずっと書いてばっかりいるのも疲れるから、音遊びみたいな方向にも行くし、それに飽きたらまた書いてって。ただ、正直なところでは、バンドで作るよりも今回のような打ち込みの方が作りやすいですね。曲を作るには耳が多くあればあるほど(人が多いほど)良いと思うし、まとまりがないモノをまとめるっていうのがバンドの面白さだと思うんだけど、打ち込みの方が俺のフィールドだと思ってるし、やっぱり作りやすい」
■言葉の使い方も全く違いますね。「PPP」では意味性よりもダンサブルに言葉をビートにどう当ててくかということに注力していたとしたら、今回はもっとメッセージの方に重きを置いている。 「そういう集中の仕方だったってことだと思うんですけどね」
■且つ、今回は今まで以上に息の長い作品だとも感じました。 「それはHIP HOPとかってジャンルというよりは、『音楽として』作ったから、そう感じたのかもしれないっすね。このアルバムは『音楽として』聴いてほしい。それはヘッズって呼ばれる人にも。もちろん原点的にはヘッズに向けてを考えるんですけど、それじゃリスナーが広がらないですよね。聴く人の幅を広げるためにも音楽性を高めていかないとなって。それは元々持っていた感情なんだけど、それが強く出ましたね。だから『PPP』は今回の布石にもなってると思うし」
■連作感というか。 「そうっすね。ピンゾロで“青二才の疾走”って曲をやって、今回では“自由への疾走”って曲をやって。それを疾走シリーズといってるんですけど、そういう部分でも地続きの部分のある作品にしようかなって」
■サウンド的な部分でも前中盤はダンサブルな部分が強く、後半にかけては渋く展開していくのも連作感を感じますね。 「そうっすね」
■先ほどの「音楽として」ということをもう少し説明していただけますか? 「HIP HOPの人がよく『声とフロウが重要』っていうじゃないですか。でもバンドをやって思ったのが、もっと『リズムとメロディとハーモニー』がHIP HOPに欲しいなって。そういうのがあんまりないから」
■それはピンゾロ以前からバンドをやられていたってことが影響してますか? 「そうっすね。それから俺HIP HOP聴かないんで」
■あ、そうなんですか。それはどれぐらいのレヴェルで? 「『え、そんなに!』ってぐらい(笑)。遮断に近いですね。基本的に今作ってる音楽しか聴かないんで、自然とそうなってますね。聴くヒマがないっていうか」
■ただ、HIP HOPが面白くないってわけではないですよね。 「ではないです。でもHIP HOPは俺が理想とする“音楽”に向かうためのステップなんですよね」
■その意味では鬼さんの考える究極の音楽ってなんですか? 「うーん……繰り返しになるけど、『リズムとメロディとハーモニー』がそこにあるかないか。それがあれば“音楽”だと思うし、なければ音楽ではなく『いちジャンル』になってしまうと思う。音が鳴っていれば音楽じゃないから」
■なるほど。今回は“自由への疾走”的な希望感の強い曲から、“またね”のようなペーソスを感じる曲、“SKIT〜性教育〜”のようなハチャメチャな曲までこれまで以上にかなりヴァラエティに富んだ内容ですね。 「まあ“SKIT〜性教育〜”に関してはアレがあることで全体のバランスが崩れるような曲でしたけどね(笑)。でも、並べ方でそのヴァラエティのある感じが生まれたかもしれないっすね」
■ちなみにリリックのイメージはどう浮かんできます? 「トラックを聴いて浮かぶ部分が強いですね。そっちの方がリリックとトラックのバランスが綺麗にとれると思うし」
■その意味ではピンと来るポイントはどういった部分が? 「HIP HOPにあまり感じない、抑揚があるかどうか。ループ音楽でもそれがあるトラックは存在するから」
■“自由への疾走”で「意地にも華咲きゃ鈍色の日々を虹色に色どると」ってラインがありますけど、ここまで明確に希望を歌うことはなかったですよね。 「そういった部分でも今までと違うってことが分かってもらえればいいですよね。でも、自然にそうなったし、それが今の感情なんだなって。今回は今やっておかないとダメだなってことを形にした感はありますね。それによって以前より自分でも聴けるアルバムになったと思いますね。自分でもスッと聴けるなって。それは自分が今言うべきことを形にしてるからだと思うんですよね」
■自分にとっても素直に出来たというか。 「素直になったし大人になりましたね(笑)」
■破滅感のような部分であったり、ひねくれた部分はかなり少ないですね。それよりもポジティヴな感情が強い。 「もうひねくれてる場合じゃないなって」
■リスナーにポジティヴな影響を与えたいという部分もありますか?今までの作品が悪い影響を……。 「いやあ、悪い影響でしょ。ダメダメ。子供に聴かせられないもん(笑)。でも、そうじゃない影響を与えたい部分もありますね。だから、今までとまったく違う、別の手応えがありますね。それは音楽人としても、一個人としても違う手応えが」
■繰り返しになるようですが、無常観を感じる“つばめ”のブルージ��さや、鬼流のラヴ・ソングとも言える“言葉に出来ない”、歴史の見方を提示する“感想文〜阿片戦争〜feat. CRAZY-T”など、その振り幅は非常に広いですね。 「書き上げたなと思ったのは“感想文〜阿片戦争〜”、伝わればいいなと持ったのは“ひとつ”、個人的に思いが強いのは“またね”ですね。“感想文〜阿片戦争〜”は歴史的なことをアメリカ人のCRAZY-Tと作るっていう、結構チャレンジな部分でもあったし」
■“またね”や“言葉に出来ない”はラップと言うよりほぼ語りに近いレヴェルでラップしてますが。 「そっちの方が伝わるっていうのに尽きますね。そういった表現の方が内容がしっかりリスナーに伝わるなって。まあ、難儀でしたけどね」
■鬼一家との“しのぎ feat. BLOM/K.E.I/D-EARTH/輪入道”に加えて、���若/SHINGO★西成との“酔いどれ横町”は、かなりヘッズにも刺激を与えるトリオ作だと思うんですが。 「でも、そこまで特筆するモノかっていわれたら、そうでもないと感じてるんですよね。っていうのは、多分この一曲じゃ伝わりきらないんじゃないかなって。もう2〜3曲この3人で一緒に出来れば、もっと可能性を感じさせる曲も出来ると思うし」
■最後に、今回のアルバムに「湊」という名前をつけたのは? 「湊っていうのは『人が集まる』って意味があるって(彼の働く)ゴールデン街のママが言ってて。『新宿は人が出たり入ったりする湊だよ』って。それはいい言葉だなと思って、今回つけました。もちろん小名浜港ともかかってるんですけど」
■その意味では「人がいて何かが起こる」ということに立脚した作品ですよね。 「そうじゃないと何も起こらないですからね。このアルバムを作ってみて、人にモノを伝える難しさとか、素直に書くことの喜びは気づきとしてありますね。これは今後にも影響すると思うし、(ため息混じりに)……ハア、次も早く作らないと」
■なぜため息を(笑)。 「いやあ、食べていけないですからね、作品作らないと(笑)」
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dudeinn · 5 years
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2019/7/25
長かった梅雨モードもようやくあけたんでしょうか?
ジメジメ感は相変わらずですが、やっぱり夏の日差しが感じられると嬉しいですね!
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Here Comes Sunshine。オリエンタルテイスト。
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ここまでやるとは、、好きですねえ 笑。
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。。。
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黒Teeに赤いショーツ。真似したいな、、。
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グッジョブ 笑!
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D&Cのサマーツアーも終わったと思ったら束の間、すぐに自身のサマーツアーをスタートしたJM。
ヘッズ的に驚いたのが、ツアーTシャツの新作をOCが担当!個人的にも気になるものがいくつか、、間違いなく今までのマーチャンダイズよりも素晴らしいです 笑。
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@coldbeerandsoda
"BOOTLEG EMPORIUM" Tee
ヘッズでもある @connorabradley が手掛けている、コールド ビール&ソーダ。
NYCならでは?のブート感タップリなアートワークは、わかる人にはわかる?的なNYならではの仕上がり。イナたいヘザーグレイのボディといい、最高にクールな一着となっております。
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@onlineceramics
"Tree & Turtle" Hats
毎回圧巻のグラフィックに加えて、オリジナリティ溢れるスタンスが感じられるアイテムをリリースするOC。
もはやキャップもデッドとは関係あるような、ないような、、にしてもこの感じ。やっぱりイケてます。
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@deadandcompany @onlineceramics 
"Summer Tour" Tee
ショアラインから持ち帰ったTシャツもきれいに無くなったタイミングで、OCのTシャツがリストック!
ジワジワ広がる?OCですが、、今回は本国でもリリース後に瞬殺したオフィシャルモデルもご用意しました。
もちろんボディはワン&オンリーなタイダイ仕様。もはやアートと呼べる完成度のこちら。ぜひ店頭で 笑、チェックしてみてほしいです。
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久々のスタイルサンプル。スポーティな組み合わせながら、キャラに合ったアウターや小物使いがグッド。
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トーン、素材感の違うブラックのセットアップ。セクシー。
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メンズサイズのTシャツを手っ取り早くうまく着こなすには、タックインが一番 笑。
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ロンTeeののび具合とルーズなジーンズ。ブラウンのワンスターも完璧ですね。
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@dudeinn
"WING FOOT" Baggy Shorts
当店独自?のスーベニアも夏にぴったりなショーツをラインナップ。
マットな質感とソフトな肌触りのマイクロファイバーボディに、インナーはメッシュライナーを備えた”楽チン”仕様。
ボトムには夏にぴったり?なアリゾナを履かせたウィングフット プリント。
おうちからキャンプ、ビーチサイドのお共にいかがでしょうか?
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@dudeinn
" N F A " DUDE CLASSIC Tee
NFA?意味合い的には、デッドの曲目にもあるNot Fade Awayの頭文字なんですが、この言葉を知るきっかけは本国のヘッズからの手紙やメッセージからでした。
その意味を知ってから、自分にとって大切な言葉になったNFA。今回ワールドクラシックな?ブランドロゴをサンプリングしています 笑。
最強のネックラインを誇る、PROCLUBのヘヴィーウェイトのボディにビッグプリント。くすんだホワイトにダークネイビーのクラシックな仕上がりとなっています。
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@dudeinn
Opener Logo "Dude dye" Pocket Tee
ショップオープンから定番ながらも売り切れるたびにカラーや仕様を変更してリリースしている、思い入れタップリなオープナーロゴのスーベニアTシャツ。
今回は夏にこそ嬉しい?ポケット付き。OSHINO DEADに向けて仕込んだ、タイダイ仕様がようやく店頭にも並びはじめました。
個人的にはタイダイ初心者?にこそ着て欲しい、マイルドな仕上がり具合。女性の方はオーバーサイズが断然カワユイです 笑。
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@cetanaworks
“Yin - Yang Rose” L/S Tee
相棒のセタナワークスからは、夏でもマイノリティに展開するロングスリーヴをリリース!
独自の世界観を表現したグラフィックに、ウォッシュのきいたナイスな着心地のボディを使用。
キャンプやBBQなど、夏の外遊びに何気にロンTeeは欠かせません。
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@dudeinn
"Shop Logo" Coin bag
一番気軽に使えるサイフ?のコインバッグ。 気がついたら残りわずかとなっていたので、夏にぴったりなカラーでリストックしました。
もちろん本国にオーダーしたMade in USA。今回もプリプリの仕上がりとなっています〜。
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5日ほど前にオフィシャルでアップされた91年のショー。まるで最近のLIVEのようなクリアな映像に驚きました。ジェリーのギターも冴えてます、、。
今週もマイノリティなブログに最後までお付き合い ありがとうございました。
いよいよ夏本番。お店のあるビーチサイドもニギニギしてきました。ぜひ寄り道がてら、ゆっくり遊びにいらしてみてください〜!
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naruphis · 5 years
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探求心で探究心。 #ローストビーフ #ロービー #赤身ヘッズ #赤身肉 #ごんう #しぞまいにぞ。#赤身パンチライン #縄師 #合羽橋ないす #いつもこればかり ちょっと #腕上がったか https://www.instagram.com/p/B0BC0MUDIU4cm1BiQYHDi0GY-j6oLhmpcFMa980/?igshid=17dh2lqskz58d
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2015/06/08 #RAPSTREAM CO-SIGN VOL.18 feat. C.O.S.A.
文:二木信 「リリシズムが原因でぶっ殺されても仕方ねーと俺は思っとるでよ 1987 産まれた年とかどうでも良い お前がタメとか知らねーよ」 (“GZA1987”)      筆者がC.O.S.A.というラッパーを初めて知ったのは、2014年2月に彼のSoundcloudにアップされた“6号公園”を聴いたときだ。その曲のハードコアネスとリリシズムには、TOKONA-XとILL-BOSSTINOが同居するような迫力と説得力があった。その後、C.O.S.A.のソロ・ライヴを池袋のクラブ:bedで観る。ステージ中央の暗がりに堂々と立ち、派手な衣装やアクション抜きの、言葉とフロウだけでヘッズと向き合う集中力の高いライヴだった。C.O.S.A.のラップへの自信が表われたストイックかつ男気のあるパフォーマンスは、強烈な印象を筆者に残した。新世代の“エモーショナル・ラッパー”の登場だと確信した。そこで彼に取材を申し込み、恵比寿でインタビューが実現、その後幾度かのメールのやり取りを行なった。      C.O.S.A.は今年4月、“6号公園”も収録したソロ・デビュー・アルバム「Chiryu-Yonkers」を発表した。タイトルは、地元の愛知県知立=Chiryuと、自身が所属するスケボーのチーム名と、彼が敬愛するNYのギャングスタ・ラッパー:STYLES Pの地元を掛けたYONKERSを組み合わせている。J DILLAのアルバムの中で一番好きだという「RUFF DRAFT」にオマージュを捧げたジャケットのアートワークは、名古屋市南区D.R.CのAGが担当し、アルバム1曲目の“GZA1987”という曲の歌詞でもJ DILLAに言及している。それらの要素から、C.O.S.A.が生粋のHIP HOPヘッズであることが窺える。      1987年に愛知県知立市で生まれたC.O.S.A.は、現在に至るまで地元に住み続けている。両親と6つ上の姉のいるごく普通の家庭環境で育ったという。知立には目立ったHIP HOP系のショップやクラブがなく、HIP HOPが根づいた地域ではなかった。たまたま地元のCD屋の洋楽コーナーに陳列されていたLL COOL Jのアルバム「G.O.A.T」(2000年)を手にするものの、HIP HOP/ラップとは認識していなかった。HIP HOPとの出会いは、小5〜6年のときに聴いたDRAGON ASH“LET YOURSELF GO, LET MYSELF GO”だった。そして、中学になると、キャデラックのローライダーに乗っていた姉の影響で、より深くHIP HOPにのめり込むようになっていく。   「昔の名古屋にはローライダーしか停められない店があったり、それくらいローライダーやLAの文化が定着していたんです。そういう環境で知り合った、10個上ぐらいのローライダーの人たちの影響で2PACを知った。2PACは一番最初にヒーローになったラッパーだから思い入れが強いですね。2PACの“LIFE GOES ON”と“BABY DON’T CRY”を当時はよく聴いていて、“SO MANY TEARS”は今でもよく聴いている。ローライダーの人たちの、『人のマネをするな』という教えを受けていたのもあって、ラップで嘘はつけないという感覚が自然と身についていった」    HIP HOPと出会った12歳の頃に歌詞を書き始め、中3の頃から名古屋の伝説的イベント『BALLERS』に通い詰める。そこで彼はM.O.S.A.D.やTOKONA-Xの凄まじい熱量のライヴを体験している。C.O.S.A.の表記にピリオドが配されているのはM.O.S.A.D.の影響だという。自身の初ライヴは、16歳(高1)の頃に名古屋の住吉のクラブ:WALLで行なっている。同級生ふたりを半ば強引にラップをやるために連れ出したというが、“6号公園”のリリックには、そんなC.O.S.A.の中学から高校時代の少々ハードな実体験を題材に、悔恨と孤独とマイメンとの友情が綴られている。     「思い出の6号公園 俺とゆーきは今でもMy Man パクられた先輩の単車見付けに探して回った公園 夜中に鳴る電話 金の回収 今一日で稼ぐ3割の額 赤より青 東より西 何週回ってまた同じ位置 振りかえれば同じような道 重荷が増し閉じこもった17 幼き時から親友のみー 重原の思い出は忘れない 学級崩壊の主犯はMe 降り掛かる因果 もはや捨て身 祭りの後家に帰れない 頭よぎる最悪の時 囲まれても上等切ってたMe マジな恐怖が身に染みた日 殴ったら懺悔 切れた後に泣く 毎日書いてた夢、歌い文句 Stopかかってく暴力 時は遅く友の姿は遠く 心は濃霧 その頃はSmoke ベランダからジャンプ寸前のDope あの頃全て経験し俺は1人きり今も歌ってんだよ 家族より大事なツレ 俺の隣で笑ってくれ 金のリングは今も左手 誰も離れないでいてくれ 俺らいつでもタイトな面子 クールに決めようぜMy Man」 (“6号公園”)      「Chiryu-Yonkers」収録曲は全てに明確なテーマやストーリーの設定がある。中でも���子を持つ父親の警察官が主人公の“知立Babylon Child”のストーリー・テリングは実に興味深い。反警察やファック・ザ・ポリスが一種の“ドグマ”であるHIP HOPカルチャーにおいて、警察官を主人公にしたラップ・ミュージックそのものが挑戦的だ。「嘘も真実になる世の中だからよ。見極めろ、この歌詞はフィクション」とC.O.S.A.は歌い出す。     「今も覚えてる天皇陛下の即位 俺の肩書きは国家がつく公務員 息子が俺の曲作ったんだと タイトル 知立Babylon Child   赤灯とサイレン Sound a police 拳銃と交錯 Babylon city Sunrise from the far east 事実と嘘 見失う C-City」 (“知立Babylon Child”)   「自分の曲を作るときは、いつもハッキリとテーマがあることが多いので、それに沿って歌詞の内容や物語の起承転結を考えています。それが事実であるのか、フィクションであるのかは特に拘っていません。文章として成り立つように、物語として成立するように考えていて、その表現がドラマではなく日常、HIP HOPとしてカッコ良い曲になるように常に意識していますね」    “知立Babylon Child”のフックはKRS-ONEの“SOUND OF DA POLICE”(93年)のフックのフロウと一部のリリックの引用などで構成されているが、C.O.S.A.は、SEEDAが同じくそのフックを引用して全編英語でラップする(トラックはNight Prowl Mike Gao)“BABYLON CHILD”(「コラボ力学 Vol.1」収録:2010年)からインスパイアされている。だが、KRS-ONEの“SOUND OF DA POLICE”が警察の横暴を批判的に描写しているのに対して、C.O.S.A.はひとりの警察官になりきり、その人生と心情をラップすることで、ファック・ザ・ポリスというHIPHOPのドグマを相対化しつつクールにキメている。   「英語だからSEEDA君があの曲で何を歌っているのかは分からなかったんですけど、“BABYLON CHILD”というタイトルを見て、いつか警察官を主人公にしたストーリーで歌おうと思っていたので、フロウを使わせてもらったんです」     今はラッパーに専念しているC.O.S.A.にはビート・メイカーとしての顔もある。高校時代に名古屋で出会ったラッパー:CAMPANELLAとコサパネルラというユニットを組み、同名タイトルの作品を2011年にリリースしていて、そこでは彼のソウルフルでファンキーなサンプリング・センスが光る多彩なビートが聴ける。また、Soundcloudに「Cherie Amour Mix Vol.1」というミックスをアップしている。そこには、BILALやMAYER HAWTHORNEやSIDE EFFECTといったソウル・ミュージック、FRANK SINATRAのジャズ・バラードやKNXWLEDGEのビート・ミュージックから、FEISTのフォーキーな楽曲やBEACH HOUSEのようなドリーム・ポップまでがセレクトされている。R&B;のサンプリングが印象的な“6号公園”や、ダーク・トラップ風の“桜町weekender”をはじめ、C.O.S.A.のビート選びには、そのような豊かなリスニング・ライフが確実に影響している。
「テーマと同じ方向に向かうビートを選ぶようにしています。それは感情的なものであったりアーバンなものやオーセンティックなループのビートであったり様々ですね。最近はアタックの強いビートよりもドラムが小さくて太いグルーヴのあるビートの方が好みです。海外のビートはそういう音が主流だと感じますね。C.O.S.A.の作る音楽は100%HIP HOPなんですけど、HIP HOP以外にもたくさんの音楽を聴くので、その影響はビート選びにも出ていると思います」
 2014年の日本語ラップの傑作の一枚であろうCAMPANELLA「VIVID」の4曲のビートを制作し、その才能を知らしめつつある名古屋のビート・メイカー:RAMZAは「Chiryu-Yonkers」にも2曲のトラックを提供している。過去/現在/未来のHIP HOPビートを数分で打ち鳴らすかのようなRAMZAの類まれな才能についてC.O.S.A.は次のように的確に評し、賞賛する。
「音楽を作る上であまり他人の影響は受けないのですが、RAMZAからは音の内容、スピード、量、言動、全てから影響を受けています。RAMZAの音はミニマルで無機質なんですが、抜群に感情がある。マインドの部分での音の尖り方が完全にHIP HOPなんですよ。アルバムに収録した“My Say”は元々違うビートで、そのヴァージョンでは収録しない予定でしたが、その構成とは真逆のビートをRAMZAが送ってきて、今回の形になりました。曲が広がる方向の予測というのはある程度できるんですけど、それをまったく覆してくるのがRAMZAですね。凄いな、このやり方があったかと感服したのを憶えています。RAMZAや“Wassup”のjjj然り、最高のビート・メイカーのビートは、言葉よりも明確に意思を持つんです。本来言葉なしでも成り立つ音の上でラップをするので、それは共作というよりも戦いに近いですね。RAMZAは俺の中でナンバー・ワンです」
 更に、先日、初のラップ・アルバム「PAReDE」を発表したラッパー/ビート・メイカーのMASS-HOLEがビートを提供する“The Man”で、唯一客演ラッパーとして参加するCOVANについてはこう語る。
「COVANのラップが俺は昔から大好きで、アイツは腹を割って話せる友人でもあるんですけど、MASS-HOLE君のビートで“The Man”という曲が出来たのは、俺とCOVANにとってもまた一歩音楽が更新された出来事でしたね。いつか完成されるであろうCOVANのアルバムこそ、俺は真の名古屋のHIP HOPだと思っています」
 ところが、これほど音楽/HIP HOPにひたむきに向き合うC.O.S.A.も、CAMPANELLAとの共作「コサパネルラ」を発表した前後から一時音楽から離れていたという。その時期の経験を基に作られたのが、“桜町weekender”という曲だ。
「胸糞悪い週末 愛想ねーバーテン撲殺 金とビッチが狂わす俺らの計画 クールに行きたいだけなんだけどもクズの根性が残っているから Kushくゆらす仲間を尻目に空虚の空 あの街に繰り出す」
(“桜町weekender”)
「小6ぐらいからHIP HOPのことしか考えていなくて、飲み屋に行くとかナンパするとかキャバクラに行くとか、そういう遊びをしてこなかったから一度そういう遊びをしてみようと思ったんです。それで、音楽を一時期止めて、昼は食品の配送兼営業、夜は知り合いの飲食店で働きながら音楽よりチャラい遊びを優先してました。“桜町weekender”は知立の隣町の刈谷市の風俗街・桜町でのそういう生活を送っていた頃の曲です。刈谷にはトヨタ系の会社があるので、週末の夜になると桜町に異常なぐらい、めちゃくちゃ人が集まるんです。ただ、2年間ぐらい夜の街で働いて、遊びまくっても結局何も生まれなくて、もう一度音楽をやろうと決意するんです」
 音楽から離れていた2年間を夜の繁華街の喧騒の中を生きる男の視点から描いたのが“桜町weekender”とすれば、昼の仕事に汗水垂らす男の心情を歌ったのが“365”と言えるかもしれない。
「“365”は正社員で2年間ぐらい働いていた頃の歌ですね。知立は街の風土なのか、男は働くのがカッコ良いという価値観が強くて、自分にもそういう考え方はあります。だから、汗水垂らして一生懸命働くのはバカらしいというようなHIP HOP的な価値観とは真逆の曲を作りたかった。自分はラッパーとしてのマインドを、曲や音楽に持ち込まないことを常に意識しているんです。対ラッパーみたいな曲を作ったり、クラブの話ばかりしないで、働いて給料をもらうという価値観を大事にしてる地元のツレと同じ感覚でラップもしたいし、そういうツレが聴いてカッコ良いって思えるような音楽を作りたい」
 だが他方で、2PAC やSTYLES Pといった敬愛するラッパーの名前を引用しながら、「今夜憧れるパックと同じ死に方 気合い入れた目頭にバンダナ」 「2014 三度 C.O.S.A.��結局どう取り仕切るかだ C-City Neighbor」と、ギャングスタ・ラッパーの生き様をハードコアに歌うかのような“Word for C-City”からは、C.O.S.A.の不良イズムと反抗心が漲っているように感じられる。ラッパー:C.O.S.A.の反抗心の源はどこにあり、またどこに向けられているのか。
「反抗心というよりは、正しい道は他にあるはずで、それは俺らが聴いてきたHIP HOPや見てきた先輩たちと比べることでそう思います。ラッパーには言葉にしない美学というものがあるんですが、それとは逆に言い切ってしまうことも大切だと思うんです。そこには責任が発生するし説得力のないリリックは自然に淘汰されていく。ラップは音楽ですけど、街は好き勝手に言うことを許してはくれません。そのためのKnowledge(知識)であり、HIP HOPは心技体だとつくづく思います。俺は曲を作り続けることがラッパーの正義だと考えるし、あらゆる事柄は音楽に反映できると確信しています。その思いが向かう先には友達もいて欲しいし、笑顔でいたいですけど、それは難しいことだとも思いますね。でも、正しいHIP HOPのためへの戦いなんて興味なくて、常に自分が納得のいく内容の曲を作り続けることが俺の反抗心のひとつです。それぞれ違う考え方や違う行動がある中で、俺はこうだってラップして行動する。そして立ち止まる。それを続けます」
 「Chiryu-Yonkers」は2015年の日本語ラップの傑作の一枚である。すでにクラシックの風格さえ漂っている。全11曲に隙はなく、ハードコアHIP HOPのドグマやルールを相対化することで、われわれがこれまでハードコアHIP HOPを通して見ていた風景と異なる風景をエモーショナルに描き出そうとしている。10年後にも残り、聴かれ、語られる作品であることは間違いない。
「『Chiryu-Yonkers』は現時点で100%納得の出来る曲のみで完成しました。日常の中で感じる気持ちの中には実際よりも誇張されるものも多いし、それは怒りであったり悲しみであったり、考えすぎて実際の出来事よりも深く捉えてしまう、俺はそんなことも多いので等身大であることには拘らず、思ったままを歌詞にしました。“知立Babylon Child”のテーマは、何年も前から考えていたし、それを表現する手段として、よりリリカルであるために今までかかりましたね。12歳からラップを書いてきてようやく自分が普段聴いている音楽と自分の作る音楽に差がなくなってきた。それが今回初めてパッケージした一番の理由です」
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2010/09/29 DINARY DELTA FORCE “SOUNDTRACK TO THE BEDTOWN” Interview
そのドープなスタイルにヤラれているヘッズが急増中のDINARY DELTA FORCEが登場!王道のブームバップなHIP HOPが好きな人なら彼らのスタイルに共感できる筈。神奈川県藤沢市a.k.a. “MOSS VILLAGE”をレップし続けた彼らが、1stアルバム「SOUNDTRACK TO THE BEDTOWN」でついに全国区にエントリー!
「この“王道”って言われるスタイルを崩さないでやり続けて、いろんな音楽のヤツらに聴かせたい。他のジャンルに伝えたいために他のジャンルに合わせるんじゃなくて、このスタイルのままいろんなヤツらに伝えたいです」——N.I.K.E.
 RHYME BOYA/N.I.K.E./CALIMERO/祭SPの4MCからなるDINARY DELTA FORCEは、これまで日本のHIP HOPマップ上ではなかなか脚光を浴びることのなかった街:神奈川県藤沢市(通称“MOSS VILLAGE”)を拠点に活動を続けるグループだ。全員20代中盤ということで、年齢的には“若手”と括られる世代なのだろうが、その音楽性は埃っぽいシンプルなサンプリング・ループ/ビーツの上に、辛辣な業界/同業者批判や地元愛を綴るラップが乗り、ライヴもフーディ/軍パン/ティンバーランドを身にまとい、集団で激しく掛け合いスピットしていくというスタイル。一見/一聴した人は皆「90年代のNYサウンドが好きなんだな」という感想を持つことだろうが、実際はそれほど強く90年代回帰思想を持っている人たちではないようで、彼らなりのフッド・ミュージックを追求した結果がこのスタイルなのだろう。メンバーのRHYME BOYAも今年の『ULTIMATE MC BATTLE』横浜代表に決まったこともあり、今後ますます注目を集めることは必至だ。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)
■DINARYはどうやって結成されたの? RHYME BOYA(以下R)「ある日を境にみんなHIP HOPに触れ始めて、そこからすぐにライムを書いたりとか歌ったりとかって感じじゃなかったけど、気付いたら『俺らもラップできるんじゃない?』ってことになって」
■じゃあ、ラップ始める前からみんな友達だったんだね。 N.I.K.E. a.k.a. DUSTY HUSKY(以下N)「そうですね、祭SP以外は小学校から一緒です」
■誰がきっかけでみんなの間でHIP HOPが広まっていったの? N「それはボーヤじゃないの?」 R「当時の日本語ラップに最初ドップリハマって友達とかに聴かせたりしてましたね。あと、黒人が経営してたショップって結構あったじゃないですか。ああいうところでかかってるのはHIP HOPなんだ、って気付いて、掘ってみようって自分で思うようになりました。多分97〜98年頃ですね。詳しい先輩に教わってとか、そういうのもなかったんで、気付いたら自分たちから進んで聴くようになりましたね」
■当時の藤沢はHIP HOP的にはどんな感じだったの? N「HIP HOPはなにもなかったですね。不良とかも多くて、結構いなたい街でした。駅の北口にサンパール広場っていうのがあるんですけど、そこはジャンキーとか多くて結構危なかったですね」 R「だから、17〜18歳の頃は宇田川町によく通って、ミックステープとか買ってました」 N「16くらいからラップを始めてたんで、宇田川町に通い始めた頃にはもうラップしてましたね」
■それが2001年頃なんだよね? N「(グループが出来た)きっかけっていうのはホントになにもなくて、ずっとこの4人で一緒にいたんですよね。当時茅ヶ崎にTINGER LINGっていうハコがあって、そこを自分たちで借りてライヴをやったのが最初です。そのときはソロ曲メインでしたけどね。ソロ曲だけで何十曲とかあって、クラブでやるライヴの基本がどんな感じかまだ分かってなかったから、初めてのライヴなのに1時間半やったりして(笑)」
■ちなみに、DINARY DELTA FORCEっていう名前の由来は? N「ボーヤがDINARYっていうのを出してきて。数学の“大なり”(>)俺らは誰よりも大きくなる、っていう。DELTA FORCEは祭が後から付けて」
■2001年頃に流行ってたHIP HOPっていうと、今に繋がるメインストリーム・サウンドが確立していった時期だと思うし、日本語ラップでもメジャー志向の音が増えてきた時期だと思うんだけど、なんでDINARYのみんなはこんなローファイな音に行き着いたの(笑)? N「まあ、でも当時新譜で2枚買いとかしてたのがWU-TANG CLANの“UZI (PINKY RING)”だったりとかしたんで、逆にNEPTUNESとかそういうのはまったく通ってないんですよね」
■なるほど、その頃聴いてた新譜も“そういう”サウンドだったわけだ。 CALIMERO(以下C)「俺はTIMBALAND & MAGOOとか聴いてましたけどね。だけど、自分たちがやりたい音とはまたちょっと違ってましたね」 R「俺とかはその頃新譜はかなりチェックしてました。TIMBALANDとかSWIZZ BEATSとかも聴いてたし。だけど、自分たちがそのトラックの上にラップをしようとは思わなくて、もっと俺たちに合う音はあるんじゃないか、って。昔から4人の思ってる“カッコ良い”が近かったんで、必然的ですね」
■じゃあ、極端に今っぽいモノに関するアレルギーがあったりはしないんだね。 N「むしろ今も新譜とかメインに聴きますね.MARCO POLOとかTERMANOLOGYとかRUSTE JUXXとか……」
■やっぱり“そっち”の方じゃんか(笑)。 N「まあ、やっぱりNY(のアンダーグラウンドHIP HOP)になっちゃいますよね」
■資料によると、度々メンバーでNYに遊びに行ってるみたいだね。 N「結構、アルバムで使ってるトラックのネタとかはNYで買ってきたレコードばっかりですね。アルバムに入ってるBUCKSHOTやGHOSTFACEのシャウトも向こうで録ったものです。街全体がHIP HOPしてるから行くだけでヴァイブスが 上がりますよね」 C「普通に地下鉄のホームとか電車の中で演奏して金を稼ぐのとかあるじゃないですか。そういう路上で勝手に店出してレコード売っちゃうみたいなハングリーさとか、それがあればみんな頑張るよな、って」 N「俺らも地下鉄で演奏して金もらうスタイルを、日本に帰ってから速攻小田急線でやろうと思ったんですけど、日本のヴァイブスにヤラれてやめました(笑)」
■今作の前に手売りで二枚作品が出てるみたいだけど、これらの作品はどういう内容だったの? N「青いヤツ(BLACK LIST POSSE『FLIPPIN' DA STAGE & PAGE』)は300枚限定で作って、JERU THA DAMAJAとBEATNUTSとライヴやったときに、ケジメという感じで作って。赤い方(『FUJISAWA TIMES JPN TO NYC』)はNYに持って行った非売品のプロモですね。レコ屋とかも全部廻って渡して、アーティストだとRZAとかDJ PREMIER、EVIL Dに渡して。EVIL DはそのときSCRATCH LIVE持ってて『ヤベェ、かけてくれるかも』って思ったら普通にPCの横に置いただけだった(笑)」
■オフィシャルなアルバムとしては今回が初になるけど、どういうアルバムを目指したの? N「ゴールは決めてなくて、16曲本気でやろう、って。16曲作るっていう方が先に決まって。当時“16丁目アンダーグラウンド”ってライムしてたりして、俺たちの住処の丁目を全員足すと16になるから、俺たち的に縁起の良い数字なんですよ」
■音源で聴くと、個々のスキルの高さが改めて伝わってきたんだけど、どういう風にしてそのスキルを磨いていったの?というのも、みんな結構MCバトルにも出てるからそういうところも関係してるのかな、って。 N「バトルに出てる回数よりもライヴの回数の方が断トツに多いんで、ライヴがスキルアップに繋がってるのかもしれないですね」 R「練習みたいなことはしたことがないんですけど」 N「ライヴの積み重ねで。9年間で相当場数踏みましたからね。最初の頃は年間100本は余裕で超えてましたね」 R「10代のときに人前でラップ・ショウをやるっていうのをいっぱい経験してたんで、強いて言うならそれが今に繋がってるのかな、って」
■アルバムを聴いて初めてDINARYを知る人は、まずその音の圧倒的なまでの“90年代感”に驚かされると思うんだけど、話を訊く感じだとそこまで“90年代回帰”を意識してるわけではないっぽいね。 N「そうですね。そういう感じで曲はまったく書いてないですね。聴いてる音楽がそこら辺の音が多いし、でもリリックは今書いてるわけだから90年代にはならないし、そこがなんか気持ち良い」 R「今までいろんなトラックに俺らのラップを乗せてきたけど、こういうトラックが一番しっくり来たんですよね。だから狙ってるわけではなくて、一番自分たちの味を引き出してくれるのがこういうロウなビートだったっていう」
■30代以上の人だと、若い頃に体感したトラウマが懐古的な音楽性に直結するというのはよくあると思うけど、DINARYみたいな世代がここまでこういう音楽性なのがなんか面白いな、って。 N「トラウマっちゃあトラウマなのかもしれないですけどね。RHYME BOYAだったらMICROPHONE PAGERだったり、俺だったらGANG STARRとかBUDDHA BRANDの1stとか……」 R「そう考えるとトラウマなのかな、って(笑)」 N「新譜にヤラれてラップを始めてないのは確かですからね」
■70年代のファンクを聴いて今ファンク・バンドをやるようなモノなのかな(笑)。で、そのDINARYの特徴的な音を支えてるのがトラック・メイカーのNAGMATICだよね。 N「奴はDINARYのメンバーではないんですけど、横浜の本牧のヤツで、D.L.I.P.(DISH LABEL IN POSSHI)というDINARYを含めたクルーに所属してます。奴の周辺はそれこそ90年代中盤雰囲気以外なにも持ってないような、王道のトチ狂ったヤツらですね、DJ R-MANとか。ヤツらとの出会いがデカいかもしれないです」
■あと、歌っている内容も凄く90年代的というか。セルアウトを叩き、アンダーグラウンドなスタンスを讃えるというのが基本姿勢だよね。 N「意志の主張というか、『自分たちはここにいる』っていうのを伝えたいというか。結成当時からあるんですけど、取り敢えず全部自分たちでやりたいんですよね。ラップ以外でも泡立つ(金が回る)ような現状にしたいとか。オイシイ話とかもらったりしても俺たちは『自分たちでやっていくんで』ってハナから括っちゃって結構遠回りしてきたんですけど、だからこそ自分たちでやりたいな、って。そういうヴァイブスが結構前に出てるんじゃないですかね。『藤沢は藤沢のHIP HOPがあるぜ』っていう」 R「まだまだ現状に満足してないっていうのがずっとあると思います」
■現状っていうのは自分たちの?それとも日本のHIP HOPシーンの? R「というか日本の音楽業界ですね。俺は純度が低い音楽がスゲェいっぱい出てるような気がして。もちろん中には面白いものがあるとも思うけど……俺たちはその“面白い音楽”を作ってる側の人間だと思うんですね。『俺たちもどんどん刺激与えに行くからそっちもどんどん刺激させてくれよ』みたいな土台を作りたいとはずっと思ってます。現状にまだまだ満足してないっていうのがずっと根底にあるからこそ、必然的に16小節書いてもあれだけトゲのあるライムになるんじゃないかな、って。時々言われますね『凄いストレートに言うよね』って。分かりやすくしたいっていうのもあるんですけどね。遠回しに言っても意味深なだけで伝わらなかったら意味がないし。他のメンバーは分からないけど俺はそういうスタイルですね」
■あと、これは90年代的とかじゃないんだけど、藤沢に対する愛着も相当ありそうだよね。やっぱり自分たちの音が藤沢という土地を体現していると思う? N「“SEGA FRONT”って曲とかは、夏の典型的な俺らの街のことを歌った曲だし、一年を通した藤沢の雰囲気は凄い出てると思います。“BED TOWN ANTHEM”とかはホント真冬の雰囲気ですね。冬はホントに人がいなくて。海にも本物以外はいなくなるし。夏は一瞬ワッとした感じになるけど、冬はみんな閉じこもる感じだから、そういう雰囲気を全部書きたかったですね。藤沢は若いヤツが多いんですよね。やっぱサーファーの街なんですよ」 R「まあ、マイペースな人が多いよね」 N「朝方とか起きてコンビニとか行ってもスーツ姿の人がいないんですよね。ウェットスーツの人しかいない(笑)。街自体も、通勤ラッシュとかそういう雰囲気でもないから、都内に出て行くって感じでもなくて、それが自分たちの音楽性にも出てるのかもしれないです。『東京とは違う』じゃないけど、俺らの街、みたいな。だから、敢えて俺たちも東京は意識しないで自分たちだけでやるっていう」
■やっぱり藤沢という街で音楽をやり続けることに意味を感じてる? N「そうですね。藤沢から音楽を発信して北海道とか九州とか、もっと世界まで響かせたいですね」 R「これからいろんなところでライヴやる機会があったりするんですけど、地方とか行っても藤沢っていう、戻るところがあるというか。だから、絶対藤沢でライヴをやり続けたいっていうのはありますね」
■藤沢シーンの現状は? N「今は結構なにかしらやってるヤツらが増えてきてますね。若いヤツらも多い。BLAHRMYもそうだし、MCバトルにもよく出てる丸とか、ZZのDEEP SAWERとか」 R「二人組のTHROBとか」 N「下の世代はけっこう“西”の音が多いですかね。こういう雰囲気出てるのは俺たちの世代かもしれないです」 R「あとはhaiiro de rossiとか」 N「クラブは藤沢に一箇所、江ノ島に二箇所あるから、少ないっていう感じではないですね」
■最終的にDINARYはどういうところを目指している? N「背景に藤沢が見えてるアーティストでいたいです。この街で勝ち上がった最初のアーティスト/伝説かな。俺たちの地元で泡立てれるようになって藤沢だけで潤うような手助けが出来れば、って俺個人はそう思ってます」 R「HIP HOPを聴く以外の、他のジャンルの人たちからも支持されるようなショウケースができるようなアーティストになりたいですね」 C「定期的に世界ツアーが組めるぐらいになりたいですね(笑)。『世界が動く』ぐらいな。結局ライヴじゃないですか。家で爆音で聴いてるより、動いてるモノを観ながら聴いた方が楽しいじゃないですか。だから、現場に来てほしいですね」 祭SP「藤沢のレジェンドな存在に……」 C「死ねば明日にでも伝説になれるぞ(笑)」 N「この“王道”って言われるスタイルを崩さないでやり続けて、いろんな音楽のヤツらに聴かせたい。他のジャンルに伝えたいために他のジャンルに合わせるんじゃなくて、このスタイルのままいろんなヤツらに伝えたいです」
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dudeinn · 6 years
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2019/1/31
今日で一月も最終日。寒さも本格的になってきて、冬本番といったところでしょうか?
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冬本番。観たくなります。
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ジャコパス。
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❤️
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春夏秋冬。
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先々週の店休日、とある先輩からの置き土産。
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置き土産からのリプライズ。。
先日、グレイトフルデッドを経験している、自分たちの敬愛する大先輩にデュードインして頂きました。
その出会いや与えてくれた様々な事象は割愛させて頂きますが、今の自分たちにとって、ミラクルな出来事であったことは間違いありません。
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本国のシーンについて、今現在のヘッズの話などなど、、グレイトフルデッド愛に溢れた、素晴らしいミーティングとなりました。
シンプルに”楽しむこと”を合言葉に、何かが始まろうとしています。
今後の展開にどうぞご期待ください!!
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ジップフーディにジャケット。
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アダムヤウク。パンク時代もクールです。
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ODB。着こなしはもちろん、ファットレースのSSがヤバい。。
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赤いカーハート。何着てもサマになるな。。
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90s TNFに、自ら刺繍を施すキャップがトレードマークのNYCに住むヘッズ、バリーバンベル。
本人の了承なしで 笑、勝手に書いておりますが、恐らく世代も自分たちとそこまで変わらないであろう、ヘッズらしからぬ?ヘッズ 笑。
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そんな彼もブランドというより、マイノリティに自分解釈のデッドにちなんだアイテムをメイクしています。
しかし。キャップに関しては、ほとんどがボディを含めワン&オンリー。
自分もなんとかオーダーしようと試みてはいたのですが、そのほとんどがSOLDしている状況。。
モートをはじめ、著名人がオーダーしはじめている事からヘッズの中でもかなり���目されている存在です。
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そうです。このスウェットパンツも彼がメイクしたもの。もちろん、ワン&オンリーなタイダイ仕様。
ヘッズのスピリットを持ちつつ、、ニュースクールなストリートスタイル。そのインプロかつ進化の具合も自分たちにとって、とても刺激になっています。
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U.S BLUES CREW SWEAT SHIRT
そんな彼から届いたのは、U.S BLUESというデッドの曲と同名のクルーネックのスウェットシャツ。
デッドを知る知らないは別にして、非常にわかりすくシンプルなデザイン。
US企画のボックスシルエットなボディも着やすいですし、なんなら女性の方がタートルネックのうえにざっくり、なんてのも最高にクールだと思います。
こちらはストアオンリーとなりますので、どうぞお店でチェックして頂ければと思います。
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うまそう。
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全体の色味がとてもきれいで、良いバランス。
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コートの色味と素材感がラグジュアリーですね。フーディかぶっているのが素敵。
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明菜先輩。まさに今の感じ、、。
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毎週の店休日の朝は、必ずタイダイをするルーティーンになりました 笑。
これもきっかけは、MJCのLIVEに出店する時に自分なりに”何か出来ないかな”との問い?からスタート。
本国のヘッズがオリジナルプリントをタイダイするのを見て、影響されていた事もあり、スグに行動を移しました。
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技術的な追求というよりは、自分も含めて、周りの方が”着れる”タイダイが良いな、と思って一枚一枚ゆっくり。染めております。
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それこそ様々なタイダイがありますが、自分が好きなタイダイは、
汚れが気にならず、着心地も柔らかくて、毎日でも着たいもの。
そんなイメージで着やすさ前提で染めております 笑。
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こちらは、毎シーズン必ず購入するほど愛用している、L.L Beanのタートルネックとモックネックのカットソー。
ミドルレイヤーで着るアイテムだからこそ、タイダイするのにはもってこい。
ネックラインにタイダイをチラ見せ。ヘッズからしたら、粋ですよ!
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キースとピッグペン。
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ウォールオブサウンド。
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パッチワーク。
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。。。
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DUDE INN "Jerry Face" 2-Tone Cap (2Color)
先日リストックしたこちらのジェリーキャップ。
ありがたい事に、日本の皆さまはもちろん、アメリカ本国にもシッピングが続いております!
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その嬉しさといったら、お店をはじめる前にいつか叶えば最高!と思う事柄だったひとつ。
中には、ヘッズならでは?の物々交換もジワジワと始まっています。
これから何が起こるか?楽しみで仕方ありません!
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そして今年は日本のヘッズによるヘッズのためのお祭りも開催が決まりました。間違いなく、今年は何かが変わる?そんな気がするムードを感じます。
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そんなデッドなムードの中、我らがMJC/MABROCKも素晴らしい演奏とオンザロードを続けています。
今週の土曜日は、ハッピーマウンテンバーでは新年初のデッドナイトがあります。今回はフードやDJもスタンバイしているようで、よりナイスな環境で遊べそうですね。
DUDE INNも少しではありますが、ワン&オンリーなスーベニアもありつつ、な感じで出店させて頂きます。
ひらつか駅からほど近いヴェニューですので、ぜひお気軽にデッドミュージックに身を委ねてみてはいかがでしょうか?
とにかくマービーのギターを是非味わってみてください!
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YACKさんのリンクからシェアさせて頂きました。
知らない事がまだまだいっぱい。奥が深いです 笑。
今週もマイノリティなブログに最後までお付き合い ありがとうございました。
明日から、また元気にストアオープンします。
ゆっくりお待ちしておりますので、ぜひ遊びにいらしてみてください。
それでは、また!
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