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#雪の降る人
dai-mori · 8 months
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Senzoku, Taito-ku, Tokyo / May. 2014
現像が追いつかないので昔の写真
降雪予報ということで電車通勤。最近の天気予報は大げさに煽る傾向にあるので、まぁその方が注意勧告という意味も含めればいいのだろうけどね。雪雲というのかわからんけど、重たいグレーと紅梅のピンクの組み合わせは割と好きで、そろそろ終わりかもしれないけど蝋梅の黄色も晴れ渡る青空より曇りのグレーが似合うように感じる。水仙も然りで寒曇との組み合わせがいい。まぁ個人的な嗜好ではあるけど。
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yumo-tm · 21 days
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CCさくらクリアカード編全巻読み終わりました。CLAMP先生はわりかしいつもハッピーエンドで終わらせてくれるんですが、今回も良いエンドでした…。サクラカード編まではストーリーよりも登場人物の関係性や距離感の描き方がとても好きで読んでいましたが、クリアカード編はストーリーがとても面白かったです。もちろんキャラクターもいきいきしていて魅力的でした。この2人に関しては、クリアカード以降の同じ大学に通う仲(+なくるちゃん)になっているのもかわいいのですが、高校時代の距離感(たぶん付き合ってないけど両片想い)な関係性が一番好きです。あと、雪兎に関してはサクラカードまでの「食いしん坊な優しいお兄ちゃん」というキャラクターが大好きでした。食いしん坊キャラじゃなくなっちゃったのとか、シャツやニットなどの綺麗めコーデからTシャツやパーカーのラフな格好多めになったのもちょっとだけ残念だったかな…。
Tumblrはひとまず残しておいて、リンクからは外して日記っぽく使おうかなと思います。落書きとかあげたり。最近はちょっと調子が悪くて、インプットもアウトプットもしんどいな…毎日寝てばかり…という感じなので、一旦休憩します。落書きはするかもしれない。気軽に楽しく絵を描くという感覚を取り戻したいです。
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koch-snowflake-blog · 8 months
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雪平 莉左(ゆきひら りさ、1994年〈平成6年〉6月17日- )は、日本のグラビアアイドル、タレント、ラウンドガール、モデル、元レースクイーン。愛知県豊田市出身。旧名義は葉月 えみり(はづき えみり)。スカイハイプロモーションズを経て(詳細は後述)、2023年現在はプラチナムプロダクション所属。
別名義 葉月えみり(旧芸名)
愛称 えみりん(旧芸名当時)
生年月日 1994年6月17日
出身地 愛知県豊田市
血液型 AB型
身長 / 体重 164 cm / ― kg
スリーサイズ 88 - 57 - 87 cm
カップサイズ F
靴のサイズ 24cm
趣味は旅行、ゴルフ、競馬、映画鑑賞。
ゴルフについては、2022年時点のベストスコアは96。2018年に雑誌(『GOLF TODAY』)の仕事でコンペに参加する際に練習したことから趣味となったが、負けず嫌いの性格ゆえに当時は週に3回くらい練習に通い、スコアが1年で100を切れたという
競馬については、2020年の第65回有馬記念がきっかけで大好きとなり、2021年の第38回フェブラリーステークスでは5千円の馬券で46万5千円を当てたという。なお、馬券の買い方は「当たればいい」が基本で、「買った分だけ戻ってくれば上出来」という感覚のもと、地味にコツコツ(基本的には馬連、ワイド、3連複などを中心に)買っているという。
特技はダイビング、乗馬、腹筋を割ること、イチゴの大食い。好きな色はピンク。憧れの女優・タレントは井川遥と小嶋陽菜。
左利き、クォーター。
小学時代は運動会の徒競走に毎年出場し、中学時代はバスケットボール部に入っていた。中学の途中までは陽気だったが転校後は一匹狼のように変わり、反抗期だったこともあってギャル系の派手な容姿で我が道を行っていたという。
「葉月えみり」名義当時にレースクイーンを目指したきっかけは、某チームのユニットの本社が豊田市に所在していたことに始まり、そこからレースクイーンのコスチュームを可愛く思い、着てみたいと思ったことであるという。
「雪平莉左」は姓名判断で画数のバランスを見ながら自分で考えた芸名であり、好きな白い肌や左利きであることの要素を入れたかったほか、芸能人に「雪平」があまりいなかったことから良いなと思ったが、「りさ」の「さ」に「左」を使うことからも当初はプラチナムプロダクションに見たことのない名前すぎると思われ、あまり良い顔をしてもらえなかったという。しかし、現場ではさまざまな人から「本名なの?」と興味を持ってもらえることが多いという。
井上対ドネア戦のラウンドガールで注目されるようになって以降、普段は世代の近い男性との交流や出会いがないが、SNSなどでDMはサッカー選手から来るようになったという。なお、ラウンドガールについてはそれ以前にも後楽園ホールにて行われているフジボクシングの興行に月1ペースで出ており、世界戦は井上対ドネア戦が初めてだったという。一方、ラウンドガールがきっかけで自分を知った人から「“ぽっと出”で調子に乗ってグラビアとかやるなよ」と言われた際には、「人気が上がったからグラビアを始めた」と思われていることに複雑な思いを抱いたという。
普段はマイペースであり、親しい友人から「人の話を聞かないよね」と言われることもあるという。また、1人でよく映画館へ出かけるうえ、仕事終わりにはパスタ屋や定食屋にも入るほか、近所の魚の定食屋では男性客に混じって黙々と魚を食べているという。
グラビアについては、素肌にエプロンや手ブラなど、露出度が高いものへの恥ずかしさはないうえ、自分が良いなと思えば肌の露出はまったく気にならないという。また、見るたびに知らない自分が写っているなど、自分の表現の可能性を広げてくれる面白さがあるため、笑顔が増えて色んな人から「柔らかくなったね」と言われるようになったという。なお、尻の肌については、2024年カレンダーの発売記念ベントにて「ボディクリームなどを風呂上がりに毎日塗り、保湿などを欠かさないようにしていた」との旨を明かしている。
上京から6年が経過した2024年時点でも、初めてのテレビ番組の仕事は緊張する。それゆえ、基本的に「当たって砕けろ」の精神で仕事を分析し、自分の魅力が発揮される言動を考えて現場で出し尽くすが、放送を見るまでは安心できないという。
グラビアアイドルとしての美称には「グラビア界のビーナス」などが見られる。
同じくプラチナムプロダクション所属の花巻杏奈は、同郷にして小学生当時から仲が良く、尊敬してくれる後輩でもある。
  
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brownie-pics · 1 year
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'23.4.2 吉城川、若草山の麓付近にて
飛火野から移動して吉城川経由で公園の東方面へ。桜の木が集まる場所では落ちた花びらが雪のように降り積もっていました。
鹿さんたちも今の季節だけの新鮮な花を美味しそうに食べていたのですが、これって僕たちが春に旬の苺を食べているような感覚なのでしょうか・・。鹿さんも人も多く、めいめいに花を愛でていました。
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petapeta · 18 days
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アメリカの登山事故の記録であまりにも信じられないものがある。
遭難、不十分な装備、経験の欠如、脱水症状 ユタ州、ザイオン国立公園 1985年8月4日、37歳の男が車からでて、ヴァージン川の上流に向けてハイキングをした。男の装備品は15メートルのナイロンの洗濯紐、手斧、スチールのテントペグ、大きなハンティングナイフ、水筒の入ったウエストポーチであった。男はトポを持っていなかったが、国立公園入口で配布されている小冊子を持っていた。 男は舗装されたトレイルの端までハイクし、川の上流に向かって1kmほど滑りやすい壁を登った。男は小冊子を参照し、川沿いに車の駐車場所まで戻れる別のトレイルルートを確認した。このトレイルは標高差200m、距離にして数kmは離れていた。 男はトレイルに至るために、西側の壁にあったクラックとチムニーを登ることにした。男はクラックにテントペグを手斧で打ち込み、洗濯紐をペグにかけ、体を引き上げる方法で登った。男は水筒入りのウエストポーチを先のレッジに投げ上げようとして紛失した。川から60メートル登ったところで、チムニーのルーフに到達し、手こずった。ルーフは大きくせり出しており、岩はもろく、手足のホールドは悪かった。男は岩雪崩を引き起こし、持っているテントペグの大半を失った。男は手斧に洗濯紐を結びつけ、手斧をルーフ越しに投げつけ、レッジに生える直径6cmの木にまとわりつけた。男は洗濯紐を掴んで体を引き上げることでレッジに至った。 男はクライミングを継続し、やがて別の岩雪崩を引き起こした。これにより男は洗濯紐と残りのテントペグを失った。男はハンティングナイフをクラックに差し込み手斧で打ち付け、ナイフの上に立つかハンドホールドとして利用し、ナイフを抜くという一連の方法によってクライミングを継続した。男はやがてこれ以上登ることが出来ない地点に到達した。その場所は川から推定120m以上登った場所であった。そこで男は先の手斧-ナイフ法による下降を開始した。 川から60メートルの地点で、男はさらに別の岩雪崩を引き起こし、ルートを致命的に破壊し、下降をやめた。男はレッジでレストした。夕方、男はハイカー達が下の川沿いに移動するに気がついた。男は一心不乱に小さな木を切り出し、ハイカーに向かって投げつけることで注意をひこうと試みた。投擲された木片はハイカー達に当たる寸前であった。ハイカー達はこの行為に激怒し、この事件について国立公園に通報した。この通報は翌日までパークレンジャーに伝達されなかった。川の音が音声によるやり取りを阻害した。 翌日、男は別のハイカー達を発見し、川の音に負けないほど叫ぶことで救助を要請した。ハイカー達は公園事務所に連絡し、二人組のレスキュー隊が1030に派遣された。救助隊は脆い岩を登り、クライミングを妨げる大きな岩を一つ除去した。救助隊の報告によればこのクライミングの難易度は5.8であったが、救助隊は必要がなければこのような脆い岩を登ることはないとも報告した。遭難者の元にたどり着いた救助隊は、ボルトを2本打ち、遭難者を下まで下降させた。 男には水分が与えられ、国立公園事務所に連行された。男はハイカー並びに救助隊に対する危険な状況を引き起こしたことにより罪に問われ、罰金を支払った。 分析 遭難者はかつて、友人によりロープとピトンを使うクライミング法の展示を受けたことがあった。この記憶から、男は独自のテントペグ-洗濯紐 登山法を編み出した。男の体力には問題がなかったが、男のアウトドア技能は低かった。男は失敗を自覚し、今後のクライミングにはプロのインストラクターの教えを請うことを約束した。男は多少の引っかき傷と擦り傷を受けたが、最大の問題は24時間に渡って30℃を超える高い気温下で水分補給できなかったことによる水分不足であった。
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asagaquru · 6 months
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新雪の上を歩くと、ギュッギュッと一足ごとに小気味良い音がする。片栗粉の表面を指3本で押すような音。皮下気腫の人の皮膚を押す感覚にも似ている。それは握雪感として観察される。初めて見たときは、すぐにあぁこれが、と思えたのと同時に、雪の降らない地方では‘握雪感’と言われてピンとくるのだろうかと思った。
こういう専門分野的なことを書くと、いつも森鴎外のことを思い出す。高校の現代文の授業で習った高瀬舟。先生が「森鴎外は軍医だったからこそ、これほどにもリアルなシーンを描けたのです」と言っていた。好きな先生だった。“today’s poem”といって、毎回の授業始めに先生の選んだ詩を紹介してくれた。そのときに紹介してくれた梶井基���郎の蛸がなんだか好きで、他の著書も読んだ。そのことを先生に話すと「この平成の時代に梶井基次郎を読む女子高生がいることを嬉しく思います」と言ってくれた。8年も前のことなのに嬉しかったのを覚えている。きっともう退職されているだろう。今はどこにいるのだろう。数年前に札幌市職員の人事異動を調べてみたけれど分からずじまいだった。
大学に入ってからは、勉強が忙しくて、本より教科書や参考書を読んでいた。映画をよく観るようになったのは、2時間で完結される物語だから。忙しい私にニーズが合っていたのだろう。入職してからも、“生涯学習”と言われる職業で、3年目までは本を読む心の余裕がなかった。仕事は常に忙しくて、家に帰ってもパタンと寝てしまう。それでも最近、少しずつ本を手に取る時間ができて来た。恋人と同棲してからだ。全く読んだことのない系統の本が並ぶ彼の本棚。適当に選んで久々に読んでみると、活字になって伝わる言葉や表現の美しさに深いため息をつく。楽しかった。面白かった。これから、また新たに本を読みたい。本を読むわたしでありたい。
そんな日記の下書きを保存していた新雪の日から2週間経っている。道路がところどころ見えていて、融雪剤でザラメ糖みたいになった雪の上を歩いている。本は読めない日の方が多い。読みかけの本が、ソファの横のテーブルの上で、わたしがページを捲る時を待っていてくれている。
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iktsarpok · 7 months
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転職、入寮、勤務すること3日、からの休日。
食料とかなくて困っていたので
お菓子食べたいし。コーヒーだって飲みたい。
買い出しにでる
転職先のホテルは山にあり、近くにスーパーもコンビニもない。
ほぼ空っぽのリュック背負って、歩きだす
夕べ降った雪が残ってるところもあって、気をつけつつ下る。
道の駅があったので、少し覗いたりしつつ
案の定、道に迷ったり。
道を尋ねたくても、人がいない〜
ウロウロして、少し戻って、
7kmは歩いたところで
目的地のコンビニ着。
洗濯洗剤、おやつ!コーヒー!
カレーパンのセールをしていたので、それも。
店前でカレーパンに齧りつく。
八ヶ岳連峰の眺めが美しいので、旨さ倍増ー!
下ってきた行きとは違って、
戻りは山々の眺めがきれいで、カッコよくて
テンションあがりっぱなし。
何度も立ち止まってはスマホでパシャリパシャリ。
買い出しが終わって
部屋に戻ってからの
この達成感、満足感。ホクホク感。
往復15㎞弱、コンビニに行く、って距離じゃないよなあ。
オモロっ
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harawata44 · 6 months
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東日本大震災の犠牲者を「神職・僧侶・司祭・牧師」が合同で追悼←こんなことができる国は他にあまりないのでは? : オレ的ゲーム速報@刃
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・神職、僧侶、司祭、牧師ら約50人 鎌倉で3宗教が合同で追悼 東日本大震災から13年 - 産経ニュース
以下引用
東日本大震災から13年を迎えた11日、キリスト教、神道、仏教の3宗教合同による「鎌倉の祈り 3・11 追悼・復興祈願祭」がカトリック雪ノ下教会(神奈川県鎌倉市)で行われた。宗教や宗派の垣根を越えて神職、僧侶、司祭、牧師ら約50人が祈りをささげた。
祈願祭では、震災発生の午後2時46分に合わせ、教会の鐘の音が鳴り響く中で、全員で黙祷。その後、神職は大祓詞(おおはらえことば)を斉唱。僧侶が読経、司祭・牧師らが聖書を朗読し、震災の犠牲者らを悼んだ。一般の参列者を含め約250人が献花や焼香を行った。 鎌倉市内の3宗教が震災発生1カ月後の平成23年4月11日に合同祈願祭を開催。以降、毎年3月11日に鶴岡八幡宮や建長寺、円覚寺などが持ち回りで会場となって継続しており、今回で14回目となる。この日寄せられた寄付金は能登半島地震の被災者への支援にも活用するという。 カトリック雪ノ下教会の古川勉主任司祭(66)は「宗教者として苦しんでいる人のために祈ることが役目」と述べ「能登半島地震や戦争でも多くの人が苦しんでいる。ともに祈る姿勢が広がり、関心が薄れない一助になれば」と話した。
以下転載
・https://x.com/tabineko_6/status/1767262272391721217?s=20
神仏習合ならぬ神仏集合
・https://x.com/name_over/status/1767201973345091611?s=20
地味にすごいことだと思う こんなことできる国、他にあんまりないのでは?
・https://x.com/sirouto/status/1767511369451254012?s=20
「スマトラ沖地震」による津波で、多数犠牲者が出たタイでは、たしか三宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)による合同追悼式が当時ありましたよ。もちろん、異なる宗教に寛容なのは、争うより良いに決まっているので、世界に広まれば良いと思います。
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leomacgivena · 3 months
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常緑樹はいつも青々としているが、落葉樹は冬がくると枯れて見窄らしくなる。でも、一度大雪が降れば常緑樹は葉が雪を抱え折れることもある。落葉樹は秋に自ら落とした葉を根元に蓄え、長い冬を乗り切る。春が来るとその栄養分でまた芽を吹く。今、調子が悪い人は、そういう気持ちで生きていればいい。
Xユーザーの越前屋俵太さん
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shunya-wisteria · 9 months
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秋旅2023 小海線 HIGH RAIL 1375 ~ 野辺山・小諸
JR線で最も標高の高いエリアを走る路線 小海線にのって、一路 小諸へ。
今回も前々から一度 乗ってみたいと思っていた小海線、せっかくなのでJR東日本ののってたのしい列車シリーズの HIGH RAIL 1375 にて小淵沢から小諸までを乗り通してみた。普通列車で途中下車しちゃうと次の列車はいつだろう…… となってしまいますが、このような観光列車は見所の駅では少し長めに停車してインスタント途中下車を楽しむのを待ってくれる、というのがシンプルにこの子を選んだ理由なのです。あわせて紅葉が楽しめそうな小諸城跡の懐古園も散策します。
朝、ほどほどの時間の特急あずさにて小海線の起点 小淵沢へ。小淵沢駅に降り立つと、キリっとした冷たく澄んだ空気がお出迎え。やっぱり都内とは違うね。ありきたりな言葉ですが空気がおいしい。改札横からのお出汁の香りに誘われ立ち蕎麦へ、遅めの朝食として軽く腹ごしらえ。寒いときには格別!の駅そばをいただいた後、列車の出発時刻まであたりを散策。列車内でのお楽しみ、お弁当とお酒を丸政さんで仕入れる(食べてばかり)。
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程よい時間に、改札を抜けホームへ。青色に塗装されたキハ100系気動車へ。最近 キハ100系に乗ることが多いような…、非電化のローカル線だと自ずとそうなってしまうか。今回は私は窓側を向いた1人用のシングルシートをセレクト。隣を気にすることなく大きな窓を独り占めできるリクライニングシート。
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ほどなく列車は出発、急な勾配を進みどんどん高地へ。別荘地帯を抜けJRで2番目に標高の高い駅 清里に到着、しばしの停車。かっこいいHIGH RAIL 1375の車両でも撮影しておきましょう(PhotoshopとPixelの消しゴムマジックで他の乗客を消しているのは内緒です)。清里を出発すると次は野辺山。この区間にはJR最高地点 標高1,375mの地点が。列車は速度を落とし、乗客は皆 カメラを構える(ガラスの反射で変な模様なでちゃった 涙)。数分で野辺山に到着。
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JRで最も標高の高い駅 野辺山。ここでもしばし停車時間があり、改札外出ることも可能。白く一見教会を思わせるような駅舎を見学。駅正面には冠雪した山々の美しい姿を拝むこともできます、写真は失敗しちゃいましたが…。観光バスでお越しの外国人観光客がたくさん。小海線に乗るわけではなく、駅だけを見に来ている?不思議な感じでした。
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まもなく列車は発車。野辺山をあとにすると、列車は高原を下り佐久盆地を目指します。後半の見どころは、右へ左へと移り変わる千曲川。お弁当を食べながらのんびり楽しみましょう。長野側の主要駅にいくつか停車し、列車は北陸新幹線との接続駅 佐久平を経て、終点 小諸に到着。2時間強の列車旅でした。
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小諸では小諸城址に整備された庭園 懐古園へ。戦国時代、武田信玄の軍師 山本勘助によって設計されたという言い伝えの小諸城。城郭が城下町よりも低地にあることから穴城とも呼ばれていたとか。懐古園は大正時代に町によって整備された史跡の自然景観を活用した公園。ちょうど紅葉シーズン真っただ中ということで、空気の澄んだ青空のもとで映える色づいた葉にシャッターをきってみた。不思議とここは人が少なく空いていましたねぇ。これくらいが写真を撮る身としてはありがたいものですが。
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ひとしきり園内を回り身体も冷えてきたので、足早に小諸の街を散策しつつ帰路へ着きました。
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elle-p · 3 months
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut February 2016
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田口智久 (監督)
新鋭監督が「『P3』の集大成」に託したものとは
テキスト=清水大輔   text by Daisuke Shimizu
『PERSONA THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』1月23日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
TOMOHISA TAGUCHI
2013年から順次上映されてきた『PERSONA3 THE MOVIE』が、1月23日公開の第4章をもって完結する。PlayStation2のゲーム『ぺルソナ3』(以下『P3』) として2006年に発表され、さまざまなメディアでの展開を経て10年間歩み続けてきた『P3』にとって、文字通りの集大成である。熱心なファンにとって、4章は「伝説級のエンディング」を含むエピソードであり、どのように描かれるのかは気になるところだが、完成した4章はファンにとって喝采を送るべき内容だし、映像作品としても見応え十分の1本になっている。その4章の監督は、新鋭の田口智久。監督として作品に携わるのは同シリーズの2章が初だったという彼は、��大な期待が集まる重責とどう向き合ったのか、話を聞いた。なお、特集トビラのイラストは、今回CUTのために描き下ろしてもらった、『P3』のファンなら誰もが思い当たる「あのシーン」。正直、かなりグッとくるビジュアルである。テキストとともに楽しんでほしい。
   劇場版第4章は、10年続いた『P3』にとって集大成となる作品ですよね。監督を務める側も相当な覚悟が必要だったと思うんですけども。
「まず、『P3』の2章(『#2 Midsummer Knight's Dream』)が初めて自分が監督をやらせてもらった作品で、そこでできたこと、できなかったことがけっこうあって。なので、すごく個人的な理由ですけど、できなかった部分を挽回したい気持ちがありました。あとは、集大成にしなきゃいけない作品なので、プレッシャーも非常にありましたし、この作品は自分が演出、そして監督になってからの集大成にしたい、と思いながら作っています。『P3』は終わり方が伝説級の作品なので(笑)、それを超える感動を与えられたらいいな、と。自分も『P3』の終わり方が好きなので、その印象はきっちり伝えたいと思いました」
   制作中の感触として、「こういうものが観たい」っていう欲求に応えられる、そういう作品が作れているという手応えはありますか?
「そんなに外しているつもりはない、とは思ってます(笑)。ただ逆に言うと、たぶん自分ではなく別の方が監督であっても、そこはそれほど変わらないんじゃないかなっていう気もします。自分が監督でなくても、きっと最後にはみんな泣いてくれるだろうとは思うんです。そこに至る感情をどれだけ高められるかが大事で、それが自分の仕事だと思ってます」
   確かに『P3』の場合、「原作を大事にする」っていう軸は誰が監督でも一緒だと思うんですよ。原作に寄り添うことは必須なわけで。
「そうですね」
   そこで、田口さん自身が「自分だからこそこういうアプローチができた」と感じているポイントを教えてほしいんですけども。
「ちょっと、ツッコミがすごいですね(笑)。ひとつには、自分が描くコンテはあまりアニメっぽくないかもしれないな、とは思います。どちらかと言うと実写っぽいと言われるんですけど、そういうところが『P3』の雰囲気に合ってるのかもしれないです。実際、3章と比べると相当違うような気がしていて。3章はアニメーションの作り方としてはすごく王道で、誰が観ても『これはいいアニメだ』と思える作りになっていると思うんですね。4章では、アニメに限らず昔の実写映画だったり、最近の映画の断片を寄せ集めてスタッフにイメージを伝えたりしていて、『あの映画でこういう表現があったから、こんな風にできない?』って いう発注をしているので、そういうところで、ちょっと実写っぽい感じはあるかもしれないです」
   たぶんそこは観る人にはっきり伝わるものではないと思うんですけど、質感としては確実に残っていきますよね。今回はそのやり方がハマるのではないか、という確信が田口さんの中にあったんでしょうか。
「そうですね。たとえば、今回は光の表現にもすごくこだわっていて。極力フラットな光は避けていろんなところに照明を仕込んで、光と影で画面を作ろうっていうのはすごく意識しました。あとは、今回雪を降らせようと思ったんですけど、暗い話の中で心情描写のシーンを描くときに、すべてをセリフで言っちゃうのは興がそがれるというか、軽くなっちゃうんじゃないかなと思っていて。黒澤明監督がそんな風にやっていたっていう話を聞いて、自分もやってみようかなと(笑)」
   (笑)モの手法も、『P3』のラストを描くときにこれがハマるはすだ 、という 確信があったと。
「そうですね。それできっちり成立するだろうっていうのは、確信的ではありました。『P3』の『死を想え』というテーマを描くにあたって、リアリティは欠かせないだろうなと思っていて。アニメっていう媒体自体はわりと抽象的ですけど、アニメとリアルな表現がバランスよく合わさった状態は、『P3』という作品にすごくマッチすると思ってます」
「ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい」って思った
   キャラクター描写についてですが、3章で修学旅行のシーンがありましたよね。池に落ちた主人公の理が心の底から笑う表情が描かれていて、そこは4章立ての劇場版の中でも象徴的なシーンだと思うんです。
「そうですね、僕も最高に象徴的なシーンだなと思ってます」
   4章では彼のその後を描くことになるわけですけど、その上で考えていたことは何ですか?
「『P3』自体、理の物語として描かれてはいるんですけど、まず1章の理は死んでる状態からスタートするんですね。そこからスタートして、1章で仲間を得て生に目覚める。2章でさらに仲間が加わっていろんなことも経験して、今度は生きるということに目覚める話になっていて。3章では再び失って、4章はそこから立ち上がる話にしようっていう、全体としては理の成長を描く構成になっていました。4章では-これは具体的なセリフとしても出てくるんですけど、自分の含量で『俺は生きることを始められたんだと思う』っていうことを彼に言わせる、そこに至るまでをどう描くかが、4章の理のテーマなんです。それを言わせるのに、非常に苦労しました(笑)。1章の頃は『理ってどういうヤツなんだろう』っていうところも手探りだったので、そういう意味では、3章までを経てキャラクターが定着してきた感じはあると思います」
   実際、1章の理の無気力さは原作以上だと感じましたけど(笑)。
「ははは。でも、1章は青春ものというか、けっこう爽やかな映画になってると思うんですよ。(1章の監督の) 秋田谷 (典昭) さんは『俺がやると “中学生日記” みたいになるんだよね』って言ってましたけど」
   なるほど。では田口さんとしては、ご自身のフィルムは何みたいになったと感じてますか?
「何みたいになってるんだろう⋯⋯僕、(黒澤明監督の)『赤ひげ』が大好きで、作ってる最中にやたらと観てました(笑)。画面のレイアウトもキメッキメで、超カッコいいんですよ-4章を作るとなったときに重い感じにはしたかったので、ふと『ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい』って思って」
   これはディープな名前が出た(笑)。でもすごくわかります。
「ハネケ、好きなんですよ(笑)。ああいう、心にズガーンってきて『重つ!』てなる、そういう感じにしたいなってちょっと思ってました」
   4章構成の中で『中学生日記』的なものとハネケ的なものが共存できていること自体が驚きですよね。ものすごく懐が深いというか。
「それだけ包容力がある作品だということですよね。しかもそれがすべて『P3』としてちゃんと成立してる。そこはすごいと思います」
   田口さんにとって「『P3』とはこういうものである、こうあるべきである」という定義があるとすれば、それは何ですか?
「『P3』には『メメント・モリ (死を想え)』っていうテーマがあって、一般的には死を描いた作品に見えていると思うんですけど、自分の解釈はその逆なんです。どちらかと言うと死ではなくて、生きるとはどういうことなのかを描いている作品なんじゃないかと思っていて。特に4章では、生きる上で非常につらい試練がやってきて、それを受け止めなければならない。そしてそれを受け止めた瞬間に、自分たちは生きているんだってきっちり実感することが大切なんだっていうメッセージを込めたいんですね。今、生の意味を問う作品だって偉そうに言っちゃいましたけど、そういうことを自分が語ってもいいんだろうか、と感じながら作っているところはあります。だから、どうかやったらほんとに伝わるだろうかっていうことは常に気にしながら作っていて、この4章が完全な答え、というわけではなく、今自分が出せるひとつの結論として、そういうメッセージを込めている、という作品になってると思います」
石田 彰
出会いから10年。磨き続けてきた「宝物」へのメッセージ
テキスト=清水大輔   text by Daisuke Shimizu
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   前ページでも書いたとおり、「PERSONA3 THE MOVIE」の第4章は、このシリーズの集大成である。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を、原作の『ペルソナ3』から10年にわたり演じ続けてきた声優・石田彰にとっても、「彼」を演じるのはこれが最後。昨年4月号に掲載した3章公開前のインタビューで、石田は何者でもない存在だった「彼」に「薄い色を何回も何十回も重ねていった」という話をしてくれたが、劇場版4章における理は、仲間たちとの触れ合いを経て確かな自我を獲得し、自らの意思と言葉で生きることへの欲求を表明する。体温が感じられる、ひとりの人間として存在しているのだ。「彼」をここまで導いてきたのは、これまで『P3』をずっと支持し続けてきたユーザーの愛情であり、少しずつ、しかし着実に生命を吹き込んできた石田の演技である。10年間ともに歩んだ「彼」に、今想うこととは。
コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬する(笑)
   劇場版の4章は、『P3』という作品にとって集大成となるわけですが、石田さんはどのような気持ちで収録に臨んだのでしょうか。
「もう、最後ですからね。作品自体もこれでおしまいということなので、 悔いが残らないように、有終の美を飾れるように、というところで、空回りしてもしょうがないので、気合入れすぎてもいけないんですけど、『頑張ろう』と思って臨みました」
   台本を受け取ってみて、たとえば「この部分がしっかり描かれていて嬉しかったな」と感じたポイントはありましたか?
「それぞれのキャラクターが、残された時間で自分は何をするのか、どう向き合うかっていうのを描いていたところは、そのキャラクターが好きな人にとっては外せないところでしょう。実際、『らしいな』っていう行動を取ってたりするのがとてもよかったと思います」
   前回、昨年の4月号に掲載した劇場版3章の特集のインタビューで、石田さんは4章に向けて「お客さんを泣かせてやろう、というスケベ心を出さないようにしよう」と言っていて。
「はい(笑)」
   なるべく抑えてやらなきゃいけ ない、とはいえ最後ということもあって石田さんの中に湧き起こってくる感情はあったのではないか、と想像していたんですけども。
「実際にやってみると、そんなことを考えなくてもよかったです。泣かせてやろう、と操作をする余裕もないというか、こういうことを表現しなければいけないっていうことがすごくはっきりしているシーンの連続なので、観てる方が結果泣いてくださったらもちろん嬉しいんですけども、そうやってイヤらしいことを考えなくても自然とそういう流れになるし、やってる側にしても物語の流れに乗っていくのがベストなんだ、と感じられる密度の濃いお話でしたね。台本を読んだ時点で、余計な小細工をしようっていう考えはすっ飛びました」
   なるほど。ただ、4章はかなりエモーショナルな話であって、『P3』の主人公を長く演じてきた石田さんの気持ちも動くところはあったと思うんですけど、石田さんの心情 面が反映された部分はありますか?
「今作までの3章を演じてきたことで、自分の中で育った理の考え方というものが最終的に表れていると思います。これまでの3章があったおかげで、それが自然に身につけられたっていう感覚はあります。彼は、自分がしたいこと、主張したいことが自分でもはっきりとわかったんですね。最初はぼんやりと『こうするのがいいんだろうな』みたいな感じで、『なんで?』って言われると『うーん、だってそうなんじゃないの?』としか答えられなかったのが、自分の中ではっきり主張できる理由ができたっていう」
   ちなみに、いちファンとして気になるところなんですけど、今回の収録現場で、印象に残っているエピソードはありますか?
「とにかく収録中はコロマルの人気 かすが高いですね。コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬するくらいで(笑)。僕は理と綾時だけじゃなくて、他にもいろいろクレジットされていたりするので、香盤表を見て『大変だね』っていうのは挨拶代わりに言われてました(笑)」
   4章の中で、特に理とエリザベスの会話が印象に残っていて。そこで『仲間と過ごして、俺は生きることを始められたんだと思う』というセリフがあって、原作では主人公の 心の動きは表現されているけれども、実際にはこういうことを明確な意志を持ってしゃべることはなかったじゃないですか。原作が好きな方にとってはものすごく感動するというか、彼が自身の変化を口にするすごくいいシーンだと思うんですけど、石田さんはどのようなことを考えながら収録しましたか。
「劇場版は1章から4章まで段階を追ってだんだん彼自身のやりたいことが明確になってくる、そのために必要な仲間とどう付き合っていくのかっていうこともはっきりと見えてくるっていうお膳立てが、しっかりとされていて。だから僕としては、そのセリフはすごくわかりやすかったし、すごく自信を持って言えることだよなあ、って思いました。なので、収録するときも当たり前のセリフとして言ってましたね。言いやすいというか、無理なく言えるセリフでした」
   石田さんはこれまでのキャリアの中でもこういうシーンを演じた経験があるのでは、と思うんですけど、その経験をどう活かしましたか。
「特に具体的にはないですけどね。自分の経験のどこかを探せば自分が決断をしたポイントもあるんでしょうけど、でもそれをアンプを通して増幅したとして、このシーンの理の心の動きと似たような形になるかといえば、違う気がします。こういう、ある意味突拍子もない事態の中で表現するときは、そうそう経験値だけには頼れないし、想像しないといけないんです。ただ、その想像をするときに、まったく想像もつかないことをいかにも整理がついたようにしゃべるのと、『うん、わかる』と思いながら言うのとでは、やってる充実度も結果も全然違います。今回の理については、自分の発想がちゃんと物語に追いついてました。今回に限らず、『P3』は僕にとってちゃんとできた作品というか、嘘をつか xずにできた作品だと思います」
   では、今回の収録で理としての最後のセリフを言い終えたときは、どんなことを感じましたか。
「最後、理はセリフがないんですよ。アドリブ的な息遣いだけなので。台本に書かれていない息遣いを入れるか入れないかは自分の中で演出をつけた上で現場に臨むんですが、そのシーンではみんなが盛り上がってくれているので、そこに一言、セリフとして参加したいとは思いました(笑)。それこそ、スケベ心以外の何物でもないですけど」
   (笑)。
「でも、結果何を言っても蛇足にしかならないだろうなって納得して。そこでただひとこと、『みんな⋯⋯』とか言ってみたところで(笑)、『まあ、ないほうが美しいよなあ』と自分でも思いますし」
   ただそのスケベ心は、間違いなくみんなが求めているスケベ心だと思いますけどね(笑)。
「ははは。でも作品としての完成度を高めるためには、たぶんそれは切るべきなんですよ(笑)」
『P3』は僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物です
   (笑)今回、劇場版のラストとなる4章まで演じきってみて、石田さんから理にかけてあげたい言葉は何ですか?
「いい仲間に出会えてよかったねっていうことですかね⋯⋯それじゃダメですか?(笑)」
   ダメじゃないです(笑)。前回のインタビューで、ゼロの存在である彼に薄い色を何度も重ねていく、塗り残しがあったらそこに色をつけていく作業だった、というお話をされてましたよね。塗るべき色は第4章で塗り終えるわけですけど、塗り終えたあとの彼は、石田さんから見てどんな姿をしてましたか?
「ちゃんとした個性を持っていて、はっきりと輪郭もできた人間に見えてると思います。完成形まで持ってこられたのは4章に入ってからだと思いますけど、3章の頃にしても、1章に比べれば、薄ぼんやりしてたものがだいぶはっきりと見える感じにはなってきてたと思います」
   この4章を最後まで観ることで、はっきりした彼の輪郭を感じることができるわけですね。
「そうですね。『もっと生きていたい』とか『この世界を終わりにしたくない』という主張をするところまで彼を持ってこられたときに、しっかりと見える形になったんだと思います。あとはその形になった勢いのままで、ダーッとラストシーンまで突っ走っていくっていう」
   わかりました。では、最後にひとつ教えてください。石田さんが演じてきた彼は、この10年の間でゼロの存在だったところからどんどん肉体化されてきました。劇場版のラストである4章まで演じた今、声優・石田 彰にとって『P3』という作品はどんな存在になりましたか。
「『P3』に限らず、キャラクターの成長はいろんな作品で描かれるものであって、それが物語作りのひとつの醍醐味だと思いますが、『P3』のように長い時間をかけて、ゲームからドラマCD、劇場版映画と、何度も主人公、結城 理っていうキャラクターをやらせてもらったことで、こういう生き方の人間というものが、僕の中でよりはっきりしました。観ていただけたらわかる通り、彼は普通の人ではないです。普通の生き方をしていて理解できる人ではないので、物語に出てくる登場人物として想像するしかないんですけど、でもそれが『物語に出てくるありえない人』ではなくて、名前がついて肉体を持ったひとりの人間になるところまで到達して、それを実感を持ってやることができました。なので、僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物になったと思います」
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impetuousdesigns · 2 months
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狐の結婚式・Fox Wedding
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寒くて晴れた朝、娘と一緒に公園を通って駅に歩いている時、青空から何かが降ってきた。「見て。あれ何?雨?」と私が娘に聞いた。「うん!雨だ!いいえ、雪だ!」と娘が叫んだ。確かに、浮かんでいるように降っているが、どこから来たの?空高くにうっすらとした雲一つしか見えない。毎日同じ時間に家を出るから、毎日同じお散歩中のおじいさんとすれ違う。「おはようございます!」とそのおじいさんが声をかけてくれた。私と娘もまだ降っているものを見ているから、おじいさんも空を見た。「何かが降っている」と私が言ったが、「何も見えない」とおじいさんが笑いながら返事した。手を振って���また明日」と言ってから、駅に行った。
大学1人生の時、英語の授業で日本の神話上の狐について小論文を書いた。書くために、狐が出る伝説を読んだり京都の世界中で有名な伏見稲荷大社について調べたりしている時、九尾の狐や狐の嫁入りなどの伝説は初めて知った。この伝説は日本だけにあると思ったが、2023年の11月に「九尾狐伝」という韓国ドラマを見た。このドラマを見て、日本の伝説と同じく、韓国の伝説による狐が1000年生きたら尾9つを得ることがわかった。韓国にも晴れているのに雨が降るのを見て「今日は狐の結婚式がある」と言う人がいる。
英語には「sunshower」という詩的な言葉があるが、科学的な根拠を調べたらサンシャワーは全然詩的なものではないと感じる。伝説の空想上の説明が定義上現実的ではないけど、そっちの説明に信じる方が楽しい。
One clear, chilly morning, my daughter and I spotted something falling from the blue sky on our way to the station through the park. “Do you see that?” I asked her. “What is it? Rain” She shouted,  “Yes! It’s rain! Wait, it’s snow!” Yeah, it really was floating down, but where did it come from? We leave home the same time every morning, so we pass the same older man on his walk every day. I heard him call, “Good morning!” Since my daughter and I were still watching the sky, he also looked up. I told him, “Somethings falling,” but he laughed and said, “I can’t see anything.” We waved goodbye and said, “See you tomorrow!” Then we continued on to the station. 
In my first year at university, I wrote a paper on foxes in Japanese mythology. While doing some research for the paper, I read some legends that foxes appear in and looked up information about the world-famous Fushimi Inari Shrine in Kyoto and learned about the nine-tailed fox and the “fox wedding,” or rain that falls on a clear day. I thought these were uniquely Japanese legends until watching the Korean drama “Tales of the Nine-Tailed” in November of 2023. While watching this drama, I learned that, like in Japanese legends, Korean legends say a fox gets nine tails after living for one thousand years. I also learned that some Korean people also say, “There must be a fox wedding today,” when rain falls from a cloudless sky. 
In English, we have the poetic term “sunshower,” but if you look up the scientific cause, sunshowers aren’t really so poetic at all. While the legendary explanation by definition isn’t realistic, believing in it is a lot more fun.
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、��書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じ��ラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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komichi-mado · 1 month
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『僕は狂っているのさ』男は淋しそう笑った。この 20 年間、ずっと一人の女性 K を想ってきた。美しく魅力的な人が現れて、男の心に入ろうとしても、固く鍵をかけて、一歩たりとも入らせようとしなかった。
心の中は寝ても醒めても K のことばかり。日記代わりのように、彼女に対する想いを毎日綴った。それは満開の桜のように語彙にあふれ、夏至の夜のように熱情に満ち、竜胆の花のように可憐で、雪の降る夕暮れのような孤独が、滲み出ている詩のようだった。
K は 15 年前に死んた。その当時恋人だった男は、それからも二人の思い出の中に生き、その中から決して出てこようとはしなかった。時折、淋しそうな笑顔は見せるものの、決して悲壮感はなく、淡々と働き、丁寧に日々を過ごしていた。
男が言う通り、狂っていると言われたら、否定はできないかもしれない。しかし、男が年老いて死んだら、きっと K のそばへ行けるだろうと誰もが思った。毎日綴った美しい言葉を携えて、彼女のもとを訪れた時に、そこからまた物語が始まるような気がして、無駄なことではないような気がした。
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servant222 · 4 months
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大雨が過ぎて晴れ
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今ちょうど生花が無くて、乾かしていた薔薇たちも良い感じにドライになったので、お気に入りの色のスターチスと一緒に何となく窓際に飾っている。次のお休みは出かけてしまうのでしばらく生花はおあずけ。
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ガラスの透明感が好きで花瓶は陶器よりもガラスを選ぶ。陽の光がガラスやその中の水を通ってキラキラするのが何とも言えず良い。
この辺りは風がよく吹く。風があるのがデフォルトで遠方から転勤や引っ越しで来た人たちは、ここの普段の風の強さに驚くらしい。私はこの町で育ってきたのでこれが当たり前だと思っていたけれど、大学で一旦内陸の方に住んだ時、というよりもそこから帰省した時に初めて、なんて風が強いんだ、と実感した。
それと雪。雪が降らない。同じ県内でも内陸の方は冬になると雪が降ってそこそこ積もる。この町はほとんど雪が降らない。降っても舞う程度で、冬になってタイヤの交換をするのは雪遊びをする人たちくらいだ。なのでたまに雪が積もったとか道路が凍結しそうとかいうとみんなものすごく慌てる。
住んでいるところの当たり前が世間の当たり前じゃないんだなと改めて思う。今日も風が強い。大雨自体は思っていたよりもひどくなかった。最近降れば土砂降りで、しとしと降ると言うよりもざーざー降ってる感がある。
今朝は朝一番で浄化槽の汲み取りが来てくれた。田舎なのでこの辺り一体は下水ではなく浄化槽だ。近所の子どもたちの登下校の時間よりも前に終わらせてくれるのでありがたいなと思う。何というのか、臭気的問題で、生きている以上仕方の無いことだけれど、やっぱりあまり良い感じはしない。みんなが動き出す前に終わっているとほっとする。汲み取りの方達に感謝。何の話を書いてるのかと思ったけれど、とりあえず始めた日記なので書いておくことにした。
以前いたところでは、よく言うリア充アピールだったかなと思う。くさくさした気持ちも書いたけれどいつもコメントのやりとりをしてくれる人たちに向けて多少かっこつけて書いていた。そういうものかなとも思う。日々のやりとりは楽しかったけれど、離れてしまうとすっかり遠い世界な気がしている。たまにそこで知り合った友人が今こんなことが起きてるよーと教えてくれるのが何だか面白い。変わり映えしない、と友人は嘆いていて、私もそこにどっぷり浸かっていたんだなと改めて思った。河岸を変えるのも良いことかもしれない。
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yoga-onion · 1 year
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My Yoda, goodbye
Only a few months ago, our dog passed away with the arrival of spring. It broke my heart because he was a dependable dog, like Yoda. When he was gone, not only the mind, but also time and space were emptied that hardly any weight.
Empty winter coats, vaccination label, a brush, and most difficult of all, food... it was so sudden that it was just after a large bulk purchase. Besides, habit is a terrible thing, and I felt kind of restless, if I didn't feed anyone.
So I decided to give them to the neighbourhood stray cats, including Ginger, who is as fat as Garfield, and Tabby, who is also fat, on the kitchen back porch.
After a while, though, the large amount of dog food they had ran out...I had to keep buying food for them, as they too would be nuisance if I suddenly stopped. At times, when I was washing dishes in the kitchen, I could hear the sound of metal vessels scraping against the concrete ground, etc., and my heart was filled with "Oh, it's come, it's come".
After a while, the sesame seeds-like dots left on the plate began to bother me. It's Aesop's Fables ‘The Fox and the Crane’... it's ‘YOU’! I quietly peeked through the window and saw a huge crow with feathers as shiny as rainbow colours. It was the first time I had ever seen a crow that close up. Its black, round eyes were adorable.
When I started feeding them, it was still cold and snowing, so there must have been a lot of cat tracks around the house, but when...Aha - that's all right, why not? 'Stray cats are fine, crows are not' is a quite 'discrimination'. In the end, I stopped 'feeding' them once and for all, for both our sakes. Crows are extraordinarily clever, they know everything and I personally think they have psychic powers, anyway.
Goodbye my Yoda and thank you!
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私のヨーダ、さようなら
ほんの数ヶ月前、春の到来と共に我が家の愛犬が逝ってしまった。ヨーダのように頼りになる犬だったので、心が折れた。
いなくなってみると、心だけではなく、時間や空間までスカスカになった。空っぽになった冬用のコート、予防注射のラベル、ブラシ、中でも最も難題は、エサ…あまりに突然だったので、大量まとめ買いをした直後だった。その上、習慣とは恐ろしいもので、エサをあげないと、なんだかムズムズした。
それで、台所の裏口で、ガーフィールドのように太ったジンジャーと同じく太ったタビーたち近所のドラ猫たちにあげることにした。 とはいえ、大量にあった犬のエサもしばらくすると、底をつき…急に止められても困るだろうと、エサを買い続けることになってしまった。 
台所で洗い物などしていると、メタルの器がコンクリートの地面に擦れる音などか聞こえてきて「おー、来ている、来ている」と心が満たされた。しばらくすると、皿に残っている胡麻のような点々模様が気になるようになった。ある日、外の物置の屋根に着地音が聞こえ、閃いた。イソップ童話「キツネとツルの話」だ…正体は「君」だ!!そぉ〜っと、窓の隙間から覗くと、虹色に輝く羽根並みの巨大なカラスだった。カラスをあんなに間近で見たのは初めてだった。黒くて円な目は可愛かった。 
エサをやり始めた時はまだ寒く、雪も降っていたので、家の周りにやたらと猫の足跡があったはずなのに、いつの間に… あ―、ええじゃないか。「野良猫なら良くて、カラスは駄目」なんて、「差別」と同じだ。 結局、 お互いのために「エサやり」はきっぱり止めた。 カラスはことのほか利口だ、何でも知っているし、個人的にわたしは霊力を持っていると思っている。 
さようなら、私のヨーダ、そしてありがとう!
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