ドとレとミとファとソとラとシの音がー出なーい。(訳:喉がやられて声がでません)
正月明けから喉が死に死にしている。正月明けから雲のデザインが斬新すぎるからどう考えてもケムトレイルのせいなんですけど、何撒いてるんでしょうかね?最近ニュースで肺炎流行ってるとか言って不安煽ってるらしいので、肺にダメージを与える物質なのでしょうか。
というわけで(?)2019年を振り返る。中編です。
夏が過ぎて秋、11月といえばRaptさんたちの教会に不審者がレンタカーで乗り込んできた回がありましたね。
武井繁剛っていう不審者で、お米作ってる人らしいのだけど、不法侵入しても警察が庇ってくれる御身分でもあるらしい(まあのちのち上級国民の血筋だったって発覚したんですが…詳しくはTwitterにて「 武井繁剛 」で検索して下さい)。全能神教会関係者といい、皇族関係者といい、カルトは本当にしつこいし、やることなすこと全てがクレイジーで害悪。はやく滅びますように。
11月11日には福島県に行ってきました。トップ画像は福島の海沿いからみた景色です。余裕をもって現地で過ごせるように10日に出発したのですが、その夜その日の朝会を再生したらなんと10日についてのお話もあったのでびっくりしました。11月11日とはなんぞや?という方はこちらの記事をお読みください。
なぜ福島県に行くことにしたのか…それは放射能が嘘だからとか、魚が美味しいからとか、海を眺めるのが好きとか、色々な理由があったりするわけなのですが…とにかく初めて行く県なのでドキドキワクワクでした。家に帰るまでが祝祭日ですよ。
これは夜の海です。遠くに漁船の明かりが浮いていて良い感じじゃないですか。ビルのない水平線は東京ではなかなか見ることができないので貴重。
あと木が沢山生えていて気温もそこまで低くなくて(もちろんダウンジャケットは着ていましたが)、とても過ごしやすかったです。福島には寒い地域もあるけど年間通してまあまあ温かい地域もあるということらしい。
緑も多く酸素が豊富で呼吸が楽でした。それとなぜか沢庵的なニオイがして何なのかな?ってなったんですけど、どうやらなにかしら小動物が死ぬとそういうニオイがするらしい。乳酸菌の一種でしょうか?
もちろん麻生太郎達が引き起こした人工地震のせいで津波が発生した地域でもあったので廃墟も沢山ありました。麻生太郎は自分がセメントの会社をもってるからって、コンクリが地震に弱いのわかってて人工地震を起こしてきた卑怯者( 材料力学で脆性素材について学んだ人はこの儲けシステムつくった麻生太郎の設計における外道さめっちゃよくわかると思う)なので、本当に一刻もはやく滅んでほしい。
自分は水族館が好きなので、広いと噂のアクアマリンふくしまにも行ってきました。
行ったらなぜか縄文推しのコーナーから始まったので「???」ってなった。縄文の窓とかいう通路があるんですが、その窓の向こうには、ばっちりイオンモールが建っていて、前を歩いていた地元民と思しきご夫婦も「ぜんぜん縄文感ないな!」ってツッコミを入れていた。本当にね。
ちなみにこれが水族館の館長なんですが、安倍晋三に似ていませんか…?
安倍じゃなくて安部だけどそっくりですよね。
もし安倍晋三の血縁ならば縄文推しも納得です。ちなみに安倍晋三は出雲族で蝦夷で陰陽師の血筋です。そうです。あの安倍晴明の陰陽師です。文字が安倍でも安部でもルーツは同じみたいです。
そっくりさんシートに追加しとこうかしら。最近更新が滞っていて申し訳無さでいっぱいなのですが、なんかもうTwitterにアップするには(1投稿につき4枚しか投稿できないので)人数が多すぎて分散させないと駄目かもしれない…でもTwitter社最近スレッド全部表示させないとか陰険なことしてくるんだものな。なんか他に考えた方がいいのかな。
というか李家の存在を認識してから一気に顔画像が増えたのですが、イルミナティの人たちが乱交しすぎてて、顔の似通りが錯綜してしまっていて並べにくいというのがある。できるだけ同じ画像を頻出させずにスッキリさせたいので本当に困っています。神様、いいアイディアはないものでしょうか…?というか誰か他にもやってるのではと思っていたのですが意外とシート状に画像連結してる人はいないっぽい…?目が疲れますもんね。私も充血してます。でも上級国民の正体は李家と天皇家だってわかったのだし、見やすく改変したいですね。
ほい。安倍晋三周辺だけでもめちゃめちゃな数いる。ちなみに今現在も日々増えつつある。
まあ政治家と芸能人だけでもものすごい数いますし、大企業のトップにもそっくりさん大勢いるんで、通ってる学校の校長とか、勤めている会社の社長とか役員とか、取引先の偉い人とか、天下りしてる人とか、みんなもチェックしてみると面白いと思います。
なんでこんなことやってるのかと言えば、私自身、芸能人や歴史人物の顔を覚えるのが苦手だったからです。全員似てるから覚えられなかったんだなぁって今はわかります。学校のクラスメイトの顔のほうがまだバリエーションあったもの。
縄文といえば、この東出融(アップルのCMに出てた東出風馬の父親で稼業は詐欺師)も縄文推しやってる人なんですよね。安倍晋三や麻生太郎と一緒に人工地震にも手を染めています。最低ですね。Twitterでさんざんやらかしたあと親子共々ベラルーシに逃亡したらしいんですが、そこでも詐欺をやっているのでしょうか。
ちなみにこの館長はシーラカンスオタクらしく、館内にはやたらとシーラカンス推しのコーナーがあり、メインの売店の他にわざわざシーラカンスグッズだけをあつめた雑貨屋まであった。
ただシーラカンスのコーナーにシーラカンスの仲間なのか何だか忘れましたが、でっかい魚がせっまい水槽に飼われていて、あまりにあまりな光景だったので、とてもその魚の写真を撮る気にはなれませんでした。本当に館長は魚好きなのかと疑問に思うレベル。
一番のびのびのんびり泳いでいたのは金魚だった気がする。
海の魚はメインの建物に収まっている感じなのですが、金魚のコーナーは外の別館にありました。
いいお値段がしそうな金魚が沢山いました。膨らんでる部分は空気ではなくて(空気だと浮いちゃって泳げない)体液というかリンパ液らしい。へー。でもこんなに膨らんでいて生活に支障をきたしたりはしないのでしょうか?まあ、金魚の生活において何が最も重要視されていることなのかは私にもわからないんだけど…
これは品種改良された金魚特有のものなのかもしれませんが、なんというか…表情が犬みある気がする。犬って全部顔に出るじゃないですか。まあ猫もそういうとこあるけど。対して魚はもうちょっとサバサバしているというか、冷たい印象があるのだけれど、どうしてこういう品種改良された金魚は表情豊かなのだろうか?人懐っこいし。脳の構造まで変異しているのだろうか。金魚の脳がどんなもんなのか、詳しくはわからないけれど。鯉はもっと単純思考な感じなのにな。顔面における線の多さがそう錯覚させているだけなのでしょうか?
これは個人的に良いなと思った通路です。PL法があるから注意書きは大切なんですけど、デザインがかわいくないですか。
そういえば(この通路とは全然関係ない話なんですけど)、最近の東京都水道局はオゾン処理してるらしいんですが、オゾン水で金魚を育てると巨大化しちゃうらしいですね。クワガタも巨大化するらしい。別に細胞が増えるわけじゃなくって、細胞自体が肥大するみたいなのね。ドットが粗くなる感じ(ドットの粗い金魚だと字面が珍妙すぎる気がするけど)?
学校の非常勤講師によるとキノコに電気を流すと収穫量が増えるのと似たような現象だそうなのですが…どうなんでしょう?昔恐竜が大きかったのと関係ありそうじゃないですか?
これは個人的に好きなガーという魚です。
これはアリゲーターガーという種類なのだけれど、大きく育ちすぎて飼いきれなくなくなった人が川に放流しまくったせいで、今では生きたまま持ち運ぶだけで捕まるという、面倒見きれなくなったらもう食べるしかないよねみたいな、そういう魚で、味は鶏肉っぽいという噂。
ワニも鶏肉に似てるって言うけど、もしやアリゲーターの名はそこから…?ちなみにクックパッドにもレシピが1件だけある。
鳥羽水族館っていう三重県の水族館のガーの方が大きくてゆったりしていて私は好きなんですけど、模様がカッコいい気がする。
こうして見るとガーも若干犬っぽい顔してますね。神様はこれまで(いや今この瞬間もなんですが)ものすごい種類の生物創ってるわけなんですけど、意にそぐわない生物も誕生しちゃったけどねみたいな話も以前されていたと思��んですけど、どれが神様的にナイスな生物なのか、いつか詳しく知りたいですね。ヨブ記にあるカバ(訳によってはカバじゃないけど)及びその他創造物の解説とか激アツですもんね。
この魚すごくないですか。初めて見た魚なんですけど、めっちゃラメラメギラギラしている。スパンコールでも縫い付けたんですかみたいな、グリッター感がすごい。
実はピラニアだそうなんですが…そのためか人が襲われないようにキッチリ蓋してありました。近付くとものすごい勢いで寄ってくるのは食欲のせいだったのか。顔は普通にチンピラみたい。
雨の予報で実際降ったりもしたのですが、明け方日の出をみたときはまだ降っていなくて、室内で朝食を食べているときにザンザン降りで、水族館に出かけるころには弱まって、そして完全に晴れてしまったのでした。結局傘の出番があまりなかったので、折りたたみ傘で正解でした。いい天気過ぎてとても暑くて、まるで夏みたいでした。
そんな感じで、あまりにいい天気だったので外の貝を炭火で焼いて食べるコーナーで貝を食べました。
とても美味しかったのですが、実はこの日の夜、食べすぎにより胃腸を壊しました。普段も既にお腹いっぱいなのに付き合いでご飯食べて頭がぼんやりすることがあったから、改めなさいって神様が教えて下さったのだと思う。11日は祝祭日なのだけれど、改善すべき点がある場合は裁かれる日でもあります。個室でめちゃめちゃ懺悔しました(翌日には全快して元気に東京へ帰ることができました。露天風呂も綺麗でとても楽しかったです)。
水族館から宿泊施設まで徒歩で帰ったのですが(都民だから1時間弱なら平気で歩く)、天使の階段ができていました。
泊まった施設は山?丘?みたいな公園みたいな場所の中にあったのですが、実はここら一帯は私達がきた頃ちょうど全面禁煙になったようで、なんだかものずごく神様のお気遣いを感じました(本当にありがとうございます)。
本当は祝祭日以降全てを後編としてアップしようと考えていたのだけれど、知人や家族によく「詰め込みすぎ」とか「一度の話に情報多すぎてなんかもう…ちょっとタイム」とか言われるほうなので3分割にしてここまでを中編にしました。後編に続きます。
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ZEN RYDAZ ZEN TRAX EP.1
7Inch Vinyl
Release on 13th April 2019 (Record Store Day)!!!!!
Check it out!!!!!
https://soundcloud.com/cros…/…/zen-rydaz-zen-trax-ep-1-vinyl
今回の7インチの為にMIXを施し直しました。
45RPMでMade in Japanをお楽しみください!
Thanx 東洋化成!!!
CROSSPOINT
KOKO-057
\1620(Tax In)
on Sale 13th Apr 2019
TRACK LIST
SIDE X(A): Utopia 04:24
SIDE Y(B) : Chuu (Long Edit) 04:04
7 Inch Vinyl
45RPM
Arranged & produced by
ZEN RYDAZ
(MACKA-CHIN, MAL & J.A.K.A.M.)
mixed by J.A.K.A.M.
Mastering : E-MURA
Picture : NANDE
Design : MaL
http://www.nxs.jp/
MANUFACTURED & DISTRIBUTED BY TOYOKASEI CO., LTD.
www.toyokasei.co.jp
MADE IN JAPAN
参加者クレジット
Utopia 04:24
Vocal : Acharu
Violin : Kyoko Oikawa
Hang : Goro
Chuu 04:04
Shakuhachi : Kenji Ikegami
Violin : Kyoko Oikawa
ZEN RYDAZ
:
NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMACKA-CHIN、PART2STYLEのMaL、JUZU a.k.a. MOOCHY ことJ.A.K.A.M.
それぞれのフィールドで長年活動し生き抜いてきた同年代の個性派3人が、2018年満を持してZEN RYDAZを結成。
ワールドミュージックをテーマに、それぞれの世界観、感性、スキルを結集し、バウンシーでドープ、自由な発想と飽くなき音楽魂を禅flavaに乗せ、アジア発のライダー達が音を発信!

MACKA-CHIN (NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
東京都足立区出身。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのメンバーとして活動し、ラッパーとしてはもちろん、アーティストへの楽曲プロデュースやトラック制作などもこなすアウトプットディレクター。ソロ活動ではトラックからラップまで全て一人で創るスタイルでジャンルの壁を越えHIP-HOPにとどまらず他のジャンル界からも話題になる作品を発表し続けている。メジャーレーベルからのセルフプロデュースのソロアルバム(Victor Music,EMI records)の他、MACKA-CHIN名義でのDVD作品やスケボービデオのサウンドトラック集、HP(NIKE,DAIWA,UNITED ARROWS etc)音楽、CM(寿月堂 etc)音楽など多岐にわたって制作している。2013年には楽曲プロデューサーにGRUNTERZを迎え、自身初となるラップだけに徹したアルバム"incompleteness theorem"を発表し��本のHIP-HOP/RAPシーンから話題を集めた。2014年には"心が落ち着く音楽"をテーマに掲げ、架空の映画のサウンドトラックアルバムとしてアンビエントアルバム"静かな月と夜"を術ノ穴レーベルから発表。オリジナリティ溢れる作品はアート作品としても話題になり各業界からも注目され話題に。2016年10月には全国各地から9組14名のアーティストを客演に迎えた初のPRODUCE ALBUM "MARIRIN CAFE BLUE"を発表。TRACK MAKERとしても改めて高い評価を得る。またソロ以外の活動も活発でMABO(MACKA-CHIN+DABO)やMONTIEN(SUIKEN+TINA+MACKA-CHIN)、東京弐拾伍時(DABO+MACKA-CHIN+SUIKEN+S-WORD)としてコンビを組み多くの作品、アルバムを発表。またDJの活動も忙しく、グルーブで繫ぐ幅広い選曲はジャンルレスに様々なイベントやフェスに数多く呼ばれ、制作にLIVEやDJと全国を数多く飛び回っている。DJ名義ではBLACK SMOKER RECORDSからのリリースやアパレルブランド(BACK CHANNEL etc)等とのコラボレーションCDでも数々の作品を発表している。音楽以外の活動ではイベントオーガナイズやフリーペーパー等の執筆連載、MUSIC VIDEOの監督などマルチに才能を発揮。また2018年からはTOKYO FMにて音楽番組のパーソナリティも務めるなど、色んな意味で目が離せないMCであり、プロデューサーであり、DJであり、ビジュアルクリエイターである。宇宙と自然が大好き。
MaL(PART2STYLE)
日本を代表するベースミュージック・クルーPART2STYLEのセレクター、プロデューサー。「国内最大のベース・ミュージック・フェス【OUTLOOK FESTIVAL JAPAN】のレジデントであり、クロアチアで行われている同フェス本祭にも7年連続出演。世界各国、数々のパーティーやフェスティバルでプレイし、世界中のベース・ミュージック界のトップ・プレイヤー達から高い評価を受けている。国内外のアーティストへの楽曲提供、Remix、CM楽曲制作など数多くこなしつつ、DJとしても幅広くプレイしている。
J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY )
東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベルからリリースされる。DJではその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックスも含めメジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、民族音楽、電子音楽、そしてあらゆるダンスミュージックを内包した作品群は、新たなWorld Musicの指針として、自ら立ち上げたレーベルCrosspointから精力的にリリースされている。
近年は音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、2012年には野外フェスOoneness Camp"縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡るが、
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その年末にはCD2枚組のソロ4作目のアルバムをリリース、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiから新作がワールドワイドにリリースされる。その年には13組の若手プロデューサー達によるリミックスアルバム「Counterpoint RMX」も発表、また30年来の友人であるDJ Tasakaとの共作アルバム「HIGHTIME Inc. Alchemist Now!」も発表。そしてNitro Microphone UndergroundのMacka-ChinとPart2StyleのMaLとのユニットZen Rydazとしての活動も2018年からスタート。
またJ.A.K.A.M.名義の新曲がフランスの新レーベルからアナログリリースされるのもあり、今年春にはNuits Sonores Festivalでのライブを皮切りに久々のヨーロッパツアーが敢行されるなど、そのオリジナルなヴィジョンがあらゆるジャンルをまたぎ、世界に広がっている。
ACHARU :
石川さゆりをはじめとした多くの教え子を育て、トラック野郎 ひみつのアッコちゃん 魔法使いサリー ゲゲゲの鬼太郎など、数々の東映映画やアニメーションの選曲、作曲を手がけた演歌作曲家であった祖父のスタジオで音楽に溢れた幼少期を過ごす。16歳から独学でトラックメイキングやソングライティングを始め、数々の人生経験を積み重ね様々な楽曲を制作。2005年、9人編成の大所帯バンド PoPoPhuでVoを勤め2007年にSONYよりデビューを果たす。バンド解散後、シンガーソングライターacharuとしてアンダーグラウンドHipHopシーンで活動を始め、数多くのアーティストへの客演で多くの楽曲に色を添える。2010年にマイクアキラ(四街道ネイチャー)の立ち上げたレーベル”首脳組”第1弾アーティストとして1stソロアルバム"Nasty"をリリース。NIPPS(BUDDHA BRAND),B.D,なのるなもない(降神),BRON-K,ZIGHT,タカチャ,そしてD.O(練マザファッカー)を客演に迎え、約半数の楽曲をセルフプロデュースし、その音楽性の高さで話題に。その後も数々のアーティストとのFeaturingやコーラスワーク、アイドルグループや子供向けの楽曲プロデュースなど幅広く手がけている。
その後、自身のlabel、Natural HighSense Productionを2016年に本格始動。
単身アメリカでのLIVEや、リスナー参加型ヒーリングラジオを発案しパーソナリティーを務めるなど、新たな経験を積み新境地を開拓し、身も心も成長を遂げて完全にスタイルを確立させた。
日本と海外のトレンドを織り交ぜたオリジナルビートはAcharu自ら作りあげている。
GoRo
86年からタイの島を中心に楽器を製作し売りながらアジア各地を5年間放浪する。大自然の波動を音に変換する事を目指す。ディジュリドウ、カリンバ、ホー ミー,口琴など,各地の民族楽器を独自のスタイルで奏でる。その音は、アコースティックながら,電子音的な面も持ち、世代,ジャンルを超えアンダーグラン ドからメジャーにまで幅広く支持される。10年間続くGocooヨーロッパ ツアーではブーム フェステイバルをはじめ数万人規模のイベントに150本以 上出演。幼稚園、老人ホーム 障害者イベント、ルイビトンなどの企業イベント、ファッションショーなどでも演奏する。近況はサカナクションのゲストとして アリーナツアーに動向する。ジャングルから始まり,ストリートより発信された、そのスタイルは唯一無二である。
Kyoko Oikawa 及川景子
アラブ・オリエンタルヴァイオリニスト。
音楽の源流、魂の音楽をもとめ、たどり着いた中近東の音楽手法に傾倒。
岡洋子氏にクラシック・ヴァイオリンを師事。チュニジアのベシール・セルミ
氏、エジプトのアブド・ダーゲル氏およびサード・ムハンマド・ハサン氏に、アラ
ブ・ヴァイオリン奏法とアラブ古典音楽理論を師事。
全国各地でアラブ・中近東音楽の演奏、オリエンタルダンスと音楽のコラボレー
ション等で活躍する他、CD解説、各種レクチャー、DJやヒューマンビートボクスと
の共演などで、オリエンタル音楽とヴァイオリンの表現の可能性を発信。
近年は毎年、エジプト、チュニジア、モロッコ、フランス等に足を運び���研鑽と
演奏の旅を重ねている。
KENJI IKEGAMI
尺八 製管師 / 演奏者
「音・自然・人」の観点から自ら山に入り創り出される池上銘地無し尺八は「過去」に学びながらも捕らわれない現在進行形である。また虚無僧尺八を軸とした即興演奏やdrone music等 根源要素を取り入れた実験的な音源制作・演奏活動を行う。
https://www.ikegami-jinashi.com/
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yui,,YUI
FLOWER FLOWERのインコのhave a nice day ツアー
2018.05.09 Zepp TokyoのLive映像を見た。
本当に、最高すぎた
なんというかもう言葉が出てこないくらいに最高だった。
正直、6000円高いなとか思っていたけど、もうお金とかどうでもよくなるくらいに良かった。
まだ見ていないのであれば絶対見たほうが良い
今まで見てきたLive映像の中で間違いなく一番素晴らしいものだと思う
まず音が素晴らしい。
一応、今持てる最高の環境で視聴していて、PS4→USBサウンドカード→Sennheiser HD25-1Ⅱ で聴いていたんだけど、音の解像度が半端ない。
とにかく、爆音で聴くことを推奨します。
そして演奏が上手すぎる。
mura☆junとか、キーボードちょっと弾いてるだけだろーとか思ってたんだけど、もう、ほとんどのサウンドメイクをしていてヤバイ。カッコ良すぎた
mafumafuやsacchanに関しても、安定感というか、余裕そうな感じがプロだなと感じた。
yuiの声も、ギターも。
yuiの歌っているときの姿って、なんであんなに儚く見えるのだろうか。
今にも消えてしまうんじゃないかっていう
命を擦り減らして歌っているような、その歌声を聴いているだけで涙が出そうになる。
本当に輝いてみえる
映像に関しても、めちゃめちゃ綺麗だし、yuiかわいいし。
色んなアングルで臨場感がかなり出ていた。
NagoyaのZeppでフラフラのライブは見ていて、こんな最高のLive他にないだろうって思っていたけど、TokyoのZeppに嫉妬してしまうくらい良かった。
yuiがメンバーも、スタッフも、観客も全部巻き込んで自分のペースにしてしまってて、楽しそうで。
フラフラ本当やばい、
間違いなく一つ言えることは、フラフラは、Liveで真価を発揮するバンドだということ。
CDの音源とレベルが違うんじゃないかな
熱量とか、音の力が正直全然違う気がする。
踊り→時計 のあたりで持てる感情の最高値に達していたと思う笑
アンコールのCHE.R.RYのとき、YUIはそこに居た。
紛れもなく、YUIが歌っていた。
FLOWER FLOWERの曲も、YUIの曲も、比べるものじゃないと思った。
yuiの生きている時代に生まれてyuiの曲を聴けることが本当に幸せ
なんていうか、自分でも気づいているんだけど、たぶんもうBUMPよりも何倍かYUIのことをFLOWER FLOWERのことを好きになってしまったような気がする。
それが意味するのは、もうどうしようもないくらい好きになってしまったということで。
こんな凄いLiveできるのはyuiしかないと思う。
ずっと歌い続けてほしい。
歌っている時のyuiは儚くて消えてしまいそうとは言ったけど、yuiはずっと歌い続けて、生きてきたんだよね
もし、YUIを引退して音楽をやめてしまって、歌うのをやめてしまったら、今のyuiは生きていないと思う。
あんなに楽しそうに歌っていて、いきいきしていて、心から感動する音楽を届けてくれて。本当に感謝しかない。
ずっとずっと、歌い続けてほしい。聴き続けるから
そして、ぶっこみます。徹夜覚悟で、YUIのTOKYOの歌詞解説。
YUI - TOKYO
この映像、本当に好きで、コメントにもあるけど、まさにBest takeだと思っている。
ギター一本と歌だけで、こんなに心に刺さるんだもの。
さっきも2回もいったけど、曲の最後のほうとか、本当もうYUIがいなくなっちゃうじゃないの?っていう感情で泣きそうになるよ
神聖というか、無垢というか、
言葉で説明するには足らなすぎる。わかるよね。。
それで、TOKYOの歌詞解説をしたいとずっと思っていたんだけど、
その解説をする前にYUIが上京するまでの生い立ちをまとめたり、
上京してから、この2007年、武道館で歌うまでのことをまとめたいっていう欲があって、そんなことしてたらほんとに朝になりそうなんだけど。いけるかな…
行くぞ、突っ走れ。今しか書けない。
軽く見たところ、TOKYOの歌詞解説を他にしているところはなさそうだ。
生い立ち
YUI
1987年3月26日生まれ本名は吉岡 唯
出身���福岡県
小学生の頃から、歌手になりたいと思っていた。母親の影響もあって、小さい頃から歌うことが好きだったそう。
その後中学3年生の頃から、ノートに詩を書き溜める。
高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩してしまい入院。退院後に中退した。
その後、ストリートライブを行っていたビアンコロネと知り合い、音楽塾ヴォイスの存在を知り、そこへ通いギターと曲作りを学び始める。
自宅の布団の上であぐらをかきながらギターの練習をし、覚えたコードで曲作りを始め、初の自作曲「Why me」を制作。福岡市天神の路上などでもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始め、知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも出演するようになる。
2004年3月に塾関係者の勧めでソニー・ミュージックのオーディションに応募し、約2万人の応募者の中から10人に残り、最終審査を受ける。
この時も普段の路上ライブと同様にあぐらをかいてギター弾き語りで「Why me」と「It’s happy line」を歌ったが、どうしても聴いてもらいたいという思いからまだ歌詞のなかった「I know」を短縮で追加して披露。審査員の全員が最高点をつけた。
その後ソニー・ミュージックグループの各レーベルで争奪戦となり、デビューが決める。
「feel my soul」でデビューし、その後「Tomorrow's way」、「LIFE」を発表。
そして4thシングルとして、この「TOKYO」が発表された。
ここまでは、Wikipediaを参照。
続いてヴォイスの講師のインタビューから、
http://www.voice-tokyo.com/column/vol04/
ー初めてYUIと会ったときの印象はどのようなものでしたか?
「彼女はまだ中学生でしたが、同じ年代の普通の子とは全く違う雰囲気を持っていましたね。"絶対に音楽をやるんだ!"という強い気持ちが表れている目をしていました。」
「まだ彼女が入塾間もない頃でギターも弾けなかった時にAvril Lavigneの『complicated』を自分のオリジナルの歌い方で歌っていた事がありました。普段歌っている声とは明らかに違う雰囲気で、自分の世界に入り込んで自分の世界を出しているその歌声に強烈に惹きつけられました。その歌声に触発されて、曲を書きたいという衝動に駆られましたし、すぐ一緒に作り始めました。同時に、声の魅力というのは作られたものではなく、素材の中に光るものだと改めて認識させられましたね。」
「歌や音楽を聞いた時に、ドキドキがとまらなかったり、泣きそうになったり、楽しくて躍りだしそうになったりとか、そういうスイッチってありますよね。僕の場合ですが、そういったスイッチを片っ端から押された時、曲の構想だったり、メロディが出てきたりします。音楽的な化学変化というのは間違いなくあると思いますね。」
「以前"癒しの声"とはどういったものかを分析するテレビ番組を見た事があります。その番組では、声を聴いた時、人間の脳の中には『α波』というのが出るらしく、その量が多い声がいわゆる"癒しの声"だという一つの分析結果を出していました。もちろん僕は自分の頭の中で『α波』がどれくらい出ているかなど測定した事はないので、なかなか説明は難しいですね。"いい声"というのは、もしかしたら自分だけがそう思い込んでいるのかも知れないですが、でもその思い込みの強さがどうあるかが僕は大事だと思っています。人から『いいでしょ』と言われても、自分の中で化学変化が起こらない時はどうやっても起こらない。とは言え、作る立場からすればリスナーの評価は大事です。非常に難しい事ですが、研ぎ澄まされた感覚を持って判断をしていくしかないですね。」
「ソニーオーディションの決勝大会は予定では2曲しか歌ってはいけなかったのですが、突然3曲目を『続きの曲です』などと言って勝手に歌い始めたんです。びっくりしましたね。まるで昨日のことのように覚えています。(笑)オーディションが始まる前に3曲目は絶対に歌ってはダメだと本人にも念を押していたんですが、ニヤッと笑っていたので『もしかしたら・・・』と心配していましたが、案の定、歌詞はでたらめのYUI語で、即興で披露していましたね。(笑)」
「はい。その後叱られると思ったので、YUIと二人逃げるように会場を去り、羽田空港に向かいました。(笑)福岡空港に着いて携帯電話を確認するとたくさんの留守電が残っていました。これはかなりまずいなと思って聞いてみたら集まって頂いた全レーベル、審査員の全員が最高点をつけたので至急連絡を下さいという、思ってもいない内容でした。そこからYUIの人生は大きく変わり、プロの道へと進む事になりました。」
「まさか、ギターを弾いて歌うシンガーソングライターのトップまで登りつめ、未だに半ばレジェンド的な存在として扱われる事になるとは、思いもよりませんでした。ただ、きっと何かを変えてくれる存在になるという確信は自分の中にはありました。デビュー前に音楽塾ヴォイス福岡校の六畳一間のレッスン室で何曲も曲を書きました。YUIという存在を目の前にし、その声の持つ世界観に圧倒され、自然にメロディが舞い降りてくる事も多かったです��。1日1~2曲という物凄いペースで制作を行っていました。ソニーのオーディションを受ける以前、一部では『こんな音楽は古い、時代と逆行している』という意見もあったのですが、普遍的な音楽はいつの時代も変わらず人の心を感動させる事ができると信じて、ブレずにやっていました。10年経っても色褪せない音楽は絶対にあると信じていました。結果は思っていた以上の反響があり、その後のYUIの音楽人生に大きく繋がっていったと思います。」
すごく、よく分かる。
理解ある、この講師の人に出会えてよかったと思います。
本当にYUIの声は、いいんだなぁ。笑
自分の中ではまさに癒やし声です。
次、TOKYOのインタビューに行きます。
http://www.hotexpress.co.jp/interview/yui_20050118/
まずYUIさんが音楽に目覚めたキッカケみたいなものを聞かせていただけますか。
YUI:小さい頃から音楽は好きで聴いていたんですけど、憶えているのは、母のカーステレオとかラジオから流れてくる音楽をよく聴いて覚えたりして歌ってたんですよね。それで自分で本格的に音楽をやろうと思ったのは、急にそう思ったというよりはどんどん気持ちが強くなっていった感じで。それで、15歳、16歳ぐらいのときに決心する時期も来て・・・。
決心する時期というのは、高校を中退すると決断したとき辺りだと思います。
中学の頃から音楽をはじめて、アルバイトや勉強に追われて体調まで崩してしまったとき、音楽の道へ進もうと決意したのではないでしょうか。
-ギターを覚えたのもその頃?
YUI:そうですね。15歳、16歳ぐらいのときに初めてストリートライブを観たんですよ。それで、そのストリートミュージシャンの方々がライブを終えた後に「本気で音楽をやりたいんですけど、どうしたらいいんですか?」的なことを聞いたんですよね。「どうにかしたいんですよ」って。そしたら地元に、福岡なんですけど、音楽塾があるってことを教えていただいて、そこに通うことにしたんです。それから音楽塾でギターと曲作りを始めました。ある程度ギターが弾けるようになってからはミシェル・ブランチさんの『グッドバイ・トゥ・ユー』を弾いて歌ったりしてたんですけど、その曲は最近でも学園祭ツアーとかで披露したりしてますね。
要所要所にコメント添えたくなってしまう。
これは先程も説明したビアンコロネから塾を進められてという部分ですね
「Good bye to you」はYUIがコピーしているのをよく聴きました。
ビアンコロネと一緒に歌ってるやつあるから、絶対見て!!
https://www.youtube.com/watch?v=eXz2YIVJ3os
-音楽塾を知るまでは、音楽を本格的にやるためにどうしたらいいのか模索していた感じだったんですか?
YUI:音楽をやりたいけど出来ない時期はありましたね。学校とバイトをこなしていく中で時間が無くて、これを続けていても“この先に音楽はないんだろうな”っていう風に思っていて。そんな中、体調を崩して入院してしまって、ただそのときに考える時間が出来て、“やっぱ音楽をやりたいな”っていう想いが強くなって。そんなときに先ほどお話ししたストリートミュージシャンの方々に出逢ったっていう。
-ちなみにその福岡の音楽塾っていうのはどんなところだったんですか?
YUI:本当に塾っていう感じで、人間と人間が触れ合うようなあったかい場所というか、みんな本気で音楽をやっていて、教えてもらうっていうよりはいろんな人の姿を見ていて思うこと、感じることでいろいろ学べる場所でした。もちろん音楽的なことも学んだんですけど、やっぱり人間的なことで音楽塾のいろんな方と触れ合うことができたのが一番大きかったですね。信頼する人ができたというか。
これは先程の音楽塾ヴォイス塾長の西尾芳彦さんとかかな。
-なるほど。あと詞に関してはいつ頃から書くようになったんですか?
YUI:詞は中学三年生ぐらいからだったんですけど、歌詞というよりはポエム的なものを書いてましたね。母に聞いた話なんですけど、私は小さい頃にポエムを書いていたと聞いたんですよ。それがキッカケになって、再び書くようになって、その詞、ポエム的なものだけを書く時期がしばらくあって。で、音楽を本格的にやり始めて、それで“歌詞”というものを書くようになった感じですね。
-そうして本格的に自身の音楽を生み出せる環境ができた頃には、今の状況というか、“デビューを目指す”っていう意識は強くなっていたんですか?
YUI:良い曲を作りたい、良い詞を書きたい、納得のできるものを作りたい、そういうことばかり考えていたかもしれませんね。デビューに関しては、たくさんの方々に支えられて出来たこと、結びつけてもらったものなので、私はとにかく単純に良い音楽を、自分が納得できる音楽を作っていきたいと思っていた感じですね。
-そんなYUIさんがデビューすることになった具体的なキッカケは何だったんでしょう?
YUI:ソニーミュージックのオーディションを音楽塾の方に勧めていただいて、それを受けたのがキッカケですね。そのオーディションの最終審査で東京に初めてやって来たというか、福岡を初めて出たんですけど、オーディションの会場ではみんなスタンドマイクで歌ってたんですけど、私は「あぐらで弾いていいですか?」っていうのを聞いたりして、それを了解していただいて。で、弾き語りだったんで、本当はひとり2曲以内だったんですけど、もう一曲聴いてもらいたい曲があったのですごく短くして、結局3曲歌ってしまったっていう。
-その3曲っていうのは、今はすでにリリースされている曲?
YUI:3曲ともCDに入ってますね。インディーズでリリースしたシングルに入っている『I know』と『It's happy line』、それとデビューシングルの3曲目に入っていた『Why me』を歌いました。『I know』はまだそのとき作りかけだったのでデタラメ英語で歌ったんですけど。
-そのオーディションに受かった後はどんな動きがあったんでしょう?
YUI:合格してからは、曲作りとかレコーディングのために福岡と東京を月に2,3回、行ったり来たりするようになっていって、そのあいだにデビューシングルを制作していって、そのあと上京、こちらで生活するようになった感じなんですけど、今回リリースする『TOKYO』はその時期、2004年の9月に書いたものですね。
オーディションがあったのが、2004年3月、TOKYOを書いたのは9月。
-東京に来たばかりの頃はどんなことを考えたりしてました?
YUI:東京に来て考えるというよりは、福岡を出る前にいろいろ考えました。なので東京に来てからはもういろんなことを吸収したりとか、そういうことを意識してましたね。責任感というか、気負いした感じというのは福岡を出る前ぐらいからあったかなとは思うんですけど。今はあんまりそこについては考えすぎないように心掛けてます。
ここから、feelmysoulとかについてもいろいろ書かれていますが今回は端折ります。
もうね、カルマの時のトラウマが蘇ってますよ。
-分かりました。では、今日のインタビューのメインとなりますニューシングル『TOKYO』についてお話を聞かせていただきたいのですが、こちらはすでにライブでは歌われていた曲ですよね?
YUI:はい。【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】とかでも弾いて歌っていたんですけど、ファンの方から問い合わせとかリクエストとか頂いて、今回リリースすることになりました。福岡でラジオをやっているときも番組のエンディングとかで流したりしていて、ラジオの番組宛にも「この曲何て言うんですか?」的な問い合わせをたくさんいただいて、それもあってですね。で、今回CD化させてもらったこの曲は、17歳の時、2004年の9月にレコーディングしたギターと歌をそのまま収録してるんですよ。だから歌い直しはしてないんです。
-その頃の自分の歌を改めて聴いてどんな気持ちになりました?
YUI:やっぱりどこか切羽詰まった部分だったり、気負った感じだったりっていうのが声に出てるのかなとは思うんですけど、逆に私は周りの方からの反応が気になりますね。すでにそういう声は聞かせてもらってるんですけど、やっぱり上京したときのことを思い出したりするみたいで、いろんな方が同じ気持ちだったのかなって思ったり。
-ちなみに『TOKYO』の作曲クレジットはCOZZiさんになっていますが、彼のこの曲のデモを聴いたときにやはり強く感じるものがあったんですか?
YUI:デビュー前、福岡と東京を行き来していた時期に、曲作りやレコーディングの合間とかにいろんなアーティストの方のデモを聴く機会をいただいていて、そのときに興味を引くデモはたくさんあったんですけど、その中のひとつにCOZZiさんの原曲があって、それを聴いてると、自分がノートにメモしていた上京のときの気持ちや感情がリンクしていったんですよ。それでそのCOZZiさんの曲にその場で詞を書き上げていったんですよね。そのまま曲のコードも分かりやすかったので、すぐスタジオに行ってギターの弾き語りを録りました。
-じゃあ、あの歌詞の内容は上京時のYUIさんの気持ちがそのまんま綴られているわけですね。
YUI:そうですね。
-上京するときはギターを担いで、新幹線乗って。
YUI:・・・飛行機でしたね(笑)。そのときは亀と金魚とギターとリュックみたいな感じで、上京しました。亀と金魚は飛行機大丈夫かな?と思ったんですけど・・・まぁその話はいいです(笑)。
-(笑)。この『TOKYO』っていう曲は、先ほども言っていましたが、共感する部分、胸に強く響く曲だと僕も感じたんですが、YUIさん自身の中でもすごく大切な曲になってますか?
YUI:すごく大切な曲になってますね。他の方が作曲したとか関係なく、すごくこの曲が好きだし、いろんな方の反応を聴いても良い曲になってると思いますし。
インタビューにもある通り、作曲者はCOZZiさんです。
他にも多くのYUIの曲を作曲している方です。
YUIがレコード会社と契約後、デビュー前の準備期間中に「自分の作った曲だけを歌っていては偏りが出てしまうかもしれない」というディレクターの意向で、勉強のためにと色々な作曲家のデモ音源を、東京の事務所で聞いている時にYUIの耳に強く残る曲だった。当時17歳。その日のうちに歌詞が完成した。
追加で、参考にしたいインタビューがあるのでそこの中から抜粋します。
http://news.livedoor.com/article/detail/1732876/?p=1
TOKYOのリリースのすぐ後のインタビューですね。
――福岡を離れ、東京で生活をする様になって、どれくらい経ちましたか?
YUI:1年5ヵ月とか。2004年9月に上京してきましたね。
YUI:「TOKYO」の歌詞にもあるんですね、「東京は怖いって言ってた」って。やっぱり、知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」みたいな、そういう気持ちや不安はありましたね。最初は慣れていないのもあり、上手く馴染めなかったかもしれないんですけども、今はもう随分変わってきていると思いますね。
―偶然、最初にYUIさんを知ったきっかけが映像や写真ではなく、音だったのですが、「すごくいい声してるなぁ」と。楽器と違って、声は生まれ持ったものじゃないですか。
YUI:小さい頃に「顔に合わない声をしている」みたいな感じで言われたことがあって、それがすごくコンプレックス的な。声が嫌いだったんですよね。だけど音楽はずっと好きで歌ったりしていたので、ストリートでライブをやったりして、色々な方に歌や音楽を聴いていただける状況になって、「いい声だね」とか「いい音楽ですね」と言っていただけた時に、初めて自分の声が好きになってきましたね。
―学生の頃に「バンドを組みたい」とか思った経験は。
YUI:高校1年で辞めて音楽の道に進んだので、そういうことも無かったんですけど、でも、バンドの音とかはとても好きではありましたけどね。
―気持ちいいですよね。エレキをデカイ音で鳴らしたりすると。
YUI:そうですね。今後ライブをたくさんするようになって、そういうロックな曲ももっと入れていけるようになれた時に、そういう歪んだ音とかでも入れて行きたいと思うんですけども、今はやっぱりスタイル…自分の作る音楽だったりを大切にしているので。もちろん音楽的に幅を広げていきたいし、視野も広げていきたいし、成長もしていきたいけども、今はそういう風に、アコースティックの音とかを大切にしてますね。
ネタバレになるかもしれないけど、冒頭のフラフラのDVDの中で、yuiが
「バンド楽しいよ!!、皆にもおすすめします!」
みたいなこといってたのを思い出した。
今は、バンドで、ロックな曲をやれてるよ。
―デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?
YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。
15~6才になって、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。
その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。
―自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちな��かなと。
YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。
―自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?
YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、「聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。
カルマのところでも説明したけど、解釈どうのこうのよりも、「聴いてもらいたい」んですね。
良かった。間違ってなかった。笑
YUIも同じような感じなのかな。
YUIの音楽を一度でも耳にすれば、類稀なる彼女の才能は誰もが感じるところだろう。衝撃のデビューを果たした2005年、周囲の期待の声が大きいあまりに、YUIというアーティストの等身大の姿が見えづらい状況にあったのかもしれない。シングル「TOKYO」が、当時17才だったYUIの弾き語りに、必要最小限な音だけを加え、ノンタイアップでリリースされた裏には、そんな思いもあったのだろうか。「日々音楽」というYUIの言葉に象徴される様に、小さな体と顔に似合わずストイックで、不器用なくらいひたむきに音楽と向き合おうとする、彼女の姿が少しでも伝わればと切に願う。
痛いほど、伝わります。
どうでしょうか。
「TOKYO」を作曲した背景はわかったでしょうか。
前置きはこのくらいにして(長すぎる)
ごめんなさい、もう少し前置きを延長します。
この映像(武道館でのTOKYO)について少し補足します。
この映像は、2007年11月19日、自身初となる日本武道館のライブの映像です。
3枚目のアルバムI LOVED YESTERDAYの初回限定盤のDVDに初の武道館公演(2007年11月19日)のスペシャルライブ特典映像が収録されました。
アンコールの、最後の、最後で歌った曲です。
最初の曲だった、「It's happy line」も、Youtubeにあがっているので是非。
僕が、ひとつだけLiveを遡って見れるのだとしたらこのLiveがみたいです。
なんというか、日本武道館はミュージシャンの中で重要な位置づけにあるような気がして、その初ライブ、大舞台で、出だしから路上ライブスタイルの 「It's happy line」。ギターと歌だけで武道館に立つ。最後の曲の「TOKYO」では会場の皆を号泣させた。
もう死んじゃうんじゃないの?泣 ってくらい儚くて力強い歌声に
武道館で歌う「TOKYO」
途中、涙をこらえて言葉が出なくなるシーンがある。
この映像を見てから、この曲についてまとめてみたいと思った。
友達にこの映像を見せても、反応はなし。
この記事を見せてやろうか。笑 ドン引きされること間違いなし
歌詞解説に入りましょう。
ここまでの解説で、もうわかってるよって思うかもしれないけど。
ちゃんとやります。
住みなれた この部屋を 出てゆく日が来た
新しい旅だちに まだ戸惑ってる
住み慣れたこの部屋 は、福岡の実家のことですね。
出てゆく日というのは2004年の9月。YUIは17歳。
オーディションからデビューまでが早かったということと、東京へ出るということに対する不安。そいうった感情の中から、戸惑いが生じていた
駅まで向かうバスの中
友達にメールした
朝のホームで電話もしてみた
でもなんか違う気がした
ここの 「でもなんか違う気がした」 という部分。
人によって解釈が異なるのではないでしょうか。
友達にメールをして、電話もしてみた。でも、なんか違う気がした。
このメールと電話の内容は、「今から上京するよ」っていう内容なのかな?
きっとそうだと思うんだけど。
一人で、駅に向かうバスの途中、ホームの電車待ち。
東京に行くことに責任感や気負っていた、不安を持っていたYUIは、気を紛らわすためにも友達と話したかったのではないだろうか。
普段、仲の良かった友達との別れ、「今から行ってくるよ、それじゃあね」
「あっちでも頑張ってね」なんてやりとりは、らしくない。
でもなんか違う気がした の「でも」の少しの違和感は、いつもと違うやりとりと、自分にある感情の少しの後ろめたさからじゃないかな
深読みしそう。全部の歌詞が真実を書いてるわけじゃないからね。笑
ここについては意見がほしい。
古いギターをひとつ持ってきた
写真は全部 置いてきた
ギターひとつで、思い出は持っていかない。
決意の表れだと思います。
もう東京にいったら、戻ってこないんだぞ っていう
さっきのところだけど、友達との別れを今さら惜しむなんて、なんか違うよなって意味も含んでいるんだとすれば、福岡のことは、福岡にもう置いていこうと決意していたのかもしれない。そんなにYUIはひどい子か?笑
これは次の歌詞に続く。
何かを手放して そして手に入れる
そんな繰り返しかな?
何かを手放す とは、福岡のことでしょう。
そこにいる友達や、思い出、自分の居場所。
それを手放して、新しい土地へ行く。
これからもそんな繰り返しなのかな?と少し不安に思う。
それで本当に自分は合っているのだろうか?
つよがりはいつだって 夢に続いてる
臆病になったらそこで途切れるよ
ここの歌詞、本当にYUIっぽくて好きです。
負けず嫌いで、決して弱みを人にみせようとしない。
前置きでは書いてなかったですが、高校で体調を崩し、肺炎になったとき病院で肺がんと診断され、余命宣告までされていました。
その状態で、後少ししか生きられないのなら本当にやりたいことをやろうと、ソニーのオーディションとは違うオーディションに出ています。
たぶん音楽塾に入る前の、歌だけのオーディション。映像もあります
何があっても、音楽の道を諦めない。強い意思がありました。
上京の際にも、きっと、つよがっていたんだと思います。
臆病になったら、そこで途切れるよと。
走り出した電車の中
少しだけ泣けてきた
窓の外に続いている この町は
変わらないでと願った
走り出した電車、もう後に戻ることは出来ない
そこでようやく実感しはじめる。
強がってはいても、17年間も過ごした場所を離れるのは心に来るよね
窓の外を流れる景色に、思い出が蘇る
「この町は変わらないで」と願った
この町”は”っていうのが妙にひっかかって
自分は変わってしまうけど、この町は変わらずにいてほしいって意味に感じる。
自分の変化に対する不安とか、これで本当にいいのかなっていう疑問が残っている感じ。
故郷が変わらない安心感はほしいよね。その場所まで変わってしまったら、思い出までなくなってしまうんじゃないかって思う。
古いギターをあたしにくれた人
東京は怖いって言ってた
これは歌詞上のストーリー的な表現なのかな
インタビューでもあった通り、YUIは東京のことを
知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」 と感じていた。
そういう不安から怖いと思っていたんだと思う。
でも、 自分の口からは怖いって言わないんだよね。
古いギターをくれたひとは大先輩みたいなもので、ギター(夢)を託すみたいな感じに解釈しても面白いけど。
答えを探すのは もうやめた
間違いだらけでいい
人生に、答えなんてない
上京するか、しないか 戸惑いや不安を感じていたYUIの結論。
きっと、上京するって答えは出てたんだろうけどね。
それがたとえ間違いだったとしても、自分のやりたいように生きていく。
赤い夕焼けがビルに途切れた
涙をこらえても
次の朝がやってくるごとに
迷うことだってあるよね?
簡単な考察だけど、朝出発して夕焼けが見える頃には、もう東京です。
赤い夕焼けがビルに途切れた って表現とても好きです。
都会ならではの切なさとか
電車に乗っていて、夕焼けがビルの間から顔を出したり、途切れたり。
電車の車内をチカチカと照らしている。
東京についてもまだ涙をこらえてる
朝がやってくるごとに迷うことだってあるよね
→あります。自分は夜が来るたびにだけど。
それくらいにYUIは悩んでいたのかな
レコーディングで福岡と東京を行き来していた時期���あったといっていたから、東京に行くことについてたくさん考えさせられたんだろうな
正しいことばかり選べない
それくらいわかってる
これ以上考えても仕方ないし、正しいことばかり選べない
それくらいわかってる
それでも、悩んでしまうもの
それはやっぱり、福岡を失うことに対する不安が大きかったんじゃないの?って僕は思います。
東京にいって失敗するとか、怖いとか、不安とか。
YUIならきっと、音楽の道を歩むためなら、そういうことに踏み込む勇気は持っているんだと思う。
自分の故郷を離れる不安や、後悔するんじゃないかっていう、そっちの気持ちのほうが大きいんじゃないかな?
そればっかりは、きいてみないとわからないけど。
上京のことにかかわらず、そうやって悩むことはたくさんあるよね。
現在AM5:00
まとめましょう。
yui、最高です。
YUI、最高です。
FLOWER FLOWER、最高です。
おやすみなさい。
ありがとう。
(まとめだけ今度編集するかもしれません。)
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今日は、朝日新聞掲載の『悩みのるつぼ』からです。
3月24日に掲載された相談文と岡田斗司夫の回答、あわせてお楽しみ下さい。
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<相談文>
大学3年生になる20歳の息子のことで相談です。
息子は現在海外の音楽大学に留学しています。高校生の頃からかアニメオタクになり、卒業後は就職せずにアニメ関係の会社を起業したいと、アニメに関わる音楽、イベント、ゲームをつくる活動を始めています。
先月、息子が18禁ゲームに関わっていることに気づきました。その製品は看護師が主人公で、もし看護師さんが見たら、屈辱的で、大変傷つくようなものです。再三メールでこのジャンルはやめてほしいということを申しましたが、考えを変えさせることはできませんでした。
息子の主張によると「成人向け、18禁、エロゲームなどに関わらずにアニメの仕事をすることは不可能、残虐な作品があるおかげでより大きい犯罪を防ぐ効果がある、子どもたちが見ないようにするのはゾーニングが必要であって作る側の責任ではない、この仕事をしている人たちは、みんな優しくて普通の人、才能もある人たちなので、偏見を持たずにかかわっていく」とのことでした。
息子には人を傷つけるもの、子どもに見せられないものを仕事にしてほしくないと思います。日本の大学の残りの学費や生活費を出すことが、息子の仕事を間接的にでも肯定し、支援することになってしまうなら、援助することをやめ、退学手続きをしようかと迷っています。
<回答文>
私は以前、ガイナックスというアニメ会社を起業し、社長をしていました。アニメを作るたびに赤字になり、それを救ってくれたのがパソコン用のエロゲーム開発でした。
最初に作ったのは『電脳学園』。 クイズに正解すると美少女が脱ぐというエロゲームです。よく売れて会社を経済的に救い、同時に私たちはゲーム作りの楽しさを知りました。その後も続編を作り、シリーズ三作目の電脳学園IIIでは、自社の人気アニメ『トップをねらえ!』のキャラクターを脱がせました。実際のアニメ監督がゲームの監督もしたので、絵は非常に高レベルで評判も高かったです。
その監督こそ、庵野秀明さん。いまや『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』で世界的に有名な大監督です。
私も庵野監督も、エロゲームを作ったことを恥ずかしいと思ったことも、隠したこともありません。その後の活動に支障をきたしたこともありません。
というわけで、経験者としては、息子の説明も「一理ある」と思います。
同時に、あなたの「息子には人を傷つけるもの、子どもに見せられないものを仕事にしてほしくない」という価値観にも「一理ある」と思います。だから「そんな仕事に荷担したくないから、残りの学費や生活費を出さない」のもしかたないでしょう。正直な話、18禁ゲームに関わってる程度で「海外に留学」というのはなんでやねん?と思っている私もいます。
しかし、ひとつ問題があります。この理由で学費援助をやめても、あなたの望む効果はありませんよ? アニメ業界では学歴はあまり関係ありません。現に、僕も庵野監督も、大学中退です。なので大学を辞めたとしても将来、息子が大成功して庵野監督のようにメジャーになるかもしれません。鳴かず飛ばずのままかもしれませんが、それはしょせん、本人の才能と、やる気と、運次第です。
ただし、どっちにしても息子は、あなたが自分のやりたいことを認めず学費を止めたことで、非常に傷つき、あなたを恨むでしょう。おまけに学歴は関係ない業界だから、息子は自分の望む世界に行く可能性は高いです。
まずは話し合いですよね。「あなたにあきらめられない夢があるのと同じに、母には譲れない信念がある」と。
どちらも正義はなく、単なる好み・ポリシーのすり合わせと割り切って、話し合ってみてください。
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