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#馬喰横山九竜
kachoushi · 6 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
ドッグラン鼻と鼻とで交はす賀詞 荘吉 裸木のはるかを白く光る街 要 頰切るは鷹の翔つ風かもしれず 順子 人波をこぼれながらの初詣 光子 焼芋の煙たなびく志んぐうばし 和子 群衆といふ一塊の淑気歩す 順子 寒雀神馬と分かちあふ日差し 光子 寒雀入れ神苑の日のたまり 同 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
岡田順子選 特選句
跼り清正の井を初鏡 昌文 本殿につぶやく寒紅をつけて 光子 楪の浴ぶる日我にゆづらるる 慶月 肺胞に沁み込んでゆく淑気かな 緋路 冬草や喧騒去りて井戸残し 眞理子 馬見えぬ乗馬倶楽部の六日かな 六甲 寒鯉来おのれの色の水を分け 緋路 寒椿落つれば湧くや清正井 眞理子 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一束もいらぬ楪もて遊ぶ 成子 深井より羅漢に供ふ冬の水 かおり 赤なまこ横目に買ひし青なまこ 久美子 畳みたるセーターの上に置くクルス かおり 再会のドアを開けばちやんちやんこ 朝子 半泣きのやうに崩るる雪兎 成子 火を見つめ男無口に薬喰 かおり 歳晩の一灯母を照らすため 朝子 悴みて蛇となる能の女かな 睦子 その中の手話の佳人やクリスマス 孝子 悪童に悲鳴をはなつ霜柱 睦子 凍空とおんなじ色のビルに棲み かおり かくも典雅に何某の裘 美穂 唐突に雪投げ���ひし下校の子 成子 楪や昔硝子の磨かれて かおり 奥伝の稽古御浚ひする霜夜 愛 出会ひ重ね寿限無寿限無と年惜む 美穂 冬灯一戸に遠き一戸あり 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
流れ来し葉屑も霜を置いてをり 昭子 御慶述ぶ老いも若きも晴れやかに みす枝 初春の光りまとひし石仏 ただし 神なびの雨光り落つ氷柱かな 時江 地震の中産声高き初笑ひ ただし 歌留多とり一瞬小町宙に舞ふ みす枝 まだ誰も踏まぬ雪道新聞来 ただし 奥の間に柿餅吊し賑はへり 時江 さびしさの枯野どこまで七尾線 昭子 万象の音の鎮もり除夜の鐘 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 萩花鳥句会
初句会吾娘よりホ句のファクシミリ 祐子 書き初め震何んぞ訳あり辰に雨 健雄 吹雪突き突進するエネルギー 俊文 日本の平安祈る今朝の春 ゆかり こがらしが枯葉ころがしからからと 恒雄 平穏な土地にて食べる七草粥 吉之 御降や茶筅ふる音釜の音 美惠子
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令和5年1月10日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
被災地にすがりし木の芽盛んなる 世詩明 的中の乾いた響き弓始 誠 初場所の桟敷の席の晴れ着かな 同 初御空耶馬台国は何処にぞ 同 石段を袖振り上がる春著の子 同 細雪番傘粋に下駄姿 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月11日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
年上の夫に引かるる初詣 喜代子 地震起こり慌てふためく大旦 由季子 曇り拭き笑顔映りし初鏡 さとみ 地震の地にぢりぢり追る雪女 都 冴ゆる夜の天井の節をまじまじと 同 男衆が重き木戸引き蔵開き 同 寒月や剣となりて湾の上 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
海鳴や雪の砂丘は祈りめく 都 初電話卒寿は珠のごと笑ひ 同 針始友が未完のキルト刺す 同 授かりし神の詞や竜の玉 悦子 蜑に嫁し海山詠みて老いの春 すみ子 焚上げの火の粉加勢や冬銀河 宇太郎 古傷を思ひ出させて寒四郎 美智子 枯葦の透き間に光る水一途 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の雨誦経とよもす陽子墓碑 文英 寒林を上り来よとて母の塔 千種 顔消えし元禄仏へ寒菊を 慶月 道祖神寄り添ふ寒の雨うけて 慶月 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 裸婦像の背にたばしる寒の雨 同
栗林圭魚選 特選句
信州へ向かふ列車の二日かな 白陶 寒林を上り来よとて母の塔 千種 晴天の初富士を背に山降る 白陶 大寺の太き三椏花ざかり 幸風 空までも続く磴なり梅探る 久 はればれと良き顔ばかり初句会 三無 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 五姉妹の炬燵の会議家処分 経彦 走らざる枯野の車両咆哮す 千種 凍蝶のポロリと落つる影哀れ れい 三椏の開花明日かと石の門 文英
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月13日 枡形句会(一月十三日) 栗林圭魚選 特選句
嗽ぐをどる喉越し寒の水 幸風 七福神ちらしの地図で詣でをり 多美女 七福神詣りしあとのおたのしみ 白陶 凍て鶴の青空渡る一文字 幸子 金継ぎの碗に白湯汲む女正月 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
曇天に寒紅梅や凜と咲く のりこ 寒梅のつぼみの枝の陽の仄か 貴薫 青空に白き寒梅なほ白く 史空 朝の日に紅色極め寒椿 廸子 我が机散らかり初めし二日かな 和魚 倒れ込む走者にやさし二日かな 三無 釦穴に梃摺る指や悴かみて あき子 夢てふ字半紙はみ出す二日かな 美貴 二日早主婦は忙しく厨事 怜 りんご飴手に兄妹日向ぼこ 秋尚 雪遊びかじかむ手の子包む母 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
幼子の運を担いで福引へ 実加 寒空や命尊きこと思ひ みえこ ことわざを子が覚えをりかるた取り 裕子 元旦の母と他愛もない話 同 元旦や地震の避難を聞くことに みえこ 初詣車椅子の児絵馬見上ぐ 実加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
古里に温石と言ふ忘れ物 雪 師の墓に愛子の墓に冬の蝶 清女 寒の月見透かされたり胸の内 眞喜栄 鴨浮寝無言の中にある絆 同 降る雪を魔物と今朝を天仰ぐ 英美子 藪入りも姑の一言行けぬまま 同 庭仕事今日冬帝の機嫌よき かづを 玻璃越に霏々と追はるる寒さかな 同 正月が地獄の底に能登地震 みす枝 雪しまき町の点滅信号機 ただし お御籤の白き花咲く初詣 嘉和 若狭より繋がる水脤やお水取 やす香 水仙の香りて細き身の主張 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
寒紅の濃き唇が囁きし 世詩明 お雑煮の丸と四角と三角と 同 正月の馳走其々ある謂れ 千加江 新年の風も言の葉も美しく 和子 磯の香も菰巻きにして野水仙 泰俊 捨て舟を取り巻くやうに初氷 同 左義長や炎崩れて闇深し 同 去年今年形見の時計よく動く 同 ふと今も其の時のマフラーの色 雪 天地に誰憚からぬ寝正月 同 迷惑を承知の猫に御慶かな 同 不器用も父似の一つ初鏡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 鯖江花鳥句会(一月十七日) 坊城俊樹選 特選句
而して九十三の初鏡 雪 蛇穴に入り人の世は姦しく 同 紅を差し眉ととのへて近松忌 同 懐手おばあちやん子を憚らず 同 鬼つ子と云はれて老いて近松忌 同 着膨れて顔ちさき女どち 一涓 歌かるた子の得て手札取らずおく 昭子 年新たとは若き日の言葉とも やす香 新年を地震に人生うばはれし 同 元旦を震はせる能登竜頭めく 同 裂帛の気合を入れて寒みそぎ みす枝 風の神火の神乱舞どんど焼き ただし 八代亜紀聞きをり外は虎落笛 清女 寒怒濤東尋坊に砕け散り 同 波の腹見せて越前浪の華 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月19日 さきたま花鳥句会
月冴えて城址うろつく武者の翳 月惑 仲見世を出て蝋梅の香に佇てり 八草 枯菊や木乃伊の群の青き影 裕章 寒鴉千木の反り立つ一の宮 紀花 合掌す金波銀波の初日の出 孝江 青空に白き一機や寒紅梅 ふゆ子 初詣令和生まれの児と犬と ふじ穂 白鼻緒水仙の庫裏にそろへあり 康子 激震の恐れ記すや初日記 恵美子 お焚き上げ煙を浴びて厄払ひ 彩香 我が干支の年につくづく初鏡 みのり 家篭りしてをり冬芽萌えてをり 良江
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令和5年12月1月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
師を越ゆる齢授かり初鏡 雪 初笑玉の如くに美しく 同 大晦の右大臣左大臣 同 猫の名は玉と答へて初笑 同 天が下縁深めゆく去年今年 数幸 能登の海揺るがし今日の空冴ゆる 和子 しろがねの波砕かれて冴え返り 笑子 語り継ぐ越前の秘話水仙花 同 雪降れば雪に従ふ越暮し 希子 皺の手にマニキュア今日は初句会 清女 初電話親子の黙を解きくれし 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蟷螂を見て戻りたるだけのこと 雪 もて余す老に夜長と云ふ一つ 同 蟷螂の緑失せつゝ枯れんとす 同 小春日や袱紗の色は紫に 泰俊 正座して��音聞くや十三夜 同 海沿ひにギターの調べ文化の日 千加江 枝折戸をぬけて紅さす返り花 笑子 祇王寺の悲恋の竹林小鳥来る 同 大胆な構図を取りし大銀杏 和子 宿の灯も消して無月の湖明り 匠 秋の海消えゆくものにますほ貝 天空 落葉降る賽の河原に降る如く 同
(順不同特選句のみ掲載) …���…………………………………………………………
令和5年12月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
異ならず枯蟷螂も人老ゆも 雪 世の隅に蟷螂は枯れ人は老い 同 無造作に残菊と言ふ束ね様 同 冬ざれや汽車に乗る人何を見る 泰俊 石膏でかたまりし腕冬ざるる 和子 山眠る小動物も夢を見る 啓子 路地裏の染みたる暖簾おでん酒 笑子 冬ざれや路面電車の軋む音 希子 おでん屋の客の戯れ言聞き流し 同 風を背に連れておでんの客となり かづを にこにこと聞き役おでん屋の女将 同 冬紅葉地に華やぎを移したり 同 街師走見えざるものに背を押され 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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tosshi-san · 6 years
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本日のランチは、馬喰横山の九竜城 マウンテンビル地下一階の飲食フロアにある夕かお です。 台湾ジーパイを食べました! ジーパイ、、、 Gパイ、、、( ̄ー ̄) 男の夢、いや、ロマンですね!! い、いや、何でもありません(汗) 台湾ジーパイは台湾独特のフライドチキンのことです。 鶏肉を薄くカットして香辛料をつけて揚げます。 薄くてパリパリなんです。 卓上にある香辛料も使って色んな味に返信します。 正直、ビールには合うと思いますが、ご飯味噌汁にはあまり合いません。 夜にビールのお供が良い感じです。 ランチはこの他ルーローハンもありますよ! #NIHONBASHI #NINGYOCHO #BAKUROYOKOYAMA #taiwanese #taiwan #taiwanfood #馬喰横山 #馬喰横山ランチ #九竜城 #馬喰横山九竜 #マウンテンビル #日本橋 #人形町 #人形町ランチ #台湾料理 #ルーローハン #ジーパイ #パイパイでか美 #Gパイ #フライドチキン #台湾風フライドチキン #ビールがすすむくん (Bakuro-yokoyama Station)
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xf-2 · 6 years
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
 そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
 その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
 また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
 実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
 毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
 しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
 毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
 しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
 1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
 3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
 しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
 胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
 続く趙紫陽も学生たちの���主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
 趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
 天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
 改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
 列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
 他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
 日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
 内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
 秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
 また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
 施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
 20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
 なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
 このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
 こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
 問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
 明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
 わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
 指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
 2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
 数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
 「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
 「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
 逃げ回った挙げ句、通りに出た。
 「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
 「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
 彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
 男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
 「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
 隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
 こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
 余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
 豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
 豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
 手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
 酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
 「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
 「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
 酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
 私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
 読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
 本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
 臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
 月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
 その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
 拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
 日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
 近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
 勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
 旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
 米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
 清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
 死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
 この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
 攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
 復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
 歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
 この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
 旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
 しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
 「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
 「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
 これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
 少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
 上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されて���た。
 こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
 そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
 中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
 これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
 北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
 盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
 居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
 午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
 8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
 また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
 1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
 しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
 事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
 都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
 その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
 「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
 「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
 殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
 加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
 通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
 天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
 同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
 加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
 筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
 しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
 南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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tosshi-san · 7 years
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本日のランチは、 馬喰横山の九竜城、 マウンテンビルの地下のサブロード内にある ちょる さんです。 豚のしょうが焼き¥650なり。 安いですねー。 セルフでアイスコーヒーもあります。 また違う見ニューを食べに来たいと思います。 #NIHONBASHI #NINGYOCHO #BAKUROYOKOYAMA #マウンテンビル #サブロード #馬喰横山ランチ #東日本橋ランチタイムは #人形ランチタイムは #ちょる #豚のしょうが焼き #九竜城 #カオス (Bakuro-yokoyama Station)
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kachoushi · 3 years
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各地句会報
花鳥誌 令和3年6月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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  令和3年3月3日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
川原の景色を替へる猫柳 世詩明 一生を投げ打つ如く嚔かな 同  冴え返る明智神社の石仏 ただし 段ボール迷路の遊び春立ちぬ 同  夜な夜なに表はれくるや雪女 輝 一 楤の芽を楤の木撓め採りにけり 誠
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年3月4日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
三姉妹雛に劣らぬ顔に見ゆ 喜代子 水温み何か動めく川の底 都   古雛のどこかやつれて品のあり 同  雪音のそれらしき音春きざす 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月5日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
飾られてふと笑み給ふ女雛かな かづを 故山笑む遠嶺は未だ覚めずとも 同  三月の鳥語艶めく故山かな 同  雛の世に及びし人の世の流転 雪   春愁か考へてゐる横顔か 同  古鍬にくさび打ち込み春耕す 匠   石仏の頭巾乾ける四温かな 同  三月や恐竜の吠えまろやかに 数幸 三月やクレーンアームの手の捌き 同  雛の間をちらと横切る男の子かな 笑   足裏に春芽の息吹はたと受く 同  ランドセル春のジャンケン沈下橋 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
ふつくらと日当たる乙女椿かな 小鳥 春の池ぐちやぐちやにスワンボートかな 和子 落つる時少しあからむ椿かな 三郎 ひたひたと岸をゆたかに春の水 悠紀子 春禽と真正面よりみつめ合ふ 久   切り株の洞に雨水の匂ひかな 要   マネキンの裸身をなぞりゆく春日 順子 子の櫂に春の一日を委ねをり 久   落椿白より赤の朽つる日に 和子
岡田順子選 特選句
銭洗ひ丁か半かよ春の水 きみよ 橋渡りしはとしあつ師かと亀の鳴く 瑠璃 水温むちよつと先行きや神田川 荘吉 白き空吸ひこむやうに鳥帰る 三郎 切り株に集め積まれし落椿 小鳥 古着屋の中東の香の春ショール きみよ 武蔵野や鳥の繋いでゆく木の芽 千種 鳥交るベンチに人はものを食ふ 和子 少女うつむき三椏の花嫌ふ 俊樹 スワンボートを漫画にしたる霞かな 同  ひらり乗る赤い自転車受験果つ 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
忠魂碑あたり群がる土筆かな 世詩明 鳥帰る網を繕ふ人の上を 清女 ものの芽に狭庭の月日始まれり 信子 古墳群一叢侘し筆の花 世詩明 春蘭の秘めたる恋の色に咲く 中山昭子 指先に血を騒がせて土筆摘む 世詩明 鞦韆に二人腰掛け黙の刻 中山昭子 雛納む鬢のほつれを撫で申し みす枝 涅槃会や朱唇輪袈裟の六地蔵 世詩明 無人駅それからの道つくづくし 同  雪吊の男結びの解き難し ただし 光秀の駆けたる道の犬ふぐり 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
山焼くや旬日にして利休色 怜   医薬門くぐれば春の水の音 和魚 雨戸繰る芝生青むと思ふ朝 怜   ほし鱈の炙りて尾びれ香ばしき 貴薫 木洩れ日の影やはらかき菫草 三無 落日に白木蓮のかがやきて 迪子 信濃路に虚子の句碑ありこぶし咲く 同  水温む蛇口の水も柔らかし 史空 黄水仙声高らかに話す人 ます江 凜として月光纏ふ花ミモザ 同
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年3月9日 萩花鳥句会
リハビリに縮緬手作りお雛様 祐子 薄化粧の少女ミモザを抱へ来し 美恵子 精霊の海へ十年涅槃西風 健雄 言葉では感謝しきれぬ卒業生 吉之 鳥帰る水面に白き羽根二本 陽子 青き踏み幼児二人の鬼ごつこ ゆかり 稚児走る河津桜に染めし頰 明子 伐られたる古木の椿より新芽 克弘
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
島浦の遊具に少女初桜 栄子 黄水仙俯く顔を上げさせて 史子 馬酔木咲き石灯籠に垂れきし 同  番号で呼ばれる廊下春寒し 佐代子 面差しの失せし弁天蝶を呼び 都   湖を駆け来る綺羅よ春時雨 美智子 風紋の襞より雲雀転げたち 悦子 夕東風や遊覧船はドック入り すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月13日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
真昼間の一人の時間犬ふぐり よみ子 暁は春雪洞の灯をともし 依子 失せし物こつと現る春の風 よみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
右打者のライト方向春一番 のりこ 春水をふはりとゆらす真鯉かな 清   サンバ打つ雪解雫や倉庫群 雅春 春待ちて大地踏みしめたき足裏 同  葬り終へゆつくり帰る雪解道 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
椿落つ太郎冠者てふ良き名にて 雪   炬燵猫人の機嫌に拘らず 同  春満月西行偲ぶ野の明かり みす枝 万蕾の膨らむ音や山笑ふ 同  早春賦歌へば少女なりし頃 玲子 耳たぶに三月の風そよと來て 和子 枯れし木に炎のやうな牡丹の芽 英美子 春塵や嫁ぎゆきたる娘のピアノ 同  目鼻なき狐の嫁入り雛飾り ただし 橋梁の浦の越路や海おぼろ やす香 陽の落ちて瞑想深し座禅草 同  啓蟄や村を出て行く次男坊 世詩明 妻に云ふ言葉探しに青き踏む 同
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年3月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
菜の花の畑の先に滑り台 千加江 蒼天へ梅の一枝に花二輪 同  はだら雪見えて母娘にある禁句 清女 春立つと雀は軒に鳴きたがる 雪   ���しく止りて春の鳥となる 同  夢に見し椿此の世の色ならず 同  春愁のこけしの一重瞼かな 同  案外な男のくれし桜貝 同
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年3月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
騎馬像や辛夷に太刀を振り下す 幸風 春雨に旧き薬舗の濃き匂ひ 貴薫 料峭の軒触れ合へる神仏 千種 春雨にけぶる漆喰薬舗かな 慶月 日のにほひまとひて雨の桜かな 幸子
栗林圭魚選 特選句
春雨に旧き薬舗の濃き匂ひ 貴薫 春光の逆立つ川を遡り 千種 茅葺きの春の嵐を吸収す 慶月 太古の樹春雨にぶく光り落つ ます江 せせらぎに木五倍子の花の鎖垂れ 三無 日のにほひまとひて雨の桜かな 幸子 里桜武蔵国原見晴らして 久子 武蔵野や仄かに香る木の芽雨 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
男ふとつらつら椿てふ一語 雪   竜の鬚こぼしてをりぬ竜の玉 同  地虫出づ大きな顔に覗かれて 同  老人と認めぬをとこ春の風 上嶋昭子 地に還るまでのくれなゐ落椿 同  土筆摘む老女の中に棲む少女 信子 金泥の胸の大きな寝釈迦かな ただし 春灯や女横顔エゴイズム 世詩明 立子忌や続く愛子忌女どち 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
枡形句会 栗林圭魚選 特選句
ままごとの客人として雛あられ ゆう子 芳墨の古寺の扁額弊辛夷 幸風 手のひらの小さき折雛緋色して 美枝子 鰐口の連打に応へ木の芽吹く 百合子 ぎつしりと野の香の詰まる蓬餅 三無 てんでんに句碑の梅訪ふ親しさよ 文英 大川の流れ華やぐ桜東風 秋尚 大空に向けて蹴り上ぐ半仙戯 幸風 陽子姉の形見の雛今年また 多美女 強東風に硝子戸軋むそば処 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
風を読む浜の男の子やいかのぼり 登美子 春来たる駅前恐竜空に啼く 令子 鳥群るるまだ白がちな春山に あけみ 紙雛のいつの間にやら数増えて 裕子 花雪洞の寄付の名俳句教室と 令子 晴の窓雪解雫の影流れ 紀子 山門へ敷き延ぶ筵草萌ゆる 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
山桜なべて浄土の風はらむ 佐和 春泥の古鏡のごとき光かな 睦子 温む水こはさぬやうに鷺下りる 孝子 失敬と手を上げ君は鳥雲に 美穂 散る花の音も気づかず彷徨ひて かおり 軒端まで流れてきたる冬銀河 佐和 鳥帰る記憶の道を迷ひけり 美穂 真つ直ぐに生きし柩よ梅真白 成子 解かれある上がり框の花衣 かおり 春泥を跳び損ひし子へ呪文 美穂 迷ひこむ少年老いし冬木立 佐和 天上のこゑ雲雀野は古墳趾 志津子 しばらくはシテの桜でありにけり 睦子 寄す波も消えゆく波も鳥曇 かおり 春の泥行きつ群れゆく鳥けもの 同
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
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kachoushi · 6 years
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6月の各地句会報
平成30年6月の特選句
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成30年6月2日
零の会 坊城俊樹選 特選句
緑蔭の揺れてヨコハマメリー消ゆ 含香 海月棲む宇宙とおなじ色の湾 光子 赤煉瓦倉庫に積みしパナマ帽 美紀 夏の海から来て碧き硝子売る 小鳥 水平線跨ぎて首夏の大道芸 野衣 大道芸人宙飛んで雲の峰 眞理子 行く船の艫に日傘がひとつ咲く 荘吉 褐色のコンビナートの暑さかな 光子 やるせなき程でもなくて海月かな 美紀 サイダーにうす蒼き街映るなり 光子 海光へデッキを跨ぐあつぱつぱ はるか 桟橋を黒く濡らして夏の海 和子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月5日
さくら花鳥句会 栗林眞知子選 特選句
波立てず越前海岸夏に入る 紀子 紅の衣の神主や夏祭り みえこ 先を行く御御足白し薄暑かな 登美子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月6日
立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
吊り橋に渓流を聞き河鹿聴き 越堂 乱雑が薄暑を留めてゐる書斎 越堂 卯浪寄す虚子も曽遊の荒磯道 越堂 古民家の一歩に夏炉焚く匂ひ 越堂 渓流のきらめき山女釣れたらし 越堂 更衣女子高生の脚長く 世詩明 母の日や母飴色の鯨尺 世詩明 壊れたる舟も祓は海開き ただし 一と仕事毎の一服麦の秋 清女 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月7日
うづら三日の月六月句会 坊城俊樹選 特選句
つばくらめ今年も酒屋高天井 柏葉 走り梅雨我を見送る子の傘に 由季子 明易き語るは尽きぬはらからに 都 蛍に闇を戻して帰りけり 都 県民会館花鳥句会(六月) 一筋の水尾くねらせて泳ぐ蛇 越堂 唇を紫にしてさくらんぼ 千代子 せせらぎを源氏蛍の闇焦し 千代子 瀬音さへかき消されゆく行々子 雪子 首据の大石とあり栗の花 天空 夏のれんはらりと若き女将かな 雪子 夏鴨や猫の本性あやまたず 数幸 黄昏の包みきれざる白牡丹 越堂 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月9日
北潟湖畔花菖蒲俳句會 坊城俊樹選 特選句
八ツ橋に八ツ橋の音花菖蒲 雪 菖蒲園より潟に出る舟着場 匠 潟風といふ薫風に聴く鳥語 嘉子 行々子なりをひそめてゐる湖畔 清女 花菖蒲あの世この世の紫紺かな 松陰 業平の心に巡る菖蒲苑 越堂 北潟の姐御より��ふ花菖蒲 よみ子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月9日
桝形句会 栗林圭魚選 特選句
紫陽花に思案の鋏鳴らす朝 三無 打つ草矢草にもどりて消えゆけり 三無 紫陽花の濃きも薄きも今日の色 百合子 洗はれて梅雨晴の句碑艶やかに 百合子 雨の香の路地に留まり梅雨に入る 恭子 坂がかる石仏の径竹落葉 百合子 泰山木咲いて寺苑の要たり 百合子 飼猫の九つとなり梅雨に入る 恭子 梅雨晴間縁の人に出合ふ句碑 百合子 夕まぐれ草矢放てば鐘の鳴る 白陶 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月11日
武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
人に皺菖蒲の花に縮れかな ミチ子 蛍火のみそひともじを闇に描く 越堂 美術展ひとり出て来る白日傘 昭女 藤の花たれて仏閣一切空 ただし 門川の闇を湿らせ蛍飛ぶ みす枝 教室は白一色に更衣 英美子 四阿と云へば四阿花菖蒲 雪 ラムネ飲む少年三人空仰ぐ ただし 青蘆に打ち寄せてゐる波の音 雪 夕風に煽られ栗の花騒ぐ 昭子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月11日
なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
揺らぐ草揺らぐ川面に川蜻蛉 三無 アイリスやそれぞれに降る雨の色 有有 短夜や逢ひたき人はただ一人 貴薫 明易やホテルの聖書触れてみる あき子 おはぐろの青き水面に遊びをり ます江 溝川の小暗く羽黒蜻蛉かな 和魚 花瓶の香淀むテーブル明易し 秋尚 虹色に翅透けてゐて川蜻蛉 貴薫 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月11日
鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
奥津城の青葉の陰に人祈る 俊子 裏返るオールの波は夏鴨へ 都 主宰来しあの日あの時ほたる狩り 幸子 十薬よ良き香賜へと願はずや 佐代子 蚕豆の莢剥く爺のお手伝ひ 幹也 梅雨の海浚渫船へ凪ぎ渡り 和子 立葵四方の授業を聞いてをり 栄子 帰路もなほ茅花流しに手を振つて 悦子 闇の気を折りつゝ鳴くや時鳥 史子 町医者の庭のオリーブ花少し 益恵 夕暮の代田の畦に乳母車 立子 手を振りし友の名忘れアマリリス すみ子 百年の軒に玉葱吊りにけり 美智子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月12日
萩花鳥句会
リハビリと俳句三昧梅雨に入る 祐子 十薬や花瓶にあれば楚楚として 美恵子 歴史劇シンガポールの六一二 健雄 十薬の花に蝶虫より付かず 圭三
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平成30年6月16日
伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
父の日や天魚の宿の釣り堀に ただし 父の日の生涯軍人たる誇り 八重 父の日や生涯愛馬へ鍬振らず 八重 蛍狩りみんなやすしき声となり みす枝 マニキュアを塗りて生涯草を引く みす枝 古書匂ふ部屋そのままに父の日よ 阿希 日は没し植田を映す街明り 賢一 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月17日
風月句会 坊城俊樹選 特選句
穴出づる大蟻地より湧く小蟻 千種 あめんぼの池の起伏を知らざりし 圭魚 噴水の中に少年の逆立ち 斉 父の日や空に屹立肩車 ゆう子 紫陽花に彩を移して逝きし人 三無 大蟻にしては小さき餌を担ぎ 斉 法務局跡の幾年姫女菀 眞知子 (順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
穴出づる大蟻地より湧く小蟻 千種 小康の便り届きて合歓の花 眞理子 父の日や空に屹立肩車 ゆう子 森わたる風淡淡と合歓の花 芙佐子 牢固たる地下要塞に蟻帰る 佑天 もぢずりと分かる一花の開き初む 秋尚 小さき指含み眠る子柿の花 亜栄子 青黛の刀自のゑがほや濃あぢさゐ 幸風 梢重く垂れ青胡桃三つ四つ 芙佐子 青萩や首を接ぎある六地蔵 千種 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月20日
福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
この路地に虹屋跡あり蚊喰鳥 越堂 黒南風やずしりと重き海の色 越堂 蛍追ふこぼれて水の灯りかな 嘉子 黒南風の新刊本をめくり過ぐ 昭子 手鏡を駆使して梳けり梅雨の髪 清女 脱皮して今や蛍の恋火花 数幸 兄とよく蛍とりしはこのあたり 美代 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月22日
鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
蛍を手の窪に受く手は白磁 世詩明 人は皆素顔のままに日焼せし 世詩明 髪洗ふ昨日の事は考へず 雪 梅雨工房時計の修理灯を低く みす枝 空と地の相寄る間蛍の液 信子 蛍火の飛び星空に紛れけり 越堂 お東の鏡を間遠に葱坊主 一涓 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月24日
花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
黒南風の時だけ回る風見鶏 みもざ 街路樹の六月白き花匂ふ 和子 雨昏む空へうなだれ日車草 芙佐子 新樹らはかつて我楽多市だつた みもざ あをあをと毬栗頭五月晴 光子 雨傘手に白靴ちよつとだけ淋し みもざ 二の丸のおろそかならぬ茂かな 千種 (順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
神池の竹の結界捩り花 梓渕 蟻地獄崩し少年去りにけり 炳子 木の香あり梅雨湿りしてゐる門に 光子 咲き登り天を極めし花葵 清流 淡々と引き揚げ話梅雨晴間 慶月 ひと震ひしてあぢさゐの雨の犬 光子 糸蜻蛉水を掠めて影となる ゆう子 雨上り山梔子の香の籠る径 政江 紫陽花���青はづませて飛ぶ雀 政江 梔子咲く戦跡の石雨に濡れ 秋尚 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月28日
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
無口なる袖にしのびぬ恋蛍 古賀睦子 月赤く残れる山河茂り合ひ 朝子 母許の杏子熟るまま落つるまま 阿佐美 全て去り白毫だけが五月闇 勝利 露涼し円空仏に母の笑み 佐和 日を貰ひ甘きを零し杏の実 さえこ 緑蔭に仮面脱ぎたる人ばかり 美穂 ほのぼのと尻より染まりゆく杏子 豊子 水中花水を命と思ひしか さえこ 存へて毛虫焼くことくりかへす 古賀睦子 籠の鳥英彦に放せり夏来る 佐和 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年6月
花鳥さざれ会
かりがねの下を三国の行商女 龍聲 囀りを身に降りかぶり山に入る 希 炎天と云ふ大いなる器かな 龍聲 九頭竜の濁りを横に麦の秋 松陰 松蟬や森閑として一精舎 越堂 葉桜や後姿の観世音 雪
平成30年5月11日
芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
指のとげ小さく疼く薔薇剪りて 孝子 草笛の音色は高く風を切る 孝子 マンガ本どれも拾円子供の日 孝子 草笛やこの子天才かも知れぬ 孝子 (順不同 特選句のみ掲載)
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平成30年5月26日
札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
枝川は鴨々川てふ鯉涼し 清 炭酸をしづかにそそぐ薄暑かな 清 母の日の夜空に若き母がゐて 修子 (順不同 特選句のみ掲載)
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