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#麿赤児
eyeodyssey · 2 years
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Fairly recently I got my hands on a set of interesting flyers that are adjacent to my current interest in early guro media and Japanese surrealism. I scanned both flyers in, front and back. This one is the flyer for an event that was called Maro Akaji’s Panorama Museum (麿赤児のパノラマ怪奇館). I couldn't find that much information on the event, only a few tweets exist that describe it as being a haunted house-styled performance from 1992 that featured music by John Zorn. Akaji Maro was a butoh performer who alongside directing his own theater productions also acted in films like Shinya Tsukamoto's Gemini, so it's likely that the event would've been in some way or another styled after butoh. I'm assuming that the title is an allusion to the 1926 Edogawa Ranpo novel The Strange Tale of Panorama Island. The affiliation would be fitting since outside of Maruo’s own recent adaption of the story, the most well-known retelling of Panorama Island was Teruo Ishii’s Horrors Of Malformed Men, which prominently featured butoh actors with Tatsumi Hijikata acting as the film’s main antagonist.
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anamon-book · 2 years
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アサヒグラフ 1993年4月23日号 朝日新聞社 黒澤明 監督生活五十年/カラー特集「舞踏の現在」麿赤児・大野一雄
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yotchan-blog · 5 months
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2024/5/5 17:01:07現在のニュース
Google訴訟、独占は「競争の結果」か 夏にも判決 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 16:58:16) 韓国の15歳・李暁松、史上最年少で初V 女子ゴルフ・サロンパス杯(毎日新聞, 2024/5/5 16:52:20) 「妻を殺した」と通報した自称75歳の男を逮捕 静岡県伊東市(朝日新聞, 2024/5/5 16:48:11) 「金利ある世界」に備え…金融業界で人材獲得競争激化 大和証券はデータ部門増員([B!]産経新聞, 2024/5/5 16:45:44) 上か?下か?回転か?「かき混ぜ」機能でバトル 〝電気調理鍋〟戦国時代([B!]産経新聞, 2024/5/5 16:45:44) 「ゆっくり眠ってくれ」唐十郎さん死去で麿赤児さんが談話([B!]産経新聞, 2024/5/5 16:45:44) 大阪桐蔭、選抜からスタメンを大幅変更 西谷監督「競争している」(朝日新聞, 2024/5/5 16:40:36) ダライ・ラマ後継問題 高僧、東京で講演 中国の介入拒否を強調(毎日新聞, 2024/5/5 16:37:29) 待ち合わせは動物園前 パパ活女性を狙った「獣医・松本」の正体 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/5 16:36:47) 宇宙1兆円基金、スタートアップへ全額補助 最大500億円 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 16:33:07)
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shihlun · 3 years
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Yosuke Yamashita Quartet
- Theme music for "Inflatable Sex Doll of the Wastelands"
1967
Piano: Yosuke Yamashita
Drum: Yoshisaburo "Sabu" Toyozumi
Saxphone: Seiichi Nakamura
Bass: Motoharu Yoshizawa
Chant: Akaji Maro
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abulingzi · 5 years
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【備忘録】 2019年3月16日に観た映画 『翔んで埼玉』 京様~ 京様~ やってくれたあ~ #翔んで埼玉 #GACKT #二階堂ふみ #伊勢谷友介 #京本政樹 #ブラザートム #麻生久美子 #島崎遥香 #麿赤児 https://www.instagram.com/p/B5r-HK1Fm1o/?igshid=1dp43enobq3u0
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xf-2 · 6 years
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憲法改正を何がなんでも阻止したい護憲派メディアは、「押しつけ憲法」というネガティブなイメージの払拭に躍起になってきた。その筆頭格・NHKは、頻繁に憲法特集番組を放送してきたが、その全ては、現行憲法を礼賛し、改憲を阻止するための世論操作を目的として作っているとしか思えない。視聴者から強制徴収した受信料を湯水のように使ってNHKが作る番組は、日本国憲法を「戦争を反省した日本人が自発的に作った」かの如く歴史修正する番組ばかり。長年、違憲状態で放置されてきた自衛隊関係者の心情や緊迫する尖閣問題、国際平和維持活動の必要性などの観点から憲法問題を考える番組は皆無である。そうしたメディアが好んで繰り返し礼賛するのが、戦後まもなく発足した「憲法研究会」。そこで日本人が作った憲法草案要綱こそ、現行憲法の原型だと喧伝しているのである。  周知の通り、日本国憲法は、マッカーサーが指示した基本原則「マッカーサー・ノート」に基づき、GHQ民政局の憲法起草チームが約1週間で草案を作成し、それを日本側とも協議・修正した上で完成した。それ故に「アメリカ製」「押しつけ憲法」と言われてきたわけだが、護憲にトチ狂った人々は、GHQが憲法研究会の草案を基にしてGHQ草案を作ったから、「日本製」だと言いたいわけだ。  憲法研究会とは、戦後、新憲法を日本人の手で作るべく、進歩的な学者、ジャーナリスト、知識人らが集まって結成した民間の団体とされている。そこで中心的に憲法草案要綱を書いたのが、マルクス主義者の憲法学者、鈴木安蔵。彼らは国民主権などを定めた自由主義的な憲法草案要綱をまとめてGHQに提出した。日本人民間人が勝手に作った草案だったはずなのに、なぜかGHQはこれを直ぐに英訳し、精査した結果、「民主的で受入れ可能」とポジティブに評価している。一方、日本政府が正式に組織した憲法問題調査委員会の松本私案は、日本を君主国と規定するもので、GHQは「極めて保守的」とバッサリ。これが災いしたのか、憲法改正担当だった松本烝治大臣は、その後、公職追放されてしまう始末。日本政府に任せられないと判断したマッカーサーは、GHQで草案を作るよう民政局に指示した。僅かな時間の中で他国の憲法草案を書く羽目になった民政局は、鈴木らの憲法草案要綱だけでなく、アメリカ憲法やソ連憲法、ワイマール憲法など、世界中の憲法を参考にして、泥縄式に草案を仕上げたのだった。
なぜ、鈴木安蔵は、政府からの委託を受けたわけでもないのに憲法草案を書こうと思い立ったのか? 実は終戦直後、GHQの高官がジープに乗って鈴木の自宅を訪問しているのだ。カナダ外務省からGHQに出向していたハーバート・ノーマン(Egerton Herbert Norman)である。ノーマンは、牧師の息子で日本生まれの日本育ち。日本史研究の専門家であり、鈴木とは戦前、明治史研究会で知り合った。隠れ共産主義者だったノーマンは、鈴木に大日本帝国憲法の問題点を指摘し、民主的な新憲法を起草するよう強く勧めたとされている。新憲法制定は、GHQにとって喫緊の課題であり、マッカーサー自身も元首相の近衛文麿に別途要請していたが、日本の守旧勢力を憎悪するノーマンは、近衛の戦争犯罪を糾弾する報告書を書き、戦犯に指定させることで近衛ルートを潰すのにも一役買っている。
 NHKの憲法特集番組では、ノーマンの存在や役割を完全に省いてしまっているものが多い。上に掲示したETV特集では、ノーマンを登場させているものの、「日本近代史研究家で外交官」とだけしか説明しておらず、共産主義者であったことや、後に悲惨な運命をたどる話などは完全に省かれている。制作統括の塩田純は、ETVで左翼的な番組ばかり作っているディレクター。知らないはずがない。全てを知った上で、敢えて視聴者を騙す番組を作っているのだろう。下で紹介する映画では、鈴木とノーマンの再会シーンを更に美化して描いている。  GHQ職員がジープで突然現れるエピソードには既視感を感じる。優生保護法が成立した背景でも���全く同じような光景が繰り広げられていた。戦前の日本による対外侵略の原因が多産にあると考えていたGHQは、人口増加に歯止めをかけなければ、将来また、膨張主義が復活する、と危惧していた。そこで、戦前に産児制限の普及運動に取り組んだ加藤シヅエに目をつけ、GHQ民間情報教育局の二世職員が加藤の自宅をジープで訪問。国会議員に立候補するよう強く説得した。産児制限を認める法案を日本人女性議員に提出させ、中絶を事実上合法化する優生保護法を日本人自身の意思で法制化した、ということにするためである。(出典:『日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉』)  優生保護法と日本国憲法成立の共通点は、中絶と戦争放棄という、当時のアメリカでは絶対に制定不可能なルールを日本人に押し付ける際に、「命令」ではなく「自発的な制定」を偽装したことにある。GHQによる命令や強制は、「日本国国民が自由に表明した意志」を尊重せよ、というポツダム宣言第十二項に違反するのである。だから、発案は目をつけた左翼日本人にやらせる。それを可決する際には、天皇の戦争責任や早期独立の可否をちらつかせて政府や議会に圧力をかけるという手法を使ったのであろう。ノーマンと鈴木安蔵には、二つの共通点があった。キリスト教徒で共産主義者。鈴木もまた、クリスチャンの両親に育てられ、青年期になってマルクス主義にかぶれていった(出典:日本の憲法・人権思想にキリスト教の影響)。ノーマンのハーバード大時代の親友で、後に一橋大の学長になる都留重人もキリスト教徒で共産主義者。終戦後、来日したノーマンを早速、鈴木の自宅に連れて行ったのは、他ならぬ都留だったのである。敗戦直後の混乱した状況を利用して、左翼的な憲法を作るべく、キリスト教徒で共産主義者の人脈が機能していたわけだ。ノーマンと都留は、20万人に及ぶ公職追放の人選にも関与しており、一種の「敗戦革命」を企んでいたと思われる。彼らの「革命」は、冷戦の激化とアメリカの対日政策大転換、所謂「逆コース」によって頓挫することになる。
 マッカーシーによって始められた赤狩りがアメリカで吹き荒れ、ノーマンにも共産スパイの嫌疑がかけられると、ノーマンの後ろ盾だったカナダのピアソン外相はノーマンを庇い続け、アメリカと対立することになる。FBIはノーマンの友人だった都留を尋問し、共産主義者であったことを自白させる。それで窮地に追い込まれたノーマンは、赴任先のエジプトで自殺した。日米戦争の切っ掛けになったハル・ノートを書いた財務省次官捕・ハリー・ホワイトも、共産スパイの嫌疑をかけられて自殺しているが、後に、ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルの公開によって、スパイだったことが確定している。だが、ノーマンの場合、ファイルに名前が登場しなかったため、未だに真相は藪の中。赤狩りで最大の標的となった反日活動家・オーウェン・ラティモアもファイルに登場しない。このラティモアこそ、ノーマンをGHQに推薦した張本人である。ノーマンとラティモアは、コミンテルンが牛耳っていたNGOの反日団体「太平洋問題調査会」で繋がっていた(【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍)。ノーマンは、ケンブリッジ大学留学中、ソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」に加わっていたという情報もあるが(【参考】ノーマンと『戦後レジーム』―近代日本を暗黒に染め上げた黒幕)、カナダ政府は、未だにノーマンのスパイ説を頑なに否定している。ノーマンがクロだと、ノーベル平和賞を受賞し「カナダで最も偉大な首相」と評されるピアソンの素性まで疑われるからだ。
 鈴木安蔵の憲法草案要綱は、国民主権を規定するなど、確かに自由主義的であったが、GHQがどこまでそれを参考にしたかは判然としない。GHQ民政局に鈴木案を参考にするようノーマンが根回しをしたと鈴木自身が証言しているが、GHQは合衆国憲法やソ連憲法など、他国の憲法も参考にしてゴチャマゼに取り入れているので、鈴木らの草案は参考資料の一つに過ぎなかった。そもそも、肝心なものが欠けている。憲法9条に相当する戦争放棄、戦力不保持の規定が無かったのである。キリスト教的人道主義やマルクス主義の観点から発案しても、「戦力不保持」というラディカルな発想は出てこなかった。
 では、9条はどこから来たのか? マッカーサーが明示した「マッカーサー・ノート」であり、敗戦国・日本を二度と軍事大国にさせないための懲罰的色彩が濃厚だった。だが、この点でも護憲派左翼は、もっともらしい言い訳を用意している。幣原首相がマッカーサーと会見した時、幣原の方から戦争放棄の考えを提案したから、「日本人が発案者」=「押し付け憲法ではない」という詭弁である。憲法を強制的に押し付けたことにしたくない当時のアメリカ側と、改憲を阻止するために「自主憲法」だったとアピールしたい今の護憲派左翼は方向性が同じであるため、それっぽいエピソードはいくらでも見つけてくることは可能だが、大局を左右するような話ではない。オーストラリアや中国など、他の連合国から天皇訴追の声が高まる中、天皇制を維持する唯一の方法は、とても民主的で平和的、かつ天皇制を残した憲法を、日本人の手でできる限り早く可決することだった。天皇の命運をチラつかせて圧力をかけるGHQに対し、占領下の日本政府はあまりに無力だったのである。憲法が制定された時期、20万人もの公職追放が強行され、衆議院議員の8割が軍国主義者のレッテルを貼られて追放された。当時の日本国民は、外国人が書いた草案を基に憲法が作られたという事実さえ全く知らされず、国民投票さえ行われなかった。こうした事実に鑑みれば、「自主的な憲法」などとても言えた代物ではないのは明らかである。『日本の憲法は我々が書いた』と発言したバイデン元副大統領は正しい。
日本国憲法制定後、冷戦の激化に伴い、GHQは対日占領政策を大転換する。自衛隊を設立し、日本を共産主義への防波堤にしようとした。岸信介らが主導して結成された自民党は、憲法改正を党是に掲げるものの、戦争の記憶が生々しく、左翼勢力が大暴れしていた時代に改憲するのは困難であった。日本国憲法を書いた主役が、キリスト教徒でマルクス主義者の鈴木安蔵であったのか、GHQ民政局の左翼的なニューディーラーたちだったのか、断定するのは困難であるが、どちらにせよ左翼が作った左翼的な憲法だからこそ、その後もずっと、左翼やキリスト教徒が既得権益として必死に守り通してきたのである。国会前で反安倍デモをやっていたシールズも、コアメンバーはキリスト教愛真高校の出身者。日本国憲法は彼らにとって、「神聖にして侵すべからざる聖典」なのである。
初稿:2018年6月12日 追記1:戦時中、二等兵だった都留重人は、戦後、ノーマンと再会した後、GHQ勤務を経て、1947年に35歳の若さで経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官待遇)に大出世している。翌年、一橋大学教授に就任。1972年に一橋大学長。恩人のノーマンが悲惨な最期を遂げたのと対照的に、順風満帆な人生を送った。退職後は、朝日新聞社論説顧問。叔父で牧師の都留仙次が院長をしていたキリスト教系の明治学院大学教授となり、国際学部を創設している。因みに、シールズの奥田愛基も牧師の息子で、キリスト教愛真高校→明治学院大学国際学部→一橋大院。 追記2:憲法研究会の実質的なトップは、鈴木安蔵ではなく、東大教授の高野岩三郎。高野は、天皇制廃止を主張していたが、鈴木は時期尚早と考えて憲法草案に入れなかった。それにノーマンは強い不満を示している。その後、高野は、GHQによる検閲を担う日本人グループの長として暗躍。1946年、戦後初のNHK会長に抜擢された。NHK東京放送会館は、GHQ民間情報教育局(CIE: Civil Information & Educational Section)が一部を接収し、放送の検閲を実施している。 追記3:公職追放された保守派学者の筆頭、慶應大学の憲法学者で枢密院議長だった清水澄は、新憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺している。遺書で『新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ』と嘆いているが、天皇制廃止を強く主張する高野岩三郎が、新憲法にも飽き足らず、別途発表した日本共和国憲法私案要綱を指すと思われる。
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leenaevilin · 7 years
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[Pics] 龍よ、狼と踊れ~Dragon,Dance with Wolves~ 草莽の死士 (ryuu yo, ookami to odore ~dragon, dance with wolves~ soumou no shishi)
visuals update under the cut^^
Cast:
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Akazawa Ryoutarou as Hajime (ハジメ)
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Taniguchi Masashi as Hijikata Toshizou (土方歳三)
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Kamakari Kenta as Takasugi Shinsaku (高杉晋作)
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Yamaguchi Daichi as Miyamoto Musashi (宮本武蔵)
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Oohira Shunya as Okita Souji (沖田総司)
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Yokota Ryuugi as Yoshida Toshimaru (吉田稔麿)
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Adachi Yuuto as Akane Taketo (赤袮武人)
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Murata Hisashi as Miyabe Teizou (宮部鼎蔵)
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Oono Miku as Onna (女)
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Mizunuma Hiroyoshi as Yagyuu Joubee (柳生十兵衛)
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Hara Yuuya as Kani Saizou (可児才蔵)
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Nagase Takahiro as Tsukahara Bokuden (塚原卜伝)
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Maeshima Ami as Fran (フラン)
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Katou Yasuhisa as Kondou Isami (近藤勇)
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Matsuzaki Fumiya as Yamanami Keisuke (山南敬介)
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Kawasumi Bishin as Toudou Heisuke (藤堂平助)
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Sawada Takurou as Nagakura Shimpachi (永倉新八)
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Taguchi Ryo as Katsuragi Iori (葛木伊織)
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Murata Youjirou as Ishikawa Goemon (石川五右衛門)
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Kanegae Kou as Sasaki Kojirou (佐々木小次郎)
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Uchikuri Uchikura as Iwakura Tomomi (岩倉具視)
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Suzuki Haruni as Thomas Glover (トーマスグラバー)
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Hagino Takashi as Sakamoto Ryouma (坂本龍馬)
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darksouljellyfish · 3 years
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開会式の感想
日本的なものをちりばめると言う方針なら、麿赤児とかを起用して、暗黒舞踏とかやるべきではなかったか。
ゲーム音楽を使うのは、世代的には嬉しいところではあるのだけど、ファミコンやスーパーファミコンの時代は遠く、大手は名義貸しみたいな形で下請けの会社にゲーム作らせるだけになったり、ファミコンから続くタイトルもスマホのゲームやソシャゲとしてしか続いていなかったりで、日本のゲーム会社で世界で勝負できている会社は少ない。あの、輝かしいファンファーレも過去の栄光のように思えてならない。
日本のゲーム会社で世界で通用するタイトルを生産し続けられているのって、任天堂とFROMSOFTWAREとCAPCOMくらいじゃないかと思うのだけど、任天堂やFROMSOFTWAREからの楽曲は無し。東京が舞台で、今流行りの多様性と言う意味では、世界各国の神々をいっしょくたにアクマよばわりして、車椅子のおっちゃんがくれた怪しいプログラムで会話したりカツアゲしたりする、真女神転生シリーズからの楽曲が無いとは何事であろうか。トールマン大使こと魔神トール戦からのICBMで東京壊滅あたりのくだりを音楽でしれっと再現するべきではなかったか。
Queenの「手をとりあって」とかも好きだから使われてたのは嬉しいんだけど、均ちゃんの仮装大賞とか、ルー大柴とか、全体的に発想が昭和なんだよなぁと言う感じがつきまとう。やっぱり昭和39年に学校の体育館に集まって小さなテレビ(場合によっては白黒)を囲んで観戦していた世代が、過去の栄光にすがる思いで作った大会なんだろうなぁ。だったら10月10日開催を死守してほしかった。10月開催だったら熱中症で搬送される人も減るし、ワクチンの供給だって追い付けたろうに。
あと、天皇陛下はやっぱりリモートからで良くなかったですか。ぶっちゃけバッハ会長ってスポーツ大会の興業主であって、成功した丹下段平みたいなもんだと思うんだけど、そんなん陛下の同列に列席しないでしょ。
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whileiamdying · 5 years
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映画の語る現実
 パァル・バックはアメリカ人であるが中国で成長して、中国の生活を小説にかく婦人作家である。彼女の作品をまだよまない人でもポール・ムニとルイゼ・ライナーが主演している「大地」は見物したであろうと思う。ひところ、あの映画もこの頃の情勢で公開されないかもしれないなどと言われていたが、ともかく観ることが出来てうれしかった。
 ずっと昔、リリアン・ギッシュが主演して大好評であった「ブロークン・ブラッサム」という映画があった。日本のタイトルは何という名であったろうか。それなどは、リリアン・ギッシュの持味として演技の落付き、重々しい美はあったがシナリオ全体としては従来の「支那街」の概念から一歩も脱していなかった。東洋のグロテスクな美、猟奇心というものが主にされていたのである。
「大地」は、バックの原作がこれまでヨーロッパ人によってかかれた「支那物語」と性質を異にした本ものである故もあり、おそらくアメリカ映画界としては初めてつくられた真面目な中国についての映画ではあるまいかと感じた。ムニも、ライナーも、力演である。芸において、彼等の人種が中国民に対して過去に抱いていた偏見を突破して、中国の農民たらんと真に努力している。彼等の俳優としてのそういう熱意が快く感じられると共に、中国の現実そのものの力が、今日国際的な関心の性質を次第に真面目な人間的なリアリスティックなものに変えつつあることを痛感したのである。
 ただ残念なことにこの「大地」もアメリカ映画特有の癖で、ハッピイ・エンドになっている。終りは大変甘い。そして、いささか下らない。原作は遙に現実の仮借なさを描いていて、王龍は蓮英を追っぱらおうなどせず阿蘭は依然として紛糾する家庭の中で王龍に先立たれて了うのである。
「大地」の監督に当ったシドニー・フランクリンは、ムニやライナーを東洋人として演じさせるためにこまかい注意を払っているのであるが、私たち東洋の眼で見ていると、折々パッと異国の花が開いたようにライナーがほかならぬアメリカの最も尖端的な表情で立ち現れる瞬間がある。例えば、南から幌馬車で王一家が再び故郷へかえって来た時、さアいよいよ家へ還ったぞ、おじさんに、かえって来たと言って来い! と息子を王が走らせようとする刹那、まだ馬車の中で赤坊を抱えている阿蘭がこっちを向きながら左肩をおとすような姿で実に目もさめるばかり華やかに笑う。その笑顔は全くそれとして、満目美と輝きをてりかえす自然なものではあるが、阿蘭は本当はああいう風な笑顔は決して持たないのである。あの笑いの瞬間に横溢する感情表現は、阿蘭の全生涯の歴史が別に書かれて来ているのでなければ阿蘭の体と顔とに現れ得ない美である。俳優としてよりむしろライナーの富、華麗、社交性、女としての日常性があすこで一閃するが如��強烈な印象を与えるのである。映画全体として、これは一つの大きい破綻のモメントである。監督フランクリンがそれに心付いていまい。そのことにもまたこの監督の身についている社会性の複雑さが語られていて感想を刺戟するところである。阿蘭が農奴として育ち農婦として大地を愛して生きる強さ、農民的な粘着力、粗野な逞しい、謂わば必死な生活力をライナーの阿蘭は全面的に活かし得ているかどうかということについても、性格というものの解釈に附随するこの映画製作者関係者一同の或る心持が反映していて興味があるのである。
 或る人が「大地」を高く評価しつつ全篇に時間的感覚の欠乏している点をあげていた。これは意味のある注意点であると思った。時間的感覚の欠乏ということは、この監督者が、王龍一家の推移の歴史性をつよく、はっきりと掴み切っていないところから生じている。事件と事件との間にはそれぞれの事件の質の推移もあるのである。そこが、くっきりと認識されていず事件から事件へと平面的にうごいている。これも些細なことのようであって、実は単なる技術上の問題につきないところに芸術と現実との歴史的な問題がかくされているのである。これ等のさまざまな問題を与えつつ「大地」はたしかに昨今の傑出した映画の一である。「大地」を製作させる今日の中国の歴史生活の意味を感じさせる作品である。近衛秀麿氏の言う如く単なる宣伝映画ではないのである。
 つづいて、私は或る機会で、文部省その他の役所の人々が集まってこしらえている「都市生活委員会」主催の「都市生活映画第一篇小学校」三巻を観た。主な監督者は飯田心美氏。委員制によってつくられた作品で、日本の小学校がどのように児童の衛生、学習のために注意を払っているかということを映画化したものであると説明された。主に映されているのは芝高輪の極めてモダーンな小学校である。飯田氏は、一ヵ年間の苦心になる作品であり、冬期は全く撮らなかったと言われた。画面は美に必要な光線が不足だからな���であろう。五月と秋晴れの一ヵ月の午前だけとられたそうだ。建物も整然、子供らも整然。整然。すべてこれ優等児製造はかくの如き文化性から生み出されるかという印象を与える雰囲気、画面の所謂芸術写真風な印画美であるが、私たち数人の観衆はこの文化映画として紹介されているもののつめたさに対して何か人間としてのむしゃくしゃが胸底に湧くのを禁じ得なかった。例えば児童の生活というものは、映画の画面の奇麗さのために工合のいい光線のある秋や五月の晴天だけに在るものだろうか? 冬の寒いとき、そして最も日本的な梅雨のふりつづくとき、撮影もしにくい光線と湿気との中で、ゴム長靴マント姿の学童たちの生活はどのように営まれているか。交通事故の防止のために市が子供らに払っている注意、子供ら自身の身につけている訓練。それらの点は何故撮されなかったのであろう。また、太陽燈浴室が現れるにつれて、児童の弁当の問題、学校で肝油配給をやり、また栄養給食について考慮している、そういう、現実的な部分が全くカメラからとりこぼされている。高輪の小学校でそれは必要ないことであったかもしれないが、日本の小学校と給食児童のこと、並に上級学校への入学試験準備居のこりの姿とは切っても切りはなせない。この映画が、現代小学校生活にふくまれている諸問題を真面目に率直に披瀝して識者の関心に訴えようとせず、画面の小奇麗さ、子供らの整然さだけに観衆の興味を限ろうとしているのは遺憾であった。
 三巻の映画を眺めて行くうちに、もっとユーモアを! もっと天然な子供らしさを! と切実な要求がたかまって来るのであった。文化映画は、皮相な意味の文化性から脱して、もっともっと真剣に現実に迫らなければならない。文化性というものも語をかえて云えば現実に対する強い深い合理的な認識への要求以外にないのである。
〔一九三七年十一月〕
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eventcast · 5 years
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この夏、“最恐のお化け屋敷”を体験せよ!法多山尊永寺紫雲閣で「呪いの契り帯」開催| 東海エリアのイベント情報サイト ナイスタイム(NICE TIME)
この夏、“最恐のお化け屋敷”を体験せよ!法多山尊永寺紫雲閣で「呪いの契り帯」開催| 東海エリアのイベント情報サイト ナイスタイム(NICE TIME)
夏休みの風物詩といえば「お化け屋敷」ですよね!2019年7月13日(土)~8月25日(日)の期間、袋井市の法多山尊永寺ではお化け屋敷「呪いの契り帯」を開催します。「呪いの契り帯」をプロデュースするのは、“お化け屋敷プロデューサー”の五味弘文さん。1992年、後楽園ゆうえんち(現在は『東京ドームシティ アトラクションズ』)初のお化け屋敷である「麿赤児のパノラマ怪奇館」を皮切りに、「いままでのお化け屋敷の中で最恐!」「めちゃくちゃ怖い!」と話題のお化け屋敷を多数プロデュースしてきました。この夏、最恐のお化け屋敷「呪いの契り帯」を体験してみませんか?…
このイベントを詳しく見る
出典:ナイスタイム(NICE TIME)
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abeya38 · 5 years
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令和元年は戦後67年
一般に、令和元年、詰まり皇紀2679年(キリスト暦2019年)が戦後74年であるといはれてゐるのだが、それは明らかな誤りである。 正しくは戦後67年だ。 これは誰も異論を挟めない客観的な事実である。 何故ならば大東亜聖戦の講和は昭和27年、皇紀2612年の4月28日に発效したからである。これが「サンフランシスコ講和條約」の発效だ。 では何故、戦後74年説が流布してゐるのだらうかを考へてみたい。 まづ一般に「終戦の日」と呼ばれる74年前の8月15日に何があつたのか? この日、「畏くも」昭和天皇による「玉音放送」がなされたのである。 その内容は、ポツダム宣言を已むなく受諾するといふ御聖断を『國内に向けて』お示しになられたものである。連合國側への通告は前日の8月14日、その調印は降伏文書によつて発效されるものであり、それは調印と同日の9月2日だ。 あれれ~?可怪しいぞ~? 國内に向けた國内系の「詔敕」のみにより、國際系の「外交文書」として認められる筈もない。 それが通るのであれば「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書(昭和16年12月8日)」といはず、國軍が進軍するといふ國内の都合だけで「開戦」が出来る事になり、真珠湾攻撃が「卑劣な騙し討ち」ではない事になる。 余談かも知れぬが、そもそも真珠湾よりもイギリス領マレー半島への上陸が先に行はれ、アメリカ軍は真珠湾攻撃の前にレーダーによる感知、更に潜水艦の撃沈をも実際に行つてをり、私としてはアメリカ國民の戦意高揚の爲にこれを意図的に利用した、要するに鬼畜な彼らの「いつもの手口」であると確信してゐる。 それこそ米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書にある通り「米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增强シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ」といふ事の証明である。 また、よく「戦中に日本がアジアの國々に迷惑を掛けた」といはれているが、イギリス領マレー、フランス領インドシナ、アメリカ領フィリピン、同領ハワイ、等々、当時のアジアには、いや世界には、列強以外でまともに独立を維持してゐた國家など存在してゐない。詰まり日本の周囲は全て英米列強に侵略支配されてゐた訣だ。 話を戻すが、一般にいふ所の戦前と戦中、そして戦後には、奇妙な「ねじれ」が生じてゐる事になる。それは國内事情であるのか、國際事情であるのかといふ事だと考へて欲しい。 下に簡単にまとめてみるが、その理解を深める爲にまづは支那事変を少し確認したい。私はあまり詳しくないので誤りがあればご指摘いただけると助かる。 2597年(昭和12年)支那事変 一般に日本による支那侵略と誤解されてゐるが当時の支那にも統一國家はなく、いはば「多國籍軍による共同管理」が行はれる紛争地帯、いくつかの軍閥がある紛争大陸であつた。三國志を想像して貰ふと良いかも知れない。 正確な例へではないが劉備軍閥(満州・中華民國の汪兆銘)は日本を後ろ盾とし、孫権軍閥(中華民國の蒋介石)はアメリカ・イギリス・ソ連を、曹操軍閥(支那共産党の毛沢東)はソ連・コミンテルンを後ろ盾とし、それぞれが後ろ盾からの支援がなければ成り立たない状態であつた。 その爲、日本と中華民國との武力紛争は宣戦布告されなかつた。これが事変といふ武力紛争でなく、戦争となれば、後ろ盾からの支援は相手には即ち敵対行爲であるから、國際法上も中立が求められた。 信じられないかも知れないが当時のアメリカでは戦争しない公約で大統領(フランクリン・ルーズベルト)が誕生してゐた程であり、中華民國として後ろ盾が中立の立場となれば立ち行かぬし、日本も孤立を避ける爲にその方が都合が良かつた訣だ。 しかし、英米蘇は破廉恥な事に援蒋ルートを通じて軍事援助を行ひ、フライングタイガースなど戦力を投入してきた。 このやうな背景があるなかで・・・。 2601年(昭和16年)「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」           「支那事変を含め大東亜戦争とする閣議決定」
2605年(昭和20年)「玉音放送」           『降伏文書(休戦協定)調印』 ※以降、講和発効まで7年間、日本はGHQによる侵略占領下にある。 2606年(昭和21年)「年頭、國運振興の詔書」(いは��る人間宣言)           『鉄のカーテン発言(冷戦の始まり)』           ?日本國憲法公布? 2612年(昭和27年)『サンフランシスコ講和條約発効』 「」が日本國内の事情、國内系であり、『』が多國間の事情、詰まり國際系である。では??はそのどちらだらうか? 一般には『日本國憲法』の制定は國内法制であるといはれるが、それは不可能であつた。 何故ならば2606年はGHQによる占領下にあり、非独立の状態であつたからだ。 憲法制定は國権の発動であり、その発議は天皇によるものでなければならない。御不例の際に摂政を置く場合にもその改正は禁じられてゐる。 そもそも、非独立の軍事占領下で、欽定憲法であれ、民定憲法であれ、國権の発動など出来る筈がない。 天皇も政府もGHQの制限下にあり、民衆は餓死せぬ爲に『闇米』を求めてをり、占領軍の暴威に怯えて、その日を生きる事に必死であつた。そこに政治的な自由や民意の反映などあらう筈がない。事実として食糧メーデーを「暴民デモ許さず」とし、ゼネストの中止命令や東宝争議への軍事介入、数多の無法がまかり通つてゐた。それが占領下といふものなのだ。 侵略占領下での、いくつかの数字や出来事を��げておかう。 ○7年の占領期間中にアメリカ兵に殺された者が2536人、傷害を負った者が3012人とある。アメリカ兵が日本人女性を襲った事件は2万件記録されている。(調達庁 資料) ○連合軍の占領下、外地および沖縄県などその他の日本本土においても夥しい暴行、殺人、強奪、レイプ事件が日常的に発生してゐた。 占領初期の一か月、神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生し、それを受けて神奈川県では女学校を閉鎖して強姦の防御に努めた。7年の占領期間中には2536件の殺人と少なくとも3万件以上の強姦事件が発生したとされてゐる。 ○私生児 強姦などにより「GIベビー」と呼ばれる占領軍兵士と日本人女性との混血児が大量に生まれる。混血児の多くは父親が誰かわからず、むろん母親からも歓迎されず、線路脇などに遺棄されたり、嬰児の遺体を電車の網棚に遺棄するなどされてゐた。 昭和23年には混血児の救済施設エリザベス・サンダースホームが設立された。同年に優生保護法が施行され、戦前は禁止されてゐた人工妊娠中絶が法的に認められた。昭和28年に厚生省が行つた調査によると、国内で4972人のGIベビーが確認されてゐる。 ○2605年(昭和20年) 8月21日 閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、同年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。 日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、占領下のアメリカ軍(侵略軍)の爲にだつた。 9月19日 緘口令 、GHQからプレスコードが発令され、占領軍の犯罪行爲の報道が日本のメディアから消えた。検閲の存在そのものにも緘口令が敷かれてゐた。米兵の凶悪犯罪は「大男」と記すことによつて検閲を免れてゐたことが、暗黙の了解となつてゐた。 ○2606年(昭和21年) 4月4日 2~300人のアメリカ兵は東京・大森の中村病院に乱入し、約100人の妊婦や看護婦らを強姦した。生まれたばかりの子供も殺害された。 5月19日 食糧を求めるデモが東京の各地で繰り広げられた。およそ25万人の民衆が皇居前に結集。「食糧メーデー」と呼ばれる大規模なデモへと発展する。民衆の食糧飢餓への批判は日本政府と天皇に向けられてゐたが、民主革命を信じる民衆にとつて想定外だつたのは「無規律な暴民デモ」とGHQが厳しい弾圧や声明で抑圧したことであつた。 11月3日 日本國憲法 公布 ○2607年(昭和22年) 1月11日、全官公庁労組共闘委員会(組合員260万)4万人が皇居前でデモ。 委員長・伊井弥四郎がゼネスト決行宣言。 1月18日 伊井、ゼネスト決行を2月1日と発表。 1月31日 マッカーサー、「二・一ゼネスト」中止命令。 伊井、NHKでスト中止を発表(後に占領政策違反で逮捕)。 2月18日 東京で22歳の女性が野犬に食ひ殺される。 5月3日 日本國憲法 施行 9月25日 枢密院議長・清水澄博士 熱海 錦が浦で投身自決。 10月11日 山口良忠判事 餓死(闇米を拒否しての自決)事件。 ○2608年(昭和23年) 8月19日『東宝争議にアメリカ軍介入』。 ~キャンプ・ドレイクのアメリカ陸軍第1騎兵師団司令官ウィリアム・チェイス少将は、カービンで武装したアメリカ軍MP150名、歩兵自動車部隊1個小隊、装甲車6両、M4中戦車3両、航空機3機を率ゐて砧撮影所を包囲した。これらの部隊は、H.F.T.ホフマン代将指揮のアメリカ軍地上部隊だつた。チェイスは航空機から指揮を執つた。 (「空には飛行機、陸には戰車、来なかつたのは軍艦だけ」とまで評された。占領政策は東宝争議を軍隊・戰車を出動させて弾圧した。2000名の予備隊・アメリカ軍一個中隊。) ・・・挙げれば切りがないのだが、詳しくは『日本占領年表』にある通りだ。 このやうな状況下で行はれた『日本國憲法』の制定とは、多國間に於ける連合國GHQによる内政干渉、日本隷従下政策、更にいへば単なる侵略支配である。要するに『日本國憲法』はその名称とは異なり、これは國際系の侵略的な『條約』である事が分かる。 また、大東亜戦争の開戦は宣戦によるものであり、これは大日本帝國憲法第十三條「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」が法的根拠である。 しかし、占領下に制定された日本國憲法には第九條『日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。』とあり、國権の発動たる戦争を放棄してゐる。交戦権がない爲にもちろん講和権もない。 あれれ~?可怪しいぞ~? 『日本國憲法』が制定されたのは講和以前の戦時中(休戦中)であり、非独立の侵略占領下である。事実、終戦と占領終了(表面上だけだが)は昭和27年の『サンフランシスコ講和條約』の発效による。 そもそも、占領下では憲法を改正・制定する事など出来ないのだが、これを無理やり「日本の憲法である!」として制定させたとして、どのやうにして講和を結ぶといふのだらうか。 例へるならば、占領下に入る時点で貴方は禁治産者とされて、後見人に「実印」を預けたとする。それが終戦、詰まり占領終了の折に「実印」を返して貰つたとして、この印影は預けたものとは大きく異なつてをり、銀行などで使へない僞物へとすり替はつてゐた。更に「自分で借りた覚へのない借金」の借用書が一緒に付いてきた。なるほどそれらの借用書には確かに預けた実印が押されてゐる。この場合、貴方ならばどうするのか? 成り済ましの実印を後生大事に抱へ続け、借りた覚へのない借金を返済し続け、これまでに随分な額を支払つてきたのだから、そろそろ返済額の見直しをしようとするのだらうか? この「見直し」といふ論調とは、詰まり「日本國憲法の改正」論である。 賢明な方は、といふよりも普通の知性を持つ人ならば、こんなものは「後見人が単なる詐欺師」であり、その実印は僞物であり、借金は無效であるといふ事実に気付く事だらう。 このやうな「あれれ~?可怪しいぞ~?」といふ疑問点や、詐欺商法へと支払ひ続けてゐる戦後日本の実態を明らかにせぬ爲に、一般には「令和元年が戦後74年」だとされてゐるのではないだらうか。 また、いはゆる左翼の主張として、彼らは基本的に革命屋なので、君主である天皇、皇統に否定的であり、天皇制廃止だなどといふ。その彼らが大東亜戦争の終戦をサンフランシスコ講和條約ではなく、昭和天皇の「終戦の詔」を以て終戦とするといふのは不可解な事である。「いや、天皇が降伏した事を喜んでそれを終戦としてゐるのではないか?」といふ人がゐたならばそれは「大東亞戰争終結ノ詔書」を知らぬのだ。そこには、 「朕ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」とあるのだ。 また、右翼とか保守とかの主張として、彼らは基本的にアホの根性無しなので、すぐに迎合する。そんなものは保守でも民族派でもない、紛ひ物だ。 その彼らがサンフランシスコ講和條約発效を「主権回復の日」とし、「終戦の詔」を終戦だとするのは不可解な事である。「いや、大東亞戰爭終結ノ詔書に『戦争終結』とあるからそれを終戦としてゐるのではないか?」といふ人がゐたならばそれは二重基準(ダブル・スタンダード)の嘘付きか、精神分裂病の気違ひである。それほどまでに天皇に重きを置くのであれば、天皇の憲法改正発議の大権を蔑ろにしてゐる事を指摘し「日本國憲法は我が國の憲法に非ず」と主張せねば可怪しいではないか。日本人として最も唾棄すべき者共である。 ・國體護持總論 http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
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himatsubushini7 · 5 years
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【もうすぐ出産】大森南朋が47歳でパパに、妻・小野ゆり子が臨月…18歳差夫婦でも話題
大森南朋 大森 南朋(おおもり なお、1972年2月19日 – )は、日本の俳優。東京都出身。アパッチ所属。身長178cm。父は俳優・舞踏家の麿赤児。兄は映画監督の大森立嗣。 1993年、映画『サザン・ウィンズ 日本編 トウキョウゲーム』[1]でデビュー。2001年、『殺し屋1』で主人公のイチを演じる。20 26キロバイト (2,934 語) – 2019年3月24日 (日) 04:15 (出典 news.tv-asahi.co.jp) いいパパになりそうだね (出典 【芸能】大森南朋が47歳でパパに、妻・小野ゆり子が臨月…18歳差夫婦でも話題) 1 湛然 ★ :2019/05/09(木) 04:21:24.66 ID:Cz3xj5EE9.net
5/9(木) 4:01 スポーツ報知 大森南朋が47歳でパパに、妻・小野ゆり子…
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xf-2 · 6 years
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憲法改正を何がなんでも阻止したい護憲派メディアは、「押しつけ憲法」というネガティブなイメージの払拭に躍起になってきた。その筆頭格・NHKは、頻繁に憲法特集番組を放送してきたが、その全ては、現行憲法を礼賛し、改憲を阻止するための世論操作を目的として作っているとしか思えない。視聴者から強制徴収した受信料を湯水のように使ってNHKが作る番組は、日本国憲法を「戦争を反省した日本人が自発的に作った」かの如く歴史修正する番組ばかり。長年、違憲状態で放置されてきた自衛隊関係者の心情や緊迫する尖閣問題、国際平和維持活動の必要性などの観点から憲法問題を考える番組は皆無である。そうしたメディアが好んで繰り返し礼賛するのが、戦後まもなく発足した「憲法研究会」。そこで日本人が作った憲法草案要綱こそ、現行憲法の原型だと喧伝しているのである。  周知の通り、日本国憲法は、マッカーサーが指示した基本原則「���ッカーサー・ノート」に基づき、GHQ民政局の憲法起草チームが約1週間で草案を作成し、それを日本側とも協議・修正した上で完成した。それ故に「アメリカ製」「押しつけ憲法」と言われてきたわけだが、護憲にトチ狂った人々は、GHQが憲法研究会の草案を基にしてGHQ草案を作ったから、「日本製」だと言いたいわけだ。  憲法研究会とは、戦後、新憲法を日本人の手で作るべく、進歩的な学者、ジャーナリスト、知識人らが集まって結成した民間の団体とされている。そこで中心的に憲法草案要綱を書いたのが、マルクス主義者の憲法学者、鈴木安蔵。彼らは国民主権などを定めた自由主義的な憲法草案要綱をまとめてGHQに提出した。日本人民間人が勝手に作った草案だったはずなのに、なぜかGHQはこれを直ぐに英訳し、精査した結果、「民主的で受入れ可能」とポジティブに評価している。一方、日本政府が正式に組織した憲法問題調査委員会の松本私案は、日本を君主国と規定するもので、GHQは「極めて保守的」とバッサリ。これが災いしたのか、憲法改正担当だった松本烝治大臣は、その後、公職追放されてしまう始末。日本政府に任せられないと判断したマッカーサーは、GHQで草案を作るよう民政局に指示した。僅かな時間の中で他国の憲法草案を書く羽目になった民政局は、鈴木らの憲法草案要綱だけでなく、アメリカ憲法やソ連憲法、ワイマール憲法など、世界中の憲法を参考にして、泥縄式に草案を仕上げたのだった。 なぜ、鈴木安蔵は、政府からの委託を受けたわけでもないのに憲法草案を書こうと思い立ったのか? 実は終戦直後、GHQの高官がジープに乗って鈴木の自宅を訪問しているのだ。カナダ外務省からGHQに出向していたハーバート・ノーマン(Egerton Herbert Norman)である。ノーマンは、牧師の息子で日本生まれの日本育ち。日本史研究の専門家であり、鈴木とは戦前、明治史研究会で知り合った。隠れ共産主義者だったノーマンは、鈴木に大日本帝国憲法の問題点を指摘し、民主的な新憲法を起草するよう強く勧めたとされている。新憲法制定は、GHQにとって喫緊の課題であり、マッカーサー自身も元首相の近衛文麿に別途要請していたが、日本の守旧勢力を憎悪するノーマンは、近衛の戦争犯罪を糾弾する報告書を書き、戦犯に指定させることで近衛ルートを潰すのにも一役買っている。 
NHKの憲法特集番組では、ノーマンの存在や役割を完全に省いてしまっているものが多い。上に掲示したETV特集では、ノーマンを登場させているものの、「日本近代史研究家で外交官」とだけしか説明しておらず、共産主義者であったことや、後に悲惨な運命をたどる話などは完全に省かれている。制作��括の塩田純は、ETVで左翼的な番組ばかり作っているディレクター。知らないはずがない。全てを知った上で、敢えて視聴者を騙す番組を作っているのだろう。下で紹介する映画では、鈴木とノーマンの再会シーンを更に美化して描いている。
GHQ職員がジープで突然現れるエピソードには既視感を感じる。優生保護法が成立した背景でも、全く同じような光景が繰り広げられていた。戦前の日本による対外侵略の原因が多産にあると考えていたGHQは、人口増加に歯止めをかけなければ、将来また、膨張主義が復活する、と危惧していた。そこで、戦前に産児制限の普及運動に取り組んだ加藤シヅエに目をつけ、GHQ民間情報教育局の二世職員が加藤の自宅をジープで訪問。国会議員に立候補するよう強く説得した。産児制限を認める法案を日本人女性議員に提出させ、中絶を事実上合法化する優生保護法を日本人自身の意思で法制化した、ということにするためである。(出典:『日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉』)  優生保護法と日本国憲法成立の共通点は、中絶と戦争放棄という、当時のアメリカでは絶対に制定不可能なルールを日本人に押し付ける際に、「命令」ではなく「自発的な制定」を偽装したことにある。GHQによる命令や強制は、「日本国国民が自由に表明した意志」を尊重せよ、というポツダム宣言第十二項に違反するのである。だから、発案は目をつけた左翼日本人にやらせる。それを可決する際には、天皇の戦争責任や早期独立の可否をちらつかせて政府や議会に圧力をかけるという手法を使ったのであろう。ノーマンと鈴木安蔵には、二つの共通点があった。キリスト教徒で共産主義者。鈴木もまた、クリスチャンの両親に育てられ、青年期になってマルクス主義にかぶれていった(出典:日本の憲法・人権思想にキリスト教の影響)。ノーマンのハーバード大時代の親友で、後に一橋大の学長になる都留重人もキリスト教徒で共産主義者。終戦後、来日したノーマンを早速、鈴木の自宅に連れて行ったのは、他ならぬ都留だったのである。敗戦直後の混乱した状況を利用して、左翼的な憲法を作るべく、キリスト教徒で共産主義者の人脈が機能していたわけだ。ノーマンと都留は、20万人に及ぶ公職追放の人選にも関与しており、一種の「敗戦革命」を企んでいたと思われる。彼らの「革命」は、冷戦の激化とアメリカの対日政策大転換、所謂「逆コース」によって頓挫することになる。
マッカーシーによって始められた赤狩りがアメリカで吹き荒れ、ノーマンにも共産スパイの嫌疑がかけられると、ノーマンの後ろ盾だったカナダのピアソン外相はノーマンを庇い続け、アメリカと対立することになる。FBIはノーマンの友人だった都留を尋問し、共産主義者であったことを自白させる。それで窮地に追い込まれたノーマンは、赴任先のエジプトで自殺した。日米戦争の切っ掛けになったハル・ノートを書いた財務省次官捕・ハリー・ホワイトも、共産スパイの嫌疑をかけられて自殺しているが、後に、ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルの公開によって、スパイだったことが確定している。だが、ノーマンの場合、ファイルに名前が登場しなかったため、未だに真相は藪の中。赤狩りで最大の標的となった反日活動家・オーウェン・ラティモアもファイルに登場しない。このラティモアこそ、ノーマンをGHQに推薦した張本人である。ノーマンとラティモアは、コミンテルンが牛耳っていたNGOの反日団体「太平洋問題調査会」で繋がっていた(【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍)。ノーマンは、ケンブリッジ大学留学中、ソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」に加わっていたという情報もあるが(【参考】ノーマンと『戦後レジーム』―近代日本を暗黒に染め上げた黒幕)、カナダ政府は、未だにノーマンのスパイ説を頑なに否定している。ノーマンがクロだと、ノーベル平和賞を受賞し「カナダで最も偉大な首相」と評されるピアソンの素性まで疑われるからだ。
 鈴木安蔵の憲法草案要綱は、国民主権を規定するなど、確かに自由主義的であったが、GHQがどこまでそれを参考にしたかは判然としない。GHQ民政局に鈴木案を参考にするようノーマンが根回しをしたと鈴木自身が証言しているが、GHQは合衆国憲法やソ連憲法など、他国の憲法も参考にしてゴチャマゼに取り入れているので、鈴木らの草案は参考資料の一つに過ぎなかった。そもそも、肝心なものが欠けている。憲法9��に相当する戦争放棄、戦力不保持の規定が無かったのである。キリスト教的人道主義やマルクス主義の観点から発案しても、「戦力不保持」というラディカルな発想は出てこなかった。
では、9条はどこから来たのか? マッカーサーが明示した「マッカーサー・ノート」であり、敗戦国・日本を二度と軍事大国にさせないための懲罰的色彩が濃厚だった。だが、この点でも護憲派左翼は、もっともらしい言い訳を用意している。幣原首相がマッカーサーと会見した時、幣原の方から戦争放棄の考えを提案したから、「日本人が発案者」=「押し付け憲法ではない」という詭弁である。憲法を強制的に押し付けたことにしたくない当時のアメリカ側と、改憲を阻止するために「自主憲法」だったとアピールしたい今の護憲派左翼は方向性が同じであるため、それっぽいエピソードはいくらでも見つけてくることは可能だが、大局を左右するような話ではない。オーストラリアや中国など、他の連合国から天皇訴追の声が高まる中、天皇制を維持する唯一の方法は、とても民主的で平和的、かつ天皇制を残した憲法を、日本人の手でできる限り早く可決することだった。天皇の命運をチラつかせて圧力をかけるGHQに対し、占領下の日本政府はあまりに無力だったのである。憲法が制定された時期、20万人もの公職追放が強行され、衆議院議員の8割が軍国主義者のレッテルを貼られて追放された。当時の日本国民は、外国人が書いた草案を基に憲法が作られたという事実さえ全く知らされず、国民投票さえ行われなかった。こうした事実に鑑みれば、「自主的な憲法」などとても言えた代物ではないのは明らかである。『日本の憲法は我々が書いた』と発言したバイデン元副大統領は正しい。
 日本国憲法制定後、冷戦の激化に伴い、GHQは対日占領政策を大転換する。自衛隊を設立し、日本を共産主義への防波堤にしようとした。岸信介らが主導して結成された自民党は、憲法改正を党是に掲げるものの、戦争の記憶が生々しく、左翼勢力が大暴れしていた時代に改憲するのは困難であった。日本国憲法を書いた主役が、キリスト教徒でマルクス主義者の鈴木安蔵であったのか、GHQ民政局の左翼的なニューディーラーたちだったのか、断定するのは困難であるが、どちらにせよ左翼が作った左翼的な憲法だからこそ、その後もずっと、左翼やキリスト教徒が既得権益として必死に守り通してきたのである。国会前で反安倍デモをやっていたシールズも、コアメンバーはキリスト教愛真高校の出身者。日本国憲法は彼らにとって、「神聖にして侵すべからざる聖典」なのである。 初稿:2018年6月12日 追記1:戦時中、二等兵だった都留重人は、戦後、ノーマンと再会した後、GHQ勤務を経て、1947年に35歳の若さで経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官待遇)に大出世している。翌年、一橋大学教授に就任。1972年に一橋大学長。恩人のノーマンが悲惨な最期を遂げたのと対照的に、順風満帆な人生を送った。退職後は、朝日新聞社論説顧問。叔父で牧師の都留仙次が院長をしていたキリスト教系の明治学院大学教授となり、国際学部を創設している。因みに、シールズの奥田愛基も牧師の息子で、キリスト教愛真高校→明治学院大学国際学部→一橋大院。 追記2:憲法研究会の実質的なトップは、鈴木安蔵ではなく、東大教授の高野岩三郎。高野は、天皇制廃止を主張していたが、鈴木は時期尚早と考えて憲法草案に入れなかった。それにノーマンは強い不満を示している。その後、高野は、GHQによる検閲を担う日本人グループの長として暗躍。1946年、戦後初のNHK会長に抜擢された。NHK東京放送会館は、GHQ民間情報教育局(CIE: Civil Information & Educational Section)が一部を接収し、放送の検閲を実施している。 追記3:公職追放された保守派学者の筆頭、慶應大学の憲法学者で枢密院議長だった清水澄は、新憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺している。遺書で『新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ』と嘆いているが、天皇制廃止を強く主張する高野岩三郎が、新憲法にも飽き足らず、別途発表した日本共和国憲法私案要綱を指すと思われる。
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katsushika-honbu · 7 years
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開園情報
お次は11月3日(金)文化の日!
我孫子国際野外美術展 祝20周年
「WA・HA・HA!」 
舞踏派ZEROとの野外パフォーマンス
PM15時~(天候状況によって中止あり)
エントランスフリー タダです!
場所:我孫子布佐下多目的広場
(我孫子国際野外美術展本部より徒歩5分)
舞踏派ZERO:
1995年 麿赤児率いる大駱駝艦出身の楠田健人と筆宝ふみえによって結成。2002年までに作品発表ご活動休止。2015年リスタートと称して5作品を発表。2016年『スープ soup 空 「zero」をかきまぜる』で舞踊批評家協会新人賞を受賞。
この作品にはかつしか動物公園のひだまなぶ氏も参加している。
我孫子国際野外美術展には2014年、2016年参加。いずれもかつしか動物公園とのコラボライブで行われ定評を得ている。
舞踏を始めた先人達の知恵を紐解きながらも、今、ここの舞踏を模索しながら創作活動に邁進中。
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anirecoposts-blog · 7 years
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牙狼 -GARO- スペシャル 白夜の魔獣 かつて白夜の魔獣と呼ばれ恐れられた最強のホラー、レギュレイスが復活した。その頃魔戒騎士である鋼牙はあるホラーとの戦いで『山刀鈴』と出会う、彼女は死んだはずの阿門法師からの伝��を届けにきたのだった。 それによれば死んだはずの邪美がまだ生きているとの事だった、鋼牙は鈴と共に魔戒の森へ向かう。 キャスト キャスト 冴島鋼牙 小西大樹 涼邑零 藤田玲 山刀翼 山本匠馬 山刀鈴 柴本優澄美 橋ゴンザ 螢雪次朗 御月カオル 肘井美佳 コダマ マーク武蔵 阿門法師の弟子・邪美 佐藤康恵 我雷法師 角替和枝 阿門法師 麿赤児 冴島りん 田代純子 冴島大河 渡辺裕之 日向 富田稔 暁 安永昇 ホラー・アオムシ こしげなみへい バラゴ 京本政樹 声の出演 魔導輪ザルバ 影山ヒロノブ 魔導具シルヴァ 折笠愛 魔導具ゴルバ 緒方賢一 ホラー・レギュレイス 広瀬正志 スーツアクター 黄金騎士・牙狼 大西雅樹 銀牙騎士・絶狼 荒川真 白夜騎士・ダン マーク武蔵 前田浩 レギュレイス 吉田瑞穂
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aruhi-morino-naka · 7 years
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20171006
10月!
横浜市民ギャラリーで「新・今日の作家展2017 キオクのかたち/キロクのかたち」を観て、TOKYO CARNAL LINKSの展示を観て、世田谷パブリックシアターで大駱駝艦「超人」を観た。
「新・今日の作家展」は瀬尾夏美さんと小森はるかさんの作品が気になったので。二人の作品を前にするといつも心が静かにざわつく。臆病だから、作品を介してしか向き合えないそんな自分にも少し落胆もするけれど。とにかく作品があって、救われる気持ちになる。
横浜市民ギャラリーのおおらかな空間での展示ってのがまた、一層なんだかよくてしんみりしてしまった。
もっと時間かけて過ごせばよかった。
TOKYO CARNAL LINKSで展示を観る。TOKYO ART BOOK FAIRってこんなに賑わうんですね。
Aokidさんがパフォーマンスで京浜島でのこと説明してくれて、1対1のパフォーマンスなんて、なんて贅沢!夏の公演の断片も大いに展示に組み込まれていて、ダンスと美術のジャンル横断なんてことでなく、どの要素もすべてが彼であり、彼の作品であり。本当に彼の作品見てると、「最高だぜ!」てキャラでもなく言いたくなる。最高だぜ!
関川さんの「鳥の数を数える」の展示もよかった。写真がどれもいい写真だったー。空間のキャッチの仕方が本当にすごい。やってることはシンプル?なのに、空間のつかみ方とその空間の強固さに、しみじみ感心する。
大駱駝艦、ようやっと観れました。タイトル通り、超人ですね。麿赤児。BUTOUということで、外国人多かった。外国人は途中飽きて?しまったのか時間が気になってるのか、何度もスマホみてたくせに、カーテンコールで指笛吹いてて、なんかマイペースでいいなあ!そんな自分なりの楽しみ方できて羨ましかった。。。
カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞に対する政府の振る舞いと、某助成金の募集要項に書かれていた「わが国」って文言にすごく引っかかっている。自分は日本生まれ、日本育ち、国籍日本。父も母も日本人。母国語は日本語(というか日本語しかしゃべれない)。でも、それでも日本は「わが国」なのだろうか。
ギリギリのところで新潮10月号買えた。「を待ちながら」の戯曲を読む。
あと、斉藤環「文学の精神批評」って積ん読になってた本、読み始めた。宮沢賢治論のアウトサイダーアートにおける批評ってのがすごく心ときめいた!
今になって気づいたけど、どうしてTOKYO ART BOOK FAIR、覗かなかったのだろう、、、
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