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思っていることを言うということ。(飲食店で働く僕の視点)
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僕たち日本人は、思っている事を大抵言えない。うちに秘めて何とか回避しようとする。なにか美学的な感じなのかそういう人が多いように思う。
僕は最初その概念が無かった。単純に考えて自分が思っている事を相手に伝えなければ分からないと思うからだ。その回避する習性に気づいたのは、職場の同僚から言われた一言だった。「僕さんは優しい。自分のことを信頼してくれてるからそんなに面と向かって言ってくれると感じている」。正直「???」だった。こんなにたくさんの人が暮らしている地球で、自分が相手に伝えなければいけない事は沢山あるはずだ。別に怒って言うわけでもなく普通に言葉で伝えてディベートすれば良いじゃないか。そうずーっと考えていて職場では人間関係がうまくいっていなかった。その同僚の一言で悟った。この世界では、やんわり伝えてあげる世界がある。
正直僕にとって意味不明だ。なんて効率が悪いんだろう。なんて、相手を信頼していない行為なんだろう。いつから僕たちはこうなってしまったんだろう。ものすごくショックであると同時に、日本で仕事をする上で1つ学んだ事でもあった。でも、僕はそれが正しい職場の人との付き合い方だとは思っていない。それが、自分本位の話なら論外だがそのお店、会社を良くしようとする気持ちから出る話ならどんどんするべきだからだ。そして、お互いの距離を近くする行為でもあるからだ。
後輩でも、上司でも、同僚も関係ない。みんなでこういう話をするべきだ。それ以前に、僕たちは何故今そこで働いているのか本当の意味を見つけなければいけない。いやその意思をまず持たなければいけない。話はそこからだ。自分はこの会社にずっといるのか、それともこの会社は自分のステップの中の1つであるのか。そこでも大きく違う。そんな事を考えていると会社をもっと良くして自分の経験も積みたい。そんな会社と自分双方にとってメリットがある考え方が自ずと出てくる。しかし、自分と会社の為だけに動く事という事は側から見るとただのごますり野郎になるだけだ。色々な人が働いている中で働いていくそれが組織だ。そして、少なからずお金の為にしか働きたくない人もいるだろう。でも、会社の売り上げがあなたのおかげで伸びたなら、あなたの給料もあがるはずだ。
自分が今いる会社に求めている事を見つける事が最初に考えなければいけないこと。
どうしても合わないならやめる。
人が作った会社で働くという事は、余程の相性が合わない限りは自分の思い通りになんか絶対にならない。だから、諦めることが自分を楽にする。
それでも、ストレスはなくならないのが現状。単価の高くない飲食店のウェイターは繁盛店であれば忙しい日で約100人以上と会話することになる。これは、避けて通れない道だ。それに加えて、オペレーション問題。少ない人数で回すお店でキャパを超えた物をメインの物として出すお店もある。はっきり言ってこれはスタッフにとってストレスだ。
社員にとってそれはほとんど割り切れるシチュエーションだが、アルバイトにはそれがない。会社の為に働くなんていう概念は無いからだ。だから、アルバイトが作っても楽で、売れて楽しいものを考えなければいけない責任がお店にある。どれだけオーナーがその手間がかかる一品が好きでも、アルバイトにはそれは理解できない。というか、最初は好きになったとしても辛い毎日を過ごすと嫌いになる。客を待たせる時間、お店は開店しているのでその間にもお客様がくる。 同時に飲み物も作る。それを同時にこなす毎日。誰だって嫌になる。それを出すのであれば、ダイナーかレストランを作るべきだろう。作る時間がしっかり取れるのであればそれはスタッフにとって楽しい物になりえるはずだ。とりあえずは、沢山の人と接する心の余裕をある程度お店側が作ってあげるべきだと思う。
「全てはお客様の為に」もうこの考え方は時代遅れだ。スタッフの事を考えて作られたお店なら、スタッフが楽しく働ける。お客様にもそれは伝わるはずだ。しっかり「働いている」という意識があるスタッフなら、その楽しい気持ちがお客様にとって「おふざけ」に見えるのではなく「好き」でその仕事をしている姿が目に入る。
その環境はお客様にとっても、雇われている人にとっても、会社にとっても居心地がいい空間になる。それが、文化も創りあげていく。
僕が大学最後の年に、働く場所を探しているとお世話になっている人にこう言われた。「僕くんが想像している場所と飲食店は違うと思うよ」
はっきり覚えている。覚悟はしていたからその時はなんとも思わなかったが、入ってみるとやはり辛かった。しかし、想像している飲食店と違うなら、なぜ想像している飲食店を作ろうとしないのだろうか。自分が良ければそれで良いという人が殆どで、それが今の飲食店の環境を体現している。
これは多分飲食店に限った話ではなくて、これからの時代は社長、上司の為に働くのではない。お客様が一番でもなく、まずはスタッフの事を一番に考えてお店作りをするのが必然的な考え方だと思う。お客様がくる前にお店を回してくれるスタッフがいないとお店は絶対に成り立たない。それが前提で、次のステップとしてお金を払ってくれるお客様が来てくれる訳だ。それに、最初会社やお店を始める人達は自分達の思いを体現しようとするはずだ。人を雇う予定なら、その思いを引き継がなければいつか崩壊する。お店で働く全員が自然に理解しやすいよう考えてコンセプトを作らなければいけない。カフェなどの小さいキャパであればなるべくシンプルにしてあげる事だ。レストラン形式になってくればもっと中身を作り込んでもいいだろう。
僕はお店に関わる全てがクリーンである事が、最高にかっこいい事だと思う。
もちろん環境についてもそう。プラスチックカップは使わない。水筒を持ってきてくれれば割り引く。なるべくゴミを出さない製品を扱っている業者を探す。それらを、食にまつわるお店が率先してやれば消費者にも伝わりやすいだろう。
それらのクリーンな環境がお店を最高にカッコ良くしてくれる。そしてそれらの事が様々な意味で持続可能な社会を作ってくれるはずだ。
僕「たち」が住みやすい星にする為には、思っていることを言うという事はとても大事な行動なのだと思う。あなたの大切な人にとっても。
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僕がデジタルウェルビーイングから学んだ事。
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そもそもデジタルウェルビーイングってなんなんだよって話ですよね。
「Digital Well Being」
Digitalはその名の通りデジタル。Well Beingは健康で安心なことを指します。幸せって事です。僕がデジタルウェルビーイングに興味を持ち始めたのには、きっかけがありました。
いつも通り電車で通勤していた僕は、電車の中でスマートフォンをいじっていました。少し疲れてスリープにして周りを見渡した時、とても奇妙に感じたんです。見渡す限りそこにいる全ての人がスマートフォンに釘付けになっていたのです。僕は、こっそり近くにいた人達の画面を見てみました。
ユーチューブを見ている人、インスタの画面をひたすらにスクロールしてこれ以上更新がないとわかっていながらずっとリロードしてる人、ツイッターをひたすらに文もたいして読みもせずこれまたひたすらにスクロールしている人、しまいには意味もなくホームの画面をずっと見ている人がいました。ホーム画面ですよ?笑
とにかく奇妙に感じました。
そして、自分を客観的に見たときに同じような事をしていた事に気が付いたんです。恐怖でした。僕はみんなが、スマートフォンに、そしてインターネットに心を蝕まれてる事を理解しました。でも、みんなはそれに気が付いてないんです。
そんな事を考えている矢先、書店に行く機会があったのでぷらーっと見ていると最近リニューアルした「WIRED」が置いてありました。その表紙は、緑豊かな自然がたくさんある場所にロボットがぽつんといて、大きく「Digital Well Being」と書いてある物でした。自然と手が伸び、ぺらぺらぺらと流してすぐレジへ行きました。そこには、僕が考えているような事がずらーっと書かれていて、めちゃめちゃ面白かったんです。それを読んで初めて、これはデジタルウェルビーイングという考え方なんだという事を知りました。
デジタルウェルビーイングは、人がデジタルテクノロジーを利用するだけで終わりではなくて、それを人がどのように利用しているかを理解して、健全に(例を挙げたような状態にならず)デジタルと向き合うという考え方なんです。
以前、僕はスマートフォンの問題と別にその考え方に似たような感覚を覚えた事があります。それは、2年前ニューヨークに旅行した時でした。基本的な移動手段は歩きで、交通機関は電車を利用していました。ニューヨークの電車は、最終目的地は書いてあるけど途中の止まる駅は改札に入ってホームの中にしか書いてなかったりして、日本と比べたらめちゃめちゃ不便でした。でも、不便なのが当たり前だから(それが不便という概念すらない人も多いと思うけど)、みんな他人に話しかけ��確認していたんです。あーなるほど。僕らにとって不便なこの場所はこうやって成り立っているんだと納得しました。
僕はそれと同時にその空間がすごく心地が良く感じました。他人が助け合う姿ほど素晴らしい光景はないですし、当人達も他人と喋らなければならない環境が日常にあれば心も自然とオープンになるからです。
では反対に、しっかり整備されたらどうなるのでしょう。便利にはなるけれども明らかに人々のコミュニケーションは減っていき、そんな場所が多くなれば多くなるほど人は内向的になっていくはずです。
日本では(特に都市)電車などの交通機関はもちろん、自動販売機、コンビニエンスストアなど便利な物が溢れていることで他人と関わらなければいけない機会が少なくなり、いつしか他人と話す楽しささえ忘れてしまう世の中になってしまっていたのです。大袈裟に感じる人も多いとは思いますが、少なからずそのような状況を自分自身は感じています。
スマートフォン以前に、そう言った交通機関や日常的に人が利用しているもの(人々の生活を便利にするなにか)によって、僕達はその便利さだけを受け入れてばかりで、その代わり失うものに気付かずに世の中を発展させてきてしまいました。その問題はデジタルだけの話では無かったという訳です。
ですから、デジタルウェルビーイングは「デジタル」だけではなくて、もはや人の生活を豊かにするために開発された「テクノロジー」全体に及ぶ考え方なんです。
とりあえず、今一度僕たちは便利になり過ぎるのを客観的に見るという事が必要で、現在の日常にあふれているテクノロジーや、それによって便利になる前の事を一度思い返す事も必要だと感じています。
僕らが住んでいる日本には、「わびさび」という文化があります。「わびさび」文化は日本に誇れるものです。わび(不足の中から豊かなものを見出す意識)、さび(時間と共に経年変化し劣化していくさま)この2つが合わさるこの言葉は「さび」を受け入れて「わび」という意識が生まれることから、作られた言葉です。
不足を豊かにするばかりではなくて、まずは不足から豊かさを見出そうとする意識も大切なのです。少しづつかもしれないけれどその意識によって日本が、いや世界中が地球で生きているものにとってより良い場所になっていくもしれません。
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Too good..... #masego #tinydeskconcert #tinydesk https://www.instagram.com/p/B0TYk_whBw8/?igshid=1s716o2vp9hty
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This is not CGI??????? Oh my....... #rivian #EV https://www.instagram.com/p/B0TVvFChet_/?igshid=7ofovskgr5mi
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Julian Opie (at Tokyo Opera City Art Gallery) https://www.instagram.com/p/B0SlYZjhcQN/?igshid=1qg3cdu8cs91g
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Appleのデザインを学んだスマートフォン達。
大学生の時に初めてiPhoneを購入してから約8年間、僕はずーっとiPhoneユーザーです。
シンプルで洗練された外見と中身。やっぱり使っていて嬉しい、楽しいと思えるのがiPhoneでした。
もちろんandroidだっていいところはあります。それは、個人で機能を使い易くカスタマイズ出来たことです。でも、OS(中身)の動きがカクカクもっさりしていた印象があったり、個人的にデザインが好みでは無かったり。 androidは基本オープンなので、誰かが開発した機能をダウンロードして、機能を拡張出来たのです。対してiOSはAppleが開発した機能しか使えません。その分第三者が開発した物はダウンロードできないのでセキュリティ面では強いという印象でした。しかし、僕は世界の才能あるハッカーが開発した拡張機能を使うことのできる、海賊版AppStore「Cydia」をiPhoneにインストールするツールを利用していました。いわゆる「jailbreak」というものを自己責任で行なっていました。
僕がiPhoneを購入した当初のOSには今僕らが当たり前に使っている、コントロールセンター(右上から下になぞると出てくる、明るさを調整したり、Wi-Fi切ったり出来るショートカット)とか、ロック画面のショートカット(ライト、カメラ)だったり、ジェスチャー機能(例えば画面下から上になぞって止めると、今開いているアプリに移動できたり消したりする機能が現れる。とか)は使えません。 でも、何年も前からjailbreakすればその機能は使えたのです。
Appleは徐々にそれらの便利な機能を公式で取り入れていきました。さらに、Appleはcydiaでリリースされていたアプリの開発者を何人も雇用したとい��話も聞いたことがあります。 僕自身、多分iOS10辺りからApple公式で機能が拡張され始めたので、jailbreakすることをやめて、そのままのiOSを使うようになりました。 そして、iPhone本体のデザインもまた洗練され「完成された」デバイスになっていきました。 だけど、いつのまにかiPhoneは僕の中で「新鮮」な気持ちを与えてくれるものでは無くなってしまったのです。「良いもの」であることは変わりないけど、使っていて楽しいとか嬉しい気持ちをいつの間にかiPhoneから感じなくなってしまいました。
今現在僕はIPhoneXを使っています。デザインはもちろん、ポートレートモードで撮れるカメラは最高だし、大きい画面は見やすいです。でも、本当に使ってる理由ってそれくらいで、今はあまり魅力は感じていません。 でも、ふと思い返してみるとiOSの便利さはいつもandroidから一歩、いや二歩くらい遅れていました。iOS12になるまで、Cydiaでリリースされていた機能が公式でも新しい機能として開発できるだけの技術を持ち合わせているはずなのに、なぜ早く便利にアップデートされないのか不思議でしょうがなかったけれど、もしかするとAppleは「未完成な美しさ」もデザインしていたのかもしれません。人は未完成のものが完璧に近付けば近付くほど、つまらなくなってしまうものです。それに加え、iPhoneは「シンプル」にこだわり過ぎて、そこから離れられることが出来ず、「新鮮さ」を失ってしまいました。 「シンプル」よりも大切なのは、私達人間にとってのスマートフォンの存在、本質を考える事が何よりも先にコンセプトとしてあるべきではないのでしょうか。
そこで今回は、僕が今魅力的に感じるiPhone以外のスマートフォンを紹介したいと思います。
まずはGoogleの「Pixcel3」です。
Pixcel3
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デザイン。 シンプルで美しいです。僕はこれかなり好みです。「google」じゃなくて「G」のみのロゴにしているところもステキです。
機能性。 カメラ。これは今現在出ているスマートフォンの中でも最高峰でしょう。画質はもちろんのことポートレートモードで一眼レフのような写真が撮れます。iPhoneにもある機能ですが、pixcelにはAIが搭載されています。なので、写真の中の人を認識して背景だけをボカすことが出来ます(iPhoneはぼかしたくないところもぼけてしまう時がある。)、さらに「夜景モード」もあって、暗闇の中写真を撮っても信じられないくらい綺麗に写すんです。また、「トップショット機能」も搭載されています。これはどんな機能かというと撮る瞬間だけでなく前後の画像も選べるので、失敗したなーと思ってもベストなタイミングの写真を後から選び直せるという訳です。それに加えて、カメラを対象に向ければ文字を認識して翻訳したり、物や植物、アートなど認識してそれが何なのか検索もできるのです。「すげー。」と思わず言ってしまいました。 そして、AIが働いてくれるのはカメラだけではありません。「call screen」という機能。これは自分が電話に出れなくても、AIが相手と勝手に会話をしてくれて、メモとして会話を残してくれます。
それぞれの機能の動画貼っておきます。
・Topshot
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・google lens
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・Group selfie cam
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シンプルで美しいデザインに、沢山の実用的な機能が詰め込まれていてかなり魅力的ですよね。
また、Pixcel3には「Digital Wellbeing」という機能が備わっています。この機能は人が「健全なデジタルとの共存」を促す為の機能です。要は、テクノロジーにコントロールされている人達を助け出す為の機能です。時間を設定しておけば、時間外はお休みモードに変化して、通知がこなくなったり、画面がモノクロに変化したりして気持ち的に切り替える事も出来ます。また、アプリごとに時間制限をかける事が出来ます。
・Digital Wellbeing
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そして極め付けにはこれ。
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僕はこれ素晴らしい機能だなと思いました。なんでもない機能というか、大したことないやんって思いました?そうです。大したことは無いんです(笑)。要は、常にオンラインのこのご時世、オフラインの時間も大切だと「気付く」為の機能だと思うんです。騙されたと思ってこの機能を使ってみると、携帯を持っていない時は今までどうしていたんだろうか。そう考えを巡らせて、いや、携帯をいじっていない時間なんて信じられない!!ってなるのか、実際にその瞬間目の前で起こっていることを堪能する時間も大切なんだなと思うのか。人それぞれだと思います。どちらにしても、そのきっかけを人に与えてくれる素晴らしい機能だと僕は思いました。
なにより、この機能をpixcel3の魅力のうちの1つとして紹介していたことが、僕は最高にイケてるなーと思った訳です。
次はクレジットカードと同じサイズのスマートフォン「palm」です。
palm
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このスマートフォンの魅力は、ずばり「クレジットカードと同じサイズ」ということです。クレジットカードサイズで本体はミニマルだけど、OSはそうでもなくて画質はかなり綺麗だし、色々なアプリだって他のスマートフォンと同じように使えます。カメラもそこそこ綺麗。そして、UIもこの小さい画面で使いやすいようにしっかり考えられているし(文字入力はフリックじゃないとやりずらいけど)、シンプルでクールです。
他のスマートフォンと変わりなく使えるんだったら、別に小さくなくても良くない?そう思った貴方。その通りです笑。でも、逆に言ってしまえばこんなに小さくたって、別に普段使いには困らないはずです。そして、この小さい画面で色々なアプリ使いたいとみなさんは思いますか?多分、思わないですよね?
このスマートフォンの役割はそういうことだと思うんです。アプリを使いたいと思わせないという事。使うときは必要最低限でいいやって僕たちに思わせてくれること。別に、タブレットなど持っていたら、家に帰ってからでも色々なアプリを楽しむのは十分でしょう。 そして、本体のデザインはカッコいいし(ほぼiPhoneXのパクリだけど)UIもカッコいい。日々持ち歩くのには、最高の相棒になってくれると思います。
一応The Vergeの動画も。
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1992年に、ジェフホーキンスらがPalm Computing社を設立してソフトウェアと、ハードウェア「Palm」を開発して携帯情報端末(PDA)として、発売していました。PDAはスマートフォンと似ていますが、少し機能は限定されていて、検索機能やメモ、スケジュール、連絡先などの登録が出来ますが、通話機能はありません。日本でも発売されていたそうです。しかし、このPDAは2008年には姿を消しました。そして最近、スマートフォンとして「Palm」は復活したのです。 「Palm」は手のひらという意味があります。その思想はスマートフォンにも受け継がれました。だから、小さな手のひらサイズなのです。
とりあえず僕はこの2つのデバイスをお勧めしましたが、2つとも共通しているところは、「スマートフォンをコントロールする」というコンセプトが備わっているという事です。
使っているのは自分達なのに、スマートフォンをコントロールするって、どういうこと?
昨日の1日を振り返ってみてください。メールをチェックするだけのはずか、気が付いたらInstagramの写真を何百枚もチェックしてる。気になっていたことを調べる為に開いたブラウザで、貴方の為にオススメされた商品が広告で出てきて余計な調べ物が増えてしまう。ツイッターを立ち上げるとずっーとスクロールしてしまう。ユーチューブや、ネットフリックスの動画視聴で1日終わってしまうなどなど。スマートフォンのアプリ開発の方達は貴方の目を釘付けにするための機能を沢山開発しています。気が付いたら、毎日使っているスマートフォンに僕達がコントロールされていたのです。
スマートフォン自体は人の可能性を広げてくれる素晴らしい物です。カメラを持ち運ばなくたって手軽に綺麗な家族写真や動画を撮れるし、勉強の教材としても使える、自分が思いついたアイディア��ペンや紙を持ち運ぶ事なく指先だけで残せて、自分が作った音楽や 動画、綺麗な写真を世界中に向けてアップロードできたり、大切な人や友達と思い出を共有することだって、たった1つのスマートフォンを持っていればこれらの事全てできてしまうのです。 でも、貴方がスマートフォンをコントロールするという「意思」を持たない限り、人生の暇な時間をほぼスマートフォンに捧げてしまうでしょう。
膨大なマーケットのシェア率を勝ち取ってきたAppleから、デザインの重要性を学び取ったスマートフォンたちが、今多く生まれています。皆さんもきっと、次に選ぶスマートフォンをどれにするか迷ってしまうでしょう。その時は選択肢に、そのデバイスが「少し自分と距離を置いてくれるようなコンセプトや��能が備わっているか」も視野に入れてみると、スマートフォンとは貴方にとってこうあるべきだと教えてくれる、最高の相棒が見つかるかもしれません。
最後に僕ががっかりしたiPhoneの広告をどうぞ。
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みんなが読んでくれる文章。僕なりの「伝える」という事。
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僕はミーハーの心をいつのまにか失いました。笑
でも、もちろん尊敬している人はいます。
SNSでみんなに向けて、本当に楽しいものはこう生まれるとか、その人が感じた世の中の矛盾の話とか、とにかく僕には納得できて価値観が広がる話をその方はよくするわけですが、そういう事を人が文章にする時って、どうしても言葉を選びすぎて知的というか、堅苦しいというか、難しい文章になってしまうんです。
僕もそうです。何回か文章を書いて経験したことですが、全然面白くないというか、カッコつけてまぁ堅苦しくなってしまいがちです。その何がいけないかというと、文章が魅せる力が限られた人や世代に対してしか力を発揮しないで、「平等」に惹きつける力を失ってしまうからです。僕も気を付けなければいけない事ですが、もっと言葉をポップにしても内容が濃いものは書けると思うんです。
例えば村上春樹さんがいい事を言っている言葉や文章って、それを求めている人にしか響かないからです。そんな言葉や文章があってもいいし、それがいい悪いと言う話ではなく、僕は文章が色んな世代の頭にまずはすんなり入って欲しい。そう思うわけです。
世界中のどの時代だって世代交代があるわけで、世の中を創り出していくのはいつだって若い世代なんです。人によって文章を書く目標は違うけど、僕はできるだけ若い人達に読んでほしい。
その感覚が生まれたのは、iPhoneのおかげかもしれません。パソコンとか、まぁひと昔の前の携帯もそうだけど使い方がすぐ分からない、複雑なので使いこなすまでが大変です。しかし、iosはシンプルで感覚的に使いこなせるものでした。
シンプルで感覚的。
それってものすごく大切なことだと思うんです。だって、皆んなに平等だからです。若い方も年配の方も関係ない。年齢は問いません。そのシンプルの中にさらに洗練されたデザインがある。そしてそのセンスを無意識に吸収した人達は、そこに個性を付け足して、素晴らしい事やものを知らぬ間に生み出していきます。人の手に渡る物の中でそれ以上素晴らしい物ってあるのでしょうか。
シンプルで感覚的な物。それは決して一番の頂点の「最高」の物ではないわけです。それが基準でそこからさらに素晴らしい物が生まれていくんです。
だから僕も「答え」ではなく、「きっかけ」を提供出来るようになりたいのです。
自分もまた再スタート。
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大いなる力には大いなる責任が伴う。
漫画の世界には、色々なヒーローがいます。人間、宇宙人、男性、女性、白人、黒人、パン......。とにかく沢山いるわけです。もちろん、ネタとしてという理由もあるでしょう。でも、なんでそんなに沢山ヒーローが必要なんでしょうか?必要ってことはないでしょうけど、単純に気になりました。 この世に人工的に作られた物は、もちろん人間が生み出したものです。そして、それらを造った人達も知らないうちに何かに影響されて生きています。もちろん、その「漫画の中のヒーロー」だって誰かが何かに影響されて生み出されたものなのです。目からビームを出したり、ビルを登ったり、空を飛んでみたりは出来ないけれど、フィクションではなくノンフィクションとして見てみると僕たちの周りには沢山のヒーローがいます。 誰かが誰かのヒーローなのです。 例えば尊敬している人がいたとします。その方から少なからず貴方が生きているうえで、影響をうけているはずです。その人の喋り方、仕草、思想何かしら自分が気づかぬうちに、その人を真似ようとしているはずです。そして、尊敬している人に期待して信頼を寄せるはずです。 この世界には沢山のヒーローが実在している事に僕は気がつきました。自分にとって新鮮な何かを与えてくれて、尊敬出来る存在であればどんなひと、いや、物であってもヒーローになれるのです。人種が違うかもしれません、貴方より年下かもしれません、部活の先輩かもしれないし、人ではないかもしれない、動物じゃないかもしれない。だから、漫画の世界には沢山の種類のヒーローがいます。そして、ヒーローは、大きな力を持つ代償として人を導く立場に描かれています。 題名の「大いなる力には大いなる責任が伴う」これは、聞いた瞬間からずーっと僕が覚えている言葉で、『スパイダーマン』に登場する主人公ピーターパーカーの叔父、ベンおじさんが言ったセリフです。シンプルだけどかなり深い言葉です。 誰もが誰かのヒーローになり得るという事は、誰もが大いなる力を手にする可能性があるという事です。特に何かを発信する立場に立つ「人間」はこの重要性を理解しなければいけません。自分の何かを発信することによって、少なからずそれを目にした人が影響を受ける可能性があるからです。特にSNSを使って誰でもどこでも手軽に発信する事が可能なこの時代に、それを忘れてはいけないと思うのです。 ニュースで「不登校の自由」を訴える10歳のYoutuberを知りました。この子自身の考えは素晴らしいと思いました。自身も学校は特に行く必要はないと思うからです。学校は可能性を子供に与える場所であるはずなのに、勘違いしている教員が自分の価値観を押し付けたり、子供が自由に考え答えを見つけ出す為に背中を押してあげる事を第1とせず、縛り付けてしまっている所が多いと感じているからです。但し、行くメリット、デメリットを自分なりに考え抜いた末の決断の話ならという話です。なぜなら、仕事はともかく義務教育の期間は自分の力だけで成り立つ時間では決してないからです。親がいない子供は自分の力で学校に行く事が出来ません。友達との思い出も作れません。色々な事を天秤にかけて、それでも自分がやりたい事があるのなら学校なんて行く必要はないのです。 その子が気が付かなければいけないことは、無意味に登校拒否する子供が増えてしまう可能性がある。という事です。自身が発信する立場になるという事はそういった責任を負わなければいけないのです。 世の中に失敗している大人達が残した物が沢山あるから、僕たちはそこから学びとらなければいけません。
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RIVIAN
人生は短いとか、人生は冒険だとか今までの自分にとっては響かない言葉でした。 僕は地方から上京して約10年経ちます。東京というこの狭い場所に人がとにかく沢山いて、自分の為に使う時間が無いんじゃないかと思うくらい、他人の為に時間を使っている錯覚に陥っていきます。そして、明らかに歳を重ねるごとに自分の中を時間が流れるスピードも速くなって来ています。 いつから1日はこんなに短くなったんだろう。 正直僕は焦りました。毎日混み合う電車に乗り込みこんなにクタクタになりながら、自分の為に使う(もちろん家族の為にも)時間が無いまま毎日が過ぎていくのだろうかと。自分が幼い頃にはそばにいてくれたはずの「自分の時間」はいつのまにか遠くにいて、大人になると寄り添ってはくれず、流れる時間の中から自ら連れて来なければいけなくなっていました。そこで、ようやく響かなかった2つの言葉がしっくり来ました。この調子だと人生はあっという間だし、出来る限り自分が知らない素晴らしい場所へ行ってみたい、色々な人や物も知りたいと強く思いました。そして、遠くへ行ってしまった「自分の時間」を出来るだけ取り返し、自分自身が知らない世界をたくさん知る為、そして伝える為に、まず僕は日本一周の旅を計画しています。 今回は「Life is journey」がスローガンのあなたにぴったりの電気自動車を紹介したいと思います。 「TESLA」は記事に何回も登場していて、皆さんもご存知かと思います。電車自動車をきっかけにインフラを作る会社です。テクノロジーもデザインも抜群に長けています。めちゃめちゃ尊敬していますし、これからも応援したい会社です。しかし、僕にとって1つ欠けている要素があります。それは「アクティビティ」です。 なぜ、「アクティビティ」という要素が大切なのか。これから更に進化していくであろう、AIが制御する自動運転技術が搭載されているEVが普及していくことによって、どの様な事が起こるか想像してみてください。便利な技術に依存して、人の探求心や行動力などが減っていってしまうのではないでしょうか。なぜなら、僕もそうですが多くの人は楽な方を選んでしまうからです。人の可能性を広げるはずの便利な物が普及する事によって、逆に人が退化してしまう可能性を高めてしまうかもしれない。革新的な技術で人々の生活を変えていく会社は、生活がより便利になった体験のその先まで提案しなければならないのではないでしょうか。 人々が外に出て世界を冒険することからインスパイアされてEVを造り上げている、アメリカのミッシガンに拠点を置いている会社があります。それが「RIVIAN」です。2009年に設立され約10年の時を経て、去年の「LA Auto Show」で注目されました。その場で発表したのは2種類の車両、「R1T」ピックアップトラックと、「R1S」SUVです。
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洗練されたシンプルなデザインが、未来と現代の雰囲気を上手く両立させていて、実用的な要素が落とし込まれている最高にカッコいいEVです。 国土の広いアメリカでは近隣にスーパーなどが無い家庭も多く、週末に大量に買い込むのが主流なことや、アウトドアを楽しんだりDIYの文化もあることから、ピックアップトラックは荷物も大量に詰む事が出来て道路の広さなどからとてもマッチしているのです。実際に需要を見込んだamazonとfordが「RIVIAN」に多額の出資をしています。amazonは輸送手段として、Fordは自身も製造しているピックアップトラックのEVプラットフォーム共有という観点から出資を決めたのでしょう。既に何か大きな問題を起こさなければ、未来が約束されている会社なのです。 さらに、今度テスラのソフトウェアアップデートでリリースする事が発表された、緊急時のみ人の判断を必要とする「全自動運転」のAuto Pilot Level3が「RIVIAN」の車両にも搭載される予定です。その技術を実際に日常の中で使う事が出来れば、例えば家族や仲間とキャンプに行く道の途中、運転だけに集中する事なく景色や会話も楽しむ事が出来ます。さらに、「RIVIAN」はモーターを4つ備えている為200馬力を全ての車輪で発揮し、悪路の走破性も備わっている。そして、テスラでおなじみのフランク(フロントのトランク)も備わっていて、エンジンが必要ない分ガソリン車と比べ物にならないくらない積載性もばっちりです。まさに冒険や自然を深くまで楽しみたい人にとってぴったりなEVというわけです。 僕は人が退化してしまう可能性を提唱しましたが、探究心や行動力と言った話だけでなく、便利なものだけど人工的なものばかりの中で生活していくと、無意識のうちにストレスが蓄積されてしまう可能性も高くなるのです。僕自身都内へ働きに出るようになってから、しばらくの間ストレスを感じ続けていた事に最近になってようやく気が付きました。 そのきっかけになったのは、ふとした瞬間でした。「あれ?今日はなんか気分がいい」。なにか懐かしい感じでした。小さい頃に海の中に潜って感じたあの心地よさの様な、心がすーっと落ち着く感じです。周りを見てみると緑と気持ち良い風がありました。 都内で働く事だけに時間を費やす人は、便利な物が周りに溢れかえっているけど、ほぼほぼ人工的な物と接するだけで一日が終わってしまいます。客観的に自分を見つめ直してみると、知らず知らずの間ストレスが溜まり続けていたのです。やはり、人は自然と共存する術を考えて行かなければいけないのではないのでしょうか。 EVという存在は共存出来ると思うのです。発電さえ見直す機会が増えていけば、ガソリン車で自然の中へ繰り出すより、後ろめたいものなんてなにも無いわけです。環境も破壊せず、人の手を必要としない高度な自動運転技術が与えられている事により、運転に集中していた時間が少なくなり気持ちの余裕が増える。そして、新しい発見もあるかもしれません。 それを僕に気付かせてくれたのは「RIVIAN」でした。 テスラがインフラを作る会社なら、「RIVIAN」はEVを通じて人と自然が共存する為のきっかけを作る会社なのです。
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EVは未来を走る。
僕は車が大好きだ。 自分が幼い頃、父親が乗っていた深緑色のjeepチェロキー。今でも鮮明に覚えているのは無骨だけれどスタイリッシュな洗練されたデザインと、車高の少し高い景色が当時の僕をたまらなくワクワクさせてくれていたこと。 「あの車に乗って次の休みにどこに行こうか。」そう思わせてくれる車の存在を僕は知っています。 車の要点は技術とデザインのシンプルに二つ。僕たちの生活に溢れているほとんどの物には、技術にデザインが落とし込まれて人の元へ届けられています。その物自体にデザインがあることによって愛着が湧き、自然と生活の中で使いたくなります。それが、デザインの大切な役割です。 ですから、車が持っている役割は交通手段や、輸送の手段の可能性を広げるだけではありません。人の行動する意欲も高めてくれる力も秘めているのです。 内燃機関で車を走らせる技術は、ダイムラー社メルセデスベンツの生みの親、カールベンツさんによって1886年に世界で始めてガソリン車の特許を認められ、馬が必要ない車がこの世に普及し約100年その歴史は続いています。 しかし、世界では100年以上も続く歴史が大きく変わろうとしています。そのトリガーになっているのが「EV」という存在です。 僕は前に記事にした、BMWi3がきっかけで、EVを深く知る事になりました。しかしなぜ、EV市場が世界で加速し始めたのか、単純に気になりました。 そこには「車」という枠だけには収まらない理由がありました。 EVが普及しつつあることによって、その動力である電力を生み出す方法を私達が見直すきっかけを作り、エネルギー社会の核である化石燃料から脱却しようとする流れを加速させています。何故ならEVは「エコ」だけど、車を動かすための電気を作る過程は、ほとんどが化石燃料を燃やして発電のする為「エコ」からは程遠いからです。 まだまだ化石燃料は無くなる事はありませんが、限りあるものなのでいつか人は化石燃料への依存から脱却しなければいけません。 イーロンマスク率いるTESLAはEVを世に普及させることで、サスティナビリティ(持続可能な社会)への加速を目標に掲げています。EVメーカーなのにも関わらず、TESLAのホームページで企業情報というトピックには「世界を持続可能なエネルギーへ」というスローガンから始まっています。自動運転機能付きのEVというめちゃめちゃ楽しい車を世に送り込んで、世界の人々を巻き込みながら持続可能な社会にする為のインフラをも作っているのです。 ですから、TESLAはその点でも他のEVメーカーと比べて唯一無二のコンセプトがありますし、もはやEVメーカーというよりもインフラを作る会社と言っても大袈裟ではないでしょう。また、エクステリア、インテリアデザインにも強いこだわりがありますし、自動運転技術をオーナー達に実際に使ってもらう事��よって得た膨大なデータを���に進歩し続けているAIもあります。 それらの事を知った時、これから変わっていくエネルギー社会や自動運転の未来の事を考えるとなんだか無性にワクワクしてしまいました。だから、日本でもEVが更に普及する事を楽しみにしていますし、自身も力にもなりたいなと考えています。 しかし、ここまで会社を急激に成長させたイーロンマスクやTESLAの社員の方々を深く尊敬していますが、僕は他にも応援したいEVメーカーがあります。この続きは次回の投稿で。 次は、テスラ車の好きなところ、新しいEVメーカーについて書いてみようと思います。 最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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自動運転技術の発展による、まだ見ぬ可能性。
私たちの生活において車は欠かせない存在です。人々は100年以上車を作り続け、その技術を発展させ生活をより豊かなものにしてきました。しかし、現代の車社会においていくつかの問題がある事も真実です。それは大気汚染、運動不足、敷地の無秩序な拡大、交通渋滞など、全て私たちにとって見逃せない問題です。
現在、世界ではEVの存在が目立ち始めています。EVはエコで低燃費な素晴らしい乗り物で、今まで人々の生活に寄り添ってきたガソリン車に取って代わる存在です。その動きによって、車社会における大気汚染問題はそう遠くはない未来に解決していくでしょう。また、充電に使われる発電に関しても、EV市場を盛り上げているTESLAはEVをきっかけに、社会が根本から化石燃料を使わず、再生可能エネルギーで全てが完結できるように爆発的なやる気で取り組んでいます。
また、運動不足という問題は、正直気持ちの問題だと僕は感じています。これから先どんなに車の技術が発展しても、人は運動する事は可能であるからです。しかし、楽な方を取ってしまうのが人間の性です。さらに、アクティビティに対して苦手意識を持っている人も沢山いるでしょう。それらを根本から変えてくれる会社や、人も僕は見えています。この二つは他の機会で詳しく触れたいと思います。
今回は自動運転技術が果たして何を変えてくれるかと言う事について考えます。
実は、自動運転技術はオートパイロット(AP)として車に搭載され日常に溢れかえっています。
APはレベルが0~5まで分かれており、
・レベル0=ドライバーが全てを操作
・レベル1=システムがステアリングを操作、加減速のどちらかをサポート(運転支援)
・レベル2=システムがステアリングを操作。加減速のどちらもサポート(運転支援)
・レベル3=特定の場所でシステムが全てを操作、緊急時はドライバーが操作(自動運転)
・レベル4=特定の場所でシステムが全てを操作(自動運転)
・レベル5=場所の限定がなくシステムが全てを操作(完全自動運転)
ドライバーを必要としない自動運転技術レベル4~5が、自律走行車(AV)です。既に、シンガポールではそのAVの普及を促す為の政策が始まっています。政府は莫大な資金を投じて、市街地を模した広大な敷地で民間企業10社と協力し、テストを行い、さらにはラッシュ時の自家用車通勤の課金制度や、自動車の人間の運転者が必要という規定も廃止し、住宅地開発においても駐車場を減らすなどして、マイカーを持つ人々に厳しい街作りを促しています。
今現在AIの技術も格段に進歩しており、道路の状況や障害物、人を識別する能力が高くかなりスムーズに走行する事が可能です。さらに、AIは走れば走るほどその成長し能力を高めていってくれます。グーグル系列のAV開発をしているウェイモは、カルフォルニア州で「人間の補助ドライバーが乗らないテスト走行」を許可された最初の会社で、アリゾナ州フェニックスなど24以上の都市で約600台ものAVバンを走らせているといいます。
人が運転しない車が実際に道を走っている時代は、既に現実に起こっているということです。
AVを導入する人が運転から解放される事はもちろん、分かりやすいメリットとしてAVが自律して走行してくれる事により人件費がカットされることで、コストダウンが可能となり、加えて食品の配達や店舗への送迎の無料化や、タクシーなどの運賃が安くなるなど、ビジネスの幅が広がります。全てをAVにすれば、料金も安くなった事を理由に利用する人が増えていく為AVは休まずそこらじゅうを一日中走っているわけです。なので駐車場すら作る必要がなく、その分敷地を都市や街開発に利用する事が可能となります。
しかし、この流れを読み取って、今AVに対しての取り組みを始めないと、どんどん世界に遅れをとってしまうのです。
どんなに素晴らしい技術や、発見、発明があったとしても、新しい事を導入する為にはそれに合わせた「インフラ」を整える必要があるからです。
インフラを整える事が遅れていくことによって、懸念すべき点は山ほどあります。
例えば、今人が運転するタクシーや、バス、地上の運輸の雇用者の職はどうなるでしょうか。交通機関や、人が運転する事を前提とした会社で働いている何十万人の人々が職を失います。また、公道を走行できる全ての車両をいきなりAVに切り替えることは難しく、人が運転する車と一緒に走行させなければなりません。AVは規律を守る為に一定の速度で運転するが、その運転にイライラするドライバーは必ずいるので、交通渋滞や事故を引き起こしかねません。そのため人が運転する道と、AVが運転する道を分けなければならないでしょう。
さらに、国や地方の、歳入も減ってしまう。なぜなら、駐車違反の罰金、交通違反、自動車登録の料金やガソリン税もなくなるからです。
その懸念をクリアにしていく為にも、先導してくれている国をお手本に私達も続く必要があると感じています。
では、AVは市場に出てきても誰もが買う事が出来るのでしょうか。25万ドルとされていて日本円に換算すると約2800万円です。そんな高価なものを誰もが買うことは出来ませんね。そこで今流行りのカーシェアリングを使えばいいのです。しかも、それを越える概念の元に生まれた画期的なサービスがあります。それが「MaaS(Mobility-as-a-Service)」と呼ばれ、元々はフィンランドから広まったプロジェクトで、移動をサービス化するというものです。例えば、様々な目的地に向かう場合に自転車やタクシー、電車などを利用する場合がありますが、その交通手段を提案してくれて、さらに支払いも一括で済むという、かなり優れているサービスです。既に「Whim」というアプリでそのサービスが始まっており、フィンランド、イギリス、ベルギーのアントワープで利用することが可能です。2019年に日本にも導入される予定があるそうです。そのサービスがAVを世に広めるきっかけになりそうです。
2020年のオリンピックの年では、トヨタが東京都内臨海副都心地区、羽田地区の特定のエリアでレベル4のマイクロバスを走らせる事を表明しています。その年にAVを走らせる事を成功させただけで終わって欲しくはない。その先を見据える事が何よりも大切だと筆者は感じています。EVについても日本が2014年頃まで世界を引っ張ってきたにも関わらず、今は世界から遅れをとっているという事実がある為です。
人が車を運転しない時代はそう遠くはない未来で、自動運転には私達日本人がまだ知らない可能性が沢山あります。そして、その可能性を潰さない土台を作る必要がありそうです。
次は、実際APが搭載されているEVや、僕が注目しているEVの新しい会社について掘り下げたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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EV(電気自動車)から見える持続可能な社会と未来
ガソリン車を過去のものにする動きが、既に世界で始まっています。
現在、イーロン・マスク率いる電気自動車メーカーTESLAは、1900年代初期から何十年も信頼を築いてきた歴史あるドイツの御三家BMW、アウディ、メルセデスを抑え、アメリカの高級自動車マーケットでトップに立ちました。
TESLAは2003年に設立されてから、なんとたったの15年で追い抜いたということになります。その間に様々なインフラを整え、市場に殴り込みをかけていることも僕らが想像もつかないくらいすごい事ですが、注目すべきところは一切のガソリン車は作らず、電気自動車のみでその地位まで上り詰めた所でしょう。
そしてその事実は、世界で電気自動車と言う存在が多くの人々に認められたという大きな証拠になりました。
今日まで、人は途方も無い数の人工的に作った物や、資源を消費し続けてきました。果たして僕たちはそのような生活をいつまで続けていけるのでしょうか。
少なくとも、ガソリンは化石燃料で限りがあるものと言われています。「無くなる可能性は決してゼロではない」という事です。さらには、エンジンを動かす為に燃やすことでco2が排出され、環境破壊の大きな原因になっています。大人達が住んでいる地球、子孫が暮らしていく地球の破壊です。
人々は長い間化石燃料からエネルギーを得る事に依存してきました。その為の研究や技術を莫大なお金と、労力をかけて何十年間と歴史を歩んできたのです。そこから抜け出すということはかなり大変な事です。
しかし、TESLAの快挙がEVマーケット活発化の起爆剤となり、新しいEVメーカーが産声を上げ、これから世界中で名乗りをあげようとしているのです。EVは電池のコストが問題でしたが、量産されるようになった事によってコストが下がり、EV市場はこれからさらに加速していきます。
そんな流れの中、ある既存の日本メーカーはガソリンエンジンでできるだけCO2削減を取り組んでいますが、今の姿勢だと日本は確実に世界から遅れをとってしまうでしょう。
現状維持ではなくて、新しい事に取り組む姿勢が流れを変えていくのです。
TESLAはEVだけでなく、自宅に設置する「ソーラールーフ」という、まるで本物の屋根のような家の外見に溶け込む違和感のない太陽光発電装置や、「パワーウォール」といった蓄電装置まで開発し製品化しています。なぜならイーロン・マスクは「100%持続可能な社会にする」という事を目標として掲げているためです。今EVをキッカケに、 エネルギー社会の日常も変わろうとしています。
今回は手始めとして短くなりましたが、次の記事では再生可能エネルギー、EVの色々、自動運転などさらに掘り下げた話題に踏み込んで行きます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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今個人的にホットなブラックミュージック
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今回の題名にはホットなブラックミュージックと書きましたが、最近自然と聴いている音楽を作っている方達が黒人の方ばっかりだっただけです。まじです。
最近、何かと話題の黒人の方達。映画『ブラックパンサー』は黒人が主人公のヒーロー映画が大成功を収めたと話題になっています。
しかし、本当に注目すべきところはそこなんでしょうか。良くも悪くも差別を意識しているからこそ、これって出てくる話題ですよね。
確かにまだ差別は深いところに残っていて、実際僕が年末年始ニューヨークで旅をしている時は、極寒のなか外で働いている方々は、凄く悲しいことだけれども黒人の方が多かったです。
これからの時代は黒人の方も主役になれるんだと世界に印象付ける作品にはなったのかな。
でもさ、エディー・マーフィーとかウィル・スミスとか印象に残っている黒人俳優の作品もその前からある訳で、人種差別に対していい意味で興味のない方々はそんなとこに注目しないはずだと思うんです。
まぁそうですよね。世の中にはまだ人種差別が根深くあるという事を色んな人が知るには良いきっかけなんでしょう。
そして黒人の方達が自分を投影できる作品を、スクリーンで観るということに大きな意味があり、それと同時に黒人の若い世代への新しい道しるべも出来たでしょう。
今回の『ブラックパンサー』の公開による市場における大成功により、その事についての記事が出回ることによって、沢山の方が今一度差別を考えるきっかけにはなりました。
しかし、本当に差別はそんなもので無くなっていくのでしょうか。もっと根本的な問題で、黒人や白人、黄色人種などの「概念」を無くさない限りは差別は無くならないでしょう。
ある記事には「白人にターゲットを絞らないとヒットしないという概念を打ち破った」と書いてありましたが、そんな概念が存在すると考えている時点でちゃんちゃらオカシイと僕は言いたい訳です。
本当に目を向けるべきなのは、人としてしっかりとした個性をもって、自分の感性を磨くことに努力を惜しまず、それによって培った素晴らしいセンスを持つ方達は、世界中に人種関係なく沢山いるという事です。黒人の方達が、白人または黄色人種のヒーローにになることだって可能性としては大いにあり得る話な訳ですよ。
ですから、そんな概念なんて初めから存在していないに等しくて、生きている人の希望になりえるような事や物が平等に輝ける土台が、どれだけ均一整地されて行くかが本当の課題だと僕は考えております。
すいません本題にいきます。
1つバンドを入れて、他3人の紹介です。合計4です。なんて言えばいいか分からない。
Daniel Caesar(ダニエル・シーザー)
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この人の特徴はスムース(なめらか)という言葉がぴったりのとにかく美しい声です。
ソフトクリームで例えるとクレミアですね。これ以上の表現の仕方はないでしょう。他にある人は是非教えてください。
The Internet(ジ・インターネット)
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センスしかありません。最高すぎます。ボーカルsyd(女性)のダンスも最高にかっこいいです。
バンドだからソフトクリームじゃ例えられなくて、ハロハロに近いですねこの方達は。
かき氷とソースとゼリーとフルーツとソフトクリームが混ざって最高に美味しくなった感じです。
Steve Lacy(スティーブ・レイシー)
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何を隠そう、ハロハロの具材です。はいすいません。
The Internetのメンバーの方です。
彼は今年で19歳。19歳ですよ皆さん。僕が今年19だったら彼が僕のヒーローです。彼はiPhoneのアプリGaragebandで曲をつくっています。 WIREDでも紹介さ��ています。
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ここまでアプリを使いこなせるのも、音楽を知り尽くしている人達が周りにいる環境もあると思いますけどね。
色んな著名人がプレゼンをしているTED(大人の教育番組)で講演もしていました。シャイでとても可愛らしい方でした。いつか会ってみたいです。
Childish gambino (チャイルディッシュ・ガンビーノ)
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もうソフトクリームには例えません。思いつかない訳ではありません。思い付きませんでしたすみません。
本名Donald Glover(ドナルド・グローバー)。この多様な音楽性を持つチャイルディッシュ・ガンビーノはステージネームだそうです。彼は音楽以外にも、俳優、コメディアン、ドラマプロデューサー、脚本家とマルチな才能がある方で、今年公開予定の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』のランド・カルリジアン役で出演しています。
また、コミックの2代目スパイダーマンは黒人なんですが、モデルはなんとあのオバマ大統領とこのドナルド・グローバーだそうです。なぜそれが実現したか。ダニエルはもともとスパイディーの大ファンで『アメイジング・スパイダーマン』の製作が決まり、主演のアンドリュー・ガーフィールド含め全員白人のオーディション候補者の噂が流れ始めた頃、Twitterで冗談交じりに「オーディションを受けたい」と発言したそうです。それを見たファン達にハッシュタグ#Donald4Spidermanで猛プッシュされ、その熱量が届いたマーベルによって実現されたそうです。しかも、コミックがアニメ化された際はドナルド本人が声優も務めたそうです。スパイダーマンは人種関係なく誰のヒーロー像でもあるんだよと。マーベルさんそういうことですよね。胸熱です。
ダニエル・グローバー。僕が今一番気になってる人物であります。(ちなみにチャイルディッシュ・ガンビーノ名義の活動を終えるそうで、より良くする為に終えるという事は大切な事だと発言しています。どうやら新しいプロジェクトがあるそう。)
最近マルチな才能持ってる方がなんか目立ってる気がします。
イギリスで莫大な人気を誇るArctic Monkeysだって、毎回アルバムごとに違うバンドかと思うほど雰囲気を変えてきますし(もうすぐ新作でますね)、前回ちらっと喋ったJustin Timberlakeだってラップ、R&B、ダンス、ロック、ジャンル問わず色んなかっこいいの出してます。
ですが、音楽にとどまらず本当の意味で多彩なのはこの方だけなんじゃないかな。
僕もジャンルとか気にしたことは無いですし、音楽の話になるとジャンル聞かれるんですけど、とにかく洗練されて『センス』を感じる音楽やものが大好きです。それがデザインだったり、コンセプトだったり、音であったり、テクノロジーであったり、言葉であったりする訳ですが、とにかく色んな「良いもの」が好きなんです。
自分が楽しいと思ったものなら何でも好きです。それをこれから皆さんに紹介できればと思っております。ちょっと今回は肩の力を抜いて気楽に紹介しました。聴けば僕が説明しなくても良さが分かると思います。
それではまた、引き金引きたくなったら引きます。ありがとうございました。
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音楽から見る「偏見」と「本質」
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今回は音楽から見る「偏見」と「本質」についてです。
僕は中学生二年生の頃からイギリスのバンドoasisのファンで、インタビューやら、動画やらoasis関連の物をとにかく見て頭の中へ取り込んでいました。oasisは2人の兄弟、ノエル・ギャラガー(兄)、リアム・ギャラガー(弟)が中心のバンドです。(現在バンドは解散し、個々にソロ活動をしている)僕が最初に買ったoasisのアルバムは『Morning Glory』2ndアルバムでした。全ての曲がシングルカット出来るくらい完成度が高い最高のアルバムです。
ギャラガー兄弟はマンチェスター出身で、労働者階級のとても恵まれているとは言えない環境で育った影響で反骨精神がかなり強く、メディアに露出しているアーティストの鏡とはとても言えない行動を繰り返していました。
もちろん、バカみたいに毎日見ていたoasis関連の動画、本にもそれは強く表れていて、いつの間にか兄弟の反抗的なあの態度の虜になってしまいました。 なぜならその態度が、自信のない僕に勇気をくれていたからです。ある意味僕の鏡ではあった訳です。
アーティストってみんなの憧れであり、ヒーローな訳ですから庶民の鏡でいなければいけないんです。映画スパイダーマンのセリフで、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ってベンおじさん(主人公ピーターパーカーの伯父)が言っていたけれど、まさにそれで、色んなものに、色んな面で大きな影響を与える力があり、それに対しての責任があります。
そんな事も御構い無しにギャラガー兄弟は、blurがクソ(ブリットポップシーンを盛り上げたoasisのライバルバンド)、アイドルはクソ、政治家はクソとか色んなクソを教えてくれました。 とにかく反抗期の自分にはoasisがとても魅力的でしたので、僕はblurとアイドルと政治家はとにかくクソだとそう信じていたわけです。 完全に「偏見」です。いつのまにか偏った考え方が僕を長い間支配していました。 なぜ僕の中に「偏見」が生まれていったのか。もちろんoasisがきっかけにはなったでしょう。でも形成したのは僕の周りの環境です。それが友達であったり、情報であったり、日本そのものであるわけです。 しかも僕は故意的に周りの環境を偏ったものにしていました。
やはり、楽なわけです。 同じものを周りに置くことによって否定をされないわけですから肯定が続き、どんどん思考が固まっていきます。それによって、未知の可能性をどんどんどんどん逃していたのです。どんどんどん。 幸運な事に最近それに気付く「きっかけ」を得る機会が多くて、自分の考え方が変わってきたんです。 まず、blurの大ファンの私の妻と知り合う事によって、blurの好きな曲が見つかりました。『tender』です。 『13』というアルバムの一曲目。普通はこの手の曲って最後に持ってくる所を、一番最初に持ってきたそのセンスに僕はやられたわけです。 どういうこと? そう思ったあなたは、ちょっとこれ読むのやめてYouTubeで聴いてみてください。
おかえりなさい。 ここから僕の思考がほぐれ始めたんです。 あれ?普通に良いしoasisと肩を並べるほどの才能を、僕はなんで今まで知ろうとしなかったんだろうか。単純にそう思いました。oasisが「きっかけ」で「上質」な音楽は聴く事になりましたが、oasis信者はoasisが聴く音楽でないと聴かないし、oasisの音楽を元に掘り下げる作業に入っていてすでに決まった根に沿っているわけですから、新たな可能性を切り開くのはかなり狭い範囲な訳です。
でも、更に偏った思考を固めたのは日本の音楽シーン。チャートの上位に入っている方達。あれは本当に「音楽」なんでしょうか。僕は「音楽」とはまた違うジャンルではないか、そう思っています。 そう何を隠そう日本のアイドルです。エンターテイメントの商品としては確かに素晴らしいものがあるかもしれません。しかし、「曲」や「歌唱力」や「歌詞」この3つを聴いてどう思いますか? 僕たちがが夢中になって聴いている日本の「音楽」って、本当に「上質」なものなんでしょうか? 申し訳ございませんが、僕から見てとても「上質」だったり「才能溢れる」ものには感じません。 じゃあ「上質」、「才能溢れる」この2つってあんたはどう判断しているの? それは、世界に通用するかしないかです。これが日本の「音楽」だと胸を張って言えるでしょうか。 いやそんな必要ないっしょ。聴いた人が良いと思ったらそれでいいんだ。 もちろん構わないです。でも、本当に「音楽」を突き詰めて自分を表現したい才能ある方達が表に出て来れない現状もあります。そして、余程の音楽好きな人以外の人々が「上質」な音楽を聞く機会がないと、いい音楽に対する反応がいつのまにか出来なくなってしまう訳です。となると、質の低い音楽でみんな満足してしまう訳ですから、本当のいい音楽達が世に出てこれない土台が知らぬ間に出来上がってしまうんです。ですから「音楽」ではなく別のジャンルとしてチャートを作った方が良いと思うんです。
そんなわけで、最近までありとあらゆるアイドルに「偏見」で興味がなかった訳です。 最近ニューヨークに行く機会があって、やたらと色々な所でかかっていたハリー・スタイルズ(ワンダイレクションのメンバー)の『Sign Of Times』。なんかやたらと耳に残って、まるっと曲を聴いてみたんです。 ふつーに良かったんですこれが。歌詞もいいし、何が感動したって、アイドルじゃなくてちゃんとアーティストしてるとこでした。その過程をメディアを通して誰にでも見せるって最高の環境だと思うんですよ。自然とみんなの目や耳が肥えて行く環境だなって。 後は、今年に入ってすごいなって思ったのが、ジャスティン・ティンバーレイクの『Say something』のMV。曲はもちろん良いけど、MVが最高すぎます。なんと、ワンテイクでしかもライブで撮っているんです。ロケーションにもセンスを感じました。 そういう最高な事を、アイドル出身の人がやってしまうんだって少し恐怖さえ感じました。 まぁ、良い事なんですけどもね。
さて、日本の音楽業界はいつのまにか中を見つめるだけで、外には目を向けなくなってしまいました。どうやったら商品として日本で売れるものを作れるか、そこが一番の目的になっているから、日本の音楽シーンはつまらなくなってしまったんでしょう。
そうなってしまった背景には原因があるんではないかと僕は思います。 日本語です。日本語はとにかく音楽にのせるのが難しい。そして、日本語をのせた邦楽は世界に通用するのか。ひと昔前のアーティスト達みんながそれを目標にしていたかは定かではないけれど、少なくとも細野晴臣さんが所属していたバンド、はっぴーえんどは世界を意識し、日本語で歌詞を書くことの研究をしていたそうです。 世界を意識する事の何が良いことか、それは高みを目指す事だと思うんです。同じ平らな場所に視線を送るのではなくて、更に高い所を目指す事によって、技術への貪欲さや潜在能力を引き出す力が生まれ、一歩進めるのではないでしょうか。 それをよく体現しているのが、はっぴーえんどの曲、『風をあつめて』です。1971年にリリースされましたが、2018年の現在この曲を聴いてみます。少しも古いと感じないどころか、新しささえ感じてしまうんです。なぜ、約40年も前に作られたこの曲が今でも新しく聴こえるか。周りに溢れている音も、歌詞も、日本という島国に向けて作った音楽がそれを超えられるはずがないからです。日本語で世界と戦うのを諦めてしまった結果、国内だけに的を絞っていったのだと思います。だって、ほとんどの人が日本語しか喋れないのだから必然的ですよね。
世界がスタンダードです。そのスタンダードを吸収し追いつき、そこから新たなものを生み出さない限り、日本がスタンダードになりえる機会はないでしょう。せめて世界と同等でなければ勝負は出来ませんよね? 最近の邦楽では、D.A.Nがそのスタンダードに一番近いと思います。『Ghana』って曲おすすめです。 サウンドのセンスは世界に通用するレベルだと思います。しかし、伝えたい事が分からない。そこが惜しい所ではありますが、これから日本の音楽シーンが良くなって行くところ、見たいなっていう希望を生んでくれてます。ファンになりました。
皆さんにも「偏見」あると思います。「偏見」は自分の考えを一時的に納得させるものでしかなく、たまればたまるほど自分が醜くなっていきます。「偏見」を一度受け入れその「本質」を知ることが一番大切なんです。知らない嫌いなものばかり増え、いつのまにか自分の視界が曇ってしまい、自分が誰かの「偏見」になってしまう事さえ気が付きません。「本質」を考え、見抜くことが自分を成長させることがが出来る「きっかけ」になるはずです。
でも、一度受け入れても無理なものは絶対にあります。 しかし、ものごとを見抜く力にはなりますから、無駄ではないんです。
長々と記事を書きましたが、結局今回の伝えたい所をまとめると、自分の「偏見」と向き合うことで「本質」を見抜く力が付く、ということです。「本質」が見えてくると、不思議と物事の考え方が柔らかくなり、何かに引っかかっている感覚がとれて、一歩前に進める推進力が自然と付いてくるはずです。
無理にとは言いませんが、もし暇な時があったら「偏見」と向き合ってみて下さい。 最後まで読んで頂きありがとうございました。
それでは、また僕が引き金を引くその時まで。
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BMW i3
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生活を豊かにする為には、ある程度の余裕と情報、関わりが大切なんじゃないかと最近考えています。
その中でも特に『余裕』これが一番に重点を置くべき大切な物だと思います。 精神面、金銭面、時間など、これらは『余裕』がそばにいてくれる事によって、良い方向に事を運びやすく出来ると思うんです。
余裕がないとイライラしますし、妬みや、焦りも生まれます。
もちろん、逆境に立たされて良いものを生み出せる場合もあります。 しかし、基本的にいい方向に連れて行ってくれるのは『余裕』と上手く付き合う事ではないでしょうか。
『余裕』は誰のそばにも居てくれますが、決して親身ではありません。 上手く付き合って行かないと、残酷にも悪い方向へ進んでいる場合、そのまま一緒に身を委ねてきます。
いやいや、その前に自分の周りに『余裕』なんてない。そう思ったあなたに朗報です。 『余裕』は自ら作り出す事が可能です。自分の環境で一番優先したいよっちゃんを連れてくれば良いんです。無理矢理でも構いません。(『余裕』という字を多用するので余裕のよっちゃん登場)
例えば精神的なよっちゃんがそばにいてくれると、あら不思議。他人に対して親切になりますし、物事を落ち着いて捉え、良いアイデアが浮かんできたりします。また、ポジティブにもなります。
その『余裕』の作り方、皆さんに1つご紹介します。
今回はBMW i3の紹介です。 i3はBMW iシリーズの1つで、BMWブランドのEV(電気自動車)です。iシリーズは2014年に日本に初上陸しました。
BMWにEVなんてあったのか。そう思う人が大半だと思います。 なぜなら国産の電気自動車に比べ、圧倒的に走っている姿を見かける機会が少ないからです。 僕は昔から機械全般、もちろん車とかバイクも好きなので、出勤途中や街を歩いているときにどんな車が走っているか見ていてi3が見えた時は、なんじゃあの未来の車感を出してるBMWは!!とすぐ目に留まりました。
キドニーグリルはBMWの象徴ですから、すぐBMWだと分かりました。キドニーグリルとはBMWのフロントに付いている鼻みたいな2つの穴のことです。この象徴とも言える鼻が付いたのは1933年の頃からで、そこからデザインは変わっていながらも必ず採用されています。元々は、空気を吸いエンジンを冷却する為に付けられたものでした。 iシリーズにはキドニーグリルは必要ありません。冷却するべきエンジンは搭載されていないからです。しかし、デザインとして鼻が詰まっている(穴が空いていない)キドニーグリルは採用されています。
iシリーズはもう一つ、i8という富豪向けのスーパーカーがありますが、庶民とは無縁だし、スーパーカーは見るのは好きだけど、変なオーナーばかり都内で見かけるし好きではありません。まるでお金で出来ているように見えるからです。
i8は置いておいて、i3は現在のEVの中で僕は最高峰だと思います。今EVで話題性の強いTESLA社のよりも優れているか、国産のEVよりも優れているか、そう聞かれるとそうじゃないかもしれません。しかし、個人的にはBMWi3の方が優れているそう感じています。 なぜなら、まずデザイン。TESLA社は値段がお高いだけあってものすごくゴージャス。僕はそれだけで好みではないです。まるで、欲望が強調されているみたいで、逆に僕は醜く見えてしまいます。国産車の代表的なEVは、とにかく普通の乗用車感。見た目がワクワクしません。車だけに留まらず、人もそうですが、興味を引くのってある程度の協調性と個性が必要ですよね。
i3はフォルムが凄くキュートなんです。四駆の車をギュッとしたようないい感じの丸みに親近感さえ感じます。そして、上で説明した2つに分かれたキドニーグリルがフロントにあり、BMW社製というのが瞬時に認識できます。バックも未来感溢れるデザインで、可愛さと格好良さが同時に備わったデザインだと思います。コンセプトカーがそのまま発売されたかのような未来感に賛否両論ありますが、形が可愛いくて親近感があって、未来感を受け入れやすく、僕はかなりツボです。 内装は未来感漂うデザインと、今国産車で人気の見た目より意外とスペースあって、いっぱい物詰めますよスタイル。嬉しいです。少し残念なのは、スピードや、バッテリー残量が確認できるディスプレイのインターフェイスですかね。少しそこだけが古く感じます。ですが、トータル的に見てみるととても完成された車だと思います。
デザインの事は軽く個人的な意見で説明しました。細かい事を僕が調べて、説明したって頭に入ってこないし、忘れますよね。僕もそうですし。
この車のめっちゃくちゃかっこいいところ。 ワンペダル走行?まぁ一理あります。ブレーキが必要なくアクセルペダルを離すと、ブレーキと同じ力が働きます。渋滞の時なんか凄く楽です。ちなみに前の車に自動追尾する機能もあります。車間距離も設定する事が可能です。 BMWならではの加速性?レースに出る訳では無いしある程度であれば誰でも満足するでしょう。実際に乗ってみたら楽しいとそりゃあ感じます。
そんなことよりもこの車、95%がリサイクル可能な素材でできているんです。  最高すぎやしませんか皆さん。どんなEVよりも説得力ありますよね。どんなBMW車よりドヤ顔が似合う車です。機能性とデザインも備わり、コンセプトもしっかりしている。これが僕が最高峰と言える所以であります。
BMWのiシリーズの始まりには、6つの社会背景にあるそうです。 地球環境の変化、都市への人口集中、政治と規制、経済的な観点、消費者の期待、持続可能性です。 環境の変化に優しく、都市の車社会で生きていくための運動性能、規制に対する順応性、お財布に優しい電気自動車の燃費性、今までのBMWファンを裏切らないデザインと性能、ガソリン・ディーゼル車に変わる車は電気自動車という明確な可能性。
規制に関してもう少し詳しく話すと、アメリカ・カリフォルニア州では各メーカーに排出ガスゼロの車を一定比率販売するよう義務付け、イギリスとフランスでは、2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売をやめるそうです。 日本はどうでしょう。オリンピックまでになにか変わっていくのでしょうか。
僕の意見をまとめると、この車は国産車にはない未来感とデザインのセンスの良さ、馬鹿高い車には無い親近感。これらが同時に備わっていて、さらに運動性まで電気自動車の中では最高峰の性能。この車最高すぎるでしょ、マジで乗りたい。です。
この車のオーナーになれたら最高の幸せを感じる事が出来る。そう確信しています。 環境破壊を感じる後ろめたさみたいなものはないし、乗る事にワクワクする気持ち。楽しく運転できるって、イライラしながら無謀な運転をしてしまうリスクを軽減できると思います。 そんな最高の体験を提供している会社。素直にカッコいいです。
楽しく運転する。これも『余裕』ですよね。 余裕はいろんな角度から、色んな視点から、自分に合うように作り出す事が出来るんです。 皆さん、日常の些細な事でいいから、難しく考えないで『余裕』作ってみて下さい。 少しづつ、毎日が楽しくなっていきます。
ちなみに値段の話です。新車は538万〜644万。たけーじゃねーかおい!! まぁまぁまぁ、落ち着いて下さいよ。中古は218万〜395万。どうですか?ちょっと興味持ちました?持ちますよね。
もちろん、中古の値段でも大金ですよ。 だけど、僕ら庶民が高い買い物をする時に適している車だと思います。これからガソリン・ディーゼルから電気へ移り変わるであろう時代の推移に順応していて、低燃費。2017年の一年しか型落ちしていないハイグレードな車が、良い状態のまま、ある程度の低価格で手に入るんです。 また、i3は完全なEVでは無くレンジエクステンダーというその名の通り、ガソリンを使って発電し、航続距離を伸ばすオプションもあります。EVのままだと約390km、レンジエクステンダー装備車だと、約511kmの航続距離を実現しています。中古市場はレンジエクステンダー搭載車が大半を占めていますのでご安心を。 なんか、頑張って買いたくなりました。
僕は将来、電気自動車に乗りたいです。昔の車のデザインが好きでビンテージカーに乗ることを夢見ていました。燃費なんかより車を楽しんで乗る事が一番の目的だったからです。 でも、低燃費で環境に優しくて、デザインもいいこの車を知ったら、どんな男前なビンテージカーより、見た目と中身が揃っているEVがどんな車よりイケてるわん。そう思ったからです。
もっと多くの方にBMWi3知って頂きたいです。
どうでしたでしょうか。僕の最初の「知る」きっかけを提供した記事でした。 少しでも楽しんでいただけたら幸いです。最後まで読んで頂きありがとうございました。
また、僕が引金を引くその時まで。
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きっかけ
僕は今年で27歳。大学生の頃、あるお店の店長さんの、頭の中身がそのままあるかの様なワクワクする面白い空間と、ラテアートに魅せられ、カフェでバリスタとして働く事を決意しました。
そのお店に通い店長さんと会話し、インプットアウトプットを繰り返す事によって、いろいろな事に対する(例えば文化であったり、日常の些細な事、面白いとか、おかしいと思った事とか)価値観がいい方向に変わるきっかけ作りを、その頃の自分では気付かぬうちにして頂いていた事を最近感じました。店長は故意的か、はたまたそいう話が好きなだけは分かりません。多分後者の方。
現在は店長さんは京の都、僕は東の京でカフェ勤務です(転職活動中)。 大学を卒業し現在まで約4年カフェスタッフとして働いてきましたが、カフェに限らず、日本の飲食業全体で言える事ですが、なんとお客様のほとんどが神様なんです。人間の僕にはとてもきつい仕事で、本当に辛い日々を過ごしています。たまに僕と同じ人間の方もいらっしゃいますが、逆に天国にいるのかと思ってしまうほど精神が安定し、質の良いサービスを提供出来るのです。 そう、会社が経営している飲食店は神様の来客がほとんどです。
じゃあ、逆に個人店はと言いますと、そのお店と同じ周波数のお客さんがお店に付き、その人の周りの、これまた周波数の合うお客さんを連れてきてくれて、そのお店はある特定の人達にはとっても心地よくなります。個人店の店長さんもとても伸び伸びと自分がやりたいお店を作れるのです。
しかし、どうでしょう周波数の合わないお客様は煙たがれる訳です。勿論、寛大な心の持ち主の方も居るかと思います。ですが、大体そういうお店(特にカフェ)が多いと僕は感じます。
その奥を見てみますと、周波数の合う合わない以前に、神様達から逃げたい気持ちが根本にあり特定の周波数を出すのではないでしょうか。
なぜ神様達が怖いのか。それは僕たち人間と平等な立場では無いからです。とても距離を感じますし、神様ですから、人のペースなど考えもせず、目も合わさない、料理を運んでも無視、お会計の時ですら喋り続けます。これで一部です。そんな毎日を過ごしていたら苦手意識が積もりに積もってしまい、いつの間にか誰に対しても質の良いサービスを届けることができなくなってしまいます。
人として人に当たり前の対応をする、そして人にサービスをして貰うんです。お金を払う以前の問題です。たまにはロボットとか居るかもしれませんが、大体がそこで働いて居るのは感情がある人ですから。
最初の投稿ですので今日はここまで。 もちろん、この話はもっと深い議論ができると思います。
僕がこのブログを始めたのは、皆さんの色々なきっかけを作る事です。 きっかけを僕の記事が提供して、皆さんが僕の記事を読んで実際に周りの友達や、関わりのある人と議論して頭の中のふわっとした物を形にしてほしいのです。記事で完結させたくはありません。 なぜなら、アウトプットしないと意味がないし、それをしないと結局自分だけの考えでしか無いからです。 考えを共有しなければ、どんなに素晴らしい知識や経験、考えを持っていようが、それは自分にとっての素晴らしい物でしかありません。悲しい事に自分が生きる事に精一杯で、一人きりの世界で過ごしている方をたくさん見かけます。
この世界は、今生きているみんなが文化や、常識やらで無意識に創っているんです。
テクノロジー、音楽、カルチャーなど新しい物を「知る」きっかけや、今日の様に「考える」きっかけ、「楽しむ」きっかけだったり、発信することによって皆さんの生活を豊かにする引き金になれればなーと考えています。
今日から、宜しくお願いします。
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