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七年振りに推しに会ってきた話 〜ミューズとしての道重さゆみ〜
先週の日曜日、私は名古屋近郊にある小さな町へと出かけた。
芸能活動引退を表明している推しのアイドルに会いたかったからだ。
その町のショッピングモールで、彼女の最後のCDのリリースイベントがあり、新譜の予約と引き換えに至近で彼女と接する機会を得られるのであった。
彼女はモーニング娘。の6期メンバーとして2003年にデビューし、リーダーを経て、2014年秋に卒業。芸能活動を休止。その後、2017年にソロとして活動を再開し、歌手やモデルとして活躍。2023年には強迫性障害の診断を受けたことを公表し、制限しつつも活動を継続していたが、ついに今夏のツアーをもって22年の活動の幕を引くと発表した。
引退を知ってしまった以上、せめて一目でもと思うと矢も盾もたまらず、強引にスケジュールを組んだのであった。
改めて振り返るに、彼女が私の人生において突如として「推し」となったことに、特段大きなきっかけがあったのではない。
就職を前にした2012年の春、友人に誘われモーニング娘。の大阪公演を一般客の一人として見たことがきっかけだった。
三次元のアイドルに興味などなかった私であるが、ステージの眩さとファンの熱気を目の当たりにし、一挙に引き込まれた。
第一印象は、多幸感で満ちた女の園、という感じだった。魅力的な女性たちが一つのグループとして歌い、踊る、その眩さ。互いを、そして舞台のあちらとこちらとを一つに繋ぎ合わせるように生き生きと動き回っていることの新鮮な活力に驚いた。それは私の全く知らないキラキラとした世界だった。
最初は単に彼女が私の割と好きな顔立ちだったからなのかも知れないが、彼女の表情を目で追っていると、楽曲に合わせ表情を作り、それを透徹することで世界を作っているように感じられるようになった。
私はそこに痺れた。
そうして道重さゆみさんは私の初めての推しとなった。
今でもそこに痺れ続けている。
さて、ちょうどその春公演で先輩方が卒業し、モーニングは道重新体制となった。
ハロー!プロジェクト自体がそれまでの『所謂』アイドルから、現在のアイドルシーンへと続くかっこいい路線、プロフェッショナル路線へと舵を切り始めた時代の境目だった。逆に当時のメンバー構成だったからこそ、それが可能だったと言えるかも知れない。成功とは必然に見えるものだから。そして結果的に、必然に導かれ、さゆも、モーニングも人気がどんどん高まっていった。
彼女の功績については、2014年頃のネット記事を参考にされたい。
あらゆる論者がさゆのリーダーシップと魅力、それを支える努力を称えている。
2年半をかけ、一度は失速したと思われたモーニング娘。は再びアイドル界での地歩を着実に固め、更にさゆの卒業後も残されたメンバーたちによって一層強固な地位を築いて��った。
話を戻して、さゆの卒業発表は、2014年の春頃だったか、休日を無為に過ごす私の元へ、突如舞い込んできた。
余りに唐突で、今思い返しても白黒になってしまった部屋の風景と、全く違うのにその日がエイプリルフールかどうかを必死に考えていた混乱ばかりが浮かんでくる。
余りに劇的な卒業公演は仕事終わりに遅刻しながらも映画館のライブビューイングで見届け、泣き、後日円盤(ライブDVD)を見てまた泣いた。
さゆを失った中でも日常は続き、私をモーニング娘。に引き合わせた友人の誘いでさゆ不在のモーニングの公演へ通い続けていた。最終的に12期メンバーの一人をまた推すのであるが、その気持ちがさゆへの気持ちとはまた違っている事に気付いた。
その頃には一方でさゆも「再生」していたので二人について色々考えていた。
彼女らに私が抱く、二つの異なった「推し」の形の差異を明らかにしたく、「ミューズとしての道重さゆみ、ロールモデルとしての尾形春水」というブログを書きかけたのだが、当時は冷静になれず、失敗してしまった。最後まで書き切れなかったのだ(ただ、リンクを張るために記事を探して読んでみてびっくりした。上に書いてきたようなことはこの頃もう既に書いてあるではないか。そして「ロールモデルとしての尾形春水」は後日書き上げてあった)。
今書くならどうだろう、例えば次のように表現してみる。
---道重さゆみには可愛さ、あるいは美に対して絶対的理想がある。そうなりたいという願いが彼女を形作っており、我々は彼女を通して彼女の理想を一緒に探している。舞台に上がったさゆは、確固とした可愛さ/美の概念と、それを追う現実の身体性との重なりであり、その姿は擬人化された神、即ちミューズとして我々にインスピレーションを与え、彼女を輝かせている。
短いが意外に上手く表現できているのではないかと思う。
特に、さゆの言う可愛いは自分の外にある感じ、が私の表現したかったことの全てなのかも知れない。
その飽くなき追求が、彼女の深みであり魅力なのではないだろうか。
細かい論は先の書きかけのブログに譲るとして、それも畢竟このイタリック体で今回書いた文章の修辞となるのだ。
と、そこまで大仰に書いておきながら、私は「いい」ファンではなかったと思う。
元々、私は私の現実を生きているという気持ちも強く、諸々の制約の中で、全てを賭してファン活動にだけ人生を捧げることはできなかった。
加えて、「再生」公演後に当たる数年間は何度も環境が変化し、以前のような気持ちでファンとして接せられず、気持ちが合わなくなっていた。
さゆのことを神格化し過ぎていた、いや、さゆ自身ではなく自分の応援の仕方に潔癖過ぎたのだと思う。さゆを応援するならこうしたい、という気持ちの通りに事が運ばないのなら、最初から諦める、というような次第で。
諦めることが増えると、今でも界隈で有名な「強い」ファンには妙な劣等感を覚えるのだが、要はそういう見知らぬ(しかし私がいた「現場」にもいたはずの)誰かと比べて十全に楽しめていないような気がして辛くなる。
そういう人は当然ファンクラブ会員で、日本中で行われるイベントや公演に全通(全て参加すること)し、グッズを揃え、何組もCDを購入し、メディア露出は必ず抑え、ブログとインスタとツイッターとユーチューブとその他諸々の記事は余さず目を通す。私にはそういう類のことはできなかった。
私には私なりの応援の仕方、楽しみ方しかできなかった。ペースを上げて義務のように、或いは中毒のような応援をすることは私らしくはなかった。だからといって好きな気持ちでは誰にも負けないのに…とずっとおかしな悔しさがあった。
ただ、今になって、そういう特定の層を含むたくさんのファンたちがあって、おかけでさゆは活動し続けることができ、私が7年ものブランクを経ても会いに行けたのだということだった。たくさんの人たちがさゆを好きで良かった。やっとそう思えた。
そろそろ今回のリリイベの話をしよう。
朝から並んで新譜の予約をし、イベントの整理券を無事入手した。
物凄い強運でステージに近いかなり前方で舞台に相対することとなり、さゆの登場を待ちながら、期待と不安を感じていた。久しぶりの生さゆみんは楽しみとして、しかし実際私は何年ごしに目の当たりにして、過去のようにさゆの魅力を感じられるのだろうか?この数年の間にお互いが過ごして来た時間は全然違う種類のもので、それは私の感受性にも大きく影響しているのではないか?懐かしいとしか覚えなかったり、或いは感じる所が何もなかったら?遠い世界の事のように思えたら?さゆのことは綺麗な思い出のまま封印していた方が良かったのではないか。ピンクのメンバーTシャツを来て、サイリウムを持って、形ばかりではないか?
そわそわとネガティブなことを考えていると、スタッフが開演を案内し、さゆが登場した。
私は全てを忘れた。
私はさゆを覚えていた。
ソロで歌い踊るさゆの全てが最高だった。
メンバーTを着てサイリウムを振って手拍子しして見様見真似で振りコピして合間には「さゆー」と叫んだ。
さゆのいる30分はさゆのいない7年間よりも長かった。
月並みだが、来てみて良かった、その一言に尽きた。
さゆは私の憧れのままであった。
3日経ってもまだ夢のようで、昨日のインスタライブもリアタイ(リアルタイム)で楽しみ、アーカイブも何回も特にトークの場面を繰り返し再生した。
なんでまあこんなに可愛いのかこの人は…。
同じ89年の13日産まれ、というのが個人的に拘りのある部分で、さゆが7月で私が3月なので学年も違うし他の人からするとどうでもいいことだろうが、強烈なシンパシーを抱いている。
今月はまだ一歳違いだけど、次のライブでは同い年になっていて、そう言えば娘。時代もこのタイミングを跨いでコンサートがある度、何回でもそれが嬉しかったのだった。
本当は最後の最後まで全てを見届けたかったけれども、遠征は私の環境では現実的ではない。
それはもう受け容れるしかなく、しかし最終公演の円盤が出るまでがラストツアーだと思って、きっと泣いてぼやけてしまうだろうけれど、さゆの幸せを願って送り出せたらと思っている。
最後に。
この度の道重さゆみさんの引退は、彼女の心身の健康に関わる問題であり、惜しむ気持ちはあるものの、その決断は絶対で、一ファンには口を挟む権利はない。私もさゆとは少し違うものの、参っていた時期があり、色々察する所がある。
しかし、たくさんの月日がさゆを癒した暁には、もう一度私たちの前に現れてくれる日も、もしかするとあるのではないか、という期待はどこかに残されている、と信じている。
迂遠な物言いをしたワガママに過ぎないが、ファンとして、名残惜しさの余り少しの希望を残しておくことを自分には許したい。
ただ勿論のこと、その願いが叶わなくとも、私はさゆを責めたりはしない。むしろ、「再生」以降のソロ活動という、ボーナストラックの如きさゆとファンだけの純粋な時間を一度でも(と言って何年もあった訳だが)用意してくれたことへの感謝しかない。
私の永遠のミューズが、大好きなさゆが、きっとどこかに存在し、今日も可愛いぞ、と自分に満足しているのなら、それでいい。
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読んだ本の余韻をそのままに小旅行の記録を残す
三重県の丸善でその本を見つけた時、私はこれを確実にこの年末に読もうと決心したのだった。
私の年末は読書の為にある。
正確に言うなら読書の為にもある。他の目当ても沢山ある。例えば、友達に会うこと。例えば、街を歩いて故郷の空気を胸いっぱいに吸い込むこと。
さて、この年末とは即ち令和6年、西暦2024年12月29日日曜日から31日火曜日までの3日間のことだ。
そしてその本とは古川日出夫「京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る」だ。
だから私はこれを携えて西へ帰った。
即ち名古屋から京都へと。
私の実家は京都ではないし、一度も住んではいないが、仮住まいもなかったのだが、「帰った」と言ってはばからない程には故郷のように愛している街である。
私は道中、読んだ。
しかし京都では読んだか。題に謳われし京都に着いて以降は読んだのか。読まなかった。
その代わりに京都を歩いた。
これには書かれていない京都を。即ち洛外を。
洛外のどこであるか。それは京都市伏見区だ。伏見区の稲荷大社だ。
一人でか。否、もう一人いた。大学時代の友人がいて、だから二人だった。
私たちが約束したのは令和6年、西暦2024年12月29日だった。
日曜日と言い添えるべきか。いや、もう書かずとも構わない。
バカンスに曜日は意識されない。
我々はわざと隣の駅で待ち合わせて、二人とも遅刻していて、しかしお互い気にしないで、挨拶を交わして、それから歩いて。
すぐに稲荷大社へ向かう訳ではない。
隣の駅で待ち合わせたのは訳があり、見たいものがあったからだ。
目的の一番目を達する為、京阪電車の龍谷大前深草駅を降り西へ向かう。
そこは普通の文教都市の住宅地である。しかしそこは京都の住宅地だ。並みの街とは、風格が違う。
実はそこにはカタカナ地名がある。漢字を受け入れる前の、日本の、この国の、古い古い記憶が残されている。
それを見る。標識に、看板に、自治会掲示板に。
まず、駅を降りるとそこはススハキ町である。
それからまっすぐ西へ歩き龍谷大学深草キャンパスと京都府警察学校との間を抜けていくとヲカヤ町。
誤字ではない。
地名であるにも関わらずーーー現今の国語体系ではまずありえないことにーーー「を wo」の字を冠する町がある。
それを確認して嬉しくなった所で大学の学舎群に沿ってぐるりと回って戻って来ればケナサ町に至る。
固まって所在する三つの旧い町を見、満足して私達は北進する。
するとすぐ、国際観光都市京都の、Kyotoの、面目躍如であった。
当然日本人もいて、地元の人々や九州人や関東の人がいて国の言葉が飛び交う。しかし同等かそれ以上かと思われる程に肌や、眼や、言葉の違う人がいる。コーカソイドがいて、モンゴロイドがいる。
私たちは本命の目的地に着く。
巨大な二本の鳥居の下を通り、歩く。
山を、神域たる山を登っていく。
千本を優に超えていると思われるほどの夥しい朱の鳥居が続く。
くぐる。
歩いて。
登って下って。
鳥居に挟まれた道は狭い。
狭い参道を歩いて、登って下って、鳥居をくぐり続ける。
参道で産道を連想する。
しかしこの場所で生まれるーーー生まれ直す人の数が、多い。
だから、混んでいる。
稲荷神社の狐は多産の象徴だから正しい状況とすら言えるかも知れない。
自撮りする旅人を抜かし、恋人を「映えスポット」で撮影するこれも旅人をそっと待ってから進み、家族写真を手伝おうか迷って、足を止めるが友人は行ってしまうので追う。
二人は黙って歩いていたのではない。しかし会話を続けるには狭くて、混んでいた。
だから途切れ途切れに言葉を交わした。
私たちは久方の再開をおざなりに寿ぎ、散策を開始し、以降休まず歩き続けているのだった。
体がほぐれ、心拍が上がる。
狭い参道で人を避ける為に縦一列になりまた戻りを繰り返した。並んでいても遠ざかったり肩が触れ合いそうな距離を歩いたりした。
状況に応じて左右を入れ替わったりしている内に奥社奉拝所に出た。
それぞれに願を掛け、おもかる石に挑戦した。
また、歩く。
四辻まで辿り着く頃にはすっかり日が傾いていた。
森は緑から黒に移ろい、濃さを増していた。
稲荷山参道の四辻は開けていた。視界が。街に向けて。西を向いて。
国立天文台の発表によると、令和6年、2024年12月28日の京都市における日の入り時刻は16時53分だ。
だからこの思い出はその時刻の頃だった、と後からでも断じることができる。
しかしその日の私はそこで時計を検めなかった。
スマホのカメラを夕焼けに向けながら、しかし画面の隅の時刻は確かめなかった。
バカンスに曜日は必要なく、もう時刻すらも煩わしくなっていた。
ここで明かしておくと、私は稲荷山を登るのは初めての事ではない。
なので四辻が眺望という観点ではゴールであることを知っていた。
なので念の為に尋ねた。友に。まだ、進むのかと。
進む、と友。
応、と私。
四辻の先、山頂へ向かうルートはすぐに角度を増した。我々は試されていた。
我々の腿が、ふくらはぎが、踵が、心臓が。
三の峰、二の峰、最後の一の峰に着く頃には、混雑ではなく疲れから口数が減っていた。
しかし引き返すという手はなかった。
かわりに足を出して歩み続けるのだった。
裏稲荷、という言葉は存在しないが、四辻で右を選び、一の峰、すなわち山頂からそのままぐるりとまた四辻へ戻る道は正に裏、といった風情だった。
日は暮れていた。下り道が続いた。お喋りは減り続けて今や殆ど止んでいた。
電灯がかろうじて鳥居の内側を照らしてるだけで、外側はもう全くの暗がりだった。
自分たち以外の観光客も殆ど見なかった。
四辻でまた観光客を認め、進んで三ツ辻へ再び差し掛かって、先に来た方角へは戻らず、北向きのルートへ入った。
登りと同じだけ人がいるのが道理だと思うが、目の届く範囲が無人であることが多くなる。
二人きりになることが増えた。
闇に包まれているが自分達の道筋だけは明るい。
不安定な傾斜の中で、お喋りの途切れた時、不意にこれまでに感じたことのない種類の親密さを傍らの友に覚えた。
音のない森の中で、それがいつかも分からず、方角をも知らなかった。
上と下、前と後ろ、内と外の別だけがかろうじて残っていた。
幽玄で原始的な感覚の中で傍らの人の存在は強烈だった。確固としていた。
肩が触れた。
そっと手を取りたくなってーーー迷って止した。
今日は本当に楽しかった、私は言った。
そやね、またね、友が言い、分かれた。
互いに交わり合うことのない観光客同士で混雑する、JR稲荷駅と京阪電車伏見稲荷駅の中間地点で、私たちは一人ずつに戻った。
高揚は続いていた。
私は実家へ帰る道すがらまた本を読み、実家で読み、名古屋で帰る道中でまた読んだ。
僅か三日の経過がめぐるましかった。
日常があり、今やそれは休んでおり、非日常なひと時があり、そこで新たな感覚を得、虚構の世界に入り、また出ていこうとしていた。
京都には私の過去が、今が、そして虚構すらもが重なっていた。
境目はあやふやだった。
混ざりつつあった。
帰名の道中、梅田スカイビルを見た。
JR西日本の新快速に乗り、僅か十五分揺られるだけで乗り換えの京都駅に着いた。
乗り換えの合間に京都駅舎を内から外から眺め、観察し、原広司の世界を楽しんだ。
作中、古川が住んでいたという原広司事務所策の借家を思った。
私はこの本のカバー裏に京都駅来訪記念スタンプを押すことにした。
改札の近くまで行くと、南西アジア系の浅黒い肌をした観光客がはしゃぎながら先にスタンプを操作していた。
すぐに私の番になった。
この思い付きはーーー迷わなかった。
ハンドルを下げ、抑える。
手を上げてみると案外インクが薄く、期待外れだったが、これで全てが繋がったと思った。
内と外も。リアルとフィクションも。過去と今も。
ここを地獄の、とは言わないでおく。
ここは国際観光都市Kyoto。
愛する街を離れながら、私は次の本を開いた。

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ゴジラー1.0観ましたよ!
ゴジラー1.0を公開当日、ゴジラの日の朝一番にドルビーアトモス上映で見てきた。 チケットも高いし、迷ったけど、迫力もあって、選んで良かった。 最初、ドルビーアトモスの紹介動画が流れたのだけど、特徴を際立たせたその没入感と音の迫力に思わず少し泣いてしまった。 自分のツボが謎すぎる。
予告編だけみて、内容の予想を勝手に立て、Twitterに投稿していた。 7月12日の事だ。
「ゴジラ-1.0勝手予想。運良く特攻を避けていた非戦派の主人公が、葛藤の末、 国産核兵器(京大制作)を積んで、唯一残っていたゼロ戦で、戦災を免れていた京都に現れたゴジラ相手に特攻。 日本人が日本人の手で0の日本を-1.0とする。クレーターと化した京都市内。煙の中から咆哮が…。劇終。」
「ゴジラ-1.0勝手予想2。昭和二十年九月二日。 東京湾で戦艦ミズーリが轟沈。連合国は日本の仕業と判断し、十一月、ダウンフォール作戦が発動される。 九州南部を強襲する連合国、迎え撃つ旧軍、そこへゴジラが現れ戦場は大混乱に陥る。 一方国内は物資欠乏、食料危機も迫るのだった…。」
という風でで、さて以下ではネタバレ込みで予想の適否とその他諸々の感想を書き殴っていく。 本投稿は予約投稿を指定しておき、3か月程度経過した後にポストされるようにする。
予想1、「特攻を避けていた主人公がゴジラを倒す為に特攻を決意、とどめを刺したかに見えたが咆哮が響く」 というのは、大枠で正解してしまったと言えるのではないだろうか。 何となく思っていた通りになってしまったことは、却って寂しい感じもする。 しかし、だからといって単調な駄作という事では決してなかった。
さて私も普通に生きてきたので、日本の大衆的な創作物の文脈にあるものを摂取しながら育った。 ある程度色々と見ると、その文脈の中でも頻出の「お約束」があり、それをを感じると却って醒めてしまうというのはよくある。 そうして私は所謂「所謂アンチ邦画派」になってしまった。世の中にも一定数そういう人がいるようで、 私もそうした人と同じように洋画と比べた時になんだか脚本が観客を舐めてないかとか、カメラワークが稚拙でないかとかをついつい考えてしまう。 今回のゴジラでも同じように、主人公とヒロインの心が通う…と思ったら…からのどっこいやっぱり…という展開にはやはり感じ入るものがある。 加えて、戦闘機の追加装備の件、私なら爆弾の安全装置が二重なんだと筑波の整備兵氏に嘘をつかせる。 ああやって言葉で説明しないと観客は理解できなかろうと思われている所が割に許せないのである。 座席の後ろに箱があり、大写しにしている時点でそれ位は察せるし、きちんとそういう演出をしているじゃないかと思う。 それと、全体的に生きろとか死ぬなとかセリフにあり過ぎてこれにも難を感じる。 私の感覚では、意外とそういう事は口にしないもので、人間危急の時であってももっと目の前の事を語るのではないかと思う。 生きろ、じゃなく逃げろならまだわかるかな。 比較してもしょうながいけど、シン・ゴジラの「幹事長は任せろ」みたいな物言いが「本物」なのではないか?とか思ってしまう。
一方で、昔は、「戦場から逃げてしまった負い目」とか「戦争のトラウマをひきずっている」とか、「それらを吐露して涙を流す」とかの描写も好きではなかった。 しかし、今、私も三十半ばとなり、自分自身も私を取り巻く現実にも大小様々な嫌な事、辛い事が満ちていて、 そうしたものに囚われながら生を重ねており、それがストーリーの軸になること自体についてはおかしく思わないようになってしまった。 むしろそうした描写に居心地の悪さを感じていたこと自体が、自分の怯えをそれと理解できなかったからだという風に考えるようになってきた。
さて、映画とかを見てちょっと醒める瞬間の話に戻して、 じゃあやっぱり「あ~三丁目の夕日かね、もっとシン・ゴジラみたいなら良かったね」と思うかというと全然そんなことはなかった。 ゴジラ自体が恐ろしすぎて、その「お約束」で逆にバランスを取れているんじゃないかと思わされる位だった。 人間がくちゃくちゃにされてしまうシーンは割と直截的であって、ゴジラの剝き出しの敵意と合わさってそれが恐ろしい。 逆にこの雰囲気だけで全編終わってしまったら、ただ後味が悪いだけになったろうと思う。
自分でも先に触れてしまった事だけど、直近の実写ゴジラといえば「シン・ゴジラ」で、あれは、ある種の「正解」になってしまっていると思う。 シンを鑑賞後にゴジラシリーズを振り返ってみると、要所要所にこれまでのゴジラシリーズのモチーフがあり、 例えば胸躍る音楽である所の「宇宙大戦争マーチ」にしたって、実はシン・ゴジラが初めてではないのであった。 にも拘わらず、初めて/久し振りに「ゴジラ」を見た人をああまで虜にするその新規性と作りこみという点が凄いと思う。
庵野作品だから。庵野作品が好きな人の感想ばっかり私が見ているから、とかもあるかも知れないけど。
でもユリイカのシン・ゴジラ特集の寄稿者の真剣味とかもそれはそれはすごい熱量だった。
とまあ、そこと比べられる事が前提でありつつ、 他方「山崎貴のエンタメ」を見に来る人を考慮に入れながら東宝の看板作品を撮るというのはどれ程難しいだろう。 私は、その両方を満足させられるだけのものを感じた。 一方で分かりやす過ぎるほどの分かりやすさを、一方で突き抜けた恐怖を…という感じに。 あれだけ人間を蹂躙できるのだから、浜辺美波ちゃんのところがどっこいも、なしにしようとすればできたと思う。 それを、そうせずに、ハッピーエンドを重ねつつ最後にひと押し崖から突き落とす示唆があるという所で、 私は印象を攪乱され、良いとも悪いとも断言できない深みを覚えたのであった。 正に、「恐れ入り谷の鬼子母神」。
以下、観ながら頭に浮かんでいた事の羅列。順不同。 第二復員省の関西弁のおじさん最高。 東洋バルーンの技術者さん達最高。 浜辺美波ちゃん。 佐々木蔵之介様~。 鐘がなりますきんこんかん♪ ジュラシックパークやん! イ��デペンデンスデイやん! 電車パクーはファーストゴジラオマージュとしては誰もが喜ぶやつだよねー。 大人の男はタバコを吸うという描写から逃げないのいいね。朝ドラとは違う。 幼い子が出てきちゃうのははずるい。 浜辺美波は、シン・仮面ライダーでも成り行きで一緒に住むことになってしまった魅力的な女の子役だったけど、 まさかゴジラでも同じような役柄になるとは…。彼女の何がおじさん達にそうさせてしまうのだろうか。 にしても「できないよ!」からの「乗せて下さい!」は、あまりに碇シンジ君。 というか逆に、神木隆之介君は既にエヴァで本物の碇シンジ君になっていたか…。
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危なかった話
歯も磨かずに疲れて眠っていた所、1月14日の23時35分頃に夢見が悪く息を荒げながら飛び起きた。 大体が歯磨きをさぼって瞼を閉じている時は歯磨きに立たなければという強迫観念の所為で夢見が悪い。 それに加えて昨日は日中受けた資格試験も振るわなかったし、そもそも発熱を伴わない風邪症状で木曜日からずっと調子が悪かった。 そうした不調の重なりもあってか、人生が黄昏に向かって傾いていく夢を見た。
映画のティーザームービー、乃至結婚式のプロフィールムービーの様な物が大きなスクリーンで流れて、人気のない、出入り口も開けっ放しの古ぼけた劇場の様な所で其れを見ている。 私はシックな盛装をしていて、その映像を食い入る様に観ている。
日々の営みの中ではつい、嫌な事ばかり思い出す私の麗しい記憶だけを編集した、私による私の為の極上の映像体験だったからだ。 どのシーンも懐かしくもあり、新鮮でもあり。
しかし、それ自体が漫画の中の事の様な感じでもあり、当事者性を持ちつつメタ的な視点を感じており、総じて「自分」の同一性を形成していると半分ずつ感じている。 コマの中の自分としても、コマを読む自分としても。 この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体用ヒューマノイドインターフェースの様な話で、端的に言えばスパイみたいな感じがしっくりくるかも知れない。
そこへ山本ヤマトが描いたかのような美形の(シュッとした)、漫画なら千年生きていそうな青年が現れる。 印象派の絵画が素晴らしいように、現実の解像度が低い私は、しょっちゅうディテールを無視し点描の様な印象と絵コンテの様な書割でもって夢を見る事がある。
「素晴らしいだろう?ここでは今上映しているような映像をいつまででも見られる」 その上、映像の中に没入したり、分岐していくストーリーに関与できたりという様な種々の条件を説明された。 私は大体の同意事項がそうであるように、読んだような読んでない様な、全く有害な消費者的態度でもってふんわりと同意しておいた。
会話の後、演出の効果によって1コマか2コマで相当映像に没入して楽しんだ事を説明されてしまい、ページを繰った所で千年生きていそうな青年が囁く。 「さあ、こちらへおいで、≪××××---≫。もっと大きなスケールで事象を操作し、編集できるオプションもあるんだ」 そして一層声を低くし続ける。
「ところで君、眠たくなってきたろう、一度お休みなさい」
彼にそう言われると急に眠たい事に気づいた。 外の時刻を反映してか、劇場の出入り口から差していた光も既になく、 時刻は終電の時間帯で、コマの端の方に小さく描かれた時計からそれが読み取れる。
スクリーンに目をやると丁度最後のシーンが済んだ所だった。 画面中央に黒字に白い字で左から順にムービーのタイトルが刻まれていく。 目を瞑っても見逃すことがないと思うととろんとした眠気に負けてもいいような気がしていた。 彼も微笑んでいる。
スピーカーからはサウンドホライズンの朝と夜の物語を圧縮したような情報量の多いBGMが流れていて、微睡の中耳を傾けると全てのイメージが繋がっていく。 第nの地平、託された人生、生まれ変わりの物語、朝は生、夜は死----。 ダメだっ!と叫んだ。 叫んだのはコマの中の自分なのか外にいる自分なのか分からなかった。 脳裏によぎった人たちにまだ伝えたい事があった。 全部小脇に抱えて仕掛け絵本の如く平面から立体へ飛び出して帰還してやった。
息が上がって、喉がカラカラで、咳をすると炎症しているのか血の匂いがした。
生きていた。 少し弱気になったくらいで生きる死ぬの夢を見るような軟弱者にしては、立派に戻って来たのだった。
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私のトップニュース2023
1位『本当にテキスト以外の活字本を読まなかった』 恐ろしい話です。 幼少の頃、大好きな絵本に出会って以来、何かしらの本を常に読み続けてきた私が、人生で初めて読書を絶った一年でありました(漫画は少し読みましたが)。 なので、今年は「今年の読了本リスト」がありません。 年末年始は読書したいので、そこで1~最高4冊位出るかも知れませんが。 まあそれは一旦脇によけときまして、昨年末に決意だけ固め、 今年の半ば位までは自分でも半信半疑でしたが、 あっという間に本当に一年が経とうとしています。 とは言うものの、代わりにやたらとSNSを覗いたりもしました。 しかし、秋以降にもう一段奮起して、資格試験の予定を毎月のように押し込んだ為、SNSですら、かつてなく遠ざかっています。 全く絶った訳ではないですが。 でも、SNSで神経すり減らす位なら、広告だらけの無料アプリで 資格関係のの一問一答をやっている時間の方が長いですよ。
同率1位『日経経済知力テスト(日経TEST)で870点越え』 この今年の振り返り自体、この事を誰かに見て欲しくて書いてるとこあるわ。 小学四年生で社会科が好きになって二十余年、遂にその「好き」が日の目を見た、という感じです。 偏差値78、パーセンタイルランク(後ろに何割の受験者がいるか)で100%を取りました。 ぶっちぎりやん。東大生や。 センター試験の世界史Bで85点以上を得点した時より嬉しいです(奇数点ってあったっけ?)。 現代文の全国模試で上位数百人に入れた時と同じかそれ以上に嬉しいかも。 尚センター試験では120~130点程度で散々でした(しょうもないことをよう覚えとんな)。 ちなみに日経テストとは、広く浅い時事的な政経ネタにどこまでついていけるかという1000点満点のテストです。 日経新聞の入社試験問題と同等らしいですよ。 公式テキストを2,���周とベンダー系コンサル会社数社のビジネス系コラムと、NHK NEWS WEBを頼りに頑張りました。 テストセンターで受けました。
3位『めちゃくちゃ資格試験受けてるしまだまだ受けなきゃいけない』
上述の日経テスト以外にも色々受けたり準備したりしています。
・夏~秋に受けた本命の試験 この試験の為に読書を絶っていたものの、私は最高気温が摂氏25度を越えるとパフォーマンスが落ちるタイプの人間なので勉強は全然頑張れなかったです。 結構ボリュームがあるのですが、前半はギリギリ足切り点以上あると思います。 後半の得点は運任せです。自己採点も出来ていません。 経済産業省所管の国家資格。
・ITパスポート 今時大卒の新入社員が入社前の課題で取らされたりしているそうです。 無料アプリで特訓して合格しました。点数も良かったと思います。 独立行政法人情報処理推進機構が実施。 経済産業省所管(総務省じゃないんだ!)の国家資格。
・ビジネス実務法務検定3級 この試験は、躓いたら他の資格も含め、頑張る事を辞めていたと思います。 いっぱい資格とったろまい、と意気込んだ矢先に受けたものですから。 そんな背水の陣効果かどうか、合格水準点丁度で合格しました。 「いや私、これでも学士(法学)なんだけどな…」 と自虐しつつ、民法は好きじゃなかった事を再確認。 受験の形式ですが、これは自宅で受けました。 片付けても片付けても汚い部屋をぐるっと試験監督にウェブカメラで見せたり、 色々不正のないようにさ���られて、自宅だけど滅茶苦茶居心地が悪い時間でした。 テストはせめてテストセンターで受けるべきですね。 他人と席が近い所はそれはそれで別種の嫌さがありますが。 受験対策として、事前に公式テキストを2、3周読みました。 しかしテキストだけでは不十分で、巷間言われている通り、 過去問なり想定問題なりを解かないとダメだな、という事に気が付かされた貴重な経験となりました。 東京商工会議所が実施の民間資格。
・めちゃくちゃマイナーな試験 年500人位も受けていないぐらい(実施団体の令和3年度事業報告に依る)。 難しい訳ではない。 民間資格。
・勉強中で、1月に詰め込んだ試験達 テキスト読んでみた限り何とかなりそうだった国家資格(総務省所管)。 日商簿記三級。今読んでいるテキストの貸倒以降が全然頭に入らない。 危険物取扱主任者乙四種。無料の試験対策アプリで勉強中。でもテキスト要りそう。
・来年やる気が続けば取りたい資格 一つは、今年受けてどうせ駄目だった本命国家資格。リベンジ。 次に、似た分野で1つ資格を既に持っている国家資格の等級が低いのん。 そして、ビジネス実務会計3級。こちらは大阪商工会議所主催。 できれば、ビジネス実務法務2級。問題集も解いてテストセンターで受けるぞ。 ついでに、日商簿記2級は1月に3級取れたら頑張ります。 加えて、情報セキュリティマネジメント。ITパスポートがすんなり通ったので気を良くしてます。
と言う風で、今年は後半に何かのスイッチが入って実学的な事に挑戦し続けています。 同じだけの熱量で、大学受験の時にもっと…大学の四回生の時にできなくて何を今更…関西おる時にこんだけできたら…と色々考えたりもしますが、そうした反省の上に今がある事は重々承知。 精々1月の試験とまた本命の国家資格だけは来年頑張りたいと思います。
さて、資格試験を受けたり準備したりしている中で、ちょっとした夢が出来ました。 本気で取り組むと宣言する程ではないですが。 それは、官報に名前が載る試験に合格する事。 なんというかこう…個人のできることのある意味究極な気がしませんか。 そういうふわっとした動機で目指すレベルの事ではないでしょうから、まあ戯言と思って下さい。 当然、官報に名前が載るのは、司法試験を筆頭に超難関資格だらけ。 でも、ネットで色々調べた感じだけで言っちゃうとすれば、 技術士一次試験と、税理士は狙い目なのではないかと…。 前者は理系という所に躊躇を感じますし、食べていける系の資格ではないのですよね。独占業務がないので。箔はつくらしいものの。 ただ、危険物取扱主任者乙四種ですらヒーヒー言うてるのに、大卒レベルの理系科目を私が解けるのか…? そして税理士の方は科目合格がある事から狙い目と言ってのけてしまいましたが、必須科目の簿記論は簿記1級レベルの更に上を行く難易度らしいので、もはや眩暈がしてきます。 こちとら貸倒で躓いて三級レベルの試算表ですら訳ワカメ意味トロロですよ。 歴史に名を刻むのも大変だなあ…。
そこから少し外れますが、通信制大学で法学以外の学士号を取るとか、それか思い切って東海地方の大学院で修士号に挑戦するかという事にも興味が出て来ました。
資格試験、確かに苦しいのだけど、料理と同じで手間暇をかければ応えてくれるのではないかという期待もあり、人間関係から離れたフラットな基準で評価される事で得られる充足感もあり、続ける価値は充分にあると感じられます。 ただ、「確かに苦しい」と断りを入れる程には苦しく、短期間に幾つも申し込んだりして私、何やってんねやろうと思うのも事実。 お金も時間も掛けているし、ビジ法3を受けた時にも感じたけど、躓いたらそこで終わりそうな気もしています。 自分で自分を騙すこの綱渡り。 有名だから…と思って乙四まで手を広げて、これ以上は社会人としての基礎的な資格はあんまりなさそうでもあるし、じゃあ何かに特化していくか、と自問自答すると、本当の本当に辛い事は避けたいというのが本音でもあり。 級数のある試験だって、本当にステップアップしていけるだろうか? ビジ法1なんて、業務上の問題点を弁護士と対等に話し合えるレベルの力が試されるらしいですよ。 ううん…そこまでは…。取れたら格好いいし、見える世界も違ってくるのだろうけど。 この資格取得ブームが続くのか、予断を許しません。
4位『ブルーインパルス2回見た』 小��基地と岐阜基地の航空祭でブルーインパルスの訓練展示を観覧しました。 近畿地方には奈良の教育隊しかいてないので、東海地方の航空自衛隊施設の充実ぶりには驚かされます。 流石戦前からの航空産業集積地。 浜松も頑張って段取りすれば来年にでも行けそう。 小松も何とかなる距離かな、日帰りは無理かな。 知人にブルーインパルスいいですねと話を振ったら、那覇基地の航空祭が滅法いいよと教えてくれた。 沖縄観光にあまり興味のない私だけれども、そういう理由で訪れてみるのは一興かなとは思いました。 まあそうやって無邪気に言っちゃうのはちょっと違うかも知れないけど…。
5位『COVID-19のワクチン5回目打ってないやん』 新型コロナウィルス感染症もやばいですし、流行性感冒もビックリするほど猛威を振るっている今日この頃。 マスク、手洗い(うがい)は継続しておりますが、やっぱりプラスアルファ免疫をつけなければなあと思いつつ、のど元過ぎればなんとやら…。
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帰省前のお楽しみ
名古屋の栄へ行ってきた。
まずは街のど真ん中にある市営の地下駐車場へ車を停める。次いで歩いて地上へ出る。松坂屋へ着くと又地下へ。
お盆を控えた本日は、帰省のお土産を選びに。
配る先の人々を思い描きながら一つずつ、三軒はしごした。
ある店で、品物を���粧箱へ納めてもらったら、隙間が出来て見栄えがしませんもんでとお上手な営業を受けた。折角のお土産なので追加で焼菓子を足して貰った。ためらわずに注文できたので、お大尽になった心持ちがした。
ぐるぐる回っている内にお八つの時間になったので、地下二階まで降りてベーカリーへ。
チョコレートとナッツの入ったパンを一つ選んでテイクアウト。
同じ地下二階に冷蔵ロッカーを見付け、しかも硬貨返却式の為迷わず利用する。松坂屋の攻略法が一つ増えた。
荷物を預けたら、地上へ戻ってヒサヤオオドオリパークと言う大仰な名の中央分離帯へ向かう。
木陰にベンチを得、そこでパンを食べた。
ドリンクは水筒で持参しており何とも用意周到。
忙しいがまた百貨店へ戻る。
次は高い方へ上がっていく。
遠方に住む妹へ、遅まきながらお祝いの贈り物を選んで、そのまま配送してもらうように頼んだ。
遅まきながら…という所が私の良くない所で、もう何ヶ月も前から何それを買って送ってあげると本人に話までしてあるのに今日に至るまで決め切らなかった。
恥ずかしい話だが自分がそうした事なので自分でその責を負うしかない。
しかし実際に百日近く気にしていた事なので用事が済んだ事にはホッとした。
また地下に戻り荷物を引き上げ、地上、地下、地上と繰り返した頃には車上の人となっている。
明るい内に帰宅。
近頃毎日の様に雨の降らない夕立に似た強い風が吹いており、今日も例によって強風だった。帽子が飛ぶかと思われたが手を当てて堪えた。
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SNSの事
TwitterがXになった。
ロゴが変わった。
不具合が起きてはクジラが吊り下げられていた頃からのユーザの端くれとして、依存と言ってもいい位の利用をしてきた。
��ールドメディアにしても無料で楽しめるものは広告ありきだという事は仕方ない(雑誌も新聞も映画も有料なのに広告がついてくる)。それが今を時めくSNSにおいてはプロモツイートとなってタイムラインを流れてくるので、それを受け入れ、時には見てしまい、まあ個人情報も垂れ流していた。
それでもインスタのCM攻勢よりずっとましだったと思う。
もっと見る、とか、オススメ、に浪費した時間は本当にまとめて返して欲しい。感情を揺さぶるフックばかり仕込まれた140時の扇情的な檄文に、毎度反応する事のバカバカしさにやっと気が付いてきた所だ。まあとはいえギリギリ許容範囲かと思っていた。
が、Xに変わった際、X一字のアカウントを無断で変更した、みたいな話を聞いて、もう無理だと思った。私はネット人格を認める立場なので、要はハンドルとかIDとかいった重要な自己同一性の根拠を適当に踏みにじるような運営をされては、信用できない。
そういう訳で、完全な代替品はないだろうけど、何か移行していくような策を練ろうと思っています。
Tumblrは数ある完全移行先の中でも、長文が打てるのがいい。本当にいい。
他人の書いた長文も最高。SNS以前の雰囲気を多少感じる。写真なしで私生活のテキストが延々記述されているのは、かなり平成っぽくてエモい(若作り)。
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勉強が捗らない
年初目標を立てた。
今年は趣味の読書を封印する。そして資格取得につながるような勉強をコツコツと続ける。以て資格試験に合格し、スキルアップする。…というような。
しかし、今の所、紙の本を読まないかわりにスマフォを見ているだけになっており、進捗は良くない。
一応、1・2月は隙間時間に勉強し、3月に受けた試験は合格していたので、成果は一つだけある。
そして、9月頃の試験に向けて6月から頑張る計画もある。申し込みはまだしていない。まずはそこからだ。
常日頃、後回しの言い訳ばかりが思い浮かぶ。
新しい習慣を作るというのは、容易ではない。
だとしても、せめていつも思いを馳せているべきだ。今出来なくても、何度挫けても、細々とでも続けていかなければならない。
それは、2月途中辺りから途絶えたままの肉体改造目標も同じ事。
(特にこちらはひどくて、体型は崩れたように思うのに体重があまり変わっていない。筋肉が落ち、贅肉が沢山ついたのだろう。これから薄着の季節だと言うのに…。)
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書きそびれた春らしい話 他
①帰省の折、いつもと違う場所に燕が巣をかけており、どういう風の吹き回しかしら、などという雅な会話を叔父一家と交わした。
②昼食の弁当にいかなごの釘煮が入っており、懐かしいのでそれを話題に祖母と話していた。
兵庫県…といっても広いので中でも環瀬戸内海文化圏の三ヶ国(播磨・摂津・淡路)の人々なのだと思うが、古い人なら特に、あの小魚ちゃん達が水揚げされるや否や、誰よりも早く大量に甘辛く炊きたいと欲する人というのがいる。語尾の「知らんけど」のように在神メディア含め、他人が煽って自家撞着的にローカル意識が形成されいるのではない。残念ながらそこまで熱心な人は血縁にはいないが、近畿で仕事をしていた折には、本当にそういうおばちゃんの発言を聞いた。なので、メディアの誇張などではなく、いかなごは兵庫県民のソウルフードで間違いないのである。
さてそんな春の風物詩いかなごなのだが、祖母も曾祖母も釘煮にせず、生のまま酢味噌で和えて食べていたそうで驚いた。祖母の家では、昔は(どれ位昔だろう…)味噌も醤油も自家製だったと言っていたし、今世紀初頭辺りまでは餅も搗いていた(機械だったけど)というような感じだったので、春が訪れる度、毎度炊いているものだと思っていた。曾祖母に至っては漁村の出身の筈なのに。
とはいえ、返って通の食べ方の様な趣があり、また、味も想像するにちょっと大人の味のようであり、一遍真似したい所であるが、今年も例年の如く記録的不漁で、あっという間に禁漁となった様子。まあ五月ではどちらにしても遅いのだが、それにしたって今後も期待できなさそうで、こうしてまた何かを失ってしまったようなそこはかとないもの悲しさを一抹感じてしまうのであった。
③石川県北部で起きた大きな地震について、当初の報道では人的被害の情報などは中々入ってこず、揺れの大きさが分かりやすい、神社の鳥居が倒壊した映像などを繰り返して報じていた。祖母が、祈りの場でどうしてこのような事が起こるのか、神様はいないのだろうかというような事をこぼしていた。世代的なものを考慮しても神仏共に尊崇の念の篤いと思われる祖母が言うからこそ、その発言にはドキリとしてどう返事するべきか良く分からなかった。単にこれは物理現象だからといって片付けてしまえば神社の神性を、引いてはそこに神性を見出す祖母の感性を否定するようで適当ではないし、天罰じゃないかと乱暴を言って人々を断罪するのも違う。この十数年に限ったとて、様々なことがあり、信心だけでは折り合いのつかない事も多く、飲み込んでいる言葉も限りないだろうと思うと、寄り添う為の言葉の一つも見当たらず、���を少し開き、またすぐに閉じてしまった。
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ゴールデンウイーク後半の過ごし方
ゴールデンウイークらしく地元の兵庫県へ帰省していた。
親戚で集まって食卓を囲んで、というような事でただただ時間が過ぎて行ってしまう。親戚もそれなりに数が多いので、遠方の人、忙しい人、体調不良の人、旅立つ人、色々な人がいた。僅かな時間しか共にできなかった人もあれば、滞在中ずっと一緒に過ごせた人もある。私も齢三十四を数え、私が三十四になる分だけ皆も年を重ねており、亡くなった人、遠くへ行ってしまう人、様々である。かくいう私とて地元を離れ名古屋方面で暮らすようになり、向こうの人々からすれば、遠くへ行ってしまった人の一人である。子供の頃思っていた「みんな」は減ったり増えたりして顔ぶれが多少変わっている。冠婚葬祭のような余程の事があっても勢揃いする事が叶わない事もあり、年月が経つというのは残酷な事だなあと、自宅に戻りて窓の外の降りしきる雨を見ながらもののあはれを感じてしまう。
のびのびと数日過ごしていたが、合間に自家用車をガソリンスタンドへ持ち込みタイヤを(やっと)夏用に交換したり、荷室の整理をしたりもした。小さい達成感を感じる。
今日は朝からおこたを仕舞ってダイニングテーブルを出したり、雨の中食料品を買いに出たり、帰って来てハウス食品のフルーチェを作ってみたり、まあ何かと忙しい。
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栄ブラの事
今度連休に合わせて帰省する。
手土産の一つでも…というのを言い訳に栄へ繰り出して私流に散歩を楽しむ等した。
私流の楽しみ方として、まず、手持ちの通帳を全部持って行き、記帳を済ませる事。ひどいと一年半とかそれ位記帳せずに過ごしているので、たまの機会にログを取らなきゃ何が何だか分からなくなってしまう。今回は貯蓄用口座の通帳が一つ、磁器不良で記帳できなかった。しかし私がのんびりぶらぶらしていたせいで十五時を回って、窓口が閉まっており即座の対応は叶わず。また次回。
次にとりあえずポケモンGOをする。街中はポケストップが多いしルアーモジュールの設置率も高い。レイドだとかイベントも沢山あるので短時間でも何やら楽しめる気がする。
そして今回はレンズの欠けと汚れが気になっていた眼鏡の修理。お金がかかるから本当は何もしたくないけど、いい歳して最低限の身だしなみだと思いなおし、重い腰を上げてようやっとお店に持ち込んで直してもらった。当たり前だけど、眼鏡屋さんには眼鏡をかけた店員さんしかいなくて、眼鏡萌え(死語)の私にとっては良いスポット。まあいつでも出来るし住まいの近くでも済ませられる用事なんだけど、こうしてわざわざ都心に行くんだから、という事で何故かモチベーションが上昇するという無意味なライフハック。低廉が売りのチェーン店だとどこで持ち込んでも値段は一緒だしね。
待ち時間でお土産の購入。
栄の買い物は基本的に松坂屋さんにて。松坂屋さんでお買い物をする度に、当地に馴染んできたような気がする。スマホアプリも持っているのでまずは忘れずにチェックインしてポイントを貯める。名古屋のデパート界隈の話をすると、売り上げは名駅の高島屋の方が上だとか、他所から来た人は三越の方が好きなんじゃないかとかそういう風に聞こえてくる。実際の建物の外観も内装も導線という言う意味でも、三越・ラシックの方が松坂屋・パルコよりも整っている事も承知している。けど、私は分かった上で松坂屋本館地下のごちそうパラダイスを物色する。
ガトーフェスタハラダの行列に並び、愛知県限定小倉餡仕様のティグレスという焼き菓子を購入。包装紙も金シャチがあしらわれており楽しい。あと、面白いのでカレー味のグーテ・デ・ロア・マハラジャというラスクも試しに買ってみた。尚、ガトーフェスタハラダ自体は群馬県の企業らしい。
そして折角などでプレジィールという地場企業が運営しているグラマシーニューヨークという屋号のテナントで今日自分で食べるケーキを購入。ニューヨークナイツという名前の四角いチョコレートケーキで、ショーケースに沢山並んでいるとそれこそニューヨークの摩天楼群を何処となく想起させて可愛かった。
荷物多くてしんどかったけど、お菓子とケーキを抱えて眼鏡を回収してお出かけ終わり。
帰宅後は仕込んであった夕飯を仕上げて食べて、食後はケーキ。とても美味しかった。
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感染症流行下の暮らし23
不定期的に新型コロナウィルス感染症に関する話題を書き綴ってきた。
最初の方に、ワクチンを打てたら一区切り、というような事を書いたが、結局それは感染症の鎮圧をもたらさず、最終的に四度もワクチンを打つことになってしまった。今でも日々数千の人が感染しており、まあ打てるなら五度目も打ちたい位だが、ぱたりと案内も何もなくなってしまった。
つい数年前には休校を取り返す為にGWは授業だの何だので大混乱だったように思うが、今年は連休明けたら感染法上の類型を格下げしますというような事になり、その差に改めて驚かされる。
今度こそ、この連載のタイトルを下すことができるといえるだろう。流行が収まったというよりは、社会的に受容できる程度に心理が変わったという事。実際の流行の程度に関わりなく「例の感染症が流行している」という事が軸にならない。
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当然個々人の行動も変わっていて、マスクや消毒、もうみんな前ほどしてないよね。私も前程は熱心ではないよ。きちんとするけどね、必死感はない。忘れたら忘れただな、って少し思ってる。
不織布マスク、定着するかな、と思ったけど、世の中のみんなは元に戻りたくてすべてを忘れたくて整った歯並びを自慢したくてうずうずしているみたい。そういうのは外国だけで、日本の人は割とそんなことないかななんて空想したこともあったけれど、肌感覚としてもうないな、と思う。
連休明けて気温も上がっていくし、一気に「逆コース」かな。
私は身内の高齢者の事が本当に気がかかりなので、一切の感染症対策を無視するという事はないだろうけど、処世の中で世間のせいにして自分に甘くなっていくような気も非常にするので、そこはちょっと気を付けていきたいと考えている。
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先日、我が大名古屋都市圏を離れ、暫しの里帰り等を行った。
神戸の街を朝な夕なと楽しむ���会に恵まれた。
私は神戸のすぐそばに住んでいたにも関わらず、あまり神戸をしっかりと楽しめていなかった。当然、モザイク(メリケンパーク)もumieも中華街もセンター街も北野坂もその他諸々、まあ通り一遍回った事はあったけれど、何か物足りない感じだった。
今回は、神戸市内に宿泊できる幸運もあり、明るい内にも暗くなって��らものんびりと散歩することができて、それが凄く良かった。特に旧居留地周辺をうろうろしてデジカメで写真を撮ったりしてそれが楽しかった。最終日には生まれ変わった(というかまさしく原形を留めていない)東遊園地の芝生の健康的で開放的な雰囲気と、見るからにそれとわかる安藤建築の「神戸 子ども図書館」のコンクリートとガラスの外観を堪能し、昔はそごうだった気がするなと思いながら神戸阪急のモロゾフで神戸限定のプリンクーヘンという土産を購入したりもした。
結局めちゃくちゃベタな事しかしてへんやん、という気もしなくはないが、個人的特別ポイントが何点かあって。
普段しない宿泊を伴う観光だった事。
レトロな建物の写真を撮るという趣味の発揮。
新スポットへ行けたという満足感。
限定品を購入し人に贈るという珍しい気の利かせ方。
んー、端的に旅行はいいぞ、という事なのだろうか。そうかも知れない。
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まだ覚えているFC2絵日記の事は
インターネット歴も二十年オーバー、それどころかスマートフォン使用歴ですら十年以上というような現時点となってしまいました。
インターネットの露と消えていったヤフージオシティーズと同じ轍は踏めないと思い、FC2絵日記の投稿をまたバックアップをとりました。
またというのは、以前使っていたPCでも取っていたのですが、ハードディスクがクラッシュしてひとまずどうにもできなくなってしまったという過去が影響しています。
さてまたバックアップを取り、本体SSDに保存し、更に内容量をなんとか誤魔化してGoogleドライブにも上げておきました。
今更読んでも恥ずかしいばかりで全て消えてしまっても特に構わないというか、同じくらいの分量で紙の日記も残っており、等しく恥ずかしい内容ばかりなので、まあ電子空間に残っている必要もないか…とも思います。
あの時、その日にかけなければ日付を編集して遡ってまで毎日を記録したかった、あの熱意はなんだったんだろう。
SNS時代に入って、リアルタイム更新が当然になってきて、動画系や音声系の人だとライブ中継すら当たり前になって来たわけだけど、結局私はテキストしかアップロードしないし、読むばっかりで全く書かなくなってしまいました。
ネタ切れ何のそので日々何かをひねり出していたあの強迫的な勢いだけは懐かしく思えます。中身については特段懐かしくもないけど…。
最近考えているのは、なぜ私は昔の嫌なことばかりを覚えていて、そればかりを繰り返し思い出すのか?です。
繊細な記憶というのは常に嫌な事ばかりであって、楽しい思い出、自分が心から笑っていた時々というのは、事象としては多少覚えていたとしても、もはや残っていた写真から出来事を再構成したような事柄に過ぎず、毎日毎日頭をよぎる何らかの記憶というのは常に自らの失敗のような隠したい、逃げたいような事象ばかりです。
お話をしたり、写真を撮ってみたり、ランニングをしてみたり、そんなに悪くない楽しい出来事だってあるはずなのに。
頭の中をいつも周回しているお節介な騒音をかき消して、ちゃんと、楽しいことだってあったよ、と自らの慰めとして記録する用に、このTumblrを使っていくのもアリかも知れませんね。知らんけど。
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感染症流行下の暮らし22
NHKが政府分科会の尾身会長にインタビュー。
我々は第八波のさなかにいる。
持病のある高齢者が沢山亡くなっていて、社会的に見えにくいから、現役世代の国民と医療関係者の間で分断があるのだと。
しかし経済、社会、教育へ受けた三年間に及ぶ多大な影響を鑑みると、大規模な行動制限・人流制限を行う局面ではないのだと。
新型コロナウィルスの怖いのは、国民の八割が感染を経験したような国でもまだ流行するし、季節性ではなく年中流行があり得る所だと。
そういう分析がなされています。
終わらない…。このまま永久に有害な変異株が現れ続けるならば、私達の死生観、社会が変わっていくという予感に、益々現実味が生じてくる…。
死因のランキングが変化したら?
平均寿命が減少したら?
「持病」のリスクに抗うことが今よりもっと強化されたら?
劇的な変化ではなく、不景気が三十年続いたのと同じ様な、気付いたら世の中どうしようもなく変わっていたのと同じ事が起きるのだろうけれども。
この三年を思うと、先の十五年に及ぶ戦争が国民生活に与えた影響がいかに壮絶であったのか、日に日に痛感できる。同じ様な事をいつも思う。それだけ決定的な出来事だったのだろうと思うが。
という訳で今回も取り留めもなくダラダラと真面目風なまとまりのない雑感となった。
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読了記録2022
当年の読了本は以下の通り。例年通り漫画は除く。
今野緒雪 文、ひびき玲音 絵「マリア様がみてる フェアウェル ブーケ」
舞城王太郎「されど私の愛しい檸檬」
山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」
林譲治「大日本帝国の銀河 5」
多和田葉子「地球に散りばめられて」
ニーンケ・デーネカンプ、ルネ・ファン・ブレルク、タイオ・メーデンドルブ著 鮫島圭代訳千足伸行監修「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」
古川日出男「平家物語 犬王の巻」
砂川文次「小隊」
森博嗣「リアルの私はどこにいる?」
森山大道「犬の記憶」
森山大道「犬の記憶 終章」
エイドリアン・マッキンティ著 武藤陽生訳「ポリス・アット・ザ・ステーション」
川越宗一「熱源」
春暮康一『法治の獣』冒頭収録作「主観者」
水本邦彦「シリーズ日本近世史 村 百姓たちの近世」
松村淳「建築家の解体」
森博嗣「オメガ城の惨劇」
八束はじめ「ル・コルビュジエ」
早瀬耕「十二月の辞書」(大晦日読了予定)
以上19冊(18冊と1編)。
来年はというと、趣味の本を読まずに勉強して資格でも集める禁欲的な年にしようと目論んでいる。
実行するかは怪しい所だけれど、そういう「つもり」があ��という事。
取る資格よりも、そういう風にしたいという先走った皮算用。
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私のトップニュース2022
大名古屋都市圏居住一周年経過
ただ暮らしているだけでも、移住してきたという意識があるのとないのとでは全然違う。
昨年もよく雪が降ったが今年のクリスマスイブも凄かった。まさか大雪警報が出るとは思っていなかった。
味噌煮込みうどん食べた。
あんかけパスタ食べた。
手羽先食べた(最初は去年かも?)。
青菜炒め食べた。
「台湾」の麺を食べた(焼きそばだったかな?)。
しょうゆカツ丼を食べた。
土手煮うどんを食べた。
きしめんはよう食べた。
キッチン家電等一斉更新臨時対応
炊飯器、電子レンジ、オーブントースターが次々と壊れて、やむなく買い替え。
メーカと色を揃えて購入した。
スティック型掃除機も買った。
掃除機だけはメーカをキッチン家電に合わせたが、同系色がなく、迷ったが、最終的には妥協した。
食料品及び生活雑貨の計画的購入
小さいブラシ、柄の付いた水筒用のスポンジ、霧吹き、アイロン台、浴槽を洗うスポンジ…細々した雑貨を少しずつ買い揃えた。スポンジみたいな衛生に関する消耗品は必ず毎月買い替えるようにしている。
生活雑貨や日用品の類は、他にも沢山欲しいものがあって、特に台所用品については積極的に導入したり買い替えたりしていきたい。品定めも相当している。
そして生協を始めた。アプリで頼んで週一で来てくれるので助かる。オススメやミステリーボックスみたいなものを頼む事で、色々今まで食べなかったようなものも挑戦しやすく、面白い。増資もして貯金がわりにも。
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