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ysformen · 2 months ago
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“さすがグリコの工場!おトイレマークもグリコε=ε=ヾ(*゚ー゚)シ http://t.co/02TU4u7hNt”
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ysformen · 2 months ago
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中国人には日和るくせに、日本人への対応が酷すぎる。
群馬県桐生の荒木恵司市長は3月28日、市職員による「申請権の侵害」によって生活保護行政が歪められていたことを認め、利用者や相談者に「耐えがたい苦痛や不利益を与えた」と謝罪した。
 再発防止に向けた第三者委からの提言��受けて荒木市長は、窓口相談の録音、利用者からの苦情を受け付ける窓口設置など、踏み込んだ対応をとることを明らかにした。
 生活保護利用者について「ろくでもねぇ」「あいつらはくず」と言ってはばからない職員がいた▽保護係の職員による恫喝(どうかつ)、罵声は日常茶飯事で、他課職員でさえ聞くに堪えない内容だった。しかし誰も注意せず、制止しなかった(いずれも市職員からの証言)――。
 事実なら人権侵害と言わざるをえない深刻な窓口の実態が、数々の証言から浮かび上がった。
■利用者・家族からの証言
 ◆保護を受けようとしたとき、子どもを児童相談所に預けることになると言われたが、児童相談所にその話をすると市役所がおかしいと言っていた。
 ◆子ども4人を抱えた母親。保護を受けて半年ほどで、半強制的に保護を打ち切られることになった。その際、ケースワーカー(CW)から「子どもを養えないということだから、児童相談所に子どもを預ける」などと暴言を受けた。
 ◆2週間に1度、生まれたばかりの子どもを連れて窓口に出向き、家計簿を提出して、保護費を取りに行っていた。家計簿が1円でも合わないと怒鳴られた。眼鏡を購入した際に、「これは税金ですよ」と怒鳴られた。CWが家を訪問した際、勝手に冷蔵庫を開け、「どんな生活しているんですか」と言われた。
 ◆県内の他市の高校へ子どもが通学していることについて、CWから「遠くの高校に通うのは、頭がおかしいのでは」と暴言を言われた。
 ◆障害児を抱えるひとり親。介助などで定職につけず、自分も精神障害があることをCWに話した。児童手当や障害者手当をやりくりして生活している状況を伝えると、CWは笑いながら、働いて得る収入がないことを馬鹿にする態度をとった。ひたすら、すみません、と謝った。
 ◆母子世帯で、週に1度の分割支給だった。家計簿を提出し、レシートも提出させられて、1円単位で管理された。子どもの卒業に合わせ、貯金をするように指示された。
 ◆母子世帯で県外で生活保護を受けていた。桐生市へ転居して生活保護申請をしたが、CWから前のところに戻るよう圧力をかけられた。さらに家族全員の顔が見たいと言われ、子ども全員を窓口に連れていくことになった。
 ◆自宅訪問の際、CWが勝手に冷蔵庫を開けて「卵が4個も入っ��いる」と言った。その後申請が却下された。
 ◆高齢の父の家のエアコンが真夏に壊れ、購入資金がないことを相談した際、「十分に保護費を渡している。自分で購入するように。熱中症になったら救急車を呼んでください」とあしらわれた。
 ◆週に1度、レシートをつけて家計簿をCWに報告していた。生理用品の購入を知られるのは嫌だったし、レシートのない自販機で飲み物を買うことさえなじられ、苦痛だった。
 ◆CWが自宅を来訪し、「保護が長く続いているから、生活保護を切る」という話をされた。理由も説明されなかった。
証言続々
群馬県桐生市が設置した第三者委員会に寄せられた証言の数々。記事の後半では、市職員や福祉関係者からの証言も紹介しています。
 ◆CWからは、レシートを週に1度持参、市役所に来るときはYシャツにネクタイ、革靴で来るようにと言われていた。ひらがなや漢字の書き取り練習をさせられた。
 ◆実父の生活保護申請の際、泣いて窮状を訴えたが、CWが「泣いても意味がない」と言って申請にいたらなかった。再度窓口に出向いてようやく申請用紙を交付された。CWから呼び出されたときに通路で、大声で「なぜ父が生活保護になったかわかるか、社会性がないせいだ」と怒鳴られた。
 ◆自分は知的障害だが、申請のとき「生活保護も知らないの?」などと言われ、馬鹿にされたと感じた。
 ◆CWから、カウンターを乗り越える姿勢で怒号を受けて、精神的な苦痛を受けた。
 ◆毎日ハローワークに行くようにいわれ、それがなければ支給は止めると言われていた。CWの指示は絶対で、それに必ず従うように言われた。家計簿をつけなければ支給を停止する、税金で養ってもらっているのだから常識だと言われた。
 ◆弟が保護をうけていた際に、CWから非常につらい対応をされ、保護をやめさせられ、その後医者に行くこともできず55歳で亡くなってしまった。
 ◆骨折で入院中、CWから「いつまで入院しているんですか」と言われ、治療中だったが退院せざるを得なかった。
 ◆交通事故で入院。退院後の通院ではタクシーを利用するが、保護費からその費用が出してもらえなかった。
 ◆理由もなく、飼い猫を飼ってはいけないとCWから言われた。
 ◆息子が生活保護を受けていたが、職員から援助できないのか聞かれた。余裕がなく援助不可と伝えたが、何も援助できないのかとさらに聞いてきた。たまに弁当を持っていくことがあると伝えたところ、職員は「1日200円くらいにはなる」と言い、1カ月に6千円ほどの食品を息子に渡していることになってしまった。
 ◆単身の父親がホームレスのような生活状態(栄養失調、電気ガス水道が止まっている)だと知り、生活保護申請のために窓口に行ったが、家計簿をつけるように言われて申請とならず、再度窓口に出向いたが、「家族で支えあって」と言われて申請にいたらなかった。
 ◆税金滞納の相談を税務課でした際、保護申請を勧められた。保護の窓口で相談したが受け付けてもらえず、私物を売って1日1食しか食べられない暮らしを続けざるをえなかった。
 ◆家族全員が保護を受けていないと受けられないと言われ、申請に至らなかった。
 ◆2週間に1度1万4千円ずつの分割支給をすると言われ、そうしないと保護は受けさせないと言われた。
 ◆収入申告の書類のなかで、自分で申告したことがないのに、月6千円分の米の仕送りが母からあるという記載がなされていることがわかった。母が届けたこともないのに、その旨の母の扶養届があることもわかった。実体のないこの扶養届のために毎月6千円が減額されていた。
 ◆生活保護を受けるには自宅から出て遠方の施設への入居が必要で、そうしなければ申請はできないと言われ、やむなく従った。持病があったところ、遠方の施設に入居したため通院交通費がかかることになったが、保護費からこの費用が支給されない。
■市職員からの証言
 ◆保護係の職員による恫喝、罵声は日常茶飯事で、他課職員でさえ聞くに堪えない内容だった。しかし誰も注意せず、制止しなかった。
 ◆生活保護利用者について、「ろくでもねぇ」「あいつらはくず」と言ってはばからない職員がいた。
 ◆生活困窮者自立支援制度の利用者で生活保護が必要になることを保護係に相談しても、就労ができるというだけで相談自体に乗ろうとしない。保護を申請させないという意識が強く必要な人が利用できない状況が作り出されていた。
 ◆特定の職員が怒鳴っているのが、よく聞こえてきた。これは周知の事実だと思う。
■福祉関係者からの証言
 ◆要支援2となった高齢男性のため、デイケア利用のケアプランを立て、CWに提出したが、「お金がかかるから認めない」として、デイケアを受けさせてあげられなかった。その後その男性は亡くなった。
 ◆精神障害者の方の申請に同行したが、相談支援専門員である私に対し、CWが「適当な仕事をするな」といった侮辱的対応をしたほか、「申請はここでは受け付けられない」として申請を受けなかった。
 ◆保護申請の付き添いで窓口にいた際、生活保護利用者と思われる人に対し、CWが「俺だって頑張ってるんだから、お前だってやれるだろう」と大きな声で高圧的な態度をとっているのを見た。
 ◆金銭管理団体が金銭管理をしている生活保護利用者(週に7千円)がいたので、毎月未払い分があることや、本人が金銭管理できることを伝えたことがあった。しかし金銭管理団体の職員は、「葬式代を貯金してあげている」と話し、金銭管理を続けた。
 ◆高齢夫妻で持病があり就労不能の状況だったが、保護申請をしようと窓口を訪れても「なぜ働かないのか」「親戚に面倒をみてもらうように」と強い口調で言われ、申請にいたらなかった。
 ◆税滞納のため自宅を公売されホームレスになった人が、生活保護の申請に出向いたが、「住所がないと申請できない」「施設に入所して、そこで保護を申請するように」として、他市所在の施設見学を案内された。
 ◆生活保護利用中の世帯の夫が逮捕されたことをきっかけに、連絡もなく保護が打ち切られたようで、同居の配偶者が生活できない状況になった。警察官とともに保護の再開を要請したが、「悪いことをした人の家族は保護を受けられない」という理由でどうにもならなかった。CWが「税金の無駄」などと恫喝をしたため、妻の手が震えるほどになり、追い返された。
■そのほかの市民からの証言
 ◆(生活保護担当の)職員と思われる人が、職場ではない場所で、どこの家が生活保護を受けているとか、生活保護の申請に来たなどと話し、生活保護を利用する人を挙げて早く死んだほうがいいという話をしているのを聞いたことがある
 ◆外国籍の人に対して、職員がすごい声で怒鳴っていた。怖くてしっかり見られないほどだった。
 ◆生活保護利用中の病気の知人を送迎して同席していた時、家計簿の計算間違いに対し、「計算もできないのか」とCWが罵声を浴びせたので、さすがに私が苦情を言った。他の職員も借金の取り立てのような態度や口ぶりで、とても市役所の職員とは思えないひどい対応だった。今でも許せない。
 ◆生活保護の担当職員が窓口の男女に向けて、「てめぇら」「ふざけんじゃねーぞ」「さっさと仕事しろや」などと大声で怒鳴りつけている場面をみた。驚き、不快だった。
※「桐生市生活保護業務の適正化に関する第三者委員会」
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ysformen · 2 months ago
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ysformen · 2 months ago
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今は働いて世の中の役に立ち、納税もして貢献をしている。だがあなたが老後を迎えてそれができなくなっても、あなたが火事を起こせば消防車が来るし、あなたが夜道を歩いても安全、警察官がいて、あなたがスーパーに行けば生産者が作った肉魚米が並ぶ。どこか行きたいと思えば安全に移動ができ、当たり前のように電気水道が使える。そして年金もしっかりもらうだろう。 だがこの仕事・納税をしているのは、「生む選択をした親達が苦労して育て上げた人達」だ。 (注釈を入れるがその親たちは決して悲惨なわけでなく、自分の選択に誇りに思っているし、幸せだ。) だがあなたはテヘペロをして当たり前のようにサービスや年金などの恩恵を受けるのだろう。それも自由だ個性だという日本なんだから仕方ないが。
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ysformen · 3 months ago
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戦争に敗れた国の歴史は、一般に抑圧されている。敗北民族は自らのかつての神を忘れ、勝利民族の神を新しい守護神として祭壇に祀りあげる。生きるための必要がそうさせる。そのうち自分が信じていた神の名さえ忘れる。世代が替わり、旧敵国の道徳を自分の道徳とし、旧敵国から加えられた不正や犯罪までをも、自分の神の罪深さのせいにしているほうが便利で、生活しやすいということになると、もう誰も昔の神のありがたさを思い出す者はいない。 けれども、そういうときでも、歴史は声を発している。言葉は発していないが、黙って語りかけている。歴史には沈黙している部分がある──これは古代から現代に至るまで変わらない。"
西尾幹二
沈黙する歴史
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ysformen · 3 months ago
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「日本人が死者に対して敬虔な追慕の情を抱いているのは、墓地を見るとわかった。オールコックは言う。「日本の墓地は、かれらの宗教のなかではもっとも注目にあたいし、かつまた心地よいものであって、死者のいこいの場所にたいしてわれわれが当然いだく神聖な感じともっともよく調和している」。彼が見たのは英国公使館の置かれた東禅寺の墓地である。「死者に係わるあらゆる点で、日本人はキリスト教諸国以外では期待できない洗練をみせる」というのはパンペリーである。トロンソンは長崎の墓地を見て「死者の棲家に対して、西洋の最も文明化された国民が示すのと変らぬほど、たっぷりしたあたたかい配慮」が示されていると感じた。長崎の墓地の美しさは多くの訪問者の嘆賞の的となっている。ブラントンは、燈台設置のための調査航海の途上で死亡した英人士官候補生を、広島の浜辺に埋葬したときの出来事を記録している。艦の全乗員と日本の役人によって葬儀が行われた直後、「数人の老人が手に手に灌木の小枝を捧げて墓に近づき、恭しく墓前に置く姿は、見ていて大変に美しい光景であった」。日本人に対してしばしばむかっ腹の立つことのあった彼は「この度は、日本人の性質に非常に快い称賛に値する側面を見た」と書いている」
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ysformen · 4 months ago
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これまで約10年間にわたりロシアから受けた苦難を振り返り、国際社会がそれを防ぐことができなかった、あるいは防ぐ意思がなかったように見えるなかで、スーシェンコ氏は避けがたい結論に達している。 「今のウクライナで起きていることを見て、個人的な見解としては、すべての核兵器を完全に破壊したのは誤りだったと思う」。スーシェンコ氏はこう言う。 「しかし、それは政治的な問題だった。最高指導部が決定を下し、我々はただ命令を実行しただけだ」 30年前の当時、それは完全に理にかなった決定に思えた。ロシアが20年以内にウクライナを攻撃するなど、当時は誰も思ってもみなかったのだ。 「自分たちはおめでたかった。けれども同時に、信用していたのだ」。1994年にウクライナの駐英大使だったセルヒイ・コミサレンコ氏はこう言う。 「イギリスとアメリカ、そしてフランスが合意に加わったとき、我々はそれで十分だと思っていた。ロシアも同様だった」 ウクライナのような貧しい国にとっては、数十年にわたるソ連の支配から抜け出したばかりの状況で、維持に莫大な費用がかかる核兵器を持ち続けるなど、ほとんど意味をなさない発想だった。 「産業や繁栄のために使えるお金を、核兵器の製造や維持に使う必要がどこにある」という発想だったのだと、コミサレンコ氏は話す。 しかし、1994年に結ばれた運命的な「ブダペスト覚書」の記念日は現在、ウクライナが特定の主張をするために使われている。 ブリュッセルで今週開かれた北大西洋条約機構(NATO)外相会議に出席したウクライナのアンドリー・シビハ外相は、「ブダペスト覚書」のコピーが入った緑色のフォルダを掲げた。 「この文書は、ウクライナと大西洋両岸の安全を確保できなかった」、「このような過ちを繰り返してはならない」と、シビハ外相は述べた。
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ysformen · 7 months ago
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「難民はウソ」 「働くため日本へ」
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川口クルド人「出稼ぎ」断定
日弁連が「封印」
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ysformen · 8 months ago
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ysformen · 9 months ago
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“仏陀の言葉にすら依存しない 君が川を渡るためにイカダを作って、川を渡った後でこう考えたとしてみよう 「このイカダはとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と そんなお荷物を抱え込んでてしまっては、重くてまともに歩けはしなくなる それが君の業績・学歴・職歴であれ、このイカダと同じ事 私の言葉も教えも真理すらもまた、このイカダのようなものにすぎないのだから 君が私の教えを使い終わったのなら、惜しむ事無く捨て去るように”
— 仏陀の言葉 自由になる② (重要:breaking news)|火の鳥 sayhellotoeverybody.tumblr.com (via sayhellotoeverybody)
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ysformen · 9 months ago
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“フランスがギロチンを行っていたのは1981年までらしい。めっちゃ最近すぎて草。”
— [B! togetter] 有名な「鉄の処女」が後世のでっち上げであることも明記され、なぜこれほど残酷な拷問や処刑が行われたのか、説得力のある考察もある「拷問と処刑の西洋史」が興味深い
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ysformen · 9 months ago
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“「10年たっても100円寿司が100円のまんまみたいな国は投資なんかせずに銀行に貯金すればいい。アメリカや他の先進国は銀行に10万円預けると、10年で半分の価値になることもある。だから、やむを得ず不動産や株に投資してるだけなんだ」とアメリカで言われた。”
— Twitter / fukuyuki (via igi) (via katoyuu) (via kiyoya) (via petapeta) (via systempunks) (via ukar)
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ysformen · 1 year ago
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しかし、今回の都知事選の大きな問題は、このような不誠実な人物であったとしても、都知事選で第2位の得票ができてしまうほどに「現在の政治に対する不満」が溜まっていることだろう。
実際、彼の公約は財源の裏付けもなく、大学生が数時間で作れる程度の項目とキャッチフレーズのみで詳細を論じるに値しないものであり、政策の具体的な理解が都民に拡まることすらなかった。
そのため、石丸氏の得票は同氏に対する支持の結晶というよりも、しょうもない話題で右往左往する従来の政治屋に対する不満が爆発したと捉えるべきだ。既存の政治関係者も大いに反省するべきだろう。
石丸氏の切り抜き動画を通じたフィクションの政治は、民主主義の学校であり、生活に直結する地方自治��現場を破壊した。もちろん、市議会議員にはマトモな人からふざけた人まで、さまざま存在する。それは事実だ。
しかし、そのような現実を踏まえた上で、政治を変えるには地道な努力が必要なのだ。SNSを使って議会で政敵を吊るし上げるエンタメでは何も変わらない。
政治や行政の関係者には、石丸氏が安芸高田市で見せたような茶番政治が拡がらないように、住民から一層の信頼が得られる積極的な情報発信、及び情報公開などを推し進めてほしい。
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ysformen · 1 year ago
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ysformen · 1 year ago
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ゆっくり解説 西洋人が鬼畜だった理由
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ysformen · 1 year ago
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ysformen · 1 year ago
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イギリスに留学中、ふとイギリス人講師から 
『イギリスが移民社会になったのは日本人のせいだ』 
と言われたことがある。
「なんで?」と聞くと
「日本人が大英帝国の植民地労働を奪い、仕方なく自国の中に同様の労働力をいれたから」
と答えた。
ブリテンらしい言い草じゃな!!
ワシらは、あの戦争を侵略戦争だとならった。
それは受け手によっては正しい。
植民地と基本的人権が認められない奴隷をもっていた、
イギリスやオランダにしてみたら、
奴隷は財産だから侵略された、という認識は正しいよな。
しかし、当事者の人権が認められていなかった人々にしてみたら、
「奴隷の身分を日本人に奪われた!」となるのか?
ならんよな。
しかし、戦争が終わった直後はみんな日本人に感謝していても、
時代が経って当の日本の総理大臣が
「侵略のおわび」を何度も口にしたら、
世代交代と共に当時の記憶を語り継ぐ者もいなくなり、
「日本人が侵略したといっているなら侵略だろ」
と東南アジアの人々がなるのは無理ないよな。
でもな
「日本人が戦争する前に、東南アジアな人々の人権を保障する根拠法はあったのか?」
という客観的な視点から見ると、
「なかった。しかし、日本が戦争をした後、独立して憲法を制定し、人権保障の根拠法が出来た」
という事実がわかるわけじゃ。
ワシもみんなと同じ反日教育を受けて育ったが、
ワシが通っていたイギリスの国立大学院の図書館には、
反日思想を前提にして書かれた本はなく、
ただ客観的に
「日本の軍事侵攻でイギリスの財産である植民地と労働力が奪われた」
と書いてあるわけじゃ。
『目覚め』がそこにあった。
フランシス・フクヤマという人が書いた
「歴史の終わり」という本にはな、
なぜナチスとソ連が戦い、ソ連が勝った理由が書いてある。
それは、ゲルマン民族至上主義を支持する人の数より、
共産主義を支持する人の数が多かったため、
パルチザン活動など個々の人々の抵抗運動などを抑えるため
ナチスは国力を投じざるを得ず、結果的に負けた。
次に民主主義と共産主義の戦い(冷戦)では、
民主主義を支持する人の数が、
共産主義を支持する人の数より多く、
共産主義体制を維持するためには、
通信や出版の検閲や統制、
人々の活動監視など維持コストを払う必要があり、
監視する人は監視の仕事に労力を費やすわけだから、
経済活動がその分弱まり、
結果国民を統制するコストが少ない民主主義が勝利したわけじゃ。
日本の戦争も、 
「東南アジアを植民地にしたい」という人々よりも、
「東南アジアを独立したい」という人々が多かったから、
結果的に、いま独立国なわけじゃな。
日本の戦争が終わったあとも、
インドネシアにはオランダ軍が侵攻して再度の奴隷化を試みたわけじゃが、
インドネシアの人々は日本人義勇兵数千人と日本軍から供与された武器を使い、
侵略に打ち勝ったわけじゃ。
ここでな、もし日本の戦争が東南アジアの人たちからみて侵略ならば、
なぜ日本への大規模な抵抗戦争が起きなかったのか? ということになる。
実際、オランダがインドネシアを侵攻したとき、
強烈かつ大規模な抵抗がおきたわけじゃ。
なぜ、同じことが日本の侵攻には起きなかった?
それは、当時のインドネシアの人々が
「オランダは侵略者だが、日本は解放者だ」
と認識していた証左だとワシは思う。
日本には素晴らしい、誇らしい歴史がある!
それはワシらの心を豊かに強くする。
国防とは、物理的な土地を守るだけではない!
精神的な心を守ることを含めて国防なんじゃ!
不正な罪悪感は人を弱体化させる毒じゃ!
毒をこの国から無くすんじゃ!
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