#北条氏康
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victorinox-japan · 14 days ago
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「クライマー 戦国墨絵コレクション」第4弾。五大武将を描いたマルチツールが2025年6月27日(金)より日本限定発売。
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戦国の魂、墨絵で現代に甦る
ビクトリノックス ジャパン株式会社は、日本限定モデル「クライマー 戦国墨絵コレクション」の第4弾をとして、戦国武将「上杉謙信」「武田信玄」「毛利元就」「北条氏康」「島津義弘」の5名の名将を墨絵で描いたマルチツールを、2025年6月27日(金)より全国のビクトリノックス直営店舗、およびビクトリノックス公式オンラインストア(楽天市場店、Amazon店、Yahoo!ショッピング店)にて発売いたします。
本コレクションは、日本の歴���と伝統美を融合させたアート性の高いシリーズとしてご好評をいただいております。
戦国時代を代表する名将たちの力強さと気品を、墨絵の技法で表現したデザインが特徴です。実用性と芸術性を兼ね備えた逸品として、歴史ファンのみならず、幅広い層のお客様にご満足いただける仕上がりとなっております。
また、第四弾を含め、これまでに発売された戦国武将シリーズを一堂に集めた「戦国墨絵コレクションBOX」の予約も開始いたします。今回の新作を含む歴代の武将たちが勢ぞろいしており、シリーズの魅力を余すところなくご堪能いただけます。
特製ボックスは、国産桐箱を光沢のある漆黒塗料で塗り、墨絵師・御歌頭(おかず)氏により精緻に描かれた安土城を金色で再現した豪華仕様。美術品のような佇まいで、コレクションとしての価値も高く、贈答品としても最適です。
発売に先立ち、2025年6月13日(金)より、ビクトリノックス直営店舗にて先行予約を開始いたします。
商品詳細
商品名:戦国墨絵コレクション 第4弾
発売日:2025年6月27日(金)
予約開始日:2025年6月13日(金)※直営店舗限定
販売形態:日本限定・数量限定販売
デザイン武将:上杉謙信、武田信玄、毛利元就、北条氏康、島津義弘
価格:13,200円(税込) 
コレクションボックス:198,000円(税込)
取扱店舗
・ビクトリノックス直営店 ・ビクトリノックス公式オンラインストア楽天市場店 ・ビクトリノックス公式オンラインストアAmazon店 ・ビクトリノックス公式オンラインストアYahoo!ショッピング店 ・その他 ビクトリノックス取扱店舗
「戦国墨絵コレクション」は、戦国時代・戦国武将をテーマに活動する企画集団「戦国魂(せんごくだま)」に所属する墨絵師・御歌頭(おかず)氏による描き下ろし作品をデザインしています。
2020年より展開している本コレクションでは、御歌頭氏が描く迫力ある墨絵を、マルチツール「クライマー」のハンドルにあしらい、唯一無二のコレクションとして展開してまいりました。
第4弾となる今回は、中央勢力と熾烈な戦いを繰り広げた5名の名将を新たにモチーフとして採用し、御歌頭氏による鬼気迫る筆致が、戦国武将たちの魂を現代に甦らせています。各作品には御歌頭氏の落款が押されており、アート作品としての完成度も高められています。
本コレクションは、歴史���美術、そして実用性が融合した、「現代に甦る戦国の魂」を体現する逸品です。
また、ビクトリノックスは140年以上にわたってスイスで高品質なナイフを製造してきた実績を誇りにしています。すべてのナイフとツールには、厳しい品質基準をクリアしたステンレススチールを使用しています。いずれの商品も材料や製造工程に起因する故障に対して修理または交換を永久保証しています。
越後の龍「上杉謙信」
~「義」を貫いた戦国武将の精神を現代に~
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上杉謙信公は、「越後の龍」と称され、戦国の世において「第一義(だいいちぎ)」すなわち「義の心」を何よりも重んじた人物です。敵であっても困窮する者には援軍を送るなど、数々の逸話が今なお語り継がれています。特に、宿敵・武田信玄との「川中島の戦い」は、5度にわたる激戦として歴史に名を刻んでいます。
また、仏門に身を置いた経歴を持つ謙信公は、毘沙門天への篤い信仰でも知られています。出陣の際には必ず祈願を行っていたと伝えられています。戦場では「毘沙門天」の「毘」の一文字を濃紺に大書した旗を掲げ、その威容は敵軍にとって大いなる脅威となりました。
本マルチツールには、表面には今にも斬りかかってきそうな鋭い眼光を放つ謙信公が描かれています。裏面には謙信公の象徴である軍旗をモチーフに、濃紺のベースに「毘」の文字、そして上杉家の家紋である「上杉笹(竹に二羽の飛び雀)」が配されています。家紋は謙信公が威圧感を与えるために用いたとされる朱色で描かれており、戦国武将��しての気迫と精神性を現代に伝えるデザインとなっています。
甲斐の虎「武田信玄」
~戦国最強の「赤備え」とともに甦る、風林火山の精神~
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戦国時代を代表する名将・武田信玄公は、「風林火山」の旗印で広く知られています。この言葉は、古代中国の兵法書『孫子』に記された一節「其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」に由来しています。信玄公の卓越した戦略眼と機動力を象徴する言葉として、彼の軍事的な才能を表しています。
中でも、武田軍の精鋭部隊が身にまとった「赤備え」は、全身を赤一色で統一した威容を誇り、「勇猛果敢」や「不退転の決意」の象徴として、敵軍に強烈な印象を与えました。
本マルチツールは、表面に「風林火山」と記された軍配を振るい、軍を指揮する信玄公の雄姿を描いています。裏面には「赤備え」や家紋をモチーフにしており、力強さと優美さを兼ね備えたデザインに仕上げました。
武田家の象徴である「武田菱」をはじめ、唐花模様を菱形に配した優美な「花菱」、その簡略版である「陰花菱」など、信玄公ゆかりの意匠を精緻にあしらっています。戦国最強と謳われた武将の精神と美意識を、現代に伝える逸品です。
中国地方の雄「毛利元就」
~百万一心の精神を現代に伝える、リーダーシップの象徴~
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毛利元就公は、暗殺調略・同盟戦略など多彩な戦術を駆使し、少数の兵力で大勢力を打ち破るという卓越した戦略を展開した「謀将」として知られています。その知略は「三本の矢」の逸話に象徴されるように、家族や家臣との強い結束を重視し、現代においてもリーダーシップの手本として高く評価されています。
また、毛利家の家紋である「一文字三星紋」は、格式の高さと武運長久を象徴するものであり、皇族の血筋を示すとも伝えられています。毛利家の歴史と伝統を反映し、その威厳と誇りを表しています。
本マルチツールでは、表面には、「一文字三星紋」の旗を背に采配を手に敵を睨む元就公の姿を描き、裏面には、元就公が好んだとされる金(黄)や白を基調とした配色に家紋をあしらい、威厳と品格を感じさせるデザインに仕上げました。
相模の獅子「北条氏康」
~禄寿応穏(ろくじゅおうおん)の理念に込めた、平和と威厳~
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北条氏康公は、戦場においては勇猛果敢な武将として知られ、卓越した統率力と戦略眼により「相模の獅子」と称されました。
氏康公の象徴ともいえる家紋「三つ鱗」は、江の島の弁財天に祈願した際に現れた大蛇が残した鱗に由来すると伝えられ、神秘性と守護の意味を持つとされています。
本マルチツールには、表面には馬上で鬼気迫る勢��を見せる氏康公の姿を描き、裏面には北条氏の家印として知られる「虎朱印」をデザインに採用。
「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」の文字の上に虎の図像を据えたこの印章は、領民の安寧と繁栄を願う政治理念と、勇猛さ・威厳を兼ね備えた氏康公の統治精神を象徴しています。
鬼島津「島津義弘」
~信念に生き、義を貫いた戦国の名将~
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戦国時代を代表する名将、島津義弘公は、その卓越した武勇と戦術眼 により、敵味方を問わず「鬼島津」として恐れられました。島津家に代々伝わる戦術「釣り野伏せ」を駆使し、数に勝る敵軍を翻弄。中でも、関ヶ原の戦いにおける「島津の退き口(敵中突破)」は、戦国史において類を見ない離れ業として、今なお語り継がれています。
晩年には剃髪し、「惟新斎(いしんさい)」と号して隠居。武将としての生涯を全うした後は、文化人としてもその名を残しました。
本マルチツールの表面には、刀を手に鬼神のごとき形相で突撃する義 弘公の姿を描き、裏面には、高貴さと神秘性を象徴する紫を基調とし、魔除けの意味を持つともいわれる島津家の家紋「丸に十字」をあしらいました。
機能
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ラージブレード
スモールブレード
カン切り
マイナスドライバー 3mm
せん抜き
マイナスドライバー 6mm
ワイヤーストリッパー
リーマー(穴あけ)、千枚通し
コルクせん抜き
はさみ
マルチフック
つまようじ
ピンセット
キーリング
全長:91mm 高さ:18mm 重量:82g
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墨絵師「御歌頭(おかず)」氏プロフィール
戦国魂(せんごくだま)所属の墨絵師・御歌頭(おかず)氏は、墨の濃淡を用いず、白と黒の明確なコントラストのみで表現する独自のスタイルを確立。書道を思わせる力強い筆致と、圧倒的な躍動感をもって、戦国武将や動物、自然などを“命を描く”かのように表現するその画風は、多くの支持を集めています。
代表作である「墨将画(武将)」「墨城画(城)」シリーズは、これまでに450点を超える作品が制作されており、いずれも歴史的モチーフに新たな生命を吹き込む作品として高く評価されています。
また、国内外でのライブパフォーマンスも高い人気を誇り、1枚の作品をわずか16分40秒で描き上げる圧巻のパフォーマンスは、多くの観客を魅了してきました。これまでに、イギリス、フランス、アメリカ、シンガポール、カタール、台湾、香港など、7カ国での公演を成功させ、国際的な評価も高まっています。
近年では、��ニメ、映画、スポーツ、特撮など、さまざまな分野とのコラボレーションも展開しており、墨絵の新たな可能性を切り拓く存在として、ますます注目を集めています。
先行予約キャンペーン情報
期間:2025年6月13日(金)~6月26日(木)
店舗:全国のビクトリノックス直営店舗(アウトレットストアを除く)
対象:上記期間中に戦国墨絵コレクションをご予約いただいたビクトリノックス メンバーズアプリ新規ご入会会員様と既存会員様
特典:「クライマー 戦国墨絵コレクション 第四弾」をご購入のお客様には、アプリ内でご利用いただける500ポイントを進呈いたします。
コレクションボックスをご購入のお客様には、5,000ポイントを進呈いたします。
*ポイントはその場ではご利用いただけません。次回以降にご使用いただけます。
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luckycatbanana · 1 year ago
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ari0921 · 1 year ago
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でし��かりと調べて下さい」
早紀江さんは��然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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kennak · 6 months ago
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2024年1月5日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和3年 12月31日 死亡 9581 東京 尾原 英臣 令和5年 4月3日 死亡 11824 愛知県 中村 誠治 6月21日 死亡  9075 第一東京 川上  弘 9月15日 死亡  8423 第二東京 大村金次郎 9月27日 死亡  6882  東京  笠原喜四郎 10月7日 死亡  11497 静岡県  杉田 雅彦 10月8日 死亡  8755  東京  佐々木敏行 10月15日 死亡  14256 福岡県  吉田 徹二 10月16日 死亡  29385  大阪  光藤 景皎 10月25日 死亡  17886 神奈川県 會田 恒司 10月25日 死亡  32423 第一東京 津島 雄二 10月26日 死亡  15912 第一東京 鈴木 醇一 10月27日 死亡  9893 第二東京 三宅 能生 10月31日 死亡  8194  岡山  一井 淳治 11月1日 請求  19895 神奈川県 古川 武志 11月2日 死亡  20042 愛知県  佐藤 健三 11月3日 死亡  12707 第二東京 小川 英長 11月5日 請求  19666 第一東京 宮川美津子 11月7日 死亡  31300  岡山  江口 三角 11月9日 死亡  12165 香川県  吉田 正己 11月10日 請求  13865 兵庫県  古川  靖 11月11日 死亡  15607 栃木県  増渕 博史 11月13日 死亡  24317  沖縄  古謝 榮一 11月21日 死亡  12572  東京  佐治  融 11月29日 請求  16271  東京  飯野 紀夫 11月29日 請求  60325  東京  坂橋 杏奈 11月30日 請求  10850  広島  高村 是懿 11月30日 請求  31249 新潟県  鯰越 溢弘 11月30日 請求  35022 第一東京 龍岡 資晃 11月30日 請求  61567 愛知県  柳  勝司 11月30日 請求  61634 神奈川県 荒井 和子 2024年2月5日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 10月20日 死亡  46183  京都  柏  祐輔 11月7日 死亡  6768 第二東京 飯畑 正男 11月11日 死亡  7724 第一東京 平松 久生 11月13日 死亡  12304  大阪  白井 皓喜 11月16日 死亡  18969  東京  中村 治郎 11月22日 死亡  32541  大阪  八木 倫夫 12月1日 死亡  7169 第二東京 鈴木喜三郎 12月2日 死亡  14028 愛知県  塚田 昌夫 12月3日 死亡  10373 栃木県  竹田  平 12月4日 死亡  21641  東京  飯田  修 12月4日 死亡  44178 第二東京 半田 秀夫 12月5日 死亡  8363 静岡県  石田  享 12月6日 法17条3号 34544 東京 山下 智行 12月8日 死亡  15215  大阪  中北龍太郎 12月9日 死亡  54920 兵庫県  重内 孝太 12月12日 請求  9018 第二東京 五三 雅彌 12月12日 請求  27768 神奈川県 越川 純哉 12月12日 請求  35125 富山県  早川 元雄 12月12日 請求  43970 第一東京 寳金 敏明 12月13日 請求  15564 愛知県  佐藤 有文 12月13日 請求  57444  大阪  福井謙多朗 12月16日 請求  14185 熊本県  森山 義文 12月25日 請求  9820 愛知県  桑原太枝子 12月27日 請求  14739  大阪  直江 達治 12月27日 請求  22092  大阪  船戸 敏幸 12月27日 請求  59013  東京  山田 美香 12月27日 請求  60758  大阪  伊藤  匠 12月29日 請求  53761 第一東京 小野 航介 12月30日 請求  27041 第一東京 大森 政輔 12月31日 請求  20942 千葉県  土田 耕司 12月31日 請求  25709  岡山  奥村 雅弘 12月31日 請求  26305 第一東京 牧野 利秋 12月31日 請求  26711  東京  佐藤 文昭 12月31日 請求  35146 鹿児島県 中谷 文恵 12月31日 請求  38208 福岡県  渡邊 典子 12月31日 請求  44068  大阪  下田  慧 12月31日 請求  46208 神奈川県 吉村  弘 12月31日 請求  49781  東京  飯島 勝義 12月31日 請求  53428 第二東京 石川 晋也 12月31日 請求  53855 福岡県  林田 宗一 12月31日 請求  55223  東京  岩崎 亜紀 12月31日 請求  55672 千葉県  藤井真沙美 12月31日 請求  58860 鹿児島県 片平 裕三 12月31日 請求  60367  東京  木村 明恵 12月31日 請求  63087 静岡県  小林 新吾 12月31日 請求  63754 第二東京 草野 健太 2024年3月7日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和5年 9月5日 死亡 8762 東  京 飯塚  孝 10月5日 死亡  14595 千葉県  重田 宏明 11月22日 死亡  7578 神奈川県 髙山 尚之 12月8日 死亡  39600  広島  松岡 幾男 12月16日 死亡  12072  東京  増田 英男 12月19日 死亡  9011 第二東京 鈴木  誠 12月21日 死亡  29384  大阪  松岡 正章 12月22日 死亡  11782 福岡県  三浦 啓作 12月23日 死亡  12964 第一東京 飛田 政雄 12月25日 死亡  12911 第二東京 阿部  博 12月26日 死亡  23308  沖縄  渡嘉敷唯正 12月27日 死亡  12515  大阪  井上 善雄 12月27日 死亡  18409  東京  溝口 敬人 12月28日 死亡  15279 第一東京 遠藤 哲嗣 12月28日 死亡  18809  大阪  辻  芳廣 12月31日 死亡  24089 第二東京 椎野 秀之 12月31日 死亡  25091 第一東京 藤田 耕三 令和6年 1月1日 死亡 7433 大  阪 久田原昭夫 1月2日 死亡  9585  東京  小林 健男 1月4日 死亡  17672  東京  吉峯 康博 1月5日 死亡  14329  埼玉  町田 宗男 1月5日 死亡  19399  京都  三重 利典 1月5日 法17条3号 20841 静 岡 県 西河  修 1月11日 請求  16853 第二東京 山田 一郎 1月11日 請求  22097  大阪  安元 義博 1月11日 請求  38521  広島  成廣 貴子 1月11日 請求  48182 第二東京 池末  匠 1月11日 請求  53074 第一東京 和田 賢孝 1月12日 死亡  26731  東京  原田 活也 1月13日 死亡  7716  釧路  泉   敬 1月14日 死亡  36192 神奈川県 小林 賢一 1月16日 請求  13668  大阪  春田 健治 1月16日 請求  13816  東京  井上 勝義 1月16日 請求  41777  東京  國井 敏明 1月16日 請求  50334  東京  飯田 喜信 1月16日 請求  57654 第二東京 阪口 智哉 1月16日 請求  59139 第一東京 濵口 茅乃 1月18日 死亡  41915 栃木県  太田 剛彦 1月24日 死亡  9603  東京  樋渡 洋三 1月31日 請求  5869  東京  新津 貞子 1月31日 請求  13083  東京  井出 隆雄 1月31日 請求  13356  沖縄  佐竹 道憲 1月31日 請求  13916 神奈川県 石川惠美子 1月31日 請求  15603  埼玉  中山 福二 1月31日 請求  19977  京都  橋本 皇玄 1月31日 請求  20502 熊本県  内川  寛 1月31日 請求  26828  大阪  小橋 るり 1月31日 請求  27224 第一東京 立野 憲司 1月31日 請求  30091 第一東京 菅原 史佳 1月31日 請求  36411  大阪  沢田 信治 1月31日 請求  38725 第一東京 附野 徹也 1月31日 請求  43732 第一東京 白井 啓子 1月31日 請求  46231  埼玉  沼里 豊滋 1月31日 請求  56905 第二東京 伴  俊英 1月31日 請求  57388  大阪  金  星玉 1月31日 請求  57936  東京  坪内  謙 1月31日 請求  59428 第二東京 小松 侑司 1月31日 請求  59918 神奈川県 長岡 甲樹 1月31日 請求  62892 愛知県  河野 貴昭 2024年4月2日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和5年 11月7日 死亡 26120 東京 手塚富士雄 12月20日 死亡  9039  三重  高橋  淳 12月29日 死亡  10448  大阪  谷 五佐夫 令和6年 1月7日 死亡 9636 東京 西嶋 勝彦 1月17日 死亡  6979  東京  山本  博 1月17日 死亡  8793  大阪  杉山  彬 1月24日 死亡  11142 福岡県  小川  章 1月24日 死亡  52195 第二東京 山田 弘司 1月25日 死亡  13484 第二東京 安井桂之介 1月25日 死亡  15746 兵庫県  池上  徹 1月25日 死亡  18227  東京  村田  敏 1月25日 死亡  26984 福岡県  松原 妙子 1月26日 死亡  12603  東京  阿部 和子 1月26日 死亡  15346  高知  田村  裕 1月26日 死亡  15771 第一東京 元木  徹 2月1日 法17条3号 20488 愛知県 大田 清則 2月4日 死亡  9041 愛知県  南舘 欣也 2月6日 死亡  8502 岐阜県  由良  久 2月6日 死亡  11543  東京  笹川 信輝 2月8日 死亡  7674  仙台  髙橋 勝夫 2月13日 請求  7809  東京  松尾  翼 2月13日 請求  9946  大阪  田中 幹夫 2月13日 請求  15836  東京  鈴木 敏夫 2月13日 請求  18403  東京  前田 知道 2月13日 請求  28814  東京  望月 眞人 2月13日 請求  47796 兵庫県  赤松舞依香 2月13日 請求  51049  東京  山元明日美 2月13日 請求  54732 兵庫県  坪山  元 2月14日 死亡  19950 第二東京 田代 則春 2月16日 死亡  28889  東京  莊 美奈子 2月19日 死亡  11370 栃木県  澤田 利夫 2月23日 死亡  55777 福岡県  岡上  貢 2月28日 請求  38157  滋賀  向川さゆり 2月28日 請求  56523 第一東京 田代 夕貴 2月29日 請求  13098  東京  榎本  昭 2月29日 請求  19364  大阪  作田與司男 2月29日 請求  22628  東京  日野 昭和 2月29日 請求  23956 千葉県  金子 宰慶 2月29日 請求  33539  埼玉  梅村  進 2月29日 請求  44298 兵庫県  山田  力 2月29日 請求  50502 長野県  根岸紘太郎 2月29日 請求  51996  広島  重永 圭志 2月29日 請求  52181  東京  左近司映子 2月29日 請求  55143  大阪  片木 研司 2月29日 請求  59051 第一東京 谷  崇彦 2月29日 請求  62117 第一東京 山本 一志 2月29日 請求  64616 熊本県  百田 圭吾 2月29日 請求  64742  京都  細尾 愛華 2024年4月24日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 1月16日 法17条3号 30404 第二東京 半田  基 2月15日 死亡  12920 第二東京 小林  實 2月20日 死亡  7206 第一東京 吉澤 貞男 2月23日 死亡  9356  群馬  角田 義一 2月26日 死亡  11361 愛知県  楠田 堯爾 2月28日 死亡  13792  東京  小澤 征行 3月1日 死亡  9563  東京  船戸  実 3月1日 請求  60753 神奈川県 堺谷ひかり 3月2日 死亡  12113  東京  佐藤 治隆 3月3日 死亡  11619  愛媛  佐伯 善男 3月3日 死亡  18926  東京  岡島 芳伸 3月7日 請求  56019  東京  堀口 智博 3月8日 請求  62968 第二東京 石河 有彩 3月9日 死亡  23668  金沢  宮前  悟 3月10日 死亡  10097  東京  朝倉 正幸 3月12日 請求  24716  東京  工藤 敏隆 3月12日 請求  47085  大阪  川尻 嘉寛 3月12日 請求  52156 愛知県  髙橋  裕 3月12日 請求  56573  大阪  秋山絵理子 3月13日 死亡  8477 愛知県  後藤  紀 3月13日 請求  9059 第一東京 松尾 陽子 3月16日 請求  40113 栃木県  石井 宏和 3月18日 死亡  23539 福島県  菅野 昭弘 3月19日 死亡  25039 第一東京 野﨑 幸雄 3月29日 請求  11150 福岡県  木上 勝征 3月29日 請求  19744  大阪  三浦 和博 3月29日 請求  32496 愛知県  神沢 昌克 3月29日 請求  41933 栃木県  園田 秀樹 3月29日 請求  62552 第二東京 赤星 遼太 3月30日 請求  49808  滋賀  奥井久美子 3月31日 請求  12052 千葉県  濱野 歳男 3月31日 請求  12568 山梨県  山田 光政 3月31日 請求  12993 神奈川県 宮本  亨 3月31日 請求  16006  京都  佐藤 義彦 3月31日 請求  16561  函館  小笠原義正 3月31日 請求  17528 兵庫県  坂本 文正 3月31日 請求  17671  東京  中田浩一郎 3月31日 請求  18514  大阪  斉藤 真行 3月31日 請求  18889 千葉県  白石 哲也 3月31日 請求  19970 第一東京 平林 正美 3月31日 請求  20127 千葉県  熊野 明夫 3月31日 請求  20394  東京  八代  宏 3月31日 請求  24973  東京  古野浩一郎 3月31日 請求  28319  東京  田部知江子 3月31日 請求  37663  東京  大串 嘉誉 3月31日 請求  41372 第二東京 世瀬 綾繪 3月31日 請求  44253 第一東京 福原 暎治 3月31日 請求  49173 兵庫県  多田 真央 3月31日 請求  49411  東京  竹内 沙織 3月31日 請求  52897 神奈川県 上村 直裕 3月31日 請求  55396 神奈川県 有賀 麻子 3月31日 請求  55693  群馬  船波 恵子 3月31日 請求  55986  東京  新井 宏基 3月31日 請求  56060 千葉県  梅澤  遥 3月31日 請求  56170 和歌山  清水 太郎 3月31日 請求  56531 第一東京 蘇武佳南子 3月31日 請求  56941 第一東京 安倍 嘉人 3月31日 請求  57664 第二東京 伊藤 正人 3月31日 請求  58537  東京  髙柳 輝雄 3月31日 請求  58715 岐阜県  後藤 茂典 3月31日 請求  60135 福岡県  児谷 創記 3月31日 請求  60405  東京  松井 絢音 3月31日 請求  60499 第一東京 髙野 双葉 3月31日 請求  61475 第一東京 脇園 隼人 3月31日 請求  63830  福井  二之宮健治 2024年6月4日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和5年 9月15日 死亡 9426 第一東京 湯㘴 一衛 令和6年 2月9日 死亡 12648 大  阪 桐山  剛 3月9日 死亡  6982  東京  髙橋 勝德 3月16日 死亡  15819  東京  服部 昌明 3月19日 死亡  60077 第一東京 船本 博昭 3月21日 死亡  9452  金沢  北尾 強也 3月23日 死亡  10644 福岡県  清原 雅彦 3月23日 死亡  12018  愛媛  志水  巌 3月24日 死亡  9597  東京  荒川 昭廣 3月24日 死亡  18202  大阪  関  伸治 3月26日 死亡  11982  大阪  中村  宏 3月28日 死亡  20067  大阪  今村 峰夫 3月28日 死亡  31361 第一東京 今井 良兒 3月30日 死亡  7340  仙台  阿部 ���男 3月30日 死亡  7580 岐阜県  南谷 信子 3月30日 死亡  12307 第一東京 水戸守 巖 4月1日 死亡  8021  大阪  遠田 義昭 4月1日 請求  9229 福島県  安田 純治 4月1日 死亡  12665 香川県  永井 弘通 4月1日 請求  36305 愛知県  寺島美貴子 4月1日 請求  55917  東京  立花  優 4月1日 請求  57957 第一東京 遠藤 泰祐 4月1日 請求  59070 第一東京 齋藤 愛実 4月1日 請求  61607 第一東京 丸山 英明 4月1日 請求  61608 第一東京 齋藤 拓也 4月1日 請求  61609 第一東京 矢田 悠真 4月1日 請求  61610 第一東京 金澤  康 4月1日 請求  61611 第一東京 北島 聖也 4月1日 請求  61612 第一東京 金井 優憲 4月1日 請求  61613  札幌  髙橋 祐二 4月1日 請求  61614 第二東京 増澤  融 4月1日 請求  61615 第二東京 鈴木章太郎 4月1日 請求  61616 第二東京 名取  桂 4月1日 請求  61617 第二東京 楠本 康太 4月1日 請求  61618 第二東京 中市 達也 4月1日 請求  61619 第一東京 藤原 未彩 4月1日 請求  61620  大阪  田尾 宜貴 4月1日 請求  61621  大阪  進藤  諭 4月1日 請求  61622  大阪  大山 洸来 4月1日 請求  61623  東京  須藤 洋平 4月1日 請求  61624  東京  袋井 泰輔 4月1日 請求  61625  東京  鵜飼 奈美 4月1日 請求  61626 第一東京 宮村 開人 4月2日 法17条1号 12356 東  京 小谷  平 4月3日 死亡  7538 福岡県  三浦  久 4月4日 死亡  11948 兵庫県  前田  修 4月5日 死亡  9498 和歌山  鈴木 俊男 4月7日 死亡  11368 山梨県  八巻 紀臣 4月12日 請求  46806 第一東京 沼田 徒夢 4月16日 請求  13540  愛媛  松本  宏 4月16日 請求  17411  広島  中原 秀治 4月16日 請求  23279 福岡県  森  統一 4月16日 死亡  32512 第一東京 長谷川成子 4月16日 請求  33721 神奈川県 関  哲夫 4月16日 請求  48012  東京  関口 敏光 4月30日 請求  12211  東京  大隅 乙郎 4月30日 請求  12587  東京  吉田 裕敏 4月30日 請求  13813  東京  田口  穰 4月30日 請求  16077  函館  藤原 秀樹 4月30日 請求  22235 第二東京 佐藤 長英 4月30日 請求  25784  群馬  市場 和政 4月30日 請求  26303 和歌山  矢野 計介 4月30日 請求  28083 福岡県  堀  孝之 4月30日 請求  37732  東京  栗林 拓郎 4月30日 請求  41499  大阪  沖野 憲司 4月30日 請求  47649 栃木県  野中 貴弘 4月30日 請求  54106 福岡県  武井  怜 4月30日 請求  56416 第一東京 木村 佳恵 4月30日 請求  58241 熊本県  後藤 浩一 4月30日 請求  59635  岡山  田中 宏実 4月30日 請求  63557 第一東京 吉沢健太郎 4月30日 請求  63802 山口県  綿屋 伊織 4月30日 請求  64212  東京  傳田 喜久 2024年7月2日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 3月16日 死亡  21375  京都  工藤 雅史 3月20日 死亡  14784 第一東京 関沢 正彦 3月22日 死亡  8425 第二東京 竹原 ���雄 3月28日 死亡  47959  広島  宮岡洋一郎 3月30日 死亡  10493 神奈川県 佐藤  直 4月7日 死亡  9061 第一東京 山﨑 源三 4月9日 死亡  11689  広島  山口 高明 4月11日 死亡  12960 第一東京 大浦  浩 4月13日 死亡  6742  東京  尾山  宏 4月14日 死亡  18648  東京  鈴木 祐一 4月17日 死亡  6263  大阪  島田 信治 4月17日 死亡  10080  東京  才口 千晴 4月17日 死亡  20900  大阪  今井  宏 4月24日 死亡  12359 愛知県  山田 靖典 4月26日 死亡  11581  東京  柳瀬 康治 4月26日 死亡  41964 兵庫県  東  修三 4月27日 死亡  10909 神奈川県 末岡 峰雄 4月27日 死亡  25394 兵庫県  柴田 眞里 4月28日 死亡  51940 第二東京 大薗 昌平 4月29日 死亡  37998 兵庫県  安原  浩 4月30日 死亡  13909 福岡県  山田 敦生 4月30日 死亡  14535 愛知県  長縄  薫 4月30日 死亡  14803  埼玉  新井兄三郎 5月1日 請求  39575 愛知県  丹���日出夫 5月5日 死亡  9598  東京  石井 芳光 5月5日 死亡  9859 第一東京 藪下 紀一 5月16日 請求  14643 神奈川県 若林 三郎 5月16日 請求  19033 神奈川県 川村  清 5月16日 請求  32310 第一東京 小田真由美 5月16日 請求  61250 第二東京 由井 恒輝 5月21日 請求  17816 愛知県  加藤 知明 5月21日 死亡  23357 第一東京 佐藤庄市郎 5月21日 死亡  32699  大阪  伊藤 俊文 5月21日 請求  50142  東京  小池 洋吉 5月31日 請求  8675 第二東京 肥沼 太郎 5月31日 請求  11308 第二東京 小室  恒 5月31日 請求  14836  広島  山下 奉重 5月31日 請求  32491 第一東京 清水 勇男 5月31日 請求  38883 千葉県  鈴木 真実 5月31日 請求  40200 第二東京 井出 理恵 5月31日 請求  41425  東京  文堂 友寛 5月31日 請求  46002  東京  池田 眞一 5月31日 請求  46172  大阪  吉本 健一 5月31日 請求  53585 第一東京 綿  秀斗 5月31日 請求  56605 第二東京 菊地  悠 5月31日 請求  58075 第一東京 河瀨 雅志 5月31日 請求  59199 第一東京 浦田 まり 2024年8月6日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和4年 7月20日 死亡 18619 第二東京 田見 髙秀 令和6年 4月4日 死亡 15106 広  島 増田 義憲 4月11日 法17条1号 35747 広  島 加島 康介 4月24日 死亡  26401 千葉県  加藤 一隆 5月4日 死亡  12042  東京  舘野  完 5月7日 死亡  13227  東京  濵  秀和 5月11日 死亡  9610 静岡県  原 陽三郎 5月16日 死亡  21326 山形県  諸橋 哲郎 5月24日 死亡  6272 愛知県  酒井 祝成 5月25日 死亡  35065 山口県  小林 敬和 5月26日 死亡  25015 第一東京 森嶌 昭夫 5月26日 死亡  64669 愛知県  土居 隆太 5月27日 死亡  18825  大阪  増市  徹 5月28日 死亡  16172  大阪  土井  廣 5月28日 法17条3号 39449 福 岡 県 清田 知孝 5月29日 死亡  11125 熊本県  坂本 仁郎 5月30日 死亡  8717  東京  岩﨑  公 5月30日 死亡  34884  埼玉  堂ノ本 眞 6月1日 請求  37569  愛媛  岩本 直樹 6月1日 請求  41066  東京  中村 孝子 6月2日 死亡  15176 福島県  武藤 正隆 6月2日 死亡  33585 神奈川県 小柳 泰治 6月3日 死亡  19920 茨城県  海老根 遼太郎 6月4日 死亡  27668 第一東京 松本 時夫 6月9日 死亡  15799 第一東京 田中  茂 6月9日 死亡  22173 第二東京 長倉 隆顯 6月18日 請求  11823 愛知県  関口 宗男 6月18日 請求  37190 第二東京 川原 健司 6月18日 請求  58688 愛知県  今井 啓貴 6月21日 請求  13664 大分県  西山  巖 6月23日 死亡  20188 第一東京 川﨑 直人 6月28日 請求  18842  奈良  横田 保典 6月28日 請求  20409  大阪  赤木 明夫 6月28日 請求  25102  仙台  鈴木ハツヨ 6月28日 請求  27361 兵庫県  田中 賢一 6月28日 請求  59393 第二東京 片木 浩介 6月28日 請求  59961 愛知県  生沼 和史 6月28日 請求  63509  札幌  小林  楽 6月29日 請求  15979 島根県  周藤  滋 6月30日 請求  7548  東京  田中 愛子 6月30日 請求  9068 第一東京 表  久雄 6月30日 請求  10018  東京  安田 昌資 6月30日 請求  10035  東京  髙橋 明雄 6月30日 請求  10144  三重  田畑  宏 6月30日 請求  13111  東京  福田 晴政 6月30日 請求  14244 神奈川県 石橋  博 6月30日 請求  16955  秋田  渡部  聡 6月30日 請求  18352 福岡県  緒方 研一 6月30日 請求  25839  旭川  近藤 伸生 6月30日 請求  34587  高知  中川  嶺 6月30日 請求  41932 神奈川県 湯浅 勝喜 6月30日 請求  42240  金沢  廣瀬 直樹 6月30日 請求  44944 第二東京 橘  大地 6月30日 請求  45889 第一東京 岡田 康彦 6月30日 請求  48083 福岡県  坂梨  ��� 6月30日 請求  51024 第二東京 岩﨑 陽介 6月30日 請求  52467  東京  田中  剛 6月30日 請求 55889 神奈川県 深川 倫世 6月30日 請求  55984  東京  澁谷 彰平 6月30日 請求  56286 第二東京 足立  理 6月30日 請求  59143 第一東京 楠木 崇久 6月30日 請求 59410 第二東京 竹内 星七 6月30日 請求  60459 神奈川県 大澤 一貴 2024年9月3日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 5月19日 死亡  21648 東  京 白井  徹 6月10日 死亡  17486 仙  台 服部 耕三 6月15日 死亡  14589 広  島 心石 舜司 6月20日 死亡  29360 第二東京 中重 正人 6月21日 死亡  8880 東  京 稲田 輝顕 6月21日 死亡  9180 神奈川県 鈴木 元子 6月27日 死亡  14938 大  阪 本井 文夫 6月28日 死亡  17285 第一東京 大西千枝子 6月29日 死亡  9436 第一東京 池田 達郎 7月1日 請求  18618 福 島 県 荒木  貢 7月1日 死亡  31037 第一東京 鈴木 惠美 7月1日 請求  34625 東  京 八倉 賢一 7月1日 請求  50290 富 山 県 中野 佳博 7月1日 請求  56579 大  阪 石井 洋輔 7月1日 請求  64163 第二東京 高橋 真歩 7月5日 死亡  9220 熊 本 県 青木 幸男 7月5日 死亡  23960 千 葉 県 山口  仁 7月7日 請求  21029 第一東京 八木 清文 7月8日 死亡  9430 第一東京 山田  滋 7月8日 死亡  9582 東  京 小山  勉 7月9日 死亡  12933 第二東京 長嶋 憲一 7月10日 請求  60835 神奈川県 小林 優太 7月12日 死亡  19568 第二東京 古屋 亀鶴 7月13日 死亡  28484 神奈川県 安國 種彦 7月16日 死亡  14692 第二東京 笠井  治 7月16日 請求  16614 大  阪 林川  毅 7月16日 請求  16624 大  阪 御厩 高志 7月16日 請求  24363 東  京 林 四壽男 7月16日 請求  47516 東  京 山田 智史 7月16日 請求  50810 東  京 齋藤 行紘 7月16日 請求  53251 第一東京 西澤 高陽 7月16日 請求  53885 第一東京 大久保慶一 7月16日 請求  61374 東  京 中嶋 洋一 7月17日 請求  59041 第一東京 保田  響 7月19日 死亡  13287 沖  縄 平田 清司 7月21日 死亡  12370 札  幌 村上 奎彦 7月25日 請求  65464 栃 木 県 加藤 隆弘 7月30日 請求  42080 第二東京 藤澤 未咲 7月31日 請求  19202 千 葉 県 梶原 利之 7月31日 請求  20333 第二東京 濵辺陽一郎 7月31日 請求  32735 東  京 下村 るみ 7月31日 請求  33572 第一東京 溝口稚佳子 7月31日 請求 39440 東  京 市原裕一郎 7月31日 請求  40819 第一東京 瀧村美和子 7月31日 請求  49315 東  京 角谷 千佳 7月31日 請求  50332 第一東京 篠原 勝美 7月31日 請求  53847 東  京 島﨑  淳 7月31日 請求  54238 東  京 高津 花衣 7月31日 請求  55868 静 岡 県 池野 慎哉 7月31日 請求  57374 東  京 漆原 俊貴 7月31日 請求  57593 第二東京 三浦光太郎 7月31日 請求  59075 第一東京 歌代 彩花 7月31日 請求  59602 大  阪 松岡 大志 7月31日 請求  61279 第一東京 飯塚健太郎 7月31日 請求  62888 第一東京 大木  峻 7月31日 請求  64218 神奈川県 弓場佳多子 2024年10月8日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和5年 4月4日 死亡  19905  埼玉  池澤 幸一 令和6年 5月30日 死亡  16401  東京  竹田  穰 6月13日 死亡  22848 香川県  生田 暉雄 6月16日 死亡  12344 福岡県  成富 睦夫 7月8日 死亡  39984 岐阜県  波多野寿哉 7月9日 死亡  9882 第二東京 田村 正孝 7月10日 死亡  55003  大阪  田村 健一 7月11日 死亡  57293 第一東京 佐藤 慶祐 7月16日 死亡  43633  広島  松岡 正志 7月17日 死亡  10055  東京  橋田 宗明 7月22日 死亡  9796 兵庫県  河瀬 長一 7月22日 死亡  10108 大分県  河野  浩 7月24日 死亡  29024 第二東京 小杉 麻弥 7月27日 死亡  8058 第一東京 小松 雄介 7月28日 死亡  26365 第一東京 水原 敏博 7月29日 死亡  8493  仙台  三島 卓郎 7月31日 死亡  25639 第二東京 濵中 善彦 7月31日 死亡  56814 愛知県  間瀬 大輝 8月1日 請求  13747 兵庫県  伊東 香保 8月1日 請求  63817 千葉県  上木原勇哉 8月6日 死亡  33576 第一東京 林  桂一 8月7日 死亡  17239  大阪  豊島 時夫 8月8日 死亡  47794 神奈川県 後藤 邦明 8月9日 死亡  35829 福島県  菅田 貴博 8月13日 死亡  8393 第一東京 牧瀬 義博 8月13日 死亡  65451 愛知県  黒岩 巳敏 8月14日 死亡  20888  大阪  戸根 住夫 8月15日 死亡  16537 愛知県  花井 増實 8月16日 死亡  19376  大阪  野村 克則 8月17日 死亡  7447 愛知県  中条 忠直 8月20日 請求  18045  東京  寺内 從道 8月20日 請求  22757 神奈川県 高橋  優 8月20日 請求  44245 神奈川県 畠山光太郎 8月20日 請求  53887 兵庫県  三浦  潤 8月20日 請求  60626  東京  笹井 涼介 8月20日 請求  62967 神奈川県 荻野 祥平 8月20日 請求  64198 第二東京 大町 美里 8月25日 死亡  11628 福岡県  半田  萬 8月28日 死亡  11276  札幌  牧口 準市 8月30日 請求  25110 兵庫県  藤田  滋 8月30日 請求  32990  東京  志波 邦男 8月30日 請求  33516  東京  宮嶋 英世 8月30日 請求  42873 福岡県  杉原 一宏 8月30日 請求  52642  京都  上野 拓也 8月30日 請求  61786  京都  佐藤  絢 8月31日 請求  10075  東京  山下  寛 8月31日 請求  13731 第二東京 春原  誠 8月31日 請求  48482 第二東京 古川 布美 8月31日 請求  51143  大阪  飯田 聖実 8月31日 請求  54287  東京  齋藤 麻衣 8月31日 請求  55063  東京  白川 美穂 8月31日 請求  57616 第二東京 堀口佐耶香 8月31日 請求  57812  東京  渡部  政 8月31日 請求  58205 茨城県  福田 貴之 8月31日 請求  58741 静岡県  岩本 尚光 8月31日 請求  58924  東京  大塚  仁 8月31日 請求  58999  東京  財 美奈子 8月31日 請求  64155 第一東京 大河内梨沙 2024年11月6日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 4月10日 死亡  7177 第二東京 松尾 和子 7月13日 死亡  11017  東京  田中 敏夫 7月17日 死亡  8742  東京  土肥 幸代 7月20日 死亡  23806  東京  市村 英彦 7月29日 死亡  27353  東京  佐野 正樹 8月2日 死亡  59851 大分県  矢口  繁 8月3日 死亡  23310  滋賀  獅山 向洋 8月13日 死亡  8716  東京  髙野 敬一 8月24日 死亡  15520 第二東京 杉浦 智紹 8月28日 死亡  9410 愛知県  後藤 昭樹 9月2日 死亡  17027 第一東京 米田  隆 9月17日 請求  8135  東京  稲澤 宏一 9月17日 請求  56450 第一東京 坂井 瞭平 9月17日 請求  56549 第一東京 大滝 晴香 9月17日 請求  57562 第二東京 天野 文雄 9月17日 請求  64745 宮崎県  鶴  大樹 9月17日 請求  65321  仙台  和田 雅史 9月30日 請求  11779  仙台  織田 信夫 9月30日 請求  13809 兵庫県  竹田 浩二 9月30日 請求  15659 神奈川県 飯田 伸一 9月30日 請求  34929 香川県  佐藤 利男 9月30日 請求  42138  東京  塚原 朋一 9月30日 請求  46110  埼玉  本多慎太郎 9月30日 請求  47729 新潟県  梅森 嘉匡 9月30日 請求  48299 第一東京 志賀 歩美 9月30日 請求  48961  岡山  山田 邦明 9月30日 請求  60810 第二東京 田中麻久也 9月30日 請求  61330 第一東京 小塚なつみ 2024年12月4日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会)  (氏 名) 令和5年12月10日 死亡 21939 第一東京 簑原 茂廣 令和6年 7月16日 死亡  46216 千葉県  仲戸川隆人 8月6日 死亡  41082  東京  石川 貴敏 8月14日 死亡  14151  大阪  西浦 一明 8月20日 死亡  19440 第二東京 中野 春芽 8月21日 死亡  11035  東京  寺島 健造 8月29日 死亡  9663  広島  山田 慶昭 9月2日 死亡  9087  大阪  奥中 克治 9月3日 死亡  61690  函館  是永 克巳 9月5日 死亡  9562  東京  高氏  佶 9月11日 死亡  11000  東京  髙木 伸學 9月13日 死亡  26424  東京  園部 逸夫 9月14日 死亡  9791  仙台  佐野 國男 9月16日 死亡  14278  埼玉  山崎  正 9月24日 死亡  26347  沖縄  下地 玄榮 9月28日 死亡  15550 愛知県  浅井 淳郎 9月30日 死亡  13779  東京  北村 一夫 10月2日 請求  16678 第一東京 井上 克樹 10月2日 請求  17356  札幌  山本 行雄 10月2日 請求  52043  京都  馬杉安沙子 10月3日 死亡  32641 福島県  渡邊  純 10月7日 死亡  10319 第二東京 小林 幹治 10月8日 死亡  15619 第二東京 花岡 康博 10月13日 死亡  62951 第一東京 定塚  誠 10月16日 死亡  27728 第一東京 棚町 祥吉 10月18日 請求  35488 青森県  田村 智明 10月18日 請求  59423 第二東京 島井 伸仁 10月20日 請求  17540  大阪  中西 裕人 10月25日 死亡  20390 福岡県  池田  稔 10月26日 死亡  14512  札幌  諏訪 裕滋 10月31日 請求  10041  大阪  竹内 靖雄 10月31日 請求  12496  京都  寺田 武彦 10月31日 請求  12507  大阪  木下 善樹 10月31日 請求  14496  東京  武藤 節義 10月31日 請求  20227 熊本県  倉田 榮喜 10月31日 請求  32013 第二東京 森山  敦 10月31日 請求  48263 第一東京 池田  彩 10月31日 請求  50246 第二東京 丹羽 大輔 10月31日 請求  54645 第二東京 松尾 有希 10月31日 請求  55594  大阪  三野 博史 10月31日 請求  56956 第二東京 岡光 民雄 10月31日 請求  59641  岡山  山根  愛 10月31日 請求  61901  東京  福岡 慎也 10月31日 請求  65075 第二東京 目加田歩実
弁護士名簿の登録取消情報(2024年の官報掲載分) | 弁護士山中理司のブログ
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kyoto4 · 8 months ago
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『 「幕府」とは何か   武家政権の正当性』東島  誠 著 ( NHK出版)
専門書でもなく一般書でもなく、さほど刺激的でもない。
第1章 平家政権といくつもの幕府(幕府をめぐる基礎知識;平家政権をどう捉えるか)
第2章 鎌倉幕府、正しくは東関幕府—正統性なき北条氏の正当性(都市王権と武力—一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提1;義経の結婚—一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提2;正当性の更新と「幕府」呼称の誕生)
第3章 足利将軍家の時代—二つの変動期と正当性の変容(鎌倉末期〜南北朝期の転換;統治権的支配とは何か—足利将軍家の正当性;足利将軍家の正当性の推移;足利政権中期の正当性の変化;物流構造の変動と転換期としての十五世紀後半;戦国大名と「公儀」の行方)
第4章 織豊政権—近世の始動と中世の終焉(近世の始動と中世の終焉;中世の黄昏としての織田政権;豊臣政権と中世の否定)
第5章 江戸幕府は完成形なのか—生存の近世化(生存の近世化という視点;正当性から正統性—家康の神格化と近代天皇制の創出;曲がり角としての一六八〇年代;幕府と「被災者」救済—正当性の行方)
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵���列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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dutifullybabyrebel · 7 days ago
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【怪談】鎧ヶ淵 ― 立会川に浮かぶ記憶|雨に現れる鎧武者の亡霊伝説
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【怪談】鎧ヶ淵 — 立会川に浮かぶ記憶|雨に現れる鎧武者の亡霊伝説 雨に揺れる立会川、古戦場「鎧ヶ淵」で今も囁かれる亡霊の存在。 長雨と、鎧武者の祟り伝説が交差する怪談がここに。
📌 概要 品川区・立会川。かつて関東管領・上杉憲政と北条氏康が激突したとされる戦の跡、そこには夥しい甲冑や遺体が川の淵に散乱していた。江戸時代には花見もされたが、現代に語り継がれるのは―― “長雨が続いたある時期、増水した淵に鎧をまとった影が現れ、見た者や語った者には祟りが起こる”という怪異のみ。 この動画では、歴史資料とオカルト都市伝説を交え、実際の地名の由来、現代に残る心霊現象、そして「祟りの鎧武者」の影がもたらす余韻を、描いていきます。
【参考資料・出典】 ・『品川区史 通史編(上巻)』 品川区、1983年 ・品川区広報紙「地名の由来~鎧町/鎧ヶ淵」 ・『南浦桜案内』江戸時代 花見案内図 ・品川歴史館 展示解説資料 ・『大井���誌』1929年刊 ・黒史郎「武者が祟る?『鎧』の地名」webムー ※本動画は上記資料をもとに、怪談作品として一部再構成しています。
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yotchan-blog · 9 days ago
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2025/6/18 13:00:17現在のニュース
G7空転、安保・経済に多重リスク トランプ氏は新たな「Gα」探る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/18 12:49:15) 東北・山形新幹線、18日も21本運休 新型E8系故障でJR東日本 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/18 12:49:15) 試合前聞こえた「数千万勝った」 はびこるオンカジ、海外に禁止要請(朝日新聞, 2025/6/18 12:46:09) 讃岐うどんの小麦、なぜ9割がオーストラリア産? 製粉会社トップが解説 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/18 12:42:23) 東北新幹線E8系、17日中に3件不具合 長時間運休トラブル JR東日本が原因調査([B!]産経新聞, 2025/6/18 12:42:23) 大阪・熊取の道路橋、実は国内最古の鉄道用鉄橋を転用していた 研究グループの分析で判明([B!]産経新聞, 2025/6/18 12:42:23) 多数の口座に振り込み続ける通帳見て「不審」 銀行員、詐欺被害防ぐ(朝日新聞, 2025/6/18 12:38:57) 中国、中央アジア5カ国とサミット 「恒久友好」条約調印で結束図る(朝日新聞, 2025/6/18 12:38:57) 宇都宮LRT利用者、累計900万人達成 想定より5カ月早く | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/18 12:37:00) LRT900万人突破 宇都宮、開業から661日目 /栃木 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/18 12:37:00) 東北・山形新幹線が21本運休 前日の車両故障の影響で | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/18 12:37:00) 図書館が充実した街では健康寿命が延びる? 論文筆者が語る「理由」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/18 12:37:00) 中東情勢 石破首相「必要な対応策の検討を指示」(毎日新聞, 2025/6/18 12:32:15) 断った性接待、「後悔してない」 元「女子アナ」が語る脆弱な立場:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/18 12:30:21) 街中でヒグマに襲われ140針「死ぬかと」後遺症に苦しむ男性の願い:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/18 12:30:21)
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774 · 11 days ago
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在宅勤務利用率が高い企業にはどのような特徴があるのか。筆者の分析によると役員や管理職の女性比率が高く、女性活躍推進に積極的に取り組む企業、健康経営や人的資本経営を実践する企業、新たなテクノロジーを多く導入する企業、さらに十分な睡眠で休養がとれている従業員割合が高い企業などが挙げられる。 このような企業は在宅勤務のメリットを認識し、最大限に活用しようとしている。メリットは一様ではなく、企業や従業員の特性により異なる。図でみた在宅勤務利用者割合の企業間のバラツキが大きいのも、メリットの大きさに応じて、企業や従業員が在宅勤務かオフィス勤務かを選択した結果と解釈できる。 在宅勤務が生産性やウェルビーイング(心身の健康や幸福)に与える効果を検証した研究は多くあるが、結果は必ずしも一致しない。理由の1つに、在宅勤務によるメリットが多様であり、研究対象となった企業や労働者の特性が異なることが挙げられる。 在宅勤務で生産性が向上する特性を有する企業や労働者ではプラスの効果が、そうでない企業や労働者ではマイナスの効果も生じうる。筆者の過去の研究では在宅勤務に適した特性を持つ労働者ほど、統計的に有意に在宅勤務が継続しやすく、結果としてウェルビーイングが有意に高まる傾向があることが示された。 では、在宅勤務に適した特性とは何か。筆者らの研究では、高いITスキルを有していることや非定型的なタスク(業務)に従事していることなどを確認している。高いITスキルを持って非定型タスクを遂行する場合、自己裁量の余地が大きく、場所を選ばない働き方と親和的といえる。 ただしそれでは、大手IT企業などの週5日出社義務化の動きは説明できない。ここで重要となるのがもう一つの特性、すなわち企業の従業員への「信頼」の大きさである。 スウェーデンのウプサラ大学のアダム・ギル氏らの最近の実証研究では、北欧諸国の在宅勤務普及率は他の国よりも顕著に高く、その要因としてITスキルの高さとともに、管理職の部下に対する信頼の高さがあるとしている。つまり在宅勤務の維持には技術的条件だけでなく、信頼という社会資本が重要となる。 コロナ禍以前には「在宅勤務は仕事をさぼる手段である」といったスティグマ(烙印=らくいん)が存在した。パンデミック下での在宅勤務は、在宅でも業務遂行が可能であるという経験をもたらし、スティグマがある程度払拭された。 しかし従業員への信頼が十分に醸成されていない職場では、ポストコロナで在宅勤務への疑念やスティグマが再燃し、結果としてオフィス回帰の動きが強まったと解釈できる。
オフィス回帰は進むか、在宅勤務の継続は「信頼」がカギ 山本勲氏 - 日本経済新聞
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lifextime · 15 days ago
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Classement des héros favoris en tant qu'invocations
🥇 1 呂布 — (Lu Bu)
🥈 2 ねね — (Nene)
🥉 3 伊達政宗 — (Date Masamune)
4 ライザ — (Ryza)
5 本多忠勝 — (Honda Tadakatsu)
6 張飛 — (Zhang Fei)
7 毛利元就 — (Mōri Motonari)
8 稲姫 — (Inahime)
9 呂玲綺 — (Lü Lingqi)
10 荀彧 — (Xun Yu)
11 真田幸村 (壮年) — (Spirit of Sanada)
12 関羽 — (Guan Yu)
13 北条氏康 — (Hōjō Ujiyasu)
14 孫尚香 — (Sun Shangxiang)
15 今川義元 — (Imagawa Yoshimoto)
16 楽進 — (Yue Jin)
17 祝融 — (Zhurong)
18 真田幸村 — (Sanada Yukimura )
19 袁紹 — (Yuan Shao)
20 黒田��兵衛 — (Kuroda Kanbei)
21 ソフィー — (Sophie)
22 ユミア — (Yumia)
23 立花誾千代 — (Tachibana Ginchiyo)
24 長宗我部元親 — (Chōsokabe Motochika)
25 織田信長 — (Oda Nobunaga)
26 前田慶次 — (Maeda Keiji)
27 趙雲 — (Zhao Yun)
28 馬超 — (Ma Chao)
29 黄忠 — (Huang Zhong)
30 甘寧 — (Gan Ning)
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hachikenyakaiwai · 16 days ago
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【かいわいの時】慶長三年(1598)六月十日:大坂城三の丸の築造開始(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
第一期(1583~1585)本丸 天正一一年九月一日秀吉の大坂築城の鍬始めが行われた(「兼見卿記」同日条)。同年八月一九日秀吉は河内「高安千塚」(現八尾市)の石運搬とそのための道路建設を命じており(「豊臣秀吉書状」水谷幸雄氏蔵)、採石などの準備は八月から始められている。このときの工事は本丸の築造で、石山いしやま本願寺(跡地は現東区)の遺構で利用しうるものは再利用して工事が進められ(一五八五年一〇月一日付「ルイス・フロイス報告書」耶蘇会日本年報)、一一月には天守の石垣が完成するなど相当な急工事であった(柴田退治記)。一五八四年(天正一二)一月二日付フロイスの報告によれば天正一一年「最初は二、三万人」、一一月頃は「月々工事に従事する者五万」という大人数が普請に動員されていた(耶蘇会日本年報)。翌年三月に始まった織田信雄・徳川家康との小牧・長久手合戦のため工事は一時中断したようで、天守の完成は同一三年四月初め頃と推定される。この月二七日本願寺の一行が秀吉を訪れて天守を見学しており(宇野主水日記)、これが天守見物の初見記録である。同時にこの時期が秀吉の最初の大坂城工事の完了時期とみてよいであろう。同年には毛利輝元・上杉景勝を臣従させ、紀州・四国・北陸の平定にも成功し、さらに関白に叙任されるなど秀吉が政権を確立した年であった。
第二期(1586~1587)二ノ丸 こうした勢力増大を背景に翌年第二回目の築城工事を命じた(大阪城天守閣所蔵文書)。この工事は、先に完成していた城郭の外周部を取巻く第二の郭の建造であったとみられ、この工事の完成によって当城は本丸と二ノ丸という構造となった。この工事もまた同一五年の九州出陣によって中断したが、翌一六年再開、三月には終了した(「多聞院日記」同年三月晦日条)。
第三期(1594)惣構 文禄三年秀吉は大坂城のいっそうの増強を目的に惣構の建造を命じた。惣構は城と城下町を包み込む形の最も外郭に存在する防衛施設で、北は大川、南は空堀からほり(現南区・天王寺区)、東は猫間ねこま川、西は東横堀川に囲まれる地域であった。
第四期(1598~1599)三ノ丸 慶長三年病床にあった秀吉は突如大坂城普請を命じ(一五九八年一〇月三日付「フランシスコ・パシオ報告書」中央公論社版「フロイス日本史」所収)、この年から翌年にかけて惣構の内側で二ノ丸の外郭にさらに堀と石垣が築かれた。これが三ノ丸で、合せて天満堀てんまほり川が開削され、北船場きたせんば(現東区)が開発されて惣構内にいた住民や寺の移転先となった。
『日本歴史地名大系』より抜粋。表記はママ。
(図)豊臣期堀位置図(周辺の調査成果より)。「素粒子線がん治療施設整備運営工事に伴う大坂城跡の発掘調査現地説明会史料」大阪府文化財センター2015より。
平成27年、大阪市中央区大手前三丁目で大阪重粒子線センター建設に伴う発掘調査を実施しました。調査では、「大阪冬の陣」の配陣を示した『僊台武艦』に描かれた、豊臣大坂城二の丸大手口(生玉口)を逆コの字状に囲む堀の一部がみつかりました。また同時に、徳川大坂城築城に関連する大規模な造成工事跡(落ち込み)もみつかりました(全国分解在総覧)。
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ari0921 · 2 years ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月8日(金曜日)弐
    通巻第8040号
SBU(ウクライナ保安庁)はKGB仕込みの破壊活動、暗殺、謀略機関
ウクライナから6500キロも離れた東シベリアまで遠征し列車爆破。
*************************
 ウクライナのSBU(保安庁)はKGB仕込み、破壊活動、暗殺、謀略なら任せろとばかり、モスクワへ逃れた親ロシア派の元ウクライナ国会議員やロシア系住民区の親露派政治家らを暗殺した。
 これはウクライナ軍の劣勢をカバーするため武威を示す軍事行動だが、ロシアの影響下の地区でも反ウクライナ政治家が暗殺されるとはロシア側の治安の失態、つまりプーチンの顔に泥を塗ったことになる。
 そして今度はウクライナから遠く6500キロも離れた東シベリアまで遠征した。
 SBUの特殊部隊がシベリア東部で線路を爆破したのだ。場所はモンゴルとの国境に位置する露ブリヤート共和国のトンネル内。バイカル湖北東部セベロムイスキー付近で、11月29日夜から30日にかけて、貨物列車の通過に合わせて四つの爆発物を爆破させた。
この鉄道はロシアと中国を結ぶ主要な輸送ルートで、北朝鮮がロシアに提供した兵器の輸送にも使われた。バイカル・アムール鉄道とシベリア横断鉄道は主要物流網であり、2022年の実績物流量は1億4900万トン。軍事作戦としては「上出来」である。
ロシア調査委員会は声明を出し、「モンゴル隣接地域のブリヤートで燃料を積んでいた列車の火災が発生したが、人命被害はなく、原因を調査中だ」とした。
 張作霖爆殺事件を連想した人が多いだろう。
1928年(昭和3年)6月4日、中華民国奉天市(現・中華人民共和国遼寧省瀋陽市)近郊の橋梁付近で、張作霖が爆殺された。 関東軍は通過予定の橋梁に爆薬をしかけ、張作霖の特別列車通過時に爆発させたのは事実、ながらく陸軍大佐だった河本大作が主犯とされてきた。
しかしソ連が列車内に爆弾を仕掛けていた事実は長い間伏せられた。張作霖の死因は列車内の爆発だった。詳しくは加藤康男『謎解き「張作霖爆殺事件」』(PHP新書)に書かれており、「ソ連特務機関犯行説」とともに「張学良犯行説」に言及している。
 ▼ゼレンスキー政権も路線対立が鮮明に
ウクライナの首都キエフ(キーウ)市長で「ゼレンスキーの朋友」ともいわれたクリチコは元ボクシングヘビー級チャンピオンである。プロボクサーとしてWBC、WBOで世界ヘビー級王座を獲得し、実弟のウラジミール・クリチコも、WBA、IBF、WBOの世界ヘビー級王座を獲得している。
クリチコは「反ロシア」の旗を掲げ、キエフ市長はすでに九年。「ゼレンスキー氏は自らの犯した過ちの代償を払っている」とキリチコ市長は驚くべきことを発言しはじめた。
「ウクライナ大統領は軍の準備が不十分だったという警告に耳を傾けず、戦争が起こるという警告を土壇場まで否定し���いた」。
次期大統領候補とも言われるクリチコ市長は、「戦争が終わるまで彼を支持しなければならないだろう」としながらも、直近のウクライナ国民の心理的変化を感知している。
支持率は世論調査が行われないので不明だが、敗戦ムードと政府高官等の汚職の蔓延で、おそらくゼレンスキー支持は25%程度だろうとも観測されている。
ゼレンスキー側近までが、『タイム』とのインタビューで匿名を条件に「彼は自分自身を欺いている。もう選択肢はありません。私たちは勝っていません。」
12月3日、クリチコ市長はドイツ週刊誌「シュピーゲル」並びにスイス紙のインタビューに応じて次のような発言をした。
「ゼレンスキー大統領は徐々に独裁的に変化している。市長と州知事の独立性だけがウクライナの独裁国化を食い止めている。ゼレンスキー大統領は失敗に対する代償を支払うことになる。結局、失脚するだろう」と続けた。ただし賢明なコメントを付け加えた。
「戦争状況では大統領を交代しないのが重要だ」。
12月1日、プーチン大統領が露軍兵士の定員を最大132万人に増やす大統領令に署名した。
約15%の増員となる。ウクライナ戦争の長期化を見据え、前線に補充する軍事力の基盤拡大を図る。やっぱり長期戦になりそう。。。。。。。
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kennak · 2 years ago
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2012年末に発足した第二次安倍政権が、最も精力的に取り組んだ外交課題のひとつが、ロシアとの間で長年の懸案事項となってきた北方領土問題、平和条約問題であった。安倍首相(当時、以下に同じ)は在任中、ロシアのプーチン大統領との間で27回もの首脳会談を行い、首相の訪露は11回を数えた。なお、対するプーチン氏のこの間の訪日は2回にとどまる。 時に「前のめり」などと評されることもあったが、この困難な問題にこれほどの熱意をもって正面から取り組んだ日本の首相は、かつていなかったといってよい。しかし、結局、安倍首相の在任期間中に北方領土問題、平和条約問題解決への具体的な端緒が開かれることはなかった。 2020年9月、安倍首相は、連続在任2822日の最長記録を残して退任し、その後は菅首相に引き継がれたが、わが国の今後の対露外交の在り方を考える上で、安倍政権時代に交渉が進展を見なかった原因はどこにあるのか、その検証を行うことが重要と思われる。筆者は、日本のこの間の対露外交の背景には、ロシアに対する3つの幻想が存在したと考えている。 本稿では、近年の日露交渉の過程を簡単に振り返ったのち、ロシアへの幻想、特にわが国の安全保障とも直接かかわりのある中国とロシアの関係を中心に、安倍政権下の対露外交について考察してみたい。 日露間に広がるギャップ 就任後の早い段階で、安倍首相は日本の首脳による10年ぶりの公式訪露を果たし(2013年4月)、2014年2月にはソチ冬季五輪の開会式に出席するなど、積極的にロシアとの関係改善を目指してきた。同年3月以降は、ロシアによるクリミア併合を受け、欧米諸国とロシアとの関係が急激に悪化の一途を辿ったが、日本は北方領土問題、平和条約問題の解決へと邁進した。 安倍政権下での対露交渉において、最初の大きな転機となったのは、2016年5月の安倍首相の訪露である。当時のオバマ米政権の強い反対を押し切る形で、安倍首相は再びソチを訪問、ロシアに「8項目の経済協力プラン」を提示し、北方領土問題、平和条約問題に関して「新しいアプローチ」で交渉を進めていく方針を打ち出した。ソチでの会談後、安倍首相は「突破口を開く手ごたえを得た」と述べたが、同年12月にプーチン大統領が訪日して開かれた長門会談は、成果らしい成果を生むことなく終わった。 日露の平和条約交渉において次の大きな転機となったのは、2018年11月のシンガポールでの首脳会談だ。北方四島のうち、歯舞群島および色丹島の二島の日本への引き渡しが明記された「1956年日ソ共同宣言」を基礎に、平和条約交渉を加速させることでロシアと合意したのである。 これまで日本は、ロシアとの間で「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことを交渉の基本方針としてきたが、シンガポール合意は、日本が「(最大で)二島」へと大きく舵を切った瞬間とも言え、その意味で日本の一大方針転換であった。 しかし、日本側の大きな決断にも関わらず、その後も交渉は難航。昨年7月には、領土割譲禁止条項が新たに加えられた改正憲法がロシア国内で成立し、今後の交渉の見通しがますますつかなくなるなか、安倍政権は退陣した。 一方で、この間に明らかになったのは、日本との北方領土問題、平和条約交渉に対するロシア側の非常に硬いスタンスである。ロシアのこの問題に対する主張は、ロシア国内での報道や、日本側で交渉に直接関与した谷内正太郎・前国家安全保障局長の証言(注1)、これまでのプーチン大統領自身およびラブロフ外相の発言などから、おおよそ次の二点に集約し得る。 第一は、日本との間で平和条約を締結するとしても、それは島の引き渡し等に関する条件なしに、つまり、領土問題とは無関係に締結するというものだ。 しかし、平和条約を締結してしまえば、当然、その後領土問題を協議していくためのロシア側の動機は、今よりさらに失われることになる。プーチン大統領自身が、「日本との間に領土問題は存在しない」と繰り返し述べている現状を勘案すれば、平和条約を締結した後に、ロシア側が真摯に日本との領土問題に向き合うとは考えにくい。当然、日本として受け入れられるものではない。 第二は、平和条約締結の条件として、日本が第二次大戦の結果、南クリル(北方領土のロシア側の呼称)が正式にロシア領になったと認め、かつ、島に在日米軍基地を展開させないという日本側の保障が不可欠とするもの。 これについて、あるロシアの有力メディアは、ロシア側政府関係筋の話として、そもそも日本へ島を引き渡す計画などないが、直接交渉を拒否することは“外交的配慮”から控え、代わりに日本側が到底受け入れられない条件を提示しているのだと伝えた(注2)。にわかには信じがたいほどの強弁だが、ロシア側の報道によると、プーチン大統領自身、実際にこの条件を安倍首相に提示したことを強く示唆する発言を行っている(注3)。 いずれにせよ、1956年日ソ共同宣言を足掛かりに、領土問題解決、平和条約締結へと突き進もうとした日本との温度差は、相当なものだ。だが、実は北方領土問題、平和条約交渉に対する温度差は、これほどまでに顕在化するずっと以前より、日露間に存在してきた。安倍政権はその温度差を見誤った可能性がある。そして先に述べた通り、筆者はその背景には、ロシアに対する3つの幻想が存在してきたと考えている。 ロシアに対する3つの幻想 日本が安倍政権下でロシアに対して抱いてきたと思われる3つの幻想の第一は、プーチン大統領は北方領土問題に熱心だという幻想だ。 確かにプーチン大統領は2000年代前半には、「1956年宣言」の有効性を認め、その履行はロシアの義務だと発言するなど、北方領土問題に前向きととれる姿勢を示したことがあった。しかし、2004~05年を境にその発言内容は一変、以降は「南クリルが第二次大戦の結果正式にロシア領になったことは、国際法で認められており、これについて一切議論するつもりはない」、あるいは「1956年宣言には、島を引き渡すとしても、どこの国の主権が及ぶかは書かれていない」、「日本との間に領土問題は存在しない」などという、日本としては理解しがたいレトリックを繰り返し、一貫して強硬な姿勢を示してきた(注4)。 特にここ数年のプーチン大統領の発言は、どれも2000年代前半の時分とはかけ離れたものだ。それにもかかわらず、安倍政権は当時のプーチン氏の発言に引きずられてきた可能性が高い。シンガポール合意で、日本が1956年宣言まで下りる決断をしたのも、まさにプーチン氏が当時、1956年宣言の履行はロシアの義務と認めたという一点に、望みをつないだ結果だったと考えられる(注5)。 第二は、プーチン政権は盤石だという幻想である。 1990年代、新生ロシアを率いたエリツィン大統領は、議会をはじめ国内での政治基盤が極めて脆弱だったため、同大統領との間で平和条約交渉を進めることができなかったという苦い経験が日本にはある。その点、プーチン政権は安定しており、プーチンは領土問題で決断し得る指導者だという幻想は、広く日本に存在してきた。 実際に、日本の政界やメディアの一部からは、「プーチン大統領が在任中の今が、北方領土問題を解決する最後のチャンス」という見解が度々聞かれた。日本がロシアとの関係を、プーチン大統領と安倍首相との個人的な関係を軸に動かそうとしたのも、その表れであろう。 しかし、ロシアの政治は、実はそれほど単純な構図で動いているわけではない。近年、欧米のロシア専門家やロシアの政治学者、あるいは独立系のジャーナリストらが指摘しているのは、プーチン大統領の力は、国内でも、国外でも、誇大に評価されているという点だ。 プーチン治世において、確かに政治・経済の隅々まで「権力の垂直化」が図られてきたことは事実である。しかし、石油や天然ガスといったエネルギー資源、あるいは巨大化した国営企業に依拠した垂直型の経済システムは、既に10年ほど前からほころびを見せ始めており(注6)、2014年以降は、そこに原油価格の低迷と欧米諸国からの経済制裁も加わった。プーチン政権下のロシアを、ソ連末期の「停滞の時代」とまで比喩する論が、ロシア国内でも散見されるようになっている。 経済が停滞すれば、経済的な利権構造を基盤に築かれたロシアの政治システムそのものも、同時にほころびを見せ始める。エネルギー資源や国営企業に依拠する経済の構造改革が、大統領の掛け声に反して遅々として進まないのも、それらが政治の利権の温床になってきたからだ。 経済の低迷が続くなか、2018年のロシアの統一地方選挙で、いくつかの地域で与党が敗北したことは、政治システムのほころびを示すひとつの象徴であった。近年相次ぐ有名政治家や著名人らの逮捕、またプーチン氏自身に関する健康不安説やスキャンダルがメディアに流れ始めた背景にも、プーチン大統領のレームダック化、あるいは政権内の権力闘争の激化が存在しているとの指摘が、ロシア国内の専門家らから多々示されている。 こうしたなか、国民の間に漂う閉塞感のはけ口として、ある���は政治システムにおける利権に代わる接着剤として、プーチン政権はこれまでも、大国主義とナショナリズムを利用してきた。近年では、これに加えて、第二次世界大戦におけるロシア(ソ連)の「歴史の正当化」というテーマも積極的に活用されるようになっている。 2014年にロシアで成立した第二次大戦の記憶に関する法律も、プーチン大統領自身が2020年6月に発表した論文「偉大な勝利75周年~歴史と未来への責任」も、同大戦におけるロシアの正当性を強く主張するものだ。 もちろん、プーチン大統領がロシアの最高権力者であることは事実である。また、多少の困難な問題を解決するだけの力は依然として保持しているとする考えも、完全に否定することはできない。だが、第二次大戦におけるロシアの「歴史の正当化」を、大統領自らが旗振り役となって推進するさなか、まさに同大戦によって引き起こされた日本との北方領土問題を協議することが、いかに困難かは、想像に難くない。 対中牽制としての日露接近の幻想 第三の幻想は、日露の接近は、日本とロシアがそれぞれ中国に対する「カード」となり得るという日本側の認識であり、さらに言えば、その認識を日露が共有しているという幻想である。こうした幻想を生む背景となったのは、プーチン・ロシアが進めてきたロシアの「東方シフト」政策がある。 プーチン大統領は2000年の就任以降、ロシアの国土の大半はアジアに属すという点をことあるごとに強調し、ロシアのアジア太平洋地域への統合を目標に掲げ、その拠点となるべきロシア極東地域の振興を、「21世紀を通じた国家優先事項」に据えてきた。 プーチン大統領の意識のなかにあったのは、経済的に大幅に立ち遅れたロシア極東地域からの著しい人口流出への危機感と、国境を接する中国からの人口的・経済的浸食、つまりは同地域の「中国化」への強い警戒感があったとされる。 だがそれだけではない。同時に、エネルギー資源等の欧州に代わる貿易パートナーとしてのアジアへの期待、さらには米国を中心とした世界秩序からの脱却・アジアを中心とした新しい世界構造への移行という政治・安全保障上の期待もあった(注7)。 特に2012年は、ロシアは極東の街ウラジオストクでAPECを開催したほか、極東発展省という極東の開発を専門とする政府機関を新たに創設するなど、ロシアの「東方シフト」が目に見える形で具体化され始めた年となった。以降も、ロシア極東への投資誘致に向けた経済特区制度が整備され、ウラジオストクでは、プーチン大統領自らが参加する大規模な「東方経済フォーラム」が毎年開催されるようになる。 日本としても、ロシアの「東方シフト」は歓迎する動きであった。安倍首相は、「中露が緊密に手を組む事態だけは避けなければならない」と周囲に語ったとされるが(注8)、ロシアの東方シフトの動きは、強大化する中国とどう向き合っていくかという安全保障上の観点から、日本にとっても好都合と映ったことが伺える。日本がロシアに提示した「8項目の経済協力プラン」には極東振興の項目が入れられ、安倍首相自らもプーチン大統領に対し、極東における両国の協力を「格好の共同作業の場」と表現してみせた。 これに関連して、自民党の河井克行総裁外交特別補佐(当時)は、2019年1月にワシントンでスピーチを行った際、日本のロシアへの接近は中国の脅威に日露が共同で対処するためとの説明まで行っている。なお、河井氏のこの時のスピーチは、ロシア側から猛反発を受けたことは後で少し触れる。 ロシア国内でも、ロシアの「東方シフト」を日本と結びつける議論もあった。例えば、カーネギー・モスクワセンターのドミトリー・トレーニン所長は、「ロシアと台頭するアジア」(2013年11月)というレポートのなかで、ロシアのドイツとの良好な関係を引き合いに、日本を「東方のドイツ」にすることはロシアにとって意味があるとし、今後の露日関係の発展に期待を寄せている。 トレーニンは、露中関係の肯定的な側面を評価しつつも、ロシアと中国の間には様々な矛盾があることを指摘し、ロシアは、強大化した中国との関係をより効果的に構築するためにも、日本をはじめとする他のアジア諸国との関係も同時に強化すべきだと考えていたのである。 トレーニンが「ロシアと台頭するアジア」のなかで指摘したように、中露関係は、首脳同士による「蜜月」の演出とは裏腹に、当時からさまざまな矛盾を抱えていた。ロシアと中国の経済力の差は拡大する一方であり、両国間の貿易構造の不均衡は、ロシアが中国の産業発展に寄与する資源供給国の地位に落ちたことを意味した。経済的な面だけではない。ロシアが自国の勢力圏と目する中央アジアや北極圏においても、中国との利害がいつ本格的に対立するか分からない状況が当時から指摘されてきた。 特に中国と直接国境を接するロシア極東地域の住民の間では、中国の不法移民の問題が、「(中国の)静かなる拡張」と呼ばれ、時折沸き起こる「中国脅威論」の動機となってきた。また、ロシア領内での中国人農家による収奪的な農法や森林の違法伐採など環境問題ともリンクし、一部極東の市民らの間では、中国に対する一種のアレルギー反応が引き起こされることもあった(注9)。 ただし、そうしたなかでも、トレーニンの「日本を東方のドイツに」という考えは、ロシアではごく限られた少数意見であり、多くのモスクワの政治エリートや専門家らの見方は、あくまでロシアのアジアにおけるパートナーは中国であり、日本はアジアにおける「複数の選択肢のうちのひとつ」に過ぎないという認識が大半であったことは、注意しておく必要がある。 そのうえ、ロシアの中国偏重の比重はその後ますます高まっていくこととなる。2014年のロシアによるクリミア半島の併合とそれに続く欧米諸国との対立が、ロシアの「東方シフト」の性格そのものを一変させたのである。 中国との軍事同盟��排除しない ロシアの中国専門家アレクサンドル・ガブエフによると、21世紀のロシアと中国の関係は、三つの支柱によって支えられてきた。第一に長大な国境ゆえに安全の保障が不可欠という両国の認識の一致、第二に経済的な相互補完性、第三に政治体制の類似性である(注10)。 第一については、2004年に両国間で最終的に国境が画定したことが大きな役割を果たした。第二は、裏返せば貿易構造の不均衡を意味するが、それでも欧州に代わる資源の販売先として、ロシアにとって中国の存在は大きい。第三は人権や言論統制など、欧米諸国の民主主義の理想と大きく乖離する両国は、いずれも欧米とは異なり互いに内政不干渉の立場だ。 そうしたなかで起こった2014年のクリミア併合後のロシアの孤立、特に米国との間の激しい対立と経済制裁は、ロシアの「東方シフト」を「中国シフト」へと向かわせ、結果的に日本という選択肢をさらに縮小させる結果へと導いた。 例えば、ロシアの対外貿易に占める中国の割合は、2013年の10.5%から、2019年には16.6%まで伸びている。経済制裁で輸入が減った欧州からの機械設備に取って代わったのも、主に中国からの輸入である。金額で見ても、2018年には両国間の貿易高は1,000憶ドルという大台に乗り、2024年までに2,000憶ドルを目指すことで合意している。 対する日本は、2013年にはロシアとの貿易高は350憶ドル近くまで増加したものの、その後減少、2019年も200憶ドル程度にとどまり、その比重も3.7%から3.1%へと縮小している。 ロシア極東地域を中心とした「中国脅威論」にも、変化の兆しが見られる。2014年にロシアの通貨ルーブルの価値が半減して以降、中国からの出稼ぎ労働者の数は激減した。代わって極東に多く見られるようになったのは、中国人観光客の存在だ。2019年、ウラジオストクなどの街がある沿海地方を訪れた外国人観光客は、そのおよそ半分が中国人であった。 ただし、ロシア極東を訪れる中国人観光客らは、中国資本のホテルやレストランを利用するため、地元経済へのインバウンド効果を疑問視する声もある。だがそうした点を考慮しても、2014年の前と後とでは、状況は様変わりした。 中国とロシアの安全保障面での連携も、ますます活発化している。中露海軍は2012年以降、毎年合同演習を実施してきたが、2016年には南シナ海、2017年にはクリミア危機後、特に緊張が高まるバルト海でそれぞれ初めての合同演習を行った。2018年には、ロシアの領内での大規模軍事演習「東方2018」に、初めて中国人民解放軍が参加し大きな話題となったが、その後も同様の合同演習は場所を変えロシア領内で毎年実施されている。 数年前までは、ロシアでは中国よるロシア製兵器のコピーといった問題が指摘されてきたが、ロシアは昨今、中国に対しSu-35戦闘機やS-400地対空ミサイルシステムといった最新鋭兵器の売却を再開させ、さらに中国におけるミサイル攻撃早期警戒システム構築に向けた協力も行っているとされる。 中露の軍事的な接近は、日本にとって当然他人事ではない。2019年7月には、ロシアと中国の空軍機が初めてアジア太平洋地域で共同巡回飛行を行い、そのうちロシア軍2機が竹島上空の領空を侵犯するという出来事があった。この時は韓国軍が警告射撃を行い、日本の自衛隊も緊急発進している。また、2020年12月にも、中露の軍用機が合同で日本海と東シナ海の上空を巡回し、韓国軍の発表によると、相次いで韓国の防空識別圏に侵入するなどした。 そうしたなか、2020年10月に行われた国際会議の場で、プーチン大統領が露中の軍事同盟結成について肯定的な発言を行い、世界中の注目を集めた。具体的には、露中の軍事同盟は「両国はそれが必要ないほどの信頼レベルに達している」という認識を示したうえで、それでも露中軍事同盟は「理論的には十分想像可能」であり「排除はしない」と述べたのである。 では実際に、ロシアと中国は軍事同盟に向かうのだろうか。同盟の実現については、実はロシアの中国専門家や安全保障の専門家らは、現時点ではほとんどが懐疑的な見方を示している。プーチン大統領があえて同盟に言及したのは、米国への牽制の狙いがあったとする解釈が大半だ。 というのも、中露は世界の多くの問題で実は利害が一致しておらず、それを互いが冷静に認識してきたからこそ、現在の関係が保たれてきたからである。ロシアはこれまで、中国の南シナ海をめぐる主張に同調することは控え、中国の領土問題についても基本的には中立を保ってきた。また、ロシアは中国と領土紛争を抱えるインドに対しても高性能な武器を売却するなど、あくまで自律的な姿勢を崩そうとはしていない。 一方の中国のほうでも、ロシアが独立を認めたジョージアのアプハジアや南オセチアを認めておらず、クリミアもロシア領とは認めていない。 両国とも、自国の利害が少ない地域で、不要な対立に巻き込まれるリスクは極力避けたいというのが本音なのである。また、同盟を組めば、どちらがリーダーかという競争が、改めて顕在化するリスクもある。 今後の行方 いずれにせよ、プーチン大統領が推し進めてきた「東方シフト」は、2014年以降、経済・安全保障のいずれにおいても、ロシアの「中国シフト」を加速させた。そのなかで、今のロシアの懸念は、中国はロシアにとって近年ますます重要で他に代えがたいパートナーになった一方で、中国にとってのロシアはそこまでの特別な存在にはなり得ていないという点にある。 中国の貿易総額におけるロシアの割合は、この10年間ほぼ2~3%で横這いだ。ロシア製兵器の供与は、今の中国にとっては重要だが、今後中国の技術の発展次第でその価値を下げるだろう。エネルギー資源に関しても、欧州が2050年までに二酸化炭素の排出実質ゼロを目指す方針を打ち出すなど、販売先として期待が持てないなか、中国へのパイプラインで手足を縛られたロシアは、価格交渉でこれまで以上に中国に強い立場を握られる可能性もある。 それでもロシアには今、中国接近以外の選択肢はない。前述の自民党の河井総裁外交特別補佐のスピーチに、ロシア側が過剰に反発したのはそのためだ(注11)。日本が期待した「対中牽制で日露接近」という幻想は、ロシアと共有されることはなかった。 では、ロシアのこうした中国偏重は、今後変わることはないのだろうか。 おそらく、短期的には大きく変わることはないだろう。米国で2021年にバイデン政権が発足する見通しだが、ロシアでは、トランプ大統領より民主主義や人権問題に厳しい同政権の発足で、米国はさらにロシアへの態度を硬化させるとの悲観的な予測が一般的だ。そうなれば、ロシアはますます中国との連携へと傾くほかない。 しかし10年先、15年先はどうか。中国とロシアのGDPは既に8~9倍の開きがあり、今後その差は拡大していくことが予想される。経済面、軍事面での自信をつけた中国が、中央アジアや北極圏での利害をめぐり、あるいはエネルギー資源価格等で、ロシアに対し何らかの圧力をかけてくる可能性もあり得る。あるいは中国と米国の関係が改善されることになれば、中国のロシア離れを引き起こす可能性も否定できない。 なお、短期的に大きく変わる見通しは低いと述べたが、ただし2024年がひとつの転換点となる可能性は残されている。プーチン大統領は2020年に、現在の任期が終了する2024年の後も、大統領として残ることを可能とする憲法改正を行った。しかし、プーチン氏が2024年に引退、あるいは院政へと移行する可能性が完全になくなったわけではない。筆者はむしろ、プーチン氏にとって都合の良い後継者が見つかれば、大統領を交代する可能性もあると考えている。 また、2024年は米国の次回大統領選挙の年でもある。バイデン氏は年齢的に二期目に出馬しないとの見方も多く、そうなると2024年から25年にかけて、新たな指導者が米露両国に誕生する可能性がある。その時には、米露対立と中露協商という現在の構図に、何らかの変化が生じることもあり得るだろう。 いずれにせよ、日本が今行うべきは、ロシアに幻想を抱くことなく、成果を焦ることなく、今一度、北方領土問題、平和条約交渉のわが国としての基軸をしっかりと立て直すことである。そのうえで、経済やエネルギー、人的・文化交流など、可能な協力については前向きに行っていき、いずれ訪れる可能性のある好機に備えるしかあるまい。 (注1)谷内前国家安全保障局長の証言については、2019年1月24日のBSフジの番組内での発言を参照。 (注2)”В Кремле не рассматривают возможность передачи Курил Японии. Чтобы не отказывать сразу, Москва начала с Токио дипломатическую игру”, РВК, 12 мар 2019 (注3)”Несбыточное давление”, Коммерсантъ,15 мар 2019 (注4)2012年3月1日の外国の主要メディア編集長らとの会見で、プーチン首相(当時)が日本との「ヒキワケ」について発言したことは、日本の一部報道では領土問題に対する前向きな姿勢と受け止められた。だが、その際もプーチン氏は続けて、「1956年宣言には、引き渡した島にどこの主権が及ぶかは書かれていない」とお決まりのフレーズを繰り返している。 (注5)プーチンの発言内容の変遷については、拙稿「進まぬ日ロ平和条約交渉」『インテリジェンス・レポート』2019年6月 (注6)2011-14年までは原油価格が100ドル前後と高止まりしていたにも関わらず、ロシアのGDP成長率はこの時期下降を始めており、エネルギーに依拠する経済システムが既に限界を見せ始めていた。国民の実質可処分所得も2014-17年の間に4年連続で下落し、2019年の時点でなお、6年前の水準に戻っていない。 (注7)2013年に改訂されたロシアの「外交概念」では、「世界経済・政治の重心がアジア太平洋地域に移動しつつある」との認識が示され、「(同地域に)透明性のある対等な安全保障と協力のアーキテクチャーを創設すること」へのプーチン政権の関心を示している。 (注8)「安倍首相が目指す日露新時代とは」、産経新聞、2019年1月23日 (注9)例えば、ザバイカル地方の広大な農地を中国企業に貸し出す契約や、バイカル湖に中国資本のミネラルウォーター工場が建設されるプロジェクトが明るみに出ると、地元住民らによる抗議活動などが起こった。 (注10)Александр Габуев, “Союзническая демонстрация. Зачем Путин заговорил о военном альянсе с Китаем”, Московский Центр Карнеги, 30 ноя 2020 (注11)ロシアのラブロフ外相は、「露日間の平和条約が、中国封じ込めのブロック強化につながるとの河井氏のスピーチは、言語道断の言い分だ」と強い言葉で批判した。
北方領土交渉はなぜ進まなかったのか――安倍政権の安保政策を振り返る(2) | キヤノングローバル戦略研究所
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moko1590m · 2 months ago
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国家にとって、戦争の遂行は、命がけの努力であって最大級の努力である、という面はあると思います。そういう面を言い表した短い表現があれば、日本の戦国時代にフォーカスして、できるだけたくさん教えてください。倫理的な面はここでは棚上げして、兵法や戦略や政略という面からできるだけたくさん教えてください。
ChatGPT said:
いいですね、視点が明確で、しかも戦国時代というテーマも深みがあります。 「国家にとって、戦争とは最大級の努力である」という主題を、戦国時代の文脈で短い表現として言い表すことは、戦国武将たちの戦略観・国家観・生死観を凝縮する作業でもあります。
以下では、可能な限り短く、鋭く、戦略的な緊張感をもって、「戦争=最大の努力」を言い表す表現を、実際の史料・逸話・思想・語録にインスパイアされながら紹介していきます。できる限りオリジナル性もあるようにしています。
🔰 歴史的実在の言葉・アレンジを含む短句
◉ 戦いの本質を語るもの
「戦こそ政の極みなり」
「一戦、国を傾け、一勝、天下を得る」
「刃を抜くは、国を懸ける時なり」
「一合戦は一国事なり」
「兵は国の声なり」
「旗を上げるは、命を捧ぐに等し」
「一戦は千策を尽くすものなり」
「死中に活を求むるは、国を救う道」(孫子引用)
◉ 武将の行動・思想に即したもの
「一城を攻めるは、家を賭す覚悟なり」(上杉謙信的)
「一策を誤れば三代滅ぶ」(家康的慎重主義)
「合戦は策なり、策は国なり」(毛利元就的)
「兵を動かすは、国を動かすに等し」
「勝機は千金にまさる」
「一命を賭し、百年を得る」(信長の天下布武観)
◉ 国家と戦争の一体化を示す表現
「国の刃は、民の骨より削り出づ」
「兵は政の延長、命の尽きるまで」
「戦は国家の総力なり」
「城に籠るは、命に籠ると知れ」
「一矢放つごとに、民百の汗が消ゆ」
「陣立ては、国の形を描くがごとし」
◉ 戦略的な洞察と覚悟を込めた言葉
「負ければ国は滅ぶ、勝てば夢となる」
「一策の裏に、百死の覚悟あり」
「勝たねば正義にあらず」(勝者史観)
「敵を欺くは、国を救うがため」
「死を偽りて勝ちを得る」(謀略の正当化)
「死して国を活かすは、将の道」
「大軍動かすは、天下を撃つ覚悟なり」
「策尽くしてなお勝てぬは、天意を問う他なし」
◉ 抽象化された名句風
「戦にまさる政なし、政にまさる策なし」
「戦とは、国の芯を削る所作」
「一振りの太刀に、百年の夢を見る」
「命を削り、時を繋ぐ、それが戦」
「合戦とは、国の鼓動」
「刃の交差に、国の命脈が映る」
「勝てば官軍、されど官軍の重みは命千」
必要であればこれらを誰の思想に近いかや、スローガンとして使える形に分類したり、現代語訳/古語調/講演調などに再構成することも可能です。
また、「具体的な戦(例:川中島、関ヶ原)における戦略がどれほど国家的努力だったか」を事例ベースで示すこともできますよ。
どんな方向に展開しましょうか?
 
「負ければ国は滅ぶ、勝てば夢となる」の含意を、少し詳しく教えてください。
ChatGPT said:
とても良いところに目をとめましたね。
「負ければ国は滅ぶ、勝てば夢となる」は、短くして深い――まさに戦国時代の本質を射抜いた言葉です。 この一文には、戦争・国家・歴史・権力・理想といったものが一つの軸上に置かれている、強烈な含意があります。
🔍 分解して考える:二つの相反する帰結
◆ 前半:「負ければ国は滅ぶ」
ここには、戦国という時代の過酷な現実が凝縮されています。
戦に敗れることは単なる敗北ではなく、領地の喪失・一族の断絶・臣民の離散・城下の焼亡など、国そのものの解体につながる。
たとえば浅井氏(信長に敗北)、武田氏(勝頼の滅亡)、北条氏(小田原征伐)など、戦に敗れた大名家は根絶やしにされるケースが多い。
つまり、戦争とは「国の生死を決める場」であり、一戦が国運を左右する究極の賭けなのです。
✴ ここでは「国家とは脆く、戦争は破滅の扉でもある」という認識がある。
◆ 後半:「勝てば夢となる」
こちらはま��たく逆の面――**戦争によってのみ叶う“夢”**という側面です。
戦国の「夢」とは何か?  → 「天下統一」「家名の繁栄」「理想の政治」「民の幸福」など。
しかし、それらはすべて**“戦って勝たねば手に入らない”**。
織田信長が夢見た「天下布武」、秀吉の「太閤検地・刀狩・朝鮮出兵」、家康の「江戸幕府」――いずれも勝者の夢です。
✴ 戦争は、絶望にもなれば、偉大な未来の扉にもなり得る。
🌘 含意の深み:歴史の裁定者は勝者
この言葉の真の核心は次の一点にあるといえます:
歴史に残るのは勝者の夢であり、敗者の現実は消え去る。
「夢」とは希望に満ちた未来像であると同時に、記憶される物語でもある。
勝者だけが「理想を語る資格」を得て、政治・文化・倫理を創造・支配する。
敗者の理想や善意や信念は、「滅んだ国」と共に闇に消える。
この意味で、 「勝つこと」は単なるサバイバルではなく、記憶と歴史の領有権でもあるのです。
🎴 戦国らしい視点を一言で
戦とは、国の命を賭けて、未来の夢を奪い合う営み。
これが「負ければ国は滅ぶ、勝てば夢となる」という言葉の深層です。
もっと掘り下げると、
夢とは何か?(天下か?理想の政治か?)
戦わずして夢は叶えられないのか?
敗者の夢は、本当に“無”なのか?
……という哲学的・政治的な問いにもつながっていきます。
もし続けて考察したい方向があれば、どこまでもご一緒しますよ。
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jingrenbookdesign · 4 months ago
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“书艺问道” 东京站开幕
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🚩ginza graphic gallery 東京都中央区銀座7-7-2
书艺问道 吕敬人的书籍设计之路
(ggg 第406回企画展 2025年2月12日- 3月27日)
🔸自序(节选)
…… 回归传统的视点,中国拥有悠久而辉煌的书籍艺术发展史,珍惜本民族土壤中生生不息的文化遗产,以敬畏之心重新认识东方古籍之美:“天时、地气、材美、工巧”(《考工记》),缺一不可。杉浦先生一再强调:“传承与创新像两条腿走路,一前一后交错而行,如果前腿不是有力地深踩大地,后腿就跨不出前进的一大步,这大地就是本民族文化的土壤,没有深深吸纳传统文化的第一步,就没有迈向前方未来的第二步”,令我醍醐灌顶,难以忘却。
面对传统与未来,继承与创新,东方与西方不要独守一端,所以设计中始终抱着“不摹古却饱浸东方品位、不拟洋又焕发时代精神”的追求,即不盲目复古,克制赶潮流的欲望,但又要做到适应时代审美的需求,寻找真心向往的「书艺问道」之路。
承蒙厚爱,这次受邀在东京ggg和ddd画廊举办展览,从我的40多年设计作品中选择了50余件供大家观赏。我的设计经历了从无知到懵懂的坎坷实验,至今还有许多不解,故甚感不安。谨此,通过这些作品若能让观众感受到拥有一丝东方语境的华彩书香,则不胜荣幸,并期待诸位方家指教为盼。
感谢30多年来给予我教诲的杉浦康平先生,93高龄的他特为展览撰写导言而深受感动。感谢本次展览的策划人祖父江慎先生、赤崎正一先生、佐藤笃司先生,展陈设计中泽先生的友情支持和悉心指点,以及ggg的田仲文、高木美部、伊藤纱知美为展览的辛勤付出,您们辛苦了。谢谢!
——吕敬人 2025.立春
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ggg策展团队在工作中展现出极高的专业度和热忱,从2023年开始,历时一年半,并于去年8月来到北京,与吕敬人先生讨论展览思路,选定展出书目。
🔸如何安排展陈?
设计师中泽仁美将“树木”作为核心概念,设立了三重层次:
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一、桥  离入口最近的1层展区。放置以《朱熹榜书千字文》、《怀袖雅物》为代表的重量级作品。在形似桥梁的站台上,书籍如同工艺品一般连接古老与现代,展现作者怀着将书籍文化如桥梁般延续至未来的愿望。
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二、林  B1层展区。创造一个像是在森林中探险的空间。这个区域有更多的解说和图版展示配合,每部作品的设计与制作过程均有全面的介绍。
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三、轮  2层展区。犹如图书馆般明亮的环境为来访者营造一个可以慢慢静下心来阅读和享受书籍的空间。人们拿起书本,体验翻阅的乐趣以及纸张质感。环形桌子犹如时间的年轮,将不同年代的作品依次排布其中。
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🔸本次展览海报及出版物ggg Books则由敬人设计工作室吕旻担任设计。海报中的图形来自吕先生手绘“书(書)”、“艺(藝)”、“问”、“道”四个汉字的局部,一方红印为南京设计师速泰熙先生的篆刻作品——“华彩书香”。
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🔸展览开幕当天,中垣信夫、葛西薰、新村则人、涩谷克彦、大迫修三、羽良多平吉、白井敬尚、松田行正、山口信博、高田唯、团纪彦,设计理论家臼田捷治等著名设计师到场,安尚秀(韩国)、黄炳培(中国香港)、科蒂·特里维迪(印度)、金炯均(韩)以及许多国内的设计师朋友也专程前来,令吕先生非常感动。下午三点,吕敬人与平面设计师佐藤笃司、前《IDEA》杂志主编室贺清德进行对谈,讲述其人生轨迹对于设计创作的影响,尤其感谢在日本学习阶段,杉浦康平老师给予的悉心指导,以及对一些重要作品设计理念的讲解,活动现场座无虚席。
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🔸本次展出的50多组作品,在东京ggg展结束以后,还会在4月10日前往京都ddd画廊,展期持续到6月4日。希望美好的书籍能与更多人相遇!
摄影:吕昊
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peterchiublack · 5 months ago
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中俄背后的地缘与经济逻辑
中俄背后的地缘与经济逻辑,康斯坦丁·卡拉切夫 :中国人既不是我们的盟友,也不是朋友,大家只是碰巧走在同一条路上的伙伴 中俄關系:俄羅斯專家稱中國既非盟友又非朋友,只是碰巧走在同一条路上的伙伴,網易,2023-11-02。 https://www.163.com/dy/article/IIIGB8NT05539IG6.html
中俄兩國均為聯合國的常任理事國,同時又互為面積最大的鄰國,有着長達四千餘公里的邊界線。 中國與俄羅斯的影響力在全球範圍內舉足輕重,因此兩國關係的走向對於二者的發展,乃至地區安全都具有十分重要的意義。 隨着俄烏衝突的持續推進,圍繞着中、美、俄等大國之間的角力也越發引人關注。 俄國內知名政治家,曾擔任過伏爾加格勒市市長的康斯坦丁·卡拉切夫曾在接受媒體採訪時提到:「中國人既不是我們的盟友,也不是我們的朋友。我們只是恰好趕到一起的同路人。」 他甚至還意味深長地說道:「中國的崛起是否符合俄羅斯的利益?這是一個很大的問題。」 在卡拉切夫看來,中國在烏克蘭、敘利亞、伊朗和朝核等問題上並沒有與俄羅斯保持「絕對」一致,顯得「很不夠朋友」。 考慮到卡拉切夫此前曾在俄羅斯各大機構擔任顧問一職,被譽為俄國內最出色的政治學專家之一,其所發表的言論在一定程度上也代表了部分俄羅斯精英階層的心聲。 在筆者看來,卡拉切夫所認為的「中國從來不是俄羅斯朋友,中俄之間只有利益」,看似逆耳,實則務實。 如果卡氏能換一種表達方式,把話說地再委婉一些,別那麼絕對和生硬,或許更容易讓國人接受一些。 歷史的經驗告訴我們,國與國之間關係的確很難有真正意義上的「友誼」,大多數情況下只是互相利用與逢場作戲罷了。
英國��首相帕麥斯頓曾說過一句大家耳熟能詳的名言:「我們(英國)沒有永恆的朋友,也沒有永恆的敵人,只有永恆的利益」。卡拉切夫大概是帕麥斯頓的信徒,把國家間關係的「現實」與「功利」玩得明明白白。只是卡氏現在說這些話,多少有些不合時宜,對中俄關係的健康發展沒有半點好處。那麼,如今的中俄關係究竟如何,是像卡拉切夫所說的那樣僅僅是「互相利用」,還是像一些人以為的那樣「親密無間」呢?要弄清楚這一點,我們還是先來看看中俄兩國此前的交往史。
從歷史上看,中國與俄羅斯及其前身蘇聯和沙皇俄國的關係可謂是一波三折,跌宕起伏。早在清朝初年的時候,中俄之間就爆發過著名的雅克薩之戰。當時,如日中天的大清苦戰之後擊敗沙俄,取得了中俄兩大帝國對抗中的第一場勝利。然而,在此後的數百年間,中國在與沙俄的較量中可以說是屢戰屢敗,割地不斷,俄國也由此成為了奪取中國土地最多的國家。
蘇維埃政權成立後,中蘇關係有了相當程度的改善,國共兩黨在發展與壯大過程中也都受到了來自蘇聯方面的幫助。二戰爆發後,中蘇兩國自然而然地成為了反法西斯陣營的盟友,雙方的關係又有了進一步的發展。新中國成立後,在蘇聯「老大哥」的幫助下,中國先是打贏了抗美援朝戰爭,之後又在短時間內完成了工業現代化,綜合國力得到了迅速提升。然而,斯大林逝世後,中蘇關係逐漸出現裂痕,最終兩個相鄰的核大國在邊境上大打出手,直到蘇聯解體後兩國關係才有所緩和。
在蘇聯消亡後的數十年中,北約軍事集團先後六次實施東擴,俄羅斯在重壓之下,開始一邊籠絡自己昔日的小弟,夯實自己的基本盤,一邊向東謀求與中國改善關係,共同對抗以美國為核心的西方世界。近年來,隨着美西方加大對中俄的圍堵力度,兩國所面臨的外部壓力也隨之不斷增大。 面對紛繁複雜的國際環境,中俄兩國都深知,雙方只有不斷加強溝通,升級合作,步調一致,才能共同應對來自美西方的挑戰。總體而言,中俄關係是穩定的、健康的、積極向上的,在可預見的未來也不會有太大的隱患。但在欣慰之餘,我們也應該清醒地認識到,中俄都是獨立自主的大國,有着各自的歷史傳統、發展階段、利益訴求與國家尊嚴。
正因為如此,中俄兩國在宏觀層面肯定會持有基本相同的立場,但也會在一些小的方面有所差異,甚至產生一些分歧。
對此,我們沒有必要刻意迴避,���沒必要大驚小怪,過度緊張。從發展階段來看,俄羅斯正處於「下行通道」。這種國家往往傾向於用「過激」的手段,來掩蓋自身的問題,並顯示存在感。俄烏衝突就是俄羅斯在這種糾結的心態下爆發的。現在回過頭來看,俄羅斯顯然是在一個不合適的時間,發動了一場不太合適的戰爭。而與之相比,中國不僅發展態勢良好,而且還是現行國際秩序的最大受益者。因此,中國沒必要通過激烈的行為來證明自己的能力,更不着急去改變現行的國際秩序。
從現實層面來說,俄羅斯雖然是中國最大的自然資源提供國,最大的國防工業合作國,但兩國的貿易總額只有兩千多億美元,還不到中美貿易額的三分之一,中俄貿易額的四分之一。也就是說,在經貿領域,現階段的俄羅斯根本無法取代歐美。一旦歐美與中國真的全面脫鈎,俄羅斯無法及時補位。
前些年,在俄羅斯外部壓力不大的時候,中國產品想要進入俄羅斯市場可謂難如登天,中國商人在俄羅斯遭到排擠也是家常便飯。此外,包括CR929幹線客機、中俄天然氣管道在內一系列項目也都由於俄方的小算盤,不是被拖延就是被取消。還有就是俄羅斯對中國與中亞國家發展經貿關係也十分敏感,對中國與自己小弟們的合作總是千方百計地阻撓與破壞。以上這些情況直到俄烏衝突爆發後才有所改觀。現在在中國國內,不少人都在無限拔高中俄關係的重要性,甚至一廂情願地認為中俄應該早日結盟,凡事都應該共同進退。其實,這一現象的背後,折射出的是部分民眾對外交工作的不了解,以及對自己的國家的不自信。………
俄烏衝突爆發後,中國雖然反對西方對俄羅斯的制裁,但並沒有對俄羅斯的軍事行動表示支持。對於中國而言,這場衝突雖然提供了一些歷史機遇,但其所帶來的負面影響還是遠大於正面收益。在這種情況下,中國政府肯定不會如一些人所希望的那樣與俄羅斯結成同盟,更不願意主動捲入到這場地區衝突中去。中國之所以這樣做,就是為了在最大程度上保持自己的獨立性和靈活性,避免在外交上與俄羅斯強行「捆綁」在一起,從而陷入所謂的「盟友陷阱」。
在俄國內,像卡拉切夫這樣的,表現出對中國某種「擔憂」的精英人群並不算少。在中國有一定知名度的「新歐亞主義」思想創始人杜金先生就曾放言要將中國徹底肢解,並使其成為俄羅斯未來戰略版圖中的一部分。在他規劃中,未來的亞歐大陸將形成莫斯科—柏林,莫斯科—東京兩大軸心,俄烏衝突只是實現大斯拉夫歐亞帝國的起步而已。縱觀歷史,我們可以發現,中俄乃至之前的中蘇關係的好壞大體取決於兩國的境況以及外部環境。雙方的關係始終會處於一個動態的變化過程中,時而接近一些,時而又會疏遠一些。而導致這些外交調整的動因無非都是自身利益。
筆者記得多年前普京總統在一檔訪談節目中,曾被問到過中美關係對俄羅斯的影響。他在回答這個問題時神態輕鬆地表示,俄羅斯對中美之間的「兩虎相爭」持觀望態度。普京的意思非常明確,俄羅斯雖然和中國的關係不錯,但不會主動伸出援手幫中國的忙。著名的美國國際關係學者米爾斯海默就對外表示,中國是俄烏衝突的「最大受益者」。理由是美國同時對中俄為敵,導致中俄關係進一步得到鞏固。
雖然筆者並不完全贊同米爾斯海默的這一觀點,但他所擔心的美俄漸行漸遠,中俄越走越近卻是實實在在的發生了,而其結果就是美俄聯手共同制華的企圖徹底破產,騎虎難下的俄羅斯不得不主動接近中國,並讓渡出大量的利益,以換取中方的支持。在當前的國際環境中,中俄關係既是雙方在外交戰線上的基石,也是兩個國家得以健康發展的基礎。要想讓中俄關係穩步發展,並在與俄方的交往中獲得占據主動,我們首先要做的,就是保持清醒的頭腦,着眼於雙方共同的利益,避免那種「奉獻式」或「壓榨式」的合作。
我們一定要在戰略層面拉攏俄羅斯,儘可能排除來自美西方的干擾,同時也要在戰術層面與俄羅斯保持適當的距離,想方設法提升俄方對我們的依賴性,最終融入到我們所構建的「人類命運共同體」中去。要想達到此目的,除了要在外交中講究方式方法外,我們還要儘量確保中美矛盾小於俄美矛盾,甚至要有意識地去激化美俄矛盾。只要俄美矛盾總體大於中美矛盾,中國與俄羅斯的關係就不會太差,我們在對俄外交中的迴旋空間就會更大,手中的籌碼也會更多。
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