#日本語の間違いありましたらごめんなさい。まだ勉強しています
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今「unnamed harmony」を読んでいましたと、咲希はレオニのために本当に頑張りますって気づいた。咲希は、レオニのために何をやりたいことをずっと考えていますね。確かに、一歌と同じですね。一歌も、本当にレオニのために歌うことを頑張りたいと思います。咲希みたいに、「君と歌う、桜舞う世界で」にも一歌そうでした
#日本語の間違いありましたらごめんなさい。まだ勉強しています#やっぱりちょっと緊張します。日本語を多く悩みます#project sekai#プロセカ#gattocatto's ramblies#gattocatto's silly posts#leo/need#gattocatto learning japanese
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「エヴァンゲリオン」シリーズに登場する組織を名乗り、防災情報を「国内最速」のレベルで発信し続けるSNSアカウントがある。今や気象庁も認める社会インフラの一つとなった「特務機関NERV(ネルフ)」だ。当初は19歳の大学生による無許可のファン活動だったというNERVが、最速と呼ばれる防災情報組織に発展した背景には何があったのか。アカウントの設立者でセキュリティー会社「ゲヒルン」(東京)社長の石森大貴さん(34)の歩みを追った。(時事ドットコム取材班キャップ 太田宇律) ◇学生起業「すぐにつぶれると」 大学生だった石森さんが、ツイッター(現X)上に防災情報を発信するアカウント「特務機関NERV」を立ち上げたのは、2010年2月のこと。エヴァンゲリオンに登場するNERVは、謎の敵「使徒」と戦う組織の名称だ。「突如現れる使徒は、現実世界で言う災害のようなもの。当初は、全国の警報や避難指示を自動投稿するだけのアカウントで、ただのファン活動でした」(石森さん) エヴァと出会ったのは、主人公の碇シンジと同じ14歳のとき。幼なじみがDVDを貸してくれたのがきっかけで、「新劇場版」の公開時には映画館に何度も足を運ぶほど熱中した。大学在学中に知人の勧めで起業したときも、社名はエヴァにちなんで「ゲヒルン」に決めた。「頭脳」を意味するドイツ語だが、ファンにはNERVの前身組織名として知られている。 石森さんは設立当初のゲヒルンについて、「若手エンジニアを集めたイベントの開催や、ウェブサイト制作などを手掛けていましたが、大した仕事はなかった。きっとすぐにつぶれてしまって、自分は普通に就職するんだろうなと思っていました」と振り返る。その運命を大きく変えたのは、起業から半年後、2011年3月に発生した���日本大震災だった。 ◇炎上する小学校「もうだめか」 石森さんは宮城県石巻市出身。震災当時は東京都内で1人暮らしをしていたが、同市渡波の実家には母と妹がいた。 「揺れの直後は一度だけ家族と連絡が取れましたが、すぐに通信が途絶えてしまった。報道ではなかなか石巻の情報が得られず、一晩中ツイッターにかじり付いていました」。東京にいる自分にできることはないか。石森さんはネットや報道で得られた石巻市内の被害状況や避難情報を、自身のブログに「スクラップ」していった。被災者や故郷を案じる人のため、せめてもの行動だった。 夜が明けた午前6時ごろ、炎上する石巻市内の小学校や津波で押し流された家屋の空撮映像がテレビで流れた。「実家や家族も、もうだめじゃないか」―。最悪の想像が頭をよぎったが、数日が経った後、石森さんの実家が流失を免れ、中にいた母や妹も無事だったことが分かった。しかし、石巻市雄勝町で病院職員として働いていた伯母は、大津波で帰らぬ人となった。 ◇ヤシマ作戦 震災直後から、東京では輪番停電(計画停電)が始まった。エヴァには、使徒を倒すために日本中を停電させ、その電力で陽電子砲を撃つ「ヤシマ作戦」という場面がある。石森さんはNERVのツイッターアカウントで、計画停電をヤシマ作戦に例え、連日必死に協力を呼び掛けた。 「怪しい」といぶかしむ人もいたが、次第に賛同する人は増えた。アニメの版権元は「あくまで非公式」としつつ、NERVの名称やロゴの使用を容認してくれた。石森さんはこれ以降、NERVのアカウントを徐々に「国内最速の防災情報アカウント」へと発展させていく。 災害情報共有システム(Lアラート)から避難情報などを受信できるようにし、気象業務支援センターとも専用線をつないでもらった。ゲヒルンは防災情報発信だけでなく、有名企業のセキュリティー診断を手がける企業として成長し、2016年にはさくらインターネットの子会社に。NERVの緊急地震速報は、テレビのテロップ表示を速度で上回ることも多く、災害時に多くの人が頼る情報インフラの一つとなっていった。 ◇防災アプリ、始動 ただ、ツイッターでの防災情報発信には限界も感じていたという。「全国の情報が全部流れてくることは、メリットでもデメリットでもある。一度でも煩わしいと思われたら、フォローを外されてそれっきり、その人の役には立てなくなってしまう」(石森さん)。ツイッターの運営企業の方針変更に振り回され、アカウントが突然���凍結」されてしまう事件も起きた。ニーズに合わせた防災情報を自主発信するため、自社アプリの制作を決断した。 「防災の日」に当たる2019年9月1日、ゲヒルンはiPhone用アプリ「特務機関NERV防災」をリリース。わずか1日で10万人超がダウンロードするほど大きな反響があったという。エヴァの版権元からは「社会的に意義のある活動」として正式に名称やデザインの使用許諾を得られ、気象庁も「使命を共にする頼もしいアプリ」と太鼓判を押した。2025年3月時点で、Android向けを含めたアプリの総ユーザー数は680万人を超える。 ◇「国内最速」無力感を糧に 現在、ゲヒルンの社員は15人。国内最速レベルの通知を実現しているのは、石森さんを含む少数精鋭の技術者たちが日々、システム改修と効率化を進め、人間には知覚できない「1ミリ秒」を削る努力をしているからだという。その背景にあるのは、石森さんが震災時に痛感したという「無力感」だった。 「大学で情報科学を勉強していたので、情報の取り扱いには長けていると思っていました。でもあの災害で、自分は家族や親戚にとって何の役にも立てなかった。あの日、自分がブログに情報をスクラップしていたように、全ての災害情報を一カ所にまとめたい。必要な情報を、大切な人に一瞬でも早く届けられたらと思い、開発を続けています」(石森さん) ◇「会社辞める」心折れた過去も 伯母を亡くした震災から今年で14年。スマートフォンの普及や技術の発展で、災害の情報は当時より早く、必要なときに必要な分だけ届けられるようになりつつある。ただ、石森さんはかつて、「このままSNSで防災情報をつぶやいていても、本当に人を救えるのか」と疑念を持ち、周囲と連絡を絶った時期もあった。 防災アプリ公開から半年前の2019年2月。きっかけは、親会社とのグループ会議で、防災事業の赤字をとがめられたことだった。「防災情報で儲かるのか」「社員と信頼関係は結べているのか」。役員からの厳しい言葉に、石森さんは強いショックを受けた。「この会社ではやりたいことができない。辞める」。そう言い残して、石巻市の実家に帰ってしまったという。 ◇情報は完全じゃない 再起のきっかけは、たまたま見に行ったリアス・アーク美術館(宮城県気仙沼市)で出会った東日本大震災の展示だった。「現代人は情報に命を託している」「しかし、あのような大規模災害が発生したなら、情報を待つ前に、想像力を働かせ、自ら行動しなければならない」―。常設展示の解説にあったこの一文が、石森さんの心に刺さった。 震災の日、伯母がいた石巻市雄勝町の雄勝病院。周���に第1報として発表された大津波警報は「高さ6m」で、3階建ての病院屋上に逃げればやり過ごせたはずだった。しかし、実際に雄勝町を襲った津波は最大16.2メートル。雄勝病院は屋上まで津波にのみ込まれ、入院患者40人と、伯母を含む職員24人が犠牲となった。 「情報は完全じゃないし、答えじゃないし、届かないこともあるし、遅れることも、間違っていることもある。情報の役割は、その人に『判断をもたらす』ところまでなんです。情報に依存しないで、自分で考えて行動することを、自分は開発者として伝えなければならない。そう気付きました」 東京に戻った石森さんに、ゲヒルンの専務で、少年時代からの友人でもある糠谷崇志さんは「みんな待ってるよ」と声を掛けた。再起した石森さんを、ゲヒルンの仲間たちは温かく迎えてくれた。「心の整理がついて、それからは迷わず仕事に向き合えるようになった」と、今は思える。 ◇「1ミリ秒」削り続ける 防災アプリの運用コストは、精度や性能の向上とともに年々膨らみ続けている。「広告を見たら無料で使えるとか、課金したらより良い情報が得られますというのは、防災アプリとしてはあるまじき姿。一方で、ユーザーからは、『このアプリがなくなったら本当に困るので、課金させて欲しい』という声も寄せられていました」。そこで、2020年9月から「サポーターズクラブ」を開設し、運営費の一部を有志に支援してもらうことにした。 ただ、サポーターからの収益で賄えているのは、サーバー代などで年間1億円を超える運用コストの1割程度という。「あったらあっただけシステム改良に使ってしまうから、どんどんコストが大きくなる」と石森さんは笑う。 東日本大震災では、指定されていた一次避難所に身を寄せたにも関わらず、津波にさ���われ命を落とした人々がいた。情報は命を救うこともあれば、奪うこともあると、石森さんは言う。「怪しいアカウントの情報だから間違っている、気象庁や自治体、報道機関の情報だから正しいということでもないんです。情報の正確さと共に、自分の想像力も大事にして行動してほしい」。情報で人を救うことまではできなくても、少しでも早く伝えられたら、その人はどう行動するか判断できる。そのために、NERVは今後も「1ミリ秒」を削り続けていく。 <この記事は、時事通信社とYahoo!ニュースの共同連携企画です>
「情報で人は救えない」心折れた過去◆特務機関「NERV」、それでも削る1ミリ秒 #知り続ける(時事通信) - Yahoo!ニュース
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いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
新任リーダが最初の100日ですべきは?してはいけないことは?なにだろうか? 最初の100日でもっともしてはいけないことで共通するのが「華麗にビジョンを語り戦略を策定して期待値をあげること」はしてはいけない。 逆に最初にすべきことはなにか?「勉強マシーンになること。具体的には資料を読み人に会って話を聞きまくる」こと。つまり最初の100日は「口はほどほどにして耳と目と足を動かせ」ということだ。
いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
何が問題かわかっていると思っていた。そして、それは間違いだった
前任者をどう扱うは極めて重要であり、しかもひどく簡単に過ちを犯しやすい
よそ者には、バカな質問が許されるという得難い特権が与えられる
自分は何も知らない部外者だと考えるようにした
せっかちすぎて上手く進まなかったことがいまになるとわかる。
最初にすべきことは何もしないことだ。新任リーダーは自分が思ってるほど状況を理解していない。仕事ができることを見せつけようとか思わないことだ。まずは立ち止まってできるだけ聞き役に徹すること。それがトップとして最も大切なことだ。
口を開く前にやるべきことがあることを理解していなかった(サマーズ)
座って聞くだけで、多くを成し遂げられるのだということを私は学んだ。
たとえ危機が迫っていても、聞くことに時間を費やすのは無駄ではない
人間は自分の話を聞いてもらうのが大好きである。
人を知るには質問することだ
今、現在のIBMに最も必要でないもの、それはビジョンである。たった今求められてるものは実践性の高い事業ごとの戦略である(ガースナー)
短期戦略は「小さな約束、大きな成果」
新CEOが着任するなり、戦略を披露するなんて馬鹿げている
新しい事業環境に乗り込んできた新米経営者は必ず苦い現実に気が付く。それは、最も無知な時に最も自分の最高を発揮しなければならないという事実だ
文化に馴染めないトップは簡単に弾き出される
改革は上から命じるものではなく、中から生み出すものだ。何万人もの社員の考え方や行動を変えるのは、大変な難事業だ。二、三度演説をしたり宣言文を書いたぐらいでは何も変わらない。社員を信じなければダメだ。(ガースナー)
誰、ではなく、何、が悪かったのか?
上司(または取締役会)の仕事へのモチベーションを理解する
株主にもっと高い価値を提供する、などと言っても社員は心を動かされない
最も好ましくない過ちは立派な約束をしてお粗末な結果を出すこと
会議にはかならず2分前に到着する
最初の100日はあちこちに回って有権者に訴える選挙運動期間のようなもの
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[B! 組織] 最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
raimon49 全社員から聞いて回る、最近読んだサンリオ2代目社長のインタビューでも実践したって言ってた。 https://www.yomiuri.co.jp/economy/20240227-OYT1T50108/ HAL研社長時代の岩田さんも社員との面談を重視していたと本に書いてあったよね。
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ハローキティ1強に限界、次世代のカワイイはファン投票…サンリオ2代目「予想以上の業績好転」 : 読売新聞
サンリオ社長 辻朋邦氏
痛切な反省のもと第2の創業を掲げた中期経営計画では「サイロ化した組織」「頑張っても報われにくい人事制度」など反省すべき点をしっかり掲げました。 ただ、自分だけの考えでは空回りしてしまうと思いました。そこで1年半かけて私と社員、1対4の形で年代別に全社員と対話する場をもちました。何のための改革かを理解してもらおうと。 祖父はトップダウン的な部分が強かった。それが悪いわけではないですが、反面、社内の議論が少なかった。キャラクターをどう育てていくのかという議論もあまりなかった。まずはそこを変えようと、経営会議を新設しました。
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うわーーーい
退職しました!ようやく!ついに!
今回の職場は2年半続きました。今までで一番ストレス無く働けた場所。「明日仕事行きたくないなぁ」って思ったのはほとんど無かった、そんなとても気楽な職場だった。
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今日は最後、ミャンマーの年下の女の子と早番一緒だった。
色々喋って、なんか一番とても寂しくなったなあ。その子には唯一、一緒に働けなくなる事が惜しいなと思った子だ。笑
その子は日本語N2資格だから、少し語学の壁は感じることもありつつ、色々話してたらこの職場で1番私と似てる考えだったし、めっっっちゃしっかりしてて真面目で賢くて尊敬出来たし、働き方とか言動のテンポとかそういうのも似てた。
だから一緒に働いてて居心地良かったし、その子も私が一番何でも気楽に話せると言ってくれてた。
私が辞める事などをキッカケに、その子も退職する決意が固まったらしく、彼氏(彼氏も外国人で日本で店長やってる人)と結婚ビザに切り替えて、もう辞めると話してた。
あとは、絶対辞めないだろうと思われてた一匹狼系の長く働いて���中国の男の子も、もう辞めるっぽいと今日そのミャンマーの子からこっそり聞いて、色々ビックリすぎた。
真面目に頑張ってる子が馬鹿らしい思いをするような、まともに評価もできない、従業員を駒のように扱う会社(主にワンマンな社長)に皆愛想尽かした感じ。ほら見たことか!ざまぁみろ!と言いたいwwwwこれから無茶苦茶になるし(既にそうなりつつある)ホテルの評価も下がれ〜と思っちゃうよね。
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主に会社への不満が原因で辞めるけど、でも現場で日々一緒に働く人たち(環境)への不満も勿論あった。
私は、嫌いと認識した人と一緒に過ごさないといけない事にとてもストレスを感じるから、嫌いじゃないと思い込んでた気がする。
嫌いとまではいかないけど(直接私に攻撃してくる人は居なかったし)でも心のどこかでは、不満は感じてたような人もいる。
頑張り度合い、積極性とか、気付く範囲が違ったりして、業務負担量に差が出てたから、それはストレスだったなぁ。そんな人には、勿論何かしら働きかけたことはあったけど効果はなかったから、やはり他人を変えるより自分が変わったほうがいいなと思った事もあった。(それが転職という選択になった)こういう仕事だからさ、各々の分担された作業をやるんじゃなくて、共同で仕事をする感じだから、気付いた人が仕事して、気づけない人やサボる人はやらないみたいな環境だった。そうなるとどうしてもイライラしてしまうよね。
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だから、真面目に積極的に気付いて働くタイプの人たち(私、もう産休入る支配人の女性、ミャンマーの子、中国の子、日本人のおじさん)が辞めていくから多分近い将来ここの現場はめちゃめちゃになるんだろうなと思っている。というか、めちゃめちゃになって欲しいとまで私達は思ってるwwww
真面目にやる気出して頑張りたい人たちに馬鹿らしい思いをさせてやる気を削がせるのうますぎかよ、って会社(社長)に対して思ったもん。笑
もはや今回の出来事は現場の人への嫌がらせ?ってレベルだったからなぁ。ドン引きした。
まぁ、サラリーマンなんてそんなもんよ。労力(ストレス)と賃金が見合わなければさっさと別の会社に所属する。ただそれだけさ。常にそれは天秤にかけてる。
これ以外に詳しくは話せない事もあるけど、こんな感じの会社に当たることはなかなかもうないと思う。色々社会勉強にもなった。笑
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現場のスタッフで、辞めた後も何かしら連絡取りたいなと思えるのは7人中5人だなあ。まぁなかなか機会はないと思うけど……。
せっかくのご縁なので大切にしたいね。
不満もあったけど、それでも気楽に楽しく日々過ごせて、本当に良い2年半だったな。
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初めて外国人と一緒に働いて(半分が外国人スタッフ)、初めて外国人��お客さん相手の仕事をして(ほとんど外国人相手)、初めてホテルのフロント職に就いた。
そんな環境で得た経験や感情は本当に私にとってはとても意味のあるものだった!
今まで経験した仕事の中で、唯一本当に自分らしく伸び伸びと働けたし、楽しいから遊びの感覚で働けたし、これがやりがいというものか!と初めて感じた(自分の得意な事とか好きな事が活かせた)から、私にとっては天職だと知れた事も嬉しい。(ENFPなので天職を求めている)
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入社する前から外国人と付き合ったり遊んだりしてたし、遊びや恋愛以上の深い人と人との関係を求めてた私だったから、この環境で2年半過ごせたから、自分の中で"外国人"として人を見る感覚じゃ無くて、ただ同じ人として見れる感覚もやはりこの環境にいたから得られたと思う。
入社前と今とそういう視点も変わった。
あともっともっと人間が好きになって、フレンドリーになれた気がする。笑
(なんかとことん、人間に興味があるENFP。世界も人間も全てを肯定したいENFPっていう特徴出てるよなww)
そんな環境にいたから本当に自分らしく毎日楽しく過ごせて、もっと自分も好きになったし、人生楽しくなったし、そんな自分だからこそもっっっっと素敵な彼氏に出会えたと思う。
人は似た者同士しかくっつかないから、多分以前の仕事のまま居続けて、人生退屈そうな顔で過ごしてたら、今の彼氏とは付き合えなかったと思う。
そういう意味では、ここで働いて本当に良かった。選択が成功だった。
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早速明後日から新しい職場だから、頑張りたいな☺️🌼
結構楽しみ!!!
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3/5に書いたTumblrの記事を読み返したら、「最近、わたしにとっては珍しく、良いことがあった」と書かれていた。
そこに書いた「良いこと」が、マジで思い出せない。製本するために毎日日記をつけているのでそこに書いたのかな、と思って見てみたけれど、ポジティブなことは何も書いていなかった。どうやらその日��大学で教授と面談をしていたらしい。何があったんだ? 思い出せなくてもやもやする。嫌なことはずっと覚えていられるのに、なんでわたしの頭はこう、ポジティブな事象に対して鈍感なのか。
気になりすぎて、自分についてめちゃくちゃ調べた。Tumblrの下書き(公開できないままの日記が結構ある)にもヒントはない。日記にもない。ツイートにもない。わたしのポジティブ感情は一体どこに消えたというんだ。
カメラロールをずいずいと遡ると、3/4の欄にそれっぽいものを見つけた。他人からもらったメッセージのスクショだった。やっと思い出した。自作についてメッセージをもらって、それがうれ���かったのだ。すっきり。
今年の裏抱負(?)は、ポジティブ感情を大切にすることなので、良いことは思い出していきたい。いいことは擦り切れるくらい反芻したい。


前の記事で、サンリオキャラクター大賞のシルエット当てクイズについて書いた。50問中48問正解すると、キャラクターへの投票券10枚がもらえるというやつだ。勉強を重ね、やっとのことで全問正解してクリアした。ぶじに投票チケットを10枚ゲット。すべて推しのポムポムプリンにin。大学院生の記憶力を舐めるな。パタパタペッピー、パウピポ、プワワ、おまえら名前紛らわしいんだよ!? タイニーチャムとタイニーポエムも名前似ててイライラした。シュガーバニーズとシュガーメヌエットとかも。あと、ハローキティとハローミミィ、シルエットだとマジで同じすぎる(リボンの位置で判断せねばならない)。そんな感じでちまちまシルエットと名前を覚えた。これでやっとキャラ暗記地獄がおわる。来週あたりに時間を見つけてサンリオショップに行きたいな。キャラも覚えたことだし。
ふだんはこういう、いわゆる推し活というものをしないからこそ、キャラ大という年に1回のイベントはとても楽しいなと思う。相手が人間じゃないから、推しが炎上するリスクもないし、ガチ恋がどうとか同担拒否がどうとか、そういう推し活における湿った部分も少ない気がする。それが楽でいいなってかんじだ。
全然話は変わるけど、推し活といえば、ここ数年で推し活に関する人���社会学系の研究を卒論のテーマにする学部生が増えた感じがする。彼・彼女たちは、自分の興味があること=推し活を、そのまま卒論のテーマにしちゃおうぜ、と考えているのだ。それは大変結構なことだ。研究テーマというのは、基本的に興味があるものを選んだ方が楽しいしやりがいがあるからね。
だけど個人的にモヤモヤすることがある。そういう学部生は、みんな口を揃えて言うのだ。「これまでに推し活を扱った先行研究はほとんどありません!」と。
「推し活」という単語を使っている先行研究は、たしかにほとんど存在しない。だが、「ファン行動」についての研究は、山ほどある。
ここで問いたい。「推し活」と「ファン行動」は同じではないのか? 今までずっと人々の間で見られていた「ファン行動」を、「推し活」という現代風の言葉に言い換えただけで、実質は同じなんじゃないか? と、わたしは思っている。好きな芸能人やキャラクターに対する好意を研究するのなら、わざわざ「推し活」という言葉を使う必要はない。ファン行動でよい。だから、ファン行動の先行研究をきちんと調べて、そこから仮説を組み立てるべきなのである。「推し活」というワードの新規性に甘えて、先行研究のレビューをサボってるんじゃねえよ、とわたしは思うのだ。
だがわたしは一介のカス大学院生。「あの先輩細かいところに突っ込んできてウゼ〜」と思われたくないし、ついでにこれは偏見だけど推し活の研究をする子はちょっと自分とは反りが合わない傾向にあるので、上記のような質問はしないようにしている。だが、わたしのしごでき担当教員は、推し活の研究をしている学部生にいつも問う。わたしと全く同じ質問をだ。その質問に答えられる、つまり推し活とファン行動の定義の違いを明確に説明できる学部生に出会ったことはない。そりゃあそうだ。同じことだもん。まあ、頑張ってくれ、と思っている。
恥ずかしいことに昼夜が逆転している。朝の6時にねて、昼過ぎに起きて活動を開始するという生活だ。
きょう、学外出張で、午前中から新幹線に乗って現地に向かう必要があった。新幹線の時間はAM10:00。朝の9時に家を出発すれば全然間に合う。簡単だと思うでしょう? でも、無理なんだよ。みんなの感覚で言うと、夜中の3時に出発する、みたいな感じだから。
だからといって遅れるわけにはいかないから、一応予定に対して照準を合わせようとはしていた。だけどわたしの寝つきの悪さは重度で、次の日の朝に早起きをしなければならない、というプレッシャーがあるともうダメ。マジで眠れなくなる。今回も無理だった。朝の7時半に起きるためのアラームをかけたのに、ねたのは朝の6時だった。きちんとアラームで起きる。1時間半睡眠。さすがにゲロりそう。頭痛が酷い。
新幹線で寝よう、と思っていたけれど、うまく眠れない。在来線でも眠れない。だけど生命力��けはあるので一日乗り切った。全てに必要なのは気合いとパワー。みっちりとやることを省エネでこなして、飲酒もして、ホテルで眠るところまできてから、やっと疲れを実感した。
明日、たくさんの人間と関わることが予想される。おそらく、精神がしぬ。しんどいけど、覚悟を固めて、ねる。どうすることもできないから。みなさん、わたしの無事を祈っていてください。
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安倍晋三「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(中川昭一氏)が自民党総裁だった」
12年前、こんな記事を書きました。いま振り返っても、思い出は尽きません。小泉政権ができて間もなくだったか、超党派の保守系議員の非公式会合が憲政記念会館であると聞きつけ、現場で中川さんに「どうも」と挨拶した際、
「なんであんたがいるんだ?…まあ、いいか。あんたは記者じゃないし」
と冗談で答えられたことやあれこれ、これほど印象、心に刻まれる政治家はめったにいません。酒好きなのはつとに知られていますが、禁酒を決めると、2時間半にわたって目の前で私と同僚がビールを飲み続けても、一切飲もうとせず、こちらの言葉からヒントを得ようとメモを続けていました。惜しい人をなくしたという言葉が、これほどぴったりくる人はいません。
中川昭一氏死去 保守伸長、シャイな推進役
���評伝】 シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わせていた。 「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」 中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。 「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」 盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊(めいてい)」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。 この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。 確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。 平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。 14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言論抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。 今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが、10年代の保守勢力の勃興(ぼっこう)と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。 一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。 対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。 対中姿勢では、こんなことも語っていた。 「中国批判はたやすいが、むしろ『誠意を持って話せば分かる』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」 本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。(阿比留瑠比)
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#日常
「ラストマイル」観てきました。
元々はMIUの二人組目当てというのが動機でしたが、それ抜きでも観に来て良かった!面白かったです!これ書いたらネタバレになるかな〜〜などと考えてると、感想は「面白かったです!」の一言に落ち着くんですね。ほんと…しみじみ良かった……。
勧善懲悪でスッキリする部分もあり、反面全てがめでたしめでたしで終わるわけではないので(救われないところはほんとに救われない)、彼らの明日を、今後を、かき乱されながらも考えてしまいます。問題提起されている部分がほんとに今この社会でのリアルな課題の部分でもあるので、リアリティがありすぎて現実と物語の境目が曖昧になってくるような感覚。つらい。
でも、観終わって絶望に叩き落されるとかそんな感じではなく、走り抜けた後の気持ちよさみたいなものはあるのです。それなりに気持ちよさを感じた後に、いやでもそういえば?と立ち止まって考えた時に、周囲に暗闇がいくつも口を開けて待っているさまが見えてしまって呆然とする、という感じでしょうか……。例えが下手だな。これだったら海苔弁が唐揚げ弁当に変わる方が上手いってもんよ!
ただまあ、観終わって最初に思ったことが「……明日も頑張るか」だったので、そう思う私はとても単純なんでしょうか。でもそう思わせる力があるってすごいことだよなぁと思うのです。
あとは、纏まらないけど思ったことをちらほらと。初見の感想なので何も煮詰まってないです。思いつくまま箇条書き。
▼すべてはお客様のために、ね……。ほんとにこれ、魔法の言葉でもあり呪いの言葉であるわけで。考えてみれば、私のいるところだってもうひとつの「ラストマイル」ならぬ末端であるわけで、何だかなぁ、そうなんだよなぁ……皆様の尽きぬ欲望の何千億?何兆億分のいくつかを受け止めているんだよなぁ。しかしその欲望なしには何も動かぬこの世界。欲望あっての我々でございます。
何度も出てくるこの「want」、消費者側である私たちに問いかけてきているのでしょうね。What do you want? あなたの欲しいものは何ですか?
あなたの本当に欲しいものは……?
▼しかし物流センター、この映画の中のシステムがどれだけ現実と一致しているのかは分からないけど、まるでボールコースター(正式名称が分からないけど、レールの上をボールが延々と転がっていくやつ。名古屋市科学館の中にあるのは見たことがある)を見ているような気分。一日でもずっと見ていられそう。
ぐるぐるぐるぐる回って止まらないボールのように、永遠に止まらない物流の世界。それこそ、人が命を絶とうとしても……。
そんな血の通っていないローラーコンベアと、末端の人力とアナログの世界の非情なまでの対比が印象に残りました。
本社側(それこそ米国側)の人々にとって、羊運送やラストマイルのあの佐野運送の親子などの人たちは、きっとローラーコンベアと同じようなものに見えているんだろうなと。
そういえば途中エレナが「FAX〜〜〜〜!!??」と叫ぶシーンがあるんですが、そうなんですよ!!末端はまだろくなシステムが構築されてないのでFAX大活躍の世界線なんですわ(使う側の高齢化もあり)。
「稼働率」の世界とアナログの世界で挟まれるヒツジ急便のヤギさん……なんかもう、わかるぅ……投げ出したくなるよねぇ……と、ある意味あれは涙なしには見れない部分だわ。血と汗と涙的な意味の涙ですが……。
ところでボールコースターの話を出したら、志摩のピタゴラ装置を思い出してしまいました。MIUではあのピタゴラ装置が結構重要な視点になってきていたけれど、それはラストマイルとリンクしているのだろうか……?
▼それにしても、伏線のように思われる箇所が大量に出てきて、1回ではとても推理しきれないところばかりでした。
※※この辺りからかなりネタバレが多くなってくるので、回避される方は薄目でスクロール推奨します※※
・12個の爆弾は全て見つかっている、という理解で間違ってないですよね??サラに向かってエレナが最後に言い放った「爆弾はまだある!」の爆弾は、飛び降り事件の隠蔽?の件や、物流業界での問題がまだ山積していること(またいつ爆発するか分からない)への比喩かなと思ったのですが、本物の爆弾がまだ残っていると考察される方もいて、どっちなんでしょ??
・事務所に泊まっている時にエレナが電話していた相手は恐らくサラだろうなと思うんですが、最後の「私はどっちだと思う?」の意味がまだ掴み切れない……。
考察動画で、メケメケフェレットが出てきた時点でもう私は「すごい……」としか言えなくなったのですが、まさかここでまたメケメケフェレット(伊吹語)を考えることになるとは……!しかし私の��識が非常に不足しているために、このメケメケフェレットの部分は考察し切れない……何故なら私がよく分かっていないから。勉強は何のためにするのか見失っている学生の皆さん、勉強や知識とは、こうやってお話をより深く楽しむために必要なのですよ。知らないということは、表面的なところだけ観て分かったような分からんような気分���悔しがる私みたいになるということだからな!!なんというか、学生時代にもっと名作と呼ばれるものにしっかり触れておけばよかったと、最近とみに反省している私なのでした。
・最初にも書いた「爆弾とは?」と思うものの、エレナがサラに最後言い捨てたシーンはめちゃくちゃスカッとして良かったです。
しかし、何かイレギュラーな事態が起こった時、あれだけ大胆に判断を下していけたらさぞかし気持ち良いだろうなぁ……。ここまで至る間の、アメリカ時代のエレナも見てみたい。
それこそピタゴラ装置じゃないですけど、誰と出会うか、出会わなかったか。五十嵐の下で働いていた山崎が嵌まってしまった袋小路、もしかしたらそれは、3年目のエレナだったかもしれないし、エレナと出会わなかった世界線の孔だったかもしれない。
そこで一つ救われるのは、エレナと出会ったことで、孔の分岐点は変わっただろうなと。この話の中で、それでも変わらない無情というものも描かれる中、明らかに変わっただろうな、と確信できる部分でした。ただ、だからといって孔の未来が光に満ちているかというと全然そうではなく、立場が変わり、その先には更に分岐点がいくつも待っているのでしょうが。
・例のあの暗号なんですが、見たままの意味だけではなくて、まだ何かあるの?か?最後のシーンで五十嵐が血相変えてロッカーを確認するシーンや、孔の最後のロッカーでのシーンがまだ咀嚼しきれておらず。この辺りは自分の中でもっと噛み砕くことができてから文にしたいと思います。一度では到底無理だわ……。
あと、MIUの音楽が流れた瞬間に沸き上がる血よ。これ多分たくさんの方と共有できそうなんですが、あれですあれです。……と書いといて、アレ?流れたのってMIUのテーマだっけ?伊吹のテーマのメロディーラインでしたっけ?特徴的なあのメロディーライン、イーリアンパイプという楽器の音らしいですね。MIUのテーマの方では、そこからバイオリンが入ってくる辺りの上がり方がもうね、大好きです。この曲流れると自動でスイッチ入るんですけど、多分これきっと私だけじゃない。滾るよな……!
数年越しにMIUのサントラ入手するかどうかを本気で考えている本日でございます。
・今回佐野運送の息子役を演じてらした宇野祥平さんという役者さん、私は以前「罪の声」(これも野木さん脚本でとても良かった)を観た時に、そのじんわり沁みるお芝居に良いなぁすごいなぁと思ったのですが、今回ので確信しました。良い……!
日ノ本電機のくだりはとても…とても良かったです。胸を張ってものづくりをしてきた人。会社はなくなっても、良いものを作ったのだという矜持が伝わってきて、じんわりくるシーンでした。
あと毛利刈谷おじさんバディ組も良き。何ででしょう刈谷さん実際に近くにいたらめちゃくちゃ鬱陶しいオッサンだと思う���ですが、MIUの世界の中だと何だか憎めないんだなぁ。
▼そして最後に流れる、米津さんの 「がらくた」 。
MIUの「感電」が志摩と伊吹ソングだったし、「Lemon」は中堂さんと亡くなった彼女の歌。となると今回はエレナと孔に焦点が当てられているのかな?と何の根拠もなくそう思っていたのですが、映画鑑賞後は呆然としていてそれどころではなかったので、歌詞まで深く聴くことはできず。そして家に帰ってきて改めて歌詞をじっくり読んでみたのですが……。
これは……エレナと孔のことを歌ったものではなく、もしや…………。
作中で深く描かれることがなかった部分がこれだとしたら。切なさ大爆発で、観てから2日経った今、がらくたをリピート再生してはしょぼくれているところです。これは何というか……遅効性の毒みたいに効いてくるな……。
※※ネタバレ区間おしまい※※
というわけで、2日かけて仕事終わりにちまちまと書きためた初見の呟きです。とりあえず今は、職場で仲良い人たちに「み゛て゛!」と言い回る妖怪みたいになっているところです。み゛て゛!!!!
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相も変わらず
よっしゃ〜、新人以来久しぶりに稽古日誌担当が回ってきた熊吉です!暑い、暑すぎる!!!汗っかきからすれば、地獄でしかない今日この頃。梅雨は何処へ…
この暑さを吹き飛ばすような、爽快な稽古をしていきたい!!
ということで、6/21(土)の稽古は〜、
・発声
・稽古
・キャスパスパ
のラインナップになっております!!
ん?土曜日?今日って水曜日じゃね?はい、サボってました、すいませんでした…
僕にとっては、毎回毎回新鮮さがある稽古場ですね、絶え間ない変化が見られます!老害であるとはいえ、まだまだフレッシュな心持ちでありたい!!
以下、雑談
最近、お酒を飲める人が増えてきて、ホクホクな気持ちのただの老害(おじさん)です。ここは老害と認めるしかない…、嫌だけど。
お酒を飲むと、なんか気持ちが上がって、ずっとニヤニヤしてしまうんですよね。好きなお酒は梅酒と日本酒とビールです、あっ、めっちゃおじさんのラインナップ、そうです、もうおじさんなんです。
おじさんでいうと、最近自分がおじいちゃんってことがバレかけている、いやもうバレてるのかも。人の話を聞いてないことが多い、耳が遠い、機械音痴、食べるのが遅いなどなど。おじいちゃんの特徴と自分がかぶる部分がめっちゃあります。気持ちだけでももっと若くあれるよう、流行に乗るミーハーでありたい!!
前の話と全く関係ないですが、最近流行ってる(?)映画を観てきました。
映画『か「」く「」し「」ご「」と「』

『君の膵臓をたべたい』で話題になった住野よるさんの最新作。前々から見に行きたいと思っていて行けてなかったので、今回見に行けてめっちゃ嬉しかったです!!
僕自身、「君の膵臓をたべたい」は読んだことも見たこともないのですが、住野よるさんの『この気持ちもいつか忘れる』という小説を読んでから、住野よるさんに魅せられていたところ、この映画が出るということで見にいってきました。
まず、「青春すぎた」。自分の高校時代が思い出されるほどに、映画の情景が鮮明で、かつリアルで、その中で紡がれる5人の物語。こうした人間関係のお話が大好きで、感情移入をめっちゃしてしまうので、結構映画で泣きがちです。今回も少し泣きました。
本当におすすめの作品なので、ぜひ一度見にいってみて下さい!!
さて、リレーのお題に答えていきたいと思います!
「みんなに布教したいもの」
何回目やねん、老害とか思わないでください…フレッシュなのを期待してた人、ごめんなさい🙏
僕からは一つ。
オシャレ・ファッション
これを布教していきたいと思います。
ファッションって、着飾るだけなのに、お金がめっちゃかかるの大変ってイメージありませんか?
違うんです、ファッションって、オシャレって、お金をかけて自分を磨き、自分に自信をつけれるものなんです。元々僕も全くオシャレに興味はありませんでした。でも、「自分を良く見せたい」って気持ちが湧いてきて、ファッションに興味を抱きました。
オシャレを否定するやつに言ってやりましょう「カッコづけて何が悪い?」ってね。
ということで、皆さんオシャレ一緒に勉強しませんか?
今回も老害の戯言だったので、次こそはフレッシュな言葉を聞けるでしょう!!
ということで、次のリレーのお題も
「みんなに布教したいもの」
と追加が許されるなら、映画に基づいて、
「教えられる小さなかくしごと」
でお願いします!
以上、熊吉でした〜
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人生の収穫期に入ったかもしれない、という話
朝風呂から出て、ぼーっとしていたとき、ふと頭に浮かんだ。
「あれ、もしかして…いま、人生の収穫期に入ってるんじゃないか?」
そんな感覚が不意に降ってきたわけで。
勉強がこんなに面白いとは思わなかった
今回、久しぶりに“ちゃんとした勉強”というやつをやった。 受けた試験内容は控えるが、学生以来、本格的に机に向かうのは久しぶりだったわけで。
最初はもちろん苦痛でしかなかった。机に向かうまでが地獄。Xばかり見てしまったり、YouTubeに逃げたり、お酒に逃げたりもした。
でも、やり始めたら不思議と面白くなってくるもので…。
NotebookLMとかGPTとか、昔じゃ考えられないような“頭の良い相棒”がいてくれるのがデカかった。
何かわからないことがあれば、すぐに調べて教えてくれる。しかも、わかりやすく、時にちょっと気の利いたニュアンスも添えてくれる。
正直、試験勉強なのか、AIの使い方の習得なのか、途中からよくわからなくなっていた。
でもそれでいいのである。
こういう「好き」を通じて学ぶ感覚──それこそが、いまの自分にとって一番の収穫だった気がしている。
「やらされた試験」だったけど、意味はあった
もともとこの試験、会社主導で「やらされた」ものである。
ただでさえ忙しい毎日を過ごす中で「なんで今さら試験?」「忙しいのに勉強なんてムリ」と、ぶつぶつ文句を言いながら始めたのが現実だった。 さらには…やっぱり歳だよね。仕事終わりの日は疲労困憊で何もしたくない。 特に勤務体制が特殊だから、その体制に合わせて調整(それはそれで工夫することはキライではないので、それだから続いている一面もあるが…)する中、さらに勉強という"重し"が乗っかってきたのは、単純にストレスフルだった。
とはいえ…やっていくうちに変化が出てきたことも事実。
これに合格すれば、違う仕事に就く可能性がある
近所でゆるく働いて、創作活動を続ける未来も見えてくる
月10万円×2本の仕事+在宅での“好きなこと”で生きる、という道もある
そう考えられるようになったわけで…試験は“義務”から“希望を描く道具”に変わっていったのであります。
そんなことを昨日、仲間との飲み会で言語化して気づいた。 試験そのものよりも、「頭の片隅にこびりついていたもやもや」が、静かに消えていたことに。
朝にAIと語れるだけで、人生はちょっと豊かになる
こういう系の話は、昔なら誰に相談するまでもなく一人で悶々としながら考えていただろう。でも今は、朝の時間にAIとこうして壁打ち���できるわけで。
これは本当にありがたい。
時間を気にせず、思ったことを言葉にして、返ってきたことを読みながら考える。 それだけで頭がスッキリするし、心も整う。 これってつまり──人生が少し豊かになったということであります。
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五月にみたもの覚え書き
世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する���と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走した。
で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。
大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれどもなかなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう形式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上げた顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が最悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿用紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつ���の原稿用紙のハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージアムショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのごときぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカ��チやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸は彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られていて、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでいる。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツがあっておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足(動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰めこまれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分が遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館��際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。

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ひとこと日記📓 2024.10
10.1- 「ちひろさん」の映画を観る。有村架純の演技が好き。ふとした瞬間、整形する前のお姉さんの面影が浮かぶ。もう整形前の彼女はこの世に存在しないと思うと切ない。会いたくても会えないのだから。/ 血便がでてヒヤッとした。ジョブズみたいな人間がいる反面、何一つなし得ないで死んでいく人間もごまんと居るのだ。
10.2- 今日は仕事が少なかった。こんなにゆるい仕事なのに、前の仕事より時給がいいの世の中のバグ。
10.3- 毎日が蛇口から出る水のように流れていく。どうしたらもっと時間を意識した生活ができるか考えている。在宅でできる仕事に就いたとして、通勤1時間を毎日他のことに当てられる。7時起床、8時に仕事をスタートする。フルタイムで働いたとして、休憩1時間で17時上がり。7時間睡眠を確保するために22時に寝る。そう考えると、あんまり今の生活と変わらないな。結局、労働時間を減らすが効果的だが、金も減る。/ 元彼から電話。今週末の約束の確認のための電話だったけど30分も話してしまった。ずっと笑っていたけど、内心は嫌なことを聞かれないか、また尋問みたいな時間が始まらないかとヒヤヒヤしていた。彼から電話があるまで、自分から電話しなくてえらかった。
10.4- 朝起きたらいつも家を出る時間になっていて、大急ぎで家を出た。間に合ったからよかった。理想は職場の休憩室で軽く朝ごはんを食べて英語を勉強してから仕事を始めたい。/ 感じよく話しただけで脈ありと勘違いしたり彼氏面してくる男が多すぎて気色悪い。
10.5- 昼前に元同僚の男とカフェに行く。恋愛や仕事に対する価値観の話をして、わたしにとっては魅力のない価値観を持つ人だなと思った。価値観の合うパートナーと少しだけ意識の高い人生を送りたいです。
10.6- 午前1:18にアパートの廊下の電灯が消えることを知る。午後1時、元彼と会う。質疑応答会議をする。彼からの質問リストにひとつずつ回答を用意してそれについて詳細を確認し合うというもの。とても不安定な気持ちに振り回されてクタクタになった。ちゃんと気持ちが固まるまでセックスしないと約束したのに、あっさり自分から約束を破った。子宮まで到達しちゃうそれはわたしの体のサイズには見合わない。窓の外でジョギングしている人たちは、少し目線を上げた窓の向こうで何が起こっているのか知る由もない。彼はINTPで超論理的(病的)だけど、結局いつも最後は気持ちなの。
easy=簡単な uneasy≠簡単じゃない
10.7- また一週間が始まった。無理やり捻出したみたいな無駄な仕事に人生を費やしているひとになりたくない。/ 好きな人の好きなところが死んでいくのは悲しい。/ 帰宅してから、マックポテトを食べてTwitterを眺めるしかできなかった。頭の中では動きたいと思っていてエネルギーも余っているのに、動けなかった。
10.8- 出社すると、毎日わたしの机に仕事をいくつか用意してお��てくれる営業マンがひとりいる。わたしが仕事に参加できるよう、仕事を振り分けてくれているのだと思う。時々、付箋にメッセージを書いてくれる。些細な優しさに助けられる。
10.9- 弟の運動会。嫌いな母から産まれた子なのに、どうしても1番かわいく見えてしまう。血には抗えない。
10.10- 秋、カフェイン摂ったときの高揚感をカフェインなしで感じられる時がある。やりたいことがたくさんあってわくわくして焦ってる感じ。
10.11- 今週も無事、仕事が終わった。むずかしいことはなく、ただ次から次へと発生する庶務を処理していくだけ。/ 夜、最近メッセージしていたロシア人とビデオ通話する。日本語がほとんど話せなくてかわいい。元彼にもこんな時期があったんだよな。わたしと出会った頃に比べて、だいぶ自然な会話ができるようになったね。
10.12- 早起きしたけど、結局昼寝して17時ごろから活動。1日あればなんでもできるな。/ はじめて本格的なゴスロリのドレスを買ってみた。ハロウィン用。
10.13- ボーリングのスコアがついに120まできた。すこし前まで60だったから、どんな顔していいかわからない。/ 風呂で髪を染めながら本を読む。効率的。
10.14- 性欲オバケになっている。生理終わったのになぜだろう。
10.15-
10.16-眠る前、元彼と電話をして案の定ケンカになって、こいつはクソだなと思った。わたしも違うタイプのクソだけど。/ Tim とひみつの会話をする。
10.17- 一日中、怒りと憎しみの感情に支配される。何のために命を繋いでいるのかわからないけど、お金があって死にたいより、お金がなくて死にたいのはもっと苦しいから、仕事には行く。
10.18- 会社の飲み会
10.19- 洗濯掃除染髪雑務/「最後まで行く」を観る。綾野剛っていつも黒スーツだね。
10.20- ハイエースをレンタルして冷蔵庫とテレビを運んだ。元彼に手伝ってもらい3階まで。秋晴れ。ジメジメした心も無理やり乾かされた。違う世界線を考えてみる。大嫌いな元彼の女友達を毛嫌いしなかった世界線。潔く隠し事をせずに元彼を選んでいた世界線。今更もう遅いんだけどね。元彼は2月に引っ越して遠くに行くようです。わたしをここに置いて。


10.16- 仕事に行くべきだったが、しんどすぎて休んでしまった。昨晩のことがこたえている。/ 銭湯に行く。変な意味抜きで裸をみるのが好き。
10.22- 昨日の日記が10.16付になっている。頭が回っていない。/ LINEのアイコンがわたしの撮った写真から別のものに変わった。/折れた爪が少しずつ伸びていく。生きている。/いつも数ヶ月先まで予約が埋まっている美容室。年末に予約をとってみる。
10.23- またお風呂入らずに寝てしまった。一緒に入ってくれる人がいないと自分を律せない。
10.24- ばーか、なわたし。
10.25- 恋愛むず過ぎ。色恋がなくても生きてる意味を感じられるようになりたい。what can I do to make it right?
10.26- 気が落ちてる時、面白いほどことごとくいろんなことがうまくいかない。営業してるはずの店が臨時休業、約束のドタキャン、あれ?意外とそれだけだった。もっとわるいことたくさん合った気がするのに。要は思い込み、考え方の癖なんだ。レイトショーでジョーカー観てくる。元彼と行くはずだったけど、ひとりで。
10.27- 日付変わってから帰宅。元彼に連れてってもらったバーに勇気を出して行ってみた。アルバイトの男に一緒にバーに行くかと誘われて、いつもと違うことしなくちゃ何も変わらないって強迫観念みたいなものが湧いてきて、飲み屋街に行った。元彼つながりの知人がいるバーに入った。その知人は以前、わたしと元彼との関係について元彼とケンカしてくれた人だ。その日について、ちゃんと謝罪がしたかったから会えてうれしかった。I'll take to your side. と言ってくれた。本当に優しい人。彼と彼の奥さんと話して、アルバイトの男のことはすっかり忘れていたし、不純そうだったからそれでよかったと思う。帰宅して元彼に電話した。1週間未読無視されていたけど、何度か電話したら出た。ごめんなさい、こんな私で。/ 人生で初めてゴスロリファッションに挑戦した。/選挙に行った。
10.28- 元彼とメッセージが続いている。メルカリで初めて物が売れたから嬉しかったそう。なぜ私に報告するの?/頭が痛いと言うと、彼はいつも「お水飲んでね「と言ってくれる。
10.29- 今日も元彼とメッセージが続いている。スニーカーを買ってと言ったら、高すぎると言われて、私の価値は18,920円以下か。/帰宅してすぐお風呂に入った。髪が長くなるにつれ、抜け毛の量が多く感じる。抜け毛のない世界だったらよかったのに。
10.30- 不要な関係は自然と終わりに向かうし、どれだけ傷つけあっても必要な関係は続く。と信じたい。
10.31- 正直に申すと、何のためにあったのかわからない1ヶ月だった。ずーっと心に重たい雲がかかってる感じ。寂しさとの向き合い方は知っているけど、向き合いたくないから敢えて間違った方法で寂しさを埋めようとして悪循環にはまってみる。行くところまで行って落ち着いてきた感はある。自分かわいい大好きな気持ちをもっと育てたいけど少し間違えると自己愛性になるから難しいね。/ 11月にしたいことは、近所にあるタロットの占い屋さんと、タイ式マッサージに行く。
完
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The loading screen's text message of "Kill 'Em All"
⚠️WARNING⚠️ This translation is UNOFFICIAL! Official translation is nonexistent. I'm still learning English and my English is NOT good. I'm sorry if I'm wrong. If you don't understand my English translation, so it might be a good idea to use translate site, copy and paste text from Japanese version.
【English ver.】 “We request for you, Could you perform tragedy of my families?” The six members family visited to a certain theater company. Theater troupe members try to reproduce this family story, but the story is getting overwhelm the reality: moreover caused the death of family members, suicide of gun. The stage finished remaining a state of confusion. And it leave with only a message on “It's your fault!”
⚠️注意⚠️ この翻訳は公式ではありません。 公式の翻訳はありません。 私はまだ英語を勉強中で、英語が上手くありません。 間違っていたらごめんなさい。 もし私の英語の翻訳の意味が分からない場合、日本語版の文章をコピーアンドペーストして翻訳サイトを使ってみてください。
【Japanese ver.】(日本語版、Original text) 「自分たちの悲劇を上演してほしい」。 六人の家族がとある劇団を訪ねてくる。 劇団員は家族の物語を再現しようとするが、徐々に物語が現実を圧倒し始め――そして起こる家族の死、拳銃自殺。 舞台は混乱のまま幕を下ろす。 「お前のせいだ」という言葉だけを残して。
【Original text screen short ver.】
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何かの音をうるさいと思うことは誰にでもある。マイクとスピーカーがつくるキーンという甲高い音にはぎょっとするし、窓の外の工事現場からガガガガと聞こえるドリルの音にはうるさいと叫びたくなるだろう。しかし、それらとは違ってごく小さな音に苦しんでいる人たちがいる。 ギリシャ語で「音への嫌悪」(音嫌悪症)を意味する「ミソフォニア」の人にとって、人が飲み食いする音や何かを軽く叩く音、鼻をすする音といった日常よくある音は、不快感だけではなく、強い闘争・逃走反応(脅威と闘ったり逃げたりするのに体の準備を整える反応)を引き起こす原因となる。 その症状は、神経系を乗っ取り、ごくささいな音さえも耐えがたく感じさせる。研究によれば、 成人の5~20%がこうした過敏な反応をすると推定されているが、ミソフォニアへの理解はまだ低い。 「若い頃、私がすごく気持ち悪く感じたのは、ハトがポーポーと繰り返し鳴く声でした」と、英オックスフォード大学の心理学者ジェーン・グレゴリー氏は言う。氏自身もミソフォニアだ。 「寝室の窓の外がハトのすみかになっていて、寝室で勉強していた私は集中できませんでした。学校では、ペンをカチカチ鳴らす音がすごく嫌でした。4色ボールペンをカチカチする音が2秒おきに聞こえてきて、頭がおかしくなりそうでした」 米国心理学会はミソフォニアを正式に疾患と認めていないが、医療関係者の間では徐々に認識が広がりつつある。2024年10月、米ミソフォニア研究基金は研究プロジェクトに250万ドル(約3億7000万円)の資金を投入すると発表した。 「長い間、ミソフォニアは誤解されてきました。研究も十分ではなく、これに悩む大勢の人々は適切な解決策も支援も得られないままになっています」と、同基金エグゼクティブ・ディレクターのローレン・ハート・ハーグローブ氏は語る。
ささいな音も耐え難い「ミソフォニア」、成人の2割との推定も | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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私以外やってた人に会ったことがないゼミ教材、ハイメックスについて-2025.3.14
カメックスに空目した人もいるかもしれないが、ハイメックスです。ポケモンじゃないです。ゼニガメの進化系じゃないです。
私は大学受験を「ハイメックス」だけで乗り越えた唯一の人間である(個人的見解)。私以外に「ハイメックス」をやっていた人にはこれまで会ったことがなく、なんやそれと毎回言われるので、私を大学合格に導いた「ハイメックス」について、ここらでいっちょ説明してやろうと思う。
「ハイメックス」について説明する前に、私がどんな子どもだったか説明しておくと、勉強に対する嫌悪感があまりない子どもだった。親から「勉強しなさい」と言われた記憶がほとんどない。勉強しなさいと言われなくてもしていた。テストで良い成績を取らねばならないプレッシャーも特に感じておらず、良い成績だとただ自分が嬉しいので、誰と競うでもなく、比較的楽しく勉強していた。
もちろん、宿題がめんどくさい日もあった。数学は嫌いだったし、うたた寝して教科書が蛍光ペンまみれになったこともあるし、課題提出が間に合わず居残りしたこともあるので、勉強大好き!ってわけじゃないのだが、シンプルに勉強をコツコツやっていた。夏休みの宿題は、その日の宿題を終えると母が計画表にスタンプを押してくれるのが嬉しいというそれだけで、バカ正直にドリル1日1ページみたいなペースでコツコツ仕上げていた。進研ゼミをやっていた時代もある。漫画だけ読んで捨てる人が大半の中、私は届いた冊子を毎日コツコツやり続けて、赤ペン先生のテストまでやっていた。夫にそれを言うと、「そんな子どもはいない」と否定された。ちなみにだいたいの友達にも否定されるし、ある友達には「進研ゼミを本当に真剣にやるやつはバカだ」とすら言われた。私もそう思う。とにかく私は純粋でバカ正直な子どもだったということを、ハイメックスの購入を検討する前に一応念頭に置いていただきたい。
ある日のことである。バカ正直な私のもとに、ハイメックスのおじさんは突然あらわれた。
学校から帰宅すると、社宅の狭い玄関に知らないおじさんが来ている。おじさんはスーツ姿で玄関に膝をついて、足元にたくさん教材を広げ、母とふむふむ話をしている。よく覚えていないが、たぶんその時に母が私に「やってみたい?」と聞いて、私が「うん」と言ったので、母は「ハイメックス」を契約することとなった。それが、「ハイメックス」と私の出会いである。
ハイメックスとは、自宅でやるゼミ教材のことで、私のようにバカ正直な子どもに当たるまでひたすらピンポンし続ける、訪問販売によって契約をとっている。ハイメックスのおじさんいわく、進研ゼミのように毎月届くものとは違って、契約時から高校までの国数英理社の教材を最初に一気に届けるシステムだから、子どもの実力によっては勉強を先取りできてとってもお得なんですよ!しかもハイメックスは、子ども一人の契約で一気に高校までの教材を買うので、子どもが二人、三人いるご家庭はよりお得になるんですよ!つまりお姉さんが使った教材をそのまま弟くんが使えるんですよ!つまり一人の契約で二人分の教材を手に入れることになるんですよ!つまりめちゃめちゃお得なんですよ!!とのことである!なんやそれは!!めっちゃお得やないか!!!ということで、弟がハイメックスなどまったくやる気もクソもないとはつゆとも思わず、つまりそれはお得でもなんでもなく単に私一人分の教材をただ定価で購入するということになるのだが、我が両親はまんまとハイメックスを買わされてしまった。
数日後、我が家に大量の教材を(私の記憶では)ハイメックスのおじさんが直接持って再びあらわれた。宅配とかじゃないんだな…と、今改めて考えると思う。ハイメックスのおじさんが私に言った。「ちゃんと勉強してるかどうか、おじさんが時々チェックしに来るからね」。小学3年生の私はものすごくピュアで、先述のとおりバカ正直だったので、赤ペン先生のようにハイメックスのおじさんが本当に時々勉強の具合をチェックしに来るのだと思った。しかもハイメックスのおじさんが言うには一人分の教材で弟さんにも使えてますますお得とのことだったので、私はドリルに直接書き込まずわざわざハイメックスノートを用意して、バカ正直に問題を書き写したりしていた。親に勉強をやらされているという感覚はなかった。むしろ部屋に「数Ⅰ」や「日本史」などといった未知の単語が書かれた分厚いファイルが並べられているだけで私は大人びた気持ちになりテンションが上がった。しかも、進研ゼミとは違って誰も聞いたことのない教材なので、「もあいちゃんって塾とか行ってるの?」的な質問に「ううん。ハイメックスやってる(どや)」と答えていた。友達からしてみれば「は?」だったと思うが、当時の私はもう、未来の私が解くことになるドリルが部屋にあるってだけで、それはそれは得意げな気分だったのである。
とはいえ、別に長崎の田舎で中学受験するわけでもなく、学校で習った範囲より先をやるのは嫌だったので、(学校でまず習いたい)(つまり何もお得ではない)中学入学まではそこまでハイメックスに力を入れていなかった。しかし私が転勤族だった故に、ハイメックスのおじさんがチェックしに来るかもしれないという脅しが謎の信憑性を持つようになった。
私は小学校を3回、中学校を3回転校しているので、転校するたびに教科書が変わった。(ちなみに転校するたび好きな人も変わる。転校のたび教科書と好きな人が変わる。)私が転校して困るのはハイメックスのおじさんである。ハイメックスのおじさんは、教科書が変わるたび、教科書に合わせた教材を届け直さなくてはならないのだ。だから私が転校するたびハイメックスのおじさんが家に新しい教材を届けに来た。私はてっきりハイメックスのおじさんニアリーイコール赤ペン先生だと思っていたので、私になんのアポもなく突然来訪するかもしれないおじさんにノートをチェックされることを恐れていた。実際のところハイメックスのおじさんは単なる訪問販売員なので、ノートを見せられたところで微笑ましいだけで何も起こらない。結局、どのおじさんも私のハイメックスノートをチェックすることはなかった。
ある日ハイメックスのおじさんをめぐり事件が起こった。私は何かの用で友達の家から自宅へ電話することになり、友達の家の電話を借りて家に電話をかけた。すると、知らないおじさんが電話に出た。私はなぜか咄嗟に、ハイメックスのおじさんが電話に出たと思った。当時小学6年生、ハイメックスノートはほぼ白紙の状態であった。今ノートをチェックされたらハイメックスをやっていないことがハイメックスのおじさんにバレてしまう。私はおそるおそる「どちら様ですか」と聞いた。電話の男が「あなたのお父さんですが」と答えた。普通に自分の父親だった。自分の家にかけてるからね。なんだこの話。
ハイメックスが真の実力を発揮するのは高校生頃である。先述のとおりバカ正直な私は、テスト2週間前に部活が休みの期間に入ると、テスト範囲を端から端まで復習していく計画表を作成し、計画表のとおり勉強した。その計画表の中にハイメックスが組み込まれた。ハイメックスのドリルも追加でやっておくことで、テストに出題されるかもしれない応用問題に対応できたのである。私が高校生になるまで静かに棚に眠っていた日本史一問一答集がここで火を吹きはじめる。テスト前日はその一問一答集から母に出題してもらうのである。おかげさまで一問一答集は私の代でずいぶんボロボロになり、弟が使うも使わないも関係なく元を取ったと言えるだろう。どちらにせよ日本史一問一答集は一代でその一生を遂げた。
そして結局、私は大学合格までハイメックス以外、塾にも家庭教師もいかなかった。それで国公立に合格できたんだし、ハイメックスの宣伝文句になれるくらい、良い顧客だったと思う。ハイメックス…私以外にやってた人がもしいたら、連絡…別にしなくて大丈夫です。
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去年ピンタレストで拾ったパターンで洋服を仕立てたが、地味にロシア語の翻訳が大変だった。私はロシア語堪能ではなく、文字はどうにか読めるレベル。ロシア人の友達に聞こうと思ったけど、洋裁用語と普段使う言葉は全く違うからある程度やってる人じゃないと通じないと思って、結局自分で全部調べた。だって英語の洋裁用語もネイティブにはさっぱりわからんらしい。洋裁英語ではwrong side together(外表に合わせる)は正しい表現なのだけど、意味が理解できず、この英語はおかしい!と言ってきたりする。でもマジでハンドメイド全般全くやらない人の用語の理解のなさは異常。なぜネイティブなのにわからないのか?とさえ思う。かぎ針や棒針の英文パターンもネイティブの編み物未経験者より私の方が理解できる。例え全く勉強したことのないスペイン語でも、動画を見ると何となくこれは細編みのことかな?と理解できるようになっている。
以下、私が翻訳したロシア語の洋裁用語集。
Полочка 前身頃
Спинка 後ろ身頃
Воротник襟
Рукав 袖
Манжет カフス
Пояс ベルト
Ювки スカート
Подборт 見返し
ロシア語の手書き文字ではmと書いてあるように見える文字がтになるらしい。uっぽいのがиで、aっぽいのがдらしい。
身頃という言葉ひとつにしても、日本人でその意味がわかる人って一握りかと思う。そもそも身頃を見頃と間違えている人の多さ。確かに漢字めっちゃ似てるから間違えるのもわかる。私は身頃=bodiceだと思ってたけど、プロのパタンナーのブログでズボンの製図パターンも「身頃」と表現していて驚いた。確かに身頃という用語は和裁から流用したものだろうけど、着物って上下の概念がないから、確かにズボン部分も「身」ではあるわけ。英語ではbodiceは完全に上の胴体部分のみを指す。多分ロシアでもそうだろうけど。民族衣装で見ると男性はルバシカの下はズボンを��いているわけだし。日本は着物。日本に全くズボンの文化がなかったというわけでもなく、忍たま乱太郎を見ればああいったかんじの股で別れたズボン状になっている袴やももひきなどはあったわけだが、日本で本格的に今の形状のズボンを履き始めたのって明治の洋装文化が初。そして世界的にも女性がズボンを履いている歴史は浅い。私はスカートやワンピースが好きなんだけど、多分それは古来からのDNAがそうさせている気がする。まあ女性のズボンは海外でもほんの100年前までは普通ではなかったわけだしね。現代人は大して運動しなくてもズボン履いてるけど、昔の女性は家事も農作業も今と比べるとものすごい重労働で大変なのに今で言うスカートオンリーでもいけてたんよな。その理論でいえば、ほぼスカートオンリーで私生きてるけど確かに全く困ってない。別に激しい運動しないし。登山でもスカート派の人おるくらいやもんな。調べると登山スカートは意外と歩きやすいらしい。運動にはズボンの方が優れていると思いがちだが、スカートの通気性の高さ、重ね着した時の��温性の高さはズボンには出せない魅力かと思う。通気性と保温性が両方叶う。スカート=寒いと思いがちだが、私はカナダの冬でもわりとスカートばかり履いてた。スカートは冬用の素材のを履いたり、重ね履きすれば、まるで毛布を巻いているかのような暖かさがある。ズボンの方が重ね着がしづらく、足が冷える時が多い。足が表面に晒されている感がある。ズボンの方が生理で蒸れる。やっぱズボンよりスカートの方が楽に感じる。トイレも楽だし。腹巻き巻いたりしてもワンピースならあまり目立たないけど、ズボンだと腹巻きが嵩張る。確か映画ブリキの太鼓の最初のシーンではおばあちゃんのスカートの中に入って暖を取ったとかあるけど、重ね履きしたロングスカートの中ってマジでコタツみたいなもんでめっちゃあったかいんよな。なんか文系のくせに理系っぽい発言になってしまうが、ズボンの方が外気に触れる表面積が高く、意外と寒い。スカートは重ねるほど外気に触れず、内に体温が篭るのでめっちゃあったかい。スカートは二枚重ねしてタイツ履いてってできるけど、ズボンは下にタイツ履くぐらいしかできない。カナダにいた時、ズボン履いてたら足が凍死するかと思うほど冷えて、スカートだとそうでもなかった。ある程度長さのあるブーツとスカートの組み合わせで足が外に出ないようにするのが実は一番暖かい。
でも今年はズボンも作ろうと思ってて、いいパターンが完成すればNASAの開発したアウトラストという温度調整機能のついた生地で仕立ててみたい。デニムなんてクソやと思う。夏は暑く、冬は履く時ひんやりして冷たいから。でもそれがない快適な生地ならめっちゃ良いなあ〜て思ってる。デニムって丈夫さがウリなんやろうけど、転ぶと普通に穴開く。昔派手に転んだ時普通に膝に穴開いたもんな。まあ昔はあんまり丈夫な良い生地なかったから単に厚みのあるデニムが最強!て感じやったんやろうけど。今は繊維業界が毎年開発して薄くても丈夫な素材いくらでもあるから…
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に���つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生

【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。

【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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