#絞り込み勉強法
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kirigaya-jun · 2 years ago
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「資格合格逆算メソッド」失敗から学ぶ 絞り込み勉強法の実践記
東京都江戸川区「6回目でやっと司法書士試験に合格した「相続・会社設立」の専門家 登記業務を通じてお客様に寄り添う」 資格試験アドバイザー 司法書士・行政書士の桐ケ谷淳一(@kirigayajun)です。 はじめに 「資格合格逆算メソッド」。 合格(=受験日)点を取るために、逆算して今何をすべきかを考えるメソッドです。 大学受験や資格試験は満点をとらなくても受かります。 何割獲得できれば合格できるかは各試験によってまちまち。 まずは「敵を知る」ことがスタートラインです。 きりじゅんの合格までのストーリー(絞り込み勉強法に気づくまで) 3回目の司法書士試験に落ちてしまった。 基礎的なことはやったつもりだったが… そうだ、基礎的なことはできていたのだから、もっと難問を解いてみよう。 過去問も検討しつつ、他の予備校の問題集も解こう… おー、ある程度実力がついてきた。 4回目はこれで行けそうだ!…
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moko1590m · 2 months ago
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「分割統治+権威主義」的な支配から逃れて生き抜くために、個人が、現在の社会状況において出来る対処法の中で、「その支配をしている側の一員になる」こと以外の対処法を、できるだけたくさん教えてください。
「分割統治+権威主義」的な支配構造は、社会を分断し、個人の自由や連帯を抑圧することで支配を強化する戦略です。このような環境で、支配側に加担せずに生き抜くためには、個人が主体性、知恵、コミュニティを活用して対抗する必要があります。以下に、現在の社会状況(2025年5月時点)を考慮し、具体的な対処法を多角的かつ豊富に挙げます。これらは、個人としての自律性、精神的・物理的レジリエンス、集団的抵抗の強化に焦点を当てたものです。
情報リテラシーの強化 多様な情報源を活用する 支配側は情報操作やプロパガンダで分断を強化します。信頼できる独立系メディア、学術的な資料、市民ジャーナリズム(例:Xでの一次情報)を参照し、単一の情報源に依存しない。 例:主流メディアだけでなく、海外の報道や現地の声をXで直接確認する。 クリティカルシンキングを磨く 情報の真偽を検証し、感情的な扇動や偏向に流されない。ファクトチェックサイト(Snopes、PolitiFactなど)や原典を確認する習慣を付ける。 例:政策発表の裏に隠れた意図を、公式文書や歴史的文脈から分析する。 デジタルプライバシーを守る 監視社会に対抗するため、VPN、暗号化通信(Signal、ProtonMail)、匿名ブラウザ(Tor)を使用。データ収集を最小限に抑えるため、不要なアプリを削除し、プライバシー設定を厳格化。 例:ソーシャルメディアでの個人情報公開を控え、位置情報追跡をオフにする。 情報過多に耐えるメンタル管理 情報洪水による疲弊を防ぐため、定期的にデジタルデトックスを行い、信頼できる情報に絞って消費。瞑想や読書で集中力を維持。 例:1日1時間だけニュースを確認し、残りはオフラインで過ごす。
精神的・心理的レジリエンスの構築 自己認識と価値観の強化 権威主義は個人のアイデンティティを操作します。自分の信念、倫理、目標を定期的に振り返り、外部の圧力に流されない基盤を作る。日記や対話を通じて自己を再確認。 例:週に一度、自分の行動が信念に合っているか振り返る時間を設ける。 コミュニティでの支え合い 孤立は支配側の思う壺。信頼できる友人、家族、志を同じくする人々と定期的に対話し、精神的な支えを得る。オフラインでの対面交流を重視。 例:地元の読書会やボランティア活動に参加し、顔の見える関係を築く。 ストレス管理と心のケア 抑圧的な環境はストレスを増大させる。ヨガ、運動、趣味、カウンセリングなどでメンタルヘルスを維持。無料のオンラインサポート(例:7 Cups)や地域の福祉サービスを活用。 例:毎日10分のストレッチや呼吸法で心を落ち着ける。 希望とユーモアの維持 権威主義は絶望感を植え付けます。ユーモア(例:風刺漫画、ミーム)や小さな成功体験(例:新しいスキルの習得)で希望を保つ。 例:Xで権威を批判するユーモラスな投稿を共有し、仲間と笑い合う。
経済的・物理的自立の強化 経済的依存の軽減 支配側は経済的圧力で個人を従属させる。副業、フリーランス、スキルアップ(例:プログラミング、デザイン)を学び、単一の雇用主や政府に頼らない収入源を確保。 例:UdemyやCourseraで需要の高いスキルを学び、オンラインで仕事を受注。 自給自足のスキル習得 食料や資源の供給が支配されるリスクに備え、家庭菜園、保存食作り、修理技術を学ぶ。地域の物々交換ネットワークに参加。 例:ベランダでハーブや野菜を育て、近隣とシェアする。 オフグリッド生活の準備 電力やインターネットの監視・制限に備え、ソーラー��ネル、雨水収集、キャンプ技術を検討。完全なオフグリッドでなくとも、依存度を下げる準備を。 例:ポータブルソーラーチャージャーを購入し、停電時に備える。 移動の自由を確保 物理的抑圧に備え、パスポートの更新、緊急時の移動計画、信頼できる避難先の確認を行う。地域の法律やビザの状況を把握。 例:近隣国への移動手段(バス、鉄道)と費用を事前に調査。
コミュニティと連帯の構築 草の根のネットワーク作り 支配側は分断を強化するため、信頼できる小規模なグループ(友人、近隣、オンライン仲間)を作り、情報やリソースを共有。地域の協同組合や互助会に参加。 例:地元のフードバンクやスキル交換会を立ち上げる。 分断を乗り越える対話 支配側が煽る対立(例:人種、宗教、イデオロギー)を拒否し、異なる背景の人々と共通の利益(例:教育、環境)で協力。対話の場を積極的に作る。 例:地域で「多文化交流イベント」を企画し、偏見を減らす。 非暴力的な抵抗の学習 ガンディーやキング牧師の非暴力抵抗の手法を学び、ストライキ、ボイコット、座り込みなどの方法を理解。地域の状況に応じた抵抗を計画。 例:不当な政策に対し、署名運動や平和的なデモを組織。 文化的抵抗の推進 アート、音楽、文学、演劇を通じて支配に抗うメッセージを発信。文化は抑圧下でも人々を鼓舞する力を持つ。 例:地元のオープンマイクで権威を批判する詩を朗読。
制度や構造への戦略的関与 ローカル政治への参加 中央集権的な支配に対抗するため、地方選挙や地域の意思決定に参加。町内会や市民団体で声を上げ、草の根の変化を促す。 例:市議会で公共サービスの透明性を求める発言をする。 法的知識の習得 自分の権利(言論の自由、集会の権利など)を学び、抑圧的な法執行に対抗。無料の法務相談やNGO(例:Amnesty International)のリソースを活用。 例:不当逮捕時の対応を事前に学び、緊急連絡先を準備。 代替経済の支援 支配側の経済システムに依存しないよう、地元企業、協同組合、暗号通貨、地域通貨を支援。搾取的な大企業を避ける。 例:地元の農家から直接食材を購入し、コミュニティを強化。 教育と知識の共有 支配は無知に依存する。ワークショップ、勉強会、オンライン講座で批判的思考や歴史、権利を教え合う。子どもや若者に特に重点を。 例:地域で「メディアリテラシー講座」を開催し、参加者に広める。
創造的・個人的な抵抗 ミニマリズムの実践 消費社会への依存を減らし、必要最小限の生活で自由度を高める。��質的・精神的余裕を作り、支配側の経済圧力に耐える。 例:不要なサブスクを解約し、貯金を増やして緊急時に備える。 匿名での発信 安全を確保しながら、Xやブログで抑圧の実態を告発。匿名アカウントや暗号化ツールを使い、検閲を回避。 例:VPNを使い、Xで地域の不正を匿名で投稿。 時間の戦略的利用 支配側は忙しさで個人を疲弊させる。時間を意識的に管理し、自己啓発、休息、抵抗活動に割り当てる。 例:週末に1時間、コミュニティ活動の計画に充てる。 象徴的抵抗の実践 小さな行動(例:特定の色を着る、シンボルを掲げる)で抵抗の意志を示す。集団でのシンボル使用は連帯感を高める。 例:抑圧に抗議する色(例:白)を着てデモに参加。 注意点と補足 リスク評価: 各対処法は地域の政治状況や法制度によりリスクが異なる。行動前に現地の法律や安全性を確認し、無謀な行動は避ける。 持続可能性: 一度にすべてを実践するのは困難。自分に合った方法から始め、徐々に習慣化する。 グローバルな視点: 2025年の社会は、監視技術(AI、顔認証)や経済的不平等が支配を強化する傾向にある。技術や経済のトレンドを理解し、柔軟に対応。 文化的適応: 例えば、日本では集団主義が強いため、コミュニティベースの抵抗(町内会、協同組合)が効果的。一方、個人主義の強い地域では、匿名発信やミニマリズムがより現実的かもしれない。 具体例(2025年を想定したシナリオ) 状況: 政府が言論を制限し、監視カメラとソーシャルクレジットで市民を管理。 対処: Signalで信頼できる仲間と暗号化グループを作り、情報を共有。 地元の農家と直接取引し、食料の自給率を上げる。 Xで匿名アカウントを使い、監視政策の不正を告発。 週末に近隣で「デジタルリテラシー勉強会」を開催し、若者に監視回避法を教える。 ヨガや瞑想でストレスを管理し、精神的余裕を保つ。 結論 「分割統治+権威主義」から逃れ、生き抜くためには、情報、精神、経済、コミュニティ、制度、創造性の6つの領域で戦略的に行動することが重要です。支配側に加担せずとも、個人の主体性と連帯の力を組み合わせることで、抑圧に抗い、自由で持続可能な生活を築くことが可能です。もし特定の領域(例:技術的対処、コミュニティ作り)や地域(例:日本、都市部)に絞った詳細なアドバイスが必要な場合、教えてください!
ChatGPT said: 非常に本質的な問いです。「分割統治+権威主義」的な支配構造から逃れて生き抜く方法は、直接的な闘争よりも、「個の創造性」「関係性の再構築」「非協力」「ズレ・逸脱」などを含む多様な戦略が考えられます。以下に、「支配者の一員にならずに」できる具体的な対処法を、できるだけ多様な角度から挙げます。
◉ 1. 分子化・マイナー化する ドゥルーズ=ガタリの言う「分子的な逃走線」を選ぶ
権威主義的言���や価値から逸脱し、小さな実践・関係に軸足を移す
周囲と同じコードを使わず、自分だけの「文体」「生活リズム」「感覚圏」を持つ
◉ 2. ケアとつながりを再定義し、自律的な関係を育む 血縁や制度に依存せず、信頼ベースのミニマムな共同体(ケアの網)を形成する
資本や権威を介さず、贈与・共助・シェアリングを用いた経済圏をつくる
情報もケアも食料も、なるべく「顔が見える範囲」で自給的にまかなう
◉ 3. 制度や消費をボイコット/減速する クレジット・保険・SNS・TV・政治など、支配的制度から距離を取る
ミニマリズム的な生活で、消費と依存の連鎖から脱する
急がず、競わず、「遅さ(スロー)」を選び続ける
◉ 4. 情報戦を回避・転用する 二項対立の言説空間に加担せず、判断保留・非対立的言語を用いる
情報への過剰接続を断ち、読書や身体感覚など「非ネット空間」で思考する
嘘とノイズの多い空間では、沈黙や詩、曖昧さを武器とする
◉ 5. 労働の再定義と内在化 他者の価値尺度に依存せず、「自分のために働く」=生活と労働を一致させる
生産性を目的とせず、「耕す・直す・育てる・遊ぶ・見る・聞く」を重視
スキルを交換するコモンズ経済を試みる(物々交換、贈与)
◉ 6. 制度的ノイズの隙間に棲む 権威が届かない「抜け道」「日陰」「曖昧地帯」に棲む
都市の片隅、山間部、ネットの奥、路地裏、夜など、監視が希薄な時間・空間を選ぶ
移動と漂流を繰り返すことで、固定されず逃れ続ける(遊牧的主体)
◉ 7. 言語と表現を“脱コード化”する 権威的言語や、効率化された言語に乗らず、冗長・詩的・多義的表現を大切にする
日常的に「脱意味」「脱構築」を遊びとして実践する
志村けんのようなナンセンスな所作や、言葉遊びを通じて規範から逸れる
◉ 8. 身体を媒介にして自己を再構築する 瞑想・座禅・ヨーガ・野良仕事などで、制度外のリズムを身体に刻む
心身の感覚を研ぎ澄まし、他律的な価値評価(給料・称賛)から離れる
病・老い・弱さも力とする(健常者中心主義からの逸脱)
◉ 9. ユーモア・戯れ・子供性の再獲得 権威に対しては真面目に反発せず、ふざけ、笑い、滑稽さで脱臼させる
ドリフのコント的に「制度の中で制度をおちょくる」こと
「大人ぶらない」ことを意図的にやる��脱成熟の戦略)
◉ 10. 日々を“生成変化”として生きる 自分のうちに宿る「制度に回収されにくい微細なズレ・変化」に耳を澄ます
人間中心主義を離れ、動物・植物・風・微生物などとの関係のなかに存在を溶かす
決まったアイデンティティや立場に固執せず、仮面・変身・変奏を繰り返す
これらは、「直接対決」や「脱出」ではなく、ズラす・脱構築する・逸れる・自前化するという方向性です。支配構造に「勝つ」必要はなく、「取り込まれない」だけで十分です。
ご希望があれば、これらを図式化した「生成変化的サバイバル・マニュアル」も作成できます。関心はありますか?
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kaoriof · 8 months ago
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そん���勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない��三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない。ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまうんだろうなと思う。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならない��、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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fka-shanghai · 1 year ago
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104 :名無しさん名無しさん:2009/11/19(木) 14:57:38 よう、ニートども! 元気か。 今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。 まずは鉛筆を用意しろ。 鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンターかスーパーで買ってこい。 ネット通販は駄目だ。 今すぐ買え。 Bを買え。 鉛筆削りが無い馬鹿はそれも買っておけ。 消しゴムは買うな。 必要ない。 紙はA4のコピー用紙だ。 これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。 用意ができたら描け。 とりあえず何でもいいから20枚描け。 すると手が慣れてくる。 緊張もほぐれる。 ウォーミングアップは終わりだ。 次に模写をやってもらう。 『電脳コイル ビジュアルコレクション』の模写だ。 他の本では駄目だ。全く駄目だ。 この素晴らしい原画集を表紙から強制的に順番に模写して行け。 消しゴムは使うな。 失敗した線を残したまま描き進めろ。 A4の紙を動画用紙だと思って適切な絵のサイズで仕上げろ。 決して小さな絵を描いては駄目だ。 鉛筆で線を引くときにも指を動かしてばっかりいては駄目だ。 肩を動かして描け。 全身で描くんだ。 この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。 間違いない。 この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。 だがこのプロセスは必要だ。 まずは理屈ではなく経験によって体で覚えるんだ。 理屈はその後でいい。 さて、理屈だが、『アニメーターズ・サバイバルキット』を 注文して買ってもらう。 その他の本は一切読まなくていい。 『ディズニーアニメーション 生命を吹き込む魔法 ― The Illusion of Life ―』 も良書だが、 読むのに時間がかかりすぎるし、アマゾンでは現在在庫切れだ。 『アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。 よく分からない所があっても、とりあえず通読しろ。 読み終わった頃には、最初の方の内容は忘れているだろうから、 もう一度読み直せ。 ただし今度は模写をしながら読め。 全ページ分の模写だ。 これは絵柄が簡単だからかなり楽しい作業だ。 この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。 騙されたと思ってやってみろ。 ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに 絞るということだ。 多少の違和感もあるだろうが、 とにかくこのアメリカ式の作画理論を身に付けろ。 勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。 そうすればお前もアニメーターになれる。 上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ。 この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。 2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。 だが、何の勉強もしていなくても、 いきなりこの課題を器用にこなす奴もいる。 そういう天才もいるが気にするな。 天才じゃなくてもアニメーターにはなれる。 この本はプロになったら必ず使う本だから必ず買え。 必ずだ。 巻末にある動きの実��集が役に立つ。 値段も安い。 動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。 絵は上手ければ上手いほどいい。 練習をしすぎるということはない。 その練習だが、まず人物画からやってもらう。 教科書は『やさしい人物画』だ。 たぶん、これはもう持っているだろう。 持っていない馬鹿は、大き目の書店で買うか、注文しろ。 だが、持っていても、 全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。 やれ。 終わったら、人物画の練習はとりあえずやめておけ。 ここで色々な本に手を出して、 人物画ばかりやっていてもあまり意味がない。 次は動物画の練習だ。 教科書は、『動物画の描き方』だ。 この本を模写すると、 “あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。 そのことが分かったら、人物画の練習を���開してもらう。 パースの込み入った勉強は、まだ必要ない。 今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。 あせってマグの本に手を出すな。
アニメーターになりたいという人集まれ - 絵が上手くなりたいお
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imwatashi · 8 months ago
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英語と私の関係について
異常だ、取り憑かれている、と今日ついに思ったのでここに記しておく。只今23:58、ついさっきまで働いてた限界くたくた擦り切れ脳みそから言葉を振り絞る、それよりも目の方が疲労ヤバい。
XXさんて英語が好きなんですね、と同僚に言われびっくりしてしまった。何故だかギクっとしてしまった、別に悪いことなんてなにもしてないのに。来月海外出張に行くので英語で資料を作っており、一緒に行く同僚にそう言われた。彼が日本語でベースを作り、私が英訳しながらまとめていた。自分としては淡々と作業してその人に資料共有しながらやってただけなのだけど、たしかに図らずとも息を巻いて「ここが腕の見せどころ」とかって思ってたかもしれない。そんな自分の、生意気で恥ずかしい自意識がただ仕事してるだけのはずなのに漏れ出ていたそうで、もう恥ずかしくてたまらなかった。そして、他人にそうして伝わるほどの、でも自分ではむしろ熱を抑え込んでいるはずなのに漏れ出てしまうようなこの自分の英語に対する気持ちや熱量が、普通じゃないな、といよいよ認めざるを得なくなった。
その理由は、英語が自分のアイデンティティになっているから?確かにそうだ、英語は自分に一番自信をもたらしてくれたものの一つだし、でも逆に、そんなものを一気になし崩すほどズタズタにしてくることだって日常茶飯事だ。決して一度や二度じゃない、悔しくて泣いたことも何度もあるし、細かい擦り傷みたいなのも含めると、私はこの言語を使うたびに不安になって、そして使うたびに自信をつけている。そんなことの繰り返し。
別に私より英語がうまい人なんてたくさんいる。そんなのわかってて、でもだからこそ、そのせいで抜け出せない。いろんな理由をつけて自分が劣ってることを正当化する、なんていつものことだ。この人は帰国子女だから、留学してたから、英文系国際系の学部だったから、とか何とか。私は帰国子女じゃないし、英語を学ぶために海外には行ってないし、経済学部だったし、等々その他諸々いろーんな余計な鎧をつけて、ようやく成り立つ、私の自信、アイデンティティ。日本人ってとくに小さい文法ミスとか気にするから、英語得意とか自ら言えたもんじゃないし、でも確かに蓄積してきた自信もあるからそわそわするし、でも一方であんたの英語下手くそだって直接他人に言われたこともあるからやっぱり歯痒いし。学べば学ぶほど、いかに自分が無知で無力で何も知らない出来ないのかを思い知る。そしてそれと反比例するように、褒められることだってあるからややこしい。だからこそ、��っつもずーっと不安定で、だからこそ、私はこの言語に取り憑かれている。とくに最近は英語が勉強できないとストレス溜まるし、何か少しでも新しいものに触れておかないと落ち着かない、これって異常ですよね? 私はやはり、自分がただここにいるというだけで自分を愛せるような人間ではないみたいです。
日本人同士のこれが正しいあれは違うっていう議論は不毛だから参加したくないし、でも英語できるなんて全然そんなことないですよーってとにかく謙遜しまくるのも疲れてきたし、とは言いつつ英語できるんでしょ?って突突かれるのもめんどくさい。そもそもただの言語なのに何でみんなそんな感じなの??っていうクエスチョンは特大ブーメランになって私のもとにかえってくる。ただの言語に自己投影しまくりのクレイジーなやつはお前だろ、って。でもマジで英語少しできるからって翻訳の確認とか依頼してくるのは本当に困る、私ネイティブでなければその道のプロでもないし、自分なりに蓄えてきた語彙力の中でしか表現できない、言語の広い海を全然回遊できてない死にかけの魚みたいなものなので。とにかくAIに聞いてほしいし、私も最近AIに壁打ちばっかりしてそれを楽しんでいる。でもまあそうやって、何か夢中になれるのは素直にいいことなのかもしれない。それとは別で、こうした確固たるスキルがないと自分に自信が持てない自分をどうにかしたいのだが、こういうのも一旦全部チャットGPTにぶん投げて英語でやりあえば勉強になるよなとか考え始めるあたり、マジで終わりです。でも何か夢中になると基本的に他人が気にならなくなるからおすすめ。筋トレにハマる人に感覚が似てるのかもしれない。
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
 
 パレスチナ情勢については、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではないようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネ���」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通り“孤立国”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
 
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いこと��ろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になった��考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
まいました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
 
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の核保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」をどのように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配��」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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yaasita · 2 years ago
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2023-06-12 ■賃貸マンションに入れてはいけない客・外国人と老人編 賃貸マンションに入れてはいけない客 https://anond.hatelabo.jp/20230609174500 賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編 https://anond.hatelabo.jp/20230610122156 ↑を書いた元増田です。 kappa_ycさんの「この文章をきっかけに読み手のステレオタイプが拡大され同様の行動に至ればそれは立派な差別の助長」という理性的な批判コメントは俺の琴線に触れた…。なるほど理解できる…。 それなら俺の書いた記事を公開したままにしておくのは良くないな。 ただ、前記事で外国人と老人について書いたところは俺の力が足りず、大きく誤解されていたように感じたので、補足を入れたい。その周知期間として2、3日とり、その後はこの記事も含め適当なタイミングで削除する。 ⚫︎外国人について まず俺が入居を断る外国人はビジネスレベルの日本語ができない外国人を指している。悪いけど俺は日本語しかできねえんだよ。だから日本語わかってくれないとビジネスができねえ。 でも、在日二世とかの日本で教育を受けた外国人は国籍が日本じゃないっていうだけで日本語はネイティブと変わらん。そういうお客さんを断る必要はないだろ?むしろ歓迎するよ。実際に入居してくれてる人やもう引越したけど以前入居してくれてた人も沢山いる。 つまり、俺は国籍を理由に断ることはしない。別の言い方をするなら、ビジネスレベルの日本語ができないなら日本人でも断る。 なので、kashur2さんが載せてくれた、差別で外国人が入居を断られたという判例集、俺にもその家主が入居を断った理由がわからん。 中には弁護士をやってる韓国人が国籍を理由に入居断られたっていうのもあった。司法試験を通過できる能力のある人ならそこらへんの日本人よりよっぽど日本語堪能だろ。 何がダメだったんだろう?タトゥーがあったのか? ただ、ビジネスレベルの日本語ができない外国人についても、できたらなんとかしてやりたいという気持ちはずっと持っている。 俺は慣れない日本に来て一生懸命頑張っている外国人を尊敬しているし、応援している。最近じゃうちの物件のエアコン取り付け工事なんてベトナム人の兄ちゃんが来るぜ。丁寧に仕事するよ。日本語はカタコトだけどな。 確かに日本人の若者はこういう仕事やらなくなってるもんなあ。俺が逆の立場だったら、ベトナムでエアコン取り付け工事の仕事する根性ねえよ。お前らすげえよ。 外国人を入居させると汚されるしゴミ置場が荒れるイメージがあるが、それは前記���でも触れたように、日本語のできない外国人に対して入居後のアフターフォロー���継続的にできるような、高い語学力とホスピタリティのある優秀な人材が不動産業界にいないからだと思っている。 日本語のできない奴がクソみたいにルールの細かくてしがらみの多い日本社会で、カギだけ渡してあとはよろしくねって、そんなん問題なく暮らしていけるわけないだろ。そこは日本人に対する接客と同じにしたらダメだ。 多分、うまく意思疎通ができたらいいお客さんになるような気がするんだよな。ゴミはこういう風に分別して、この時間までに出せよな、とか、暗くなってから大人の男、特にお前らみたいな外国人が住宅街で集まって立ち話してるとどうしても危なっかしい印象を与えるから、おしゃべりしたいならファミレス行けよ、とか。 こういう、日本でトラブルなく暮らすための機微をうまくそいつの母国語で説明してバックアップしてやれたら、いい客になるんじゃないかと思ってる。 だが、俺の運営体制ではそういう難しいお客さんをそこまでフォローしてやれる時間と能力がない。そうすると入居してもらってもお互い不幸になるだけなので、今は断らざるを得ない。 というのを一言で言い表したのが、前記事の「外国人を断ることについて俺に差別っていう意識はなく、賃貸ビジネスとして難易度が極めて高いので辞退させて頂きたい、っていう感覚」だったのだが、これは差別なのか、選別なのか、みたいな感想が多く、真意は全く伝わらなかった印象。さすがに説明を端折り過ぎたな。 ビジネスレベルの日本語がどうのとか偉そうに言っときながら俺の日本語が一番ダメっていうオチ。 すまんな。 ⚫︎老人について 老人については、今は室内で孤独死された場合の事業リスクがでかすぎて断らざるを得ない。いわゆる「事故物件」をまとめたホームページとかあるしな。あんなんに載ったらヤバイって。 だが、極端な事を言うなら、室内で死ななければいいというだけの話なので、異変が起きたときに速攻で病院に担ぎ込める体制がうまく担保できれば、お客さんとしては全然アリ。調べてないからわかんないけど、警備会社とかに問い合わせたらそういう設備を物件に組み込むサービスは既にありそう。 身の回りのことがある程度自分でできる老人向けの賃貸物件はめちゃくちゃニーズがあるのよ。俺が持ってる物件は老人向けにできてねえし、万が一の孤独死対応に割くリソースがないから入居を断ってるっていうだけで、うまくやれば老人をお客さんにできる可能性はあると思ってる。 たとえば、物件の1階だけ老人向けにしたら階段登り降りしなくていいしなんとかなるかもな、みたいな感じ。 ただ、このジャンルは物件数も日に日に充実してきている印象があって、今から素人の俺が知恵絞ったところで、他社にはコスト面、ノウハウ面で絶対勝てねえなっていう気はしてる。 なので、コメントの中には賃料を気にする向きもあったが、そのうち供給量がどんどん増えて値下がりしてくるはずなので、心配しなくて大丈夫だと思うよ。 というのを一言で言い表したのが前記事の「老人についても差別してるつもりはなく、賃貸ビジネスとして難易度が高いから辞退しているという認識」だったのだが、これも全く真意が伝わらなかった。 ⚫︎終わりに 最後に、Koubokuさんの「逆に実は優良顧客みたいな属性ってある?」という質問に答えて締めにしたい。これは面白い質問だった!!! 考えたことなかったので、この機会に考えてみた。 意外性があるかは別として、一番理想なのは、大卒の新社会人が就職と同時に初めての一人暮らしで、うちの物件を選んでくれた、っていうパターンかな。これはスーパー優良入居者。このパターンで入ったお客さんはほぼトラブルないと思う。 あと意外性のありそうなところでは、離婚することになって、持ち家は元奥さんの手に渡ってしまった、ダンナは家を出ることになり、離婚後の一人暮らしの住まいとしてうちの物件を選んでくれたっていうパターンかな。このパターンで入ったお客さんもほぼトラブルなしだと思う。 というわけでここまでにしておくな。 この仕事、不労所得だなんてとんでもないって事が伝わっていたらうれしい。 不動産の仕事は人を見る目が嫌でも養われる。そんな俺から見て、ゴミの分別がきっちりできる奴は人間としてのレベルがかなり高いと思っている。TOEIC800点くらいの難易度だと思う。人間レベルを高める修行だと思ってぜひ協力してほしい。 あとファッション感覚でタトゥーを入れるのはやめておけ。俺みたいな奴がどこかで見ていて、お前の人生に不利益をもたらす。 ここまで読んでくれてありがとう。色々勉強になったぜ! (あとがき) 早速読んでくれた人ありがとう。 ちなみに俺は客を差別しないとは言っていないし、差別する大家だと思われることも気にしていない。事実、タトゥーを入れている奴は明確に差別している。 ただし、外国人と老人については話が別だ。何とか工夫して受け入れたいという意思がある。現状の俺の事業体制が貧弱であるため仕方なくお断りさせてもらっているのが実情で、内心申し訳ないと思っている。 なので、俺的にはマジで外国人と老人を差別している意識はなく、前回の俺の書き方が悪くて外国人や老人に対する差別を助長することになったら心外だと思ったため、今回の補足記事を書いた。 それでも差別だとお前が思うならもうしょうがねえな。まあそうなんだろうよ。お前の中ではな。
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manganjiiji · 2 years ago
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パワー、米、翼の者
32歳で完全に諦めて、その後一年その事で落ち込みからうつ状態を乱発し結局死の淵に近づきすぎて回復に3年もかかった。今もまたそこまで回復したとは言えない状況だが、32歳の時とは比べ物にならないほどに人間としての生活をしている。諦めた夢とは何か。大学進学である。バイトの掛け持ちで金を貯めようとしたが、酒の力と夜勤のリズムに体力的に敗北し、そのままコロナ禍となってしまい、何もかもが終わった。大学は日本史学専攻で卒業しているのだが、かなりうつ状態が酷く、ほとんど記憶がない。卒論の中間発表も、3日前まで完全に白紙で、友達が同行してくれて教授に怒られに行き、30分間教授の前で号泣して、そこから3日間で卒論の方向性と下調べと発表資料作りをし、合宿出発(合宿先で中間発表をするのである)の集合時間が6:45だったが、レジュメの印刷を自宅で終えたのが当日の6:20だったことだけは覚えている。ぼろぼろだった。卒論そのものも酷い出来で、とにかく��情で卒業させてもらった。ぼろぼろの体でアルバイトをしながらなんとか50万貯めた。それでも私は生家と縁を切るためにはやはり正社員としての就職しか道がないと思い込んでおり、その50万は自動車学校(これもうつ状態により挫折)と就職先の岡山への引っ越し代で消えた。本当はその50万は、大学院進学のための学費にしたいという思いがあったのだと思う、不可能なことだとは思いながら、どこかで希望を捨てられずにいた。その後の就職先で見事に精神科に連行され、休職、退職、生家に引き戻され、療養しながらのアルバイト生活が始まる。私はいつかはどこかのタイミングで正社員になり、もう一度大学に行きたいと思っていた。大学院進学というよりは、日本史学以外の学部の勉強(その頃は言語学とその周辺の思想に興味があった)がしたかった。しかし病状の回復も、仕事も、そんなに上手くいくものではなく、さらに生家との関係から来るストレスでつねにぼろぼろだった。そこからやっと抜け出せそうになったのが30歳の頃だったが、それでも結局体力が続かず挫折してしまった。というか、1日計13時間立ち仕事、2時間移動をして、2つの仕事をこなし、休日は週に半日が2回あるかどうか、という生活が、病身には無理だということがなぜわからないのだろうか。今思えば単に「馬鹿だな」と思うが、どうしても諦められなかったのだと思う。夢を。勉強したい、というのが、幼少期からずっと変わらず持ち続けた思いだった。正直それ以外はどうでもよかった。
今、仕事が再びできなくなり、全てを白紙に戻して考え、自分は「本当は」なにがしたいのか。計画が崩壊した今、どうせ死ぬなら死ぬ前にやりたいことをやった方がいいのではないか、と思った結果、社会学で編入試験を受けることにした。福祉の資格を取って、東京福祉局か児童相談所の職員を目指すつもりだったが、やはりどう考えてもまだ自分の精神状態および病状が安定していない。もちろん資格取得までは2年あるわけだが、その前に、他人のために働くことを志す前に、まず自分の呪いを解くこと、本当にやりたかったことをやることのほうが先ではないのか、というかどうせ金が手に入ったんだから、やりたかったことをやればいいではないか?何を利口ぶって優等生らしく聞き分けよくなっているんだ。それは全く全然私らしくないし、全然「面白く」ないということに気づいた。私は、こんなにうじうじと毎日息をするように死ぬことについて考えている場合ではなく、もっと「面白い人間」になることを目指すべきだと思う。やりたいことしかできず、やりたくないことは一切続かない私が、安牌を打っている場合ではない。金は使ったら戻ってこない。後悔は絶対にしたくない。すればいいじゃないか。勉強を。やりたい勉強をすればいいのではないか?
というようなことにやっと気づいた。これは、死ぬべきだ、もう死のう、今日死のう、と考えて、やっと「今日死ぬくらいならこ���金を使ってあれをやりたい」と思って出てきた考えだった。本当にやりたいことをやればいい。その他のことはもはやどうでもいい。死ぬことに比べたら全然どうでもいい。これをやってから死ねばいい。ということで、金は若干足りないが、どうにかする方向性で行こう。どうにかする。とにかくなんとかするから、やりたいことをやれ。やってから死ね。そう思う。別に長生きする必要なんかないし、私が人を救わなければいけないという法律もない。それでも結局、私の関心は虐待や犯罪を生み出す社会にあるので、この進路選択はそこまでかけ離れた考えではないと思う。何を勉強したいのかというと、なかなか絞りきれないが、ともかく試験までに最低限の考えはまとめておきたいと思う。
あまり何もかもきつく考えすぎないことだ。小説も書きたい時に書けばいいし、あんスタもやりたい時にやればいい。読みたいものは読みたい時に読めばいいし、元気な時にしか私は動けない。いくら自分で自分を責めても、それで元気になるわけではない。精神の問題ではないのだ。脳の神経伝達物質のエラーなのだ。もちろん自分の中の思考のプロセスや傾向で改善しなければいけない部分は多くあるし、それでストレスを軽減できる可能性は大きい。しかしどの精神疾患者にも共通して言えることは、誰もなりたくてこんな病気になっているわけではないということだ。他人はどう思うか、何を言われるかはわからない、でも自分だけは、自分のことを責めてはいけない。過去を忘れ、目の前のことに集中し、一方で過去からの呪縛と向き合い、現在の自分に還元することでストレスを軽減し、脳内の神経物質の動きを正常化していく。投薬と並行してそれはもちろん必要���努力だが、それが思うように進まないからといって、即時に自分が悪いということにはならない。努力している。誰も彼もきちんと前を向いて足を踏み出して、変化して、周りよりは遅いとしても、絶対に成長している。それを自分に対しても他人に対しても肯定していきたいと思う。良くならない人間はいない。どんな人間でも、ものすごくわかりにくくても、生きている限り変化はする。
それはそれとしてやっぱり面白い人間にはなりたい。もう少し気楽な人間になりたい。そのためにはなんらかの技術をもう少し身につけたほうがいい。確かな足場を。と思っているが、まあ別にそれはできなくてもいい。一生口八丁手八丁と張ったりだけで生きていく人生でも別にいい。ただ、いい小説を書く、ということだけ目指していく。この世界を少しでも良くして、死にそうなほど苦しんでいる子供を一人でも多くその場から逃がす。そのためにできることをやる。でもそれは今すぐに実現できなくてもいい。そんなことがすぐに実現できる訳がない。でも絶対にする。私の道はその方向にだけ伸びているから。児童虐待をめぐる日本の状況は明らかに貧しい。ここには法律と行政の後進性が明らかに存在する。そしてその背後には日本の歴史、伝統的な家庭観、子育てに関する状況、儒教的な家父長制の後遺症、さまざまな連関がある。当然、貧困の問題、人��障害や発達障害など、精神に区分される障害とその対応についての問題にも関わってくる。教育の問題、人々の未成熟の問題、資本主義の弊害、民主主義の、国内政治の、国際政治の問題。全てが密接に関わっている。虐待されている子供が児相に通報され、親が親権を手放さず、そのまま家庭に戻され、中学生になってから親を殺害することの責任は、この社会に存在する全ての大人が負う。誰も、どの問題も無関係ではない。そういうことを考えています。本当にこういう傾向って、いわゆゆENFP(16診断)そのものだなあ、と思いますね。よくできている診断。
とにかくまずは、毎日3食食べ、運動し、8時間寝ることが先決だと思う。洗濯し、皿を洗い、掃除をし、米を炊く。この営みを「続ける」こと。こんなことは別に全然不完全でいい。完璧である必要はない。ただ続けること。できる範囲でできることをやる。できる生活をする。なれる人間になる。
2023.9.30
5 notes · View notes
mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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dubaireal2050 · 1 month ago
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たった5分で習得!ドバイ不動産投資の最短習得法:忙しいあなたでも大丈夫
たった5分で習得!ドバイ不動産投資の最短習得法:忙しいあなたでも大丈夫
**はじめに:夢の不動産投資、5分で始められる?**
時間がない現代人にとって、投資の勉強に何時間も費やすのは現実的ではありません。このブログ記事では、忙しいあなたでも5分でドバイ不動産投資の基本を理解し、一歩踏み出せるように、最短ルートを解説します。夢の不動産投資、今日から始めましょう!
**1. ドバイ不動産投資の魅力:5つのポイント (1分)**
ドバイは世界有数の不動産投資先として注目されています。その魅力は多岐に渡りますが、特に重要な5つのポイントを簡潔にまとめました。
**高い収益率:** 安定した経済成長と観光客の増加により、高い賃貸収益が見込めます。
* **価値の上昇:** ドバイ政府による積極的な都市開発は、不動産価格の上昇を促しています。
* **多様な物件:** 高級マンションからヴィラ、商業施設まで、幅広い選択肢があります。
* **税制の優遇:** 不動産取得税や所得税が低く設定されているなど、税制面での優遇措置があります。(※詳細は専門家にご確認ください)
* **安全な投資環境:** 安定した政治情勢と透明性の高い不動産市場が、安全な投資環境を築いています。
**2. 投資開始までの3ステップ (2分)**
ドバイ不動産投資を始めるには、次の3ステップを踏みます。
**ステップ1:情報収集**
**信頼できる不動産業者を探す:** 英語対応可能な業者を選ぶことが重要です。オンライン検索や紹介を活用しましょう。
* **市場調査:** 物件価格、賃貸相場、エリア特性などを調べ、投資対象を絞り込みます。
* **資金計画:** 投資可能な金額を明確にし、資金調達方法を検討しましょう。(自己資金、融資など)
**ステップ2:物件選定**
**投資目的の明確化:** 賃貸収入を得たいのか、将来的な売却益を狙うのか、明確な目的を持つことが重要です。
* **エリア選定:** 観光地、ビジネス街など、立地条件を考慮しましょう。将来的な開発計画などもチェックしましょう。
* **物件チェック:** 物件の状態、管理状況などを確認します。現地視察が理想ですが、業者からの詳細な情報提供を依頼しましょう。
**ステップ3:契約手続き**
**専門家の活用:** 弁護士や税理士など、専門家のアドバイスを受けながら契約を進めましょう。
* **契約書の確認:** 契約内容をしっかりと理解し、不明な点は質問しましょう。
* **資金決済:** 安全な決済方法を選び、手続きを進めます。
**3. 忙しいあなたのためのタイムセービング術 (2分)**
**オンラインツールを活用:** 不動産ポータルサイトなどを利用し、効率的に情報収集を行いましょう。
* **専門家に依頼:** 不動産業者やコンサルタントに依頼する���とで、時間を大幅に節約できます。
* **優先順位をつける:** 全ての情報を完璧に集めようとするのではなく、重要な情報に絞って効率的に進めましょう。
**まとめ:5分で掴んだチャンスを活かしましょう!**
たった5分でドバイ不動産投資の基本を理解できましたか? もちろん、詳細な調査や手続きにはそれ以上の時間が必要ですが、この5分間の学習が、あなたの不動産投資への第一歩となります。 まずは情報収集を始め、一歩ずつ前進していきましょう! この記事が、あなたのドバイ不動産投資の成功への架け橋となりますように。
**免責事項:** この記事は一般的な情報提供を目的としており、投資助言ではありません。 投資は自己責任で行ってください。 詳細な情報は、専門家にご相談ください。
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kayajoe · 2 months ago
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これから社会福祉士国家試験を受ける人に読んで欲しい記事
さてさて、3月某日、第37回社会福祉士国家試験に合格した。 今回・前回ともに合格率は50%を超えていたものの、再受験は当たり前の試験である。 過去の合格率も30%前後なので、相応の対策は求められる。
幸い、今回は1発で合格した。 精神保健福祉士取得済ということで、共通科目は免除というアドバンテージも関係するかもだが、それでも問題自体はかなり厄介だった。
今回は、範囲外の問題が出たなどの悲鳴が、SNSで多発している。 改めて問題を読み返すと、確かに不適切と思ってしまう内容も散見された。
そこで本記事では、おいらが実際に取り組んだ対策を暴露する。 主に専門科目視点だが、共通科目にもある程度は応用できると思う。
具体的な共通科目および精神保健福祉士国家試験の対策記事はこちらからどうぞ。
◆使用問題集 今回の試験で使用した問題集は下記のとおり。
社会福祉士国家試験過去問解説集2025 第34-第36回完全解説|第32-33回問題&解説
社会福祉士国家試験過去問解説集2022 第31-第33回完全解説|第29-30回問題&解説
社会福祉士国家試験過去問解説集2019 第28-第30回全問完全解説
社会福祉士国家試験過去問解説集2016 第25-第27回全問完全解説
社会福祉士国家試験問題分析と受験対策過去問題集 専門科目編 2014年版
社会福祉士国家試験問題分析と受験対策過去問題集 専門科目編 2012年版
社会福祉士国家試験過去問一問一答+α専門科目編 2010
社会福祉士国家試験過去問一問一答+α共通科目編 2009
社会福祉士国家試験過去問一問一答+α専門科目編 2007
社会福祉士国家試験模擬問題集2025
社会福祉士国家試験受験ワークブック2025 専門科目
第1回公認心理師国家試験 要点解説と必修用語
標準公認心理師試験対策問題集 2020
過去問.com
スクールカウンセラー養成所 公認心理師過去問
社労士過去問ランド
行政書士試験!合格道場
社会福祉士 過去問(完全版) 社会福祉士国家試験の問題と解説 2025
1~4、7~11は中央法規出版 5、6は久美出版 12、13は文光堂 14~17はWeb問題。 18はアプリ (Android版)である。
その中で、最も使用したのは、14と18である。 書籍以上に、とにかくアプリで対策を練った。
立場的に、どうしても何かの片手間に勉強するしかなかった。 そうなると、スマホやタブレットを取り出して、いかに問題を解くかがポイントになる。
そうなると、アプリやWeb問題は非常に強力な武器になる。 思いついた瞬間に、パッと使えるのが魅力なのだ。
看護師国家試験もそうだが、とにかく今の時代はアプリをはじめとしたデジタルツールをいかに活用するかにかかっている。
アプリやWeb問題は基本無料。課金しても、500円弱だ。 それにもかかわらず、内容は充実している。 これを利用しない手はないだろう。
◆問題集を解く意味 複数の問題集を解く意味は、出版社ごとの解説を覚えることにある。 全く同じ問題であっても、出版社が異なれば、解説��異なる。 要点を簡潔にまとめたものから、詳細に記載したものまで様々だ。
この解説の種類をいかに網羅するかで勝敗が分かれる。
最初は立ち読みやら流し読みでもいいから、まずは「読みやすい」ものから切り込むことをオススメする。
なお、主観で出版社ごとの解説について感想を記載してみる。
中央法規 具体的な例を挙げ、なおかつ詳細。 文章量はやや多めだが、平易な表現を用いているため読みやすい。 初学者でも十分理解できると思う。
久美出版 要点を絞り、簡潔に説明。 疲れた時にも読みやすいので、時間の無い人は最初に使うといいかもしれない。
アプリ 要点を短文形式のように記載。とにかくまずはポイントを押さえたいという人は真っ先に使って欲しい。
過去問.com 具体例をベースに記載していることが多く、実務のイメージがつかみやすい。 解説も複数パターンあるので、これだけでもかなりの戦力になる。
◆なぜ法律系の試験問題を解くのか? これは支援に関連する法律を理解するためである。 労災、傷病手当金、雇用保険などは、社会保険労務士が担う領域でもある。
一部の法律系の問題も、行政書士試験に通じるものがあったと思う。
実務でも、労災などで法律家と組む場面は多い。 そのためには、ある程度の法律知識がないと、会話が成立しない。
また、社会福祉士領域で扱う法律問題は、自分の生活にも直結するものも多い。
自分の万一に備えるという意味でも、しっかりと取り組んで欲しい。
ただし、行政書士と社会保険労務士試験は、社会福祉士よりも遥かに高難度である。 いきなり切り込むと、心が折れる危険性がある。 これらは、あくまでも余暇みたいなノリでやることを強く勧める。
◆なぜ公認心理師の過去問を解くのか? 実はコレ、司法や福祉関連の問題があるのだ。 視点は心理職だが、よくよく考えてみると、社会福祉士との連携も前提にした内容にも見える。
少年犯罪、社会学、支援問題など、文言は違えど社会福祉士に通じるものが散見される。
ただし、最初からこの手の問題に手を出すのはオススメしない。 社会福祉士の問題範囲をある程度理解した上で臨もう。
公認心理師の視点 (領���) は、あくまでも基礎力の強化であり、メインではないのだ。
多方面の領域に手を出すのは、知見を広げる意味でも有効だし、個人的には推奨する。 しかし、それは基礎力が伴ってのことである。
下地が無いのに、いきなり応用に進むのは本末転倒である。
◆法制度の変更に注意 これは精神保健福祉士の記事でも記載したが、こちらでも記載しておく。 法律・制度には改定が付き物だ。 これは、医療福祉の世界の宿命である。
実務では、常に最新の情報を理解することが必須になる。 特に社会福祉士試験においては、その重要性は高い。
これは試験においても同様だ。 自分の受験する年 (もしくは直近3年ぐらい) の法律・制度は理解しておこう。 最初は直近3~5年程度の内容を把握しておこう。 リアルタイムの情報を知っておくことは、これからの実務のイメージを掴む意味もある。
出来るだけ早い段階で、最新の情報を覚えておこう。
また、古い知識は使い方次第でも役に立つ。 あえて古い知識を覚えておき、その上で最新の問題を解いてみる。
ある程度理解が伴ってくれば、選択肢を読んだ後に、違和感を覚えるはずだ。
こうすれば、改定前の制度を見極めることが出来るだろう。 この感覚を覚えるには、多少の時間を要すると思うが、とにかく焦らないようにしよう。
◆保健医療と福祉 この領域は、実務で最も向き合う領域だ。 試験対策以上に、職務上の必須知識そのものである。
特に社会人経験者のほか、過去に医療・福祉の施設で勤務してたら、一度は耳にしたかもしれない用語もあるはずだ。 おいらは看護師だったので、医療保険制度を真っ先に聞いている。
ただ、制度もそれなりに複雑なので、調べているうちに混乱することもあるだろう。
おいらの場合、まずは社会保険の種類を覚えることからスタートした。
❶国民健康保険、介護保険など、よく聞く制度の名前から覚える。 ❷その次は「その保険に加入する条件」を覚える。 ❸そこから、各保険の特徴や、適用条件を~
という具合に、名前→対象者や条件→受けられるサービスという具合に、調べる内容を詳細にしていくのだ。
この領域で躓く人は、どうも制度のメリットや適用の条件を理解していない傾向が強い。 各種制度は、名前が違えば対象もサービス内容も異なる。
だからこそ、それぞれの違いを明確に区別して理解することが第一だ。
◆年金関係 この領域は、自分のためにもしっかりと覚えておきたい。 高齢化社会が進む我が国で働くという意味でも、必須の知識だ。 社会保険労務士試験ほど深く覚える必要はないが、それでも、それなりの理解は求められる。
おいらの場合、まずは、国民年金と厚生年金のふたつの違いを理解することから始めた。 フリーランスを含め、労働者たるもの、このどちらかには絶対に関係する。
もし務め人であれば、自分が入っている年金の種類を知ることから始めてみよう。 いつも給与から天引きされているので、見るのもゲンナリするだろうが、、、、それでも何の意味があるかを知ることは大切だ。
そして、年金制度の大切なポイントは、障害年金などをはじめ、加入することで受けられるメリットを知ることだ。
近年の年金問題が注目されすぎて、どうしても受給額ばかりに目を奪われがちになる。
しかし、iDECOや障害年金、遺族年金など、年金制度に加入していることで受けらえるメリットがあることを覚えて欲しい。 特に障害年金や遺族年金は、受給条件などが出題されたこともある。
実はコレ、実務でもかなり相談を受けることも多いのだ。
◆数字を疎かにしてはいけない 看護師、公認心理師、精神保健福祉士試験にも言えるが、とにかく「数字」は徹底的に練り込んで欲しい。
社会福祉士の場合、年齢や西暦である。 年金の受給年齢や制度の制定など、ターニングポイントとなる「数字」は必ず問われる。
1961年に何があったか? 40歳から加入となる保険は何か?
決定的な出来事には、必ず数字が絡む。 覚え方は色々だが、語呂合わせなどを使って、手当たり次第に覚えよう。
◆非常識な判断、断言口調な選択肢は怪しい。 選択肢の中には、明らかに間違いと思われるものも散見される。 例を挙げると、、、
❶患者の権利を蹂躙 ❷傷口に塩を塗るような言動 ❸決めつけるような行動 ➍上から目線なセリフ
など、誰が見ても失礼と思う選択肢がある。 これらは、ほぼ確実にアウトと見ればOKだ。 しかし、いざ本番になると、なぜか選んでしまうこともある。 緊張が長引くと、どうしてもそうなってしまうのが人間だ。
ここは過去問や模擬問題をこなして耐性を作っていこう。
◆その他 模試、予備校、通信講座、対策講座など一切不要。 ちゃんと対策を立てていれば、そもそも見向きもしない。 まず、金がバカ高い。学校強制で受けさせられるとなれば、面倒だしやる気も起きない。
つまり、時間も無駄になるだけだ。 もちろん、その存在を否定するわけではないが、大金をはたく必要はないだろう。
今は、SNSやWebも充実している時代だ。 問題集も洗練されており、詳しい解説が載っているものはたくさんある。
周りの意見や、受験の王道に流されずに、己の信じる道を進んで欲しい。
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moko1590m · 7 days ago
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日本人同士でも「些細な生活文化」の違いがカルチャーショックや摩擦を生む例は多く、 以下にジャンル別に簡潔な例をできるだけたくさん挙げます。
🍳 食事・食卓まわり
目玉焼きに醤油/ソース/塩こしょう/何もつけない
納豆に砂糖を入れるか入れないか
おでんに味噌をつけるかつけないか
カレーをスプーンで食べる/箸で食べる
パンにごはんを合わせるのはアリかナシか
弁当に冷たいまま食べる派/温めて食べる派
お米に梅干しをのせると汚れると嫌がる/OKな人
スイカに塩をかける派/かけない派
🚿 トイレ・風呂まわり
ウォシュレットを必ず使う/使わない
風呂は家族で続けて入る/毎回入れ替える
シャワーだけで済ますのが普通/失礼
歯磨きは風呂の中/洗面所限定
トイレ後の手洗いを必ずする/しない
家のトイレは男女で分ける/気にしない
温泉・銭湯で身体を洗ってから入る/いきなり入る
👨‍👩‍👧‍👦 家族との関係
両親に敬語/タメ口
親のことを**「お父さん/パパ/おやじ」**
家族の食事は毎回揃って食べる/各自自由
家族内での上下関係が厳しい/フラット
家にいるときも上下スウェットでOK/ちゃんと着替える
🧼 掃除・生活習慣
掃除機は毎日かける/週末だけ
洗濯物を夜干す/朝干す
布団を毎日たたむ/敷きっぱなしOK
靴を脱ぐ場所は玄関/玄関の外で
帰宅後すぐ手洗い・うがい/しない
外出着でベッドに寝るのはアリかナシか
💬 言葉づかい・コミュニケーション
「ありがとう」は頻繁に言う/言い過ぎはよそよそしい
「ごめんね」は軽く言う/あまり言わない
目上でもニックネームで呼ぶ/必ず敬称をつける
電話は一言目に名乗る/いきなり本題
メールやLINEに絵文字を使う/使わない
👫 対人距離・交際観
恋人でも手をつなぐのは恥ずかしい/平気
デート代は割り勘/男性が払う
異性との交際を家族に話す/秘密にする
飲み会でのお酌文化/セルフでOK
初対面でもフレンドリー/丁寧・形式的
🏘️ ご近所・地域文化
ご近所に挨拶を毎日/あまりしない
ゴミ出しの時間に厳格/適当でも黙認
回覧板を丁寧に回す/雑に回す
音の出る生活(洗濯・掃除・楽器など)は時間帯を厳守/気にしない
町内会に必ず入る/入らないのが普通
📚 教育・子育て
子どもに早くから敬語を教える/自由に育てる
子どもの勉強は親が積極的に見る/本人に任せる
お年玉の額は多め/少なめ
習い事は複数/一つに絞る
「叱る」ことは必要/否定的
🔚 その他
お正月は家族で集まる/どこかへ旅行
結婚式は神前式/チャペル式/しない
宗教的行事(お盆・法事)に積極参加/形式だけ
ご希望があれば、「世代別」や「地方別」「カップル間」「職場内」での事例に特化した一覧もお作りできます。
 
日本社会では、表面的には「中流的な同質性」が維持されているように見えますが、富の偏在・経済格差は、日常生活のごく些細なレベルに滲み出ます。 ここでは、特に意識されにくく、でも隠しきれずに表れる些細な生活文化のズレを、できるだけ簡潔に多数列挙します。
🛋️ 家・住空間まわり
玄関に靴がきれいに揃っている/靴だらけで雑然
玄関マットの有無/高級ブランドか100均か
インターホンの種類(カメラ付き/ピンポンだけ)
表札がある/ない
窓ガラスが曇っている/ピカピカに磨かれている
マンションの郵便受けの壊れ具合・落書きの有無
🍽️ 食生活
食卓にペットボトル/水差し/ウォーターサーバー
食器がバラバラ/統一されている
調味料が業務用/オーガニック/百均商品
おやつがスナック菓子/焼き菓子/フルーツ
米のグレード(無洗米/玄米/コシヒカリ/古米)
油がサラダ油/オリーブオイル/こめ油/ギー
魚を丸ごと買う家庭/切り身のみ/缶詰中心
👚 衣類・身だしなみ
Tシャツがヨレヨレ/アイロンがけされたシャツ
靴下に穴/同じ色で揃っている
洗濯物を外干し/浴室乾燥/ランドリー利用
部屋着が上下スウェット/ユニクロ/ブランド品
学生服の傷み・サイズ感/ランドセルの劣化
コートのブランド・手入れの有無
📱 モノの持ち方・使い方
スマホケースの汚れ・ひび割れ/清潔感ある保護
バッグがロゴ付きブランド/ノンブランド布袋
イヤホンが有線/AirPods/中華製の謎Bluetooth
傘がコンビニ傘/折りたたみ/高級傘
筆記用具が100均/文房具ブランド/何年も使い込まれたもの
🧼 清潔・衛生感覚
歯の黄ばみ・矯正・虫歯の有無
手の爪が短く整えられているか/伸びっぱなし
靴の汚れ具合/かかとのすり減り具合
カバンや財布の表面の傷・年季
手拭き用のハンカチを持っているかどうか
部屋の芳香剤の香り/無臭/カビ臭さ
🧒 子育て・教育まわり
子どもの習い事の数/種類(ピアノ、英語、塾など)
読んでいる本が漫画のみ/絵本・図鑑・学習まんが
自由研究の質:手書きで丁寧/印刷で美麗/丸写し
名前の書き方:漢字で丁寧/書きなぐり/カタカナ
親が子どもの宿題を見るか放置か
学校提出物が期限内/いつもギリギリ/未提出も
👫 人間関係の所作
お礼の手土産がある/ない
来客時にお茶を出す/出さない
言葉遣いが丁寧/荒っぽい/だらけた印象
LINEの文面が敬語/ため口/語彙が粗雑
メールや申請書に誤字脱字が多い/丁寧で整っている
🏘️ 地域・移動・余暇
自転車のサドルが破れている/カバー付き/新品
車が軽・中古・外車・所有しないなどの選択
旅行が年に数回/日帰りのみ/全く行かない
休日の過ごし方:ショッピングモール/図書館/庭いじり/ギャンブル場
📚 教養・会話の中で滲む違い
漢字や敬語の使い方で育ちがにじむ
ニュースや時事の話題に無関心/興味を示す
「これ知らないの?」という一言に含まれる階層感
食材名・ブランド名・地名の発音ミス/正確さ
「エレベーターじゃなくて階段で」→健康志向/節約志向/エレベーターない住宅事情
💡まとめ:**
これらの違いは、あからさまではありませんが、日常の所作・物・空間にじわじわと「見えてしまう」ものであり、多くは「本人がそれを生活水準の差だと気づかないまま」露呈してしまうことが、静かなカルチャーショックや関係性の齟齬を生みます。
ご希望があれば、これらを「物語」や「場面対比」で描写したり、世代別・職場別のバージョンも作成できます。
 
あからさまに経済格差が可視化されやすく、貧困層にトラウマや劣等感を感じる可能性がある生活の違いを、ジャンル別に簡潔に列挙します。
🏠 住まい・環境
家が豪邸/タワマン/古い団地/築古アパート
部屋が広くて個室がある/家族で1部屋共有
冷暖房が全室完備/扇風機のみ/電気代を節約
庭がある/ベランダすらない
自室にデスク・ベッド/布団とちゃぶ台だけ
インテリアが高級家具/リサイクルショップ/段ボール代用
🚗 移動・乗り物
通学・通勤が送迎車/自転車/徒歩+乗り換え多数の公共交通
車が外車/新車のファミリーカー/ボロボロの軽/持っていない
旅行が年数回の海外/年1の国内/一切行かない
修学旅行の費用を全額自腹/補助あり/不参加
🍽️ 食生活・外食
外食が高級フレンチ/ファミレス/牛丼/スーパーの弁当
普段の買い物が百貨店/オーガニック専門店/業務スーパー/コンビニ見切り品
おやつがブランドチョコ/駄菓子/なし
水がミネラルウォーター/浄水器/水道水そのまま
誕生日ケーキが専門店のホール/手作り/カットケーキ/なし
🎒 教育・学習環境
塾・習い事に複数通う/1つだけ/一切通わない
所有している教材がZ会・進研ゼミ/100均ドリル/学校配布のみ
自宅に本棚/図鑑/電子辞書/勉強机がある/ない
オンライン学習がタブレット完備/スマホを使い回し/利用不可
大学進学の選択肢が私立でも余裕/奨学金必須/断念せざるを得ない
👚 衣服・身なり
制服・私服が常に新品/お下がり/破れを縫って使う
髪型が美容院で定期整髪/親がカット/伸ばしっぱなし
靴がブランドスニーカー/量販品/靴底がすり減っている
季節ごとの服がそろっている/1着で使い回し
カバンがハイブランド/丈夫な通学用/紙袋/破れてる
🎉 イベント・娯楽
誕生日やクリスマスのプレゼント有無/価格差
家族旅行の有無と宿泊施設の質(高級ホテル/民宿/日帰り)
お年玉の額が万単位/千円以下/ゼロ
お祭りやテーマパークに毎年行く/一度も行ったことがない
🧑‍🤝‍🧑 交友・人間関係
「家に遊びにおいで」に招待できる家か/無理な家か
「みんなでご飯食べに行こう」で行ける店に限りがある
「修学旅行のおこづかい」などで使える額が違う
「どんな家に住んでるの?」という質問が地雷化する
SNSで豪華な投稿に傷つく/自分の暮らしを出せない
🛠️ 医療・衛生
歯列矯正をしている/できない
予防接種・健康診断を定期で受けている/避ける
メガネやコンタクトが適切な度数/古いまま使い続ける
お風呂・シャワーが毎日入れる/節水で数日に一度
📱 所有物・日常的なモノ
スマホが最新機種/親のお下がり/持っていない
ゲーム機が複数台/中古/なし
ノートPCが個人所有/家族共有/使えない
通信環境が光回線/ポケットWi-Fi/フリーWi-Fi頼り
📈 総合的にあらわれやすい場面
宿題に親が付き添ってくれる/親がいない・時間がない
家族の会話が教育的・建設的/愚痴と疲労と怒号
「今週末の予定は?」に対し遊園地/勉強/バイト/何もない
✅ 補足
こうした差は、金額やブランドの違いとして現れるだけでなく、「当然できると思っていたことができない」「できないことを責められる」ことによって、深い劣等感やトラウマを形成する原因になります。 また、**他人との比較が起きやすい場面(学校、SNS、外出時、贈り物など)**で強く露呈します。
ご希望があれば、これらを物語的に描写したり、子ども視点・思春期・大人の恋愛・職場など、それぞれのステージ別での格差の「見え方」もご提供できます。
 
富裕層の中にも、あえて「質素」「節約」「ミニマリズム」を実践することで精神的・美的・社会的満足を得る人がいます。2025年の日本において、以下のような生活パターンが考えられます。
🍚 食生活
自炊中心で一日500円以下の食費(玄米・味噌汁・納豆・ぬか漬けなど)
外食を断る/チェーンの朝定食のみ利用
断食・1日1食生活で「感覚を研ぎ澄ます」
食材は道の駅・業務スーパー・無農薬農家直送から厳選
雨水で野菜を育て、自給自足の一部実践
🏠 住まい
都心の高級マンション所有でも実際は郊外の古民家暮らし
狭小住宅/築50年以上の家をセルフリノベ
賃貸住宅で家具は最小限(折りたたみ・移動式)
照明はLED1灯、暖房は湯たんぽと重ね着
電気契約は20A以下、水道・ガスも最低限の使用量
👚 衣服・持ち物
私服は毎日同じ(黒T+黒パンツ)=思考の無駄を省く
服はユニクロ・ワークマン・古着のみ
高級腕時計は所有していても、普段はノーブランドのチープカシオ
布製エコバッグを何年も使い込む
衣替えなし。季節ごとに2セットで回す
📱 通信・テクノロジー
格安SIM/サブスクはすべて解約/Wi-Fiなし生活
古いiPhoneを使い続ける(最新機種には興味なし)
スマホの使用時間を1日30分以下に制限
SNSは見る専、または一切使わない
🧘 修行的・精神的側面
冷水シャワーで意志鍛錬
瞑想/坐禅/朝の読経が日課
家計簿や支出管理���徹底し「1円で幸福を感じる」訓練
「所有しない」ことを誇りにする(家・車・保険すら手放す)
週末はネット断食・無言の時間
💬 対人関係・社会活動
交際費ゼロ、外出・飲み会は最小限
贈り物・年賀状・季節の挨拶を省略(相手の時間を尊重)
チャリティやNPOには匿名で寄付し、派手な寄付報告は避ける
SNSでは「節約術」や「ミニマル生活」を情報発信して影響力を持つ
ラグジュアリー系の交友関係を意図的に避け、地域の古老や子どもとつながる
🚲 移動・消費
車を持たず電車か徒歩、もしくは古い折りたたみ自転車
移動中にオーディオブック・経典・哲学書を聞く
キャッシュレス決済は使わず現金主義(出費の可視化)
���容院は年2回・セルフカットで済ませる
🎨 美意識・趣味
「美は節約の中に宿る」と信じる
読書は図書館・青空文庫・古本市のみ利用
収集はしない。モノは循環させる
趣味は散歩、写経、路地裏観察、物々交換
室内に花を活けるが、野草や拾った枝で表現する
🧾 その他象徴的な行動
医療費を抑えるために健康管理を極める(歩行・呼吸法)
銀行口座は1つのみ。投資や運用は一切しない「無財産主義」
「毎月○万円生活」や「持たない幸福」ブログを発信
世界一周など豪華な経験はしていても「今は粗食こそ贅沢」
高級品は「借りる/体験だけ/手放す」で完結
✅ このような人物像:
「修行系ミニマリスト」「侘び寂び系富裕層」「思想的節約家」「反消費アスリート」「アナーキスト風僧侶」
所有しないが影響力は大きく、静かに社会をリードしているタイプ
ご希望であれば、こうした人物をモデルにした物語・キャラ設定・思想的背景の分析などもお手伝いできます。
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chilchilmischie2 · 11 months ago
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59
朝飯後の本格的な再始動。
名付け親の旅人さんは元気にしているだろうか?
さて、ジェネラルさんのとこで開催中のボケクエ7に参加することにあたり、まずはそこでの練習お題に挑戦中なのだけど、まあとんでもなくスベッている。
3年前のボケクエ5の時もそんな始まりだったことを思い出す。当時、その後の予選3試合も全く歯が立たず敗退してしまった。
今回はそんな風にして終わりたくない。というか、さすがにここまで戦えないと少し自分にムッと来る。なんとかして力をつけたい。
ここ数年(?)の記録を見返してみると予選敗退だとか2回戦敗退とかばっかりで、まったくダメダメな感じである。
どうしてここまでダメになってしまったのか、原因を考えてみたのだけど、数年おきの参加、かつ2017年以降は何かの大会に参加する時以外に投稿など一切していなかったので、大喜利的なものの考え方(勘所)をほぼ忘れてしまっているのが大きいのではないかなと思った。
それならば、予選開始前に可能な限りそれを取り戻す必要がある。
ということで、いろんなサイトの過去ログ(SPM2号館やぼけおめも見たかった)を漁って上位ネタを見たり、あるいは記録をまとめている人のブログ等でツボ上げやお題へのアプローチ手法を見たりして勉強(?)をし直すことに。
また、こういうのは実践あるのみなので、並行して投稿活動もしている。
当初はネタボケライフの参加を検討していたが、レート下げるの嫌だし、あと投稿から結果が出るまでのスパンが長くなりがちなのでやめた(実は第3119回に投稿してたんだけど、締め切り直前で作り直そうと思ってEvernoteにあれこれ書いているうちに寝落ちした)。
それで、どこのサイトが良いだろうと考えていたところ、同じチームのshamanさんから「大喜利茶屋楽しいですよ」という情報を教えてもらった。
なんとなく聞いたことはあったけれど、どんなサイトなのかは知らなかったので覗いてみたら、1日1回日替わりお題が出たり、昼と夜で短時間で投稿と投票を繰り返す企画があったりと、なんとなくネタボケライフやチャットの職人・大喜利PHPの良いとこ取りをしたサイトだった。
数をこなすという点では昼夜の企画に参加するのがベストだと思うけれど、とりあえずは日替わりお題のみに絞って参加している。
ということで、「いざっ!」という感じでやり始めたものの、好成績を出す的をことは狙いとせず、下記の内容を課題として設け、投稿を続けることを目標にした。
投稿は毎日必ずおこなうこと
自分が現状できるアプローチ法を見出し、実用的であるのか確認すること
投稿可能なお題は選択式なので、偏りが無いようにお題を選ぶこと
結果は記事として記録に残す。またほかの人の優れた点を見逃さないようにツボ上げもすること
これらを取り決めとしてみた。
ということで、ここから先はここ1週間の記録まとめになる。
お題と投稿内容、あと簡単な結果を載せておく。
大喜利茶屋まとめ
-ログイン時のFaceIDや自動入力サービスで秒殺してくださいのコメントがなんか怖い-
【2024-07-27】日めくり
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(画像で一言)
76位:ミスチル 10票 偏差値:44.22(参加人数119人)
パープルムカデやってよって知らないポーズ言われた
はじめての投稿。
この時点では「とりあえず投稿してみよう」ぐらいにしか考えておらず、特にこれといった要素はない。
とっかかりはやっぱり一番左の女の子になる。
白鳥の湖に出てきそうなポーズをしているので、それに対して何かネタをぶち込む。
あとはネタをセリフ調にするか地の文調にするかだけど、セリフ調は個人的に苦手なので、地の文調で投稿した。
結果は「まあそうでしょう���」といった感じ。結果には影響ないだろうけど、「ムカデやってよと聞いたことないポーズ言われた」にしとけば良かった。なんでsyrup16gを使った。
【2024-07-28】日めくり
Tumblr media
(画像で一言)
59位:ミスチル 10票 偏差値:46.35(参加人数:101人)
軍用ドローンが並走してきてて、彼ピの話全然入ってこない
パッと見、女性が男性に向けて何かを話しているように見えるけど、サングラスのせいでカメラに視線を向けているようにも見えた。
そこから「談笑中に何かが目に入って、硬直している」という風に捉えて、ネタ作りを始めた。
最初は「痛車が並走してきてて、彼ピの話が入ってこない」にしていたのだけど、この写真、よく見ると右端に街路樹のようなものが映り込んでいるし、片側二車線でもないのに車が並走するのはちょっと考えづらいと思った。
そこで並走するものを考え直し、ああだこうだして選んだのがドローンだった。これなら違和感も多少減る。
そして今回のネタについては「強化ワード」を要素に入れた。
ドローンは軍用ドローンにして危なっかしさを、彼氏は彼ピにしてバカっぽさをそれぞれ付与している。
過去に投稿したものでも、この手法は何度か使っており、一番印象に残っているのは、ぼけおめBOGでの「まとめブログ読んだぞ殺すからなお前ら」だろうか。確かこの時も「ブログ」ではなくて当時流行っていた「まとめブログ」という単語にして挑んだ記憶がある。
個人的に良いの出せたかなと思ったけど、結果は散々だった。マジか。
(ツボ上げ)
1.ちきちきたさん:イオンが潰れて商店街に…?
もしかしたら同じアプローチを取ったんじゃないだろうか。
実際にそうなっていたら「え?」ってなると思う。
ちなみにこのネタについては「逆」の要素が盛り込まれている。
通常なら商店街が廃れて、その後に大型スーパーが建つといった流れになるが、それが逆になっているので、「イオン潰れて、なんか商店街出来てる...」といったところがおもしろポイントになるのではないだろうか。
2.つくりんさん:地図にない森来た
写真よく見てるなーと思ったネタ。本当によく見ると周り木ばっか。相手の話に相槌打ちつつ「どこ連れていかれてるんだ」と女性が考えていると思うとおもしろかった。
【2024-07-29】日めくり
タクシーのメーターが10万円になってて一言
23位:ミスチル 15票 偏差値:55.19(参加人数:98人)
後ろ走ってる探偵君も顔真っ青だろうぜ
このネタについては「役割付加」を要素に入れている。
乗車している人物に何かしらの職業やバックグラウンドを設けることで、ネタ作りの方向性を決めるといった手法だ。
今回は「犯人」という役割を与え、追手から長時間逃げ続けている描写を読み手に想像させるようにした。
探偵もタクシー使っていたら、依頼料以上の出費がかかっていることに青ざめるだろうし、自分の車で追ってても「おいおい、あいつ大丈夫かよ?」と心配になってしまう。そんな感じのネタ。
割と上位だったけど、結果を見ても「あ、結構上の方にいるな」とそのまんまの感想しか出てこなかった。
(ツボ上げ)
1.アスパラさん:格闘技の経験とかあります?
この状況をどう切り抜けるかといったアプローチで作ったんじゃないかな?遠まわしに暴力を想起させるネタは個人的に好き。
【2024-07-30】日めくり
Tumblr media
(画像で一言)
99位:ミスチル 7票 偏差値:39.65(参加人数: 117人)
それ最高だな!この調子でガンガン採用していくぞ!みんな後99個イケるか!?
言い争いをしている写真お題。
これには「逆」の要素を入れてみた。
左の男性が右の男性に向かって怒っている姿を逆に捉えて、賞賛しているような表現にした。
ただ、今こうして見返してみると表現が冗長な気がする。周りの人たちの疲弊している姿も要素に入れたかったのだけど、それでも「それ採用!みんな後99個イケるか!?」ぐらいに留めておけば良かった。
スベッたけど、なんとなく覚悟していたので結果を見てもやっぱり感が強かった。もうちょっとワーディングに時間を費やせば、良いのが出来たかもしれない。
(ツボ上げ)
1.ゆうきさん:この状況を作った奴は帰ってる
嘘だろ。めちゃくちゃおもしろかった。
「写真に写っていない人物を使う」というアプローチも秀逸だと思う。こういったものの考え方が出来るってすごい羨ましい。
哲学ミミズさん:もう使った言い訳しかない
右側の男性に焦点を当てたネタ作りなのかな。
ヤケクソ感がすごい。「それさっきも言っただろう」と指摘されているのも伝わってくる。
いずれも自分とは違って短文で攻めて上位だった。これが力の差か。
【2024-07-31】日めくり
めでたしめでたしと言われても納得できなかった童話のオチ
72位:ミスチル 13票 偏差値:45.79(参加人数: 129人)
オオカミの腹から助け出されたお婆さんはその後、PTSDで幻聴・幻視に苦しみ、また徘徊、妄言、物取られ被害、突然大声を出すなどの異常行動からキチガイとして地元で有名になり、最期は高架下の土手で泡を吹いて死んでいるのを発見され、「あのババアが死んだ!」と小学生の間で話題になりました。
過去にあまり使ったことはないアプローチ「詳細記述」を使った。
大喜利は短文で説明して笑いを取るという、なんとなく暗黙のルールがある気がするけど、そんなものとは真っ向から反対してぶつかっていくのがこの手法。
ただし、本当にその状況を説明するだけでは普通の文章になってしまうので、文中で扱う単語には細心の注意が必要になる。そして、かなり振り切れた表現が出来ないといけないので、博打要素がかなり強いアプローチだ。
一応気に入っている部類ではあるけど、ちょっと不謹慎かなとも思ってしまったり。キチガイとしての行動に入れた内容は、正直キチガイ行動とも思えない部分もある。物取られ被害は外して、徘徊を全裸徘徊にしておけば良かったかも。
こういうネタが得意な人がすごい羨ましい。たとえばこの人とかこの人とか。新人QPさんが【サイコおかやま】呼ばわりしてたのがすごくおもしろくて好きだった。
結果は下位。ただし個人で3票入れてくれる人が二人いてくれた。やっぱりこういうネタって表現を振り切ってしまった方が良い。ツボにはまると票を搔っ攫っていく。
【2024-08-01】日めくり
坊や、早く帰らないと◯◯◯
108位:ミスチル 4票 偏差値:35.01(参加人数: 111人)
仁王立ちして待つお母さんが次のポーズを考え始める
最下位www
しかも投票ボーナス無いとぶっち切りの最下位で笑ってしまった。ボケノート、ネタボケ形式のサイトで最下位取るの、これが初めてだと思う。これなら投票しないで最下位取った方が良かったとさえ思った。いや、投票はキチンとしますけど!
これには要素付加は特に無く、題意に沿ってイメージを膨らませて作った。
「早く帰らないとお母さんに怒られるよ」を下地に、母親が怒る姿=仁王立ちして待つをいじくることとし、「長時間待ち続けて仁王立ちするのが辛くなってきたので別のポーズで待ち構える」、そんな感じの表現を書き起こしたのだけど、まさか滅茶苦茶スベるとは思わなかった。この結果を見て、思わ��googleで大喜利 コツで検索した。
(ツボ上げ)
1.heenaさん:「坊」って呼ぶぞい
ちょっと怒ってる感じがにじみ出てて好き。
お題的に「早く帰らないと~になるよ」といった形式になりやすい中で、その枠組みから少し外れているアプローチだと思う。こういう捉え方が出来れば、ネタ作りの幅も広がりそう。勉強になる。
【2024-08-02】日めくり
無人島にいる女の子の悩み
10位:ミスチル 26票 偏差値65.8(参加人数: 113人)
可愛いウサちゃんじゃなくて素早い肉に思えてきた
このネタには「変換」の要素を入れている。
「AはBである」を「AはCである」というものへ切り替えるという手法だ。過去にぼけおめトーナメント2013‐14の予選1回戦目でも使ったことがある。
今回は「ウサギ=かわいい」を「ウサギ=素早い肉」と置き換えることで、サバイバル感を出している。
少し話はズレるが、この回はワーディングにも注意した。
最初に投稿した際は「ウサちゃん可愛いじゃなくて素早い肉に思えてきた」と送ったのだけど、読み返した際に違和感があって、少し考えてその正体が単語の繋がりであることに気づいた。
最初に送ったものだと「ウサちゃん(名詞)(は:助詞)可愛い(形容詞)じゃなくて、素早い(形容詞)肉(名詞)に思えてきた」という作りになっており、文として少し極まりが悪い。
そこで形容詞+名詞の形に整えることにして、上記のネタを送りなおすことにした。
結果は10位。やっと入賞か。
(ツボ上げ)
月の瞼さん:自分の中の人は増えてきてる
「無人島にいる」という状況を上手く利用していて、かつおもしろい。「無人島」というワードから連想されがちなサバイバル感では無くて、「無人島で一人」という危機的状況から生まれるサイコ感を出せているのが凄い。当てはめるならイメージを一歩進ませた「飛躍」という要素を使っていると言えるだろうか。
そういえばネタ作りの際のアプローチで「女の子の状況」ををどう捉えればいいのかでも少し悩んだ。漂流してしまったのか、それともこの女の子は原住民であるのかといった具合。
今考えると、無人島な訳だ���前者で捉えるのが当たり前か。ほかの人もみんな漂流者で捉えていた。そもそも原住民としてのアプローチでネタ作るの、相当難しいと思う。
といった感じで1週間分の記録を作ってみた。
結果は散々なことになっているけれど、まあその点は正直度外視して挑んでいるので、あんまり気にしないようにしている。とりあえず「大喜利はこうやって戦うんだ」という勘所を掴みたいので、この後も粛々と投稿を続けたい。
あと、可能であれば他のサイトへの参加も検討中。調べればいろいろ出てきたのだけど、どこが良いんだろう?
さて、目標は飽くまでボケクエ7での健闘だし、というか大喜利名人維新終わっちゃうので、有終の美ってやつを飾りたいのだ。今まで名人維新であんまり良い記録残せていないので本当になんとかなってくれ。
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mreiyouscience · 1 year ago
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1対1対応の演習/数学A 大学への数学 3訂版 (1対1シリーズ) について
 ところで、ミシュラン二つ星の条件とは何でしょうか?それは天才的な”才能”ではなく、料理学校で学ぶ料理の”キホン”に忠実であるということです。つまり、料理の”キホン”をマスターすることはとても大変だということです。このことは大学受験にも当てはまるのではないかと思います。そして、君がミシュラン三ツ星のシェフのようなキホンを完璧にマスターしたうえで型破りができる超一流の人間になるためには誰よりも早くかつ効率よく過去の偉人が築き上げた”知”を辿らなければなりません。(ですので、素直さが求められることは言うまでもありません!)このことは高校数学にも当てはまるのではないかと思います。
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「こんな受験生は落ちる!!」MEDUCATE TV・ドラゴン細井先生が吠えまくる!?|受験相談SOS 【特別編】
 まずは、整数問題から。「整数問題は”数の原子”とも言われる素数の理解がどれだけ深いか?」が問われます。この素数から生み出される数は図形と方程式の解としての形や積分の面積としての形etcを持ちます。当然ながら、具体的な形を持つ数をまるで粘土や積み木のように足したり、引いたり、かけたり、割ったり、あるいは、それらを組み合わせるごっこ遊びすることで新しい数=形を作り出すこと��できます。そして、こういった数を集めれば、集合を作り出すことができます。図形と方程式で習ったように集合にも形がありますので、集合を粘土のように形を変えることができます。この操作≒ままごと遊びこそが関数なのです。時として、このような関数による無造作な操作=ままごと遊びの中で元の形に戻らないことすらあるでしょう。このような集合の論理=ごっこ遊びのルールもキチンと意識すると良いでしょう。しかし、君にとって、数の原子と言われる素数ですら、”とらえどころのないもの”とすら感じるかと思います。そして、君のその直感はおそらく”正しい”のです。素数≒量子はとても厄介な振る舞いをすることが知られています。ですから、素数≒量子は論理的に不確定性が不断に発生します。ですから、とらえどころのない素数≒量子の不確定性を意識しながら、せめて不等式で評価してざっくりと絞り込むというマインドセットが求められます。(方程式で解けないことを受け入れましょう。この点が肝になります!)
 次に図形。先程ご説明したように数には形があることをお伝えしました。この形の直感的な理解・イメージのためにもバカにしないでマジメに取り組みましょう。君が目指す難関大学で出題されることはあまりないかと思いますが、それでも形についての直感的な理解・イメージは数学のファンダメンタルな理解のために欠かせません。頑張りましょう。
 確率について。確率はAIやデータサイエンスを支える基礎科目です。実は、この宇宙・数の世界・社会は常に不確定性原理によって動いています。つまり、確率とは「論理的に確定できないこの宇宙・社会の不確定性から何らかのパターンを見出したい!」という人間の素朴な問いと好奇心に突き動かされて生み出された数学の分野なのです。そのパターンを数学的に記述するための値としてパラメータ(平均、分散、共分散etc)があるのです。このパターンの数学的な値=パラメータを導くためにも、具体的にパターンを分類=カテゴリー化して列挙し、統計的に処理する必要があります。この場合の数で習うもっとも重要なカテゴリー化=場合分けと統計的な処理は数学を学ぶ上でファンダメンタルな数学的スキルですので、マジメに取り組みましょう。
 最後に難関大学合格のための数学のロードマップについてお話します。まずは、高校二年生までにチャートを終わらせましょう。チャートについては黄チャートでも、青チャートでは構いません。好きな方を選びましょう。次に高校三年生の夏休みまでに一対一対応シリーズを終わらせましょう。この段階で受験基礎力を徹底的固めることでゆるぎない学力を養うことができるでしょう。尚、この受験基礎力が安定していないと、どれだけ頑張っても結果が出ないのであしからず。基礎は大切なのです。その後、秋までにやさしい理系数学を終わらせましょう。最後のラストスパートは過去問です。受験基礎力も大切ですが、第一志望の大学が求められている学生に君がマッチするように合わせなくてはなりません。この求められている人物像に自分を合わせる力は社会人になった時、”必須”なので今のうちにマスターしましょう。腹が立つかもしれませんが、我慢しましょう。
 受験勉強でつらいこともたくさんあると思います。しかし、そのつらさを乗り越えるためにも仲間との友情を大切にしてほしいなと思います。夢に向かって頑張ってください!!
追記~夢の実現方法(PDCAサイクルを実践する)~
1,Plan ;具体的に目標をイメージしてそれをノートに書きとめる。
2,Do ;目標を達成するために努力する
3,Check;現実と目標のギャップを受け入れて何を改善すればいいか考えてノートに書きとめる。
4,Action;Checkでの反省を活かして努力する。
1,Planに戻る。
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modeqs · 1 year ago
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2023年を振り返る(6)
前回よりつづき
2023年に読んだ良かった本
どれもAmazon Audibleで聴いただけで、まだ本格的に活字では読んでいない。
『NOISE──組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房)
「ファスト・アンド・フロー」のダニエル・カーネマンが共著者に名を連ねる、集合的な意思決定におけるノイズについて議論した本。ノイズはバイアス(偏り)とはまた異なるもので、私の理解だと判断のブレということでよいと思う。あるときはAと判断するが、似た状況で十分な根拠もなくBと判断するというような。
専門家の判断にはノイズが含まれることを例に引いたうえで、簡単なアルゴリズム(予測モデル)でさえもそのノイズを強力に修正しうることを示している。私が知的興奮を覚えたのもそこで、著者らの主張するところを自分のキャリアでも真似(実行)できそうだと思ったからだ。
本文中に引用される「権威ある職業専門人の判断には、実はノイズが多い」事例に類する事象は、探せばおそらく私の職場でも見つかる。また判断をデータ化して簡単な予測モデルでもノイズの是正に貢献するというのも、できそうではないか。数学の確率論やら統計学やらの理屈は無視して「ある意思決定の際にある数学的道具を使ったらうまくいったので、その道具の理屈はまあ正���いのだろう」という緩い立場からすれば、使ってみて役に立つならそれでいい。つまり何が言いたいかというと、Excelで回帰分析(統計分析の初歩)をするノウハウはいまや無数にネットでアクセスできるため、各自の職場で「意思決定にアルゴリズムを持ち込む」ことの真似事が比較的低コストでできるわけだ。無論、ほかのツールが使えればもっと効率よく分析できる。
『超予測力──不確実な時代の先を読む10カ条』(早川書房)
なんだか浮薄なタイトルだが中身はすごく面白かった。原書は若干古く2015年刊行とのことだ。政治学者と心理学者の兼任みたいな人が書いた「市井で生きているものの諜報機関のエージェントよりも政治的問題の予測について精度が高い人々」(超予測者)に焦点をあて、なぜ彼らはそうした予測ができるのかを議論した本。
まずリテラシーとして次の点に私は注意したい。本文によれば超予測者はCIAのエージェントよりも高い精度で予測ができたという。これが非常にキャッチーだから本文に書いてある以上のことを妄想したくなる。だが著者らが実験した環境と、CIAのエージェントが日々予測のレポートを送らなくてはならない環境とかは異なる可能性があり、その意味で実験環境で超予測者がCIAに勝ったという刺激的な一文ほどには、実際の仕事においてCIAは超予測者には負けないのかも知れない。そもそも予測の成績であるブライアースコアにも文句がつけられるだろう。
なお著者らは十分こうした測定誤差には自覚的であって、彼らは決して超予測者の優越性を誇示するような書き方はしていない。ただ内容があまりにも興奮を催すために、ケチをつけながらでないと議論に批判的になれない。
予測とは未来の事象についての何かしらの言明だ。思考力を鍛えたいとおもったとき「予測」という「ジャンル」は思考全般には関わってこないように思える。それは一つのマイナージャンルのように思われる。
だが詳述される超予測者が予測を行う過程についてみていくと、まさに彼らが予測する過程とは慎重な思考そのものだと思う。超予測者は予測を行う前に、めっちゃ調べるのである。そしてその調べるも、あたかも他の惑星からきて地球の国際政治について調べている宇宙人のようにドライに行う。例えば日本と中国の対立について、両国民の感情(ナショナリズム)の点から説明しようとすることは、少なくとも積極的には行わない。
また情報の調べ方と検討の仕方についても系統的な方法論があり、闇雲に行っているわけではないようだ(当たり前か)。そういうわけで思考能力を高めより思慮深くなりたいと思う人にとって、超予測者の予測について解説した本書は非常に役に立つ。
超予測者はすごいかっこいい。真似したいと思った。本を読んでいて「憧れ」の気持ちを抱いたのってかなり久々のように思う。そんなすごい人達を「真似したい」って馬鹿みたいに聞こえるかも知れないけど、本書で予測のガイドラインは示されているわけで、自分のお頭の使い方一つの話なのだからトライする価値はある。
『限りある時間の使い方』(かんき出版)
よくあるビジネス書の一冊のような感じだが、私にとっては良かった。時間の有限性についての、エッセイ豪華版みたいな本。著者はジャーナリストだってさ。
どんなに時間を効率的に使っても己が望む全ての行動はできない。時間は共有財の一種で、一人で過ごせる時間がいくら多くともそれは幸福ではない。なんでもかんでもやろうとするな、どうせできない、本当にしたいことを数点に絞れ。あらゆることをできない以上、取捨選択の結果としてネガティブなことが起きることもやむを得ない。ある行動をするというのは別のことをしない決定であると同時に、自分がその行動をする人生を選び取ったということだ。私達の人生は何に注意を向けたかで決まる、というよりも何に注意を向けるのかということがまさに人生そのものにほかならない。
雑に列挙したが心に残った記述はこんなところ。どれも当たり前のことからも知れないが、時間の使い方が下手な私には役に立った。
自分のキャリアについて考えさせられた。一度しかない人生、文系サラリーマンとしてありがちで実際有用だけど自分は苦手な勉強に励むよりは、自分ができることのなかで企業に貢献しようと意識を変えるきっかけとなった。また選択の結果、誰かをがっかりさせることもまたやむを得ないという記述は私を勇気づけた。そうなんだよな、自分にとってのステークホルダー全員を満足させることなどできない。だからそうしたことは織り込み済みとして、くよくよする必要はないんだ。
余談
中途半端な読み方をしている本が多い。来年は一度に読む本を絞ってちゃんと最後まで読まなくては。教養を深めて人生を豊かにしなくてはな。
つづく
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uyu-yuyuyu · 2 years ago
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首藤義勝がインスタライブで、その後千也茶丸名義の弾き語りライブでthe cabs「花のように」を歌っていた。
それを知った瞬間、色んな想い、良い想いも悪い想いも全部、溢れ出て来て止まらなくなったので、久しぶりに筆をとって長い文章を書こうと思った。Twitterを経由しないで済むTumblrに書き込むあたり自分の意地汚さが見て取れる。
今年の9月から10月にかけて諸々の諸々が本当にダメになってから、Twitterの元いた地点に関する一切の情報を意図的に絶っていた。筋金入りのインターネットオタクであるため流石にネット断ちなどは出来なかったが、その間はずっと別のものを見ていた。
2ヵ月のあいだ見まくっていたもののひとつにonly if you call me jonathan、すなわち元the cabs/現österreichのギタリスト高橋國光のブログがある。これより先ここに記すことはほとんどそのブログ及び彼の思考の模倣とも言って良いくらいのもので、いや模倣にしてはあまりにも低俗だし下劣極まりないし惨めだし、私は彼と違って素晴らしい音楽すら残していないただのダメ人間なのだけれど、とにかく最近の影響は全部そこから来ているので何でこんな文章書いてるんだと言われればそこに理由があるからとしか言えない。他人の10年分のブログを全通するのは初めての経験だった。一度に読むのは勿体ないし胃もたれを起こしそうになるので毎日ちまちま読んでいた。
以下、事実の記述と懺悔が続くが恐らく私以外の大半の人には何のこっちゃという困惑しか生まれない内容がほとんどである。仮にごく少数の推測が可能な人がこれを読んだとしても、あまりの支離滅裂さと自分勝手さに呆れるであろうことが簡単に予測される。しかしそれでも構わない、伝わるべき人にだけ伝わればよいし、伝わるべき人ですらここを閲覧出来る環境にあるかどうか分からないし、そもそも自己の救済のためだけに打っている節があるので、何なら伝わらなくてもよい。文から滲み出ているし容易に読み取れるであろう、私が酷くどうしようもない奴で狂っていておかしいことだけが伝達出来れば十分だ。この文章は見るに堪えないものと成ることによって果たすべきその目的を完遂する。
私がそれまで聴いた音楽を記録するだけだったアカウント、誰にも見られていなかったアカウントでいわゆる自我を出しthe cabsについて話すようになったのは、確か首藤義勝がTHE FIRST TAKEにイチャモンをつけ、炎上した日の翌々日ぐらいだった。よく印象に残っている。そのせい(あるいはおかげ?)で音楽界隈がザワつきこぞってthe cabsについて言及するのを見、前々からこっそりcabsに対する若干の屈折した愛好心と、KEYTALKに対する一方的な反抗心を抱いていた私は、ここぞとばかりに公の場に降り立ちcabsに関する過激的発言を繰り返していった。ヤケクソの波に乗っかろうという訳である。
自分が何をほざいていたかはあまり思い出したくないし思い出せもしないのだが、分かっているのは己がいかに無知な状態でcabsについて語っていたかということだけだ。どの場所においても批判をする者は批判対象について詳細に知っておかねばならないにも関わらず、彼らのことをロクに理解もしていないそして自己の発言にも覚悟の持てない状態で狂ったように発話を続けていた。内心これではいつしか破綻するだろうな、と予測してはいた。分かっているのに発言をやめることが出来なかったのはほとんどSNS取り憑かれ人間の行き過ぎた承認欲求に近い。
無知と書いたが主には彼らのその後、österreichとKEYTALKに関することの知らなさがいちばんの問題点だった(plentyと渡独後の中村一太の個人活動については未だ勉強中であるためここでは割愛する)。私はかつてのthe cabsという物語(それだってリアルタイムで見ていた訳ではなく、人づてで聞いた情報を元に己の中に勝手に組み立てたはじまりと回帰と再生と崩壊の完璧なストーリーでしかなかったのけれど)の美しさに執着しすぎるあまり、現在の彼らについての一切を無視してさも過去だけが正当であるかのようにしがみついてばかりいた。現在地点を見ようとせずに昔だけを振り返り続けることによって遠回しに今の彼らの生を否定するという残酷な寸法だ。
only if you call me jonathanを読み始め、Soundclowdのösterreich音源を聴き、KEYTALKのメジャーデビュー以前のCDをちゃんと聴くようになってから(批判してたわりにまともに聴いてすらいなかったのだ)、己の発言がどれほど失礼極まりなく恥じるべきものであったのかを知った。私が以前に何の推敲も無く発していた言葉たちは、彼らが今まで辿ってきた道筋を真っ向から否定する���うなものばかりだった。それをthe cabsへの愛に基づくだとか、自分だけはマスロックや残響や音楽について理解しているだとか、ごたごたと御託を並べて上っ面だけ見て都合の良いように解釈して喚き散らしているだけの騒音でしかなかった。
KEYTALKの楽曲に「アゲイン」という曲がある。
この曲はKEYTALKのギターボーカル寺中友将が作詞・作曲を手がけた曲で、cabsとの直接の関係は何も無い(まあこの当時の首藤が兼任をしていたという時点で関係が無くは無いのだけれど)曲なのだが、これのライブ版を観た際に、それまで抱いていたKEYTALKへの感情、あまり好ましく思っていなかったものが少し変化した。
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そもそもライブ版が収録されているDVDを購入したのは、特典映像でKEYTALKメンバーがthe cabsについて言及する場面がある(画像参照)からだったのだが、それよりもほとんど初めて観る「首藤義勝のいるKEYTALK」(「the cabsの首藤義勝」ではなく)の姿を純粋に、良いなと思えた。アゲインを曲単体で聴き返した。何度も聴き返した。現在は既にKEYTALKとしての首藤義勝、そして彼らの姿を素直に応援出来るぐらいにはなっている(MONSTER DANCEのMVはまだ観られていないけど)。
österreichもほとんど同様の手順である。私は元々The Novembers経由でcabsについて知った口なので、小林祐介がゲストボーカルに参加している「ずっととおくえ」ばかりを好んで聴いていたが、逆に言うとそれ以外に関する知識はほとんど皆無だった。であるのに、ここでも知ったような口で批評とは名ばかりの現体制österreichに対する言いがかりなどをし続けてしまっていた。彼と、かれらの進んできた今までとこれからについて、the cabsだけでなく、cinema staff、ハイスイノナサ、としてのここに至るまでの経路を見るべきだった、知るべきだった、知ろうとすらしていなかった、様々な音源を新たに聴くたびに私は心の中で謝罪し続けた。優雅なピアノの音もデモ版のGUMIの声も彼自身の声での朗読もとても新鮮に聴こえた、それは己に無知の知を自覚させるのに十分な力を持っていた。ごめんなさいごめんなさい、わたし今まであなたたちのことなんにも分かっていなかった、ごめんなさい。
「the cabsについて世界でいちばん考え、苦しんでいるのは、決しておまえなどではない。」 この考えがある時点から深く刻みつけられ、定期的に警鐘となって自己の内部に鳴り響いている。もっともは高橋國光であり、首藤義勝であり、中村一太である、その根本の考えすら抜け落ちていたことの恐ろしさ。そして今回の私みたいに好きであることによって感情が倒錯し他方面に迷惑をかけている人間は恐らく結構な数いると思うのでほんと気を付けた方が良い。
話題を変える。
個人的な見解なのだが、Twitterに生息している音楽垢は適当なようでいて実は各界隈ごとの様式美めいたものがあり、ネタツイをする人ならネタツイを極めているし、オタクならオタク活動を頑張っているし、生活が忙しい人は生活を音楽に絡めて話すのが上手いし、批判を極めている人は叩かれながらも頑張って批判をしている。私の場合はこれら全てを一手にやろうとしてしまったために混乱と無理が生じた。衆目の下での管理は性格的に困難であった。
私は音楽のオタクであると同時にバンドマンのオタクをしている。認めると負けになりそうだったからかつては認めなかったが今は腹を括って受け入れている。アニメファンがアニメキャラクターを愛するように、漫画のファンが漫画のキャラクターに共感するように、信者が神を信仰するように、私はバンドマンを愛しているし、共感しているし、信仰している。
そうすると発生するのは音楽の善し悪しの判断というよりもバンドマン個人に対する様々入り混じった感情であって、それは私の好みに合った音像を作り上げてくれるだとか、まるで私のことを書いたみたいな歌詞を投げてくれるだとか、もはや私という認識をせずに大きく「こちら側」に向けたデカい愛をぶつけてくれるだとか、得体の知れない感謝の比率が日に日に上昇していく訳で、何ならそうしたこと以上の感情が湧き上がってくる瞬間も特定のバンドマンにおいては発生するのだった。そのひとりが高橋國光だとある時から気付いた。とすると取り扱われるべきことは罪悪感と疑問だ。私はthe cabsが好きだ、私は高橋國光が好きだ、私は高橋國光に音楽を作ってほしいと願っている。じゃあこの戯言はなんなんだ。これじゃ高橋國光の首を絞めてるのと何も変わらないじゃないか。じわじわとそうした思いが頭をもたげていく、のに発言を止めなかったあたりが典型的な狂者の思考プロセスだと思う。この世は全て無意識よりも自覚がある者の方がタチが悪い。
自覚があるのに止めどころが分からない状態で人は思いもよらない行動に出るし、また思ってもいないことを発言してしまうのを思い知った。過去であっても今この瞬間であっても私の発言することは決して信用しないで欲しいし、恐らくあなたの生活には不要なものだと思うのですべて忘れていって欲しい。抹殺して欲しい。私は未だ自分の言葉を飼い慣らせていない。私が誰かに向けた発言はその当時の私がフラフラになりながら嘔吐したものの残骸であって、猛スピードでその都度アップデートされていく思考にそぐわないものでしかない。根拠も正当性も美しさも無い。ただ焦燥と暴力性だけが無駄に備わっている。
こんな風に遠回り遠回りして書いているのは単に記憶が薄れて来ているだけでなく、当時かなり精神が混濁していて朦朧とした状態でしか生活が出来なかったからでもある。それと繰り返しになるがこれらの表現技法においても高橋國光へのリスペクトが含まれていることは否定出来ない。複雑に入り組んだ動機もしくは言い訳を何とか言語化しようとしているが恐らく上手くいっていない。文章構造がめちゃくちゃだ。それでも説明し続ける。
私は私以外の人間が私の好きなバンドマンについて言及するのが嫌だった。正確に言うと嫌であると感じるように段々なっていってしまった。自分ですら、いくら雑誌を買って彼らの写真を眺めたからって、いくらブログを読み込んで彼らの言葉を直接頭に取り入れたからといって、またいくら彼らの音楽を狂ったように再生し日々の支えにしたからといって、彼らのことを全て理解出来るはずなどないことをこれでもかってぐらい実感しているのに、自分よりも少し知らないだけのファンが何か言うこと何かを私の好きなバンドマンに感じること、それを観測することすらダメになってしまった。この意識は特定個人についての糾弾として言っているのではなく、ただ漠然とした界隈全体に対する広範囲の殺意みたいなものである。そしてそれを凌駕するほどの自己嫌悪が根底には在って深く深く根を張り続け頭に言葉に毒を送り続けている。
多分、私は私の好きなひとたちに対し本当にフラットな状態でなければ好きを継続していられなかった。他のファンと共に好きを(表立って)共有することが難しく、また音楽の好みが付随する人間関係によって左右されるのについても酷く嫌悪を感じた。ファンを知るたびに音楽が汚されていく気もした(自分からフォローしておいて何なんだという話)。勝手に見て勝手に傷ついているだけのクズに用は無いと思う自覚している自覚はしているから言述だけは続けさせてくれじゃないと内部に溜まっておかしくなりそうなんだ、全てを放棄した今ジャンルも界隈もへったくれもなく聴いている音楽はまさに何の偏在もない私だけの音楽と胸を張って言えるものばかりだが胸は相当張れたもんじゃない。
この感情が同担拒否というおおよそバンドマンに向けるには適していないであろう言葉で一括りに出来たらどんなに気が楽だっただろうか、とふと考える時がある。他にも(ファンとしての私が勝手に考えた)私とバンドマンの関係性について安易に定義できそうな語彙が無くはないが、使ったところで何の意味も持たなそうだからここでわざわざ持ち出して使用するのは控える。
the cabsともうひとつ、話しておくべきバンドがある。
ヒトリエはcabsと同じく稀有な運命を辿ったバンドとして有名だ。私はインターネット発wowaka経由でその存在について知った。本格的に追い始めライブにも行くようになったのはごく最近だが、それでもその時々の「本命」であるバンド(これも次第に好きなひと達が増えるに従ってその意味を失ってきたのだが)の追っかけと並行して、長らく人生を共にして来、その時々で気にかけてきたバンドであった。
あの時、何だか自分の精神がおかしくなってしまっていて、好きな対象であるはずのものにやたらと過激な懐古厨みたくなっていたころ、「人の死」という誰にもどうしようも出来ないし変えることすら出来ない性質を持ったヒトリエにですら過去ばかり慈しむような発言をしてしまっていた。彼が遺したものこそが絶対的な正解であり、彼が今現在この世にいないことについてばかり嘆き、悲しむ。文字に表してみると自分がいかに視野の狭いつまらないことを仕出かしていたのかと思う。今、昔よりもずっとずっと「シノダのヒトリエ」の曲を聴くようになってから思っている。
cabsについての捻じ曲がった(そして恐らく正しくはなかった)認識に気付き、改善がなされていったきっかけは様々重なっていたのだが、ヒトリエについての意識が徐々に変容し「現在のヒトリエ」を純粋に好きになれたことも大きな転換点のひとつであった。それが己の中に生まれる過程としてはヒトリエそのものの存在だけではなく、ヒトリエのファン(ファンが無理だという話を散々しておいてここで出すのもあれだが)の目標とすべき姿勢、受け入れの態度を見たことも大きく関係している。まあ関係したからといって全てが良くなった訳ではなかったし事実��のあとにまた一悶着自分の中であって発狂寸前にまで至ってしまったのだが、その気付きが無ければぞっとするような狂気を未だ保っていただろうから少しでも正気に戻れたのは良かった。
とにかく、wowakaのことをずっと考え続けていた。the cabs、そして高橋國光のことについて考える時は常にwowakaについても想い続けていた。いつからか、wowakaではなくシノダについてずっとずっと考えるようになった。ひとしきりシノダの姿を延々思い浮かべる日々を過ごしたのち、ヒトリエと聞いてwowakaとシノダについて同程度思い浮かぶようになった頃には、今のようになっていて、私は我に返っていた。
(余談だが、実際the cabsのファンとヒトリエのファンはかなり似通ったところがあるように私は思う。大多数は「彼らの境遇込みで」愛している人がほとんどだし、そもそも彼らの音楽のテイストからみて、そうした展開や結末に打ちひしがれつつも、バッドエンド的要素が刺さるタイプの人達が恐らく愛好者の中には結構いることが何となく感じられる。それから彼らが得意としたスタイル、暴走機関車のようなテンポと物理的に命を削るような歌詞も音の好みとしては被る部分が多く、また鬱ロックという大きな括りの中ではかなり後期(ARTやsyrupをメインとした場合の話)に属することや、その後の一定の年代のボカロに影響を与えまくったことなども共通点として挙げられるのでは。)
閑話休題。
明確に謝罪をしなければいけない対象が3つある。
1つ目はあのとき私のアカウントを閲覧出来る環境にあった者たちである。私の発言がどのようにタイムラインに流されどのように個々人に受け止められたかは知る由もないが、少なくとも愉快なものでなかったことだけは簡単に予想が付く。信憑性のない妄言ばかりを特に文脈もなく毎度マシンガンのように浴びせてしまい、本当に申し訳なく思っている。ただこう思っているのは私ひとり、自意識過剰の精神に由来しているだけで、すべては杞憂なのかも知れなくて、分からない、分からないけれど、しかし分からない確認のしようがないイコール感情が存在しないということでは全然ないと思うので自責をするのに越したことはない。
2つ目はあのとき私と連絡を取り続けていてくれた人である。最初に断言しておくが、あなたには一切何の非も持ち合わせていない。すべての出来事は私の精神の脆弱さと愚かさに起因していて、事態がああなってしまったことの責任は100パーセント私の方にある。長々と書いてきたように当時の私は音楽との向き合い方、バンドマンとの向き合い方、Twitterとの向き合い方、そしてthe cabsとヒトリエとの向き合い方について飽きもせずに延々と考え逡巡し若干いやかなりおかしくなりつつ現実での様々なことも相まって精神が極限状態にあったせいで、すべてを手放さなければならない判断に至った。あの状況で「誰かから再度連絡が来るかもしれない」という場面に固定され、そうした意識に常時苛まれているのは本当に本当に申し訳ないのだが日常生活に支障が出るレベルの緊張を感じざるを得なかった(例え自分のことを捨てずに見つけ出して手を差し伸べてくれた人であっても)。音楽とか、人間とか、居場所とか、言葉とか、愛とか、捌かなければいけない概念が多く発生しすぎていて、アホな私の小さい頭のキャパではとてもじゃないが持続出来なかった。そもそも人間との会話自体がその時はダメだった。気付かずによく分からない言葉ばかりを無責任にしかも面と向かってつらつらと語ってしまった。ぜんぶ、全部忘れてください、それらはすべてそこにいない私が打った言葉です。しかしあなたが万が一その言葉を大切にしてくれているのであれば、それは疑いようのない私の言葉ですので、煮るなり焼くなり罵倒するなり好きにしてください。ほんと自分から話しかけておいて何様って感じですね。ごめんなさい。
3つ目はもう間違いようがなくバンドマン本人たちそのものである。何度謝っても悔い足りないから今後一生をかけて償っていこうと思う。私が得たものはすべてあなたたちの血となれ肉となれ、そして余剰の分だけ廻りまわって惨めな私を救っておくれと思う。書き出すとキリが無いからここの項目はこれで止めておく。
墓標のようにSpotifyのプレイリストを作って乱立させている。自分だけのセトリ自分だけの最強の音楽デッキを(誰に聞かせるでも無いのに)いくつものテーマに沿って構築している。そればかりでなく自分の好きなひとたちが言及していた音楽についても全てまとめて出来るだけ把握しようとしている。高橋國光がブログで言っていた曲、シノダナオキがブログで言っていた曲、辻友貴がブログで言っていた曲(そういえば好きな音楽について深く知るにはその音楽家のルーツを探るのがいちばん手っ取り早い、みたいなことを言っていたのもシネマ辻だったように思われる)などを片っ端からプレイリストに入れている。そうするといかに彼らが単にロック/オルタナだけでなく多彩な音楽から影響を受け楽曲を制作していたのかが良く分かる。狭い区分に変に拘泥してあらゆることに対しシャットアウト気味だった自分の音楽遍歴を彼らの豊潤なそれと比較すると一気に恥ずかしくなった。
思えば私の中のいっときの鬱ロック以外全員殺すモードが本当の意味で解除された瞬間は、シノダのブログ中にあった、「curved edgeはBLACKPINKのDDU-DU DDU-DUに衝撃を受けて作られた」という一文を見た時だったかもしれない。その瞬間、あ、そうなんだ、アイドル、シノダ、アイドルしかもK-POP聴くんだ、という新鮮な驚きが身体中を即座に駆け回った。そして今までの自分のいわゆる偏見のような意識がいやに馬鹿らしく感じられた。結局はそんなもんで、「そんなもん」というけれど実はそれこそが蔑ろにしがちだけれどすごく価値のあるものであって、むしろ否定する方がアホでしかないことをこの時叩きつけられた。実際本来、この世には好きな音楽と嫌いな音楽と好きな人間と嫌いな人間しか存在しないのだな、ということを完全に明白に理解しそして自責した。その感覚が今の意識に繋がっている(この記述はFC会員限定ブログの中にあるのでソースが知りたければヒトリエFCに入ってほしい)。
また、全てが円滑に作動するために最も必要であることは「何についても私が言及しないこと」であるのに気付いた。何をどう弁明しようが墓穴を掘ってしまうことに変わりはない、沈黙は金、私が言葉を発しなければ彼らが傷付くこともないし、私以外のファンが不快な思いをすることも無いいちばん簡単で手っ取り早いことだったのに何故気付けなかったのだろう。私は正直になると同時に私の一切を封印することに決めた。開示と封じ込めの両立は一見矛盾するように思われるがある要素を成り立たせるために別のある要素を捨てるのだと考えればそれはごくごく自然な働きなのではないか。
冒頭にも書いたように首藤義勝がcabs時代の曲を歌っていた。本当に何気なく、しかし何の譜面も見ずに(歌詞もメロディも染み付いているということなのだろう)。あの音よりも少し成熟した声で、爆撃機のようなドラムと刺すような叫び声の無い状態で。彼が何を想ってその選択に至ったのかは分からない。前日に偉大なバンドマンが亡くなったり、彼のバンドメンバーがファンに心無い言葉を向けられたりしていたので、それらについての感傷的なものも影響しているのかも知れない。しかしそうであっても、そうでなかったとしても、彼の中に「救いようのないクズのため」という諦念や絶望(と、その救済)に似た概念、ひどく美しく感じられる空間がちゃんと存在していたこと、それを今この瞬間に示してくれたこと、それをみた瞬間に言いようのない嬉しさがどっと湧いて出て来、あ、許すよ、と思った。
言うまでもなく脈々と語り続けられている言葉、「再生の風景は、それを許すよ」。その許しはどこから何からの偉そうな目線などでは決してなく、バンドマンが私達ファンを許すこと、ファンがバンドマンを許すこと、神様がすべてを許すこと、など、あらゆる許しを包括している。その許しの伝達手段としての空気の振動、音楽という形式が彼らの選択した表現として成り立ち、ファンを救済している。これは本当に勝手な自分の思い込みでしかないのだけれど、首藤義勝が炎上したことによって始まった私の失敗は、首藤義勝の受容によって一旦の終焉を迎えた気がした。私はインスタライブの後に再生の風景を繰り返し聴いて泣きながら、ただただ、赦して、そして、許してあげるから赦してほしい、と考えていた。
首藤義勝のこともそうだが、思えば高橋國光の音楽を愛したあまりに高橋國光ばりの失踪をネットで遂げるのもどうかと思った。親は子に似るっていうけどまさか本当に似るとは思わなかったなと酩酊した意識の中で薄ら笑いをしたりしていた。
ひとつ勘違いしないでほしいのは(これは自分に言っている)、私はthe cabsへの想いを断ち切っただとか、某アーティストが言っていたように「cab卒」をしただとか(キタニタツヤ紅白出演おめでとう)、そういうことでは決してない。所詮「拒絶的な過激派」から「受容的な過激派」に移行しただけに過ぎず、かつて取り出してばかりいた刃物は未だ心の中に常備してある。しかしもう刃先をちらちらと見せびらかすことは止めた。行動として痛いし、物理的にも痛いし、良いことがほとんど無いからだ。それを成長と見るか尖りが失われたと見るかは人それぞれだが、少なくとも私にとっては善に向かう大きな一歩であるように感じている。
本当にだらだらと流れるがままに論旨も構成も無視したまま打ってきたが、以上が私の韜晦と自己嫌悪、及びそれに関連する数多の蛇足めいた脇道にそれまくった反吐の出るような思考の流れを何とかして文字に表したものの見づらい一覧だ。相変わらず躁鬱とオタク的感情と評論と意味不明な発狂の混ざった訳の分からない物体と化していてお前マジで何も変わってねぇのなって感じなのだが、もうどうしようもなく私はこういう文章しか書けないのだろうし、いくら見栄を張ったところでこれが私なのだから私なんだと思った(トートロジー)。気持ちが悪いものを見せてしまって申し訳ない。見て分かる通りこういう奴は最初から表に出るべきではなかったのだ。絶対。今までだって幾度となくそう感じて来た。なのに今回も上記のような結果になったのだから私は私のことが一番信用できない。今後も懲りずに何かしたら嘲笑って欲しい。
そしてああもうこんなに罪の意識を抱いても困ったことに浅ましいことに失礼で無様なことに私はまだまだ全然バンドマンのことが好きで好きで堪らないのだった。the cabsが好きだ。ヒトリエが好きだ。楽器を持って私の手の決して届かない場所にずっと立っていてほしかった。どんなに暗い歌詞を歌っていてもきらきらと輝いていてほしかった。私がはじめてバンドマンをバンドマンだと認識したとき、かみさまだと思ったその時から、彼らを愛したいと思った、いまも思っている、かみさまだから触れたくもないし、かみさまだから他人に触れられたくもないし、かみさまだから永遠に向こう側であって欲しいと強く願っているし、私(こちら側)の救済は何かを隔てた上でやってほしかった、音楽の介在が必須だった、直接来ないことが条件であった、しかしかみさまも本当はひとりの人間でしかないこと、実はかみさまも酷くこちらに近い存在であること、そしてそう自覚したうえで彼らは振る舞っていてくれていること、それも同時にひどく嬉しくて悲しくて辛くて愛しくてずっと好きでどうのしようもないのだった。くるっている
果たしてここまで読んだ人がいるのだろうか。もう見てもらえば分かる通り狂っているのだ。本当に嫌なことにおかしさだけは継続している。一生治癒しないもの。枷。元来の性質がこういう感じだからしょうがないと割り切ってはいるけど果たして一体いつになったら私は他人に迷惑をかけない人間になれるのだろうか。
最後に頼んでおくがこの文章は極限までパーソナルな性格を帯びており、ほとんど日記に近い様相を呈しているので、一部・全体問わずどこかに拡散もしくは引用言及するようなことはどうか控えて頂きたい。この文章によってあなたの心と記憶が間借りされた占有されたもしくは傷を付けられたなどがあったら深く謝罪したい。一刻も早くもっと綺麗なものを見てこんなもの忘れよう。
そう言うだけの資格が自分に無いことぐらい分かっているけれど、私はいまものすごくösterreichのライブに行きたいと思っている。ヒトリエのライブにも、そして、KEYTALKのライブにも、ぜひ。まだ観たことのない様々なバンドマンの姿を観たいと思っている。バンドマンはかみさまで、ライブハウスは教会のようなものだとまで言うのは流石にやり過ぎだろうか。でも祈りに集う観客は全員知らない他人であればあるほど良いと思っている。私とバンドマンのあいだに音楽以外が立つな、私と音楽のあいだにバンドマン以外が立つな。
勢いのままに書いてきたので見返すと我ながら訳の分からなさに吐き気がしてくるが、それでも彼(ら)がそうするなら、私も書かねばならないと思った。そして書いた。言った。満足だ。正直こんな言葉じゃまだまだ全然私の内部で何が起こっているのか、私にとって音楽とは何なのか、な��を十分には解説出来ていないのだけど、今やれるべきことはやった。あとは時が流れるのを待つだけ。私の罪が霧散して楽になれる日が来るのを願うだけ。祈るだけ。ステージに向かって祈りを捧げるだけ。
さようなら さようなら もうここに何かを書くことはないでしょう 私はただのファンでいたかった いたいとだけ思っている 希求するぜんぶをあなたに わたしのすべてよ綺麗な音に晒されて死ね そしていつか 僕はいつか 君はいつか 僕らはいつか あいしている
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