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#じゃんぼ総本店
ryusons · 3 years
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じゃんぼ総本店 JR野田駅前店 たこ焼き美味しいです!  何個でも食べてしまいそうです!  #じゃんぼ総本店 #たこ焼き #takoyaki #大阪 https://www.instagram.com/p/CXWabw5vBXn/?utm_medium=tumblr
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tmmode · 3 years
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今日の晩ごはんは、じゃんぼ酒場のお好み焼き(豚玉)でした😋 #じゃんぼ総本店 #じゃんぼ酒場 #お好み焼き #豚玉 #晩ごはん #プチ散歩 #お散歩 #東武練馬 #練馬 (じゃんぼ總本店 ジャンボ酒場 東武練馬駅前店) https://www.instagram.com/p/CSjXWfGFSkD/?utm_medium=tumblr
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yasuhiko0706 · 5 years
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そして #お好み焼き です。 #じゃんぼ総本店 https://www.instagram.com/p/B2lhU57FUjI/?igshid=kgspjki8hi4x
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35q · 2 years
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20220605
 今日は大切なおんなの子と会った。朝起きて寝惚けながら手袋無しで髪を染めたから手が真っ黒になってしまって、それを隠すように右手の3本に真っ黒のネイルを塗った。改札で待っていると不意に後ろから肩を叩かれて、あなたが来てくれたのだとわかった。出会ってすぐにわたしが決めていた喫茶店へ向かった。丸い机の隣同士に座って、あなたがわたしのネイルを塗り直してくれたのが嬉しかった。穏やかな空間にふたりでいれる、ただそれだけのことが心地好く感じられるのは、素直に心を許しているからなのだろう。あなたがわたしのイヤリングをあどけなく触るので、まだ傷が付いていない両耳にイヤリングを付けてあげた。店内はレトロな雰囲気で、やさしく光るネオンライトや可愛らしいピンクのフラミンゴに囲まれて心が休まる。駅前の中心に位置しているのにも関わらず、窓外の忙しく往来する人間の雑踏や自動車の音は少しも聞こえずに、まるでこの空間は天上とさえ感じられる。階段を登った先に構えているのだが、踏板の端に出迎えるように植物が配置されており、店内にも至る所にも多肉植物らが飾られている。あなたはジェノベーゼのセット、わたしはチーズケーキのセットを注文した。ふたりで分け合いながら食べ進めるのが楽しかった。あなたは煙草を吸わないので、わたしが無邪気に勧めると少し嫌がりながらも甘くて美味しいと言ってくれたのが嬉しかった。煙草の灰の落とし方に慣れていない仕草もかわいらしかった。ご馳走様をして、今度はまた別の喫茶店へと向かった。バスに乗り10分程、最寄りの停留所で降りて少し歩いた先に見えたのはこれもまたレトロな喫茶店だった。年中蔦に囲まれている外観は秋になると紅葉して橙に染まるのだが、初夏の現在は呑み込まれてしまいそうな深緑の怪物のように思えた。店内は明るく落ち着いていて、あなたはアップルパイのセット、わたしはチーズスフレのセットを注文した。あなたは少しずつ「あーん」にも慣れて、わたしが差し出したスフレを綺麗に食べられるようになってかわいらしかった。最近のわたしたちは短歌をつくることが共通の趣味なので、「雫」と題を決めて短歌を詠みあったり、推敲し合ったりした。この喫茶店は禁煙なので、ご馳走様をして、わたしのわがままで喫煙可能な3件目の喫茶店に向かった。先ほどの喫茶店からほど近くにあり、歩いてすぐに目的地を見つけた。この店の珈琲は、そのままでも美味しいしガムシロップを1個入れると更に美味しくて好きなんだ、とわたしが言うと、深く共感してくれたことが嬉しかった。あなたにたくさんの煙草を吸わせてしまって、申し訳ないながらとても嬉しくなった。ここでは、ずっと煙草を吸いながらぼんやりした気持ちでいた。3度目のご馳走様をして、わたしがスターバックス新作のメロンフラペチーノを飲みたいと騒いだので着いてきてくれた。スタバの店内でも「ストロー」を題に短歌を詠みあった。ストローで詠むのは難しかったし、もちろんメロンフラペチーノはとても美味しかった。ここまで書いてきて総摂取カロリーが心配になった。もう4度目のご馳走様をして、駅ナカを歩いていると偶然アクセサリーショップに目が留まった。今日のわたしは両耳にたくさんのピアスやイヤリングで武装していたけど、最近は決まったセットで外出しており新しいものが欲しいと思ったのだ。長考の結果、淑やかな蝶、両面に架かる長短の円錐、三連の銀石の3つを選ぶと、他のデザインを見ている隙にわたしのために買ってきてくれた。店を出てすぐ近くの席に座り、早速わたしの両耳に蝶のイヤリングを付け、似合うと褒めてくれて嬉しかった。お別れまでもう少し時間があり、2人とも満腹だったので軽く食べられそうな居酒屋を探し歩いたが、軒並み満員や休業日で悲しくなった。夜遅くまで営業している喫茶店に入ることにした。4件目の喫茶店では、あなたはチョコバナナミルコル、わたしはパパダイキリ、そしてふたりで分け合うためのチョコチップクッキーとミントミルクのお酒のセットを注文した。ここでは別件が重なってしまったからあなたの目を見て話をすることができずに、お酒が甘かったことだけしかよく覚えていない。閉店時間が以前より早まっていたのを知らずにわたしたち以外のお客様は帰っていて、5度目のご馳走様をしたあとそそくさと退店することになった。あなたが乗る電車まで時間があったから、駅に向かう途中に在る喫煙所に寄って、あなたが隣に居るのにわたしだけがほろよいを飲んで白煙を吐いていた。今日は1日を通して感情が凪いでいて楽しかった。楽しかったけれど、本当に話したかったことがあったような気もする。また落ち着いたら会えたらいいな、でも今日はこれでいいんだっけ、そんな戸惑った気持ちでお別れをした。何を書いているか分からなくなっちゃった。あなたは本心で話をしてくれていましたか?わたしたちこのままで良いの、きっと大学を卒業しても出会うことができる関係で居れそうだから、と言ってくれたことを大切にしまっておきますね。“My mojito in La Bodeguita. My daiquiri in El Floridita”と残る片方を飲んだから、彼の言葉を借りてThe best way to find out if you can trust somebody is to trust them.ということで...
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nanaintheblue · 3 years
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兎小屋
初めてのラブホテルは目に入るものすべてがくすんでいた。 わたしが大学一年の時から使っているiPhone4で撮った写真みたいに、壁とか床とか布団だとかがひとつずつトーンが暗い。それとも自分のなかの潜在的な後ろ暗さがそう見せるのか。 同伴者は彼氏ではなかった。一人暮らしどうしの学生カップルにラブホは贅沢すぎた。一回も行ったことない、というと男は嬉々として調べ始めたのだった。 「どうよ初のラブホ」 にやにやと笑いながら荷物を慣れたふうにベッドに放り投げて笑いかけてくる。男の笑顔は粗野な感じがして、いまから起こることを生々しく連想させた。目をそらしながら「まあ、想像通りです」とこたえた。気張ったふうに聞こえたのか、彼は満足そうに笑った。 ラインの表示が「S」の一文字だったので、この男の名前が「佐藤」だか「鈴木」だったか思いだせない。下の名前も、うろ覚えだけどものすごく変わっていた。「なんでイニシアル?」とライン交換した時に首をひねると「俺ラインのこといまいち信用できないから本名で登録してない」とよくわからないことを言われた。めんどくさそうな人だな、とうっすら思った。 大学四年の夏。就活が終わり、内定を手にしたわたしがその足で向かったのは国分町のバニーガールズバーだった。就活によってごりごりとかき氷マシンの如くプライドと自己肯定感を削り取られ、「顔さえ可愛ければ内定くらいすぐ取れたのに」と毎日考えた。疲弊した頭で夜行バスに乗り込み、【夜職をやる】と就活が終わったらすることリストに書き込んだ。女ってわたあめとかうさぎとかリボンがすきなんだろ? みたいな考えの人が作ったであろうふんわりとした名前と色の求人サイトをブックマークし、新宿バスタや東京駅八重洲口の待合室でひたすらスクロールして条件を眺めた。 当然キャバクラの方が時給は高かったがわたしははなからガールズバーしか見ていなかった。コンセプトがはっきりしているバニーのガルバが一年前にオープンしたばかりだと知り、即店を決めた。 「なんで?」 「顔の可愛さが圧倒的に足りないなら、露出で稼いで総合展優勝するしか戦法が残ってないと思ったから」 おまえ頭いいんだか悪いんだかわからないね、と男はのけぞる勢いで笑った。同じ大学の工学部の院生で、研究室の同期四人でひやかしで来ているうちの一人だった。え、学生? 学校どこよ、え、マジかよ同じやんウケる~。胸ないのになんでこ��で働いてんの? とずけずけ聞いてくるのでありていにこたえた。あんのじょう豪快に笑われ、むっとはしなかったけれど、こういう国道歩いてきたような奴にわかるはずない、と醒めた思いで眺めた。 がり勉としか言いようのない、工学部のイメージをそのまま具現化したような三人と違い、男はこういう店に慣れているようだったし、もっと言えば異性にも慣れていそうだった。こういう人苦手なんだけどなー、と思いながらTシャツがぱんと張って乳首が浮いているあたりをちらちら見た。 ライン教えて、とあたりまえのようにスマホを出され、学生じゃあ同伴ねだったり営業かけたりできないから無駄なんだよなー、と思いつつ断る方が面倒くさくてQRコードを出した。本名の方が可愛いじゃん、「はる」より。と言うので「春をひさぐから取ってる」と言うと、彼は表情を消し、真顔で言った。 「そういうことさ、あんまほかの客に言わない方がいいよ」 何の作用かわからないけれど顔が赤くなるのを感じた。「八幡に住んでるなら今度あそぼう」と言うので「八幡近辺以外なら」とこたえた。  男は本当にその日のうちにラインを寄越してきた。「っていうか今日いつ上がり? アフターしよう」とお約束過ぎるメッセージ。無視して狭いロッカールームでばりばりとヌーブラを剥がして着替えていたら、さらにコメントがついた。 「俺車だから拾って送ってってやるよ」――飲酒運転じゃん、とぎょっとした。けれどすぐに、男はひたすらジンジャーエールしか飲んでいなかったことを思いだす。煙草はばかすか吸っていたけれど。 自転車で来てるから結構です、と送ったら「飲酒運転じゃん。ぱくられんなよ」とすぐに返ってきた。業務中にアルコールなんか入れてないさっき飲んでたのはお茶と水を割ったものです、と返すと「おい夢壊すなって」ときた。 「じゃあ家着いたらラインして。八幡行くから」  めんどくさいので無視しようと思ったものの、自転車で定禅寺通りを走りながらふと魔が差した。「コープで待っててください いまメディテらへん」と返す。もう家帰ってっかな、と思ったけれど、りょうかい、とすぐに返ってきた。  照明の落ちたコープまで向かう。白のセレナ、といわれていたのですぐわかった。 「つーかさ、バニーが網タイツで帰ってくんなって」  げんなりしたように言われた。見下ろす。黒のショートパンツに網タイツだった。退勤のあとは面倒くさくて網タイツを脱がないまま帰ることが多い。シートベルトをしめながら「え、サービスのつもりなんですけど」と返すと、短く笑った。 「金払って非日常を味わいに行ってるわけだからさー。金払ってない場所で見る網タイツは正直萎えるね」そうですか、と返す。 「どこ行く?」 「家とか、ホテル以外」 「俺んち実家だから。だから車持ってんだって」 「ふーん」 「青葉城址でも行く?」  大学から近すぎて仙台に住んでいる人間は誰もいかない観光地を挙げるので冗談だと思って流していたら、本当に青葉城址にたどりついた。まじで! と笑いころげていたら「一周回って斬新だろ」と素で傷ついたような顔で言う。 「うちの大学そこそこ硬いから水商売バイトしてる女子ってめずらしいよな」 「あーですね。わたしもやるまでは軽蔑してましたよ」 「あ? なんで軽蔑してた職につくんだよ」 「ブスができない仕事だから軽蔑することで自分を正当化してただけです」 「ブスではないよ。総合優勝してたじゃん」 うぜ~と返しながらも、自分よりいろんなものがめぐまれていそうな異性にそう言われたことで内心うれしかった。というか、かわいいって自分で思い直したくてあのバイト始めたんだったな、と思いだす。 結局のところ、22歳と言う炊き立ての新米みたいにつやつやした年齢や女子大生というわかりやすいプロフィールに対してちやほやされるだけでしかなかったけれど、だとしても大学では4年いてもついぞ得られなかった快感だった。客の目がわたしの顔ではなくものすごい鋭角のハイレグの衣装や7割露出した尻にむいていようがどうでもよかった。ほんのちょっと土俵変えるだけでかわいいとか美人だねとか言われるなら全然いいじゃん! と思った。 あさましい女だと自分のことを思った。いままで散々貶して嗤ってきた存在、それが自分自身だったなんて馬鹿げている。けれど、水たまりに落ちたガソリンのような虹は、真面目につつましくキャンパスとアパートだけを往復しているだけでは絶対に得られなかったものだった。ふれられる、まばゆく乱射するくだらない虹。 「彼氏いる?」 「いますよ、研究室の同期です」 「俺も。ま、ラボじゃなくてサークルの同期だけど」 ふーん、と呟きながら青葉城址の駐車場で降りた。展望広場みたいなところから仙台の街が覗けた。夜景と言うにはあまりにしずかな景色だった。 「このまま家行っていい?」 「送るだけなら」 「けち。入れろって」 やーだよ、と笑うと「なんかもうやったような気すらするもんなおまえと話してると」と言う。わからないでもなかった。店であけすけで下世話な話ばかりしていたせいだろうか。 「でもどっかで寝たいわ。疲れた、さすがに」 「車中泊?」 「やってもいいけどあれ背中ばきばきになるぜ」あー夜行バス思いだすからそれはいやだな、と何気なく返すと「あ、するとしたら付き合ってくれるわけね」とにやにやされる。なんとも返しづらく黙っていた。 「まあいいや。六丁の目でも行くか」 「どこですか」 「あ? あー行ったことないか。ラブホ街があるんだよ」 まあ結局そうなるわなと心の中でだけ思う。疲れているので全然やりたくなかったけれど、黙って車に乗り込んだ。仙台駅東口より先はほとんど行ったことがなかったので、あ、こういう街なんだ、と思いながら外を眺めた。男は黙っていた。 なんだか客船みたいな見た目のホテルにたどり着いた。「え、港かなんか?」と言うと「あー無駄に凝ってるねここらへんは」と静かに返ってくる。無理してちゃかそうとしている自分だけが余裕をなくしているようで恥ずかしかった。 男が適当に取った部屋は妙にトーンが暗くて、所詮は学生のチョイスだからゴージャスでもなんでもなくて、目に入るディテールすべてがみょうに生々しかった。 風呂入る? と言われて、むしろほっとした。入ってきます、と逃げるようにシャワーを浴びた。  ダサいので絶対にホテルの寝間着やバスローブなど着たくなかった。かといって一日身に着けていた下着にまた脚を通す気にもなれず、仕方ないので裸の上から来ていたTシャツだけをひっかぶった。 「浴びました」 「ん」 男はキングベッドの真ん中で大の字になっていた。大きな人だな、と思いながら巨大すぎるベッドによじ登る。コンタクトを入れっぱなしであることに気づき、レンズをぽいぽい床に放った。 「替えのレンズあるの。カラコンとか?」 「いや、替えのレンズないです。でも送ってくれるんでしょ」 「まあいいけど」  微妙な距離感だった。こちらからにじりよれば役割分担がはっきりしてらくになる、と思いはしたけれど、それはそれで癪だった。じっとしていると、やがて男はぽつりと言った。 「つれてきて悪いけど俺EDなんだわ」 「え? インポなの?」 「直球で言うな。本人がぼかしてるんだから気つかえって」 だから手ぇ出さないから普通に寝ろ、と脚をさっと撫でられる。いやしいおじさんのようなしぐさだったけれど、手は冷たかった。 「初のラブホでセックスしないのかあ」 「したかった?」 「別に」 してもいいかなと思ったから車に乗ったので、この回答は半分嘘だ。正確には、するのしないのであれこれ探ったり問答することが面倒くさかっただけだ。 「やるとさ、もう、やった人っていう枠から出られないんだよな」 その表現は正しくない、と思った。あなたがわたしを「セックスした人」という枠をはめるんじゃないか、と思った。けれど、どっ��だっておなじだ。 「っていうかたたないんじゃん」 「もっとオブラートに包めって。文学部だろ?」  裸眼になって視野が水に溶いたみたいにぼやけていた。ねむ、と呟く。寝ろ、と短く返ってきた。 「ガルバってさ、めちゃくちゃアフター誘われるだろ」 「うん」 「いつもこうやってついてきてんの?」 「自転車だからつって断ってますよ」 「なんだそれ」 まああんま悪ぶんなよ、ほどほどにしとけって、と呟いていびきをかきはじめた。うるさ、と眉をしかめながらも、重力のごとく眠気がぶら下がってきてあっというまに寝た。 結局いちどのアフター以来、彼からラインが来ることはなかったしもちろん店に来ることもなかった。結局わたしは言いつけをまもらなかった。誰へのあてつけなのかもわからないまま寝たくもない男についていったし、肌が乾いていく、と思いながら零時をまわっても作り笑いをはりつけつづけた。いったいあの日々になんの意味があったのか、時々考える。罪悪感や後ろめたさはみじんも湧かないままだけれど、自分の身体を担保にするような日々をもし、後輩の女の子がくりかえしていたらおんなじように、「ほどほどにしなよ」と訳知り顔で言うんだろう。 すっぴんで自転車にまたがってのろのろと八幡のちいこいアパートにちんたら漕いで帰って朝陽に目をすがめていた日々のこと。まぼろしのようなミラーボール。 もう必要ないと思う。けどいつだって戻れる。いちど自分がそれをできる側の人間だと気づいてしまったら、あとは役割を果たすだけなのだ。
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skgt01 · 3 years
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まんぼ焼き 山本まんぼ 京都にて 関西にも複数のお好み焼き焼きスタイルがあり、ここのお店は京都のベタ焼きを進化させたまんぼ焼き。ホルモンや油かすが入って旨味が増す、まんぼ焼きに入れるそばだが中華そばかうどんを選べるし、ソースも甘口か辛味、玉子の焼き方もカスタマイズできるのが面白い。代理調理してもらえてオープンキッチンの鉄板で焼いていく姿をみるとそれだけで酒が進むのだ。 広島式のようなたっぷりキャベツが入ることもなく、大阪式のモダン焼きのように厚みもない、独自のスタイルがええやんかいさ。 神戸にも神戸焼きと呼ばれるベタ焼きのようなものがあり、浜松の遠州焼きもそれに近い。お好み焼きの焼き方は地域それぞれだけど総じてどれもうまい。 うまいもんはうまい。 さて、年末が凄まじいスピードで押し寄せてくる。昨年と今期の自分の仕事棚卸しをしてみたところ、このままだと過去の自分に負けて終わるということに気がついた(遅せーよ自分) 過去の自分は恵まれた環境で仕事をしていたのでやる事全部良い結果が出てたが、今期はそうでもない状況だ。 1発2発のホームランで返せるような点差じゃない、日々コツコツ仕事して実績を積み上げれないと塁にも出れんぞ。 今までやったことないビジネスモデルとかどんどんチャレンジして仕事を組み立てていかないと過去の武器だけで戦うのは研鑽はできても成長がない。 とにかく、うまいお好み焼きでも食べて作戦を考えるか。 #まんぼ焼き#お好み焼き#京都#kyoto#b級グルメ#food#foodie#foodies#foodgasm#foodgram#foodphotography #foodporn#delicious#yummy#yum#tasty#gastronomy (まんぼ焼き発祥の店 山本まんぼ) https://www.instagram.com/p/CXd8M1EPueW/?utm_medium=tumblr
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toxgo · 2 years
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佐々木、イン、マイマイン
映画仲間にオススメされて以来ずっと観たかった「佐々木、イン、マイマイン」 この後色々と書く前に率直な感想は最高すぎました。この映画に出会えて良かったと思ったくらいに。よく価値観を変えてくれた映画や、生涯でなんちゃらなテーマがありますが、僕の中では正にそれにカテゴライズされてしまった作品。ちなみにもう1作品選ぶならば「宮本から君へ」です。
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あらすじは、高校卒業後に上京して俳優の道を志している石井悠二。でも鳴かず飛ばずな道のりで軽く挫折し始めています。そんな時にバイト先で高校の同級生の多田と再会します。そして一緒に呑みに行った後の帰り道。通称“佐々木コール”と呼ばれる掛け声が始まると教室で全裸になって踊り出し、男子から絶大なる人気を集めていた「佐々木」のことを思い出します。そこから佐々木を軸にして、悠二の恋愛と俳優業の現状、高校時代の出来事を上手く重ねていき、多くを語らない内容で展開していく青春物語。
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佐々木は父親との二人暮らし。父親はほぼネグレクト状態で家にほぼ帰ってきません。そんな親父でも佐々木は大好きでした。劣悪な家庭環境でも悠二、多田、木村の4人といる時には常に明るく振る舞っている佐々木。高校卒業した後でもこの三人の事を新しく出会う後輩や、友達に自慢する位の友達思いな奴なんです。その中でも悠二だけには本音を語っていました。細かい所ですが、その悠二だけを苗字ではなく下の名前で読んでいた設定も良かった。
人前では弱さを見せない佐々木が一度だけ泣くシーンがあります。ある日、佐々木の父親が亡くなってしまいます(恐らく自殺) 佐々木を心配した三人は放課後、佐々木の家を訪れます。多田、木村の2人が帰る前に悠二は寝落ちしてしまいます。夕方過ぎに目を覚ますと、1人テレビのニュースをボーッと見ている佐々木が居ました。2人だけの空間になり親父の事を聞こうと思う悠二でしたが、佐々木は軽くはぐらかします。とても辛い状況のはずでも佐々木は悠二に、「やりたい事をやれよ。お前は大丈夫だから。堂々としてろ」と伝え、ぽろりと涙を流します。このシーンは元々泣く演技の台本ではなく、佐々木役の細川岳のアドリブが採用されたみたいです。
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ここからは悠二のターン。(遊戯王か笑) 悠二は上京して約10年。俳優だけでは食っていけず、バイトがメインになりつつある生活を送っています。別れた彼女との同棲を解消せずに未だに一緒の家に住んでいる状態。(冒頭で朝方に起きて布団に座ってる感じや、敷布団が絶妙に離れてる演出などは悠二が彼女のユキに未練タラタラな事を上手く表現しています) “そのうちやる” “後でやる”が癖になってしまい俳優で売れる夢や恋愛に関しても自分からは動かずに流されるがまま。
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そんなある日に俳優であり脚本家の後輩の須藤から舞台の出演を依頼されます。恐らく悠二にとっては久しぶりの俳優としての仕事。稽古も回数を重ねる毎に気合いが入ってきます。でもこの舞台の世界観が佐々木との思い出と徐々にリンクし始めてから物語は大きく動き出します。
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舞台の本番が近づいてきたある日の深夜。悠二に佐々木から着信がありました。寝ぼけながら電話に出ると佐々木ではなく女性の声がします。声の主は苗村と名乗る女性。その苗村からの衝撃の事を伝えられます。「佐々木君が、亡くなりました」と。。
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この苗村と佐々木の出会いが僕はこの作品で1番好きなシーンだったかも知れません。その出会った場所は田舎あるあるな(この映画の地元舞台は山梨)だだっ広い駐車場の真ん中にポツンと建つカラオケ屋さん“ペルシャ館” 後輩と2人でカラオケに来ていた佐々木はドリンクバーの帰り道で自分の大好きな歌を歌う女の子の声を聞いてしまい、その子の居る部屋の前を右往左往してしまいます。一旦部屋に戻り、後輩に「どうしても一緒にカラオケをしたい女の子がいて、ナンパだとは思われたくないんだけど、どうしたらいい?」と相談します。結果的に声をかけないと始まらないっす!と後輩に言われ、苗村の居る部屋にぎこちなく入り、「ナンパでないです!」と苗村に念を押した後、朝方まで一緒にカラオケをする事に。
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カラオケを終えてお店から帰る時の外は、冬空の太陽が登りかけの絶妙な青色に包まれた時間帯。後輩から苗村さんとの連絡先交換しました?と言われた佐々木は「それじゃナンパになっちゃうだろ」と一蹴。それぞれの家路につく際に、佐々木の真摯さに少しほっこりしてハニカム苗村を演じた河合優実のあの演技。佐々木の真っ直ぐな性格と一度決めたらブレない一面を表現していた素晴らしいシーンでした。
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深夜の電話の翌日。苗村から佐々木の実家に集まってほしいと連絡をもらった悠二、多田、木村の三人。佐々木は末期癌に犯され、発見した時にはもう手遅れで延命治療を拒んでいたと聞かされます。1人ずつ実家で眠るように亡くなっている佐々木と最後のお別れをします。高校時代から散らかり放題の家でしたが、そこで佐々木の知らなかった一面を目の当たりすることに。
悠二には自称パチスロと名乗り、プー太郎だと思わせながらも、実は高校の美術部から始めた絵を皆に言わずひっそり描いていて、ちゃんと夢を追いかけていました。でも自分の夢よりも悠二たちの夢を応援していた佐々木。散らかった床を掻き分けて佐々木の隣に座る悠二。自分のタバコではなくて、佐々木のタバコを吸いながら「佐々木」と呼びかけるシーンはとても感動させられました。(この佐々木のタバコを吸うのは悠二を演じた藤原季節のアドリブ)
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そして全ての事にケリをつける時が来ます。彼女のユキとの中途半端な関係性にもキッチリとケリをつけ、佐々木の葬儀に向かう悠二は舞台のセリフを叫びながら高校時代に4人で通った通学路を逆走して駆け抜けます。その描写は現在から、佐々木にもっと踏み込んで色々相談に乗ってあげたかった。親父が亡くなった後もいつもの佐々木コールをやってあげたかった。でも、もうその願いが叶う事のないけど、佐々木に対してやり残した事に決着をつける様に。
いよいよ迎えるラスト。ここまで散々ネタバレ全開で書いてきたのに今更言うのもなんですが、このラストシーンは絶対に見て欲しいのであえて詳しくは書きません。色んな感情が爆発するのですが、一つだけ書きたいのは高校時代は女子からドン引き(当たり前)されていた佐々木コールに苗村さんが悠二たちと一緒に同調していた演出には涙でした。
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総括とするならば、これからの日本邦画界を引っ張ってくれるはずのキャスティングとスタッフ。学生時代に1人は居たであろう“ヒーロー”の存在。大人になってから出来る友人ももちろん大切ですが、学生時代の友達はやっぱりかけがえのない存在だと思わせてくれる事。友人や知人が悩んでいる時に、どれくらい踏み込んでいいものなのか?もしかしたらやろうとしている事はただのエゴではないのか?何とかしてあげたいと思っても、その境界線は難しいなと感じました。でも後悔だけはしない様に生きていくべきだと価値観を変えてくれ、僕の中でこの先も忘れる事はない映画になりました。観終わった後は「佐々木!佐々木!佐々木!」の“佐々木コール”が心の中で鳴り止みません。そして、タイトルに込められた思いが分かるはずです。
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NARI
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tokoromantic · 2 years
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名古屋編 総復習
名古屋での生活、2021年もおわってしまった。日々のBPM300ぐらいで踊るのが大変だったけど、それはそれは、一瞬でおわってしまった。
わたしは決して2021年のことは忘れないとおもうよ、意味がわからなかったので。8ヶ月間ありがとうってこないだ言われて、3年の間違いで��?と錯乱してしまった。それぐらい、たくさんの経験ができて、かなりエンジョイ、苦悩も学びも玉手箱な1年だった。
短い間ではあったけど、あまりの情報の多さで3歳は老けたな〜と思い、大学のマヴ砂ちゃんに見ため年齢査定(定期)をしてもらうと
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ついに46歳3児持ちになっていた。名古屋編の最中、気づいたらシミや白髪が増え、ドモホルンリンクルを考慮し始めたりした。人は動いた分だけちゃんとくらうんだなとおもった。"等価交換"
そんな名古屋編を総復習____☆
生きた証のメモだよ。
まいにちの生活タイテ
10:00 起床 月木はゴミ出し
10:30〜11:00 コンビニで飯
11:00〜15:00 宿の掃除・セッティング
15:00〜21:00/23:00 労働
労働後 虚無or飲酒or残りの宿の掃除
月々2万円で住む代わりに、宿の掃除とセッティングをしていた。ときどき宿泊者がドロップして行くアイス・酒・化粧品をありがたく頂き生活の足しにするなど。
最近のドロップ品でよかったものは、水にいれると光る氷おもちゃ↓
週2〜3、朝2時間の約束のはずが、直前に予約が入って急遽やらなくてはいけなくなったり、いつも3〜4時間ぐらいかかる。
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自分の部屋もまともに片付けできないのに、人のpartyの片付けをしなければならなく、普通にすべて "なげだしてい" になってしまった。解散。↓参考資料(実家の自分の部屋)
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かなりトホホだけどトホホのままおわらせる所でもない。(トホホと所のパンチライン)
たくさんの掃除を経て、匠ごっこ・クラブごっこのふたつが断然アガる掃除の仕方ということに気づいた。みなさんも掃除が鬱の時はやってみてほしい。
↑最後に流すと本当に(なんということでしょう)みたいな気持ちになれておすすめ!
クラブごっこは深夜に掃除しなきゃいけない時に、全部の電気を消してテクノ・ハウスプレイリストを爆流ししながらやるだけのやつ。掃除が一種のダンスであることに気づく。
こんな1人遊びばかりして過ごしているけど、いちおう同居人(26歳男性)がいた。生活リズム合わないからあまり会わないけど。
彼もまたフリーターで、死ぬほどバイトしながら、勧誘系のビジネスをしている。LINEのタイムライン300投稿とかしてた。ほわわ〜んとしてるけど、ゴジラ一緒に見てる時「ゴジラって結局なに?」って聞いたら、「地球じゃん?」って言われた時、出会った意味がすべて理解(わか)った気がした。
あ、そういえば夏にもう1人タメ男性が入居してきて、一瞬知らん男性ふたりと生活してた。この人も異世界系で、「好きな音楽何?」ってきいたら「ひろゆきしか聴いてないなあ」って言ってきたな。
前のtumblrにも書いてたけど、どさくさに紛れて少女漫画的展開があったらどうしよう〜⤴︎とか思ってたけど、同居人不在の日は全裸で共同スペースを駆け回ったりしてたし、華があるエピソードはひとつもできなかった。ただ、人と住むのはおもしろいなとおもった。ゴミ捨てサボんなよクソがとか思ったりもしたけど。
ちなみにゴミ捨ての朝は朝ドラの主人公感を出していくと、その日なんとなくうまくいく。
あとはなんだろう、急に家の改修工事始まって、廃墟暮らしみたいになったり、
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洗濯機がお風呂にぶちこまれたり、
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生活、いや、"生命活動"というものの難易度に終始圧倒されていた。"ていねいな生活" をしている人って、相当すごい人ってことにきづいた。レベルが違う。
月々2万で住ませてもらう代わりの労働なので、掃除でもらえるお金はもちろんないわけで。人は働かねばお金は貰えないし、お金がなければpartyには参加できない。
そこでtokoromanticは4つ?ぐらいアルバイトをした。居酒屋・喫茶店・カレー屋、あと一瞬だけ海物語にひたすらネジを打つ日雇いをした。
どれも1年も働いてないのに濃い思い出ばかりなので少しだけ記録しておく。
緊急事態宣言で居酒屋がなくなり、喫茶店だけでは回せないのではじめたカレー屋さん。小洒落たスパイスカレー屋さんで、店長と社長しか男性がおらず、あとはほぼアラフォーぐらいの女性バイトでまわっている。
とにかく、ここで思ったこと。女性だけで世界は回らない、世の中に男性がいてくれてありがとうということ。
ここのデキる女先輩におはようございまーすの瞬間から3kill、1日10kill、通算500killぐらいされ、人生モラトリアム期だったため結構まともにダメージ食らってしまい、わかりやすいことに白髪がめちゃくちゃ増えた。
しかもそのデキる女先輩に「結構白髪目立つよ?わたし白髪あんまり目立たないタイプなんだよねえ」と言われ、お亡くなり退勤したり。
また、デキる女先輩からの「なぎさちゃん今のその感じで、今の歳だから許されてるかもしれないけど、どんどん許されなくなっていくからね?」は、結構ワンキル発言で、その日の電車マジ泣きして帰ったこと、忘れない。悔しいは人生のスパイスなので。スパイスカレーだけに♪
出勤する前にお気持ち退勤を繰り返していた闇落ち期のときに、音楽界隈以外で初めてできたマヴダチJKギャルのあやちゃんがバイトで入ってきた。
一瞬で打ち解けて、3回ぐらい遊んだ。こないだも最後に会いたいと会いにきてくれて、ひたすらカフェに置いてある雑誌の占いを読むなどした。それだけで3時間も過ぎてて、最高。
あやちゃんと出会ってから、私はとても健康になった。なんでピアスあけるの?なんで髪色ピンクにしたの?などの質問に、「かわいいから」って言われた時、頭でっかちになっていた私の脳はぶっ壊された。「しょうみ、あやがいちばんかわいい」って言うあやちゃんが私は大好きだ!みんなJKの友達作ったほうがいいよ、健康に。
喫茶店と居酒屋はほんとうにひたすらに大好きな場所になった。どちらもお客さんもスタッフもとにかく人が良くて、とてもぬくぬく。
ブラジルコーヒーでは企画もできたし、ほんとうに現実と非現実の狭間にある喫茶店。喫煙OK・爆音OK 名古屋でおすすめを聞かれたらブラジルコーヒーと答える。 
居酒屋もいいところだった、普通に生きてたら出会わなかったであろうおじさんやおばさんたちにずっと構ってもらった。店長が、さみしいなあ!1月の出勤はいつにする?と言ってきて、こんな嬉しいことはないなと思った。もうみんなに会いたい!
名古屋編の数ある出会いの中でも、特にこの居酒屋で出会った小学生野球チームのコーチをしているおじさんたちとの出会いはおおきかった。歳はケンジよりも上の人たち。
毎週土曜の昼から、嘘みたいに酒が消えてく。ベロベロに酔っ払いながら、「勝っても負けても、野球はたのしいと子供たちに思ってもらいたい」「上から言うのは簡単、でも、子供たちにどれだけ寄り添えるのか」「おれはお前のこと大っ嫌いだけど、お前のおかげでこのチームはいい」など、喧嘩みたいなテンションでわーーーーーっと喋り、飲み、食べる。練習後なのでいつも床は砂まみれになる。
こんなに人のことを想って交わされる酒、目頭が熱くなったことが多々ある。いつだって私は、こういうのを大切にしたい。
しかし、ジーンとしていると、すかさず適当なダジャレ・セクハラ発言・何回説明しても忘れられる「で、お前は、どこから来た?」質問がくる。そして適当に絡んで気がすむと酒を奢ってくれる。
おじさんたちのダジャレのスピード感、ユーモアが私は大好物、とても尊敬している。なぎちゃんはやさしいね、こんなに笑ってくれる若い女の子はいないとよく言われてたけど、当方恐ろしいことに全くビジネスではなく本気で(いやクソワロタwwwwwwww)と思っていた。将来1番めんどくさいタイプのおじさんになる懸念。
この人たちが、私がラストだからと、"所フォーエバーの会"をしてくれた。薔薇を1輪・花束をくれた。店長は厨二病ギターケースとギターをくれた。めっちゃダサくて最高。こんなんどこに売ってた?すぎる。
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↑遠征バンドマンみたいになるなかむらんど
その日わたしは案の定泥酔、途中から全く記憶がないが、ひたすらに嬉しい!楽しい!大好き!を伝えていたらしい。酔い方がドリカム。
「やりたいこと好きなようにやれ。」と言われジーン、そしてやっぱりすかさず「だからおっぱい触らせろ!」の世界線。やりたいこと、好きなようにやろう。
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散々適当なこと言った後、最後にがんばれよ、とハグされて、ほんとうにどこまでも他人想いなみんなのお気持ちを受け取り、将来は絶対、1番めんどくさいタイプのおじさんになりたいと思った。ちょっと泣いたし、この時のことを思い出してちょっと今も泣いてる。
また一緒に飲みましょうね!
名古屋のほんの一部の生活を抜粋してわーっと書いたが、全然もっと色んなことがあった。企画も8?ぐらいやった。急に。Serotoninもできたし。色んなことが目まぐるしく始まり、終わり、今実家に帰省してお布団でぬくぬくとこれを書いているが、ずっと動き回っててこんなに何もない1日が久々すぎてソワソワする。
名古屋で出会った人のまとう空気感が、ほんとうに好きだと思った。やっぱり地域性ってあると想うけど、東京育ちなのでとてもあったかく感じた。大好きな人がたくさん増えてうれしい。ワンピースみたい。
挨拶したかったけどできなかった人も沢山いるので、ここでまとめて、ありがとうを送ります。
とりあえず、1/1〜10までは東京に。
11からは大阪編が始まる。また目まぐるしくなる予感しかしない。ワクワク!
大阪にお住まいの、引越しを手伝ってくれる方・いらない家具がある方・自転車を余らせている方
↑随時募集
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ちょっと都会に住んでしまったので、久々の虚無景色に胸が高鳴る、ウチらの住みたい街ナンバーワン小平!!!しばらくここでナギのお暇、いただきます。予定は立てるのが苦手なので、今日とか明日とか、そういうレベルで遊んでください!☆
今年もよろしくお願いします。年女ー!
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winterain66 · 3 years
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『残照』について、おぼえ書き
 2020年春。岡山城の近く、石山公園の下、流し込まれていくコンクリートによって日毎に埋め立てられていく石組みの隙間のことを花粉と久しぶりの屋外の眩しい日差しのせいで痛む頭と共にみつめていた。10代で最も美しかったあの日の風景が失われてしまう。人はすぐに変わっていってしまった。人格も、感情も、関係性は、あの頃にはすぐに失われ、損なわれる、というよりも、成長と呼ばれているのかもしれない残酷な時間の流れの中で、もはや、手に、触れることのできないないところへ行ってしまって、取り残されてしまったとうずくまっていた僕も、いつの間にか遠くへ来てしまっていた。
 注意深く歩かなければ足をとられて転んでしまいそうになる河沿いに上書きされた遊歩道は、到底、周囲の風景とは調和しないように思われる様な色彩だった。不揃いな等間隔に並ぶ、水面に近い、腰かけのような岩に並んで座って、昼間が夕に夜へ向かっていく間をずっと隣り合っていた、今となってははるかに遠いあの日、目前にあった夕焼けの光に照らされた水辺の風景は、私が生まれる前からずっと、これから先も、私がそこにいない間も、いなくなってからも、ずっと、変わらずにあると、無邪気に思いこんでいた。季節は繰り返す、ように思うけれど、それらひとつずつは同じものではない。螺旋状に時間は進んでいく。  
 美術館の横にクレーンが鉄骨を組みあわせてできた建造物の壁に岡山駅の構内から姿を消していた岡本太郎のレリーフが出現したのをマスクをした急ぎ足で通り越した。橋を渡りながら見降ろした、完成した遊歩道で、楽しそうに走る三人の幼子とそれを追いかける母親をみた。失われてしまった喪失の隙間の悲しみが無かったことのように埋め立てられた、その上に、幸福の風景はあり得るのだと思った。それによって、悲しみが無かったことにはならない。けれど、この温かい感覚はそれと同時に私の中に存在しうることに気づいた。
 当たり前だった風景が失われていく。あたり前だった日常が壊れていって、壊れたものだと思っていたそれが、日常に、普通になっていく。失われた日々を、失われていく今日を、書き残した、シャッターを押して記録した瞬間の像も、それら自体はネガティブ・ポジティブの二項対立に切り分けてしまえるものではなくて、私と僕の領域も、私たちとあなたと世界の境目も、複雑に絡まり合って、重なりあって、それらすべて、悲しみも、喜びも、幸福も、喪失も、憎しみや嫉妬、怒りすら、もしかしたら、愛おしくすら思えるような気がした。これも、一時の思い込みかもしれない。今日の明るい温かい空気のせいかもしれない。
 そもそもの私の始まりは「君に触れていたいよ」と歌われた、「title of mine」の、あの震える歌声と、掻きならされたギターソロだったっけ。今聴いても何も感じないかもしれない、けれどあの時に感じた、僕の奥底の切なる願いがここにあるという感情のことは変わらずにここにある。これだけはずっと。
***
よくわからないところにたどりついてしまった。元々何を書こうとしたのかも判らなくなってしまった。
何かを書いて、写真をとって、冊子を作って、それだけが、この数年の間の私が「継続して何かを成した」と言えるようなことで、しかし、私以外の人間に、世界にとって、それは、何も意味や価値をみいだすに値しないものなのだろうことを、私のなかの分別のついた部分では分かってしまっている。分かっていながら、誰かに何かが伝わるならばと願ってしまって、私のことをみつけてほしいと、ずっと、思ってしまっている。「最近の私はこうでした」と、直接的な手紙ではなく、写真と詩で、作品として、定期的にあなたへと届けられたらと思ってはじめた企画でしたが、誰かが手に取ってくれて、確かに届けることができたという実感を得られたことは喜びでした。
当初は月に一度、L判サイズの写真詩をネットプリントで配信するというものでしたが、ある人に言っていただいた「誰かに送っても素敵だと思う」という言葉に背中を押されて、並行してポストカード版も制作して希望してくださった方々に送付していました。感想をsnsでシェアしてくださった方もいて、とても力をもらいました。本当にありがとうございました。
 今回冊子としてまとめるにあたり、二編の詩と、その期間に撮りためていた写真を追加したことによって、企画の総集編という性格以上に、私の人生の、ひとつの季節を切り取ったような写真詩集になったと思います。
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もし気がむいたら、手に取って読んでいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
冬雨 千晶
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〈ネットショップ一覧〉
BASE:https://winterain.base.shop/items/40925585
アカウント作成の必要がなく、スムーズにお買い求めいただけます。
BOOTH:https://winterain66.booth.pm/items/2828518
匿名配送(あんしんBOOTHパック)で発送するので住所のやり取りなく購入が可能です。pixivのアカウントが必要になります。
※現在、写真詩集『残照』を取り扱ってくださる書店さま、店舗さまを探しています。もし、ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、見本をお送り致しますので、お気軽にご連絡ください。よろしくお願いします。 [email protected]
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xf-2 · 4 years
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新型コロナウイルス関連の報道では、数多くの医師がメディアに登場して、自身の知見を述べている。しかし、最前線で感染者たちと接している医師の話をじっくりと聞く機会は意外と少ない。実際にはその患者を診たことがない「専門家」(中には医師ではない者もいる)のオピニオンのほうが多く流布されている。現場からの声として紹介される多くは、治療現場の苦境といったところに限定されているようにもある。
 そこで今回、ある総合病院で新型コロナウイルスを実際に診察し、また現場の統括もしているベテラン医師に匿名を条件で本音を語ってもらった。匿名にした理由は「特におかしなことを言ったつもりはありません。同じように考えている医師も多いと思います。でも、��だでさえ忙しいのに、病院あてに抗議などが来るとたまらないから勘弁してください」というものである。
――お勤めの病院はどんな感じですか?
 現状をお話しする前に、平時の病院、医療がどうだったかを少しご説明させてください。
 もともと日本は国民皆保険ですし、東京は医療へのアクセスが極めてイージーになっていました。中学生までは医療費ゼロですし、救急車を呼んでもお金は請求されません。欧米なら数万円は確実に取られます。それゆえ、子供を昼間病院に連れて来られないというだけの理由で、救急外来を夜間に普段使いするような親までいたのです。
 だからいつも病院が混雑していることが問題になっていました。一方で、開業医の先生を含めて医療機関側もそれで儲けていた、という面もあったことは否定できません。「どんどん来てください」とやって、医療費は国に負担してもらえばいいのですから。
 ただ、新型コロナウイルスの影響で、普段は安易に病院に来ていた方が減ったので、全体としての患者数は減っています。
 感染症や救急を担当していない病棟や医師はむしろ時間に余裕ができているようです。不要不急の手術も延期にしていますから。
 1、2月に比べて3月の病院全体の収入は3割減というところでしょうか。病床の稼働率も10%ほど下がっています。
 おそらくこれは開業医などでも同様でしょう。「売り上げ」が落ちて困っているところもあるだろうと思います。
 一方で、私たち新型コロナの担当医たちだけは忙しくなっています。
 うちの病院では新型コロナの診察を救急医が受け持つようにしています。その担当医らの仕事は、大雑把にいって1.5倍になっているという感じです。ただでさえ忙しかったところに、仕事が急増しました。
 私が若い頃は救急を専門とする医師は月15日くらい当直というのが当たり前でしたが、さすがに今はそうはいかないので、当直は月6~8日くらい。週休2日は確保できるようにして、休日出勤の際には代休も取るように、という方針でした。
 これがさっき言ったように仕事量が増えているため、「当分、代休は取れません」という感じになっていて、実感としてかなりキツい日々が続いているのは事実です。
 私自身は現場の診療の他に、病院全体の感染症対策等々の仕事が増えました。省力化できたことといえば、テレビ会議が増えたので結果として会議の時短などが進んだことでしょうか。
――新型コロナに関しては、膨大な情報量が発信されています。この状況をどう見ますか?
 SNSで誰もが発信できるようになったことで、不安をかきたてる情報が溢れすぎている、という印象はあります。
 また地上波のテレビ、ワイドショーがセンセーショナルに伝える傾向があるのは良くないと思っています。たしかに政府の言う通りのことを流すのでは政府広報になってしまうので、良いことだとは言えません。
 しかし、恐怖を煽って,今の対応が危険だと強調しすぎているように思います。
 現政権が嫌いなのかもしれませんが、それと医学の問題は別です。
 現在の政府方針、専門家委員会の方針は、専門的な知見のある人たちが議論して打ち出したものであり、相応の合理的な判断だと現場の医師から見ても思います。
 ですから煽られておかしな行動をとるのではなく、とにかく今の対策を守ってもらわないと,収束できるものもできなくなると思います.
 にわか専門家のコメントが全部間違っているとは言いませんが、大事なことをうまく伝えられていないと感じます。自称専門家はもちろん、芸能人の方などの不用意な発言でも、視聴者は扇動されます。
 外国の例を簡単に紹介するのも問題です。「海外ではこうだ」というのですが、それぞれの国によって医療レベル、保険制度、国民性、文化など異なる背景があります。だから安易に「あそこがいい」「ここがいい」という話ではありません。
「アフリカの〇〇ではこうだ」と言われても、その国は常に様々な感染症の脅威が存在する国かもしれません。その国の政策を参考にする、といっても無理があるのではないでしょうか。
――「何もしないと42万人が死ぬ」というシミュレーションも恐怖を煽っていたのではないでしょうか?
 あれはあくまでも「何も対策を講じなければ」という前提で、最悪の事態を示したのですから、「ステイホーム」を訴えるという点では良いのではないでしょうか。
「エアロゾル」感染といった言葉が独り歩きしたせいで、ちょっと勘違いがあるように思うのですが、基本的には空気感染ではなく接触・飛沫感染です。だからちょっと話をした程度であれば、問題はない。
 空気感染だと思うと「じゃあ空気がいいところなら大丈夫」という勘違いが生まれます。ここが心配です。
 たとえば「空気がいい」ゴルフ場に行く、公園でジョギングをする、というのは問題ないように思っている方もいるでしょう。
 たしかにゴルフ場でプレーするだけなら感染はしないでしょう。しかし、その前後に外食をしないでしょうか。ジョギングの最中に無意識にガードレールを触って、その手で顔を触り……となっていないでしょうか。
 そういうリスクがあるからこそ、「ステイホーム」と呼び掛けているわけです。あくまでも個人的な、そしていささか楽観的な見方ですが、きちんと自粛をしていれば、あと1、2カ月のうちには良い状態が来るのではないか、と思っています。
――そうした報道に煽られて、検査や診察を求める患者さんが殺到していて、かえって病院が困っているとも聞きますが、どうなんでしょう? 
 確かに、必要とは思えない患者さんが検査を求めてくる事例はあります。直接こちらの病院には来なくても、かかりつけ医から紹介状をもらってきて、検査を求めるケースです。そういう人の中で検査を断られた人が、SNSやテレビで「検査も受けられない」と主張することもあるのでしょう。
 ただ、この間、数多くの新型コロナウイルス感染者を診てきた者として言えるのは、「この人は陽性だな」と思う人は検査に回さなくても、ほぼわかる、ということです。あくまでもその診断を確定させるために回すのです。病歴を聞き、問診をして、CTを撮り……といった診察の過程でかなりの確率でわかります。
 ところが、そうした経験のないお医者さんが、患者さんに強く言われたとか、あるいは患者さんサービスの一環で検査を求めるとどうなるか。結果として、本当に早く確定して欲しい人の検査スピードが遅くなります。
 これが問題です。
――テレビに出ている「専門家」の強い主張の一つが、「とにかくPCR検査を増やすべき」というものでした。これはどうなのでしょう? 
 これは絶対に間違いです。少しでも専門知識がある人は、全くこれを望んでいません。
 他国と日本が違うのはこの点で,本当に医師が疑った例にのみ検査をやっている点で感染の広がりをコントロールできていることは確実です。
 とはいえ確かに検査のスピードは遅かったから、そこは今改善を進めています。
 ただし、誰彼構わず検査をオーダーできるような状況を作らなかったことは100%正しかったと考えています。
 日本のように国民皆保険の国で、なおかつ感染症に詳しくない町のクリニックのようなところまでもが、自由にPCR検査をできるような環境を作っていたら、間違いなく院内感染が多発していたでしょう。おそらくニューヨークやイタリアの比でない状況になったと思います。
「かかりつけ医」に相談することは否定しません。しかし、そこに多くの人が押し寄せたら結局クラスターを発生させかねません。そういう状況を作らなかった点では、当初、検査を絞ったことは決して批判されるようなことではないのです。
 現在報告されている院内感染にしても、慣れてない人が普段使わないような感染防御具を適切でない使用をしたがために他の人や患者に感染させる例があとを絶ちません。
 ドライブスルーでのPCR検査を増やせ、という意見についても、乱暴に思います。病院外での検査体制は進めたほうがいいでしょうが、やり方を間違えるとかえって感染者を増やすことにもなりかねません。
 別の観点から補足させてください。
 毎年のインフルエンザの流行の仕組みをご存じでしょうか。
 PCR検査が注目されることで「偽陽性」「偽陰性」といった言葉もよく目にされるようになったと思います。前者は「本当は陰性なのに陽性と出ること」で後者は「本当は陽性なのに陰性と出ること」ですね。
 実はインフルエンザの検査でも「偽陽性」「偽陰性」は一定の確率で発生します。日本では「インフルエンザかな?」となったらまず病院に行って、検査をしてもらって、タミフルを飲んで、ということが当たり前に思われている方が多いかと思います。
 でも実は、こんなことをしている国はそんなに多くありません。一つには先ほどから言っているように、医療費が高い国では、そのたびに大変な料金が発生するので、いちいち検査しない、という人が多いのです。また、タミフルは病気を治す薬というよりは、よくなるまでの期間を短くする(7日が5日半になる)という性質のものです。
 アメリカならば、この検査とタミフルだけで下手をすると500ドルはかかるでしょう。だから多くの人は「家で寝て回復を待つ」のです。私もそうしています。
 ところが日本は医療費が安いことに加えて、「休むなら証明書を出せ」という習わしが学校や企業にあるので、こぞって病院に来て検査を求めるわけです。
 問題は、インフルエンザの簡易キットの感度は7割から8割なので、2~3割の人は本当は陽性なのに「陰性」という結果になります。
 その人たちは、病院のお墨付きをもらったということで、自由に動き回りますから、コミュニティの中で感染を広げます。実は、これが毎年のインフルエンザの流行の大きな原因なのです。今回のことを教訓に、「インフルの証明書がないと休めない」といったおかしな慣習はなくしてほしいものです。何にせよ具合の悪い人は休むべきです。結果としてそのほうが学校や職場のためにもなります。
 そして、今年、インフルエンザがあまり流行していないのは、多くの人が手洗い、うがいをして、なおかつちょっとでも具合が悪ければ、自ら行動を抑えるようにしたからです。その結果、「実はインフル」の人が感染を広めなかったわけです。
 話をPCR検査に戻せば、検査の無闇な拡充に反対している人たちが怖れているのは、インフル同様に、「お墨付きを得た、でも本当は陽性です」という人が感染を広めることにつながりかねないからです。
 よく韓国やイタリアのほうが日本よりも検査数が多い、といって日本を批判する人がいるのですが、これは話がまったく逆です。韓国やイタリアは最初に検査数を増やし過ぎたために、感染を広めてしまったのです。
「医療資源が無限にあり」「偽陽性の人でも全員どこかにちゃんと収容できて」「(偽)陰性の人が行動を慎んで他人にうつさないようにする」という前提がすべてそろっていれば、検査数をどんどん増やすのもいいでしょう。
 しかし、そもそも検査はそんなに簡単なものではありません。検査というのは少なくとも検体を取る人と、検体を検査する人の両者がいてはじめて検査ができるのです。仮に医師会の先生たちが頑張って検体をたくさん出しても、検査する人が増えなければ結果が出るのがより遅くなってしまいます。本当に必要な検査が滞るのです。
 もしも「やる気になればできる」と言い張る方がいるのなら、ぜひそういう人材がどこにまだ眠っているのかを教えていただきたいものです。
 検査の技術の習得は一朝一夕にはできません。だから長期的な観点では、もっと日本はこういう検査もスピーディにできるようになればいい、と言われれば「その通りです」と答えます。
 しかし、今まさに感染爆発を防ごうとしている時期に実現不可能なことを言っても仕方がありません。
 テレビに出ている中でも、自称「専門家」ではなくて、本物の専門家の先生方もいらっしゃいます。そうした方に、「日本のPCR検査数は少ないのでは」とか「より検査体制を充実させられるといいのでは」と問えば、「そうですね」と答えるでしょう。それ以外の答えをしようがありません。
 しかし、それで「それみろ、やっぱりPCR検査が足りないんだ」と言い張るのはやめてください。
 繰り返しますが、現場で本当にこの病気を診ている医者で、もっと検査数を増やせ、などと言っている人はいないはずです。
――ではなぜお医者さんの中で「PCR検査を増やせ」という声が根強いのでしょうか?
 例年、この時期はインフルエンザの患者さんで病院、特に開業医さんは混み合うのです。経営のことを考えると患者さんがたくさん来るのは悪いことではないと考える先生もいるでしょう。今年はインフルエンザ自体が流行していませんし、万が一新型コロナウィルスに感染している患者に検査をすれば、感染のリスクがあるためほとんど行われていません。現在、新型コロナの診察はあまりやっていないでしょうが、一部の人にとっては「検査は怖いから検査センターにお願いするとして、診察は引き受けたい」といったモチベーションがあるかもしれません。
 そういう人にとっては、かりに「PCR検査センター」のようなものが出来れば、都合が良いかも……というのは穿った見方でしょうか。
――「WHO」の関係者と名乗る方、ノーベル賞受賞者の方もPCR検査を増やすように主張していますが。
 海外にいて、どのくらい日本の事情をご存じなのかわかりません。また、たとえノーベル賞を受賞された素晴らしい先生方であっても、必ずしも感染症やこの病気の専門家ではないので、仰ることがすべて正しいとはいえないと思っています。
 医学はそれぞれの科や専攻の専門性が高い分野なので、たとえノーベル賞受賞者であっても、専門外のことには確証を持って発言していないのではと感じることもあります。
 なお、「検査、検査、検査」というWHOの事務局長の発言もいまだに曲解されている方がいます。あれはあくまでも発展途上国などで検査を軽視している国に対してのメッセージであって、日本などを念頭に置いているわけではありません。
――ただ、検査をまったくしないと不安だという気持ちもよくわかります。「37.5度が4日間続くまで様子を見る」と言われても、その間に急激に悪化したら……と不安になるのでは。
 気持ちはよくわかるのですが、熱だけが兆候とは限りませんし、本当に具合が悪くなったら救急車を呼ぶほうがいいと思います。新型コロナ以外でも、いろいろな病気がありえるのですから、本当に具合が悪い時はそうするべきでしょう。
 また、これからは「陽性だけれども症状がない」という方はホテルなどに入ることになりました。このメリットは単に隔離されるというだけではなくて、そこには医療スタッフが必ずいるということです。症状が悪化した場合には、そのスタッフが対応します。
 このところ脚光を浴びているのが血中酸素濃度を測って患者さんの状態を観察するというやり方です。入院患者や経過観察の対象の方の濃度をチェックするのは意味があるでしょう。ちなみに、その際に用いるパルスオキシメーターを発明した青柳卓雄さんが、先月亡くなられました。コロナの報道に紛れてしまい、あまり大きくニュースでは扱われませんでしたが、世界に誇るべき日本発の医療技術であることは知っておいていただきたいと思います。
――死者数や感染者数を見るとインフルエンザと大差ない、いやインフルのほうが深刻だ、といった意見についてはどうお考えですか。 
 たしかにウイルス自体の病原性や感染力は同等だと思います。空気感染はしないので、結核と比べると感染力は弱いともいえます。
 ただ、高齢者や合併症のある人への進行度合いは半端ではありません。日本は医療レベルが高いので、余り若年者は死んでいませんし、今後もそうでしょうが、感染した高齢者の一定数は救いようがないままに亡くなります。
 実際に診察しての実感を一言でいえば、「この病気はヤバい」です。
 多くのウイルス性肺炎は、自身の持つ免疫力で打ち克つことができます。
 新型コロナウイルスは、若い人と比べて高齢者が重症化しやすいことはよく知られていますが、では両者の違いは何か、といえば免疫力になります。肺炎が重症化しても、踏ん張っているうちに回復に向かえる。だからICUやECMOで治療をして、「もうちょっと頑張れる」ようにするのです。しかし、その間にダメージを回復できなければ最悪の場合、亡くなることになります。
 少なくとも私の病院では、例年、インフルで亡くなる人はまずいません。それまでにちゃんと治療をして、回復してもらっているからです。しかし今回は、すでに何人もの方が亡くなっています。だから「ヤバい」と感じるのです。
――世界的に見た場合、日本は死者数、重症者数が少ないのはなぜでしょうか。これを政府の陰謀のように言う方もいますが。
 実際に少ないと思います。それはいろんな理由が考えられるでしょう。
 まず衛生観念が高い、といったことがよく指摘されます。清潔な水が近くにある、靴を履いたまま家に上がらない、とか。そういうこともあるかもしれません。
 また、繰り返しお話ししているように、医療レベルの高さ、アクセスのしやすさは大きいと思います。
 多数の死者を出したアメリカでは、救急車を呼ぶのにも、病院にかかるのにもかなりのお金がかかります。そうすると、具合が悪くても病院に行かない、行けないといった人は一定数出てしまいます。今回亡くなった多くの人が貧困層だというのはそういうことでしょう。「日本でもタライ回しがあるじゃないか」と言われるかもしれません。確かにそういう問題は解消されていません。
 しかし、たとえば東京都では救急医療について「東京ルール」というものを10年前に定めています。「5つの病院に断られた」「30分以上搬送先が見つからない」といった場合には、東京都が定めた地域救急センターに搬送する、というルールです。他の自治体でも様々な取り組みが進められていると聞きます。「日本はダメだ」と言うのは自由ですが、他の国と比べて決して引けを取るようなシステムにはなっていないと思っています。
「BCGが有効」という説も聞きますが、これはまだよくわかりません。そういうこともわかればいいとは思いますが、少なくともそれは現場の私たちが判断できることではないのです。
 なお、「検査数が少ないから死亡者が目に見えていないだけ」といった主張は完全に陰謀論の類です。たとえば別の肺炎死だとか、謎の死者が急に激増しているというのであれば、そういう仮説も立てられるのでしょうが、そんなことはまったく起きてい���せん。
――最前線にいる立場で、メディアや一般の人に言いたいことなどはなんですか。必要な支援はありますか?
 私たち医療従事者はいま別にお金が欲しくて働いているわけではなく、使命感で働いています。
 相当なストレスを抱えながら、普段以上に働いています。実際の担当ではない医師や看護師にも大きな影響を与えています。
 たとえば、陽性だけれども症状がない、といった患者さんを専門外の個室に入れることがあります。するとそこの看護師さんは慣れないながらも感染者の面倒を見て、しかもそれが他の患者さんにうつらないようにしなければならない。普段とはまったく異なるプレッシャーがかかっていて、精神的に追い詰められている関係者は数多くいます。
 私も今は家に帰れる日は限られていて、あとは病院が用意したホテルに宿泊するようにしています。
 また、精神的に追い詰められた職員らのための対策も考えなくてはならない状況です。最初に病院全体の患者数は減ったとは言いましたが、対応をしている病院のスタッフは本当に大変なのです。
 最近は家庭内感染が増えてきましたが、最初の頃は「夜のお店」近辺の感染者が非常に多くいました。
 そんな状況下で、テレビのニュースを見ると「自粛で大変。補償してほしい」といった「夜のお店」の声を紹介しています。もちろん当事者の方々が大変なこと、そういう感情を持つことは理解できます。でも、毎日ギリギリのところでやっている身からすれば「いま補償の話なの?」という違和感を抱いてしまったのも正直なところです。「これから大変な戦いが予想されるのに、もうお金の話? それもごく一部の業界の? 議論の優先順位がおかしいのでは」と感じました。
 どうか私たち現場の人間が日々、頑張っていることをご理解ください。そうしたお気持ちを持つ方が多いことは励みになります。医療従事者へのエールは素直にうれしく思います。
 そして、早くこのような状況を終わらせるためにも、とにかく皆さんは感染しないように、感染を広げないようにふるまっていただきたい。これは強く訴えたいことです。
 接触・飛沫感染に注意せよと言われても、具体的に何が大丈夫で何がダメか、わかりにくいことと思います。実際にその細かい線引きはできません。だからこそ「極力人との接触を避ける」「極力外出しない」という大きな方針を打ち出しているのです。それを守ったうえで、手洗いを丁寧にマメに行ってください。
 また、特にメディアの方にお願いしたいのは、善意や問題意識からなのでしょうが、常に「国(厚労省)や都のやっていることは間違いだ」といった論調の報道は考えていただきたいところです。
 先ほども申し上げたように、日本のこれまでの対応は決して間違っていません。死者数を見れば明らかです。「世界が疑問視している」といった報道ばかりが目立ちますが、海外では日本を評価する報道も出ています。単にそれがあまり紹介されていないだけです。
 死者数が少ないことをもっとポジティヴに捉える論調が増えてもいいのではないでしょうか。
 私たちは国や都の定めた方針の中で動いており、それに背くことはありません。しかし、国も都も、いろいろと考えたうえで方針を打ち出しています。その決定過程には私たちも関与しています。
 明らかに間違った方針が出れば、私たちも声をあげます。そういう判断ができないほど現場の医師たちは馬鹿ではないのです。
デイリー新潮編集部
2020年5月2日 掲載
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tmmode · 3 years
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今日の晩ごはんは、『#家族募集します』を観てたら、お好み焼きが食べたくなったので、東武練馬のじゃんぼで、豚玉を買って来ました😋 もちろん、自宅で、ご飯と一緒に食べました😁 #じゃんぼ総本店 #お好み焼き #豚玉 #晩ごはん #お散歩 #プチ散歩 #東武練馬 #北町 #練馬 #東京 #じゃんぼ酒場東武練馬駅前店 #家族募集します #木村文乃 #重岡大毅 #中野大賀 #岸井ゆきの (Itabashi-ku, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/CRbOkWSA8TN/?utm_medium=tumblr
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trinityt2j · 3 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり��方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態��まま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日��者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいか���。一時、この手の作品は数多く��ったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイを���るシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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harinezutaka · 3 years
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一年前日記25(2020年6月17日~6月23日)
6月17日 だらだらしがちだったので、午前中に買い物に行こうと思い、ついでにモーニングにも行った。平日の喫茶店のモーニングに行くと、自分の感覚が15年ぐらいギュイーンと戻される感じがする。世の中は自分が思うほどそんなに進んでいないんだな。このギュイーンは、時々意識的に経験しにしかないといけないなと思う。お昼はサーモントロ丼の温玉のっけ。朝のコーヒーは違うかったみたい。胃がイヤイヤと言っている。俳句の選句。食べたものや飲んだものの句ばかりで楽しい。夜ご飯は、蒸し鶏、中華風コーンスープ。お風呂に入ってから、アマヤドリさんの動画を見ながらゆっくりストレッチをした。
6月18日 午前中、掃除。自分で作っていたコロナの感染者数の表を久しぶりに更新した。近くではほとんど増えていないみたいだけど、時々チェックするようにしよう。4月ごろに作ったこれから起こり得るだろうことの一覧には3つぐらいのチェックが入って止まっている。次あるとすれば、「死者が1000人を超える」だろう。夜は友達とご飯。4月ぶりかな。美味しいとうわさの貝のラーメン屋さんへ。美味しかった。近くに遊びにきた友達はここに連れていけばいいんじゃないだろうか。車じゃないとなかなか行きにくいところだし。
6月19日 いつもの2人組の1人、最近はアイスコーヒーになっている。って16日にも書いてるじゃん。すっかり忘れていた。大丈夫か私。今日の仕事は自分のペースでできた。帰り、実家に寄る。母は米を買いにスーパーへ。父に父の日のプレゼントを渡す。Tシャツ。喜んでくれた。お菓子を食べながら雑談。家族っぽい。やっぱり父がすごく変わったと思う。母も穏やかになった。「これ持って帰り」とイカをくれた。夜ご飯は、とんかつ、キャベツと油揚げの味噌汁。健康診断の結果が返ってきていた。心電図とコレステロールがB判定だった。心電図はいつもひっかかる。コレステロールは善玉が高いので、あまり気にしてなかったんだけど、今回は総コレステロールも高めだからちょっと良くないのかも。前の日にクレープとか食べてたしな。反省。ちょっとひっかかっただけで、めちゃくちゃビビってしまって気をつけようと思うのに、親とか見てるといっぱいひっかかって薬飲みながらも、わりと好き勝手に生きてるのってすごいよなと思う。喉元過ぎればってやつなのかしら。そして人間って結構しぶといのなって思う。
6月20日 カウンセリングに行く。来院で予約を取ったつもりだったが、基本的に今はオンラインらしい。先生は病院にいたので、急遽対応してくださる。ボード越しに前回からの気づきなどをひと通り話した。自分の傷つきに鈍感だったことで誰かを傷つけていたんじゃないかと思うと話すと、「別に傷ついてないんじゃないですかね。その人」と言われた。そうなのかな。もっとシンプルに「自分が傷ついた」と言いたいのかもしれないな。何かそれを邪魔しているものがあるんだろうな。確認すると今回で7回目らしい。もう話したいことは特になくなった感じ。それでも来てもいいのかと聞くと、全然オッケーらしい。何でもない雑談のなかに気づきがあることも多いとか。少し間隔を空けながら続けてみようかな。お昼はティムマッマの新店舗へ。ひとり火鍋が食べられるお店。ティムマッマは学生時代に岡本の市場にあった時代から大好きなお店。あそこから手広くやられていてすごいなあ。今回は商業施設の中でお酒も飲める。しっかり落ち着ける雰囲気もあり、さすがだなあと思う。一人鍋というコンセプトも今にバッチリハマっているし。いろんな時間帯に行ってみよう。その後KIITOの『イスイズサイズ』展を見に行く。いろんな人に合わせた椅子がたくさん。家具をデザインするって楽しそう。これだけ世の中の変化が激しいと家を建てるのもなかなか難しいが、椅子ぐらいならこだわってお願いしてみてもいいかもなあ。健康のためにも座り心地は大切だし。図書館で予約していた本を受け取って帰宅。本はめちゃくちゃ重かった。夜ごはんは、イカとズッキーニを、サッと茹でてごま油とレモン塩で味付けしたやつ、ハムと玉ねぎ入りのリゾット。どちらも美味しくできた。今日の太田さんは佐賀へ。太田さんもイカを食べていた。来週からは野球なので中止のとき以外はお休みになる。今日も暑いは暑いが爽やかな日だった。コロナで時間の感覚もおかしいうえにこんなに爽やかだとまだ5月みたいな気がする。ネットで「ひょうたん」の閉店を知る。神戸の街の景色みたいなお店がなくなってしまうのは悲しいな。
6月21日  日曜日  読書とちょこっと掃除。お昼ごはんを食べながら、『野ブタをプロデュース』を見る。最終回の前の回。ぐぐぐっと引き込まれる。夕方、父から連絡。晩ご飯を食べに来ないかと。急だなあとか、何でかなとかいろいろ思い少し葛藤。父がそんなこと言うのも珍しいし、結局行くと返事をした。夫も義実家に父の日を渡しに行くことになった。5時ごろ向かう。特に何があったわけでもなく、父の日のごちそうだった。姉が送ってくれたローストビーフを温めて切る。他にもうなぎやお寿司、サラダなど。今日はお酒も解禁していた。昔の話をたくさん。母にとっての昔の話は母の小さい頃の話。大変だったけど楽しかったんだろうな。そういえば、自分が小さい頃の話とかはあまりしてもらったことがないな。だからずっと記憶がぼんやりしたままなのかも。今思えば、両親ともに、ACだったんだろうな。そういう時代の人なんだろう。明るく振る舞いながらも、ずっと我慢してきたしんどさの歪みが今出てきてるんだと思う。8時ごろに帰る。自分の気持ちを優先すれば「行けないと断わる」だったのかもしれないとそうできなかったことに悶々としていたが、行ってよかったなと帰り道には思った。純粋に会話が楽しかったし、自分が子どもの役割を演じている感じがしなかった。すぐに巻き込まれずに、一度考えて、その上で行こうと決めたんだからそれで良かったんだろう。「断わるほうが正解」で正しいほうを選ばなくちゃというのは、自分の考え方の癖だと思う。ややこしいけれど、本当は行きたかったから行っただけなのかもな。って、これも自分の納得するストーリーを作り上げてしまってるのだろうか。むむむ。湿気もなくて涼しい爽やかな週末だった。
6月22日 まあまあ天気も良かったので布団を干した。気になっていた網戸の掃除もする。あとはクレジットカードの変更手続きとかメルカリの出品とかもろもろ。お昼からは音楽をかけながらの野菜仕事。玉ねぎをひもで吊すのを初めて自分でやってみた。YouTubeを見ながら。夕方、ドラッグストアとコンビニへ行く。夜はカレー。最近カレーの作り方が固まってきた。香味野菜と肉を炒めたところにスパイスいろいろ投入、炒めた玉ねぎとフレークのルーを入れてペースト状にする、なんらかの水分と甘いものと酸っぱいものを入れて少し煮て火を止めて放置。各ステップでお鍋についた焦げかけのところを綺麗にするのも大切。夫は会社の面接で評価が良かったらしく、嬉しそうだったというかびっくりしていた。このご時世にありがたいことだな。あまりこれまで報われることがなくて何度も転職してきているが、今回の職場は今までで最長記録を更新し続けている。それでも私から見るとなかなかブラックだけど、今まで苦労してきただけのことはあって根性あるなと思う。いつもどんよりしていたので、こんな日が来るとはという感じだ。この間ジブリのプロフェッショナルを見て見たくなったと『風立ちぬ』のDVDを買っていた。私もとても好きで二回映画館に観に行った。そのうちの一回は夫と観に行った。その帰りに結婚することにしたのだった。二人で半分ぐらいまで見る。何度も観れるの嬉しいな。
6月23日 仕事の日。お昼ご飯は、スープジャーのお粥。具材は緑豆と切り干し大根。味付けは鶏がらスープ。優しい味でばっちり美味しかった。胃腸の元気は、気持ちに繋がる。だんだん元気になってきた。本屋で雑誌を買って、カフェに寄り道。今の雑誌、リモートで作られているからかあまり洗練されてないところがとても面白いと思う。すごくわくわくする。GINZAを買いました。クローゼット特集。夜ご飯は、塩麹につけていた豚肉と玉ねぎを焼いたの。塩もみしたきゅうりをばさっとのっけた。ズッキーニと油揚げの味噌汁、煮豆、ぬか漬け。夫は仕事帰りに鍼に寄っていたので、ご飯まで少し時間があるなと思い、私は6時からアマヤドリさんのストレッチをして、頭を洗った。頭を洗うハードルが高いので、先に洗っておくと気持ちが楽。眠る前に湯船にじゃぽんと浸かり漫画を読んだ。夫も鍼の先生に「マスクが裏です」と言われたらしい。マスクの裏表に無頓着な夫婦だな。10時前には就寝する。
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toxgo · 3 years
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My adidas
NBAのプレーオフもいよいよクライマックスが迫ってきましたね。現役最高のPGであるクリス・ポール。祖父に捧げた“61得点”のエピソードを知って以来のファンです。プレーオフでは不運続きの彼にNBAチャンピオンリングを獲得してほしい願いと、バークレーやナッシュでさえも達成出来なかったSUNSの悲願であるNBA制覇も見たいので、僕はSUNSを応援しています。
あと“マツコ&有吉 かりそめ天国”で再ブレイク中の“もう中学生”のリポーターにハマっている今日この頃です。
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今回のテーマは“adidas”
adidasには数々の名作がありますが、僕が好きなのは"GAZELLE" 魅了された理由の一つが、今なお脈々と受け継がれるイギリスフットボール発祥のカルチャー"CASUALS"との出会い。
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CASUALSを語る上でニコイチ的な存在が“adidas”と"STONE ISLAND"ですが、二つとも書くとかなり長くなるので今回は前編と題して"adidas"について。
僕はサッカーに関しては観る専門で、フットサル経験もほぼ無。高校生の時に唯一プレイしていたゲーム“ウイニングイレブン”とフジテレビの深夜に放送していた“FOOTBALL CX”で海外サッカー知識を吸収していました。
その時からプレミアムリーグが1番好きで、ファン・ニステルローイとベッカムが在籍していたマンUや、
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ティエリ・アンリが率いて王朝を築いていたアーセナルの時代は食い入る様に見てました。
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80年代のイギリスにはあまり流通していなかったadidas。熱狂的なフットボールファン達がクラブの遠征時に帯同して自国に持ち帰ったブランドは多数ありますがadidasもその一つ。これをキッカケにCASUALSの足元=adidasが定番化します。
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80〜90年代に爆発的に流行った“TRIMM TRAB”や“CITY SERIES”などは時々復刻されるくらいなので、現行で常に買えるモデルではないです。では現在進行形のCASUALS達が好むadidasは何かと言うと、それは“GAZELLE”
サッカーのトレーナーシューズをベースに作られたGAZELLEは彼等達に愛されるモデルとなりました。
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更に僕の好きなアーティスト達もよくadidasを履いてます。
STONE ISLAND+adidasが説得力を含めて、世界で1番似合うと思うリアム・ギャラガー。
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ポスト・クラシカル界の代表格の1人ニルス・フラーム。ドイツ人の履くadidasはやっぱりカッコいいです。
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adidasにボーダーソックスを合わせるのもマネしてます。
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就寝時に彼の楽曲を聞くと安眠できるので、寝付きが悪い方にもオススメです。
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ここ最近はスケート仕様の"GAZELLE ADV"がとても気に入ってます。インソールのクッション具合やグリップ力。フォクシングテープを高めにしてノーマルタイプよりも少しポテっと見えるシルエットも完璧。ほぼ毎日履いてしまうくらい大好きです。
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ここまで読んでくださった中にadidas関係者の方がいらっしゃいましたら、是非GAZELLE ADVの定番化をご検討下さい。
欲しい時に買える。汚れても気にならずガシガシ履ける。個人的には少しクタっとなってきてからが本領発揮です。僕のMy adidaは間違いなく"GAZELLE"であり、これが履く理由です。
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最後に90sのUSAメイドのプーさん総柄VANSを最近買いました。
いやいやadidasじゃないんかい!とツッコまないでスクロールお願いします笑 このアイテムはおそらく当時のウィメンズ企画だったと思うので、大きいメンズサイズが本当に見つからないです。地道に探し続けて、遂にこの前の休日に高円寺で出会った時は運命を感じました。
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通販は便利すぎてもちろん利用しますが、友達と相談して悩んだり、店頭で購入した時のワクワク感をもって帰る帰り道。これらは通販では味わえない付加価値です。
"買い物は世界を救う"なんて言葉もありますが、僕は間違ってないと思います。必要最低限以外の買い物はやっぱりテンションが上がるし、ストレス解消にもなります。
TOXGOでもそんな付加価値を付けれる様に改めて毎日を頑張りたいなと思った2021.6.23でした。
NARI
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shinjihi · 4 years
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伊藤詩織氏が告発した山口敬之氏の独占手記
「詩織」と名乗る女性の勇気ある告発!
2017年5月29日、「詩織」と名乗る女性が、東京・霞が関の司法記者クラブで、たくさんの記者とテレビカメラを前に、私から性的暴行の被害を受けたと主張した。
「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」ということで、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱った。この女性は自らの主張を詳細に説明するとともに、2016年7月の検察の不起訴処分について検察審査会に不服申請を行った、と述べた。
この問題は、この会見に先立つ5月中旬、なぜか『週刊新潮』が「安倍総理べったり記者の準強姦逮捕状」というセンセーショナルなタイトルで報じていた。
私は、週刊誌報道の段階から一貫して疑惑を全否定し続けた。しかしメディアの大半は、「勇気ある告発をした」として女性に寄り添い、私を犯罪者と断定するかのような報道が少なくなかった。
また、複数の野党議員が国会の内外で、女性側に寄り添い、事実認識を誤った質問を繰り返した。そしてなぜか、これら野党の主張に共鳴する集団も、ネット上で女性の主張を鵜みにして私を糾弾し、私や私の家族には「死ね」などという誹謗中傷のメールが殺到した。
事実と異なるあなたの主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負いました。私は虚偽の訴えに強い憤りを感じました。
しかし4カ月あまりの審理の末、検察審査会は9月21日、「不起訴処分は妥当」との最終結論を出した。「犯罪行為があった」という女性の主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した。
 
この間、私は様々な判断から基本的に沈黙を守ってきた。しかし、女性が民事訴訟を提起したことで状況が変わった。これまでの沈黙の理由も含め、私は自らの見解を「当該女性への書簡」という形で申し述べることにした。
いままで私が、沈黙を守ってきた理由
詩織さん、
あなたは性犯罪被害者ではありません。そして、自分が性犯罪被害者でない可能性があるということを、あなたは知っています。
検察審査会は、一般国民から無作為に抽出された11人のメンバーによって構成されます。
そして、あなたの「犯罪行為があった」という主張と、私の「犯罪行為はなかった」という主張、さらに当局が収集した膨大な客観的な物証に基づく4カ月あまりの審査の結果、検察審査会は「不起訴処分は妥当であった」という結論に達しました。
 
これにより、刑事裁判によって私に犯罪者という汚名を着せようというあなたの企ては、最終的に失敗したわけです。
もしあなたが民事訴訟に打って出なければ、私はこれ以上の議論をしないつもりでいました。それは、これまで沈黙を守ってきた判断と同様に、傷ついているように見えるあなたがさらに傷つく危険性があると判断したからです。
しかし、あなたがあえて「不法行為があった」との主張を民事訴訟の場で繰り返すのであれば、無関係な他者を巻き込んで騒動を継続しようとするならば、私は自らの主張の中身を公表せざるを得ません。
 
それは「あなたの主張が事実と異なっている」ことを示すことを一義的な目的としますが、そのために「全く根拠がないことを事実だと思い込むあなた特有の傾向」まで指摘することになります。
残念ですが、あなたが選んだ道ですから、冷静かつ論理的に、私の主張の一部をここに示すこととします。
 
あなたの主張は、要約すれば「2015年4月3日の夜、抗拒不能な状態で意に反して性行為をされた」ということになります。そしてそれは、「飲食店のトイレから翌朝5時まで継続して意識を失っていた」というあなたの認識に立脚しています。
 
それは全く事実ではありません。また、あなたは自らの主張が正しいと立証することが絶対にできません。このことは、実は捜査段階ですでに明確に示されていました。
だからこそ検察官は不起訴処分という結論に達し、検察審査会もその判断が妥当という最終結論に至ったのです。私はこれから、その詳細を5つの事象に分けて説明します。
①「デートレイプドラッグ」
②「ブラックアウト」(アルコール性健忘)
③詩織氏特有の性質
④あとから作られた「魂の殺人」
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
①「デートレイプドラッグ」――間違った主張のはじまり
あなたの「犯罪被害に遭った」という主張は、「私はお酒ですっぽり記憶を失くした経験はない」から、「山口氏にデートレイプドラッグを混入されたと思っている」という点からスタートしています。
 
私はそれを聞いて本当に驚きました。私はそもそも、デートレイプドラッグというもの自体を知らなかったからです。しかも、当夜の状況を見れば、私があなたのグラスにいかなる薬物も混入させることなどできなかったことは明白です。
2015年4月3日、我々は東京・恵比寿の2軒の店で飲食しました。1軒目は庶民的な串焼き店、2軒目はカウンターの寿司店。2軒とも、10数人も座ればいっぱいになる、小さいけれども明るいオープンカウンターの店で、客は店主と向き合って座ります。
1軒目の串焼き店はほぼ満席で、我々の両サイドにお客さんが座っていました。2軒目の寿司店もたくさんのお客さんで賑わっており、ほぼ満席でした。
 
当地で生まれ育った私にとって、両店は20年以上通う行きつけのお店です。あなたも記憶していると希望しますが、私はどちらの店でも、馴染みの店主やその奥さんと親しく談笑しました。
 
あの夜、あなたはいろいろな種類の酒を飲みましたね。1軒目の店に座ってほどなく、私はあなたの飲むペースが非常に早く、かなり強いお酒をぐいぐいと一気飲みのように飲むことに気が付きました。
少し心配になり、
「大丈夫ですか?」
と訊きました。するとあなたは、
「喉が渇いているので。お酒は強いほうだから大丈夫です」
と答え、その後もハイペースで飲み続けました。
私は少し驚きながらも、いい大人なのだからと、それ以上は警告をしませんでした。もちろん、私があなたに飲酒を強要したことは一切ないこともお認めになりますね?
結局、あなたは2軒の店でビール、サワー、ワイン、日本酒を飲んだ。そして2軒目の寿司店で、当夜1回目のトイレに立って、そこで酔いつぶれた。あなたは記憶を失ったのは2回目だったと主張しています。
しかし、あなたが寿司店でトイレの場所を私に訊いてから席を立ち、その後、戻ってこなかったので私はよく覚えているのです。酔いつぶれてしまった女性が、直前のトイレの回数を正確に覚えているというのも不思議な話です。
あえて2回目と主張しているのは、そう主張することで私に薬を入れる機会があったと主張するためではありませんか?
 
要するに、あの夜、あなたが飲んだ全てのアルコールのグラスは、ずっとあなたの目の前にあったのです。
 
百歩譲って、あなたがつぶれたのが2回目のトイレだとしても、ほぼ満席の客でごった返す明るいカウンター席の店で、顔馴染みの店主や従業員のいる前で、女性のグラスに薬品を入れることなどできるはずもありません。
「山口に違法ドラッグを飲まされた」
しかも驚くべきことに、あなたは薬を入れているところを見たわけでも、その後、目撃証言を得たわけでもなく、「私は酒に強いはずなのに、急に酔いが回ったから、山口に薬を盛られたに違いない」と言うのです。
失礼千万な話です。
 
あなたの言う「デートレイプドラッグ」は、その後、調べてみたところ、町の薬局で手に入るものではなく、ほとんどがインターネットを通じた取引だということですね。
私は所有していたすべてのパソコン、携帯電話、タブレットなど、ありとあらゆる物を警察に提供しましたが、違法薬物の購入や使用に繋がる物証は一切ありませんでした。
 
もし私が違法薬物を入手したり使用したりしたのであれば、日本の優秀な警察機構は何らかの手掛かりを見つけたはずですが、あなたの主張を聞いたにもかかわらず、そんなものはなかった。
串焼き店、寿司店でも捜査員が証言を集めに回ったことが確認されていますが、そこでも薬物混入を示す証言は一切なかったのです。
当たり前です。繰り返しますが、私はあなたの言う「デートレイプドラッグ」などというものは、聞いたことも見たこともないのです。
 
あなたはただ、「自分の酒量を過信して飲みすぎた」だけなのです。それはよくあることで、そのこと自体を強く責める気はしません。
しかし恐るべきは、その後のあなたの見解です。自分の飲みすぎを認めないばかりか、何の証拠もなく、「山口に違法ドラッグを飲まされた」という前提で主張のすべてを組み立てている。
 
記者会見で、デートレイプドラッグを盛られたという主張をした際に、あなたは「他に思い当たる節もある」と述べました。それは何を指しますか? 明確に示して下さい。
そんなものはあるはずがない。あなたの勘違いと思い込みなのだから。ありもしない証拠や傍証を、あたかも存在するかのように記者会見の場で匂わせるのは、卑怯なやり方です。
②ブラックアウト(アルコール性健忘)
繰り返しますが、あなたはいかなる薬物も混入されていません。ただ、飲みすぎただけです。
その一方で、あなたは記者会見で「私は酒に強く、泥酔したり酔いつぶれたりしたことはない」と主張しました。ということは、あのように泥酔してしまったのは人生で初めての経験ということになりますね。
 
それならば、あなたは酒の過剰摂取の影響下で、自分がどう行動するか、そして、その行動をどこまで記憶しているか、経験がないから類推できない。これが、今回の問題の核心部分です。
 
寿司屋でトイレに入ったあなたは、長い間出てこなかった。心配になった店の方に促されて、ようやく出てきたあなたは、見るからに酔っぱらっていました。驚いた私は、やむなく急いで会計を済ませました。
 
店を出たのは22時半から23時頃だったと思います。店を出る段階で、あなたは足元が覚束なかった。そして、店の入り口左手にあった荷物置きの棚から、あなたは自分のショルダーバッグに加えて、他のお客さんのカバンも持って出てしまったことが、あとになってわかっています。
誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態でした。
 
しかし、私は当時、TBS報道局のワシントン支局長を務めていたので、ワシントン時間の午前中、すなわち日本時間の23時過ぎまでに済ませなければならない作業(メール確認やパソコンでの調査・連絡)を複数抱えていました。
神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わらない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。
「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」
あなたはタクシー運転手の証言を元に、「『駅で降ろしてください』と言ったのにホテルに連れて行かれた。だからその段階で犯意があったのだ」というストーリーを作ろうとしているが、とんでもないことです。
そもそもあなたは、「寿司店のトイレ以降、記憶がない」と主張しています。あなたが相当程度酔っていたことは、あなたも認めているのです。
実際、あなたはそのタクシーのなかで嘔吐したではありませんか。嘔吐し、朦朧とした泥酔者が「駅で降ろしてください」と言ったからといって、本当に駅に放置すべきだと思いますか?
 
私が宿泊していた白金高輪のシェラトン都ホテルに到着すると、私は泥酔しているあなたがタクシーから降りるのを手伝いました。あなたはタクシーのなかで嘔吐したこともあって、傍目には少し回復したように見えました。
そして、千鳥足ではありますが、自分の足で歩きました。
 
このホテルでの移動について、あなたは「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」と主張していますが、それはあなたが何と言おうと物理���に全く不可能です。ホテルの1階ロビーは、車寄せからエレベーターホールまで100メートルほどあります。
もしあなたの主張どおり、全く意識がない状態だったとしたら、私はあなたを抱えて、どうやって100メートルも移動したというのでしょうか? 
衆人環視のなか、正体不明の大人の女性を荷物のように背負ったり、引きずって歩いたりしたとでもいうのでしょうか?
あのホテルは、車寄せから入り口を入ると、まずドアマンや荷物係が待機しており、正面には24時まで営業している大規模なラウンジ、そして右手に曲がるとホテルフロントがあり、レセプションの人やコンシェルジェ、案内係がズラリと並んでいます。
意識を失っている、あるいは意に反して無理矢理移動させられている女性がいたとして、一流ホテルの訓練された接客のプロたち全員が、それを見逃すということがありうるでしょうか?
 
しかも、4月3日は金曜日で、ロビー階では多くの宿泊客やレストランの利用客が往来していました。あなたの主張がいかにありえないかは、金曜日の夜11時に、都ホテルに行ってみればすぐにわかります。
 
実際のあなたは、2つのカバンを自分で持って、自分の足でヨタヨタと歩いたのです。もちろん、千鳥足ではありましたから、私はあなたが転ばないように注意はしましたが、移動を無理強いしたり、あるいは担いだり引きずったりは一切していません。
防犯カメラに映っているのも、「意識のないあなた」ではなく、「酔っぱらっているけれども何とか自力で歩けるあなた」です。
 
要するにあなたは、犯罪行為が行われたという主張の根幹をなす「意識のない状態が朝まで続いた」という認識の一環として、「ホテル到着時も意識がなかった」との立場をとっていますが、あなたの主張は物理的にありえないのです。
 
私の部屋がある階でエレベーターを降りたあとも、あなたは自分の足で普通に歩きました。私が部屋の鍵を開けると、あなたは私を押しのけて先に部屋のなかに入り、小走りに窓際に向かいました。そして、いきなり嘔吐しました。
あなたは、いびきをかいて、寝ていた
私は翌朝、アメリカに帰ることになっていたので、パッキング前の荷物を窓際にまとめて置いていましたが、その上にも吐瀉物が飛び散りました。
自分の荷物を汚されて少なからず驚いていると、あなたは今度は踵を返して、無言でトイレに駆け込みました。あなたの吐瀉物をタオルで拭いておりますと、トイレのなかから嘔吐する大きな音が2度しました。
 
正直に言って、本当に迷惑でした。やらなきゃならない仕事を抱えて、翌日の移動のためにパッキングもしなければならないのに、荷物をゲロまみれにされたうえにトイレを占領されている。
しかし、早く済ませなければならない作業が複数あったので、私はやむなくパソコンに向かいました。仕事が一段落してもあなたがトイレから出てこないので、私は心配になってドアをノックしました。
すると、なかからかすかな声が聞こえたのでドアノブを回すと、ドアは施錠されていなかったため、ドアを開けてなかを見ると、あなたは尻もちをついて、トイレとバスタブの間に座り込んでいました。ブラウスとスラックスは、大量の吐瀉物で汚れていました。
 
私は吐瀉物が苦手なので自分も吐きそうになりましたが、このまま放置すると喉に物を詰まらせて事故を起こす可能性もあったので、やむなくなかに入って吐瀉物をタオルで拭い、あなたを起こそうと努力しました。
あなたは謝罪ともうめき声ともつかない声を上げながら、なんとか自ら起き上がりました。そしてゲロまみれのブラウスを脱ぎ、部屋に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまったのです。
 
私はあなたのあまりの痴態に怒り呆れましたが、翌日着るものがないとかわいそうだと思い、トイレに放置されたあなたのブラウスのゲロを拭って浴室に干しました。
また、バスルームの床面もゲロまみれだったので、シャワーで洗い流すなどして部屋に戻ると、あなたはいびきをかいて寝ていました。
 
部屋はツインで、シングルベッドが2つありました。前日まで私が寝ていたベッドはあなたに占領され、もう1つのベッドは、ベッドメイキングを壊さないままパッキング前の衣類などを並べていました。
私が全ての仕事を終えても、あなたは相変わらずいびきをかいて眠りこけていたので、私は荷物置き場にしていたベッドの、わずかに空いたスペースに身を横たえました。
下着姿でミネラルウォーターをごくごく。そして――
部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。
 
私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました。
「喉が渇いたのですが、飲み物をもらってもいいですか?」と言って、あなたがホテルの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、自分でキャップをひねって開けて直接飲みました。
下着姿であることを全く気にしていないのには少し驚きましたが、外国生活が長いせいかなと類推したのを覚えています。
 
そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。
面食らった私は、ひとまずいままであなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。
 
ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです。
はっきり言えるのは、私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反��る行動は一切していないということです。
もし、あなたが覚えていることがあり、自分で差し支えないと考えるなら遠慮なく言って下さい。
誰も証明できない「密室」での出来事
もうひとつ強調したいのは、トイレから戻ったあとのあなたは、立ち居振る舞いもしゃべり方も正常で、すっかり酔いから醒めたように見えたということです。
それまでに複数回にわたって大量に嘔吐したあと熟睡したので、それで楽になったのかなと思いました。その後しばらくして、あなたはまた眠りに落ちました。
要するに、あなたは「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠ったのです。
 
あなたはこのことを覚えていないのかもしれない。あるいは覚えていたが忘れてしまったのかもしれない。あるいは覚えているのに黙っているのかもしれない。
それは私にはわからない。密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない。
 
しかし、1つだけ客観的な事実を示すことができます。私は一時帰国の期間中、1度もホテルの冷蔵庫の飲み物を消費していません。室内のミニバーの飲料はどれも高価で、好みのものもなかったので、飲み物はコンビニで買って持ち込んでいました。
だから、7日間の滞在で、唯一の冷蔵庫の出費こそが、あなたが飲んだミネラルウォーターだったのです。
 
このことは、ホテルの領収書によって簡単に証明できます。あなたは、未明に自分で起きて、トイレに行ったあと、自ら冷蔵庫を開け、自分の力でペットボトルのふたを開け、飲んだ。
これはあなたの「朝まで全く意識がなかった」という主張とは完全に矛盾します。
 
その後、あなたが被害届を出して、私は警察の聴取に全面的に協力しました。そのなかで、深夜のあなたの覚醒と再睡眠について何度も質問されました。
ペットボトルのことも含め、私は覚えていることを繰り返し詳細に話しました。おそらく捜査員は私から聞いたことを踏まえてあなたに確認し、その答えを踏まえてまた私に聞き直すということを繰り返したのでしょう。
何回か聴取が繰り返されたあと、捜査員は私にこう言いました。
「あなたの供述は何度聞いても詳細で矛盾がない。他方、詩織さんは朝まで記憶がなかったと言っている。双方の主張は一見矛盾しているようだが、2人ともウソをついていない可能性が1つある。それは『ブラックアウト』だ」
 
英語でブラックアウトと言えば、真っ先に浮かぶのは停電です。しかし、捜査員の言うブラックアウトは違いました。アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象のことをいうらしい。
たしかに、酒を飲みすぎてどうやって家に帰ったか覚えていないという話は珍しいものではありません。自力で歩き、自分でカギを開け、部屋まで辿り着いて寝たが、ただその経過の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。
 
それでも、最初に捜査員にブラックアウトの可能性を指摘された時には、私はにわかには信じられませんでした。
というのは、トイレから戻って再び眠るまでのあなたの行動は所作も会話も全く正常で、のちに記憶を失うような泥酔した状態とは到底思えなかったからです。そのことも捜査員に指摘しました。
 
しかし、医学的に「アルコール性健忘」といわれるこの現象は、アルコールの過剰摂取によって、脳内で記憶を司る「海馬」という組織の機能だけが低下することによって起きるため、傍から見ると当人の行動は、まったく酔っていないように見えるといいます。
普通に歩き、しゃべり、飲食をしているが、その状況を記憶として脳に保存することだけができない。もし当夜、そういう状況にあったのであれば、「朝まで記憶がなかった」とあなたが主張したとしても、辻褄が合うのです。
(つづく)
(初出:月刊『Hanada』2017年12月号)
【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」
③詩織氏特有の性質――「盗撮されたに違いない」
捜査員が示した可能性は、簡単に言えば「飲みすぎて記憶が飛んでしまった」という、酒飲みにとってはよくあるありふれた話です。
しかし、しかしです。私と同じく、あなたも捜査員からブラックアウトの可能性について説明を受けたはずだ。そして、あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にでき��い。
 
しかも、あの夜は人生で初めて自分の酒量の限度を超えて飲んでしまったのだから、なおさらです。
それまでの人生でアルコール性健忘の経験がなかったからといって、その現象が自分には絶対に起こりえないと断定するのは、少し独り善がりが過ぎませんか? 
そして、「自分が飲みすぎたはずはない」という無理な論理を補強するために、根拠もないのに「デートレイプドラッグ」などという違法薬物の話を思いついたのではありませんか?
 
そこで、私が指摘せざるを得ないのが、あなた特有の思考傾向です。
たとえば、あなたは朝起きてテーブルの上に私のパソコンがあるのを見て、咄嗟に「盗撮されたに違いない」と思ったと述べていますね。そしてそれが、警察が強制捜査に着手するきっかけになったとも言っています。
 
私のような仕事をしている人間は、例外なくパソコンを使っている。部屋にパソコンがあるからといって、自分が盗撮されたと思い込むというのは、あまり普通の思考回路ではない。
実際、そのパソコンは警察に提出され、盗撮映像など一切出てきませんでした。当たり前です。私は盗撮などしていないからです。
 
それから、あなたは「独自調査の結果、得られた新しい証拠を検察審査会に提出した」とも述べました。そこで例示したのがタクシー運転手の証言でした。しかし警察は、そのタクシー��転手から早い段階で聴取を行っていました。
その証言に基づいて、私は捜査員から何度も質問されている。そのことはあなたも知っている。その証言も踏まえた捜査が行われ、検察官は不起訴という判断を下したのです。
「自分は酒に強いから薬物を盛られたに違いない」
「ブラックアウトは、自分には起こり得ない」
「パソコンがあるなら盗撮されたに違いない」
「自分は初めて聞いたから、新証拠だ」
 
あなたの思考パターンには、まず強い自意識があって、自分を被害者、私を悪意ある犯罪者と思い込むことによって、全ての事象をそのストーリーにはめ込もうとしているのではないか。
その結果、冷静な判断ができなくなり、結果として事実ではないことや根拠のないことを、自ら信じ込んでしまっているのではないか。そう考えざるを得ないのです。
④あとから作られた「魂の殺人」――「レイプは魂の殺人です」
ここまでは、「~に違いない」というあなた特有の思考パターンから、私を犯罪者と思い込むに至った流れを類推しました。
 
しかしこれから述べることは、アルコールという外的要因によって起きた、いわば不可抗力的なものではありません。事後、あなたの心の内部で時間の経過とともに深まっていった、不可解な「後付けの被害者意識」についてです。
 
あなたは記者会見で、「私はレイプされました」 「内側から殺されました」 「レイプは魂の殺人です」と、非常にエモーショナルに訴えた。
しかし、その激しい怒りと憎悪は、最初から一貫したものではなかったことを証明します。それは、事後のあなたの行動と発言を精査することによって、はっきりと浮かび上がります。
 
あなたは「給水タンクに寄りかかってから朝まで意識がなかった」という前提の下で、自分がレイプされたと朝の段階で確信し、口論の末に逃げるように部屋を出たと主張している。
しかし、あなたの翌朝の行動は、明らかにあなたの主張と矛盾しています。まずは翌朝のあなたの様子について、私の覚えている限り記述します。
 
1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。途中、1回だけ英語で少し大きな声を出しました。
「I fucked without contraceptives.」(避妊しないでやっちゃったわ)
 
急に英語で大声を出し、しかもfucked というあまり上品でない単語を使ったので、私は違和感を覚えましたが、あなたがすぐに日本語に戻ったので、特に気にしませんでした。
日本語の会話は、通常の音量で平穏な口調で、その日の予定や今後の連絡の取り方など、差し障りのない雑談でした。「口論の末逃げ帰った」というあなたの主張は、事実とかけ離れています。
なぜ「レイプ犯」のTシャツを着て帰ったのか?
しかし、もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない。
まず、絶対にしないはずの行動について説明しましょう。
 
朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」
 
あなたのブラウスは化繊の薄手のもので、朝までに相当程度乾いていたため、濡れて着用できない状況ではないように見えました。
しかし、私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。
あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの1つを選び、その場で素肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。
レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?
 
私はこのTシャツの末についても、捜査員に伝えました。そして、できれば返してほしいとお願いした。
しかし捜査員は、
「いまはまだ捜査の途中だから、物品の返却についてはもう少しあとで考えましょう」
と言われました。
結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?
あなたは記者会見で、自分が受けたと主張する「被害」について、「レイプという行為は私を内側から殺しました。レイプは魂の殺人です」とまで表現しました。
そこまで言うのであれば、いまのあなたは、私のTシャツを素肌に身に着けることなど、おぞましくて決してできないでしょう。
 
それならば、「あの朝のあなた」と「いまのあなた」の感情は、全く種類が異なっていることは明らかです。すなわち、あなたの強い被害者意識は最初からあったのではなく、あとから時間をかけて醸成されたものだということになります。
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか? 
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
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hiru-ta · 3 years
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これでいいと思おうと思う
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まず一つ言っておきたい。同情して欲しいとは微塵も思っていない。
不幸自慢をしたいわけじゃない。
みんな悩んでいて違う種類、中々の不幸をみんな抱えて生きていると思っているから。
ここ1、2年はほぼ毎日死にたいと思っていた。
高校卒業と同時に勤めていた会社の仕事内容は責任を増して高度な内容を求められるようになっていた。
さらに、通信制で美容学校にも通っていたため
「日々の仕事」に「国家試験の勉強」があったが、
自分だったら要領よく上手くやれるだろうと思っていた、今まで適当に取り繕いながら生きてきた自分ならと。
人生で努力したことはあまりない。というかない。
人付き合いにも大して困ったこともなく、
中学そして高校と友人にも恵まれたし、高校受験では滑り止めの私立の高校を受けなかったので
確実に合格できる都立の底辺高校に入学したので成績も悪くない。
なんなら学内ではトップクラスだったので、先生からも目をつけられず楽しく過ごしていた。
なんとなくこの調子でなんとかなるだろうと。 
大変ではあったが自分以外にも忙しい人はたくさんいると言い聞かせながら、
「仕事」に「学校」という舟二艘に両足をひろげ、跨ぎなんとかバランスをとりながら両手で櫂を握りしめ進んでいたが、
すぐに沈没することになる。
忙しく過ごしていた日々の中で家族の中で一歩間違えば死人が出る事件があった。
父と母に兄2人に姉1人と6人家族で暮らしていたが
問題抱えていて困った奴が3人いる、父と兄2人だ。
父はほぼうつ病、兄2人の仲は死ぬほど悪い。
幡ヶ谷に住んでいた頃の家中の壁に穴が空いていた。私が5歳くらいの時にちょうど思春期だった長男は、学校へは行かず家の中で怒声や奇声をあげながら暴れ回っていた。
その頃、母には黄色や青色のあざが体中にあった。
当時は目の前の圧倒的な暴力に泣くことすらできず、ただガタガタ震えていたのを未だに覚えている。
次男は長男からの暴力に必死に耐えていつか復讐してやると、怒りを燃やしていたため今でも死ぬほど仲が悪い。
しばらく落ち着いてはいたのだが、確執を持っていた次男の怒りが些細な口論から爆発し包丁を持ち出すことになったのである。
兄2人は多分精神疾患を抱えていると思う。
次男は父と兄に刃を向け
「自分がおかしくなったのは、昔からの家庭環境が悪かったせいだ」
と声を震わせながら怒りに満ちた表情で涙を流していた。
その時の光景を一生忘れることはできないだろう。
威嚇のためか前に伸ばした刃の先端は父の額に触れ一滴の血が鼻翼をつたい床に落ちた。
母は泣きながら膝から崩れ落ち、その場座り込みながらも
「もうやめて!!!」
と必死に兄にすがり、私も羽交い締めのように止めていたが、覚悟を決めた殺意をしっかりと持った男のパワーを恐ろしく強く警察が来るまでの10分間衰えることなかった。
怒号というか、雄叫びを上げていた次男を抑えるのは永遠にも感じた。
警察からの事情聴取はあまりよく覚えていない、
カツ丼とか出ないんだなと朧げながら思っていた事と、警察署から出ると蝉が五月蝿くてその日は記録的な猛暑日だったとは覚えている。
家に帰った途端、玄関で倒れ込むように寝た。
母は心労からか仕事を3日休んでいた。
私も休みたかったが学校では昇級試験を控え、
仕事はお盆前で繁忙期を迎えていて担当の方からの指名もあったため休むことはできずにいた。
なんとか試験とお盆前の繁忙期乗り越えたが
私はその次の出勤日を無断欠勤してしまう。
無断欠勤した日もいつも通り。新宿行き10時27分発、10時51分着の電車に揺られ11時に始業の予定だった。
しかし気づいたら、新宿バスタの待合室に座っていた。時刻は深夜1時を迎えている。
状況を整理するのには時間がかかったが、改札を抜けてからの意識が完全にブラックアウトしている。
約13時間の記憶が全くない。携帯の電源は切られていておそらく無意識で自分が切っていたのだった。
急いで上司に連絡し謝罪の電話をかけた。
普通だったら罵声を浴びるだろうが只々心配してくれた。
その時に厳しい言葉をもらっていたら少しキツかっただろう。
母からも連絡が入っていた。
一度も欠勤したことない私を心配して会社が連絡していたらしい。
母からは、
「心配かけさせないでくれ」
と一言かけられたが確かにその通り、
子供のうち3人が問題を起こしている。
その通りではあるが申し訳ない、
心配をかけさせてへいけない。というプレッシャーに、
21歳にもなるというのに重くのしかかった。
新店舗開業に向けての責任者になり、休日も朝早く起きてボストンバックを抱え舌打ちをされながら満員電車に揺られる。
そんな日々が続き、頭がおかしくなっていたと思う。
なんとか、今までうまくやってきた自分と、
今のできていない自分とのギャップに傷つくことが増えていき、
自動思考で負のループが頭に展開される。
今まではなんとも思っていなかった、道端の小石位の悩みに何度もつまづき、深みにハマり、
できていたこともできず、呼吸も吸って吐くを意識しないと息もできない。飯も喉を通らない。
生きるためのエネルギー摂取をしている自分に吐き気を覚える、体重は42キロになっていた。
人の視線が異常に気になり、視線は足元しかいかず何も視界にいれたくない。
歩いてる途中、震えが止まらず歩けなくなったこともある。
通勤中も気づいたら涙が出ている。
家に帰ることもできず、歌舞伎町近辺のネットカフェを常駐にしていた。
今まで下に見ていたメンヘラと総称される人たちの生き方を、情けなく滑稽で惨めだと思っていたが、
しっかりと、それでも生きている姿を見て涙が止まらなくなった。
訳も知らずバカにしていた自分を恥じた。陳謝したいと思う。
そんな状況でも��から楽しい、嬉しいと思えることもある。
親しい友人だったり、信頼している人に、その人たちに会うことで、
関係性を築いていた今までの自分に感謝することができた。
その時に悩みを打ち上げればいいじゃん!
って意見もあると思うが、                   悩みを打ち明け負の感情を共有することを、
元来、人に弱みをみせたくないと思ってしまう性格である私はできなかった。
自分が異常な時は異常な時が、いつも通りの正常になっていて、判断がおかしくなっていることに気付かない。
資格試験の勉強と仕事をどっちも休むにはどうにかして手足を折るしかないなと思っていて、
ひどい時は電車に轢かれてやろうかなとか、
雑居ビルの4階にある職場のベランダから飛び降りてやろうかなと本気でも思っていた。
死ねば私がどれだけ傷ついていたか分かるだろうと心から思っていた。
朝を迎えるまで寝れず、2.3時間の睡眠が続き、
全てのものが意味ありげに見え、負の感情が取り巻く夜はすごく長かった。
負の自動思考を止めてくれたのは深夜ラジオであった。
自己否定する時間が肩の力を抜ける唯一の時間になった。おぎやはぎ、バナナマン、ハライチなど芸人さんのラジオ
特にオードリーのラジオは夢中になって聞いていた、
昔のラジオを聴きあさり、放送初回から全部聞いた。  くだらないただの馬鹿話も、本人が言いづらいであろう部分の吐露をうけ、特に若林さんの言葉に笑えた、
共感したあの瞬間がなければ死を選んでいたんではないかと思う。
自分だけが辛いわけではなく、悩みの種類が違く悩み不幸を抱えながらもそれでもみんな生きている。
そんなのは嘘だと思っていた。
しかし、誰しも決して強くはなくそれでも生きているのかもしれないなとも思うことができた。
本、音楽、ラジオ、言葉に助けられた。
生きていると心ないニュースや出来事、言葉が投げかけられる。それでも自分を守れるようにお守りのように自分の胸に大事な言葉を潜め、傷つくたびに思い出し反芻しては自分を取り戻す。
傷つきながら、震えながら、吐きながらも前に進み、ある程度結果は出せたと思う。
その時に本当に悩んでいるものは、話せなかったりする。
が、今になれば話せるし、笑い話にでもしたいと思っている。
ここまで取り止めもない弱者の言い訳を読んでくれた人たちへ、
何かアドバイスや励ましになるような金言を送りたいのだが、
キツくなったら休めとしか言えない。けど、そう簡単には休めなかったりするし逃げられなかったりする。
だから、一番支えになった言葉を引用しそれを結びとしたいと思う。
「大丈夫と言うことから大丈夫は始まるのだ。」
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