Tumgik
#ウィリアム・ブレイク
ryotarox · 5 months
Text
(【特集】『ブレードランナー』伝説の名ゼリフ『雨の中の涙』を徹底解説【はじめてのブレードランナー2】 | THE RIVERから)
この記事には、映画『ブレードランナー』第一作のネタバレが含まれています。 雨の中の涙 「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」 (原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)
通称「Tears in rain monologue」(雨の中の涙モノローグ)、または「Cビームスピーチ」として知られるこの台詞は、SF映画だけでなく映画史全体においても屈指の感動的なスクリプトとして知られています。 筆者の個人的見解では、『ブレードランナー』を後世に残る偉大な作品たらしめる要素の中でも、この台詞を含めたロイの最後の場面は最も重要だったといって過言ではありません。 冷酷な殺人マシーンのようだったロイが、短い人生の最後に愛おしむように鳩を抱きしめ、動かなくなっていく体を雨の中震わせながら絞り出す稀代の詩人のようなセンテンス。全ての観客を予期しなかった感動の渦に巻き込んだこの名台詞は、一般的にロイ・バティーを演じたルトガー・ハウアーのアドリブであったとして知られています。しかし私見ながら、これは正確な情報とは言えないと考えます。
オリジナル脚本にアドリブを加えて生まれた名台詞 ハンプトン・ファンチャーが製作上の意見の相違から降りた後、二人目の脚本家として招集されたディヴィッド・ピープルズ。彼がこのシーンの為に書き下ろしたオリジナル脚本では、該当の台詞はこうなっていました。 「私は冒険を知っている。お前達人間が決して目にすることはない場所を見てきた。オフワールドへ行って戻ってきたんだ…フロンティアだぞ!プルーティション・キャンプへの信号機の背甲板に立って、汗で沁みる目で、オリオン座の近くの星間戦争を見たんだ。髪に風を感じていた。テストボートに乗って黒い銀河から去りながら、攻撃艦隊がマッチのように燃えて消えていくのを見た。そう、見た、感じたんだ!」 (原文:I have known adventures, seen places you people will never see, I’ve been Offworld and back…frontiers! I’ve stood on the back deck of a blinker bound for the Plutition Camps with sweat in my eyes watching the stars fight on the shoulder of Orion. I’ve felt wind in my hair, riding test boats off the black galaxies and seen an attack fleet burn like a match and disappear. I’ve seen it…felt it!) 1ページの半分ほどもあったこの長台詞を読んだルトガー・ハウアーが、死を前にしたレプリカントの言葉としては長すぎると、台詞がもたらすイメージをそのままに要約し、そして”All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.”という言葉を付け加えて完成したのが、「雨の中の涙」モノローグです。 お気づきの方も多いと思いますが、ピープルズのオリジナル脚本には「タンホイザーゲート」、そして「Cビーム」という単語は登場しません。その代わりに、「オフワールド」や「プルーティションキャンプ」といった造語が登場しています。 ポール・M・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー』(ソニーマガジンズ、1997)によると、ルトガー・ハウアー本人がインタビューで、 「私のことやあのセリフのことはよく取り上げられるが、肝心の脚本家が無視されているのはよくない。バティの独白を書いたディヴィット・ピープルズの仕事は本当に素晴らしい。私は彼が掘り下げたあのイメージがとても好きだった」とピープルズを賞賛しています。 「銀河っぽくカッコいい造語の固有名詞」を使うこと、信号灯のようなものが暗黒の宇宙で輝いていること、オリオン座の近くで宇宙船が燃えていること、これらのイメージを作り上げたピープルズを抜きに、この台詞は誕生しなかったというわけです。 このロイ・バティーの最後の言葉は、映画中盤のチュウの眼球工房でロイが口にするアメリカの詩人ウィリアム・ブレイクの詩のアレンジ「燃える様に天使は落ちた。轟くような雷鳴が岸をころがり、怪獣の火と共に消えた」や、「チュウ、お前が造った目で私が見たものを、お前にも見せてやりたかった」という台詞と対になっています(これらの台詞もピープルズによるものです)。 チュウを殺すこの場面では、戦闘用レプリカントであるロイはさぞかし凄惨な情景ばかり見せつけられて、自らの造物主に恨みを抱いているんだろうなという印象を受けるのですが、『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです。 というわけで個人的に『雨の中の涙』モノローグは、ピープルズが造った土台に、ルトガーが素晴らしいアドリブを加えた二人の共作であるとするのが一番しっくり来ます。 ちなみに「タンホイザー・ゲート」や「Cビーム」とは何か?という質問をよく受けるのですが、前述したように造語ですので正式な意味はありません。 それでも無理やり適当に解説すると「タンホイザー」とはそもそもリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』に登場する主人公の名前です。ゲートってからには、ワープの発着点のようなものが想像できます。ドイツ系のタンホイザーという人が開発したんでしょう、きっと。 「Cビーム」の方は何でしょう、宇宙戦艦がマッチのように燃えていることから『ブレードランナー』世界における兵器ではないかと推測できます。「Charged particle-beam 」(荷電粒子ビーム)という言葉はあるので、これの略ってことでいかがでしょうか。(あくまでも個人的推察です。)
- - - - - - - - - - - - - - - -
この文を書いたライターさん、上手。 「> 『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです」
28 notes · View notes
Text
Tumblr media
「ファースト・カウ」、観た。今年最初の映画館だった。 あまりうまくまとめられてないけど、ひとまず。ややネタバレだけど、あんまりネタバレ関係ない映画だと思う。
観終わった直後はそんなにかなあというか、自分が分かってないことがたくさんあるのかなと思っていたけど、いくつか感想や解説などを読んでみた感じ、そこまで深読みする感じでもなさそうで、観たまんまでいいのかなというところで落ち着いた。そうじゃない可能性もあるけど。
まず驚いたのは、アスペクト比が4:3。なぜ今更4:3だったんだろう…。昔の西部劇が4:3だったとかなのかな…? 4:3だと構図が必然的にかなり変わってくるので、全体的に新鮮な感じはあった。森の風景とかカヌーのカットなんかは横長の方が合うのに、なぜわざわざ…。風景よりも人物を(特に主役の二人を)大きく写したかったのだろうか。(冒頭、すごく横長なものが��てくるのに4:3でびっくりした)
そしてその映像はもちろん、音楽や環境音もすごくよかった。フクロウの鳴き声はKRZを思い出したなあ。映像は若干暗すぎて見えづらいなと思ったところもあったけど、これは意図的なものかな。ろうそくの明かりや、星明かりしかない暗闇の表現だったと思う。
後から調べたらこのファースト・カウの舞台の1820年はまだ西部開拓時代の前だったようで、舞台のオレゴン州もまだアメリカの州ではなく「オレゴン・カントリー」というアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、スペインが自分のものだと言い合っていた地域だったらしい。いわゆる西部劇とは舞台設定からして違っていたということなのかな。こういう歴史は全然知らなかった…。
ほとんど西部劇は観ていないのだけど、ジム・ジャームッシュが好きで、「デッドマン」はすごく好きな映画。で、このファースト・カウとはストーリーその他諸々が全然違うんだけど、冒頭にウィリアム・ブレイクの詩が引用されていて、なぜかずっとデッドマンを思い出していた。なので、途中で出てきたインディアンがデッドマンの「ノーバディ」役の人にすごく似てるなあと思ったけど、さすがに勘違いだろうと思っていたら、なんと本当にノーバディ役のゲイリー・ファーマーでかなりびっくり。ジム・ジャームッシュもこのファースト・カウを褒めていたようで、意外とつながりがあったのかも。
デッドマンとの話はここに出てた。
あらすじや映画の紹介では男の友情、みたいなことが結構書かれていたけど、なんとなく自分的にはそれは違うかもかなという気がした。もちろん二人の間に友情はあったと思うし、もしかしたらそれ以上の感情もあったのかなという雰囲気はあったけど、クッキーはとにかく美味しいパンやお菓子が作りたかっただけなのかも…という気がした。クッキーの過去はあまり詳しく語られることはないけど、ボストンでまあまあ有名なパン職人に師事してたというような話もあったし、なんというか職人ぽい感じがした。牛乳を盗むことには抵抗がありそうな感じだったけど、結局盗みをやるのはお金を儲けるより美味しいドーナッツを作りたかっただけなのかなあ、とか。ぜんぜん違う映画だけど、宮崎駿の「風立ちぬ」の主人公に少し似ているかもと思った。
対してルーは中国でも嫌われ者だった(?)みたいな話があったり「ここではまだ歴史が始まってなくて、自分たちのほうが歴史より先に着いた」というようなセリフもあったりで、とにかくなにかしらでアメリカンドリームをやるぞ!という野心に満ちていた気がした。クッキーのドーナッツを売ろうというのもルーが言い出してるし、「すぐに飽きられるから今が稼ぎ時だ」というようなセリフにも現れていた気がする。結局二人は根本では違う人間だったのかなあという気もする。それが悪いということでは全然ないと思うけど。「アメリカに生まれたアメリカ人とアメリカ以外から来た移民」というのもあるのかな。
いわゆる西部劇にありそうなヒーロー性とかかっこよさ、マッチョな男性性みたいなのがとことん排除されている感じが今っぽいのかなと思った。この辺は去年見たバービーのケンにもつながるかもしれない。そういえばこの映画はほとんど女性が出てこなかったな…。男らしさ、女らしさってなんなんだろう。
ラストはシンプルでよかったなと思うと同時に、冒頭のあのシーンは必要だったのだろうか…という気もした。でも、あのシーンで「オチが重要な映画じゃないよ」という宣言をしたかったのかな。
ちょっと静かで地味すぎる感じもあったけど、映像や音がよかったし、色々考えたし、デッドマンとのつながりもありそうで、いい映画だったな。でもやっぱり自分は古い人間なのでデッドマンの方が好き。
※追記 ちょっとリスホチキスも思い出した。リスホチキスも書いておこうと思って書いてないな…。
9 notes · View notes
uchu-household-blue · 7 months
Text
Tumblr media Tumblr media
518には触れてなかったけど11とも繋がるのかな?と思いつつ、√、11歳の誕生日🎂 漢数字
Tumblr media Tumblr media
ウィリアム・ブレイク!も確かに数のイメージ強し。これがあれば大丈夫と思うような、思っていられたような温もりだった
Tumblr media Tumblr media
英語の板書も箇所箇所で気になる... 例題かねっ
無性に嬉しくじわーーっとなり  おめでとう
私も靴下の値段求めたよ、110円でした ハンカチ30円。220も284も肉の重さでは大差ないけれど、'生活応援価格'だね こういう妄想もしていけるね 数に言い切られて前提を許せる気持ちも、割り切れなくて逃げていく寂しさも
私もこれを雨の音のなか観ていて、 能を鑑賞、そして虹が出て。雨が降るタイミングの話そのもの、条件が揃うやつ! あと学校の窓からめちゃ近くにある海は九十九里浜とのこと、原作だと'私'は28歳!
後ろめたさとか、罪という感覚とかは。行為にはならなかったものの描写としてあったり、決め事です、とか約束を破るなよとか、一方的で無意識なまま、関知するしないの冷徹さも含んでいたのに。
前に 自分の心細さは減らないと思う、と溢した時に頷かれたこと、溢した無意識を後悔したこと、思い出していたけど --混同だろうと仕方なくのとき。まるごと撤回しなければならない気がする、違うよ異なっていっていいんだ。心配されても疎まれても心の奥深くは光に預けたままだから、やり切れない。見てみたいものがあるということがなんかふと分かるようで、切実すぎるなと自分を感じた。もう子供じゃないんだからと言うなら自分の中や外の子供に、実利で蓋をする前の、光のせいにして両立出来なかったもののほうの話をしてみればと 子供扱いするなというならやっぱり怒られたくもないのだろうね 何が達成だったら良かったんだろ 分からないことばかりだよとか、自分は間違ってもいられるという包まれ方は、語りの道筋ごと添いたいよね、しなければいけない話があるのなら言い切りになどつまらないまま落ち着きたい、諦めたわけじゃないだけ。言葉に世界の枠を乗っ取らせたら本当の名前も失うのだね。自分を生きる時の自然を、誰にもやるなよ、と。 心は分け合わない時にも戸は開かれるために用意していた 言いたいことが分かる、分かりたいってすごい現象なんだ  しぜんに、生き延びようと思う、と。精一杯だなとふと考えるけど、観ていたときは、少し余るくらいの余裕を思えた。しかし無事にとはいかがかな。調和とか、信じ切って何かや誰かとやれるやれないとか、上手くやるとかちゃんとやるとか、。働きかけの中から探せるようにもなっていきたいし、言葉にもなりたいし、ならないところはならずも、安心は何か、残酷さは何か、問いから離れて私たちもないまま、離れては存在していない自然が 遠くにも近くにも 自分を忘れていられる側にも 自分しかいられない時にもきっと あるんだね '生きやすい'は自分には無理と思うくらいだけど、その言葉も相対ならば度合いはあるだろう。測らないだろうけど けど嬉しかった ほんとに
0 notes
naturalmagickk · 11 months
Text
0 notes
sorcjapan · 11 months
Text
【今日のレコード】ATOMIC ROOSTER/Death Walks Behind You
【今日のレコード】ATOMIC ROOSTER/Death Walks Behind You ジャケもインパクトありますが、内容も抜群のアトミック・ルースター!メンバーチェンジが多いのは進化を求めていつとも見えるのです♪ ワタシもまだまだ進化したい!? https://sorc.theshop.jp/items/79828221
昔からプログレファンの皆さんにはお馴染み、アトミック・ルースターの2nd。ウィリアム・ブレイクのジャケがかなり強烈ですが、ジャケに負けない暗い重いの内容が実にクール。オルガンがカッチョいいのですよ!この時代のミドル級バンドってメンバーの入れ替わりが激しいので、ファミリツリー的なのが苦手なワタシには特にアトミックは難しい…のですがどんどん進化している感じは好ましく、より先へとの意気込み!?そんな進化をやめないココロの持ち方は重要だと思います! ☆こちらの商品は携帯サイトBASEから!!商品詳細→ https://sorc.theshop.jp/items/79828221  ※目下店頭営業日は不定休です。ご来店をご希望の方はHP・SNS等で店頭営業ご確認ください。営業日以外のご来店をご希望の場合はお問い合わせください。 ・営業日は→http://sorc.co.jp/latestin…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
kanglo · 1 year
Text
Tumblr media
テート美術館展の最終日。友人のお陰で、鑑賞をさせて頂くことが出来ました。「光」がテーマで、感動の連続でした有難う御座いました
「光の画家」と呼ばれるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーを始め、ジョン・コンスタブル、ジョン・ブレット、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー、クロード・モネ、モホイ=ナジ・ラースロー、ブリジット・ライリー、ジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン、ウィリアム・ブレイク、エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ、 ヴィルヘルム・ハマスホイ、ウィリアム・ローゼンスタイン、 ルイジ・ヴェロネージ、ワシリー・カンディンスキー、マーク・ロスコ、ブリジット・ライリー、デイヴィッド・バチェラー、ダン・フレイヴィン、ピーター・セッジリー、ジュリアン・オピー、草間彌生、他 https://tate2023.exhn.jp/
1 note · View note
siteymnk · 1 year
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
テート美術館展@国立新美術館へ。
英国・テート美術館のコレクションより「光」をテーマに作品を中心に展示。
やはり目玉はウィリアム・ターナーの作品。初めてマジマジと鑑賞したが、近くで見ると本当に壁の模様みたいな感じ。これが少し距離を持って観ると明らかに風景が透けて見えてくるのが凄いというか、センスと技術のひとつの頂点だなと思った。不思議ですらあった。
その他、ブレイクやコンスタブル、ホイッスラー、ハマスホイ、カンディンスキー、そしてジェームス・タレルやオラファー・エリアソンまで、テート美術館の懐の深さを感じられる内容であった。
美��館カットの展覧会は、その館の個性が出るよねぇ。もう一つのテーマ「光」も、ターナーが目玉だからとは言えなかなか面白い軸だったと感じた。まあまあ混んでました。
0 notes
kozuemori · 1 year
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
暑さ寒さも彼岸までといいますが、まだまだ当分暑い日が続きそうですね。ベランダに出て植物とメダカの世話をするたびに滝汗をかくので、髪を耳の下ラインで切って襟足も少し刈り上げたので、少しはさっぱりし、涼しくなったような気がします。
昨日、アイイスの会員宛に事務室から一斉メールが送られてきましたね。2024年度の春学期から、アイイスは新体制となります。私も引き続きフランチャイジーとして、霊性開花を目指す方々により充実したコンテンツをお届けできるように尽力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。具体的には新しいクラスやカウンセリングを増やす予定ですし、状況によって対面でのクラスやカウンセリングの再開も考えています。また、Zoom形式に変更したことにより増えた関東以外の地域や海外にお住まいの会員の方々のための新たな活動も考えています。決定し次第、このブログで告知したいと思います。
さて、先日また展覧会を見に行って参りました。ロンドンにある大好きなテート美術館のコレクションの中から『光』をテーマにした作品を集めた、『テート美術館展 光 ―ターナー、印象派から現代へ』と題した国立新美術館で開催中の企画展です。イギリスの近代美術や印象派、バウハウスやモダンアート、コンテンポラリーアート等のさまざまな分野から、約2世紀に渡る時代のアーティスト達が照らし続けてきた多種多様な色や明るさを持つ光のシャワーを浴びてきました。
皆さんは『光』というと、どんなイメージが浮かんできますか?真夏の眩しい太陽光、移ろいゆく木漏れ日、静かな月の光や星々の瞬き、反射や屈折の光、蛍やクラゲが放つ淡い光、瞳の中に宿る意思を持った光、蝋燭や松明やランタンの灯り、ネオンやスポットライトなどの目に見える光や、紫外線やX線、ガンマ線などの肉眼では見えない光があります。人によって見える範囲が異なったり、文化や民族の違いによって見えたり見えなかったりする光があるそうです。例えば色もまた光の波長の一種で、虹は日本では7色で表現されますが、国によって8色や2色だったりするようです。太陽の色も日本では赤で表現されますが、実際は黄色やオレンジ色に近いですし、そのように認識される国の方が多いです。また、視力によっても明度や彩度などの光の感じ方は違いますし、動物や昆虫、植物の光の感じ方も人間とは異なります。
この展覧会では各アーティストによる肉眼を通して感じる光や、第3の目、サードアイで見えた光の表現を見ることができます。印象的だったのは『精神的で崇高な光 Spiritual and Sublime Light』と題された、幻視者であるウィリアム・ブレイクやラファエル前派のエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ、ジョン・エヴァレット・ミレー等の作品が紹介されたチャプターと、マーク・ロスコやブリジット・ライリー、ゲルハルト・リヒター等による色彩が奏でるリズミカルな抽象画が並んだ『色と光 Colour and Light』というチャプターです。前者では目に見えなくともそこに光があると感じる能力がクレアヴォヤンスやミディアムシップに通じると確認できますし、後者の幾何学的な形で光と色の関係を描く抽象画は、オーラやチャクラなどの目に見えないエネルギーの色や形と似ていることがわかります。
ですから、ミディアムシップはミディアムやヒーラーという名のアーティストの手を借りた霊的な光の芸術なのです。たとえ相談者や周りの人にその光の色や形は見えなくとも、その行為において気づきや癒し、人生の豊かさがもたらされる点ではアートと一緒です。そういう意味で、コロナ禍のような不確実、不安定、不透明な時期において、たくさんの光をもたらす芸術活動、エンターテイメントはとても重要や役目を担っていて、決して『不要不急』なものではありません。実際に、2020年7月に当時のメルケル首相率いるドイツ政府は文化や芸術への優先順位を一番に置いて手厚い支援策を発表し、有事に於いても『アート』が必要不可欠なものであることを主張しました。世紀末や戦争も同じ意味で不確実、不安定、不透明な時期です。近代スピリチュアリズムが生まれ、急速に広がっていったのが19世紀末から20世紀初頭にかけてだったのは、人々の中に「光をより一層求めたい、広めたい」という深層心理があったからかもしれません。
・・・・・・・
秋学期クラスへのお申込受付を開始いたしました。実りの秋、1年の霊性開花の締めくくりを共に体験してみませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
お申し込みはこちらからどうぞ。
継続の方は直接ショップからお申し込みください。
Tumblr media
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・8月31日(木)指導霊のサイキックアート
・9月14日(木)過去世のサイキックアート 
・11月9日(木)指導霊のサイキックアート 
お申し込みはアイイスまでどうぞ! 
下の写真は、過去に開催したドロップイン・ナイトで行った指導霊と過去世のサイキックアートから抜粋したものです。
Tumblr media
0 notes
mobsprooftheweb · 1 year
Text
『エスター ファースト・キル』Blu-ray&DVDが発売決定
2009年に公開したホラー映画『エスター』の前日譚! 『エスター ファースト・キル』Blu-ray&DVDが発売決定!
当時、世界中を恐怖のどん底に突き落とした映画『エスター』の前日譚『エスター ファースト・キル』Blu-ray&DVDが、2023年11月8日(水)に発売される。
Tumblr media
世界中を恐怖のどん底に突き落としたサイコパス。 愛らしくも邪悪な“エスター”誕生の秘密が明かされる!
2009年に公開され、世間を恐怖のどん底に突き落とした異色のサイコホラー映画、『エスター』。 クライマックスで明かされたエスターの衝撃的な“素性”はあらゆる観客のド肝を抜き、様々なメディアや映画マニアが選定する“どんでん返し映画”ランキングの常連作品となったほど。 日本でも大反響を呼び起こした『エスター』から14年、その前日譚となる『エスター ファースト・キル』が遂にBlu-ray&DVDで11月8日(水)にリリース! とてつもなくずる賢く冷酷非道で、良心や罪の意識が完全に欠落したエスターの過去に、いったい何があったのか。彼女はいかにして怪物のごとき“最も異常で危険なサイコパス”へと覚醒したのか。 ついに、その禁断の秘密のベールが剥がされる!
Tumblr media
前作でもエスターを演じたイザベル・ファーマンが、23歳(撮影時)で再び怪演!
自らの目的を叶えるためなら手段を選ばない残忍なサイコパスが、異国の地アメリカで“エスター”に変貌していく過程を描き出す本作。 世界中を戦慄させた前作で“恐るべき子役”として一躍ブレイクしたイザベル・ファーマンが再びサイコな豹変演技を披露。 撮影時23歳の彼女を“10歳”のエスターに変容させたメイク、撮影のテクニックも特筆ものだ。
Tumblr media
またエスターと同じ屋根の下で暮らすオルブライト夫妻を演じるのは、“ジェイソン・ボーン”シリーズの重要キャラクター、ニッキー・パーソンズ役で知られるジュリア・スタイルズと、『逆行』『ポゼッサー』などで活躍するロッシフ・サザーランド。 そして『ウェア -破滅-』『ザ・ボーイ ~人形少年の館~』でジャンル映画ファンをうならせてきたウィリアム・ブレント・ベル監督が、メリハリの利いた語り口とショック演出で、本作を一級のホラー・アトラクションに仕上げている。
Tumblr media
Blu-ray&DVDには、ファンにはたまらない映像特典を収録!
Blu-ray&DVDに収録予定の映像特典は、メイキングやインタビューなど、ファンにはたまらない内容に! 「公開時ミニメイキング」では、撮影当時23歳のイザベル・ファーマンをどう10歳のエスターに見せるか、その撮影裏側が公開されている。また「インタビュー映像集」で、イザベル・ファーマンは映画『エスター』が「私にとって役者人生の原点」と言っている。 その前日譚となる本作でも主人公エスターを演じたいと彼女自身が監督に直談判したエピソードなどが語られる。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
『エスター ファースト・キル』 【キャスト】 イザベル・ファーマン ジュリア・スタイルズ ロッシフ・サザーランド マシュー・アーロン・フィンラン 【スタッフ】 監督:ウィリアム・ブレント・ベル 脚本:デヴィッド・コッゲシャル 原案・製作総指揮:デヴィッド・レスリー・ジョンソン=マクゴールドリック  プロデューサー:アレックス・メイス/ハル・サドフ/イーサン・アーウィン
【ストーリー】 行方不明になってから4年……。 10歳になっ��戻った娘は、何かがおかしい。 2007年、アメリカで暮らすオルブライト家は、4年前に6歳で行方不明となった愛娘エスターの失踪事件に今なお心を痛めていた。そんなある日、エスターが保護されたという思いがけない知らせが夫妻のもとに届く。この奇跡のような出来事を手放しで喜ぶ一家。驚くほど成長したエスターは聡明で才能も豊か。画家の父親に昔以上にべったりだった。また、あの幸せな時が帰ってくる……。 だが、母親は知っていた。この娘が別人だということを。
Tumblr media
【発売日】2023年11月8日(水) 【価格】Blu-ray:5,500円(税込) / DVD:4,400円(税込) 【映像特典】 ・公開時ミニメイキング  ・インタビュー映像集  ・予告集 ※商品の仕様は変更となる可能性がございます。 ※レンタルDVDも同日リリースです。 発売元:株式会社ハピネットファントム・スタジオ 販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング ©︎2021 ESTHER HOLDINGS LLC and DC ESTHER HOLDINGS, LLC. All rights reserved.
back to HOME back to MOBSPROOF back to MOBSPROOF web magazine
0 notes
catonoire · 1 year
Text
「美術館の悪ものたち」展
Tumblr media
国立西洋美術館で小企画展「美術館の悪(わる)ものたち」を見る。所蔵作品中に登場する「悪もの」をフィーチャーした企画である。かつて指輪物語を映画化したピーター・ジャクソン監督が、善より悪のほうが描きやすい、という趣旨のことを話していたが、絵画等の中でも悪のモチーフのほうが何かと魅力的に見えると思う。
旧約聖書のスザンナ伝をもとにしたテンペラ画。人妻スザンナに言いよる長老たちが懲らしめられる話。
Tumblr media
七つの大罪を表す女性たち。
Tumblr media
ルーベンスの原画をもとにアレンジした、ヨハネの首を持つサロメ。
Tumblr media
海神の闘い。海神が悪ものなのではなく、かれらをそそのかす老婆(左上の人物)が悪もの。
Tumblr media
デューラーの〈魔女〉。
Tumblr media
魔女の集会。
Tumblr media
世俗の欲望に心奪われる若者の図。
Tumblr media
ゴヤ〈ロス・カプリーチョス〉より、美しき女教師。
Tumblr media
ウィリアム・ブレイクによる『ヨブ記』への挿絵。
Tumblr media
聖ミカエルと竜。竜は悪魔などの象徴だった。
Tumblr media
聖ゲオルギウスと竜。
Tumblr media
七つの大罪を懲らしめる七つの美徳の図。
Tumblr media
聖アントニウスの誘惑。
Tumblr media
〈死と名声の寓意〉と題されているが、具体的に何を意味しているかは不明らしい。
Tumblr media
〈虚栄と死〉。銘文は「人の代の営みは、去り行く」の意とのこと。
Tumblr media Tumblr media
ゴヤ〈ロス・カプリーチョス〉より、何たる犠牲か。中高年男性と若い女性という「不釣り合いなカップル」は当時好まれた題材とのこと。
Tumblr media
食欲と性欲にしか興味がない娼婦を描くことで、自己の利益しか見ていない政治家を揶揄している。
Tumblr media
大食の大罪。
Tumblr media
〈死の舞踏〉より、死の仮面。正直かわいい。しかしあくまで仮面だからな……。
Tumblr media
0 notes
shisui2021 · 1 year
Text
2023.08.03
Tumblr media
足利市立美術館に「顕神の夢ー霊性の表現者ー超越的なもののおとずれ」を見に行った。 元々JRの,のんびりホリデーパスを使い倒したいという願望があり,丁度端っこにある足利で展覧会をやっていることに気づき,数日前から通い始めた都立図書館の休館日に合わせて,急遽予定を組み立てた次第である。 何度かTwitterで見て興味はあったものの,足利ってどこだ,というくらいの認識で,なかなか行けそうには思っていなかった。けれども,私の住まう町から2時間半もあれば,到着してしまうことが判明し,東京ー広島間の4時間半に耐えた身としては,臍で茶を沸かすようなものだった。結局,修論も,見えないけれどある世界,と,どう対峙していくか,ということになりそうだし,逃れられないところに来ている。
降り立った町足利は,沼津にも似た地方都市で,基本的に駅の目の前は栄えていないことがわかった。街を歩いていると,古いものと新しいものが共存する姿は鳥取にも似ていて,面白さを感じる。街が造られた時代もあるのかもしれない。 事前情報では知っていたものの,足利市立美術館は,美術館の上にマンションタイプの住宅がある。いざ,目の前にしてみると,なかなかに奇妙な光景である。「足利市立美術館」と掲げられた文字の下に,団地のような佇まいの家々があり,その下にはガラス張りの美術館がある。それらは,平坦な足利市街からは,飛び出していて,より一層奇怪さを醸し出している。 平日の,開館から30分位しか経っていない時間なのに,会場にはそこそこの人がいて,面食らうとともに安心した。生物群さんのtweet(https://twitter.com/kmngr/status/1685286401242447872?s=20)にもあったが,”場の歪み”を感じた。あ,やばいところにきた,という感じで,鳥肌が立った。ここに一人で取り残されたらいてもたってもいられなくなるだろうな,という感じがした。
展示は出口なおの自動書記から始まり,次々と続いていく。最初に出口なおを持ってくるあたり,やってんな,と思う。字も書けない農家の一般女性が,神がかりにあった途端,神の言葉が書けるようになるなんて,なかなかどうして信じ難い。でも,彼女の筆跡は「かみさま」の「ま」だけ,どの字も大きく張り出していて,その緻密さが,歪で異常だった。 見えないものが見えるとは,こういうことか,と感心させられる。私が見えていないだけで,世界は存外広く豊かなものだと痛感させられる。宮川隆の絵が好きだった。人間の顔がみな仏の顔をしていて,あぁ見えちゃったんだな,と笑ってしまった。京都の三十三間堂を思い出した。どこかに自分の知ってる顔の仏様がいる。線がとても良い。今川宇宙ちゃんが昔よく描いていた,イラストの線によく似ている。どこかで同じなのかもしれない。 花沢忍も良かった。図録に書かれていた,おばさんが夢に出てくる話はよく知っていることだった。私もそういう夢を見たから。だからこそ,そのことを,向こう側との垣根のなさに捉えているのが嬉しかった。おんなじように世界を捉えようとしている人がいることを知れて嬉しくなった。 あとは,全般的に解説が,「無いとされているもの」に対して寛容で,けれどもあちら側には行かず,その存在を認めた上で,こちら側に立って話をしてくれているのが良かった。彼らのことをフラットに手渡してくれる書きぶりに好感が持てた。 眺めていると,視線が気になった。作品に描かれている人,自画像であっても,どの人も眼差しが強い。見られている,という感覚に陥る。看取られている。見透かされている。その眼差しの異様さに怯えてしまう。 道中に読んでいたデイヴィッド・アーモンドの『肩甲骨は翼のなごり』を思い出す。ウィリアム・ブレイクをこよなく愛する母子の眼はとても強く,あらゆることを見通すような眼差しだった。そういうことか。見えている人特有の眼があるのだ。彼らはみな無意識かどうかその眼を知っているのだ。その眼は日常とは異なっているから,ズレが生まれるのだ。不思議なところでつながりが生まれるから,どうしたって世界に触れることは面白い。今まで話したことを全て覚えている彼女に「強い眼をしている」と言われた私はどうだろう。何が見え���いるんだろう。 エネルギーが吸い取られるのを感じながら,図録を買おうか迷いミュージアムショップへ向かう。宮川隆の作品集『みやこ』を発見したため,即購入する。出会うべき時に出会った本は,ただちに買う。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ぶらりと入った喫茶店でカレーを食べ,チャイを飲みながら机に齧り付くようにして宮川隆の作品集を読む。隣の席には上品な車椅子のおばあさんと息子夫婦と思しきグループがいて,チラチラと様子を伺ってしまった。 その後,炎天下の中足利学校と鑁阿寺(ばんなじ)に行き,フラフラになりながら渡瀬川を見にいく。暑さのせいであまり記憶がないが,一人でものびのび行動できる自分に戻ってきた。そこから佐野に移動し,フラフラと佐野厄除け大師に向かう。一応寺院なのに,間違えて拍手をして参拝してしまった。方位厄であることが発覚し,お守りを買おうかどうか閉場ギリギリまで迷っているとアリに足を噛まれたので,買えと言うことか,と思い,諦めて900円の方位よけを買う。高かった。水子供養の大きな塔があり,水子にお供えを!などというお菓子の自販機もあり,少し背筋が寒くなった。自分が妙齢の女性であることに気付かされる。何もなければ良い。 せっかく佐野に来たのだから佐野ラーメンでも食べるか,と思い,近くでGoogleマップの評価が良さそうな店に行く。店先で長髪の男性が佇んでおり,すわタバコを吸いに出た客かと思うが,あにはからんや店主であった。「お食事ですか?」「あ,いいですか?」「中へどうぞ」と言われ店内に入る。休憩中だったのであれば申し訳ないことをしたな,と思い,気まずさを隠しきれないまま,店の隅で小さく座る。とっとと食べて出て行こうと思った。佐野ラーメンはあっさりしていて美味しかった。いよいよ食べ終わる段になって,「ここ,地元の人ですか?」と聞かれ,店主と話をする。意外と話好きなようで,今日の美術館のこと,足利市が山姥切りを買ったこと,佐野市の美術館のこと,自分の息子のことなどを話してくれた。久々に人とこういう形で会話をしたので,その新鮮さに感動していた。帰り際にさのまるの話をすると,マンホールカードをくれた。お前はこういうところがあるから気をつけなくてはいけない。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ゆらゆらと列車を乗り継いで帰る。小山ー大宮間で見た夕焼けがひどく綺麗だった。紺と橙のあわいが空に溶けていて,いい旅をしたと思った。車窓の左端はもう夜になっていて,右側だけがまだ微かに昼の明るさを残していた。まさに越境だった。いい絵だと思った。
1 note · View note
keredomo · 2 years
Text
大江
 大江健三郎が死んだ。文学者の死は、その者の作品に多少なり思い入れがあったとしても、特別寂しいものではない――もしかすると、その死が文学者のものでなくとも同じように乾いた感慨のみで済ませる薄情のきらいが私にはあるのかもしれないが。とはいえ、こと文学者についてのみ言えば、その者が生きているうちにこの世に遺した作品さえこの世に残るのならば、繰り返しその文章の一字一句を辿り直すことでかれらの死せぬ生を感じることができる、そのような親しい追憶を可能とするテクストの存在がゆえに、生身の死にこだわらずにいられるのかもしれない。テクストという確かな置き土産。
 老衰と報道されていた。大江は自殺しないだろうという、彼の生前の存在感が与えていたそういう感触が立証されて嬉しかった。死がわれわれを迎えにくるその時まで耐えて生きてくれたことに対して、ありがとう、というばかみたいな感慨を得た。信頼に足るテクストの書き手が、この世に絶望せずにいてくれたことに、勇気を得る。
 これまでの人生で私は、大江に縋ることもあれば、大江を使うこともあった。軽く挨拶を交わすだけのこともあった。いずれも大江の書いたものが構築した「大江健三郎」という虚構に私が接しただけの話だ。大江の生身に触れたことはない。かれの人生に登場したことはない。それでも、鉤括弧つきの「大江」は、折に触れて私の生に顔を覗かせた。
 ここに書くのは、大江のテクストに誠実に向き合ってそれを論ずるようなものではない。これほどの思い入れがありながら、訃報を受けて作品を読み直すまで、私は大江が何を書いたかをすっかり忘れ去って生きていた。それでも、その存在が過去の私において度々の救いとなったことだけを受けて、私は大江を信頼し、遠い存在ながらに確かに愛していた。その履歴について、恥を承知の上で書くのみである。
 *
 一、
 就職して間もない若い頃のこと。大江を模写する一時間によって慰められた心があった。  生業の賃金の低さが生活水準を脅かしたため、副業として水商売に従事していた。その世界の必要に応じて背中と脚を露出し、煌びやかなドレスとガラスが形どる宝石まがいの反射光が飾るハイヒールに包まれて酒を飲む。会員制の店であるがゆえに馴染みの客しか来ない店の居心地はよかった。巻いた髪を結い上げてスプレーで固め、客が卓に入れたワインを注がれ、煽られるがままにグラスなみなみの赤を飲み干す日々にはそれなりの快楽があった。とはいえ、それはあまりにも虚しい時間の使い方で、夜が更けて酔いが回るまでの数時間は、着飾ることにも笑うことにもただただうんざりしていた。  その反動で、昼の仕事の休み時間には職場の近所の藤棚に駆け込んで心を癒した。藤棚で何をしていたかというと、大江の初期小説をひたすら模写していたのだった。その藤棚は、大江もその横を通り過ぎただろう場処だった。  なぜ、その癒しに大江を選んだのかはすでに記憶の彼方だが、「共同生活」「性的人間」「飼育」などをひたすら書き写していたことだけはしかと覚えている。大江の小説の模写だけが日々の救いだった。生活に時間を蝕まれ、知を放棄しながら金を稼いでいる状況にある自分を唯一自分として保たせるのが、昼休みに大江を模写する営みだった。  やがて転職に成功し、しばらくは大江を必要としない生活を送っていた。
 二、
 2019年、つまり29歳を迎えた年。大江を模写して生きながらえた日々からは5年以上が経過している。環境が変わり、大江とは疎遠になっていた。   大江もまたその場処にいたことがテクストとして残っているところの「森」がある。森というのは私独自の呼称だが、大江がその場処について「躑躅が咲き乱れていた」と語るのを読んだことがあった。  初夏から夏へ移ろう時の、木々が呼吸を深くし、陽光がわずかなぎらつきを見せ始める六月の誕生日をその同じ森で迎えた。私はリルケを誕生日の連れ合いに選んでいた。赤いワンピースを着てリルケを開く私を見て、なぜリルケなのかと問う。「誕生日には、強いものを読むようにしているのだ」と話すと、「来年の誕生日にはあなたはウィリアム・ブレイクを読むといい」とその人は呪縛した。  私はその呪いを喜んで受け取った。リルケを読み終え、ブレイクを読むための準備をしていたら、またも大江にでくわした。「またあなたか」と思った。「久しぶりだね」と呟いた。大江にとってブレイクはとても重要な詩人で、ほとんど私小説の領域に踏み込んだ大江による『新しい人よ眼ざめよ』の中には「無垢の歌、経験の歌」というブレイクの詩をモチーフとした作品が収められている。  先方にとっては思いつきにすぎない呪縛を受け入れてから一年、29歳の一年、私はものを書くにあたって何度も大江を援用した。  30歳の誕生日に至るまで、呪いのもとに、私はふたたび大江に何かを明け渡して過ごしていた。そういう日々のなかで、思い出すのはやはり23、4の頃に大江に縋っていた若い自分の姿だった。藤棚の陰のもと、膝にノートを載せて、一心不乱に短編小説群を書き写すことでしか救われない魂が、藤と藤棚を築く大理石によって彩られていたことは、美しかった。
 三、
 訃報を受けて大江を読み返している。  篠田一士は大江の文体をこき下ろしていたが(「大江はフォークナーを原文で読めばわけのわからぬ日本語を書くことはなくなるだろう」)、昭和の当時においては認め難いものであったとしても、令和の現在、大江の文章にそういう評を下す人間はきっといないだろうと思える。  大江が現代文を刷新したとかそういう話ではない。そうじゃなくて、私はなんとなく、大江は「馴染む言葉」を探し続けた人なのではないかと思う。  岩波文庫から『大江健三郎自選短篇』という本が出ている。そこに収録されているのは、初期短篇(まだ空想をやっていた頃の作品)が8本、中期短篇(「イーヨー」と呼ばれる知的障害をもった子を中心とした、実生活を糧とする作品群)が11本、後期短篇(レインツリーからは離れ、しかしすでに「実」と「虚」を分けることが難しくなっている作家の作品たち)が4本。それらのすべてに、加筆修訂が入っているのだという。  それを知って、恐ろしいことをする人だと思った。ものすごく長い人生の月日を書きながら過ごし、きっと初期の作品などはすでに自分のものではなくなっているはずだ。なのに、老年の感覚で赤を入れてしまうのかと。それは当時の読者への裏切りであると同時に、自分の過去を蹂躙する行為にほかならない。  しかしそれができてしまう人であることは、容易に想像できる。執着が薄そうなのだ。何に対しても、誰に対しても、自分の作品に対しても。そうでなければこんな文体にはならない。しきりにそう感じていた。
 大江の文章がもうこれ以上増えないことに、正直にいうと安堵している。これ以上遠いところから書かれることになったら、私は自己を保てない。大江に絡めていろいろなエピソードを持っているが、なぜこうも「自分の側に引き寄せることができたか」といえば、大江がそれを許す書き方をしているからだ。おそろしい表現だと思う。大江はあれほど私小説的な語りを長年にわたって発表しながら、その実、書いたものからは徹底して「私」が省かれている。その恐ろしさを、どう説明すればわかってもらえるかわからないまま、文章を閉じてしまう。大江の死を契機として。
 大江よ安らかに眠れ。あなたの作品たちはあなたに知られないまま私の生を救った。書くことにおいて、それ以上の徳があるだろうか。
1 note · View note
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
黄色vs紫、めちゃ良かったな...
ウィリアム・ブレイクもびっくりの具現化だろうけど、案外 望むかもしれない 鏡球のぬいも写真で見るとちゃんとせつなに見間違うから笑っちゃう エスレイ色のチケットホルダー見つけた  そうだよな、メキシコ展の時もだったけど著作権切れ感がすごいというか。本人とか作者との距離を感じない商用だよね... まさにくじ。くじそのもの
Tumblr media
0 notes
kari3622-blog · 2 years
Photo
Tumblr media
Ron Carter ‎"Etudes" 最近気になるのは、ベース奏者のリーダー作品。ということで、ロン・カーターの80年代のアルバムです。 1982年9月、Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey録音。 フュージョン旋風が吹き荒れた70年代から、80年代はアコースティックな4ビート・ジャズ回帰。82年はセロニアス・モンク(2/17)、アート・ペッパー(6/15)、ソニー・スティット(7/23)、アル・ヘイグ(11/26)が他界、CDが登場。マイケル・ジャクソン「スリラー」発表3,500万枚を越える空前のベストセラーが誕生したのもこの年。変わり目の年と言えるかも知れません。 #ElektraMusician ‎– 60214-1, Elektra Musician ‎– 9 60214 Ron Carterは言わずと知れた60年代のMiles Davis黄金のクインテットを支えたアコースティック・ベースの名手。60年代以降、数多くのミュージシャンのアルバムに参加してきたジャズ史上最強のベーシストであることは誰も否定しないでしょう。 本作もそうですが、Milesクインテットの同僚であったTony Williamsとのリズム・コンビは、まさに無敵のリズム・セクション!70年代にはCTIのツアーやセッション等でエレクトリック・ベースも弾いていた時期もあるようですが、70年代半ば以降は再びアコースティックにカムバック。自己のソロ活動に加え、V.S.O.P.やG.J.T.にも参加、超売れっ子ベーシストです。 さて本作ですが、シン��ルなカルテットによるストレート・アヘッドなメインストリーム・ジャズですが、ありきたりのハード・バップ的な作品で終わらないのが、Ron Carterらしいところ。カルテットといってもフロント二管をフィーチャーしたピアノ・レスという変わった編成で、Art Farmer(flh)とBill Evans(ts, ss)という珍しいコンビ。FarmerとはJim Hallの70年代の作品等で度々共演。 また、Miles Davisグループへの参加で一躍ブレイクした当時まだまだ新鋭だったBill Evansの起用が興味深いと。ピアニストのBill Evansと同姓同名の全く別人、紛らわしいですよね。 録音評ですが、電気楽器的な音色のベースは私的には好みではありません。音質全般は、現代的ですがクリアさやリアルさが不足していると思います。何か、加工された音と言う感じでしょうか。上品なSumico PearlよりShure M44-7のコントラストと力強い音質がマッチします。 サウンドはRon Carterらしいハード・バップ指向とフリー・ジャズっぽさが融合、盟友Tonyとの緊密なインタープレイを軸にしたプレイは、いつも以上にしなやかで自由。 Farmerは、少々甘ったるいイージー・リスニング的なプレイが特長ですが、ベテランらしいしっかりとした歌心と安定感が感じられます。 Evansは特徴的な音色やモダンな音遣い等個性的。 Williamsのドラミングは、まさにトップ・ドラマーとしての円熟味を感じさせるバッキング・プレイ、スウィング感や巧みなプレイが存分に堪能できます。 #RonCarter (b) #ArtFarmer (tp, flh) #BillEvans (ts, ss) #TonyWilliams (ds) Written-By - Tony Williams (tracks: A3, B3), Ron Carter (tracks: A1, A2, B1, B2) ウィリアム・D・ビル・エヴァンス... 1958年2月9日 - 、イリノイ州クラレンドン・ヒルズ生まれ。父はクラシック・ピアノの奇才。エヴァンス自身も中学生になるまではクラシックのクラリネットを勉強。サックスを学ぶようになって、最初はソニー・スティットやスタン・ゲッツといったアーティストのライヴをシカゴのライヴハウス「ショーケース」で聴いていたと。ヒンズデイル中央高校でテナー・サックスをヴィンス・ミッコに師事。エヴァンスに影響を与えたアーティストは幅広く、ソニー・ロリンズ、ジョー・ヘンダーソン、ジョン・コルトレーン、スタン・ゲッツ、スティーヴ・グロスマン、デイヴ・リーブマンなど。 #jazz #fuzey #vinyl #jazzvinyl #vinylcollection #jazzvocal #ジャズシンガー #ジャズ #スイングジャーナル #レコード *作品を知るとジャズはもっと輝きます。情報くださる先輩諸氏に感謝。 https://www.instagram.com/p/CmiqFbIPcaV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kitatou403 · 2 years
Text
【※激しくネタバレしています】ドラマ「ハンニバル」S1~3感想/レクター博士を特徴付ける要素は山ほどあるけれど、ひとつ抜き出すとしたら口で他人を味わう嗜癖があることに尽きる
 まず前提として、この文章は映画版とドラマ版を比較する目的で書いたものではありません。  レクター、ダラハイド、クラリスへ連なる一連の映画も観たはずなのですが、十数年前のことで記憶が鮮明ではありません。今回は言及を避けます。別にドラマ制作陣も映画を再現しようとは思っていないだろうしね。
--
 13話セットが3シーズン続く巨編なので言いたいことは色々あるのだけれど、通しで観て感じたのは冒頭伏せ字のとおりです。レクターは戦時中の事故で妹のミーシャを食べてしまったことが深く傷になり、今もやめられない嗜癖として引きずっている。S3前半で殺人犯はレクターからダラハイドに交代しますが、”噛み付き魔”ダラハイドも口唇口蓋裂という障害を持って生まれて肉親に疎まれ、また歯並びもガタガタのまま成人し、赤き竜に変身したいと思ってしまうほど心身に深い傷が残ります。
 口唇期、という語があります。赤ちゃんは唇で世界をとらえリビドーを満たす。薬物やタバコ、アルコールの依存は口唇期に問題があると考える方法です。私は別にフロイトの追従者ではないのでざっくり流すけれど、まぁ、世の中にキスや口淫の描写があふれ、フードポルノがメディアを席巻する今日の状況を見ると、どうも「口に入れる/味わう」ということは世の中の一大関心事なんですね。食と性欲の類似性は昔から頻繁に指摘され、研究対象にもなっている。世の中の人は口を使って快楽を得ることが大好きなのだなあ。
 美味しいものはそれなりに好きだけれど、料理がそこまで得意ではなく、ダラダラしたい日は冷凍うどんを袋のまま5分チンして昼食を済ませてしまう自分にレクターのヤル気は全く分からない。彼にはそれだけ切実な欲求があるのだろうけれども。
*
 各話のタイトルがとても素敵だった。S1ではフレンチ、S2は懐石、S3前半はイタリアンで提供される皿の名前、S3後半は18世紀の銅版画家ウィリアム・ブレイクの絵画のタイトルでした。
 S3後半を経てからシリーズ全体を見返すと少々印象が変わる。レクターのもう一つの特徴は知りあった人を思い通りに動かすこと。ダラハイドもレクターの助言を受ける。レクターの人心操作は派手な殺人に覆われて見えづらいけれど、「巧みな言葉すなわち口を使って」「他人の感情を味わう」という点においては食人と何ら相違ないよね、と私は思う。精神的に去勢し屠殺する。原作のレクター博士は確か、弁が立つというかスラングが多すぎるというか相手を煙に巻く謎の話術の持ち主で、FBI捜査官たちから「意味がわからないから話すだけ無駄」みたいなことを言われている。ドラマ版は優雅な語彙で知人を静かに追い詰め、最終的に人を殺させる。  物理的な食人で肉を味わい、弁を弄して相手の精神の荒廃を味わう。食ってる部位は違うが手段は同じで、レクターはある意味とても素直な異常者なんだろうなあ…と思ったりしました。ハンニバルの関係者がだんだん暴力や殺人に対するハードルを下げていくのが恐怖で、結局一度も手を汚さずに済んだ人ってグレアム捜査官の息子くらいでは?ハンニバルとずーっと一緒に過ごして罪の感覚を麻痺させると、便宜上のレクター夫人であるデュ・モーリア博士のような末路に至るというわけです。彼の思う壺だろうな、最終話最終カット。悪夢かな…。
 デュ・モーリア博士についてはレッド・ドラゴン編のキーワードである「無垢すなわち子羊」「経験すなわち虎」の概念がそのままハマりそうです。  ウィリアム・ブレイク。18世紀イギリスの銅版画家、画家、詩人で、強烈で宗教的な「ヴィジョン」を目にしては絵と詩で世界を書き留めた人物とのこと。代表作は「偉大なる赤き竜」シリーズの絵と「無垢と経験の歌」という連作の詩だそうです。青空文庫のデータをサラッと読んでみたところ、彼は無垢なるものと、経験し変化したもののふたつを重要視している。この文脈でいくとデュ・モーリア博士はS1の「無垢」からS3の「経験」へ変貌を遂げたキャラクターの一人だとも読める。  S3後半で、FBI捜査官ウィル・グレアムは彼女に対し「かわいそうな博士。自分を偽って。ハンニバルに飲み込まれて、やつの腹の中で苦しみを味わったってわけだ」と言います。「私の地獄は獣の口に飲まれることから始まった。地獄の門はダンテが考案したもの。地獄の開口部はそれ以前の時代には口だと思われていた」と博士は返答する。なるほど。ここで噛み付き魔ダラハイドのモチーフに繋がってくるわけですね。  ダラハイドは盲目の女性と親しくなり、彼女に眠った虎を触らせる。ダラハイドから見た彼女は太陽をまとう女の姿をしている。
 ブレイクのヴィジョンは宗教をもとにしている。ダラハイドはブレイクの絵「The Great Red Dragon and the Woman Clothed in Sun(太陽をまとう女)」を崇め、絵の前で体を鍛え、自らが赤き竜に変身することを夢見ます。ブレイクの詩で扱われる多くの生き物のモチーフはけっして見たままの生態を書き表しているわけではなく、宗教的な象徴や人間の業についての暗喩ですね。例をあげると「毒の木」という詩では嫌な人に遭遇して抱いた感情を、植物を育てるように胸の中に抱える少年の内心が語られていました(ブレイクは全部こんな調子)なので当然、赤き竜の絵は「空想世界の赤い巨竜カッケ〜」みたいな話ではなくヨハネの黙示録で語られる「7つの頭に宝冠を戴き、10本の角を持つ“赤き竜”」の具現化なんですね、おそらく。  S3-11話のタイトル「And the Beast from the Sea」は聖書で語られる「深淵から出でたもの。7つの頭と10本の角を持ち、それぞれの角に宝冠を戴く”海から来た獣”」だと思われる。The_Beast+Revelationで検索すると、中世独特の気の抜けたタッチで、”赤き竜”が”海から来た獣”に権威を与えている絵がいっぱい出てきて面白い。味があって可愛い。でもこれ普通にレクターとダラハイドの関係ですよね…。こわ…。
 実は黙示録の獣と呼ばれるものはもう一体いて、「子羊のように2本の角を持ち、竜のように話し、海から来た獣の権威を補強する"地の獣"」という呼び名で知られているようなのですね。姿かたちがあまり説明されておらず、「偽預言者」とも呼ばれているようです。  これは人によって解釈は分かれるのでしょうが、私はS3-13話のタイトル「The Wrath of the Lamb」はブレイクの言う無垢なる子羊と、黙示録で獣の手助けをする子羊のダブルミーニングなんじゃないかと思いますね、もっと言ってしまえばFBIにもレクターにも親しむウィル・グレアムその人の二面性の暗喩なんだろうなと。黙示録の偽預言者の末路は海から来た獣とともに火の湖に生きたまま投げ込まれて永遠に苦しむというものなんですけれども、これはS3最終話で崖から水面へ身を投げるレクターとグレアムの姿に変則的に当てはまるんだよな…。救われねぇな…。S3後半はマジでヨハネの黙示録だった…。
 ヨハネの黙示録に正確に倣うと、本当はダラハイド(海の獣)とグレアム捜査官(地の獣=偽預言者)が一緒に身を投げるはずです。でもドラマ版は違う。黙示録の三匹の獣の内ゲバとでも言うべき戦闘の中、ダラハイドはレクターとグレアムの手によって絶命してしまう。  レクター(赤き竜)は黙示録にも描かれているように本来はFBIに取り押さえられて「深淵(牢獄)」に千年繋がれる運命だったはずなのですが、まぁダラハイドを捕まえるために囮として一瞬だけ外界に出たのですね。ドラマ版ハンニバルは黙示録とは別のルートを歩むことになりましたが、黙示録の獣と呼ばれる存在は全て表の世界から姿を消しました。   ☆☆------------ここまでの感想は聖書にまじで縁のない人間の妄言です-----------☆☆ まじで、なにか誤りがあったら教えてほしい。私の聖書の知識は阿刀田高の「知っていますか」シリーズで止まっているので情報の精度が真面目に低い。
頭を使うのも疲れたのでこのブロックはミーハーな感じでいきます!! ジャック無能かよ〜〜〜〜!! アラーナ、次々関係者と寝るのやめろ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!! ウィル・グレアム〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!謎の能力者〜〜〜〜〜〜!!!! グレアム捜査官を見ていると捨て犬を想像してしまうのは何故なんだぜ〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 死体!!!ひどいよ!!!!美しいけどご遺体で遊ぶな!!!! 死体でミツバチを飼うな 死体に花を咲かせるな 死体でタワー作るのをやめろ 死体を鹿の角に刺すな そもそも人間を食うな 死体を刺される鹿さんも気の毒だろうが オシャレにダミアン・ハーストみたいな殺し方をするな〜〜〜〜!!! ダミアン・ハースト作品のあの綺麗な断面、もしやレクターみたいに凍らせてから電ノコで切ってる?? っていうか人肉の部位を選り好みするな 内臓だけ抜くな しれっと戦利品として腎臓とか抜くな どうせなら全部食え〜〜!! お料理!!めっちゃ美味しそうだけど、S1-1話を観た日に肉塊を見て良からぬ連想をしてしまいました��〜〜!!! 各話のサブタイトルがお料理なのが厨二病的にビシビシ刺さります!!カッコいいよ〜〜〜!!! マッツ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!マッツ・ミケルセン〜〜〜〜!!自宅ではいつもジャージのマッツ・ミケルセン〜〜〜〜〜!!!!!!お前は最高だ〜〜〜!!最高だ〜〜〜〜〜〜!!!最高に知的でセクシーでフィレンツェの町並みが似合ってた〜〜〜〜!!!!スーツも、なんか変なペイズリー柄の七面倒臭そうなネクタイも似合ってた〜〜〜〜〜!!!!なんかのインタビューで「ま、僕、老いるから、年をとった僕のことも応援してね」と仰っていたが一生ついていく〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!美の暴力!!!!!北欧の至宝〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!すばら〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
あ、あと犬ね、うん。グレアム捜査官のおうちの犬たちがとても可愛かった。
*
最後に、サブタイトルについてはTwitterに連ツイしていたものを以下に纏めます。
●シーズン1 フランス料理 1話 Aperitif(食前酒) 2話 Amuse-Bouche(おつまみ) 3話 Potage(とろみのあるスープ) 4話 Oeuf(卵) 5話 Coquilles(貝殻型のグラタン) 6話 Entree(主菜) 7話 Sorbet(冷菓) 8話 Fromage(チーズ) 9話 Trou Normand(ノルマンディーの穴)コース料理の後半に備えて空腹を促す軽食。カルヴァドスと、林檎またはレモンのアイス) 10話 Buffet Froid(映画『料理は冷たくして(1979)』のタイトルそのまま。見どころは洗練されたインテリアと人がバンバン死ぬ様子らしい) 11話 Roti(肉、魚、ジビエ等のロースト料理。コース料理のメイン) 12話 Releves(小型の主菜) 13話 Savoureux(風味豊か)
●シーズン2 懐石/会席料理 1話 懐石(茶事の前に来客をもてなすための料理。飯、汁、刺身、煮物、焼物の一汁三菜を基本とする) 2話 先付(お酒とともに出されるつまみ) 3話 八寸(八寸角の木のお盆に山と海の幸を盛る) 4話 炊き合わせ(2種類以上の煮物を同じ器に盛り合わせる) 5話 向付(名称は飯と汁の奥に皿を置くことに由来する。なますや刺身) 6話 蓋物(おそらく会席料理。蓋のついた器に入った副菜) 7話 焼物(火を使う主菜) 8話 酢肴(酢の物) 9話 強肴(一汁三菜がひととおり提供されたあと、亭主の裁量で出される和え物や揚げ物、炊き合わせ) 10話 中猪口(広口の小さな器に入れた酢の物や和え物) 11話 香の物(会席料理の終盤はご飯、止め椀、香の物の三点が一つの盆にセットで出てくる) 12話 止め腕(会席料理の汁物) 13話 水物(果物、かき氷、飲料などコースの〆となるもの)
●シーズン3 イタリア料理 1話 Antipasto(イタリア料理の前菜。地域によって内容に差があるが、キノコや塩漬け肉、海や川の魚、チーズ、オリーブ、アンチョビ、酢漬けの野菜等が主流) 2話 Primavera(直訳すると“春” タケノコやブロッコリーなど野菜を多用する。春らしい色彩に仕上がった料理をプリマヴェーラ風と呼ぶ) 3話 Secondo(前菜+Primo Piatto、前菜+Secondo Piatto、前菜+Primo+Secondoのいずれかの組み合わせを選択して食べる。Primo Piattoはリゾットやパスタ等の炭水化物で、Secondo Piattoは肉や魚を使った主菜) 4話 Aperitivo(イタリアの夕食は21時前後。夕方に引っ掛けるスプリッツと軽食) 5話 Contorno(Secondoと同時に出される付け合わせ。漬ける、焼く、茹でる等シンプルな調理方法をとる) 6話 Dolce(デザート。ティラミスやパンナコッタ等) 7話 Digestivo(消化を促す食後酒。リモンチェッロ、イチジク酒、オレンジのリキュール等) 8話 The Great Red Dragon(偉大なる赤竜 ※サタンの別称) 9、10、11話のタイトルの前に8話の「The Great Red Dragon」を挿入すると18世紀の知識人ウィリアム・ブレイクの絵画の題名が現れる。9話と10話の絵はとてもよく似ているけれど、違うカメラアングルで描かれた異版とのこと。ヨハネの黙示録を描いている 9話 And the Woman Clothed with the Sun...(太陽を纏う女 ※聖母マリアの意) 10話 And the Woman Clothed in Sun(同上) 11話 ...And the Beast from the Sea(海から来たる獣) 12話 The Number of the Beast Is 666...(獣の数字は666)ブレイクの別の絵のタイトル。劇中の読みはsix six sixでした 13話 The Wrath of the Lamb(子羊の怒り)
---
賛否は分かれているようですが私には合ってたみたいで楽しめました。映画も見返そうっと。
0 notes
key-cat · 5 years
Photo
Tumblr media
Think in the morning. Act in the noon. Eat in the evening. Sleep in the night. 朝考え, 昼行動し, 晩食べ, 夜眠れ
William Blake ウィリアム・ブレイク
193 notes · View notes