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#オーソン・ウェルズ
team-ginga · 10 months
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映画『上海から来た女』
 オーソン・ウェルズ繋がりでU-Nextで『上海から来た女』(1947)を見ました。
 大昔、ビデオ屋でビデオを借りて見たことがある映画です。ほとんど覚えていませんが、覚えていないということはきっとつまらなかったのでしょう。
 改めて見てみるとーー
 有名な水族館のシーンやミラーハウスのシーンもありますが、正直どうということのない映画です。ジャンルで言うとサスペンスということになるのでしょうが、物語が破綻しているところがどうしようもありません。
 オーソン・ウェルズ演じる主人公マイケルは、ニューヨークの公園で不良に絡まれている女を助けます。女はエルザという名前で、かつて上海にいたことがあります。だから「上海から来た女」なわけですね。演じるは当時オーソン・ウェルズの妻であったリタ・ヘイワース。
 マイケルが船員だとわかると、エルザは翌日に夫とヨットで出航するので乗組員として来てくれないかと持ちかけます。マイケルは断りますが、翌朝エルザの夫で有名な弁護士のアーサーがわざわざ会いに来たので、渋々乗組員になることを承諾します。
 ここまで来れば、いやここまで来なくても、エルザは悪い女でマイケルを利用して夫を殺すのだなとわかりますよね。でも、実際はもう少し複雑なストーリーです。
 マイケルは嫌だ嫌だ、辞める辞めると言いながらずるずるとヨットに乗り続けます。そしてエルザと恋に落ちます(まあそうなりますよね)。
 旅の途中、ジョージという男がやってきます。アーサーと共同で弁護士事務所を経営している人間のようです。
 ジョージはマイケルに殺して欲しい人間がいる、五千ドルで引き受けてくれないかと持ちかけます。おお、アーサーを殺すのかと思っていると、さにあらず。殺して欲しいのは自分自身だと言います。
 「え? どういうこと?」って誰でも思いますよね。
 船がサンフランシスコに着くと、ようやくジョージは種明かしをします。ジョージは南の島でのんびり暮らしたい、でも失踪してもすぐに見つけられてしまう、だから死んだことにしたい、自分は殺されたふりをして失踪するので、マイケルは殺人を自供する書類にサインして欲しい、死体は見つからないのでマイケルが罪に問われる心配はないとのこと。
 怪しい。いかにも怪しい提案ですが、マイケルは受け入れます。
[この辺りからネタバレになります。未見の方はご注意を]
 決行の日、マイケルはジョージを車に乗せて一旦アーサーの家に行きます。マイケルを車に残して家に入ったジョージは、そこでアーサーの執事兼ボディーガードのブルームという男に「お前が悪巧みをしているのはわかっている」と脅され、ブルームを撃ちます。
 ジョージはそのまま車に戻り、二人は海岸に行きます。そこでマイケルは何発か発砲し、ジョージはそのまま姿を消します。銃声を聞いて海沿いのバーからわらわらと人が出てきます。
 マイケルもさすがにこの話はおかしいと思ったのか、エルザと話をするためアーサーの家に電話をかけます。しかし、電話を取ったのはブルームーー彼はマイケルにジョージが事務所でアーサーを殺そうとしていると言って、そのまま息絶えます。
 マイケルはアーサーの事務所に向かいます。事務所の前にはすでに警察が来て人だかりができています。でも、殺されたのは……アーサーではなくジョージです。何が何だかわからないまま、マイケルは逮捕されてしまいます。
 マイケルの弁護はアーサーが担当します。陪審員が戻ってきて有罪か無罪かを発表する直前にマイケルはアーサーが飲んでいた錠剤を奪って飲みます。みんなはマイケルが「毒を飲んだ」と思って大騒ぎになります。
 え? どういうこと?
 アーサーがどんな薬を飲んでいたかはわかりませんが、毒を飲んでいたはずはありません。一体どういうことなんでしょう。
 さっぱり訳がわかりませんが、マイケルは騒ぎに乗じて裁判所から逃げ、チャイナタウンへ行き、京劇か何かを上演している劇場に入ります。ようやくタイトルにある「上海」が活きてくる(?)わけですね。
 エルザはマイケルを探して劇場まで来ます。えーっと、どうして劇場にいるってわかったんだっけ。とにかくわかったんだから仕方ありません。
 エルザがマイケルの隣の席に座ると、警官が劇場に入ってきます。エルザはマイケルに「私にキスして」と言います。キスをして顔が見えないようにして警官をやり過ごそうというわけですが、キスの間マイケルは何気なくエルザのハンドバッグの中に手を入れます。
 そこにあったのはピストルーーその瞬間マイケルには全てがわかります。全てを仕組んだのはエルザだったのです。
 ……ということのようですが、全く訳がわかりません。どうしてエルザがピストルを持っていたら、全てはエルザが仕込んだことになるんですか。「これはジョージを殺したピストルだ」とマイケルは言いますが、鑑定もせずになぜそんなことがわかるのでしょう。無茶もいいところです。
 ようやく真相(?!)に辿り着いたマイケルですが、今頃になって薬が効いてきて気を失ってしまいます。目が覚めると彼は中国人が経営していて今は閉鎖されている遊園地にいます。
 エルザの手下の中国人がマイケルをそこに連れて行ったようですが、えーっと何のためにそんなことをしたのかな。マイケルを殺すためなら縛っておくべきですが、どういうわけかマイケルは自由に動けます。
 ミラーハウスに辿り着くと、そこにはエルザがいます。やがてアーサーもやってきます。えーっと、アーサーはどうしてそこへ来るんですか。さっぱりわかりませんが、アーサーはエルザが自分を殺そうと企んでいたことを知っていて、二人は撃ち合いをして相討ちになります。
 残ったマイケルは Everybody is somebody's clown(誰もが誰かの道化師だ)などと洒落たセリフを言いながら去っていきますが、いやいやこの物語のどこからそんなセリフが出てくるんですか。
 『黒い罠』といい、この『上海から来た女』といい、オーソン・ウェルズは撮影に技巧を凝らし、映画関係者を唖然とさせる画面を作ることには長けていても、シナリオを書く才能、論理的にストーリーを組み立てる才能はないのかもしれないと思ってしまいました。
 
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taketea44 · 8 months
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毎日が記念日
10月30日は…
初恋の日
1896年10月30日、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として初恋の詩を発表し、島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の中棚荘が制定しました。
毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等のイベントを行っています。
初恋の味って、どんな味?
【疑わしいAI-イチロウによる10月30日の出来事】
1735年 - ジョン・アダムズ誕生:アメリカの政治家であり、2代目アメリカ合衆国大統領であるジョン・アダムズが生まれました。
1893年 - ワシントン州のシアトルで万国博覧会が開催:シカゴ万国博覧会に続くもので、多くの国々が参加しました。
1938年 - オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」放送:ラジオドラマ『宇宙戦争』が放送され、実際にはフィクションであるにもかかわらず、一部のリスナーがパニックに陥りました。
1945年 - ダッソーの絵画が国立美術館で展示:フランスの画家アンドレ・ダッソーの作品が、フランスのパリにある国立近代美術館で初めて一般に公開されました。
1974年 - ザイール(現在のコンゴ民主共和国)のムブト大統領が国名を変更:ジャン=ベデル・ボカサ大統領は、国名をザイール(フランス語でCongo-Zaïre)に変更しました。
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medickalmalpractice · 11 months
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■ 「越境する文化」 とは何か 02 「越境する文化 (transculturalité)」 という現象についてお話ししたいと思います。 異なる文化間にはさまざまなコミュニケーションがあるものですが、 それは 「文化」 対 「文化」の影響関係にとどまるものではありません。 文化は交流、 合体、影響を繰り返し、 新しいものを創出したり、 すでにある文化をより豊かにしてきました。 たとえば、 「絹の道」 を介した東アジアとヨーロッパとの文化的交流は、ギリシャ風の仏教芸術というギリシャ美術とも伝統的な仏教美術とも異なるまったく新しい文化を生み出したのでした。
03
ヨーロッパの文明や文化において、 「越境する文化」 という現象は新しいもの ではありません。 18世紀のパリに生まれた啓蒙思想や19世紀のイエナに誕生したロマン主義はヨーロッパ全域に広まりました。 シュールレアリスムはヨーロッパの枠を超えて世界に広まっていきました。 今日、「越境する文化」 という現象は「地球の文化」というものを生み出そうともしています。
04
西洋の帝国主義を批判的に分析したカール・マルクスは、文学について 「国や 04地方に属する固有な文学がやがて普遍的な世界文学を生み出す」と予見しました。普遍性のある文学とはどういうことでしょうか。 世界中の人々が同じ文学を読むということではありません。 それは、西洋人が日本や中国の小説、アフリカや中南米の小説を読み、 中南米の人々も自分の属する地域以外の文学を読む、このような相互の交流によって、 ある 「地方」 に生まれた文学が 「普遍性のある世界の 文学」となっていくということを意味します。
05 音楽においてもグローバル化の現象は存在しています。 まず、西洋音楽が世界 に広まりました。 日本人の指揮者やニューカレドニア出身の歌手が活躍するように、西洋音楽は世界中で演奏されています。 一方、最近の傾向として、ヨーロッパは、アラブ、インド、 日本、 中南米、アフリカなど、世界中の音楽に門戸を開き、受け入れるようになってきました。
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映画について、アメリカ映画が世界の映画市場を支配していることを指摘するだけでは充分とは言えません。 たとえば、フランスをはじめとしてヨーロッパでは、インドや日本、中国などの映画が配給されるようになってきています。 こうした 「トランスカルチュラル」な市場の成立は、それぞれの国や地域から生まれた固有の文化として映画を守るだけでなく、あらたな映画製作の可能性を広げることにも貢献しています。 黒澤明の映画はフランスや他の西欧諸国の映画文化に受け入れられ、新しい市場を見出したことにより、黒澤はさらに映画を撮り続けることができたわけです。 また、アンダルシア地方の固有な文化であるフラメンコをはじめとして、世界に無数に存在する地方に根付いた芸術表現や芸術様式の多くが、そのオリジナルのスタイルは遠く離れた異国のアマチュア愛好家によって守られているという現象もあります。
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思想や学問、文明などの動きはきわめてゆっくりしたものです。 ヨーロッパで『易経』や『バガヴァッド・ギーター』 (インドの古典『マハーバーラタ』の一章) などアジアの古典文献が翻訳され、非西洋地域の文明についての研究が始まったのは19世紀になってからのことです。 20世紀に入ると文明史の研究が進み文学作品も紹介されるようになり、20世紀末には東洋の思想や宗教のいくつかの要素が欧米に入り込んで影響を与えるようにもなってきました。 たとえば、 仏教はアメリカやヨーロッパにも信者を得て、 その思想がよりよく理解されるようになりました。 東洋医学も認知され、 鍼治療はヨーロッパの大学の医学部や病院に導入されています。 西洋哲学は非西洋の哲学よりもすぐれており、支配的な立場にあって当然である、 というような考えはたしかにまだ残っています。 しかしながら、「越境する文化」の時代をむかえ、ヨーロッパは世界の中心ではなく、理性や真理を独占的に所有しているわけでもないことが理解されてきています。 要するに、ヨーロッパもこの地球上の一つの地方にすぎないと認識するようになってきたわけで、これは重大な転換と言わなければなりません。
8 産業化される文化— 「生産」 と 「創造」 の葛藤
09 今度は「越境する文化」という現象について、 メディア文化や大衆文化の視点から考えてみたいと思います。 この分野でも普遍化への大きな流れが認められますが、それは標準化、あるいは画一化、単純化が勝利したことを意味するのでしょうか。たしかにそういう面はありますが、それだけではありません。映画を例に説明しましょう。実に多くの要素で構成される映画は、俳優、音楽家、装飾家、衣装係など、さまざまなアーティストが参加する共同作業で作品ができあがるもので、芸術製作の方法という点で大きな革命を引き起こしました。 一方、ハリウッドでは、最大利益の追求という論理のうえに映画産業なるものが発展しましたが、その過程で作品を画一的にそして凡庸なものにしてしまうことも少なくありません。そして、ここにもパラドクスが生じています。つまり、文化産業というものは独創性や個性、あるいは才能と呼ばれるものを排除することはできない、むしろ必要としているということです。映画を作ることと自動車や洗濯機を作るこは同じではありません。 何らかの標準的な製作方法によって構想された映画であっても、やはり個性、独創性、独自性というものがあるはずです。 文化産業に属するものはすべて映画がその典型例と言えますがその中核部分に絶えざる対立があり、しかもその対立は相互補完的でもあります。 すなわち、 「創造(création)」 という個別的で芸術的なものと、 「生産 (production)」という産業的で商業的なものが対立すると同時に互いに補い合う関係にあるのです。 この対立は時として 「生産」 が 「創造」 を抑圧したり、押しつぶしたりする事態を招き、その結果、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムやオーソン・ウェルズのようにハリウッドから立ち去ることを余儀なくされた映画人もいます。 しかしながら、一方では芸術的創造性ゆたかな作品が絶えることなく作られてきました。 もちろん、 ステレオタイプで画一的な作品も存在しますが、 それでもステレオタイプをほとんど神話のようなアーキタイプ (原型となる作品) に変えてしまうような力のある作品があることもやはり事実です。 たとえば、ジョン・フォードによる西部劇の名作はそのような神話性をもったアーキタイプと考えられると思います。
10 文化産業は、 創造性や芸術の可能性を破壊すると同時に呼びさますという矛盾 を抱え、しかもこの内なる矛盾によって活力を与えられています。 この矛盾は一方で集中型で官僚的、 資本主義的な組織体制で文化を 「生産」 し、 また一方で 「生産」される作品には独創性や創造性が要求されるという対立に進展します。 この意味において、 「生産」 は 「創造」を必要としているわけです。 同じような対立は文化を受容し、 消費する一般の人々にも見出すことができます。 標準化された作品に満足する人々が多いことは事実ですが、 文化を受容する方法や形態の個別化も進んでいます。これはメディア文化に顕著である「トランスカルチュラル」な現象と考えてよいでしょう。 このようにグローバル化や普遍化のプロセスは画一化や均質化だけでなく、創造性や多様性や個別化をともなうものです。 そして、この対立と葛藤がある限り、文化的な活力は保たれるのだと思います。
●地球のフォークロア
12 文化が普遍化していく過程で地球規模のフォークロアが成立します。 地球の フォークロアというのはアメリカ映画の神話性のある作品だけではなく、フランスで言えば 『三銃士』 のような冒険活劇小説、ローマ帝国の伝説や神話、あるいはその他の地域の冒険譚などを土台に、つまりある地域の文化を基盤に作品や文化の無数の出会いによって形成されていくものです。世界各地に広まった地球のフォークロアの例として、ニューオリンズを基点としながら、さまざまなスタイルに枝分かれしたジャズがまず挙げられます。 他にも、ブエノスアイレスの港湾地区で生まれたタンゴ、キューバ発祥のマンボ、ウィーンのワルツ、アメリカ生まれのロックなども地球のフォークロアと言えるでしょう。 とくにロックは、インドのラヴィシャンカールのシタール、ウム・カルスームのアラブ歌謡、アンデス地方のワイノなどを取り込み、地球のフォークロアとして一層豊かなものになりました。
13 このフォークロアのより深いところで何が起こっているかというと、それは文化の「混淆・異種交配 (métissage) 」 と 「共生 (symbiose) 」 です。 たとえば、 ジャズはアフリカ系アメリカ人のハイブリッドな音楽としてニューオリンズに誕生しました。 その後、 さまざまに変容を繰り返しながらアメリカ全土に広まりますが、新しいスタイルのジャズがそれ以前のスタイルを消去してしまうことはありませんでした。 やがて、 黒人だけでなく白人もジャズに耳を傾け、踊り、そして演奏するようになり、 黒人と白人とが共有する音楽となったのです。 こうして次々と新しいスタイルのジャズが世界中に広まり、 演奏される一方で、 発祥の地で忘れられていたニューオリンズの古いスタイルが外国から里帰りをするということもありました。 ジャズにみられるような現象は数多く、 世界中に広まっているロックはまさに 「越境する文化」 を実現してきたと言えます。 一例を挙げれば、 ロックと北アフリカの音楽とが出会い、両者の混淆を経てライという新しいジャンルが生まれました。 さらに、 ワールドミュージックと呼ばれるジャンルになると、単に複数の音が混ざり合うだけでなく、世界各地のリズム、 主題、 音楽性が出会い、予期せぬ結びつきから新しい芸術が生まれます。 こうした結びつきは好ましくない結果を生じることもありますが、多くは素晴らしい結果を生み出して、世界の音楽文化は地球時代の申し子であることには気が付かぬままに互いに豊かになっていくのです。
●文化の独自性を守りながら、 雑種性・混淆を促すこと
15 これまで述べてきたグローバル化のさまざまな現象が進行すると同時に、自らの根源、ルーツに回帰しようという動きも生じています。 その現象は音楽の分野でとりわけ顕著に認められるものです。 フラメンコについてお話ししましょう私はジャズだけではなく、フラメンコの大ファンでもあるので個人的な思い入れがたいへん強いのです。一時期フラメンコはその発祥の地であるアンダルシア地方で消滅しかけていましたが、自分たちのアイデンティティを守ろうとする若い世代によって復活することになりました。 さらに、CDや公演の国際マーケットがこの「復活」を後押しして、世界中でフラメンコ愛好家が倍増しました。 パリには倉庫を改造したフラメンコ・クラブがあり、スペインからフラメンコ舞踊団がやって来て上演しますが、その後彼らはヨーロッパ各地を巡業して回ります。こうした経験がフラメンコ自体にあらたな活力を与え、フラメンコは本来の芸術として活性化され、 復活する一方で、 異なる音楽形式とも結びつき、 源泉への 「回帰」と「混淆」という対立しているかにみえるけれども、 実は相互補完的なプロセスを体現しています。 ヨーロッパではバスクやケルトなど、そしてアフリカやアジアにおいても、 若い世代が伝統的な音楽を、 楽器を、 歌を守ろうと必死になっています。 ���こでも 「トランスカルチュラル」な市場はそれぞれの音楽の伝統を守る運動を支えながらも、 同時に音楽的な多様性を育んでいるのです。
16 固有の文化を守らなくてはならないが、同時に文化は世界に向かって開かれな ければならないこのように、 私たちが直面する文化の問題はきわめて複雑なものです。 この問題を考えるにあたって、いかなる文化もその起源においては純粋なものではないということをまず理解しなくてはなりません。 いかなる文化も、その起源においては接触や結合や融合や混淆があり、純粋なものではありません。また文化というものは異質な要素を自らのうちに取り込み、同化させることができますが、これは充分な活力を持った文化であればの話です。 活力が充分でない文化は、より強い文化に同化し、支配され、 そして自らは解体してしまうこともあるでしょう。 文化というものはすべからく豊かなものですが、 不完全なものでもあります。 ちょうど人間と同じで、よいところもあれば欠点も欠陥もあり、常に突然の死を迎えるかもしれない危険とともに生きているのです。
17
私たちには二つの相矛盾する複雑な至上命令が下されています。 その矛盾を解消することはできませんが、この矛盾こそが諸文化の生命には必要だとも思います。 その二重の命令にしたがって、 私たちは諸文化の独自性を守ると同時に混淆や雑種性を促していかなくてはなりません。 文化的アイデンティティを守ること、雑種的でコスモポリタンな普遍性を押し進めること雑種性が個々の文化のアイデンティティを破壊する可能性があったとしても、この二つを結びつけなくてはならないのです。
18 どうすれば、 「解体」することなく 「統合」 することが可能なのでしょうか。この問題はアマゾン・インディアンやイヌイットのような少数民族にとっては深刻な問題を投げかけています。 というのは、彼らにとって 「統合」 はポジティブなものではなく、むしろ文化あるいは社会そのものの解体を意味することにもなるからです。 技術や医学など、 現代文明から有益なものを取り入れてもらうことは望ましいと思いますが、同時に彼らが代々伝えてきた民間療法、シャマニズム、狩猟の技術、 自然についての知恵などを守っていけるように支援しなくてはなりません。 伝統と近代、 文化と文化の架け橋が必要になるわけですが、人種的混血だけではなく、むしろ文化的に混血の人々がその架け橋の役割を果たすことができるではないかと私は考えています。
19 今日の文化のグローバル化の進展はメディアネットワークや再生技術 (DVDやCD)の世界的普及と分かちがたい関係にあり、インターネットとマルチメディアがすでに述べたような多様性や、競合 対立するプロセスすべてを加速し、 増幅させていくことは間違いありません。 しかしながら、 私は書物が消滅してしまうとは思いませんし、映画がテレビに圧倒されて消滅するとも思っていません。書物は思索と孤独と再読の友として、映画は映画館の暗がりのなかで共感をもたらすものとして、つまりは文化として生き残り、それぞれへの回帰現象すら起こるように思います。
20 画一化や利益追求のプロセスは急激に進展していますが、にもかかわらず多様化のプロセスと個人化・個別化への要求によって逆向きの運動も起こっています。
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roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「第三の男(1949)
「第一回午前十時の映画祭」の企画が公表されて、WEB投票が始まったのは2009年の9月末、候補作としてラインアップされた200本近くのフィルムの中から、私は迷うこと無く「第三の男」に一票を投じた。この映画を映画館で観た事がなかったというのが最大の理由である。本作は白黒映画の傑作と言われる。ウィーンの街角や下水道を背景とした光と闇のコントラストが高い演出効果を上げており、1950年度米アカデミー賞撮影賞のオスカーを導いている。ビデオやDVDでは、銀幕の暗闇を完全には���現できない。特に白黒映画では致命的になる(「フリッカー,あるいは映画の闇」参照のこと)ので、一度は映画館で鑑賞したかったのだが、ようやく積年の願いがかなった。
第二次大戦直後、米英仏ソの4カ国に占領統治されているウィーン。戦争の傷跡が建物にも市民の顔にも深い影を落としている。アメリカ人の西部劇作家ホリー・マーティンスが旧友ハリー・ライムの招きに応じてウィーンにやってくるが、彼のアパートを訪れたところ、管理人が「ハリーは事故で死んで、棺がたった今運び出された」と告げる。慌てて埋葬に参列したマーティンスは、英軍警察のキャロウェイ少佐からハリーが悪質な密売に関わっていたと告げられ、事件の真相を探ろうとする。ハリーの友人だというオーストリアの没落貴族クルツ、ルーマニア人の実業家ポペスコ、そして恋人だった女優のアンナ・シュミットを探るうちに、事故現場に正体不明の第三の男がいたことが明らかになる…
英小説家のグレアム・グリーンが脚本を手がけ、プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックとキャロル・リード監督が衝突しながらも完成させた。そして何よりもハリー・ライムを演じたオーソン・ウェルズの傲慢なふるまい(演技上でも製作上でも)が、この映画を凡百のサスペンスを超えた、人生の苦みと重みを感じさせる傑作に昇華させている。
大戦直後の廃墟が残るウィーンの雰囲気、ドイツ語を解さないイギリス、フランス、ロシア、アメリカの駐留兵たち、憔悴しきって眼だけがギョロギョロしている市民たち、チェコやハンガリーから流れ着いた難民たち、主人公たるアメリカ人の空気を読めない行動に観客も行き詰まった正にその時、高らかにかき鳴らされるツィターの響きとともに物語の真の主人公が闇から顔を出す。その瞬間、映画の空気がガラッと変質する。怪優ウェルズ一世一代の名演である。映画館のスクリーンで観て良かったと心から感じた。
閉塞感溢れる人生に風穴をあけようともがくハリー・ライムの指先は、自由を掴むように見えて、冷たい風が吹き抜けるだけだ。アメリカ映画ではない、イギリスのキャロル・リード監督ならではの、シニカルなフィルム・ノワールは現代においても、色褪せない輝きを放っている。
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liliyaolenyeva666 · 3 years
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🎼 00961 「Don't Worry Baby (気にしないで)」。
いつかの夏の間だけ、どこかの湖の反対側にある家に越してきた、誰も読まないやうな小説の作家 (酒好き) と 大きな白い犬リンゴ (スポット) の日々を描いた キャッスル・ロック映画 「最高の人生のはじめ方」 を観ています。ロブ・ライナー監督作品。西部劇の小説家らしい モンテ・ワイルドホーン (演ずるは モーガン・フリーマン) は、野球のボールを投げても 取りに行ってくれない 相棒スポットと触れ合っているうち、ひょんなことで 女性ばかりな4人家族の おとなりさんと仲良くなります。物語の舞台 "ベルアイル (Belle Isle)" は とてもすてきな場所で、モーガン・フリーマンの演技と同じくらいに素晴らしかったりするのですけれど、それがアメリカのどこにあるのかは さっぱりです。
つづいて
"立入禁止 (No Trespassing)" と書かれた柵の向こうにひっそりと佇む、フロリダは フビライ・ハンが建てたらしい 伝説の宮殿 "ザナドゥ" という、動物園もあったりする巨大なお屋敷の中で息絶えた 新聞王 "チャールズ・フォスター・ケーン" のジンセーを振り返る 「市民ケーン」 を およそ20年ぶりに観ています。オーソン・ウェルズ初監督作品。アメリカ市民で新聞王なケーン氏が どうのこうのして 巨額な富を得、そして どうして バラのつぼみったのかは置いておいて、今から ちょうど 80年ほど前になります、1941年5月1日にアメリカ合衆国のどこかで封切られたこの映画の中で ほんの一瞬 チラリと映ります うちの国ふうの新聞記事に わたしの瞳がキラリと光りました。本当によく出来ていますので テキトーに書き留めます。
・中央日報の記事より
新聞王ケーン死す
世界最大新聞チエイン建設者 大衆數萬の哀悼裡にねむる!
紐育・ 世界最大の出版業者として知られたチャールズ・フオスター・ケーン氏は 壮麗なるザナデウ邸宅に於て昨夜死去した。同氏は過去数ケ月間、専門医も匙を投げた大病のため静かに息を引取った。
ケーン氏の創立した大新聞王國は今後も依然として活躍を績くべくも、未来の経営方針の詳細は未だ発表されてゐない。
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bushdog · 4 years
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プラトンのイデア論のコンセプト「洞窟の比喩」をアニメーションで。ナレーションはオーソン・ウェルズ。プラトンのイデア論って、単に理想の概念とかいうんじゃなくて、史上初の「ヴァーチャルリアリティ論」だって知ってた?
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cosmicc-blues · 4 years
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MY映画ベスト100
カラー映画に対するモノクロ映画の圧倒的な優位性を鑑みて、まずモノクロから50作を選び、そのあとにカラーから50作を選んだ。基本的には順不同の立場をとりながら、想い入れの深いタイトルは何だかんだで上の方にきている。同監督作が並び過ぎてしまう都合上、同監督作からはモノクロ・カラーそれぞれ3作までとしている。
モノクロ
米『マルクス兄弟デパート騒動』 チャールズ・F・ライスナー
日『鴛鴦歌合戦』 マキノ雅弘
米『星を持つ男』 ジャック・ターナー
仏『奥様は魔女』 ルネ・クレール
米『周遊する蒸気船』 ジョン・フォード
日『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』 山中貞雄
日『晩春』 小津安二郎
仏『素晴らしき放浪者』 ジャン・ルノワール
米『踊らん哉』 マーク・サンドリッチ
独『街角 桃色の店』 エルンスト・ルビッチ
メ『皆殺しの天使』 ルイス・ブニュエル
日『簪』 清水宏
米『マルクス兄弟オペラは踊る』 サム・ウッド
米『気儘時代』 マーク・サンドリッチ
日『長野紳士録』 小津安二郎
仏『ル・ミリオン』 ルネ・クレール
米『タバコ・ロード』 ジョン・フォード
独『サンライズ』 F・W・ムルナウ
米『空中レヴュー時代』 ソーントン・フリーランド
日『弥次喜多道中』 斎藤寅次郎
仏『犯人は21番街に住む』 アンリ=ジョルジュ・クルー��ー
日『有りがたうさん��� 清水宏
日『けんかえれじい』 鈴木清順
米『有名になる方法教えます』 ジョージ・キューカー
独『ニノチカ』 エルンスト・ルビッチ
米『マルクスの二挺拳銃』 エドワード・バゼル
日『麦秋』 小津安二郎
米『幌馬車』 ジョン・フォード
米『ロバータ』 ウィリアム・A・サイター
米『マルクス兄弟珍サーカス』 エドワード・バゼル
独『生活の設計』 エルンスト・ルビッチ
ス『ゲスト』 ホセ・ルイス・ゲリン
米『フィラデルフィア物語』 ジョージ・キューカー
米『春の珍事』 ロイド・ベーコン
米『危険な場所で』 ニコラス・レイ
露『戦争のない20日間』 アクセレイ・ゲルマン
仏『情婦マノン』 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
仏『どん底』 ジャン・ルノワール
オ『緋色の街』 フリッツ・ラング
米『結婚五年目』 プレストン・スタージェス
デ『ゲアトルーズ』 カール・テオドア・ドライヤー
米『ロイド・ベーコン』 泣き笑いアンパイア
米『街の灯』 チャールズ・チャップリン
米『赤ちゃん教育』 ハワード・ホークス
米『ラスティ・メン / 死のロデオ』 ニコラス・レイ
米『オクラホマ・キッド』 ロイド・ベーコン
米『テキサス』 ジョージ・マーシャル
伊『神の道化師 フランチェスコ』 ロベルト・ロッセリーニ
米『レッドボール作戦』 バッド・ベティカー
仏『幸福の設計』 ジャック・ベッケル
独・仏『忘れじの面影』 マックス・オフュルス
米『有頂天時代』 ジョージ・スティーブンス
オ『窓飾の女』 フリッツ・ラング
仏『巴里祭』 ルネ・クレール
仏『ランジュ氏の犯罪』 ジャン・ルノワール
米『キャット・ピープル』 ジャック・ターナー
日『風の中の子供』 清水宏
米『カブスのエースは言い訳好き』 レイ・エンラント
米『レディ・イブ』 プレストン・スタージェス
グ『歌うつぐみがおりました』 オタール・イオセリアーニ
米『西部を駆ける恋』 ウィリアム・A・サイター
米『牧場の花嫁』 ジョージ・マーシャル
米『愛の弾丸』 ジョージ・スティーブンス
米『アリゾナのバロン』 サミュエル・フラー
米『狩人の夜』 チャールズ・ロートン
独『らせん階段』 ロバート・シオドマク
日『河内山宗俊』 山中貞雄
仏『アタラント号』 ジャン・ヴィゴ
米『モンキー・ビジネス』 ハワード・ホークス
フィ『カラマリ・ユニオン』 アキ・カウリス���キ
仏・独『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』 ストローブ=ユイレ
米『タイムリミット25時』 ハロルド・クルアーマン
米『サリヴァンの旅』 プレストン・スタージェス
伊『ベリッシマ』 ルキノ・ヴィスコンティ
米『孤独な場所で』 ニコラス・レイ
 国別ではアメリカがぶっちぎり。フランス・日本・ドイツがその後を追う。
アメリカ 37
フランス 12
日本 11
ドイツ 7
イタリア 2
メキシコ 1
ロシア 1
スペイン 1
フィンランド 1
 明確に間引いた監督は以下6名、三作に収めるのは辛かった。その他、J・ターナーやJ・マーシャルやJ・スティーブンスやJ・キューカーにもまだ挙げたい作品があったように思う。
小津安二郎
マーク・サンドリッチ
ルネ・クレール
ジョン・フォード
エルンスト・ルビッチ
ジャン・ルノワール
ロイド・ベーコン
 役者別では、アステア&ロジャースと笠智衆が競り、コンビ作以外にも主演のあったロジャースが競り勝った。複数の監督作にまたがって出演している人のみをカウントしたため、杉村春子・三宅邦子の2出演とエドワード・G・ロビンソンの2出演は除いている。
ジンジャー・ロジャース 6
フレッド・アステア 5
笠智衆 5
マルクス兄弟 4
原節子 3
ジョエル・マクリー 3
バーバラ・スタンウィック 2
キャサリン・ヘップバーン 2
ミシェル・シモン 2
   カラー
台『クーリンチェ少年殺人事件』 エドワード・ヤン
ス『シルヴィアのいる街で』 ホセ・ルイス・ゲリン
無『コッポラの胡蝶の夢』 フランシス・フォード・コッポラ
日『東京上空いらっしゃいませ』 相米慎二
中『ヒーロー・ネバー・ダイ』 ジョニー・トー
仏『恋の秋』 エリック・ロメール
中『俠女』 キン・フー
日『紅の豚』 宮崎駿
米『ドノバン珊瑚礁』 ジョン・フォード
日『秋刀魚の味』 小津安二郎
米『グラン・トリノ』 クリント・イーストウッド
伊『夕陽のギャングたち』 セルジオ・レオーネ
リ『ライフ・オブ・ウォーホル』 ジョナス・メカス
ス『マルメロの陽光』 ヴィクトル・エリセ
日『ツィゴイネルワイゼン』 鈴木清順
日『あの夏、いちばん静かな海。』 北野武
米『ビッグフィッシュ』 ティム・バートン
米『トップガン』 トニー・スコット
米『天使にラブソングを2』 ビル・デューク
日『鉄塔 武蔵野線』 長尾直樹
米『フィールド・オブ・ドリームス』 フィル・アルデン・ロビンソン
日『勝手にしやがれ!!黄金計画』 黒沢清
米『ナイト&デイ』 ジェームズ・マンゴールド
米『ゴースト・オブ・マーズ』 ジョン・カーペンター
イ『友だちのうちはどこ?』 アッバス・キアロスタミ
仏『フレンチカンカン』 ジャン・ルノワール
日『浮草』 小津安二郎
伊『ニュー・シネマ・パラダイス』 ジュゼッペ・トルナトーレ
米『ピーウィーの大冒険』 ティム・バートン
米『ダージリン急行』 ウェス・アンダーソン
日『ソナチネ』 北野武
ベ『夏至』 トライ・アン・ユン
伊『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 セルジオ・レオーネ
米『運び屋』 クリント・イーストウッド
日『アカルイミライ』 黒沢清
中『ターンレフト ターンライト』 ジョニー・トー
日『ルパン三世 カリオストロの城』 宮崎駿
日『青空娘』 増村保造
ポ『溶岩の家』 ペドロ・コスタ
台『ヤンヤン 夏の思い出』 エドワード・ヤン
日『夏の庭』 相米慎二
日『菊次郎の夏』 北野武
米『フェイク』 オーソン・ウェルズ
仏『緑の光線』 エリック・ロメール
韓『美術館の隣の動物園』 イ・ジョンヒャン
米『大砂塵』 ニコラス・レイ
米『断絶』 モンテ・ヘルマン
日『接吻』 万田邦敏
米『不滅の物語』 オーソン・ウェルズ
日『魚影の群れ』 相米慎二
仏『レネットとミラベル / 四つの冒険』 エリック・ロメール
日『さゞなみ』 長尾直樹
日『大地の子守歌』 増村保造
中『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』 ジョニー・トー
日『イヌミチ』 万田邦敏
米『エスケープ・フロム・LA』 ジョン・カーペンター
米『ザ・マミー / 呪われた砂漠の女王』 アレックス・カーツマン
米『コンタクト』 ロバート・ゼメキス
米『プリティ・リーグ』 ペニー・マーシャル
日『三鳥羽三代記』 番匠義彰
日『夢ニ』 鈴木清順
日『コックファイター』 モンテ・ヘルマン
日『地獄の警備員』 黒沢清
日『怪異談 生きてゐる小平次』 中川信夫
日『危険旅行』 中村登
中『長江哀歌』 ジャ・ジャンクー
露『不思議惑星キン・ザ・ザ』 オルギー・ダネリア
ポ『コロンブス 永遠の海』 マノエル・ド・オリヴェイラ
ス『影の列車』 ホセ・ルイス・ゲリン
台『冬冬の夏休み』 ホウ・シャオシェン
中『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』 チン・シウトン
米『パーフェクト・ワールド』 クリント・イーストウッド
米『コラテラル』 マイケル・マン
米『アンストッパブル』 トニー・スコット
米『サミュエル・フラー』 最前線物語
米『戦火の馬』 スティーブン・スピルバーグ
ギ『蜂の旅人』 テオ・アンゲロプロス
韓『グエムル 漢江の怪物』 ボン・ジュノ
米『アンブレイカブル』 M・ナイト・シャマラン 
米『ターミナル』 スティーブン・スピルバーグ
米『タロットカード殺人事件』 ウディ・アレン
米『スーパーエイト』 J・J・エイブラムス
米『オブリビオン』 ジョセフ・コシンスキー
南ア『チャッピー』 ニール・ブロムカンプ
米『クラウド・アトラス』 ウォシャウスキー姉妹
仏『ラルジャン』 ロベール・ブレッソン
米『ロン・ハワード』 ウィロー
米『キャリー』 ブライアン・デ・パルマ
米『アニー』 ジョン・ヒューストン
米『フック』 スティーブン・スピルバーグ
日『あん』 河瀬直美
日『犬猫』 井口奈己
日『鏡の女たち』 吉田喜重
台『珈琲時光』 ホウ・シャオシェン
米『緑色の髪の少年』 ジョセフ・ロージー
ス『ミツバチのささやき』 ヴィクトル・エリセ
米『デジャヴ』 トニー・スコット
  アメリカの独走は相変わらずだが、第三勢力の台頭により、占めるパーセンテージが下がっている。第二勢力だったフランス・日本・ドイツのうち、フランスとドイツの本数が激減。ドイツについてはダグラス・サークを温めている。機会がきたら観たい。フランスの半減は、いわゆるヌーベルヴァーグの作品がことごとく外れてしまったからだと思われる。エリック・ロメールが孤軍奮闘。第三勢力では、とくにアジアの台頭が目覚ましい。
アメリカ 38
日本 28
フランス 5
中国 6
台湾 4
イタリア 3
スペイン 4
韓国 2
ロシア 1
ギリシャ 1
ポルトガル 2
イラン 1
ベトナム 1
リトアニア 1
南アフリカ共和国 1
無国籍 1
 明確に間引いた監督は以下8名。小津安二郎、ジョン・フォード、ジャン・ルノワール、ニコラス・レイ、ホセ・ルイス・ゲリン、ルキノ・ヴィスコンティ、サミュエル・フラーの7名がモノクロ・カラーの両者でランクイン。
クリント・イーストウッド
北野武
黒沢清
エリック・ロメール
相米慎二
ジョニー・トー
トニー・スコット
スティーブン・スピルバーグ
 国が分散したせいか、役者はあまり揃わず。ダブル・トムが奮闘。
トム・クルーズ 5
トム・ハンクス 3
 まだまだ全然観られていないなあ、と思い知らされる。とくに50年代半ば~70年代くらいの日本映画がこぞって欠落しているような気がする。それから女性監督作のあまりの少なさに面食らった。ウォシャウスキー姉妹・河瀬直美・井口奈己はそのことに思い至ってあとから付け加えた。
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sxfxdiary · 4 years
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例によって映画館で観ないと意味のないノーラン映画ではあるけれど、それ以上にエンタメヒーロー映画なことに驚いた。ノーランによるルパン三世だこれは。メインよりサイドが光っててあれほど最高なサイドがいるってことは結局メインが最高なのだ!ってなるやつ。あとディカプリオがオーソン・ウェルズにしか見えない。市民ケーン観るかー
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fleot · 7 years
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人間は生まれるのも死ぬのもひとり。 愛と友情によってほんのつかの間『自分はひとりではない』という幻想を抱くだけだ。
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jindongkt · 2 years
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今日はニコラス・レイとオーソン・ウェルズに浸かりに来た。しっかりヤラれてきました。 https://instagr.am/p/CarGrqBPg5N/
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team-ginga · 10 months
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映画『黒い罠』
 U-Nextでオーソン・ウェルズ監督・出演の映画『黒い罠』(1958)を見ました。
 オーソン・ウェルズは映画史に残る名監督とされていますが、個人的にはよくわかりません。不朽の名作と呼ばれる『市民ケーン』(1941)にしても、ケーンの最後の言葉「薔薇の蕾」の意味が最後の最後でわかる趣向やケーンと妻の関係が二人の食卓での距離によって表現されているところは確かに面白いと思いましたが、それだけでした。
 ウェルズはまた、革新的な撮影方法を編み出したとのことで評価されているようですが、それは作り手側の問題であって、我々観客にとってはどうでもいいことのような気がします。
 この『黒い罠』もそうです。冒頭の長回しがすごいと言われればその通りだと思いますが、それだけ。物語自体はどうというものでもありません。
 舞台となるのはアメリカとメキシコの国境の町ーーメキシコ人の警察官バルガス(チャールトン・ヘストン)が新妻スーザン(ジャネット・リー)と一緒にこの町に新婚旅行に来ていたとき、町の有力者の車にダイナマイトが仕掛けられ、有力者とその連れの酒場の女が殺される事件が起きます。
 ダイナマイトが仕掛けられたのはメキシコ側ですが、車が爆発したのはアメリカ側なので、アメリカの刑事クインランが事件を担当します。
 クインランを演じているのがオーソン・ウェルズのはずですが、背が高くでっぷりと太り全くそうは見えません。ウェルズはこの役を演じるために入念にメイクアップをしてお腹に何かを詰めていたそうです。
 事件の容疑者として殺された有力者の娘の恋人が浮上します。クインランはその男の部屋の浴室に置いてあった箱からダイナマイトが発見されたと言って男を逮捕しますが、バルガスは直前にその箱が空であるのを見ていました。つまり、証拠はクインランが捏造したものなのです。
 こうしてクインランとバルガスは激しく対立します。バルガスを憎むメキシコ人ギャングのボス・グランディは、クインランにある計画を持ちかけます。部下に命じて、モーテルに泊まっているバルガスの妻スーザンに無理やり覚醒剤を注射し、スーザンを麻薬常習者としてアメリカの警察に逮捕させようというのです。
[この辺りからネタバレになります。未見の方はご注意を]
 計画はうまくいきます。しかし、最後になってクインランはグランディを絞殺します。
 え? なぜ?
 グランディに弱みを握られては困るので殺したということなのかもしれませんが、納得はできません。クインランの妻は強盗に絞殺されたことが関係しているというふうに持っていきたいのでしょうが、「じゃあ一体どういう関係なの?」と訊きたくなります。
 非常に単純なストーリーなのにこの映画はこういう納得のできない部分が多々あります。
 スーザンは麻薬の使用と殺人の容疑で逮捕されます。慌てて警察署に赴いたバルガスにクインランの相棒の刑事メンディスは現場にクインランの杖が落ちていたと言います。
 え? クインランはそんな証拠を現場に残していったんですか。バカじゃないの。
 そんな証拠があればすぐにでもクインランを逮捕できるはずですが、この映画ではそうはなりません。メンディスは隠しマイクをつけて昔馴染みの女(マレーネ・デートリッヒ)のところにいるクインランに会いに行きます。
 バルガスは少し離れたところでマイクが拾った二人の会話を聞いていますが、今の時代とは違うのでマイクの性能はそれほど良くないのでしょう、二人が橋に差し掛かるとバルガスは受信機が濡れないよう高く掲げながらザブザブと川に入っていきます。
 えーっと、ここ笑うところですか?
 そんなことをしたためにクインランは盗聴されているのに気づき、メンディスを撃ちます。さらにクインランは隠れていたバルガスを見つけて撃とうとします。
 もうダメかと思った瞬間、銃声が響きクインランが倒れます。瀕死のメンディスがクインランを撃ったのです。
 ちょうどそのとき検事とスーザンが乗った車が到着し(タイミング良すぎませんか。ご都合主義ですね)、バルガスとスーザンはひしと抱き合います。
 さらにそこにクインランの昔馴染みの女が現れ、検事と二人でクインランとメンディスの死体を眺めます。検事は「容疑者は自白した。クインランのやり方は間違っていたが、直感は正しかった」と言います。
 え? そうなの?
 クインランの証拠捏造による冤罪事件だと思っていました(クインランはそれまでもずっと証拠を捏造して犯人を逮捕してきたという話があります)が、冤罪ではなかったということですね。
 面白い展開だと思いますが、最後の最後で取ってつけたようにそれを言われてもなあというのが正直な感想です。
 ネット情報によると、『黒い罠』は興行的には失敗だったけれど、フランスのヌーヴェルバーグの監督たちには非常に高く評価され、カルトムービーとなっているとのこと。
 うーん、どうなんだろう……私は単純な物語の割にあらが多い映画という印象しか受けませんでした。
 まあその「あら」こそがこの映画の魅力であり、ウェルズの「作家性」がそこに現れているということなんでし��うか。
 いずれにせよこの映画の主人公は、正義感が強くまっすぐな、しかしそれだけに面白みに欠けるバルガスでも、あまりに無防備すぎるスーザンでもありません。最初から最後までこの映画の中心にいるのはクインラン、つまりオーソン・ウェルズです。
 オーソン・ウェルズによるオーソン・ウェルズのための映画というところでしょうか。
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kyokantheaternews · 2 years
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いつも共感シアターを応援していただきありがとうございます! 毎週火曜日21時より生放送をしている「共感シアターナビ」では、"俺たち共感族!!“という視聴者の皆さまと戯れるコーナーがあります!視聴者の皆さまに「お題」を投げかけ、ご投稿いただいたお答えの中から抽選で10名の方の投稿をご紹介します。そして、その10名の中からさらに抽選で1名の方にどんな映画でも使える「ムビチケGIFT」をプレゼントします!そんな、1月25日のお題は「元気になりたいときに観る映画」です。以下の投稿は抽選の結果、読み切れなかった方の投稿を掲載しています。他の方の元気になりたいときに観る映画も気になりますよね、ぜひ、ご覧ください!
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鶴岡亮さん:『トランスフォーマー・ザ・ムービー』
私は落ち込んだ時、圧倒的に豪勢なものを観てその気持ちを吹き飛ばすという習慣を持っています。その豪勢なものの局地と思っているのが1986年製作のアニメーション映画「トランスフォーマー・ザ・ムービー」。本作は総登場人物80名以上、それに加えて様々な惑星が舞台のスペースオペラという、ある意味「アベンジャーズ」よりも描くのが大変な題材となっています。しかし、その難題を豪華スタッフの圧倒的なマンパワーを駆使した「勢い」のみで押し通し、視聴者に高揚感をもたらす作品として作り上げているのが本作の凄い所です。設定と物語は今をときめくマーベルスタジオが担当し、アニメーション製作は東映動画のトップアニメーター達が集結。声優には主人公ロディマス役に「ブレックファストクラブ」のジャド・ネルソン、悪役ガルバトロン役には「スタートレック」のレナード・ニモイ、そして敵の親玉ユニクロン役にはあの「市民ケーン」の監督として有名なオーソン・ウェルズが採用されています。そして、音楽は「ロッキー4」のヴィンス・ディコーラ、「13日の金曜日PART4」の劇中曲で知られるライオン、ヴァンダムの主演デビュー作「ブラッド・スポーツ」の劇中歌を担当したスタン・ブッシュという、何とも共感族が好きそうな面子が勢揃いしています。これらの豪華スタッフが集結して描かれる本編は、非常にエネルギッシュでまるで明るいミュージカル映画を観ているような感覚になります。落ち込んだ時の気持ちを吹き飛ばすにはそれに足るパワーの溢れる作品が必要です。豪勢な映像、豪勢なキャスト、豪勢な劇伴の三拍子が揃った本作は、それに足る力を持った作品と思ったので今回ご紹介させて頂きました。
teppeiさん:『アダムス·ファミリー』
お疲れ様です。いつも番組楽しみにしてます。『元気になりたいときに観る映画』ですが、どの作品にするか色々悩みました。素敵な村の映画のミッドサマーや家族のあったかさを描いたヘレディタリーなど考えましたが、自分は1991年公開映画の『アダムス·ファミリー』です。愉快で楽しい家族が出てきますので、観ていると元気になります。特に好きな場面は子どもたちが学芸会で片腕を切り落とし、血が噴き出る場面はほっこりしますね。続編の映画も赤ちゃんが家族の一員に加わりますが、生まれた時から、口髭が生えていて、大変可愛いですね。未見の人や瀬田さん、あいあいにもオススメですね。きっと元気になれますね。
ゐーくらさん:『ダイ・ハード4.0』
私の元気になりたいときに観る映画は『ダイ・ハード4.0』です。稲生さんにとっての映画館でのファーストロッキーが『ロッキー4』であるように、私が初めてスクリーンでジョン・マクレーンを観たのは『ダイ・ハード4.0』でした。名作の1,2や、悪名高きラストデイに埋もれがちですが、実は結構な傑作ではないかと思うのです。飛行するヘリをパトカーで撃ち落とす、エレベーターシャフトを落下するSUVの中で戦う、最新鋭の戦闘機に身一つで勝利するなど、観たことがない人には何を言っているのかさっぱり分からないかもしれませんが、とにかく見せ場の多い娯楽大作です。最後の絶体絶命のピンチも実にマクレーンらしい方法で逆転し、当時膝を打ったのを覚えています。顔も知らない年下のサイバーテロリストに「お前はデジタル時代のハト時計だ」とバカにされても、なぜ俺が!とボヤき、ボロボロになりながらも諦めずに戦うブルース・ウィリスに明日を生きる元気を貰っています。
きゃわぐちさん:『WAR /ウォー!!』
元気になりたいときに観たいもの、「落ち込んでる原因にもよるしなぁ」と思って悩んでました。ジム・キャリー主演の「イエスマン」か、幸せいっぱいのラブコメ「ラブ・アクチュアリー」か。でも、この1週間で見つけました。元気を出すために観るべきはインド映画です!中でも、ド派手なアクションに豪華なダンス、何より疲れてる時にはありがたい、微塵もシリアスを感じさせぬテンション……「WAR /ウォー!!」が最高です!オチだけ若干シリアスというか納得いかなかったけど、それを補って余りある、主演2人のイケメンっぷりが最強!1人はムキムキマッチョでワイルドな色気マックス男、もう1人はムキムキマッチョで二重瞼で無駄に美形。アクションも異常に詰まってて、「いやー、映画2本観たくらいの満足感……!」と思ったらまだ1時間しか経ってない。サイコーすぎます。あと、アクションじゃなくてホントに良い話だったインド映画は「きっと、うまくいく」。大学生3バカトリオが主役の青春コメディ。3時間近くあって初見だと手が出しづらいけど、観たら笑って泣けてハッピーになれる!たしかアマプラにあるので、騙されたと思って再生してほしいです。
涙目さん:『ポリスアカデミー』
皆さんこんばんは。遅くなりましたが今年もどうぞよろしくお願い致します。今回のお題を頂いて、たしかに元気がないときに何回か映画に救われたなぁ、と感慨にふけりました。他の共感族の皆さんと共通していると思いますが、私が映画で心の栄養補給をしたいときに選ぶのは次の4つを押さえた映画です:(1)短い、(2)軽い、(3)それでも最後はスカッとする、そして(4)明るく勇壮なテーマ曲。当てはまる映画はいくつかありますが、今回選んだのはポリスアカデミー・シリーズ。全編通して「バカだねぇw」「くだらねぇw」「意味ねぇw」なシーンの連続ですが、観終わったら思わずテーマ曲を鼻歌で唄いだし、観る前より少しだけ肩の力を抜いて生きれるようになるんですよね。今回久しぶりに1作目を観てみましたが、映画中盤のラサール校長の名演説に、いろんな意味で涙。昔はよくこんなシーン地上波で親と観れたもんだな、と再び感慨にふけりました。
NORI“アレックス”65tさん:『キツツキと雨』
好きな作品。何回も見ていて、それほど集中しなくても良いやつ。ただし、思いついたタイトルを考えるとオールタイムベストとはまた違ってきますね。気持ち良く見れる、もしくは単純に良いヤツが悪いヤツをぶっ飛ばす。例えば、『ダーティ・ハリー』『ワールズ・エンド』『ゴースト・ハンターズ』『サンダーアーム/龍兄虎弟』『幸福な食卓』『虹の女神』『悪夢探偵』etc。んで、今回オススメするのは沖田修一監督・脚本の『キツツキと雨』。山村で木こりをしている役所広司さんのところに、低予算のゾンビ映画の撮影隊がやって来ます。撮影に合いそうな川がないか?と聞かれた主人公が監督とプロデューサーを案内したところから、次第に撮影に引き込まれていってというストーリー。んで、気弱な新人監督役が小栗旬さん。撮影は当然トラブル続きなんですが、その中で徐々にスタッフや役者さん達の間に連帯感が生まれてというベタな展開ではありますが。それが良い。撮影しているというのがゾンビ映画というのも、今作を退屈しないで見れるポイント。まぁ、出来上がった映画が面白いかは疑問ですが。
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noctazure · 8 years
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2001年宇宙の旅
この作品は第3千年紀に再臨する救世主の物語である。
プロット: 古代アフリカ。モノリスの影響により道具を使うことを覚え生存競争に打ち勝った猿人。
西暦2000年代、核兵器を搭載した人工衛星に取り囲まれた地球。 月面でモノリスを発掘した人類はモノリスが発した情報送信先である木星を調査。その途上HALの反乱によりボーマン以外死亡。木星圏にてスターゲートを発見。
ゲートの先に用意された白い部屋はダンテの神曲に倣って天国を意味し、そこで部屋に響き渡る声の主とその御使いであるモノリス、そしてスターチャイルドに変容したボーマンは三位一体を成す。
彼の地球への帰還によって物語は終わりを迎える。
解説: この作品はアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」で用いられた「神の如き宇宙人による人類の繁栄と終焉、進化」というモチーフを「オデュッセイア」や「ツァラトゥストラかく語りき」「西部開拓史」など様々なイメージソースで膨らまし、最終的に唯物的に解釈されたユダヤ・キリスト教神話といったものを提示している。
感想: 惑星直列などの映像アイデア、時代性を極力排除したクラシカルな音楽やモダンな美術、白い部屋に於けるオーソン・ウェルズを思わせる一連の型破りな視点構成、そしてそれらを表現する一コマ一コマが一枚の写真として成立しそうな程に美しいフィルム、などなど…
しかし真に驚嘆すべきは説明的なものを一切排して映像のみで語らせるという手法を貫徹したキューブリックの意志力だろう。 その想いに支えられてか、50年程経た2015年現在でも尚このフィルムは美しいと感じさせられる。
映画という表現の一つの極みだろう。
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@Le tourbillon de la vie 人生のつむじ風
https://www.youtube.com/watch?v=dcVcwwo8QFE
女優ジャンヌ・モロー(1928-2017フランス)の歌。彼女はパリのコンセルヴァトワールで演技を学び、コメディフランセーズに所属していた本格派。「死刑台のエレベーター」「突然炎のごとく」など、多くの有名な監督の映画に出て、賞もたくさん取っている。オーソン・ウェルズが世界で最も偉大な女優と呼んだ人。
A famous French actress, Jeanne Moreau sang it.
She studied in Conservatoire in Paris, and belonged to Comedie-Francaise.
She played in many famous films as “Ascenseur pour l’echafaud” or “Jules et Jim” with many famous directors.
She also took a lot of prizes, and Orson Welles called her the greatest actress in the world.
歌詞と意味
Elle avait des bagues à chaque doigt,
Des tas de bracelets autour des poignets,
Et puis elle chantait avec une voix
Qui, sitôt, m'enjôla.
 彼女はどの指にも指輪をしていた
手首にはたくさんの腕輪
彼女の歌声は
すぐにも私を迷わせた
Elle avait des yeux, des yeux d'opale,
Qui me fascinaient, qui me fascinaient.
Y avait l'ovale de son visage pâle
De femme fatale qui m'fut fatale {2x}.
 彼女はオパールの瞳をしていた
それが私を魅了した
彼女の白い卵型の顔は
私にとって運命となる女のものだった
On s'est connus, on s'est reconnus,
On s'est perdus de vue, on s'est r'perdus d'vue
On s'est retrouvés, on s'est réchauffés,
Puis on s'est séparés.
 私たちは出会い 知り合った
互いを見失い 再会した
私たちはまた出会った 互いを暖めあった
それから別れた
Chacun pour soi est reparti.
Dans l'tourbillon de la vie
Je l'ai revue un soir, hàie, hàie, hàie
Ça fait déjà un fameux bail {2x}.
 私たちは戻って行った
人生のつむじ風に
ある夜また彼女に出会った
すでに何年もたっていた
Au son des banjos je l'ai reconnue.
Ce curieux sourire qui m'avait tant plu.
Sa voix si fatale, son beau visage pâle
M'émurent plus que jamais.
 バンジョーの音に 彼女だとわかった
この好奇に満ちたほほえみが私には魅力的だった
彼女の運命の声 美しい白い顔が
私の心をこれまで以上に動かした
Je me suis soûlé en l'écoutant.
L'alcool fait oublier le temps.
Je me suis réveillé en sentant
Des baisers sur mon front brûlant {2x}.
 彼女の声を聞きながら私は飲んでいた
アルコールは時間を忘れさせる
目覚めた時感じた
私の燃えるひたいにキスされているのを
On s'est connus, on s'est reconnus.
On s'est perdus de vue, on s'est r'perdus de vue
On s'est retrouvés, on s'est séparés.
Dans le tourbillon de la vie.
  私たちは出会い 知り合った
互いを見失い 再会した
私たちはまた出会い 別れた
人生のつむじ風の中で
On a continué à toumer
Tous les deux enlacés
Tous les deux enlacés.
Puis on s'est réchauffés.
 私たちはまわりつづけた
抱き合って
抱き合って
それから暖めあった
Chacun pour soi est reparti.
Dans l'tourbillon de la vie.
Je l'ai revue un soir ah là là
Elle est retombée dans mes bras.
 私たちは戻って行った
人生のつむじ風に
ある夜また彼女に出会った
彼女はまた私の腕に中に
Quand on s'est connus,
Quand on s'est reconnus,
Pourquoi se perdre de vue,
Se reperdre de vue ?
私たちが出会った時
私たちが再会した時
なぜ互いを見失ったのか
再びふれあわずに 
Quand on s'est retrouvés,
Quand on s'est réchauffés,
Pourquoi se séparer ?
私たちが再会した時
互いを暖めあった時
なぜまた別れたのか 
Alors tous deux on est repartis
Dans le tourbillon de la vie
On a continué à tourner
Tous les deux enlacés
Tous les deux enlacés.
 私たちは戻って行った
人生のつむじ風に
 私たちはまわりつづけた
抱き合って
抱き合って
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おはようございます 10月30日(土) #西多賀眼科医院 午前9:00〜12:00 ⁡ ニュースパニックデー,宇宙戦争の日 1938年のこの日、アメリカ・CBCラジオでオーソン・ウェルズ演出のSFドラマ『宇宙戦争』が放送された。演出として「火星人が攻めてきた」という臨時ニュースを流した所、本物のニュースと勘違いされ、120万人以上が大パニックになった。#宇宙戦争 ⁡ 1980年 #鬼束ちひろ の誕生日 (シンガーソングライター) ⁡ 【CDジャケットクイズ】 アルバムジャケットのアップです。 どのアーティスト、アルバムでしょうか? 明日の朝に正解とオススメ曲などを発表いたします。 我こそは音楽好きという方、 普段音楽を聴かないけど、なにか見たことがあるなという方、 どなたでも結構です。 コメントをお待ちしております! #CDアルバム #CD #CDジャケット ⁡ 西多賀眼科医院ホームページも、どうぞよろしくお願いいたします↓ https://nishitaga-ganka-clinic.com/ ⁡ #眼科 #仙台 #宮城 #白内障 #結膜炎 #緑内障 #ドライアイ #眼鏡 #メガネ #コンタクトレンズ #眼瞼下垂 #太白区 #鈎取 #西多賀 #長町 #八木山 #富沢 #名取 #秋保 #秋保温泉 #日帰り手術 #長町モール #誕生日 #今日は何の日 (西多賀眼科医院) https://www.instagram.com/p/CVoNKWwJwSz/?utm_medium=tumblr
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liliyaolenyeva666 · 3 years
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🎼 00745 「It Means A Lot」。
富岡畦草さんの 「富岡畦草・記録の目シリーズ Ⅰ 東京 消えた街角 (1992年 玄同社)」 を読んでいます。"定点観測式撮影法" 略して "定撮" の第一人者 富岡畦草さんの作品は 写真も然る事乍ら、文章がとても素晴らしくて好いですし、東京で暮らすわたしにとって宝物のやうな一冊です。映画や映画館などについての頁をテキトーに書き留めます。
・帝国劇場 (1964年2月)
一時期、映画館として使われていたこともある 帝国劇場は 明治時代 (1911年3月) に開館されたさうです。
・有楽町と看板 (1961年3月)
有楽町の駅前が映るフォトに いくつかの映画の看板が写っています。
"シンデレラ姫 (Cinderella)"
ウォルト・ディズニー作品。色彩長篇、どなたにもよくわかる すばらしい日本語版。と看板にはあります。どうやら うちの国の初公開時のタイトルには "姫" がついていたみたいです。
"うっかり博士の大発明 フラバァ (The Absent-Minded Professor)"
フライング・ラバーなウォルト映画。ロビン・ウィリアムスがリメイクしていました。
"七��鳥艦隊 (All Hands On Deck)"
パット・ブーン主演の映画。
"��野の七人 (The Magnificent Seven)"
ユル・ブリンナーが チャールズ・ブロンソンや チャールズ・ブロンソンや チャールズ・ブロンソンらと共演した西部劇です。
"夜と昼の間 (The Angel Wore Red)"
エヴァ・ガードナーが ダーク・ボガードらと共演した恋愛映画です。
・築地川と映画広告 (1961年3月)
築地川のフォトに (きっと勝手に) 橋に貼られた 映画のちらし広告が写っています。
"野郎!拳銃で来い (Destry)"
オーディ・マーフィー主演の西部劇です。
"紅の拳銃"
赤城圭一郎さん主演の日活映画です。
"慕情の人"
原節子さん主演の恋愛映画です。
・新橋駅西口広場と看板 (1958年9月)
現在は "SL広場" と呼ばれています広場は 一昔前は闇市があったさうで、その後 野外ステージが設けられたさうです。そんな野外ステージに群がる人々が写るフォトに映画の看板が写っています。
"花嫁の抵抗"
わたしのすきな 田村高廣さんが出演された恋愛映画です。看板の下に "新橋文化" とありますから "新橋文化劇場" で上映されたのでせう。
・渋谷駅ハチ公口交差点 (1958年7月)
渋谷 東急百貨店から写したらしいフォトに映画の看板が写っています。
"黒い罠 (Touch Of Evil)"
オーソン・ウェルズ監督作品。渋谷 パンテオン (東急文化会館) で上映中。
"喜劇 駅前旅館"
森繁久彌さん、フランキー堺さん、伴淳三郎さん、そして わたしのラブリー 淡島千景さんらが出演されたコメディ映画です。看板のある場所は 渋谷東宝会館 (現在は Tohoシネマズ渋谷) かなって思います。
・飯田橋と看板 (1961年12月)
橋の側に看板が建てられています。看板には "東洋キネマ" とあります。
"喜劇 駅前弁当"
森繁久彌さん、フランキー堺さん、伴淳三郎さん、そして わたしのラブリー 淡島千景さんらが出演されたコメディ映画です。
"アワモリ君西へ行く"
坂本九さん主演のコメディ映画です。
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