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#セルフモニタリング
furryhanaspotato-blog · 5 months
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20240508
嗚呼、やる気が出ないよ〜〜〜〜 セルフモニタリング。
体:生理1日目でけっこうしんどい。眠い。動きたくないけど、今日はロキソニン飲んで社外の商談会に行くことにしてる。「休みたい!」とめちゃくちゃ思うわけではないけど、ほんのり疲れてる感じ
心(脳):バムくんとの出会いが強烈すぎて数年ぶりの恋愛感情に自分でもナンダコレとなっている... Sな人の心理がめちゃ面白い。多分ドSはドMと同義だと思う。寂しがり屋で繊細で...私がちょっとだけ年上なので、そのあたりが良いバランスになって(しまって)いる。
今まではネガティブな感情ー疲れたとか、しんどいとか、イライラするとか、そういうことをMitigateするために感情コントロールを学んできた(休む、セルフモニタリングする、行動してレビューして改善する)けど、 恋愛のハイになること、相手のことを考えて自分の生活に集中できない、という、上振れの感情に対してはフォーカスしてこなかったので、 扱いにほとほと困り果てている。
大人だからさ、日々やらなきゃいけないことは、きちんとやらないといけないのは重々わかってる。
ああ、神様、もう少しだけ私に。余白を楽しむ時間をくださいな。 早く会いたいけど、そういうわけにもいかない(別に彼氏になってほしいとかましてや結婚してほしいなんて1ミリも思っていない)ので、冷静に冷静に。。。はあ。ため息。
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akashiano-kiki · 1 year
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もう東京を出ることが頭に過ぎり出してからの数年間は人と会うたびに「いつまで東京にいるかわからないから」って言って、なんだか地に脚がつかないような生活を送ってた。誰かをすきになりそうになっても東京が出られない理由になると思うと、恋愛なんか始める前から億劫になった。京都に行ったら「いつ出るかわかんないから」なんて台詞は忘れて安心して動けるんだろう、行動力あるしコミュニケーション能力もあるし、できるだけ動いて活動していこうと思ってた。京都に来て人生変えようと思ってた。人生変えようというか人生きっと変わると思っていた。誰かについてって否応なく住まなくちゃならなくなった街じゃなくて、自分で選んで住みたい街なら。
なのに気づいたら行くのは精神科か。1ヶ月前に物凄く精神追い詰められて、予約取れたのが1ヶ月後(9/13)。まだ行くかどうか迷ってる。1ヶ月もこの動悸と不眠が続いたらかなり消費するなって思ってたけど、さすがに治った。平日のリモートの日は外を5km走るのもだいぶ心地よくなってきたくらい。集中したら1日12時間とか絵描ける機械みたいになった。(むしろクリエイティブ)随分元気になったし、っていうか普通に元気。仕事も普通にできるし、仕事とランニングと絵を描くor文章描くorデザインするかのセットでだいたい毎日を過ごしてる。作業に没頭していると結構忘れる。ただあんまり人に会いたくない。人に会いたいけど会いたくない。人に会いたいのに会いたくない。今の自分はきっと誰と話しても話が合わないから。モヤモヤや苛々が溜まってただ疲れるだけだから。それでも1人だけ、私を外に引っ張りだしてくれる人がいて、ただただその人からの連絡を待ってる。自分から連絡できないんだけど、だからただただ待ってる。本当に有り難かった。そうじゃなかったらもっと悲しい気分になってたかもしれない。
気づいたら毎月のように東京に行く用事。京都にはタメ口で話せる友達もいないし、本当に追い詰められた時に今まで寄りかかってきた関東の友達は、物理的な距離と一緒に私の前からどんどんいなくなっていった。数年かけて、時間を共有して積み上げてきた人間関係だったはずなのに、もう助けてって言っても既読無視される始末。ああそこまで来てしまったか。そういうのをもう友達って呼べない。どんどん相手にされなくなって言って。ああこれがプール理論ってやつ?きっとなんかあったんだろう。でももう”要らない”なんだなぁと思うと、悲しいとか寂しいよりもなんと言うか、線香花火の消える瞬間を眺めた時の様な、世の無常を突きつけられてパタンと扉が閉まる様な、心か固くなる様な気持ちになるんだった。毎年、大事にしてきた人間がどんどん私から離れていく。時代もあるんだろう。年齢的な話でもあるんだろう。私の人間性でもあるんだろう。
今年の夏はゆらゆらとした”死”が見えた夏だった。かげろうのような。はっきり言って10年ぶりくらいの体験だった。浮遊感というかボーッとする感じ。リストカットも3年ぶりくらい。おかげでずっと外でも長袖で、腕丸出しは家と家から1番近いコンビニくらいで、治るのを待った。自分で切って自分で気にして、馬鹿馬鹿しいくらい不効率な期間だと思った。手首の傷は自分で見ていても嫌なもので、なんならタトゥー入れたらいいかなって思った。いい彫り師に出逢えたら左腕に蝶のタトゥーを入れたい。トリバネアゲハがいいなーと思いつつも、ちょっと刺々しいしやっぱアゲハチョウ科の蝶が女性らしいかな、とか。リストカットなんて正気の沙汰ではないって思ってるし、20代後半になってもこんな馬鹿みたいなことでしか自分を救えない自分が情けなかった。でも頼れる宛がもうなかった。情けなくても受け入れてもらえる自信がもうなかった。自分で解決するしかないって思うと気づいたら切ってる。切れてる。カッターじゃ切れ味が悪いから、わざわざコンビニまでカミソリを買いに言って。3本260円くらいの安いやつがちょうどよく切れる。引越しの時たくさん捨てたのに。目に見えない心の痛みが、目に見える身体の傷になって行くとなんだか少し安心するような気さえする。傷口が塞がるように心の痛みも治って行くように見えて。痛い痛い。ああ痛い。でも生きてる、と感じる。心だけ磨耗して自分が自分から離れていく様な感覚に比べればずっとマシ。ただリストカットはエスカレートする。これが怖い。もっと深く切りたい、包丁で切りたい、口の中切りたい、頚動脈切りたいって。いや、救急車乗ったら7000円、救急車乗ったら7000円って言い聞かせて何度も冷静になるよう抑え込む。自分で自分を抑える。抑圧が苦しくなって、気が狂って、だんだん何もかもおかしくなって笑う。よく笑う様になる。ひとりでゲラゲラ笑って、感情が切れてわかんなくなって、眠れなくて朝を迎える。うん、病気。躊躇したけど精神科くらい予約する。明日の、否、一瞬先の自分ですら心配になる。え?大丈夫?って。
ってこういうのを一人暮らしはひとりでやる。
眠れなくても仕事はできるし人にも会える。まあ要は躁状態。はじめて会う人とか、別れた彼氏とか、とりあえず手当たり次第というか人に会いまくろうとする。それでまた惨めな気持ちを引き摺って歩く。
ネガティヴを否定する人達は多いけど、こんな時は暗闇でいて目が冴えてくるみたいにいろんなことがよく見えるようになる。今まで気が付かなかったことに気づいたり、聴こえなかった音だって聴こえるようになる。やっぱり一度地獄に堕ちてみないと、いい作品は作れないのかもって思う。ネガティヴな時は、人は自分で思ってるよりも冷静だ。(心理学的にもそうらしい)怒ってる人や冷静気取って相手に向かって「感情的になるな」って言ってる人の方がずっと感情的だ。(本当にこれ。セルフモニタリング弱すぎて笑うよ。冗談よして。)
あれから1ヶ月経つけど毎日のように考えてる。毎日のように。何がいけなくてどこで間違えたか。本質的な歪みと亀裂はどこだったか。どう受け止めるべきか、どう解釈するべきか。既視感。同じような場面。聞き覚えのある台詞。これが私を物凄くうんざりさせる。自分をうんざりさせた内容の詳細。自分が苛立ちを感じたポイントとその原因。想起させられた過去の記憶。自分に必要なことは何か。どこに反省し、どこに諦め、どこに方向性を変えて、どこに落とし込むか。そして今の自分にできることは何か。
考えた挙句にわかったことのひとつとして、人は他人を結構都合よく解釈しているもんなんだなってこと。それから絵を描いたり文章を描いたり自己表現や自己開示をしてきたつもりでいたけれど、周りに”私”は全然伝わってないかもってことだった。それと同時に、何か表現活動をしている人以外の人とは、もう既に結構感覚が大きくズレてきているかもしれないって事。だからもう話がわかる人を探していくしかないのかなって結論になった。わかる人には死ぬほどわかって、わからない人にはどんなに丁寧に伝えてもわからない話をもう今の私は既に多く抱えているのかもしれない。だからもうわかる人を探す、それしかないんじゃないか。その為に何をする必要があるか、ということ。
長くなってしまったけど文章を締めよう。だからこんなものを夜な夜なストーリーズで10人程度しかいない”親しい友達”に見せてても仕方ないのかもしれない。結局何も届いてないのかもしれない。ひとりぼっちでずっと。ナイトオンザプラネット。彷徨いながらずっと。いつまで続くか。明日のことだけ考えて生きる。
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seiunsky2520 · 2 years
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自律神経の疲れを回復させて健全に保つには、 何よりも量、質ともに十分な睡眠が求められます。 そのために有効なのが、睡眠のセルフモニタリング。 今日から取り組める手軽なチェック方法は 朝寝床から起きて最初の一歩を踏み出したときの感覚に耳を澄ますこと。 半分寝ぼけた状況だからこそ、 覚醒時には自覚しにくい自律神経のコンディションが反映されやすい。 脚が重たい しんどい と感じたら 自律神経の疲れが 完全に抜けていない証拠。 就寝と起床の時刻 運動や仕事 といった 前日の負荷量を書き出して "見える化"し 疲労感が抜けるように 長く眠って質も高め、 日中の負担を減らしていきましょう。 初めの一歩の感覚で もう一つモニタリングしたいのは、 何かをしたいという"衝動"の有無。 なんとなく湧き上がる衝動は、 動物的な本能を反映したもの。 自律神経の中枢がある脳の部分は 本能に関わるので、 衝動があるのは 自律神経の状態が良い証しり たとえば… 今朝はひと駅分歩こうかな と思えたら、自律神経が好調なサイン。 逆に日課の筋トレが 億劫や面倒に感じたら、 自律神経は疲れている。 睡眠を見直していきましょう。 #睡眠の質 #睡眠改善 #自律神経失調症 #自律神経を整える #自律神経の乱れ #自律神経ケア #自律神経整える #リラクゼーション整体#三島整体 #三島駅整体 #crea_mishima (静岡県 三島市) https://www.instagram.com/p/CoTPyf0PHzK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sakino-healthbe · 4 years
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【essay】: セルフモニタリングノートについて/セルフモニタリングのすすめ(1) 「私のセルフモニタリング/モニタリングノート史」前編
※セルフモニタリングとは?という大前提や基礎知識についての記述をぶっ飛ばしてうっかり先にモニタリング史から書き始めてしまったので、自己療法や精神科治療について全くの初心者。何を言ってるのかわけわからん。という方は内容が進むまでしばしお待ちください。。。
〈セルフモニタリング行為、認識以前 -行動療法とモニタリングのこと-〉
 私がセルフモニタリングをきちんと「セルフモニタリング」と意識してはじめたのはそうそう昔のことではなく、今の病院に移ってからのことである。
 といってもそれまでに自分で生活をモニタリングしてなかったのかというと全くそんなことはなく、私は筆記魔だし、 ①つれづれによしなしごとをとにかくひたすら書くフリーライティング(わたしにとってはこっちが日記だ)、②20代後半からは加えて、時系列に何をしたかを簡単に表に記してその日の出来事をメモしておく、いわゆる日記。この2つを長らく書いてきた。 後者は見た目・内容ともにかなりセルフモニタリングに近いものだったと思う。今は②はそのまま「セルフモニタリングノート」として継承されている。しかし当時はそれを「セルフモニタリング」と意識しておらず、ただ自分の毎日を自分で把握しやすくするために記録をつけるようになっていたというのが近いだろう。
 認知行動療法などさまざまな療法に対しては本などで読んでかなり興味を持っていたけれど、どの文献でもカウンセリング中心にかなりがっつりと時間をかけるような本格的な方法ばかりが挙げられており、どこか理想論というのか、日頃受けられる治療とはかなり程遠いものがあったから、こんなの本当にできている病院なんてあるのかなという懐疑を持っていた。 (それは今でもそうで、保険適用外だからなかなかお目にかかれないというのもあるけれど、しっかりと名のついた療法やカウンセリングで良い変化や効果があった!みたいな話ってどうもあまり聞かない気がするのだよな…)
セルフモニタリングという用語もこの頃は知らなかったし、おそらく当時はまだ精神科治療よりも心理学の分野で多用されていた言葉だったかと思う。 今でも、「セルフモニタリング法」で検索すると認知行動療法と紐付けされた語として紹介されているのを比較的容易に見つけられるけれど、逆に「認知行動療法」で調べるとセルフモニタリング法にたどり着くことが難しい、と言う不可逆性があるように感じる。
あまりはっきりとは覚えがないけれど、自分の場合は双極性障害の治療の文献で「行動を記録するのがいい」というのを目にして記録を始めたような記憶がうっすらとある。
〈転院して生活記録表をもらう -私の1日、連続性の困難-〉
 さて今の病院に移ったのは2018年7月のことらしい。これは障害年金を取得する関係で社労士さんに紹介してもらっての転院であった。
 まず生活記録表のようなものを書いてくるように言われ、生活内容・気分の状態を書く小さな空欄と時間軸がある簡単な表を渡された。 一般的に「週間活動記録表」だとか「活動記録表」といわれるものである。検索すればすぐ同様の表が出てくるかと思う。
 それまで通っていた複数のクリニックや病院はどこも同様に、診察時には体調のことや気分の具合を少し話すぐらいで、生活の内容や質に症状の紐付けをしたり突っ込んで話をすることはなかった。なので私がつけていた「セルフモニタリングのようなもの」を使うこともなく、つけている内容を言うこともなく、それらはただ自分のためのおこないであった。 なので転院して記録表をつけるように言われたときは、ああ、ここでは私の受けたかった治療や知りたかったことに近いものが為されていて、それはきちんと世にあるんだな、と安堵と驚愕をしたものである。 (これはどんな治療・どんな病院がいいわるい、という批判の文脈ではない。それについてはこのトピックからは大きくずれる話題だし、精神科治療と患者の関係は複雑で、きめこまかい治療や最近の治療がいいという安易な考えは通用しないと思うのもある。それに、相性があったところで理想の治療というのはよほどのお金をかけないと成立しないと思っている。要するに保険の枠内では万人の感じる理想的な治療はほぼ無理だなというわけ。あと、さらに言うとそれまでの通院はどこも月に一度だったのが今の病院では週に一度の通院になったので、頻度があがったことによる質の向上があるというものも考慮している。)
 転院したクリニックに通いはじめのころは霞の中にいるような具合だったのであまりよく覚えていないのだけれど、たしか2ヶ月ぐらいはもらった表に素直に従って書いていた。でも表の記述欄が小さいことや印刷のされ方が気に食わなかったことから徐々に書き損ねる日が増えていき(コダワリと一致しないとうまくいかないようになるあたりに大変ASDみを感じる)、これではよくないなとの思いから、自分で工夫して勝手に時間軸付きの生活記録メモをまた作るようになっていった。
 モニタリングを意識してから初めての自己流式は無印の短冊状のToDoリストを使用したものだった。(たしか罫線の数が24の約数になっていてちょうどよかったのだ) 罫線一本につきn時間と決め、その日に何をしたかを克明に記録し、なおかつ裏面にはその日に感じたことなどを書いていた。 しかしそのやり方は先生に方法がよくないと言われてしまった。メモをクリニックに持っていくようになって何回めかで言われたことが大変印象深く、はっきりと覚えている。 「いや~、1日につき1枚書いてらっしゃるというのが…なんというか…1日1日を本当に懸命に、息を上げながら生きているという感じがする…し、毎日がバラバラでつながっていないという印象を受けます、これだと連続性がわからないから、もう少し後から振り返りやすいものの方がいいね」 そのとおりなのである。なにものにも影響されていないものというのは本質が全部こもっているものだという持論を持っているけれど、そのToDoリストを使った1日1枚のやりかたは如実に私そのものであったと思う。
 私は双極性障害の日内変動の症状が強く、加えて(のちにわかる発達障害からくる)生活リズムのずれもひどかったので、次の日はいつ起きることができてどんな状態なのか、その日起きてみないことにはさっぱりわからない生活をしていた。し、今もまあその範疇にいる。なので自分の近未来の確約はできなくて、わたしにとって日々はてんでばらばらな点の集まりなのである。 (これは生きていく上でとてもしんどいことだ。かつて勝手におこなっていた「セルフモニタリングのようなもの」を記すようになったのも、結局毎日がばらばら過ぎて把握できないゆえに編み出した自分の遣り過ごし方なのだと思う。明日が予測できないというのは、計画が成せないことである…。このことについてはまた別途書きたいと思っている。)
 先生にそのように指摘されて実にそのとおりだなと思ったので、その方法をやめてかつてのようにノートにつけることにした。
〈モニタリングノートの試行錯誤  -セルフモニタリング史・前編-〉
 ここからはしばらくモニタリングノート史の話となる。
 まずは既成の手帳を探してみたが、しかし大抵の手帳というものは24時間も時間軸がついていなくて、だいたい深夜帯が省かれているので使い物にならないのだ…。モニタリングのいちばんの基礎は睡眠時間と活動時間の把握なので、ノートは24hの時間軸が均等に配置されている必要がある。
・ツバメ カレンダーノート時代
 ツバメから出ているA4版のカレンダーノートというのがあり、それはきっちりと24時間記すことができるバーチカル型でたっぷり余白もあって便利だし、なんせツバメノート好きだし、で使ってみたのだけれど、A4はデカ過ぎて私の手に負えなかった。
 そもそもモニタリングするのだから忘れないうちに行動を記録しないといけない。もともと短期記憶が弱いし始終服薬でぼんやりしているので、半日以上ほったらかしたら思い出しにくくなり、1日放置すればもうほぼ思い出せないと言っていい。なのでモニタリングノートには携帯性が必要なのだ。ちょっとした隙間を見つけては書きつけるのが理想なのだけれど、さすがに広げたらA3になってしまうノートは毎回持ち歩くわけにはいかなくて、そうしてるうちに全然続かなくなってしまった。
・1週間バーチカル型手帳時代
 今度は携帯性を考えて、24時間の枠があるバーチカル手帳を見つけてきた。深夜帯がやや詰まっていて他の時間より書くスペースが少ないけれど、とりあえず1週間なりある程度の連続体が見渡せるものが必要。(と、そう思い込んでいた)
バーチカル1週間型自体がとても苦手だったとのちのちわかるのだけれど、この時は先生に言われた「1日1日がばらばらで俯瞰できない」という主旨がまだ頭に残っていて、あまり好きでもないし書く欄も限られているこの型の手帳を買って、必死に毎日を詰め込んでいた。
書きたい量と本来書かれるべき量が一致していないのだから、過去になった日付欄はぐっちゃりしていて、そして朝・昼・夜より間隔の詰まった深夜~早朝の枠組みの方に私は多く生きていて、そうした事柄からやがていやになってしまい、私は早々と手帳から離脱した。
・トラベリングノート 全カスタム時代
 それならば自由度が高ければいいのでしょ、と次に私は当時凝っていたトラベリングノートに目をつけた。 フリーライティングや語学やその他書き物などだいたい自分が普段筆記に使うものはこの頃これで管理して持ち歩くようになっていて、凝り性というのもあって最大で4冊ほど(大)サイズの縦長の革ノートを持って使っていた。 今考えると結構狂っている。
 ほとんどこれで筆記をまわしているのだから、じゃあモニタリングノートもこれでつけてしまえばいいじゃないかという算段をした、まではよかったのだけれど、無謀なことほど燃えてしまうというよくない癖を持っている私は無地のノートを買ってきて、そこにわざわざあらゆる線を自分で書いてオリジナルのモニタリングノートをゼロから作成した。 定規で測った複数のシルシを1ページずつつけては線を引いていく。24の目盛りを1日ごとに入れていく。大仕事である。
 普通の人なら馬鹿げていると回避することでも、なんとなく私にとっては売られた喧嘩のように思える時があって、そうしてその時はその自分で起こした喧嘩を買った。 軽躁と強迫が入り混じったようなこんな行動に出ることが、たびたびある。
 このノート作成は周囲や自分自身の予想より結構ながいあいだ続いた。毎回めんどくさかったけれど、手間をかけてカスタムするのは好きだったし、線をひいているだけで何か大仕事をした気分になれた。ノート自体をコントロールしているという感じも心地よかった。 しかし何より、おそらく当時は強迫の傾向が強い時期と重なっていたのだと思う。だんだんと書かれることがらが増え、いろいろな要素に応じたたくさんの色分けが為され、さらにはもっと別の視点からのモニタリングに関するノートが別に増刷され、生活に関わる行為が事細かに書きつけられては分析された。
 書くことに対する強迫行為の中にセルフモニタリングが絡め取られてしまった。書くことに耽溺できているうちはよかったが、それらは自分の所持しているエネルギー量をはるかにオーバーするものだったので、強迫傾向の時期が終焉するころにはすべてが「ただのしんどい手仕事」に変わってしまっていた。 やがて線をひくこともしんどくなり、日にちの進む方がノートを上回るのがつねづねで、はあはあ息をあげながら診察前に罫線を引いて急いで覚えているぶんだけを書くような乱雑さになりはてた。
 溜まり出したらもうこういうことはうまく回せない。半年ほど続いた全カスタムの様式もこうして折れてしまった。
・EDiTノートでスケジューリングも同時進行、ちょっと反抗期時代
 見開きに七日間をぶち込むからいけないのだと思い至った。
 私は書く量が多い。書くことの種類も多い。とにかく言語化するアホだからだ。病院が配っている「生活記録表」なんてあんなエクセルの表そのままみたいなもの、何を書ける余白がどこにあるねん、と思うし、バーチカル1週間型のノートは30分ぐらいのできごとの気づきについて書き付けようとして改行・改行・改行をしているうちに書いていることが5時間分ぐらいの枠を使ってしまう。結果だんだんと筆記と時間はずれていってしまい、もはや1日の後半になると時間と行動が実に不一致、何の意味もあらへんやんか、と言った具合。
トラベリングノートが乱雑をきわめていた頃、東急ハンズの文具コーナーをうろついていた私はEDiTとか言う1日1ページ型のスケジュール帳を目にして思った。 いやいやいやいや。もう、連続が、俯瞰が、とか言うてる場合じゃなくて、落ち着いて継続してノート書かれへんかったら意味ないやんかぁ。 半ばヤケクソ気味になりつつ、スケジュール帳の売り出し時期を過ぎてやや安くなっていたそれを買った。
 これの良いところはきちんと24時間が均等になるところなのですね。そこは譲れないところである。さて。1日はなんて広いんでしょう。のびのび。横に手足を伸ばせる!!バーチカル型で窮屈な思いをずいぶん続けていたので心からそのように思ったものである。
 診察の時に「1日1ページで時間の流れを俯瞰しにくいかもしれないんですけどいいんでしょうか…」とおそるおそる尋ねてみたけれど、「ま、ノートになってるからいいんじゃないですかね。」とのことだった。内心で「ええんかーい」とツッコミを入れながらも少し安心した。
 ちょうどこの頃、京都と東京を往復する暮らしが決定したこともあり、新しい生活に新しい手帳で鼻息荒くふんふんしていた。モニタリングノートも、これまでよりもっと活用してうまく運営してやろう!という気持ちがあった。 スケジューリングしないといけないことが増えたぶん、私はスケジュール帳の側面もモニタリングノートにぶちこむという暴挙に出た。広々した1日のページの端、5分の1ぐらいを間借りしてちょっとしたスケジューリングコーナーを作ったのである。
 しかしこれがよくなかった。のちのち深く反省と理解をしたものだが、モニタリングとスケジューリングは非常に相容れないものだった。前者は過去/事実を素直に書くもの、後者は未来/希望を期待値で書くものである。混ぜるな危険。取り扱い要注意。よっぽど自身の運営がうまく克己心の強い人だとこれでも全然問題ないのだろうが、私のような自己管理のヘッポコがこれをやると簡単に自己肯定感が死んでしまう。 なぜか。説明するまでもない、予定とその結果が毎日並ぶのだ。「不履行」「不履行」「不履行」が並ぶ毎日の手帳…。まことに精神��よろしくない。 ちょうど慣れない東西往復生活において私はバスを逃しまくるという失態をやらかしまくっていた(一時期は「バスを逃す人」みたいな認識が周囲に確実にあった)。不履行どころで無し、大・不履行である。 双極性障害の日内変動のひどさと発達障害的な気質、加えて極度の外出不安を持っているので、私は予定を予定通りこなすことが非常に不得意だ。こんな人間が結果(モニタリング)と予定(スケジューリング)を並記してはいけない。 少し考えれば想像できるのだけれども、人というものはどうしてか自分自身に関してはそうもいかず、やってみてやっとわかることが多い。 モニタリングとスケジューリング、並行するべからず、と知った。
 もうひとつ、モニタリングに馴染んできたからこそ出てきた問題としてプライバシーの問題が浮上し始めていた。
 私は東西往復生活を主治医に黙っていた。話せば止められるからである。それ以外にも、就労を止められていたのにちょこちょこバイトして銭を稼ぐなどもしていた(だって生活やっていけませんやんか)。 要するにワルの患者だった。ワルの患者はだんだんと、モニタリングノートに書きたくても書いたらヤバいことが増えてきたのだった。 そうでなくてもモニタリングを書くことに慣れてきたゆえ書く時のプライバシー設定がゆるゆるになってきたというのもある。例えば誰々と朝までメールした通話した、誰々とご飯食べた、カミキリムシと部屋で遊んだ、なんてことも書くようになって、たまにそうしたことで先生に何かを訊かれる場面も増えてきたから、だんだんと私の中に「先生にモニタリングノートを毎回見せるのはいやだな」「モニタリングノートを先生に毎週見せるのはプライバシーが筒抜けってことで、それはどうなのか?」「っていうかもっと例えば恋人がいる人とかどうしてるの?」という気持ちや疑問が浮かぶようになってきていた。 (いや、本当に、素朴な疑問として恋人がいたりパートナーと暮らしている人は何をどこまで書くんだろう?喧嘩したとかセックスしたとかそうしたことはどうしてるんだろう?書くんだろうか?だってちかしい人との関わりは精神に関わる大事なことだから。)
 そんな諸事情を抱えた私は少しずつ、自分だけにわかる方法を使うようになっていった。知られたくないこと、仕事や東京周りのことはロシア語の単語でメモするようになった。
EDiTノートはすぐにそのあと野帳にとって変わったから2ヶ月ぐらいのことだったけれど、私生活の形態も大きく変わった頃というのもあってここから得たものは多かったように思う。決して使いにくいノートではなかった。
(後半へ続く)
◆予告◆ 野帳時代、そしてやっとLIFEノートで得た頑張り過ぎないモニタリング方式へ。
乞うご期待。
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kotabrog · 5 years
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あなたは「タマネギ」か「アボカド」か
自分自身をタマネギとアボカドのどちらかでイメージしてください、と言われたらどっちだと思いますか?
めくってもめくっても次の皮がでてきて核となるようなものがないタマネギか、しっかりと中に固い核(種)があるアボカドか…
実はある能力の高さによって人を分類した時の比喩として、この「タマネギ」タイプと「アボカド」タイプは使われます。
その能力とは何かというと…「セルフモニタリング」です。
セルフモニタリングとは何か…
セルフモニタリングが高い人は、人からどう見られているかを気にし、周りの状況を見て、状況に合わせた行動をとります。
そう、まるでタマネギのように、むいてもむいてもその人の本性がどこにあるのかわからないような人が、セルフモニタリングが高い人なのです。
一方セルフモニタリングが低い人は、人からどう見られているかを気にせず、状況ではなく自分の価値観にそって行動します。
アボカドのように価値観の核がしっかりあるわけです。
メリットとデメリットが…
高い低いという言葉を使っていますが、どちらにもメリットデメリットがあります。
例えば、セルフモニタリングが高い人は、周りの状況に合わせることが得意なので、人間関係を円滑にしたり、変化に柔軟だったりします。
しかし、核となる自分がいないように感じたり、八方美人だと思われたりなどのデメリットもあります。
また、セルフモニタリングが低い人は、一貫性のある行動によって、長期的な関係を維持しやすく、また自分の核もしっかりしています。
一方で、変化が苦手だったり、人間関係がせまい傾向にあります。
大事なことは知ること
それではこの知識が何に使えるのかというと、自分の得意不得意を理解し、その原因を知ることに使えます。
例えば自分の核がないと悩んでいる人だったら、その分変化に柔軟なわけですから、人生に変化をつけておもいっきり楽しめばいいわけです。
また、友達が少なくて困っている人だったら、その分大切な人と長く関係を続けることができるので、ゆっくりと変わらぬ幸せな時を過ごすことができるかもしれません。
実は参考文献にはしっかりと実験が行われているセルフモニタリングを計る方法があるのですが、それはまたの機会かぜひ本を読んでみてください。
まぁなんとなく自分がタマネギかアボカドかわかるのではないかなぁと思いますので、ぜひとも自分の能力を意識して、行動してみてください。
参考文献:自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義(ブライアン・R・リトル)
ps
私は驚くほどのタマネギでした。
ちなみにこの本を読んだ時、ちょうど自分の核が見つからないことに悩んでいました笑
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セルフモニタリング
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kagurakanon · 2 years
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2022/04/29「かかし」から「演劇」へ--ひなこのーと
ゼロ年代における日常系がこの世界における瑞やかな「いまここ」を再発見したのだとすれば、2010年代における日常系はこの世界の「いまここ」に内在しつつも、そこからさらに「別のいまここ」へと跳躍した。そして本作はこうした意味で2010年代における日常系の潮流に属する作品といえる。極度のあがり症により緊張すると身体が硬直化して「かかし」になってしまう本作の主人公、桜木ひなこは富士宮女子高校の演劇部に憧れて上京し、下宿先の皆と「劇団ひととせ」を立ち上げて、自身のあがり症を演劇によって克服しようと奮闘する。この点、第三世代の行動療法として注目されるアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)においては、様々なメンタルヘルスの問題を自身を規定する様々な「文脈=ザ・システム」が引き起こす「認知的フュージョン」による「体験の回避」として一元的に把握した上で、エクスポージャー系、セルフモニタリング系、行動活性化系といった技法を駆使して「文脈=ザ・システム」に揺さぶりをかけて、クライエントが「体験の回避」から「価値ある行動」に踏み出していくプロセスを支援する。そして本作は「かかし(体験の回避)」から「演劇(価値ある行動)」へと踏み出していくという極めてACT的なプロセスを辿っていく。ここには否定神学的な特異点を巡って無限に循環する神経症的葛藤を有限な身体性で切断していくという、ある種の実在論的な構図を見ることができるのである。
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kazuki-sakakibara · 3 years
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継続は力なり
『継続は力なり』 #くれたけ心理相談室 #北海道 #札幌支部 #LINEメッセージ #心理カウンセラー #心理カウンセリング #セルフモニタリング #継続は力なり #! #-
皆さんは何か継続していることってありますか? そして継続できなかったことってありますか?   継続することはそれだけでも大事なことですが、 なぜ継続できているのか、 なぜ継続できなかったのか、 見直してみることもとっても大事だと思います。 まずは無理のないペースで続けていくこと。   ちょっと苦しくなってきたら、 少しペースダウンしてみたり、 やり方を見直してみること。 しんどい時にいつも通りを維持しようとして、 無理が生じてしまうと、 続けることそのものに対して嫌気がさしてしまうかもしれません。 まったくのゼロにしないでいられたら、 また乗ってきたときに少しずつ戻していけるはず。   ちょっと余裕が出てきたら、 少しペースアップしてみたり、 一段階上のやり方を模索してみること。 これもまた、 一気にどーんと上げるのではなく、 階段を一段、しっかり踏みしめるように登れたら良いですね。  …
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hanofirefox · 3 years
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家での作業について改めて考えてみる
家での作業はそこまで捗っているわけではないので、改善できることを考えてみる。
睡眠時間を増やす
ここは結構重要だなとは思う。ただ、体力的限界がすべての原因とも断じづらいのも確かなので、作業そのものについても目を向けてみる。
20分に1回タイマーを鳴らし、
・作業は順調か
・目的に適った作業を行っているか
・今楽しいことをしているか
・有意義でも楽しくもないことをダラダラ続けてしまっていないか
・休憩が必要な状態か
などをジャッジしていくのは良いかなとは感じた。
この20分に1回タイマーというのは理由がいくつかある。
スマブラが1戦最大7分であること。
曲作りにおいてもなんだかんだで20分より長く集中状態が続くことが少ないというか、少なくとも作業の1区切りは20分と見ても問題がなさそうなこと。
実際に20分区切りをやってみた手ごたえとしてはタイマーによって作業は止められるが、止められること自体は別にそんなに悪くないというのが一つだ。
20分を越えて何かの作業をし続けているときに、めちゃめちゃ充実して進みまくっているというのは実はあまりない感じで、必要そうでやれるからやっていたがそんなにやる必要はなかったな、みたいになることも多い。
偽の好調感である。
20分に1回、機械的にタイマーを鳴らして意識を取り戻し、今やっている作業について考える、というのはかなり有効なように感じる。
・今、これは順調か
・次に何をやるかのイメージはつくか
・この20分で進んだか
・この20分で課題は見えたか
・休憩が必要か
などのセルフモニタリングとジャッジができる。
なんとなく考えがまとまらない状態で20分みたいなのが発生したときにストッパーにできるのが結構でかい。
ポモドーロテクニックに近い。改めて導入してみてもいいかもしれない。
時間術については自分は最初はうまくいくが、だんだん飽きてやらなくなるというのが多い。
というかそもそも時間術ってあんま重要じゃないよなというのがあり。大事なのは集中力とかじゃなく、要件を定義し、定義したことを実行することである。
集中力バリバリでやろうが、死にかけゾンビ状態だろうがやることやってれば成果は出るのである。
なぜ、自分が色々な時間術をやめてきたのか、というのは改めて考えてみてもいいかもしれない。
とりあえず時間について言えそうなことは、20分作業が止まることは痛手ではないが、20分作業が止まったならなぜ作業が止まったかを考える価値は十分にあるということかもしれない。
20分ごとにタイマーが鳴るのは、思ったよりうざくない、そういうのを感じている。
次に、完了を定義することについて。
とくに好きでやっていることに完了を定義するのは業務とはまた違った難しさを感じるかもしれない。
業務における完了は、それ自体がある種の報酬だ。
達成感、これで解放されるという気持ち、要はさっさと離れたいから完了を定義しさっさと離れようという気持ちが強く発生する。
それに対し、好きなことやる場合は続けたくなるので、完了を定義するやる気がそこまで出ない。
また、完了を定義してもそれを達成できるとも限らないのがまた響く。
20分ルールと組み合わせていくのもおもしろいかもしれない。
完了を定義する。また、基本的には20分でできる完了要件を定義する、といった具合か。
実際、調べものをしたり整理したりなどしていると20分はかなりサクッと終わることも多い。
調べものだけで20分経っている場合、もともと知りたかったことの本筋から離れている場合も多い。
タスクそのものを20分区切りで考える、というのは有効かもしれない。
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m-b-chat · 6 years
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Bonne année 2019 !!
le mardi premier janvier / 2019年1月1日 (火曜日)
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今日はM Bの不眠記念日。去年の今日,夜に眠れなくなりました。以後半年,悩まされてきました。
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あけましておめでとうございます!
M Bは今年も生きていきたいです。
つらくても気分転換とセルフモニタリング。時にはカウンセリングを受けたりして乗り越えていきたいです。
というわけで今は夜の0時50分。寝ます...。頭が痛いです。
おはようございます。。
何か不安です。シニタイ...。
自分が不安である,ということを認識しておく。これは良いことだそうです。
というわけで今日は正月でした。先生方が一日から年賀状をおくってくださいました。嬉しいです。
夕方から親戚の家に挨拶に。元気そうで何より。夕飯をご馳走になりました。
明日も親戚の家へ行きます。
不安...。
最近変な夢ばかり見るので嫌です。
寝ます。
おやすみなさい。
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akashiano-kiki · 1 year
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28年の長い付き合いなので、自分が今どれくらいな状況なのかっていうのは結構よくわかるようになってきた。セルフモニタリングは強い。自分の中でステージ何、みたいなのがあるけど、あ、これはまずいな、って時に連絡する人がいる。そっち側がわかる2人。話のわかる人達。さすがに、まずいなって思って、ふらふらしてきて気づいたら連絡してる。1人は保健福祉士、1人は小説書く人。彼には論理だった状況説明と丁寧な文章で、彼にはもうひとり言みたいな文章で。で、その2人が同時既読無視であって。面白い。私の人生もいよいよ終わってきてるなぁとやっと実感してきた。まぁ小説家の方は、いいんだけど。なんの期待もしてない。ブロックされなくて既読つけてくれただけでも優しい。そもそも返事返ってこないのが普通。まぁでもあれを無視できるのはさすがだなって思う。無視でいいんだけどさ。もう1人だって今年度中は連絡しないでって言われてた。ついに無視するようになったかって。そこまできたか。この人もこの人で病んでいる。
パブリックな場所は避けたい。行けないわけじゃないけど疲れる。個人的に会える人、いろいろ受け入れてきた人、あんまり気にしない人と時間を過ごしたい。とにかくひとりでいたくない。それだけ。
8月の頭からずっと動悸がすごい。さすがに精神科予約した。内科だとたぶんまたカロナール500とか処方されて終わるし。でも最短で9/13って。9/13までこの動悸が続いたらなかなかまずい気がするけど。でも動悸って痩せるのな。不眠と併せて一晩で1kg痩せたりする。すごい。スーパーダイエット。もっともっと痩せよう。にしても京都に来て精神科にかかると思わなかった。やっぱりここも我ながら面白い。東京では何とかできたのに、夢の京都生活は8ヶ月でもう精神科。笑う。眼科も精神科も家から歩いて行ける場所にある。今住んでる所とても便利。
ちょうどいい友達がいなくなったことに気がついた。別にそんな大そうな話じゃなくて、とりあえずしゃべってあーだこーだ言って一緒にご飯とか食べる、そういう場所があればそこまで気が狂わなくて済むんだけど、そういうちょうどいい友達っていうのが、もう私にはいないんだって、ここになってやっとわかってきた。5人くらいはあてにできる友達がいたけど、みんな私を相手にしなくなっていった。相手にしてくれたとしても、やんわり立ち去ると言うか、2時間くらいなら話聞きますが、というような。私も私でうんざりさせすぎないようにかなり気を遣って言葉を選びながら、出来るだけライトな感じである種のエンタメ感を持って喋る。
仕方ないって思って、とにかく邪気を祓うみたいな活動をして、ちゃんと仕事して、掃除して、銭湯行ってサウナ入って水風呂を何回か繰り返して、絵を描く。ひたすら絵を描く。もうどうせあと7、8ヶ月しかないので本気で個展の準備に入らないといけな��。構想からばっちり組まないと。まだふらふらしてる。最近絵の仕事とれなくなったけど、自分の精神活動的な意味では描く絵もスケジュールも頭の中で組んでいる。それが2つ飛ぶとなるとどうするか。まあ、いっか。
ちょうどいい友達がいない、もう1人でいるか、もっと刺激の強い方に行くか。どこか自分自身も他人も試すような感覚で生きてるのはよくないことだろうか。まあでもそこからわかることも多い。狂ってる自分を止められなかったり、来るものもまた強いオーラ持ってて引っ張られたり。人生わけわからんくなる。何で私?って人が結構近づいてくる。何で私?でも、私のことすきな人間は最初から私のことがすきだし、見抜いて来る。乗るか反るかだし、まあ大抵乗ってみて、でも一過性のあるもの。私の上をまた人が通り過ぎていく。
前の彼氏と別れる時に、「私の前からはどんどん人が消えてく。だからあなたは消えないで」って言ってたらしい。すっかり忘れてたけど。消えてく。かぁ。確かに。私の前からはどんどん人が消えてく。自分からブロックとかほとんどしないけど、一体何人にラインやインスタブロックされたかわからない。両手じゃ余裕で収まらない。数えたくもないしほとんど忘れているけど。連絡がつかなくなったり、あんたはもういいって言われたり、なんか。近い存在は何人かいたけどみんな去ってったな。だからいつしか斜めの関係とかが好きになった。壊れようもないのは物理的に距離のある存在。遠い街の友達は、いろいろちょうどよかった。私何で京都に来たんだっけ。何しに京都に来たんだっけ。
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covid-19-jp · 4 years
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sakino-healthbe · 4 years
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■2020-03-27
25日のセルフモニタリング用メモを書くのを忘れていたので書こうと思ったが
おとついのことなのに全くといっていいほど思い出せず、思い出すのがとても困難で、自分のそのへんの「近過去」のあやふやさ・時間感覚のおかしさを再認識する。
ノートの重要性がすごい。ノートを書くことで時間を刻んでいる。
8時半ごろ豆煮るが、焦がしてしまい食事なし。お腹空いたよう。
昼頃ツイッターで前から気になってたフォロワーさんとプライベートでやりとり。
めちゃ近所だとわかり嬉しい。引きこもりをどうにかしたい。
寝る用意して就寝。
18時ごろ起きる。体の動きは悪い。だるい。お腹がはっている。
勝手に過去のいやなことばかり頭をぐるぐるしている。
外は雨がじとじとふっていて、全体的に嫌なものが体の表面に張り付いているよう。
よなか、パスタ茹でていたら隣人あばれる。
いつもなら腹を立てるが、気が滅入っているので恐怖や不安の方へ傾く。
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sakino-healthbe · 4 years
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■2020-03-05
★この日からセルフモニタリング用のメモ帳とメモの方法を変える。
相変わらず夜に寝ない。
そのまま朝も眠らず起きている。気分的な問題で動けなくなり、頓服。
なかば無理やりメイクして身支度。実家から抜け出す。
マンションに帰るとそれなりに解放されるのか、行動的になれる。
片付け、仕事のメール連絡、年度末のいろいろの連絡さばく。実家では絶対にできない。
通院。COVID-19の影響なのか、患者さんが電話診療が多いようで人が全然いない。
なんとまさかのバルプロ酸、普通の処方も頓服もぜんぶなし処方に。
躁鬱といえば安定薬、安定薬といえばリチウムかバルプロ酸…なのにいいのか?!と困惑。
「躁にはきくけど鬱にはあんまり意味ないからなあ。」って。なんなの。早く言って…
「安定薬は絶対」世代の患者なので衝撃的であった。
寝ておらず2日ぶんの眠気でばたんきゅー
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sakino-healthbe · 4 years
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▪︎2020-06-10
夕方まで寝ている。 体調がめちゃくちゃわるい。 ふたたび寝る。 しばらくして起きるがとりあえずしんどすぎて動けない。 また寝る。数時間寝る。 夜中の2時になってやっとなんとなく動けるまでにはなる。
化粧かぶれ?目元が腫れかけていてヤバイ。
へるすべ用にセルフモニタリングのことについて少し文章を書いたりする。
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m-b-chat · 4 years
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le jeudi 16 juillet 2020
眠い。まだ薬が残っているようです。
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ゆうべは1時半頃にお薬を飲んで2時頃に眠れました。朝6時半頃に目が覚めたのですがとても眠い。また眠れました。次に8時半頃に覚醒。ボーっとしていてとても眠い。スマホでお薬の半減期を調べようとするんですけど,文字がうまく打てません。。
よく眠れました。落ち込みもなくて食事もできて良かった。気分も上がりすぎず,良いです。
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夕方になると疲れてしまいました。
しばらくお薬を飲み続ければ安定してくると思うので,めげずにやっていきます。
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何度も云っていますけど,僕は公務員講座のせいで心身を壊したんだと思います。双極IIになるくらいなら止めとけばよかった。
あと,プレ卒論も割とストレスフルだった気がします。でも好きなことなのでネガティブな感情は全く抱いていません。進級できるのか,研究を完遂できるのか,あと周りよりも遅れていたのが辛かった。将来のこともそうですけど自分では方向性を定めることもできなくて,本当に不安でした。色んなのに追い詰められて限界だったのかな,って思います。元々ゆるやかな鬱-軽躁の波はあったんですよね。大学入った頃から落ち込むことが増えて,2年になる頃に不眠,3年になる頃に自死する計画を立てたり,4年になる頃に鬱が深くなって,最近になってようやく治療を始められました。
もうこれ以上悪くなることはないと願いたい。これからはできるだけ本来の状態に戻るんだっ。
受診をすすめてくれて病院も紹介してくれたカウンセラーの先生,もう一度受診をすすめてくれたFさんにとても感謝しています。ありがとうございます。
治ることはない,っていうのが辛い。まぁ,何となく双極II型なのかなとは思っていたので,可能性のある病名を伝えられても驚きはしなかったです。心理学をかじる者の端くれとしても理解はしていたので,割と客観視できていた気がします。セルフモニタリング。大学で心理学を学べてよかった。
ま,とりあえず,がんばりすぎずガンバって生きていきます。
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俺はいる場所としてはエリートなんだ。良い高校出て良い大学の高みにある学部にいるつもりなんですけど,能力が無い。。
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今日は夕方に疲れたぐらいで朝も気分が安定していて,前よりも調子良かったです。よかった。明日もこんなのだと良いな。。
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