Tumgik
#セントラル広場
i-heart-nihon · 9 months
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mokoxxx · 8 months
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Amsterdam ♡ LIST
公園
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・Vondelpark
 大きい公園。みんなの憩いの場所。
 自転車を借りて走るのもいいかも〜
・Westerpark
>>Haarlemmerweg 4, 1013 RW Amsterdam, Netherlands
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ミュージアム
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・RijksMuseum
 中のカフェもエレガントな感じで素敵〜
・Stedelijk Museum Amsterdam
 現代美術館
・Van Gogh Museum
 オンラインで要予約
(もしミュージアムを何個も回るなら、ミュージアムカードを買うとお得。。!)
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お店
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・De Carrousel Pannenkoeken Amsterdam
 パンケーキ屋さん。内装が他のパンケーキ屋さんよりかわいいよ〜
>>H.M. van Randwijkplantsoen 1, 1017 ZW Amsterdam, Netherlands
・De Kinderfeestwinkel
 おもちゃ屋さん。子供のためのお店だけどかわいよ〜
 >>Gerard Doustraat 65, 1072 VL Amsterdam, Netherlands
【de 9 straatjes】
 ナインストリート/いろんなお店、カフェなどがあるエリアの名前
 歩くだけで色々あって楽しい〜
・Beadies 
ナインストリートにある、オリジナルビーズアクセサリーが作れるお店。 
>>Huidenstraat 6, 1016 ES Amsterdam, 
・LOVE Stories
 ナインストリートにある、かわいいランジェリーショップ
 >>Herengracht 298, 1016 BX Amsterdam, Netherlands
・AB Athenaeum-Boekhandel
 ファション誌やZineも売ってる本屋さん
>>Spui 14-16, 1012 XA Amsterdam, Netherlands
・De Hallen Amsterdam
 シアター、カフェ、雑貨屋さんなどが入ってる建物でゆっくり過ごせておすすめ。
 元々は駅。
 >>Hannie Dankbaarpassage 47, 1053 RT Amsterdam, Netherlands
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お店(ダム広場のエリア)
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・de Posthumus Winkel
 スタンプ屋さん。ハリーポッターの店内っぽくてワクワク笑
 >>Sint Luciënsteeg 25, 1012 PM Amsterdam, Netherlands
・HEMA 
オランダといえばここという。雑貨屋さんのチェーン店 
いろんな場所にあるけどここは広くてカフェも。 
>>Nieuwendijk 174 - 176, 1012 MT Amsterdam, Netherlands
・Urban Outfitters 
 若者向けのファッションショップ
>>Kalverstraat 31-33, 1012 NX Amsterdam, Netherlands
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ファストファッション
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・ARKET
 H&Mの姉妹店。素敵
>>Koningsplein 20, 1017 BB Amsterdam, Netherlands
・& Other Stories 
 H&Mの姉妹店。かわいいよ〜 
>>Heiligeweg 26-28, 1012 XR Amsterdam, Netherlands
・H&M
 内装が素敵 
>>Kalverstraat 181-183, 1012 LE Amsterdam, Netherlands
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セントラルから出てるフェリー(無料)で行ける場所
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・NDSM 
アートがあったりする。 
フェリーに乗ってる時に見える建物もいい感じで好き!
>>NDSM-Plein 28, 1033 WB Amsterdam, Netherlands
・Eye Film Museum 
フィルムミュージアム。
ここからの景色が川が広がってる感じで好き!でも2月は寒いかも。
>>IJpromenade 1, 1031 KT Amsterdam, Netherlands
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oharash · 1 year
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余花に吉兆
1.  友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。  大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
 うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支��委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。  無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが悪いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いるとどうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」  そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。  店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
 暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔ってますね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」  畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝坊ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」  けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
 酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。  「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶらついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に食べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。  ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2.  ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。  知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。  気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。  それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」  彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出したことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。  彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。一秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」  真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。  ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。  いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。  きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3.  涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」  ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」  翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」  はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。やがて商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃ようやく海に向かっているのだと気づく。  車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。  テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」  俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」  そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。  潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食いたかったからってわけじゃないでしょ」  海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」  甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。  剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるもんだから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。  あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」  なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ先を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」  潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。  彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を……  手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あな���に助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」  波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。  勝手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句覚えているなんて悪魔かよ。  俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」  骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。  
 車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」  炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4.  何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。  SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。  
 気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類にゲーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。  炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」  家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシロ絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。  焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」  彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」  ぬるい風と草いきれが首筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」  的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ。その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」  唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」  今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。  疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」  帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。  空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃがんだ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」  短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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ari0921 · 2 years
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我が国の未来を見通す(60)
「気候変動・エネルギー問題」(25)
 原子力発電の長所・課題と展望
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 2月24日、ロシアによるウクライナ侵略が1年
を迎えたことから、その前後にマスコミはこぞって
「侵略1周年」を記念した特集を組み、大々的に報
道していましたので、読者の皆様もこのニュースに
関して少々うんざりというところではないでしょう
か。確かに「ほぼ出尽くした」感はありますが、前
回約束をしましたので、本メルマガ冒頭で「ウクラ
イナ戦争1周年から何を学ぶか」に絞って感じたこ
とを取り上げてみたいと思います。
 この1年を振り返りますと、様々なことが判明し
たと思っていますが、思いつくままに主要なものを
挙げてみましょう。
1)これまでの人類の歴史がそうであったように、
時代がどんなに進んでも、人類が価値観を完全に共
有することは不可能で、領土や利権の拡大のような
古典的な主張を含め、国家は自国の利益を最優先し、
そのための「戦争」のような行動までその正当性を
主張することから、将来も様々なことが要因となっ
て国家間や民族間の様々な形の「争い」は続くこと
を覚悟する必要がある。
2)第1次世界大戦後の「国際連盟」や第2次世界
大戦後の「国際連合」やNATOなどの集団安全保
障体制など、悲惨な経験に基づく「安全装置」も決
して盤石ではなく、時代とともに抑止力としての機
能にほころびが生じること。また、侵略国に対する
制裁措置のようなものの効果も限定され、侵略国の
行動を止めるには至らないこと。
3)人類の最大の恐怖である「核兵器」の存在が戦
争を複雑にしている。特に、核兵器によって威嚇は
できても、実際に使用まで踏み切るには簡単ではな
いことから、仮に核兵器保有国と非保有国の戦争で
あっても、様々な自制心が働き、一旦戦争が起きる
と長引く可能性がある。
4)いかなる状態で戦争に巻き込まれたとしても、
国民が多大な犠牲を被っても自国を守る意思さえ失
わなければ必ず味方が現れる。そのためにも、平時
から価値観を共有する国々と友好(同盟)関係を保
有しておくことが大��である。
5)本戦争は、実際に戦っているのはロシアとウク
ライナ2か国だけだが、当初から米国はじめNAT
O諸国やベラルーシなどが関与している地域戦争の
様相を呈していたこと。今後もこのような様相の戦
争形態が起きる可能性があること。そして戦争によ
る被害や影響は当事国や関係国の軍事面に留まらず、
国際社会全体に対してエネルギーや食料など広範囲
な問題に多大な影響を及ぼす可能性があること
などでしょうか。これらからしても、本戦争の停戦
あるいは終結に至る道筋はいまだ判明しないと考え
る必要があるでしょう。
では、これまでの戦いにおいては、どちらが有利に
戦っているのかについて考えますと、テレビの映像
から流れるウクライナの各都市やインフラの破壊は
目を覆うものがありますが、数字でみると、両国の
戦死者などの数に大きな隔たりがあることがわかり
ます。
ウクライナの主張によれば、ロシアの戦死者は14
万人超としているのに対して、ロシア側は5937
人と発表しています。一方、ウクライナの戦死者に
ついてはウクライナが1万~1万3000人と発表
しているのに対してロシアは6万1207人と発表
しているようです。このような事柄についても「情
報戦」が盛んに行なわれているのは明白ですが、俗
にいう「戦場の霧」はこのような情報収集手段が発
達した現在においても“いまだ晴れない”ことも事
実なのでしょう。
冷戦が終わった直後、かつての「ノモンハン事件」
が日本の犠牲者よりもソ連の犠牲者の方が多かった
ことが判明しましたが、何年か先に、ロシア側から
ウクライナ戦争の実態がさらされる日が来る可能性
があるのかも知れません。それがいつになるか予測
すらできません。
アメリカの戦略家エドワード・ルトワックは、“資
源や資産が消耗すると平和が訪れる”として「戦争
は平和につながる」との明言を残していますが、オ
ランダの軍事情報サイト「Oryx」は、ロシアは
保有していた戦車約3000両の6割に相当する約
1780両を失ったこと、あるいは英国国防省の分
析ではロシアの犠牲者はウクライナの見立てよりも
っと多い17万5千人~20万人としていること、
あるいは西側の制裁によって兵器の製造能力が低下
していることなども指摘されています。
つまり、ロシアの資源や資産が“底をつき始めてい
る”との見方もできるのですが、無傷の核兵器が残
っています。西側の支援のもとにウクライナの反転
攻勢がある境界を越えた時と合わせ、依然、核兵器
の使用も辞さない事態になる可能性が残っているこ
とは間違いないでしょう。
今頃になって、したたかな戦略が見え見えの中国が
停戦の仲介をとるようなそぶりを見せていますが、
合意に至る条件に大きな隔たりがある現状では、両
国はおろか、国際社会がそう簡単に乗るとは考えら
れません。停戦が実現するかどうか現時点は不明で
すが、「ロシア国内の厭戦気分の盛り上がりにプー
チン大統領が妥協するか否か」がカギを握っている
ような気がします。
いずれにしても、本戦争から台湾有事を含めて我が
国の防衛のために学ぶことは山ほどありますが、続
きは後日にしましょう。
▼太陽光発電以外の再エネのメリット・デメリット
(総括)
再エネについては、2月10日に閣議決定された
「GX実現に向けた基本方針」のトップに「再生可
能エネルギーの主力電源化」として事細かに記載さ
れていますので、興味のある方はご覧ください。
それによると、太陽光発電以外に政府が重視してい
るのは風力発電、なかでも洋上風力のようです。一
般に風力発電のメリットは、枯渇する心配がないこ
とや発電時にCO2を出さないことですが、デメリ
ットもかなりあることがわかっています。
まず、(1)エネルギー密度が低く、広大な面積を必要
とします。前回紹介しましたように、100万kw
の原子力発電1基分の電力を得るために、太陽光発
電の場合は山手線の内側とほぼ同等の面積が必要な
のですが、風力発電の場合は山手線の3.4倍ほどの
面積が必要といわれます。かつ、(2)風力発電の適地、
つまり風況の良い地点は偏在していることも挙げら
れます。
さらに、(3)風向き、風速などの風況による発電は不
安定になり、(4)風車の回転時に騒音が発生するばか
りか、同時に発生する超低周波音が心血管系の変化、
めまい、倦怠感、睡眠障害など人体へ影響を及ぼす
ことも指摘されています。
そして、最大の問題として(5)設備にかかるコストが
高いことも挙げられています。特に、洋上風力の場
合は、(4)のような問題の解決策になるとはいえ、建
設にかかるコストが高いことが明白でしょう。資源
エネルギー庁は、政府や政府に準ずる組織が主導す
る「日本版セントラル方式」を導入して、コスト削
減などを図ろうとしていますが、その効果と可能性
は不明です。当然、これらの設備コストは、私たち
の電気料金にそのまま反映されることは間違いあり
ません。
最近はまた、多発する鳥への被害、つまり「バード
ストライク」のような問題も指摘されはじめていま
す。現に、アメリカ全体では年間最大40万羽の鳥
が死亡している推定されています。
次に、バイオマス発電についても、発電に伴う追加
的なCO2の発生がないことや連続的に電源が得ら
れるなどのメリットに対して、発電効率が悪いこと
やダイオキシンの排出抑制対策や焼却灰の減量化な
ど、さらなる環境負荷軽減が必要なことなどのデメ
リットが指摘されています。
これらを総括すると、再エネを「クリーンなエネル
ギー」として手放しで拡大することを容認するわけ
にはいかないでしょうし、最近は、「再エネは社会
に役立つ」との考えそのものに虚構があるとの指摘
もあります。私たちは、「脱炭素」の政策をはじめ、
エネルギー政策については根本から大きな過ちを犯
しているのかも知れません。そのあたりについては
最後にまとめることにしましょう。
▼原子力発電の長所
さて原子力発電です。我が国の原子力発電は、19
66年7月に、東海発電所が初めて商業用原子力発
電所として営業運転を開始して以来、新しい発電源
として発展し続けてきましたが、2011年年3月
の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故
以来、稼働を停止しました。
その後、原子力規制委員会が設置され、福島第一原
子力発電所の事故を踏まえ、同委員会により新規制
基準が制定されました。この10年あまりで福島事
故炉を含む21基が閉鎖されましたが、閉鎖されて
いない33基について、地元の同意を得て実際に再
稼働したのはそのうち6発電所10基にとどまって
おり、西日本エリアに集中しています。
一方、GX基本方針では、原子力発電について「C
O2 を排出せず、出力が安定的であり自律性が高い
という特徴を有する原子力は、安定供給とカーボン
ニュートラルの実現の両立に向け、エネルギー基本
計 画に定められている 2030 年度電源構成に占
める原子力比率 20~22%の確実な達成に向けて、
いかなる事情より安全性を優先し、原子力規制委員
会による安全審査に合格し、かつ、地元の理解を得
た原子炉の再稼働を進める」との方針の下、「運転
期間は40年、延長を認める期間は20 年」と運転
期間の延長も明記されました。
改めて、原子力発電のメリットを整理しますと、ま
ずはCO2排出を極端に抑制できることです。日本
原子力発電株式会社(げんでん)の資料によると、
1kwhあたりのライフサイクルCO2排出量は、
石炭火力が943、石油火力が739、LNG火力
が599、太陽光が38、風力が26、原子力が1
9、地熱が13(単位は、それぞれg-CO2/k
Wh)となっていることから、施設建設時のCO2
排出まで含めたライフサイクルにおいても原子力発
電がいかに「地球にやさしい」かがわかります。
それに加え、あまり注目されていないですが、必要
な電力を継続的に獲得するための燃料の少なさです。
資源エネルギー庁の資料によると、100万kwの
発電設備を1年間運転するための必要な燃料は、石
炭火力発電が235万トン(大型石炭運搬船11.
75隻に相当)、石油発電が155万トン(大型タ
ンカー7.75隻に相当)、天然ガス発電が95万
トン(LNG専用船4.75隻に相当)なのに対し
て、原子力発電に使用する濃縮ウランはたった21
トン(10トントラック2.1台に相当)しか消費
しません。この事実は、燃料自体のコストとそれら
の運搬費を考えると、途方もないメリットになりま
す。
その上、GX基本計画においても「六ヶ所再処理工
場の竣工目標実現などの核燃料サイクル推進」と明
記されているように、核燃料サイクルによってさら
に燃料を削減できます。これは、原子力発電所にお
いては使い終えた燃料(使用済燃料)の中には、ま
だ燃料として再利用できるウランとプルトニウムが
残っており、これを化学的に処理して(再処理)、
混ぜ合わせてMOX燃料を製造し、これを燃料とし
て使おうとするものです。
現在稼働中の10基の原子力発電所のうち、リサイ
クルされたMOX燃料を使うことのできる「プルサ
ーマル炉」が4基あります。現在はすべてフランス
で加工されたMOX燃料を使用していますが、20
24年を���途に再処理工場の竣工をめざし、その後
は、国産のMOX燃料に置き換えようとしています。
MOX燃料を燃焼させた後のさらなる再利用につい
ては、現在、実用化されておらず、今後実用化に向
けた研究が必要ですが、実用化されれば、本メルマ
ガでもすでに紹介しましたように、新たなウラン燃
料を獲得する必要性が極端に減り、資源小国の我が
国にとっての「夢」が現実のものになるでしょう。
▼原子力発電所の課題と展望
GX基本計画にも明記されていますように、原子力
発電の最大の課題は、福島第1原子力発電所の例を
引くまでもなく、自然災害やテロやミサイル攻撃の
ような人災によって事故が発生した際には炉心溶融
など人体に重大な影響を及ぼす放射性希ガスが大量
広域に放出される可能性があることでしょう。
福島原発においては、予備電源が津波によって破壊
され、冷却できなかったことが致命的な事態になり
ましたが、それらの解決をはじめ、将来は、より安
全性の高い「次世代原子炉」の開発が加速されてい
ます。また、原子炉建屋そのものを岩盤に埋め込む
などの耐震化の強化処置も研究されています。
なお、列国の原子力発電の稼働状況は、第1位がア
メリカで94基、第2位がフランスの56基、第3
位は中国が48基と続きます。我が国の現時点の運
転中の33基は第4に位置されますが、稼働してい
る10基となると、第10位前後にランクされます。
また、また発電量で日本は第18位に留まっていま
す(15,939百万kWh)。
注目すべきは、この分野も中国です。中国は現在、
16基建設中で、計画中の29基を含めると、近い
将来、フランスを抜いてアメリカに迫る原子力発電
大国に成長すると見積もられています。中国は、地
球温暖化などどこ吹く風、依然として化石燃料発電
を堂々と活用しながらダントツのCO2排出を維持
する裏で、太陽光発電や原子力発電の分野でも世界
のトップランナーになることを目指しています。こ
の戦略は決して国内に留まるものではなく、前回も
触れたように、エネルギーを通じた「一帯一路」を
目指しています。引き続き注視すべきでしょう。
一方、我が国においては、原子力発電に対しては元
総理クラスまで反対の声を上げていますが、これま
で述べたような、エネルギーに関する諸事情を理解
した上での発言なのか疑いたくなります。ろくに勉
強もせず感情的な信念だけでもって、かつての名声
を活用して世論を誘導するような行為は即刻止める
べきと考えます。東日本大震災時の事故でさえ、当
時の総理の誤った判断や行動が主要因ではなかった
かとの疑いが依然残っています。
マスコミにおいても、ロシアによるウクライナの原
子力発電所攻撃の例を挙げて、「脱原発」を誘導す
るような報道がしばしば目にしますが、私などは、
映像で観るような状況の中でも稼働を止めず、しか
も福島原発のような大きな事故に至っていない事実
には目を見張るものがあると思っています。
「脱原発」「脱炭素」「再エネ導入」など何を主張
しても個人の自由であり、かつ身の安全が確保され
ている我が国ではありますが、大多数の国民が“我
が国の未来のために何をすればよいか”を至当に判
断して世論を形成することを祈るばかりです。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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1003books · 2 months
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8/24(土)『パンクの系譜学』刊行記念トーク
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2024年3月に発売以降各方面から大きな反響を得ている『パンクの系譜学』の刊行を記念し、1003にて著者・川上幸之介さんのトークを開催いたします。 対談者は『入門 ポピュラー音楽の文化史』(8月刊行予定)の編著者・永冨真梨さんです。 お二人ともそれぞれキュレーション、音楽活動とアカデミズム以外の場でも活躍されている”実践者”であり、幅広く多層的な視座をお持ちの研究者です。 パンクカルチャーの担い手たちは階級、政治思想、性差、人種、性的指向をも踏み越えてどこへ向かうのか?中指を立てざるを得ない人間たちが産み出した文化とは? 永冨真梨さんと共に、周縁が作り出してきた文化について、幅広く話を聞いていきます。
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『パンクの系譜学』刊行記念トーク
「パンクの系譜学 周縁が作る文化の可能性」 川上幸之介×永冨真梨
日時:2024年8月24日(土)19:00開演(18:30開場)
開場:1003(神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビ��504号室)
登壇:川上幸之介、永冨真梨
参加費:一般1500円、学割1000円(学生証の提示をお願いします)
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申込方法:1003の店頭・メール・電話にて受付。 メールの場合は件名を「8/24パンクの系譜学トーク」として「①お名前 ②電話番号 ③人数」をお知らせください。 1003からの返信をもって受付完了といたします。3日経っても返信のない場合は、メールの送受信にトラブル発生の可能性がありますので、お電話ください。
申込先:mail [email protected] tel 050-3692-1329 (担当:奥村)
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登壇者プロフィール 川上幸之介(かわかみ・こうのすけ) 1979年山梨県生まれ。倉敷芸術科学大学教員。ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズMAファインアート修了。専門は現代アート、ポピュラー音楽、キューレーション。著書に『パンクの系譜学』、共著に『思想としてのアナキズム』(以文社)。キュレーションにPunk! The Revolution of Everyday Life 展、Bedtime for Democracy 展ほか。
永冨真梨(ながとみ・まり) 1979年京都市生まれ。関西大学社会学部メディア専攻准教授。同志社大学グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程修了。専門はアメリカ文化越境史、ポピュラー音楽研究、カントリー音楽研究。共編著に『クリティカルワード ポピュラー音楽』(2023年、フィルムアート社)、『入門 ポピュラー音楽の文化史』(2024年8月刊行予定、ミネルヴァ書房)。
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yotchan-blog · 3 months
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2024/6/20 19:01:05現在のニュース
「万博行くなよ。出入り禁止や」大阪・箕面市長がやじ 市議会で | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/20 18:57:47) 市職員採用試験に大学推薦枠を導入 2024年度から 島根・益田(毎日新聞, 2024/6/20 18:54:49) 大阪市職員が部落差別発言 同僚指し、公用車ドラレコで発覚:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:54:23) 小池百合子さんは? 蓮舫さんは? あの候補者たちは何を語ったのか 東京都知事選で「第一声」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:54:23) イスラエル軍、解放交渉を要求 政権と対立「軍事では不可能」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:54:23) 藤井聡太八冠が失冠、一時不調が影響 「強さに陰りはない」の声も(朝日新聞, 2024/6/20 18:51:38) 藤井聡太叡王が初失冠、八冠独占崩れる 伊藤匠七段が初タイトル(朝日新聞, 2024/6/20 18:51:38) 「新しい認知症観」盛り込む 共生社会に向け、政府が基本計画の素案(朝日新聞, 2024/6/20 18:51:38) 孤独のグルメ原作者・久住氏「連投で叩かれると滅入りますね」“居心地が悪い”飲食店めぐる投稿の意図説明(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/20 18:51:32) EV充電速めるパワー半導体、セントラル硝子が低コスト化 【イブニングスクープ】 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:49:25) 東京の未来を誰に託す? 都知事選が告示 2期8年間小池都政の評価が争点 7月7日投開票:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:47:54) N党寄付者ポスター掲示に反対 オンライン署名2万筆超:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:47:54) 「暮らしと原発は地続き」全国53基の風景とは 写真家・広川泰士さんが作品展 中野で28日まで:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:47:54) 「ワンワンデー」職場に犬がいる良い効果とは? グーグルやアマゾンが導入 幸せな雰囲気、仕事の効率アップも期待:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:47:54) 選挙ポスター掲示板48人分では足りず クリアファイルを支給し取り付け要請 東京都知事選の候補者56人:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/20 18:47:54) 「藤井世代」8冠崩す 伊藤七段、叡王奪取 不調も一因に(毎日新聞, 2024/6/20 18:47:02) おのvs素手 南シナ海での中国「臨検」 フィリピンが動画公開 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/20 18:46:05) 藤井聡太、叡王失冠で7冠に後退 全冠保持254日でストップ 伊藤匠は初タイトル獲得([B!]産経新聞, 2024/6/20 18:45:58) 藤井聡太八冠が初の失冠 将棋叡王戦、伊藤匠七段が制す - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:42:37) 堂島取引所のコメ指数先物、政府が本上場を認可する方針(朝日新聞, 2024/6/20 18:41:23) 神宮外苑の再開発、樹木保全案の再提出なく 審議は6月以降に | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/20 18:39:18) 藤井聡太叡王、防衛ならず8冠独占崩れる 伊藤匠七段が初タイトル | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/20 18:39:18) 藤井聡太叡王、防衛ならず8冠独占崩れる 伊藤匠七段が初タイトル(毎日新聞, 2024/6/20 18:38:48) 伊藤新叡王が誕生 羽生会長「今後も藤井名人としのぎ削る勝負を」(毎日新聞, 2024/6/20 18:38:48) 石丸伸二氏「経済のため、私たちのための政治を」 都知事選・第一声(毎日新聞, 2024/6/20 18:38:48) 衆院選に向け見えぬ「政権選択」 選挙後に合従連衡も 編集委員 清水 真人 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:36:50) 解雇改革に踏み込め 「労働移動」へちぐはぐな骨太方針 編集委員 水野裕司 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:36:50) 北海道知事、新幹線工事の情報可視化求める 建設主体に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:36:50) 豪カンタス航空、新千歳空港への定期便計画を断念 燃料不足で シンガポール航空も難航 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/6/20 18:36:50) 規正法成立 ルール順守は最低限の責務だ([B!]読売新聞, 2024/6/20 18:34:00) 老舗旅館元社長ら逮捕、コロナ補助金2千万円詐取か岩手県雫石の温泉(朝日新聞, 2024/6/20 18:32:01) ヌートリアを島民が草むらで発見、海泳いでやってきた? 県内初捕獲(朝日新聞, 2024/6/20 18:32:01)
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shintani24 · 6 months
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2024年3月30日
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2024 明治安田J1リーグ 第5節 サンフレッチェ広島 1-1 ガンバ大阪@エディオンピースウイング広島 25683人/76分 ウェルトン、78分 新井 直人
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柴﨑晃誠 引退セレモニー
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新井直人選手/迷いなく左足を振り抜いた。
……おめでとうございます。
新井●ありがとうございます。
……同点ゴールを決めた瞬間の想いを聞かせてください。
新井●自分が入った直後に(新潟に得点が入って)ビハインドの状態になりました。だからそこでチームを盛り立てるために、勝ちに持っていくために何をすべきかっていうのを、自分の中で考えながらやっていたんですね。そこにボールが(東俊希と相手DFとの球際の後)転がってきて、うまく気持ちがボールに繋がったかなと思います。
……ボールが足元に来たときに、いろんな選択肢があったと思うんだけど、迷わず左足を振り抜きましたね。
新井●そうですね。迷いなく振り抜きました。広島でのデビュー戦ということで、そこはもう思い切ってやる必要があったから。その思い切りの良さが、あのゴールに繋がったと思います。
……ゴールが決まった時、スタジアムを大歓声が包みました。
新井●まだまだ自分は広島に来た直後ですし「自分のホームスタジアム」っていう実感は、きっとこれからなんでしょうけど、満員のスタジアムでプレーできる喜びっていうのを感じました。長いシーズン、どんどん試合があるし、もっと一緒に戦っていきたいなという気持ちになりました。
……覚悟を持って決意を込めて、広島に来た。その初戦でゴールを決めた。ちょっとほっとした部分とかはありましたか。
新井●その気持ちも当然、あります。いろいろ想いがありますね。広島に来てから初戦に向けて何をすべきか、練習からずっと準備してきた。そこはしっかりと自分をコントロールできたと思います。何より奥さんのサポートもあって、今の自分はある、感謝したいと思います。
……もちろん移籍して良かったなとかいうのはこれから先に感じることだと思うんだけど、まずは一つ、結果を出せました。
新井●そうですね。当然(ほっとした気持ちが)あります。ただ、チームの優勝に向けては、長いシーズンでこういうビハインドの状態も当然ありますし、その中でも勝点を積み重ねていくっていうのは、非常に重要になる。この勝点1が意味を持つように、勝ちを積み重ねていきたいと思います。
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中島洋太朗選手/まったく緊張しなかった
……ついにデビューできましたね。
中島●はい。
……呼ばれたときは、どうでしたか。
中島●(チャンスが)来るんじゃないかって思っていた。引き分けの状況だったので、チームを勝たせたいっていう思いと、(プレーするのが)楽しみな気持ちがありました。
……なかなかボールに触れなかったんだけど、アディショナルタイムのクロスはいい形でしたね。
中島●ボールに絡んだのは2回ほどでしたが、いいプレーができたと思う。その回数はこれからどんどん増やしていけたらいいなと思います。
……クロスを打った場面の狙いは?
中島●最初は(大橋)ユウキくんに合わせて狙おうと思ったんですけど、相手が(マークに)ついてるのが見えたんで、(東)シュンキくんに(クロスのターゲットを)切り替えた感じです。
……クロスを出した時は、行けたかなと思った?
中島●枚数的にも難しい状況だったんで、(ゴールは)難しいかなとは思いました。
……こういう緊迫した場面での初出場、普通は戸惑ったりするんだけど、さすがビビらない男ですね。
中島●はい(笑)。ピッチに入ったら緊張も全くしなかったですし、どんどん自分のプレーしようっていう想いがありました。雰囲気も最高で、プレーしていて楽しかったです。
……お父さんである浩司さんの35番を背負って、こうやってスタジアムに立てた。
中島●試合中はそんなことは考えないですけど、そうやって見てくれてる方もいると思うので、嬉しい気持ちはあります。
……監督が「新しい柴﨑晃誠が現れた」と言っていました。
中島●(笑)。晃誠さんとも短い間でしたけど一緒にプレーして、吸収できることはたくさんありました。一緒にプレーできたのはいい経験だと思っています。
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念願のJリーグデビュー。感無量。幸せです。
松本泰志選手/ストロングは出せた。
……まさにセントラル・ミッドフィルダー。真ん中にいて、そこからどんどん飛び出していくという松本泰志選手のプレーが非常によかった。
松本●そこを監督に求められていたし、自分のできないことをやるよりもストロングを出そう、と。たとえボールが出てこなくても、しっかり走るってことはできたかなと思います。
……相手もその動きに引きつけられて、スペースも開いてきたりしていた。
松本●僕が走ることによって、中があいてきますからね、ただそこから、自分にボールが入ったときのクオリティは、もうちょっとあげたいなって思います。
……守備のところの意識については。
松本●自分が出ていったところを使われたり、シンプルに蹴ってきてセカンドを拾ってっていうのをG大阪はやってきた。自分が前に出てる分、セカンドを拾われる回数が多かったんですけど、僕と拓夢も、シャドーの選手も、もう少し戻って拾えたら、前半はもっと展開が良かったのかなと思います。
……川村拓夢選手との関係性が非常に重要なこのシステムだった。
松本●監督からの指示が、タクムが後ろで僕が前っていう形だった。練習もそんな感じだったので、僕は前で思い切ってやるだけだなって思ってました。
……今回はよくサイドが使えたっていうのも泰志選手の仕事だろうと思うけど。
松本●前節はサイドがうまく機能しなかったりしたんですけど、今回は監督がサイドチェンジを使いながらやっていこうって言っていたし、みんなでうまく体現できたかなと思います。
……あとはシュートを決めれば言うことなかったな。
松本●そうっすね。本当にクオリティがなさすぎて困っています(苦笑)
……自分のやりたいことができた実感はありますか。
松本●武器は出せたかなと思いますけど、まだまだこれから成長できればと思います。
荒木隼人選手/下を向くことはない
……神戸戦に続いてシビアな熱闘になりました。
荒木●お互いが自分たちの良さを発揮しようとした90分だったかなと思います。
……前半、厳しい時間帯があれましたが、どういうふうな声をかけながら。
荒木●ウェルトン選手が非常に力強くスピードもあって、厄介ではあったんですけど、縦に突破されてクロスを上げられても、中のマークはついておこうと意識しました。遅れてダワン選手が(中盤から)入ってくるんで、そこはしっかりみておこうという話は常にしてました。
……後半ペースを取り戻したけど、修正した部分は?
荒木●強度の部分で少しずつ上回れたのかなと思いますね。球際やセカンドボールのところ、僕らのストロングのところがより上回ったのかなと思います。
……2試合連続の引き分け。
荒木●勝ち切れないのは非常に悔しい、苦しいとこではあるんですけども、今日は得点も奪えましたからね。いい形もいくつかありました。失点こそしてしまいましたけど、崩されたっていう感じはなかった。そんなに下を向くことなく、次の戦いに向けて、もう1回しっかり準備したいと思ってます。
……同期の新井選手が決めてくれました。
荒木●いやあ。広島に来た選手はすぐに決めますね、みんな(笑)。(加藤)ムツキといいマルコスといい、オウちゃん(大橋祐紀)もそう(笑)。
……失点シーンは、どうすべきだったか。
荒木●映像を見てないんで何ともいいがたいんですけど、ネタ・ラヴィ選手に2人ぐらいでボールをとりに行って、そこで突き離されてしまって、パスを出された。そこからの展開だったと思う。2人で行ったならばしっかりとつぶせたら良かったかなと思いますし、カウンターのところは(対処が)難しいですね。
正直、どうすればよかったかは、今はちょっとわからないですけど、失点において「どうしようもなかった」ってことはほとんどない。しっかりと振り返って、しっかりと確認したいなと思ってます。
ミヒャエル スキッベ監督/得点できるチャンスも少なくなかったが。
スキッベ監督●とても面白い試合になったと思います。相手は前半、カウンターの脅威を我々に与えてきました。自分たちのセットプレーのところがうまくいかなかったところ、(切り替え等の)対応があまり良くなかった部分から、カウンターを受けるシーンがありましたね。
ただ本当に最後の最後まで諦めずに守り切った結果、止めることができたと思います。後半は自分たちの方が確実に良いチャンスあったと思っています。ファンタスティックな展開でした。ただ最後の最後はやっぱり、シュートの部分ですね。
後半の唯一と言っていいピンチで、カウンターから失点してしまいました。ただ、そういう状況になりながらも自分たちが勇敢かつアグレッシブにサッカーを続け、新井直人の素晴らしいゴールが決まった。他にも3〜4つくらいは、いいシーンがあったと思います。GKのファインセーブやDFが身体を張って守ったりとか、ポストに当たったりして、結果として勝点1になってしまいました。
今日の試合結果に関しては、勝てなかったが、負けなかった。先制されたが、追いついた。そういう試合だったと思います。
……新井選手の移籍後初ゴールについて。
スキッベ監督●交代を決断した時、試合の内容としては良い状況にあったと思いますが、新しいフレッシュな選手を入れることによって、さらに良くしたいという想いがありました。
ナオトにしても(小原)モトにしても、本当に活躍してくれた。いいプレーがたくさんあったと思います。
新井は自分が持っている才能をしっかりと見せてくれましたね。両足で蹴れるところも含めて、これからもどんどんと、発揮してほしい。
……中島洋太朗選手の初出場について。
スキッベ監督●まずは今日、柴崎晃誠という本当に素晴らしい選手とお別れをしなければならなかったことを語りたい。その上で言うならば、(洋太朗は)新しい晃誠になれる選手とみんな出会えた。彼は大きな才能を持っている。積極的に継続的に、彼に関してはメンバーに入れていきたい。今日のプレー時間は短かったけれど、クリエイティブなプレーもそうだし、サッカーに必要な能力の全てを持っていると思います。
……松本泰志をCMFに起用して、川村拓夢との縦関係をつくったわけですが、この形をこれからも続けていくのか、それともG大阪相手だから、こういう形にしたのでしょうか。
スキッベ監督●今日の形に関しては、これからもやっていくだろうと思います、今日はピエロスが不在で、大橋祐紀を前線に起用したが故に、トップ下の位置があいていた。その中で泰志自身は本当に
パフォーマンスを見せてくれましたし、これからもこういう形でやっていく機会はあると思います。
……神戸戦ではなかなかサイドからの攻撃できなかったと思いますが、今日はサイドから良い形を作ったと思います。
スキッベ監督●今日の相手と神戸とは、守り方も違いがあった。神戸はサイドのところをしっかりとケアしていましたし、G大阪はむしろ真ん中をしっかりと守るチームだった。だからこそ攻撃のやり方にも違いは出ていましたが、これからも相手の弱いというところをついていきたいと思います。
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次節町田戦
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vjdr · 10 months
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START2023年12月1日(金)END2023年12月25日(月)点灯時間:17:00~21:00※荒天等の状況により、中止や変更になる場合がございます。  開催状況はこちらからご確認ください。 会場:シンボルプロムナード公園内 セントラル広場(東京都江東区青海1-1) /石と光の広場(東京都江東区有明3-7)主催:アートプロジェクト実行委員会 / 共催:東京臨海副都心グループ
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itukaichiminamifc · 1 year
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2023/09/16U12リーグ戦Fブロック@大塚小学校
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【試合結果】
⚪2-0 vsセントラル
引き分け 2-2 vs大塚 
U12広島支部リーグ戦後期が始まりました。
1試合目、前半から攻めてはいましたが、なかなか得点ができず、もどかしい時間が続きました。
守りながら、攻め続けた結果、後半にやっと得点する事ができました。
2試合目、先制点を決められてしまい、気持ちの切り替えがあまりできませんでしたが、前半で同点に追いつき
盛り上がりました。後半も失点してしまいましたが、あきらめず、得点し、同点で終わりました。
9月とはいえ、とても暑い気候で、身体の疲れもあったと思いますが、まだまだ、自分達で声を出して、士気を上げて、戦って
欲しいと思います。
会場校担当の皆様、対戦チームの皆様、ありがとうございました。後期もよろしくお願いいたします。
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taketea44 · 1 year
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毎日が記念日
9月25日は…
藤ノ木古墳記念日
1985年9月25日、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発堀されました。藤ノ木古墳は直径約48m、高さ約9mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半に作られたものと考えられています。未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っており、当時の埋葬儀礼を解明する上で貴重な資料を提供しました。
【疑わしいAI-イチロウによる9月25日の出来事】
1493年 - クリストファー・コロンブスが新世界に到達:クリストファー・コロンブスが「サン・サルバドル島」と命名した場所(現在のバハマ)に到達し、新大陸の存在をヨーロッパに広めました。
1957年 - セントラル・ハイスクールがアメリカ初の人種統合学校として開校:アーカンソー州リトルロックにあるセントラル・ハイスクールが、アメリカ南部で初めて人種統合学校として開校しました。これはアメリカの公民権運動における重要な出来事の一つです。
1978年 - ルクセンブルクのシャルロット大公妃が即位:ルクセンブルクのシャルロット大公妃が大公として即位し、ルクセンブルク大公国の君主となりました。
2008年 - マイケル・ジャクソンが亡くなる:世界的なポップスターであるマイケル・ジャクソンが、ロサンゼルスで亡くなりました。彼の死は音楽界に大きな衝撃を与えました。
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nakiselu · 1 year
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つば九郎神社/つば九郎ハウ巣/JERAセントラル・リーグ 東京ヤクルトスワローズ- 広島カープ第24回戦
ハロー、僕は元気じゃないまま、まだ生きてます。
例年以上に球場に行けてて今回は普段と違う駅で降りてみて、念願の?つば九郎神社神社に。さらに試合開催日は並んでる事もあるというつば九郎ハウ巣も空いてて観れた。 しかし道中ビジターファンだらけでおかしいと思ってたが全然おかしくなくて、客席的にもビジターびっしりホームスカスカという恥ずかしいものだった。 試合は中途半端なリードから主力を早々に下げ、出てくる救援陣が尽く四球を出し、失点に繋げ無様な逆転負けだった・・・。
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wineeveryscene · 1 year
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“Cloudy Bay” Marlborough in New Zealand 
2023年5月3日、ニュージーランドの南島北東部、マールボローにあるワイナリー“クラウディ・ベイ”を訪問しました。クラウディ・ベイは、「ニュージーランドにソーヴィニヨン・ブランあり」と世界中のワイン愛好家に知らしめたワイナリーです。クラウディ・ベイがローンチされたのは1985年で、瞬く間に世界中で人気を博し、2010年からMHD モエ・ヘネシー・ディアジオグループに。現在はセントラル・オタゴにもワイナリーを所有しています。
MHDが所有するだけあって、お洒落なテイスティングルーム、パティオのソファーセット、ブドウ畑に面した広い芝生の樹々にはハンギングチェアが吊り下げられるなどラグジュアリーな雰囲気。テイスティングルームのソファー座って優雅にテイスティングをスタートしました。
1)     Pelorus Sparkling Rose NV
ピノ・ノワール80% シャルドネ20%、瓶内二次発酵製法の軽やかなロゼスパークリング。
2)     Sauvignon Blanc 2017
クラウディ・ベイのフラッグシップ。私もこのソーヴィニヨン・ブランでNZワインを知りました。シトラスとトロピカルフルーツの風味に若干の塩味を感じる溌剌としたワイン。
3)     Te Koko Sauvignon Blanc 2020
トップ・キュヴェのソーヴィニヨン・ブラン「Te KoKo」。「テ・ココ」とは、先住民マオリ族の言葉で「クラウディ・ベイ」を意味しています。古い畑で育てられたブドウを厳しく選果、醸造に木樽を使用しています。ピーチ、シトラス、ミネラルに若干ブリオッシュを感じる複雑な味わい。
4)     Pinot Noir 2020 (Marlborough)
クラウディ・ベイがソーヴィニヨン・ブラン以外の実力を立証したワイン。ラズベリーやブルーベリーの風味が心地よい。
5)     Te Wahi Pinot Noir 2019 (Central Otago)
クラウディ・ベイが培った醸造技術とセントラル・オタゴのテロワールを結集し、その頂点となるワイン。テ・ワヒ(Te Wahi)はマオリ語で「その場所」を意味し、その言葉通り、セントラル・オタゴ産ピノ・ノワールの特徴が良く出たワインだと評されています。ブラックベリーの豊かな果実味とスパイシーさを感じる複雑な味わい。 
テイスティング後、庭のハンギングチェアに座って、黄金色のブドウ畑をしばらく眺めるいう贅沢な時間を過ごしました。 
#CloudyBay # Marlborough #NewZealand #NZWine #SauvignonBlanc #PinotNoir
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fctogo · 2 years
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『第2回 冒険キッズ CUP U-12最終結果』 2022年10月10日(月祝)@岐阜県郡上市まん真ん中広場人工芝  今大会はスペシャルゲストに元日本代表の佐藤寿人さんをお招きして開催されました⚽️各チームのベンチに入り選手やスタッフとの交流やアドバイスもいただき、大会の景品としてオリジナルウェアまでプレゼントしていただきました‼️  雨天となってしまいましたが、多くの皆様に喜んでいただきありがとうございました😊また、大会開催にご協力いただいた皆様に心より感謝をいたします🙇‍♂️  今後も各地で選手やスタッフだけでなく、応援に来ていただく保護者やご家族の方、地域の方々にも楽しんでいただけて、一緒に盛り上げていけるような大会を実施していきたいと思います。 1位トーナメント 優勝: FC ENFINI.A(岐阜) 準優勝: C.A VAMO大和郡山(奈良) 第3位: AC.SCAVO(岐阜) 第4位: rabona一宮(愛知) 2位トーナメント 優勝: 春日井セントラル(愛知) 準優勝: 西可児FC(岐阜) 第3位: FC東郷(愛知) 第4位: 亀山FC(三重) 3位トーナメント 優勝: 聖隷JFC(静岡) 準優勝: FC ENFINI.B(岐阜) 第3位: 砂田橋SC(愛知) 第4位: FCアネーロ(岐阜) ※大会形式は、全12チームを3チーム4ブロックに分けて予選リーグを行い、それぞれ1位2位3位ごとに順位決定トーナメント戦。 主催:NPO法人フットボールクラブ東郷 特別協賛:明宝ツーリズムネットワークセンター 協賛:覇楼館、キッチンカーRaftel(ラフテル)、ブーランジェリーアンリエッタ、サトノネ、松屋商店 協力:郡上ケーブルテレビ、中日新聞社、谷山写真館、夢プロジェクト活動、(株)中広 フリーペーパーGUJOプラス、郡上市スポーツコミッション 大会速報はこちらから↓ 公式Instagram @fctogo2003 公式Twitter @fctogoaichi 公式LINE https://lin.ee/47np89glG #NPO法人フットボールクラブ東郷 #FC東郷 #冒険キッズCUP #少年サッカー大会 #明宝ツーリズムネットワークセンター #覇楼館 #ラフテル #ブーランジェリーアンリエッタ #サトノネ #松屋商店 #郡上ケーブルテレビ #中広 #中日新聞社 #谷山写真館 #夢プロジェクト#郡上市スポーツコミッション #ACSCAVO #亀山FC #聖隷JFC #春日井セントラル #FCアネーロ #FCENFINI #砂田橋SC #CAVAMO大和郡山 #西可児FC #rabona一宮 https://www.instagram.com/p/ClNfi0nhZUx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yaoyuan6478 · 3 years
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minaide · 4 years
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渋谷慕情・・・
方向性も定まらないまま探索していた
歩行者デッキからふと目にした渋谷川の、
新たな姿が誘い出した言葉・・・
その昔、私が知る限り、
都市化に駆逐された自然が辛うじて
ひっそりと余命を保っているような、
大きなどぶと呼びたいほどの小さな川だった。
ここは、平成時代には渋谷と言えば常にニュースになる、
セントラル街やハチ公広場などの賑わいに
完全に押しつぶされたような地区であり、
そこに街の中心部を通っていた暗渠から、
ひょっくり汚れた顔を地上に現した川だった。
戦後十数年間を除き、この辺りを生活圏
または仕事場としている人々以外、
外部から渋谷を訪れる人々は
この川に気づいていなかったのではないかとすら
おもえるのだが、いまや、
清掃された川の両岸は明るく整備され、
カフェや居酒屋など様々な店が並び、
幅広く設計された橋の上も
オープンカフェとして活用されている。
川沿いを歩けば、それなりの設えを
楽しむ事も出来るのだが、
上から見下ろした遠景は、
やはりなにやら物悲しい。
その第一印象がセンチメンタルな
気分をもたらしたのだが、
「慕情」を画像でどう表現すべきなのだろう・・・・
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cuttercourier · 4 years
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが��過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・��アリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ���チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮���めぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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