Tumgik
#ニート研究所
kennak · 2 years
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離婚を提案してから6年くらい散々ゴネにゴネられて、ようやく家から追い出して離婚ができた。義実家は当然毒なので離婚調停も大変だったのだが、これは思い出すのも嫌なので省略。あとは暴言や家事ハラ、DVなど色々あったのだが割愛。俺の一方的な証言なのでさっぴいて聞いてほしいが、俺にとって発達障害の女との結婚生活は地獄であり、何度か本当に首をくくろうとしたこともある。俺が死んでいても元嫁はなんら自省せず、なぜ死んだのかも理解できなかった可能性があるため、無駄死にしなくてよかったというところだ。前妻との結婚生活は、自分の子でもないニートをひとり養っているだけという感じで、消耗するだけの何の意味もない時間だった。俺は発達障害については、本を何冊か読んだ程度には「理解」はしていたが、だからといってこのような生活を引き受けられるほどの度量はなかった。世間で言われている「理解のある彼くん」は、理解力以外にも鈍感力・経済力・暴力?など何らかのパワーの持ち主だと推察しているので、今後研究が進むことを祈る。また発達障害にも当然重い軽いはあるだろう。いまは独身で、もう結婚はこりごりなので登山サークルと近所の雀荘、スナック、教会などに参加して擬似的なファミリーを育てている。このままあと40年くらい好きな人々に囲まれて楽しく生きるつもりだ。
発達障害の女性と結婚して死にかけた
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5oushi7ite · 11 days
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おもしろ星話4
こんにちは。昨日お小遣いをもらって、草刈りをやったニートおばさんです。
「昨日急に草刈りを頼まれたけど、これに星的な意味はあるのかな」と思って振り返ったら、ありました。
トランジットの蟹座の火星が、「バイキンタイル」というマイナーアスペクトで関係していました。蟹座の火星が、私のIC(家を表すポイント)とマイナーアスペクトを結んでいた1日でした。
草刈り鎌を使って、雑草を処理しました。火星は「刃物」を表すこともあります。なので、家(IC)で刃物を使う(火星)という形で出たのかなぁと推測してます。
蟹座の火星の「蟹座」も家を表すし、家が強調されているタイミングでした。星の影響がこんな出方もするのか…と星の研究記録につけたりしてます。
話は変わりますが、私はケトルベルという変な形をしたダンベルのようなものを振り回して、体重を維持しようと頑張ってます(たまにサボりますが)。
この、ケトルベルを買ったのが、私の出生の火星に対して、現在双子座にある木星がセクスタイルを取るタイミングだったんです。今年の6/20にケトルベルが家に届きました。
(↓私のホロスコープ。一応生年月日は個人情報なので、隠しておきます。前に「今日は私の誕生日でした!」ってブログ上げてますけど笑)
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(↓ケトルベルが届いた日、6/20のホロスコープ)
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(↓私のホロスコープに、6/20の木星の位置を書き足したもの。)
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こんな感じで、私の例では、火星(運動を表す)が木星の「拡大の力」で煽られた結果、「運動を頑張る」と、ケトルベルの購入に至りました。
自分の生まれた時のホロスコープと、今の天体の状況を組み合わせて読むと、「当たってる!」ってなって��白いです。
という毎日の星読み代わりのための、読みものでした。
ちなみに私が振り回しているケトルベルの重さは12キログラムです。周りにやってきた悪者をボコボコにすることはできるくらい、すげぇババアですよ💪
私の出生図を見てもらうと、1ハウスと書いてある場所が蠍座であることがわかるかと思います。1ハウスの始まりにあるサインは、アセンダントと言われるもので、その人の外見を表したりします。
アセンダント蠍座だと、顔が濃くなりがちです。しかも「自分の外見」を表す1ハウスに、最強の星、冥王星があるので、しっかり怖めです笑
腕力と見た目の怖さで、悪い奴らを蹴散らせる、どすこいニートです💪😎
ホロスコープ作成サイト
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Pink is punk Art by Yohei Shikano #junjisonodasurfboards #neatresearchinstitute #Repost @shikano58 with @get_repost ・・・ For @3katoshohey #junjisonodasurfboards #ニート研究所 #art https://www.instagram.com/p/Bq7mNHeBQV4/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=z79za3n1mte4
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denkimystery · 4 years
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Denki Mystery Series - 3rd Episode (Transcription)
赤ツ鹿の大屋敷 - 伝奇ミステリ 3話
伝奇ミステリ・第三話 『カウボーイと仏蘭西男』
ーあかつか交通・営業所・昼
おそ松: ・・・ふう~! 戻りましたあ。あれ? 社長だ。珍しい。
イヤミ: シェエエエ! 赤鹿くん。また、車を凹ませたらしいざんすね! この乱暴運転のカウボーイ小借めっ!
イヤミ: いくら一番ボロの210(ニート)号車でもミーの会社のものざんすっ! 大事に扱って欲しいざんすっ!
おそ松: え~! ポンコツだから雑に運転してるって言うのお? ちゃんと大事にしてるっつうのっ!
イヤミ: 大事にしてるのにどうしてそんなに凹ませるんざんす。
おそ松: 急に理が飛び出てきてさあ! もうちょっとで轢く所だったんだよ! 轢いちまうよりはマシだろ?
イヤミ: シェエエ! 理なんか轢いたら祟られるざんす! 轢かなくてなによりざんす。ん?・・・じゃあ、何にぶつかったざんす。
おそ松: 避けた所に立ってた地蔵。
イヤミ: シェエエエ!? た、理の方がマシざんすっ! 恐ろしいざんす! 祟られるざんす! 祟りでミーの手足が、腐ってもげるざんす!
おそ松: え~? なんだよそれ。土台の所にぶつかっただけで、壊してねえし。ビビりすぎなんじゃない?
イヤミ: チミはこの地域の土地の本当の怖さをわかっていないんざんすよ、カウボーイ!
おそ松: だからカウボーイって呼ぶのやめろよ。
イヤミ: ここの村の連中は、人間じゃあないざんす。ミーも本当の正体は知らないざんすが、・・・奴らは人間を模倣する、何かざんす。
おそ松: また、言ってる。人間じゃなかったら何なんだよ。ったく・・・。
イヤミ: ミーも色々な可能性を考えていたざんす。物の怪? 宇宙人? 侵略型ロボット?・・・どれもしっくりにないんざんす。
おそ松: えー。口ボットとか言ってるよ。もう、そうなっちゃうとSFだな。社長、疲れてるんじゃないの?
イヤミ: そうざんすね。もう帰るざんす。
(・・・・・・)
イヤミ: おや。社長が来ていたざんすか。ちゃんと仕事をしていたざんすか!? もう! 全部ミーが尻拭いをしなきゃいけないざんす!
おそ松: 直接言ってよお? 親戚なんでしょ。あーうるさいのが来たから、外に出てこよ~っと。
イヤミ: ただプラプラ出歩くんじゃないざんす。はい、配車の依頼が来てるざんす。しっかり働くざんすっ!!
おそ松: はいはい、行ってきま~す。
(ざあああああああ・・・・・・)
(ミーン、ミーン、ミーン・・・)
おそ松: うわ・・・酷い雨だなこりゃ。
《ピピピ・・・》
おそ松: (パチッ) はい、210号車。
イヤミ:《ザザッ・・・赤鹿4丁目に配車依頼ざんす》
おそ松: ほーい、了解~。さっきのおばあちゃん、診療所で降ろして戻る所。このまま向かいまーす。
イヤミ:《しっかり長距離稼ぐざんすよっ!!》
おそ松: ヘいヘい、言われなくてもやってるって。ふう。
(キーツ・・・)
おそ松: は~い、お待たせしました。配車依頼されましたあ?
トト子: はい。・・・隣町の『バンバンジーBAR』まで。
おそ松: ギター? 後ろに入れますか?
トト子: いえ、横に乗せますからいいです。
おそ松: ・・・今日、ライブするの?
トト子: はい。まあ。
おそ松: あそこの店、変わった形してるよね。
おそ松: 元々、中華料理屋だった時から前を通るとそう思ってたんだよなあ・・・。中も部屋の形とか変なの?やっぱり。
トト子: 確かに変わってるかも。建物が四角くないから壁の角度が変なんですよ。
おそ松: ヘー。やっぱりねえ。六角形なんでしたっけ。なんかパワーがあるんですかねえ。
おそ松: うちの社長がそういうの凝っててね。花瓶の下に六角形の紙を敷くと、良く咲くとか言ってたなあ。
トト子: ・・・その割に前の中華料理屋、つぶれましたけどね。パワーアンプもボロいし。
おそ松: ヘえ、そうなんだ。ダメなんだねえ!・・・ねえ、この間の祭りの日の事件、知ってる?
トト子: ・・・知ってますよ。
おそ松: ああ、やっぱりこっちの人は知ってるんだ。
トト子: 狭いですからね。口伝てにまあ。みんな知っていますよね。
おそ松: でしょお? でもさ、この辺を出るとさ?誰も知らないんだよ、・・・あの話。
おそ松: 今どきおかしくない? ニュースにもならないなんて。
トト子: この辺では、よくあることですよね。
おそ松: まあ・・・そうだけどさあ。
おそ松: 結構、文化財としてもすごい物がみつかったからさあ。物の怪の像らしいけど、芸術品ていうの?
おそ松: 展示したり、研究チームが来たりで、結構地元が潤うのかなって思ったのよ。
おそ松: でも、展示どころかニュースにもなってないみたいじゃない。なんか、・・・勿体ないよね。
トト子: この辺は、色々騒がれるのが嫌なんですよ。昔はよく嗅ぎまわってる記者がいて、時々記事になった事もあったみたいだけど。
おそ松: へえ、そうなんだ。・・・ねえ、お客さん。雨止みそうにないし、帰りも乗せて戻るよ、俺。赤ツ鹿まで。
トト子: 構わなくてもいいですよ。・・・まあ、有難いですけど。じゃあ・・・3時間位したら。
おそ松: 了解! 毎度~っ。
トト子: 本当に酷い雨ね。
《・・・がが・ぴ・・O×△O・・・マ・・ハ~イ・・ノ・ショ・ム・ツノ~・・・ぴぴ・・・》
おそ松: あれ? ラジオが急に鳴りだした。なんでだ? 天気のせいかねえ、酷い雑音だな!・・・あ。直った。
《𝅘𝅥𝅮まつのは~こよいこのひ~む~つの~・・・》
おそ松: この曲、誰かリクエストするのか、時々かかるよね。古そうな歌謡曲。
トト子: 無事に赤鹿を出て欲しい人がいる時、誰かがリクエストするんじゃない?うちの母がそう言ってた。
おそ松: ヘえ。そうだったんだ。着きました。・・・ドア開けるよ。(ガチャ・・・)
《ピピピ・・・》
おそ松: (パチッ) はい、210号車。今、お客さん降ろす所です! 帰りも乗せて戻るんで、飯休憩でいい?
イヤミ: 《ザザッ・・・しっかり稼ぐざんすよ!》
トト子: 本当に酷い雨ね。ギターが濡れちゃう。
ーおわりー
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mayumiura · 6 years
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ニートでアルバイトをした後、著名な編集者である松岡正剛さんがやっていた編集工学研究所(http://www.eel.co.jp/)に転がり込んだんです。ここで、松岡正剛さんの「徹底して最後までやり遂げる姿勢」に、心を揺さぶられました。 // そこでの私の最初の担当は書評でした。今でも覚えているのは、夜中の3時に松岡さんの部屋に原稿を持っていったときのこと。// 彼は寝ない人で、みんな夜中まで仕事をしている不夜城でした。私は編集もド素人だし、書いた原稿を見られるのが恥ずかしくて、受付箱にそっと置こうとしたんです。そうしたら、「すぐ見てあげるから」と言って、パイプをくゆらせながら、タイトルを直し、「てにをは」を直し、すっごく達筆な朱字をその場で入れてくださったんです。// こうやって、一文字一文字を夜中の3時でも魂込めてちゃんと見ることが、一編集者として仕事をやり遂げるということなんだ、と刻み込まれました。しかもド素人で駆け出しの私のつたない文章に、きちんと朱字を入れてくださったことが、本当にうれしくて。
日経DUAL創刊編集長 帝塚山学院大学非常勤講師 羽生祥子さん | 家事代行ならベアーズ
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yrkhang · 6 years
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「友達」について
鐘の鳴る音が聴こえる。
そろそろ2018年がおわる。僕が居るのは狸標準時の世界で、人間の生きる時間軸とは時差がある。
それでも時計の針は進むし、その歩みは人のそれと変わらない。
このところ退勤が遅い。流石に業務上のうんたらで書けないことも多いけれど、日々をせっせと働いている。
憂鬱でもあるし、楽しくもある。
時間ばかりは止まってくれないなあと痛切に思う。
子供の頃は、アニメが好きだった。
僕の生まれた田舎の街には娯楽がそう多くはなくて、コンビニで言えばセブンイレブンすらなく、町唯一のコンビニは8時には閉店で、パン屋とレンタルビデオ店を兼任していた。毎年春だかにやるお子様向けのアニメ特撮映画を上映する映画館は、その昔は落語を演じる演舞場だったそうだ。初めて観た映画は確か『ゴジラ対メカギドラ』で、これもまた商店街唯一の本屋でムックを買ってもらったことをよく憶えている。メーサー列車砲やらの載っていた本だ。分かる人には分かるのではないか。
映画館の隣にはおもちゃ屋があって、お祭りの帰りにプラモデルを買って帰るのが年に1度の楽しみだった。近所のいとこがこうしたことに詳しくて色々と教えてもらって知識を付けた。ガンダムもそうだし、ゾイド、ミニ四駆、そういえば当時はガチャポンで売られていた携帯ゲームの流行っていた時期でもあった。当時の僕は自分の事しか見えていなくて、そういったものばかりを買い漁っていた。都会のいとこがそれに付き合ってくれていたのは本当に彼の優しさだったのだろうと思う。
ムックを買ってもらった本屋の軒先にはCDの自販機があって、今となっては懐かしい8cmディスクのCDを多く扱っていた。僕の子供の頃にはCDというものはひどく高価で、友達がオススメの曲をカセットテープにダビングしてくれたものを何度も聴いていた。貧乏性だったから120minのテープにダビングしてもらっていた事を憶えている。自販機の中にすこしだけあったアルバムディスクは当時僕の憧れのひとつで、後年バイト代をためてMr.ChildrenやJAMのアルバムを買うことになる。この辺りの音楽趣味は今の僕の音楽的嗜好のベースのひとつになっているように思う。
初めて買ったCDはDEENのシングルで、ナムコのRPGの主題歌だった。買ったのは忘れもしない、家から遠い繁華街のツタヤで、2時間ほど迷って選んだ一枚だ。これは今でもたまにカラオケで歌う事がある。当時の繁華街に大きなショッピングセンター(というのも今では烏滸がましいのかも知れない)があって、沢山のCDが並べられていた。それはさながら夢の国で、隣接した歯医者が好きでもないのによく連れていって貰ったものだ。センター内にはゲームショップもあって、ファミコンソフトがたくさん並べられていた。新品ではお正月くらいしか買えないものだから、中古を選んで面白そうなソフトを何本か買って帰ってよく遊んでいた。
学校では色んな歌を聴いた。如何せんオタクだったのでポップスには明るくなくて、今でも笑ってしまうのは安室奈美恵を知らなくて「アムロ」と聞いてガンダムの話だと勘違いしてしまったエピソードがある。僕にとって恵まれていたのは、余りにも閉塞的なその街の穏やかさで、そういう「ポップスのいろは」を知らない僕を、まわりは笑って許してくれた。たまたま楽器をやっていたので、中学にあがってからは音楽室に入り浸りの日があったりもした。当時流行っていたのはMR.BIGで、お子様たちが音楽準備室のマーチンを取り合うようにして熱心に弾いていたものだ。そんなに難しくはないよなあ。振り返るとちょっと可笑しい。
ガンダムが大好きで、今ではさすがに難しいけれど、子供の頃はモビルスーツの大半を型番で言う事が出来たことが自慢だった。ゲームに出てくることもあって当時ガンダムの知識は子供たちの間では必須のナレッジで、その点において僕はクラスの中でも胸を張れた。幼稚園からずっと仲の良い友達が所謂オタクの家系で、よく「ガンダム型番クイズ」みたいなのを出し合っていたことを憶えている。確かお姉さんが少女漫画が好きなひとで、随分そのあたりを教えてもらった。お兄さんが一時期東京にいた人で、所謂「アニメ作品」を教わったのはこの辺りからだ。本人は所謂「見た目と中身が一致していない」みたいな人で、クラスではキャーキャー言われていて大変そうだったことを憶えている。当時の幼稚園仲間はみんなニートみたいなひとばかりで、毎日誰かの家に集まってはゲームばっかりしていた。
挙げだせばきりがないけれど、そんな幼少期。振り返れば懐かしい。
僕は多分、あの頃と比べたら随分と遠いところに居るのだろうと思う。高校以降も色々あったし、変なこともたくさんしてきた。マックで安かったハンバーガーをアホみたいに買い漁ったりとか、「友達の家に遊びに行こう!」と言って軽自動車で国道バイパスを爆走したらエンストして全員で気絶したりとか。辿り着いた温泉街でひたすらダラダラしていた時間は無意味で有意義だった。深夜に「映画を観に行こう!」と思い立ってぶっ飛ばした国道八号線。映画館のあるショッピングセンターにたどり着いた頃には最終上映5分前で、みんなで猛ダッシュをした。雪の積もるバイパスを、後輪を滑らせながらかっとばした。TSUTAYAで試聴し、手に取るCD達にはそれだけの価値があった。寮のIHでつくるなんちゃって鍋も、友人が狭いキッチンでつくる絶品謎料理も大好きだった。研究棟の屋上に上って酒盛りしながら観た夏の花火。毎晩のように子供たちが通い詰めたバイパス沿いのインチキ中華。忘れようがない。
…振り返ったら禄でもない人生しか歩んでいなかったことに気づく。でも楽しかったし満足もしている。
別にそれを後悔するつもりはなくて、割と楽しく人生を過ごせてきたのだろうなあと思っている。
ただ、たまに「あの時どうしていたら」ということについて考える。
僕らの前にはいつも「IF」がある。「あの時どうしていたら」。その道の先を僕らは知らない。
たまに、その道の先を観る。
何が観えたのか。いつも僕らは知らない。
「あの時」を思う度に、「IFはIFでしかないのだなあ」と思う。人間の前には常に何らかの景色があり、そこに向かってゆくだけのひとつの行為が何らかの「道」ということであり、その先は誰も知らない。
けれど、一方で僕らの後ろには常に道があり、それは、人間が選んできたもので、観てきたものでしかない。それは、その時々の「景色」でしかなく、過去でしかなく、現在の塊だ。「IF」が常に未来にあるもので、過去には存在し得ないものだという事を僕はとても面白いもののように思う。いくつもの選択肢があったとしても、そこであなたが選んだのはたったひとつで、そのあなたの選択が、その瞬間のあなたの前の景色を形づくってきた。一方で、この先にあなたが選べる選択肢は常に膨大で、僕らはその選択肢のひとつひとつに自らの夢を乗せて、その先の見えない景色を観ようとしている。不思議だし、面白いことだ。
けれど、時間は進む。たくさんの人のたくさんの夢が乗った、たくさんの可能性。それらの中から、あなたが選び取ったものが、またひとつ、今の「景色」を描いて選びようのない過去になり、またその針を進めてゆく。
切実なことでもあるけれど、僕はなんだかそういうことが可笑しくて、その景色を眺めるたびに笑ってしまう。
もしかしたら、そういう気持ちこそが人間を前に進めようとする力力なのかもしれないよね。
鐘の鳴る音が聴こえる。このところ折につけ、その音は喧しい。
人の生きる道は、その人の歩んだ「只の道」でしかないのだ、という感覚がある。
それでも、歩んだ日々があり、それらの景色がある。
それは、その人の歩んだ日々であり、その人の見てきた景色なのだという理解がある。
鐘の音が聴こえるたびに、あの日の空を思い出す。
幾つもの空はいつも鮮やかで、色とりどりの「あの日」の景色をしている。
そろそろ2018年がおわる。僕が居るのは狸標準時の世界で、人間の生きる時間軸とは時差がある。
それでも、僕の生きた「あの日」の景色だけは、あなたの生きた「あの日」の景色と違いが無かったに違いないと思っている。
いくつもの「あの日」。その空の色だけを明確に憶えている。
こんにちは。ご無沙汰しています。
お元気ですか。だったら良かったと思う。
長生きしましたか。お互い歳を食ったね。
時間があるというのは、なんというのか、いいね。
最近僕は、時々思い出すのです。君と居た景色の色を。
その景色を一緒に観た時間のことを。
僕が居るのは狸標準時の世界で、人間の生きる時間軸とは時差がある。
時差があるから、わかるものも、わからないものもある。
それでも時計の針は進むし、その歩みは人のそれと変わらない。
僕も狸なりに否応なしの日々を進んでいる。
そうして、そこにある変わらない時間を共に過ごして来た君の事を、僕は「友達」だったと思う。
そうなれたらいいなとずっと思っていた。
そうなれたかどうかは分からない。
けれど、観てきた景色がそこにあり、時間は今も進んでいる。それで充分じゃないかと僕は思う。
鐘の鳴る音が聴こえる。
友達で居させてもらえて、本当に有難かったな、と僕は思う。
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hon5-tba · 6 years
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クラ版実況ログ(1)
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先日9月30日に行われた国際サンダーバード・デーのイベントで、ShoutFactoryTVにてクラ版全話34時間一挙放送がされました。
さすがにずっと見てることは出来なかったのですが、数話見れた時の私のツイッターでの実況(ツッコミ)ログです。
あらすじ紹介ではないので、クラ版を見た人前提となっております。SSにより「ああ、あのシーンのことね!」ってわかっていただければ幸いです。
第1話 Trapped in the Sky
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日本語版で見た時は気にならなかったんですが、↑これ、めっちゃハッキリと「自動爆弾です!爆発物」って書いてある爆弾なんですねwww
そんな、爆弾です!って書いてあるわかりやすすぎる爆弾をファイヤーフラッシュに取り付けたフッド氏・・・何か笑えますよね。
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↑これは顎スコ兄さんよりもすごい無茶ぶり。He made it!!
彼の頑張りは認めよう。だがしかし、顎版に慣れていると、クラ版は尺に余裕がありすぎるせいか、話がなかなか進まず妙な間がもどかしい。
おかげでなかなか出てこない国際救助隊。
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↑やっと出てきたと思えば、写真撮影ダメとか矢継ぎ早に条件を突きつけてくるスコット氏。 この頃は色々めんどくさすぎな国際救助隊。
もし「そんなん急に言われても無理」とか言われたら「じゃいいですぅ~」て兄さんは帰ってしまったんだろうか・・・?
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↑この煙の出具合とか潰れたタイヤの具合とか、クラ版はこういうボロボロ加減が良く出てる演出がすごいよね!
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そしてお嬢のヤッチマイナ!の一言で、爆破されるフッド氏。
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写真撮ったら処刑だもんなー国際救助隊怖すぎる! 😱
人命<<<それよりも<<<写真
第2話 Pit of Peril
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昔の人たちは無茶ぶりがはんぱない 。
尺に余裕があるおかげで、無駄にケガ人が出ると言っても過言ではない。
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クラ版のもどかしいところ:5番6番コンテナの時は待ってるのがだるいw
この2号発進シーンでは、海外勢がチャットで何番コンテナか予想してるのが微笑ましかったです^^   
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そしてやはりジョン様は美しかった。
そういえば、兄弟の中で一番最初に登場したのは、ジョンなんですよね。窓の外を見てヒマそうにしてたっていう。
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これ、2号の中にブレインズのプチ研究室みたいなものがあるの?奥に禁煙の文字が。
クラ版はみんなヘビースモーカーだから、2号の中でもタバコ吸ってそう。吸ってるから禁煙の注意書きがあるんだろうね。
第3話 The Perils of Penelope
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このミニチュアときたら!小物が可愛い~♥
ドールハウスのようで楽しいですね!何かほしくなっちゃう。
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ペニーお嬢様も毎度オサレ。でもやはりかなりのヘビースモーカー。
まあ、この当時はタバコや葉巻がセレブの一種のステータス(嗜み)なんでしょう。
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お嬢様の夜装着もよろしいが、鏡にパーカーが映ってるというイキな演出。
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クラ版の良いところ:女子がオシャレ!!衣装や髪型が都度変わってて素晴らしい!
レトロファッションは見ためがとても楽しい。顎版のお嬢もいくつか服のバリエーションはありますが、クラ版のお色直しの回数にはかないません。ケーヨなんてまったくだし。顎版ももっとファッショナブルであれば、女の子にも人気が出るかもしれないよね
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スコ兄のカッコ良いんだか行儀悪いんだか謎な立ち方。靴のままイスに足乗っけるって日本じゃありえないけど、やはり海外はベッドにも靴のまま乗っちゃったりするから普通なのかな?
ちなみに、アンダーバッドは、顎版ではスコット兄さんが「ジョンのピチピチスーツがー!」とか叫んだ町ですねw
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凶悪度高し。クラ版は間違っても子供向けではない。当時はそうだったらしいけど。
流血もあるわ銃撃戦もあるわ、女子をくくりつけて電車にひかせようとするわで、こんなん今ならお子様には見せられまへんで!
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このシーンは、、、
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一体何だったのかwww
これはもう大人向け。 これが一般女性でスコ兄さんだったら「I’m Scott, by the way」って言ってるところ。
お子様には見せられまへんで!!
第4話 Terror in New York City
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マッハで追いかけてくる1号。これは怖い。スコさんが怒ったのはカメラに撮られたことじゃなくbuster(坊ちゃん)と呼ばれたからじゃないだろうか・・・?
当時の国際救助隊にとって、写真撮影がこの世で一番の悪!
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時間経過とともにヒゲも生えちゃうのがクラ版クオリティ。
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ヒゲはえたり脂ギッシュになっちゃったり、そこがクラ版の良いところでもあるんだろうけど、そこまでやらんでも・・・っていう気は私はする😅
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弱ってる人に「泳いで中に入ってきて!!」って、ええええwwwひどい! ものすごく他人任せなクラ版ゴードンのレスキュー。
顎版のゴードンからは考えられませんね。
第5話 Edge Of Impact
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優雅な朝食シーン。
雑貨がいちいち可愛く見えてしまう。まるでシムズみたい!
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やっぱ金持ちの基本はタートルネック。
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ケーシー大佐が突然家にやって来て、「いい年した若者が揃ってニートかい!」みたいなこと言われるんですよねw
いいじゃん。金持ちなんだから。働かなくたって。
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KAWAII😍!!
できれば女性陣の全コスチュームSS撮りたいくらいだったんだけど、wikiの方で網羅されてるみたいです。GJ!↓
【Thinderbirds wiki】Outfit Pages
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ミンミンの服はいつもかわいいが、だがしかし水着はオートクチュール過ぎた。
結局、水マンバって何?
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腕の見せ所だ!(的なことを言った気がする)と張り切ったわりには、
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ただジェットパック?みたいなやつ投げて、自力で降りてきて!!って!?ええええええ!!!ひどいwwww 
すごいのは倒壊寸前の塔から自力で降りてきた救助対象者の2人。
何やねん!この他人任せなレスキューは!!!!
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スコ兄さんのモデルはショーン・コネリーだったんだ!? てか、若い頃のショーンコネリーてこういう顔だったんだ!
放送の合間にトリビアみたいなのが入るのも楽しかったです。
→(2)へ続く
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xf-2 · 6 years
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「人間のできる仕事の範囲を越えている」 当事者が語る“児童相談所”の実態 千葉県野田市で虐待された10歳の女児が死亡した事件で、女児を一時保護していた柏児童相談所の対応に批判の声が集まっている。 柏児童相談所は2017年11月、父親から虐待されている疑いがあるとして女児を一時保護し、その期間中、女児の両親と面談。その後、関係が改善したと判断し、12月末に保護を解除、女児は両親の元に戻されたのだが、その後、一度も自宅訪問を行っていなかったことなどが批判の的となっている。 こうした中、これまで数えきれないくらい児童相談所に関わってきたというTwitterユーザーのツイートが1万2,000以上リツイートされ、拡散している。 このTwitterユーザーは児童相談所について、「その忙しさは尋常ではなく、もはや人間のできる仕事の範囲を越えている」と書き込んでいる。 児童相談所の実態はなかなか伝わってこないが、我々の想像を絶する忙しさなのだろうか?また、児童相談所に関わっていた当事者として、今回の事件を受け、児童相談所が批判されていることをどのように受け止めているのだろうか?児童相談所に関わってきたというTwitterユーザーに、TwitterのID、アカウントを伏せることを条件に話を聞いた。 児童相談所の「一時保護」の保育士 ――児童相談所には何年ぐらい関わってきた? 15年ほど関わってきました。 ――児童相談所とはどのようなかたちで関わってきた? 児童相談所の「一時保護」の保育士です。 ――児童相談所の「一時保護」の保育士はどのような仕事を担っている? 虐待を受けた子どもをひたすらケアします。 ――たとえば? お風呂に入れたり、一緒に遊んだり、話を聞いたり、外出ができずストレスが溜まるため体育館で一緒に遊んだり、様々なケアをしています。 ――児童相談所に「関わってきた」ということは、今は関わっていない? はい。3年ほど前から療養しています。 ――療養は児童相談所の仕事が激務であることと関係している? 「子どもの福祉現場の激務」が理由です。 「バーンアウト(燃え尽き)」の状態になり、今は身体と心を休めている最中です。 1人の児童福祉司が100件を抱える異常な状況 ――野田市の虐待事件に関して。柏児童相談所の対応に批判的な声があること、どう思う? 児童相談所はマイナスをゼロにする仕事です。 虐待などで命が脅かされている状態が“マイナス”で、子どもが命を脅かされない生活が“ゼロ”。 “マイナス”から“ゼロ”にもっていくのも大変なのですが、“ゼロ”にもっていき、その状態を維持していても評価されません。 それだけでなく、“マイナス”が、今回のようにさらに“マイナス”になったときには叩かれます。 こうした状況を私は変えたいと思っています。 ――「児童相談所の忙しさは尋常ではなく、もはや人間のできる仕事の範囲を越えている」とツイートしている。それほどに忙しい? 私が住んでいる自治体には児童相談所が1カ所しかなく、1人の児童福祉司(ケースワーカー)が100件ほどの虐待案件を抱えているような、ひどい状況です。 虐待を受けている子どもを全員、助けたいのはやまやまなのですが、現実的には1人の児童福祉司が抱えられるのは、子ども数人から数十人が限界なのです。 そうなると、緊急度の高い重篤なケースしか対応できず、緊急度が低いと判断されたケースはどうしても後回しになってしまうのです。 大きな“うねり”を生み出してほしい ――そうした状況はどうすれば変わると思う? 日本では「家庭は温かいもの」というイメージが浸透していることから、虐待を自分事としては考えたくない人が多いため、「児童相談所にもっと予算を」という“うねり”にはなりづらいところがあります。 それでは今の状況はいつまでたっても変わらないので、多くの方が虐待を自分事として考え、「保育園落ちた、日本死ね」のときのような、大きな“うねり”を生み出してほしいと思っています。 ――虐待を減らすのは容易ではないが、どうすれば減ると思う? 国の新たな機関として、「子ども省」を新設することです。 虐待案件には、徹底して“子どもの側”に立ち、子どもを守るプロフェッショナルが必要で、その機関として「子ども省」を新設することで、救える子どもは増えると思います。 2022年度までに児童福祉司を約2000人増員する政府プラン ――子どもの虐待に関して、この他に懸念していることは? 懸念しているのは「18歳問題」です。 「児童を18歳までとする」と、法律で決められてしま��たので(厚労省審議会で20歳までを児童とするという案を、実践家や法律家・研究者のメンバーが強く推進していたのですが見送られてしまいました)、18歳を過ぎた子どもは法制度の隙間にどんどん落ちてしまいます。 法的根拠が無いために、社会資源や支援もありません。家庭を生き延び、施設生活を生き延びても、18歳になった途端、何の支援も後ろ楯もなく、社会に放り出される実態があります。施設側もアフターケアしたいところですが、今の施設だけで手一杯です。 そのため、その子どもたちが犯罪に走らざるを得なかったり、友人や彼氏の家や、ネットカフェを転々とする“見えないホームレス”になっていきます。また、女の子だと住居付きの風俗に働いたりもします。そんな中で、若年妊娠や出産の問題も出てきます。 そこでまた、貧困や虐待の連鎖も生まれてしまうのです。 すべての問題は、このように繋がっているのです。そういうわけで、 私が考える「子ども省」は、対象を0歳~20歳までにできたらベストだと考えています。 厚生労働省によると、2017年度の児童福祉司の配置数が3235人なのに対し、児童相談所における虐待の相談件数は13万3778件。 児童福祉司1人当たりの児童虐待の相談対応件数は全国平均で40件程度。 地域差はあるものの、児童福祉司の数は足りていない。 こうした状況を受け、政府は去年7月、2022年度までに児童福祉司を約2000人増やすプランを決定。 1人当たりの件数を減らすために増員を図っている。 FNN.j 2019年2月4日 月曜 https://www.fnn.jp/posts/00420071HDK <関連記事> 野田市虐待死 栗原心愛ちゃんと 船戸結愛ちゃん事件 に共通する父親の過剰な家族依存 AERAdot 2019.2.5 https://dot.asahi.com/dot/2019020500074.html <報道発表資料> 児童相談所における児童虐待相談の処理状況報告 https://www.mhlw.go.jp/www1/houdou/1111/h1117-1_18.html <関連エントリ> 児童と動物虐待死させる狂人��は死刑を! https://ryotaroneko.ti-da.net/e10534122.html             千葉県野田市で実の娘を虐待死させた鬼畜 幼児や児童を虐待して殺害する痛ましい事件が続いている。 拙ブログでも何度か取り上げたが、私はこういう事件に対し、 悲しさ、虚しさ、怒りが入り混じった複雑な感情が沸き起こる。 以前にも述べたが私はこういう犯罪を犯す者は死刑でよいと考える。 抵抗できない弱い者を虐待して殺すなど人間ではない、鬼・悪魔以下のクズである。 天性のサディストと言うべきか、治癒不能精神異常者であることは間違いない。 しかも殺した対象が実の我が子というから本当に信じられない。 いや、もちろん他人の連れ子であっても、ここまでやるか?といいたいわ。 まず通常の精神の持ち主ならば、まず考えられない異常行動である。 子供をいたぶって喜ぶサディストの親は更生は不可能と思う。 しかも子供を虐待する「親」は再婚の連れ子が多いのかと思いきや、 虐待の加害者は64%が実の親だというから、呆れてしまった。 私も子供を持った身であるが、我が子は「目に入れても痛くない」、 そういう表現が疑いなく実感として感じることができるである。 またこれが生物学的な本能という奴ではないのだろうか?             5歳の幼児を虐待死させた鬼畜夫婦 私は以前のエントリの中で、子供の虐待死に関する、 児童相談所や対応の遅さを「役立たず」と外務省並みに批判したが、 今回この記事を読んで自分の間違いであったことがわかった。 記事にもあるように・・・ 全国の児相の児童福祉司は3千数百人で、虐待の相談件数は13万件を越えている、 全国平均で児童福祉司一人あたり40件というが地域間格差があるから、 東京などの都市部では恐らく一人当たり100件くらいは抱えていそうである。 なるほどこれじゃあ物理的にも到底対応しきれないのは当然だ。 しかも子供への虐待やDVなどは安易に口出ししにくい案件である。 野田市の心愛ちゃんの件でも父親は児相に名誉棄損で訴えると脅していた。 そうなると対応の仕方も慎重にならざるを得ないし手遅れもありうる。 しかし子供への虐待相談がこんなにも多いとは・・・ 恐らくこれも氷山の一角なら潜在的実数はその何倍になることか。 政府が2000人程度の児童福祉司を増員したところで焼け石に水ではないのか? 国連やユネスコに回すムダ金をこういう福祉に回せよ! そして・・・ 児童相談所の児童福祉司の皆様、ごめんなさい(土下座) 実情を知らずに怒りに任せて批判した事をお詫びします! 児童虐待は親権に関わる問題だけに児童相談所のケースワーカーも 積極的に家庭訪問や親との相談というわけには行かないのは理解できる。 職員の対応人数の不足もあるが、家庭内の事情というのもある。 しかし虐待死が社会問題になっている以上、人命にかかわる事案について、 遠慮などしていていいのか、という疑問も一方にあるのだ。だから法改正して、 児相職員に捜査権でも持たせ強制的に関わらせるべきではないか? 日本は児童虐待に対する、司法や行政の介入権が弱すぎないだろうか? アメリカでは州にもよるのだろうが、児童虐待の通報が警察にあれば、 即刻パトカーが飛んできて、親と子供はその場で隔離され、子供は施設へ、 親は警察で取り調べを受け、虐待でないとわかるまで子供は親元へ帰されないそうだ。 虐待を認められれば、親はその場で逮捕拘留、裁判後刑務所送りとなる。 そしてその虐待内容によっては死刑が適用されることもあるのだ。 それほどアメリカも幼児・児童虐待事件が多い国なのである。 <参考記事> 恋人の連れ子を虐待死させた男に死刑判決、米カリフォルニア州 AFP 2018年6月8日 http://www.afpbb.com/articles/-/3177720?act=all <参考まとめ> 実の親でも即逮捕?アメリカの子供を守る体制がスゴい!! https://matome.naver.jp/odai/2140517995024474901          日本でも電子レンジに我が子を入れた鬼畜がいた。 しかし何故我が子を虐待するのか? 核家族化、不安定な生活、躾困難な子供、社会的孤立・・・ これは様々な要因が指摘されているから一緒くたにはできないが・・・ 虐待する親も悩んでいるから責めるな!          ・・・という点は個人的に気になる事である。 これって引きこもりやニートを擁護する考え方と同じではないか? 彼らも「好きこんでニートになったんじゃない」と開き直って、 自分の弱さや我がままな点は必ず責任回避しているのと似ている。 ここでハッキリ言えることは、親自体が「大人」になり切れていないのだ。 つまり子供が子供を産み育てるような状況だから無理が生じるのではないか? このことは子供の虐待だけではなく、引きこもりやニートなどにも言えるのと思うが・・・ 私は、彼らに同情するような要素はあるにせよ、 我が子を虐待死させる親には一切同情しない。 冷酷非情に社会的・物理的に処分すべきと考える。 それから児童虐待死の刑罰はかなり軽いらしい。 児童の虐待死も犯人の親には大抵は執行猶予がつくらしい。 虐待死って、殺人罪だろ? あんな残酷な殺し方して執行猶予? しかも自分の子供をイジメ殺して何故そんなに軽いのか? 反省の態度など演技でいくらでも補えるからこんなもの信用ならない。 しかも弁護士の入れ知恵でいくらでも情状酌量戦術はあるのだ。 この親も虐待されて育った・・・云々というのは情状の理由にならない。 それとて本当かどうかわからないし、虐待されて育った親が必ず、 我が子に虐待すると決まっているわけではないからだ。 虐待犯の成育歴なども関係ないし、 やった事自体の内容の罪を問うべきだ。 <参考ブログ> ■児童虐待の殺傷事件の判決は親に甘すぎないか? 今一生のブログさんのブログより http://con-isshow.blogspot.com/2017/08/kodomo-saiban.html 我が子を虐待死させた鬼畜には・・・ こいつら死刑しろ、死刑に!
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hareruwa · 4 years
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【You Tube配信】第2回 まちほけチャンネル テーマ:多様性多様性のあるま場づくりについて
日時:2020年12月12日(土)19:00~20:30 スピーカー: 坂倉杏介(東京都市大学都市生活学部准教授) 滝沢達史(アーティスト/アーツ前橋表現の森) 佐藤真人(アリスの広場) 間々田久渚(ハレルワ) 司会:天羽絵莉子(アーツ前橋表現の森プロジェクトコーディネーター)
スピーカープロフィール
坂倉杏介(さかくら きょうすけ) 東京都市大学都市生活学部准教授 専門はコミュニティマネジメント。三田の家LLP代表、NPO 法人エイブルアートジャパン理事ほか。多様な主体の相互作用によってつながりと活動が生まれる「協働プラットフォーム」という視点から、地域や組織のコミュニティ形成手法を実践的に研究。芝の家やご近所イノベーション学校(港区)、おやまちプロジェクトや世田谷コミュニティ財団(世田谷区)をはじめ、様々な地域のコミュニティ事業を手掛ける。現在、ウェルビーイングな地域を実現するリビングラボ・プロジェクトを大学の地元・世田谷区尾山台にて進行中。共著に『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術』(BNN出版)、『コミュニティマネジメント つながりを生み出す場、プロセス、組織』(中央経済社)など。
滝沢達史(たきざわ たつし)/アーティスト 多摩美術大学油画専攻卒。東京都特別支援学校にて知的障害児への美術教育に携わった。以後、越後妻有トリエンナーレなど国内の芸術祭にて、土地との関わりを着想に表現を行っている。また、近年では子どもの主体性に任せた学校作りなど、試験的な教育活動にも取り組んでいる。
佐藤 真人(さとう まこと) NPO法人 ぐんま若者応援ネット(フリースペース アリスの広場)代表 1982年生まれ。中学1年の6月から不登校となり、以後6年間不登校・ひきこもりとなる。その時、バクの会とパスの会、2つのフリースペースのお世話になる。 17歳で大検予備校(現高卒認定試験)に通い始め、20歳で埼玉工業大学に入学、その後、明治大学大学院へ進学。卒業後、就職先の厳しさに耐えられず半年で退職・再び挫折。28歳で再びパスの会の各種お仕事体験で自信を取り戻し、若者サポートステーションのお世話にもなり再就職・社会復帰する。 2014年から自分の体験を元に不登校やひきこもり、ニート等の若者の居場所「アリスの広場」を開く。
間々田 久渚(ままだ ひさな) セクシュアルマイノリティ支援団体 ハレルワ 代表 1991年生まれ。幼少期より自身の性や性的指向に疑問を抱きつつも、当時はLGBTという言葉もないため周囲や大人に相談できない子ども時代を過ごす。群馬大学で教育と美術を学び、在学時より男性としての社会生活を送るために、周囲へのカミングアウトや男性ホルモン注射等の治療をスタートしていく。卒業後、公共施設を管理運営する民間企業に入社、広報や経理を担当する。社会人2年目の年にハレルワが主催するLGBTの交流会に参加するようになり、2016年12月から同団体の代表に就任。 心と身体の性が一致しないトランスジェンダーの当事者であることをオープンにし、LGBTの居場所づくりと講演活動を行う。
主催・制作:まちのほけんしつ(アリスの広場+ハレルワ)、滝沢達史 共催:アートによる対話を考える実行委員会 協力:アーツ前橋 助成:令和2年 文化庁 地域と協働した博物館創造活動支援事業 お問い合わせ先:まちのほけんしつ メール:[email protected]
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ura2namiurara · 4 years
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【探索者】風間 颯斗
▶特徴表 6-1 奇妙な幸運(クトゥルフ神話の神性や怪物がランダムに目標を攻撃する際、その対象からは除外されるただし、単独で攻撃される場合はや範囲攻撃の中にいた場合は対象となる。) ▶特徴表1-9 一族伝来の宝物(絵画、本、武器、家具などの個人的な宝物で、探索者やキャンペーンにとって特別な価値を持つ品を所有している。宝物は、魔術的な力を持つアーティファクトかもしれない) ⇒「ヒプノーシスマイク」:歌唱・母国語・ギタボ技能のいずれかでスペシャルの値を出した際発動。あるいはRPでいい感じのラップしてくれたら発動 ▶ 特記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【キャラクター】 名前:風間 颯斗(かざま はやと) 職業:ミュージシャン(ギターボーカル) ※2015自宅警備員職業技能取得(理由:売れなかったらどうせニートだから) 誕生日:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆生い立ち 音楽は、物心つく前からやっていた。 ピアノ、バイオリン、サックスを触ってきた。もちろん他の楽器も初めて触っても、すぐコツを掴んで上達する。 歌は、当たり前のように歌っていたし、人より長くやっていたから出来て当然だと思っている。 音楽に関して、上手いという認識ではなく、幼いころから日常的に関わっているので出来て当然の認識。 「1+1=2」ができて当然なように、音楽を何回も何千回もやってきているからそれが彼にとっての日常。
◆性格 普段は物静かでぼーっとしており、常にマイペースな性格。話しかけても会話や波長が周りと合わない人。 音楽への関心は人一倍で、夜を徹して楽曲の練習に没頭するほど研究熱心でもある。 ただし私生活は本当にだらしがない。 音楽の才能に吸い取られたのか?と思われるほどに、何もできない。 掃除洗濯、あまつさえ食事もまともにできない。 練習に没頭して、食事をとり忘れて倒れることもしばしば。 おっとりしているが音楽にかけては非常に確固たる概念を持っているため、相手が年上であっても譲歩しないこともある。 普段話している時と、ステージ上での雰囲気が別人のように見えるほどギャップがあったため、一時期替え玉か?双子説?といったものがネットで流れた。 本人は特に気にしていないし、その話も他の人から聞いて知ったくらい。 一人で生きられるの?私がいないとだめなんだからって感じで今まで女の子とかいたけど、構ってあげないし音楽に没頭するからすぐ別れる。 というか、ふられる。好きで付き合っているわけでもないので、別れを切り出されても、「あぁ、うん。」で終わる。普段は髪もセットしないので、もさ…としてる。 ステージに上がる時は、髪も服もセットしている。 髪は染めているだけ。美容室でお任せにしたらだいたい派手にされる。 ◆ハスターモチーフの人。 ◆ Vocal Fret 【経歴】 結成から8年目のロックバンド「Vocal Fret」の、ギター&ボーカル担当。 ・3歳~:ピアノを始める。このころから音楽の英才教育を受ける。 ・16歳~:高校は、普通科・音楽科がある学校に進む。音楽科専攻。 ・18歳:年下の女の子(現在のバンドリーダー)に誘われそのままバンドのメンバーとなる。 そこで現在のバンドメンバーと知り合う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
***********※シナリオネタバレ注意※**************** 【後遺症】 【AF】 【呪文】 ・ 【魔導書】 ・ 【遭遇神話生物】 【その他メモ】 ・誰がロックを殺すのか HO4 表:あなたには音楽の才能がある。 全ての〈芸術(楽器演奏)〉の初期値が5ではなくDEX*2の値となる。⇒その他欄に19P追加して24Pに調整。 生還後Pは消滅。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆交友関係
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さて、TPPで1俵2200円の米がやってくる
という記事がありました。これによれば、ベトナムの米は、60kgあたり2200円で輸入できるのだといいます。これは、1kgあたり、36円です。1/10位の値段ですよ。
この記事では、だから「TPP反対」ということなのですが、もしベトナムの米を日本人が食べることができるようになれば、一気に食費が1/10になります。
ご飯一膳40円だったものが、4円になるわけです。
これなら、飢える人いますか?米がたべられなくて死ぬ人は減りますよね。みんなたらふく米を食べることができるんじゃないでしょうか?
米は、世界的に見てもとても安い作物で、貴重なものでもなんでもありません。ベトナムの農村部ですら、米なんて有り余っているので、大量に炊いて、あまれば捨てます。彼の地で貧乏とは、米が食べられないのではなく、米くらいしか食べるものがない人のことをいいます。
日本のように米の一粒までも貴重で、なめるように食べる、なんて習慣がのこっているのは、国土が狭く、天候が安定せず、米が貴重で、自給自足しかの生産手段のない江戸時代以前の日本の名残です。米なんて、日本以外では、大量に捨てるほど安く採れるのです。
江戸の時代では、米は狭い農地を耕し自給自足するほかなかった。TPPどころか、鎖国で貿易すらなくて、そもそも外国の食料と交換する輸出製品もなかった。
いまなら、工業製品を輸出して、圧倒的にやすい米を手に入れたほうが、国民は飢えないのではないでしょうか。
食料安全保障とかいう話もあるけど、そもそも石油の輸入がとまったら国内で米は生産できませんし、安全保障とかいう前に、ニートの食生活をみてください。彼らは高くて米が食べれなくなってきてるんです。
” - 極貧やニートにとっては、米は高くて食えなくなっているという現実 | 大石哲之のノマド研究所 (via deli-hell-me)
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honyade · 5 years
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川崎昌平 × pha「働きたくないし21世紀だし同人誌でもつくろうぜ」 『同人誌をつくったら人生変わった件について。』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(幻冬舎)W刊行記念
12月に『同人誌をつくったら人生変わった件について。』を刊行した川崎昌平さんと、2月に『どこでもいいからどこかへ行きたい』を刊行するphaさんのW刊行記念イベントを開催いたします。 ちなみに、当日は『どこでもいいからどこかへ行きたい』の発売日!
川崎昌平さんとphaさんは、作家としてメディアで文章を発表する一方で、個人で同人誌も制作しています。
いわゆる商業本を執筆しながらも同人誌を作り続けるのはなぜなのでしょうか?
そんなお二人は、「無理をしない働き方」にも関心があるのが共通点です。
今回のイベントでは、同人誌をつくるうえでの苦しみや楽しさなど、その魅力を存分に語っていただきながら、仕事と同人誌の不思議な関係についても追及していただく予定です。
お二人のファンはもちろん、同人誌好きならぜひお見逃しなく!
【出演者プロフィール】 川崎昌平(かわさき・しょうへい) 1981年生まれ。埼玉県出身。 東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻終了。 作家・編集者、昭和女子大学非常勤講師、東京工業大学非常勤講師。 主な著作に『ネットカフェ難民』『知識無用の芸術鑑賞』(ともに幻冬舎)、『重版未定』『重版未定2』(ともに河出書房新社)、『編プロ☆ガール』(ぶんか社)、『労働者のための漫画の描き方教室』『無意味のススメ』(ともに春秋社)、『ぽんぽこ書房小説玉石編集部』(光文社)などがある。
pha(ふぁ) 1978年生まれ。大阪府大阪市出身。 京都大学総合人間学部を二十四歳で卒業し、二十五歳で就職。 できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、二十八歳のときにツイッターとプログラミングに出会った衝撃で会社を辞めて上京。 それ以来毎日ふらふらと暮らしている。 シェアハウス「ギークハウスプロジェクト」発起人。 著書に『どこでもいいからどこかへ行きたい』『持たない幸福論』『がんばらない練習』(以上、幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)などがある。
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1500円+ドリンク500円(ともに税別) ■当日2000円+ドリンク500円(ともに税別)
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kariyado-lab · 5 years
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第7回 ちょっと一旦止まって、今までを少し考えてみよ。そしてまた、やってみよう。
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第7回 ちょっと一旦止まって、今までを少し考えてみよ。そしてまた、やってみよう。
時折じわーっと汗をかくようになってきた。 6月になり徐々に夏本番の暑さがやってきたなと、外を歩いていると感じるようになった。まだ後を引く爽やかな春の風が後ろ髪を引かれるように吹いてくる。とても心地のいい季節がやってきたな、そう思う。
2019年6月6日、もう今年も半分を過ぎてしまう、そんなことを考えながら第7回目のワークショップデザイン+メディアコミュニケーションの講義が始まった。今回は2時限まるまる「省察」の時間だった。前回の省察だけの振り返りは第4回目の講義、演劇ワークショップを2つ行った後であったが、今回は2つのダンスワークショップ後に一度振り返ってみようと始まった。
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ではどうして、振り返るという時間が必要なのか。
それはメタ的な視点で過去の自分の行いを確認して、その当時の自分を振り返ったときに、どのような認知行動をしていたのか、自分でその時の自分の行為を定義付けて行く。同時にそれに対して意味付けを行い、あの時に自分はこう感じていたな、その時あなたはこう見えていたよ、などとお互いに自分たちが感じていたことを意見として交換し合い、新たな自己を探って行くという趣旨のもとに行われる。
それが、自己を客���化する視点を得るために必要なのだ。自己の認知行動を把握して自分の状態を外在化された自分が見る。そのような視点に立てると自分の今まで見えていた自分、とは全く別の自分が立ち上がってくる。しかしその自分も、言ってしまえば自分が言語化して意識的に気付いていなかっただけで、それが存在しなかったわけではない。
そしてそのような客観化された自己を見つめる視点を得ることが、ただ漠然と良い就職先を探すこと以上に大切なのではないかという仮説のもと、この講義の「運営」全てがデザインされている。自分の幸せとは何かを問わずに社会の要請で新幹線に乗っているかのようなスピードで日々を過ごさざるを得ない今の世の中と向き合う前に、まずは自分ととことん向き合おう、そのような思想なのだと思う。
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今回の講義はまずは苅宿教授の座学的なモノから始まる。今までのWSや講義を振り返って、受講されている学生たちのリフレクションシートをもとに、苅宿教授がそこにどのような視点、デザイン、学びが含まれているか。またどのようなことを学生たちに気付いて欲しかったか、という狙いを様々なキーワードをもとに解説して行く。それはまさに苅宿教授自身がこの講義を「客観的に捉えて語る」という手法を学生たちに見せている、というものになる。
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ある学生のリフレクションシートにはこう書かれていた。
「私は普段人見知りで一人でいることが多い。たしかに一人でいると気が楽である。しかし、自分の軸でしか物事を考えたりしないため、いつも同じ考えがぐるぐるしているように思う。その反面、友達を作ると気を遣ったりして、窮屈に感じることもあるが、色々な考えに触れることができ、新しい考えが浮かぶことがある。友達という制限が新しい考えの幅を広げたと感じる。
中略...
人と交わりコンタクトすることは可能性を広げる、とても重要なことだとダンスのワークショップで学んだ。」
苅宿教授は言う。学生の皆さんが正直にリフレクションしてくれるからこそこの講義は成り立つ。学生たちも能動的な態度で講義に向かってくれるからこの講義は成り立つのだと繰り返しいつも言われている。
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そしてこの授業の中で一番大切なことを学生の皆さんが学ばれていることに触れ、こちらの音楽動画を紹介する。
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「やってみよう」 フルver   WANIMA(YouTubeより)
これをなぜ紹介するかと言えば、このとにかく「やってみよう」という考えを学生たちが持てているからだと言う。そしてこの「やってみよう」と考えられることが何より大切なのだと。
ここに歌詞を転載させていただく。
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アーティスト:WANIMA
作詞:篠原誠
作曲:TRADITIONAL(PD)「ピクニック」をアレンジ
編曲:WANIMA
正しいより 楽しい 正しいより 面白い
やりたかったこと やってみよう|失敗も思い出     はじめよう やってみよう誰でも最初は 初心者なんだから やったことないことも やってみよう 苦手な相手とも 話してみよう 知らなかったこと 見たことないもの あたらしい 楽しい 悲しいときは 笑って 寂しいときは 声出して 雨はいつまでも 続かない 土砂降りも楽しもう 踏み出そう よじ登ろう 高い山ほど 絶景が待ってるから
遠回りの道を 選んでみよう 険しい峠には 何かがあるさ ありえなかったこと 出会わなかった人 あぶなっかしい 楽しい 振り返るより 振り向いて 掘り返すより 掘り出して 過ぎた話は ほどほどに 今の話をしよう
恐れず 迷わず
同じ今日という日は 二度とないんだから
明日よりも今日に はじめよう 知らなかった自分と 一緒に走ろう 思い立った日が 思いついた日が そこが スタートだ 青いより 青い 空もそうさ
同じに見えて いつも違う どんな人だって同じじゃないさ 空気なんて読まない やってみよう
正しいより 楽しい やってみようか 倒れるなら 前に倒れよう やって後悔などすることないさ 理由なんていらない
やってみよう やってみよう やってみよう やってみよう やってみよう
(au youtubeより引用)ーーーーーーーーーーー
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ただのCMソングだと侮ってはいけない。今、この世の中で必要なんじゃないかと思われる要素がこの歌詞の中にふんだんに含まれている。そしてこの「やってみよう」の精神がこのワークショップデザイン+コミュニティマネジメントの講義でそれなりに学生たち自身の中に培ったものとして体感できているのではないかということをリフレクションシートから、苅宿教授は感じている。
「あまり気の進まなかったダンスも、やっているとダンスなのかどうかはわからないけれど、とにかくやっている中で楽しく感じていた。何事もやってみることから始めないと感じた。」
というような学生たちからの反応がかなりの数、この4つのワークショップの後に確認できた。
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そして次は苅宿研究室ゼミ生から、受講学生への感想と振り返りだ。 授業中やワークショップ中、実は彼らは「グループ追い」と言ってiPhoneを駆使してそのグループを映像で記録している。もっというと、「デキゴトカメラ」という苅宿研究室特性の映像記録アプリを使って、日々研究のための映像記録を行っている。録画をしている中で気になる瞬間があれば映像内にその瞬間のその箇所に印を埋め込むことが出来る仕様になっていて、研究用にはとても重宝する。
そしてこの振り返りの時間では、その撮影された記録映像と共に、外から「研究する立場」で見ていたゼミ生が、「あの時、◯◯さんはこういうことをしていましたね。その案はグループの活性化に寄与したとても良い創造的な瞬間だったなと思います」などなど、外から見ている立場だからこそ、そのグループ内で何か発展を生んだ瞬間を指摘する。それに対し受講している学生たちも新たな気付きを与えられる可能性がある。そこにさらにゼミ生たちは受講学生たちのグループのそのような活動を研究者的かつファシリーテーターの目線で見ることで、組織がどのようなことをしていくと円滑に物事を前進させることが出来るか、ということを学んでいる。これこそが苅宿研究室とこの授業を受けられている学生たちとで作る、多層的な学びの場となっていて、これを苅宿教授は自らのデザインで提供されている。そしてこれこそがこの授業の醍醐味とも言える。
ちなみに彼ら、ゼミ生の日常の断片を載せているinstagramアカウントがこちら。
@kariyadolab
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もしinstagramをやっているという方がこのブログを見ていたらぜひフォローをしていただきたい。この講義の裏ではゼミの学生や研究生たちがどのような活動をしているかが垣間見れる。
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ここで研究生の望月さんがこの後にやるワークを説明する。望月さんはいつも説明が上手なのだ。順序立てて考えることがもとから得意なのだと思うがいつもいつもすぱすぱと緊張もせずやり遂げてしまう。その能力はおそらく前職の東京ガールズコレクション統括で培われたものなのではないかと想像する。
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それはおいておいて、次にやるワークはこのようなものだ。この講義内では各々学生たちは10グループ分けられて活動をしている。そして今回、そのグループでの活動を振り返り、自分たちのがグループにキャッチコピーを付けて行く、と言うもの。そのためにも今回は、各々が自分のグループに対して感じたことを言語化してそれをポストイットに貼付けて行く。これはKJ法というやり方を真似ている。つまり、物事の本質を捉えるために思いつくままに小さなものでも良いからアイディアを並べて行き、それをもとにカテゴライズして行く。そして大きく類型してその言葉を別けた後に、その目的にもよるのだが、何がその目的遂行のために大切なのかを抽出して行くブレインストーミングの方法だ。
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今回の場合はグループの特徴を考えて最終的にグループのキャッチコピーを考えて行くと言うものだが、このような思考活動を通して、メンバー間の関係性もそのアイディアにも現われてくる。そういう意味で自己と他者を考える上でとても面白い活動だ。
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またご覧のように、このワークは今までの机ではなく、コミュニケーションをさらに親密な状態でやってもらうためのツールとして「えんたくん」を使っている。円卓型の段ボールに模造紙を貼り、上になんでも書けるようになっている。これがまた会話を活性化させる、シンプルでいてとてもよく考えられた机なのだ。そしてこのえんたくん、大学院生の青木くんが授業前に手作りしている。
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そしてキャッチコピーも完成したら、次はそれを他のグループの学生たちにプレゼンをしてもらう。「自分たちのグループは◯◯というコピーになりました。これはメンバーが◯◯だからです」といったものだ。
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自己紹介ではなく、グループ紹介、というものをやってもらう。これもただグループ紹介をやる、というものに見えるが、教育的観点で見ると、自分たちグループのやっていることを客観的に見て、そこに意味付け定義付けをして、それを他者に紹介するというカタチをとることで言語化して行く作業が入り、
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そしてそれが終わったら各自グループに戻り、自分たちのグループの紹介を一分間、ゼミ生が撮っているiPhoneに向かってプレゼンしてもらう。
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そしてやり終えたグループから休憩に入る。ここで私も、ブログを書く休憩を取らせてもらう、、、
皆さんもぜひ水でもお茶でも飲みながらゆっくりとゆるりとこのブログを読んでいただけると助かります。
(そしてすみません、本当にここで睡眠取りました)
さて、休憩空けは座学から始まる。
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どうしてこのワークショップ的な考え方が今のこの日本社会、世界の中で必要とされるのかを苅宿教授の考え方をもとに、映像資料やグラフを見ながらたどって行く。ここではNHKで放送された『欲望の資本主義2018』をもとにこれからの社会がいかに経済格差を広げるか、またその中でどのような分断がこの世の中で蔓延していくかを問う番組を紹介した。
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例えば番組内のこの表。 世界のたった8人の総資産が世界の人口の半分の人間の総資産と同じだったりする。これはまさに今の世界の状況で、持つものと持たざるものの差をテクノロジーの発展がさらに押し進めているのではないかと言う問いだ。そのテクノロジーとはAIなどの人工知能を搭載した機械だ。
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そして別の番組の中から働き蟻がどのような特性を持っているかを研究した学者の話が紹介される。とりわけ興味深かったのは働き蟻は巣の中の全80%程に過ぎず、その他の20%の蟻は働いていないのだと。ちなみにその80%の中でも20%はよく働き、その他の 60%は普通に働くレベルだそうだ。
そしてさらに、今度はその働いている80%の蟻を別の巣に移した場合、どうなるか。
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なんと、働いていた蟻も、別の巣に移された瞬間、元いた巣と同じ割合の2:6:2の良く働く、普通に働く、全く働かないという具合に調整されるのだ。これがもし、人間社会だったらどうなるか。特に今の資本主義経済をもとに考えた日本社会で起きていたらどうなるか。ニートの方やご病気を煩われた方を、障害を負われてる方、最近ではLGBTの方。そのような方々が今、日本では「生産性がない」と言われているのが現実だ。働けないから生産性がない。子どもを産めないから生産性がない。
とても信じられない悲しい言葉だが、それが日本の中でも出てしまうのだ。生産性で人間の価値が決められてしまったらこの世界はどうなってしまうのか、、、
しかし、蟻の社会では決して働かない蟻は、排除されない。 排除されないどころかそれが許容されている。その蟻たちは何をしているのか。それは働かけない蟻が出てしまった場合に備えているというのだ。
2割の良く働く蟻たちが疲れてばててしまった。まずい。巣の中の安寧が保てなくなる。となった時、ついに重い腰を上げて働いていなかった蟻たちが働き始めるというのだ。
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この「働きアリの法則」こそが蟻の社会の存続に深く関わっていたというのだ(しかし、中には本当に働かない蟻もいる可能性があるらしいがこれはまだ仮説の段階で、証明はされていないと言う)。つまりは、持続可能な長期的な社会を考える上でこの蟻の生活はとても意味があるというのだ。人間社会のいわゆるブラック企業と呼ばれる存在の会社(ちなみにこの「ブラック」という言い方にもとても差別的な表現があるとして昨今では問題になっている。そのためこの後にはこの言い方をしない)。
高度プロフェッショナル制度導入後の「働き方改革」の一環で、日本の労働環境は大きな転換を迫れた。先に述べたような人間を会社のコマのように働かせる企業をなくすために、労働時間をしっかりと会社側が管理し、残業をなくす努力をしないと会社としての評価が得られない状況を作られた。良いことのように思われる。がしかし、一方でその弊害として、例えば今までと同じ仕事量なのに時間を短縮させられている職場環境もあり、さらには残業し残業手当を自分の賃金として宛てにしていた労働者からすると、それを得られず、かつ仕事量だけ時間内に納めないといけない状況というのも出てきている。これは私の知り合いの職場での実情だ。
話は逸れてしまったが、人が働くとはどういうことなのか、人は何のために働くのか。それを大学生は一度考えてみてから就職活動に入ってみるのも手かもしれない。現に私はそうした結果、写真家という道を歩んでしまったのだけど。
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そして話は変わって、ケネディが暗殺された日に、最後に身につけていた、演説で語ろうとしていた言葉が紹介された(『映像の世紀』 プレミアム 第8集「アメリカ 自由の国の秘密と嘘」)。1963年11月22日に起きたその出来事はアメリカ社会、ならびに世界を震撼させたのは言うまでもない。
その読まれることのなかった言葉がこれだ。
「この困難に満ち溢れた複雑な世界を 物事の真理を学ぼうとする光によって 導いていかなくてはなりません さもないと嘘と現実を混同する者達が 一見すると素晴らしく思える解決策を振りかざし 人々の心を支配するでしょう この国、この時代に生きる私たちは 世界の自由を守っていかなくてはならない」
確かにこの言葉は強い。21世紀の1/5が過ぎようとする中でもとても意味がある言葉だ。まさか60年近く前に読まれようとしていた言葉とは思えないほど人を惹き付けるものがある。
しかし、これを読もうとしていたのはケネディなのだ。他でもない、ベトナム戦争を始めたアメリカのケネディなのだ。アイルランド移民としての背景を持つケネディ。アイルランドはその昔、大英帝国からとても虐げられた歴史を持つ。そのアイルランドを背景に持つケネディがどうやってアジアの小国を虐げて行くのか、その歴史を学ばなかればならない、とは思う。
また話が逸れてしまった。
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要は(どこからの要はなのか、もはや脈絡ない、、、)コミュニケーションの場作りとなるワークショップデザイン+メディアコミュニケーションを通して、この個人が自己責任で選ぶことを求められて行く社会に対して抵抗して行く、そのような営みがこのワークショップなのだと思う。
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ここからはまたモッチータイム。 研究員のモッチーが「能力仮説」という考え方を紹介し、「自分」という存在をどのように考えて行くかという話をして行った。
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多少KJ法とも被る考え方だが、このように自分の定義を広げて行って、自分の中に多層的な考え方が存在するということを視覚化して行くのだ。
そして今回もいよいよ、ポートフォリオ制作の時間へと入って行く。
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これが今回の講義の流れだった。
座学としての省察の時間で思考し、体験活動してのワークショップで身体的にも新たな学びを築いて行く。その結果、新たな自己に気付いて行くという複合的な学びがここに来てようやく見えてきたのではないかと思う。
さぁ次回は”逆転時間”と言うもう、苅宿ゼミ一期生である私からしたらとても懐かしいアプリケーションを使ってのワークショップ。どうなるか、今から楽しみである。
ではまた次回。
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mayumiura · 6 years
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「SNEP(スネップ)」という言葉を耳にしたことがあるだろうか?  経済学者の玄田有史・東京大学社会科学研究所教授が提唱した言葉であり、「孤立した(Solitary)」「無業の(Non-Employed)」「人々(Persons)」の略語だ。「20~59歳の、結婚したことがなく、学生でもなく、家族以外との人づきあいがない、孤立状態にある無業者」と定義されている。推定では160万人以上もいるという。 「中高年ニート」よりも年齢層が広く、孤立無業状態にある人たちをあらたに総括した形だ。課題も見えてきた。SNEPがそのまま年を重ねた時、やがて親はいなくなり、貯金も尽きる。場合によっては。生活保護を受ける可能性も出てくる。
仕事、友達、配偶者なし… 「SNEP」を知っていますか?〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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yomirenshuu · 8 years
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新聞記事 18歳をあるくpart2
it’s been quite a while since I posted the first part of this article,so you might want to read it again
It’s about the concept of family. so far a international family, a single parent family and a lesbian mothers and children family have been covered.
next up is some data
I probably post as a part 3 some more fun stuff I actually haven’t read so far, so I don’t really know what it’s about ;) but the article started off interesting, so I think it’s gonna continue that way :) 
to make sure you can read everything in the pictures I’m gonna upload I will describe what kind of data and whose data it is by transcribing the text in the images. that’s probably gonna turn into a pain in the ass later on, but so I can make sure, you can look up any word you might not know, by copypasting it into your dictionary. 
have fun practicing:
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here we have data by the 厚生労働省 (Ministry of Labour, Health, and Welfare) and data by the 明治安田生活福祉研究所(Meiji Yasuda Institute of Life and Wellness). I can’t really tell what きんざい means here. Is it just 近在? or is it the 金融財政事情研究会, the Kinzai Institute for Financial Affairs? I guess not, because why would this institute run such a survey? I guess it’s just 近在.
well anyway, on the left we have a graph about 子ども(18歳未満)のいない世帯の推移.
on the left we have a bar graph about 高校生から見た親との関係
the bars represent the relationship of sons and daughters at highschool age with their father and their mother and the quality of the relationship is split up in 「とても良好」「どちらかと言えば良好」「どちらかと言えば良好でない」 and 「全く良好でない」.
you can ignore the header in the bottom left corner for now.
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next up we have some thoughts on what kind of thing family is, the result of a survey run on the twitter account of 朝日新聞 targeted answered by 18 and 19 year olds:
家族
どういう存在?
・皿gsつながっているいないに関係なく、自分以外の人と生活を共にしている
・落ち着ける、安心できる
・帰る場所
・厄介だけど離れがたい
・一緒に住んでる他人
・仲良し
・帰る先が同じ人々
・互いに支え合い、許し合い、助け合うもの
・大切
・本当につらいときに助けてくれる最後の頼みの網
・依存できる場
・互いを認め合いながら、ともに高め合うことができる集団
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data on top is provided by the Yasuda Institute of Life and Wellness, the ones on the bottom are provided by the Ministry of Labour, Health, and Welfare.
We have information on 「親との外出に抵抗がない割合」, 「ひとり親家庭の推計世帯数」and 「日本で国際結婚したカップルの数」.
we have numbers on sons and daughters who aren’t reluctant towards going somewhere together with either father or mother (父親/母親との外出に抵抗なし). the data is further split up in 娘/息子と同年齢のころの親 (I don’t really get what that’s supposed to mean, anyone?) and 高校生の娘/息子.
the data on the bottom left is divided into 母子家庭 and 父子家庭 and numbers from 1983 and 2011 are compared
the data on the bottom left compares numbers from the previously stated years as well.
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next up we have a timeline about 「家族にまつわる出来事」spanning from 1947 to 2016
1947年 第1次ベビーブーム(~49年)
1948年 民法改正、家制度廃止
 小津安二郎の映画「東京物語」(53年)
1955年 日本住宅公団設立
 電化製品の三種の神器(50年代後半)
1961年 配偶者控除の制度導入
1964年 東京五輪
1967年 人口が1億人超える
 テレビアニメ「サザエさん」放送開始(69年)
1970年 ファミリーレストラン1号店開店
1971年 第2次ベビーブーム(~74年)
 即席麺のCM「わたし作る人、ぼく食べる人」(75年)
1979年 国連で「女子差別撤廃条約」採択
 家庭内暴力が社会問題に(80年代)
1983年 東京ディズニーランド開園
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1986年 男女雇用機会均等法
 防虫剤のCM「亭主元気で留守がいい」(88年)
1989年 国連で「子どもの権利条約」採択
1991年 バブル崩壊(~93年)
1992年 育児休業法
1994年 高校で家庭科の男女共修が始まる
1996年 「選択的夫婦別姓」の民法改正案
1997年 共働き世帯が専業主婦世帯を上回る
 「引きこもり」「ニート」が社会問題化(90年代後半)
1999年男女共同参画社会基本法
2001年 ドメスティック・バイオレンス(DV)防止法
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 「負け犬の遠吠え」ベストセラー(04年)
2005年 合計特殊出生率が過去最低の1.26
2007年 年金の夫婦分割制度開始
 草食男子(09年)
 イクメン(10年)
2012年 自民党が憲法改正草案。「家族は、互いに助け合わなければならない」
 是枝裕和監督の映画「そして父になる」(13年) (great movie!)
2013年 安倍首相「女性が輝く社会」を掲げる
2015年 東京都渋谷区が同性カップルを「結婚に準じる関係」と認定
 匿名ブログ「保育園落ちた日本死ぬ!!!」(16年)
-taken from the 12/18/2016 issue of Asahi Shinbun
that’s all for today, there’s still a lot of text to read left. I’ll do this some other day. Peace out
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monyokato-blog · 8 years
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甘え方がわからない
「甘え」という言葉はよく耳にするし、 使っていることもままあると思う。
「誰かに甘えたい気分」だとか、 「私は甘えるより甘やかすタイプ」だとか、 「術は甘えなので縛り対象」だとか。
そして私自身「甘え」ることが苦手だと自覚している。 もっと言うと、具体的に何をすれば「甘え」なのか理解していない。
そもそも過去云年間、 「甘え」という言葉に、しっかり向き合って考えたことがあるだろうか。
 ◇
「甘え」という言葉が使われている場面を考えてみると、 否定的な意味合いが色濃く出ているなあ、と思うのである。 字面ではこんなにスウィーティーなのに。
甘えることは悪いこと。 もしくは、子どもだけのもので、通常大人はしていないこと。 甘えることは構わないが、時と場所と頻度を選ぶべきであること。
しかし、そのような「悪」でありながら、 「甘えること」「甘えられること」は多くの日本人が求めているように思える。
 ◇
それでも何故「甘える」のか。 そもそも「甘える」だけが目的なのか。
恐らく「甘え」は「承認」とセットとなっている行為なのだと思う。
中には「今の私は甘えているので叱って下さい」という剛の者も居るかもしれないが、 基本的には、甘えている自分をも可愛がって欲しい、承認して欲しいという思いだろう。
では逆に考える。 「甘えていない」ときの自分はどうなのか?
 ◇
一旦話を脱線する。
努力しても何ともならないと思うし、なったとしても労力に見合った成果が得られそうにない。 だから私は、なるようになった結果、ありのままを受け入れようと思う。
大学時代に、大凡こういった内容の発言を、恋人にした記憶がある。 そしてコレを「甘え」だと言われ、確かに君の言う通りだよ、と返したと思う。
いや、私にとっては熟考の末の「選択」であったつもりなのだ。 だから「甘え」と一言で表現され、よくわからない抵抗が心の中にあった記憶がある。
言うまでもなく「甘える」ことも選択の1つである。 甘えずにいられる場面で、意識して「甘える」ことを選択する場面というのは、 世の中にそれなりにあるんじゃないかなあ、と想像する。
では何故、私の中で引っ掛かりを覚えたのか。
恐らく私は「承認されたい」と思っていなかったのである。 その「選択」を、恋人にも社会にも、理解して貰おうと考えていなかったのだ。
恋人はそれを「甘え」だと感じた。 「社会的には許されないこと」だと考えたのである。
 ◇
つまりは、 「甘えていないときの自分」は「当然承認されるべきもの」なのである。
自分の中に「本来承認されるべきでないもの」が存在するからこそ、 「甘えたい」といった感情が生まれるのだろう。
 ◇
さて、話をもう1度脱線させる。
Twitterと重複になる上、主題にも違いがあるので、 別記事にするか悩んだのだが、まあここまで読んだなら見てってよ。
電通に入るようなエリート層は「降りたら死ぬ」ゲームを生きている - トイアンナのぐだぐだ http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629
タイムリーな時期(?)にも1度読んだのだが、 今日もう1度読み返してみると、なんとなく以前より思うところが多かった。
 ◇
私は何度も言っているが、人生を「諦めた側の人間」である。
そして、明確に「ドロップアウトしたな」と感じた瞬間を、 Twitter上で、リアルタイムで語っている。
それは、 230人程度の学年のテストで、200番以上も順位を落としたときでもない。 大学で2回留年し、当初は後輩だった子が研究室の先輩になったときでもない。 就職先が決まらず、ニート(?)しながら塾講師のアルバイトをしていたときでもない。
工場勤務するのを決めたときである。
いや、当時も言ったが、工場勤務の方を須らく馬鹿にしている訳ではない。 立派な仕事の1つだと思うし、あの経験には大いに感謝しているのだ。
別の言葉で表現するのが難しいのだが、 「私は一生このまま生きて行くんだろうな」ということを、 自分自身で決定した、みたいな感覚があったと思う。
 ◇
工場勤務は、まあ、体力勝負だった。
私は身長もそこそこあり、勤務時間も長く、若かったのもあったのか、 ベテランの男性陣に混じって、搬送等をする部署に所��していた。
たまにライン作業の手伝い等もあり、そのときは数時間同じ場所に立っていたが、 基本的には朝から夕方まで、ひたすら何かを搬送するために動き回っていた。
一番驚いたのは、同じく搬送をしていた男性陣の、元SE率の高さである。 どこどこでプログラミングをしていたが、数年前から、といった方が多く、 何と言うか、とても理系の集団だったのだ。
 ◇
そして、全く意図していないタイミングで、別のところから声がかかり、 工場勤務を辞めようと思います。と言ったときのことが、一番印象深かった。
曰く、 俺達はみんな、最初からこの仕事をしたい、なんて考えてない。 誰もが、こんなはずじゃなかった、という思いを抱えて、 それでも生活の為、何年も、何十年もここで働いているのだと。
勿論、誇張も含まれているだろうし、 隣の部署のお姉様は、子どもが学校行ってる間、家計を助けちゃうぞ☆ くらいの気持ちであり、そこまでの思いは持っていなかったかもしれない。
けれど、世の中には、 「こんな人生を送るはずじ��なかった」と思いながら、日々を過ごしている、 そういう集団? コミュニティ? があるのだと、生の言葉で感じたのだ。
それはきっと、私が工場勤務を決めたときの感覚と、ほぼ同じだと思う。 「こんなはずじゃなかった」と思う。けれどそれを選択する。 その瞬間を、私は「ドロップアウトした」と感じたのだ。
 ◇
先に挙げたブログ記事の「降りたら死ぬ」レベルとは、大きく違うとは思う。
私の場合に当て嵌めてみると、 中学校前半まではそれなりに物を知っていて、賢いと褒められることも多く、 親類に将来を期待されていた、一応「エリート側」に生きていたと思う。
けれど実際、テストでの順位を200番くらい落としており、 エリート街道としては、ほぼ間違いなくそこで「転落」しているのだ。
いや、高校・大学と、それなりには名の知れた学校には入れたし、 そこでの努力次第ではまだまだ巻き返せる、そういう思いが親にはあったかもしれん。
けれど私は、そこで頑張ろう、とは思っていなかった。 人生の「目標」に、しっかりとした就職が含まれていなかったからである。
 ◇
エリート街道を生きよう、自分にはこの道しかない、と思っていたのであれば、 十数年早く「ドロップアウト」したことを肌で感じたかもしれない。
或いは、スポーツ選手になりたい、と夢を抱いていた場合であれば、 就職よりも早期に資質が分かってしまうものであるため、余計に早く感じ取れるかもしれない。
私がドロップアウトしたな、と感じた明確な理由は、現在でも解らないのだが、 恐らく「こんなはずじゃなかった」と思うような人々が行くような場所、というのを、 なんとなく感覚で掴んでいたのかもしれない。
親としては「他の職業が決まるまでの繋ぎ」と思っていたかもしれないが、 私自身は、1度「失敗した人」のルートに明確に乗っちゃうと、それで終わりよ、と愚痴った気がする。
まあ、下には下がある、というか、 現在以上に、もっとドロップアウトもできるんだろうな、とは、 ほんのり考えないでもないんだけど。
けれど、それなりに大きな一線は、踏み越えた気がするなあ。
 ◇
さて、やっと本題である「甘え」についての話に戻る。
私は何故「甘える」ことが苦手なのか。
私なりの答えは、 「承認されるべき自分」を持っていないからである。
本来承認されるべきでない「甘えた自分」は、 本来承認されるべき「甘えていない自分」と、 対比があって、初めて存在し得るのだ。
文章などで「私の能力の一部を評価されたい」という思いはあっても、 「私そのものは承認されるべき存在でない」と思っている。
だから、甘えられないのだ。 他者に私自身を承認されても「それは違う」と、 自らの価値観が拒否反応を示す。
人間の体温を感じたい、と思うこともあるが、 その単なる肉欲を、普段から隠して生きようと思っていない。
「甘えない」ことによって得るものがない。 だったら、敢えて「甘える」行為をする意味がない。
もう1つの見方もある。 単に「これ以上他人に甘えることができない」のだ。
「他者に承認されるべきでない自分」を常に表に出して、 その状態でのうのうと、恥知らずに生きていける。
言うならば、 「甘え方がわからない」のではなく、 「甘えっぱなしで生きている」のである。
もしそうだとしたら、 「甘え方がわからない」なんて、 かなり滑稽なことを言っているような。
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