TULIPAHAN KÄÄRITTYÄ-その3
Helsingin Sanomat(ヘルシンキ新聞)が別冊号として発表したカーリヤ特集記事を、英訳→和訳しています。
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以下和訳ーー
2023年12月14日
YLEスタジオ
ヘルシンキ
イェレ・ポウホネンは、パシラにあるYLE(*フィンランド国営放送)スタジオの迷路のように入り組んだ廊下を歩きながら笑いそうになっていた。
「待ってくれよ、今から始まるのか?去年のことは全部ただの夢だったのかよ?ってね」
ポウホネンは、"カーリヤ狂騒曲"が始まった場所――UMK(*ユーロビジョンのフィンランド国内予選大会)のリハーサルへと戻ってきていた。
120本のライブをこなした1年が終わろうとしている。クリスマス前までにもまだいくつかのライブが残っており、元旦にはヘルシンキ カンサライストリ(市民広場)での年越しカウントダウンライブが控えていたが、その後はライブの休養期間が続く。春の間、カーリヤのライブは1本のみだ。
ポウホネンがパシラに戻ってきたのは、エリカ・ヴィクマン(*フィンランドで人気のセクシー系女性歌手。過去にUMKに出場し人気に火がついた)とコラボした彼のニューシングル"Ruoska"を2月のUMKの決勝で披露するためだった。
これまでのところ、"Cha Cha Cha"後にリリースした"It's Crazy, It's Party", "Huhhahhei", エラスティネン(*フィンランドの人気ラッパー)とコラボした"Toiset samanlaiset"、いずれも大きなヒットには至っていない。
だがそれでも彼は心配していないのだという。
「もちろん、来年には新曲が1曲でもSpotifyで1位になればいいなとは思います。そうすれば、("Cha Cha Cha")1曲だけに頼ってツアーをしなくてもよくなりますし。明らかな成功が得られないようだったら、次の作戦を練らなきゃいけない。でも、エラスティネンが、今はとにかく車輪を回し続けることが大事だとアドバイスしてくれました」
先週、ポウホネンは大統領主催の独立記念日祝賀会に招待された。とても奇妙な体験だったという。
「サレ(当時の大統領サウリ・ニーニストの愛称)から招待を受けたのは大変光栄でしたし、祝賀会では素晴らしい出会いもたくさんありました。でも僕はあの場で、ただの写真要員に過ぎなかったんです」ポウホネンは言う。
「多くの人が僕と写真を撮りたいだけなんだと。もちろん嬉しいことでしたが、僕自身は十分にパーティーを楽しめなくて。最後には静かにフェードアウトしました。ボディーガードと一緒にホテルに帰って、ワインを飲みながら、今夜は何だったんだろうなぁ、と考えていました」
この1年、ポウホネンは、フィンランドのセレブ界のトップに属する事がどういう事なのか、いろいろと考えさせられた。
「正直に言うと、みんなの注目を浴びることは僕にとって何の意味もないということにすぐに気づいたんです。みんなで写真をとることもちやほやされることもクールではありますが、結局のところ、本当に必要なのは身近な人からの愛だけなんだってね。誰かといるときは、これ(称賛や注目)はイェレが受けているものではなく、カーリヤが受けているものなんだってことを忘れないようにしないと」ポウホネンは言う。
教訓を得たのは彼だけではない。
「やり方がよくなかったとまでは言いませんが、もう少しセンスのあるやり方があったかもしれない…例えばライブのブッキングについてとか。実際、こんなやり方をして心の健康を損なってしまったら、名声があったって何もできなくなってしまいますから」
チーム・カーリヤにもいくつかの変化があった。
以前ワーナーで国際的プロジェクトに携わっていたニラナンダ・ランキが、新たな広報担当になったのだ。彼女はまさに今、UMKの会場で、ポウホネンが"Ruoska"のリハーサルをするところを見守っている。
自身もアーティストとして知られるカッレ・リンドロスもA&R(*アーティスト・アンド・レパートリー。アーティストの発掘や育成、PRなどを一手に担う)としてチームに加わり、カーリヤのキャリアプランニングに携わっている。
ビジネス面で、整理しなければいけないことは山ほどあった。
2023年のはじめ頃、ポウホネンはPaidatonriehuja Oyという会社を設立した(*Oyは有限会社の意。"Paidatonriehuja"は"上半身裸の暴れん坊"という意味で、カーリヤを象徴するワードとしてSNSのアカウント名に使われているほか、同名の楽曲も作っている)。
彼は特に経理面で、様々なことを学ぶ必要があった。
以前のポウホネンの年収は2万ユーロ(約300万円前後)以下だったので、ライブのギャラはタックスカード(*年収や税率等が記載されたもの)を使って請求することができた。今は、将来に向けてこれまでとは違ったプランニングが必要となる。欲だって出てきた。
ポウホネンの計算では、"Cha Cha Cha"のストリーミング配信だけで、これまで少なくとも6万ユーロ(約990万円)稼いだことになる。それに加えてライブのギャラや、ほかの楽曲の収入、そして高額なスポンサー契約もある。企業との広告タイアップでは、10万ユーロ(約1,600万円)の契約を目指す。
そしてもうひとつ、驚くべき稼ぎ方がある。Onlyfansだ。
昨年末、ポウホネンは有名なアダルトコンテンツのプラットフォームであるOnlyfansに自身のアカウントを開設すると発表した。ファンは月額料金を支払うことで、彼の限定コンテンツを見ることができる。(*Onlyfansは元々はクリエイターが様々なコンテンツをアップしてお金を稼ぐことができるサイト。セックスワーカーなどポルノ系ユーザーが大半を占めるためアダルトコンテンツとされる。)
ポウホネンの場合、提供するのはアダルトコンテンツではなくおもしろ動画で、アドベントカレンダーの形でスタートした。
月額料金は約40ユーロ(約6,500円)と高額だったが、この企画は成功した。ポウホネンによれば、12月だけで収益は4万ユーロ(約650万円)に達した。
彼は、Onlyfansの盛り上がりが続くとは思っていない。
「課金してくれた人の中には、ちんこ出してないじゃん!って離れていく人もいるんじゃないですかね」
ポウホネンは、ミステリアスな"Häärijä(ハーリヤ)"とともにOnlyfansのコンテンツを作成している。
ハーリヤは、カーリヤの「ドッペルゲンガー」としてカーリヤのSNSに現れ始めた。夏以降、ハーリヤはカーリヤのライブのインターバルを盛り上げる存在としてライブに登場している。ハーリヤもまた、絶大な人気を誇るキャラクターだ。彼の最大の特徴は、一言も喋らないことである。
ハーリヤの本名はトミ・ハッポラ。実生活ではフィットネスインストラクターとして働いている。ハーリヤとカーリヤは友人であり、年明けには一緒に旅行に行くつもりだ。ポウホネンは、1月は完全なオフにして、何もしない予定だという。
「1か月ぶりにスマホの電源を切って、SNSも更新しないつもりです。まあ本当は、"カーリヤ"のことを忘れて一息つくことが少し怖いんですけどね」
2024年2月10日
UMK決勝
タンペレ
タンペレのノキア・アリーナは2021年に竣工した。
だがロシアによるウクライナ攻撃が始まり、それにともなってヘルシンキのハートウォール・アリーナが使用されなくなった(*少数株主に名を連ねていたロシア人がプーチン大統領と近しく制裁リストに加えられた)ため、タンペレの新しいアリーナはとても重要な建物となった。
フィンランド人は、2024年5月のユーロビジョン・ソング・コンテストがここで開催されることを夢見始めていた。フィンランドが優勝することを期待して、周辺のホテルは予約で埋まっていた。
ユーロビジョンがノキア・アリーナで開催されることはなかったが、UMKがタンペレのこの大きな会場で開催されることになった。
ドレスリハーサルまで1時間を切り、アーティストたちのダイニングエリアはざわざわとしていた。ある人物は、すでにその光景を見たことがあった。彼はゆったりとブースに座り、穏やかに食事をとっていた。
イェレ・ポウホネンの満面の笑みは、昨年の優勝者は今回、何のストレスも感じる必要がないことを物語っている。
「この出演を、僕は休暇と楽しみの延長としてとらえています。もちろん、自分の仕事はき��んとこなします。エリカと一緒にステージに出て、素晴らしいハーフタイムショーを見せなければ。でも、何のプレッシャーもなくこのステージにあがることができるのは、素晴らしい気分です」彼は言う。
カーリヤとヴィクマンのコラボ曲"Ruoska"は熱狂とともに迎えられた。この曲は"Cha Cha Cha"以降初のヒット曲となるだろう。
次のUMKの勝者が決まったら、ポウホネンは彼らの優勝後すぐにメッセージを送るつもりでいる。いいアドバイスはたくさんできるが、最も重要なことは一つ。「がんばりすぎて燃え尽きないように」。
スターとなった彼自身でさえ、このアドバイスどおりに過ごすには、まだ学ぶところが多い。
「休暇中、ちゃんとリラックスして休息をとることはできませんでした」ポウホネンは認める。
以前にも同じ言葉を聞いた。1か月の休みでさえ、結局十分ではないのだ。
ポウホネンはまず、親しい人たちと一緒にタイへ旅行し、それから友人たちとレヴィへ行った。楽しかったが、十分な休息ではなかった。
そしてポウホネンは、SNSを断つこともできなかった。
「決意は初日で破れました。Onlyfansのコンテンツを作ることをやめられなかったんです。購読者が多かったので」
Seiska(*日本で言う文春のようなフィンランドのゴシップ誌)は、休暇中のポウホネンと「ブロンド美女」をパパラッチした写真を掲載した。
ポウホネンは、自分の知らないところで写真を撮られたことに嫌悪感をあらわにした。
「撮る必要があるなら、せめて僕の写真だけにしてほしい。僕の大切な人たちは、カーリヤとは何の関係もないでしょう? 彼らの写真を撮って公開する権利がいったい誰にあるのか、まったく理解できません」
ポウホネンは、自身の交際関係について公の場では発言しないと最初から決めていた
翌年の最も重要なミッションは、「よりスマートに物事を進める」ことだ。例えば、受けるインタビューやライブの本数は、理性的に判断する必要がある。
ポウホネンは、自分が許容量を超えて多くの仕事を引き受けようとしはじめたとき、彼を落ち着かせてくれる人たちが周りにいることに感謝している。
「そんなとき彼らは『もう一回考え直してみようぜ、な?』って言ってくれるんです」
ポウホネンはブースから立ち上がり、いつものボディーガード ヴェイッコ・ケルマンとともに楽屋へ向かう。
UMKの決勝は無事に終わったが、その後SNSでは、なぜフィンランドはカーリヤとヴィクマンをユーロビジョンに送り込まなかったのか、という声が沸き上がった。
答えは簡単だ。
イェレ・ポウホネンは、もう二度と今年のような年を経験したくないからだ。
2024年3月1日
サノマタロ(*ヘルシンキ新聞のオフィスが入るビル)
ヘルシンキ
フィンランドの英雄、そしてユーロビジョンのアイコンとしてのカーリヤの1年が終わった。
UMKでは、Windows95manことテーム・ケイステリとヴォーカルのヘンリ・ピースパネンが、ユーモアあふれる"No Rules"のパフォーマンスで予想外の優勝をつかみ取った。
彼らがユーロビジョンの代表となるまでの道は平坦ではなかった。二人は、ユーロビジョンへのイスラエルの関与やガザの情勢を理由に出場を断るべきか、長い間議論を重ねた。
検討を続ける間、彼らはイェレ・ポウホネンの自宅を訪ねている。
「僕は彼らに、自分の意見よりもまわりの意見のほうが大事かどうか、考えてほしかった。大会に出なければ、誰も彼らの意見を聞いてくれることはないだろうと言いました。自分の立場を主張したいなら、自分たちの足でその舞台に立ったほうがいい」ポウホネンは言う。
ラッパーは、Kuukausiliite(*この記事が掲載された、新聞の月刊別冊号)の表紙を飾る写真を撮る前に、サノマタロでタイ料理を食べていた。
ポウホネンは、イスラエル問題については特定の立場をとらないことを強調した。なぜなら、情勢について深く理解していないからだ。
概して政治的なことに関して自身に十分な知識がないと感じているので、彼は政治問題について言及することは避けたいと考えている。
大統領選挙期間中、ポウホネンは数名の候補者から支援を依頼されていたが、彼は特定の誰かを公に支持することはしたくはなかった。
ポウホネンは、ケイステリとピースパネンに、ユーロビジョンの経験は間違いなく彼らの人生のハイライトになるということをはっきりと伝えたかった。
彼にとってもそうだったからだ――たとえユーロビジョン後の1年間、時に悲しみや怒りを感じ、時に搾取されていると感じたとしても。
そして時に、嫉妬さえ感じた。例えば、自由に街を歩き回れる彼のバンドメンバーへの嫉妬。
「今にも爆発しそうな状態でした。俺たちはこうしてフィンランドを、世界中をツアーして、俺の顔がそこら中にあふれてる。俺はあらゆることに耐えなきゃいけないのに、お前らはパーティーを楽しんでるだけじゃないか、ってね」
ポウホネンは誰の事も責めたくはないし、誰にとってもこの状況は未知の領域だったと強調する。このハードな期間中、ポウホネン自身も物事についてどのように適切に議論したらいいかわからなかった。
「幸運にも、最終的にはすべてがうまく行きましたが、大惨事になる可能性も十分にありました。完全に精神をやられて、ファンを殴るような事態も起こりえたかもしれません」ポウホネンは言う。
「時々……うまく説明できないんですが、他人に対して異常なほど憎しみを抱く瞬間がありました。論理的には、僕を慕ってくれるファンの人たちが良いものだけを望んでいることはきちんとわかっていました。でも、プライバシーを完全に失ってしまったということが耐えられなかったんです」
友達同士の楽しみとして始まったプロジェクトは、いつしかプロフェッショナルなビジネスとなった。
ポウホネンは、バンドメンバーが今後も彼とともに仕事をしてくれることを望んでいる。今後どのようにギャラを分割するかについては、現在交渉中だ。この議論には苦痛が伴う。
ポウホネンには、将来に向けて様々なプランがあった。ヨーロッパを制覇することにも興味があるし、フィンランド国外をめぐる、より大規模なツアーの計画もある。アリーナツアーやスタジアムライブについての考えも頭の中を巡っている。
これらすべての想いは、長いインタビューの最後にポウホネンが明らかにした、ひとつの大きな願いに帰結する。
「『こいつは"Cha Cha Cha"だけの男じゃない』ということを、みんなに証明したいんです」
<終>
※なお、記事中に使用されていた写真をまとめてくださっている方がいらっしゃいましたので、ご参考まで!
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