ケニア 愛すべき人々 2
Life in Kenya
時間はゆっくりと流れる
ケニア人たちは、総じてストレートでシンプル、時々シャイで、外見と違って人当たりが柔らかい。
ナイロビの中心街でもそうだが、車で数時間走れば、そこには更に人懐っこい人たちが素朴に暮らしている。
妙な違和感を覚えるのは、ほぼ皆さん携帯電話を持っていることだろうか。
真っ赤な民族衣装のマサイ族が木陰でスマホを弄っていたりする。
ケニアの携帯電話普及率は100%を超えている。
一人で複数台持っている人が結構多いという計算になる。
日本と違って電電公社など存在しなかったから有線通信インフラが未熟だった分、無線通信が一気に普及した。そのスピードは日本の比ではない。日々の連絡から送金まで、スマホが暮らしに溶け込んでいる。
たとえば、遠い村に住む家族に2,000円を届けるのに車を走らせるわけにはいかない。村には銀行などなく、そもそも銀行口座など誰も持っていないだろう。
M-PESAと呼ばれるスマホでの少額送金システムは生活に不可欠だ。
僕も日本で買った格安スマホにSAFARI COMのSIMを入れて、入国のたびにチャージして使っている。デュアルSIMなので1枚はケニア、もう1枚はエチオピアのSIMを入れ、使い分けられるのが便利だ。
トップアップと呼ばれるチャージチケットの売店はスラム地区を含めて街の至る所にある。
ある時、深夜便で到着したら空港のショップは既に閉まっていてチャージ出来ない。
ホテルにピックアップを頼んではあるが、イヤな予感がした。
案の定、迎えの車は見当たらず、電話も掛けられない。困っていると客待ちのタクシー運転手が『2,000シリング(約2,000円)で行くよ』と誘ってくる。
事情を話して彼の携帯電話を借り、ホテルに電話すると迎えの車は空港に行ってると言う。ついてくるタクシー運転手と荷物を引いて広い駐車場内を探すと、一番外れでスマホをいじってる男がいた。
「あんた〇〇ホテルの迎えか?」
『ソーダ』
「何でこんなとこにいるんだよ。」
『◇◇?××△△』 (急にスワヒリ語になる)
連れのタクシー運転手にチップを渡して礼を言う。
俺にも、という呆れた視線を送ってくるホテルドライバーを急かして街に向かった。
キベラスラムのホテル Eden Villa
さすがに観光客には無理
0 notes
NEWSLETTER vol.46
ニューズレターの第46号をお届けします。
今回は2018年2月4日に Art Jewelry Forum に掲載された、キャロライン・ブロードヘッド氏へのインタビューをお届けします。
この記事でも紹介されている「ネックレス/ベール」はコンテンポラリージュエリーの数多くの書籍で紹介されているので、ご存じの方も多いかもしれません。
当初はジュエリーだけを制作していたという彼女がどういう経緯で作品に衣服やパフォーマンスを取り入れていったのか、その足跡をたどれます。
いつものことながら、メールへの埋め込みで画像が小さくなってしまっています。下の元の記事へのリンク先でより大きな画像をご覧いただけます。
-------------------------------------
https://artjewelryforum.org/in-conversation-with-caroline-broadhead
インタビュー
2018年2月4日
キャロライン・ブロードヘッドに訊く
オリヴィア・シー
キャロライン・ブロードヘッド、「タフティ・イヤリング」、1979年、撮影:キャロライン・ブロードヘッド
キャロライン・ブロードヘッド、「コットン・ブレスレット」、1977年、撮影:ピーター・マッカーティヒ
キャロライン・ブロードヘッド氏は数多の分野の壁を越えて活動する先見性あるアーティストだ。その活動領域はジュエリーやテキスタイル、家具、インスタレーションにとどまらず、ライブパフォーマーとのコラボレーションにも及ぶ。オランダ、アペルドールンのCODA美術館で2018年4月15日まで開催されている(訳注:元の記事は展覧会会期中に掲載された)彼女の回顧展は、40年間にわたる活動の集大成であり、身体そして個人とは何かを深く模索する姿勢を知ることができる。氏は、1997年にはジャーウッド応用芸術賞のテキスタイル部門で、2004年にはテキスタイルズ・インターナショナル・オープンで賞を受賞し、現在はセントラル・セント・マーチンズのジュエリーデザイン学士課程の学科長を務めている。
キャロライン・ブロードヘッド、「ネックレスの落とし物1」、2015年、撮影:フィリップ・セイヤー
オリヴィア・シー: 70年代から80年代にかけて、あなたは革新的な作品群でコンテンポラリー・ジュエリーとその可能性に対する人々の考え方を一変させました。そもそもなぜジュエリーに興味を持たれたのでしょうか? また、あなたにとってジュエリーはどんなものですか?
キャロライン・ブロードヘッド:ジュエリーは、学生時代に陶芸の工房にいたときに作るようになりましたが、変わっていて、しかも身に着けられるものをつくれるところが気に入りました。スケールの小ささや、七宝やロウ付けで金属の表情が変わるのも魔法みたいでおもしろかったです。アートの基礎課程在籍中にジュエリーを学べると知り、その道に進みましたが、いざやりはじめてみると、思っていたほど金属に興味を持てませんでした。そこで、プラスチックや木材など金属以外の素材について考えたり、いじったりしてジュエリー科での時間をつぶしました。自宅ではテキスタイルの作品も作りましたよ。自分が楽しいと思えてわくわくできるような作品をつくるようになれたのは卒業後のことです。ジュエリーは全文化圏に共通して存在するもの。つまり、とても根源的なものです。ジュエリーは、人ではないのに、人に近い存在である点がとてもおもしろいと思います。
キャロライン・ブロードヘッド、「ネックレス/ベール」、1982年、撮影:デイビッド・ワード
あなたの代表作のひとつである「ネックレス/ベール」(1982)はナイロンを織って作られており、ネックレスとしても装着でき、上に引き伸ばせば優美なベールにもなるという意外性を空間的に表現した作品ですが、どのようなインスピレーションからこの作品が生まれたのでしょうか?
キャロライン・ブロードヘッド:この作品は、ロンドンから車でケニヤに移動して現地に数か月滞在してからつくったものです。工房を立ち上げて数年がたち、今後の方向性について悩んでいた時期でした。現地で見たマサイ族やトゥルカナ族が着けているジュエリーは圧巻で、役割がまるで違うジュエリーに出会えたのも新鮮でしたし、アイデアが広がりました。彼らは大きなジュエリーを当前のように身に着け、しかもその1つひとつに意味がありました。どのジュエリーも刺激的でした。
帰国後、自分は収入源として制作するよりも、自由にアイデアを追求したいのだということと気づきました。非常勤の教職につけたことで、より自信をもって思い切った作品をつくれるようになりました。身体の周囲の空間を動きのある要素として扱うのがおもしろかったです。この織の構造(後から「スプラング」という名前だと知りました)もアフリカ旅行の収穫です。マーケットにいた女性たちが器用な手つきであっという間にカゴを編み上げるのを見て、自分もやってみたいと思うようになりました。ナイロンで試したらいまひとつでしたが、縦軸を外すと形をコントロールして変えられることに気づきました。「ネックレス/ベール」は、何度もねじっていくと自然と硬くなり透明度が増します。構造の特質を生かすことで生まれた実験的な作品です。
キャロライン・ブロードヘッド、上:「ラップアラウンド」、下:「7人分の襟ぐりのあるシャツ」、1983年、撮影:デイビッド・ワード
あなたのキャリアはジュエリーに始まり、そこからテキスタイルによるより大きな作品も手がけるようになりました。「ラップアラウンド」(1983)は鑑賞者に動きや反復を感じさせ、着用者が袖口に何度も腕を通しながらこの服を着る姿を想像させます。この作品についてお話をお聞かせいただけますか?
キャロライン・ブロードヘッド:ジュエリーから服への移行は、強く意識してそうしたわけではないにせよ、とても理にかなったものでした。「ネックレス/ベール」「プロペラ」「袖口」などの織って作った作品はジュエリーよりも身体の周囲で占める空間が大きく、どの作品も衣服の意味合いを強く含んでいます。私はこれらの作品による相互作用や、作品の扱い方や動きに興味がありました。「袖長のシャツ」と「ラップアラウンド」は、袖をたくし上げて腕を通すという、衣服を着る行為から連想される反復運動を物質的に表現したものです。一見すると身につけられなそうなジュエリーや衣服が、実は着用できるということを、イメージやパフォーマンス、イマジネーションを通じて見せるという考えに興味があったのです。2つ以上の特性を持つものや特定の動きや相互作用を誘発するものにも関心がありました。
キャロライン・ブロードヘッド、「スティル・ライト」、1999年、撮影:ゲイリー・カーカム
テキスタイルの作品はインスタレーションへと発展し、さらにライブパフォーマーとのコラボレーションも行われましたね。動かない物体から空間や動きを取り入れた表現への移行は大変でしたか? それとも直観的なものでしたか?
キャロライン・ブロードヘッド:表現方法の変化はごく自然な流れで発展していきました。私は自分の作品に相互作用の効果を求めていたのですが、それが何につながっていくのかまではうまく想像できませんでした。そこで、ローズマリー・リーとクレア・ラス、アンジェラ・ウッドハウスらの振付師と組むようになったのですが、この体験によって、空間や特定の場所の活用方法という点で数多くの可能性が開けました。また、パフォーマンスは、上演が終わればそれで終わりという一回性や時間感もおもしろいと思いました。
キャロライン・ブロードヘッド、「サイテッド」(アンジェラ・ウッドハウスとのコラボレーション)、2009年、撮影:ヒューゴ・グレンディニング
振付師とのコラボレーションはどのようにしてはじまったのでしょうか?
キャロライン・ブロードヘッド:ロンドンのサウス・バンク・センターの企画で、振付師やデザイナー、アーティスト、ダンサーが一堂に集まって互いを知り合い、1日話し合ってその成果を探るというセッションが数回行われたことがありました。日程表はなく、4~5人ずつのグループに分かれて、各グループがそれぞれのやり方で進めていくというものでした。私はアンジェラと同じグループではありませんでしたが、これを機に互いの仕事を知りました。1991年にはローズマリーからサウス・バンクのボールルーム・ブリッツでコラボレーションをしないかと誘いを受け、パフォーマンスを行いました。ローズマリーと私は面識がありませんでしたが、主催者が私たち2人の考えには相通じるものがあると考えたようです。
キャロライン・ブロードヘッド、「ビトウィーン」(アンジェラ・ウッドハウスとのコラボレーション)、2010年、撮影:ヒューゴ・グレンディニング
アンジェラ・ウッドハウスをはじめとする複数のダンサーとのコラボレーションである「ビトウィーン」(2011)では、ひとりの女性が、首にかけた真珠のネックレスを引きちぎる場面がありますね。このプロジェクトではどんなテーマを表現したかったのですか?
キャロライン・ブロードヘッド:アンジェラと私がこのダンスパフォーマンスを行ったのは、ダンサーと観客、衣服と皮膚との関係を探るためでした。見せ場となる瞬間と、距離の近さや接触がもたらす親密な瞬間とを結びつけたいと思いました。そのような瞬間のひとつは、金箔を腕に��りつけたダンサーが、もうひとりのダンサーにその腕を押し付けた後に、空中に金箔がたなびくさまが見え、さらに相手の腕に金箔が残ったときです。私たちは、沈黙の中でパフォーマンスを進めながら、統一と崩壊の概念を軽やかに表現しました。真珠のネックレスが壊れた瞬間、特に真珠が床に散らばったときに立てた音が緊張感を生み出していました。
キャロライン・ブロードヘッド、「縫い目」、1990年、撮影:CODA美術館
あなたの40年間のキャリアにおいては一貫して、作品と身体との関係性に注目されていますが、身体のどんな点が魅力なのでしょうか。
キャロライン・ブロードヘッド:私がほとんどの作品で重視しているのは、身体、もっと正確に言えば人間です。人であることは万人にとって共通の体験であり最大の謎でもあります。自己の概念、つまりひとりの人間の境界にはとても興味深いものがあります。私はジュエリーや衣服、影、反射などを用いてきましたが、そのすべてが存在感を持ち、身体の大きさに沿ったものです。そして、人と人との関係も、自己を発見する手段として用いてきました。
キャロライン・ブロードヘッド、孤児のためのブランケット、2014年、撮影:ジャック・コール
「孤児のためのブランケット」(2014)は喪失を表現した、心が揺さぶられるポートレートです。このブランケットは、孤児院に子どもを引き渡すさいに、親が子どもと一緒に孤児院に預ける布について言及しています。このブランケットを制作するにあたり、ガラスのビーズと模造パールを使おうと考えた経緯を教えてください。
キャロライン・ブロードヘッド:その昔、母親は、孤児院に子どもを引き渡すさいに、子どもといっしょに忘れ形見になるものを孤児院に預けました。これはのちに家計が上向いて子どもを引き取りにくるときに身元証明として使うものです(そのような申し立てのあった子どもはごくわずかでしたが)。これらの忘れ形見は、木の実にはじまり、硬貨(彫りやマークが入れられたものもありました)、ジュエリーなどさまざまですが、そのほとんどは素材的価値のないものです。模造パールには本物になろうとする「意志」が込められています。このネックレスは、悲しみや見捨てられた気持ち、価値の低さを感じさせながらも、感傷を誘う意味を持ちうるものにすることが重要でした。ビーズを2列にしたのは、開いたときの開口部が大きくなるようにするためです。
ビーズに惹かれるようになったのは、メキシコに行ってからです。ガラスビーズは、種類が豊富で、さまざまな色のビーズを大量に仕入れることができるところが気に入っています。1つひとつは小さくても個々が各自の役目をはたして全体に貢献します。ビーズの仕事は反復作業で時間がかかりますが、そこが気に入っています(ただし、この作品については優秀なインターンに手伝ってもらいました)。ダイヤのパターンは私が幼いころに使っていた刺しゅう入りのベッド掛けを模したもので、あたたかで快適なブランケットと、ガラスという冷たく壊れやすい素材でできた、見た目はきれいだとしてもあたたかさとも快適さとも無縁なブランケットとの対比に興味がありました。
コンテンポラリー・ジュエリー界のどんな動向がおもしろいと思われますか? またその理由を教えてください。
キャロライン・ブロードヘッド:いまは、スタイルやテーマ、ジュエリーの見せ方が多様化していてとても健全だと思います。私が特に影響を受けるのは、目的意識の強さや明確な方法によるアイデアの伝達、そして独自の方法による素材の扱いです。ユーモアやウィットの感覚もおもしろいですね。
キャロライン・ブロードヘッド、「修理後のスツール」、2015年、撮影:CODA美術館
今後積極的に活動したいと考えている駆け出しのジュエリーアーティストに助言をするとしたらどんな言葉をかけますか?
キャロライン・ブロードヘッド:楽しいと思えることをやり続けること。本能や心躍るアイデアに従って、いろんな可能性を柔軟に受け入れること。そして、すぐに結果が出なくてもあきらめないこと。
キャロライン・ブロードヘッド、「スキン&ブラッド」、1981年、撮影:デイビッド・ワード
最近見たり読んだりしたもののなかでおもしろかったものはありますか? 読者にあなたの発見を共有していただけますか?
キャロライン・ブロードヘッド:つい今週末「リズム&リアクション:英国のジャズエイジ」という展覧会を見てきたところです。ロンドンにある、建築が見事なトゥー・テンプル・プレイスで行われたのですが、この会場のことはこれまで知りませんでした。展覧会には大叔父が「ザ・ブレイクダウン」と題した絵を出品していました。この絵は1926年にロイヤル・アカデミーで行われた夏期の展示のさい、苦情が寄せられて撤去されたのです。その後、大叔父はその絵をつぶしてしまったのですが、何年もしてから描き直しました。この作品を見れて、たいへん誇りに思います。
いま読んでいるのはユヴァル・ノア・ハラリによる「ホモ・デウス:明日の世界の歴史」(訳注:翻訳時(2018年5月)は邦訳��未発表のためタイトルは仮訳)です。現代の人間が、かつては神の御業と考えられていた物事の支配をどのように行っているか、そしてその行く末に何がもたらされるのかを解説した本です。
素敵なお話をありがとうございました!
オリヴィア・シー:カリフォルニア州オークランドを拠点に活動するコンテンポラリー・ジュエリー作家、アーティスト、ライター。米国生まれ台湾育ち。身に着ける彫刻による文化的なニュアンスの表現に関心を持つ。コロンビア大学にて、クリエイティブ・ライティングの学士号を、カリフォルニア・カレッジ・オブ・アーツにジュエリーと金工の美術学士号を取得。
-------------------------------------
本ニューズレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。配信の停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来のお名前と異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
2 notes
·
View notes
【13日目】サクラサク
22:02 Jumanne.17/Aprili/2018 katika chumba chako
写真1 朝の風景
写真2 桜が咲き始めました
【今日の流れ】
8:45-11:35 語学
13:00-14:50 予防接種と語学自習
15:10-17:00 参加型調査法ワークショップ
17:10-18:00 班別ミーティング
【スワヒリ語メモ】
1. 今日は、M-Wa名詞の数の数え方をやりました。M-Wa名詞クラスには基本的に人か動物などが含まれていて、それによって数の数え方が若干変わります。例えば、「mtu(人)」を数えるときは、
mtu mmoja (a person)
watu wawili(two people)
watu mtatu(three people)
watu mnne(four people)
watu mtano(five people)
watu sita(six people)…なぜか6以上は数字は変化しない。
watu saba(seven people)
watu nane/mnane(eight people)
waku tisa(nine people)
watu kumi na moja(ten people)
で、例えば
Vigana wa kujitolea(youth volunteer)と言うKi-Vi名詞クラスの名詞が主語に来ても、主語が人や動物であればその後に続く修飾はM-Wa名詞クラスになる。
写真2 今日の語学の板書
2. 今日、一番のびっくり
Shikamoo(年下の人が年上の人に名声) - Marahaba(年上の人の返事)
の挨拶。これまで散々やって参りました。が、突然講師のノラが言いました。
「ケニアではこの挨拶はあまり使われない」
…へ?
ノラもエスタもタンザニア人。タンザニアでは当たり前に使われるようなのですが、ケニアではイギリスやアメリカの文化が浸透していったために、上下関係の挨拶の文化が徐々に薄れていってしまったようです。同じスワヒリ文化のお隣同士でも全然文化は違うのですね。スワヒリ語の講座を初めてからと言うもの「シカモー」「マラハバ」をかなり使ってきて、かなり体に染み込んで来たのに、ケニアでは出番がないなんて寂しい���でも、使ってもダメではないと言うことなので、現地にいったらチャレンジしてみよう。
3. 桜の前で写真
今日の語学の授業は午前中だけ。桜がいい感じに咲いているので、講師の先生たちと一緒に写真を撮りました。一緒に撮ろうと誘ったら、タンザニアのマサイの民族衣装(?)を持って来てくれました。
メッチャいい写真やん。
写真3 右に立ってるのがEsther(エスタ)で、左に座ってるのがNorah(ノラ)
写真4 本日のランチ
写真5 かしわ丼、こんながっつり肉料理は稀です。嬉しい。
【予防接種】
毎週恒例予防接種。本日はB型肝炎。まだまだ、続きます。
今日は以上!
1 note
·
View note
ケニアの洋服屋さんにマサイ族の戦士と一緒に行って「コーディーネートしてください」と頼んだらこうなった
マサイ族はオシャレである。アクセの使い方や民族衣装の着こなしっぷりも見事だし、いわゆる “洋服” に身を包んだ「よそ行きスタイル」もキマってる。スタイルが良いので何を着てもキマるフシもあるが、どれだけオシャレなのかは、過去の「マサイ通信」を見てもらえれば一目瞭然であろう。
そんなオシャレ番長のマサイ族に、私の洋服をコーディネートしてもらったらどうなるのか? ということで、マサイ族と一緒にケニアの洋服屋さんに行ってみた〜!
私のためにコーディネートをしてくれるオシャレ番長は、ライオンに1勝したこともあるマサイ族の戦士・ルカである。マサイ通信でもたびたび登場するマサイ族だらけの町「キマナ」に一緒に行ってコーデしてぇ〜と頼んでみると……
ルカ「えっ、キマナ!? 準備するから少し待って!」
──と、すぐさまカジュアルな洋服に着替えたルカ。さすがはオシャレ番長、ぬかりない。これを日本に置き換…
View On WordPress
0 notes