ご無沙汰になっちまってるな👨🍳
圧倒的に回数減っておりますが、腕は落ちてへんで(。-ω-)w
•辛鍋
•卵としめじの中華炒め
•豆苗ピリ辛豆腐
•なめこの醤油漬け
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賃貸一人暮らしだからリビングで朝ご飯食べたり在宅ワークしたり書類整理したり夜は晩酌したり読書したりと一日中ここにいるからリビングは特に片付けておきたくて断捨離頑張ったんだけど その結果「リビングの片付けの極意」がわかったから自分用にまとめといた。 これやっときゃごっそり片付く。
耳が痛いことがチラホラw
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おはようございます。
宮城県仙台市は曇り空です。
昨日は朝から職人さんの中塗り作業準備をしてから、明日11日から15日までの五日間、宮城県仙台市の夢メッセみやぎにて開催される、全国やきものフェアinみやぎの展示会準備をし、お昼過ぎからは仙台へ車移動。
予定通りに夕方前に到着し、近くのスーパーにて買物後にチェックイン。
会期中の衣服やらアレコレと部屋で整え、晩酌後には知らないうちにZzz
そして今日はこれから展示会の搬入日。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一人焦らず一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #全国やきものフェアinみやぎ #全国やきものフェアinみやぎ2024 #ブースno132 #秋田川連塗寿次郎 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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#たべもの #クラフトビール
本日の晩酌は、なんと浜松の不動産会社Octagon Brewingが造っているクラフトビール。不動産とビールとは??と謎だったんですが、この丸八不動産さんのサイトの誕生秘話を見てみると
とある卸売業の会社のビルを譲ってもらうことになったが、その会社の創業の地でもあるため、地域の人が集まるような場所にしたい
↓
クラフトビールの醸造所とお店にすれば、地域の人が集まって飲める場所になるのでは
ということで不動産業とビールになったそうです。
今回飲んだのは、Octagon Brewingさんと道の駅とよはしのコラボ商品「大葉と深呼吸」です。コロナの影響を受けた大葉農家さんの支援のために作られたとのこと。というか、豊橋って大葉の生産量日本一だったんですね。
スタイルはヴァイツェン。飲んでもシソのあの特徴的な香りは特にせず、爽やかにゴクゴク飲める感じのビールでした。
確かこれは道の駅とよはしでしか買えない限定商品だったはずです。
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そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後���、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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今日の晩酌。酒は人気一の黒。
つまみはイカ納豆に明太子にメカブに鮭フレーク。
明日も現場だけど、雨が不安だな。
#日本酒
#人気一
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2024年7月25日(木)
amazonに予約注文しておいた2冊の本が届いた。1冊は次男がボランティアに通う<バザールカフェ>の歩みをまとめたもの、もう1冊は同僚にして浄瑠璃作者・片山剛先生の作品集である。私に文楽の楽しみを教えてくれたのは片山先生だが、平安時代の歴史・文化の研究者が江戸を舞台にした浄瑠璃を創作された興味深いものである。今年の夏はこの作品を声に出して読んでみよう、本当は語ることが出来れば良いのだが、それでは本当に<寝床>になってしまうね(落語をご存じない方にはごめんなさい)。
2時起床。
日誌書く。
あれやこれや。
5時15分、シャワー。
体重は150g減。
朝食は冷たいお蕎麦。
洗濯物を干し、珈琲を淹れ、弁当を用意する。
プラごみ、30L*1。
ツレアイは夜のワークショップのために自転車、私は一人で出勤する。
順調に到着する。
換気してラジオ体操第一、冷房を入れてお茶を頂く。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>の最終課題をチェック、成績を登録する。
8/24(土)の天満天神繁昌亭昼席、この日だけ露の新治師匠が仲入りに登場するので、<ぴあ>でチケットを購入する。手数料はかかるが、好きな座席を選べるので満足。
12時、ラジオ体操第二。
木曜日は3限に<スタディスキルズ(教育学科)>、これまでの振り返りと最終レポート作成。何とか時間内に全員書き上げてくれたので、明日は評価作業ができる。
O姉と一緒に帰宅、今日は<喜楽亭>が揚げ物休みの日、彼女は京都大学へ向かう。
西大路八条の<スギ薬局>まで買物、先日試しに買ったカルカンをココがよく食べてくれるので購入する。アプリには色んなクーポンが配信されるので、試しに幾つか買って見る(¥3,973)。
次に西大路七条のライフ、鱧が20%引きなので迷わず購入する(¥2,238)。
息子たちの夕飯、ポークステーキ・ナスの甘辛煮・鱧皮ときゅうりの酢の物・トマト・辛子明太子・冷や奴+🍺。
テレビ大阪の天神祭の生中継を流す。
ツレアイは月に一度の太鼓のワークショップ、普段より2時間遅い晩酌、鱧の煮付けと野菜サラダで慰労する。
今夜も枝雀、「どうらんの幸助」、何しろ朝が早すぎるので今夜もサゲ前でダウンする。
買い物に出たので、余裕で3つのリング完成。
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最近は酒を飲んでも穏やかでなく、あんましゆっくり晩酌する時間もなく、本読む時間もなく、これといって何もないのに忙しく過ごしているせいか、心が詰まるのですね。なんかが嫌。何が嫌かはわからんが早くここから抜け出したい。こことは何処。何もわからない。
/
わからないっていうのにはいくつか解決方法があって、まずなにがわからんかを特定することですな。さらに時間が解決してくれる系・自分が許すしかない系・相手を切り捨てなきゃいけない系みたいに、解決方法を割り出してやると、そこまでわかんね~と藻掻くことがなくなります。問題定義からの解決法模索、みたいなあまりにもロジカルな思考過ぎて、生きてて楽しいか?とか聞かれたこともあるけど、何かと便利なロジック戦法。イマを生き抜く力。これを凶器とし、今まで筋通ってないやつを何人もぶった斬った。あたしって��酷かもしれない。って時々思う
/
転職して、残業が一気に減ったのでまだ明るいうちに帰れる。車窓から見える色々な景色で夏体感させていただいております。小学校のプールを見て泣く。燃えるような茜色の夕日を見て胸が詰まって泣く。イヤホンからいかれたBABYが流れてとうとうどうでもよくなって、最寄り駅のスーパーで酒買い込み、明るいうちから晩酌。最高だぞ。
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週末の走行 2024/2/15-19
Miniz-Cup-Championships-Finals
その2大会1日目編です。
大会当日がやってきてしまいした。寂しいようなワクワクするような気持ちです。本当に自分の腕前がアジアで通用するか不安です。
中部国際空港出発ロビー横のイベントホールが今回の会場です。コース隣の会議室が選手パドックエリアでした。
一般人の人通りも少なめで、素人観客の声などが気にならず集中できる環境です。電波ノーコントロールもなくていい感じ。
今回のピットスペース。いつもと違って整理整頓できてますね。予選前に焦ってゴチャゴチャするはさておき。北海道組ということもあって、最前列でした。予定通りモバイルバッテリーからの給電で追い充電類をやりきります。
最前列なのでもちろん、情報スクリーンのすぐ近くです。いろんな人がスクリーンの近くに来るので恥ずかしい。
そんなこんなしてるうちに練習走行です。(写真はミーテイング前)
うーーん。フロントのグリップ感がイマイチというかイマニです。初日の朝なので仕方ないんですけどね。この時点で2日目の決勝は、ホームコースのグリップまで上がらない勘がありました。嫌な予感って当たるんですよね。
確かフロントタイヤは22.1mmあたりで走行。それでも曲がらなくてデュアルレートは95あたり、STジャイロも25を下回ってたかな。
グリップ剤はリアだけ塗布でフロントは塗ってません。コケるのが一番嫌なので。でもこの時点でフロントも塗ってたらかなり予選順位上がってたのかも。中ストレートからのヘアピンがスピード乗りません。戦略ミスです。
後から聞いた話ですが、周りはフロントも半分~3分の1くらいグリップ剤塗ってたみたいです。こういうところで経験の差が出てきますね。10年選手がゴロゴロいる会場。恐ろしい。
練習1回が終わって予選1回目まで時間がかなりあるということで味噌煮込みうどんです。イケオジ先輩に奢ってもらいました。午後からも頑張りましょう。
うどんを食べて予選1回目。やっぱり曲がらないなぁ。タイヤは練習のときと一緒です。グリップは上がってるけど、思ったよりは上がらない。スタートは前列。スタートダッシュ決まって1番手を2周くらい走行しましたが、後ろから迫る2番手につつかれてコケて撃沈。まぁ1回目ですからね。
距離感が分かりません。ファイナルはお立ち台が地区予選より1段高いです。それに加えてコースも縦が3枚多いです。なので距離感がつかめないのに加えて、自分の車のモーター音が聞こえないので感覚がつかめません。
ファイナル10年選手のベテラン達はもう慣れっこなようですが、ファイナル初参加のぼくにはイレギュラー過ぎました。いろいろと雑音が聞こえますね。
予選2回目。結局この回が2日目も含めてベストタイムでした。後列スタートにも関わらず、1週目はスタート良い感じ、2周目で様子を伺い、3週目で勝負に出て1番手に浮上。それから良いペースを刻んだ形です。ただ、ブレーキが合いません。これは後々致命的となりました。ブレーキが合わないから減速感がつかめず、ヘアピンで明らかにミス、内側にコツン。リアのグリップが合ってない感じが明らかです。ヘアピンのクリップ5cm以上手前にぶつけるなんて普段やらないのにね。
いろんなお土産もらいました。
名古屋って色々とおいしいお菓子がたくさんありますね。ありがたい。
そんな感じで1日目は終了。併催のクラス決勝も盛り上がってました。知り合いが出てると楽しくチャチャを入れることができるので楽しい。結果は残念だったようですが、来年も頑張るようでなによりです。
1日目の表彰が終わって、関係のない我々は小反省会です。空港が会場だと大宴会がないのが寂しいですね。味噌とんかつです。おいしい。
ホテルに戻ってからは、昨日と同様に電池の管理です。電池管理しながら晩酌してたら仲間から電話が来て作戦会議などしていました。そんな上手くはいかないんですがね。1日目速報も気にかけてくれてありがたいです。とはいえ、これ以上打つ手は無いのでマンガを読んだりなど。
次回は2日目編です...。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、晴れのち曇りのお天気です。
昨日は息子を盛岡へ送って行きながら、途中で買物をしながらの運転手で一日がほぼ終了。
帰宅してからの晩酌後、川連の夏の終わりの大舘部落祭典2日目の花火が始まってました。
@kazu__m0_0y__gram さんよりのrepost
お盆休みも終わり、新しい一週間が始まりました。
今週もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今週も、良い一週間と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #大舘部落祭典2日目 #祭典花火 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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2024/03/23
有川浩『海の底』の聖地巡礼。さくらまつりもとい横須賀スプリングフェスタ。
あいにくの雨。入場列よりも手前に立っていた交通整備のおじさんがめちゃくちゃ厳しく、そこが厳重さのピーク。身分証もうちょっと確認していいよ……?
制服萌え萌えきもちわるおたくなので、基地に入ってから15分、ずっと「はわわ」「はわわわわ」って言ってた。自衛隊と神奈川県警の車両でブチ上がったのが最高潮。あんたはどこになにしに行ったんだい。
雨のおかげで「列に並んでお財布出して商品を受け取る」がちょっとめんどうになって購買をセーブできた。あと大戸屋のおかげで飲食もすこぅしだけセーブできた。
桜も見ました。さくらまつりなのでね。
ヘリコプターとイッヌは光学迷彩でよく見えなかった。猿島はよく見えた。
「AIが選ぶ今日の一枚これでしょ」って話してたら本当にナイアンティックに選ばれて大笑いしたのがこれ。
AIの気持ちが理解っちゃうんだよな……。
すごい「海外ドラマに出てくる体育館」だったのにどうしてもうまく撮れなかったやつ。選挙の投票所って感じ……。
それからドラマのヘタレ主人公がひょんなことから被せられて告白する羽目になる低クオリティ着ぐるみ。キャラグリレジデンスの常連なので元気にご挨拶した。なんか戸惑ってるみたいな顔してるな。
素敵ホテルに泊まった。最高にジャンキーな晩酌をして夜の由比ヶ浜までお散歩してからまた晩酌。楽しかった。
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#たべもの #ジントニック
LONG GOOD 長良酒造さんのクラフトジン&トニック クロモジ+ベルガモットで���日の晩酌。
元々草木の香りがするものが大好きな質なので、多分クラフトジンは好みの味なんだろうな、と思いつつ中々飲む機会がありませんでした。何故なら……私がほろよいレベルのアルコール度数しか飲めない人間だから。恐らく外で飲もうものなら多分酔いどれで帰れなくなるし、家で飲むにしても量が飲めないから、中々瓶で買うこともできず……。
そんな中、岐阜駅横のTHE GIFTS SHOPで見つけたこのジントニック。最近クラフトビール、クラフトコーラ然り、クラフトジンも人気で世界各地の小規模な醸造所でさまざまなクラフトジンが作られているという話は聞いたことがありますが、岐阜市内でも造られているのねー!と勢いで購入。どうやら岐阜市内の有名なバーのバーテンダーさんが造っていて、去年あたりから商品化されたようです。
飲んでみると、ぶわっとベルガモットの香りが広がって後にほんのりと苦みもあり、これはめちゃくちゃ好きなやつ!欲を言えば甘くなければもっと好みだったけれど(ジントニックというよりソーダ割りみたいな?)、ボタニカルな香りが好きな人にはたまらん爽快感ですね。しかもアルコールも6〜7%と、まだそこまで高くないので、多分私でも何回かに分ければ飲めるはず。炭酸は抜けるけども。
本当はもっと色んなクラフトジンを飲んでみたいんですが、生粋の東海人(父方も母方も)、日本人の中でもより一層酒に弱いんや……。ほぼ下戸なんや……。私が海外の人並みのアルコール分解能力を持っていたら、きっと色んなクラフトジンに手を出していただろうに……!
と、コップ半分ぐらい飲んだら最早ただの酔っぱらいなので、残りは明日飲むことにします。
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無題
過日、晩酌にもっぱらゴールドスターの長いやつを一つか二つ空けたら、義実家が定期的に送ってくれるさまざまな銘柄の焼酎を湯で割って飲んでいる。お湯割りに適した器がないので、マグカップで飲んでいる。お湯と焼酎は5:5。来週20℃くらいになるって本当? 死ねばいいのに。
*
泥酔して、家人にワイザーと舐達麻のbeefの概要をくだまいた。カワサキドリフトを聴かせてやったら、brrn brrn キーッのところで、ダサすぎる! と叫び、涙を流して笑っていた。なんでブルンブルンってふかしてんのにキーッてブレーキの音すんの? と、息も絶え絶えに哄笑していた。確かにそれは盲点だった。でもあんまり他所で人にいわない方がいいよ、と忠告した。家の近所の高架下で、中学生くらいの男の子たちがスマホでビートを流して、サイファーしてるのを見かけたことがある。
*
一度使った豆苗の根を水張ったタッパーに置いて、もう一度収穫できるくらいの長さに育ってきた。数本妙に長いやつがある。横から見ると、平均よりもやや発達に遅れのあるやつがある。環境よりも遺伝が優位なんだな、という気がしてくる、なんとなく。スーパーで買う豆苗はみんな長さが揃っているけれど、あれはそういう専門的な農法で作っているから均等に育つのか、平均を取って長いのや短いのを間引いているのか、だとしたらちょっと嫌だな、共産主義? なるべく陽が当たるように窓際に置いてあったのが、それでもより光の差す方向へ、全員がやや斜めに体をよじらせている。それはなんかこう背面跳びの瞬間を切り取った連続写真のようでもある。
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れる��だろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土���座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつ��も人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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長年の蜜月関係が指摘されているテレビ各局に、ジャニーズ事務所との関係見直しが迫られている。創業者の故・ジャニー喜多川氏(享年87)の性加害問題を謝罪した9月7日の記者会見を機に、同事務所とのCM契約を見直すスポンサーが相次いだことが大きく影響している。
外部専門家による特別チームの調査報告書で指摘された“メディアの沈黙”について、「このような重大な人権侵害、性被害だとは気づかなかった。人権侵害や性被害への意識が著しく低かったと深く反省している」と話したのが、テレビ朝日の篠塚浩社長だが、10月2日のジャニーズ事務所の会見を前に、SNSで、ジャニーズ事務所とテレ朝の親密ぶりを裏づけるある動画が拡散されている。
それは「ジャニー喜多川が盃を交わす儀式が発掘『芸能界のドン達が盃交わしてヤ〇ザの真似事、怖い』」などのタイトルがつけられた動画だ。
「この動画は今から四半世紀前のもので、芸能プロの田辺エージェンシー、田邊昭知社長の還暦を祝うために、遊び心でヤクザの盃事を真似した祝いの会が映し出されています。意外だったのが、芸能界やテレビの人間と個人的な付き合いがないと言われていたジャニー喜多川さんが出席していたこと。この祝い事には、ジャニーさんのほかに、“テレ朝のドン”と呼ばれた敏腕プロデューサーの故・皇(すめらぎ)達也(21年3月没)さんが夫婦で参加している姿も見られます」(芸能ライター)
動画では、ジャニー氏が“媒酌人 合衆国蛇煮(ジャニー)組総長”、皇氏が“世話人 関東朝日連合白王殿下”と紹介され、笑顔で盃を飲み干すジャニー氏が映し出されている。
ケジメの音頭を取ったジャニー氏は次のような挨拶で笑いを取っていた。少し長くなるが、引用する。
《ここに謹んで、ケジメの儀をとらさせていただきます。ご列席のご一同様に申し上げます。これより儀式万端相整いました。ケジメの儀、滞りなく行わさせていただきます。私、合衆国蛇煮組総長といたしましては、我が組員による踊り、歌の一曲もご提供すべきところ、木魚、鐘とあまりにも騒々しくご近所様にご迷惑をこれ以上かけちゃ申し訳ないと思い、ご遠慮させていただきます。事を考慮し、わたくしによるケジメのみとさせていただきます。田邊会長の今後ますますのご活躍を念じ、ここにご参列の皆々様のご健勝をお祈り申し上げ、ともに最年長のわたくしとして遅刻したバツとしても、ケジメをご唱和ください。それではお手を拝借》
■注目されるテレ朝「裸の少年」の処遇
先日、田辺エージェンシー所属のタモリ(78)がMCを務める、1985年放送開始の音楽番組「ミュージックステーション(Mステ)」(テレビ朝日系)に、7人組ボーイズグループ「BE:FIRST」の出演が発表されたばかりだが、同番組にはジャニーズと競合する男性アイドルグループは出演できないという不文律があると言われてきた。
くしくもそのMステに風穴を開けたのが、ジャニー氏の性加害問題と言っていいだろう。
「ジャニーズ常連のMステのほか、Jr.が出演するバラエティ『裸の少年』などを放送するテレ朝は、民放の中でも特にジャニーズ事務所と切っても切れない関係にあると言われていますが、この動画はそれを裏付けているといっても過言ではないでしょう」(週刊誌記者)
田邊氏の還暦の祝い事にはジャニー氏、皇氏のほかに、当時、石原プロモーション専務だった小林正彦氏、それに、テレ朝プロデューサーの西河喜美子氏などが出席している。
「西河さんはドラマ畑の人で、西部警察のほか、ジャニーズのタレントが出演する番組にも関わっていますが、特にジャニーズと癒着していたのは皇さんで、ジャニーさんだけでなく、姉の故・メリー喜多川さんとも昵懇の仲で、テレ朝にジャニーズ路線を引いた人物と言われています」(元テレ朝関係者)
テレ朝で報道情報番組を立ち上げた故・小田久栄門氏と並び、“テレ朝の天皇”と呼ばれた皇氏はドラマを経て、バラエティを担当。「欽ちゃんのどこまでやるの!」、「ビートたけしのスポーツ大将」、「タモリ倶楽部」、「ミュージックステーション」を次々に人気番組に押し上げてきた。
「皇さんはお酒が飲めないのに夜の銀座が好きで、毎晩のように高級クラブでコーヒーを飲みながらホステスをからかっていた。敏腕プロデューサーと言っても、所詮はサラリーマン。銀座のクラブの飲み代は芸能プロが支払っていたというのがもっぱらです」(元テレ朝日関係者)
ジャニー氏の性加害の事実を認め、謝罪し、東山紀之(56)の新社長就任を発表した今月7日の記者会見を受けて、テレ朝は「ジャニーズ事務所のタレントの出演につきましてはタレント自身に問題があるとは考えておりません。これまで通りの番組の企画内容などを踏まえ出演して頂きたいと考えてります」との見解を示した。
「ところが、26日のテレ朝の定例の社長会見で、ジャニーさんの性加害を彷彿とさせる同局のバラエティー番組『裸の少年』のリニューアルの可能性について触れていますが、おそらく打ち切りの方向でしょうね。テレ朝は10月2日の会見を睨みながら、ジャニーズ事務所との関係を徐々にフェードアウトするようです」(制作会社プロデューサー)
ジャニー喜多川氏と“テレ朝の天皇”の親密動画が流出の衝撃…民放のジャニーズ離れ加速の最中(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
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自転車で礼文島を走ってきました(後編)
2泊3日の行程の後半。
2泊目の設営を終えて島の北側を散策します。
この界隈は丘陵地帯が多く、アップダウンもかなりのものでした。
波風が穏やかな西岸で休憩したり写真を撮っているうちに青空が見え始めます。
丘を登った先に見えるのは礼文島最北端のスコトン岬と、沖に見えるはトド島。
この日は昼食を食べ損ねていたので、お土産屋さんで補給。
生地に熊笹が練りこまれているらしい熊笹まん(左)と、トド肉の煮込みが入っているらしいトドまん(右)。どちらもクセがないので普通の中華まんと違いがわからない。
往路とは違う道を探しつつキャンプ場へ戻ります。
この道は途中で林道になっており、先が長そうだったので引き返しました。
高台に上がると道北らしい景色。
道北らしいといっても利尻島には無���景色。
日が傾いてきたので再度西岸へ出ます。
澄海(すかい)岬。夕方なので全然観光客がいなかった。
このまま日の入りを見たかったのですが、雲行きが怪しいので諦めて帰りました。
そしたら晴れました。
明るいうちに夕食を食べます。
まともな買い出しができなかったので、非常用に持ち込んだインスタントパスタで腹を満たしたのち、軽く晩酌。
明日帰るのに今更になって観光案内を読むなど。
朝の便に乗って帰るため、余裕をもって3時起き。
朝食は北海道最北のキャンプ場で沖縄そば。
近所のスーパーで手に入る南国。
6時前に出発。かなり時間に余裕があるため久種湖畔を軽く散策しながら南下。
島の発電所。結構小さく見えますが、これくらいで島の電力をカバーできるもんなんですね。
出向の1時間半前に香深港へ到着。徘徊するほどの余裕はないので、ゆっくりお土産屋さんを見たりしていました。
遠洋の雲が切れていたので、この後晴れるようなら昼便で帰るという選択もありましたが、素直に帰ることとします。
ファットバイクだと輪留めの違和感がない。
稚内港到着後は防波堤ドームで記念撮影ののち大人しく自宅へ直帰(5時間)しました。
ほとんど晴れなかったうえに潮風をたくさん浴びたので念入りにお片付け。
以上が初めてのファットバイクキャンプツーリングの顛末となります。
MTBでのキャンプツーリングは以前持っていたバイクで経験がありますが、ファットバイクだとまた一味違います。どこでも入っていける安心感とエアボリュームによる衝撃吸収は良いものの、やはり重たいと言わざるを得ませんでした。平地ではそれほど気になりませんが、登りはかなりの鈍足です。
あと、見た目のインパクトは圧倒的です。各所で「これは自転車?バイク?」とか「重くない?」と声をかけられました。
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