Tumgik
#二年前に花粉症と認めました
ramwoo26 · 5 months
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내 지난날들은 눈 뜨면 잊는 꿈
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 『らむ、起きなきゃ。もう8時なんだけど!』
 にゃごにゃごと、ベッドの下から叫んでいる小さなからだ。最近は4時くらいに意識を失うみたいに寝て、仕事の予定にもよるんだけど、だいたい8時前後に起きる。というか起こされる生活をしている。ユキちゃんに起こしてもらう、ありがたい話。昨夜もなんとなく苦しくて、目元が薄っすら腫れるくらい擦った。枕がやや湿っていて、寝付いてからあまり時間が経っていないことが見て取れる。ん゛ーっと大きく唸って、脚で蹴るように布団をベッドの端に追いやった。
   ユキちゃん、おはよう。今日もありがとう。
 寝起きが良い方では決してないのだが、それでも、身を起こして、もう身支度を始めないと。浮腫みでろくに開かない瞼を必死に持ち上げ、寝台の上から降りる。
 8時を少し過ぎた時計がスヌーズの機能によって、また大声で時刻を告げるのが鬱陶しい。一度部屋を出かけたが、戻って時計を黙らせる。ああもう、朝は本当に苦手だ。意識のないところから、自分の意志で起き上がれればよっぽど良いが、大抵は上手くいかない。ありとあらゆることを自分のタイミングでしないと気が済まない私にとって、朝は苦痛の連続である。起きたいときに、起きたいし、眠いときは、そのまま寝ていたいのに。
 自室を出てまず洗面所に直行し口を濯ぐ。寝ている時過度に絡まらないように、二つに結んでいた髪を解いて解かす。鏡を見ると、うん。やっぱり今日も、ぶっさいくだな。キッチンの方に向かって行き、冷蔵庫から水の入った浄水ポットを取り出す。お気に入りのピンクのコップに一杯分注いで、一気に飲み干す。起きてすぐに冷水を飲むのはなんとなく健康に良くなさそうとは思いながら、長年の習慣で無意識にやってしまう一連の動作である。急いで適当なパンを手に取り、胃に詰め込んでいく。朝食を食べるというより、この後に薬を飲むために必要な作業である。花粉症の薬を、再びコップに注いだ水と一緒に飲んで、また洗面台に戻る。歯を磨いて、顔を洗う。肌に色々なものを塗ったくって、着替えて、ヘアセット。お気に入りの香水を手首に吹きかけて、右手の薬指にいつもの指輪をはめる。右耳の耳たぶに空いた穴を、シルバーのピアスで寂しくないよう埋める。ようやく外に出れるわたし、らむちゃんの出来上がりだ。
 「ありがとうございました!」
 お客さんを見送って、今日の仕事は終わり。人の良さそうな声で当たり障りのない話をしながらお客さんと向き合って、その人を着飾っていくこの仕事は、たぶん自分の性に合っていると思う。午前中から慌ただしく働いて、夜も遅くまで、外であれこれ仕事をしている。はっきり、今の生活は楽しいが、面白くはない。楽しい瞬間は多いが、振り返って、面白く暮らしているとは到底言えないのである。寂しさに似た焦燥感。もっと色々な人と出会ってみたいのに。
 元来規則的なルーティンワークがあまり得意ではなかった。自分のなかで決めたことはきちんとできるが、誰かに決められた毎日を自分の意志とは無関係に送ることが、いつからか至極難しくなった。毎日まいにち違うことをしている、とは言えるが、それは自分で望んだ“不規則性”ではなく、少しずつ神経を蝕んでいく、云わば見えない敵。支配しようのないこの不規則が、規則的に私を追い詰めていくことが、現在はっきり分かっていること。そんな生活を長く続けることは不可能で、勿論他でもない私自身が全く望んでいないこと。刻々と迫るタイムリミットは、気付くとすぐ傍まで迫っているようだった。最近少し神経質すぎる自覚があった。じりじりと、その敵は、確実に私の息の根を止めようと近付いてくる。
 私が欲しいのは、安定した毎日ではなく、安定して仕事をやっていける落ち着いた環境と地盤だった。自分の意思に賛同して、仕事を一緒にやっていく仲間だった。いまの仕事を軌道に載せることって、そんなに難しいことなのかな。私、そんなに魅力ないでしょうか。他の人と違うと思うんだけど、どうかな。
 仕事で使う道具をまとめたあとは簡単に掃除をして、仕事場の電気を消す。4つある作業場が、2つ埋まっていれば良い方だが、今日も私だけが部屋の主だった。オートロックの部屋を出て、扉が施錠されたことを確認して、エレベーターホールに歩みを進めた。廊下は薄暗く、独りが一層強調されるようで嫌だった。下向きの矢印を押して、エレベーターが来るのを待つ片手間、貴重品だけが入った小さなカバンからイヤフォンを取り出す。白い栓を耳に突っ込むと機械的な音がして、iPhoneとの接続を知らせてくれた。やっと独りから解放された気分だった。お決まりのプレイリストをタップして、再生。ちょうどエレベーターが来たので乗り込んで、1階のボタンを押す。今日は途中で誰も乗ってこなかった。なんだ、私しかいないんだ。最近流行りのポップチューンを、鼻歌で歌っていたかもしれない。
 家までの長い道のりを、重たい重たい荷物を抱えながら帰るのにもなんとなく慣れてきていた。嫌な慣れだと思う。こんな生活は早く変えてしまいたいし、肩が凝って大変だもの。帰宅してから急いで夕食を食べ、風呂にも入ってしまったので、今日は上出来だった。誰にも邪魔されず、夜まで自分のペースを保てている。ベッドに腰を掛け、iPhoneのカレンダーアプリで明日の予定を確認する。緑色の、仕事の予定のアイコンではなく、明日は友人とのスケジュールが一件あった。無意識のうちに顔を顰めていた。開いていた部屋のドアからユキちゃんが入ってきて、心配するように足にすり寄った。ぐるぐると考え事をすることもずいぶん増えたし、うまくいかない全てのことに薄っすらと腹を立てている事にも気付いていたから、最近の自分が嫌いだった。
 漠然とした将来への不安感は、目元を擦っても消える訳が無くて、また止めどなく溢れてくる涙を、ぼたぼたと重力に任せるのすら嫌になって、枕に顔を埋めた。
   ユキちゃん、おやすみなさい。また明日。
 独りごつと部屋の電気を消す。一日中カーテンを閉め切った直射日光の入らない部屋が、ようやく眠る。
 今までどうやって生きてきたんだったか、ときどき分からなくなる。どうしてこんな生活が続けられると考えたのかな。そうじゃなくて、こういう生活をしたかった訳じゃないのに。自分がやりたいことがはっきり分かるから、自分に課す期待値を暫くずっと下回り続けていることが心底嫌なのに。暗い部屋に、鼻を啜る音がよく響く。今までの私の生活が、目を醒ましたら忘れる夢だったらいいのに。
 自立した自分の姿ばかり思い描いている。君のことをずっとずっと思っているこの生活が、早く終わってくれますように。気付いたらまた午前3時。
 ねぇわたし、君がいないと。さっぱり毎日がおもしろくない。
 오늘 노래 추천 ' Hype Boy ' -New Jeans
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qofthequinine · 5 months
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美しさと綺麗について
父親にこんなことを言われた記憶がある。
「綺麗」と「美しい」は全然違うんだよ。例えば、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケは、綺麗ではない。むしろグロテスクな想像さえ掻き立てる。しかし、美しい。綺麗なものは、印象に残ることもない。こざっぱりとしていても、面白くない。さらにはこの「面白い」にも難しさがある。例えば、あるアイデアを「面白いやないか」と称賛したり、作ったものを「面白い」と評価すると、「バカにするな!」と怒る人に接したことがある。ここで自分が発話した「面白い」は「興味深い」「発展しそうだ」という意味であるんだが、「バカにするな!」と怒った人はおそらく、嘲笑しか知らない人なのだろう、と思うよ。
その記憶をさっき話した。「うん。たぶん言うたんやろうし、自分が思ってることと一緒やから、確実に話したと思う」と。
そして、映画を見ていても思う。どれだけ残酷な描写でも美しい瞬間があるし、愛が結ばれたように見えるキスシーンが綺麗なだけだった途端に興醒めする。
で、父は友人に��人や二人、そういう価値観を共有する人物がいると、話してくれた。
自分もまた、「綺麗やけどつまらん」「飲みやすいけど面白くない」「こざっぱりしてるけどダサい」「読みやすいけど芯食ってない」などの意見を共有できる友人が少なくとも3名いる。表向きには真っ当なんだが、対話を深めるうちに美学といえば大袈裟だが、なんだか見ている世界が一緒だなあと思う。おそらく、綺麗すぎる世界よりは美しい世界を見たいのだと思う。
ここからは、いろんな問題を掘りながら、結局内心の吐露になる。
綺麗すぎる場所には誰も住めないだろう。その人は綺麗の基準を満たさなければ排除されてしまう。汚すぎてもいけない。それは衛生学の専門だ。あるいは生理的嫌悪。でもこれを「嫌だから無くなってしまえ」と思うなら、我々が食べている畜産物を飼育している場所に赴くといい。動物の臭いが充満している。糞尿の臭いもする。しかし、この環境で飼育された肉を食わなければ、人間には無理が生じる。ヴィーガンとか言って動物性タンパク質を忌避する人もいるが、あれは南アジアの環境として宗教に衛生学がくっついたものだ。「動物を食べるなんてかわいそうに!」と言いながら、植物をものすごく残酷に扱う。桜の枝を手折るのは、本当にやめてほしい。綺麗な花を飾りたい気持ちは理解するが、その桜が来年咲かなくなったらどうしよう?その花が花を摘んだことによって死んでしまったら?弱肉強食までは言わない。食わねえと死ぬ。それだけである。知らなかったから美しいものを奪った、とは恐ろしいことである。
そうなってくると、「清い水には魚が棲めない」と話が発展する。
純水を思い起こして欲しい。全くの水だ。不純物はない。理科の先生が言っていたのは、「飲んでも害はないけど、めちゃくちゃ美味しくないよ」と。ミネラルウォーターにはある程度のミネラルが含まれているから飲める。硬水だとか軟水だとか、聞いたことあるはずだ。また、植物に水やりをする場合にも、おそらく純水では無理で、浄水器の水をやっても枯れてしまう。可能なら井戸水がいい。そうして、純水に放り込まれた魚は、割とあっけなく死んでしまう。そもそも酸素も二酸化炭素も含まれていない純水だから、水の中に生きる魚も呼吸が止まる。呼吸が止まるというよりも、いくら鰓呼吸してもしんどくなるばかりだ。実は今まさに、藻場を喪失した海では、これに近いことが起こっている。
藻場は、魚の産卵する場所だ。卵はやはり、酸素を必要とする。二酸化炭素を酸素に変換するあの場所がなくなれば、魚なんていなくなる。植物でさえ、酸素呼吸が必要だが、そこをうまいこと自己解決してしまった植物。しかし、彼らにも栄養が必要で、その栄養は窒素リンカリウムと覚えているように思うが、それ以外にもたくさんある。降雨とともに雨粒に含まれて土壌から河川に流れ、海に到達し、吸収される。
しかしまあ、そもそも山を管理する人はもう機能していない。林業はほとんどボランティアである。儲けようとすれば大量に伐採しなければならない。大量に伐採すれば山は崩れる。戦後すぐには、住宅の確保のために、まっすぐに伸びて資材として使いやすい杉の木を植えなければならなかった。致し方のないことである。
で、ここからは悪循環が始まった。戦後すぐに、蚊の多さゆえに殺虫剤を散布して蚊がいなかった時期があるらしい。しかし、蚊に刺される小児がいなくなったことで、若いころに形成されるべきアレルゲンへの抗体が少なくなった(真偽のほどは定かではない)と聞き及ぶ。蚊に刺されて痒いのは当たり前だ。しかし蚊はああいうアレルゲンを運びつつも少しずつ抗体を作り、蚊のみならずあらゆる害虫さえ、少量のアレルゲンを注入して慣れさせていたらしい。DDTを散布したらしく、即効性は虫に強くあったとのこと。花粉症は日本で初めて確認されたのだ。
もちろん全く良くなかった方法ではない。フェイタルな感染症は少なくなっただろう。衛生学として当時は正しい方法だったと思う。今度はコロナ禍である。
コロナ禍で、病原菌やウイルスは忌避された。手洗いとアルコール消毒とマスク。未知の病気に対する方法として、自明に正しい。ワクチンもちゃんと4回打った(5回目は都合がつかなかった)。マスクもしていたし、手洗いも入念にした。およそ三年間、無菌室にいたのと同様である。大人の振る舞いとして正しい。
じゃあ子供は?呼吸器がまだ不安定で、免疫を獲得する過程にいる。亡くなった子には哀悼を示すが、今生きている若い人たちは、もしかすると三年間、恋した人の顔を見なかったかもしれない。もしかすると両親の顔さえ、生まれてすぐに見れなかったかもしれない。こんなに悲しいことがあるだろうか?
医療を否定したいわけではない。医療は与う限りの尽力をして、命を救い、そのために自分自身が不安定になるリスクさえ犯している。人間、わからないことに飛び込むのは怖いことだ。よほどの胆力がなければできないし、もし間違えば診察室で対面している彼の命が明日費えてもおかしくない。命がけのルーチンワークだ。その精神力に敬意を表する。
最近の子供を見ていると、真っ直ぐ歩いていないような気がする。軌道の予測ができない。顔が右を向きながら足は左に向かうような。理解できるだろうか?
と、防疫と救急の違いを述べてみた。防疫は行政が行い、医療は医療法人の管轄だと理解している。研究は国立機関か製薬会社だ。
ブルーハーツの曲に『人に優しく』がある。人に優しくある以前には、人を守らなければならない。その「人」とは誰だろうか?と考えると、小生意気なガキである。気に食わない。が、守らなければ、と思う。理由はない。考えもない。ひとつだけ感覚するならば、「自分たちより不幸にならないでほしい」。
この言葉を発するためだけに長ったらしく書いていたのだ。こんなバカっているんだろうか?頭ハッピーなヒッピーだったとしてもこんなことは言わないだろう。「色即是空」とは言うものの、全部虚しいと悟るのは死に際であってほしい。全部楽しかったと思うのも、最期の瞬間であってほしい。
美しい瞬間をずっと覚えていてほしい。苦労した記憶も、悲しかった記憶も、楽しかった記憶も、怒り散らした記憶も、どこか美しいはずだ。随分前に亡くなった曽祖母が言っていた。「冬は凍えるようでなあ、藁草履に服着て半纏着て、みんな鼻水ズルズルやから袖なんてカピカピでなあ、でもあのとき一緒に行きよったみんなはよう覚えとるなあ、苦しいけど楽しかった」
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indigolikeawa · 6 months
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2024年3月21日木曜日
病院の待合室にて14
プロジェクション
 私は小さな頃から癇癪持ちで、上手くいかない事や気に入らない事があると、叫んだり、物に当たったりして大変だった、と思う。というのもそういった記憶はほとんどない。忘れてしまったのだろうか、それとも覚えなかったのだろうか。
 小学生の低学年の頃、フットボールの試合の結果が気に入らなかった(たぶん負けた)ために、試合終了のホイッスルと同時にボールをあさっての方角へ蹴っ飛ばし、コーチに「取りに行って来い」と言われた記憶…これは癇癪だろうか?現在行われているプロのフットボールの試合でもたまに見られる光景ではある。他には、小学校の高学年の頃、スーパーファミコンをやっていて、とにかく上手くいかなかった私は、コントローラーに噛み付いた。その歯形がコントローラーにくっきり残った。
 後者の方はいかにも癇癪持ちっぽいエピソードだが、その他の事例が思い浮かばない。私は中学生になり、高校生になり、大学生になり、やがて大人になった。年齢を重ねるごとに、癇癪の回数は増えていった。私が最も成熟していたのは、母親から出て来たてで、びっしょびしょだった頃かもしれない。
 大人になってからの癇癪は枚挙に暇がない。ひどい。大人なのに。我慢してよね。物部門で最も被害を被ったのは携帯電話である。携帯電話で話しているうちに、イライラしてきてしまい、携帯電話をぶん投げてしまう。携帯電話が二つ折りだった頃は関節技を極めてしまい、へし折ってしまう。本当に良くない。つらい。私も私がそんななんて悲しい。でも本当に辛いのは電話の方。携帯電話のお店に行って「車に轢かれました」と申し出て、「あっ、なるほどですねー」と言われて手続きしてもらったことが何度もある。
 人部門で最も被害を被ったのは家族か、友達か。どちらになるだろう。電話で通話していると、いきなり私の声が遠くなり、破壊音がして、怒鳴り声がオフマイクで聞こえる(真に破壊された場合は切れる)。最悪である。こんな事を書いていて何になるのか。読んだ人は悪印象しか持たない。マイナスプロモーションにも程がある。でも書くことがないから書くしかない。ここは病院の待合室なのだから。
 誰もが知っているように、怒鳴るという事は暴力である。私は人を殴った事は無いが、怒鳴った事はある。殴られた事はある。怒鳴られた事も勿論ある。怒鳴るというのは、殴りはしなかった、ぐらいの暴力である。ほとんど殴られたようなもの、ぐらいかもしれない。だからとにかく怒鳴ってはいけない。暴力はいけないから。絶対に。
 怒鳴る、あるいは癇癪を起こす、というのは抑制と解放のメカニズムで成り立っている。蓄積する、我慢する。我慢できなくなる。出る/起こす。それだけである。つまり、体内のものが体外にでるのと同じ。咳をする、うんこする、おしっこする、射精する、泣く、くしゃみする、と同じである。ちなみに今の順番は、私の考える癇癪と近い生理現象のカウントダウンである。怒鳴る/癇癪に2番目に近いのは、泣くことである。泣いちゃいそう…となってる時に、出しちゃえ出しちゃえ泣いちゃえ泣いちゃえと思うことは無いだろうか。逆に我慢せな…我慢せなあかんで…と思うことは無いだろうか。そして涙がポロンと出た時の、あの妙な気持ち良さ。あの感じは相当近いように思う。そして周りに優しさを欠いた人達がいた時の「あー…泣いちゃった(めんどくさ…)(変な人…)」という視線。状況も近い。
 ただ、怒鳴るという行為には投射する感じがある。プロジェクション。そのあたり一帯に撒き散らす感覚。それが涙にはない。その点でいうと、くしゃみはかなり近い。くしゃみの原因(花粉症やハウスダストのアレルギーの方などは分かりやすいと思う)が蓄積する。マスクしてないのでくしゃみしてはならない。ハーッハーッと来る。ハクショーン!あたり一面に鼻水なんだか唾なんだかわからないが不愉快なものが撒き散らされる。これです。これと一緒です。
 そしてここから少しややこしいのだが、私は若い頃に、心療内科で統合失調症だと誤診され、統合失調症の薬を処方され、規則正しく摂取していた事があった。しかし病状が全く良くならず(誤診だからね)、飲むとめちゃくちゃ怠くなってしまうので、吉祥寺のバウスシアターでゴダールの『映画史』を見た日に、薬を飲むのをやめてしまった。3日後くらいに急に体がけいれんしだした。ガクガクしながら再度病院に行き、数日間安静にすることで症状は良くなったのだが、イライラが募り、癇癪が起きそうになるのを我慢すると、ビクーン、ビクーンと体がけいれんするようになってしまった。それが現在まで続いているのだが、そのけいれんが、くしゃみの前の「ハーッ、ハーッ」となっている時の動作を大袈裟にやったものに似ているのである。ややこし。まあだから、くしゃみに似てると思ってるのは私だけかもしんない。
 今日私は癇癪を起こした。以下その経過。
 A=A診療所、B=B病院、C=市役所、D=県庁
 朝、家で母と麻疹が流行っている話になる。母子手帳を確認する私たち。麻疹はワクチン接種済。風疹は1回接種したのみ。もう一回する必要があるかもしれない。
 Aに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。A受付(そっけない)「在庫ないから無理です」
 Bに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。B看護師(やさしい)「風疹のワクチン1回打ってるなら、それで抗体出来てるかも。抗体検査するといい。市役所に言うと無料のクーポン貰えるよ」
 Cに電話。風疹の抗体検査したいと伝える。C受付(やさしい)「それは県庁の管轄なので県庁で相談してみて下さい。電話番号これこれです」
 Dに電話。風疹の抗体検査したい。D健康推進課(やさしい)「国がやってる接種と県がやってる接種がある。国の接種はハガキが届くのだが、あなたは対象外。県の接種だとあなたは対象です。手ぶらで行けますよ。病院のリストはウェブにあります。(AもBもリストに載っている)」
 Aに電話。風疹の抗体検査したい。A受付(そっけない、てか冷たい)「ハガキないと出来ない」
 Dに電話。風疹の検査、Aがハガキいるって言ってる。Dさっきの人(やさしい)「そんなことはないですよ。県の接種だと強調して伝えてみて下さい。Aはリストにもありますし」
 Aに電話。県の接種ならハガキなくてできるって。A受付(さっきと違う人。やさしめ)「そうなんですね…ちょっとお調べします。(切る)」
 30分経過。
 Aに電話。あの…調べられましたか?電話番号言ってなかったかも。A受付(そっけなくて冷たくて怖い)「はい…だから今調べてます。はい。ガチャン!(思いっきり受話器を置く大きい音)」
 10分経過。
 Aから電話。A受付(やさしめ)「お調べしたら抗体検査できます」
 私「だからずーーーーっと言ってますよね!!!!」
 プロジェクション中。切ったら最初の電話から3時間近く経っている。
 昼。母とちらし寿司食べる。午前中を振り返り、私だけが悪いのではないと確認する。たぶん。お母さん私に甘いかも。
 午後。
 Bに電話。落ち着いて。抗体検査したいんですけど。県の接種の方。「あっ無料で出来ますよー。予約とかいらないので来て下さいね」
 Bに行く。待ちながらこの記事書く。採血。結果は後日。帰る。
 なんでこんな事になるのか。でも決めました。やっぱり怒鳴るのは良くないので、私は今日から癇癪持ちやめます。お酒もタバコもやめれたので多分やめれます。癇癪出ちゃいそうな時はビクビクけいれんして生きていきます。人を傷つけるより自分が疲れるだけの方がずっと良いし、後々の後悔を含めた総合的なダメージを見ても、けいれんの方が少ないです。頑張ります。私は生まれ変わるのです。見ていて下さい。
 
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ayaka0715 · 8 months
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もう如月だけど、そろそろ梅の季節が来る頃から楽しみだね。
くれぐれも花粉症には充分ご注意を。
今月は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
マンスリーベストナイン2024.2の発表日は2/24に決定させてまいります。
🐉2024.1.27,29から2.22の候補⇨🥇になったらマンスリーベストナインアワード2024の候補となります。
ニュース
#屋良朝幸 さんは昨日からフリー〔一昨日は新STARTO社の開設前・Smileupを円満退社〕
#薮宏太 さんは誕生日で旧Twitterを始めました。
#森保ジャパン はベスト8入り!
#ペルソナ3
#浜田雅功 さん,#千鳥,#二宮和也 さんの番組改編
and more....
 
抜き打ちチェックはInstagramで廃止し、スレッズで専念していきます。
〔SNSのパトロールがある為〕
更新クリア条件
2023.11.3から2024.3の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
 
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
まだ更新していない人はお早めにね。
 
〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
#西島秀俊 🖤🍩
#阿部サダヲ 🧡⚾️
#堺雅人 ❤️🦌
#戸次重幸 💜🤖
#片岡愛之助 💖🍓
#kinkikids 💙🎸❤️✝️
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
現在のInstagram は監督委員会 から違反されていますが、期限切れになると送れなくなるからご勘弁を。
あと、フォローバッグはストーカーの可能性があるから拒否させていただきます。〔フォローをする時は承認必要です。※無言禁止〕
これからも見守る。 扇動行為 破壊活動防止法 tictok instagram 謝罪 
危険なので死語扱い・文句を言ったり、
Instagram以外な写真は載せてしないでね。
インスタ不具合
#誹謗中傷  拘禁刑 ←#炎上 
#アカウント削除
#セックス依存症〔2022年度から18歳以上の新成人制度→#人物画〕
 
現在
#SmileUP 〔4月からSTARTO社に設立〕の救援,ウクライナ、トルコ、パレスチナのガザ地区、石川県能登地方の#支援・医療期間 を行っております。
 
馬鹿なx #バカスタグラム
あと、SNS詐欺・迷惑行為・犯罪行為は絶対しないで。
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
https://www.threads.net/@sinoeto
神藤彩佳🐼💙
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cafedayjp · 2 years
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【雨水】第五候 かすみ始めてたなびく 2/24-28 ●べにふうきのティーオレ  大気中に水滴や塵が増し、霧やもや、煙や雲で遠くの山がぼやけて見える、春の霞。 春の霞…花粉を急激に感じるこの頃です笑。皆さまはいかがですか? 花粉症に役立つと言われる、静岡県産紅茶、べにふうきを濃い目に抽出して、ティーオレにしました。 和紅茶の香りを大切に、春の霞を思わせるような、さっぱりミスティーな味わいです。 だんだん年度末ですね…! 花粉症の方も、そうでない方も。 一服しながら参りましょう☺️👍 ●第五候 季節の飲み物 べにふうきのティーオレ ¥550 —————————————— cafe/day(カフェデイ) ad.静岡県沼津市沼北町1-14-26 tel.0559223910 ✨ふじのくに安全・安心飲食店認証の店として感染対策に取り組んでいます 【🕐EATin】9:00-17:00(L.O.16:30) morning time 9:00-11:00 lunch time 11:00-14:00 tea time 14:00-17:00(L.O.16:30) 【TAKEout🛍】 [注文受付]9:00〜16:00 [お受取り]11:30〜17:00 【Delivery🛵】 出前館、NUWAZUEATS サイトからcafe/dayを検索してご注文ください。(デリバリー用の価格になっております) 【CLOSE】 月・第3火(祝日営業、翌営業日休) 駐車場12台 店内50席 テラス席あり (テラスのみ喫煙可ペット連れ可) #cafeday#pancakes#cafestagram#カフェデイ#パンケーキ#静岡カフェ#伊豆カフェ#沼津カフェ#沼津テイクアウト#沼津デリバリー#沼津ランチ#伊豆ランチ#沼津モーニング#沼津朝活#沼津パンケーキ#七十二候 (cafe/day) https://www.instagram.com/p/CpIZ8A4yPMh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ayana-mikihara · 4 years
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100の質問が大好きなフォロワーさんから回ってきたので仕方なくやります。やりたくないけど(ぉ
質問はhttps://www.100q.net/100/question.cgi?que_no=2 を使っています。いにしえ・インターネットのことを思い出したので寒めのノリで書いていますが、虚言癖太郎である私にしては珍しく嘘はついてないと思います。
Q.1 あなたのハンドルネームを教えてください。
御樹原文奈は本名ですが……
Q.2 生年月日を教えてください。
2001年2月24日です。さいきん二十歳になりました。プレゼントは前後6ヶ月受け付けております。
Q.3 血液型を教えてください。
A型です。振り返るとA型のものではない部屋が広がっているので、血液型占いは当てになりません。
Q.4 病弱な方ですか?
昔新型インフルエンザが流行ったときにナウなヤングのわたしは当然かかったのですが、カルテに「元気」と書かれました。生まれてこの方虫歯の一本もないです。ナウなヤングなので今流行のなんたらウイルスにも感染しました(このタイミングで公開する情報じゃなくない?)マジで辛さ以外の味覚が全部消失するので、ちゃんと予防対策しましょう。
Q.5 自分が政治家になったとして、絶対に汚職しない自信はありますか?
今の私を見てると意外かもしれませんが、友人には「なんやかんやで権力を手にしそうだが、権力を一番与えてはいけない人間」だとずっと言われていました。そういうことです。
Q.6 歌は好きですか?
歌うのは好きなのでお風呂で歌ったりしますが、カラオケにはここ1年行ってません。ナウなヤングにバカウケのなんたらウイルスが全部悪い。
Q.7 よくカラオケで歌う曲は?
逆張りなのでたいてい皆さんに全く通じない曲を歌っていますが、健常者の音楽で一番よく歌うのはそばかすだと思います。
Q.8 ペットを飼っていますか?飼っている人は、ちゃんと世話していますか?
お祖母様の家に住んでいた頃はバカでうるさい犬がいましたが、引っ越したのでいません。
Q.9 ある程度上手に演奏することができる楽器はありますか?
高校の授業のおかげでギターが原義でちょっとだけ弾けましたが、気づいたら完全に忘れていました。中学の頃は音楽の成績が4でしたが、リコーダーがギターに変わった高校では5でした。そういうことです。
Q.10 高いところは平気ですか?何メートルくらいまでなら怖がることなくいられますか?
高いところはへっちゃらなので観覧車とかで怖がる人間はまじで意味わからないですが、重力が狂うと死ぬほど怖いので、急に後ろから抱えられたら20センチでも怖いです。あとジェットコースターはマジで無理です。いいのか?俺をジェットコースターに乗せようとすると本気で泣き喚き暴れる成人女性を目にすることになるぞ?
Q.11 あなたのよく使うゴミ箱には蓋(ふた)がついていますか?(回転式なども含めて)
我が家唯一の蓋がついているゴミ箱(収集してもらうときに入れとくペールは除く)は常にものが置かれており、ここ1年で開いたことは一度もありません。
Q.12 あなたの家にはどれくらい本がありますか?
同人誌を本とカウントしなければ、文学部学生にしてはかなり少ないほうだと思います。自分所有の本は3段ボックス2つに収まります。
Q.13 何かの本がその本の大半を占めていたりしますか?(漫画ばかり、小説ばかり・・・など)
同人誌を抜きにしてもほとんどが漫画で、あとは最低限のSF研究会要素でほとんど全部です。漫画もSFも買い出したのは大学に入ってからなので、高校以前の私には本を所有するという概念は殆どなかったとわかります。
Q.14 自由に飛べる翼を手に入れたなら、どのくらいの高さまで飛んでいきますか?
無計画に高く飛んで、太陽熱で翼が溶けるタイプの人間です。
Q.15 楽譜は読めますか?
一応読めますが、手先の器用さがそれについてこないので歌唱以外に活かされたことはないし、歌唱するのであればお手本を聴いたほうが楽に音程を取れます。
Q.16 命を除いて、一番大切なものは何ですか?
何人かの好ましい人間が平穏無事に暮らしてくれることは、命の次くらいに大事です。そのためならなんだってします。
Q.17 飲めば若返ることが出来る水があったら・・・どのくらい若返るまで飲みますか?
私は何歳に若返っても美少女なので、そういったものを欲してやまない人に高額で売りつけます。
Q.18 このままではいけないと思うことを一つ挙げてください。
このままだと卒業できません。
Q.19 努力を踏みにじられることを・・・どの程度許せますか?
努力らしい努力をしてこなかったから卒業が危ぶまれているわけですが、踏みにじられてよい努力などないと思う一方で、誰もが誰かしらの努力を踏みにじり得るし、それは権利であるとも思います。
Q.20 今、あなたの隣にあるものは何ですか?
赤いゴミ箱があるのをみて、今日ゴミを出しそこねたのに気づきました。
Q.21 喜劇と悲劇・・・どちらが好きですか?
AかBか、ではなく好きになったものが好きです。ただ悲劇は喜劇に比してそこまでの動機づけを丁寧にやらないと納得してもらえないぶん、私好みになる可能性が高い気もします。
Q.22 もしあなたが世界を手に入れたなら、まず何をしたいですか?
「皇居の横にそれよりでかい家を建てて天皇に引っ越し蕎麦を持っていきたい」と前々から言っているように、ピラミッドを建てさせたり黄金のあやなちゃん像を建てさせたりと悪目立ちしたいですが、そうなるとヘイトを買うので、バックアップを取るところからはじめようと思います
Q.23 たった一匹の小さな虫でも、殺すのが嫌になったことはありますか?
情がわいて……とかはないですが、虫が本当に苦手なので殺しても後処理できないな……とおもって嫌になることはしょっちゅうあります。
Q.24 良い嘘と悪い嘘の違いは何だと思いますか?
面白いか面白くないかです。
Q.25 どうしても忘れられない曲はありますか?
ジュエルペットてぃんくる☆のED曲、「空ニラクガキ」です。20歳になって以来、「大人になるその日が来て」しまったことに気づき、爆涙(ばくるい)するだけの毎日を送っています。みんなもジュエルペットてぃんくる☆を見てくれ……
Q.26 思い出の場所はありますか?
家の近くの神社です。
Q.27 酒に飲まれて失敗したことはありますか?
二十歳になって1週間くらいしか経ってない人間に聞いても面白くないですが、父上様は顔にマンホールの跡をつけて帰ってくるタイプの人間だったので、不安ではあります。
Q.28 大好きな飲み物をいくつでも挙げてください。
コーヒーとドクターペッパーの中毒患者です。まだまだお酒は未開拓ですが、いまのところコークハイがかなり好きっぽいです。
Q.29 あなたの生きがいは?
インターネットでこの世に生きとし生けるものたちの人生をつまみ食いバイキングすることです。
Q.30 最近、自分の歳を意識したことはありますか?
ここまで二十歳二十歳言ってたの見ました?
Q.31 ここまで質問に答えて、なんとなく懺悔(ざんげ)しているような気分になっちゃいましたか?
自分語りは楽しいですね。
Q.32 楽をしてお金を稼ぐならどんな方法が一番確実でしょう?
親のスネをかじり潰そうとしています。
Q.33 晴れと雨はどちらが好きですか?
晴れのほうが好きですが、たまには雨が降ってくれないと飽きます。
Q.34 雷は平気ですか?
パソコンさえ平気なら大丈夫です。雷を怖がる人間ってアニメ以外に存在するんですか?
Q.35 風は好きですか?
風という自然現象を好き/嫌いの評価軸に置いたことが今までありませんでした。多分あまり好きではないです。
Q.36 泳ぐのは得意ですか?
鋼鉄の肉体、御樹原文奈とはこの私のことです。背泳ぎ25メートルに1分かかります。
Q.37 これだけは負けられないという、誇りが持てることはありますか?
私が設立したあとに生えてきた二番煎じのコウメ太夫研究会がどれもまともに活動もしないまま自然消滅したなか、私達はそこそこやれている点じゃないですかね。これだけで就活を乗り切る気満々なので……
Q.38 ちゃんと睡眠取れていますか?
時間で言うならパーペキです。規則性は無で、寝たくなったときに起きたくなるまで平均12時間寝続ける生活を送っています。
Q.39 喧嘩は嫌いですか?
自分が勝てないので嫌いですが、自分が腕っぷし最強だったら大好きだったと思います。
Q.40 人ごみが苦手ですか?
今日のお出かけ中、梅田の地下鉄付近でだけ異様に鼻水が出たので、人間アレルギーだと思います。
Q.41 自分には全然出来ないことを他人が軽くやっているのを見て、燃える方ですか?
負けないが????????
Q.42 人の心を読めるとして・・・どれくらいで嫌になると思いますか?
人の心の断片を得るためにインターネットやってるような人間だし人間の心が醜いのは身を以て知っていますが、ちょっとやってみないとわからないので読心術を教えて下さい。おねがいします。おねがいしましたよ。
Q.43 自分のまわりには面白い人がたくさんいると思う?
こういうことを自分で言うから最悪ですが、そこらの「いつメンキャラ濃すぎwww」ちゅてる奴らよりは濃いメンツが揃ってると思います。
Q.44 昔、誰かに借りて、いまだ返していない物ってありますか?
会誌第二号の印刷費をつけてもらったっきり返してません。このままなんとか撒けないかなと考えています。
Q.45 逆に、貸したけど帰ってこないものってありますか?
パッと思いつくのだとゲーム機が2台ほど?もう引っ越したので気にしてもいませんが。
Q.46 甘党?辛党?
甘いのと辛いのは全部好きです。味がするとおいしい。
Q.47 熱い飲み物は苦手ですか?(猫舌とか)
飲み物ではないですが、たこ焼きなんかは剥がれる口の皮まで含めての料理だと思っています。
Q.48 コーヒーは苦い方が良いと思う?
物や気分にもよりますが、基本的には酸味寄りのものが好きです。
Q.49 破壊的に不味い物を食べたことはありますか?また、それは何ですか?
貝類が基本的に大好きなのですが、初めて食べたサザエで大外れを引いて以来、それだけは苦手です。
Q.50 マイブームってありますか?
栄養ドリンクを哺乳瓶で飲みながら女児アニメを観るのが好きです。
Q.51 温かいそばと冷たいそばはどっちが好きですか?
今はまだ寒いので温かいそばが食べたいです。
Q.52 集中力に自信がありますか?
ここまで来るのに既に5回はツイッターを見ています。
Q.53 飽きっぽい性格だと自分で思いますか?
前の質問の回答から察してください
Q.54 楽器の名前を5つ挙げてください。
ギター、ギロ、ベース、マリンバ、タンバリン…………俺の中の芭蕉が勝手に!?
Q.55 面倒な事も進んで引き受けたりする。
誰から頼まれてるかによります。打算的な人間なので。
Q.56 人違いをして暴走したことがある。
ないです。限定的すぎない?
Q.57 自動車用信号の「黄色」についての見解を述べてください。
止まれ、止まれないなら行け
Q.58 裸足で歩くことについての見解を述べてください
冬場のお風呂上がりに裸足で歩いてるとぺたぺた言うし足跡がついてたのしい
Q.59 ○×形式の質問のほうが答えやすいと思いますか?
ややそう、部分的にそう
Q.60 「薬指」の重要性を語るとしたら、それは何?
結婚指輪の装備スロットであることくらいしかなくないですか?
Q.61 頭痛、腹痛、腰痛、関節痛、のうち、一番マシなのはどれですか?
頭痛には慣れっこです
Q.62 どの程度の温度が一番過ごしやすいですか?
今より一回り暖かくなって上着のありなしをきぶんで選べるくらいの気候が良いです。
Q.63 好きな花火は何花火ですか?(線香花火、ロケット花火など)
花火は光って燃えるのでぜんぶ大好きですが、最初にあれを思いついた人があれを花火だと言い切った情熱を買ってヘビ花火、ということにしておきます。
Q.64 一番好きなことわざは何ですか?
三十六計逃げるに如かず
Q.65 敵に囲まれたとき、どうやって逃げますか?(どうしても戦わずに逃げねばならない)
どのくらいの文脈で敵なのか、どの規模の囲まれなのかによってくるとは思いますが、実際に窮地に立たされたら何もできずに捕まると思います。
Q.66 気になる言葉を一つ書いてみてください。
最近はニャホニャホタマクローブームが来ています。
Q.67 春の良いところは?
夏じゃないとこ
Q.68 夏の良いところは?
いずれ過ぎ去ること
Q.69 秋の良いところは?
夏じゃないとこ
Q.70 冬の良いところは?
誕生日があること
Q.71 一日何通くらいメールが来ますか?
去年は毎日1通づつ365分割されたドグラ・マグラがメールで届いていたのですが、今年はそれがないので来ない日すらあります。体感を平均すると2.5通くらいだと思います。
Q.72 届くメールがウィルスの確率はどれくらいだと思いますか?
目の届くところに来たことは一度もないです。ネットリテラシーたか子なので。
Q.73 届くメールが営業・宣伝などの確率はどのくらいだと思いますか?
これも目の届くところには来ないです。インターネットが上手なので。
Q.74 今、一番買いたい物は?
ブッダマシーンを誕生日にもらったことにより変なもの買いたい欲は少し収まったので、クソかわいいネコチャンのアロマディフューザ(リンクが機能してなかったので後で直します)がほしいです
Q.75 今、一番飼いたい生き物は?
生き物を飼う事によって発生する責任を負いたくないので概念としてのねこを飼いたいですが、今ねこを飼うとなると絶対に名前を「タマクロー」にしてしまうので、もう少しニャホニャホタマクローブームが落ち着いてからにしたいです。
Q.76 これだけは譲れないというポリシーはありますか?
逆張りにあらずんばオタクにあらず、の精神でスギ以外すべての花粉症で苦しむなど、多岐にわたる活動を行っています。
Q.77 どういう絵が一番得意ですか?(風景画、人物画、漫画など・・・)
筆記はほぼ満点でしたが、美術の成績は3で��。
Q.78 好きなおつまみは?(未成年でも答えてください、おつまみだから)
ベタですがさきいかが好きです。それはそうとこの前生まれてはじめて鮭とばというものを食べましたが、「めちゃくちゃ旨い革紐」という感想でした。もともと革製品って鮭みたいなにおいしません?
Q.79 持病とかありますか?
コミュニケーションと手に難を抱えています。
Q.80 ホームページは持っていますか?
流石にそこまで老人じゃないですね。
Q.81 コーヒーには砂糖やミルクをどのくらい入れますか?
普段は入れませんが、苦く淹れて砂糖もミルクも狂ったように投入してどっちが勝つか眺めるのも好きです。
Q.82 一番使ってみたい武器は?(剣、弓、銃など・・・)
斧とか鎚とか、そういう「破壊!!!!!」って感じのものを振り回したいです。
Q.83 得意な料理は?
熱湯です。
Q.84 最近頑張ったことは?
今日は雨なのにお出かけしてえらかったと思います。おかげでよく眠れそうです。
Q.85 あなたの寝る部屋の床は畳ですか?
違います。
Q.86 どんな味が好みですか?
馬鹿舌なのでいわゆるパンチが効いてる味はだいたい好きですが、馬鹿舌を認めたくないので繊細なうま味(あじ)みたいなのも好んでいます。
Q.87 おすすめダイエット法は?
痩せようと思ったことがないです。超絶怒涛の最強美少女なので。
Q.88 ファンタは何味が好き?
グレープ以外を安定的に入手する手段がない以上グレープと答えざるを得ないのでは?
Q.89 好きな四字熟語を書いてください。
敵前逃亡
Q.90 完全な現実が0%で、完全な幻想を100%とすると、あなたの理想は何%くらい?
半々くらいがいいと思います。やなことがあったときに責任転嫁しやすいので。
Q.91 掃除の道具を一つ書いてみてください。
ちりとり!……もしかしてこれ、「ドス」とか「uzi」とか答えるべきやつですか?
Q.92 友情を音で表すと、どんな音になるでしょうか?
これがぶっちぎりで難しくて笑っちゃいました。パチパチ弾ける緑色の燐光、というイメージです。
Q.93 好きな虫は?
いません。
Q.94 あなたの今使っている消しゴムはどんなものですか?
「黒いこと」だけが決め手だったよくわからんやつです。汚れが目立たないのはストレスフリーで良いです。
Q.95 願いをするなら何にしますか?(例:星、仏、神)
私は私自身を唯一絶対の神とする非常に私的な宗教、私教を信仰しているので、私自身に祈るほかないです。
Q.96 あなたの一押しTVゲームは?
タイタンフォール2をみんなでやろう、地球最高のゲームなので……
Q.97 あなたの体で一番調子が悪くなりやすいのは?
頭がしょっちゅう痛くなります。これも全部気圧ってやつのせいなんだ。
Q.98 今、外国に行くならどこに行きますか?
虹の国ですかね。友人が建国するらしいので。
Q.99 この質問が、実は質問作成者の、大いなる野望の第一歩だとしたら、どうしますか?
どうするもこうするも、2003年に作ったものなんて忘れてるか忘れたくなってるかのどっちかじゃないですか?
Q.100 お疲れ様です。この質問をした感想をお書きください。
これ最後まで読む暇人とかいないと思うんですけど(汗)
って答えるのが正しいインターネットの作法です。覚えておいてくださいね。
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kuizeda · 3 years
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 恰幅がいい体躯の背面にまさか極彩色の昇り龍を翻らせたりはしていないけれど、おおむね服装といえば柔らかそうな生地の黒い開襟シャツをまとうのがお決まりで、実のところドライアイの症状を和らげるものだと打ち明けてくれた眼鏡のレンズは茶色がかっている。そのメタルフレームがこめかみに食い込むさまの窮屈そうな禿頭は、果たして何ポンドあろうか磨き込んだボウリングの球さながら鈍い艶を放つ。失礼承知でなんて白々しい前置きをせずとも、まずなあ、飲みに行ってもお寺さんですかと探りを入れるようにしか聞かれんなと暗に張本人が認めるのだから問題ないだろうが、とにかく容貌だけではその筋の人としか解せなかった。長年にわたり生家の手工業に携わってきたという来歴、あるいは「おしゃべりは好きだが不必要なことは言わず、むしろ不器用で寡黙な印象さえ与える物腰や、ふいに高圧的になるところと臆病さが同居したような人柄」。堀江敏幸が『いつか王子駅で』において描く、かの正吉さんそのものではないかと思い至ったのは、実のところごく最近のことだ。
 学生の時分に籍を置いていた寄り合いでは、いったいどんな伝手からなのか年度の単位で部員に受け継がれているアルバイト先があり、花冷えする春の日、私は推薦してくれた一つ上の姉御つき添いのもと、当時まだ花街の片隅に置かれていた仕事場へと出向いて形だけの面接を済ませ、おずおずと週に何回かの勤めをしだしたのだった。肝心な仕事の中身がすでに忘却の彼方にあるとしても、雇い主の立派な体つきの血となり肉となっている食の傾向は忘れることができない。どんなものも卓上のカセットコンロで調理していた。冷蔵庫の残りを一掃するためのバターライス、飲み屋での与太話に触発されて研究していた卵焼き。お好み焼きになると、だしでうどん粉を溶くところから始めていた。普段は日東紅茶を淹れている耐熱ポットに大袋の徳用ソーセージをぎっちり詰め込んでボイルし、茹で上がったところを本業用のガスバーナーで皮がぱちぱちとはじけるまで炙る。手ずから御大がひねった小皿で供せられ、福利厚生の一環としてよくお相伴に与かったものだ。私が電話番をしているとレジ袋をさげて現れ、いつも皮しか買わへんにゃけどという小ぶりの串焼き、二つでもうお腹いっぱいになってしまう肉だんごの甘酢などは、屋号を刷ったえんじ色の紙で透明なパックに腹巻きしてあった。また、酒を注いだ陶製のひょうたんを携え、その総菜屋で肴を調達してから隣の児童公園へ。さすがに毛氈までは敷かないけれども藤棚の下にあるコンクリートのベンチを占拠し、絵描きの友人らと一緒に花見をするとのこと。くだんの店はやはり鶏を中心とした精肉が本業らしく、そばに下宿のあった私を思いがけずちんまりした車で送ってくれもしつつ結構な頻度で通っているようだった。そらまあ、肉のなかではかしわがいっとう好きやな。
 半年が経った秋、ようやく不可思議な勤めにも慣れたころ毎度のごとく顔を出したら、急な話で悪いが、今月末日をもってここでの活動を畳むことにしたとだしぬけに言い渡された。面喰っているこちらを試すように、なんや、反応が薄いやんけと笑ってみせつつ、そのときさえやけに小さく見えるフライパンを握って肉巻きおにぎりをこしらえるのに余念がなかった。一つの節目だということで、斡旋してくれた先輩ともども参集を命ぜられたのは、洛北の山すそにある古刹だった。仲良くしているらしい住職の計らいで、ゴルフ練習用の人工芝生が乱雑に敷かれて悪趣味な置き物なんかも並んでいる、お寺の庫裏というよりはリサイクルショップのバックヤードに近い野天へコンロを展開し、鶏もも、長ねぎ、椎茸をえんえんと焼いて食べた。美味しかった。当然ここで世襲も打ち止め、それきり免職になるはずのところを、結局は学校を出るまで勤務といえない勤務をだらだら続けさせてもらうのだった。
 私がその街を去る間際、ささやかながら祝いの席や、ちょっとだけ食べに行こかと、移転されていまや久しいがその時分はまだ熊野神社のそばの、月極ガレージの詰め所みたいな小屋で商いをしていた店へと一緒に向かい、焼き鳥をごちそうになった。狭いカウンターの右隣では、我がボスがとりどりの部位の肉を串から外して黙々とほおばってゆく。また左隣では、藤真利子さんに似た見知らぬご婦人がゆったりと瓶ビールを傾け、品よく籠のキャベツをちぎって口に運んでいたことを覚えている。炭焼き台からガラス越しに伝わってくる熱を感じ、とても顔がほてった。どこか張り詰めた空気が流れているようにも思われたが、これはほかでもない私自身の、もうじき新たな生活を迎えるということに対する心の動きによるものだったろう。食べ終わってもまだ明るい時間で、それでは長いことご苦労さんだった、どうか気張ってやってやと短いはなむけの言葉をもらい、東西に丸太町通を別れてから私がちょっと振り返れば、市バスの停留所へと遠ざかりつつ���る巌のような背中に春の粉ぼこりがまつわりついて夕日にきらめき、すると確かにその場かぎりの幻の龍がひと舞ふた舞して七色に光る鱗をありがたく散らしている。
(2019年12月)
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guragura000 · 4 years
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオ��シスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され���白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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aco-holic · 8 years
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道明寺天満宮手づくりの市 ありがとうございました。 . 昨夕は、子守りしてくれた家族にお礼を兼ねてお寿司を食べに行き(#回るやつ🍣)、帰宅したら花粉にヤられたらしくみるみるグズグズグダグダになり、バタンキューでした。今朝は腫れぼったい顔だそうです。 #二年前に花粉症と認めました . お日様の下、春のような陽気で気持ちのいい一日でした☀ 始まる前から市の入場に並ばれてる方が沢山おられて、その沢山の方がそれぞれの場所から、この市を目指して来られるとゆうことに、ひとり感動してました。 . そして、いつもの方から初めましての方、たまたまの方、わざわざ顔見に来て下さった方に、acoモノを手にして、嬉しいお言葉や気持ちをいただき、幸せでした。 嬉しかったです。 ありがとうございました。 . 市の雰囲気に大丈夫かしら?のacoモノで、毎度緊張感が止まないのですが、いろんな方とお話するのも楽しみのひとつです。 . 前回、その前と、無念の欠席で申し訳ない気持ちがいっぱいでしたが、スタッフの皆さんそれぞれに声をかけていただき、改めて主催者の方々が作り上げて来られた道明寺天満宮手づくりの市の暖かさを感じました。 宮井さんご夫婦はじめ、スタッフの皆さんありがとうございました。 . いつもギリギリの連投で、前もってお伝え出来ることが少ないのですが、連れて帰って下さった方の元でホッコリしてもらえるようなモノをまた製作して行きたいと思います。 . 2017.3.21 #道明寺天満宮手づくりの市 #aco_works #aco長い
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2ttf · 12 years
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shnovels · 6 years
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新しい住人について
 この冬、二人暮らしを始めた。  親元を離れて、一人暮らしの期間が長かったものだから、どうやって二人で暮らしていくのかということに不安があったけれど、始まってしまえばなんでもない。生活というのはその場の人間に合わさるように出来ているのだと、つくづく思う。  二十五歳で二人暮らし。順調な生活具合だ。世間一般に言うまっとうな人生、そういうものに似ている。  いつものようにすぎるはずだった日々に、あるいはなんてことのない生活に、人と人の化学反応が起きれば、そこには記憶が生まれていく。これがそのうち思い出になったりするのだろうと思うと、どこか面映ゆくなる。同居人の存在をそばで感じながら巡っていく日々は、いつかなんでもない映画のようになっていくのかもしれない。  大切なことを言うのを忘れていた。  同居人の名前は、ギブソン・レスポール・スペシャル、イエローという。  身長は62センチメートル。体重は3キログラム。  普段は大人しめの黒い衣服を脱ぐと、それはそれは眩しいばかりの肌が見える。光が反射してイライラするのでケースにしまいっぱなしだけれど、黒ずくめの人間が部屋にいるのは、それはそれで威圧感がある。不審者と一緒に暮らしていたら、こんな気分なんだろうか。  一緒に生活しているのに同じ食卓を囲まないなんて、と、この前の休日の夕食の際は、一緒にテーブルについてみた。  「いただきます」までは済ませたけれど、作ったキーマカレーを口に含んだ瞬間に耐えられなくなった。  傍から見たら、ギター眼の前に置いて、食事をつまらせるおかしな人間だっただろう。いや、実際にそれ以外の何者でもないのだけれど。  話しかけるようにしてみたこともある。観葉植物に話しかけるとよく育つみたいな噂と同じ要領でやれば、少しは二人暮らしらしくなると思ったのだ。 「元気?」  当然返事はなかった。  一緒に暮らしている人に元気かどうかは尋ねないということに気がついたので、やめた。  冗談はさておき。  今の私の部屋には、ギターがある。  それなりに重い、整理しづらい物体が、一人暮らしの1LDKに存在するときのことを考えてほしい。当然急に押し掛けてきた来客に寝床なんて用意していないから、どこかに重ねたり隠したりもできない。悩んだ末の結論として、ギターは作業机の隣、曖昧に空いていたスペースの観葉植物を押しのけて座っている。  本当に邪魔だ。  特に掃除をしているときは酷い。休日、掃除をしているときに動かない旦那さんを前にした奥さんというのは、こういう気分なのだろうかと思う。  でも旦那さんはホコリをかぶらないし、いくらものぐさでもどけと言ったら動くだろうし、まだマシな気がする。と、わざわざ動かして床のホコリを掃除して、少し乗っかったホコリを拭く度に思っている。週に1度は掃除をしているから、まあそこまでひどくなることはないのだけど。  すっかり習慣として身について、今では土曜日の朝が来ると勝手にハンディクリーナーを持ち出すこの体は、毎度こまった同居人にため息をつくことになるのである。これでいて、勝手に音楽の一つでも流してくれたら良かったのだけれど、残念ながらギターは勝手に鳴ったり、メロディを奏でたりしない。ただそこにあるだけで、自分を使う人が現れるまで、ただただ沈黙し続ける。果たして待ち人が誰なのか、その答えも分かってしまっているから、余計に気まずい。  つまるところケースから出されることもなく、ただオブジェとして置いていかれるだけのそのギターは、部屋の片隅を彩ることもなく、ただただのっぺりとした印象だけがそこに存在している。招く人もいないからよかったけれど、これで部屋に遊びに来る人がいたら「ギター弾くの?」と質問されることは間違いないだろう。なにせ見逃せない程度に大きいから。そのときのことを考えて、私は勝手に冷や汗をかいているわけだ。  彼女――もしかしたら彼かもしれないが、あまり男性と二人暮らしをしているとは考えたくないから、私はこのギターのことを女の子だと思うことにした――がやってきたのは、もう一ヶ月も前になる。  ある日の朝、突然彼女はやってきた。正確には「運ばれてきた」のだけど。  二日酔いが残る朝方に、インターフォンの音で起こされたと思ったら、寝ぼけている間に玄関に大きな箱が広がっていた。何も覚えがなくて開けたら、そこには彼女がどんと構えていたわけである。これにはびっくりした。なにせ箱の中身にも覚えがないとは思わなかった。調べてみたらたしかに深夜の購入履歴が残っていて、確かに注文はしていたらしい。全く記憶がないのだけれど。  その前の日は会社の送別会で、職場でも親しい年の近い人たちしかいなくて。大きな仕事が終わって、一段落ついて。つまり酔うためにはもってこいの条件だったわけである。質が悪いのは、無事に家についた途端平気だと思い込んで――何なら足りないと思いこんで――貰い物のワインを開けてしまったことで。あっという間に真っ逆さま。気がついたら見に覚えのないギターの解説ページと、注文を知らせるブラウザの履歴が、新品そのもののギターと一緒にニヤニヤと私に笑いかけていたわけである。  そのときすぐさま|���い出して《返品して》やらなかったのは、今思えば失敗だった。圧倒的に合理的なその行動を取らなかったのは、私がこの同居人にどこか責任のようなものを感じていたからかもしれない。買ってしまったのは事実なわけだし。高価なものを何度も行ったり来たりさせてしまったら悪いし。もしかしたらキャンセル料とか取られるかもしれないし。  そういった憶測と役に立たない感傷をいくつも並び立てて、調べもせずに考えるふりをしている間に、一般的な返却期間は過ぎていき、キャンセルのボタンが注文詳細から消える頃にはすっかりギターはこの部屋に馴染んでいた。日々目にするものへの慣れというのは恐ろしく、いつの間にかずっと前からそこにあるような、そんな顔をしているように私には見えている。  酩酊した私が丁寧なことに購入していたアンプとピックは機能していて、音は鳴る。それだけは一応確認した。それ以来、一度も触っていない。やらない理由はいろいろあって、例えば防音はどうだとか、教材をどうしようかとか。いくらでも正当な理由は並べられた。それでも置きっぱなしにしてしまっているということ――つまりやらない決断をすることが、やる決断をすることと同じぐらい難しいことを思い知らされているわけで。  一年ぶりに夏紀に出会ったのは、鳴らすこともないのにしまい込むことも出来ないそのギターを、まるで自分のように持て余していたときのことだった。 ★  私も二十五年生きてきたわけで、様々なものの実在を確かめる経験があった。  嬉しくない誕生日だとか、 特別じゃないクリスマス。捨てられないCDとか、そういうものだ。大人たちが語るそういった哀愁の匂いが取れないものを子ども心に笑っていたはずの私は、いつのまにかその実在を確かめては、手触りの感触を記憶するようになってしまっていた。  「何をやっているのかよくわからない友人」なんてものが存在するということもわかったし、高校時代にあれだけ近かったはずの夏紀が、いつの間にかそういう立ち位置に落ち着いていることもあるのだとわかった。あの頃と気持ちの距離感は変わっていないはずなのに、彼女を取り巻くものだけはいつも移り変わっているから、好きだったバンドの数年ぶりの新譜に手を付けるときのような不安が、彼女を前にするとやってくる。  たまたま駅で見かけた彼女は、そのときはギターケースを背負っていて、それ自体は大学生の頃から見慣れた景色だった。土産屋の邪魔にならないような隅にいるのも彼女らしい。あの髪色も柔らかな目もあまり変わっていなくて、ただ違うのは、彼女が見たこともない女の子二人に囲まれているということだ。  囲い込まれていると言った方が正しいかもしれないその様子は、傍から見ると微笑ましいような、そうでもないような、しかしただ対等ではないことだけはわかった。夏紀を見つめる目にはそれぞれ羨望が乗っているのがよく見えた。駅を急ぐ人たちも、心なしか彼女たちを避けて通っているように見える。午後四時の京都駅に在っていい雰囲気じゃなかった。  話し込んで気づかない夏紀達の横をなんでもないように通りながら、彼女に気づかれないぐらいの距離に立って、様子を見守ることにした。頼まれてチケットを買った大学の同期のコンサートが、休日を無駄に過ごしてしまったと少しでも思ってしまうようなものだったから、このぐらいの時間のロスはいいだろう。後ろからじゃ彼女の表情は見えないが、別に見えなくてもよいぐらいには、親しいと自負している。  夏紀は渡されたCDにサインをしていて、それが彼女がやっているインディーズバンドのものなのだろうということには想像がついた。 (CDって持ち歩いているものなのかな)  素朴な疑問を持て余しているうちに、夏紀は一人になっていた。曖昧に手を振る方向にさっきまでいた女の子二人がいるのが見える。彼女たちが夏紀の方を振り向かなくなって十分経った所で、彼女の肩の力が抜けていくのが見えた。わかりやすい力の抜け方を見ながら、少しだけ生まれた悪戯心のまま、彼女の背中に近づく。夏紀がマスクを付け終わるのを待ちながら、花粉症だったかどうかまでは忘れてしまったことを思い出した。 「久しぶり」  後ろから声をかけると、力の抜けた肩が強張るのが見て取れる。俊敏な動きでこちらを振り向くと、私だとわかって安心したのか、少し大きく息を吐いたのがわかった。 「希美」 「お疲れ。どうしたの?」  私が省略した主語を恐らく理解した彼女は、しかしそれには答えず、腕時計で時間を確認した。大学時代からつけているものだとわかって、私はやっと本当に目の前の彼女が夏紀なのだと安心する。確か、優子からプレゼントで貰ったもののはずだ。 「このあと時間ある?」  曖昧な記憶が一致していくのを確かめている私に、夏紀は少し籠もらせた声で答えた。 「あるよ?」 「じゃあお茶しない?久しぶりだし」 「いいよ」  頷いた私に、夏紀は安心したように笑った。 「自意識過剰だってわかってるんだけどね」  そういいながら鬱陶しそうにマスクを外す夏紀は、至って健康体だった。花粉症じゃないという私のおぼろげの記憶はまちがっていなくて、つまりそれは変装のためのものだった。 「大変だね」 「ありがたいことなんだけどね」  そう言いながら力を抜いて椅子に寄りかかる彼女は、この至近距離で見ても、あまり変わったところを見つけられなかった。いつかの冬の彼女と同じように��夏紀はその髪の毛を下ろしていた。あのときからずっと変わっていないような気がして、すこし怖くなる。いつの間にかあの頃に取り残されてしまったような、そんな気がして、慌てて違うところを探す。彼女の目の前に置かれた紅茶とミルクレープを見出して、なんとか安心した。 「よくあるの?」  私の質問に、夏紀は苦笑いで答える。 「メジャーデビューもしてないバンドで、そんなによくあったら大変だよ」 「そうなの?」 「三ヶ月に一回もないはずなんだけど、ここのところ連続してて」  そういう彼女が嬉しく思っているのは、鈍いらしい私でもわかってしまう。友人の素直じゃない幸福をどう扱ってやろうかと考えていると、目線に意図が乗ってしまったらしい。夏紀は私から目線をそらして、取り繕うように紅茶を口にした。 「熱っ」  その様子に、からかう言葉を投げかけられるほどみっともなくはなかった。高校の頃よりずっと自覚的になった意地悪さを、私は急いでしまいこんだ。 「じゃあバンド続いてるんだ」 「お陰様で」 「なにそれ」  笑いながら、ひどく安心した。夏紀の席のとなりに立てかけられたギターは、生きているような、そんな感じがしている。同じようにケースに入っているはずなのに、私の家で黙ったままのあいつとは、あまりにも違う。 「久しぶりだね」 「一年ぶりぐらいだっけ」 「もうそんなになるのか」 「前、いつだったっけ」 「なんだっけなぁ」  夏紀が考え始めた隙を見て、頼んだカフェラテを口にする。てっきり甘いものだと思っていた舌が、苦味に驚いたのを隠しながら、自分の記憶を取り戻そうと躍起になる。 「前、みぞれが帰ってきた時じゃなかったっけ?」 「そんなになるっけ」  喫茶店のロゴの入ったカップをテーブルに戻しながら、夏紀の奥にいる家族のパスタを見つめる。カレンダーを出すのはなぜだか冷たい気がして、私は記憶の景色から季節を当てる。 「去年の1月だよ」  言葉にして引っ張り出すと、曖昧にぼやけていたはずの記憶が引きずり出された。 「思い出した。雪降ってて、優子が帽子被ってた」 「なんでそんな細かいとこ覚えてるの?」 「どうでもいいことってよく覚えてるじゃん」  夏紀の疑問を解決したふりをして、哀愁に浸るふりに勤しむ。 「もうそんなになるのかぁ」 「今年は私が都合つかなかったからね。そういえば、誕生日おめでとう」  誕生日はもう一週間前で、つまり今年ももう終わりだった。自分の部屋で一人で迎えたそれよりも、ずっと嬉しい気がした。 「ありがとう。もう25ですよ」 「私もですけど」  口を抑えて互いに笑い合う。特別じゃない誕生日も、祝われれば嬉しいもので、何気ない拾い物をした気持ちだった。目を細めて笑っていた夏紀は、ふと気がついたように私に向き直った。 「今日夜空いてる?ご飯奢るよ。大したことじゃなくて悪いけど」 「えっ、いやいいよ。ご飯は行きたいけど、夏紀の誕生日私何もしてないし。普通に食べに行こ」 「まあまあ、じゃあ来年覚えてればなんかしてくれればいいよ。こういうのはタイミングだし」  そうやって笑う夏紀は、本当になんでもないように人に与えるのが得意だ。一生敵わないんだろうな、なんて考えながら、それでも引き下がるわけにはいかない。私の曖昧なプライドもあるし、何よりなんか、悪いし。 「でも」 「ご飯以外でもいいんだけど、私ができることってギターぐらいしかないし」  そういいながら、夏紀は隣にあるギターケースを引き寄せた。その手に、あることを思いつく。 「じゃあさ、夏紀に頼みたいことがあるんだけど」
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kisanebacci · 6 years
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六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編 第十巻患者会運動」 所収原稿
患者会運動の資料を
史料として残すための
羅針盤として
 
Ⅰ. 資料の大海を渡る羅針盤
 歴史とは、無残なものである。無慈悲なものである。それは勝者によって書かれ、勝者にとって最大の利用価値として残されるからである。精神病患者会運動の『勝者』とは何者であろうか。患者会運動とはキチガイのセーカツそのものなのではないのか。この二つの奇妙でキョーレツな問いが「資料の大海を読み解く羅針盤」となる。全国「精神病」者集団的・全精連的な在り方と、地を這う患者会・キーサン患者会的な在り方との対比が、羅針盤である。セーカツとウンドーを対比しつつそのバランスが羅針盤となる。
 この資料集成そのものは、おそらくは、敗者のためにある。何故って、精神医療改革運動為るものは、厚生省と精神病院経営者と精神医の学会によって散々に敗北をさせられてきたからである。だからこそ後世のために残すことそのものに意義がある。だが、精神医療改革運動の中で当事者運動は、もっと言えば『精神病患者会』ほどないがしろにされてきたものはない。当事者運動の中で最も大きな顔をしてきたのは、全家連を中心とする家族会であり、活動家団体としての全国「病」者集団であり、精神医良心派改革派のプシ共闘なのであり、それこそ、運動体としてのナンタラ共闘会議ドウタラ連絡会議等々全国ナンタラ日本ドウタラ等々であった。もちろん、その意義は一定程度はあったのだと想う。特に政治的運動的には。そもそも、そう「当事者運動」と云うのなら、家族も精神医も看護士も当事者だ。だが、そうだからこそ、我々のようなキチガイのキチガイによるキチガイのための「精神病患者会」為る在り様からの異議もまたアッタのである。
Ⅱ. 地を這う患者会列伝
 大体が、名前からして全く違う雰囲気を醸し出している。愛媛松山の「ごかい」(言わずと知れた「わしらの街じゃあ」「天上天下病者反撃」のキーサン患者会の親分である。キーサン患者会、地を這う患者会の希望の星であった)静岡藤枝の「藤枝友の会」(地元の精神病院内の患者自治会から発展して地域患者会として作業所に変化も拒否し、徹底して会員の会費だけでたまり場を維持し続けている類まれな患者会である)神戸の「ニューカトレア会」(阪神三人衆と言われたカチコミの親分達が言っていた、山本深雪氏が大阪人権センターだの大精連だのと目立ち始める前は、ここにパラシュートして来て元々から居るような顔して、クスリ飲んでるとこなんかいっこも見たことない、と)博多の「福岡わらびの会」(今現在に至っても手書きの会報を発行し続けている凄いトコロである)東京亀戸の「新松橋亭」(しんまつと親しみを込めて呼んでいた。東京の下町で、「天上天下病者反撃」を読んで感動して作ったのだとのことで、クボタクリニック脱藩組の支援者たちもナカナカの人物である)大阪高槻の「灯会」(言わずと知れた精神病患者会の老舗中の老舗、俳句を作り続けている)堺の「ガンバロー会」(全国各地にあった精神病院の患者自治会出身の会である。このころは、浅香山病院、岩倉病院、光愛病院等々の全開放を目指した病院には、もれなく患者自治会があったものである)住吉の「旅立ちグループ」松江の「つぼみ会」「麦の会」山形の「こまくさ会」信州の「プチノマド」「ひなたぼっこの家」広島の「モスク」(��座を惜しむすき者の会の頭文字をとったそうである)名古屋の「雑草会」清瀬の「一寸五分の会」(ここの会報は毎回面白いものだった)岡山の「すばる」鹿児島の「わかち会」土佐の「西風の会」北海道の「すみれ会」(回復者クラブと自称し始めた最初だと想う。道回連も名乗っていたかも。その後セルフヘルプグルーブだのマインドだのと、イロイロな名乗りがうまれたが、その後どうなったのだろうか。但しココは、セーカツの匂いはとてもしていたと想う)東京の「友の会」(患者会の元祖かもしれない)富山の「ルナの会」福井の「らばの会」いや「ろばの会」だったか記憶が定かではない。
 キリスト教系を前面に打ち出した「心の泉会」(各地の教会に集う月一くらいのたまり場をたくさん網羅していたので、考えてみれば、ココこそがある種実質的な全国的連合体だったかもしれない)全国「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」京都分会「ひまわりの会」全精連の県連としてあった「松ぼっくりの会」(ココは本当に患者会としてのセーカツの実質があった)全精連とは独立した立場の「兵精連」(全精連系の活動家が名乗る前に勝手に名乗ってしまおうと云うノリであった。実質はあったのかなかったのか)「大精連」(「病」者集団とも全精連とも独立した第三の制度政策提言路線政治大好き山本深雪氏の牙城と言っていいだろう)などもある。
 そして我が京都山科の「前進友の会」(1976年十全会病院を脱走した病者、命からがら退院した患者、アルバイトスタッフだった学生たちで結成した。初期のころは学生部隊の反十全会闘争と多彩なレクに特徴があった。88年からは、患者会が設立母体で運営主体である共同作業所も運営しつつ)である。こうやって、ココに想い付く限りの患者会の名前を並べ得ただけでも、書かせてもろうただけでも、ありがたいことなのである。地を這うように70年代から80年代にかけて、精神病患者同志のレクと食事会とたまり場から澎湃としての沸き起こり活動を続け、全国ドウタラとか少しもかかわりも持たず、90年代少しづつ減っていきそして大方は21世紀には、消えていた。
Ⅲ. 全国「病」者集団的なるものとの対決
 ところが不思議なことに全精連為る団体が93年に、厚生省の役人を発足大会に来賓として迎え、鳴り物入りで出来上がってくるのである。何が不思議かと言えば、各地の特色ある患者会は段々と活動を縮小していっているときに全国の連合体が出来ていったのである。ご丁寧なことには、県連と云うものもできていった。本当に実態があったのだろうか。現在の全精連の現状を考えてみれば、答えはおのずから明らかであろう。もう一つおまけには「病」者集団はこの動きに対して「歴史的な意義がある」として賛成しその宣伝ビデオに赤堀さんまで出演させてしまった。当時、不思議でかなわんかった。だって、全国「精神病」者集団と云う歴史ある全国組織があるのだから、結集したければソコに結集すれば良いことだったから、、、「地を這う」ように各地にあった患者会は、結局はその「病」者集団にも、新手の全精連にも積極的に合同していこうと云う動きには為っていかなかった。では何故にそうはならなかったのか。結論から言えば、このあたりから、「ごかい」「藤枝友の会」「前進友の会」と云う「キーサン患者会」「地を這う患者会」と自称していた我々と「病」者集団との対立が決定的になっていったのである。それは、当事者運動総体の歴史から見れば、ある種不幸なことだったかもしれない。もちろんその責めはえばっち自身もキーサン患者会も負わねばならぬが、また、大野萌子氏も「病」者集団も負わねばならぬだろう。
 ここで重要なのは、本質的には、大野萌子氏と対立していたのであって、山本真理氏と対立していたと云う事ではない事だ。山本氏は大野氏の『代貸』に過ぎなかったのだから、当然であろう。90年代を通して我々が対立していたのは大野萌子氏の路線であった。70年代80年代、偉大な先駆者であり指導者だった大野氏は、誰もが敬い「世話になった」と言うほどの存在であった。それは確かなことだと想う。当事者としての大野氏の存在がどれほどのものだったのか、全国精神「病」者集団がどれほどの存在であったのかは、筆者が書く必要もあるまい。この資料集成のそこかしこにちりばめられているはずである。だが、その「偉大なる」大野萌子氏も、赤堀さんを奪還して以後は決定的に路線を誤った、とそう想う。90年代以降、個人的にも運動体としても誰もが逆らい得ななかった大野氏に面と向かっておかしいと言い始め、問い続けたのが、キーサン患者会だったわけだ。
 はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった。手帳制度の問題も大きかった。大阪での手帳のヒアリングを「ごかい」がカチコミを掛けて、完全に粉砕してしまったぐらいだった。我々は反対の立場だった。保安処分の『監察札』になってしまうぞ、と言っていた。一方「病」者集団は精神障害者にも手帳をとばかりその名も『赤い手帳』が欲しいと、ニュースに書くありさまだった。大野氏の路線だった。この辺から「制度政策提言路線」に急速にはまり込んでいく。その延長線上に山本真理氏や関口明彦氏らの活動家が、30万を超える入院中の患者を、圧倒的なナニも知らずに呻吟している病者を鉄格子とあの厚い鉄の扉の向こうに『置き去りにしたまま』国会の参考人になったり与党か野党か知らんが政党の検討委員やナンかの公的な機関の審議委員やあまつさえ精神医の学会の理事に為ったりしていった。それどころか、自分に敵対する者の口を封じるのに刑訴や民訴や第三者機関やらの権力に売り渡すことまで平然として、他の患者を脅しながら自分から手を挙げて国会の参考人になりに行くという桐原尚之氏のような若手を作り出してしまった。大野萌子氏の「病」者集団型制度政策提言政治活動家論客路線の当然の帰結であろう。
 しかし、そもそもの対立軸は、根本的な精神病患者会の存在自体をどうとらえるかと云う点にあったと想う。「病」者集団の立場は、つまるところ、大野萌子氏は、常々こう言っていた。「医者が作ったものは、患者会とは認めない、だから「ごかい」や「藤枝友の会」は、患者会では、ないのだ」と。これは、筆者が、「病」者集団の事務局会議に参加していたときに、直接そう聞いた。コレを聞いたとき、チガウなぁぁぁぁぁーーと想った。実際に「藤枝友の会」や「ごかい」の食事会に参加させてもらっていて、ソウ感じた。デモ、なんとなく、少しは、少しは、当たっているようにも想えた。「ごかい」と笠陽一郎医師との関係や「藤枝友の会」と中江清員医師との関係のことを言っていたのだろうが、そうはっきりと斬って捨てられるような薄ぺらたいものではないんですよ。だが、その上で、笠医師も中江医師も、精神医たちは相当強く患者会の意思決定に影響を与えているのもまた事実であった、と、そう想う。それを全否定してしまうのもまた、事実とはチガウと想うのである。今にして想えば、相互にその微妙なトコロを理解し合えていれば、と、そう想う。患者会とはキーサンのセーカツと病状と支援者のノリの上に微妙に成り立っているものなんですよ。
 キーサン患者会、全国の地を這うような患者会とは、本当に、重たい病者中心のセーカツ共同体的な側面が強かった。だからこそ、レクと食事会であった。一緒によく飯を喰った。患者会には患者会独自の味があるのです。「藤枝友の会」の駿河親子は、うまかった。「ごかい」で食べたあのカレーの味は忘れられない。「福岡わらび」のあの博多水炊きは激ウマだ。「しんまつ」で食べた、あれはナンだったのか冷しゃぶだ、美味しかった。たしか「ごかい」でも食べた。みんなで、お皿を回して、あれは高知全家連大会にカチコム前日の夕食だったか帰ってきてからの夕食だったか。だから、「病」者集団の食事会に参加させてもらっていた時に、コレは患者会の食事会じゃないな、会議参加者の休憩時間だなとは想ったし、「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」の食事会は、確かに患者会の食事会にはチガいないものの、参加者全員が大野萌子氏に過剰なくらいのおべっかを使いながら食べているのがよく分かった。本当に過剰なまでの阿諛とお追従に満ち満ちていた。味なんか忘れてしまった。そうそれは、患者会の食事会ではなかったのだ、まさしく、大野萌子氏を囲む会だったのだし、大野萌子氏の食事会であった。  だから、「病」者集団は、活動家集団から、一歩も出ずじまいだった、のだ。本当に重たい病者中心の患者会ナンて、出来るはずがない。本当に口の重い身体の重い病状の重いクスリの重い病者たちが集まってくるには、そう、やはり精神医は必要なことだったのだ。重たい病者たちは、活動家風の健病者風の患者を、最初のとっかかりには決して信用はしないのだ。だって、部屋長と配膳係と、そしてすぐに退院していくヤツ等なんだから、、ソコのトコロを分かってはいないと、キレい事風の活動家集団になるだけのコトだ。そしてそのキレい事が、大野萌子氏の独裁体制を担保していた。ジッサイのところ、本当に患者会を作り、維持し、活動し、セーカツし続けていくのは、ムズカシイことなのだ。その最初のとっかかりに、そしてその継続にも、精神医や医療従事者や、健常者や健病者達は、必要だったのだ。モンダイは、その後、患者会側と、精神医とが、どのような関係性を構築するか、なのだ。特に、主治医ー患者関係にある精神医が、患者会の設立メンバーである場合には、その関係性によって、患者会側の主体性と精神医側の医療内容が、問われることに為るの、だ。患者会を維持するにあたっても、実は、健常者も、精神医も、そして、健病者も、居る必要があるのだ。だって、維持するには、ケッコウな金も、パワーも、手仕事も、必要になってくる。精神病患者会とは、結構な手間ひまと気力体力が必要なのである。その時の役割分担を考えてみたら、よい。モンダイは、分裂病圏、うつ病そう病躁鬱病圏、精神医はじめ支援者達、AC気味不登校気味やノイローゼや神経症圏の屈折した青年健病者達、四者の関係性に在るのだ。役割分担の在り方と、発言力の調整と、人間関係にアルのだ。支援者としての、形式会員でよい我が医療の監視をしてくれ、口は出さぬが手は貸そう、口も出さぬしカネも出さぬがヤレルことはヤルと云う精神医、看護婦看護士、ワーカーが必要なのだ。だが、発言力に制限を設けねばならぬ、そして、ドウいうなかまたちの意向が、まず優先なのか、、、、なのだ。ソコの微妙なトコロを分かり合えなかった「病」者集団も伝えきれなかったキーサン患者会も相互に誤っていたのだ。今なら、両方の誤りが見える、気がするのだが、、、、えばっちの妄想か幻覚か、、、  ハナシを戻そう、それでいて、大野萌子氏は、プシ医師達からの積極的カンパを当てにしていた。精神神経学会での募金箱を持っての金集めには、ビックリした。学会最終日の総会議場でのあの光景は、実に異様なモノだった。アレじゃあ確かに、総会の壇上占拠ナンて出来るはずはない。理事会や運営委員会に、当事者を入れろと云う方向に走るハズである。一方キーサン患者会の側は、90年代を通じて、学会レク「カチコミ」をぶちまかしていた。松山学会、長崎学会、大阪学会、長岡学会、仙台学会、高知全家連大会、静岡全家連大会、大阪手帳ヒアリング、我々にとってはレクだった。シンドいキビシい病状を掛けたレクだった。クルシカッタ。精神病患者の病状を伴った怒りの爆発をソノマンマ、レクとして壇上占拠して叫び続けるのである。「造反無理」であった。造反するものに理屈は無いのである。大野萌子氏は「論客になって論破せよ」とのことであった。それが出来得る精神病患者がどれだけ居ると云うのだ。「造反有理」と「造反無理」の対立であった。
Ⅳ. 岡田さんとの出会い、それは羅針盤の意味
 最後に岡田さんとの出会いと驚きを書いておこう。それが「羅針盤」の意味となろうから、、、あれは、15年の春、八王子ホットスペースの20周年記念の御祝い会の場で同じテーブルに座ったのが、キッカケだった。どちらが先に声を掛けたか記憶が定かではない。たった3年前のことなのに。戦後版の精神医療資料集成をしているとのことだった。その後、手紙のやり取りから、反十全会市民連合の資料などを送るようになった。その中で、これほどの資料を残そうとしている人が、なんと精神病患者会の会報を何一つ持っていないことが分かった。驚愕した。「ごかい」のあの大部の「3冊セット会報縮刷版」も、「藤枝友の会」が毎年23号にわたって作り続け、病地学会で一冊一冊手売りしていた「ひとりぐらしのうた」も、前進友の会の「兄弟だろ」も「友の会通信」も、各地のたくさんの「地を這う患者会」の会報を、実物を何一つ持っていないとのことだった。精神病当事者団体で、ちゃんと持っているのは「病」者集団関係のモノだけ、とこれは電話口で言われたのか、その時の驚きは本当に曰く言い難い。なんというコトだと、参ってしまった。だからこそ、即座にミカン箱一箱に、友の会の事務室で目につくものはあらあら送った。「興奮している」と云うお返事を頂いた。ぎりぎりで間に合ったのだと想った。助かったとそう想った。これで、少しは遺せそうだと想った。ただ、これだけ「地を這う患者会」があって、それぞれ特色ある会報を出し続け、「キーサン患者会」がバクチクをぶん鳴らし、叫びまくって学会の壇上占拠をし続けていたが、歴史史料として、残すことがどれだけ難しいことか、想い知った。この出会いがなければ、全国にこれほどの「地を這う患者会」が活動をし続けていたことが、忘れ去られていくだけであっかもしれない。この資料集成に、いかばかりかでも精神病患者会の会報が掲載されたことは、感謝のみである。我々「キーサン患者会」が『敗北』していったとは、実に、こういうことではなかろうか。「病」者集団の方は、桐原尚之氏はじめ、国会の参考人として、17年の国会は勝利だ勝利だと大宣伝中である。我々の方は、高齢化し、亡くなる者はみんなあちらに行き、精神病院へ死にに戻っていく、そして、最終的に患者会なるものは、ほぼ無くなっていくことだろう。バラバラになりつつである。そも、どのくらいの会が今の日本で残って活動しているのだろうか、とも想う。『敗者』とは実にこう云うことではなかろうか。
 この資料集成を読むにあたって、研究するにあたって、キーサン革命の鬼からの「羅針盤」が、以上である。これが羅針盤に当たらないと思われる方々は、出来得る限り、せめて作業所や精神病院やデイケアや診療所などといった直接に精神病患者と付き合うような場には来ないで頂きたい。コンなコトを言いつのっているのだから『敗北』するはずである。
 「キーサン」とは、「ヤクザ」が「ヤーサン」なら、わしら「キチガイ」は「キーサン」やと云う誇りを持った生命の底で居直り、セーカツの底で居直り、街に居座り精神病院で生き延びるための自尊自衛自主自立��自称である。
キーサン革命バンザイ!!!!!
献呈 この拙文を故桜庭章司さんに献呈したい
桜庭章司さんは、僕が知る限り、唯一の、たった一人の『精神医に直接的実際的オトシマエをつけた偉大な先輩病者』である。若い時分、短期間の間文通させていただき、拘置所からのご本人の依頼で、何回か裁判資料などを全文コピーさせて頂くと云うお手伝いをしたことがある。少しは、お力になれたのだろうか。桜庭さん、桜庭さんの『オトシマエ』には、及ばないかもしれませんが、えばっちの『オトシマエ』は、患者会を維持し続け、最も身近な精神医療と福祉に文句を言い続け、精神病患者会のことを世間様に遺し続けるのが、僕の『オトシマエ』ですよ。ゆっくり眠ってください。キーサン患者会は、叫び続けます。
2017年11月14日
前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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hyouset · 3 years
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やさしさってなんやろう
こんにちは。それでは日記を書こうと思います。今日は家からです。あんまり体調が良くありません。気温の変化が激し過ぎて、それについていけなくなった形です。ちょっと花粉もあります。
最近は、色々なことがあったような気がします。色々なことがあったというより、色々なことを思ったという感じかもしれません。違うかな。久しぶりに日記を書こうとすると、変にかしこまってしまうというか、格好つけようとしてしまうというか、思い切りの良さが生まれません。どんな形になったとしても、とにかく書きます。
とにかく、最近あった出来事を振り返ってみようと思います。それを振り返ることが、最近、考えていることをまとめることにもなると思います。
全然関係ないのですが、花粉症かもしれません。
はじめます。
二週前の土曜日から先週の月曜日まで、三日連続で人に会いました。土曜日に会ったのは高校のときの友達、日曜日に会ったのは大学の後輩、月曜日に会ったのは小学校のときの友達です。土曜と日曜は一対一で、月曜日だけ大人数、僕含め四人で会いました。でもそのうちの一人と帰り際、家の前で一時間くらい話したので、この日も一対一の会話をしています。あと飛びますが、一昨日も友達に会いました。月曜日に会った3人のうちの一人で、家の前で話した人とは別の人です。なぜここまで詳しく説明しているのでしょうか。
多分、少し不思議なのです。昨日の日記にもちらっと書きましたが、僕は自分のことを、人付き合いが得意な方だとは思っていません。友達は少ない方、一人でいる時間の方が圧倒的に長い方、毎日のように誰かと一緒にいると疲れる方、そういうふうに自分のことを認識しています。でも、そんな人間が三日連続で人と会うでしょうか。会わないような気がします。
最近、考えていること。こう見えて(こう見えて?)僕もこの春で大学四年生になります。大学最後の一年です。大学生活が終わるということ、来年から大学ではない別の場所で過ごしていくということ、この二つに、軽く衝撃を受けています。今年から一人暮らしを始めるかは分からなくても、来年からはほぼ確実に一人暮らしを始めます。実家と大学、両方ともから出ることになります。場合によっては、別の県に行くことだってあり得ます。環境が大きく変わるのです。僕は、今から一年後のことがとても怖いです。
中学、高校の頃、特に高校の頃は、早く学校に行かなくて済むようになりたいと思っていました。大学一年が終わったときも、真剣に退学しようと思っていました。なのに今は、学校にしがみつきたくなっています。どういうことでしょう。多分、原因の一つに足場がなくなることへの恐れがあります。なんというか、そこにようやく実感を持てるようになってきたのです。
「自由に生きよう」「好きなことをやって生きよう」口で言うのは簡単です。でも実際に行動に移すことは簡単ではありません。それは、自由には責任が伴うとか、好きなことをやるためには嫌なことも我慢しないといけないとか、そういうことではありません。そもそも「好き」も「自由」もそんなに信頼に足るものではないということです。仮に自由を手に入れたとしても、幸せを感じられるとは限らないし、そもそも自由って何って話だし、子供たちが公園に集まって鬼ごっこをするのは、何かルールがないと遊びにならないからだし、でもルールがあるとストレスがかかることは間違いないし、要するに、そんなシンプルなものではないうことです。
どこまでいっても、多分寂しさは消えません。めっちゃクサイこといってます。その自覚はあります。でも最近はどうしても、こういうクサイことばっかり考えてしまいます。幸せってなんだろうとか、マジで考えてもどうにもならないことばかりが頭に浮かびます。正面から向き合って答えを出そうとしているわけではありません。そういうことがしたいわけではありません。なんなら考えたいと思っているわけですらありません。でもずっと頭の中にあって、それもかなり中心に近い場所にあって、幸せってなんだろう、っていうデカい問いの周りに、他のもやもやしていることが、浮遊しているような感じになっています。
友達と会うとやっぱり嬉しいです。特に、土曜日に会った友達とは、ここ二年くらいずっと会えていなかったので、会えて本当に嬉しかった。
春休みにやっていることは、主にバイトに行くこと、本を読むこと、人に会うこと、この三つです。本を読むと人に会うのダブルパンチで色々よく分からなくなっていっているような感覚があります。最近、読んでいた本は、金原ひとみさんと大前粟生さんの本が多いです。どちらも特別好きな小説ではありませんでした。でも、読んでよかったなとは思っています。金原ひとみさんの小説は、なんというかもう血だらけになっている場所にまだ打撃を加えるような、おどろおどろしさ?がありました。辛いときや苦しいとき、下腹部に力を込めるといいと言う話がありますが、金原ひとみさんの小説は、下腹部に力を入れるのがデフォルトになりすぎて、そのまま全身の筋肉がこわばって、もう力を抜けなくなってしまったというような、そういう壮絶さを感じます。「力抜いたらいいじゃん」とか、そういう言葉がまったく意味を持たない世界です。怖いです。怖いですけど、それを否定的に見るのは、あまりにも甘いというか、リングの外からヤジを飛ばすような無礼さを感じます。大前粟生さんの小説は、その反対です。反対というと語弊がかなりありますが、自分のなかに小説マップ的なものをパッと広げたとき、金原さんの小説と大前さんの小説は、真逆の位置に配されます。かなり感覚的な話です(誰に言い訳してるんだろう)金原さんの小説の人物たちが痛みに耐えるため下腹部に力を込めるとしたら、大前さんの小説の人物は、自然体のまま痛みを正面から受け止め、布団にくるまります。「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」に「つらいことがあったらだれかに話した方がいい。でもそのつらいことが向けられた相手は悲しんで、傷ついてしまうかもしれない。だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。ぬいぐるみに楽にしてもらおう」という言葉が出てきます。本の帯にも書かれている文章で、かなりこの小説を象徴する言葉だと思います。でも、と僕は思うわけです。突然だな。僕は、この小説を読んでいるとき、ずっと「ん」に濁点がついてる感じの呻きをあげそうになっていました。それでええんかと。それでええんかと。というか、なんでお前らはそういうふうに思えるんやと。ちょっとすごすぎないかと。この小説のなかに「白城」というキャラクターが出てきます。この小説のなかで、僕はこの人物が一番好きでした。というか、白城の存在によって、この小説は成り立っているような気がします。白城は言います。「麦戸ちゃんと七森が、やさしいから人より多く傷ついてしまう」そして「そんな二人みたいになりたい」とも言います。麦戸ちゃんと七森はこの物語の中心になる二人です。白城はぬいぐるみと話しませんが、麦戸ちゃんと七森は話します。最初から話していたわけではないですが、最後には話すようになります。
正直、僕はこの小説が言う「やさしさ」にあまり共感できません。先に書いた「辛いことは誰かに話した方がいいけれど、話した相手が傷ついてしまうかもしれないからぬいぐるみと話そう」という考え方にも、共感できません。共感できない、自分とは違う、そういう考え方もある、で終われたらいいのですが、なぜか、否定したくなってしまうし、とても気になってしまいます。なんだろう、もしかしたら違うかもしれませんが、僕は部分部分、この小説に強く共感しているのかもしれません。分かるなと思っているのかもしれません。はっきりとは覚えていませんが、幼稚園のときの僕は、ぬいぐるみと話したいと思うような男の子だったと思います。最近、幼稚園の頃の感覚をよく思い出します。幼稚園の時の自分が本当の自分で、今の自分は邪険と偏見を纏いすぎて本当の自分ではなくなっているとか、そういうことは言いませんが、でも、幼稚園の頃に持っていた感覚は、とても大事なものだったのではないかなと思うのです。
かなり話が逸れますが、僕は最近、どの自分が一番自然な自分なんだろうということを考えます。最近、よく聞く「LGBTQ」や「ADHD」という自分を何かしらにカテゴライズする言葉は、あるがままの自分で生きていくために生まれたのではないかな、と僕は思っています。失礼な言い方になっていたらごめんなさい。よく分からないことを書くと、僕は少し、このLGBTQやADHDと自認している人たちに、劣等感を持っています。このへんのことは本当にうまく、というか最適な形で言語化できないですが、それなら言葉にしない方がいいとも思うのですが、それでも書きたいです。まず一つ目に、LGBTQを自認する方は、自分自身を捉える解像度が高いのではないかと思います。以前読んだトランスジェンダーの方が書かれた本には「自分の身体的な性と違う性になりたいと思うことは欲求の底板で、それ以上に理由はない」というふうに書かれていました。僕は、自分がどういう性質を持っているかとか、どういうことがやりたいか考えるとき、大体、理由を探しにいきます。目的と理由が同じ位置にある、というか、理由より先に目的が来ることがなかなかありません。僕は最近「自分は男です」と名乗ることに、気持ち悪さを感じています。でも、ノンバイナリーだと名乗ることにも違和感がありますし、僕には、ノンバイナリーだと名乗る覚悟がありません。少なくとも今のところありません。そもそもノンバイナリーと自認される方は、覚悟を持たないといけないなんて、そういうふうに考えることはないのではないかと想像します。
「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の中には、男性であることの加害性についての記述があります。「僕は男だから、それだけでひとをこわがらせちゃうかもしれないし。加害者側にいることが、すごく嫌で……」七森のセリフです。七森は男らしさとか女らしさみたいなものが嫌いです。恋愛をしてみたい気持ちはありますが、それによって誰かを傷つけてしまうことを恐れています。優しい人物です。強さはない優しさです。どこまでも柔らかい優しさです(僕がそう思っただけです)。
今まで、僕は「男の子」でした。でもこれからは「男」として扱われるようになります。大学一年のときまで、人間関係のなかで自分の性別を意識したことはありませんでした。多分、男だと思ってはいたのだと思いますが、その言葉に実態はありませんでした。体が男だから男。それだけでした。
男に色々な意味が追加されるようになったのは、そういう感覚になったのは、最近になってからです。折に触れて、あなたは男だからこれね、と言われることが増えました。そう思うのは、多分、僕が敏感になったからです。じゃあ、なんで敏感になったのか。あまり強く意識してこなかったのですが、それは多分、大学二年のときにやった、異性装のイベントがきっかけです。
授業の一環で行ったイベントです。正確にはイベントそのものというより、そのイベントの準備や、イベントのために読んだ本がきっかけでした。いやでも、本というよりかは、男子生徒の女装が印象的だったのかもしれない。坂上秋成さんと山下紘加さんという、二人の方の小説を読んで、どちらもとても良かったのですが、性別のことを考えるきっかけになったのは、一人の男子生徒が、女装をした日のことかもしれません。振り返ったときにそう思うだけかな。でも、ここで男性、女性と二つに分けられたような気が、勝手にしました。
僕はメイクをしたことがありません。多分、周りの男子もそうだったのだと思います。女装をする男子が前に座っていて、そこに二人くらいの女子がメイクを施しました。残りの生徒は周りから見ている形です。女装し終わった後、感想を求められた男子生徒は言いました。「男子と女子の反応の違いが面白かった」女子は女装するその子を見て騒いでいたのですが、男子はそれを黙って見ていました。その違いが面白かったと、その男子生徒は言ったのです。なんとなく、僕はそう言われたときに罪悪感がありました。罪悪感というか、後ろめたさ、いや後ろめたさでも罪悪感でもないな、なんというか、自分も騒げるはずなのに騒がなかった、そういうふうに思いました。女子みたいに騒ぐこともできたのに、自分は今、そういう状態にいない。その当時の僕は、騒ごうとは思いませんでした。興味はありましたが、それはどう変わっていくのか見たいなーという感じで、思わず声が出てしまうような興奮は感じていませんでした。あの場で無理に騒ぐことはなかったです。でも、僕にも、あの場で反射的に騒いでしまうような人間になれる可能性はあったのだと思うのです。うまく言葉になりません。とにかく、居心地の悪さがありました。集団になると、男子と女子みたいな感じで、大別されることがあります。大きい括りで「男子」と扱われるのが、僕は多分嫌いです。でも、じゃあ女子として扱われたら満足なのかというと、そうでもありません。結局、大きい言葉で括られることが嫌なのかな。
どうでもいいですが、このイベントのために読んだ坂上秋成さんの「ファルセットの時間」と「夜を聴く者」という小説がとても好きでした。
書ききれていない感じもしますが、とりあえず今日はここまでにします。今日書いた内容は、怒られてしまう可能性があるものかもしれません。もしそうだったらごめんなさい。なぜこの場所に書くのかということを、もう少し考えた方がいいのかもしれません。
また次回、よろしくお願いいたします。あんまり間隔空けずに書きたいです。
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snmnmgr · 3 years
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こんばんは!毎日お疲れ様です。目黒です👍
花粉症で目こすってたら今右目がすげー赤い🙄
花粉も生きてるし、俺も生きてるから仕方ない笑
最近の俺は、
仕事が忙しくなってきて、毎日気合入れて、ありがたいなって思いながら過ごしてるよ!
2年目だからってのはもちろん
沢山仕事をもらえてるからこそ、1つ1つ気が抜けないし、経験に変えていかないと💪
それスノ地上波もうすぐはじまるね✨
今から放送楽しみ過ぎる。この間発表されたばっかりなのに、時の流れって早いな〜
夏まであっという間なんだろうな〜
日々大切に過ごしたいね。
最近体をよくぶつけるんだけど
いや、、これ、前からだな笑
なんでもないです笑
みんなも気をつけて、ケガしないようにね!
ちなみに俺はケガしてないよ!
確認してないだけで、アザはできたかも笑
まわり見てるはずなんだけどなぁ
FINEBOYSの表紙が発表されましたー
チェックした?どうだった?笑
3人並んだ表紙、なんか新鮮だよね😊
お二人に負けないように頑張らないと💪
発表されてすぐにラウから送られてきた。あいつ情報早い!
今週の金曜は康二とラヴィットに出させていただくんだけど、早起きできるか今から不安、、
まず頭目覚めるかな俺🤣
康二いるから大丈夫かな!
春ってだけで気が張るし、
思ったより疲れて帰ったりすると思うけど
無理はしないでゆっくり休んで
一緒にのんびり頑張ろう!
自分にも人にも、やさしい気持ちは忘れないようにしよう👍
じゃあまた24日に!
(´u`)👋
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short-span-call · 4 years
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#044 ボーイ
 日本国千葉県市川市塩浜二丁目にある市川塩浜というなにもかもが中途半端な駅の安っぽいベンチに、その男の子は座っていた。毎日いた。毎晩いた。日がな一日そこにいた。あるときは、菓子パンを頬張っていた。あるときは、ペットボトルを握っていた。あるときは、電車のドアが閉まるタイミングに合わせてフエラムネを鳴らしていた。あるときは、ぶんぶんゴマを回転させていた。どこで湯を調達したのか、カップヌードルに蓋をして、三分、じっと待っていることもあった。だいたいは小ぶりのリュックサックを背負っていたが、コンビニのビニール袋だけを持っているときもあった。紙袋を横に置いているときもあった。いつも、何も持っていないような顔をして、そこにいた。  市川塩浜駅の利用客は、周辺の工場や倉庫に努めている会社員や契約社員やアルバイトがほとんどだった。あとは、周辺の工場や倉庫に視察にきた本社の人間。男の子はそのことを知らない。なんだかみんな、一様に、具合の悪そうな顔で電車から出てくるな。男の子はそう思っていた。  ごくまれに、駅のホームで電車を待っている人が、男の子に話しかけてきた。ぼく、どうしたの? 学校は? お母さんは? 話しかけてくる人は、なぜかほとんどが女性だった。小さなツヤツヤしたバックを肩から下げ、パンプスかヒールを履いているような。視察の人間。男の子はそのたび、相手をじっと見つめ、意味ありげなジェスチャーと、意味ありげな口パクをした。自分の耳の辺りを指したり、言葉にならないうめきのような声をかすかに出した。そうすると、だいたいの人は黙り込んだ。困った顔もした。そしてそのあと、大抵の人が慌てた様子でカバンから紙とペンを、あるいはスマホを取り出した。男の子はそれを受け取り、毎回、こう書いた。 「ひとを まっています だいじょうぶです ありがとう さよなら」  相手は安心と困惑とバツの悪さが入り混じった顔をして、手を降って男の子から離れる。だいたいそんな感じだった。  男の子は考える。どうして話しかけてくるとき、最初にぼくが付くんだろう。なんだか、名前みたいだ。マイネームイズボク。男の子は不思議だった。僕はただここにいるだけなのに、話しかけてくる人は、どうしてみんな学校のことや親のこと(それも、なぜか必ず、お父さんじゃなくて、お母さんのこと)を聞いてくるんだろう。どうしたの? と言われても、答えようがなかった。そっちこそ、どうしたの? と、逆に聞いてみたかった。みんな、どういう答えを求めているのだろう。  男の子はその日、小さな巾着袋を持っていた。中にはパインアメが袋いっぱいに詰まっていた。男の子はパインアメを舐める。眼からじわじわと湧き出る涙で、男の子はこの駅にも春がやってきたことを知った。男の子は、花粉症だった。 「最近悪夢ばっか」  男の子のとなりに男が座っていた。男の子は男がしゃべりだすまで、男が近づいてきたことにも、となりに座ったことにも気がつかなかった。男の子は横目で電車の発着を告げる電光掲示板を見て、自分がほんの少しの間、眠っていたことを知った。 「この前見たのは、嵐の二宮とピアノコンサートをする夢。ステージ上にヤマハのグランドピアノが二台置いてあって、客席から見て俺は右、ニノは左のピアノの前に座って、演奏したんだ。俺はその楽譜を、そのとき初めて見た。知らない曲だった。当然、弾けない。それでも俺は頑張った。でもダメだった。コンサートは大失敗だった。俺は曲の途中でステージ上から逃げ出して、ペットショップで犬用のトイレを買った。それからあとは、覚えていない」  男は、男の子の方を見ながら、オーバーな表情と身振りで話し続けた。 「そのさらに前は、映画を撮る夢を見た。俺は寂れた小学校みたいなところで寝泊まりしていて、隣の部屋で寝泊まりしていたカメラマンみたいな奴にカメラを渡されるんだ。で、こう言われる。『俺の代わりに映画を撮ってくれないか』俺はカメラを渡される。録画機能のない、古いタイプのデジタル一眼レフカメラだった。俺は写真を撮りまくった。写真を撮るっていう行為が、つまりは映画を撮るってことだった。それから色々あって、俺は幼なじみと二人で、サバンナみたいな場所を、大量のチューバを担いで、幼なじみは引きずって、歩いていた。それからあとは、やっぱり覚えていない」  男は缶コーヒーを持っていた。プルトップは開いていない。熱くてまだ飲めないのだ。男は、猫舌だった。 「昨日は、ヤクザになった友達から逃げ続ける夢を見た」  男は、あらかじめ決められていたかのように背中を曲げて、男の子の顔をのぞきこんだ 「なあどう思う?」  男の子は男の方を向き、あらかじめ決められているジェスチャーと口パクをした。耳の辺りを人差し指でトントンと叩き、うめき声をあげた。男は眼を少しだけ見開いて、笑いを堪えるように口を尖らせた。それから、缶コーヒーのプルトップを開けて恐る恐るコーヒーを口に入れた。 「ふうん」  缶コーヒーの中身は男の舌でも味がわかるくらいぬるくなっていた。男は缶コーヒーを、今度はさっきより勢いをつけて飲み、男の子の耳元に顔を寄せた。 「つくば山に、喰いつくばあさん」  男はささやいてから、吹き出すのをこらえるような顔をして、缶コーヒーに口をつけた。男の子はそれが、駄洒落だということに遅れて気づく。男の子の脳裏に、つくば山を食い荒らす巨大な婆さんの画が浮かんだ。男の子は、自分の顔が歪むのをなんとか堪えた。 「あの、人を、待ってるから」  男の子は、口を開いた。なんだかもう、嘘をついてもどうしようもないような気がした。 「係長がさあ」男は男の子の言葉を無視して言った。 「係長が、俺に言うんだよ。『社員にならないか』って。冗談じゃねえって話だよな。部長だか支店長だか知らないけど、とにかく係長より偉いおっちゃんもそれに賛成しているふうでさ。たまったもんじゃないよな」  男は缶コーヒーを飲み干した。 「どうしたもんかしらね。やんなっちゃう」  男は立ち上がり、缶コーヒーをホームの白線の上に置いて、助走をつけて思い切り蹴飛ばした。缶コーヒーは向かいのホームの壁に当たり、地面に落ちてころころと転がった。向かいのホームにも、男の子と男がいるホームにも、男の子と男以外に人はいなかった。向かいのホームの電光掲示板とスピーカーが、電車がまもなく到着することを簡潔に伝えていた。 「みんなさ、忘れてるんだよ。俺、ちゃんと言ったんだよ。面接のときに『半年で辞めます』って、ちゃんと。忘れてるんだよな。半年。頑張ってると思うわ」  男はジーパンの尻ポケットからぱんぱんに膨らんだ長財布を取り出した。 「なんか飲む?」 「いらない」 「あ、そう」男は立ち上がり、自販機に向かった。「てか耳、聴こえてんじゃん」  男はさっきと同じ銘柄の缶コーヒーを買って、男の子のとなりに戻ってきた。男は男の子に爽健美茶のペットボトルを渡した。男の子は、それを左手で受け取った。  向かいのホームに電車が止まり、しばらくして、また動き出した。電車に乗る人も、降りる人もいなかった。男は缶コーヒーを右手から左手に、左手から右手に、何度も持ち替えながら、缶コーヒーが冷めるのを待っていた。最初からつめた〜いの方を押せばいいのに、男はそうしなかった。男は、ぬるい缶コーヒーが好きだった。 「どうしたもんかしらね……。やんなっちゃう」  男の子は、それが男の口癖なのだと知った。 「だから、なーんか今日、起きたときから行く気、しなくって。こんなところにいるわ」  男はジーパンのポケットからiPhoneを取り出し、男の子に見せた。 「ほらこれ、係長、しつこいんだから」  男はiPhoneを男の子のほうに向けながら、指で画面を下にスライドさせた。 「こんなに。連絡しない俺も俺だけど。どんな病気がいいかなあ。風邪って言えばじゅうぶんかな? どういう咳ならそれっぽいかな?」 「なんの仕事」 「いつの時代も、流行り病は仮病だよ。係長、困っちゃってんだよ。俺がいないと仕事、回んないから。大幅にペースダウンよ。結局、ペースダウンするだけよ。代わりなんていくらでもいるって。やんなっちゃう。いいんだけど」男は言った。「仕事? 倉庫だよ倉庫」 「どこの倉庫」男の子は言った。 「どこだっていいよ」男は言った。「あっちのほう。海の近く」 「海沿いなのに潮の匂いがしないって、やんなっちゃうよな。この駅もそうだよ。もっと漂ってきてもいいだろって。いいけどさ。山派だし」 「耳が悪いのは、ほんとだよ」男の子は言った。 「仮病?」男は缶コーヒーを振った。缶コーヒーは、着々と温度が下がってきていた。 「ちがう」 「いやでも、あの演技はなかなか。将来有望なんじゃないの」 「ちがう」男の子は言った。「きいて」 「やなこった」男は缶コーヒーのプルトップを開けた。「さっきの駄洒落、最高じゃない?」 「もっといいの、知ってる」 「ほーん」男は恐る恐るコーヒーを口に入れた。「言ってみ」 「ブラジル人のミラクルビラ配り」 「それは早口言葉だ」男は言った。「ブラジル人のミラクルビラ配り! しかも、あんまり難しく、ない!」 「おやすみなさいを言いに行くと、ママ、いつも戦争してる」  男の子と男がいるホームの電光掲示板とスピーカーが、電車がまもなく到着することを簡潔に伝えていた。その電車は、東京まで行くらしかった。男の子は、眼をこすった。主に眼にくるタイプの花粉症だった。 「去年の大晦日はひどかったな。普段は五、六個の駅も二〇とか三〇だし、舞浜なんてただでさえいつも出荷数が断トツで多いのに、一五八だぜ。一五八。やんなっちゃったよ。ほんと。シールの束がこんな量、あんの。あれは戦争だった」男は缶コーヒーをぐびぐび飲んだ。 「それで、だんだん、耳がおかしくなった」男の子は言った。「戦争って、うるさいから」 「俺も俺の周りのバイトもひーこら言いながらカゴにひたすらダンボール積んだよ。いや、言ってないけど。実際は黙々としてたよ。静かなもんだったよ。うるさいのは係長とそのとりまきの契約社員どもだけ」  男の子と男がいるホームに電車が止まり、しばらくして、また動き出した。電車に乗る人も、降りる人もいなかった。電車は二〇分ほどで東京に着く。東京駅には、電車に乗る人も、降りる人も、たくさんいた。 「今思えばあれはバケツリレーみたいだった。あんまり数が多いもんだから、みんなカゴ持っておんなじ場所に集まっちゃうんだよ。とてつもない流れ作業で、なんとか普段通りの時間に帰ることができたけど。でももう、無理だね」男はタバコが吸いたかった。「無理だね、もう」  男の子は、巾着袋からパインアメを取り出し、口に入れた。 「あ、ずる」男は言った。「ちょうだい」  男の子は、男にパインアメを一つあげた。  男は、それを口に入れた。  パインアメが溶けてなくなるまで、男の子と男はほとんど口を開かなかった。男の子と男は、それぞれ違うものを見つめていた。男の子は向かいのホームに転がっている缶コーヒーを、男は男の子のうなじを見つめていた。男の子の髪は陽を浴びて、輪っか状に光っていた。天使の輪っか、と男は思い、そんなことを考えてしまう自分が気持ち悪いとも思った。駅のホームには男の子と男以外誰もいなかった。男の子と男以外、みんなみんな、工場で、倉庫で、コンビニで、それぞれの場所で働いていた。係長はいつものように奇声を発しながら嬉しそうにフォークリフトでパレットを移動させている。バイトや契約社員はカゴ台車で、あるいはローリフトにパレットを挿して、駅構内の売店へ出荷するための飲料水が詰まったダンボールを駅別の仕分けシールを見ながらどんどん積み上げている。シールの束を口に加えて全速力で倉庫の中を端から端まで走り抜けている。そのことを男は知っていた。男の子は知らない。  男の子と男がいるホームを快速列車が通過したとき、男の子と男の口からパインアメはなくなっていた。男は空になった缶コーヒーを両手でもてあそんでいた。男の子は右手で両眼の涙を拭った。男は、花粉症ではなかった。 「将来の夢は?」男は言った。缶コーヒーをマイクに見立て、男の子の前に差し出す。 「ふつう」 「ふつう、て」男は缶コーヒーを下げた。「どうしたもんかしらね」 「たのしいよ」 「うそつけ。ママの戦争でも終わらせてから言いな」  男は立ち上がり、伸びをした。 「んーあ」 「ママ、神様が死んじゃったことに気づいちゃった」 「へえーえ」あくび混じりの声で男は言った。「そいつはすげー。もはやママが神様なんじゃないの」 「ある意味、そう」男の子はパインアメを舐め始めた。「ママ、なんでもできるよ」 「ある意味?」男はまたベンチに座った。 「うん。……うん」  男の子は、神様が死んだときのことを思い出していた。つい最近のことだ。男の子が家に帰ると、神様はリビングのホットカーペットの上で、あお向けの状態で小刻みに震えていた。男の子は震える神様を両手でうやうやしくすくいとり、テーブルの上にティッシュを二枚重ねて、その上に神様をそっと寝かせた。朱色だった身体は見る間に灰色に変わっていき、柔らかな尾ひれは押し花のようにしわしわに乾燥していった。男の子は神様の前で手を合わせ、しばらく眼を閉じてから、ティッシュで神様をくるんで持ち上げ、近所の公園の隅に小さな穴を掘って埋葬した。線香が無かったので、台所の引き出しから煙草を一本抜き出し、それに火をつけて、埋めたばかりでまだ柔らかい土にそっと差し込んだ。男の子は、もう一度神様に手を合わせた。 「僕が勝手に埋葬したから、怒ってるんだと思う」  向かいのホームに箒とちりとりを持った駅員がやってきて、掃除を始めた。男と男の子は、それを黙って見つめていた。ここからでは何かが落ちているようにも、汚れがあるようにも見えないけれど、きっといろんなものが落ちているのだろう。男は思った。駅員はこっちのホームにも来るのだろうか。何かが落ちているようには見えないけれど、きっとやって来るのだろう。駅員は階段のそばの点字ブロック付近を執拗に箒でなぞるように掃いていた。  男は、自分がまだ男の子だったころのことを思い出していた。朝が苦手で、ドッチボールと給食の牛乳が好きで、放課後はランドセルを武器にして誰かとしょっちゅう戦っていた。まあだいたい、今とさして変わんないな。男は兄のことを思い出した。 「兄妹は?」男はもう一度缶コーヒーを男の子の前に差し出した。 「いない」男の子は言った。 「一人っ子ぉ〜」男は言った。「ま、俺もそんな感じだけど」  男がまだランドセルで戦っていたころ、男の兄は家からいなくなった。車の免許を取ったあと、親の財布から抜き出したお金を使って北海道まで飛び、ネットで知り合った人の家や車を転々としながら徐々に南下し、今は沖縄本島の小さな民宿で、観光客に広東語やフランス語を教えてもらったりしながら住み込みで働いている。お金が無くなったら自���するつもりで家を出たんだ。一年ほど前、カメラ通話で外国人みたいな肌の色をした兄が笑ってそう言うのを、男は白けた気分で聞いていた。 「行かなくていいの」男の子はパインアメを舌で転がしながら言った。 「ん? 何?」缶コーヒーが男の子の前に差し出された。「仕事?」 「そう」 「何をいまさら」男はふふんと笑う。「そのセリフ、そっくりそのままお前にお返しするわ」 「僕は人を待っているから」 「いつまで?」 「いつまでも」 「そうですか」男は缶コーヒーをベンチの下に置いた。「やんなっちゃう」 「帰らないの」 「帰ってもいいよ。でも」男はベンチの上であぐらをかいた。「でもお前が待ってた人って、実は俺のことなんじゃないの」 「……」 「あ、それ、わかるよ。絶句、ってやつだ」男は男の子を指さして笑った。 「人を待っているから」男の子は繰り返した。溶けて薄くなったパインアメを歯でガリガリと砕く音が、男の子の耳にだけ響いた。 「ああ、ほらこれ、係長からラブコール」男は震え続けているiPhoneを取り出し、男の子に見せた。「係長も、どうやら人を待ってるらしい」  やがてiPhoneの震えは止まり、男はiPhoneをジーパンの尻ポケットに押しこむようにしまった。  男と男の子は、喋りながらまったく別々のことを考え続けていた。男は兄と、兄がいたころの自分を。男の子は、神様について。思い出し、考えていた。ほんとうはどうするべきだったのか。何か間違ったことをしたのだろうか。何か決定的な間違いをおかしてしまったのだろうか。男と男の子は、それぞれが何を思って、考えているのかを知らない。ふたりは知らない。  ふたりのホームに鳩がやってきて、数歩ごとにアスファルトをついばみながらベンチの前を横切った。鳩の片足には短いビニール紐のようなものが絡まっていて、鳩が歩くたびにカサカサと微かに音が鳴った。 「帰ろうかなあ」男は男の子の左手にある未開封の爽健美茶のペットボトルを見た。「次の電車で帰るわ」 「これ」男の子は爽健美茶を男の鼻先に掲げた。「いらない」 「パパにでもあげな」男は言った。「最後の質問。お名前は?」 「ボク」 「は」気だるそうに立ち上がりながら男は短く笑った。「ママの戦争が終わるといいね」 「待ってる人が来れば、終わるよ」 「うそ。お前次第だろ」男は腰に手を当てて線路を見た。腰の形に沿ってシワができたTシャツを見て、この人ちゃんと食べているんだろうか、と男の子は思った。 「あーあ、俺も行きてえ〜、南の島」  男はあくびを噛み殺しながら、線路を見つめ続けていた。
 ○
 男の子は、日が暮れて夜になっても、市川塩浜駅のホームのベンチにずっと座っていた。帰宅ラッシュでホームが人で溢れ、ベンチがすべて埋まっても、男の子は座ったままだった。ラッシュも終わり、駅のホームがふたたび廃墟のような寂れた静けさを取り戻したころ、男の子は立ち上がった。巾着袋をベンチに置き、ベンチの下にある缶コーヒーを拾ってゴミ箱へ捨てた。左手に爽健美茶のペットボトルを、右手に巾着袋を持って、男の子は二三時五六分発の東所沢行きに乗った。  人の少ない電車の中で、男の子は少しだけ眠り、少しだけ夢を見た。夢の中で、男の子は大学生だった。数人の友人と数人の先輩に囲まれて、お酒を飲んだり煙草を吸ったり、笑ったり泣いたり、怒ったり喜んだり、走ったりうずくまったりしていた。それは夢にしてはあまりにもありふれた、だけどどこか切実な、現実の延長線上にあるような夢だった。  目が覚めた男の子は、停車駅の看板を見てまだ電車が二駅分しか移動していないことを知る。男の子は夢を見たことすら覚えていなかった。男の子は発車ベルを聞きながら、眠っている間に床に落ちてしまった爽健美茶を拾った。  男の子は想像する。駅のホームを行き来する電車のこと、その電車に乗る人のこと、駅員のこと、そして今この電車に乗っている人のこと。みんなの家のことを。その神様のことを。そして自分の家を思う。新しい神様を見つけないといけないのかもしれない。母親を戦場から引っ張り出すには、それしかない気がした。男の子は頭を窓にくっつけて、眼を閉じた。今度は、夢を見なかった。
 ○
 男の兄は、何かと繊細なやつだった。人混みや集団行動が苦手で、電車に乗ったり、ひどい時は家から外に出ただけで歩き出せなくなるほどだった。ネット上には大勢の友人がいた。変なところが凝り性で、パソコンのマインスイーパーやタイピングゲーム、パズルゲームをひたすらやりこんでいた。肉が駄目で、馬のように草ばかり食べていた。首筋と腕の関節部分にアトピーのような肌荒れがあり、四六時中かきむしってフケのような皮膚のかけらをあたりにばらまいていた。男が兄について知っていることは、それくらいだった。  男はアパートに帰ってから、敷きっぱなしの布団の上でしばらくボーッとしていた。係長はもう、男に電話をかけてこなかった。誰も男に電話をかけてこなかった。それでいいと男は思った。 「ブラジル人のミラクルビラ配り」  男はあお向けに寝転び、眼を閉じて呪文のように何度もつぶやいた。簡単すぎるな、そう思った。つぶやき続けているうちに男の口はしだいに動かなくなり、静かに息を吐いて、眠りはじめた。  日付が変わる少し前、男は起き上がった。頭をかきながらしばらく時計と窓を交互に見つめ、水を飲み、トイレに行ったあと、兄に電話をかけた。自分から兄に電話をかけるのは初めてだな、と男は電話のコール音が鳴ってから気づいた。 「おお」 「よお」 「もしもし?」 「うん。もしもし」 「急にどうしたの。めずらしい」兄の声は穏やかだった。 「沖縄は今、何℃だ」 「えっと……えーっとね」兄の声がくぐもって聞こえる。iPhoneを顔から離して、天気情報を見ているのだろう。「22℃っす〜」 「元気か」 「まあ元気」 「焼けてんのか」 「そりゃもう。こんがり」 「野菜ちゃんと食ってんのか」 「それ俺に言う?」 「もう死なんのか」 「そうだね」兄は間髪入れずにそう言った。「まあなんとか、生きてみようと思ってるよ。今んとこ」 「つまんね」 「なんだそれ」兄は笑った。「そっちはどう?」 「何が」 「元気か」今度は兄がインタビュアーだ。 「ノーコメント」 「家賃とかちゃんと払ってんのか」 「ノーコメント」 「野菜ちゃんと食ってんのか」 「ノーコメント」 「話にならねー」兄はまた笑った。「両親は元気か」 「しらん」男は間髪入れずにそう言った。「知ってたとしても、お前には教えないね」 「そりゃそうか。ま、いいや。とりあえず生きてるでしょ、たぶん」  男と兄はしばらく黙った。通話口からは、よくわからない言葉で笑い合う人の声が聞こえた。沖縄語も外国語も、同じようなもんだな。そして兄の言葉も。男の部屋は、静かだった。隣の部屋の生活音も聞こえない。 「電話出て大丈夫だったのか」 「いまさら。大丈夫。宿泊客と酒盛りしてただけだから」 「タノシソウデナニヨリデスネ」 「なんだよ。もしかして酔ってる?」 「ノーコメント」 「めんどくさいなー」笑いながら兄は言った。 「来週の日曜日、ヒマか」 「ヒマかどうかはわかんないけど、まあ、この島にはいるよ」 「そうか」 「何?」 「俺、お前んとこ、行くよ」 「あ、ほんとに?」 「お前をぶっ殺しに行くわ」 「わ、殺害予告」 「通報でもなんでもすりゃいいよ」 「しないよ。ワターシノアイスルブラーザーデスカラ」 「つくづくお前はつまんねえ」 「知ってるよ、そんなこと」 「逃げるなよ」 「逃げないよ」兄の声は優しかった。兄が家にいたとき、こんな声で話したことがあっただろうか。男は思い出せなかった。「まあ、おいでよ。待ってるよ」 「ファック」  男は電話を切り、電源も切ってからiPhoneを放り投げた。男は本気だった。部屋を出て、コンビニへ行き、ATMで残高を確認した男は、これから自分がやるべきことを考えながら、昼間と同じ缶コーヒーを買った。まずは、包丁。
 ○
 男の子がグランハイツ東所沢の四〇五号室の玄関扉を開けたのは、日付が変わってからおよそ一時間半後のことだった。男の子はリビングのテーブルの前に爽健美茶のペットボトルを置いた。床に散らばっていた不動産のチラシを一枚手に取り、テーブルの上に無造作に転がっていた赤ボールペンでチラシの裏に大きく「パパへ」と書いて、爽健美茶のペットボトルの下に挟んだ。  男の子はキッチンでお茶碗に炊きたてのご飯をよそい、フライパンの中からサンマの照り焼きを小皿によそい、リビングのテーブルの上にそれらを置いて、立ったまま食べた。男の子は、少食だった。それから男の子はお茶碗と小皿を簡単に洗い、自分の部屋から着替えを取って風呂に入った。男の子は、風呂が嫌いだった。浴槽に浸からずシャワーだけ浴び、男の子は風呂を出た。それから洗面台の前で入念に歯を磨き、綿棒二本と竹の耳かきで両耳を入念に掃除した。男の子は、きれい好きだった。それから男の子は、風呂場と洗面台と、リビングとキッチンの電気を消し、玄関へと続く狭い廊下の途中にある白い扉の前に立った。部屋の中からは、銃撃、爆撃、悲鳴、ファンファーレなどの音が絶えずとてつもない大きさで聴こえていた。男の子は、扉をノックした。それから、返事を待たずに扉を開けた。男の子は部屋の中に入る。 「おやすみなさい」  男の子は、この言葉が好きだ。
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skf14 · 4 years
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08091725
ざわざわ、と、耳の外で空気が蠢く。次第に音が脳に届いて、シナプスが活動を始め、僕に覚醒を促す。到底こんな騒がしい場所は天国でも地獄でもない、背中に感じる微妙に硬い慣れ親しんだ硬さは、まごうことなき病院のベッドだった。
「○○さん、○○さん!!」
そばにいた女の声が、水中で聞くように濁ってよく聞こえない。モザイクがかった不快な声に耳を顰めて塞ごうとした手は、ベッドに縫い付けられたまま動かせない。人間の動物的本能とも呼ぶべきか、拘束されていると分かれば、途端に動いて暴れて逃れようとする身体を複数人に抑えられる。脚だけが自由で、身体も腕も、自由を奪われた状態から察するに、僕はまた死に切れず病院に運ばれたらしい。段々と視界が鮮やかに、目が潰れそうな白い天井と、清潔感を前面に押し出した、看護師たち。
「落ち着いてください!暴れないで!先生を呼んで!」
あぁ、予想通りだ。まるでルーティン。つまらない。途端に力を抜いた僕に拍子抜けしたのか、一瞬キョトンと呆気にとられた表情を浮かべたそばの看護師は、はっと我に帰りPHSでどこかへ連絡している。バタバタ、喧しい足音に頭が痛くなるが、おそらくこの頭痛は騒音によるものではなく、死に切れなかった原因のせいだろう。
暫くして来た医者は、何度か見たことのある顔だった。またか、と言う顔を隠さずに現れた老年の紳士は僕の状態を繋がった機械やら話やらで確認したあと人払いをして、看護師たちを部屋の外へ出した。二人きりになった部屋で、そばの椅子に座った医者は僕の身体にぽん、と手を置いて、何も言わずじっと顔を見つめた。そして、呆れた顔でふっと肩の力を抜き、笑う。
「...すみません。また、ご迷惑を。」
「おかえり、は、きっと君にとっては酷な言葉だろうが、僕は医者だから、君が生きてここにいることを、嬉しく思っているよ。」
「...すみません。」
「不要だと思うけど、説明しておくと君は睡眠薬の大量摂取で運ばれたんだ。通報は、君の上司だよ。」
「また、上手くいかなかったんですね、僕は。」
「君はなかなか、意識のある時に来てはくれないね。」
「すみません。」
「眠れるように鎮静剤を入れさせてもらうね。申し訳ないが、手の拘束は暫くこのままにさせてもらうよ。」
「はい。すみません。」
医者が傍の点滴のパックをいじったあと、腕に取られていた静脈注射のラインから、鎮静剤を入れる。液体が体内に注がれる光景を見ながらふつり、曖昧だった意識が途切れた。
退院費を払う瞬間ほど、虚しいものはない。もう見ないと思っていたこの病院の待合室と、受付。死ねなかった事実より、失敗した事実の方が、背中に重くのしかかっていた。ふらり、見送りに来た医者は、必ず定期的に通院すること、今回のような来院の仕方はもう二度としないこと、僕を心配する人間が少なくともこの病院にはいること、を言い含めて、僕の手を握った。
残念ながら七割方回復してしまった身体を引きずり外に出れば、八月の日差しが脳天に刺さって痛い。太陽は何の使命感であんなにギラギラと星々を焼いて回っているのか、理解し難い。勿論、焼くといっても太陽は燃えているわけじゃなく、ただの核融合で熱を出している事は理解しているが。
「暑い、な。」
病院の表に突っ立っている欅の木に止まったアブラゼミが、1週間後に死ねる喜びで歓喜の声を上げていた。根元には既に力尽きた一匹が転がり落ちて、死体目掛けて列を成す蟻が嬉しそうに屍肉を貪っている。
「美味しいか。蝉は。」
熱を引きずりのろのろと現れたタクシーを尻目に、一歩、病院の敷地から踏み出した途端、地面が無くなるような感覚がして、悔し紛れに足趾に力を入れた。タクシーに乗る金はない。気力で何とかこの足で自宅へ帰り、各方面へ謝り、溜まった所用を全て片付け、明日から仕事に戻らなければいけない。照り返しと太陽で身体が溶けていきそうだが、吐き気がするのはきっと夏のせいじゃない。口内に溜まった粘る唾を飲み込めば、水分不足で張り付く喉をぬたりと降りていく嫌な感触がした。
脳裏に浮かんだ両親の変わり果てた姿が何年経っても消えない。丁度、住んでいた市で一年で一番の暑さを記録した日だった。臨海学校から帰った僕は、アパートの周り、玄関の前に集まる人々に哀れみと期待の目を向けられて出迎えられた。「あなたの家から変な臭いがする。」と嫌そうな顔で言う大家が僕に鍵を出せと催促して、手渡せば鍵を差し込む前にヒィッと叫んでダンダンと足元を何度も踏み締めていた。這い回る蛆虫と飛び回る蠅が潰れて、コンクリートに浅黒い跡を残していた。
扉が開かれる瞬間、僕のことを気にしていた人間はいなかった。日頃当たり前のように繰り広げられる暴力と喧嘩の騒ぎに、周囲の住人は辟易していた。当然だろう。皆、パパラッチ気分。リアルタイムで起こった凄まじい出来事への期待で一杯だったんだろう。まさか、その凄まじさが想像以上の惨さだとは思わずに。
大の大人が倒れ、嘔吐する声を聞きながら僕は、帰る場所へ帰った。ただいま、と開く口には蠅が飛び込んできて、ざりざりと嫌な食感、味を残していく。
ぶら下がっていたであろう父親は、体重のかかっていた首の部分が腐り落ちたのだろう、無様に膨れた身体を畳に横たえ、そして少し離れた場所へ転がった首は濁った目を蕩けさせ、此方を向いて舌を出していた。当時はまだ十数年の人生だったけど、父親の死体はその中でも一番鮮やかな色を持つモノ、だった。蟾蜍のように膨れ上がりヘソが飛び出て、所々表皮がずり落ちる腹部はまだらに淡青藍色で、いつか図書室で見た貴重な翡翠の色を連想させた。手足は薄肉色で、浮腫んだ手指は燻んだ魚肉ソーセージにも見えた。無数の蠅が所々で黒い塊となり、もぞもぞと父親を貪っていた。
風呂に沈んだ母親は半分ほど溶け、浴槽に付けられた切ったであろう腕は水の中で青白く、嫌に綺麗に形が保たれたまま、他の部位との違いがはっきりしていて不気味さを感じさせた。母親の柔らかそうな腹が破れたんだろう、洗い場に溶け出した内臓は蘇芳色とも呼ぶべきか、所々から生えたカビと、群がる蛆虫が一周回ってポップな色合いを醸し出していた。
でもこれは全て当時の記憶をのちに言語化したもので、当時の僕はただ、この世に起こりうる最悪の地獄を、ただただ見て、見て、目に焼き付けていた。駆けつけた救急隊員と警察官が僕を抱えて部屋から連れ出すまで、野次馬も大家も中には誰も入らなかった。
大して必要とは思っていなかった思い出は、二つの腐り果てた死体の色に全て塗り潰され、丸めてゴミ箱に捨てられた。母親と父親、普通の子供、幸せになる要素は揃っていたはずなのに、結末は幸せにならなかった。結局要素があっても、人が努力をしても、どうにもならないことがある、と、そういうわけだ。
僕の向かう先は腐乱死体なのだろうか。夏になるにつれ、死ななければ、というよりも、なぜ生きているんだろう、の気持ちが強くなる。最も忌み嫌う夏に、僕は囚われ続けていた。いつかあの医者が言った、夏の風物詩、とは言い得て妙だ。
山道は荒れ果てていて、足元が覚束ないのは日頃日が昇る頃から沈んで暫く経つまで、延々とクーラーの効いた部屋でPCと睨めっこしているから、だろうか。手に持ったなけなしの金で買った菊花が暑さで萎びそうだ。水のペットボトルを入れた袋が、奴隷の足かせの如く手に食い込んで地面を呼ぶ。止めろ重力、呟く声はミンミン蝉にかき消された。
山奥の昔よく遊んだ場所に、二つ並べて置かれたただの石。これが二人の墓標だった。墓を建てる金はない。燃やされた二人の骨を、僕は壺の中で混ぜて、この場所ですり潰した。拾った棒を突き立てれば、脆い焼けた骨なんてすぐに粉になった。2ミリ、2ミリ、骨を撒く上でのルールを事務的に話した行政職員の言葉を反芻して、欠片が粒になり、粒が粉になり、汗が流れ顎からぽたり、滴り落ちて骨の粉に丸い模様を作った。
何年経っても撒いた箇所にだけは草木が生えないのは、両親の抵抗だろうか。土に馴染んだ骨達は、未来を夢見る種子に何を与えたのだろうか。水を石にかけ、花をたむけ、手を合わせる。僕の脳裏にあの記憶を刻んだ両親を、僕は責めたり、怒ったりしなかった。運命、そういえば諦めがついた。運命だったのだ。彼らが幸せになれなかったのも、僕がただ冷静に事実を受け止めたのも、夏が来るたびに死にたくなるのも。
「運命だ。全て。」
ここは涼しい。部屋には帰りたくない。この石を抱いて、そのまま眠ってしまいたかった。母親と父親の眠る土の上に寝転がれば、生肌で触れた箇所が冷たく気持ちいい。濃くなる土の匂い。
「君がいなくなったのも、運命だったんだろう。」
「君の記憶が沢山あるあの部屋に、僕は帰りたくない。ここだけがいつも、僕を許してくれた。」
蝉、羽虫、照り付ける太陽と青臭い雑草と、生臭い土と夏の匂い。思い出す嫌な臭い。二人が心中した理由は、母親に末期の癌が見つかったのが原因だった。あんな二人にも、愛という概念があったらしい。僕には何も伝わらなかったが、僕に対しては無かったが、その愛により老い先短い命を共に終わらせようとしたのが事の顛末だった。簡潔に書かれた遺書に、僕はいなかった。
「謂わばルーティンだ。これは。」
「最後に二人に会えてよかった。」
立ち上がり払ったズボンから落とされた蟻が、所在なさげに地面をうろうろと歩き回っている。帰ろう。今夜は、君の命日だ。
夏祭りに浴衣で来る、というのはどうしようもなく俗世的で気恥ずかしいが、まあいいだろう。延々と登っている廃神社の石階段は所々が欠けていて、何度も神社を潰して建物を建てる話が上がっては立ち消えているらしい。それもそうだろう。この石階段でもう3人も、落ちて死んでいるんだから。僕なら神社を綺麗にして神様を祀り直すが、役人にはそんな発想も金もないらしい。ただ立ち入り禁止の張り紙と通知文をおっかなびっくり貼るだけだ。本当に死人が出たからか、何処かの心霊スポットよろしく若者の肝試しに使われることもなく、ただ朽ちていくだけの建物が鎮座していた。からん、ころん、と鳴る下駄の音が心地良いのは日本人だからだろうか。
街の喧騒が遠い。今夜は酷く蒸し暑く、祭りでも熱中症が多発しているだろう。じわりと額から滲む汗を拭う。
辿り着いた神社の、正面辺りに腰を下ろせば目の前には小さな街と、薄汚れた夜空が広がっていた。星は数個、肩身が狭そうにひっそりと存在を主張していた。
「デネブ、ベガ、アルタイル。夏の大三角。少し離れたところに、アンタレス。」
僕の目に映る星は、昔と変わらない輝きなのだろうか。歳を取るごとに色覚が衰えていくらしいから、きっと、星座を覚えた頃とは違う様相で、脳は捉えているんだろう。
刹那、空へ一筋の白い光がひゅるる、と空気を割いて登り、そして、弾けた。
空を我が物顔で彩った白色光の大輪の花火。確かあれは、過塩素酸カリウムによる、炎色反応だったか。
また一つ、点火された花火が空に咲く。ひゅるるる、どん。花火玉に付けられた笛の鳴る音を最初に聞いた時、夏が終わる音だと、そう思った。終わるわけがないのに、僕は漠然と、これを聞き終えた時夏が終わり、夏が死ぬんだと、怖くなった。当時は形容し難かったその価値観を、今は大切なものだと思える。
どん、どん、どん。青や紫、ファンシーな形を模した花火から、王道の丸い花火まで、色とりどりなそれらが夏を終わらせようと矢継ぎ早に急く。こうして空に咲く花火は、自殺と似ているような気がする。そういえばあの青い花火、どこかであの青を、見たような気がする。どこだろうか。
懐に忍ばせていた、君の写真。僕が、君と此岸で幸せになれなかったのも、きっと運命だったのだろう。人が思考し、願いを込め、行えば、それはいつか形になることを僕は信じていた。信仰も惧れも、全ては人が生み出す物だ。
せめて彼岸では幸せになろう、と、手に持った写真を丸めて、口に含み、花火の音に合わせて咀嚼した。きゅっ、歯が紙と擦れて鳴る。暫くして飲み込んだ写真が胃で落ち着き、心がじわり、暖かくなった。
空は昼間のように明るい。フィナーレなのだろう。余命宣告。夏が、嗚呼、夏が終わる、夏が死ぬ、夏が、夏が。
朽ちかけていても日本の技術、柱はしっかりしていて、成人男性一人くらいがぶら下がっても問題はなかった。選ぶなら首吊りを、それもまた、運命だったんだろう。そばに書き置きを置いて、空を見つめた。最後の大輪が空を飾り、そして、全ての光が消えた。
『冥婚:生者と死者に分かれた異性同士が行う結婚のこと。一般的に死者を埋葬する際などに、架空の相手を記した絵馬、札等を共に埋葬すること。または、同時期に亡くなった未婚女性と結婚させて共に葬る場合もあれば、人間の女性に見立てた花嫁人形と共に棺に納める場合もある。但し、実在の人物の名前や肖像画は禁忌とされ、特に、写真を用いた冥婚は最大のタブーとされる。理由は様々だが、大きいものとして死者が生者を冥土へ連れていってしまう、という理由が挙げられる。従って、死者と生者の写真を共に燃やすことは禁じられている。』
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