Tumgik
#倉敷町役場
fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらな��が、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があった��いう。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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shintani24 · 5 months
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2024年4月26日
全国市長会長に松井・広島市長就任へ 広島県内では初 無投票当選が内定(中国新聞)2024年4月26日
全国市長会は26日、6月の任期満了に伴う次期会長候補者の選考委員会を東京都内で開いた。会長選への立候補者は広島市の松井一実市長だけで、無投票当選が内定した。6月12日の総会で正式に決まる見通しで、任期は同日から2年。
全国9ブロックの支部長による選考委で、中国支部長を務める倉敷市の伊東香織市長が松井氏の推薦を報告した。中国地方で会長に就くのは3人目、広島県内では初となる。
全国市長会は792市の市長と東京23区の区長で組織し、全国知事会や全国都道府県議会議長会とともに「地方6団体」と呼ばれる。会長は各都道府県の市長会の予算要望や意見をとりまとめ、政府や国会へ働きかける。官邸である「国と地方の協議の場」に出席し、首相に訴える機会もある。
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松井・広島市長「批准して、と世界の為政者に言ってる」(朝日新聞 2019年7月1日)
 ――「広島市長」として、政府に明確に核兵器禁止条約への批准を求めない理由は
朝日新聞の単独インタビューに応じた広島市の松井一実市長。核兵器禁止条約の署名・批准を日本政府に直接要請するよう求める声が、被爆者団体などから上がっているなか、8月6日の平和宣言について「政争の具にしたくない」と述べ、今後も直接要請を避ける考えを示した。やりとりは次の通り。
(平和首長会議の会長と、広島市長という)両方の立場を使い分けている。政府に締結を求めてますよ。平和首長会議で長崎市長と文書も出している。
 ――市民が選挙で選んだ市長の取り組みは、国際NGOである平和首長会議の会長としてのそれとは違うのでは
多数決だから、私に反対する方もいる。そういう方も含め市を代表し、多くの方の意をくみ取らなきゃいかん。被爆者もいる。
平和宣言は世界に向け、多くの方が注目するスピーチ。未来永劫 残すつもりで作る。平和首長会議は為政者に言う。その中に日本政府も入る。平和首長会議は核兵器国の首長も市長レベルで入っており、市民社会のコンセンサスですよと。
 ――では平和宣言は、平和首長会議のリーダーとしてのものか
広島市長として受けているけど、多くの方が思う部分もちゃんと伝えるようにする。自分のコメントはなるべく控えてその方々の気持ちを咀嚼して訴えるつもりで宣言をつくっている。
 ――広島の人間にしか言えないことがあるのでは
(平和宣言で)言わんと言ってるわけではない。被爆者の言葉を伝えるのであり、自分として、ということは平和首長会議で言う。
 ――市民の代表である広島市議会は、日本政府に条約の早期批准を求めている
市議会は市議会。私は私なりに直接市民から選ばれている。なぜ私が市議会の総意を受け止めないといけないのか。
 ――被爆者は条約批准を政府に求めている。その思いを平和宣言で伝えるべきでは
被爆者たち多くの方が思っています。被爆者の言葉を伝えるのはありますよ。否定してません。やらんといつ言いましたか。
 ――平和宣言は、目の前に安倍首相がいる
たまたまいるんでしょうね。世界に向けて言っているんですからね、私は。
 ――平和宣言の中に、日本政府に向けている部分はあるか
世界の為政者に「批准して」と言っています。ワン・オブ・ゼム(その中の一人)で入っています。日本政府を名指ししないと問題だと言われているように聞こえる。
 ――政府は「唯一の戦争被爆国」を掲げつつ、核禁条約には背を向けている
市民社会に向けてのメッセージですと申し上げている。なぜ分からないんですか。世界の為政者に向けて言っている。日本政府は除くとも言っていない。
 ――安倍首相は、核兵器による米国の抑止力の維持が不可欠と言う。隔たりは感じるか
隔たっているじゃないですか。核抑止論はいらんと言っているのに、いると言っている。
 ――広島の特別な日に、首相の心を変えることを広島市長として言ってほしいという声を取材でも聞く
私なりにやっている。敵を責めるのではなく、多くの味方を増やすためにどう言おうか一生懸命やっている。
 ――国との間にある隔たりを埋める役割は広島市にもあるとお考えか
ギャップを解消するために味方を増やし、味方の意見が反映されるシステムに持っていく。平和首長会議のメンバーを味方にして、国レベルで争っているものを地方自治体の味方を増やすという発想でやりたい。
 ――その声は政府に届いているか
心に響くか、それを聞いて判断を変えているか、と言われると変えていないので、より強くどうしたらいいか悩みながらやっている。とんがってやるだけでは一過性のものに終わる。
 ――被爆者の平均年齢は82歳。被爆者なき後の広島が迫っている
平和宣言までツールにしろと言われるのは抵抗がある。方法論ではなく、もっと根っこのところを理解してもらうものにしたい。政争の具にすることのないように。政争を超えた次元の高いものにしたい。その部分は私が市長として譲れない部分。長崎がやりたければやったらいい。(聞き手・東郷隆、宮崎園子)
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中国電力の電気料金 6月請求分は値上がり 政府補助金縮小で(NHKニュース)
中国電力の6月請求分の主要プランの電気料金は7894円と、政府による物価高騰対策の補助金が縮小することから、前の月よりも403円値上がりします。
中国電力の6月請求分の電気料金は一般家庭のおよそ6割が契約している「自由料金」で使用量が平均的な家庭のケースで7894円となります。
また、国の認可を受ける「規制料金」はおよそ4割の家庭が契約していて、使用量が平均的な家庭で8061円となります。
いずれのプランも5月分より403円高くなり、2か月連続の値上がりです。
これは、燃料となる石炭やLNG=液化天然ガスの価格が値下がりしたものの、物価高騰対策として続けてきた政府による補助金が6月分は前の月より半減して使用量が平均的な家庭で468円となるためです。
この補助金は6月請求分までで終了することになっていて、7月請求分はさらに値上がりすることが予想されます。
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ツツジが満開に 呉市 音戸の瀬戸公園(広島ホームテレビ 4月26日)
平清盛が切り拓いたと伝えられる呉市の音戸の瀬戸では、色鮮やかな紅白のツツジが満開となっています。
呉市警固屋と音戸町を結ぶ音戸大橋のたもとには、道路を包み込むように約8300本の紅白のツツジが植えられています。
このツツジは音戸大橋が開通した1961年に植えられ、紅白の花は源平の合戦をイメージしていると言われています。
訪れた人「やっぱり花はいいですね。花は本当に心が和みます」
今年は天候にも恵まれすでに満開となっていて、美しい景色や香りを楽しもうと多くの観光客でにぎわっていました。
中国電力・広島ガスが6月値上げへ 国の補助金半減が主な理由 7月料金も追加値上げの可能性(RCCニュース 4月30日)
中国電力と広島ガスは、6月の電気料金とガス料金が値上がりになると発表しました。
発表によりますと、中国電力の「スマートコース」では標準的な家庭の6月の電気料金は7894円となります。これは5月より403円の値上がりとなります。
主な理由は、国の補助金の単価が3.5円から5月は1.8円に半減するためだということです。中国電力の値上げは2か月連続です。
広島ガスでは、標準家庭の6月のガス料金は6741円で、5月より149円の値上がりとなります。
こちらも補助金の単価が15円から7.5円に半減することが主な理由です。広島ガスの値上げは7か月連続です。
中国電力・広島ガスとも7月の料金は、6月から国の補助が終了するため追加の値上げの可能性があるということです。
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ユーハイムの新スイーツショップがオープン “バウムクーヘン国内発祥の地”広島市に(RCCニュース)2024年4月26日
広島がバウムクーヘン国内発祥の地という縁で26日、新しいスイーツショップが広島市のデパートでオープンしました。
そごう広島店でオープンしたのは「きこりけーき」です。
ショップでバウムクーヘンを焼くのはAIを搭載したこの専用オーブンです。最適な焼き具合にできるため、香りがよく、ふわふわの食感だということです。
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バウムクーヘンのほかにジェラートやケーキなどのメニューもあり、イートインもできます。
出店したのは神戸市に本社がある製菓会社、ユーハイムです。創業者が戦争捕虜として似島の収容所にいた時、日本で初めてバウムクーヘンを焼いて紹介しました。この縁でユーハイムは、京都市に続く「きこりけーき」2店舗目の出店先として広島市を選んだということです。
そごう広島店 「きこりけーき」 油利幸子店長 「広島でお店を出店できることはとても意味のあることだと思っていて、たくさんの方にバウムクーヘンとお菓子の出会いを広めたいと思っている」
バウムクーヘンに瀬戸内産レモン果汁を使うなどした広島限定メニューも用意しているということです。
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nakaigumii · 1 year
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事務員の現場インタビュー④湯浅町地域福祉センター前公園整備工事 その1
湯浅町地域福祉センター前公園整備工事の現場を再びインタビュー。前回お邪魔した時は地盤改良工事中でした。 約4か月ぶりに訪ねた現場で、土木部の木本誠司監督、岩淵友樹課長、建築部の出口義則さん、また、人工芝の施工を担当された株式会社イーストアジアコーポレーションの阿瀬春吾会長にお話を伺いました。
Q:地盤改良後、どんな設備が出来ましたか? A(出口さん):アスファルト舗装と遊歩道部分にクッション性の高い ゴムチップ舗装を施工し、公衆トイレと防災創庫、防災トイレ、東屋 (あずまや)、ベンチ、遊具、防災用のかまどベンチを設置しています。今(6月16日現在)は、人工芝を張っています。
A(岩渕さん):他にもソーラーで自家発電できる照明灯と排水溝、公 園と駐車場の間の縁石が一部、設置済みです。
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     遊歩道になるゴムチップ舗装箇所(オレンジ色の部分)
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           災害用トイレ2基
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        炊き出しもできる「かまどベンチ」
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              遊具
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     強い陽射しの下、30本近く芝を張ります
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        プロの技で余分な芝を綺麗にカット
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駐車場との境目になる縁石
(縁石ブロックは一個ずつ手作業で設置しているとの事!)
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  排水溝(豪雨時など水はけをよくするために必要不可欠!)
Q:工事で大変だったことは? A(出口さん):公衆トイレを設置するにも、基礎のコンクリートの正確な強度が測れるようになるまで28日かかります。雨が多い時期な ので休日関係なく、工期内に仕上げられるように作業を進めなけれ ばいけません。 A(岩渕さん):縁石ブロックは1個45㎏あるのですが、全て手作業 でズレやゆがみのないように施工するので腰が痛いです。施工途中 に雨が降るとせっかく並べたブロックがガタガタになってしまうの で、迅速に正確に並べないといけません。
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    公衆トイレ(男子トイレ、女子トイレ、防災倉庫)
Q:公園の広さは? A(木本さん):芝の部分だけで1900㎡程あります。アスファルト舗 装をしていないトイレや、あずまやの部分は、これからインターロッキング舗装をします。
Q:インターロッキング舗装とは? A(木本さん):今敷いている砕石の上に砂を敷き、その上にブロック を並べる作業です。ブロックは3色あり、図面通りにきっちり配色して並べます。
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   施工個所を確認する木本監督(左)と建築部の木村さん(右)
Q:人工芝を張る作業について教えて下さい。 A(出口さん):一番外側に張る芝の縁と、芝と芝のジョイント部分は強力な接着剤で固定します。芝を張り終わった上から砂を撒きます。
Q:砂を撒くのはなぜですか? A(阿瀬会長):人工芝は紫外線に弱いので、10年後の張り替えまで もつように砂で保護して強度を高めるのと、風で飛ばれされないよう重石としての役割もあります。
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          芝の上にまく砂の袋を準備中
        
Q:7月末までが工期との事で一言お願いします。 A(木本さん):怪我も事故もなく工事を進めてこられたので良かっ た。あと残りわずかなので気を引き締めていきます!
その2へつづく
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misttimes · 1 year
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6月17日のツイート
@31_443 明日改めて……
posted at 22:05:04
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RT @jubi19no: めっちゃ楽しかった😆 田村さんのパフォーマンスはもちろんのこと、王国民の方々の様子も観てて楽しかった。 席も後ろの方で全体的に観れたから初心者の自分にはむしろ良かった。 初心者ですけどfancy baby dollだけは周りの王国民の方と同じように叫べましたので許してください😅 #wm2023水戸 twitter.com/jubi19no/statu…
posted at 21:44:14
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RT @jubi19no: 友人に誘われて田村ゆかりさんのライブに初めて参加 正直振りやコールはメジャーな曲以外は全然分からないけどまあ人生何事も経験の精神で😆 とりあえず周りの王国民の皆さまに必死でついていきます #wm2023水戸 pic.twitter.com/ItxuQLGFqZ
posted at 21:44:10
MCで触れた水戸のアレ。 #wm2023水戸 twitter.com/misttimes/stat…
posted at 21:42:55
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RT @yukarinlive_com: with me(茨城)を追加しました。 www.yukarinlive.com/p90_11.shtml
posted at 21:39:38
空気遮断機の音確認。デッドセクション通過。
posted at 21:38:42
京都と浜松は不参加だったので倉敷公演のMCでのやり取りを踏まえたトレモロのジャンプ理解できた #wm2023水戸
posted at 21:38:07
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RT @johnnkuro54: 11年ぶりのゆかりライブ楽しかった。更にパワフルな歌が増したね!! 茨城は何もない道ばかり、優しい眼差しの人が多くていいところ、最低限の評価をしてくれましたw FBDにSSSSGは特に聴きたかったから嬉しかったなぁ。 また、どこかで参加したいね。 ありがとう、ゆかりん! #wm2023水戸 #田村ゆかり pic.twitter.com/VvPMTMkwS6
posted at 21:27:54
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RT @azur27_: ちなみに会場の目の前の湖が千波湖(せんばこ)、千波湖よりもっと先にあるのが偕楽園(かいらくえん)です!一応日本三名園なのです!!2〜3月が梅の見頃です🌸冬はライトアップもします✨ #wm2023水戸 pic.twitter.com/NsG1YWnry6
posted at 21:27:09
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RT @azur27_: どうも、なんにも良いところないけど優しい眼差しのある茨城県民です🤍❕ 会場もこれまで以上にキャバが狭くてこじんまりしてる場所なのに、この慣れ親しんだ場所にツアー会場にしてくれて、選んでくれて本当にありがとうございました..❕ 納豆やメロンの他に常陸牛もあるのでぜひ🐃 #wm2023水戸 pic.twitter.com/orW32BGcyF
posted at 21:27:04
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RT @yasu_mochi: 田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2023 *with me?*@茨城 ザ・ヒロサワ・シティ会館 大ホール終了 茨城初上陸ライブでした 辺りに緑が多い自然味あふれる会場で気持ちがよきでした 今日は暑かった! 明日はさらに暑そうな八王子へ #田村ゆかり #wm2023水戸 pic.twitter.com/bzo6NbyDJT
posted at 21:25:51
E657も久々に乗ったけど在来線での120km/hオーバー高速走行時の乗り心地は一番だと思う。とにかく揺れない。車体間ダンパの効果が絶大なのだろう。 pic.twitter.com/rpQUqkBEs4
posted at 21:21:30
@nomadtaka はい。わりとマイペースに動いてますがご都合会えば!
posted at 21:17:26
夕食は例によって駅弁。水戸駅に着いた時にNEWDAYSチェックしてこの在庫量だと終演後は売り切れているだろうと予想。改札内にロッカーもあったので保管。予め確保しておいて正解だった。 pic.twitter.com/pxY6X340YT
posted at 21:08:26
@nomadtaka ひたち間に合ったんですか!お疲れ様でした。
posted at 21:05:44
@nomadtaka 臨時バスでしたら関東鉄道ですね……。
posted at 21:02:17
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RT @OR_ele: 「なんもない道を走らされてる38歳がいるんだ。俺なんかが仕事でへこたれてちゃダメだよな」 という当時の2chの反応はあまりにも有名 #wm2023水戸
posted at 21:01:31
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RT @OR_ele: ゆ「茨城ライブできたのは初めてだけど、ロケとかで来たことあるっけ?」 王国民「\秘密の扉から会いに来てのMVー!/」 ゆ「あーーーあれか!あのなーーんもない道をひたすら走らされたやつ!」 なんもない道をひたすら走らされるアイドル(38)↓ #wm2023水戸 pic.twitter.com/D8zWs1IK5x
posted at 21:01:29
水戸を発車。楽しかった。 pic.twitter.com/C9nYdPdZ9F
posted at 20:55:04
隣がずっと変な動きでやばかった 終始独自の激しい振付 ステージ全く観ずに下向いても振り付けしてる時もあったし 終いにはアンコール中にスマホ弄りはじめるし 人は兎ほど広角の視界は無いけど目を逸らそうとしても視界に入るものは入るよ
posted at 20:35:58
逆流性食道炎なのか胃液逆流の気分はすごく分かります(´・ω・`)
posted at 20:30:30
田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2023 *with me?* 茨城公演終了。今日も楽しかった! #wm2023水戸 一瞬でもみみちゃんになりたい🐰ゆかりママ…… pic.twitter.com/wK2WPFA0eQ
posted at 20:27:17
着席。
posted at 16:56:13
ようやく到着。入場確認完了。スタンプチェックインOK。 pic.twitter.com/TYm8fzfSzD
posted at 16:46:46
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RT @bokuyaba_anime: ⋱🌸#僕ヤバ 12話まで9⃣時間🌸 ⋰   ✨本日6/17㈯ 深夜1:30~✨ ╭━━━━━━━━━━╮  市川香菜役  #田村ゆかり さんから コメントが到着📨✨ ╰━v━━━━━━━━╯ 『いつも2人のやりとりにむずむずしていたのですが、最終回はより一段とむずむずキュンキュンしちゃいます!』 pic.twitter.com/XOMINLTZB5
posted at 16:33:03
マシェアム初変身回HUGプリ第20話の本放送から5年、3ヶ月後に映画館で再会できそうです。 twitter.com/misttimes/stat… pic.twitter.com/GpvOBjZwH5
posted at 16:32:44
大洗ホテルのアルバイトをまだまだ続けることになった冷泉麻子さん。 pic.twitter.com/ajyhrW7Fye
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大洗磯前神社に参拝。何度も参拝しているが御朱印いただいたのは初めて。 pic.twitter.com/CY7MCwuWTp
posted at 16:05:32
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RT @icf4717: 【本日ご来館予定のお客様へ】 大ホールで開催の「田村ゆかり LOVE♡LIVE 2023 *with me?*」公演では駐車場が大変混雑する見込ですので、公共交通機関のご利用をご検討ください。 また関東鉄道さまが水戸駅と当館を結ぶ直行臨時バスを運行いたしますのでご確認ください。 twitter.com/kantetsu_info/…
posted at 15:56:57
またあんこうチームと蝶野さんとパンツァーフォーしたいです pic.twitter.com/QQV8r8BRUo
posted at 15:56:46
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RT @CanaariaStaff: 「田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2023 *with me?*」本日は水戸、明日は八王子です。気温が高くなってきていますので、水分を摂りつつ無理せずにご参加くださいね。今週もどうぞよろしくお願いいたします! #wm2023水戸 #wm2023八王子 www.tamurayukari.com/with_me_2023/
posted at 15:12:25
味の店たかはしさん みつだんご 数年ぶりに食べた。これ食べると大洗に帰ってきた事を実感する。 pic.twitter.com/bk4wT1wKVQ
posted at 15:00:28
大洗町漁港直営店 かあちゃんの店より生しらす丼でデリシャスマイル。プリプリで量もたっぷりだし、ここの生しらす丼が一番美味しい。 pic.twitter.com/0RInbTzpqG
posted at 14:11:56
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RT @wadamasamune: 昨日のことについて、皆様から多数のメッセージを頂いています。 メールやSNSなど、全て目を通しています。 このネクタイは、重要な国会審議や党の会議の際に必ず締めています。 常に安倍総理にご指導頂いたこと、学んだことをもとに行動していきたいと考えているからです。 twitter.com/RibbonChieko/s…
posted at 14:00:58
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RT @yanasuke: ゆかりん、みかこし、若本さんが出演した、わちゃわちゃんねるGW特番のサイン色紙当たりました。嬉しい!ありがとう!若本さんのサイン初めて見たかもしれない。ゆかりんの直筆サインいつ以来だろうか… #わちゃわちゃんねる pic.twitter.com/XnWr3U3mPA
posted at 13:58:39
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RT @fumihilo: (プリプリ豆知識)ロンドンのモノレールはテレビ版第1話に既出ながらCH第3章の車内の芝居をさせづらいという理由で新たな車両を準備しました。 最初は機関部を覆ったスタイルを提案しましたが、数度の打ち合わせを経て機関部を露出した形状に落ち着きました。 #pripri pic.twitter.com/ccGFDV0IGz
posted at 13:33:59
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RT @tobise_y: バスアナウンス「ザ・ヒロサワ・シティ会館に向かわれる王国民の皆さま、お飲み物を購入される場合は文化センター入口でお降りくださいローソンがございます、会場に直接向かわれる場合は文化センターでお降りください」 twitter.com/i/web/status/1…
posted at 13:25:01
2019年のあんこう祭以来、3年7ヶ月ぶりの大洗。 pic.twitter.com/WuVgKwJJEl
posted at 13:10:04
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RT @pps_as: 【新商品】6/26(月)「ふたりはプリキュア Max Heart」「スイートプリキュア♪」「HUGっと!プリキュア」のプリプリおてだまが再販決定! お楽しみに💕 ※発売日以降の在庫状況に関しては各店舗に直接お問い合わせください。 #precure #プリティストア pic.twitter.com/olf3WRIF2B
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RT @precure_live: 📢「プリキュアシンガーズ Premium LIVE HOUSE Circuit!」✨ 一般発売決定! 6/20(火)正午から受付開始! 受付サイトはこちら。 l-tike.com/precuresingers/ 公式ページはこちら。 marv.jp/news/article/1… #プリキュア #プリキュアライブサーキット
posted at 12:25:26
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RT @MIKITO_777: これを『恐喝』だと思ってしまうのか…… 裁判にせず、内々でこのトラブルを終わらせる忽那先生の優しさからの連絡なのに、 よりにもよって、自分の言い訳の余地のない暴言が載った書類をSNSに晒して、 さらに自分を不利な立場に追い込んでしまうのか…… twitter.com/mikawa_sanzui/…
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青山充作監だ www.animatetimes.com/news/details.p…
posted at 12:18:59
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RT @animatetimes: 『ひろがるスカイ!プリキュア』第20話「ましろの夢 最初の一歩」より先行カット到着! ましろは菜摘やソラたちに勧められ、自分も絵本を作ってみようと思い立つ #プリキュア #ひろがるスカイ #ひろプリ #precure www.animatetimes.com/news/details.p… pic.twitter.com/HyQUcYGw2A
posted at 12:18:33
前方ではないが見���すそうな席だった
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きょむりん黄門様だよ~ pic.twitter.com/tXKDthCuba
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RT @diskgarage_web: 【田村ゆかり】 🎟SOLD OUT! 6/17(土)ザ・ヒロサワ・シティ会館(茨城県立県民文化センター)大ホール 売り切れのため、当日券の販売予定はございません。 diskgarage.com/ticket/detail/…
posted at 11:40:56
茨城県内の鉄道は平日昼間でも車内飲酒はよく見かけます🍺 >RT
posted at 11:38:40
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RT @dcnmaskr: ???「常磐線は普通電車でも酒が飲める」
posted at 11:37:50
石岡発車時はいつもの4打点音だった
posted at 11:37:21
ひたちチャイムが流れまくってる。途中停車駅でも流すようになったの?
posted at 11:17:45
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ryosyo · 2 years
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【アトリエくれよん/真備】 →主役の画伯達不在の休日。義母が真備で約25年(?!)営む、こども向けのアート造形教室?アトリエ?遊び場?変幻自在のマジカルスポット◎『アトリエくれよん』◎ #photoshoot #倉敷 #真備町 #アトリエくれよん (倉敷市真備町) https://www.instagram.com/p/CocK_5qvnVI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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沖縄市観光情報
MC「進行役のケンタです」
AS「アシスタントの弥生です。7回目のオープニングテーマその1。沖縄県41市町村別観光情報~。ということで、今回は沖縄市ですね。」
MC「沖縄市と言えば、14万人を超える人口で、那覇市の次に市民が多いところだけど、シャッター商店街として有名になったね。」
AS「兵隊さんの外出制限が原因ですよね」
MC「そんな沖縄市も自民党推薦の桑江朝千夫〔くわえ さちお〕市長に変わったことで少し期待されてたけど、やっぱり政策の方向性が保守なんだよね」
AS「保守?」
MC「政治家に多い話だけど、医療費とか給食費の無料化なんかをマニフェストに掲げるけど、肝心の資源確保は市民の税金に頼るっていうヤツ。」
AS「なるほどー」
MC「集めた税金を有意義に使いましょうっていうのはいいんだけど、政策に足りない資金を市の収益で増加させることを後回しにしているんだね」
AS「沖縄県の政治家は、県民、市町村民の為に議員になるのではなくて、就職活動として議員に立候補しているってテレビで言ってましたね。」
MC「そうだね。自民党の国場幸之助衆議院議員が2回目の選挙で落選して、次の選挙で立候補した時に、決起大会があって呼ばれたから行ったんだけど、その時彼は、この2年間無職で自分の子供からお父さん仕事行かないの?と聞かれたり、苦しい日々でした。どうか、皆さんの力で国政に戻してください。って言ってたよ。完全に給料が欲しいってことだね。特に政策的な話もなく、とにかく議員としての仕事が欲しいと訴えてた(笑)」
AS「最悪ですね」
MC「沖縄県は選挙の法律なんて完全に無視して活動しているからね」
AS「だから、こう言ったインターネットテレビが必要なんでかよね」
MC「そうそう、正しく伝えていかないとね。」
AS「それで、沖縄市の話なんですけど・・・」
MC「そうだった。2007年6月13日にエイサーのまち宣言をして、沖縄市からエイサー文化を発信していこうという取り組みを始めているね。機会があれば詳しくこの番組でも取り上げていきたいんだけど、今のエイサーだと、商業エンターテインメントにならないんだよ。絶対に。」
AS「そうなんですか?」
MC「そう。だから、琉球芸能のお芝居を歌舞伎と同じように商業化させようとした人もいたけど、根本的なことを間違えているから絶対にビジネス化できないんだ。」
AS「そうゆうのがあるんですね」
MC「そうなんだよ。沖縄県の内閣府総務局の人にも話したことあるんだけど、根本的な芸能とビジネスを理解してからでないと、表面上の話だけでは理解できないよね」
AS「なるほど?」
MC「話を戻すけど、観光地としての沖縄市は、子供の国とか、東南植物楽園、コザのミュージックタウン、それから密かに人気が有る倉敷ダムとかが一般的に知られているかな」
AS「ですね。」
MC「この番組では、越来城跡(ごえくグスク)を紹介したいと思うよ」
AS「聞いたことないですね。」
MC「護佐丸と阿麻和利の乱を鎮圧した王様として知られている尚泰久〔しょうたいきゅう〕が住んでいた城があったと言われているんだ。」
AS「あった? 今はないんですね」
MC「そう、でも跡地を観に行ってから、知花グスクに行くと、ちょっとした歴史探検になるんじゃないかな?」
AS「知花グスクも近くにあるんですか?」
MC「勝連城の按司を討伐した大城賢雄〔おおしろ けんゆう〕の城ということだけど、お墓があるよ。」
AS「へぇー」
MC「沖縄市は音楽と芸能の都市として観光産業に力を入れたいらしいけど、やっぱり観光客を楽しませる芸能がないから、歴史探索がいいんじゃないかな」
AS「“地産地消”はどうですか?」
MC「沖縄市は無い」
AS「ハァ?」
MC「・・・」
AS「どどうゆうことですか?」
MC「ん。だから、沖縄市には無いんだよ」
AS「そんなことあるんですね」
MC「沖縄市の大きなイベントで、産業祭りとかもあるけど、裏庭に勝手に生えたハーブを料理にして出すカフェなんかを地産地消って言ったりしているくらいだからね。」
AS「それじゃ、インスタスポットは?」
MC「銀店街のこれ」
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AS「祭事催事のご案内です」
2016.08.27(土) ~ 2016.08.28(日)
沖縄全島エイサーまつり
オリオン・ビアフェスト
毎年7月の第一土曜、日曜日
PEACEFUL LOVE Rock Festival
毎年11月23日前後
沖縄サンバカーニバル
MC「それで、オープニングテーマその2“ご当地芸能情報”は?」
AS「今回は沖縄タレントの紹介です」
①満島ひかり
②ISSA(DA PUMP)
③いっこく堂 - 腹話術師④岸本セシル - ファッションモデ
⑤ORANGE RANGE
AS「沖縄市出身の有名人は沢山いるようなイメージがありますが、意外と少ないのかなぁ…」
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amiens2014 · 2 years
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倉敷美観地区/岡山県倉敷市【ウォーキング】倉敷国際ホテル〜大原美術館〜倉敷館〜アイビースクエア〜高砂橋〜猫屋敷
倉敷国際ホテル 2022年5月28日、この日は道の駅燕趙園(えんちょうえん)に立ち寄った。 https://niyodogawa.org/blog/outdoor/car/station/47371/ そこから車で、国道9号線を走る。 ここには北条砂丘風力発電所(ほうじょうさきゅうふうりょくはつでんしょ)の風車が並ぶ。 風力発電の風車が9基ある北栄町。 近くには「名探偵コナン」で有名な「青山剛昌ふるさと館」、コナンたちのブロンズ像が並ぶ「コナン通り」があります。 とっとり旅 【公式】鳥取県観光旅行情報サイト…
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yukkii89 · 2 years
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Kurashiki Retro by Yukihiro Yamashita Via Flickr: Kurashiki city,Okayama pref., Japan
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violence-ruin · 2 years
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丑の刻の平安京に羅城門が顕現し、下人が侍を鞭打ちしこと
 今は昔、さる山中を根城とする盗賊の砦に、のちに都で下人をすることになる子供がいた。砦に囲われた女たちの一人が産んだ男の子だった。子供は口減らしのために棄てる決まりだったが、時々首領が気まぐれを起こして育てさせることもあった。それで、下人にとって女たちは母たちでもあった。
 母たちは下人をかわいがった。乳をやり、口々にことばを与えた。
 お前の本当の母さんは死んじゃってね。産んですぐ後にね。かわいそうにね。
 下人には「本当の母さん」という言葉の意味するところがわからなかった。母はつねに複数いた。赤ん坊は横で頭を潰されて死んでいった。生かされた兄弟たちは、自分と同様に母たちに可愛がられていた。
 盗賊たちは街道を通る商人や役人の一行を襲い、身ぐるみを剥いだ。男は報復を防ぐため皆殺しにした。女は裸のまま逃したり、時には何人かさらってきて元からいた女を代わりに捨てたりした。母たちの顔ぶれは入れ替わった。
 成長すると、下人も盗みに駆り出された。
 初めての仕事は、寺の鐘を盗み出す手伝いだった。まず老法師に扮した爺さんが寺に行き、うまく鐘堂に泊めさせてもらい、そのまま死んだふりをする。下人は、兄弟の一人と共に寺に赴き、激しく泣いて見せ、夕方に引き取りに来ると行って立ち去る。寺の僧たちは貰い泣きをしていた。あとは年上たちの仕事だった。死体を運ぶふりをして鐘を盗み出す者。鉦を叩き経を上げさせる俗法師の仲間たち。鐘堂の穢が明けて小僧が鐘堂を開ける頃には、鐘を鋳融かして加工し市で売りさばいた後だった。
 母たちは下人がどんどん一人前の盗人になっていく様を見て嘆き悲しんだ。
 ある日連れてこられた母は元は都で女房をしていたといい、男たちの目を盗んで地面に木の枝で読み書きを教えてくれた。下人はすぐに女手と男手のどちらも覚えた。女は夜みなを集めて「光る君」の話を諳んじてみせ、皆で貴人の生活や恋愛に思いを馳せた。あまり娯楽のない砦の生活で、「光る君」の朗読は女たちにとってお楽しみの時間となった。
 やがて下人は成長したが、母たちは相変わらず母たちだった。寝ていると母たちの上に覆いかぶさって揺さぶる男たちを嫌悪していた。
 自分も「光る君」のような男と「契り」を結んでみたいと思っていた。
 そう女房の女に言うと笑われたが、下人が笑わないのを見て口をつぐみ、都に行くんだね、でもなきゃ寺にでも入りな、と言い捨てて母たちの集まりに戻った。
 ほどなくして、役人と貴族たちの軍団が砦に攻め入ってきた。
 女房は知らせを聞くなり下人を殴って昏倒させ、盗品から密かに隠しておいた女房装束を着せた。下人が目覚めた時には、男は子供に至るまで皆殺しにされ、女たちは砦の前に立たされた。貴族の一人が、何人かを奴婢として持ち帰りたい、と言うと、女房が下人の手を引き前に進み出て、これはかつては宮仕えをしていた女房だ、どうかこの女はそういうものとして扱ってくださらんか、と言った。本当かと訝しむ役人たちだったが、下人が漢籍をすらすらと諳んじて見せるとすっかりそれを信じ、貴族が都に持つ邸宅に仕える家女房として引き取られることになった。
 母たちは何も言わず、ひとり都へ向かう牛車に乗り込もうとする下人を涙ながらに送り出した。
 掠奪品と共に運ばれた男たちの首は日に日に腐っていき、都で晒される頃には誰が誰のものなのか区別が付かなくなっていた。
 都は「光る君」の話から受けた印象とはとうてい異なる場所だった。
 正門であったという羅城門はずっと前に倒壊して、柱の残骸のようなものが残るだけになっていた。路上に死体と糞便が溢れているのに文字通りに閉口した。牛車の暖簾の間から、山では見たこともないほど肥え太った蝿が、何びきも入ってくるのだ。少し人通りの少ない所に入ると餓えた犬たちに襲われ、御者と兵が棒や刃物で殴り殺そうと大騒ぎになった。
 受領の邸宅は七条と東洞院の交差する所から二町ほど下った所にあった。確かに内裏の近くではないが周りの家と比べては大きいように見えた。塀の中に複数の建物が集まっていて、池や金目のものを集めた倉庫すらあった。感心していると、非常にしばしば集団強盗や放火に遭うから少し離れた所にある別宅に住まうことになる、ここへは物を取りに来ただけだ、と言われた。
 別宅はもっと内裏に近い所にある小さな屋敷だった。受領の娘はここで下人を数人従えて住んでいた。もともと居た家庭教師は、さる歌合で才を見出され、女房として出仕することになったそうだ。そういう者にものを教えられたせいもあってか、娘はまだ幼いのにとても利発で、歌や漢籍に関してはもう教えることがないほどだった。その代わり笛や箏は苦手なようで、自分にも教えられることがあることに下人は安堵した。毎日管弦の稽古をして、飽きると歌を作ったり、「光る君」の巻物を読んで感想を語ったりして過ごした。
 数年経って娘の女房仕えの話がまとまりかけた頃、都に疫病が流行りはじめた。まず赤い発疹が腕や顔に現れ、数日で高熱を伴って全身に広がる。かすかに肉が焼けるような臭いがし始めると今度は代わりに血を吐き、青白くなって息絶える。下人の数人が倒れ、次は娘だった。
 娘が苦しみ悶えながら死ぬ様を呆然と見送った。使いを送ってしばらくのち、受領が悲嘆に暮れつつ下人の前へと現れた。
 ひどい有様だ。本当にひどい。鬼が……千切れた腕や、頭を持って、走り回っているんだ。
 受領は、あなたを養子として迎える準備がある、と微かに涙の残る声で下人に告げた。思ってもいない話だった。下人は少し考えたのち、微笑みながら首を横に振り、立ち上がって服を脱ぎはじめた。単衣を床に落とすたび少し赤らんだ受領の顔が、肌を曝すと再び血の気を失い、袴を脱ぐ頃には昏倒した。
 下人は死んだ下人の服に着替えた。
 *
 下人となった下人は、女房装束や日用品を一揃い背負い籠へ入れて家を出て、その辺をぶらぶらした。
 疫病は大量の死を生み出していた。庶民の死は単なる悲劇だが、貴人のそれは大量の失業者の発生を意味し、路上には常ではありえないほどの路上生活者がいた。みな妊婦のような腹をしていて、何も身に付けておらず、土や垢で汚れきっており、老若男女の区別も付かぬような状態だった。力なくへたり込んでいるように見えて、屋内で出た死体が外に投げ出されると驚くほどの俊敏さで群がった。なるほど、鬼かもしれない、と納得した。しばしば彼らは疫病で死んだり、犬に襲われて死んだり、暴漢に殴られて死んだりしていた。
 内裏の近くまで行くと、なぜかバラバラになった死体を集めているものたちに出くわした。ひとりの男に話を聞いてみると、怪訝そうな顔をしながらも、烏や鳶が途中で落としてしまうのだ、自分たちは刑吏や死体の廃棄を生業としている者たちで、内裏や貴族の家の近くで発生した死体を片付けると、検非違使が彼らに金を与えてくれるのだと言った。そういう利権で食っている集団が複数存在し、穢れの度合いで報酬も変わってくるのでどの集団がどこのどんな死体を拾うというのが大変微妙な機微をはらむ問題らしかった。話をしている間にも遠くの方で小競り合いが起き、加勢しなきゃ、と言いながら男は去っていった。
 夜な夜な下人は死体が発生したという独居人の家に忍び込み、死体を運び出して空き地に捨てた。それから家に戻り、女房装束を着て笛を吹いた。しばらくすると、簾の向こうに人影が見え、細紙が簾の隙間から差し入れられた。「夢のような笛の音色に引き寄せられてたどり着いたこの破れ庵に美しいあなたが垣間見えたことだよ」という歌が書きつけられてあった。下人は少し考えて、「夢に見たあなたのことを思って笛を奏でておりました、夢であなたが教えてくださった曲を」という歌を書いて返した。
 男は簾をくぐって入ってきた。下人は扇で顔を隠し、窺い見た。特に光り輝いてはいなかったのでがっかりした。
 この家に住んでいたものは、亡くなったはずではなかったか。
 こうして生きておりますわ。
 女ではなかったはずだ。
 そういうこともございますわ。
 男は出口を塞ぐように立ち塞がって抜刀した。
 そなたはあやかしか? それとも強盗か?
 歌を解し文を書いて贈るあやかしや強盗など、聞いたことがございませんわ。
 そう返すと男は納得した様子で刀を鞘に戻し、なるほど、貴人とは虫のように単純な頭をしているのだな、と思った。契りを結ぼうと鼻息荒く覆い被さってくるのを「このような夜を寝るだけで過ごすのは風情がないことだよ」とか何とか言って押しとどめ、娘の家からくすねてきた酒を飲ませた。
 あなたは人を殺めたことがございますの。
 なぜそのようなことを訊く。
 武の道に秀でた殿方は素晴らしいと思いますわ。
 そう煽てると男は敵対する貴族を刀で斬り殺しただの手際の悪い牛飼童を殴り殺しただの自慢しはじめた。こいつは「光る君」とは似ても似つかぬ下郎だなと思った。「光る君」は人を殺さない。男を手刀の一撃で昏倒させると、身ぐるみ剥いで背負いかごに突っ込んで家を後にした。
 それからも何度も同じことを繰り返したが、その度に失望を味わうこととなった。誰に聞いても快楽殺人を一度は行なっているとは一体どういうことなのだろうか。都人たちを見ても、けだものが職と服を身につけて歩いているとしか思えなくなってきた。
 それでもいつかは「光る君」のような有徳の者が垣間見てくれるのではないかと期待していた。
 ある日、簾の前にすらりと高い影が差すのが見えた。笛を吹くのをやめて見上げたが、じっとそこに立って動く様子がない。じれったくなって「なぜそのようにじっと立っているのでしょう、私の心まで見透かしているなら中に入っていいとわかっているでしょうに」という内容の歌を書きつけた細紙を出し出すと、男は黙って簾をくぐってきて、下人の前に立ち塞がった。
 何の御用でしょうか、と訊ねると、男は急にもじもじし始め、消え入りそうな声で話しはじめた。
 頼みたいことがあるのです。
 侍は俯きながら乗馬用の鞭を手渡してきた。
 これは何でしょうか。
 鞭です。
 それは分かります。何故こんなものを渡してきたのかをお訊きしているのです。
 男は答えず、着物をはだけて上半身を顕にし、後ろを向いた。毛深い背中には幾百幾千の傷跡が斜めに走り、醜く盛り上がっているのが見えた。
 お帰りください。
 男は下人の膝元に蹲り、涙ながらにこれまでの事の顛末を語った。元は侍として内裏に仕えていたが、ある女と共寝をしてこれを妻とした。しかしある日突然妻から鞭で何百回も叩かれ、なぜか強盗団の幹部として働くことになった。数年経ったある日のこと、愛する妻は家や家財もろとも蒸発してしまい、男は検非違使にひっ捕らえられて獄に入れられた。刑期を終えて宮中を彷徨っても結局妻を見つけることはできず、悲しみに暮れていたところ、笛の音が聞こえてきたのだという。
 前の妻と出会ったときも、その曲を吹いておりました。きっとこれは宿世の縁です。さあ、私を打ってください。
 理解はいたしました。お帰り願えますでしょうか?
 侍はその格好のまま惨めに泣き始めた。身体の震えで着衣はますます乱れ、尻や腿までもが同じような傷に覆われているのが目に入ってしまった。
 下人は肚を決め、衣をはだけて上半身を顕にした。
 騙す形になってしまい申し訳ございません。私は女性ではございません。あなたの妻になることはできませんから、お引き取り下さい。
 構いません。妻も私を鞭で打つ際は男装をしておりましたから。
 そういう問題ではないのではないか? と下人は思った。侍は泣きながら遺品だという水干袴と烏帽子を見せてきた。
 仕方ないので打ってやることにした。
 試しにどんなものか一度叩いてみると、腐っても鞭、軽く打つだけで厚く堅くなったはずの侍の背中には鋭い傷が残り、血が滲み出した。侍がぐっと何かに耐えるような声を漏らしたのが真に迫っている感じで嫌になった。あんっ♡とかそういう、ちょっと楽しげな感じだと思っていたのに。
 気を取り直して、何回打てばよろしいでしょうか、と訊ねると、妙にはっきりとした声で八十回よろしくお願い��ます、と返ってきた。
 八十回打ち終わる頃には背中が一面血塗れになったが、男は、平気だ、と言うばかりだった。流石にこれを放置するわけにはいかぬという気持ちになり看病をしていると、下人は言い知れぬ理不尽さを感じ、涙が流れた。
 ここを離れようと思い服を着直していると、侍がお待ちください、と手を握ってきた。
 礼を言わせてくださいませんか。ご迷惑をおかけいたしました。
 その真摯な眼差しから何故か目が離せなくなり、下人は無意識にいつもの質問をした。 
 あなたは意味もなく人を殺めたことはございますか。
 侍は少し考えてから、ないと断言した。下人は、なぜ自分がそんなことを訊いたのかもわからぬまま、その家を立ち去った。
 下人はその日を境に垣間見待ちをやめた。再びあの侍が来そうで恐ろしかったのだ。それから、食い扶持を稼ぐために盗賊団に入ることになった。
 あんたも都にさえ生まれればね。こんなけだもの共とは無縁の現世だったろうにね。何にだってなれたのにね。
 母たちはよくそう言ったものだった。実際、何にでもなった。女房のようなことをしたあとは、貴族から強奪した所持品を売り飛ばすために行商の変装をした。それで何とか生計を立てていた。今は強盗団だ。強盗団は強盗だけをして生きている人間ばかりではない。商人や聖職者、役人や女房のような者たちすらいた。貴族の家で働く使用人や侍はしばしば情報を売り渡し、自分で屋敷に火を放ちすらした。彼らもけだものだ。下人も仲間の手引きで貴族の家に下人として働きに行き、強盗を行うときは偵察や暗殺を行った。
 朱雀大路にやってきた旅芸人の一座を見て、自分の生まれを思い出さずにはいられなかった。偵察し、場所を開けるよう頼む者がいる。声を出して人の気をひく者がいる。演じる者がいる。道具を運び、組み立てる者がいる。金を集める者がいる。彼らもきっと盗むのが上手いだろうと思った。
「光る君」のことを諦めた訳ではなかった。本物の下人として内裏へと出入りするようになった。しかし幾度宴を覗き見たところで、どの男も光り輝いていなかったので、いよいよ失望を覚えた。宇治にでも行った方がよいのだろうか、と思い始めた矢先に、腕の内側に赤い発疹ができた。信じられないような早さで熱が上がり、内裏の中で動けなくなった身体を下人たちが引きずり出して、路地に捨てた。
 目を開けていることもままならなかったが、それでも飢えた犬と飢えた人間たちが近づいてくるのを感じた。襲い掛かられることを覚悟した瞬間、何かが自分を背負い上げた。まだ死んでいないのに河原に捨てられてしまうのだろうか。いったい私の穢れはどの程度、どのくらいの価値があると判断されたのか。
 下人の意識はそこで暗転した。
 *
 下人は小さな部屋で目覚めた。見知らぬ部屋のようでもあったし、これまで一夜を過ごして貴族を殺した部屋のどれかであるようにも思えた。簾が風にはためく音が耳に入り、目を向けると人影が見えた。すらりとした長身で、かすかに光り輝いていた。
 簾の外に出ると、男の姿はなく、かすかな光が尾を引くのみだった。その光を辿っていくと朱雀大路に出た。南の果てが金色に光っているのが見えた。ふらふらと歩み出した。死人もなく、野犬もいないことに下人は気付いていなかった。
 七条を過ぎる頃に、見慣れない建物が見えてきた。京の南端にたどり着くと、羅城門の跡地に巨大な建物が建っていることが分かった。朱雀門に似ていた。
 門扉を開けると、上階から光が漏れ出ていた。階段を登ると老婆が死体の髪の毛を毟っているのに出くわしたが横を素通りした。廊の突き当たりに、薄金色に発光するものが見えた。近寄ってみると、あの侍が正座しながら発光していた。下人が追ってきたことを後悔して帰ろうとすると、またも鞭を手渡された。
 さあ、私を打ってください。
 お断りします。
 打ちなさい。あなたは私を打たなければなりません。
 なぜ。
 なぜでも。 
 無視して帰ろうとすると、後ろから「わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ…」とぶつぶつ喋る声が聞こえてきて、横を通り過ぎて帰るのが嫌になってしまった。あの老婆が毟り終わって帰るまでここを動きたくない。
 仕方ないので打ってやることにした。
 今回は何回ほど打ったらよろしいでしょうか、と訊いたらまたも一時の逡巡もなく、八十回、と返ってきた。どうもその回数に拘りがあるらしい。
 気乗りがしないままに叩きはじめると、また男が濁声で耐え忍ぶような声を上げはじめたのでうんざりした。どうせ叩かせるのなら、もっと気持ち良さそうにしてくれた方がまだ叩き甲斐があるのに、と思っていると、突然男が振り向いた。
 手を抜いているでしょう。
 はあ。
 あなたはよっぽど度胸のないかたですね。
 下人はその言葉を聞かなかったことにし、無心で八十回打ち据えた。侍の背中は樫の幹のように硬く頑丈で、手が痺れてしまった。こんなことをしてもらって悦ぶようになる前はきっとさぞかし立派な侍だったに違いないのに、どうして……。下人は、虚しくなってしまった。
 終わりましたよ。
 ありがとうございます、と言いながら侍は立ち上がり、下人の方に向き直った。
 では、今度は腹を八十回お願いいたします。
 ご冗談でしょう、と下人は叫んだ。背中はすでに裂傷でズタズタになり、どんな悪人でももうこれ以上は打たないのではないかと思うような状態になっていた。死んでしまいますよ。
 これしき何でもありません。この傷跡が目に入りませんか?
 侍は胸を張って見せた。確かに胸から背中ほどに掛けてびっしりと傷跡が隆起しているのが見えた。
 下人は言葉を失ってしまった。老婆の声が再び響く。「…せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
 下人は共感した。一緒に髪をむしりに行ってもいいかな、と思った。下人には地上の法が理解できない。下人は強盗だった。人を殺し、物を盗んで暮らしてきた。
 下人が振り向こうとした瞬間、肩を強い力で掴まれ制止された。
 そちらへ行ってはなりません。
 なぜですか。
 ならぬからです。
 罪のある者たちの物や命を奪うよりも、あなたを鞭で打つほうがよほどならぬことだと思われるのですが。
 侍はこれを聞いて、それはどうしてですか、と不思議そうに聞き返した。下人は答えに窮した。
 あなたが死んでしまいそうで恐ろしいからです。
 こんな程度で死にはいたしません。それに、私が死んだところであなたに何の問題がおありですか。
 いけないことです。
 なぜいけないと思うのでしょうか。
 必要のない死、必要のない暴力だからです。強盗とは違います。強盗は生きるために行うことです。
 私は必要としています。生きるために必要なことです。
 私には必要がありません。
 だからよいのです。人に施しを与えることは功徳を高める行いです。さあ、私をお打ちください。
 全く納得のできない論理であった。躊躇していると、お打ち願おう! という大音声と共に間合いを詰められた。もう逃げ場がない。
 仕方ないので打ってやることにした。
 八十回でよろしいですか、と訊ねると、そうだが、とでも言わんばかりの慇懃さで頷かれて腹が立ち、思わず加減をせず一発目を叩いてしまった。
 ぐっ……いい打ち加減だ。その調子です。
 心底気持ちが悪いと思った。下人は何も聞かなかったことにして無心に叩こうとした。しかし背中を叩くのとは違って表情で反応がわかってしまう。普段通りの力で叩いたら物足りなさそうな顔をするのが見えてなんとも不愉快な気持ちになり、顔を背けてしまった。
 なぜ……。なぜ私は、このような様子のおかしい者を殴らなければいけないのでしょうか……。御仏様、これが、私が今まで犯してきた罪に対する報いなのでしょうか……。生まれてきたことが、間違いだったのでしょうか……。
 侍の腹は樫の幹のように硬く頑丈で、八十回打ち終える頃には手が痺れてしまった。
 いいですか。これで最後ですよ。もう二度と絶対に叩きませんからね。
 下人が顔を上げた。侍は全身からぼたぼた血を垂らしながらこちらを観察していた。鬼のようだった。
 私を打って、楽しかったですか。
 いいえ。
 二百四十回も打ったのに、ただの一度も。
 苦痛でした。
 ならばあなたは暴力がお嫌いなんですね。本当は、人を殺すのも、人から物を盗むのも嫌いなはずだ。あなたは女手を理解し、管弦の扱いにも長けたお方。好きなはずがない。
 強盗だって読み書きや管弦の扱いくらいわきまえていることくらいありましょう。
 それにあの服。なぜ女房装束を着ていたのですか。
 あなたの奥様が男装をしたように、私も女装をしていただけでございます。
 では、どうしてあんなことを訊いたのです。あなたは意味もなく人を殺めたことがありますか、と。
 下人には答えられなかった。黙っていると、侍は下人を抱擁した。自分が震えているのがわかった。なぜ震えているのか分からなかった。血の匂いが濃く香り、自分の着物を熱く濡らすのが感じられ、一層大きく身震いした。
 強盗のあなたと女房のあなた、どちらが本当のあなたなのですか。どちらが本当の望みなのですか。
 *
 答えようとしたところで目が覚めた。
 見知らぬ部屋に寝かされていた。頰が涙で濡れているのは意味のわからない夢を見たせいだろう。羅城門が再建されるなどという話は、聞いた覚えもない。いや、そんなことよりも。
 生きている……。
 弱った腕を持ち上げて、発疹がないことを確認した。信じられない。あの病に罹って生き延びたものなど、聞いたことがなかった。御仏の加護だろうか。この私に。
 外から、貴人と思われる男が入ってきた。
 目が覚めましたか。
 ここは……。
 私の家ですよ。部下の一人があなたをここまで運んできたのです。
 家の中で死んだら大変なこと(内裏に出仕できなくなるなど)になるはずだった。よく匿ってくれたものだ。奇異の目で見ていると男は、私は自由の効く身なのです、と言って微笑んだ。
 運んできて下さった方は……もしかして、身体中が傷だらけで赤い髭の方でしょうか。
 そうです。
 お礼を言いたいのですが。
 死にました。
 死んだ?
 あなたはここに運ばれてすぐ血を吐きはじめ、もういつ息絶えてもおかしくない状態でした。あの男は熱心に看病をしていましたが、あなたの身体が青白くなる頃には黙って泣いていました。それが丑の時にもなろうというころに突然「行かねばならぬところがある」と屋敷を出ていったのです。そして今朝、羅城門の跡で、死体になって見つかりました。身ぐるみ剥がれた上に髪の毛まで抜かれており、体中に謎の鞭傷が残っていたそうです。……どうかしましたか?
 いえ。悲しいことですね。
 下人の頭には先ほどまで見ていた夢の光景が急速に蘇りつつあった。
 貴人は、好きなだけここで身体を休めてくれて構わないと鷹揚に言い残してどこかに去り、それきり顔を見せなかった。頼りない、なよやかな首の感じが妙に印象に残る、美しい男だった。
 下人は横になりながら、答えられなかった最後の問いについて考えていた。
 ──私は「光る君」に会いたかった訳ではなかったのかもしれない。「光る君」の話に出てくる者たちの生活に憧れていただけかもしれない。暴力もなく強盗もない美しい世界のように思われたのだ。そして、それは「垣間見」でしか得られないものであるような気がした。きっと、あの砦で一緒に話を聞いていた母たちにもとってもそうだったに違いない。
 ──私は色々なものになった。男にもなったし、女にもなった。どんな職業にも成りすまして、盗み、殺してきた。でも、私は母親にだけはなれなかった。母親になれなければ契ることはできない。母たちはきっと、そこに目を瞑っていた。それでも私に女房装束を着せて、生き延びさせてくれた。
 ──自分に���どうしようもできないことだ。どうにもやり��れない。そして、私たちの早急で不実な考えは、あの男に死をもたらした……。
 下人は、枕の上ではらはらと涙を零した。大きな声を出して往来を走り回りたいような気分だったが、身体は相変わらずうまく動かなかった。
 *
 ある晩、夜半に目を覚ました。簾が風にはためく音が耳に入り、目を向けると人影が見えた。すらりとした長身で、かすかに光り輝いていた。
 簾の外に出ると、男の姿はなく、かすかな光が尾を引くのみだった。下人は、光の後を辿って、歩みはじめた。身体の重みは感じなかった。
 下人の行方は、誰も知らない。
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oniwastagram · 3 years
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📸峯寺庭園 [ 島根県雲南市 ] Mineji Temple Garden, Unnan, Shimane の写真・記事を更新しました。 ーー飛鳥時代に役小角が開創した古刹“出雲大峯”に残る、大名茶人 #松平不昧 がお抱え庭師と作庭した雲州流庭園。 ...... 「中峯山 峯寺」は飛鳥時代の658年に日本の修験道の開祖 #役小角 により創建された真言宗御室派の寺院。当地の代表的寺院として“出雲大峯”との呼称も。 七代目松江藩主・松平不昧こと松平治郷公ゆかりの雲州流庭園が残ります。出雲観音霊場第9番、出雲国神仏霊場第17番。 . 2020年秋、島根県の庭園巡りで初めて訪れました。雲南市の中心・JR木次駅から約3kmなので奥出雲の庭園と比べると山奥!って感じではない…のですが…… お寺までの残り800mで標高を100m駆け上がる超急勾配(逆に下りも怖い)。しかも道も細く車のすれ違いは難しい。マイクロバスも7mまで可ってなってるけどマジかいな…。 . 開創の役小角。国宝の『投入堂』を投げ入れた人として有名ですが、この人が開いたお寺は本当に険しい場所ばかり…名前見て「あ、やっぱり」と思うようになってきた。 境内から見下ろす街の風景と出雲の山の風景は神々しさがあります⛰まさに霊山。 . 所蔵している国指定重要文化財の絹本著色聖観音像は平安時代の作品(その他に鎌倉~室町期の県指定文化財も)。 中世には出雲を治めた尼子氏や毛利氏の祈願所となり全盛期には山内には42もの僧坊があったそうですが、戦国時代に度々兵火🔥に遭い荒廃。 . 江戸時代に入り、松江藩主・松平家の支援によって伽藍が整えられ現代へと至ります。石州赤瓦屋根が特徴的な本堂・庫裏は江戸時代末期の建築。本堂が唐破風屋根が出っ張っていてちょっと変わってるなぁと。 . そして本堂・庫裏の裏に松平不昧公がお抱え庭師に作庭させたという枯山水庭園が残ります。その“お抱え庭師”が出雲流庭園の祖 #沢玄丹 かは不明…。 . これまで見た“出雲流庭園”と比べると白砂ではなく土・苔🌿が敷かれているという違いはあるけど(長年の時間の経過で変わってきたのかな、と思う)、高めに配された飛び石にそのスタイルが感じられる。 サツキ等の刈込を近景に、借景には奈良時代に『出雲國風土記』にも記され古代から当地で信仰されている“伊我山”が取り込まれています⛰ . 事前予約で書院で庭園を眺めながら精進料理をいただくことも。サツキが花を咲かせる時期、青空の下でまた眺めたい庭園! ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/mineji-temple-%e5%b3%af%e5%af%ba%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー ‪#japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japantemple #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #shimanegarden #雲南 #木次 #unnan #出雲流庭園 #おにわさん #oniwasan (出雲大峰 峯寺) https://www.instagram.com/p/CN5N1cbpcnZ/?igshid=iyccntoruloa
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xf-2 · 4 years
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1人が死亡し18人がけがをした福島県郡山市の飲食店の爆発事故で、死亡したのはこの店で行われていた改装工事の現場監督だった仙台市の50歳の男性と確認されました。警察と消防はプロパンガスによる爆発とみて詳しい状況を調べています。
30日午前9時前、福島県郡山市島2丁目にある飲食店、「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」で爆発がありました。 店の中で男性1人の遺体が見つかり、警察が身元の確認を進めたところ、仙台市太白区の会社員、古川寛さん(50)と確認されました。 警察などによりますと、爆発が起きた店は新型コロ��ウイルスの影響で4月から休業し、その期間中に店舗の改装を行っていたということです。 古川さんが勤務する仙台市の設計施工会社によりますと、古川さんはこの店の改装工事の現場監督で、壁紙を塗装したり床を貼り替えたりする作業を行い、ガス関係の工事は請け負っていないということです。 今回の爆発では、このほか周辺の銀行のATMを使っていた人や近くの会社の事務所にいた人など、20代から80代の男女18人がけがをしました。 このうち40代の女性2人が重傷ですがいずれも意識はあり、残りの16人は軽いけがだということです。 消防によりますと、爆発が起きた建物の敷地にはプロパンガスのボンベが6本倒れていて、このうち3本でガスが漏れ、バルブが壊れていたということです。 警察や消防はプロパンガスが爆発の原因とみて詳しい状況を調べています。
仙台市にある設計施工会社の小西造型は、今回爆発が起きた現場の店舗で壁の塗装や床の張り替えなどの工事を請け負っていました。
この工事は、今月23日から始まり、30日は、店の看板を補修する予定だったということです。
古川さんは30日朝、宮城県内の自宅から会社の車で現場に向かい、午前8時10分ごろ、現場に着いたことを会社に連絡していました。
契約している警備会社に、古川さんが午前9時の数分前に現場の建物の鍵を開けた記録が残っているということで、それ以降は連絡が取れていないということです。
当時現場にいた社員は、古川さん1人だったということです。小西造型は「古川さんは仕事熱心で、誰よりも現場に詳しい優秀な方でした。事故の原因は分かりませんが、亡くなってしまったことは非常に残念です」としています。
爆発による衝撃 数百メートルにわたる
爆発現場となった郡山市島2丁目付近は、郡山市役所から西に1キロほど、JR郡山駅から、西に3.5キロほど離れています。
市の中心部で、商業施設や住宅地が広がる地域です。
爆発による衝撃は、数百メートルにわたって伝わったとみられ、周辺の店舗や住宅に、窓ガラスが割れるなどの被害が出ています。
このうち、現場から南に150メートルほどの離れた桑野協立病院では、職員が地震と間違えるような震動を感じ、1階から4階までの窓ガラスがあちらこちらで割れているということです。
また、現場から東に370メートルほど離れた郡山女子大学付属幼稚園でも、ドンという大きな音とともに窓ガラスが1枚割れる被害が出ています。
爆発は改装工事中のフランチャイズ店
「しゃぶしゃぶ温野菜」の運営会社を傘下に持つ外食大手の「コロワイド」によりますと、爆発があった「郡山新さくら通り店」は直営店ではなく、いわゆるフランチャイズ経営の店舗だということです。
平成18年に開業し、これまでに店側からガス漏れのトラブルが報告されたことはなかったということです。
この店舗は、ことし4月23日から新型コロナウイルスの影響で休業していて、今月21日から31日までの予定で改装工事を行っていたということです。
隣の電気工事会社 5人けが
爆発があった飲食店の東側にある、電気工事の会社に勤務している65歳の男性によりますと、当時、社内では100人ほどが勤務していたということで、男性は天井から落ちてきた照明が頭にぶつかりけがをしました。
また、この男性も含め合わせて5人が割れた窓ガラスが当たって首に切り傷を負ったり、崩れてきた壁で背中を打ったりするなどの軽いけがをしたということです。
男性は「とても大きな衝撃で、飛行機が墜落したかと思いました。事務所の窓ガラスが数多く壊れて、突然落ちてきた照明に頭をぶつけ、けがをしました。会社が再開できるように、いち早く復旧したいという思いです」と話していました。
100メートル余り離れた高校では
爆発が起きた飲食店から南へ100メートル余り離れた高校では、爆発の衝撃で教室の窓ガラスが割れ、けが人はいませんでしたが、生徒たちの間には動揺が広がっていました。
郡山女子大学附属高校は、夏休みが短縮された影響で31日までが登校日で、爆発が起きた当時は朝8時40分から全校で試験が行われていたということです。
学校によりますと、爆発による爆風や揺れで30枚ほどの窓ガラスが割れたりひびが入ったりしたほか、天井の配管がずれたり、ドアが壊れたりする被害があったということです。
けが人はいませんでしたが、被害を受けて、その場で泣きだしたり、過呼吸になった生徒が少なくとも10人はいたということで、担架や車いすを使って保健室に運び、休ませたということです。
もっとも被害が大きかった2年1組のクラスでは、校舎の北側にあたる窓ガラス2枚が大きく割れ、すぐ近くの机の下に落ちていました。
窓側から2列目の席に座っていたという生徒は「耳が痛くなるくらいの大きな音がして、同時にガラスが割れ、すぐに体を投げ捨てるようによけました。とても怖かったです」と話していました。
また、隣のクラスにいた40代の男性教諭は「窓が揺れるような風圧がものすごく強く、試験中だったが、生徒たちも動揺し、自分自身も恐怖を感じた。生徒には大きなけがの報告はないが、非常に動揺している」と話していました。
約120メートル離れた病院では
現場から北におよそ120メートル離れた病院に併設されたリハビリ施設でも爆発で大きな衝撃がありました。
施設の中にある浴室の脱衣場では天井の一部が崩れ、火災報知器が垂れ下がった状態になっていました。
また、リハビリなどを行う部屋でも天井についていたエアコンのカバーが2つ外れたということです。
そして、施設の中にある時計は8時55分のままで、爆発の衝撃で止まったものとみられます。
爆発当時、リハビリ施設で勤務していた理学療法士の海藤寛喜さんによりますと、施設には利用者とスタッフおよそ30人がいましたが、けが人はいなかったということです。
海藤さんは「耳が痛くなるような大きな音と地震のような大きな振動を感じ、最初は何が起こったのか分からなかった。利用者の安全性の確保を最優先に考えました」と話していました。
現場近くの病院看護師「爆発音が2回 すごい音と風圧だった」
爆発があった現場から南に100メートルほどの桑野協立病院では、現場側の病室などの窓ガラス、およそ90枚が割れ、さらに病棟内の一部の電灯も落ちる被害がありました。
当時、病院には入院患者およそ80人と看護師などのスタッフおよそ120人の合わせて200人余りがいましたが、けがをした人はいなかったということです。
病室にいた看護師は「突然、爆発音が2回して、すごい音と風圧だった。窓が粉々になって、外を見ると辺りは灰色の煙に覆われて見えなくなっていた。何が起きたか分からず、必死に患者の安全を確認した。振り返ってみるととても怖く全員が無事だったのは奇跡だと思う」と話していました。
病院は、30日は外来診療を休止し、31日からは一部を除いて再開する予定だということです。
美容院で働く女性「建物の近くの道路に人が倒れている様子確認」
福島県郡山市で爆発があったとみられる現場から東側に450メートルほど離れた美容院で働く女性は、当時の様子について「ドンという爆発音を聞いたので急いで店の外に出てみると、建物から煙があがっていました。建物の近くの道路には人が倒れているような様子も確認できました」と話していました。
また、この美容院の周辺の店舗などでも窓ガラスが壊れるなど被害がでているということです。一方、この美容院には被害はなかったということです。
郡山市が避難所を開設
福島県郡山市は、爆発の影響で住宅に被害を受けた人などを受け入れるため、午前10時から、市内の亀田1丁目にある「桑野地域公民館」に避難所を設けています。
総務省消防庁 現地に職員派遣
総務省消防庁は原因の調査を支援するため、消防研究センターの職員を現地に派遣することを決めました。
また、消防庁の職員も管轄の消防本部に派遣することにしていて、爆発が起きた状況などを詳しく調べることにしています。
専門家「漏れたガスの量もかなり多かったのでは」
東京消防庁のOBで、市民防災研究所の理事、坂口隆夫さんは「映像を見るかぎり、プロパンガスが室内に漏れて、何らかの原因で着火して爆発したと考えられる。店の天井や壁が全体的に吹き飛んでいて、骨組みだけになっている。周囲も4つの方向すべてで被害を受けている。漏れたガスの量もかなり多かったのではないか」と指摘しています。
そのうえで、「これだけ激しく建物が壊れているので、建物は耐火構造ではなく、簡易的な構造だったのではないかと推測される。耐火構造であれば、壁などがすべて吹き飛ぶということは、よほどの圧力が加わらないと起きないと思われる」と分析しています。
この飲食店は新型コロナウイルスの影響で4月から休業していて、その間に改装を行い、31日から営業を再開する予定だったということです。
こうしたことも踏まえ、爆発の原因については、「通常の状態であれば、ガス漏れはそう簡単に起きるものではない。営業再開に向けて改修工事をしていたならば、ガスの配管、あるいは器具の近くで工事などが行われていた可能性があり、それによってガス漏れが発生したのではないか、ということがまずは考えられる」としています。
また、長期の休業を経て営業を再開するほかの飲食店についても「ガスの元栓を閉め、店舗内にガスが供給されないような状況にしてほしい。ガスの元栓や配管の点検をしっかり行うことが必要だ」と注意を呼びかけています。
過去の主な爆発事故
建物が突然、爆発し死者やけが人が出た事故は過去にも相次いでいます。
おととし7月の西日本豪雨では、岡山県総社市のアルミ工場に近くの川からあふれた水が流れ込んで爆発が起きました。
周辺の住民数十人が骨折などのけがをしたほか、飛び散ったアルミで住宅が焼けるなどの被害が出ました。
また、おととし12月には、札幌市の不動産会社の店舗で爆発があり、周辺の住民など40人以上が重軽傷を負ったほか、まわりの建物の窓ガラスが割れるなどしました。
この事故では、店舗内で除菌消臭用スプレーを大量に噴射したことで可燃性ガスが充満し、給湯器のスイッチを入れたことで爆発が起こったとみられています。
さらに、今月5日には、静岡県吉田町の工場の倉庫から火が出て爆発的に燃え広がり、消防隊員3人と警察官1人の合わせて4人が死亡しました。火元を調べていた4人が、突然、爆発のようなものに巻き込まれたとみられています。
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voidplus-jp · 4 years
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森本太郎  Taro Morimoto  "neutral tones" 2020.10.2 (fri) -  10.24 (sat)
void+では、10月2日(金)より森本太郎 - neutral tonesを開催致します。
森本は写真や印刷物のイメージを元にカンヴァスにアクリル絵具を搾り出す独特な手法などを用いて半立体的な絵画を制作します。本展では、青山界隈の取材から始めた森本が、この街で出会った風景をカメラに収めて作品に起こした新作5点を展示いたします。
また、今回初の試みとして、展示作品の制作過程であるカンヴァスに色を塗り重ねていく様子を撮影した映像作品(映像:南口雄一 サウンド:吉岡亜由美)も併せてご覧いただけます。作業台の上から俯瞰した制作中の作品と作業する作家の手元をクローズアップした二つの映像をシンクロさせながら森本のアトリエをギャラリーに再現していきます。どうぞこの機会に絵画作品と共にご高覧ください。
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<展覧会概要>
■タイトル:森本太郎 "neutral tones" ■会期:2020 年10月2日(金)— 10月24日(土)14:00-18:00 ■会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14, 1F ■定休日:日、月、祝日 ■お問合せ:[email protected]   ■映像制作協力:南口雄一、吉岡亜由美 ■企画協力:YN Associates
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<作家ステートメント>
“neutral tones” イメージを解放し再び見つける
わたしの制作は、写真画像を加工することから始まる。コンピューターのアプリケーションのツールを使い、自動的に近似色を選び出し、塗りつぶすことを繰り返すことによって、画像は色面化されたモザイク状のイメージに変容される。
そうすることで、もとの画像が表すある特定の意味、その機能や役割といったものが徐々に解き放たれていく。元のイメージがシャッターを押した瞬間に存在した人物や風景であっても、それが単なる色面の集合体に変換された途端に、かつての現実世界から遊離しはじめるといった具合だ。
その作業によって、もとの画像にまとわりついていた情報が溶け出すと、わたしの視線は変容するイメージと色彩の間で揺らぎ、均衡を保とうとしはじめる。
そうした状態のなか、そのイメージを絵画として提示することで、自分と他者を何かあらたな関係で繋ぎとめる可能性が生まれるのではないだろうかと期待して描き、そして描きながら何度も眺めてみる。
描いた作品と鑑賞者との記憶が結びついたとき、どうなるのだろうか。イメージの抽象の度合いによっては、見るたびにイメージが変わることもあるだろうか。そうした作品との個人的な結びつきが新たに生まれることが、絵を見るということなのだろうと考えている。
中間の色彩
制作中、作品によっては200色近い色を調合する。
パソコンで作り出したイメージの色彩を抜き出し、カラーチャートにして、そのサンプルをもとにひとつずつ、顔料の組み合わせをイメージしながら色をつくりだしていく。
選択した複数の色を混ぜ合わせることで、どれも名付けようのない中間色となっていく。もはや既製の色からはなれ、彩度も落ちくすんだ曖昧な色調となる。しかしそれらが、隣り合うことで全体の均衡がとれていく。
そうして作り上げた様々な色を、キャンバス表面に引いた細い立体的な輪郭線の領域ごとに塗り分けていく。静かに塗り重ねられてできた不定形な色面のモザイクの断片。色をつくり、塗り重ねる。その何度となく繰り返される時間の積み重なりによって作品は完成へと近づき、意味を結ぶ手前のニュートラルな状態で鑑賞者を待つ。
今回は、映像作家の南口雄一さんと音楽家の吉岡亜由美さんにご協力いただき、キャンバスに色を塗り重ねていく様子を撮影、録音していただいた。
時間芸術である動画を撮影してもらい、共に発表するのは、私にとっては初めての経験です。アトリエでキャンバスがテーブル上で回転しながら滞留しつづける色や、絵が生まれつつある時の音響を楽しんでいただくことで、絵の中にあらたな角度からの見方がうまれたらと思っています。
森本太郎
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<作家プロフィール>
森本太郎 Taro Morimoto
1969    岡山県倉敷市に生まれる 1994    東京造形大学デザイン学科卒業 1995    東京造形大学造形学部研究生修了
<主な個展>
2020    neutral tones  void+(東京) 2019    呼応するインテリア GALLERY TAGA 2(東京) 2017    静謐のありか GALLERY TAGA 2(東京) 2016    イメージはよろこび switch point(東京) 2015    vestiges GALLERY TAGA 2(東京) 2012    イメージの縁(へり) ──ここにあり、ここではないどこか STORE FRONT(東京) 2010    メディウム──中庸と媒介 switch point(東京) 2009    つなぎとめるもの 奈義町現代美術館(岡山) 2005    project N 23 森本太郎 東京オペラシティアートギャラリー(東京) 2002    reminder ──記憶の連鎖 Space Kobo & Tomo(東京)  2005 2001    recollection アユミギャラリー(東京) 2003, 2004, 2008 1998    岡村多佳夫企画V 森本太郎展 アユミギャラリー(東京)
<主なグループ展>
2020    PLACE x PLACE           GALLERY TAGA2 (東京) 2016    Footprints ─ 版画工房の仕事-Itazu Litho-Grafik-  カスヤの森現代美術館(神奈川) 2014    森鷗外記念館で現代アート!Vol.2 生命の連鎖・イメージの連鎖 文京区立森鷗記念館(東京) 2013    BORDERS HARMAS GALLERY(東京) 2010    間戸/ WIND-OW MA2 Gallery(東京) 2009    AUTUMN SONGS ヴァリエテ本六(東京) 第2回 岡山県新進美術家育成I氏賞選考作品展 岡山天神山文化プラザ(岡山) 2008    ART IN TIME AND STYLE MIDTOWN Vol.4 Time & Style Mid Town(東京) 華・非・華 呉詠潔 森本太郎 VT ART SALON(台湾・台北) 2007    放飛新視界──日本当代絵画 PYO Gallery Beijing(中国・北京) イリュージョンの楽園 MA2 Gallery(東京) 華・非・華 呉詠潔 森本太郎 トーキョーワンダーサイト本郷(東京) 2006    第3回 府中ビエンナーレ 美と価値─ポストバブル世代の7人 府中市美術館(東京) 2003    ARTISTS BY ARTISTS 森アーツセンター(東京) 1998    寿限無’98 世紀末複製事件-ART BY XEROX- 現代美術製作所(東京) 1994    JACA’94 日本ヴィジュアル・アート展 伊勢丹美術館(東京) 第1 回東京デザインセンター新人賞受賞作品展 東京デザインセンター(東京)
<映像制作協力作家プロフィール>
南口雄一Yuichi Minamiguchi
1973年和歌山県生まれの映像作家。 2015年、インタラクティブ作品「唯識」が”Interactive Haiku“(カナダ国立映画庁/Arte France)に入選。2016年、長編ドキュメンタリー映画「私家版 渡辺本爾詩集」がブラショフ映画祭に入選。2017年、「上岡美平 作品とその生涯」展のディレクションを担当。
吉岡亜由美Ayumi Yoshioka
1986年生まれの作曲家、サウンドデザイナー。 2009年に東京音楽大学作曲科を卒業。「唯識」や「私家版渡辺本爾詩集」の作曲、サウンドデザインを担当。その他にも、科学技術系ショートドキュメンタリー映像や展覧会映像の作曲などを多数手掛ける。
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kamagaya · 4 years
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author 石井幸一
演出家。梨農家。
1979年生まれ。千葉県鎌ヶ谷市在住。東京農業大学卒。
鎌ヶ谷アルトギルドと一徳会の主宰者/京葉演劇研究會メンバー/かまがや南初富演劇部芸術監督/(公財)舞台芸術財団演劇人会議会員/第20回BeSeTo演劇祭実行委員/演劇活動体La+メンバー/利賀演劇人コンクール事務局(2013年、2014年)/��ケ谷市梨出荷組合組合長(2017-2018)/梨直売まるた石井園所属
【お問い合わせ連絡先】
【略歴と受賞歴】
2002年(横溝正史生誕100年の年)、『百日紅の下にて』を東京農業大学百周年記念講堂に於いて上演。以降、一徳会名義にて横溝正史の小説を連続して舞台化。並行して鎌ヶ谷アルトギルド名義にて東西の古典戯曲、近代戯曲に取り組む。
2007年、(公財)舞台芸術財団演劇人会議が主催する利賀演出家コンクールにおいて優秀演出家賞を受賞。
2009年、利賀演劇人コンクール10周年記念大会に参加。別役実『象』を上演。
2013年、富士山世界文化遺産登録記念ふじのくに野外芸術フェスタ新世代ショートスペクタクルに招聘され、グランシップ芝生広場にて『M78-光の国から-』を上演。
2013年、第2回アジア演出家フェスティバルに日本代表演出家として出場。A・ストリンドベリ『令嬢ジュリー』の演出において中国、韓国、台湾の演出家とともに奨励賞を受賞。
2014年、ふじのくに野外芸術フェスタに招聘される。清水マリンパークと浜名湖ガーデンパークの2会場にて『白鳥の湖まで』(原作:チャイコフスキー)を上演。
2017年、舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)の演出をする。
2020年、鎌ケ谷市主催の市民参加型創作プログラムにて、『東海道四谷怪談』(原作:鶴屋南北)を演出する。
2020年、京葉演劇研究會を結成。三好十郎『胎内』にて旗揚げ公演を行う。
2021年、長野県芸術監督団事業「NAGANO ORGANIC AIR」に参加。
2022年、月影瞳コンサート「Home coming」に演出と美術で参加。
2022年(横溝正史生誕120年の年)、長野県上田市の劇場【犀の角】との協働により横溝正史『犬神家の一族』を舞台化。
【演出】
一徳会+犀の角『犬神家の一族』(原作:横溝正史)@犀の角[2022年12月]
文化財de文化祭『月影瞳ライブ』@安楽寺[2022年10月]
鎌ヶ谷アルトギルドのドライブインシアター2『名人伝』(原作:中島敦)@まるた石井園直売所の駐車場[2022年7月]
月影瞳コンサート『Home coming』@サントミューゼ[2022年2月]
長野県芸術監督団事業NAGANO ORGANIC AIR小諸『破戒-試演会-』(原作:島崎藤村 脚色:黒岩力也)@ブルーベリーガーデン黒岩[2021年7月]
鎌ヶ谷アルトギルドのドライブインシアター『folklore』(宮沢賢治「春と修羅」、他)@百景社アトリエ駐車場[2020年7月]
京葉演劇研究會『胎内』(作・三好十郎)@まるた石井園直売所[2020年3月]
きらりホールでお化け屋敷!?『東海道四谷怪談」(作:鶴屋南北)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2020年1月]
KPR/開幕ペナントレース【息子企画】『息子』(作:小山内薫)@ギャラリーエフ浅草
『THE DIVER』(作:野田秀樹)@まるた石井園直売所、百景社アトリエ
『恋愛曲線』(原作:小酒井不木)@渋谷HOME
舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)@品川プリンスホテルクラブex[2017年11月]
『ユメノ劇』(原作:夢野久作「一足お先に」)@石井園直売所
ネルケプランニング昭和文学演劇集5『孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター[2017年2月]
『リチャード三世』(作:W・シェイクスピア)@鎌ケ谷市東部学習センター内レインボーホール
『いつも心に太陽を』(原作:つかこうへい)@百景社アトリエ、まるた石井園直売所、七間町このみる劇場、テアトル・ドゥ・ベルビル
都市生態演劇博inソウル『プロメテウス体験』(原作:アイスキュロス「縛られたプロメーテウス」)@西江大学メリーホール
『蜘蛛の糸』(原作:芥川龍之介)@石井園仮設野外劇場
ふじのくに野外芸術フェスタ2014『SL-白鳥の湖まで-』(原作:チャイコフスキー「白鳥の湖」)@清水マリンパーク、浜名湖ガーデンパーク
ネルケプランニング昭和文学演劇集3『蝶々殺人事件』(原作:横溝正史)@紀伊国屋サザンシアター
第20回BeSeTo演劇祭『わが西遊記』(原作:中島敦)@アトリエ春風舎[2013年10月]
アジア演出家フェスティバル2013『令嬢ジュリー』(作:A・ストリンドベリ)@利賀芸術公園リフトシアター
富士山世界文化遺産登録記念ふじのくに野外芸術フェスタ2013新世代ショートスペクタクル『M78-光の国から-』(原作:創世記)@グランシップ前広場
『四人の俳優による「授業」』(作:イヨネスコ「授業」)@神楽坂ディプラッツ[「授業」フェスティバル2012年5月]
『悪霊島』(作:横溝正史)@まるた石井園仮設野外劇場[2012年3月]
『オイディプス王』(作:ソフォクレス)@静岡県舞台芸術公園BOXシアター
利賀演劇人コンクール10周年記念大会『象』(作:別役実)@利賀芸術公園利賀山房、2009年8月
『龍を撫でた男』(作:福田恆存)@日暮里d倉庫
『蔵の中』(作:横溝正史)@ザムザ阿佐谷[2008年2月]
『熊野』(作:三島由紀夫)@利賀芸術公園リフトシアター[利賀演出家コンクール2007]
『ひとり八つ墓村/丹夫人の化粧台』(原作:横溝正史、脚本:野呂淘汰)@乃木坂コレド
『鬼火』(原作:横溝正史)@STスポット横浜
『お前はもう死んでいる』(原作:古典落語「粗忽長屋」)@鎌ヶ谷市三橋記念館
『三つ首塔』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『白と黒』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『塙侯爵一家』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『殺人鬼』(原作:横溝正史)@大塚ジェルスホール
『百日紅の下にて』(原作:横溝正史)@東京農業大学百周年記念講堂[2002年12月]
【脚本】
*pnish*プロデュース『黄金仮面』(原作:江戸川乱歩)@全労済スペースゼロ、北國新聞赤羽ホール、神戸朝日ホール[2011年2月-3月]
ネルケプランニング昭和文学演劇集2『少年探偵団』(原作:江戸川乱歩)@青山円形劇場
ネルケプランニング昭和文学演劇集3『蝶々殺人事件』(原作:横溝正史)@紀伊国屋サザンシアター
ネルケプランニング昭和文学演劇集4『孤島の鬼』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター
ネルケプランニング昭和文学演劇集5『孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに-』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター[2017年2月]
舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)@品川プリンスホテルクラブex[2017年11月]
きらりホールでお化け屋敷!?『東海道四谷怪談』(原作:鶴屋南北)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2020年1月]
【他】
『億土点の第3夜』(作:夏目漱石/演出:億土点)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2022年10月]プロデュース
鎌ケ谷市民会館きらりホール主催『劇場入門!』講師
文化財de文化祭『月影瞳ライブ』@安楽寺[2022年10月]舞台美術デザイン
かまがや南初富演劇部『骨と記憶』(作・演出:伊藤全記)@鎌ケ谷市郷土資料館[2022年7月]監修
第二回鎌ケ谷市民創作ミュージカル『大仏さまの折り鶴』(作・演出:相澤美智子)舞台美術デザイン
鎌ケ谷市民会館きらりホール夏の舞台ワークショップ講師
きらり☆かまがや冬期舞台ワークショップ講師
百景社『誤解』(作:カミュ/演出:志賀亮史)@百景社アトリエ[2020年10月]舞台美術デザイン
月影瞳コンサート「Home coming」舞台美術デザイン
梨園の宴々主(プロデュース)
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enomoto22 · 5 years
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『ありがとう』に励まされ
※ふれあいえのもと通信34号(6/10発行)掲載
榎本女性会 会長・副理事長 板倉 佐智子さん
「板倉家にはお義父さんお義母さんに弟が二人。新婚旅行から帰ったその日に、ようやく『長男の嫁』という立場に気づいて(笑)。
決して世に言う『お姑さん』ではないけれど、気ままに過ごした娘時代とは大きく生活が変わったわ。」
嫁いでこられた頃(1970 年代)、女性は、まだ家庭の中にあり、一家の『生活』の隅々までを支えていました。
板倉さんのお宅は放出でも、とりわけ古いお屋敷の立ち並ぶ町会。
最近は改築も進み、風情はがらりと変わったそうです。
明るくて負けん気が強い(自称)放出のお嫁さんは、テキパキと家事育児をこなし、色々なお役に引く手数多の中、斯くして榎本の地域活動にどっぷりとつかり、榎本の鶴見区の、キュートな女性リーダーとなっていかれます。
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地域の皆さまには平素より女性部には色々ご協力いただいております。令和になり、最初の行事は高齢者食事サービス、ふれあい喫茶です。
大きい行事は、区民まつり、ふれあいまつり、盆踊り大会、大運動会、敬老慰安大会。
年間通じて花博広場、今津広場の種から育てる花づくりにも参加し、福祉会館前のプランターのお花で飾っています。
時には、しんどいと感じるときもありますが、小さなことでもお役にたてればと女性部会員の皆さんとわいわい、がやがやと従事しています。
ひとりでも多くの方に参加していただければありがたいです。
各部会の皆さま方との出会いに心より感謝です。
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