Tumgik
#僕は猫です
modernheavy · 11 months
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今日読んだ漫画 2023年8月8日(火)
パルシィ(漫画アプリ)
🔫『キリングライン』モリエサトシ
LINEマンガ/デジタルマーガレット(デジマ)
☔『この恋は世界でいちばん美しい雨』碧井ハル+宇山佳佑
作品ページ
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この恋は世界でいちばん美しい雨
🌸『桜のような僕の恋人』加藤朱々+宇山佳佑
作品ページ
⬇️
桜のような僕の恋人
LINEマンガ
🌸『恋々こい』しちみ
ミモット
🐱『吉川さん家の猫事情』吉川景都
作品ページ
⬇️
【吉川さん家の猫事情】#1話 「家に猫が5匹もいると…」 - マンガ連載:吉川さん家の猫事情 - mimot.(ミモット)
マーガレット2023年17号
✨『はじめまして あなたが好きです』杏野まこ
📱『大好きなんですごめんなさい』須田かのん
☂️『成瀬くんの一途な恋』小夏あこ
👮‍♂️『全力警察24時!』まあやん
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un9man · 4 months
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『貴方は猫(わたし)の下僕です~ねことげぼくのヒミツなカンケイ~』連載中です。宜しくお願い致します😊🙏
・ニコニコ静画 https://seiga.nicovideo.jp/comic/65751
・カドコミ https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS04204384010000_68/
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brownie-pics · 6 months
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'23.11.18 松之木大明神にて
先日もアップした大阪西成の街ブラスナップ、商店街から横に伸びる細い路地を奥へ歩くと小さな神社に突き当たります。そこで大人しい猫さんに出会いました。
残念ながら触らせてはくれませんでしたが、モデルとしてしばらく僕に付き合ってくれました。ありがとねw
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shingi · 6 months
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中高生よ、無視するんだ メタに回れという発言を振り切ってそのままいけ 創作物に触れるのが一番楽しい時期は中高生のころだから 多感な時期を忘れた大人は中高生の感性を馬鹿にするが僕は馬鹿にしない あいつらは若さに嫉妬しているだけ 猫猫(任意のキャラ)はかっこいい、それでいいだろう?
(6) Xユーザーの創 / Hajimeさん
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j-rock101 · 1 year
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文法:〜ては(If・Because + Bad Result/Whenever ~/Repetitive Actions)
A(て-form)+は、B。
In spoken Japanese, ては and では become the contractions ちゃ and じゃ respectively.
We’ve seen ては combine with phrases like ならない、だめ、いけない to mean something that you “must not do.” However, ては has several different uses.
If・Because + Bad Result
Aては、B。 (A[普通形]+のでは、B。)* If/Because A, then B (Bad Result).
This is the base form for the grammars てはいけない and しなくちゃならない. ては is a conditional whose usage is very similar to ~たら, but while ~たら is neutral, ては carries a negative implication. It's used to express a negative result due to some action, or even just one's negative reaction to that action.* While it's common to see it paired with だめ・ならない・いけない like in the above grammars, it is not limited to those endings.
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先輩 ついてきちゃ意味ないです[ビクッ] Senpai, there's no point if you're just going to follow me. [Startled] [Speaker is on an errand from Senpai to fetch a drink.]
(『月刊少女野崎くん』 Girl’s Monthly Nozaki-kun,vol. 1 by Izumi Tsubaki)
Of course, depending on the translation, these alternate endings can still carry the meaning of "that must (not) be."
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未来の僕の奥さんに傷が残っちゃ大変だ It would be a problem if my future wife were scarred. (= I can't allow my future wife to be scarred.)
(『魔法使いの嫁』 The Ancient Magus' Bride, vol. 1 by Yamazaki Kore)
Whenever ~
While て-form is used to simply connect two clauses to indicate a simple sequence of actions, ては is used to describe an action that keeps happening. In this case, ては is only formed from verbs.*
A(Verb) て、B。 When A, then B. A(Verb) ては、B。 Whenever A, then B.
These actions are habitual, with B happening every time A occurs. This meaning is not necessarily negative, and the phrase is not repeated.* *
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そっ!あの赤いの行ったとこ 世界のいろんなとこ見たくてさ バイトで金貯めちゃ旅してんだ Yeah! Those red pins are the places I've been. See, I really wanna travel all over the world, And I go on a trip whenever I save up enough money working part-time.
(『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 Anohana: The Flower We Saw That Day, vol. 1 by Okada Mari and Izumi Mitsu)
Repetition
ては can be used to emphasize two actions happening over and over, similar to ~たり~たりする. However, while たり gives several examples (out of many), ては really stresses the repetition.* These two actions can be completely unrelated, even opposite actions. The ては phrase can be repeated twice, or the order of the verbs even inverted to further emphasize the repetition. This form is only formed from verbs.
A(Verb) ては、B。 Do A and B repeatedly, every day, constantly, always. A(Verb) ては、B、AてはB。 Repeatedly A-ing and B-ing, A-ing and B-ing. A(Verb) ては、B、BてはA。 Repeatedly A-ing and B-ing, B-ing and A-ing.
When repeated twice, the two actions are opposites (ex: turn on and off, draw and erase, eat and sleep.)*
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だから何度も目覚めては 確認するにゃ So I keep opening my eyes over and over, just to check. [To keep the cat pun, consider: "meowny times" instead of "over and over".]
(『おじさまと猫』 A Man and His Cat, vol. 1, by Sakurai Umi)
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白と黒の2つの神様がいました 白の神様はみんなに喜びを与えてやりました しかし黒の神様はそれを取り上げては悪さばかりしていました There were two gods, one white, one black. The white god bestowed joy upon everyone. However, the black god constantly took that joy away, and wrought only evil. [Language purposely elevated to keep the fairy tale/mythic feel.]
(『とつくにの少女』 The Girl from the Other Side: Siúil, a Rún, vol. 1 by Nagabe)
On top of the 3 usages above, Maggie-sensei lists a few more. Be sure to check out her page for more examples from a native speaker!
Advice & Suggestions
This one is another usage that is similar to ~たら, this time giving the advice a more elevated feel than the casual たら, or softens the impact of a straightforward ていただけませんか.
Aてはいかがでしょう。 Aてはいただけませんか。 Aては… [unfinished to allow listener to fill in the blanks]
Attempt with expected failure
ては is used to modify てみる when you're not optimistic about the outcome of an attempt.
Aてはみます。 I will at least give A a try...
J-Rock Examples:
山際も星も/ぼくらに気付いては/お話もした Both the mountain ridge and the stars / Whenever they noticed us / Told us stories as well [赤い光線 - 交信]
東京にすがりついては/泣きじゃくって 言えやしなくて I’m always clinging to Tokyo / and crying and I just can’t say it [関取花 - 東京]
革靴は知らぬうちに/あのリズムを奏でては列車中に空しく響く Whenever my leather shoes unconsciously / tap out that rhythm, it echoes through the train in vain [関取花 - 石段のワルツ]
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prisoner-000 · 10 months
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Sorry to be posting about Kazui again so soon, but I just realized DECO*27 posted a timeline comment on "Cat" yesterday! Here's what he had to say:
ENG:
Good evening, this is DECO*27. Sorry, it's been a while since the release of the music video. Kazui, how did you like "Cat"?
"I wanted you to love me like a cat."
I think everything about Kazui is in here. Also, I personally love the scene where Kazui is smoking a cigarette.
Did you find Kazui's lie, guards? Rockwell, who composed and arranged the music, also commented:
"I don't think I need to say much. It is an exploration of adult sexuality/sex appeal (unsure). I wish I had been born with such an austere voice."
Original JP under the cut (if anyone who can speak japanese themselves wants to translate!):
こんばんは、 DECO*27です。
すみません、 MV公開から時間が空いてしまいました。 カズイ 「Cat」 いかがでしたか?
「愛して欲しかった 猫みたいに」
ここにカズイのすべてが詰まっているなと思います。 あと、 個人的にカズイが煙草を吸っているシーンがすごく好き です。
看守の皆さん、 カズイの嘘は見つけられましたか?
作曲編曲を担当した Rockwellからもコメントをもらいまし
た。
多くを語る必要は無いと思います。
大人の色気の探求です。
僕もこんな渋い声に生まれたかった。。。
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okadadada · 1 year
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プラットフォームはこのように滅びていく。まず、ユーザにとって良き存在になる。次に、ビジネス顧客にとって良き存在になるために、ユーザを虐げる。最後に、ビジネス顧客を虐げて、すべての価値を自分たちに向ける。そうして死んでいく。 私はこれを「メタクソ化(enshittification)」と呼んでいる。プラットフォームが容易に価値の配分方法を変更できることと、プラットフォームが買い手と売り手の間に陣取ってそれぞれを人質にし、両者の間を通過する価値のシェアをますます大きくする「両面市場」の性質によって生じる必然的な帰結である。 産声を上げたばかりのプラットフォームはユーザを必要とする。それゆえ、はじめはユーザにとって価値のある存在であろうとする。Amazonを思い出してほしい。Amazonは長らく赤字経営だった。資本市場へのアクセスを利用して、あなたが買うものすべてに補助金を出していたからだ。商品を原価割れで販売し、配送も原価度外視だった。さらに、以前のAmazonはクリーンで便利な検索機能も備えていた。ユーザが特定の商品を検索したら、その商品を検索結果の最上位に表示させることに全力を尽くした。 Amazonのユーザがとんでもない厚遇で迎えられていた時代があったのである。多くのユーザがAmazonを利用し、その結果たくさんの実店舗型小売業者が立ち行かなくなると、Amazon以外の店で買うという選択肢が失われていった。次にAmazonは電子書籍やオーディオブックを販売し始めた。それを購入するということは、DRMによってAmazonのプラットフォームに永久にロックインされることを意味した。つまり、Amazonで1ドルのメディアを購入すれば、Amazonとそのアプリから離脱する際にその1ドルを失うことになるのだ。さらにAmazonはプライムを売り込み、1年分の送料を前払いさせた。プライム会員はAmazonでばかり買い物するようになり、その90%は他の店舗で検索することはない。 こうして多くのビジネス顧客を誘引していった。つまり、マーケットプレイスの出品者たちは、Amazonが当初から約束していた「なんでも屋」にAmazonを変えてくれたのだ。サードパーティの出品者たちが次々と参入してきたことで、Amazonは補助金の使い道をサプライヤーに向けるようになった。KindleやAudibleのクリエイターたちも厚遇で迎えられた。Amazonはビジネス顧客の手数料を低く抑え、マーケットプレイスの出品者たちは膨大な消費者にリーチできるようになった。 こうした戦略の結果、買い物客はAmazon以外での商品探しが次第に難しくなり、Amazonでしか検索しなくなった。一方、販売者たちはAmazonで販売しなければならなくなった。 そうしてAmazonはビジネス顧客から余剰を収穫し、Amazonの株主に当てるようになった。今日、マーケットプレイスの出品者は、販売価格の45%以上をジャンク料としてAmazonに支払わされている。Amazonの310億ドル規模の「広告」プログラムは、出品者同士を対立させ、検索結果の上位に表示されるチャンスを競わせるペイオラ(訳注:賄賂)スキームなのだ。 Amazonで検索しても、検索ワードに最も適した商品が最上位に表示されることはない。そこに表示されるのは、検索結果の最上位に表示されるために最も高い額を支払った商品である。その手数料(訳注:広告料)は、あなたが購入する商品の代金に上乗せされる。Amazonから「最恵国待遇」を義務づけられた出品者は、他のストアでAmazonより安く販売することができないので、Amazonはすべての小売事業者の価格を押し上げてもいるのである。 Amazonで「猫用ベッド」を検索すると、最初の画面いっぱいに「広告」が表示される。その中には、Amazonが自社プラットフォームの出品者からパクった自社ブランド商品の広告も含まれているのだが、これが元々の出品者を廃業に追い込んでいる(外部の販売者は上位表示のために45%のジャンク料を支払わなければならないが、Amazonは自社製品の上位表示にこうした料金を請求しない)。「猫用ベッド」の検索結果の最初の5画面のうち、だいたい半分は広告である。 https://pluralistic.net/2022/11/28/enshittification/#relentless-payola 余剰は最初のうちはユーザに向けられ、ユーザの囲い込みに成功するとサプライヤーに向けられ、サプライヤーの囲い込みに成功すると株主に向けられる。そうして、プラットフォームは役に立たないクソの山になる。モバイルアプリストアからSteam、FacebookからTwitterに至るまで、これがメタクソ化のライフサイクルである。 キャット・ヴァレンテがクリスマス前のエッセイで記したように、Prodigyをはじめとするプラットフォームは、ソーシャルなつながりを求める場から、「おしゃべりをやめて、モノを買う」ことを期待される場に一夜にして豹変してしまうのだ。 https://catvalente.substack.com/p/stop-talking-to-each-other-and-start こうした余剰をめぐるペテンは、Facebookでも起こったことだ。当初、Facebookはあなたが好きな人、気になる人の投稿を表示してくれる良きプラットフォームだった。だがひと度、あなたの大切な人たちがFacebookを利用するようになると、事実上、そこから離脱できなくなってしまう。たとえわかりあえているはずの友達とでも、どの映画を見るか、どこに夕食を食べに行くかは、半分くらいはうまくまとまらない。それはさておき。 Facebookはその後、フォローしていないアカウントの投稿をフィードにプッシュするようになった。最初はメディア企業の投稿をユーザのフィードに埋め込み、新聞や雑誌、ブログへのアクセスを促した。 パブリッシャがFacebookにトラフィックを依存するようになると、Facebookはトラフィックを減少させるようになった。メディアがFacebookに投稿する記事要約とリンクから自社サイトへのトラフィックを絞り、メディアにFacebookの箱庭の内側に全文フィードを供給するよう誘導したのだ。 こうしてパブリッシャはますますFacebookに依存していくことになる。読者はパブリッシャのウェブサイトにアクセスしなくなり、Facebook内でその情報を取得するようになった。パブリッシャは読者を人質に取られ、読者同士も互いに人質に取られてしまった。Facebookはパブリッシャが投稿した記事を読者に見せることをやめ、パブリッシャがお金を支払って「ブースト」しない限り、記事が読者に届かないようにアルゴリズムを調整した。つまり、読者が明示的に特定のパブリッシャの投稿を見たいと表明していても、パブリッシャが金を支払わない限り、その読者には届かないようにしたのだ。 Facebookのフィードにはますます多くの広告が溢れかえっていった。読者が繋がりを求めたアカウントからの賄賂(payola)も、読者の注目を独占したい無関係なアカウントからの賄賂も同じように扱い出したのだ。これは広告主に大いに利益をもたらした。Facebookはあなたの同意なしに収集された個人データに基づいて、ターゲティング広告を安価に売り出したのである。 その結果、広告主もFacebookに依存するようになった。ビジネスがターゲティング広告頼みになってしまったのだ。そうしてFacebookは広告価格を引き上げ、広告詐欺を厭わなくなり、Googleと共謀して『ジェダイ・ブルー』と呼ばれる違法なプログラムを通じて広告市場を不正に操作するに至った。 https://en.wikipedia.org/wiki/Jedi_Blue 今日のFacebookは、ユーザにとっても、メディア企業にとっても、広告主にとっても、末期的なメタクソ化を果たした。この企業は、Facebookユーザの間で動画が人気だという間違った主張をもとに「ビデオへの転向(pivot to video)」を呼びかけ、Facebookに依存していたパブリッシャの大部分に壊滅的な打撃を与えた。メディア企業は(訳注:Facebookにそそのかされて)ビデオ配信に数十億ドルを投じたが、ユーザからは見向きもされず、多くの企業が倒産に追い込まれた。 https://slate.com/technology/2018/10/facebook-online-video-pivot-metrics-false.html にも関わらず、Facebookは新たな提案をしている。「Meta」と名付けられたソレは、足もセックスもない、厳重に監視されたローポリの子供向け番組のキャラクターとして余生を過ごすことを我々に要求する。 Metaは、メタバース向けアプリを制作する企業に、かつてFacebookがパブリッシャにしでかした酷い目には合わせないと約束している。その甘言に騙される企業がどれくらい現れるかはわからない。かつてマーク・ザッカーバーグは、ハーバード大学の仲間たちが個人情報を新興ウェブサイト「TheFacebook」に送信していることに驚いたと友人に語っていた。 理由はわかんないけど 彼らは「僕を信頼している」 バカなのかな
https://p2ptk.org/monopoly/4366
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m12gatsu · 3 months
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読書っていいことだとされているけど、私は本を読みすぎたことで現実とフィクションの境目が分からなくなって(ノンフィクションであっても本になる時点でドラマチックだし)、人間関係が上手くいかないことが多々あります。そのせいでもう何を読んでも、作者の意のままに物語が進んでいってるだけと感じて読書が楽しくなくなりました。同じ理由で映画も上手に観られません。フィクションや創作物と上手く付き合うコツ、意識していること、あるいは気にしていないことはありますか。
人間関係までも。大変だ。
たぶん、作家か、テクストか、という話かと思います。あなたのいう「作者の意のままに物語が進んでいってるだけ」 というのはきっと作家論ですね。作家原理主義って感じ。対して、簡単にいえば、あくまでも文章をそれ自体として作家とは切り離す考え方がテクスト論です。ロラン・バルトって読みましたか。僕は積みました。
どちらの方が作品に対する上手な付き合い方なのか、という議論は僕の手には負えません。ただ、僕がいつも意識しているのは、作品の「語り」であり、その「ナラティブ」です。どういうことかというと、たとえば、「吾輩は猫である」と語るのは漱石ではなく名もなき猫であるはずだし、「メロスは激怒した」と語っているのは決して太宰治ではない、「語り手」と呼ばれるような誰かではありませんか。私小説はどうですか。これも僕の手に負える議論ではないけれど、梶井基次郎の作品の語り手は梶井基次郎なのでしょうか。北町貫太って、根所蜜三郎って、長江古義人って、一体誰なんでしょうか。ウルフは「意識の流れ」という手法で『灯台へ』を書きました。それは果たして作者の意のままに書かれたものなのかしらん。森見登美彦の『熱帯』は、自分が今どこで誰の文章を読んでいるのか、それこそ見当識障害を起こしそうになります。
例を挙げたらキリがないけれど、映画にも同じような仕組みがあるはずだと思っています。ミヒャエル・ハネケみたいな定点の長回しが三人称の語りだとしたら、『桐島、部活やめるってよ』の最後の屋上の乱闘シーンは神木隆之介の手持ちカメラの視座、つまり一人称の語りとして受け取れる。作家性と切り離せないドキュメンタリー映画もたくさんありますね、森達也とか、原一男とか。
大江健三郎の『M/Tとフシギの森』という小説の中で、「僕」が村の伝承に耳を傾ける時、話し手の年寄りたちはこう前置きします。
あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか? 
何度も繰り返されるこの問いかけに対して、「僕」は必ず「うん!」と感嘆符つきで答えます。物語との上手な付き合い方があるのだとすれば、これ以上の態度を僕は知りません。
街裏ピンクとか嫌いでしょう笑 うそつきだから。でも嘘だとわかって笑っている人もいるわけです。長くなりました。こういう話なら酒飲みながら俺ずっとできるよ。とりあえずオッペンハイマー観よう。語りを語ろう。
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wwwwwwwwwwww123 · 1 year
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からあげのるつぼさんはTwitterを使っています: 「「念のため確認ですが〜」「僕は◇◇と思うんですが〜」という風に聞けば、質問しても角が立たないビジネスハック #現場猫 https://t.co/elRuR7Ji69」 / Twitter
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patsatshit · 8 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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sou0902 · 11 months
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2023/07/30ノア日記
ノアの名前の由来について
僕の大好きな小説家、重松清さんの
さすらい猫ノアの伝説より(黒猫ではありませんが😸)
明日で我が家に来てから3週になります
少しずつ顔が大人になっていくのが嬉しい
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un9man · 8 months
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ご縁があって、このたびドラドラしゃーぷ#にて『貴方は猫(わたし)の下僕です~ねことげぼくのヒミツなカンケイ~』という猫耳お嬢様のちょっとえっちな漫画を連載させて頂くことになりました。読んで頂けると幸いです……!🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️
・ニコニコ静画 https://seiga.nicovideo.jp/comic/65751
・コミックウォーカー https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS04204384010000_68/
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brownie-pics · 1 year
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‘22.12.31 東大寺鐘楼付近にて
一応喪中につき、ここで新年のご挨拶に代えさせていただきます。ということでウサギでもなく鹿さんでもなく家のニャンズでもなく、今日撮った神妙な表情(ただ寝てるだけw)している東大寺の猫さんに僕からの御礼を代わりに申し上げてもらい、今年の投稿を締めくくらせていただきます。
皆様、本年も誠にありがとうございました😌
では、よいお年をお迎えくださいませ😆!
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Delusion Girl
Delusion Girl
日々を淡々と生きてきた
I've lived my days in an indifferent blur
人に言えないような嘘もついてきた
Telling lies of the kind you can't say to another
仮面に化粧をして笑うよ
I put makeup over my facade to craft a smile
生きる為に今日も自分を殺すんだ
To keep on living, today again I kill myself
.
機械声が鳴り響くホーム
The platform echoes with mechanical voices
我先に並ぶ 人の波にのまれ
A small girl was caught in the scrambling wave of people
白線の外側へ小さな女の子が落ちていった
And had fallen beyond the boundary of the white line
.
目にも留まらぬ速さで走る
At pure, lightning speed
午前8時迎えて荒ぶる 地下鉄日比谷線
The subway Hibiya line thunders along to greet the 8AM crowd
.
飛び出し注意 振り払って 白線を超えた
I could throw caution to the wind, dashing to cross that white line
たかが他人の命を この手で��うために
Merely to save another person's life with my own hands
自らの命すら顧みないヒーロー
Sparing not a thought for my own life; a hero
そんな妄想も ラッシュアワーに かき消えて行く
That delusion, too, just vanishes into the rush hour
.
毎日ミルクをあげていた
A cat I gave milk to everyday
猫が車に轢かれ死んでいた
Was hit by a car and died
別に悲しくなんてなかった
I wouldn't say I was all that sad
だけど涙が溢れそうになる
Yet I still find myself on the verge of tears
.
所詮こんなもの ただの偽善だ
In the end, this is all just hypocrisy
この亡骸と僕は一体何が違うのだろう
How exactly am I different from that dead animal?
.
見て見ぬフリをして ずっと生きてきた
I've always lived on by turning a blind eye
助けを請う友達や猫、家族や恋人でも
To those begging for help; my friends, that cat, even my family and girlfriend
仕方ないよ それが世の中なんだって
I gave up on it all; I told myself there was nothing for it,
全て諦めてきたんだ でも、もう
That it was just the way of the world, but now,
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機械声が鳴り響くホーム
The platform echoes with mechanical voices
我先に並ぶ 人の波にのまれて
A small girl was caught in the scrambling wave of people
白線の外側へ小さな少女が落ちていった
And had fallen beyond the boundary of the white line
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これは現実だ 妄想じゃない
This is reality; it's not a delusion
午前8時迎えて荒ぶる 地下鉄日比谷線
The subway Hibiya line thunders along to greet the 8AM crowd
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飛び出し注意 振り払って 白線を超えた
I throw caution to the wind, dashing to cross that white line
たかが他人の命を この手で救うために
Merely to save another person's life with my own hands
自らの命すら顧みないヒーロー
Sparing not a thought for my own life; a hero
宙に浮いた瞳で 少女が笑う顔を見る
With my feet off the ground, I looked and saw the girl's smiling face
そんな現実も ラッシュアワーに かき消えて行く
That reality, too, just vanishes into the rush hour
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foucault · 6 months
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青森で編まれたあけびつるの籠がいくつか届いています。猫が丸まりそうなサイズ。
やはり最近は熊が郷におりてきていることもあり、ツルを確保するのもたいへん、と伺っています。素材の確保と流通の変化、ということをこの頃はずっと考えています。
「一体に食べものをどこででも手に入れることが出来る代物に変えるのはその食べものを所謂、万人の許に届けることにならない。それはただ食べものを消滅させるだけで、その意味で万人に飢餓を届けているのである。」
と吉田健一が書いているように、僕ら配り手の仕事が工藝の仕事を枯渇させることにつながっていないか、常に考え、振る舞いたい。
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gobangiri-news · 21 days
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大ヒット御礼舞台挨拶オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の大ヒット御礼舞台挨拶を開催いたしました!熱気たっぷりのスタンディングオベーションで迎えられた草彅さんが「こうやって迎えられるのってうれしいです!」と満面の笑みで感謝し、「みなさんお座りになってください」と観客に優しく呼びかけ、場内はさらに大きな拍手に包まれました。「大ヒット御礼ということで、本当にみなさんがたくさん“おいごばん”をしていただいたということ。とても良い映画になっているので本当に僕も満足、一本満足なんですよね(笑)」と冒頭からご機嫌で草彅さん節を炸裂し、会場を笑いの渦に。「聞くところによると、(映画を観ているのは)つよぽんのファンよりもおじさんの方がすごい多いらしくて。つよぽんのファンは出遅れているのかなと思っていましたが、今日はつよぽんファンの方がたくさんいらっしゃってますね」と客席を見渡しニッコリの草彅さんは、上映後の舞台挨拶のため「ネタバレOKということで、今日は楽しい話を出し惜しみなく(笑)、いろいろとお話していきたいと思います」と気合を入れました。本作が泣ける映画で映像も美しいというMCの言葉に「白石(和彌)監督はバイオレンスのイメージがあって、血みどろの世界という感じ。(斎藤)工くんと斬り合うシーンはあるけれど、ちょっといつもの白石監督のテイストとは違っていて。監督も(時代劇)初挑戦で、新しい挑戦をしている感じがあるので、監督のファンの方もいい意味で驚かれる作品。そのあたりをチェックして欲しいですね」と本作の見どころ、白石監督の新しい色にも触れながらおすすめしました。本作のイベントでは、映画の中とのギャップが指摘されがちな草彅さん。この日もMCの質問に「はい!」と元気よくハキハキと答え、寡黙な柳田格之進とは大違い。「僕、声大きいかな?マイクいらないんじゃないの?マイクなんていらないよ」とマイクなしでトークを開始するなど、自由でありながらも観客を置いてけぼりにすることなく、みんなで楽しい舞台挨拶を作り上げていく草彅さんでした。「今日の僕、元気だな」とニヤリとしながら、生声でトークを続けた草彅さんは「TOHOシネマズ日比谷なのに、生の声がこんなに通る!」とウキウキ。「大きいけれど満員御礼ですからね、ありがとうございます!」と感謝の言葉も忘れずに何度も伝え、大きな拍手を浴びました。そこで、「滋賀県彦根市からあるゲストが来てくださっています」とのMCの言葉に「なんとーーーー!」と驚いた様子で雄叫びを上げた草彅さん。ゲストのひこにゃんが姿を見せると「かわいい!」「カモンカモン」「ようこそ、ひこにゃん」と大喜び!ひこにゃんがステージへの階段を使う際には、手を差し出してエスコート。無事にひこにゃんがステージに上がると「ひこにゃーん、会いたかったよ!」とガッチリと握手。ひこにゃんの兜を触りながら、「ヘルメットなの?どうやってツノが出てるの?」などと質問攻めの草彅さんでしたが「あ!甲冑ってことか。彦根城から来ているんだもんね」と納得した様子。「彦根城を使わせてもらってありがとうございます」と撮影許可のお礼を伝えた草彅さんは、格之進が濡れ衣を着せられる前の回想シーンを彦根城で撮影したと明かし、「でも、ひこにゃんいなかったよね?」と再びひこにゃんに問いかけを開始。次々と飛んでくる質問にちょっとびっくりのひこにゃんの姿に「ひこにゃんってシャイなの?」とツッコミを入れるなど、絶好調の草彅さん。するとひこにゃんの顔をまじまじと見つめ、「ちょっとフレンチブルドッグみたいな感じ」とひこにゃんの顔を触り始め「この辺のフォルムがクルミちゃんに似てるかも!」と愛犬との共通点を指摘し、さらに目尻を下げていました。ひこにゃんに映画の感想を訊ねる場面ではひこにゃんの声も担当した草彅さん。なぜかふなっしーのモノマネでひこにゃんの言葉を代弁し、1人芝居を繰り広げる草彅さんにひこにゃんは後ずさりし始めると会場は大爆笑。ひこにゃんが泣いている仕草で感動したことを伝える流れで、草彅さんは「ここでハンカチで(涙を)拭くくだりだった!」と流れを思い出したことを口にし、さらなる笑いを誘いました。慌ててハンカチを取り出し、その後もふなっしーの声でひこにゃんを演じる草彅さんにMCから「猫なので。猫バージョンもお願いします」とリクエストされると、即座に猫っぽいバージョンのひこにゃんの声に切り替えるなどの草彅さんのサービスに会場は笑い声でいっぱいになりました。ひこにゃんとの2ショット撮影タイムでも、立ち位置やカメラ目線などを優しく誘導した草彅さんが「ひこにゃんの手がめっちゃ熱い!それだけ感動してくれたんだね」とお礼を伝える場面も。フォトセッション中には、カメラに手を振りながら、自身の言葉でも観客に感謝を伝え、さらにひこにゃんのコメントも代弁した草彅さんは「ひこにゃんのキャラが定まった!」と大発見といった様子で「ひこにゃん、強いにゃーん」というキャッチフレーズをつけるなど、終始ご機嫌でした。イベントには、さらに長屋の大家・八兵衛を演じた落語家の立川談慶さんも登場。映画初出演の談慶さんは「リハなしでいきなり本番。でも、目の前に“やさしいマン”がいたから、緊張しないでできました」と、草彅さんがCMで演じたキャラクターを思い出したことを明かし感謝。撮影を振り返り、草彅さんからのお弁当の差し入れにお礼を伝えたところ「談慶さんは2000円でいいですよ、って言われました」と笑顔で告白。すると草彅さんは「2000円まだもらってない!」とニヤリ。草彅さんは談慶さんがスタッフ向けに披露した高座の動画を撮影前に観るよう監督から言われていたそうで「談慶さんがいたから、格之進の役作りができました。談慶さんのおかげで格之進が出来上がったと思います」と深々とお辞儀。談慶さんは恐縮しながらも「想像以上の格之進でした」と大絶賛。さらに映画のあらすじを3分にまとめた「ミニ落語」を談慶さんが披露し会場を大いに沸かせました。イベントには花束ゲストとして本作にエキストラ出演した囲碁棋士の藤沢里菜さんも登場。「綺麗な花束」と笑顔の草彅さん。藤沢さんは「ものすごく強い棋士のオーラが出ていたし、手つきも綺麗。長年囲碁が趣味なんじゃないかという感じがしていました」と囲碁の達人、格之進を演じた草彅さんの演技に太鼓判。「ルールは知らないとのことでしたが、その後、ルールは覚えましたか?」との藤沢さんの問いに「覚えてないです」と苦笑いした草彅さんは「でも、(囲碁の達人って)藤沢さんを勘違いさせるほど、藤沢さんの目から見て大丈夫だという太鼓判を押していただきました!」と胸を張り、「囲碁のルールを知らなくても楽しめるということです」と、映画をアピール。そして、ひこにゃんに再び質問が飛ぶ場面では、草彅さんは「目と鼻が碁石っぽい!碁石つけてるの?」とひこにゃんの鼻を触りながらいじり倒して笑わせました。最後の挨拶で「今日は本当にありがとうございました」と挨拶すると、この日1番の大きな拍手を贈られた草彅さん。「楽しい時間であっという間だったけれど、まだまだ『碁盤斬り』を通してみなさんと深く関わり合っていきたいと思います」と話し、映画を観た感想を周りに伝えて欲しいと呼びかけました。何かが伝わる映画だとし、「これをステップにみんなが次に向かえればいいなと。そういう作品だと思うので、末長くこの作品をお願いしたいと思いますし、1人でも多くの方が観て、何か感じていただけると幸せな世の中になると思いますので、ぜひ『碁盤斬り』を通じて、これから一緒に人生を歩いていきましょう!本日はありがとうございました」と呼びかけ、深々とお辞儀。時代劇に対して、足が遠のいている傾向もある中で、「今、観る作品だと思うし、初めて(時代劇を)観る方にもおすすめしたい。世代を超えて、若い方から年配の方まで、世代問わず、たくさんの方にご覧になっていただきたいです」と呼びかけ、しっかりとイベントを締めくくった後には、再びひこにゃんの鼻を触りながら「碁石じゃないよ」「触らないで!」などと1人2役の1人芝居を続け、退場口のドアが閉まるギリギリまで観客を楽しませました。
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