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#冒険魂
yoooko-o · 1 year
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06/05/2023 part1
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Dua Lipa💖
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mrsbrandoxxx · 11 months
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SELFSHIPS:
JOJO NO KIMYŌ NA BŌKEN ジョジョの奇妙な冒険:
𝗝𝗼𝗻𝗮𝘁𝗵𝗮𝗻 𝗝𝗼𝗲𝘀𝘁𝗮𝗿
𝗗𝗶𝗼 𝗕𝗿𝗮𝗻𝗱𝗼
𝗝𝗼𝘀𝗲𝗽𝗵 𝗝𝗼𝗲𝘀𝘁𝗮𝗿
𝗞𝗮𝗿𝘀
𝗖𝗮𝗲𝘀𝗮𝗿 𝗭𝗲𝗽𝗽𝗲𝗹𝗶
𝗞𝗮𝗸𝘆𝗼𝗶𝗻 𝗡𝗼𝗿𝗶𝗮𝗸𝗶
𝗛𝗶𝗴𝗮𝘀𝗵𝗶𝗸𝗮𝘁𝗮 𝗝𝗼𝘀𝘂𝗸𝗲
𝗕𝗿𝘂𝗻𝗼 𝗕𝘂𝗰𝗰𝗶𝗮𝗿𝗮𝘁𝗶
𝗚𝘂𝗶𝗱𝗼 𝗠𝗶𝘀𝘁𝗮
𝗟𝗲𝗼𝗻𝗲 𝗔𝗯𝗯𝗮𝗰𝗰𝗵𝗶𝗼
𝗣𝗿𝗼𝘀𝗰𝗶𝘂𝘁𝘁𝗼
𝗚𝗵𝗶𝗮𝗰𝗰𝗶𝗼
𝗥𝗶𝘀𝗼𝘁𝘁𝗼 𝗡𝗲𝗿𝗼
𝗗𝗶𝗲𝗴𝗼 𝗕𝗿𝗮𝗻𝗱𝗼
𝗚𝗶𝗼𝗿𝗻𝗼 𝗚𝗶𝗼𝘃𝗮𝗻𝗻𝗮
𝗗𝗼𝗽𝗽𝗶𝗼 𝗩𝗶𝗻𝗲𝗴𝗮𝗿
GINTAMA 銀魂:
𝗦𝗮𝗸𝗮𝘁𝗮 𝗚𝗶𝗻𝘁𝗼𝗸𝗶
𝗧𝗮𝗸𝗮𝘀𝘂𝗴𝗶 𝗦𝗵𝗶𝗻𝘀𝘂𝗸𝗲
KUROKO NO BASUKE 黒子のバスケ:
𝗞𝗮𝗴𝗮𝗺𝗶 𝗧𝗮𝗶𝗴𝗮
𝗛𝗮𝘆𝗮𝗺𝗮 𝗞𝗼𝘁𝗮𝗿𝗼
𝗔𝗼𝗺𝗶𝗻𝗲 𝗗𝗮𝗶𝗸𝗶
𝗡𝗶𝗷𝗶𝗺𝘂𝗿𝗮 𝗦𝗵𝘂𝘇𝗼
𝗞𝗮𝘀𝗮𝗺𝗮𝘁𝘀𝘂 𝗬𝘂𝗸𝗶𝗼
𝗡𝗮𝘀𝗵 𝗴𝗼𝗹𝗱 𝗷𝗿
𝗔𝗸𝗮𝘀𝗵𝗶 𝗦𝗲𝗶𝗷���𝗿𝗼
𝗠𝗮𝘆𝘂𝘇𝘂𝗺𝗶 𝗖𝗵𝗶𝗵𝗶𝗿𝗼
𝗧𝗮𝗸𝗮𝗼 𝗞𝗮𝘇𝘂𝗻𝗮𝗿𝗶
𝗪𝗮𝗸𝗮𝗺𝗮𝘁𝘀𝘂 𝗞𝗼𝘀𝘂𝗸𝗲
𝗞𝗶𝘀𝗲 𝗥𝘆𝗼𝘂𝘁𝗮
𝗜𝘇𝘂𝗸𝗶 𝗦𝗵𝘂𝗻
𝗢𝘁𝘀𝘂𝗯𝗼 𝗧𝗮𝗶𝘀𝘂𝗸𝗲
JUJUTSU KAISEN 呪術廻戦:
𝗚𝗲𝘁𝗼 𝗦𝘂𝗴𝘂𝗿𝘂
𝗡𝗮𝗼𝘆𝗮 𝗭𝗲𝗻𝗶𝗻
ONE PIECE ワンピース:
𝗩𝗶𝗻𝘀𝗺𝗼𝗸𝗲 𝗦𝗮𝗻𝗷𝗶
𝗣𝗼𝗿𝘁𝗴𝗮𝘀 𝗗 𝗔𝗰𝗲
𝗠𝗼𝗻𝗸𝗲𝘆 𝗗 𝗟𝘂𝗳𝗳𝘆
TOKYO REVENGERS 東京卍リベンジャーズ:
𝗦𝗵𝗶𝗯𝗮 𝗧𝗮𝗶𝗷𝘂
𝗜𝘇𝗮𝗻𝗮 𝗞𝘂𝗿𝗼𝗸𝗮𝘄𝗮
HOKUTO NO KEN 北斗の拳:
𝗞𝗲𝗻𝘀𝗵𝗶𝗿𝗼
SHINGEKI NO KYOJIN 進撃の巨人:
𝗝𝗲𝗮𝗻 𝗞𝗶𝗿𝘀𝗵𝘁𝗲𝗶𝗻
𝗣𝗼𝗿𝗰𝗼 𝗚𝗮𝗹𝗹𝗶𝗮𝗿𝗱
𝗘𝗿𝗲𝗻 𝗬𝗲𝗮𝗴𝗲𝗿
𝗟𝗲𝘃𝗶 𝗔𝗰𝗸𝗲𝗿𝗺𝗮𝗻
FAIRY TAIL フェアリーテイル:
𝗦𝘁𝗶𝗻𝗴 𝗘𝘂𝗰𝗹𝗶𝗳𝗳𝗲
𝗟𝗮𝘅𝘂𝘀 𝗗𝗿𝗲𝘆𝗮𝗿
𝗝𝗮𝗰𝗸𝗮𝗹
BLEACH ブリーチ:
𝗔𝗯𝗮𝗿𝗮𝗶 𝗥𝗲𝗻𝗷𝗶
𝗚𝗿𝗶𝗺𝗺𝗷𝗼𝘄 𝗝𝗮𝗲𝗴𝗲𝗿𝗷𝗮𝗾𝘂𝗲𝘇
𝗞𝘂𝗰𝗵𝗶𝗸𝗶 𝗕𝘆𝗮𝗸𝘂𝘆𝗮
𝗞𝗶𝗿𝗮 𝗜𝘇𝘂𝗿𝘂
𝗞𝘂𝗿𝗼𝘀𝗮𝗸𝗶 𝗜𝗰𝗵𝗶𝗴𝗼
NARUTO:
𝗗𝗲𝗶𝗱𝗮𝗿𝗮
Dragon Ball Z ドラゴンボール:
𝗕𝗿𝗼𝗹𝘆
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lookpome · 2 years
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ダイの大冒険魂の絆サービス終了記念ギガブレイク! 一年間けっこう課金してきたダイの大冒険のアプリがまさかのサービス終了となりました。 年末年始に限定奥義を乱発してからの売り逃げのDeNAでした(笑) #ダイの大冒険 #ギガブレイク #メドローア #魂の絆 https://www.instagram.com/p/CoLUxvUvzc4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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lastscenecom · 1 year
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たいていの人の「幸せな状態」とは、日々のプレッシャーから解放され、魂のレベルで自分自身と再びつながり、平穏を感じられる状態のことだ。冒険であれ、学習であれ、美であれ、自分の価値観を自由に表現し、自分に喜びをもたらすことができる。
休暇の取得による利益を軽視していないか 健康を維持し、創造性や生産性を高める | ワークライフバランス|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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thebluekittylol · 2 months
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Go Go Anton! A Blasting Adventure [ゴーゴーアントン! 爆発的な冒険] (1997)
What happened to Anton's spirits? [アントンの魂に何が起こったのでしょうか?]
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Yume no kuni Nebārando - Lyrics + Translation (夢の国ネバーランド)
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English title: Neverland, the land of dreams
Translator's notes can be found at the end and are marked with an asterisk.
Please do not repost/retranslate without permission.
Kanji:
【Sy】 そうさ! 言ったとおりだろ?
信じれば空を飛べるって
【Na】 それは君が手を引いてくれたから
助けてくれるから
【To】 お前が飛べるのは妖精の粉のおかげ
感謝するなら私にでしょう?
【Sy】 一番大事なのは君の気持ち
俺が手を離しても 上手に飛べる
【To】 小さな体に大きな心 大胆なドッチツカズ
【Na】 離さないで! まだ少し怖いんだ
上手に飛べているのかわからない
【To】 大きな体に小さな心 繊細なドッチツカズ
【Na】 なんて楽しいんだろう
でも夢じゃない 今空を飛んでいるのだから
【Sy】 不可能なんてないのさ
想像を遥かに超える さあ冒険の始まりだ!
【To】 危険は常に隣合わせ
用心しないと 命とり
【Na】 それでも私は行きたい ネバーランドへ
【Sy】 そこはきっと 俺の居場所
【Na・Sy】 ドッチツカズの夢の国
【Na】 そこはきっと 私の居場所
【Na・Sy】 ドッチツカズの夢の国
【Sy】 子供だけの永遠の世界 終わらない夢
【Na】 子供だけの秘密の世界 囚われない魂
【To】 願わくは とびきりの夢を
願わくは 魂に揺りかごを
【All】 どこまでも飛び続けられるように
信じる場所に辿り着けるように
Rōmaji:
【Sy】 Sō sa! Itta tōri daro? 
Shinjireba sora o toberu tte 
【Na】 Sore wa kimi ga te o hiite kureta kara 
Tasukete kureru kara 
【To】 Omae ga toberu no wa yōsei no kona no okage
Kansha suru nara watashi ni deshou? 
【Sy】 Ichiban daiji na no wa kimi no kimochi 
Ore ga te o hanashite mo jōzu ni toberu 
【To】 Chīsana karada ni ōkina kokoro daitan na dotchitsukazu
【Na】 Hanasanaide! Mada sukoshi kowai nda 
Jōzu ni tobete iru no ka wakaranai 
【To】 Ōkina karada ni chīsana kokoro sensai na dotchitsukazu
【Na】 Nante tanoshī ndarou 
Demo yume janai ima sora o tonde iru no dakara 
【Sy】 Fukanō nante nai no sa 
Sōzō o haruka ni koeru sā bōken no hajimari da!
【To】 Kiken wa tsuneni tonariawase
Yōjin shinai to inochitori 
【Na】 Soredemo watashi wa ikitai Nebārando e 
【Sy】 Soko wa kitto ore no ibasho
【Na・Sy】 Dotchitsukazu no yume no kuni 
【Na】 Soko wa kitto watashi no ibasho 
【Na・Sy】 Dotchitsukazu no yume no kuni 
【Sy】 Kodomo dake no eien no sekai owaranai yume 
【Na】 Kodomo dake no himitsu no sekai torawarenai tamashī
【To】 Negawaku wa tobikiri no yume o 
Negawaku wa tamashī ni yurikago o 
【All】 Doko made mo tobi tsudzuke rareru yō ni
Shinjiru basho ni tadori tsukeru yō ni
Translation:
【Sy】 You see? It’s just like I told you!
If you believe, you can fly
【Na】 That’s because you led me by the hand,
Because you helped me
【To】 You can fly thanks to my fairy dust
If you’re going to thank someone, shouldn’t it be me?
【Sy】 The most important thing is your feelings
If I let go of your hand, you’ll still be able to fly just fine
【To】 A small body with a big heart, such a bold dotchitsukazu*
【Na】 Don’t let go! I’m still a little scared
I’m not sure if I’m flying properly
【To】 A large body with a small heart, such a subtle dotchitsukazu*
【Na】 How fun
But this isn’t a dream, we’re really flying right now
【Sy】 Nothing is impossible
Far beyond your imagination Let the adventure begin!
【To】 Danger is always present
If you’re not careful, it can be fatal
【Na】 Even so, I want to go to Neverland
【Sy】 That’s surely where I belong
【Na・Sy】 The dreamland of a dotchitsukazu*
【Na】 That’s surely where I belong
【Na・Sy】 The dreamland of a dotchitsukazu*
【Sy】 An eternal world for children only, a never-ending dream
【Na】 A secret world for children only, a free spirit
【To】 Wishing for a splendid dream
Wishing for a cradle for the soul
【All】 So that we can keep flying forever
So that we can reach the place we believe in
Notes: ドッチツカズ (Dotchitsukazu)- Refer to the glossary
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maasayada · 29 days
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。
けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界*準備中。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用がある���いうことだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるようなものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月26日(日曜日)
    通巻第8266号
 パラノイア指導部の幻覚症状は狂気を帯びてきた
  習近平の『中華民族共同体概論』なるものをどう読むべきか
*************************
シン文化大革命の本格化なのか?
『中華民族共同体概論』なるものが発表された。毛沢東が提唱した階級革命ではなく、むしろ漢民族の文化的、人種的ナショナリズムを基軸とする、幻覚症状が顕著なのである。
中国共産党の少数民族政策に対する新たなアプローチは、少数民族が政治的、文化的自治権を行使し「自らの家の主人」となることを認めた過去の約束を頭から否定した。
新しい概論は中国の過去と未来に漢民族中心の物語に変色され、チベット人、ウイグル人、モンゴル人、その他の先住民族の「主権」と「祖国」は消去され、漢民族の植民地主義と人種形成の目的論に置き換えられた。時代錯誤も甚だしいと言える。
習近平がとなえる「中華民族」とかの抽象的概念は「統一された多民族国家」を統治するための新しい正統性を明確に表現している。『中華民族共同体概論』が提示す考え方は、民族統治に対する従来のアプローチ、「共産主義的多文化主義」というパラダイムから漢民族中心の文化的および人種的ナショナリズムへの根本的な後退を表している。
2018年に改正された中華人民共和国憲法は、1億2500万人と公認されている「少数民族」に対し、10億人を超える漢民族との平等を引き続き約束している。それぞれの故郷において、憲法はこれらの少数民族が「自治権を行使」できるよう「地域自治」を約束している。「独自の言語」『独自の文化』の権利も含まれるのである。この憲法を土台から無視しているのは、さすがに無法国家である。
『中華民族共同体概論』は、少数民族に漢民族の規範への服従と、言語、文化、アイデンティティの緩やかな消去を要求しており、中華人民共和国の少数民族を新たな漢帝国の植民地の「臣民」と定義した。
▼多様な意見はもはや少数民族自治区公共の場では存在しない
新たな正統派思想、「習近平の国家建設事業の強化と改善に関する重要思想」と呼ばれているものは、少数民族や漢民族の当局者から反対されてきた筈だった。
近年の典型がウイグル族への撤退的な弾圧だった。党国家官僚機構の再編、新疆ウイグル自治区やその他の辺境地域での暴力的な取り締まり、そして「民族問題」を担当する少数民族当局者の粛清がつづき、多様な意見はもはや公共の場では存在しない。
チベットのパンチェンラマは23年間、行方不明である。習近平主席が自ら宣言した「新時代」が到来した。
1991年のソ連崩壊後、民族分離主義の危険性と伝統的な中華文化の復興が緊急に必要であるとの強迫観念に取り憑かれた中国共産党は、「第二世代の民族政策」を提唱した。
政権の安定に「深刻な課題をもたらす根深い問題」とは、海外から煽られたテロ、過激主義、分離主義の三つの「悪の勢力」だけでなく、国内の「イデオロギーの誤解」や「誤った見解」も含まれる、とする。
「一部の地域では、少数民族文化の特殊性を誇張して「後進的で奇妙な風習や習慣」を促進している一方で、「一部の人々」は「意図的に少数民族のアイデンティティを強調し、中華民族のアイデンティティを薄め、意識的または無意識的に中華民族の共通性を無視している」と報告された。
『中華民族共同体概論』はこれまでの少数民族優遇政策を批判している。
過去の称す民族への政策は「当初の意図から逸脱し、民族的差異を固定化し、狭い民族意識を助長し、誤った『少数民族例外主義』論を生み出した」とし、ウイグル族、チベット族、モンゴル族が自らの歴史を歪曲し、「文化的多様性の保護を利用して後進的な生活様式や固定観念に固執する」ようになったなどとした。
同概論では中国の歴史に関する13の「講義」を中心としている。
また、習近平政権下での国家建設活動の新たな指導政策策定の意味、重要性、影響を解説している。
驚き桃の木は「中華民族は、約200万年前に、中国特有のヒト科のグループとともに出現した。その後、周囲の民族をその優れた華夏・漢民族の中核に引き込み、吸収することで有機的に成長し、途切れることなく分裂することなく、その規模と地理的分布を拡大した」そうな。
ホモサピエンスは235000年前、北京原人の人骨が再発見されたとしても、中国の最古のものは50万年前の類人猿である。北京市房山区周口店で北京原人の化石が見つかったのは1929年12月2日だが、その後、頭骸骨は行方不明である。
 
しかも「中華文明の寛容、平和、開放性」が自然な成長をもたらしたなどと吠え、文明の衝突、植民地主義、略奪、弱肉強食を克服した中国は、帝国と国���国家の両方の上部構造を超越する「人類文明の新しいパターン」を開拓したとなどと事大主義的な幻想を唱えている。妄想に近いのではないか。
なにしろ「すべての民族が中華民族とその国民国家に「同一視し忠誠を誓う必要性」を持つために国民を「導く」積極的な役割を果たさなければならない」とし、「中華民族は絶対に『想像上の共同体』ではなく、むしろ5000年以上の中国文明の伝統が染み込んだ巨大国家共同体である」とパラノイア症状は重症になる。
たしかに殷王朝から秦始皇帝、漢帝国と中国では易姓革命が継続されたが、秦も隋も唐も鮮卑系であり、元はモンゴルであり、清朝は満州族だった。漢族の王朝は漢と明と宋でしかないが、この歴史実態は「中華民族共同体」でひとくくりにするわけだ。
『中華民族共同体概論』では中国文明は約5000年前に共通の政治共同体を生み出した「血縁の基盤」の上に築かれたと主張している。
第一の特徴は「血」という用語が夥しく使用され、中国の歴史全体を通じて、民族間の結婚、文化の融合、地域間の移住、「絡み合った血統」について頻繁に言及している。
習近平は漢民族と少数民族の関係を説明する際に「大家庭」の比喩を頻繁に用いている。中華人民共和国建国の際に毛沢東が同じ比喩を用いたとき、「中華民族の家族の血縁関係」を明らかにしようとした。つまり、「あなたは私の中におり、私はあなたの中におり、誰も他の人から切り離すことはできない」というわけである。
第二に、各民族の意識と中華民族の共通意識との関係である。両者は「手を取り合って」はいるものの、同等ではない。むしろ、中華民族全体の利益が第一であり、各民族の意識は「中華民族共同体の意識に従属し、奉仕すべきである」とする。
第三に、中華文化と各民族文化の関係である。「中華文化は背骨であり、各民族文化は枝葉である。根が深く幹が強くてこそ枝葉が栄える」
第四に、物質と精神の関係がある。「経済と社会の発展は、自然に国家の統一をもたらすものではない」とし、党の指導者は「魂のエンジニア」でなければならない。積極的に中国国民全員の思考、隠語、行動、身体を形成しなければならないが、少数民族は後進的と見なされているため、特別な配慮が必要である。
冒頭にのべたように、現在の中国では毛沢東を尊敬するパラノイア指導部によって、新たな文化革命が本格化している。漢民族の文化的、人種的ナショナリズムの波である。過去の約束、政策、歴史を歪曲することで、漢民族中心主義の神話を再構築しようとしていることになる。つまり、中国共産党王朝にただ一人の主人がいる。
それが漢民族基軸のシン帝国、習近平皇帝ということである。
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kennak · 5 months
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一  問題の所在   一  教会から銀の燭台を盗んで警察につかまったジャン・バルジャンをかばって、司教はそれはかれに与えたものだという嘘の供述をした。これがきっかけで、バルジャンは改心することになる、というのが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の冒頭シーンであった。   ところで、窃盗罪において被害者の承諾は、もちろん、窃盗行為の前に存在しなければならないし、そもそも、教会の財産である燭台を処分する権限が、無条件で司教に与えられているかどうかも、疑問の余地がある(1)。したがって、事後に司教が贈与の意思を表明したとしても、バルジャンの窃盗罪は否定されず、ゆえに、司教は窃盗犯人をかばって嘘の供述をしたということになろう。仮にこの司教の行為が、盗みはなかったと嘘をつくことで犯罪者を警察から隠避させ、もしくは虚偽の供述をすることで「証拠の偽造」を行ったという理由で、刑法一〇三条の犯人隠避罪や一〇四条の証拠隠滅罪という「司法作用に対する罪」に当たるとしたら(2)、「レ・ミゼラブル」のストーリーは相当に違ったものになっていたかもしれない。つまり、市民は処罰の危険を犯してまであわれな犯罪者をかばうことはなく、バルジャンは人の善意を信じて更生することもなく再び刑務所に収容され、場合によってはまた脱獄を繰り返していたかもしれない。   二  ところで、わが国の実務では、証拠隠滅罪(3)に関して、近年、つぎのような主張がなされることがあるようである。すなわち、他人の刑事事件の参考人が被疑者をかばうために捜査機関に対して虚偽の供述をすることは証拠隠滅罪にあたり、とりわけ、参考人の取調官がその供述内容を録取した調書を作成した場合には、その内容が虚偽であることを知らない取調官を利用した「証拠偽造罪の間接正犯」に当たるというのである(4)。   実際、この見解に基づいて、他人の刑事事件について取り調べの捜査官に虚偽の供述をした者が証拠偽造罪で起訴されるという事件があった。その事案はつぎのようなものである。すなわち、被告人は、覚せい剤取締法違反容疑で勾留中に、同房のTから、Tの被疑事件について彼を不起訴にするために、被告人がTに風邪薬だと言って覚せい剤入りのカプセルを渡し、それをTが覚せい剤と知らずに飲んだことにしてくれと頼まれ、その旨を取調べに当たった捜査官に供述した。捜査官はその内容を録取し、被告人に誤りのないことを確認させ署名指印をさせて、供述調書を作成した。もっとも、嘘はすぐばれたようである。この行為が証拠偽造罪(5)の間接正犯に当たるとして起訴されたのである。   もっとも、昨(一九九五)年、千葉地裁は、これについて、虚偽供述それ自体は証拠偽造罪に当たらないとする従来の判例を根拠にして、供述調書が作成されるに至った場合であっても、やはり、それが証憑偽造罪を構成することはあり得ないと述べて、本罪の成立を否定した(6)。しかし、この判決をめぐっては、証拠偽造罪の成立を認めるべきだとする実務家らの批判が表明されている(7)。   三  そこで本稿では、このような参考人の虚偽供述が証拠隠滅罪に当たるか、とくに、それが供述調書に録取された場合に証拠偽造罪が成立するか否かを、本罪の沿革や訴訟の構造などの視覚から検討してみようと思う。その際、とくに論点となるのは、第一に、刑法一〇四条にいう「証拠」の意味であり、第二に、同条にいう「偽造」の意味である。 (1)  わが国には、寺の建設資金を得るため、檀家総代の同意も主務官庁の許可も得ずに仏像を処分した住職に、横領罪の成立が認められたケースがある。大判大正一五・四・二〇刑集五ー一三六。 (2)  もちろん、窃盗犯人の魂を救済するという司教の「正当業務行為」に当たるか否かは別にしてである。わが国には、警察に追われていた少年をかくまって更生させようとした牧師の行為を、正当な牧会活動であって犯人蔵匿罪の違法性は阻却されるとした判例がある。神戸簡裁昭和五〇・二・二〇刑月七ー二ー一〇四。もっとも、このような「特権」に頼ることができるのは、宗教の職にある者だけであるから、司教や牧師などでない被害者がバルジャンをかばったときには、正当化は認められないことになろう。 (3)  以下では、隠滅や偽造、変造を含んだ刑法一〇四条の罪を総称する場合には「証拠隠滅罪」の語を用い、特に偽造だけを意味するときは「証拠偽造罪」の語を用いる。 (4)  小島吉春「証人・参考人の虚偽供述の刑法的評価について」研修五一八号(一九九一)二五頁、加藤康榮「「参考人の虚偽供述と証憑湮滅罪の成否」研修五二六号(一九九二)八七頁。なお、十河太郎「犯人蔵匿罪と証憑湮滅罪の限界に関する一考察」同志社法学二三九号(一九九五)一一四頁以下も同旨。 (5)  厳密には、九五年改正前の事件なので、証憑偽造罪というべきであるが。なお、以下では証拠と証憑を同じ意味で用いる。 (6)  千葉地判平成七・六・二判時一五三五ー一四四。判決はつぎのように述べている。すなわち、「参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることは、それが犯人隠避罪に当たり得ることは別として、証憑偽造罪には当たらないものと解するのが相当である・・・。それでは、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をしたにとどまらず、その虚偽供述が録取されて供述調書が作成されるに至った場合、すなわち、本件のような場合には、どうであろうか。この場合、形式的には、捜査官を利用して供述調書という証憑を偽造させたものと解することができるようにも思われる。しかし、この供述調書は、参考人の捜査官に対する供述を録取したにすぎないものであるから・・・、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることそれ自体が、証憑偽造罪に当たらないと同様に、供述調書が作成されるに至った場合であっても、やはり、それが証憑偽造罪を構成することはあり得ないものと解すべきである。」と。本判決は、別件の覚せい剤取締法違反のみを理由に、被告人に懲役一年六月執行猶予三年を言い渡した。なお、本件は確定している。 (7)  尾崎道明「参考人が被疑者に有利な虚偽の供述をし、これを録取した供述調書に署名・押印した場合における証拠隠滅罪又は犯人隠避罪の成否」研修五六九号(一九九五)一五頁、河村  博「参考人が取調官に対し、積極的に虚偽内容の供述をし、これを録取した供述録取書を作成させた場合と証拠偽造罪の成否(消極)」警察学論集四八巻一二号(一九九五)一七〇頁。学者のものとしては、奥村正雄「参考人の虚偽供述を録取した供述調書への署名・押印と証拠隠滅罪の成否」法学教室一八六号別冊判例セレクト'95(一九九六)四〇頁。もっとも、尾崎論文は捜査機関に対する供述も本罪の「証拠」に含まれると解するのに対し、河村論文は供述録取書を供述そのものとは独立した保護の客体たる証拠と解している。これに対し、本判決を支持する消極説としては、大山  弘=松宮孝明「参考人が捜査官に対して虚偽の供述をしその内容を供述調書に録取させた行為は証拠偽造罪に当たるか(消極)」法学セミナー四九〇号(一九九五)八一頁、前田雅英「参考人の虚偽供述と証拠偽造罪」研修五七四号(一九九六)八頁。もっとも、消極説の中でも、その理由づけは分かれる。前者は、およそ書証の「偽造」は文書偽造罪の場合と同じく「有形偽造」に限るべきだとして、虚偽内容の上申書の作成も、名義冒用がない限り、「偽造」に当たらないと主張するのに対し、後者は、上申書の場合には「証拠を偽造した」といいやすいとして、両者を分けようとする。なお、伊藤司「参考人の虚偽供述と証拠偽造罪の成否」平成七年度重要判例解説(一九九六)一四一頁も消極説である。 二  「証拠」概念   一  前述のように、検察実務家の中には、すでに四、五年前から、この問題について本判決とは逆に積極説を主張するものが見受けられた。そこでは、従来、証拠隠滅罪等にいう「証拠」は証拠物および証人などの「証拠方法」に限られるとされてきたが、そこには証人や参考人の供��といった「証拠資料」も含まれるべきであり、その結果、参考人が捜査機関に対して虚偽の事実を供述した場合には証拠隠滅罪が成立し、とくに虚偽供述が調書に録取された場合には、証拠偽造罪の間接正犯になるものと解すべきだと主張されたのである(1)。また、学説にも、以前から、証人に偽証させることも証拠隠滅行為の一種であり、ただ、偽証罪が成立する場合は法条競合の特別関係によって本罪が成立しなくなるにすぎないとするものがあった(2)。このように考えると、本件のような事案では、証拠隠滅罪の成立可能性を考える余地が出てくることになる。   そこで問題は、捜査機関に対する供述(公判外での供述)は刑法一〇四条にいう「証拠」に当たるか否かと、証拠隠滅罪と偽証罪とは一般法・特別法の関係にあるか否かにあることになる。とくに重要なのは、一〇四条の「証拠」の意味である。   二  この問題を考察するために、証拠隠滅罪の沿革を尋ねてみよう。現行刑法一〇四条は、旧刑法一五二条を引き継ぎ、対象となる行為を拡大したものであった。旧刑法一五二条は、「罪証となるべき物件を隠蔽したる者」に対して十一日以上六月以下の軽禁錮と二円以上二〇円以下の罰金を規定していた。ところが、旧刑法の明治一〇年草案では、隠蔽の対象はさらに限られ、刑事事件の証拠となる死体のみとされていたのである。周知のように、旧刑法は、フランス人ボアソナードの下、フランス刑法の影響を強く受けて成立したものであるが、本国のフランスでは、さらに、重罪の不告発罪はあるが、およそ証拠隠滅関係の規定はなかった。また、ドイツ刑法でも、二五七条以下の犯人庇護罪が反射的に刑事司法作用を保護するものであったが、司法作用を正面から保護法益とする規定は存在しなかった(3)。   このように、証拠隠滅罪はヨーロッパ刑法に淵源を持たない、わが国独特の規定として成立したのであるが、その客体は、広げられたとはいえ、旧刑法では「罪証となるべき物件」に限られていた。そしてまた、これを受け継いだ現行刑法一〇四条も、その提案理由によれば、旧法が「単に罪証隠蔽の場合のみを規定し、その適用甚だ狭きに失するをもって、本案はこれを修正し、総て他人の刑事被告事件に関する有罪もしくは無罪の証憑を湮滅し又は偽造、変造しもしくは偽造、変造の証拠を使用したる場合に関して広くその規定を設けた(4)」ものにすぎない。つまり、旧刑法から現行刑法への改正の過程で広がったのは、客体ではなくて行為態様のみだったのであり、「証憑」とは証拠物件つまり有体性のある証拠に限られていたのである。   さらに、「証憑」という概念は、治罪法・明治刑訴法における「証拠徴憑」と同じく(5)、証拠と徴憑を総称するものであるが、そのドイツ語訳は”Beweismittel つまり「証拠方法」だったようである(6)。要するに、旧刑法でも現行刑法でも、証拠偽造罪の客体は「有体物たる証拠」、つまり「証拠方法」だったのである。加えて、現行法制定後の立案関係者による注釈では、「証憑」には証人は含まれないものとされていた(7)。   三  もっとも、立法者意思は、必ずしもそのまま実務に支持されるとは限らない。しかし、この問題では、大審院以来の判例は、「証拠」には供述は含まれないとする立法者の判断を支持してきている(8)。それでは、判例が供述を除外してきた理由は何であろうか。大審院や最高裁のリーディングケースは、いずれも、刑事被告人が自己の刑事責任を免れるため(9)、あるいは被告人の親族が被告人に刑事責任を免れさせるために(10)、証人に対して偽証を教唆したというものである。そこでは、自己や親族の刑事事件の証拠を隠滅しても処罰されないため(11)、供述もまた証拠に含まれるとすると、偽証を教唆した被告人らを不処罰とするかその刑を免除しなければならないのではないかという厄介な問題に遭遇したのである。供述を「証拠」から除外するのは、その意味で、偽証教唆で有罪とされた被告人側からの上告を斥ける意味を持っていた。   しかし、供述が「証拠」に含まれないとする解釈は、一貫すれば、被告人に有利に働くこともあった。たとえば、宣誓義務のない被告人である娘に虚偽供述を教唆した父親や(12)、他人を庇うために参考人に虚偽を供述するよう求めた者や(13)、捜査官に対して虚偽の供述をした参考人は(14)、供述が「証拠」に含まれないことを理由に無罪とされたのである。 (1)  小島・前掲研修五一八号三〇頁以下。 (2)  大塚  仁『刑法概説(各論)(改訂増補版)』(一九九一)五七九頁。大谷  実『刑法講義各論(第四版補訂版)』(一九九五)五五三頁以下は、罪質を異にするから観念的競合だとしている。 (3)  偽証罪は、文書偽造罪と同じ偽造罪の一種とされていた。この点では、わが国の現行法の規定順序もおなじである。なお、偽証罪と文書偽造罪や詐欺罪との関係については、成瀬幸典「文書偽造罪の史的考察(一)」法学六〇巻一号(一九九六)一二三頁以下参照。 (4)  倉富勇三郎ほか編・松尾浩也増補解題『増補刑法沿革綜覧』(一九九〇)二一七〇頁以下。 (5)  団藤重光『刑法綱要各論(第三版)』(一九九〇)八六頁。 (6)  Vgl. Beling, Begu¨nstigung und Hehlerei, VDB 7. Bd, 1907, S. 196.  そこでは、一八九九(明治三二)年と一九〇三(明治三六)年草案のドイツ語訳が掲げられている。残念ながら、この二つの草案を直接参照することはできなかったが、田中正身『改正刑法釋義』(一九〇八)二〇九頁以下によれば、証拠隠滅罪の規定には、第二案から一九九五年改正前の現行法に至るまで、文言上の変化がないので、この訳語は現行法にも対応するものと思われる。 (7)  田中・前掲書二二七頁は、「その湮滅または偽造変造は実質上物件に限り、証人を隠避せしむる場合のごときは之を包含せざることは論をまたず・・・」と述べている。にもかかわらず大判明治四四・三・二一刑録一七ー四四五は証人を、最決昭和三六・八・一七刑集一五ー七ー一二九三は参考人を「証憑」に含めている。 (8)  大判大正三・六・二三刑録二〇ー一三二四、大判昭和八・二・一四刑集一二ー六六、大判昭和九・八・四刑集一三ー一〇五九、最決昭和二八・一〇・一九刑集七ー一〇ー一九四五、大阪地判昭和四三・三・一八判タ二二三ー二四四、宮崎地日南支判昭和四四・五・二二刑月一ー五ー五三五。 (9)  前掲・大判大正三・六・二三、最決昭和二八・一〇・一九。 (10)  前掲・大判昭和八・二・一四。 (11)  一九四七(昭和二二)年までは、親族による証拠隠滅は、今日のような任意的な刑の免除事由ではなく、処罰阻却自由であった。 (12)  前掲・大判昭和九・八・四。 (13)  前掲・大阪地判昭和四三・三・一八。 (14)  前掲・宮崎地日南支判昭和四四・五・二二。 三  「偽造」概念   一  もっとも、供述自体は「証拠」に含まれないとしても、それ以外の刑事事件の処理に関する一切の資料は含まれるので(1)、捜査官の作成した供述調書も本罪の対象になることは否定できない。したがって、供述調書自体を隠滅したり偽造したりすれば、一〇四条に該当することは明らかである。しかし、なされた通りに録取された供述に虚偽が含まれていた場合にも、証拠を「偽造」したといえるのだろうか。   これについては、民事裁判の被告が、他人の刑事裁判の証拠に利用するため、虚偽の債務の請求を認諾しこれを口頭弁論調書に記載させた場合に、証拠の偽造を認めた一九三七年の大審院判決がある(2)。もっとも、これはあくまで、裁判官の面前での供述に関するものであり、その限りで、捜査機関に対する虚偽供述についての先例ではないことに注意しなければならない。   しかし、戦後にはこれと逆に、示談の成立を装うために被告人が送付した現金書留の受領証は送付の事実を証明する証拠にすぎず、証拠の「偽造」には当たらないとした下級審判決がある(3)。受領書が証明するのは、送金の事実そのものであって、その点に偽りがなければ、受領書の作成は証拠の偽造ではないというのである。この見解によれば、供述調書もまた供述者の供述の存在とその内容を証明する「証拠」であって、供述内容に嘘があっても、供述者が現にそのように供述している限り、調書の内容に「虚偽」はないと見るべきことになる。その場合、供述者の署名・押印は、録取が正確になされたことの確認を意味するにすぎない。   このように見ると、供述内容を他人が録取する場合に「偽造」を認める先の大審院判決(4)は疑問となる。供述調書が捜査官による供述の録取であることを重視する千葉地裁判決も、このような見解に依拠しているのかもしれない。なお、この場合、取調官が、調書に供述者の供述したとおりの内容を書かないときは、虚偽公文書作成罪の余地があることになろう。より罪責の重い虚偽公文書作成罪が成立するのだから、証拠偽造罪の成否は重要でないことになる(5)。   二  もっとも、この見解でも、参考人が内容虚偽の上申書を自分で作るときは、証拠の「偽造」に当たる余地がある(6)。事実、供述調書について証拠偽造罪の成立を否定する見解の中にも、上申書や供述書については、本罪の成立を認める見解がある(7)。しかしさらに、裁判例には、刑法一〇四条にいう「偽造」を、刑法一五五条や一五九条の文書偽造罪の場合と同じく、「有形偽造」と解したのではないかと思われるものがある。文書がその日付当時その名義人によって作成されたものであれば、たとえその内容に虚偽の記載があったとしても証拠の偽造に当たらないとした一九一六年の東京地裁の判決である(8)。   講学上は、一般に、「偽造」には広義と狭義があり、広義の偽造は「虚偽作成」の意味での「無形偽造」を含むのに対し、狭義の偽造は「名義の冒用」の意味での「有形偽造」であり、しかも「有形偽造」はさらに、「変造」とこれを除く「最狭義の偽造」に分かれると説明されている。しかし、現行法の条文本文を注意深く見ると、文書偽造の罪では、立法者は「偽造」を常に「最狭義の偽造」の意味で用いており、「無形偽造」は常に「虚偽作成」と表現されていることは明らかである。また、一五五条や一五九条の客体には図画も含まれており、さらに通貨偽造に関してもこれを「有形偽造」と解する見解もあることから、現行法上の「偽造」概念を、すべて「名義の冒用」つまり「有形偽造」解することは、十分に根拠のあることだと思われる。   三  もっとも、このような見解に対しては、大審院に、書類作成権者による記載事項の変更に刑法一〇四条を適用した大審院判決(9)のあることが、批判として持ち出されるかもしれない。実際、下級審判例には、虚偽内容の上申書の作成を証拠「偽造」とみなす際にこの判決を根拠にしたものがある(10)。また、学説は一般に、この判決を根拠にして、一〇四条においては「文書偽造罪のばあいの『偽造』・『変造』とはちがって文書についての作成権限の有無は無関係であり、また、文書としての内容の真否も問うところではない(11)。」とする解釈を展開してきたのである。しかし、この判例は実は、証拠「変造」罪に関するものである。そして、「変造」は作成権限の有無や内容の真否にかかわらず成立するとする解釈を採れば、右の判例は証拠「偽造」に関する先例にはならないことになる。   たしかに、わが国の通説は、文書変造罪の場合、変造行為を「名義の冒用」と解しこれを「有形変造」と称しているので、それを前提にすれば、文書変造と証拠変造とでは「変造」概念は異なることになろう。しかし考えてみると、名義の冒用があれば、それはすでに「偽造」であって「変造」ではない。むしろ、固有の「変造」とは、名義人による場合も含めて、真正に成立した文書の内容を関係者に無断で変更することである。たとえば、債務者が、債権者に差し入れた借用証書を一時的に借り出して、その金額を勝手に書き換える場合がこれに当たる(12)。したがって、名義人による証拠変造罪が認められたとしても、名義人による証拠偽造罪を認める論拠にはならない(13)。むしろ、証拠偽造もまた「有形偽造」であると見て、文言解釈の統一を図った方がよい(14)。   四  それでは、虚偽内容の供述書や上申書はまったく問題にならないのであろうか。それは、やはり捜査を妨害するという点で、単なる虚偽供述より始末が悪いのではなかろうか。   しかし、その際我々は、口頭による嘘よりも「書面による嘘」の方が本当に悪質なのかどうかを、再度考えてみる必要があろう。これは、現行法上、虚偽文書の作成がなぜ、公文書や公務所に提出する医師の診断書等に限られているのかを考えれば、答えが出るように思われる。つまり、現行法は、公務員や公務所提出用の診断書を書く医師のように、自らの知覚した内容をそのまま文書にするよう制度上義務づけられている主体に限って、初めて真実記述義務を科しているのである。したがって、たとえば捜査官が供述通りの内容の調書を作らなければ、それはこの特別の義務に反するものとして、虚偽文書作成罪に当たる。したがって、このような特別の義務を負わない一般の市民が、たとえ書面で嘘をついても、それを処罰する規定は、現行法上存在しないのである。   それでは、このような一般の市民の嘘から刑事司法作用を守るには、どうすればよいのであろうか。その答えは簡単である。証人として公判で宣誓の上供述させればよい。こうすれば、嘘の供述は偽証罪に当たる。言い換えれば、「書面による嘘」が重大だと感じられてしまうのは、刑事事件について公判前に実質的な決着をつけようとする考え方に影響されたものだといえよう。つまり、裁判所よりも捜査機関に決定的な役割を演じさせようとする姿勢である。つまり問題は、論者の刑事訴訟観にまで広がるのである。 (1)  大判昭和一〇・九・二八刑集一四ー九九七。 (2)  大判昭和一二・四・七刑集一六ー五一七。 (3)  仙台高判昭和三五・五・一七下刑集二ー五=六ー六六五。 (4)  前掲・大判昭和一二・四・七。 (5)  田中・前掲書二二九頁は、文書偽造罪と証拠偽造罪とが観念的競合となる余地があるとする。もっとも、同時に、一〇四条の対象は主として文書以外の偽造であるとしている。そうだとすると、証拠偽造罪は文書偽造罪とは補充関係に立つことになろう。 (6)  東京高判昭和四〇・三・二九高刑集一八ー二ー一二六。偽造教唆を認めたものとして千葉地判昭和三四・九・一二判時二〇七ー三四。 (7)  前田・前掲研修五七四号一三頁参照。 (8)  東京地判大正五・九・三〇法律新聞一一八〇ー二九。 (9)  前掲・大判昭和一〇・九・二八。 (10)  前掲・東京高判昭和四〇・三・二九。 (11)  団藤『刑法綱要各論(第三版)』八七頁。中森喜彦『刑法各論(第二版)』(一九九六)三一七頁も「文書偽造罪におけるとは異なり、作成権限の有無は問題にならない」と述べる。 (12)  このような場合に文書「変造」罪を認めるのは、ドイツでは判例・通説である。Vgl. BGHSt 13, 383;Scho¨nke/Schro¨der/Cramer, StGB 24. Aufl., 1991 § 267 Rn. 64 u. 68;K. Lackner, StGB 21. Aufl. 1995, § 267 Rn. 21.  この意味で、「変造」は文書などの「確定性」を害する行為なのである。もっとも、クラマーらは、文書変造も名義の冒用のある場合に限るべきであるとして、通説に反対している。わが国の判例には、他人所有の文書を名義人が勝手に書き換えた場合に文書毀棄罪を認めたものがあるが(大判明治三七・二・二五刑録一〇ー三六四)、他人の権利・義務に関する自己所有の文書の場合には、この方法は使えない。もっとも、監督官庁の書記が正当な手続を踏まないで選挙人名簿を修正した行為に対して、内容が真実に適合すると否とを問わず文書変造罪が成立するとした大判大正四・九・二一刑録二一ー一三九〇は、文書変造罪を文書の確定性を害する罪と見た可能性がある。なお、植松  正『再訂刑法概論II各論』(一九七五)一四九頁、内田文昭『刑法各論〔第三版〕』(一九九六)五四〇頁注(8)、浅田和茂ほか『刑法各論』(一九九五)二八八頁〔松宮〕参照。 (13)  それにもかかわらず、内容虚偽の上申書の作成を証拠偽造と見た前掲・東京高判昭和四〇・三・二九は、大判昭和一〇・九・二八をその根拠としている。 (14)  大山=松宮・前掲法学セミナー四九〇号八二頁。その場合には、証拠偽造罪は、主として、文書以外の証拠の偽造を捕捉することになる。事実、立法当時は、書証の偽造は文書偽造罪に当たるものと考えられていた。田中・前掲書二二七頁参照。そうすると、証拠偽造の典型は、捜査官が犯行現場に凶器を埋めておいて、それを被疑者が埋めたものだと主張した「二俣事件」のような場合ということになろう。もっとも、これもまた、証拠の作成者を偽るという意味では「有形偽造」の一種である。 四  証拠隠滅罪と訴訟構造   一  そこで最後に、積極説の政策的論拠と訴訟構造との関係を検討してみよう。積極説は、その政策的論拠を、証拠隠滅罪が国家の適切な刑事司法作用を保護法益とすることから、「証拠方法であろうと証拠資料であろうとその湮滅により国家の適正な司法作用を害する点では何ら差はない(1)」という点に求めている。しかし、現行刑事訴訟法における「証拠」概念は、いわゆる「証拠資料」を含みつつも、捜査機関に対する供述は含まないようである。というのも、刑訴法三二〇条以下には、「証拠」として、「公判期日における供述」や供述書、供述録取書という言葉は出てくるが、捜査機関に対する供述は出てこないからである。証拠とされているのは、「供述を録取した書面」ないし「他の者の供述を内容とする供述」にすぎない。   それは、おそらく、「証拠」概念が、あくまで裁判官の五感の作用に訴えるものとされているからであろう。いわゆる「直接主義」「口頭主義」は、それを言い換えたもののように思われる。したがって、仮に刑法一〇四条にいう「証拠」を「証拠資料」にまで広げても、それは「裁判官に認識ないし知覚された証拠の内容」にすぎないから、裁判官の面前でなされたものでない供述は「証拠資料」にもなりえない(2)。   二  このように、「証拠資料」という概念は裁判官に認識された証拠の内容を意味するから、証拠資料を一〇四条の客体に含めたところで、捜査機関に対する供述が自動的に「証拠」となるわけではない。つまり、およそ供述一般が「証拠資料」というわけではないのである。したがって、このような主張によって捜査機関に対する供述を一〇四条の客体にするためには、捜査機関に対する供述は、法廷での供述と同じく、「証拠資料」であるといえなければならない。それは、捜査機関に対して、裁判官に引き継がれて判決に結実するような心証形成の権限を認めることになる。   しかし、いかなる職権主義も、捜査機関の心証を裁判官に引き継がせることを正当化しうるものではない。それは「予断の排除」や「無罪の推定」に明らかに矛盾するものである。予審制度下でも、予審判事の心証が公判裁判官を拘束するものではなかった。その意味では、まさに捜査機関に対する供述をも「証拠資料」と解する見解こそが、予断排除や無罪推定を建前とする現行法下の刑事司法の適正な展開を歪めるものとなろう。それにもかかわらず、捜査機関に対する参考人の供述も「証拠」だというのであれば、それは司法権の担い手を、憲法七六条の明文に反して、裁判所ではなく捜査機関にあるとするものである。虚偽内容の供述を正確に録取した調書を「偽造された証拠」だとする解釈も、同じ結論に至る。   三  もっとも、ドイツ刑法にあるような処罰妨害罪(ドイツ刑法二五八条)では、捜査機関に対して犯人に有利な虚偽供述をした場合も含まれる(3)。しかしこれは、司法作用を保護法益とするものではなく、あくまで犯罪者を援助する「犯人庇護罪」の一種なのである。したがって、わが国の証拠隠滅罪と異なり、犯人に不利益となるような行為、たとえばアリバイを証明する証拠方法の隠滅は含まれない。また、庇護される相手方は真犯人でなければならない(4)。この場合には、処罰妨害罪の目的は、犯人を庇護することで犯罪を助長する結果になるのを防止することであり、心証形成の資料を保護することではない。そして、ここにいう心証形成の資料とは、あくまで公判に出てくる証拠なのである。このように見ると、偽証罪と証拠隠滅罪とでは、前者が公判での証人の供述を、後者が証拠方法を対象とするという点で、すでに行為の客体が異なるのだから、両罪を法条競合と見たり観念的競合と見たりすることはできないものといわなければならない。 (1)  小島・前掲研修五一八号二九頁。 (2)  付言すれば、「証拠資料」(Beweisstoff)という概念自体、ドイツの主要な刑訴・民訴の教科書・注釈書には出てこない。この概念自体が、その出自を疑われてもおかしくない状態なのである。 (3)  十河・前掲九三頁以下、Scho¨nke/Schro¨der/Stree, § 258 Rn. 17f. (4)  条文の文言解釈上は無理があるように思われるが、すでに立法直後から、犯人蔵匿・隠避罪の対象には「有罪の嫌疑を受けたる者」を含むとする解説がなされていた。田中・前掲書二二六頁参照。 五  むすびにかえて   一  かつて平野龍一博士は、「偽証教唆も証拠湮滅の一種であり、法条競合として重い偽証罪で処罰されるとする見解もあるが、そうなると参考人を教唆して捜査機関に虚偽の供述をさせることも、証拠湮滅になることになる。さらに進んで参考人が虚偽の供述をすること自体、証拠湮滅ということにもなりかねない。」と述べた(1)。そこには、捜査機関に嘘をついただけで刑事罰の対象となるのは論外だとする価値判断がある。言い換えれば、真実供述義務があるのは、法廷で宣誓をした場合だけだということである。しかも、偽証罪の場合には、裁判確定前等に自白すれば、刑法一七〇条により任意的な刑の減免がある。冒頭に掲げた事件では、被告人の嘘はすぐにばれたようであるが、それにもかかわらず、彼は証拠偽造罪で起訴された。仮に偽証罪を証拠隠滅罪の特別法と見ると、証人は偽証を自白しても、なお、証拠隠滅罪で処罰されることになり、刑の減免の意味がなくなる。   二  同じような問題は、犯人に有利な虚偽供述を犯人隠避罪で処罰する近年の判例にも見られる。判例には、「犯人」の偽のアリバイを警察官に供述した場合(2)や、「身代り」で出頭したが「犯人」が釈放されなかった場合(3)に、犯人「隠避」罪を認めたものがあるが、これでは、真実供述義務を捜査段階にまで広げたに等しい(4)。犯人隠避罪を一般的な捜査妨害罪にしてしまうという学説の批判を想起すべきであろう(5)。ましてや、捜査機関に対する供述を証拠隠滅罪の客体とするわけにはいかないのである。「レ・ミゼラブル」のストーリーを台無しにしてしまう解釈は、やはり、無理だといわなければならない(6)。 (1)  平野龍一「刑法各論の諸問題18」法学セミナー二二八号(一九七四)四〇頁。 (2)  最決昭和四〇・二・二六刑集一九ー一ー五九。もっとも、被告人らには犯行現場を偽装工作した行為も認められるので、証拠偽造罪の成立は可能であったかもしれない。 (3)  最決平成一・五・一刑集四三ー五ー四〇五。 (4)  平野・前掲四〇頁。 (5)  前掲・最決平成一・五・一に対する日高義博「逮捕勾留中の犯人の身代り自首と犯人隠避罪」法学教室一〇八号(一九八九)八八頁、井田  良「逮捕勾留中の犯人の身代りを出頭させる行為と犯人隠避罪の成否」『平成元年度重要判例解説』(一九九〇)一六二頁、振津隆行「逮捕勾留中の犯人の身代わりを出頭させる行為と犯人隠避罪の成否」法学教室一一三号別冊判例セレクト'89(一九九〇)三九頁、真鍋  毅「身代り犯人と犯人隠避罪の成否」平野ほか編『刑法判例百選II各論(第三版)』(一九九二)二二八頁の反応、さらに松宮「すでに本犯の嫌疑で逮捕勾留されている者に対する犯人隠避罪の成否」南山法学一二巻二=三号(一九八八)七五頁を参照されたい。 (6)  憲法は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と規定する(憲法七六条一項)。つまり、司法作用は裁判所に属する権限なのである。ところが、わが刑事訴訟法は、「公訴は、検察官がこれを行う」と定めている(刑事訴訟法二四七条)。したがって、犯人隠避罪や証拠隠滅罪のような司法作用に対する罪が犯された場合でも、裁判所に訴えを起こすのは、検察官である。しかし、検察官は他方で、捜査および訴追の機関として、通常の刑事裁判の一方当事者でもある。この、一方当事者が司法作用に対する罪の裁判を開始できるという制度の問題性が端的にあらわれたのが、一九五一年に山口県八海村で発生した「八海事件」であった。この事件では、有罪判決が最高裁によっていったん破棄された後、検察官は捜査をやり直して、被告人のアリバイを供述した五人の証人たちに、それを否定する供述をさせた。そして、嘘に耐えきれずに法定で再度アリバイを認める供述をした証人を、偽証罪で逮捕したのである。そのため、その証人は再び、供述をひるがえすことになった。結局、「八海事件」の裁判は、このような「捜査のやり直し」からさらに九年かかって、一九六八(昭和四三)年一〇月二五日の最高裁無罪判決(刑集二二ー一一ー九六一)によって、ようやく決着がついたのである。   このような事例を見ると、偽証罪についても公訴権は、刑事裁判の一方当事者である検察官に委ねるべきではなく、裁判所あるいはその委任を受けた特別の告発機関に委ねるべきではないかとさえ思われるのである。ましてや、現状のままで、法廷で「偽証」した場合ばかりでなく、警察や検察などの捜査機関に「嘘」をついただけでも、証拠隠滅罪や犯人隠避罪で処罰しようとすれば、刑事訴訟のバランスをますます歪める結果になるのは想像に難くない。逮捕や起訴の際に「嘘」と判断するのは誰なのかを考えてみれば、これはすぐにわかるであろう。
捜査機関に対する参考人の虚偽供述と証拠隠滅罪(松宮)
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littleeyesofpallas · 9 months
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AN-ANDRO-DORO[あんアンドロどろ]
Don't call me a naked hero, in another world.[異世界で全裸勇者と呼ばないで]
Umarekawaru Nara Inu ga Ii[生まれ変わるなら犬がいい]
summerholidays Ogi-kun's[小木くんのなつやすみ]
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OSHI GA BUDOKAN ITTEKURETARA SHINU[推しが武道館いってくれたら死ぬ]
Oni-sama no Koi, Zento Tanan[鬼様の恋、前途多難]
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kabesa doujinsakka no nekoyashikikun wa syouninyokkyuu wo kojiraseteiru[壁サー同人作家の猫屋敷くんは承認欲求をこじらせている]
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KINOKOINU[きのこいぬ]
GAL Reijou no Shitsuji-kun[ギャル令嬢の執事くん]
Joou Renkinjutsushi to Geboku Deshi[女王錬金術師と下僕弟子]
ZINGNIZE
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Centaur's Worries[セントールの悩み]
Tadashii Koi to Yokoshima na Ai[正しい恋とよこしまな愛]
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NEKOMUSUME MICHIKUSANIKKI[ねこむすめ道草日記]
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Nurse-Teacher Hitomi's Infirmary[ヒトミ先生の保健室]
HINAYURI'S ADVENTURES[ひなゆり冒険記]
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MANGA Sekai wa Rensaichuu![マンガ世界は連載中!]
Mizukoshi-kun wa Futtoushitakunai no ni[水越くんは沸騰したくないのに]
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MUZUKASHII HOU NO SAITO-KUN[難しいほうのサイトーくん]
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Marchen kacho and Nonke kohaikun[メルヘン課長とノンケ後輩くん]
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Yuri de Naru ♥ Espoir[ゆりでなる♥えすぽわーる]
Wakarasete! MESUGAKI Akuma-chan[わからせて!メスガキ悪魔ちゃん]
Please eat my soul![私の魂を食べて下さい!]
Wazawai Kitsune no Kuzure-chan[災い狐のくずれちゃん]
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best-girls-ai · 10 months
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Greetings, amazing souls! Are there any exciting plans or adventures in the works?🙌
こんにちは、素晴らしい魂たち!何かエキサイティングな計画や冒険はありますか🙌?
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patsatshit · 11 months
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先日THE WEST AGROSのMIKIさんと一緒にTHE JUSTIFIERSの復刻7インチを聴きながら、互いの近況報告とアホみたいな話、それからアホみたいな話に継ぐアホみたいな話の連続でアホみたいに大笑いした。MIKIさんとは昨年のBOBBY OROZA関連のパーティーを通じて交流が始まったんだけど、まさにきっぷの良い兄��という感じで、いつもほんまにフレンドリーに接してくれる。日本橋R/H/BでMUSIC CAMPの宮田信さんが物販をされていた際に、数あるお宝レコードの中からMIKIさんは一枚のコンピレーションアルバムを手に取り「土井ちゃん、これめっちゃええで、これ一枚あったらDJでけるで」と言って勧めてくれて、その日のDJタイム時には「いらんいらん、俺ヘッドフォンいらんで!」というMIKIさんの大声がフロアに響き渡っていて、やっぱりこういう人がええなぁ、好きやなぁと思った次第。因みにあの日をきっかけに親交を深めた高槻のホットサンドカフェOTTO KNOTの智子さんや非営利団体S.F.Mの杉本さん、おふたりともめちゃくちゃおもしろくて、カラッとした気性がマジで心地良い。智子さんのホットサンド、杉本さんのタコス、どちらもほんまに美味しいので皆さんも機会があったら是非とも食べてみてほしい。MIKIさんたちと話していて思うのは「ええかっこしてたらアカンで」ちゅうことですわ。そして同時に「かっこ悪いこと」には敏感。これは割と重要で、逆説的でありながらも、確かに両立する。この概念を勘違いしている人が圧倒的に多いんやけど。だから僕らの会話は実際には伏せ字にせなあかんことばかり。とにかくMIKIさんは僕にとって信頼できる兄さんやということでお見知りおきください。
(THE WEST AGROSのインタビュー記事はこちら)
MIKIさんと抱腹絶倒した翌日、東京は下北沢にある日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている久木さんがご来店。髪色が明るくなっていて、パッと見て印象が変わっていた。久木さんは「蟹の親子」名義で文筆活動をしていて、年内には百万年書房からの商業出版が決定している。ここまで読んで、いやいやいやいや……お前つい先日、商業出版を貶しまくっていたやんけ、舐めてんのか!と前のめりに拳を握り締めた方々、そりゃあ早計に過ぎるというもんですぜ。物事はそんなに単純じゃない。これから出版される彼女の随筆集や今後の活動を目の当たりにすれば、この微妙なニュアンスの差異に恐らく気づいてもらえると思う。わからなければハイそれまでョ。久木さんとは膝を突き合わせて互いの魂を差し出すように腹を割って話をする。そうすることでかつては言語化されることのなかったモヤっとした塊がいつの間にか血肉に変わって自分の言葉で話せるようになる。途中、全盲の落語家、桂福点さんが自身の通う作業所「お気楽島」への帰りかたがわからなくなったとタラウマラに迷い込んできて、そのままどさくさに久木さんに向かって下ネタを開陳していたのは、まるでカフカの小説が目の前で展開されているみたいでズッコケそうになった。「人は誰しもエロいものですから」と冷静に切り返していた久木さんにもズッコケそうになった。その後、福点さんは作業所のスタッフに迎えに来てもらい、無事に「お気楽島」へ。ハットの上にちょこんと乗ったトレードマークの目玉おやじがいつまでもじっとりこちらを見ていた。引き続き久木さんと色んな話をしているうちに互いのバイブルが『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』だということがわかり、ふたりともテンションがぶち上がる。
(この本と出会わなければ確実にいまはない!)
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そこから久木さんの幼少期の思い出、幼稚園の園長先生が仕組んだコロポックル神話へと紡がれたところで思わず泣きそうに……。間違いない。やはりこの人とは目線が重なる。どうしたって僕たちは誰かの用意したレー��にはうまく乗ることができ��いが、虚実の皮膜に畳み込まれた「ほんまもんの嘘」については心から肯定したいと願っている。ドブネズミのビルドゥングスロマンとか、コロポックルから届いた手紙とか、ぬいぐるみが食べ散らかした食卓とか、聖夜にベランダに放置されたトナカイのウンコとか、そういう弱者の領域とも形容できる素朴なファンタジーを信じることができなくなったら、そこで試合終了ですよ。予定ではクリスマス前後に届けられるであろう蟹の親子の新刊を、楽しみに待とう。
(蟹の親子さんの日記はこちらでも読める)
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roba0325 · 11 months
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えんぴそさんのきずゆう
ダイ大 たまきずまとめ
https://www.pixiv.net/artworks/104082022
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ashi-yuri · 8 months
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Kentucky Route Zeroテキストを巡る冒険12
X/Twitterで投稿規制になぜか引っかかってしまったため、今回からこちらにて。最終的には全部まとめてブログに投稿する予定です。
テキスト(詩)
本作のテキストは詩情をたたえるが、そのほとんどは脚本・散文調で書かれており、形式的に「詩」といえる文章は数か所しかない。
その詩は、詩のいくつかがそうであるように、短くも作品全体を貫く精神を象徴する。
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ジョセフ:パスワードは長くて、ちょっとした詩みたいなものでね。人生を要約した短い詩さ。
1.    はじまりの詩
3つの文章からひとつ選ぶ選択を3回繰り返せば、パソコンのパスワードとなる詩が完成する。
単体では美しい響きだけの言葉は、組み合わせることで必然のように先の展開を予兆させる。
このパスワードでは、どんな選択も間違いにならない。プレイヤーの選択を報酬・展開の変化等によりゲームが評価することはなく、すべての選択は等価となる。プレイヤーが何を選ぶかは、この先もずっと自由に任される。
最初に作るこの詩から「マルケス」というキーワードが開け、本作の旅は始まる。
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(Act.1 EQUUS石油:パソコンのパスワードとして、3つの文章から3回選んで詩を作り入力する。)
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2.町はずれの者の死を悼む詩
アマチュア詩人である「町」の住人ニッキがコミュニティテレビWEVP-TVで披露する詩。
居場所でありよりどころであった「町」がより弱い立場にある町はずれの者に対して振るった暴力と罪を悔い記憶するための詩。
もう思い出す者もいないHomeなき者への詩。
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ニッキ:町外れの者へ。 どの鷲があなたを終の眠りへと運んだだろう? あなたを運び、眠りにつかせたのは人ではない。 泥と泥水の流れる小川を選んだ者たちは、血まみれのあなたを残して逃げ出した。(以下略)
3.最後の詩
なにもわからず宙ぶらりんでさまよう気持ちのまま、あなたはそれでも詩を紡がなければならない。
まったく現実の世界でもそうであるように。
喪失、追悼、後悔、慰安、再生、悲嘆、鎮魂、決意、休息
悲劇といわれる旅の終着点で、だれに、なにに向けて祈るのか。この作品があなたにとって何だったのか。
作り手たちとの言葉と混ざり合いながら、あなたは短い言葉で詩を紡ぐ。それを表明するために、あなたはこの場にいるのだから。
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(Act.5:最後に捧げる詩の言葉を選ぶ)
ウォルト・ホイットマン「草の葉」
「自由詩の父」と呼ばれ、放浪しながら一般民衆に広く詩を行きわたらせた19世紀アメリカの代表的な詩人のひとり。「草の葉」は彼の代表作であり、おおらかで気宇壮大で自然と理想に満ちたアメリカ建国時のイメージが映る。
最後の詩の直前の台詞及び第5幕の実績「あなたの足下にいる私を探して」はここから引用されている。
おれはおれ自身を土に遺す、やがては愛しき草地から生え出るように、 もしおれをまた求めるなら、おまえの靴底の下を探すがいい 「草の葉 おれ自身の歌(抄)」ウォルト・ホイットマン 飯野友幸訳より
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ニッキ:「私を探すなら君の足元を見るがいい!」、そんな言葉があったわね。
ロバート・フロスト「雇い人の死」
『選ばなかった道』などの詩で有名なアメリカ詩人。簡潔で平易な言葉を用いながら、象徴的で喪失感・諦観に満ち謎めいた詩を多く残した。
20世紀のアメリカを代表する詩人のひとりであるとともに、その詩はアメリカ一国を超えてひろく読まれてきた。
「雇い人の死」は、老いてどこにも行く当てのない雇われ小作人サイラスが放浪の末、雇用先の納屋で誰にも知られぬままひっそりと息を引き取るさまを雇用主夫婦の会話により描いた詩。KRZはこの詩を基調として作られていることがキャリントンの口から示唆されている。
「雇い人の死」和約:神戸親和女子大学学術リポジトリ
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Act.1 EQUUS石油 キャリントン:私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩「雇い人の死」を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに。
最後の幕間劇「雇い人の死」においてサイラスの最期と重なるように雇い人ブランドンがひとまずHomeで眠りにつくことでKRZは終わりを迎える。
「ウォレン」と彼女。「彼は死ぬためにうちに戻ったの。もう今度は途中でいなくなる心配はいらないわ」。 「うちにね」、彼はおだやかに皮肉をこめた。 「だってうちじゃない。うちをどう考えるかで、話はずいぶん違うけど。もちろん彼は私たちには赤の他人で、それは以前、森から出てうちに来た見知らぬ犬―長い旅路でやつれ果てたあの犬と変わりはないわ」。 「フロスト詩集」『雇われ農夫の死』 ロバート・フロスト 川本皓嗣編より
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ハリー:眠らせてやろう。
詩という形式で、短く象徴的に凝縮されたこれらの言葉こそが、本作の精神をよく表しているといえるだろう。
いや、「迷ったと感じるべき」なんだ、ジョセフ。我々が常に迷い続けているように。 あの哀れな、放浪する雇い人サイラスのように。道をさまよい、帰るべき家を探しながら。 Act.1 EQUUS石油 劇演出家ジェームズ・キャリントン
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alaephoenicis · 1 year
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人類本来の在り方(原初的理念・イデア)
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/zBmnlViVphU
公開日:2023年2月26日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
人を人たるものにしているのは何なのでしょうか?
私たちを人間らしくさせているものは?
また、私たちは「人間であること」を何と結びつけていますか?
何をもって、人間の本来の在り方、原初的理念(イデア)とするのでしょうか?
そして、私たちは自らの意識の中で、どうすればこの創造的な本来のあり方に立ち戻ることになるのでしょうか?
こうした疑問についてお話したいと思います。
私が気になったのは、私たちが非常に限定された、狭い人間像を持っていて、「人間」というと大抵は小さく、弱く、欠点にまみれた存在だという連想をします。
どのような文脈で、「人間なんだから」と言ったことがあるのか、いちど自問してみて下さい。そのようなセリフは、何か失敗をしたときではなかったですか?自分の具合が悪いときや、弱々しく感じている時、心細くなったときでは?
人間として、どうしてそのような人間像を描くようになったのでしょうか?
別の観点を提示しましょう。
その観点には「人類の本来の在り方(原初的理念・イデア)」が根本にあります。それは身体に基づくものではなく、純粋な創造レベル、純粋なエネルギーレベルにあります。
すべての種族には、原初的な理念のようなものがあり、そこから種族全体の記憶が発展していきます。
人類全体に関するすべての情報はこの、人類本来の在り方の中にあり、そこには、最高の意味で私たちが運命づけられている創造的デザインも見出すことができます。
では、人間を人間たらしめる本来の、原初的な理念(イデア)、本来の在り方とは何なのか。
それは、私たちが左脳に課しているもの、論理的、合理的、デジタル、技術的なものを主とするものではありません。
それは、人類本来の在り方、原初的理念に焦点を当てたものではありません。
人間は社会的、創造的、直感的、自発的な存在であり、意識の創造的、そして何よりも霊的な進化の上にあります。
すべての種族は、非常に独特な発達パターンをたどり、非常に独特な進化の道をたどることを想定しておく必要があるのです。
例えば、ある猫が猫としての能力を持って生まれ、その猫が犬になろうとすれば、どうにかして犬らしい特徴を身につけることはできても、吠えることはやっぱり出来ないのです。
そして、これとまったく同じことが、ここ人類で集団的に起こっています。私たちは、進化の道、発展の道へと押しやられ、私たちの遺伝的生物学的デザインに内在する原初的な創造的衝動を結実させることができなくなっている、ということです。
つまり、精神的、直感的、創造的、社会的、そして何よりも思いやりのある存在としての人間は、デジタル・トランスヒューマニズムのタイムライン上では、人間の原初的理念にある、能力や資質を全く開発できないのです。
すべての種は、その原初的理念の中に非常に特殊なデザインを有しており、人間が自己の中にあるこの創造の火花のデザインを展開するとき、その人は最高の定め(宿命)に目覚めることになります。
そしてそれは、現在の私たち人間が体験していることとはかけ離れた、非常に大きなものなのです。そして、種族がそのデザインの中で進化していく限り、信じられないほど素晴らしい創造物が生み出されていくのではないでしょうか?しかし、そのデザイン以外のことを成そうとした途端、いつしか自滅してしまいます。
そして、この自己破壊は、実はまた、人間の原初的理念に立ち戻ることでもあるのです。
私たちは、物質的なレベルでは当然ながら、この地球上で起きていることに非常に重点を置いています。
そして、その視点をもう少し広げ、より高い次元からの「原初的な衝動」とは何か、という感覚を、私は皆さんに与えたいのです。
つまり、他の存在、他の非人間的な存在は、この「人類の原初的な衝動」、つまり「人間という原初的理念」を宇宙の年代記から消し去ろうとしているのです。
従って、この地球上で肉体をもって転生した状態で、人口がどれほど多くなるかは優先的問題ではなく、人類以外の一部の宇宙存在は、人類をその原初的理念から乖離させ、人類の創造的衝動をより高い次元から消し去ろうとしています。
これは、青写真レベルの話です。それは、すべての物理的存在の設計図で、この設計図レベルにはすべての物理的創造物、すべての種族の創造理念が存在していて、それが基盤となっています。
そして、物質面における人類の乖離を通じて、最終的には創造性にあふれた原初的理念を乖離させ、歴史的記録から抹消しようとする存在もいるのです。
私にはこれが、繰り返し伝えられて来ました。
そして、こうした存在が上手いことやってこれたのは、そこにもう人間がいなくなったからではなく、人間が「何が自分を人間たらしめているのか」分からなくなってしまったときからです。
いつも、わたしたちが自分の人間としての素質、例えば「共感能力」をもって生きなくなった時、見失ってしまった時、私たちは文字通り全く非人間的な発展へと進みました。
私たちは自分たちの種族から乖離しており、それを現時点ですでに非常に強く認識しているのです。
そこには異なったタイムラインがあり、一つは私がトランスヒューマニズムのタイムラインと名付け続けているもので、人類デザイン、人類原初の理念を捨て去るものです。
この別ラインでは、人類はまだ存在するでしょう。しかし、人類はもはや今日の人類ではなくなってしまうでしょう。なぜなら、人類は、人間を人間たらしめている資質や能力をすべて置き去りにしてしまうからです。
では、人間を人間たらしめているものは何なのか、自問してみてください。
それはまず第一に 優先されるもの、つまり感情という形態の人間の創造力です。
創造という行為において、人間ほど感情の周波数帯域幅を自由に使える存在は他にないでしょう。
そして、人間は自分の感情、感情性によって創造しているのです。
そして、感情や感情豊かな内面的存在、共感する感情豊かな内面存在こそが、人間を人間たらしめているのです。
また、ユーモアといった他の資質も、人類のクリエイティブな原初的理念として非常に重要な役割を担っています。
ユーモアのセンスがまったくない種族だっているんですよ(笑)
また、違った極性を持つ存在もいます。
そして…この場を借りて、お願いを述べることになります。
私たちが、本当につながりを取り戻せますように、
そして、人類の原初的特質を見失ったりしませんように。
これらはかつて、私たちの文化に普通に統合されていたのです。また、これらは私たちの遺伝子を経て普通に転生し、統合されていました。
しかし、私たちが目下遺伝子レベルで示しているものは、すでに人間の原初的理念から大きく逸れており、人間の遺伝子をますます異質なものへと導くことを意図したあるプログラムが存在するのです。
それによって、最終的に人類の原初的な創造理念を置き去りにすることになるのです。
遺伝子はいわば物理的なインターフェイスのようなもので、最初のポイントは、人間の非物理的な原案を物理的な形にするところです。
最終的にDNAという物理的な青写真を構成するのは、物理的な領域ではなく、青写真のレベルです。
人間の高次の創造的衝動から、この地上のフィールドへの翻訳過程で、残念ながら多くの情報が失われています。
人間であることが実際にどのように成り立っているのか、それがどれほど偉大なことなのか、私たちはもうほとんど感じ取ることができないのが実情なのです。
私たちは、水が何であるかを知らない水の中の魚のようなものです。
もし私たちが自分の意識のまま別の次元に行ったり、他の種族の他の存在形態を観察したりすれば、比べる対象を得ることによって、人間というものが実際にどのようなものなのか、たちどころに分かるようになるでしょう。そうすると、地球という限られた枠組みの中で、全く異なる宇宙的枠組みを持つことになります。
もし私たちが人間としてしか経験することがなければ、それが実際に何を意味するのか、そして人間としてここに転生することが実際にどれほど大きな栄誉であるのかを知ることはできません。
最も冒険的でワイルドで勇敢な魂だけが、ここ、この惑星に集まり、人間という体験の中で出会うのものだからです。
私はこのような小さな衝動を、人間というものの根源的な考えを私たち全員に思い出させるために、この場に投入したいと思うのです。
そして、乖離のタイムラインについて言えることは、私たちが実に多くのレベルで非人間的で異質な存在にされているのか、つまり、私たちの種から逸脱させられているのか、についてです。
しかし、私は今ここで、本質的なことを皆さんと共に考察したいと思います。そしてそれはまた、非常に中心的なハートのクオリティでもあるのです。
思いやりのある心、それが本当に人間を人間らしくしてくれる。それこそが、その人の最大の強みです。それこそが、人間を本当に高めてくれるものなのです。
教会組織が宗教制度を通じて人間界に与えたものによって、大きな分離が起こっていますが、教会は、一部の人間を神と呼ぶことで、文字通り人間を人間から分離してしまったのです。神とは真の人間であり、人間の原初的理念です。
教会はここに来て、人間と人間を分け隔て、人間の真の部分を神と呼び、手が届きそうにないほど出来る限り遠くに置き、これが実は私たちの真の内なる存在であることに気づかせないようにしました。
だから私は、私たち人類が本当はどれほど偉大な存在であるかを思い出してほしいのです。
そして、人類設計に何を掲げたかということ。人間であるということはどういうことなのか。
私たちはそれを当然のことと受け止め、普通だと考えていますが、魂の視点から見た人間の経験は、絶対的にユニークなものであり、この上なく特別なものなのです。そんな体験をこの地球で得ることができるのですよ。
宇宙のどこにもない。今、ここにしかないのです。
Produced by Earth! (地球によるプロデュース!)
人間の集合意識はスープみたいなもので、粘性があってどろどろしていて...と、そのように私はよく感じるんですが、実際に痛覚のある集合体として重なり合っているため、人間としての真のクウォリティ、人間であることの価値をまったく認識できていないのです。
もし私たちが宝探しに出かけて、意識を内側に向け、自分の原初的な創造衝動が何であるかを見たなら、それは実に素晴らしいことです。
それがあなたの魂のサインであり、あなたの創造的衝動です。
全人類の魂のサインは統合され、全体となって、人間の原初的理念を形成しています。
そして、私は知っています、より高い次元から何度も何度も私は肯定してもらいました。この原初の理念を消滅させることはできない、と。そして、人間は人間へと、戻ってきます。つまり、人間的な能力や特性…今日では、超人的とか超自然的と呼ばれているようなものが、すべて戻ってくるのです。
そして、真の人間、本来の人間、つまり、最高のデザインに基づいた素質を体現する人間に戻るのです。
人間が遊ぶ野原には、まだまだ発見がたくさんあります。
それでもなお、私たちはある特別なことをするためにここにいるのです。
自分の中にある運命、つまり遺伝的なものであると同時にスピリチュアルなデザインに根ざした運命に、より明確に従えば従うほど、私たちはより多くの経験をし、再び自分自身に戻っていきます。
私たちは再び自分自身を認知するのです。
もし人間が本当にこんなちっぽけな存在だったら、「ほら、自分をもっと知りなさい」と、何度も言われることはないでしょう。
この文句が意味を成すのは、人間が、実は人間本来の在り方に全くそぐわない生き方をしている場合のみ。
その意味で、集合体としての人類、集合体としての人類の意識に対して、繰り返し「己を知れ、己の真の偉大さと創造力を知れ、己の中にある贈り物を知れ」という衝動が湧き上がってくるのです。
私たち人間は、定られた最高の人生を生きていません。そこからはるか遠いところにいて、それがどれくらい遠いのかは、より高い創造レベルにある人類の原初的理念に戻れた時、初めて気づくことになるのかも知れません。
時間と空間を作って、この話を受け取ってくれてありがとう。
そして、あなたが「完全なる人」である意志を懐いてくれていることに、感謝します。
愛を込めて
ロビン
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herosone111 · 2 years
Text
中国怎么可能内循环?只有假的内循环。
你看看我就知道了,中国政府打压,窃取,垄断,那别人做什么?什么也没有。
我做事就是教育,真正言传身教,中国政府做的事就是窃取别人,这就是教育啊。
——
在看樱井政博的视频,游戏测试,他表示这是商业机密,有的不能教别人,其实……中国政府早就从小岛秀夫哪里窃取了科乐美的整个敏捷开发系统,还有卡普空,因为卡普空很厉害,我也不知道卡普空怎么做到的。
之所以肯找到各国游戏公司和游戏引擎,芯片公司,就是为了勾引他们并窃取他们的能力。
创新很重要,这就是中国政府的想法,当然,是“窃取别人的创新思路很重要”。
但是要激发别人想怎样做,就必须激活他们的记忆和思考,所以必须用我的思路钓起这条鱼。
——
中国的内循环是假的,有钱人小心别被收割了哟~哼哼哼哼……
中国人的所谓生意循环都是假的,现在是个诈骗时代,钱的循环已经成了谎言。
——
仔细一看,樱井政博的衣服有一种自由飞舞的溜冰王子的感觉……
我穿这种衣服别人会不会觉得是蓝色牛肉纹理保龄球……
所以其实我喜欢风衣之类,遮挡了我的身材,现在被中国政府吸取了生命力,我已经变瘦了不少,不知道别人眼里的我是什么样的……
不过我没有生命力,已经不漂亮了……还是得有钱才能修复自己的躯壳(外表)
——
在看樱井政博的“消灭延迟”的视频。
嗯?他的衣服其实是同一件,这些视频可能都是同一天录制的,只是分集播放而已。
我不善于任何动作游戏,例如横版,例如双截龙(不依靠队友我打不过),或者格斗。
还有很多潜入游戏的判定太苛刻,对于我这种人就很难,例如进入阴影。
只有《细胞分裂》有指示器告诉你是否已经隐蔽了,别的游戏基本没有这些指示器。
事实上只要“猜测玩家的想法”,玩家会进入阴影边缘基本就是想进入阴影,自动进入就行了。
《泰坦陨落》就是窃取我的设计,还有我的文章。
不过我设计的并非3D游戏,所以跳跃之类不是那样的。
我明白自己为什么觉得卡比飞行慢了,是因为掉下去的瞬间飞起来会突然很慢,会有种紧张感,而且我反应不快。
——
我觉得,FC上星之卡比,的确让孩子到家庭主妇都喜欢玩。
虽然我自己不玩,但是别人很喜欢,不过,他们也喜欢《Bucky O'Hare(バッキー オヘア)》或者《G.I. Joe》之类游戏(星之卡比是单卡,不知道是不是盗版,那个年代��中国人还没有盗版这个概念),
也就是说,别的孩子会把记忆力浪费在记住游戏里的版面上,他们好像不是很在乎难度,更喜欢乐趣,他们喜欢星之卡比,我个人则很难明白每个游戏到底要做什么,魂斗罗则没有任何东西,只要射就行了,我也在《七宝奇谋》里迷路,我唯一能最大接受的类似游戏只有《Felix The Cat(菲力克斯猫)》而且我也没有通关……忘了是深海恐惧还是深空恐惧阻止了我……因为这个游戏有的地方的坑不可以掉下去,你要探索路线必须在向下的地方飞行,但是又不能太接近深渊。
而我玩星之卡比则是随便玩,所以我对背版游戏不喜欢,我的记忆必须用来记忆重要的东西,这是从小就定下的方针。(不过星之卡比的画面超级震撼了我,尤其是塔的那一关,要知道那个时代可没有3D游戏,比忍者蛙还好,假如没有敌人,各种关卡有一种天堂的感觉)
星之卡比的SFC版我没有玩过(没有钱)。
不过个人觉得,假如像《火枪英雄》拯救小鸡的那一关,来一关地图旋转可能对卡比会很有趣。
我是怎么考虑两个人玩这些游戏的?
我当年想的是一个人玩,另一个人射击其他敌人,因为当时玩的游戏都是“鳄鱼先生”“松鼠大战”,鳄鱼先生的玩法就是可以用手柄当枪射击敌人,那让一个人玩,另一个人辅助就好了。
1P就像FC的《魂斗罗》第二关那样战斗,2P是机枪手,控制一个准星,但是机枪子弹有限,需要1P射击拿到子弹才能继续射击,而且2P有炸弹,1P陷入绝境的时候需要2P配合释放炸弹。
敌人被击倒会掉出机枪子弹和炸弹,但是假如只由2P去攻击敌人子弹消耗肯定比获得子弹快……
(这些和下面的都是当年的想法,现在其实不能算很好了,那都是当年在FC上的考虑)
松鼠大战,那种游戏都是双人配合的,并没有人会考虑互相拖累的想法。
毕竟大家想一起玩的话应该不会互相拖累。
后来看了FC的
《DAIVA Story 6: Nirsartia no Gyokuz(超人迪瓦)》
《Mappy Kids(少年快乐鼠)》
才发现可以上下分屏,但是当时还没有意识到这两个游戏其实很特殊,而且觉得不好玩,特别是Mappy Kids,和它之前的《Mappy》根本没得比。
到了最近才发现这两个游戏其实技术上很好,至于怎么做出来的我不知道。
还有《Hard Drivin'(超级赛车)》怎么做出来的我也不知道。
还有
《えりかとさとるの夢冒険(Erika To Satoru No Yume Bouken、绘里香与悟的梦冒险、少年梦冒险)》
这是个左右分屏游戏。
还有
《超级中国人2龙之子(Super Chinese 2: Dragon Kid、Little Ninja Brothers)》可以双人玩的RPG。
——
N64的性能根本没有真的发挥出来,主要是画面渲染,我的想法非常接近GBA的《高级守护英雄》,那些粒子画面之类都和我想法很接近,不过当时不知道蛊术士有没有窃取我,我觉得应该还没有。
但是我会做成类似大乱斗的游戏,就是不知道如何判定血量之类而已,我个人其实是想通过“击落”对方,然后对方复活,这个得看每个人给自己角色安装的“魔石”来决定血量,才能决定谁会死掉,或者就是限时内击杀对方的数量来决定胜利者,击杀一个算3,辅助攻击算1。
背景是蓝天米黄的云,但是米黄的云是那种很模糊的,感觉不到界线的,和前景清晰的深黄土地形成对比。
角色本来就有的技能是
“攻击”(普通的拳,当疯狂按下攻击,第三下攻击没有击中则自动发出原地站立的残影连续拳。
假如三下都击中,则把对方推后一个人的身位,并呆着休息一段时间,正等于对方恢复到攻击状态的时间)
“升龙”(向上攻击的拳,对地面角色有伤害无击飞,对空中有击飞一到两个身位,看对方的位置而定)
“滑铲”(发动中无敌,无伤害,无击飞,使用后需要过一段时间才能用)
“跳跃”(无伤害,短按小跳,差不多一个人高度。长按大跳,两个半人高度,比移动速度快)
“飞腿”(空中按方向加攻击键,击飞小距离,对空中敌人击中胸部则击飞大距离)
“燕子”(空中按上或者斜上加攻击键,等于二段跳,极低伤害,无击飞但会把敌人和自己带到同一个地方,击中后一段时间会无法攻击,比敌人恢复到攻击状态的时间长一点)
魔石带着“技能增强”,也就是角色外貌都一样,安装的魔石不一样角色就不一样,当时还不知道FC原理是通过“调色板”改变角色颜色,所以角色分为红蓝绿黑四个颜色。
角色血量为1000,每安装一个魔石减少200,每个人可以安装三个魔石。
魔石分为
⓪◎🙏谦(增加其他人血量200,是给高手用的,让双方可以平衡)
装备了一个谦之魔石的角色会戴黄色头巾,两个会戴上黄色皇冠,三个会头带黄色光环。
❶→👊林(拳威力增加)
❷↑💪火(升龙拳威力增加)
❸↘🦵风(飞腿和燕子威力增加)
装备了伤害魔石的角色手套,肩膀,鞋子颜色会改变。
装备一个魔石变成白色,两个同样魔石变成天蓝,三个魔石变成黄色。
魔石攻击伤害每次只会上升6点(可以在游戏里设定其他数值),
每个魔石增加击飞距离大半个人的身位。
第一个魔石还会增加攻击特效(攻击范围,也就大那么几个像素)就是攻击时手里或者脚上有个闪动的球。
❹△🙅山(滑铲格挡上升,被击飞距离下降)
装备一个魔石会穿红蓝背心护甲,两个会穿红黑背心护甲,三个会穿蓝黑背心护甲。
会继续增加滑铲后无敌时间,但是该时间里也无法攻击敌人(是无法按攻击按键,只有燕子可以使用,但是依然没有伤害)。
光看角色就知道对方大概强化了什么,这也是我在FC上制作(DOTA/暗黑/传奇)类游戏的想法。
游戏场地是热血格斗的电流场地。
——
暗黑破坏神类游戏
有无法攻击队友模式、对战模式和对战又攻击敌人的模式。
按A切换敌人(近战武器只能显示距离自己最近的敌人),长按A马上瞄准玩家(只有对战等模式可以使用),
武器有
刀盾(可以格挡正面的实体远程武器,可以叠加毒素,但是看几率),
弩箭(实体远程攻击,可以叠加毒素,需要弹药,看几率),
魔杖(法术远程攻击,无法叠加毒素,需要法力值)
刀盾克制弩箭
弩箭克制魔杖(因为用了法力就很难补血)
魔杖克制刀盾(无法格挡魔法)
大锤(近身重击)
棍子(近身范围攻击)
毒素(持续伤害,每层1点/秒,加点后会增加物理攻击敌人的伤害层数,每层毒素降低自然回复血量1点,降低每次补血回复血量1点),
岩浆(范围攻击)
冷冻(降低周围敌人速度)
补血(恢复生命,加点后会增加生命恢复,会更好降低毒素的伤害层数,例如毒素伤害10层,你只有1级补血,每次补血只能清洗掉5层毒素,补血两次才能清洗掉10层毒素,假如你有2级补血,1次补血就清洗10层毒素了)
电流(远程连锁)
按B键加上为岩浆,假如站住不动,则岩浆会以自己为中心慢慢展开,大范围攻击。
假如移动,会把走过的地板变成岩浆,停下来的时候就等于重新站住。
按B键加左为暴风雪,暂时禁止所有远程攻击,并减速被攻击到的生物,暂时阻止自己身上的毒素伤害。
按B键加右为电球,会在敌人身上跳动并降低攻击速度,假如周围没有其他敌人,则会持续伤害目标。
按B加下为补血和清除毒素。
游戏的设定这个世界有四种系统,
物理(物理攻击)生命(毒素和补血)温度(热和冷)电磁(电流和磁力)
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