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#出稼ぎワーホリ
kennak · 2 years
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TBSでやってる「情報7daysニュースキャスター」で「出稼ぎ日本人」の特集。とても興味深い。オーストラリアで収入が3倍になった美容師、日曜の時給が4200円の工場労働者、年収300万円から8000万円になった米国の寿司職人など。「日本で働くのがバカバカしい」といった証言がリアル。 それに対して毎日新聞のえらい役職のコメンテーターが「働くのはお金だけじゃない」「日本のおもてなし精神が損なわれるのでは」(ちょっとうろ覚えだが)とか、だいぶアサッテなコメントしていて、「そういうところだぞ」と見ていて思った。 ワイドショーの特集を見て「海外はバラ色」と単純に思うわけもないが、「日本では12時間労働とかあったけど、こっちでは残業ない」「豪でのワーホリが終わったら、今度はカナダに行く」という証言はリアルに思えたし、その流れは当分止まらん気がする。月給十数万円で長時間働かせるのが異常なのだ。
深町秋生・「天国の修羅たち」3刷さんはTwitterを使っています
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ichijimak · 2 years
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R4/10/22
なんか書くタイミングを逃していたが、7月にイギリスのYMSビザ(ワーホリビザみたいなもん)の抽選に応募したら当たってしまったので来年3月からむこう2年間イギリスに行くことになっている。本当にぃ?
なんとなくワーホリって響きは軽薄でダサいよね。ワーホリに行くって言い方は理由はないが恥ずかしいと思っている。実際ワーホリビザじゃないので「出稼ぎ」、「引越し」ぐらいの捉え方で頼みます。結局は日銭を稼いで生活をしていくだけなので。
そういえば一時期ドイツに憧れていたがドイツ語の勉強があまりに大変で辞めた経緯もあった。そうなると英語圏の中で、(アメリカはこの手のビザがないので)、気候と給料が良さそうなオーストラリアがいいかとなんとなく思っていた。しかし一説には10倍とも言われる倍率の抽選に当たってしまっては、導かれた感が湧いて、イギリスの雰囲気の方が市島に合ってるんじゃね?と思い始めている。なんか経済も政治もやばそうだが…笑
ビザの申請をするのに平日に東京のセンターに行かなくてはならないので来週の月曜に行くつもりだったが、仕事でクソ大ミスをかまして休んでいる場合ではなくなってまた日を改めることになってしまった。とにかくビザが発給されないことには安心できない。
結構嫌われていた同期が6月くらいに辞めるときにカナダにワーホリに行くと言って会社を辞めた。もともとムカつく奴だったが最後まで余計なことをしやがってと思った。なんか二番煎じみたいになるだろうが。会社に辞めることを伝えるときに本当のことを言うか、東京の知り合いの会社(想定:創吉)で働くと大嘘をつくかで迷っている。
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anaconda-japan · 2 months
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「日本では想像もつかないくらい稼げる」(西村さん)とビザを延長。50万円ほどの車を2台買ったり、休日には思う存分遊んだりしているが、130万円ほどの貯金ができた。今年10月に予定する帰国までに300万〜500万円まで増やしたいと笑顔を見せる。 ワーホリはもう一つの「出稼ぎ」の選択肢だ。日本人にとって豪州は最大級のワーホリ受け入れ国であり、同国内務省によると日本人へのワーホリビザ発給数は23年6月までの1年間に約1万4000件と過去最多を記録した。 好待遇の理由の一つは最低賃金の高さにある。東京の最低賃金が時給1113円なのに対して、豪州は同約23豪ドル(約2250円)。円換算すると以前から豪州のほうが高かったが、為替レートが今では1豪ドル=約98円と、新型コロナウイルス禍を挟んだ約4年間で3割近く円安に振れたことで、その差は2倍にも広がった。
豪ワーホリに日本の若者殺到 工場で月50万円稼ぎ描く夢 | 日経ビジネス | 日本経済新聞
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sevenstravel · 2 years
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きづいたらもう8月だ!メルボルン来て2ヶ月ちょい経った〜なんか全然2ヶ月って感じしない、短く感じるけどたくさんいろんなことありすぎてもうずっとここに住んでた気分笑笑
まず、ベビーシッターしてた家半分追い出されて、家探して、あとは仕事仕事仕事って感じ
いやーほんと家探しが1番ストレスだった毎日あの家帰るのも嫌だったからなんもない時は家族が寝る夜9時までどっかで時間潰してみんなが寝てから家帰ってた笑笑マジで嫌すぎて日本帰ろうかと思った���ね
でも今は引っ越して本当に良かったと思う自由だし、子供は可愛かったんだよね、それだけが悲しい。
あと新しい仕事始めたーなんかキッチンで働きたくなっちゃって、居酒屋みたいなとこのキッチン始めたーでも日本の居酒屋と全然違う、めっちゃ広いの
なんかバーと寿司やとアウトバック混ざったみたいな、とりあえずめっちゃ広い。キルビルのレストランみたいだよ
あともう一個のカフェもなんかキッチンやってみてる。シェフになりたいわけではないんだけどねなんか作るの楽しいから。でも昨日カボチャ切りすぎて腕痛い笑笑
もう一つのカフェは相変わらずFOHやってるよーついに最近お客さんの名前覚えてきた。たまにお客さんの方が自分の名前知っててびっくりするけど、なんかいつもくるおじいちゃんがいるんだけど、70以上くらいのね
その人私の名前覚えてるの、一回しか名前言ったことないのに、しかも私はそのおじいちゃんの名前知らん笑
いつもスマーティクッキーとモカ頼む人って覚えてる笑
まあもうすぐでこのカフェはやめようと思ってるんだけどね〜でもなかなか言えない、いつもこうなんだよなあ私がいなかったら困るかなとか考えちゃう。別にやめちゃえばいいのに
まあ来月にはやめるかなあ
最近本当将来どうしようかなあって感じ。一生答えは出ないんだけどね
ここにいると楽だからずっと居たくなっちゃう。だってフルタイムで働いてれば月30万は余裕で稼げるんだよー日本だったら17万とかだし、しかも働いてる時間も日本の方が長いし、
だからここにしばらくいるのもアリかなって思ってる最近。でもビザがどうするか大変だなあ
あとたまに日本のみんなに会いたくなるーみんながこっちにいればいいのになあって笑笑冬スキーとスノボしたいし、今ここ冬なのにーー
本当どうするんだろうなあこれから、今は働いてここが自分にあってるか考える、11月までに長くいるか日本帰るか他の国行くか決めよう。
まだ若いからなんでもできるよねっ!なんかこっち来てから歳上に見られるの、嬉しいけど、老けたのかな笑笑まあいいや
ワーホリ30歳くらいまでしかどうせできないし、オランダとかイギリスとかカナダとかでもやりたいなあ。でも全部やってたらだいぶ歳とっちゃう笑笑だからそっからどうするんだろう、っていうのを考えると無限ループなんだよね、結局将来どうしたいの?っていうのにたどり着く笑笑
洋服も音楽もスポーツも靴も料理も人と話すのもお金稼ぐのも旅行も好きだけど、これって何かになるかな
お金じゃないけど結局これでお金稼げるのかな?って心配になっちゃう。だから自分の1番好きなことは趣味とかで二番目に好きなこと仕事にしなって言われたんだよなあ誰かに
でも二番目とかないんだよな笑笑 好きなことに順位なんてつけられない〜全部気分によるし笑笑
好きなことたまにできて、無理しないくらいに働いて遊べてそこそこいい場所にある家に住みたいっていうのが今の目標。1ヶ月後ぐらいに達成する予定だけど。でも一生この生活できないのよね〜一生これができたらいいんだけどね。気楽に好きな場所で働いて飽きたら仕事かえるみたいなね、
難しいなあ〜でもなんとかなるのかなって思うようにしてる。心の底ではめっちゃ悩みだけど笑笑
まあなるようになるでしょ!ってことで、おやすみ〜
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rankamassage · 3 years
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部屋の仕切りのフレームを入れているところです。
業者さんがんばってくれてます!
今度差し入れ持って行こう。
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suzuokzk · 6 years
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もうすぐオーストラリアへ🇦🇺
7月4日にカナダから帰ってきてから3ヶ月が過ぎ、今度はオーストラリアで1年間程ワーホリ滞在します🔥
去年カナダでワーホリをした理由は、英語の専門学校で培った英語力を更に伸ばしたかった、若いうちに海外生活を経験して、いろんな国の人たちと触れ合う中で、もっと視野を広げたいと思ったのが主な理由です。
カナダでは英語力向上の為に、英語に触れる機会を多く作り、勉強も続け、ネイティブの友達もたくさん作れたので本当に行ってよかったです✨‼️
今回オーストラリアの目的としては、旅行をたくさんすること。オーストラリア国内はもちろん、そこから近いいくつかの国に旅行しようと思っています。
旅行を充実させるためには、お金を稼ぐことが必要。なので最初の6ヶ月は仕事に集中しようと思います!着いてから、仕事探しを始めます。カナダでの就労経験を生かすことができたら幸い!もちろん、就くことが出来た時にはブログやらで報告します🙏🏼
ではでは!
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tinndaisou · 3 years
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#8 野稲 秀
職業 旅人 のいねしゅう 1996年山口生まれ。
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"旅に没頭。とにかく'経験'に注ぎ込んだ学生時代"
小学4年からおよそ10年続けていたサッカーを大学1年の秋、この先自分がプロになることはないという見えすぎた未来から辞めた。
サッカーしかやってこなかった彼が一息つくことなくすぐに手を伸ばしたものは"旅"だった。
「中学生の頃から見ていた"YOUは何しに日本へ"が大好きで、ぼんやりと"海外"というものへの好奇心はありましたね。いままでサッカーという狭い枠の中だけで生きてきたので、もっと広い世界を見たいと思い、それで自ずと旅が頭によぎりました。」
その年の冬、友人とバックパッカーとして訪れた旅人の聖地タイ・カオサンロード。そこで目の当たりにした世界中から集う人々から彼の世界観が大きく変わることになった。
「自分が今までどれだけ狭い世界で生きていたか、自分の知らないだけでこんな世界もあるのかと痛感しましたね。それから"英語"が話せたらいまよりもっと価値観が広がると思い、もともと関心のあった"英語"を身を入れて勉強するようになりました。私生活も大きく変化し、"なにかしたい"そんな衝動からDIYやブログなど新しいことにあれやこれや手をつけ、服を買ったりとかの物質的な事より色んな場所に行ったり、誰かとお酒を飲んで話したりと経験にお金を使うようになりましたね。」
彼が4年間でまわった国は、24カ国。そんな見たことない世界、新しいことに常に飢えていた。
「12月の真冬に河川敷で24時間キャンプするって企画をして、普通にするだけじゃ面白くないんでアプリ使って集まった資金だけで物を買おうってなったんですよ。結果集まった資金は900円。内600円は一緒にやった友達のお母さんで(笑)、まあその時友達残して僕は途中でリタイヤしたんですけど(笑)他北海道で野宿したり、チーム対抗のヒッチハイクで富士山まで競争してそのまま登山とか。今じゃできない学生故の身を削った過酷なバカげたことばっかしてましたね(笑)。」
"見える未来はおもしろくない"
そんな彼がやはり普通に就職なんてすることはなく、卒業後Working Holidayでオーストラリアへ。それはまたしても見えすぎた未来からきたものだった。
「大学を出たら当たり前に就職する。それが普通みたいな日本の文化に違和感を持つようになっていました。そのいわゆる敷かれたレールにのる自分が嫌で、日本での就職は1mmも考えていなかったんですけど、海外ならアリかなって。それで大学4年の夏にカンボジアにインターンシップに参加したところ、案外仕事がめちゃめちゃできて、"あ、おれ企業に入っても絶対やっていける"ていう変に自信がついたんですよ(笑)そうなると、企業にはいった未来がなんとなく想像できて、そこに対しておもしろみがないと思ってしまいました。社会経験がない自分がいうものほんと失礼なんですが(笑)。
なので、ワーホリも就職しない別の選択し中の一つにすぎず、周囲にはゲストハウスを学びにとか、英語をもっと身につけるって言ったいたんですが、実はこれといった理由はなく、"これがしたい"からだけで行きました(笑)」
出発前の東京で遊び呆け、残金5万でオーストラリア・メルボルンの地に足をつけた。旅で学んだなんとかなる精神も打ち砕けるような大きく冷たい壁が彼を待ち受けていた。
「メルボルンに着いて市街でさっそく働き口を探したんですが、1週間が過ぎてもまったく見つからなくて仕方なく市街地をでて、求人のある田舎でファーム生活をすることにしました。
もともとセカンドビザをとるに至って、するつもりではいたんですが、まさかすぐすることになるなんて思ってなかったですね(笑)。しかしこのファームがまあ稼げなくて。いくつか内容はあるんですが、その時期は苗を植える仕事で、1本0.04$(1$=80$換算で日本円にして約4円)で、週約6000本くらい植えるんで、安給料ですよ。なんとかギリギリ生活はできるんです。でも雨の日だと仕事は中止で、酷い時なんか2週間で2回。残金は1000円を切るところまでいったこともありました(笑)
そんな異国の地での超極貧からの脱却は3人の友人との出会い。決断は"旅"で培ったハングリー精神と己の直感だった。
「貧困生活が1ヶ月が過ぎてさすがにヤバさを感じ出した時に、同世代の韓国人3人がはいってきたんですよ。それから2週間が過ぎた頃、ここでの仕事のなさに1人が「メルボルンに向けて明日ここをでよう」って。その話に自分も乗っかりました。完全に勢いでした(笑)1ヶ月前仕事が見つからなかったメルボルンにまた戻るのは大丈夫なのかという不安ありましたよ(笑)ただ"この環境を変えよう""どうにかなる"それに賭けました。」
この決断が功を奏し、見事メルボルンでの仕事を勝ち取り晴れて極貧から脱却した。その彼はいままさに人生何度目かのターニングポイントの最中にいるという。
「失恋したんです(笑)メルボルンで出会った韓国人の女性と。最近まで別のファームで島で生活していたんですけど、周りは海と山の絵に書いたような大自然に固まれたとこで。そんな島でふと「自分って何者なんだろう」って自問自答をし、「自分は何で存在しているのか」考えるようになりました。きっと気持ちがブルーになってたんでしょうね(笑)でもこの時"自分"というものをひたすら考えて、見つめ直した時間で過去の自分とか自分を取り囲う友達であったり、なんだろう"人"との関係を再確認できました。そういった意味でラブアンドピースがやっぱり1番。今そこの形成がされている途中なのかなと思います。」
そう、言葉を選び、より近い言語化しようとゆっくり慎重に喋る様子から彼自身も上手くいい表せない何か大きな変化が彼の中で起こっているのだろう。
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(上/現在17万円で購入した中古の四駆を相棒に、オーストラリア全土を周っているそうだ。下/いかにも潮風を浴びているかに見えるが、この瞬間実は無風だという。)
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余談
ちなみに大学の途中で辞めるまで本気で打ち込んでいたサッカーのポジションはゴールキーパー。あの選手権にも出場していたほどの実力者だ。しかし、直前の試合の凡ミスから大会はスタンド応援だったという苦い思い出も。
photo: Tatsuya Kirita   text: Yuta Watanabe
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11yrk22 · 4 years
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ケアンズを離れて、パース→メルボルン→シドニーの約3週間の旅行が終わりました。といっても、これからまたゴールドコーストに移動するわけですが。
仕事も住む場所も、何もかも落ち着いていたケアンズから離れること。離れたときは寂しいながらも、もういいかな…と思っていたのですが、違うところでまたそれを一からやり直さなければいけないって、だいぶしんどいです。
ケアンズに着いたときは、1ヶ月ホームステイをしていたし、語学学校にも通っていたので、家やら仕事やらを探す時間がじゅうぶんにありました。
でもこれからは違います。
もう残された時間は4ヶ月半ほどしかなくて、その中で住むところはともかく、仕事を見つけなければいけないとなると、語学学校に通っていたときのように、3ヶ月ものうのうと暮らしていられません。
ヨーロッパ旅行にも行くし、その後は他の国にワーホリにも行く。そう思ったら、なるべく多くのお金も稼ぎたい。
でも、新しい仕事を見つけるとなると、自分の能力に自信がまるでないことに気づく。
ケアンズでの仕事はローカルだったとは言え、わたしがやっていたのは主に日本人相手の接客で、日本人のマネージャーもいるところでした。
だからまるまるローカルのところに行くとなると、やっぱり怖いです。勤まるんだろうかと、不安しか感じません。
お金を稼ぐだけなら、日本でだってできます。帰ってしまおうかなとすら思いました。
そんなストレスをひどく感じながら、シドニー空港を歩いていたのですが、空港って不思議な場所ですね。
まあそんなこと言ってても仕方ないし、なんとかなるだろう、って思えるんです。
新しいところに出発するということは、新しいスタートであり、やっぱりわたしにとってはワクワクする、ポジティブなことなんだろうと思います。
風花ちゃんだって、ローカルのレストランで働いてたんだから、きっとわたしにもできるはず。
勉強だってしていけばいいし、そうやって成長していくしかないんでしょうね。
新しい経験を求めてやってきたわけだから、挑戦していかなくては。
それでも3週間経っても仕事が見つからなければ、そのときはお金も時間も無駄なので帰ろうと思いますが笑
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sachisarah · 5 years
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ワーホリで渡豪するまで
今さっき、日本から持ってきてる2018年10月スタートの手帳を見返して、
「あーこの時は赤坂で働いていた時だなぁ」とふと、ワーホリに来る前の生活を思い出した。
1番最初に『ワーホリに行きたい』と思いはじめたのは遡ること24歳の時。
22歳3月:大学卒業(4月に専門商社営業職で就職)
2017年12月:残業と体力仕事がキツくて3年ぐらいで退社
この時にワーホリというものを知り行くと決意。
しかし心配性気がある私は『ワーホリに行く前に英語少しは話せるように改善しておきたいな』とフィリピン留学を決意。そして、そのフィリピン留学の費用を稼ぐために派遣職で船関係の仕事(英語を使う環境下)を9ヶ月間。(長…)
2019年1月:フィリピン留学
2019年4月:マレーシア留学
2019年10月:オーストラリアのパース(今)
ワーホリ行きたいと初めて思ってからの実際に渡豪するまで、約2年という月日が経ってることに驚いた。
その時は確かに、毎日長時間労働・パソコン作業・体力仕事で『忙しい日々ではなくのんびりと海外で仕事しながら生活したい』と思ってた。
でも2年という月日が流れたことによってワーホリへの気持ちは方向転換していて、『お金を貯めて英語がもう少し喋られるようになりたい』に代わってる。
だから、仕事が無い今『あれ、なんの為に今ここにいるんだ』て不安に刈られ、それがストレス。笑
24歳の時に専門商社を退職してすぐに渡豪していたらどうなっていたんだろうと思う。
時間があっという間て事を忘れて頭でっかちになり過ぎてしまうのはそれはそれでよくないと気づいた。
何か新しいことをする、新しい決意をした時は、早めに行動した方がいい。
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asaee30-blog · 7 years
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渡航後の費用について
こんにちは❣️
日本はお盆も終わって、残暑を迎えてる時期ですね😊
私の住む#バイロンベイも毎日暑い日が続いています!🌞
#セカンドビザの申請のため、ファームに通う日々ですが、、、
毎日毎日 日焼けしすぎて顔が真っ黒になっていきます。笑
オーストラリアに来てから、確実にシミが増えました。😂
さすが皮膚ガンが多いと言われているだけあります。。。
私も若くないので。
、、、気をつけよう!笑
さて。今日は渡航後のお金について詳しくお話ししていきますね♥️
渡航時にどれくらいお金を持っていけばいいか?✨
最初にかかる生活費について まとめてみました🤗
①オーストラリアの家賃について
私の住むバイロンベイはマンションやアパートといった高い建物がほとんどなく、”シェアハウス”として一軒家に何人かで住んでいます。
シドニーやメルボルンなど大きい都市になると、アパートやマンションの一室を”シェアハウス”として使っているようです。🏳️‍🌈
・Bond(ボンド):敷金
大体の家は家を決めた時に家賃一週間分の2週間分を支払います。
日本でいう敷金のことです💁🏽
住んでいる間に家のものを壊したり汚したりすると、このボンドから引かれる場合があります。何もなければ家を出る時に全額返済されます💓
・Rent(レント):家賃
大体の家は一週間に一回払う制度です。
・Own Room(オウンルーム):一人部屋 $140~$220
・Twin Room(ツインルーム):二人部屋 $120~$180
↑この二つのタイプの部屋が多くあります。家賃は一週間の値段です!
⚠️オーストラリアの夏の時期10月〜2月にかけては、人口も増えるので少し値段が高くなる場合が多いです!
オーストラリアの給料は一週間に一度もらえるので
家賃の支払いも安心してできます❣️❣️🙆🏽
②スマートフォンについて
・SIMフリー
私は日本にいる時にSIMチップ対応のi phone に変更しました♥️
オーストラリアより日本の方が安いので、
渡航前に変更することがオススメです💘
オーストラリアで有名な携帯会社はOptas(オプタス)、Vodafone(ヴォーダフォン)、Telstra(テルストラ )です。
私の周りはOptas(オプタス)を使っていることが多いです😊もちろん私もです💓
スマホの設定の部分で、普段使用しないものはoffにして無駄なく使うようにしています!SNSを見る時はwi-fiを使用したりして、月たったの$30で不満なく使っています❣️
・オーストラリアの会社で携帯を買う
上記の携帯会社で$50前後で購入し、毎月自分で選択したお金をチャージすることもできます。私の友達で持っている子も多いですが、
私は全くオススメしません。笑
使いづらそうだし、SNSなど見るのもネット環境が遅すぎて、結局日本で使っていた携帯をテザリングしたり、wi-fi環境で利用しているようです。
ほとんどの友達が、
『SIMフリーにしてくればばよかったぁー!!!!』といってます笑
時間があるなら、ぜひ!!!SIMフリーにしましょう!💁🏽💓
③食費について
私の住むバイロンベイは物価がとにかく高いです!
外食なんて特別な日にしかなかなかできません。😂サラダで$20(約1900円)なんて全く普通な感じです。😱
ってことでほぼ毎日自炊しています👅
私の家の近くにはAldy(アルディ) ,Woolworth (ウールワース)の二つのスーパーがあります。圧倒的にAldyの方が安いので、私はよく利用しています。
ただ、毎週水曜日にWoolworth では値下げ商品が変更されるので、シャンプーやコンディショナーなどチェックしにいっています👌🏾💕
一週間に約$20前後の食費を使っています!
日本食はめちゃくちゃ高いので、最初に持ってくるのをオススメします♥️
日本食で持って来てよかった物
塩昆布・ひじき・高野豆腐・乾燥梅干し・カップラーメン・春雨ヌードル・味噌・そば・うどん・おからパウダー・あんこ・きな粉etc
書ききれません〜!😂笑
とにかく!日本食はばかみたいに高いです。
できるだけ持ってくることを全力でオススメします♥️
④交通費
バイロンには交通機関はバスしかありません💕
なので、みんな自転車や車を買って行動します!
私は自転車を$50で友達から買いました♥️
語学学校でも自転車の長期レンタルできますが、私は自分で見つけて買う方が圧倒的に安くてオススメです!🚲
⑤仕事の給料
オーストラリアの最低賃金は時給$18です。
日本食料理屋で働いている友達は、最低賃金以下のところもたっくさんあります。ただ、”給料手渡し”のため、税金が引かれることなく給料をいただくことができます!なので、どっちにしろ不利はないとかあるとか😬💭
私の友達の実際のケース🌙
・A子 持参30万円:2ヶ月の家賃、生活費で使用。2ヶ月後ほぼお金がなくなり時給$23のアジアレストランで週4で働く。それから8ヶ月、お金のやりくりは全て稼いだお金のみだけど、苦労なく生活できている。
・B子 持参60万円:学生に専念したいため、5ヶ月間持参したお金のみで家賃、生活費込みでやりくりする。その後ほぼお金がなくなり、時給$18の仕事の収入のみで苦労なく生活できている。
かな🌼
ってことで、そーんなにお金、かからないです♥️
本当です!!!
みなさんの参考になれば嬉しいです💓
最後に、家や仕事、自転車とかは一番多く見つけやすいサイトを紹介します✨
・Gumtree (ガムツリー):外人も使ってているからほとんど英語だけど、情報量が圧倒的に多いです!💁🏽絶対のオススメだよ〜!
http://www.gumtree.com.au/
・日豪プレス:日本人向けのだよ!日本食レストランとか見つけたいひとにはオススメだよ!💓
http://nichigopress.jp
あとはFace Bookや新聞紙の広告、学校の掲示板の張り紙とかがオススメかな
❣️
また次回、私がどうやって見つけたのかとか
書いていきたいと思います💓
みなさんのワーホリ生活が素敵な素敵なものになりますようにすように🙏🏽💕
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zentainworld · 7 years
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ファームライフを振り返ってみて
前回更新からご無沙汰してました。ワーホリセカンドビザ取得のため、ストロベリー関連の仕事をずっとしていました、ワーホリinカブルチャーのぜんたです。
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【セカンドビザとは】
通常は入国から1年間の滞在が認められているワーホリですが、政府に指定された地域内で第一次産業(農業や畜産業など)を88日以上行うことでビザをもう1年延長することができる制度。
知り合いでも、牛の乳搾りをした人や、ぶどう、りんごのピッキングをした人もいるので、様々な仕事の中から選べるようです。
今回僕はストロベリーピッキングの仕事をたまたまメルボルンで知り合った友達に紹介してもらったので、そこで約4ヶ月滞在して、農業をしてきました。
そこでの仕事内容はこちら
・プランティング(苗植え)
・カッティング(間引き?不要な葉などを切る仕事)
・ウィーディング(土を掘り返して雑草を抜く作業、有機栽培のファームのみ)
・ピッキング(収穫)
・パッキング(パック詰め)
このうちパッキング以外は全てやりました。
これから書くのはあくまでもカブルチャーでの今年の(雨が多かった大変な)シーズンについてなので、年によって仕事の開始時期は若干ずれるかもしれません。
【プランティング】3月半ば~5月末頃
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苗工場からある程度育った苗が大量に箱に入って届くので、それを畑に植える仕事です。
1箱に500本の苗が入っていて、1000本ごとに$35~40。2人もしくは3人1組でやっていました。
繁忙期は週6日、4~5時間働いて大体週に$600程度稼ぎました。
苗の大きさは時(もしくは品種?)によってバラバラで、ちっちゃいヒョロヒョロの苗もあればほうれん草みたいな大きな苗まで様々です。
それを、チームの1人が1つずつ苗を植える場所の穴に置いて、もう1人が浅すぎず深すぎない程度に植える仕事でした。
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いろんなファームで仕事をしましたが、アジア人がオーナーやスーパーバイザー(現場監督)をしているファームはオージーがオーナーのファームよりも指導が厳しかった上に賃金が安かった印象です。
【カッティング】5月半ば~6月半ば頃
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プランティングをしてから4週間後に始まる仕事で、古い葉っぱや、ランナーと呼ばれる苗から横に伸びて別の場所で根づこうとするやつを切る仕事です。
ここからは個人作業で、単価は週によって変動制でしたが、1メートルあたり大体9セント。僕は遅かったので1日あたり1000mあたりを推移するレベルでしたが、普通に頑張ればもっといけるはずです笑
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(こういうトロリーに乗って仕事をしていました。)
大体週3~4日働いて、週$300~400程度
この時期は仕事が少なく(週1や2の日もざらにありました)、プランティングを耐えた人でもギブアップする人がちらほらいた印象です。ちなみに週1の週は$100程度しか稼げず、レント割れするときもありました。
【ウィーディング】6月初め頃
カッティングと並行して有機栽培のファームでのみ行った仕事で、クワのような道具で地面の表面を削って雑草を抜く仕事です。
カッティングと並行して行った仕事で、単価もそちらとほぼ一緒。
有機栽培なんてやってるファームなんてそんなにないよ、とファーマーが愚痴っていたので、やらないところもきっと多いのでしょう。
【ピッキング】6月初め~10月
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シーズンの初めは収穫量が多くないため、トレーを手に持って畑を歩いて収穫するハ���ドピッキング。6月半ば頃からはトロリーを使って本格的に収穫するトロリーピッキングに分かれます。
僕はハンドピッキングの期間中、スタンソープという別の場所のストロベリーファームに派遣されていたため数回しか行っていないのですが、聞いた話によると
トロリーピッキングの場合、自分は大体平均よりも少し早いくらいだったのですが、1kgあたりだいたい1ドル前後、週3日働いて300いくかどうかってレベルでした。
ぼくのいたファームは単価設定が良心的で、平均並みの速さの人が大体時給22ドルくらいの換算になるような単価設定をしていたそうです。
なので、速さだけを求めていけば1日100ドル以上、一番速い人で週1000ドル以上稼いでるようです。
仕事はファーム一回りを3日かけてピッキングして、1日休みを挟むという周期で最初はやっていたのですが、僕がファームを出る最終週になって晴れの日が続いたこともあって、休みを飛ばしてまたファーム一回りが始まるようになりました。
ちなみに去年は同じファームで最大2ヶ月休みなく仕事があったそうなので、7月頃からピッキングをする人は休みがないことを覚悟しておいたほうがいいでしょう笑
ちなみに僕がピッキングをするときに一番心がけていたのは、速さよりも正確さとどこまでのいちごをとればいいかという見極めの2点でした。(速さはどうしても敵わないのと、自分の体力が持たないので笑)
そのおかげもあって、最終週にはスーパーバイザーという、現場監督の仕事をさせてもらえるようになりました。
スーパーバイザーの仕事は、ピッカーのミスがないかをチェックしたり、いちごの入ったトレーの重さを計る人の手伝いなど。時に厳しく、時には気を抜くこともできるので、楽といえば楽な仕事です笑
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給料は時給制で、22.13ドル/1h。んーまぁ割はそんなによくないけど楽してるからそんなもんか、って感じです笑
【パッキング】6月初め~10月
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こちらは僕はやっていないので詳しくはわからないのですが、ピッキングで収穫されたいちごをパック詰めする仕事です。
トレーに入ったいちごをまず、プレミア(傷なし)/セカンド(不揃いとか)/ラビッシュ(廃棄)のグレード分けをして、それぞれの容器に入れていく仕事だそうです。
1トレーごとに50セントくらいの単価だそうですが、20分もかからずに1トレー終わるそうなので、こちらも速い人で週1000ドル稼げるそうです。
完全分業制のファームが多そうですが、ファームやシーズンによっては兼任する人たちもいるそうです。
【まとめ】
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個人作業よりもチームワークの方が得意な僕にとって一番稼げたのがプランティングでした。
カッティングは単価もよくないのと退屈な仕事内容だったのでやる気があまり出なかったのですが、ピッキングになって、いちごがお金に見えるようになってからだんだん速くなっていきました笑
どこのファームにも絶対本気の目をしためちゃくちゃ速い猛者がいるのでその人にアドバイスをもらうとか、やり方を真似るなどしてだんだん自分のやり方を見つけていくのがいいと思います。
【おまけ/スタンソープについて】
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カブルチャーと同じクイーンズランド州にあるもう一つの有名ないちごの産地、スタンソープにも行く機会があったので、そこのシーズンもざっくりまとめます。
10~11月頃にプランティングをして、ピッキングのシーズンが1月~5月末くらいまでとのことです。
なので、スタンソープや他の場所でいちごの仕事をして、その足でカブルチャーにきて無双する人も多いです。
ワーホリに来て特にやりたいことがない、お金をたくさん稼ぐためにはどんなことも厭わないという人は、イチゴ狩りにワーホリ生活を懸けてみるのも一つの選択肢だと思います!
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newnewcircle-blog · 6 years
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writing #3
「ベルリンでフリーランスビザ、取れるかどうかは運次第!?」
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2015年9月よりワーホリビザでドイツの首都であるベルリンに1年間滞在、その後日本へ一時帰国をしてまたベルリンへ戻り、2017年1月末「フリーランスビザ」に切り替えました。
はじめての海外生活を終えたのち、帰国中には再度ワーホリを利用して他の国での滞在も検討しましたが、結果的にベルリンでフリーランスとして働くことを選ぶに至った過程と申請からビザ取得までのエピソードをここでご紹介します。
*このブログは申請当時のものです。現在では必要書類の内容に変更があるかもしれません。また、ドイツでは州によっても審査基準が異なるようなのでご参考までにしてください。
フリーランスビザを選択するまで
ネットでの面接予約
必要書類の準備
いざ、外人局へ!
取得後のもうひと仕事
1. フリーランスビザを選択するまで
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ワーホリ滞在、次へのステップ
東京での生活に区切りをつけ、ワーキング・ホリデー制度を利用してドイツへ行くことに決めましたが、正確にはドイツへというよりは「ベルリンってドイツだったのね、」というくらいドイツ自体にはほとんど興味がなかった私でした。
さらにはそのベルリンにも一度も行ったことがなかったのですが、アートや音楽シーンが盛り上がっていて文化度も高い、かつカフェや公園も多くてみんな昼間からビール飲んでごろごろしてるよ〜という友人の情報から、ただのインスピレーションで渡独を決めます。
きっかけはそんなことだったので特に準備をしていたわけでもなく、ドイツ語どころか英語もままならない状態でしたが、今を逃したら海外生活から遠のく一方だと思い切って決断し、いざ来てみると、「魔女の宅急便」のキキのように毎日体当たりで暮らしながらあっという間に季節は過ぎました。
ファッションスタジオでインターンをしたり、イベントを企画しながらだんだんと繋がりもでき、友人にも恵まれ、何と言ってもベルリンの夏(ベルリンに来たのが9月だったので、もうすでにコートとマフラーがいるほど寒かった!)を経験してしまった私はこの刺激的かつラブ&ピースなリラックスした街をすっかり好きになっていて、ドイツでのワーホリ滞在期限が近づくにつれ、ここでもう少し生活してみたいと思うようになりました。
ただヨーロッパへ来たのも、「いろいろな国や地域の文化・価値観に触れたい」という目的があったので、年齢制限のため最後となるワーホリチャンスを使ってフランス、または"次なるベルリン"との噂のあるポルトガルへの移住も視野に入れていました。
自分の今後のプランや、パリやロンドンなどヨーロッパの他の大都市とはまた違ったこの土地の持つ魅力や特徴、可能性も含め、実際に今ここで何ができるか、今までの経験や実感を踏まえて考えていくと、次第に日本のカルチャーを現地で紹介・体験する"出会いの場"をつくりたいと思うようになりました。
ベルリンはヨーロッパのほぼ真ん中に位置するのでどこへ行くにもアクセスが良く、そして何か新しく始めるには適した場所ということでまずはベルリンを拠点に、友人とプロジェクトをスタートさせました。(KOTO MA - こと、間。
http://www.kotoma.jp/
そうしてワーホリを終え、2ヶ月の日本帰国中に「ええーまだ帰ってこないの?」と母から文句を言われながらも次なるビザ申請の準備をし、プロジェクトのためにと、パートナーとなる作家さんとの出会いを求めていくつか展示会をまわったり、インタビューをしたり、西へ東へ駆け回りました。
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PHOTO : KOTO MA - こと、間。HPより
「フリーランスビザ」と「学生ビザ」
そうして11月にベルリンへ戻り、3か月の観光ビザ期限内に次のビザに切り替えなければならないわけですが、日本へ帰国中から何度もチェックしていた外人局のビザ申請のネット予約に一向に空きが出ず、フリーランスビザだと来年4月までいっぱい、学生ビザ枠であればなんとか年内に空きがあったので、ひとまず押さえることに。
しかし、「大学準備ビザ」は1年のみ、学業重視でバイトも制限内でしか働けなかったり、もちろん語学学校に通うことが必須条件となっているため、本来の目的とは合いません。さらにはこの学生ビザからその後フリーランスビザへの切り替えが難しいという噂も。
「フリーランスビザ」で申請をしたいけれど、滞在期限が迫る一方、毎日空き状況のチェックを欠かさずそれでも予約が取れない状態が続きます。
ビザがなければ春まで働くこともできず、さらにはドイツ国外へ出てはいけません!というので、学生ビザ、ワークビザも検討しながらいろいろな手を考えました。
さらには当時の家を出なくてはいけなくなり、−15℃ベルリンの一番寒い時期にないない尽くしで、今思い返してみてもかなりの崖っぷち、精神的にも本当に辛かったです...
観光ビザ終了1週間前に奇跡が!
そんなベルリンの暗くて寒くて長い冬に鬱鬱としながらも、ひとまず学生ビザのために語学学校へ通いながら、不安な時期が続きました。
とうとうタイムアップという頃、アムステルダムの友人から誘われ、こうなったらオランダで弾丸申請をしようかと思っていた矢先に急に外人局の予約に空きが出たのです。観光ビザ終了の1週間前でした。
2. ネットでの面接予約
ベルリンにはビザ申請のお手伝いをしてくれるコンサルタントがいますが、私はなるべく自力で取得することを目指しました。ネットで調べたり、友人知人の助けを借りながらなんとか1週間で必要書類を準備しました。
以下、ビザ申請までの流れを説明していきます。
面接予約 → 申請書類の準備 → 外人局での面接 → 取得後の手続き
まずはオンラインでの面接日時の予約ですが、ドイツ語のほか英語でのフォームの記入が可能です。予約自体は難しくないのですが、現在では半年前からいっぱいでなかなか予約自体が取れないので、書類が用意できてなくてもまずは予約、早めの行動をオススメします。
どうしても予約が取れない場合は、キャンセル待ちをねらって朝から外人局の前で並ぶという最後の手段がありますが、これは当日に空きが出るかもわからず、どんなに早く行っても前にはもっと早く来た人がすでに長蛇の列を作っているというなんともハードな状況。(このへんのアナログ感はベルリンぽいなーと思うのですが、、)私の友人には終電で外人局へ向かい、そのまま朝まで外で並んでようやく予約番号をゲットできたというツワモノもいました。
3. 必要書類の準備  
種類は公式ページからダウンロードして記入するものと、自分で自由に作成するものがあります。
・パスポート
・証明写真
・申請書
「フリーランス」として申請するには、まずジョブタイトルが必要です。ベルリンの場合、そのタイトルの範囲内でしかお金を稼いではいけません。お仕事がなくてもとりあえずのバイトができないため、ここは慎重に設定します。
私の場合、少々肩書き迷子になっていたのでここで結構悩みましたが、一度決めてしまえばあとは自分にもまわりにも"決意表明"として働きます。「もう私はこれでやって行くしかない」という甘えを捨てた決断でした。今思えば、これは自分にとって必要なステップだったと思います。
つまり、申請書類とは「なぜ、私はドイツでビザを取る必要があるのか?私の仕事がどのように今後ドイツと関係して貢献ができるか?」を冷静と情熱を持って客観的に訴え、担当官の判断材料となるような書類の作成が必須になります。
・資金計画書
・収入見込書
・履歴書
書類は英語で用意する人もいますが、担当官によりスムーズに理解してもらえるように、できるだけドイツ語に翻訳するのがオススメです。
私はこの履歴書のあとに人物照会先や今後の決まっている仕事予定なども付け加えました。
・健康保険
ドイツでは保険に入ることが法律で決められていて、もしも未加入のまま発見されてしまうと即刻国外追放です。
ビザ申請の一番の難関であり、情報が錯綜しているのがこの「保険」パートです。
と言うのも、これは本当に担当官によって判断が異なり、フリーランサーが加入するべき保険会社やプランの価格もピンキリですが、たとえ同じ保険会社の同じプランでも、ある人はOK、ある人はNGと本当に正解がないドキドキのパートなのです。
私はとりあえず相談していた友人がOKの出たプランで挑戦し、もし何か言われたらその時に変更するつもりでしたが、実際は何も突っ込まれることはありませんでした。
・家の賃貸借契約書
・50 - 110ユーロ(手数料)
そのほか、公式ページには載っていなくても担当官によっては提出を求められる書類が以下にあります。
・銀行の預金残高証明書
・大学の卒業証明書
・住民登録証明書
・モチベーションレター
・推薦状
推薦状はクライアントより一筆もらいます。これもできればドイツの会社(GmbH)や個人から書いてもらうのがベストです。
2、3枚あれば大丈夫という噂もありましたが、私は念のためできる限り集めて、合計7枚用意しました。内容は、私との出会いや関係性、仕事歴、そして今後の予定とできれば報酬金額も書いてもらい、ポイントとしてはどれだけの���頼感が両者���間にあるのかを恥ずかしくなるくらい大袈裟に書いてもらうことです。
何よりも書類が大事!な種類大国ドイツですから、この提出書類一式でどれだけの熱意と情報を詰め込み、担当官を納得させる判断材料になるように用意するかにかかっています。
4. いざ、外人局へ!
できる限りの材料を整え、ドイツ語の話せる友人に付き添ってもらい、さあ、ひと勝負です。
ベルリンに住む日本人がもっとも恐れる外人局。いよいよ、私も拝む日が来ました。これでやっと一人前、という気持ちで気を引き締めて向かいます。
ビザ申請にあたっては本当にいろいろなケースを聞きますが、つまりは「運次第」。天気や前日のサッカーの試合結果といった担当官の気分で、人生を左右する大事な結果が簡単に変わってしまうのです。
私の場合、部屋へ入ってからほとんど話すこともなく、付き添いの友人がドイツ語で自分の紹介と私のことを簡単に説明してくれたあと、担当官に「じゃあ、書類見せて。一通り確認するからそれまで外で待ってて。」と言われ、さっさと退室。
その後30分ほど待合室で待ち、ポーンと自分の番号が電光掲示板に出て、緊張しながらさきほどの部屋に入ると、担当官は今度はとても穏やかな様子で私たちを受け入れて、すんなりと「はい、2年ね。」
無事即日でビザを発行してもらいました。
5. 取得後のもうひと仕事
その後、クライアントへの請求書作成のためにも必要な「税金番号」を取得するため、税務署へ行きフリーランス登録をします。そうしてようやく晴れて、フリーランサーとして働けるようになります。
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まとめ
ここ近年、フリーランサーやアーティストの移住先として注目を集めるベルリンですが、移民問題も合わせて外人局のシステムが大きく変わり、これまでのようには外国人がフリーランスビザを取得しにくくなっているようです。
私自身体験したこの一連の出来事は、まさに「これぞ、ベルリンあるある」といった感じで、もちろんできるかぎりの準備はしますがもうあとは運に任せましょう、というこの土地に住んでいる人であればある程度共通している心持ちこそ、公式ページには載っていませんが、もっとも必要になるのではないでしょうか。
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171224
  2017年
何がうまくいって
何がうまくいかなかったのか
そして2018年は何を達成したいのか
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-うまくいったこと-
-ドイツ語のNHK講座を4月から続けて終わらせることができた。
-健康に気を使うことができた。病気はなし。毎日野菜をとること、3食たべること、体に悪そうなものを避けることを実践できた。運動は週に2回はフッットサルかランニング、筋トレで有酸素運動をして体型を維持できた。見た目も若さを保ち続けている。
-3dsマックスレンダーとレビット、オートCADが仕事で使えるレベルになった。
-フランス語も継続的に週の中で触れることで忘れない、むしろ読み書き聞く力が向上したと感じている。
-仕事を楽しんでできるようになった。ハーさんの事務所ではコンセプトから関わってレンダリング、図面表現までさせてもらってる。
-ポートフォリオ、ウェブホームページを作成することができた。
-一級建築士の勉強は少し遅いと感じるが一定のペースで学び続けることができた。構造と環境、計画をテキスト一周した。
-お金を給料の中でやりくりすることができた
-読書できた
-(*追記)自分の興味の変化、自己との対話により自分が何を考えているか、何に本当に興味があるのかを探ることができた。明確に客観的に言語化することができた。
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-できなかったこと うまくいかなかったこと、その反省-
-アイディアコンペで入賞できなかった
→アイディアの強度が弱かった。中途半端感があると絶対に入賞できない。
学生のころ入賞したコンペでは毎回これは絶対いけるという予感がしてた
アイディア力が弱くなってきていないか?最近のアイディアコンペの結果を普段からリサーチしておくべきでは?学生の頃は毎日やっていたはずだ。
-プログラミングに興味がでてきたのは1月ことだった。毎月はじめよう、ネットのコースにお金払って自主勉強すると思っていたけど、結局しなかった。
→そもそもプログラミングといってもいくつもある中でなぜ勉強するのか、何を成し遂げないからこれを勉強したいといった具体的な目標が欠けていたからはじめる気にすらならなかったのでは?
将来的に達成した何か具体的技術を明確に意識し決定したときにしか本当のモチベーションはもてない
-もらっている給料の中でやりくりはできたけど貯金できなかった
→そもそももらっているサラリー6-8万円が少なすぎるかもしれない。交渉すべき。でももう3月には辞める決心したし難しいかもしれない。
小さな無駄遣いがあるのかもしれない。毎日いくら使ったかメモして意識しているつもりだが、、、貯金だけでなく投資する方法を今後勉強する必要がある。貯金だけではいつまでたっても貧乏だ。
-1日の中で意識が分散しすぎている最近
→将来のことを考えるのは大事だが、仕事の時は集中すること。
意識の分散は集中の敵。
-SNS,メールなど頻繁にチェックしてないか
→午前は仕事or勉強に集中し、一番集中力のいるタスクを1日の中で達成してから、はじめてSNSをチェックすること。完全に立つことは難しいので見る時間をコントロールすること
-2018年はどうしたいのか-
2016-2017年は意識と行動が目的に対して分散しすぎていた。2018年は
”集中”の年にするという決意をした。
一級建築士合格することを決意した。
本気出す。
集中し結果を出してからはじめて次のステップ(ドイツ留学、就職)にいける。
まずは最初の壁(一級建築士合格)を乗り越えるのだ。
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*追記)恐らく大学院時代にあまりにも集中し成功した建築家の教授陣たちの言説に大きく影響され、自分も彼らと同じやりかたで、同じ仕事の内容で、同じ建築家像というものになるものなんだと思い込んでいたのだと今おもう。
しかし彼らの生きた時代は高度経済成期でハードの建築を新築することに何ら疑いのない時代に生きた彼らなのだ。現代日本においては人口縮小高齢化社会によりハードとしての建築をつくることにかなり慎重になってきているし、需要もない。日本の若手建築家はそのような時代背景のもとでリノベーション、コトをつくること、ソフトの提案に比重を置いた設計をしている。そして大学院でもそもそも建築をたてるモチベーションとは?それは意味のある建築なのか?批評性があるのか?ということを問われてきた。したがって私が今後日本で建築家として仕事していく場合はその点を非常に問われるのであるし、その点がすごく重要になってくる。そうでない建築はただのハコモノと呼ばれるようになる。無用の長物となる。
しかしそもそも自分の建築に対する期待やモチベーション、この分野を選んだ理由は違うところにあった。単純にモノのしての魅力。ものをつくるということへの興味。空間の中に入って使うことの面白さ。であったと覚えている。子供の頃、ピタゴラスやブロックでよく建築をつくっていたし、リカちゃんハウスとか、土でつくった洞窟に人形をいれて擬似的にその世界に入り込んで遊んでいたことを思い出すと私の中での建築に対する原風景や興味、モチベーションを意識することができる。隣の家の小山さんが地元の建築家で、確か自分が中学校のころ隣に引っ越してきて新築の家をたてて家の中によんでもらったとき、豊かな生活空間というものが存在することを実感したし、自分も自分でこんな空間を自分でつくってそこに住みたいと思ったことがそもそものモチベーションだったとおもう。今思うとなんて無知だったんだろうって思うけども、なぜなら建築家のほとんどはお金持ちクライアントを相手にしていい建築を提案するけど利益を出すことができず自分はそのいい家には住む経済力を持ち得ないのがほとんどの建築家なのだから。
故に現時点で日本の建築業界で働くことにあまりモチベーションがない。長時間労働。不遇な待遇。独立しても新築の仕事はない。そんな日本にあまり魅力を感じない。最近自分は建築設計が嫌いになったんじゃないかって思ってたけど、そうじゃないって気づいた。大学院のときはとても楽しんで設計できてたし。恐らく今の日本の建築業界が単純にいい環境だとは思えないことに起因していると確信した。
そういうわけでパリで暮らしてみて本当にすばらしい街並みで、建築家というものがある程度社会の中で地位を持ち、経済的にも日本より豊かなヨーロッパで働きたいと思っている。
ただ最近の興味のひろがりとして、デジタル、プログラミングの技術とデザインに興味が移ってきている。建築以外の分野でただならぬ発展のスピードと可能性を感じる。例えばMITのタンジブルラボでやっているようなデジタルで制御されたデータとリアルな実空間でのプロダクトの連携による相互作用はこれまでにない可能性を提出している。しかもそれはマーケティングとつながりやすく利益を産みやすい。現代日本建築家が見落とす経済的マーケティング的、戦略的思考を私はこれから学んでいきたい。ちゃんと利益を産んでいい生活しなきゃだめだよ建築家。搾取構造になっていて本当に貧しい世界。デジタル革命は今後50年間でものすごいスピードで世界を変えていく。建築分野にも多大な影響を及ぼすだろう。自分はそっちにいきたい。プロダクト、デジタル、建築都市空間までスケールを横断して社会にクリティカルな提案をできる人間になりたい。それは建築家ではないと思う。新しい職能なのだ。建築家を超えるはずだ。そっちの方が可能性に満ちているし、利益も産みやすく豊かになれる。
MITは学費が高い。今狙っているのはベルリン芸術大学のデザインリサーチラボ。生活費も他の国と比べたら安いと聞く。だからドイツ語を必死で今学んでいる。2018年の4/3は一級建築士試験に力を注いで、残りの4/1はドイツに留学するために力を注ごうと思う。そして2019年の春には人生で一回しか使えないワーキングホリデーを使ってドイツに旅たちたい。ワーホリは31歳になる以前だから自分は2019年5月14日以前に取得しなければ得る資格を失う。最後の人生のチャンスだと思ってそこに来年は力を注ごうと決心した。
ある意味、現在建築事務所がやっている業務的なことに興味がないのだと思う。恐らく誰でもできることだ。だからわくわくしない。
自分にしかない視点、発想からスタートアップして自分にしかできない仕事をつくることが人生のミッションだと思う。それはいわゆる建築家の仕事にとどまらないはずだ。自分の可能性を建築設計にのみ注力するのはもったいないと感じる。もっと自分にしかできない可能性に力を注ぎたい。建築家になりたいやつなんてたくさんいる。でも成功できるのはひとにぎり。あとは社畜だとおもう。たぶん需要がないしだから金も稼げない。じゃなくて柔軟に考え方を変えて、建築のフィールドから派生した分野を横断した、かつ社会的なイノベーションをおこすような事業をつくりあげたい。まだイメージはつかめてないけど。いまのところは自分の興味は社会的なリサーチからはじまり、デジタルと空間をセットにした新しい価値を生み出していく仕事をしたいのだと思う。
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itabashiaus · 6 years
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Barossaへ
cherryのピッキングが稼げるらしいとワーホリのブログで結構見かけた。ちょうど今住んでるAdelaideから車で30-60分くらいのところに農園が集中しているので、せっかくなので収穫のシーズンはいつ頃になるのかを直接農場を訪ねて聞いてみることにした。 途中の山道は日本の峠道や高原の道にカーブの感じなどが似てた。 農場1件目-ちょうど農家の人がいて収穫は多分3-4週間後と聞いた。紙に名前と電話番号を買いていわれたので書いておいた。紙にはまだ一人しか名前が書かれていなかったので早めに来て良かったかなと思ったけど、後で思うとただ単に新しい紙だっただけかもしれないし、紙を無くしたりとかで電話は来ないだろうなとも思った。 2件目、3件目は��在。せっかく山道を通って来たのにちょっと残念。まあ、昼を過ぎていたので既に仕事を終えた後なのかもしれないししょうがない。 4件目は農場の近くに奥さんがいて旦那さんが仕事で出かけているので夜に電話をかけてと名刺を渡された。まだ英語で電話はできる気がしないので、とりあえず名刺をもらうだけにした。 事前に調べていた農場は全部回ったのでBarossaへ
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thx-spring-blog · 7 years
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Good morning 🌞 Lily Collins 美し〜😍 最近は細い眉毛がトレンドだって 言うけれど、こんな感じに 太い眉毛が似合うのは素敵すぎる♡ >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> クリエイティブってどういうこと? "creative" 自体は創造性、創造的 という意味だけど、 仕事での意味合いは広告やデザインの 作品そのものの素材のことや、それに 携わる人や創り上げる人のことを 言うみたい でも広告やデザインに限らず 素晴らしいものを創り上げる人は クリエイティブな人だと思う クリエイティブな人財に なりたいと思うのだけど どうすればいいのか… この私にできるの?とも思うけど "クリエイティブ"を仕事にして 生きていきたいと考えてて、 その第一歩は2月から始める web mediaの編集や校正の アルバイトから 今年の10月に何としてでも ワーホリに行くから お金はコツコツ稼ぎつつ、 行くまでにたくさんのことを 吸収していきたい! そんなことを思う朝です🌞 12月と1月はほとんど収入もなく 支出が増えてしまって 内心泣いています😂😂😂 でもとにかくできることを やるしかない!!!! 色んなことが不安で心配だけど やるしかないのだー!!!! では💄
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zentainworld · 7 years
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近況報告と祝日について
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ファーム生活を終えてメルボルンに帰ってきて早3ヶ月。年末の足音が聞こえてきています(こっちは南半球なので気温が上がってきています)、ワーホリinメルボルンのぜんたです。
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【近況報告】
メルボルンは長い冬を終えてこれから季節は夏に向かっていくところなのですが、(その割には気候がイマイチ安定しないけど)メルボルンのカフェの一番の稼ぎ時は夏(特に年末年始)
その繁忙期を前にさらに自分のキャリアのステップアップをしました。
新しいカフェでは、今までのカフェよりもコーヒーの種類も提供の仕方も幅広いので、もっと幅広くコーヒーについて勉強できる環境に身を移しました!
例えば、今までカフェではやってこなかったハンドドリップのメルボルン流のやり方を学んだり、コーヒーの抽出についても抽出量、時間や豆を挽くサイズ、投入量によってどう味が変わるのかとか、豆の特性に合わせたレシピを作って、その日の気候にあわせて毎日調整するといった、当たり前だけど今まであまりやってこなかったことをきちんとやっているとてもいいところに入れてもらえることになりました。
ヘッドバリスタの方が色んな種類のコーヒー豆を定期的に入れ替えて取り扱っているので、味の表現の仕方や、地域ごとのざっくりとした味の傾向といったコーヒーを作るところから、コーヒーそのものを知るというステップに一つ上がったように思っています。
ワーホリ2年目もあっという間に1/4が過ぎてしまったので、もっと幅広く身に付けたいと思います!
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【祝日について】
すごくどうでもいいけどふと気付いたことです。
オーストラリア生活2年目、シフトや予定を管理するのにGoogle calendarを使っているにも関わらず、先日ようやっとメルボルンのある、ビクトリア州の祝日をカレンダーに反映させることに成功しました。(これまでは常に日本の祝日しか見れませんでした笑)
カレンダーにオーストラリアの祝日を反映させようと思ったきっかけが、今週の火曜日にビクトリア州だけの祝日、Melbourne Cup Dayがありました。
なんの祝日かというと、なんと競馬のメルボルンカップの最終日!
え...?競馬で祝日…?
それだけじゃなく、オーストラリアで(のみ)大人気のスポーツ、オーストラリアフットボールの最終戦の前日は毎年パレードが行われ、それも州内は祝日に。(今年はメルボルンのチームがオーストラリアチャンピオンになりましたおめでとう)
日本で言うなら野球の日本シリーズで日本中が祝日になるようなもの。
こんな風に日本ではあまり考えられないような祝日があります。
ちなみにこれらの日は、もちろんシドニーやブリスベンなど他の州では祝日ではありません。
そのためメルボルンのあるビクトリア州がオーストラリアで一番祝日の多い州になっています。
そんなスポーツとか賭け事っぽいことで祝日になるならさぞかし日本よりも祝日が多いだろうと思っているそこのあなた!
実はそんなことはないのです。
2017年におけるそれぞれの祝日の数を数えてみました(Google Calendarより)
日本:17日
オーストラリア:14日
しかもオーストラリアではクリスマスとその翌日のBoxing Dayが祝日換算の代わりにその後は元日まで平日扱い。(もちろん休みを取る人は多いけど)
日本では大体クリスマス過ぎあたりから三が日までは会社自体が休みというところも多いのではないでしょうか。(上記の日数にはカウントしていません)
そもそも日本の会社の労働規約に記載されている(いわゆる)社員の休日は実に1年の1/3近くあったりすることを考えると、実は日本の方が休みが多かったりするのです。
まぁ、実際に休めているかという部分を考えたら明らかに日本人は休めていない人は多く、オーストラリアのオフィスワーカーたちは毎週金曜日はもはや会社に行って、昼過ぎからはお酒をみんなで飲んでいるような息の抜き方をしているのですが。
何を思ってこんなことをまとめたかというと、メルボルンはオーストラリアにおける文化の首都なのです。でも海外の取引先からしたらこんな競馬で、とか訳のわからないフットボールで祝日って言われても釈然としなさそうだなぁ...と、これでも一応商社(と会社側が言い張っていた)ところで働いていたので、そんな目線から思ったことをまとめてみました。
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