Tumgik
#名代井出ちゃんぽん
reportsofawartime · 1 year
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ゆな先生
@JapanTank
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【入国拒否された女性の話】 あるインフルエンサーがハワイで入国拒否され、日本に強制送還された話。 売春目的と判断された説、観光といいつつインフルエンサーの仕事をするから説、そもそも売春婦の履歴がある説、様々な意見や分析があるがその経緯と可能性を考えてみよう。 【日本人売春婦の増加】 かつて韓国人やタイ人などが海外売春しまくっていたのは有名だが、貧しくなり貞操観念も崩壊した日本人女性の売春婦も非常に増加した。 日本で梅毒感染者数が爆発的に増えているのも、売春増加説の有力なデータである。 日本でもパパ活という名目で実際は売春をしている女性はかなりの数に上り、東京でバーやレストランに行くと、明らかに夫婦でも上司部下でも夜の店の関係でもない中年男性と若い女性(プロではない)が食事をしている様子を見る機会は増えた。 我が国の世界に占めるGDPの割合は、1995年をピークに毎年右肩下がりであり、今や1人あたりGDPはシンガポールの3分の1、アメリカの半分であり、購買力平価での1人あたりGDPでは韓国にも抜かれている。 株式投資をする人はぜひサイゼリヤの決算書を読んでほしいが、サイゼは日本では全く利益が出ていないが、どんどん海外進出し海外店舗で利益を出せている。 サイゼと同じように、売春婦たちは貧しくなった日本にとどまらず、海外に進出していったのは当然であった。 Twitterで #海外出稼ぎ と検索すると、売春婦を募集している業者や、成功した売春婦に偽装したアカウントが出てきて、連絡を取ってみると売春婦斡旋業者だったりすることも多い。 【売春の場所】 海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった。 よくインスタで何の仕事をしてるか収入源も不明なキラキラSNS女性が、ドバイの高級ホテルでの滞在を投稿してたりすることがあるが、大体は売春か、パパ活である。 1回行って1ヶ月で数百万稼いで帰ったりできるし、日本にいるフォロワーには高級ホテルに滞在している自慢をできるので一石二鳥だ。 本人たちは売春していることをインスタフォロワーに気づかれていないと思ってるかもしれないが、私は随分前から、女性が誰と来てるかを明かすこともなくドバイによくチェックインし、高級ホテルの投稿をしている場合、売春かパパ活をしてる者の可能性があると思って見ていた。 【なぜその国が選ばれるか】 ではなぜドバイやシンガポールが選ばれるかを解説しよう。 ドバイやシンガポールは税金が非常に低く、特に株式売買に関わる税金がない。 日本では高所得ならば所得税+住民税で最高55%、株式売買利益にも20%の税金がかかるので、高収入や金持ちの日本人はドバイやシンガポールに引っ越す人も増えてきている。 例えば年収5000万の人の場合、日本では単純計算で手取りが半分の約2500万円になってしまうが、シンガポールでは最高税率が22%なので、3900万円になる。 ドバイならば所得税0%なので、5000万円がまるまる手取りになる。 またシンガポールは日本との時差は1時間、ドバイも5時間であるので、北米や欧州と比べると時差が少なく日本の客に対するビジネスもしやすい。 ���れゆえに、富裕日本人の海外引越し先として選ばれていた。 また、シンガポールとドバイは法人税もべらぼうに安く、日本と犯罪者引き渡し条約もないので、グレーゾーン界隈の怪しい人々が引っ越すには最適な土地でもあった。 反社属性がある金持ちは当初シンガポールに住んでいたりしたが、シンガポールも当局が厳しくなってきたので、最近は当局の監視が甘いドバイに引っ越す人も増えてきた。ガーシー事件でも日本の警察当局の手がなかなか及ばなかったのは記憶に新しい。 【女性の不足】 しかし広いマンション、治安の良い街、日本食が手に入るスーパーがなどがいくら整備されても、現地の世界一ブスが多いと言われるシンガポールで東南アジア人を抱いても嬉しくないし、中東ドバイではイスラム系国家で抱ける女性も少ないわけで、日本人女性の存在は貴重である。 そこで日本から若い女性を空輸していくビジネスが必要とされるわけだが、それが海外売春斡旋業者であり、日本人売春婦たちである。 日本では数万円でしか買ってもらえない女性でも、海外ならプレミアがつき10万20万払う人もいるし、日本で売春をすると知り合いに目撃されてバレたりする可能性もあるが、ドバイやシンガポール現地に住む日本人富豪や、上海などで金持ち中国人相手にすると金払いもよく、バレにくい。 何よりインスタで旅行に来てるセレブ感も出せていいねも稼げるので自己承認欲求も満たされ、都合が良かった。 また、ハワイやロサンゼルスなどは現地に住む日本人(金持ち)が多く需要が高いのは言うまでもない。 中国では、若い頃から日本のAVを熱心に(違法に)見ていた世代が大人になった。 日本人女性に対して様々なプレイができると妄想を描く男性も多く、日本に来て女体盛りをしたり、わざわざ風俗店に来る中国人男性も多く、AV女優の蒼井そらが「蒼井そら先生」と長年中国で敬愛されてきたのも知っている人も多いだろう。 【警戒する当局】 売春婦が国に入ってくるのに寛容な国もあるが、アメリカのように昔から東南アジア人の売春婦を問題視していたり、違法就労目的で観光ビザで入国しようとしたりするのを警戒したりしてきた国の入管当局も馬鹿ではない。 売春には常に裏社会の人間がついてまわるので、裏社会の資金源になり、それは国内の治安悪化をもたらす。 かつては国力が強かった日本は、日本人は日本で働けば高い給料が得られたわけだし、売春婦も日本人に体を売っていればそれなりの待遇が得られたわけなので、わざわざアメリカへいって違法に働こう、売春をしようという人は少なかった。 実際、1995年の日本全体のGDPは、米国を100としたときに70もあった。 2023年現在、アメリカGDPを100とした場合、中国が70、日本が17である。 日本のGDPが中国��抜かれて世界3位に転落するかもと騒いでいた時代はそんなに昔ではないはずだが、それだけ日本が没落し、今年は、かつて2倍以上の差をつけていたドイツに抜かれる可能性も出ているのは、今始めて知った人もいるだろう。 今は米国で金を稼げば日本より遥かにたくさんもらえるわけで、結果として日本からアメリカに観光や出張で行く人以外に、(1)売春婦 (2)就労目的者 の2種類が増加した。 日本人がかつての東南アジア人になったようなものである。 今も世界最強のパスポートであることは変わらないが、それは日本人がこれまで強い経済力と低い海外犯罪率で培ってきたもので、要は昔の日本のサラリーマンのおっさんたちが、必死に稼いで物を作り輸出して外貨を稼いで築いてきた結果であり、日本人がビザなしでどこでも海外旅行にいけるのは、彼らのおかげである。 私が海外に行くとき、日本のパスポートだと顔パス状態で、後ろにいるアフリカ系やイスラム系の人がくつを脱がされ荷物をすべてチェックされて、多くの書類を提出している、というシーンに出くわすことは少なくないが、日本が貧しくなっていき、海外での違法就労や犯罪を増やすと、彼らのように扱われる日が来ないわけではない。 【警戒される人】 国力が強かった時代は、現地語も英語も全くできない物見遊山のちゃらんぽらんの日本人が細かな予定を決めずに入管に来ても、悪さはしないし自国で金をたくさん使ってくれるだけだったのでどの国も顔パスで入国させていた。 しかし、貧しい国となり、違法就労や売春目的が増えるとなると相手も態度が変わるわけで、それが今回の女性の入国拒否にもつながる。 今回入国拒否されたということは、同じようなペルソナ、つまり (1)女性の一人旅 (2)目的が曖昧 (3)滞在先が不明瞭 (4)本人の仕事が不明瞭 (5)英語も怪しく教育水準も怪しい などは典型的な売春婦または違法就労者のスペックと扱われ始めたということであり、日本人だらけのハワイでも拒否されたということはハワイの現地に売春や違法就労目的で入る日本人女性が増えてきたということになる。
【今回の女性】 今回の女性は、入管に対して下記の特徴があったと自白している。 (1)32歳女性で一人でハワイへ (2)会社員をしていると当初嘘とつき、のち「インフルエンサー」とゲロる (3)宿泊するホテルを自分で予約していない (4)滞在日数に対して妙に多い服を持っている (5)服が多い事に対し、「着替えて何枚も写真をとるから」と回答 「これで売春婦扱いか」と驚く人もいるかもしれないが、この人が日本人ではなく貧しいアジアの発���途上国の女性であったなら、売春婦であるか違法就労のどちらかと認定さ���てもおかしくないのは想像がつくと思う。 しかも職業を当初嘘をついている。 また、今回は売春婦扱いなのかの最終的な結論はわからないが、インフルエンサーと回答しておいて「着替えて何枚も写真を撮る」というのも猛烈に馬鹿な話で、インフルエンサー業務をアメリカでビジネスビザもないのに行おうとしていると認定されて拒否されたとも考えられるわけで、売春、違法就労どちらの可能性もある。 今回入国拒否された自称インフルエンサーの女性は、わざわざ顔を出してテレビの取材を受けていたが、テレビ朝日の取材では、当初職業を嘘をついたことは伏せていた。 岡島カレンさんという人で、インスタアカウントも公開されているのでぜひ見に行ってほしい。 当人のインタスタアカウントは、キラキラした毎日と言われたらそうではあるが、ホテルのベッドの上で撮影した写真や、水着の写真など、典型的なドバイの売春婦インスタと同様の雰囲気がプンプン出ていて、「売春で生活しています!」と書いてあっても違和感はない。 これを現地のアメリカ人入国管理官に見せても、売春婦だな、と思われてもおかしくはあるまい。 【今後】 今日もカンボジアで日本人特殊詐欺集団が20人逮捕されたと報道があったが、かつて海外で犯罪をする日本人がこんなに増えることになるとは誰も想像していなかったと思う。 外国人が日本で犯罪をするし違法就労が多いから、制限しろ!と思う人のほうがまだ多いだろう。 しかし、まず日本人売春婦、そして日本人犯罪者らが海外に暗躍し、日本人が貧しくなり金を落としてくれないとなると、当然「日本人だから問題ないので顔パス入国」は今後は減っていく。 特に日本人売春婦の多さは、結果として女性が女性の首を締めている。 これまで外貨を稼いで日本を発展してきた人たちがいて、今も世界に自動車や電子製品を輸出し外貨を稼いで、信頼を得てその積み上げてきたものがあって、日本人は海外にいけるのであるが、日本人売春婦がぶち壊し、真面目に生きてきてやっとの思い出ためたお金で旅行に行く善良な日本人女性の旅をぶち壊すことになる。 貧しくなればなるほど日本人がビザなしで出ていける国も減り、警戒され、いつか貧困を極めたら入国管理官に屈辱的な入国審査をされる人ばかりになりかねない。 今回の女性は「私は被害者で悪くない!ぴえん!!」とテレビで顔出しをしてまで名前を売ろうとしているが、入国管理官に嘘をついていたのがまず大問題だし、インフルエンサーであるのに観光ビザで入ろうとしているし、結果として売春婦か違法就労者と思われたわけで、また一人日本人の名声を落とすことに加担したことになる。 海外で犯罪をしたり違法入国しようとする者が増えるのは、島国であり海外で商売をしないと生きていけない極東の資源のない日本国民にとってマイナスでしかなく、今以上に重罪として扱われるべきで、今後私達は同様の行為について影響を考え、厳しくあたっていくことが求められる。 【ハワイの豆知識】 ハワイの豆知識だが、ワイキキビーチの白い砂浜は、あれは全部他の場所からダンプカーで持ってきているものであり、元々砂浜ではない。 そしてハワイNo.1の名門ホテル「ハレクラニ」は三井不動産の、「カハラ」はエクシブを展開する日本のリゾートトラスト社の、「モアナサーフライダー」は国際航業の所有である。 「やっぱりハワイのホテルは違うねー」と言う日本人がいても、ただ日本企業が日本人に部屋を貸してるだけでしかないので要注意。 国際航業の元社長・故・小佐野賢治氏は、外為法で外貨持ち出しが厳格な時代にハワイの不動産を多く買収した人物だが、国会で「記憶にございません」という答弁をして有名になった人でもある。
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kinemekoudon · 2 years
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
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前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば、現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
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それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
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――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
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↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「おはようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
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7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語���上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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nejiresoukakusuigun · 11 months
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割��どちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさ��らさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作��は作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキ��CV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「��ぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ��む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験��ートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力され��。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いや��あそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良��んだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じ���。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくも��いのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもや��しいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名���も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バ���クと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
���ーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングた���』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファター��感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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renachtara0313-blog · 8 months
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事���成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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dal2bb · 10 months
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先週行ってきてたくさん写真を撮ったので残しておく。
京都モダン建築祭に初参加。
腰痛とかもあって事前予約するガイドツアーなんかは全部パスしててゆっくり適当に回るか〜くらいのゆるいノリで行ったんだけど、行きの新幹線内で友達が寝てる間に暇でサイト見てて「ミニガイドツアー」なるもの発見。エリア毎のパスポート引換所で先着10名まででプロじゃないけどボランティアの先生達(資格あり)が解説ツアーしてくれると言う。こりゃ参加せんば!となり、友だちとパスポート引き換えた後に引換所内をウロウロ。(なんかこの人仕切ってるな…)と目を付けていた人が外に出たタイミングで一緒に出て、「では、こちらにミニガイドツアー参加希望の方並んでください」←よっしゃー!ってことで、3番4番ゲット。無事参加できました☺️※1番2番はお若いお嬢さん達が並ぶならココやろ!ってとこで先に立ってらした…察しが良い。
ミニガイドツアーの整理番号受け取って、時間までいったん自由に。
ということで、引換所から一番近い建築祭参加建物「カトリック河原町教会」へ。
私たちは細かいことは全然詳しくないし分からないんだけど、そもそもカトリック教会の中に入ることがないので入った瞬間ステンドグラス越しの光でふわ~っと白い天井が明るくなってる室内に「うわ〜」と声が出た。
カトリック教会ってもっと荘厳?っていうか重々しい?暗め?みたいなイメージ勝手に持ってたけどここは天井も壁も白くてステンドグラスが広めに取られていて明るくてきれいで見やすかった。
地下に徳川秀忠のキリシタン弾圧の頃にどうしても都である京都にマリアさんの像を持ち込みたかったけどできなくて、でも江戸時代中に持ち込んで地中に埋めてた、明治になってから掘り起こしてこちらの地下に安置したという像があり。現在大河ドラマ熱心に見ている私たち、複雑な気持ちに…。まぁ物事には多面性がありますから。どちらにもそれぞれ己の信じる正義があるのでな。うん。
ところでこの旅の最初のへんでめっちゃ面白かったどうでもいい話。
今回私たちは観光客でぎゅうぎゅうのバスは避けて主に地下鉄で移動することに。新幹線降りて地下鉄ホームで「いや〜今日このイベントあるっていうのに全然それに行くっぽい人見かけんね〜。やっぱマイノリティ文化なんやろか〜寂しい〜」的な会話をでっかい声でしてて、友だちがふっと私越しの後ろをチラ見して「(小声)いた!」→振り返ると私達と同じパンフレット(PCから出力)見てた40代後半〜50代前半くらいのおじさんが座ってましたw
おおお、いたよ!いたいた!ってことで絶対同じとこ行くわーっつって地下鉄降りたらついて行こうぜ!って言ってたんだけど、降りた瞬間そのおじさんめちゃくちゃ早歩きで😂ついていけませんでした。地面を踏みしめる力が私らの10倍ぐらい?はあったwズンズン進む感じ。あれ私らの仕事中の歩き方やん…って唖然となって諦め😂
で。その後、なんとカトリック河原町教会の地下で地中に埋められてたマリアさんの像を見学中に斜め前におじさんが居たwwwえ!?って声出たw
ただ、おじさんはパシャパシャパシャパシャっと写真をサッと撮った後にすぐ例の早歩きで去っていきました…。私たちは「いやーあの速度で今日一日回ったら全部回れるね、やばすぎる。プロやん」と言いながら見送りました。あのおじさん絶対全部回ったやろうな…すっげ。
長いけど②へ続きます
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chaukachawan · 10 months
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残留思念体より
皆様へ。とりとめねぇ役者紹介をお届けします。
33期
佐々木モモ
座長お疲れ様。気苦労も多かったと思うからこれからは羽根を伸ばしておくれ
繊細な演技が凄い
えどいん
おもろ。永遠にちゃうかにいてくれ
コルク
めざせポケモンマスター
トロン
またカラオケいこ
ベジはむの残留思念体
おいら。旧ベジータベジ子。旧ベジはむ権左衛門。
Ω
ビザ切らして帰国できんってなったらホンマにおもろい
かの
ちゃうか遊びいこうな
田中かほ
働きすぎには注意してね👹
ゴコ
院進マジでおめでとすぎる。尊敬。
Aru=R
ほっっっっっっっっっっっっっっっそっっっっつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつっ!
荻野琥珀
旅行いこ
握飯子
自炊してるイメージないけど、おにぎりは作れるん?
梅本潤
うっ、目元は潤。ちゃうかネーム気に入ってくれてありがと!(圧)
34期
たぴおか太郎
ガチ推し。同担拒否。ナスしか勝たん。これからもアンケ書くわ。
かぬれ
これからも素敵な笑顔で後輩を癒やしてあげてね
水琴冬雪
ベガの脚本全通できてよかった。「わちゃわちゃ」はセリフめちゃ多い役よりカロリー高くて草
緒田舞里
さ◯だの平和は俺が守るから安心してちゃうかに専念してください。デュエット楽しかった
肆桜逸
名前かっこいいな。まぁ顔も演技もかっこええけど。
イケメン。妄想最高やったわ。もっと共演したかった。ありがと
VIVI
制作ありがと。素敵なアルバムも花束も大事にするね。ほんとにありがとう。史跡もファイト。
らしこ
おもろい後輩。釣りとかBBQとか行こな
統括のフォーニャー
フォーニャーと統括ギャルネギの名付け親であることをここで声を大にして言っておきます。スパイファミリー2期おもろいね。
舞原まひろ
髪型褒めてくれてありがと。他にも色々褒めてくれてありがと。留年はせんぞ!?
じゃがりーた三世
芸名使ってくれてありがと。またコメディみたいー
まっつー
なんやかんやこれからもずっと絡みがある気がする。語劇祭頑張ります。かけうどんにリスケさせましょう。
見光一雲
惚気で照れる姿もバカ酔いする姿もロキ山雅治もアドリブで噛む姿もミテルイツモ
アリリ・オルタネイト
芸名使ってくれてありがと
もう敬語やめてくれていいよ
(もうやめてるか)
35期
大福小餅
めちゃ豪華絢爛な和菓子の名前にありそう。魔女合いすぎ。
あろハム権左衛門
正統派2代目権左衛門
これからの権左衛門界とアドリブ界を盛り上げてくだされ。カルピスの原液は天才すぎる。
しょこら
いろいろ大変そうやけど、困ったときはいつでも相談してくれよな
紫仏瑠唯
また役者して欲しい。多分他のみんなも思ってる。ジョジョ関連の質問はいつでも受け付けてるぞ。
近未来ミイラ
次世代制作ニキ。脚本出てみたかった。でも共演できて嬉しかったからワガママはいいません。新人楽しみ。推し。
黒井白子
かっこいい。ダンスうまい。演技上手い。練習量一番。勝ち目ない。ドラゲナイ。またロキとモロハの革命歌ってんのみたい。
海泥波波美
かいでいぱばみ。30期にめっちゃ似てる先輩がおるんよ。真面目なんかイカれてるかわからんやつ。一旦ガチ女装してみるのとかどう?
コン
白パーカー着回し力高杉晋作。警備員の練習によく混ざってくれてた。全力コンメディもいつか見てみたい。
えぴ
映像天才すぎて草。背高すぎて草。てか、普通の会話もおもろくて草。
鴨兎春
芸名ラビエル・アポカリプスとかにしてほしい。古着テイストな服装おしゃんすぎる。
園堂香莉
なぽり。否ぽりたん。なぽりのnapori聴いてみたい。絶対上手い。
衿君
演技上手いし顔も良い。映像も良い。最強かよ。
縦縞コリー
絶妙に不憫で可愛い後輩。阪神優勝してよかった���。
中森ダリア
キャスパ上手すぎて草。バチクソおしゃれネキ。ひらりのおる飲み会絶対おもろそう。
冊まいも
僕はシルクスイートが好き。感情吐き出す演技うますぎる。
ミル鍋
ミル貝かと思ってたけどミルフィーユかいな。辻井さんの姉貴感がたまらなくツボ。元気元気。
まろん
次世代制作ネキ。オペ天才やん。目指せスタオンファイター
苔丸
ゴンザレスの似顔絵うますぎて、まるで自分が可愛いかのように錯覚してしまったので1日でも早く宣伝美術に入ってください(謎)
ゴンTとゴン鉢巻をアドリブで使いたくなったときはいつでも連絡してくれよな!
今までクソ
OSEWA
NARIMASHITA
!!!!!!
最高の二年半でした!また遊びに行ったりしような!
達者でな!!!!!!!!
ベジはむの残留思念体
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kennak · 1 year
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なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。自分のミスをほじくり返されてイラつかない奴はいないだろ。人から嫌われるのが仕事なんだよ、校正は。「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。いるとしたら、そいつは校正者だ。話を聞く価値もねえ。「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。まったくもって、誰のためにもならない仕事だ。著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。とっととAIにとって代わればいいんだよ、こんな仕事。「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。だいいち、人間サマの書いてる文章がそこまで上等じゃねえ。AIのほうがよっぽどマトモな文章を書くぞ。うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。それならもしかしたら人間も、生き残れるかもな。だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?そもそも公式サイトだって平気で間違ってるしな。「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。ああ? もっと真面目に仕事をやれってか。だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?とにかくこの仕事は、必要のないことをやって金を得ている。ブルシット・ジョブよりタチが悪い。役に立たないどころか、人をイラつかせてるんだからな。若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?俺もさ、はじめはさ、希望を持ってこの仕事を選んだんだよ。著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。でも仕方ねえじゃねえか。木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。主人公の才能がついに開花したっていう超激熱エピソードでよ。そんなクソ盛り上��るシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。いったいどうするのが正しかったんだろうな。やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。たとえ校正者として間違った態度だとしても。「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」そういう仕事をしてえよな。ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。校正者が前に出ても、いいことなんか何一つねえ。だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。誰にも求められてない仕事のためにな。ああ、クソッタレ。
校正なんて賎業だろ
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kasumime · 2 years
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昨日は会社の半休を使って、自分の音楽史の原体験であるバンプオブチキンのライブを観るために天空橋まで足を運んだ。そんな名前の駅名あんだ。実家にいた頃から変わらず、東京湾側に位置する会場へ出向く時はいつも遠足のような感覚でライブを観る前から気分が高揚する。昨夜インスタグラムに取り急ぎ感想をぽちぽち綴っていて気付いたけど、初めて参加した代々木体育館のGOLD GLIDER TOURから今日までの10年間で7回もライブに行っていたらしい。確かに、どれだけ自分の音楽的嗜好が変わっても直前になって「やっぱり行っとくか…」とチケットを申し込むなり譲ってくれる人を探したりしていた気がする。当然今回も同じ。実家よりも「自分の家に帰る」感覚が強い。それに、もう40代を迎えた彼らのことをいつまでも観られるわけではないということをどこかで理解している部分もある。バンドは永遠じゃない、同じ時代に寄り添って生きるからこそ燦然と輝いて美しいのだ。
これだけライブに足を運んでも毎回極小豆粒サイズかモニター越しでしか観られなくて、ギルドや真っ赤な空〜のMVみたいにヨリで映される前列の客には一生なれないだろう、と思っていたけど、昨日の整理番号はAの33番。事務所で整番を確認してしばらく頭が真っ白になった。「肉眼で実寸大のバンプが見れる」ということを頭で理解するのが結局当日会場入りするまでできなかった。急いでコインロッカーに荷物を預けてまだ余裕のある前列をスイスイ進み、下手側のステージから2列目へ。演奏中、水色のベースをブンブン振り歌いながら度々自分の胸に拳を押し当てる(ライブ映像でしょっちゅう切り抜かれるアレ)直井を目の前で見て、ライブ中でさえ何度も夢か?と疑った。藤原の「みんな大丈夫?」と度々気遣う姿勢は昔から変わらないけど、パープルグレー?に染めていたのとウルフヘアまで伸ばした髪が良い塩梅でおじさんらしさを醸していて、私が過ごした10年間と同じ10年を彼らも歩んできたことを実感した。それは当たり前のことだけど同時に少し寂しくもあった。
物販〜フォトブースの撮影列に並ぶ(整理券制にもかかわらず終始長蛇の列)ために師走の羽田で二時間ほど外で立ちんぼを食らって屋内に入ってもしばらく足がガチガチに震えるほど冷え切ってしまったけど、彼ら4人が見せる2000年代が誇る国内バンドの一つでありながら全くその風格を感じさせない気さくな振る舞いだったり、きっとプライベートと変わらないであろう、それこそポンツカで展開するような茶目っ気溢れるMCでのメンバーイジりだったり、トップバンドのフロントマンでありながら「君」と同じ目線に立って「僕」の気持ちを伝えようとする藤原の歌詞だったり、そのフレンドリーな温度感が終始絶え間なく続くステージにすっかり身も心も温まった。
東京公演のアンコールでは季節に合わせてMerry Christmasとインディーズ時代の1stアルバム(このバンドにもインディーズ時代があった、という事実さえおかしいと思ってしまうけど)からバトルクライを披露。ここが僕のいるべき戦場、覚悟の価値を決める場所。高校生の頃���Twitterのいわゆる「邦ロック垢」でハッシュタグ「BUMPerさんと繋がりたい」からインターネットを介して何��もの友人を作って、今でもSNSだけで関係を保っている人もいるけど中にはトラブルに発展して疎遠になってしまった人や、今一体どこで何をしてるのか分からない人もいる(その人が当時住んでいた街の隣駅に私が住んでいるのは何らかの導きなのでは…と思うけど、8年も経ってしまったし多分もう既に引っ越してるはず)。昨日は当時みたいにユーザーネームで声を掛けられるということが一切なく終えたことが年月を確かに重ねていることの証左だと思う反面、皆年を取って個々の道を歩んでいることも思い、それは彼らに言わせれば「お揃いの記憶を集め」てきたことを意味しているのだろうと思った。自分自身を振り返るにしたって、彼らの音楽を学生の時ほど必要としなくなったし、海を渡ってもっと貪欲に色々な音楽に触れた時の感動を形にしたくてこの仕事を続けている。でも藤原がステージを立ち去る間際、「僕たちは来年も再来年も自分たちの音楽を作っていくから、あなたの人生のほんの3〜4分、もしかしたら今の流行りじゃない6分とか7分の曲も作っちゃうかもしれないけど、少しだけ耳を傾けてくれたら嬉しいです」と伝えてくれた時に私はきっと今後も人生の節目節目で彼らの音楽を必要として再生ボタンを押すんだろうと思った。正直もう新譜が出ても割と後回しにしてしまうけど、そこに宿る安心の類が冒頭で記した「実家よりも帰りたくなる」印象をより強く裏付けているのかもしれない。小2の頃に兄のスピーカーで流れていたJupiterを障子越しに聴いていなければ、もといJupiterじゃなければ、こんなに音楽を好きになることも、こんな風に自分自身に誇りと愛を持って不器用なりに紆余曲折しながら生きることもなかった。25歳を迎えた年に最高のポジションで観た25周年のライブハウスツアー・セミファイナル。言い切れるほどに人生最高の夜だった。皆と比べてどうかなんて、確かめる間もないほど生きるのは最高だ。
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yachch · 2 years
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれは��た悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。  それだけ言うと、また押し黙ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう?  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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名前:ねいろ速報 1
部員が気軽に辞めるとことか…
名前:ねいろ速報 2
恋愛模様のすっきりしなさとか…
名前:ねいろ速報 3
厘ちゃんがおかしいだけで割とふつうだと思う
名前:ねいろ速報 4
始めたてなのに作曲できるメンバーとかいないのはかなり普通
名前:ねいろ速報 6
神が殺すって思ってたのは意外だったよ
名前:ねいろ速報 7
神の精神性は普通かな…?
名前:ねいろ速報 8
バンド名になると予想してる
名前:ねいろ速報 9
入ってそんなに時間経ってないのに人間関係色々ありすぎだろここ
名前:ねいろ速報 10
ふつうの軽音部知らないから何も言えない
名前:ねいろ速報 11
まったりお茶してるだけの集団がいきなりオリジナル曲とかやったりしないところとか
名前:ねいろ速報 12
バンドメンバーに告ってフラれたのに、その相手にお願いされたら聞いちゃう奴とかいるとことかリアリティある
名前:ねいろ速報 13
軽音部ある高校にいたけど廊下で練習とかはしてなかった気がする…
名前:ねいろ速報 34
>>13
部員数の問題じゃない?
大会で優勝するような強豪校だと100人超えるらしいし
名前:ねいろ速報 39
>>13
学校によるんじゃない俺のとこは普通にしてたわ
名前:ねいろ速報 14
男女関係ですぐぐちゃぐちゃになるのは普通っぽい
名前:ねいろ速報 16
>面白いけどどこらへんが普通なの…?
ふつうの軽音部に神がいたってだけなんよ
名前:ねいろ速報 18
主人公が登場時点で既に凄腕のギタリスト、とかじゃなくギター買ったばかりの超初心者なところとか
名前:ねいろ速報 19
まず軽音部に何十人も入るってのがピンと来ない
名前:ねいろ速報 49
>>19
一学年500人くらいいそう
名前:ねいろ速報 54
>>19
最初は入部で何十人来たけど大部分はそのうちこなくなるのは割とよくある印象
名前:ねいろ速報 20
このような普通の軽音部に神がおわすとは導きと言うほかない
名前:ねいろ速報 21
オリジナル曲作ったりライブハウスでライブやったりするのは明らかに異常
名前:ねいろ速報 23
>>21
やる子はいたけど部活とかじゃなく最初から外でやってたな
名前:ねいろ速報 27
>>21
身内でライブハウス借りるのは大学生からってイメージだな
名前:ねいろ速報 22
最新話見たら神が殺すつもりだったとか言っててこわかった
名前:ねいろ速報 24
コピーバンドなのは凄くふつうポイント高い
名前:ねいろ速報 26
夏休みに公園で武者修行するのはふつうの軽音部にありがちだよ
名前:ねいろ速報 28
コピーバンドやってる子も部活ではなかったなあ
時代が変わったんだろうか
名前:ねいろ速報 29
神と信徒以外はまあ普通にいそうな感じはある
名前:ねいろ速報 30
軽音部自体がフィクションの産物って認識だった
名前:ねいろ速報 36
>>30
高校リアタイしてた時「軽音部入るぞ!」と意気込んでたら存在がなかったわ…
名前:ねいろ速報 31
軽音楽部は知らないけどバンドで人間の問題が多々あるのはふつう
名前:ねいろ速報 32
ライブが部員の前とかかなり普通だな
名前:ねいろ速報 33
厘ちゃんと神をのぞけば普通
名前:ねいろ速報 35
モテたいとかカッコいいで始めた奴がフェードアウトして
癖があるやつばかり残るのはあるある
名前:ねいろ速報 37
普通の軽音部には厘ちゃんいないのか…
名前:ねいろ速報 41
殺意あるの怖い
名前:ねいろ速報 42
普通の軽音部
異常な神と信徒
名前:ねいろ速報 43
軽い音楽の強豪ってなんだ…
名前:ねいろ速報 44
小指立てる全員中卒バンドとかよりは普通
名前:ねいろ速報 45
最近の人気すごいよな
藤井さんがフラれたところから追ってる古参としても嬉しくなる
名前:ねいろ速報 46
実際問題普通じゃないのは厘ちゃんとはとっちの内面くらいで実際に起っている出来事はまぁ普通の範疇なんじゃないか
名前:ねいろ速報 47
ドラム経験者は超レアキャラと聞く
名前:ねいろ速報 48
>>47
まず道具を揃えるのが相応の環境ないとダメだからな
今は電子ドラムで大分始めやすくなってるけど
名前:ねいろ速報 56
>>47
大体親がもうそっち方向でやってるから組むにしてもそっちのツテで上手い子供同士で組ませられるから野良でほとんど居ない
名前:ねいろ速報 64
>>47
電子ドラムでも割と音出るし場所はもちろんとるしで自宅にドラムある人本当にレアよ
名前:ねいろ速報 50
神の精神力は間違いなく異常の部類
だから神なんだろうけど
名前:ねいろ速報 51
昔から楽器やってる上手い人が上手いだけで他は特に上手い描写もないしな
名前:ねいろ速報 52
神は陰口叩いてるヤツ全員に喧嘩売るのか藤井さんを超スピードで身内認定してるのか判らない
どっちにしろメンタル異常すぎる
名前:ねいろ速報 53
ドラマーの女が顔面偏差値70の狂犬ってのがすごく普通度高いと思う
名前:ねいろ速報 55
桃ちゃん今でもたまに狂犬っぽいところ出るのがいいよね
名前:ねいろ速報 61
>>55
最近目付き悪い作画がデフォになってるからずっと素が出てるな…
名前:ねいろ速報 57
聞くと過去の思い出がフラッシュバックして心に刺さる歌声は普通じゃないんよ
名前:ねいろ速報 66
>>57
別に刺さらない人も結構居るからどの程度なのかは正直今のところわからんぞ
名前:ねいろ速報 77
>>66
本気の神の歌声を聞いたことあるのはまだ厘ちゃん桃ちゃんをはじめ弾き語り聞いてた人々とか極一部だからな…
名前:ねいろ速報 58
ギリギリ知ってるラインのバンドのコピーしてくれて助かる
名前:ねいろ速報 71
>>58
最近のバンドの曲は単純に演奏難しい上にバンド演奏以外の音もいっぱい入ってるからコピーするにはここらへんになるって聞いてへーと思った
名前:ねいろ速報 59
力量の無さを自覚して夏休み中ストリートライブするのらふつうなのかな…
名前:ねいろ速報 60
>>59
ジャンプではふつう
名前:ねいろ速報 65
>>60
師匠キャラはいないのか
名前:ねいろ速報 63
神が神なだけで活動自体は普通だし…
名前:ねいろ速報 68
ふつうの軽音部の異常者たち
名前:ねいろ速報 69
そういやずっと独学だな神
いや描写外で先輩が教えてくれてたのかもしれんが
名前:ねいろ速報 70
バンド系萌え漫画でコピーバンドは今までありそうで無かったから(ある)これを売りにして流行って欲しい
というか楽曲の許可マーク毎回ないけどもしかして文字が手書きだから絵とみなされてセーフとかそういうのある?
名前:ねいろ速報 73
>>70
原作だと歌詞を読めない文字でぐちゃぐちゃ書いてたから許可は取ってると思う
名前:ねいろ速報 75
>>70
集英社がJASRACと包括契約してるからいちいち出ない
名前:ねいろ速報 80
>>75
マジで!?しらなかそん…
名前:ねいろ速報 78
>>70
普通の軽音部のページじゃなくてジャンププラスのメインページの一番下にジャスラック許諾があるのがそれじゃないかな
名前:ねいろ速報 72
神がふつうじゃないのは原作者のお墨付きだ
名前:ねいろ速報 76
厘ちゃんの立ち回りと神の弾き語り以外はまあふつう
名前:ねいろ速報 79
軽音部に神はいて部内でくっついたり離れたりして策謀も渦巻くのがふつうなんだよ
名前:ねいろ速報 81
強豪校でとバンドリごときのイベントの前座にされるのか…
名前:ねいろ速報 88
>>81
大会優勝の副賞がバンドリイベントに来た1万5000人の
前でのライブなんや
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for-good-good · 21 days
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夏休み詰め合わせ
色々ありましたのでご紹介します
鬱になる
夏休み開始と共にここ2年間くらいで1番でかい鬱に侵食されて行きました
アルコール依存気味になったり 他にもいろいろちょっと大変だった
ただ、生きる気力をとことん失ってる時って社会の時間軸から大きく離されてるので環境の変化がゆっくりゆっくり進むんですが、それを心地よくも感じるんですね
バイトもひと月休んでし���って、生活を急かすような用事は何もありませんでした
自分が動けば景色が変わり ものが目の前に現れる
見たものを何に結びつけるでもなく、淡々とそれらを見つめ続ける日々を送っていました
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忍び込み被害に遭う
忍び込みというのは、家主が寝ている間に泥棒が家に盗みに入ることを言います
大鬱ど真ん中の時でした!踏んだり蹴ったりですねー(被害はありませんでした)
家に侵入されたことがトラウマになって、家にいても落ち着かなかったり夜眠れなくなったこともそうですが、特段辛いのが 「貴重品を肩身離さず持っていなければ安心出来なくなった」ことです
お金やらカードやら個人情報やら それらと個としての自分を嫌々でも縛り付けていないと命(資産?)が保障できないという それが嫌です
常に警戒して生活するというのも、単純に体力が削られます
これからの時代 他者とのあいだの信用を信じ続けるのはばかだ!ということなのでしょうか…
とにかく皆さんもドアや窓の施錠はしっかりして、できれば窓ロックとかも買ってください
私は物盗りにあって自分の身の危険を感じましたし、他人の都合で勝手に命を絶たれるのだけは勘弁とも思いました 皆さんにはそんな思いをしてほしくないので…
図書館にはまる
初っ端で暗めの話題が続いてしまいましたが、気持ちが安らぐ用事もありました
そのうちのひとつが図書館
夏休み中週2、3回くらい行っていました
本を読んだり借りたり あとCDを借りてきて家の古めの再生機で聞くことにもハマっています
これまでに借りたCD
・ハラカミレイ
・ジョン・ケージ
・ブライアン・イーノ
・電気グルーヴ
・その他テクノ系CD
先述の泥棒被害にあった後 家にいて無音なのは怖いけどテレビや普通の音楽では疲れてしまうという時アンビエント系のCDには大変助けられました ジョン・ケージの「16のダンス」おすすめです!
Windows7できくハラカミレイは至高です
テクノもっと詳しくなりたいな〜
また本について 周りの人がおすすめしていた本とかもちょこちょこ読みながら自分の波長に合うものを探していました
そして自分が90〜00年代の日本の若者に対して仲間意識を持っていることに気が付きました
今の私がちょっと落ち込み気味なのでそれも関係あるかもしれませんが、長期で抱えてきた問題との共鳴も感じます
風の谷のナウシカ風に言うと、「風を読む」みたいな感覚って昔でも現代でも生まれた時点で大抵の人間が持っているのではと思うんですね
でも、いつの間にか社会は不況とか何やらで(すみませんここらへん知識足りていません)風を読む感覚のみで生き延びることは出来なくなっていて
そのうち職にあぶれる者が多く出たり家庭不和が顕在化したり簡単にトリップできる精神薬が流行したりして 少しずつ世界が地獄絵図っぽくなってくる その中に放り込まれた(または放り込まれようとしている)若い人達が混乱しつつ暴力的な行為や辛さを通して互いを繋ぎ留めあう みたいな そこに私は地獄の中で「風を読む」ことを望んだ人びとの存在を感じますし、当時の環境の中でもがく若者の姿に自分を重ねてしまいます
キセル乗車の旅
夏休みガンガン散歩する体力は無かったけど遠くには行きたかったので、電車で遠くまで行って駅構内をぶらついて戻るという日帰り旅をしていました(若干キセルの定義に当てはまらないかも)
旅は2回ほど 国府津と内房の竹岡というところに、それぞれ行きました
目的地に着いても散歩できるわけじゃないので現場で達成感みたいなものはあまり感じないけれど、次の日から長い長い距離を旅した体感がじんわりと有ります
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制作
まあねーーぼちぼちねー・・・
クラブたのしぇー!!!!
ただ全身で音楽にのめり込める環境として、私はクラブがとても好きです
K-popアイドルの曲が流れるイベントに行くことが多いのだけれど、もっと色んなジャンルの曲を聞いてDJのマニアックな繋ぎ方に興奮したり、色んなイベントを楽しめるようになりたいですね
これまでほとんどがぼっち参戦だったので、共にクラブに行ってくださる方を探しております…
展示など
夏休み中に行った美術館、展示
・モッキンカン木の森美術館
彫刻家しまずよしのりさんの作品が見られます
ご自宅の一部を美術館にしていて、私が行った時はしまずさんの奥様が水の入った灰青色の大きなグラスを手渡してくださって それを飲みながら奥様による作品の説明を聞きました
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館内エアコンがないので注意(奥様がお客に悪いと大変気にしてらした)
でも素敵なところだったのでまた行きたい
・舟越桂 森へ行く日(彫刻の森美術館)
ドローイングが意外とイラストチックだったのが印象的だった
その上で彫刻を見た時に、舟越さんはどこに着目して引き伸ばして形にしようとしてるのか感じられて楽しかった
アートホールの館で開催されてた「彫刻の森美術館 名作コレクション +⾈越桂選」も良かった
・内藤礼 生まれておいで 生きておいで(東京国立博物館)
この混乱の世の中ですっと均衡がとれた景色が現れたような感じがしました
ただこの美しい展示は内藤さんだからできるのであって、内藤さん自身が立っている環境だからこそできるのであって 生きている環境や世代の違う自分達はその模倣をするのではなく、理不尽なこととも戦いつつものを(自分なりの信条、家的なものを)つくっていかなければと思った
また 自分は内藤さんの作品にモダニズム的な、前時代的な現代美術の考え方を感じているけど、今の現代美術シーンに殺伐とした空気を感じなくもなく そんな中で東博で大々的に内藤さんの作品を見られた経験を、そしてこの展示を企画した関係者の存在を、心に留めておく必要があると思う
その他
・辰野登恵子個展 辰野登恵子展(ANOMALY)
・デ・キリコ展(東京都美術館)
・絵ごころでつながるー多磨全生園絵画の100年(国立ハンセン病資料館)
印象に残った人びと
・しまずよしのりさんの奥様
・たまに美術館に行くと言う大工さん
むしろ美術畑にいない人達と交流するために自分は美術を勉強しなくては、と時たま思います
・泥棒被害に遭った時気にかけてくださったご近所の方々
おすすめのアルバム、曲
・soopieーImmature dreamers
・Rei HarakamiーUnrest
・CHUUーStrawberry Rush
・JohnCageー16Dances
・BEBEYANAー1-2-3
・パソコン音楽クラブーSIGN(feat.藤井隆)
・XGーSOMETHING AIN'T RIGHT
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shintani24 · 29 days
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2024年8月23日
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「はだしのゲン」中沢啓治さんが米「アイズナー賞」の殿堂入り 漫画界のアカデミー賞 過去に手塚治虫さんらも(RCCニュース)2024年8月23日
���爆投下後の広島でたくましく生きる少年の姿を描いた漫画「はだしのゲン」。その作者で73歳で亡くなった 中沢啓治 さんが、アメリカの「漫画界のアカデミー賞」とも呼ばれる「アイズナー賞」で殿堂入りしました。
アメリカの権威ある漫画賞「アイズナー賞」で殿堂入りしたのは、「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんです。
広島市出身の中沢さんは1945年8月6日、6歳のときに爆心地から1.2キロの地点で被爆。1973年から代表作「はだしのゲン」の連載を開始し、ベストセラーになりました。現在、はだしのゲンは25か国語に翻訳されているということです。
中沢啓治さんの妻 ミサヨさん 「これは大変な賞をもらったということで光栄に思っている。主人も素直に喜んでいると思う。世界の人たちに広めて読んでもらいたい」
アイズナー賞には、過去に日本人作家で手塚治虫さんなども殿堂入りしています。
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「令和のコメ騒動」9月解消 農水省見通し、新米の生育順調(時事通信)2024年8月23日
スーパーのコメ売り場に掲示された購入制限を知らせる張り紙=7月25日、東京都練馬区
主食用米の流通量が減少して「令和のコメ騒動」と呼ばれる事態に陥った問題で、農林水産省は23日、今後は品薄状態が解消に向かうとの見通しを示した。
昨年の猛暑で2023年産米が生育不良に見舞われ、一部のスーパーで店頭から在庫がなくなるなど混乱が広がっている。これに対し、武村展英農水副大臣は同日の衆院財務金融委員会で「新米は9月までに年間出荷量の4割程度が出回る。品薄は順次、回復していく」と答弁した。
24年産米の生育状況について、武村氏は「順調に進んでいる」と説明。消費者に対し、「必要な量だけ買うなど、落ち着いた購買行動を」と呼び掛けた。
コメ不足は流通量の減少に加え、外国人旅行客の増加に伴って外食業界の引き合いが強まり、拍車が掛かった。さらに、南海トラフ地震の臨時情報が発表されたことなどで買いだめする動きが見られたほか、物流業者のお盆休みで商品の搬入が停滞したことも重なり、品薄につながったと農水省は分析している。
新米が本格的に出回れば流通量の回復が見込まれるが、24年産米の生育にも酷暑の影響が懸念される。このため、小売店や消費者の間で流通量の不足や価格上昇を警戒する声が上がっている。
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米不足の日本にタイ米を 「美味しさ多くの人に知ってもらうチャンス」販路拡大狙う企業も(テレ朝news 8月24日)
米不足によって外国産のコメへの注目が高まっているなか、タイでは、タイ米の販路を日本で拡大するチャンスと捉える企業も出てきています。
タイで日常的に消費されるジャスミン米の日本への輸出量は、去年1年間で約3300トンに上り、新型コロナ禍以降は上昇傾向です。
タイ米製造会社「ワンナポップ」パッタンポン・タンヤワンCEO 「タイの食文化や観光に関心が出てきているため、日本でタイ米の人気も高まっている」
タイ米を製造している会社の担当者は、日本のコメ不足について「タイ米の美味しさをもっと多くの人に知ってもらうチャンスだ」と話していて、今後、東京のほか、名古屋や福岡にも販路を広げたいとしています。
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コメ品薄が深刻な中 農家の産直米が人気 早期コシヒカリの新米(RCCニュース 8月27日)
こちらは、広島市内のス��パーで撮影されたコメの陳列棚です。ご覧の通り空っぽの状態です。コメを買い求めて何軒も店を回ったという方も多いのではないでしょうか。
そんなコメ不足の中、あるスーパーでは東広島市の農家が持ち込んだ産直米の新米がよく売れています。その人気ぶりに農家も活気づいていました。
広島市西区のスーパー「エブリイ楠木店」です。レジの真ん前に積まれたこのコメ…、東広島市黒瀬町の農家が産直米として持ち込んでいるコシヒカリの新米です。価格は5キロ袋が2980円と割高ですが、まとめ買いする人など次々に客が買い求めていました。
買い物客 「おコメがないんですよ。買ったばっかりだけど、買っとこうと思うて、新米じゃし。(割高なのは)しようがないね、何でも上がってるから」
この店では、今月16日から毎日、入荷。その量は、多い時には100袋ありますが、その日のうちにほぼ完売しています。
柴田和広 記者 「コメを出荷していたのは、東広島市黒瀬町の農家が作る会社でした。会長の 田辺寿孝 さん(81)は、自宅に設置した精米機でコメの袋詰めをしていました」
田辺商会 田辺寿孝 会長 「味はピカイチですよ」
田辺さんは息子で社長の���雄さん(52)と2人で、およそ20ヘクタールでコメを作っています。その主力が町内で盛んに作られている、盆ごろから収穫する “早期コシヒカリ” です。有機・減農薬栽培が親子のこだわりです。
田辺英雄 代表 「暑かった割には、すごく出来はいいと思います」
これまでもエブリイとの取引きはありましたが、産直コーナーに出品するライバルの農家が多く扱い量はわずかでした。ことしは事情が違いました。
田辺寿孝 会長 「今回は特に、棚に(コメが)ないということで、『出してくれ』言うたら、よそはまだコメはないんですよ。うちは早物ですからね。こういうチャンスはないですわね。広島の人にも田辺のコメがどれほどおいしいかいうのを試してもらえるチャンスでもあるし」
5キロ2980円という価格はエブリイの提案を受けたもので、去年に比べて3割高です。田辺さんによると「去年より3割高」は、ことしのコメの相場のようです。
実は、田辺さんは農業資材が高騰する中、もし、ことし、米価が上がらなければコメ作りをやめるつもりだったそうです。
田辺寿孝 会長 「合わんじゃないですか、今までのコメの値段で、田植え機(の値段)が倍になりますよ。もうけにならんことはすまーや、いうことになったんですよ、そしたら4月ごろからコメが上がる感じでね。やる気になったんです」
消費者にとって恵みのコメは、農家にとっても元気の種になったようです。業界の関係者によると、9月中旬ころには新米が出回り、コメ不足は解消に向かうとみられます。
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「どこに行ってもない…」産直市に行列 スーパーでも開店1時間で完売 コメ品薄解消はいつになるのか(RCCニュース 8月28日)
こちらは28日、広島市の産直市にできた行列です。行列の理由はコメ…。購入するために複数のスーパーなどを探し回っている人も少なくないようです。政府は、消費者に冷静な行動を呼びかけているものの、この品薄は解消されるのでしょうか?
広島市安佐北区のスーパー「ノムラストアー可部店」です。28日は、5キロの米30袋がレジ前の陳列棚に並びました。午前9時半の開店からコメを買い求める人たちが詰めかけました。
買い物客たち 「店に行ったら在庫がないところが多くて、お聞きしたら『もう少しあるよ。行ってみたら?』と言われたので来てみた」
「どこ見てもないですね。めっちゃ探したよね、この間。3~4軒見たけどなかったですね。入ってきた瞬間にあったのでゲットしました。安心」
全国的に米不足が問題となる中、店舗も購入制限を設けるなど対応に追われています。
ノムラストアー可部店 藤井章弘 店長 「こちらの紙類を並べている棚でも従来は米を販売しているが、米が少ないということで、今はこの棚限定で10~20袋を販売しているような形になります」
藤井店長に最近の消費動向を聞きました。
藤井章弘 店長 「南海トラフの問題やお盆商戦で消費マインドがすごく上がっている。なおかつ、これから台風も来るということで、ますます備蓄・ローリングストックということも消費者のみなさん、すごく意識されているなというのは、販売側としても感じるところかなと思います。店のほうには『米はありますか?』という電話はかなり入っているのが現状です」
陳列棚に積まれた米はどんどん売れていきます。あっという間に残り1袋に…
梅川千輝 記者 「午前10時40分です。開店から1時間あまりで5キロの米30袋が完売しました」
米を買えなかった客 「そうなんですか…。今は3軒目です。もう帰ります」
藤井店長は9月以降、新米が出回ってからは品薄は解消に向かうと見込んでいます。
ノムラストアー可部店 藤井章弘 店長 「うちの店でも来週ぐらいから50~100袋入ってくる予定にもなっていますので。随時、入ってきていますので、急いで買う必要性はあまりないのかなっていう…」
27日の会見で、坂本哲志 農水大臣は次のように説明しました。
坂本哲志 農水大臣 「産地の情報によると(令和)6年産米の生育は順調に進んでいます。平年より1週間程度、収穫が早まる産地もあり、合わせて出荷も前倒しで行われる見込みです」
国は、消費者に落ち着いた購買行動を呼びかけています。
コメ不足「地元流通大手イズミ」と「広島県内関係者」の声
そんな中、流通大手イズミの米の売り上げ(前年比)は、8月単月で130%を超えています。
対策として外国産の商品を増やし、海苔など白いごはんとの関連商品も含みコメの棚割りを減らすなどしているといいます。
イズミ 山西泰明 社長 「イズミとしてできることは、地域の生産者とのタイアップを今まで以上に、相場が高くなる、そういうことがあったとしても、そういうおつきあいをしながら地元の近くから調達ができ、日ごろから関係作りをしていくことをこれからやらないといけないと今、思っています」
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続くコメ品薄、9月上旬から徐々に解消か 奈良の米穀店が感じた異変(毎日新聞 8月28日)
店内に売り切れの案内札を掲示する米穀店。在庫は固定客の分のみだ=奈良県北部で2024年8月27日午後4時8分、山口起儀撮影
スーパーや米穀店でコメが品薄になっている。前年収穫されたコメは高温障害による品質悪化により、売り物にならない商品が増え、例年より在庫が少なかった。さらにインバウンド(訪日外国人客)の急増など想定外の複数の要因が重なったことが響いている。だが、温暖な地域では8月中旬から新米の出荷が始まっており、9月上旬ごろからは流通も安定する見通し。販売店は「過剰に備えなくても大丈夫」と呼び掛けている。
奈良市内のスーパーでは、コメの陳列棚が空の状態が目立つ。店員によると「7月ごろから入荷数が大きく減り、8月に入ると一層厳しくなった。お盆の頃からは入荷ゼロの日も多い。入ってきても1日10袋程度で、あっという間に売り切れる」とため息をついた。
県北部の米穀店では「お米売り切れました。近日入荷予定!」の札を掲示��、新��客への販売を止めている。この米穀店は「固定客の分を仕入れるのがやっとの状態。普段は来ない客の来店や問い合わせがかなり増えているが、在庫の余裕がなく、残念ながら断っている」とこぼす。仕入れ数量は春先から制限されるようになり、8月以降は「前年実績分まで」と区切られ、新規客に回せなくなったという。
農林水産省が2023年12月に発表した同年産のコメ(水稲)の全国作況指数(平年=100)は、平年並みの101。しか��米穀店によると、昨夏は猛暑による高温障害に見舞われたため、売り物にならない商品も一定の割合で含まれているという。「暑過ぎると稲穂は成長するが中身が詰まっていない状態ができてしまう。農水省は実績を平年並みと発表しているが、実際の流通量は平年の水準を下回っている」と指摘する。
米穀店が異変を感じたのは3月ごろ。希望する量を仕入れられなくなりその後も徐々に数量が減っていった。在庫が前年割れする中、春先からインバウンドが増えたことで全国の観光地で飲食店のコメ消費量が想定を超えたことが原因とみられる。
品薄状態は夏ごろから顕著になった。8日に宮崎県沖・日向灘地震が発生し、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が出されて15日まで注意が呼び掛けられたことを受け、家庭で備蓄するための購入が急増したことなども影響したようだ。県内のコメ卸業者によると「在庫不足の時期に地震が発生したのが響いた」と話す。
消費者の負担は増している。何度も買い物に行ってようやくコメを見つけても、価格が上がっているためだ。7月以降、需要が供給を上回ったことを背景に仕入れ値が一気に約2割高騰し、そのまま販売価格に転嫁されているのだ。スーパーで買い物をしていた4人家族の40代女性は「コメが足りず、弁当が作れない状況が続き、毎日1~2食は麺類に変えている」と話す。「今は確保するのが第一で、物さえあれば高価でも買う」が、この高値ではたとえ買えても節約せざるをえないと肩を落とす。
品薄の現状を変える頼みの綱となるのは新米だ。8月中旬から高知や宮崎などの新米の入荷が始まり、今後は売り場に並ぶ数が少しずつ増えそうだ。米穀店は「在庫が厳しい状況は9月上旬まで。それ以降は緩やかに安定に向かう」と予測する。だが、高止まりした価格がどうなるかは「見通しが付かない」という。【山口起儀】
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新米価格、値上がりの公算大 品薄で需要増、資材高騰(共同通信 8月28日)
コメの相対取引価格の推移
2024年産米の価格が値上がりする公算が大きくなっていることが28日、共同通信の調査で分かった。足元でコメの品薄感が続き、新米への需要が高まっているためだ。資材も高騰し、JAグループが生産者に仮払いする「概算金」は、前年に比べ2割以上の増額提示が相次いでいる。店頭価格に一定程度、反映される見通しで、今後の収穫次第では需給が引き続き逼迫し、家計の負担が増す懸念がある。
概算金の水準はコメの在庫や消費動向などを踏まえ、JAグループが銘柄ごとに決定。出荷の際に生産者に支払われる。概算金はJAなどの出荷業者と卸売業者の間で取引する「相対取引価格」に影響する見込みだ。
JA全農にいがた(新潟市)がこのほど県内のJAに提示した概算金は、「一般コシヒカリ」の1等級で60キロ当たり1万7千円と前年に比べ約2割高だった。金額にして3100円のプラス。
JA全農とやま(富山市)は、コシヒカリが約2割高の1万6千円。鹿児島県内では、7月時点でコシヒカリに約5割高の1万9200円前後が提示された例もあった。
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品薄続くコメ 国の「備蓄米」、なぜ使わないのか? その理由 回答・福富智(経済部)(毎日新聞 8月29日)
コメの品薄が続いています。一部で新米も出回り始めていますが、たしか国の「備蓄米」もあったはず。大阪府の吉村洋文知事が政府に放出を要請するなど改めて注目されていますが、国は慎重姿勢です。その理由を探りました。
Q. お米の品薄が続いているけど、国が備蓄しているって聞いたよ。
A. 1993年の大凶作で「平成の米騒動」とも呼ばれるコメ不足に陥ったことを受け、政府は95年に法律を定めてコメの備蓄を制度化しました。「10年に1度の不作や、通常の不作が2年続いた場合も対処できる水準」として、100万トン程度を目安に蓄えており、2024年6月末現在、91万トンの備蓄があります。
Q. これまで使ったことはあるのかな?
A. 東日本大震災や福島第1原発事故の影響で11年産米の流通量が減った12年に、それを補うため、政府は備蓄米4万トンを供給しました。16年の熊本地震の際にも放出したほか、現在も学校給食に使ったり、「子ども食堂」などへ申請に応じて無償で提供したりしています。
Q. 今回は使わないのかな?
A. コメは民間で流通するのが基本で、政府が売り買いすれば「需給や価格に影響を与える恐れがある」と農林水産省は説明しています。実際、備蓄米は政府が毎年20万トンほど買い入れ、5年たったものから売却していますが、ほとんどは飼料用です。坂本哲志農相は8月27日の記者会見で、24年産米は生育が順調で、9月には出荷が本格化し品薄状態は順次回復していく見込みだとして、「(備蓄米の放出は)よほどのことがない限り慎重に考えなければいけない」と述べました。現時点で予定はないようです。
Q. 今買いたいんだけどな。
A. 備蓄米の放出は、価格が大幅に上がったり民間の在庫が急に減ったりした場合に、コメの作柄や小売価格、在庫量などの緊急調査をし、有識者でつくる「食糧部会」で話し合って、農相が最終決定するという手順が必要です。これには一定の時間がかかり、備蓄米がお店に並ぶころには新米が出回っているとの見立てもあるようです。
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torinos · 1 month
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240820
日常にささやかな音楽を 2024年8月号 セットリスト事前公開
ほぼ喋らないのでセットリストとまつわる話。
演奏前に公開する試みです。
※8月21日AM0930、一部変更しました。
01 Summer Ad-lib入り Dmaj
  夏といえば、の久石譲さんの名曲。
  1999年の映画「菊次郎の夏」メインテーマ。
  父の生家、日陰の全く無い田舎の一本道を思い出します。
  VIm7-IV△7-V7-I△7ずっとアドリブ弾いていられる
  気持ち良い進行。
02 我は海の子 Fmaj
  夏の唱歌で好きな曲。音域が広く伸びやかなメロディが魅力。
  歌詞は7番(!)まであったようです。
  実家から徒歩で行けるところに「光市虹ヶ浜」という
  漫画のような名前の海水浴場があり、海は近しい存在です。
  徳山駅にある駅ピアノで弾いたのをSNSにアップしています。
03 イパネマの娘 Fmaj
  夏といえばボサ・ノヴァ。
  1962年アントニオ・カルロス・ジョビンの曲。
  一番有名な音源は「ゲッツ/ジルベルト」に収録されたもの。
  小野リサさんの「イパネマの娘」も素敵です。
  シンプルな演奏、Ad-lib込みで。
04 ふたりの愛ランド Cmaj (弾かないかも)
  1984年、昭和歌謡。
  JALのCMソングとして起用されたChageさんの曲。
  キラキラしていて、まさに「夏!」石川優子さんとの
  デュエット。出来た当初はデュオ曲でなかったので、
  男女で歌えるキー合わせで苦労したそうです。
  1989年、イントロが全く同じ「リゾ・ラバ」という曲で、
  爆風スランプさんに「全部うーそさ」と
  歌われたところまで一曲。
05 少年時代 Amaj
  井上陽水さんの静かな1990年同名映画の主題歌、
  静かに染み渡る、冒頭曲「Summer」に並んで夏の代表曲。
  曲作りとしてとても興味深い出来上がる過程の話が
  Wikipediaに書いてあります。
  ギター弾きながら歌うときっと気持ち良いだろうなぁ。
ここから、夏休み最後の週という事で、子供達の知っている曲を。
06 アンパンマンのマーチ Ab maj
  1988年以来、36年間(!)ずっとアニメオープニング曲。
  作詞は「アンパンマン」原作者のやなせたかしさん。
  アニメでは1番ではなく2番が歌われているのだそうです。
  封印していましたが(理由は聞かない)解禁して弾きます。
07 さんぽ 多分Cmaj
  (子供たちがどっか行っちゃってなかなか始まれないさんぽ)
  1988年、映画「となりのトトロ」オープニングテーマとして
  制作された曲。
  当時は主題歌シングルB面(今の子達にはわからないですよね)
  で発売されましたが、1992年以降、
  小学校の音楽の教科書に度々掲載されている程スタンダード。
08 Bling-Bang-Bang-Born Am
  子供達が歌って踊るCreepyNutsの秀作。
  音の作られ方がめちゃくちゃ凝っていて、
  ヘッドフォンで聴くと尋常じゃなく凄いです。
  Wikipedia見ると、2023年4月から(!)
  長時間掛けて制作したそうです。
  Rap出来ないからメロディあるところ以外は
  BlueNoteスケール一発で埋めます。
09 Anytime , Anywhere Emaj
  アニメ「葬送のフリーレン」エンディング曲。
  2024年シンガーソングライターmilet(ミレイ)さんの楽曲。
  美しく力強い旋律と歌声、人間讃歌、物語の内容(テーマ)、
  アニメ劇中音楽(劇伴)を手掛けたエバン・コールさん編曲で
  素晴らしさが相まり、聴くたびに鳥肌が立ちます。
  偶然にも本日(8月21日)「葬送のフリーレンオーケストラ
  コンサート」が開演されています。
  弾きたかった曲。フランメ役声優、田中敦子さん哀悼も込め。
10 イントロがSweetMemories → 虹 Gmaj
  「虹」は子供の保育園時代に感銘を受けた歌。
  親に向けて歌う子供たちの無垢な声に、大丈夫、
  と言ってもらえて色々な事が許されたような気がして、
  当時とても心が絆されました。
  保護者の皆さんで演奏して頂いたのも含め、
  生涯に渡り忘れられない好きな曲です。
11 Over the Rainbow (虹���彼方に)
  クロージングテーマ。前曲「虹」つながりで毎回弾きます。
  1939年ミュージカル映画「オズの魔法使い」劇中歌。
  ジャズ演奏でもよく取り上げられます。
  普遍のメロディと希望に満ちた良曲、
  これも生涯好きな曲の一つです。
12 翼を下さい Bb maj
  1971年、フォークグループ「赤い鳥」シングルB面
 (…わからないですよね)で発表。
  1976年以降、音楽教科書にも掲載、合唱曲として有名になり、
  1997年FIFAワールドカップ予選から、
  日本代表チームの応援歌として歌われるようになったそうです。
  きっと子供達も知っている、
  全ての世代をつなぐ希望の歌だと思います。
  また近い未来、3ヶ月後に想いを馳せて。
  変わらぬ日常でお変わりなくお会いできます事を。
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zutsunokotodake · 1 month
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7/25木
王者舘東京公演初日、だけど午前は在宅勤務。そしてみるみる体調悪化。ええーっ!? 熱はない。ほっ。薬効いた。セーフ。
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16時、スズナリ着。
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東京公演追加分DVDは、ショッピングカートに入れて持ってきた。
というわけで今日から当日運営スタッフとして、具体的には客入れ要員としてお手伝い。確認したら前回は2019年スズナリでのアサガオデンだったので5年ぶり。
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これ見ると、おそらく前から3列がベンチシートで、あとは折りたたみ椅子。そして110席を作ったっぽい。
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で、すでにタイチョーたちが客席を作ってくれていて、椅子席は後ろ2列であとはベンチシート。数えたところ通路も全部潰して206席。立ち見が10人が限界で、合計216人になりそうと。5年まえのほぼ2倍…。いやし��し、この年でベンチシートな客入れすることになろうとは。「この年」っていうのは自分の年齢って意味と、あとこの令和の時代に、のふたつの意味で。
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「今日がいちばんお客さんが多いから!(だから今日を乗り切ればあとはちょっとは楽なはず!)」というけど、でも会場に来ていろいろ思い出した。当たり前といえば当たり前だけど、楽日に向けてお客さんは増えるに決まってるのだ。しかも今回、立ち見だろうとなんだろうと来るお客さんは増えるに決まってる。やー、怖いなー。無理な気がするなー。だって、206人って、上記の「理想的な着席」が行われた場合の数字だし。ベンチシート1枚4人座るはずのところ、3人(それでもぎゅうぎゅうだけど)になった時点で、1列15人のところ12人になっちゃうし、それが10列だから30人違ってくる。そうなったら前売り買ってるのに入れないってことになるわけで、それは許されない。あー、怖いなー。
客席確認したら、カミテのお客さんの導線に吊ってある灯体が低くて、例えば自分の場合はどうしたって頭をぶつける。きんたろさんに言ったら「今から調整は無理!」ってことで、日与津十子にそこに立っててもらうことに。
ずんさん、賄いで入ってらして、ずんさん作のカレー、いただく。美味!
開場前。下へ降りていくと場外あんまりうまくいってなくて、スズナリスタッフさんも困惑の顔。とりあえず声出して、若い番号の人とそうでない人を分けて、番号順に整列していただくことに。うひょー、バッタバタだ!
開場。番号順の呼び込みはお任せして自分は場内へ。あがたさん、高野慎三さん、白崎映美さん、内橋さんも。あ、松井さん、シルヴプレ堀江さん、天久聖一氏も。智恵子さん、リリナさん、水谷くん、えみえみ、もっきー…、みな目だけでご挨拶。
無事全員入場、スタッフにも入ってもらって、当日券の方には数名立ち見で入ってもらって、自分は「うっかり落ちると怪我して危ないのでお客さんを案内できない席」へ。そしたらあら、目の前に常盤貴子さん。常磐さん、ご自身の足をずらして立ち見のお客さんに「ここ、ちょっとなら腰掛けられますよ」と声かけられたりしててお優しい。恐縮。
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意外とスムーズにお客さん入ったな、と思ったのだけどまた思い出した。初日はいつもそうなのだった。初日のお客さんって、言わなくても詰めて座ってくれる。たぶん観劇慣れしてる方が多いのだと思う。
本番。ミサキノトッタンニタチマチソコラハユウカタニ…。あの、カナの書かれた丸板のシーンは、どうしたって泣くね。
終演後、今回初めて当日運営に来てくれて場外整理をしてくれていた人が、自信喪失して帰ってしまったと聞いてびつくり。
きんたろさんが今日はなんかものすごく緊張して手が震えたーと言っていて、百戦錬磨でもそんなことあるんだなー。
帰路、新宿駅でサルゴリラ赤羽氏とすれ違う。
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その新宿駅でまだ営業していた成城石井でプリンを買って帰宅。初日ご褒美。
夜、興奮で眠れず。長い1日。午前、というか昼過ぎまで普通に働いて会議に出てたとは思えない。
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chaukachawan · 11 months
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ポン。にゃにゃにゃ。ヒト紹介。
「息を吸う、吐く」
c( ᐢ⓿ᴥ⓿) ポン。
勝手に動物に例えて皆さんの頭に付けました。後半になるにつれて絵文字が無くなって困りました。時々脳がポン太に侵略されているかもしれないポン。
敬称略
🌻役者🌻
🐶舞原まひろ
ブランケットを持って座っている姿を見ると、私もぬくぬくしたくなりました。ケルベロスとの戦いがほっこり面白くて、お気に入りポイントです。脚本を細かく解いて動きをつけていく過程はとても難しそうだなぁと感じましたが、最後まで向き合って、舞美になっていました。
🦝園堂香莉
わたし。犬派。犬探ししよっか。
🦁海泥波波美
疲れたって言ってても誰よりも元気に振る舞っちゃう人。意識してるのかしてないのか分からない当たり前が人を寄せ集めている人。そういうところがみんなから愛されている。私より2年多く生きている分尊敬している。アサギが楽しめていたらたぶん世界は平和。この秋でたくさん関われて、なぽちゃんは嬉しいよ。アサちゃんも楽しかったら何より。感謝感激雨アサギ。
🐱黍
太郎も演補も照明も盛り沢山な秋公演。天才的な照明を作っていて私もあんな照明作れるようになりたいぜと思いました。ひとまず、チェイスとLEDは無限大だということと、木漏れ日は素敵だということを理解しました。まだお世話になってしまうかもしれませんが頑張りますのでよろしくお願いします。きびさんの猫語が良すぎたので作業用BGMにしたいです。
🐰坪井涼
なんだかとてもぴったりの役でした。というよりも、どんな役でもぴったりにする安定感が本当にすごいです。普段からボケているので違う風味を楽しめたかのようです。熱盛のSEをいってきマーライオンにして音響オペをしてほしかったものです。
(ドドン!!いってきマーライオンッ!!)
失礼いたしました、マーライオンが出てしまいました。
🐻織田舞里
パフォに追われていました。でもとっても良いものになりました。さすがの深夜作業です。いつ見ても各部署の仕事をしているイメージがありますが、それは言い換えれば、なんでもできる先輩だということです。尊敬しすぎて豆助をわしゃわしゃしてくるくるしてぎゅってしちゃいそうですね。
🦉児
チャラチャラ似合います。動きがじょうずで身体の使い方がしなやかなチャラです。表情筋までしなやかです。わかりやすい、かつ自然な形を作り出すチャラは今公演で殺陣監督としても活躍していました。そしてなんと言っても唯一のポン太の目撃者でもあります。見られちゃったにゃー。
🐨黒井白子
なんでもやっているチャラです。なんでもできます。キャスパを楽しんで全力で踊っとる人です。稽古では一緒にゆきのひまわりを咲かせる道を悩んでくれました。一方、ゾンビが上手すぎてポン太は居場所を失いました。なんだあの動き。真似のしようがなくて力の差を感じました。にゃー...。
🦦握飯子
通しの日にワンピースが信じられないほど濡れていました。不思議でした。のほほんとしていて毎日を懸命に生きているイメージがあります。おもしろエピソードはいったい何個あるんでしょうか。枯れることの無い泉だと思います。きっとこれからも伝説が語り継がれることでしょう。
🦙冊まいも
すらりとしています。映画館に3回しか行ったことがない人です。みそかを見ていると発声も役作りも、積み重ねだと気づかされます。普段同じ授業を受けている時、みそかが線形代数と戦っている横で、いつも私はお絵描きをしています。2人とも授業聞けや、という言葉は喉の奥にしまってください。
🐯鴨兎春
鴨でも兎でもなく虎です。マジツヨスなので、虎だと思いました。らびがよく着ている舞美服も虎っぽいなぁと思いました。マジツヨスも好きだけど、ひかるちゃんが生姜焼きをはむはむして、最後に投げ捨てていくシーンも好きです。いつも通り本チラも天才でした。35期の頼れるねーさんです。
🦊岡崎仁美
一緒に立て看を制作した母です。かなりいい感じの立て看ができました。カメムシとダンス部と戦いながら作りました。ダンス部にやられたカヌレさんがぐったりしすぎていてびっくりしました。そんな時は、彼女たちに大量のゆで卵をプレゼントしてあげましょう。きっと固ゆでにして食べてくれるでしょう。
🐻‍❄️縦縞コリー
優しそうなお父さんでした。「みんなで、食べような」から優しさがあふれ出ていてぽかぽかしたので好きなセリフです。そして魔法警察も当たり前のように上手かったです。こりも安定感が凄まじい役者なので困った時はみんなが度々お世話になります。阪神勝って良かったね、こりのとびきりの笑顔を見たいよ。
🐹大福小餅
仕込み週でも真面目に居残り練習をしていてさすが我らのこふくだと思いました。魔女様は言い方も動きもめっちゃ研究されていました。みんなが麻雀している横で衣装もしっかり完成させる、そんなしっかりもののこふくに、35期はみんな助けられています。これからもお世話になります。
🐿アリリ・オルタネイト
教授(巨人)とどういう関係なのか非常に気になりました。ちゃんと教授を立ててあげてるのかなと思う日もあれば、テキトーに話してるだけか、と思う日もあって永遠に謎でした。なんも考えずに見るべきですね。平和な世界です。大変だったと思いますが、最後までやりきったイルルさん、かっこよかったです。
🐺君安飛那太
主人公が似合う人です。たまに、なんでもない時間に小躍りしているときがあります。その小躍りの積み重ねが、かっこいいキャスパに繋がっているのかもしれません。ちなみに小躍りはかわいめの小躍りです。そんなかわいい面が、ファンを作るのでしょう。コルクさんのセルフBGも、名残惜しいです。
🐵えどいん
えどさんにしか作り出せない雰囲気があります。アサギもそうなので、今回はそれがなおやとガヴェインの違いを生み出していたのかもしれません。そこをすり合わせていく作業が大変そうでした。ポン太はガウェインに斬られて光栄です。えどさんがいないちゃうかをほぼ見てこなかったので、寂しくなる予感です。
🦥あろハム権左衛門
マイムうまっ。稽古では生姜焼きエチュードをみんなで練習したのがけっこう楽しかった思い出。ベジさんに付けてもらった名前、みんなに色々言われてるけど本人は普通に気に入ってるの草。声大きくなったって褒めてくれた時、嬉しくて変な顔になりそうだったから我慢した。進撃の最終話見たら語ろう。
🦔ミル鍋
ゆにベロス可愛すぎました。全人類から愛されています。百鬼夜行の時にキラキラしたものの明かりをつけるために、ゆにベロスを1体脱がないといけないのが地味に大変そうでした。でも、それを準備する姿も可愛かった。演技するとかっこよくなるから、かっこかわいい。
🌻オペ🌻
🦄たぴおか太郎
幕や衣装の仕事もあって、役者もやってオペもやって、当たり前のようにしていましたが普通にすごすぎです。音響で舞台が電車になったとき感動しました。
🐆衿君
映像が素晴らしいことはみんなわかっています。オタ芸が素晴らしいことも。エリックと最初に出会った時とはだいぶイメージが変わ��ています。すごい人。
🦜まろん
照明オペ仲間。オペ難しそうだった。呼吸の照明が天才的に良いのは、まろんの力があったからです。本当にお疲れ様、そしてありがとう。
🌻演出🌻
🐑田中かほ
もふもふでふわふわです。ヒトらしさがとても溢れている人で、とてもヒトです。私は今回役者を経験して、自分がどういう人間なのかを改めて教えてもらったような気がします。とっても大きくて大切な種をもらいました。これから大事に育てていこうと思います。ほんとうにありがとうございました。
ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
この2ヶ月弱、心に大きめの雲ができていましたが、秋公と過ごして、快晴とまではいかなくても晴れました。ちゃうかってすごいや。ケジメがついた私の心の中に、ひまわりは2本くらい咲いていそうです。太陽みたいな全ての皆さんに感謝します。初舞台楽しかったです、にゃ。
園堂香莉/なぽり
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kennak · 2 years
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さて、いつかどこかで書こうと思っていた、川本真琴の発言に端を発したサブスク問題について ちょうど良い機会なので少しだけ書いておきたい。 ●サブスクは音楽業界を救ったか… 川本真琴の「地獄に堕ちて」発言で物議 経緯をご存じない方のために簡単に説明すると、シンガーシングライターの川本真琴が 9月20日に自身のTwitterアカウントを使って「サブスクでの利益がどれだけ少ないかを知ってほしい」 「サブスクというシステムを考えた人は地獄に堕ちてほしいと思っている」とツイートし SpotifyやApple Musicで音楽を楽しんでいるユーザーなどから賛否両論が巻き起こる事態となった。 川本は今年2月にサブスクを解禁し「色んな年代の人に聞いてほしい」とPRしていたので 約7ヶ月経ってみて、実入りの少なさに愕然として翻意したと考えるのが妥当だろう。 炎上を見てか発言の真意を捕捉するツイートもしているが、どう贔屓目に読んでも後付けっぽいので やはり最初のツイートに本心が集約されていると考えて良さそう。 サブスクについては、山下達郎のように「表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取っている」と はっきりと否定派の立場を表明し、「死ぬまでやらない」と宣言しているアーティストもいれば わざわざ宣言はしていないが後ろ向きな中島みゆきのようなアーティストもいる。 (みゆきは一部のサブスクでベストアルバムのみ解禁している) 達郎の場合、竹内まりやは解禁しているので、長く指摘していた音質の問題は解決されたと見て良いのか 支持層的にまりやは解禁した方が良いとのビジネス的な判断なのかは良く分からない。 私は年齢的にもうインプットはほどほどで良いと考えていて それほど多くのアーティストを発掘したいという気持ちはない。 今年に入って買ったCDは10枚ほどだが、ここ数年で知ったアーティストは藤井風ぐらいで 残りは何十年と活躍しているアーティストのベストや名盤のリマスターである。 あ、後藤輝基の「マカロワ」も買ったな。 達郎ほどの極端な否定派ではないが、かといって肯定派に肩入れするつもりもない。 サブスクに功罪あるのは事実だし、功よりも罪の方が大きいと思うところもある。 少なくとも七尾旅人や川本真琴にとっては功よりも罪が大きかったのだろうし アーティストが「これじゃ食えない」とボヤく自由まで奪う気はない。 サブスクの肯定派が良く口にする「新しいアーティストを知ることができた」 「古い名曲にハマっている」というのは、確かに事実だろう。 YouTubeでいくらでも過去の映像が見られるし、Tik Tokやインスタで 私の世代のヒットソングが使われた動画も良く見かける。 それは文化の継承として正しいし、例えば今年における中森明菜の紅白待望論などは 往年のファンの熱量だけで形成される空気とはとても思えない。 確実に10代、20代の新規のファンが増えている。 だが、「新しく知ってもらった」ことが、すぐさまビジネスとして利益に繋がっているかは怪しい。 作詞作曲まで自分で行うソロのシンガーソングライターであればまだマシとしても 昭和の歌手のように自作をしない歌唱印税しか入らないタイプだと、実入りはほとんどないと思われる。 YouTubeに違法アップロードされた動画が何百万回再生されようが そこでパフォーマンスしているアーティストには1円も入らないし SpotifyやApple Musicなどで100万回再生されたところで、 作家・所属事務所・歌唱者で分配された残りなどたかが知れているはず。 少し話が逸れるかも知れないが、昔サンドウィッチマンの伊達がテレビで 「ロケ番組で街に出ると、『ファンです』と寄ってくる人がいて、 『いつもYouTubeで漫才見てます!』と言われると微妙な気持ちになる」と言っていることがあった。 その動画はオフィシャルではないので何万人に見てもらっても1円にもならないし かと言って向こうに悪気がないこともわかるので何も言えないと。 サブスクに対して否定的なアーティストの何割かは、この時の伊達の心境に似ているのではないかと推察する。 「知ってもらった」として、それで何か自分の生活が変わったのかと考えた時に何も潤っていなければ意味がない。 「ライブに回帰せよ」と言う人も多いが、現役の若手ならまだしも 高齢のアーティストだと精力的なライブ活動は難しいし、ライブはせずレコーディングした音源だけで 活動しているアーティストにとっては手詰まりになりかねない。 「物理メディアを買うほどではないがサブスクでは良く聴かれているインディーズアーティストが 実は一番儲かっている」との話も某音楽関係の知人から聞いたことがあるが、それはやはり歪だと思う。 「サブスクきっかけで新しく知った」ことが次のステップに進まないまま、 「知られ損」になっているアーティストが多いことが、賛否両論になっている原因ではないだろうか。 サブスクの収入にはハナから期待をせず、ライブの集客に繋げるための広告媒体と割り切ることができるのは 松任谷由実や桑田佳祐のようにもう一生分稼いでいて、かつCDを出せばまだちゃんと買ってくれる 年季の入ったファンのいるアーティストぐらいではないかと思う。 もしくは、物理メディアの時代の旨みを知らず、ネット配信から出てきた&圧倒的な集客力を持つ 藤井風のような新進のアーティストか、である。 ●サカナ山口一郎、スピッツ草野もサブスク巡り「収入はほぼ無い」「かなり違和感」過去に深刻な裏側告白 両名ともかなりのビッグネームながら、やはりサブスクの収入は厳しいと嘆いている。 ただ、アーティストは物理メディアとライブの売り上げだけで生計を立てているわけではない。 ユーミンと同世代のレジェンドミュージシャンの某が何年か前のライブのMCで 「何十年も昔の曲がCMに起用されたんだけど半年の使用料が400万円もあるの!」と 嬉しそうに話していて、仰天したのを覚えている。 契約延長を繰り返して現在も流れているので、継続して年間800万が入っている計算だ。 全国規模で大量に流れているCMではなく、ポツポツ見かける企業広告でこのギャランティなのかと驚いた。 サカナクションやスピッツはドコモやゴールデンタイムのドラマなど 大企業のタイアップがいくつもついているので、使用料は上記の何倍、下手をすれば何十倍であろうし サブスクに頼らなくてもやってはいけるはず。 問題は、そんな彼らですら見過ごせないと思うほどサブスクの収入が少ないことで これを解決するのはそう容易いことではない。 月々1,000円ほど払っただけで、世界中の音楽を聴き放題のサブスクは確かに安い。 しかし安いからこそ、そこからアーティストに分配される金額は極端に少なくなる。 Spotifyはコロナ禍によるアーティストの救済策として 「Spotify for Artists」を立ち上げ、アーティストがユーザーに対して支援を募る、 YouTubeなどで言うところの投げ銭ができるシステムを開始したが 広告付きの無料モデルでSpotifyを利用しているユーザーはほぼ使わないであろうし 有料ユーザーもこのシステムを使ってお気に入りのアーティストを支援している方は ほとんどいないのではないかと思う。 もっと簡単に、有料のメルマガを登録するような手軽さで 月額いくらという形でアーティストに継続課金する仕組みはできないものだろうか。 天地真理は未だ存続するファンクラブの年会費を介護施設の利用料に充てていると聞いたことがある。 サブスクを敵視するのではなく、継続した収益を上げる媒体として折衷案を提示し システムを提供する側、コンテンツを提供する側、利用する側の皆が幸せになるシステムが出来てほしい。
2022年10月1週発売の新作、松任谷由実「ユーミン万歳!」とサブスクの功罪 - 忍之閻魔帳
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