Tumgik
#吾衛門
ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入ってきました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄る危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在は“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解しつつ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが、マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞めざるを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超えるフランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっている」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」を確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含されると考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
代時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
がさらに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご苦労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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oharash · 1 year
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余花に吉兆
1.  友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。  大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
 うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支援委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。  無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが悪いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いるとどうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」  そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。  店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
 暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔ってますね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」  畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝坊ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」  けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
 酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。  「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶらついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に食べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。  ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2.  ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。  知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。  気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。  それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」  彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出したことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。  彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。一秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」  真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。  ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。  いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。  きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3.  涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」  ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」  翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」  はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。や��て商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃ようやく海に向かっているのだと気づく。  車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。  テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」  俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」  そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。  潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食いたかったからってわけじゃないでしょ」  海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」  甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。  剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるもんだから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。  あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」  なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ先を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」  潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。  彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を……  手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あなたに助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」  波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。  勝手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句���えているなんて悪魔かよ。  俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」  骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。  
 車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」  炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4.  何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。  SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。  
 気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類にゲーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。  炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」  家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシロ絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。  焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」  彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」  ぬるい風と草いきれが首筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」  的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ。その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」  唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」  今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。  疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」  帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。  空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃがんだ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」  短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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odaclan · 1 year
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To cut a man for the sake of a tree
ここに伊賀綾郡河合に綾杉の銘木があった。結城源吾左衛門尉が誤ってこの銘木を切ってしまった。信雄はこれに怒った。結城は直ちに逐電した。水谷浅右衛門尉当時は次郎八と言ったがこれを追いかけ雲出で討ち取った。鳥獣草木のために人を殺すのは玉を捨てて石をとるのに似ている。人は万物の霊長である。何でその位を同じく出来るものだろうか。ただ、その罪を軽く禁じるべきものである。人間の一生主君につくす忠義は何で杉一本に変えられるだろうか。およそ主君はみなこのようである。
Here in Kawai, Aya county, Iga province, there grew a priceless Ayasugi cedar tree. Inspector Yuuki Gengozaemon cut it down erroneously. Nobukatsu became furious at this. Yuuki immediately escaped. Inspector Mizutani Asaemon, then called Jirouhachi, chased after him and killed him at Kumozu. Killing a person for the sake of birds, animals, plants, and trees is like throwing out a piece of jade and taking a stone in its stead. Man is the chief of all things. What could possibly be equal to him? His mistakes should only be punished lightly. How can a man's lifelong loyalty to his lord be discarded for the sake of a single cedar tree? Such is the case with every lord.
(Seishuu Gunki, vol 8)  
I’m assuming this text meant that Yuuki had cut down the tree without permission, or had a permit but cut down the wrong tree. I’m not entirely sure how you can possibly “cut down a tree erroneously” otherwise. 
If this story is accurate, I would guess that this Ayasugi tree might have been a sacred tree associated with a nearby shrine or temple. When I tried to look this up, this cedar type seems like it is considered common timber wood, though it’s possible that this is a newer development. So far the only “prized” Ayasugi trees that I was able to find are shrine trees that are considered scared or historically significant (often being centuries old). One of the most famous one being a tree supposedly seeded from one planted by the legendary Empress Jingu.
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Were there any Ishin Shishi that escaped the Ikedaya Incident from the Shinsengumi?
About 40 Ishin Shishi were in Ikedaya, 8 died in battle, 23 were arrested and the rest escaped (source)
Two of them survived by hiding in a bathtub
Important Ishin Shishi attacked in the Ikedaya Incident
Miyabe Teizo (宮部鼎蔵) (Higo Domain. Seppuku at Ikedaya)
Kitazoe Kichima (北添佶摩) (Tosa Domain. Seppuku at Ikedaya. Famous for falling down the stairs in Shimozawa Kan’s fiction)
Fuchigami Ikutaro (淵上郁太郎) (Kurume Domain. Escaped)
Otaka Matajiro (大高又次郎) (Hayashida Domain. Died in battle at Ikedaya)
Ishikawa Junjiro (石川潤次郎) (Tosa Domain. Died in battle at Ikedaya)
Matsuda Jusuke (松田重助) (Higo Domain. Died in battle at Ikedaya)
Ito Hironaga (伊藤弘長) (Tosa Domain. Died in battle at Ikedaya)
Fukuoka Yujiro (福岡祐次郎) (Iyo Matsuyama Domain. Died in battle at Ikedaya)
Masayuki Ochi (越智正之) (Tosa Domain. Died in battle at Ikedaya)
Hirooka Namihide (広岡浪秀) (Choshu Domain priest. Died in battle at Ikedaya)
Yoshida Toshimaro (吉田稔麿) (Choshu Domain. After escaping, he committed seppuku.)
Mochizuki Kemyata (望月亀弥太) (Tosa Domain. Seppuku after escaping)
Sugiyama Matsusuke (杉山松助) (Choshu Domain. Escaped, but was cut down by an Aizu Domain soldier and later died)
Noroiyama Gokichiro (野老山吾吉郎) (Tosa Domain. Escaped after the battle. He relied on Itakura Keido (板倉槐堂), a Confucian scholar, and later committed seppuku at the Choshu Domain residence.)
Fujisaki Hachiro (藤崎八郎) (Tosa Domain. Seppuku after being wounded at Sanjo Kobashi Bridge, or was sent to the Tosa Domain’s residence in Osaka, where he died.)
Omiya Masa (近江屋まさ) (Omiya proprietress (age 42), killed at Omiya. Also named "Fusa")
Sakai Kinzaburo (酒井金三郎) (Chofu Domain. Killed on the road)
Uchiyama Tarouemon (内山太郎右衛門) (a lower-ranked vassal (mukyutsugumi) from the Choshu Domain. Captured and executed on July 20 (August 21))
Saeki Ryokeio (佐伯稜威雄) (a Shinto priest of the Choshu Domain, captured and executed on June 4, 1865 (July 26, 1865))
Sato Ichiro (佐藤一郎) (Choshu Domain Kyoto Residence official. Captured and executed on July 20 (August 21, 1865))
Yamada Toranosuke (山田虎之助) (a lower-ranked vassal (mukyutsugumi) of the Choshu domain. He escaped at first. Later captured)
Otaka Chubei (大高忠兵衛) (from the Hayashida Domain, younger brother of Otaka Matajiro. Escaped at first. Later captured and died in prison on July 4 (August 5))
Kitamura Zenkichi  (北村善吉) (a follower of Otaka Matajiro. He was wounded by a spear, but escaped to the riverside from behind Ikedaya and hid in a boathouse waiting to be saved.)
Seo Kojuro (瀬尾幸十郎) (captured)
Ando Tetsuma (安藤鉄馬) (captured, but escaped)
Sawai Obinata (沢井帯刀) (captured)
Ohnaka Shozen (大中主膳) (captured)
Mori Kazue (森主計) (Kyoto, captured)
Nishikawa Kozo (西川耕造) (Kyoto. He was captured 10 days later and died in prison on February 11, 1865 (March 8, 1865))
Kimura Jingoro (木村甚五郎) (Kyoto. Mistaken for Kusaka Genzui (久坂玄瑞) and captured)
Imai Saburoemon (今井三郎右衛門) (Toyooka Domain (age 46). Captured and executed)
Murakami Shunpei (村上俊平) (from Ueno Sagoi County. Captured and executed)
Kawada Sakuma (河田佐久馬) (Inshu. Escaped)
Takagi Motoemon (高木元右衛門) (Higo Domain. Escaped and fled to the Choshu domain residence)
Miyabe Haruzo (宮部春蔵) (Higo Domain. Miyabe Teizo's younger brother. Escaped to Choshu domain)
A certain Iwasa (岩佐某) (Tamba. He hid in a bathtub at Ikedaya and survived.)
Ariyoshi Kumajiro (有吉熊次郎) (Choshu domain. Escaped to Choshu domain residence)
Osawa Ippei (大沢逸平) (Choshu domain. Survived by hiding in a bathtub at Ikedaya and escaped to the Choshu domain residence)
Matsuyama Ryozo (松山良造) (Echigo Domain. Cousin of Matsuyama Takakichi (松山高吉), also a former Shinsengumi. Escaped)
Tanaka Chokuro (田中長九郎) (Kyoto. Captured)
Yoshida Goro (吉田五郎) (Echizen Domain. Captured)
Nagumo Heima (南雲平馬) (from Numata Village, Tone County, Ueno. Captured)
Masafumi Kunishige (国重正文) (Choshu Domain. Escaped)
Nishikori Yonosuke (錦織有無之助) (Owari Domain. He escaped from the south side of the second floor and fled to the Mito clan's residence, but was driven out, captured, and executed.)
Civilians arrested in the Ikedaya Incident
Irie Sohei (入江惣兵衛) (Ikedaya owner. Died in prison)
Irie Hikosuke (入江彦助) (younger brother of Sobei)
Omiya Ubei (近江屋宇兵衛) (Owner of Omiya)
Omiya Kin (近江屋きん) (worked at Omiya)
Omiya Toki (近江屋とき) (worked at Omiya)
Izumiya Shigesuke (和泉屋重助) (owner of Izumiya. Executed)
Kojiro (幸次郎) (Izumiya's assistant. Executed)
Tambaya Jirobei (丹波屋次郎兵衛) (Owner of Tambaya. Executed)
Tanbaya Mansuke (丹波屋万助) (Son of Jirobei. Executed)
Matsushita Kisaburo (松下喜三郎) (townsfolk)
Kichibei (吉兵衛) (townsfolk)
Yusuke (勇助) (gatekeeper of the Choshu Domain residence)
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yorunokoromo · 22 hours
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第26回 片山九郎右衛門 後援会能
2024/5/25 京都観世会館
「井筒」 九郎右衛門 欣哉 萬斎 学 一郎 広忠 銕之丞
狂言「鈍太郎」萬斎 博治 修一
仕舞「屋島」伸吾 「雨之段」邦弘 「野宮」喜正 「景清」銕之丞 九郎右衛門
「船弁慶」重キ前後之替 早装束 舟唄 淳夫 和樹 欣哉 尚哉 朝哉 裕基 泰弘 鼓堂 大 光長 文義 
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yotchan-blog · 1 month
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2024/4/23 8:00:09現在のニュース
東郷町長、18年の就任以来ハラスメント繰り返す 第三者委が認定 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/23 7:57:43) 良品計画、「MUJI STAY」で宿泊・滞在需要開拓 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:57:42) 三菱商事・ホンダ…上場企業の自社株買い、初の10兆円 日本株下支え - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:57:42) 生成AI、40年度のエネルギー計画左右 電力を大量消費 エネルギー基本計画の論点(上) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:51:18) 函館、道半ばの再生 大泉市政1年、新幹線乗り入れ難路 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:51:18) おふくろの味 おにぎり7種類 千葉商大の学生食堂に新店舗 4年生の土屋さん経営(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:49:19) 盲導犬は大切な仲間 あす国際盲導犬の日 社会の理解 広がって(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:49:19) 巨大IT新法で規制へ 市場独占防ぎサービス向上、関連売上高20%分の課徴金([B!]産経新聞, 2024/4/23 7:45:28) 世界のREIT、5カ月ぶり安値圏 金利高止まりに警戒 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:45:19) ライドシェアで副業 タクシー会社との雇用契約が必要に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:45:19) 低所得ほど自己肯定感低め 神奈川県「子どもの生活状況調査」本紙が分析 共働き世帯? 子ども食堂にニーズ(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:41:33) 神奈川県内最大級・長柄桜山古墳群 先人も見た景色にロマン 逗子と葉山が整備し公開(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:41:33) 「産前・産後支援」「介護保険制度」 平易な日本語で伝えて 外国人川崎市民代表者会議が年次報告(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:41:33) 戦死者たちから30のメッセージ 鉄の造形作家・故武田さん 極限状態の兵士ら表現 練馬のココネリホールで26日まで(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 7:41:33) サポート詐欺が猛威 画面ロックされたらESCキー長押し - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:39:49) 知床全体でリスク管理を 観光客が判断できる発信も 観光船事故2年(朝日新聞, 2024/4/23 7:37:43) 囲碁名人リーグ 残留争いの直接対決、富士田七段が関九段を破る(朝日新聞, 2024/4/23 7:37:43) 英議会調査員ら、中国のためスパイ? 「非常に深刻な疑惑」で訴追(朝日新聞, 2024/4/23 7:37:43) 「自らへ戒め」 聴取から19年、JR保線員が手放さない1枚の名刺(毎日新聞, 2024/4/23 7:36:28) サイバーでも反撃できない日本、中国にやられっぱなし… 大澤淳([B!]産経新聞, 2024/4/23 7:33:52) 地震や政変… 幕末の大ニュース、愛媛の大工がリアルタイムで記録 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/23 7:33:48) 中国の北朝鮮労働者に人権侵害 製品は欧米でも流通 米調査報道 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/23 7:33:48) 「休眠基金」やはりムダだった 政府やっと11件廃止…5466億円が戻ってくるが「18基金は存続」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/23 7:33:40) 「岸田首相に政治改革の覚悟はあるのか」公明もイラつくやる気のなさ あれもこれも「議論する」止まり:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/23 7:33:40) SNSで反戦を訴えたら逮捕された…高校教師を襲った出来事とイスラエル国内に漂う「空気」の異様さ:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/23 7:33:40) 減少する街の書店、どう救う? 経産省が専門チーム発足 フランスでは「反アマゾン法」も… 23日は本を贈り合う日:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/23 7:33:40) 川崎市の外国人市民会議始まる 防災や医療に関心高く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 色香漂う奈良市の墨 歴史と技法継承、観光客も魅了 街エクスプローラー ものづくり編 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 建設業などの残業規制強化、注意すべきポイントは? ホーム法務Q&A(弁護士・大空裕康さん) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 一般入試やAO入試 大学入学後も選抜方法に応じケアを 後藤健夫さん - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 就活面接で語るエピソード 光の当て方に工夫を 就活のリアル(上田晶美さん) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 勉強に必要な防衛体力 低学年から意識すべき2つの習慣 日本体育大学体育学部教授・野井真吾さん - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 岩手で関心高まる健康保養地「クアオルト」 県が研究会 東奔北走 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 鳥取「砂の美術館」、砂像でフランスの美 ナポレオンも - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 4月経済情勢判断、新潟・長野は据え置き 財務事務所 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 長野・着物のたちばな「配属ガチャ」解消 店舗も希望可 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) サンクゼール、商品開発ラボ始動 開発人員2倍に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 朝日元写真記者罰金10万円 長野4人殺害の被告宅侵入 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09) 長野県湯沢温泉村の松村デザイン建築事務所、事務所兼カフェと雑貨販売の施設開業 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 7:31:09)
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kisaragi-hua · 1 month
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少女兵器1.77 凜冬之旅
代替還未完成章節的前情提要: 總之,我和剎那追尋著三式機龍的識別訊號來源,終於抵達了位在東京灣一帶的舊特生自衛隊特殊研究本部的遺址。
在這邊等待我們的並不是機龍的本體,而是一口棺材般大小的封閉式艙體。
由於找不到方式將其解除,所以無法得知裡面裝載的究竟是什麼,於是決定利用鐵路運輸將其運輸到北方基地去再作打算。
現在,兩人所乘坐的這輛列車遭受到機械生命體的挾持,由於在故事開頭沒能主導計劃的特務部,即將在這篇章中登場。
剎那在受到襲擊的同時,不慎被強行與列車結合的機械生命體給拽出了車外,接著遭受到對方地面部隊的夾擊。
『別跟來!』 正當我擔心著剎那的同時,透過庫里傳來。 『沒事,對付這些雜魚輕輕鬆鬆,只不過會花點時間,千歲你好好待在車上!』
象徵著官方正規軍實力的龐大運輸機甫穿過大氣與宇宙的交界,急速向著地球降落,循著機關列車行駛的路線而來。
但挾持列車的機械生命體除了周遭的護衛之外,還具備了多口徑對空攻擊的巨大砲管,貿然接近的話,必定會遭到擊落。
在遭到敵人鎖定的同時,駕駛急速將運輸機拉高,穿過雲層隱匿。
「該死,一旦靠近,那種攻擊很難閃避,我們會被擊沈!」
「我就在這邊下機吧。」 少女摘下對講耳機,從駕駛身後離開。
伴隨著鈴聲一同閃爍的紅色指示燈,機尾的艙門在油壓推桿的施力下緩緩地打開。 外面低溫的空氣形成一股巨大的壓力瞬間竄了進來。
緊挨在葵身邊的女性工作人員身上紮實地綁著安全帶,固定用的扣環正猛烈嘎拉嘎拉地響著。 她將���支像是護目鏡的裝置遞了過來,葵伸手接過之後不加以思考直接戴上。
透明的鏡面上用著細小的文字顯示著圖樣各項資料數據。
「現在就將座標位置傳送過去。」 任憑風壓吹散著瀏海,這名女性工作人員接著專注地操作手上的平板裝置。
「確認。」 葵簡單地回覆後,將身上的擴充型防禦外套拉起,直到衣物頂端完全掩蓋住口鼻。
「葵小姐,目前還無法確認敵人的武裝規格,還請務必多留意自身!」 即使面對如此強大的風壓,葵修長的雙腳依然直立站在原地,絲毫不受影響。 機艙外盡是厚厚的雲層,眼前畫面中雪白一片,她那像是玉石般翠綠的瞳孔在那當中泛起一絲光芒。
同時,不受強風影響的還有位在艙門口附近的機械手臂,俐落地將專用的戰術長槍遞了過來。
葵在接過長槍之後,便徑直的朝著完全敞開的艙門加速跑去,腳上的鞋子踏在金屬地面上發出冰冷清脆的聲音。
然後縱身一躍,身影消逝在雪白且厚重的雲層當中。 機艙再度緩緩闔上,伴隨著巨大的引擎提速聲,運輸機開始脫離當前的空域。
正在揮舞著太刀與敵人交戰中的剎那注意到了天空中的動靜 「那是!?」
藉由著重力高速向下,葵戴著的護目鏡上,高度顯示數值飛快的跳著。 終於,穿過雲層之後,開始在雪白大地上尋找目標準確的位置。
護目鏡顯示器將目標位置標示出三角形的符號,顯示著相對距離,她很快的確認了遭挾持的列車所在的方向。
在視線的遠處,疾駛中的列車正在與自己的位置並行著。
『減速!』 護目鏡在高度顯示到一定數值之後出現提示。
但葵持續無視這項指令,繼續讓身體高速的墜落。
『警告!減速!』
依然不理會警告的葵,順手一把將護目鏡摘下。
最終,外套強制解除拘束狀態,自動張開形成類似羽翼狀的模樣,但由於落下的速度太快,高度已經不足以做到完全減速效果。
落地瞬間,葵曲起身子讓自己的雙腳在雪地上滑行來做減速,強大的衝擊波在滑行途中掀起陣陣的雪花。
擁有子彈外型的失控列車正在軌道上加速行駛著,帶著車廂劃過空氣時產生的巨大的聲響。 在行經轉彎處時,車輪與鐵軌之間也傳來掙扎刺耳的聲音,越是後面的車廂更加地不安定。
在劇烈晃動的車廂當中用力站穩腳步,我雙手緊握著列車車門的緊急開關,雙腳張開頂著車門邊使勁的向下扳動著,好不容易將開關解除後,車門卻依舊緊閉。
腳邊能感受到外面的空氣正從膠條的縫隙之間灌入。
接著試著用力想將車門推開,但依舊不為所動。
盯著眼前的車門思考片刻,我緊抓著一旁連接著車廂的欄杆,開始用力的將身體衝撞車門。
隨著每次將力道不斷的加大,不知道在第幾次的撞擊下,厚重的車門終於被頂了出去。
掉落的車門先是撞擊在地面,在激烈的翻滾幾圈之後彈向雪地深處,消失在視線裡。 車外的寒風先捲進車廂內,差點將我整個人吸了出去。
我繼續緊抓著欄杆,將身子探出車廂外。
放眼望去,眼裏盡是冰天雪地的景色,列車依舊行使在原有的鐵軌上,應該是還在持續向著北海道前進才對,機械生命體究竟在盤算著什麼?
是要跟我們一路到北海道嗎?
正當我望著雪色風景,腦裡思考著目前的狀況時。
忽然,一個身影出現在列車後方並且逐漸逼近,我試著期待能從那身影中找尋熟悉的赤紅火焰。
但似乎不是這麼一回事,難道還有其他的機械生命體追上來嗎?這可是非常不妙!
等到能看清楚後,雖然說不是剎那的身影,但似乎是人形的輪廓。
那是同樣有著少女身形的姿態正從列車後方追逐而來,手上握著銀色的長槍尖端正映照著雪地的光芒。
穿著包覆著臀部曲線的緊身短褲,讓腿部大幅度的裸露在外、一雙雪白修長的雙腳正在雪地中沿著列車一旁並行的軌道奔跑著。
少女單手緊握著長槍向前傾斜著身子,步伐輕盈卻夾帶著巨大的力量和速度追趕著列車。
伴隨著風聲和震動,地面上的積雪隨著高速的步伐,每一腳都在少女的後背揚起巨大的冰花。
少女一頭紮著細長的馬尾正散發著翡翠色的光芒,雙眼有著純淨的綠色瞳孔。 不同於剎那的傲氣,凜冽的身姿配上像是人偶一般絲毫沒有多餘的表情。
就在她加速到與距離行駛中的列車相隔在5-10公尺之間,便緊緊地跟在一旁,然後抬起頭看向正站在車門旁的我。
在我們視線對上時,我嘗試對著她大喊,但寒冷的空氣將我的喉嚨凍的沙啞,聲音支支吾吾地沒能大聲的喊出來。
「喂!庫里!能幫忙接上通訊嗎?」
『正在嘗試,通訊代碼搜尋中,MFS-9模式,建立完成。』
「聽得到嗎?!現在列車的主機已經被入侵了,目前正從車頭沿著其他車體逐漸侵蝕過來,現在我已經沒辦法將車廂分開了!」
少女先是看了我一眼後回答,接著將視線鎖定在機關車上方被機械生命體挾持的部分。
她將手中的長槍用著驚人的速度朝著敵人的軀體投擲出,只見槍頭狠狠地插進了敵人的金屬外皮上, 接著���速拉著從武器尾端延伸出來的鎖鏈。
���身一躍跳至列車的上方。
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kachoushi · 2 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅳ
花鳥誌2024年4月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
6 葛城の神臠はせ青き踏む
 大正六年二月十日、松山に帰省の途中で京阪に寄った。白鳥吟社主催堺俳句会(於開口神社)で出句。西山泊雲・野村泊月・岩木躑躅・原田濱人・島村はじめ・久保田九品太・青木月斗・大橋櫻坡子らが出席。『ホトトギス』の同年三月号「堺俳句会の記」に詳しい。
 この句会は、大阪の『ホトトギス』派の旗揚げに位置する記念碑的な一件で、その詳細は櫻坡子の『大正の大阪俳壇』に詳しい。この句は『新歳時記』にも登録された、虚子の自信作である。大和と河内の国境に位置する葛城山の神一言主は醜貌の女体と言い習わされ、夜しかお出ましにならなかったと謡曲にも出てくる(「葛城」)。
 その引きこもった神に向かって、麓の春を足で確かめて野遊びしております。「山の上からせめて密かに御覧ぜられ度い」(虚子自注「俳句朗読原文」)と悪戯っぽく詠んでみせたのである。「みそなはす」とは、「ご覧になる」の最上級敬語表現で、これまた謡曲に神を主体とした用例がある(「高砂」など)。
 「臠」の字は画数も多く、呪術的なイメージを本来持つが、虚子の字は軽く「糸」の二か所が崩されていて、内容の「滑稽」と対応している。これは活字でなく、虚子の書によってこそ鑑賞が可能で、「臠」は一句の眼目であったことが了解される。
 神や霊魂に命令形を以て呼びかける表現は、江戸俳諧からある。
  塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
  五月雨の空吹き落せ大井川 芭蕉
  笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉
 これらの芭蕉句は、痛切な哀しみや祈りが託されているが、虚子は次にあげる蕪村の例などに学んだか(『蕪村句集講義』)。
  裸身に神うつりませ夏神楽 蕪村
 蕪村の敬語表現「うつりませ」は、祈りとともに一種の滑稽というか余裕があって、そこが夏の禊を「裸身」で具象化する視線と対応している。虚子も、「野遊」の軽々と晴れやかな気分を、この敬語の命令形に託した。命令形は、祈りではあるが、痛切なそれと、軽い挨拶の二種があって、この句は山本健吉の言う俳句の本質「滑稽と挨拶」の典型例と言ってよい。
 ちなみに水原秋櫻子系の俳人の命令形には、自己に執着し、自己に言い聞かせる気分の命令形が多い。
  木の葉降りやまず急ぐな急ぐなよ 加藤楸邨 
  柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子 
  逝く吾子に万葉の露みなはしれ 能村登四郎
 このあたり、命令形の二系統は、俳人の質や俳句観をも照らしだす「鏡」と言ったら言い過ぎだろうか(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
7 雨の中に立春大吉の光あり
 大正七年二月十日、『ホトトギス』発行所句会のものと『五百句』に注記される。
 実景は雨だが、「立春大吉」の御札とその文字に、心中春の光を予感し、見て取る主観句である。もちろん、雨や雨粒にはわずかな光はあるかもしれない。だとしても、それを読み取ろうとする構えから生まれた心象を詠んだ句であることに変わりはない。特にこの句で詠まれた「光」に対する予感は、「立春大吉」の文字から触発されたものであることは、肚にとめておく必要があろう。
 虚子の揮毫では、この「立春大吉」をことさら御札めいて、黒々と墨書したりはしていない。ただし、注意深く見ると「大吉」の「大」の撥ねと、後に来る「光」の字の撥ねとは、対応している。
 そもそも「大」の字の運筆は、先に左に筆先を払い、取って返して右に払うもので、本来撥る字ではない。ところがこの句の虚子の「大」は右の払いの最後が若干撥ねていて、後にくる「光」の右撥ねの呼び出しになっている。こうして一句の眼目は、「光」であることが視覚的にも確認できるところに、虚子の揮毫で句を鑑賞する醍醐味が出てくる。
 「立春大吉」とは、立春の時期に玄関や部屋の入口に張る厄除け札のことである。あたりは雨だが、外界との通路である門口に貼られた「字」から、眼には見えない「光」を感じた。その意味で中七を字余りにする「の」はこの句の重要なレトリックである。
 一般に「中八」の言葉通り、字余りの中でも、中七を字余りにするのは禁忌とされる。俳句のリズムの研究は、五七五が実は休拍・無音の一拍を加えて、六八六であること、さらに前と後の六は伸びる傾向にあることを計測・実証した(別宮貞徳『日本語のリズム』)。これを前提にすれば、中七は延ばして詠まないものなので、ここでの字余りは、おおむねダレるのである。
 ただし、上五で既に字余りがある場合、続く中八は字余りの反復となり、このダレが感じられない。所詮リズムとは反復と同義なのである。
  春や昔十五万石の城下哉 子規
 掲句も上五・中七の連続の字余りだが、掲句の「立春大吉」に、わざわざ「の」を加えた意図は何だったのだろう?類例を挙げよう。
  春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
 やはり「中八」を、堂々とやっているばかりか、上五に字余りはない。しかし、この句は「槍投げ槍に」ではいけない。あえて「て」を入れ、ひと呼吸を置くことで、投げた槍に歩み寄る主人公に焦点があたる。「槍」の繰り返しが独自のリズムを作っており、中八も気にならない(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
 掲句で言えば、まず上五に「雨の中に」と「の」が用意周到に置かれている点が注目される。この字余りを際立たせる「の」の印象を引き継いで、「立春大吉の」の「の」があることが了解される。
 加えて、「の」の繰り返しは、求心性をもたらす。
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の      塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
  この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
 掲句も字余りの「の」の反復を行うことで、光など一切ない春の雨の中、「立春大吉」の文字にのみ「光」を感じたことを焦点化して見せたのである。
 最後に、先の「葛城」の句との関係で言えば、神仏への祈りというテーマのつながりもある。このあたりに編集の妙を認めることも可能かと思う。
『虚子百句』より虚子揮毫
7 雨の中に立春大吉の光あり 
8 さしくれし春雨傘を受取りし
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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sassy324 · 2 months
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論正義的聲音(28):
2024年3月21日,西班牙首相佩德羅·桑切斯宣布與愛爾蘭、馬耳他和斯洛維尼亞領導人達成協議,邁出承認巴勒斯坦國的第一步。
2024年3月21日,英國「中東之眼」網站主編大衛‧赫斯特:「今天的以色列是世界上最醜陋、最被賤民的國家。西方輿論的喪失、猶太人共識的侵蝕,以及其支持者的焦慮,都顯示以色列的戰略失敗。”
2024年3月22日,“五個月內,以色列成為世界上最令人憎恨的國家,擁有世界上最可恨、最殘忍、最無情的人民。” ——荷蘭政治家阿諾‧範‧多恩。
2024年3月23日,美國前總統候選人岑克·維吾爾:「你知道是什麼造就了哈馬斯嗎?就是佔領。如果你認為哈馬斯所做的是恐怖主義,那麼以色列和以色列軍隊所做的恐怖主義是哈馬斯的25倍,而且這是不爭的事實。」:以色列和以色列軍隊所做的事情是哈馬斯所做的25倍.
2024年3月25日,聯合國特別報告:“種族滅絕閾值的合理理由” 聯合國人權理事會發布報告稱,以色列在巴勒斯坦的行為已達到理事會認定為種族滅絕的門檻。
2024年3月25日,巴勒斯坦事業的捍衛者、美國參議員伯尼·桑德斯在推特上諷刺: 內塔尼亞胡對美國在加薩停火決議中投下棄權票感到非常不安,因此取消了原定前往華盛頓特區的以色列代表團的訪問。 但他的煩惱還沒有達到拒絕美國資助的程度:用納稅人的 33 億美元資金來資助他不道德的戰爭。 我們不會允許更多的錢讓巴勒斯坦兒童挨餓
2024年3月25日,突發新聞:川普呼籲以色列結束戰爭,並表示反猶太主義是由以色列的行為造成的 川普呼籲以色列“結束”加薩戰爭,因為它“失去了很多世界” 當被問及他將如何應對戰爭開始以來的「反猶太主義浪潮」時,川普似乎指責以色列自己的行為: 「嗯,那是因為你反擊了。我認為以色列犯了一個很大的錯誤。我想打電話給[以色列]並說不要這樣做。這些照片和鏡頭。我的意思是,炸彈被扔進建築物的移動鏡頭在加沙
2024年3月25日,世界對美國造成致命打擊 自2003年入侵伊拉克以來,聯合國安理會在加薩停火決議通過後首次響起掌聲。 美國和以色列是孤立的,但世界是團結的.
2024年3月26日,美國哲學家科內爾‧韋斯特教授:「加薩是歷史轉捩點,是美帝國主義歷史上的一個關鍵點……美帝國主義正走在一條深刻衰落和沒落的道路上。加薩撕開了帷幕,揭露了美國的犯罪行為、不道德行為和虛偽。”
2024年3月26日,聯合國發言人的記者; “你說所有決議都是國際法,但以色列從未尊重過任何決議,安理會也從未採取任何反對決議的行動。為什麼!”
2024年3月26日,「當種族滅絕的意圖如此明顯、如此招搖時,就像在加薩一樣,我們無法迴避我們的目光。我們必須面對種族滅絕,我們必須阻止它,我們必須懲罰它”@FranceskAlbs作為聯合國巴勒斯坦被佔領土問題特別報告員提交報告。
2024年3月27日,韓國醫生對加薩兒童悲慘境況的痛苦報告;兒童死於飢餓和脫水!🔹季一鵬博士談到加薩人民特別是兒童的悲慘處境:以色列製造的這些結構性和系統性危機,我們只會看到死亡;這是一場由美國、加拿大、英國等西方強國發起的種族滅絕。
(加拿大司馬田2024.3. 谷歌翻譯fb:Markss Tang)
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wangwill66 · 2 months
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策略規畫家
H:羋月傳第50集,公子蕩想向王叔討教謀劃天下的策略。三國諸葛亮的隆中對是策略,以前流行白皮書也是規劃。每個人都是自己的人生策略規畫家。學校的生涯規劃練習,找出性向及職業也是不錯的議題。20240319W2
網路資料:
「陳文德先生為諸葛亮立傳,以「策略規畫家」為名,再貼切不過了。想做好策略規畫(Strategy planning),必須一方面了解外在環境的變化趨勢,掌握機會;一方面了解自身的條件,發揮優勢。「機會+優勢」,兩環相扣,便很可能成為競爭贏家。」
諸葛亮集
作者:諸葛亮 隆中對為後主伐魏詔→本作品收錄於《諸葛亮集 (張澍)》又名〈草廬對〉
姊妹計劃: 百科·圖冊分類·數據項
〈澍案:《蜀志》,先主詣亮,凡三往,乃見,因屏人問計。亮答之,曰:〉
〈《三國志》卷三十五《蜀志·諸葛亮傳》:由是先主遂詣亮,凡三往,乃見。因屏人曰:「漢室傾頹,姦臣竊命,主上蒙塵。孤不度德量力,欲信大義於天下,而智術短淺,遂用猖(獗)〔蹶〕,至於今日。然志猶未已,君謂計將安出?」亮答曰:〉
自董卓已來,豪傑並起,跨州連郡者不可勝數。曹操比於袁紹,則名微而衆寡,然操遂能克紹,以弱爲彊者,非惟天時,抑亦人謀也。今操已擁百萬之衆,挾天子而令諸侯,此誠不可與爭鋒。孫權據有江東,已歷三世,國險而民附,賢能爲之用,此可以爲援而不可圖也。荊州北據漢、沔,利盡南海,東連吳會,西通巴、蜀,此用武之國,而其主不能守,此殆天所以資將軍,將軍豈有意乎?益州險塞,沃野千里,天府之土,高祖因之以成帝業。劉璋闇弱,張魯在北,民殷國富而不知存恤,智能之士思得明君。將軍旣帝室之冑,信義著於四海,總攬英雄,思賢如渴,若跨有荊、益,保其巖阻,西和諸戎,南撫夷越,外結好孫權,內脩政理;天下有變,則命一上將將荊州之軍以向宛、洛,將軍身率益州之衆出於秦川,百姓孰敢不簞食壺漿以迎將軍者乎?誠如是,則霸業可成,漢室可興矣。〈《三國志》卷三十五《蜀志·諸葛亮傳》。
白皮書
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白皮書(英語:White Paper)通常指具有權威性的報告書或指導性文本作品,用以闡述、解決或決策。白皮書在政府和B2G市場中都有應用。
政府的白皮書
是政府就某一重要政策或提議而正式發表的官方報告書,起源於英國政府。最知名的早期白皮書範例是1922年的邱吉爾白皮書[1]。第一位白皮書的女性作者為英國的探險家暨外交官格特魯德·貝爾。她長達149頁的《美索不達米亞民政回顧》於1920年於議院報告。
因為報告書的封面是白色,所以被稱為白皮書。一國政府或議會正式發表的以白色封面裝幀的重要文件或報告書的別稱。「某皮書」最早源於政府部門對某個專門問題的特定報告,通常這種報告在印刷時不作任何裝飾,封面也是白紙黑字,所以稱為「白皮書」。
各國的文件分別有其慣用的顏色,封面用白色,就叫白皮書,如1949年8月美國發表的《美國與中國的關係的聲明》為白皮書;封面用藍色,叫藍皮書(如英國);用紅色,叫紅皮書(如西班牙);用黃色,叫黃皮書(如法國);用綠色,叫綠皮書(如意大利)等。使用白皮書和藍皮書的國家最多,特別是白皮書已經成為國際上公認的正式官方文書。白皮書被視為政府對國民正式發布訊息、資料和政策的一種手段。在大英國協國家或曾被英國統治的地方,白皮書是政府重要政策落實前的最後公布文書。
參考文獻
參見
榻上策
榻上策是魯肅在建安五年(公元200年)時,與孫權合榻對飲時,對孫權提出了與諸葛亮的隆中對(發生於公元207年冬至208年春)相似的治國對策。由於其是在榻(一種狹長而較矮的床形坐具)上進行的對話,因此得名。
基本介紹
中文名:榻上策
屬性:治國對策
時間:公元200年
地點:江東
實行
與隆中對類似,該對話後來也成為東吳的治國方針。在此對話中的同時,曹操正和袁紹進行官渡之戰,勝敗未分,而魯肅卻能在當時就看出北方的敵人將只會有曹操,之後依其計略,雖然在建安十三年(公元208年),孫權第三次西伐黃祖(荊州牧劉表之部下,同時也是江夏太守)時,消滅了黃祖,但孫權僅能占領江夏南部,因為劉表的長子劉琦仍能及時到達江夏守衛江北江夏。
之後,劉表病重身亡,他的兒子和繼承人劉琮投降曹操。故東吳在企圖攻占荊州,據有全長江流域之前,曹操就搶先南下進攻占有荊州,進而據有在長江上游的江陵,於是魯肅改而主張聯合不久之前投靠劉表的劉備,抵抗南下的曹操。在獲得赤壁之戰的勝利之後,曹操方面的勢力仍然很大,故魯肅主張借荊州給劉備,多樹曹操之敵。終其魯肅在世之時,他一直努力維持孫劉兩家聯合抗曹,聯劉抗曹是當時東吳的治國方針。這實際上確定了三分天下的基本態勢。【曹操孫權劉備】
原文
權即見肅,與語甚悅之。眾賓罷退,肅亦辭出,乃獨引肅還,合榻對飲。因密議曰:“今漢室傾危,四方雲擾,孤承父兄餘業,思有桓文之功。君既惠顧,何以佐之?”肅對曰:“昔高帝區區欲尊事義帝而不獲者,以項羽為害也。今之曹操,猶昔項羽,將軍何由得為桓文乎?肅竊料之,漢室不可復興,曹操不可卒除。為將軍計,惟有鼎足江東,以觀天下之釁。規模如此,亦自無嫌。何者?北方誠多務也。因其多務,剿除黃祖,進伐劉表,竟長江所極,據而有之,然後建號帝王以圖天下,此高帝之業也。”權曰:“今盡力—方,冀以輔漢耳,此言非所及也。”張昭非肅謙下不足,頗訾毀之,雲肅年少粗疏,未可用。權不以介意,益貴重之,賜肅母衣服幃帳,居處雜物,富擬其舊。劉表死,肅進說曰:“夫荊楚與國鄰接,水流順北,外帶江漢,內阻山陵,有金城之固,沃野萬里,士民殷富,若據而有之,此帝王之資也。今表新亡,二子素不輯睦,軍中諸將,各有彼此。加劉備天下梟雄,與操有隙,寄寓於表,表惡其能而不能用也。若備與彼協心,上下齊同,則宜撫安,與結盟好:如有離違,宜別圖之,以濟大事。肅請得奉命吊表二子,並慰勞其軍中用事者,及說備使撫表眾,同心一意,共治曹操,備必喜而從命。如其克諧,天下可定也。今不速往,恐為操所先。”權即遣肅行。
什麼是職業規劃師 職業規劃師,career development mentor,是以職業人的個體利益出發,結合專業知識和相關資源,給予客戶有關職業的適應、發展等方面的專業咨詢、輔導、判斷、建議和解決辦法的專業人才。
規劃師的任務就是通過一些諮詢技巧、藉助一些評估方法幫助諮詢者更深入地瞭解自己及相關需求,並最終由自己作出決策。規劃師最重要的工作是給諮詢者展現更多的選擇,而不是替諮詢者作決策。
維基文庫:
三國演義第四十三回
諸葛亮舌戰群儒,魯子敬力排眾議
卻說魯肅、孔明辭了玄德、劉琦,登舟望柴桑郡來。二人在舟中共議,魯肅謂孔明曰:「先生見孫將軍,切不可實言曹操兵多將廣。」孔明曰:「不須子敬叮嚀,亮自有對答之語。」及船到岸,肅請孔明於館驛中暫歇,先自往見孫權。權正聚文武於堂上議事,聞魯肅回,急召入問曰:「子敬往江夏,體探虛實若何?」肅曰:「已知其略,尚容徐稟。」權將曹操檄文示肅曰:「操昨遣使齎文至此,孤先發遣來使,現今會眾商議未定。」肅接檄文觀看。其略曰:
孤近承帝命,奉詔伐罪。旄麾南指,劉琮束手;荊襄之民,望風歸順。今統雄兵百萬,上將千員,欲與將軍會獵於江夏,共伐劉備,同分土地,永結盟好。幸勿觀望,速賜回音。
魯肅看畢曰:「主公尊意若何?」權曰:「未有定論。」張昭曰:「曹操擁百萬之眾,借天子之名,以征四方,拒之不順。且主公大勢可以拒操者,長江也。今操既得荊州,長江之險,已與我共之矣,勢不可敵。以愚之計,不如納降為萬安之策。」眾謀士皆曰:「子布之言,正合天意。」孫權沈吟不語。張昭又曰:「主公不必多疑。如降操則東吳民安,江南六郡可保矣。」孫權低頭不語。
須臾,權起更衣,魯肅隨於權後。權知肅意,乃執肅手而言曰:「卿欲如何?」肅曰:「恰纔眾人所言,深誤將軍。眾人皆可降曹操,惟將軍不可降曹操。」權曰:「何以言之?」肅曰:「如肅等降操,當以肅還鄉黨累官,故不失州郡也;將軍降操,欲安所歸乎?位不過封侯,車不過一乘,騎不過一匹,從不過數人,豈得南面稱孤哉?眾人之意,各自為己,不可聽也。將軍宜早定大計。」
權歎曰:「諸人議論,大失孤望。子敬開說大計,正與吾見相同。此天以子敬賜我也!但操新得袁紹之眾,近又得荊州之兵,恐勢大難以抵敵。」肅曰:「肅至江夏,引諸葛瑾之弟諸葛亮在此,主公可問之,便知虛實。」權曰:「臥龍先生在此乎?」肅曰:「現在館驛中安歇。」權曰:「今日天晚,且未相見。來日聚文武於帳下,先教見我江東英俊,然後升堂議事。」
肅領命而去;次日至館驛中見孔明,又囑曰:「今見我主,切不可言曹操兵多。」孔明笑曰:「亮自見機而變,決不有誤。」肅乃引孔明至幕下。早見張昭、顧雍等一班文武,二十餘人,峨冠博帶,整衣端坐。孔明逐一相見,各問姓名。施禮已畢,坐於客位。張昭等見孔明丰神飄洒,器宇軒昂,料道此人必來游說。張昭先以言挑之曰:「昭乃江東微末之士,久聞��生高臥隆中,自比管、樂。此語果有之乎?」孔明曰:「此亮平生小可之比也。」昭曰:「近聞劉豫州三顧先生於草廬之中,幸得先生,以為如魚得水,思欲席捲荊、襄。今一旦以屬曹操,未審是何主見?」
孔明自思張昭乃孫權手下第一個謀士,若不先難倒他,如何說得孫權;遂答曰:「吾觀取漢上之地,易如反掌。我主劉豫州躬行仁義,不忍奪同宗之基業,故力辭之。劉琮孺子,聽信佞言,暗自投降,致使曹操得以猖獗。今我主屯兵江夏,別有良圖,非等閒可知也。」
昭曰:「若此,是先生言行相違也。先生自比管、樂。管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下;樂毅扶持微弱之燕,下齊七十餘城;此二人者,真濟世之才也。先生在草廬之中,但笑傲風月,抱膝危坐;今既從事劉豫州,當為生靈興利除害,剿滅亂賊。且劉豫州未得先生之時,尚且縱橫寰宇,割據城池;今得先生,人皆仰望;雖三尺童蒙,亦謂彪虎生翼,將見漢室復興,曹氏即滅矣;朝廷舊臣,山林隱士,無不拭目而待:以為拂高天之雲翳,仰日月之光輝,拯斯民於水火之中,措天下於衽席之上,在此時也。何先生自歸豫州,曹兵一出,棄甲拋戈,望風而竄;上不能報劉表以安庶民,下不能輔孤子而據疆土;乃棄新野,走樊城,敗當陽,奔夏口,無容身之地?是豫州既得先生之後,反不如其初也。管仲、樂毅,果如是乎?愚直之言,幸勿見怪!」
孔明聽罷,啞然而笑曰:「鵬飛萬里,其志豈群鳥能識哉?譬如人染沈痾,當先用糜粥以飲之,和藥以服之;待其腑臟調和,形體漸安,然後用肉食以補之,猛藥以治之;則病根盡去,人得全生也。若不待氣脈和緩,便投以猛藥厚味,欲求安保,誠為難矣。吾主劉豫州,向日軍敗於汝南,寄跡劉表,兵不滿千,將止關、張、趙雲而已;此正如病勢尪羸已極之時也。新野山僻小縣,人民稀少,糧食鮮薄,豫州不過暫借以容身,豈真將坐守於此耶?夫以甲兵不完,城郭不固,軍不經練,糧不繼日,然而博望燒屯,白河用水,使夏侯惇、曹仁輩心驚膽裂。竊謂管仲、樂毅之用兵,未必過此。至於劉琮降操,豫州實出不知;且又不忍乘亂奪同宗之基業,此真大仁大義也。當陽之敗,豫州見有數十萬赴義之民,扶老攜幼相隨,不忍棄之,日行十里,不思進取江陵,甘與同敗,此亦大仁大義也。寡不敵眾,勝負乃其常事。昔高皇數敗於項羽,而垓下一戰成功,此非韓信之良謀乎?夫信久事高皇,未��累勝。蓋國家大計,社稷安危,是有主謀,非比誇辯之徒,虛譽欺人,──坐議立談,無人可及;臨機應變,百無一能。──誠為天下笑耳!」
這一篇言語,說得張昭並無一言回答。座上忽一人抗聲問曰:「今曹公兵屯百萬,將列千員,龍驤虎視,平吞江夏,公以為何如?」孔明視之,乃虞翻也。孔明曰:「曹操收袁紹蟻聚之兵,劫劉表烏合之眾,雖數百萬不足懼也。」虞翻冷笑曰:「軍敗於當陽,計窮於夏口,區區求救於人,而猶言不懼,此真大言欺人也!」孔明曰:「劉豫州以數千仁義之師,安能敵百萬殘暴之眾,退守夏口,所以待時也。今江東兵精糧足,且有長江之險,猶欲使其主屈膝降賊,不顧天下恥笑;由此論之,劉豫州真不懼操賊者矣!」
虞翻不能對。座間又一人問曰:「孔明欲效儀、秦之舌,游說東吳耶?」孔明視之,乃步騭也。孔明曰:「步子山以蘇秦、張儀為辯士,不知蘇秦、張儀亦豪傑也。蘇秦佩六國相卬,張儀兩次相秦,皆有匡扶人國之謀,非比畏強凌弱,懼刀避劍之人也。君等聞曹操虛發詐偽之詞,便畏懼請降,敢笑蘇秦、張儀乎?」
步騭默默然無語。忽一人問曰:「孔明以操何如人也。」孔明視其人,乃薛綜也。孔明答曰:「曹操乃漢賊也,又何必問?」綜曰:「公言差矣。漢歷傳至今,天數將終。今曹公已有天下三分之二,人皆歸心。劉豫州不識天時,強欲與爭,正如以卵擊石,安得不敗乎?」孔明厲聲曰:「薛敬文安得出此無父無君之言乎!夫人生天地間,以忠孝為立身之本。公既為漢臣,則見有不臣之人,當誓共戮之,臣之道也。今曹操祖宗叨食漢祿,不思報效,反懷纂逆之心,天下之所共憤。公乃以天數歸之,真無父無君之人也!不足與語!請勿復言!」
薛綜滿面羞慚,不能對答。座上又一人應聲問曰:「曹操雖挾天子以令諸侯,猶是相國曹參之後。劉豫州雖云中山靖王苗裔,卻無可稽考,眼見只是織蓆販屨之夫耳,何足與曹操抗衡哉!」孔明視之,乃陸績也。孔明笑曰:「公非袁術座間懷橘之陸郎乎?請安坐聽吾一言。曹操既為曹相國之後,則世為漢臣矣;今乃專權肆橫,欺凌君父,是不惟無君,亦且蔑祖;不惟漢室之亂臣,亦曹氏之賊子也!劉豫州堂堂帝冑,當今皇帝,按譜賜爵,何云無可稽考?且高祖起身亭長,而終有天下;織蓆販屨,又何足為辱乎?公小兒之見,不足與高士共語!」
陸績語塞。座上一人忽曰:「孔明所言,皆強詞奪理,均非正論,不必再言。且請問孔明治何經典?」孔明視之,乃嚴畯也。孔明曰:「尋章摘句,世之腐儒也,何能興邦立事?且古耕莘、伊尹、釣渭、子牙、張良、陳平之流,鄧禹、耿弇之輩,皆有匡扶宇宙之才,未審其生平治何經典。豈亦效書生區區於筆硯之間,數黑論黃,舞文弄墨而已乎?」
嚴畯低頭喪氣而不能對。忽又一人大聲曰:「公好為大言,未必真有實學,恐適為儒者所笑耳。」孔明視其人,乃汝南程德樞也。孔明答曰:「儒有君子小人之別。君子之儒,忠君愛國,守正惡邪,務使澤及當時,名留後世。若夫小人之儒,惟務雕蟲,專工翰墨,青春作賦,皓首窮經;筆下雖有千言,胸中實無一策;且如揚雄以文章名世,而屈身事莽,不免投閣而死,此所謂小人之儒也;雖日賦萬言,亦何取哉!」
程德樞不能對。眾人見孔明對答如流,盡皆失色。時座上張溫、駱統二人,又欲問難。忽一人自外而入,厲聲言曰:「孔明乃當世奇才,君等以脣舌相難,非敬客之禮也。曹操大軍臨境,不思退敵之策,乃徒鬥口耶!」
眾視其人,乃零陵人,姓黃,名蓋,字公覆,現為東吳糧官。當時黃蓋謂孔明曰:「愚聞多言獲利,不如默而無言。何不將金石之論為我主言之,乃與眾人辯論也?」孔明曰:「諸君不知世務,互相問難,不容不答耳。」
於是黃蓋與魯肅引孔明入;至中門,正遇諸葛瑾,孔明施禮。瑾曰:「賢弟既到江東,如何不來見我?」孔明曰:「弟既事豫州,理宜先公後私,公事未畢,不敢及私。望兄見諒。」瑾曰:「賢弟見過吳侯,卻來敘話。」說罷自去。
魯肅曰:「適間所囑,不可有誤。」孔明點頭應諾。引至堂上,孫權降階而迎,優禮相待。施禮畢,賜孔明坐。眾文武分兩行而立。魯肅立於孔明之側,只看他講話。孔明致玄德之意畢,偷眼看孫權:碧眼紫鬚,堂堂儀表。孔明暗思:「此人相貌非常,只可激,不可說。等他問時,用言激之便了。」
獻茶已畢,孫權曰:「多聞魯子敬談足下之才,今幸得相見,敢求教益。」孔明曰:「不才無學,有辱明問。」權曰:「足下近在新野,佐劉豫州與曹操決戰,必深知彼軍虛實。」孔明曰:「劉豫州兵微將寡,更兼新野城小無糧,安能與曹操相持?」權曰:「曹兵共有多少?」孔明曰:「馬步水軍,約有一百餘萬。」權曰:「莫非詐乎?」孔明曰:「非詐也。曹操就兗州已有青州軍二十萬;平了袁紹,又得五六十萬;中原新招之兵三四十萬;今又得荊州之軍二三十萬:以此計之,不下一百五十萬。亮以百萬言之,恐驚江東之士也。」
魯肅在旁,聞言失色,以目視孔明;孔明只做不見,權曰:「曹操部下戰將,還有多少?」孔明曰:「足智多謀之士,能征慣戰之將,何止一二千人!」權曰:「今曹操平了荊楚,復有遠圖乎?」孔明曰:「即今沿江下寨,準備戰船,不欲圖江東,待取何地?」權曰:「若彼有吞併之意,戰與不戰,請足下為我一決。」孔明曰:「亮有一言,但恐將軍不肯聽從。」權曰:「願聞高論。」孔明曰:「向者宇內大亂,故將軍起江東,劉豫州收眾漢南,與曹操並爭天下。今操芟除大難,略已平矣;近又新破荊州,威震海內;縱有英雄,無用武之地:故豫州遁逃至此。願將軍量力而處之。若能以吳越之眾,與中國抗衡,不如早與之絕;若其不能,何不從眾謀士之論,按兵束甲,北面而事之?」
權未及答。孔明又曰:「將軍外託服從之名,內懷疑貳之見,事急而不斷,禍至無日矣。」權曰:「誠如君言,劉豫州何不降操?」孔明曰:「昔田橫齊之壯士耳,猶守義不辱,況劉豫州王室之冑,英才蓋世,眾士仰慕?事之不濟,此乃天也,又安能屈處人下乎?」
孫權聽了孔明此言,不覺勃然變色,拂衣而起,退入後堂。眾皆哂笑而散。魯肅責孔明曰:「先生何故出此言?幸是吾主寬洪大度,不即面責。先生之言,藐視吾主甚矣。」孔明仰面笑曰:「何如此不能容物耶?我自有破曹之計,彼不問我,我故不言。」肅曰:「果有良策,肅當請主公求教。」孔明曰:「吾視曹操百萬之眾,如群蟻耳!但我一舉手,則皆為虀粉矣!」
肅聞言,便入後堂,見孫權。權怒氣未息,顧謂肅曰:「孔明欺吾太甚!」肅曰:「臣亦以此責孔明,孔明反笑主公不能容物,破曹之策,孔明不肯輕言。主公何不求之?」權回嗔作喜曰:「原來孔明有良謀,故以言詞激我。我一時淺見,幾誤大事。」便同魯肅重復出堂,再請孔明敘話。權見孔明,謝曰:「適來冒瀆清嚴,幸勿見罪。」孔明亦謝曰:「亮言語冒犯,望乞恕罪。」權邀孔明入後堂,置酒相待。
數巡之後,權曰:「曹操平生所惡者,呂布、劉表、袁紹、袁術、豫州與孤耳。今數雄已滅,獨豫州與孤尚存。孤不能以全吳之地,受制於人。吾計決矣。非劉豫州莫與當曹操者。然豫州新敗之後,安能抗此難乎?」孔明曰:「豫州雖新敗,然關雲長猶率精兵萬人;劉琦領江夏戰士,亦不下萬人。曹操之眾,遠來疲憊;近追豫州,輕騎一日夜行三百里。此所謂「強弩之末,勢不能穿魯縞」者也。且北方之人,不習水戰。荊州士民附操者,迫於勢耳,非本心也。今將軍誠能與豫州協力同心,破曹軍必矣。操軍破必北還,則荊吳之勢強,而鼎足之形成矣。成敗之機,在於今日。惟將軍裁之。」
權大悅曰:「先生之言,頓開茅塞。吾意已決,更無他疑。即日商議起兵,共滅曹操。」遂令魯肅將此意傳諭文武官員,就送孔明於館驛安歇。
張昭知孫權欲興兵,遂與眾議曰:「中了孔明之計也!」急入見權曰:「昭等聞主公將興兵與曹操爭鋒。主公自思比袁紹若何?曹操向日兵微將寡,尚能一鼓克袁紹,何況今日擁百萬之眾南征,豈可輕敵?若聽諸葛亮之言,妄動甲兵,此所謂負薪救火也。」孫權只低頭不語。顧雍曰:「劉備因為曹操所敗,故欲借我江東之兵以拒之,主公奈何為其所用乎?願聽子布之言。」
孫權沈吟未決。張昭等出,魯肅入見曰:「適張子布等,又勸主公休動兵,力主降議,此皆全軀保妻子之臣,為自謀之計耳。願主公勿聽也。」孫權尚在沈吟。肅曰:「主公若遲疑,必為眾人誤矣。」權曰:「卿且暫退,容我三思。」肅乃退出。時武將或有要戰的,文官都是要降的,議論紛紛不一。
且說孫權退入內宅,寢食不安,猶豫不決。吳國太見權如此,問曰:「何事在心,寢食俱廢?」權曰:「今曹操屯兵於江漢,有下江南之意。問諸文武,或欲降者,或欲戰者。欲待戰來,恐寡不敵眾;欲待降來,又恐曹操不容:因此猶豫不決。」吳國太曰:「汝何不記吾姐臨終之語乎?」孫權如醉方醒,似夢初覺,想出這句話來。正是:追思國母臨終語,引得周郎立戰功。畢竟說著甚的,且看下文分解。
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iseilio-blog · 2 months
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地 下 室 手 記
地下室附隨於建物,似乎 “侷處一隅”,往往被忽略。卻是 老身
性格一向人棄我取,必定衷心扶持,使之發揚光大,功同在造。
衆室之中,唯我地宮,燈光一亮,金碧輝煌,除了沙發、電視的
起居與臥室,衛浴俱全,更有一間元素完備的和室;榻榻米、收藏
被褥的 押入れ 之外,還擺放有骨董,以及輪流懸掛先父收藏,真偽
末辨的字畫之ところ間 Tokoloma (床間),目前輪值為 明代大家
董其昌 之書法。
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就實際的狀態來說,長時處於陰暗,杳無一人,除卻老身日夜廝守,
俯仰於斯,惟吾德馨的一個簡陋空間。
走下樓梯拐角,幾乎伸手不見五指,前行幾步,插座小燈自動亮起。
於是提步走近桌前,亮起 1.9 w 檯燈,啟動電腦,螢幕隨之顯現。
坐下 30年 脫皮舊椅,豎起身邊折疊瓦楞紙板,形成一個 1.5公尺
立方的 microcosmos 微觀世界。開始轉抄、轉譯書櫥上之群書,
在一燈如豆之中孜孜工作,完成已達 1300篇字數各約千字以下的
節本,流芳百世,霞光萬道。一日一篇,還要三年半;大概古稀
老身,一命也已嗚呼矣。
沉浸螢幕,留言、按讚、開啟小叮噹,瀏覽典籍,天文地理,飛天
鑽地,目不暇接;這日,有蛙蛙挖節目,談論街友,更有安邦定國
之唇槍舌劍,聽聽來賓發言,實在卑之無甚高論,一時興起,留言
如下:
「街友、遊民 有礙觀瞻,舉世皆然。拙見以為,此後善心人士發放
便當,可導其出至水門之外,淡水河邊。搭建天棚,定時供應熱水,
以供沖澡,並洗滌衣物。如此則群聚處必定轉移。」-大意如此。
匆匆數語,沒想隔日發現,竟然已被刪除。言者諄諄 聽者藐藐,實
不可教之孺子也;雙向溝通既不可行,心中懊惱油然而生,關機
睡覺。
如此這般,螢幕當前,匡時濟世,左右開弓,與世界對話,同
宇宙接軌,漸感疲累,坐在 30年早已脫皮的舊椅,蓋上睡袍,
開啟小電暖爐,屁股向前挪移,躺下,將雙腳擱置於舊式電腦
頂端,昏昏入夢。
~ 01 :45 飛機躬翼過屋頂。~
~ 03 :50 有人吃 うどん。~
片晌,
悠悠回魂,燒水泡茶,繼續休憩,一天總有 Stanley 熱水瓶,
將近 4000 cc(1900cc x 2)之飲用,因此也時時如廁;無關乎
膀胱無力。尤其排水清澈,稍有泡泡,卻是乾淨無比。行年將近
八十的耄耋之年,諸相無相,衆善奉行,一路走向人瑞。
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bearbench-tokaido · 3 months
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二篇 上 その十
それから、この宿場の外れに、破れ編笠の浪人者らしいのが扇を持って、謡曲の大江山の一節らしいのをうなっているのに出会った。
「いざいざ酒を飲もうよ、さてお肴はなになにぞ、 頃しも秋の山草、桔梗、苅萱、吾亦紅、紫苑と言うは何やらん・・・ 道中患いまして難儀をいたします。なにとぞ路銀の御合力を願います。」
北八は、すまなそうに、 「いや、私らは、昨日、護摩の灰に金を盗られて一文なしだ。 どうぞ貰い溜めがあれば、こっちへ御合力願います。」 それをきいた浪人は、 「そんならここへ、寄りつくな、寄りつくな。」 と、乞食の浪人のほうが、慌てて、そうそうに逃げてしまう。
二人もおかしがって大笑いしながら行くと、道端に小屋がけして、観音様の掛け軸をかけ、麻の破れ衣を着た坊さまがいる。 居眠りをしていたが、二人の足音に気がついたのか、ぱっちりと目を醒まして、急に鈴を派手にならして、へんてこなお経をとなえだした。
「妙法蓮華経普門品第始終忽多闇、 世間子息大分遊興毎晩三味線、 音曲滅多無正、 夜前大食翌日頭痛八百、 羅利古灰、笑止千万、 近辺医者早速御見舞、 調合煎薬、呑多羅久多良腹張多心経、 チィンチィン、 鼻の下空殿の建立、お志をお頼ん申します。」
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<俄か侍> さて、更に先に行くと、松原の中ほどに、十四五の前髪の小僧が、土手をくずしてやかんをかけ、菓子などをならべて、遊びの片手間に旅人を呼び立てて売っている。 「お休みなさいませ、お休みなさいませ。」 それを見て、北八が弥次郎兵衛に声を掛ける。 「さあ、弥次さん、菓子でも食べようか。」 「そうだな。ちょっと休もうか。」 と、土手に敷かれたござの上に腰をかけて、二人で菓子を買って食べる。
北八は、菓子を食べながら、 「小僧さんや、この菓子はいくらになる。」 と、問い掛けると小僧さんは、 「はい、一つ二文です。」 と、指を折って教える。 弥次郎兵衛は、 「ということは、五つ食ったから、全部でいくらだ。」 小僧さんは、首をかしげて、 「はて、わしには、いくらかわからない。」 と、両手の指を折っている。
こりゃいいと、北八、 「そんならこういうことか。 五つで二五の三文か。ほれ、ここに置くぞ。」 弥次郎兵衛も気がついて、 「いやあ、こいつは安い。それなら、もう一つ食おう。 で、こっちのはいくらだ。」 小僧は、 「そりゃ、三文だ。」 「どれどれ、うまい、うまい。 小僧、最初のはもう払って、今のが四つだから、三、四の七文五分か。 ええい、五分はまけろ。いいな。」
弥次郎兵衛は、ますます調子にのって、 「おや、餅もあるのか。」 北八もそれに気がついて、餅を取り上げると、 「どれどれ、こいつはうまい。で、この餅はいくらだ。」 と、ぱくつく。 小僧は、 「そりゃ、五文だ。」 「五文ならこうと、二人で六ツ食ったから五六が十五文、それやるぞ。」 と、ここまで二人はインチキな掛け算で、小僧をだましている。
ここで、小僧は気がついたという風に、 「いや、もう九九じゃ、売らない。五文ずつ六つください。」 と、言うと、北八は仕方なく。 「ありゃ、金があるかな。」 と、財布を取り出した。小僧は、それを声に出して数えだした。 「一つ、ニつ、三つ、四つ。」 五文ずつ、一つ一つに数えて、三十文をひったくった。
最後には、きっちりお金を払わさられて、弥次郎兵衛は、 「こいつはやられたな。大笑いだ」 と、笑っている。 北八も笑いながら、 「酷い目にあった。さあ、いこうか。」 と、立ち上がりしばらく歩いて、北八は、はたと気がついた。 「おい、弥次さん。あの小僧は抜かりのないやつだな。」 「・・・」 「あの餅がなんで五文もするものか、 二文か三文の餅だろうに、高く売って、最初の損を埋めやがった。」 「なるほど、いまいましい。今、食った餅がのどにつまった。ゲッゲッ」 と、弥次郎兵衛、おかしさ半分、 子供とあなどって、すぐに仕返しされたと笑いながら行く。
それより久沢の善福寺と言う寺に曽我兄弟の茎の石碑があるのを拝んで、 北八が一首、
いま曽我に 機縁を結ぶ われわれは ほかに一家も 一文もなし
富士川の渡し場で弥次郎兵衛が一首、
ゆく水は 矢をいるごとく 岩角に あたるを厭う 富士川の舟
この渡しを過ぎる頃には、日も西の山に傾き、馬方も、急ぎ足で歩いていく。 その夕闇のころにようやく蒲原の旅館に入った。
これで、二篇 上は終わりです。二篇 下に続きます。
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yorunokoromo · 1 month
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片山定期能 4月公演
2024/4/27 京都観世会館
「景清」 正邦 真由人 広祐 欽次郎 保美 吉兵衛 大 九郎右衛門 
狂言 「杭か人か」 由祠 弘晃
仕舞 「兼平」信行 「雲雀山」伸吾 「高野物狂」九郎右衛門 「善知鳥」豊彦 磯道
「玄象 替之型 早装束」 玄 道喜 道治 梓 遼一 充 泰弘 達志 凛太郎 光長 邦弘 
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belleavis · 6 months
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深化兩岸融合發展  福建不斷擴大閩台青年共同“朋友圈”和“事業圈”
初夏,翠色盈盈的福州迎來33家台灣媒體。據悉,這是“小三通”復航后規模最大、來閩人數最多的台灣媒體參訪團。
第十五屆海峽論壇召開前夕,此行台灣媒體與大陸媒體組成兩岸聯合採訪團,實地走訪福建福州、三明,感受大陸發展日新月異,探尋閩台合作成效。
2023年福建省人民政府工作報告中指出,福建將完善台灣青年來閩就業創業政策支持和服務體系,鼓勵支持台灣教師來閩全職從教,支持台灣青年參與生態環保、鄉村振興、社區營造、志願服務等基層融合實踐,不斷擴大閩台青年共同“朋友圈”和“事業圈”。
社區結對 擴大閩台青年共同“朋友圈”
地處福州市區繁華地段,北歐風裝修的一室一廳一廚一衛,面積45平方米,租金僅約900元,拎包即可入住……這是2022年初福州面向在榕就業創業台胞推出的首批公租房。
這批公租房也叫台胞公寓,位於福州市晉安區保利香檳小區1、2號樓。首批台胞公寓一共有550套,分三種戶型:45平方米1人戶、55平方米2人戶、65平方米3人戶。目前,這裡已入住206戶304名台胞。
http://fj.people.com.cn/NMediaFile/2023/0603/LOCAL16857550706872BXYX80MC3.png
台胞公寓室內陳設。人民網 陳歡歡攝
“第一次在台胞公寓交租金時發現月租隻有900元,感覺不可思議。”來自台灣桃園市的95后台青邱彬平難掩激動地分享入住台胞公寓的體驗。他表示,這種“不可思議”如同大陸10年來的許多變化一樣:出門不用帶錢包、外賣隻要20分鐘就能送達、想去附近城市乘坐高鐵僅需兩三個小時……
高中就來大陸求學的邱彬平,目前跟隨團隊從事鄉建鄉創工作。“大陸鄉村的農產品很多,而且品質都非常好。我們通過美化升級包裝,幫當地打開農產品銷路。”邱彬平介紹,團隊的成員由兩岸青年共同組成,工作氛圍輕鬆活躍,大家志同道合,一起建設大陸的“美麗鄉村”。
“住在這裡,環境沒得說,還得到社區的很多關懷。”今年2月入住台胞公寓的張傳貞,2003年便到大陸求學。她說,自己曾多次輾轉大陸與台灣尋求發展機遇,但大陸發展非常快,機遇更多。如今,張傳貞跟丈夫在福州安了“家”,可以更安心打拼了。
兩岸社區交流中心外景。人民網 陳歡歡攝
台胞公寓樓下就是福建省首個兩岸社區交流中心,中心不僅幫助台胞安居樂業,還提供一系列涉台服務,協助創業台青辦理創業補助、租金減免、融資貸款等業務。
“台胞公寓已形成‘社區管理+台胞自治’的社區治理模式,這有利於台胞參與社區公共事務,促進社區與居民良性互動。”台胞公寓所在社區居委會主任陳雯靖說,通過社區結對,創建兩岸社區治理與服務標准共通試點項目,讓台胞感受“此心安處是吾鄉”的溫暖。
惠台利民 擴大閩台青年共同“事業圈”
近年來,大陸出台一系列惠台利民措施,持續做好“通、惠、情”三篇文章,率先同台灣同胞分享發展機遇,為台胞台企提供同等待遇。越來越多的台灣同胞來大陸追夢、筑夢、圓夢。
來自台灣基隆市的90年后台青蕭靖是創二代,2015年就來閩接手父親的汽車音響生意。“現在大陸居民的生活水平越來越高,我們的市場突破口也越來越多。”蕭靖介紹,在大陸能充分享受到創業政策,營商環境也很好,團隊可以沉下心突破行業技術瓶頸。
目前,蕭靖的汽車音響事業越做越大,全國經銷商網絡有300多家,年營收達5000萬元級別。去年,他還獲得福建省台灣青年“創業之星”稱號。
蕭靖展示產品。人民網 陳歡歡攝
同樣感受到大陸良好發展機遇的台青陳依媄,2017年在福州創立了短保烘焙品牌,憑借台灣傳統糕點配方和手藝,以及零添加、高性價比的產品定位,迅速成為福州某大型生鮮電商平台的頭部合作伙伴,年營收超4000萬元。
“特別慶幸,疫情三年我們沒有停工過一天,員工工資和年終獎照發。”陳依媄感慨,因為創業之初就堅定走電商渠道,疫情期間沒有實體經營壓力,加上村鎮干部的照顧和關懷,防控措施做得好,自己的品牌才能越走越遠。下一步,她計劃借大陸電商發展的東風打開全國市場。
陳依媄展示自己的部分產品。人民網 陳歡歡攝
不同於在城市打拼的台灣青年,鄧智龍選擇到福建山區打拼。
2011年,剛工作不久的鄧智龍來到大陸,與父親一起在三明市清流縣賴坊鎮南山村租下千畝茶山,種植、生產台灣美人茶。風景秀麗的南山村,是住建部第四批美麗宜居示范村,這裡生態好、虫害少,種出來的茶葉品質好,遠銷海內外。每年採茶季,鄧智龍的茶園基地能吸納當地600余人就業,帶動當地茶產業發展。
“我希望可以把我們的東方美人茶做得更好,讓更多人了解並喜歡上它。”如今與父輩一同在清流安家的鄧智龍,希望能在大陸闖出一番事業。
借助清流的好山好水,全國29家國家級台灣農民創業園之一——清流台創園已落地十余年,為台胞持續提供貼心服務。除了鄧智龍的茶企,目前還有75家台資企業入駐台創園,總投資15.32億元,涵蓋種植、養殖、農林產品加工、休閑觀光等多個產業,年產值達11.5億元。
2022年,福建接續推進閩台融合發展,對台出口增長20%以上,新設台資企業戶數、實際利用台資金額均居全國首位。
如今在福建,“你中有我、我中有你”的兩岸融合發展趨勢明顯,眾多台胞台企台青在這裡安居樂業,心更近、情更深、意更濃。
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a2cg · 9 months
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資格と私
経営学部を卒業しているので簿記検定3級位の資格はあるので無いかと思っております。他に取った資格と言えば飲食店開業の際に取った食品衛生責任者でしょうか。
他にも中学生の時に受けた資格検定と言えば英検。TOEICは700点以上取れましたが資格試験では無いので公式には自分の実力は英検4級です。
どちらも実力を図るのは英語ですが、考え方が違うようですね。えいごと言えば河島英五。「酒と泪と男と女」は名曲でした。
他にも有名なカワシマさんと言えば川島省吾。本名の方より大沢あかねさんと結婚した芸人としての芸名の方が知名度がありますよね。
というわけで本日のランチは、ひとり焼肉が楽しめる #桑の木 です。直近手術した際に赤身肉は良くないと言われていましたが、食べないのは精神的に良くないと頼みます。
注文したのは #焼肉ランチ です。着席した瞬間に #お肉 が並べられて、少し経ってから #ナムル #サラダ #スープ #ご飯 とやって来ました。
まずはお肉をジュージュー焼き始めます。この焼いている工程も含めて美味しさの秘訣なんだよなと思いながら程よい加減の肉を頂けば甘さのあるタレもあって美味しい。
続いてのナムルは程よい塩加減の味付けでこれだけでご飯が進む感じです。サラダのシャキッとした感じと #わかめスープ のシンプルだけど旨味のあるのは素敵ですね。
柔らかいお肉を心ゆくまで食べられたので、これが自分の命を減らす原因だとしても、これが食べられない方が不幸だよなと思うのでした。
今まで生きて来た人生では自分がどう思うのかの方が大事なので、他人はどうこう言う資格は無いと思ったランチでした。
カルビクッパも気になるので、またお邪魔したいと思います。
#内幸町ランチ #内幸町グルメ #内幸町韓国料理 #内幸町焼肉 #虎ノ門ランチ #虎ノ門グルメ #虎ノ門韓国料理 #虎ノ門焼肉 #新橋ランチ #新橋グルメ #新橋韓国料理 #新橋焼肉 #とa2cg
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jiunmaylin-blog · 10 months
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《 山海經生物系列 昆侖神 / 開明獸 / 陸吾 》
她轉頭看向他們前方一扇令人感到震撼的威武巨門。那扇雙開的巨大石門連同兩側碩大石柱聳入天際般隱沒入白霧之中,石柱上趴伏著面部朝下的人面虎身昆侖神石頭雕像,那在山海經裡專門守護昆侖丘的神祈瞪著大眼往下盯視著來者,這對雕工粗曠豪邁卻又栩栩如生的人面虎身神讓人望而生畏,然而最令人震驚讚嘆的卻是大門上的一對白澤神獸浮雕。』
《 山海經生物系列 昆侖神 / 開明獸 / 陸吾 》 昆侖神、開明獸、陸吾是同一個神,是守衛昆侖丘的人面虎身神。 就來說說山海經裡對這位神的記載。 不知道讀者有沒有印象在『第二部 神獸白澤 重返崑崙之虛』第『23…
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