#喪失体験
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hayato-10ka10 · 1 year ago
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【小説】『てるてる坊主の仮説立案』後
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 仮に母が空と心の天気の兼ね合いに悩む気分屋であったとして、不思議なのは、それでも母は父の実家で父と義父母と暮らしている時にはほぼ毎日洗濯をしていたことだ。当時母は晴天ならば外に干し、雨なら家の裏手の温室に洗濯物を干していた。そしてごく稀に急ぎの洗濯物がある時だけ、年季の入った、母にとっては嫁入り前からある大きな乾燥機を使っていた。「私なら乾燥機なんてものがあるなら毎回欠かさず使ってやるのに」と今更ながらにそう思った。そして同時に、もし気分屋が気分屋のままで毎日洗濯をこなしていたらと思うとぞっとした。それに耐えた忍耐に尊敬を覚えた。私なら動けない日に無理やり動くのも、晴天を見送って溜まっていく洗濯物の山を見るのも、見送って迎えた雨の日に「やっぱりやっておけば」と思うのもうんざりだ。可能なら気分の方に合わせて、文明の利器に頼りたい。そのほうが何倍も精神の健康に良いに決まっている。ならば、母はどうして毎日乾燥機を使わなかったのだろうか。電気代の節約のため。熱による衣類の痛みを気にしたから。洗濯の工程をできるだけ自分の手でやりたいという義務感や責任感から。外干しが好きだったから。あるいは逆に乾燥機が嫌いだったから。あるいは、幼い私に母が良く言っていたように、洗濯の仕方に関しても祖母からの圧力の様なものがあったのだろうか。でも、これは父の家を出て二人暮らしを始めた部屋でまで気にすることではないはずだ。先に挙げた理由だって、昨今の最新家電ならきっと大抵はそつなくこなしてくれるに違いない。唯一手をかけたいという思いだけはどうにもできないけれど、そればかりがお気に入りの服や家族への愛の体現になるわけでもないだろう。 
 洗いあがった洗濯物を干す作業の手はそのままに頭の中では様々な仮説とそれに対する反論が渦巻いた。たった一つの「なぜ」に対してだってその答えは無数にある。本人に聞けない今、その推測は頭の中でひたひたと広がるだけだ。思えばこういう本人すら良く分かっていない感情について色々と思いを巡らせるのが私は嫌いじゃなかった。考えに考えた末にその仮説を披露して、ぴったり表現できる言葉はあるか、それを見つけ��のを楽しんでいた。粘土をこねて動物をかたどるように、言葉をこねて心を真似ていた。癖のように今も。見せる相手はもういないのに。「ご苦労なことだね」とため息がしゃべった気がした。こんなことなら何とかしてドラム式の、最新の、乾燥まで一括で出来るすごい洗濯機を買ってあげればよかったと無責任にそう思った。少し前まで学生だったくせに。
©十ヶ十颯2024
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m12gatsu · 2 months ago
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そう、もしあなたが自我を失えば、そこであなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。しかし人は、物語なしに長く生きていくことはできない。物語というものは、あなたがあなたを取り囲み限定する論理的制度(あるいは制度的論理)を超越し、他者と共時体験をおこなうための重要な秘密の鍵であり、安全弁なのだから。
物語とはもちろん「お話」である。「お話」は論理でも倫理でも哲学でもない。それはあなたが見続ける夢である。あなたはあるいは気がついていないかもしれない。でもあなたは息をするのと同じように、間断なくその「お話」の夢を見ているのだ。その「お話」の中では、あなたは二つの顔を持った存在である。あなたは主体であり、同時にあなたは客体である。あなたは総合であり、同時にあなたは部分である。あなたは実体であり、同時にあなたは影である。あなたは物語を作る「メーカー」であり、同時にあなたはその物語を体験する「プレーヤー」である。私たちは多かれ少なかれこうした重層的な物語性を持つことによって、この世界で個であることの孤独を癒しているのである。
しかしあなたは(というか人は誰も)、固有の自我というものを持たずして、固有の物語を作り出すことはできない。エンジンなしに車を作ることができないのと同じことだ。物理的実体のないところに影がないのと同じことだ。ところがあなたは今、誰か別の人間に自我を譲り渡してしまっている。あなたはそこで、いったいどうすればいいのだろう?
あなたはその場合、他者から、自我を譲渡したその誰かから、新しい物語を受領することになる。実体を譲り渡したのだから、その代償として、影を与えられるー考えてみればま当然の成りゆきであるかもしれない。あなたの自我が他者の自我にいったん同化してしまえば、あなたの物語も、他者の自我の生み出す物語の文脈に同化せざるを得ないというわけだ。
いったいどんな物語なのだろう?
それはなにも洗練された複雑で上等な物語である必要はない。文学の香りも必要��い。いや、むしろ粗雑で単純である方が好ましい。更に言えば、できるだけジャンク(がらくた、まがいもの)である方がいいかもしれない。人々の多くは複雑な、「ああでありながら、同時にこうでもありうる」という総合的、重層的な--そして裏切りを含んだ--物語を受け入れることに、もはや疲れ果てているからだ。そういう表現の多重化の中に自分の身を置く場所を見出すことができなくなったからこそ、人々はすすんで自我を投げ出そうとしているのである。
だから与えられる物語は、ひとつの「記号」としての単純な物語で十分なのだ。戦争で兵士たちの受けとる勲章が純金製でなくてもいいのと同じことだ。勲章は〈それが勲章である〉という共同認識に支えられてさえいれば十分なのであり、安物のブリキでできていたってちっともかまわないのだ。
麻原彰見にはそのようなジャンクとしての物語を、人々に(まさにそれを求める人々に)気前良く、そして説得力をもって与えることができた。彼自身の世界認識がおそらくは、ほとんどジャンクによって成り立っていたからだ。それは粗暴で滑稽な物語だった。部外者から見ればまさに噴飯ものとしか言いようがない物語だ。しかし公正に言って、そこにはひとつだけたしかな一貫したことがある。それは「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語だった」ということだ。
そういう観点からすれば麻原は、限定された意味あいにおいては、現在という空気を掴んだ希有な語り手だったかもしれない。彼は自分の中にあるアイデアやイメージがジャンクであるという認識を--たとえ意識的であったにせよそうでなかったにせよ--恐れなかった。彼はまわりにあるジャンクの部品を積極的にひっかきあつめて(映画のE.T.が物置にあるがらくたを使って故郷の惑星との交信装置を組み立てるように)、そこにひとつの流れを作り出すことができた。そしてその流れには麻原自身の内的懊悩が色濃く反映されていた。またその物語の抱えている欠損性は、まさに麻原自身の自我の抱えている欠損性であった。だから麻原の自我の久損性に進んで同化した人々にとっては、その久損性は物語を受け入れる上で、まったく障害にはならなかった。むしろプラスにさえなった。しかしその矢損性はやがて、おそらくは内在的なモーメントの作用によって、致死的なファクターに汚染されていく。大義としての何かは救いようもなく妄想化、仮想化していく。もうあともどりができないというところまで。
村上春樹『アンダーグラウンド』「目じるしのない悪夢」(��字引用者)
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yutakayagai · 5 months ago
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寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュースを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と顔を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口調をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエットパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエットパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…雅之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪を弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を挿れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し殺しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから知ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に��てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入ろうとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせてい��。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだよ」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」��遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
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ari0921 · 2 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)5月7日(水曜日)弐
     通巻第8773号
 「失われた八十年」(宮崎正弘)
   (北国新聞「北風抄」、4月28日号から再録)
*************************
 ▲失われた八十年
 「失われた三十年」とは誰が言い出したのか。
 知日派ジャーナリストのリチャード・カッツは『「失われた三十年」に誰がした』(早川書房)を書いた。読んでみると何のことはない。日本的経営のアキレス腱とガバナンスのあり方を問うたもので、肝心要の日本の精神に言及していない。
 江藤淳は「第二の敗戦」と表現した。日本経済新聞にいたっては「次は失われる四十年」とか、「日本を待つ”転落の五十年”」(二〇二五年四月十九日コラム)と絶望的なほど自虐的である。
 1990年代央にバブル崩壊があって、日本経済は右肩下がりとなり、若者から活気が失せ、社会はダイナミズムを喪失した。就職氷河期といわれた。
 「失われた十年」、「失われた二十年」が連続し、メディアは自嘲的にこうした比喩を多用した。
 ラジカセからウォークマンの爆発的ブームもデジタルカメラのブームも去って、鉄鋼・造船は中国に、日本が自慢した半導体は台湾と韓国に市場を奪われていた。
 能登震災の仮設住宅もままならないのに米国の圧力でウクライナ支援に1兆7000億円もの国民の血税を支払わされた。
 まさにアメリカのATMが日本だ。
 「失われた三十年」という言い方は主に経済的停滞を視野に入れてGDPの伸び悩み、技術開発力の停滞、賃金上昇の低さから判断した分析でしかない。
 わずか三十年の話ではない。
 戦後八十年、日本はずぅっと『日本らしさ』が失われたままなのである。
 いったい何を喪失したかと言えば、自立自存の精神、大切な主権の喪失である。
基盤となる大和精神の消滅である。日本は日本ではなくなって、これまでの歴史とは「別の国」が極東の島国に残存し、グローバリズムなどと面妖な呪文を称えている。
 私たちが守ろうとした国は深い霧の中で喘いでいるかのようだ。
 古代では縄文時代から弥生への転換期に、それまで日本にはなかった環濠集落が造成されるようになった。
 次に三世紀後半から六世紀にかけて各地に造成された古墳が、仏教伝来ととともに寺院築造がブームとなって、突然廃れた。これは歴史上の“大事件”である。「失われた300年」なのである。
 前方後円墳など日本独自の文化・文明が異教の乱入で消えたのだ。
 奈良時代には外国かぶれが流行した。唐の文化が朝廷を覆い尽くしていた。
 平安遷都を経て菅原道真の遣唐使廃止(894年)まで、国風文化は時間をかけてようやく甦るのである。
 古今集、源氏物語、更級日記など日本独特の文化が花開いた。日本文学はこのときに“真昼”を経験した。
 以後、元寇の襲来まで摂関政治の貴族社会は曲がりなりにも続いた。政治の実権は武士に移行したが、朝廷の権威に変わりは無かった。 
 次の日本らしさの喪失は1543年の種子島への鉄砲伝来、フランシスコ・ザビエルの来日(1549)以後の、キリシタン伴天連の猖獗である。異教の教えは日本古来の神道、仏教と衝突した。
 ところが、信長の保護と奨励により伴天連は猖獗を極め、1633年までのおよそ90年間は「伴天連の世紀」である。
 明治時代は「西側信仰」の時代だった。
 近代化と重工業化、脱亜論、鹿鳴館の西欧かぶれは日本らしさ喪失の再現ではなかったのか。
 萩原朔太郎は『月に吠える』のなかで、
「その菊は饐え、その菊はいたみした���る(中略)。菊は病み、すえたる菊はいたみたる」
 皇室の御紋章が病んでいるとは日本の歴史が病んでいることである。
 朔太郎はこうも読んだ。
「桜の木の下に立ちてみたけれども わがこころはつめたくして、花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。いとほしや」
 桜は日本の国花、その衰微を嘆いた。
 国風の蘇生、日本独自の文化の再生は、表面的なGHQ政策の排除だけではなく、基底からの刷新が必要であり、まだまだ日本を取り戻すには、時間を要する。
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kennak · 1 month ago
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他人事じゃなさすぎるので書く。 うちは小6息子がLD &ADHD。小2の終わりに診断出た。 小さい頃から文字を書きたがらないし、書けるようになっても書くのにとても時間がかかった。読むのはまあまあできるけど、読み飛ばしたり、文頭だけ読んで文末を想像してるとしか思えない読み方をしていた。 就学してからはカタカナを一向に覚えない。教えても教えても忘れちゃう。漢字も覚えない。見開きのページ両面いっぱいに、同じ漢字を30回書かせるとするじゃん?次のページめくって、今書いた漢字なんだった?というと、思い出せないわけ。 夫に相談すると、俺もそんなもんだった、気にしすぎ、と笑われるところから始まり、それでもおかしいと言うと、やがて「お前は息子を障害者にするのか!!」と怒り出した。 夫はほっといて、市に相談。読み書きスクリーニングという検査を受けた。結果はおそらくLD。でも確定するにはウィスク検査という知能検査を受けて、知的障害がないことを証明して初めて確定になるとのこと。学習障害は”知的障害がないのに”勉強ができないことが条件とのこと。 それでウィスクの予約を受けるんだけど、これがまあ初診予約が半年後、検査はさらに数ヶ月後、結果はそっから1ヶ月後とか言われるわけ。だからウィスクも合わせて受けるとなるとかなり早めに動いた方がいいんだよね。 私はどうしても数ヶ月以内に結果知りたくて、周辺自治体まで範囲を広げて片っ端から電話したら、たまたま空きの出たところへ滑り込み4ヶ月後には知能は年齢相応で知的障害がないので、LDですねと結果が出た。ついでにADHD診断のおまけがついた。 夫とはその間も喧嘩ばかりだったけど、あなたが認めなくても、息子が困ってることは変わらない、私は息子の困ってることを親として助けたいだけ、もっと息子に合った学習法があるなら知りたいだけ、というのを伝えていったら、だんだん何も言わなくなっていった。 実は、夫も息子と同じ傾向があった。読み書きが不得手で、夫は自営業だけど、申告書類だの申請書だの書き物は全部私に代筆させてた。ただのめんどくさがりと思ってたし、本人もそう振る舞ってたけど、息子を支援してるうちに徐々に打ち明けてくれた。実はそうじゃないと。字が思い出せないことがあり、恥ずかしいし自分でも認めたくなかったと… 小学生のころ知的障害を疑われ支援級に入れられ、親に泣かれた���とがあったという。すごくショックだったようだ。 夫にとっては息子の特性を認めることは、否応なしに自分の特性と向き合うことだった。だから反発も戸惑いも、私よりずっと大きかった。でも夫は克服した。息子が可愛いからだ!息子可愛さで自分の障害まで認めてしまえる。子供は偉大だ。 そうして、私と夫と息子の3人、力を合わせてみんなで読み書きに取り組むようになった。 例えば息子は、一つ、二つ、三つ、などの読み方や、ついたち、ようか、むいか、などの読み方のイレギュラーをなかなか覚えられない。 母子で苦労してると、夫が横から「実は俺、今だにそれ分かってない」と告白してくる。 すると、えーパパもできないの?40過ぎてできないなら、今できなくても仕方ないね!となる。他にも夫は自分の経験から、いろんなアドバイスをしてくれる。息子も、自分だけじゃないと励まされるし、何より将来の見通しというか、ロールモデルとして夫の存在はめちゃくちゃ大きい。 読み書きが不得手でも、得意分野できちんと社会生活を営んで、真っ当に生きてる夫の姿が、将来への不安を軽くする。 夫が同じ特性を持ってるということは、子供にとってむしろ強みなのだ。 学習にはもちろんプロの手も借りた。 放デイの受給者証を取得したが、読み書きの指導ができる放デイは一つもなかった。あらゆる機関に相談していると、やがて大学の先生がやってるLDの支援教室を見つけて通えることになった。息子に合ったやり方で宿題を出してもらい、家庭で取り組むのだ。カタカナを完璧にマスターするところから初めて、今は小2の漢字を頑張ってるところだ。 ちなみに読み書き以外の知的に問題はないので、算数や理科などは年齢相応に取り組んでる。そこも息子に合わせたやり方に家庭で調整しながら、自主学習してる。 もちろんつまずきは数えきれないほど合った。特に、ADHDの併発は学習を阻害して大変だった。 学校の理解が今ひとつな年があって、その年の息子は学習どころじゃないくらい荒れて、不登校寸前になった。具体的にはその年の担任の先生と管理職から、だらしなく勉強のできない子と見做された息子は、たびたび叱責を受けてしまったのだ。大いに荒れた。小3の頃だった。 LDの大きな問題として、学習のつまずきから学習意欲の減退、自信喪失、自己肯定感の欠如、そこからいじめ、不登校などの二次障害がある。息子も見事にその道を辿りかけた。 泣いたり怒ったり学校と話し合いを重ねて、小4でまた担任が変わると学習意欲も戻ってきた。立ち直すのには丸一年かかった。その間はお勉強どころではなかった。 支援級に移籍して、療育へも通った。相談支援を受けながら、学校にお願いして環境調整や合理的配慮もやっていった。 やがて顔つきが穏やかになり、小5になるとやる気いっぱいな息子が帰ってきた。得意分野で表彰されるなどもして、学習支援も進んだ。修了式で学年を代表し6年生の抱負を読むくらい、充実した学校生活だった。 ところで息子の支援をしていく中で、私自身もADHDの傾向があることが分かった。LDが夫の遺伝なら、ADHDは私の遺伝だったのである。このことは私もショックだったし、自分のせいで…となる夫の気持ちがよく分かった。 息子への対応も、自分の上手くできないところは息子にうまく教えられないこともわかった(計画的な見通しの立て方や、感情の切り替えや、整理整頓など…)。 上手く支援できずに苦しむ私に、夫は「お前は何で息子の特性を許せるのに、自分の特性は許せないの。同じじゃないの?許してやれよ。頑張ってるよ」と言ってくれた。 夫は、息子の特性を認め、許し、愛す中で、自分の特性も許してきたのだ。私にも同じことができるはずだと励ましてくれた。 そのうち夫婦でも「俺、これ読めない」とか「私どうしてもこれ苦手」とか言い合うようになった。 そうすると、お互いにそうかそうかと引き受けることができる。 これまでももちろんフォローはしてたけど、お互いに”何でこれくらいできないの?”という気持ちは隠せなかった。でも今はそんなことない。 交際5年で結婚して、出産して10年以上経っても、相手のことなんて意外とわからないものだ。家族の中に深く許し合える関係が生まれた。これも息子のおかげである。 以上のように、我が家はLDの息子を通して自分のことがわかり、夫のことがわかり、息子のことが分かるようになったから、診断は悪いことばかりではないよ。それに診断がついたらSNSでも書籍でも、困りごとの対策が見つけやすくなる。 我が子と同じ子はごまんといるというのは、孤独を癒してくれるし心強さが生まれる。 こんなところにこんなに仲間がいたのか〜!となる。 息子に遺伝子の説明をしたとき、あなたはお母さんの設計図が半分、お父さんの設計図が半分渡してあるんだよと言ったら、息子は「良い設計図をもらった」といってくれた。 今もそれに励まされてる。 これから思春期だからぜんぜん油断もできないし、まだ小6だから子育ての難関もこれからだけど… とりあえず、診断は怖くないと言うことを伝えたかった。
他人事じゃなさすぎるので書く。 うちは小6息子がLD &ADHD。小2の終わりに..
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moko1590m · 1 month ago
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ニーチェ的「末人(おしまいの人間)」の特徴と、現代的類似形態の詳細
1. 適応過剰性と主体性の喪失
権威(国家、企業、上司など)に従順で、自発性に乏しい。
社会制度や通念に対して疑問を持たず、内面化して生きる。
安全・安定を最優先にし、挑戦や創造には消極的。
自己決定を恐れ、他者の評価やルールに依存。
2. 上下関係の内面化
上には媚び、下には高圧的になる傾向(権威主義的性格、アドルノらが論じた)。
上下関係を自然なものとみなし、抑圧を再生産。
弱者に対して連帯せず、むしろ攻撃する(スケープゴートを求める)。
3. 形骸化した美意識
形式や規範に固執し、本質を見失う。
個性や創造性よりも、既存の「正しさ」「整い」に価値を置く。
「美」はファッションやマナー、インテリアなどの型に還元されがち。
4. 表面的なポリコレ(政治的正しさ)の遵守
内発的な倫理観ではなく、外的規範に合わせるためのポリコレ実践。
その遵守自体が自己肯定感や優越感の源となる(道徳的ナルシシズム)。
他者にもその規範を強制し、逸脱者を排除する傾向。
5. 希望の喪失と抑圧的自己認識
世界を変える可能性や自己変容の可能性を信じない。
自虐的・自己卑下的な語りをするが、そこに妙な誇りがある。
抑圧された自我を正当化する言説(「これが現実」「大人になるってそういうこと」)を反復。
6. 不自由なプライドと支配欲
無内容な「正しさ」や「常識」を盾にプライドを保つ。
自身の狭い経験や価値観を普遍化し、他者に押し付ける。
教訓・説教・忠告の形式で他人を支配しようとする。
7. 快楽の均質化と怠惰な幸福
「心地よさ」「無難さ」「便利さ」が幸福の基準。
不快や混乱、対話や変化を避ける。
消費社会的な快楽(娯楽、買い物、SNS)に閉じこもる。
8. 過剰な自己保存本能
生命や社会的立場の維持が最優先で、「生の昂揚」は軽視される。
ニーチェがいう「生の意志(Wille zum Leben)」に従っているが、「力への意志(Wille zur Macht)」を欠く。
9. 規範の内面化による監視社会的性格
自分の内に「監視者」を住まわせて、自己検閲・自己管理を行う。
他者の逸脱に敏感で、それを咎めることで自我を保つ。
「世間的正しさ」を無自覚に武器化する。
10. 意味の貧困と深みの喪失
深い問いや形而上学的関心を「非生産的」として切り捨てる。
宗教・哲学・芸術が、単なる趣味や装飾に矮小化される。
内的対話が失われ、自己の深みに潜る能力が減退する。
近代批判の系譜との関連
フロムの「自由からの逃走」:自由を恐れ、権威に服従する性格傾向。
マルクーゼの「一元的思考」:技術的合理性が全てを覆い尽くし、対抗的想像力を失う。
アドルノの「権威主義的パーソナリティ」:ナチズムを可能にした心理的傾向として分析。
ライヒの「性の抑圧とファシズム」:リビドーの抑圧が支配構造に適応的性格を生む。
現代の「末人���的傾向を加速する社会的要因
SNSによる承認欲求の制度化(「いいね」による快楽回路)
教育における標準化と評価主義(偏差値、就職偏重)
経済的不安定さと過剰労働(自発性・余白の欠如)
文化の商業化と表層化(深層的意味への関心の喪失)
規範の過剰供給と自己責任論の蔓延
このような人間像は、ニーチェが超人(Übermensch)という概念で対比的に語るように、**「生の肯定」「創造的価値の創出」「自己変容」**という方向性とは真逆の位置にあります。
必要���あれば、こうした「末人」状態からの脱出のヒント(例:生成変化、アセンブリックな生のあり方、東洋思想との接続など)についても整理できます。ご希望があればお知らせください。
4o
You said:
ニーチェの「末人」と同様の分析を行った思想家・学者など、できるだけ多数教えてください。
ChatGPT said:
ニーチェの「末人(der letzte Mensch)」という概念に類する人間像の分析や批判を行った思想家・学者は、20世紀以降の哲学、社会思想、精神分析、文化批評において多数存在します。以下に代表的な人物をジャンルごとに整理し、簡単な解説を添えてリスト化します。
◆ ニーチェの「末人」的主題を引き継ぐ思想家・学者リスト
1. 実存主義・ニヒリズム批判の系譜
思想家   主な概念・著作   関連する「末人」的分析
マルティン・ハイデガー『存在と時間』「ダス・マン(世人)」=平均化された匿名的存在としての人間像。自己を生きる代わりに他者の視線や世間に流される。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』『存在と無』「実存は本質に先立つ」:自由から逃れ、役割や肩書きに安住する人間への批判。
アルベール・カミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』不条理を直視せず、習慣の中に逃げる人間の姿(=末人的)を描く。
2. フランクフルト学派・社会心理の批判
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
テオドール・アドルノ『権威主義的パーソナリティ』『否定弁証法』権威に従順で他者に攻撃的な性格構造=ファシズムを支える「末人的」性格。
マックス・ホルクハイマー『道具的理性の批判』理性が自己保存と効率だけを目的とするようになった現代人=末人。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』『生きるということ』自由に耐えきれず権威に逃げ込む「逃走する人間」=末人の心理。
ハーバート・マルクーゼ『一次元的人間』消費社会が人間の欲��や想像力を均質化し、批判精神を失わせる。
3. ポスト構造主義・現代思想系
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』実体なき「イメージの支配」に取り込まれる人間像=自己喪失型の末人。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』『シミュラークルとシミュレーション』現実よりもコピー(シミュラークル)を消費する人間=意味喪失の末人。
ジル・ドゥルーズ & フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』など欲望をコード化され、定型的な役割を演じる主体=脱創造的「末人」。
スラヴォイ・ジジェクポストマルクス主義・ラカン理論消費社会における「空虚な欲望」と「享楽の命令」に従う主体=「末人」的存在。
4. 宗教・倫理・東洋思想との関連
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』形式的信仰や制度に埋没し、本質的な魂の渇望を見失った人間への批判。 
梅原猛『仏教大学講義』など経済的合理性や制度に埋没する現代人=仏教的な意味での「迷い」の極致。
中村雄二郎『術語集』『共通感覚論』技術的合理性に染まる現代人が、感性・共感を失う危険性を示唆。
5. 精神分析・文化批判・社会理論系
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
ヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの心理構造』性の抑圧が支配体制に順応する性格を生み出す=「末人」的心理の構造分析。
アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』科学文明の発達と人間性の崩壊の乖離を批判。
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』マスメディアによる認識の管理に無自覚な現代人=末人型の大衆。
6. 日本の思想家・文化批評家
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』『探求』資本制の内部に無自覚に同一化する主体の批判。
宮台真司『14歳からの社会学』など「終末的社会」の中で思考停止する大衆=末人化した現代人の診断。
中沢新一『野生の科学』『芸術人類学』近代的合理主義に押しつぶされた、野生的感性や創造性の喪失=末人的。
栗本慎一郎『意味と生命』『パンツをはいたサル』「意味への感受性」の衰退を嘆く。脳の変容と社会構造との関係を指摘。
補足:文学・芸術における「末人」的表現者
フョードル・ドストエフスキー(『地下室の手記』の主人公)
カフカ(『変身』『審判』などの不条理で抑圧的な主人公像)
三島由紀夫(『豊饒の海』など、戦後日本人の精神的空洞化への批判)
村上春樹(空虚で自閉的な語り手たち)
必要であ��ば、特定の思想家の議論を掘り下げたり、比較表にしたり、また「末人」から脱却する思想や実践(生成変化・スピノザ・仏教思想など)との接続も可能です。お知らせください。
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wildtokyo-jp · 4 months ago
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人々の自然とのつながりの感覚について、諸外国と比べて日本が極端に低い、という論文がX(Twitter)で紹介されていた。
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関係があるかわからないけれど、生物多様性や自然そのものに対する人々の忌避反応には、自然との接触が、便利で快適な都市生活を送る人々に「罪悪感」を喚起しうる、という根源的な理由が潜んでいる、とネイチャーガイドの現場に立つ中で、個人的にずっと考えてきた。
あるいはガイドが自然保護を訴える場面に立った場合(私自身のガイドは必ずしも保全意識の訴求が目的でない場合が多いけれど)、そのガイド自身が現代文明の大きな恩恵を受けている一種のパラドックスに常に自覚的でなければ、参加者は鋭敏にそこに不信感を嗅ぎつけうることを実感してきた。
それは「教師が熱心に環境教育を行うほど子供が自然嫌いになる」という、米国の環境教育者デイヴィド・ソベルが「エコフォビア(自然恐怖症)」と呼ぶ現象にも通じる。ソベルはその回避のために、まず身近な自然への親しみ・共感を育むことからスタートすることを唱えた(『足もとの自然から始めよう』2009)
自分なりに翻案すれば、生の自然に触れる「原体験」の喪失は、現実の複雑な自然のありようと距離があるまま、イメージや知識によって実態から離れた自然観の構築につながってしまうだろう。そこに上記のような自然と都市社会の二項対立の価値観の淵源の一つがあるのではないか、と考えたのが、私自身10年ほど前にネイチャーガイドの活動を始めたきっかけの一つだった。
近年、まさに幼少期の自然体験が成人後の自然観に強い影響を及ぼすという研究が次々に発表され始めている(Soga and Gaston 2016, Hosaka et al. 2017 など)。
ネイチャーガイドには、参加者に受動的に知識を与えるだけでなく、「実体験」を通じて参加者が能動的/内発的に好奇心を発揮する場を醸成できる強みがある。それは自然のみならず、自然を掘り下げる科学の視点に対する「原体験」をも創出しうる、というのが私がいま実践の中で考えていること。
しかし自然も科学も、その意義・魅力がいかに大きいものであっても、どう受け取りどう捉えるかは、人それぞれであるはず。私にできるのは「選択肢」を提示することにすぎない。「実体験」を通じてそのプロセスをいかに豊かなものにできるか、引き続き現場に立ちながら試行錯誤していきたい。
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nagatzki · 6 months ago
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クワロマンティック/クワセクシャルを誤解していた話──僕の「愛についての考え方」に名前がついた。
*この記事では、鉤括弧つきの「彼」を、明治以前の男女を分けない用法で使っています。英語で言えば「they」に相当します。
*よく性欲と恋愛感情を混同されがちな「好き」という気持ちについて、【ロマンティック=恋愛感情】/【セクシャル=性欲・「性的な惹かれ」】に分けて文章を書いています。
たまには今の状況でも、久しぶりに書いておこうと思う。
2025年、新年は明けたものの昨年亡くなった2人の祖母の喪中だし、ガザでの攻撃や死は続いていて「happy new year」感をあまり感じられない1/3ド深夜。
ふと、3年前に書いた日記、ないし独白を読み返していた(https://is.gd/xXqJ0t: 2022年)。
その独白は、こう締め括られていた。
「どれも誰かに直接伝えたいってものではないのだけど、ただもしかしたら———ほんとうに誰でも嬉しい———誰かがを見つけてくれるかもないところに、僕から見た世界の断片を置かせてほしいのです。
見つけてくれた人はありがとうね。」
まるで、未来の自分に宛てた手紙みたいだった。
見つけたよ、僕。
やはり自分の真の理解者であり、自分を最も愛することができるのは自分なのだなと思った。
自己愛の強いINFPらしいかもしれない。──まあ人間を16種類にしか分けられないなんてわけないけど。。。
過去の自分、または未来の自分に宛てて、今の近���も書き記しておきたいなと思った。
そういうわけで、この文章を書いているmy new year…
今から書くのは、2022年の独白の後の、2023年および2024年を軸とした状況や、僕の変化についてだ。
僕はこれを書いている2025年に30歳になるが、三十路を迎える時期になってもまだまだ自分の心──ジェンダーやセクシュアリティは複雑怪奇で、滔々と変化し、興味が尽きない。
それでは自分に向き合う「自己理解パーティ」を今宵も開催しよう。
2022年に書いた独白に登場した、僕が最後に「狭義の恋愛感情」を抱いてしまった人は、今はもう話す機会はない。
「彼」との関係性が上手くいかなかった当時は、鬱病や失業も相まって、自傷や自殺の衝動に駆られるほど辛かったが、今となってはさほど引き摺っていない。
(それよりも10年ほど前の傷痕の方が疼く。
10年前の傷とは、例の独白でも書いた、当時「好き」だった人に深く深く傷つけられたことである。)
僕が最後に好きになった人と上手く行かなかった悲しみが、その(独白に出てきた)女の子と触れ合ったことによって、なんだかぜんぶどうでもよくなったのは、たぶん本当だった。
セクシャルな経験を男性だけでなく、身体の同じ女性や、あるいは性別の曖昧なひとともしたことは、僕の心を豊かにしたと思う。
よく考えたら、あまり意識してこなかったが僕はパンセクシャルだ。
また、上記の「彼」など、性別の曖昧なひとにロマンティックな気持ちを感じたこともあり、たぶん僕はパンロマンティックでもあることに、ごくさいきん気がついた。
あまり困ったことがなかったから、自分の中で意識されてこなかったように思う。
たぶんそれは、そもそも僕は恋愛では、相手の性別やセクシュアリティにかかわらずほとんど満たされたことがなかったからでもある。
僕は、これまで「狭義の恋愛感情」によって幸せになることはなかった。これからもおそらくないだろう。
むしろ今の僕が幸せや安心感を感じられるのは、友情などを含んだ広い意味での好きな人たちとの関係においてだと感じている。気づかなかったが、おそらく過去もそうだったのだと思う。
もともと僕は、恋愛感情を非常に強く感じる質(たち)である。
恋愛漫画で見るような、好きな人に対して切なくて、会いたくて仕方なく感じるような恋愛感情を、僕は「狭義の恋愛感情」と呼んでいる。
それに対して、「狭義の恋愛感情」以外に「広い意味での好き」もあると気づき、数年前から「広い意味での好き」を大事にしたいと考えるようになった。(おそらく2019年頃)
ところで、クワロマンティック/クワセクシャルというセクシュアリティがあるのをご存知だろうか。
僕は、クワロマンティック/クワセクシャルという言葉を1〜2年ほど前に知って以来、「友情と恋愛感情を区別できない」心のあり方だと誤解してきた。
そうではなくむしろ本流は、「クワロマンティックは「恋愛感情と友情が区別できない」という状態のみならず、むしろ「区別したくない」という態度や主義でもあり得るのだ。」そうだ *1。
*1 https://lgbter.jp/noise/0183/
ずっとクワロマンティック/クワセクシャルのことを、「友情と恋愛感情を区別できない」のだと勘違いしていたので、それ以外の感情との境目がかなりはっきりしている「狭義の恋愛感情」を持つ自分には当てはまらないと思っていたが、むしろこちらの説明はしっくりくることに気がついた。
確かに僕は、「狭義の恋愛感情」を感じはするものの、それ以外の「広い意味での好き」──愛情や、友情や、一緒にいてくれることへの感謝や安心感、はたまた言葉に言い表せない輪郭の曖昧な「好き」たちを、愛したいと切望してきたからだ。これは、僕の愛についての考え方であり、態度である。
過去、自身の感情と理性を分離して心を苦しみから守ってきたせいか──僕はセクシュアリティは考え方ではなく、感じ方の問題だと思っていたが、クワロマンティック/クワセクシャルの現在地点を正しく理解したことで、考え方も自分のセクシュアリティとして受け止めていいのだという地点に到達することができた。
僕はポリアモリーにも属しているし、非独占愛者でもあるから、よく考えればそのこともわかるものだった。
ポリアモリーは単に人を複数好きになる心の状態だけでなく、複数の恋人を持つ「ライフスタイル」であるとも理解される。
僕は「狭義の恋愛感情」を、同時に2人以上に抱いたことはない。
しかし、これまで自分はポリアモリーというラベルを、「モノガミーに限定されないリレーションシップを構築するライフスタイルに肯定的であるという態度や主義を示すもの」として使っていた。
このことをうまく認識できていなかったが、今回言語化することができた。
翻って、クワロマンティック/クワセクシャルは、ライフスタイルとして捉えることもできるだろう。
すなわちそれは、恋愛感情や性的惹かれ、また恋愛/性的価値に重きを置かないリレーションシップを構築することだ。
今までクワロマンティック/クワセクシャルという言葉を得ていなかったが、僕は、実はこのようなライフスタイルをすでに実践していたと思われる(!)。
例えば以前、他に「狭義の恋愛感情」を抱いていた人がいたが、その恋は叶いそうもなく、その状態で他の人と付き合っていた。付き合った「彼」のことは「広い意味での好き」であり、少しの間だが生活をともに送った仲だった。「クワロマンティック/クワセクシャル」な選択だったと言えるかもしれない。
また、今現在の僕は、「普通に飲んだり麻雀したり博物館に行ったり、映画館に行って映画を見たりするのと同じように、〈コミュニケーションや遊びの一形態としてのセックス〉もする友人」というリレーションシップ/親密圏を持っている。それも信頼と友情のある2〜3人前後の友人と。
この関係は年単位の長期的な継続性のあるもので、その時々で人間関係も変化したり、関わる人数も変わったりする���
でも、何らかの約束を結んだわけではない、あくまでただの「友人」だ。
これが「セフレ」ではなく「友人」なのは、セフレが「セックスが(主)目的の関係」なのだとしたら、それに対し、友人とは、セックスがなくても成立する友情関係のことだと捉えられると思うからだ。セックスないしセクシャルな触れ合いは僕(たち)にとって、ともに楽しめる遊びの一つに過ぎない。別に今もセックス以外のこともして遊ぶし、もしセックスがこの世になければ僕たちは他の遊びをするだけだ。そんな関係もこの世には存在している。
これは、極めて「クワセクシャル」的な関係なのではないだろうか。友情と性行為が違和感なく共存している関係だ。
むしろ「違和感がない」どころか、僕にとっては友情や友人関係は、安心できるリレーションシップにとって必要不可欠な要素だと感じている。「友人」とは、僕にとっては「対等な人間関係」の一形態と了解している。
恋愛的/性的に搾取されたりしたりする関係ではなく、対等な人間・友人としてのリレーションシップが確立してると感じられるからこそ、僕は安心して性行為ができるのだ。
そしてセクシャルなだけでなく、ロマンティックに通じるような、とりわけ人としての愛情や親密さを感じられる友人もいることが嬉しい。
一方で、僕にとっての恋愛/性愛関係とは、相手にロマンティック/性的な搾取や傷つけることをしてしまったり、されたりするものだった。僕はいつも、対等な恋愛/性的関係を構築・維持するのは非常に難しいと感じる。それは、そもそも好意というものが他者への要求と変換されることで攻撃性を含み、付き合うなどの性愛の関係性が「要求」することを正当化するからだろう。(しかしとにかく恋愛が厄介なのは、この要求が退けられると、他者への攻撃性がダメージとなって自分に跳ね返ってくることだと思う。)
だから僕も他人をたくさん傷つけてきたし、たくさん傷を負ってきた。
こうして文章に書き起こしてみると、一体化しようとしない距離感のある「対等な友人関係」というのは僕の中においてはかなり大事な要素であることを改めて認識させられた。
この感覚は、僕が非所有愛者であることと相関関係があるように思う。僕は、パートナーシップを結ぶことで、相手や自分が束縛されたり所有されたりすることで自由や可能性を失うことが、非常に非常に嫌なのだ。パートナーシップは多くの場合、制約や束縛といった所有を伴うが(なお、それはポリアモリーでも同様である)、一方で友人関係はそのような束縛や所有を前提としていないことが、他者と自らの自由を愛する僕の居場所としてとても心地いい。
どこかで聞いた言葉だが、「いいパートナーシップは、いい恋人や夫婦であるだけでなく、いい友人でもある」、みたいなことを聞いたことはないだろうか。
【ロマンティック=恋愛感情】や【セクシャル=性欲ないし性的惹かれ】と、友情はそれぞれ共存し得るのだ。
それどころか恋愛や性的関係においても友情や友人関係は、相手を尊重し対等な他者としてみなす役割として重要だと思う。
Twitterではたまに(最近も)、男女の友情は成立するか、というツイートがバズってその議論がTLを埋め尽すことが定期的にある。
この「素朴な」問いは、現実に男女での友情が成立いるひとたちを無視してしまっている。
さらに、恋愛感情or性的惹かれを友情とトレードオフのものとしてしまっており、現実に友情と恋愛感情や性的惹かれが同居している状態のことも不可視化している、ということは指摘しておきたい。
僕が、性的に搾取されるのではなく、2022年から友人と、友人としてのまま性的な接触やコミュニケーションを取るということを始めてから(件の女の子も含めて)、特に2023年、2024年にかけて、友人(たち)と親密さや愛情を感じられる密接な時間を少しずつ重ねてきた。
友人たちにはすごく愛されていると感じる。
他者の所有を前提とした恋人関係ではないので、互いに所有することも、何の義務も負わない。なんて自由で、そしてなんて幸せなんだろう。
2019年ころ、ある人に「あなたはどんなリレーションシップが理想?」と聞かれた時に、それまで「理想のリレーションシップ」など考えたこともなく何も思いつかなかった自分に、5年の年月をかけた現在の到達点を教えてあげたい。いつかたどり着くよ、と。
広い意味での「愛」のある関係は、恋愛関係だけじゃない。
そう気づかせてくれたのは、クワロマンティック/クワセクシャルという言葉とその概念だった。誤解していた僕に、この意味を正しく教えてくれた友人には感謝しかない。
ジェンダーやセクシュアリティについての言葉による細かい分類は本質的にそこまで意味はないとはいえ、言葉によって概念が確立されると自分がそれに当てはまるかどうかなどの言語化につながるから、非常に重要ではあるとも改めて思う。
僕がずっと大事にしたいと考えてきた「広い意味での好き」── 「狭義の恋愛感情」以外の愛情や、友情や、一緒にいてくれることへの感謝や安心感、はたまた言葉に言い表せない輪郭の曖昧な「好き」たちという、僕の「愛についての考え方」に、クワロマンティック/クワセクシャルという名前をつけることができたのだから。
2025年、1/3深夜に。
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dvdhappycom · 9 months ago
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18なりたてボーイッシュ処女。性欲おじさんにファーストキス、処女喪失、どさくさまでされたのに、「処女卒業させてくれてありがとうございました♡」と感謝の言葉を述べる。Disc-1 - 無料動画付き(サンプル動画)
18なりたてボーイッシュ処女。性欲おじさんにファーストキ��、処女喪失、どさくさまでされたのに、「処女卒業させてくれてありがとうございました♡」と感謝の言葉を述べる。Disc-1 - 無料動画付き(サンプル動画) シリーズ: FC2 更新日: 2024/07/24 時間: 54分 女優: SNSで”処女卒業させます”というアカウントに応募。わざわざ地方まで会いに行ってます。こういうのは大抵途中で連絡取れなくなるかドタキャンになるんですが、実際に会えました。親の机の引き出しに入ってた電マでしたことはある。それ以外は性体験なし。せっかく卒業した手ということなので体操服持ってきてもらいました。制服は学校バレするということで体操服です。下着見せないようにうまいこと着替えてます。孕ませマン2号はエロい方向にもっていこうとトークを展開していますがなかなかそういう雰囲気になりません。さすが処女ですね。やはり処女喪失は独特の緊張感あります。空気が張り詰めてる感じ。乳首こねくり回されてま ***********************************
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【DVDハッピー】 https://dvd-happy.com/ ストリーミング・ダウンロード・DVD $1.49~ 正規品最安値保障 ***********************************
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crydayz · 7 months ago
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241207 STRETCH
かつて大切なもの(脆弱な愛情注ぐ為の器)を作りたくなかったのは「喪失の痛みのダメージ」を予想してのこと
つまり「新しい弱点」作りたくないがゆえの「欲の抑制」だった
なぜ弱点を作りたくないかと言えば「仕事が大好き」だったから
大好きな仕事を裏切るような、仕事よりも優先すべき...仮に優先してしまっても社会的に許される「免罪符」を手にしたくなかったから
だが、仕事に先��裏切られたことで「じゃあ自分も仕事より大事なもの作ってもいっか」という「やさぐれ」を経て今に至る
本当は仕事と心中したかった。最期まで仕事に「自分」をパートナーとして選んでいてほしかった
けど、乗り換えられたんだ、わけわからんやつに
私は仕事に捨てられた!!
仕事ォ、好きだよ、仕事... 帰ってきておくれ、私のもとに...
-----------------------
みんな、仕事の事をそんだけ「愛した」ことある?
仕事に逃げてたんじゃあない、愛していたんだ
なぜかって?? 親の代わりに自分に様々なことを教えてくれたのがゲームであり、そのゲームを自ら作ることが自分が社会に居場所を得るとっかかりになると信じて疑わなかったし、自分が全力の愛(アンド憎しみ)を込めて作ったゲームが皆から愛されることを信じて疑わなかったからだ!!
けど、ま。そんな青臭い情熱は偉い人の鶴の一声で飛ぶさ
すべては相手のてのひらの上
理屈では分かっていたはずなのに、いざ体験すると心が耐えられない
そういう痛みを体験するたびに心がギャンっと加齢した
秒で白髪増えたよマジに。皮膚もカッサカサのしわっしわになって歯がポロポロ抜けて、グレイトフル・デッド食らったナランチャみてーになってたわ
愛。愛とはなんだ??
本当の愛は、裏切られることも織り込み済みで注ぐべきものなのだろう
無償の愛ってやつだ
私はどうにもそれを曲解していて、自分が企画したゲームのディレクターを降ろされて以降「後々裏切られることが目に見えている関係性」にしか愛を注げなくなってしまっていた
けど、その自虐的な愛を転がし続けているうちに気づいたことがある
それはいずれ自分の手を離れ巣立ってゆく子を見守る「親の愛」なんだってことに―
いいんだよ、何も返してくれなくていいんだ、この血も、肉も、すべてお前のためにやろう。スネだけと言わずスペアリブもお食べ....と―
なんじゃそら...
だからとにかくいいのだ。これまで出会えた人々と、そこで紡いだ物語に対しては感謝しかない。ひとつも欠くことのできない良いイベントだらけだった
「パパ、もう死んじゃうみたいなこと言わないで」と娘によく言われる
なぜなら絵画教室の帰りに「大好きだよ、ありがとうね」と毎回言ってるから。だって本当にそうとかしか思わないんだもん
伝え残し、語り残しをしたくない。ぜったい
愛しているものに愛していると、大好きなものに大好きだと伝え尽くしてから死にたい。じゃなきゃ死んでも死にきれない
私は私の唯一の肉親である母親にその気持ちを伝えきることができなかった。その後悔が、過剰なまでの感謝アピールに繋がっている
感謝9割ヘイト1割で生きていきていく。終末感漂うこの世の中、そんくらいのバランスで生きてくのがちょうどいいでしょ
平和すぎる世なら努めて戦争を望み、恐慌状態ならば努めて安らぎを望む
今は当然後者。ヘイトは「隠し味」程度に入れときゃ十分
【✓】
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shintani24 · 1 year ago
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2024年3月5日
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昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並みと現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
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減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない���書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で未知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りたい。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし���書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
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「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
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「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5%増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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hayato-10ka10 · 1 year ago
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【小説】『てるてる坊主の仮説立案』前
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 六月。火曜日。朝五時半起床。妙に冴えているのに重い頭をもたげて体を起こす。浅い眠りを繰り返しながらじりじりと迎えた外の明るさはすでに数刻前からわかっていたことだ。「せめて六時頃までは」と安眠に良いとかいう抱き枕に顔をうずめてやり過ごしてきたが、いっそ起きてしまうことにする。今日はやることもあることだし。
 立ち上がる際にベッドの横にあるごみ箱を手に取る。それを道中にあるキッチンに置いて、トイレへ。用を足して出る際に置きっぱなしになっていたトイレットペーパーの芯を腕に抱えた。それもキッチンへ持って行く。それから、大きめのビニール袋を広げて、家中を巡回した。今日のために貯めてあった、否、今日みたいな日を逃してため込んでしまったゴミをガサガサと放り込んでいく。ゴミ箱にかかっているビニール袋はとっくに溢れて周囲にはまばらにゴミが散らばっていた。取手を剥いで、ゴミ箱ごと大きなごみ袋に突っ込み、中身を振り落とす。大きな袋が八分目程埋まったころ、思い立って風呂場に向かった。明り取りの小窓からは朝日が入り込んでいる。今日ならいけそうだ。そう思って洗濯機のスイッチを入れた。さて、洗い終わるまでにゴミ出しを済ませてしまおうか。
 母は数ある家事の中でも特に洗濯を苦手としていた。それは「私の経験を本にして売りだすの」だなんて一時期息巻いて綴っていた母の日記にも記されていたことだ。なぜ?と聞いたこともあったけれど、本人も良く分かってはいないようだった。しかし、間に待ち時間のある作業が苦手だというのはいかにも気の移ろいやすい母にありがちなことであるような気がしていた。
 母が亡くなって初めての梅雨が訪れた今、私は母が洗濯を苦手としていた理由をやっと少し理解できた気がした。ごく当たり前に多くの日本人が知っているように梅雨は雨の日が多いのだ。室内干しも出来ない中、外に干すのにちょうど良い日、というのはなかなかに貴重だった。そこに自分の心の天気も加味するとなおさら。せっかく天気はいいのにどうしても動く気になれない日と今日なら動けるのに外が土砂降りの日。そんな日を幾日も見送った。今日は四日ほど降ったり止んだりと不安定な気候を繰り返してようやく迎えた晴天だ。今日ならいける気がする。いい加減下着の数が危ういし、この機会は逃すべきではない。「夕方、取り込む時までは何とかもってくれよ」なんて願う先はてるてる坊主か宙ぶらりんな私自身か。  母はなぜ洗濯を苦手としていたのか。それは日記にも書かれていなかった。本人もわかっていなかった。しかし、あっちに手を付けて、こっちが気になってなんて、片づけを始めると余計に散らかるタイプだった母は間違いなく気分屋だった。これはたぶん間違いない。だから、もしかした��母も今の私と同じように、空と心の天気の兼ね合いに悩まされていたのかもしれない。今となっては確かめようもない話だが、このひらめきはまだ母に投げかけたことのない仮説となった。
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m12gatsu · 1 year ago
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無題
死ぬ夢を見た。宇宙空間で安楽死する夢。宇宙船は全長50メートルくらいあるL字型の座椅子みたいな形だった。志願者たちはその座面に乗り込んで、背もたれの部分に備えつけられた把手をめいめいつかみ、出発の時を待っていた。効率がいいな、と思った。床と背景しかない部屋。舞台装置のようでもあった。出発前にインスタグラマーみたいな男が、手すりに寄りかかって写真を撮り、何か辞世の句めいたことをブツブツ口走っていた。馬鹿かと思った。身投げとか銃で撃たれる夢も見たことがあるけれど、今までで一番臨終する瞬間の感覚が生々しかった。これが死か! と思った。観念的な死ではなくて、実感としての死を体験した。視界は真っ暗で、一点に強い力で意識ごと吸い込まれていく感覚。『すべて上昇するものは一点に集まる』っていうフラナリー・オコナーの短編があった。全身麻酔に抵抗するみたいに、ちょっと堪えようとしたけれど、ほどなく意識が飛んだ。その瞬間目が覚めた。入口が出口だった。寝る前に着けた蒸気でホットアイマスクが視界を覆っていて、一瞬パニックになった。心臓がバクバク鳴っていた。
母方の祖母が死んだ。認知症を患って久しく、年明けに施設で胸の痛みを訴えてそのままだった。前後のことはあんまり憶えていないし詳しく書く気力ももうないんだけど、長らく献身的に面倒を見続けていた母の苦労と悲しみと喪失感が果たして幾許のものか、おつかれさまでしたって心から母にいった。あとは安心して自分の人生を生きていってほしい。祖父が死んだ時はコロナ禍只中で火葬にも立ち会えなかったけれど、今回はちゃんと収骨にも立ち会えた。骨上げってマジで常軌を逸した風習だと思うんだけど、でも、あれがあるから遺族は死を実感として受容していけるんだな、と骨になった祖母を見て思った。萎縮した脳を覆っていた頭蓋骨は、卵の殻みたいだった。昔父方の祖父が死んだ時、焼き場で祖母ちゃんが「これで本当にいなくなっちゃった」といって泣いていた。
寝しなに神の訪問を受けた彼女が、2024という数字は2で割り続けられるような感じするけど253で割れなくなる、そして253は素数である、という天啓を授けてくれた。俺はお返しに、「猫の恋」って春の季語なんだよ、と教えてあげた。
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sryem · 2 years ago
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2023年8月16日
・久しぶりになってしまった。前回書いたのがちょうど1ヶ月くらい前か。あんまり空けるつもりはなかったんだけど、本当に忙しい期間があって、その後はPCがない環境にいたから書けなかった。ある程度長い文章はPCから書くクセがついちゃったのでもうスマホから更新できなくなっちゃってる。
・月末はいくつかのレポートと試験に追われてて、それが終わった瞬間流れ込むように帰省して同時に私の最後の夏休みが幕を開けた。帰省期間はたくさんの地元の友達に会えたし、はじめましての人とも飲めたし(Twitter上のファンコミュニティで知り合った人。私ははじめましての人と飲むのが好き)、両親双方の実家にも挨拶にいけたし、色々できたので達成感がある。小・中学校の頃の友人と飲めたのが嬉しかった。キツめの恋愛をしてきたらしく、エグい元カノの話をしながらレモンサワーを飲む姿を見て、うちら7年の間に順調に歳を重ねていて最高だねって思った。あとおばあちゃんに内定をもらったって直接報告できたのも嬉しかった。残された時間を数えるようなことはしたくないけど、それでもそこに確実にあるものから目をそらすことはできない。
 高校の友人から「横浜に帰ってくるときは早めに盛大に言ってくれ」というようなことを数度言われ、今までのじゃ足りてなかったか…と認識を改めることになった。次からは狼煙をあげて鐘を鳴らして私の帰省を世界中に知らせることにする。
・最近なんか急激に自分の周りで「老いていくばかりなら○歳になる前に死にたい」系の主張を耳にする機会が増えてて、ちょっと不安になる。私は美しさに肉体的な若さは関係ないと本心から思ってて、10歳の頃の自分より20歳の頃の自分のほうが、その10年間たくさん悩んでたくさん笑ってたくさん苦しんできたのを知ってるから愛おしいし、30歳、40歳、50歳、そのさきずっと老いていく自分も楽しみだから、友達が「50歳になる前に死ぬ」とか言ってるのを聞くと寂しくて仕方なくなる。一緒に老いようよ。私は50歳になったあなたも会いたい。わかる?これって他人事だから言えてるんじゃないんだよ。もちろんなんの責任も取れないわけだけど。世界は若さをなんらかの価値の指標に置くのをやめて、もっと円熟の美に目を向けるのも良いと思う。
 もちろんこの主張が美の喪失への憂惧のみに基づいてることは少なくて、もっと、たとえば身体能力の劣化やこの世に取り残されることへの恐れから来ているケースも十分にあることは理解している。ただ前者だけを理由にして本気で老化を嫌がっている人もいて、そんなのってさ…と思う。
・日付が変わって今日、ライブがあって九州に行く。人生初なので楽しんでくる!結局2泊することになった。また書く。
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ari0921 · 9 months ago
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「日本の安全をアメリカに丸投げするな」
との一文が、読み手の魂を射抜きます。
イラク派遣航空作戦でも指揮を執った元空将が、現
場での経験を踏まえ、
絵空事ではない「有事」をリアルにシミュレーショ
ンしつつ、
わが国が、そして日本人が、今なすべき「わが国防」
を徹底的に考える本。
それが
『空から提言する新しい日本の防衛 - 日本の安全を
アメリカに丸投げするな -』
織田邦男(著)
定価:1,700 円+税
発売日:2023-07-26
発行:ワニ・プラス  
発売:ワニブックス
https://amzn.to/3Q6Fs9e
です。
おはようございます、エンリケです。
織田邦男空将。
弊メルマガの読者ならおなじみでしょう。
航空支援集団司令官の時、イラク派遣航空部隊指揮
官としてイラク復興支援航空作戦の指揮を執った方
です。退官後は活発な言論活動を通じ、平和ボケに
浸りきった国家国民の覚醒を図っておられます。
【略歴】
織田邦男(おりたくにお)
1952年生まれ。74年防衛大学校卒業、航空自衛隊入
隊。F4戦闘機パイロットなどを経て、83年米国の空
軍大学へ留学。90年第301飛行隊長、92年米スタンフ
ォード大学客員研究員、99年第6航空団司令。2005年
空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空
部隊指揮官)を務め2009年に航空自衛隊退官。2015
年東洋学園大学客員教授、2022年麗澤大学特別教授。
同年第38回正論大賞受賞。
個人的には佐藤守閣下と印象がダブる魅力的な空将
です。
言論活動に長けておられる感を持ちます。
メルマガ創刊当初(2000年頃)に読者さんから「織
田は「おだ」じゃなくて「おりた」。将来の空自を
担う人物。偉いのに気さく」という話を聞いたこと
を、なぜかいまでも妙にはっきり覚えています。
「現代の安全保障論」:今、知っておかなければな
らない脅威と対策
本著で織田さんはこういうことをおっしゃってます。
■防衛は「まさか」ではなく、「もしや」を前提に
構築しなければ意味がない
■台湾有事は「あるか、ないか」ではなく「いつな
のか」の段階
■急務! 海上保安庁を中国海警局に対抗できる組
織に
■核戦力でもアメリカに並ぼうとしている中国
■米中間の深刻なミサイル・ギャップを解消する手
段とは
■戦争の引き金は「軍備の不均衡」である
■核抑止に「当事者意識」が低すぎる日本
■現代戦は平時と有事の「グレーゾーン」から始まる
■「平時法制」こそ、まっさきに整備を
■反撃は「全力」が当然、「必要最低限の反撃」な
どあり得ない
■「2025年在日米軍撤退」の現実味
■「自国が侵略されたら戦う」と答えた日本人はの
割合は79カ国中最下位
■米軍基地の「経費負担」よりも大事なのは自主防
衛努力
■アメリカに対して「主張すること」こそが同盟を
緊密にする
■敵基地への反撃は、自衛隊が主体的に行うべき任務
■朝鮮・台湾有事に日本は自国民をどうやって救出
するつもりなのか
■今のままでは、自衛官は捕虜の待遇さえ受けられない
■庭も同盟も「手入れ」をしなければ荒れ果てる
■「反撃能力保有」に反対する左翼メディアの信じ
られない言い分
■専守防衛というあいまいな「政治造語」が生む誤解
■「自助」を喪失した日本人
■Jアラートに文句を言う日本人の「危機意識」
ほか
日米同盟は我が国を米が守る同盟ではなく、我が国
にある米の権益を米が守るための同盟です。我が国
の権益は我が国が守るのです。そのための軍備であ
り安保であり国防です。
我が国の権益までも米に守ってもらうというのは
「我が国は米の植民地である」と宣言したのと同じ
です。少なくとも日本国民多数は、そんなことを許
容したことはこれまでも今もこれから先もありませ
ん。
自国の防衛は自らが中核となって行うのです。
自国の安全率をより高めるために他国との同盟関係
を構築するのです。
このあたりの感覚に麻痺しているのが戦後日本とい
う時代であり、
すべての他国に付け込まれるスキを生み出している
要因では?
ではどうすればよいのか?
その参考になる貴重な書として本書をゼヒ読んでい
ただきたいのです。
この「我が防衛を空から提言する書」の中身を見て
いきましょう。
―-------------------------------
【もくじ】
1章  日本を取り巻く戦後最悪の安全保障環境
 世界で最も軍拡の激しい日本周辺
 安保3文書が明確にした「国防」の本意
 安保戦略「最大の欠陥」とは
 増える核保有国、NPT体制崩壊の危機
 「核の傘」が「破れ傘」になる日
 「ウクライナ危機はウォーミング・アップに過ぎない」
 米中間の深刻な「ミサイル・ギャップ」
 核抑止への当事者意識を持て
 一顧だにされなかった「防衛費増」の要望
 急がれる「平時法制」の整備
 「必要最低限の反撃」などあり得ない
 戦う気概がない国を誰も助けない
 「危険な窓」が開く・・・残された時間は少ない
 力なき外交は無力である
2章  中国が目指す「パックス・アメリカーナか
らパックス・シニカへ」の野望
 中国が愛する「2人のルール」
 なぜ今、台湾なのか
 「侵攻」「統一」に向けて着々と進む法整備
 「2027年」が台湾進行のめどになるのか
 「台湾有事は日本有事」、立ちはだかる憲法の壁
 台湾有事、7つのシナリオ
 「あっという間に情報孤立」、台湾版ハイブリッ
ド戦争の趨勢
 「ロシアとの共倒れは避けたい」・・・習近平の
野望
 日本が早急になすべき4つのこと
 対中国機にスクランブル激増の理由
 中国のサラミ・スライス戦略
 中国海警を使う「ホワイト・シップ・ストラテジー」
 海保の強化、海自との連携を急げ
 連携の障害は海保法25条にあり
 戦争を繰り返してきた「力の信奉者・中国」
 冊封体制の復活を阻止せよ
 「力の空白」を作ってはならない
 「オストリッチ・ファッションからの脱却
3章  新たなな抑止力としての日米同盟とNATO
 2025年、「在日米軍撤退」の現実味
 米国市民が抱く日米安保条約の「不公平感」の危険性
 アメリカが日本に提供する「5つの傘」
 アメリカを「パックス・アメリカーナ」維持に専
念させよ
 基地の「経費負担増」よりも大切なのは自主防衛力
 F15撤退によるプレゼンス低下と絆の弱体化
 「主張すること」が同盟を緊密にする
 「矛と盾」のお題目に逃げ込むな
 「敵基地への反撃」も自衛隊が主体的に行うべき
任務
 重要な成果だった邦人救出の「スーダン・ミッション」
 世界的に大恥をかいたアフガンからの邦人輸送
 朝鮮・台湾有事時に日本は自国民を救出できるのか
 自衛官は捕虜の待遇さえ受けられない
 NATOと歩む「NAIPTO」設立の提案
 NAIPTOで抑止できる台湾侵攻
 「永遠の同盟も永遠の敵もない」
 庭も同盟も手入れをしなければ荒れ果てる
4章  改憲で実現すべき「軍事力による安全」
 防大進学時の教師たちの暴言
 今なおはびこる自衛隊違憲論
 自衛官の募集難は「違憲論」も要因
 軍法が整備できない憲法上の実害
 「反撃能力保有」に反対する左翼メディアの矛盾
 「専守防衛」という曖昧な政治造語が生む誤解と弊害
 自衛官の声を聞け!
 自衛隊員に誇りと名誉と社会的地位を
 「軍からの安全」から「軍事による安全」へ
5章  国民の意志こそが国防の「最後の砦」
 安全保障は「一人ひとり」の思考から
 「自助」を喪失した日本人
 弾道ミサイル防衛という危機管理
 サイバー戦まで「専守防衛」!
 「自衛隊が世論工作」の嘘
 最後は「国民の意志」
 「平和の維持のために、戦争について考えよ」
 
―-----------------------------
いかがでしょうか?
この本は、わが国が直面している安全保障の課題に
ついて、読み手に新たな視点と洞察を提供します。
重要な情報を包括的かつ分かりやすく提供します。
防衛は「まさか」ではなく、「もしや」を前提に構
築しなければ意味がありません。たとえば台湾有事。
こちらについては今や「あるか、ないか」ではなく
「いつなのか」の段階に迫っていることがよくわか
ります。
急務として海上保安庁を中国海警局に対抗できる組
織へと進化させる必要性、中国が核戦力においてア
メリカに並んでいる現実、米中間の深刻なミサイル・
ギャップを埋める方法なども記されています。
戦争の引き金は「軍備の不均衡」によるものであり、
核抑止における「当事者意識」の低さについても議
論されています。
現代の戦争は平時と有事の「グレーゾーン」から始
まることが多いことから、「平時法制」の整備が不
可欠であることも指摘します。
また、反撃においては「全力」が当然であり、「必
要最低限の反撃」などという発想は許されない現実
感覚を提示し、同時に、「2025年在日米軍撤退」の
現実味を読者に突き付け、日本人の安全意識がいか
に低いかについても言及しています。左翼メディア
による「反撃能力保有」への反対論を批判的に検証
します。
アメリカとの同盟については、米軍基地の「経費負
担」よりも自主防衛努力や「主張すること」の重要
性が強調されています。敵基地への反撃はわが自衛
隊が主体的に行うべき任務であり、朝鮮・台湾有事
においては、我が国が自国民をどのように救出する
かが問題、現在のままでは、自衛官ですら捕虜の待
遇を受けられない危険性が示唆されています。
そして次のような重要な指摘がなされています。
●自衛隊や同盟関係を「手入れ」しなければ荒れ果
てることヘの警告。
●専守防衛というあいまいな「政治造語」が生む誤
解。
●私たち日本人が「自助」を喪失している現実。
本書は、日本が直面する現実的な安全保障の課題に
対処し、国民一人ひとりがその役割を果たすための
洞察と知識を提供します。私たちの未来と安全を守
るために必読の一冊です。お読みいただき、そして
主権者として行動するにあたってのインスピレーシ
ョンを得ていただければ幸いです。
心からオススメしたい一冊です。
『空から提言する新しい日本の防衛 - 日本の安全を
アメリカに丸投げするな -』
織田邦男(著)
定価:1,700 円+税
発売日:2023-07-26
発行:ワニ・プラス  
発売:ワニブックス
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kennak · 5 months ago
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女性を違法風俗店に紹介していたなどとして、巨大スカウトグループのリーダーが逮捕されました。“人身取引”とも言われる手口で稼いだ金額は、70億円にのぼるとみられています。 ■“人身取引”風俗スカウトグループ摘発 ホスト通いの女性狙いか 風俗店で働く女性(20代) 「(稼ぎは)完全にホストに使っていて、12月は400万ぐらい。それをそのままホストにベットみたいな。友達の使っていたスカウト、そこがきっかけでお店に勤め始めた」 裏に潜んでいたのは“風俗スカウト”です。 7日に再逮捕された遠藤和真容疑者(33)は、大分・別府市の違法風俗店で働かせるために、女性を紹介した疑いが持たれています。 この男が主導していたのが、スカウトなど約300人を抱える巨大グループ「ア��セス」。その手口は“人身取引”とも言われています。 まず、スカウトがSNS上で女性を勧誘。送らせた自撮り写真などをもとに、全国約350の風俗店から最も高い報酬を提示した店に女性をあっせん。「スカウトバック」=紹介料として稼いだ総額は、70億円にものぼるとみられています。 SNS上には北海道から九州まで津々浦々、風俗店へのあっせん情報が掲載されています。背景にあるのは“悪質ホスト”の問題です。 元スカウトの男性に話を聞くことができました。 ■スカウトを通じホスト側にも“女性の稼ぎを確認できる”メリットが ――(周りのスカウトが)ホストから依頼を受けて風俗にあっせんしていた? 元スカウト(20代) 「ありましたね 。うちの会社にもいましたね。やり方にもよると思うんですけど、飲み屋でばったり会ったようなシチュエーションにして、『これ仲いいスカウトなんだよね』みたいな。一緒に仲良くなっちゃって、『こっちで働いてみようよ』みたいな」 男性は、ホスト側にとってもスカウトを通じて“女性の稼ぎを確認できる”メリットがある、と話します。 元スカウト(20代) 「稼ぎがいい子たちはホストに通っている子たちや、何らかの理由で『絶対に今月いくら稼がないといけない』という子たちが多い」 北朝鮮は昨秋、1万2000人規模の兵力をロシアに送り、西部クルスク州などでウクライナ軍との戦闘に加わった。すでに多くの犠牲を出しており、ウクライナのゼレンスキー大統領は4日の演説で、死傷者は派遣兵力の3分の1に及ぶと明らかにした。 そんな前線で戦う兵士の士気低下は非常に深刻なようだ。平壌のデイリーNK内部情報筋は、兵士たちの現状を次のように伝えた。 「ロシアに派遣した兵士たちが死への恐怖でひどく萎縮しており、文化など様々な面でも適応できず、思想的にも変化する兆候があるという文書が先月下旬から伝えられており、(北朝鮮当局の)悩みの種になっている」 この文書によると、思想に問題なく、肉体も鍛え上げられた兵士たちだが、実戦の中で精神的に激しく動揺しているという。 北朝鮮当局は、ロシアに派遣された軍事部門イルクン(幹部)からの報告で、兵士たちが未来への確信を持てず、死に対する恐怖とショックに陥っている状況であることを認識しているとのことだ。 兵士たちはまた、外の世界を一度も経験したことがなく、ロシア軍と共同作戦を行う過程で過度に萎縮してしまっているようだ。初めて接するロシア人など外国人を不思議がったり、過大評価したりしている。 海外からの情報流入を過度に統制してきた体制の在り方が、弱点として作用しているということだ。 (参考記事:北朝鮮女性を追いつめる「太さ7センチ」の残虐行為) さらに、堂々としたロシア兵の姿を見て、監視と規制でがんじがらめになり萎縮している自分たちとは異なると、自信喪失に陥っている。 差別の問題もあるようだ。 「現地からの報告によると、北朝鮮の兵士に会ったロシア軍兵士の中には『根本的に人として扱う価値がない』と言い放つものすらいたという」(情報筋) その原因として挙げられたのが言葉と文化の壁だ。ロシア軍内部でも、北朝鮮の兵士に対する不満が高まっており、ロシアとの軍事協力に悪影響を及ぼしかねないとの内容も、報告書に含まれているとのことだ。 (参考記事:【写真】「北朝鮮の不良弾薬が暴発し吹き飛ぶロシア兵」衝撃の瞬間) さらに懸念されるのは「脱北」だ。 「戦死者、負傷者が増えるにつれ、兵士たちがさらに恐怖に震え、精神的に苦しんでいる。(言葉、文化への)適応問題が壁となり落胆しており、いつでも党と国家を裏切り、事をしでかすかもわからないという懸念が取り沙汰されている」(情報筋) 北朝鮮当局は、派兵された兵士の思想的な動揺を防ぎ、脱北などの離脱を防ぐ対策を模索しており、既に派遣された人員に加え、別の高位級の幹部を急遽派遣することを検討している。 ■“オークション形式”で女性風俗店へ スカウトグループ幹部逮捕 小川彩佳キャスター: 稼いだ総額が70億円を超えるとみられる、スカウトグループのリーダーが逮捕されました。 職業安定法ではホストクラブでの飲食代などを返済させるために、性風俗や売春などの仕事を紹介することを禁止しています。 東京大学准教授 斎藤幸平 氏: 端的に(スカウトは)「クズ」だと思います。貧困やネグレクトで自己肯定感が低く若い女性を洗脳・依存症にして食い物にしていく。やっていることはカルトの宗教団体と変わらない。そういった意味でスカウトや“悪質ホスト”は「クズ」だと思います。 広い意味でいうと、マスメディアでもバラエティなどで真面目に頑張っている人もいて、お金も稼げる夢のある仕事のようにホストを肯定的に扱うことがあると思います。そういうものも含めて見直していく必要があるのではないでしょうか。 藤森祥平キャスター: 青少年を守る父母の連絡協議会(青母連)の田中芳秀事務局長は「ホストに行くことで性風俗に流されるスキームが確立されている。性風俗への供給地になっている」といいます。 東京大学准教授 斎藤幸平 氏: こういう構造は、いろんなところにあると思います。日本だとアイドルの“推し活”とか。ドイツにはこういうのは全然ないんです。そもそも(ホスト)クラブも欧米にはないんです。 なぜこんなことになるのかと考えると、誰かのために自己犠牲もして、特に女性が献身をすることが“美徳”のように扱われる日本の価値観がありますが、それがこういう形になると、良くないものになってしまいます。 華やかな世界を売りにして女性を金儲けのために、モノのように扱っていいという考え方、こういう価値観そのものを見直すきっかけにしていく必要があるのではないでしょうか。 小川キャスター: 女性がなかなか周りに相談できないという、そういった弱みに漬け込む形での悪質性もありますね。 藤森キャスター: 警察庁は、風営法の改正案を1月に開かれる通常国会に提出する方針です。 ======== <プロフィール> 斎藤幸平さん 東京大学准教授 専門は経済思想 社会思想
女性を風俗店に…まるで“人身取引” 売り上げ70億円か 風俗スカウトグループ「アクセス」リーダー逮捕 背景に“悪質ホスト”問題【news23】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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