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#女性理容師ネットワーク
chikuri · 10 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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kennak · 14 days
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在沖縄米兵の性的暴行事件が相次ぎ発覚した問題を受け、米軍の特権を定める日米地位協定の抜本的改定を求める集会が2日、東京都内で開かれた。沖縄の女性史を研究する識者は、戦後も伏せられながら続いてきた米軍性暴力の構造を指摘。改定なき「運用改善」には限界があるとし、地方で声を上げ、国際社会に人権問題として訴えようという動きも起きている。(中川紘希、宮畑譲) ◆「隠された事件まだある」政府へ怒り  「またか、と思った」。沖縄県で起きた米兵らの性犯罪を調べている女性史家の宮城晴美さんは、女性団体が主催した2日の集会で怒りをにじませた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  県では6月、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み、同意なくわいせつな行為をしたなどとされる米兵の性的暴行事件が相次ぎ2件発覚。事実を把握した県警や外務省は県に連絡せず、いずれも報道で明らかになった。  宮城さんは、警察統計の数字でしか表れない性犯罪事件があると把握していたとし、「隠されている事件はまだたくさんある」と指摘した。県議選が終わった後で事件が明るみとなったことについても、「沖縄の危機感をあおらないようにする政府の姑息(こそく)なやり方」と批判し、沖縄の「いらだち」を代弁した。 ◆米兵ら性犯罪被害、沖縄戦以降少なくとも948人  宮城さんは日本復帰前の琉球政府や米軍資料、新聞、書籍を基に沖縄の米兵の性犯罪を年表として冊子にまとめている。沖縄戦があった1945年から2021年までに、少なくとも948人が被害に遭ったと報告。冊子は13版を数える。 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた米兵による性犯罪の冊子  宮城さんによると、米国統治下に置かれた沖縄で、米兵たちはけが人を救助すると同時に、性暴力も重ね、病院に入院した重傷の女性を襲うなどした。ベトナム戦争が始まった1960年代には、米兵らの事件は凶悪化。ホステスの女性が裸で埋め立て地や墓地に放置されるなどの事件も相次いだという。  その背景を、宮城さんは「米軍の中に『沖縄は力で奪い取った戦利品』という意識がある。女は襲ってもいいと暗に思われていた」とみる。 ◆「落ち度論」に阻まれ、伏せられてきた被害  一方で性被害の多くは伏せられてきた。その理由の一つが、沖縄の女性への「落ち度論」だ。55年に6歳の少女が暴行を受け、殺害、遺棄された事件では「母親が1人でエイサー(伝統舞踊)に行かせたのは軽率」と批判され、被害者側に追い打ちをかけた。夫の家を重んじる沖縄の家族制度において、被害女性の側が家族や集落に責められることもあったという。  米兵3人による95年の女子小学生暴行事件で、女性団体が声を上げたことで「戦後50年たってようやく、米軍基地問題が女性の人権の視点から問われることになった」と宮城さん。事件をきっかけに、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意が動き出した。 ◆発覚遅らせる日本政府の「プライバシー保護」論  集会には、自衛隊の南西シフトが進む宮古島市の元市議、石嶺香織さんもオンラインで参加。日米一体の軍拡への不安の中で、今回の性的暴行事件が発覚したと指摘。日本政府が「プライバシー保護」を理由として県に連絡しなかったことを批判し「名前は出さなくても具体性を持たせて発信すれば、予防や注意ができるはずだ」と訴えた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)も集会に登壇。日米地位協定では米軍の公務中の犯罪の第1次裁判権は米国にある。「日本の刑事裁判権が著しく侵害されている」と協定の改定を訴えた。公務外の犯罪を巡っても日本政府は53年、重要な事件を除き裁判権を行使しない方針を米側に伝達。2011年に判明し「密約」と批判された。日本政府は「双方の合意はなかった」と密約説を否定したが、飯島教授は米兵の性犯罪の起訴率の低さに触れ、「密約の影響を考えないといけない」と指摘した。 ◆機能しなかった日米合意、県には今も米側から連絡なし  1995年の米兵による少女暴行事件を受け、日米両政府は97年に事件・事故を速やかに通報することで合意。しかし今回、通報が徹底されていない実態が明らかになり、日本政府は、捜査当局が公表しない事件についても「可能な範囲」で沖縄県に連絡するよう今年7月から運用を始めた。  在日米軍司令部も7月、再発防止策を発表。在日米軍幹部と県、地域住民が意見交換する「フォーラム」の新設を表明した。ただ、県基地対策課によると「外務省から『今後、調整したい』との連絡はあるが、米側から直接のコンタクトはない」というのが現状だ。 ◆県に通報、報道発表がなかった例、長崎でも  2日の集会でも「運用改善だけでは、根本的な解決にならない」と批判が上がった。さらに、在日米軍基地がある沖縄以外の地域でも近年、報道発表や県への通報がなかったことが判明し、波紋は広がっている。  米海軍の佐世保基地がある長崎県では2016年、17年に米軍関係者による性犯罪事件があり、書類送検されたが、県警は公表しなかった。この報道を受けて佐世保市の女性団体「佐世保女性ネットワーク」は先月、事件の速やかな公表や、再発防止策を市に申し入れた。  しかし、市からは県を通じ、県警に「コメントできない」と対応されたと伝えられただけという。ネットワーク役員の山崎満喜子さんは「警察は個人情報を盾にしている。全て明らかにする必要はないが、加害の実態が明らかになって、初めて再発防止策につなげられる」と憤る。 ◆国連女性差別撤廃委員会で人権状況審査へ  7月には、各地の地方議員有志でつくる会が、外務省や防衛省などに抗議。賛同者は260人超に上った。同会は、9月議会で提出する意見書の準備を進める。東京都小金井市の片山薫市議は「意見書の細かい内容は、議会ごとに出しやすいものに変えていく。ただ、沖縄のような事件やその隠蔽(いんぺい)は許されない、各自治体に知らせるべきだ、との趣旨は共通している」と話す。 外務省前で米兵の暴行事件について抗議活動をする人たち=7月2日、東京・霞が関で  さらに、世界に訴えようとする動きもある。国連の女性差別撤廃委員会が10月、スイス・ジュネーブで、日本の女性の人権状況について審査する。審査では市民団体が提出したリポートも参考に、日本政府への意見が出される。 ◆「米兵の性犯罪は沖縄だけの特殊な事例ではない」  リポートをまとめた、沖縄の大学で非常勤講師を務める親川裕子さんは「米軍から派生する性暴力を日本国内の法律、制度でどう防止していくのかを明らかにするよう訴える」と話す。10月は現地を訪れ、委員へのロビー活動を展開する。国連から勧告が出れば、今後の国会での議論につながることが期待できるとし、「最終的に偏在する沖縄の基地の整理、縮小への一助になれば」と思い描く。 宜野湾市の住宅密集地に隣接する米海兵隊普天間基地(後方)  前出の飯島教授は「自民党などが『日本を守る』というならば、改憲よりまず地位協定を変えるべきだ」と強調する。全国に広がる抗議のうねりを受け、「米兵の性犯罪を、沖縄だけの特殊な事例とみなすことはできない。誰にでも起こりうることであり、被害の苦しみはずっと続く。その感覚を持ち、地位協定の見直しを含め国に求めるべきではないか」と呼びかけた。 ◆デスクメモ  「また防げなかった」。5年前、米兵が日本人女性を殺害した事件を受け開かれた沖縄の集会は悲嘆に包まれていた。飲酒運転の米兵の車の事故で両親を亡くした女性は「戦争がなくても今も沖縄は平和と言えない」と話した。13版を重ねる宮城さんたちの冊子は軍の暴力性も物語る。(恭)
米兵の性暴力「まだ隠されている」 沖縄だけでなく他県にも 積み重なる犯罪 記録が示す被害の構造とは:東京新聞 TOKYO Web
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yeyshonan · 7 months
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医学部入学者、女性が4割占める 求められる「人生を自分で決める力」―不正入試から5年
2/19(月) 14:00配信244
 世間を騒がせた医学部不正入試の発覚から5年。性別、年齢による不当な差別の是正により、2023年度の医学部(医学科)入学者選抜における女性の入学者は4割*1に上昇した。女性医師が半数以上となる日も遠くない。女性医師が増え続けることで日本の医療はどう変わるのか。女性ライフクリニック(東京)理事長の対馬ルリ子医師らが立ち上げた日本女性医療者連合(以下JAMP)は不正入試問題に関し、発覚以前から独自に調査を進めて情報提供を行ってきた。不正が明らかになった真相と女性医師への期待を対馬氏に語ってもらった。
 ◇不利な扱い「必要悪」との空気
医学部入学者の女性比率
 ―医学部不正入試問題は、JAMPが問題発覚に先駆けて調査を進めていたそうですが、不正に気付いたのはいつごろでしょうか。  対馬 10年ぐらい前に日本医師会の理事の先生とお話しする機会があり、「日本の女性医師はこんなに増えている」とグラフを見せてもらいました。医学部入学者の女子の割合を見ると、一定のラインで上昇が止まり、まるで定規でも当てたかのようにほぼ横ばいで推移していました。2000年以降、女性医師は世界的に見ても増加傾向にあり、経済協力開発機構(OECD)の加盟国では35歳未満の女性医師の比率が軒並み5割を超えて増え続けているにもかかわらずです。「あり得ない」と不思議に思い、調査を始めました。
OECD各国における女性医師の比率
 その頃から研修医や若い女性医師の間では、女子は男子よりも医学部合格のボーダーラインが高いという共通認識がありました。女性は出産や育児で辞めていくから入りづらいのは仕方がないと、差別を「必要悪」と思い込まされているようでした。私たちはこれを絶対に見過ごすわけにはいかないと思い、社会学者の上野千鶴子さんに教えを請いながらデータを精査したところ、医学部は他学部との比較でも受験者に対する合格者の割合が女子だけ低いという事実が浮かび上がったのです。  医学部長会議や全国病院会議のような場所で内部告発しても、真剣に取り合ってもらえずにスルーされてしまうことは目に見えていたので、発表の機会をうかがっていました。2018年に東京医科大の不正問題で世間がざわつき始めた頃、JAMPのホームページに掲載された論考を見つけた読売新聞の記者から取材を受け、大きく取り上げてもらえるタイミングで情報提供しました。
◇就労後の長時間労働が前提
対馬ルリ子医師
 ―つまり、一部の医師や受験生は、入試での差別をある程度分かっていたということですね。  対馬 過去には国公立でも合格者の9割が現役男子であるなど、明らかに女子と多浪生が門前払いされていると思われる大学もありました。予備校の先生からも「女子は不利」と露骨に言われていたようです。国立の医学部で入試を担当していた教官も「学力試験だと上位は女子が多くなってしまう。かといって面接をしても女子の方がしっかりしていてコミュニケーションの能力も高いので、男子よりも点数が高くなる。どうやって男子を引き上げるか苦慮している。医師を職場や地域にとどめておくためには男子を取る必要がある」と公言していました。  私たちは不正を容認するのではなく、そもそも「医師の働き方」を問題にすべきなのではないかと思いました。女性医師が職場を離れていくには理由があります。日本の医師の働き方は長時間労働が前提で、家に帰らずにできるだけ長く病院にいる必要があります。受け持ちの患者さんに何かあって呼ばれたら、病院に駆け付けなければいけません。結局、家庭とか家事とか子育てといった、仕事以外のことを専業主婦に丸投げできる人しか家族を持った後も病院に長時間居続けることができないのです。誰もが普通に家に帰れてプライベートも大事にできる、男性にとっても女性にとってもそういった人間的な生活を維持できる働き方を実現することが必要なのではないかと考え、5年前に提言を行いました。
 ◇仏は産婦人科医の8割が女性
産婦人科病院の医師たちと(仏)
 ―女性医師が増え続けることには男性医師だけでなく、女性医師にも抵抗があったようですが。  対馬 医師の定員は決まっているので女性が増えれば男性は減る。家庭を持つ女性医師にとって男性医師のサポートが不可欠だと思われています。  昨年の秋、フランスの産婦人科病院を訪問したのですが、同国では産婦人科医の8割が女性と聞いて驚きました。理由を聞いたところ、少し前までは男性の方が多かったけれど、仏政府が女性たちに真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けて大胆な改革を行ったところ、働き方が大幅に変わり、産婦人科で働きたいという女性が増えたそうです。  そもそも医療やヘルスケアは女性向きの仕事だと言っていました。婦人科や産科を担当している女性医師や、医学部教育や地域で性教育を行っている女性医師、心のケアを行う女性医師たちとも話したのですが、社会貢献や後進を育てる仕事に週に3日勤務しても管理職になれるとのことでした。
◇性と生殖に関する健康と権利を獲得
性暴力やDV被害者の救済センターMaison de femmeにて(仏)
 ―仏ではどのように改革が進められてきたのでしょうか。  対馬 日本では認知度が低いのですが、世界では「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」*2の実現に向けた数々の取り組みが行われていて、仏の改革もその一つです。  仏はカトリックの国なので、かつては非常に封建的で、「女は結婚したら子供を産んで育てないといけない」「妊娠したら中絶してはいけない」というように、自ら選ぶ権利は与えられていませんでした。  1967年に避妊の合法化とピルの承認がなされ、教育課程に性教育が加えられました。1970年代には産まない自由を求めて運動が展開され、1975年に人工妊娠中絶が合法化されました。これにより、女性は「自分の身体に関することを自ら決定する権利」を獲得し、その後の男女平等を目指す社会運動につながっていきます。1998年には性教育が義務化、2001年に中絶と避妊に関する法律の改訂を受けて学校性教育が法定化されました。仏の女性たちは若い頃から自分の身体を自分のものとし、自己決定するための教育を受け、生涯にわたって健康でいられるよう国や地域から支援を受けているのです。  現在、仏は少子化対策の成功モデルにもなっていて、子どもを何人産んでも仕事と両立できる手厚いサポート体制、パートナーも1人で子供の世話ができるようにトレーニングを受けさせるといった、子育て中でも働きやすい環境づくりを職場と国が一緒になって推進し、制度化してきたようです。  今回、渡仏して感じたのは、同国の女性たちの「発言し続けて引き下がらない強さ」です。この国では常に戦って勝ち取ることが日常的に行われています。そうでなくては、本当に困っている人たちの現状について誰も気が付かないからです。日本の女性は困ったことがあって「こうだったらいいのに」と思っても、「こんなもんだろう」と諦めている人が大多数ではないでしょうか。結局、問題解決が先送りになります。諦めなくていいし、諦めないでほしい。それを伝えるのが今の私の使命だと思っています。
 ◇声を上げムーブメント起こす
NPO法人女性医療ネットワークによる女性の健康学校「ジョイ・ラボ」
 ―この5年間でどのような活動を行ってきたのでしょうか。  対馬 社会を変えるには世論を動かし、政策や制度を変えることが重要です。政治家や官僚に何度も話をしてきました。今では厚生労働省や経済産業省も聞く耳を持ってくれています。内閣府男女共同参画局も理解を示し、一緒に取り組もうとしてくれています。  ただ、文部科学省にはまだ旧態依然とした風潮があり、「決まったルールに従ってほしい」と言われます。同省は性教育の普及にもずっと背を向けてきました。日本ではどの業界でも「それは自分が解決することではない」と声を上げない人が多く、むしろ発言しないことが良しとされています。教育は日本の社会を変えていくあらゆる取り組みの根幹を成すものです。いろいろな立場の人たちが自由に発言し、皆がそれに耳を傾け、より多くの声を生かしていく文化をつくっていく必要があるのではないでしょうか。  ―不正を廃止したことで、女性の医学部入学者数は4割に達しました。このままいくと半数を超えるのも時間の問題だと思われます。今後、医師の働き方は変わっていくのでしょうか。  対馬 例えば、仏ではいろいろな事情で医師の就業時間を過ぎてしまった場合は、緊急でない限り、その日に予定していた手術を延期することは普通に行われています。患者さんもそのあたりは理解しているようで、医師にはしっかり休養を取ってから手術に臨んでもらった方が安心だと思っているようです。  女性の数が増えたからといって、組織の意思決定者の女性はなかなか増えていきません。自分に発言力が付いてからとか、立場が偉くなってからというのではなく、まずは現場の人たちがどんどん声を上げてムーブメントを起こしていけばいいと思います。  女性医師が4割になった、5割になったから終わりではなく、6割、7割になってもいいと思います。そうすると、医療も変わり、医師の働き方も変わります。それに応じて制度や体制、文化も変わるでしょう。男性を隅に追いやるのではなく、男性も働きやすい環境を一緒につくっていけばいいのです。
 ◇やればできる、諦めない
第1回フェムシップドクター養成講座
 ―「女性は当直や救急を避ける」という声もあります。  対馬 私自身は手術を執刀するとアドレナリンが上がり、達成感がありますので、手術は大好きなのですが、「24時間やれ」とか「休まずにやれ」とは言われたくありません。若い人も仕事を頑張りながら子どもも産んでみたいし、自分のプライベートの時間も充実させたいと思って当然です。女性に限らず男性もそうだと思います。だから、いろいろな人が力を合わせて、オペもやるし、当直もやれるときにはやるみたいなシンプルな勤務体制と評価制度をつくった方がいいですね。  琉球大学の銘苅桂子(めかるけいこ)医師は、もともと外部の病院で働いていたのですが、より高度な医療を学ぶために「琉球大の産婦人科の医局で働かせてほしい」と申し出たところ、「子どもがいる女性はカウントできない」と一蹴されたそうです。「だったら無給でもいいから働かせてほしい」と粘り、無給で働いていたのです。すると担当教授が変わった途端、「まさに君は働く女性のロールモデルだ」と称賛されることに。3人の子育てをしながら実績を積み、評価され、周産母子センターで同大医学部初の女性教授に就任しました。  教授となった銘苅医師は次々と内部の改革を進め、女性は育児で仕事を辞めなくていい、男性も育児休暇が取れて子どもの面倒を見られる、子育て中も仕事へのモチベーションが維持できる体制をつくりました。誰でもやればできるのです。しかし、多くの女性は子どもを見てくれる人がいないと諦めてしまいます。今の日本は責任とやりがいがなく、女性が子どもを産んでもつらい、産まずに働いてもつらいみたいな社会が出来上がってしまっているのです。
 ◇女性の底力が社会を変える
 ―女性たちが今できることはありますか。  対馬 日本で「SDGs」というと「環境」のことばかりに注目が集まっていますが、17のゴールの中で日本が一番遅れているのは「ジェンダー平等」です。日本の女性は声が小さい、層が薄いと言われています。そもそも何もせずに諦めから始まっているので、持てる力をどれだけ発揮できるかというところにはまだチャレンジしていないんですよね。私は日本の女性の底力はきっとすごいに違いないと信じているので、これから皆がチャレンジすればいいと思うのです。  日本全体がこんなに後退し、勢いを失ってしまっているのは皆が我慢して諦めているからであり、本当にもったいないことです。今後、女性の活躍で期待されるのは「発言力」であり、それは「社会を変えていく力」です。そこにこそ地球の未来があると私は考えます。医療界を変えるとかいうレベルの話ではなく、すべての女性たちが手を取り合い、声を上げて、自らの生き方を決めていく。女性が世界を変えていく時代が来ています。(了) 聞き手・文:稲垣麻里子、企画:河野恵美子(大阪医科薬科大学医師) 対馬ルリ子(つしま・るりこ)  日本産科婦人科学会専門医。医学博士。専門は周産期学、ウィメンズヘルス。  1984年弘前大学医学部卒業。東京大学医学部産婦人科学教室入局、都立墨東病院周産期センター産婦人科医長などを経て、2002年にウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック(現女性ライフクリニック銀座)を開院。産婦人科、内科、乳腺外科、心療内科、泌尿器科などで協力して全人的女性医療に取り組む。2003年NPO法人「女性医療ネットワーク」設立。2020年に一般財団法人日本女性財団https://japan-women-foundation.org/を立ち上げ、女性を救済する医師「フェムシップドクター」を養成するなど、企業や団体と連携しながらすべての女性を支援するための活動に注力している。 【注】 *1) 文部科学省資料 https://www.mext.go.jp/content/20231010-mxt_daigakuc02-100001375_01.pdf *2) 1994年にカイロで開催された国際人口開発会議において提唱された概念。人間の生殖システム、その機能と(活動)過程のすべての側面で、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指す。
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japaneseschooltokyo · 10 months
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「外国人社員が通える無償(ボランティア)の日本語教室はないだろうか...?」と...
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easyinformality · 1 year
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RPGのジョブ風芸術家の理想像7種(仮)
7種:貴族 聖人 隠者 道化 芸人 職人 市民
以下それぞれのジョブの説明。
・貴族(ルールメーカー) 例:岡本かの子 蓮實重彦 後鳥羽上皇 マルセル・デュシャン  貴族とは、批評家の最も高度な形態である。もしかすると藝術家の最も高度な形態かもしれない。批評家は批評文によって物事の価値の是が非かを決定するが、貴族は卑しい批評家とは異なり、価値付けのために組織化された文章でなく、彼の振る舞いそれ自体によって物事の価値を決定する(文章上の仕草、話しぶりにおいても同様である)。このことは芸術作品が目指すところのものそのものではないか?と考える向きが現代の風潮となっている。しかしこの理想像を目指すには、多分に生まれ持った能力と階級が重要になる。人々の振る舞いの模範となるには、『失われた時』に登場するシャルリュス男爵やゲルマント公爵夫人のような、高貴さと洗練された趣味が必要になるからである。とはいえ、後者はあればいい程度のものにすぎないかもしれない。  貴族であろうとすることは、自分を社会に押し付けようとすることである。努力の仕方を間違えたり、才能の質を見誤ると、その権力への欲求が妄想の病の形を取りかねない危険がある。  現代アーティストの大半はこの類型を目指している。しかし、自然の法則からして、ルールメーカーは本質的に少人数でなければならない。数が少ないということこそ、貴族であることの証明だからだ。現代では、ルールメーカーが企業か何かのように乱立するという混乱した様相を呈している。現代アーティストが金を追求するのも当然だろう。金はルールメーカーの力を支えてくれる、もっとも分かりやすく、もっとも手に入りやすいものなのだから。  ルールメーカーの頽落した形式として、社会活動的アーティストというものがある。ときにそれは聖者が頽落したものでもありうる。
・聖者 例:石牟礼道子 ドストエフスキー(サブは道化) ゴッホ  聖者は聖なる時代には出て来ない。聖者の出現は、聖なるもの(宗教道徳、倫理、あるいはそれよりもはるかに高度な宗教感情一般)が衰退するか、衰退の危機にあるときに出てくる。宗教的なるものの衰微の兆候や既存の宗教の硬直化が、聖者が乗り越えようと目するものである。  彼らは彼らの持つ宗教感情を最大限に生かして、物語を物語ったり、詩を読んだりする。彼らが捉えたいと願い、またしばしば捉えたと信じるものは、我々人類の生活世界を越えた、より大きな世界、それもSF作家がしばしば思い描くような宇宙、混乱した雑多なものの集積物で、その奇怪さゆえに人智を越えていると考えられるような宇宙ではなく、人類を包み込む調和の取れた世界としての宇宙、ないし調和を見出すための一筋の光を見出すことができる宇宙である。この人間社会よりも高次の、より大きな秩序を探究し、作品のなかでその秩序に触れた際の人間の感情の働きを追求したいという願いが、しばしば彼らの作品の構成のための最初の目的になる。つまり、彼らは何か超越的なものを、単なる個人における探究ではなく、全人類のためのものとして、追い求めるのである。  聖者は聖なる時代には出て来ないと最初に述べた。この点で聖者は、市民社会の高度な道徳の体現者である市民から区別されなければならない。また、単に宗教的なものを求める気持と聖者の気持とは、それが超越的なエネルギーを持っているかいなかで区別される(これは、聖者とその追従者はそのエネルギーの有無で価値を判別する存在ではあるものの、その作品、藝術家の価値とはまた別の話である。)。
・隠者 :丸谷才一 正徹 トゥオンブリー  隠者は知識を重んじる。それは、つまり、過去の作品とその歴史を重んじるということである。しかし過去や歴史や文献といったものは、世間が最も嫌うものの一つでもある。過去を気にしているうちは人生を生きられないし楽しめない、と世の人々は思っている。したがって隠者は世間を離れて隠遁生活に入り、隠者同士のネットワークのなかで生きていかざるを得なくなる。  それを見て人々は彼らは禁欲的な人だとか立派な人だとか世捨て人だとか言うかもしれない。だがそれは誤った称賛だろう。隠者は隠者で、彼らの社交の場を持つからだ。隠者と宗教的な苦行者とはこの点において区別されなければならない。だが一方で宗教組織がしばしば隠者の隠れ場であったというのも事実である。大学という場が宗教組織を土台に出来上がったという事実もある。  要するに隠者とは、文学から文学を生み出す類の芸術家のことを言う。彼らは紙の中でしか息ができないために、自身の作品も、冒険そのものというより書物から書物へ移る知的な冒険を含んでしまうのである。宮廷が衰退した後に正徹が和歌をものしたことは、その最も分かりやすい例と言えよう。  隠者、つまり知識人という種族が成立するためには、ある種の個人主義を成立させるだけの自意識の発達が必要であり、つまり都市化という過程が必要であるように思われる。だが、実際のところはどうなのだろう。代々怪しげな呪文を伝えてきた古代の呪術師たちと、どの程度系譜上近接しているのか、興味深いところだが、真実が明らかになることはなさそうである。
・道化 :中原昌也 象徴主義の詩人たち アリストファネス ジェフ・クーンズ  道化師はアイロニーの達人である。ということは彼らは、人を針で突き刺すと同時に自分をも針で刺す達人だということだ。それは彼らが、その批判意識を言葉として振るわないときでも、同じである。無言のパントマイム劇の最中にも、彼らの身振り手振りは刺々しいものを含んでいる。一見彼らのポーズや放言は、おどけた愉快なものに見える。だがよくよく観察すれば、彼らは我々を楽しませようとしているのではなく、我々を腹の底から馬鹿にして虚仮にしようとしているのだということが、はっきり見て取れる。そして同時に、そんな馬鹿よりも馬鹿者として振る舞っている自分を彼らは馬鹿にするのである。  とはいえ以上で述べたようなことは、道化の姿としては現代的なものすぎないのかもしれない。古くには、演じられた馬鹿ではなく本物の馬鹿者が、道化を演じることがあったのだろう、と想像して、私は何の疑いも抱かない。馬鹿者は礼儀を知らないから、浮かれ騒ぎになれば、思ったことを何でも言ってしまったのだろう。そしてそれが、現世のすべての秩序が逆さまになる祝祭として、喜ばれたことがあったのだろう。次の時代には、馬鹿者を真似た陽気だが知的な馬鹿者が出てきた。彼らは人を馬鹿にしながら寿ぐ技を磨いた。最後の時代には、道化は陽気さを失い、何かを祝福するという術を失った。  すべてのものを馬鹿にするということは、すべてのものを自由にするということでもある。そのため道化の技は、その価値転換の目的からして、貴族のそれに近いと言えないこともない。だが道化の技はより危険である。彼の活躍の場は社交ではなく祝祭であり、祝祭を持つことのできなかった道化には、しばしば悲劇的な結末が待っている。そして現代においては、本当の価値転換が行われる祝祭というものは望まれない。ヨーロッパにおいては、神が死んでからは、祝祭は不可能になってしまったという事情もある。そういうわけで、現代の道化はかつてよりも知的で、かつてよりも暗い顔をしている。彼らは自らの性質により道化になったというよりは、価値転換を行いたいがために道化にならざるを得なかったように見える。古代と現代の間で、どちらがより優れているのかは、容易に結論の出ない疑問である。だが、現代において古代と同じものを望むのは、倒錯���だというだけではなく危険も大きいと、言っておく必要があることだけは確実だろう。
・芸人 :チャールズ・ディケンズ 紫式部   人を楽しませることを活動の目的とする人々は、観客を選好したりしない。たいていの場合、受け手がどの階級に属していようと、その場にいる大多数の人々を楽しませることが、自分の職分であると理解しているものである。そのため、芸人というこの類型は、ジャンルによらず、もっとも民主的で大衆的な芸術の作り手であると言える。  芸人という職業が誕生した歴史的経緯は無論定かではない。ただ、古事記の岩戸のエピソードが示すように、文化の発展史の初期には、芸人は宗教的な巫女の役割を兼ねていたのではないか、と想像することはできる。確かに、平家物語やホメロスの叙事詩など、職業的な芸人がその成立や普及に関わったと思われる作品には、御霊信仰や神威の偉大さを伝える話が、欠くことのできない主題としてある。このことも、芸人という職業の民衆的な性質を考えればすっかり説明できるように思われる。思想は知識階級の産物だが、一方宗教と信仰は本質的には民衆のものだからである。  その後時代が下るに連れて、芸人が内在していた宗教的価値は薄れていったようだ。まだ社会階層が分離された状態が長く続き、都市化によって社会の複雑さが増すと、それぞれの社会階層ごとの芸人というものが登場し出す。上流階級向けのバイオリン弾きもいれば、下層階級向けのエレキギター弾きもいる、といったように。しかしそうした区別は単なる階級の好みに依存しているにすぎず、その本質ではない。興味深いのは、薄れたとはいったものの、依然として芸人には何かホーリーな後光が指しているように思えることである。クラシックにしろポップスにしろ、現代のコンサートに足を運んで、そこにかつてなら宗教的なものと呼ばれたものの顕現を目にしないものはいるだろうか? またどれほど下らないと知識階級が言い張ったとしても、戯作に感涙する人はいつの時代も少なくないのである。それに、知識階級が大事にしているものですら、単に知識人向けの戯作でないとは限らないではないか。
・職人  貴族は趣味に第一の関心を持つ。聖者は超越的なるもの、隠者は作品史、芸人は観客に関心を持つ。道化は何かに関心を持ったりはしない。職人はメディウム、つまり素材に関心を持つ。  形式への問いは要するに歴史への問いであると言える。形式が歴史の産物であると見な��ことは、近代以降の我々にとっては常識となっている。だが同時に、形式は素材を規定し、素材は形式を規定するものである。この点において、素材に感嘆するにしてもそれを征服しようとするにしても、職人の関心と隠者の関心が交わることもある。文学史上におけるモダニズムを思い浮かべればそのことがすぐにわかる。そしてモダニズムというものが一時代に限られたものでないということも、この事実からわかる。  一方両者の違いも明白である。隠者には彼らの作品をできるだけ複雑なものにしようとする傾向がある。過去と現実、形式と素材の対立に、彼らは美を見出す。職人においては、複雑さも歴史も第一位の関心事ではない。そのため、名工の技を鑑賞する際に特に歴史的事実を思い浮かべなくてもその美しさが十分に分かるように、洗練の極致にあったとしても、極めて単純なものを作ることもある。そういう場合の職人の技とは、あたかも人力で、石から完全な球体を削り出そうとするようなものである。  藝術家とは職人である、と考えられた時代もあった。藝術家が、言ってみればメディアを通して人々を誘惑する職業である以上、当然のことだろう。だが職人という理想像は、現代においては真面目に受け取られることは少ないようだ。たしかに職人はもっとも世俗的な芸術家像であり、その分容易に頽落した形式になる。優れた職人とそうでない職人を見分けることは、この民主化した社会においては個々人の好みの問題にすぎないとされてしまうからなおさらそうである。だがそれでも、ラディカルな職人であることの重要性は、現代において見直されるべき主題であると思われる。
・市民 :ソフォクレス ゲーテ  市民は、ある社会における理想的な人物を体得し、それを表現しようとする。彼らの表現するものは、その社会における最高の道徳と能力を、堂々たる威容として観客に提示する。彼らの提示する人物は、他の理想像が提示する人物のように、恨みを内に抱いていたり、変わっていたり、醜かったりすることがない。逆に、高次の道徳を備えた安定した社会の、最良の良心である彼らは、万人にとって重要な、ないし重要であるべき理想像を、恥も入り組んだ苦心も抜きで示す。重要であるベき、と述べたのは、いかなる道徳も衰退するものであり、衰退の時期に生まれた市民は、彼が備えた良心ゆえに、世間に逆らわざるを得ないことがしばしばあるからである。そういうときは、市民はまた別の理想像、聖者や隠者に姿を変えるかもしれない。それは未来にそうした優れた社会を打ち立てようとしたときも同様である。  聖者とは異なり、市民は超越的な感覚に二次的な興味しか抱かない。彼らが興味を抱くのは、高次の道徳とそれに伴う充実感である。彼らが神の法と言うときは、この高次の道徳を指しているのであって、そこに神秘主義の匂いを嗅ぎつけるのは誤りである。  諷刺の技を市民的芸術に含めるかどうかという問題は難しい。市民的芸術と同様に諷刺は良識によりかかっているものだが、往々にして、市民的芸術よりも実社会に対して疎遠になってしまっている。区別の基準は、結局、その作家の目的と素質に依るのかもしれない。アリストファネスやモリエールは常識に基づいて滑稽な人物を組み立てるが、市民とは呼び難いと私には思われる。また諷刺は、単に政治活動において相手方を攻撃する目的で用いられることもあるから、一芸術ジャンルとして数え上げることはできないようである。
どうでしょう。実際こんな感じなのでは? ちなみにこの文章自体は、道化と隠者が6:4ぐらいだと思います。
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makikoakiyama710 · 3 years
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ジュエリーを学ぶ若い人たちへ
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ふだんはジュエリーにまつわるあれこれを書いていますが、今回はいつもとちょっと違う趣旨で書きます。そのきっかけになったのは、5月に行われたコンテンポラリージュエリーシンポジウムです。わたしは登壇後の質疑応答で、コンテンポラリージュエリーを学ぶ学生さんに何か一言ありますか、という内容のご質問をいただきました。そのさい、思いがけない質問だったのと、緊張とで一瞬言葉に詰まってしまいました。最終的に、ジュエリーがどういう意味を持つものなのか、しっかり学んでほしいということを言ったと思います。が、自分で答えておきながらその回答がどうもしっくりこず、折にふれて考えていました。その後、これだと思える答えを見つけたので書き残すことにしました。
ジュエリーを学ぶ学生さんに伝えたいこと、それは、ジュエリーが一般にどのようなものでどのような役割を果たすものか学ぶのも大事だけれど、自分にとってジュエリーがどのような存在でどのような意味をもつものなのか考えることをやめないでください、ということです。これはシンプルなようでむずかしい問題です。答えを見つけるまで時間がかかるかもしれません。かくいうわたしも、この問いに自信をもって答えられるようになったのは最近のことです。あせらず時間をかけてください。いますでに、自分なりに明確な答えを持っているなら、それはすばらしいことです。そしてその答えがこの先変わったって良いのです。
おそらくこれを読む多くの学生さんが目指しているコンテンポラリージュエリーの分野について言うと、ここ最近、ジュエリーが何かという模索はもはや必要ないのではないか、という声を目にすることがありました。そう言いたくなる気持ちはわからないでもありませんが、わたしは賛成しません。コンテンポラリージュエリーは、作り手一人ひとりが、自分にとってのジュエリーの意味や意義を模索し、それをいまという時代と呼応させて表現する分野だからです。ジュエリーの意義や役割が、時とともに変わりうる可能性を少しでも信じるなら、ジュエリーが何かという問いは時代を超えて有効であるはずです。
この問いへの答えを見つけていく過程で、みなさんはきっと、いろんな作品を見て、いろんな考えに触れるでしょう。ある作品を見て瞬時に心が動くこと。これは「反応」です。その反応が大きければ、忘れがたい感動的な体験になるでしょう。その心の動きを感じたら、そこから咀嚼に進んでみてください。
咀嚼の第一段階は、作品をじっくり見て、なぜその作品にひかれたのか、この作品にあってほかの作品ないものは何か、などを考えることです。そのさい、素材や制作方��、作者の考え、時代背景などを知りたくなるかもしれません。そんなときはできる範囲で調べてみましょう。
そのようにして、その作品をさまざまな角度から検討してみる、さらに、すでに知っていることと関連づけたり比較したりしながら、自分にとってのその作品の意味内容を考える――そうしてその作品を自分の血肉とする作業が咀嚼です。どうすればそれができたといえるか。ひとつのものさしは、その作品のどこに惹かれどこがおもしろいと感じたのか自分の言葉で言えること。理解することが情報を受け入れる比較的受動的なプロセスだとしたら、咀嚼することはその情報にたいして主体的に頭をはたらかせる、能動的なプロセスだといえるでしょう。
このプロセスがあなたの価値観をつくります。ジュエリーをふくむ芸術表現に正解はありません。だからこそ何度も問いを立て考えつづけ、自分の価値観をみがきあげていく過程がだいじなのです。残念ながらこれは、ある日いきなりできあがってはくれません。少しずつしか作れないものであり完成も終わりもありません。
ときには心から共感できる考えに出会えるかもしれません。ひょっとすると、共感するあまり、その人の言葉や表現を借りて――そのままではないにしろ、少しアレンジして、自分のものとして発信したくなるかもしれません。芸術の世界でもジュエリーの世界でも、あらゆる表現が出尽くしたと言われるいま、新しさを求めることじたいが時代錯誤にすら思われます。また、SNSなどを通じ、相互に影響を与え合うのが当たり前となった現代では、どこからどこまでがオリジナルの考えかという線引きはもはや不可能で、パクりかどうか言いだしてもはじまらないという考え方もあります。
でも、たとえ似たような内容でも、その人が考え抜いてそこにたどりついたのか、借り物の考えでしかないのは見る人が見ればわかります。人の考えを借りて手を抜くのは、先人や見てくれる人に対する敬意や礼節を欠く行為です。それだけでなく、後から自分がやったことの意味がわかると、その負い目があなた自身に重くのしかかってきます。咀嚼をかさね自分の考えに結実させるという、地味で時間のかかるプロセスを積んできた人は、手抜きで自分をつくれないことを知っています。だからこそ、だれかの考えをだまって借りて平気でいられるはずがないのです。
心の目を持ってください。オランダで活動するジュエリー作家、バッパ・ケスラーさんのインタビューによれば、彼女は制作中の見張り役として、アトリエの壁のたかいところに人形をかざっているそうです。だれも見ていなくても、こいつの目だけはごまかせない、そう思える存在を心に持ってください。人によっては神様と呼ぶのかもしれず、昔ならお天道さまという言葉で言い表されていたような存在を。これは自己検閲とはちがいます。自己検閲は他者の目を内面化し、己の行動を規制することです。ここで言っているのは、あなたがあなたに恥ずかしくない人間であるための努力です。これは容易なことではなく、わたし自身なんども失敗していますが、その都度自分にがっかりしてはやり直すしかないのです。
だれかの表現を見て、怖い、いやだ、不愉快だ…そういうネガティブな感情が起こることもありえます。その気持ちがつよければ、それをつくった人やそれを見せてきた人に怒りすら感じるかもしれません。ジュエリーを学ぶことは文化を学ぶことです。文化というのは特定の地域や集団ではぐくまれ共有されてきた価値観や習慣です。時代や地域が変わればその文化も変わります。その差が途方もなく大きければ、あなたの理解を超えるでしょう。ジュエリーもまた、気候風土や生活様式にねざす文化のひとつであり、異なる文化と文化がであい、そこに摩擦が生じて影響し合ったり、ときには一方がもう一方に吸収されて発展してきました。個人の表現も、その人が属する文化圏の影響をのがれることはできません。
近年は、グローバル化に伴い、芸術文化においても均質化がすすんでいるといわれ、突拍子のないものを目にする機会は減ったかもしれません。SNSでは自分の目に入る情報を選べます。苦手なものは見なければいいし、好奇心がはたらけば興味の対象はおのずと広がっていきます。だからといって不快なものや異質なものを一切視界に入れないようにはできません。閉鎖的な文化は爛熟期を迎えたら必ず衰退します。個人レベルでもそれは同じです。嫌だと思うものをムリに好きになる必要はありませんが、それが生まれた理由――それが生まれた背景やそこにいる人たちへの想像力だけは失わないでください。
ときには授業中に不愉快な表現や考えに遭遇するかもしれません。コンフォートゾーン=安全圏という言葉をきいたことはありますか。身の安全が保証されていてる領域をさす言葉です。そこにいれば快適ですが、困難がないぶん成長はむずかしいです。良い先生は、あなたがこのコンフォートゾーンの壁を破って新たな世界を切りひらくためなら、努力を惜しみません。生徒の成長を願い、理解が及ばないものを見せることもあるでしょう。それはまた、あなたが精神的に成熟した大人であり、それを受け入れられると認めている証でもあります。とはいえ、生徒と先生の関係の非対称性には、双方ともにつねに自覚的であらねばなりません。また、いかなる形においても、大人として認められたいという、若者として自然な欲求につけこむようなことがあってはなりません。まともな教師なら絶対にそんな真似をするはずありませんが、善意だけで成り立っている環境はまずないと言ってよく、悲しいことに教育の現場もその例外ではないのです。
見ていてつらくなるならムリをする必要はありません。また、状況を問わず、あなたをからかったりショックを与えてやろうという悪意が明らかな場合は抗議の声を上げるべきです。見せる側も、ショッキングなものを見せるときは、あらかじめそう伝えて聞く側が心の準備をしたり、見ないという選択肢を選べるようにする必要もあります。
先ほどSNSについて少しふれましたが、ジュエリー分野ではInstagramが主流なツールとなっています。自分なりの付き合い方を確立して楽しく使えているならよろこばしいことですが、人の反応が数字として可視化されるぶん気疲れしてしまう人もいるかもしれません。わたしも、自分が時間をかけて書き上げた文章をSNSで告知して反応が少なくしょんぼりしたことはあります。そんなとき、見知らぬ人からMessengerでメッセージをもらいました。その誠実な文面からは、わたしの意図がしっかり届いたことが伝わり、それを見た時に「数字とかもういいや」と心から思うことができました。
「いいね」をもらってモチベーションにすること、見てくれた人の数が少なくともだれかの心に深く残ること。どちらが良くてどちらが悪いとは言えませんし、両方の価値観のあいだを行ったり来たりするのがじっさいのところだと思います。が、自分にとって何がだいじか優先順位をつけておけば、振りまわされることはありませんし、うっかり振りまわされても少ないダメージですみます。ただし、数字はあくまで指標です。もしあなたが芸術表現としてのジュエリーを目指しているとして、フォロワーが多く影響力があればあるほど「良い」と信じて疑わず、そこに大きな比重を置いているなら、表現するという行為の意味を根本から学びなおした方が良いかもしれません。
ここまで言ってきたことはすべて、自分の軸を持ってください、そのための時間と手間を惜しまないでください、ということです。わたし自身がそれを経て至った、自分にとってジュエリーは何かという答え、それは自分でも拍子抜けするほど単純なもので、自分が世界とつながるためのものである、ということです。身につけるという行為だけでなく、だれが作ったものをどこでだれから買うか、さらに、ジュエリーについて学び、考え、伝えることを通じ、国を超えて人とつながることができているのです。
冒頭の写真は、イギリス在住のジュエリー作家、リン・チャンさんの『Reasons(理由)』シリーズのひとつです。このシリーズの指輪には、人々がジュエリーをつける理由がエッチングで刻まれています。わたしはたくさんあるなかか��「It's part of me」つまり、ジュエリーは自分の一部である、と書かれたものを選びました。理由のひとつは、わたしにとってもジュエリーは自分の一部だからです。もうひとつは、この指輪という小さな存在が、かぼそいながらも人と人とのネットワークを作り出していて(作り手、「It's part of me」の理由を挙げた見知らぬだれか、売り手など)、自分もその一部である喜びを、この言葉を通じて感じられるからです。
あなたにとってジュエリーは何ですか? 時間をかけることをおそれず、この問いへの答えを探すプロセスをどうか楽しんでください。
2021年8月16日17:28、 19:33 | 一部修正
2021年8月21日9:46 | 一部修正
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xf-2 · 4 years
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(CNN) 中国政府が運営する新疆ウイグル自治区の収容施設に教師として着任した1日目、ケリビナル・シディクさんは兵士2人が若いウイグル族の女性1人を担架にのせて建物の外へ運び出すのを見た。
「女性の顔には生気が全くなかった。頬の色は失われ、呼吸もしていなかった」と証言するシディクさんは、元小学校教師。やむを得ない事情により数カ月間、新彊の収容施設2カ所で中国語を教えたという。2017年のことだった。
施設に勤務していた女性警官はこの後、運ばれた女性が出血多量で死亡したと告げたが、その原因は明らかにしなかった。この一件を皮切りに、女性警官はいくつもの話をシディクさんに聞かせることになる。3カ月間教師として働いたその施設は厳重な警備が敷かれた建物で、女性のための収容所だった。
シディクさんによれば、その女性警官は上司の命令で施設内でのレイプの報告を調査するため配属されたと説明していた。CNNはこの説明を裏付ける証拠を持っていない。ただシディクさんはそこで自分が見聞きしたことについて、非常に精神にこたえる内容で気分が悪くなったと振り返る。
シディクさんの訴えは、元収容者らのものと共通する。彼女らが語るのは、中国の巨大な収容所ネットワークの内部で行われているレイプや組織的な性的虐待だ。
シディクさんの証言が希少なのは、収容施設の中で働いていた職員がじかに経験した内容だからだ。米国政府は中国がウイグル族や他のイスラム系の少数民族に対するジェノサイド(集団殺害)を行っていると非難。弾圧の手段として大規模な拘束や拷問、不妊・中絶手術の強制などを挙げている。
これに対し中国政府は、ジェノサイドの非難を事実ではないと否定。CNNへの声明で、新彊において、いわゆる「組織的な女性への性的暴行や虐待」は行われていないと反論した。
しかしシディクさんは、女性警官から男性警官がそうした行為について自慢げに話す様子を聞かされたと証言する。「(男性警官たちは)夜に酒を飲むと、どうやって女性たちをレイプし、拷問したかを互いに言い合うそうだ」。現在オランダに住むシディクさんは、CNNの取材に答えてそう説明した。
小学校の教師をしていたケリビナル・シディクさんだが、収容施設の収容者たちに中国語を教えることを余儀なくされた/Courtesy Qelbinur Sidik  
収容所の内側
ウズベク族のシディクさんは新彊で育ち、28年間小学校の教師として6~13歳の子どもたちを教えてきた。2016年9月、サイバク地区の教育委員会の会議に呼ばれ、「読み書きのできない人たち」を対象にした仕事に就くよう言われたという。
17年3月、新しい生徒たちと対面した。約100人の男性とひと握りの女性だ。「彼らは教室に入ってきた。手足を鎖でつながれていた」(シディクさん)
初めての授業で、板書しようと黒板の方を向くと、背後から収容者たちの泣き声が聞こえた。「少しだけ振り返ると、彼らの涙が頬を伝って流れ落ちるのが見えた。女性の収容者たちは声を上げて泣いていた」(シディクさん)
若い収容者たちは、施設に来た当初こそ「健康で丈夫な、目も生き生きとしている状態」だが、すぐに体調を崩し、衰弱したという。教室は施設の地下にあったが、叫び声が聞こえることがあった。それについて尋ねると、男性警官は収容者が拷問されていると答えた。
「そこで教えている間、身の毛がよだつ状況を目の当たりにしてきた」(シディクさん)
CNNには、シディクさんが語った収容施設内の話が事実なのかどうか確かめる手段がない。しかし、新彊の複数の元収容者が以前CNNの取材に答え、政治的な洗脳や虐待を受けていたと証言。現在は海外に住むウイグル族の人たちも、親類が収容施設に入ったまま帰ってこない実情を訴えていた。CNNに寄せられた漏洩(ろうえい)文書が示すところによれば、ウイグル族の人々はひげを生やしているとかベールを着用しているといった些細(ささい)なことで収容施設に送られることもあるという。
中国政府は、収容施設が「職業訓練センター」だと主張。運営は当局の戦略の一環であり、暴力的なイスラム過激主義の撲滅と雇用創出の両方を念頭に置いていると説明する。
新疆ウイグル自治区・共産党宣伝部の報道担当者は今月1日、政府の記者会見で「ウイグル族のイスラム教徒数千人を一斉検挙している事実はない」と述べた。
「我々が法に従って取り締まったのは、一部の凶悪でしぶとい過激主義グループの頭目たちや中心メンバーたちだ。その一方で、宗教的な過激主義に染まり、軽微な犯罪を犯した人々には救済の手を差し伸べている」(同担当者)
「そして私は集団レイプされた」
トゥルスナイ・ジヤウドゥンさんは、何の罪も犯していないにもかかわらず拘束されたと訴える。17年4月、公的な書類を入手するため新疆ウイグル自治区のキュネス県に帰省した時に初めて拘束された。当時は夫と隣国のカザフスタンに暮らして5年が経過していた。
夫のハルミルザ・ハリクさんはカザフ族で拘束はされず、ジヤウドゥンさんを追ってキュネス県職業訓練学校に向かった。カザフスタンからCNNの電話取材に応じたハリクさんは、「学校の鉄の門越しに2人で話をした」とその時の状況を振り返る。「私を見て彼女は泣き出した。怖がることはないと言った。(中略)法を犯していないのだから、心配することなど何もない」
米国からCNNの取材に応じるトゥルスナイ・ジヤウドゥンさん/CNN  
当局はジヤウドゥンさんの身柄を1カ月拘束した後釈放したが、18年3月に収容施設へ呼び戻した。それが9カ月にわたる悪夢の始まりだったとジヤウドゥンさんは強調する。
米国からCNNの取材に応じたジヤウドゥンさんが語ったところによると、収容された監房には他に女性が20人ほどいた。そこでは食事も水もほとんど与えられず、トイレの使用は1日1回しか許されなかった。使用する時間も3~5分と決められており、「それ以上時間がかかると、電流の流れる警棒で感電させられた」(ジヤウドゥンさん)
収容されている間、警官からはカザフスタンで暮らした年数について尋ねられた。ウイグル族の亡命者とつながりがあるかどうかも問われたという。
ある尋問の最中、複数の警官から殴る蹴るの暴行を受けて気を失った。また別の時には、2人の女性警官がまだ傷の残るジヤウドゥンさんを別の部屋へ連れていき、テーブルの上へ寝かせた。「彼女らは私の体の中に警棒を入れて、電流を流した。私は失神した」(ジヤウドゥンさん)
それから10日後、今度は男性警官の集団に監房から連れ出された。「隣の部屋で、別の女性が泣き叫んでいるのが聞こえた。5~6人くらいの男がその部屋に入っていくのが見えた。女性を拷問しているのだと思ったが、間もなく私は集団でレイプされた。それが終わってから、彼女も同じことをされたのだと分かった」。ジヤウドゥンさんは涙を流しながらそう振り返った。収容施設にいる間、こうした被害には何度も遭っていたという。
「警官らの残忍さは度を越していた。相手を痛がらせ、殴って体を傷つけた。頭を壁に打ちつけられもした。(中略)そういうやり方で私たちを罰していた」(ジヤウドゥンさん)
レイプと拷問に関するジヤウドゥンさんの糾弾は、最初に英BBCが報じた。CNNはこれらの主張の信憑(しんぴょう)性を独自に確認できていないが、その内容はカザフスタン国籍のウイグル族であるグリバハル・ジェリロワさんのものと共通するところがある。
昨年7月にCNNの取材に答えたジェリロワさんは、17年5月に収容施設に入れられた際、「刑務所のような」部屋に20人ほどの女性たちとともに閉じ込められたと語っていた。
ある時、収容施設で性的暴行を受けたジェリロワさんは、相手の警官に面と向かってこう言った。「恥ずかしくないの? あなたにも母親や姉妹がいるでしょう。どうして私にこんなまねができるの?」。すると警官は電流棒でジェリロワさんを殴り、「お前は人間に見えない」と言い放ったという。
19年9月26日の夜、収容施設でのことを口外しないよう中国当局から警告された後で、ジヤウドゥンさんは徒歩で国境を越え、夫の待つカザフスタンに帰った。
しかしそれからの数日間、ジヤウドゥンさんの健康状態は悪化し、膣からの出血に苦しんだという。
昨年、ジヤウドゥンさんは治療のため米国に渡った。到着後すぐに医師らは手術によってジヤウドゥンさんの子宮を摘出した。診療記録をCNNが確認したところ、ジヤウドゥンさんには骨盤膿瘍(のうよう)、膣出血、結核の診断が下っていた。
医学的な合併症を患ったことについて、ジヤウドゥンさんは新彊の収容施設での扱いが原因だとしている。CNNはこの主張を実証できていない。
夫のハリクさんは「(収容施設を出てから)彼女は中で経験したことについて何も話さなかった」「時々、彼女が夜中に泣いていたりすると、猛烈な怒りがこみ上げてきた。ひどい経験をしたとわかってはいたが、それを尋ねる勇気はなかった」と語った。
ジヤウドゥンさんは現在米国で暮らしている/CNN  
中国側は否定、個人攻撃も
CNNに宛てた声明で、中国外務省は3人の女性たちによる訴えに直接は答えなかったものの、疑惑に関しては全面的に否定する見解を打ち出した。
「当該のメディアに、正誤を判別する能力があることを期待する。虚偽のニュースや偏向報道にだまされたり、誤解させられたりしないよう願う」。外務省はこのように述べたうえで、同省が言うところの職業訓練センターについて、「女性を含む訓練生たちの基本的な権利は侵害されず守られている。いかなる形であれ、訓練生たちを侮辱、虐待することは固く禁じている」と付け加えた。
新疆ウイグル自治区の行政府にコメントを求めたが、現時点で返答はない。
今月3日の記者会見で、中国当局は少数民族の女性数人を紹介。当局の用意したシステムを「卒業」し、「どのように過激思想を排除してもらえたかを共有した」と説明した。また大掛かりなレイプや強制不妊手術に関する報道は「全くばかげた話だ」と一蹴した。国営メディアも、声を上げた女性たちを個人的に攻撃することでその主張の信頼性をおとしめようとしている。
例えば環球時報は10日付の記事で、グリバハル・ジェリロワさんを「役者」と非難。トゥルスナイ・ジヤウドゥンさんは強制的に不妊手術を施されたとうそをついているとの見方を示した。後者に関しては高位の当局者の言葉を引用し、「彼女の家族全員が、生まれつき不妊であることを承知している」と報じた。ジヤウドゥンさんはCNNに対し、強制されたのは子宮内避妊具(IUD)の挿入であって、不妊手術ではないと述べた。
ジヤウドゥンさんは、自分には告発をでっちあげる理由がないと指摘。「40代の女性である私が、こんな話を喜んで世界中に広めると思うのか?」と、問いかけた。
「彼らには、自分にとって怖いものはもう何もないと伝えたい。彼らがすでに私の魂を殺してしまったからだ」(ジヤウドゥンさん)
冒頭の教師のシディクさんは、夫から次のように告げられたと明かす。政府の当局者が自宅にやってきて、4時間にわたり夫に短い動画の撮影方法を指導した。収容施設の中にいたという妻の主張を否定する内容の動画だ。
夫は、決して新疆に戻ってこないよう念を押したという。「(対話アプリの)微信(ウィーチャット)もまたブロックされたので、状況は分からない。夫は今生きているのだろうか、それとも死んでしまったのだろうか」(シディクさん)
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toshihikokuroda · 3 years
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入管法改悪 廃案必ず 移住連、国会座り込み 2021年4月17日【社会】
「送還ではなく保護を」  入管法改悪案が衆議院で審議入りした16日、衆院第2議員会館前で「難民の送還ではなく保護を」などのプラカードを手に市民が廃案を求めて座り込みました。主催は、移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)。
 「初めてこうした行動に参加した」と話す若者もおり、市民や弁護士、学者や国会議員らがリレートークでアピールしました。
 移住連の鳥井一平代表理事は、改悪案は社会にとって都合の悪い人を排除しようとするものだと強調。「絶対に廃案に追い込まないといけない。そのために頑張りましょう」と呼びかけました。
 横浜市の医師、越智祥太(さちひろ)さん(52)は、入管問題は日本に住むすべての人に関わる問題だと考え座り込みに参加。「日本に暮らす外国人はどの面から見ても弱い立場に置かれている。より良くしていくべきなのに改悪なんて許せない。廃案にするべきです」と語りました。
 日本共産党、立憲民主党、社民党の国会議員が参加。共産党の藤野保史衆院議員は「力をあわせて必ず廃案に追い込みましょう」と述べました。移住連は今後、法務委員会開催日を中心に座り込みを実施。「さらに反対の声を広げていこう」と参加を呼びかけています。
…💔💔💔💔💔 死因説明「納得できない」 スリランカ人女性遺族が会見 2021年4月17日【社会】
 名古屋出入国在留管理局で3月に死亡したスリランカ人女性のウィシュマさん=当時(33)=の遺族が16日、ウェブ中継で野党が開くヒアリングに参加し、会見しました。「入管から納得できる説明がない」と述べ、収容中の映像や診断書などを渡すよう求めました。
 支援団体によると、女性は学費が払えなくなったことで滞在許可を失い、入管に収容されていました。体調不良で点滴を求めていたものの、悪化、死亡しました。
 母親は出入国在留管理庁に対し、「日本は安全で安心と思っていた。なぜ診察や薬を受けられなかったのか」と問い、指宿昭一弁護士は、女性が点滴を求めていたことの事実確認を迫りました。
 入管庁の担当者は「司法解剖で死因を調査中。点滴の件は調査を続ける」と述べました。
 女性の妹は「スリランカのような小さな国でももっと早く結果が出る。なんで日本は遅いのか」と不信感を表し、ヒアリング後の会見で「入管庁は逃げているような感じだった」と述べました。
 母親は会見で、「ウィシュマは頭がよくて、英語を教える子どもたちに愛されていた。すごくショックを受けている」と述べました。
 母親によると、安全な国として日本を選び、渡航のため借金。スリランカでも事件が報道され、安全な国という日本のイメージが損なわれているといいます。「入管には納得できない。なんで点滴くらいしてもらえなかったのか」と泣いて訴えました。
(しんぶん赤旗、2021年4月17日)
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takahashicleaning · 4 years
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TEDにて
タン・レイ :脳波で動作するヘッドセットインターフェイス
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
タン・レイの紹介するビックリするような新しいコンピューターインターフェースは、ユーザーの脳波を読み取り、仮想的なオブジェクトや実際のスマート家電機器を念じるだけで(それと少しばかりの集中によって)操作することができます。
実現可能な未来のインターフェイスです!我々の脳は、ニューロンのネットワークがあるが、表面のしわが個人毎に異なるので電気信号を読み取り、電極でパターンをとらえるにはアルゴリズムの構築が不可欠でした。
タン・レイが、エヴァン•グラントに装着させてこのヘッドセットのデモを披露し、いろいろな応用例を紹介します。
データが少ないので多少時間と覚え込ませる過程が必要ですが、クラウドコンピューティングによる音声認識技術と同じ構築方法であらゆるパターン認識スピードを高速化できるかもしれません。
これまでの私達の機械に対するコミュニケーションは、意識的で直接的なものに限られていました。
スイッチで電灯を点けるという単純なことから、ロボティクスのプログラミングのような複雑なものまで機械に何かをさせようと思ったら、はっきりと命じたり一連のコマンドを与える必要がありました。
一方で、人と人のコミュニケーションは、ずっと複雑でずっと興味深いものです。明示的には示されない多くのことが考慮されるからです。
表情やボディランゲージを読むことで、会話しながら気持ちや感情を直感的につかみ取ることができます。実際、これは私達の意志決定において大きな部分を占めています。
私達がビジョンに掲げているのは、人とコンピューターの対話の中に今までにはなかった人の対話の要素を導入することで、コンピューターが直接命令されたことだけでなく、人の表情や感情にも反応できるようにすることです。
そのための方法として、私達の制御や体験の中心にある脳が作り出す信号を解釈するより良い方法はないでしょう。
これはとても良いアイデアに見えますが、ブルーノも紹介してくれたように2つの理由により、容易なことではないのです。第一の問題は、検出アルゴリズムです。
私達の脳には、活動状態のニューロンが何十億もあり、軸索を繋ぎ合わせると17万キロにも及びます。
これらのニューロンが情報を伝えるとき、化学反応が起こす電気信号を計測することができます。脳の機能部位の大部分は、脳の表層部分にあります。
そして、知的能力に使える領域を増やすために、脳の表面にはたくさんの皺(しわ)があります。この皮質にある皺(しわ)のために、脳表層の電気信号の解釈は難しい問題となっています。
皮質の皺(しわ)の入り方は、指紋のように個人ごとに異なっているのです。
だから、信号が脳の同じ機能部位から来ているにしても、この皺になった構造のために、物理的な位置が個人ごとに大きく異なり、たとえ、一卵性双生児でも同じにはなりません。表層の信号に一貫した解釈はできないのです。
私達は、この問題の解決のため、皮質の皺を展開するアルゴリズムを作りました。それによって、信号をその発生元に対応づけることが可能になり、多くの人に適用で��るようになったのです。
もう1つの難問は、脳波を観察するための装置です。脳波測定には、通常、センサーが並んだヘアネットのようなものを使います。
写真でご覧頂いているようなものです。その電極を技師が伝導性のジェルやペーストを使って、頭皮に取り付けるのですが、これをやると、あとで軽い擦り傷のようになります。
これはとても時間がかかりますし、あまり快適なものでもありません。その上、こういったシステムは何万ドルもするのです。
このテクノロジーは実用的なことにも応用することができます。いくつか例をお見せしましょう。この新しいインタフェースに どれほど多くの応用があるか?
たとえば、ゲームや仮想空間では、普通に表情を直感的に使ってアバターや仮想のキャラクターを操作することができます。
もちろん、魔法のファンタジーを体験し、心で世界をコントロールすることだってできます。それから、また、色や光や音や特殊効果も感情の状態に応じて変化させリアルタイムで体験を増幅することができます。
世界中の研究者や開発者によって、ロボットや機械を使った応用例が開発されています。たとえば、ここでは、オモチャのヘリコプターを飛べと念じるだけで飛ばしています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任です! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<Add idea追加アイデア>
Furthermore, it may become possible to achieve dramatic innovation in cooperation with GoogleGlass.
さらには、GoogleGlassとの連携で飛躍的な革新を達成可能になるかもしれない。
In addition, Leap Motion Controller at (Leap motion controller) If I repeat also cooperation complementary and in combination with hybrid technology and gesture Innovation beyond imagination also not impossible.
また、Leap Motion Controller(リープ・モーション・コントローラー)でジェスチャーテクノロジーとハイブリッドに組み合わせて相補的な連携も重ねれば想像を超えた革新も不可能ではありません。
That go beyond technology in the limits of humans, will also be given an effective solution to people with disabilities. Benefits immeasurable.
人間の限界をテクノロジーで超えていくことが、障害者にも有効な解決策を与えることにもなります。恩恵は計り知れません。
そのほかに、人体に関係するハード的な要素がないので、基本的人権に配慮した「治験の承認を得るために行われる臨床試験」が不要になり、スピードが格段に上がります。
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。
その前提で、HoloLensヘッドセットでもこういうの連携すればいい。
さらにいうと、Appleデザイン版も開発して欲しい。Facebookはレギーナ・ドゥー��ン指揮のもとで開発中です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
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重要なので3回繰り返します。
<おすすめサイト>
ロボットの宇宙空間での活用2019
メアリー・ルー・ジェプセン:未来のマシンで脳からイメージを読み出せるか?
Kickstarter タン・レイ :脳波で動作するヘッドセットインターフェイス
EMOTIV EPOCを使用して、GoogleCarを念じただけで運転
人類の革新。方向性のインスピレーション
脳と直接通信できるステント
ミゲル・ニコレリス:脳から脳へと意思疎通する時代へ―その方法とは?
セバスチャン・スラン&クリス・アンダーソン : 人工知能(AI)とは何であり、何ではないか
アレックス・キップマン:HoloLensホログラム時代の未来にあるもの
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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mariemot · 4 years
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自主隔離な日々 12
2020年4月4日 土曜日 快晴
自転車でNHS ナイチンゲール病院を見に行った。ExCeL Londonというコンベンションセンターの中に作られた、COVID-19に対応するための野戦病院だ。まずは500床、最大で4000床のICUが設置される。先日完成し、落成式も済んだが(皇太子のチャールズがsocial distancingをちゃんと守って、ビデオリンクで宣言をした半ヴァーチャル落成式だった)幸いなことに需要はまだなくひっそりとしていた。いつまでもひっそりしたままならいいと祈る。普段なら通行可能なドック側の歩道も裏の車道も通行禁止になっていた。暇そうな警備のおじさんに「ごめんな、ドックのあっち側まわって」と頼まれる。
ドック対岸のマンションの、ナイチンゲールに面したバルコニーにThank You NHSのバナーが掲げられていた。
Royal Victoria Dock周辺は、陽気に誘われてかそこそこの人出。巡査がペアを組んで巡回していたが、どう見ても「エクササイズ中」とは思えない人たち、ベンチで読書にふける青年や芝生の上で寄り添う恋人たちなどのことは見て見ぬ振りであった。「2mルール」が守られていたからだろうか。普段の土曜日はパブで「フットボール中継の前哨戦」と昼間から飲んでいそうなおっちゃんたちが数人つるんで自転車でうろうろしていた。
5Gネットワークを利用してコロナウイルスが拡散されているとか、5Gのシグナルが免疫力を低下させるとか、びっくりするようなデマが広がっていて、バーミンガムやマージーサイドでは、ネットワーク用のマストに放火する輩まで出たという報道あり。不安なのは理解できるが、理性はどこへ置いてきぼりを食らったのか。
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4月5日 日曜日 快晴
午後には気温も二十度まで上がった。Tシャツ一枚で汗ばむ陽気。川面に光が反射してキラキラと美しい。緑も随分と濃くなってきた。コビオドシ蝶を三羽見かけた。
陽気に逆らえず緑地や公園へと繰り出した人々も目立ったようで、ハンコック保健相が乱用/悪用される「エクササイズのための外出」を禁じることも辞さないと表明したが、愚かだと思う。現行のルールを守らぬ人々が、変更されたルールに従うわけがない。ルールを守る人が迷惑を被っておしまいだろう。 貧富の差が大きく住宅不足に悩むロンドンには、劣悪な住環境に甘んじざるを得ない人々がたくさんいる。一日中日の差し込まない、ベッドを置けばそれでいっぱいとなってしまうような部屋に暮らす人々、庭やベランダはおろか、共用スペースとしての居間や食堂さえないシェアハウスに暮らす人々がたくさんいる。エクササイズは自宅で?冗談じゃない。そんな贅沢ができる人ばかりではない。悪質な大家の取締り強化を拒み、家族構成と比べて部屋数が多い物件に住む貧困家庭には家賃補助を満額支給しないなど、住環境悪化の片棒を担いできたのは、現保守党政権ではないか。どのツラ下げてと、ああ、腹の立つこと。
近所の薬局へ行くとカウンターの前に手作りの飛沫遮断用スクリーンが設置してあった。ホームセンターで買った材料で急いで作ったのだろう、少し歪んで傾いている。レジへと続く通路の床には2mおきに線が引いてあった。買い物を済ませた後で、商品棚にサージカルマスクの箱が置いてあるのが目に止まった。日本では相変わらず品薄だと聞く。高齢の両親の顔が、そして「買っておこうか」という考えが浮かんだが、いやいや、それよりも、必要とする医療や介護の現場に行き渡せるべきではないかと打ち消す。忍耐とモラルの両方が問われている。
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4月6日 月曜日 曇り
ボリス・ジョンソン首相から、COVID-19危機に関する英国住民全員にあてた手紙が届いた。全戸に郵送するなんて、当初はなんとも無駄なと思っていたが、実際に手に取ってみると、そこに記されたメッセージの「重み」が違うと感じた。テレビやネットで何度も繰り返された内容も、伝達手段で印象が変わる。年齢や貧困、障害など、様々な理由でデジタル環境が整っていない人もいる。テレビのニュースを見ないという人もいるかも知れない。英語が不得手でも書面であれば辞書が引きやすいし、誰かに頼んで訳してもらうにも便利だろう。そう考えると、手紙というメディウムは、最もユニバーサルで最も真摯な伝達方法ではないかと思えてきた。日本で高齢者施設に入っている叔母のことを思う。スマホもなければネットもない、テレビを見ることも難しくなってきた認知症の彼女が一番理解できるのは手紙だろう。
その手紙が届いた今日、COVID-19の症状が解消せず10日ほど自宅隔離を続けてきたボリスのICU入りのニュースが飛び込んできた。その直前に、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ病院のICUの様子を伝えるBBCのレポートを見たばかりだった。肉体的にも精神的にも非常に過酷な場所で働く医師と看護師の姿が辛く痛ましい、そしてこれからもっと酷くなる状況を暗示して、背筋の冷たくなるレポートだった。彼らを助け、その恩に報いるためにも、軽々しい行動は慎まねばならない。感染拡大阻止に協力せねばならない。Protect NHSだ。そして、get well soon, Bojo!
夜、友人夫妻から電話。夫のEはヨルダン出身、妻のAはアメリカ出身。それぞれの国のご家族はみな無事でおられると聞き一安心する。私の帰国のあれこれを心配してくれて、何かあるなら家に来いとのことだった。ありがたい。持つべきものは友と思うことばかりのこの2週間だ。
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*** 現在ロンドンでは不要不急の外出を避けよ、公共交通機関の使用は避けよという指示が出されています。なので「私の日常」は「ロンドンの日常」ではなく「ロンドンの東の先っぽの新興開発地に住む独り身のおばちゃんが自転車で30分以内の場所で垣間見たもの」であること、お忘れなきよう。どうぞよろしくお願いします。
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kiitatakita · 6 years
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聴講メモ 情報ネットワーク法学会第18回研究大会1日目 #inlaw #inlaw1 #inlaw3 #inlaw5
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料等からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
開催案内:http://www.in-law.jp/taikai/2018/index.html 日  時:22018年12月8日(土)11:50~18:20 場  所:立正大学品川キャンパス
研究大会の前に学会総会が行われた。第19回研究大会は来年11月2日(土)、3日(日)に大阪府内にて開催予定。
※発表者敬称略
【開会挨拶】 情報ネットワーク法学会理事長 中川 裕志
技術系の出身。工学部出身で人工知能の研究、テキスト処理をやってきた。10年ほど前からプライバシー保護を研究対象に。技術だけでは足りず、法律も必要と感じた。理研 革新知能統合センターで研究に携わる。総務省、内閣府で仕事。
人工知能、生命科学等の研究で、人間の自由意思の存在について疑義が呈されるようになってきた。人間はアルゴリズムであるとの主張も。人間中心の法体系とどのようにすり合わせていくか。
【開催校挨拶】 位田央 立正大学法学部長
本学は開学より146周年になる。2年後にはキャンパス再開発事業が完了する。
【基調講演】 情報ネットワーク化の進展とプライバシー・個人情報保護論議の展開 堀部政男 一橋大学名誉教授
19世紀末から現代まで8期に大きく分けて考えられる。第4期では1980年のOECDガイドライン採択、欧州評議会の条約採択というトピック。第5期1990年代には欧州のデータ保護指令、国連のガイドラインなど。日本では1988年に旧行政機関個人情報保護法ができたが、民間を律するのは第6期2000年代の個人情報保護法。 情報ネットワーク法学会は2002年設立。世界人権宣言70周年、第12条でプライバシーという言葉が使われている。表現の自由に関する19条もあり。 情報ネットワーク化の進展と法的対応のうち、現法体制内対応論に”プライバシー外交的”対応論。 欧州評議会条約第108号諮問委員会に日本はオブザーバー参加。 1982年、当時の行政管理庁プライバシー保護研究会で立法化の提案。 日本では1980年代から自治省個人情報保護対策研究会。1985年に総務庁 行政機関における個人情報保護研究会。 住基台帳NW訴訟は全国で54件、最高裁は合憲判決、但し高裁レベルでは違憲判決も。 第6期2010年代には個人情報保護法の改正論議が出てきた。 EUから十分性認知に基づいて移転した個人データの取扱いに係る規律を定めるガイドライン案 日EUの個人データ移転枠組み構築最終合意2018年7月17日 第40回コミッショナー会議サイドセッションでもスピーチ 今月中に欧州委員会の十分性認定に結論が出るか?
第1分科会 12月8日(土)13:30-15:00 会場9B21 #inlaw1 【プロバイダ責任制限法研究会:ブロッキングを巡る議論とプロバイダ関連訴訟】 主査:板倉陽一郎(弁護士 ひかり総合法律事務所/理研AIP/立正大学非常勤講師)
登壇者: 中澤佑一(弁護士 弁護士法人戸田総合法律事務所)司会 壇俊光(弁護士 北尻総合法律事務所) ブロッキング ブロッキングを巡る議論とプロバイダ責任制限法・総論
2つのブロッキング  4・13政府決定とこれに基づく民間事業者の自主的取り組みとしてのブロッキング   いわゆる忖度ブロッキング   立法ブロッキング
海賊版サイトは日本の著作権法上違法なのか?  ほぼすべての海賊版サイトはリーチサイト  リーチサイトが著作権侵害かは不明  リツイート裁判 ロケットニュース24事件  海外サーバーで海外事業者が運営している場合
ブロッキングの対象は何なのか?
大規模サイトにはCDNに対する法的措置で足りる
電気通信事業法とDNSポイズニング  知得、窃用
補充性の要件とLRA
ブロッキングは妻の妊娠中における飢餓による窃盗よりも緊急?
ほかに手段があるか無いかはスキルのある弁護士を基準に考えるべき
米国subpoenaを用いた手続き  日本のプロ責は使いづらいのは事実  プロ責の見直しが本筋
米国に比べると  開示範囲が限定 開示拒否に対するサンクションのなさ 現行民訴は匿名訴訟ができない  公示送達の問題  非開示免責
民訴は相手方をはっきりさせなければならない 外国における送達は時間がかかる 民事保全法も大変 保全命令を当事者に送達するのに数か月かかる
ブロッキングの議論はプロ責と民訴法の出来が悪いから必要性が論じられている
神田知宏(弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所) H29Google裁判の射程 送信防止措置依頼としてのブロッキング請求の体系的地位 最決H29.1.31の運用結果と射程
判事2353号判例評釈708号  多額の負債:認容  4年、示談して不起訴:認容  つつもたせ被害による風評:認容 元AV女優身バレ事案:認容
犯罪報道の削除には高いハードル  東京高判290629 12年オレオレ詐欺 棄却 最決不受理  東京高判300125 11年歯科医師法違反 棄却 最決不受理  東京高判301109
東京高決H300810(犯罪報道だが認容)  不起訴処分 今後起訴される現実的な可能性は事実上ない  法律上は無罪推定だが現実的には有罪の嫌疑を抱くものが多く名誉や信用が毀損される  伝達範囲は限定的であるとはいえ、具体的被害の程度は大きい
名誉毀損の検索結果削除  射程外?  東京高決H291030 係属中  東京高決H300420 抗告不許可 加重不要   リンク先は読まないとの規範を示し、グーグル側が大いに引用中  高判H300823 上告中   検索結果の提供の差し止めは、事前抑制であることの性質上(もう提供されとるが…)   最高裁S61判決が判示する要件が基本的に妥当(北方ジャーナル事件)
ツイッター・コンテンツプロバイダへの波及(グーグル基準の採用)
東京高決H290810(平成29年ラ1184号)  グーグルと同じ基準を採用  抗告許可申立て理由
預金保険機構 振り込め詐欺救済法27条  解釈と運用変更により、削除要件が定められた
吉井和明(弁護士 弁護士法人ALAW&GOODLOOP) オンライン地図サービスに付随するレビューに関するプロバイダ関連訴訟の動向
Googleマップ口コミ機能  口コミはログインした上で投稿
口コミの閲覧を目的としないものに対しても、評価を晒されることになる 実質匿名投稿になっている
Googleマップ上の施設は、他人が登録することができる  位置情報や店舗情報が投稿内容が正しいものである限り、他の要素が無ければ削除は難しい
法的問題  内容が抽象的  反真実性を示すことが難しい  口コミが存在する限り、被害が刻々と発生する
Google側の主張H29年決定の「明らか」基準適用の素地  公共性 口コミ全体の話  媒介者 単なる媒介者ではない  投稿者の反論の機会 大部分のコンテンツプロバイダで々  萎縮効果 裁判所の特定の決定
利用者側敗訴判決ばかり裁判所に顕出される問題  訴えられる側の企業には情報の蓄積があるが、裁判所や地方の弁護士にはない  裁判所に提出されるのは、企業側に有利な裁判例だらけになっていく
弁護士唐澤貴洋 ログインIP訴訟事例
なりすましアカウントによる有名人の訃報をツイート  ツイッター社から特定の時間帯のログインIPアドレスの提供を受ける  ログイン時IPアドレスに関する氏名等の情報はプロ責における発信者情報に相当するのか   被告 開示請求の対象となる「当該権利の侵害に係る発信者情報」は侵害情報に係る特定電気通信の家庭で把握された発信者を識別するための情報を意味すると解すべきである
裁判所の判断  ログイン情報から、当該ログインに係る発信者が侵害情報の発信者であることが推認される場合があり、このような時には、当該ログインに係る発信者情報は、法4条1項の発信者の特定に資する情報に当たると解することができる
本件契約者がなぜ、匿名化担保されていたことを知り得るのか
異なるプロバイダを経由して同一のIDにログイン 裁判所は不自然と。
パネルディスカッション
な プロ責実務、どの辺がきついのか
か 発信者情報目録が難しい。何を開示しろというのが。コンテンツプロバイダの住所氏名開示を請求すればいいというのは分かったが、住所氏名が何と紐づいているのか分からない。クラウドフレア目線で分かるようにしないと。主文の書き方も難しい。
だ とりあえずやってみるのが良いのでは。
か 裁判所はこちらが言った内容でクラウドフレアに送ってくれるかもしれないが、受けとった側が納得しないとどうしようもない。
よ 民訴にも難点。管轄の問題。プロ責はプロバイダの所在地が管轄になることが多い。地方でやると変な判断が出ることもある。匿名訴訟ができれば民訴で解決できる部分もある。送達に時間がかかりすぎて、依頼者の被害拡大も。
か 弁護士会照会で開示してくれるという話があるのだが。ログインIPの問題が出てくるのがおかしいのではないか。事業展開の中で発生したトラブルについて、応分の負担で開示できるようにするべきでは。
だ 発信者情報開示は東京、削除は大阪と分かれてしまう。Googleの責任を問わなければ情報を開示すると言われる。
な 海外からの資格証明取り寄せが訴訟費用にならない。翻訳費用も馬鹿にならない。間接強制絡みで海外事業者が保有の有無を照会しても回答してくれない。回答義務があってもいいのでは。 匿名訴訟の話だが、仮名、例えば口座番号等で照会を同時にかけるという手段では?
だ 民訴規則を変えれば行けるのではないか。
な 何も書かないのか?
だ 住所不明、氏名不明で訴訟できれば、裁判所が開示命令を出してくれる。
か 判決までに何らかの手段で確定できればいいという話なのか?
だ 一番のメリットは開示される内容が限定されていない。訴訟の補正で対応できる。
か 通信の秘密の侵害にならないか
だ 違法性阻却になるのでは。
よ 無駄な訴訟をしなくて済む。プロ責で開示請求をすると権利侵害等の申し立てをしなければならないが、それは本案と同じ内容になる。本来なら言わなくても済むことを言わずに済む。
か 被害を受けた人が自分の名前を出して訴訟しなければならないという点を改善できないのか。発信者情報開示で原告の名前を晒す意味があるのか。
よ 判決を何らかの形で共有できないだろうか。
会場 開示に当たって同意書を求めるのは酷い。発信者情報開示ガイドラインではそのようなことを言っていない。対クラウドフレアについては技術的なことを相談する相手が原告側にいないのか。
だ このような分野は実質3人に情報が集約されている。(だかよ)
よ 未経験者に手取り足取り教えるのは難しい。
か 教えてくださいコピーください的な依頼がくるが多忙を理由で断ってる。
よ 変な判決が出てくるとこちらの首が締まるので、難しい。
か ツイッターにIPアドレスださせ���のに訴訟でやっている例があり、仮処分ではないのかと疑問。
よ 仮処分と本訴の選択だが、どのように考えるか。
か 本案訴訟にすると違法性阻却事由を出さなくていいのか?どちらでも要件事実が変わるわけではないと主張しているので、本案であっても主張がいるのでは。
よ 立証責任の問題
か Googleだけは起訴命令を送ってきてくれるので、本案訴訟しているが、基本はあまりしない。
だ 担保の問題をクリアすれば仮処分の方が簡単。掲示板でスレごと消したい場合は仮処分では対応していない。
第3分科会 12月8日(土)15:10-16:40 会場9B21 #inlaw3 【システム開発プロジェクトの中止〜その手法とタイミングの見極め〜】 主査:伊藤雅浩(弁護士 シティライツ法律事務所) 登壇者: 伊藤雅浩(弁護士 シティライツ法律事務所) 影島広泰(弁護士 牛島総合法律事務所)  訴訟ではベンダ側、相談は発注側が多い 大井哲也(弁護士 TMI総合法律事務所)  データの利活用、サイバーセキュリティ等が多い 杦岡充宏  ITコンサルタントで実務者としての立場。
スライドシェアに資料はアップしてある。 リンクは https://masahiroito.hatenablog.com/entry/2018/12/07/170739 にあり。
システム開発は未だ失敗が多い。 ヤバくなった時に、どうやって撤退するのか。どこだったら引き上げられるのかが現場としては悩みどころではないか。
ユーザー 早く損切りしたいとか、自分達の責任も感じたりとか。
ベンダ このままだとメンバーが潰れる 被害を最小限にして撤退したい 「中止提言義務」?
紛争の予防・早期解決の観点から、中止することの法的根拠、リスクを整理し、実務にフィードバックする。
影島広泰(弁護士 牛島総合法律事務所) ユーザ(発注者)から見た論点の整理
ユーザ側の法的主張  債務不履行   履行遅滞 催告するか 悪化しないか? 履行期よりも前に主張できない        信頼関係の破壊  履行不能   物理的/技術的不能   社会的不能    債権者がプロジェクトを注視するといえば、履行不能なのか     ユーザ側が変えたいと思っている 受領拒絶?     それは債務不履行で言う「不能」なのか 「不能」と「帰責性」の交錯     追加仕様がてんこ盛りだったら?     ベンダ側に帰責事由の不在を立証させる  付随義務違反(PM義務違反)  
 瑕疵担保責任   完成しているので請求権は発生
ベンダ側からの反訴リスク  中止した場合の残額支払  追加コスト
 注文者解除の損害倍書請求   641条の(任意)解除ではないと認定してもらえるような内容証明を作る必要
 532条2項 債権者の責に帰すべき事由   不況に伴う業務縮小   カスタマイズ費用の増大
 商法512条
 黙示の合意   認定されるだけの事実関係の存在が必要    説明したか    指示があったか、それが追加であることを知っていたか
ユーザ側のプロジェクト管理(協力) ベンダ側のPM義務違反の時期を、なるべく遡らせる  瑕疵担保責任が認められたフェーズよりも前のフェーズの個別契約は、���当因果関係なしとして損害賠償の対象とせず  「相当因果関係」  スルガ銀行事件 ある時点での不法行為
「検収」
一括契約はユーザ側にリスクあり。多段階契約はリスクコントロールしやすいのでは。
大井哲也(弁護士 TMI総合法律事務所) ベンダ(受注者)から見た論点の整理
履行遅滞は認められないことが多い  履行遅滞はユーザの追加要望に従ったもの
PM義務違反  ユーザがシステム機能の追加や変更の要求等をした場合で、当該要求が委託料や納入期限、ほかの機能の内容等に影響を及ぼすものであった場合等に、ユーザに対し適示その旨説明して、要求の撤回や追加の委託料の負担、納入期限の延期等を求めるなどすべき義務  要求の撤回、追加の委託料の負担、納期延長の申し入れがあったかによる
瑕疵担保責任に対する反論  システムの完成があったか?   民641条 債務不履行解除崩れの注文者解除    注文者に対して不要な仕事の完成を強制することはなく、かつ社会経済的見地からも不当    注文者に損害を賠償してもらえれば請負人に不利はない
損害賠償の範囲  すでに支出した費用  逸失利益(報酬-下請費用) 完成が前提   介助によってベンダが逆に利益を得ている場合は「損益相殺」
意思表示の転換 ステアリング・コミッティの必要的アジェンダ  システム開発基本契約及び個別契約の変更等を必要とする理由、変更提案書の提出の有無  変更管理手続き 変更提案書を提出し、かつ、次の事項を記載した書面を甲府   費用、スケジュール、その他変更が本契約及び個別契約の条件に与える影響   協力義務違反の証拠化  Redmineを使う   誰が相手方にボールを返していないのか
杦岡充宏 事例紹介
課題管理はプロジェクト完成の基本条件。 課題管理とリスク管理をセットで。
ケース  販売管理システムを請負で構築。ホスト→webベースへ。  現行システム機能をWebベースのシステムに単純移行  内容は1日間のヒアリング内容を基に提案し合意
 結果   4か月が4年半に。ベンダは完成したと主張。
 要件定義の段階で多くの追加要件の存在が確認され、当初計画と費用では実現不可能なことが判明  7か月で大体ソリューションを検討し、4か月の追加を提案  設計と開発を並行して行い、更に4か月の遅延  追加がぼこぼこ出てくる  ベンダの主担当が産休に入る  納品後もユーザの指摘が継続し、ベンダも対応を継続した挙句、ユーザは検収を拒否
ベンダに  ない袖は振れぬ  やらないことを決めろ!  ユーザの言いなりになるな!
期待値コントロール大事 適正なところに戻す
ディスカッション
い この場合の解除にどのような問題があるか
か 最終バージョンに書かれた仕様が満たされていないのであれば不履行
お 変更対応がトレースされているはず
い ユーザはどうすべきだったか。
す ユーザから辞められるタイミングもあったのでは
か 代替検討の時は難しいだろう。その後の提案に沿った開発が不調であったのであれば、そこで解除すればすっきりしていたのでは。
お 設計・開発・テストが基本設計で終わった段階で実現可能性を疑うべき。ここで合意解約の打診をし始めてもいいのでは。
す 4か月を守れなかった時点で契約解除はできないのか。
か ユーザ側に問題があったのでは。現場の意見をきちんとまとめてベンダに伝えることができていたのか。となると、債務不履行解除は難しいのではないか。
お 使用固めの段階でキャッチボールしており、ここで債務不履行主張は難しい。
い 定期的に打ち合わせ等をやっており、延期の合意があったと主張したらどうなるか。
か 納期と履行期の関係は難しい。定められている納期の日にカットオーバーにどれだけ意味があるか。
お 黙示的な納期の延長合意がなされているとみなされるのでは。
い あとこれだけあれば対応できるといえば遅延ではないのか。
お それも危険がある。
い ユーザ側からベンダ側の能力不足をどうやって立証するか。
か 基本的なミス、納期遅延等の積み重ねで立証。
お 完成度の立証を裁判官にするのは難しい。数量基準で定量的に示す。
い 証拠化はどうすればいいか
す ドキュメントのレビューと指摘内容をしっかり記録する。
い 最終の交渉でユーザ側はどうすべきだったか。
か 解除すべきだったのでは。要求をきちんとまとめられておらず、反訴リスクが高い。
お 課題の棚卸をして、多くの課題が未着手、あるいは内容不十分であることを記録しておかないと、ユーザの検証不足となるのでは。
す 交渉せずに引き上げることはベンダの不利になるのか。
い 信頼関係の破壊を解除理由にしてくるのではないか。
お 裁判所の見方としては説明なしの撤退はインパクトが大きい。
す 対応を続けるのは未完成であることと同視されてしまうのではないか。それよりも撤退の方がリスクが多いのか。
い それはないのでは。裁判所は技術的な評価を避け、振舞いから両者の関係を見ているように思える。
か 謝らせるよりも事実を認めさせる。
お なぜ謝罪したのかの理由の方が大事。機能要件の充足こそが肝。プロダクトそのものの鑑定をプロにして欲しい。
い 検証は現実的には難しい。
か オンラインゲームの開発である時点での機能を裁判所で見せたことがある。下請が元請に請求した事例。
お 医療裁判で鑑定書の合理性を裁判官の目で判断する。システム開発でも意見書を出したことがあるが、裁判官に理解してもらうのは難しい。
す ADRで係争中のケースを見たことがある。フローに沿って見て、一応の完成をしていると判断した。
か ユーザに気をつけて欲しいのは、ベンダ側の内部的なコストが発生しているということを理解していないと、本訴、反訴共に金額が大きくなってしまう。
お 紛争の種、芽の段階で法務がどのように関与するか。リーガルがしっかりコントロールしてほしい。
す ベンダはユーザのパートナーである。きつくし過ぎると問題が隠れてしまう。
第5分科会 12月8日(土)16:50-18:20 会場9B21 #inlaw5 【個人情報保護法制『2000個問題』を考える】 主査:岡本正(弁護士 銀座パートナーズ法律事務所) 登壇者: 岡本正(弁護士 銀座パートナーズ法律事務所) 自然災害と2000個問題
鈴木正朝(新潟大学・教授/理研AIP) 2000個問題最新動向~官民データ活用推進基本法から規制改革答申まで~
湯淺墾道(情報セキュリティ大学院大学) 自治体からの情報提供をめぐる現状:情報提供・情報公開・個人情報の提供・非識別加工情報・官民データの間 板倉陽一郎(弁護士 ひかり総合法律事務所/理研AIP/立正大学非常勤講師) 2000個問題の負の側面:自治体ネグレクト及び自治体の多重事務
お 2000個問題についてご紹介願いたい
す 1800個問題と最初は言っていた。市町村の数がそれくらいだったので。上原教授から広域連合等の存在を指摘され、切りの良いところで2000個に。湯淺先生が実際に条例を集め、上原先生が分析した。 ルールが2000個存在する現状でデータ連携、越境データ、環境が激変する中でルールが2000個存在するのは問題ではないか。
お 実際には2000個では済まないのでは。 西日本豪雨など大災害が続発している。広島の土砂災害の時には行方不明者の発表に3日かかった。その数年後にも県と市でデータの共有をしていない。法律あっても、条例あっても実務の運用がない。
す 岩手日報社が3・11の継続報道をしている。救助復興の時にリアルタイムで情報を共有できず足かせとなった。
お 今年も同じ問題が起きた。ルールの策定を提唱しているが、国は関与できないとしている。法律上はそう答えざるを得ない。最低限のルールが無くていいのか。命の問題を条例の問題としていいのか。安否情報を家族に答えられないところまでもある。
ゆ 自治体が持っている情報を出すのは第三者提供だけではない。観光として公にすることが予定されている情報は除外→定めがない。ウェブサイトに掲載するのが「オンライン結合」になるのか?非識別加工は自治体の手に余るものがある。基準や対象を国が示してほしい。市町村は官民データの作成を義務付けられていない。データの保存規定もない。保存年限のさだまっている文書類は逆にそれを超えてあってはならず、データを作れない。
お 2013年に伊豆大島で土砂災害があった。居所がうつってしまった人に支援を届けるために大島町がトレースしたかったが、手に余る。東京都がやろうとしたが、大島町の条例でデータ結合が禁止されていた��同年に改正された災害基本法で上書きされ、結合が可能になった。
す オンライン結合はお手本から丸写しだが、解釈が分かれている。
い 地域医療連携において、自治体の病院が手続きの煩雑さから連携されないことを「自治体ネグレクト」と名付けた。条例に対応したシステム開発が必要で、病院を所管する個人情報保護条例がない場合もある。医療IDの導入でも自治体の病院が無視される可能性がある。条例はマイナンバー法にも対応しなければならない。法定受託事務だから。加工基準の条文は国だってコピペでやっつけているのに、非識別加工情報が自治体の手におえるのか。
ゆ 地域医療では大きな自治体は連携を自前で構築してしまう。同じ市立病院でも指定管理者がやっているところと直営のところではシステムが違う。指定管理者は処分性はあるが、事業者として民間法の個人情報保護法がてきおうされるとかんがえられる。直営は条例。
す 病院は私立病院の方が圧倒的に多いが、難病等については公立病院がネットワークを作っている。指針の方が緩いが、真面目なところは条例に対応しようとする。
ゆ 真面目なところほど苦労する。
す 国立大学法人、公立大学、私学でデータ連携が難しい。データの足回りの悪さをどこまで放置するのか。告示で法律、条例を上書きしようとする国が十分性認定と言えるのか。
ゆ 個人情報の定義についての教材にも間違いがある。
お 学術除外の条項が10以上の県の条例にはない。
す 医療分野だと3000個問題、倫理審査会の数。
い 例外事由は予算も人もつかない。最小限のところが同じなら、解釈も共通で使える。さいたま市と千葉市で、そんなに地域の実情が違うのか。港区と渋谷区でそんなに違うのか。
す 個人情報保護法5条に「地域の特性」の文言がある。上乗せ横出し条例で対応可能な中身が殆どなのに。
ゆ 「地域の特性」というのは、先進的な自治体への配慮や、現代も深刻な同和問題、宗教団体等の問題があるが、殆どの場合は上乗せ横出しで対応可能。
す JILISで開示をかけた資料を見ると、過去の経緯を尊重する意味であって、「地方自治の本旨」がもとではなかった。
お 地方自治の人は実際にはどう言っているのか。現場の判断になってしまう。要支援者名簿に載っているのは同意した人だけ。
す 国会では2000個問題の解決の必要性は認識されている。官庁でも課題となっている。自治側からは県域構想が出てきている。自治体の在り方を憲法レベルで検討する動きはすでに出ている。基礎自治体単位の条例が維持できるのか。
お 官民データ活用法19条には国の政策と自治体の政策の整合性について記述されている。災害、医療、福祉の側面から考える必要がある。
す 丁寧に特別法を作ればいいのではないかという反論が想定される。一般法レベルで土台に手を付ける必要があるのかと。
お 災害時の弱者名簿は事前に共有する必要があるが、この部分は自治体任せになっている。消費生活上の弱者リストもあるが、協議会とリストを作って保護するのは自治体任せ。困窮者の自立支援も協議会が必要。これを全部やるのか。特別法をいくら作っても漏れは出る。
ゆ 非識別加工情報が官民データみなされてしまったので、各自治体は基準も何もなし、徒手空拳で非識別加工情報を作らなければならい羽目に
い 非識別加工情報についてだけ立法しても他はほったらかしではしょうがない。3年に1回しか協議会を開催しないのでは知見なんか貯まるわけがない。都会の自治体だけ呼んでどうするのか。新宿区だってやらかしている。
お 新宿区ですら消費者安全確保地域協議会が無く、いきなり区議会で審議にかけられた。
い 普通の自治体で普通に運用できるようになっていないのは欠陥だ。
す 個人情報の定義が確定していない、解釈基準にバラエティがある現状で、非識別加工情報の基準を概念として出すことができるのか。
ゆ 国の場合は非識別加工情報は個人情報性が残っているとしている。自治体は情報公開条例における個人情報性を判断しなければならない。加工基準も自分で作らなければならない。
す 基礎自治体の持つ情報は大きいが、手助け無しでいいのか。
ゆ 官民データ作成の義務付けがあるのは都道府県レベルで基礎自治体にはない。
す 出口はあるのか。
ゆ 具体的な提言に入る前に、日本の「地方自治の本旨」はミニマムを定めた方が良い領域と、地方の自主性に任せた方が良い部分に別れることに気がついた。個人情報法制はミニマムを定めた方がいい領域ではないか。
す 憲法と国際連携など課題は山積している。
お 災害救助の主体は都道府県だが、大事な個人情報はどこにあるのか。基礎自治体にある。住民票、障碍者手帳、母子手帳などに眠っている。都道府県の条例で基礎自治体に条例の制定と情報共有を呼び掛けても実効性があるのか。市町村のインセンティブがない。地方自治体個人情報保護法の必要性があるのではないか。
い 犯歴情報は選挙の関係で本籍地市区町村にある。根拠法の明文規定なし。経済活動にも支障が出るのではないか。
ゆ 全国の市区町村の条例を集めたが、収集できなかったところがある。情報公開請求をする必要があったが、住民でなければ請求できない。暴力団の構成員であることが要配慮情報かどうかもばらばら。
す 国会職員と裁判所職員に罰則がない。地方行政文書についても罰則規定を設けるべき。公的部門のチェックの為に個人情報保護委員会は独立性の高い委員会にした。グローバル対応するならプライバシー保護に対応するのはナショナルセキュリティ。
お 震災被害地の復興のための法制を。
会場 法務省にも犯歴データはある。犯歴データが照会できないと困るのは海外人材を採用したり、海外取引があるFinTech業界での採用活動。越境データ問題も絡む。
会場 情報銀行の態様はは共同利用になるのか?民間が経営している情報銀行であれば自治体間で個人情報を共同利用可能か?
ゆ 地方公共団体には民間と個人情報を共同利用する規定がないので、情報銀行の利用自体が無理ではないか。
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tkatsumi06j · 6 years
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Les Japonaises privees de #MeToo
#MeToo を奪われた日本の女性たち
Japanese women deprived of #MeToo
著:Sophia Marchesin
訳:"B"-san / @tkatsumi06j
登場人物(登場順)
Featured Individuals
石川優実|グラビア女優 - Yumi Ishikawa, Actress
伊藤詩織|ジャーナリスト - Shiori Ito, Journalist
勝見貴弘|飜訳者・活動家 - Takahiro Katsumi, Translator/Activist
匿名女性|NHK記者 - Anonymous woman, NHK reporter
小川たまか|ライター - Tamaka Ogawa, Writer on sexual violence matters
清水めいり|舞台女優 - Meili Shimizu, Stage Actress
望月晶子さん|弁護士・TSUBOMI代表 - Akiko Mochizuki, Lawyer/Director TSUBOMI
牟田和恵 |大阪大学教授・ジェンダー学 - Dr. Kazue Muta, Prof., Osaka University, Gender Studies
谷口真由美|大阪国際大学准教授・国際公共政策 - Dr. Mayumi Taniguchi, Assistant Prof. Osaka Univ., Global Public Policy
岡野八代 |同志社大学教授・政治学 - Dr. Yayo Okano, Professor, Doshisha Univ., Political Science
斉藤章佳|精神保健福祉士・社会福祉士 - Dr. Akiyoshi Saito, Psychiatric Social Worker
イヴ・ボゴン |『エルジャポン』ディレクター - Yves Bougon, Director, Elle Japon
ミエ・コヒヤマ |AFP通信記者・アクティビスト - Mie Kohiyama, journalist, AFP/Activist
ミュリエル・サルモナ |精神科医・研究者(解離性健忘) - Dr. Muriel Salmona,  Psychiatrist specializing n post-traumatic amnesia
性暴力の被害者たちを表すハッシュタグが、世界中の至るところに拡散している。ただし、日本を除いて。
日本で沈黙のルールを破った被害者たちは、脅迫や社会排除のリスクを負う。
名前を変えることも、顔を隠すこともしない。
She would not use different name nor will she hide here face.
「ええ、怖いですよ。でも現実を見つめなければ。去年の12月に #Metoo を表明してから、私の俳優としてのキャリアは台無しになりましたから」
石川優実さん(31)は、敢えてこのハッシュタグを使う日本の数少ない女性の一人だ。しかし、これは彼女一人だけの話ではない。何百人もの女優たちにかかわる話なのだと、優実さんは言う。
「私のマネージャーは2人の監督と1人のプロデューサーに、およそ十数回、私をあてがいました。役を得るために男と寝る。映画業界の暗黙の了解だと。とくにデビューしたての女優たちは。女性としてみな通る当然の道だと思っていました。#MeToo を通じて初めて、問題だと認識したのです」
優実さんは [ #MeToo により] まず解放感を感じたが、それも束の間のことだった。「みっともない女」「尻軽」「日本女性として恥に思え」などの批判や侮辱によって、それはすぐに辱めに変わった。
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女優の石川優実さんは『#Metoo 』と投稿することを躊躇わなかった。以来、「私のキャリアは終った」と、彼女は言う。(撮影:Xavier Tera)
日本では、レイプはスティグマ化する。とりわけ、レイプの被害を受けたことを語る女性たちは激しく非難される。優実さんは、この破らざるタブーを破った。
「私たちの文化は、私たちの苦痛や、疑問、否定的な感情を内在化することを人びとに求めます」
大阪国際大学法学部准教授でフェミニストでもある谷口真由美さんはこう説明する。
日本では、路上や地下鉄、隣人同士の間で、性差別的な言動や侮辱的な表現が飛び交うことはない。人びとの交流は礼節を持って行われ、日常生活は快適そのものだ。
「公共の場では人々は”空気”を読み、軋轢を避けることを求められます。人びとは子どもの頃から、大声でものを言わないこと、”私は”と自己を主張して自身を尊大に見せないようにすることを学びます」
社会の調和を守り、自身が排除されないよう、無秩序を生み出す要因となるような主張をしない。そいう人を支持しないことが求められる。女子は共感的な姿勢を持つこと(同調)を期待され、若い女の子は「可愛いらしく」、ほほ笑みを絶やさず、男を裏切らない存在でであるべきとされる。
『 #MeToo 』は、その急進性により、この同調を求める家父長制のドクサ(臆見)を脅かすのだという。
折り込み広告やテレビのに映る舞台の上でも、こうしたステレオタイプが次々形となって表れる。完璧な母親や、超セクシーな肉体を持った若い女と言う風に。
「私たちは未だに、男性に支配された、男性のためのみに作られた社会に暮らしているのです」
谷口准教授はこうまとめる。
この世界第三位の経済大国は、世界で最も保守的で差別的な国に位置付けられる。女性議員と女性管理職の割合は一割に満たず、第一子を出産した後、母親たちの大部分は家庭に留まるために仕事を辞める。
『世界経済フォーラム』が昨年11月に発表したジェンダー平等性に関する最新の報告によると、日本の「ジェンダー・ギャップ指数」は144か国中114位だった。
「自分の国で身の危険を感じてしまう」
"I FEEL AT RISK IN MY OWN COUNTRY."
伊藤詩織さんは、日本の #MeToo ムーヴメントの火付け役となったとみられる人物だ。昨年出版された自著『 #BlackBox 』の中で、安倍晋三首相に近い人物から自身が受けたレイプ被害を告発した。
3年前、つまりこの事件の起こった時、警察は彼女に告発することを思いとどまらせようとした。加害者とされる男性は法廷で追及されることもなく、詩織さんは国外に住むことを余儀なくされた。
「自分の国なのに、身の危険を感じました。本を出版した後、昼夜問わず、悪意に満ちたメールが沢山送られて来ました、男性だけでなく、女性からもです。脅迫電話も沢山かかってきました。私に『死ね』と言う内容のものでした。とりあえず2か月半の間、友人の家に身を潜めました。そして女性の人権のために闘うNGO団体の代表の女性の方からロンドンに行くように勧められました。最悪なのは、私の妹が私のせいで未だ仕事が見つからないことです。家族との関わりは絶つしかありませんでした」
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ジャーナリストの伊藤詩織さんは、自身が被害者となったレイプについて証言した自著を出版したのち、日本を離れることを余儀なくされた。(撮影:Xavier Tera)
ツイッターで16,000人がフォローするベテラン飜訳者の勝見貴弘さん(45)は、幾世代にも渡る被害者たちの心の解放を目指し、彼女たちのメッセージを発信し続けている。
「詩織さんは、このミソジニスト社会が嫌悪するあらゆる要素を兼ね備えている人です。美しく聡明で、権力に近い者を批判することを厭わない勇敢さを持っている。彼女が受ける激しいバッシングは、日本の女性に声を上げることを躊躇させる効果を持ちます。日本のメディアでいうと、被害者に『声』を与えた雑誌など、『エルジャポン』くらいのものです(下記参照)」
「取り上げるテーマがセンシティブな内容を含むものであれば、メディアは自己規制をかけます」
巨大公共放送『NHK』の女性記者は匿名を条件にこう断言した。
「私は毎日、私の小さい胸のことをからかう上司のセクシストな冗談に笑って応えさせられています。こんな状態で、セクハラ(性的加害)について、真面目な問いかけが行われることがあると思いますか?まるで日本は例外かのように扱われているんですよ」
「自身の苦悩を表明することは利己的といわれるかもしれない。でも、私にとっては #MeToo が最後の砦だったんです」
"IT MAY BE SELFISH TO EXPRESS ONE'S SUFFERING, BUT #METOO WAS MY LAST RECOURSE "
フリーランスのジャーナリストである小川たまかさんは、あるインターネット・サイトの仕事で壁にぶつかった。サイト名は彼女の希望で伏せる。
「女性編集長たちでさえ問題を過小評価しています。否定的であるか、無関心であるかのどちらかです。他者の悪いところを直視したくないからと、黙って苦しむことを選ぶことがあまりにも多いのです」
この37歳の活動家はそれでも諦めない。 学生の頃に性暴力の被害に遭った彼女は3年前、ブログで自身の体験をシェアすることで、勇敢にもタブーを打ち破った。
「電車に乗る思春期の人たちの大部分が性的虐待の被害(痴漢)に遭っていると思います(下記を参照)。それが私たちの日常です。私が初めて痴漢に遭ったのは10歳の時でした。高校生の時には少なくとも週に一度は痴漢に遭いました。なかには、私の性器に指を突っ込んだ男もいました」
たまかさんに「フランスの法律ではそれはレイプに該当する」と説明すると、彼女は大きく目を見開いた。
「本当に?」
彼女は話を続けた。
「痴漢については友だち同士では話をしましたが、大人たちを信用してよいのかわかりませんでした。私たちの母親は「気をつけなければダメよ!」と言うだけでしたから。私の両親は私の受けた被害を知りません。それは今でも見えない傷として残っています」
メディアにおいても、学校でも、家庭でも、性的虐待の被害者たちは沈黙を強いられる。
In the media, at school, at home, the victims of sexual abuse often remain silent.
当局を信用する女性は稀である。日本は、盗難、レイプといった犯罪の割合の少なさから、世界で最も安全な国の一つとして紹介されるが、性暴力の被害者を通報する割合は4%以下である(フランスでは11%)。彼女たちの七割以上が親しい人にさえ何も話さない。
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[参考] 2015年度内閣府調査
「自身の苦悩を表明することは利己的といわれるかもしれない。でも、私にとっては #MeToo が最後の砦だったんです」と話すのは、舞台女優の清水めいりさん。
「半年前、酔い潰れさせられた後、私はある舞台プロデューサーに2度に渡りレイプされました。警察はホテルの防犯カメラを確認しました。そこには私がプロデューサーと肩を組んで、よろめいて歩く姿が映っていました。警察は私が同意の上であったと結論づけ、被害届は受理されませんでした」
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俳優の清水めいりさんは当局に同意の上であったと見做され、被害を受理されなかった。(撮影:Xavier Tera) [詳細追記]
「レイプを犯罪として証明するために、被害者は物理的外傷を証明しなければならないんです!」"FOR A RAPE TO BE A CRIME, THE VICTIM MUST PROVE PHYSICAL INJURY! "
女性が男性と酒を飲みに行くことに同意したら、その女性が性的被害を受けたとしても責任は彼女にあり、彼女は自分の身を守る術を知らなければならない――日本には、こんな考えが根強く残っている。
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[参考:NHKネットワークが実際に行ったアンケート]
110年前に作られた性暴力に関する法律もこれと同じ考えに依拠している。
「レイプを犯罪として証明するために、被害者は物理的外傷を証明しなければならないんですよ?」
弁護士の望月晶子さんはこう強調する。
「世間一般はいまだに、当然のように、被害者は夜どこからともなく現れた全く知らない人から襲われるものだと想像しているのです!」
晶子さんは東京に、レイプ被害者を全国規模で支援するNPO法人「レイプクライシスセンターTSUBOMI」を設立し、これまで1,500人ほどの被害者を支援してきた。
伊藤詩織さんの闘いにも敬意を表する。詩織さんのおかげもあって、昨年の7月に法律が改正されたからだ。改正された刑法では、レイプ [強制性交等罪] は懲役3年から5年に変更され、男性も性暴力の被害者として見做されるようになった。
だが彼女にとって、この闘いは初めから勝つ見込みのないものだ。レイプ犯の99%が不起訴となるからだ。
「私自身、依頼人たちには告訴することを勧めません。それ以上被害者たちにトラウマを与えたくないと思うからです。そう、加害者たちはお金で被害者たちの沈黙を買うのです。支払う能力のある加害者たちに対しては、平均で4万ユーロ(約500万円)の高額で示談を交渉します。このような状況では #MeToo が日本で理解されないのも無理もないのかもしれません」
より深刻なのは、性的同意の問題が法律でも学校でも言及されないことだという。
「社会はこの問題について議論の場をもったことがありませんし、高校で性教育を実施することも拒んでいます。それは一般に、『非行の扇動』とみなされるからかもしれません」
社会学者でジェンダー論の専門家である大阪大学教授の牟田和恵さんはこう嘆く。
結果、ポルノが性的な物事への入り口となっている。
「ワンクリックで視聴が可能なビデオの多くにおいて、地下鉄の中で少女たちが『いや!いや!』と叫びながら(それでも「イエス」と受け止める人もいるのでしょうけども)レイプされるストーリーが描かれています。アダルトビデオの中のレイプはまるでゲームのように描かれています。日本人が『同意』の意味するところを知らないのも無理はないと思いませんか?」
ひと握りのフェミニストたちが、牟田教授のように、シンポジウム等を通して #MeToo に関する議論を活発化させようとしている。
前出の大阪大准教授の谷口真由美さんは、課題の大きさをこう言い表す。
「これは構造的な問題です。どこから手を付ければいいのか。教育?政治?経済?メディア?司法?それとも家庭?」
同志社大学教授の岡野八代さんにとってさらに気がかりなのは、政治的な状況が沈黙と、他人を中傷する言説の正当化をさらに強めていることである。 フェミニスト活動家の彼女はこう憤る。
「ソーシャルメディアを使って、匿名の人たちや、極端な保守派議員たちが私たちの活動の信用を失わせようとしています。バッシングは10年前と比べると、よりあからさまで、当たり前のものになっています。私たちはきっと、日本の社会と日本の全男性を敵に回しているのでしょうね!」
だが、伊藤詩織さんは希望を失わない。彼女はひそかに、根強い支持を受けている。
「多くの男性や女性が私的に感謝の意を表してくれました。彼らはそれを公に行うことを恐れていますが、確実に連帯してくれています。ただし、ひそかに。だから、続けなくてはならないのです!」
蔓延する痴漢
THE PLAGUE OF GROPERS
GROPERS(痴漢)または "TCHIKAN" の問題は1990年代になって公共機関でも配慮されるようになった。女性のために、鉄道各線にピンク色の車輌が用意されている。 しかし、「所詮、男が潜在的な脅威であることに変わりはない」という考えが根強く残っている。
東京のクリニックで働く [臨床医で精神保健福祉士の] 斉藤章佳さんは、弁護士や家族の依頼で2年間に1,200人もの"TCHIKAN" を治療した経験を持つ。
「男性を敬い、女性を蔑視する男尊女卑の風潮は、いまも根強く残っています。痴漢は被害者たちをモノのように見ます。しかし、彼らは捕食者ではありません!これは、私が患者さんたちに一番初めに伝えることです。痴漢は根治することも、リハビリを通して更生させることもできます。しかし残念ながら、われわれは『助平な変質者から身を守る術を知らない被害者』というステレオタイプに逃げ込みがちです」
この臨床医によれば、典型的な患者像は、「サラリーマンで、既婚で、会社の上司たちに苛められている人」であるという。
「地下鉄の中は、彼らにとって家庭と職場の間で唯一、彼らの激しい支配欲を満たすことのできる空間なのです」
章佳さんによると、毎年10万人の日本人女性が痴漢の被害に遭っている。
奮起する彼女(ELLE)たち
ELLES (THEY) ARE MOBILIZING
『エルジャポン』は3月、安倍晋三首相に近い者にレイプされたと告発したジャーナリスト・伊藤詩織さんの肖像を描く記事を掲載した。彼女の戦いは多くの海外メディアで報道されたが、日本ではほとんど報じられなかった。
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「私たちはリスクをとらなけばなりません。レイプや政治について話すことは大きなタブーです。読者の大部分はショックを受けた、それは確かです。しかし私たちは、この話に世界的な広がりを与えなければならないと思いました」
『エルジャポン』のディレクター、イヴ・ブゴン(Yves Bougon)は語る。
記事を書いた ミエ・コヒヤマ(Mie Kohiyama)さんには、多くの賛同の声が寄せられた。
「記事はひじょうに沢山シェアされました。とくに女優のアーシア・アルジェント(Asia Argento)によって。多くの日本人が私にコンタクトをとって来きました。#MeToo ムーブメントは日本でもひそかに進行しているのです」
未成年者に対する性犯罪の公訴時効 の廃止と心的外傷による記憶喪失 [解離性健忘=PTA] の問題について活動するミエさんは、性暴力について活動する国際団体の支援を受け、シンポジウムの企画を進めている。
フランスで「心的外傷性の記憶及び被害者学に関する協会」の会長を務めるミュリエル・サルモナ博士(Dr. Muriel Salmona)は今月初め、女性の弁護士や医師で構成された日本の代表団をパリで迎えた。
「積極的なやりとりや意見交換がなされました」
フランセーズのサルモナ博士は興奮気味に語る。
「彼女らは北海道にレイプ被害者を受け入れる先進的なセンターを開設した人たちで、情報と支援を求めていました。私たち日仏の両団体は、団体間で、あるコラボレーションを行おうと考えています」
この記事は『ELLE』マガジン2018年4月28日号に掲載されました。
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xf-2 · 5 years
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共産党は命より面子を優先
武漢から発生した新型コロナウイルスの蔓延は、ひとえに中国共産党の失政による「人災」です。 2019年12月上旬の時点で、新型とみられる肺炎の症状を訴える患者が確認されていたにもかかわらず、中国当局が本格的な対応を指示したのは1月20日になってから。いち早く新型肺炎の懸念に警鐘を鳴らした34歳の李文亮医師は警察に連行され、その口を封じられました。 この医師は自身もウイルスに感染し、結果的に命を落とすことになりました。体力のない老人や既往症のある人とは違う、若い男性だったにもかかわらずです。告発した見せしめのために、中国当局が適切な治療を受けさせなかったのではないかとさえ勘繰ってしまうのは、私だけではないはずです。 このこと一つ取り上げても、中国共産党が新型コロナウイルス対応よりも、情報の隠蔽に力点を置いたことは明らかです。中国当局は、人民の命よりも自らの「面子」を優先し、事態をここまで悪化させた。「人災」としか言いようがありません。 一方で、中国共産党がいくら情報を統制しても、世界中を結ぶインターネットの網の目を潜り抜けて現地の情報が漏れ伝わってきます。特に動画は現地の状況を生々しく伝えており、中国のSNSである微信(ウィーチャット)などにアップされる動画や写真は、見ているだけで気が滅入るような、ひどいものばかりです。 「私は何の症状もない、自宅から一歩も出ずにおとなしくしているのに、どうして私を連れて行くんだ!やめて!」と泣き叫ぶ女性を、公安当局が数人がかりで無理やり車に乗せていく映像。 当局の指示なのか、近所の人たちから「外に出るな!」と言われて玄関に木材を打ち付けたり、溶接するなどして完全に閉ざされてしまう家の様子。 病院の待合室で突然倒れたまま、何の治療も受けられず放置されている人の姿。 遺体が入っていると思われる袋が山積みになっている光景……。 もはや、中国から流れてくる情報は「殺人の生中継」と言っても過言ではありません。直視するのもつらいけれど、決して看過するわけにはいかない現実が映し出されています。
不信の悪循環で事態悪化
中国で目を覆うような惨状が展開されている最大の要因は、人々に中国共産党当局に対する不信感があるからです。 日本であれば、もし肺炎の症状が出ても、病院や政府に申し出れば適切な処置を受けられるだろう、という信用があります。 しかし中国の場合は、肺炎の症状を訴えたところで、適切な治療が受けられるとは誰も信じていません。当局は人々に外出を禁じ、罹患の疑いのある人は一家まとめて医療施設に”収容”するとしています。しかし連行されたあと、適切な治療を受けられるのか、確証は全くありません。 中国が公開している臨時収容所などの様子を見ても、広い室内に何の仕切りもなくベッドが並べられているだけ。医者や看護師が派遣されるかどうかすら分からない状況で、「野戦病院よりひどい」という指摘もあるほどです。これでは、患者を収容しても施設内でウイルスが蔓延し放題で、家で寝ていれば治ったような患者でもかえって死に近づいてしまう。 「どうせまともな治療は受けられない」 「むしろ収容所に押し込められて放置される」と思っているからこそ、人々は連行に抵抗し、仮に新型肺炎の症状があっても病院にはいかない。この「不信の悪循環」が事態を悪化させている。 こうした意味でも、今回の事態は中国共産党による「人災」なのです。中国共産党の隠蔽体質と人々の当局不信を合わせて考えれば、新型肺炎の罹患者数も死亡者数も、実際は中国の発表の数倍、数十倍、それ以上に達している可能性も否定できません。 中国当局は世界からの視線に耐えかねたのか、武漢市内に新型肺炎患者を受け入れる「火神山医院」をわずか10日で建設し、人民解放軍の湖北支援医療チームを急行させました。 当局の発表では「既存の伝染病病院を上回る防護隔離基準を採用した」として院内の模様などを公開していますが、ハリボテに過ぎないでしょう。いまでは中国当局の発表でさえ1日2000人以上が新たに罹患しているなかで、病床が1000しかない病院でどうやって事態に対処するつもりなのでしょうか。 大紀元時報が報じたところによれば、湖北省の複数の火葬場では遺体の処理数が通常の四倍から五倍に達しているといいます。 〈電話取材を受けたある火葬場の幹部によると、旧正月に入る前から無休で働いており(中略)「昨日(2月3日)も127人の遺体が運ばれてきて、116人を火葬した。死亡証明書の『死因』に『新型肺炎』と書いてあるのは8件、『新型肺炎の疑い』が48件だった〉(大紀元、2月8日) この記事からは、火葬する遺体が増えているのは新型肺炎の影響ではないか、という点だけではなく、死因が「新型肺炎の疑い」とされる人々が、はたして当局が発表している「新型肺炎による死亡者数」に含まれているのかという疑念も生じてきます。 感染者数、死者数、死亡率など、中国当局が発表している数字は一つとして信用ならないのです。
都合の悪い人物の排除
また、新型肺炎を口実に、この機に乗じて共産党体制にとって都合の悪い人物の排除に乗り出しているのではないか、という点も懸念されます。 新型肺炎の当局の対応に文句を言っただけでも連行されかねませんし、全く違う目的で拘束したい人間を、新型肺炎を口実にして連行しているのではないかという懸念は、中国ではさほど突拍子もないものではありません。 中国共産党のやり口は、日本人の想像をはるかに超えています。何より、「共産党ならやりかねない」……そうした懸念が説得力を持ってしまうほど、中国共産党に対する不信は極まっているといっていいでしょう。 そうした共産党に対する不信感は、本来は助け合うべき民衆同士の相互不信を煽ります。おそらく当局は人民に対し、「肺炎の症状があるのに申し出ず、隠しているような家庭があれば告発せよ」とのお達しを出しているのではないでしょうか。 武漢市だけでなく湖北省全域、浙江省、広州など患者が多いとされる地域から戻ってきた住民の家を、近隣住民が封鎖する動画などもネット上には上がっています。これも公安の指示に加えて、民衆同士の相互不信によるものでしょう。 「隣の家には感染者がいるようです。早く連れて行ってください」と報告があれば当局は強制的に対応するでしょうし、抵抗する人々を見て周りの人が「嫌がっているのだからやめてください」などと言えば、「反革命的態度だ」といって自分が連行されかねない。これは、私も経験した文化大革命の時代と同じ手法です。 となれば、相互不信は当局によって作り出されている面もあるでしょう。一つの村や町で人々が団結し、新型肺炎対応に対する当局非難デモでも起こされれば、共産党体制に揺らぎが生じます。人々を分断しておくことは、当局にとって非常に都合がいいのです。
日本政府の対応は手ぬるい
私は中国にいる知り合いや、在日中国人のネットワーク、春節だからと地元に帰省していた友人の留学生などから情報を得ていますが、誰もが大きな不安を抱えています。 春節前なのでみな地元に帰っていたのですが、家に着いた途端に14日間の隔離を命じられ、家から出られない。私の教え子も日本へ戻るための航空券をキャンセルされ、それっきり連絡もなく待たされていると聞きました。国内の交通自体も止まっているので、空港に行くことすらままならない状況です。 家に閉じこもっているのにも限界があり、食料などの調達には「ネットスーパーを使え」と指示されているようですが、配達可能地域外の人たちも多くいる。また、「一家族につき、2日に1度は買い物に出てよい」とする���行証も配給されているようですが、マスクがなければ外出できない。 当局は「配給や物流を止めないよう全力を尽くして対応している」と発表していますが、全くのウソです。 自宅に閉じ込められて物資を得る方法がなければ、まさに「座して死を待つ」状況。そうした事態を強要している中国当局は、ある種の殺人を行っているといえるのではないでしょうか。 日本の報道を見ていると、漏れ伝わってくる情報とは異なり、中国当局の発表をなぞるばかり。日本の政府の対応も手ぬるいものとしか思えません。 他国はかなり早い段階で、中国からの渡航者を武漢に限らずシャットアウトしました。しかし日本は、春節を利用した中国人観光客が目減りするのを惜しんだのか、あるいは政治家が中国共産党に弱みを握られ圧力をかけられているのか分かりませんが、対応は後手に回り続け、中国に続いて2番目に感染者の多い国になってしまいました。 日本から中国にマスクを送ったり、寄付を呼び掛ける声もあります。これ自体は美しい人道的行動であり、また、それに対する中国からの感謝の声も報じられていますが、こうしたことに騙されてはいけません。 そもそも、日本から送ったマスクが、中国人民の末端にまで届いているわけがない。仮に届いたとしても、それは中国共産党幹部が自らの力や組織を強めるための道具に使っているのです。金銭の寄付をするならば、日本赤十字を通じるなど追跡可能な形でやるべきで、そうでなければ共産党幹部の懐に入るなど、いいように使われてしまう。 日本の善意が中国共産党の悪意に使われてしまう──。こうした経験は、今回が初めてではないはずです。疫病という生死がかかわる状況で日本の善意が利用されるほど許せないことはないし、困っている人々を助けたい日本人にとっても本意ではないはずです。 要は「助け方」の問題です。中国当局を信じ、他の民主主義国家を助けるような気持ちで何をしても、人々のためにはなりません。最も必要なのは、国際的な医療チームを中国国内に派遣し、実態を調査するよう圧力をかけることでしょう。
もはや対岸の火事ではない
2月10日にはWHOの調査チームが中国入りしたと報じられていますが、WHOのこれまでの及び腰の対応を見てもわかるとおり、エチオピア人のテドロス事務局長は完全に中国に頭を押さえつけられています。中国に阿っていることが明らかな組織に、実態解明など期待できません。 ほんの少し前まで「各国の中国からの渡航制限は過剰だ」などと述べていたWHOは、2月12日になって「新型ウイルスは世界的に非常に重大な脅威」などと言い出していますが、遅すぎます。 すでに、日本にとって新型肺炎は「対岸の火事」ではありません。それどころか、中国では「日本に逃げるならいまだ」という声さえ上がり始めています。 このままでは、日本は「ウイルス輸出国」に転落しかねません。日本のためにも、中国共産党の発表を鵜みにするのではなく、国際機関などとともに中国に強い圧力をかけてもらいたい。 なぜ、私がここまで強く中国共産党を批判するのか。それは先にも述べたように、私自身が文化大革命を体験しているからです。 私は5歳半の時に何の前触れもなく、「お前たちは”下放”だ」と共産党から告げられ、どこに行くかもわからないまま一家でバスに乗せられました。そして荒廃しきった田舎の、何年も人が住んでいない廃屋に投げ出されたのです。 当時も春節の直前でした。母が春節に備えて麻袋に蓄えていたお菓子を食べて何とか凌ぎましたが、凍死するか餓死するかの瀬戸際で、幸い体が丈夫にできていたから運良く死ななかっただけ、という状況でした。 周りもそうした家庭ばかりで、幸せに暮らしていた一家が、ある日突然、その生活を奪われて地獄に放り出されたのです。 中国共産党は昔も今も、人民の生活、人生はおろか人命さえも軽視している。私自身が体験した文化大革命でも、今回のコロナウイルス対応でも、全く同じことが繰り返されているのです。 中国政府を信用してはいけない。彼らは想像をはるかに超える残酷なことを平気で行う。この大前提を、決して忘れてはいけません。
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ogawa-xd · 7 years
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我々とは何か
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「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」(P.ゴーギャン 1897)
ゴーギャンの晩年における畢生の大作であるこの絵と、有名な絵の題名の言葉は、深く私たちの心に突き刺さる。題名のこの言葉が、回答の宣言の文型ではなく疑問の文型であることは象徴的だ。この根元的な問いは、わからないままに私たちの中にはつねにあるような気がする。この南洋の森の中のような薄暗い絵は、そのことに関するゴーギャンの無言の回答、ということなのだろうか。
「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」
我々とは何者か
しかし、「我々とは何者か」と問うときの「我々」とは何を指しているのだろうか。この絵をしばし離れて考えてみたい。
禅問答のように聞こえるかもしれないが、「我々とは何者か」と問うときに、問う者と応える者の間で最低限「『我々』という観念」は共有されていなければならない。そうでなければ、それは何か?と問うこともできない。 私たちがそれぞれ「私である」と思っているものは、実は「私の意識」のことではないか。「あれをした」とか「これをした」といった行為や経験の主体は、私そのものというより、その経験をしたことを覚えていて、考えを巡らし、ときに振り返る「私の意識」である。そして「私の意識」が、経験したことをあれこれと意義づける。
「我思うゆえに我あり」とデカルトは言ったが、このときの「思う我」とはまさに「私の意識」のことである。つまり、「私の意識」=〈意識〉とは、私たち自身である、と言ってもよいと思える。
しかし、大きくとらえれば「私」なのだが、「私の意識」と呼べない部分も、私の中には実はある。身体性の問題がその一つである。「私の身体」は、ほとんど「私の意識」の外にあるといえないだろうか。 痛みでもないかぎり、私は、私の「臓器」の存在をほとんど意識することができない。まして臓器の動きをコントロールすることなどできない。これらは、意識的にコントロールできないという意味の「不随意筋」によって動いている。意のままに動かせる「随意筋」で動いている手足や指は、たしかに意識的に動かすことはできる。しかし、スポーツや楽器演奏などの高度で繊細な筋肉のコントロールを、意識がおこなってはいるとは言いがたい。むしろ意識は、往々にしてスムーズな動きの邪魔をする。そういった筋肉の繊細な使い方を上達させるために、アスリートや音楽家は、意識を消し去ることを長い時間をかけて訓練をする。また訓練を越えて上手な人は、普通の人はどんなに意識的に頑張っても及ばない「天才」と呼ばれる。 特別に高度なことでなくても、普通の人が自転車に乗ることもやはり意識的にやっているわけではない。どう自転車でバランスを取っているか、言葉を使って意識的に説明することはむずかしい。あるいは表情筋を意識的に動かして、表情を作ることはできなくないが、顔の表情の多くは無意識に現れてしまうものである。
■〈私〉と〈自分〉 トール・ノーレットランダージュは、「私の意識」を〈私〉、その〈私〉も含む全体としての自分を〈自分〉と呼んだ(または、self1とself2と呼んでいる)。〈私〉は〈自分〉の一部である。
人間は、視覚や聴覚、触覚などを通して、絶えず外界から情報を取り込んでいる。その情報量を計算すると1000万ビット/秒ほどになるという。一方人間があれこれ考えごとをするとき、つまり意識の中でどれくらいの情報量を処理しているかというと10ビット/秒程度であるという。ということは〈自分〉として取り込んでいる情報の100万分の1ほどしか、〈私〉は使っていないということになる。逆にいうと、私であるところの〈私〉が知らされていない100万倍の情報を〈自分〉は受け取っているのに、それを〈私〉は教えてもらえない。しかし〈私〉は、渡された毎秒10ビットの情報を、〈私〉が経験した、すべての、「生な」情報、と思い込んでいる。(→「会話の木」)
〈自分〉は、その多量な情報をいったいどうしてしまうのだろうか。 〈自分〉は多量な情報から、〈私〉=私の意識が扱えるように、ごく少量の情報へ、気づかれないように裏でこっそりダウンコンバートしている。その処理の過程で落とされた情報のうち、いくらかが無意識の底に沈み、多くの情報は完全に捨て去られる。無意識の底にサブリミナル情報としてとらえる作用は「閾下知覚」と呼ばれている。
コンピュータ的に言えば、〈私〉というアプリケーションは、OSからマウスや画面タッチの情報をイベントとして受け取って動いている。しかし実際には、OSのさらに下にあるBIOSがハードウェアからの電気信号パターンを常時監視/処理してマウスの位置やクリック、何本かの指でのピンチ操作という、仮想の意味を創作して上へ返している。そういった状況に似ている。
ジュリアン・ジェインズは〈意識〉に関しての卓越したこんな比喩を語っている。 〈意識〉は懐中電灯のようなものである。暗闇に置かれた懐中電灯に部屋の様子を報告させたら、部屋は明るくて何でも日中のように見えていることになるだろう。懐中電灯が見ようとするものには、常に光が当たっているから。 〈意識〉に心の中を報告させれば、すべてが自明のことのように映るだろう。しかし実際には意識が差し向けられていない心の物陰で、多くの心の事態は動いている。 「だるまさんがころんだ」(「ぼんさんが屁をこいた」)のようでもある。
つまりわれわれは〈意識〉に閉じ込められている、とも言えるのではないかとわたしは思う。
これまでのことをまとめると、私が私自身と考えている〈私〉とは、私の意識であり、マクロに見ると高度な楽器演奏もできないし、自転車に乗ることすらもできないほどたよりない。またミクロに見ても、〈自分〉というハードウェアが経験から得られる生な情報のうちの、ほんの少しの調理済みの情報だけを、もらっているに過ぎない。でも、やっぱり〈私〉こそが私のすべてだと思って生きている。
もちろん、こういった〈意識〉によって、人間は他の動物とは決定的にちがう文化、文明、芸術、科学、宗教などを生み出して、はるかな髙みに立つことができたわけであるが。
〈意識〉の起源
ジェインズは、この〈意識〉の起源と本質のありようについて、大胆な仮説を提示する。ここではジェインズにそって〈意識〉がどうやって生まれたのかを追ってみよう。
ジェインズによれば、人間が他の動物とはまったく異なる精神生活を始めたきっかけは「言葉(話し言葉)」にあったという。 言葉は、呼び声からはじまり次に修飾詞そして命令、最後に名詞の順にできていった。言葉のもっとも重要なエンジンは「比喩」の機能である。何のようか、という視点である。それによって語彙はじょじょに増えていった。
■〈二分心〉の時代 たがいにある程度の意思疎通のできるまで言葉を獲得した頃、人の精神生活/心の在り様はどんなものだったのだろうか。ジェインズはその時代を〈二分心〉の時代と名付けている。 その時代の人々の心(脳)は、二つの役割に大きく分かれていたという。一つは発起する心であり、自分の行為や行動を想起し、自分自身に命令をくだす心である。もう一つは、第一の心の命を受けて、それを忠実に実行しようとする心である。この第二の心は冷静で、客観的/論理的/合理的な判断をくだすことができる。それに対して第一の心は、情動的ないし欲望的な存在である。これらの二つは具体的には、右脳(脳の右半球)と左脳(左半球)に対応している。
〈二分心〉"Bicameral mind" の直接の意味は、「二つの部屋(箱)の心」である。また「二院制の心」という意味でもある。二院制(上院/下院ないし衆議院/参議院)は、二段階の手続きで人がなすべきことを決めて実行していく体制、といった意味合いであろう。しかし役割から考えると、二院制よりも立法と行政という二権による運営に近いように自分には思える。
右脳は、一種の「神」として、「人」である左脳に君臨していた。この命令する声=内なる神は、いわゆる現代の宗教における神とは違うが、働きとしてはほぼ同じである。絶対的に正しく、疑うことなく人が実行すべきことを人に示すものである。左脳は、疑うことなくただこれに従った。
■内なる神の声 その頃の人たちは、群れによる狩猟採取の生活をしていたと考えられている。群れの中にはリーダーとして、ほかの者に命令をする者もいただろう。このリーダーの声も、多くの群れの中の者たちは、同じように従うべきものとして聴いたことだろう。そしておそらく自分の内なる声よりは、リーダーの声に従ったのだろうと思う。そうしなければ、群れが存続していくことがむずかしくなってしまう。どうしても従えない者は、群れを出て行くしかない。 現代の感覚から言えば、群れの中の人たちは何に従うべきか、葛藤が生じたのではないかと想像される。しかし実際にはそうではなかった。なぜならば、人にはまだ「葛藤」するための〈意識〉が芽生えていなかったのだ。人はまだ、ほかの動物たちと同じように、素直な存在だった。何かを疑うことはまだ学んでいなかった。 たとえば人から見ると狡猾そうに見える、ハイエナなどの動物はたしかにいる。しかし実際のところは、ほかの動物に比���て少しだけ頭の回転の早い動物が、うまく立ち振る舞っているにすぎない。
ジェインズによれば、この〈二分心〉の時代は、言葉を獲得した数万年前からほんの3000年ほど前まで続いていたという。その間ずっと、人はこの〈二分心〉という形で精神的な生を送っていた。 これはにわかには信じがたいことであるが、さまざまな事例でジェインズはこれを裏付けていく。
私たちホモ・サピエンスは、今から1万年ほど前に狩猟採取の生活から農耕生活に移ったとされる。最古の文明であるメソポタミアは、8000年〜6000年前、つまり3000年前の2倍ほどさかのぼった頃のことである。その他のいくつかの古代文明も、3000年前ころには成立していた。 つまり都市ができ、文明が成立するころ、人はまだ〈意識〉もなく暮らしていたということになる。〈意識〉もなく、文明といった多くの人が参加するような社会が本当に運営できるのだろうか。また文明の中には、多くの複雑な制度や道具、発明品などの人工物があった。そういったものを自覚的な〈意識〉抜きで、作り出せるものなのだろうか。その理由もさまざまに述べられている。
では〈二分心〉の時代は、どうやって次の時代へ移行していったのだろうか。そして移行した先の時代とはどういう時代だったのか。
■〈意識〉の時代 文明の中でなした多くの発明品の中に、「文字」というものがあった。文字は交易のための覚書から始まった。誰それにどれほどの貸しがあるかを、両者が目に見える物理的な印として残すことは有効であったにちがいない。そしてその有用性は、さまざまなものの「記録」に波及していった。そしてその時その時のできごとを客観的に記録することもできるようになった。またその「記録」によって過去のできごとをありありと思い出すことができた。 この言葉による「記録」という「過去の記憶」は、人が明日とるべき行動の指針ともなった。それにしたがえば、ときに右脳やリーダーの声以上に、まちがいがなかった。さらにその指針は自分一人のための覚え書きとしてだけでなく、多くの人に世代を超えて伝わっていく有効なものとなっていったはずである。言葉は、過去の記憶を記録にとどめだけでなく、未来を想像し計画することを可能にした。
こうして過去と未来を、つまり「時間」を今までにない新たなかたちで人は手に入れ直した。私という意識にとって、時間はキーとなる観念である。過去にこうあって、未来にこうなるものとして、はじめて「私のアイデンティティ」という物語りが立ち上がる。 また時間によって、反省や悔恨、夢や希望といった感情を育んでいったことだろう。その過程で思いやりや嫉妬も学んだ。
ジェインズによれば、情動(affect)は動物も持ちうるもので、恐怖、恥、交尾、怒り、興奮、親和などがその代表である。これらはやがて、不安、罪悪感、セックス、憎しみ、喜び、愛へ変化していった。そして感情(emotion)とは、過去や未来の情動に対する意識(awareness)であるという。ということはつまり、人間がとても大切にしている「感情」すら、意識によってもたらされたものであって、〈二分心〉の時代には「感情」はなかったということになる。
〈意識〉によって、人は合理的な思考や哲学的な思考を深めていくとともに、たくさんの知識や知恵を手にしていった。ギリシャ時代の多くの哲人や思考家は、それをもっとも象徴するものである。今あるほとんどの学問の原点はギリシャにある。 しかしその一方、人々は同時に大いなるものを失ってもいった。右脳から発せられる内なる神の声である。お役御免となった内なる神の声は、ときとともに途切れ途切れになり、ついには神々は沈黙した。神を失った人々が、新たな、自らの統治者として選んだものこそが〈意識〉であった。
これが〈意識〉の起源である。 〈二分心〉時代の次なるこの時代を〈意識〉の時代と呼ぶことができるだろう。そして〈意識〉の時代は、たった今も続いている。
〈二分心〉の時代の人々の精神的な暮らしぶりとは、どんなものであったのか。その頃の人は蒙昧といえばたしかに蒙昧だったのかもしれない。しかしそれは今の私たちから見た相対的なものであって、むしろ後悔もなく、憂いもない、幸せな時代であったような気もする。そういった想像は、野生の動物たちが幸せかと問うのに似ている。 しかし一方、現在も進行中の〈意識〉の時代は、〈二分心〉の時代とくらべて、はたしてどれほど幸せな時代といえるだろうか。
■〈二分心〉という発想 ところでジェインズは、どうやって〈二分心〉という想を得たのだろう。 ジェインズは、人類最古の著作「イーリアス」を詳細に紐解いた。そしてこの長編の神々を語る叙事詩の中に、意識や心が語られていないことを発見した。一見して意識や精神活動を表すような単語も詩中に見えるが、その言葉の使われ方を吟味すると、まだ精神性を表すような意味では使われていないという。たとえば「プシケー」という「魂」や「心」を洗わす言葉は、その言葉の原義である「血」や「息」という意味でしか使われていない。 日本の能楽師である安田登氏も、漢字において同様の指摘をしている。孔子による「論語」の中には「心」という漢字ばかりでなく、心を表す「忄」(りっしんべん)のつく漢字も出現しないという。まだそれらの漢字は作られていなかった。文字がないということは、その観念が人々の中に根づいていなかったことを意味している。だからこそ孔子は、生まれようとしている「心」の正しい用い方を説いたのだという。
これら書物による〈二分心〉の考察は、一つの検証でしかない。他にも古代の墓や偶像などから、帰納統合(→コンシリエンス)的に〈二分心〉が導かれている。
〈二分心〉の残照
〈二分心〉の時代から〈意識〉の時代への移行は、世界中で起きた。ある地域では比較的早く、ある地域ではかなり遅く。近い地域どうしでは、移行が伝播もしていった。そしてもちろんどの移行も一瞬にして起こったわけではない。
■預言と宗教 神々の声がじょじょに聞こえなくなっていったとき、困った人たちは預言者らを頼った。託宣者、預言者や巫女、あるいは口寄せの術を使う者は、神の声が小さくなっていった時代にあって、神の声を“まだ”聴くことのできる少数の人たちだった、と考えられる。人々は必死の思いで、これらの人に頼ったにちがいない。 また、消えゆく神の声をなんとか留めようと言葉にまとめたものは宗教の聖典となった。大まかではあるが、宗教もそんなふうにはじまっていったと考えることができる。
ところで旧約聖書に、イブが悪魔の化身のヘビから知恵の林檎を食べさせられて、以後知恵とともに羞恥心などを覚えて楽園から追放された、というくだりがある。これは「知恵の林檎」を「意識」に置き換えると、これまで書いてきたことに深く符合するのは非常に興味深い。
■詩、音楽、芸術 「イーリアス」がそうであるように、初期の書物の多くは詩という形式で書かれている。 詩とは韻律を持つ文である。おそらく内容は文に書かれる前に、口頭で伝承してきたと考えられる。口で覚えて伝えるためには韻律をもっていた方が有利であるし、韻律(音楽)を司る右脳は、元々神の居座であった。 詩、音楽、そしてほとんどの芸術は、失ってしまった内に生きていた神を指向していると考えられる。
■統合失調症、憑依 また、統合失調症や憑依、催眠といった心理学的な現象についても、〈二分心〉の名残りという観点から説明が可能であるとしている。
■科学、真実 ジェインズのさまざまな論考は、基本的には「科学」をベースに置いたものである。しかしついに、その科学についてさえ、ジェインズは〈二分心〉の崩壊に対する反応のひとつと読み解いてみせる。 人の活動のほとんどは「内なる神」の確実性を追い求めることであった。宗教は「内なる神」から、造物主やすべてを統べる存在としての「神」を、直接求める活動であった。科学の出発点は、「神」を求める過程で分離したプロテスタントが帯びた合理主義的側面の先にあった。そうして科学革命がはじまり、今にいたっている。(もちろんこれはキリスト教史的な見方で、それですべてとはいえないが、大筋は納得できる。)
本書の最後一文は、以下のように結ばれている。 「真実という概念そのものが、文化に与えられた指針であり、大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部なのだ。(真実を)世界中を巡って探し求めることができるという考えそのものが、失われた神々を求めてきた直接の結果だ。」
あわいの時代
前述の安田氏は、〈二分心〉から〈意識〉の時代へ移ろう中間の時を「→あわいの時代」と呼んだ。そして〈あわいの時代〉で起きたことを、身を以て演じることによって読み解こうとしている。
さらに、ジェインズや安田氏はこんな予感を綴っている。それは現代という時代は〈意識〉の時代からさらにその次の時代へいたる第二の〈あわい時代〉ではないか、と。 〈意識〉の次の時代がどのようなものかは、まだ誰にも描けていない。それはすぐにでもやってくるものなのか、それともこの100年世紀あるいは1000年世紀をかけて起こることなのだろうか。
■次なる時代 〈二分心〉が、左脳と右脳のプリミティブな協調の時代で、〈意識〉の時代が左脳優位の合理を指向した時代であったとすると、次の時代の在り様は以下のような3つが考えられるだろうか。
右脳の時代。感覚や感性の時代。
右脳と左脳の、新たな関係性がもたらす時代。
左脳でも右脳でもない、第三の何か新しいものの優位となる時代。
3.は、まさに想像を超えたものであり何とも言いようがないが、1.または2.であるとすると、いずれにしても、しばらく力を発揮できなかった右脳の進展に関するものとなる。さて、どうなのだろうか。
■自律した言葉 「話し言葉」によって〈二分心〉の時代が開かれ、「書き言葉」によって〈意識〉の時代が開かれたのだとしたら、次の時代がどういうものであるにせよ、それはコンピュータとネットワークという技術(ICT)によって開かれるものであることは、まちがいのないように感じる。旅の行き先はわからないが、出発のきっかけはおそらくそこにある。
歯車やスチームエンジンの延長にあるコンピュータという「機械」によって人間が変えられてしまう、というイメージに違和感を抱くのなら、こう言いかえてもよい。「言葉の自律」が次の時代が開くと。
左脳が生み出したおそらく最大の発明品であるICTのベースは、数学理論に裏付けられたものである。ベースがそうであるにせよ、ICTが結果として実現したものとは、言葉それ自体が生命をもって生きていけるダイナミックな仕掛けとしてのメディアだったのではかいか。 文学的な「生きた言葉」という言い方があるが、まさにICTによって、言葉は舞台上の俳優のように「生きた」ものとなり、自らの役割を自律的に演じることができる。
ICTによって言葉を制御するものは、歯車やエンジンではなく、プログラミングという言語である。つまり言語を生かすための仕組みもやはり言語であったということである。言語はもともとそのような再帰的な自律性を秘めていたということなのだろう。
「話し言葉」とは、実体としてみれば空気の震えでしかない。「書き言葉」も、粘土や紙に印されたシミでしかない。ICTが実現しようとすることは、そのシミに生命を与えて動き出させることである。 雪舟は室町時代の伝説的な水墨画家であるが、少年雪舟が自らの涙で床に描いた鼠は、あまりにリアルでついには動き出したという。そんなイメージがする。
こうしてふり返ると、我々という人=ホモ・サピエンスは、「言葉」を生み出した動物というより、「言葉」によって形作られてきた動物である、といえるのかもしれない。
■ひずみ いつでも人は、自分のいるその時その時を、特別な時代と感じるものなのかもしれない。しかし、それでもやはり、この20世紀の終わりから21世紀はじめという時代は、さまざまなひずみをはらんだ時代、あるいはひずみが露わになった時代のように感じる。
よく言われるように、技術(左脳の作り出したもの)そのものが悪いわけではないとわたしも思う。しかし、それを誤って使う人が悪いのだ、という言説にはわたしは賛同できない。たんに人が、この技術の進展の早さについて来られなかったためのひずみであったのだとわたしは思う。
原子力という安全に制御するにはあまりに大きすぎる力、戦争と原水爆弾による危機、つもりに積もった世界規模の人工の自然破壊、ICTという有効な道具があるというのに起きている意思疎通に関する不具合、AIのシンギュラリティは我々を天国に導くのかそれとも地獄へ導くのか。どの技術についても、自らの左脳が生んだ道具の有能さに、我々自身が追いつけていないうようだ。
このような世界で起きているさまざまなひずみを見ていると、どれも〈意識〉の限界を示唆しているような気が強くするのである。
これが〈意識〉の時代の終焉を示すものであるなら、次に起きることはこれを解消するものでなければならないだろう。そう考えると少しは希望もわいてくるのであるが。
■ふたたびゴーギャン さて、ふたたびゴーギャンの問いにもどろう。 わたしがこれまで述べてきたことは、「我々とは何か」というものであり、「どこから来たのか」であり、そして「どこへ行くのか」であった。わたしがというより、ゴーギャンやジェインズ、安田登、そしてノーレットランダージュという人たちが表したことであり、わたしもそれに共振したにすぎない。でもかれらの指摘は、どれもわたしがこれまでほとんど聴いたこともなかった重要な問いかけであり、読み解きの物語りであった。そしてそれはわたしを夢見させた。結局はまだ解けない謎でもあるけれども。
デザインと〈意識〉
デザイナーとしてのわたしは、ここまで事情があきらかになれば、何か先も見えるのではないかと無謀に夢想した。誰もわからないのだから、大いにこの問いを楽しみたいと思った。たとえ〈私〉には、100万分の1しか事実が知らされていないのだとしても。
あまりに大きな話なので、デザインとこれまで述べてきた〈意識〉がどういう関係にあるのか、自分でもなかなかうまくまとめられない。しかしデザインは、新米とはいえ芸術や科学を親に持つ営みであるのだから、〈意識〉とまったく関係がないとはいえない。いや大いに関係があるはずである。 しかし寡聞にして、デザインと〈意識〉が、このように結びつけて語られるのを聴かない。
わたしはデザインをスタイリングの問題とは思わない。しかしまた、認知に関わる、わかりやすさや使いやすさの問題とも考えない。この二つの側面はたがいに対立するものではないし、どちらも等しく重要なものである。むしろデザインは、それらを大きく包み、それらの向こうにあるものだと思う。
それは「認識」の問題と捉えるべきなのかもしれない。 デザインとは、広い意味での道具(道具、メディア、制度)を、人がどのように認識するものとして作るのか、を問題意識とする行為ではないのか。 認識という作用それ自体は、意識下〈私〉のものであるが、それが対象としているのは、無意識や身体性を含む全体としての〈自分〉である。 認識の問題は、コインの裏表として表現と現象の問題と響きあっている。
デザインのことを考えていく中で、〈意識〉の問題に行き当たったのであるけれど、なんだかどうも、デザインの「床」をぶち抜いてしまったような気もしている。この上自分は、デザインの上に立っていられるのだろうか。
(180221)
「ユーザーイリュージョン」        ー 意識という幻想(トール・ノーレットランダージュ) 「神々の沈黙」ー 意識の誕生と文明の興亡(ジュリアン・ジェインズ) 「あわいの時代の『論語』」ー ヒューマン2.0(安田登)
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toshihikokuroda · 3 years
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名古屋入管 開示文書ほぼ黒塗り ウィシュマさん妹「信用できない」 2021年8月18日【社会】
 名古屋出入国在留管理局(名古屋市)の収容施設でスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が死亡した問題で、本人に関わる文書の開示請求に対し、名古屋入管が黒塗りの文書を送付していたことがわかりました。弁護士らが17日に会見で明らかにしました。
 ウィシュマさんの妹のワヨミさんは「隠したいことがここにある。これを見れば入管が姉を殺したことは明らかだ」と述べ、ポールニマさんは「こんなに黒く塗っているのであれば報告書は信用できない」と述べました。
 弁護士らは同局に対して4月にウィシュマさんに関わる医療や処遇関連の文書の引き渡しを求めましたが、同局は拒否した上で行政文書開示請求の手続きで請求するよう回答していました。5月10日に請求し、8月2日に送られてきた1万5113枚の文書はほとんど黒塗りだったうえ、コピー代の15万6760円を請求されたと言います。
 ウィシュマさんの死亡事件をめぐり、出入国在留管理庁は10日に公表した報告書で「同局の対応の数々の反省点と改善点がある」とし、佐々木聖子長官は「人の命を預かる行政機関としての緊張感や、心の込め方が不十分だった」と述べています。弁護士らは入管庁の報告書はこれらの開示文書のほとんどを占める看守勤務日誌に基づいているはずと指摘しています。
 駒井知会弁護士は「入管がすべての情報を持っており、それをつまみ食いして報告書をつくっている」と指摘。遺族代理人の指宿昭一弁護士は「真っ黒な紙は全てを隠す入管の姿勢を表している。これが国としての正しい姿なのか」と批判しました。
名古屋入管 報告内容極めて不十分 NGO会見 再発防止を要求 2021年8月18日【社会】
 今年3月に名古屋出入国在留管理局で亡くなったスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんを支援する「移住者と連帯する全国ネットワーク」(移住連)などNGO団体が参院議員会館で17日、記者会見しました。
 出入国在留管理庁が10日、ウィシュマさんの死亡事件調査報告書を発表したことを受けて開催したもの。登壇者は共通して、報告書の内容が極めて不十分で問題解決にはならないと主張。監視や差別で外国人を管理する入管庁の対応を批判し、再発防止策を強く求めました。
 外国人人権法連絡会の師岡康子事務局長は「助けを明らかに求める人を助けない。保護責任に欠けている」と述べ、恣意的拘禁ネットワークの浦城智子さんは「外国人収容政策が、入管庁の自由になっているのが問題」と指摘しました。
 移住連の鳥井一平代表理事は「外国人不法滞在というが、犯罪をしているのでなく、生きるため働き、地域で暮らし、社会貢献してきた」と共生を訴えました。
 国際人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」(HRN)の小川竜太郎事務局次長は「女性の人権の観点からも問題だ。入管任せにしないことだ」と司法審査の導入を訴えました。
(しんぶん赤旗、2021年8月18日)
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folkepaasa · 4 years
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四国・東徳島の山あいにある勝浦町坂本地区で、地域住民を中心とした人々と一緒にコミュニティ・エネルギーをつくっていくプロジェクト「つくろうみんなの地域エネルギー」が始動します。そこで、一緒にプロジェクトを進める仲間、応援してくれる仲間を募集いたします。
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はじめまして、
地域自家発電研究会 発起人のにいさとこと申します。徳島の山あいにある勝浦町という町で生まれ育ち、進学で一度ふるさとを離れ、大学を卒業後2015年にこの町へ帰ってきました。
勝浦町の西の端・上勝町との境にある坂本は、町の総人口およそ5,000人のうちの400人(199戸)が暮らす集落です。二級河川・勝浦川の支流となる坂本川の源流部にあたり、北は標高972mの六郎山、南は標高535m町のランドマーク・稼勢山に囲まれた自然豊かな山村です。わたしはここで、山・川・畑・田んぼをかけまわりながら、同世代の友人や年上のお兄さんお姉さん、親の世代のおっちゃんおばちゃん、祖父母の世代のじいちゃんばあちゃん、いろんな人々との関わりの中で育ちました。それはここではごくごく当たり前のことで、よくある田舎の風景です。
町の人口は毎年100人ずつくらい減っています。高齢化率は上がり続けています。それでも、わたしはここの暮らしが好きです。なぜって、わたしはここに好きな人がたくさんおるけん、なのです。
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なんでも自分たちでつくる場所
ここにはかっこいい大人がたくさんいます。彼らはなんでも自分たちの手でつくります。家も道も石垣もみんな自分たちでつくってきました。山や川、自然の恩恵を受けながらも厳しさと向き合い、風土と付き合ってきました。今でこそ暮らし方が変わり、技を持った人は減り、なんでもというわけにはいかなくなりましたが、それでも昔ながらの営みが残る部分もたくさんあります。
たとえば、秋に田んぼでできた稲わらを使っていろんなものをつくるおじいちゃん。座布団、草履、ロープ、ほうき、敷もの、しめ縄・・・田んぼの数さえ減ってしまったけれど、彼の丁寧で卓越した技は見るもの誰もを唸らせます。そして自然の摂理を理解し、ものごとの意味を教えてくれます。
モノのない時代は今より大変だったけれど、人々の手から生み出す豊かさ、苦労あっての豊かさは、何にもかえがたい価値があるように思います。
いま必要な、生きる力
お金だけ払って手に入るものは、自分たちでつくるよりはるかに楽で便利です。だけれど、自分たちでつくることから得られる力やものがたりは、お金だけを払っても手に入れられません。作り方がわかるからこそ直し方もわかる。作り手の苦労を知ってこそ大切にできる。それは、何においても同じことだなあと思います。欲しいものは際限なく溢れ出てくるような錯覚さえ持っているわたしたちは、もののかたりに耳を澄ませなければいけないのではないでしょうか。
わたしは彼らが健在する今のうちに、彼らの生きる力を次世代に分けてもらいたいと考えます。風土に向き合って生きてきたからこそ見出せた知恵や哲学を、わたしたちは経験として学ぶ必要があると思うのです。そして、得意なことを持ち寄って協働する農村文化のごとく、ひとりひとりが繋がり合って支え合える土壌を耕したい。時代の波にのまれて、なくなってしまう前に。
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だから水車をみんなの手でつくりたい
今から40年前くらいまで、坂本には水車がいくつもありました。主にお米の精米のために共用で使われたり、山で採れる﨓(たぶ)というお線香の原料となる樹皮を粉砕する産業用の動力として使われたりしていました。機械化によってその姿は消えてしまいましたが、当時のようすは50代の母からも聞くことができるほど、身近な存在でした。
「はっはっは。まあた、変わったことを思いついたな。さすが、清治さんの孫じゃ。ほらあ、水車が復活したらええな。懐かしいわ。」 水車は世代間をつなぐ架け橋だと思いました。
「ほらええ話やけんど、ほんなんで儲けになるんかいな。」 効率性と価値観を見直すきっかけになると思いました。
「川の水量が減ったんは、山に理由があるのかもね。」 里山保全の課題と結びつけ、解決していく足がかりになると思いました。
「未来のこどもたちに美しい自然を残すためにもやりたい。」 世界が直面している環境問題にも提案ができるのではと思いました。
「水車祭りをしたらええんとちゃうで。」 まつり好きなここの人たちとのお酒のアテになれると思いました。
わたしは水車が温故知新な出会いを連れて、異世代同士を / 人々と自然を 改めて繋ぎ直してくれると期待します。小さな手作り水車は、電力をつくる力は微弱だとしても、それ以上に地域の元気をジェネレートするきっかけになってくれると思うのです。
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それを実践するには、多くの人に多角的に関わってもらうことが必要だと思っています。地元住民はもとより、町内外・県内外の地域を問わず、仲間を増やしてみんなで考えをシェアしながら持続的に取り組んでいきたいのです。 そんな理由で、わたしは地域自家発電研究会というチームをつくってプロジェクトを立ち上げたのでした。
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わたしたちの仲間になってくれませんか
地域自家発電研究会(以下「自発研」)主催の「つくろうみんなの地域エネルギー」プロジェクトは、徳島県勝浦町坂本地区を拠点に3ヵ年計画で小水力発電をみんなで学び、地域資源を活用した水車を手作りし設置運用して、コミュニティ・エネルギーという考え方を提案していくことを目的としています。
①運営サポーターになる 現在、自発研は7才〜80代の有志9名がそれぞれの生活の中で時間を共有しながら活動しています。ビラ配りお手伝いからひょっこり現れ意見する人、グッズクリエイター、がっつり企画、専属研究員など、人それぞれのちょうどいい距離感と役割を持ってお付き合いいただけるサポーターさんを募集しています。
②イベント資金支援者になる
自発研では、2021年1月23日(土)開催「つくろうみんなの地域エネルギー キックオフ・イベント〜映画「おだやかな革命」上映&トークセッション〜」のイベント資金支援者様を募集しています。1口おいくらからでも受付けております。ご支援いただいた個人の方・団体様・企業様のお名前・ロゴをイベントの冒頭・途中・エンドロールにクレジットさせていただきます。
③ファンクラブのメンバーになる 自発研は、「folke på sa(ホルケポッサ)」という媒体の中にある分科グループです。ホルケポッサは、たくさんの祖父たちが受け継いできた“お百姓の精神(=FOLK=ホルケ)”、つまり“生きる力”を次世代に引き継ぎ、しなやかな共同体を未来へ繋ぐための代謝機能として内発的運動を生み出す細胞のひとつです。ファンクラブでは、活動内容をリアルタイムで全てを公開したり、オンライン上で意見交換を行うことができたり、ファンクラブ限定イベントに参加できる権限を持つことができます。(月額¥500)
上記3点についてのお申し出やお問合わせはこちらからお願いします。
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地域自家発電研究会のビジョン
以下3点の長期的なビジョンを達成するために、「つくろうみんなの地域エネルギー」プロジェクトは1年ごとの短期計画を3ヵ年に分けて運営していきます。
1. 多様な世代間・人脈の中での双方向な文化・技術の共有 異世代間の交流と共同作業によって、関係性を深めコミュニティの強化を計るとともに先人の知恵と現代技術をシェア・バランスよく融合する。また、地域内外で横の繋がりを持ち文化交流を行うことで、自他を認識しお互いの学びを深める。 (拡張家族的関係性の育み・自然文化の継承・聞き書き作成・シビックプライド醸成・生きるコモンズの共有 etc)
2. 風土に見合ったエネルギー供給の導入 小水力のみにとらわれず、その土地に合う再生可能な発電方法を小規模に実験しながら模索し、将来的に地域を賄える供給を目指す。同時に、自然と人の共存に適した生産・消費のサイズを提案しエネルギー問題の根本を変えていく取組みに繋げる。 (自然エネルギーへの転換・浪費の見直し・環境問題への取組)
3. 多角的な視座を持ち、既存の・新たな地域課題に取り組む拠点となる 水という観点から森に目を向けることで里山整備の必要性を認識するように、一見切り離されたように見える地域課題同士の相関性を導き出し、連鎖的解決を計る。そのために多角的な視座における研究者・実践者とのネットワークを拡げる。 (地域課題の研究・包括的なネットワークハブ化)
「つくろうみんなの地域エネルギー」プロジェクト内容
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当プロジェクトは、技術講師として宇野 浩さん(エース再生エナジー研究所 代表)とアドバイザーとして平野 彰秀さん(NPO法人 地域再生機構 副理事長)と一緒にエネルギー入門から始め小水力発電機(上掛け水車)を設計・資材調達・組み立て・運用の全てを自分たちの手で行います。
・1年目(R2年度):キックオフ〜勉強会 ①【キックオフイベント】映画「おだやかな革命」上映&トークセッション ②【第一回 勉強会】   上掛水車(那賀町)見学、環境問題〜小水力発電概要の講義 ③【第二回 勉強会】   ペルトン水車(神山町)、中規模水車見学(佐那河内村)小水力発電装置 ・2年目(R3年度):ワークショップ・CF 水車の模型を作りワークを通して小水力発電装置の仕組みを理解します。オンラインイベント企画や、クラウドファンディングの実施、資材調達などを行います。 ・3年目(R4年度):設置・運用 実際に上掛け水車を製作し、坂本地区内に設置します。小さな発電を行い、コミュニティエネルギーのシンボルとして環境教育の教材、観光資源、みんなの場所(コミュニティスペース)などの一拠点に利用します。
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最後に
まるを描きながらエネルギーを生むことが目標です。それはちょうど、おむすびのようです。たいせつな人の顔を浮かべながら、お米のひと粒ひと粒をてのひらでくるっくるっと回して結んで、食卓へ向かうのです。 そんな力で地域を自家発電できたらと夢を膨らませるのが、わたしです。
歳の差があろうとも対等に話をしてくれ、時にきょうだいのように遊び、時に親のように叱咤激励をしてくれる家族のような坂本の人たち。 昔から結束力が強く、今でもたくさんの催事を独自で行い、老若男女・ウチソト問わず対等に関わり合える性格の土の人たちは、まさに農村文化の名残です。
その生きた文化が残っているあいだに、より多くの人に触れて欲しい、交感して欲しい、わたしの幼少期のような原体験になって欲しい。 愛せる ふるさと / 居場所 を多くの人と共有できたら、多くの人の愛がここに集まったなら、それは本当にエネルギーとして回り始めます。
ひとりひとりが繋がり合うことができる、 それはちょうど、おむすびのようです。
ほかほかのおむすびを分け合う食卓のようなコモンズ(共有財)を ─── 個々で生きられる自由な時代の中に ─── バランスを取りながらみんなで作っていけたなら、わたしたちはしなやかで持続的な共同体を育んでいけると思うのです。
思いばかりが先走りがちなわたしですが、さまざまな人に伴走していただきながら、実験を繰り返しながら、遊ぶように学び働き、豊かな未来を一緒につくっていきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
地域自家発電研究会 新居 慧香
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