Tumgik
#小伝馬道灌
arakawalily · 2 years
Photo
Tumblr media
小伝馬に道灌ですよ❗️馬喰町だけど小伝馬❗️しかもプラス道灌❗️ 唯ならぬ佇まいとネーミングセンス、ホワイトボードの手描きメニューから溢れ出る、お魚愛にそそられまくリリーまして、お店に吸い込まれました❗️ 中に入れば、馬喰町リーマンでひしめき、近隣稀に見るお店の活気、賑わいにびっくりりー❗️連日満員御礼の人気大衆お魚割烹料理店。 歴史ある非常に良い酒場が多い日本橋馬喰町界隈で鮮度抜群の旬魚をリーズナブルに味わえる、昭和35年創業の「季節料理小伝馬」さんは、三代続く、ご家族中心で切り盛りするアットホームなお店です。親子三代は絶対美味しいお店です。 日本酒は近江の「道灌」のみを扱うこだわりで、この店の日本酒は、滋賀県草津市の太田酒造が手がける「道灌(どうかん)」のみを取り扱っているそうですね❗️ @kodenma001 

太田酒造は、関東地方の戦国武将・太田道灌の子孫が1874(明治7)年に創業した酒造です。その歴史は三代将軍・徳川家光の命で、関守(関所の番人)として草津に移った太田家が、江戸時代末期に年貢の近江米を使い、酒造りを行ったことに始まります。

道灌は、味がハッキリしていてコクがあり、どっしりしていて、お米の味がよく出ているので、一口飲んだだけで道灌だとわかるとか。小伝馬さんでは道灌を扱い始めて15年以上が経つそうですが、これからも変える予定はないとのことです。清酒、たる酒、山廃純米など常時7種類と、豊富なラインナップも魅力です。

道灌にぴったりで、人気のメニューは、豊洲市場直送の本まぐろ三種盛りや、季節のおひたしだそうです❗️ 私がいただきましたのは、本日のサービススペシャル丼で、その日おススメの、豊洲市場直の、ど新鮮魚がモリモリ乗っていますよ❗️ 天然ぶり マグロ中落ち 石川県ヒラスズキ 黒鯛ゴマ醤油漬け 4点 スペシャルとなると 本鮪中落ち イワシの酢〆 (私は代わりに大分のマゴチ) 有頭甘エビ 7点(+200円) 提供もスピーディー❗️ 切り方が均等に揃いすぎてないところが、逆に味わいあり旨さ倍増❣️ 早速いただきましたが、お魚がとにかくど新鮮❗️特にマグロ中落ちが絶品❣️🐟 小鉢にはゴーヤ炒め、お漬物、お味噌がつきまして 1080円という、時代錯誤の価格設定❗️この新鮮お魚が盛り沢山の内容でこのお値段は信じられない安さでした。 普段使いに通いたい、魅力溢れるお店でした❗️ 冒頭の疑問を調べましたが、 この店はもともと小伝馬町の一帯でも有数の老舗酒場で、魚を中心とした料理が楽しめるお店でしたが、馬喰町に移転され、名前は小伝馬なんですね〜❗️ 店内は正統派の大衆酒場といった趣きで、渋く落ち着きます。 ここには仕事帰りの馬喰リーマンが毎夜、道灌🍶と美味しいお魚を求めて賑わうのがよくわかりました❗️お魚愛が溢れていました❗️ 隠れた夜の人気メニュー、お魚たっぷりスリランカカレーも、かなり気になりました❗️ @kodenma001 #小伝馬#小伝馬道灌#道灌#季節料理小伝馬#大衆割烹小伝馬#馬喰町グルメ #馬喰町ランチ #東日本橋グルメ #東日本橋ランチ #荒川リリー#lilystudio #豊洲市場直送#豊洲市場直行 (小伝馬) https://www.instagram.com/p/CnS11MlSuRy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kawagoeaosa · 1 year
Text
常用漢字(最終案)
絞り込んで、川越の常用漢字案が完成しました。 画数の多い漢字や、漢字で書く機会が少ない漢字を落とし、漢字で書く機会が多い漢字を中心に300文字を追加しました。
また、教育漢字案も見直し、6年案の「凶・狂・伸」を、小学生で習うには早いと思い、 天気予報でよく出る「乾燥」と「雷」を追加しました。
また、常用漢字を一部直し、「鵜」、流「暢」を追加しました。
また、常用漢字と違い、義務教育で習う必要はないが読みは覚えてもいい「準常用漢字」を設けました。 準常用漢字は、落選となった追加候補の394文字と、常用漢字から外してもいいと思っている「虞」「朕」、 2010年に常用漢字から外れた「勺・錘・銑・脹・匁」の5文字、 追加候補外からは、単語にしないとわかりにくい文字は「灌漑(かんがい)」、「乃」公(だいこう)、 三「叉」路、「傭」兵、不「俱」戴天、「鞍」馬(あんば)、甲「斐」性、「珪」藻土、 長「篇」、反「芻」(はんすう)、帰「趨」(きすう)、馬「蹄」(ばてい)、 激「昂」、隆「昌」、「浩」然、「聡」明、「僭」越(せんえつ)、 「猜」疑(さいぎ)、「恢」然(かいぜん)、下「剋」上、「亢」進(こうしん)、「俯瞰」(ふかん)、 「叛」意、不「埒」、「婉」曲(えんきょく)、「徽」章(きしょう)、 殺「戮」(さつりく)、「殲」滅(せんめつ)、「幇」助、騒「擾」(そうじょう)、 空「挺」、標「榜」、「檄(げき)」を飛ばす、「槓」子、 「沽」券、「沐」浴(もくよく)、揮「毫」(きごう)、「熨」斗袋(のしぶくろ)、 「碌」でなし、「稟」議、「篆」刻(てんこく)、「筐」体(きょうたい)、 「薀」蓄(うんちく)、「衍」字(えんじ)、「艱」難(かんなん)、 感「歎」(かんたん)、奇「譚」(きたん)、生「贄」(いけにえ)、 足「枷」(あしかせ)、「輻輳(ふくそう)」、「跋扈(ばっこ)」、 「邁」進(まいしん)、雑「駁」(ざっぱく)、天「佑」、寛「恕」(かんじょ)、 「忽」然(こつぜん)、「摸」索、「碩」学(せきがく)、 「饗」応(きょうおう)、「慧」眼(けいがん)、波「瀾」、「烽」火、 「矮」小(わいしょう)、罵「詈」(ばり)、敏「捷」(びんしょう)、 「擾」乱(じょうらん)、「涵」養(かんよう)、「斟」酌(しんしゃく)、 錯「綜」、「耽」溺(たんでき)、「逍遥」(しょうよう)、「遁」世(とんせい)、 「邂逅」(かいこう)、研「鑽」(けんさん)、救「恤」(きゅうじゅつ)、 封「緘」(ふうかん)、義「捐」(ぎえん)、「懈」怠(けたい)、欺「瞞」(ぎまん)、 灰「燼」(かいじん)、誤「謬」(ごびゅう)、「稠」密(ちょうみつ)、栄「耀」(えいよう)、 諮「詢」(しじゅん)、悲「愴」、惨「憺」(さんたん)、警「邏」(けいら)、 「驀」進(ばくしん)、憤「懣」(ふんまん)、編「纂」(へんさん)、老「獪」(ろうかい)、「稜」線、 改「悛」(かいしゅん)、辺「鄙」、暗「澹」(あんたん)、困「憊」(こんぱい)、 刺「戟」(しげき)、「註」釈(ちゅうしゃく)、「訥」弁(とつべん)、「冪」乗(べきじょう)、 揺「籃」(ようらん)、「幺」九「牌」(やおちゅうはい、牌は常用漢字案入り) 動詞・形容詞は、「廻し」、「或る」、「捲る」(まくる)、「於いて」、 「淀む」、「窺う」(うかがう)、「纏う」(まとう)、「諫める」(いさめる)、「訊く」(きく) 「而も(しかも)」、「蕩ける」(とろける)、見「做す」(みなす)、「悍ましい」(おぞましい)、 「侘しい」(わびしい)、「唸る・呻る」(うなる)、「囀り(さえずり)」、「按ずる」、 「掬う」(すくう(、「抉る」(えぐる)、「撚り(より)」、「毟る(むしる)」、 「撓み(たわみ)」、「搗く(つく)」、「漲る(みなぎる)」、「滲む(にじむ)」、 「蝕む(むしばむ)」、「褪せる」、「尤も(もっとも)」、「犇めく」(ひしめく)、 「乍ら」(ながら)、「縋る(すがる)」、 1文字でも意味が分かる文字は「俤(おもかげ)」、「此(これ)」、「稀(まれ)」、 「釦(ボタン)」、「漱・嗽(うがい)」、「屡(しばしば)」、「棘(とげ)」、 「栞」、「籾(もみ)」、「稍(やや)」、「袂(たもと)」、「諱(いみな)」、 「焰(ほむら)」、「亦(また)」 生き物から「鸚鵡(おうむ)」、「柴」犬、「啄」木鳥(きつつき)、「蝿」(はえ)、「隼」、 「鱒」(ます)、「鮒」、「鴎(かもめ)」、「仔」牛、「嘴」(くちばし)、「椋」鳥(むくどり)、 猛「禽」類、「獺(かわうそ)」、「獏」、「羆(ひぐま)」、 「蜥蜴(とかげ)」、「蛹(さなぎ)」、「蝙蝠(こうもり)」、「蝮(まむし)」、 「蟷螂(かまきり)」、「蠍(さそり)」、「蛆(うじ)」、「蚯蚓(みみず)」、 「蛭(ひる)」、「鴛鴦(おしどり)」、「鰊(にしん)」、「鯰(なまず)」、「鰈(かれい)」、 「鰆(さわら)」、「鱚(きす)」、「鱧(はも)」、「鯊(はぜ)」、「鰭(ひれ)」、 泥「鰌」(どじょう)、「鼬(いたち)」、儒「艮」(ジュゴン)、「鴇(とき)」 浅「蜊」、「驢」馬(ろば)、「鯱(しゃち)」、木「菟」(みみずく)、 「鶉」(うずら)、「梟」(ふくろう)、「螟」虫(めいちゅう)、 植物は、「菫」、「榎」、「芥」子、「樫」、水「芭蕉」、「枇杷」、「柊」、 「桔」梗、「栴檀」、「楠」、白「樺」、「杏」、「李」、「萩」、「蓬」、 「葵」、「茜」、「蕨」、「柘榴」、「梶」、野「蒜」(のびる)、自然「薯」、 砂糖「黍」、「稗」、「欅」、「梔」子(くちなし)、「栂(つが)」、 「楢(なら)」、「椚(くぬぎ)、「檸檬(レモン)」、「萼(がく)」、 「��莉」花(まつりか)、「芙蓉」、「薊(あざみ)」、「蓼(たで)」、 雄「蕊」(おしべ)、「芹(せり)」、「蕗(ふき)」、「椰」子(やし)、「籐」、 牛「蒡」(ごぼう)、「莢(さや)」、「豌」豆(えんどう)、「菠薐」草(ほうれんそう)、 「躑躅」(つつじ)、「藺」草(いぐさ)、「芍」薬、「樅(もみ)」 食べ物から善「哉」(ぜんざい)、「柏」餅、「蒲鉾」、金「鍔」(きんつば)、 「粳」米(うるちまい)、「糯」米(もちごめ)、「粽」(ちまき)、「蒟蒻」、 味「醂」(みりん)、「饂飩」(うどん)、「珈琲」、 土地・建物・工業・乗物・工作物から「曳」航、漆「喰」、田「圃」、土「嚢」(どのう)、「厩」舎(きゅうしゃ)、 「竪」穴、寒冷「紗」、「柾」目(まさめ)、「櫓」(やぐら)、「灘」、「畦」道、「鍾」乳洞、 「帷(とばり)」、「艘」、「叢(くさむら)」、「浚渫(しゅんせつ)」、「濠(ほり)」、 「澪」標(みおつくし)、「釉」薬(うわぐすり)、急「峻」、「樵(きこり)」、耕「耘」機、 「鏝」(こて)、「斫り(はつり)」 体・生育・病気・人の呼び方から「吾」輩、「嬰」児(えいじ)、「嗚」咽(おえつ)、 「屍」、「汝(なんじ)」、「儂(わし)」、「姥」、「嫗(おうな)」、「嬶(かかあ)天下」、 「屎」尿、「扁」桃腺、「涎(よだれ)」、血「漿」(けっしょう)、 黄「疸」、壊「疽」(えそ)、動脈「瘤」、水「疱瘡」(ぼうそう)、 「睫」毛(まつげ)、「睾」丸、「臍(へそ)」、「踵(かかと)」、 「踝(くるぶし)」、「膣」、「腋(わきのした)」、「脾」臓、 外反母「趾」、「胡坐」(あぐら)、白「癬」、「妾(めかけ)」、 創「痍」、「蕁」麻「疹」(じんましん)、吐「瀉」(としゃ)、「皺(しわ)」、 「黴」菌(ばいきん)、骨粗「鬆」症 道具・服飾・から茶「托」、「錨・碇」(いかり)、「綾」織、骨「董」品、 「鉤」(かぎ)、「鍬」(くわ)、「鞠」(まり)、 靴「箆」、縮「緬」(ちりめん)、「鋤」(すき)、金「鎚」、「銚」子、銅「鐸」(どうたく)、 「喇叭」(らっぱ)、「お櫃(ひつ)」、「棹」、「炬燵(こたつ)」、「甕(かめ)」、 衣「裳」、金「襴緞」子(きんらんどんす)、「薙」刀、銅「鑼」、「鼈」甲(べっこう)、 「棍」棒、「幔」幕(まんまく)、 金属・物質から「錫」、瓦「斯」(ガス)、「燐」、「鍍」金(めっき)、真「鍮」、 「砒素(ひそ)」、「弗素」、「硼素(ほうそ)」、 伝統・寺院・神事から「韋」駄天、八「幡」、「撞」木、釈「迦」、「祠(ほこら)」、 「祢」宜(ねぎ)、「伽」羅、 歴史から「倭」、水「俣」病、華「僑」、「穢」多(えた)、「孟」子、太「閤」、 「宦」官(かんがん)、宗「廟」(そうびょう)、「敦煌」(とんこう)、天「竺」、 「殷・秦・魏・蜀・晋・宋・隋・遼(中国の旧名) 気象・四季・自然現象から「曙」、「渚」、「朔」日(ついたち)、「翡翠」、花「崗」岩、 「漣(さざなみ)、明「礬」(みょうばん)、「熔」岩、「昴」、干「魃」(かんばつ)、 水「褥」池(すいじょくち)、「塹壕」、 数に関する文字から「肆・伍・玖・阡・萬」、 色に関する文字から「臙」脂(えんじ)、「緋」色(ひいろ)、黄「檗」(きはだ)、 「縹」(はなだ) 四字熟語から一「攫」千金、切「磋琢」磨、有「耶」無「耶」、「紆」余曲折、画竜点「睛」、「魑」魅「魍魎」、 虎視「眈々」、「侃々諤々」(かんかんがくがく)、和気「藹々(あいあい)」 十干から「戊・庚・壬・癸」、旧国名から「磐」城・飛「騨」・伯「耆」・「筑」前・「琉」球を準常用漢字としました。
また、除外した文字に「虞・朕」以外に、一般的に漢字では書かない「且」、 玉璽そのものが一般的ではない「璽」も準常用漢字でいいと思っています。 「附」は2010年に実際に常用漢字から外された「脹」と同じ理由です。
最後に言うが、やはり川越が漢字知りすぎているだけでは… 追加は300文字がちょうどよくて、準常用漢字はどう考えても常用漢字候補からは程遠いかもしれません。 ま、準常用漢字は大体は名詞か交ぜ書きの解消目的なんですけどね…
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
ari0921 · 4 years
Text
高山 正之氏の論考をシェアさせていただきます。
━━━━━━━━━━━━━
【変見自在】学者の不勉強
━━━━━━━━━━━━━
台湾総督府土木課員の八田與市は大正5年、南部の嘉南を視察した。
東京23区の倍はある田園は水利に恵まれずしばしば旱魃に見舞われていた。
八田は東側の山地にダムをつくり灌漑を施せば壮大な穀倉地帯になり得ると総督府に具申した。
総工費5400万円。黒部ダムなら三つはできる巨額だが、大日本帝国は32歳の土木技師の意見を入れてOKを出した。それが台湾の明日に有用なら、と。
八田は10年をかけて烏山頭(うさんとう)ダムと用水路網を完成させた。今、嘉南大?(たいしゅう)と呼ばれる沃野がそれだ。
八田は台湾の対岸、福建省の水利についてもアドバイスをしている。
そこを仕切る陳儀は日本と敵対する蒋介石配下の軍人だが、元日本留学組という誼(よしみ)があった。台湾もよく訪れ、八田の偉業を知って福建に招聘した。
日本は多少のいさかいがあっても支那の民生には指導を惜しまなかった。
八田は陥落したばかりのフィリピンでの灌漑事業も国から託された。
当時、米傀儡政権のケソンは国外に逃げ、ホセ・ラウレルや40年前の対米独立戦争を戦ったアギナルド将軍らが新政府を作り上げつつあった。
日本軍は新政府を手助けした。その一つとして、灌漑整備を八田に頼んできた。
しかし彼が乗船した大洋丸は昭和17年5月8日、五島列島沖で米潜水艦に雷撃され、沈没。八田と一緒にフィリピンの民生に尽くそうとした多くの技術者が帰らぬ人となった。
日本は戦争中の支那でも民生に力を注いだ。
外務省は昭和11年、北京に華北産業科学研究所を設立し、支那の農林畜産の改良に人材を投入した。
世界的な品種となった多収穫小麦「農林10号」やコシヒカリの原種「農林1号」を開発した稲塚権次郎もこの時に派遣された。
同じ年、支那では西安事件が起きる。米国に助けられた蒋介石はその意に従って日本に上海事変を仕掛け、泥沼戦争に引き込んでいったが、稲塚はその間も黙々と支那の穀物改良に取り組み、成果を上げた。
戦後は支那に拘束されて2年間苦役させられた。恩を仇で返す。蒋介石は文在寅みたいな一面があった。
アジアの民生に尽くしたのは民間人だけではない。大日本帝国陸軍もまた現地民の生活を顧慮した。
南京陥落後、重慶に逃げた蒋介石軍は日本軍の追及を恐れ、花園口で黄河の堤防を決壊させた。
日本軍は現地に入ると進軍を止め、堤防の補修をし、糧食を市民に与えた。
タイからビルマに向かった第55師団は北部タイに道を開き、途中の河川に橋を架けて進軍した。
川幅が200メートルを超えるパーイ川にも本格的な永久橋を架け、先代のプミポン国王は日タイ友好の証として保存させている。
欧米軍ならポンツーン(浮き橋)を使うか地元民を駄馬代わりにするか。「戦地で永久橋」は日本軍が史上初めてだ。
泰緬鉄道も同じだ。やがて来る戦後にビルマとタイを結ぶ鉄道がどれほど両国民の発展に寄与するか。
日本軍は二つの鉄道連隊を軸に1万2000人の部隊を投入。お手伝いに連合軍捕虜を使ってあの戦争のさなかに全長415キロの鉄道を開通させた。
白人は「死の鉄道」とか様々な悪評を捏造し、タイには廃線を命じたが、国王は無視し、今もタイ領内で泰緬鉄道を走らせている。
国王はまた在位60周年の答礼に泰緬鉄道を走ったC-56のレプリカを日本に贈った。
日本軍が何をしたか。これ以上ない証だ。
習近平はコロナを流行らせ、世界経済を失速させて御免でもない。
おまけに黄色いシャイロックのように小国の領土を高利のカタとして奪い、ウイグルの民を圧殺する。
その畜生道を朝日新聞「論座」メンバーの中島岳志東工大教授は「『大日本帝国化』する中国」(「月刊日本」)と言う。
まだ習近平の方が日帝よりましだと。
もうちょっとお勉強した方がいいんじゃないかな。
12 notes · View notes
xf-2 · 4 years
Link
作家の司馬遼太郎は、1993年と94年の台湾取材で親しくなった元総統、李登輝を「旧制高校生」と評した。2人とも大正12(1923)年の生まれだ。
 互いに70歳に手が届いていたが、「僕はね」と語りかけた口調に、司馬は懐かしき旧制高校生に再会したと感じたのだろう。李登輝は旧制台北高から、京都帝大(現京大)に進んだ。
 本紙連載「李登輝秘録」の取材で台北郊外の自宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と言った。
 李登輝は高校時代に新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の「武士道」を読み込んだ。自著「『武士道』解題」(小学館)で「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書いた。
 台湾民主化の父と呼ばれた李登輝が「日本精神」にこだわったのはなぜか。
 2002年11月、慶応大で学生向けに話すはずだったが、訪日ビザ(査証)を日本政府に拒まれ“幻の講演原稿”となった「日本人の精神」にこう綴(つづ)った。
 「いま、私たちの住む人類社会は未曽有の危機に直面している。危機竿頭(かんとう)に面したとき、日本人に対する国際社会の期待と希望はますます大きくなる。数千年にわたり積み重ねてきた日本人が、最も誇りと思うべき普遍的価値である日本精神が、必要不可欠な精神的な指針なのではないか」
 その実例として李登輝は戦前の台湾で、東洋一とされた「烏山頭(うさんとう)ダム」を作った日本人技師、八田與一(はった・よいち)を挙げた。工事は苦難の連続だったが、灌漑(かんがい)用水路も整備し、干魃(かんばつ)��洪水に苦しんだ不毛の地を広大な農地に変えた。台湾農民のために八田は生涯をささげた。
 李登輝は、「人間いかに生きるべきか」「公に奉ずる精神」を実践躬行(じっせんきゅうこう)したとたたえた。八田は台湾でいまも尊敬を集めている。
李登輝は講演原稿をこう締めくくった。「皆さんの偉大な先輩、八田與一のような方々をもう一度、思い出し、勉強し、われわれの生活に取り入れよう」。私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻すよう、李登輝は事あるごとに日本人に説いたのだ。
 台湾における教育改革にも心を砕いた。「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、96年に新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では、大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、日本統治時代は一律に否定していた。
 だが李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など、日本の功績も認める客観的な記述を取り入れて再評価させた。その結果、若い世代が公平な目で日本を見て判断し、親しみを感じる傾向が強まったという。反日教育を90年代から加速させた中国や韓国と台湾の差がここにある。
 「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を、今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」。そう話した李登輝の生き方こそ、今を生きる日本人が手本とすべきものだった。(元台北支局長 河崎真澄、敬称略)
6 notes · View notes
tosshi-san · 4 years
Photo
Tumblr media
元々は小伝馬町にあった 大衆酒場 小伝馬 さん、今は馬喰横山に移転され、ランチ営業をしていました。 日本酒は、道灌 しか置いていません。 #ningyocho #nihonbashi #bakuroyokoyama #kodenma #人形町 #人形町ランチ #馬喰横山 #馬喰横山ランチ #馬喰町 #横山町 #小伝馬町 #大衆酒場 #小伝馬 #ランチ営業  (小伝馬) https://www.instagram.com/p/B_RqEfMgBJB/?igshid=9r090tu2c7bf
0 notes
me4kids · 7 years
Text
【日本 山形縣】純樸好客的山形。最上川遊船,新庄龜綾織,山居倉庫,本間美術館,羽黑山五重塔
Tumblr media
山形,一個位在日本東北靠日本海的縣份,
大部分去那邊不是為了秋天的楓紅,就是看藏王樹冰或滑雪。
十月中旬去,不好意思,二個都沒有。
就連曾經在日本工作過的捲爸哥哥,聽到要去山形就說:鄉下地方這時候有什麼好去?
是啊,山形縣面積有9323平方公里(約1/3台灣大),人口卻只有一百一十萬出頭(山形市就占了1/4)。
可想見我們這一圈所經之處還真是鄉下地方,米,櫻桃,以及西洋梨為著名農產品。
不過,繞了一圈回來之後,收獲也算不少,尤其是對那邊的 "人情" 的體驗感受最深。
雖然是鄉下地方,但也感受最直接道地的日本。
出仙台後一路往北,過大崎之後接47號公路往西,橫越本州島。
這段路基本上跟松尾芭蕉在1702年出版的 "奧之細道"中,記敘他與弟子途經東北的路線是相近的。
所以如果您放大 google map,會看到 "奧之細道" 的中文字樣。
Tumblr media
中途會經過 "鳴子峽",賞楓的著名地點,極美的峽谷,我們卻只能從小巴上眺望無緣下車。
因為我們要在二個小時內趕到最上町,準時搭上二點半出發的遊船。
這艘停在終點的芭蕉丸,不知是否就是當年松尾芭蕉搭的同型船隻。
Tumblr media
最上川,全長229公里,日本三大急流之一。
此處二岸都是天然的杉木,不算高大,但卻很茂密。山也不算很高,水面寬闊。
這條河還有個特點,那就是整條河流域都在山形縣境內,沒有跨到別的縣市。所以又稱為山形的母親之河。
Tumblr media
'
我們每個團員除了船票之外,還拿到這張有個小國旗的感謝字樣。
應該是之前就預約的緣故,每個人的姓名都工整地打在上面。
最上町這個地方在311的時候應該影響不大,畢竟內陸地區離海嘯很遠,但仍然感恩我們的幫忙。
Tumblr media
使用的船隻很平穩,但需要脫鞋盤腿而坐,對胖子捲爸有點辛苦。
加上舟車勞頓,此時已經有點感到無力,頭昏腦脹。
搭的是扁平船,大多平穩,但有時駛到淺處,底部不時還是會與河底石塊相撞,製造些緊張氣氛。
雖說是三大急流,但似乎不是滿水季節,只覺得有時會 "快" 一點而已。
Tumblr media
折返點有賣點熱食,不用下船,直接拉開窗戶就可以點餐。(船夫很直接地告訴我們,這是他家經營的)
有人點烤香魚,有人喝咖啡。
但最厲害的還是熟門熟路的在地日本人,上船前已經準備好橘子放在桌上慢慢享用。
Tumblr media
我們的中文導遊曾姐,點了一個蒟蒻,她說是這邊的名產,一串好像才80日圓。
全程約一小時,比像像中要快很多。因為船夫一直在說話,回程的時候還會唱點傳統歌謠。
途中他介紹了某個岸邊就是當年阿信的拍攝點,我只看到一片雜草與蘆葦,畢竟年代已久。
最上川芭蕉游船 本社&古口港(戸沢藩船番所)
地址:山形県最上郡戸沢村大字古口86-1
預約網址:http://www.blf.co.jp/
Tumblr media
再開個半小時,天黑前來到一間小屋。這裡是新庄龜綾織傳承協會
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
二樓,可���體驗傳統龜綾紋編織法。
我是有聽沒有懂,這邊拉一下,那邊提起來....就這麼一層一層疊成了一張小杯墊。
傳統的龜綾織是用絲綢,加上編織費時費工,所以很貴。體驗的時候用的是毛線,所以體驗費用不貴,500日圓就能做個小杯墊喔。
新庄亀綾織伝承協会
營業時間:早上10:00~17:00
地址:新庄市十日町1509-2
Tumblr media
再過三十分鐘,來到山形新幹線的終點 "新庄車站"。
這外表非常現代亮麗啊,不愧是山形中部的主要大站。
不過,出了站之後就是小鎮一個,與這裡明暗的對比差異甚大。
Tumblr media
站體的左手邊,就是我們拜訪的地標:新庄最上國際漫畫博物館
這裡的 "最上"應該指的不是 "最棒" "最好" 的意思,而是這裡的地名 "最上"。
站體挑高的大廳,高掛著一幅大型風箏,剛看到還會嚇一跳呢。
Tumblr media
"博物館" 本身其實是在尾端,並不算大,也只有一層。
但是懂日本的漫畫迷應該會在這找到喜歡的東西。
捲爸只隱約記得年輕時喵過的幾本灌籃高手,以及現在跟小朋友一起看的柯南,其餘什麼都不懂。
Tumblr media
新庄,據說是日本漫畫家密度最高的地方。
因為冬天下雪太多沒地方去,只好在家裡畫漫畫。(導遊說的....)
館中所展出的也以新庄出身的幾位漫畫家作品為主,像是富檻義博,岡田理知,阿部 yutaka
Tumblr media
這位捲爸就熟悉了,他是妃小亮的最愛,怪盜基德。
Tumblr media
裡面的漫畫是讓你看到飽的,場地也十分舒適,有點像圖書館。
對這幾位漫畫家有興趣的朋友,可以看到他們的真跡作品一定會很高興。
新庄・最上漫畫博物館
營業時間:早上09:00~18:00
地址:新庄市多門町1-2 (新庄火車站裡)
Tumblr media
晚餐,要吃吃新庄在地著名的 "雞燴麵"。
其實離車站也不遠,但在巷子裡加上街道有點昏暗,自己可能不好找。
Tumblr media
老闆很有耐心地等我們點完十多人的餐點,知道是台灣團 (嘰嘰喳喳一堆),還特別加麵加蛋不用錢。
所以每個人都有一碗無敵飽滿,口味不同的雞燴麵。
上面這碗是捲爸的,根本就吃不完啊。湯頭還是有點鹹...麵條粉粉的口感很不一樣喔。
新旬屋麺新庄若葉町店
Shinshun'yamen Wakaba Shinjo-cho shop
營業時間:10:30–14:30, 16:30–21:00 週二公休
地址:9-33 Wakabamachi, Shinjo, Yamagata Prefecture 996-0025日本
Tumblr media
其實昨晚那碗麵根本沒吃完,因為捲爸得了重感冒。
迷迷糊糊喝了二罐藥水,第二天早上才發現自己在一間旅館醒來。(還好旁邊沒躺著陌生人....)
這就是新庄市區,位於九樓的房間幾乎已經是最高的樓層。
Tumblr media
次日驅車來到羽黑山遊客中心,體驗一下最傳統的山岳信仰,本次日本東北行重頭戲。
身著白服的在地嚮導,吹著海螺出發了。
Tumblr media
這裡就是著名的羽黑山入口。(其實就在馬路旁邊啦,感覺起來好像在深山裡)
Tumblr media
嚮導解釋了什麼是 "出羽三山"。
這是山形縣內三座山的總稱:分別是羽黑山(414M),月山(1984M)以及湯殿山(1504M)
這三座連在一起的山形,分別代表 "現在","過去" 以及 "未來"。
所以你若能走上一遭,就能體悟人生的道理。
為什麼要穿著白衣?其實這是死人穿的衣服。
穿著它,代表你有對此生抱著必死覺悟的信念,才能走這段修練之旅。
Tumblr media
說著說著,就有一群著白衣的修練者也要出發了。
當天可是下著毛毛雨的陰冷天,修練者當然無法使用雨具,只有一根木杖。
Tumblr media
一開始並不是往上爬,而是往下走。底部是幾間小神社,代表死後審判你的地獄。
難怪這幾間有點陰森.....
Tumblr media
然後跨過這座紅色的神橋,就進入了神界。
Tumblr media
橋上就可望見瀑布下的小神社,參拜一下就可以正式出發
Tumblr media
瀑布的水是來自于溶化的雪水,在天氣比較適合的日子裡,著白衣的修練者會泡在這裡,算是進入神界的淨身儀式。
Tumblr media Tumblr media
   走個一二百公尺緩坡,這裡有顆巨大的千年樹爺爺特別顯眼,因為周圍其它的樹齡都明顯小很多。
從前有棵樹奶奶在旁邊陪它,現在更顯寂寞。
這個角度是最棒的,因為也可以照到後面的五重塔。
Tumblr media
 即將到達日本國寶,羽黑山五重塔。
全部都是用原木製成,沒有用到一根釘子。而且據今已經有600年歷史。
中間用了一根原木貫穿,算是最原始但也最有效的防震技術,
讓這近30公尺高的巨塔在地震頻繁的日本安然無恙這麼多年
Tumblr media
 更特別的是,每層塔的寬度都差不多,並非上小下寬那種,所以建築工藝又更困難了一些。
之所以如此,是怕冬天的積雪會壓垮,所以將最上方的屋頂做大一些,分散雪落到其它塔層增加重量。
每年春天都要派人上去除積雪,據說落地的聲音還能在山谷中產生回音呢。
我想,這裡冬天應該是不會有人來的。
所以積雪一層又一層往上蓋,那又會是極少數人才能看到的奇觀。
因為下雨,所以我們的行程只到五重塔。不然,就得去爬將近 2500 階的石梯到羽黑山頂。
你說這是好是壞?省了點力氣,但下次來的機會又是何時?
我想是山神覺得我們悟性不高,根本還沒有決心領會生與死的交關,還是留我們在俗世吧。
羽黑山 出羽三山神社
地址:山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
Tumblr media
原本導遊的安排是,讓大家爬完山好好補充���力,所以午餐安排得特別一些。
沒想到這群懶鬼,根本沒流什麼汗,就可以吃到好料。
Tumblr media
這裡是平田牧場,在地有名的炸豬排店。主打的是 "金華豬"。
我本來以為這只是當地的小吃,回國後一查,哇,這家還曾經是料理東西軍的 "特選素材" 之一呢。
平田牧場就在山形縣庄內,那我們來的這間有可能就是本店了喔?? 
東京等大都市也看得到平田牧場的分店,沒想到我們直接殺到總部來了。
Tumblr media
 這豬肉的厚實程度實在很棒,咬勁十足又沒什麼豬味,外皮也非常酥脆好吃。
只不過當下不知道它的名氣,囫圇吞棗地嗑完了。
其實當天我們有點遲到,外面排了約15位老先生老太太在等位子。
看到我們一群 "年輕人" 就這麼走了進去,實在有點不好意思。
所以大家都吃得非常快....趕緊讓位子出來
 平田牧場とんや Hirata Bokujo Tonya
營業時間:11:00–15:00, 17:00–21:00
地址:山形県酒田市みずほ2-17-8 ガーデンパレスみずほ1F
Tumblr media
  酒田市,從地名就知道這裡盛產各式米酒。
做米酒要有好米,山形縣也是東北地區的米倉之一,提供關東關西地區充足的糧食。
在這接近最上川的出海口,就有一個百年的山居倉庫,用來儲存來自上中游的稻米。
Tumblr media
這裡之所以有名,除了它的稻米儲藏功能之外,是因為旁邊高大的櫸木林道實在太漂亮。
這裡也是當初阿信取景的所在。
之所以種櫸木,是希望它高大的樹影能提供穩定的溫度與濕度,
沒想到種柳成蔭,遊客著迷的是它們夢幻般的橘紅色調。
呵呵呵,我們去的時間不對,沒有浪漫的紅葉,還飄著毛毛細雨,所以沒什麼美感。
Tumblr media Tumblr media
山居倉庫以前像個小島,利用四方的水路將米運過來。所以會看到這種小型碼頭,還有當時用的船隻。
山居倉庫
地址:酒田市山居町1-1-20
Tumblr media
接著來到十分鐘車程外的本間美術館。
出發前看到行程表,就覺得這一定不是什麼有趣的地方。
本來就沒什麼美術天份,還要到小地方來一個沒聽過的美術館?
沒想到,這裡面充滿了驚奇。
Tumblr media
沒想到館長田中章夫親自出來迎接!!! 
當時他穿著西裝,頂著超有藝術氣息的髮型,完全是職人世界的代表
原本還有距離感,沒想到田中館長愈來愈親民,也愈來愈搞笑,一定要找出照片和大家分享。
Tumblr media
本間美術館是日本戰後第一間私立的美術館,展示山形縣大地主本間家的收藏品。
本間家當時靠著運送農產品到關西的生意而發達了起來,但並沒有因為有錢而財大氣粗。
相反地,他替酒田地區的居民開發了生計,並且辦教育等等,是個有錢卻熱心鄉里的大好人。
Tumblr media
 這裡收藏了許多浮世繪作品
Tumblr media
當時可是沒有電視與網路的啊,所以你要知道遠方的情況,只能經由他人口述。
所以浮世繪裡有一派專門將遊記的所見所聞畫出來,用視覺來傳達異地的人文與風情。
上面這張,就是歌川廣重對山形縣最上川的描繪。各位可以往上翻一下照片,是不是很像呢?
Tumblr media Tumblr media
這張是明治三年,新政府命令東本願寺的現如上人到北海道見聞的畫作。一共十五幅。
一系列從自然,人文,農作到日常生活都有,也因為圖像,開啟了日本對開發北海道的興趣。
明治二年,原來被稱為蝦夷地才正式被改名為北海道。
Tumblr media
本間美術館除了展覽品,另一個亮點就是當初本間家的別墅也開放給大家參觀。叫做 "清遠閣"
Tumblr media
田中館長特別去拿了鑰匙,為我們打開了只有天皇或藩主才能通過的大門。
Tumblr media
清遠閣二樓的視野。我所站的後方還有個小小的禮品販賣部。旁邊還有幾組明代的古董家具。
參訪當天只以為這些桌椅是古董而不敢碰,沒想到回來一查,那裡居然是個小喫茶室。
一份咖啡或抹茶配上和菓子只要500日圓,就可以享有當初蕃主才有的特權。若您有機會到訪請別錯過。
Tumblr media
清遠閣三不五時也會有很棒的藝術品在此。這個就是維新大將西鄉隆盛的書法。
雖然他沒有留下照片,但憑幾張畫像可以得知西鄉非常魁梧雄壯,如此狂放的字體也算見字如見人。
Tumblr media Tumblr media
三樓的景色。日系庭園的美,從這個角度看得最清楚。
東西南北方向所種的植物與擺放的石頭,都有其意義。
尤其是這個方向,正對著酒田地區的鳥羽山,可惜今天看不到。遠近借景的造園工藝真的非常細心。
三樓本來是沒有的,大正十四年為了迎接東宮殿下(後來的昭和天皇)的到來而加蓋的。
這裡有面 "牆",特別沾上了金箔,不同的光影會有浮雲的影子跑出來。
館長不斷強調本間家並不是個浮誇的人,但他在選材與做工方面,的確有高於一般水平的要求。
Tumblr media
這個花園也有個名字 "鶴舞園"。相傳是建造當時有隻鶴飛了過來。
從鶴舞園中央回望清遠閣,真的很漂亮。
 本間美術館
營業時間:早上09:00~16:30
地址:日本〒998-0024 Yamagata Prefecture, Sakata, Onaricho, 7-7
Tumblr media
因為早上沒有爬羽黑山,所以我們的行程提早了一個鐘頭到下榻酒店。
沒想到,幾乎所有的工作人員都在門口迎接,還揮著中日二國國旗。當下很感動.....
早早進入超級迷你的房間,還好窗簾一拉開,清新的酒田街景讓空間沒那麼擁擠。
這間酒店應該也是酒田市的最高建築.....
Tumblr media
雖然規格上比較傳統,但地方上若有宴會或結婚,有可能還是會選這裡。
我們受邀參加六點的 "宴會",其實主客就是我們一群十多人,酒店幾乎全員出動招待。
當然,舞台上那幅國旗是很醒目的。
Tumblr media
酒店特別將酒田的地方特色小吃搬了上來,像是個小夜市。
有棉花糖,章魚燒,可樂餅,酒田燒,還有一攤是東北地震後災民所想出來的煮食方法。
Tumblr media
這位師傅當場料裡了二條魚,示範生魚片的做法
youtube
Tumblr media
  這位是飯店主廚,親自下來為我們做 "酒田咚咚燒"。
只不過手下似乎給錯了麵糊,讓他慌了手腳,看他緊張的臉,似乎在說 "我可不能在貴客面前漏氣"
Tumblr media
當然,除了夜市小吃,還有主食,再加碼流水麵線,新鮮水果(柿子與麝香葡萄無敵美味)等等。這一餐吃的東西實在非常多。
對我們這群常常吃大餐的部落客,老實說,餐點並不算頂級美味,像那塊牛排的醬汁就有夠鹹.....
但讓我感動的是,這間酒店的認真態度。
年輕的社長主動出來打招呼,並且詢問哪裡可以改進。年輕的服務生,盡了一切辦法對我們說英文。
我在這邊看到了大都市裡的日本人所沒有的客氣,以及來自內心的真誠。
大家都知道的,日本人常過於禮貌而善於隱藏。但我並不覺得酒田,或是整個在山形接觸過的朋友有這種毛病。
相反地,他們身上似乎有股比傳統還傳統的天真,跟都市人有很大的差異。
 酒田市豪華花園酒店
Hotel Rich&Garden Sakata
地址:1 Chome-1-1 Wakatakecho, Sakata, Yamagata Prefecture 998-0834日本
Tumblr media
最後一天,二個半鐘頭要從鶴岡一路沿著山形自動車道趕回仙台機場,約130公里的路途,等於從日本海奔回太平洋側。
此時看到山頭才開始有點紅葉.....
沒關係,反正我這次的收穫很多,下次有機會再來。
 💁 日本仙台、山形縣五天四夜行程:
Day1 ✅ 桃園 ▶仙台機場 ▶仙台車站 毛豆小街▶津田鮮魚店 ▶仙台市日航城市酒店(點我看房價)
Day2 ✅ 早餐 ▶ J-Connection Space 和服/書法/七夕手做飾品體驗 ▶六丁目農園中山店(午餐)▶仙台大觀音 ▶仙台泉Premium Outlet ▶ 仙台皇家公園酒店(點我看房價)▶【飯店瑜珈體驗+露營芋煮鍋體驗(晚餐)】
Day3 ✅ 早餐 ▶越野腳踏車/原木採香菇體驗  ▶牛仁仙台泉店(午餐:仙台牛燒肉)▶最上川芭蕉游船 ▶ 新庄龜綾織▶新庄最上國際漫畫博物館▶新旬屋麵(晚餐:雞燴拉麵)▶新格蘭飯店(點我看房價)
Day4 ✅ 早餐 ▶羽黑山 五重塔 ▶平田牧場 酒田店(午餐)▶山居倉庫 ▶本間美術館 ▶海港市場(酒田)▶ 酒田豪華花園酒店(點我看房價)
Day5 ✅ 早餐 ▶鶴岡加茂水族館 ▶鶴岡文化市場FOODEVER ▶仙台機場 ▶桃園機場
 💁感謝
仙台市 https://www.city.sendai.jp/
山形縣 http://yamagatakanko.com/
H.I.S三賢旅行社 https://goo.gl/WQlO4E
原文出處:【日本 山形縣】純樸好客的山形。最上川遊船,新庄龜綾織,山居倉庫,本間美術館,羽黑山五重塔
3 notes · View notes
kachoushi · 5 years
Text
5月の各地句会報
花鳥誌 令和元年8月号
Tumblr media
坊城坊城選
栗林圭魚選 岡田順子選 吉岡乱水選
平成31年5月4日 零の会 俊樹選
百合開ききらずを供へ慰霊堂 和子 戦とは全てを熔かし切つて初夏 梓渕 更衣まはしは長く干されをり 佑天 若葉風奈落のごとき土俵へと 美佐子 北斎の生魂さがす聖五月 公世 廻し干す力士敲きに水打ちて 順子 熔塊へ現の野辺の花咲きぬ 瑠璃 慰霊堂の尖頭の上の夏の雲 和子 椎の花匂ふ劫火の記憶へと ゆう子 戦災の鉄のかたまり風光る 美佐子 青白くまろき慰霊の灯涼し 小鳥 慰霊堂より夏服は手をつなぐ 同 順子選
北斎の生地ジャングルジムの初夏 梓渕 熔塊の列柱に咲く姫女菀 俊樹 北斎の達磨は春の白昼夢 同 めまとひや江戸の残像搔きまはす ゆう子 五六人力士がゐたり夏の路地 伊豫 そのむかし画狂人ゐて麦の秋 同 砂糖菓子の冷たさを持ち白躑躅 野衣 熔塊へ現の野辺の花咲きぬ 瑠璃 逆しまに拡ぐる古地図春惜しむ 眞理子 砂利に足しづませ見上ぐ聖五月 小鳥
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月7日
武生花鳥俳句会 俊樹選
老鶯を沈めて山雨走り去る 越堂 空を割り日輪砕き代田掻く みす枝 ものの芽のざわめく程に育ちけり 世詩明 鯉のぼり靡かせ観覧車は満員 昭子 園児みな溺れてゐたり花菜畑 時江 新婚の窓流れ入る若葉風 みす枝 新キャベツ乳の匂ひの甘さ持つ 世詩明 松蟬や百の古墳の眠る丘 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月9日 うづら三日の月句会 俊樹選
クレマチスピカソに青の時代あり 都 藤の雨人待つ女歩き出す 同 端然と坐る仏や夏立ちぬ 同 朧夜のかすかな記憶母の唄 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月11日 枡形句会 圭魚選
新樹の香纏ひ令和の始まりぬ 和代 アカシアの花に誘はれ一人旅 多美女 介護の手菖蒲湯の香を残しをり 和代 ジャムパンの皮つやめきて夏来る 美枝子 昆布締めの鯖の大皿卓真中 ゆう子 句碑裏に木洩れ日届き風五月 百合子 柿の花薄黄に光り日に透けて 三無 若楓葉の広がりに影あらた 瑞枝 甲斐駒の残雪仰ぐ立夏かな 教子 薔薇抱くをとこは靴をとがらせて ゆう子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月13日 なかみち句会 圭魚選
花水木散るも咲くのも隣から エイ子 更衣してより風の纏ひつく 秋尚 海亀の一途や波に迎へられ 和魚 更衣母の面影このなかに ます江 海亀に少年となる夫の顔 エイ子 お早うの声の眩しき更衣 秋尚 更衣樟脳疾くに果ててをり 有有 新開地共に育ちし花水木 怜
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月15日 福井花鳥句会 俊樹選
麦秋の野辺より夜の明けて来し 越堂 月光に濡れて匂へる夜の新樹 同 子等の声遠くにありて麦の秋 和子 黄昏を引き寄せてゐる麦の秋 嘉子 麦秋の上を何かが翔びゆけり 昭子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月17日 萩花鳥句会 思ひ出す亡母と蚕豆むきしこと 祐子 母育て妻の作りし豆の飯 吉之 五月葬世界へ躍つた京マチ子 健雄 筍を鎌でなで切り指月山 圭三 豆飯や令和の御世は余生なり 克弘 (順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月17日 芦原花鳥句会 俊樹選
藤房の棚はみ出して風を追ひ よみ子 寺処丘陵多し木下闇 寛子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月19日 風月句会 俊樹選
木洩れ日に鈍く光りて小判草 三無 弁天池浮きて沈みて竹落葉 眞理子 竹落葉ほろほろ水に誘はれ 圭魚 青空に高くけむりて花樗 秋尚 ソーダ水買うて見上ぐる喪服かな 和子 葉桜となりし古木の苔あをし 三無 日に晒す墓石みどりのにほひして 幸子 清流を底に海芋の白を措く 斉 整列の尼寺の礎石や大夏木 炳子 夏草や遊女のぞきし水濁る 和子
圭魚選
風の道は空にもありぬ夏柳 和子 武蔵野は雲も豊かな夏の空 同 輝うて雲の階段夏めきて 斉 本多姓その一軒が茄子苗売る 千種 青空に高くけむりて花樗 秋尚 ソーダ水買うて見上ぐる喪服かな 和子 すかんぽを噛んで昨日のこと忘れ 要 白白と夏日に晒す尼坊跡 千種 水湧きて海芋の白を濃くしたる 政江 風騒ぐ樗の花の空青き 秋尚
(順不同 特選句のみ掲載)……………………………………………………………… 平成31年5月22日 鯖江花鳥俳句会 俊樹選
葉ざくらの木洩れ日騒ぐ裸婦の像 越堂 黒牡丹彩を深めてゐる夕日 同 吾も縄文人の裔かな蓬摘む 同 田植機に跨がりタバコ燻らせり 信子 早苗田の浮雲白きまま流る 同 臥竜松塀に添はせて緑立つ みす枝 羅に大きな嘘を隠しけり 世詩明 (順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月22日 九州花鳥会 俊樹選
夏川に泳ぎ習ひし父遥か 眞理子 まだ誰も泳がぬ海に指浸す 美穂 水郷の蛍の中に嫁ぎゆく 孝子 遠泳を戻り来し子の肩うすく 要 背泳ぎの空は孤愁の青春期 かおり 泳ぎつつ眠る大魚や昼の月 ひとみ 鱚泳ぐ玄界灘の島躱し 慶月 白薔薇の崩れ白紙となる話 寿美香 姉見上ぐ弟にだけある幟 慶月 幟竿ぎぎとしなひて里静か 眞理子
圭魚選 宇治橋や息青むまで若楓 美穂 上り窯一子相伝初幟 郁子 遠泳を戻り来し子の肩うすし 要
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月23日 壱岐吟行第一回句会 俊樹選
朱夏の潮地蔵の足へ透きとほる かおり 玄室に入らぬやうに黒揚羽 要 いちまいの紺は曾良へと朱夏の潮 かおり 夏潮に唄ふはらほげ六地蔵 志津子 一支国の韓くれなゐの夏落葉 要 城跡の虎口に句碑と花薊 由紀子 弥生よりうす緑なる夏の蝶 慶月 人を呑む灘は涼しき色を立て かおり
乱水選 身透くまで浸る若葉と潮風と 由紀子 夏霞縫うて壱岐指す船迅し 圭魚 天空を鳶に許して壱岐は夏 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月24日 壱岐吟行第二回句会 俊樹選
猿岩の唄ふか夏の鶯か 乱水 猿岩はただ炎帝と語るのみ 千種 灯台は岬の仏卯波立つ 孝子 青空に砲台の黙草茂る 由紀子 うすごろもまとひ男神に仕へたる 千種 猿岩の孤高に夏草の迫る 要
乱水選 猿岩のそつぽ向きたる夏怒濤 俊樹 夏の鳶浮力揚力演技力 寿美香 月を読む素敵な話木下闇 とし子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月26日 鳥取花鳥会 順子選
田園の後継祝ぎて鯉幟 俊子 恋の石投げ上ぐ向う夏霞 美智子 そこ此処に宮の裏なる蟻地獄 幸子 石段に熱閉ぢ込める薄暑かな 佐代子 この寺は祖父の生家や夕薄暑 幹也 蜻蛉生る白兎神社の御霊とす 和子 日参の幟を宮へ日焼の子 栄子 蚊に食はれ吾の手足はてんてこ舞 悦子 あめんぼや不増不減の池の水輪 史子 玉垣を梳かせて涼し菊座石 益恵 蟻地獄杖でいたぶる齢かな すみ子 新緑の宮に一礼幼去る 立子 衣更へ中学生のペダル軽し 萌 若葉風からから燥く恋の絵馬 都
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年4月12日 芦原花鳥句会 俊樹選
寄ればすぐ逃げる鶯乳母車 よみ子 白木蓮あるかなしかの白を見る 孝子 蛇穴を出て大木に絡みたり 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
さくら花鳥会 順子選 背伸びして神輿を担ぐ豆絞り みえこ 母の日に贈る一句にルビを打つ 登美子 画用紙の角に石置き若葉描く 同 藤の花長き読経を共に聞き 紀子 少年の指のしなりや祭笛 登美子 柿若葉朝日の中で揺れながら 光子 お稽古はいつも楽しや新茶くむ 栄江
(順不同 特選句のみ掲載)……………………………………………………………… 伊藤柏翠俳句記念館句会 俊樹選 万緑が包みきりたる故山かな かづを 蚯蚓にも意志あるやなし身をよぢり 清女 一匹の乱れに千の蟻乱れ 英美子 笹粽解き遠き日の母のこと 同 神島の礁だたみの卯波かな 千代子 白山の水たつぷりと代田掻く みす枝 浜風に女一人の夏座敷 世詩明 (順不同 特選句のみ掲載)……………………………………………………………… 立待花鳥俳句会 俊樹選 黒牡丹好きで勝気で俳人で 越堂 椿落ち古刹の静寂轟かす 同 上品とは仏の位白牡丹 同 蛙田の恋の賛歌や夜もすがら 同 ふらここや母の掌いつも背にありし 世詩明 厚化粧稚児百人の花まつり ただし 稚児よりも僧の���ぶ灌仏会 同 糸��の仏の舞や花の寺 同 代掻きや何処の川も濁り水 誠(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
0 notes
image-weaver · 5 years
Text
103 Promise
空は青く澄み渡り、アストラは静かで穏やかだった。絹のように地に薄く張った水面はまぎれもなく天を映しながら、その鏡面にはさらにひとりの、現実にはすでに存在しない人影が、大いなる戦いを終えたフェレスの主らを見守りつつたたずんでいた。ストラーラだった。淡い青みがかった銀髪と左右の均整のとれた美しい姿を持ち、だが今ならば、その身裡にはまったくの未知の力、無秩序の根源である混沌の資質を宿している者なのだとバルナバーシュには分かった。虚無と対をなして七つの資質を少しずつ持ち、そのカオスの不合理をはたらかせて変則と放縦のパターンを織りあげながらも、我々とともにロジックを生みだし、同じ結果にも到達しうる者……。予知を拒み、冷笑的でたわやすく心を開くことのないあやうい背理のなかで、彼女はなにを願い、なぜ円環の終わりに抗いながらフェレスのかけらに力と希望を与えようとしたのか。
バルナバーシュは、おそらく彼女のようなものの力こそが虚無と同様に、私たちヒトにとって最大の宿敵となり、またなくてはならぬ存在にもなるのだろうと漠然と感じとった。
ディオレが混沌の少女の幻影に歩み寄って、数歩離れたところにひざまずき、唇にあてた指を口づけを介した儀式のように水面に触れさせる。すると規則的な波紋が音もなく広がって、うっすらと輝き、水面に映っていたストラーラは反転しながら彼らのいる次元へ実体をともなって顕現した。その場にいる全ての者の視線が向けられたが、彼女は意に介さず、人も無げに口を開いた。
「……私はあなたたちの誰よりも、世界は夜に満ち、いつかはかならず終わるものと思っていた。私はひどく退嬰的な世界に生まれた、血も薄い不具の子だった。まるで滅びゆく時代を模した申し子のように。ゆるやかな絶望が落とす影を感じながら、ただひとりであることや、自然の営みだけに心を安らかにして、ヒトの可能性というものは露ほども信じていなかったし、願いや欲望などは冷笑すべきものだった。ときに不全のからだに苦しみ、ときに御しがたい衝動に振りまわされながら、それでも自分がなぜ世界に生きようとするのかさえ判然とはしない……。そんな私のもとにも、フェレスが目覚め、けれど自分の願いなどなにも分からなかった。〈可能性〉ではなく、〈運命〉のまにまにただ任せてイススィールへと来た。何よりフェレスの力が、私の短かった命を永らえさせてくれたから」
思いに沈んだ目で、長い溜息のように少女は淡々と、己れの来歴を語った。憂鬱に満ち、病的な気風のただようこの振る舞いが、心を取りもどした本来の彼女のありようなのだろうか。差し出した両手のなかがにわかに青白い光であふれると、小さなゼンマイ式のオルゴールがそこに現れる。ストラーラのフェレス――可愛らしい草花の彫りが入った木箱からは、悪夢めいて迷えるものがなしい歌が奏でられ、同じ旋律が切れ目なく続くさまは、彼女にとっての永遠を象徴しているようでもあった。
「私はあるひとりの魔族の男と、島の波止場で出会い、なかば連れられるようにしてリギノの神殿を訪ね、そうして七つのパワースポットをも巡っていった。あなたたちのように、さまざまな人々、さまざまな思い、さまざまな記憶に触れて、一歩一歩、少しずつ、世界の中心へと進みながら……。どうしてかは分からないけど、そんな旅や冒険は楽しかったし、景色は美しく、パートナーは得がたい友だちで、こんな私に命をかけて良くしてくれて、私もやがて、彼を守るためなら危険を冒してもよい思いを強めていった。彼は私と違って楽観的だったけれど、魔族らしく混沌的なところは似ていて、お互いがお互い以外の者には飽いていたから、長く続いたのかもしれない。そしてミュウにもグッドマンにも味方せず、まるで親に楯つく子供みたいに、無邪気に私たちははざまの道を進んでいった。………」
どこか悔いるように、ストラーラはかたく目を閉じる。
「あんなことになるなんて思わなかったの。人間になったアンドロイド、ユキルタスの導きでアストラで戦ったはてに、ミュウとグッドマンはさしちがえ、クレスオールは無念のなかで消滅し、要石であるユテァリーテは砕かれた。ユキルタスは物語は終わると言っていたけれど……それでもヒトに希望がある限り、いつか新しいイススィールは生まれるはずだった。そう、イススィールとエターナルデザイアーの伝説は多くの次元と結びつきながら、女神の意思さえも超越した永遠の円環〝だった〟から。でも私たちは、より大きな、もっとも上位にある絶対的な運命をその時に感じたわ……。『もう二度と、伝説はよみがえらない』のだと。島を形成するイメージはただ薄れて消えるのではなく、みずから燃えあがり、過去から未来へ、時そのものがはてるまで……すべての次元、あらゆる世界と存在のなかへ駆け抜けるようにして、全てが灰と化していった。喪さえ拒む仮借なき滅びによって、この神秘の島を知るわずかな人々に、鮮烈な記憶の痕を、秘密として残しながら。本当の、本当の終わりだったの。火をまえにして、私は――ひどく悲しかった。流したことのない涙さえ流した。でも、何も言えなかった……あまりに突然のことで、信じられなかったから。自分のその嘆きの正体は、今でも分からない。世界はいつか終わるのだと、あんなにも強く思っていたのに……。パートナーも、私とまったく同じ気持ちだった。そして私と彼は、イススィールでの思い出をレリックとしてフェレスに刻みながら、燃えさかる世界のなかであることを願い、また約束を誓った」
バルナバーシュのとなりで、かすかにディオレが息を呑む気配があった。幸星の民を束ねるこの戦士すらも知りえぬ事実が言い連ねられているのだろうか。
「もう一度だけ、かりそめでもかまわない……私のフェレスを要石にしてイススィールのイメージをつなぎとめて、この地を残し、エターナルデザイアーをまだ必要とする者たちを受け入れつづけること。それが、この島で生まれてはじめて生きる希望を抱いた、私の願いだった」 「私たち幸星の民の父祖が約束したというのは、ストラーラ、あなたとだという。パートナーとする魔族の男が、私たちの父祖なのか」 「そうよ、ディオレ。彼はもともと、黒魔次元からのはぐれ者で、次元から次元を海のように間切ってわたる旅人でもあった。名はエイデオン。いつか心を失うはずの私――偽りながらも、繰り返されるストーリーや志半ばで果てたフェレスのかけらを受け入れつづける私に、終わりをもたらす約束を交わした。そうして永い時が流れ、彼と私の物語も忘れられて、あなたたちのなかで掟に変わって残るだけになったけれど」 「父祖はあらゆる次元で落伍者や居場所のないものたちを集めながら、最後にオルトフの次元を見いだし、そこを彼らのためのささやかな住処と定めた。そしてフェレスを持つものが人々のなかから現れはじめると、彼らを鍛え、オルトフの次元からデスァ闇沙漠へつながる隧道を開き、あの場所のイメージをとらえながら進む案内人になることを掟にしたという。だが、父祖も長寿だったが定命の者であり……最期に自身の古い約束を、後世の者たちの手で果たしてほしいと言い残して現世を去っていった。約束ははざまの道の先にあるのだと」
ディオレが継いだその話に、ストラーラはいくらか満足したらしい顔をみせ、「昔話はもうおしまい」と首を小さく振る。
「それにしても彼、私と冒険した思い出や、約束にこめた想いなんかは、きっと誰にも話さなかったのね。おかげでディオレや後世の人達は、私をただの倒すべき敵かなにかのように思っていたようだけれど」
ディオレは言葉を詰まらせたが、ストラーラはそこではじめて、ヒトとしての笑みを浮かべ、すこし嬉しそうに含み笑いをもらした。そうして視線を、今度はルドへ、さらにバルナバーシュとフェリクスにも向ける。その瞳はいま、あらゆる人々の面影が去り、本来の赤みがかった黒玉の色に艶めいていた。
「最後のパワースポットを開放するわ。私のフェレスの力を、あなたたちに託します」
ストラーラがオルゴールをかざすと、その場に青白い光の泉水が生じ、イススィールの最後の力が滔々とあふれだして輝いた。オルゴールは見る間に朽ち、木箱がほろほろと崩れると、中にあったシリンダーは茶色く錆びてしまっていた。
「きみのフェレスが……!」
ルドは嘆いたが、ストラーラはそれに首を振った。
「私にはもう必要のないものよ。目的はすべて果たされたから。かつて、ユキルタスのフェレス――かなめのビスも同じようになったけれど、そのわけがやっと分かった気がする。彼もきっと、かなめからの決別を最後には望んでいたのかもしれない」
パワースポットの前に、ルド、バルナバーシュ、ディオレ、フェリクスが集い、目と目をかわしあったが、たがいに何も言わなかった。彼らの後ろでは、獣人の娘ナナヤと猟犬のマックスが固唾を呑んで背を見つめている。
ルド以外の者がフェレスをかざすと、光は柱のように広がって立ちのぼり、彼らの意識と五感を包みこみながら新たな力を伝えてきた。それはいにしえより脈々たる、〈運命〉を帯びながら世界の定常を守ってきた数多くの英雄たりし者の極めた力と生涯の技、そして記憶――決戦の地アストラに到達しうる戦士だけに継承を許された、偉大なる頂きの光だった。そして四人もまた、継承を経てその伝説にいつか連なっていくのだろう。光の向こうに、かつてまことのイススィールで神秘の旅を経験した冒険者の何千という影が往還している。ある者は夢の化身を晴らし、ある者は魔王の破壊を乗り越え、ある者は女神の支配を砕いた……。鋭く冴えたリズムが鳴りわたり、続いてもうひとつ、またひとつと加わってゆき、イススィールの天と地に複雑で精妙なこだまを響かせた。意志に鍛えられた心身と霊的に研ぎ澄まされたセンス、内外を問わぬあらゆる攻撃をはねかえし、世界を切り分ける言説といかなる脅威にもひるまず目的を完遂しうるモラルの集中、そして調和への約束の歌が過去から未来へ、無限のかなたへと広がっていく。冒険者たち、いにしえの英雄たちの影をも越えて、世界の中心に立つある一人の、甲冑を鎧った者が力強いまなざしを四人に送っていた。その鎧はサークによく似ていたが――空櫃ではない。
「リギナロ!」
ルドが何かをさとって、その名を呼ばわった。リギナロは神殿で決意を示された時と変わらぬ気高さで、ヒトの心の深奥より、この世のすべての冒険者たちを祝福しているように思えた……。光が薄れていく。宇宙と個人がひとつとしてたがいを映し、ふくみあう深遠より浮かび上がり、秘密の回廊を抜け、四人の意識は現次元へ、アストラの地へと戻ってきた。
彼らの帰還を見届けて、ストラーラはもろく微笑んだ。
「約束を果たしてくれてありがとう……そして、さようなら。開眼人、極致にいたり、真理を悟ったひとたち。あなたたちが世界に流れる一筋の希望となることを祈っているわ」
ストラーラが大気に溶け入るように消えると、途端に天はふるえ、大地は荒ぶる巨人の肉体のごとく震撼した。要石の少女がつなぎとめていたイメージが崩れ去り、偽りのイススィールもまた消え行こうとしているのだ。不穏な喧騒に揺らぐ世界で、太陽は脈打ちながら色あせ、空は混沌と暗く濁り、地平は赤と黒の狂おしくうずまく煙と化して、大波をなしながらこちらに押しよせてくるかに思える。一行は地響きにひざをついておののいたが、恐怖を踏みしめどうにか立ち上がった。
「偽りの所産ゆえか、伝説に聞くよりも崩壊の速度が早い。ありあわせのイメージで持ちこたえているだけの脆さだったか……みなで旅の終わりを讃えあう時間も与えてはくれないようだ」
焦った様子のディオレが、目配りしながらみなに脱出をうながす。悲鳴と破壊がふりそそごうとするなか、バルナバーシュははっと思い出して、急いではいたが用心深い足取りで、咆哮する地平に向けてその場から駆け去った。ルドが追おうとしたが、魔術師は目的のものを見つけると立ち止まり、掴みあげる。それはフェリクスとの戦いで斬り飛ばされた、ルドの機械の右腕だった。
「バルナバーシュさん、それは……」
戻ってきたバルナバーシュの持つ己れの腕に、ルドは不安げな声をもらした。
「約束する。この島を出たら、私がかならず君の腕を治してみせる。たとえ長い時がかかったとしても――」
バルナバーシュは使命感から言い切ったが、それはかつてリギノの神殿で交わした「ルドに希望のありかを示す」という約束と同じく、ひどく不確かな未来で、なんの保証も持てぬ思いでもあった。ただ何も考えず、自分自身のするべきことへの直感を、もう知っているものとして今は信じるしかなかった。実現への困難を表したけわしい表情がバルナバーシュをかすめすぎたのをルドは見たが、何も言わなかった。
「フェリクス! あなたも私と一緒にくるんだ」
ディオレの警告が聞こえ、ルドたちもフェリクスのほうを見た。古代人は、いまはもう鉄塊に過ぎぬイブの亡がらに膝をつき、安息の膜のかかった瞳で彼女を見つめながらその場を離れようとしない。その背は頑なであり、見かねて腕を無理やりつかんで立たせようとしたディオレの手は乱暴に、にべ���なく振り払われた。バルナバーシュとルドもまた、生存を望んで説得を試みたが、ときに彼の身勝手なまでの意志の強さは二人も知るところであり、そのほとんどが聞き流されているようだった。
「フェリクス。イブはお前がここで終わるのを望むはずがない。お前にはまだ島の外でなすべきことがあるんじゃないのか」 「バルナバーシュ殿、頼むから放っておいてくれないか。私は貴殿らとは逆しまに、これですべてを失ったのだ。夢も現実も、過去も未来も、生きる希望さえも……。鉱山でともに過ごしたあの日、イブは私のすべてだと語ったろう。それは今も変わらぬ。一心同体の者として私がこの時に願うのは、彼女と同じ墓の穴へ葬られることだ」
埃に汚れた眼鏡の奥からバルナバーシュに向けられたルベライトの瞳は、光を失ってはいない。絶望も自棄もなく、心の底から強く望んでいるのだと、宿敵だった相手に打ち明けていた。もはや打つ手なしと嘆息するルドたちのもとに、ひとり近づく者があった。赤毛と尾と肩を剣幕とともにすさまじく怒らせ、憤懣やるかたなく目を吊り上げたナナヤが、ずかずかと、消滅に瀕した大地を大股で横切り――とめだてさせる隙もなくフェリクスの胸倉をつかむや、精魂を握りしめた拳で思いっきりその頬に一発食らわした。唖然とするルドたちの前でフェリクスは口を切って突っ伏し、眼鏡は数歩離れたところに吹っ飛んで片側のレンズに罅が入った。
「この頓馬が、いい加減に目を覚ましやがれ。この機械はあんたの命を守って死んで、そしてあんたはこの機械を愛していたんだろう。だったら、生きるんだよ。それがあんたにふりかかっちまった、どうしようもない運命なんだ――どうしてそれが分からない?」 「ぐうっ……この小娘……ッ」
最後になって運命と戦うのではなく尾を巻いて逃げだそうとした己れの図星をこうもはっきりと指され、怒りをあらわに食いしばった歯の間からフェリクスは罵倒を押し出そうとしたが、荒い呼気とうなりにしかならず、結局なにも言えずによろよろと眼鏡を拾ってかけなおし、ふたたびイブの前にひざまずいた。彼女の頬に手をやり、側頭部から親指ほどの銀色のチップを抜き、それから銀空剣に突き通された胸の中へ、心臓を掴みとらん勢いで腕をねじ込んだ。絡みつく電線や器官から引きちぎるようにして拳大の青い正八面体のコア――永久にエネルギーを生みだすという遺失文明の結晶を取り出すと、チップとともにベル���に下げた鞄に仕舞いこむ。フェリクスと機械種族のルドだけが、そのチップが、イブのこれまでの経験や記憶を、稼働する頭脳とは別にバックアップとして写しておく記録媒体であるのを知っていた。ルドは、自分が銀空剣で致命傷を与えたあとの記憶――〈イムド・エガト〉で戦うフェリクスを地上から見届け、彼の言葉によってイブの願いが叶った瞬間のこと――は、破損し、完全にはその中に残されていないかもしれないと考えた。
「ふたたびお前に会いにいく。かならず」
フェリクスはイブの亡がらにそう言い残し、立ち上がった。ディオレの先導のもと、ルド、バルナバーシュ、ナナヤ、フェリクス、猟犬のマックスは、次元の瓦礫と無をたたえた黒い穴ばかりの――それさえも塵に帰して消えていこうとするアストラの地を急ぎ駆け去っていく。一度だけ振りかえったフェリクスの視線の先では、イブの機体はまだ眠れるように捨ておかれていたが、それも巨大な結晶となって降りそそぐ空の破片の向こうに埋もれ、見えなくなった。
アストラから幅広い階段を下りていくうちに、あたりは発光する色のない濃霧につつまれ、肌や喉に刺すようにまつわり、彼らの向かうべき方角や意志力をも狂わせようとした。たがいの顔を探すのもままならぬなか、「立ち止まれ」とディオレが言い、続くものらはぞっとしながらも従った。霧にまったく覆われた世界では、空を渡る火も大気も、地を流れる水も土も、形をうしない、すべての元素が曖昧になってひとつに溶け合っていくようで、それに巻き込まれかねない危機感、そして異様な悪寒が身裡に走るのを一行は感じていた。ディオレは幻妖として霊的に発達した感覚をめぐらしたが、尋常ならぬ霧はあらゆる観測をしりぞけて、イススィールとこの地にまだ残る者たちを〝どこにも実在せぬもの〟として呑みこみつつあった。このままでは肉体と精神は切れ切れの紐のようにほどかれて分解し、宇宙に遍満するエネルギーのなかに取り込まれて、諸共に自我も跡形もなくなるだろう。いずれ死の果てにそうなるのだとしても、今ここで己れを手放すわけにはいかない。
「ディオレ、進むべき場所のイメージをとらえられないか」
バルナバーシュがディオレの肩と思われるところをつかんで言った。蒼惶と声を張ったが、霧の絶縁力にはばまれて、ディオレにはほとんどささやくようにしか届かなかった。
「やってみてはいる。だがこの霧はあまりに強力だ」
そのとき、近くからナナヤの短い悲鳴――はっきりと聞こえる――があがり、青白い光があたりに差して、見れば彼女の手にはハインから贈られた〈沙漠の星〉が握りこめられているのが分かった。ただただ驚く彼女のまえで、宝石はやわらかな光を輝かせながら球状に、周囲の濃霧を晴らし、またひとすじの細い光線が、ある方向を真っ直ぐにさしながらのびていく。霧のなかに溶け入っていた足元はいつのまにか階段ではなく、新緑色の草地からなる野原に変わっていた。
「その石が足場のイメージをとらえているのか」
精巧な羅針盤の針のようにぴたりと途切れぬ光の先をみとめながら、フェリクスが言った。彼らは思いを同じくしながら、光のさすほうへ進んでいった。ルドとバルナバーシュは、暖かな草土の感触を踏みしめ、灌木の梢が風でこすれあう音を聞き、獣のにおいがかすかに混じる大気をかぎながら、ハインが多く時を過ごしたであろうエイミリーフ広原を思い起こし、またナナヤの持つ〈沙漠の星〉が、新たに生まれし希望――フェレスとしての産声を上げたのかもしれないと考えた。
(お願いだ、ハイン。あたしたちを導いて)
ナナヤがそう祈った直後、光のさきから獣の吠え声がした。
「アセナ?」
聞き覚えのある鳴き声にナナヤが呼びかけると、思ったとおり、応えるように白い雌狼が霧のなかから現れ出た。家族のしるしにマックスと顔を近づけあい、その後を追って、大柄な人物も飛び出てくる。正体にディオレが驚きで声を上げた。
「ああ、グレイスカル!」 「ディオレか!」
節々を覆う灰色の鱗と側頭部からねじ曲がる二本の角、二メートル近い体格を持つ竜族の男だった。瞳は白目の少ない血紅色で、まさに竜のごとく筋骨隆々とし、見るからに屈強な戦士であったが、まとう装甲は血と土埃に汚れ、外套は焦げ落ち、武器であるナックルは籠手ともどもぼこぼこにへこんでしまっている。むき出しになった頬や黒髪の頭部、鱗がはがれた隙間からは流血のあとが見てとれた。ディオレは彼の腕をひしとつかみ、引き寄せて抱きしめ、幸星の民だけにしか分からぬあらんかぎりの言葉で喜びをあらわした。察するに、はざまの道を進んでいた時には彼に会えなかったようだ。
「エソルテル砦を守る騎士――クァダスたちにやられそうになったところを、間一髪、アセナが助けてくれたんだ。ハインが仕向けてくれたに違いないが、して、あいつはどこに?」
グレイスカルは同行者だったナナヤをみとめ、顔ぶれのなかにハインを探したが、彼の顛末を伝えると快活な面立ちははや深い悲しみに沈んだ。誇り高い友を襲った死への罵倒、そして生前の彼をほめそやす呟きがこぼれる。
「あのような好漢が先に逝ってしまったのはまこと残念でならん。そして我らの友、イラーシャも。だがこの周囲の有りさま、ついに偽りのイススィールに終わりをもたらしたのだな。俺は砦で負った怪我がひどく、階段を登るのはあきらめていた。ディオレ、それにフェレスの戦士たちよ……よくぞ果たしてくれた。死んでいった者たちの無念も、お前たちの戦いで弔われたならばそれに如くはない……」
グレイスカルとアセナを連れて、彼らはさらに道なき道を進んでいった。〈沙漠の星〉はあらゆる辺境でヒトを導く不動の星であり、現次元と星幽が交錯するただなかにある冒険者たちのため、行くべき道を絶え間なく照らしつづけている。いまこの時の、唯一の希望と変わって。やがて重々しいとどろきが遠くから聞こえ、より耳を澄ますと、それは大海にどよもす海鳴りだと分かった。一行は島の涯、神秘の冒険のはじまりの場所だった海岸に近づきつつあるようだった。
靴底が細かな砂を踏むと、そこで〈沙漠の星〉の光は役目を終えて消えていった。霧は完全に晴れ、砂浜に立つ一行の前には、暗く怒号して荒れる海が果てしなく広がっており、暗灰色の重く垂れこめる雲から打ちつけるのはささやかな糠雨だったが、騒擾としてやみがたい大波と風の群れがこれから臨む航海を厳しいものにするだろう。
「蟷螂の斧だな」
バルナバーシュが浜辺に残されていた一艘の頑丈そうな木製の小舟を見つけると、うねりやまぬ海を横目に船底や櫂をあらため、まだ使えそうなことを確かめた。これに乗るのは四人が限度といったところか。
「諸君、我らはここで別れとしよう」
灰色の竜族、グレイスカルが高らかに告げ、ディオレも肩を並べると感慨深く仲間の顔を見渡した。「君たちはどうするんだ」バルナバーシュが幸星の民らを案じて問い、ディオレがそれに答えた。
「私たちはもどって闇沙漠のイメージを探し、そこからオルトフの次元へ帰ろう。大丈夫だ、あとは自分たちのフェレスが道を拓いてくれる。闇沙漠でも伝えたが、君たちをなかばだますような結果となってしまったこと、まことにすまなく思っている……だが君たちが辿り、乗り越えてきた冒険――思索、探求、そして神秘の数々――は、偽りとはならない。決して。なぜならイススィールは、つねにあらゆる時代、あらゆる人々の心のなかに存在しつづけ、世界が滅びに迷えるとき、天末にあらわれ、はるかなる果てへといたる門を開くのだから。その永遠の営みのなかで、私たちは君たちとの冒険譚とともに、後世に役目を継いでいくとしよう。いつかまた、終わらせるものが必要とされる時のために」 「君たちは何ものなんだ。オルトフ、あの地は現次元ではあるまい」 「時空の流れつく浜、魂の森、あるいは闇沙漠に集う夢のひとつ――そこに住まう者たちとでも言っておこうか。では、さらば! 縁があれば別の次元で会おう」
幻妖と竜族のふたりの戦士は、故郷をさして早足に駆け去っていった。その背を見届け、彼らが砂浜に繁る森のなかへ消えると、ルド、バルナバーシュ、フェリクス、ナナヤの四人は協力して小舟を波打ち際まで運び、そのあとを猟犬のマックスと白狼のアセナが忠実な足取りで付き従った。嵐の海は調和の象徴たる海流が正体を失ってないまざり、遠洋では硫黄めいた未知のガスが蒸気のようにあちこちで噴き出して、寄る辺となる次元や生命のしるしさえも見いだせぬ。いくつもの黒い波の壁がうめきつつ落ちてはまたそそりたち、水飛沫を散らして強く吹きつける潮風にルド以外の目や肌はひりついて痛んだ。水はわずかにねばっこく、塩ではない、いまわしいものの枯れた死骸を思わせるような、悪心をもよおすにおいがした。ルドは身をふるわせ、ナナヤの顔には恐怖が張りついている。
「この海を渡りきれるだろうか」
バルナバーシュがおぼつかなげに海をみやった。フェリクスだけが頓着せず、つねよりも鹿爪らしい面差しで出帆への備えを進めており、バルナバーシュもその片言のほかは何も言わなかった。この砂浜も近く虚無のなかへ消滅し、それまでにイススィール周辺の乱れた自然律や概念の撹拌された海が都合よく鎮まってくれるとは到底思えなかったからだ。小舟を波間に浮かべると、四人は悲壮感をもって乗り込み、二匹の獣もまた船べりを踊りこえて飛び乗った。
0 notes
judachigeiju · 7 years
Text
近世滑稽俳句大全まとめ
元日の酔詫に来る二月哉/高井几董
箱根より先はしらねど春の空/岱水
初午や長屋こぞつて正一位/大島蓼太
ひなの日や蔵から都遷しあり/横井也有
炉ふたぎで棊といふ病うつりけり/高井几董
骸骨の上を粧ひて花見哉/上島鬼貫
灌仏の日に生まれけり唯の人/巴常
飛車角行と燕働く野づら哉/一定
人の見るが表なりけり野路の梅/成田蒼虬
道灌の繩ばり広し山桜/百義
さきの世は朱雀の鬼かつゝじ哉/乙二
国絵図の様に菜花咲にけり/吾蝶
よし原や角ぐむほどのりん気���/卜琴
みじか夜は南の国の寿命かな/一煙
きんたまの置所なき暑さ哉/盾山
音楽の三筋の滝や雲の峰/山井
此ごろは雨と思はず五月雨/雨亭
ゆふだちや相合傘は晴てから/大島蓼太
六尺の男を氷室使かな/祗隺
甲人形人に後を見せざりけり/来山
弁当の中の湊や沖なます/内藤風虎
蚊帳の内思ひ切ッたる寐言かな/辻荻子
畳まれて己が世となる扇哉/柏原瓦全
道とへばみな笠動く田植かな/楽只
汗水を流すはら川せ川哉/椋梨一雪
有無の日に召れたる小猿哉/車童
列伝や只紙魚ひとついき残り/逢里
初秋やをのづととれし雲の角/鬼一
子を抱て行司に立や辻角力/馬場存義
極楽にすつと行けりとろゝ汁/太田桃先
あちらから越えた人なし年の坂/雨篁
凩のとり残しけり牛の角/長谷川馬光
いそぐとて時雨を道に残しけり/朱木
雪の橋雪から雪へかけにけり/横井也有
馬の骨馬に蹴らるる枯野哉/魚坊
鯨とれて茶にも酒にも油哉/之房
年こゆる足音するやけさの雨/杉木望一
加藤郁乎『近世滑稽俳句大全』読売新聞社1993
2 notes · View notes
arakawalily · 2 years
Photo
Tumblr media
小伝馬に道灌ですよ❗️馬喰町だけど小伝馬❗️しかもプラス道灌❗️ 唯ならぬ佇まいとネーミングセンス、ホワイトボードの手描きメニューから溢れ出る、お魚愛にそそられまくリリーまして、お店に吸い込まれました❗️ 中に入れば、馬喰町リーマンでひしめき、近隣稀に見るお店の活気、賑わいにびっくりりー❗️連日満員御礼の人気大衆お魚割烹料理店。 歴史ある非常に良い酒場が多い日本橋馬喰町界隈で鮮度抜群の旬魚をリーズナブルに味わえる、昭和35年創業の「季節料理小伝馬」さんでしょう。三代続く、ご家族中心で切り盛りするアットホームなお店です。親子3代は絶対美味しいお店です。 日本酒は近江の「道灌」のみを扱うこだわりのお店です。この店の日本酒は、滋賀県草津市の太田酒造が手がける「道灌(どうかん)」のみを取り扱っているそうですね❗️

太田酒造は、関東地方の戦国武将・太田道灌の子孫が1874(明治7)年に創業した酒造です。その歴史は三代将軍・徳川家光の命で、関守(関所の番人)として草津に移った太田家が、江戸時代末期に年貢の近江米を使い、酒造りを行ったことに始まります。

道灌は、味がハッキリしていてコクがあり、どっしりしていて、お米の味がよく出ているので、一口飲んだだけで道灌だとわかるとか。小伝馬さんでは道灌を扱い始めて15年以上が経つそうですが、これからも変える予定はないとのことです。清酒、たる酒、山廃純米など常時7種類と、豊富なラインナップも魅力です。

道灌にぴったりで、人気のメニューは、豊洲市場直送の本まぐろ三種盛りや、季節のおひたしだそうです❗️ 私がいただきましたのは、本日のサービススペシャル丼で、その日おススメの、ど新鮮魚がモリモリ乗っていますよ❗️ 天然ぶり マグロ中落ち 石川県ヒラスズキ 黒鯛ゴマ醤油漬け 4点 スペシャルとなると 本鮪中落ち イワシの酢〆 (私は代わりに大分のマゴチ) 有頭甘エビ 7点(+200円) 提供もスピーディー❗️ 切り方が均等に揃いすぎてないところが、逆に味わいあり旨さ倍増❣️ 早速いただきましたが、お魚がとにかくど新鮮❗️特にマグロ中落ちが絶品❣️🐟 小鉢にはゴーヤ炒め、お漬物、お味噌がつきまして 1080円という、時代錯誤の価格設定❗️この新鮮お魚が盛り沢山の内容でこのお値段は信じられない安さでした。 普段使いに通いたい、魅力溢れるお店でした❗️ 冒頭の疑問を調べましたが、 この店はもともと小伝馬町の一帯でも有数の老舗酒場で、魚を中心とした料理が楽しめるお店でしたが、馬喰町に移転され、名前は小伝馬なんですね〜❗️ 店内は正統派の大衆酒場といった趣きで、渋く落ち着きます。 ここには仕事帰りの馬喰リーマンが毎夜、道灌🍶と美味しいお魚を求めて賑わうのがよくわかりました❗️お魚愛が溢れていました❗️ 隠れた夜の人気メニュー、お魚たっぷりスリランカカレーも、かなり気になりました❗️ @kodenma001 #小伝馬#小伝馬道灌#道灌#季節料理小伝馬#大衆割烹小伝馬#馬喰町グルメ #馬喰町ランチ #東日本橋グルメ #東日本橋ランチ #荒川リリー#lilystudio #豊洲市場直送 (小伝馬) https://www.instagram.com/p/CnSxvg7Sscc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
shibaracu · 5 years
Text
●江戸のリサイクルと物売り
本文を入力してください
●江戸のリサイクルと物売り 江戸は凄い時代である。 当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。 桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。 桶屋たるはそこいらに放ってあったものを拾っていった。 我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に薪を積んでいた。 其れを燃やすわけだから灰が出てくる。 幾つまでだったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。 竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)で キレイに履いていったもの。 煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。 他に使い道がどのくらいあるのかは判ら��いけれどススは硯(すずり)などに使った。 灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。 食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、 食事には不要な成分の総称に成る。 詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/灰汁 などを読んで下さい。   物売りも結構来ていた。 焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。 売り手のかけ声が懐かしい。 バナナなんかはちゃんとした口上(こうじょう)が有ったようだけど 私は聞いた事がない。 下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。 いつの間にか録音したものを車で流しながら売り歩くようになった。 これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは 取れないだろうね。 心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり 騙されたの騙したのなんてなるのでは。 昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。 これも権利の先行になり 義務を放棄する事になっている。 今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。 下手すると誘拐犯にされてしまう。 クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。 私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。 世の中進歩するのも良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。 コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。 道歩いているだけでも眼を付けた なんて言われイチャモンつけられそうだから人の顔は見ないようにしないと。 寂しい時代だね。   ●いちゃもん 言いがかり。難くせ。文句。 「 -をつける」   ●「クワバラ、クワバラ」の意味は 災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじないのこと。   ●めっ・ける [0]【目付▽ける】 ( 動カ下一 ) 〔「見付ける」の転〕 「見付ける」の俗な言い方。見いだす。 「花子さん-・けた」   ●ENEOS童話賞について:童話賞の3つの願い - JXTGグループ https://www.jxtg-group.co.jp/hanataba/awards/wish/ ENEOS童話賞は、「心のふれあい」をテーマに、毎年一般の方からオリジナルの創作童話を募集しております。その中から、厳正な審査の結果、受賞作品を表彰するとともに、一冊の童話集にまとめております。ENEOS童話賞には、私たちの「3つの願い」がこめられています。   ●第50回(2019年) JXTG童話賞 【一般の部 最優秀賞】 雨がすき作者:宮田一平 / 絵:かべやふよう  花が窓から外をながめていると、空から大粒の雨が落ちてきた。 「おかあさん、雨がふってきたよ。」 「あらっ、たいへん。花、駅までお父さんを迎えにいってくれないかな。お父さん、傘を持っていないと思うから。」 「お父さん、いつもの電車?」 「そう、6時半に着く電車。」 「わかった。」 時間になると、花は玄関で大好きなオレンジ色の長ぐつをはき、傘入れから花の赤い傘とお父さんの大きな黒い傘を引っぱり出して、駅へ向かって飛び出していった。 花が駅に着いて時計を見ると、電車が着くまでにまだ少し時間があった。駅の待合は、花と同じお迎えの人たちや雨宿りの人たちの話し声で、いつもより少しにぎやかだった。花が駅の売店の方に目をやると、一人の少年がぼんやりと外を見ながら立っていた。 「あっ、たっくんじゃない。」 花は思わず大きな声を出して、少年のところへ飛んでいった。 「おっ、花か。どうした。」 .....1/5   ●日本語の音長律(1) 百人一首朗詠 - 「かささぎの」2011/02/10 https://youtu.be/76hMbZ0EK1M https://youtu.be/76hMbZ0EK1M?list=PLZyjyoHSWs6P67GI2JU7Yf1ZiVsxxJqXf ●日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹 https://youtu.be/b9PLUCzD_hg ●宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較 https://youtu.be/pYHsRZRA1mA ●バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん https://youtu.be/8hOEk8GIGoo ● 江戸は物売りの呼び声が… https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/001/070/197000c 毎日新聞 2017年8月11日 東京朝刊  江戸は物売りの呼び声がにぎやかだった。夏、「ひゃっこい、ひゃっこい」は冷や水売り、「たまや、たまや」と来るのはシャボン玉売りだが、川柳に「荷が呼んで歩く虫売り、定(じょう)斎(さい)売り」というのがある  ▲定斎屋は暑気あたりの薬屋で、薬箱の金具がカタカタ鳴るのが呼び声がわり、虫売りは松虫、鈴虫などの鳴き声で客が集まった。その虫売りというのがまるで役者のような粋(いき)な格好をしていたという  ▲市松模様の屋台ともどもだんだんと華美の度を増し、ついには天保の改革で禁止されるはめになった。鳴く虫やホタルを売ったこの虫売り、初夏からお盆までの商売で、江戸の人々はお盆になると供養のため買った虫を放ったそうだ  ▲虫売りといえば、クワガタやカブトムシが幅をきかせる現代である。だが近年は輸入された外国産の種が野外で見つかる例が相次いでいる。無責任な飼い主が放ったりするためで、日本の固有種との交雑種が生まれている恐れもある  ▲オオクワガタやヒラタクワガタは外来種と雑種を作るのが知られている。以前の小紙報道によると、関西ではあごの形などが国産種と違うオオクワガタなどが見つかっている。自然界で交雑を放置すれば、やがて固有種がいなくなる  ▲売買や飼育への規制導入も、すでに大量に飼育されている現状では難しそうだ。専門家は飼い主のモラルを高める教育や啓発、飼育に困った外来種を業者が引き取る仕組みを求めている。外来種を放ってはならない。たとえお盆で��ってもだ。
物売りの声 寺田寅彦 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2514_9317.html  毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 ●物売りの口上 https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%8F%A3%E4%B8%8A ●陣内智則 物売り屋さん https://youtu.be/jxrMOQakvq8 ●下町の物売りの声を思い出してみませう  千代ばあちゃんの思い出袋 http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html   ●物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「http://ja.wikipedia.org/wiki/物売り」より ■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。 「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。 ■ 歴史 鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。 これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。 季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。 当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。 江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。 近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。 しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をしているものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。   ■ 物売りの種類と売り声や鳴り物 ●食事 ・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。 ・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。 ・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。 ・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋として成り立っていた。 ・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。 ●菓子 ・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。 ・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。 ・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。 ・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。 ・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。 ●食材 ・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。 ・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。 ・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。 ・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。 ・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。 ●生活用品の修理、販売 ・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。 ・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。 ・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。 ・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。 ・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。 ・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。 ・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。 落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。   ■振売(棒手売から転送) 振売・振り売り・振売り(ふりうり) 商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。 この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/振売   ●蓮の葉商い   http://ja.wikipedia.org/wiki/蓮の葉#蓮の葉商い 蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。 蓮の葉商い(蓮の葉商ひ、蓮葉商い)とは、古くから日本各地の朝市や縁日などで、その時々に自生する銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実や五節句、二十四節気の年中行事に必要な季節物をその期日の前に商いしていた者をさし、(近年、近代から八百屋や花屋や街商も季節物を売っていた)その中で盂蘭盆(うらぼん)に使う蓮の実や蓮の葉が特に珍重された事や、商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていたという事などから、季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」(はすのはあきない)と呼ぶようになった。しかし季節物という短期使用のいわゆる、消え物であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物という捉えかたがされ、きわもの売りやまがい物を売る者という意味を持つようになり、蓮の葉の言葉の意味が際物(きわもの)やまがい物を指すようになった。 季節ごとの主な商品 ・1月 一月一日 - 七日の正月・人日の節句---橙(だいだい)、榊、松、竹 ・2月 二月三日の節分---鰯や柊、大豆「鬼が入らないための結界と追い出すための道具」 ・3月 三月三日の桃の節句---桃の花 ・4月 四月八日の灌仏会(釈迦の誕生日)---甘茶「紫陽花の近縁種の植物の葉」 ・5月 五月五日の端午の節句---柏の葉、菖蒲「柏餅、菖蒲湯」 ・7月 七月七日の七夕---笹や竹 ・8月 八月十三 - 十六日    盂蘭盆(仏教行事)---蓮の葉、蓮の実    お盆(日本古来の祖先崇拝の祭り)---鬼灯・酸漿(ほおずき)、真菰馬(まこもうま)、小豆、大角豆(ささげ)関東地方では豆がはぜるのが切腹と通じるのを嫌い小豆の代わりにこれで赤飯を作った。 ・9月 九月二十五日の月見---ススキ、枝豆、栗 ・0月 十月十九日・二十日の恵比寿講--- 大根、牛蒡(ごぼう)などの根菜や魚(恵比寿は日本では漁業の神でもある)「五穀豊穣と大漁祈願の祭事」 ・12月 十二月十三日のすす払い---鯨「すす払いの後、鯨汁を作って食べる習慣があるため」     十二月二十二日の冬至---柚、南瓜(かぼちゃ)「柚湯、南瓜粥で冬の英気を養った」   ●行商   https://ja.wikipedia.org/wiki/行商 行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。   ●屋台   https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階で物を売る店も含まれる。   ●商業   https://ja.wikipedia.org/wiki/商業 商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。   ●ろてん【露店】 道ばたに商品を並べて売る、屋台店(やたいみせ)。    「―商人」   ●ろてん【露店】  https://ja.wikipedia.org/wiki/露店   ●屋台       https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)とは、屋根が付いていて、移動可能で、飲食物や玩具などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階の店先で物を売る店も含まれる。   ●蚤の市      https://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市 蚤の市(のみのいち、flea market、フリーマーケット)は、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。北米では大規模な倉庫や体育館など屋内で開催されるものもある。出店者は一般家庭や仲間で集まったグループから、古物商や雑貨商の様な事業者まで幅広い。   ●的屋     https://ja.wikipedia.org/wiki/的屋 的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢[1]に準えて言われるようになった言葉である。 的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。   ●露天商      https://ja.wikipedia.org/wiki/露天商 露天商(ろてんしょう)とは露天(屋外や青空の下)で店舗を持たず商売をする者。露店商とも表記し、街商(がいしょう)ともいう。 的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書[2]では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。 警察においては、的屋を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期に的屋は、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている。   ●反社会的勢力 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく、英語: Anti-Social Forces)とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称である。暴力団や半グレ集団などを広く呼び、反社(はんしゃ)と略される。   ●ヤクザ  https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤクザ ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。 大辞泉は「やくざ」について次の2通りの説明を示す[1]。    役に立たないこと。価値のないこと。また、そのものや、そのさま。「―に暮らす」「―な機械」「―仕事」    ばくち打ち・暴力団員など、正業(せいぎょう)[2]に就かず、法に背くなどして暮らす者の総称。「―渡世」 「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている。読みは「こぶん」で同じ)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。   ◆あんにゃとあねま - 縄文人の反乱 日本を大事に - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/1448c6d0f0267f9daef8224a69cbd13e 2012/02/29 あんにゃとあねま あねまあんにゃ 棒八もん 形見位牌 証文をまく コレは映画に出てくる幾つかのコトバ。 忘八だけは引っかかるけど後のコトバは100見ても出てこない。 ヤフーでいつも検索すると一ページに100表示するように設定している。 始め方に新しいページが出てくる可能性がある。 生地はなるべく新しい方が良い。 中には古くても良いモノも有るけど。   ◆木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親分【Respect】  2016/06/29 https://youtu.be/7vXf5Xrymnc 木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃとあねま" に登場した房州の揚屋・女衒の元締め。 萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子さんが演じました。
拝一刀とのやり取りで見せた貫録と美しさはひときわでした。 私もそうですが、この役は浜木綿子さんでこそ演じきれたと思う方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 子連れ狼 第一部 (1973年4月 - 1973年9月) 日本テレビ放送網 製作:ユニオン映画、スタジオシップ 第三話 あんにゃとあねま 拝一刀 - 萬屋錦之介 大五郎 - 西川和孝 木颪の酉蔵 - 浜木綿子 お松 - 竹下景子
0 notes
zaregoto1914 · 5 years
Text
大久保利通「済世遺言」(1878年5月14日)
五月十四日盛典帰県近キニ在ルヲ以テ午前第六時内務卿大久保君ノ邸宅ヲ訪ヒ談話ヲ移セリ今其問答ヲ記スル如左
盛典曰 過ル日浜離宮ニ於テ示サレタル方法中華士族ノ為メ特殊ノ保護ヲ加ヘ地ヲ開キ産ヲ殖スルノ事アリ爾来各地方官ノ評論スル処ヲ聞クニ二族ト雖一般人民ト異ナルナシ二族独リ厚キヲ加ルハ公平ニ非ス宜ク一般人民ト同一ナラシムヘシト小官愚考スルニ各地方官ノ執見ハ理ニ泥ミ実ヲ察セサルナリ若シニ族ヲシテ人民ト同視シ特殊ノ保護ヲ加ルナクンハ深ク恐ル数年ヲ出テスシテ窮困無告ノ惨状ヲ呈シ余毒ノ発スル処政府ノ力ト雖奈何スヘカラサルノ事アラントスルヲ試ニ之ヲ証セン管下若松士族ノ如キ戊辰以来無禄無産艱難見ルニ忍ヒス立産スル者十中僅カニ一ニナルニ過キス今ノ華士族ナルモノ速ニ其処ヲ得セシムルニ非スンハ後年若松士族ト同一ナランコト火ヲ見ルカ如シ豈寒心セサルヘケンヤ故ニ示サルヽ所ノ方法ノ大旨ニ於テハ尤モ可トスル所ナリ小官見ル処各県令ト異ナルヲ以テ敢テ意見ヲ述ヘ以テ前日ノ令ニ答フ公其レ諒セラレヨ
内務卿曰 ��下ノ言然リ前日来各県令来訪異見ヲ陳スルモノ比々雖然此事タルヤ既ニ 聖上非常ノ精神ヲ加ヘサセラレ且諸大臣ヨリモ懇篤ノ委任ヲ受ケタレハ決テ軽視スヘキニ非サル也抑華士族ノ今日ニ至レルハ固ヨリニ族二罪アルニ非ス政府亦豈好ンテ為ス処ナランヤ時勢不得已ニ出テ尤可憫ハ二族ニ在リ特殊ノ保護ヲ加ヘサルヲ得ス理論ニ拘泥スヘキニサ非ル也
盛典曰 各地方官皆謂フ開墾殖民ノ至難ナルハ古今同一ナリ今福島県下猪苗代湖ヲ疏鑿シ安積岩瀬ノ両郡ヲ開拓スル等甚タ好ム所ニ非スト小官愚考スルニ業ノ難キハ不待言ト雖決テ成シ得サルノ事ニ非ル也独リ巨多ノ資金ト数多ノ年月ヲ要ス可ノミ抑此業果シテ成ルヤ其益五アリ湖水ノ水度ヲ減シテ沿岸ニ巨多ノ水田ヲ得ル一ナリ安積岩瀬二郡ハ従来水ニ乏ク其損害平均二分石敷凡ソ二万石ニ下ラス湖水ヲ灌注セハ直ニ二万石モ収穫ヲ増ス二ナリ二郡ノ原野凡六千町歩之ヲ開テ殖民スルヲ得ヘシ三ナリ湖水ノ末流ヲ大隈川ニ合シ通船ヲ便ニシ本県下白河郡ヨリ宮城県下野蒜港ニ達シ北上川ニ接シ陸奥ノ中央ニ一般路ヲ開ク可シ四ナリ東磐城ノ海岸ヨリ安積郡ニ達シ若松ヲ経テ西越後ノ新潟港ニ至ルノ馬車道ヲ通シ陸運ヲ便ニスヘシ五ナリ此五益アリ豈為サヽ可シヤ
内務卿曰 福島県下安積郡ノ開墾タル実ニ内国開墾ノ第一着手ニシテ則チ他日ノ標準雛形トモ称スヘシ尤慎重ヲ加ヘスンハアルヘカラス事ハ内務省ニ属スト雖殖産等ニ至テハ県庁ニ委任スルハ論ヲ俟タサレハ今ヨリ殊ニ協力同心精誠以テ此業ヲ成スノ決心アルヲ要ス其等ノ存心如此而地方官亦能ク此精神ヲ体セスンハ大業ヲ成シ得ル能ハス足下其レ努力セヨ焉
内務卿又曰 抑開墾ヲ企望シタル所以ノ原因ハ海外諸国ノ形況ヲ伝聞シ且実見スルニ本邦ノ如ク肥沃ナル地味ハ絶テ之レ無又奥羽地方ノ広原平野算スルニ逞アラス而一方ヲ回看スレハ無産ノ華士族アリ已ニ此民アリ此地何ソ開カサルヲ得ンヤ是某ノ決心シテ疑ハサル所以ナリ
内務省又曰 殖産ノ業起ルヤ各地方華士族中尤人望アルモノヲ撰ミ之ヲシテ率先セシムルヲ良策トス何ソヤ従来開拓ノ業ヲ起スモノ多シト雖全成スルモノヲ見ス而其間痕ヲ留メテ失ハサル者必ス人望家ノ率先ニ由ル不可不注意也
内務卿又曰 愈々着手スルニ及テハ必ス数名ノ官吏ヲ要スヘシ足下宜ク知ル所ヲ挙ク可シト
時正ニ八時ニ近キヲ辞シテ去ラントス内務卿曰某出仕未タ遅カラス暫ク止マレ猶告クヘシモノアリト於是止ル
内務卿曰 過ル日離宮ニ於テ殖産ノ事已ニ談示ニ及ヒタレトモ其意ヲ盡サヽル処アリテ地方官ノ貫徹セサルアランコトヲ恐レ東京府知事楠本正隆氏ヘ托シテ更ニ地方官ヘ懇議セシメントスレトモ今朝ノ而晤ハ幸ナレハ意中残ラス告ケントスルナリ抑 皇政維新以来已ニ十ヶ年ノ星霜ヲ経タリト雖昨年ニ至ルマテハ兵馬騒擾不肖利通内務卿ノ職ヲ辱フスト雖未タ一モ其務ヲ盡ス能ハス加之東西奔走海外派出等ニテ職務ノ挙ラサルハ恐縮ニ不堪ト雖時勢不得已ナリ今ヤ事漸ク平ケリ故ニ此際勉メテ維新ノ盛意ヲ貫徹セントス之ヲ貫徹センニハ三十年ヲ期スルノ素志ナリ仮リニ之ヲ三分シ明治元年ヨリ十年ニ至ルヲ第一期トス兵事多クシテ則創業時間ナリ十一年ヨリ二十年ニ至ルヲ第二期トス第二期中ハ尤肝要ナル時間ニシテ内治ヲ整ヒ民産ヲ殖スルハ此時ニアリ利通不肖ト雖十分ニ内務ノ職ヲ盡サンコトヲ決心セリ二十一年ヨリ三十年ニ至ルヲ第三期トス三期ノ守成ハ後進賢者ノ継承修飾スルヲ待ツモノナリ利通ノ素志如此故ニ第二期中ノ業ハ深ク慎ヲ加ヘ将来継ク可キノ基ヲ垂ルヽヲ要ス湖水疏鑿移民開拓并大隈川通船等ノ事業充分其必成ヲ期シ鹵莽失敗シテ民ヲ困シメ国ヲ害スルノ惨状アラシムヘカラス目的ヲ三十年ニ定メ第二期中創為スル所ノ業ハ満期ニ至リテ全備センコト希望ニ不堪ナリ此精神タルヤ独リ地方長次官ニ止マラス属官ト雖枢要ノ地ニ立ツ者ニハ篤ク貫通セシメ上下戮力至誠運籌��ンコトヲ欲ス
盛典曰 願ハクハ股肱ノ力ヲ効サン
*山吉盛典「大久保利通済世遺言」1878年8月(『大久保利通文書』第9、日本史籍協会、1929年) 163ー170頁
〔旧字体を新字体に改めた。〕
0 notes
aikider · 7 years
Text
蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 -倉本 一宏
amazon
日本古代の政治を支配し、大化の改新(乙巳の変)とともに滅び去った(と言われてきた)蘇我氏。その成立から最盛期、そして乙巳の変後、彼らがいかに生き延びてきたかを時系列で見ていく。
※この記事の称号について。天智天皇以前には「天皇」号は用いられておらず、厳密には「大王(オオキミ)」であるのだが、和風諡号は長ったらしくてめんどいので「天皇」号で統一する。ただし「王」「王子」はできるだけ当時の呼称を使用する。
伝承では蘇我氏の先祖は武内宿禰という人物だったとされているが、その実態が明らかではなく、具体的な政治的活動が確認できるのは蘇我稲目が最初であるため、著書は事実上の蘇我氏の始祖を稲目としている。稲目は朝鮮半島から渡来してきた技術者集団を配下に従え、当時最先端であった製鉄、灌漑などの技術をもって朝廷で大臣(オホマヘツキミ)の地位を得た。マヘツキミとは畿内に存在した豪族たちの、それぞれの代表者である。豪族たちは、原則として一氏族一人のマヘツキミを送り出し、マヘツキミの合議によって政治的な決定がなされた。その合議体を統括するのがオホマヘツキミだった。稲目以降、蘇我氏は自らの権力強化のため、2つの戦略を取る。一つは、自らの支族を数多く生み出して、それらを独立させ、軍事的拠点や交通の要衝に配置したこと。それぞれの支族からマヘツキミを輩出することで、氏族合議体においても多数派を形成し、自らの政治運営を円滑にしようとしたわけである。もう一つは、朝廷のリーダーであるところの大王(オオキミ)との血縁関係を何重にも結び、大王家との一体化を目指したこと。その結果、用明、推古、崇峻、元明、持統、文武、聖武、元正ら蘇我の血筋を色濃く受け継ぐ蘇我系皇族たちがオオキミの座につき、蘇我氏は稲目、馬子の代には外戚に地位を得て政治を実質的に支配していた。蘇我氏の権力は盤石に見えた。
しかし馬子の死後、蝦夷、入鹿の代に至って、それが裏目に出る。
一つは、蘇我系氏族の内部対立である。蘇我系氏族は複数に分かれてそれまで本宗家を支えてきたが、推古の死後、非蘇我系の田村王と、蘇我系の山背大兄王のいずれをオオキミとするかで蘇我氏が分裂した。このとき蝦夷は田村王を支持したのだが、歴史書には、厩戸王(聖徳太子)の子である山背を、専横を目論む蘇我氏が排除しようとしたと書いてある。しかしそもそも山背のほうが蘇我氏の血筋が濃いので、外戚として振る舞うのであれば山背を支持するのが常識的ではある。 しかし推古は死の直前に田村王を指名しており、山背は田村より若年であった。遺勅に逆らってまで未熟な身内を支持することは、さすがに他の豪族からの反発を受ける可能性が高い、というのが蝦夷の判断であろう。よって田村王を支持したことは、穏当な判断だった。ところがそれに反して、まず馬子の弟、蝦夷にとっては叔父である境部摩理勢が、山背を支持し、さらに蝦夷の弟である倉麻呂が態度を保留する。蝦夷は山背を説得することに成功したが、摩理勢は馬子の墓の廬(管理用の小屋のことか?)を破壊して自分の領地に引っ込んでしまった。このため蝦夷は摩理勢を討伐し、田村王が即位した(舒明天皇)。しかし蝦夷と倉麻呂の間には対立が残ることとなり、これが後に乙巳の変の火種となる。
今一つの火種は、蘇我系の陰に隠れて冷や飯を食わされてきた非蘇我系の皇族や豪族である。舒明の死後、その妻皇極天皇の代になると、蘇我入鹿が頭角を表し、蝦夷をしのぐほどの権力を持つようになった。入鹿は唐への留学より帰国した僧から、当時の最新技術を学び、学友の中でも飛び抜けていたが、中央集権システムの整備を目指していた。当時は唐が高句麗出兵を行うなど、朝鮮半島が動乱の時期にあった、そのために高句麗は中央集権化を急いでおり、日本でも集権化の必要性が認識されていた。入鹿は高句麗に倣い、自分の身内である古人大兄王子を傀儡に立てて自らに権力を集中しようと考える。まずその障害となったのが山背であり、入鹿はこれを討滅する。日本書紀では入鹿の単独行動とされているものの、藤氏家伝では諸皇子が賛同したとされており、実際には朝廷全体の意向だったと考えられる。また日本書紀には甘樫丘や畝傍山に邸宅を作ったのが不敬と記されているものの、ここは防衛上の要衝にあたり、朝鮮半島の動乱に対して防御を固めたという意味では、当たり前のことをやっているに過ぎない。自らに権力を集中させようとしたことを専横と言うことは可能だが、日本書紀の記述はかなり脚色が混ざっていると言えよう。
それはさておき、入鹿主導の集権化に対して不満を抱いたのが、葛城王子(のちの中大兄王子=天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)であった。葛城も鎌足も、入鹿と同様に唐の最新技術を学び、集権化の必要性を認識していたが、葛城らは新羅に倣って豪族を官僚化し、王を補佐させるという官僚制的中央集権国家を目指していた。両者の対立は、政治路線の対立であった。鎌足は葛城の能力を見抜いて接近し、さらに蘇我氏内部で不満を持っていた蘇我倉山田石川麻呂(蝦夷の甥)に接近する。そしてついに日本古代史上の大事件が勃発する。
葛城と鎌足は朝鮮の外交使節が来訪するイベントをでっち上げて、その場で入鹿に斬りかかる。これが乙巳の変である。驚いた入鹿は皇極天皇に助けを求めたが、皇極は奥に引っ込んでしまい、入鹿はとどめをさされた。翌日には皇極が弟の孝徳天皇に譲位。後ろ盾を失った古人は出家して吉野に隠遁してしまった。その古人も、葛城から謀反の疑いをかけられて殺害される。入鹿の死を知った蝦夷は自殺。これにより、蘇我の本宗家は滅びたことになる。
かつての歴史の教科書では、蘇我氏が滅びて天皇集権化、さらに藤原氏の時代と説明されるのだが、実際には石川麻呂が蘇我氏のトップ(氏上)となり、右大臣にまで上り詰めている。しかも孝徳天皇に娘2人、中大兄王子(葛城王子)に娘1人を嫁がせたことを考えると、蘇我氏の権勢はまだ強固であった。
ところがここで、再び蘇我氏内部での争いが勃発する。石川麻呂には日向、連子、赤兄、果安という4人の弟があったが、日向が中大兄に対して石川麻呂の謀反を讒言し、孝徳天皇は石川麻呂の討伐を決定、日向の兵に囲まれた石川麻呂は自害した。日向は筑紫大宰に任ぜられたが、その後は記録に見えず、それきりである。
石川麻呂に替わって重用されたのは弟の赤兄である。赤兄は斉明天皇(=皇極天皇)と中大兄が和歌山の温泉に行幸していた際に、留守政府を預かっていた。このとき赤兄は、有間王子(孝徳天皇の子)に対し、斉明の失政を挙げて謀反をたきつけた。有間が謀反を決意したとみるや、赤兄は有間を拘束して、行幸中の斉明のところに送り込み、中大兄はこれを殺害している。そして中大兄が即位すると(天智天皇)、蘇我赤兄は左大臣になる。かくして天智はついに中央集権を実現する。
しかし、葛城=中大兄=天智が行った粛清の嵐は、その後の朝廷を混乱に陥れることになる。蘇我氏を弱体化させたことで、豪族たちの離反を招き、大友王子を守る豪族が、蘇我(赤兄と果安)、中臣、巨勢、紀のわずか4氏族しかいなくなってしまったのだ。そして不満を持つ豪族たちは、大海人王子に与力することとなった。しかも蘇我連子の子である安麻呂は、大海人王子に対して天智の意向に警戒するよう伝え(この史実性については疑問視されているが、のちに安麻呂が重用されたのは事実)、大海人は天智からの即位要請を固辞して大友の即位を要請し、吉野に隠遁する。
天智亡きあと、大海人王子は吉野を脱出、短期間で数万人の兵士を集める。壬申の乱である。朝廷は討伐軍を組織したが、その総大将であった山部王が、蘇我果安と巨勢比等により殺害され、さらに果安も自殺。主力軍が瓦解することとなる。大友王子も山中に逃げて自殺。大海人王子が即位する(天武天皇)。天武は蘇我赤兄一族と果安の一族を配流。蘇我氏は大打撃を被ることになる。
だがそれでも蘇我氏は滅びていない。「大海人王子に用心を促した」という「功績」を認められた安麻呂の系統だけは、「石川」と姓を変えて生き残った。石川氏は直接的に挙兵に協力したわけではないため、さほど栄達したわけではないものの、上級の官人を多数輩出している。また連子の娘(安麻呂の妹)にあたる��子が、鎌足の子である藤原不比等��正妻となった。これによって藤原氏は蘇我氏の尊貴性を取り入れて力を強め、石川氏は生き残りをはかった。さらに石川氏からは刀子娘が文武天皇の妻となり、広成皇子を産んでいる。しかしある仮説によると、不比等らの陰謀により広成皇子は皇籍を剥奪されたという。不比等の娘である宮子と文武の間に生まれたのが首皇子であり、ここで天皇の外戚が蘇我氏から藤原氏に移ったと考えられるのである。
さらに藤原氏は、天智の孫にあたる長屋王を排斥する(長屋王の変)。長屋王は蘇我系皇女(吉備内親王)、石川虫麻呂の娘、藤原不比等の娘を妻としており、次世代の後継者候補がストックされていた。だが長屋王の変に際して、吉備内親王の王子および石川夫人の王子が殺されたことで、皇位継承権のある皇族は藤原氏系に占められることになる。 蘇我系皇族は元正天皇を最後に断絶し、石川氏はその後、天皇家と姻戚関係を結ぶことはなかった。
また石川氏は官位の面でも振るわなくなる。議政官を出すこともほとんどなくなり、弁官として実務に携わるようになる。藤原氏に取り入って実務官僚として生き残る道を選んだわけだが、その後の蘇我系氏族は、多くが低い官位に留まった。この背景には、不比等が作った「蔭位(おんい)」がある。蔭位とは、親の官位が高ければ、その子が高い官位からキャリアをスタートできるというシステムである(たとえば一位の貴族の嫡子は従五位下からスタート)。この蔭位には「三位以上は孫の世代まで蔭階を及ぼすことができるが、四位や五位は子の世代にしか蔭階を及ぼすことができない」という規定がある。しかも叩き上げの貴族は、四位や五位に上った時点で子がすでに出仕していることが多く、子は蔭位の恩恵を得ることがほとんどない。つまり上級貴族が再生産しやすい仕組みになっている。その結果、紀氏、伴氏などの旧豪族系氏族は、ほとんどが下級貴族として生き残ることとなった。石川氏は宗岳(ソガ)氏に姓を改めたが、官位は低く下級貴族にとどまっている。しかし、中には畿内の開発に携わり、莫大な財を築いた人物もいるなど、しぶとく生き残っている。
まとめると、蘇我氏ははじめ、大王の外戚、および技術者集団のリーダーとして絶大な権勢をふるった。これらは藤原氏の戦略とよく似ている。というより、藤原氏は蘇我氏の戦略を模倣したのだと考えるのが正しいのだろう。 また藤原氏も、不比等が蘇我氏から正妻を迎えることで、その立ち位置を受け継ぐことができた。結果的には、日本は天智天皇が指向したような官僚制的中央集権国家ではなく、入鹿が指向した傀儡型の国家となった(あるいはその折衷型?)と言えるかもしれない。一方蘇我氏は同族での争いを繰り返し、藤原氏に押されて弱体化しつつも、乙巳の変、壬申の乱を生き残った。その後裔は少なくとも摂関期までは生き残っており、中世にも蘇我氏の末裔を名乗る一族がいた。
最後に感想を付記しておく。本書の説くように、蘇我氏は逆臣でもなんでもなく、大王家と結合することで隆盛を誇った、藤原氏のプロトタイプと言えるだろう。むしろ自分が恐ろしいと感じたのは、蘇我氏の内部対立を利用して巧みにその力を削いだ天智天皇である。
日本書紀などの歴史書は、入鹿が謀反を図ったために誅殺されたと記しているのだが、入鹿は自らが大王になろうとしたわけでもなく、また操りやすい古人を大兄とすることができていたのだから、謀反などする必要がない。その入鹿と古人を殺したという事実だけを見れば、むしろ謀反を起こしたのは葛城王子(天智天皇)と中臣鎌足だった、というべきであろう。
さらに功臣であるはずの蘇我倉山田石川麻呂を、讒言により討伐。日本書紀には、天智が石川麻呂の無実を知って悲しんだと記されているが、虚偽の讒言をしたはずの日向は破格の昇進を遂げており、実際には天智は内紛を利用して滅ぼしたと考えるのが自然であろう。
その後も赤兄の煽動を利用し、有間王子を排除。これが天智の仕組んだものなのか、赤兄が天智に取り入るべく有間を挑発したものなのか、はたまた赤兄が途中で有間を裏切ったのか、真相はわからない。
しかし、ここまでで都合4人の重要人物が殺害され、そのすべてが天智の権力強化に役立っていることを考えると、単に偶然と考えるのも無理がある。いずれも蘇我氏内部の確執を利用し、謀反の罪を着せて最後には誅殺している。己が権力を手に入れるためには手段を選ばない。まさにマキャベリズムのお手本のような人物である。成功した分、かのチェーザレ・ボルジアより一枚も二枚も上手かもしれない。しかも後の歴史書には逆臣を誅戮した名君として描かれ(これは持統天皇の意向だが)、千年以上後までその歴史観が維持されているのだから、恐るべき手腕だ。
一方で弟の天武天皇の手腕も負けてはいない。天智の強引な集権化によって豪族の不満が高まっていたため、自らが後継となることを避け、豪族の不満をすべて大友王子に押し付けた上で、自らが豪族の支持を得ることに成功。まんまと自らが天皇になることに成功しているのだ。恐るべき状況制御能力だ。
しかし、天智、天武の兄弟によって構築した天皇専制システムも、藤原不比等によって骨抜きにされる。不比等は長屋王の変によって政敵を滅ぼし、蔭位の制によって藤原氏が上級貴族を独占する仕組みを作り上げ、また外戚として天皇を思いのままに操る地位を得ることになる。結局、古代史における最後の勝者は藤原氏だった、というのが残念なオチである。
しかし、これほどエゲツない手法を駆使しておきながら、天智、天武を批判的に扱うフィクションは、少ないように感じる。不比等は小説やマンガで悪役になることはあるようだが、やはり皇族を悪役にすることはタブーなのであろう。しかし後白河法皇が悪役として描かれることが珍しくなくなったことを考えると、研究が進めばそういった歴史モノが出てくることも期待される。天智、天武、不比等をリアルに描いたら、妖怪大戦争みたいになりそうではあり、個人的にはそういう作品を見てみたい。しかし現在の日本の社会状況を見ると、そうした自由な表現ができなくなるのではないかという不安もある。
というのも、著者の名前でググっていたら、「倉本一宏 サヨク」というサジェストが出てきたのだ。日本のネット空間でサヨクと書かれた場合、その意味するところは「売国奴」と同じような意味合いであり、要するに国粋主義的な視点から敵をラベリングするためのマジックワードである。倉本氏はあくまで学問的に正確な著述を心がけているだけであろうが、こうしたラベリングをされるのはいささか(いや、かなり)気の毒である。しかし、学問というのはあくまで客観性がすべてである。ささやかながら拙ブログは、ネットの片隅で著者の応援をしたい。
0 notes
image-weaver · 6 years
Text
45 Alamityc
鉛色に重い雲の群れが後先の果てなく垂れこめる中、色彩の失われた山間の広く薄暗い裾野を、三つの騎馬が抜けていく。風は強く、冷たく荒んでいた。どの灌木も枝を歪ませて葉を散らし、冬を前にして葉先を枯れさせた草はらが波を打って、往く者たちを歓迎しない声で騒ぎ立てている。彼らはフェクトナ湖より続く、次のパワースポットを目指す途上にあった。以前に道を経たオストル沼沢は、冷たくも湿り、温かな抱擁で――共に腐りゆくともがらとしてだが――冒険者たちを引き入れんとしたが、この地は乾ききり、いわく言いがたい抵抗の念が進む者を平穏へと押し戻そうとしている。草の間に道らしい道はあったが、標もろとも古えの時代より風化して、通るのはいまやフェレスの主だけであり、むきだしの地面に小石ばかりの転がる寂しい旅路が続いていた。
騎馬のうち、後方のなかんずく逞しい一頭に跨るのはバルナバーシュとルドであり、時折吹き付ける突風に彼らの外套は何度も剥がされかけ、とうに頭巾の払われた面貌は砂塵に汚れていた。ルドは乗馬を知らないため、バルナバーシュが彼を後ろに乗せて手綱を取っていたが、不慣れからか疲労も見え始めているようだった。必死にバルナバーシュの背中にしがみつく中、呼気を荒くして、不安げに身を固くしている。
「バルナバーシュ殿、大丈夫か!」
前方のひとりが振り向いて、目深にした頭巾の奥から大声で叫んだ。若い男の声だった。
「少し休みたい、速度を落としてくれ!」
バルナバーシュが頼むと、前方の二人は徐々に馬足を落ち着かせ、バルナバーシュとルドの馬もそれにならった。くつわを並べると、若い男ではないもう一人が預かり、前に乗せていたマックスがルドに一吠えして、健在ぶりを伝えてくれた。
「我らのなかで抜きんでて体力に優れるのは、どうやらこの者のようだ」
預かり主の頭巾から低く泰然とした女性の声がして、手甲に覆われた手がマックスを優しく撫でてやった。その様子に若い男のほうが肩を竦めてから、北西の方角へ手を伸ばし、バルナバーシュとルドに何かを指し示した。
「見たまえ、じきに到着だ」
バルナバーシュらが目をやると、山陰に聳える二つの塔の影が見えた。いや、正確には一つなのかもしれない。二つの塔はその頂上で、アーチを描いて繋がっている……。雲間より一筋の光が差し、灰がかった黄色に浮かび上がる石造りの塔は遠目にも長大で重々しく、殺伐とこの地に漂い、旅人を阻む寒気はあの場所より発せられているのだとバルナバーシュには感じられた。
「アラミティク廟塔……アラミティクとはイススィールの言葉で災いと解く。実に不吉なことだ。だが、ここはオストル沼沢のような累々たる負に行き詰まる袋小路とは違う。災いをもたらすがゆえに開けてはいけない棺、禁足地に至る門――そう、あの場所にこそ、我々をさらなる探求に導く甘美な秘匿があるのだろう。ああ、イススィールよ……今より我らが暴いてやるとも。お前の心臓にいつか届くきざはしを! フェレスある限り、我らに穏やかな夜はない。憤怒してみせようではないか!」
腕を広げ、そう高らかに語る男の口調は愉悦を隠さなかった。バルナバーシュは手巾で顔の汚れを拭きながら、男の横顔を大人しく傍観している。この者と連れの女性と出会った、先日の宿場町での出来事を思い返しながら。
旅の前々夜、バルナバーシュは島の情報の集まる薄汚れた酒場へ久方ぶりに顔を出した。少なくとも今のイススィールにおいて、フェレスの主は普段、互いに積極的な干渉はしないが、取引と互助は比較的な好意の中で根付き、通い合っており、人の集う場所は自然、その仲介役として機能していく定めにあった。しかし人の数は、バルナバーシュらがしばらく帰らぬ間に目に見えて少なくなっており、苦難を前にして挫ける者が続いたか、また矜持の中で道半ばに斃れたのか……いずれにせよ、バルナバーシュにはそれが我がことのようにも思えてならなかった。壁にかかる角灯の質の悪い火に揺れ、陰翳を落とす明かりの下にハインを探したが、姿はない。旅先で出会うこともなかったが、彼は湖をとうに越えたのだろうか。
水割りのラム酒を注文し、杯を手にしながら店を眺めていると、酒に似つかわしくない卓が目に留まった。書物が積まれ、広げられて、その知識の遠洋で支配者然とした青年が一冊を熱心に読んでいる。表紙には、胸の悪くなる歌集と書かれた付箋紙が貼られていた。その他に分かるのは、スラッシュ入門、はじめての召喚、頭のたいそう読本といった、ごく簡単なイススィール語の背表紙のいくつかがバルナバーシュには精々であり、手がかりすら掴めない題もあったが、いずれも古書の風情で、島より見出された貴重な資料には違いなかった。
青年はこちらの凝視など気にも留めず読書か、あるいは解読を続けていたが、バルナバーシュは彼の額にあるものが飾りでないのが分かると、情熱に水を差さざるを得なくなってしまった。
「失礼、あなたは古代人の後胤か」
仰々しく足音を立てて近付いても見向きされなかったので、思い切って声をかけた。すると青年は掘りのある気難しげな顔を上げ、眉を寄せ、丸みを帯びた銀縁眼鏡をそのブリッジに中指をあてて整えた。眼鏡には耳掛けがあり、パンスネが主流であったゲルダット人のバルナバーシュには見慣れない型だったが、合理的な洗練を窺わせる品だった。隣国ハンターレクから運ばれる舶来品に一度、これとよく似たものを目にした覚えがある。
顔を合わせると、容姿はよりはっきりとした。薄青と灰を帯びたらくだ色の髪を肩まで下ろし、中肉中背を藍の胴着と黒みのある茶色の洋袴からなる飾り気のない旅装束で包んでいたが、やや白目の多いルベライトの瞳は鋭く、手厳しい執念の火を宿して見る者に熱傷を与えるかの���うだった。鼻筋の通った面差しながら、他者を寄せ付けないどころか、自らにとって生半可な者は相手にするつもりのない一蹴を醸している。それはまた、過去の失態による不信や人嫌いではなく、生来のすげなさであった。愛想など母の胎内に自分から置いてきてやった、とでも言いたげな挑戦的な態度が、この者の全身から充溢しているのだ。
だが<古代人>に馴染みのないバルナバーシュの興味を一段と引くのは、額の目だった。それは宝飾ではなく、また入れ墨でも化粧でもなく、第三の目――生きている瞳だった。まばたき、同じルベライトの色に光る瞳は、双眸と共にバルナバーシュを曇りなく映している。このように見つめられるのは全く初めてのことだったので、内心はまごついていたが、古代人の青年が黙って続く言葉を待っていたので――そして長くは待たないのだろう――バルナバーシュは簡明直截をもって本題を口にした。
「直していただきたい遺失文明の品がある。小さな機構なのだが」 「そうか、見せてみろ」
懐中時計を手渡すと、青年はそれを見て眉を上げた。
「これはフェレスか?」 「ああ。フェレスとしては問題ないが、針が動かない。動力か、あるいは細工に支障が出ている」 「なるほど、しかしここでは無理だ。技術はあるが、道具が無い」
青年はバルナバーシュに懐中時計を返し、腕を組む。
「レオ鉱山の小屋へ行けば叶うことだが、生憎、私は明日に出立せねばならん。探索行が終わってから互いの機会があえばよいが」 「いや、それで構わない……」 「貴殿、名は?」 「バルナバーシュだ」
それから青年は薄い唇を指でなぞり、遠くを見るような目で考えたが、長くはかからなかった。
「時にバルナバーシュ殿よ。貴殿はフェクトナ湖を越えたのか?」 「あ���ああ……その先はまだ見ていないが、それが何か」 「ゆくりないことだが、我らも――ひとり連れがいるのだが、貴殿と同じ途上にある。そして準備、実力、士気に抜かりはない。よって、故も無い者を引き入れるぐらいなら、二人で挑んで間違いはないのだが……私が望む探究をより為すために、出来ればあと二人ほど同行者が欲しいのだ。貴殿を見込んで勧誘したい。報酬の用意もあるが、我らについてきたなら必ずや、貴殿にも利のある協力となるだろう。値踏みも馬鹿らしくなるほどにな」
唐突な申し出だった。ごく真剣に、またごく当然と語る顔は、なにせこの私がいるのだからと、一切の疑いもなく言葉の後に付け加えている。
「無論、断るも良しだ。あるいは人手に心当たりがあるなら、時計修理の前金代わりに教えてほしいが」 「それは……少し考える時間が欲しいが」 「私は待たない。だが目下のところ、湖を越えてなお進まんとする者とこうして会えたのは、貴殿が初めてだ。諦めて島を出る者や――彼らは極めて正しい選択をしたと言えよう――また、倒せぬ敵がいるから助けてくれとせがむ腑抜けも稀にはいたが、貴殿はそのようにも見えない。あの水精らの試練をしりぞけたなら、私の考えは分かるはずだ。だからあと一日ならば、貴殿のために出立を遅らせられる。それ以上はなしだ」 「……話は分かった。私のほうも二人連れだから、数を合わせる必要はない。相談し、明日の夕刻には、仲間を連れてこの酒場に返事を持ってくる。あるいは私たちの姿が遂に見えなければ、行ってくれ」
バルナバーシュはこの尊大で、微塵の悪意もなく、ゆえにたちは悪く、そして認めた相手には彼なりに敬意を払うつもりのある男を、懸念こそすれ嫌いにはなれなかった。この者は故郷ゲルダットで最も傲慢で、欲に醜く肥え太り、糞の山の上に立って己こそ完美と標榜してやまぬ家門、<ニールの高き壁>と何が違ったのか。バルナバーシュは、自分がこの男にかつての友……下水に棄てられて死んだウィローの面影を見ていることに気が付いた。
ウィローは高き壁の傍系にありながら、いかな痛烈な皮肉をもって本家の者どもの虚栄を突き、一夜の花火のように暴くさまを心に描いて、奸智を費やし、なによりもその楽しみの中には、意外なことに一切の不幸も過去も存在していなかった。不幸や過去は、きっかけではあったかもしれない。だがバルナバーシュにとっては、それでも驚くべきことだった。ウィロー自身が地位の低さから受けたありとある蔑みも、その痛みから生まれたはずの復讐心も、彼が生み出したものは忘れ、華やかに世界を刷新した。若き日のウィローム=アガス・ニールは、ただひとり心を許したセインオラン=エルザ・バルナバーシュと一緒になって、高き壁の連中へ悪態をつき、ささやかに一泡吹かせてやり――たとえば品行方正を自称していた男の浮気の現場を、いっとうまずい相手に目撃させたりとか――そうして悪だくみの成功を笑いあうとき、ただひたすらに幸福だったのだ。ウィローは才のある詩人であり、芸術家の素質の持ち主だった。二人はどしゃ降りの街路で、口をあけながら天に向かって笑い、雨粒を受けて駆け抜け、疲れ果て、秘密の袋小路で仰向けに転がって、息は荒く、それでも幸せに笑い続けた。ウィローは学び舎に入ると、実際に詩も書いた……美しく、自由で、それは不知によって紡がれていた。バルナバーシュの恐れた無知とは違う。ウィローは生み出す瞬間、知りながら、忘れ去るのだ。周りは彼の不幸な出自が胸を打つ詩を書かせたのだと、憐れみをもって評していたが、ウィローはその者らを一笑に付した。お得意の皮肉と嘲笑を交えて。
古代人の青年は、ウィローとは違う。いかにもな学究肌で、無駄を好まず、決して軽薄ではない。なのになぜ、面影を見たのか。彼の大胆不敵な物言いに、不幸と過去を少しも感じられなかったからだろうか。何かを掴みかけて、だがバルナバーシュには結局分からなかった。そも出会ったばかりなのだから、早計と片付けるのが今は正しいように思えた。
「待て、まだ名乗っていなかったな」
古代人の崇高な作業の邪魔をいつまでもして、気を損ねないうちに立ち去ろうとしたバルナバーシュを彼が引き留めた。
「私はフェリクス。我がフェレスに誓って、魔王を証明する者だ」
0 notes
kawaguchihide-blog · 7 years
Text
「末法味わい薄けれども教海もとより深し」資延敏雄大僧正師御遺誡
「末法味わい薄けれども教海もとより深し」資延敏雄大僧正師御遺誡 この度、資延敏雄大僧正師によります御文章「末法味わい薄けれども教海もとより深し」の御遺誡を、改めて自省として、心に留めるために、ここに挙げさせて頂いておきたいと存じます。 拙生は、常々、自らを正式な僧侶と思ったことは一度もありません。 ようやく、昨秋(平成28年11月)に、自身の「生前葬儀」として覚悟して臨ませて頂きましたダライ・ラマ14世法王猊下様御導師によります無上瑜伽タントラの灌頂を拝受することができまして、やっと正式な仏教徒となることができた浅学菲才、未熟にて愚かなる一在家の一修行者であると自覚致しております。 次生は、何とか御仏縁ありて、この世に生じることができ、できれば正式な僧侶として仏道を歩むことにより、皆様のお役に立てれる衆生済度の聖業に励めれますように、しっかりと心掛けて今生の修行の精進に努めて参りたいところでございます。 川口英俊 合掌 以下は、まず原文と、それから、原文・現代語訳(東賢性師による)対比となっております。 「末法味わい薄けれども教海もとより深し」「六大新報(2006年新年号)・巻頭文」 高野山真言宗管長・総本山金剛峰寺第411世座主(当時) 資延敏雄(すけのぶびんゆう)大僧正師 波羅夷十重多犯の愚老、四大散ずれば忽ち龍戸に転ずること必定にて、斯様な弁舌を揮うは身の程を知らず、慚愧に堪えざることながら、敢えて諷せずしてここに謇諤す。 高祖弘法大師、真言秘密の法門を讃して曰く。「顕薬塵を払い、真言庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す」と。また曰く「三密加持即疾顕」と。 しかしながら今、我ら高祖の末徒を称したる者の有り様たるや如何。真言行人に三密の鑰もて庫を開ける者なく、顕薬施して塵苦を払うの人も無し。ただ手に密印を弄んで口に真言を囀り、意三毒を刹那として離れず、ついに仏日の影、行者の心水に影ずることなし。多くは三業放縦、四無量四摂の鉤縄そなえずして祈祷占術に専らし、邪命養身して恥じず。甚だしきは霊ありと身見・邪見し、奇妙不可思議の弁舌を振るって衆人を惑わす。煩悩即菩提、即事而真の玄旨を牽強付会し、五根に縄掛けず、五欲を恣にして華服玉食、これ大欲なりと嘯く者の夥多たること、羝羊の群れの如し。嗚呼、我ら悉く飽食暖衣、逸居して教なく、些かも禽獣に異なることなし。 また高祖大師、真言行人須く顕密二戒を堅持すべしと御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八に曰く「夫れ以みれば女人は是れ万性の本、氏を弘め門を継ぐ者なり。然れども佛弟子に於いて親厚すれば、諸悪の根源、嗷嗷の本なり。是を以て六波羅蜜経に曰く、女人に親近すべからず。若し猶お親近せば善法皆な盡きなむ等と云云」と。 しかるに今時、我ら寺家悉く妻妾蓄えて是を常とし、寺寺に媒嫁し、相嫁して血脈一統を造り、人の寺家在家の出自を問うて軽重の別を用うる。これ佛家転じて婆羅門と堕したの証。たまさか方服を着して庫裏に居直る禿頭の類、布施無きは経を読まずと非法に信施を掠め盗り、世事に自ら参与して、貴人に好みを結んではこれを悦ぶ。伽藍に財施あれば、心地忽ち濁悪に染まり、有力の檀越あれば媚び諂いてさらにこれを求むる。 今の僧徒、悉く得度沙弥の式にて不婬を誓い、三聚戒壇に進具して不犯を重ね誓して形を沙門に比しながら、あろうことか佛前婚儀に及びてこれに毫も疑念を抱かず、「これ佛縁なり」「有り難き哉、これ如来の導きなり」と狂談して寿ぎ、なお比丘の名を騙って一向恥じぬは、世の盗賊にも遙かに劣れり。三昧耶戒にて「大師の教えの如く、我誓って修行して云々」と述べ誓う舌、妄語の斧となって己が身を裁断す。 佛陀の金言、高祖の遺戒悉く違犯するも、「我佛弟子なり、我高祖の末徒なり」と揚言するは、厚顔無恥にして傲岸不遜の極みなり。噫、「慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なり」 との佛陀の遺教、寺家に於いては、今は昔の物語か。 これによって三宝の鳥、僧の声を失って羽撃くを息め、南天の鉄塔固く扉を鎖して開かず。四禅に棚引く雲は散り、魚山呂律の川は枯れ、悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい。「物の興廃は必ず人による」 との高祖の箴言まこと爾なり。今佛法の荒廃、僧徒によって甚だし。当にこれ獅子身中の蟲なるべし。是の如き因縁、釈教に照らすに歴々たり。今の真言行人、皆悉く戒法持たず、律儀備えざるが故なり。 『遺教経』に曰く、「汝等比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝の大師なり。(中略)戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯せしめること勿るべし。若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と。また『四分律』等諸律に制戒の由を挙げて曰く、「正法の久しく住するを得る」 と。持戒によって正法起こり、破戒によりて末法きたること、寧ろ我らが非道によって分明なり。三密の金剛、持戒の徒にその威を現し、破戒の輩は虚しく自ら三界に掣肘す。 然りと雖も、当下扶桑に戒法相伝、行学兼備の律虎すでに悉く寂滅し、僧伽滅びて何処にも無く、求法の輩は涕涙して律幢たなびく往昔を恋慕するのみ。 或る人曰く、伝教大師、平安の昔に小律を捨て、唯受大乗戒の義を建てたる。本邦、大乗相応の地にして、しかも在家佛法にて僧儀相応の地に非ずと。また曰く、律儀は時代錯誤にして理に応ぜざるものなるが故に、寧ろ新しき僧儀を立つべしと。これ門外の徒の放言、僻事の極みなり。僧儀・戒法悉く佛説佛制にして三蔵所伝。菩薩の律儀戒は声聞の七衆別解脱戒に同じと『瑜伽論』に誠説するを聴け。また近世、北嶺に安楽の猛風起こりたる由を知れ。大迦葉尊者「佛制戒したまう所の如く、応さに随順して学すべし」と制し、鶏足入定して龍樹三会の会坐を俟つこと高祖に同じ。もし末世愚鈍の予輩が新しき僧儀なるを立つることあらば、戒禁取の咎あって、なお網呑舟の魚を漏らすこと必定なり。 また或る人曰く、妙瑞律師の昔より今に至るまで南山に有部の戒法縷々として絶えずと。このこと爾らず。現行授戒規則の不如法たるや甚だしく、通別共に授戒成立の余地寸毫も無きこと、諸律諸経論の文拠を待たずとも明らかなり。界壇の境定かならず、難遮問わず、入壇受戒者六物具えず 、十人壇上に列すると雖も持律十歳の戒和尚これ無く、清浄五夏の阿闍梨等、真出家者一人として存せぬが故なり。居るは戒に不通の猩猩和尚、威儀の不備たる狂酔阿闍梨ばかりなり。また曰く、今の授戒、現前の十師を用いず。冥の五師を請じて証と為すと。このことまた一向爾らず。豈能く売僧万斛の壇上に諸仏諸菩薩来たらんや。これによって知るべし、我ら真言門徒悉く無戒の相似僧、否、願人坊主に過ぎざることを。今時南山に授戒と称するは、佛名を三百ばかり譫言して漫ろに空礼虚拝し、まだ受けざる戒を布薩する戯れ事なり。 開陳したる是の如き辛辣の言、老いて頑迷固陋たる者の故なき悪口、由なき讒言に非ず。世に、至愚と雖も人を責むるときは即ち明らかに、聡明ありと雖も己を恕するときは即ち昏しと云えり 。我則ち賊心入道に異なることなく、此の如き言を揮うに価する行業、微塵もなきこと重々承知。ただ命根まさに尽き果てんとする今、下機下根の老犬馬にて戒法興復するに力及ばずとも、ここに興法利生の願発すが故の所辯なり。もとよりこれ名聞利養の為に非ず。 『華厳経』に曰く「信は道の元、功徳の母なり」と。『智度論』には「仏法の大海は信を以て能入とす」と信の重きを明かすと雖も、今真言門徒の喧伝するところの信、邪にして澄浄・随順・不壊等の義、一としてなし。それ信徒拐かして闇然たる妄境に堕さしむの因、五結ますます強固にして悪趣に導くの縁なり。いかでか十信の��位にも達すべき。ただ口に南無云々とのみ唱え礼する人、滅後その舌、浄土に生じて蛭となり、その身は悪趣に転じて諸苦を受けんこと疑いなし 。およそ仏法に於ける信に曇濁・盲順・依存の義無し。信これ持戒、信これ修禅、信これ智慧なり。信これ勤修、心念、修禅、智慧獲得するの勝因なり。諸仏諸賢聖の遺徳に胡座して、一生の陽炎の如き楽を嘗め、多生を損なうこと勿れ。名聞利養に縛され、歌舞音曲に現を抜かして、悪趣に長く沈溺すること勿れ。 呑刀刮腸して頭燃を払い、三学如法に具足して善逝の徳を世に顕せ。日に安般四念して四諦を観じ、以て賢聖十地の雲に登れ。上機上根なる者は、三密相応して大日の影自心に現し、以て真言門徒の証と為せ。 唯一言も不可思議を口にすること勿れ。人の機根万差にして等しからず。宗我を逞しくして自他の優劣を判じること勿れ。徒に高邁の言葉を陳ぜず、分を過ぎたるを求めず、法を得れば拳拳服膺してその果を求めよ。自らの機根省みずして多聞を求めれば、則ち百年生けれども一法に迷う。ただ一法を聞いて心念勤修せば、一日にして万法証するも可なり。機の大乗小乗の別を外儀に求めず、ただ己が心地にこれを求めよ。内に菩薩行を秘し、外に声聞の形をなせ。小を嗤って大に背き、むしろ邪に転ずること勿れ。 出家の罪業度し難きこと、興正菩薩の辯の如し。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の如くあれ。見起これば則ち不浄観にてこれを離れよ。古来、僧の女犯頗る多しと雖も、その罪甚だ重きこと聖教に明らかにして、高祖も重々誡めたるところ。もし律儀持すること能わざれば、捨戒して白衣となれ。もし捨せずして婬法行わば、それ波羅夷不共住にして、己が今生の釈子の種、断滅す。またこれに謗法の重き罪咎あり。よくよく意に留めるべし。 願わくば至心に真言の法門を奉じるの朋、高祖の遺志を継ぐべきの畏友、大聖の誠言に随って不死の法幡を掲げんことを。伏して請う、極心求法の道人、奮起し戒壇再興して僧宝を建て、人天の帰依処となって誠道を照らさんことを。僧儀興復して戒徳の香、扶桑に千代に留まらしむことを。道心堅固の人、西大の菩薩・深草の上人・葛城の尊者等諸賢に倣いて、如説修行の聖僧とならんことを。 忠言耳に逆らう。おそらくは不肖の我が訥言、その耳奥に達して心応じる人少なし。ただ我、聖賢知識の人現れば、たちまち弟子となって泥土に伏し、その沓を頂かん。 高野山真言宗 総本山金剛峯寺第411世座主 資延敏雄 識 原文の参照・・ 真言宗泉涌寺派大本山・法楽寺様サイト・戒律講説・資延敏雄「末法味わい薄けれども教海もとより深し」 http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/nippon/mappou~ajiwai/index.htm ・・以上原文ここまで。 以下、原文を読みやすく現代語に直されて、ご自身のFacebook上にて公開されました東賢性師の内容からの引用・・ https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=403665213363810&id=100011610049289 原文対比・東師訳文は【 】内 波羅夷十重多犯の愚老、四大散ずれば忽ち龍戸に転ずること必定にて、斯様な弁舌を揮うは身の程を知らず、慚愧に堪えざることながら、敢えて諷せずしてここに謇諤す。 【決して懺悔しても許されない邪婬・盗み・殺生・自ら賞賛を得ようとしたり、十種の戒律を多く犯した愚かな老人は、亡くなればたちまちに畜生に生まれ変わることが避けられない。この様な事をお話をするのは、身の程を知らずで、自らと他の方に対して恥ずかしいことで耐えられないが、敢えて批判を覚悟して、ここにハッキリとお話ししたい。】 高祖弘法大師、真言秘密の法門を讃して曰く。「顕薬塵を払い、真言庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す」と。また曰く「三密加持即疾顕」と。 【高祖弘法大師、真言秘密の教えの内容を称賛して申された、「顕教は物事に着いたホコリを払って、その本質に漸次近づいていくようなものであるが、密教は物事の本質に直接迫るようなものであり、物事のあらゆる特性を認め生かす教えである」と。また「身体・言葉・心を整え融合し、仏菩薩の境地と同じくすれば、たちまちに仏陀の境地に到るのです」と。】 しかしながら今、我ら高祖の末徒を称したる者の有り様たるや如何。真言行人に三密の鑰もて庫を開ける者なく、顕薬施して塵苦を払うの人も無し。ただ手に密印を弄んで口に真言を囀り、意三毒を刹那として離れず、ついに仏日の影、行者の心水に影ずることなし。多くは三業放縦、四無量四摂の鉤縄そなえずして祈祷占術に専らし、邪命養身して恥じず。甚だしきは霊ありと身見・邪見し、奇妙不可思議の弁舌を振るって衆人を惑わす。煩悩即菩提、即事而真の玄旨を牽強付会し、五根に縄掛けず、五欲を恣にして華服玉食、これ大欲なりと嘯く者の夥多たること、羝羊の群れの如し。嗚呼、我ら悉く飽食暖衣、逸居して教なく、些かも禽獣に異なることなし。 【しかしながら、現代のお大師様の末徒を称したる者の有り様は、一体どうなっているのか?真言密教にて実践している者に、三密の鍵を持って物事の本質に直接迫り、物事のあらゆる特性を認め生かす教えを開ける者など無く、それ以前の仏法を弘め物事の本質に漸次近づいて苦悩を払う人すらいない。ただ手に秘密の印をもて遊び、口に真言をさえずり、心に貪りや怒り・恥ずかしい考えを絶え間なく持って離れようともしない。ついに太陽の様な仏陀の光が、僧侶の水の様な心に映し出されることもない。多くは行動・言葉・意識の働きは好き放題、四つの他者を慈しみ哀れむ心を養う修行、生けとし生ける者の苦しみを取り除く為の四つの方法の鉤縄を実践する事もなく、祈祷や占術に専念し、それによって金品を集める様な出家者が、決してしてはならぬ四つの邪な生活を平然として恥じる事もない。最も許し難いのは、霊がいるなど、一切に固有の存在があるとか、仏法の判断基準となる仏陀の金言、三蔵に伝わる聖言にそぐわない誤った物事の見方、また、輪廻転生や因果応報を否定する邪見を持ち、言葉巧みに人気取りの弁舌を振るって人を酔わせ惑わせる。究極的な真実である「煩悩即菩提」や「生滅変化して、これら自他の差別がある目前の現象世界が、そのまま真理そのものである」の深い真実を自分の都合のいい様に解釈し、五つの感覚器官に縄掛けず、その感覚器官から生まれる五つの欲を欲しいままにブチまけて、豪勢な食事に高級な衣服を着て、僧侶としてあるまじき贅沢な生活を当たり前とし、これを密教の極意である「大欲なんだ」と平然と話すのは、愚かな動物と何ら変わりない姿だ!嗚呼!その様な食べたいだけ食べ、着たいだけ着て、自由奔放に暮らし、教養も知性も道徳もないのであれば、その人は獣と何ら変わることがない!】 また高祖大師、真言行人須く顕密二戒を堅持すべしと御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八に曰く「夫れ以みれば女人は是れ万性の本、氏を弘め門を継ぐ者なり。然れども佛弟子に於いて親厚すれば、諸悪の根源、嗷嗷の本なり。是を以て六波羅蜜経に曰く、女人に親近すべからず。若し猶お親近せば善法皆な盡きなむ等と云云」と。 【また高祖大師は、「真言の僧侶はすべからく顕教と密教の二つの戒を堅持すべし」と御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八項に、「夫れ考えてみれば、女性は全ての命の源、家を弘め家を継ぐ大切な性を持つ。しかし仏弟子にとって、近づき親しくし過ぎれば諸悪の根源、騒がしくなる原因である。だから『六波羅蜜経』には、女人に親しくなり、近づいてはならない。もし軽々しく親密になれば、善法は皆な盡きなむ等と云云」と諭されている。】 しかるに今時、我ら寺家悉く妻妾蓄えて是を常とし、寺寺に媒嫁し、相嫁して血脈一統を造り、人の寺家在家の出自を問うて軽重の別を用うる。これ佛家転じて婆羅門と堕したの証。たまさか方服を着して庫裏に居直る禿頭の類、布施無きは経を読まずと非法に信施を掠め盗り、世事に自ら参与して、貴人に好みを結んではこれを悦ぶ。伽藍に財施あれば、心地忽ち濁悪に染まり、有力の檀越あれば媚び諂いてさらにこれを求むる。 【しかるに現代は、我ら寺にあっては悉く妻や浮気相手を作ることが当たり前となり、寺同士で結婚したり、親戚関係を作って血筋の一統を造り、寺生まれか在家生まれかを問い、出生の優劣を用いる。これは仏の家ではなく、出生の身分を説くバラモンに堕落した証拠。たまに僧衣を着して、庫裏に居直る坊主頭の連中は、「布施が無いとお経を読まず」と仏法を信仰する人の志をかすめ盗り、世俗に自ら飛び込んで社会的地位のある者や有名人と知り合いとなったと悦ぶ。寺院に寄付があれば、心の中に忽ち悪しき感情に染まり、財力と地位のあるの檀家には、媚び諂いてさらに寄付求める。】 今の僧徒、悉く得度沙弥の式にて不婬を誓い、三聚戒壇に進具して不犯を重ね誓して形を沙門に比しながら、あろうことか佛前婚儀に及びてこれに毫も疑念を抱かず、「これ佛縁なり」「有り難き哉、これ如来の導きなり」と狂談して寿ぎ、なお比丘の名を騙って一向恥じぬは、世の盗賊にも遙かに劣れり。三昧耶戒にて「大師の教えの如く、我誓って修行して云々」と述べ誓う舌、妄語の斧となって己が身を裁断す。佛陀の金言、高祖の遺戒悉く違犯するも、「我佛弟子なり、我高祖の末徒なり」と揚言するは、厚顔無恥にして傲岸不遜の極みなり。噫、「慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なり」 との佛陀の遺教、寺家に於いては、今は昔の物語か。 【今の僧侶集団は、悉く得度し沙弥になる儀式にて、淫行せずと誓い、正式な僧侶になる受戒に進み、戒律を具える際にも重ね誓して、外見だけを釈迦の弟子に重ねる。あろうことか仏前の婚儀に及んでは、これに少しも疑念を抱かないで「これ仏縁なり」や「有り難き哉、これ如来の導きなり」と、仏の金言と都合よく解釈して、お祝いの言葉を述べ、なお正式な僧侶たる比丘の名をかたるも一向恥じぬことは、世間の盗賊にも遙かに劣っている。密教の戒律である三昧耶戒にて、「大師の教えの如く、私は誓って修行して云々」と述べて誓うその自らの舌根拠の無い言葉の斧となって自分自身を裁き断ずることになる。仏陀の金言、高祖空海の『遺戒』を全て誤った解釈をして罪を犯しても、「我は釈迦の弟子なり、我は高祖大師空海の末徒なり」と平然と人々に語るは、厚顔無恥にして驕り高ぶり見下した極みだ!嗚呼!「いつも自分を省みる謙虚な心を持っている人こそ、どんな高価な衣服をまとうよりも、最高に美しく見える」との仏陀の遺言の教えは、寺院や僧侶にとっては、とうの昔の単なる物語になってしまった。】 これによって三宝の鳥、僧の声を失って羽撃くを息め、南天の鉄塔固く扉を鎖して開かず。四禅に棚引く雲は散り、魚山呂律の川は枯れ、悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい。「物の興廃は必ず人による」 との高祖の箴言まこと爾なり。今佛法の荒廃、僧徒によって甚だし。当にこれ獅子身中の蟲なるべし。是の如き因縁、釈教に照らすに歴々たり。今の真言行人、皆悉く戒法持たず、律儀備えざるが故なり。 【これによって仏法僧の三宝の鳥は、三宝の中の「僧」の声を失って空に羽ばたくをやめ、密教がこの世界に最初に伝わった南インドのアマラバティの鉄の宝塔は固く扉を鎖して開く事は無くなった。欲望が調教され、清らかな身体を持つ色界である「四禅」の世界に棚引く雲は散り、声明の聖地である魚山の音色の調べである「呂律」の川は枯れ、真理の文字である梵字悉曇の十八の言葉の法則を学ぶ者が絶えてどれだけ経つのだろう。「物の興廃は必ず人による」との高祖空海の戒めの言葉は、本当に現実の事となってしまった。今の仏法の荒廃は僧侶によってなされている。本当に「獅子身中の蟲」のようだ。この様な因縁は釈迦の教えに照らしたら当たり前の事だ!今の真言の僧侶は、全てみな戒律や教えを持っていないし、戒律に従った通りに心身に備わって無いからである。】 『遺教経』に曰く、「汝等比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝の大師なり。(中略)戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯せしめること勿るべし。若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と。また『四分律』等諸律に制戒の由を挙げて曰く、「正法の久しく住するを得る」 と。持戒によって正法起こり、破戒によりて末法きたること、寧ろ我らが非道によって分明なり。三密の金剛、持戒の徒にその威を現し、破戒の輩は虚しく自ら三界に掣肘す。 【『遺教経』に曰く「汝たち比丘、私が入滅した後において、まさにに戒律を尊重し、大切な宝とすべし。暗闇に灯明に遇い、貧しき人が宝を得る様に、本当に知らなくてはならない。これは即ち、これこそあなた方の偉大なる師なのです。(中略)戒はこれ正しく順序立てて、解脱へいたる根本です。だから波羅提木叉(人となる道)と言うのです。この戒を根拠とする原因とは、諸の禅定及び苦しみを消滅する智慧を生ずることを得るからで、この故に比丘はまさに、浄らかな戒を持ちて、犯し捨て貶めることはしてはなりません。もし人がよく浄らかな戒を持てば、この事によって素晴らしい善い教えが有あるのです。もし浄らかな戒が無ければ、諸々の善の功徳はみな、生まれて得る事も無い。この様なことから本当に理解して下さい。戒は第一に、安穏の功徳が生まれる根本である事を」と。また『四分律』等の諸々の律を定めて整理する理由を挙げている中に、「正しき教えが長く住するを得るのです」と。戒律を持ち保つ事によって正しい教えが起こり、戒を破る事によりて末法が訪れること。それは我らが仏法の教えに従わず、僧侶としての本分と自覚を忘れることが原因なのは考えれば明らかなことです。三密の金剛たる真言僧は、持戒の僧侶にこその威力を現し、破戒の僧侶の輩は虚しく自ら三界にのさばり、横から干渉し真っ当な僧侶の歩む道を妨げるのです。】 然りと雖も、当下扶桑に戒法相伝、行学兼備の律虎すでに悉く寂滅し、僧伽滅びて何処にも無く、求法の輩は涕涙して律幢たなびく往昔を恋慕するのみ。 【そうは言っても、日本のおける戒律の教えを相伝し、実践と智慧を得た行学兼備の律僧は、すでに悉くお亡くなりになり存在しない。僧侶の集団も滅びてどこにも無く、教えを求めるの真の僧侶は、そんな現実に涙を流して、正しき戒律を守り、正き教えが弘まっていた昔を恋慕するのみ。】 或る人曰く、伝教大師、平安の昔に小律を捨て、唯受大乗戒の義を建てたる。本邦、大乗相応の地にして、しかも在家佛法にて僧儀相応の地に非ずと。また曰く、律儀は時代錯誤にして理に応ぜざるものなるが故に、寧ろ新しき僧儀を立つべしと。これ門外の徒の放言、僻事の極みなり。僧儀・戒法悉く佛説佛制にして三蔵所伝。菩薩の律儀戒は声聞の七衆別解脱戒に同じと『瑜伽論』に誠説するを聴け。また近世、北嶺に安楽の猛風起こりたる由を知れ。大迦葉尊者「佛制戒したまう所の如く、応さに随順して学すべし」と制し、鶏足入定して龍樹三会の会坐を俟つこと高祖に同じ。もし末世愚鈍の予輩が新しき僧儀なるを立つることあらば、戒禁取の咎あって、なお網呑舟の魚を漏らすこと必定なり。 【或る人が申すには、伝教大師が平安の昔に小乗の律を捨てて、唯だ大乗戒を受ける意味を作り上げた。この国は大乗の相応の地にして、しかも在家の仏法にて僧侶の存在する場所ではない、と。また申すには、戒律の実践は時代錯誤にして、理にかなってないからで、むしろ新しき僧侶の意味付けをしなければならない、と。これらは真の仏法を学ぶ者では無く、その様に実践できない者の僻みの極みなのです。僧儀・戒法悉く仏の説であり仏の定めたものにして、経律論の三蔵が伝えるところである。また菩薩の律儀戒である菩薩戒は、小乗の声聞の七衆別解脱戒に同じであると『瑜伽論』に真実の説を学び理解せよ!また近世比叡山に安楽律という比丘戒を奉じる一派が起こり、猛風の様に弘まったのは何故か知るべきである。釈迦の弟子である大迦葉尊者は、「仏陀の制定した戒の一々を、応さに順に従って学び実践すべし」と定め鶏足山の中にて入定し、弥勒菩薩下生し成道して仏陀となりて龍樹三会の説法の会坐に加わるとあるのは、高祖空海大師に同じなのです。もし末世の今に愚かで鈍感なる僧侶が、新しき僧侶のあり方を立てるのであれば、誤った戒律や誓いによって悟りを得るという過ちを犯し、あたかも網の目が粗いために、舟をのむほどの大魚までも逃す様に、真理真実を得る事は無いでしょう。】 また或る人曰く、妙瑞律師の昔より今に至るまで南山に有部の戒法縷々として絶えずと。このこと爾らず。現行授戒規則の不如法たるや甚だしく、通別共に授戒成立の余地寸毫も無きこと、諸律諸経論の文拠を待たずとも明らかなり。界壇の境定かならず、難遮問わず、入壇受戒者六物具えず 、十人壇上に列すると雖も持律十歳の戒和尚これ無く、清浄五夏の阿闍梨等、真出家者一人として存せぬが故なり。居るは戒に不通の猩猩和尚、威儀の不備たる狂酔阿闍梨ばかりなり。また曰く、今の授戒、現前の十師を用いず。冥の五師を請じて証と為すと。このことまた一向爾らず。豈能く売僧万斛の壇上に諸仏諸菩薩来たらんや。これによって知るべし、我ら真言門徒悉く無戒の相似僧、否、願人坊主に過ぎざることを。今時南山に授戒と称するは、佛名を三百ばかり譫言して漫ろに空礼虚拝し、まだ受けざる戒を布薩する戯れ事なり。 【またある人が申すには、高野山の律僧である妙瑞律師の昔より現在に至るまで、高野山には有部の戒と教えが脈々としながら絶えていないと。これは全く誤りである。現在行われている授戒の規則は、仏法に従っていない事は甚だしく、共通と特別共に授戒が成立する余地が微塵も無い事は、諸々の律・経典・論書の内容の根拠を待たずとも明らかなる事である。受戒を行う境界の壇の境を定めず、戒を授ける相応しい条件を具えているか、授けてはならない条件を持っていないかを受者に問い質す事も無く、戒を授ける道場に入る為に必要な僧侶の六つの道具も持っていない。受戒に参列する十人の僧侶も、持戒清浄の比丘が十人以上揃い、その全員の了承が必要で、その内の三人は授戒の主導的役割を担うだけの戒和尚もおらず、具足戒を受けてから十年以上経過し、持戒清浄であって戒律に通じた僧侶、具足戒を受けてから五年以上経過した持戒清浄の比丘で、和尚の代理として受者に立ち居振る舞いや袈裟の着方などを教授する役割を担う五夏の阿闍梨、真の出家者が一人として存していないからである。実際にいるのは戒に通じていない猿の化け物の様な和尚、威儀や作法が怪しく備わっていなく、自分が一体何をやっているのか分かってない阿闍梨ばかりなり。また言うには、現在の授戒では実際の十人の和尚を用いずに、釈尊や菩薩を五人の和尚として道場にお招きして、授戒の証しとしている。このことは本当におかしな事である。それは仏法を飯の種にして商売する卑しい僧侶がたくさんいる道場に、果たして諸仏諸菩薩が来て下さるのでしょうか?これによって知らなくてはならない。我ら真言宗の門徒は、全てみな戒律を持たない真似事の僧、いや僧侶の姿をした盗人程度である。今時、高野山にて授戒と称しているのは、御仏の名を三百ばかり空々しく唱え、ぞろぞろと騒がしくに空に礼し虚しく拝し、まだ受ていない戒の内容を説くのは無意味な事である。】 開陳したる是の如き辛辣の言、老いて頑迷固陋たる者の故なき悪口、由なき讒言に非ず。世に、至愚と雖も人を責むるときは即ち明らかに、聡明ありと雖も己を恕するときは即ち昏しと云えり 。我則ち賊心入道に異なることなく、此の如き言を揮うに価する行業、微塵もなきこと重々承知。ただ命根まさに尽き果てんとする今、下機下根の老犬馬にて戒法興復するに力及ばずとも、ここに興法利生の願発すが故の所辯なり。もとよりこれ名聞利養の為に非ず。 【この様な内容を人の前で述べ、この如き厳しい言葉、老いて頑固になりとち狂い、古い考えで新しい見解を受け入れられない坊主の悪口の様ではあるが、意味も無くただ真面目に取り組んでいる僧侶を陥れ批難する内容ではありません。世の中の人間は、自分が愚かでありながら人を責め立てるときは、細々したところまで言い立てるものである。また逆に大変に利口で細かい点までよく頭の回る人間でも、自分の欠点をみずから指摘するときは気付かないものであると申します。私は単に仏教を信仰するでもなく、免税の特権や衣食住に困らないなどの理由で僧侶をするとか、または正しき具足戒を受けずに比丘として生活する者と同じで、この様に辛辣な内容を申すだけの行いなど、微塵もしていないのは重々承知しています。ただ私の命がまさに尽き果てんとする今、頭も育ちも悪い老いた犬や馬の様な私が、戒律の教えを興復するに力が無くても、ここに仏法を再興して、生けとし生けるものの幸福の為に願いを発したから述べたのです。もとより自ら有名になり自分の利得の為ではありません。】 『華厳経』に曰く「信は道の元、功徳の母なり」と。『智度論』には「仏法の大海は信を以て能入とす」と信の重きを明かすと雖も、今真言門徒の喧伝するところの信、邪にして澄浄・随順・不壊等の義、一としてなし。それ信徒拐かして闇然たる妄境に堕さしむの因、五結ますます強固にして悪趣に導くの縁なり。いかでか十信の初位にも達すべき。ただ口に南無云々とのみ唱え礼する人、滅後その舌、浄土に生じて蛭となり、その身は悪趣に転じて諸苦を受けんこと疑いなし 。およそ仏法に於ける信に曇濁・盲順・依存の義無し。信これ持戒、信これ修禅、信これ智慧なり。信これ勤修、心念、修禅、智慧獲得するの勝因なり。諸仏諸賢聖の遺徳に胡座して、一生の陽炎の如き楽を嘗め、多生を損なうこと勿れ。名聞利養に縛され、歌舞音曲に現を抜かして、悪趣に長く沈溺すること勿れ。 【『華厳経』には、「信は実践の元、功徳の母なり」と。『智度論』には、「仏法の大海は信を以てよく入る」と信の重きを明かしてるとは言え、今の真言宗の僧侶の喧伝するところの信は、邪にして根拠が不明瞭かつ、各々が勝手に分かりもせずに説明し、理論的思考と経験の両方に裏打ちされたものでなければならならないのにも関わらず、信仰する人を騙して返って暗闇の苦悩の状態へと向かわせる原因となり、五つの煩悩を強固にさせて悪しき境遇へと導く縁となっている。口に大乗・大乗とのぼせる割には、誰も菩薩として第一段階にすら至り得ていない。ただ口に「南無云々」とのみ唱え礼する人は、亡くなった後に舌だけが浄土に生じて蛭となり、その身は地獄などに転じて諸々の苦を受ける事は確実である。およそ仏法における信に、曖昧な根拠、根拠のない教えに従ったり、意味なく依存する意味は無いのです���信とは戒を持ち、信とは思考し、信とは智慧なのです。信は勤め修め、心にて考え、深い考察して、智慧を獲得する事が優れた原因となるのです。諸仏や菩薩・聖者の遺徳にあぐらをかいて、その一生に陽炎の如き目先の満足と楽しみを嘗めて、何度も輪廻の苦界に生まれる事にならないようにし、多くの人から称賛されて世間の地位を求める欲に縛られ、歌舞音曲にうつつを抜かして、地獄などの悪しき境遇に長く生まれ変わる事にならないようにしなければならない。】 呑刀刮腸して頭燃を払い、三学如法に具足して善逝の徳を世に顕せ。日に安般四念して四諦を観じ、以て賢聖十地の雲に登れ。上機上根なる者は、三密相応して大日の影自心に現し、以て真言門徒の証と為せ。 【心を入れ替えて努力して怠らず、戒律・禅定・智慧の三つの学びを釈尊の説かれた通りに具足して、仏陀の尊い徳を世の中に顕せ!毎日最初は呼吸を数えて心を落ち着け集中し、次に呼吸ならびに身心の状態をただ観じていく瞑想をし、身体・感覚器官・心・真実が、それぞれ不浄・苦・無常・無我であると観じなさい。世界は苦であるという聖なる真理、世界は様々な原因と条件とによって、仮に構成された実体のないものであるという聖なる真理、苦しみの生存の死滅という聖なる真理、苦しみの生存を死滅させる道という聖なる真理を観じ、これからの修行によって次第に悟りを深めよ。素晴らしい環境と自らの器が素晴らしい者は、身体・言葉・意識が融合し、仏陀の働きと相応して、大日如来の姿が自らの心に現れて、これを以って真言密教の僧侶の証しとせよ。】 唯一言も不可思議を口にすること勿れ。人の機根万差にして等しからず。宗我を逞しくして自他の優劣を判じること勿れ。徒に高邁の言葉を陳ぜず、分を過ぎたるを求めず、法を得れば拳拳服膺してその果を求めよ。自らの機根省みずして多聞を求めれば、則ち百年生けれども一法に迷う。ただ一法を聞いて心念勤修せば、一日にして万法証するも可なり。機の大乗小乗の別を外儀に求めず、ただ己が心地にこれを求めよ。内に菩薩行を秘し、外に声聞の形をなせ。小を嗤って大に背き、むしろ邪に転ずること勿れ。 【ただの一言もこれが根拠の無い神秘な事だと語ってはならない。人の機根というのは様々にしてみな同じでは無いのです。自らの宗派を最高として、他の宗派の優劣を根拠無く判断してはならない。必要以上に優れている言葉を語る事なく、身の丈以上の過ぎたるを求めず、教えを得れば心にとどめて、忘れない様にしてその結果を求めよ。自らの機根省みず事なく、仏の教法を多く知ったり、多くの知識を蓄えたいとして求めれば、則ち百年生きたとしてもたった一つの教えに迷う。たった一つの教えを聞いて心して考え勤めて実践すれば、一日にして全ての仏法の心髄を会得する可能性もあるのです。それをきっかけに大乗や小乗の違いを修行法や作法、袈裟の使い方など見かけに求めず、ただ自分の心の考えや思慮に求めなさい。自らの内側の菩薩行を世間に見せること無く、外見を声聞などの小乗の比丘の姿をせよ。細かな事を大切にせず肝心な事に背き、それによって悪しき事にならない様にせよ。】 出家の罪業度し難きこと、興正菩薩の辯の如し。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の如くあれ。見起これば則ち不浄観にてこれを離れよ。古来、僧の女犯頗る多しと雖も、その罪甚だ重きこと聖教に明らかにして、高祖も重々誡めたるところ。もし律儀持すること能わざれば、捨戒して白衣となれ。もし捨せずして婬法行わば、それ波羅夷不共住にして、己が今生の釈子の種、断滅す。またこれに謗法の重き罪咎あり。よくよく意に留めるべし。 【出家をした者の罪作りな言動を糺し、理解し合うことは大変難しいのは、興正菩薩叡尊律師も説明しています。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の様にあるべきです。女性に性的な想いが起これば、その時に生命の真実の姿を想う「不浄観」によって、性的な感情から離れなさい。古来から僧侶の女犯はとても多いといえども、その罪はとても重いことは三蔵に明らかにしており、高祖大師空海も重ね重ね誡めているのです。もし戒律を持するこが難しいならば、戒律を返して俗服を着る者になりなさい。もし捨てようとしないで女犯を行うならば、それは戒律の最も重い違犯を犯して、自らの心にある今の人生の仏となる種を断じて滅すことになるのです。またこれに教えを貶めるの重き罪が含まれるので、よくよく心に留めておきなさい。】 願わくば至心に真言の法門を奉じるの朋、高祖の遺志を継ぐべきの畏友、大聖の誠言に随って不死の法幡を掲げんことを。伏して請う、極心求法の道人、奮起し戒壇再興して僧宝を建て、人天の帰依処となって誠道を照らさんことを。僧儀興復して戒徳の香、扶桑に千代に留まらしむことを。道心堅固の人、西大の菩薩・深草の上人・葛城の尊者等諸賢に倣いて、如説修行の聖僧とならんことを。 【願わくば真心を持って真言密教の教えを学び伝える仲間たちは、高祖大師空海の遺志を継ぐべき尊敬し合う仲間、釈尊の誠の言葉に随って、生死の苦しみを除く教えの旗を掲げて欲しい。伏してお願いしたい。極めて心から教えを求めている僧侶や在家の方々は、奮起して正しい戒律を伝え弘める活動を復活し、僧宝をいま一度輝かせ、人や天の信頼される人となって、正しい釈尊の教えと実践を照らして下さい。僧侶としてのあるべき姿や行動をまた再興して、戒律の徳の香りが日本に永遠に留まって欲しい。僧侶として生き方を真っ当に歩んでいる人は西大寺の興正菩薩叡尊師や深草の上人と呼ばれ日蓮宗の僧侶でありながら釈尊が定めた小乗の四分律を行じることを主張し諸宗の人とも盛んに交流を持った高徳である玄政上人や、葛城の尊者と呼ばれ自身が所属する宗派に対する盲信や、宗派びいきを厳しく批判したため、保守層から異端視もされた慈雲尊者の様な諸々の素晴らしい大徳にならい、釈尊の説かれた教えに従って修行実践する僧侶になって下さい。】 忠言耳に逆らう。おそらくは不肖の我が訥言、その耳奥に達して心応じる人少なし。ただ我、聖賢知識の人現れば、たちまち弟子となって泥土に伏し、その沓を頂かん。 【忠告というものは、それを必要とする人にこそ求められず、むしろそれを言えば怒りを買うだけです。おそらくは未熟者のたどたどしい言葉なので、皆さんの耳の奥に達して心から応じる人は少ないでしょう。ただ私は素晴らしい智慧を持ち実践をする僧侶が現れたら、直ぐに弟子となって屍となったその場所から這い出して、その僧侶の足を頂き礼拝するだけです。】 ・・以上ここまで。 ・・ お坊さんネットQ&Aサービス・hasunoha http://hasunoha.jp/ 新機能「おきもち」 https://hasunoha.jp/docs/okimochi hasunoha型クラウドファンディング「おきもち」始動 http://taka.hasunoha-blog.info/okimochi/ 「hasunoha」拙回答まとめ集 http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/ 書籍化『hasunoha お坊さんお悩み相談室』発売中! http://hasunoha.jp/docs/pr_0002 hasunoha書籍化・印税収益の一部・東日本大震災・被災者支援に寄附 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/89551fac04beefe15a197270ba215a78 ・・ 日々の修習の記録・・ 毎日のお勤め・・ ・六座グル・ヨーガ(フルバージョン)-回(朝夕) ・ガンデン・ラギャマのグル・ヨーガ -回 ・チッタマニターラ尊成就法     -回  (全)は全て・(半)は義務読経まで 都度のお勤め・・ ・甚深道たる上師供養儀軌のグル・ヨーガ       -回     ・上師供養における供物の供養というもの       -回    ・ポア(ポワ)観想成就法・三つの真髄の教え     -回 ・「五次第」読誦(秘密集会究竟次第解説和訳テクスト)-回 「日々の密教修習の内容」2017.5.22 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/70dc1c61aa0103cce9c0a57dd58fae5e 甚深道たる上師供養儀軌福田 口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。 「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327 ・・ 8/29-9/1・ダライ・ラマ法王猊下様・ご法話ネット中継『ブッダパーリタ註』(『根本中論頌』の註釈書) http://www.dalailamajapanese.com/live 中観帰謬論証派の思想を学ぶ上でもかなり重要な内容となります。ツォンカパ大師は、文殊菩薩様からの御啓示により、ブッダパーリタ大師の根本中論註を再精読なさられた契機により、中観の真髄を見極められたとおっしゃられておられます。それだけにダライ・ラマ法王様によりますご法話も、かなり尊く意義深いものになること確実でございます。有り難し。合掌 ・・ 以前にポア(ポワ)に関しての話題にて出させて頂きました『「歓喜の地・兜率天に至る階梯」と言われる「三つの真髄の教え」による観想の段階』の註釈書(ダライ・ラマ2世 ゲンドゥン・ギャツォ大師註釈 マリア・リンチェン氏訳)が、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトで公開されており、ダウンロードも可となっていますので、是非、ご参照なさられて下さい。 http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/text/ 11月御来日のダライ・ラマ法王様のご法話・灌頂の事前勉強会が開催されるようです。 『縁起讃・修習次第(中篇)』事前勉強会開催のお知らせ http://www.tibethouse.jp/event/2017/170918event.html ダライ・ラマ法王 東京来日法話『縁起讃・修習次第(中篇)・聖観自在菩薩の許可灌頂』 2017年11月11日(土)~13日(月) http://www.tibethouse.jp/event/2017/teaching171111.html 2015年御来日の際には、聖観自在菩薩様許可灌頂が、より本格的な十一面千手観音菩薩様とカサルパニ観音菩薩様の灌頂へと変更になりましたね。誠に尊く有り難いことでございました。 石濱裕美子先生ブログ参照 http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-746.html ダライ・ラマ法王猊下様「熊本仏教講演会」 http://dalailama-kumamoto.org/ ・・ 「チッタマニターラ尊成就法の実践における御供えについて」2017.1.16 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52232371.html 「チッタマニターラ尊灌頂後のチベット密教の実修について」2016.12.11 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/33da8a793a1f6a08cd586e55de609e68 「チッタマニターラ尊灌頂におけるダライ・ラマ法王猊下様との問答内容について」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d814a5bc49ee9ffef9a7f8cf8cf73516 11/11-13「ダライ・ラマ法王猊下様・チッタマニターラ尊灌頂ご報告」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3101a23d05b1d35a25b1014052e6a728 ダライ・ラマ法王猊下様御来日/拙予習経過まとめ(2016.11.9) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/792738f8de7c80c7d85ef6d7d1a2ac74 ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト | 法王庁 http://www.dalailamajapanese.com/ 公式フェイスブック https://www.facebook.com/dalailamajapanese/ ダライ・ラマ法王猊下様御加持成就の「金剛杵と金剛鈴」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52211094.html 2015.4.17「ダライ・ラマ法王猊下様のこと・・」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52189915.html 2015.4.13「ダライ・ラマ法王14世来日法話 般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3ac42f140aef2fb85956f1fcd45e1b13 2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df 2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12 ・・ 自分上場・VALU参加! https://valu.is/kawaguchi ・・ 「勝義方便メモ No.12」 https://togetter.com/li/1073026 ・・ 3/11東日本大震災七回忌 3/9-10未来の住職塾卒業式・フォーラム 3/10ポタラ・カレッジ訪問 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52235550.html 『未来の住職塾』受講を迷っているあなたへ!!! http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/5c578446835d9bc715a4fd053c352e0d 未来の住職塾・本科・第五期・受講感想(2017.1.24) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4c6afe0858cc7be1a89652de98f15062 ・・ 『葬儀と供養の意義について』平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d2c3793b56451efdff407f7090851dc1 「大阪春秋」最新166号・春号・特集「夕陽のまち おおさか」紹介・日想観と往生院 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/70160379.html 『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392 「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d 「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b 「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c 「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f 「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76 ・・ 悟りへの因縁・修習・階梯について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/cd86e06b26f70bfa72e8933112ee6e98 以���は、続きとしての定型記事一覧となります。 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d60b9c69361758c6b7de52bd7f5c863b ご興味がございましたら、各それぞれご覧下さいましたら幸いに存じます。
0 notes