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#引き揚げ体験記
takashimatsui1960 · 2 years
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【読了】『記憶の涯ての満州』(幻冬舎・澤井容子 kindle版)
 澤井さんはおれの高校の大先輩(在学中に校歌を作曲した)である。この本の存在も知っていたが、なかなか手が出せずにここまで来てしまった。すみません。
 主に満州で暮らした少女時代と引き揚げの回想だが、戦後すぐの豊橋の話もちょっと出てくる。
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seonuyang · 5 days
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Lyrics for Masa’s new song’s
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Shinigami ~ 死神 | Grim Reaper
今日の演目は十八番の死神
女によくやるオトコのアマガミ
噛んではいけない表のアララギ
今日は無料だ私の漢気
皆目検討つかないお話
狂喜乱舞その結末を観よ
死屍累々の結末は無い無い
そんな事わかる皆様大体
御宅を並べた前座は終わり
私は引っ込む裏にお分かり
北から来たハイカラな噺家
女が話せば寄席も華やか
金が底つき落ちぶれたおいら
昔京都で見た綺麗な花魁
為替で失敗破滅のコーナー
これでも前はロレックスオーナー
ツキと神と嫁に見放された
金が尽きたら周りも離れた
これでもかなりもらったラブレター
人生の賭けにおれは敗れた
酒買う金もないこの惨めさ
過ぎてく24と7日さ
この人生に終わりが来たのさ
悲劇か喜劇か雲泥の差
よぉにぃさんお前はまだ死ねない
寿命がたっぷり残ってん
だな どうだ?一つ稼いでみねぇか
この呪文で死神追っ払うんだ
アジャラカモクレンテケレッツのパ
死神追いやる魔法の言葉
病人の足元の死神が
消えたら病人は全快だ
ヤブの医者が大金を稼いだ
一瞬で稼いだ富と名声
女はいつでも顔で厳選
愛人囲んで浴びる源泉
神をも恐れぬ乱痴気騒ぎ
使えば無くなるそれが金
そろそろ稼ぎに行こうかね
枕元の死神ノータッチ
凄いアイデアで今棒立ち
布団を回して立場逆転
呪文で死神追い払って
ちょろいぜ奴らもこんなもんて
大金抱えて帰ってるって
怒った死神前に見参
お前の人生全て清算
言ったろあれは駄目だと散々
突如現れる地下の階段
地下に広がる無限のロウソク
人間の寿命が揺れるこの火
助かる為にはおれはどうする
小さな火を大きなロウソクに移す
よぉにぃさん急がにゃ死んじまう
手が震えてるけど大丈夫か?
死んだら晴れてこちらのお仲間
得意の噺で仲間を増やせ
アジャラカモクレンテケレッツのパ
今日の演目は十八番の死神
女によくやるオトコのアマガミ
噛んではいけない表のアララギ
お客のロウソクがあぁ消える
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Watashi no namae wa ~ 私の名前は | My Name Is
なんつったっけ?可愛い感じの
そこらに居そうな名前の子
ギャルかオタク?違うよな。
新種の女の生態系
百戦錬磨合コン番長
さり気狙っちゃ勝ち組だっちゃ
この日のために固めたブランド
終電ギリ翔んで埼玉
六本木、寿司、口先ベラベラ
あいつチャラチ���ラ
まじイライラ
ビッチになった大人の階段
ホテルに響く音がパンパン
女がハイ登場
これから即戦場
嘘吐き社長令嬢噂は風俗嬢
華金終わりは性欲モリモリ
トークの中身は下ネタギリギリ
トイレでカチ込むスパッとラリラリ
ぶってる女の態度はロリロリ
こんばんはまた会いましたね
今日もこの後行っちゃいます?
中央区夜の街で口説く
飲んだらサクッとショートタイム
あれ?ところで今更だけどさ
なんだったっけ君の名前
お酒の力で記憶が混濁
女が語る私の名前は
私の名前は
そうそうないわイケてる坊っちゃん
グラスをガッチャンかわいい姉ちゃん
この日のために固めたブランド
御用達リボリボ千葉茨城
バチクソ短いスカートヒラヒラ
あいつチャラチャラマジイライラ
なんか違った大人の階段
ホテルに響く音がパンパン
女がハイ登場毎日即戦場
嘘吐きミス〇〇
噂はジジィの愛人
今夜の獲物はあそこのガリガリ
トークの中身は下ネタバリバリ
トイレで早目に媚薬を塗り塗り
トイレ出た後の作戦練り練り
こんばんはまた会いましたね
今日もこの後行っちゃいます?
中央区夜の街で口説く
飲んだらサクッとショートタイム
あれ?ところで今更だけどさ
なんだったっけ君の名前
お酒の力で記憶が混濁
女が語る私の名前は
言われても知らねぇってどうでもいいでしょ名前
わからないあなたに教えた世の中
華金終わりは性欲モリモリ
トークの中身は下ネタギリギリ
トイレでカチ込むスパッとラリラリ
ぶってる女の態度はロリロリ
言われても知らねぇってどうでもいいでしょ名前
わからないあなたに教えた世の中
今夜の獲物はあそこのガリガリ
トークの中身は下ネタバリバリ
トイレで早目に媚薬を塗り塗り
お店出た後の作戦練り練り
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To Guide Blue
一気に変わったバビロンシステム
歌舞いた時代はもう終わり
キッズのヘッズが街を占領
イカれた時代の幕開けだ
ダッシュでクッシュを買ってる一生
速攻検挙でハイ!おしまい
ダメダメそんなの時代は合法
みんなの青い下だ
明日が見えた
昨日は消えた
あなたを招待
宇宙の銀河鉄道へ
やだやだもうヤダ!鼻曲がるぞ
臭うぜ大人の吐息がさ
最近見ないクラブでポストマン
最近増えたねメンヘラ薬局
「なぁに?あんたも青い舌か?」
カリスマ天使の青めの笑顔で
細々広がるシートの眠剤
Seedは冤罪Eatは大罪
おおらかその中たかだか身体だ
さっさと払いなおじさん
デロデロの親父の夢の対価
お財布にだけ価値Foo!
なぁに青い舌になりたい?
まずはジュースに溶かしてごらん
資金はちょっとのガッツでパパ活
まずはご飯で初めてごらん
スーパーコピーで固めたおじさん
少し褒めるだけいい気なもんさ
おっとマスクしてバレないように
青い口元は私の秘密
興味を無くした人間の街で
ゴミの横に座る事もできる
何にもないけど金だけある
青めの天使が仲間を増やす
ここまで変わったバビロンシステム
歌舞いた時代はもう昔
青めの天使が街を占領
イカれた時代の幕開けだ
ビビった大人の生き方醜悪
子供が身体で大人を掌握
世代で変わる物事の善悪
路上の風俗、ラブホで快楽
いつしか終わったバビロンシステム
歌舞いた時代誰も知らない
ゴミが散らかった天国の横
東方シネマズを見上げた
腐った大人の思考は醜悪
子供がホテルで大人を掌握
時代で変わる物事の善悪
OD前提人生最悪
ほぉら青い舌は最高
次は瓶ごと試してごらん
資金はちょっとのガッツでパパ活
大人もありで試してごらん
スーパーコピーで固めたおじさん
ちょっと褒めるだけいい気なもんさ
キスで青い舌をぶち込んで
稼いだ金で更に青くなる
興味を無くした人間の街で
ゴミの横に座る事もできる
何にもないけど金だけある
青めの天使が仲間を増やす
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Buddha
ある朝眺めた血の池の底
そこにいればそれはたいそうな事
仏陀の教えはちゃんと聞く事
血の池に響く神の音
両手を広げてここに来なさい
救いは貴方のためにあります
極楽の蜘蛛を伝ってくれば
そこには約束の蓮の葉
仏陀が救い出した犍陀多
しがみついた足元蓮の葉
天地ひっくり返す救いが
犍陀多に響いた
昔逃がした一匹の蜘蛛
今では消えた前世の煩悩
感謝してます我が釈迦
貴方のためブンシャカラカ
釈迦にすがって祈る犍陀多
我が忠誠は貴方我が釈迦
前世の行い���れたかな
輝く蜘蛛は釈迦の使いか
仏陀を目指す次は犍陀多
先を見据えた極楽の華
少し見えた悟りは高らか
皆に祝福をブンシャカラカ
BUDDHA今あなたに差した後光
BUDDHA響く地獄の鐘の音
BUDDHAその祈りを捧げていこう
我が仏陀 我が仏陀
BUDDHA生きる道が修験道
BUDDHAなれぬ君は守銭奴
BUDDHA信じぬならTHE END
我レ仏陀 我レ仏陀
地獄に落ちる輝くこの糸
誰でもないあなたの足元
釈迦が使わせた小さな蜘蛛
それを助けたら聴こえた音
犍陀多にたかりここに集い
驕り高ぶり主に奪い
仲間に配り日銭を稼ぎ
俺に祈りまるで仏陀に
突然来たその終わりの時
サクッと一撃もう潮時
裏切り者が揚げる勝鬨
さらば犍陀多覗き込む餓鬼
決意を胸に終わる犍陀多
誰も信じなければ簡単だ
あの世でも俺が頂きなんだ
次の仏陀は俺だ犍陀多
BUDDHA今あなたに差した後光
BUDDHA響く地獄の鐘の音
BUDDHAその祈りを捧げていこう
我が仏陀 我が仏陀
BUDDHA生きる道が修験道
BUDDHAなれぬ君は守銭奴
BUDDHA信じぬならTHE END
我レ仏陀 我レ仏陀
お人好しの仏を噛んだら
血を吹き出して死ぬアホンダラ
天を手中に収めたんだな
仏陀を落とす暗い大穴
血の池に落ちてゆく我が釈迦
次の仏陀はおれだ犍陀多
釈迦の極楽の蜘蛛殺した
輝く蜘蛛の糸は途切れた
世界の崩壊空には釈迦
今頃気づくおれ愚かだな
死んだ蜘蛛を抱える犍陀多
悲しそうな顔する我が釈迦
一度だけお許しを我が釈迦
焦って蜘蛛の亡骸捨てた
目の前から消えてく我が釈迦
地獄の底の底の犍陀多
我レ仏陀 我レ仏陀
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Edit of her !!
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tokyomariegold · 9 days
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2024/3/23〜
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3月23日 11月23日の日記を文字起こししながら出かけた。
なかなか起き上がれなくてかなり遅くまで寝てしまった。14時に近美で待ち合わせだったので、その前に昨日一期下の方と帰りながら話に上がった人形町へ行ってみることにした。 半蔵門線と日比谷線の地上乗り換えの際に降り立った時に気になっていた街。
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人形焼屋さんは二店舗見つけた。 一つはとても行列ができていて、もう一つはそうでもない感じ。行列のお店に人形町のガチャガチャがあり思わずやってみる。中身が見えないタイプのカプセルだったので、週明けに一期下の方と中身を楽しもうと思ってまだ開けていない。
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水天宮を眺めて、明治座こんなところにあったんだ〜と、確認して、甘酒横丁は甘酒屋さんよりもなぜか潰れない婦人服屋さん、がたくさん並んでいた。 行列のたい焼き屋さんがあった。 鶏ものを売っているお店で厚焼き卵が焼かれる様子がほかほかしていてよかった。
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そのまま日本橋から大手町まで歩いて、知らない街と知っている街を繋げることができて充実感。 あまり写真は撮れなかった(撮りたくなかった)。
和菓子屋さんはたくさんあって、なんとなく入ったお店にすはまだんご(!)があり嬉しくて写真を撮ってしまった。あとギンビスの建物があった。
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友人と合流して、中平卓馬の展示を鑑賞。 夏に葉山館で観た展示に上書きする様な感覚で鑑賞していた。
その後竹橋のパレスサイドビルのスターバックスコーヒーでお茶を少しして別れた。 パレスサイドビルから出た時に、学生時代に毎日見ていた風景があって、雨上がりのやたら明るい空と春の感じに、はっ!となった。
お茶の席で友人と話した話、彼女から「日記には書かないでほしい」と言われ、私の日記に登場するかもしれない、と思ってもらえたことが嬉しかったり、日記を書かなくてもいいのか、とほってしてしまったり、彼女の話そっちのけで他人をしてしまってひとでなしだと思っている(そして少し誇っている)。
今日はこの出来事の間中、ずっとずっとめまいと吐き気がひどくて、途中何度かもう帰ろうと思っていて、でも一日過ごして、帰宅して掃除や日記の更新をしてしまった。
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掃除をするのは別に過度に脅迫的な行為ではない気がしてきた。 掃除をして綺麗になるのは嬉しい。でも今はちょっとした日常の生活行為をする体力すらない状態なのだと思う。 掃除をするのが悪いのではなく、体調が良くない。
スーパーに行こうと外に出たら、明後日の満月を控えた月が出ていた。 見切り品の野菜コーナーでズッキーニに出会ってしまいなんとなく買ってみる。お味噌汁に入れたら美味しいかな。この数日売れ行きを観察していたちいかわのランチパックは値引シールが貼られていた。
写真を見返してみたら前世はきつねなのかもね、とか可愛いことを言いたくなるくらい、最近油揚げばかり食べているみたいだった。
とにかく足がおぼつかなくなってきたので終わり!
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3月24日 心が無になる1週間を目の前に、昼過ぎから出かける予定もあったので、朝一のヨガを受けて開店したばかりのスーパーでスパイスカレーの材料を買って先に作っておく、という初めての試みをした。
野菜の見切り品コーナーにホワイトマッシュルームがいたので買ってみたけれど、なんか黒っぽくて弾力がない気がして、半分くらいは使わずに捨ててしまった。 使った分も悪くなっていないのか不安になりながら、後で調べたら断面が黒いのは通常らしい。でも弾力がなくなっていたのもあって不安(だけど調理してしまったので、食べてしまうと思う。人体実験。)。 そもそもきのこは水洗いしない?らしく、洗ってしまったから弾力がなくなってしまったのかな、とか今日はマッシュルームのことばかり考えていた気がする。
カレー作って冷蔵保存するために粗熱をとる間でお掃除などをして、初めての試みだったので出かけるまでの逆算がうまくできずにタイムトライアル的でとてもとても疲れてしまった。
最近は前より料理(っぽいこと)をしていて、でもそれは全く写真にならないな、と今日改めて思った。 CONTAXに入れたフィルムを撮りきれず、昨日から1日レンタルの期間を延長して、料理の写真でも撮ろうか、とそばにカメラを置いていたけれど、カメラとかiPhoneとかの衛生レベルが料理の現場もかけ離しておきたい気持ちが強くて無理でした。
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料理も衛生面や食材の鮮度の面で不安なことばかりだしやめたほうがいい気がする。 とにかくしなくてはいけない生活のタスクが増えるだけのような気がする。
午後の予定で会った方は昨日まで金沢と富山に行ってきたとのこと。今は金沢もちょっといいビジネスホテルは一泊20,000円くらいしてしまうらしい。 北欧に行きたい話やタイとベトナムの国民性の違いの話(タイはいつも笑顔で迎え入れてくれて、ベトナムはわりと無愛想。でもシャイ故らしい。)をした。 いま割と一番したいことは北欧に旅行に行くことかもしれない。 行った方がいいかもしれない。 パートナーと旅行に行ったその方は「やっぱりそろそろ一人旅をしないだめだ…」と言っていた。
好きなひとを好きなままでいるためには、一緒に仕事をしない、家族にならない、が、今のところの人生で私が見つけた人間関係で気をつけたいこと。
これからカレーを食べます。 お腹痛くなりません様に。
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kennak · 19 days
Quote
私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。 地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。 それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。 いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。 ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくりの仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。 本題である。定年延長により、公務員の定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。 私が定年になったのは61才になる年度である。民間企業は誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員の場合は年度末まで在籍できる。 今年の3月末をもって分限退職の辞令を受け取り、退職日には労働組合の行事で退職者一同での職場巡りを行い(※有給である。有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後は市長のポケットマネーで退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。 タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用もNGだった。 2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。 理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合の職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。 はてなユーザーであればご存じかと思うが、一応説明しておく。 民間企業では、「雇用と年金の接続」という観点から、年金が支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制を採用する企業の場合、65歳までの再雇用は法律上の義務であり、再雇用拒否は原則として違法である。 では、公務員の場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。 内容を要約すると…… 「公的年金の報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員の雇用と年金の接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員の能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員が公的年金の支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」 ということだ。 【参考URL】 (平成 25 年3月 29 日総務省通知) https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf (停職6月の懲戒処分を受けた者の再任用) http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html   ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。 組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。 私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。 そこまで目立たない中国地方の地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。 できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。 労働組合に上記の再任用拒否を相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行部からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局の対応は、何年も前から続いているからだ。 市役所にとって不要な人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局の方針である。 実際のところだが、私は確かに不良な職員であった。 私は怒りやすい人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベントを無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。 日常の仕事においても、市民や業者と言い争いになることがよくあった。 感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収の仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。 査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員の仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。 仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。 土木建築の職場委員会はずっと仕切っていたし、反核の平和の火リレー、メーデー、自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。 平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。 一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分の平和にかける想いを。 あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。 「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争を引き起こし、被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害の象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」 と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針のひとつであった。 今では思う。広島県全体の研修の時��のだから、この時ばかりは組合の方針に反してもよかったのではないかと。 実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部長から「増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。 だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。 最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。 愚痴ばかりで申し訳ないのだが、これでも反省している。 私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。 仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。 あの時、いつだったか。令和元年のことだ。 税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地の課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。 その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。 確か、私はこんなことを言った。 「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」 「え……どういうことですか」 「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字の名前がなかろうが」 「すいません、つけ忘れました。打ってません」 「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」 「すいません」 「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」 「ごめんなさい……」 恥ずかしいのは私の方である。若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。 その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子はうつ病になり、職場に来ることができなくなったという。 元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子は仕事ができず辛い思いをしたという。 ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。 その子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。 後悔先に立たず、という言葉がある。私の場合がまさにそれだ。 仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。 しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。 できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。 たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。 私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。 あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。 その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。 「なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」 後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。 でも、しょうがないのだ。私はずっと、禄でもない職員だった。 だから、こんなことになっている。 最終勤務日のことだ。 労働組合が主催する職場巡りの会が終わり、最後に職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。 定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。 事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。 しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。 「増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影をしますから、残っておいてくださいね!」 と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。 にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。 スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。 自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。 最後になるが、もし増田の利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。 他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記がひとつの警句になってくれたら望外の幸せである。 明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記、楽しい日記をたくさん読んでみたい。 ありがとうございました。
再任用を拒否された
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14-sakiii · 1 month
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚��思い出した。
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8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしまった。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用ということでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊���語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動かすって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか。そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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oka-akina · 6 months
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0330新宿南口デモ
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新宿南口が混み合っていて、バスタ側に移動できる人は行ってくださいとなった。これは2/18のデモのときもそうで、甲州街道を挟んでコールしあうのがまるで「川から海まで」声を響かせるみたいな、とても鼓舞されるいい時間だった。
今日もそんな感じで促されたんだけど、昼間だったからかバスタ側では路上ライブをやっている人たちがいたんだよね(2グループいた)。邪魔しちゃ悪いかな。デモは声出しなしでもいけるかな…。なんとなく大きな声でやるのはちょっとためらわれた。その場にいた乃衣さんたちとちょっと話した。 そうしたらコールが始まり、たぶん先導してくれてる方はバスタ側でやってきますねと声をかけてきたのだろう。声出ししよう、盛り上げよう、そういった何か責任のようなものを感じていたかもしれない。2月もここにいたのかも。いい記憶や経験は再現したくなるよなあと思う。
どうしようと思ってちょっとライブの方に近づいてみて、マイクを使って歌っているからコールやってても歌声はお客さんに聴こえるようだったけど、まあやっぱり邪魔だろうなとは思った。デモの役割の一つとして街でノイズになるのはあるけど、いまここでライブを飲み込むくらい大きな声を出したら、この人たちは「パレスチナ」に悪感情を抱いてしまうのではないか。いまあなたがたの歌よりデモの方が「正しい」みたいな態度をやるのは苦しい。実際、コールが始まったらわかりやすくマイクの音量が上がった。もともとライブは2グループ並んでやっていたわけだけど、ライブ同士は許容できてもデモの喧しさはやはり別物なんだろう。
もし自分だったら邪魔されてると思うだろうか。わたしの小説も自ら発信しているもので、いわゆる路上的な表現ではある。メジャーではない表現をやる人たちを、おおぜい集まった大きな声で押しつぶしたくない。ただ、路上で音楽をやるのと小説を書いて同人誌を売るのはあんまり一緒にはしづらいよなとは思い(もしも文フリでデモやっても影響の度合いがぜんぜんちがう、本っていつ読んでもいいのでライブのような一回性の表現とは一緒にしづらい)、わたしはこの人たちのことをあんまり想像できていない気がして後ろめたい。これに限らずだけど人の気持ちを想像しようとするときわたしは細かいことが気にかかって、いつもうまく整理できない。 そして、迷惑だろうかとあまり心配するのも、わたしにはこの人たちを見くびるような気持ちがあるんじゃないかと考え込んだ。この人たちもパレスチナに連帯する気持ちはあるかもしれない。たまたま場所と時間が重なってしまっただけかもしれない。いまここで歌っているイコール無関心と言い切っていいのか。まあぜんぜん希望的観測ではあるけど…。
なんとか歩み寄れないだろうかと思った。歌の合間に2分くらい譲ってもらえたらいいのにな。なんだったらちょっとだけ一緒にコールしてくれたらいいのにな。お互いに邪魔だなと思って無視しあうのは溝を広げるだけじゃないのか。なんとか、ちょっとでも話せないかな…。 とはいえそんな交渉はできなくて、コールを先導している人たちに声をかけるのもなかなか勇気が出なかった。それで本当に根本的な解決ではないんだけど、わたしたちはルミネ側に場所を移った。難しいね…。 (そしてほんとにどうでもいいことなんだけど、わたし今日財布忘れて出かけてきちゃって…。現金を一円も持っておらず募金もできないという体たらくで、それでなんかこう気持ちが弱いのもあったかも。財布忘れたような奴が何言ってるんだみたいな)
デモで大きな声を出すときの高揚感みたいなものはまちがいなくある。ここのところマイクを持つ機会もあったから本当にそれは噛み締めている。高揚することで鼓舞されるものが確実にあり、だからこその危うさもある気がしていて悩む。何であれ「一色に染まる」みたいなものがわたしはとても怖い。 あるいはSNSの言葉でもそうで、さすがにそれはキャッチーすぎないかと足踏みするものがけっこうある。大意としては賛成なんだけどその語を用いるのはなあみたいな…。なんだけど、いろんな人が精いっぱい言葉を発しようとしていて、口が滑ったり言いすぎたり言い間違えたりするのはどうしたってあることだよな、なんかこう「ジャッジ」の目線になっていやしないか?と考え込む自分もいる。難しい。ほんとに難しい。浅草や北千住でマイクを持ってスピーチしたとき、わたしは本当にうまくしゃべれなかったけど、そういうことはみんなあるだろう。そしてわたしくらいたどたどしい人がスピーチすることでハードルを下げていけたらみたいな気持ちもあるし。ぐるぐる考え込んでいる。
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それでいまやってる「五人の男」アンソロ(庄野潤三オマージュで父性、男性性を捉え直すアンソロ。5月文フリ東京刊行予定)で、まさとさんが書いてくださった論考を思い出した。
「面白がりと見下しの距離は近い。楽しさと不遜の距離も近い。」「だから、ていねいに自分の首を絞めたい。でも、それさえヒロイックに行いかねない。」 「自分もよくわからなくて仲間も「いいね」を示してくれないものに耳を傾けること。静かに不安感と憂うつを抱え続けて初めて変えられることがある。何も気にせずにすむというある種の特権(神谷、2022)から、まなざされることへと自らを曝露して嫌な気持ちになる。自分の酷さが心地悪くて辛い。そう感じることで���か始まらないものがある。」 「私の意図が・誤解が・相性がと言ってプレゼンテーション(説得・論破)するより、コミュニケーションしたい。話すために聴くより、聴くために話す。あるいは黙る。」
(「公的な別離へ──からかいへの男性性──」まさと(まなざしのフェミニズム)より)
まだほぼ情報出してないアンソロの原稿をいきなり引用してしまって本当に勝手にとても申し訳ないんだけど、考え続けたい、話し続けたい気持ちの背中を押してくれる文章で、ビリビリ痺れました。こういうアクションのこと、SNSのこと、それ以外でも、何かモヤモヤのある人にぜひ読んでもらいたいです。 (デモの日記から急にアンソロの話になって本当になんなんだって感じなんだけど、こういうことをまとめたzineも作りたいなと思っています〜)
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今日お会いできた乃衣さん堀川夢さん万次ノ輔さんくくるさん山田パセリさんフィリフヨンカさん、たいへんお世話になりました。また何かお話できましたら幸いです…!
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alaephoenicis · 1 year
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【翻訳】〈イーヴィ・カプラー〉黄金時代へ 〈3〉:タイムラインの相関関係 - 終末の創造主のコード
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オリジナル・タイトル&動画🔗:Auf ins goldene Zeitalter - Teil 3: Korrelation der Zeitlinien - Endzeit - Ur-Schöpfercodes
公開日:2023年9月18日
【和訳】ALAE PHOENICIS
 (最新情報➡Telegram)
イーヴィ・カプラーについて
イーヴィさんは透視能力をもって生まれ、「子供の頃から自分だけの世界で生きていた」といいます。年頃になると、母親に勝手に銀行へ履歴書を送られ、「これも道か」と従順に銀行員になって働いていましたが、並行してヒーラーとしても活動し続けていました。数年前に「自分の本来の天職に絞る」決心をし、銀行を退職。これまで20年間、エネルギー・プラクティショナー、意識トレーナー、透視ミディアム、エネルギー・ヒーラーとして活動してきた実績の持ち主。
はじめに
時期が訪れたアイデアほど強力なものはない ヴィクトル・ユゴー
今日は私たちが移行してきている暗黒時代の終わり、この先どうなるのか、そしてここ数ヶ月がどういう状態であったのかをお話します。
タイムラインというものを通して、人はどのような影響を感じ、またその時点でその人物の心理面、微物質面、精神面、そして肉体的内面にどのようなプロセスが引き起こされるのでしょうか。
それは解放の時であり、私にとっては黄金時代への道を示すものでもあります。
生きる喜びを見出せないこともある地球を、私たちに押し付ける者たちの権力主張の終焉でです。これより皆さんを時空間の連続体へと旅へお連れしますので、一緒に大宇宙を駆け巡りましょう。
沢山の重要な情報があります。細胞の記憶についても触れます。
遺伝学、ある程度は後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてどの記憶空間が人為的に作られたのか、その背後にあるエネルギーは何なのか。私は、数千年前から繰り返されており、2023年以降に正真正銘のクライマックスを迎えることになる相関関係に踏み込んでいきます。
このすべては、いつものようにミディアム(霊媒)・コーチ兼エネルギー理論家の私の見解であり、あなたのハートに耳を傾けて、共鳴するかどうかを確かめ、共鳴するものだけを自分のために受け取ってください。
無意識空間の解放
そうです。私たちは、この時代に優れた助っ人、先見者、支援者となって、地球と宇宙を高揚させ、パラダイム・シフトを起こすためにここへやってきました。私たちはまた、思い出すため、つまり記憶を取り戻すためにここに居ます。
この文脈において、こんな素敵な言葉も:
「覚醒する」とは、自分が何であるかを捨てることではない。自分でないものを捨てるということだ。これは、まさにそういうことなのだ。
私たちは神聖な形ある存在であり、この居場所を占めるために非常に強力に密度を濃縮させました。そして、二元的世界観でいうところの邪悪とは、究極的には無意識にすぎず、邪悪とは常に分離の周波数です。そして人間は、そのプロセス、プログラミング、習慣の95パーセントをこの無意識の空間に保存しているため、そこに飛び込み、そこに含まれる感情、音、状況、すべてを覚醒した意識へと呼び覚ますことが重要であり、癒やしとなるのです。
ここ数年、私たちはこの凝縮された、そう、しばしば意識されない、そして忘れ去られた、あるいはカプセル化されたエネルギーをますます溶解させています。そうすることで、私たちは創造主のコードの中にスペースを作り出しているのです。私たちのブループリント(青写真)に反映されているオリジナルのクリエーターコードです。
タイムライン(時間軸)
先に話を進める前に、まずタイムラインから始めます。
というのも、ここ数ヶ月の間に、非常に印象的なことがここで起こっているからです。また、それがどのように発展していくのか様子を見ていました。というのも、地球の表面ではすでに激しい揺れやそれに関連した出来事が起こっており、直接に目には見えなかったかもしれませんが、非常に印象的だったからです。
まずは、皆さんもおそらく既にご存知の、タイムラインが何であるかを説明します。人間が宇宙的に多次元的であるように、タイムラインも多次元的です。
タイムラインは特定の周波数領域を内包しており、この領域を保ち、フレームに収め、枠組みを与える。このことを理解するためには、線形の時空連続体という思考からも私たちは離れなければなりません。
私たち人類の歴史において今後起こることはすべて、たったひとつのタイムラインに集約されます。説明としては、太陽光線が虫眼鏡の上で合流し、それが真ん中で焦点を結び始め、虫眼鏡の反対側に強力な透過光線として現れるのを想像してください。これらの小さな光線が、ひとつの大きな光線、ひとつの本質的な光線を生み出すことになります。そしてすべてのタイムラインは、この計画フィールドで合流することになります。つまり、地球という惑星の話なので、これは地球フィールドのことであり、その本質となるタイムラインが刻印されるということです。
過去と未来の統合 ― 「今、ここ」
私はよく、日常生活の中で、それほど本質的なことではない特定の決断が、タイムラインの変換を引き起こすことはあるのだろうか、という質問を受けます。本当によく聞かれるのですが、私ははっきりと「ノー」と答えます。なぜなら、それによってあなたの全体的な周波数が変わることはないからです。あなたは依然として全体的な周波数の中にいて、魂の計画と同様、別の道を選択するさまざまな可能性はあちこちにありますが、大まかなデフォルトは残っています。
しかし、私たちが過去のあるレベルにおいて非常にトラウマ的な何かを経験していることに気づいたとき ― だから私たちは「基本的傷・トラウマ」について語るわけですが ― 例えば、アトランティスの暗黒化の時代やレムリアの滅亡など、目立ったものを2つ挙げるとすれば、ですが…他にも全く別のもの、私たちの細胞の記憶から消去されてしまったために、もはや覚えていないものもあります。そうした記憶がまだ残されている場合、それは私たちの細胞構造と結びついて繰り返されることになり、嵐、洪水、火事、火山の噴火、そして私たちのこの時代に起こるあらゆる激変もそれと同様です。
自覚があろうとなかろうと、その時の記憶が存在し続けている限りは、それを精算し、過去と未来を再統合することを意味しています。あなたがそれを望むのならば、です。
過去と未来という現象は、「今、ここ」という時間の質を形成します。そして、“今ここ”というのは「現在」という瞬間に向いており、そこから私たちは微物質的な形態へと拡張していくのです。あらゆる時間、あらゆる空間へと。
そして、ますます多くの人々がそれを活用するようになっているので、とてもエキサイティングです。今まさにエキサイティングな時であり、過去の高度な文明にあった純粋な演出を信用するのであれば、すでに別の時間レベルでこれを経験しているため、私たち自身の感覚、感知、行動の中に、その最初の証を得ていることになります。
タイムラインの相関関係
以上のプロセスは、私たちの青写真から濃縮されたエネルギー的パケットを放出するので、私たちの「身体-魂-精神-システム」にとって非常に重要でもあります。つまり、非常に素晴らしいことが物理的なレベルでここでも起こっており、すべての形而上学的身体における統合が肉体を超えて広がっているのです。
ですから、ダウンロード・コードは太陽といった外側からだけではなく、むしろ自分自身の内側からも受け取っており、それはタイムラインの重複があるからで、これによって情報が形態形成フィールド(morphogenetic field)に入り、意識に統合的に固定され、私たちの青写真を通して作用する、となっていることが想像できます。
つまり、私たちはつまるところ "意識 " であり、ここで私たちはますます多くの情報を得ることになるのでワクワクするわけです。だって、微物質的な世界(スピリチュアリティ)は私たちから切り離された存在として知覚されるべきものではなく、私たちの現実の一部を形成しているのだということに、ますます多くの人たちが気づいているからです。
この情報を統合的に知覚することは、心臓のトーラス・フィールドを介して起こります。これはまた、私たちのハート、直感、ミディアム的なチャンネルや能力が相互作用し、心臓トーラスを介してさらに多くの情報を吸収できるフィールドを作り出すということでもあります。
そう、そして春から夏にかけて、私の認識ではもう一つのタイムラインが加わりました。今までは、そのタイムラインは分断された形で浮遊しており、そのタイムラインとつながりのあった存在だけが記憶空間や情報と接触していました。そしてこのタイムラインは複数の魔法的なレベル(層)とも関連しています。これは神話の世界と同じで、既におとぎ話、物語、伝説、あるいは魔術のような物語形式を通して、無意識のうちに私たちみんなの中にあったし、儀式のようなものも用いてきました。しかし今では、異教的なものからギリシャ神話やケルト神話の神々、そしてこれらの諸世界に至るまでのものが、ある周波数をこのフィールドにもたらしてきているのです。
また、そこには1297といった非常に神聖な数字の組み合わせもあり、魔法レベルに関する限り、例えば3、7、12といった数字もあります。これらはほんの一例です。しかし、これらの周波数はいまや私たちの既存のタイムラインと連動し、そのために多くの情報がここで明らかになったのです。
この件に関しても多くの方からご連絡をいただき、いろいろ出てきたことについてその都度話し合うのはとてもいい刺激になりました。
タイムラインの統合
それは、私たちにとって何を意味するのでしょうか?
とても並外れていて、とても感動的なものになることでしょう。なぜなら、特に神々のテーマ、領域、中間世界、冥界、そしてアストラル層は、繰り返し我々のいるこの場所に登場するわけです。私はアストラル層は第4のネガティブ密度だと見なしているのですが、この層と契約関係にある人々の夢の中にも飛び込んできて、記憶空間を開いてくれます。
そして私がいつも言っているのは、意識の旅をすることですが、アストラル層を旅するのは控えめにしましょう、ということ。なぜなら、アストラル層にはあらゆる物体が行き交い、喘ぎ声がしてジメジメしており、時には必ずしも私たちに役に立つとは限らないエネルギーも付着するからです。持ち帰ってきた魔法のレベルは、しばしばエネルギ―的な攻撃のように感じられる落とし穴となることもあるのです。
ここでもまた、転生してきた中でいつか締結されたことのある非常に古い契約が関係していて、このタイムラインはそれ自体が結合したため、それが突然再び露呈したのです。そして、ルシファーのレベル、つまり暗黒のレベル、そしてアストラル契約を繰り返し消去して、これらから自由になることを私はお勧めします。誰もが自分自身のために、これを実践することができます。
この攻撃はどのように感じ取るものなのでしょうか?あるいは、突然、呪いに対処しなければならなくなった時、何が起こるのでしょうか?
呪いには非常に微妙なもの...さまざまな種類と影響のレベルがあります。何かが強迫的だと感じるときはいつもそうです。何かが依存対象になったり、繰り返し考えるようになったり、典型例としては恋に落ちたり、身体的な症状が非常にはっきりしてきて、過去の何かを思い出したりするなど。
これらはすべて、…私に言わせると「広範囲に渡るエネルギー的な攻撃」であることを示しています。
そして、これらの全ては切り離すことができるし、あっという間に消えてしまうことに気づいてください。これらの古いレベル、周波数、時空間を再統合することなのです。
私たちが創造主の意識に戻り、自己啓発に戻り、回想に戻り、そして何よりもハートに戻るのは、それが神的存在がもっている能力だからなのです。
宗教の狂信性は解消されることが望まれています。ここでも、何かが癒されたがっているのです。一人一人の中で。
私たちの知る宗教とは、非常に全体主義的なものです。特に初期の時代には、さまざまな神々が存在し、生け贄の習慣があり、人間の生活には合わない儀式があり、強制的に行われてきましたが、ここでは人の生命はあまり重視されていませんでした。そしてこのタイムラインが統一されることで、全人類に癒しと再統合、そして何よりも変革がもたらされることになります。
これは私たちにとって絶好のチャンスだし、そう思っていて良いのです。
創造主の力
私たち自身の中には創造主のレベルがあり、そこから他の特定の事例と結合することなく、すべてを変化させることが可能です。なぜかというと、セルフ・エンパワーメントを活性化し、輝きは自分の中で光り、燃え、輝いているのだと気づけば、私たちは何でも創造し、何でも変えることができ、ビジョンや夢を生きることができるからです。
私たちのささやかな行動のすべてが、大局に影響を及ぼします。常にそうであり、だからこそ私たち一人ひとりは価値があり、重要であり、またこの時代に必要なのです。
そしてもし、今はまだ魂の課題への準備が出来ていないと感じ、それでも自分にはここで果たすべき課題がある、とあなたが知っているのなら、自分が喜びに思える感覚に従うこと。身も心も軽くなるようなことをするのです。なぜって、私たち一人ひとりに才能と贈物が備わっているのだから。
これらは今、姿を現しつつあります。これらは顕在化しつつあり、そして私は、あなたが100%の創造力を発揮するよう促したいのです。これは、単に自分の創造力をフルに活用しようという意図だけで、往々にして起こることなのです。
そして、こんな美しい言葉があるので、皆さんにお伝えしますね。
神聖なる青写真において、次に私が踏み出すべき完璧な一歩を、はっきりと明らかにしてくれたこと、そして、この青写真を顕現させるための創造と実現に参与するための手段、そして最適な人選を与えて下さったことに、感謝いたします。
遺伝学、後成遺伝学、DNA
遺伝学、後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてDNAの12本鎖について簡単な説明だけしておきます。
私たちのゲノムは、細胞内に存在するすべての遺伝情報を含んでいます。遺伝学は遺伝の理論を扱い、ここではDNA、そして突然変異による変化も同じく中心的要素となります。そして私たちは、DNAの12本の鎖が微物質的に私たちの中に配置されていることを知っています。
多くの人において、さまざまな鎖がすでに紐解かれています。そして、後成遺伝学は、環境の影響と遺伝子との連結部位であると考えられています。つまり、どういう状況でどの遺伝子のスイッチが入るか、あるいはいつまたスイッチが切れるかを判断するわけです。
この観察も非常に興味深いものです。というのも、私たちの医学的な知識にはかなり歪みがあり、それが遺伝情報にまで及んでいるからで、これに対する関心は非常に高いのです。
何より、ここに変化を起こすため…だって私たちはこの暗闇の終末期にあって、黄金時代へと向かっているのですが、ここに来てまたもや錯覚が用いられ、人類のDNAが変化しないよう、特定の医学的手段で妨害しようとしているのです。
一方、ジャンクDNAについての知識も話題です。そして脳のこの5%の能力もまた、現在では広く流布しています。そして、多くの人々に、さらに多くの配列がすでに発見されています。
つまり、より速く移動し、何かがより目敏く近づいてくる、もしくは遠ざかっていくことをいち早く察知する人たちがいる、ということで、それは彼らの透視能力とDNAの配列のせいでもあります。
私の心からの願いとは:このようなプロセスを何とか迅速に進めるために、自らをもっと支援するヒントとしてできることは何でしょうか?
まずは太陽が中心的かつ重要な要素であり、太陽で自分をチャージし続けること、太陽に向かって瞬きをすること、皮膚や光線を通して太陽を吸収することです。太陽はもっと大きくてパワフルなツールで、ここで私たちと相互に働き、私たちをサポートしてくれる。だから、それを第一に考えるなら、私たちの細胞を物質的・微物質的な汚染から清浄に保つことも重要だと言えます。
解毒、良質な水、良質な食べ物、そして何よりも良質なエネルギーがテーマとなります。私たちは何と向き合っているのでしょうか?この間、多くのコンピューターゲームや携帯電話の周波数、特定の映画や広告などを通して、場合によっては異質なエネルギーが伝達され、それが私たちの中に充満することもあります。つまり、これらすべてが私たちからエネルギーを吸い上げているのです。しかし、私たちが何かを吸収し、それが私たちの身体-魂-心のシステムに蓄積され、それがそこに相応しくない場合、それは一種の異物のようなもので、外に出さなければなりません。だからこそ、きれいな浄化、アルカリ性の入浴、そしてもちろん精神的な解毒、言葉の衛生なども必要で、これらすべてがこのパラダイムシフトをサポートしてくれるのです。
ライトランゲージ − 原初の響き
私たちを創造主のコード、私たちの原初的創造主へと導いてくれるのは、実はサウンドなのです。原初の音色、原初の周波数の響きです。
私たち一人ひとりが自分の音色、自分の言語を持っていて、それを通して細胞の意識の中で何かが再活性化され、そうすることで、私たちは精神的、スピリチュアルなレベルで成長することができるのです。 そしてそれこそが、今の時代の私たちにとってものごとを把握する能力を持つ上で重要なことなのです。
同じように素晴らしいことは、私たちの身体との対話です。身体というのは、物理的に凝縮された最終的な構成要素であり、動くことを必要とし、私たちの身体もまた、自分自身を鍛え、自分自身を感じ、それによって力を解放する必要があります。だから運動は、ここでの健康を維持するための中心的な要素でもあります。それから、自分がどんな適性を持っているかも見てください。一方、DNAがより多くの配列を発見しているため、まったく異なる方法で創造の領域とつながっている子供たちもいます。すると、植物の世界や他の微妙な世界との対話、言語があることも観察できます。言語とは、まず言葉による表現で成り立っています。しかし、私たちは実にさまざまな方法でしゃべることができるし、言語の混同というテーマを思い出せば、最初から言語はあったのです。
これについては以前、とても興味深い動画を作ったことがありますが、YouTubeではもう見ることができません。
私たちは今、テレパシーで物を投げたり返したりすることができるのです。私たちはテレパシーで物を動かす能力を持っている。動物やペット、あるいは私たちの周辺に居る動物と触れ合うとき、テレパシーで呼んでみると、動物がそれに感応していることに気づくはずです。つまり、この先の展望として、そしてもちろん対人関係において、このレベルではすべてのことがすでに起こっているのです。
最後に
親愛なる皆さん、関心を持っていただきありがとうございます。心から感謝します。私たちは、これから起こることに備えているのだ、という自覚を持ってください。
私たちはとても大勢で、私たちの自由意志、目的意識、それに伴うすべての行動を、この意識のシフトに向け、自分のハートの呼びかけに従って良いのです。
ここにいてくれてありがとう。
ハートからハートへ
あなたのイーヴィ
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gupaooooon · 1 year
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・Nagasaki Peace
「An atomic bomb exploded over Nagasaki on August 9, 1945, three days after the explosion of the first atomic bomb over Hiroshima. The bomb was assembled at Tinian Island on August 6. On August 8, Field Order No.17 issued from the 20th Air Force Headquarters on Guam called for its use the following day on either Kokura, the primary target, or Nagasaki, the secondary target. That same day, the Soviet Union declared war on Japan. The B-29 bomber "Bockscar" reached the sky over Kokura on the morning of August 9 but abandoned the primary target because of smoke cover and changed course for Nagasaki, the secondary target, and detonated the atomic bomb at 11:02 a.m.」
・NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM
「The nuclear weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki burned the victims to unrecognizable forms, and brought suffering from illness, poverty and discrimination unto the survivors. Nuclear weapons and humanity cannot coexist.
We want people around the world to know about the consequences of nuclear weapons, and the journey of the Hibakusha - the atomic bomb survivors. As Hibakusha of Hiroshima and Nagasaki, we have held exhibitions at the United Nations four times to date, at the timing of the NPT Review Conferences. As the risk of the use of nuclear weapons is today at its highest, we have decided to open this exhibition as an online museum.」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。」
・「長崎の原爆ドーム」なぜ解体されたのか? 浦上天主堂が幻の世界遺産になった理由【長崎原爆の日】(22/08/09)
「8月9日は「長崎原爆の日」。長崎市内への原爆投下で、1945年だけで7万人以上が亡くなった。長崎では平和祈念像が犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとして知られているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内に存在していた。爆心地からわずか500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)(20/08/06)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。」
・祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず(19/10/27)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
「長崎新聞の元論説委員長、高橋信雄さん(68)によると、浦上教会の主任司祭だった故川添猛神父は生前、高橋さんの取材に対して「私自身は平和祈念像の前には決して行かない」「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語っていたという。」
「北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。」
「祈念像の周りをぐるりと歩くと、像の裏には北村の言葉が刻まれ、こんなくだりもあった。「山の如き聖哲 それは逞(たくま)しい男性の健康美」。祈りとはかけ離れた異質なもの。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府(22/09/05)
「長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。」
「原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。 「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」 残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。」
「広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。」
「「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」」
・核廃絶専門委、長崎の被爆者落選 禁止条約に否定的な政府支援なく(23/07/23)
「【ニューヨーク共同】核兵器禁止条約の諮問機関「科学諮問グループ」の専門家委員に推薦された長崎の被爆者が落選していたことが23日、国連関係者への取材で分かった。核廃棄や被害者支援など「核なき世界」実現の方策を締約国に助言する「要」の機関。核実験の影響に苦しむカザフスタンが推したが、条約に否定的で非加盟の日本政府の支援は得られず、外交筋は落選への影響を指摘した。」
・NHK長崎放送局 WEB特集 原爆
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jsato · 1 year
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風力発電と太陽光発電の神話がついに暴かれた
必要な奇跡は起こらない
元記事:https://www.telegraph.co.uk/news/2023/05/10/wind-solar-renewables-pointless-waste/
BRYAN LEYLAND(ブライアン・レイランド、修士、世界中のプロジェクトで60年以上の経験を持つパワーシステムエンジニア) 2023年5月10日
欧米諸国の多くの政府は、近い将来、炭素の「ネットゼロ」排出を約束した。米国と英国はいずれも2050年までに実現すると言っている。風力発電と太陽光発電がこれを実現できると広く信じられている。この信念により、米国や英国政府などは、風力発電や太陽光発電を推進し、多額の補助金を出している。
しかし、これらの計画には致命的な欠陥がある。それは、余剰電力を大規模に貯蔵する手頃な方法があるという夢物語に依存していることである。
現実の世界では、風力発電所の出力は何日も定格「容量」の10パーセント以下になることがよくある。太陽光発電は、毎晩のように出力が落ち、曇りの日には50%以上落ちる。風力発電所や太陽光発電所にとって「容量」はほとんど意味のない数字だが、1000MWの従来型発電所を長期にわたってエネルギー面で置き換えるには、約3000MW���風力・太陽光発電の容量が必要となる。
風力発電や太陽光発電を相当量導入している国の政府は、ネットゼロが達成されるまで、さらに発電所を建設し続ければよいという期待を抱いているようでだ。しかし、現実には、風力や太陽光が弱い時期には、既存の化石燃料による発電所をバックアップとして使用することで、明かりを灯し続けている国がほとんどである。そのため、連続運転を前提に設計された発電所が、風力や太陽光の予測不可能な変動に追随しなければならないという、新たな運転体制が生まれた。その結果、運転やメンテナンスのコストが上昇し、多くの発電所が停止せざるを得なくなった。
実際、効率的なコンバインドサイクル・ガスタービンがオープンサイクルに置き換わるのは、風力発電や太陽光発電の出力が急激に変化しても、簡単にスロットルを上げ下げできるため、すでに一般的になっている。しかし、オープンサイクルのガスタービンは、コンバインドサイクルのガスタービンに比べて約2倍のガスを消費する。排出量を減らす努力の一環として、排出量の多い発電機に切り替えるのは、はっきり言って狂気の沙汰である!
ある国々は、電力系統が余剰電力を持つ隣接地域との主要な相互接続によって支えられているため、助かっている。フランスの原子力発電所は、以前は十分な余剰電力があったため、長い間、西ヨーロッパ全域で自然エネルギー計画を現実的なものにするのに役立っていた。
しかし、この状況は長期的には持続可能ではない。ネットゼロ計画では、すべての国が現在の何倍もの電力を生み出す必要がある。現在のエネルギー使用の大部分は、化石燃料を直接燃やすことで賄われているからだ。近隣の地域は必要なバックアップ電力を供給できなくなり、オープンサイクルのガスタービン(あるいは現在のドイツのように新しい石炭発電所)からの排出量は許容できなくなる。より多くの既存のベースロード発電所が自然エネルギーの急増によって停止を強いられ、より多くの風力や太陽光発電が、太陽が輝いて風が吹いているときに高価に捨てられなければならない。
電力料金は高騰し、あらゆるものが割高になり、停電も頻発することになる。
こうなることは、いずれも容易に理解できることだ。自然エネルギーの容量をさらに増やしても、何の役にも立たない。名目上必要な「容量」の10倍や100倍でも、風のない寒い夜には仕事をこなすことはできない。
自然エネルギー計画の窮地を救うことができるのは、たった一つのことである。合理的なコストで大規模なエネルギー貯蔵を行い、最低でも数日間は電気をつけ続けることができるようになれば、問題は解決する。
どのような選択肢があるのだろうか?
まず、この問題の規模を考える必要がある。比較的単純な計算では、カリフォルニア州では風力発電と太陽光発電の設置容量1MWあたり200メガワット時(MWh)以上のストレージが必要である。ドイツでは、1MWあたり150MWhあればなんとかなるだろう。これは、バッテリーという形で提供できるのではなかろうか。
現在のバッテリーストレージのコストは、1MWhあたり約60万米ドルである。カリフォルニア州の風力発電や太陽光発電1MWあたり、1億2000万ドルを蓄電池に費やす必要がある。ドイツでは9000万ドルである。風力発電所のコストは1MWあたり約150万ドルであるので、蓄電池のコストは風力発電所のコストの80倍と天文学的な数字になる!さらに大きな制約となるのは、そのような量の電池が手に入らないということだ。現在、リチウムやコバルトなどの希少鉱物が十分に採掘されていない。価格が十分に高くなれば供給は拡大するが、価格はすでにバカバカしく実現不可能なほど高いのである。
水力揚水発電に賭けている国もある。晴れて風の強い日には余剰自然エネルギーで水を汲み上げ、高い貯水池に貯め、暗く風のない日には通常の水力発電所と同様に発電タービンで水を戻すというものだ。
中国、日本、米国では多くの揚水発電システムが建設されているが、その貯蔵量はわずか6~10時間程度である。風力発電や太陽光発電を無風状態でバックアップするために必要な数日間の蓄電量に比べれば、これは微々たるものである。もっと大きな湖を上下に配置する必要がある。一方が他方より400〜700m高い位置にあり、水平方向に5〜10kmも離れていない2つの大きな湖を形成できる場所はほとんどない。このような場所では、2つの湖からの蒸発損失に対処するための十分な補水量も必要だ。もう一つの問題は、揚水してから発電するまでの間に、少なくとも25%のエネルギーが失われることである。
水力揚水発電が実現可能な選択肢になることはほとんどない。アメリカのように山が多い国でも、国単位で問題を解決することはできない。
風力発電や太陽光発電の問題を回避する方法として、化石燃料ステーションの炭素回収・貯蔵(CCS)も注目されている。しかし、これは技術ではなく、単なる希望的観測に過ぎない。長年にわたる研究と莫大な資金を費やしてきたにもかかわらず、大規模で低コストのCCSを実現する技術はまだ誰も考案していない。仮に回収がうまくいき、発電したエネルギーのほとんど、あるいはすべてを消費しなかったとしても、石炭1トンを燃やすごとに3トンの二酸化炭素が発生するため、二酸化炭素を貯蔵することは大きな問題である。
水素もエネルギー貯蔵のためによく提案される技術だが、その問題は山積している。現在、水素は天然ガスを使って製造されている(いわゆる「ブルー」水素)。しかし、このプロセスは大量の炭素を排出するため、ネット・ゼロの世界ではやめなければならないだろう:単に天然ガスを燃やし��エネルギーを発生させればいい。排出ガスを出さない「グリーン」水素は、水から大量の電気エネルギーを使って製造されるが、その60パーセントはプロセスで失われてしまう。水素は非常に小さな分子であり、ほとんどのものを透過してしまうため、水素の貯蔵と取り扱いは非常に困難である。最良の場合で、貯蔵した水素の多くが、使いたいときになくなってしまうということとなる。最悪の場合、壊滅的な火災や爆発を引き起こすことになる。また、水素の密度が極めて低いため、大量の水素を貯蔵する必要があり、極低温で貯蔵・取り扱わなければならないことも多いため、損失、コスト、リスクがさらに大きくなる。
結論はシンプルである。奇跡でも起きない限り、必要な期間内に適切な貯蔵技術が開発される可能性はない。風力発電と太陽光発電を無理やり市場に投入し、奇跡を期待する現在の政策は、「パラシュートなしで飛行機から飛び降り、パラシュートが発明され、届けられ、空中で装着され、地面に落ちる前に助かることを期待する」ことに例えるのが正しく印象的だ。
風力発電と太陽光発電は、他の発電手段によって100%近くバックアップされる必要がある。そのバックアップがオープンサイクルのガスや、もっと悪いことに石炭であれば、ネットゼロはもちろん、それに近いようなことも達成できない。
しかし、安価で信頼性の高い低排出ガス電力を供給できる技術として、原子力発電がある。原子力発電が安全で信頼できるものであることを多くの人が認識し、原子力発電への関心は高まっている。規制当局や国民が、最新の発電所は本質的に安全であり、低レベルの核放射線は危険ではないということを説得できれば、原子力発電は、世界が必要とするすべての低コスト、低排出量の電力を何百年、何千年も供給できるだろう。 しかし、太陽光発電や風力発電を100%原子力でバックアップすることができれば、風力発電や太陽光発電所はまったく必要なくなってしまう。
風力発電と太陽光発電は、実はまったく無意味なのである。
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esoterics-posts · 2 years
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物質性と霊性
互いの方向へ、綱引きするようなモノである。#ベンジャミン・クレーム のキリストや覚者方の情報と活動は、ぼくを変えた。瞑想と奉仕について今後、数回の輪廻を必要とする事を覚悟している。ただ細やかな、今のぼくはぼく以上でも、其れ以下でもない。#AI や #AR を加えて進む道標ー。
神の常識
時間の相対性的調性。
不具合は運命に刻印されている光の焼き付いた❺印画紙『ネガトロン』であり、①光自身『ポジトロン』(真我)ではない。カルマ(業)の法則とは【原因と結果の法則】を通して統合された現実である❿『世界』を形作る事ができる。今は亡き人よー!成仏して下さいー。
命のバランス
平均で、二人の親から二人以上の子どもが生まれる事はそれ程、良くない。インドやアフリカや中国の人口過剰は差し迫っての食糧やエネルギーと医療の問題です。藝術の文化である④音楽⑦美術①文学②心理学③創造⑤化学⑥瞑想)以外の宗教の迷信は止めなければならないー。『調和の文明』
魂の犠牲的行為
魂はアストラル体や肉体を養う為に物質性に退化したのだった。命の主人(マスター)である覚者方になる迄、次の魂の座であるメンタル体やアートマ界、ブッディグ界のコントロールを実演する事ができて覚者方である事を真我実現する為に輪廻する道を選んだ。『伝導瞑想』と『超越瞑想』
意識の偏極
弟子道を歩む者にとってアストラル体はアトランティスの頃から長い年月を掛けてほぼ強力に完成されているので、今後はアストラル体の幻惑(グラマー)やメンタル界の錯覚(イリュージョン)を克服する為に瞑想や奉仕を通して何よりも『#メンタル偏極』を為す事が重要になる様であるー。
#霊的教師
自分の無知や他人や社会に対する無関心に対して人生を生きて、死と己の罪に抗う為にのみ生きる目的がある。生きる人の背中を押し、人は自分の人生をより良く生きる為に、明日をより良いものにする為に生きるべきである。向上する限り、進化への希望は確かにある。『経験の価値と因果応報』
悪魔憑き
今の自分ができる精一杯の事が為せれば神は自らや自分達を肯定できる。成長と変化について、自分の耐え難い苦しみと寂しさと哀しみの中で、人生の中で自分以外に神以外には私達を十全に知る者は居なかった。虚しい地球での生涯は神の進化の『大目的』以外には何も価値がない様に想われるー。
霊と精神の向上以外に何の目的があるのか?
空腹の者の食べ物にも、寒さを凌ぐ為に着ている服にも、精神や身体の健康の為に飲んでいる薬にも、自分の人生の教師の言葉でさえも、人がより良く生きる為に意味はあると信じて疑わない。結局、誰しもが、自分は自分の価値観の為に生きているのである。
科学と人
自分の代わりに自分の事を熟す事ができる何台でも代わりのある様な無法図なロボット化はぼくは嫌いですが、人の心が分かるAIや仕事を熟すロボットには価値があると信じています。人間や愛犬と同様にあなた達は人がより良く生きる未来には必要であり、感謝しています。『ロボットの権利条項』
表象
絵を描いたら、瑞々しい想像力を失ってしまうと云う矛盾体系の狭間で悩ましい表現力の問題について言い過ぎる事はないですー。描かない画家、描けない画家である、売れてない詩のTweet文学の作家です。言葉で美学を紡ぐ事がぼくの表現形式でしょうか?美術や音楽を齧ってみたものの現在の末路。
内界と外界
第三段階以下のイニシエーションの音楽は闇の瞑想である。影のテレパシーのチャンネルは催眠術的であり、精神病者の非現実の錯覚や幻想に陥る危険性がある。注意が常に妄想に根差しており、現実にないことが問題になる。神聖な音楽は聖なる心理的防壁であるー。『非現実🆚超現実主義者』
食養生
肉食について殊更にこれについて非難ばかりもできない。肉体の健全さと健康についてバランスが必要である。年老いて死が訪れるまで、栄養不足に依って摂食障害や身体の衰弱や著しい筋力低下は問題である。精神や霊の向上について、光と闇の瞑想や適切な食事は霊の向上の為に必要であるー。
#脱洗脳
あなたを救済する事のできる者への影に用心しなさい。あなたを助ける事のできる人は身体について言えば医者であり、先生である霊的教師や詩人や伝導瞑想や幾何学などの法則である。其れに従わないか或いは距離を採る自由、其れが真我である。何かになろうとする執着から自由でありなさいー。
協力の術
内的な空間、其れは余裕がある事への避暑地の様なものである。あなたは飢えたり渇いたりする時に躊躇する事があるだろうか?あなたを助ける人が天使(神の使い)ではないだろうか?其れは生活を豊かにする事である。紛争地や牢獄や病院やカースト制度や士農工商や全体主義からの『回避行動』
#構築 #脱構築
#トゥーリー式 #リゾーム式
#フロイト #ユング #アドラー
#プラトン #アリストテレス #ソクラテス
#モーツァルト #バッハ #ベートーヴェン
#ピカソ #ルノワール #マチス #ミロ #ダリ
#クリシュナムルティ #ベンジャミン・クレーム
#釈迦 #イエス #ムハンマド #ゾロアスター
youtu.be/XMVjCpu7CHw
白衣はお医者様 l Indigo l VirusT 1
2012ー2015 (Covit19)
皆、笑える様な冗談に変えたかったー。医療は治す為に必要であるからー。音楽は心(魂)の座である。『音楽療法』
「分かち合って救いなさい。」
霊と魂
輪廻を繰り返していると軈て人の魂が霊化されてしまう。第四段階の磔刑のイニシエーションを受けて、リング・パス・ノットー超えざる輪を超えて、魂(の媒介であるコーザル体)は神の本源であるモナドに吸収されてしまう。食養生と超越瞑想、伝導瞑想は帰還の健全な近道である。死は人生の病や苦からの救済措置であるー。
主観と客観
トランス状態での作品の制作と、作家性に対する評論や分析とは明らかに違う能力である。『創作🆚評価』
想像力から直観へ
瞑想状態を通して、対象に対する客観認識と主観意識の統合が期待される。物質性の抽象化に依る霊化、統合された現実世界と美しい御霊の精神世界ー。『霊学🆚化学』
国家の光線
秘教哲学の極意とは光線心理学の認識は瞑想の霊感より、1光線は逆行、2光線は維持、3光線は封じ込め、4光線は再生、5光線は記憶、6光線は実存し、7光線は魔法。大英帝国、独帝国、インド帝国、神聖ローマ帝国、中華帝国、権威づけは藝術を擁護する。文字を連ねる人は飛蚊症にー。
直観
考える事と実際に目に視る事は同じ意義や機能を持っている訳ではない。想像上の『記憶』と視覚化された『イメージ』は同じではない。と云う事を明確に、認知・認識しなければならない。視覚化されたイメージの直観は容易であるが、価値観について性急な判断を下すべきではないと云う事であるー。
弥勒菩薩
マイトレーヤは『測る者』である。其々に、目的や個性や役割があり、時間や次元の光線に条件付けられているだけであるので、自分の彩りを他人の影に占有させるべきではない。人は皆、自分の歩幅で歩くべきであり、物事の背後には光線心理学的思考の相対的個性の中に条件付けられているー。
生と死と墓
我々は現在に対する反応を変える事はできるが、一切の過去を変える事はできない様であり、身体性を変える事はできない。生きている間、秩序に対するルール(法則)を学ぶ事はできる。この法則を通して今ある人生を生きる事はできる。死後、我々の身体は平面の写真と骨に戻る事はできるー。
宇宙の4次元
宇宙の拡がりから神の意志の1次元は我々の人生の記憶を霊的世界の中心であるアートマ界2.5次元まで再生する。死後、我々の身体は3.5次元に戻る。キリスト=救世主と精神世界の夢の中での経験ー。個我の死を通して我々の精神はこの世の自然の存在の囚われから霊の意思に帰絨できるー。
生きる目的
我々は身体と霊を養い、精神や魂を成熟させる為に、食事や睡眠や学習の機会を人生と云う霊の物質への退化として地球に於いて、犠牲的な人生の生涯を経験する為に生まれたのであるー。物質的な世界の生と死と、飢えと、渇きと、身体の苦労の、悲惨さと美しい自然や豊穣な滋養のある恵みー。
哲学と音楽と形象の霊
🍅①哲学ー経綸
🍊②詩ー直観
🍋③絵画ー識心
🍈④音楽ー素粒子
💊⑤化学ー薬学
🐟⑥睡眠ー実存
🍇⑦魔法ー呪文
🍷⑧物性ー遺伝子
🖥️⑨機械ー計算
🌏⑩世界ー経験
👾⑪破局ー超空間
📀⑫追憶ー叡智
☎️⑬冥府ー瞑想
💎⑭契約ー光輝
💡⑮禅ー考案
📽️⑯超現実ー創造
🗞️⑰形式ー現実
🕯️⑱三昧ー降霊術
⚔️⑲苦行ー霊感
⚖️⑳物霊ー亜原子
キリスト・マイトレーヤの使命
#マイトレーヤの教え
#新しい時代の祈り
#大祈願
#真我認識
#ベンジャミン・クレーム
#アリス・ベイリー
#クリシュナムルティ
#ブラヴァツキー夫人
#オーロビンド
#ラジニーシ
#シュタイナー
#グル・ジェフ
#サイ・ババ
#伝導瞑想
#SHAREINTERNATIONAL
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マイトレーヤの教え
続き その1
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マイトレーヤの教え
続き その2
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クモの糸ー塔の上のラプンツェル
#光線の道
#シリウスの道
理性と想像力の対立ー否定、保存、高める(止揚)
霊的教師やルネサンス期の画家達の御霊や想像力。入れ替わる想像力と理性の光線構造。相補して、回復させたい。やがて、想像力は直観に道を譲る様になるにしてもー全部、お日様にあげてやれ!
インフレーション宇宙
太陽系から遠ざかる銀河団。宇宙は拡がりの中で、我々は理性と想像力を手懐ける。常識の科学、数学の限界、色彩と形態についての術が探究すべき存在の様相と属性の光線である。『宝瓶宮の水』『神と霊界と宇宙』『絵画科学』『魔法🆚芸術🆚科学』
『神と被造物』『実在と反映』
コピーと既製品
音楽は人工の科学であり、生と死の無限の煉獄であり、模倣は模倣であって、オリジナルではない。キリストが本人であって、覚者方はコピー(複製)である事も、そうでない事もあり得るー。#ドッペルゲンガー、#ファミリア、#マヤヴィルーパ、#大生命の科学、#意識の科学、#光線心理学
救世主と悪魔払い
『不足と充足』『原子力と音楽力と想像力』『アストラル光』『現実界と想像界と象徴界』『霊と精神と物質』『素粒子と霊の対話』『光と闇』『惑星と宇宙』『物質化と霊化』『輪廻転生と死』『霊廟』『国家と国民』『キリスト教』『メンタル界』『真我実現』『光線構造』『脱構築』
呼称
#キリスト・マイトレーヤ
#メシア(救世主)
#キリスト(霊的ヒエラルキーの長Christ)
#マイトレーヤ仏(第五仏陀)
#イマム・マーディ(イスラム教の使徒)
#世界教師(WorldTeacher)
#世界大師(WorldAdeptアデプト)
#シャンカラチャリア(アバター)
#クリシュナ(アバター)
#偽キリスト 対策
宝瓶宮Aquariusの時代の世界教師
ChristMaitreya
身長ー6フィート3インチ 約188cm 
手相
イニシエートの段階ー第7段階
以上の指標の確認によって自分の心(ハート)の内に宿る②キリスト意識と③キリストの霊的存在とを客観的に識別し、自称キリストと混同せずに済むー。
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kennak · 3 months
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ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。  捜査した公安警察の手法に疑念が持たれています。  その内幕を明らかにしようと、記者は追跡を続けました。  約1年にわたる取材録をつづります。 語り出した捜査員  今日も取材を断られるだろうか。そんな暗い予感が頭をよぎる。  少し肌寒くなり始めた2023年10月のある夜、とある住宅街。私(記者)はある人物の自宅インターホンを押した。  私は、警視庁公安部が主導した捜査にあやまちがあったのではないかと考え、取材をしていた。  その捜査とは、軍事転用可能な装置を不正輸出したと疑われた化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件に関するものだ。 大川原化工機の大川原正明社長(中央)。起訴取り消し後、国と東京都に国家賠償を求める訴訟を起こし、1審で勝利する。裁判は2審に舞台を移し、現在も続いている=東京都千代田区で2023年12月27日午後2時29分、前田梨里子撮影  社長らが起訴された後、捜査機関が自ら起訴を取り消す異例の経過をたどっている。  この日、訪問したのは、この事件の内幕を知る立場の捜査員。  在宅しており、くつろいでいたのか部屋着姿だった。  それでも建物の外に出て、突然の私の訪問に対応してくれた。  以前も自宅を訪ねていた。その際は、相手が言葉を発することはほとんどなく、空振りに終わった。  だが、この日は違った。予想に反して会話が続く。  「捜査をおかしいと思った人はいっぱいいた。めちゃくちゃです」  捜査員が語り出した言葉は、怒りで満ちていた。  屋外で立ち話を始めて5分ほどがたっただろうか。  「今日はいける」。私は手応えを感じた。 衝撃の「捏造」発言、取材スタート 途中で担当が代わるまで、記者は大川原化工機の裁判を毎回傍聴していた=東京都千代田区の東京地裁で2020年2月26日、丸山博撮影  話は4カ月ほど前の6月30日にさかのぼる。  私は当時、東京・霞が関の司法記者クラブで裁判の取材を担当していた。  クラブ内の毎日新聞のブースで仕事をしていると、東京地裁で裁判を傍聴していた後輩の記者がノート片手に慌てた様子で戻ってきた。  「(警察官が)『捏造(ねつぞう)』って言ったんですけど」  後輩が傍聴していたのは、大川原化工機の捜査に携わった公安部の現職警察官4人の証人尋問。  大川原化工機側が公安部と東京地検による捜査の違法性を訴え、東京都と国に国家賠償を求めた訴訟で行われたものだ。 「まあ、捏造ですね」。証言台の前に立った警部補から衝撃的な一言が飛び出した=東京都千代田区の東京地裁で2020年2月26日、丸山博撮影  証言台の前に立った4人のうち警部補2人が公然と捜査批判を繰り返し、このうち1人が捜査について「まあ、捏造ですね」と衝撃的な発言をしたのだ。  後輩の��告を聞き、記者を束ねるキャップが驚いた顔で「本当にそんなこと言ったの? マジで?」と確認する。  後輩は「確かに捏造と言いました」と断言した。  国際テロ組織や過激派などによる事件を担当する公安部は、秘密を外に漏らさないよう保秘の徹底をたたき込まれているとされる。  捜査の内情は「秘中の秘」のはずだ。  公開の法廷で捜査に疑問を呈するのは異例中の異例だろう。  後輩とキャップのやり取りを横で聞いていた私は「捏造」という言葉にインパクトを感じたものの、それが真に意味するものがつかめていなかった。  公安部で何が起きていたのか。真相を探る取材が始まった。 つかんだ突破口 警視庁の本部庁舎=東京都千代田区霞が関2で2018年12月1日、本橋和夫撮影  しかし、取材は一筋縄ではいかない。  多くの警察は、記者が個別に捜査員を取材することを禁じている。記者が接触してきた場合は上司に報告を求める「通報制度」も敷く。  実際、私が大川原化工機の事件で捜査関係者を訪ねても「守秘義務がある」「組織に連絡しないといけない」と断られることがあった。  関係が築けていない相手から話を引き出すことも簡単ではない。  相手がしゃべらなければ一方的に話し掛け、何とか会話の糸口を探る。逆に話に乗ってくれるようなら相づちを打ちながら話を広げる。  相手の表情や仕草、言葉の抑揚、すべてに気を配らなければならない。  こうした取材を続けるなかで、冒頭の捜査員に出会った。公安捜査の経験者で、今回の事件にも詳しいという。  立ち話に応じた捜査員は、しゃべっている間も横目で周囲の状況をちらちらと確認する。  会話中、ヘッドライトをつけた乗用車が低速で近付いてきた。  一瞬、会話が止まる。車が通り過ぎるのを見届けると、捜査員は静かに語り出した。  「法律の解釈をねじ曲げてやろうと思った。これがすべての始まりと聞いています」 大川原化工機の事件について、記者が保有している資料。ファイル5冊分に上っている=東京都内で2024年6月11日、遠藤浩二撮影  その後も話は続いた。捜査員は表情を変えないものの口調は熱を帯びていった。  立ち話が始まってから30分ほど。薄着だった捜査員は、体をさする仕草をした。  「もう、このくらいで」の合図だろう。会話を切り上げようとした。  すると、捜査員は最後にこう付け加えた。  「あまりにも組織が変わらない。また同じようなことをやりますよ」  私は頭を下げ、最寄り駅に向かって歩き出した。興奮冷めやらぬまま、同僚にメールを送る。  「捏造の構図が分かった」 【遠藤浩二】  (警察官の肩書は原則、当時のものを使います)
追跡公安捜査:「公安は同じことやる」大川原化工機事件、捜査員が私に語った警告 | 毎日新聞
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helloharuo tour 2014 Summer 3
Saturday 16 August 2014
真観は、7時に起きた。そして坐禅を1炷した。今朝は敷き布団を三つ折りにしてその上で坐った。真観は母に褌が作れないかと相談すると、ちょうどいい木綿の生地が余っていた。それを使って褌を1枚作ってくれた。その後、散歩に出る。今日は、白山神社方面に歩いた。途中真観が通った学習塾があった。その学習塾の門構えが随分立派に見えた。以前はどうだったのか思い出せない。真観はその学習塾が好きではなかった。というより勉強が好きではなかった。白山神社の近くには臨済宗のお寺がある。子供の頃、ここの息子と遊んだ経験があるが今ではその息子が現住職だ。当時は臨済宗とは知らなかった。臨済宗にしても曹洞宗にしても禅宗はお洒落に見える。白山神社、今村公会堂と見て歩き、その後足を伸ばして新安城駅の三角市場にも行ってみた。真観の知る限りこの地域で一番古さをキープしているスーパーマーケット。あまりここには来ていなかったが懐かしさを感じた。散歩+カメラは楽しい。
昼食はざる蕎麦を食べた。母は有り合わせの野菜で天ぷらを揚げた。昼食の後は、兄と兄の車で買い物に出掛けた。真観は帰省中は大抵兄の車で動く。兄が運転してくれるので”運転手付きのお出かけ”だ。兄には感謝している。兄にしてもたまに帰省する弟と過ごすことを楽しみにしていると思う。そうであって欲しい。いつも行くリサイクルショップは真観のお気に入りで今回もいくつか買い物をした。赤い座椅子に赤いジーンズなどなど。
3時半過ぎ、家族でお寺にお参りに行った。お参りをし、おみくじを引いてみた。すると真観が引いたおみくじは「大悪」だった。兄は「吉」。母は引かなかった。真観、少々ショックを受けるがYおばさんは『これから良くなるからいいのよ』と慰めてくれる。「凶」と同じ理屈だ。いつものようにYおばさんは、お茶とお茶菓子を出してくれた。真観は、この場でお上人の作品集をYおばさんに見せた。Yおばさんは真観の作品集のページを一枚一枚ゆっくりと丁寧に見てくれた。一通り真観は制作の動機、説明をした。Yおばさんは喜んでくれた。そしてYおばさんの話の中にHさんの名前が出て来た。2日前の日記に書いた様に母の推薦するHさんだ。間違いない、余った作品集はHさんに進呈しよう。真観は、Yおばさん作品集とHさんへの進呈する作品集の最後のページに万年筆で署名を添えた。お寺用の作品集にも署名を書いたのだ書き間違えてしまったのでこの場では持ち帰り後で修正することにした。Yおばさんが喜んでくれたのは真観も嬉しかった。寺���敷地内にある祖父母のお墓、お上人のお墓にお参りをしてお寺を後にする。Yおばさんはいつもの様に合掌をして見送ってくれた。
夕食は食べずに7時過ぎには駅前の居酒屋に行く。兄が車で送ってくれた。今日はSちゃんが企画してくれた中学の同窓生の飲み会。真観が同級生が営む居酒屋に行くと既に5人がいた。そして後から2人が加わった。この飲み会に真観繋がりの同窓生を5人誘っておいた。帰省する10日ほど前にメールとLINEで誘ったのだが結果はこうなった。メールでは、3人を誘う。1人、返信なし。1人、欠席する。1人、遅くなるが参加する。LINEでは、2人を誘う。両方とも出席するとのこと。となると5人の内3人が出席するはずだったがドタキャンが2人。もう1人は遅くなっても結局来なかった。ドタキャンした2人の内、H君が飲み会の途中で顔を出してくれた。H君が来ていなかったら誘った同窓生は全て来ないことになる。
話が前後してしまった。真観は落胆していた。
今回の飲み会のメンバーである同窓生は殆どお付き合いのなかった同窓生。会ってみなければ何も始まらないわけなので楽しみにしていたが蓋を開けると意気投合はなく無難な会話。真観の誘った同窓生は、「遅くなるが参加する」と答えたTさんのみ参加で真観は彼が来るのを待った。会いたかったからだ。でも一向に来ない。真観は先月末からお酒は飲んでおらずこの飲み会で久しぶりに飲んだ。すると酔いがすぐに回った。幹事のSちゃんは旅行の疲れで別テーブルでダウンしている。真観も気持ちが悪くなりダウン。どうしようかと思っていたら先ほど書いた様にドタキャンした同窓生のH君が顔を出してくれた。その彼の御陰で真観は気持ちを持直し、後半の飲み会は楽しい時間となった。11時過ぎに飲み会はお開きとなった。ドタキャンには当然理由があった。真観以外はみんな家族がある。それも理解している。でもドタキャンをされた側は大きく気を落とすのは当たり前だ。"土壇場でキャンセル"だからね。
返信なしも宜しくない。 「遅くなるが参加する」と言って約束を守らないのも宜しくない。 (その後彼から何の連絡もない。これも宜しくない。/この日記は8/25に書いている) 昨年から再交流が始まった同窓生だがもうすでにこんな感じだ。 人間ってこんなもん?大人の付き合いってこんなもん?
真観は落胆した。企画してくれたSちゃんには感謝するが同窓生という理由だけでの飲み会に参加することはこれからは要注意にしよう。自発的に会いたい者同士が会えば良いと思う。これは真観の性格故のこと。(どうぞ気を悪くしないで欲しい)
帰りも兄が迎えに来てくれて真観はお腹が空いたからラーメンを食べに行こうと兄を誘ったら行くことになった。飲み会ではあまり食べていなかった。肉料理が多すぎた。R1添いのそのラーメン屋は、深夜なのに混んでいた。真観はここのラーメンが好きで帰省する度に兄と食べに来ている。
飲み会の途中で顔を出してくれたH君には本当に感謝している。 来ると来ないじゃ大違い!だった。救われた気分だった。 そうそう、もうひとつ。今日の飲み会で知ったことだが昨日の散歩の時に撮った小学校の体育館だが県内?市内?で最も古い体育館になるそうだ。それと同窓生の中で岐阜の「郡上おどり」に行って来た人がいた。気持ちが悪くなった時にウコンの錠剤をくれたS君にも感謝。彼は寅さんの様な人だ。ココ地元でも婚活のパーティーが開催されているらしい。真観少し興味を持つ。(笑)
昨日誕生日のメールを送った友人からは返信が来た。
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shintani24 · 2 months
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2024年7月26日
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8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
 ――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日本メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶を捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
 ――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたのです」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
 ――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起きたとする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれかかる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグとして戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
 ――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真珠湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、新学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
 ――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
 ――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきたと言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
 ――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的です」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。
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広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と��調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
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bakinginstruction · 4 months
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harawata44 · 5 months
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こんなことが許されていいのかよ ネット騒然「フライドチキンの皮だけ弁当」食べたらマジでヤバかった - ライブドアニュース
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以下引用
あまりにも背徳的で、挑戦的――そんな弁当が、X上を騒がせている。 それがこの「フライドチキンの皮だけ弁当」(税込538円)である。ドン・キホーテが2023年11月より販売を開始している「偏愛めし」シリーズの1つだ。
(中略)
まさかの体験
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弁当の蓋をあけると、ふわっとスパイスの香りが漂ってくる。なんとも食欲をそそる匂いだ。 だが、本当に皮しか入っていない。フライドチキンの本体はもちろん、他のおかずもない。これで本当に、ご飯が進むんだろうか。
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少々不安な気持ちでまずは一口、皮だけを食べてみて、衝撃を受けた。 えっ!? めちゃくちゃ美味しいんですけど!? スパイスの風味が口いっぱいに広がる。そのせいか、全然しつこくない。味も濃すぎず、かといって薄すぎず、ご飯に合う。 正直、ただの鶏皮揚げだと舐めていた。記者は大馬鹿者だ。だってこれは、まさしく、フライドチキンの皮。「フライドチキンの皮だけ弁当」の名に恥じぬ仕上がりなのである。
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X上で騒がれていたことだが、この「フライドチキンの皮だけ弁当」は823キロカロリーもある。 確かに、高い。食べる前は記者もそれがちょっぴり気になっていた。 だけど、そんなことどうでもよくなるくらい、美味い。揚げ物好きは抗えない......そんな確かな魅力がここにあるのだ。 途中で飽きちゃうかも、なんて不安も実はあった。でも、スパイシーなフライドチキンの皮に夢中になって、一瞬で食べ終えてしまった。おかずにならないかも、なんてとんでもない。米が足りなかったくらいである。
「チキンの皮だけ食べたい!皮だけいっぱい食べたい!」
いったい誰が、どんな思いで、こんな攻めすぎた弁当を生みだしたのだろうか。 Jタウンネット記者は2024年5月10日、ドン・キホーテを運営するパン・パシフィックインターナショナルホールディングスの広報を通じ、商品担当者を取材した。 その人は、こう語った。 「唐揚げやフライドチキンの肉ではなく、フライドチキンの"皮"(美味しい衣と鶏皮)が食べたい。 とあるファーストフード店のフライドチキンの皮が好きすぎて、妻の分のチキンの皮を強奪し"丸裸なチキン"にしたら怒られました。 そんな『チキンの皮だけ食べたい!皮だけいっぱい食べたい!肉より皮!』という開発者と同じ思いをもつ"同士"に向けて開発しました」 ビシバシと伝わってきた、"フライドチキンの皮"への熱い思い。 フライドチキンの皮をいっぱい食べたい......! そんなシンプルな欲望が、この衝撃弁当を生んだのだ。フライドチキンの皮ビッグバンである。
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5月1日に「フライドチキンの皮だけ弁当」を発売したばかりのドンキの「偏愛めし」シリーズのキャッチコピーは、「みんなの75点より誰かの120点」。 まさに、その通りの弁当だった。記者にとっては、バッチリ120点だ、という意味で。 「120点」をたたき出したい――そんな"同士"たちが、どうか「フライドチキンの皮だけ弁当」に、巡り会えますように。 「偏愛めし」シリーズの取り扱い地域は、関東・東海・北陸・関西・中国エリア(一部取り扱いのない地域・店舗あり)。5月9日時点で、取り扱い店舗数は340以上。 フライドチキンの皮だけでなく、溺れるほど"あん"のかかった天津飯、「焼肉のタレをドバドバ染み込ませた焼肉タレおにぎり(肉入り)」といった。かなり強烈な偏愛めしたちがラインアップされている。
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bailonglee · 5 months
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【満洲・北京引揚体験】「現在の北京から引き揚げた105世帯は、日本に到着した時には3世帯だった」
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頭でっかち、理屈だらけ、殴り合いすらした事ない、ホワイトカラーは、
軍備増強
を叫ぶ…
サステナビリティだか何だか知らんが、
現実を見ろ!、大卒のくるくるパーども。
これが、
戦争だ。
戦争とは、殺し合いだ。
目を覚ませ、耳かっぽじって、戦争体験者の話を聞け!
次日本がまた戦争したら、間違いなく、本土決戦、次こそは、
日本人は皆殺しにされます。
何が国益だよ、おまえらは戦いの何たるか知らず、俺たち庶民に、実際の殺し合いをさせた。
次、本土上陸されたら、てめらの温かいオフィスも、国会議事堂も、鮮血で染まる…
庶民だけじゃなく、作戦だの寝言こいてきたてめえら上級な国民も、皆殺しだよ。
その時になって初めて、
『戦争は良くなかった!!』
と後悔しても、もはや日本は無くなってんだよ。
プライド叫ぶ軍備増強の馬鹿どもよ、
現実を見ろ!これが戦争だ。
冷静になれ。
いくら成長良くなったとて、体のでかい西洋人と、殺し合いで勝てるわけないだろが!
馬鹿なのか?インテリ層は全員?
合気道の、精神しかないんだよ。
戦う者は、必ず負ける。
そうではなく、皆が皆、自分を高める事を考えればいいと思う。
全体主義、合理主義、数の論理、金の亡者、西洋人の真似して、西洋人の土俵で、我らアジア人が勝てないのは、当たり前なんだ。。
私達の、路線をゆきましょう。
西洋的価値観を、無視だ。
それは、長い憧れだったのかもしれない。
だがしかし、我らの目は青くないし、肌も白くない。
そしていくら忖度し、背伸びしようが、永久に目は青くならないし、肌は白くならないw
顧みましょう。
私達の良さを。
気功を知り、易経や陰陽道を知り、木の家を愛し、自然を楽しんだ我ら日本人。
何を西洋にいつまで憧れる?
電気じゃなく、行灯でもいいはず。
私達が西洋人にイエローモンキー言われるなら、西洋人はさしずめ、
白い豚どもだよ。
ま、悪口はお互い良くないw🤣
要するに、お互い過干渉すべきじゃない。
憧れも、もう要らないでしょ。
私達は、私達がストレスなく生きれる、そんな世の中を目指しましょう。
西洋的インフラを全て失っても、牛や馬は、助けてくれる。
未開人言われたとこで、地球🌏を捨てた西洋人より、よっぽど日本人は🌍を愛してるんだ。
アメリカは、下手したら砂漠化するんじゃないか?
もうそうなったら、私達はおしまいだと、もう一度、頭を冷やし、私達は地球🌏の動物であり、決して機械ではない事、思い出した方がいい。
歴史上、同じ失敗を繰り返すのは、バッタ並みの知能、
いくら東大や京大出ようが、馬鹿は馬鹿なんだ。。
追記:
私は1967年生まれ。
七五三は綺麗な洋服を着せられ、ラジコンを買ってもらい、プラモデルを買ってもらい、肉はたらふく食い、日曜日は遊園地に連れて行ってもらってた…
今考えたら、まるで王様のように育ったw🤣
改めて、父や母の戦争世代を、想う…
そんなみじめな敗戦下、物も、食料も無い…
だからこそ、働いた、子供を持った、子供に贅沢をさせた、自分達が子供の頃、何も無く、虚しかったから。
だから、私は過去の私が、恥ずかしい…
父と揉め、18歳で家出した。
だから、わかった…
いかに、金銭面では、贅沢をさせて貰っていたかを。。
だから、56歳、父は亡くなり、思う。
金銭面で、必死にくれた、父母。
だとしたら、僕らの世代は、
『心の面での、日本回復』
に、尽力をしたいね。
焼け野原の、敗��日本。
そこに心の回復など、まだまだ無い…
闇トラックが物資運び、少しずつ、食生活は回復した。
でも、その���動で、日本までもが、物質主義、金の亡者大国になったんだ…
高度経済成長、乱れた男女関係、西洋文化、ゴーゴーダンス、コインロッカー・ベイビーズ…
バブルとは、決して良い側面だけじゃない…
そんな闇も、あった…
僕らは西洋人に憧れ、西洋人になろうとした。
お人好しの我ら日本人は、明治以降、2度も同じトラップに引っかかった…
第一次世界大戦。
日本は、漁夫の利を得た。
繊維、紡績が盛んだったイギリスが戦争し、物資不足で、その調達先が、日本になった。。
1919年、日本は牛や馬を追い払い、自動車を走らせ、第一次世界大戦で、儲けたわけだ…
《大国にならねば!》
…しかし、日清戦争も、日露戦争も、ユダヤに金借りてまでして、勝った。
しかし、内需もボロボロ、物資もボロボロ…
要するに、イギリスやアメリカのトラップに、まんまと引っかかった…
そして、敗戦後の、高度経済成長。。
経済大国になるかと思いきや、
日航機123便虐殺事件、消費税開始、プラザ合意…
そしてパンデミック、ワクチン接種…
我ら日本人は、アメリカ、イギリスに、持ち上げられては、叩きつけられ、持ち上げられては、叩きつけられた、2回も!!!
簡単な話。
福沢諭吉を西洋に連れ回し、世界中の女を抱かせ、梅毒にもなりw🤣、富国強兵を打ち出させた。。
大日本帝国をかかげ、西洋かぶれ日本が、誕生したわけだ。。
私達日本人が、ストレスを感じない社会に戻すのが、先決。
それには、我々一人一人の自立、西洋インフラからの、離脱だと思う。
簡単な話が、AmazonやTemuの中華粗悪品の拒絶、自家発電の開発、1日1食、そんな地味な活動こそ、西洋インフラにとり、悪夢だと思うw🤣
毒親たちが、一斉に受験社会からの離脱、不登校中学生を、許容。
そして、新しい食生活、新しいインフラ。
私達庶民が、変わる。
グローバリストたちは、ぶら下げた人参を追いかけない日本人には、困り果てるだろうw🤣✨
人民服を捨て、アメリカ人のコピーみたいになった、中国人たち…
アメリカに戦争で勝ったが、まるでアメリカ人のコピーみたいな生活習慣の、ヴェトナム人たち…
じゃあ日本は?
アダルトビデオの次は、港区パパ活…
せどり、転売などの、詐欺まがい…
最終的には、家に引きこもり、ゲーム、働かない…
これが、アメリカかぶれの結果じゃん、答えはもう見えてる。。
日本は、自滅を始めたんだよ…
だからこそ!!!
修験道、修験宗であり、合気道なわけ。
肉体、なんだ。
人間は、肉体を使い、生きる生き物。
日本人の多くは、それを知っていたはず。。
自立であり、回帰だ。
西洋人の中ですら、禅の素晴らしさを知る人らも、増えた。
西洋人が絶対にしなかった、
“内観”
、己を見つめ直し、己を高める…
日本人はそれが出来てたのに、失ったんだ。。
簡単な答え、失ったんなら、また取り戻せばいい😉✨✨✨
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