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#怨讐
metal-cn · 8 months
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北キム・ジョンウン氏、ドローン攻撃機に強い関心!それ、購入しても、、、部下やCCP朝鮮族が、乗っ取りうることも、、、知らず?なーははは!by小五郎なんてな?
どーなっとるんかいな?北は、積極的に対露武器輸出にとも。核兵器への、依存が高まりうる。ちゅう。北キム・ジョンウン氏。見てないの?大昔の、米名ドラマ、パーソン・◎ブ・■ンタレスト?乗っ取りましたよね。おもちゃの、操縦桿で。旅客機をね。まあ、乗客を助ける立場やったが。ごくごく簡単にね。まあ、ドローン、乗っ取られんうちにでも、偽装?娘役人物と、見ておくのもね。冥土の土産に、まあ、なりうるよ。何せ、米名ドラマや。なーははは!by小五郎なんてな?
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dummy-dot-exe · 19 days
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怨讐 by ねこのけだま@mqq11
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animepopheart · 2 months
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★ 【ねこのけだま】 「 怨讐 」 ☆ ✔ republished w/permission ⊳ ⊳ follow me! insta • x • bsky
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twinleaves · 1 year
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【島田雅彦氏への質問事項】
①「あの暗殺が成功して良かった」という発言の意味・真意は
②暴力で言論が封じられることを、時と場合によっては良いと考えるのか
③法政大学教授として「テロ行為の容認」という教育をしているのか
④放送翌日、岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が発生した。感想を
■回答全文
テロの成功に肯定的な評価を与えたことは公的な発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは充分にあったので、批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。
ただ、安倍元首相襲撃事件には悪政へ抵抗、復讐(ふくしゅう)という背景も感じられ、心情的に共感を覚える点があったのは事実です。山上容疑者が抱えていた旧統一教会に対する怨恨(えんこん)には同情の余地もあり、そのことを隠すつもりはありません。
さらに政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になったのも事実です。今回の「エアレボリューション」での発言はそうしたことを踏まえ、かつ山上容疑者への同情からつい口に出てしまったことは申し添えておきます。
また大学の講義で殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません。テロ容認。言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは一言論人として当然であるし、また暴力に対する暴力的報復も否定する立場から、先制攻撃や敵基地攻撃など専守防衛を逸脱する戦争行為にも反対します。
戦争はしばしば、言論の弾圧という事態を伴ってきたという歴史を振り返り、テロリズムと同様に戦争にも反対の立場であることを明言しておきます。
一方で、安倍元首相暗殺事件や岸田首相襲撃事件を言論に対する暴力と捉える場合、これまで政権が行ってきた言論、報道への介入、文書改竄(かいざん)、説明責任の放棄といった負の側面が目立たなくなるということもありました。
また民主主義への暴力的挑戦と捉えると、国会軽視や安保三法案の閣議決定など民主主義の原則を踏み躙るような行為を公然と行ってきた政権があたかも民主主義の守護者であったかのような錯覚を与えるという面もあります。
テロは政権に反省を促すよりは、政府の治安維持機能を強化し、時に真実を隠蔽することに繋がることもあるがゆえ、肯定的評価を与えることはできません。そのことはテロリズムを描いた拙著『パンとサーカス』でも明らかにしています。
放送の翌日に岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が起きましたが、歴史を振り返ると、テロリズムが世直しのきっかけになったケースはほとんどないし、連鎖反応や模倣犯を呼び込む可能性もあると改めて思いました。
有本氏は、島田氏の回答文を取り上げ、「『テロの成功に肯定的な評価を与えた』と明確に言っている。殺人を容認しながら『誤解される恐れ』とも言っている。文章を書く人としてどうなのか」「論理破綻が激しい」などと指摘した。
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leomacgivena · 2 months
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Xユーザーの栗原正尚★「怨み屋本舗DIABLO」「制裁学園」「粛正の解毒師」連載中さん:「怨み屋本舗で何回も描いてきたけど「自分は正しい!」と思い込んで他人を攻撃する人は何を言っても無駄なので、対処法としては、「徹底的に無視、一線を越えたら法的手段に訴える」というのが効果的。 決してネットに蔓延る復讐代行業(特に怨み屋本舗を名乗る偽者)に依頼してはいけません。」
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sun-graph · 6 months
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ジョン・ヒューストン監督、グレゴリー・ペック主演『白鯨(原題:Moby Dick)』BD/DVDのデザイン
白鯨に復讐に取り憑かれ魅了されたエイハブ船長。取り憑かれたがゆえに怨念と云うファンタジーになっていた。時として怨念というのものは人を魅了する。一度、怨念の魅力に引き込まれると抜け出しにくい。他人事だった怨念は己のアイデンティティとなり確立されてゆく。そんな、船長と船長の怨念に引き込まれた船員たち(職が選べない時代の人たち)の航海と白鯨との死闘の物語。 まだまだ人類は惨敗する。惨敗のあとには何時もと変わらぬ何食わぬ顔した大海原に悠々と泳ぎ消える白鯨の姿。そのカラダにはエイハブの亡骸があった。 地球は静かである。自然は様変わる。人類だけが物騒で騒々しい。という様を惑星の爆発よりも高いエネルギーで、星が誕生する引力のように魅せてくれる。 観た後は何かしれない高鳴りと清々しい無力感、もうクタクタである……。
だから私もデザインで応えたい。受けたエネルギーに応えよう!エネルギーだけは雄弁だ!シレッともサラっとしないでエネルギーを人類に還元しよう!それは暑苦しいかもしれない。でも、そうなのだから仕方がない。ということでアートワークに落とし込みました。
ちなみに、この映画を観るのは約40年ぶりになる。子どもの私はアーネスト・ヘミングウェイ著『老人と海』と勘違いして観たので「えっ!」となり、そして、非常にカロリーを消費してクタクタになった記憶がある。それ以来ということになる。
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chamame01 · 2 years
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映画26年 (原題:26년、英語題:26 Nyeon) の感想
私が始めてこの映画を観たのは6月頭、つい最近の事でした 7/8以降にこの作品を見て抱く感想は以前と確実に変わってくると思っていたので なるべく早く再び見て感想を書いておきたい、そう思っていました
色々と忙しくしていて2週間以上も後になってしまったけど 時間が出来たので鑑賞後早速感想を書いています
ジンベ、ミジン、ジュアン、ジョンヒョク、ギョンヨンは“とある男”の暗殺計画のために団結 5人の動機は殺された姉弟の復讐、家庭を破壊された怨恨、個人の幸福追求とはまた別の所にある社会の悪への義憤… とそれぞれ異なりますが起因は5人が全員経験した26年前の一つの事件となっています
物語の中盤、ミジンは空気圧具を使った自作銃で襲撃しますが失敗、自身の手を粉砕してしまいます
本物の狙撃銃を手に入れて練習と負傷した手の治療をする日々 そんなある日ミジンとジンベは遺影奉安所に訪れます
壁には一面被害者の遺影が飾ってあります 26年前で時が止まった光州の人々はずっと“とある男”が責任をとるか謝罪する、もしくは罰を受けるのを待っているかのように…
ジンベとミジン、二人の肉親もそこに佇んでいます ジンベと不思議な縁を感じるミジン… まるで家族みたいだなというジンベ…
ミジンは壁一面の被害者の遺影を見つめて 泣きそうになりますが堪えて後でまとめて泣くと告げます
日常のちょっとした時に不幸な過去や荒れた家庭を思い出してより一層暗く孤独になっていたミジンでしたが この日を境にミジンはミジン個人の不幸を一度傍に置いて 多くの被害者に計り知れない不幸をもたらして謝罪など全くしない、そんな悪に対峙する覚悟を持つようになります
ミジンの復讐の主な理由が家庭を壊された怨恨だったのが そこに悪への義憤が加わったように見えるこのシーンが私はこの映画の中で一番沁みました、一番好きな場面です
調べてみたら26年を作るにあたって様々な紆余曲折があったようですね その先にこのような傑作が出来た事、関係者の方々、韓国の26年のファンの方々に感謝の気持ちを伝えたい
いつか邦画でもこういう映画を観てみたいと思います 悪事を働き公文書も改竄し、日本のGDPも不正確な物とし、マルチやカルトと親密になり被害を拡大した…
その責任も取らず謝罪もしなかった元総理大臣を“とある男”もしくは“黒塗り”にして…
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a3musee · 1 year
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魍魎の匣
「何故だ?そんなんじゃあ警察も世間も納得はしない」
「そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。(中略)世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ。そうすることで自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。だからこそ、その理由は解り易ければ解り易い程良く、且つ、日常生活と無縁であればある程良い。曰く遺産相続、曰く怨恨、復讐、痴情の縺れ、嫉妬、保身、名誉名声の保持、正当防衛ーーーどれも解り易く、それでいて身の回りにはざらにないことばかりじゃないか。しかし、それが何故解り易いかと云えば、ありそうもない癖に実は頻繁に彼等の中でも起きている感情と、それは同質のものだからだ。若干規模が違うだけなんだ」
京極夏彦
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nagachika · 18 days
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葛野盛衰記 を読んだ
森谷明子さんの作品。葛野と描いて「かどの」と読む。「森に棲む声」と同様の和風ファンタジーの系譜だけどこちらは日本の歴史を下敷きにしていて、桓武天皇が山部皇子だった頃から子の平城帝(安殿)、嵯峨帝までの期間を山背の国の秦氏と多治比氏(兄国と弟国)の相克と京の都の根源である松原/糺の森を中心に描く1部と、時代が下って平家の興亡(忠盛→清盛→宗盛の時代を頼盛の視点から描く第2部からなる。ということで第1部はかなり「王朝序曲」と被っているし第2部は平家物語異曲という感じ。通底しているのは京の都(平安京)の繁栄を影から支えた秦氏の影響力であり糺の森の魔性ということになろうか。そのあたりはファンタジーっぽさもある。
第1部では桓武の妻となる伽耶と、子を持てなかった彼女が親がわりとして育てた耀(あかる)と真宗の双子があえて言えば主人公か。この双子の兄妹の別れと再会が一応のストーリーの骨子になっていると考えると異母兄妹の再会の物語であった「森に棲む声」と似ていなくもない。真宗はWikipediaにも載っている葛原親王の母親 多治比真宗 なので史実上の人物でもある。知らなかったけど。この葛原親王は臣籍降下して平の姓を賜わり、後の平家の祖となるので、これが第2部に繋がっているというわけ。
第2部はいわゆる平家物語。清盛が白河院の落胤というのは知らない話(説)だったけど。ここにも秦氏の血をひいた女人が登場し、そのひとりはなんと義経の母常盤。これはおもしろい。彼女らの血族は都の人間が怨念を恐れるようにすることで政争で血の流れない都を長く保つというものだったようだけど、平氏ら武家の怨霊を恐れず果断なふるまいで都を破壊されてその復讐として裏から手をまわして清盛を破滅させたというふうな話になってる。
しかし、政の中心地という意味でいう���平城京、長岡京(弟国)から遷都した平安京のはじまりと、ある意味その終焉である幕府の台頭(の予兆)までということでこの話は平安京のライフタイムを描いているんだな、というところでタイトルの「葛野盛衰記」がなるほどピッタリだなと気がつく次第。
それにつけても森谷さん小説がうまい。人を書くのも人ならざるもの(「おとぎばなし」や「土地」)をメインテーマにして書くのもうまい。
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kennak · 2 months
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猫ノ沢事件(ねこのさわじけん)とは、1916年(大正5年)に秋田県河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢(現大仙市協和船岡沢内)で発生した事件である。この事件により全国一の密造酒摘発地であった秋田県での密造酒の習慣を大きく変えるきっかけになった事件であった。「猫ノ沢」の地名は資料によっては「猫の沢」と記述される場合も多いが、この記事では前者で統一する。 概要[編集] 沢内白山神社神社の前が猫ノ沢事件の現場となる 1916年(大正5年)6月24日、秋田税務署間税課長ら一行8名は、未明豪雨の中を濁酒検挙のため、河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢部落に向っていた。早朝から同部落を調べ、隣接の庄内部落に向かう途中、猫ノ沢部落に向かう夫婦連れに出会う。署員は「どこから来たか」と尋ねたところ、男は「貴様らの如き者に用事はない」と暴言を吐き、突如Kに組み付いて押し倒したので、他の署員が取り押さえて不心得を諭した。ところが、その夫婦は猫ノ沢集落に帰って、「いま税務署属らに不当の暴行をうけ殺されるところだった」と伝えた。部落民は日頃から濁酒検挙で税務署属に悪感情を抱いていたところから憤慨し、その暴行への復讐、および再び濁酒検挙にこないよう打ちこらしてやるべきだと相談がまとまり、税務署属の帰路を襲うべく盤木を鳴らして部落民を小学校前に集め待機した。一方税務属一行は、猫ノ沢部落白山神社付近の沢合いや堰端、田圃など捜索すべく進んでいた。これを知った部落民は盤木を乱打して襲撃を促し、蓑笠を着用し、鎌、鉈その他の凶器をたずさえ、降雨の中を白山神社前に向い税務署属一行と出会うや喚声をあげて襲いかかり、無抵抗の税務署属らを突く、刺す、殴るの乱暴を働き、凄惨な修羅場と化した。税務署属一行は鎌で背部から肺に達する瀕死の重症を負わされた者、鎌で頭部を乱打され骨膜に達する重傷を負った者など5人が重軽傷を負った。この事件は首謀者、実行行為のあった者、あるいは声援して騒いだ一部の部落民が、騒擾、公務執行妨害罪、傷害罪で起訴され、10名を懲役(各6年2名、5年3名、1年5名)、15名を罰金(各30円3名、20円12名)に処する有罪判決が、2名に無罪の判決が言い渡され確定した[1]。 背景[編集] 明治維新以降、酒類に対して一般的に課税することとなったのは、1871年(明治4年)の「清濁酒醤油醸造株鑑札収与税則」[2](明治4年太政官布告第389号、清酒濁酒醤油鑑札収与並ニ収税方法規則)を定めた時からである。この課税制度はもっぱら販売用の酒類を対象として規定されており、自家用のため製造する酒類については「細民農桑ノ辛苦ヲ醫スルカ爲」[3]のものとして課税の対象外としていた。しかしその後、財政規模の拡大とともに酒税負担を漸次増加せしめることとし、また、自家用酒を製造している者には資産家が多く、「細民」はかえって課税された酒類を購入するという齟齬も発生していた。そこで、1880年(明治13年)制定の酒造税則(明治13年太政官布告第40号)は、酒税の増税に伴い、自家用酒製造数量を1石(180L)以下に制限した(同附則)。1882年(明治15年)には、製造数量の制限のほか免許鑑札制度を導入し、免許鑑札料80銭を徴収するとともに、自家用酒として製造した酒類の販売を禁止した。さらに、1894年(明治27年)から翌1895年(明治28年)に行われた日清戦争の歳入不足を補うために、1899年(明治32年)には自家用酒税法を廃止し、同時に自家用酒の製造を全面的に禁止した。しかし、1899年(明治32年)の酒類の製造数量はかえって減少傾向さえ示した。濁酒製造免許者は77%増となったが、その免許を受けるには年間50石(9000L)以上生産することを条件としていた。そのため、部落内の共同出資により団体を結成しその代表者の名義で免許を受け合法的に製造することが考えられていた。しかし、その濁酒を基にしてさらに大量の濁酒を密造する者が続出したため、結局かえって密造を助長する結果となった[4]。 その後、1909年(明治42年)頃から密造取り締まりが厳密に実施され全般的には密造が減少傾向にあったものの、秋田県と岩手県は1916年(大正5年)まで密造激甚地として残っていた[5]。密造禁止の趣旨が徹底せず「自家用酒の製造は本来の悪事ではない」「小さな密造犯を処分するのは法律の目的ではない」「税務官吏の取り締まりは自分の成績を上げるためで、罰金のうち何割かは賞与としてもらうのではないか」という話が流布し、これらが税務官吏に対する怨恨になり、一方犯罪者に対する同情となり、相互庇い合うという傾向すら見られた[4]。 1900年(明治33年)7月3日の秋田魁新報では「酒は蕎麦と同様自家で作るべきものとの慣習は村落民に一つの観念を作り容易に抜けず、自家用酒制限されるや、彼等の不平高まり、税吏をみること疫病神のごとし、時に税吏に対し蛮行を振う愚民もあり、しかも村民一般の感情がかかる蛮行者をみること義民のごとく、犯罪者に対し同情をあたえつつあり、実に笑止千万なり」と報じている。密造酒の摘発には新聞記者も同行して記事を書いているほか、摘発記事などもかなり大きく報じている。税吏に濁酒を押収された家は「ヤマイ神につかれた」としてむしろ同情の眼で見られた。摘発は現品を押さえ、しかも醸造人が明らかでなければ罰金は科せられなかった。そこで、農民たちは知恵をしぼった。期限まで罰金を納められない場合には入獄しなければいけなかったが、この場合は年寄りや女房が夫に代わって労役につくことが多かった[6]。 国は毎年6億円の歳出を必要としていたが、そのうち1億円は酒税によるものであった。当時、秋田県は密造酒による検挙人数はいつも全国一であった。「取締当局としては一罰百戒の見地から厳重な取締による大量検挙以外効果はない」とされ、1916年(大正5年)6月22日に仙台市で開催された東北六県税務署会議に出席して帰庁した千葉税務署長は、23日に濁酒取締について署員をあつめ協議したが、この時に一罰百戒の見本とされたのが猫ノ沢であった。当時の猫ノ沢は「本村より約9km隔たった山間の僻地で戸数約10戸、人の気質は荒く交通不便のため司直の手が延びないことを幸いに、山林の盗伐や賭博など村風も極めて悪かった。濁酒密造も盛んで前年に引き続き、部落で共同して、麹室という大箱4つを設置し、毎月持回り製麹していた」[7]と思われていた。また事件発生直後に猫ノ沢に行った千葉税務署長は部落民にその惨事を問うに「そんな事がありましたか」と言われたり「税務署の人と喧嘩し村の若者も一人殺された」と、とぼけられた[6]。濁酒の常用はまた県民病である脳卒中とも結びついていて、1916年(大正5年)の間に脳出血及び脳軟化症で死亡した者1885人(『県統計書』)で病死者数のうち第一位を占めていることからみてもいかに有害なものかがわかるとされていた[8]。 裁判と事件の影響[編集] 猫ノ沢事件の公判は秋田地方裁判所で行われ、1916年(大正5年)10月19日に判決が言い渡された。判決では無防備の税吏に対して農民多数が共謀して凶器を振るい、暴虐の限りを尽くしたのは全国にその例を見ないとして騒乱罪が適用された。また、公務執行妨害罪と傷害罪も併合されたため、2名に懲役6年、3名に懲役5年、5名に懲役1年、3名に罰金30円、12名に罰金20円という厳しい内容となった(2名に無罪)。しかし、あまりにも厳しい判決の上に「事実誤認が多くあって、判決には納得できない」として、有罪判決を受けた25名のうち15名は弁護人を通じて宮城控訴院に控訴した。翌1917年(大正6年)6月22日に出されたのは控訴を退ける棄却判決であった。さらに、この判決に承服しなかった者は大審院に上告した。上告手続きと弁護にあたったのは、名を広く知られた法学博士の花井卓蔵と鶴田忞であった。花井ら弁護人は擬律錯誤や理由不備の不法があるとして、実例を上げながら駁論した。しかし、大審院は同年11月3日、上告を退ける棄却判決を言い渡し確定した[6][9]。 この事件以前は、税務署の取り締まりが非常に冷酷で税務官吏が横暴であるために事件を誘発したのではないかと非難する論調もあり、秋田県において密造者に対する同情心もあったが、事件後は公判の過程で実情が知らされるにつれ民心も一変し、密造に対して矯正する気分が広がった。従来は税務官吏の臨検を蛇蝎視していた地方も、税務署官を地方の旅舎に宿泊させ、地方有力者が税務官吏の地方巡回を遺憾とし、密造矯正を口にすることを栄誉とする傾向さえ発生した[10][11]。 この事件が起きた後の猫ノ沢では、多数の検挙者を出したのは郷村の不面目として小学校に子どもまで全員が集められた。そして警察署長、税務署属、船岡村長、小学校長から、濁酒がいかに弊害が多いものであるかという講話を聞き、一致して密造皆無を誓ったと新聞報道された[6]。 住民の証言[編集] 摘発隊は午前5時ころから、一戸ごとに立会人をつけて猫ノ沢を調査した。ところが、猫ノ沢では摘発隊が来るという情報を前日すでに掴んでいたのか、現品をきれいに処分していた。また、猫ノ沢のある人が羽後境駅から朝の一番の汽車に乗ろうと家を出ると、電灯を灯した人と出会った。船岡の村役場で休んでいるので酒役人だと考え、走って猫ノ沢に戻ってそのことを伝え、さらに庄内部落にも知らせたとする証言もある。一行はひとまず猫ノ沢を引き上げ300mほど奥にある庄内に向かった[6]。 猫ノ沢部落では1916年(大正5年)当時酒役人が来ると、酒役人はすぐ濁酒を置いている場所に行き、1軒や2軒で濁酒を見つけると後の家は捜索せず直ぐに帰った。人々は密告を疑った。こうした事情で部落では濁酒造りは事件発生時既にかなりなくなっており、金を出して清酒や焼酎を飲むように変わりかけていた[6]。 事件の日、朝4時から税務署の署員らは村人の前日までの田植えで疲れた寝込みを襲い無断で家に入り流し場や戸棚、屋敷に土足のまま上がり家を調べた。酒役人らは挨拶もしないで家を次々に調べたという。9人の酒役人らは猫ノ沢で一件の濁酒も発見できず、続いて庄内の捜索しようと川縁のあぜ道を急いだ[6]。 被告Cの妻の証言は以下の通りである。被告Hの妻と、被告BはBが嫁をもらう以前から仲が良いということが��落では噂になっていた。Hの妻は酒役人が家を探して帰った後に、庄内の方に鎌を持って田を見に行った。その後すぐに、Bが鎌を持って庄内の方にでかけた。Bの妻はそれを見てBがHの妻の後を追ってでかけた考えた。そこでBの妻は後を追い、ヤブの中に体を潜めてBを見ていた。酒役人は雨が降る時にヤブに隠れているBの妻を怪しみ酒を隠しに来たのだろうと問うと、Bの妻は田に水を掛けに行く所だと答える。酒役人はその田に案内しろと詰め寄った。そこに庄内の田を見終わったBが帰ってきた。Bは妻に何をすると9人の酒役人に飛びかかって行くが、返り討ちにあう。草刈りに家を出てそれを見ていたGは、Bが殺されると助けを求めて猫ノ沢を叫んで歩いた。Bは顔や手足が血だらけでひどい姿であった。Bは仕返しを口にするが、周囲の者になだめられて気持ちを落ち着かせ、朝食を取った。そして、大曲営林署の下刈り仕事に行こうと刈払鎌を持って家を出た。猫ノ沢部落の男が鎌を持って白山神社の方に行くと、酒役人が白山神社の周囲を捜索して猫ノ沢の方に向かってきた。それを見たBは腹の虫が収まらず「殺してやる」と酒役人に突進して行った。「またBが殺される」と一緒に走って行った。盤木はIの家に泊まっていた大工が騒ぎを聞いて偶然打ったものだという。証言からは、この時下刈りに一緒に行った者は5,6人で、事件は偶然に発生したとする。取り調べは事件の3日後から始まった。証言では、度胸が無い男と周囲から嫌われている男が目をつけられ、警察から「事件の一切を打ち明けると許してやるから」と言われ次々に村の人々が収監されたとされる。中には病気で歩くのも大変だったEも収監され懲役5年の判決を受けているという。実際には5-6人ほどの人たちしか襲撃に参加していないのにもかかわらず、25人もの人が服役した[6]。 その後、村人は取り調べの様子を話さなかった。そのため野添憲治は、当時かなり厳しい取り調べが行われ、一審の裁判記録が事実と違っていたからこそ、控訴や上告に繋がったのではないかとし、さらに偶然数人で一行を襲った事件なのに、どうして25名が騒擾罪などの重い罪で服役しなければならなかったのか、そこには事実誤認があったのだとしている。残された家族は、男手が無いため田畑を売ったりと生活にかなり苦労した。被告Aと被告Bは出所後、集落の総代や村議会員に推され一応の名誉回復をした[6]。 一番の被害者である税務署員は1917年(大正6年)5月11日に仙台の第二審公判の様子を見ていて、それを日記に残している。Bはほとんど事実を否認あるいは曲弁して、自分一人が税務官らを暴行したと供述した。裁判長から9人の税務官をよくただ一人で追い散らしたのかと問われるが、Bの答弁ははなはだ曖昧であった[4]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『秋田県史 第六巻 大正昭和編』、1977年、p.157 ^ 「租税史料叢書」第四巻 酒税関係史料集Ⅰ~明治時代~ ^ 明治財政史 第5-6巻 221頁 ^ a b c 税務職員の殉難小史 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ a b c d e f g h i 野添憲治『猫ノ沢事件 -その虚像と実像-』、たいまつ社、1977年、p.65-135 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 判決摘要 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、仙台税務監督局、1920年 ^ 事件の反響 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年
猫ノ沢事件 - Wikipedia
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cinemaclub-x · 3 months
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モビー・ディック
Moby Dick
たまに懐かしいものを観たくなって、 観たことあるはずの1956年版は古くてどうかなと思って、 コッポラ製作総指揮とかに惹かれて大失敗。
TVシリーズにしては頑張っているし、 CGなのか実写なのか判別しにくい白鯨の映像とか、 捕鯨船の雄姿はなかなかなんですが、キャスティングがダメだ~
最初だけ顔出しするグレゴリー・ペック。 そのあとの主人公たちに魅力がなくて、 最悪なのはパトリック・スチュアートのエイハブ船長。 イメージに全然合わない。
本人必死で復讐に狂ったエイハブ船長を演じますが、 空回り、ハマらない、浮いている・・・ その他のキャストもちっとも面白くない。
船長と副長の対立がほぼ全編で、 どうなるかどうなるかと引っ張っていって・・・
それでも、最後の白鯨との対決まで観ないとわかんないと思って、 期待したら・・・ああ・・・ちゃちい対決(笑)。 映像、迫力・怨念、何もなし。 イイカゲンな手抜き?ヘタクソ? 脚本・演出がやっつけ。
テレビ映画だからって、この程度なのはコッポラさん、 名前貸しだけで稼いでるんじゃないでしょうな。
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jimegi · 4 months
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いじめ的なことをされてた人が「幸せになることが一番の復讐!」とか「○○で成功して見返してやる!」とかマジで信じられないし、虚しすぎると思う。
そんなので怨み晴れるわけないじゃん。相手は痛くも痒くもないし、完全にいじめた過去への興味なんか失って幸せになろうとしてるに決まってんじゃん。誰と何で戦ってんだと思う。
罪を握り潰せるくらいの権力を持ってから相手を拉致って拷問の限りを尽くすくらい考えるのが普通だと思うし、それができないなら忘れるのは無理だろうけどそれはそれってことにするか怨み続けりゃいいじゃん。
怨みを安っぽいやる気みたいなのにすげ替えんな。大事にしろ。いつか殺せ。
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mikanjiru · 4 months
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私の推しパーティ、デュラン・アンジェラ・ホークアイ。
このうちデュランとアンジェラは行き先が同じだし共通の敵がいるし会話イベントもあるから合間の冒険もどんな感じでいるか想像しやすい。でもホークアイについてはずっとうまく想像できなかったんだよね。
カップリングとしても推しの二人だから、脳内妄想ではつい応援係みたいなことをさせてしまっている。
だが、リメイク版で仲間2と主人公の掛け合いが増えたことによってだいぶ明確になってきた。アンジェラ主人公で仲間2がホークアイの場合、アルテナ城で聖剣を奪われた後に
「紅蓮の魔導師、許せない!フェアリーをさらって聖剣を奪っただけじゃなくお母様にこんな酷いことをするなんて!」
と憤るアンジェラを、
「落ち着け!まずは神獣を倒すんだ。ヤツに復讐するのはその後だ」
と嗜めるホークアイの台詞がある。復讐‼︎?サラッと復讐いうたよこの人!
アンジェラ様はいずれこの国の女王となられる方なので、一国民に対し復讐とかいう個人的怨恨で動いてはいかんだろう。だがホークアイの冒険の動機がそれだから、他者を理解する時にもそれが出てしまうんだろう。生まれ育ちの違いでもあるかもしれない。
王様ってのは俺にはよくわからないとホークアイは言うが、上に立つ者・指導者の在り方には一家言あるようなのだけど、やはり生まれながらの王とはどういうものかはわからないんだなと思った。アンジェラは生粋の王だ。言葉一つ、立ち居振る舞いのすべてにそれが表れている。
デュラン主人公の時にも言ってたかもしれない。でもデュラン→紅蓮魔の場合は復讐でも違和感ないからね。そして今回、ナイトブレードなので強く印象に残ったのかもしれません。闇を極めし男の口から出ると凄みが違うぜ。
ここのセリフ、録画しておけば良かったなぁ。とても好きなやり取りでした。
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pppvvvppp · 5 months
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サムレムクリアした
ようやくFate/SamuraiRemnantをクリアしたよ〜。なかなか時間が取れなくて時間がかかったけど正月休みとか時間が取れる時に一気にクリアできてよかった。個人的にはFateでアクション!という意味でも結構面白かった。マップがね~結構広くて当時の江戸を割と踏襲してるのかは知識が浅くてわからないけれど世田谷あたりとか何もなくて驚いちゃったな サムレム食べ歩き聖地巡礼を結構したくなった。
シナリオの話をすると可惜夜>一条の光>怨讐ルートの順で好きです。初見は怨讐だったんでけどどうも消化不良感があったんだよね。地右衛門の掘り下げがもう少し欲しかったな~って思う。多分伊織との対比に置かれてる人だからうまいところ二人の対比が見たかったなって。伊織は善も成せる人だけど本質が剣鬼で血と���争の中にいるのに対して地右衛門は怨讐に生き血に塗れた人に見えて本質は家族にもう一度会いたい、という光を求める人なのでまあ真逆。でもラスダンのボス戦がRPG全開で面白かったのは怨讐ルートかも。
プレイ順的に一条→可惜夜を辿ったので正雪先生が見た光への思いが辛くなっちまった。でも正雪先生があの日託した光と思いは本物だったと思うし、可惜夜を選ばない伊織も確かに存在するから間違いじゃなかったと思うのよね。伊織は死ぬまできっと渇いたままだけど…。
ヤマトタケルとタチバナヒメの関係性が好きだった。血濡れの皇子が失いたくなかった妻、後悔し続けた犠牲が盈月で目の前にいて在りし日の憂いを断ち切って背中を押してくれるのは英霊システムならではだと思うのよね〜。今作、もう泣かない涙は見せないとしたキャラが多かったように思うけどそれでも流す涙が印象的だったな。
個人的な好みの話をすると丑御前は正体ほぼわかってたとはいえ興奮しちゃったよね。しかも何らかのスキルで体型が酒呑にそっくりだったので酒頼が好きな僕はひっくり返るかと思った。丑御前って対話できるように見えて根本からズレてる人外なので正雪先生と完全なバッドコミュニケーションしていて流石に正雪先生が可哀想だったかもしれない。私は世を正すのです!オッケー正します(壊します)!は詐欺だろ。詐欺じゃないです真剣です。
伊織くんについて。かつて見た月に魂を焼かれてしまった人、届かぬ光に手を伸ばし続けている人、生まれた時代を間違えてしまった人。ちょっと早ければ遅ければ人斬りとして生きる道があっただろうなと思うのです余計に「時代」を感じちゃうな〜…。良い人である事に変わりはないし善い選択もできるけれど本質が剣鬼なのであくまで判断しているのは斬るためなのが怖えよと思うと同時に魂に刻まれた欲望を抑える事ができる人間でもあるので難しいなってなるよね…。盈月は彼にとって幸運そのものだったけど、その環境だけじゃなくやっぱりヤマトタケルに出会えたことが大きかったよね。もし聖杯を壊さないと言ったら止めてみせるかー止めてみせようイオリ。HFすな。選択をした後止めてくれる友がいる事がイオリの幸福だけどヤマトタケルにとっては“また”大切な人を手にかける道なのでやっぱ辛いよ。血濡れの皇子スキルがいつまでも付き纏っている…。けれども私は互いの信念が相容れないと理解するが故の断絶や殺し合いが大好きなので可惜夜の顛末がマ〜ジで好きでした。善を成す皇子と剣鬼の男…。分かり合えないからこそ殺し合うの最高!サンキュー!!!でもカヤちゃんには謝れ!!!おい!!謝れよ絶対!!!!
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FGOサムレムコラボ楽しみ!伊織、鯖になれたら願ったり叶ったりだろうけど鯖になったら怖い人すぎるので嫌だが配布でくるに一票入れます。1番実装して欲しいのは旭将軍です。カルデアの巴さんとVRで遊ぼうぜ!
ザ魔術師してて心地よいドロテアさんとか良い空気吸いすぎてるアサシンとか堕落させてほしいタマモアリアとか過去一エッチなジャンヌとかナイスバディなアーチャー陣営とか弟がいいキャラしすぎてる土御門とか言いたい事結構あるけどとりあえずこの辺で!
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アサシンにも猫撫でてもらいたかった
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larkstonguesinaspic2 · 5 months
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そしておそらく最初のプロットの段階では、ガズルに用意された死に様はああいうふうではなかったのだろうなというのが伺い知れてつらい
カップがガズルの預かり知らぬところで野垂れたことを知らされて喜んだと同時に落胆した、の落胆した理由が“あいつに相応しい死に様が訪れなかった”ってとこなの恨みが深くていいね
LSotWでふたりきりになったときに後ろから撃つなりしてカップを始末しなかった理由そこだもんね。SotWのラストでカップ(とプロール)に銃を突き付けたときみたいに、どうしてお前は俺に殺されるのかをきちんと言って聞かせて己の罪をきっちり自覚させてからでないと意味がなかったからだよね。ガズルにとっては一方的な怨恨でなく正当な復讐なので。
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dutifullybabyrebel · 7 months
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【驚愕事件】3連発!怨念に取り憑かれた人生…狂った新興宗教の果てとは「ライフスペース事件…最悪の復讐…【総集編】【水ミス】
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