Tumgik
#恋焦がれ歌え
801number · 2 years
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valkyrietookme · 1 year
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Le temps des fleurs (full ver.) translation
Japanese lyrics used are at the very end. Feel free to let me know about any mistakes or ask any questions about the translation
English
Mistaken for a doll, those blue eyes well up with tears [1] At the curtain call of the romantic play woven together with a foreigner[2] Wondering about within a fantasy, I trod the stone walkways of the city Dripping down like wax as it melts through the day The night’s unrequited that yearns for the morning light[3] Was enveloped Even if it was the same as the wind that only blows through Oh! capital city of flowers, this love too, bloomed on roadside If it amounts to nothing more than a single poem then Engrave that dazzling splendor onto each other’s chests That beloved Shadow puppet’s Living presence, turn it into a fairytale Even if you cling onto an nonsensical prayer Those hopeless feelings won’t ever disappear will they? Then shall we leave proof of our destined meeting here? Let me change into the costume procured by both chance and fate Rather than unforgivable actions Suffering, or grieving Shall we dance until dawn breaks? I reach out my hand out to you While you gaze back at me Is it worth agonizing about the destination of unfulfilled dreams Even when you know there is nothing that lasts forever Let us retain this radiance for eternity, in this world Longing for And drawn to each other Those souls, make them into a fairytale Even if old And covered in dust Once you open the cover Everything will end up overflowing The filled away time Still carries the same old color as it ever did And paints even the future in its hue Oh! Capital city of flowers This love Drapes your town Even these flowing days, as they bloom and wilt away Play this melody, forevermore, into each other’s chests The beloved Shadow puppet’s Living presence, so it continues to dance Offer it a song of love, offer it a song of love
1. The blue that it uses is 碧, which references a more greenish/greyish blue than would be expected from the use of the usual kanji used to refer to the color blue (青)
2. As well as meaning foreigner, 異邦人 is also the title given in Japanese to Camus’ novel The Outsider
3. 酬い can refer to a reward. Given the context of the phrase, I decided to translate it as unrequited, as it is a heart without reward. This word can also be used to refer to karmic debt, which means another literal translation for 酬いの無き心 could be “a heart free of karmic debt/bad karma” (or a “pure” heart)
Japanese
人形と見紛う 碧き瞳は潤んだ 異邦人と紡いだ浪漫の幕切れに 幻想を彷徨う 石の街路を歩んだ 日々に溶けた蝋を落とす様に 朝に焦がれる夜の酬いの無き心を 重ね合わせた 吹き抜けてくだけの風と同じとしても 花の都よ この恋も 路傍に咲いた 詩の一つに過ぎないなら その絢爛よ、焼き付けよ 互いの胸に 愛しき 影絵の 現し身 絵物語にして 荒唐無稽な 祈りに縋っていても 救いの無い想いは消えはしないでしょう? それなら残そうか 僕らの出逢った意味を 偶然と運命の衣装着替えさせて 許されない事と 嘆き哀しむよりも 踊り明かそうか 貴方に手を伸ばし 君を見つめ返して 見果てぬ夢の 行き先を 憂うるものか 終わりないものなど無いとしても 永遠に留めよう、輝きを この世界に 求めあい 惹かれあう 魂 絵物語にして 古びて 埃を被っても 表紙を開いたなら 溢れ出してしまうだろう 綴じ込めた時間は 色彩を帯びた儘 未来さえも彩る 花の都よ この恋を 纏う街よ 咲いて散っていった 日々さえも 奏で続けよ、いつまでも 互いの胸に 愛しき 影絵の 現し身 踊らせるその為 愛の歌を 愛の歌を
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月��みて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという���に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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haru-c-o · 4 months
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恋をしている
懐かしい歌を聴いた。始まりから終わりまで売れることなく解散していった、好きだったバンドの歌。思えば、5、6年前にライブハウスで見ていたバンドは、脱退、活休、解散を経て、ほとんどが私の前からいなくなっていった。私はまた新しいバンドを探して、出会って、恋して、ライブハウスに足を運んでは自分の気持ちを確かめている。お前はまだロックンロールが好きかって。
これ、すごい営みなんだよ。胸の奥に数組、どんな言葉を使っても表現できないほどのビックラブを抱えたバンドを秘めて、私の生活(音楽、ロックバンドに関する)は日々その高鳴りを求めている。見つけたいし、見つけられたい。この胸を撃ち抜いてほしい。そうやって胸を焦がすその瞬間が、どんなセックスより一番気持ちいい。
でもさ、私、懐かしい歌を聴いて思ったんだよね。まだ平成だった頃にライブハウスで出会ったあのバンド達、いなくなったと思ったら、私の中にずっといた。頭にガツンと食らった衝撃も、胸を焦がすようなあの感情も、今の私の中にちゃんとあった。やっぱ、一目見て?一耳聴いて?「カッコいい」って思った。私、この先もずっと、ロックンロールに恋をしていくんだろうな。毎日、毎日、どれほどそれを積み重ねても、きっと飽きることができないな。
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poetohno · 1 day
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5 32 詩集 思想詩集 リバイバル おまけトーク(人間関係の発見)
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詩集 百花繚乱 「桔梗(ききょう)」
大地に蒔かれた種 空との約束
風船となって空へと昇る蕾 風前の灯火のように淡く 陽炎のように儚い 今にも消えてしまいそうな 偽りや余計な飾りは要らなくて 脱ぎ捨てる
いつか帰る場所は地上 咲く花は星となる 空に応えるように 真っ直ぐに空へと伸べる手 果たされる誓い
約束は音を立てて崩れるというのに 叶う時は音も立てずに人知れず実る
思想詩集 夢を探して 「世界を美しくする旋律について」
それは花
香りを運び 癒しを歌い 雨に打たれて涙し 光を浴びて微笑む
それは月
闇の中で祈り 光の中で眠る 孤独の天に静寂を詠い佇み 闇に満ち欠けしながら淡く輝く
それは空
雲と虹と星が 万華鏡のように変わりゆく 光と闇を抱いて 人と獣と草木を見守り 朝陽の光 陽だまりの煌めき 燃えるような夕陽 夕暮の闇 移り変わりを弦にして 安らぎを奏で 祈りを捧げ 全てを慈しむ
#3 月と太陽 一章 「月」
―夜―
見上げた先に咲く
微笑みは静謐な光を湛えている 夜の海から導く灯台のように
闇を照らす一筋の光
眩しいくらいに 輝き満ち 溢れ いつしか零れて 失われていくように ほっそりとした後ろ姿が 別れを告げる
もっと見ていたい もっと知りたいのに 決して触れられない
分かっていても 手を伸ばしてしまう 恋に焦がれるように
月のない夜は闇でしかない
会えても すぐに遠ざかってしまう 想いは途切れてしまうから切ない
届かなくても 触れられなくても いてくれるだけでいい
待っているから
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tsukishiro-himari · 5 months
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「数年前備忘録」
お父のお誕生日がもう直ぐで
毎年贈っているお酒か違う物か悩んだ挙句
おかあさんのお誕生日も
同じ物が良かったと言われたしと
いつものお酒を予約するとゆいちゃんから
「ねね、今年もいつものお酒送るの?
お父、お嬢からお酒が来る〜って
歌ってるよ」と連絡が来て一安心…
無いものより在るものの事を考えるって
本当に純粋で、素敵
初めて読んだ漫画は何だったっけと
考えていたのだけれど
おばあちゃん家の
おかあさんの部屋の本棚にあった
"小さな恋のものがたり"かも。
おばあちゃん家に行く度に
チッチとサリーに逢えるのも嬉しかったな
お父から
「お誕生日のお酒届いた」電話が来たよ
年に一度の恒例電話、嬉しい
それでね
「お父はお嬢の事すきだよ〜」って
初めて言われたから電話を切った後
泣いちゃった
2023年"北斗の拳"原作者の武論尊 先生と
対談をさせて頂いたラジオが
自分的二次元開きだったのだけれど
来年も素敵な何かが出来ると良いな…
ちなみにシュウ推しだよ
‎志田光さんの魔界‬⁩推しキャラランキングに
ペルセフォネがランクインしているのを
目にし「ありがとう御座います…!」と
画面越しに言っています(T . T)
ひまりちゃんの小さい頃
月と星のチャームを偶然みつけた時
魔法の杖になると信じて
部屋のいちばん高い所に飾ってた
最近、体力が凄いねと
褒めて頂く事が多くなって凄く嬉しい
ひま、入院ばかりしてた幼少期だったから
おばあちゃん家に行ったら
その事話そうって思う
おばあちゃんに筋肉を見せてたら
お母さんが凄いねと触り出し
ゆいちゃんが抱っこしてという
ミッションが加わり何か、嬉しかった
ゆいちゃん、初めての会社で受けた
精神ダメージは回復に数年かかると
診断されているらしく
何度でも焦らなくて良いことを伝えたい
そして、発する言葉に
どんな力が込められているか
考えてから出して欲しい
社会に出た大人なのだからと
その人に伝えたい
既に自分のお墓を購入したおかあさん
「あなたも買った方が良いよ」
と勧めてくることが端的に切ない
ここ数日口を開く際顎が痛く
もう少し様子を見たら
病院に行こうと思うのだけれど
もしかしたら親知らずが生えてきていて
大人になるのかもしれない
‎そういえばWBE‬⁩小話なのだけれど
‎出番待機中、近くに
純友役のTARUさんがいらっしゃって
「頑張ったなあ。」と
唐突に褒めて下さるものだから
泣きそうになった…
‎⁦‪#魔界‬⁩ ⁦‪#ペルセフォネ‬⁩
アイゼンが言ってた
「頑張る者は皆、戦士。」
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ymmmuy · 6 months
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好きなアーティストはたくさんいる
できれば遠くても、生で聴いて、自分の目に焼きつけたいタイプ
この間、野外ライブにいった。1バンド5.6曲の30分くらいのライブだけども自分の好きなアーティストを外で気持ちよく聴けるのは最高だった。
野外ライブってすごく気持ちよく聴けるから結構好きなんだよな〜なんて思いながら缶チューハイを飲み、すぐにトイレに行くという笑
天気も良かったので隣の駅まで歌いながら歩いて、途中で寄り道してのんびりふらふらしてたら目の前にさっきのステージに立っていた人がいる!!!!!!ってなって。焦って、話しかける?!話しかけない!?なんて焦って焦って考えて声をかけず・・・・
ちょっと後悔したけど、でもプライベートだしとか言い訳もしつつ。でも本当は声掛けたかったと。
近くのご飯屋さんでも曲を聞きながらあーだこーだ話して。こうやってライブ終わりに誰かと分かち合える人がいるってすごく嬉しいなあ〜なんてね
そんなこんなで食べ終わって帰ろうかなとなった時に目の前にまたあの方が!!!!!
へ?!?!ってなってこの短時間に2回も会うことなんて、、これはもう話かけるべきだと言われてる気がして相方が声をかけた!!!!!
そしたらあちらから手を出して両手で握手してくれて泣
写真も撮らせてもらって泣
もう顔がカッコよくて、優しくて、神様かと思った泣
最後、さよならした後もこっち見てくれて泣
ポーズもとってくれて泣
もう一生かけて推すに決まってるだろおおおおってなった泣
ありがとう ありがとう ありがとう
急遽、ライブも申し込んだ
会いたい
あ、、、これは恋だな、、、、笑
アーティストとしても人としても素敵な人だった
とりあえずLP版も買うことにした
推せる時に推す
↑これは私のモットーだぜ?
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cutecore-archives · 7 months
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『port - Import / Export EP』所感
#1. Song About Me & Human Beings
Pavementの”Pueblo”のチューニング(E♭B♭DFB♭D)で作った曲。激情ハードコアをやろうと思ったらこうなった。今聴くとヤケクソの5拍子に若いな〜と感じる。この曲特有のsadな雰囲気は他にあんまりない感じでカッコいい。
歌詞は安吾の『わたしは海をだきしめていたい』を下敷きに、恋焦がれている人に対する誇大妄想気味な眼差しを書いた。性的な関係がなくても、あなたが海と戯れている様子で僕は満足なんです、みたいな歌。
最近はめっきりセットリストから抜けているが、結成1年目の学祭野外ステージの最後に演奏したのはいい思い出。
#2. 札幌
徹夜で曲作りして上手くいかなかったけど、夜が明けてCOWPERSのライブ映像見てそのままギターを手にして15分で書いて、みんなで20分合わせて完成した曲。だから札幌。レギュラーチューニングながら、間奏の解放弦を使ったアプローチは今でもよく書けたと思う。Cコード(2カポだからキーはD)でこんな激しい曲になったのはミラクル。
徹夜明けなので朝には透き通る日差しが刺さる。革命の雰囲気に乗り切れずにフラストレーションがただ溜まっていく若者を題材にしている。1st EPで唯一の日本語詞。
ライブだと爆速になり、アステロの奴らは暴れ狂う。オモロいね。アンコールでよく演奏する。
リリース当時LPLのそうしくんが褒めてくれた(聴いた瞬間に鳥肌が立ったらしい)。本当に嬉しい。あと豊里がヤケに好きな曲。
#3. In Action
オープンD。この曲と「陸に帰る」をほぼ同時に書いた。たぶんデスキャブになりたかったんだと思うけど、マスロック的なアプローチも混入してしまった。拍の使い方は面白いと思う。サビは4/4なのに4/4に聴こえないし、14拍のフレーズがあったはず。portにしては落ち着いた曲調。曲作りでしょうきさんが苦戦してた記憶があ���。
トラウマを追って戦場から帰ってきた軍人に、過去の思い出を振り返りつつ優しく寄り添う曲だったと記憶している。でも振り返ると散文的すぎて自分でもよく分からない。
リリース直後から全く演奏しなくなった曲。でも悪い曲じゃない。
#4. From Camel’s Back
port最初期に書いた。Pavement頻出のDADABE。エモリバイバルを意識した最初の曲。書いた頃の記憶がほとんどないが、フレーズが速すぎて当時の自分を憎んでいる。portで一番難しく、ギターのミスが多い曲かもしれない。それまではハンマリング/プリング/スライドの応酬だけど、サビ終わりの打って変わって開放的なフレーズはカッコいい。でもイントロの7拍子はやっぱりヤケクソかも。ドラムが7拍目で毎回ズドンなのが面白ポイント。
歌詞はサリンジャーの『フラニーとズーイー』を下敷きにした。というよりモチーフをそのまま持ってきている。シーモアやバディも歌詞に出しちゃったし。18歳〜20歳の曲は文学からイメージを拝借したものが多い。宗教的崇高さと世俗のギャップに悩む歌。やっぱりまんま『フラニーとズーイー』だ。あとタイトルの文法が少しおかしい(“a”を入れるべき)けど、語感を優先させてしまった。
今聴くとギターの撮り音を歪ませすぎたような気がしている。
個人的には、二流のエモリバイバルに堕ちずに、自分たちの色が良く出せた名曲だと思う。もっと人気になっていいと思っていたら、最近しょうきさんが「この曲が一番カッケえよ」と言ってくれて少しビックリした。portの中ではライブ定番曲として合意が形成されている。でも死ぬほどミスる。ムズいんだもん。
#5. Banana
portの前に組んでいたAmorous Mosquito最後の曲をportとしてセルフアレンジした曲。DADABE。アモラスはインディーポップやグランジやシューゲイザーをやっていたけど、ちょっとエモがやりたくなってこの曲を書いた。port版は更にパンク風のエモに仕上げた。イントロ〜Aメロの空気感のあるフレーズはお気に入り。アウトロのギターフレーズはメタルみたいでテクい。
歌詞は『ライ麦畑でつかまえて』を下敷きに、セックスについての気色悪さを書いた。「バナナ」は本当に陰茎のメタファー。そういう目線で歌詞を読み返したら面白いかもしれない。当時まろ鈴木に「Bananaの歌詞の意味分かったわ」と言われたので、多分バレていた。
豊里が好きな曲。個人的にあまり気持ちが乗らなくなってしまったのもあり、これも最近ライブでやっていない。今聴き返すと、諸々のフレーズはもう少し詰められた気がする。
レコーディングについて
2016年初めに、フラサンで2日間で録音しその後数日かけてミックスマスタリングしてもらった。岩崎さんレコーディング。ギターの音には全く納得がいっていないし、時間が許せばもっと色んな音を重ねれば良かったとも思う。これは完全にバンド、ひいては僕の音作りやディレクションの問題だった。しかし2015年初頭に結成したバンドがちょうど1年後に勢いで録音した事実にこそ価値があるのかもしれないし、そんな初期衝動を自ら価値付けすることにも問題があるのかもしれない。これらの反省が2nd EPの制作に若干反映される。
以上。忘れてて書き損ねていることがたくさんあると思うので、気が向いたら加筆修正します。
2024/2/20 太田直輝
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keredomo · 1 year
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ヒロスエの手紙
 ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。  有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
 不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
 「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。  自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
 婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
 何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
 一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。  婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
 「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。  初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
 国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。  それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
 ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。  誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。  あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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0nce1nabluemoon · 2 years
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそ���ぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
  「輝ける闇」 P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
 「輝ける闇」 PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
  「輝ける闇」 PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年は��なだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
  「輝ける闇」 P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
  「輝ける闇」 P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
  「輝ける闇」 P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
  「輝ける闇」 P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
 「わたしは英国王に給仕した」 P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
 「非暴力の力」 P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
 「うしろめたさの人類学」 P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
  「うしろめたさの人類学」 PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
「うしろめたさの人類学」 P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
  「過去と未来の国々」 PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
  「君たちはどう生きるか」 P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。        
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。                 
ナンナン、ナンナン               南京さん                   南京さんの言葉は                南京言葉                     
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。                 
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。         「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。        「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
 「青い月曜日」 PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
 「気流の鳴る音」 P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
「青い月曜日」 P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
  「気流の鳴る音」 P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。               もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
「カレル・チャペックの警告」 PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
 「カレル・チャペックの警告」 PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
 「気流の鳴る音」 P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
「気流の鳴る音」P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
 「カレル・チャペックの警告」PP.140-141(1938)
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wooof77 · 1 year
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虎の威を借る狐の威を借る
Podcast『虎の威を借る狐』にお招きいただき、おしゃべりしてきました。説明不要で通じるタメトークはめちゃくちゃ楽しかったのですが、いざ録音されると緊張で全く思うように話せなかったので…プレイリスト含め少し補完的なものを書きたいと思います。
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⚫︎虎の威を借る狐  (#33〜#35に出てます)
【カバーアートについて】 事前に聞いていたキーワードや番組のイントロから’80〜’90年代っぽい感じをイメージしました。具体的にはうる星やつらのOPやED、サンリオ、ファミコンのカセット(シティコネクションとか)、を頭の隅に置きつつ5つ提案してめでたく3つ採用となりました。
【マイファーストユーミンの話】 「オレたちひょうきん族」のEDや、TVCMで聴くともなしに 耳にしてたけど誰が歌っているかなんて長らく意識することもないまま。
中学生になってラジオを聴く習慣ができるとオールナイトニッポンも聴くようになって、そこで初めてサビしか知らなかったいろんな曲をほぼフル尺で聴くようになります。でもラジオだから途中でCMに入ったり、オートリバースの折り返しで録音できてなかったり苦労しました。田舎ゆえ生活圏内にレンタルCD屋がなかなかできなかったんですよね…。
そこで歌から鮮明に情景が浮かんだり、ノスタルジーとも違う(と思う)知らないのに懐かしい、みたいな感覚を覚えたのが初めてで感動してハマりました。それと言葉の美しさ、面白さ、歌詞を読む楽しさも教わったし、それは今でも続いています。
で、一番好きな曲は?という質問?え!そんな?愚問!w いやでもまぁ当然訊かれますよね…全然考えてなかったので焦りましたが、あのころ慌てて歌詞を書き留めた曲の中から「水の影」を選びました。ラジカセの前で一時停止を繰り返しながらルーズリーフに歌詞を書き留めたのを今でもはっきり覚えています。
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黄昏色とゆっくり流れる(時の)川の心象風景。穏やかだけど抗えない時の流れに、切なさと少し怖いような気持ちになったのを覚えています。まだ中学生だった自分には「遠くなった過去たちを振り返る」ことは想像するのも難しかったけど、なんかめっちゃエエやん(雑)!と初めて聴いた時から大好きな曲です。
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まず大訂正。 今年(2023年)はユーミン51周年ですね…失礼しました。 1972年7月5日「返事はいらない」でデビュー。 プロデューサーは、かまやつひろし。ムッシュ! このシングルのアレンジも可愛らしくて好き。
「牛乳瓶にダリア」 たしかデートしてる時に「何の花が好き?」という質問にユーミンが「ダリアの花が好き」って答えたのを覚えていて、後日スタジオのピアノにそっと飾ってくれてた〜というエピソードだったと思います。正隆さんはオシャレで、キザというよりロマンチストというイメージがあります。ポジティブなイメージはそんな感じでしょうか…w
『ユーミン万歳!』 番組内で全曲リマスタリング言うてますけど全曲エディット&リミックスですね。上手く聴こえる!なんて言いましたが、声の解像度がグンと上がってユーミンの声の魅力を改めて感じられるアルバムだと思います。アレンジの違いも楽しいです。 ちなみに配信用リマスタリングはサブスク解禁の時、全423曲に施されています。
『Man In the Moon』 これはヤンエグ男ではなくそれを目指している上昇志向強めな若い男の歌ですね。  彼の夢は白いロールス プール付きの家  他人の鍵を腰で鳴らして クロークに戻す ってことなのでホテルの駐車場とかで働いてるイメージかな。マッチョでギラギラ。
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【プレイリストについて】 最初にユーミンの曲にちゃんと触れたのはオールナイトニッポン(ANN)だったという話にちなんで、ラジオ経由で初めて聴いて好きになった曲、『天国のドア』以降は発売日にCDを買ってるので、それ以前の曲を中心に選んで当時の印象など添えてみました。
⚫︎あなただけのもの それまで聴いたことのある曲たちのイメージと全く違う、ファンキーな曲調にびっくりして、かっこいいー!ってなった曲。
⚫︎あの頃のまま ANN恒例の苗場からの放送、弾かな語りライブのコーナーで聴いて、その歌詞に強いゲイネスを感じた曲。のちにセルフカバーアルバム『FACES』に収録。元はブレッド&バターへの提供曲でオリジナルも良い。
⚫︎青いエアメイル それぞれの決断とその行方を信じる気持ちが尊い。 “青い”という言葉(色)が情景や心情にも掛かっているようで切ない。
⚫︎ジャコビニ彗星の日 歌詞の解釈で友達と意見が対立した思い出… “流星群”は電話が少なくなった”あなた”のことで、”寂しくなればまた(私のところへ)来るかしら”と歌っている。という友人。 僕は、もうその”あなた”はどうでもよくなってきてて、また誰かを好きになることができるかな…って歌。”流星群”は誰かを好きになる気持ちの隠喩なのでは?と反論。 もちろん答えは出ないままー。
⚫︎影になって メロディーも歌詞も、なんか知らんけど都会的やん!って思った。  真夜中は全てが媚びることもなく それでいてやさしい えーかっこよ…
⚫︎星空の誘惑 車の助手席で勝手に盛り上がってるオンナの歌なんですがー(好)  オレンヂのトンネルの中は 横顔がネガのようだわ というフレーズが映像的でハマりました。
⚫︎夕涼み イントロから少し気だるい夏の夕暮れ時の映像が目に浮かぶ。 虹も雲も風も濡れた髪も焼けたうなじも全て儚い。 ちょうど夏の終わり頃に聴いて刺さりました。
⚫︎晩夏 (ひとりの季節)  空色は水色に 茜は紅にー  藍色は群青に 薄暮は紫にー ただちに色の名前とどんな色なのか調べました。空の色の変化と季節の移り変わりに気持ちの変化をなぞらえる繊細さと美しさよ!
⚫︎青い船で 初めて聴いたときイントロから完全に宇宙の映像しか見えなくて、どんな歌かと聴いてると実際そういう歌詞で、え…イントロのイメージすごい…てなっりました。愛を天体で語るスケールの大きさも好きです。
⚫︎TROPIC OF CAPRICORN ドラマチックで好き! アルバトロス=アホウドリというのもこの曲で知りました。
⚫︎かんらん車 TROPIC OF CAPRICORNが”動”ならこちらは”静”のドラマチック。静かに雪が降り積もる遊園地のモノクロの情景が、とても冷たくて悲しくて美しい大好きな曲。
⚫︎水の影 シモンズ版は具体的な情景で、ビルの間を車のライトが流れる都会の川のイメージ。同じ曲なのに印象が全然違うのが面白い。
⚫︎A HAPPY NEW YEAR  今年も沢山いいことがあなたにあるように いつも いつも 恋人のもとへ真っ直ぐ向かう気持ちとその姿が初々しくて清々しい。素敵だなぁと素直に憧れました。年賀状に「今年も沢山いいことが⚫︎⚫︎さんにありますように」とか書いたなぁーw
⚫︎翳りゆく部屋 戻らない「輝き」って恋人や過ごした時間や愛情のことだけではなく、本当に失ってしまったのは有ると思っていた未来のことかー(むしろ過去は変わらない)!と気づき、歌詞を読む楽しさを知った曲のひとつ。そんなの聴けばわかるやろと思われるかもしれませんが自発的にわかった(と思えた)時は快感なんですよね。
⚫︎経る時(ふるとき)  四月ごとに同じ席は うす紅の砂時計の底になる 転調のドラマチックさ最高。情景描写の積み重ねで、巡る時間と季節の移ろいをこんなに美しく表現できるものかと。アルバム『REINCARNATION』のラスト曲。この曲も輪廻転生やん!って気づいて興奮。
▶︎MY FIRST YUMING PLAYLIST
 あなただけのもの  あの頃のまま  青いエアメイル  ジャコビニ彗星の日  影になって  星空の誘惑  夕涼み  晩夏 (ひとりの季節)  青い船で  TROPIC OF CAPRICORN  かんらん車  水の影  A HAPPY NEW YEAR  翳りゆく部屋  経る時
以上14曲。 よろしければサブスクなどで聴いてみてください。
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manganjiiji · 1 year
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技も��つも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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osakinidouzo · 1 year
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おっとっ登場 まったくもう家に帰りたくな〜いと想う日々、荷物の整理はコツコツ進んでおります 日当たり風通し良好で希望は三茶あたりがいいなあと みりちゃん出産まで100日切りました!誕生日ケーキありがとう^^
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いいか君、あの娘を1ミクロンでも悲しませたら殺すよ、��れで私も死んで男に生まれ変わって結婚して唯一無二の家族になるんだから お父さん、彼女の事は僕に任せてください つってね〜へへ〜ん 何の曲で手掴まれたか忘れたのありえない!いや、ペンネシャーペンやったかもしれん
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お母様からいただいたキンキンっのおビール2ℓ 泣 会社の畑で大量に咲いたひまわり 長生きするように葉っぱとったけどひまわりのかわいさは葉っぱだったことに気づき悲しくなる 付き���って3年だとこれから倦怠期入ることですし最後に楽しんどく?ってことでグランピング行ってたらたら遊んでライブで締めてしやわせ3日間フワフワ日記書けるかと思ったのに海に放置して歩かせたら背中ケガして能登でビール飲んで運転法律的に拒否し不機嫌にさせてしまい、大騒動ライブ後に平常心スイッチが誤作動で切れて困らせてしまう始末 恋焦がれたルーキーだったのに後味悪くなってしまい、嫌な思いでにさせたことは本当に申し訳ないと思っています 彼には直接膝をつき合わせ、ごめんなさいをしました。猛反省 はじめて落ち込んだ 安心する物体と四六時中一緒にいすぎるの体質上よくない 柔らかい地獄とはこのこと 安全に帰れればはなまるあげちゃいます^∇゜)だったのにヨ(T . T) 自分に幻滅、これ以上させないでって話!なんだよね もうちゃんとひとりで立てよって話!なんだよね でも金沢で一番美味しいお店2個見つけれて最高🎶ずっと頭パーになってないとだめなの!朝までつきあって!あさのノリ方バスケ部滲みすぎてて本当におもしろい運動部じゃなくて絶対バスケ部 次はハーキーと残り数秒で勝ち負け決まるフリースロー1本もらったの落として負けた人 してもらおう 声嫌なんで飲んだくれday&night 加入します!それ歌わせろマイクかせ 
晴れうれしい〜!初入道雲!ばいばい
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jinmon0168 · 1 year
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ココロ
1st full albumを作るにあたって、Atomic Skipperの集大成を出し切ってくれ。
これが命題で作り始めた楽曲だった。
とはいっても、俺は妥協はしているつもり無いし、今も昔もずっと焦っていて、受け入れられるものと表現したいもの、それの間でずっと葛藤していて。
そもそも、Atomic Skipperって一体なんだ?
俺のことではない、でも俺のことだし、誰かのものでもない、けど音楽はみんなのものだ。
自分の周波数が定まらないまま、はじまった制作。
この時、俺は「らしさ」というものに蓋をしていたから曲が作れなかったことに気づいていなかった。
心は触れ合うし、振れるし、震えるし、奮える。
俺が何気なく放った言葉が誰かの楔みたいになる感覚。
「これからどんな時代が僕らを待っているのだろう」
なんて、俺にとっては歌詞の一部でしかなくて
無意識で生まれた言葉だったのに、それがAtomic Skipperにとって救いになる事もあるんだなと。
みんな口を揃えて、これを表現したかったなんて言う。
無自覚が自覚に変わる瞬間を感じた。
心が触れ合う瞬間を感じられるなんて幸せなことだね。
「自分らしさ」が、自分の可能性を狭めているような気がして怖かった10代と20代前半。
俺のことは俺よりも皆が定義するもの。
でも、自分にしかわからない俺ってのもいる。
私小説的な表現になるけれど、自己投影を重ねていけばいくほど、その他大勢と自分が溶け込んで行く感覚が怖くて、無理矢理自分を客観視していた気がする。
特別なんだ。俺にとってのみんなは。
巡り会えた奇跡も、辿ってきた軌跡も、理解し合った気持ちも、一緒に感じた季節も。
自分らしく、自分らしさ、自分とは、なんて独りになった気で悩み続けて見つめ続けた先には、1人じゃなくて家族、恋人、仲間、君がいた。
俺のことは俺よりも皆が定義するもの。
10代に感じていた気持ちにやっと説明がついた。
心が奮えた。俄然無敵の気分。
どこにいたって、下を向いたって、俺は永遠に1人になれない。同じように君も、1人にさせない。
鬱陶しいよな、でも音楽はいつもお節介だ。
Atomic Skipperらしさの一つは、神門弘也であり、
神門弘也らしさの1つも、Atomic Skipperだ。
君が「自分らしさ」に悩んだ時に、Atomic Skipperがその一つになっていたい。
Atomic Skipperらしさも、君自身だってことに気づいて欲しい。
1人にさせないって、きっとこういう意味。
俺たちにはそれが出来る。こんな贅沢、あっていいのだろうか!
星に願いを込めるなら今のうち、悩んでいた夜ももうすぐ明ける、出発の時が近づいている。
君の手をひいて、心を掴んでいられますように。
ココロ
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01-08-m-n · 2 years
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2月の半ばに遅めの春休みを迎え、気が付けばもう3月 春休みに入ってすぐに約3ヶ月会えなかった恋人と会えたのは、他の人よりもずるずると続いた学年末のご褒美みたいだった。ずるずる続けない選択もできたのだろうけど、昨年に比べれば比べるまでもなく良い成果だった。頑張りつつ頑張りすぎなかった結果だと思う。昨日から久しぶりに連日何も無い日ができて、本を読み始めた、彼と会った最初の日にもらったゴールデンスランバー。前にも書いたけど、彼が本を好きなことがとても嬉しい。彼は私が音楽を好きでよかったといつも言ってくれるけど、それと同じ。彼を好きになった当初、彼のTwitterの頭まで遡って、彼の本棚の写真をお守りみたいに眺めていた。この月末で彼と会って付き合ってから半年になるけれど、それだけの間大切に眠っていたと思うとまあいいだろうと許せる。君と出会って半年経つんだな。
Beatlesのgoldenslumberで歌われる 「Sleep pretty darling, do not cry. And I will sing a lullaby.」という一節を見て、あの日を思い出していた。カーペットとフローリングの境目みたいなところで眠る彼を眺めて、起こさないようにテレビはつけなかった。彼が口をつけなかったグラスのお茶を3口で飲み干して、濡れたシーツを洗濯機にかけながら洗い物をした、気がする。あの日も今も、デートでよく眠っている彼が愛おしい、この間はもっと起きてて欲しかったとか駄々こねちゃったけど、多分もっとコミュニケーションがとりたかっただけで、自分は好きな人の話っていうか言葉が聞きたい気持ちが強いだけで、ただ一緒にいられるだけでありがたいなと今になっては思う。たぶん、彼と一緒にいるのが当たり前になっていて、私のことをよくわかってくれる彼に なんで。と思ってしまっていた。やっぱりまだ子供だ。時間が経っても「ありがとう」と新鮮に言ってくれる恋人のことをずっと大切にしたいと強く思った。
自分のページを開くところがtumblrマートとかいう商業的なものになっていて、あの凪みたいな青い場所はどこへ行ったんだよと思いながら見なかったことにする。そうなってから何週間経っただろうか。3月のやりたいことをかわいい便箋に書いてかわいいフレークシールを貼った。テスト前の飲み会で初めて会った2個上の先輩にネットプリントの話を持ちかけられ、前から繋げていたものを整えてギリギリで連絡。5首の連作名は「東京」にした。そんなこんなで生理が来たことに安心なんかしていて、やっぱり自分はろくでもないなと少し思った。段々と自分の身勝手さとか自己中心的なところとか仕事の効率の悪さとかが感じ取れるようになって、優秀だったはずなんだけどなと思った。優秀だったつもりで特に大したことない。今でも課題には優と秀の文字ばっかりなんだけどな。自分の長所って何だろうとか就活の先取りみたいなことを考え始めてしまっている。賢くて愛想がいいことが長所と言われたけど最終的には頭が悪いと言われたし。もしかして賢いって知識量のこと?浅く広くの知識と愛想がいいことなんて長所の欄に書けるかよと遠い目をする。この間は上手くいかなかったアルバイトの帰りにコンビニでお酒を買って飲むだとか、イキった若者なのか疲れたサラリーマンなのかよく分からないことをしてしまって、馬鹿みたいにお酒を飲んで飲まないとやってられないとか言う大人をあんなに馬鹿にしていたのになと思った。まあこれも経験として���いか。
今年の初めに、月に1冊は本を読むという目標を立ていたけれど、今日でやっと1冊読み切りました。今月中にあと2冊読みたいからもしそうなればとんとん、最近熱中して読めなくなったのは変に焦っているからかななんて思ったけど、Twitterで書店員の人が同じような症状?を呟いていたから安心している、人々は安心するために生きているとあのアニメのキャラが言っていた。この春も君が教えてくれた音楽をたくさん聞きたいと思った。遠い場所から君を思い出した時に頭の中で流れた曲。一生忘れない。(2023-03-01,02)
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7xkxkck-3 · 2 years
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221123 THE DREAM SHOW2 : In A DREAM’ - in JAPAN ドリショ 名古屋 ガイシ
幸せな記憶もきっと形に残しておかないと忘れていってしまいそうなのでここに残しておこうかと思って。
全部を覚えているわけではないけど、セトリ順に記憶がある部分を書いていきます。
席はドリームシート(びっくりした、そしてしれっとNCTって書いてあるから本当にドリームシートなのか疑った。入ったらアリーナのほとんどがドリームシートだった^^)
センステからちょい上手よりの真ん中あたりの席でした。
잘자が流れていよいよはじまる…とドキドキ
「10.9.8...3.2.1」
カウントダウンをして夢の中へ…
ヘチャンから順に1人1人ステージに登場
最後は箱の中に入ったチソンちゃんが起き上がりメインステージに集合(チソンちゃんの赤髪の破壊力が凄すぎてびっくりしてしまった)
Glitch Modeで一気にボルテージ上昇
よく聞くと日本語…
「頭クラクラ」「君が降らせる甘い夕立が小さな芽を木を呼び森を成す」「驚かないでちょっとのエラーはlike it」
↑印象に残ったところ
ロンジュンの声と日本語の相性が良い……美しい
メンステだから少し遠くではあるもののめちゃくちゃかっこよかった。
そしてセンステへと歩いてくる7人
どんどん近づいて来てて心臓バクバク
めちゃくちゃ近い、ちゃんと存在してる、、
Countdownでもう大変
衣装の質感もよくわかるし、筋肉の動きも分かって、ロンジュンの踊り方が一番好きなのでめちゃくちゃ目に焼き付けてました。
この時の衣装のチョンロもすごく好きで、光沢のあるレザーっぽい素材でギラギラさせてくれて衣装さんありがとう…という気持ちになりました。
Countdownが全方位に向けて正面を変えながら踊る構成になっていて、それも本当にかっこよくて好きでした。
Stronger前半はみんなジャケット脱ぎTIMEからの登場
ジェミンちゃんがちょうど正面にくる位置でした。
想像以上に身体ががっしりしている。
ウェーブのところ目のやり場に困るくらいの色気でした。
-挨拶-
MK「皆さんお久しぶりです、マークです」
RJ「純粋少年ロンジュンです」
JN「皆さんのワンちゃんジェノです」
JM「かわいくてきれいで、みなさんのねこちゃんうさぎちゃん、ジェミンです」
JS「NCT DREAMのマンネもちもちチソンです」
HC「はじめまして!NCT DREAMのエネルギー、ヘチャンです(フレッシュな新人風でおへそ挨拶)」
CL「皆さんお久しぶりで〜す、チョンロでーす」
ジェノくんが「何か気づいたことないですか?」みたいなこと言ってて、ロンジュンが「気づいた人はペンラ振って〜」って腕をフリフリしてたの可愛かった。
↑Glitch Modeの日本語verのことですね
2月8日発売のシングルに収録されるという流れから
JS「ところでヘチャンさんもう一つのタイトル曲はなんですか?」
HC「言っちゃっていいんですか?」
この流れではなかったらしく焦るチソンちゃん
JS「いや、あっ、今ですか?汗」
HC「今聞いたじゃん」
JS「いや、、(ヘチャンに耳打ちでぼそぼそ話す)」
HC「秘密ですよ〜あとで教えようかな〜?」
(ロンジュンお水たくさん飲んでずっと汗拭いてて可愛かった)
JM「そろそろ次の曲にいきましょうか、皆さん夢の中で会いましょう」
JS「おやすみなさい」
ゼンマイを回す音がしてオルゴール音と共にドリムたちは夢の中へ
みんなが重なって眠りについてる姿可愛すぎた。
dreamingのイントロが流れ立ち上がるジェミンちゃん、はじまりはピースとウインクでした。
このdreamingのロンジュンがやばいのは本国ドリショでも見ているので分かるのですが、残念ながら下手側のため私からは見えず…ただ、ロンジュンのいる位置から一段と大きな歓声が上がるのを聞いて、あーこれでまたあの一帯のファンを虜にしているんだなぁと思ってました。
ギリギリ見える範囲で隙間からロンジュンを追っていたけど指先まで本当に綺麗に踊る。
そして7人がセンステに集まりあのポーズで始まる무대로
なんかもう泣きそうになりました。
色んな感情が溢れて、ただありがとう…という気持ちに。
みんながメンステに戻っていきながら、ロンジュンがメンステとセンステの間で『우린 이렇게 만났고 이건 시작일 뿐이야 매일 기다려온 이 순간』をやるのが好きすぎる、力強くて美しかった。
-VCR-
可愛いドリムの演技
マチョから始まる初恋4部作。
ミュージカルっぽいすごく楽しくて大好きな構成。
マチョの昔の自分たちと出会う構成も好きだし、過去のドリムと今のドリムを同時に見ているような感じ。
ダンサーさんもおそらく当時のみんなの踊り方とか癖に近づけている気がして見ててすごく楽しかった。
Bye my first
最初ジェミロンがハートを2人で作ってて可愛かった。
CL「Mark!愛ってなんだろう?(日本語)」
MK「愛か…愛ってなんだろうね?(日本語)」
からのマクロロ BIG HUG
チソンちゃんのセリフは「君の名前は…」でした。
Love Again
私このロンジュンが本当に大好きで…多分振付がロンジュンにピッタリ合っているから尚更輝きが増している気がするんですよね。
メンステでやるからギリギリ見えるか見えないかくらいだったけど、少しでもちゃんと見れてよかった。
そしてジェンロンがやばくて…
ラスサビ前の「잠시 네가 곁에 없던 짧은 그 시간 필요했던 거야 이 결말을 위해 다 다시 처음으로 되돌아가 말해 난」で、
ロンジュンの肩に頭を乗せるジェノくん、ジェノくんの肩に顎を乗せるロンジュン
こんなジェンロン見せてくれるなんて思ってなかったので本当に記憶がとびましたね。
To my first
空気もみんなの表情もガラッと変わった。
切ないし悲しい…
ヘチャンの『미안해…』が大好きで苦しかったです。
-VCR-
Sorry, Heart
ボーカル組の凄さを感じた曲
ヘチャンの甘く特徴的な声とチョンロの空気をふくんだまあるい柔らかい声とロンジュンの繊細でありながらも芯のある声。
この3人のバランスがすごく良い。
いつまでもうっとりと聴いていたかったな…
この曲だけではないんだけど、チョンロの安定感が本当にすごくてびっくりした。そしてロンジュンの声量にも。
生で歌声を聴く良さを改めて実感しましたね。
-MC-
チソンちゃん、もう一度Bye my firstのセリフを披露することに
1人センステのせりに登らされ注目を浴びる
6人のお兄ちゃんとシズニが見守るなか
「君の名前は…」を披露
ここから私が大好きな衣装でのパフォーマンスになります。
そしてアレンジが大好きな曲が続きます。
너의 자리(Puzzle Piece)
優しい雰囲気で包み込んでくれるドリームたち。
シズニや歌ってるメンバーの顔を見るみんなの表情がすごく優しくてよかったな。
楽しみにしていたChewing Gum アコースティックver
大人っぽい良アレンジ、、大好きでした。
あんなにちっちゃかったホバーボードに乗った子達がこんなふうに大きくなってデビュー曲を歌ってて…成長を見守れるってありがたいなって思った瞬間だった。
ANL
こちらもアレンジ最高で大好きなので音源化してほしいくらい…
キラキラと多幸感に満ち溢れていてずっとニコニコ聴いていたな。
ロンジュンのセリフ
「シズニ、大好きです」
고래
ノミンのウヨンウパートあり。
ロンジュンのパートの時にチョンロがバックハグしていてとっても可愛かった。
주인공
相変わらず大好きな曲
メンステの上手側でやってて少し遠くて、隙間からひたすらロンジュンを見ていたんだけど、ステサイ体感席まで覗き込んでお手振りしている姿を見て、あぁ〜大好きだなぁと思った。
-Drive VCR-
Saturday drip
やっっっばい、めちゃくちゃ楽しい、超かっこいい!
メンステからセンステへ走ってくる時にお金がわんさか発射されるのも最高。
生で絶対に見たかったパフォーマンスでした。
Quiet Dowm
きましたよ、箱
お目当てのマクロンはメンステかつ下手側という一番遠いところ…
ロン様は箱の中なのでほぼ見えず、マクさんがたまーに見えるくらいなので2人はモニターを通して見てました。
さっきまで可愛さどこいったというくらい色気しかなくてすごかった…
そしてマクのラップパート大好きㅠㅠ
本当にかっこよすぎてしんどい…になってた。
Better than Gold
きたぁぁ!!私が大好きなやつ!!(何回目?)
元々の曲も好きなんだけど、パフォーマンスも含めてめちゃくちゃ好きなやつ。
全員お揃いのジャケットとスタンドマイクからもう最高に良いが保証されている。
最初の音からもう楽しくてしょうがなくて…
『Every Monday!~』で列になってセンステへと踊りながら進んでくるの大好きなんですよね。
キラッキラの最高のアイドル
ドリムのカトク방の名前通り
『ワールドスターたち⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』
でしたね。
Life is still going on
トロッコきました。
近いけどファンサがもらえるというより、ファンサしてるのが良く見えるという感じ(笑)
スタンド最前の人はドリームシートよりドリームシートだったかもしれない。
でもトロッコから降りる頃にチソンちゃんが私のうちわを見て『뀨~』してくれたので何でもいいです。
Diggity
センステどセンターで踊るチソンちゃんが本当にかっこよくて、会場全体をのみこんでしまうんじゃないかというくらい魅力爆発していた。
本人は少し踊る上でコンプレックスに感じている手の大きさまでも活かされている気がして自分の魅せ方を分かってらっしゃるなと思った。
このチソンちゃんを近くで見ることができてよかったな…
Ridin' / BOOM
本国ではトロッコ曲だったけど日本では踊ってくれてたㅠ
ここにマークがいるのが嬉しい。
-VCR-
ひとり待っているマークにみんなが順に手を繋いでいって7人でひとつになるの
そして手を繋いだ7人が登場しHello Future
『始まりってこと信じられる?』というヘチャンパートでもう涙
『待っていたよ 早くおいで どこへでもwe're coming together 何も心配しないで うまくいくよ Hello Future』
もう何も怖くないなって思って涙した。
マクロンのHUG♡ロンジュンパートはもう恒例ですが、チョンロがロンジュンに抱きついて共同作業。
We Go Up
ストレッチタイム
首回し〜このタイミングで首のストレッチさせてもらえるのシンプルにありがたかった。
ロンジュンはCandyの振りを踊っていてとってもキュートだった。
ロンジュンのパート『그것만이 날 자유롭게 해~』をセンステでやってくれたのでちゃんと見れて本当に嬉しかった。
ヘチャンのパート『끝은 없어 지켜봐 줘~』でジェミロンが深くしゃがんで2人でニコニコしてたの可愛かったな~
Trigger the Fever
ここでドリムのエネルギー爆発という感じで同時に私の涙腺も爆発してました。
本当に来てよかった…
みんなが全力で楽しそうに踊ってる姿が本当に輝いていて7人の円陣が完成するのを間近で見れて悔いなし。
最後はロンジュンがマークをおんぶしてました。
Hot Sauce
終わらないでぇ〜と思いつつ全力でペンラ振ってました。
-BGM Rainbow -
マークさんが現れてヒューマンビートボックス
↑まじでめちゃくちゃかっこいい
ヘチャンとジェノくんがポップアップで登場。
びっくりするくらいめちゃくちゃ跳ぶ。
その後4人も登場、ちょこんって気持ち程度のジャンプするの可愛すぎた。
Beatboxはじまる
ロンジュンが赤のニット帽かぶってるの可愛すぎてこりゃ誰も勝てないわ(?)という感情に。
可愛すぎてびっくりする、妖精ですか、天使ですか
Candle light
トロッコ曲でした
今回はファンサはまあ諦めてメンバーを見ようと思って見て��のですが、みんな本当に丁寧にファンサをするからさすがアイドルだなとなったのと
マークが手を合わせて「ありがとうございます」って何度も言っていたのがすごく印象的だった。
こちらこそありがとうだよ、マーク。
本当にありがとう。
Tumblr media
そしてチョンロ Happy Birthday~!!
今回はお祝いできてよかった!
ケーキも可愛かった^^
お誕生日サプライズを受けてのチョンロのコメント
「家族以外に僕が一番愛してる人たちと一緒に誕生日を過ごせること自体が僕にとってはプレゼントなんです」
と言ってくれて、とてもありがたくて嬉しくて、チョンロが言うからより特別な言葉な気がして大切に受け取りました。
そしてシズニがサプライズしてくれたから僕たちからもサプライズがないとね〜っていう感じで
『京セラドーム追加公演決定!』
『日本シングル曲タイトル発表!』
ぎぁぁあああ!!!(嬉)!!!大興奮!!
京セラドームはメンバーも知らなかったのか、びっくりしていた様子でした。
そしてシングルのタイトルは『Best Friend ever』
ドリムらしいなと思って益々楽しみに。
そして次の曲、My Youthへ
���ョンロ、本当に楽しそうに幸せそうに歌うから私も嬉しくて幸せだった。
ロンジュンとハモリのパートでは2人がぴったりくっついて歌っててすごく可愛かった。
-エンディングメント-
みんなのメント全部を覚えていなくて申し訳ないんだけど…順番も曖昧…
ジェミンちゃんが
「シズニの皆さんは、お姫様と王子様です。僕が知る中でい〜っちばん綺麗でかっこいいです。」
と話してくれてすごく嬉しかった。本当にずっと大好きなジェミンちゃんの言葉なんですよね。これを直接聞けただけでも今回入れて良かったなって思った。そのくらい大切で大好きな言葉。
ロンジュンは韓国語でバーっと話した後に
「長すぎたかな…(韓国語)すみません(日本語」
って言っててあまりの可愛さに会場中が「カワイイ~…」に包まれてロンジュンにメロメロになってた。本当になんでそんなに可愛いんですかロンジュンさんㅠㅠㅠ
メントを訳している途中で話そうとするもののまだ訳し終わってなくて、息が合わずちょっと気まずそうにしてたり、自分のメントの長さに笑ってしまっていて超絶キュートでした。そして根本さんすごいなって思った。
続き
「終わったら今日は絶対に美味しいものを食べてくださいね!一蘭!僕が大好きなラーメンです。でも皆さんが行ったら僕も列に並ばないといけなくなっちゃう。冗談です(笑)」
シズニ「カワイイ〜〜〜!!!」
「合ってるか分からないけど(韓国語)、ロンジュンがシズニの大好きです(日本語)。とにかく大好きだということです(韓国語)。」
涙が出るくらい可愛い…可愛いを体現してる人。
「ロンジュンはシズニが大好きです」と言いたかったんだろうけど、「ロンジュンがシズニの大好きです」も合ってるもんねㅠㅠㅠ
シズニはロンジュンが大好きなので♡
マーク
「これからが始まりだということ分かっていますよね?(韓国語)」
「今日は僕たちの初めての日本でのツアーに来てくれてありがとうございます。そして本当に沢山意味が込められている分、これから誠心誠意頑張っていきたいと思います。皆さん、本当にこれからも沢山会いたいです!会いましょう!NCT DREAMを沢山応援してください!頑張ります!最後に、皆さん忘れないでください!風邪に気をつけてください!(日本語)」
マークがこれからが始まりだと言ってくれるのも、こんなにも日本語で話してくれたのもすごく嬉しかった。誠心誠意という言葉が本当にマークにぴったりだね。ありがとう。
チソンちゃん
「僕が子供の頃から日本のファンの皆さんに会ってきました。なんだか…育ててくれた(笑)一緒に育ってきた感じがあって昨日寝る前に考えていたんですが、考えながらあとで良い思い出としてこの瞬間が残ると思います。」
(ジェノくんの元へ渡ってきたタオルをチソンちゃんに渡す)
JS「あ、これは大丈夫です。大丈夫ですよ。」
RJ「泣いてたみたいだけど?」
JS「ヒョンたちは僕が365日泣いていると思ってるみたいです」
HC「なんで違うみたいに言ってるの?」
JN「357日?」
CL「8日くらいじゃない?358日」
JS「とにかく…あー忘れちゃった><」
HC「ナイス!」
JS「とにかく僕に良い記憶を作ってくれてありがとうございます。これからももっと幸せにするので僕と一緒にいてくださいね。」
チソンちゃんのメントもすごく良かったなって。最初育ててくれたって言ってたのも可愛いし、実際育てたと思ってる人←
またヒョンからいじられてるのも可愛かったけど、最後の「幸せにするから僕と一緒にいて」ってもう惚れちゃう…
そしてチョンロは根本さんに感謝しつついじり倒す
「今日通訳をしてくださった通訳ヌナにも拍手をお願いします。私は一番通訳が上手いです。私は最高!」
って根本さんに訳させる
根本さん「私は…짱です(小声)」
「自分で訳すの恥ずかしいでしょう(ニッコニコ)」
いたずらっ子ロロたんめちゃくちゃ可愛かった。
そんなこんなで楽しい時間もあっという間。
最後の曲 Walk you home
ペンラ振付もちゃんと覚えてきて一緒にできたのとっても楽しかった。
ヘチャンの最後は歌詞変更なしの『이따 두시 거기서 우리 다시 만나자~』でした!
ドリショ初日入れて良かった。
本当に楽しい時間だったな。幸せでした。
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