「風の会」も無事終わり、月火と連休いただいています。月曜日は朝から定期検診。続いてサンセルコへ行き、アンジェイ・ワイダの映画"Katyń"を思い起こさせるほどに効率的な免許更新の流れに身を任せ、終わって柳橋連合市場であげまき貝の様子など見て帰宅。Zoomで打ち合わせしてひとまず初日は終わり。
夜は新しく入荷したフリッツァンテの試飲をしました。スプマンテの類いはお祝いで硝子の器と合わせてご用命いただくことも多いので、店に常備したいのですが価格と味、エチケットの楽しさのバランスが難しく、こまごまと試しています。少し濃く入れた春摘みのダージリンのようにさわやかな香り、メイプルシロップのような燻んだ甘味が微かにあって、酵母のうまみも残っている。軽いか重いかで言えば泡としては少々重めなんですが、しっかり辛口だし泡の入りようも上品で飲みやすい。最近入荷が途絶えている"Menti"がお好きな方にはぜひおすすめしたい。茹でたアスパラ、セロリのポタージュ、仙台空港で買っていた海鞘の水煮を烏賊とあわせたパスタで合わせましたが、アスパラのような癖のあまりないものにも、海鞘のような癖のあるものでも好相性でした。
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新千歳空港やスーパーで手にいれる! 地元民もイチオシの「北海道みやげ」6選 - ライブドアニュース
以下引用
●北海道は観光シーズン真っ只中を迎えようとしています!
北海道を訪れるなら、どんなお土産を買うべきか悩むところ。今回は、「北海道土産(主に函館)」6選をご紹介!。お土産はもちろん、自分用にも買ってしまいたい絶品です!
新千歳空港でも買える絶品スイーツ「チーズオムレット」
まずは、函館の人気洋菓子店『ペイストリースナッフルス』の「チーズオムレット」。厳選されたミルクとチーズを使用し、職人が一つひとつ手作りするこの生菓子は、チーズのほどよい酸味とミルキーな甘さが絶妙な一品です。日持ちはしませんが、自分用や親しい人へのギフトにぴったりです。
トラピスト修道会が製造する「トラピストバター」
次に紹介するのは、北斗市のトラピスト修道会が製造する「トラピストバター」。フランスのシトー会修道院に伝わる伝統的な製法で作られる発酵バターで、一度食べたら一般的なバターには戻れないほどの美味しさです。ミルクのコク、香り、甘みを存分に堪能できます。
●過去の掲載記事はこちらからチェック!
https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/84791/
『セイコーマート』限定「山わさび塩ラーメン 改」
『セイコーマート』の「山わさび塩ラーメン 改」は、各メディアでも話題の一品。北海道ならではの山わさび(ホースラディッシュ)の強烈な刺激と骨太な塩スープがクセになります。筆者自身も帰省のたびにまとめ買いするほどの愛用品です。
●過去の掲載記事はこちらからチェック!
https://www.syokuraku-web.com/column/74572/
北海道限定のご当地ラーメン「スープカレーラーメン」
東洋水産の工場がある北海道だからこそ手に入る「スープカレーラーメン」。スパイシーなコクとチキンや野菜の旨みが絶妙で、トッピングに素揚げした野菜や鶏肉を加えるとより本格的に楽しめます。残ったスープでおじやを作るのも通な楽しみ方です。
●過去の掲載記事はこちらからチェック!
https://www.syokuraku-web.com/column/73185/
お酒好きにおすすめ「大人の塩辛 みそ味ラー油」
函館七飯町の『有限会社たかせ』が発売する「大人の塩辛 みそ味ラー油」は、辛党のおつまみにぴったり。味噌とワインで仕込んだイカの塩辛は、味噌のコクとラー油のピリ辛が絶品で、ご飯やバゲットにもよく合います。
●過去の掲載記事はこちらからチェック!
https://www.syokuraku-web.com/column/72413/
『ハセガワストア』の冷凍やきとり
最後に紹介するのは、函館のB級グルメ「やきとり弁当」を販売する『ハセガワストア』の冷凍やきとり。真空パックされたやきとりは湯煎するだけで炭火焼の香ばしさが蘇ります。濃い味の「塩ダレ」や「うま辛」、「みそだれ」が特におすすめです。
●過去の掲載記事はこちら。
https://www.syokuraku-web.com/gift/79918/
まとめ
北海道旅行では、ぜひこれらのおすすめ土産を手に入れてみてください。友人や家族へのお土産、自分へのご褒美に最適です!旅行計画を立てる際の参考にしてください。
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香港(CNN) かつてリオン・リーさん(27)は中国最大手のIT企業に勤務し、ささやかながらも必要不可欠な仕事をしていた。
事務職員として会議の日程を調整したり、書類をまとめたり、上司が必要とするものを準備したりと、四六時中仕事に励んでいた。
だが今年2月に退職。安定した仕事と十分な給与からは手を引き、ストレスの少ない訪問清掃業に転職した。
「毎朝目覚まし時計が鳴ると、目の前には憂鬱(ゆううつ)な将来しかなかった」。リーさんは会社員時代を振り返ってCNNに語った。
リーさんのように、ストレスの多いオフィスワークから融通の利く肉体労働へ転職する中国人労働者が増えている。
こうした人々の多くは、かつて国内屈指の大手企業に勤務していた。
だが不動産危機や外国からの投資の減少、消費の落ち込みなど様々な障壁が中国経済に立ちはだかる中、こうした企業の魅力は徐々に失われつつある。
中国国家統計局(NBS)が15日に発表した最新データによると、2024年第2四半期(4~6月期)の中国の経済成長率はエコノミストの予測を下回る前年同期比4.7%増で、昨年第1四半期以来、最も低い数値だった。
自分の時間や健康を削ってまで高い給料を稼ぐ意味があるのか。過酷な長時間労働と人材不足が、リーさんのような会社員に再考を促している。
中国中部の都市、武漢在住��リーさんは、「掃除は好きだ。(国内の)生活水準が上がるとともに、訪問清掃の需要も増加し、市場はかつてないほど拡大している」と語る。
だがもっと重要なのは、以前より気持ちが充実している点だ。
「転職による変化は、目の回るような思いをしなくなったこと。精神的プレッシャーを感じることも少なくなった。毎日やる気いっぱいだ」(リーさん)
「996」労働文化はもうたくさん
会社勤務から肉体労働に転職したことで、仕事とプライベートのバランスが改善したというホワイトカラー層はリーさんだけではない。
アリス・ワンさん(30、プライバシーの理由により仮名)はかつてライブストリーミングとオンラインショッピングを運営する中国の大手プラットフォームに勤務し、年収70万元(約1500万円)を稼いでいた。
だが4月に退職し、風光明媚(めいび)なIT都市の杭州から家賃の安い落ち着いた成都へ引っ越して、ペットサロンの仕事に就いた。
中国には「996」という悪名高い労働文化がある。朝9時から夜9時までの週6日勤務という習慣は、IT業界やベンチャー企業など中国の民間企業では日常茶飯事だった。これが引き金となって、多くの会社員が辞職に踏み切っている。
以前のワンさんは生活の大半を仕事につぎ込んでいたが、体力的にも疲弊して「まるで覇気がなかった」と振り返る。
だが今では生まれ変わったような気分だ。
「多少なりとも自分が成長している感じがする」と言うワンさんは現在ペットサロンでトリマーの研修中で、ゆくゆくは自分の店を持つのが夢だと続けた。「先々の長期的な計画だ」と本人は語った。
中国の求人求職サイト「智聯招聘」によると、専門職から肉体労働へ転職する傾向の背景にはブルーカラー労働者に対する需要の急増がある。
IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li
IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li
同社が6月に行った調査によると、フードデリバリーの配達員、トラック運転手、ウェーター、技師といった肉体労働の今年第1四半期の需要は、19年同期比で3.8倍増加した。
新型コロナウイルスに伴うロックダウン(都市封鎖)が続いた3年間でテイクアウト文化が定着したため、配達員の伸び率が最も高く800%増だった。
肉体労働の賃金も上昇し、以前は敬遠されていたような仕事への求職者が増えている。
先の調査によると、オンラインショッピンクの爆発的人気により配達員の平均月給は19年の5581元から8109元と45.3%増加した。
だが一部の大卒者にとっては、肉体労働は就職先の第1候補ではなかった。
景気の減速に伴い、正規雇用市場は次第に競争が激しくなり、新卒者の就職はますます困難になっている。
先の調査でも、今年第1四半期の25歳未満の肉体労働求職者数が19年比で165%増加したことが判明した。
国家統計局によると、中国の16~24歳の失業率は23年6月時点で21.3%にまで落ち込んだ。その後同局は数カ月間統計の公表を停止し、算出方法の調整を行った。
当局は統計の公表を今年1月から再開したが、6200万人前後の学生は統計から除外された。学生の本分は仕事探しではなく、学業だというのが当局の言い分だ。
湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li
湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li
国家統計局によると、労働市場への参加が見込まれる16~24歳の失業率はここ数カ月、14.2%~15.3%を推移している。
投資会社マッコーリーのエコノミスト、ラリー・フー氏とチャン・ユーシャオ氏が昨年まとめた調査報告書に記載されているが、かつて中国で若年労働者の主な就職先といえばサービス産業、民間企業、中小企業だった。だがこうした分野は消費者需要の低迷で打撃を受けている。
シドニー大学中国研究センターのデビッド・グッドマン所長によると、大学が送り出す新卒者と市場が求める労働者の間にずれが生じているという。
グッドマン所長によれば、中国経済は最先端技術や環境テクノロジー、サービス産業にシフトしつつあるが、大学教育の内容はいまだ製造業や公共サービスなど、旧態依然または飽和状態の分野に大きく偏っている。
「経済構造の急激な変化に対応するべく、高等教育制度が自ら適応、あるいは適応を促されてこなかったとすれば、重大な問題だ」(グッドマン所長)
別のプレッシャーも
だがリーさんやワンさんをはじめとする人々が想像したストレスのない駆け込み寺が、本当に肉体労働職なのかと首をかしげる意見もある。
先日中国のソーシャルメディアで拡散した動画は、悪い結果になるケースもあることを物語っていた。動画には上海のカフェで働くバリスタが、会社にクレームを入れると脅す客に怒りを表す様子が映っていた。
怒りにかられたバリスタは客にコーヒーの粉をぶちまけ、たちまち店内は騒然とした。インターネットではサービス産業従事者が直面する問題についての議論が起こった。
中国の店舗やレストランにとって、クレームやインターネット上の悪評は致命的になる場合がある。消費者の多くが「小紅書」や中国版TikTok「抖音(トウイン)」といった人気SNSプラットフォームの評判に従順だからだ。
悪評を立てられる恐れが圧力としてのしかかり、低賃金労働者は会社から白い目で見られるようなことを避けがちだ。
インターネット上ではバリスタの不作法を戒める意見もあったが、それ以上に同情的な意見が多かった。
「クレーム対応もしなくてはいけない上に、そもそも給料が安い。会社と顧客の両方から締め付けられるなら、さっさと辞めたほうがいい」とコメントするユーザーもいた。
だがフリーランスの清掃員として1日6時間労働で働くリーさんの場合、これまでのところ順調だ。
雇用主とも良好な関係を築き、清掃の度に単なる仕事以上の充足感を得られているという。
「顧客は気を遣って私たちに水を出してくれる。お昼休憩の際にはテイクアウトを注文したり、食事を提供したりしてくれる。水分補給と休憩を取りなさいとちょくちょく声をかけてくれる」(リーさん)
今のところ会社勤めを辞めたことは後悔していないという。
「1日へとへとになっても、家に帰ってごはんを食べて、余計な精神的プレッシャーを感じることなく自分の好きなことができる」(リーさん)
大手企業から肉体労働へ、転職する中国人が続々 過酷な長時間労働と人材不足が再考促す - CNN.co.jp
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月2日(土曜日)
通巻第8032号
イーロン・マスク vs 極左勢力の執拗な妨害工作
Xへの広告出稿停止など、「見えない圧力」にめげず
*************************
正論はつねに邪悪な勢力に拠って妨害される。
日本の言論空間を比較するまでもないが、欧米でも酷いことになっている。
ツィッターの左翼的偏向、とくにトランプのアカウント永久凍結などと言論弾圧にでた極左メディアのツィッターをイーロン・マスクが440億ドルで買収し、社名をXと変更した。快挙である。
ネットにおける言論の自由が回復した。
左翼の妨害と嫌がらせは、買収の直後から起きた。
バイデン陣営は、不愉快とし、パリの極左市長に至っては「下水道」と比喩してXとの契約を辞めたなどと発言し、巧みな世論操作に加わった。
左翼勢力にとってはSNSでなれ流してきたフェイク情報や自分たちの出鱈目な論理の破産がばらされることが嫌なのだ。
歌手のエルトン・ジョンがツイッターで利用をやめると表明し、ハリウッドの映画スターたちが追随した。エルトンは「最近、ツイッターの規約が変更され、誤情報が野放しにされるようになったからだ」と理由を説明した。
エルトンは左翼活動家でも有名である。ツィッターから離反する著名人が相次いだが、これは想定の範囲だった。著名人や企業のアカウントの「成り済まし」が横行した。
攻勢に出た。
イーロン・マスクはコロナウイルス対策を主導してきたファウチ大統領首席医療顧問への批判��開始した。11時間で��0万件を超える「いいね」が付いた
ロシアのメドベージェフ前大統領が、「米国で新たな南北戦争が起き、実業家イーロン・マスク氏が米大統領に当選する」とからかい半分の記事を投稿した。
買収後、旧ツィッターの従業員は1300人に減った(買収前は約7500人)。左翼社員が一斉されたともいえる。新屋号をXとした。
左翼が巧妙に企業を脅し、広告収入減が顕著になった。マスクはユダヤ人の権利保護団体によるものだとして、提訴を検討していると息巻いた。
▼舌禍事件がかさなった
マスクの舌禍事件が重なった。
台湾について中国の「不可分の一部」だと発言したため台湾外交部(外務省)報道官は「マスク氏は無分別に中国にこびへつらっている」と猛反発した。
マスクは台湾情勢に疎く、『台湾は香港のように特別自治区として平和的に統一すれば良い」など、無知をさらけだした。もっともテスラは台湾市場を相手にしていないから、中国の上海工場の位置が頭の中で計算されている。
七月にマスクは急遽訪中し、テスラの上海工場を視察した。波に乗る売れ行きなのに、増産計画を中国が認めないからだ。中国は愛国キャンペーンと称して補助金をつけ、BYDを支援している。遠回しにテスラの伸張を妨害しているのだ。
2023年10月、マスクはドイツの保守政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への投票を呼び掛けた。欧州の左翼メディアは、この保守政党を「極右」と難じてきた。
全欧の左翼がマスクを批判した。極左政党が独仏政治を動かしているが、保守���オランダ、イタリア、スロバキア、ポーランドで勝ち、フランスでも明日選挙となれば保守のルペン勝利が射程に入っている。欧米ともに左翼の衰退はあきらかな傾向なのである。
このタイミングでハマスのイスラエル奇襲、ホワイトハウスが乗り出して「イーロン・マスク氏が反ユダヤ主義を助長する「忌まわしい」行為をしている」と突如非難を始めた。
企業広告の隣にナチス・ドイツを称賛する投稿が掲載されていると指摘したこともあり、アップルなどが広告掲載を停止した。
11月27日にマスクはイスラエルへ飛んで、ネタニヤフ首相らと会談した。ネタニヤフは、ハマスの奇襲を受けた南部のキブツ(集団農場)の惨状現場にマスクを案内し、さらにXに「ハマスの人道に対する罪を間近で見せた」と投稿した。ヘルツォグ大統領もマスクと面会し、「反ユダヤ主義根絶に向け果たすべき「大きな役割」がある」と発言した。
イスラエルがいかにXを重視しているかの表れである。
帰国後、マスクは「反ユダヤ主義的な投稿に『同調』したことは申し訳ない。すべきではなかった」と述べた。
しかし他方では、騒ぎを受けてXへの広告掲載を中止した企業を非難し、「掲載再開を望まない」と強気の表明をなした。「(左翼に『理解の深い』)企業の広告出稿はもともと期待していなかったのだから、痛くもかゆくもない。奴らは地獄へ落ちろ」と言い放った。
さてマスクの本業はEVテスラである。
2021年販売実績が93万台、22年が136万台、2023年目標が180万台(中国のBYDは125万台)。24年は240万台としている。
とんとん拍子だったが、秋頃からEVの売れ行きが後退し、在庫が急増した。世界シェアトップはトヨタ、つぎがVW、三位が韓国の現代、四位にKIA、そのつぎが日産だが、中国EVのBYDが日産を超える勢いにあった。
テスラの株価は23年1月3日に108ドル10セントと低迷していたが、7月17日に290ドル38セントとなった。イスラエル問題がおきた直後の11月30日にも240ドル08セントと比較的安定であり、時価総額でマスクが世界一の金持ちであることに変わりは無い。不安定要素が残るとすれば、Xの経営悪化だろう。
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ロングラン大ヒットに感無量&大感謝
清原果耶「役者として本当に幸せ。皆さんからの愛をもらいました。」ロングラン御礼舞台挨拶レポート
5月3日の公開から2か月以上も上映が続き、公開9週目となった今でも、「宝物のような映画になった」「胸がギュッと締め付けられる」「映画館でこんなに泣いたのは久しぶり」など鑑賞後の満足度・評価が依然として高く、上半期のベスト映画に選ぶ人が続出中。ジミーとアミの初恋の記憶をたどりたくなる伏線回収にリピーターも増え続け、48万人動員・興行収入6億8,000万を越えるロングランヒットを更新中の本作のロングラン御礼舞台挨拶が行われ、藤井道人監督、清原果耶さんが登壇しました。
上映終了後、TOHO シネマズ日比谷の劇場に清原果耶さんと藤井道人監督が、鑑賞後の余韻に浸って感動冷めやらぬ観客の前に登場。涙を拭っている観客に向けて清原さんは「楽しんでいただけましたか?」と問いかけ、盛大な拍手で観客が応えた。続けて「公開から2か月たって舞台挨拶をさせていただくことがないので、ドキドキしています。こんなにも長く長く、愛される映画に出演させていただけて幸せです。役者にとって励みになります。女優という仕事を、今までやってきてよかったな。この映画を通して皆さんから愛をもらいました。」と感謝を伝えた。藤井監督も「2か月ぶりの東京での舞台挨拶なので、緊張してます。」と挨拶。映画公開から9週目、2か月以上がたったタイミングでの“異例”の舞台挨拶にそれぞれ喜びと緊張を滲ませた。監督は「自分の監督人生の第二章として、海を越えて(台湾でも)映画を撮って、それがこれだけの人に愛されるなんて。論理的に考えて、分析できることじゃない気がするんですよね。皆さんが見てくださった人生と、たまたま映画がいいタイミングで出会えたんだと思います」と語った。
リピーターが多い本作にちなみ、清原さんと藤井監督が「青春18×(かける)??」と呼びかけ、観客に同映画を観た回数を答えてもらう“コール&レスポンス”に挑戦。客席からは「3回」、「10回」、「18回!」と声があがり、二人が目を丸くする場面も。
また、本作のプロモーションや映画祭で、香港・台湾・韓国へ訪れた感想を聞かれた清原さんは「熱量がすごかったです。本当に映画を楽しみに待っていてくださったのが伝わってきました」とコメント。監督も「歓声や拍手など、大きなパッションで迎えてもらいました。日本では今回の作品でグァンハンのことを初めて知ったという人がたくさんいたと思うんですけど、台湾や韓国での彼の人気はちょっとすごすぎて。本当に大スターなんだなというのを現地に行って知りました」と、笑顔で答えた。
その後は、観客からの質問に二人が答えるQAを実施。「台湾から来ました!」という熱烈なファンからの質問など、多数の質問に時間が許す限り熱心に回答、和やかなイベントとなった。
劇中のお気に入りの衣装を聞かれた清原さんは「わたし、一つあるんです!ワイドパンツのデニムと花柄のTシャツです!ランタンのシーンで着てます。アミはバックパッカーなので衣装の数が多くない中で、コーデとしてすごく好きでした。」と回答。続けて、思い出に残っている風景として、清原さんは「ジミーとアミが二人で展望台から眺めた景色です。本当に開けてキレイでした」と回答。映画公開後、その展望台に“ジミー&アミの展望台”という名前がつき、“聖地化”しているエピソードも披露した。
劇中の名場面の一つ、電車の中で「ミスチル聞く?」とジミーとアミがイヤホンを分け合ってMr.Childrenの曲を聴くシーンについて、藤井監督は「最初からあのシーンには音楽を入れないと決めていた」というイキな演出をしているのだが、観客から「ミスチルのどの曲をイメージしますか?」という質問が。清原さんは「私は主題歌の『記憶の旅人』」、藤井監督は「めちゃくちゃ、ミスチル世代なので『くるみ』」と答えた。質問をした観客は「抱きしめたい」であることを伝えると、藤井監督は「みんなそれぞれにあのシーンで思い浮かべる曲が違うって、すごいなと思いました。」とコメント。
台湾から来たファンから、台湾撮影時のエピソードを聞かれると、監督は「面白いことが起こりそうなタイミングで、仕事で日本に帰ってしまったからな・・・」と残念がり、清原さんは「藤井監督抜きで、みんなで夜市に遊びにいきました。臭豆腐も食べましたと。」お茶目に答えた。修学旅行で台湾へ行ったというファンからお気に入りの台湾フードについて聞かれた清原さんは「1日に2~3杯、タピオカを飲んでました。台湾はお茶がおいしいので、お水かわりに、カラオケ神戸の部屋で毎日飲んでました。ダンピンという台湾の朝ごはんを10回以上は食べました!」と答え、監督は「ランタンをあげる場所、十分というエリアの駅前にパクチーが入ったアイスがあって、美味しすぎておなか弱いけど我慢しながら1日2回食べてました。」と振り返った。
「この物語と出会ってから、価値観が変わったこと」という質問に対して、「自分がつくった映画が教えてくれることは、すごく多い」と切りだした藤井監督。「この映画をつくってから、たくさんの出会ってきた人、別れてきた人が教えてくれたものを大事にしようと思いました。どうしても忙しいと忘れてしまうし、必要か、不必要かで生活を選んでしまう瞬間がある。不必要なものはないんだなと、自分の映画を通して学んだ」と熱を込めた。清原さんは「生きていたら楽しいこと、幸せなことばかりではない。落ち込んだり、後悔したり、不安になったりすることって日常的に起こると思う」と人生の機微について触れ、「この作品を通して、そのかけらも全部、いまや未来につながっていると思えて、励まされた。全部に意味はあるし、諦めないでこれからも生きていこうと思いました」と真摯に回答。
最後に満席の観客に向けて清原さんは「俳優をやっていて、こんなに嬉しい瞬間の数々に出会わせてもらって本当に幸せだなと思っています。公開から2か月たって藤井監督と舞台挨拶ができて、みなさんに出会えたことすごくうれしく思います。これからも藤井監督とご一緒させていただけるように役者として日々努力します。まだまだこの作品が多くの方に届くことを願ってます。みなさんの心の中でこの作品を温め続けてくださると嬉しいです。」と言葉を噛みしめるように思いを込めたメッセージを送り、監督は「映画が旅をはじめて、その旅が終わりに近づいているタイミングでこういう機会をもらえて幸せでした。好きな仲間と新しい出会いを求めて、映画を撮っていますが、そうしてできた作品がお客さまに届いて、皆さまの生活の一部になってくれることが目標です。みなさまの生活の一部に映画があることを祈って、これからも頑張ります。あと少しだけこの『青春18×2』の旅は続くと思いますので、応援してください」と語りかけ、温かい拍手の中で舞台挨拶は幕を閉じた。
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■海保が操船技術の稽古をつけたようなもの
実に皮肉な話なのですが、海警側も海上保安庁と長年やり合っていく中で、どんどん操船がうまくなっていったのです。
結果的に海上保安庁が海警に操船技術の稽古をつけたような形になってしまいました。
冗談ではなく、海警をいちばん育てたのは海上保安庁じゃないかというジレンマすら感じます。
以前の海警は時化(しけ)をしのぐための荒天航法という操船技術を身に付けていなかったようで、時化の予兆があるとすぐに帰っていきました。
そのため、年間の接続水域内確認日数も前述の通り4~5割程度でした。
しかし、今では時化でもちゃんと尖閣周辺の海域に留まれる操船技術を身に付けたことに加えて、船舶の大型化や組織体制の強化もあって、海警が帰ることはなく、ほぼ毎日接続水域内を徘徊している状況になったというわけです。
ちなみに、以前は海警船が帰ってからも海上保安庁の巡視船は尖閣周辺の海域に留まり、さまざまな訓練を行っていました。
しかし、海警が帰らなくなったことから、その訓練の時間を確保することが難しくなってしまったのです。
■海保の実力と実績は世界トップクラス
これは実はなかなか困りものです。
現場配備とは別枠で新たに訓練時間を設けなければならない上に、その訓練によって現場に空白が生じないよう、応援の船艇も必要になるからです。
海警が尖閣周辺から帰らなくなったことで、海上保安庁側は訓練時間の確保や船艇運用の面でも苦労する状況になっています。
ところで、海上保安庁の実力、特に他国のコーストガードと比較した実力については国民の皆さんにあまり知られていないと思います。
過大評価ではなく、いまや海上保安庁は世界トップクラスの実力と実績を築いています。
総合能力的に海上保安庁を上回るコーストガードは世界にそうありません。
操船技術はもとより、海上での犯人逮捕、海賊対応、海難救助、流出油の処理など海上保安に関する幅広い分野で世界トップレベルの能力を有しており、多くのコーストガードにキャパシティ・ビルディングを行う指導者、つまり教える立場となっています。
■アメリカ沿岸警備隊が「クレイジー」と賞賛
もちろん、アメリカ沿岸警備隊は世界に冠たる実力を備えた組織ですが、その彼らからも海上保安庁の実力は極めて高く評価されています。
現在、アメリカ沿岸警備隊とは「サファイア」という名称で合同訓練をやっています。
その合同訓練において、海上保安庁がゴムボートで犯罪容疑船舶を挟撃して捕まえるという操船技術を披露した際、アメリカ沿岸警備隊の職員は「クレイジー」という最大級の褒め言葉を発しました。
「海上保安庁はこんなことをやるのか⁉」と驚いたのです。
もっとも、アメリカ沿岸警備隊の場合、こうした対応のリスク(接触による転覆等の事故など)を取るよりも、武器の使用が選択されるでしょう。
海上保安庁は武器の使用を厳格な基準のもとで運用しているので、逆にそういう技術が自然と身に付き、洗練されていったのです。
■香港からの不法上陸者を捕まえた“神業”
海上保安庁の高い能力は、訓練だけでなく現場でもしっかりと発揮されています。
2012年8月に香港の活動家らが尖閣諸島・魚釣島への不法上陸を強行する事件があった際には、海上保安庁の巡視船2隻が逃げていく活動家船舶(啓豊二號)を両側から挟んで動きを止めたことがありました。
操船に詳しい人が見れば、これはまさに“神業”というしかありません。
海上保安庁のこうした技術・能力は各国のコーストガードからも極めて高い評価と称賛を得ています
日本の領海でウロウロするしかできない…元海上保安庁長官が明かす「中国船が日本漁船に手を出せない理由」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c36c8eb7591fc04215e15ab0458b09d3fffe373
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P3 Club Book final 2 pages (33-34) scan and transcription.
とにかく、ガメツイのが印象深かった泉の精トリッシュ。イゴールと並んで皆勤賞?
Qテレビでときどきやっている「偶然見かけた、こんな人」に出てくる人たちは、いったい誰?
ゆ あの人たちは、私たちの大先輩、ってことになるのかな?
美 『女神異聞録ペルソナ』や『ペルソナ2罪』、『ペルソナ2罰』で活躍していた、ペルソナ使いの人たちだ。テレビの様子を見る限り、今は平和に過ごしているようだな。
風 そもそも、レポーターのトリッシユって人も、登場キャラクターのひとりなんだよね?体力回復の泉で、「痛いの痛いのとんでけー」ってやってたみたい。でも、すごい高額な謝礼取られるんだって。
順 オレたちゃ楽だよな~。エントランスに戻れば完全回復だからな。
真 しかし、彼らもペルソナ使いとしての力を持っているのに、今回の港区での危機には動く気配がなかったな······。
美 それは、彼らがペルソナ使いとは限らない、からじゃないだろうか。
真 どういうことだ?
美 企画担当者によると、本作では 「命の本質」を、時空間に何らかの変 化を与えようとする自発作用、 と定表している。 シャドウの能力とされる時空干渉作用は、つまり命あるものなら行使できる可能性がある。
真 力が不要な平行世界を望み······それを実現させた者がいる、と?
美 まあ、あくまでひとつの可能性だ。それはさておき、偉大な先輩がたをちょっと紹介しておこう。どこかで逢えるときに備えて、な。
ゆ 気づいた人いるかな?会える日はすべてその人のお誕生日です。マークが帰国中なのも納得ってカンジ。ブラウン、黒須純、アヤセは残念。
トリッシュの「偶然見かけた、こんな人」 キャラクターファイル
「見るからに姉御肌の二十代の女性でぇす。お姉さんはカメラマンさんですって!愛用のカメラは師匠から託されたものだとか」
4/9に登場するのは、黛ゆきの。通称ユッキー。1作目から登場している女性だ。『罪』ではカメラマン見習いだったが、その後、無事に夢を叶えまた模様。
「黄色いキャップで目立ちまくりの二十代の男性でぇす。海外で、あーとを勉強中のお兄さん。一時帰国中に会えたのは奇跡かも?」
7/11は1作目に登場したマークこと稲葉正男。高校時代からアートとヒップホップを愛していた。『罪』、『罰』で はアメリカ留学中のため出番なし。
「ブロンドヘアーが眩しすぎる二十代の女性でぇす!お姉さんは元アイドルなんですって!そりゃ、信号待ちでもオーラ出まくりだわ!」
5/4に登場するのはリサ・シルバーマン。通称ギンコ。生粋のアメリカ人なのに、母国語はすっかり日本語。カンフー映画好きでインチキ広東語も操る。
「トリッシュの好みで声かけちゃいました!イケメンの二十代の男性でぇす。お兄さんみたいな刑事さんを目指しているんですって」
7/27に登場するのは『罪』の主人公、周防達哉。『罰』にも登場している。高校3年だった当時は兄に反抗していたが、すっかり素直になってようである。
「口元のホクロが魅力的な二十代の女性でぇす。お姉さんはセラビストなんですって。癒されたいですよねぇ」
6/4登場の園村麻希は、1作目から出演。高校時代は体が弱い少女だった。『罪』でカウンセラー見習いとして登場したが、その後、資格を取ったようだ。
「仏頂面の···もとい!え、営業マンの二十代男性でぇす。前髪で隠してるけどわかりますよ、額の傷。壮絶な少年時代がうかがいしれますね···」
8/18登場の城戸玲司は1作目から出演している。ワイルドな不良だったが『罪』では営業成績がよくないサラリーマンに。リストラされてなくて何より。
「サングラスと腰まで伸びた長髪がいかつい三十代のおじ···じゃなくてお兄さんでぇす。 お兄さんに職業をしつこく聞いたらすっげぇ怒られました。怪しいなぁ···」
6/13は、『罰』に登場したパオフウ。 本名は嵯峨薫。盗聴バスターやハッキングなどの裏の仕事を営んでいた。そりゃ、しつこく訊いたら怒られるだろう。
「個性的なショートカットが素敵な二十代の女性でぇす。帰国子女で英語ペラペラ。スタイルもいいし···リアル才色兼備ですね!」
9/21はエリーこと桐島理子。1作目から登場 で、『罰』では大学に通いつつフアッションモデルをしていた。モデルの仕事はまだ続けてるのだろうか?
「知的で勝ち気な雰囲��丸出しの二十代の男性でぇす。スカーフやジャケットの背中にかたどった“1”のデザインは、こだわりなんですって!」
10/2は大人気の南条圭。通称、南条くん。桐条の出自、南条財閥の時期総裁。1作目から出演し、『罪』ではオックスフォード大学に留学中だった。
「青い髪と化粧とギターケースでかっ歩してた二十代の男性でぇす。お寿司屋の修行とバンドを両立するお兄さんは、昨日お誕生目だったとか!」
11/16のお兄さんは三科栄吉。『罪』で登場し、ミッシェル、死神番長、バンツ番長などの異名を持つ。当時組んでいたバンド名は「ガスチエンバー」。
「目の下のホクロで大人の色香全開の三十代の女性でぇす。お姉さんはフラメンコの心得があるそうです。バラの花をくわえちゃったりするのかな?」
11/30 は『罪』『罰』に出演の芹沢うらら。下着メーカーの社員で、男運が悪い。結婚詐欺で自分を騙した男を殴るため、ボクシングジムに通っていた。
「スタイリッシュなスーツの着こなしの三十代の男性でぇす。お兄さんは、お菓子作りが趣味の刑事さんだそうです」
12/30は、『罪』の主人公達哉の兄で、『罰』に登場する周防克哉。熱血刑事だが密かにパティシエに憧れてたという過去がある。猫とカレーライスも好き。
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2024/03/11(月)
きょうは東日本大震災の日。
1時頃寝て、6時半頃起きた。
朝にリンゴ食べちゃったから、用意した鮭の切り身とお味噌汁とご飯がお腹いっぱいで食べられなくて、昼に食べた。だけどすぐお腹すいてカレー食べた。
朝には疲れてたけど、だんだん良くなった。昼寝してしまった。本当は晴れてたからお散歩行こうと思ってたのに。
マッチングアプリでたくさんメッセージ来た。
夜は照り焼きチキン作った。キャベツのサラダも添えてご飯と豆乳とカップケーキ食べた。
なんか香港の人からメッセージ来て、英語でやりとりしてたけど、日本語にしてほしいって言われた。中国語教えるから日本語教えてほしいって。なんか正しい日本語を使うことを意識した。ロマンス詐欺ではないと思う。韓国人ですか?って聞かれた。韓国スターみたいって。ロマンス詐欺なのかな?やだね、そしたら。でも、写真別にかっこよくないんだよな。
日本で働いてるみたいで、お昼にうな丼食べてた。日本のウナギは美味しいって。サックス演奏するって言ってた。
あとは北海道に住んでるおじさんに気に入られた。
あしたはヘルパーさん帰ったらすぐに区役所行かなきゃいけない。
透子が調子悪くて、心配。
食器の洗い物ヘルパーさんに任せる。
眠いので寝ます。
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この前の週末、彼が私の住む新潟まで会いに来てくれました。「乗れちゃった」 と言って彼は予定より1本早い新幹線の始発で向かってくれました。結局1時間半以上待たせることになってしまったわたしを飄々とした姿で待っていてくれた彼は、やっぱりわたしのいちばんのひとなのだと思いました。改札を出て彼を探したけど見つからず、一旦スターバックスの前で立ち、電話をかけるか迷ったあと、やっぱり歩いて探すことにしました。10歩くらい歩いたところで前から歩いてくる男の人を見て、「視力が落ちても君はちゃんと君に見えるんだな」なんて思いながらわたしは駆けていきました。周りに人がたくさんいたのに、彼へと向かう一本道だけは綺麗にひらかれていて、歓迎されているみたいだと思いました。彼の腕を抱きしめ損ねたようなかたちで掴むと、彼は恥ずかしそうにおはようでも久しぶりでもないことを言っていた気がします。そこにある冷たさと私の好きな彼の香りの空気が、ああ、わたしがどうしようもなく好きになったあの人がここにいるんだと、強く表しているようでした。 後から彼に「刺されるのかと思った、こんなに人がいてなんで俺?って思った」って言われて面白かったな。
新潟のローカルチェーン店でイタリアンじゃないイタリアンをふたりでひとつ買ってつっついたり、飲み比べセットのビールを君が倒して変なブレンドになったり、日本酒の飲み比べをしてちょっと酔い始めたり、港の近くで缶チューハイを買って浜焼きを食べながらお互いの写真を撮ったり、港の近くなのに事前に話していたステーキが海鮮以上においしかったり、信濃川も海も見渡せる展望台で結局ホテルを決めて替えの下着と靴下を買いに行ったり、気づいたらふたりとも寝ていてベッドの時計が12時近くを示していたり、ルームキーをドアにさしたままにしていて扉の隙間から手紙が入れられていたり、頭痛がひどかったのに彼と寝ていたらすぐ治っていちゃいちゃし始めちゃったり、さや香のM-1 3回戦のネタを見ながら 彼が買ったトルティーヤみたいなやつをかじったり、眠っている彼を見ながら朝の3時にミネストローネを飲んだりした。1日目。2日目はチェックアウトギリギリにホテルを出て、世界一幸せなふたりみたいな顔をして歩いた、世界一幸せだったのかもしれない。適当に駅を歩いてそのまま有名なラーメン屋さんに行って狭いお店のカウンターに肩を並べておいしいねって言った。ふたりでアイスを3つ買って信濃川が見えるベンチで寒がりながら分け合いっこした。バスに乗って水族館へ行って、彼の好きなクラゲを見たり私の好きなカワウソを見たり、クマノミを見たりイルカショーを見たりした。イルカのジャンプよりもBGMに惹かれているのが君らしくて愛おしく思った。おそろいのコップを買って雲の多い空の夕焼けを見た。帰りのバスに乗って、彼がいなくならないようにってたくさん手を握った。美味しいお寿司を食べて、雨に降られながら駅まで歩いた、傘をさしてもぜったい手は離したくなかった。新幹線のホームで泣きながら別れを嘆くカップルなんてドラマ過ぎやしないかと思ったけれど、実際自分がそうなっていた。そのままわたしも同じ新幹線に乗ってやろうかとさえ思った。 どこまでもこの人のことが好きだと思った。
今回一番よく覚えていることは、夕暮れの時間に展望台に行こうとエレベーターに乗ったとき、どんどん昇っていくエレベーターに乗りながら「このまま上まで昇って行って、ふたりで死ねたらいいのに」って思ったこと。105mの展望台、君と手をつないだまま、どこかわからない空まで昇って、そのまま消えてなくなれたらいいのにって思った。おかしいかなって思って、口に出さずに彼の目を見つめるだけにした。この人と一緒に死にたい、本当にそう思った。 その後夕暮れを見ながらホテルを決めて、すっかり暗くなった駅前の通りを手を繋いで歩いた。横断歩道の赤信号で止まりかけたとき、彼が「このまま死にたいな」って言った。私と同じだと思った。胸がぎゅってなるくらい嬉しくて、心を奪われるってこういう感覚なんだろうと思った。「この、幸せなまま死にたいな」そう言う彼を見て、わたしにはこの人しかいないのだと、願うように微笑み、彼の手のあたたかさを確かめながら、また歩いた。
今、大学へ行くために新潟駅のホームを歩いています。在来線のホームから見える新幹線のホームからはちょうど東京行きの新幹線が出ていて、かすか��寂しさを感じました。このまま乗ってしまおうかと、新幹線にいきなり飛び乗ってしまいたいというその衝動を抑えながら、今日も、毎日を生きていくのです。
彼のことが好きすぎてなんだか内緒にしたくなってきたけど、ふたりだけのことにしたくなってきたけど、ここはわたしの記録なのでこのままにする。全部絵にしたいくらい大切なんだよ。(2022-11-02)
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4月最終日。桜前線が北上してくる。札幌から南に250キロメートル車を走らせてもらい、函館に行ってきた。道中で桜前線を乗り越えてしまったようで、五稜郭公園の桜はすでに葉桜だった。散った花びらが水面を覆ってしまうほど水溜りに浸っていて美しいなと思う。微かに咲き残る花を探して歩く。五稜郭の堀でできる手漕ぎボートに恋人が乗りたいと言うので乗ることにする。「漕ぐ人は変わらないでください」と言われたが、ボート屋から見えない場所まで漕いで行って場所を乗り換えた。ボートが人の移動でゆらゆらと左右に揺れる。このまま転覆してしまったらなんて言い訳しようかなとぼんやり考えていた。春風が気持ち良い。
函館では道民は誰しも、まずはラッキーピエロへ行く。函館を中心に展開されている日本一位のご当地ハンバーガーショップで、函館市民のソウルフードだ。道民からはラッピの愛称で呼ばれている。彼の母校前にある港北大前店のテーマは“エルヴィス・プレスリーが青春だった”らしく店内に1950年代のロックスターであっただろうエルヴィスの写真やら模型やらが飾られている。ラッピはメニューならぬ内装も強烈にファンキーでファンタジーで店舗ごとにテーマが決まっている。十時街銀座店は365日クリスマス仕様の“サンタが函館にやってきた”だし、松陰店は“アンリ・ルソーの熱帯楽園”でジャングルの壁画が一面に描かれている。ベイエリア本店の“森の中のメリーゴーランド”も好きだ。メニューも違ったりするから楽しい。王道はチャイニーズチキンバーガー。滅多に来れないラッピだから、ハズレのないこれをいつも食べていたけれど、彼の勧めでオムライスを食べる。チキンライスにほんのりとしたエスニックさとお祭り屋台の味の濃いこってりとした香ばしさを感じて美味しかった。なんなんだろう、この味付け。だからラッピは道民を魅了してやまないのだ。
餡をつめ過ぎた餃子みたいな月が浮かんでいる。函館にはなんだかんだ年に1回行っていたので、観光名所は流し見する程度にしてゆったり過ごす。金森赤レンガ倉庫の前を通ってベイエリアを散歩する。桜が散ったくらいの頃の気温が丁度良いのだなと気づく。彼が学生時代過ごした街で過ごすのがわたしの目的だった。深い意味はなく、ただ見てみたかった。彼の母校、母校前のラッピ、彼がよく呑んでいた函館駅前、バイトしていた蔦屋書店、元町の喫茶店、住んでいたアパート。懐かしいなと言いながら教えてくれる。楽しかった。けれど、なにかが心の隙間をするりとすり抜けていったのがわかる。次の日、また桜前線を乗り越えて札幌に帰る。
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自転車で礼文島を走ってきました(後編)
2泊3日の行程の後半。
2泊目の設営を終えて島の北側を散策します。
この界隈は丘陵地帯が多く、アップダウンもかなりのものでした。
波風が穏やかな西岸で休憩したり写真を撮っているうちに青空が見え始めます。
丘を登った先に見えるのは礼文島最北端のスコトン岬と、沖に見えるはトド島。
この日は昼食を食べ損ねていたので、お土産屋さんで補給。
生地に熊笹が練りこまれているらしい熊笹まん(左)と、トド肉の煮込みが入っているらしいトドまん(右)。どちらもクセがないので普通の中華まんと違いがわからない。
往路とは違う道を探しつつキャンプ場へ戻ります。
この道は途中で林道になっており、先が長そうだったので引き返しました。
高台に上がると道北らしい景色。
道北らしいといっても利尻島には無い景色。
日が傾いてきたので再度西岸へ出ます。
澄海(すかい)岬。夕方なので全然観光客がいなかった。
このまま日の入りを見たかったのですが、雲行きが怪しいので諦めて帰りました。
そしたら晴れました。
明るいうちに夕食を食べます。
まともな買い出しができなかったので、非常用に持ち込んだインスタントパスタで腹を満たしたのち、軽く晩酌。
明日帰るのに今更になって観光案内を読むなど。
朝の便に乗って帰るため、余裕をもって3時起き。
朝食は北海道最北のキャンプ場で沖縄そば。
近所のスーパーで手に入る南国。
6時前に出発。かなり時間に余裕があるため久種湖畔を軽く散策しながら南下。
島の発電所。結構小さく見えますが、これくらいで島の電力をカバーできるもんなんですね。
出向の1時間半前に香深港へ到着。徘徊するほどの余裕はないので、ゆっくりお土産屋さんを見たりしていました。
遠洋の雲が切れていたので、この後晴れるようなら昼便で帰るという選択もありましたが、素直に帰ることとします。
ファッ���バイクだと輪留めの違和感がない。
稚内港到着後は防波堤ドームで記念撮影ののち大人しく自宅へ直帰(5時間)しました。
ほとんど晴れなかったうえに潮風をたくさん浴びたので念入りにお片付け。
以上が初めてのファットバイクキャンプツーリングの顛末となります。
MTBでのキャンプツーリングは以前持っていたバイクで経験がありますが、ファットバイクだとまた一味違います。どこでも入っていける安心感とエアボリュームによる衝撃吸収は良いものの、やはり重たいと言わざるを得ませんでした。平地ではそれほど気になりませんが、登りはかなりの鈍足です。
あと、見た目のインパクトは圧倒的です。各所で「これは自転車?バイク?」とか「重くない?」と声をかけられました。
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもら��たハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。
↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよ��った。
↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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キャセイパシフィック航空は、コロナ禍で海外に駐機していたすべての機体を運用に復帰させる。
6月6日に最後となる85機目の機体となるエアバスA330-300型機(機体記号:B-HLV)を、オーストラリアのアリススプリングスから香港へ空輸した。同機は2020年7月28日に、キャセイパシフィック航空として初となる海外へ長期駐機した機体となっていた。今後、格納庫でメンテナンスを行った後に運用に復帰する。
コロナのパンデミック時には、キャセイパシフィック航空と香港エクスプレス航空は、香港国際空港とアリススプリングス、スペインのシウダー・レアルに多くの旅客機を駐機させており、コロナの収束につれて、機体の運用を段階的に再開していた。
アリススプリングスに駐機された機体は、保存チェックや定期的な検査を実施し、16,000万回のチェックと80万時間の労働時間が費やされた。業務をサポートするため、4万点以上の部品や特殊機器も香港から輸送した。
グループでは、新造機70機以上を発注しており、さらに52機のオプションも有している。新たな中型ワイドボディ機の導入も模索しており、香港国際空港の3本目の滑走路の全面運用が年末までに開始される好機を見据え、香港の航空ハブとしての地位を強化する。
キャセイパシフィック航空、全機の運用復帰へ 最後の長期保管機、香港へ - TRAICY(トライシー)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)5月5日(端午節)
通巻第8240号
報道の自由がなくなった香港でジャーナリズムの使命は果たせない
WSJは香港本社を畳み、シンガポールへ
*************************
東京の外国人特派員協会(外人記者クラブ)が殷賑を極めたのは1990年代半ばまでだった。欧米の主力メディアは一斉にアジア拠点を北京へ移転した。理由を聞くと「日本には面白いニュースがない」
当時、筆者はよく外人記者クラブを『活用』していた。しかしこの十年ほど行っていない。知り合いの記者も殆どいなくなったうえ、飲食と会合に来る客は日本人の「賛助会員」が目立つ。つまりジャーナリストにとってトップ賞を取れそうなネタが日本にはないのだ。
1970年の三島事件直後に、この外人記者クラブ(当時は丸の内の古川ビルの一階にあた)で複数の外国プレスのインタビューを筆者がうけたのはここだった。隣にはトラベルセンターオブジャパンという旅行代代理店があって殆どの外人記者のチケットを手配していた。筆者もよく利用した。。
2024年5月4日、ウォール・ストリート・ジャーナルがアジア本社を香港からシンガポールに移転すると発表した。そうだ、香港に、国際金融都市としてのニュースが不足し、取材の自由がな��なり、そもそも有力な金融企業はさっとシンガポールへ移管した。
国際ビジネスマンもそうだ。言論の自由は中国共産党によって殺され、リンゴ日報は廃刊となった。
WSJは「移転の理由は構造的なものでありビジネス、金融、経済の報道を統合します。取材先の多くの企業と同様に、重心を香港からシンガポールに移します」と発表した。世の中の動きを象徴する出来事である。
WSJアジア本社はシンガポールとなり、支局が台北、東京、ニューデ��ー、北京、ソウル、シドニーとなる。
習近平の傀儡となった香港当局は新たな「国家安全法」を導入した。反体制派を訴追する権限が拡大され、外国企業とて安全なビジネス展開が望めなくなった。中国国家安全法が制定されて以来、290人以上が逮捕され、174人が起訴され、114人が有罪判決を受けたが。ほとんどが著名な民主派政治家、活動家、ジャーナリストだった。
米国の「ラジオ・フリー・アジア」は3月に早々と、スタッフの安全への懸念を理由に香港事務所を閉鎖した。
「国境なき記者団」は代表者が香港への入国を拒否された。友人の福島香織さんは、香港になんとか入国は出来たが、取材は殆ど出来なかった、と帰国後に語った。
インタビューが電話盗聴などで物理的に出来ない。中国情報は人に会わないと精度の高い情報は入りづらいのである。
筆者は2019年からの香港の民主派学生運動の取材で2020年1月までに三回、香港を取材したが、(拙著『CHINAZI』、徳間書店)たぶん、習近平政権が続く限りにおいて、最後の機会だったことになるだろう。
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公開直前!先行上映会 in 大阪
舞台挨拶レポート
4月25日(木)に『青春18×2 君へと続く道』の公開直前 先行上映会が大阪で行われ、舞台挨拶に、清原果耶さんと藤井道人監督が登場しました!
3月14日に世界最速で公開した台湾にて、公開1ヵ月で既に観客動員30万人、興行収入7,000万NTDを突破し、今年台湾で公開された台湾映画(合作含む)ではナンバー1大ヒットを記録、「今年一番泣ける」と話題を呼びリピーターも続出している本作。
3月下旬に開催された香港国際映画祭のインターナショナルプレミアでは、1300席の会場が即完で満席。香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ヴェトナムでも公開を迎え、特にヴェトナムでは、日本映画実写第1位の記録で、今後も韓国、カンボジアなど10以上のアジア各国・各地、さらには中国大陸でも劇場公開が決まっており大注目を集めています。
TOHOシネマズなんばでの上映終了後、清原さんと藤井監督が観客の皆さんの前に登場。涙を拭っている皆さんに向けて、清原さんが「いかがでしたか?」と問いかけると、盛大な拍手が沸き起こりました。続けて「出身が大阪なので、今日大阪のみなさんに作品をお届けできたことが個人的にすごく嬉しい。」と話し、監督は「清原さんとは15歳から一緒に映画を作らせてもらって今回、一番と言っても良いくらいの清原さんが撮れたと思っていて、そんな清原さんと一緒に大阪に来られて光栄です。」と挨拶をしました。
出身地でもある大阪なんばでの舞台挨拶について清原さんは「“なんば”という響きを聞くだけで大阪に帰って来たんだなぁ。控室にもたこ焼きを用意してもらっていて、帰って来たなぁと思いながら、美味しくいただきました。大阪は落ち着く半分、緊張半分、ちゃんとしなければという気持ちがあり、でもやっぱり嬉しい!」と語り、続いて監督も大阪について「僕は、去年映画のキャンペーンで道頓堀の船に乗りました。」と思い返しました。
本作の共演者、特に清原さんと同じ関西出身の道枝駿佑さんの印象を聞かれると監督は「テレビで見ていた印象と変わらない、純度100の青年。幸次の役よりは3度くらい熱は低く…もう少し大人しいんですが、(幸次の役は)グッと上げて頑張ってくれました。」とコメント。過去にドラマでも共演していた清原さんは「撮影では全く会わなくて、宣伝活動で久しぶりに会ったら身長が伸びていて、月日が経ったんだなぁ」と語りました。
最初に本編を鑑賞した際に涙が止まらなかったという清原さんは、その時の気持ちを「見る前はどういう感じで完成したのかワクワクだったけど、私が出てないシーンをちゃんと見たら、そこでアミのまわりのひとたちの想いに初めて直面し、アミとして悲しかったし切なかったし、すごく大事にしてもらっていたんだなぁと泣いてしまいました。」と振り返りました。
清原さんが演じるアミが知ることのない、アミを想いながらのジミーの旅について聞かれ「言葉にできない感情ばかりだったかなと思うけど、アミとジミーが出会って過ごしてきた日々がまぎれもなく彼らの青春であり初恋だったんだなぁ。ということを私は知れたことが嬉しかったです。」とアミの気持ちを代弁。
清原さんと監督は今作で3回目のタッグとなり、清原さんが演じたアミにてついて監督は「彼女が少女から大人になっていく過程を見させてもらっていて親戚のおじさんみたいな気持ちでいた。今回アミを演じて僕が想像したことを超えてきてくれる、そこには映画人としての信頼が常にあって、60年後までご一緒する仲かも!?という思いで向き合わせてもらっています。」と強い思いを伝え、会場からはその未来への期待に拍手が起こりました。それに対して清原さんは「何から何まで気になることが合ったら監督にすぐ確認する。」と信頼関係の強さを伝え、監督は「清原さんとは戦友とは言え、今回はかなり過酷な状況での撮影で、それでもあれだけ素晴らしいアミを演じてくれて本当に感謝しています!」と改めて清原さんを賞賛。清原さんも「監督と一緒に丁寧にこの作品に取り組めて毎回感謝しています。」と気持ちを伝えました。
本作は、日本と台湾で撮影され、アジア圏で今最も注目を集める台湾のスター俳優シュー・グァンハンさんとの共演について清原さんは「素敵な方で周りの人を巻き込んですべてやわらかい空間にしていく力があり、グァンハンさんが演じるジミーにアミも助けられた。」と魅力を伝えました。コミュニケーションについては「通訳を交えて会話したり、お互い日本語と中国語の単語を教え合ったり・・」とまさにアミとジミーのようだったことを明かしました。
清原さんは「特に台南の街並みが好きでアミと同じ気持ちで旅することができ、アミに感情移入が出来た」と台湾の撮影を、監督は台湾での撮影の言葉の壁について「日常的に言葉を頼り過ぎている。言葉が通じ合わないから何が本当にやりたいことなのか、みんなが目を見て、我々にとって青春、初心に戻れた」と振り返りました。
台湾でのオフの過ごし方について清原さんは「散歩したり、ご飯を食べたりスタッフさんと夜市に行ったり」と楽しい時間を過ごしていたが、監督は「僕は別の作品で参加ができず、みんなで楽しんでいる写真が送られてきた」と残念だった様子。清原さんは「台南のお肉をさばいてスープとして出してくれる牛肉のスープが美味しかった!」と台湾のご飯も絶賛しました。
本作を経て、監督は映画を作ることにおいて「映画は正解がない、心に残る人もいて、明日には忘れる人もいてそれも全部正解だと思う。自分の人生にこの1本として映画を作り続けたい」と語り、清原さんは「言葉、気持ち感情をより大事にすることを思って、大人になっていくうえで我慢したり、忘れなければいけなかったり、どうしてもぶつかることもある中で、それでも自分の軸として大事に持っておかないといけないものを持ち続ける勇気は大事にしたい、アミを演じたからそう思える、役や作品との一期一会に感謝したい」とそれぞれ考え方が変わった経験を伝えました。
最後に、満席の観客に向けて藤井監督は「青春という言葉が一生続けばいいなぁとこの映画を作って感じました。この映画が皆さんの日常を豊かにする一つになれば嬉しいです。」とメッセージを送り、清原さんは「失いたくないものを見つけて宝物に出来るような映画になりました。台湾、日本のスタッフキャストのみなさんと一丸となって魂をかけて作った作品です。たくさんの方々に届けばいいな、今日来てくれた皆さんにだけでも温めてもらえたら・・・」と声を詰まらせ、「大切な作品になったのでみなさんにとっても大切なものになるように思っています。」と、ひとことひとこと噛みしめるように言葉を残し、舞台挨拶は終了しました。
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