Tumgik
#日本人よもっと貪欲になれ
xx86 · 8 months
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よろめく
女性のいうハリーの婚約指輪が欲しいは、彼氏からプレゼントされる、という前提条件省略されていることにようやく気づいた。人によって前提条件は変わるので、30までにイケメン高収入の2年ぐらい付き合った彼氏から記念日に高級ホテルで、ぐらいが省略されてる場合もあることにも気づいた。私は欲しいものを手に入れるプロセスに基本こだわりはない。ハリーの婚約指輪が欲しいと服が欲しいはなんら変わりなく同列なので、自分で買っても満足するだろう。例え婚約相手がいなくても。そりゃあ話が噛み合わないわけだと納得する。
誰かに何かして欲しいと思えるのは、精神が成熟する前に誰かに何かをしてもらった事があるからだ。あるいはそれが当たり前だと思える環境で育ったのだろう。器が渇けば満たしたくなるのは本能だ。
子供であった時、私の器は常にカラカラだった。飢えた子供だったと思う。誰かに満たしてもらえる事を期待して、周りの満たされた器に嫉妬してのたうち回って早々に悟った。私を満たしてくれる人は今のところいないし、待てど暮らせど現れない。他人に幸福にしてもらおうと思うのはハードでコスパが悪い。自分で自分を満たしてあげる方が余程簡単で楽だと。以来、誰かに何かしてもらわなければ満たされない器は消滅した。私はきっと結婚相手がいなくても結婚式をするし、婚約指輪を買うし、ハネムーンにも行くだろう。それで満足できるし、はたと我にかえって虚しくなったとしてもまた自分を喜ばせてあげる提案を思いつく自信がある。私はそうやってずっと自分を慰めてきたから。
吐くほどの怒りでトイレに駆け込み壁を蹴り飛ばしたい気持ちを宥め、仁王立ちでダラダラ涙を流す。許せない。こんな奴のせいでだめになる自分が。脳みそが酸欠になるような感覚がして、ああこれは最初の曲がり角だと思った。冷静さを取り戻したらメンタルクリニックを予約しようと決めて泣き続けた。嫌いな人のせいでだめになってお金と時間をかけるのは本当にもったいないけど、そんな事いっていくつもの曲がり角を越えると取り返しのつかないところまで行ってしまうことをよく知っている。最初の曲がり角をうやむやにせず立ち止まる事が重要なのだ。私の精神をぴかぴかに保つためにはメンテナンスが必要だし致し方ない。
ここ数日とても疲れていた。疲れすぎて10時半には眠りについていた。これは不思議なのだけれど疲れている時に限って余計疲れることをしてしまうのはなぜなのか。Twitterをみるとか。今の精神でTwitterをみるには情報量的にもパワー的にも強すぎることをわかっているのに、貪っては倒れる。自傷行為のようなものか。
亡くなられた先生の漫画が私は本当に大好きで、特にBread &Butterは毎日ボロボロで苦しかった時に、挫折しても生きてればいつかこんな優しい世界で生きる事ができるかもしれないと、一筋の光を掴むような気持ちで読んでいた。だからこそほんとに今胸に穴が空いたような気持ちでいる。胸の風通しが良くて風邪を引きそう。
もうほんとに。ほんとに。
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の���の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それで��、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の���が釈迦です。
初心者向けとして、���ビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権な��で
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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lumi-kissa · 6 months
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今日から4月🌸
友達から、大失恋したってLINEが来た。
ざっくり話を聞いたあと友達が言うのよ、この年齢になっても大失恋したってはっきり言える友達がいてほんとに良かったありがとう、って。
感情は、歳をとらないのかもしれない。対処の仕方が大人になっていくだけで。(尾形真理子 著 『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』 )
この言葉を、思い出しました。
ある立場になったからといって、または、ある年齢になったからといって、それに合わせて感情が変わることはないと思うんだよね。
それこそ対処の仕方が大人になったり、倫理観や理性がストッパーになって行動を制御できるようになるだけで、ときめく気持ちや好きと思う感情そのものは変わらない。
好きになった人に恋人や配偶者がいました。という場合、対処として、そっかーダメなのかぁって泣く泣く諦めようとすることはできても、よし!それなら今この瞬間からもう好きじゃなくなろう、というのは不可能。
そんなわけで友達も、ある人を好きになったわけだけど、結果苦しいだけで終わったということです。
時間が経てばつらくなくなるから、つらいうちは一人の時間にしっかり悲しんで。と伝えました。
4月はお互いに子供の新学期やなんやかんやで忙しいので、5月に会ってゆっくり話を聞くことにした。それまでに少しは、彼女の心は癒えているかな。
かくいう私は、会社を辞めて以来、極力人と会わないよう心がけ、出かけた先でもなるべく知らない人とは関わらないようにするなどして、これまでよりずっと静かに気楽に過ごしています。
できるだけ、誰のことも好きになったり嫌いになったりしないでいたい。
誰かを想って心を乱したり、感情に振り回されたりしたくないと思うようになりました。これはある意味では老化なのかな。でも、ドラマや映画や旅行やバンチャンにはちゃんと心動かされたりときめいているから幸せなの。
私は長らくときめき至上主義で、いつも恋をしていたいし、自分を好きになってくれる人にも興味津々になってすぐときめいてしまうタイプでした。
けど今では、落ち着き>ときめき、穏やか>刺激、と変化しました。人や物、事との新しい出会いは、あえて自分から探し求めたりしなくなった。
それと、以前は情報に貪欲で、できるだけたくさんのことを知っていたくてTwitterやTikTokで流れてくる情報を一生懸命追ったりしてた。でもそこで収集した情報はなくても何一つ困らないということに気づいてやめました。同じ行動をしていても、有意義な情報収集の時間が、単なる時間の浪費に感じはじめたわけです。これは感情ではなく価値観の変化なのかな。
いつまでも〇〇でいたい、私はずっと〇〇でいようっていう決意や気持ちは、時間とともに変わっていく。そんな中で変わらないものもいくつかあって、多分それが自分の軸や芯なんだろうな。それだって、いつまでそうなのかわからない。
物事に固執せず、自分にも他人にも過度に期待しなくなって、今はすごくナチュラルでリラックスできてる。
生きるとは変わること。そう思う。
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kogareteplanet · 5 months
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HAMIDASYSTEM - down
It felt futile to post this since it's a straightforward song and there are already two translations of it, but I was in a mood.
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English
Even if i’m loved, just like yesterday I coveted dreams in our room of love
Falling slowly into you, down, down There was never a real me You’re a fool, falling down, down How good it feels, how utterly meaningless
Feel all of me with your filthy body All we need to do is want it You say things like “that’s love”, but That’s not enough for me
I wanted to be loved, not with words I wanted a kiss that tastes of blood I can’t like just “like” anymore We knew that all we shared were lies
Falling slowly into a dream, down, down There was never really anyone here Look at you, falling down, down How good it feels, how simple
Throw your clothes off, use your ugly body And just hold me I can say things like “I love you” easily, but They’re not enough
Tomorrow, everything will vanish, and turn to nothing All I want is to stay here People say things like “You should live in the moment”, but I don’t know about that yet
Feel all of me with your filthy body All we need to do is want it You say things like “That’s love”, but That’s not enough
Japanese
愛されても昨日と同じ 恋の部屋で夢を貪った
だんだん落ちてく君の中 本当の僕はいなかった down downオチてる君は馬鹿 ぜんぜん意味ないキモチイじゃ
ぜんぶ感じてよ汚い軀で ただ求め合えばいい 愛だなんだとか君は言うけれど マダタリナイ
愛されたい言葉じゃなくて 血の味するキスが欲しかった 好きだけでは好きになれない 分かってたよ二人だけの嘘
だんだん落ちてく夢の中 本当は誰もいなかった down downオチてる君なんか ぜんぜん訳ないキモチイじゃ
ぜんぶ脱ぎ捨てて醜い軀で ただ抱きしめてくれよ 君が好きだとか簡単に言うけれど モノタリナイ
ぜんぶ明日には消えてなくなるよ ただここにいたいのさ 今を生きろとか人は言うけれど マダシラナイ
ぜんぶ感じてよ汚い軀で ただ求め合えばいい 愛だなんだとか君は言うけれど マダタリナイ
Notes
The bridge rhymes "down, down" with "dandan" in Japanese, but the repetition doesn't work in English, so I just added in a second "down" for the dandan lines. Because they're about falling and if you're falling, you're falling down, down.
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cmk-k · 8 months
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2024年始まりました
年末から断続的にお仕事が続いていたので、新装版EDGEの作業がひと段落したらtumblr更新しよう(1月中頃には終わる予定だし…)と思っていたんですが、、、 元旦の震災の影響に始まり、にわかに親族関係の用事も重なって、さらに新装版の作業はギリギリまで加筆に拘ってしまい……気付けば2月でした。 1枚目の写真は正月に撮った写真です(遅)。 ようやく年を越えた気分です。 楽しみにしていた予定を既に2〜3つ飛ばしてしまって凹んでますが(お出かけ予定とか、作家さんとの会合とか…泣)、 個人的に人生のひと区切りの年になりそうなので、色々やりたい事もあるし、元気に貪欲に生きたいな〜と思っています。 本年もどうぞよろしくお願いします。 ・・・ 以下、最近のお仕事関連について。 ↓↓↓
まずは…ついに、劇場版SEED公開されましたね…! ここ半年くらい、新装版の作業でC.E.世界にどっぷり浸かっていたので、万全の準備体制で劇場版を浴びることが出来まして……無事昇天しました。 あまりの圧倒的なエネルギーに、鑑賞後、脳内で沸き巡る感想に数日翻弄されておりましたが、自分の中で少しずつ消化していっています。 いちファンとして、あの世界の続きを観せて頂けた事に本当に感謝です。 ・・・ 劇場版の流れで、昨年末から刊行して頂いている新装版THE EDGEにも興味を持って下さる方や、懐かしく思い出して頂いている方もいらして、とてもありがたい限りです。 当時の事など振り返って色々書きたいこともあるのですが、ひとまず最終巻の5巻が2/26発売ですので、その後にでもまた記せたらいいなと思ってます。 ・・・ そして新装版発売のタイミングで、ガンダムエースさんにも久々に色々と載せて頂いてますが、 こちらは原稿の再掲載がメインなので、あまり大っぴらに告知はしていません。 単純に、昔の原稿が雑誌サイズで載るのは、描き手としては結構恥ずかしいというのもあるんですが…、やっぱり再掲載だと読者さん的にはあまり嬉しくもないだろうなと。 実際、12月売り号は再掲載や流用ばかりでガッカリ…というメッセージを頂いてしまいまして、まあ、そうですよね…ごめんね…(私としても、すごく久しぶりのガンダムエースさん掲載で、しかも初めての表紙だったので、描き下ろしたかったなぁ…)と、ちょっと申し訳ない気持ちになりつつ、少しだけ事情説明させて下さい。 SNSなどでたまに漫画業界の話題を見ている方はご存知かもしれませんが、コミックスの加筆や描き下ろしって基本、無償なんです。 何か新しく描いても、稿料は出ません。新装版でも関係ありません。 (この慣習に反対する目的で、コミックスには一切描き下ろさない方針をとる漫画家さんもいます) 私もそれ自体については色々思うことはあり、編集さんと話すこともあります。 ですが今回は、劇場版SEEDが公開されるという、18年越しのお祝いの機会です。 デザイン変え+キャラ単体表紙など、「省エネ労力で出す」選択肢もありましたが、やっぱり、ちゃんと描きたくてですね………。 カバーはMS&キャラで5巻分+描き下ろし漫画もそれぞれページ数限界まで入れることにしました。 そこで担当さんが、 じゃあ、ガンダムエースの方にできるだけ色々載せましょうと。 そうすれば「雑誌掲載料」が少しはお支払いできますから、と。 取り計らってくれたんです。 その流れで付録のイラスト集も企画して下さいました。 ですので、 こんなブログ記事の文章まで読んで下さっている方で、 ガンダムエースも購入して下さったという方は、色々と再掲載原稿が載っていてちょっぴりガッカリされているかもしれませんが、そのような事情もあるんだな…と、少しだけご理解頂けましたら嬉しいです。 そんな感じですので、もし、新装版のカバー表紙や描き下ろし分など、気に入って&楽しんで下さいましたら、ぜひ話題にして頂いたり反応を頂けますと…とても嬉しいです…!!報われます。 ガンダムエースの方は、昔の雑誌は買ってなかったとか、買ってたけど記憶の彼方…という方が、雑誌サイズでの原稿掲載を少しでも楽しんでくれれば幸いです(昔の原稿は恥ずかしいですが!) ・・・
そして最後に。 なかなか御礼を言うタイミングが取れなかったのですが、 昨年〜年始にかけて、それぞれの編集部に、作品の感想のお手紙や年賀状を送って下さった方、本当にありがとうございました。 昨年は手術療養からの復帰に色々と不安もあり、掲載も少なかったので、届くお手紙にとても大きな活力を頂いておりました。 めちゃ遅いペースですが、お返事をたまにお送りしたりすることもありますので、期待せず気長���お待ち頂けると嬉しいです。 それよりまずは勿論お仕事の方で、少しでもお返ししていけるようにまた頑張っていきます…! ・・・ 2月中にはジエッジ新装版の最終巻が出ます。 もちろん加筆ありますので、手に取って頂けたら嬉しいです。 セインティアmemoriesの続きを期待して下さっている方、もう少々お待ち下さいね。 水面下ではずっと、聖域とC.E.を行ったり来たりしていたんですが、もう少ししたら落ち着く予定…です!
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yurinekotati · 2 months
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私は、人生これから好きに生きると決めた瞬間病気になった、体に麻痺が残り、色々悲観していた。やっと少し動けるようになって彼女が、欲しくて、ビアンバーに行ったノンアル飲料を飲んでいたら、隣りの席に素敵な女性が、座って私の動かせない手を観て爪ガタガタだねと、次の手入れをしてくれた、本当に動かせないのと、聞かれて腹筋に力入れてる肘曲げるぐらいかな、指は、ぐーのまま動かす気が無いんじゃないのと、左手を彼女は、パンツの中に突っ込んだ、ひさびさの他人の股だと思い動かない手に動けと、念じた少し指が、動いた、エロになら反応するのか、仕掛けた、女性も、手が、何もしないから呆気に取られてる、手変えていいと聞くと、こっちも、爪の手入れしてからね。右手の爪も、綺麗に手入れされた。
首筋の匂いを嗅いで鼻息が相手にかかる、はいお終いと、右手の爪の手入れが終わった、手入れ替えていいと、聞くと、席変わらないと入れられ無いわよと、席を立ち女性が、背後に立って場所変えようと誘われてわかったと、席を立ち杖を取る、会計を済ませて2人で店を出たタクシー止めてどこ行くのと、聞くと、私の家と、女性が、答える、マンションの玄関回しに着いてタクシーを降りた、女性が、私の動かない腕を組んで歩いて入っていく、エレベーターに乗って女性が、最上階のボタンを押した、エレベーターが止まると、いきなり玄関だった一軒しか無いのと、エレベーターを降りて玄関の中に入って靴を脱ぐのに、椅子無いと、聞くと壁の取ってを引くと椅子になる、椅子に座って靴を脱いだ、女性が、腕を支えて立ち上がらせて、くれた、リビングに入ってソファーに、座らせられて、女性が、飲み物持ってくると、キッチンに、いくリビングを見回すと、棚には、ペットの写真が飾ってある、今は、飼って無いのかな、気配が無い女性が、私に水を持ってきて、女性は、缶酎ハイを持ってきて、ハイ乾杯と、缶とペットボトルをぶつ��て乾杯した、ねえ、今さらだけど、なんて呼べばいい私は千種と、女性が言ったあなたは、と聞かれて猫と、答えた、それは、夜の事と聞かれて違います。千種が、ネコでしょうと、言って千種の顔が近づく動く方の手で、千種の顔を撫でるキスして、千種が、シャワー浴びてきていいと、いいよ。トイレの場所だけ教えてと、言うとアソコと、指さすが同じドアが何枚かあるからどれと、聞くと、千種が立ち上がり、トイレのドアを開けた、わかったありがとうじゃシャワー浴びてくるねと、リビングから出て行った、シャワー終わったようでドライヤーの音が聞こえる、バスローブ姿で、千種がリビングに入ってきて、私の膝の上に座った右手を掴んで触っていいよと、バスローブの隙間に手を入れて胸を触る、すべすべだなと、思い首筋を舐めると、千種が、あっと小さく声を出す胸を指で、円を描くように下から撫でている頭頂部に近づいてきて千種が、ああんと、声が出るトップを触ると、千種がもじもじしだす、トップをキュッと摘むと千種の体が反応する、千種こっち向いてと、キスする、唇を堪能していると、口が開く舌を入れて、口の中を愛撫して千種が寝室に行こうと、私を立ち上がらせた、その前にトイレ行くと、トイレに入ってスッキリして
千種がドアの前で、待っていた、腕を組んで歩いて寝室に入る、千種がベッドに、寝転がるネコ好きにしてと、私重いよと、重さも感じたいからとベッドに座って服を脱ぐと途中から千種が手伝う焦ったいようだ。千種にキスして体を半分重ねる右手で、千種の体を顔から撫でる胸で、トップを触り摘む千種の触ってない方の胸をキスする、手はお腹を撫でて下腹部に向かう薄い毛を撫でて鼠蹊部を撫でるともう濡れている、指で穴周りを撫でると、千種が抱きついてくる、千種にキスして耳をしゃぶると、更に声が出るあんと、指が下の硬くなったクリを撫でると、千種がさらに内股になりいいと、声に出すコレとこれどっちがいいと、撫で方を変えたら、最初のがいいと、答えたので、少し皮を剥きながら、撫でると、千種が中もと、欲しがる指を中に入れて撫でいいとこを探す、あっあっそこと、気持ちいいとこを教えてくるから、ココと、中の上を撫でると脚がピーンとなったナカイキしたようだ。千種にキスして体をなんとかして、動かして千種の股に自分のを擦り付けるゴメン重いよねと、言うと千種が両手で顔を挟んでキスしてくる猫体が、治ったら何したいと、聞かれて体バキバキに鍛えたいと、答えたら、千種がふっと笑った、鍛えてどうするの、千種とデートする。鍛えなくても、デート出来るよね、千種と並んで歩くなら格好いい方がいいかなと、思ってね、病気になって体ぶよぶよだからさ、千種可愛いのに隣が、豚みたいなのだと、千種が、ナンパされるから、千種が、私お金は、あるから治療してあげようか、私クリニックの院長なんだよね。だから、治療出来るよ、払うお金がないよ、そこは、惚れた弱味って事で無料で、治験者対応で、やれば問題ないから、腰止まっているよ、ゴメン体上手く動かせない千種を気持ち良くさせたいのに、私が、動かすよと、下から腰を動かしてくれる。猫は気持ちいい千種最高だよ。キスも気持ちいいし。千種そのまま擦ってもう少しで、千種を抱きしめてイク千種が、ふふっ気持ち良かったと、聞く良かった。千種にキスする。私も良かったと、千種が言う私は、本当にと、言った嘘は、言わないよと、ほっぺを摘まれる千種の舐めていいと聞くといいよ、とニコッと笑う体をイモムシのように下に移動して千種の股にやっと辿り着いた千種の愛液を舐めて綺麗にしていき、陰経を口に含む口の中で、舌で舐める穴に舌が入るように千種の股を広げて舌を中にいれた、中を舌で味わうと、千種の声が大きくなって喘ぐ指で突起を撫でると、腰が浮く脚がピーンとなる。千種がもうダメおかしくなると、千種が止める体が上に逃げた、追いかけると、千種が、体を起こした。私はもういいからと、しつこかったと聞くとイキすぎておかしくなりそうだから、気持ち良かったよ。ゴメンね、経験人数少ないからさ、加減が分からなくて。千種が、私の体をひっくり返した仰向けになった千種が、私の股を触りだした、千種何するのと、猫をネコにすると、クリ撫でられる、体は正直に反応する千種が撫でられるのは、気持ちいいと聞かれていい千種キスしてと、甘えると、可愛いなぁと、キスしてくる私から舌を入れる千種の指に力が入る腰が、もっと強く刺激されるように指に押し当てる。千種とキスしたままイク千種を触りたいけど動く方の手が、反対側で届かない千種体私の上に重ねてと言うと千種が、重なる、これで手が、届く千種の股に手を運び股が濡れている突起を撫でると千種が今私のターンだから、ダメと甘い声で言うけど、穴周りを撫でると
甘い声が漏れる少し体を起こし千種の中に入る千種が、私の体を起こした。指を奥まで入れると顔を胸に押し当てられる口と舌で胸を貪ると、乳首が立っている、キスして唇で摘むと中が、動く、体勢的に動かせないけど、指先だけを動かす、千種が、自ら腰を動かしている。千種がイッタ頭をぎゅっと抱きしめられて、胸に鼻と口を押し付けられて、息出来ない離れようとしても、力が強くて顔が、離れない言葉にしようにも口も塞がれている、指でクリをぎゅっと摘むと千種が、抱きしめる力を抜いたやっと息が出来た千種がなんで摘んだのと聞くから千種に頭抱きしめられてちっ息しそうだったから、千種が、摘ままれたから、疼いたと、イカさてと、指で、クリを擦る千種にキスしてクリを撫でると千種がイクもうエッチなのねそうだよ、ずっと1人エッチしかしてなかったから、反応があると興奮するし、もっと鳴き声聞きたくなる。その割にエッチな事上手いね、インプットは漫画とかで、したからね、その分エッチに貪欲にはなっているかもと、アウトプットを受けてくれると、聞くと余りしつこいのは、無理よと、言われてしょげると無理な時はちゃんと言うから聞いてよね、キスしていいと聞くとキスされる、キスぐらいなら聞かなくても、していいわよと、千種を触ってもいいと聞くと、入れたらダメよと、言われてなんでと言うと明日仕事出来なくなるからと、千種の下の毛を撫でてさらに下を撫でる内股を撫でると千種が、少し反応する千種可愛いってキスしてなんで、明日仕事出来なくなるのと、聞くと、思い出したら、仕事出来なくなるのと、真っ赤になる可愛いとキスしてクリを撫でるダメ明日仕事中思い出してエロい顔になるからダメと、言うが手を振り払わない、過去にそんな事があったのと、聞くと仕事中顔が、ニヤついて周りから彼氏出来たのかと、聞かれて答えるのが、面倒だったのよ。彼女ですとは、言えないから私の職場ほぼ女性だから、彼女とか、言うと変な風に言って来る子もいるのよ、私の事好きだったから優しかったんですかとか、それは、面倒だね。千種濡れてきたよそれは、そうでしょうクリそんなに気持ち良く触られたら、感じるものと、クリだけでイクと中イキしたいと、ワザと聞くと、中イキしたいと答えるキスして穴周りを撫でる入り口を指でなぞると抱きついてきたキスして、ゆっくり中に入れる、さっきは千種が動いてイッタから、今回は、私が動かしてイカせたいなと、中を撫でて千種の反応がいいとこを、しつこく撫でる千種可愛いね、今恋人は居ないのと、聞くと募集中と、私立候補したい。ハンデ持っていて、年寄りだけど、いいかな、千種が、体の相性も良いし、いいよと、言うので、真面目な顔して、千種の左手を持って付き合ってくださいと、左手の薬指にキスした。
千種が、キザだねと、言っていいよ、昔も体から付き合った人がいて、付き合うとは言われてないと言われたから、ちゃんと言って付き合うありがとうとキスする。
明日私のクリニックで、どの治験するか、決めようねと、申請とかで、始めるのは、許可出てから、だから、他と共同研究なら、早めに治験できるかもと、千種が言う本当にいいの。私のクリニックも実績出来れば患者増えるし、上手く行けばウィンウィンだよ。
明日一回家帰ってからで、いい猫こそ誰かいい人いるんじゃないのと、千種に聞かれて居ないよ。千種可愛いねと、キスして抱きしめる。家に猫がいるから、エサと、トイレ掃除しに帰りたいんだよ。気になるなら、付いてきてよ、千種可愛いくて、若いのに、私みたいなハンデ持ちの年寄りでいいの、千種小さくて可愛いから人気でしょうと、言うと、私の金目当てしか来ないのよ。猫みたいになにも知らない人が珍しいもの私のタイプだったから持ち帰ったのよ。光栄です千種私と、付き合ってください左手の薬指にキスする。千種がいいわよ。タイプだから。千種実は結婚してるとか、言わないよね。千種は男もイケる人それは、今はないかな、昔は私自身のせいたいしょうがわかって無かった頃に男と付き合ったけど、女性が、好きなの自認してからは、ないわよ。良かった好きな人また、男に搾取されるのかと、思うと付き合って、いても捨てられるから、千種が、キスしてそんな事しないわよ。こんなに可愛い猫を野良にしないわ。ずっと可愛いがりたいのよ。本当に、千種もっと千種触ってもいいとキスして抱きつく、千種が、いいわよ。明日起きれるぐらいの体力はあると思うから、千種にキスして今までの寂しさを埋めるように千種に甘える。猫は本当の猫みたいね。千種に頬擦りして首筋を舐める汗を舐めとると千種が、お互い色々まみれてるから、お風呂入ってから寝ようかと、千種が携帯で、お風呂を溜める。お風呂が溜まりましたと、機械音声が、聞こえた、千種が、ベッドから立ち上がり私を手助けして立たせて歩くのを補助して風呂にいき、裸だから、そのまま浴室に入る、お風呂のイスに座って千種に、体を洗われる千種は、自身の体も、同士に器用に洗った。私を抱えて湯船に入る、私は、ハンデになってから、湯船に浸かった事がない、滑って立ち上がれなくなると、ヘタすりゃ溺れて死ぬ、千種に抱きついて湯船を堪能する、千種にキスして、私の上に千種が座っている。胸を揉んでしゃぶり千種が、お湯入るから中で、弄らないでと、言うので、湯船に座ってもらい、内股を舐めて穴にいく、舌で、穴を舐めて穴の中に舌を入れて中を刺激して、クリを指でクリクリする。千種が入れてと言うけど、千種にキスして千種指しか入れるモノ無いよと、入れて出して子供欲しいと言われて膣液なら入れられるけど、精子は指から出ないよ、子供作ってあげたいけど現在の医療技術じゃ出来ないよ、10年ぐらい経つと変わっているかもね。
ピンポンと一階のオートロックの呼び鈴がなって浴室にある、インターホンに映像が、映る声も聞こえる、ちーちゃん桃だよ。帰って来たから開けてと、前飼ってた、子猫ってヤツサカリが来て家出て行った子と聞くと千種が頷くサカリが終わって戻って来るのは、子供産みにきたんだよ。彼女の顔殴られた後があるから、相手の男に子供できたから養ってとか、言って男は、遊びだったんだろうバカ猫は、いらないよ。千種、私捨てて、あの猫飼うどっちと二択にすると、猫を私が飼うのと、キスしてくる、このノラは警察に引き取ってもらったら、ストーカーが、今玄関に来ているから怖くて落ち着かないです。って電話して理由は痴情の絡れって素直に言ったらサカリの時期に妊娠してまた、人の家に戻ってくる、野良猫もいるからね、元飼い猫だからって引き取って飼う、必要無くないノラ猫も、妊娠しているんじゃないの顔に殴られたっぽい痕があるよ、出来たから結婚してとか、迫って捨てられたたんだろうけど、都合の良く、千種なら、妊娠気づかないで、住まわせて、くれると思ってきたんだよ。鍵渡してないのが、救いだったわ。こんなノラ猫無視して続きしよう。千種に頬をスリスリしてキスする。これ以上湯船にいたら、のぼせちゃうから、上がろうと、千種が、上半身を支えて湯船から出るのを補助してくれる。脱衣所で体を拭いて千種が、バスローブを着せてくれた。千種は、身長150cmぐらいなのに、10cmは身長の高い私を上手く補助出来るなと、思って聞いてみる理学療法士の免許も持っているのと、千種が、私学生時代レスリングしてたから、体格差とかは、関係なく体の使い方がわかるの。凄いね。まだ、下にノラ猫が、いてピンポンしてくる千種が本当に警察に電話した。玄関の様子見ていると、制服警察官が、ノラ猫の肩を叩いて振り向かせて、連れて行く。千種がインターホン越しに電話した者ですが私も、同行した方がいいんでしょうかと、聞くと明日⚪︎⚪︎警察署に来て被害届けを出してくださいと、今夜この人は連れて行きますと、姿が見え無くなった。
千種とベッドに入るうーんと伸びをして千種にキスをせがむキスして千種明日大丈夫、私を家まで連れて行ってクリニックで診察と、警察でしょ、だから今日は手出さないでねと、キスされる。わかったと抱きつき今日はもうしないと、言うと朝とかもダメよと、先に止める。
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kennak · 9 months
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20歳までの性癖の変化20歳くらいまでは、コロコロ性癖が変わっていた。  小公女セーラ⇨巫女⇨陵辱拷問⇨某エロゲキャラ⇨フェラ⇨みづなれい⇨ハーフ⇨外人のオナニー配信⇨足の裏コキ⇨高身長⇨セミの鳴き声。と。  この辺りから、性癖はあまり変わらなくなって。ずーっとひたすら、公衆トイレでセミがガンガン鳴いてる中でフェラをする動画にお世話になっていた。  20歳からの性癖の変化一方、20歳からは、二次元を卒業し、AV女優を漁るようになった。小澤マリア、希志あいの、小倉ゆず、みづなれいとまあ、面食い。だんだん、特定の女優を探すのすら面倒になって、デビュー作品で良さげな子を漁るとかにシフトして、完全にラーメンの注文みたいになっていった。  アナル舐めに性癖が破壊された性癖に確信が起こったのは、25歳だ。そんなまさかなだ。  セミの鳴き声⇨女性が男性のアナルを舐めると性癖がジャンプした。  アナル舐め道は辛いよこの、アナル舐めは本当に辛い。このためだけに風俗を覚えてしまった。性病になるの怖すぎる。  明らかに不衛生で、女性に負担をかけてしまう。こんな、最悪なプレイ本当にやばいやろ。  行為も最悪であるが、検索も難しい。そもそも、男性が女性のアナルを舐めるのもアナル舐めに引っかかる。xvideosなどでも、rimjob、rimming、rickingなど、様々な検索ワードがある。しかも、体勢が、うつ伏せが多く、次が壁に手をついて中腰���一番少ないのが女優が寝て男優が顔面に座るパターンである。私は、女優が寝て男優が顔面に座るパターンが好きだ。このような体勢のパターンごとに名前が欲しいところだが、現状はそうはなっていない。(ちなみに、耳舐めでも同じくこのような問題に悩まされている、特にASMRみたいな本当に舐めてないやつばかり引っかかるのできつい。そもそも耳舐め自体少ないし)  そもそも、アブノーマルプレイなので、特定の女優で探すのも難しい。かわいい人気女優で、ハードなアナル舐め専門作品に出てくれる人はまず少ないから、風俗ものでソープの1つのプレイとしてアナル舐めを探す。例えば、グラドルから転身で噂になった高橋しょうこサンだが、彼女の作品全てを見るわけにはいかない。アナル舐めだけを探すのだ。探し当てた時は、ものすごくいいオナニーができるが、探すときは砂漠で砂である。ソープもの作品を買っても必ずしもアナル舐めしていないし、アングルや尺など満足の行くものは少ない。  特に、『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、っていうJKがむっちゃ痴女ってアナル舐めする作品は年単位でお世話になっている。もう、増田は34歳である。アナル舐めの極地は『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせで結論出たと思っていた。  アナル舐めの最高到達点の更新しかし、昨晩、それが更新された。『痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』の阿部乃みくだ。酒焼けした美女が出てるなと思った。阿部乃みくは超美人女優だ。阿部乃みくサンに対する増田の思いについて、少しだけ補足したい。彼女は、アベノミクスからとったという名前自体がほうけてて好きだけど、オタクに優しい。オタクの部屋に派遣されるAVでは、オタクが変なアダルトグッズを持っていてドン引きしてしまい。「あべのは、、、あべのは〜」と戸惑い全開になってしまったのが面白かった。あと、上原亜衣の引退作品にも出ていて、上原亜衣を捕まえられなかった男達に代わりにゴスロリ姿の阿部乃みくサンがお相手するのだが、男性のアソコを膣に入れた後に、「寒くない?大丈夫?」と自分の下っ腹を手でゴシゴシと磨きだした、かわいい。あっと、ごめんなさい、横道にそれた。『痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』であるが、阿部乃みくは白衣のを着ているが、茶道のような畳部屋で、アナルの剃毛からはじまるのだが、剃毛に使う石鹸は茶道のお茶碗で抹茶を立てるように石鹸を茶道のあれでかちゃかちゃ混ぜて泡立てる。この時点でただものではないアナル舐め作品の雰囲気を感じた。剃毛後、阿部乃みくが勢いよく舐めまくる。うつ伏せから中腰まで。そして、アングルも最高だ。増田が好きなアングルとして、中腰男性にベロを突き出した美女が突進し、鼻がお尻につくまで美女の顔がケツに近づく。というのがある。なんと、阿部乃みくサン、顎まで男優の体と一体化していた。この深さはxvideosの海外の本物の変態カップルでしか見たことがないよ。フィニッシュはよくわからない医学的解説がなされてシャーレに精液が取られて終わりだ。  いや〜。5年ぶりぐらいに、アナル舐めの最高到達点が更新されてしまった。自分はもう『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、が死に場所だと思ってたんだけどなあ。  補遺増田は、若い人が羨ましい。もちろん、160cmのチビ、90kgのデブ、ベジータレベルのハゲのバキバキ童貞レベルの不細工です。なお、全く努力しなかったわけではなく、年収は1000万円超えているし、東大卒だし、論文も数本書いている。しかし、増田は青春ゼロ、彼女いたこと無しで、未婚で終わる気マンマンだ。風俗やキャバクラではウケがいいから、もしかしたら本気出せばモテるのかもしれないが。セクハラになるリスクもあり女性には声をかけられない。  そこは諦めてるから、別になんとも思っていないが。ただ、後世に生まれるほど、性に対して有利なのが羨ましい。美容医療が発達して女性はかわいい、VRなんかもできてリアルな体験をしているだろう。オナホも年々レベルアップしてる。ブサメンの性癖がテクノロジーでアシストされまくってる。今後は、AIを使った新AVや、新VR、知り合った人をAIが勝手にアイコラしてくれるし、卒アルで初恋の子がいたらすぐにAIが裸にする、最近のDMMエロ漫画はAIが描いたものが大量にあるらしい。ニッチ性癖もAIが勝手に大量に作り、AIが人間の反応を見て色々作るだろう。なんなら、そもそも、結婚しなきゃなかったはずの子作りもセクサロイドなり人工子宮で解決するかもしれないしな。日本の底辺に生まれながら、世界最高の美女の卵子で子供作れるのかね。  とにかく、若い人が羨ましい。エロゲーやしょぼいネットの個人サイトで必死にニッチ性癖を探して、ラブホでオナニするのが趣味な自分みたいなのって、未来からすれば、河原でエロ本漁ってた昭和と変わんないのかね。  追記セミが謎に人気なので。おすすめ作品を書いておく。「竹内みれい 公衆トイレ」でググってください。JKお散歩からの、公衆トイレ、むせかえるような暑さであることはAVの画面からは伝わらないが、蝉の音が教えてくれます。そう、AVで感じるはずのない「温度」をそこに感じることができる。これが蝉の音の良さです。外国人は、セミを見たことないから、蝉の音がわからないらしいです。我々日本人の特権ですな!  >lexieXmarcのバスルームのやつというコメントをいただいた。ありがとう、最高だわこの作品!割愛してしまったが、増田は、シャワーやお風呂物も大好きです。わかりますよ〜シャワーの水圧、体に浴びながら、必死に性を貪るの、いいですよねえ。性に対して、必死にならないと、シャワーの感覚に流されそうな感覚。  >アナル舐めおすすめは、乳工房ってエロ同人だ。かな〜りアナル舐めに拘ってるので、同人抵抗ない人にはおすすめ!  >小公女セーラやっぱ、お嬢様の気高い心を、辛い環境で守り続けるの尊いですね。アニメは歌も楽しめる。「遠い道を歩くとき、歌を歌えば近い」「挫けたらダメよ」歌で、哀愁を盛り上げたところで、セーラお嬢様の気高い感じ。大好きだあ、お嬢様あ〜幸薄お嬢様あ〜  >みづなれい性癖のお化け。目ん玉に精液入れたり、ホームレスのおしっこ飲んだり、当然可愛いが。一番増田の性癖に来たのは、生徒会長なのに性処理奴隷にさせられて、机に縛られて、69の男が立ってるバージョンのイラマチオ。いじめられてかわいそうなみづなれいサンだけど、心は強いから、常に冷静。絶対折れない心は小公女セーラだね。あと、無茶苦茶可愛いJKの格好して、円光オヤジに高飛車な態度をとるが、車の駐車場で、円光オヤジが「うんこ食べてよ」といきなり難易度爆上げな要求して笑いそうになるが、「キモい」と睨んでくる作品。結局うんこは食べずにフェラだけだが。みづなれいは、哀れな女性を演じるが、心に強いものを感じる。その気高さと、性への科学者みたいな追求が好きすぎる。
性癖が更新されたり最高到達点ができた時の記録
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1917monk · 2 years
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二人展madoromi
2日間無事に終わって本当によかった・・・
これじゃあ多すぎるかな?と思いながら作ったグッズも一つも残らず売り切れて、たくさんの人に来てもらえて!幸せいっぱい!
私の絵を見ながらかわいーって言っているみんなを見てて、そんな奇跡みたいなことが自分に起こってるなんて信じられなくて、他人事みたいにすごいなー..って思うしかできなかった
寝不足なのもあったけど、ずっとふわふわしていた2日間だった、ネットで見てくれたり感想くれたみんながリアルに存在してて、声を聞けて、ふしぎだったなー
この先絵を続けていく上で、成長しなくても退化しても進化しても、こんな経験をしてしまったせいでもっと貪欲になっていくんだと思う、この欲と現実の均衡を保ち続けるためには、これまでの倍努力しなきゃならない、それが全く苦ではないことが、何よりのご褒美
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xx86 · 1 year
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風合い
怒涛の1週間が終わった。実は先週の日曜日から仕事で明日というか今日は代休なので、お酒飲んで横になったらこの時間になっていた。疲れたというより芯からほとほとくたびれた。ゴールデンウィーク明けに鬼のようなスケジュールの仕事振るの、頭も体も吹き���びそうになるからやめて欲しい。
そんな感じで本当に本当に忙しくて、何もかも嫌になって彼に毎日弱音を吐きながらふと1年前のことを思い出した。あるいは2年前かもしれない。仕事が嫌で絶望して虚しかった日々。あくびが出るほど退屈だったのに、神経が常に逆立っていて小指が触れるだけで半ギレしていたような日々。感情の起伏が激しすぎて、ころころ笑っていたかと思えば次の瞬間には静かに泣いているような精神状態で、まあ患っていたのだ。1週間か2週間に1度は通院していた。いつ通院をやめたかはあんまり記憶にない。私はものすごく記憶力がいいのに。人はあまりの衝撃を受けると記憶を残すことを止めてしまうから、あれが夏だったか冬だったかいまいち思い出せないけど、最後医者に入院だ入院と匙を投げられ、以降会計でも処方箋でもずっと静かに泣き続けていたのだけ覚えている。悲しいからとか、怒ってるからとかではなく、波が押し寄せるようにただひたすら泣き続けていた。本当にくたびれていたのだ。
あの時の私は本当に恥ずかしいぐらい彼に依存していて、彼が全てだった。仕事終わりの彼の電話だけを楽しみにしていたし命綱みたいなものだった。ばかみたいだと思われるかもしれないけれど、いつしんでもおかしくないようなあの時、すれすれのところで救ってくれたのは彼で、命の恩人だと真剣に思っている。
恋仲であろうがなかろうが、私の周りにいた男性達はよく私のことを太陽のようだと言った。女性には1度も言われたことない。少しでも翳りを見せるとお前は太陽なのにと叱責した。今思えばとんだモラハラである。太陽だって毎日沈むというのに。平塚らいてうもさぞかし喜んでくれるのではないかと思うぐらい私は毎日白夜をやっていた。
彼は初めて私に底抜けの明るさを求めなかった男性だった。そもそも出会った時の私はどん底の精神状態で太陽とは程遠かったのもある。20数年太陽をやり続けた代償は大きい。明るいということはその分色濃く影を落とすのだ。
とはいえ彼と出会って最初からすべてが良い方向へ向かったのかと言われればそうでもない。結局は私の人生私のものだから、自分でどうにかしなくてはならない。遠距離でコロナ禍ということもありろくに会うことも出来なかった。出会った頃私はもっと幼く、何よりも病んでいたし、彼はもっと言葉も行動も強くかたい人だった。頻繁に衝突しその度私は泣いていた。あまりにも私がいつもボロボロだったので、周りからは身を滅ぼすような恋愛ならやめた方がいいと何度も忠告される程、私は恋情を貪って傷ついていた。
結局はお互いがお互いに歩み寄れたから今こうやって共存できているのだと思う。依存ではなく。まるで使い込んだ革のようにしっくりくる。
彼に出会って精神が健やかになってから私はあまり神様という言葉を口にしなくなった。無宗教だけれど私は常に神様がいた。神様みたいな存在の人がいた。心の拠り所がなければどうにかなってしまったのだろう。好きな人を神様にしない、とずっとずっと自制を込めて言い続けていた。ようやく神に祈らずとも眠れる。
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onishihitsuji84 · 4 months
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えた���とに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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pureegrosburst04 · 5 months
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Twitterに居た役立たずのう◯こ「もう少しの我慢だよ」
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香氣04「俺が1人残らず切り捨てている理由は本人が身◯なせいだからって言いたいのか?統合失調症ってつまり身◯と同じだろ 俺の現在の敵はみんな身◯故の悲しい設定、健常な評価に一方的で理不尽な名誉毀損をする薄汚い攻撃本能を隠しながら救うって訳か なるほど、立派だぜ 霧島狩魔だったらこんなもんじゃねえぞ」
御茶ヶ滝「…これってさ……香氣04さんの頭…おかしいんだ」超電波油「もう、精神病とか何の関係もなく ぶっ壊れてる 誰にも犯罪をせずにサイレントテロを盛り上げて……なんか、だめなんだわ。」
ある日、高級ゴールドキング/バラバズー500Fに奴隷として支配されていて、人格排泄の薬を飲まされて媚薬を嗅がされた少女は自分の股から溢れてきた人格ゼリーの透明な男性器を扱き出した、そうするしかなかった 高級ゴールドキング/バラバズー500F「頑張れ🧡 女の子の大事なところを取り戻したまえ(笑)」  しばらくしてびゅるるるるっ🧡 絶頂に達すると同時にゼリーは一つのスライムになって落ちて、少女は自分の体を完全に無くした
スライムを入れられたバーコードハゲのミニロボットの股間辺りには爪楊枝のような折りたたみ式の棒が生えていた 高級ゴールドクイーン/ガッチャ「これを折ると巨根をすり潰された痛みを感じるのじゃぞ❤️(赤き真実)」ぽきっ バーコードハゲミニロボット(14)「☠️あああああああ❗️❗️❗️❗️❗️🏴‍☠️」7萬レッド/No55「あそーれ、ぽきっぽきwww」ミニロボ少女(14)「☠️あ、あああああ‼️‼️🏴‍☠️」
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ある日、ミニロボ少女が浴槽に持っていかれるとそこには……おいしい🎵おいしい♫と母の体を溶かしながらチューチュー吸う化け物、絶句してる間にリビングに戻された、無数���蛭のような口があったお風呂場から聴こえてきた声「君のお母さん、おいしかったよ❣️」ミニロボ少女(14)「いやあああああ……」ゴールドバズー「もともと奴隷家族なんだからまあいいじゃん🎶これで風呂に入る時間、王子様が代わってずっと節約出来るぜ🧡 お前の抜け殻で500本のしらないペニスを抜き抜きしてやるからな(笑)」
ぽきっ
水と油:遥か先の未来⬇︎
ジューー、
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モコロン「おいしくできたよ🎶」
ゴールドバズー「バアアアアーー���W‼️‼️w その焼かれたドブに捨てられるボロクズはお前の大切な味方だよ❗️❗️❗️WW(赤き真実)WW」ゴールドバラバズー500F「我々の役に立つ事を自発的に考えるよう、少しは危機感というモノをもちたまえ(笑)」 ゴールドガッチャ「明日は我が身…次にゴミクズになる負け組は、どこかの誰かさんかもしれないのじゃぞ?///❤️」
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モコロン「メェ(何でそんな事言うの)」ゴールドガッチャ「我らは弱いものイジメが大好きなのじゃぞ💛」ポイ、グチャ ゴールドバズー「劣等生物が口答えをしたせいで、折角の手料理はなくなってしまいましたとさ……w」7筒ブルーNo429「可愛いマスコットを死に追い込む娯楽に何か理由がいるのかよ?いつだって悪い奴が勝つんだよ お前に残された道はサンドバッグ奴隷として惨めに終わるだけだよ(笑)」
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表版仮想大鉱山の小学一年生A「押さえてて霧島04様を越えるプレイヤーさんww 何本包丁を突き刺したら死ぬか試したい(笑)」小学一年生B「女の子のはだかの方が、こんな虫ケラで遊ぶより楽しいよ(笑) 小学一年生C「ヒーローなんてきれいなザコいらないwww」
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表版仮想大鉱山の小学一年生3人「ハハハハ。ハハハハハハハ❤️」
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⬇︎は遥か先の未来でこの過去を観ているポケモン達、本当に高等なのは果たしてどっち?
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“”球磨川禊と防聖孤島と鮙〆香氣と一方通行””よりも狡猾で攻撃的な気質で雰囲気が軽くて陽気で大人びていて勝利に貪欲でも邪悪でもクソイカれサイコパスでも天然のソシオパスでも残酷でも……本当は、友情が温いのも身長で後から追い越すのも発明を作り出す大器晩成型なのも本質と哲学で勝るのも恐怖を乗り越える勇気があるのも脳が神に近いのも現実を突き付ける側なのも真主人公側なのも心が豊かなのも純粋なのも硬派なのも熱血なのも繊細なのも健康なのも細胞が若いままなのも努力するのも芯が強いのも真実の愛を、無償の愛を、家族の絆を絶対悪に捧げるのも根性があるのも家事と芸術でより秀でているのも料理が上手いのも神の祝福を受けているのも誰からも要領の良い思いをするのも一方的に見下して切り捨てる側なのも誰も好きじゃないのも罪を許さないのも正義として扱われるのも淑女を劣化猿そのものだと考えてて正にキモオタネット弁慶よりクリアでおぞましい闇なのも恋する乙女より綺麗な爽快な光を失わないのも…孤独耐性があるのも瞑想が得意なのもホモ野郎と相手を罵るマッチョ格闘技者より頭がオカシイホモ(心の身障)なんだろ⁉️ゲイ(魂の身障)なんだろ⁉️バイ(精神の身障)なんだろ⁉️レズ(産む機械)が役立たずなんだろ⁉️百合(血が途絶える糞尿廃棄物)なんだろ⁉️のもデカい夢があるのも偏見を持たないのもお金についての考え方も打たれ強さも生まれついて持った全パラメーター数値の差でしか上記を覆せない”F(フェア):ヴァストローデ”を死に追い込み実は真面目に優越感を感じているのも本当は、”””霧島04(裏ストボス)”””の方(赤き真実)
身長186cm 体重90キロ 筋肉質 イケメン 完全に勃ったちんこ➡︎3cm たまたまの直径5mm 前立腺➡︎ゴミクズ 性病35種類以上
“”””ラオウ様””””がTSUYOSHI 誰も勝てないアイツなら、”””””真の裏ストボス様”””””は…ワンパンマンの立ち位置(究極の赤き真実)
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2015mai24 · 6 months
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MUCC、『志恩』・『球体』ツアー Zepp Shinjyuku公演オフィシャルレポート
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MUCC 画像を全て表示(10件) 7月26日(水)にZepp Shinjukuで開催された『MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」~志恩・球体~』のオフィシャルレポートが到着した。
MUCCが、2023年7月26日(水)に東京Zepp Shinjukuで『MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」~志恩・球体~』を行なった。結成25周年を記念して、過去に発表したアルバムを軸にするツアーを2022年から開催しているMUCC。この日は、2008年に発表した8thアルバム『志恩』と2009年に発表した9thアルバム『球体』を中心にしたツアーのひとつ。またライブ・タイトルでは一切触れていないものの、7月26日はギターのミヤの44回目の誕生日でもある。
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そのミヤがセレクトした開場BGMと、ミヤの誕生日を祝う気持ちで、開演前からすでに熱さも充満するソールドアウトとなったZepp Shinjuku。SE「球体Instrumental」が響くとハンドクラップも起こり、ステージは照明で赤く染まっていった。まず登場したのはサポートの吉田トオル(Key)とAllen(Dr)。そしてストロボ・ライトも点滅し始めたステージに現われるYUKKE(Ba)とミヤ(Gt)。一気に高まる興奮と緊張感。SEが「99」のシーケンス・フレーズへと切り替わり、一人、照明を浴びながらミヤがギター・フレーズを奏でていった。泣きと哀愁のメロディが夢烏たち(オーディエンス)の気持ちを惹き込んでいく。
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だがその直後のこと。逹瑯(Vo)がステージに登場し、大きく足を広げたと思えば、衝動の塊のような咆哮をとどろかせた。同時に何本ものスモークが激しく上がり、バンド・サウンドは業火のごとく夢烏を襲う。身体も脳も叩き起こされ、荒れ狂う海原のように極悪なうねりを夢烏たちはフロアに作り上げていった。 『志恩』と『球体』の世界観を現在のMUCCが再構築した曲が、1曲目となった新曲「99」だ。歪んだ声や突き抜けるメロディを駆使した逹瑯のボーカル、メロディック・デスの旨味もたっぷり吸った攻撃的リフやリズム。そこに煽情的なフレーズも入り込む。この25年間で培ったMUCCの圧倒的実力は、ライブに次ぐライブでさらに研ぎ澄まされ、熱量も説得力もハンパじゃない。
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「オイ、新宿! 俺の誕生日だ、暴れてけよ!!」―ミヤ
本日の主役自らが夢烏たちを荒っぽく歓迎。逹瑯も「全力で祝おうかー!!」とシャウトのように叫びながら、曲は「咆哮」へ。ラウドで激情たっぷりの音が暴れ狂う。 なにしろ、『志恩』と『球体』は、AVENGED SEVENFOLDやBULLET FOR MY VALENTINEらとのカップリング・ツアー<Taste of Chaos 2008>など、MUCCが精力的な海外ツアーを行なっている最中にリリースや制作されたアルバムでもある。エレクトロやメタル・テイストも強めで、ハジけていく曲や尖ったナンバーも多い。つまりライブで威力を発揮する曲たちだ。そうしたナンバーを次々とたたみ掛け、熱を注ぎ込み続けるMUCC。歓声も掛け声も思いっきりあげながらモッシュでぶつかり合う夢烏たち。熱狂と狂騒の渦がMUCCを激しく彩り続けていく。
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「新宿区歌舞伎町でここだけが唯一、治安がいい場所。思う存分、はっちゃけて、暴れていってくれ」―逹瑯
ライブの様相は激しさを増すばかりながら、MUCCを愛する夢烏たちしかここにはいないから、治安は確かにいい。一切の遠慮なく強烈なプレイや邪悪な歌いっぷりで圧倒しながら、楽しさマックスの笑顔もこぼすメンバーたち。夢烏たちの身も心も激しく突き動かしながらライブは展開していった。
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しかし中盤には、もちろん『志恩』からの「小さな窓」や、『球体』からの「讃美歌」など、想いの溢れる言葉や音で、心をつかんで魅了するMUCCも。それぞれの楽曲を生み出して、すでに10数年もの時が経った。その間にバンドとして、メンバー個人として経験した出来事の中には、当然、悲しさや寂しさを伴なうこともあったはず。そうしたことが意識せずとも曲にフィードバックされ、メロウな曲や歌から自然に滲み出る様々な想い。生まれたとき以上に膨らみと包容力のある曲になって、夢烏たちの心を丁寧に包み込んでいった。
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だがミヤの呪術的なフレーズを合図に「志恩」へ突入すると、ライブは再び急展開。照明で不気味な陰影も浮かべた表情で、メンバーは邪悪な音を叩きつけていく。「空と糸」では「起きてるのか、新宿! コロナでなまってんじゃねーぞ!!」とリフを弾きながらミヤはさらに焚きつける。鋭利で凶暴なMUCCサウンドが夢烏たちを激化させ続ける。しかし、そんなもんでは本日の主役は満足しない。「今日のために、わりと緩めの会場選んだつもりだ。やれるヤツは、やれ!!」とミヤ。そうして始まった「フライト」では、夢烏たちの肩車がいくつも出現し、曲のキメと同時に、ミヤの誕生日を祝うクラッカーのテープのごとく跳び、そのままクラウドサーフも。こんな祝福されたら、やっぱり黙っちゃいないのがミヤ。「フライト」の勢いのまま「1曲追加します!」と、『極彩』からの「謡声」をブチ込んだ。イントロ直後に慌てふためく吉田トオルの姿に、全く予定になかった曲だったことが伺える。こうしたお祝い返しなどもありながらライブはエンディングへと向かっていった。
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アンコールでは、一人、ミヤが感謝しながらステージに登場。「44歳になりました。ありがとうございます。18~19歳で上京して、すぐ歌舞伎町でバイトを始めたんですよ…」―ミヤ カラオケ屋でお客さん勧誘のバイトをしながら曲を作っていた話や、バイト時代の様々なおもしろい出来事も暴露。「俺の第二の故郷は、ここなんで」と、お笑いトーク・ライブと化すミヤ@Zepp Shinjukuである。YUKKEと逹瑯も加わって、歌舞伎町にまつわる話が止まらない。トリオ・ザ・MUCCの独演会となっていく。
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また話は、グッズのひとつ“パイ扇”のことに。LEDで鮮やかに光る扇子だ。「みんな、点けてみて。せぇ~の!」とYUKKEの言葉を合図に光らせると、吉田トオルが「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」をピアノで弾き始め、LEDスクリーンには“HAPPY Birthday TO MIYA”の文字やキャンドルのCGが。夢烏たちが歌いながら祝う中、ステージには巨大な誕生日ケーキも登場。さらに、MUCCのFC旅行<ムックランド>シリーズのキャラ“チャッピー・ラビット”(ミヤがデザイン)も駆けつけて、生みの親を祝福。にぎやかで愛に溢れるお誕生日会となった。
約20分のトーク・ライブの後は、フライングVを持つチャッピー・ラビットも交えて「蘭鋳」を全員でかき鳴らす。曲の中盤、座ってからの一斉ジャンプの合図を出すのは、もちろん主役のミヤだ。「MUCC最初の44歳、一緒に遊ぼうぜ! 歌舞伎町、全員、死刑!!」―ミヤ
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全身全霊で楽しむMUCCと夢烏たち。そして25年前のバイト中、この第二の故郷で見た人間ドラマから作った「娼婦」も披露。いろいろな曲展開が入ってくるあたり、当時からの音楽的貪欲ぶりが現われている。この日のラストを締めくくるのは、未来に向けた願いも込めた「WORLD」。メンバーがハーモニーを歌いながら曲に入っていくと、夢烏たちも歌声を響かせていく。MUCCの演奏と夢烏らの歌はひとつになって、さらに夢烏たちは愛も込めて手を掲げ続ける。互いに笑顔を見せながら感動のエンディングを迎えた。
取材・文=長谷川幸信 撮影=冨田味我
セットリスト MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~志恩・球体~ 2023年7月26日(水)Zepp Shinjuku 01 99 02 咆哮 03 アゲハ 04 梟の揺り篭 05 オズ 06 レミング 07 ファズ 08 アンジャベル 09 カナリア 10 浮遊 11 燈映 12 小さな窓 13 讃美歌 14 志恩 15 空と糸 16 塗り潰すなら臙脂 17 シヴァ 18 フライト 19 謡声 20 hanabi 21 リブラ <ENCORE> 22 蘭鋳 23 娼婦 24 WORLD
quelle: spice-eplus.jp
2023.08.03
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straycatboogie · 7 months
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2024/02/19
BGM: XTC - English Roundabout
最近、近所にあるイオンの中の未来屋書店に行ってみて英語関係の本を見繕ってみたことがある。もっと手っ取り早くかつ楽しく英語を学べないかと思ってのことだ(もっとも、それ以前に純然たる暇つぶしにして味読する愉楽を味わいたいと思ってのこともある)。そして思ったのは、実に英語教材あるいは英語の読み物はたくさん、数え切れないほど存在するのだなというシンプルな感想だった。そうした本は実際に教鞭を執る人たち(予備校や自身の学校など)が書いており、YouTubeのチャンネルとも連動していたりする。その本の多さに感銘を受け、1冊買ってしまった。学ぶため、そして読むためだ。
学びの方法・作法としてどう英語を学べばいいのか。ひるがえって考えるに、このご時世・ネット時代において本を読む以外にも実にいろんな方法(ツール)を使って学んできたことを思い出す。DiscordやMeWeや、あるいはWhatsAppやTelegramなどで英語でチャットをしたり(意見交換……と聞こえはいいがまあ要はおしゃべりしているだけとも言える)。その他にはこの町の英会話教室にも通う。文字通り、英語の要素に満ちた生活を過ごしている。
学ぶためのモチベーション(動機)をどうやって維持できているのだろうか、と自分に問うてみる。言葉にはかんたんにはできそうもないけれど、言えるのは関心領域を大事に追い続けてきて、それに尽きるということだ。学びにおいては、やりたいことだけを自分なりに真面目にやる。実にワガママかつ貪欲極まりない。そのようにして関心を追う(いろんなことを追う。たとえば今日はぼくはピンク・フロイドについて友だちと話をしたり和風の昼弁当をシェアしたりした)。
敬愛するぼくのメンターたちは、言葉を扱うことにおいてぼくには確かな才能・素質があると言う。どうなんだろう。嘘つきと言うかもしれないが、こう言い張るしかない。ぼくはそうした自分の中の才能を信じたことは皆無だ、と。その代わり、勘の力を信じてきたとは言える。なんだかわけがわからない話になってきた……英語学習の話になるとこんなふうにこみいった屁理屈をこね始めるのがぼくの悪いクセだ。真実は単純・簡素きわまりないものなのに。
今日、総合病院に行って先生にお会いした。午後から夕方までは、休みだったこともあって自由時間を存分に満喫し昼寝に明け暮れ、ゴロゴロしてしまった(上でエラソーに書いていてもぼくはしょせんこの程度の男なのである)。夜になり、英会話教室の宿題を済ませる。そう、誰でもできること、誰もがやることをぼくはやってきて、いまもやっている。それだけである。英語学習に王道はないと信じる。ぼくにとって、これは1つの信仰である。
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poetohno · 7 months
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混沌の洪水 9 おまけトーク(現実にではなく、観念にダメージを受けている)
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「断罪」
迸るように激しく 溢れるように流れ 世界の色彩は閃く
ギロチンが音を立てて待ち構えている 帰りを待っている 朝が来て 夜が来て
断罪の音が木霊する 日々音が近づいてくる どこにいようとも 何をしようとも
迫り来る 祭壇への 道 生きること 鼓動が 導く 避けようのない 運命
心臓は高鳴る 警鐘のように
逃れることはできないからこその 運命 受け入れる気はない 別の運命をたぐり寄せようと手を伸ばす
火薬に火を点け 計画を粉々に砕く 燃え広がり 海の中に灰を蒔く
未来への標を失った 命の計画書は塵となる 何を望める 運命の音は木霊する
細胞が 共食いし 命を 食らう 身体が 身体を 貪り 食らう
破壊されてしまえば 消えてしまえば
破壊された溝を 埋めることはできない 困難な道 茨の導き 血を流して軌跡とする 運命の音が迫り来る 脳裏に浮かぶ祭壇 恐怖 震える手 未来のための標は 失われてしまった 命は彷徨う
どこにいようと安全な場所など無い 安らぎなど仮初めの姿
真実から目を背けたいだけ なくなることはない 遠ざかろうとすればするほどに 音は轟き 心臓を掴む
心臓が肺を囓る音がする 恐怖 細胞の痛みが奔る 絶望
警鐘が鳴り 断罪は 雷鳴に似て 思考は 混濁 喪失し 生命の 破壊
時は近い 運命は変えられないのか 遙か昔に決定されていたこと
狂うことができれば どれ程の 救いだろう 不安 恐れ 失望 痛み
全てが降り注ぐ 矢のように 裁きのように のたうち回り 足掻き 藻掻き 懸命に走る
それしかできない どんなことがあっても 自身が歩む道でしかない
全ては耐えられるからこそ 与えられてしまうもの 運命には 望みも 願いも 何ら関係がない 微動さえしない
太古の昔から脈々と流れてきた 巨大な奔流 都合よく 未来と名づけて 必死に生きることしか できない
彷徨い歩き 倒れた時 後ろで音がした 刃物が落ちた音 影の首を切る 崩れ落ちた
逃れれば救いと呼ぶのか 自分勝手―それでも 生きろというのか 葛藤も 矛盾も抱えて 醜い心さえ携え 夜明けの美しさを焼きつけて
不穏
砂漠から立ち上る蜃気楼 海に浮かぶ砂上の城
既に失われた楽園
人々は泥を財宝と錯覚して身につける
美しさを求めて泥を身体に塗りたくり穢す
愛というものは季節のようにすぐに移ろう幻
秋が訪れれば 葉が枯れゆくように 万物は逃れられない 太陽と月さえも支配されている
熱せば冷める水と同じ 酔えば醒める甘美な酒 死のような恍惚の眠りと失望した現実への目覚め 彼らは皆求めたがゆえに失った
強固な大理石に罅が入る 溶けるように風化していく 化石のような残骸が残る
硫酸に溶かされるかのように消えていく
永遠を望むということは時の移ろわない砂時計を望むことと同じこと
籠は骨でできている やがて塵となり 土に還る時の流れに 抱擁されている
海水を啜る者達は飢えに我慢ができなかったのだろう 心の欠乏に 自らが欠陥を抱えた存在であることを認められないがゆえに より渇くとも知らずに
飢え求めるからこそ 貧しくなる 覚悟していようとも 本能と欲望は抗えない 偽りを本物と気づかずに
ほくそ笑むだろう 欲する者達は煌めきに眼は眩んでいる 砂粒が宝石に見える
自らが富を得て 豊かに 幸せを身につけているのは 全ては錯覚でしかない
より得るために 偽りを求めて 自らが代償に支払うものは自らの命の欠片 刹那の幸福の感情と引き換えに���われていく
声が聞こえる ���なる砂上の王国だったと知る 愕然とする 人生は何だったのか 幻に踊らされていた 真実は常に痛みと共に襲い来る 恍惚は彼方に蜃気楼となる 幻 記憶は美化して輝かしくする 後悔が押し寄せる 人生の意味は失われた どのようにして取り戻せというのか 全てを奪われたと同時に 知った真実が 青空にすら星となって輝き消えない道を照らす
駒でしかなかったのか 運命という盤上の人形でしかなかったのだろうか
星は導いて満足したか 風は欺いて楽しんだか
闇さえも光の姿をして注いでいたのかもしれない
風を射抜いた旋律は 闇夜から零れ落ちた銀貨のように
命の目指す標
大洪水 無数の理由
無数の理由の柵(悪意 利己 執着)
混沌の渦に己の道を敷き秩序を描く
内なる音楽が消える時 引き寄せられる
記憶のない場所に 罪の意識と共に 自ら招いた意識の果て 無意識という 果ての無い宇宙 無音であり 万物の音よりも 雄弁に語る
契約という宇宙と星との密やかな画策
誰も知らない 己が契約書にサインをしたことを
気づきようがない 魂に封印されている
知らずとも 道を辿っている 未来と過去とが 出会う場所で 偶然に 必然を見出し 運命と名づけて 全てを背負って
宇宙はただなすがままに実行するだけであり 機械的であり 無常であり 非情ですらある この世界は自然的な法則で動いている
天に何を見出す
物事は淡々と生じ 粛々と過ぎる あるがままと言うか 自由と呼ぶのか
どこに自由がある 必然だらけの世界であり 星の配列により定められ 物事の数列により決められ 命はただ従い 抗い 藻掻くに過ぎない
逃れることはできない シナリオから 血管が証 血脈が奔り 施されている 心臓に託された運命の契約書
生者は 蘇る 第二の生へと
魂は目覚める時を待っている 蘇る瞬間の訪れを 心臓に閉ざされ 封じられ
生者は 蘇る 第二の生へと
欲望と混沌に見失う 広大な宇宙に彷徨い 見失った光 心臓が深淵に出会う時 時計は 針が 刻々と 時を刻む 時は動き出す 肉体の鼓動ではない 魂の表出 世界が孵化する瞬間 囚われた精神が光を見出し 頂よりも高く飛翔し 観念としての意味と価値を超越する 高潔と無垢との刃によって 柵と呪いは断たれる 命は鼓動し 星は光り 宇宙は万物を生み出し 破壊さえもする 混沌に 産声を 響かせ 奏で 紡ぐ 存在のために 精神は目覚める
幸福 安らぎ 存在理由 存在価値の全てが列なる 万物の意味 未来と過去の全ての暗号が解かれる
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keredomo · 1 year
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マティス、バッハ、フルニエ
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 連休前半を使った京都出張から戻って二日間の平日を働き、ゴールデン・ウィークの後半に突入した。初日には東京藝大の買上展と都美のマティス展をはしごすることが叶い、連休を充実させようという気力が湧いている自分に安心する。  先年に生じたあまりにも苦しい出来事の傷によって長いあいだ鬱状態に陥っていたが、親しい人々の助けと輸入したサプリメントの服用によって半年かけてなんとか回復したようだ。連休二日目の今日も、最近サードプレイスとして活用している大学図書館へのおでかけを実現した。あの頃のままの私だったら、昨日も今日もひたすらに酒を飲んで鬱々と自傷し、現実から解放されるために昏昏と眠り続けていただろう。そんな精神状態は、この五月晴れにはふさわしくない。
 マティス展は、客層の顔がやたらとよかったのが印象的だった。私は実はマティスをそれほど好きではなく、あの仕込んだようなおしゃれ感がどうにも苦手なのだが、それは私が野暮ったいからで、おしゃれな人はマティスのおしゃれに怯むことはないのである。マティス展の観客たちの多くは、かっこつけるという気恥ずかしさに怯むことなく自らのスタイルを行使していた。なかでも印象的だったのが初老の女性たちで、彼女たちはみな、白髪をぎゅっとポニーテールにしてデニムを身に纏い、高級なデザインの施されたシルクのスカーフを首元に巻き、慈しむような薄い微笑みを浮かべながらマティスの描いた絵をじっと眼差していた。
 マティスが切り絵で『ジャズ』を作った時期の作品たちを眺めていて、佐藤のことを思い出した。  佐藤とは、二〇代の前半から半ばにかけて関わっていた男だ。下の名前は知らない。たしか十以上歳上で、顔と体格が美しく、服のセンスがよく、言葉のセンスもよく、職業選択のセンスもよい男だった。佐藤は当時、高級で質の良いものを扱うセレクトショップの広報に就いていて、音楽喫茶に通うのを趣味としていた。聞き出してみると、どうも、縁ある女性と中央線沿いの無理のない駅に暮らしているらしかった。一緒に暮らす女性があるのに私にも手を出そうとする佐藤は社会的誠実さを欠いていたが、他者がもたらす偶然と知識とに貪欲だった当時の私にとってそれはどうでもよいことだった。他者が私を食おうとするとき、私は相手が食う以上を食う。それだけが信条で、その信条がゆえに私は自身が傷つくことにひたすら鈍感だった。傷ついた以上に得るものを得ていた、その好例が佐藤だ。
 佐藤は磨いてきた自分のセンスに自信を持っている男だった。私の、文化的に未熟ながらも野蛮にほとばしる文学的才覚に気づいて、その芽を育てることに夢中になっていた。自分が力を注いで洗練させた美しい趣味を私に授けることに喜びを見出しているようだった。実際に、佐藤はよい趣味をしていたと思う。  趣味のよいとされる音楽と趣味のよいとされる香水を、佐藤は私に叩き込んだ。音楽について、一つはグールドだった。当時の私は、グールドの名前すら知らないほど音楽に無知だった。今思うとあまりにも恥ずかしい無知だが、知的にある程度の分別がついてから初めてグールドを聴けたのはいい経験だったかもしれない。ピアノを習った経験からクラシック音楽を聴く習慣はあったが、プロコフィエフもブラームスも、グールドの演奏を聴くまでよいと思ったことはなかった。  グールドをひとしきり聴かせた後、佐藤はピエール・フルニエの演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲のCDを私に手渡した。フルニエのチェロが奏でるバッハは身悶えするほど素晴らしかった。初めて、バッハに神の幻影を見出す人間の気持ちがわかった気がした。演奏はきわめてポップなのだが、そのポピュラリティが一般的な人間と神とを接続する可能性を持っているような気がした。佐藤に渡された二枚組のCDの、アルバムカバーを飾っているのがマティスの切り絵だった。  フルニエの音楽は全くもってジャズではないので、そこにマティスが飾られている理由はいま見返してもよくわからない。フルニエの演奏するバッハとマティスの切り絵は、かけ離れた存在同士であるように、一瞬思った。が、確かめるために改めてフルニエのバッハを聴くと、そこにマティス的な抑制を感じなくもないのだった。
 マティスの絵画やデッサンは、音楽的と称されるごとく、自由でのびやかな筆致でなされているように、一見するとみえる。しかしそこには恐ろしいほどの抑制が働いている。心のままにあと数センチ伸ばしたかった筆を、ぐっと堪えることでしか完成し得ない画面が、そのタブローの内側に見える。マティスの忍耐をタブローが受け入れ、見事な画面を成立させていることが、その絵をよくよく見ると伝わってくる。  フルニエのチェロもそうだ。「この音を伸ばしたい」と、きっと誰もが思う瞬間に音を切っている。まだ響き続け得る音を、指ではっきりと止めているのだ。マティス展に飾られた夥しい作品を眺めてからフルニエを聴き直すと、そういうことが新たに見えてくる。  佐藤というのは、おそらく偽名だったのだろう。日本における最も一般的な名字を名乗って、自分というものを晒さず、匿名性のもとで私をどうにかした男だったのだろう。それを為すモチベーションがまったくわからなくて、意味不明な存在である佐藤のことを、私はこれからも時々思い出しながら暮らすのだろう。
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