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#旧華頂宮邸
ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)弐
    通巻第7741号
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
  日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓である 
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孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、日本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。
 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてなし、膨大な土産を持たせた。
 競うように新羅からも使節が太宰府へ入り、最初、大和朝廷は朝貢と受け取って歓待した。文書や使節の態度から判断しても、明らかに朝貢だった。日本の宿敵の国がころりと態度を変えて来日するのだから裏にナニカアルに違いない。
 実態は朝貢を装い日本の防衛体制を観察し、また大和王朝の政治空気を把握することにあった。情報収集である。
 新羅は次第に図に乗って官位の低い大使を派遣するようになった。態度も横柄、傍若無人の無礼を極めるようになったため新羅使は太宰府で留め置かれ追い返された。
新羅の態度が横柄尊大になった背景には唐が乱れ、安禄山が叛乱をおこし、国土は荒廃し、新羅に対しての軍事的な脅威にはならなかったからだ。大和朝廷はこの情報を三年ほど知らなかった。ということは新羅使は安禄山の乱を知っていながら大和朝廷には意図的につたえず日本の反応を確かめに来た可能性がある。日本のこうした情報戦の失態はいまと変わらない。つまり韓国の対日外交激変は裏にナニカアルのだ。
 天智天皇の御代、白村江の闘いで唐の海軍に敗れ、2100名の百済高官が日本に亡命した。天智天皇は水城と防塁、城を構築し、防人を強化したばかりか、各地22ヶ所に築城 防衛力を拡充し、新羅の侵攻に備えた。
 ところが、新羅は逆に日本が攻めてくると防衛態勢を急ぎ、「ご機嫌取り」のため「朝貢」を装い屡々来日した。
 天平宝字二年九月十八日に渤海使の小野朝臣田守らが帰朝し、渤海大使の輔国大将軍・行木ら二十三名を随行した。日本海側に帰着したので越前に滞在し、疫病感染の有無を調べるためニケ月を過ごす。
 帰国十日後に小野田守に従五位上を授け、ほかの随行員六十六人にも位階を授けた。 同年十二月十日、すなわち帰国から七十日後に小野朝臣田守は安禄山の謀反を伝えた。安禄山の挙兵は755年のことだから、なんと三年間、大和朝廷は唐の政変を知らなかったのである。
 ▲安禄山の乱が日本政治にいかなる変化をもたらしたか
 小野田守は次のように上奏した。
 天平勝宝七年の十一月九日に御史太夫兼氾陽節度使の安禄山が蹶起し、自らを大燕聖武皇帝と名乗り、邸宅を潜龍宮と名付けた上、年号を聖武と改元した。安禄山は二十万の兵力を率いて忽ち洛陽を落とした。翌六月に玄宗皇帝は難を避けるために蜀の成都(現在の四川省)へ避難した。
渤海に援軍要請があり、騎兵四万をもって賊徒を平定されたしと懇請された。渤海からだと安禄山の後方を攪乱できる。しかし渤海王は派兵要請を疑い、派兵を見送った。途中から安禄山の反乱に加わったのが史思明だ。だから「安史の乱」とも言う。
 玄宗側の反撃準備が整い、ようやく官軍が乱を平定し、玄宗は長安に戻った。逃亡途中では随行した兵隊たちに不穏の空気が流れたため玄宗は愛妃楊貴妃の自裁を認めざるを得ず、長安に復帰しても嘗ての政治力は失われていた。側近は朝衡(阿部仲麻呂の中国名)だった。
 
 かく上奏した小野田守とて、まだ安禄山が部下に殺害されたという情報を知らなかった。渤海もその後の情報を隠匿したわけではなく長安に派遣した情報員が戻らず実情をつかんでいなかった。
 唐土の異変を知った大和朝廷は太宰府に勅して「安禄山は凶暴なる胡人(ソグド人だが、当時は「胡」と称した)、狡猾である。天命に背いた反乱は必ず失敗するが、寧ろ海東へ兵を進める華もしれず、この緊迫状況を太宰府はよく理解し、たとえ安禄山が来航せずとも防衛を怠るな」とした。
 怡土城築城を任された吉備真備は工事に力を入れ、また京では渤海使の歓待宴が続いた。淳仁天皇はかれらに位階をあたえ、藤原仲麻呂は自邸で宴を催し、賑やかにもてなしたうえ夥しい土産を持たせた。
 この時に大和朝廷を支配した空気は唐が衰弱し、渤海が北から協力して新羅を挟み撃ち出来ないか、今こそチャンスではないかということだった。これは当時権力の頂点にいた藤原仲麻呂の情勢認識に欠陥があったということである。 
 
 ▲むしろ韓国がなぜ外交舵取りを変えたかの背景に謎がある。
 北朝鮮内部で何かが起きている。あるいは静かに秘密裏に中国が北への態度をかえたことを韓国が気づいた。米国からも精度高い情報を得て、日本とは修好する時期だとの判断があった。また従来の反日路線は、北朝鮮が情報操作していた。
 さて岸田首相の訪韓である。
 5月7日、アフリカ四カ国歴訪を終えて帰国したばかりの岸田首相はソウルへ飛んだ。
 ソウルの大統領府で 尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談し、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」の訴訟問題など日韓両国の課題に向き合い、関係改善を加速させる方針で一致した。
首相は会談で元徴用工問題に関し、「厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と述べた。
 日本がこれまでの態度を軟化させたのは財産請求権である。
 1965年の日韓請求権協定で「完全に解決済み」とされたが、つねに韓国が蒸し返してきた。
ところが尹政権となって提示してきた徴用工訴訟問題の解決策で突然活路が開けた。岸田首相は「おわび」「反省」は口にせず、尹大統領も謝罪を求めることはしなかった。
 外務省幹部は「大きな前進。文在寅(ムン・ジェイン)政権では実現しなかっただろう」とする。
韓国大統領は「共通の利益」のために歴史問題と切り離して協力を進めるべきだと言い切った。
(資料編に続く。10分後に配信します)
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goofyfotter · 3 years
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geniusbeach · 5 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請���してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置��、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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oniwastagram · 5 years
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\📢秋の庭園公開情報:今週末!/ 毎年春秋恒例、鎌倉市の『秋の施設公開』が今週末10/5[土]、6[日]に開催されます。 写真の左上から『旧和辻邸』、#吉田五十八 建築『吉屋信子記念館』、鎌倉三大洋館の一つ『旧華頂宮邸』。その他大佛次郎茶亭🍵が対象。 詳しくは鎌倉市のサイトの「広報かまくら」より。 🔗https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kouhou/kamakura/19/t190915-8.html これまでは鎌倉市のサイトが詳しかったけど、この春にサイトがリニューアルしたみたいで観光部門が分割されたようなのだけど―― この施設公開の情報、自治体のサイトには載ってるけど観光情報の方にはまだ載ってないのでちょっと情報が曖昧ではある。 けどこれまでと同じならば『旧華頂宮邸』では普段非公開の茶室・和風庭園が見られるはず! そして扇湖山荘は例年と同じならばこのタイミングではなく11月に入ってから。でも鎌倉市のサイトだと未定ってなってるんだよな…先日の台風被害も気になる🌀どうなるだろう。 ・・・・・・・・ おにわさんでは鎌倉市の庭園を20件掲載しています。特別公開される周辺の庭園もこちらからチェック! 〜〜〜〜〜〜〜〜 ⛳️おにわさん 鎌倉市の庭園一覧: https://oniwa.garden/category/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E5%BA%AD%E5%9C%92/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E3%81%AE%E5%BA%AD%E5%9C%92/%E9%8E%8C%E5%80%89%E3%81%AE%E5%BA%AD%E5%9C%92/ ーーーーーーーー #日本庭園 #庭園 #garden #japanesegarden #kamakuragarden #鎌倉 #鎌倉市 #kamakura #神奈川 #神奈川県 #kanagawa #特別公開 #限定公開 #おにわさん (鎌倉) https://www.instagram.com/p/B3JwrisATfX/?igshid=7ztuyw3du7w8
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smooths-megumi · 6 years
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秋の特別公開、旧華頂宮邸に来てます。 谷戸らしい緑に囲まれた美しい洋館です。窓枠とか暖炉とか照明とか壁紙とかいいわ~✨ 洋館好きにはたまらんです。 住んだら色々出そうだし😅 一日中掃除機かけてないと掃除終わらなそうだし、光熱費半端なさそう…等々住むことを真剣に考えちゃいましたwww 夏とか住んでみたいな~。 #旧華頂宮邸 #かまくら #鎌倉 #kamakura # 建物探訪 #洋館 #洋館めぐり #天気良くて良かった #お庭もいいわ #秋の特別公開 #洋館って維持費かかりそう (旧華頂宮邸) https://www.instagram.com/p/Bok0eDLHyqQ/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=y0m4pvuvy4d0
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oniwastagram · 4 years
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📸青蓮院庭園(青蓮院門跡) [ 京都市東山区 ] Yoshida Sanso Garden, Kyoto の写真・記事を更新しました。 ーー室町時代に #相阿弥 が作庭した庭園に、 #小堀遠州 や七代目 #小川治兵衛 が手を加えた池泉回遊式庭園。国指定史跡。 . 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/shorenin-temple-garden-%e9%9d%92%e8%93%ae%e9%99%a2%e5%ba%ad%e5%9c%92%ef%bc%88%e9%9d%92%e8%93%ae%e9%99%a2%e9%96%80%e8%b7%a1%ef%bc%89/ ・・・・・・・・ 青蓮院門跡は平安時代末期より代々親王・法親王を門主(住職)に迎えた皇室ゆかりの門跡寺院。 江戸時代には後桜町上皇の仮御所にもなり“粟田御所”とも称されます。「青蓮院旧仮御所」として #国指定史跡 。また『大原三千院』、『妙法院門跡』とともに比叡山延暦寺の三門跡にも並び称される格式高い寺院。 . この6月に昼間では3年半ぶりに拝観!境内には室町時代に相阿弥によって作庭された池泉庭園“相阿弥の庭”(現在の姿は明治時代に #七代目小川治兵衛 により改修されたもの)、小堀遠州作庭の“霧島の庭”、遠州流の #大森有斐 の庭があります。 名勝指定は受けてないけど、くすんだ青い池が特徴的な名園だと思う! . お寺のルーツは最澄が比叡山延暦寺を建立するにあたり山内に造った“青蓮坊”。 鳥羽法皇の頃に京都に移され、それ以来“門跡寺院”として明治時代まで至りました。現在のご住職・東伏見慈晃さんは父が先日紹介した旧東伏見宮邸『吉田山荘』で過ごした #東伏見慈洽 。 . なお大きな宸殿や狩野派によって描かれた襖絵🖼の美しい小御所など建物も風格あるものが多いのですが、伽藍は明治26年の火災🧯以降に再建されたものも多いそう。 #後桜町上皇 が御学問所とした“好文亭”も平成5年に焼失🔥しており、現在の建物は平成7年に再建された建築。あと小御所の前には豊臣秀吉の寄進とされる“一文字型手水鉢”があります。 . 青蓮院庭園は池泉式の“相阿弥の庭”、小堀遠州の“霧島の庭”、好文亭前の“大森有斐の庭”、そして宸殿前の苔庭(これも相阿弥作?)の主に4つのエリアから構成されます。例年、秋には紅葉ライトアップも。 あと受付前に現代に作庭された枯山水庭園や本堂裏に“西方浄土”を表した石庭もあるのですが、枚数多くなったのでカット…。 . ■相阿弥の庭 本堂や華頂殿から眺められる主庭。『銀閣寺庭園』や青蓮院の近くでは『長楽寺庭園』などを作庭している相阿弥によって室町時代に手掛けられたものーーですが、江戸時代に一度改修を経て、更に明治26年の火災後に七代目小川治兵衛(植治)により改修されたのが現在の姿。 . 室町時代からあったとされる“龍心池”を中心とし、粟田山の斜面を利用した回遊式庭園。 . ■霧島の庭 小堀遠州作庭と伝わる苔庭。その名の通りキリシマツツジが多く植えられています。次回は5月初旬に見に来てみよう。 頭上には一面のモミジ。秋には一面の紅葉が見られそう🍁 . ■宸殿前庭 東福門院の旧殿を移したという宸殿の前には一面の苔庭があります。江戸時代に仮御所になった時代に京都御所に倣って植えられた「右近の橘、左近の桜」が植えられています🌸 またこの宸殿前のもの含め、青蓮院に5本あるクスノキの大木🌲は“青蓮院のクスノキ”として京都市登録天然記念物。これは親鸞聖人により手植えされたとも伝わり樹齢800年以上の歴史を持ちます。 . その他数多くの国指定重要文化財を所蔵し、国宝の“青不動明王”は飛地境内の「将軍塚青龍殿」に安置。 また華頂殿の襖絵は現代京都の作家・木村英輝さんによる作品。『建仁寺霊源院』や、青蓮院の近くでは『京都トラベラーズ・イン』でもその作品が見られます。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #kyotogarden #gardenstagram #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #landscapedesign #japanesearchitecture #japanarchitecture ‪#庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都 #京都市 #kyoto #koborienshu #ogawajihei #おにわさん #oniwasan (青蓮院) https://www.instagram.com/p/CB03UUtBpX-/?igshid=tbjgzpcyhj6u
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oniwastagram · 5 years
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 神奈川県鎌倉市 ] 鎌倉文学館庭園 Kamakura Museum of Literature's Garden, Kamakura, Kanagawa の写真・記事を更新しました。 ――湘南の海🌊の眺望も美しい #旧前田侯爵家 の別邸として建てられた鎌倉三大洋館の庭園。バラ園は鎌倉随一の #バラの名所 。 ・・・・・・・・ 現在「鎌倉文学館」として開かれているこの洋館は #加賀藩主 だった #旧前田侯爵家別邸 として昭和初期に建てられたもので、#国登録有形文化財 。 「旧華頂宮邸」などと共に #鎌倉三大洋館 🕌の一つと称されています。 昭和の終わりに鎌倉ゆかりの文学者の原稿・手紙・愛用品などの史料を収集保存、展示するための博物館としてオープン。 庭園内にあるバラ園🌹は鎌倉のバラの名所として知られ、毎年5月〜6月にかけて『バラまつり』が開催されています。 2019年はちょうど本日からバラまつり🥀がスタート!公式サイトによると現在の開花状況は4割程度とのこと。 鎌倉大仏の「高徳院」や「長谷寺」からは徒歩10分ほど。 鎌倉文学館の入場門前に #長楽寺跡 の石碑が建っていますが、鎌倉時代には北条政子が夫であった鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の菩提を弔う為に創建された「長楽寺」があった場所を明治時代に前田家が取得。 昭和の後期に前田家の17代目当主 #前田利建 氏によりこの別邸を含む一帯が鎌倉市に寄贈されたのを機に「鎌倉文学館」として開館。 相模湾も見下ろせる高台に建つ独特なデザインの本館はハーフティンバーとスパニッシュを基調とした洋風と切妻屋根などの和風が混在したもの。 鎌倉の別荘建築には古民家+洋風といった手法も見受けられるけど、この建築も建物内は和の温かみも残されています。また公式SNSのアイコンになっているステンドグラス🧫も美しかったのだけど、洋館内は撮影禁止…!撮りたかったなあ… そして本館の前には広大な庭園が広がります。日本庭園というよりは洋式庭園。 中でも正門・副門寄りにある「バラ園」は約200種ものバラが楽しめる、鎌倉のバラの名所として有名。バラの見頃となる5〜6月や秋には「バラまつり」等のイベントが行われています。 そしてバラ園もだけど洋館前の刈込みも今の時期はまたよりきれいなのだろうなあ。 入館料もさほど高くないので、文学に興味がなくて植物・庭園や建物が好きな人でも楽しめる空間。次回はまた別の季節に訪れてみよう! 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/kamakura-literature-museum-garden-%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%A4%A8/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #洋式庭園 #洋風庭園 #garden #japanesegarden #kamakuragarden #鎌倉 #鎌倉市 #kamakura #鎌倉山 #kamakurayama #神奈川 #神奈川県 #kanagawa #文学館 #museum #museumofliterature #おにわさん‬ (鎌倉文学館) https://www.instagram.com/p/BxSLXBHAr9i/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=ml5inuvn0sxc
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oniwastagram · 5 years
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\📣春の庭園特別公開情報:今週末!/ 鎌倉市の『春の施設公開』が今週末4/6(土)7(日)に行われます。 「竹の寺」🎋で有名な報国寺の近くにある洋館『旧華頂宮邸』(写真)は普段見られる庭園だけでなく、洋館内と茶室🍵を特別公開! その他には旧川喜多邸別邸(旧和辻哲郎邸)の公開なども。 詳細は鎌倉市のサイトをチェック。 ⇨https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kamakura-kankou/event/04sisetukoukai.html 写真は昨年訪れた際もの。その時の記事はこちら⇩ ・・・・・ ⛳️旧華頂宮邸庭園 Kyu-Kachonomiya House Garden, Kamakura, Kanagawa https://oniwa.garden/kyu-kachonomiya-house-garden-%E6%97%A7%E8%8F%AF%E9%A0%82%E5%AE%AE%E9%82%B8%E5%BA%AD%E5%9C%92/ 明日は平塚へ行く予定なのでその前に鎌倉行くか絶賛迷い中🤯 ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #garden #japanesegarden #japanesegardens #kamakuragarden #鎌倉 #鎌倉市 #kamakura #神奈川 #神奈川県 #kanagawa #洋館 #おにわさん (旧華頂宮邸) https://www.instagram.com/p/Bv3mPd_FxHW/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1nzj5pn99d1ob
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