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#柴犬ひまわり
hellorejoice · 2 months
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We took a walk together.
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parakavka · 2 months
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(1) 柴犬ラッテ on X: "ひまわりなラッちゃん🌻 https://t.co/Qz9fANqRxK" / X
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elle-p · 3 months
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Otomedia February 2016. Don't repost without permission
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●第4章2016年1月23日より新宿バルト9、梅田ブルク7ほかにて全国ロードショー/2016年1月20日第3章Blu-ray、DVD発売
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
HP   http://www.p3m.jp
STAFF   原作/「ペルソナ3」 (アトラス)、脚本/熊谷 純、スーパーバイザー/岸 誠二、キャラクターデザイン/渡部圭祐、ぺルソナデザイン/秋 恭摩、プロップデザイン/常木志伸、色彩設定/合田沙織、美術監督/谷岡善王 (美峰)、美術設定/青 木薫 (美峰)、コンポジット&ビジュアルディレクター/高津純平、編集/櫻井 崇、音楽/目黒将司・小林哲也、音響監督/飯田里樹、第4章監督/田口智久、制作/A-1Pictures
CAST   結城理/石田 彰、岳羽ゆかり/豊口めぐみ、伊織順平/鳥海浩輔、桐条美鶴/田中理恵、真田明彦/緑川 光、山岸風花/能登麻美子、アイギス/坂本真綾、天田乾/緒方恵美、イゴール/田の中勇 (特別出演)、エリザベス/沢城みゆき   ほか
◀スイートピーの花言葉は「優しい思い出」。滅びの運命の中、理は“奇跡”を掴むことができるのか⋯⋯?
ゆ う き まこと
結城 理
声/石田 彰
4月に月光館学園に転入した2年生。類まれなるぺルソナ能力を持ち、「特別課外活動部 (S.E.E.S.)」のリーダーを務める。
バレンタイン ホワイトデー
ペルソナ使いのV&W予想
チョコをもらっても、ホワイトデ一は全無視しそう (笑)、周囲に「あんだけもらっといて返さないのかよ!」と怒られて、しぶしぶコンビニとかで気を使ってない感じのお返しを買ってそう。(田口監督)
▶両親を失った幼い日の事故の様子が明らかに!?
夜の女神が微笑む甘くほろ苦いV&Wの運命
思わぬ人物から滅びの運命を突き付けられた理。下した決断は―。全4章にわたる超大作がついに終幕!第3章での理&綾時の様子を見ていると、今作での関係の変化が気になるところですが⋯⋯?「理と綾時の関係は、一言では表せないですね。友達以上ではあると思うのですけど、親友ともちょっと違うし、兄弟とも言えない。アイギスも理にとって重要なポジションにいますが、それでもこの二人の間には入っていけないんです。関係は変わってしまいますが、お互いがどんな立場でも、強い絆で繋がっている気がします」と語るのは最終章を担う田口智久監督。しかし滅びの時が刻一刻と迫るなか、理たちのバレンタインはどうなっちゃうの!?
▲見所のひとつはコロマル(のプリケツ)!「今作中唯一の癒しポイント!」と太鼓判です
●作画/山田裕子   仕上げ/合田沙織
真冬のラブFIRE!!
LOVE
❤️💙💛本命男子サーチ&バレンタイン💚💜🩷
◀自らの正体を知り、理に重大な決断を迫る
も ち づ き りょう じ
望月綾時
声/石田 彰
理たちのクラスに転入してきた謎の少年。明るく朗らかな性格で、何かと理に接し、交友を深めていくか⋯⋯。
ペルソナ使いのV&W予想
女好きが浸透してしまって、意外ともらってなさそう。というより、むしろ配ってそうですね!気の利く男です (笑)。ホワイトデーは大盤振る舞いで、大量のお返しを用意してそう。(田口監督)
S.E.E.S.のV&W予想
本命大量!?
さ な だ あ き ひ こ
真田明彦
声/緑川 光
月光館学園の3年生。2年前からシャドウ討伐隊として活動している。トレーニングを欠かさないストイックな人物。
本命チョコをたくさんもらうのに、行事に疎くてなんでチョコをもらえるのかわかってなさそう⋯⋯。(田口監督)
お返しは手作りで
あ ら が き し ん じ ろ う
荒垣真次郎
声/中井和哉
月光館学園の3年生で、真田の幼馴染。S.E.E.S.の一員だったが、ストレガとの戦いのなかで命を落とした。
寮の女子たちすら、渡すのをためらいそう (笑)。ただ、もらったら手作りのお返しをくれそうですね。(田口監督)
見栄っ張り侍
い お りじゅんべい
伊織順平
声/鳥海浩輔
月光館学園の2年生で理のクラスメイト。時折悪のりもするが、気のいいS.E.E.S.のムードメーカー的な存在。
義理チョコ多そうですね!ホワイトデ一はもらった以上の数のお返しを用意して、見栄を張ってそうです。(田口監督)
律儀な紳士
あ ま だ け ん
天田 乾
声/緒方恵美
月光館学園初等部の5年生。S.E.E.S.最年少のためか、少し��伸びをして大人っぽく振る舞おうとする一面も。
本命多そうですね。お返しはきっちり準備して、周囲に「まだ用意してないんですか?」って言いそう (笑)。(田口監督)
みんなのアイドル
コロマル
長鳴神社の“忠犬”として話題の柴犬。長らく野良犬だったが、ペルソナ能力を覚醒させS.E.E.S.の一員となる。
街を歩くだけで、いろんな人から犬用のおやつとかもらいそうですね!ホワイトデーももらってそう。(田口監督)
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lllusioninthehead · 5 months
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2024/4/30
抗がん剤治療のために2週間母が入院する。これが決定したのが10日ほど前。そしてこの日が入院日。
ほぼほぼ余命宣告されている身として、どのような気持ちで生きているのか心情を慮ることが難しい。
とはいえ、全人類いつか死ぬという宣告はされてるわけで、その間に成長して学んで社会に貢献して誰かに何かしらのバトンを渡して死ぬ。
つまり色々と忙しくてあまり死ぬことについて考えない。母もとりあえず入院やら治療やらがあるのであまり考えないのかもしれない。
やることがなくなったときに一気にとんでもない不安や孤独が襲ってきそうだけど、たまにそれは俺もある。好奇心が枯れるまでは死にたくないので。
町田の隅っこで母と柴犬がひとまとめで実家で暮らしている。そこから母が抜けるわけで、誰が柴犬の世話をするのか。自分しかいない。
というわけで実家に2週間くらいいる。
別居婚なのか、これは。
朝から母に言われたとおりに誰に感謝されるわけでもないのに外猫に餌をやり、それに不満げな柴犬にギョニソを焼いてあげ(ムスケくれて食べないけど)、観葉植物に水をあげ、冷蔵庫にある食材で傷んでいるものを捨てて、なるべく食材を消費するように冷凍されていたアジを焼いて朝食を食べた。
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洗濯をしたが、雨予報なのを忘れていた。
風呂場にしか干す場所はなく、浴室乾燥はなく、母は晴れてるときにしか洗濯をしなかったのかと思う。十数年前までは一緒に暮らしていたが母が担当していた家事については、つまり家や家族を維持するためのものには無頓着だったのがよく分かる。
扇風機を洗濯物に当てて、まぁこれでなんとかなるかと。
犬の散歩をして、これは健康になってしまうかもしれないと思いながら仕事のために出かける。
家から駅までやたら遠い。
イレギュラーが多いほうが頭は若くいられるそうだが、2週間。まぁ、仕方ないか。
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rhgdi · 4 months
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与論島行ってきた中
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鹿児島空港出発前のソワソワわたし(きばいもんそ)
与論空港、かなりちいさめ
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島はどこかしこざわわで
第一島民は下校中の小学生で
ひたすら海は青くて涙でそうになった
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望遠鏡で沖縄本島を凝視する私
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そして「めがね」で使われた三輪車
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島はなぜか猫がたくさんいた
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ボーーっと、海見てたら
おじいに絡まれ小舟でウミガメウォッチン
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これウミガメね
逃げ足が速い
帰ってきてホームシック黒豆柴(いとこ宅に預けられてた)
迎えに行った時は久々すぎて恥ずかしいのか
うれしそうにはするけども全然絡みにきてくれなかった、、かわいい‼️
小さい人間みたいな反応‼️
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犬(ちいさないのち)かわいすぎ
夢みてるのか寝ながら走るし、おもちゃ振り回すし
散歩中突然歩くのやめるし
使ってるピンクの毛布私のお下がりだし
咀嚼音までかわいい
dogだいすき
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m12gatsu · 2 years
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ひとやものごと
1弦切れて薬指切った。破傷風が怖いから石鹸で手を洗った。外で猫が「に」に濁点つけて鳴いている。人に貸した文庫本にレシートが挟まってたらしくて恥ずかしかった。福岡のタリーズの、柴崎友香のビリジアンに。脚を引きずっている老犬に、飼い主が歩調を合わせていた。テニスコートの横のイチョウが鮮やかな黄色に色づいていた。茶色いかまきりと緑のかまきりを同じ日に見た。
栃木へ嫁いだT澤が突然平日の東京へやってきて俺とT橋を誘って飲もうというから、嫌な予感すると思ったら旦那が不倫っていうかパパ活? してたらしい。男はみんなちんこで思考しているのか? と訊かれたので、そうだ、と男性を代表して回答した。20代でパパ活ってのも笑わせるが、体のいい援交ないし売春だよな。不倫っていうかパパ活っていうか援交っていうか売春だよな。マッチングアプリでセフレ漁りの延長で結ぼれた男と結婚したT澤に対して、学生時代のバイト先の男と結婚したT橋が、「まぁ元々そういう出会い方だしな」といった。それは自由恋愛で結婚した者の特権意識にうぬぼれているよ、と俺はいった。しかし、俺も自由恋愛という言葉を使ったけれども、マッチングアプリだって自由恋愛じゃんね、別にね。いみじくも、5人に1人がマッチングアプリで出会うというニュースが流れていた。帰りの電車で、マスクをしていない絶世の美人が、檸檬堂ホームランの350ml缶にストローさして飲んでいるのに見惚れていたらいつのまにか意識が途切れて、終点で駅員に肩を叩かれて気がついた。終電は既になく、タクシー乗り場に並ぶ人の列の最後尾に並んだ。葬列みたいだと思った。家まで4,000円もかかった。
なんだか懐かしい人間と飲む機会に立て続けに恵まれて、幼馴染のRと、成人式ぶりにOとMとも会った。一浪して赤門で物理学を修めたOは、いまは東海地方で研究だか製作だかをやって金属を加工しているらしい。浮世離れした風体で、画面がバキバキに割れたiPhone 6sをケースにも入れずに使っていて笑ってしまった。Mはニューヨークはブルックリンのスシ・バーで働きながら、貧民窟同然のアパートの半地下で暮らし、フリーランスで注文された絵を描いたり、小説を書いたりしているらしい。いまは1ヶ月ほど休暇を取って一時的に帰��していて、残り半月は東アジアを巡るといっていた。近所で銃撃事件があったとか、周りはヤク中だらけだとか、ギャングスタラップそのままの世界で生きていることを、妙に明るく話すものだから、悲惨な話をきいているはずなのにみんなげらげら笑っていた。Mは成人式の後、『こころ』の先生の遺書ばりに分厚い封筒に入った恋文を寄越してきた。俺は返事も書かなかった。その話は一切しなかった。
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crispy-moratta · 6 months
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誰のものでもないわたしのルーティン_02
ルーティンというのは 「ある決まった動作」 のことであると仮定して、その定義をもう少し深めていこうと思う。たとえばこの定義を最も大きなスケールで捉えると 「生活」 が当てはまりそうだが、この生活というのはどうもルーティンという感じがない。これはおそらく、ある決まった動作としての純度が低いからである。いくら生活が繰り返すものだといってもその日々にはばらつきがあり、すくなくとも防衛大学の寮生などのそのくらいの水準で生活しない限りは、自らの暮らしを一定の動作にまで昇華することはそもそも不可能だろう。つまりルーティンとはある程度高い再現性をもって行われる必要がある気がする。とすればもうひとつの条件として外的要因の少なさということが考えられる。外的要因はルーティンにおいて再現性をジャミングである()だがらルーティンの最中には組み込まれにくいが、唯一それがトリガーとして使われるのは想像できると思う。たとえば(空想上のルーティンだが) 雨が降ったら窓を開ける、や柴犬にあったら一度振り返る。などあっても不思議ではない。きっかけとしてであれば外的要因(不確定要素)もルーティンになるか。
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shibatoraneko · 2 years
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2月が終わり3月の始まり🐾
2月は1ヶ月におよぶ個展を開くことができ、充実したひと月でした!
片付けなど、一段落ついたところです。感想ノートには沢山のご感想をお寄せいただき、ありがとうございます!
柴トラ夏子個展 「#柴犬とトラネコ Remember Me」
改めて、ありがとうございました❗️ 🐕🐈
↓個展特設サイトでは引き続き柴犬とトラネコ関連の記事を掲載予定です!↓
個展 柴犬とトラネコ Remember Me (tumblr.com)
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kanoko9648 · 2 years
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黒柴のカフェちゃんに会ったのだ! 遠近法で大きく見えるけど、かのこよりひとまわり小さくてカワイイのだ❤️ #若松町公園 #黒柴カフェちゃん #気持ちいい秋晴れ #黒柴かのこ #かのこ #しばいぬ #しばすたぐらむ #柴犬大好き #柴犬ライフ #柴犬 #柴犬がいる生活 #黒柴 #shibainu — view on Instagram https://ift.tt/pDEj07i
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kennak · 2 years
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で��しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやも��とずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上���妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている��味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も���たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかも���ンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレス���なり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震���体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生��評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪���ます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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oogomasainu · 2 years
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リリース
3/18
昨日、配信だけではあるけど、ank2年ぶりの新譜をリリースしました。 いつもCDでリリースした時にはセルフライナーを歌詞カードにかいているのだけど、今回はそれができないのでここにかきます。こんな日記を見てくれている人へのささやかな感謝です。(歌詞カードにかくものより、推敲もしないし、結構個人的な感じになってしまうかもしれません...!) 長いです!ヒマなとき読んでください!
1.かわいいおれたち
自分に宛てた手紙、というか、これからの人生生きていくうえで、迷ったりした時に帰って来ることのできる考えが、最近ようやくこれだ!って感じでまとまったので、曲にした。 なんのために生きているんだろう。生きるって色々あるけど、働くこと、音楽を聴くこと、うまいもん食うこと、友達と遊ぶこと。その他諸々。 それらはなんのため?楽しく生きるため?じゃあ、なんのために楽しく生きるんだろう。だって、楽しいってその時だけだし、感覚も人によるし、死んじゃったら覚えてないもん。意味ないのかなあ。
他の人の役に立ったり、何か後世に残る言葉やアイデア、仕事や曲を残すため?うーん。じゃあ、どんなに世の中に知れ渡ったことでも、それを知らない人にとっては意味ないのかなあ。自分が楽しかったことも、誰かに知られていなかったり、自分が死んだ後残ってないと意味ないのかなあ。
結論、自分が考える限り、意味はないッス!!!うん。意味ないです。 この意味っていうことの主語を、誰にとってかを考えることがこの曲でいちばん伝えたいことです。結局、自分以外には、自分の人生に意味を見出せる人はいないと思う。
話変わるけど、柴犬って超かわいいじゃん。でも、こんなに人間みたいに悩んだりケンカしたり、それこそ誰かに存在の照明!とか、アイデンティティ!とか、何か残そう!とかしないじゃん。でも多分、柴犬には柴犬なりのプライドとか、女の子の犬に惚れちゃったとか、不安とか心配事があって、ほら、よくSNSとかのほっこり動画とかで犬が画面上のライオンを怖がって不安がってるやつとかあんじゃん。 そういうの見てると、「そんなこと不安に思わなくても大丈夫だよ」的な意味でかわいいじゃん。そんなことに不安がってるの、おれら人間からしたら、意味ないじゃん。 でもその柴犬的にはその不安も、おいしいエサも、ご主人との思い出も、全部が本気で、死ぬときにはその思い出だけを持っていると思うのだよね。
多分、人間も、もっと高度な生物がいたとして、そこから見たらおれらから見た柴犬みたいにかわいく見えたりしてんのかな〜とか思ったら、なんかいろいろあるごちゃごちゃした争いも、それぞれの哲学も、仕事もバンドも、何もかも意味はないんじゃないかって思うの。 意味はないけど、だから完全に自由で、どう生きたいか考えたら、おれは自分と、自分の周りにいる友達や、これから出会う自分の好きな人たちと、毎日できるだけがんばって、思い出をつくるために生きていきたいと思ったから、それを頑張って曲にしました。
あの〜、言ってることよくわかんないよね!よくわかんなくてもいいよ!全然!考えが違っても全然いい!でももしいつかこの考え方がフィットしたら、一緒にうたってください!
2.F.A.D
大好きなメロディックの曲。 コロナ渦のライブハウス、色々制限があって、その状況を肯定するしかないし、精一杯楽しむつもりでライブやってたけど、やっぱりおれはフロアもみんなでうたってさわいでっていう光景や遊び方が大好きです。 3年間くらいずっと我慢してたメロディックへのうずうずした気持ちと、憧れと、未来への想像を、ank史上いちばんのめちゃめちゃメロディックな曲にしてカチ込みたいと思って作りました。ファストアンドドラマチックでF.A.Dって、粋じゃない!?笑 大好きな音楽と、大好きな場所と、そのおかげで出会えたすべてへの曲だあ!
3.You&I
コロナ渦の最初、いちばんステイホームとかんなってたときに、つくりたくなって、3人でスタジオ入って一発で録った曲。それ以来合わせてもなかったんだけど、ずーっとメンバーみんなの頭の中にこの曲が残り続けてて、今回録ろうってなった。めちゃくちゃ良くない!?笑 かいたきっかけはコロナだったけど、どんなときにでも当てはまるんじゃないかな。会えないことを嘆くより、あなたが生きてる、生かしてくれてるこの世界を愛そう!なんてデカいこと言って無理矢理肯定してみても、結局会いたいんだよ!
長くなってすみません!今日はひとりで音楽でも聴いて寝るとします!!
おわり
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parakavka · 6 months
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きまぐれひまわり on X: "なにこの寝方、可愛すぎる。 #しばいぬ #柴犬 #あんよ揃ってる #肉球サービス https://t.co/qxdRuEyv0Q" / X
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elle-p · 9 months
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P3 Club Book Koromaru short story scan and transcription.
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虎狼��の優雅な一日
初夏の爽やかな日差しが心地よい日曜日。今日もなかなかの散歩日和だ。少し早めに出かけて、少し寄り道をするのもいいかもしれない。明確な言葉によるものではないが、だいたいそんなことを考えつつ、その柴犬は神社の石畳から身を起こして軽くあくびをした。
犬の名はコロマル。正式には虎狼丸と書くのだが、本人 (本犬?) は字が読めないので、とくにその違いにこだわりはない。彼がこだわっているのは、毎日の散歩。先日、彼の飼い主である神社の神主が事故で亡くなって以来、新しく神社の主となった人間は、最低限必要な食事は出してくれるものの、散歩に連れて行ったり頭をなでてくれたりはしない。コロマル自身、前の飼い主だけが唯一の主人であると思っており、もし新たな神主が散歩に連れて行こうとしたとしても、以前のルートを変えるなど考えもつかないことだった。なので、今日もコロマルは散歩に行く。まず、長鳴神社からムーンライトブリッジを超えてポートアイランドの駅前まで。その後、再びブリッジから蔵戸台方面に戻り、町をぐるりと巡ってから神社に戻る。これが、毎日の長い散歩のロードマップ。
「わん!」
人間の言葉に直せば、さあ行くか、といった感じだろうか。コロマルは一声鳴くと、いつもののんびりとしたペースで歩き出した。
「あ、コロ助、おはよ!」
ふと、かけられた声に、コロマルは面倒くさそうに顔を向ける。それは、三つ編みの髪を頭の両側でお団子にした、小学生くらいの女の子。いつも、夕方ごろに神社で遊んでいる子だ。
実を言うと、コロマルはこの子が少し苦手だった。嫌いなわけではないのだが、ややコロマルを構いすぎる傾向にあるのだ。大人と比べて体温が高い子供が、気温が高い日にむしゃぶりつくように抱きしめてくることを想像してほしい。毛皮に覆われたコロマルの苦労は、その想像の軽く上をいくものだ。ただし、慈悲深いコロマルは、そんな女の子も無下には扱わない。この子がわりと苦労人であることを、コロマルは知っているのだ。そうしょっちゅうではないが、この子の両親は酷いケンカをするらしく、夕刻の神社で悲しみをこらえるようにコロマルに抱きついてくることがある。群れで暮らす犬族は、それこそ家族や仲間は命に等しい。それが仲良く暮らせない悲しみは、いかほどのものだろうか?そう思うと、コロマルは多少うっとうしくても、彼女に優しくせずにはいられないのである。
「あ、もう時間だ。ごめんねコロ���ゃん、舞子もう行かなきゃ。あーあ、塾面倒くさいなあ」
そう言って、彼女はコロマルの頭をひとなですると、廠戸台商店街方面へと歩み去った。うん、これぐらいのスキンシップが、コロマルにとってはちょうどいい。少し気分を良くして、コロマルも再び歩み始めたのだった。
潮の香りがする中、コロマルはムーンライトブリッジをてくてく進む。人間は、ここを観光地とかいう扱いでありがたがって見に来るらしいのだが、コロマルにとっては散歩ルート中もっとも退屈な行程である。というのも、橋の手すりが高すぎて、コロマルの体高では絶景と噂の風景も見えないからだ。しかも、やたらとたくさんの自動車が前から後ろから突っ走ってきて、危ないわ埃っぽいわ、嫌な油臭い空気を吐き出すわで不愉快ですらある。
であるからして、コロマルはこの場所を無心で歩く。なるべく潮の匂いにだけ集中し、遠くに見えるポロニアンモールの丸いドームを目指してずんずん歩く。時おり、ランニング中の人間が立ち止まって手を伸ばしてきたりするが、それも可能な限り無視してひたすら前へ。
しかし、それでも2度呼ばれると、つい立ち止まってしまう。コロマルが行ってやらないと、呼んだ人間は時々えらく傷ついた顔をすることがあるのだ。人間を傷つけることは、コロマルの本意ではない。なので、コロマルはあくまで “仕方なく” 人間に思うさま頭をなでさせる。コロマルはそういう自分の性格を時おり誇らしくすら思っているが、じつはなでられている間、ついつい尻尾を振ってしまっていることには気づいていない。コロマルはそんな犬だった。
「あれー、コロちゃん?こんなとこまでお散歩に来てるの?」
「あ、ホントだ。健脚だね〜」
ポロニアンモールに来たところで、厳戸台あたりでよく見る女子高校生に出会った。いつもの制服姿ではなく私服姿。セミロングの髪の子は、ピンクのタンクトップにデニムのジーンズ、ショートの髪の小さい子の方は、水色のワンピースを着ている。もっとも、犬であるコロマルにとって、服の違いは別にどうでもいいのだが。
このふたりは、けっこうコロマルのお気に入りである。水色ワンピースの子は、動物の扱い方を心得ているのか、コロマルが気持ちいい場所を的確になでてくれる。タンクトップの子は、なでかたこそ普通だが、あまりベタベタしようとしない点で好感が持てる。コロマルに触りたいという気持ちは、たくさん伝わってくるので、むしろもっと触ってくれてもいいのに、と思うことすらある。もし犬の言葉がわかる人がいれば、遠慮しないでいいよと言ってあげたいほどだ。まあ、そうそう都合のいいことはないと、犬ながらに買いコロマルはそう思う。
「あ、コロちゃん、こういうの食べるか��?」
そう言って、水色ワンピースの子が手に提げていた袋から何かを取り出す。赤いビニールに包まれた、棒状の何か。漂ってくるかすかな匂いに、ある期待を抱き、思わずコロマルの尾がぶんぶんと大振りになった。
「あれ?ソーセージじゃん。どーしたの?」
「え?あ、た、たまには自分で料理しようかと思って······さっきデパートで、ちょっと」
「ふーん、風花も料理したりするんだ」
「ま、まあね。あはははは」
ワンピースの子は何か焦った様子だが、すでにコロマルは、想像の中に広がるソーセージの味で心が一杯になっている。ワンピースの子は、そんなコロマルの期待に応えるように、できるだけ意いでビニールをむいてくれた。
「はい、どうぞ」
「わん!」
礼を言うのもそこそこに、コロマルはソーセージにかぶりついた。そういえば、朝食をとってから��っこうな時間が過ぎている。ちょうどいいタイミングの思わぬ幸運に、コロマルの心にじんわり幸せが広がっていく。やはり、何かを食べているときが、いちばん幸せだ。それがとくに、好きな人が手ずから食べさせてくれるとあれば、それ以上何を望むことがあろうか。
欠片ひとつ残さずにコロマルはソーセージをたいらげ、もう一度「わん」と礼を言う。
「どういたしまして」
とワンピースの子が答え、買い物の続きがあるからと、コロマルをひとなでしてどこかの店へと向かってふたりは歩き出した。ごくまれにだが、このようにコロマルの意思が、人間に通じているように思えることがある。それは単なる錯覚や勘違いかもしれないが、それもまたコロマルに満足感を与えることのひとつなのだ。
ともあれ、コロマルは今日彼女たちに会えた幸運に感謝しつつ、散歩の続きを楽しむことにした。いずれ、コロマルは先ほどの想像どおり彼の言葉を理解できる存在と出会い、この日もっとも幸運だったことは、ワンピースの子がくれた食物が “調理前” だったことにあったのだと知るのだが、それはまた別の話である。
散歩の折り返し点、ポートアイランド駅に着いたときには、太陽は南天を過ぎ、もっとも暑い時間帯を迎えていた。駅そばにあるオープンテラスのカフェは、日曜ということもあって満員。いつもなら、ここで小腹が空くタイミングとなるために、カフェの客に愛想を振りまいたりすることもあるのだが、今日はもらったソーセージのおかげでその必要もない。
とりあえず、涼しい日陰でも探そうかとコロマルが駅前広場を見回したとき、ぞわり、と背中の毛 が逆立つような感覚がした。無意識に、尻尾が丸くなって足の間に挟みこまれる。コロマルは、その感覚に覚えがあった。
--いた。
花塩そばのベンチに座った、白いドレスの少女。手には大きめのスケッチブックを持ち、空ろな目でしばし前を見つめては、手元に目線を��して右手を動かす。その作業を、少女はひたすら続けている。
コロマルは、あまりこの少女に近づいたことがない。別に危害を加えられた訳ではない。ただ、以前1度だけ、少女の前方にいたときにじっとあの目で見つめられた。それだけだ。その目が、コロマルは今も怖くて仕方がない。
言葉を持たないコロマルは、その印象をうまくまとめることはできないが、あえて説明するとしたら、それは生き物としてはありえないほどの、虚無に満ちた視線だった。コロマルの目からは、少女は既に死者に等しく見えた。
だが、そんな少女が。
「······おいで」
なんと、コロマルを認めて声をかけてきたのである。一瞬のためらいののちに、コロマルは少女のほうへと近寄った。丸めた尻尾は、気力を振り絞って常態に戻している。少女に対しておびえを見せることが、何となく申し訳なく思えたからだ。それがなぜかは、わからない。
コロマルが近寄ると、少女は手に持ったスケッチブックを数枚めくり、やがてコロマルにひとつの絵を示した。強弱が定まらない輪郭線、不安定な色彩。正直、犬であるコロマルに絵の良し悪しはわかりはしないのだが、その絵からは何か圧倒されるものが伝わってきた。それは、この世のすべての生き物が恐れるべく定められた、“死” そのもののイメージだった。
「······これ、お前よ」
その言葉に、コロマルは首をかしげて再び絵を見る。よくわからない。だが、コロマルの生き物としての鋭敏な感覚が、その絵にこめられた別のイメージを感じ取った。
これは、憧れ?
紙の上にすみずみまで満ち溢れる、死というマイナスイメージの中、ほんのかすかに匂う生への憧れというプラス。それはまるで、地平線まで広がる黒々とした底なし沼の真ん中から、すがるように空に向かって伸ばされた白い手。
「普通は······誰かに見せたりしないけど······お前は、勝手にモデルにしたから、一応······」
目を合わせず、言い訳するように少女は呟き、そそくさとスケッチブックを畳んでしまう。
「く~ん」
と、コロマルは、甘えるように鼻を鳴らす。少女に付きまとう、得体の知れない死のイメージは微塵も薄れてはいないが、それでも小さな小さな助けを呼ぶような気配が気になった。だが、少女にはそんな想いは通じず--。
小さな体に不釣合いな大きさのスケッチブックを抱え、少女は無言で立ち去ってしまった。
自分には、あの虚無から彼女を助けることはできない。それを本能的に知覚し、コロマルは少し悲しくなる。そしてコロマルは気づく。
--誰かを守れる力が欲しい。
そんな想いが、自分でも意外なほどに、強く強く満ち溢れていることに。それは、愛する主人を突然の事故で亡くして以来、自分の気づかない場所で、静かにっていた火だった。
それから、コロマルは沈んだ気分を晴らすように、ポートアイランド駅近辺をたっぷり散策した。今日はなかなか面白い人間が多く、���に吠えたり呻ったりもしていないのに「ちょっと!アタシは犬って苦手なのよ!犬は悪い人がわかるって言うし、アタシなんか噛まれるに違いないんだからね!しっし!訴えて慰謝料とるわよっ!」と叫ぶ中年男にじゃれ付いたり、なにやら月高の女生徒を付け回す同じく月高の男子生徒を、真似して尾行してみたりした。そして、ほんの少し気持ちが復活したところで、コロマルはポートアイランドをあとにして、行きと同じ道を辿って帰路に着く。
ポロニアンモールで立ち話をする主婦の、買い物袋から漂う匂いの誘惑に打ち勝ち、相変わらず埃っぽくて油臭いムーンライトブリッジをずんずん進み、ほんのちょっと厳戸台駅前に寄り道をする。これもいつものルート。
このあたりに来ると、昼が長い夏とは言え、すっかり日は傾きかけていた。駅前商店街に多数存在する食べ物屋からは、それぞれに違ったいい匂いが漂ってくる。とくに気になるのが、香ばしく焦げたソースの匂い。前に1度だけ食べたことがある、たこ焼きの匂いである。
ちょっとした気まぐれで、店主が散歩中のコロマルに投げてよこしたたこ焼きは、今までに経験のない美味だった。
「ホンマは犬猫にタコやイカはあかんのやけどな。ウチのはほら、タコ入ってへんから」
店主はそんなことを言っていたが、コロマルにとってはどうでもいいことである。ただ、もう1度だけ店主が気まぐれを起こしてくれないかと、このあたりで足を止める癖がついてしまったのが、我ながら情けない。
空腹をこらえながら、コロマルは商店街を進む。今日はあいにく、コロマルに食べ物を恵んでくれる気になる人間はいないようだ。いつも新しい神主が提供してくれる食事は、コロマルにとってはやや物足りない分量である。今日はちょっと疲れたので、もしかするとあれでは足りないかもしれない。今夜は、空腹をこらえて寝るしかないかと、コロマルが覚悟したとき。
「よう、コロちゃんじゃねえか」
後ろからかかる声。
大きく尻尾を振って、コロマルは声の主のもとに走り寄った。亡くなった主人を除けば、おそらくコロマルがもっとも大好きな人間だ。
「ほら、焦るなって」
そういって、その人は懐から容器を取り出し、地面に置いて開けてくれる。中身は何か肉を煮込んだもの。巌戸台商店街やポートアイランドでよく見かけるその人は、いつの頃からか、定期的にコロマルに食べ物を持ってきてくれるようになっていた。口調は乱暴だが、優しい人だ。
「よし、いいぜ。食えよ」
いつものことだが、コロマルは律儀に一声吠えて礼をいい、それから出された食事を食べ始める。あまり味を気にしないコロマルだが、その肉は絶品だった。濃すぎない味付け、適度な歯ごたえ、神社で出されるドッグフードとは雲泥の差である。食べながらコロマルは思う。色々あったが、今日は総じていい日だった。明日もいい日になるだろうか?
どちらにせよ、コロマルは毎日を精一杯生きるだけだし、日課の散歩も変わらないだろう。手が届く範囲の幸せ、それを守ることがコロマルの重要事であり、それは確かに、生き物すべての真理なのである。
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ophelia333k · 2 years
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2023.03.09 現状報告、ばかりが眩しく
 日記。というよりも現状報告。
 そもそも、前回ここで日記を書いたのは2月5日だった。ちょうど、一か月くらい前。
 この一か月間は鬱っぽくて、あまり精神がよくなかったので、まとまった文章もあまり書いていない。昨日から、少し精神がよくなり、こうして文章を書いている。一週間くらい前、最悪な感情の日があって、「これから自分はもう何をすることもできず、何も書かず何も生み出さず、ただ摩耗して終わる」という思いに囚われたり、何も分からなくなって睡眠薬で意識レベルを下げ続けたりしていたけれど、何とかなった。もしかしたら、春になって気温が上がったことも関連しているのかもしれない。
 無理やり気力を出すために、刃頭の「野良犬」、漢a.k.a.GAMIの「紫煙」、大森靖子の「SHINPIN」を聴いている。最近のだとZORNも聴いている。ヒップホップは生き伸ばすための音楽という感じがする。大森靖子は、聴いていてときどき泣いてしまうけど、どうしてなのか分からない。
 あと、久しぶりに小説を書いている。まだ4000字程度の。いずれ賞に応募するとかそういうことを考えたこともあるけれど、たぶん数か月以内に出る同人誌に寄稿することに��ると思う。
 読書について言えば、ここ最近読み終わった本はブコウスキーの『パルプ』と、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。遠野遥の『破局』と『改良』も読んだ。意外によかったのが、高橋源一郎と柴田元幸の『小説の読み方、書き方、訳し方』という対談本で、高橋源一郎と柴田元幸のそれぞれの、海外小説30冊と日本の小説30冊がリスト化されて載っているので、(特に現代文学~ポストモダン文学)の小説を読むマップとしてはかなり参考になる。
 日比野コレコの『ビューティフルからビューティフルへ』も、感想を書いたりしたのだけど、インターネット上に公開するタイミングを逃してしまい、メモ帳の海に沈んでいる。文藝賞受賞作で言えば、安堂ホセの『ジャクソンひとり』についても書きたいことがいくらかある。
 その他、読んでいる本は以下の通り。
 
 綿矢りさ『ひらいて』
 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』
 高橋源一郎『君が代は千代に八千代に』
 鈴木涼美『グレイスレス』
 ブコウスキー『町でいちばんの美女』
 バーセルミ『雪白姫』
 安部公房『内なる辺境/都市への回帰』
 安部公房『カンガルー・ノート』
 バクシーシ山下『セックス障害者たち』
 木村敏『分裂症と他者』
 竹井俊哉『統合失調症』
 ハンナ・アーレント『人間の条件』
 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
 郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』
 郡司ペギオ幸夫『天然知能』
 近藤和敬『ドゥルーズのガタリの『哲学とは何か』を精読する』
 松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』
 竹村和子『フェミニズム』
 チャールズ・テイラー"Politics of Recognition"
 Gille Geleuze"Présentation de Sacher-Masoch : le froid et le cruel"
 Gille deleuze"Différence et répétition"
 
 他にもあるような気はするけれど、何も分からない。どう考えても、3、4冊に絞って読んだ方がいいのに、気がついたらこういうことになっている。人生自体もいつもそんな感じかもしれない。何もかもをやろうとして、何一つとして手につかない。
 今、一時的に居住させてもらっているシェアハウスの住人が、自分が飲んでいる抗うつ薬のことを「ガイジ薬」と呼んでいて笑ってしまった。あと、ドイツ軍がフランスを攻めた際に覚醒剤を使用していたから眠ることなく進軍することができた、という話をされたときに、日本のヒロポン(メタンフェタミン)のことを紹介していたら、「ヒロポン」という名前が「ヒロヒト」から取られたと考えたらしくて、「ヒロヒトか?」と言っていた。
 
 ここ一か月くらいの記憶がほとんどないけれど、雪が降って積もっていたあの日ばかりが眩しい。
 自分自身の躁と鬱ということに関して言うと、鬱っぽいときは「すべてが終了した地点」みたいなところから、すべてをどうにもならない過去として眺めているような身体感覚があって、躁っぽいときには、「いまこの現在」だけがそこに存在しているというような時間の感覚があるような気がする。
 飲むヨーグルトが腐らないように、冷蔵庫の中の飲むヨーグルトを飲む。
 ヨーグルトが腐っているところを想像したくはないから。
 
 最近は、不可思議wonderboysおよび相対性理論「バーモント・キス」で歌われる意味での「世界征服」をやめないことと、穂村弘の言う「非在のものへの憧れ」としての愛の希求と、アンドレ・ブルトンの「痙攣的なもの」としての美について、のその自分の中でのゆるやかな接続について考えながらずっと清掃のバイトをしている。浴槽を拭く、浴槽を拭く、ベッドについた誰かの経血は観念よりも具体的なものとして。夏の果てについて想像する。そして、バイトが終わった時にはすべて忘れている。忘れていることも忘れていく。
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yotchan-blog · 4 months
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2024/6/4 12:59:09現在のニュース
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inutoneko17 · 4 months
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9:50:30
ご飯を食べ終わるまで「消えた初恋」を観ててまめきち?が可愛くて「飼うなら柴犬やな!」って言うたら「ポメラニアンでしょ」ってまた好きなものが合わなかった日。好きな食べ物も季節も好きな犬種も合わへんのに!「なんでこんなに合わへんのに好きなんやろ?」「愛があるからだよ」。納得して照れました。にやける。カカオの写真はイヌだらけで癒しです。彼とすると決めていたオーバークック。この間の休みの日の一人オーバークックは二人でする以上の楽しさが生まれへんと思ってやめたから、今日めちゃくちゃ楽しみにしとってて!ケビンから練習してて、ようやく慣れてきた!って頃に1-4ステージ行って練習してたんやけど途中で消火栓の愛をもらいました。小麦粉よりも重い愛。エンドレスで見れる。
ほんでどうにもこうにも昨日は眠たい日で二人でちょっと休憩しようかーってなって横になったらあかん寝落ちしてまう!って思って。さな今日、恋人に好きって言うてへんかも?って寝ぼけながら彼を起こさないように小声で「大好きやでー」って言って寝落ちしました。好きな人に好きやでって伝えられる関係でいられるのすごく幸せ。聞こえてへんと思っとったのに聞こえてたみたいで恥ずかしい。朝が得意な彼は寝起きはめちゃくちゃ良くて「俺、昨日全然愛を伝えられてない!」って後悔してたのめちゃくちゃ可愛かった。その日に好きやなって思った気持ちも大事やし、思ったら伝えてほしいなって思うけど眠たいときは寝てええんやで。その分、別の日にたくさん受け止めるから、聞かせてね?さなも昨日は自分の気持ちを伝えるのが足りひんかったから、また土曜日に伝えさせてください。昨日も今日も明日も大好きです。
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