#桜華忠臣
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yaoi-instigator · 1 year ago
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art dump i've been using a diff brush and it changed my life + watered my crops + dissected my aorta
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kornblume814 · 2 years ago
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medickalmalpractice · 2 years ago
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴��実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」���慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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oborochou · 6 years ago
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空賊さん(@sora_konpasu)のご依頼で#コンパスのファンアートでのTwitterのhdとアイコンを描かせていただきました。
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yahiworks · 6 years ago
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Fanart of Ouka Tadaomi from the mobile game, NND #COMPASS
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plusmass · 8 years ago
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同盟締結~忠臣もグスタフも頭悪かったら編~
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amiens2014 · 3 years ago
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桜井神社/福岡県糸島市【神社】見どころ満載の『嵐』ファンの聖地
桜井神社とは 桜井神社(さくらいじんじゃ)は福岡県糸島市志摩桜井(ふくおかけんいとしまししまさくらい)にある神社だ。 福岡藩二代藩主黒田忠之により1632年に創建された。 祭神は、神直日神(かむなおひのかみ)・大直日神(おおなおひのかみ)・八十枉津日神(やそまがつひのかみ) 当社ご創建の基は、慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現されました。それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は家臣を二回に渡り遣わして問われるに、その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、益々ご神威に感謝され、寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建され、現在もその当時の姿を留め本殿・拝殿・楼門は福岡県の重要文化財に指定されております。 櫻井神社 of…
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amazingentities · 5 years ago
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2020/6/27
㊗トマス実装1周年
追記はデザイン考えてた時の話
めちゃくちゃ長いので暇で興味あったら見てね程度
・序
デザインコンテスト2nd、すでに2年も前であることが信じられないくらいよく覚えています。
応募のきっかけも、言い方はおかしいですが固定仲間にそそのかされて、という感じでした。
「固定しようぜ、何使う?」「自分でデザインしたキャラ使うわw」的な会話ができたら面白いなという具合だった気がします。
始めこそはこんな軽い調子のノリでしたが、デザインをするということになれば話は別です。少なからず絵を描いている身ですし、本腰を入れて考え始めました。まだ7月頃だった気がします。
私は趣味で一次創作をやってはおりますが、自分のキャラクターの好みがあまり万人受けするものではない自覚がありました。
したがって、「己の趣味を詰め込んだキャラクター」の実装を目指す浪漫より、「前提として実装されるキャラクター」を想定して考えていくことにしました。
・方向性の決定
当時、実装済みヒーローの内訳で、最も少ないロールはいわずもがなタンクでした。
その頃に実装されたモノクマはいますが、オリジナルヒーローとしてのタンクはヴィオレッタ以降増えていない状態でした。
そのため、タンクの応募数がかなり多かったことを覚えています。
実際、最終選考へのノミネートも半数近くがタンクでした。
私も例に漏れず、その頃よくジャンヌを使用していたのもあり、タンクでの応募は決定事項でした。
また、個人的にですが、コンパスのタンクはタンクしてないなという感覚がありました。
私の中でタンクとは「味方を守るもの」であって、自分が生き残るだけのものではありませんでした。
それ故に、今回デザインするキャラクターは「味方を守るタンク」をコンセプトにしたものになりました。
・タンクとしての特色
これでキャラクターの方向性は決まりました。
次に考えたのは、仮の性能です。もし実装が確定した場合、それが変更されることも視野にいれていました。
(前回のデザインコンテストでも、実装された性能は変更されていましたし、ゲーム制作の素人が考えたものよりも現場の製作陣が調整したものの方がよいというのは当たり前だからです)
キャラクターの性能、特色はそのキャラクター性を如実に表す重要なものです。
味方を守るコンセプトに則ったアビリティのイメージは、いくつかありました。
例えば、まず浮かんだのは、「一定範囲内の敵からのターゲットを強制的に自分に引き寄せる���です。
これならば手っ取り早く味方を守ることができるかと思っていました。
が、当時はタンクの生存能力よりドアを持たないいわゆる徒歩タンクというものが今よりも嫌われていた節があり、結局は前線に出られないと活躍できなさそうだと思い直し没としました。
徒歩が許される=1陣2陣を触っても勝ちへ持って行ける=後方にいてもHSが有用
この思考から、原案イラストに書かれているような「遠隔で味方のダメージを肩代わりするHS」への発想へと繋がっていきました。
実際は変更されましたが、「ダメージの肩代わり」という最重要点を汲んでいただけているため、問題ありません。
むしろ、HAでの肩代わりは強すぎると思ってHSにした節があったため、打ち合わせでHAへの変更を提案していただけたのはとてもありがたかったものです。
これで仮の性能、タンクとしての特色が「ダメージを肩代わりし、味方を守る」になりました。
・キャラクター性
ここから、キャラクターとしての設定を固める方へシフトします。
ゲームの1タイトル内で最も避けるべきなのは、「キャラ被り」です。
コンパスは各キャラクターが異なる世界観を持って作られているため、属性を非常に幅広くカバーしている印象があります。
そこで、ざっくりと当時実装されていたオリジナルヒーローの外見年齢と性別を分類してみました。(☆あくまで個人的な印象です!!!)
・男性(子供)……十文字 アタリ/ニコラ テスラ/かけだし勇者
・男性(10~20代)……桜華 忠臣/マルコス’55/アダム=ユーリエフ
・男性(大人)……ジャスティス ハンコック/グスタフ ハイドリヒ
・男性(高齢)……ルチアーノ
・女性(子供)……魔法少女リリカ/コクリコット ブランシュ/Voidoll/メグメグ
・女性(10~20代)……双挽 乃保/ジャンヌ ダルク/深川 まとい
・女性(大人)……ヴィオレッタ ノワール/マリア=S=レオンブルク
・女性(高齢)……おりゃん
(繰り返しますが、実際の年齢ではなく個人的に感じる印象です)
こう見ると、低年齢層へキャラクターが集中していることがわかります。
従って、ここで狙うべきは人数の少ない高齢層キャラクターということになります。
突き詰めるのであれば、高齢女性キャラクターを考えるべきなのですが、個人的に「味方のダメージを肩代わりする」ために女性に痛い思いを押しつけるという構図があまり好ましいものに感じられず、男性高齢キャラクターを想定することになりました。
(男性であれば痛い思いをしてもよいというわけではなく、守る存在はどちらかと言えば男性かなという感覚です)
これで、考えるキャラクターは「ダメージを肩代わりし、味方を守る高齢男性」となりました。
・肉付け
このキャラクター性が決定してから、しばらくはぐるぐると思考する日々でした。
この性能を持つに値する説得力があり、キャッチ��でわかりやすい設定。
そもそも、私がコンパスにおいて最もアクティブユーザーが多いであろう年齢層とはズレているため、どういったキャラクターがウケるのか掴みかねているところがありました。
この時点で高齢男性を選択していたので、頭の片隅では(まぁウケないだろうなぁ)という考えも芽生えていました。
(ルチアーノがウケている事実があるのですがね!)
また、こういった設定でも既存のキャラクターとの被りを避けなければならなかったので、この肉付けには時間を要しました。
その頃、生放送でポロロッチョの情報が公開され、オネエキャラクターを製作していた他の応募者の方々が阿鼻叫喚していたこともよく覚えています。
高齢男性で、「#コンパス」の世界へやってくる理由のつけられる設定という角度から考えたとき、初めに浮かんだのは「旅行好きのおじいさん」でした。
イメージとしては、長い外套を羽織った英国紳士です。このイメージは現在の姿にも大きく影響を残しています。
キャラクター設定を考えながらラフを切っているとき、このイメージの方向性ではシルエットがかなりスレンダーになることに悩んでいました。
遠近感のある立体フィールド上で、特徴のないシルエットというのは好ましくありません。
(シルエット問題については桜華忠臣の製作インタビュー記事が非常に参考になるかと思います)→該当記事
男性タンクキャラクターの面々を見れば、その体格や装飾品によって大きなシルエットを持ち、タンクとしての迫力を保っています。
また、女性タンクキャラクターは、本人はスレンダーでも大きなアイテムを所持することでそのシルエットを大きく見せています。
ここで私が参考にしたのが、ヴィオレッタです。
彼女は彼女自身はシンプルなデザインでありますが、大きなオルガンを引き連れることで非常に大きな印象を与えています。
つまり、ジャステイスやグスタフのように体格を大きくしなくとも、キャラクターとは別にアイテムを引き連れることでシルエットを増強することができるということです。
この考えに至った頃、同時に私が中学生くらいの頃、どんなキャラクターが流行ったかなというのを思い出していました。
女性の間でよく話題に上がっていた印象の漫画に、「黒執事」がありました。
そうだなぁ執事ならどの世代層にもウケそうだなぁ肩代わりして誰かを守るというのも旅好きの紳士より執事の方が設定のかみ合わせがいいなぁ……それなら持ち運ぶのは給仕ワゴンかなぁ……
……と、いう流れで「老執事タンク」の外枠が確定し、外套だったものはスーツになり、外部アイテムとして給仕ワゴンを引き連れた初期案ができあがりました。
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最初の頃のラフ(モロに給仕台だったときの画像は紛失。この頃はまだ武器も剣だった)
前述の通り「実際に実装される」ことを前提に考えていたので、この時点では深い設定は全くありません。
単に「味方を守る老執事キャラクター」というだけであり、誰に仕えているとか、何故#コンパスの世界で戦うのか、そういったものは何も想定されていませんでした。
・細かいデザインの意図
☆トランク
給仕ワゴンを引き連れた老執事という設定は、少々の齟齬を発生させました。
「この人給仕ワゴン外に持ってくんの?」
室内で使ってください。
そうした都合で給仕ワゴンは荷物を運ぶトランクとなりました。
執事になるよりも前の段階でイメージする国籍はイギリスになっていたので、妖精とか魔法とか、そういった類のものを利用してトランクには自走式になってもらいました。
中身がなんなのかは私も知りません。
☆髪
髪が長いのは、シンプルな服装故の揺れ物の少なさをカバーするためのデザインです。
(揺れ物……操作したときに慣性によって動くパーツ。これがあると操作していて気持ちよく感じられます。例えばリリカのツインテールやグスタフの垂れ下がった管など)
本来であれば髪の色も気にしたかったのですが、画面描写技術の向上や老人というキャラクター性を鑑みて、シルバーでも許容されるだろうと考えました。
少し昔のゲームなどでは、キャラクターをパッと見て見分けやすくするために髪色が被らないようなデザインをしています。
シルバーの髪色は#コンパスにおいてはアダムという既存キャラクターと被ってしまいます。が、現在のスマホゲーの画面ではそこまで強烈に忌避するべき項目ではないなと判断しました。
☆武器
武器もまた、各キャラクターのイメージに沿うものであり、被りはできるだけ避けたいものです。
これまでの既存キャラクターがまだ持っておらず、且つキャラクターのイメージを補強する武器として、細剣、レイピアを採用しました。
あまり大仰ではなくスマートで、すばやい動きで攻撃する���メージは、出来る執事によく似合うのではないかと思いました。
☆カラー
トランクの色が青と赤なのは言わずもがなチームカラーを意識しています。
あまり目立ちませんが、ベストと宝石の色を緑とし、トランクと合わせて3属性の色を揃えたつもりです。
☆名前
「Thomas」は、様々な地域で使われる一般的な男性名です。
イギリスを意識していたので、英語読みの「トマス」としています。
よくいじられているのを見ますが、「トーマス」はこの「Thomas」のドイツ語読みであるので、特に間違いではありません。
実は名前を考えるのがあまり得意ではなく、かなり初期に仮に置いていたこの名前を結局変更することなく持って行くことにしました。
Thomasは名にも姓にもなる言葉であります。
Thomasは双子という意味を持ちます。
・ある程度のバックストーリー
#コンパスのキャラクターの魅力の一つに、そのバックグラウンドストーリーがあります。
具体的に描写されなくともそこにある情報から様々な背景の考察が、プレイヤーの間で活発に行われていることを知っています。
それ故に、一切合切設定はありません!ではお話になりません。
なのである程度、ぼんやりと、もし本当に実装されるのであれば必要な最低限の設定を、と考えました。
私は「破天荒で先走りがちなお嬢様に振り回される老執事」の構図が大好きです。
大好きなので、もうそれでいいか!となりました。
つまり、「お屋敷から脱走したお嬢様を#コンパスの世界にまで探しにやってきた」というものです。
実際、運営様方との打ち合わせの際も、このくらいのお話をいたしました。
結果としてお嬢様の方までデザインされて帰って来たのは予想外で、非常に驚いたことを覚えています。
逆に言えば、私が伝えたキャラクター設定はそれだけですので、それより先の設定は運営側へお任せした分が追加されている可能性があるのです。私も考察する側なのです。
事実、現在私にはこのキャラクターが自分のキャラクターであるという感覚はほとんどありません。
決定的にそう感じたのは、シークレットパーティーの告知にて、サックスを持ったデフォルメイラストが他ヒーローと並べられていたのを見たときです。
そうして既存のキャラクターたちと肩を並べ、そこにいるというのが、「ああこの人は#コンパスのキャラクターの一人になれたんだな」と感じさせてくれました。
私の手元を離れて一作品の中で息をしているというのが、とても嬉しく思えます。
これから#コンパスが続く限り、活躍してほしいなぁという気持ちでいっぱいです。
・おまけの話
「老執事」というキャラクター性(属性?)は比較的抽象的でありがちなもののため、「似ているキャラクター」というのは指摘されるだろうなあと思っていました。
いくつか自分でも予測はしていたのですが、よくあがっていた名前は割と最近の作品で、そういう面からこのゲームのプレイヤー層の若さを実感してしまいました。
センス的な部分でも、ギリギリの戦いだったのかなぁと思います。
実際、最終ノミネート作品群を見て、これがプレイヤー投票決戦ではなく運営側の判定で決定していたら、「トマス」は選ばれていなかったと思っています。
・終わりに
長々と稚拙な文を書きましたが、この一連の事柄において各方面に感謝してもしきれません。
これらのことを経験の一つとし、精進していきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
2020/06/27 山下和真(AmazingEntities)
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yaoi-instigator · 2 years ago
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cps art log but it gets progressively older and less accurate
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shirotasworks · 5 years ago
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桜華忠臣 / #コンパス
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2ttf · 13 years ago
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xf-2 · 6 years ago
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またもや中国で日本人がスパイとして捕まった。しかも大学教授、研究者だ。
 中国が反スパイ法を根拠に拘束した日本人13人のほとんどが、たいして機密とも思えない“情報”を盗んだとして逮捕、9人が起訴され8人が判決を受け、その中には12年もの懲役刑を受けた人もいる。今回、14人目の逮捕者が出た。しかも国立大学教授、准公務員が捕まったのは初めてである。
 おりしも日本では天皇陛下の即位礼に中国の王岐山氏が賓客に招かれていた。来年(2020年)春の“桜の咲くころ”、習近平国家主席を国賓として招くことが決定している。安倍晋三首相は日中関係は完全に正常な軌道に戻ったと昨年秋の訪中時に発表し、中国の国家戦略“一帯一路”への支持も鮮明にしている
 だが、日本人が不当にスパイ容疑をかけられ、尖閣諸島接続水域に中国海警船が日常的に侵入している状況が、果たして���中関係の「正常な軌道」なのだろうか。
どんな情報に触れたのか��
 今回捕まったのは北海道大学法学部教授。9月に中国を訪問して以降、消息を絶っていた。
 防衛相防衛研究所戦史研究センターや外務省大臣官房国際文化協力室の主任研究官、外務事務管の勤務がある40歳代の男性で、専門は日中戦争史だった。かつて中国の治安機関史に関する論文を執筆したこともあるという。日本のメディア関係者によれば、今回の訪中は社会科学院の招待を受けていたという話があり、そのついでに研究のための資料集めやフィールドワークも行ったのかもしれない。帰りの空港で逮捕されたという。
 ネット上の公開情報によれば、教授は公募の研究予算をとって2018年から2021年までの期間で、日中戦争の再検討、というテーマの研究に従事していた。研究手法は、各国の文書館や図書館所蔵の多言語アーカイブを利用するものという。北海道大学は中国との研究機関や研究者との交流も深く、未公開の歴史的資料を閲覧したりする機会もあったかもしれない。
古い未公開の戦争資料の中には共産党の秘密文書扱いのものもあるかもしれない。だが、中国には実際は「秘密」「機密」扱いとされ、絶対タブーとされていても、まったく国家の安全と無縁のものも、あるいは関係者、研究者なら常識と言っていいほど知られていることも山ほどある。
 例えば共産党史の抗日英雄譚「老狼山五壮士」の捏造問題。老狼山五壮士とは、中国の小学校国語教科書にも載っていたことがある共産党抗日烈士5人のことだ。1941年、河北省の狼牙山で旧日本軍の激しい攻撃に応戦しながら地元農民を守り、最後は日本軍に包囲され軍糧尽きて9月25日、このまま捕虜になるならば、と崖から飛び降りた、と言う美談で知られている。
 だが、これはプロパガンダ用につくられた「お話」で、本当はこの5人は村に逃げ込んだあと、銃で脅して村人の食糧を奪い、村人に暴力を振るって散々の悪行をつくして逃走。あとから来た日本軍に村人は彼らの悪事を訴え、逃げた方向を教えた。日本軍は村人の協力で彼らを追いつめ、3人を討ち取り、2人を捕虜とした。だが2人はのちに逃げ出し八路軍に戻ったあと、自分の悪行を取り繕うために、教科書に載るような美談をでっち上げた、という。この話は歴史研究者の間では結構知られているが、表だって触れてはいけない話だ。
 中国の山岳部の地形などは国家機密扱いなので、中国で登山用GPSの携帯を理由にスパイ容疑で取調べを受けることもある。私の知るケースは、たまたま初犯の観光客だったからGPS没収だけで無罪放免となった。中国では意外なものが、国家機密、タブーだったりする。
 だが歴史分野の「秘密」文書が、たとえ抗日戦争関連であっても現代の国家の安全に関わるとは考えにくい。教授の訪中目的は純粋な学術研究であろう。ただ、教授が過去に防衛研究所勤務であったことや、中国にとって近代戦争史が「プロパンガンダ戦略」上、重視されていることなども考えれば、逮捕拘束して取り調べすることで、中国がほしい情報を手に入れたり、あるいは圧力によって中国に都合のよいコマにしようとしたりする可能性だってゼロではないかもしれない。そういう想像力を働かせてしまうと今後、研究者たちはたとえ社会科学院や中国の大学の招待であっても、怖くて中国に研究やフィールドワーク、資料収集に行けなくなってしまうのではないか。詳細な情報はいまのところ何一つでていないが、今後の展開しだいでは日中の学術交流にも大きな禍根を残す事件になるかもしれない。
日本では野放しの中国のスパイ
 根本的なことをいえば、日本には英米のような本格的インテリジェンス機関はない。
 現在、中国でスパイ容疑で捕まり、有罪判決を受けている日本人の中には、法務省公安調査庁から数万円から十数万程度の薄謝を受け取って情報を提供したことが直接の原因になっているケースもある。彼らは「情報周辺者」などと呼ばれるが、実際は日本にとっても中国にとってもさして重要性のない情報である。
北京で敏感な情報に業務上触れる立場にある日本人の「情報周辺者」と、東京で日本の政治上、治安上、技術上、研究上の重要秘密を知りうる中国人の数を比べると、人口比的にも後者の方が100倍くらい多いと言われている。
 また、在日中国人は中国政府に命じられたら、知りえた重要情報をすべて提供せねばならない法律上の義務を負っている。つまり中国の法律を基準にして考えれば、在日中国人の情報周辺者は全員がスパイ、となる。
 日本政府が民間の情報周辺者に薄謝で協力を仰ぐなら、先に日本国内にいる中国のための情報周辺者を管理し、取り締まる法律をつくるべきだろう。日本にはそういう法律がない。そうした法的整備がないまま、リスクをさほど意識していない民間人を通じて安価に情報を集めようとするから、日本の情報周辺者リストが中国にばれたりするのではないだろうか。
「人質」を取り戻そうとしない日本政府
「ボイス・オブ・アメリカ」など海外メディアは、習近平政権になって中国当局が外国人をスパイ容疑やでっち上げ罪状で逮捕するケースが急増したことを指して、はっきり「人質外交」だと批判している。
 たとえば昨年12月、中国のファーウェイのナンバー2、孟晩舟を米国に頼まれて逮捕したカナダは、自国民2人をスパイ容疑などで中国に“報復”のように逮捕された。今年9月には、FBIが中国の「千人計画」(海外で先端技術研究に従事する研究者を呼び戻す戦略的政策)の責任者であった柳忠三・中国国際人材交流協会ニューヨーク事務所主席代表を逮捕し取り調べを受けたことへの報復のように、中国で17年間続いてきた英語学習企業を創設、運営してきた2人の米国人男女を「違法越境」容疑で逮捕した。これはでっち上げの罪とみられている。違法越境は最悪無期懲役もある重罪だ。中国は外交交渉を有利に運ぶように相手国民をスパイ罪や冤罪で逮捕するのが常套手段だ。
 では、明らかに先鋭的な対立要因を抱えているカナダや米国に比べて、関係改善が喧伝されている日本の国民がなぜ14人も捕まってしまうのか。日本はそんなに対外スパイ工作が盛んなお国柄であったのか。
私がここで腹立たしく思うのは、2015年に中国が反スパイ法(2014年)に続いて国家安全法を施行し、中国国内で外国人を「スパイ容疑」で捕まえ始めて以降、日本人だけですでに13人捕まり、9人が起訴され8人が有罪判決を受けているのに、日本政府は中国でスパイ扱いされている日本人を取り戻す交渉を中国政府相手にやった形跡がないことだ。
 交渉というのは、こちらの要求を聞かねば制裁を行うと圧力をかけ、要求を聞き入れられれば相手にとっての利益を考慮する、というものだ。米トランプ大統領がやっているように、恫喝と甘言を交えてゆさぶりをかけて、相手からの譲歩を引き出すやり方だ。中国にとって日本との関係正常化や経済支援、一帯一路への支持などが、米中関係で苦戦中の中国にとっての大いなる救済になるのだから、その見返りに、日本人を取り戻すことがなぜできなかったのか。さらに逮捕者が増えるとは、日本外交が中国に完全にみくびられている、とは言えないだろうか。
 中国外交部の華春瑩報道官は10月21日の記者会見で、記者の質問に答えるかたちで「中国の法律に違反した外国人は法に従って処理する。中日領事協定の関連規定に従い、日本側領事職務に必要な協力を提供する」と事実確認をした。また、この事件は日中関係には全く影響がない、とした。それは中国の言い分だ。日本は、日中関係に大いに影響ある問題として、日本人全員を取り返すまで、習近平氏の国賓訪問を延期してもらったらどうだろう。
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ari0921 · 6 years ago
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「麦の穂青し」③終
 知覧特攻基地と言えば、「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見て、“特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメさんが有名ですが、地元の知覧高等女学校の生徒たちが特攻隊員を献身的にお世話したことも記憶に留めておく必要があります。
 本書には、知覧高女なでしこ会が刊行した『群青 知覧特攻基地より』の「まえがき」が引用されています。
 本書の第二部「征く人、送る人」の第二章「さらば、祖国よ」から、「知覧の少女たちが見た別れ」の箇所を、少々長くなりますが引用いたします。なお、文中に出てくる『空から轟沈』の唄はご存じない方が多いと思いますので、Youtubeから貼り付けました。
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 知覧基地に関しては、地元の知覧高等女学校の生徒たちによる特攻隊員に対する献身的なもてなしが、多くの特攻隊員につかの間の安らぎを与えたことはよく知られています。
 知覧高等女学校の生徒たちがなぜこのようなもてなしをするようになったかのいきさつは、「知覧高女なでしこ会」が昭和51年に刊行した『群青 知覧特攻基地より』の「まえがき」に、永崎(旧姓前田)笙子が次のように記しています。
 「昭和20年3月27日、知覧高等女学校の三年生進級を前にして、突然、私たちは勤労動員学生として、各地から知覧基地へ集結された特攻隊員の身の回りのお世話をすることになりました。敗色濃い戦局だったために、軍だけでは隊員たちを受け入れるゆとりもなく、その態勢も整っていなかったのでしょうか。激しい空襲のさなかを自宅から基地まで、遠い人は二時間もかかって通い、三角兵舎の掃除、食事の用意、洗濯、そしてつくろいものなどの雑用係として、14、15歳の少女だった私たちがあたることになったのです。最初18名だった女学生も、手が足りなくなって次第に増員されるようになりました」
 戦争末期のこの時期、日本軍には余力というものが全くなくなり、青壮年は根こそぎ軍隊にとられ、本来なら下級兵士や軍属がすべき雑用を、知覧基地では14、15歳の少女に任せるはかなかったのです。その期間は昭和20年3月下旬から6月下旬までの3ヶ月足らずですが、この聞に昼間出撃した特攻隊員を飛行場で直接見送るという稀有の体験を少女たちは重ねることになったのです。その点を永崎は次のように記しています。
 「多くの隊員は到着して4、5日間を基地の三角兵舎ですごして出撃されましたが、なかには、たった一夜だけの滞在で慌ただしく出撃された方もいらっしゃいました。それは、つかのまの出会いではありましたが、長い歳月を経た今でも、心の奥底に多くの隊員たちの思い出が生き続けているのは、平和な時代には想像もできないような異常な戦争体験だったからでしょうか。泣きながら桜の小枝をうち振って出撃を見送ったときの光景など、折に���れ鮮烈な思い出としてよみかえってまいりました」
 彼女たちは今で言えば中学二、三年生の純情で清潔で多感な少女でした。その少女たちが、「生き神様」と呼ばれ、明日には特攻散華するかも知れぬ、一死殉国の若者たちの身の回りの世話をし、共に語り、共に笑い、共に心を通わせたのですから、その印象は生涯消すに消されぬほど鮮烈なものであったに違いありません。
 特攻隊員でもっとも若い者は16、17歳であり、少女たちより二、三歳上に過ぎないのです。そうした若者たちが日本を救うために明日にはその身を敵艦上に爆裂させるかもしれないという切迫した状況が、少女たちを深く感銘させ、その感銘がまた少女たちの献身を引き起こしたのです。いわば特攻隊員の自己犠牲の崇高な精神が彼女たちに無償の奉仕という対価を求めぬ純粋な献身行動を呼び起こしたとも云えるのです。
 そして永崎はさらにこう続けます。
 「皆様の遺書や書簡を読ませていただき、あらためて現実の出来事のように、ありし日のあの方、この方をしのび、多くの若者を失ったあの戦争とはいったい何だったのだろうかと、新たな感慨に胸が締め付けられる思いでございます。生と死の狭間のなかで苦悩しながら、永遠の平和を願い、国の護りに殉じていった若い人々のために心から涙を流した愛惜の日々は、私たちの頭から生涯消え去ることはないでしょう」
 大東亜戦争は日本史上最悪の出来事でした。死者の総数は310万人を超え、日数でならすと一日に約2,300人の死者が出た計算になります。これほどの大悲劇はありません。ただその大悲劇の中で、唯一清冽な想い出を歴史に刻んでくれたのが特攻隊の若者たちの愛と勇気に満ちた身の処し方であり、このことは日本史がつづく限り、民族の誇りとして語り継がれてゆくに違いありません。
 戦争を経験せずに真の平和はあり得ないとされています。まだ逆に平和を獲得するのが戦争だという考えもあります。しかし戦争と平和の問題は個々に独立した概念として把握されるべきではなく、常に歴史の連続性の中で確認されねばならぬ最重要な国家的課題であり、永崎もその点を次のように説いています。
 「いま私たちが手にしている平和が、数多くの人生とかけがえのない青春の上に築かれていることを忘れ、自分の利害だけで、権利ばかりを主張して責任を果さない風潮が一般的になったと、よく人々から聞かされるようになりました。こんなとき、平和を願い、すべての私情を断ちきって短い人生を終えていった特攻隊員を、その出撃直前まで目のあたりにしてきた人々の中から、『歴史の証言として何かを残すべきではないか』という声がもちあがりました。それもある思想的な立場からの作為のもとに粉飾されたり、無意識のうちに変ってしまったものではなく、その時、その状況の中で真剣に綴られた生のままを残したほうがよいのではないかということでした」
 この群青というタイトルには、特攻隊員が出撃して征った沖縄の青い海や空がイメージされていることば確かですが、それよりも平和な時代の限りなく優しい海や空の青を思い描き、祖国防衛戦争にその尊い命を捧げた特攻隊の若者たちの自己犠牲の崇高な精神を、日本民族がつづく限り、永遠平和のために未来永劫語り継いでゆこうという強い意志がこめられているに違いありません。それゆえ永崎は次のように記してこの「まえがき」を閉じています。
 「本書は、還らざる方々の魂の証と、ささやかながら私たちの心の軌跡をまとめたものです。特攻隊に関する本は少なからず出版されていますが、数ある太平洋戦争史の大河の流れの一しずくとして、心ある方がもし拾いあげてくがさるならば、これにこした喜びはありません」
 本書が他の特攻関連の本と一線を画するのは、陸軍特別攻撃隊の若者たちと知覧高女の乙女たちの清楚で涼やかな心の交流が全編の至るところににじみ出ていることにあり、本書を心読すれば、当時の青春はこれほどまでに純粋で美しかったのかと強い感動に襲われるに違いありません。本書は特攻隊員の壮烈な遺書・遺稿を掲載しながら、それが壮烈であればあるほど、知覧高女の乙女たちの精神のたたずまいの美しさが際立ち、巧まずして平和の尊さを読む者の心��深く静かに訴えかける、稀有の鎮魂の書となっているのです。
 本書には、知覧高女の乙女たちの見た特攻出撃の光景が哀切に描かれています。たとえば永崎笙子は満開の桜の中を出撃して征く特攻隊の哀しいまでに美しい光景を次のように記しています。
 「ある日、私たちは当番兵から、徳之島前進の特攻機におにぎりを二個ずつ積むように言われました。徳之島前進というのは、航続距離の短い特攻機のために、徳之島を中継基地として出撃するため、知覧基地を飛び立って徳之島へ集結することを意味します。
 ただ、おにぎりを配るだけでは、どうしても私たちの気持ちをあらわすことができないような気がして、機中の隊員の方に桜の小枝を差し上げましたところ、隊員の方にたいへん喜ばれ、『ありがとう、ありがとう』と何度もくりかえしいわれました。その様子から、『時がくれば何の未練もなく散っていく桜のように、武士のいさぎよさを見た』と言った人もいました。それ以来、私たちは出撃する特攻機の操縦席を、桜の花で飾るようになりました。当時、知覧は桜の花盛りでした」
 俗謡に「富士と桜の日本によくぞ男と生まれける」とありますが、日本男子にとって桜ほどふさわしい花はありません。『仮名手本忠臣蔵』に「花は桜木、人は武士」とありますが、特攻隊の若者たちも自分は現代の武士であると堅く信じていましたから、この言葉には大いに魅かれましたが、これ以上に特攻隊員が共感したのは「花は散り際、武士は死に際」という言葉でした。ひとたび出撃した特攻隊員に残されたことは存分に戦って潔く死ぬことだけであり、それゆえ死に際の見事さを彼らは切に願ったのです。
 また彼らは出撃前の壮行会では必ず「同期の桜」を歌いました。「咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ、国のため」という文句ほど、彼らの特攻魂をたぎらせ、かつまた彼らに清冽な詩情を与える文句はありませんでした。そして彼らは「散るのは覚悟」と歌いきることによって、特攻死というものが決して恐怖であるばかりでなく、華と散ること、即ち散華の美学と直結することを理屈としてではなく、感覚として理解できたのです。
 さらに桜についていうなら、彼らが好んだ句は「散る桜、残る桜も散る桜」であり、「風吹かば、かねて覚悟の桜かな」でした。桜の花が真に美しいのは満開の時よりも花吹雪となって散り急ぐ時であり、宗宮亮平(陸軍特別攻撃隊飛行第六十六戦隊、昭和20年6月6日、出撃戦死、少年飛行兵、岐阜県、20歳)という若者は、日記の最後に、
 「身を清廉潔白に保ち、若桜の一陣の春風に散るが如き最期を遂げたきものなり」
と記して出撃して征きました。特攻隊の若者たちがいかに潔い死を望んでいたか、この清冽な一文を読めば誰でも納得がゆくでしよう。知覧高女の乙女たちが贈った一枝の桜ほど若い特攻隊員たちを元気づけたものはなく、特攻機の操縦席に桜を持ち込んだ彼らは、桜と共に散華できることを無上の喜びとし、日本武士の誇りを胸に敵艦めがけて突入して征つたに違いないのです。
 そして永崎は眼前に見た特攻出撃の光景を次のように記しました。
 「4月12日
  今日は晴れの出撃、征きて再び帰らぬ神鷲と私達をのせた自動車は誘導路を一目散に走り飛行機の待避させてあるところまで行く。途中『空から轟沈』の唄の絶え間はない。先生方と隊長機の擬装をとってあげる。腹に爆弾をかかへた隊長機のプロペラの回転はよかった。本島さんの飛行機もブンブンうなりをたててゐる。どこまで優しい隊長さんでせう。始動車(当時の飛行機は発進のときプロペラの回転が自動でできず、始動車によって始動した機が多かった)にのせて戦闘指揮所まで送られる。うしろを振り返れば可憐なレンゲの首飾りをした隊長さん、本島さん、飛行機にのって振り向いていらっしやる。桜花に埋まった飛行機が通りすぎる。私達も差上げなくてはと思って兵舎に走る。途中、自転車に乗った河崎さんと会ふ。
 桜花をしっかり握り一生懸命駆けつけた時は出発線に行ってしまひ、すでに滑走しやうとしてゐる所だ。遠いため走って行けぬのが残念だった。本島機が遅れて目の前を出発線へと行く。と隊長機が飛び立つ。つづいて岡安、柳生、持木機、九七戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにっこり笑った操縦者がちらっと見える。二十振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。一生懸命お別れのさくら花を振ると、にっこり笑った穴沢さんが何回と敬礼なさる。パチリ……後を振り向くと映画の小父さんが私たちをうつしてゐる。特攻機が全部出て行ってしまふとぼんやりたたずみ、南の空を何時までも見てゐる自分だった。何時か目には涙が溢れ出てゐた」
 知覧高女の生徒たちは、こうした別れを毎日のように体験したのです。彼女たちにとって特攻出撃は勇壮なものであると同時に、お世話した若者たちとは二度と会えぬことが定められた惜別の哀しみに満ち満ちたものでもあったのです。
 さらに永崎は出撃にまつわる次のような親子の哀切な別れも記しています。
 「ある日のこと、搭乗したばかりの特攻隊員のところへ息せききって走りよる初老の男の方がいらっしゃいました。ふたことみこと言葉を交してから着ていた羽織の紐をもぎとると、それを隊員に差し出し去した。二人は手を固くにぎりしめたまま、身じろぎもしないで思いをこめた眼差しを交していました。その様子から、その男の方が隊員のお父様であることがわかり、胸があつくなりました。
 やがて羽織の紐を乗せて特攻機は飛び立ちましたが、機影が開聞岳の向うへ消えたあとも、乱れた羽織姿のままで南の空をいつまでも見つめながら、悄然と立ちつくしておられました。親子のきずなを羽織の紐に託して永遠の別れを告げられたその情景に、私たちは思わずもらい泣きをしてしまいました」
 特攻は見方を変えれば、すべて哀切な別れのドラマといえます。両親との別れ、兄弟姉妹との別れ、妻子との別れ、恋人との別れ、あるいは戦友や朋友との別れといったように、徹頭徹尾、特攻は愛と別れのドラマといえるのです。そしてさらに永崎はこの日の出撃光景を続けます。
 「離陸した特攻機は、飛行場の上空を旋回しながら隊別に三機編隊を組み、編隊を組みおえると機首を戦闘指揮所へ向けて急降下をしました。そして、みんな一様に三回、翼を左右にふりながら最後の別れを告げると、急上昇して開聞岳の彼方へ消えていきました。
 基地に残った隊員や整備兵たちは、いっせいに帽子を振り、私たちも桜の枝やハンカチを振って見送りました。機影が見えなくなってからも、私たちはしばらく呆然と立ちつくし、そのあとで急に襲ってくるはげしい悲しみに堰を切ったように泣きだしました。
 でも私たちは涙のかわかないうちに、まだ次に到着される特攻隊の方々をお世話しなければなりませんでした。そんな悲しみに堪えながら三角兵舎へ戻ることがたびたびでした。寒々と静まり返った兵舎内に足をふみ入れますと新たな思いにかられて、とめどもなく涙が頬を流れ落ちました」
 このように優しい乙女たちに見送られたことは、特攻隊の若者たちにとっても何物にも代えがたい喜びであったことでしょう。彼らにとっては、この別れが生きる喜びを感じた人生最後の体験となったのです。そしてこの離陸から長くとも二時間か三時間で彼らの人生は終わりを告げることになるのです。しかも彼らは心身ともに健康で、本来なら夢と希望に満ち溢れた二十歳前後の青年なのです。この一事を捉えても、特攻隊を美化したり、戦争を肯定したりすることが、人間性の尊厳を否定する不遜な考えであることが自ずと明らかになるのです。
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chamooi · 7 years ago
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#コンパス 桜華忠臣
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donutmgmgnoblog · 2 years ago
Text
2022年見たもの色々
コロナ継続の1年。
世界を見渡せばマスクなし生活に戻った国も多いけど、日本はまだまだマスクの日々。
感染したくないのでマスク&消毒は必要だと思うけど、しんどいなと思うこともある。
2023年は是非治療薬ができてマスクなし生活に戻れますように。
(去年も同じこと願ってた)
【ライブ】5
・N響オーチャード定期 @ Bunkamuraオーチャードホール
・Bruno Mars @ TOKYO DOME DAY-1
・Bruno Mars @ TOKYO DOME DAY-2
配信
・BTS PERMISSION TO DANCE ON STAGE - SEOUL Day-1
・BTS PERMISSION TO DANCE ON STAGE - SEOUL Day-3
【歌舞伎】7
・八月納涼歌舞伎 第二部(安政奇聞佃夜嵐/浮世風呂) @ 歌舞伎座
・八月納涼歌舞伎 第一部(新選組/闇梅百物語) @ 歌舞伎座
・秀山祭九月大歌舞伎 第三部(仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場/藤戸) @ 歌舞伎座
・平成中村座 十月大歌舞伎 第二部(綾の鼓/唐茄子屋 不思議国之若旦那)
・平成中村座 十月大歌舞伎 第一部(双蝶々曲輪日記 角力場/極付幡随長兵衛)
・平成中村座 十一月大歌舞伎 第一部(寿曽我対面/舞妓の花宴/魚屋宗五郎)
・十二月大歌舞伎 夜の部(十三代目市川團十郎白猿 八代目市川新之助 襲名披露 口上/團十郎娘/助六由縁江戸桜) @ 歌舞伎座
【映画】7
・シラノ
・ナイトメア・アリー
・ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密
・桜姫東文章 上の巻 @ 東劇
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【美術】28
・岩合光昭写真展 こねこ @ 日本橋三越本店
・デザイン・ダイアローグ メゾン・エ・オブジェ・パリ展 @ 日本橋高島屋
・五味太郎『JAZZ SONG BOOK』出版記念作品展 @ BOOKMARC
・ポケモン化石博物館 @ 国立科学博物館
・空也上人と六波羅蜜寺 @ 東京国立博物館
・視覚トリップ展 @ ワタリウム美術館
・大英博物館 北斎 @ サントリー美術館
・ミントデザインズ大百科: Mintpedia @ Spiral Garden
・Seiko Harmony - 匠の技が奏でる12の音 @ セイコーハウス銀座ホール
・ゲルハルト・リヒター展 @ 東京国立近代美術館
・ガブリエル・シャネル展 @ 三菱一号館美術館
・高橋真琴『百花繚乱』展 @ 日本橋三越本店
・深堀隆介展「金魚解禁 日本橋」 @ 日本橋三越本店
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・華麗なる有田 ラグジュアリーの歴史 そして現代展 @ とらや東京ミッドタウン店ギャラリー
・堀内誠一 絵の世界 @ 神奈川近代文学館
・Leslie Hewitt "Index Array" @ Perrotin Tokyo
・à mains levées シャネルを紡ぐ手/アンヌ ドゥ ヴァンディエール展 @ CHANEL NEXUS HALL
・李禹煥展 @ 国立新美術館
・百貨店展 - 夢と憧れの建築史 @ 高島屋資料館TOKYO
・アンディ・ウォーホル・キョウト @ 京都市京セラ美術館
・原榮三郎が撮った京都 Warhol in Kyoto 1974 @ ZENBI
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・LOU DOILLON "Visions from Above" @ 伊勢丹新宿店
・「線と言葉・楠本まきの仕事」展 @ 弥生美術館
・根付 高円宮コレクション @ 東京国立博物館 平成館
・150年後の国宝展 @ 東京国立博物館 表慶館
・マリー・クワント展 @ Bunkamuraザ・ミュージアム
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