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#正統派の夏が来る
ari0921 · 3 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月26日(日曜日)
    通巻第8266号
 パラノイア指導部の幻覚症状は狂気を帯びてきた
  習近平の『中華民族共同体概論』なるものをどう読むべきか
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シン文化大革命の本格化なのか?
『中華民族共同体概論』なるものが発表された。毛沢東が提唱した階級革命ではなく、むしろ漢民族の文化的、人種的ナショナリズムを基軸とする、幻覚症状が顕著なのである。
中国共産党の少数民族政策に対する新たなアプローチは、少数民族が政治的、文化的自治権を行使し「自らの家の主人」となることを認めた過去の約束を頭から否定した。
新しい概論は中国の過去と未来に漢民族中心の物語に変色され、チベット人、ウイグル人、モンゴル人、その他の先住民族の「主権」と「祖国」は消去され、漢民族の植民地主義と人種形成の目的論に置き換えられた。時代錯誤も甚だしいと言える。
習近平がとなえる「中華民族」とかの抽象的概念は「統一された多民族国家」を統治するための新しい正統性を明確に表現している。『中華民族共同体概論』が提示す考え方は、民族統治に対する従来のアプローチ、「共産主義的多文化主義」というパラダイムから漢民族中心の文化的および人種的ナショナリズムへの根本的な後退を表している。
2018年に改正された中華人民共和国憲法は、1億2500万人と公認されている「少数民族」に対し、10億人を超える漢民族との平等を引き続き約束している。それぞれの故郷において、憲法はこれらの少数民族が「自治権を行使」できるよう「地域自治」を約束している。「独自の言語」『独自の文化』の権利も含まれるのである。この憲法を土台から無視しているのは、さすがに無法国家である。
『中華民族共同体概論』は、少数民族に漢民族の規範への服従と、言語、文化、アイデンティティの緩やかな消去を要求しており、中華人民共和国の少数民族を新たな漢帝国の植民地の「臣民」と定義した。
▼多様な意見はもはや少数民族自治区公共の場では存在しない
新たな正統派思想、「習近平の国家建設事業の強化と改善に関する重要思想」と呼ばれているものは、少数民族や漢民族の当局者から反対されてきた筈だった。
近年の典型がウイグル族への撤退的な弾圧だった。党国家官僚機構の再編、新疆ウイグル自治区やその他の辺境地域での暴力的な取り締まり、そして「民族問題」を担当する少数民族当局者の粛清がつづき、多様な意見はもはや公共の場では存在しない。
チベットのパンチェンラマは23年間、行方不明である。習近平主席が自ら宣言した「新時代」が到来した。
1991年のソ連崩壊後、民族分離主義の危険性と伝統的な中華文化の復興が緊急に必要であるとの強迫観念に取り憑かれた中国共産党は、「第二世代の民族政策」を提唱した。
政権の安定に「深刻な課題をもたらす根深い問題」とは、海外から煽られたテロ、過激主義、分離主義の三つの「悪の勢力」だけでなく、国内の「イデオロギーの誤解」や「誤った見解」も含まれる、とする。
「一部の地域では、少数民族文化の特殊性を誇張して「後進的で奇妙な風習や習慣」を促進している一方で、「一部の人々」は「意図的に少数民族のアイデンティティを強調し、中華民族のアイデンティティを薄め、意識的または無意識的に中華民族の共通性を無視している」と報告された。
『中華民族共同体概論』はこれまでの少数民族優遇政策を批判している。
過去の称す民族への政策は「当初の意図から逸脱し、民族的差異を固定化し、狭い民族意識を助長し、誤った『少数民族例外主義』論を生み出した」とし、ウイグル族、チベット族、モンゴル族が自らの歴史を歪曲し、「文化的多様性の保護を利用して後進的な生活様式や固定観念に固執する」ようになったなどとした。
同概論では中国の歴史に関する13の「講義」を中心としている。
また、習近平政権下での国家建設活動の新たな指導政策策定の意味、重要性、影響を解説している。
驚き桃の木は「中華民族は、約200万年前に、中国特有のヒト科のグループとともに出現した。その後、周囲の民族をその優れた華夏・漢民族の中核に引き込み、吸収することで有機的に成長し、途切れることなく分裂することなく、その規模と地理的分布を拡大した」そうな。
ホモサピエンスは235000年前、北京原人の人骨が再発見されたとしても、中国の最古のものは50万年前の類人猿である。北京市房山区周口店で北京原人の化石が見つかったのは1929年12月2日だが、その後、頭骸骨は行方不明である。
 
しかも「中華文明の寛容、平和、開放性」が自然な成長をもたらしたなどと吠え、文明の衝突、植民地主義、略奪、弱肉強食を克服した中国は、帝国と国民国家の両方の上部構造を超越する「人類文明の新しいパターン」を開拓したとなどと事大主義的な幻想を唱えている。妄想に近いのではないか。
なにしろ「すべての民族が中華民族とその国民国家に「同一視し忠誠を誓う必要性」を持つために国民を「導く」積極的な役割を果たさなければならない」とし、「中華民族は絶対に『想像上の共同体』ではなく、むしろ5000年以上の中国文明の伝統が染み込んだ巨大国家共同体である」とパラノイア症状は重症になる。
たしかに殷王朝から秦始皇帝、漢帝国と中国では易姓革命が継続されたが、秦も隋も唐も鮮卑系であり、元はモンゴルであり、清朝は満州族だった。漢族の王朝は漢と明と宋でしかないが、この歴史実態は「中華民族共同体」でひとくくりにするわけだ。
『中華民族共同体概論』では中国文明は約5000年前に共通の政治共同体を生み出した「血縁の基盤」の上に築かれたと主張している。
第一の特徴は「血」という用語が夥しく使用され、中国の歴史全体を通じて、民族間の結婚、文化の融合、地域間の移住、「絡み合った血統」について頻繁に言及している。
習近平は漢民族と少数民族の関係を説明する際に「大家庭」の比喩を頻繁に用いている。中華人民共和国建国の際に毛沢東が同じ比喩を用いたとき、「中華民族の家族の血縁関係」を明らかにしようとした。つまり、「あなたは私の中におり、私はあなたの中におり、誰も他の人から切り離すことはできない」というわけである。
第二に、各民族の意識と中華民族の共通意識との関係である。両者は「手を取り合って」はいるものの、同等ではない。むしろ、中華民族全体の利益が第一であり、各民族の意識は「中華民族共同体の意識に従属し、奉仕すべきである」とする。
第三に、中華文化と各民族文化の関係である。「中華文化は背骨であり、各民族文化は枝葉である。根が深く幹が強くてこそ枝葉が栄える」
第四に、物質と精神の関係がある。「経済と社会の発展は、自然に国家の統一をもたらすものではない」とし、党の指導者は「魂のエンジニア」でなければならない。積極的に中国国民全員の思考、隠語、行動、身体を形成しなければならないが、少数民族は後進的と見なされているため、特別な配慮が必要である。
冒頭にのべたように、現在の中国では毛沢東を尊敬するパラノイア指導部によって、新たな文化革命が本格化している。漢民族の文化的、人種的ナショナリズムの波である。過去の約束、政策、歴史を歪曲することで、漢民族中心主義の神話を再構築しようとしていることになる。つまり、中国共産党王朝にただ一人の主人がいる。
それが漢民族基軸のシン帝国、習近平皇帝ということである。
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manganjiiji · 4 months
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感��だが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強��ので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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zo-sunz · 7 months
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『イスラエル/パレスチナ/アラブ諸国』2020年
紛争の原因
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1897年、テオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』を著し、反ユダヤ主義者たちによる迫害からユダヤ人を守るためにはユダヤ人国家を建設しなければならない、と唱えた。1917年、イギリスの外務大臣であったバルフォア卿は、パレスチナにおけるユダヤ人の「民族的郷土」の建設への協力を宣言する。しかしバルフォアは同時にオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に対して独立の約束もしていた。1919年から1939年にかけて、イギリスの委任統治の下でパレスチナのユダヤ人人口は6万5000人から42万5000人になり、パレスチナの住民数に占める割合は10%から30%に増加した。その原因は、中央ヨーロッパやドイツにおける迫害を逃れてやって来たユダヤ人の集団移動だった。このことはユダヤ移民に対するアラブ人の敵意を生んだ。第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を採択し、領土の55%をユダヤ人に割り当て、残りの45%をアラブ人に割り当てた国家を創設することにした。アラブ側はこの分割案を拒否し、第一次中東戦争が勃発した。その結果、アラブ側は敗北し、1948年5月14日にベン・グリオンが建国を宣言したイスラエルは、やがてその領土をパレスチナの55%から78%にまで増やしていく。残りはエジプト領とヨルダン領になった。つまりパレスチナ人への約束であったアラブ人の国家は実現しなかったのだ。結果的に72万5000人のパレスチナ人が避難し、難民になることを余儀なくされた。アラブ諸国はイスラエルを承認せず、イスラエルは保身のために西欧諸国とアメリカに接近し、かつての植民地大国の同盟国とみなされた。1956年、エジプトのナーセル大統領が国有化しようとしたスエズ運河をめぐって、イスラエルはイギリスとフランスとともに軍事行動を起こした。ソ連はエジプト側についてこの戦争に介入した。1967年には、イスラエルは「六日戦争」と呼ばれる戦争に勝利し、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてエジプト領のシナイ半島とシリア領のゴラン高原を占領した。このときの完膚なきまでの敗北は、アラブ諸国にとって屈辱の記憶となった。国連は安保理決議242を採択し、戦争による領土奪取を認めず、イスラエルには占領地域から撤退するよう要請した。1967年、スーダンのハルツームにおけるアラブ連盟の首脳会議で、3つの「NO」が採択された:和解への「NO」、イスラエル承認への「NO」、交渉への「NO」である。
アラブ側ではパレスチナ人が武力闘争を強く推し進めており、対話を拒むイスラエルを国家として認めなかった。1973年、イスラエルとエジプト・シリアのあいだで再び戦争が始まったが、領土問題は現状維持のままで終結した。1978年、エルサレムを訪問したエジプトのサダト大統領がイスラエルに対して和平を提案し、エジプトとイスラエルは互いの国を承認することになった。シナイ半島はエジプトに返還されたが、エジプトは単独で平和条約に調印したために、アラブ連盟から除名された。するとエジプトはアメリカと同盟関係を結び、多大な経済支援を受けるに至った。
1982年、イスラエルはレバノンに侵攻し、レバノンにおける国家内国家となっていたパレスチナ解放機構(PLO)を立ち退かせようとした。1964年にPLOを創設したヤーセル・アラファトは、イスラエルのレバノン侵攻が始まると首都ベイルートから逃亡しフランスの保護下に入った。しかしイスラエル侵攻下で、パレスチナ難民キャンプ内での民間人の虐殺が発生すると、イスラエルのイメージは地に落ちた。1987年から、ガザ地区のパレスチナの青年たちを中心に、イスラエルによる占領に抵抗するインティファーダ、通称「石の闘い」が始まった。1990年から1991年にかけての湾岸戦争が終わると、サダム・フセインが、イスラエルによる占領をうまく利用することでアラブ諸国の世論をたやすく操作していたという事実を、アメリカは初めて理解した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イスラエルに方針変更を強要した。イスラエルとパレスチナの直接交渉が実現し、オスロ合意が成立した。この協定により、PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエル(イツハク・ラビン首相)はそれまでテロ組織とみなしていたPLOをパレスチナの正式な代表として認めることになった。オスロ合意(1993年9月にワシントンで批准された)の計画では、イスラエルは段階的に占領地域から撤退し、パレスチナ人の国家が建設されることになっていた。
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1994年7月1日、それまで亡命していたヤーセル・アラファトPLO議長がパレスチナへの帰還を許された。ところが1995年11月4日、イスラエルのラビン首相が過激派ユダヤ人に殺害され、和平プロセスは暗礁に乗り上げた。そこで、大統領として2期目の守終了を控えたアメリカのビル・クリントンは和平合意成立に向けて、2000年7月にキャンプデービッドで両者の首脳会談を待った。しかし交渉は決裂し、再び武力闘争が繰り返される。2001年2月、イスラエルはアリエル・シャロンを首相に選んだ。新首相シャロンはオスロ合意には反対の立場で、ラビン路線(あたかも和平プロセスは存在しないかのように厳しくテロ組織との闘いを続けると同時に、あたかもテロ活動など起こっていないかのように友好的に和平交渉を進める方法)を退けた。シャロンがオスロ合意を少しずつ切り崩していく一方で、ハマスによるテロ活動は規模を拡大していく。2002年にはアラブ連盟から和平案の提案があった。アラブ諸国によるイスラエルの承認と引きかえにイスラエルは占領地域から撤退し、そこにパレスチナ国家を樹立するという内容だ。ところがシャロンは7000人のイスラエル人入植者が140万人のパレスチナ人に囲まれて暮らすガザ地区からの全入植者の撤退を��然決断する。そしてそのあいだもヨルダン川西岸地区では入植地建設が続いた。
パレスチナで2006年1月に行われた選挙ではハマスが圧勝した。ハマスはオスロ合意に反対しており、西欧諸国とイスラエルからはテロ組織とみなされている。
西欧諸国はガザ地区にあるパレスチナ政府との関係を絶った。パレスチナは地理的にはガザ地区とヨルダン川西岸地区に分断され、政治的にはガザ地区を掌握しているハマスとファタハに分離した。イスラエルが撤退したあともガザ地区の封鎖は続き、パレスチナはこれに対してイスラエルの都市にロケット弾を発射して対抗した。これをきっかけにイスラエルは新たに軍事侵攻を開始、ガザ地区を爆撃し、2008年12月から2009年1月にかけてパレスチナ側では1400人の死傷者を出した。さらに2009年2月に行われた選挙ではイスラエル史上もっともナショナリズム色の強い政府が成立した。当時、イスラエルとパレスチナの和平合意がゆくゆくはどのような形を取ることになるかは知られており、多くの文書においてすでに定義済みであった。その内容は、まずイスラエルの隣にパレスチナ国家を建設すること、そしてイスラエル人は67年ライン内に住む権利を有すること、さらに、領有権問題で両者に損失が出ず両者の合意がありさえすれば、境界線の変更も可能であったこと、などである。とはいうものの、この頃からまたもイスラエル・パレスチナ間では不信感が生まれ、敵意にまでエスカレートした。2014年、3人のイスラエル人が誘拐されるという事件が発生、イスラエル政府はまたもガザ地区を爆撃し、2200人が犠牲になった。2015年3月、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが選挙戦で再び勝利をおさめ、パレスチナとの和平交渉に反対する右派と極右派による政府が発足した。大のイスラエルびいきであるドナルド・トランプのアメリカ大統領選出は、ユダヤ教原理主義者や植民地主義者たちとの結びつきが強いネタニヤフが、妥協を認めない政策を続けるうえで、強固な支えになった。アメリカ政府は駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移し、パレスチナ自治政府と断交し、ゴラン高原におけるイスラエルの主権を承認した。EUは現状を承認し、ロシアと中国もこれに続いた。インド、そして数多くのアフリカ諸国も密かにではあるがイスラエルに協力している。また、イランという共通の敵をめぐって、国交のなかったアラブ諸国との関係改善を図り、サウジアラビアとアラブ首長国連邦への接近も実現した。だが、アラブ諸国の政府にまで見放されたパレスチナの大義は、今でも世論に強く訴えかける力を持ち続けている。
『最新 世界紛争地図』
パスカル・ポニファス/ユベール・ヴェドリーヌ 著 神奈川 夏子 訳
ジャン = ピエール・マニエ(イラストレーター)
ディスカヴァー・トゥエンティワン2020年8月25日発行
原題:ATLAS DES CRISES─ET DES CONFLICTS
著者
パスカル・ポニファス(Pascal Boniface)
国際関係戦略研究所(IRIS)所長お呼びIRIS SUP(イリス・シュプ)学長。
パリ第8大学ヨーロッパ研究所で教鞭を執る。戦略的問題に関する著書は約60冊、YouTubeチャンネル『Comprendre le monde(世界を理解する)』も運営している。
ユベール・ヴェドリーヌ(Hubelt Vedrine)
1981年から1995年までフランス大統領府で外交顧問、報道官、事務総長を歴任し、1997年から2002年まで外務大臣(ジョスパン内閣)を務めた。
訳者
神奈川夏子(Natsuko Kanagawa)
上智大学仏文学修士課程、サイモンフレーザー大学日英通訳科修了。訳書『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』(草思社)、『ヴァン・ナチュールの名作300本』(エクスナレッジ)他。
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hey-cheese · 10 months
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ジブリ最新作映画感想
※ストーリーのネタバレは無し
結構グロテスク(精神を抉られるような)だったけど、エンドロールでは爽やかな気分になった。
自分の好きな正統派ファンタジーの話だった。
タイトルの本はまだ読んでいない。
夏休みに子ども達が観ることを想定してる映画として、とても上手いのでは?!さすが、と思った。今どきの子についてよく分からないけど、小説を読むよりゲームする子の方が多そうだし。
クラシックな世界観とはいえ、ストーリー展開は現代的で、まるでゲーム(一人称視点・オープンワールド系)をプレイしているような体験だった。主人公の視点で、登場人物とのやり取りから観客が世界観やメッセージを読み解いていく感じ。
映画の余白を読む想像力を大切にしているところが好き。
印象に残ったシーンはパンを主人公が食べるところ。ありえないくらいバターとジャムを盛っててパンの味しないだろう!って思ったけど、それを目を輝かせながら頬張ってた。戦時中は贅沢を禁止されてただろし、〇〇の手作りだし…暖かくもなんとも切ない気持ちになった。
セリフは少ないのに、主人公の気持ちに痛いほど入り込めた。余計なこと考えずに最後まで観れた映画は久々かも。「痛み」を感じることは出来ても、小中学生ぐらいのときの自分が観たら、メッセージをどれだけ受け取れるのだろうか。今の自分でも引っかからなかったところがあるかもしれない。
心の中の葛藤や苦しさ、トラウマなどを自覚して対峙した経験があること。その過程でいろんな物語に救われた者としてはとても良い作品だと思った。
数年後にまた見返したい映画。
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azariy · 8 months
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかし���のためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方���先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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tanakadntt · 1 year
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三輪隊の小説(二次創作)
三輪隊で、たこパなんてどうだろう?
「たこ焼きを食べよう」
という話になったのは、三輪隊といえば焼肉、三輪隊といえばたけのこの里、三輪隊といえばコーヒー、三輪隊といえばカレーを食べたあとのお冷、である同隊にしては非常に珍しいことなのだが、いつも焼肉を遠慮する(おそらく苦手)月見蓮が珍しく興味を示したからである。
三輪隊オペレーター月見蓮は高嶺の花とも称される美しい令嬢ではあるが、同隊においてはクールな指導者で、かつマイペースな年長者だった。
皆に好みを合わせてまで一緒に食事はしない。以前、ハンバーガーを食べたことがないと聞いたことがある。飲食を伴うフランクな交流は作戦室のお茶の間まで。要は線引きがきっちりできている。
その月見がたこ焼きについて興味を持ったのだ。
元々は何の話だったか。場所はいつものお茶の間だった。
「お祭りの屋台で見たのよ」
出店は、チョコバナナにベビーカステラ、りんご飴と甘いものが多いが、たこ焼きのソースの香りと丸い見た目が印象に残っているという。
焼きそばは食べたことがあるというが、高級中華の色がついてないやつだと察せられた。
「そうなんですか? じゃあ、一緒にたこ焼き食べましょうよ?」
同隊狙撃手の古寺章平がそう誘ったのは軽い気持ちだった。買ってくればいい。チンでもテイクアウトでも、お茶の間で食べられる。今は十一月、日に日に寒さが増してくる季節だが、来年の夏になればお祭りに誘ってもいい。未成年者が多いこともあり、ボーダーにおける隊の結成期間はだいたい半年から一年と短いが、古寺には、この三輪隊が来年の夏までも、いやもっとずっと続くように思えた。
「ありがとう」
月見は微笑み、次のお茶菓子は菓子ではないけどたこ焼きだな、飲み物は何が合うだろうと考えていたところ、同隊攻撃手の米屋陽介がうなずいた。
「章平、いいこと言うじゃん。どうする? たこ焼きプレート、うちにはないぜ」
「え?」
「うちにある」
同隊狙撃手の奈良坂透が応じる。
「ええ?」
「奈良坂の家からじゃあ、ちょっと遠くねえ?」
「章平と運ぶ」
「えええ?」
古寺の驚きなどお構い無しに会話が進む。同隊隊長の三輪秀次は、そうかと言って腕組みをした。
「奈良坂、ガスか? 電気か?」
「電気だ」
「ていうか、作戦室でそういうのやっちゃっていいの?」
「加古さんだって、炒飯作ってるんだ。使ってもいいと思うが…」
三輪が顎に拳をあてて天井を仰いだ。
「…狭い」
ここで、ようやく古寺は口を挟んだ。
「作っちゃうんですか?」
「え?」
先輩三人は、意外なことを言われたような顔をして一斉に古寺を見た。顔の圧がすごい。
助けを求めて月見を見るが、抜群の指揮能力を持つ才媛もたこ焼きに関する知識がないので、頭の上にはてなマークを浮かべて、にこにこしている。
「作んないの?」
米屋が代表して無邪気に聞いた。
古寺はぐるりと狭い部屋を見渡した。狭いと言っても、作戦室のお茶の間よりはずっと広い。
(ここが三輪先輩の部屋)
たこ焼きパーティーの会場は本部住まいの三輪の部屋となった。
(シンプルだ)
予想通りというべきか。若くして人生から様々なものを削ぎ落としているひとつ歳上の隊長の私室は作戦室より更にすっきりしていた。仮設住宅住まいの古寺の部屋は二人の弟と一緒だ。漫画とトレカとゲームとランドセル、あと何だろう。様々なものが散らばる雑多な部屋とは大違いだ。
八畳程の広さのフローリングにソファと机、丸椅子ひとつ。それだけだ。どこで寝ているのか? 真ん中に折りたたみのローテーブルがある。みんなでおじゃましたあと、部屋の主である三輪がクローゼットから出してきたから、おそらく常日頃は仕舞われている。
その上に、
「四十個も焼くの?」
おっかなびっくりプレートをセットした月見がくぼみの数を数えている。
「四十個じゃ足りないですよ」
奈良坂がコードをセットしながら言う。米屋が家から持ってきた大きなボウルを取り出している。
「章平ん家、たこ焼き焼かねーの」
月見と一緒にたこ焼きの調理家電を覗き込んでいる古寺に米屋が聞いた。
「そもそも、うちにないですね」
両親は共働きだし、収納の少ない仮設住宅の台所で母親はなるべく物を増やさないようにしている。だから、こんな巨大なものが同じく仮設住宅の奈良坂の家にあったのは驚きだ。料理好きのお姉さんとお母さんがいるせいだろうか。
「あ、奈良坂、チョコを入れるつもりなわけ?」
「定番だろう」
各々手分けして買ってきた買い物袋を整理しながら米屋と奈良坂が会話している。
「オレもチーズとカニカマ買ってきた」
「生地を作るのはそっちの部屋でやってくれ」
台所から三輪が顔を出す。
「あ、おれは何をしましょうか」
古寺も立ち上がった。
「月見さんは机周りで進行状況の確認、奈良坂と米屋は具材のセットと生地作り、古寺は材料を切ってくれ」
「了解よ」
「わかった」
「オッケー」
的確に指示を出す隊長に古寺が声をかける。
「三輪先輩、慣れてますね」
「前にいた隊ではこういうことがたまにあった」
旧東隊のことだ。現東隊の奥寺と小荒井もそうなのだが、最初の狙撃手、東春秋を隊長とする東隊に所属していた事に古寺は憧れを感じる。
「よく作ってたんですか」
「いや、たこ焼きは初めてだ」
広いとは言えない台所で、まな板を古寺に渡しながら三輪は答える。
「でも、チームメンバーだから任務と同じに考えればいいかと思った」
「そうですか…」
古寺は不覚にもじんときた。不器用、と背中に大きく書いてあるような先輩に成長を感じる。
ネギを切って、蛸を切って、カニカマを切って。一心に切っていると目の前に花があるのに気づいた。
小さな花瓶に小さな花が無造作に挿してある。十七歳男子の台所にしては違和感があった。この後、テーブルに飾るには、既にたこ焼きプレートが占拠している。
「秀次、水と泡立て器だってさ」
��のとき、計量カップとボウルを持って米屋がキッチンにやってきた。
「泡立て器はないから箸でやってくれ」
三輪が言われた分量をしかめっ面できっちり測っているのを横目に米屋が花に向かって片手をあげた。
「お邪魔してまーす」
「先輩、何をしているんですか?」
古寺の疑問を受けて代わりに三輪が答える。
「ああ、陽介は姉さんに挨拶したんだ」
「お姉さん…ですか?」
四年前の近界民侵攻で、三輪は姉を目の前で亡くしたことは知っている。
しかし、目の前には花が一輪、写真も何も無い。
「前は写真立てがあったんだが、濡れるからしまったんだ」
なんでもないように古寺に説明する。しかし、それは本末転倒である。写真が本体ではないのか。
「台所にあるのは水が汲みやすいからなんだってさ」
米屋は付け加える。
「秀次って大雑把なとこあるよな」
三輪はムッとした。
「こういうのは気持ちだ」
さらに米屋が混ぜっ返そうと口を開けたとき、ピンポンとインターホンが鳴った。モニターを見る。
「弾バカだ」
A級一位太刀川隊の天才シューター出水公平である。彼は三輪と米屋の通う第一高等学校の同級生でもある。彼も参加することはあらかじめ聞いていた。
しかし、
「なんで太刀川さんまで」
一緒にモニターをのぞいた三輪はあからさまに嫌な顔をする。隊長はこのボーダー一位のアタッカーが苦手なのだ。
『餅を持ってきたぞ』
モニターの向こうでレジ袋を振っている。
「ごめんなさい。太刀川くん、私が話したから、羨ましかったのね」
月見が奥の椅子から立ち上がってやってくる。月見と太刀川が幼なじみの関係であることを三輪隊の誰もが失念していた。
「どうする? 三輪くん」
暗に追い返してもいいと提案するオペレーターに三輪はため息をついた。
「材料も持ってきたみたいですし、いいですよ」
「あんた、たこ焼きに入れるってわかってて、なんで、でかいまま持ってくるんだ」
「これしか、売ってねえもん。それにチンすりゃいいだろうと思ったんだ」
「レンジなんてない」
「普通、あるだろ。おまえ、弁当温めないのか?」
「コンビニで温めてもらうから必要ない」
「や、ちゃんと切りますから大丈夫ですから!」
古寺は隊長二人に挟まれて泣きそうである。古寺が餅を細かく切るのに苦労しているのを見た太刀川が俺がそういうの得意と言い出し、三輪があんたがやったらまな板も切れると断って、太刀川が反論して今に至る。
「太刀川さぁん、そろそろ焼きますよぉ」
出水が助け舟を出す。
「おう」
太刀川がのっそりとキッチンを出ていって、古寺はほっとした。
「俺が切っておくから古寺も行ってこい」
三輪に促される。
「先輩はいいんですか?」
「…俺は疲れたから休んでる」
冷蔵庫から買い出しのジュースをひとつ取り出して栓を開けた。
早速チョコを入れようとする奈良坂を抑えて、最初の四十個は全て蛸である。正統派だ。このあともチョコを始めとして、様々な材料が控えている。ネギと天かすを上から振る。たこ焼き用のピックは人数分買ったので全員が持っている。
最初の一口はもちろん月見へ。三輪もペットボトルを持ったまま、キッチンから眺めている。
大騒ぎを伴って作成されたそれはパラリと青のりが振られ、かつお節が踊っている。
月見は品よく口に運んだ後、熱さに苦戦しながらひとつを食べ終わり、
「とても美味しいわ」
と、頬に手を添え微笑んだ。
(終わり)
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shintani24 · 25 days
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2024年5月4日
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Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問
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まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、上記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も
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一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩谷議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航
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続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国へ、それぞれ渡航する。
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また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察��ためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)
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「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグルメ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も整っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる活動についてネット上で報告すると、「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあったというが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、ど��な支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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kachoushi · 2 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅳ
花鳥誌2024年4月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
6 葛城の神臠はせ青き踏む
 大正六年二月十日、松山に帰省の途中で京阪に寄った。白鳥吟社主催堺俳句会(於開口神社)で出句。西山泊雲・野村泊月・岩木躑躅・原田濱人・島村はじめ・久保田九品太・青木月斗・大橋櫻坡子らが出席。『ホトトギス』の同年三月号「堺俳句会の記」に詳しい。
 この句会は、大阪の『ホトトギス』派の旗揚げに位置する記念碑的な一件で、その詳細は櫻坡子の『大正の大阪俳壇』に詳しい。この句は『新歳時記』にも登録された、虚子の自信作である。大和と河内の国境に位置する葛城山の神一言主は醜貌の女体と言い習わされ、夜しかお出ましにならなかったと謡曲にも出てくる(「葛城」)。
 その引きこもった神に向かって、麓の春を足で確かめて野遊びしております。「山の上からせめて密かに御覧ぜられ度い」(虚子自注「俳句朗読原文」)と悪戯っぽく詠んでみせたのである。「みそなはす」とは、「ご覧になる」の最上級敬語表現で、これまた謡曲に神を主体とした用例がある(「高砂」など)。
 「臠」の字は画数も多く、呪術的なイメージを本来持つが、虚子の字は軽く「糸」の二か所が崩されていて、���容の「滑稽」と対応している。これは活字でなく、虚子の書によってこそ鑑賞が可能で、「臠」は一句の眼目であったことが了解される。
 神や霊魂に命令形を以て呼びかける表現は、江戸俳諧からある。
  塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
  五月雨の空吹き落せ大井川 芭蕉
  笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉
 これらの芭蕉句は、痛切な哀しみや祈りが託されているが、虚子は次にあげる蕪村の例などに学んだか(『蕪村句集講義』)。
  裸身に神うつりませ夏神楽 蕪村
 蕪村の敬語表現「うつりませ」は、祈りとともに一種の滑稽というか余裕があって、そこが夏の禊を「裸身」で具象化する視線と対応している。虚子も、「野遊」の軽々と晴れやかな気分を、この敬語の命令形に託した。命令形は、祈りではあるが、痛切なそれと、軽い挨拶の二種があって、この句は山本健吉の言う俳句の本質「滑稽と挨拶」の典型例と言ってよい。
 ちなみに水原秋櫻子系の俳人の命令形には、自己に執着し、自己に言い聞かせる気分の命令形が多い。
  木の葉降りやまず急ぐな急ぐなよ 加藤楸邨 
  柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子 
  逝く吾子に万葉の露みなはしれ 能村登四郎
 このあたり、命令形の二系統は、俳人の質や俳句観をも照らしだす「鏡」と言ったら言い過ぎだろうか(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
7 雨の中に立春大吉の光あり
 大正七年二月十日、『ホトトギス』発行所句会のものと『五百句』に注記される。
 実景は雨だが、「立春大吉」の御札とその文字に、心中春の光を予感し、見て取る主観句である。もちろん、雨や雨粒にはわずかな光はあるかもしれない。だとしても、それを読み取ろうとする構えから生まれた心象を詠んだ句であることに変わりはない。特にこの句で詠まれた「光」に対する予感は、「立春大吉」の文字から触発されたものであることは、肚にとめておく必要があろう。
 虚子の揮毫では、この「立春大吉」をことさら御札めいて、黒々と墨書したりはしていない。ただし、注意深く見ると「大吉」の「大」の撥ねと、後に来る「光」の字の撥ねとは、対応している。
 そもそも「大」の字の運筆は、先に左に筆先を払い、取って返して右に払うもので、本来撥る字ではない。ところがこの句の虚子の「大」は右の払いの最後が若干撥ねていて、後にくる「光」の右撥ねの呼び出しになっている。こうして一句の眼目は、「光」であることが視覚的にも確認できるところに、虚子の揮毫で句を鑑賞する醍醐味が出てくる。
 「立春大吉」とは、立春の時期に玄関や部屋の入口に張る厄除け札のことである。あたりは雨だが、外界との通路である門口に貼られた「字」から、眼には見えない「光」を感じた。その意味で中七を字余りにする「の」はこの句の重要なレトリックである。
 一般に「中八」の言葉通り、字余りの中でも、中七を字余りにするのは禁忌とされる。俳句のリズムの研究は、五七五が実は休拍・無音の一拍を加えて、六八六であること、さらに前と後の六は伸びる傾向にあることを計測・実証した(別宮貞徳『日本語のリズム』)。これを前提にすれば、中七は延ばして詠まないものなので、ここでの字余りは、おおむねダレるのである。
 ただし、上五で既に字余りがある場合、続く中八は字余りの反復となり、このダレが感じられない。所詮リズムとは反復と同義なのである。
  春や昔十五万石の城下哉 子規
 掲句も上五・中七の連続の字余りだが、掲句の「立春大吉」に、わざわざ「の」を加えた意図は何だったのだろう?類例を挙げよう。
  春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
 やはり「中八」を、堂々とやっているばかりか、上五に字余りはない。しかし、この句は「槍投げ槍に」ではいけない。あえて「て」を入れ、ひと呼吸を置くことで、投げた槍に歩み寄る主人公に焦点があたる。「槍」の繰り返しが独自のリズムを作っており、中八も気にならない(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
 掲句で言えば、まず上五に「雨の中に」と「の」が用意周到に置かれている点が注目される。この字余りを際立たせる「の」の印象を引き継いで、「立春大吉の」の「の」があることが了解される。
 加えて、「の」の繰り返しは、求心性をもたらす。
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の      塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
  この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
 掲句も字余りの「の」の反復を行うことで、光など一切ない春の雨の中、「立春大吉」の文字にのみ「光」を感じたことを焦点化して見せたのである。
 最後に、先の「葛城」の句との関係で言えば、神仏への祈りというテーマのつながりもある。このあたりに編集の妙を認めることも可能かと思う。
『虚子百句』より虚子揮毫
7 雨の中に立春大吉の光あり 
8 さしくれし春雨傘を受取りし
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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ari0921 · 16 days
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 【変見自在】川勝の罪
          高山正之
『週刊新潮』 令和6年5月16日夏端月増大号
川勝平太は早大を出てオクスフォード大に学んだ。
静岡では大変なエリートなのに、なんだかずっと生臭かった。
県庁の新入職員に君らは野菜を売り、牛の世話をする連中とは違う。頭脳を求められていると言った。オレ様はその頭脳集団のトップにいる超エリートだと言いたかったのか。
 もしかして東大コンプレックスかという声がある。日本ではオクスフォードなど外国の駅弁大学扱いだし、ただの早大出としか見てくれない。そんな悩みがあるから二言目にはエリートだ、他の連中とは違うんだと気張りたがる。
 知事選に出るときも自民の誘いを蹴ってあの悪夢の民主党から出た。
自民党は良くも悪くも日本人党だ。均質日本人でも左右にブレはある。それは派閥という形で吸収してきた。そのブレが埒を超えたところに共産党や民主党がある。だから帰化した人や二重国籍の人が馴染む。
 川勝はその埒外の党を選んだ。普通でないのがエリートの証だと思ったか就任すると川勝は即座にリニア新幹線を拒んだ。大井川は越させないと
新幹線「のぞみ」は静岡に停まらない。リニア新幹線も停まらない。半端なエリートは無視されるのが大嫌いなのだ。
「偉い。それがエリートだ」とわざわざ静岡まできた支那の外相、王毅が褒めそやしたという話がある。明の学者、方孝孺(ホウコウジュ)は頑として永楽帝を正当な皇帝と認めなかった。怒った帝は方孝孺の父方の眷属(ケンゾク)800人を殺し、妻の眷属も殺していったが応じなかった。
 かくて方孝孺を知る友人知人まで皆殺しにされてしまった。明は盗っ人上がりの坊主朱元璋が建てた。そんな国の皇帝の血統などどうでもいいのに、方孝孺は妙なところで我を通した。そういう傍迷惑を支那人はなぜか称揚する。支那好きの川勝も倣って抵抗し、とうとうJRはリニア新幹線の2027年開業を諦めた。
 そしたら川勝は「志成った」と辞任した。朝日新聞の投書欄にその川勝を褒める一文があった。 75歳の投稿者は本気で大井川の自然環境を心配し、その上で「人口減少・経済縮小時代の日本のトンネルだらけの超高速新幹線に意味があるのか」と方孝孺みたいに理を説く。
 投稿者は朝日の記事を心から信じていることが分かる。出来れば他の産経新聞とかも読んでいればと思う。なぜなら朝日は若宮啓文のころから肝心なことを一切書かなくなった。加計問題では安倍疑惑を否定する加戸元愛媛県知事の国会証言を不都合につきボツにしている。
 リニア新幹線も同じ。国鉄の京谷好泰が世界に先駆け、次世代高速輸送機関として世に送り出した。そこに支那が出てきた。彼らにモラルはない。新幹線ですら日本から盗んで支那ブランドで世界に売って恬として恥じない。リニアもすでに日本から技術を盗み、技術者を買い込んで試験線ではもう時速600キロを出している。
 それを上海─杭州─寧波で35年開業を目指している。リニアも支那印で売り出す気だ。しかしそのためには先行する日本に待ったをかけねばならない。それで駐日支那大使が足繁く知事室に通い、王毅も何事かかを囁きにきた。
 川勝も支那に行って習近平に特別に会っている。川勝は引退会見で「(JRリニアの開業は)13年遅れの37年になる大きな区切りができた」と語った。リニアは優れて日本の国益と知財の問題だった。それを川勝が潰した。しかし朝日は川勝の行状に支那が絡んでいることは一行も書かなかった。書かないから読者の視野は狭まり、トンネルの多さしか見えていない。
 支那を外して「そんなに急いでどこにいく」と読者を嗾(けしか)ける。投稿して恥を晒す読者を朝日は嗤っている。
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manganjiiji · 1 year
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ポイントを9にする
夜に働くのは却下だ。単純に、私の体質が朝型なため、深夜労働が向いていない。学生時代のマック夜勤メンバーとして荒稼ぎしていた時に「もう絶対に夜勤はしたくない」と朝日に誓ったにも関わらず社会人になってから「また深夜労働してる…!」という事態が発生し、それもやはり時給が良かったので(昼に比べれば)結構続けたが、体は見事にぼろぼろになり(※本来私の体質的に禁忌であるアルコールを大量摂取する仕事)、再起に3年以上かかった。今回、生活保護を受給するにしても、引越し時の費用がどうしても払えないなと思い(梅子に立て替えてもらうことは頼めるにしろ)、副業でまた深夜労働の体入(業界用語)に行ってきたが、業務内容は全く問題なかったものの、身体への負担がきつすぎて「却下」の結論になった。特に今回は昼の仕事に絶対に影響を及ぼしたくないため、無理をして労働することはやはり良くないなと当たり前のことを思った。しかし、医者から許されている週28時間労働では時間があまりすぎる。深夜労働以外で、かつ、労働にカウントされにくい副業となると、ココナラまたはSKIMAでの「感想屋さん」「タイトル屋さん」開店の運びになるだろうか、と考えている。感想屋さんは一昨年の春から夏、数ヶ月ココナラでやってみたところ、かなり手応えがあり、満足度を高く感じて貰えたおかげで全ての方から設定金額以上のおひねりを頂いた。ただ、その時期、学習塾、書店、同居人への週5コマの授業を並行して行っていたため、容易にキャパオーバーし、体調を崩して終わった。完全にいつものパターンだった。今回は就職先の書店に週28時間労働のみ許されている旨等すべて伝えた上での障害者雇用なので、他で正規に労働する訳にはいかないという事情もある(そこでとりあえず夜職が候補にあがったというわけ)。ちなみに昨日体入に行った店はオープン4週目のまだまだオープニングキャストと言える店で、規模は小さいがなかなか流行っているということだった。ただ、まだ時給は1500しか出せないとのことで、新居まで歩いて帰れる立地も、他メンバーとの相性も良かったのだが、その金額で深夜労働という健康リスクを背負えないなと思い、本入���は見送っている。ちなみにガールズバーの規制も近年厳しいらしく、運転免許証またはパスポートまたはマイナンバーカードがないと本入店はできず、マイナンバーカードかあ…まだ作ってないなあ…となって、それもあってやめた。なかなかにいい店だとは思ったが。それにしても最初に働いた恵比寿の店が全ての面において良すぎて(青春だったのだ)、どうしても比べてしまうというか、優良店の指標になる。あと20kg痩せていてあと5歳若かったら何度でもあの店のキャストになっていると思う(それはまさに5年前の私の姿だ)。びっくりするほど成長したなと思う。得るところ大きな体験だった。何より、有象無象はびこる裏社会を生き抜いてきた御仁たちにご指導ご鞭撻いただいたのはかなり有難かった。そういうところでは、な��なか昼職でははっきりと言葉にはされない「真意」でストレートに殴られるので、容赦がなくてよかった。彼らはみんなとても優しい人たちだったので、そういう人らが常連でついてくれている店というのはかなり貴重だと思った。グループの信頼もあるだろうが、さらに大きかったのは店長の仁徳だ。18から夜で生きてきた叩き上げの40歳という世代は、上の世代への仁義がある。昨日会った新しい店の店長は若くてチャラついたただの資本主義者という感じだったので、まあ、私の肌には合わないなという感じだった。実際に店を仕切っていたのは私より若いママで、その方のほうが常識や実務に熱意があると感じたが、いかんせん若いし、古いやくざの価値観で育ってきてはいない感じがした。昨日の店は様々な面で、時代のうつろい、私たちの世代の「耐えられない軽さ」を体現していた。それはもちろんいい面もあり、ルールが厳しくなかったり、柔軟にキャストに対応してくれる、令和的価値観を含んでいる。「重石」を己の中に残しながら、軽くなるためのモラルを体現するためには、どのような振る舞いや思考が必要だろうか。これは今後の課題である。
Twitterを見ていると、どうもみんな偏りがちだなと思うことがある。オタク女で政治トピックもツイートする方はだいたい大変にラディカルな左翼だが、私は生まれも育ちも完全な保守のため、そこらへんとの心的な距離というものはある。というか単純に、一つの情報源というか情報系統しか持たない左翼は、「あたまわりーな」と思ってしまうのである。昔は左翼も右翼もよく勉強していたと思うが、最近頭が切れるというか、より現実に則して世界を分析できているのは右翼の人間だと思う。一概には言えないが、まあそういう流れはある。どちらも極端までいけば結局使い物にならない馬鹿しか残らないが、中道左派、中道右派においては、右派のほうに分があると思う。左翼は夢、右翼は現実、その2つが引っ張りあって進んでいくのが政治だと思うし、私の性質からして、大学で学んだ時点でどう足掻いても左翼に転向しそうなものだったが、取り入れるべき思想は取り入れ、するべき主張はするべき主張としても、心はやはり、県庁職員を勤めあげた祖父のもとにある。だからかなり形骸化された「右翼」の自称なのだが(祖父は朝日新聞を「共産党新聞」と呼んでいた時代の人である)。私の心は右翼にありながら、主張を総合すると中道左派と言える場合が多いと思う。ただ、左右を分ける最も大きな問題、「国防」に関しては完全に右だ。高校生の頃から、早く自前の軍隊を持ってアメリカの支配を逃れ、真の独立国になるべきだと思っていて、それは35の今も変わっていない。ただ、日本がアメリカの支配下にあったこの80年で、軍事的知見は完全に失われ、かりに日本が軍隊を持ったとしても、それをコントロールできる人物はもはやいない。一回途切れてなくなったものなので、ゼロから作るしかない訳だが、戦後完全に「平和主義」として軍隊を持たないことが善だとして育った私たちに、持てる手段は絶望的に無い。そういう現実があるため、日本が即刻軍隊を持つべきとはもちろん思わない。今自衛隊の戦力を増強しているが、本来必要なのは、シビリアンコントロールの能力を持つ政治家(文官)の育成であって、戦力増強=軍事費を増やせば良いというものではない。私はもちろん完全に戦争反対の非戦派であるが、戦争をしないためにはこの土地に一定の戦力を置くことが必要であるという大前提を揺るがすことはない。それと、アメリカももう世界のヒーローたることから降りたがっている現今、日本も肚を決めて自前の軍隊を持ち、つまり、「自立」すべきという主張も継続する。この世の全ての国家が一斉に戦力を不保持すれば、日本も軍隊を持つ必要は無いが、日本以外の全ての国家が戦力を保持している以上、日本だけが戦力不保持のままアメリカから独立したとして、明らかにここが戦争の火種になるだけで、世界平和にはまったく貢献できない(どころの話ではない)。人を殺したい人なんていない。軍役に行きたい人なんていない。それでも持たざるを得ないのが軍隊で、自国の人間の命を、自国の防衛と引き換えにすること。それを出来ないままでは日本は一生「大人」にはなれないと思っている。自国の戦力を持ち、人間の命を賭けるということは、その覚悟を持って世界平和を実現していくという表明である。戦争がしたいから軍隊を持つのではなく、戦争を起こさないために軍隊を持つ。そのために各国は戦闘員と兵器を有している。なぜこんな簡単な理路が理解できないのか、と左翼の人を見ると不思議に思う。どこかで無理に思考停止をしているのだろうか。この局面で軍事増強をしないということは、「ここを狙ってください」と戦争を誘発するようなもので、こんな大前提をわざわざ文字にすること自体頭が悪すぎて嫌だなあと思うが、日本では軍事に関する教育が高等教育(大学)でしか為されていないので、この理路を知らない人が多い。北朝鮮をはじめ、中国、ロシアというのは、いつでも「戦争をして覇権国になりたい」という旧時代のイデオロギーそのままの思想をしている人達で、彼らから「戦争反対」などという発想は出てこない。彼らは「自分たちが世界を支配することで世界に平和が訪れる」という、日本の戦国時代のマインドのまま、21世紀を迎えている。それらの国に囲まれたこの絶望的な立地にある日本が軍隊を持たないことは、アメリカの軍事力がそれを肩代わりすることによってしか戦争を防げないレベルの危険性である。まあ、だからこのままアメリカの駐屯地として存在したほうがいいのかもしれないが、それでも私はアメリカに支配されたままは嫌だし、日本は大人になるべきだと思うし、いい加減、世界の中で独立した一員として、己の意見を言えるようになるべきだと思う。
2023.5.12
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toshiki-bojo · 3 months
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「虚子への俳話」169
「花鳥」令和5年3月号より転載
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 自画自賛をしたい。次はいまから二十二年前、私は四十五歳くらいの頃の近詠である。  この頃は前職の保険会社を辞めて、乳飲み子を抱えつつ俳句の道に入り十年過ぎの伝統俳句協会勤務のころであったと思う。
 俳句を見ておどろいたことは現在の自句とあまり変わらない俳句をすでに作っていたことであろう。いやむしろこの頃の方が鋭い感性が見えているようである。すでに主客混淆の描写をしているのである。  このころは、「花鳥」「玄海」などへ俳句や文章そしてこれらを出してはいたが、主宰でも編集長でも無く、いわばフリーランスの俳人なのであった。
 2002年・平成14年
  俳句研究4月号 寒鴉やさしき屍より翔てり 団子虫似非団子虫穴を出づ 法鼓熄む氷柱雫はせつせつと 水隠れの魔羅しづかなる鳴雪忌 かまくらを磨き上げたる天狗風 大浅蜊ほうらと気宇を吐き出せり
  俳句研究5月号 指に触れて氷柱雫の白濁す 破れ軒を氷柱擬きと氷柱かな 流れたき方へ流れて春の川 蟻穴を出でその穴を失へり
  俳句研究6月号 女下駄朧なるまで虚子を待つ 亀鳴けり甍の獅子は唸りもし
  ホトトギス8月号 悴みて輪禍の供花を見てをりぬ
  花鳥6月号 一山を一宇を越えてつばくらめ
  花鳥7月号 苗物を夕べの方へ売りにゆく
  台湾句集・花鳥8月号 台湾を噛んでをるなり夏怒濤 父祖の代の櫂に夏潮遠くあり 白雨来る貧しき窓は檻めきて
 花鳥9月号 原爆の忌に失ひし栞かな
  花鳥11月号 猫抱いて子規忌を知らぬ女かな
 以上の俳句はそれぞれ各句集に収録されているのでご存じの方もおられるだろう。  そしてこれらの句はその当時のいわゆる「伝統俳句」の世界ではホトトギスを初めあらゆる結社の支持を得られなかったのが特徴的であった。当時ホトトギスの首脳を筆頭にこれは伝統俳句では無いとして糾弾された。  一方でしかし当時のホトトギスの藤崎久を、依田明倫、深見けん二、あるいは他派である藤田湘子、金子兜太、三橋敏雄、阿部完市、有馬朗人、黒田杏子などからは一定の評価をいただいた。虚子や茅舎、朱鳥や碧梧桐がいたらなんと言ったであろう。  「わからないから伝統俳句では無い」「わからないから客観写生ではない」「わからないから虚子派ではない」。  解らないのは知識や学習、才能への努力、感性への努力が無いからなのである。そして何より俳句を日本最高の文学としようとする気概が無いからなのである。そう正岡子規が俳諧大要で示したあの気概が無いからなのである。
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johnelic · 3 months
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Wikipedia書き抜き(更新中)
異歯性は顕著であり、頭蓋骨は後頭部でオーバーハングしている。二次口蓋は、咀嚼と同時に呼吸が出来た事を示している。大量の酸素を必要としていた彼らは恒温性を獲得しつつあった。身体を丸め、眠った姿のまま化石化した。
夜はボクシングジムで鍛練を重ねる裏の顔を持ち、部長の愛人を麻薬とセックスで籠絡する。1億円強奪殺人事件で奪った1億円を安全なヘロインに換えるため、市会議員の磯川とも接触。刺客たちも難なく始末した。
「しまったー! 99800円のパソコンなんてどう考えても安くしすぎだ! うっかり、してました」という特徴的なコーラスでインパクトを与えたが、「ウソテック」や「総鉄屑」「粗ーテック」「糞ーテック」といったあだ名(インターネットスラング)が登場するなど、同社は著しく株を落とした。
2019年に特化則非該当の「サラセーヌAZ」へとさらなる進化を遂げ、「サラセーヌ堅鎧(タフガイ)システム」が実現した。
その影響はこれ以外にもジバンの機械的な動作や、各種メカニックの描写などにも大きく現れており、このようなロボット戦士路線は宇宙刑事シリーズのような正統派ヒーロー路線への回帰が意図されたものとなった。また、当初は主人公とヒーローが同一であるような演出をしない効果的にアナクロニズムを生かした手法や、主人公と深く繋がる少女である五十嵐まゆみの登場など1950年代の特撮ヒーローを彷彿させる設定となっている。
再び首と身体が一緒になるのではないかと恐れて、頭と身体を二つの岩の頂上に置いて、その岩の裂け目の中に石像をおき、それぞれの寺院を建立した。二つの寺院の間は、以前は4ヨージャナあったが、今は1クローシャしかないと言われている。 わたしの師匠が見たとき、寺院は岩壁がくっついて入り口がなく、窓から見ると、両方とも台座の上に石像の破片のようなものがそれぞれ置いてあったと言う。
土間基礎のコンクリートを打設しました。仕上げに『ヘラコプター』を使用しています。 業界入りたての頃、先輩に出力を2倍にすると空に飛べると教えられ、しばらく信じていた事を思い出しました。
サマラの「蜘蛛歩き」と呼ばれる四つん這いで、手(肩)よりも足が前に出る股関節が外れたような人間では考えられないような不気味な動きはCGではなく、実際にサマラを演じたボニー・モーガンが行なっている。
水素の音は漫画だけではなく、多くの関連イラストも作成され話題になりました。多くの人が水素の音の通販動画の虜になり、作成されたのでしょう。ただ再現するだけのイラストだけではなくストーリー性を持つものも多くあったのです。 それもまた面白く、水素の音が長くトレンドに残った要因の一つでしょう。人の想像力は本当に素晴らしく、多くの関連イラストを見ているだけで時間をつぶすことができるでしょう。AA(アスキーアート)でも水素の音が作成されました。AAとは文字や記号を組み合わせて作られる絵のことです。ずれが生じたりするため、それを作ることは容易ではありません。 水素の音のAAは、もちろん「あぁ~!水素の音ぉ~!」という場面です。ほかにもある可能性がありますが、やはり話題になるのはこの場面でしょう。 イラストやMAD動画、ノムリッシュ版に漫画、そしてAAなど様々な場面で作り変えられるほど水素水が話題になったことがよくわかりました。
素晴らしい時間の過ごし方だと思います。将来私のために勉強することができて嬉しいです。 私は自分のPTSDと複数の外傷性脳傷害で正社員として働けなくなりました。 精神的にも身体的にも社会人として生活することは難しいけど、将来につながる勉強と大麻が今の私の希望です。
エチゼンクラゲが地球で果たしている役割が明らかになっている。エチゼンクラゲは体がベタベタしており、弱って泳げなくなると体の表面に細かいごみがまとわりつき、重くなって沈んでしまう。このような形で、地球の生物地球化学的循環(生物循環)に寄与している。 ズワイガニもエチゼンクラゲを捕食している。 細かくしてアイスクリームに入れ、エチゼンクラゲアイスとして販売されることもある。 2009年は大発生して日本各地で漁業に大きな被害を与えたが、2010年度はその千分の一に激減した。
広く好まれた見世物であり、熊や猿を連れた旅芸人が犬をけしかけたり、観衆に石を投げさせて娯楽とした。狂人の観察などと並ぶ人気の興行であり、芝居見物などと等しいごく普通の習慣だった。
シーモンキー(アルテミア)は普通の塩とエサではうまく育ちません。孵化は容易ですが、その後の育成は難しいです。シー藻はシーモンキー飼育に最適な藻。シー藻を入れると良質なバクテリアが繁殖し、それをアルテミアが食べるので餌やりが全く不要になります。死んだシーモンキーや糞はシー藻の養分となって水槽内で循環します。併せてシー藻が酸素を出すため酸欠が起きず水も腐りません。過去に失敗された方にもおすすめです。小さな容器では水温や水質が安定しないため、なかなかうまく育ちません。大きな容器で飼うほどに失敗が激減します。孵化率の低い中古の飼育セットも出回っているようです。アルテミアは生き物です、おもちゃではありません。小さな生物だからこそ最上の環境で育ててあげてください。お子様の教育にもお役に立ちます。
マディディティティはオレンジ色から茶色の体毛で、頭に特徴的な金色の王冠のような模様を持つ。尾は白く、手足は赤褐色である。自然保護の基金を作るために命名権を競売に出し、オンラインカジノ会社のゴールデンパレスが65万ドルで落札した。そのため、ゴールデンパレスドットコムモンキー(http://GoldenPalace.com monkey)とも呼ばれる。
26世紀の愛のピアノ音楽。Limb 1st。辺境の惑星でいま二人のピアニストの魂が出会う。どうしてわかりあえるのにこんなに時間がかかってしまったのか。さる東欧のX地区でソ連解体以前、アンダーグラウンドピアノレジスタンスがロケット基地を占拠した。ピアノを演奏する事により推進力を得るピアノエンジンが積まれたロケットに乗り、宇宙に脱出するレジスタンスの演奏記録。ヴァルカンピアノ砲照射、大気圏脱出後の強烈な光が。ピアノが宇宙に行くとどうなるんでしょうか。
最弱童貞の俺、非モテ女子に告ってイチャイチャライフを送ることにしました。~今更羨ましいと言ってももう遅い~
また、オリジナルデザインにしたらもっと良い物ができたのではないかという質問に対しては「デザインは全くのオリジナル。至る所に新しい機軸を取り入れている」と、このデザインはあくまでもオリジナルだという事を主張した。 今後の方向性としては、カラーバリエーションは考えず、トランスルーセントではないバージョンやPentium IIIなどを搭載した高速化を考えているという。 ゲストとして招かれていたインテル株式会社の傳田代表取締役社長は、「今までパソコンはデザインが良くなかった。このe-oneでリンゴのマークの人たちがこちらに来てくれる事を期待している」と語り、会場の笑いを誘った。
生きているロゴマークは、ずっと「変わりたい」と願っていました。ある時、清い水と出会ったことで、色々な形に姿を変えることが出来る様になりました。その時から、ロゴマークはこのキャラクターと、ひとつになりました。ロゴマークは「なりたい自分になる」そう願いながら日々、より善き姿を求めて変化しています。
リング状に成型して焼き上げたいちご味のもちもち生地を、いちごチョコでコーティングしました。リング状に成型して焼き上げたいちご味のもちもち生地を、いちごチョコでコーティングしました。ファミマのいちごモッチうますぎて、口に入れた瞬間女の子座りして泣いちゃいました。
HONUMIスーパーナチュラルシステム 海の作り方発明しました。 水換え不要の凄い生簀・活魚水槽の特長 従来の生簀と当社の凄い生簀の比較
車が炎上、爆発。全身にヤケドを負い、病院で息を引き取るが、亡くなったのは替え玉で、本人は生きていた。亡くなった替え玉も、死んでも死にきれず、真棹を絞殺しようとした。しかし真棹を殺せず、それが事件にとって最大の誤算を生み出したため、洞窟で真棹を殺そうとした。
パンダは大量に竹を食べ、快速に排出する食べ方で、自分の体の需要を満足しています。一日の食糧は大体:筍23~40㌔、笹は104~18㌔、竹の枝は17㌔です。 パンダは垂直移動する習性があります。夏には高山へ筍を取り、秋と冬には雪のない中低山の地区へ移動します。 多量な竹が開花し、枯死することはほかの植物の更新を促進する役目があるから、生物種と生物系統の多様性を保持するには必要な過程です。一種の竹が開花しても、まだほかの食べられる竹があるから、竹の開花はパンダの生存を脅かすことにはならないはずです。しかし、現在パンダの生息地がごくわずかしかないし、分断化されているから、この「小島」での唯一の竹が一旦開花したら、パンダも食物に困る状況に迫られるのです。
クロムウェル夫人は、自分が設立した町が北京の裏側にあると思っていたため、町を「ペキン」と名付けたと言われています。(1700年代後半から1800年代初頭にかけて、中国と米国は地球の正反対の側にあると考えられ、町はしばしば中国の場所にちなんで名付けられました。別の例はオハイオ州カントンです。
藤原さんの主たる活動は北見の基地にて隊員(何十人という、最大時は84人と聞いています。元自衛隊員が多かったと聞いています。)と共に、地下に潜り火山の爆発と地震を止める仕事をしていました。
最初に迷乱する因は、3つの無明である 。 自己を認知しないという局面は、所取と能取としては生じていないので、実際上は「不迷乱」であるが、それが迷乱になる。たとえば「無名」が名前になるようなものである。これが①「同一性の無明」である。 「それを認知しない境界」という対象化、それが②「倶生の無明」であって、「輪廻と涅槃の両者」という顕現として生じる。 対象としての顕現を、知によって単なる二元的顕現に分割分離し、名称の指示対象を実体として概念構想する局面に至っては③「遍計の無明」と呼ばれる。
世界で唯一のアルビノゴリラ・スノーフレークは、かつてスペインの植民地だったアフリカの赤道ギニア共和国で捕獲された。群れの仲間は皆ハンターに殺され、スノーフレークだけが1966年にバルセロナ動物園に連れてこられた。2003年に皮膚がんで死ぬまで同動物園で暮らした。
4人は進級し、堂郷和太郎の協力を得て楓は写真部を創部する。そこに声をかけたのは憧憬の路で楓の写真を撮り、賞をとった三谷かなえだった。写真部は楓とかなえ、そして楓を支援する3人が集まる「ぽって部」を合わせた5人で活動する。楓は、父の訪れた場所を訪ね、父の残した足跡を辿る。 また5人とかおるの姉の塙さよみは横須賀に行き、ちひろとその友人のともちゃんに会う。しかしかなえは受験のため、私たち展を最後に部活を引退する。その後かなえは大学に合格し、高校を卒業した。
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sanguinosa-blog · 5 months
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編集長コラム 逆戻り(93)
2024年01月06日15時55分 渡辺周
韓国のユン・ソンニョル大統領の名誉を毀損した容疑で、ニュースタパがソウル中央地検特別捜査チームから強制捜査を受けたことは、昨年9月の本欄で伝えた。
ニュースタパを強制捜査、韓国検察・ユン大統領の愚
あれから検察は、タパの代表であるキム・ヨンジンさんの自宅を家宅捜索した。記者たちへの聴取も始めている。近く起訴に踏み切ってもおかしくない状況だ。
予兆はあった。
昨年8月、私は「消えた核科学者」の取材でソウルに出張した。その際にキムさんとタパのビル1階のカフェで話をした。Tansaが成長しているのを喜んでくれた。創設者としての引き際はどうあるべきかも語り合った。互いに忙しいので30分もいられなかったが、いろいろなことを話した。その中でキムさんが悩ましげに言ったことがある。
キムさんは、ユン大統領になってからメディアに対する圧力が強まったことを嘆いていた。自分に批判的なメディアを抑え込むという。
例えば、キムさんが探査報道部長を務めていた公共放送のKBSに対しては、これまで電気料金に含まれていた受信料を、個別に徴収するようにさせた。当然、徴収率は落ちる。ユン大統領はKBSの経営基���をゆさぶっているのだ。
タパは2012年、当時の李明博大統領によるKBSやMBCへの弾圧に反発し、キムさんら退社した記者たちが立ち上げた。私が「あの時に時代が逆戻りしているじゃないですか」と言うと、キムさんがぽつり。
「そうなんだ、それが問題なんだ」
カフェで話をしてから1カ月半後、タパに検察の強制捜査が入った。
韓国の85%の記者が
タパは2022年3月6日、ユン氏が検事だった時代に、都市開発をめぐる融資ブローカーへの捜査を行わず、容疑を揉み消したと報じた。接戦だった大統領選の3日前の報道であり、ユン氏にとっては痛手だった。
だが、証拠として報じた音声ファイルをめぐり問題があった。タパの元専門委員が、都市開発の件を知るキーマンと話をした際の録音だ。元専門委員が12万2000ドルを、キーマンから受け取っていたのだ。
タパは報道時、両者に金銭のやり取りがあったことは知らなかったという。カネが賄賂であることも、そのキーマンと元専門委員は否定している。
しかし多額の金銭のやり取りは、音声ファイルの証拠としての信頼性を大きく損なう。カネを受け取った見返りに、元専門委員がタパに音声ファイルを持ち込んだと疑われるからだ。タパの脇が甘かったと言わざるを得ない。
ではユン大統領と検察がタパに対してやっていることは正しいのか?
私は絶対におかしいと思う。これは、大統領である自分に反抗してくるメディアを根絶やしにしようとする弾圧の一環だからだ。実際、検察はタパだけではなく、同趣旨の報道をしたケーブルテレビ「JTBC」や4人のジャーナリストにも家宅捜索している。
2023年7月~8月に韓国記者協会が実施したアンケートでは、回答した記者994人のうち85%がユン大統領のメディア対応について「間違っている」と答えた。
ムン・ジェイン前大統領の時と比べて、「報道活動が自由ではない」と答えたのは628人で63%だった。その理由を628人に尋ねたところ、次のような結果になった。
①報道機関に対する圧力(68.5%) 監査院の監査、放送通信委員会の検査・監督推進など ②記者に対する有形・無形の圧力(64.5%) 告訴、告発、出入り禁止など ③マスコミとのコミュニケーション不足(64.2%) ④無理なマスコミ政策の推進(59.6%) KBSの受信料分離徴収、YTN民営化、TBS予算削減など ⑤マスコミ関係機関(放送通信委員会、メディア財団などへの圧力と業務自律性の侵害(45.7%) ⑥不適切な人事任命の強行(43.5%) ⑦ポータルへの過度な介入(25%)
ニューヨーク・タイムズと共同通信
タパへの強制捜査から2カ月後の2023年11月10日、ニューヨーク・タイムズが今回の件を報じた。ユン大統領が、「フェークニュースとの闘い」という名目のもと、ジャーナリストたちを沈黙させようとしているという趣旨だ。
冒頭がおもしろい。
ユン大統領と仲間たちは、韓国に対する存亡の危機と見なすものを攻撃している。ユン氏の政党は、「反逆罪」として死刑判決を求めている。文化省は、国の民主主義を弱体化させる「組織的で汚い」陰謀を根絶すると宣言した。
この場合、被告人は外国のスパイではなく、ユン氏とその政府に批判的な記事を掲載した韓国の報道機関である。
日本の大手メディアはどうだろう。私が探した限り、この件を報じた大手メディアは共同通信の2023年9月23日付の記事だけだった。しかもその内容に愕然とした。
見出しは「韓国、偽ニュース対策を強化 政権側『反逆罪』、野党は懸念」。この時点でユン大統領側に寄り添うような記事ではないかと嫌な予感がする。
読み進めると予感は当たる。タパの強制捜査の背景について、フェイクニュースの拡散を指摘。あるフェイクニュースを事例として出した。
今年夏ごろには、サッカーのフランス代表選手が韓国人選手を低評価する日本人記者を冷たくあしらうような映像が拡散し、留飲を下げた韓国人のアクセスが集中した。後に偽の音声と字幕の合成が判明し、技術悪用への危機意識も広がった。
尹氏も21日「人工知能(AI)やデジタルの乱用」による偽ニュース拡散に警鐘を鳴らした。
「日本人記者をバカにするフェイクニュースがあったことだし、タパへの強制捜査は当然だ」とでも言いたいのだろうか。
記事の最後に「政府はファクトチェックの対象であって、主体にはなり得ない」 という韓国の有識者の声を載せてはいる。だが、匿名である上に取って付けたようにわずかだ。「反対意見も載せましたよ」というアリバイにしか思えない。
権力に寄り添って
問題は、権力者に寄り添うような態度は共同通信だけではなく、日本のマスコミに染み付いていることだ。抵抗するどころか、すり寄る。日本の権力者はやりやすい。
例えば自民党の裏金報道で、マスコミ各社はいずれ分かることを、東京地検特捜部から非公式に教えてもらっていち早く報道している。他社を出し抜くため、特捜部に寄り添う。
本来なら、自民党そのものに切り込むべきなのに、特捜部が安倍派を標的にしていることで問題が矮小化されている。岸田首相は「政治刷新本部」の最高顧問に、麻生太郎、菅義偉の両元首相を就かせると表明した。だが二人は「刷新」のイメージとは最も縁遠い。「最高顧問」などと仰々しい名前をつけていることを考えると、この期に及んで権力争いをする気だろう。
記者の功名心をくすぐり「エセ特だね競走」をさせておいて、自分たちは逃げ切る。それが権力側の意図なのだ。
権力に寄り添う今の日本のマスコミは、大本営発表を垂れ流していた戦時中と似ている。戦後、改善したものの最近になって逆戻りしたのか。それともずっと変わっていないだけなのか。
私は後者ではないかと思う。変わり方を知らない分、逆戻りより深刻だ。
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siteymnk · 5 months
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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gallerynamba · 6 months
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◆Blumarine(ブルマリン) なんばCITYミナピタポイント10倍参加◆
開催期間:11/23(木祝),24(金),25(土),26(日) 開催場所:Gallery なんばCITY本館1階店
上記期間、Blumarineが「なんばCITYミナピタポイント10倍」に参加。 当店では、正規輸入代理店より正式許可され取り扱いしています。 多数のショーサンプルを揃えました。 ブルマリンは日本撤退の為、全国百貨店の直営店を閉鎖しました。 現在は極限られたセレクトショップでしか入手出来ません。 弊店はコンサバティブな商品よりも、本来、ブルマリンの真骨頂であるグラマラスな作品を重視しています。 ブルマリン全盛期を彷彿とさせる作品群で有ると自負しております。 今後店頭ではますますブルマリンが入手出来なく成る為、ブルマリンファンの御客様は是非この機会にGalleryなんばCITY店をご利用下さい。 スタッフ一同、心よりお待ちしております。
【 2023年度分、最後のポイント10倍! 】 11/23(木祝),24(金),25(土),26(日)の4日間、ミナピタポイントが10倍! 通常は110円(税込)で1ポイントのところ、期間中は110円(税込)で10ポイントを進呈。 御買い上げ額の約10%のポイントが付与されます。 御支払い方法は現金、クレジットカード、ギフト券、ミナピタポイント利用併用等、選択自由。 貯めたポイントは各店舗で1ポイント1円として御利用頂けます。 ポイントカードは店頭にて即時発行可能。 入会金、年会費無料。 ※御取り置きの精算や内金、残金、先払いもポイント10倍対象です。御取り置き商品の精算には最も御得な機会です。 ※店頭で精算時に付いたポイントをその場ですぐ次の御会計へ御利用出来ます。 ※通販、修理代はポイント10倍の対象外。
【ブランド解説】 ブルマリン(Blumarine)はイタリアのファッションブランド。 アンナ モリナーリ (ANNA MOLINARI)はイタリアのカルピ生まれ。ブランドのスタートは1977年、現在の夫であるジャン・パオロ・タラビーニとともに活動を開始したところから。 アンナ モリナーリは地元レッジョ・エミーリア県カルピの伝統産業であったニットウェアから事業を始める。 ニット事業を始めたきっかけはアンナ モリナーリの父親はカルピで有数のニット工場を経営していたことも影響。 工場は「フランスの有名ブランドの下請け」的な仕事が多かった。 アンナ モリナーリは幼少のころから毛糸に親しみがあり、美術学校を卒業後、親の事業を引き継ぐこととなる。 そのときアンナ モリナーリは下請けではなく自身のブランドで勝負する」ことを決意。 彼女の夢を叶える大きな力になるのが夫、ジャン・パオロ・タラビーニ。 彼はオーストリアの貴族で名家出身。 彼が家内工業出すぎなかった会社を組織化し、徐々に仕立て業へと移行させた。 ファッションブランド設立のために1977年ブルフィン社を設立。 1980年、好きな海にちなんで名づけた「ブルマリン(Blumarine)」コレクションをミラノのイタリア国際ファッション見本市で発表。 そこで最優秀デザイナー賞を獲得。 87年からミラノコレクションに参加。 95年には「ブルマリン(Blumarine)」と普及版との違いを強調するため、新たに「アンナ モリナーリ」を発表。 デザインは1998年春夏から娘のロッセラ・モリナーリが担当。 ロッセラは、ボローニャの大学でアート、ロンドンで語学とアートを学ぶ。 イタリア「ヴォーグ」で働いた後、94年、母のブランド「ブルマリン アンナ モリナーリ」のアートディレクターとして参加していた。 96年、カジュアルラインとしてブルーガール(BLUGIRL)をスタート。 2019年、ビー ブルマリン(Be Blumarine)をスタート。 既存のブルーガールを進化させた、ファニーでフレッシュなウイメンズコレクションになるという。ビー ブルマリンのファーストシーズンは2019-20年秋冬コレクションとなり、ミルコ・フォンターナ(Mirko Fontana)とディエゴ・マルケス(Diego Marquez)がデザインする。 尚、ブルーガールは2019年春夏コレクションで休止となる。 2020年秋冬コレクションより、ニ コラ・ブロニャーノがブルマリンの クリエイティブディレクターに就任。 彼は2015年春に自身のブランド 「 ブロニャーノ(Brognano)」を立ち上げ ている。
Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1F 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】年内無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【Blog】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【online shop】http://gallery-jpg.com/
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shukiiflog · 7 months
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ある画家の手記if.121  告白 夏祭り
新居の近くには綺麗な池のある広々した公園があって、気が向いたら僕はその公園の池の前のベンチで絵を描いてる。
池の水は溜まりっぱなしじゃなくて公園の外堀の浅い川を巡らせてあって、いつも透明度が高くて綺麗。魚もいる。魚を狙う鳥もくる。 いつも隣のベンチにいてスズメにパン屑をあげてるおじいさんとか、池のまわりをランニングしにくる学生とか、公園に日課で訪れる人たちがいて、僕も通ってるうちに友達が増えた。 静物画を描いてた頃は絵を描くために外に出る必要はなかったから知る由もなかったけど、衆目のある外で堂々と絵を描いてるとちょっと目立つし周囲の興味をひくものらしい。スズメのおじいさんにそう言われた。 そんな公園の友達から、近々この公園で夏祭りが開かれるっていう情報を得た。毎年の恒例行事なんだそうだ。 「直人くんも来てみたらどう?お家は歩いてこれる距離なんでしょう」 「…そうですね。息子と一緒に来ようかな、あの子も夏のお祭りは初めてかもしれないし」 「そういえば息子さんいらっしゃるんですよね、今何歳なんでしたっけ」 なぜか僕が親しくなった相手に香澄のことを話すといつの間にか相手の中で香澄が幼稚園児くらいになってる。 もう成人してますよって言って証拠の写メを見せるときはだいたい絢と香澄のツーショット写真を見せる。 最初に香澄単体の写真を見せて一目惚れとかされたら困るから、となりに香澄とはまた趣の違う華やかで派手な絢もいたら見せられた相手も何がなんだかよくわからなくならないかなとか。実際まあまあそんな感じの効果は上がってる。絢ごめん。 顔立ちだけなら僕と香澄より僕と絢のほうが似てることになるのかもしれないけど、写真を見せても絢のほうを僕の息子だって思う人は意外と少ない。僕も絢もそれぞれ新しい家や家族に馴染んできたのかな。 僕は夏祭りに行ったことは多分ないけど、香澄と行った旅館の初詣でみんな着物着ててお店がたくさん出てた、あんなかんじかな。
前のマンションは立地は住宅街の中だったけど、マンションの方針としてその地域での町内づきあいは一切絶ってあった。今はそういうのが何もない普通の一軒家だから町内の報せとかもご近所から回ってくる。 かいじゅうくんの形のポストに入ってた夏祭りのチラシを取りだして見ながら、簡単に添えられたお祭りのイラストでなんとなくの雰囲気を知る。描かれてる人、みんな着物…浴衣?だ。僕がポストの頭を撫でながらチラシを見てたらちょうど出かけてた香澄が道の向こうから帰ってきた。 最近香澄はよくイキヤのマンションに通ってる。 最初は部屋を貸した身として僕が通って様子を見るべきかなとも思ったけど、結局僕がいつまでも仕事してて行けないでいたら香澄が行ってくれてた。香澄はときどき車出したりもしてた。 二人はけっこう仲良しみたいだ。それは少し、わからないでもない。 イキヤの人間関係はこれまでほとんど画家やそういうことに携わる現場の人間で埋め尽くされてきてる。家庭内にも今は別の画家がいるだけだし。性格や気性を問わず画家同士で穏やかに優しくしあうだけってことにはならない。…その分、誰かに優しくしたい気持ちがずっと行き場をなくしてたりする。 帰ってきた香澄にお祭りのチラシを見せて笑う。 「これ、すぐ近所だし、一緒に行ってみようか」
そんなわけで当日の夕方、まずは自宅まで知り合いの着付け師の子に来てもらった。 浴衣もそこで前もって僕と香澄のぶんを買っておいた、お正月の旅館で知り合った貸衣装をしてたおばあちゃんの呉服屋さん。 あれから何度か仕事でおばあちゃんのお子さんたちにうちに来て手伝ってもらって、ちょっとだけ顔なじみになった。じゅんちゃんとゆなさん。 肖像画の内容にもよるけど、モデルがよく映える服や小道具が欲しいってときもあるから、そういうときに。うちのクローゼットにある服は僕と香澄のを合わせても、お互いに系統が揃ってる上にサイズが大きくてあんまり使えない。 買った浴衣は香澄が白で僕が濃い紫。旅館のときと違って香澄も今回は男性ものの浴衣で、二人とも柄はそんなに派手じゃない。旅先と違って行くのは近所の夏祭りだから、目立つ格好して歩いて妙な虫がついたら払うのに苦労しそうで。 今日は和服だから呼んで来てくれたのはじゅんちゃんだった。浴衣を綺麗に着付けてもらったお礼を昼間に焼いたクッキーと一緒に渡して、二人でお祭りに出かける。布を買って僕が作った簡単な浴衣を出がけに留守番するノエルに適当に着せたらじゅんちゃんに一度脱がされて着付けしなおされてた。
ちょうど陽が沈んだくらいのタイミング。外は昼間に比べたら少し気温も下がってきてる。 となりを歩く香澄の髪にはかいじゅうくんの簪が刺さってる。クリスマスに僕が慧にもらったものだったけど、僕より香澄が使う方が似合っててかわいいからそうしてる。…この方が慧もきっと喜ぶ。 香澄はバレンタイン…本人曰く「誕生日プレゼント」に、まことくんから髪留めをもらって、仕事の日とかによく使ってる。香澄は自分でそういう物はあんまり買わないし僕があげた覚えもなかったから訊いてみた。香澄が友達同士で物を贈りあったりすることにまで口は挟めないけどね。僕が無言でじーっと髪留めを見てたら視線に気づいた香澄は不思議そうに首傾げてた。
公園に入る前から外の道にも普段よりたくさんの人がいて、すでにかなり賑わってた。浴衣姿の人も多い。 はぐれないように手を繋いでたいけどご近所さんも来てそうだから無理かなぁ。 池のまわりをぐるっと夜店が囲むようにどこまでも連なってる。夜店は簡易テントみたいな作りで、高い鉄パイプみたいな骨組みを通してぼんやり光る提灯が頭上に並んで浮かんでる。 香澄と一緒に風を受けてとりあえず見て歩いてるうちにあっという間に空が暗くなって夕方から夜になった。提灯と夜店とところどころの街灯の灯りだけになる。 「あ」 思わず声が出た。飾りみたいにたくさんズラッと並べてあるのの中に、かいじゅうくんがいた。他にもいろんなキャラクター…?色々並んでる。顔だけ… 周りの人たちが買っていく様子を見てると、あれは顔につけるお面らしい。 迷わず買って香澄の頭に装着する。 「…?これって顔につけるんじゃないの?」かいじゅうくんのお面を香澄の頭の斜め上あたりにつける僕に香澄がほわほわ顔緩ませながら訊いてきた。 「香澄の顔が見えなくなったら僕が寂しいからね」 綺麗に装着し終えて満足してたら香澄がさらにほわほわ笑ってた。にっこりしてかいじゅうくんのいないところの髪の毛を梳いて撫でる。 僕はかいじゅうくんと比べたらやけにリアルな描写の般若面を買った。リアルで怖いからあんまり売れてないらしい。僕は首から下げた。背中側に面がくる。般若って女性じゃなかったっけ、とか思うけど、威嚇になる表情ではある。背後の警戒を般若面にお願いする。 二人でかき氷を買って食べ歩く。香澄がオレンジ、僕がブルーのやつ。二人でスプーンですくってお互いの口に運んで食べ比べてみる。どっちも冷たくておいしい。 射的のお店があったから香澄と二人でやってみる。ゴムを飛ばす鉄砲みたいなライフルみたいなやつを使って景品を撃ち落としたらそれをもらえる。 まずやってみた香澄が何発か撃ってお菓子箱を一個撃ち落とした。香澄はこういう体験は初めてだって言うから「コツを掴むのが上手だね」ってにこにこ上機嫌で褒めた。 そのあとに、香澄がちょっとだけ欲しそうに見てたウサギのぬいぐるみを僕が狙う。ルールに則って決められたラインから踏み出さないで鉄砲を構える。着物の袖が邪魔で肩までまくし上げる。たすきがけとかできればよかった。 僕は腕が長いから普通に構えただけでちょっとズルしてる感じになってるのかな。ゴムをつけ直してウサギを何度か撃ったら置かれた位置からずれてバランスを崩してウサギが落ちた。 店の人から受け取ったウサギを香澄に渡したら嬉しそうにしてた。垂れた耳。まだ留学から帰ってきてない絢のことを連想したのかな。 絢は今、まことくんとオーストラリアに留学に行ってる。日本国内ではなんの気兼ねもなく自由に好きなように活動するのが難しいのかもしれないからよかったとも思う、同時に、僕も香澄も心配な気持ちもあった。 だから僕が庭の樹から少し削りだして、二人でお守りを作った。木彫りかいじゅうくんのキーホルダー。 半分くらいのところまで香澄に作ってもらって、僕は最後の仕上げと少し整える程度のほうが絢は喜ぶかな、と、思ったんだけど、あまりに面妖な初期段階が香澄から提出されて僕は思わず難しい顔になった。なにかの形象をあらわしているとおぼしき木片の突起部分を落としていったらネット検索で閲覧に年齢制限がかかるような姿になったのでさらに削って削って磨いていったら最後にかろうじて残ったのはころんと丸っこい鈴みたいな形のかいじゅうくんだった。雛かもしれない。 お祭りはまだ見てまわるけど僕が撃ち落としたウサギは手荷物になるから一旦僕が香澄から預かる。 ヨーヨーがたくさん水に浮かべてあるのを二人で発見。香澄がすくってとった。歩きながら楽しそうに手で弾かせて遊んでるから、預からないで香澄に持たせたままにする。 頭にかいじゅうくん、手に水色のヨーヨー。着物を白にしてよかった。香澄の髪の色がよく映えて綺麗。 夜店の焼き鳥とかクレープとかホットドッグの匂いが漂ってくる。僕らは家で早めの夕食を済ませたから匂いだけ。公園のみんな曰く、お祭りの夜店で売ってる食べ物全般は内臓や消化器系によほど自信がないと食べるのは分の悪い賭けなんだそうだ。たとえよく火が通されたものでも油が怪しかったりするらしい。 みんなに団扇を配ってる人がいたから僕もひとつもらって、首筋をあおいで風を通す。じゅんちゃんに片側に流すみたいな幅の広めの紐を一本絡ませた編み方にされたから、いつもみたいに後ろで縛ってるより暑い。 となりで香澄の歩くスピードが少しだけ落ちた、様子からして下駄で少し足が痛むみたいだった。 僕も下駄は履き慣れないけどいまだに全然痛くならないから油断してたな… 少し人混みから逸れた場所に入って、香澄の前に片膝をつく。 「ここに足乗せてごらん」自分の立てたほうの膝をトントンと示して香澄の片足からそっと下駄を脱がせた。そのまま僕の膝の上に乗った白い足を診てみて、すぐに病院に行く必要があるような怪我はまだないことを確認する。 それでも鼻緒があたる箇所は少し赤くなっちゃってるから今日はこの辺でもう帰ったほうがよさそうだ。片足ずつ僕の膝に乗せさせて、その間に僕は自分のハンカチを歯でいくつかに裂いて破って、香澄の下駄の緒の部分を外して抜いて、そこにひとまずの代替にハンカチを通していく。ハンカチが柔らかいガーゼ生地だからもとの頑丈な緒に比べれば痛くないかもしれない。 一度香澄に履いてもらってから、すぐ脱げないけど締めつけない程度に長さを調節した。 家までならなんとかなりそうだったからそのまま二人で帰ろうとして、帰る途中で二人して見つけてしまった。 すぐそこの、ビニールプールみたいなのの中にたくさん金魚が泳いでる…。 香澄と顔を見合わせる。 「足は痛くない?」 「うん。すごく楽。」 「…じゃあ、あれだけ最後に見て帰ろうか」 足を痛めないように、ゆっくり水槽の前に二人でかがんで元気に泳ぎ回る金魚をじっと見る。 …体が白くて…頭だけ朱いのがいる。小さい… 「あの子香澄に似てる」 指差して香澄に言いながら、お店の人にすすめられるまま金魚をすくう小さな道具をもらった。指先で触って確かめる。薄い紙が貼ってあるのを水につけて金魚をすくうみたいだけど、紙の目がどの向きなのかとか裏表とか、踏まえておいたら少しはたくさんすくえないかな…。 「…ん  香澄どこ行った?」 「あそこ!」 僕が道具を見てて見失った香澄に似てる金魚を香澄がずっと目で追跡しててくれた。香澄が指差す先に腕を伸ばしてひとまず一匹目を無事にすくう���香澄確保。 そのあとも僕は香澄に「どの子がいい?」って訊いて、香澄が選んだ子をすくって、五匹すくったところでとうとう紙が破れた。 金魚をもらっていくかここに放して帰るか訊かれて、もらって帰ることにした。
荷物が増えたし夜も更けてきたから、今度こそ本当に今日はこのあたりで帰ることにする。 特に金魚の入った袋を持ってからは僕も香澄も少しおたおたした。生き物が入ってるし、一緒に入れてもらった水は少ないし、袋は歩いてたらどうしても揺れるしで、このままじゃ帰り道の間に弱って死んじゃうんじゃないかと思って。 楽になったとは言ってたけどやっぱりいつもの香澄の歩くペースよりは遅いから、公園を出てうちまでの道の真ん中あたりにきてからは、香澄に金魚を持ってもらって僕が香澄をおんぶして帰った。 香澄をおんぶしたり抱っこして運ぶのが好き。僕も昔小さな頃によくそうしてもらってた。どこへ連れてかれるのか分からない状態でも安心していられるその人との関係が大事だった。今僕の背中で疲れたのか少しうとうとしてる香澄に、嬉しくてにこにこする。あんな安心感を、香澄にあげられたら。 お祭りはあと二日、今日みたいな感じで続くらしい。時間があれば、次は普通の動きやすい格好で寄ってみようかな。
お祭りの夜は家に帰ったら浴衣を脱いで、香澄とうさぎと一緒にお風呂に入った。 香澄を洗ったあとでうさぎも洗って清潔にした。さっぱりしてから普段着に着替えて急いで一人で車を出して金魚を飼うために必要なものを買いそろえてきた。あんな少ない水と袋に入れたままだと一晩で死んじゃうかもしれない。 ひとまず金魚たちを無事広い水の中にうつしてから眠った。
次の日、元気に泳ぐ金魚たちを見ながら、香澄と相談して何人かに金魚を譲る相談を持ちかけてみることにした。 香澄がイキヤに連絡してみたらイキヤは今のマンションの部屋で飼う形でもらってくれるらしい。僕が情香ちゃんに連絡してみたら、長期間部屋を留守にすることもままあるから少し難しいって言ってた。 五匹。白い体に赤い髪のかすみはうちで飼いたい。けど、かすみは一番体が小さくて餌を食べる順番争いでも弱いみたいだから、ほかの子と一緒に飼ったら競り負けて弱っちゃうかもしれない。誰かもらってくれる人…
まだ陽の落ちきってない夕方に今度は浴衣じゃなくて動きやすいいつもの服で、香澄とまたお祭りに行ってみる。 一度来てるから二人ともあんまり気構えがなくて、お祭りを満喫するというより散歩の延長みたいな感覚で。僕は今年の夏祭りの見納めのつもりであちこちを見回す。 僕の横で香澄は今日もかき氷を買って食べてる。僕もたまにスプーンでもらって食べる。 特に目新しいお店が増えてるわけでもなかったから、香澄にそろそろ帰ろうか、って 声をかけようとした瞬間だった 場にそぐわないすごい勢いで僕らの脇を走り過ぎていった男にぶつかられた香澄が 跳ね飛ばされるみたいに 池に落ちた 「ーーーー 香澄!!」 大きな水飛沫と人が落ちた音に周囲からいくつか悲鳴があがって周辺が騒然とする ここの池は綺麗なほうだけど深くなってるところは深い 香澄が一人で岸までたどり着くのは難しそうで僕も泳げるわけじゃないけど迷わず飛び込もうとしたとき、 カンカンカンと乾いた音がした 鉄パイプの屋台骨を踏みつけて走る音? 考える暇もなく夜店の屋根の上から細い人影が舞うように池に飛び込んだ ーーーいつもの特徴的な裾の長い上着は着てなかったけど見間違いようのないシルエットに 僕は香澄とは逆方向に走り出す 信用なんてしたくもないし信用したからこうするわけでもないけど、泳げない僕がたどたどしく救命ベストとか持って自分も池に飛び込むよりあれのほうが確実に香澄を助けられる ああもう 言いたくないけどあれは死生観とか倫理観とか常識とかそういうのが一切通用しないわりにどういう理屈だかこういう場面では迷いなく人命や人権を最優先したりする、あれの倫理観がとくに意味不明になるのは七ちゃんやイキヤや少数の大事な人間相手なのか 知るかそんなこと、ただおそらくこの場ではあれは香澄を助ける 学生時代からいがみ合ってきたから逆にソリの合わないフィーリングは嫌ってほど把握してる 僕の方が歩幅が広いし絵を描いててかなり体が鍛えられてたから、走ったらすぐに追いついた 香澄を突き飛ばして池に落として逃走しようとしてた男  腕を後ろからガシっと掴んだ、暴れて抵抗してきたから前方の空間に誰もいないのを確認して男の腕を掴んだまま前に回り込んで男の体を一度僕の肩と背に軽く引っかけるように乗せて空中で相手の体を大きくひっくり返すみたいに投げて前方の地面に叩きつけた 本気でやると全身あちこちに骨折や打撲を負わせる悲惨なことになるから、あくまで逃走防止の範疇を超えない程度に抑えた 倒れた男の両手を背中でねじりあげて背に乗っかるみたいに膝を当てて体重をかけて地面に這いつくばらせる 「あのね。こんなくだらないことしてないで僕は池に落ちた息子についてたかったんだ、心配だし、僕があの子を直接的に助けられなくても君にこんな風に構ってるよりは幾分かマシだよ僕の気分がね、でもこの祭りに来てるってことは君も近隣住人の可能性がある、そんな人間を正体不明のまま逃して野放しにするのも気持ちが悪いからね…」 取りおさえたまま今思ってる恨みつらみを男にずらずらストレス発散みたいに言い募ってたら、全身びしょ濡れになった香澄と行屋が池から無事に上がって僕のところまでやってきた。行屋が連れてきたというより香澄が僕のところまで来てくれたみたいだ。 「香澄!怖かったね…息ができなくて苦しい思いはしなかった?」 香澄をぎゅっと抱きしめたら、濡れてるせいかもしれないけど元々低めの体温がいつもよりさらに低い。真冬だったらショック死してたかもしれない… 僕の体温であっためるように抱きしめたままきゅっと閉じた目尻に薄く涙が浮かぶ …こわかった 「…池の水は清潔じゃないし、もう夜だけど今から一緒に病院に行こうね」 香澄から少し体を離して安心させるように微笑みかける。本当は救急車を呼びたかったけどここに呼んだらたくさんのいい好奇の目の的にされそうで、悩んだ末に呼ばなかった。 香澄は行屋のいつものマントみたいなカーディガンみたいなエスニック調の上着をバスタオルがわりにして頭からかぶってる。こっちを見てくる他人の視線から髪や顔や特徴的な部分をすっぽり隠せてる。そのために飛び込んでったときいつものこれは濡れないように着てなかったのか…? 行屋は僕がおさえてた男の背中を容赦なく踏みつけて、いつもジャラジャラ首から下げてるネックレスだかペンダントだか天然石がたくさん連なった長い首飾りの中から日本の仏教の行事で使う仰々しい数珠みたいなやつを一本首から外すと、僕が背中で束ねてた男の両腕を寝違えそうなほど引っぱってそれで縛り上げた 「…そんな繊細な装飾品、僕なら簡単に引きちぎるぞ。こんなものが手錠がわりの拘束になるのか」 あんまり行屋を見たくないので見ないようにしながら言ったら、行屋はとくに気取ったふうでも得意げなふうでもなくあっさり答えた。 「数珠を通してんのはピアノ線だ」 そう簡単には千切れないって言いたいのか ていうかそんな仕掛けあったのかそれ… 本人は歌うような口調で、数珠はいいぜ、海外でも宗教上の理由とか言や結構やべえときでも没収されずに見逃される、とかなんとか嘘か本当かわからないことを言いながら、さらにきつく縛り上げてる …に、しても、こいつが人命救助に加害者の捕獲… 行動に一貫性がある…とうとう気が狂ったのか? 「お前いつから善行に目覚めたんだ」 行屋は造形的にはそれほど大きくない口元を三日月みたいに大きくにんまりさせながら言う。 「飛び込みと捕り物は祭りの華だろうが」 「…」 やっぱりまともな理由じゃなかった。香澄が池に落ちたのも僕が突き飛ばした男を捕まえたのも、祭りにそえる花というか一等祭りを盛り上げる余興というか…そんな感覚なのか…?   いや、理解したくない。ここまで。 行屋もそこでくるっと向きを変えて、薄着一枚でずぶ濡れのまま、まるで寒そうな気配もなく一言の挨拶もなしにまた身軽に夜店の屋根に登って身を翻してテントを飛びこえて、あっという間に姿は見えなくなって、祭りの中から去っていった。
その日はすぐに香澄を病院に連れていって診てもらった。 そんなにたくさん水を飲んでなかったおかげなのか、特に体に異常はなし、外傷もなし。医師は多分大丈夫だろうって言ってたけど、細菌とか諸々の検査をしてもらって、後日検査結果を聞きに来ることになった。 香澄を池に突き飛ばしていった男は僕が警察に引き渡した。お祭りの中で起きた事故だっていうんでお祭りの運営にも事の一部始終の説明を求められた。本人曰く、道を急いでいて不注意で偶然香澄に体がぶつかってしまい、そんなつもりはなかったのに香澄が池に落ちてしまって、深い池だったからそのまま溺死させてしまったらと思って怖くなって逃げた、僕に捕まったとき抵抗して暴れたのもそういうことで、香澄個人を狙った意図的な行動ではない、と。 僕はそれを鵜呑みにはしないし、まるで香澄が落ちたせいみたいな言い草がすごく不快だけど、それ以上個人的に関わるのも嫌だったからあとは警察に任せた。
香澄視点 続き
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