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#焼肉とみ横浜関内店
myonbl · 1 year
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2023年8月13日(日)
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今回の東京行で一番驚いたのは、JR東日本の運賃だ。新横浜から桜木町までが178円、桜木町から御徒町までが571円、御徒町から東京までが146円、みな1円単位となっている。調べてみると、<IC運賃>という制度が適用されているとのこと、消費税率が8%に引き上げられた2014年4月からのことらしい。なるほどなぁ、自販機ではこんなことは面倒でかなわないが、記録ができるICならではの芸当だ。しかし、私は10年近く東京へは行っていなかったと言うことになるのか・・・。
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6時起床。
ホテルの朝食は、3つのセットからの選択、持ち帰って部屋で食べるというやり方だ。
早々に東京駅まで移動、新幹線構内で土産物を購入する。
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無事に乗車、ほぼ満席状態。
京都駅で息子たちに弁当を購入して帰宅する。
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まずは日めくりをめくる。
同居猫はそれなりに元気だったようで安心、明日はクリニックを受診する予定。
昨日の日誌を書く。
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ランチ、息子たちは<京のお肉処 弘>の弁当、私たちは伊勢うどん���
ツレアイはあちこち買い物に走る。
私は今回の経費精算、現金は一切使わず、移動はIcoca/Suica、ホテルや買物はPayPayで済ませた。
軽く午睡。
半熟酢卵仕込む。
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早めの夕飯、浜峰商店の<天然ぶりのたまり干し>を焼く。
録画番組視聴。
五街道雲助 落語「浮世床」
初回放送日: 2023年8月13日
重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定されることになった五街道雲助さんの落語「浮世床」をお送りします(令和5年6月9日(金)収録) 【あらすじ】江戸時代の髪結床(かみゆいどこ)。髪を結ってもらう場所の奥には座敷があり、順番を待つ人のために将棋盤や貸本などが置いてあった。ここにはいつも町内の若い衆がたむろして、へぼな将棋を指したりしている。太閤記を読んでいた男は、声に出して読めと言われて…
(29)「ソア橋のなぞ」
ジェレミー・ブレットが演じたシャーロック・ホームズのドラマシリーズ。大富豪の妻が殺され、若き家庭教師の女性が逮捕される。動機は愛か?財産か?ホームズが謎を解明! 大富豪ギブソンの妻が遺体となって橋の上で発見され、当家の家庭教師のグレースという女性が逮捕される。夫人は頭を撃たれており、凶器と思われる銃がグレースの部屋から見つかっていた。だが、ギブソンは彼女の無実を主張。ホームズに捜査を依頼するが、グレースとの関係を問われて激高し帰ってしまう。結局、正式な依頼はされなかったものの、グレースを救うためホームズは捜査に乗り出す。イギリス1991年制作。
片付け、入浴。
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血圧は比較的落ち着いて推移している。
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さすがに3つのリング完成は無理、水分は1,660ml。
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odorugogo · 1 year
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仙台旅
仙台を旅してきたので旅行log残しときます!🤟
むらさん内田雄馬のコンサートいきませんか?と今年初めくらいに声かけてもらっててそれなら仙台かなあ言うたら本当に仙台に行ってた。仙台に行きたかったので行けてよかったです❕
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四時起きで空港にたどり着いたむらちゃん、実は前日パリライ(あんステのライブのこと)に行っており興奮して寝付けず夜中の2時から荷造りをしている。なんなら頭の中でEdenがまだ踊っている。最高のライブの後ということでテンションも高い。そんな感じで関空に着いた。関空に着いたら朝ごはんや!言うて店入ったらからあげ定食、牛丼、肉うどん、カレーというゴリゴリ飯しかなくて心がそがれた。
このクマちゃんは友達がパリライでくれたので一緒に仙台に連れてって写真バコバコ撮ってやるよ……❕って持ってきた。ちなみに写真はあと一枚しか撮ってない(ごめんね)
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意識が高いので(?)飛行機内では内田雄馬さんを聞いまくり、これからわたくしは内田雄馬さんのライブに行くんだ……という気を高めていた。
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📍仙台駅
という訳でこれは仙台駅ですね。
空港から仙台駅秒な気がしてたけど普通に30分くらい掛かったから全然秒ではありませんでした。仙台と言えばここだから写真撮っときなというフォロワーの助言で撮影。ちなみに早朝の空港までわざわざ何故か迎えに来てくれたのですごく優しかったです。ありがとう仙台フォロワー
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📍青山文庫
地元民のオススメの店に連れてって(嫌な無茶振り)と言ったら駅近くのカフェに連れてきてくれました。私はアールグレイとモーニングのセット頼んだんですがほんとはエシレバターのクレープ?が食べたかったです!朝は頼めないらしいので地元の人がいたらエシレバターのクレープ食べてください。本当に食べたかった。上手くないわけないもんな…
食べてる間に仙台フォロワーはライブに備えて消えていきやきとち先生が迎えに来てくれました。今回の旅行はほぼやきとち先生と一緒です。やった~
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📍ホテルモントレ仙台
とりあえず荷物を預けにモントレにきました。実は生まれて初めてのモントレです!うれしい。ずっと来たかったのでモントレデビューを果たせて感無量でした。また後ほどモントレの話はします。とりあえず荷物を預けてそばでEveちゃんを並べました。
(これは人通りが少なかったから出来たこと)
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うん、Eveちゃんもモントレに来れて嬉しそうだ。
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📍むかでや履物店
ジョジョの4部の作中に出てくるお店らしい(へえ~)ジョジョに詳しくないのですがお店にはたくさんジョジョのサインとかあってオタクだったら嬉しそ~と思いました。キャラクターの名前で領収書くれるらしい(すべてにわかなのでらしいと付けてしまう)あと普通にお店の中がかわいいし落ち着いてて大変良かった…!お財布欲しいな。普通に。
仙台、土日の割に人が少ないし軽やかな演奏が商店街から流れてくるし無料で珈琲くれるし道に木々が生い茂ってるところが多くて長閑で大変いいな…と歩きながら思ってました。ここが土日の大阪スラムタウン難波ならどこかから怒声が聞こえてくるのにそういうのがあんまり無かった、すごいな(そんなんと比べるな)
で、観光したいよね!という話になって仙台と言えば伊達政宗…伊達政宗を見に行こう‼️つって伊達政宗像を目指すことに。そこで利用したのがるーぷる仙台です。
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(公式画像引用失礼)
神戸のシティループみたいでかわい~♡と思いました。これで観光名所の山辺りを回ってくれるらしい。山登るのはキツイからめちゃくちゃ便利‼️これで伊達政宗にだっておきがるに会いに行ける🎶と思って待ってたらもうすげ~~~~~バスがぎゅうぎゅうなんだよ!すげ~の、仙台一混んでた。瑞鳳殿で大量に人が降りたことで座れて座れてからようやく運転手さんが観光スポットについての案内をしてくれてることが耳に入ってきた。
なんかこう…仙台にも方言?あるんですかね。運転手さんがなまってて可愛かったです。可愛いと思える訛り羨ましいなと思いました。あと、瑞鳳殿、いつか行きたいです。今回はたそライブがあるので伊達政宗の面だけ拝んでいきます。
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📍仙台城跡
こ、これは、……伊達政宗……………………⁉️
実はやきとちさんに行きたいと言われるまで伊達政宗が仙台の藩主ということを失念していました。仙台城跡地あたりから見る下界広大で空気美味しかったー!!!今年?は閉まってるらしい仙台市博物館にも行きたかったのでまたの機会に行こうと思います。あと伊達政宗像の横でとうもろこし売ってました。仙台名物なんですか?🌽
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伊達政宗のすぐ側には謎の鷲?もいました。かっこいい。
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📍宮城県美術館
画質ガビガビなのはインスタ動画クオリティだから。国際センター駅まで歩いてる時に宮城県美術館の前通って寄ってかね?という話になり見てきました。
伊達政宗と杜の都・仙台展って名前らしい。杜の都……!?確かに!と思った。豊かで素晴らしい。伊達政宗関連の展示~日本の近現代美術名作選とか色々あって普通に見るのに普通に2、3時間かかってたと思う。あとね、ぐりとぐらの作者の方の展示があってすごいかわいかった。絵本ってあんな結構切ったり貼ったりみたいな感じで作られてんだと思いました(説明が下手)
仙台フォロワーに牛タンなら善次郎だよって言われたから善次郎に行ったら100人以上待ってると言われてビビりまくった。な、なに~ッ!?いうて。。全然もうこう…仙台さんが長閑な感じだから舐めきっててそんなに並ぶと思わず滝汗をかく我々。だがしかし、どうしてもたそライブの前に牛タンを味わいたい……!となり仙台駅内の牛タンエリアへと助けを求めることになった。
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📍味の牛たん喜助
わーい!牛タンだー!じつは焼肉以外でタンを食べるの初めてだったんやけど(まあほぼ変わらんやろ)と思ってたけど厚切りの牛タンはうっ~まい……うまいんだ、これ。めちゃくちゃ美味しくてうまーい!!!といってたら横に付いてきた福神漬みたいなんがガチ辛くて泣いた。
美味しい牛タンなので正味あと10切れくらい食べれた。食べれたけど内田雄馬さんのライブに向かうため渋々店を出ることにする。
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📍電力ホール
電力ホール内に着いたらなんかすごいみんな青い服とか髪で驚いた。内田雄馬さんのカラーらしい。内田雄馬さんって青がメンカラなんだ(当方内田雄馬初心者)
電力ホールの凄いところ、7階にある所なんだけどスタッフさんが「基本的に出たら再入場できません!飲み物はなんか…、下のファミマとかで買って上がってきてください!」って言っててすげー、チケット持ってても再入場できない現場初めてだ!?と思った。あと自分で半券もぎってくれってアナウンスにも驚いた。初めて自分でチケットをもぎりました。
感想は割愛しますが楽しかったー!ペンライトふわふわ芸人だったけど内田雄馬さん近くで見るとうわ…内田雄馬さんだ……になれたしあと声が良すぎる。声が良すぎるのに笑い方の癖強すぎて宇宙猫の顔しました。
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内田雄馬さん置いときます
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📍ホテルモントレ仙台
見てくださいこの可愛さを。。❕レトロでかわいいよね~かわいいかわいい😭特にエレベーターが好きです。上のなんか針(?)みたいなのが上あがっていく度に動くのがちょっとアナログで良すぎる……!語彙なし!!
お部屋も広くてらぶりーでさいこうだった。。大はしゃぎで部屋でぬい撮影会をしました。駅からも近いしアクセス良すぎるのでみんなもモントレに泊まってください(?)
ホテルでやきとちさんにアイナナのライブを見せてもらってアイナナっていいな……!になった。あとŹOOĻのササゲロを聞かせてもらってからササゲロが離れなくなった。ちなみにササゲロはこれです
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騒いでたらもう2時付近。NAVITAIMUを見て恐ろしいことに気付く。
次の日は福島に行く予定だったのですが、飛行機の時間を加味して余裕を持って帰って来れる理想の出発時間が朝5時30発の電車。つまり、4時起き。
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突然地獄のアラームを見せてしまい申し訳ございません。これに出れなかったら死ぬど………………………………のモードになりホテルで音速睡眠会になった。そして二人とも眠りについたのが恐らく2時過ぎ…。
むらちゃんはこの時、3時半に一度起き、寝起きのテンションが元々最悪なのもあって自分でつけたこのアラームを無理やろいうて全部消して二度寝している。戦犯は自分なのに起きた時被害者ヅラしてえ。。。起きれなかった!?と言った。サイコパスすぎる
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おはよう、いい朝だね(寝坊)(10時)
ということで福島に行けなくなってしまったので別のことをすることにしました。そう、かわいいカフェに行く、ということです。
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📍牛タン炭焼 利久
これはたそがライブで食べてた場所です!たそがたべてたにゅうめんが食べたいということでやってきたもののまあ、にゅうめんがない。横浜限定メニューらしい。
ということでむらちゃんは馬刺しユッケと仙台牛ステーキをたべました!!うまい!!🥩
肉ならなんでも美味い!!
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📍Adapt
まんがチーズケーキをたべることが目標だったので果たせて良かったです🧀味は思ったよりあっさりしてて食べやすかった!おいしい!
まっしろの店内でマジで好みだった!!映えカフェだからEveさんをだすのちょっと恥ずかしかったけど写真映えするのでうれしい。かわいいのら。
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ぷりん、おれたち、つぎこそ福島のラッキー公園に行ってやろうぜ……約束だぞ……
あ、そう。牛タンお土産に一万円分ごっそり買った!まだ食べてないけど楽しみにしてる(ᐢᴖ ·̫ ᴖᐢ)👍🏻🌟
はやくたべた~い(お土産なのにおまえもたべるんかい)遊んでくれたフォロワーたちありがとうございます🎶また行きたいと思います🎶🎶🎶
以上
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sugurukumasaka · 2 years
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日帰りで700キロ運転できる仕様になりましたオレ。 @kafuka.bihoro の仕事させてもらってるのでやっぱり、最低でも北海道の道の駅は比較対象として全部見なきゃだめだろって事で、お盆過ぎから始めました。 道の駅ですが、定休日があったり、絶妙に冬季に入るととんでもなく早仕舞いする店があったり、そもそも冬季はやりません!みたいなところもあり。 12月の初旬に、遠別、天塩、猿払、浜頓別、稚内攻めた時は(人生二度目)暴風雪警報出てて、あまりの横風に信号待ちで車が流れると言うとんでもない恐怖を覚え、とは言えすげーいい温泉に出会い。 今日も今日で恵山周りの温泉に行きたかったんですが行きたい旅館は全て冬季休業。片っ端からリサーチして、今度は絶対泊まってみたい川汲(コレでかっくみって読みます、変換でねえ!)温泉とか。道の駅は年寄りの趣味だと思います。異論はありませんが、道の駅の良いところは目的地じゃない所が突然目的地になり、北海道の隅々まで行けば行くほど、未開拓の醍醐味が味わえることです。千葉や東北、先日行った山梨。確かにいい感じの景色のところにあるけど、やっぱ生活圏の中っちゃ中なんですよね。我らが美幌に至っては、人の気配ありません。オープン前に @mocchi_fridge と二人で最後篭って色々やってた時の帰り、もう、もののけ姫の世界。人の気配まるでなく、雪解けの四月中旬。鹿の大群が霧の中からとか。 スノボが好きでこっちに来るようになってまあまあ経つけど、今回の道の駅周りは @dona.kumami と倅とずっと一緒です。それこそクローズ時間3分前なのに閉めちゃう田舎特有のところでも強面のオレじゃなく、ファニーフェイス倅and地蔵妻コンビでやんわり押してもらったり色々苦労しました。押すまでに苦労しまくった先は歌志内。定休日が多い。 気に入ってる道の駅はもちろん我々美幌、そして @kafuka.mizuki の地元伊達、壮瞥も好き、りんごの種類がすごい!あとは厚沢部もいいなネギうまい。他にも面白いところあるけど、なんかプラスαっていうより地元のちゃんとライフラインになってるって所が僕好きです。今、期間限定で @kafuka.sapporo 入れてる寿都や、ちょっと前に入れてて今も取引してもらってる #黒松内 とか、地元の人の交流スペースでもあったりしてなんていうか北海道の道の駅の担う役割はセコマのソレと同じなので、セレクトには本気で気を遣います。地元の物をたくさん入れたいけど、売上に伴う生産ができない。生活乱されたくない、って言う作り手もいるし、地元のものが入ってない!って表層的に思う人もいる。はたまた外のものを喜んでくれる人も居るしほんと難しい。多分売上もどこも凄いから、そう言う部分でいろんな人の思惑がぶつかりまくるんだけど、まずは、地元の人が誇れる場所にしたい。そういった部分で一番オレが自慢なのは、美幌に関して言うと人だね。人。こう言ったらスーパー失礼なんだけど人口2万人弱のあの街からあれだけいいスタッフ居るからオレのセレクトでも売れたの。凄いことなの。こればっかりは人問題、やっぱり大変。だから人がいい道の駅はやっぱり嬉しいよね。今日の七飯もすごい良かったし、好きでよく行く剣淵も、中はともかく外の鶏肉焼いてるおじちゃんはケンタをすごい可愛がってくれる。結局やっぱ田舎でも都会でも人でして、売る人こそ財産。つまりもの云々よりも誰が打ってくれる?で全然違うんだよ、どことは言はないけど忙しいんだろうね、人気のあそことかは信じらんない対応だったもんなー。千歳でいつも倅に色々くれるおじちゃん、美幌のみんな、遠別で出会った支配人。ま、なんて言うかとても楽しい取り組みでした。意地でやりましたが、きっかけは @kimjungram さんでして、お礼に今日は営業してない @fridge.setagaya に @dona_uchida もっちーそしてミューズの @fridge.maa まで配置しといたんでそれが感謝の気持ちです。いや、疲れたけど満足感半端ない。 長々書くほどのこともないんだけど、来年もまた頑張って回らなきゃねえ。楽しいよ、道の駅。是非皆さん、年寄りの趣味と思わず全部行ってみてくださいな。 #なげえ #道の駅 #ドナの仕事 #と言うか熊坂の仕事 https://www.instagram.com/p/Cmt2ZT5PUdr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tabilist · 2 months
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【神奈川】横浜「たん右衛門」
【タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!】超柔らか熟成牛タン&テール雑炊『たん右衛門』テーマパーク周辺の夏グルメ 2024/8/1放送 神奈川県横浜市中区若葉町1-7 新井ビル 1F #タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって #タクうま #三宅健 #水谷隼 詳しく見る↓
【タクウマ】タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!夏休みテーマパーク周辺の夏グルメ 日ノ出町駅「たん右衛門(たんえもん)」 食べログでcheck! 横浜で長年愛されてきた焼肉店 店主自ら厳選した黒毛和牛を、部位ごとに最適な調理法で提供している。 じっくりと熟成させた肉は、旨みが凝縮され、口の中でとろけるような柔らかさが特徴の熟成牛タンが人気 厚切りでジューシー。炭火で丁寧に焼き上げられる香ばしい香りは、食欲をそそる。 住所 神奈川県横浜市中区若葉町1-7 新井ビル 1F TEL 050-5869-4188 行く前に!見どころ&口コミをチェック たん右衛門(関内/牛タン) –…
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naieonu · 1 year
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家族お伊勢参り メモ
仕事終わりに東京駅着。本当は大丸百貨店のプリティミルフィーユを食べたかったけど、我慢して牛しぐれ弁当。新幹線は意外と混み合ってて、3人席に3人で座って良かった。ホテルは名古屋駅前で前泊。明日に備える。
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翌日は8時過ぎに出発。JR特急みえに乗って1時間40分ほどで伊勢市駅に到着。1本で目的地まで着けるのはありがたい。ロッカーに荷物を入れて外宮前でお土産を見ることに。
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伊勢神宮の外宮と内宮巡り。外宮から内宮へはバスが走ってて座って移動出来た。
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内宮は特に整えられた庭園を眺めたり、近くに流れる���十鈴川で心を清められたり、立派な杉の木を見上げたりと自然を感じられた。
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おはらい町、おかげ横丁で食べ歩き。
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①松阪牛串、焼餃子
松阪牛の肉汁がたっぷり含まれている牛串。
②蒸し牡蠣
塩レモンが疲れた身体、暑さに火照った身体に染みる。蒸し牡蠣しか勝たん。
③おとうふソフト
豆乳っぽさはあまりないけれど、さっぱりとした甘さでペロッと食べられた。
④ハニポテ
イメージは大学いも。ハニーがちょっと重ため。マヌカハニーって初めてまるごと食べてみたけど、はちみつがたっぷり詰まってて、最後はガムみたいにちょっと口に残る感じ?
⑤松阪牛にぎり上モモ
脂がたっぷりと乗ってて美味しかった…!インスタで見た時から絶対食べたいって思ってた。
⑥ラズべリーミックススムージー
最後の最後で見つけたスムージー。酸っぱいかなと思ったけど、そこまででもなく飲みやすいさっぱりさ。あまりインスタでは見かけなかったけど意外と結構オススメかも!
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ちょうど七夕の日だったので、皆で短冊を書いて飾ることに。風鈴の音が聞こえて、夏がとても似合うおかげ横丁だった。帰りもバス1本で伊勢市駅まで。荷物を回収して近くのホテルへ。
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泊まったのはFAV HOTEL ISEのジャパニーズモダンルーム。ダブルベット1台、布団2枚、ミニキッチンあり、バストイレ別。3人で行っても広々としてて過ごしやすかった。宿泊日まで2週間前切っていたにも関わらず、駅からも神社からも近くて、クーポン駆使して1人1万以下で済んだのがでかい。
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夜ご飯は居酒屋満船屋個室へ。あっぱ貝や大あさりの浜焼きは特に美味しかった。あっぱ貝はサザエみたいな磯の苦味がちょっとあって、でも塩分がしっかりついてて美味しかった。他にはノンアル梅酒、お造り、伊勢うどん。お造りのつばすは初めて聞いたけど、ブリの出世魚らしい。通りで食べたことあるような味だと思った。伊勢うどんは甘めのたれにたっぷり絡める感じ。伊勢は濃いめの味が好きな文化なのかな?
お土産として買った伊勢のバスソルトでお風呂に入って23時にはおやすみなさい。
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omisesan · 1 year
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横浜で韓国料理をお求めなら 韓国焼肉・サムギョプサル どやじ
​横浜で韓国料理をお求めなら 韓国焼肉・サムギョプサル どやじ​
〒231-0046 神奈川県横浜市中区末広町3丁目88−1
050-5486-4699
​横浜で韓国料理をお求めなら 韓国焼肉・サムギョプサル どやじ​
横浜で韓国料理をお求めの際はご相談ください
神奈川県横浜市中区末広町
【韓国焼肉・サムギョプサル どやじ による説明】
"【関内】話題のチーズタッカルビも!肉厚な黒豚のサムギョプサルを味わえる本格韓国料理店『どやじ』 関内駅から徒歩2分にある本場韓国の家庭料理や焼肉を提供しているお店『韓国焼肉どやじ』。九州の高級豚である黒豚を使用した「サムギョプサル」や話題の「チーズタッカルビ」など気軽に楽しめます。韓国屋台を彷彿させる店内で本場韓国の雰囲気をお楽しみください。 歓送迎会!!貸切情報] 30名~55名までの貸切も可能なので、宴会などで利用可 どやじ名物、厚切りサムギョプサル] こちらのお店では、サムギョプサルで使用する豚肉に九州の高級豚である黒豚を使っています。 韓国伝統の鉄板釜の蓋でお肉や野菜を焼くことで、余分な脂を落とし肉本来の旨味を楽しむことが出来ます。 どやじ 流チーズタッカルビ] 今話題の「チーズタッカルビ」も食べられます! 鶏肉と野菜を甘辛味噌ダレで炒めてから、たっぷりのチーズをかけて熱々の鉄板で楽しむことが出来ます。特製の甘辛いタレととろとろのチーズが食欲をそそりますね。 宅配可能!!Uber Eatsスタート] どやじ の味をご自宅で!! UberEatsよりご注文♪"
【クチコミ】
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"スタッフさん日本人の方で、無料おかわりのサンチェやネギ対応早く良かったです。"
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yfukuoka · 4 years
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‪【2948日②前半】20‬21-02-11 むかし偶然出会った友人・藪くんが、間借り営業を成功させ、TV番組レギュラー出演、そしてついにお店を開くことに。おめでとう!我が事のように嬉しい。 . spice drunker やぶや@横浜・関内 ‪____________________________________ 半年の間借り営業で、食べログ百名店にまで上り詰めた「やぶや」、居を新たにし、横浜の地で完全予約制としてスタートしました。 エリックサウス、カラチの空で長年培った南アジアの料理に、酒蔵で酒造りに関わるほどのめり込んだ日本酒を合わせるペアリングコース…なのですが、僕のようなお子様下戸の為にノンアルコールのペアリングも用意されています。 さぁ、食べよう、食べさせておくれ。 . ◎マグロのスクティ スパイスとマスタードオイルでマリネした干し肉、ではなくマグロの赤身。ぎゅっと濃密になった鮪の旨み、さらにマスタードオイルが追いかけてくる。サラッとしたスープと四川花椒菜(花椒のスプラウト)を合わせてレモンを絞る。この一品目から、革新の予感がプンプンします。 . ◎アルティッキ ジャガイモのコロッケにヨーグルト、ミントソース&タマリンドソース。いわゆるインドのチャート、ストリートフードです。普段はペロッと食べる料理ですが、お箸で少しずつ食べると感じ方が変わるものですね。カレーを手食で食べたときの逆の作用。面白い。 . ◎ひよこ豆のホットサラダ(ラープ) タイ東北部の挽き肉サラダのラープが全く違う新しい料理に。手間をかけて遊んでいる藪くんの感覚の鋭さを象徴する前菜でした。エス��ックスープにはガランガルやミントなど、タイ食材&ハーブが仕込まれていて、知っているけど知らない料理になっています。めちゃくちゃ美味しいです。 . こちらに合わせるドリンクは… ★パキスタンのマンゴージュースとノンアルコールスパークリングワイン(セレブレ) . ◎ホタテのベジマライソース VEG仕様のマライソースに生クリームをかけて。。。それならVEGにしなくても!と言うのは野暮ですね。ソースがマーブル状に混ざる感覚を舌で感じられます。 食材は、下から山芋、あん肝、ホタテ。3つの食感と3つの味わいをゆっくり楽しむ時間。小慣れた感じでピンクペッパーを使うところが、もうインド料理からかなり遠いところにいますね。 . こちらに合わせるドリンクは… ★バダムミルクとマーガオ . ◎フェンネルの根の漬物 お口直し。フェンネルの根を酢で締めたお漬物。グリーンチリの風味で酸っぱ辛い。 . ◎皮付き豚バラのチェティナードポーク&ポテトのグリル ヴィンダルーソース . チェティナードマサラとハーブを厚塗りして巻いた皮付き豚肉をグリルで焼き上げた豪快な料理。男の料理と言ってもいいかもしれない(めっちゃ重そう)。 肉質はグワっとくる豪快さ、かつ繊細で、素晴らしい仕上がり。口にすると内側からフワッと香るカルパシの香り。と、ともに脳を虜にするほど旨い肉汁が口いっぱいに広がります。 豚のもつポテンシャルを最大限に引き出したスパイスグリルには、和歌山・雑賀の酢を使った鋭い酸味のビンダルーソース。チリのローストしたような香りもいい。こんなポークビンダルー考えたことがありませんでした。 ポテトと一緒に食べるとイギリス式ビンダルーになるそうです。 . ◎菜の花のサーグ パキスタン風のサーグは、ねっとりしたペースト状。キノコなんて使っていないと思いますが、それに似た旨みがあり、青菜の香りと甘い風味が鼻の深部に残る奥深い味。 ねっギーでソテーされた青菜と粉状のカスリメティリーフを添えて、パキスタンなのにカラチの風を感じない着地点。ポークと合わせても良い。 . こちらに合わせるドリンクは… ★蜂蜜、黒酢、乳清、紅茶 . (後半に続く) ‪____________________________________ 🇯🇵🇮🇳🇵🇰🇹🇭🇳🇵 #sake #japan #india #pakistan #thailand #nepal #streetfood #instafood #foodstagram #cooking #delicious #curry #spice #spicedrunker #yokohama #スパイスドランカー #やぶや #カレー #カレー好きな人と繋がりたい ‪#‬フクドローン #ふくすたぐらむ ↓spice drunker やぶや @spicedrunker (やぶや(Spice Drunker やぶや)) https://www.instagram.com/p/CLOLcSPghFV/?igshid=r92870f8298
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tamanine · 4 years
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2020年のメモ
2020年
1月3日、ロング・ショットを見てニコニコする。女性大統領……と遠い目になっていたけれども、今振り返るとトランプが落ち、カマラさんが登場した。
1月17日、地質年代「チバニアン」が正式決定。2019年に千葉美術館に「目 非常にはっきりとわからない」を見に行っていた。小・中・高生無料だったので、ティーンでにぎわっており、現代美術インスタレーション場面で「なにこれキモい!!!」というすごく楽しそうな叫びを聴き、とても楽しかった。チバニアン……。モノレールで美術館まで行こうとするも、なぜか全然美術館方面に行くモノレールに乗れず、数十分行ったり来たりして諦めてバスで行った。雨が降っており、寒く、だけど行って良かった。
1月、ラジオで武漢のニュースは聴いており、このころはまだ「マスクを常時つけてもそんなに効果ないかも」みたいな発表がされていた。
2月5日、ダイヤモンド・プリンセス号の話が出てくる。街中で「⚪︎⚪︎さん横浜に住んでるんでしょ、えー、もうかかってるんじゃない!?」等の酷い言いようが聞こえてきてびっくりした。
2月9日、パラサイトがアカデミー作品賞受賞。コクソンのファンジョンミン・ダンスを踊り祈りを捧げてよかった。私の2019年の映画納めはポン・ジュノとソン・ガンホと吉沢亮さん登壇のパラサイト上映だったので、ホクホク。キャッツの格好で出てきたレベル・ウィルソンのことばかり覚えている。ビリーちゃんも出ていたはずなのに…
2月19日、森友の籠池さんに実刑判決、教育勅語を子どもに読まさせようとする大人なんて思想としては最悪だけれども、ついこの前まで仲良くしていたのに口封じに逮捕するという安倍、クズというのは底がぬけきっているのだなと思う。
2月28日、小中高校一斉休校。マジかよ。木曜日に言うのかよそれを。
3月9日、チャーリーズエンジェルを見て冒頭から泣く。本当はダメだけど!と言いながら、劇中でも大事って言ってたし、と言って友達とハグ。
3月15日、何もかもめんどくさくなりミッドサマーのディレクターズカットをプレミア席で。歌唱に気持ちよくなってしまいとてもぼんやりといい気持ちになる。
3月14日、高輪ゲートウェイとかいう滅茶苦茶な名前の駅ができる。今でも山手線車内で「たかなわげーとうぇい」と表示されるたびに馬鹿なのかと思う。うぇい って駅名につけてんじゃねーぞ。
3月27日、デッド・ドント・ダイの先行レイトショーを泣く泣くキャンセル。この週末から映画館が閉じた。美術館も閉まった。
美術館と映画館とライブのない東京にはなんの価値もない。
あまりにも悲しいため、どうぶつの森に花を植えまくり火を焚きクマを燃やすことにする。
みんな家にいて島に住んでいたため、ミッドサマーのマイデザインなども活用し、いっぱい遊びに来てもらう。
4月、マスク配るとか言い出す、いらない。お肉券とかお魚券をくばられそうになる、ふざけるな。ほぼどうぶつの森で暮らす。
5月30日、閑散とした山手線に乗り、閑散とした日比谷公園の硬いコンクリートに尻を攻撃されながら友達と「どうぶつの森」をやる。同時刻、賭け麻雀をしてた黒川さんの処分への抗議で日比谷公園で「黒川杯」が行われていたことを知り、遠目で見たかったな~と思う。
大人がコンクリートの椅子でどうぶつの森をやり続けると翌日腰痛で大変しんどいことになると知る。
BLM運動がアメリカで起きる。日本の入管、海外から来てくださってる人への賃金や待遇やハラスメントの問題、差別についてとても辛い気持ちになる。
5月25日に緊急事態宣言というなにかが解除されていたが、2020年年末の感染状況はよっぽどひどく、あれは本当になんだったのか、というかなぜ今何も対策がなされていないのか。
6月6日、デッド・ドント・ダイをやっと見る。左右前後空けの映画館は快適すぎる。待ちに待った映画だったが、何故切ると粉になるのか。でももはや何でもいい、おかえるアダムドライバー。
6月20日、「はちどり」を見て号泣。エンドロールがアベンジャーズばりの長さじゃないと泣きやめないじゃないか、と思う。
夏至なので花輪を持ち肉を焼いた。ダニー、あなたに負けないぐらい燃やしてみせるわ。
6月25日、また映画館が閉まったらたまったもんじゃねぇと思いまたはちどりを見る。上映後、友達にチヂミ食べたくない?と聞いたら食べたい!!というので下調べしていた店でチヂミを食べる。
7月1日、レジ袋有料化。ほんとうにこの手指消毒しまくりの時期にやるべきことだったのか。疫病が流行る中、台風などの災害が来たらどうなるのか等は環境問題に直結しており、考えるべき��ころだと思うけれども、今そこからなのか。
菅さんは温室効果ガス実質ゼロ(菅さん本人は「こうしつおんかガス」と言っていたので本当はそこまで深い関心がないのではないのかという疑念もある)の名の下に、ただ単に原発を再稼動したいだけなのではないかと思う。
実際そのようなことを言っているが、原発により今も人が住めない土地を生み出し、海を汚染し、土地を汚染する原発が環境に優しいわけがない。わけがないのに。
あとまず沖縄の埋め立てを止めろ。あの地盤では完成なんてしないのに。なんのために海を、生物を
8月21日、ブックスマートを見て最高の気持ちになる。(感想:ガールズはもう死なない https://tamanine.tumblr.com/post/627348421934776320/ )
来週安倍が辞めるに1パピコ賭ける~~!と言う。3年以内に逮捕にもう1パピコ。
8月28日、安倍辞任。パピコまだ食べてない。長い、長かった……
10月10日、友達とプレゼント・ラフターを見る。超面白かった。カーテンコールで拍手するべきだった。アンドリュー・スコットは至宝。フリーバッグs2とモダンラブep7をみんなに見てほしい。
10月17日、スパイの妻を見る。銀獅子おめでとうございます、監督。「キヨシ 好きに映画 撮って!」シールを自作し、ハート形に切る。
11月1日、大阪都構想が否決。維新本当に嫌い。維新はやばい。なんであんなに非科学的で差別的なんだ。イソジン吉村は8月だったのか、一体何なんだ…
私は宇都宮さんに入れたのだけど、フリップ小池が居座ったままになってしまった東京。都構想否決で本当に良かった、何でどう調べても意味がわからない構想だった。
11月7日、バイデンさん当確。長かった…。夜中に何度も起きて結果が出てないか確認してしまった。アメリカ現地の気持ちはいかばかりか。4年前、髪を切りに行く時にヒラリーが負けて行くのを見て愕然として少し遅刻した。長かった……
8日が自分の誕生日なのでニューヨークの歓声や世界のスターの笑顔をたくさん見れて幸せ。
11月18日、THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女 には香港の街を一望する場面があり、この映画が撮られた当時と2020年は状況が変わってしまったと思い、泣いてしまう。映画に写っていた街には、あの人やあの人の学生生活があったんだろうなと思う。
12月5日、国会閉会。早えよ。やることあんだろうがよ。人の健康も生活も死も興味がないんだな自民公明はと思う。
12月13日、ハッピー・オールド・イヤーを見る。サノス心を見て、ありがたくゴミ捨てに生かした。
12月18日、あまり混んでいなかったけれどプレミアムな感じでカン・ドンウォンの半島 Peninsulaを見る。ゾンビになった途端素晴らしいダンサーみたいな身のこなしでビヨンとするので笑ってしまう。
韓国エンタメ、エンターテイメントひと皿に盛る量がすごい、乗せに乗せに乗せてくれる。大変楽しみました。
12月31日、冬に水仕事をするなんて非合理的だと思っているのに、コンロの向こうに妙な油の汚れが付く場所があり、よくよく見ると換気扇の汚れが原因なので紅茶を淹れている隙に少しネジを外してみた���なり、うっかり掃除をする。真空タンブラーはその後でも紅茶があたたかく、ミルクと蜂蜜をいれて飲む。
夕方、ニュースで東京の感染者数がとても増えたと報道がある。フリップ小池、フリップが効かないのでファックスを増設したのだろうか。東京都のサイトでの検査実施件数と、陽性率も併せた検査結果の陰性者・陽性者の合計はいつも後者の方が少なく、私は不信感を抱いている。
今交通事故にあったり、急病になっても通常の医療は受けられないのかもしれないと暗澹とする。
4月ぐらいに河川敷を歩きながら、2019年の11月の雨で引きちぎられた鉄製のブランコを眺めた。増水でグラウンドや公園が流されていってしまった。あの時の政権は内閣を組閣して、セレモニーを行っていた。
自民公明与党は何故危機感を自分のものにしないまま他者には危機だと一応言い、利権利権中抜き中抜きなのだろう。どうかしている。政治をやる資格が無い。
2020年は映画館には48回行った。良い本も読んだ。
あいつらが失墜するまで生き延びて、友達とたくさん映画を見たい。
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉め��れている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前��すべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツール���上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに��り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰��の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子��も写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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technocat1026 · 5 years
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また、山口組と旧後藤組の関与か。
しかも、フリーメイソン森喜郎の少女買春
他に覚醒剤利用してませんかね?
MDMAとかね。
押尾学冤罪事件のアレなw
以下引用
プチエンジェル事件は、今から16年前に東京で起きた児童監禁売春強要事件だが、「自殺?」したとされる容疑者の単独犯行とされ、2000名もの政財界の大物が羅列された名簿を警察が押収したにもかかわらず、犯行経過と名簿の具体的内を示す、ほぼすべてが警察によって隠蔽され、マスコミもこれを報じずに、見事にうやむやにされた、戦後最悪の権力による極悪犯罪隠蔽事件である。
 このとき、日本社会が腐敗した「法治国家」である現実が、世界に明らかになったといってよい。権力と金さえあれば、小学生少女を監禁、強姦しても、事件は隠蔽され、罪にも問われないと警視庁=警察権力が示したのである。
 現在、安倍政権によって、法治主義を無視、破壊する権力濫用が続いているが、こうした自民党政権による国家ぐるみのマフィア的犯罪は、すでに、このとき完成していたと考えるべきである。
 名簿を一部の記者が見ていて、そのなかに、自民党の現役政治家や元大臣、元警察官僚などが含まれていたと証言している。
 中には、森喜朗元総理の息子が含まれていたとの週刊誌の報道もあった。
 名簿の捜査は、警察上層部からの命令で停止させられ、その理由は「偽名が多い」というものだったが、捜査現場からのリーク情報では、携帯電話番号まで記載され、番号と公表された氏名が一致していることも多かったといわれる。
 この事件には、関わった少女や、事件を調査していたフリーランス記者などに数名の不審死者が出ているが、これらも、すべてうやむやに処理され、徹底した隠蔽が行われた。
 私は、この事件の真相について、いつか、まとめて報告したいと思っていたが、情報が少なすぎるため果たせず、今回、YouTubeに現場を取材した記者の証言がアップされて、はじめて詳細を知ることができた。
 https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
 https://kirari-media.net/posts/454
 事件の経過
① 2003年7月上旬、稲城市に住む小学生少女が、渋谷周辺で女子高生スカウトから「アルバイトしないか」と誘われ、主犯とされる無店舗型少女売春クラブ経営者の吉里弘太郎(29)と接触、マンションの部屋を1時間くらい掃除して1万円を渡され「友達も連れておいで」と誘った。
 このとき、友達を連れてくれば、一人について3万円を渡すと約束していたようだ。
② 誘いに応じて、少女は友人3名を加えて、7月13日、再び吉里の元を訪れた。
 彼女らには二台のタクシーが用意され、7月11日に吉里が契約したばかりの赤坂のウイークリーマンションに連れて行かれた。(インターナショナルプラザ赤坂No.1最上階の11階1101号室)
 すると、吉里は態度を豹変させ、「ここに来たのは、どういう意味か分かってるな?」と、スタンガンを手に四人の少女を恫喝した。
 怯える少女たちに、手錠と目隠しをして、重しのポリタンクにつないで監禁が始まった。少女たちのなかには、逃げだそうとしてスタンガンで負傷させられた者もいた。
 吉里がマンションを短期契約した7月11日、彼は保有していた二代のフェラーリを売り払っていて、7月17日には、警察が以前の少女売春事件で、吉里に逮捕状を執行しようとしていた。つまり、死亡した7月17日以前に、吉里は自分が逮捕されることを知っていた。
③ 7月13日、夜になっても帰宅しない少女たちの家族は、不安にかられて、警察に通報、通常、この種の事件では、少女たちの命が危険に晒されるため、ただち���公益報道されるはずなのだが、この事件では、警察は、なぜか7月16日まで、マスコミにも公表せず、秘密裏に、学校教師と家族だけによる捜索が行われた。
 なぜ、警察が誘拐行方不明事件でありながら、公開捜査を拒否したのかは、まったく理由が分からない。
 また、警察上層部から、「少女売春事件であり、本人のプライバシー保護のため、周辺での聞き込み捜査は行うなとの指令が出た」ことで、稲城警察による聞き込み捜査が中断された。
 警察は、事件発覚前から、これが少女監禁売春強要事件であることを知っていたようだ。
 しかし、事態が進展せず、警察は、これ以上の隠蔽は無理と判断して、16日未明にマスコミに情報公開、やっと報道が始まった。
④ 7月17日、監禁された少女たちは、室内の物音がしなくなったことから、自分で手錠を外して部屋を逃走、裸足で逃げて、インターナショナルプラザ赤坂No.1の隣にあった花屋に駆け込んだ。
 通報を受けて1101号室に警察が立ち入ると、そこには、吉里が、椅子に座ってビニールを被って死んでいた。死後、十数時間を経過していたとされる。
 
⑤ 警察は、吉里の単独犯行で、発覚を恐れて自殺したと「断定」し、捜査を早期に打ち切った。
 死因は、ビニールテント内に置かれた七輪の練炭による一酸化炭素中毒という説明だったが、いくつかのメディアが検証したところでは、七輪は高熱を発し、ビニールテントなど、たちまち溶けてしまい、外気が侵入して死には至らないこと。
 また、吉里の死体には、ビニールが溶けたり、七輪の熱による火傷があるはずなのに、それらが一切なく、普通のきれいな死体であったこと。
 ビニールテントは、外部からテープで目張りされていて、中に入った吉里が外から貼ることは不可能であること、したがって、警察による自殺という結論は、極めて不可解であること、を明らかにした。(『真相報道 バンキシャ!』)
 つまり、吉里弘太郎は、事件を起こしてから、外部の人間によって、自殺を装って殺害された可能性が極めて大きい。吉里が逮捕されて、警察にペラペラと自白されては困る人物の指示によって殺害が行われたと考えられる。
 つまり、17日に吉里が逮捕されることを知っていた、警察関係の情報を得られる立場の人間によってである。
 不可解なことに、警察は、法医学解剖調査など遺体の詳細な調査を行わないまま、慌てて遺体を始末させた。
⑤ 吉里弘太郎は、無店舗型、非合法未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、���性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
 吉里は、この種のデートクラブ経営者としては、破格の成功を収めていて、年収は、数億円以上に達していたとみられている。死後発覚した預金は35億円と報道されている。
 この金額は、一介のデートクラブ経営で得られるような額ではなく、背後に想像を超える大規模な組織があったことを示すものである。
 本人、自ら、小学生少女にしか興奮しないという児童性愛趣味者であり、小学生少女を多数、提供することで莫大な利益を得ていたが、おそらく組織的な活動だっただろう。
 その相場は、小学生なら、一回の性行為で、10~20万円というものだったようだ。当時、流行していた「援助交際」で、女子中学高校生との性行為が、一回1万円程度とされていた相場に比べれば、小学生の相場が、どれほど高額なものか分かるが、これに対し、全国の政治家・財界人・医師など社会的地位の高い者たちが、このクラブに殺到していたことが明らかにされている。
 この事件が、警察によって完全に隠蔽された理由は、顧客たちの社会的地位を守るためであることは明らかである。
 ⑥ 吉里弘太郎のプライバシーを調べると、とんでもない事実がたくさん出てきた。
 
 吉里弘太郎容疑者の父親は元警視庁幹部であり、朝日新聞に転職して幹部社員から西部本社社会部長に転属した。
吉里は東京芸術大学出身でデザイナーをしていたが、大学時代から複数の女性と交際しヒモ生活を送っていた。住所は「横浜市港北区篠原東1-2」や「埼玉県久喜市」だと言われている。
 吉里は、大学在学中の頃あたりから立て続けに肉親が自殺している。父親は1993年に難病指定されている頭頸部ジストニアを発症し、病苦によるものなのか、朝日新聞社西部本社に異動になったためか1996年に自殺している。
 その後、兄が1999年に自殺。母親は悲観して2001年に自殺未遂を起こした。
 吉里は、多摩地区を中心に主婦売春組織を運営していたことから警視庁にマークされていたという。
⑦「プチエンジェル事件」は、なぜか突然、メディアから消えて収束を迎えた。
 吉里弘太郎の単独犯行とされ、捜査も終了させられた。
「プチエンジェル事件」の顧客リストに、日本を代表する、2000名もの政財界、医療界、司法界、政府官僚などの大物が掲載されていたことが暴露されたが、なぜか警察当局は「偽名が多いため、捜査不能」と警察が発表し、警察も報道陣も示し合わせたようにこの事件から手を引いた。
「プチエンジェル事件」の翌日には警察による一斉補導が渋谷で行われ、約1500人もの少年少女が補導された。 
 吉里が借りていた埼玉にあるアパートからは1,000本以上の小学生少女が主役となった猥褻ビデオテープと2000人以上が記された顧客リストが押収されたが、警察は、一切摘発に動こうとしなかった。
 同時にマスコミも警察と示し合わせたように「プチエンジェル事件」について報道をしなくなり、突然のように事件は終幕を迎えた。
 被害に遭った少女たちの証言から、客引きの女子高生やマンションへの誘導役の男、部屋を借りた名義人である”ヤマザキ”という男など、確実に3人以上は共犯、関係者がいることが明らかにされていたが、なぜか、すべて吉里の単独犯行とされて、それ以上の捜査は行われなかった。
 1101号室に出入りしていたふたりの男女が目撃されており、ある捜査官は後に「男の方は警視庁幹部の息子だった」と暴露しており、「プチエンジェル事件」はその警視庁幹部の働きかけもあって捜査打ち切りになったとも言われている。
⑧ マンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」は小沢一郎の資金管理団体「陸山会」が所有する物件だと言われている。
 この事件について小沢一郎は一切触れていない。
⑨ 顧客リストに糸山英太郎も。
「プチエンジェル事件」顧客リストの人物として名前が上がったのが、糸山英太郎だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E5%A4%AA%E9%83%8E
 糸山英太郎は実業家であり個人投資家で、テレビ東京の大株主である他、過去には日本航空の筆頭株主だったこともある日本屈指の富豪で、2007年のフォーブス発表の「日本の富豪ランキング」では7位にランクインし、総資産額は4500億円だった。
「プチエンジェル事件」の筆頭顧客とも言える糸山英太郎は、事件が発覚する4日前の2003年7月12日に所有する自社ビル「ザ・イトヤマタワー」の18階にある自宅で、16歳の少女に15万円を支払って買春をした。
 この少女を斡旋したのは元暴力団組長で、警察の捜査にひっかかり組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕されている。
 しかし、買春をした本人である糸山英太郎は「相手が18歳未満だとは知らなかった」と容疑を否認し、罪には問われなかった。
 当時、援助交際による女子中高生の性交渉の相場が一回1万円程度であることを考えれば、糸山が出した一回16万円が何を意味するか分からない者はいないはずだが、これも警察により無罪放免とされた。現在では、小学生相手の売春は重罪で強姦罪が適用され、最低でも5年程度の実刑判決となる。
 この事件は当時の五代目山口組若頭補佐だった後藤組組長の後藤忠政により揉み消されており、糸山は後に慰労金を支払ったといわれる。
⑩ フリージャーナリスト・染谷悟が殺される
 権力により封殺されてしまった「プチエンジェル事件」を暴こうとしたフリージャーナリストの染谷悟は、中国マフィアに殺された。
 「プチエンジェル事件」から約2ヶ月後となる9月12日に、東京都江東区東雲2丁目の東京湾に男性の死体が浮いているのを通りがかりのトラック運転手が発見し通報した。
被害者は「柏原蔵書」の名前で活動していたアングラ情報専門のフリージャーナリスト染谷悟で、背中8箇所を刃物で刺された痕があった他、頭部に2箇所殴られた痕があった。
 発見当時、染谷悟は岸壁から2メートルほどのところに浮いており、服の上から鎖で巻きつけられて縛られ、両手は紐で縛られている状態で、両足も紐の痕が残っていた他、腰には潜水用の重しの入ったベルトが巻かれていた。
「プチエンジェル事件」は中国人身売買に通じていた?
 染谷悟は殺される直前に周囲に「中国人マフィアに命を狙われている。殺されるかもしれない」とこぼしていた。
 警視庁東京水上署の捜査本部が染谷悟さんの刺殺体が発見された2日後の14日に発表した内容では、染谷悟さんは「プチエンジェル事件」が明るみになる前から身の回りに起こる不可解な出来事に悩まされており、2002年頃から自宅の窓を割られたり、空き巣に入られたりしていた。
 染谷悟は組織的な児童買春の実態を暴くために動いていたが、2002年9月には当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、取材で使っていたカメラやパソコンなど計77点が盗まれていた。
 染谷悟が殺害されてから2日後に、2ちゃんねるに大手出版社の編集員を名乗る人物が事件の詳細について語った。
 染谷悟は「中国マフィアのしっぽを踏んでしまった」と語っていたという。
 このことを編集員は「(「プチエンジェル事件」を追う内に)中国マフィアと日本やくざの児童売買ネタに当たってしまった」と解釈した。
 「プチエンジェル事件」には中国マフィアと日本のやくざが密接に絡んでおり、児童人身売買も疑われた。
 吉里が小学6年生の女児4人を拉致監禁した理由は中国マフィアに売り飛ばすつもりだったのかもしれない。
 少女らを監禁した翌日にはすでに警察が吉里弘太郎容疑者が犯人だと目星をつけて捜査を開始したため進展が早く、このままだと捕まるのは時間の問題だと踏んだ中国マフィアが吉里弘太郎容疑者を葬った疑いもある。
⑪ 2ちゃん書き込みログ
 赤坂署に配属になったから事件資料を調べようとしたら全て処分されていた」
染谷悟は、プチエンジェル事件発生の2003年7月に「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著作を出版したばかりでした。次の題材として、プチエンジェル事件を独自に取材を進めていた。
 プチエンジェル事件の取材をしていく中で、周囲に「中国人マフィアに命を狙われている」と漏らし始め、プチエンジェル事件から2ヶ月後の2003年9月、染谷は東京湾に浮かんだ。
 プチエンジェル事件は赤坂で発生しているにも関わらず、当初「渋谷で発生した」と報じられた。これは永田町の近くでそういった醜聞が報道されるのをいやがった政治家からの圧力があったからだ、と言われている。
 参議院議員であった鴻池祥肇(当時:防災担当大臣)は、2003年7月18日の衆議院予算委員会にて、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」という答弁を行った。鴻池は藤井孝男委員長から発言の真意を問いただされ、発言を撤回した。
⑦ 冒頭に紹介したリンク動画では、記者が、数百名といわれるプチエンジェルクラブに関係した少女たちに不審な死者が出ていると述べている。
 https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
 また、関係者の家族全員が、稲城市などから遠方に引っ越してしまったとも言われる。この事件の闇は、とてつもなく深い。
 *****************************************************************************
 以上が、16年前、2003年に起きた、大規模な児童売春事件の概要であるが、問題の核心は、犯人とされた吉里弘太郎が借りていたアパートから発見された、2000名もの顧客名簿に、日本の上流階級、権力者たちが、ずらりと顔を出していたことである。
 警察は「偽名」として捜査を中断したが、これを見た、一部の記者や捜査員は、誰でも知っている日本の顔が、そこにあったと証言している。
 つまり、大臣や行政官僚、医師、弁護士、警察関係者、著名人たちである。名簿は、ひどく早い捜査終了後、ただちに廃棄され、現在では行方不明になっている。おそらく証拠保全義務を無視して焼却処分されたのであろう。
 「日本を代表する権力者・著名人」の性癖が、このように卑しいものであったことに驚愕させられただけでなく、安倍晋三のお友達、山口敬之による詩織さん強姦事件を権力で揉み潰した、安倍官邸の警察官僚、山口格の行為にも通じるものがある。
 というより、戦後、日本の自民党権力は、長い間、自分たちに都合の悪い事実が発覚すると、権力を使って隠蔽し、潰してきたのである。
 つまり、日本の戦後権力は、中国共産党の悪辣な司法への介入と、それほど変わらないことを行ってきた。
 日本は、決して法治国家や民主主義国家とはいえない、深い闇に閉ざされた社会だったことを示している。
 この事件は、たとえ長い年月を経ようと、絶対に闇に葬らせてはならない。
 児童売春の顧客名簿に掲載された権力者たちは、たった今も、国家権力の第一線で政治経済に携わっていて、こんな犯罪者たちに日本を委ねることは許されない。
 あるいは、安倍政権の人脈、安倍首相自身も、もしかしたら名簿に記載されているかもしれない。
 もしも、この名簿が、どこかに保全されていて、それが明るみに出たならば、時効は経過しているが、懲役五年相当の犯罪に関与した者として、すべての信用を失う結果になるだろう。
 今の、自民党や経団連の体制は根底から崩壊することが避けられないのである。
 私は、それを強く期待したい。また名簿を覗き見た一部の捜査員や記者たちも、すでに引退した者なら、積極的に真実を公開してもらいたい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-700.html
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xf-2 · 6 years
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イェリン【調査会NEWS2933】(31.2.22)
 特別検証の報告はあらためて発表しますが、前にもニュースで書いた女性の遺体について、あらためて北朝鮮側と日本側の両方に疑問を感じる点が出てきています。
 この遺体は昨年の12月30日、兵庫県豊岡市の切浜川河口に漂着していたものを付近に住む小学生男児が発見し、翌31日に母親が確認、派出所に連絡したものです。最初は頭部や手足はないように見えたそうですが、これはそれらの部分が砂に埋まっていたためとのこと。その場で検屍はしたものの、服をはがすと遺体が崩れそうだったため性別不明で豊岡南署に送り1月2日神戸大から来て解剖しました。この時点で女性の下着を確認しており、DNA鑑定もしているので女性であることは確定しています。その後遺体は火葬されて遺骨は市の施設に安置されています。
1、北朝鮮側
 官報などの記載を見る限り、少なくとも最近の女性の漂着遺体はほとんど韓国人のようです。今回の切浜の遺体以外には昨年2月13日に石川県志賀町富来七海に漂着した女性の遺体がオレンジ色のライフジャケットを付けており、北朝鮮人である可能性がありますが一昨年の漂着船急増以降のそれ以外の遺体は皆男性です。
 脱北者の人から聞いた話でも女性が漁船に乗ることはあるそうで、その意味では漁船員であっても不思議はないのですが、脱北者であった可能性も否定できません。ともかくこれまでほとんど男性だったのがなぜ女性の遺体が上がったのかということは気になります。
2、日本側
 どういう理由なのかよく分かりませんが、海保ではこの遺体に関しやたらと隠しています。渡辺周議員(国民民主党)から資料請求等してもらいましたが、極めて非協力的だったそうで、ライフジャケットの写真しか出してきませんでした。他の筋から調べても基本的には大差ありませんでした。
 ちな��にそのライフジャケットにはハングルが書かれています。背中の真ん中の所には縦に「◯ー△ー940」と書かれています。◯はハングルの子音だけの「ズ」で地域を示すと思われます。「△」はハングル一文字の「ジャ」で船の種類でしょうか。その後の940は船の番号でしょう。その下には横書きで3文字書かれており、一番左の字は薄れて読めないのですが、あとの2文字は読み間違いでなければ「イェリン」と読めます。さらにその下には「キムチェク」と薄く字が読めますが、これは東海岸の金策市を意味すると思います。
 イェリンというのは女性の名前ではないかと思います。このご遺体の人物かどうかは分かりませんが、ライフジャケットの所有者でしょう。さらにその下に横書きで「へアン」とあり、これは普通考えれば「海岸」なのですが、なぜライフジャケットにわざわざ「海岸」と書く必要があるのかは疑問です。
 こんなことは明らかにしても何の不都合もないはずですが、海保が必死で隠す理由は何なのでしょうか。現地には12月28日から29日にかけて大きな漁業関係のものが多数流れ着いていたとのことです。発見当時は警察の警戒線が張られ、住民は近づけなかったと言います。あるいは何か都合の悪いものが見つかったのかも知れません。
 現地で住民の方々にお話を聞いて、このあたりは地域的にも比較的情報の伝達が早く、危機管理という意味ではより安心なところであるように思えましたが、政府はともかく情報を可能な限り明らかにして備えが怠りないようにしてもらいたいと切に願う次第です。
 なお、「イェリン」さんについては次回の「しおかぜ」収録の折ご家族への呼びかけを行う予定です。どういう人でどういう経緯だったのかは分かりませんが、未来があったはずの20代ないし30代の女性です。やはりあの体制の犠牲者だったのではないでしょうか。ご冥福をお祈りします。 ----------------------------------------------- 最新の北朝鮮船・遺体着岸漂流一覧(更新に伴い場所を移動しました) http://araki.way-nifty.com/araki/2018/12/301220-96bd.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ —————————————————————————— <特定失踪者データ> ◎氏名:種田 誠 ◎よみかた:たねだ まこと ◎生年月日:昭和25(1950)年2月1日 ◎当時の年齢:34歳 ◎失踪年月日:昭和59(1984)年5月 ◎特徴: ◎当時の身分:焼肉料理店チーフ ◎最終失踪関連地点:京都府 ◎当時の居住地:京都府京都市山科区 ◎失踪の状況:京都市内のアパートから失踪。職を変えたいと電話が鹿児島の実家にあり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の周りのものはアパートに残したまま。以来何の連絡もない。
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aizumin · 2 years
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遅ればせながら、伊勢丹立川店で開催されている大北海道展に行ってきました!!
ことの始まりは声優の中田譲治さんの、このツイート。
え!?月寒あんぱんで、金カムverの包装なんてあるの😳
これ欲しいなぁ。でも信濃町かぁ……😥とか思ってたら、月寒あんぱん本舗さんの公式からもこんなお知らせが。
何やてぇぇえ!!!伊勢丹立川店だとぅ😆
というか、伊勢丹で大北海道展やってることすら知らなかったの💦💦昨日のもっと早い内に知ってれば、開拓おかき買いに行けたのに!!(会期が前期・後期と分かれている関係で、開拓おかきを販売してる北菓楼さんは前半のみの取り扱いだったんですよ😭開拓おかき食べたくて北菓楼さんのHP覗きに行ってたのに、気がつかなかったとは……何たる不覚)
という訳で。慌てて伊勢丹さんのHP見に行って、チラシをダウンロードして買い物リスト作りました。レ点を打ってあるのが購入したもの。✕印は、欲しかったんだけど実際に見てみて今回は購入を見送ったものor売場に商品がなかったものです(豚丼売り切れだったのか、無いんだもん。買いたかったよぅ😭)
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もちろんここで書いてない商品もたくさんあります。ちなみに佃善さんでは、GWの時に直前で売り切れて涙をのんだチーズじゃが豚をGET出来ました🙌
あとチラシに書いてないといえば、会場に行ってみたらあらかわ牧場さんのブースがありまして、小躍りして🧀を購入しちゃいました。前回入手した燻し昆布と酒盗の🧀がとても美味しかったんですよ💕年明けくらいまでならちゃんと冷蔵保存しておけば美味しく頂けるそうなので、絶対に澤乃井さんの蒼天と一緒に味わうつもりです(あとは横浜燻製工房さんのさばの燻製があればお正月は完璧!!)
大金ハムさんの骨付きハムは、木曜日に🥑と合わせて食べる予定です😋へへへ、楽しみ~✌️🎶
今回買えてない分に関しては、月曜日までの会期なのでもう一度行って買うつもりです😤奥芝商店さんのカレーパン美味しいんだもん。モッツァレラじゃない🦐チーズカレーパンもあったし!!あとアップルパイもおやきも食べたい!!
ちなみにお昼はなると屋さんのザンギとルートナインさんのラムチーズバーガー🍔
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ガッツリ肉X肉!!
普段はビーフパテが食べられなくて、あまり🍔は食べません。でもこれは別じゃ😋💪家に持ち帰ってから食べた為、バンズがちょっとしわしわになってしまった💦💦残念です。ラム肉のハンバーグは変な臭みもなくて食べやすく、ソース(マヨネーズ?)も肉の旨味を邪魔してないからすごく食べやすい!!ペロリと平らげましたが、ラム肉のパテが分厚いのでこれ1個食べただけでも充分満足。ザンギも1個が大きいし。
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もりもとさんのハスカップジュエリー、リストに挙げているにも拘わらず何故購入してないのか?ラ・ネージュさんでスイートポテトとカタラーナを買ってしまったのもありますが、一番大きな理由は家の最寄りの駅でストロベリージュエリーを見つけちゃったことなんですよね😂ハスカップは今季何処かで買える可能性が高いけど、🍓verは余り見かけないし、多分季節限定品……なので、⚖️にかけて今回は購入を見送りました(調べたら8/31までしか販売しなかった筈の季節限定商品だそうで……早く買わねば!!売り切れたら来年の夏まで待たなきゃ食べられないわ😱)
そして、そのラ・ネージュさんの2品ですが、合体させてみました✌️
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カタラーナだけでもスイートポテトだけでも充分美味しいなら、合わせたらどうなるんだろう🤔えぇ、
めっちゃ美味しい食べ物が爆誕しました~😊
両方ともねっとり系ですもん、不味いわけがない。ぶっちゃけスイートポテト風カタラーナ(まんまやんかw)なんですが、お互いの香りとコクを高めあってて最高ですよ。
大北海道展以外でも、お彼岸ということで地下食料品売場で笹屋伊織さんのおはぎを買ってきました。焼栗とこし餡の2種。焼き栗って珍しい。見た目は黄身しぐれみたいですが、ちゃんと下には半殺しの餅が隠れてます。
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それぞれ仏壇と神棚にお供えして、夜にご飯代わりに頂きました。小ぶりであっさりしているので即完食。両方ともさっぱりとした甘さなのに栗と小豆の風味が生かされてます。もうちっと食べたかったな🤤
さて、肝心の月寒あんぱんですが。
ありました。売ってました🎵
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1箱990円なのに2つも買っちゃった。買っておいて何ですが、実は私このあんぱん甘過ぎてどちらかというと苦手なんです😥前に袋入りのこしあんぱん買った時に全部食べるの難儀したんですね💦💦でも今回は色々なフレーバーがあるし、どれから食べようかな~……なんて、ワクワクしてます😊🎶
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arakawalily · 2 years
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リリー亭で、スペアリブを焼いてみました🍖ミスターヨーロッパ肉の魔術師さんのワイルドビルズバーベキューソースに2時間漬けこみ、お店でいただきますような、味わいになりました🍖🍖🥩 肉の魔術師シリーズセット❗️お取リリー寄せ❣️パッケージから全てlilystudioでデザインさせていただきました❗️グルメなあの方の贈り物に、きっと喜んでいただけるセットになっております❗️ 黄金の粒マスタード❗️とにかくこんなに美味しくお肉に合うマスタードの美味しさは初めてです❗️口の中でプチプチ弾け、シードの存在感が凄いですね❗️ツヤツヤ粒々で、あまりに美味しすぎてひと瓶ごと食べてしまう勢いでしたよ❣️ https://mreurope.base.shop/ こちらのオンラインショップからお取り寄せできます❗️黄金粒マスタード、かなりおすすめします @mr.europe_yokohama 【通信販売】https://mreurope.base.shop #肉の魔術師#マスタード#粒マスタード#荒川リリー#横浜みやげ#横浜001 #横浜馬車道#馬車道グルメ #横浜グルメ#横浜土産#ミスターヨーロッパ#ワイルドビルズ#チーズ天使#パッケージデザイナー#パッケージデザイン#キャラクターデザイナー#関内グルメ#肉料理#バーベキュー料理 #バーベキューソース#ワイルドビルズ (魔術師の肉料理とワイン ミスターヨーロッパ 横浜馬車道  Mr.Europe) https://www.instagram.com/p/ChTF3l9PsQR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oldtimejapan · 7 years
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1. 吉田遠志「昭和十三年 夜の東京 屋台店  Yoshida Toshi supper-wagon 1938 2. 学生食堂の牛丼。値段が15銭とある。( 昭和初め 神奈川大学HPより)
3. 横浜常磐町の鶴屋履物店と、その奥に「鶏肉スープ」の看板が見える。
4.横浜元町の 宇千喜商店(パン屋)の奥に、「牛肉」の看板が見える。3.4共に明治時代の彩色絵葉書から。 5.戦後の浅草 昭和44年
それで、明治の頃は牛鍋もそうであったが、牛めしの味付けは味噌味ベースで、肉の生臭さを消していたらしい。  「明治時代の牛めしの眞のうま味は牛の柔ら味である。牛の内臓を湯がいて、それを牛めし獨特の煮汁でコトコト終日或は數日トロ火で煮たものに葱のコマ切れを入れて暖いめしの上へブツ掛けにしたものが、當時の牛めし」( 伊藤晴雨「牛めし物語」より)
 他にも、八百屋八兵衛の『牧牛論』(『魯文珍報』明治11年2月18日号所載)によると、《葱を五分切りにして、まづ味噌を投じ、鉄鍋ジヤジヤ、肉片はなはだ薄く、少しく山椒を投ずれば、臭気を消すに足るといへども、炉火を盛んにすれば、焼きつけの憂ひを免れず。そこで大あぐらで、一杯傾けるから、姉さん、酌を頼みますと、半熟の肉片、未だ少しく赤みを帯びたるところ、五分切りの白葱、全く辛味を失はざる時、何人にても、一度箸を入るれば、鳴呼、美なる哉、牛肉の味はひと、叫ばざるもの殆ど希れなり矣》とある。
 ところが時代が大正に入ると、「すじ肉」を使った牛めしが主流となり、より大衆化して、値段も大正12年で10銭ほどで、これがすこぶるおいしかったらしい。山本嘉次郎(映画監督で黒澤明の師匠)の 「洋食考・食べものダンディ学」 によると、「いまの牛めしは、スキヤキ飯というべきである。牛めし、モウシャリ、洋犬(カメ)チャブ、めし屋でいうところのカケは、牛丼ではない。もちろん馬や犬ではなく、牛の筋肉がほんとうなのだ。筋肉を細かく切り、コンニャクもそれと同じ形に切り煮クタらかすのである。味は醤油だけである。一昼夜も煮クタらかすと筋とコンニャクの境がつけられなくなる。そこに牛めしの個性があり、矜持がある」とある。
 そして戦後になり、関西生れの「すき焼き」が主流となったのだが、これは関東の食通にとって、内心忸怩たるものがあったらしい。興味のあるかたは、古川緑波「牛鍋からすき焼へ 」を読んでいただきたい。  http://www.aozora.gr.jp/cards/001558/files/52323_46420.html
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a2cg · 2 years
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オンラインサービスと私 ・ 学生時代の自分には想像もつかない商売で儲ける人が増えましたね。高い金を払ってク◯ゲーを掴まされ悲しい思いをしてたのに今では無料でも楽しめるゲームも増えました。 ・ FORTNITEなんてハイクオリティなグラフィックなのにタダと聞いたら当時の自分は腰を抜かすでしょう。 ・ そしてTikTokのテンポよい動画が無料で見れるのを知ったら、レンタルDVDでお金を払ったのにつまらない作品でも取り合えず見る行為を辞めてしまうでしょう。 ・ FORTNITEを運営する企業であるEpic GamesやTikTokの運営企業であるBytedanceは評価額10億ドル超で設立10年以内の未上場ベンチャー企業として有名ですね。 ・ こういった企業のことをユニコーン企業って呼びますよね。と言うわけで本日のディナーは #一鶴 #骨付鳥一鶴 です。 ・ 神奈川県の遠方にお住まいの仲間との中間で落ち合おうと横浜駅で待ち合わせて入りました。まずはすぐに出てくるお新香、玉子焼き、鶏ハムにもろきゅうです。 ・ いい感じにハーフ&ハーフのビールが進みます。そして1番の目的である #骨付鳥 がやって来ました。まずは #ひなどり の柔らかい身の味わいとスパイシーな味わいです。 ・ これにキャベツをつけて食べて #ビール を頂けば無限に楽しめます。続いての #おやどり は弾力のある肉質。引き締まってコクのある肉の旨みを感じられます。 ・ どれも美味しくてお酒が進みますが、1番のつまみは久し振りに再会しての会話で間違いありません。 ・ 関東では横浜にしか支店が無いのはなんでだろうと思いつつも美味しいのでわざわざ来てしまう価値のあるお店であることは間違いありません。 ・ #横浜ディナー #横浜グルメ #横浜居酒屋 #横浜鳥料理 #横浜和食 #とa2cg (骨付鳥 一鶴 横浜西口店) https://www.instagram.com/p/Cd5OLMXP3RC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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