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#熱海富士残念だった!
captain-buchi · 1 year
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満員御礼!
18 notes · View notes
kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブ��ックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかな���くなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。��くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだ���うと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰��捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことに���くさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんな��も呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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doctormaki · 9 days
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三日目は、カサブランカへ日帰り。うーむ。オーストラリアのキャンベラもそうだし、アメリカのDCもそうだが、近代に人工的に作られた首都とは、文化的には砂漠地帯ということ。実に無機質なのだ。首都とはそういうものなのだろう。
世界で3番目にでかい事を誇る王様が作ったハッサン二世モスクへ行く。無駄にデカいだけで、人生初モスクがイランでデビューのワシは、基本的にイランが基準値なので、何を見ても感動しない。イランは手の入れ方、丁寧さに繊細さが抜群で、絨毯にでさえワシは人の息吹を感じる。トルコでも、まぁハイ。。。って感じだったのは、父のおかげで、イランの手工芸を見ているからだろう。父、ありがとう。
それにしても、権威主義と権力の見せびらかしは、やるならもっと精緻にやれって感じ。折角、世界で三番目にデカイと誇りながら、モザイクのタイルのズレとか、そういうの、ワシはめちゃくちゃ気になる。大体、アホ丸出しの欧米人でもなけりゃ、こんなんで感動する奴はおらんやろ。まぁ首都だし、一応、見ておかんとねというだけのレベル。これに入場料取るのは、国家としては、もはや恥ずかしいレベルだが、アホな欧米人相手には良いのだろう。街中は、どこでも、植民地支配おフランスに対する反発か、イタリアンとアメリカンのレストランで溢れている。昼食も、イタリアンだったので、モロッコ仕様のマルゲリータを食す。
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昼食は、親切なイギリス人の二組のカップルと共に取る。ワシの両親とあまり変わらないだろうと推測される年配の御夫婦は、御主人はBAに長年、整備士として働いていたらしい。整備士として、若い頃はガトイックから派遣され、ザイールや南アフリカの空港に駐在。そう。アフリカ便は、皆、昔はガトウィックだった。アフリカから帰ってからはヒースロー勤務。日本にも四回、整備士として長期出張して、日本の整備士の正確さに感動し、リタイアしてから、奥さんを連れて一番最初に訪れたのは日本だったらしい。父と同じで、少し長めに働き、リタイアしたのは2015年頃らしいので、まだ観光客でごった返していない日本を見たのだ。京都、大阪、東京、御殿場、芦ノ湖、新幹線から見た富士山など、御夫婦は日本滞在がとても楽しかったらしい。良く働いた人の手は、節くれて、彼の人懐こい笑いとブリティッシュイングリッシュをチャーミングなものにさせる。子供は五人、孫は十一人目が絶賛製造中と笑って、奥さんに怒られる。ザイールでは若いのに、何もやる事なかったから、子育てしたんだよと、それでもめげずに笑いながら話す。奥さんも、笑いながら、そうね。大変だったけど、今はいい思い出と、ザイール生活を懐かしんでいた。いやぁ、マジで大変だっただろうな��ザイール。
もう一組は、ワシより少し年上で、熟年再婚のカップル。嫁はケープタウン出身。旦那は教会の牧師らしい。牧師だけに、モロッコでは嬉しそうにはじけていた。教会も大変で、イギリス国教会の矛盾、次世代への継続性が無いこと、本来はコミュニティサービスなのに、そうした教会の本来の姿が忘却されている事など、色々と話していた。御苦労なこっちゃ。まぁでも、牧師も休暇でモロッコ来れる位に儲けているなら文句無いやろ、とも思う。
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午後は海辺に立つフォーシーズンズの横にあるモールへ連れて行かれる。モールかよ。。。資本主義である。ワシは海辺で座って海を眺め、波のゴーという音に耳を澄ませる。波の音は、ザブンチャプンじゃなくて、ひたすらゴーという感じだった。父がどこかで買い求めた巨大な貝殻に耳をつけて、聞いていた音を思い出す。貝は海を恋しがり、海の音を、陸に上がっても己と共に持っていると、子供の頃、何かで読んでから、ワシは貝殻を見つけるたびに耳を付けて耳を澄ませていたっけ。平貝なんてダメよ、空気の音なんだから、巻貝じゃないと。。。と笑う母。父は何故か、その会話を覚えていたのか何なのか定かではないが、ワシの貝へのお熱が冷めた途端から、出張先で大きな貝殻を求めては得意気に持ち帰り、ワシに、おいマキ、土産だ、といって渡していたっけ。
ワシは、ドイツに住んだ二年間、今までより一層に両親への感謝しかなくなった。若い両親も、悩んでいた事もあろう。今ほど将来不安は無い時代だったにせよ、子育てに伴う不安や思いの中で、父には実に贅沢をさせて貰ったし、母には守って導いてもらった。海を眺めながら、涙が頬を伝う。ドイツにでも来なければ、これ程までに、今の自分がある事の礎を、両親がしっかりと授けてくれていたことに気付けただろうか。勿論、ワシは残念ながら天才で、やっぱり常人と違う自分に気付かされる事多数。でも、その常人ではない稀人ぶりを、温かく見守り伸ばして貰えたのは、両親と白百合の伸び伸びした環境だった。感謝。感激。雨あられである。
夕食は、ホテルの近所のモロッコ料理屋で野菜のタジンでも食べようとふらりと入る。静かに盛り上がっているアジア人の三人組。ワシは彼らの隣の席で相席となる。最初は、日本語だと気付かなかった。ワシの脳味噌、完全にフランス語とスペイン語モード。彼らの料理が来てから、なんでさっきから意味が分かるような気がするんだろうと、真剣に悩む。あー。日本語で喋っているんだと気付けるまでに、相当時間がかかった。自分に笑える。
彼らはシェア旅というSNS上で見知らぬ旅仲間を集うプラットフォームをベースに集まった旅行者らしい。主催者の男の子は三十代。旅行会社に十年勤めて、自分が生きたい旅ができる自由な旅行に憧れて、でも一人旅はなかなか予定が合わないしできないという現代日本の悲しい社会的ニーズに応じる形で、仕事としてやっているらしい。三年やって、考えて、もう少しやろうと思っていると言っていた。ノマド的に、請負仕事をしながら、海外を気の赴くままにプラプラしつつ、行く先々での旅仲間募集をしているらしい。基本的には、各自で飛行機とって貰って現地集合、現地解散。集まっている時の現地でのホテルや交通費などは、彼が手配するらしい。明るく笑う彼。日本の若者にも、まだ夢がある。
彼と一緒にいたのが、三河出身の可愛らしい女の子。まだ二十代後半。結婚プレッシャーから逃れて旅に出るのが好きらしい。愛知の女の子は大変そう。。ワシの隣の席の男子は木場出身の27歳。生まれてからずっと下町、木場育ち。スペイン語専攻し、メキシコ留学し、今は社会人らしい。私が、ついこの間まで教えていた学部生達を思い出す。ワシの学生たちも、伸び伸びと、悩みながらも伸び伸びと生きているといいなぁ。
木場の子に、何気なく話していただけなのに、別れ際に、こんなに包容力のある人に、僕、人生で初めて出会いました。本当に会えて良かったです。このレストランに入って良かったです。ありがとうございました。と、深々と頭を下げてくれた。すると、他の二人も、会えて、お話できて良かったと、頭を下げてくれる。ワシ、言葉をうしなう。素敵な良い旅を、と。お元気で。としかいえなかった。
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yotchan-blog · 3 months
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2024/7/7 20:59:17現在のニュース
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benediktine · 6 months
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【「近自然工法」という登山道整備の新しい概念とその可能性について|DOMO講演会レポート】 - YAMAP MAGAZINE : https://yamap.com/magazine/33436 : https://archive.md/5bACs : https://web.archive.org/web/20240401133642/https://yamap.com/magazine/33436 投稿日 2021.12.21 更新日 2023.05.23
 {{ 図版 1 }}
2021年7月14日にリリースしたYAMAPの循環型コミュニティポイント「DOMO(ドーモ)」。 YAMAPのユーザー同士でおくり合える他、山の再生や登山道整備など様々なプロジェクトを支援することができます。「大雪山の登山道整備 in 北海道」は、その支援プロジェクトの一つ。いったいどんなプロジェクトで、DOMOポイントはどんなふうに使われるのか? DOMO提携パートナーとして本プロジェクトを推進する「一般社団法人大雪山・山守隊」の代表・岡崎哲三さんをお招きし、12月8日に講演会を開催しました。本記事では、その模様を要約してお伝えします。
●目次  登山道の荒廃が進む、大雪山の現状  過去に「人が施工した箇所」も例外ではない  「大雪山の登山道整備 in 北海道」における、DOMOポイントの使い道  登山道整備の新たなスタイル 「近自然工法」を実践する山守隊  本プロジェクトを深掘り! 大雪山・山守隊 × YAMAP 両社代表による、プチ・クロストーク  「大雪山の登山道整備 in 北海道」についてさらに詳しく知りたい方は…
●登壇者紹介  {{ 図版 (省略) }} 岡崎 哲三(おかざき・てつぞう)  一般社団法人大雪山・山守隊、合同会社北海道山岳整備代表  1975年生まれ、北海道札幌市出身。学生時代、勉強が大嫌いで常に自然の中に身を置く。  高校卒業後、大雪山の山小屋で働きはじめ登山道整備に興味を持つ。2003年近自然工法という発想に出会い、2011年この発想と技術を深めるために北海道山岳整備を立ち上げる。  2018年に民・官・学・企業が連携した山岳管理システムを構築すべく、大雪山・山守隊を立ち上げ、日本各地の民間団体と連携しながら次世代の国立公園管理を目指している。
 {{ 図版 (省略) }} 春山 慶彦(はるやま・よしひこ)  株式会社ヤマップ代表  1980年生まれ、福岡県春日市出身。同志社大学卒業、アラスカ大学中退。ユーラシア旅行社『風の旅人』編集部に勤務後、2010年に福岡へ帰郷。2013年にITやスマートフォンを活用して、日本の自然・風土の豊かさを再発見する”仕組み”をつくりたいと登山アプリYAMAP(ヤマップ)をリリース。アプリは���2021年11月時点で280万ダウンロードを突破。国内最大の登山・アウトドアプラットフォームとなっている。
■《登山道の荒廃が進む、大雪山の現状》
―――まずは岡崎さんたち山守隊の方々が活動されている、北海道・大雪山を取り巻く現状のお話からスタート。大雪山というと自然豊かなイメージが強いですが、実際は……? 現地で登山道整備をされている岡崎さんだからこその視点で、大雪山の知られざる課題を共有いただきました。
  岡崎:私ども山守隊の活動拠点は、北海道の大雪山です。大雪山には本州のように急峻な山はなく、一度登ってしまえば多少のアップダウンでいろんなところへ行けるという、広さを感じられるところだと思います。
 {{ 図版 (省略) : 日本一の広さを誇る大雪山国立公園。ここが岡崎さんたち山守隊の活動拠点 }}  {{ 図版 (省略) : 白雲岳の避難小屋周辺にて。大雪山ならではの壮大な景観を楽しむことができる(写真【A】) }}
  岡崎:まるでなだらかな丘のような、壮大な景色が楽しめる素晴らしい場所です。ただ、残念ながら、大雪山は登山道侵食の ”見本だらけ” なんです。例えば上で紹介した写真【A】、本当に素晴らしい景色なんですが、登山道付近をクローズアップすると、荒廃の現場がしっかりと写っているわけです。
 {{ 図版 (省略) : 写真【A】をクローズアップしたもの。一見すると素晴らしい景色の中にも、登山道荒廃の影が潜んでいる }}
  岡崎:他にも、次の写真。写真中央のえぐれた道を普通に登山者が歩いていますけれども、実は右と左の植物帯は本来つながっていたところです。最初は登山者の歩行が起因となり、そこに水やら色々な要因が重なりここまで掘れてしまった……。崩れかけている植物群の中には、正直、あと数年でなくなってしまうものもあります。
 {{ 図版 (省略) : 登山者が何気なく歩いているこの道は、もとは左右の繋がった平坦な土壌。「残念でならないのは、荒廃の進行にほとんどの人が気がついてさえいないということ」だと、岡崎さんは訴える }}  {{ 図版 2 : 荒廃が進んだ登山道の一例。ここまで荒廃が進んでしまうと、凍結融解()現象の影響などで少しずつ土壌が削れていき ”歩かなくても土壌が流れ続ける状態” になってしまうそう(凍結融解とは…土壌が凍結や融解を繰り返すことで、地表に多用な影響を与えること) }}
■《過去に「人が施工した箇所」も例外ではない》
  岡崎:人が施工したところ=既存の施工物でも似たような状況が見られます。大雪山にはメンテナンスが追いつかず、「どうやって歩けばいいのかな?」と思うようなところが実はたくさんあるんです。崩壊した木道を指して「ここを歩いてください」なんて言えないですよね、危ないから。この手の荒廃は登山者というより管理する側の問題ですが、今はかつてのように登山道整備に予算がつきにくいこともあり、メンテナンスが行き届かないのが現状です。
 {{ 図版 (省略) : 崩壊したまま放置されている木道。木道の脇には人の歩く道ができて植物がなくなってしまっている }}
  岡崎:あるいは、せっかく予算を注ぎ込んで整備をしても、現地の環境とそぐわない施工をしてしまったがゆえに数年で再び荒廃してしまうということもあります。その一例として、次の写真【B】を見てください。この辺りの地層は、表土から1mほど下は氷土でできていると言われています。こんなふうに人の歩行や水の流れによって土壌がV字・U字に掘れてしまう「ガリー侵食」()が進行すると、地面の奥の方に熱が届き、凍土が緩んでしまいます。そうすると、ブロックのような形で植物群が崩れてしまいます。 ( ガリー侵食とは…地表を流れる雨水が地面を削ってできた溝に、さらに水が集中して溝が深くなる現象)
 {{ 図版 3 : 荒廃が進んだことで凍土が緩み、植物群がブロック状に崩れ落ちてしまった箇所(写真【B】) }}
これを公共事業によって修復したのが、下の写真【C】です。およそ20mの距離で、飛騰しては数百万円はかかったと聞いています。ヘリコプターで下界から石材を運び、土砂が崩れないように施工したのですが、それからな10年経たずして写真【D】のように崩れてしまったんです。
 {{ 図版 4 : 写真【B】を公共工事で修復。下界から石材を運び、土砂の崩れを防いだものの……(写真【C】) }}  {{ 図版 5 : 10年経たずして再び壊れてしまった登山道(写真【D】) }}
  岡崎:原因は、公共工事で使用した石材。現場にはもともとなかった、人が持ち込んだ重たい石です。石には熱を溜め込む性質があるので、石材が溜め込んだ熱が下の凍土まで浸透してしまい、かえって荒廃を進めてしまっていたんですね。折悪く台風も重なって、わずか一晩でここまで陥没してしまいました。行政がしっかりお金をかけてメンテナンスしてくれていても、「生態系と合った施工」という点ではまだまだ課題がある、というのが実情です。
■《「大雪山の登山道整備 in 北海道」における、DOMOポイントの使い道》
―――続いてのトピックスは、DOMOプロジェクト「大雪山の登山道整備 in 北海道」で、DOMOポイントがどんなふうに使われているのか、というお話。豊富な写真を交えながら、一つひとつ、丁寧にお伝えいただきました。本記事では、ここまでのお話の中で事例として触れられていた「ガリー侵食」にまつわるものとして、「白雲岳避難小屋周辺のガリー侵食防止」の項目についてお伝えします。他の項目についてはセミナー当日の録画(YouTube動画)をご覧ください。
 {{ 図版 (省略) : DOMOポイントの使い道      1. 白雲岳避難小屋周辺のガリー浸食防止      2. 高原温泉沼巡り登山コース内の木道設置      3. 高原温泉沼巡り登山コース内の携帯トイレブース設置      4. 登山道整備専門員の教育      5. 白雲岳避難小屋周辺登山道の整備計画作成    }}
  岡崎:DOMOポイントを活用し、大きくは上記5つの項目を進めてきました(一部、現在進行中のものやこれからの取り組みも含む)。その一つ、「白雲岳避難小屋のガリー侵食防止」なんですが、コロナ禍だったので現地集合・現地解散で行いました。そのため、資材は事前に白雲岳避難小屋まで荷上げをしておいて、当日、参加者の皆さんと一緒に小屋から運搬するというスタイルを採用しました。参加者は1日20人ほど。登山道の一極に溜まった土砂を取り除き、各所に土を集めて登山道を修復する、というような作業を行いました。
 {{ 図版 (省略) : 現場周辺を上空から撮影した写真。登山道��は3mほどの高低差がある。低い部分(中央部)に土砂が溜まっているのを整備するのが今回の登山整備のミッション }}  {{ 図版 (省略) : 溜まってしまった土壌を掻き出している様子。すべての作業は「植物に配慮しながら」行われる }}  {{ 図版 (省略) : ヤシの素材でできた土嚢袋の購入や、登山道整備の知識がある方々への謝礼などにもDOMOポイントが使われている }}
 {{ 図版 6 : メンバーの作業によりガリーがある程度埋まった様子。「今後、上の土壌に生えている植物が落ちたとしても、今回の作業で集め置いた土砂がきっちりと受け皿になってくれる }}  {{ 図版 7 : 土砂が流れ出てしまった穴も、土嚢袋を使った嵩上げをして、穴を塞ぐ作業を行った }}
  岡崎:登山道以外の植物帯に入って土砂を集めるという作業は、登山ではなかなか経験できないこと。植物がどういうところにあって、そこにはどんな土がかぶさっていて、それを避けるためにはどうしたらいいのか……。登山道整備をすることで、植物への配慮とか、自然を守りたいという気持ちが生まれるのではないかと思います。登山者にとっても新しい視点を持つ機会になると思います。
■《登山道整備の新たなスタイル 「近自然工法」を実践する山守隊》
―――岡崎さんたちが日々の活動において実践しているのが、”地質や環境に合わせた登山道整備” を実現する「近自然工法」。そのポイントや事例を教えていただきました。
  岡崎:特に大雪山のような高山帯では、”地質に合わせた施工” が顕著に求められます。地質への理解があり、荒廃の原因を見極め最適なプランを実行できる人がいてこそ、登山道整備は成り立ちます。その上で、お金があり、資材が買えて、労働力がある……。このシステムができないと、本当の意味での、いい登山道整備はできません。知識・経験を持ち合わせた「登山道専門員」の教育こそが重要で、今から取り組むべきことなのではと思っています。
 {{ 図版 (省略) :”生態系に適した施工” を実現する「近自然工法」のポイント。「近自然工法は ”手法” ではなく ”概念” 」と、岡崎さん      考え方の基本は「近自然工法」      生態系の底辺が住める環境を復元させること      すると自然の生態系のピラミッドが構築されていく      人間の都合で考えるのではなく、「自然はどう成っていくのか」という成り立ちを常に考える    }}
  岡崎:私たちが日々実践している「近自然工法」は、その “地質や環境に合わせた登山道整備” を実現する考え方です。ポイントは「生態系の底辺が住める環境を復元させること」、これに尽きると思います。以下の事例にあるように、施工の現場では、鉄の杭など自然界にないものは極力使いません。代わりに、木の幹や石など “その場所にあるもの” をうまく使って土壌の修復を試みます。
 {{ 図版 8 : 「自然の中の構造物を取り入れる」という、近自然工法の原則を用いた施工事例。自然界の摂理に習い、自然界に存在しない鉄の杭は使わず、太い木の幹や石を配置してステップを刻んでいる }}  {{ 図版 9 : 小笠原諸島での施工事例。土砂が崩れ植物が育ちにくい状態のところ(施工前・左)に、石を置き道をつくった(施工後・右) }}  {{ 図版 10 : 施工から一年後、同じ場所には下層植物が育ち、土壌の崩れが起きにくい環境ができていた }}
  岡崎:施工して何年か後に植物が育っているのを見ると、嬉しいというか、登山では味わえない、なんとも言えない気持ちになります。近自然工法は決して簡単なことではないですが、そういう喜びを感じられるのはいいところかなと思います。
行政も民間も頑張ってはいますが、残念ながら、侵食や荒廃のペースに追いつけていないのが国立公園の登山道の現状です。本当の管理とは「利用や自然災害による荒廃と、保全による復元力をバランスよく保つこと」です。そのためには、問題提起や利用者の意識変化、登山文化・自然教育の浸透が重要だと思っています。自分ができるのはあくまで「保全を考えられる人の確保」。だたし、それだけでは足りなくて、「利用と保全のバランスをとるシステム」「自然環境は人間にとって必要不可欠なものなんだと誰もが思っている状態」をつくっていかなければ、国立公園が抱える登山道の課題は打破できないと思います。
 {{ 図版 (省略) : 「この3つが揃ってこそ、国立公園の未来がある」と岡崎さんは語る      保全を考えられる人の確保      利用と保全のバランスをとるシステム      自然環境が人間にとって必要不可欠という文化    }}
  岡崎:今回DOMOプロジェクトとして支援いただいたことで、登山道整備や自然環境に対してこれだけたくさんの人が目を向けてくれているのだと実感できたことはすごく嬉しいですし、本当に感謝しています。ありがとうございました。
■《本プロジェクトを深掘り! 大雪山・山守隊 × YAMAP 両社代表による、プチ・クロストーク》
 {{ 図版 (省略) : 大雪山・山守隊の岡崎さん(左)と、ヤマップの春山(右) }}
  春山:お話を聞いて感じたのは、登山道整備をしたことがある人は一般の登山者とはまた違った山の見方をされるんだなということ。地形や地質を見て、その環境に適した方法で整備をしていく……つまり自然を読みながら登山道整備をするというのは、自然や山を知る貴重な機会になると思いました。行政任��にして登山者が関わらないのはもったいない。楽しみながら、自分たちの遊び場を自分たちで良くしていく姿勢、登山道整備を登山者自身が行っていくという文化を、一緒につくっていきたいですね。
  岡崎:私に登山道整備や近自然工法のいろはを教えてくれたのは、四国にお住いの土木の方なんです。その教えはまるで禅問答のような言葉も多くてですね。「答えは自然の中にある」ですとか、「答えは一つではない」とか、「自然を観察して参考にしなさい」とか(笑)。自分も馬鹿正直なもんで、「よし、自然を見てやろう」と思ってやってみると、本当にそのとき初めて、いろんなものが見えてきたんですね。
春山さんがおっしゃる通り、登山道整備における視点は登山のそれとはまったく違います。水の流れを辿ることで小さな渓流の成り立ちを理解したり、一見なんの変哲もない石が、実は土壌崩れを防いでいることに気がついたり……。こういった視点で自然を読めるようになると、純粋に面白いんですよね。その面白さこそが、法人化して登山道整備を続けたいなと思った一番の要因かもしれません。面白さをきっかけに、登山道整備がもっと広く、普及してくれたらと思います。
 {{ 図版 (省略) : 登山道整備活動を通じて、近自然工法のいろはや概念を伝える岡崎さん }}
  春山:「その土地にある材料で修理する」という近自然工法の姿勢は、素晴らしいと思います。特に、下界から運んだ石材で修復するも、10年足らずで壊れてしまったというエピソードは印象的でした。人の手であれこれ持ち込んで修復を試みるよりも、その土地にある材で、その土地に適した整備をする方が、長持ちし、年月を経るほどに強くなる。これは登山道整備に限定される話ではなく、生き方や自然との関わりという意味でも重要な示唆を与えてくれているのではと思います。尊敬する中村哲さんも、まさに同じ考え方でアフガニスタンでの用水路建設を実行されており、場所や分野は違えど、自然との関わり方という意味では通ずるところがあると感じました。
  岡崎:繰り返しになりますが、自分が常に意識しているのは「周りの自然を見ること」です。例えば植物が復元しているスポットを観察して、「ここはどうしてこんなに復元しているのか」と考えてみる。「もしかしたらこの石が一個引っかかって、それにまた別の石が引っかかった結果、土壌が溜まって平坦な地形ができ、安定勾配になる。そこにまた石材が落ちてきて……」と、観察と思案を繰り返していくわけです。すると、「なるほど自分がやるのは全部直すことじゃないんだ。直るきっかけをつくれば、あとは自ずとよくなっていくんだな」と、思い至る。
私たちの仕事は ”きっかけづくり” なんです。自然に対しても、人に対しても。大雪山以外でも各地域で登山道整備や講演活動をしていますが、あくまで ”きっかけづくり” に過ぎません。実際に育つのは、その土地の植物であり、手入れをするのはそこで暮らす人々です。どんなにゆっくりでもいいから、その土地土地に合うかたちで植物が育ち、地元の人たちが手入れを行っていくのがあるべき姿なんだと思います。
  春山:登山道整備において、標高が高く夏が短い大雪山は、気候的にも環境的にも、難易度が高いのではないでしょうか?
  岡崎:登山道整備のレベルというより、荒廃の進み具合・深刻度では「どこに行っても大雪山に比べたら大丈夫だな」という感覚はあるかもしれません(笑)。大雪山への人の入り込みなんて、本州のアルプスに比べたら少ないんです。よく「オーバーユースが原因で荒廃している」なんて言いますけれど、大雪山の場合は全然オーバーユースではない。人が入らなくても侵食が進行していることが問題なのに、多くの人がそれに気がついていないんですよね。その深刻さに気がつくと、今度は「今、なんとかせねば!」と焦ってくる。常に自然を観察して考える日々です。ただ、利用と保全を確立するという意味ではそれだけでは不十分なんです。利用する人の量とそこに育つ植物と、利用しても崩れないような日々のメンテナンス。これらをしっかり構築することが必要です。
 {{ 図版 (省略) : 大雪山の美しい景色。この景色を守るためにはメンテナンス体制を構築する必要がある }}
  春山:そうですね。その中でも、登山道整備の知識・技術を持った人の存在は大きいかと思います。利用と保全のバランスを成り立たせるためには、登山道整備の技術者が、最低でも1?2人は国立公園に配置されるといいですね。ちなみに 近自然工法の知識・技術を持っていて、それを人に教えられる人は国内にどれくらいいるのでしょうか? あるいは、登山道整備のいろはを学べる場所はあるのでしょうか?
  岡崎:近自然工法を実践している人は何人かいますが、自分も含めまだまだ発展途上で試行錯誤を重ねながらの人が多いと思います。各地域の実情に合わせて体系的に教えられる人となると、ごくわずかでしょうね。
日本にマッチするかどうかはわかりませんが、海外には登山道整備のシステム化を実現した事例があります。アメリカの国立公園では、1万世帯以上のボランティア登録があります。ボランティア団体が自ら稼いだ資金の他、企業・自治体からの助成金などを元手に、登山道整備のボランティアを指導するチームも含めて運営されているようです。
日本もそういう文化ができる一歩手前まで来ているとは思っています。現代は、今ある道をいかに保全していけるかという時代。共感・賛同してくれる仲間を増やし、一緒になって登山道の保全活動を進めていきたいですね。
  春山:僕たちもぜひ協力させていただきたいです。日本には茶道や剣道のように「◯◯道」の概念がありますから「登山道整備道」みたいに、自然と対話し、自然を読みながら登山道を整備する仕組みや文化をつくっていきたいですね。
  岡崎:自然保護・環境保全は、私たちも含めいろんな人たちが同じ方向を向いてできることですよね。民・官・学が共同し生態系保全の取り組みとしても、登山道整備を実施していければと思います。
■《「大雪山の登山道整備 in 北海道」についてさらに詳しく知りたい方は…》 今回の記事ではご紹介できなかった話を含め、講演会の模様を下記YouTubeにて配信しております。ぜひご覧ください。
 {{ 動画 : DOMO講演会 vol.3 |一般社団法人大雪山・山守隊 : https://www.youtube.com/watch?v=fxe8KfVK_80 }}
●YAMAP MAGAZINE 編集部  登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。
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mougen-nikki · 9 months
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
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2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
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3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
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4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
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5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
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運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
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6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
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7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
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8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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takahashicleaning · 9 months
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TEDにて
セス・バークレー:ワクチンの開発を執拗に阻むある事実
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
セス・バークレーは、ワクチン市場の現状を展開しながら、世界的脅威となる疫病のワクチン開発が遅れている原因は、その裏にある社会的アンバランスから来る経済的リスクにあると解き明かします。
その子の症状は、微熱と頭痛、筋肉痛に始まり、嘔吐に下痢が続き、その後、口や鼻そして歯茎から出血し、最終的に低血圧から来る臓器不全で死に至りました。
これはきっとエボラだと思っておられるかもしれませんが、実はこのケースはそうではなく、蚊媒介病、デング熱の特に重篤なケースなのです。
この病気も効果的な治療もワクチンもなく、年に2万2千人程の命を奪っています。この数は、過去40年間程でエボラで命を落とした人の2倍だという事が分かっています。
最近よくニュースになる麻疹といえば、その死者数は十倍にも膨れ上がります。なのに去年、エボラは広く大きくニュースに取り上げられ、その恐怖が蔓延しています。
1976年以来、エボラを観察してきた私たちはその怖さを知っています。これまでに、世界で24ケースの集団発生が起き、研究する時間は十分ありました。現に、ワクチン候補は、この十年以上、存在していたのです。
では、何故、今、やっと、そのワクチンの臨床試験が行われているのでしょう?これが感染病のワクチン開発における根本的な問題なのです。
どういう事かと言うと、こういう病気にかかる危険性が最も高い人々は、ワクチンの支払ができ���い最も貧しい人々でもあるのです。これでは、製薬会社がワクチンを開発して市場に出したとしても全く儲けがないのです。
富裕国で多くの人にかかる危険性がある。と言うなら別ですが、つまり、営利面から見て危険すぎるというのです。
エボラはと言うとその市場は全くありません。なのに、今、2種のワクチンが後期臨床試験の段階に至っているのは、報道で煽られた人々の恐怖が唯一の原因なのです。
かつては、エボラは、比較的、無視されていたのですが、9.11と炭疽菌事件後、突然、人々は、エボラがバイオテロの武器に使われる可能性に気づきました。
流行性インフルエンザもある意味バイオテロかもしれません。
では、何故、エボラワクチンが、この時点で開発されなかったのでしょう?その開発が非常に難しいという事もありますが、このウイルスは、武器には使い難いと思われたからです。
それよりも一番の理由は、開発に於ける財務リスクがあるからです。これが私が言いたい事です。
この残念な現実は、病原体が人々に引き起こすリスクでなく、経済的なリスクの度合いに基づき、ワクチン開発が行われているのです。ワクチンの開発は複雑で膨大な費用を要します。
一般的な抗原でさえ、効果のあるワクチンにするには、何億もの費用が掛かります。幸運にもエボラのような疫病には、そんな障害の一部を取り除く方法があります。まずは、市場が正常に機能する事は期待しない事です。
それでも、ワクチンが必要となれば、何らかの経済的支援やある種の補助が必要となってきます。又、どの疫病が一番脅威となっているか、うまく見極める必要もあります。関係国での疫病対処体制を創出し、疫学研究団体による病原体を集め分類化する ネットワークを作り出せます。
そこからのデータで、地域的、遺伝的な病原体の多様性が分かり、また、それらのデータは、病原体がどのように免疫学的に変化しているのか理解し、その対処法の進め方を研究する助けとなります。
こういう事は可能な事ですが、これらを実現する為に正常に機能しない市場に対応するには、感染病に対する見解やその抑止法を変えなければなりません。
パンデミックになる前に疫病の広がりを食い止める必要があります。ワクチンの候補薬は、他にも準備されています。
毎年、何十億ドルも費やし、原子力潜水艦で海上を常時パトロールし、あり得そうもないような脅威から私たちを守っているのに明らかに人類の未来がかかっているような流行感染症予防策に対しては、全くと言っていい程、予算を組んでいません。
言っておきますが、これは仮想の話ではなく必ず起きる事です。
2020年に、現実に新型コロナウイルスがパンデミックを引き起こしています。
これらのウイルスは、進化を続け、世界中を脅かしているのです。ワクチンが一番の防衛策です。
エボラのような疫病の流行を防ぎたいなら、リスクを承知で思い切ってワクチンの開発に投資し、ワクチンを備蓄しなければなりません。
これを私たちができる究極の伝染病の抑止策と見なし、確実に常備しておく必要があります。
最後に、細菌(微生物)とウイルスは異なります。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生��競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
当店は、新型コロナウイルスのパンデミックで明らかになったこととして・・・マイケル・サンデルも言うように
日本独自の職人のクリーニング店は服をきれいにするだけではなく・・・
同時に、100年前からエッセンシャルワーカーとして公衆衛生体験という経験も安定して提供しています。
安定以外の究極的な公衆衛生体験にはロックダウンや緊急事態宣言などが含まれた形になります。
実用化は至難の業とまで言われていたが、昔は、共産主義だったハンガリーからアメリカに移民として渡り・・・
苦難の末に新型コロナウイルスのmRNAワクチンを最速で開発できるようになった。普通は、実用化まで最速で10年は余裕で経過します。
これが基準です。ここから、当時、トランプ元大統領が発言していたワープスピードな方法。いかにもの凄い異次元な貢献をしたかがわかります。
そのmRNA基礎技術の確立に貢献したということでカタリン・カリコとドリュー・ワイスマンが2023年にノーベル生理学・医学賞受賞しました。
mRNA基礎技術は、インフルエンザや癌など応用範囲は、たくさんあると言われています。
続いて、後遺症を含めた治療薬も・・・
テロで何人なくなった?
新型コロナウイルスのパンデミックでは万単位!!
東京都は、202207現在で2万人超えてるし、世界ではそれ以上。これは、ポルポトの大虐殺以上で数百万人単位。
致死率が、風邪の場合に近づいてきてもワクチンの集団免疫で相対的に近づいてるだけの可能性は高い!
国内は、マスクも併用して致死率が低いが、世界では、高めの致死率傾向があるため、いかなる理由であれ断固。
新型コロナウイルスを軽んじてはいけない!!
空港の人の往来を拡大するなら、致死率も上がるような比例関係もあるかもしれない。知名度のない無名の庶民はないがしろか?
テロを行う人以上の大虐殺な日本の知事や政治家?自発的に責任を取らない極悪人だから・・・
このようなパンデミック条件の場合も戦争犯罪人としてカウント。A級からZ級まで。
国連は、軽犯罪的な戦争犯罪人カテゴリーを創設し、罰則付きで責任を取らせて世界的に発信して扱うべきです。良識を疑います。
ロングcovidのような後遺症は、風邪と違い、症状が、数ヶ月続くという事例があるので
主な症状であるブレインフォグや倦怠感を感じたらウイルス量を下げる薬を処方してほしい。効果がある?
これらのデータがオープンに広く世間に認知されてない?現在の治療プロセスがどうなるのかが不明。
新型コロナウイルスで炎症が発生したりアトピー性皮膚炎、鼻炎や喘息など鼻が詰まって頭がモヤのようにボーとする症状も似ている。
ワクチンの三回目完了後。
数ヶ月して目に加齢黄斑変性のような感じが?
調べるとワクチン��ら来る合併症の可能性?
一、二回目はファイザーで問題なかったけど、三回目はモデルナだからかもしれない?
血管を攻撃するウイルスの特徴があるから眼球の血管に影響を与えているかもしれない。
検査すればわかるかと思い眼科に行って検査してもわからないから大丈夫だろうか?
緑内障や老眼と間違うらしく、たくさんの症状があらわれてるらしい。
長年、アレルギー性鼻炎やアトピー性皮膚炎に苦しめられてきた自身の体験から・・・
医者よりも研究は、子供の頃から数十年もの蓄積はあるんだけど
功をあせったテレビや医学者から嫌がらせされるので助けて欲しいんだけどね。
もしも、そうなら医者の風上に、おいとけない非道い連中だ。
コロナ後遺症ブレインフォグの症状を調べるとある事に気づいた!それは日本人に多いアレルギー性鼻炎!
どういうことかというと・・・
日本人に多い新型コロナの症状に似ているアトピー性皮膚炎や喘息に切り替わりやすく
鼻が詰まって頭がモヤのようにボーとする症状も似ている。
原因不明も同じ。ワクチン打ったら改善してる?どういうことなのか?
先入観を変えて、実は・・・
日本人に多いアレルギー性鼻炎やアトピー性皮膚炎、喘息は世間にあるような軽視するべき病気ではなく
とても重症度の領域にも入るようなインフルエンザよりも危険な新型コロナウイルス対策にもなる
ファクトチェックのない巨大な独占国家、巨大な独占法人の常識は世間の非常識?
優先的に治療をしなければいけない病気なのかも?しれない。
人里離れた場所にいる賢者の理由?
出エジプト記の根拠として・・・
追い出されたのを良い口実にしてエジプトなど強欲な都市に蔓延してたウイルス対策、将来のユダヤ人の一族を守るためもあるかもしれない。
古代エジプトは数千年の歴史があるので、ミイラ作りのため、解剖学も発展していただろう(逆に、解剖学を発展させるためにミイラを流行させた?)
細菌やウイルスに近い概念を発見していても不思議ではない。
古代遺跡もこつぜんとそこにいた人々が、一夜にして消え去る理由もコレかも。
この視点から全世界を見渡すと東西の宗教も問わず、古代中国の仙人や孔子、太公望、諸葛亮孔明も人里離れた場所に住んでいるのが良い証拠。
ブッダはこう言ってます。
「おまえは確かに人間の社会システムでは勝ち組に選ばれた人間かもしれないが
梵天(神)や大自然に選ばれる資格はない!そんな値打ちのある人間ではない」
とインスピレーションが来たので書いておきます。
現時点で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の症状は、皮膚に現れる症状だけは、アトピー性皮膚炎に適合する。つまり、似ていることに気づいた!しかし、発熱・せき・おう吐・下痢といった症状はない。BCGで緩和されてる?
日本人に多いアレルギー反応である喘息やアトピー性皮膚炎は、もしかして、コロナウイルスが要因にあるかも知れない。毎年感染してるが未知のウイルスだったため、認識できなかったりしていた?
サイトカインストームもアトピー性皮膚炎が重症化すると出てくるところも似ている。
軽症治療薬。リジェネロン他は、抗体カクテル療法用、アトピー性皮膚炎の予防にも効くか?国はテストして欲しい。
ワクチンは二回目完了後、一回目より倦怠感が激しくなるが、数日でケロっと回復。筋肉注射だから、筋肉が傷つき、痛みや腫れが多少でます。
経過観察して、アトピー性皮膚炎も皮膚の炎症が、二回目後、二週目以降も抑えられてるような感じもする。
そういえば、関節の軽い痛みが2018年あたりから月に数回あったが無くなったのも気になる。
ジェフリー・ゴールドによると「新型コロナウイルスとは別のヘルペスウイルスが再活性化したことがロングCOVIDに関係している」らしい。
以前は、新型ではないコロナウイルスが引き金で関節の痛みがあったのかもしれない。
抗体カクテル療法をまとめると軽症も中等症のように2つに分類しろ!わかりにくい。現実的なリジェネロン、カシリビマブ、イムデビマブをワクチン後の予防として、すべて混ぜて軽症治療薬として統一した方がいい?
出来るなら新薬がでたら、それも後から混ぜてほしい。
その数年後2022年には、調べてみるとリジェネロンはオミクロン型に効果が薄いことが確認されてます。
ソトロビマブ・カシリビマブ/イムデビマブは「中和抗体薬」としてまとめてますが、オミクロン型には効果が低くなってます。
BA.4株・BA.5株に対しても効果の高い薬は「ベブテロビマブ」というのが登場してます。これは、オミクロン型には効果ありません。
そして、オミクロンに効果が高いものとしては、ラゲブリオ、パキロピットの他に、国産ゾコーバが登場してます。
2023年には、パキロピットと国産ゾコーバが、ロングCOVID後遺症にも効果がある?とされている。
現在、これらを組み合わせた抗体カクテル療法も効果があるかはわかりません。
今後の研究次第なため詳しくは専門家に聞いて下さい。
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omiznewsviews · 1 year
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決定戦の貴景勝の立ち合いの変化に関しては内容的には残念に思っている。しかし、貴景勝の現在地を見ると致し方ない。休場明けのカド番。休場の原因になった両膝の痛みは平行線だろう。首にも爆弾を抱えている。そのため1日1番の気迫で土俵を務めてきた。肉体的な限界。精神的にも追い詰められた状態があの変化になった。「若手に負けたくない」。「大関として白星にこだわった」と貴景勝は言うかもしれないが、一番悔しいのは貴景勝自身だと思う。
【尾車親方の目】貴景勝の11勝Vは精一杯の結果 熱海富士、伯桜鵬、大の里…来年には新しい地図ができるかもしれない : スポーツ報知
尾車さんらしい評。
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chaukachawan · 1 year
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謝意があるかい?
 近未来ミイラです。『愛があるかい?』の役者紹介をさせていただきます。実はゲネぐらいには書けていたのですが、どうやら内容が良くないようで、アサギNGが出てしまったので、楽ステ後に再掲載しております。芸名等誤りがありましたらマジでごめんなさい。(以下、チラシ記載順 敬称略)
 ヨルノサンポ団の『コンビニエンス・スペースシップ』を観てから、稽古場でこたちさんを見るたびに「ああこたちさんやすげえええ!!」という、にわかファンみたいな気持ちになってます。第二回通しの吾郎と豊の会話のシーンもめちゃくちゃ熱量あってテンション上がりました。ライターズブロックに悩まされた公演だったのではないかと推察しております。アイバーご自愛ください。
苔丸
 作業で箱に来ると「掃除したい」と言ってくれるしっかり者。そのしっかりさは演技にも現れていて、白子やみそかやゆにと一緒に、どういう段取りで誰がどう動くといいか、という立ち稽古を自主的にやっているのがとても印象深かったです。香夜のおばあちゃんとは歳も性も違うのに、どちらの役も自分のものにしている感じがして羨ましいです。和室では隣の部屋で騒ぐ輩にキレるわけでもなく、ひたむきに脚本と向き合ってくれていました。ありがとうございます。あと、ボーイッシュなウィッグがとても似合っています。アイバー変なイミじゃねーぞ。
衿君
 えりっくの怒声を聞くたびにほんと好きぃ〜〜ってなります。声量もあるし、感情も乗っているのに、それでいて耳に優しい感じがするという、なんだか不思議な声だなと思います。PVの毒グモ博士の笑い声とかやられ声とかもめちゃくちゃ好きです。アイバーマンの監督も褒めてましたよ。「やっぱり衿君は違うな〜」って。稽古で殺陣の練習一緒にやってくれたのも嬉しかったです。アイバーありがとう。
君安飛那太
 マリオさんとタッグ組んで悪ふざけしてる時のおもろい笑顔のコルクさんも、黍さんとタッグ組んでボケにボケまくるコルクさんも、舞台上でお手本のような嘆きや叫びを見せるコルクさんも、変身シーンのコルクさんも全部好きです。第二回通しでアドリブした件はすみませんでした。アドリブで返してくれたのめちゃくちゃ嬉しかったです。アイバーパンチ。アイバーキック。アイバークラッシュ。
たぴおか太郎
 母としてあるまじき行為をするなかなか難しい役ですが、なすかさんほどこの役がはまる人はちゃうかには他にいないのではないかと思えるほど適任だと思います。オムニに続いて、若干ヒス要素を持つ母親がめちゃくちゃ映える先輩だと思っています。ヒス構文で書いたセリフを言わせたら右に出るものはいないかもしれません。とはいえ、普段はヒスヒスしていることはほとんどなくて、芸創の幕作業もハツラツとした感じで指示を出してくださいました。アイバーママ。
じゃがりーた三世
 オムニの頃は映像の件でお世話になり、今回は稽古場等でお話しさせていただきました。平岡の過去シーンはれぷとんさんのレアないかつい演技を見ることができるため気に入っていたのですが、諸々の都合で削られてしまいました。残念。第二回通しの日にれぷさんから聞いた怪盗の脚本に関する話とか「世界観」の話とかが今でも私の頭の中で燻っていたり。アイバー蒙古タンメン中本。
雨音
 みそかの醸し出す「得体の知れないお姉さん」感は本当にいい味を出していると思います。我孫子との殺陣が鬼かっこいいです。近くで見た時マジで震えました。くれぐれも怪我には気をつけてください。和室で白子と人生相談をしているところを邪魔してしまって申し訳なかったです。とは言え、みそかの考えている色々なことを、これからも教えて欲しいなんて思ったり。気づいたら芸名変わってた。アイバーたったかたー。
織田舞里
 同じシーンで出るので、稽古の時にはよくお世話になっています。何とは言いませんが、稽古の度に非常に申し訳ない気持ちになっております。私へと向けられる絶望した視線に、日々ゾクゾクしています。変なイミじゃねーぞ。まりおさんは今回の脚本で、とにかく役作りに困っていた印象があります。ろりしまの特異な境遇が故、性格や仕草や口調など、全ての要素に一筋縄では行かない難しさがあったのだろうと思われます。個人的には生意気度高めな演技の方が好きです。アイバーはい、おじさん水。
えどいん
 あっちのシーンでもこっちのシーンでも、えどさんの持つ唯一無二の雰囲気が完璧な出汁を利かせていると思います。集会前の不穏な期待に満ちた空気感を一身に背負う姿、そこにはえどさんの魅力があります。瓦礫作りのセンスも最高です。手際良く、そして見た目良く、材を並べては固定していく姿、そこにはえどさんの技術があります。集会のとき、たまに私のシャウトが来るタイミングをみてアドリブで小バンザイを入れてくれます。アイバーえどいん様万歳!
肆桜逸
 我らが大道具チーフであると同時に、ポケカスメンバーの一人。怖い話のときから師匠として尊敬していましたが、最近は段々と距離が近くなっているような気がして、個人的にはとても嬉しく思っております。スチルさんの放つ言葉は、劇中でも稽古中でも常に真っ直ぐな感じがします。マジかっけぇっす。アイバー笑った時の顔が好き。
園堂香莉
 役者初挑戦の癒し担当です。不良女が不在の時に自分でカバンの中身を出すアドリブをしたのが今でも忘れられません。すごく気に入っています。闇堕ちシーンの脚本会議の時にコンパネに書いていた書き置きでさえキュートでした。LINEの文章からも葵に対する愛がとても伝わってきました。またなぽりのお芝居を観たいです。アイバー離れてても一緒だよ。
海泥波波美
 はぁこいつほんま……。なんかもうマジですげぇ。実力あるのに謙虚だし、チャラいと見せかけ真面目だし、バイトもちゃうかも全力でやってるのがひたすらかっこいいし、年上なのにすごく接しやすいし。本当に親の顔が見てみたい。そして「アサギを産んでくれてありがとう」って伝えたい。……愛が溢れてですます調が崩れてしまいました。アイバー「アサギがいる」の響きだけで強くなれる気がしたよ。
黒井白子
 秋公の話より先に新歓公演の話を始めてくれる計画的な我孫子様。35期懇親会の時にも全行程決めてくれたの大感謝すぎます。我孫子は白子以外には務まらなかった気がします。殺陣の動作も、特徴的な台詞も、難しいものばかりなはずなのに、軽々とこなしてしまうのがすごいです。軽々とこなしているように見せることができているのだとしたら、それもそれですごいです。アイバーメガネの白子も好き。
縦縞コリー
 オムニの時の警官とはまた違い、闇の一面を見せるシーンがあり難しい役ではありますが、やっぱりいい演技をしてくれます。脚本会議の時には深夜まで残ってくれていたり、照明のシュートの時にも全力で頑張ってくれていたり、ちゃうかに身を削る一人の戦士でもあります。稽古中にこりが「こいつホンマ……」と言った時、僕は基本褒め言葉として受け取っています。アイバー「さっさと言えよバーカ」の声めっちゃ好き。
ミル鍋
 怖い話に続きお世話になっております。アイの衣装を着てウィッグをつけてアロファと並んだ時、真冬の白川郷かってくらい真っ白すぎてびっくりしました。ふわふわした高貴な歩き方に悩んでいました。言葉にこそなっているものの、実現しようと思ったら難しい表現だなぁと思います。京言葉で思いっきり煽ってくる役とかやってもらいたいですね。アイバー��も……何も起きへんやないかーい。
岡崎仁美
 まずは舞監や会計等のお仕事、本当にお疲れ様です。イレギュラーなことが立て続けに起きている中でも笑顔でいるカヌレさんには頭が上がりません。楽屋でも話があった通り、仕込み週に来ているだけでも偉いのに、仕事にも抜かりがないのえぐいです。アロファの演技、ネチネチクソガキすぎてドチャクソ好きです。芸創では勝手に動いて迷惑かけたりして申し訳ありませんでした。アイバー謝罪。
 
鴨兎春
 不良女の「ふ」は不憫の「ふ」。出演シーン全カットというまさかの事態に巻き込まれた役者の一人です。不良の台詞めちゃくちゃ上手だったので少し残念です。最終的にはスチルさんに告られることになりました。どうでもいいですが、「らび」と呼ばれているのを聞くたびに「ラヴィラヴィチュウ ご褒美ラヴィチュウ 噛み付いて骨まで チュッチュッチュッ」って歌い出したくなってます。アイバー1人でお家帰ってんの偉いねー。
アリリ・オルタネイト
 不良女の「ふ」は不憫の「ふ」。出演シーン全カットというまさかの事態に巻き込まれた役者の一人です。いつ見ても舞美として働いていて、大変尊敬しています。イルルさんとは中々関わる機会が無いものの、気さくに話しかけてくださるのでとても嬉しく思っております。アイバーオイ耳聞こえないのかよ。
 我らがボスです。再びご一緒することができて本当に嬉しいです。インターンで忙しい中、合間を縫って照明をつってくださる姿は超絶かっこいいし、稽古中や帰り道でコルクさんと笑い合っている姿は超絶可愛らしいです。zoom横でうるさくしてしまって申し訳ないです。石橋の辺りや駅でお目にかける機会が多いですが、ちゃうか外でちゃうか民と出会ったときに取る行動が私と黍さんで似ているようで、不思議な親近感が湧いています。アイバーボス。
近未来ミイラ
 監督の名前が富国恭平なんです。アイバーサンダーサイダー。
大福小餅
 怖い話に続いて、同じシーンで共演できるのかっ!?と思っていたのも束のまにまに。気づいたらそのシーンは全カットされてしまいました。役者料金を払ったのにセリフがほぼなくなったときには、こふくに対する不敬罪で危うくこたちさんが極刑になるところでしたが、最終的には葵ちゃんの意志を注ぐ者となりました。普段の様子は荒れた町民とは似ても似つかないこふくが荒れた町民になる世界線も面白かったですが、葵みたいなおとなしい役も似合っています。アイバーいま正解。
 長々と失礼いたしました。つまらない役者紹介ですみませんでした。ちゃうかの皆様には普段から伝えたい愛とか謝意(感謝や謝罪)とかがたくさんあるのですが、私は面と向かって言えないのです。シャイなので。
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moshimobokuga · 1 year
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突然春は跳ねる #05
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 二日後の放課後、学校を出た私と長山さんは銭湯に向かって歩いていた。 「この間は迷っちゃったけど今日は大丈夫!」  長山さんがずんずん進むから後に続く。学校の周辺には大小様々なビルがたくさんある。ご飯屋さんも結構あるのに寄り道が禁止されてるから堂々と入れないのは残念だ。こんなオフィス街を少し歩いた先にどーんと広大な学校があるなんて変だと改めて思った。  二十分くらい歩くと暑くなってきた。街並みも変わってビルより家が増えてくる。古そうな一軒家が並んでてマンションもぽつぽつ建っている。学校の誰かが住んでいる可能性もあるけど、のどかな住宅街で人も多くないから学校関係者に見つかる不安はなかった。 「あ!見て!」 「ん?」  長山さんと見上げた青い空に灰色の煙がもくもく伸びているのが見えた。煙突だ。 「すぐそこだね」 「うん!良かった!迷わなかった~!」
 銭湯に来るのは初めてだけどイメージ通りだった。湯と書いてある暖簾が入り口にかかっていてそこから男湯と女湯に分かれる。番号の書いてある木札が刺さってる下駄箱に靴を入れた。長山さんは数字とひらがなにこだわりがあるようでどこに入れるか考えていた。  受付のおばあちゃんにお金を払う。大人料金は四五〇円だったけど割引券で四〇〇円になった。使い切りのシャンプーとリンスのセットも買った。  体を洗ったり拭く用のタオルは持ってきた。ボディーソープは長山さんの物を使う。とびっきりのものがあるから嫌じゃなかったら貸してくれるとのことだったので借りる。  脱衣所にはすでに入浴済みのおばさん二人がいるだけだった。世間話していたみたいだけど私たちに気づいてこんにちはと言ってくれたので挨拶を返した。  ロッカーに荷物を入れて長山さんが制服のベストを脱いだ。それだけで胸の大きさが変わって見えた。特別とても大きいわけではないと思うけど小柄で言動も子供っぽい印象のある人だからチグハグで少し驚いた。着痩せって錯覚なのかな。どんな仕組みなんだろう。  今まで合宿とかで同級生と風呂に入ることは何度もあったのにそわそわしておかしかった。でも長山さんは恥ずかしがる素振りなんて見せない。彼女が髪を下ろして裸になっても私はまだ靴下とタイくらいしか外していなかった。 「先に行ってるね~」  そう言って置いて行かれてしまったので急いだ。
 浴室に入ると長山さんはもうシャワーを浴びていた。私は隣の椅子に座る。  シャンプーの袋を切って頭を洗う。よくある匂いだと思うけど家で使ってるのとは違うから新鮮だ。リンスも。 「じゃーん!見て!これ知ってる?昔からあるんだって」  髪の水分を切ってお団子にまとめると長山さんは私に白い腕を伸ばした。思い切り開いても小さな手のひらには赤くて四角い宝石みたいな石鹸が乗っている。 「きれい…」 「ね!美味しそうだよね!初めて来た時に一個だけ売ってて一目惚れしちゃった!どうぞ使って!」  長山さんの言ってたとびっきりってこれのことか。美味しそうかはさておき、一目惚れはわかる。透き通って明るい場所にかざすとキラキラする。  あまり嗅いだことないおしゃれな香りがする。お屋敷の花瓶に飾られている花にほんのちょっと貴重な胡椒を振りかけたような匂い。この間の長山さんの匂いはこれだったのかな。泡立ちも良かった。普段は石鹸なんて使わないのにちょっと欲しくなった。
 湯舟には二人で熱い熱いと連呼しながら入った。他にお客さんいないからって騒ぎすぎたかもしれない。  そのうち、お湯の熱さに慣れて落ち着いた。外の暑さと大違い。気持ちがいい。 「長山さんはどうしてここ知ったの?」 「あのねー、美術科の一年生には共同作業ってのがあって、クラスの子たちと文化祭に向けて作品作りしてるの。あたしたちの班は富士山を描くことに決めて──」  長山さんは話しながら湯船で伸びる。白い肌は赤くなっていた。 「それはもうでっかいのを描いてやろうぜってことで何か参考にならないかと探してたらここを見つけたわけです」 「…一緒に来た男子が同じ班の子?」 「うん。男子二人とあたしの三人グループ」 「そうなんだ…どれくらいの大きさで描くの?この富士山くらい?」私は振り返って壁の富士山を見上げた。「あれ?」  富士山はなかった。空と海と岩と木だけ。それだけでもきれいな絵だけど富士山があるもんだと思って見たら殺風景だ。 「富士山は男湯側に描かれているのである」 「え!?」 「ふふ…ここからなら男湯の富士山を盗み見ることができるのだ…」  長山さんが湯舟の端に移動した。私も場所を変える。一枚の横長の壁画は中心で男湯と女湯に仕切られていてその壁の向こうに富士山の頭だけが見えた。 「不公平だね」 「ね!近くで見たいよね!これより大きい富士山描きたいなぁ。計画書の段階で教室に展示できるくらいにって先生に言われちゃった。本当は体育館にだって収まらないくらいのが良かったんだけど」 「野望がでっかいね」 「へへっ。照れる」  こんなことで照れるんだ。変なの。  私たちの体はもう茹でダコみたいになって一度水風呂で冷やした。ここでも一緒に冷たい冷たいって言い合ってまた湯船に戻ってのんびり浸かった。
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kt-grotesque · 3 years
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手紙20211121
お元気ですか? 今日も空は蒼く冴え渡り、赤トンボたちが飛び交っています。このまま暖かさが継続し、雪などは思いっ切り夏に降ればいいなどと話したりしてますが、果たしてどうなるでしょうか。
お手紙と映画のチラシ5枚を受け取りました。ありがとうございます。「途方もない映画体験」と書かれた『MONOS猿と呼ばれし者たち』は、評論家の多くが5つ星をつけていたので気になっていました。観たいですね。面白いでしょうね。その後、どうでしょうか、ゴールデン街で口角泡したい。まあ懐かしくも見果てぬ夢ですが。
南米コロンビア50年の「内戦」を想起する際に過ぎるのは、サンディニスタ解放戦線の闘い__アメリカが支援する独裁政権との闘いを指揮した革命司令官オルテガの末路でしょうか。今や独裁者として権力をほしいままにしているのですから。ニカラグアの現在のお話です。 革命は一国で終わった場合、資源が豊富であればロシアや中国のように、乏しく貧しい国であればキューバやニカラグア等の形態の独裁へ陥ってしまうようです。それからも革命は国境を越えて広がる世界革命でなければならない__これが今のところ、「真理」のようであります。 マルクスやエンゲルスの時代の1845年。ヨーロッパに広がった革命は世界革命であったと言われています。ローマ時代の世界が地中海の沿岸部だったように、当時の世界はヨーロッパを指したからでしょう。 そうした意味では、ロシア革命も同様でしたが、ヨーロッパでの革命に挫折、その結果ロシア「一国主義」を正当化するしかなく、世界革命を主張するトロツキーは袂を分かちます。 それ以降、ソ連型革命に同調しない者はトロツキスト、つまり異端派として批判されることに。日本共産党が60年安保闘争を主導した全学連の学生たちと敗北の総括をめぐって別れると、途端にトロツキスト呼ばわりしたのも同じ理由です。 もっとも日本共産党が「自主独立」なる方針のもと、ソ連共産党から距離を置き始めるといつしかトロツキスト批判は下火になり、消滅してしまいます。 それはともかく、70年初頭にキューバ革命の限界性を感じたゲバラが「第二、第三のベトナムを」とアフリカや南米の地に、新たな革命を創出しようとしたのは、結果はともあれ革命家の理念としては正しかったし、彼が今だに人を惹きつけて止まないところでしょうか。 南米の多くの国で「あの時代」に革命闘争が勃発する事態になったのは、ソ連との冷戦に勝利すべく、政権に批判的な組織、政党、それに人びとを弾圧してきたのが原因でした。もともとアメリカは南米大陸を自国の「裏庭」と位置づけ、現在では考えられないような帝国主義的支配を、CIAや巨大企業を用いて行ってきたのです。 例えばバチスタ政権時代に砂糖の単一生産をキューバに押し付けたように、それぞれの国にユナイテッド・フルーツ社を遣い、バナナやパイナップル、コーヒー等々を作付けさせ、他の農作物は全て輸入させる(それもユナイテッド・フルーツ社が扱う)ことにして、それを可能にする独裁者を支持するため、CIAを暗躍させてきたのでした。それが50年代、60年代のアメリカ。 それからも独裁政権と闘うゲリラ組織や、アメリカの収奪に反対する反米闘争が存在しない国はなかったと言えるでしょう。今の南米の国々には50年代60年代の残滓が政治権力とつながったギャング組織として人びとの生活を苦しめているし、そうした人びとが国を捨てアメリカを目指すのは、ある意味当然だし、そうした時代の「犯罪性」をきちんと払拭することなしに、不法移民呼ばわりして追い散らすのだから、あの国もひと皮むけば、と言われそうですね。
ところで『MONOS』がどうしても連合赤軍と重なってしまのは、その閉塞性にあると、その「一国主義的出口なし」の情況をイメージしてしまうからかもしれません。そこに敵が襲撃し__だが兵士たちはまだ少年少女たち、そして思春期のゆらめきが。どんな映画なのか分からなくなりました。
四方田犬彦の『世界の凋落を見つめて』(集英社新書)のなかに全く知らなかった出来事が書かれているのです。それは、1973年のタイ。首相が任期を勝手に延長したことで、軍と学生の間で大きな衝突が起き、身の危険を感じ多くの者が、タイ・ラオスの国境地帯にあるタイ共産党の軍事基地へ。 その後も軍の虐殺を逃れた者たちがバンコクを捨て森の中へ。彼らは自給自足の農耕を始め、山岳少数民族と共闘して国軍と対峙。その数3000人。だが79年にベトナムがカンボジアへ侵攻すると、中国がベトナムに戦争を仕掛けたことで、友好関係にあった中国共産党がタイ共産党を切り捨て、森の中の学生たちはその結果、見捨てられてしまう。 こうして6年間の理想主義的な共同体が終わると、タイ政府はすべての学生に恩赦を与えたそうです。森からバンコクに戻ると、深い挫折感と虚脱感に襲われたけど、革命への情熱に満ちた栄光の日々を忘れるわけにはいかなかった___ 別のところで四方田犬彦はタイの若者たちと比較して、 森での生活を懐かしそうに語るチラナンは、微笑を絶やさない。わたしは彼女に好意を抱いた。だが同時に、日本人として複雑な気持ちにもさせられた。日本の若者たちも1972年に冬山に入った。だが、彼らを待っていたのは銃撃戦とリンチ殺人だった。タイでは仲間殺しどころか、投降者への懲罰すらなかった。ふたつの立憲君主国はどうしてこうも違っているのか。
南インドのケーララが長らく共産政権だった、とありましたが、インドでは毛沢東主義派が地方で政権を担当したりしているのではないでしょうか。でも、中国とは直接関係はないらしく、ルーツはやはり「あの時代」の学生運動にあるようです。当時を描いた小説を数年前に読んだ記憶があります。
昨日の午前中に『トランスポーター3 アンリリミット』を見てました。フランス映画はエンタメ系でも、妙にマニアックな面があり、そこがハリウッドの大味なところとの基本的な違いのように思い込んでいて、ボクは気に入っています。この頃は見るに堪えるような作品の放映が、以前と比べ本当に少なくなりました。所詮は塀の中のことですが。 それでは又、お元気で!! (2021.11.21) 鎌田俊彦
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ichijimak · 3 years
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R3/12/26
今年も出会ったものランキングを発表する季節になった。
①英語のハノン(教材)
②絵画/アステール総合美術研究所
③Vulfpeck/The Fearless Flyers
④せーの、鬼滅の刃!(三四郎ANNの切り抜き)
⑤熱海富士朔太郎
⑥ニッポン放送圧縮計画(ラジオ)
⑦田中希美の走り
⑧魚鳥木(お店)
⑨Talking Heads
⑩坊主
去年に引き続いて語学学習に習慣的に取り組めたのがマジ偉い。絵を始めたのもかなりナイスな判断だった。それにしても2021は、かなり印象に残らない年になるだろうといつか予想していたが、残念ながらこれは的中している。あの坊主デビューから5ヶ月も経ったとは全く信じられない。すでに記憶が飛んでいる。髪もすっかり伸びた。今年の漢字などといういうくだらないやつがあるが、私の今年の漢字は「労」ですかね。考えてみれば4年連続で「労」かもしれないが、特に今年は満場一致。良くないのは本当に埼玉静岡間にしかいなかったこと。勉強と創作はコツコツやりつつ、来年は無理矢理にでも遠出をしよう。まずはこの現場が終わったら絶対に1週間休んで旅行に行く。
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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🎼 00705 「Biotech Is Godzilla」。
「ゴジラの超常識 (秋田英夫さん、双葉社 2016年)」 という東宝監修のゴジラ本を読んでいます。「ゴジラの常識 (双葉社 2014年)」 の改訂版っぽい (そちらは読んだことがありませんので何とも言えませんけれど) この本は、大まかに 3章に分かれています。昭和のゴジラ映画、平成のゴジラ映画、東宝のゴジラ抜きの特撮映画といった感じです。えっと "シン・ゴジラ" が封切られる少し前に発売されたやうなので "シン・ゴジラ" に関しては やんわりと紹介していました。テキトーに書き留めます。
・1954年 (昭和29年)
「ゴジラ」。
菅井きんさんの熱い演技見たさに フラッと観たくなってしまう ゴジラ映画第1作です。この映画のエーキョーで 放射能測定器は "ガーガー・バリバリ" 言わないと嘘っぽく見えるやうになりました。
・1955年 (昭和30年)
「ゴジラの逆襲」。
わたしの好きな "暴竜アンギラス" が登場する シリーズ第2作です。千秋實さんが出演されていますけれど、残念ながら 巨大化して大阪城前で暴れ回ったりしません。
・1956年 (昭和31年)
「空の大怪獣 ラドン」。
わたしが思う、最強最大の傑作都市破壊映画です。こどものころ、ラドン温泉という看板を見る度に ラドンが棲んでいるのかと思ってヒヤヒヤしました。
・1957年 (昭和32年)
「地球防衛軍」。
カラフルなミステリアンと ユニークな最新科学兵器に 恋焦がれる、シネスコサイズな 富士山映画です。
・1958年 (昭和33年)
「大怪獣バラン」。
やや地味さを感じる大怪獣バランが それなりに暴れる怪獣映画です。"Toho Pan Scope (トーホー・パン・スコープ)" 映画ということなのですけれど、イマイチよく分かりません。
・1959年 (昭和34年)
「宇宙大戦争」。
ナタール星人と地球人の攻防を描いた SF映画です。アポロ11号が辿り着く何年も前に 月の裏側を登場させた凄い映画です。
・1961年 (昭和36年)
「モスラ」。
わたしのラブリー "ザ・ピーナッツ" のおふたりと フランキー堺さんを観ているだけで 幸せ気分に浸れる 東京タワー映画です。こどものころから インファント島に憧れを抱いているわたしですけれど、行き方がよく分かっていません。
・1962年 (昭和37年)
「妖星ゴラス」。
海外映画 "メテオ(1979)" や "アルマゲドン(1998)" を先取った 近未来SF惑星地球衝突映画です。科特隊から借りて来たのでせうか、ジェットビートルふう飛行機が登場します。
「キングコング対ゴジラ」。
前作から 7年も経ってしまったゴジラ映画は 何と アメリカ合衆国が誇る大スタア "キングコング" を登場させ、テキトーな戦いを繰り広げます。
・1963年 (昭和38年)
「海底軍艦」。
地球上で暮らす人々に戦線を布告した、海底で暮らす "ムウ帝国" と その国のペット "マンダ" や、それらに立ち向かう 海底軍艦 "轟天号" よりも、藤木悠さんの演技に釘付けになる戦争映画です。
・1964年 (昭和39年)
「モスラ対ゴジラ」。
わたしのラブリー "ザ・ピーナッツ" と 星由里子さんのW主演映画です。わたしは はじめてモスラを観たときから ずっと "モスラ" は 成虫になるよりも 幼虫のままでいるほうが強いんじゃないかなって思っています。
「宇宙大怪獣 ドゴラ」。
近年、蜂が減少しています。この映画を観ていると この世の終わりを感じます。
「三大怪獣地球最大の決戦」。
わたしの好きな 暴竜アンギラスは 何故か不在の怪獣映画です。怪獣は 4体出演しているのですけれど、タイトルは 3大怪獣だったりするところがトンチンカンで好いです。劇中、わたしのラブリー ザ・ピーナッツ演じる "小美人" は うちの国では 知名度がそれなりに高いやうで、ふつうにテレビ出演していても 誰も驚いたり騒いだりしません。
・1965年 (昭和40年)
「フランケンシュタイン対地底怪獣」。
広島の原子爆弾を浴びてもびくともしなかった ドイツ生まれのフランケンシュタインは 大人の事情からか、シリーズ化は叶いませんでした。エンディングは複数のバージョンがあるやうです。
「怪獣大戦争」。
おかしな宇宙服にサングラス姿の "X星人" が登場する 近未来SF巨作です。こちらの作品のほうが "三大怪獣地球最大の決戦" なんてタイトルがお似合いなやうな気がします。
・1966年 (昭和41年)
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」。
"フランケンシュタインの怪獣" というその意味が分かるやうで分かりません。巨大な兄弟が仲良く喧嘩する映画です。
「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」。
小美人が "ちがう小美人" になってしまった シリーズ 第7作です。当初の予定では ゴジラは登場せず、キングコングが主役の映画だったさうです。
・1967年 (昭和42年)
「キングコングの逆襲」。
東宝創立35周年記念映画です。メカニコングが可愛いです。浜美枝さんも可愛いです。ドクター・フーも可愛いです。
「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」。
やさしいゴジラに癒されるカマキリ映画です。ラストの場面が冬眠なのかどうか少し気になります。
・1968年 (昭和43年)
「怪獣総進撃」。
夢いっぱいな オールスター総出演の大作です。その物語がどうであれ、山のやうに登場する東宝怪獣たちに うっとりさせられました。アンギラスもモチのロンで登場します。
・1969年 (昭和44年)
「緯度0大作戦」。
ジョセフ・コットンの出演料がとても気になります、巨大生物の島映画です。
「オール怪獣大進撃」。
前作ほどには オール怪獣していなかったりする ミニラ映画です。
・1970年 (昭和45年)
「決戦!南海の大怪獣」。
烏賊、蟹、亀の激闘を描いたトロピカル映画です。
・1971年 (昭和46年)
「ゴジラ対ヘドラ」。
サイケデリックな映像と音楽が爆発する、飛ぶゴジラが魅力的な 低予算公害映画です。
・1972年 (昭和47年)
「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」。
地球人の味方をする (ほぼ日本国内でしか戦っていませんけれど)、正義の味方ゴジラのイメージを作った M宇宙映画です。この映画からしばらくの間 正義のヒーローとして戦いつづけるゴジラにキュンキュンし過ぎてしまったわたしは、1984年以降の 悪役ふうゴジラ映画に とてつもない違和感を感じます。
・1973年 (昭和48年)
「ゴジラ対メガロ」。
人間大のサイズから ゴジラサイズまで その身体の仕組みはさておき ギューンと巨大化するロボット "ジェットジャガー" が それなりに活躍するシリーズ 第13作です。シートピア海底王国なる海底王国と そこで暮らす人々が登場するのですけれど、深海怪獣ジグラは登場しません。
・1974年 (昭和49年)
「ゴジラ対メカゴジラ」。
ゴジラ誕生20周年記念映画です。わたしの好きな 暴竜アンギラスや、飛行している姿が めっちゃ格好良いメカゴジラや、猿の惑星やら 猿の軍団みたいなのが たくさん登場する 大迫力の岸田森映画です。ちなみに 沖縄が返還されたのは 1972年5月15日です。
・1975年 (昭和50年)
「メカゴジラの逆襲」。
シリーズ第15作。暴竜アンギラスはどこへ行ってしまった?な感じの、すこしだけ印象が変わった "メカゴジラ2号機" が出撃する、ブラックホール第三惑星人の逆襲映画です。"恐龍怪獣" なる、恐竜なのか怪獣なのか良く分からない "チタノザウルス" も登場します。
・1977年 (昭和52年)
「惑星大戦争」。
"宇宙からのメッセージ 銀河大戦" を映画にしたやうな映画です。
・1984年 (昭和59年)
「ゴジラ」。
別名 "テツヤ・ゴジラ" 略して "テツラ" なんて呼んでいるのはわたしくらいでせう。当時話題になりました "サイボット・テツラ" が登場したことで ゴジラの表情が とても豊かになりました。東京の高層建築物に負けまいと 身長・体重共にパワーアップした、ゴジラ誕生30周年記念映画です。東宝のある 日比谷・有楽町界隈を目指して突き進むテツラの勇姿に痺れるこの映画、その後、散々東京を踏み付けたテツラは 何を思ったか、突然に山登りを始めます。
・1989年 (平成元年)
「ゴジラ VS ビオランテ」。
前作で山登りをしたテツラが、再び帰って来て暴れ回る シリーズ 第17作です。その物語はさておき、バイオな怪獣 "ビオランテ" の 全身像はイマイチ良く分からないものの ゴジラ怪獣らしからぬ その美しいデザインにキュンとしま���。
・1991年 (平成3年)
「ゴジラ VS キングギドラ」。
この辺りから 映画館でゴジラ映画を観なくなりました。お腹に 鉄の腹巻きを巻いた キングギドラが登場してがっかりしますけれど、ゴジラ映画と ガメラ映画の両方に出演していたりする 我らがキャップでおやっさんな 小林昭二さんの活躍は見逃せません。
・1992年 (平成4年)
「ゴジラ VS モスラ」。
醜悪なモスラ "バトラ" が登場する シリーズ第19作です。物語はさておき、1990年代の横浜が見れます。
・1993年 (平成5年)
「ゴジラ VS メカゴジラ」。
物語以前に、丸っこいメカゴジラが駄目でした。観に行きませんでした。ゴジラ誕生40周年記念作品です。"ガルーダ" なる、どこかのガンダムの背中にくっ付けたやうな "スーパーメカゴジラ" を見て、少しの間 ゴジラ映画を離れました。
・1994年 (平成6年)
「ヤマトタケル」。
観たはずなのですけれど、物語をまったく覚えていません。
「ゴジラ VS スペースゴジラ」。
或る日の "2時のロードショー" で観ました。スペースゴジラって そのネーミングにポンコツさを感じます。ミステリアンは未登場ですけれど、ミステリアンから借りて来たっぽい "モゲラ(Mogera)" が登場します。
・1995年 (平成7年)
「ゴジラ VS デストロイア」。
この映画で、うちの国の原子力発電所がメルトダウンする前に、ゴジラが先立ってメルトダウンしました。映画のラストを思うと、メルトダウンするということは "そういうこと" になるのだらうと深く考えさせられる映画です。ところが、宿敵怪獣デストロイアは ダサダサで、強いんだか弱いんだか ちっとも分かりません。余談ですけれど、わたしは ある日の銀座で "デストロイヤー" を見かけたことがあります。デストロイアよりも強そうでした。
・1996, 1997年 (平成8, 9年)
「モスラ」 と 「モスラ2 海底の大決戦」。
"モスラ2" は観ました。シリーズは 3作目 (「モスラ3 キングギドラ来襲 (1998)」) まであります。
・1998年 (平成10年)
「Godzilla」。
たまにやらかす ローランド・エメリッヒ監督が手掛けたゴジラ映画です。マシュー・ブロデリックがいます。続編に続きさうな終わりなのにも関わらず、作る気配すらありません。
・1999年 (平成11年)
「ゴジラ 2000ミレニアム」。
海中を泳ぐゴジラが CGで描かれていたとかで話題になったのと、世紀末ということで 久々に映画館に観に行ったゴジラ映画です。ポンコツ宇宙人の乗る UFO と 円盤生物みたいなのがゴジラに喧嘩を売ります。
・2000年 (平成12年)
「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」。
たぶん観たことがないゴジラ映画です。だのでよく知りません。星由里子さんが出演されているやうです。
・2001年 (平成13年)
「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」。
ガメラ映画 3本を手掛けた 金子修介監督が やっとこ手掛けたゴジラ映画です。タイトルに バラゴンがいないのが気になりますけれど、白目のゴジラがスリリングで好いです。
・2002年 (平成14年)
「ゴジラ×メカゴジラ」。
ガンキャノンみたいなメカゴジラが登場します。
・2003年 (平成15年)
「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」。
シリーズ27作目は とってもヤングな 長澤まさみさんと、カメーバ(「決戦!南海の大怪獣」) が登場するさうですけれど、観たことがありません。
・2004年 (平成16年)
「ゴジラ Final Wars」。
シリーズ 第28作品、北村龍平監督が手掛けた、やっちまったゴジラ映画です。そのやっちまったぶりは ハリウッド映画を凌ぎます。好き嫌いがヒジョーに分かれさうです。
・2014年 (平成26年)
「Godzilla ゴジラ」。
たまにやらかすエメリッヒ映画と区別するため、この映画は "ケン・ゴジラ" って呼んでいます。ムトーだか ムトゥだか ムートーだか そんな醜悪怪獣が登場して ケン・ワタナベを困らせます。物語冒頭、ジュリエット・ビノシュが 木っ端微塵に吹き飛ぶ役で好演しています。
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20200906
雑記(母の白滝、河口浅間神社、ベアフットシューズ)
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母の白滝。河口湖北岸にある河口浅間神社の境内を抜けて寺川の沢沿いに三つ峠登山道を20分程登ると上流部に父の白滝とその下流に母の白滝がある。
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この河口浅間神社の参道の杉並木は樹齢800年余り。幹周り7m、樹高45mの巨木が11本並んでいる。
今から1200年程前の平安時代前期、貞観(じょうがん)6年(西暦864年)に大噴火を起こした富士山を鎮める為に建立された。貞観大噴火の溶岩流の上に出来た森が現在の青木ヶ原樹海である。またかつては剗の海(せのうみ)と呼ばれる巨大な湖が存在していたが西湖や精進湖を残し大半がこの時の溶岩によって埋まってしまった。
貞観大噴火の約5年後の貞観11年(869年)には東北で貞観地震が起こったが、この地震は震源の場所など東日本大震災と多くの類似性が指摘されており東日本大震災が1000年に一度の地震と言われる由縁となっている。
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地元では中国は秦の時代に渡来したと言われる徐福の伝説があり、この参道のど真ん中に何故か徐福を祀る波多志神社なる祠が鎮座している。
当時の秦朝はシルクロードを介した国際色の豊かな国家であり現在の漢民族や東アジア的な中国のイメージとは趣きを異にしたのではないか。また徐福を含め渡来した秦(はた)氏は景教(古代キリスト教ネストリウス派)のユダヤ人だったという説がある。
機織(はたおり)というようにこの秦氏は養蚕を伝えたといわれ、この河口湖北岸地域や富士山麓一帯はガチャマン(織機をガチャンと織れば一万円儲かるの意)と言われる程に絹織物で大いに栄えた。
私の感覚でこの地域にはアイヌや縄文系ともまた違う中東や中央アジア、西洋人との混血の様な顔つきの人が多い気がする。この北岸地域に所縁ある私の母親や親戚も色素が薄かったりアジア人離れした顔つきで、医療関係の大学に通っていたダニエル・ラドクリフ激似の母方の従兄弟が母系を辿ってミトコンドリアDNAを調べたところカザフスタンや中央アジアの辺りがルーツだったらしい。以前テレビで世界不思議発見のキルギスだったかカザフスタンの特集を見ていた母親が謎の郷愁の念を抱いていた。
眉に唾する日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖を持つという説)なるトンデモな話も、もしかすると?と浪漫に思いを馳せる次第であります。ユダヤ人は正直わかんないけど兎に角色んな人が入ってきている。
図書館の郷土史コーナーなんかに行くと、胡散臭い郷土史家たちの徐福伝説関連の自費出版本がたくさん収蔵されており、そのほとばしる情熱とは裏腹の親類縁者の厄介もん扱いをつい想像してしまう。拓本マニアだったみうらじゅんの祖父は拓本に関する自費出版本「拓本による京の句碑・上」を親戚の集まりで一人一冊売りつけたという。(ちなみにこの本Amazonで売ってた。下巻は未刊行。)
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参道の並木とは別に、境内には樹齢1200年余りの七本の杉のご神木が鎮座している。コンパクトな敷地内にこんだけでかい木があるとこも珍しいのではないか。パワースポットとしても知る人ぞ知る穴場なのだそうです。富士五湖方面にお越しの際は河口浅間神社是非ともお立ち寄りくださいませ。
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なんつー寺社仏閣探訪記が書きたかった訳ではなくて滝までの山道でビブラムの五本指シューズを試したかったのだ。Vibram Five Fingersっちうやつ。
登山歴のほとんどを地下足袋でやってきたが若干飽きてきた。
普段ランニングではAmazonで3千円弱で売ってるSAGUAROなる中華メーカーのビブラムのバッタもんシューズを履いているのだが指先が分かれていないもののこれが普通に履き心地が良い。じゃあ本物はもっと良いだろうと思うにも新品で買うと2マソ弱もするのである。そんな高い靴を試したこともないのにネットで買う勇気もなく、また実店舗で試し履きしてからネットで安く買う図太さもないのでどうしたもんかなと思ってたところ、ヤフオクで3千円で出品されており4千円で落札した次第である。
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相場は一万円以上するので自分にぴったしのサイズが出品されたことも含め割かしお買い得だったのではないだろうか。ソールの状態も良い。ただ秋冬のモデルで素材が少しモコモコしている。色がいまいち好きじゃないので染めQで黒にした。染めQのスプレー2本で4千円だったので靴の送料含めなんだか高いんだか安いんだかよくわからんことに。
地下足袋を今まで履いてきたので山道で履いてみた感じ、足裏の感覚は正直そこまで感動する程の差を感じなかったが、全部の指が動く気持ちよさや指が包まれている感覚は今までにないものではある。ちょっとした散歩とかハイキングそれかむしろタウンユース?で履いた方が良さげな感じもした。都市空間の人工的で平らな地面のほうが眠ってた足の裏の感覚を取り戻せるかも知れない。ランニングは踵が擦れてすぐ駄目になりそうだ。
一日100円積み立てとけば170日で新品が買えると考えれば、普段履きにして履き潰すのを躊躇しないで済むかしら。
まあこの靴とりあえずおすすめです。
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道���面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほ���に「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目��入る。一三号棟は一〇階建てで��用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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minaminochocolat · 4 years
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花言葉:純潔
‪「そこに座ってくれ。そう、いい子だ」‬ ‪ 日本の南方、マーシャル諸島近海の紺碧艦隊秘密基地にて。よく晴れた、秋口の日の午後のことであった。晴天で穏やかな潮風が吹く待機日に、富嶽は内湾で波と遊んでいた。そこで同じく陸上待機となっていた前原司令官に声をかけられ、二つ返事で絵のモデルを引き受けてしまった。無論、用意されていたおやつに釣られたのである。  前原少将は椅子に座らせた富嶽へ熱心な視線を送りながらも、大層上等な紙の上で右手を動かし続けていた。彼女の背後のすりガラス窓からの、柔らかな日差しが絶妙な陰影を作り出している。 「少しくらいは動いても構わない。楽にしたまえ」  いつものようにこくん、と頷きかけて、富嶽は慌てて頭の位置を戻した。それを見た前原は思わず口から笑みをこぼした。  率直に言って、富嶽は軽い気持ちで引き受けたことを後悔していた。普段艦内で着用している下士官用軍装とは異なり、今日は潜水艦娘としての服装である。つまりは紺碧のスクール水着、そしてゆったりとした袖なしのセーラー服。引き締まりながらも柔らかな二の腕、くびれた腰からなだらかに丸みを帯びる腰回りのライン、その先の滑らかな太腿まで、合掌造りで組んだ手で隠れているおなか以外の全てが、この男の眼前に晒されている。  視線はひたすらに熱く真剣であるが、その奥には堅く、冷徹な鋼が眠っていることを富嶽はよく知っていた。とはいえ、好ましく思っている異性に何度も熱心な視線を送られるのは大変にこそばゆい思いがする。ポンプ式噴射水流推進法を採用した静音式の潜水空母であるはずなのに、胸の鼓動が耳奥でバクバクと鳴り続けている。これでは敵のパッシヴソナーに引っかかってしまう。  あまりのいたたまれなさに、これは修行だ、羞恥に対する訓練なのだ、と言い聞かせ始めた頃、前原少将は手を止めて、満足気に頷いた。
「うん、大体はこれでいいか。もう動いていい」 「お早いですね。もうよろしいんですか」 「ああ。全体のバランスと陰影のイメージが取れた。十分だ」 「完成、楽しみにしていますね」
 2度の哨戒任務を終えた頃、前原少将は富嶽へ、完成した絵を見に来るよう声をかけた。  白桃のような頬を染めて微笑む、ピンクのコスモスと白い霞草の花束をちょうど手を組んだところに持つ、白いセーラーワンピースの少女。愛おしむかのように淡く柔らかな色彩で丁寧に描かれていた。 「かわいらしく描けたと思うが、どうだ?」 「……わたし、司令官の前であんな顔してましたでしょうか」 「そうだな、仔山羊と遊んでいるときはあんな感じだ」 「司令官てば、もう」  見られていたか、そうか。しかして生まれたての仔山羊のかわいさには抗いがたいものがあるのだ。とはいえ思いがけなく気の抜けた顔を見られていたと思うと、だんだんと頬に血流が集まってくる気持ちがした。 「それで、気に入ってもらえたかな」 「もちろんです。とってもきれいで素敵だと思います」  頬を染めて笑みを浮かべる富嶽は、絵の中の少女と同じ顔をしていた。
 前原は、伊601の潜水艦としての性能に全幅の信頼を寄せているのはもちろんのこと、個人的にも彼女に好ましく思っていた。とはいえ、ずいぶんと扇情的なものを着ている、と前原は常日頃から思っていた。健康的な肢体のや身体の線が顕わになる軍装は水中では役に立つが、陸上や狭い艦内では風紀の乱れにつながりかねない。深海では寒かろうと、普段から下士官用軍装を着るように命じておいたのは正解であったといえる。  深海に身を潜め敵艦を狙い撃ち、敵艦を沈めるたびに山積していく人殺しの咎により凄烈さを増し続けていく横顔とは対照的に、風薫る砂浜で波と戯れるような純真さを保ち続ける彼女へ、畏敬の念すら抱いていたのであった。  完成した絵画の中の白いワンピースを纏った彼女を見れば、彼女の強靭さから溢れ出す凛とした美しさが目に浮かぶ。眩く輝くその煌めきを、目に見える形で残しておきたくはなかった。自分の記憶に、眼の底に潜らせておくだけで十分である。英雄の賛美を受ける、その日までは。
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