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#産土神社リサーチ
waka-sorahogiya · 2 years
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デイブフロムショー出演をきっかけにお問い合わせを頂いたあさこ様。 ⁡ 初回は今年の初めにZoomで。その後イベント会場に直接お越し頂きご対面🥰 ⁡ 何度もリピートして頂くうちに、あさこさんからご本人が封印なさっておられた「ギフト」について打ち明けてこられました。 ⁡ 海外生まれのわたしには産土神社が存在しない、と嘆いたのを御覧くださって、産土神のリサーチをご提案下さったのです。 ⁡ 幾種類もの水鳥さんと美しいカワセミさんに歓迎をしてもらいつつ、藤沢にある素敵なご自宅にお招き頂きました。 ⁡ そこからは衝撃の数々! 現在もまだ、再統合のプロセス中ですが、新たな謎解きの旅路が始まったのをひしひしと感じています。 ⁡ イニシエート占星術同様に、産土結びのセッションを受けた後にはズドンと来る体感がある(わたし個人の感想です!)ので、受け取るタイミングだと覚悟が出来ている方にお勧めします。 ⁡ ご興味ある方はお繋ぎしますのでお問い合わせください😊🙏🏼✨ ⁡ ⁡ Posted @withrepost • @asako_naturopathy ✡️⭐魂の恩人⭐✡️ ⁡ 向かって左の方は、わたしの魂の恩人 宙星祝星(そらほぎや)若夏(わか)先生 ⁡ @wakaxmagentaxhippy ⁡ 先生は、わたし達の魂とエゴセルフを繋ぐ、“イニシエート占星術”というオリジナルな、ホロスコープカウンセリングをして下さいます。 ⁡ それは、一般的な太陽占星術とは違い、ドラゴンテイル・過去世からの影響で、無意識のうちに自分がもっている観念や、行動(エゴセルフ)を自覚でき、ドラゴンヘッド・今回の人生で、本来、魂が生きたい方向性と、具体的な軌道修正の方法・羅針盤を持たせて下さいます。 ⁡ しかも一人々、完全オーダーメイドの羅針盤🧭! ⁡ 初めて、先生のセッションを受けさせて頂いた時は、先生のリーディングとアドバイスが、全て的を得ていて、絶句の連続でした😲 ⁡ わたしは、そんな若夏先生の素晴らしいアドバイスで魂的に救われました😭 ⁡ ありがとうございます😢💕 ⁡ これからもよろしくお願い致します🙏 ⁡ よーし!シャーマン復活だ。産土さま🍀結んでいくぞ~⛩️👏👏 ⁡ #ありがとうございます #宙星祝屋若夏先生 #そらほぎやわか先生 #イニシエート占星術 #ドラゴンヘッド #ドラゴンテイル #産土神社 #産土神社リサーチ #うぶすなさま #ありがとうございます #皆さまのお陰です。 #感謝致します ⁡ #オカルト陰謀コーナー #DaveFromm #DFS897 #DaveFrommShow #AlienDJ #デイブフロムショー #interFM #blissoftheday #magic #wizard #alchemist #alchemistjourney #sorahogiya #japan🇯🇵 #instagram #instadaily #宙星祝屋 #Y2022 https://www.instagram.com/p/CmeZj9FyDo-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aarc2017 · 6 months
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
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ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりという���とができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
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ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
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地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
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なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
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ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
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カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
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助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。  作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
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なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
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食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
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帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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wakuwakukk · 1 year
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【産土神社】自分だけのオンリーワンの神社を見つけて開運する産土リサーチ!
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azukichan55 · 1 year
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【産土神社】自分だけのオンリーワンの神社を見つけて開運する産土リサーチ!
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bayfield63 · 1 year
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産土神社 開運 リサーチ
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霧の芸術館~線を引き続けるためのプラクティス~
2021年2月11日~2月28日 亀岡市文化資料館
出展作家 Antenna (市村恵介・田中英行)/安藤隆一郎/今村遼佑/小松千倫/西久松友花 辰巳雄基/八太栄里/���産物産店 (矢津吉隆・山田毅)/サイネンショー/森太三 八木良太/綿引恒平
作家が亀岡の風土と文化をリサーチし、文化資料館にある資料と掛け合わせて作品を制作・展示した。
亀岡の各所に点在する愛宕灯籠のある風景を描き、愛宕山を望むことが出来る文化資料館3階廊下に展示した。 展示には愛宕神社の「火廼要慎」の札や、愛宕灯籠に火を献じる「火とぼし」の際に用いる手提げ灯籠を模した木の箱を使用した。
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kozuemori · 2 years
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今日の東京は曇り空。でも昨夜は月が見えないクリアな空に、明るいオレンジ色の火星や白く輝く木星、土星をはじめ、カシオペヤやアンドロメダなのでしょうか、いつもはよく見えないたくさんの星の姿を確認できました。23日はサンクスギビングデイ、新嘗祭でしたね。私はベランダでたわわに実ったオリーブを収穫しました。(写真)
今日でワークアウトを始めてから11日目、最初は筋肉痛でベッドから出るのもやっと、という状態でしたが、今は体を動かすのが楽しみになってきました。運動する時に気をつけているのが、体の動きを逐一観察する事です。動きのパターンに慣れてくると、つい他の事に気を取られてしまい、いつの間にか自動的にただ体を動かしているだけになってしまいますが、その状態では運動にならないと感じます。量子力学の観察者効果でも証明されていますが、体の状態を意識しているといないとでは、ワークアウトの成果、疲れ方が異なってくると感じます。それは瞑想をする時にも似ています。目を瞑ってじっと動かずに座っていても、他の事を考えていたり、瞑想を観察している自分が存在しないと、本当の瞑想とは言えないのです。そんなことを考えながら、運動の合間にネットフリックスのトップページでピンときた、2つのドキュメンタリーを鑑賞しました。
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ひとつ目は『スタッツ:人生を好転させるツール』というタイトルの全編モノクロで撮影されたドキュメンタリーです。アメリカ人の俳優・映画監督・脚本家として活躍しているジョナ・ヒルと彼の専属セラピストである精神科医フィル・スタッツが、長年の信頼関係からなる率直な対話の中で、自らの幼少期の体験と、独自のユニークな『ヴィジュアルセラピー』について語りながら、メンタルヘルスの不調に悩む人々へのアドバイスをしています。
話が進む中でスタッツは「人生で何をすればいいのか目標が定まらない、人生の方向性が見えない人々に向けたアドバイスとして、生命力『ライフ・フォース』を鍛えること」と言っています。ライフ・フォースとは、人生の目的や自分自身を知るために必要な力であり、道に迷った時に導いてくれる力です。続いて彼は正三角形を紙の上に描き「生命力には3つのレベルある」と言いながら上下に三等分する線を二本引き、一番下の底辺の部分を指して、最初のレベルの『肉体との関係性』、その上の2番目のレベルである『他者との関係性』、そして最後の三角形の部分のレベルの『自分自身との関係性』に分けます。その図でもわかる通り、一番下の面積が一番大きい部分、まず自分の肉体を良くすることが最も大切だと彼は主張しています。ジョナ・ヒルはスタッツに質問します。「体を改善すると、どのくらいメンタルヘルスは回復する?」スタッツはこう答えます。「最初の段階では85%は気分が良くなる」。
ほとんどの人が運動不足であり、食生活も偏りがちで、夜ふかしをしたりなど睡眠についても無関心な人が多い現代社会において、規則正しくバランスの取れた生活をすることは次第に難しくなっていると思います。一般に運動やダイエットは見た目を気にする人がやるものだと思われていますが、実は心の健康のために大きな効果があるのです。このドキュメンタリーを見た日、ずっとサボっていたワークアウトを始めてちょうど1週間目だったので、明らかにこのエピソードが私へのメッセージだと感じました。そろそろ体を整える時期だという直感が正しいモノだったという、お墨付きをもらえた感じです。
私は昔から割と体を動かすことは好きでしたが、ストイックにワークアウトをするというよりも、スポーツやダンス等の楽しく余暇を過ごすための運動がメインでした。それが産後体つきがに変わり、いくら食べても太らない体質だったのが、あっという間に10キロ以上も体重が増え、加えて体力の衰えを感じ始めたのが娘が小学校に入った頃です。丁度育児の手も少し離れ自分の時間ができたので、当時流行っていたエクササイズのDVDを買って人生初のワークアウトを始めました。最初はついていくのがとても難しく、すぐに息が上がったり、思うように身体を動かせなかったのですが、それでも毎日頑張ったおかげで1時間の全プログラムをこなせるようになりました。その時の嬉しく、誇らしい気持ちを今でも覚えています。達成感や汗をかくことの楽しさ、終わった後の爽快な気分もモチベーションを高めてくれました。
ワークアウトを始めて半年ほど経った頃、家族と一緒にアメリカの親戚に会いに行きました。車から降りた私を出迎えた義母は開口一番「すごくセクシーなスタイルになったわね!」と褒めてくれたのです。私がエクササイズをしていたことも知らないし、厚手のコートを着込んだパンツ姿だったのに、私の体型の変化に気づいてくれたのにはびっくりです。(後から聞いたところ、彼女にとってセクシーな体型とは、体が締まっていてアスリート的な体型という意味だそうです)その後、何度もサボったり再開したりを繰り返していますが、一度ある程度続けてワークアウトをして筋肉を目覚めさせてしまえば、少しくらいサボっても、運動を再開した途端に眠っていた筋肉がムクムクと目覚めてくれるのを感じます。それは、霊性開花のプロセスにも似ているような気がします。一度目覚めさせてしまえば、決して元には戻らないのです。
12月に開催するシャーマニック・ミディアムシップのワークショップ用に色々と調べ物をしていますが、直感と身体能力、食べ物や睡眠といった肉体に必要な基本的条件はとても密接に繋がっています。昔から『健全なる精神は健全なる身体に宿る』と言われているように、現代人のほとんどが直感や本来の自分自身の姿と離れた生活を送っているのは、自分の肉体に無頓着であったり、食生活や睡眠に乱れがあるからでしょう。それによって心のバランスも乱れ、うつなどのさまざまな症状が現れます。シャーマニック・ミディアムシップのワークショップでは、本来の自分自身の直感を呼び覚ます瞑想や実習を用意しています。どうぞお気軽にご参加ください。
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ふたつ目は、アメリカ人の俳優・起業家のグウィネス・パルトローと彼女が興した会社『Goop』のスタッフによる、さまざまな健康に関する体験ドキュメンタリーです。いくつかあるエピソードのうちの一番最後は、ミディアムシップに関する話でした。(前にもブログに書きましたが、私は高確率でミディアムシップに関する映像を見せられます)よくドキュメンタリーに登場するミディアムのローラ・リン・ジャクソンが登場し、アイイスのクラスで行っているような実習をスタッフに経験してもらいながら、霊性開花とミディアムシップを紹介しています。また、科学的アプローチで死と死後の世界をリサーチし、ミディアムの信憑性とミディアムシップの効果について研究しているジュリー・バイシェル博士も同席してコメントを寄せています。
お互いの情報をよく知らないスタッフがペアを組み、サイコメトリーをはじめとするエネルギーワークやリーディングを体験します。優秀な成績を収めたのが、ミディアムシップに興味があり、信じていると答えたスタッフだったのも興味深かったです。また、ローラのスタッフに対する個人リーディングも紹介されていました。ミディアムシップに懐疑的なスタッフに対するリーディングがなかなかうまくいかない中、スタジオに同席していた撮影スタッフへのメッセージであったことがわかるエピソードは興味深かったです。私が経験したサンデーサービスの中でも同じようなことがあったのを思い出しました。ある人に向けてのメッセージが他の人に対するものだったり、あるメッセージやエビデンスが複数の人に対して同時に送られたりするのも霊界の計らいなのでしょう。スピリットは時にミディアムシップをより楽しく印象的にするために、こうしたエンターテイメント的なユーモアに溢れる演出をするのです。
私がいつもご相談者や生徒さん達に伝えていたり、共感できる言葉もローラの口から出ていました。「誰でもミディアム」「ミディアムを通さなくても霊界の愛する人たちに繋がることができる」「本人にしかわからない、誰にも当てはまらないエビデンスを伝えることが大切」「カウンセリングやデモでミディアムに情報提供してはならない」「ミディアムシップ中は自分の存在を忘れて身を任せる」「自分も相手もオープンになることがミディアムシップには大切」「霊界からのメッセージを伝えることがミディアムの役目」
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今後の予定
・12/6, 18, 19  シャーマニック・ミディアムシップ お申し込みはこちらまで
・12/22  2/23  ドロップイン・ナイト お申し込みはこちらまで
・12/25  クリスマスサービス お申し込みはこちらまで
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2023年1月開講のクラスへのお申込受付を開始しました。お申し込みはこちらからどうぞ。
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gkeisuke · 5 years
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200120-21香川旅行記 第1話「黄金の神社」
誕生日を迎える少し前、1月か2月に豊崎愛生さんが生まれた土地である徳島に一人旅をする習慣があった。
新しく一つ歳を重ねる前に、自分を見つめ直すためで、自分を見つめ直すこととは、自分と豊崎愛生さんとの間の関わりを見つめ直すことでもあった。
それ以外の目的は無いほうが多いくらいで、商店街をブラブラして1日が終わることも多々あるくらいだった。
去年、初めて車で徳島旅行をした。
これまで、自分の脚では行けなかった場所を新しく切り拓いて、そこで得た物もたくさんあって、それが楽しいと思ったのだ。
それをきっかけに、2019年は2〜3ヶ月に1回くらい、ふらふらとレンタカーを使っていろんな場所に旅行をしていた。
***
そうして、2020年も徳島旅行を考える時期が来たのだけど、車で行ってみたかった場所は去年に行き尽くしていたし、スフィアツアーを経て、個人的に思うところもあったので、今年は「まだ行ったことのない場所」に行ってみたいなという気持ちの方が強くなっていた。
去年、スフィア大阪の翌日にヨシダさんと、GENNARIのトオルさんと遊んだ時、ヨシダさんの地元である高松の話を聞いて「私もい��か遊びに行きます」と約束を交わしていたので、折角だから、今年は高松に行ってみようと思った。
ヨシダさんと遊ぶ、ヨシダさんの生まれ育った土地を知るということ以外、今回も特に目的は決めてなかった。ヨシダさん大好き人間か?はい……。
幸いにも、ヨシダさんは二日ガッツリ時間をあけてくれた。ありがてえ。
とりあえず、高松に向かうにあたって、ジムで走りながら、YouTubeで解説動画を観て、社会科の勉強みたいなことをしていた。
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高松駅の近くには、大きな商店街が何本か伸びたアーケード街があるらしい。
私は商店街大好き人間なので、それだけでちょっとワクワクした。
あと、ごく個人的に、今年はまだ初詣に行けてなかったので、主な観光スポットとして確実に名前が挙がっている金刀比羅宮には行こうと思っていた。
行程的にも、初日はまず金刀比羅宮、通称「こんぴらさん」でヨシダさんと待ち合わせすることとなった。
金刀比羅宮と『願い』について
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空港に到着して、レンタカー(※滋賀に行った時と同じくトヨタのヴィッツだった)を借りて金刀比羅宮へ。
両サイドに観光客向けの出店が並ぶ参道に入ると、立ちながら小さな瓶でビールチューハイを飲んでいる人がいたので、一発でヨシダさんだと分かった。
初めて来る知らない土地に、知ってる友人がいるのを見ると、ようやく自分の所在を見つけたような気持ちになって嬉しくなってしまう。
大分待たせていたけど、めっちゃニヤニヤしながら近づいてしまった。
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今回、折角ヨシダさんに会いにいくのと、年末年始にエピソード無料開放期間が重なっていた(今も続いているが)ので『Tokyo 7th シスターズ』を読み進めていた。
今回の香川旅行に目的が一つだけあって「Tokyo 7th シスターズ メモリアルライブ 『Melody in the Pocket』 in 日本武道館」のライブBDをヨシダさんと一緒に観ることだった。
今、ナナシスの話を詳しくやり出すと、この日記は5万字とかになってしまうので省略するが、EPISODE4.0の物語にかなり人生を揺さぶられてしまったので、ヨシダさんには話したいことがたくさんあった。
鬼のような階段(全785段)を登りながら、オタク早口で、直前まで飛行機の中でプレイしていた 『EPISODE 0.7 -Melt in the Snow-』の話をしていたところ「七咲……ニコルは……あの世界では……一番の憧れの対象な…………わけで…………そういう……アイドルが…………本当は…………臆病で…………怖がりな………普通の女の子だって……………涙を隠して…………笑顔でいる姿が………… ………… アイドルなんだって ………… ………描くのは…………本当にすごいと思って ………… ………」と、後半は息も絶え絶えになっていた。
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ナナシスの話をしながら、マヤノトップガン産駒のルーチェ号と遭遇するサプライズなどもありつつ、30分くらいかけて本宮に到着する。
ヨシダさんと参拝の話をする。神様にするのは「何かを叶えて欲しい」というお願いではなくて、自分の中に立てた誓いを聞いてもらうことなのだと。
私は、一人で徳島に行っていた時、彼女や彼女たちの幸福と健康を、そして、そこに自分が平穏に関わり続けられることを祈っていた。
その願い自体は、そう変わっていない。
ただ、それを叶えるために「自分がどうしなくてはいけないか」というのを考えるようになった。
結果、願いの中に彼女たちの名前は出てこなくなった。
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おまもりを買った。
めっちゃ金運に対してギラついた男みたいになってしまったけど、ちゃんと説明を読んだら、決して金運特化のおまもりというわけでは無かったので良かったです。
参拝を終えて、785段を再び下る。
途中、ヨシダさんの学生時代の後輩さんと遭遇したり、ヨシダさんが写真撮影を頼まれていたりしたので、やはりココはアニキのシマなんだな……という思いが実感として湧き上がった。
表参道のお土産屋さんや飲食店は、外国人観光客用にほどよくアップデートされており、懐かしさと新しさと俗っぽさが、ほどよく温かさで包まれていて、温泉街を思わせる心地よさがあった。
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参拝前に客引きのおばちゃんにつかまっていたこともあり、義理堅い男たちで知られる我々は「こんぴらうどん」で昼食をとる。
私の事前リサーチでは、琴平周辺のうどん屋としては、とりあえずココに行っておけば間違いないような評価を受けていたのだけど、ヨシダさん曰く「割と何処にでもある」チェーン店とのことだった……。
が、美味い…………マジで…………。
讃岐うどん自体は東京でも食べられるのだけど、東京の食べ物はどれも回答としては「80点」という感じがして、こうして旅行に来てご飯を食べると、一つ一つの繊細さとか質の高さみたいな素点で圧倒的に差がつく感覚がある。
旅行に来る前、うどん県うどん県言うので、じゃあ俺は絶対にうどん以外の魅力を見出してやるからな……と意地になっていたけど、香川はうどんが美味しい。それは逆らいようもなく事実だった。
デザートに和三盆アイスを食べたら(※この旅で2キロ増えた)ちょうどいい時間だったので、高松へと車を向ける。
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参拝の後、途中でおみくじを引いた。
信じる、信じないというよりは、生きる上の一つの指針として、私はおみくじが好きだ。
久しぶりに大吉だった。
今まさに旅行に来てるのに「旅行:わるし見合すべし」と書いてあったり、よく見ると「叶うけど、すぐには叶わんから頑張れよ」ということばかりが書いてあったけど『大吉』なのだ。
最初の3文字逆から読むと概ねヨシダさんじゃんというのも含めて、なんとなく、一人じゃない旅を選んだことで、スフィアや豊崎愛生さんではなく、自分のことを願ったことで、必然的に引けた『大吉』であるように思えたのだ。
最後に「有頂天になると誘惑にもかかります」とめっちゃ釘を刺されていたので調子こかないようにしつつ、きっと良い旅になるなと思ったのでした。
第1話 黄金の神社 おわり
このペースと重さで書いてたら、また京都旅行の時みたいに途中で力尽きると自ら察したので、今後、全5回に分けて、1日1本ずつ上げていく強制力を発揮していこうと思います……。
第2話 びっくりピーマン襲来
は、1月26日0時ごろ配信予定です。
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weaving-a-void · 3 years
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About
うつろを編む - Weaving a Void 
杉原信幸×中村綾花   Nobuyuki Sugihara x Ayaka Nakamura
瑞雲庵における若手創造者支援事業2022春
Subsidy Scheme for Young Creatives at Zuiun-an Spring 2022
主催・企画|杉原信幸  共催|NPO法人原始感覚舎 
助成|公益財団法人 西枝財団
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会期 
2022年3月4日[金]-3月21日[月・祝]
13:00 -19:00|金土日祝オープン|休・月火水木
会場 瑞雲庵( 京都市北区上賀茂南大路町62-1 )
入場無料
Period: March 4 [Fri] - 21, 2022 [Mon/holiday] 13: 00-19: 00 | Open, Fri, Sat, Sun, holiday | Closed, Mon, Tue, Wed, Thu,  Place: Zuiun-an (62-1 Kamigamo Minamiojicho, Kita-ku, Kyoto City)
Free admission
京都の大原神社の産屋と天橋立、上賀茂神社のリサーチから制作する新作インスタレーションに加え、新潟で制作した「鮭皮の舟」、高松で制作した「こたつ獅子」、中村綾花の有機的形態の帽子と土器、「貝殻の舟」などを展示します。
舟は大陸に対する島のメタファーであり、胎盤の舟に乗って生まれ、舟としての棺に乗って帰っていく生と死を繋ぐ象徴であり、その器です。帽子もこたつも面も、人が入ることで成り立つうつろな存在であり、器という「もの」を作ることは、同時に「うつろ」を作ることです。日本各地を旅しながら、無意識に2人が選び取ってきた器-うつろを編むことから生まれたものたちが、瑞雲庵という器と結ばれ、その場所を訪れる人との出逢いによって、その器-うつろに生まれる未知なるものが呼び出されます。
公開制作・こたつ獅子手縫いワークショップ Public Production and Hand Craft Workshop  
期間中にこたつにあたりながら、こたつ獅子に刺し子を行う手縫いワークショップに参加いただけます。刺し子を施したこたつ獅子はクロージングイベントのこたつ仕舞の儀式で獅子舞が行われます。
鮭皮の舟―シナヌ・マラプト・ネ / 杉原信幸×中村綾花 / Photo by 中村脩
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aarc2017 · 3 years
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Art and Research WS 2021リポート
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進藤冬華 アートとリサーチ2021リポート「肩の力を抜いて旅を楽しもう」
私にとって久しぶりのグループ旅行。旅程には二風谷で石のワークショップ、アポイ岳ジオパークなど、日高方面へ行くことになっている。メンバーはアーティストの島袋さんと彼の友人の水上さん、井上くん、大崎くん、岡さんの青年アーティストたち、カメラマンの小牧さん、天神の小田井さんと漆くん、そして私だった。
前夜は、どんな旅に巻き込まれるのか不安でなかなか眠れなかった。昔島袋さんに怒られたことや、若い頃天神チームの天真爛漫さに振り回された過去を思い出していた(私も世間知らずで生意気だった)。こんな不安から何か武器(ネタ、お守り?)を携えるべきだと考えて、土器をこっそり持参した。しかしそんな不安は全く的外れで、私は良い旅とはこういうことだと今回思い知った。もちろん土器の出番はなく、最後まで車の中でドラえもんの袋に入ったままだった。
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車中では、島袋さんと水上さんが色々な話をしていた。水上さんは島袋さんの高校の同級生で、今は土木会社をやっている。今回島袋さんの作品の技術面に関わって一緒に北海道にやってきた。アーティストと社長の制作チームは、こんな手があったのかと思うぐらい二人の組み合わせが絶妙だ。二人を見ていると作品はただ物ができればいいわけではなく、その背景を豊かにすることの重要さを感じる。そう考えると私もまだできることがたくさんありそう。
札幌から高速に乗り、はじめに平取町で「沙流川アート館」という30年前に廃校になった小学校を町のアートセンターとして活用している場所を見学した。古い校舎がそのまま使われている丘の上の美しい場所だ。その後、私たちは二風谷で日高銘石を扱う貝澤さんの所へ移動。島袋さんはここで石を入手して、それを道外に運ぶことになっている。日高山脈の地質を反映し、様々な色や模様、大きさの石が集まっていた。この場所は貝澤さんの美学と挑戦が色濃く反映されている。大崎くんが、うろうろしながらかなりじっくり石を見ていたので、石について質問したら、石のことは知らない、知識を得ることにはあまり興味がないようなことを言ったので、私は何かまずいことを聞いたかもしれないと思ってしばらく黙っていることにした。
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お昼に濃厚な二輪草入り鹿汁をご馳走になって、その後も島袋さんは石を選んでいた。私はその間に、町のアイヌ博物館やダムのあたりを見て回った。夕方暗くなってきたので現場に戻ると、みんなは石を運ぶためのクレートの準備をしていた。カメラマンの小牧さんはカメラではなく電動ドリルを持っていた。とても気まずい雰囲気。こうした時に私はいつも上手く振る舞えない。
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ホテルに移動して、ご飯を食べたり、温泉に入ったりしたあと、部屋に集まって話をしていた。井上君、大崎君の二人は、昼間はおとなしい印象だったけど、元気に作品のこととか美術のことを話しはじめて、やっと打ち解けたと感じた。旅の間アーティストでいることに直結するような話を色んな人とした。旅は会話を促進する。コロナ以降こんなふうに過ごすのは久しぶりだった。
次の日は晴れ、一路襟裳岬に向かう。前日の退屈な高速道路とは打って変わって、海を眺めながらいくつもの漁村を通り過ぎた。ときどき浜に昆布を広げて干しているのを見かける。移動するうちに丘陵や崖、大岩に山脈など、次々と景色が変化していく。通り過ぎていく景色を見ながら、いつか丁寧に歩いて回りたいと思った。
襟裳岬に到着すると、お土産店では案の定、森進一の「襟裳岬」がかかっている。崖の端から海を望むと岬は海の中の大きな岩々に連なって最後に水面下に沈み込んでいる。岬から左側の海は荒々しく、右側の海は穏やかだ。はっきりと潮の流れが見てとれる。崖の横から階段を下りると観光地から地元の景色になった。低い建物の屋根、倒れた簡易トイレ、海の方には鳥居と海の殉難者の碑が立っている。岬の突端に立つと、さっき上から見ていた海の中の大岩が目の前に迫り、その間をたくさん鳥が飛んでいるのに気づく。スマホでその景色を撮ろうとするけど、写真では見えているスケールを捉えられなくてもどかしい。さらに坂を下ると、波打ち際に出た。大きな岩の上によじ登って景色を眺める。強風の中、岩の後ろから大きな波しぶきがときどき現れる。海面を飛ぶ鳥の群、海岸線と波の向こうに日高山脈が見える。崖の頂上から下っていくまでの景色の変化、そして目の前の演歌にでてきそうな眺めに大満足する。
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その後、次の目的地、アポイ岳ジオパークへ行ったけど、なんと休みだった。それで様似のエンルム岬に向かった。この岬は地層の割れ目からマグマが隆起してできている絶景だ。上に登ると様似の港が一望できる。この岬にも、船の殉難碑があり。海上の活動は危険と隣り合わせだと実感する。
この旅では、各場所で好奇心の赴くまま好き勝手に時間を過ごした。旅程をこなし、集団行動をしなくてはならないような堅苦しさがない。特にエンルム岬では、場所にある「何か」に各自自由に反応して遊んでいた。漆君は堤防で釣りができそうな場所を探し、岡さんは針が抜けたウニの殻を集めていた。大崎君と私は岬の急斜面を横切って岩の割れ目を覗きにいった。みんな同じ場所にいる共通点だけがあって、そこから誰かと興味が同じ方向になったり、さらに分かれていったりする。1人で旅行するような気楽さと、誰かと体験を共有する楽しさが同時にある。日が影ってきて夕方近くなった頃、帰路についた。
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この旅で私は徐々に肩の力を抜くことができた。それは、今後も忘れないようにしたい、この旅の中での大事な気づきだった。私はずーと前に肩の力を抜いて作品を作った方がいいと言われたことがある、今回も言われたと思う。それがどういうことなのか、それついてよく考えることなく活動を続けてきた。今回、コロナ禍に考えていた事、旅タイミング、訪れた場所、一緒に行った人との会話やみんなの振る舞い、それら全部が肩の力を抜くことを促した。肩の力を抜くと、うまく状況に反応して、力が自然に出る感覚がある。その場の努力とか、頑張りではなくて、その時の状況と今までの自分の中の蓄積が勝手に合わさって、放出されるような。 (以上、リポート中の写真は新藤冬華さんから提供されました)
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◇実施日程:2021年10月30-11月1日(1泊2日)
◇参加アーティスト:島袋 道浩、井上 修志、大﨑 土夢、岡 碧幸 、新藤 冬華
◇写真記録:小牧寿里
◇ドライバー:水上さん、漆 崇博/AISプランニング
◇企画・コーディネート:小田井 真美/さっぽろ天神山アートスタジオ
◇支援:文化庁
◇主催:一般社団法人AISプランニング、さっぽろ天神山アートスタジオ
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legal-dream · 4 years
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中堅都市や地方に住む人々の劣等感が減り、自分たちの追求したいローカルの文化に基づいた独自性の高いアイデンティティを考えることにエネルギーを費やせる環境になってきた
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https://wired.jp/2020/07/22/fukuokajisho-shohei-shigematsu-ws/
建築家・重松象平が語る、「福岡」の魅力とアイデンティティ、そして目指すべき方向性 「福岡」という都市の魅力を語るとしたら、あなたは何に注目するだろうか? 食の豊かさ、家賃の低さ、アジアとの距離の近さ、コンパクトシティ……さまざまな観点のなかでも、福岡出身であり、建築設計集団OMAのパートナーおよびニューヨーク事務所代表を務める重松象平は「アジア的ヒューマンスケールと都市的スケールの融合」をひとつの視点として挙げる。ニューヨーク、マイアミ、ロサンジェルス、北京、東京といった世界の都市で建築設計を手がけ、都市を取り巻く変化を肌で感じてきた重松が語る、「福岡」の魅力とアイデンティティ、そして目指すべき方向性。
PROMOTION
2020.07.22 WED 10:00 TEXT BY KOTARO OKADA
──重松さんはOMAのニューヨーク事務所代表として世界のさまざまな都市で建築を手がけられていますよね。いま世界の都市を取り巻く環境はどのように変化しているのでしょうか?
今回の新型コロナウイルスの影響で、いまは東京にロングステイしているのですが……わたしの限定された観測範囲で話をすると、ロサンジェルスのヴェニスビーチやマイアミビーチなどを筆頭に、旧リゾート型の都市が文化政策を意識し、リヴ(暮らす)とワーク(働く)、グローバルとローカルがいままでにないかたちで融合する新しい都市像が形成されてきているように感じます。
いままでは静かな郊外に住み、オフィスタワーのある都心に働きに出るのが典型的なあり方でした。しかし、シリコンヴァレー発のテクノロジー企業で働く若い人たちやミレニアル世代を中心に「働くこと」と「楽しく生きること」の境目が曖昧になり、楽しむことの延長として働く環境を捉える傾向が強くなってきたように感じます。今回のコロナ禍を経て、この変化はますます加速していくでしょう。
また、そのような新しい都市はニューヨークやパリといった大都市や中心都市に対するオルタナティヴとして登場し、独自のアイデンティティを形成するまでになってきています。インターネットの登場で情報を得るハードルは下がり、ロジスティクスの発展によりモノの購入においても、都市にいて得られる有利性がそこまで重要ではなくなってきている。中堅都市や地方に住む人々の劣等感が減り、自分たちの追求したいローカルの文化に基づいた独自性の高いアイデンティティを考えることにエネルギーを費やせる環境になってきたと思うんです。
1/3 マイアミビーチの複合商業施設「Faena Forum」。複数の棟からなる。PHOTOGRAPH BY IWAN BAAN
──リヴとワークが融合した都市像としてマイアミを例に挙げていましたが、重松さんはマイアミ・ビーチにて「ファエナ・フォーラム」というアート/パフォーマンスセンターの設計を手がけていますよね。
そうですね。マイアミは観光客を呼ぶための商業施設を中心に開発されていたのですが、徐々に自分たちが住み、働き、楽しむための都市づくりに変わっていったんです。自分たちの都市で文化を醸成し、消費だけではなくコンテンツをつくり出すことに注力するなかで若い人が集まり、クリエイティブな活動が活発化し、最終的には他の都市との差異化を図ることができた。最近で言えば、その変化の契機となったのが「アート・バーゼル・マイアミビーチ」の招致に成功したことでした。その後はアートがまさにコアな産業となるまでにさまざまなイニシアティヴが生まれました。
もうひとつ、この変化の背景にあるのが、マイアミが米国におけるラテンアメリカの玄関口になっていることです。ラテンアメリカの富裕層が、自国の経済的・政治的不安定さを理由にマイアミに移住し、そこで生まれてた子どもたちの第二世代、第三世代が、「リゾート地としてのマイアミ」からの脱却を目指し、自分たちの都市の文化をつくりあげてきた経緯があります。
「ファエナ・フォーラム」も、アルゼンチン出身のデヴェロッパーがマイアミに惚れ込み、ホテルを中心とした再開発を通じてコミュニティに貢献しようとした取り組みの一環なんです。最初はホテルに付随する催事場の設計という依頼内容だったのですが、アートイヴェントとつながりをもち、コミュニティも使えるような多目的施設にしたいと提案し、アート/パフォーマンスセンターという形態になったんですね。
この施設は、ラテンアメリカ系移民の世代を超えた多様なエネルギーと、マイアミの新しい世代がもつ自分たちが住む都市の独自のアイデンティティと文化を醸成しようとする熱意によるダイナミズムが集約されたものと言えるでしょう。基本的には商業施設なのですが、大きなアイコンをつくるよりは近隣のスケール感に合っていて、まさにネイバーフッドの一部ををつくるようなアプローチで、とても持続性の高い再開発だと感じています。
──重松さんが手がけられているFacebookの地域密着型の新キャンパス「Facebook Willow Campus」にも、同様の思想が存在するのでしょうか?
リゾート地ではないですが、低密度であることは重要な観点だと思っています。Facebookが本社を構えるシリコンヴァレーは高層ビルはほとんどなく、独特の自然や気候と一体化した低密度で朴訥とした雰囲気をもった街並みが形成されてきた経緯があります。そこには「信仰」があると思います。権威的ではなく「カジュアルな」環境だからこそ新しい発想やイノヴェイションが生まれるというように、街並みとそこから生まれる産業の関係が信じられているといっても過言ではないのです。
一方で、昨今はクルマの渋滞や住宅不足、土地価格の高騰によるジェントリフィケーションなど、テクノロジー企業の肥大化によるさまざまな軋轢や問題も生じています。そこで、単にFacebookの社員向けのオフィスパークではなく、集合住宅やスーパーマーケット、学校、公園、ホテル、駅など、まさに都市の根幹をなし、コミュニティに貢献できるような各要素をもち、既存の街並みとシームレスにつながっていく新しいキャンパスをつくることを目指しました。
──低密度というのは、今回のパンデミック以降の都市を考えるうえでも重要なキーワードですよね。
コロナ禍を経て「高密度な都市は終わる」といったような言説も聞こえてきますが、いままで長い間、各都市が築き上げてきた文化や構造を安易に否定し、この機とばかりに未来を予測しラディカルなことを言うのはあまり好きではありません。
なので、ぼく自身は大したアイデアはありません。漠然としていますが、これを機に日本では地方自治体の独自な政策や街づくりが活性化すると思います。そうなると、地方と都市の関係性がもっと流動的になるはずです。高密度と低密度の両方の長所を最大限に生かし、経験することを望む人が増えるからです。その移行期において、まったく新しいシステムの導入はリスクも高いし、必要ないと思うんです。
たとえば、かつての日本の大企業は地方に保養所をもっていたじゃないですか。もうほとんどが売却されてしまったかもしれませんが、同じようなシステムで都市と地方両方の働き方(住み方)を同時に考えることができないか。これからの企業というのは、都市にもオフィスをもちながら、地方にも現代版保養所的なリヴ・ワークスペースをもち、常にそのどちらでも働ける環境を提供していくといいと思うんです。日本の文化に根付いた昔ながらのシステムを活用し、コロナ後の変化に対応していくのもひとつのやり方だと思います。
アジア的ヒューマンスケールと、都市的スケールの融合 ──メガシティ以外の都市が独自のアイデンティティを追求しつつあると語られていましたが、重松さんは出身地でもある福岡で「天神ビジネスセンター」の設計も手がけられていますよね。「福岡」という都市を意識することは増えたのでしょうか?
「福岡出身だから」という理由で福岡の文化や都市に関して深く考えることは以前は少なかったのですが、いまはプロジェクトをやっている経緯もあり、もっと積極的にリサーチし意識するようになりました。さらにいまの福岡からは、福岡でしかできないことの開拓に挑戦したいと思わせてくれるエネルギーを感じます。そのような強いイニシアチヴに参加するなかで、将来的に福岡にもっと貢献したい、あるいは拠点のひとつにしたいという思いも生まれてきましたね。
──そんな重松さんから見て、福岡の魅力はどこにあると感じていますか?
常に魅力的な都市だと思いますよ。人のよさ、おいしい食べ物、九州の自然と文化、コンパクトシティ、つまりはクオリティ・オブ・ライフが高い。ここ10年ほどは独自性を意識した潔いヴィジョンを共有できている気がします。政治家も企業も市民も一丸となって福岡独自の発展を考え、楽しんで、実行している。福岡に行くと、とてもポジティヴなエネルギーを感じるんです。そんな変化を感じられるのがいまの魅力ですね。
──福岡独自のアイデンティティという点ではいかがでしょうか?
食、地形、方言、そこで暮らす人々……さまざまな視点でアイデンティティはすでにあると思いますが、都市や建築でいうと「独自の」と言うほどのものは意外とまだ生まれていないと思います。でも、それが徐々に生まれつつある萌芽は感じますし、これから5年や10年かけて新しいものをつくっていく気概は感じますね。
都市体験という観点で、福岡は小さな路地空間や屋台などアジア的なヒューマンスケールと都市的なスケールが絶妙に混ざり合っている点がポテンシャルだと思っています。異質なものが混ざり合うと何かしら面白いことが必ず起きる。ぼくが中学生の頃から福岡は日本語、中国語、韓国語の三ヶ国語表記でしたし、食においてもアジアの影響が強いことは明白です。多様性が文化として根ざしたボーダーシティとしてのアイデンティティは差異化できる重要な基盤であると考えています。
──手がけられている「(仮称)天神ビジネスセンタービル」も、その思想に基づいているのでしょうか?
5/5 1996年に開業した複合商業施設、キャナルシティ博多。米国の建築家ジョン・ジャーディが設計し、その型破りな建物が人目を引くつくりになっている。PHOTOGRAPH BY FUKUOKA JISHO
そうですね。東京における丸の内のような駅前一等地が敷地で、オフィシャルでタイムレスな雰囲気をもつ幅員の広い大通りと、ヒューマンスケールでカフェのアクティヴィティがにじみ出ているカジュアルな小道という、異なるふたつの通りに面しているため、まさに先に述べた福岡のふたつのスケール感を同時に体現する建物にできると思ったんです。角を立体的に削ることによって地上のパブリックスペースを広げ、象徴的にふたつの通りをつなげるコンセプトが生まれたんですね。
福岡は「キャナルシティ博多」のようなインパクトのある商業施設のイメージが強いなか、公共性を増大させるジェスチャーによって、天神ビッグバンの第一弾として後続の模範となり、時代を超えた普遍性を獲得できると考えました。
──以前のインタヴューでは「ぼくの作風は『作風がないこと』」という言葉が印象的でしたが、「(仮称)天神ビジネスセンタービル」も同様の思想に基づいた設計なのでしょうか?
そうですね。自身のアウトプットを前もって限定せずに、毎回異なった状況に対峙するなかで「今回は何が生まれてくるんだろう」という自分自身のクリエイティヴィティへの期待感を大事にしています。ぼくはそれこそが建築の醍醐味だと思うんです。最終的には「アイコニックな建築」というよりも、その時代、土地、機能などの文脈をバランスよく抽出した唯一無二の「アイコニックな場所」をつくりたいと思っています。
ILLUSTRATION BY MARIE MOHANNA
──福岡という都市の魅力を拡張していくうえで、重松さんが意識していることは何でしょうか?
いま以上に魅力を拡張するには、九州の拠点のひとつとして福岡を捉えることが大事だと思います。九州には圧倒的な自然の恵みと多様な歴史と文化、そしてちょうどよいサイズ感があります。インフラも以前と比べるとさらに整い、都市間のつながりはよりシームレスになっています。
福岡を九州のコミュニケーションセンター、あるいは玄関口だと考えると福岡が伸ばすべきアイテム、新しい開発のアイデアなどが生まれてくる気がします。将来的に九州は、スイスやデンマークなどと並び、日本のどこよりもクオリティ・オブ・ライフが追求しやすい、アジアを代表する「リゾート+リヴ+ワークアイランド」になれると思います。
そのような「母体」があると、福岡はそのなかのネットワークの一部として協調性と独自性を同時に追求でき、グローバルなレヴェルで強いアイデンティティを築けるはずです。
コロナ禍を経た「職住近接」のアップデート ──重松さんは福岡地所・福岡リアルティが主催する「福岡国際建築コンペティション」の審査委員長を務めていますよね。『WIRED』日本版編集長の松島も審査委員として参加させてもらっていますが、「職住近接──『働く』『暮らす』の新たな価値。シーサイドももちの未来」がテーマです。対象となる「シーサイドももち」はどんなエリアだと捉えていますか?
お台場や幕張新都心といった埋立地と同様に約30年前に描かれた「未来像」を背負っている街ですよね。その宿命かもしれませんが、ハイスペックな住宅やオフィス、図書館、学校、スーパーマーケット、公園、ビーチ、球場などすべてあるにもかかわらず、オーセンティックな感じがないんです。皮肉なものですが、あまりにも理想郷すぎてつまらない。
基本的にその都市に住んでいることを誇りに思う人たちが、新しい文化を醸成していくと思うのですが、ぼくは「シーサイドももちが好きで住んでいる」という人に出会ったことがない(笑)。どうしても、都心に住むことに対するオルタナティヴとしての第二都心という相対的なアイデンティティを背負っていて、結局のところ独自性が欠けているんです。
約30年が経ち、一世代が生まれ育ったいま、そのアイデンティティを��つめ直し、再定義できるよいタイミングだと思っています。博覧会後、ある意味で実験的につくられた街であるとも言えるので、新しくラディカルなアイデアの受け皿となるポテンシャルを感じていますね。
──「職住近接」というテーマに対しては、いかがでしょう?
とてもタイムリーなテーマですよね。今回のコロナ禍を受け、リヴとワークが融合したライフスタイルを社会の大半の人たちがある程度は実践できることがわかりました。その一方で、家にずっといると、日本の家がどれだけ小さく、暮らしにくいか、そしてオフィス環境がいかに形骸化していたかも痛感していると思います。
なので、不動産デヴェロッパーと建築家が協働し、いかに住環境や職場環境を進化させることができるかを考えるとてもいいチャンスだと思います。世界中で2〜3カ月のロックダウンが行なわれ、異なる文化圏の多くの人たちが同時期に共有できる体験をしたことは、今後の都市を考えるうえでそれなりの意義をもってくるはずです。直接的ではないですが、何かしらこの変化の兆しをコンペに反映するのもひとつの方向性だと思います。
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1numama · 9 years
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NAGAGUTSU CAFE
島根県隠岐島・海士町でのプロジェクト。 海士町でしか出会えないことを見えるようにデザインし直すこと、それらを表現する場、感じる時間をつくる。 ​ 海士町観光協会、教育委員会をクライアントに、海士町の観光地である隠岐神社を中心に海士町をリサーチし、「AMA deshika(海士町にしかない、海士町のものだけで)」をコンセプトにカフェや新しいお土産を制作、ゲストハウスなどの提案を行った。 カフェは四日間、隠岐神社内の講堂でプレオープンされ、提案が通り、現在は「離島キッチン」としてオープンしている。 ​ ​​プレオープン時の空間デザイン、プロダクトデザイン、メニュー案、レシピ制作を担当。 ​​ project_communication design_2015
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basementkyoto · 4 years
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MEMBER メンバー
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PROJECT DESIGN プロジェクトデザイン 矢津 吉隆 Yoshitaka YAZU
美術家、kumagusuku代表、株式会社kumagusuku代表取締役 1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)非常勤講師、ウルトラファクトリープロジェクトアーティスト。京都を拠点に美術家として活動。また、作家活動と並行して宿泊型アートスペースkumagusukuのプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、個展「umbra」Takuro Someya Contemporary Art (2011)など。2013年、AIRプログラムでフランスのブザンソンに2ヶ月間滞在。アーティストのアトリエから出る廃材を流通させるプロジェクト「副産物産店」やアート思考を学ぶ私塾「アート×ワーク塾」など活動は多岐にわたる。 
kumagusuku : http://kumagusuku.info/
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PROPERTY MANAGEMENT 物件管理 榊原 充大 Mitsuhiro SAKAKIBARA
建築家/リサーチャー、株式会社都市機能計画室代表、RAD 1984年愛知県生まれ。2007年神戸大学文学部人文学科芸術学専修卒業。建築や都市に関する調査・執筆、提案、プロジェクトディレクション/マネジメントなどを業務としプロジェクトの実現までをサポートする。2008年から建築リサーチ組織「RAD」を共同運営。2016年、アーティスト向け町家改修プロジェクト「Basement Kyoto」を共同で開始。同年から「建築家不動産」ディレクター、愛知県岡崎市のまちづくり「おとがわプロジェクト」プロモーションディレクター。2017年から「京都市立芸術大学及び京都市立銅駝美術工芸高等学校移転整備工事」リサーチチームマネージャー。2019年に、公共的な施設の企画運営のサポートをおこなう「株式会社都市機能計画室」を設立。
都市機能計画室 : https://www.pouf.co.jp/
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PROJECT MANAGEMENT プロジェクトマネージメント 髙才 ゆき Yuki KOSAI
株式会社TANK アート事業担当 1979年岐阜生まれ。愛知県立芸術大学大学院美術研究科修了。IBM Australia Ltd.、滋賀県立近代美術館、愛知県立芸術大学で学芸員勤務ののち、海外拠点のアーティストのスタジオマネージャーを経て現職。現職ではBasement Kyotoを担当するほか、Chim↑Pomの作品「Sukurappu ando Birudo プロジェクト – 道が拓ける」(キタコレビル 2017)、「MICHI 道」(6th Asian Art Biennal 2017 国立台湾美術館 2017)、および「明治150年・京都のキセキ・プロジェクト / 京都市立芸術大学資料館収蔵品活用展 – 田村友一郎「叫び声 / Hell Scream」」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA 2018)等アーティストの作品制作協力を行っている。
TANK :  http://tank-tokyo.jp
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FOUNDER / MANAGEMENT 設立・運営 福元 成武 Naritake FUKUMOTO
株式会社TANK 代表 1978年鹿児島生まれ。滋賀職業能力開発短期大学校卒業後、設計事務所、鳶・土工、材木屋、大工、現場監督を経て、2010年に東京で株式会社TANKを設立。<Xchange Kyoto Apartment><山加商店 東京ショールーム>など設計から施工まで手がける。2015年から<A Dog Run>や<A Cat Tower>など動物保護活動団体へ建築側からの支援活動をしている。
TANK : http://tank-tokyo.jp
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geibun-campus · 4 years
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【ニュース】徳重道朗(現代美術作家)と富山大学芸術文化学部の学生による協働リサーチ&展覧会「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」の延期と成果報告会/担当教員:松田 愛(芸術文化学部講師)
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【1】2020年3月6日にプロジェクト「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」の成果報告会を開催。11名の学生達がそれぞれの担当会場で準備を進めていた展示の内容について説明しました。スライドは、酒店を改装してできた南町四区公民館(南幸町)での展示準備の風景。(新型コロナウイルスへの対応により、距離を置いて着席しています。)
1.展覧会と特別公開フォーラムの延期について 「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」は、高岡市との連携事業「高岡元気発信プロジェクト」のアート編企画として、現代美術作家の徳重道朗さんと芸術文化学部の学生・大学院生11名が、2019年6月より協働して進めてきたリサーチ&展示プロジェクトです。「今まで等閑視されてきた『普通の人々』や『日常の場所』が隠し持つ文化的な力の所在を表す*」とされる「ヴァナキュラー」という概念を手掛かりに、高岡に潜在する魅力を見出すことを目指してきました。多くの人々の協力を得ながら調査を進め、その成果に基づく展覧会を、2020年3月6日から高岡市内の自治会所有の公民館および万葉社会福祉センターで開催する予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、展覧会と関連イベントである特別公開フォーラム「アートと地域の協働あるいは共犯」ともに、4月以降の新年度に延期することとしました。開催時期が決まり次第、改めて芸術文化学部のウェブページ等でご案内します。 展覧会は残念ながら延期となりましたが、これまでのプロジェクトの一部と3月6日に行われた成果報告会について紹介します。 (*今福隆太『クレオール主義』青土社、1991年より)
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【2, 3】展覧会「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」及び特別公開フォーラムのチラシ(ともに令和2年度に延期)。チラシ表面の展覧会タイトルのロゴと背景の地図は、加藤彩乃が担当。 2.街中での調査と公民館での展示企画 “私たちの生活している場所とはどのようなものか。あたり前にそこにあるがゆえに普段見落としていたり、目にしていても通り過ぎてしまったりしている景観やイメージについて調査し、地域のアイデンティティと呼べるようなものを探求する。それとともに、そこで得られた知見をそれぞれのイメージにフィードバックできる機会とする。”(徳重道朗、2019年6月) 高岡市には、「高岡御車山祭」、「金屋町千本格子」、「山町筋土蔵造りのまちなみ」など、長い年月が育んだ歴史的遺産が多く存在しています。しかし、これらの観光資源だけではなく、私たちの暮らす日常的な空間の中にも、魅力ある文化的要素が多く存在しています。上記の徳重さんの言葉とともに始まった本プロジェクトでは、まち歩きを重ねながら、旧町名とその由来や歴史、狭い路地裏や街並み、レトロな街灯や看板、連なる屋根の形が作り出す景観などに着目し、地域ごとに育まれてきた独自の文化とその魅力を見出すことを目指してきました。 プロジェクトの後半では、調査を通じて出会った高岡市内の公民館と万葉社会福祉センターあわせて12箇所を拠点に、地域の皆さんから街の歴史や祭、人々の暮らしなどについて話を伺い、昔の写真や資料などをお借りして、地域の特性を踏まえた展示や公民館の要素を取り入れたインスタレーションの準備を進めてきました。
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【4, 5】およそ月1回のペースで講座を開き、各自の調査結果を持ち寄り、共有しました。夏から秋にかけて、「二上地域」「高岡の歴史」「現在の景観」という観点から、3つのグループに分かれて調査を進めました。
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【6】12月初旬、会場候補となる公民館を訪ねてまち歩きを行いました。
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【7】会場の一つである利屋町公民館(利屋町)を皆で訪問しました。ふるい職人でもある館長さんがふるいやせいろ作りの仕事について話を聴かせてくださいました。展覧会では、「ふるう」という言葉に着想を得た、インスタレーション作品を展開する予定です。
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【8】一番新町公民館(川原本町)では地域の伝統的な祭である母衣(ほろ)祭について話を伺いました。毎年5月10日に開催される川巴良諏訪神社の祭礼日には、各町内で母衣武者が飾られます。その貴重な装束の一部を見せていただきました。展覧会では母衣祭を中心に、近くを流れる千保川と、かつて市場として発展したこの地域との繋がりについても紹介したいと思います。
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【9】[撮影:徳重道朗]一番新町公民館の母衣(ほろ)の一部を見せていただきました。母衣はパーツごとに、丁寧に木箱に収納されていました。
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【10】[撮影:徳重道朗]鴨島公民館(鴨島町)の館長さんが、鴨島町にある教恩寺の石碑を案内してくださいました。この石碑の台座は、前田利長の墓所に設置された大型石灯籠と対をなすとされる灯籠の火袋部分だそうです。
3.3月6日に成果報告会を開催 展覧会は延期となりましたが、3月6日に大学で成果報告会を開催しました。これまでに調査した成果や、予定していた展示計画および作品について、メンバーで共有しました。
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【11】2020年3月6日の成果報告会。12箇所をめぐる展覧会場の出発地点となる鉄砲町公民館(白金町)では、学生による高岡の風景の写真や絵画作品、地域の伝承に基づいて学生が制作する絵巻物、徳重さんによるインスタレーションなどを展示予定。
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【12】[撮影:長津晴菜]鴨島公民館(鴨島町)から南町四区公民館(南幸町)、そして博労町まちかどサロン(博労町)へ歩いていく途中、鴨島町の町名の由来の1つである鴨島七郎の屋敷跡と推測されている石垣に出会います。展覧会では、博労校下の3つの会場を、石垣をたどって巡るコースを提案します。
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【13】[撮影:長津晴菜]南町四区公民館(南幸町)の中庭。住居兼酒屋を改装してできたこの公民館は、婦人会の皆さんによって手入れされた中庭が見どころです。展覧会では、タイムラプス(低速度撮影)で記録された中庭の映像を上映します。また、酒店の倉庫に眠る道具類を展示予定。
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【14】2020年3月6日の成果報告会。企画を担当した学生が、利屋町公民館(利屋町)でのふるいをモチーフとするインスタレーションについて説明。
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【15】[撮影:早川綾音]利屋町で出会ったふるい職人さんからお借りした仕事道具です。丁寧に、大切に扱われてきた様子が伺えます。
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【16】[撮影:徳重道朗]大坪町一丁目公民館(大坪町)の2Fからの眺め。
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【17】大菅公民館(丸の内)での展示計画に関する打ち合わせの様子。担当学生達が館長さんや自治会の皆さんに展示プランを説明し、意見やアドバイスをいただきました。
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【18】[作成:有原千尋]大菅公民館は、かつてここに暮らしていた大菅さんが、自宅を地域に寄付されたことで公民館となりました。昔ながらの町屋づくりの構造を活かし、地域住民が「家族」として集う一軒の「家」をイメージした展覧会を企画しました。スケッチは、担当学生が地域の皆さんと準備を進めていた「大菅家の昨日と今日、それから明日」と題するインスタレーションのプランです。
4.地域主催で開かれた展覧会「大坪町二丁目 歴史を語る集い」 芸術文化学部主催の展覧会は延期になりましたが、大坪町二丁目公民館(大坪町)では、すでに準備が進んでいたことから、館長さんと地域の皆さんの主導により、地域主催の展覧会が3月6日〜15日に開催されました。地域の皆さんから思い出深い暮らしの品々を集めて展示するとともに、かつて商店街として賑わっていた街の様子を、昭和期の写真や地図から思い起こすことのできる展示となりました。
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【19】大坪町二丁目公民館の2Fでは、スライド映写機や旧型ラジオ、昔の秤(はかり)や大工道具など、地域の皆さんから持ち寄っていただいた様々な生活用具や仕事道具が展示されました。写真は、展示準備を進める館長さんと元自治会長さん。
5.展覧会「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」に向けて 成果報告会の後、次の調査に取りかかる学生や展示プランを見直す学生など、展覧会に向けて新たな動きが始まっています。開催時期は未定ですが、今回のプロジェクトの成果をより良い形で発信できる展覧会をつくりたいと思います。12箇所の会場を巡りながら、高岡の街を散策していただき、私たちにもまだ捉えきれていない地域の魅力に触れていただく機会にしたいと思います。
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【20】3月の報告会の後、二上山の麓にある二上射水神社のしめ縄づくりを取材させていただきました。二上地域では、担当学生達が、二上射水神社の左義長や川漁師さんの仕事、竹馬など地域の昔の遊びを取材しました。展覧会では、それらの映像を紹介するとともに、徳重さんと担当学生の作品を展示予定です。 [担当]松田 愛(芸術文化学部 講師) [関連リンク] 【ニュース】現代美術作家、徳重道朗と芸文学生によるプロジェクト「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」が始動/担当教員:松田 愛(芸術文化学部講師) 【ニュース】プロジェクト「地域/私のヴァナキュラーをめぐる旅」まち巡り編/担当教員:松田 愛(芸術文化学部講師) 【受験生へのメッセージ】「歴史を学び、美術の可能性を考える」松田 愛
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benediktine · 5 years
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【「土用の丑の日」に憂う【後編】: 「絶滅危機」のウナギ、真の復活への道とは】 - ITmedia ビジネスオンライン : https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/26/news041.html 2019年07月26日 05時15分 公開 [真田康弘,ITmedia]
 明日、7月27日にとうとうウナギ業界最大のイベント「土用の丑の日」が到来する――。「『土用の丑の日』に憂う」と題した本連載では、国民に広く親しまれてきた伝統食・ウナギの裏側がいかに黒いか、そして密輸や密漁、未報告のウナギの稚魚(シラスウナギ)由来のウナギの蒲焼が跋扈(ばっこ)する現状をレポートしてきた。
 記事の前編「 {{ 絶滅危惧のウナギ――横行する“密漁・密輸”がもたらす『希望なき未来』 : https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/24/news026.html : https://benediktine.tumblr.com/post/188854154111/ }} 」 では、台湾から香港を経て横行する「ウナギロンダリング」の現状と、資源増殖のために実施されている「放流」事業が、科学的根拠に基づくものではない点を指摘した。加えて、中編「 {{ “ウナギ密漁”の実態を追う――『まるでルパン三世の逃走劇』 : https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/25/news035.html : https://benediktine.tumblr.com/post/188854272246/ }} 」では、高知県の事例を取材し、密漁の実態や取り締まりの最前線をお届けしてきた。
 後編では、日本全体の取り組みに広げて論じていきたい。違法行為を抑止し、ウナギ資源の保全と持続可能な利用を図る道としてはどのようなものがあるのだろうか。以下、(1)国際的規制、(2)国内的規制、(3)資源増加のための対策、(4)経済的なインセンティブ、(5)流通、消費者の役割、に分けて考える。
 {{ 図版 1 : ウナギを保護していくために必要なものは? }}
■《国際的規制の強化:ワシントン条約の活用》
 まず国際的規制の在り方に関して説明する。ニホンウナギについては現在、日本、中国、韓国、台湾で関係国協議を開催しており、2014年にそれらの4カ国の間で(1)ニホンウナギの池入れ数量(養殖池に入れる稚魚の数量)を直近の数量から20%削減し、異種ウナギについては近年(直近3か年)の水準より増やさないための措置をとること、(2)法的拘束力のある枠組み設立について検討すること、などが合意されている。
 しかし「20%」削減というのは科学的根拠に基づいたものでもなければ、資源保護のために十分とも言えない。また、中国は15年以降、非公式協議を欠席していて、地域的な法的拘束力のある枠組みの議論は全く進んでいない。
 さらに問題なのは、この会議で何がどのように話し合われているのか、外からは全く見えない点だ。報道関係者も、NGOオブザーバーも参加は認められておらず、会議は非公開、結果は水産庁のプレスリリースと記者会見で知らされるのみなのだ。透明性がゼロである。
 18年9月には「ニホンウナギに係る科学的データ・情報のレビュー等を行うとともに、今後どのような科学調査を実施すべきか等について、科学的な観点から議論が行」なうとして「ニホンウナギに係る地域ワークショップ」が開催されている。
 しかしこちらも中国は欠席で、結果は「具体的な措置の提案には至らなかった(みなと新聞18年9月25日)」と知らされるのみだった。このままでは、埒(らち)が明かない。
 {{ 図版 2 : 日本、中国、韓国、台湾で決めた「ニホンウナギの池入れ数量を直近の数量から20%削減」の20%には科学的根拠がない(水産庁「ウナギをめぐる状況と対策について(2019年7月)」より) }}
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■《日本が率先して「ワシントン条約附属書掲載」を提案せよ》
 そこでこの状態を打破するため、日本自らが率先して動植物の輸出入を規制するワシントン条約において附属書掲載を提案してはどうだろうか。すでにヨーロッパウナギは附属書II(取引を厳重に規制しなければ絶滅のおそれのある種)に掲載されていて、この条約の下で輸出入規制が行われている。
 ときどき「ワシントン条約で規制されてしまうと輸出入が一切できなくなってしまう」と勘違いされることがある。確かに附属書Iに掲載されると、商業的輸出入はできなくなってしまうものの、ヨーロッパウナギのように附属書IIに掲載されている種については、輸出が(1)その種の存続を脅かすことがなく、かつ、(2)自国の法令に違反して入手されたものでない場合、輸出側は輸出許可書を発給することができる(ワシントン条約第4条2項)。
 つまり、附属書IIの掲載は、商取引の禁止ではなく、資源の持続可能な利用を目的にするものともいえるのだ。
 近年ワシントン条約では他の条約などで十分に守られていない種を附属書IIに掲載し、その種の保存と持続可能な利用を図る動きが活発化している。ニホンウナギもこのメカニズムを使って、率先して管理を行ってはどうだろうか。
 もしニホンウナギが附属書IIに掲載されれば、香港からの輸出に対して許可書の発給は困難となるだろう。香港の管理当局が、台湾からの密輸の疑いが濃厚なシラスウナギを「自国の法令に違反して入手されたものでない」と認め難いからだ。もちろん、附属書IIに掲載されてしまうと「ロンダリングウナギ」が断たれてしまうため、日本の養殖池に入るシラスウナギの漁は相当量減ることが予想される。
 しかし、そもそも密輸された非合法なシラスウナギを使うこと自体が問題なのだから、こうした違法な「ロンダリングウナギ」に依存した養鰻業者は淘汰され、業界の適正化が図られることになるはずだ。
 {{ 図版 3 : ワシントン条約の付属書に掲載されている水棲動物種(水産庁「ウナギをめぐる状況と対策について(2019年7月)」より) }}
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■《国内的規制の強化》
 第二は国内的規制の大幅な強化だ。中編記事で述べた通り、現在ウナギの採捕は都道府県が制定する漁業調整規則などにより規制されている一方、漁業法に定める当該規則の罰則上限は「6月以下の懲役若しくは10万円以下の罰金」にすぎず、暴力団員が直接関与した極めて悪質な事例でも、執行猶予付きの判決で済んでいる。ウナギの稚魚を違法に採捕した場合、その利益は場合によっては数十万円から百万円単位となることから、現行の罰則は違法操業を抑止するものとしては「弱すぎる」と言わざるを得ない。
 こうした中、18年に改正された漁業法では罰則が引き上げられ、農林水産省令で特に指定された水産物を密漁した場合、「3年以下の懲役または3000万円以下の罰金」に処すことができるようになった(改正漁業法第132条及び第189条)。この改正はもともと密漁に悩まされているアワビやナ��コを想定したものだが、筆者はウナギにもこの厳しい罰則が適用されるようにすべきだと考えている。
 なお、シラスウナギの場合は養殖用の種苗(編注:しゅびょう、稚魚のこと)として特別に採捕が認められたもので、そもそも「漁業」とは認められていないため、上記の指定が難しいのではないかとの声も、規制を担当する地方自治体関係者から聞こえてくる。こうした場合は、漁業法をさらに改正し、漁業調整規則などの罰則上限を大幅に引き上げてこの懸念に対応してはどうだろうか。
 法的な規制とともに、取り締まりの強化も必要だ。もちろん、各都府県で密漁を担当する人員を強化していくことが望ましい。こうした場合でも、密漁を担当する各当局が連携を強化することにより、対策を強化できるだろう。例えば中編で紹介した高知県の事例でもあったように、シラスウナギ漁の実態をよく知る県庁担当者と、取り締まりのノウハウや反社会勢力に関する情報などを有している都府県警察との連携の強化などが望まれる。
 また、密漁・未報告で採捕されたシラスウナギの収益は、当然適正な税務申告がなされていない。事実、これまでにもシラスウナギ密漁に関する脱税で摘発された事案は複数あり、例えば高知地裁は18年12月、シラスウナギ仲介で得た所得を申告せず、2年間で計9600万円を脱税したとして、県内の男に懲役1年6月、執行猶予3年、罰金2000万円の判決を下している(読売新聞18年12月28日)。密漁関係の事案については適宜、所得税法違反にも同時に問い、より高額の罰金を科す形で不十分な漁業調整規則の罰則を補うべきだ。
 {{ 図版 4 : アワビやナマコを密漁した場合、「3年以下の懲役または3000万円以下の罰金」に処すことができるように漁業法が改正されたが、ウナギにも適用すべきだ(水産庁のWebサイトより) }}
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■《資源増加のための対策》
 第三は資源増加のための、真に有効な取り組みの強化だ。
 14年と15年に環境省が実施した調査によると、堰(せき)やダム、落差工といった河川横断工作物がウナギの遡上に悪影響を与えていて、ウナギの個体数密度と相関していることが明らかとなっている。従って、まず手始めに、水位差が約40センチ以上の状態が恒常化している河川横断工作物については、必要不可欠でない場合はこれらを撤去し、ニホンウナギが遡上できる環境を整備すべきだ(環境省自然環境局野生生物課「ニホンウナギ生息地保全の考え方」、17年3月)。
 もし撤去が困難な場合は、魚道を整備したり、落差を緩和したら、ウナギを下流からくみ上げて堰やダムの上流に再放流したりするなどの対策をすべきだ。
 その一方、科学的にその効果がほぼ全く証明されていない養殖ウナギの放流、あるいは「石倉かご」と呼ばれる人工物の設置は、少なくとも税金を投入するものについては全面的な再考が必要だ。効果が全く不明なこうした事業に、高い説明責任が問われるはずの税金を投入すべきではない。
■《経済的なインセンティブ》
 第四は経済的インセンティブだ。中編でレポートした高知県の事例のように、一部の地域では、ウナギ稚魚の採捕者が十分関与できない形で、できるだけ安く買いたい養鰻業者の主導によって買い取り価格が設定されている。安く買いたたかれたと考える採捕者は、高く買ってくれる闇業者に横流しする。ここで闇流通を発生させているのは、市場価格を歪(ゆが)める「不必要な介入」だ。採捕者と買い手側の相互行為に基づく自由な市場価格形成を阻害すべきではない。
 事実、水産庁も「都道府県において指定された出荷先への販売価格を設定している場合において、その設定価格が市場価格に比べて低いときには、再点検を行うこと」を都道府県に助言している(水産庁「ウナギをめぐる状況と対策について」19年7月)。
 {{ 図版 5 : 水産庁も「都道府県において指定された出荷先への販売価格を設定している場合において、その設定価格が市場価格に比べて低いときには、再点検を行うこと」と都道府県に助言している(水産庁「ウナギをめぐる状況と対策について(2019年7月)」より) }}
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■《流通・消費者の取り組み》
 最後に流通・消費者の役割だ。例えば日本最大手のスーパー、イオンは6月3日、静岡県と浜名湖養魚漁業協同組合などとの協力を得て、大手小売業界で初めて完全にトレーサビリティーを確保した「静岡県浜名湖産うなぎ蒲焼」を発売した。インドネシア産のビカーラ種ウナギの蒲焼とともに完全トレース品として販売している。
 イオンによると、中国でも、浙江省寧波や江蘇省南通など、一部の地方で採捕されたシラスウナギを使い、稚魚の産地まで分かる製品生産のめどが立ったとして、インドネシア産10%、静岡産5%と合わせ、40%がトレーサビリティーを確保した製品として販売可能と解説し、23年までに全てのウナギ商品の完全トレース化を目標としている(水産経済新聞19年6月4日)。
 われわれ消費者も、トレーサビリティーが確保されたウナギを買うといった購買行動によって、業界へ影響を与えることができる。
 消費者は、購買という選択に加えて、SNSなどでの意見表明によっても、持続可能なウナギ利用に貢献できる。例えば高知県は、極端なシラスウナギ不漁に見舞われた18年、3月5日までの漁期を20日まで15日延長(高知新聞18年2月28日) 、鹿児島県も3月10日までだった漁期を3月末まで21日間延長した(南日本新聞2018年3月11日) 。
 これに対しては高知県の関係者も「(シラスウナギを)取らせたくない方々から相当な批判を受けて『炎上』した」と認めるほどSNS上で批判が集まった。今年もシラスウナギ漁は前年を下回る不漁に終わったが、採捕期間は延長されていない。SNSでの「炎上」が、この判断に寄与したともいえよう。 
 {{ 図版 6 : 2018年にイオン葛西店の売り場で販売されていたウナギ }}
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■《「ウナギ食文化」を将来に残すために》  大伴家持が「石麻呂にわれ物申す夏痩せに良しという物ぞ鰻(むなぎ)取り食(め)せ」と万葉集で歌ったように、ウナギが暑い夏に適した食であることが奈良時代から知られていたようである。江戸時代中・後期頃から土用の丑の日にウナギを食べる習慣が生まれ、ウナギは現在われわれの食文化として深く根付いている。
 しかしシラスウナギの漁獲量の歴史的不漁が去年も今年も報道される現在、われわれのウナギ消費は持続不可能なレベルに達していると言えよう。事態は一刻を争うように思われる。将来の世代にウナギとその食文化を残してゆくために、あらゆるレベルでの取り組みが必要とされているのだ。
 {{ 図版 7 : 将来世代に残していくための取り組みが急務だ(写真提供:ゲッティイメージズ) }}
●著者プロフィール 真田康弘(さなだ やすひろ)  早稲田大学地域・地域間研究機構客員主任研究員・研究院客員准教授。神戸大学国際協力研究科博士課程前期課程修了(修士・政治学)。同研究科博士課程後期課程修了(博士・政治学)。大阪大学大学教育実践センター非常勤講師、東京工業大学社会理工学研究科産学官連携研究員、法政大学サステイナビリティ研究教育機構リサーチ・アドミニストレータ、早稲田大学日米研究機構客員次席研究員・研究院客員講師等を経て2017年より現職。専門は政治学、国際政治史、国際関係論、環境政策論。地球環境政策や漁業資源管理など幅広く研究を行っている。著書に『A Repeated Story of the Tragedy of the Commons: A Short Survey on the Pacific Bluefin Tuna Fisheries and Farming in Japan』(早稲田大学、2015年)、その他論文を多数発表。
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NEWSLETTER  vol.50
ニュースレターの第50号をお届けします。
今回は2019年9月3日にArt Jewelry Forumに掲載された、ハーロウ・タイさんによる「不屈の精神」展の展覧会評です。
この展覧会では、マナ・ヒューイットさんという作家の方が制作した、めざましい功績を残した女性に捧げるメダルが数多く展示されました。
正直、私自身は、これらのメダルがジュエリーとして魅力的だとは思いませんし、日常の装着に適しているかというと大いに疑問が湧きます(もちろん、中にはこのデザインだから身に付けたいという方だっているのかもしれませんが…)。
ですが、特定の役割を担う装身具(この場合は個や団体の功績を称えるメダル)と、作者の意図とがマッチした好例であることは間違いありません。
これは、必ずしも日常レベルでの装着性という観点だけでは、ジュエリーの良し悪しを判断できないということだともいえます。
メダルのように、公的な役割を担う装身具は、ヨーロッパ諸国で中世以降、公職に就く要人が身につけるチェーン・オブ・オフィスというネックレス(chain of office)などがあります。
また、日本での公的な装身具といえば、記章(弁護士バッジなど)や勲章、褒章がありますが、これらのアイテムを作品へ発展させたジュエリー作家さんには、記憶している限りでは覚えがありません。どなたかご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。
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https://artjewelryforum.org/mana-hewitt-persistence
 2019年9月3日
マナ・ヒューイット:不屈の精神
偉大な女性に捧げられた特別なメダル
執筆:ハーロウ・タイ
 マナ・ヒューイット:「不屈の精神」
2019年7月25日 – 9月8日
701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国
マナ・ヒューイットの個展「Persistence(不屈の精神)」には、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、そしてガラスエナメルを使った一点物のメダルが60点並んでいる。このメダルは、社会の認識に挑んだ女性の勇気と忍耐を讃える作品で、スーザン・B・アンソニー、ヴィクトリア女王、マリ・キュリー、ローザ・パークス、アメリア・イアハート、ルース・ベイダー・ギンズバーグらの重要人物が描かれている。多様なスタイルが混在するこの作品は、「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」という、時代に即した取り組みを実現させる好機となっている。
「たしかに人生は簡単ではありません。しかしそれが何だというのでしょう。私たち人間にはど��な困難をも乗り越える、忍耐も能力も備えられているはずです」マリ・キュリー、物理学者、ノーベル賞受賞者
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マナ・ヒューイット、マリ・キュリー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
現代は歴史上もっとも、社会生活や職場のあらゆる場面で、女性が自分の意見を通す成功例が目立つ時代である。女性議員はよりいっそう要職を担い、女性アスリートは男性との同一賃金を求めて訴訟を起こす。女性ミュージシャンはオンエアの男女平等を要求し、ベテラン女性芸術家はようやく然るべき注目を受け始め、#MeToo運動はセクハラと権力濫用の横行を明るみに出した。今でこそ女性がはっきりと声をあげ、人々がそれに耳を傾けているが、女性の側に��する人間は、男女平等や自らの功績への評価を手にすべく長く悪戦苦闘してきた。マナ・ヒューイットは個展「不屈の精神」で、歴史上そして現代の偉大な女性たちと、その功績を称える60点のメダルを展示し、現代女性がなしとげる数々の成功は、毅然として困難に立ち向かい乗り越えてきた先人の努力の賜物であることを、見事に示してみせた。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
ヒューイットは長いあいだ、エリザベス・キャディ・スタントンとマーガレット・サンガーの2人の活動家を称えるメダルの制作を考えていたが、2016年の大統領選と、この選挙が示唆したいかにも強固なガラス天井を目にしたことを受け、本シリーズの制作に着手するに至った。彼女は社会の認識に挑み、万人のために状況改善に力を尽くしてきた女性たちの勇気と忍耐を称えるシリーズの制作に、たぎる創造性と知性とを注ぎこんだ。目指すは100個のメダル制作だが、かといってそれで終わりにするつもりもなく、これまで芸術家やミュージシャン、著述家、航空業界の先駆者、アスリート、科学者、活動家、世界のリーダー、米国最高裁判事を含む偉大な女性たちを作品にしてきた。
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 マナ・ヒューイット、ヴィクトリア・クラフリン・ウッドハル、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 64 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
歴史上、男性には功労や武勇を称えるメダルが贈られてきたが、ヒューイットは、それと趣旨を同じくする一点物のメダルを、エッチングを施した銅、スターリングシルバー、ガラスエナメルで作り、個の功績や業績を表現してきた。各メダルには、中央に配した楕円形の七宝製ポートレート、人物名、その人物の個性や功績、様式の重要性を表す装飾モチーフが配されている。また、装着を想定し、各作品には固定したりぶら下げるための金具を取りつけ、裏面にはその人物の言葉の引用や略歴をエッチングで刻んでいる。
 なかには装着するには重い作品もあるが、どの作品のスケールも親近感を抱かせ、細部まで気を配った入念な細工がされている。ヒューイットは、これらの宝飾品仕立てのメダルを作るにあたり様々な工程を活用する。繊細なガラスエナメルのポートレートは5~10回もの高温での焼成を必要とし、失敗は許されない。外側の金属部は、デジタルでデザインしてからエッチングと透かし細工を施してロウ付けをし、最後に各パーツをリベット留めするという、手仕事とデジタル作業との巧みな融合で制作されている。見事なスタイルの多様性、細部、スキルが一体となって全体の印象をつくりあげ、作品に近づいて目に見えるヒントから秘められた情報を読み解きたいと思わせる、魅力と多様性を備えた作品群にしあがっている。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
701 CCAの展示室は広々としていて明るく、このような小さく可愛らしい作品は、ともすると巨大な空間に埋もれてしまう。ヒューイットはあえて多種多様な空間にマッチするような展示戦略を立てた。大部分の作品にガラスのドームを被せ、台座にのせたり壁に設置したりして、あらゆる角度からじっくり見られるようにした。残りの作品は関連するイメージを背景に嵌めたシャドーボックスの額に収め、視覚的な変化をつけた。サフラジェットの垂れ幕風のバナーには、本展を彩る女性陣の示唆に富む言葉の引用を印字して歴史的背景を加味し、小さな作品群を関連するテーマごとに分類した。ヒューイットはできるだけ多くの土地に本展を巡回させたいと考えているが、この展示法であれば様々な会場に対応できる。シリーズの一部は、これまでノースカロライナ州のPiedmont Craftsmen Gallery、同州レイクシティのTRAX Visual Art Centerでも展示された。次なる巡回予定地は、ペンシルバニア州フィラデルフィアのセント・ジョゼフズ大学横の会場である。
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マナ・ヒューイット、合衆国憲法修正第19条、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
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 マナ・ヒューイット、スーザン・B・アンソニー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 76 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
本展は、アメリカ国内における参政権の男女平等を認めた合衆国憲法修正第19条に賛辞を送るメダルで幕を開ける。その根幹を成すのは活動家精神だ。個人に捧げられたメダルは尊厳と犠牲を表現し、独創的で時に遊び心あるスタイルの様々な手法が用いられている。社会改革と女性参政権獲得のために活動したスーザン・B・アンソニーへのメダルには、一束の髪を収めたメメント・モリ風のペンダントが下げられている。これはおそらく、アンソニーが女性の服装規制に対する抗議の表明として断髪したことを思い起こさせるためだろう。モンゴメリーのバスボイコット運動で果たした役割で名高い公民権運動活動家、ローザ・パークスへの記念メダルは、スターリングシルバーのビーズで縁取ったポートレート、上方の名入りのリボン、下方のエッチングを施したバス形の真鍮製ペンダントが、彼女の功績を偲ばせる。産児制限運動初期の活動家、マーガレット・サンガーの顔は、繊細なエッチングを施した真鍮の枠に収められているが、これには、卵管、卵巣、卵子群の浮遊が装飾的に描写されている。
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 マナ・ヒューイット、ローザ・パークス(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 82 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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 マナ・ヒューイット、マーガレット・サンガー、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
 科学や創意工夫、研究の成果が、先駆的な女性の肖像によって豊かに表現されている。女性初のノーベル賞受賞者で、物理学者・化学者のマリ・キュリーを回顧させるのは、その先駆的な放射線研究を表現した印象的なメダルだ。銀球が織りなすパターンは、ラジウムの分離精製の成功を表し、その下に原子力マークがぶら下がる。ヘディ・ラマーは多くの人にハリウッドのアイコンとして記憶されているが、一方で熱心な発明家としても活躍し、Wi-Fi、GPS、Bluetoothなどの始祖となる無線誘導式魚雷用の周波数ホッピングシステムの特許を取得した。見目麗しい彼女のポートレートは、特許取得技術を製図表現したエッチングとのコントラストを成し、特許を取得した1942年8月11日の日付が左上に刻まれている。民俗学者で作家のゾラ・ニール・ハーストンのポートレートは、背景に印象的なアフリカのバティックのデザインがあしらわれ、民族性とアイデンティティに関する彼女の仕事をグラフィックで示している。女性初の大西洋単独横断飛行を成し���げたアメリア・イアハートのメダルは、地形図をバックにしたポートレートの下に、飛翔する彼女の愛機を象ったペンダントが下げられている。
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 マナ・ヒューイット、ヘディ・ラマー、2019年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 63 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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 マナ・ヒューイット、アメリア・イアハート(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、101 x 140 x 6mm、撮影:ハーロウ・タイ
リーダーシップや公職における功績を称えるこれらのメダルには、女王、世界的リーダー、最高裁判事の面々に加え、ひとりのスパイも混じっている。ヴィクトリア女王の凝ったメダルには、光り輝く石を並べた楕円の枠に威厳のあるポートレートがはめ込まれ、それを包み込む葉飾りの上にはルビー色の赤い石が留められている。アメリカ合衆国最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグのポートレートは、裁判所の荘厳で威厳ある古典建築に収められ、縦溝入りの柱に挟まれ頭上にはペディメントが乗る。ストリッパーにして第一次大戦中にスパイ活動にも従事したマタ・ハリへのメダルは美しい宝石形だ。ポートレートの銀のビーズの縁取りが装飾的なヘッドドレスと響き合い、アールヌーボー調の背景の曲線は、彼女の演舞を彩ったドレープ入りの緞帳を示唆している。
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マナ・ヒューイット、ルース・ベイダー・ギンズバーグ、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 89 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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マナ・ヒューイット、マタ・ハリ(展示時)、2018年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、76 x 44 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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マナ・ヒューイット、ルイーズ・ネヴェルソン、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
エレノア・ルーズベルト、マヤ・アンジェロウ、ジョージア・オキーフ、マーガレット・ミード、マザー・テレサなど、数え上げればきりがない。そして、おそらくそれこそがポイントなのだ。ヒューイット自身のリサーチと、次々と舞い込む提案を基に選ばれる、メダル化候補の偉人リストは終わりがなく更新が続く。サウスカロライナ大学の視覚芸術およびデザイン学部の教授を務めるヒューイットは、この大作を携え、教育者とアーティストという2つの役割を精力的にこなしている。彼女の掲げる意図は明確である。それは「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」ことだ。
ハーロウ・タイ:美術史家およびフォトグラムとカメラ不使用の撮影技術を専門とするビジュアルアーティスト。スミス大学にてイタリア文学の学士号、テキサス大学オースティン校で美術史の修士号を取得した後、ロータリー奨学金を得てフランスのディジョンにある国立美術学校にて学ぶ。ヒューストン美術館でキュレーターとしてのキャリアの一歩を踏み出す。その後、イタリア美術界で20年間、美術関係の出版業と美術館計画事業におけるコンサルタントを務め、現在はミラノとサウスカロライナとを行き来している。2017年、医薬品のための工業用大麻の栽培を手掛ける会社を設立。
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