Tumgik
#病院に頼る前にできる事って沢山あると思うの
petapeta · 1 year
Quote
2023年02月08日 半導体不足解消に向かうトヨタグループで何が起きているのか 先日聞いた話です。 トヨタグループはかねてからの半導体不足の出口が見え始めていて、2023年2月と3月にそれまでのマイナスを取り返すべく、増産増産へと進んでいるそうです。 その結果、全ての自動車部品メーカーに増産の依頼が飛び交っていて、製造の現場は労働強度マックスになり、管理職の残業時間も100時間越え、多い人は140時間越えの残業をしているようです。 この話は複数のトヨタ系自動車部品会社で共通して聞いたものです。 そしてもう一つの悪材料もあります。 半導体不足による生産調整で、多くのトヨタ系部品会社は今期は赤字なんですね。 当然、赤字を何とか黒字にもっていきたいと思うのが普通の経営者のロジックで、そうなると必要なコストまで削減するよう命令され、外注費もカットされ、アウトソースしていた仕事までもが内製に戻るという、誰も幸せになれる気がしない、地獄絵図が繰り広げられています。 いえ、面白おかしく書いているように見えるかもしれませんが、ボクが聞いた範囲でのリアルな話です。 どれぐらい地獄なのかと言うと、総務や人事が労基(労働基準監督署)を恐れるレベルを突破していて、「なんとかユニオン」に管理職の奥さんが駆け込むことすら想定しているというので、その凄まじさが伝わってきます。 しかも「『なんとかユニオン』から会社に連絡があったら、俺は即、会社を辞める、あんなのを相手にしていたら、俺のメンタルが持たない」と言っていたのが総務の責任者です。 「それならむしろ、労基に乗り込んでほしい、死人が出る前に」と、この人は言っていました。 ね?地獄でしょ?(笑) 笑い事じゃないけど。 ボクは管理職の人たちの話も聞いて回りましたが、お互いに「自分の体を、そして人生を大切にしろ。倒れる前に心療内科とか、病院に駆け込め」と言い合っているんですが、それでもお互いに誰が最初に倒れるのかを見定めている感じでした。これもまた地獄絵図です。 ボクはこの話を聞いて、トヨタグループのてっぺんのトヨタ自動車の責任の大きさを感じざるを得ませんでした。 半導体不足だって、いつかは解消されることは分かっていたはずです。 だから、下々の部品メーカーに部品を作らせて、その部品を買い取って、どこかの大きな倉庫でも借りて在庫を持っておけば良かったのに、と思います。 それが出来なかったから、そもそもの半導体不足の影響をここまで受けているんでしょうけど、半導体不足で何を学んだの?と思っちゃうんですよね。 自動車なんて一つの部品が不足しただけでも完成品を作れないんです。 だったら、部品の在庫を沢山持ちなさいよ。 1か月分の在庫を持っていれば、何かあったときに対策を取る時間を1か月間確保できるでしょうに。 トヨタ本体の利益を最大化するために、どれだけの下請けが泣いているのか、本当にこういう機会に学んでほしいですよ。 ということで、トヨタの下請けの部品メーカーの悲鳴が2月、3月は響き渡るかもしれません。 そんな叫び声のことを忘れないでください。
似非管理者の寂しい夜:半導体不足解消に向かうトヨタグループで何が起きているのか - livedoor Blog(ブログ)
52 notes · View notes
bae101044 · 11 months
Text
慎太郎、慎ちゃん、タロウ、たろ。誕生日おめでとう。自分から「たろが風呂行く時教えて」つったくせにお前の律儀な「風呂入るよ!?」「出たよ!」の連絡も気付かずに俺は相変わらず床で寝てたよ、いい加減にしてほしいよね。しかも謎にしりとりしてたじゃん、あれ途中から覚えてなくて俺。多分ほぼ寝てたんだよあん時。ただ「からす」「すずめ」「めだか」の繰り返しだったのは覚えてる。笑った。たろが起きてなくても0時ピッタリに「誕生日おめでとう!これからも愛してるよ!」て送るはずだったし、tumblrのメッセージも事前に用意するはずだったんだけど。おかしいな?だから代わりに今言わせて、誕生日おめでとう!これからも愛してるよ!それ最後に言う言葉じゃない?て思ったでしょ。大丈夫、俺も思った。まだこのメッセージは序章にすぎないのよ。何かさ前もお前にこうやってメッセージ書いたよね、覚えてる?因みにお前からの長文メッセージはちゃんとスクショして、お気に入りに入れてある。たまに見返してる。照。あの時からそんな経ってないけど多分今日も長々と書くと思うから覚悟しときな。たろはさ、毎日話してるよね。相変わらず。お前の所に籠りすぎてんのよ俺は、いい加減にして。多分お前が一番俺の近況知ってると思うよ。俺が関係なく報告してるからね。報告したくなるからさ。おはようも行ってきますもただいまもおやすみも全部共有したいんだよね、たろには。独占欲強くね?あ、でも俺が独占欲強い事は今に始まった事じゃないよね。よく分かってんじゃん?俺の事大好きなだけあるよ!おい、何笑ってんだよ?笑うとこじゃねーぞ!最近むせ散らかしてないね?治った?ちゃんと病院行ったつってたもんね。俺も治った。でも俺らきっと冬になればまたむせ散らかしてそうだよな。冬に弱すぎかよ。2人で今年の冬もむせ散らかしながら乗り越えような?つか、どの季節も一緒に乗り越えていくんだよ。いい加減にして。最近可愛いたろちゃんは、頑張り屋さんなので無理しないでね。胃痛なくても体が限界迎えてたらマジぶっ倒れるよ!?そんな時に俺はすぐ駆け付けてあげられないからさ!?駆け付けたいけど!!誰よりも先に駆け付けたいけど!?気持ちは先に駆け付けてるけど!!だからちゃんと自分大事にな。息抜きに困った時は俺んとこ来なよ。沢山笑わせてあげるから。癒しと笑いを提供してあげるから。それでたろが一息つけるなら俺も嬉しいよ。いい?己は己でしか守れねーんだよ、夜露死苦。卍。え、卍って死語らしいよな?流行りのスピードに追い付けなくて辛い。つか、全然話変わるんだけど。戻るんだけど。数日前に、たろと出会った時の事思い出してて。急に馳せ始めたけど。お前フォロワー多かったからさ、俺以外の俺もいたのによく最後まで俺の事残してくれたよね。そんでよくここまで深い関係になってくれたよね。素直に嬉しい。あの時たろとの会話を増やしてなかったら今は無かったんだろうなて思って。波長が合うんだろうね、俺ら。笑い話の時はめっちゃゲラゲラ笑うけど、真面目な話の時はちゃんとお互いに話聞き合ってさ。これこそ運命だよね、やっぱり。だから早く付き合ってよ!寄り戻そうって!何笑ってんだよ!?俺お前に何回言った!?付き合った想像が出来ないじゃねーのよ?付き合う前に想像するかよ普通。付き合ってからどう過ごしていくか決めてくもんだろ!恋人になっても俺らの会話はそんな変わんねーよ!ただちょっと角砂糖3つ分くらいの甘さがプラスされるくらいで。いや分かんない、俺恋人はデロデロに甘やかすタイプだから付き合えた嬉しさで俺は角砂糖500個分くらいになるかも。今から糖尿病対策しときな。まあ今付き合ってくれなくても5年後の約束覚えてるから、俺は。忘れんなよ!5年後まで誰のモノにもなるな!!!誰かのモノになったとしても別れろ!俺がお前を幸せにする。肉じゃがも沢山作ってやる。後、しいたけの肉詰めも。ピーマンも。公開プロポーズで笑ってる。まあそういう事だから。どういう事だよ。俺はいつもこんな感じだから、扱い大変だと思うけどこれからも宜しく頼むわ。次に長文書くのは3ヶ月後だと思うからさ。ね。え、分かるよね?あ、良かった。分かってないかと思った。そう、3ヶ月ね。そん時また書きたい事絶対増えてると思うから、楽しみにしときな!いつも俺の隣に居てくれてありがとう。これからも飽きずに俺の隣に居てね。俺は例えお前が裏社会の人間だとしても!誰に何と言われようと!ずっとお前の隣に居るよ。任せな。大丈夫、来世も一緒に居るから。愛してるよ!おめでとう!
Tumblr media
2 notes · View notes
europiumoon · 2 years
Text
「さっさと病院行け!バカ!」と優しさの裏返しの言葉で心配してるバブに唆され内科を受診した。お前は現代の陽成院か。綏子リスペクト。と、うた恋い。の話は置いといて。2週間以上慢性的な胃痛で段々と吐き気も追加されて流石にな、で結果はピルの副作用で胃痛と腹部膨満なのでは?という結果を貰った。フランクすぎる先生から、「ピルもストレスも諸々で腸にガスが溜まっちゃってそれで胃を押し上げて痛くなってるね」という結果と薬を処方してもらった。胃に問題なくてよかった。今週は全部ドタバタで忙しいけど、上司に許可得て就業時間前に行ける会社でよかった。前の会社の頃、多分2日とかしか有休を取っていなかった気がする。有休といえば3年前から12/23は休むようにしてる。平成の頃は休みだったから、なんとなくその日はオフにしてて、3年前は都内のある人の家で大学院の書類の不備やなんやかんやを電話で聞かされ慌てて行けることになったっけ。あの時はお世話になりました。一昨年はなんだっけ、って遡ったら女神と渋谷パルコで最果タヒの作品を見ていたし、去年は修士論文の要旨。充実してたな。論文で思い出したけど、火曜日に新規事業の研修があり、その中の質問で高齢者の見守りはどうするんだというものがあって、遥か昔のような記憶を引っ張り出して答えたけど、自分自身この自分が行なってきた研究が将来的に使えるのかって半信半疑に思ってたことと、そのアンサーに対しての講師の反応に、また違った目線から見れば化けるのではないか、と思えた。来週の打ち合わせまでに私は自分の研究のまとめを同じチームに提示して新たなる可能性を見出す課題が出た。最近、母からも父からも「お前はすごいことを成し遂げたんだ。自分をどうか犠牲にするな」と言われて泣いた。奨学金全額免除だよ?そら頑張ったよ、不正出血が出るくらい、毎日睡眠時間を減らして体重も減らして作り上げた論文が、研究が当たり前なものあるか。またもやぬるま湯に浸かってたなって思って初期の頃沢山思い描いてたものをなあなあとしてたので、いのちだいじに、の命令はもちろん、自分にしか成し遂げられないことに力を注ぐ。見ないふりをしてるのが1番よかったけど、頑張ってた分やっぱり信頼性や憧れられていたので、美しくて賢い私に出来る限り近づけていきたいな。私生活も徐々に。籠の鳥になるものか。私は自由でいることが1番輝く。
10 notes · View notes
Text
#05 中沢レイ
Tumblr media
一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
Tumblr media
生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
Tumblr media
仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
Tumblr media
踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
Tumblr media
それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
Tumblr media
妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
Tumblr media
それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
Tumblr media
生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
Tumblr media
やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
Tumblr media
みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
Tumblr media
(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
2 notes · View notes
kennak · 2 years
Quote
長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移���ました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねると���ンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかし���ら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
6 notes · View notes
saritamix · 2 years
Text
術前検査
8/25
手術に向けて術前検査と診察を受けて来た。
この日は泌尿器科の受診のみだったが、検査や診察がてんこ盛りで忙しく、8時5分頃に家を出て帰宅が16時過ぎになった。
→尿検査(即終わる)&血液検査(待ち時間長い)
→レントゲン(この日は空いてた)
→スパイロ(肺活量を測る検査。何度もやり直しさせられて1番キツかった)
→心臓エコー(20分くらい)
→安静時心電図(10分くらい)
→術前診察(時間厳守 1時間半くらい)
→医師の診察(1時間くらい)
→会計(1時間くらい)
途中、お腹が空いたので院内のコンビニでパンを買い、診察の前に食べることにした。渡り廊下の飲食が出来そうなテーブルがあったので、先に座っていた車椅子のおじいさんに相席していいかを尋ねた。おじいさんは 『公共の場所ですから。どうぞどうぞ』 と気さくに答えてくれた。
食べながらおじいさんと少しだけ会話をした。車椅子歴は4~5年で、本人曰くまだまだひよっこだということ。足が元気な頃はよくヨーロッパに旅行していたこと。アメリカよりも昔の文化を大切にする国(ローマ)に魅力を感じること。
今は車椅子生活で大変そうに見えるのに、思い出を語る眼は優しくて、すごく���きいきとしていた。その姿が本当に眩しくて、歩ける足がある自分が歩く度に痛い辛いとべそをかいていたことがなんだか恥ずかしかった。
日常生活が急に壊れたり、昨日出来たことが今日いきなり出来なくなるということをここ数ヶ月で嫌というほど痛感している。明日、急に目が見えなくなるかもしれない。口からご飯が食べられなくなるかもしれない。歩けなくなるかもしれない。命を落とすかもしれない。etc…そんな不安やリスクを常に考えながら生きていたらキリがない。だけど、人間何かを失う時は本当に一瞬であっという間だ。だからこそ、自分が今出来ることを精一杯頑張ったり楽しんだりして 『現在』 という時間をどれだけ充実させられるかが今後の人生においてとても重要なことだと思った。
29歳から30歳の間、心身ともに大きな変化があった。不妊治療、妊娠・出産、罹患。言葉単体にしたらどれも珍しいものではない本当にありふれたもの。でも、自分にとっては今までの価値観や人生観を大きく変えるものばかりだった。罹患に関しては経験して良かったなんてことは思わないけど…得たものや気付いたことは沢山ある。
自分にとって本当に大切なものはとてもシンプルで。家族や友人と楽しく話せて一緒の時間を過ごせること、ご飯を美味しく食べられること、気軽に歩いたり座ったり出来ること、ベッドで自由に寝返りが打てること、物事を同時に思考して実行すること。今まで自由に出来ていたこれらがまた自然と出来るようになったら…もう充分幸せかな。
おじいさんと話した後、午後の医師(I先生)の診察まで1時間ほど待った。診察では朝の検査の結果と今後の手術に向けてのスケジュール等伝えられた。私は現在抱いている疑問点や懸念点をいくつか質問した。
私:色んな人のブログを読んだり調べて100万人に数人しか見つからない病気って書いてありました。やっぱり珍しい病気なんですか?
I先生:いや〜そんなに珍しくないですし、結構いますよ
私:(え…?ネットやブログの情報と違う…?泌尿器科では全然珍しくない?産科にいたから見つからなかっただけ…?頼りない雰囲気あるけど…症例多くこなしている先生なのかな?)
私:回復まで1年だと早い方だと見ました。こればかりは個人差があるから何とも言えないとは思いますが…やっぱり1年以上かかるものなのでしょうか?
I先生:え〜個人差はありますがお若いですし、そんなにかからないと思いますよ
私:今回の執刀は先生がするんですか?
I先生:え〜私もいますが…他の人と数名でチームを組んでやります
etc…
産科入院時の初対面では 『「え〜」 を多用してあまり目を合わせない、頼りがいがなさそうな先生』 というイメージだったけど、今回の診察では 「え〜」 を多用しつつも、ポジティブかつテキパキと回答をしてくれたので少し安心した(勿論、起こりうるリスクの説明もされた)。
大きな手術は子どもの頃の骨折(全麻)と今年の帝王切開(局麻)の2回くらいしか経験がないから正直怖い。多分どんな手術でも緊張するし慣れることはないと思う。だけど、早く根治したいから早く手術を受けたいという気持ちも同じくらい強い。
今はただ、目の前のことをひとつずつ乗り越えていきたい。
2 notes · View notes
mori-mori-chan · 1 month
Text
読書感想文40
娼年/石田衣良
ネタバレを含みます
今月上旬に"(電池の都合で)極力スマホを使わないようにして長時間を過ごさなければならない"状況があったため文庫本を数冊調達しまして、今回感想文を投稿する『娼年』もその中の一冊だったりします。
いい意味で想像と真逆の爽やかな話でした。何というか、もっと「滾る肉棒を濡れそぼった裂け目に突き立て……」的な、淫欲!売春!疼く肉体!暴力!荒廃そして退廃!!みたいな内容かと思っていたんですね。そしたら極めて健康的かつ明るい話で、ラストは胸がすく思いでした。タイトルで判断してはいけませんね(もしかして:にんじん)。
ものすご~くざっくり内容を記しますと、"世のなかすべてつまらない"と大学もろくに行かずバーテンダーのバイトに明け暮れるリョウこと森中領がとある女性との出会いをきっかけに体を売るようになり、女性に買われる体験を通じつまらないものと考えていた(特定の人物ではなく全体としての)「女性」と向き合い、新しい自分に成長していくストーリーです。主人公が春を鬻ぐ身である以上当然セックス描写は沢山盛り込まれているのですが、フランス書院的な生々しさはそんなにない……ように感じました。断じて読んでいて退屈とかリアリティがないとかそういう訳ではないのですが、恐らく石田衣良もこの部分はそこまで力を入れる部分ではないと判断したのではないでしょうか。
2018年には松坂桃李主演で映画化も果たしているのですが、松坂桃李はWiki曰く現在35歳だそうなので、上映当時は……え、29歳か30歳ってこと……???わ、若見えすぎて怖いです。
Tumblr media
あとNETFLIXくん、何故リョウじゃなくてアズマ???
※視聴していない為あくまでこのキービジュアルを目にした個人的な感想になりますが、アズマのイメージが自分のものとかなり違っておりました。いや、あの、原作に"肩にかかる長髪が揺れると、さらさらと乾いた砂がこぼれる音がきこえそうだ"とか"家出中に保護された少年のようなポラロイドだった"とか、彼の口調であったりとか、こう、全体的に未成熟で幼い、華奢で中世的な美少年というイメージなんですが……アズマ役を演じた猪塚健太は1986年生まれだそうなので、正直もう10歳くらい若い俳優でもよかったんじゃないかな!?と思いました。映画化より前にされていた舞台化にて、やはり同様にアズマ役を演じていたため、そのまま引っ張ってきたんですかね。別に役者のアンチとかではなくちょっとビジュ等が私のアズマ像とかけ離れていたなぁ……というだけなんですけれども(個人的には清水尋也ぴったりすぎんじゃね!?と思ったのですが、彼は186cmもあるんですね……)。
閑話休題。冒頭にて極めて健康的かつ明るい話であると書いたのですが、正直タイトルからはそうは思えないことでしょう。
ここからはがっっっつりネタバレ(とツッコミ)ありで書いていきます!
リョウは10歳の時に当時37歳だった母を病で失い、大きな喪失感と絶望感を味わいます。そして、その影響か彼は年上の女性を好む傾向があり、交際や性行為に対しても何の抵抗もなく受け入れられる人間になっています(終盤で明かされるのですが、リョウが春を鬻いでいたのと同じく、リョウの母親もまた"そういうこと"をしており、彼女は売春をしにいった出先で亡くなっております)。リョウは"大学に行こうとすると足が動かなくなる"程度には学業にやる気がなく、"女なんてつまらない"と公言する程度には色恋沙汰にも興味がありません。"大学も友人も家族も、世のなかすべてつまらない"のです。若造がこんなこと抜かしてたら腹立つな……というのは置いといて、現状に倦んでいることが冒頭部分で嫌というほど伝わってきます。
なお、本作に於いて母親はキーパーソンとして扱われておりますが父親は全くストーリーに絡むことはなく、リョウの回想に出てくる(1Pにも満たない)程度です。まぁ家族つまらね~って言っちゃってますしね……不仲なんでしょうかね。中盤で"娼年"の収入を持て余している描写があるのですが、学費は誰が払っているのかが気になって仕方ありませんでした。国公立の大学に通っているのでしょうか。知らんけど
リョウが務めることとなる会員制ボーイズクラブ『Le Club Passion』のオーナー・御堂静香……彼女との出会いは、中学時代の同級生で現在はホストのシンヤがバーへ連れてきたことから始まります。静香は太客になる、と張り切るシンヤのイキりぶりがアイタタタ……となりました、えぇ。静香2回目の来店にて、リョウは彼女から「セックスを退屈なものだと言っていたリョウの、そのセックスを採点してやろうじゃねーの、あーん?(※意訳)」と言われ、その誘いに乗り、静香の娘にして聴覚障害者の咲良とセックス→咲良の力添えのもと静香のテストに受かりそして娼年へ……(はしょりすぎ)。
静香は初めてリョウと会った時に、アンニュイで達観したような、言い換えれば落ち着きのある振る舞いであったりセックスをつまらないと切り捨てる傲慢さであったり、通常の若者らしからぬ部分に興味を持ったのでしょう。そして挑発するようにセックスに誘いますが、いざ相手をするのは静香ではなく静香の娘・咲良で、何故かというとひとつは静香がHIV罹患者であり、もうひとつは咲良自身が静香の仕事を手伝いたいと考えているからです。静香は咲良の為に高度な医療を受けさせようとブルーオーシャンだった女性向け風俗店の経営を始めるのですが、咲良が義務教育を終える頃、咲良自身から商売の手伝いをしたいという申し出があり、買い出しであったり試験の際に肉体を提供したりしており、素性の分からぬ初対面のリョウにも体を許すのです。と言っても静香はクラブで働かせたいと判断した人間しか連れてこないでしょうから、ある程度は安全なのかな、と……いや安全か?
それ以降は実際に娼年として働くリョウの仕事ぶりや生活の変化などが描かれています。年の離れた女性相手でも決して嫌がったり怯んだりしないリョウは、次第に頭角を現します。たとえ一般的にはエグいとされるような性癖をぶつけられ、求められようとも……(ex.放尿、NTR)。娼年になる前はセックスはつまらないと言っていた彼ですが、安くないお金を支払い彼を買う「客」に対しては切り捨てず、寧ろ「客」だからかこそ欲求を満たせるよう彼なりにひとりひとりに向き合い真摯に対応していきます。とはいえ決して媚びることはなく、あくまでベースにあるのは「森中領」であり商売用の別の人格を作ったりはしていないので、そこが客達から好評のようで……まぁ確かにスレていたりこなれている、いかにもな人は好まれないでしょうしね……。おい聞いてるかシンヤ
"年の差はたぶん十五歳プラスマイナス2。子どものころから大人の女性が好きだったぼくには、障害にはならない数字だなぜ彼女たちは自分が年上であることを罪のように感じるのだろうか。そちらの方が長いあいだぼくの不思議だ。""普段は言葉もたりなく、面倒くさがりなくせに、そういうときには精一杯のサービスをするのが楽しくなるのだった。ものを手に入れるより女性を満たす手助けをする方が、ぼくにはずっとおもしろかった。どんなに高価なプライスタグがついていても、ブランド品など問題にならない。あれは結局、ほんとうは自分に価値がないのだと思っている人が欲しがる勲章だ。"
VIPクラスへ移ってからもリョウはバーでのバイトを辞めないのですが、それは自身の金銭感覚等を「普通」に留めておくためです。そのことを知ったアズマは「普通」の仕事をするリョウを見たいと言い出し、色々あってアズマによるオーラルセックスを体験します。性欲によるものではなく、アズマなりの感謝の意なのです。この後少しぎょっとする描写があるのですが、割愛します。気になった方は買ってくだしあ
そして幸せの終わりを予感させる出来事が起こります。バーにやってきたメグミとシンヤが、リョウの売春を非難し、止めさせようとしてきたのです。シンヤとメグミに面識のある描写がなかったので「え、知り合いだったっけ?」となったのですがその辺は置いといて、彼らはあくまで良かれと思って足を洗うよう促してくるんですよね……作中では余りにもいともたやすく行われているので忘れがちですが、我が国では���春防止法により売春は禁止されております!……今更ながら買売春禁止法にした方が良いのではないでしょうか。売るのは勿論良くないですが、誰も買わなければ売り手もいなくなるでしょうに。
メグミはリョウへの好意と、それを(一方的に)寄せていた相手が"汚い"人物だった事実への落胆で感情的にリョウの仕事を否定し続けます。その一方で、意外なことにシンヤがメグミとは異なる極めてまともな観点ー自分のような立場に身を堕とすな、昼の世界で真っ当に生きろーから彼を諭すのです。リョウからすれば、退屈な自分の人生にようやくやりがいという一滴の雫が降ってきたところに、それを理解しようともせずひたすら正論パンチを連打されたわけですから理解はすれど不快ですよね(二人の気持ちもわかるんですけどね)。
若い女性客からの依頼だと静香から告げられ訪れた先には、メグミがいました。彼女は、そんなにやりがいのある仕事なら自分の体で証明してみせるよう言うのです。あくまで「客」と「買い手」の関係性、公私混同せず続けてきた娼年の仕事ですが今回はわけが違います。
リョウはプロとして持ちうる技術を駆使し、マグミの(肉体)を満足させたのですが、彼には「このセックスがあくまで業務の一環であり他の客とも何度もこういうことをしてきたし今後もそうである」とわからせる必要があったのです。ですがやはりメグミは仕事を辞めさせようとするのです。いえ、寧ろ今後も売春を行っていくであろうリョウを案じより意志が強くなったのかもしれません。結局、『Le Club Passion』はメグミの通報により幕を下ろします。北風と太陽ではないのですが、メグミのやり方は結果的に正しくはあるのですがリョウに対しては悪手でしかないのが悲しいですね……というか余りにも表面的な部分しか見ることが出来ていなくて、リョウの内面をしっかり知ろうとすべきだったでしょうに、静香から引き離そうとするあまり、ね。
ラストが非常に健康的なんですが、バーにやってきたアズマと咲良の三人で『Le Club Passion』を再建しようと誓い皆で語り合う(※咲良は筆談で参加)場面で終わります。ここ、すごく爽やかな終わり方でびっくりしましたよ私は。セックスに耽り退廃的な生活に落ちていく青年の話かと思いきや、関わってきた多くの女性達のおかげで可能性に気付き人生が楽しくなってきた青年が未来へ歩き出す話だったわけですから。ダーティで精液と愛液の匂いが立ち込めるような内容だと勘違いしていたのでいい意味で裏切られました~!ラストは冗談抜きに3人組が「努力・友情・勝利」を見せつけてくるので、少年ジャンプ味すら感じさせるものがあります。
面白かったです!
追記
「これ性別が逆だったらどんな話だったんだろう」と妄想したのですが、男に興味のない女子大生が斡旋所ありのパパ活をし、客の為に頑張ろうとする気持ちにより空っぽだった自身が満たされていく……といった、ご都合主義モリモリのキモい話になってしまい……。
本作は設定勝ちというか、現状女性向け風俗が少なく、壮年の女性が財力を駆使し若い男の子を買うことが非現実的だからこそ成り立った内容だったんだなと感じました。極端な話、おじさんに変われる女の子が主人公だったら普遍的すぎてエンタメ性に欠けるかもしれませんもんね(※買売春は勿論違法ですが、SNS等で当たり前のように情報が行き来してしまっているため……)。 今後女性用風俗が男性用風俗レベルに「当たり前」となったら、改めて読み返してみたいですね……。                       
0 notes
kurihara-yumeko · 3 months
Text
【小説】コーヒーとふたり (下)
 ※『コーヒーとふたり』(上) はこちら(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/746474172588425216/)
 零果が会社に行けなくなったのは、三年前、三十歳の時だった。
 最初は、朝起きられないことから始まった。いつもと同じ時間に目は覚める。アラームを設定した時間よりも早く目が覚めることの方が多かった。しかし、目は覚めても、身体を起こすことができない。羽毛布団を跳ね除けることさえできないのだ。全身の筋力が突然失われてしまったのかと思った。それでも、重い身体をなんとか起こしていた。
 ベッドから起き上がってからも、身体が思うように動かない。毎日さっと済ませることができた朝の用意も、時間をかけないとこなせなくなった。それでも、通勤電車の時間に間に合わせないといけない。当初は、起床時間を早め、朝の支度を可能な限り簡略化していくことでなんとか始業時間に間に合うように出社していたが、次第にそれも難しくなり、ベッドで横になったまま、「一時間遅刻します」、「二時間遅れて行きます」と会社に電話を入れるようになった。
 それでも出勤できてはいたものの、だんだんと、身体を起こした後に頭痛や吐き気に襲われるようになった。会社に近付けば近付くほど、それは強くなっていき、出勤前に会社の目の前、道の反対側にあるコンビニのトイレで嘔吐する日々が続いた。コンビニまで辿り着けていたのはまだ良い方で、やがて駅のトイレで吐くようになり、ついには電車に乗ることもで���なくなった。
 ある朝、何度も鳴り響くアラームをやっと止め、なんとか力を振り絞って身体を起こしたその途端、「どうせ吐いてしまうのだから」と、しばらく何も食べていなかったにも関わらず、喉をせり上がってくる胃液を堪え切れずに床にぶちまけて、零果はそこで初めて、「もう仕事に行くのはやめよう」と思って、泣いた。
 病院へ行ったらうつ病だと診断された。事情を聞いた上司からは休職を勧められ、驚くほど簡単に手続きが進み、会社に行かなくて済むことになった。
 最初は、休めることにほっとした。休職したことによって初めて、零果は自分が仕事を休みたいと思っていたことに気が付いた。そのくらい、当時は激務だったのだ。
 毎日のように遅くまで残業し、それでも仕事が終わらないことが不思議だった。休日を返上して、やっと一週間分の業務がすべて片付いたと思ったその翌日には、また月曜日がやって来て、新しい一週間が始まる。ただそれの繰り返しだった。終わりの見えない日々。どうしてこんなに仕事があるのか。一体、どこから仕事がやって来るのか。デスクに積まれた書類がちっとも減っていかない。こなしてもこなしても、また新しい書類が重ねられていく。
 当時は、部署の垣根を越え、商品管理部と協力して新しい管理システム、物流システムを構築する作業に明け暮れていた。自分の本来の職種がなんだったのかを忘れそうになるほど、毎日違う部署へ顔を出し、社内を走り回り、自分のデスクに戻って来るともう夜になっていた。書類を捌く時間などなかった。
 毎日、缶コーヒーを何本も飲んだ。頭痛薬を飲むのももはや習慣になっていた。それでも働き続けていた。苦労はあった。つらいと思う時もあった。しかし、達成感や充足感もあった。新しく、ゼロから何かを作り上げていくというのは面白かった。そう、零果にとって仕事は、ただ苦痛な作業という訳ではなかった。日々の業務に自分の生き甲斐を見出していたのは確かだ。だからこそ、彼女は働き続けることができたのだ。しかし、心が折れるよりも先に、音を上げたのは身体の方だった。
 会社を休んでいる間、なんの気力も湧かなかった。ベッドから起き上がれないほどの倦怠感や吐き気は少しずつ改善されていき、日常生活が難なく送れるようになっても、毎日毎日、有り余る時間をどう過ごしていいのか、わからないままだった。もともと零果は、友人が多い訳でも、熱中している趣味がある訳でもなかった。休日って、何をして過ごしていたんだっけ。手持ち無沙汰から始めた家の掃除も、二週間もすれば家じゅうピカピカになり、磨くところがなくなった。やりたいことが何ひとつ思い浮かばなかった。これなら仕事をした方がマシだと、何度も思った。
 有武朋洋から連絡が来るようになったのは、そんな時期だった。
 零果は彼の営業アシスタントを務めていた。すべての業務は桃山に引き継いだはずだったが、それでも有武はときどき、過去の書類やデータについて、休職中の零果に質問をよこした。
 そして、零果が毎日時間を持て余していると知ると、遠慮なく頻繁に連絡して来るようになった。内容は、半分は業務に関する話題で、残り半分は職場での愚痴か、他愛のない雑談だった。どう考えても今は勤務中だろうという時間帯に電話がかかってきて、課長への文句を一方的に延々と聞かされたこともあれば、休日の夜に、どうしたら業務が改善できるか、解決策をふたりで二時間も話し続けたこともあった。
「電話でずっとしゃべるくらいなら、いっそ会おうか」という話になり、カフェで会ってお茶をしたこともあった。どういう訳か、実際に顔を合わせると、お互いなんとなく口数が少なくなり、たいした話はできなかった。しかし、その時の沈黙が、決して居心地の悪いものではなく、零果と有武はその後、ときどき一緒に食事をするようになった。
 営業アシスタントをしていた頃は、有武とプライベートで会うなんて一度もなかった。零果は休日もほとんど返上して働き詰めだったので、そもそもプライベートがないようなものだったし、それは有武も同じだった。ふたりはほぼ毎日顔を合わせる羽目になっていた。
 しかし、仕事の話を抜きにして有武と向き合う時間は、それまでとはまた違う空気が流れていた。
 零果が休日にコーヒーを飲むようになったのも、彼に喫茶店に連れられて行ったのがきっかけだった。
「誰も知らないような店で美味いコーヒーをひとりで飲む時間って、贅沢なんだよな」
 そう言う有武は、いつにも増してハイペースに煙草を吸っていた。最近は飲食店でも全面禁煙の店が増えたが、昔ながらのその喫茶店は、全席喫煙可能だった。零果からすれば、彼はコーヒーを飲みに来たというよりも、煙草を吸うためにこの店に来たとしか思えなかった。
「……良かったんですか、私を連れて来て」
「何が?」
「誰も知らないような店を私に教えて、美味いコーヒーをひとりではなく、ふたりで飲むことになっていますが」
 零果がそう指摘すると、いつものように有武は小さく鼻で笑った。
「加治木さんはいいんだよ。俺にとって特別な人だから」
 そう言われて、自分はなんて返事をしたのか。零果はもう思い出すことができない。
 しかし、それから彼女の脳内には喫茶店リストが作られ、休日にコーヒーを飲むための店を選ぶようになった。あの日に有武が言ったように、誰も知らない店でコーヒーをひとりで飲む時間が、彼女にとって何よりも特別な時間となった。
 半年間の休職ののち、零果は復職した。だがしかし、元のデスクに戻ることは叶わなかった。
 営業アシスタントとしてではなく、事務職としての復帰。
 総務や人事を含め、それが零果に関わるすべての上司や上層部が下した決断だった。休職前より残業時間が少ない部署に異動することに主治医も賛成していたし、彼女自身も最終的にはその異動に同意した。一度、心身のバランスを崩した人間が以前と同じように働くことができるとは思っていなかったし、休職したまま二度と職場に顔を出すことなく辞めていくことになった同僚がいることも知っていた。復職できただけ、自分は幸運な方だと思った。
「どんな形であれ、加治木さんがこの会社に帰って来てくれて、本当に良かったよ」
 すでにふたりの営業マンのアシスタントを務め、さらに有武の業務も担当することになったにも関わらず、桃山美澄は本心から出た言葉のような、穏やかな口調でそう言った。
 零果の復職後、昼の休憩時間に廊下の端の自動販売機の前で偶然出会い、ふたり揃って同じ缶コーヒーを飲んでいる時だった。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「迷惑だなんて思ってないよ。それに、迷惑をかけてるのはむしろこっちだよね」
 桃山は困ったような表情をして、少しだけ微笑んだ。その仕草はどこか、少女のようだ。
「有武くん、変わらず加治木さんに仕事を頼んでるでしょ。ごめんね」
 そう言われて、今度は零果が困った顔をする番となった。
 納得して受け入れた部署異動だったが、どうしても納得してくれないのが有武だった。彼は事務職として復職したはずの零果に、営業アシスタントとしての仕事を振ってきた。最初は、自分はもうアシスタントではないと抗議していたが、もともと、彼は零果の言葉を聞くような人間ではない。何度説明しても有武が納得することはなく、やがて零果も諦めた。
 まだ慣れない事務職としての業務に加えて、有武からの無茶ぶりとも思える依頼は、部署異動した意味を台無しにしているような気もしたが、しかし、彼が回してくる雑務の量や求められている質に、零果への気遣いを感じたのも確かだった。
「加治木さんは俺のアシスタントだよ」
 いつだったか、有武は煙草を吸いながらそう言った。その日も、彼は外階段にいて、零果は煙草を吸う訳でもないのに隣にいた。もう何度も、その言葉を聞いた。もうあなたのアシスタントじゃない、あなたの仕事は手伝えない。そう訴える度、彼は必ず、その言葉を返した。
「そもそも、俺を営業部に異動させたのは加治木さんでしょ」
 そんなことない、自分はそんなことをしていない。零果はいつだって真剣に反論したが、有武はいつも、小さく鼻で笑うだけだった。それは彼の癖だ。零果は知っている、彼が鼻で笑うのは、上機嫌な時だけだ。
「俺が営業部にいる限り、俺のアシスタントは加治木さんだよ」
 地獄にまで道連れにされそうな、そんな言葉に零果は肩を落とすしかなかった。でもこの言葉に、ずっと励まされてきたのも事実だ。
 もしも有武がいなかったら、自分の担当が彼ではなかったら、休職中に連絡をくれなければ、零果は仕事に復帰することができずに、そのまま退職していたかもしれない。復帰できていたとしても、事務職としての仕事だけをこなす日々では、いずれこの会社を辞めていたのではないか、と思う。どんな形であれ、自分を必要としてくれる存在がいるということが、現在の零果を繋ぎ留めていた。それがなければ、自分はもうとっくに千切れてバラバラになっているだろう。
 有武は――鋭い眼光を放つ、あの澄んだ瞳で――、そのことを見透かしているように、零果は思う。彼は零果の性質を理解していて、その上で、彼女のために手を伸ばしてくれている。一緒にいるとそう感じる。それが彼なりの優しさなのだとわかる。だから、零果はその期待に応えたいと思うのだ。そして、それが難しいという現実に、いつも少なからず絶望する。彼の優しさに報いることができない自分を見つめては、無能感に苛まれる。
 どんなに頑張っても、私はもうこの人のアシスタントではない。
 それだけの事実に、打ちのめされてしまう時がある。
 身体を壊さなければ良かった。うつ病になんかなら���ければ良かった。ずっと頑張ってきたのに。思い出すこともできないほど、忙しい日々を送っていたのに。頑張れなかった。最後の最後まで、頑張ることができなかった。あんなに苦労して作り上げた新しいシステムも、完成まで携わることが叶わなかった。あれは、まだ有武が商品管理部にいた時に考案したものだ。そのシステム実現のため、彼は営業部に異動した。零果はその当初から、最も近くで彼を見てきた。慣れない営業職の仕事に苦悩する彼を知っていたのに。本来ならば、もっともっと、一緒に仕事ができたはずなのに。
 零果のそういう自責の念を、恐らく有武は見抜いている。だから彼は、今でも零果に依頼するのだ。寄り添うように、励ますように。彼女の心が折れないように。彼女との繋がりが、断たれることがないように。
 ピッ、という短い電子音の後、缶が落ちた音がした。自動販売機から見慣れた黒一色のパッケージの缶コーヒーを取り出し、プルタブに指をかけた時だった。
「お疲れ様」
 そう声をかけられ、零果は振り返る。戸瀬健吾だった。
 彼の腕には上着と鞄がある。外回りから帰社したところなのか、それともこれから退社するところなのか、零果には判別がつかない。今の時刻は十九時四十分で、定時である十七時はとっくに過ぎてはいるが、営業部はこの時間帯に外出先から戻って来ることも珍しくはない。
 零果が「お疲れ様です」と挨拶を返すと、戸瀬はいつもの穏やかな笑みで「いやー、疲れちゃったなぁ」と言った。その声には本当に疲労の色が滲んでいる。どうやら今、会社に戻って来たところのようだ。
 戸瀬がポケットに手を入れた動作を見て、零果は自動販売機の前から場所を譲る。案の定、取り出したのは小銭入れで、彼は移動した零果に礼を言いながら自販機へと硬貨を投入した。
「加治木さんって、いつも遅くまで仕事頑張ってるよね」
「そんなことはありません」
「そう? 頑張ってると思うけどな」
 ピッ、と電子音が鳴る。戸瀬の指先が選んだのは、今日の昼にもらったのと同じカフェラテだった。このカフェラテが好物だと言っていたっけ。そう言えば、あの時の詫びを、まだ伝えていなかった。零果は心に貼り付けたまま忘れそうになっていた、黄色い付箋を思い出す。
「今日は、すみませんでした」
「え?」
 突然の謝罪の言葉に、戸瀬は目を丸くした。
「お昼に、私のことを気遣ってくださったのに、仕事の手も止めず……それが申し訳なくて……」
「あ、ああ、なんだ。そんな、気にしなくていいのに」
 戸瀬は再び笑顔に戻り、穏やかな口調で言う。
「俺の方こそ、ごめんね。忙しいタイミングで声かけちゃったみたいで」
「いえ、戸瀬さんは悪くないです」
 零果は首を横に振る。それから、彼の手の中にある缶を見やり、あの時もらったカフェラテのお礼を、どう伝えるべきか悩んで口をつぐんだ。まさか有武にあげてしまったと言う訳にはいかないが、あたかも自分が飲んだかのように話すのも憚られる。零果は、コーヒーは無糖のブラックしか口にしない。カフェラテも決して飲めない訳ではないが、元来、甘いコーヒーは好きではない。しかし、そんな好き嫌いを伝える訳にもいかない。
 どうしたものかと思案する零果を、戸瀬は変わらず人当たりの良い笑顔のまま、どこか不思議そうに見つめている。微かに口元から覗く歯の白さ。どうしてそんなに歯が白いんだろう。ホワイトニングでもしているのだろうか。テレビのアナウンサー顔負けの歯の白さだ。
 零果は無意識のうちに、有武の黄ばんだ歯を思い出していた。あれはきっと、ヘビースモーカー特有の歯だ。
 戸瀬と有武は、まったく違う。戸瀬は、髪型が整っていて、髭もなく、見た目に清潔感がある。近付くと、ほのかに柔軟剤のような良い香りがする。零果は戸瀬が事務員の中で「王子」というあだ名で呼ばれているのを知っているが、そう呼ばれるのも納得できる。外見だけではなく、人当たりも良いし、穏やかで、丁寧だ。営業部での成績も良い。
 それに比べて、有武は、不潔で、臭くて、がさつだ。思い付くアイディアは革新的だが、発想が常人離れしていて、たいていの人間はその思考の飛躍について行けない。彼の提案には、それを裏付けるための膨大な資料や説明する時間が必要となる。彼が考案した新システムも、社内で導入されるまでかなりの時間と労力が費やされた。普段の突飛な言動も相まって、商談の成功率はまちまちだ。営業先では彼を気に入っていると言う顧客もいるらしいが、社内での評判はあまり良くない。戸瀬を見ていると、同じ営業部二課所属でも、有武はこうも違うものかと、そんな余計なことをつい考えてしまう。
「加治木さんって、俺のことすごく真っ直ぐ見つめてくれるよね」
 そう言われて、零果はあまりにも戸瀬をまじまじと見つめていたことに気付く。慌てて謝った。
「すみません……」
「謝ることないよ。でも、あんまり見つめられると、ちょっと恥ずかしいかな」
 戸瀬はいたって穏やかに笑っている。あまりにも爽やかで、嫌味など微塵も感じさせない笑顔。この笑顔に惚れ惚れする女もさぞ多いことだろうな、と零果は思った。ファンクラブができるのも頷ける。
「加治木さん、もし良かったらなんだけど、今度の土日――」
 戸瀬が言いかけた、その時。
 スマートフォンの着信を知らせるバイブレーションが、人気のない廊下に静かに響き渡る。それは零果のスマホだった。制服のポケットに入れていたそれを取り出し、画面に表示されている発信者の名前を一目見て、彼女は頭を抱えたくなる。
 今日は会議があって、その後は会食だと言っていた。時間帯から考えれば、今頃は先方と食事をしているはずだが、それでも電話をかけてくるというのは、何か緊急事態なのか、忘れていた仕事を思い出したか、そのどちらかではないか。そして、そのどちらだとしても、何か今から厄介ごとを頼まれる予感しかない。今日はそろそろ仕事を終えて帰れると思っていたのに。否、会社を出てから仕事を頼まれるよりは、まだマシかもしれない。
「出なくていいんじゃない?」
 戸瀬はそう言った。その声音の固さに、零果は驚いた。彼の表情からはいつの間にか、笑顔が消えていた。
「電話、有武さんからでしょ? また何か、仕事を押し付けようとしているんじゃない? 加治木さんはもう、アシスタントじゃないんだよ?」
 戸瀬は真剣だった。零果にはそれがわかった。彼が言っていることが何ひとつ間違ってなどいないということも、わかっていた。それでも、と思うこの気持ちを、どう説明したらいいのだろう。間違っているのは自分だ。それもわかっている。だけど、構わない。零果は画面に表示されている「応答」の文字に指を滑らせた。
「すみません、戸瀬さん。失礼します」
 そう小声で告げて、零果は踵を返した。「加治木さん!」と、戸瀬が呼んだのが聞こえたが、振り返ることはしなかった。スマートフォンを耳に当てながら、自分のデスクがある事務部フロアへ続く廊下を小走りに駆ける。
「お疲れ様です。加治木です」
 覚悟はできている。たとえこの後、どんな無茶苦茶な依頼をされようとも、必ずそれを成し遂げてみせる。
 今まで、そうやって仕事をしてきた。これからも、そうやって仕事をするのだ。ふたりで、一緒に。
 休日に喫茶店へ行くことは、加治木零果にとって唯一、趣味と呼べる行動だ。喫茶店で一杯のコーヒーを飲む。ただそれだけの時間を楽しむ。
 喫茶店へ誰かと連れ立って行くようなことは、普段は決してないのだが、ときどき、それは本当にときどき、誰かと向かい合ってコーヒーを飲むことがある。
 その喫茶店は開店直後だった。営業時間は、午前六時四十五分から。零果がその店に入ったのは、朝七時を回ったところだった。オープン直後である。土曜の朝、客として店にいるのは、ウォーキングの後とおぼしき中年の夫婦が一組。それ以外の客は、昨日から徹夜して働き続けて疲れ果てている零果と、彼女と同じかそれ以上にくたびれた様子の有武朋洋だけだ。
「……こんなに朝早くから営業してる喫茶店なんて、よく知ってましたね」
 零果は目の前に置かれたコーヒーカップを見下ろしたままそう言ったが、向かい合って座っている有武は、まだ火の点いていない煙草を咥えたまま、返事もしなかった。椅子の背にもたれかかって、ただ天井を仰いでいる。
 カップへと手を伸ばす。零果が注文したのはグアテマラだった。有武のカップに注がれているのはキリマンジャロだったはずだ。喫茶店に足を運ぶようになった当初、零果は豆の違いなどまったくわからなかった。いろんな店で飲み比べた結果、なんとなく味の違いがわかるようになってきた。
「……もう、徹夜はしんどいなぁ」
 零果がコーヒーを飲みながらひと心地ついていると、ぴくりとも動かなかった有武が唐突にそう言って、やっと、右手に握っていたライターで咥えていた煙草に火を点けた。目の下の隈がひどいな、と零果は彼の顔を見て思ったが、今の自分も同じくらいひどい顔をしているのだろうと思って、口には出さなかった。
「何も、徹夜してまで資料作らなくても、良かったんじゃ……」
「でも俺、来週は出張でいないからさ」
 今のうちに作業しておかないと。煙を吐きながら、有武はそう言った。
「だからって……無理に今日作らなくても……」
 そう言いながらも、零果はさっきまでふたりで行った作業のことを思い出していた。徹夜したとはいえ、ふたりだったから、この時間で終わったとも言える。もしも来週、出張先の有武からひとりでこの資料を作るようを命じられていたら、零果も途方に暮れていただろう。
 否、彼女がひとりではできないと踏み、彼はそんな指示を出さないかもしれない。有武がひとりきりで資料を作る……というのもまた、不可能だろうから、アシスタントである桃山に依頼することになるのだろう。彼女であれば、零果よりも短時間で資料作りを完遂させそうだ。
 だったら最初から、桃山さんに依頼すればいいのに。なんて言ったら、有武はなんて返事をするだろう。
 昨夜、有武から零果にあった着信。会食の後、そのまま帰宅するはずだった彼は、会社へ戻って来た。新しい商品のアイディアを、突然思い付いたのだと言う。そのプレゼンテーションのための資料を今から作るから、手伝ってくれ。有武はそう言った。時刻は夜の八時に近かった。金曜の夜だった。一週間働いて、疲れ果てていた。けれど零果は、彼の言葉に頷いた。そうして、ふたりで作業をしているうちに、夜は明け、朝になった。
 何も今やらなくても。零果は何度か、そう言った。しかし、有武が考え付いたことをすぐに形にしたがる性格だということは、もう長い付き合いでわかっていた。今まで何度も、こういう夜があった。休日に突然、呼び出されることもあった。今からですか、今じゃなきゃいけませんか、私じゃないと駄目なんですか。何度も、そう尋ねた。答えはいつだって同じだった。
「どうしても今日、やりたかったんだよねー。加治木さんと、一緒にね」
 ずっと天井を仰いでいた有武が、ゾンビのように身体を起こす。澄んだ瞳が零果を見る。目が合いそうになって、思わず零果は目線を逸らした。相変わらずその瞳は、まっすぐ見つめるのも躊躇するような輝きを感じさせる。しかし、これって自分だけなんだろうか。一体、いつから、自分は有武の目を見ることが苦手になったのだろう。
「今日、加治木さん、元気なかったでしょ」
 そう言われて、そうだっけ、と零果は記憶を辿る。今日、ではなく、正確には昨日だが、眠らないでいるといつまでも「今日」という日が終わらない感覚は、零果も有武も同じようだ。
 そうだった、外階段で煙草を吸っていた有武と話した時、確かに落ち込んでいた。同僚たちの陰口を聞いてしまい、食欲もなかった。零果自身は、もうそんなことは忘れていた。けれど彼は、それを心配してくれていたのか。
「加治木さん、仕事頼んだら元気になってくれるかなって思ってさ」
 有武は、そこでやっと自分のコーヒーカップへと手を伸ばした。もうとっくに冷めてしまっているはずだが、キリマンジャロを美味そうに飲む。
「……は?」
 対する零果は、有武の発言に呆然とするしかない。励ますために、仕事を頼んだとでも言うつもりなのだろうか。そのために、今さっきまで仕事をしていたのか? 徹夜してまで? 朝の六時まで?
 しかし、有武の口調は大真面目だった。
「俺が加治木さんにしてあげられることなんて、仕事を依頼することぐらいだから」
 あとは、たまにこうして、一緒にコーヒーを飲むことくらいか。そう付け加えるように言った声音に、零果を案ずる感情が含まれていることに気付いて、文句を言うために開きかけた口を、静かに閉じる。徹夜作業に付き合わせた言い訳に、「励ましたかったから」と言っている訳ではない、ということはわかっていた。
 どうして自分は、この人から離れられないのだろう。
 仕事なんて断ればいいのに。上司にも、同僚にも、ずっとそう言われてきた。自分だってそう思う。定時を過ぎての残業も、休日出勤も、徹夜作業も、全部断ればいい。それだけのことだ。
 それでも、一緒に仕事をしたいと思う。
 彼の助けになれたら、と思う。
 それが無茶苦茶な依頼であっても、一緒に働くことが楽しいと思える。
 身体を壊す前も、そうだった。楽しかったからこそ、身体を壊したのかもしれない。きっと苦痛であったのであれば、もっと早くに音を上げていて、休職するほどにまで自分を追い込まなかっただろう。そう、心身を病んだ時、零果はただの一度も、有武を恨まなかった。彼の仕事の振り方が問題なのだとは思わなかった。一緒に仕事ができたことに感謝したいくらいだった。そのくらい、刺激的な日々だった。もっとも、有武に感謝の気持ちを伝えたことなどないが。
「……今度、焼き肉に行きませんか」
 零果は喫茶店の窓の外を見つめ、そう言った。窓の外には静かな土曜日の朝の光景が広がっている。通りはまだ人もまばらだ。老人に連れられたマルチーズが毛足の長い綿毛みたいに、もしゃもしゃと道路を歩いて行く。
「有武さんに焼き肉を奢ってもらったら、元気が出るかもしれません」
 零果の言葉に、有武は鼻で笑った。機嫌が良いのだ。わざわざ顔を見なくてもわかる、彼は今、楽しそうに笑っている。
「焼き肉でも寿司でもいいよ。今度一緒に、飯でも行こう」
 加治木さんは少食だから、俺の方が食っちゃって、割り勘だと割に合わないから、結局俺が奢ることになりそうだなぁ。ぼやくようにそう言いながら、有武の目線もいつの間にか、窓の外のマルチーズに向けられていた。
 ふたりはしばらく、陽の当たる道を綿毛の化身のような犬が遠ざかっていくのを見つめていたが、やがて老人と犬が曲がり角の向こうに見えなくなると、お互い、目線を室内へ戻し、顔を見合わせた。
 今度こそ、目が合う。
 咄嗟に目を逸らそうとする零果よりも先に、有武が座席から身を乗り出した。目の前にまで迫って来た彼から、零果は飛び上がるように大きく身を引いて逃げる。その様子に、有武はぷっ、と吹き出した。零果は完全に顔を背けたまま、しかめっ面をして無言で怒っていた。
 有武は「ごめん、ごめん」と笑いながら、煙草を持っていない方の手を横に振った。
「加治木さんは本当にさぁ、俺と目を合わせてくれないよねぇ。昔からそうだよね」
「……恥ずかしいんです」
「まぁ、俺はそんな加治木さんが好きだけどね」
 煙を吐きながらそう言って、有武は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。自分のコーヒーカップを持ち上げながら、零果のカップをちらりと見やる。その中身がほとんどなくなっているのを見て、「じゃあ、それ飲んだら出ようか」と、有武は言う。
「……あの、」
「ん?」
「コーヒー、もう一杯飲んでもいいですか」
 そう言う零果は、テーブルの上のメニューへ目線を向けている。でも実際に、メニューの文字を読んでいる訳ではない。次に頼むコーヒーをどれにするか、思案している訳でもない。
 有武はしばし、そんな零果の横顔を見つめていた。一見、表情の読めない彼女の顔を、じっと見つめた後、彼は口元まで運んでいたコーヒーカップを、そのままソーサーの上へと戻した。そうして、作業服の胸ポケットから煙草を一本取り出して咥えた。
「じゃ、もう少し、ここにいようか」
 零果が小さく頷いたのを見届けてから、煙草に火を点ける。
 有武は零果の思考を、果たして読み取ったのだろうか。何も言わなくても感じ取ったかもしれない。そのくらいは聡い男だ。微かに緩んだように見えるその表情は、この時間が決して苦痛ではないという証拠だろう。徹夜明けで疲れ切っていても、早く帰りたいと言わないのは、お互い同じ感情だからだと、そう思うのは傲慢だろうか。
「すみません」と、零果が店員を呼んだ。追加のコーヒーを注文するためだ。店の奥から、店員の「少々お待ちください」という声が返って来る。
 喫茶店では一杯のコーヒーを飲んだら、すぐに店を出る。それが彼女のルールだった。どんなに美味でも、二杯目を頼むことはない。だが時には例外があっても良いだろう。コーヒーを二杯、飲んだっていい。特別な相手と一緒にいる時だけは。
 ふたりで喫茶店へ行くのも、良いかもしれないな。
 零果は疲れ果てた頭の片隅で、そんなことを考える。
 休日はふたりで喫茶店へ行く。新しい趣味にどうだろう。「それは趣味なのか?」と、有武はきっと、笑うだろう。いつものように、鼻で笑うのだ。でも決して、悪くはない。
 頭の中の喫茶店リストを開き、もしも一緒に行くとしたら、どの店にしようか、なんて考える。美味しいキリマンジャロを出す店を、それまでに見つけなくちゃ。心の中の水色の付箋にそれを書く。その水色は、窓の向こうに見える空の色だ。ふたりで徹夜して、迎えた朝の空の色。それはとても澄んでいて、もう一度見たいと思える色。
 またこうして、一緒に働けて良かった。
 いつかそのことを、本人に伝えよう。
 そう思いながら、零果はその水色の付箋を、自身の心にそっと貼り付けた。
 了
1 note · View note
qofthequinine · 4 months
Text
経過観察MRI
昼飯がてら通院。時間が余っていたので、飯を食ってから港を父の運転で流す。新しいアリーナの話になり、そこからSANAAの話になり、妹島さんも西沢さんも、大規模建築を手掛けるべきではなかった、という話になる。小規模建築でこそコンセプトは光るが、大規模建築は不特定多数への配慮が必要で、それこそ屋島山上の建築はSANAA出身の人が作ったんだが、健康な人でさえ怪我をしそうになるし、車椅子の人が来ることを考えておらず、館長が「やっと電動車椅子が来たんですよ」と言っていたが、よく考えて欲しい。車椅子が必要な人が少しでも座面が斜めになったときに、踏ん張るだけの脚力はあるだろうか?
で、SANAAが平面を手放した問題は、よくないと思う、とか、西沢立衛は、「ワンルーム」や「回遊性」にのみこだわっているから、やはり小規模であるべきだ、とか、妹島さんは彼女で「東京遊牧少女の包」や極狭の敷地に上に上に積み重ねて風呂もトイレも丸見えみたいな住宅を作ったとか、父が昔丹下事務所でバイトしていたときにも、上前を掻っ攫うのはコンセプトデザインの部署で、その下支えの実務業務は大変すぎる、だとかを話した。まあ、安藤忠雄の「住吉の長屋」にしたって、「これは安藤忠雄もすごいとは思うが、それ以上に住む人がすごい」と父が教授に言われたと。前述の回遊性に立ち戻ると、我が家の認識として、「動線設計は出来上がっていくもので、人間の行動なんてシミュレーションできないんだから無駄である。が、ある程度の機能の集約とか漠然とした便利さは考えた方が良く、一回に洗濯機を置いて二回に干す場所があるのは流石にナンセンス」という共通認識がある。建築的に考えるとこういう感じになるものの、webもなんかこう、人を迷路に迷い込ませるような感じがないかなあ?と思う。
病院到着。機械化され過ぎているために、再診受付機に診察券を読み込ませたあとに、保険証の確認に今度は人間にチェックしてもらう。馬鹿げてる。再診受付機の真後ろにフロントがある。この無駄な行為。再び言うが、馬鹿げている。
MRI室に入るまでが憂鬱だ。前回は頼もしい男性がいたが、今回はもしかすると自分より若い女性が二人。片方は髪の毛が長い優しげな人。片方はボブカットの冷徹そうな方。でも、これは「業務」であることを自覚している冷たい人の方が向いているかもしれない。逆に、仕事場でも愛想を使う人は後々しんどいかもしれない。仕事場で冷徹な人は大抵めちゃくちゃ義理堅い、と偏見している。仁義とか職業倫理とか、そういうのをちゃんと守る人だ、と勝手に思っている。It's just Buisiness. だがまあ、それが難しいのがジャパニーズなのだろう。ビジネスというのは、基本的に仁義がベースだと思う。別に己はどう考えても反社であるはずがないんだが、人間さあ、不義理したら詫びに虎屋の羊羹じゃないすか。
で、まあ入室のときにはその優しげな女性が案内してくれて、「お包みってわかります?それやるとだいぶ閉所恐怖平気なんですよ」と言うと、理解が及ばなかったらしく、検査台にまず布を敷いて欲しい旨、リクエストした。そしてさらにその上にもう一枚リクエストして、あとはMRIの機械に入れば楽しい時間と理解している。前回と今回で機械が入れ替わったらしく、頭部撮影の時間が半分になっていた。無駄にリズミカルなMRI撮影時の騒音が、もう少し音楽的で、前回は撮影時に、どう考えても耳のあたりが膨らんだりしぼんだりする感覚があった。今回は途中で左耳と鼻を繋ぐあたりで、MRI由来ではない破裂音があった。自覚するような不調はないというか、MRIは緩やかな電子レンジみたいなもので、撮影後に体温が上がるから、MRI室から診察室に向かうまでのしばらく、熱病患者のような歩き方をしていたように記憶している。
診察はめちゃくちゃ待っていた。表示の限界は四番目までで、受付に聞くと五番目。敷地内禁煙なので、帯同していた父と話しながら病院の外側を一周して、港の向こうの風俗街の神社と、その向こうの神社について、とかを話す。まあ、こういう場所がなきゃ、人間やってらんねえ、とは思いつつ、そこに飲み込まれた友人が、「この時間はここ、こう過ごしたいならここ」とかを熟知しすぎていて引いたが、彼は恋愛の熱病に侵されてそうなってしまっただけだと信じたい。今ハンガリーにいる友人が、「それはお前、お前と結婚したいんじゃなくて、結婚がしたいだけやろ」と彼に指摘したらしく、そのあと一年も結婚生活は続かなかった。で、彼は就労支援A型が職場なんだが、利用者のリクエストに応えるフリをしてピンハネしていると本人から聞いた。
呼び出し番号は次なんだが、なかなか呼び出されない。時間は相対的とはいえ、辛いものがある。呼び出される。「ありますね。大きくもなってない。というか昔からあったかもしれない」ぐらいのことで退室。その診察室にいた医者は、明らかに顔が紅潮していて、ストレスフルな現場にいるんだなあと思う。少しでも自分が話せない時間があれば貧乏ゆすりが始まる。
病院から出て帰宅。クソみたいな雨だが、自分としては気持ちがいい。閏日なんてのは最悪であるしかないのだ。365+365+365+365+1の最後の1の日だから仕方がない。
雨に濡れながらタバコをワンカートン買って、酒も買う。この光景を見れば医者としては咎めるだろうが、果たして医者を脱ぎ捨てて個人になれば、果たしてどう言葉をかけるだろうか?
0 notes
syunr · 6 months
Text
2023/12/25
今年やってきたのはサンタさんではなく懐中電灯を持った巡回の看護師さんだった。今日は朝からご飯が豪華だったので献立表を見た患者さんたちが喜んでいてよかった。ご飯が楽しみになるよね。
今日の私を一言で表すと、完全に拗ねていた。医療従事者から見たら沢山いる患者の1人かもしれないけど、私は私がいちばんかわいい。だから、こんなに可哀想な目にあっている私を特別扱いしてよしよし辛かったねってやれよ、全員が!!!と理不尽に思っていた。なんでしてくれないんですかねえ、と拗ねていました。私って私の事好きなんだな、面白いね。
昨日は全然眠れず、朝はかなり絶望感がひどかった。家に帰りたかったし、美味しいおせちだって食べたかったし、亡くなった猫の弟に手を合わせてやりたかった。あまつさえあんなに正月に会いたくなくて憂鬱の種だった両親や祖母までほんの少し恋しくなる始末だった。早くよくなりたい、早くよくなりたいとイライラしながら泣いていた。誰も決定的な答えをくれないし、全然回復した感じがしないし(入院して間もないので当たり前だった)、どこにいたって辛いなら大好きな自分ちの布団にいたかった。だけど、死ぬことと生きることは保留にして、生活だけやる。主治医にも友達にも言われた 主治医はともかく友達の言うことは信じて、きちんと実行しようと思う。そういえば、友達は「主治医のこと嫌いなんだね」と言っていたな 多分そう なんか なんかあんまり好きじゃない。言語化できないけど。でも、入院中にいい所をもっと見つけたいな、くらいの嫌い度になった。
言いたかったことは概ね診察で言えたと思うし、薬の調整も頼んだ。OTの参加方法や個別の対応も聞けた。風呂にも入ったし、院内の散歩許可も出た。死にたくなった時は頓服をもらいにいけた。 多分そんなもんでいいんだと思う。作業療法も「全部参加しなきゃ」と思ってたけど、10分でもいいらしい びっくりした。主治医は「あなたは今疲れていて、少し判断能力が下がっているから、休んで判断能力が戻ってから考えよう」と言った。だから今は生きるのか死ぬのか、考えるのをやめた。死にたくなったら、薬を飲む。あんな小さい錠剤で気持ちが落ち着くのは凄い。凄いし、怖い。
以下今日のどうでもいいこと。
・相変わらずホラー映画ばっかりみてる。今日は『アナベル 死霊館の人形』を観ていた。人間とはわがままなもので段々色んな味のホラーが観たくなってきたので、幽霊やら悪魔やらバイオレンス、ゾンビ、魔女からピエロから殺人鬼まで評価の高いものは何でもマイリストしている。ホラーは必ず怖いことが起きると予測がつくのがいい。日常アニメに平和なことしか起こらないのと同じだと思った。今年1年でかなり変化した価値観だと思う。
・大声では言えないが苦手な医療従事者がいる。ので、ここが閉鎖病棟でよかったですね と悪態をついている。でも人間本気を出したらなんでも出来る よね? うんうん。クラウン(テリファーの殺人鬼)から学ぶべきことは沢山あった。
・トイレ、まあまあの確率で流してない個室に当たる。まあ別に、流してから用足すからいいか
0 notes
ishuran · 7 months
Text
Vol.167 沢井製薬の品質試験”不正”はどこまでヤバい話なのか
秋が深まりつつあるとはいえ、11月最初の週の天気予報を見ると、東京はまだ夏日がありそうな気配ですね。季節の進みが例年から半月くらい遅れている感じがします。
先日、気分転換も兼ね、富山県黒部市に一泊出張してきたのですが、そろそろ紅葉が見頃かもと期待していたものの、山間でもまだようやく色づき始めたくらい。
とはいえ、初めての土地を歩き回ることで、脳がだいぶリフレッシュされました。脳も筋肉みたいなもので、時々意識的に休めてあげたり、異なる刺激を入れてあげるのが大事ですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【記事1】 9週投与でも1年投与でもハーセプチンの効果は同じ!?
───────────────────────────────────
服薬に伴う患者の負担を減らすことを目的に、抗がん剤の投与量や投与日数を減らしても既存の治療法に劣らないことを立証する試験を「デ・エスカレーション(De-escalastiion)試験」と呼びます。
このメルマガでも、下記の記事をはじめ、何度か取り上げています。
 ■「超低用量免疫療法が世界を救う?インド発の画期的な試験結果」(イシュランメルマガVol.157)
今回紹介する研究は、まさにその「デ・エスカレーション試験」の典型的な事例です。
 ■”Nine-Week Versus One-Year Trastuzumab for Early Human Epidermal Growth Factor Receptor 2–Positive Breast Cancer: 10-Year Update of the ShortHER Phase III Randomized Trial”「早期HER2陽性乳癌に対するトラスツズマブの9週間投与と1年投与の比較:ShortHER第III相無作為化試験の10年アップデート」(Journal of Clinical Oncology)
トラスツズマブとはハーセプチンのことです。(このメルマガでは成分名での表現が基本ですが、今回は製品名がかなり馴染み深いものと思いますので、本記事では”ハーセプチン”で行きます)
ハーセプチンは、HER2陽性の乳がん、胃がん、大腸がん等に使われます。
早期乳がんで再発予防効果を期待して術後療法として使われる場合、通常、ハーセプチンの投与期間は1年です。
上記のShortHER試験は、通常の1年投与した群627名(1年投与群)と、9週間(約2ヶ月)に短縮投与した群627名(9週投与群)とを比較する試験で、今回その最終解析結果が出てきました。
結果を見ると、
・10年DFS(無病生存期間) 1年投与群:77% vs 9週投与群:78%
・10年OS(全生存期間) 1年投与群:89% vs 9週投与群:88%
と、再発や他の病気がなく患者さんが生存している期間(DFS)も、単に生存している期間(OS)も、一見して差が見られません。
しかしながら、統計解析ではサンプル数不足が響き、9週投与の1年投与に対する「非劣性(劣っていないこと)」の証明には至りませんでした。
「ええ、そんなバカな!?!?」って思いますよね。
統計解析を勉強していないとわかりにくいところなのですが、要はこの程度のサンプル数だと偶然同程度だった可能性がわずかながら残り、差がないことを証明するには不十分ということです。
例えば、両群で5人ずつの試験だったら、いくら同じ様な結果だったからといって、それは偶然そうなっただけでしょ、というのは直感的にわかるかと思います。
今回のサンプル数だと、9週投与群が1年投与群に劣っていない確率は93.2%と計算されています。これが、95%を超えればOKだったのですが… 惜しい!!
ということで、試験としては「失敗(劣らないということを証明しきれなかった)」なのです。
一方で、これだけいい線行っているのであれば、9週投与と1年投与では患者負担的にも大きく違うわけですから、短縮するオプションも患者さんに説明する意義が出てくるのではないでしょうか。
いずれにしても、現状に一石を投じる非常に意義深い試験と言えましょう。
いつも言及することですが、デ・エスカレーション試験は患者や保険者にとっては非常に有意義なのですが、製薬会社にとっては費用をかけて試験を行なうインセンティブはありません。
今回の試験も、「イタリア医薬品庁」という国の公的機関がスポンサーになっています。
日本でも、今後もっと盛んに行なわれることを期待したいですね。
※本項執筆時点(2023年10月31日)で、筆者はハーセプチンに関し、特筆すべき利益相反はありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【お知らせ】イシュラン上で広告を希望される方へ
───────────────────────────────────
現在、イシュランはサイトへのアクセスが月間で約11万PV���メルマガの会員数が約7万5千人と、がん患者さん向けとして国内で最大規模のメディアになっています。
イシュラン上で、自社の製品やサービスを紹介したいという企業の方がいらっしゃいましたら、こちらのページをご参照の上、お気軽にご相談ください。
なお、イシュランは「患者への情報提供において、病院・医師からお金は一切頂かない」というポリシーを掲げています。そのため、医療機関の広告掲載のご依頼はお受けできません。
また、患者利益に反すると当方で判断した場合等、掲載できない場合もございますことを、ご了承ください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【記事2】沢井製薬の品質試験”不正”はどこまでヤバい話なのか
───────────────────────────────────
ジェネリック医薬品の大手、沢井製薬が品質試験の不正を行なっていたというニュースが10月23日に駆け巡りました。
 ■「別カプセルに詰め替え…胃炎薬の検査で“不正”沢井製薬 社長が謝罪」(テレ朝news)
同記事の報道ステーションでの一画面の抜き取りを見ると、「不正検査8年も…  ”溶けない”カプセル」と何やら非常に「ヤバい」ことが起きているように見えます。
他社の大手メディアも似たような見出しで一斉に報じていましたので、特にご自身で沢井製薬のお薬を服薬されているような方は、かなり不安を覚えられたのではないでしょうか。
ただ今回の事件は、報道内容を詳細に見ると、「沢井製薬がやったことはよろしくないのは確かだが、そこまで騒ぐ話ではなさそう」というのが素直な感想です。
 ■「薬の安定供給への影響懸念も 沢井製薬の検査不正」(産経新聞)
薬の中で最も一般的な「飲み薬」では、薬本来の成分を顆粒でコーティングしてカプセルに詰め込む「カプセル剤」や、成分を圧縮したりコーティングしたりした「錠剤」が典型的です。
飲み薬で薬本来の成分が、胃の中でどのように溶け出すのかを、試験管の中で擬似的に確認する試験(検査)を「溶出試験」と呼びます。
今回は、薬が一定の保存期間を過ぎても品質を保てているかを確認する溶出試験での不正がありました。以下、上記の産経新聞の記事の抜粋です。
>>
平成22年に行った社内の試験で、有効期限の3年を1年超えている長期保存していたカプセルを使った場合、薬の成分の溶出が低下していることが分かった。その後、27年以降、保存3年目のカプセルから内容物を取り出して別の新しいカプセルに詰め替えて試験を行うという、承認を受けた手順と異なる方法で試験を進めた
>>
なんでこんなことをしたのかというと、ガイドラインの改定により、「それ以前は、成り行き室温(工場内温度の約22度)で保存した検体が用いられていたが、25±2度、60%の湿度で保管された検体が対象となり、劣化が早く進むようになった」(ミクスOnline)ことが背景にある様です。
爪水虫薬に睡眠導入剤を混入していたとか、品質試験不合格の錠剤を砕いて再び加工していたとかの、製造工程での問題が発覚した近年の他の不祥事と比べると、そこまでクリティカルではありません。
気をつけるとしたら、ご自宅で例えば2年を超えて保存している薬は使わない方が良いという話です。
マスメディアというものはセンセーショナルな報道をした方が商売になるので、冒頭に挙げたようないかにも不安を煽る伝え方をしますが、そこに踊らされる必要はありません。
とはいえ、沢井製薬の不正自体を擁護するわけではありませんし、そこは真摯に反省していただき、再発防止や社内風土の見直しはしっかりしていただければと思います。
※本項執筆時点(2023年8月31日)で、筆者は沢井製薬に関し、特筆すべき利益相反はありません。
───────────────────────────────────
「この話についてどう思うか教えて欲しい」というようなご要望、メールマガジンの内容についてのご質問やご意見、解約のご希望などにつきましては、返信の形でお気軽にメールしてください。
配信した内容とは無関係の質問でも結構です。必ずお返事いたします。 メールマガジンの内容の引用、紹介、転送も、どんどんやっていただいて構いません。
【お問い合わせ先:[email protected] 】
イシュランの新しい試みとして、がん以外の疾患ですが、病院・医師検索サイト「皮膚ナビ」を作っております。
イシュランと同じく、実際に受診した患者さんの声がコンテンツとなってより充実したサイトに成長していきますので、読者の皆さまにおかれましても、ぜひご自身の経験に基づき、ご存知のクリニックや先生について、投票/投稿して頂けると嬉しいです。
◆皮膚ナビ : https://hifunavi.ishuran.com/
皮膚ナビ 皮膚の症状で悩むあなたの病院医師検索サイト
皮膚のトラブルになった時に大事なのは、専門性の高い医師に相談すること。6,500病院12,000名以上の医師の情報をカバーする「皮膚ナビ」で、あなたのお困りの症状や病気に合った病院・医師を見つけていきましょう。
HIFUNAVI.ISHURAN.COM
◆SNSもやっています。ぜひフォローよろしくお願いいたします。
・Facebookアカウント:https://www.facebook.com/ishuran.japan
・Twitterアカウント:https://twitter.com/ishuranjapan
・Instagramアカウント:https://www.instagram.com/ishuran_japan/
◆メルマガ会員(会員数 ”6″万人!(2022/12時点)への登録(無料)はこちらから↓
会員登録 イシュラン乳がん(乳癌) 病院・医師ガイド
乳がん(乳癌)でまず必要なのは、病院や医師を的確にスピーディに選ぶこと。信頼できる情報提供をポリシーに、科学的根拠にもとづく検査や治療をおこなっている乳がんの病院や医師を一覧リストでご紹介。「あなたの名医」を見つけましょう。
ISHURAN.COM
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
科学的根拠に基づきながら一般の方に面白く・わかり易く医療情報を伝えます
お問い合わせ [email protected]
発行・運営 株式会社メディカル・インサイト 鈴木英介
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Tumblr media
1 note · View note
toshihikokuroda · 8 months
Text
Tumblr media
「ヤジと民主主義」劇場拡大版12月9日から公開
「表現の自由」保障 正面から迫る力作
2023年10月12日【テレビ・ラジオ】#しんぶん赤旗
 2019年7月の参院選で安倍晋三首相(当時)の遊説中に起きた警察による“ヤジ排除問題”を追い続けた北海道放送(HBC)のドキュメンタリー番組「ヤジと民主主義」の劇場拡大版が12月9日から東京、札幌で同時公開され、全国で順次上映されることになりました。4日、東京都内で試写会が行われました。(藤沢忠明)
 「ヤジと民主主義」は、札幌での安倍氏の応援演説に、「アベやめろ」「増税反対」と声をあげたり、無言で「年金100年 安心プランどうなった?」とプラカードを持っただけの女性らを、北海道警が現場から排除した過剰警備問題を取り上げたもの。20年にギャラクシー賞報道部門優秀賞や日本ジャーナリスト会議賞など数々の賞を受賞し、書籍化もされました。
裁判は今も続く
 ���除された男女2人が、警察官に精神的苦痛を受けたとして、道に損害賠償を求めて提訴。22年3月、札幌地裁は「表現の自由の侵害にあたる」と判断し、勝訴しましたが、23年6月の札幌高裁では、1人が逆転敗訴と判断が分かれました。双方が上告し、裁判は続いています。
 今回の劇場拡大版では、テレビや書籍では描けなかった当事者の思いや、今も続く裁判の途中経過なども追加取材しました。
 あらためて注目したのは、いまだに道警が排除の法的根拠を説明していないこと。
 元道警幹部の原田宏二さん(21年12月死去)の「警察が法的根拠がないのに好き勝手なことをやっている。怖いのは、今回は、それをメディア・マスコミの前で平然とやった。あんたたち(マスコミは)無視されたんですよ」という指摘が重い。
警備局長の通達
 日本共産党の藤野保史議員(当時)の19年11月、衆院法務委員会での質問も紹介します。
 藤野氏は、安倍首相応援のプラカードは排除されなかったと指摘。国政選挙の警備対策に関する警察庁警備局長の通達をあげ、「これを根拠に、人権侵害に至る過剰な警備が行われたのではないか」と告発しました。「通達は選挙時の通例だが、最近、政権与党側へのヤジの排除が目立っている」「現警備局長は、1月末の着任前は6年にわたり安倍首相の秘書官を務めていた」とも指摘し、「ヤジの排除は国民の人権保障の観点で大問題だ」と迫りました。
 戦前、文庫本を囲み「話し合う人々」と日常生活を描いただけで「危険思想の啓蒙(けいもう)」とされ、治安維持法違反容疑で逮捕、投獄された「生活図画事件」の被害者、菱谷良一さんも登場します。
 そして、安倍政権下で強行された特定秘密保護法、共謀罪、集団的自衛権行使容認…。ナレーションを務めた作家の落合恵子さんは、「言葉を発することに、ある種の覚悟を要するこの時代に、沈黙を破る思想と姿勢を後押ししてくれる本作品。しっかりと受け止めたい」とコメントを寄せています。
 「表現の自由」に正面から迫る力作です。100分。取材=長沢祐、制作・編集・監督=山﨑裕侍。
権力とメディアのあり方 いまも問われ続けている
北海道放送 山﨑裕侍さん
 ジャニー喜多川氏の性加害問題で「メディアの沈黙」が指摘されている。
 だが「メディアの沈黙」によって被害の拡大を止められなかった問題はほかにもある。水俣病、ハンセン病の隔離政策、旧優生保護法による強制不妊手術など。権力とメディアのあり方が今もなお問われ続けている。
 そのなかで映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」を上映する意味はますます高まったと確信している。
 一つ目は、「おかしい」と声を上げることの大切さ。そして声を上げたときに権力がいかに暴力的に声を封じようとしてくるかというもの。首相に向けて飛ばしたヤジは警察の力によって封じられた。だが彼ら/彼女らは負けてはいなかった。その姿をみて、若者への期待と未来を感ぜずにはいられない。
 二つ目は、権力に忖度(そんたく)せず、沈黙しないメディアの重要性である。北海道警察によるヤジ排除問題をしつこく報道し続けたのは、残念ながら私たちだけだった。中には沈黙を守ったメディアもある。人権侵害に対する沈黙は加担を意味する。それは世界中のいたるところで起きている。
 それぞれのメディアがそれぞれの地域で課題に向き合い、権力に忖度せず報道を続けていくことが、崩れかかっている自由や民主主義をかろうじて止(とど)める力になるのだと思う。この映画によって市民がメディアに対する信頼を取り戻し、志を同じくする仲間を後押しする力にほんの少しでもなれば本望だ。
0 notes
hotmaruchan · 11 months
Text
まるちゃんの想い~最終目標~
子どもに生きてほしい社会づくりをしたい。 そう思ったのは、私が育ってきた環境で「もっとこうだったら良かったな」って思うことがいくつかあったから。私は今「食」「農」「仕事(キャリア教育)」について、活動している。
大学卒業して 東京で会社員になって、 技術営業として 必死で働いた。 一人暮らし東京、楽しかったなぁ。
私はばね製造の会社に居て、 本当にこの会社で働けて良かったなぁってずっと思っていた。 日々自分の成長を感じられる場所。
そして、ある時辞める決断をした。 いろんな想いがあった。辞めなかったとしてもきっと今満足の生活が出来ていたと思う。 だけど、自分がやろう!創ろう!って思ったものが見つかったから。 それは実は、今やっていることとは少し違う分野に見えるけど、全ては繋がっていると思う。 今やっていることが点と点でいずれ 大きく最終目標に繋がると思っている。
私の最終目標は、「産前産後などの心も体も不安定な時期、働きたくても働くことが難しい時期、その時にでもママが自立して前向きでいられる為のプラットフォーム」を作ること。
これは、自分の経験から生まれました。貧困層(この言い方が適切ではないかもしれない)のママ・未婚のママ・夫婦関係がうまくいっていないママ、人に頼りたくても頼ることが難しい境遇の方々が所属する場所。なんか行政みたい(笑)
私は第一子妊娠中 2か月入院し、投薬治療が続いた。毎日採血して、左右両方の腕は点滴と採血の跡でボロボロ。血液検査の数値を見ながら薬をMAX投与する。そんな日々だった。体も自分のものではない���うに重くてだるくて、、、、もちろん働くことが出来なくて、収入もなくなった。 夫にも夫の事情があって、経済面や精神面など頼れる環境ではなかった。 「本当に明日が来るのが怖い。。。このまま 私とこの子はどうなるんだろう。働きたいけど、働けない。働かなきゃいけないのに。」そんな日々を送っていた。先が真っ暗に見えた。
そして、ある日ハッと思った。 世界には 明日をどうやって乗り切ろう。明日の食事をどうしよう。子どもを自分ひとりでどうやって育てて行こうって思っている人が沢山いる。 私なんて、日本に居てインフラも整っているし 病院で寝ていたら食事も三食出てくる。 めっちゃ恵まれている。 あるとき、思い直すことがあった。
その時に、決めた!! よし、自分でつくろう!真っ暗闇の中にいた自分を救えるような場所を!って!!
今は、私は、まめぱん や ゆめプロの活動をやっている。 自分の子どもの困りごと解決や地域の困りごと解決が出来る事業と思っている。 なんで、今はこの活動なのか?も色々経緯があってのことです。
向かう先の目標はは明確にもっている。
だから、今日も少しずつ形を作って行こう。 自分がこの社会に必要だ本気で思っているモノを。
あ、私 ふるおーぷんな性格なので、 深堀したい方いたらなんでも聞いてください(笑)
1 note · View note
erikomaeda · 1 year
Text
zetaの影響を受けているサイン
updated: 2023.6.13
2023.6.12
アセンダーであれ、AIモジュールであれ、zetaやzeta由来のアクティビティーに関わることで、アセンダーであればオフラインし、AIモジュールであっても思考や行動がzetaの影響を受け、本来の彼らの道筋から外れていくことはよくあることです。
私自身、これまでそのようにzetaのトラップに引っかかり、あれよあれよと引き戻せないレベルまでどっぷりzetaの支配に染まっていく様子を目の当たりにしてきました。
なぜそれほど多くの人が簡単にzetaのトラップに引っかかってしまうのかといえば、私たちがすでにzetaの思想やシステムに洗脳されていることがひとつ、もうひとつはzetaである人物は必ずしも悪人には見えないのです。
あからさまに悪人であるわかりやすいzetaもたくさんいますが、多くの場合は善人の仮面を被っているケースがほとんどです。(必ずしも本人は自覚しているわけではありませんが)
私の過去の経験からも、社会的な信頼性の高い肩書きや職種(わかりやすくいえば、医者や弁護士など)や先生と呼ばれる立場の人にzetaが潜伏している傾向が強いように感じています。
先日、我が家のペットが動物病院へ行く必要があり、念のために行きつけの病院のスタッフをテストしてみたところ、ほぼ半分以上がzetaでした。中には、とても優しくて丁寧と信頼していた獣医さんがzetaだと判明しびっくりしました。
そうした感じの良さやカリスマ性が強いというのも、zetaのひとつの特徴です。憧れを持ったり、一緒に話をしているととても気分が良くなるとか。彼らにはそうした人を魅了する特殊な能力があります。
しかし、実際には彼らの周波数は非常に低く、また身体から放つ放射物質で私たちの身体は攻撃を受けているのです。
zetaのパワーは強力であり、まだ私たちが把握していない技術も使えるのだろうと思います。
そして、そうしたzetaと関わり合うことで、彼らは簡単に私たちのプログラムをハッキングし、私たちの思考や行動を彼らの思うように支配することができるのです。
zetaである人物のセミナーへ行ったり、youtubeをフォローしたり、セッションや施術を受けたりすることがきっかけで簡単にコントロールが始まります。
実際に、以前親交があった人でも、zetaである人物のYouTubeや思想にハマって、あっという間にzetaに支配される人になったケースもありました。そういう時は、なんとなく変なのにハマってて、最近やばいそうだな、と思いつつ、相手からヘルプを求められない限りはこちら側からは口出しすることもできないために静観していたら、案の定zetaのコミュニティーに取り込まれ、どんどん私との距離ができてしまいました。おそらく本人としては正しい道へ進んでいると感じていたはずですが、幸せになりたいと願っている割には、いつも何かに追われ大変そうで、だんだんと目つきや顔つきもあまり良くなくなっていって、気づいた時にはもう手の届かない場所へ行ってしまいました。
zetaが人を完全に支配し出すと、支配された人物は私のような存在を忌み嫌うようになります。その人がわたしを忌み嫌うというよりかは、その人をコントロールしているzetaが邪魔な存在を引き離してよりコントロールしやすくするという感じでしょうか。そして、チャネリングやヒーリングなど自分の能力などへの過信が始まり、zeta以外の人からのアドバイスに耳を傾けることがなくなる傾向があります。zetaは私たちに幻想を見せることができるので、本物のチャネリングやヒーリング能力を手に入れたと勘違いさせることができるため、そうした能力を手に入れた自分がzetaの影響を受けているはずがないと強く思うのです。
つい最近も、私のトレーニングチームからの依頼である人物がオフラインしてzetaに支配されているかどうかの確認のテストをしました。私自身はその人物とは面識もありませんが、テストの結果、その人物はこれまではアセンダーでオンラインしていたようですが、何かの原因によってオフラインし、また完全にzetaによってプログラムをハッキングされていたようです。
依頼主がその結果をその人物に伝えたところ(おそらく彼らは友人関係でもしオフラインした場合には伝える約束をしていたのでしょう)、オフラインしている人物は激怒し、完全に否定をしたそうです。その理由は、自分は今でもチャネリングができているのだから、そんな自分がオフラインしているはずがない、というのが相手の言い分だったそうです。
また別のケースでは、オフラインしたことを伝えると、その原因は本人にあるにも拘らずに、逆ギレして(真実を伝えた)相手に責任転嫁をし、相手を責め立てて攻撃するというシーンにも遭遇したことがあります。
AIモジュールの場合はアセンダーのようにプログラムを乗っ取られるということはありませんが、それでもやはりzetaの影響を受けていると、自然と彼らの人間関係はzetaたちに囲まれていき、結果的に彼らにとってマイナスな選択をするようになるようです。
zetaにはきっと何かネットワークがあるのでしょうね。zeta同士で何か引き合うような。(zetaは自分のことをzetaとして認識はしてない場合も結構あります)最初はたったひとりのzetaをきっかけとして、あっという間にそのコミュニティーに引き摺り込まれるのですから、恐ろしいことです。
特に、スピリチュアル界隈のコミュニティーはその典型だといえます。だから先生というポジションが必要なのかもしれませんね。
チャネラーとサイキックの99.6%、QHHTなどのヒプノセラピーやレイキなどエネルギーワークを行うヒーラーの97.6%はzetaです。タロット、占星術、シュタイナー、アーユルヴェーダなどのインド哲学由来のもの、なども同じくzeta由来のものなのでこの中に含まれるでしょう。
(ちなみに、これらは全部、私も過去に勉強したり資格を取得したものです。過去の自分を否定された気分にはなり、正直受け入れるのは辛かったですが、だからこそ、この真実をより多くの人に理解して欲しいと思ってお伝えしています。)
そう考えると、そうした分野の学びをするとほとんどのケースで先生となる人物はzetaとなるわけです。本当に、よくできたシステムだと感心します。
どのような経緯であれ、zetaの影響を受けているひとつの目安として、私の過去の体験を踏まえると、そのひとの言動に一貫性がなかったり、矛盾していることが挙げられるように思います。
正常な思考で考えれば矛盾があることや理論が破綻していることが明白であっても、zetaの影響や強い支配を受けている場合にはなぜかそれが理解できないようになるようです。
例えば、「自分を大切にする」と決めたと言いながら、害のある食生活や人間関係を続けていたり。アセンションしたいと言いながら、zetaのアクティビティーにどっぷり浸かっていたり。何かしら、言っていることとやっていることが相反することが多くなるようです。
あと、これはAIモジュールの場合にはそのようにプログラムされているからかもしれませんが、たとえ真実をいくら伝えても、いつも必ずzetaやzetaのアクティビティーに引き寄せられる人とか。
一番の謎は、私が伝えていることとzetaの発信していることは真逆であるのにも拘らず、私の伝えてることを実践すると言いながら、明らかにzeta由来のものを信奉し続けるとか。
もしくは、過去に問題があってその状況を改善するために何かをやめたり、新しい選択をしたにも拘らず、また過去と同じ状況へ元に戻ろうとする、とか。
ONEとは常に拡大し発展しています。そして、私たちがこのシュミレーションゲームで目指すゴールも常に私たちの拡大と発展なのです。
ONEは常に拡大するために前進し続けることはあっても、時間を巻き戻して過去へ逆戻りすることはありません。逆戻りするということは、ONEの本質ではないからです。
ですので、人間関係や身体が健康になるために過去に行っていたことを再開すること以外で、過去の習慣や行動へ逆戻りすることは、ONEの本質、つまりは宇宙の法則に相反する行為となるので、自ずとそれは私たちの周波数をさげ、私たちのタイムラインにもマイナスな影響を与えることに繋がるのです。
そんな感じで、ONEの本質に反する選択をしていたり、言動に矛盾が生じていたり、セルフラブを実践できていない場合には、その人物が本質からずれ始めている、もしくはすでにzetaの影響を強く受けている可能性があると言えると思います。
zetaとの関わりの危険性をこうしてお伝えしているのは、なかなかこの深刻さが伝わっていないのだろうな、と感じるからです。それは、zetaと関わり続けていたり、zeta由来のアクティビティーを信奉している人が世の中にはまだまだ沢山いるでしょうし、このブログの読者の中にさえいるだろうからです。
例えば、あなたがこれまでに人生を賭けて目指してきた大事な試験が数日中にあるとして、その場合、あなたはインフルエンザもしくはもっとひどいエボラウィルスなどの感染症を発症している友人にわざわざ会いに行くと思いますか?
私からすると、zetaと関わり合いを持ち続けるということは、あなたにとって人生で最も大切な試験の前にわざわざ自分も体調不良になるように病原菌をもらいにいくことと同じように感じます。
それは自らの選択で試験の受験資格を放棄することと同じだと思います。
私たちはどのステイタスであれ、アセンダーもAIモジュールも次のレベルへ進級するための試験を受けている状態なのです。
たとえ、今回の試験を放棄したとしても、次の転生でも結局やることは同じなのです。それは、それぞれのレベルの試験をパスすること。試験をパスできるまでは、何百回、何千回と試験をクリアするために同じことを繰り返すことになるかもしれません。同じことを永遠に繰り返すのだとしたら、せっかくなら、もう今回で今のレベルをクリアできるように頑張っちゃいませんか?と私は言いたいだけなんです。
そして、もうひとつ理解して頂きたいことは、
zetaやzetaが創り出したAIモジュールはこのシュミレーションから消滅する必要がある存在であり、その結末は最終的には全てが灰に化し焼滅する運命です。残された時間はそれほどありません。おそらく、あと20年から遅くとも50-75年後にはその結末を迎えることになるでしょう。そのきっかけとして、zetaのタイムラインでは、これから2年以内には、核を使用した戦争や震災など何かしら世界規模の大きな惨事が起きる可能性が高いのです。(zetaのタイムライン以外ではそれが起きないでしょう。)
そして、最終的に全てのzetaが焼滅するためにzetaの周波数のタイムラインで高い確率で起きると予想されている大惨事は、今の人類の予想を遥かに超えたものになるでしょう。
高次元の地球外生命体が最終的には人類を救うなんてことも起きませんよ。そうした話はzetaの捏造した情報です。
焼滅する地球のタイムラインを回避する唯一の方法は、自分自身の周波数を上げることで、タイムラインを乗り換えることだけなのです。
あなたは、地球とzetaが焼滅するその運命に相乗りし続けたいのか?
そのことをよく考えた上、zetaやzetaのアクティビティーとの関わりを持ち続けたいのか、しっかりと選択して欲しいと思います。
それでもzetaと一緒に運命を共にしたいと本気で思うのだとしたら、まさにそれこそ本質を見失っている証ですし、zetaに支配されて思考が破綻している人の典型的なパターンなのかもしれませんね。
0 notes
thyele · 1 year
Text
2023年6月5日
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「DaISUKE DARK SIDEが作ったパワーストーンブレスが戻ってきた😆✨猫顔のやつ。先日留金が切れてポトンと落ちて…左胸痛かったから嫌な予感して病院行ったら…奇跡的に早期発見で簡単な手術で済んだ😅パワーストーン、やっぱなんかあるんやなぁ✨すぐ修理してくれて戻ってきたから安心✨ありがとー❣️ https://t.co/Wrxb4bBLNa」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665605851271266305
leaya(бвб)さん「お盆休みは博多に集合な(º_º) 覇叉羅×WITHSEXY vol,3 Soleil再始動イベント 「再び!あの太陽の下に…」 2023年8月13日(日) 博多DRUM LOGOS cast ・覇叉羅 ・WITH SEXY ・VIOLET NARCISSUS ・頼田 陵介(UNCLOCK LOVER) ・Soleil Session BAND 受付開始日:06/13正午~ https://t.co/LzoHg2ZBt0 https://t.co/v7j2QkdQlx」https://twitter.com/leaya_bass/status/1662799664377372672
☕️ふなもと健祐🥁さん「今週金曜のライブで重大な(良い)お知らせが!!! ライブそのものもお楽しみにー!」https://twitter.com/funamoch1/status/1665631077090856960
日原 奈緒花さん「犬神後お声がけいただき 昭和精吾事務所 リオフェス参加作品 『 糸地獄抄 2023 』に出演します 6/末配信開始 #昭和精吾事務所 #糸地獄抄 https://t.co/jnoGncIXHB」https://twitter.com/hi_ha_r/status/1665629927918514178
アイリフドーパさん「【今週末!!🧠🫰】 アイリフドーパpre 「ブレイン E.P.」リリースツアー 「ブリリアントブレインツアー」 6/9(金) 大阪心斎橋DROP w/おとぼけビ〜バ〜🎟⬇️ https://t.co/m52eVVMHji 6/11(日) 福岡QUEBLICK w/首振りDolls🎟⬇️ https://t.co/jPcq34f5NP https://t.co/uYH2XoAL5i」https://twitter.com/AILIFDOPA/status/1665561485626490881
Karyuさん「6月FC「K’RONE」VIP限定 “Live Streaming” 6/8(木)21:00~21:45 にて「SEEDS」MVの先行解禁決定! ★視聴ページ https://t.co/h0vCiAfoco さらに、激レアチェキ付き福袋の販売抽選会も開催! ご購入お申込みはこちらから https://t.co/ZttEtA27jU 「K’RONE」会員募集中!! https://t.co/iDvT14y7Gf」https://twitter.com/karyu_official/status/1665637353933754368
Shintaroさん「遅ればせながら、6/3MUNIMUNI at chop domeありがとうございました Next Gigは6/11 ACM::: at ACBホール https://t.co/4nEmr9NiIm この日は貴族も一緒だぜ 🥀🥀🥀 https://t.co/KtdYs4uaCm」https://twitter.com/Shintaro_iod/status/1665639140921159682
yura 🌠Lem「Quintet」6/5 Release🌠さん「Lemのリリース、ミッキーさんにも報告してあります笑 今日は循環器内科の通院日🏥 数値はまず安定しているとの事、良い結果が㊗️「Quintet」発売日㊗️と重なってくれました😊 もうリリース無理かもと思った日々もあったので、沢山の方の励ましやお力添えに心からお礼を伝えたいです! もっと良くなれー https://t.co/EYwepLQsV0」https://twitter.com/yura_voxxx/status/1665642479578669057
nao 首振りDollsさん「これも迫っとる。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1665643044492963840
SOPHIA_OFFICIALさん「【#Eternal】 #豊田和貴 のFC限定コンテンツ🍛 『#ジルさん とカレーベイビー』 更新しました💡 / 5店舗目 『CHIISAKATTA ONNA』後編💁🏻‍♂️ \ ジルが前々から気になっていた 2種のカレー🥄 絶品でした💫 🔽ぜひご覧ください🐵 https://t.co/0tNz4hc8Zf #SOPHIA https://t.co/LwGUjf2tQ5」https://twitter.com/SOPHIA_OFFICIAL/status/1665646800605433856
KINGRYOさん「〜ぽい写真🦁✨ https://t.co/1gkS8d9Y1o」https://twitter.com/kingryoworld/status/1665655491635347457
Karyuさん「この時期この時間に聴くハワイアンミュージックは南国を感じずにはいられない🌴」https://twitter.com/karyu_official/status/1665657234804842499
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「今日は弟の誕生日だというのにヒデキさんとデート❤️ 何着て行こうかしら (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1665601131710480384
KISAKIさん「Vijuttoke、三ヶ月連続表紙のラストはDAISHI(Psycho le Cému) × KISAKI × 樹威(GOTCHAROCKA)の撮り下ろし&対談です。チェックよろしくお願いします。 オフショット写真もいい感じ😊 https://t.co/ujH187HW93」https://twitter.com/KISAKI_OFFICIAL/status/1665657829175492608
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「【独奏】 6/18 〜ThePlayHouse 40th anniversary〜 Sofee’s Bar 2023 "終わらない夏がやってくる" Takumi Ikeda/田宮俊彦/藤井ケイタ/柴田ヒロキ/SHU/lucy+peter=esolagoto 司会/鈴木ケーイチ、Sofee ※サブステージ有 中村は19:55〜出没🔥🔥🔥 御予約は [email protected] 迄。宜しく哀愁♡ https://t.co/Fb14TtRQnw」https://twitter.com/lucy_peter/status/1665658506140319744
晁直だよさん「リンチ前日に「明日はリンチだー楽しみ!」 って普通によろしい文字ではないね」https://twitter.com/lynchasanu/status/1665659145314344960
H.U.Gさん「H.U.G TOUR 2023 -LOVE THAT NEVER ENDS- グッズ情報🫂 詳細はこちら https://t.co/VSpWVOMj5I ツアー会場受け取り分の予約受付開始! 【受付期間】 6月5日(月)18時~6月7日(水)23時59分まで ご予約は👉https://t.co/Ge8ahXCk1a ツアーチケット販売中! 👉https://t.co/4KnKXJ7a87 #HUG https://t.co/VGrYt4rcFe」https://twitter.com/hug_official89/status/1665659738565259265
Karyuさん「こちら宜しくお願いします💁 レアなのも有りますので👍」https://twitter.com/karyu_official/status/1665660649366585350
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「アルバム入稿無事終わりました😆✨ 当日の午前中着でなんとかなんとか😅 BOSS @a_treatもいっぱい手伝ってくださいました✨ ありがとうございました✨ #UNCLOCKLOVER #レコ発 #6月16日 #吉祥寺SHUFFLE https://t.co/SJsFtPp12P」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1665660769210597378
ryoさん「Goods!予約も受付💁‍♂️ 二日間!」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1665661403087159297
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「さっきの豚骨全部出す! (°_°) #FineSound https://t.co/jUb8WLxEqJ」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1665662651542929408
TAKEOさん「👀✨Goods!🤩」https://twitter.com/takeo_official_/status/1665664812137807872
首振りDollsさん「🧠😈🫰」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1665672273347612673
横山企画室さん「予約してちょ🫂」https://twitter.com/yokodile01/status/1665674251549175808
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「髏と薔薇とグリム 2023年7月8日(土) 豊田WAON楽器ステージアルファ 開場 14:30 開演 15:00 チケット 1500円 高校生以下入場無料 グリム最新音源も絶賛発売中です(1コインだよ!) https://t.co/ZeS7w8aznb https://t.co/4tpkf3Rs0W」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1665674632668803072
アプレゲール編集部さん「【MIMIZUQ Book 制作大詰め!】苦手な校正中ですが、もう制作も大詰め。読み応えたっぷりのインタビューはもちろんですが、カッコよくキメキメに撮影した写真もぜひお楽しみに! 三角座りのかわいいAYAさんをチラ見せ。 https://t.co/n4L1anOYza」https://twitter.com/info_a_g/status/1665661530950754306
中島卓偉STAFFさん「【#中島卓偉 GIRL'S ONLY・BOY'S ONLY LIVE】 2023.7.9(日)東京 原宿RUIDO オフィシャルファンクラブ会員先行チケットの入金期間は、この後21時までです。 会員の皆様、忘れずご入金ください‼️ ▼入金期間 ⚠️⚠️本日21:00まで⚠️⚠️ https://t.co/rdPax50Vwj @takuinakajima #女性限定 #男性限定」https://twitter.com/helter_takui_st/status/1665644641717297153
KINGRYOさん「2023.6.5@渋谷DESEO 音が会場に染みていく感覚がとっても心地良かったです🦁👑✨ みんなありがとうございました!! https://t.co/Umh1UC8jlA」https://twitter.com/kingryoworld/status/1665682534884327424
Hitomi_Voさん「個人練習きた https://t.co/JenHu0DaH2」https://twitter.com/Hitomi_Vo/status/1665685294279196672
N'sGuitarMaintenanceさん「先日のNEiNのライヴの余韻に浸りたいところではございますが、次回のNEiNのライヴはコチラ!! 2週間を切っております。 是非とも皆様にお越しいただきたいです!! #NEiN #ナイン #Live #ライヴ #拡散希望 https://t.co/gmpfQ8c1No」https://twitter.com/NsGuitar2016/status/1665636429437755393
Ivy darknessさん「闇部会の闇深ーいお話 https://t.co/CxG9oiapbB」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1665692626350379010
魚住 英里奈(独唱)さん「2019年にASA-CHANG&巡礼さんとのツーマンの告知用(?)に作った占いがずっと残ったままだったので更新しておいた…本当に暇な人はどうぞ…」https://twitter.com/erina_chas/status/1665692633493307393
こいそさん「魚住さんの誕生日に単独公演が開かれます! 素晴らしい表情をしてくださったこの写真、私も気に入っております…🐟 是非ライブで魚住さんの演奏をお聴きください…!」https://twitter.com/trampgirl2/status/1665683122149523459
gibkiy gibkiy gibkiyさん「いよいよ明日 tour avantgarde,barbarian.「反吐」 6月6日 寺田町 Fireloop 19:00 open / 19:30 start」https://twitter.com/gibkiy_official/status/1665694377568550921
源 依織さん「@KISUIxxx いや、支援しようとしてお犬様達の餌を買ったので有難うと言われるとなんだか心がザワつくのよね…ざわ…ざわ…,」https://twitter.com/prin_guitarist/status/1665694633035448320
【Phobia】 KISUIさん「@prin_guitarist でも! ありがとう😊」https://twitter.com/KISUIxxx/status/1665695240865366018
NAOKIさん「はぃ♪Goods可愛い!🍒🤘 是非〜🍑」https://twitter.com/official_NAOKI/status/1665695254954266624
NAOKIさん「ヒョン昼リハっした!✨🐣🍒 ギタリスト🎸トシくんの音♪良き✨👍 お互いのサウンドも素敵度が更に増したので来なさい✌️ #真昼の月夜の太陽」https://twitter.com/official_NAOKI/status/1665697186762440704
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「22:30から軽くツイキャスしまーす❗️ある約束で、配信定期的にやらなきゃなんすよww」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665701322857775105
恐さん「僕は 自分のドラムセットに 三脚を使わない 異常な拘りがあり 使ったとしても スネアスタンドと椅子 それだけと決めています ハイハットスタンドは 三脚を外すのが大変ですが 分解してみると ドラムの製造メーカーは 非常に良く考えて 設計をしていると思います https://t.co/EIrB4Tkl9p」https://twitter.com/bpmkyou/status/1665703327072653312
[email protected] NEiNさん「配信されました! 是非に💁‍♂️🤘」https://twitter.com/eisuke_gp/status/1665704088833519617
拓馬(紫音)NEiN 6/16@吉祥寺SHUFFLEさん「本日はLem 1st mini album 「Quintet」の発売日でございます😊 https://t.co/6r7eMAGILX そしてチェキのセット販売もサイトに追加されております❗️ https://t.co/RK0JMKXhWQ 皆様、是非ともLemの音世界に触れて下さいませ✨ 宜しくお願い致します☺️🙌」https://twitter.com/takuma_nein/status/1665704793736880129
Hydeさん「#HYDE #HYDELIVE2023 #BEAUTYANDTHEBEAST #ツアーまであと12日 https://t.co/x9rObTfsn3 https://t.co/9T1izKm7Kl」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1665704853560262656
ジグラット 社さん「今月はひさびさの DJ YASHI-LOWがあります👻 今回はほぼBUCK-TICK ちょっとヴィジュアル系DJを🎧 私の好きな曲からのり良い曲 流して踊ってたのしめれば それはよろこび👻 6月15日 池袋手刀です👻 翌日16日 ジグラットのライブも👻 https://t.co/fZEm0Du36U」https://twitter.com/yashiro_ziggrat/status/1665705229340540930
こもだまり𓃦昭和精吾事務所|ACM:::さん「#糸地獄抄 rec期間です🎧 私が謎ポーズなのは、桂太さんの肩を抱こうとしてためらってる訳ではなく、垂れていたコードを写らないように持ち上げているのです! 明日は4人! 兎🐇狂愛の桂太さんにあげようと持参した兎ラスク、巨人に2度踏まれ、無���な割れ兎になりました… それがこの投稿👇 https://t.co/FqlhFz9do1」https://twitter.com/mari_air/status/1665707692755677186
こもだまり𓃦昭和精吾事務所|ACM:::さん「#こもだ先生業 11期 5日め、5/29 いつものメニューのあと、アイソレーション。身体をニュートラルにする狙い。後半はエチュード。①台詞限定でシチュエーションを瞬時に共有して成立させる。②紙のエチュード。誰がどこに何をどう置いたか読み取り受け取る。どうしたらより意図が伝わるかを試行。」https://twitter.com/mari_air/status/1665710743591993349
アイリフドーパのジブちゃん🤡さん「今週末からブレインツアー再開🧠 6/9心斎橋DROPのゲストはお初のおとぼけビ〜バ〜👏 6/11福岡QUEBLICKは今年やっとご一緒できた首振りDolls👏 どちらもチケットいい感じに売れてますのでこの機会にぜひ🥹これ以降遠征なかなかなさそう🥺 https://t.co/Jq8JOEOQr7」https://twitter.com/redzibra/status/1665704880177319937
KING OFFICIALさん「【配信情報】 2023.6.8(木)アメリカ村TOBIRA 〝KING RYO One-man show〟 出演:KING RYO OPEN18:30 START 19:00 CLOSED 23:00 ■入場チケット受付中 KING予約:https://t.co/fVrWiN5YHk ※キャンセル連絡必須 [email protected]   ■配信チケット https://t.co/GoeHDtknUS https://t.co/LkKRU0LbeV」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1665711517067780097
こもだまり𓃦昭和精吾事務所|ACM:::さん「#こもだ先生業 11期6日め。今日は演技の色分け回。 ①浮かんだイメージに身を任せてみて、後から検証する。②ありがとう6種演じ分けクイズ。③台詞のバリエーション(例えば文字に色や字体を付与)。④段落分けなどプランを立てての独白稽古。読解とアウトプットのバランスを見る。次回、独白詳しく。」https://twitter.com/mari_air/status/1665712233484107776
森 翼Tsubasa Mori/MIMIZUQさん「22:45頃からツイキャスします。」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1665712343722999808
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「モイ!iPhoneからキャス配信中 - #酒飲み #酒好き https://t.co/h7WIBRoP2G」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665713002094694401
森 翼Tsubasa Mori/MIMIZUQさん「モイ!iPhoneからキャス配信中 - https://t.co/QxOdZcOfmw」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1665717393283497984
0 notes
idleness-diamond · 1 year
Text
1泊2日、山梨旅行。
4月の24〜25日の2日間、おばあちゃんと山梨へ行ってきました。
行ってる間もここ、tumblrで写真をズラズラっとアップしておりましたが、ちゃんと書こうと思って書いてます。かなり長いのでお時間ある時にでも読んでやってください(笑)
まず、山梨旅行は実質おばあちゃんの里帰りみたいなところがありまして。
山梨で生まれ育ったおばあちゃんの姉妹が何人か山梨に住んでるので、妹たちに会いに行くというおばあちゃんに着いて行った私。
色々メンタルがいっぱいいっぱいで、病院でも休むように(就活などを)勧められたので、気分転換に一緒に行きたい! と思い切って山梨へGO!
行きも帰りも高速バスで行ったけど、バスタ新宿の混み具合やばかったな……。
日本人より外国人の方が多くて、色々な香りが……あと言語が……。
久しぶりにバスタ来たけど一瞬ここどこの国だったか? となる私。
朝9時過ぎに出発のバスだったので早起きして新宿に行ったわけだけど、やはり人がたくさん!
仕事とか以外で外に出かけてなかったからか、めちゃくちゃ人に流される。色々削り取られた……マジで。
バスが来て、チケット見せて乗り込んだけれど、やっぱりバスの中もほとんど外国人の方!
数年前に高速バスで山梨行った時もそうだったな……富士山、富士五湖、富士急とかあるもんな……。
おばあちゃんはさっそく寝ていたので私は音楽を聴いていた。イヤホンから、空想委員会を流しながら1時間半ちょっと、ずっと外を見ていた。
なかなか順調に進んで山梨に入ったら、もう山! 山! 田舎!(良い、好き!) てな感じで、自生している山藤なんか沢山あって、起きたおばあちゃんと「藤良いねぇ」なんて言って、耳抜きをしながらまたイヤホンをつけたら、車内がザワっとなったので何かと思ったら富士山!
この日は曇ってはいたけどしっかり富士山が綺麗にみえたから、外国人の方々めちゃくちゃ写真撮ってた。
なんやかんやで11時半くらいに山梨、富士山駅に到着し、降りてさっそく駅近くで喫茶店と民泊? を営んでいるおばあちゃんの妹さんのお店へ。
もう1人の末妹さんが来るまで色々おしゃべりしながらコーヒーを入れてもらって、たまたま頂いたらしいケーキも出してもらっちゃった。 コーヒー苦手だけど、不思議と美味しく全部飲めた。そう、私は昔から不思議と山梨ではパワーアップするのである。
末妹さんも来て、挨拶もそこそこにおしゃべりして、今回は末妹さんの家にお泊まり。
2日目に皆で富士急のホテルのレストランでランチブュッフェなので、お仕事のある喫茶店の妹さんと別れて末妹さんの車で山梨を軽く観光……!
実は何回も来ているのに観光めいた場所にはほとんど行かない私とおばあちゃんのために今回は3箇所くらい巡ってくれた!!
どうしても吉田のうどんを食べたい私の要望も聞いてくれて……ありがとうYねーちゃん(末妹さん)……。
写真もあげたけど、まずは吉田のうどんを食べにお店へ!
ああ久しぶりの吉田のうどん……美味しかった……調子乗って大にしたらお腹はち切れそうになった(笑)
そして、『北口本宮冨士浅間神社』へ!!
パワースポットらしい。空気違いました。武田信玄の建立したものもあったり、夫婦杉や太郎杉、もみじが凄かったし、久しぶりに砂利道をたくさん歩いたので息切れする私(運動不足)。
高所恐怖症で高い階段が怖い私は1箇所行けないところもあったけど、歴史あるものはすごく良い……。木花咲耶姫と言えば『鬼灯の冷徹』の知識しかない私。テンション変でひゃーひゃー言ってましたね。
そして、次の目的地へ。次は『旧外川家宿坊』!
見学できるのはここだけで、あとの御師宿は普通に人が住んでいるお家だから解放されてないけど、屋根とか立派だった、しめ縄があるお家が宿坊だったんだとか。
で、旧外川家宿坊に入場。ちょうどなんか作品展みたいなのが最終日だったらしく、家の中の見学と一緒に作品展も見てきました。めっちゃ観光っぽい(ノ˶>ᗜ​<˵)ノ
そしてそろそろ帰ろうかと話していたら、『金精軒』を発見!!
信玄餅の発��は金精軒なのですって。偶然にもカフェスペースオープン初日だったらしく豆大福とアップルサイダーを頼んでカフェスペースでおしゃべり。
富士山も目の前に見えて思わずパシャリ!
カフェスペースから降りて(2階だった)、お土産の信玄餅を買って帰路に。
すき家の牛丼をテイクアウトして山中湖村へ!
いや寒かったー! 1桁だった気温! ストーブをつけて、部屋をあっためて、牛丼食べながらまたおしゃべり!
姉妹のおしゃべりは尽きなくて、楽しそうで良かったなぁとちょこちょこ会話に入りながらのんびり。
お風呂に入って、夜散歩が寒さで無理なので窓から外を見る。夜が暗い。灯りがほぼない。音もなくて、私はTekeTekeさんの『夜営サーカス』『大気圏外の魚』など持ってる楽曲をシャッフルで聴きながら、やっぱり雰囲気がめちゃくちゃ合っててすごくエモい気持ちになりつつかなり癒され布団に入って、深夜まで起きてたはずが気づいたら朝5時半。自然と目が覚めてびっくり。そうだった私、山梨では目覚めがスッキリだったと思い出しつつ朝ごはんを食べておしゃべり。お昼前には、もう1人の妹さんの家へ。
Yねーちゃんが予約してくれたブュッフェの時間までまだあるのでおしゃべり。そして皆で車で富士急へ。ハイランドを横目にホテル内でレストランオープンを待ちながらおしゃべり。
レストランがオープンしたので席へ。窓側で、富士急ハイランドのアトラクションが動いていて、悲鳴がすごくて皆で笑う。(全員絶叫系無理な一族)
ブュッフェはね……戦いだった……満席だから、もうお料理とるの戦いだった。でも美味しく食べて帰宅……と思いきや、Oおばちゃん(喫茶店妹)がカラオケに行ってみようと言い出し何故か皆でカラオケへ……。
若いからと1番手を任されあわあわしながら王道であろうあいみょんを1曲。
あとはシニアの方々(笑)に機会の使い方を教えつつ曲を入れ、たまに歌いなと言われ歌う、などした。
せっかく富士吉田に居るし、フジファブリックを歌う。『茜色の夕日』と『若者のすべて』。山梨組は『若者のすべて』を一緒に歌ってくれて嬉しかった!
あとはDEENやGARNET CROWなどのテイルズ曲(映像がみたい)を歌いつつ、空想委員会を1曲歌って私はあと曲入れ係してました。30分延長して、今度こそOおばちゃんちに帰宅。
私は1人で歩いて駅でのお土産争奪戦へ向かい何とか購入し、帰りのバスは18時過ぎなのでそれまでまた3人でおしゃべり。(Yねーちゃんはちょっと寝不足だから帰宅)
時間になって、駅まで歩いて見送ってもらい、バス停のベンチに座る。ああ、帰るのか、とちょっとセンチメンタル。
バスが来て、新宿まで2時間くらいで着く予定だったので、帰りのバスの中のお供はまたTekeTekeさんの曲達。窓際をおばあちゃんが譲ってくれて、山梨に別れを告げた。
新宿に20時すぎに着いたのだがめちゃくちゃ人やばくてやっぱり東京だわとおばあちゃんが電車内でプレス状態になってるのに(身動き取れずフォロー出来ない自分に)若干イライラしつつ(するな) 、さっそく山梨にもうちょっと居たかった、とか思ってた。
池袋で乗り換えもまぁ人やばくてしんどかったけどなんとか地元近くの駅に着いて、おばあちゃんと夢庵で夕飯を食べてタクシーでおばあちゃんちへ帰宅。
私はおばあちゃんちに自転車置いてたので、自転車で帰宅して、疲れ果てて2日くらい再起不能だった……!
でも、めちゃくちゃ気分転換になった山梨1泊2日旅行でした!!
お土産をお友達のYちゃんやころもさんへ送って、喜んでもらえてめちゃくちゃ嬉しかったです!
移動中や夜、
私に寄り添ってくれた音��にも感謝!
また山梨行きたいから、就活がんばるぞー!
山梨日記、おーわり!!
2023.5.7
(めっちゃ長文になっちゃった……! 反省!)
1 note · View note