Tumgik
#白紙運動
briefenthusiastlight · 4 months
Text
【菁英論壇】抬毛壓鄧 「紅紙運動」大風暴
1 note · View note
sinoeurovoices · 1 year
Text
倫敦舉行聲援政治犯集會
2023年3月18日下午,由港人團體發起,中國民主黨英國總部和藏人團體等其他人權團體共同參與的在倫敦Montgomery Statue廣場(唐寧街對面)舉行了一次集會。聲援現正在囚及受審的香港及大陸政治犯,呼籲國際社會推動釋放他們。 中國民主黨英國總部和藏人團體等其他人權團體共同參與的在倫敦Montgomery Statue廣場舉行集會。圖-諶彬提供 在今天的集會上,港人團體代表發表了講話,強烈譴責中國政府對政治犯的迫害和侵犯人權的行為。他們呼籲中國政府尊重言論自由和人權,並釋放所有被關押的政治犯,取消港版「國安法」這一惡法。集會現場參與者高呼「釋放政治犯」等口號,要求中國政府盡快釋放所有被關押的政治犯,並呼籲國際社會關註中國政府的人權狀況。中國民主黨英國總部的黨員們高舉:「FREE ALL POLITICAL…
Tumblr media
View On WordPress
1 note · View note
kinemekoudon · 1 year
Text
スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
Tumblr media
―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
Tumblr media
それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
Tumblr media
上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
Tumblr media
また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
Tumblr media
出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
Tumblr media
おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
Tumblr media
僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
Tumblr media
メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
Tumblr media
それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
Tumblr media
検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
156 notes · View notes
siviom · 21 days
Text
Tumblr media
cd27吃到的所有tos相關無料,特別感謝給無料的老師。肉眼可見的冷冷的,然而還能遇到同好真的是我的福氣!
老師手工做的tribbles好喜歡,以後俺畫tos同人圖的時候要時不時拿出來玩摸🥺,還有科學藍手鏈我要天天帶著洗澡睡覺都不捨得摘掉……老師還cos瓦肯人可惜下午不得不走了沒集到郵,真的最大遺憾之一,老師cos的特別還原2024年竟然還能看到瓦肯人cos確實少見。
看起來好古早畫風的鐵三角吧唧,超級萌,已經扎進我的通勤包,我要天天帶著狂吻
這個spock的印章也好萌簡直天然呆,雖然沒有get到畫面里是什麼梗抱歉hhh
一進場就飛奔去買某位老師的tos製品(超稀有)然而因為只搶到d2票所以去的時候已經買完了,完美錯過,最後只拿到一張艦長扮成羅慕蘭人的貼紙(好像是tos s3某集)
雖然來說沒怎麼吃飽但已經很滿足了冷坑是這樣的www,在現場吾像傳銷一樣給歐美街道80%的攤主老師都發了tos spirk的小卡片,雖然可能大部分人不會吃下安利,但只要有一位真的回去看了st tos我的努力都不是白費的。
在現場也吃到了雙峰和神秘博士(現在還沒看純粹是因為不知道聰哪裡看起)的安利,比較心動,預計未來會入坑( ͡° ͜ʖ ͡°)✧
其他:
了解到一些老師因為配對前後關係產生的矛盾,真的感慨幸好我不在意攻受前後,不然真的很心累
不過遇到的那位華福老師真的人很好很好,好幾次把華福不小心說成福華老師也裡面提醒真的好溫柔本人。在等她合志作品的公開(本人因為窮沒有買本很無禮地白嫖很抱歉hh)老師還和我聊了很多同人創作相關的事情真的很真誠很認真(不只是純粹的口嗨),感覺她一定是打心眼里喜歡福爾摩斯這個ip真的全身心都投入到創作交流裡面,感受到深深的執著熱情,臨走的時候知道我沒吃飯還送了我一盒薯條真的很暖心,在cd27遇見人間溫情(っ╥╯﹏╰╥c),還建議我下次申攤或和她一起來開攤,人真的很好(不過我確實因為是個窮學生沒什麼收入,去一次花銷確實比較大,而且我的知識儲備尚且單薄需要好好沉澱幾年,申攤短期內應該不會去踐行,不過以後應該會去嘗試的,畢竟st tos在簡中那個熱度也看到了
一些可能不討喜的沉思:
同人創作真的很私人一件事,啊啊我覺得真的不要刻意去混圈會變得不純粹的,不過遇到真正喜歡的同好確實是一生的幸運,遇到離譜的人就另當別論了
離場去上廁所的時候把手機忘到台面上回來找不到真的當場有點崩潰了,一位coser小姐姐幫我打電話幫忙看到我有點崩潰她也一直在現場沒有置之不理,都沒來得及上廁所,真的好感動,最後另一位小姐姐幫我找到了,真的感受到女性中間互幫互助(不為任何利益和索取什麼)的情誼,一瞬間感受到——女孩真好!
漫展的氛圍真的很好,一群人為了喜歡的作品劇集在一起,沒有歧視沒有judge只有深深的認同,理解和信任……
21 notes · View notes
shelter-maki0 · 4 months
Text
折角なので「律動する悪夢」https://www.tumblr.com/shelter-maki0/737410451936296960/i-drew-a-comics-of-tomarrymort-it-is-posted-on-an?source=shareの後書きのようなものを少し書いてみようと思います。私用の覚書のようなものなので、日本語で残します。
その過程で私がcursed childについて思っている事にも少し触れようと思います。真面目に書くつもりはありませんが前半に後書き、後半に呪いの子について書いていきます:P
まず私が書いた小話の後書きですが、「律動する悪夢」はロマンス作品を想定して描いたわけではありません。私はハリーとヴォルデモートの間にある、”互いにとって不都合な絆”に魅力を感じています。とても暴力的な絆で、その絆は二人を傷つけ互いに破滅へと向かわせました。ヴォルデモートは文字通り破滅し、ハリーは人生を丸ごと台無しにされました。 ハリーが闇の帝王を倒した後でもヴォルデモートがハリーに与えた影響は彼の人生を蝕み続け、ポッター家を機能不全家族にしました。私はハリーが決して彼の呪縛から逃れられないこの状況に、ホラー映画のエンディングのエッセンスを感じました。それはまるで、主人公が脅威を退けた後、エンドクレジットの前に倒した筈の敵の気配を感じて暗転するあの瞬間のような後味の悪さです。
避けられない脅威に追われ続け、その脅威は怪物を倒したあとも主人公を決して休ませない。私はホラー作品のその様式美が好きです。なのでこの作品はそういった逃れられない脅威と決して断ち切ることのできない繋がりについて考えながら描きました。 特に深いメッセージ性は無く、少し気持ち悪さを感じるような作品を残したかっただけですが、もし楽しんで貰えたなら幸いですD
次に呪いの子についてですが、呪いの子が不人気な事は把握しています。(余談ですが、私の国では呪いの子に対してそこまで否定的な意見は多くありません。私の国のオタクは公式が出した作品を無かった事にする傾向が殆どなく、公式から出たものが気に入らなければジャンルを去るか、受け入れるかのどちらかを選ぶ人が多いです。なので二次創作の傾向も逆行や転生、Canonの隙間時間を埋めるような作品が多く、AUはあまり流行らない傾向があります。私は呪いの子の設定の全てを受け入れているわけではありませんが、美味しいところは食べています。)
呪いの子の世界観は、ハリーが魔法界の戦争を通して経験した事を白紙に戻したような世界をしています。
デスイーターは裁かれましたが、彼らの抱える根本的な問題は解決しておらず、彼らの親族に降りかかる偏見すらも魔法省は野放しにしています。里親に育てられた孤児のデルフィーニはホグワーツに通うことすらできませんでした。アモルテンシアなど危険な魔法薬は一切規制されておらず、ロンが親友の息子の誕生日プレゼントに贈るほど倫理観も法律も成長していません。
呪いの子の魔法界は、”臭いものに蓋をする”が続いた世界です。ヴォルデモートとの戦いの経験を持つハリー達が、その世界の中枢で要職につきながらも多くの問題を無視し続けているというのは現実的ではありません。ヴォルデモートが後継者を得る為に子供を作っていた事も彼の性格からを考えると不自然です。
舞台の脚本を書くために彼女はそうしたのだろう、とメタ的な意見も出せますが、呪いの子の世界がHPシリーズの正式な後日談として出されている以上咀嚼しないわけにはいきません。私はそういうオタクです。
正直、私はそんな魔法界に再び混乱が訪れるのが見たいです。それらのツケを払わされる瞬間を見たいです。彼らの怠慢と無関心が再び闇の帝王を呼び戻す瞬間が見たいです。
大切な書類をデスクに山積みにし、ゴシップを放置し、息子に対して失言し、母親のように振る舞うジニーに慰められるハリー。空元気のように振る舞い問題を無視するハリーの様子は私を不安にさせます。しかし私はそんな彼が再び引き裂かれるのが見たいです。そしてその相手は絶対的にヴォルデモートなのです。
呪いの子の終盤で、ハリーは闇の帝王の影響から未だに逃れられていないという自覚を息子に語っています。結局のところハリーとヴォルデモートの絆は永遠です。それはあたゆる形になってハリーを蝕み続け、彼の人生からは絶対に切り離す事ができません。呪いの子ではその事が証明されています。死すら二人を分てないのです。
私が呪いの子の時間軸のハリーについてよく考える理由はそこにあります。呪いのような永遠の絆がそこにあるなら、続きを想像したくなってしまいます。あらゆる魔術を探求した闇の帝王の魂はまだリンボにあり、彼を連れ戻したくて仕方がないような勢力は殆どそのまま魔法界に残っています。私は中年のハリーの目の前にある日突然ヴォルデモートが現れても驚かないでしょう。素材は十分です。
そしてヴォルデモートに再びハリーの人生をめちゃくちゃにして欲しいです。彼のキャリアを崩壊させ、家庭を脅かし、彼をもう一度台無しにして全てを奪い去って欲しい。そしてハリーには、崩れた人生の瓦礫の中で最後に彼に触れ、かつて同じであった鼓動を感じて欲しい。結局のところ彼はハリーの運命の相手でハリーの人生を司っているのだと。
「彼を壊したい」と「彼を幸せにしたい」が両立する不思議なダイナミックがtomarrymortの醍醐味の一つであると思いますが、怒りと苦痛の先にある小さな慰めのカタルシスの心地よさが私を追い立てているのかもしれません。
とまあ、話は多少ズレましたし呪いの子の不満点や考えについてまだ話せる事は沢山ありますが、今回はこの辺にしておこうかと思います。また気分が向いたら何か書くかもしれません。
とにかく私個人としては呪いの子の時間軸のハリーの作品がもっと増えた���いいなと感じています。ハリーが台無しになる作品が好きなので、掛け金の高いCCの時間軸は私にとって魅力的です。
もしこの投稿を読んだ人がいたのなら、この中身のない文章を最後まで読んでくれてありがとう!
35 notes · View notes
chikuri · 5 months
Quote
クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だった��は嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
32 notes · View notes
tutai-k · 6 months
Text
たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
Tumblr media
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
Tumblr media
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
Tumblr media
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
Tumblr media
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
Tumblr media Tumblr media
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
Tumblr media
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
Tumblr media
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
20 notes · View notes
oyasumimumemo · 2 months
Text
週報-6
2024年03月04日(月)
朝礼が終わって席に戻ると直属の上司的なお姉さんから、これお誕生日プレゼント、と紙袋を渡された。私は職場でこのお姉さんの役に立つためだけに頑張ろうと思って働いているみたいなところがあるのでとても嬉しかった。そして私は女のひとに優しくされるとグニャグニャになる。童貞だから。
2024年03月06日(水)
体調は悪いし、隣の席のジジイがきもいけど毎日のことなので今日も頑張って働いた。退勤して会社を出ると彼氏がお迎えにきてくれていた。一緒にケーキを選んで家に帰った。天国みたいな時間なのになぜか悲しくて涙がどんどん出てくる。
Tumblr media
2024年03月07日(木)
抽選に当たったり席が若干広くなったりして地味に嬉しい。でも体調がすこぶる悪い。眠すぎ頭熱すぎ。
2024年03月08日(金)
朝起きるとなんか雪が積もっていた。体調不良のため会社休む。出勤するつもりで支度して電車に乗ったもののこれは会社に着いてもどうせ働けないなと思い、お姉さんに連絡をいれてUターン帰宅。帰宅即就寝1時間→家事→昼寝2時間。昨晩からの朝までの睡眠も合計すると12時間ぐらい寝てる、けどまだ眠い。
夜ごはんは彼氏がお粥を作ってくれた。
Tumblr media Tumblr media
2024年03月09日(土)
10時間ぐらい寝られた。運動掃除片付け蛇の世話などしてたらいつの間にか15時になっていたので昼ごはん食べる。この間買ったりんごが無味だったのでサラダに混ぜしだいて食ってやった。
1時間夕寝して、夜ごはんを食べながらR-1をみる。今日は味噌汁を作ってくれた。お笑い賞レースをみるとき恒例、合間に得点をつけて勝手に審査した。その後に続いたENGEIグランドスラムにそのままみてた。面白かった。
2024年03月10日(日)
また10時間くらい寝た。無限に眠い。運動してまた片付け。Vtuberの雑談配信を聞きながら運動とか掃除ってはかどるし楽しい。なんやかんやしてたらまたご飯を食べ忘れていたので、15時半に昼食。ゲーム実況とか一般人のラジオを視聴しながら食べた。夕方また1時間眠って夜ごはん食べた。
読みたくて買った積読本やら、みたくて入れた「後で見る」リスト入り動画が溜まりまくっているから、1日を家で過ごせることがありがたき幸せ。たとえ近所でも外出すると1~2時間くらい時間消費するからな。買い物行ったら、帰宅後も購入品の整理とかあるしな。在宅最高
9 notes · View notes
yuriponz · 1 year
Text
Tumblr media
【-岡本太郎「殺すな」意見広告-
ベトナム運動に反対する市民の運動体「ベトナムに平和を!市民連合」が、1967年ワシントンポスト紙上に掲載した反戦メッセージ広告。
「Stop the killing! Stop the Vietnam War!」のために岡本は「殺すな」の一語を揮毫した。
彼は戦後、平和教育の名のもとに戦争の主体があいまいにされていくことに度々疑問を呈している。この一語は、その問いを鋭く突きつけるものだろう。】
白く厚く覆われた雲の隙間に見えた青空
青が広がっていく予感とともに撮りました。
【-Opinion ad by Taro Okamoto, "Don't Kill!-
An anti-war message ad published in the Washington Post in 1967 by the Citizens' Coalition for Peace in Vietnam, an organization of citizens opposed to the Vietnam Movement. Citizens United Against the Vietnam Movement, published this anti-war message ad in the Washington Post in 1967.
Okamoto wrote the words "Don't kill" for "Stop the killing! Stop the Vhdtnam War!
He has often questioned the blurring of the subject of war in the name of peace education since the end of the war. This phrase is a sharp reminder of that question.】
Blue sky seen through a gap in the thick white clouds
I took this picture with the feeling that the blue would spread.
Tumblr media
88 notes · View notes
briefenthusiastlight · 5 months
Video
youtube
誰說美中脫鉤只是說說 美國已邁出斷鏈第一步?民主可以當飯吃!台股強勢領先超車港股!台灣大選前後 美國可能出動三支航艦打擊群!中國神祕疫潮的背後?...
0 notes
sinoeurovoices · 1 year
Text
世界各地筆會等25團體發表關於中國「白紙運動」的國際婦女節聲明
(獨立中文筆會2023年3月8日訊)今天是國際婦女節,美國筆會發起國際筆會等25團體發表聯合聲明,主題是“中國當局必須釋放‘白紙運動’抗議者,允許自由表達新冠疫情”。聲明新聞稿全文翻譯如下:在國際婦女節,美國筆會、國際筆會及23 個其他團體呼籲中國政府,釋放編輯曹芷馨、作家李思琪、會計師李元婧和教師翟登蕊,並撤銷對她們的全部指控。 北京警方逮捕了參加 2022 年 11 月 27 日紀念抗議活動的這四位女性。我們還呼籲中國當局,釋放11-12月“白紙”抗議活動中自由表達而在中國被拘禁的所有其他個人包括許多女性,撤銷對他們的全部指控,並終止打壓關於新冠疫情的言論。 11月27日,曹芷馨、李思琪、李元婧和翟登蕊等數十名北京市民,參加了在亮馬河畔悼念三天前在維吾爾地區烏魯木齊火災中遇難者的聚會。這一守夜活動演變成抗議中國政府當時實施“新冠清零…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
cxz169933 · 6 months
Text
我前陣子真的是忙到不可思議的境界,但主要造成我心煩意亂的原因還是簽證問題,簽證一天不搞定,我就一直隱隱約約的有一塊石頭壓在心上一天不得安寧。
人在生活有不確定性的時候是真的沒有心思去想其他事情的,還好這段時間我都單身,要是我有男友,他整天在那邊吵我一定會很煩。
我待在澳洲的路徑跟別人有點不一樣,可以算是受益於我一直以來都隨遇而安的處事風格。
當時大學讀完產品設計之後,因緣際會的跑去做折疊腳踏車,不只學到很多機械結構的知識,也學習了很多跟製程相關的東西。
後來又去做了Monitor,然後在那裡又學到一些跟電子產品有關的東西。
結果後來來到澳洲之後,這些技能全部都能用上,因為客戶要新開發的一個專案就是電子產品。
今年5月我回台灣一整個月,週一到週五都要配合澳洲時差早起開會遠端工作之外,下午3點澳洲工作下班後開始找工程師,然後每週都去跟台北的電子工作室碰面談新案子的開發,見一點點老朋友,忙到不行,結果那一個月我哪裡也沒玩到就回澳洲了。
然後9月我又回了台灣一次,又帶了一個新的專案回去找那兩個工作室談,外加平日繼續遠端工作,我朋友們都說覺得我生活好像就只有工作。
我也不看電視,就算看YouTube 小紅書的短片也都看科普類為主,還會2倍速看完。
閱讀的東西也都是跟加強工作技能有關。
運動也是為了增強體力,我覺得體力好的話,這樣我兩個工作才不容易累。
基於以上我朋友都說我是工作狂🤣
英文也從一開始只會點菜到現在可以跟大家開會、講電話開玩笑,大概花了兩年多,因為前面兩年在華人公司上班很少講英文,而且那家公司全公司的英文都很差,直到去年搬進現在住的地方跟澳洲人住,然後室友又是非常熱心愛講課的金融顧問,所以被訓練起來了😂
我當初一開始只是抱著一個來玩的心態,申請個打工度假簽就來了,後面因為副業接觸到看起來不錯的機會又加上Covid當時情況不明朗我也不敢亂動,想說有工作就做著,總比回台灣失業好,就隨便續了個學生簽,想說給自己再兩年,副業沒搞頭就回家了,後來簽證要結束的時候,我客戶說突然新的專案有進展了,要跟一間在加拿大的業界有名的公司合夥在澳洲設新的分公司,所以我不能走,然後他就讓我進他朋友的公司做PM,我可以用學生簽做PM的原因是因為疫情期間政府大放水,學生簽證可以full time工作。
我原本隨便enroll的那個學位本來是不能申請畢業生工作簽證的,結果在我去找移民仲介談的前一天,因為疫情政府就暫時取消了職業評估的要求,所以我就變成可以申請工作簽了,那個移民仲介也訝異,她覺得我運氣實在很好。
所以她就幫我設計了一個方案,485畢業生工作簽2年再加482雇主擔保一年,這樣我就有3年的正職工作經驗,然後我就可以申請186 VISA,就是永居了。
我一走出仲介那裡一時還不敢相信,然後就開始等學校的畢業證書及成績單。
過了好幾個月,一直等到我學生簽要結束的前一個月都還沒收到,我就打電話去學校問,結果這件事情裡面四個人都出包了。
1. 學校老師混到不行,少發了很多作業給我。
2. 承辦的留學仲介以為我要回台灣不需要畢業證書,所以沒提醒我要去跟學校確認。
3. 我的移民仲介也有出一點包,她忘記發需要的材料清單給我,有些東西我如果沒回台灣根本拿不到,所以五月那時候我才會馬上訂機票回台灣🤣
4. 就是我呢,錯在太放心了,沒有提前去確認缺什麼文件。
就在簽證到期的前一個月發現這些事情,然後也來不及趕完作業,後來移民仲介趕快幫我續了一個Covid臨時簽證所以才能繼續工作然後一邊趕作業,仲介也已經先幫我把所有的簽證文件都準備好,只要一拿到畢業證書跟成績單就可以馬上遞交,最後借助ChatGPT,我把作業如期趕完了,真的是好在今年突然ChatGPT大紅我才知道這個東西,不然我根本不可能寫完作業的。
趕完的那一刻我整個如釋重負,結果好死不死,一查學校的行事曆發現學校再一個禮拜要放暑假了,如果我一週內不拿到畢業證書跟成績,學校再開學的時候,需要職業評估的要求就要恢復了,那我明年就要搬回台灣了⋯
才剛放鬆的精神都整個繃起來了,我就到處打電話發訊息騷擾學校騷擾老師,最後學校的職員也人很好的先幫我把文件準備好,等老師一上傳成績就立刻發畢業證書跟成績單給我。
等到拿到手了,突然發現我找不到雅思成績單,我兩個月前就考了,裸考平均7分,我當時就放心了,想說反正網路上應該可以下載成績單,我當下也沒去查看看是否真的可以下載,然後過了好幾個月才發現他們寄送紙本成績單到你家,而澳洲郵政系統爛到爆,我都還沒收到!然後我緊急聯絡雅思的辦事處,他們通融說再印一份給我,讓我親自去拿,可我當時人還在台灣,只能等回澳洲去拿,我完全無法再相信Austpost。
我25日一回澳洲馬上直衝學校去拿成績單,然後立刻發照片給仲介。
然後我就在政府恢復職業評估要求的前四天把簽證申請遞出去了。
趕作業曾經趕到心灰意冷,白天工作,晚上的副業也要趕圖,只能犧牲睡眠,中間一度想直接放棄回台灣算了,但是就只能給自己打氣說:「不行,妳這個廢物!老天爺已經放水放成這樣了,只要趕完作業就可以了妳在說什麼鬼話?能讓妳現省10萬澳幣的事情死都要搞出來!不過就是趕個作業有什麼難的!妳還有ChatGPT了,以前的人可沒有耶!」
然後就硬是趕出來了,老師可能也看我可憐,也給我放很多水怕🤣
之後雖然我是可以合法留在澳洲並能夠全職工作,但是這個簽證事關我後續能不能拿永居,所以在簽證下來之前我一直都心神不寧,情緒起伏很大,超容易爆炸,也超容易被害妄想症發作,老覺得同事在針對我欺負我,整個人戾氣很重,連我妹都說我的腦袋變得很sick。
就發現其實人如果生活有一個很大的不確定性的時候,真的是沒辦法分心在其他的事情上的,沒有多餘的能量去照亮其他人,因為這個東西會一直在心裡內耗榨乾妳的能量。
現在終於簽證問題真的解決了,我可以放鬆一陣子了😌
過了四年蠟燭兩頭燒的日子,回不了家,年假也沒休過,兩個工作,晚上下班吃完晚餐要趕圖,週末還要有一天跟客戶開會工作,還要學英文。
事情真的太多了,沒時間戀愛,沒時間失戀,也沒時間傷心,沒時間情緒低落。
11 notes · View notes
ogakichika · 1 year
Text
ガイドブック+Landreaall40
Tumblr media
これは表紙のラフ。
これを書いているのは3月ですが、2023年2月にランドリオールガイドブックと、40巻が出ました。長いマンガだなあ!応援ありがとうございます。読んでくれるみなさんの頭の中のランドリが最終形態、本物のランドリオールです。
ガイドブックは自分で開いてもびっくりする読みごたえです。長い間作り続けてくださった編集さんと担当さんのおかげです。できあがって本当によかった!
心残りってわけじゃないんですけど、ピンポイントで、DXとイオンの体重がですね、これは何年も前に雑誌の企画で提出したプロフの数値がそのまま採用されてまして、正確な数値を書いたら「重すぎ」って言われて修正したやつですね…、ガチ運動部の高校生、身長ー100くらいの体重のイメージです。スタイルはしゅっとしていても。そんな重要なとこではないですけども。
40巻の方は、本編はロマンにあふれたバリスタと回転がキモなんですけど、いや、そうではないか…。やっとここまで描けたよ!って感じです。今回は特装版にドラマCDがついてて、Twitterの方でも何度も言ってるんですが、わりと面白いシナリオが書けたなと自分で思ってる話なので、なんとかネタバレを踏まずに音源を聞いていただけると嬉しいです!
去年から約1年、自分の作品の20周年と、雑誌の20周年を祝ういろんな作業がこまごまこまごまと続いていて、一段落したらなんだかすごい疲れ果ててしまいまして、2月末から3月前半は虚無におそわれていました…。
読者さんたちがガイドブックと単行本を楽しんでくれているあいだ、安心して虚無でいさせてもらいました(?)ありがとうございました。
この疲労からの回復の遅さに加齢を感じます。今月、3月の本誌は本当にコンディションが悪くて、画面にちょっと反省点が多いです、これから発売なんだけど。できれば薄目で過ごしたい。花粉もひどいし。
しかし加齢のおかげでおおらかさも増しています。たぶん、これ以上おおらかになったら人としてやっていけないくらい元々おおらかではあるんだけど…。気を取り直して続きがんばります!
43 notes · View notes
kinemekoudon · 1 year
Text
【11話】 大麻所持で起訴されたくなかったので、裁判官や刑事に黙秘しておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
Tumblr media
――逮捕から3日目。例によって、6時半に留置官の「起床―!」という大声で目を覚ました後、掃除やら片付けやらのルーティーンをこなし、朝食をとり、運動場で日光浴を済ますと、すぐに留置官から「5番、移送」と声がかかる。
今日は勾留質問というイベントがあることをあらかじめ伝えられていたので、手錠と腰縄をかけられると、昨日に引き続きワゴン車に乗せられ、両隣に留置官が座った。
勾留質問とは、地裁の裁判官が被疑者の言い分を聞いて、勾留の必要性があるかを検討し、勾留を認可するか却下するかを決定するというイベントなのだが、弁護士曰く、薬物事犯は確実に拘留が決定するらしいので、裁判官が“検討する”フリをして、拘留認可の通知を出すという作業に、形式上付き合わされるだけなのである。
※ちなみに、令和3年「犯罪白書」によると、大麻取締法違反の勾留決定率は約99.8%です(勾留却下率0.2%)。また、否認や黙秘をした場合、ほぼ確実に20日間(“勾留の”最長期間)拘留され、弁護士以外の全ての人と面会ができなくなるという“接見禁止”がつきます。
ワゴン車が地裁の地下駐車場に着くと、地下の入口から、50人くらいが一堂に集められた広間に連れて行かれ、地裁での規則を説明されたのち、2畳ほどの待合室に入れられる。その待合室の中は、片側に硬い木のベンチと奥に便器が剥き出しで置いてあるだけの殺風景な部屋で、必要十分な機能を備えた裁判所らしい待合室だと思った。
1人の留置官が僕と一緒に待合室に入り、もう1人は待合室の外で待機していた。最初は裁判所の規則通り静かにしていたが、10分もすると退屈に耐えきれなくなり、僕は留置官と世間話を始めた。
Tumblr media
その留置官は、珍しくヘラヘラとした顔つきをしている柔和な印象の男で、身の上話を聞くと、元々モデルガンを収集していたガンマニアで、モデルガン好きが高じて、拳銃を所持できるからという幼稚な動機で警察になったという馬鹿げた人間だった。
そいつは最近結婚したそうなのだが、嫁が真面目で性格が厳しいらしく、モデルガンのほとんどを捨てられたそうだが、何十万円もする高価なモデルガンだけは、同棲開始前に嫁にバレないよう押し入れに隠しておいたので捨てられずに済んだという話を得意げにしていた。
やがて、ようやく呼び出しがかかり、裁判官の待つ小部屋に連れていかれる。待機の時間は朝から夕方まで続いていたが、その留置官と雑談していたおかげで、地検の待ち時間より長かったにもかかわらず、待ち時間を短く感じることができたので幸いだった。
裁判官の待つ小部屋では、対面に机を介して阿佐ヶ谷姉妹風のおばさん裁判官、その隣に書記官が座っており、おばさん裁判官は見るからにこの業務を面倒くさく思っていそうな、やる気のない面構えをしていた。
おばさん裁判官は、黙秘権の説明と本人確認のための人定質問をしてから、勾留請求書に書かれている被疑事実を読み、「何か言いたいことはありますか?」と僕に尋ね、僕が「黙秘します」と答えると、「それでは、逃亡・証拠隠滅の恐れがあるので、10日間の拘留を認め、接見を禁じます」と告知し、僕が「はい」と応えると、勾留質問はこれにて終了となった。
僕の陳述を親身に聞くフリすらしないおばさん裁判官の無機質な対応に、僕は少し不快に思ったが、どのみち拘留になるわけだし、早く終わるに越したことはなかったので、流れ作業をしてくれてありがたいと思うことにした。
Tumblr media
そうして、勾留質問が終わると、再び待合室で数十分待機させられた後、駐車場に駐めてあるワゴン車に連れ戻され、同行の警官の一人が裁判所から拘留決定通知書を貰ってくるまで、1時間ほど待機させられた。
それから1時間ほどかけて署まで戻り、留置場の居室に戻る頃には、19時位になっており、夕食の時間からだいぶ遅れて食事をとることになった。
ガンマニアの留置官と喋って退屈を紛らわせていたとはいえ、長時間手錠をかけられ、座らされていることにかなりカロリーを消費していたので、弁当一つでは満足できなかった。
食後、ニューヨークの嶋佐似の留置官が「5番、これ接見禁止の通知書」と言って、一枚の紙を鉄格子越しに渡してきて、「もし抗告するなら…」と言ってきたので、食い気味に「大丈夫です」と言って紙を受け取った。
暇つぶしに接見禁止の通知書をしばらく眺めていると、裁判所のババアの顔が浮かんできて、今になって腹が立ってきたので、紙をくしゃくしゃに丸めて壁に向かって思いっきり投げ、嶋佐に怒られるまでしばらく壁当てをしていた。
Tumblr media
――逮捕から4日目。朝の9時半頃、朝食を食べ終え、再度寝ていると、嶋佐が「5番、取調べ」とだけ無機質に言うので、寝ぼけまなこで立ち上がり、鉄格子の前に立つ。
留置官に連れられ、留置場の出入り口前に着くと、壁に両手のシルエットマーク、その下の床に両足のシルエットマークが印された場所があり、そのマークの上に立ち、手をつくように指示をされる。
壁に手をつき、直立する僕の身体を留置官が上からまさぐり、便所サンダルを脱がされ、足の裏まで確認されると、壁を向いた状態で手錠をかけられる。未だに手錠をかけられると、警察モノの映画でも撮影しているのかと錯覚するくらい、他人事のように思えてしまう。
手錠をかけられた後、嶋佐が腰縄を巻き付けてキツく縛ってきたので、「ちょっとキツいです」と申し出ると、「キツくしないといけないんだよ」などとラチのあかないことを言ってきたので、「昨日はこんなにキツくなかったんですけど」などとゴネると、隣にいたガンマニアの留置官が「取調室に行くまでの間だけだからさ。我慢してよ」と柔和になだめてきたので、僕はガンマニアに免じて大人しく従った。
場内から出ると、廊下には前に取調べをしてきた女刑事を含む3人の刑事が立っていて、女刑事を先導に、2人の刑事が腰縄を握って、僕の後ろにつく形で階段を上る。
ひとつ上の階へ上がると、「薬物乱用やめよう」とか「ダメゼッタイ」だのと書かれているバカデカいポスターが間隔なしにびっしりと壁に貼られている廊下を進み、刑事課の横を通った先にある取調室に入る。
Tumblr media
取調室のパイプ椅子に座ると、手錠と腰縄を外され、外した腰縄でパイプ椅子に腰のあたりくくりつけられ、女刑事が湯飲みに入った熱い茶を持ってきて、「それじゃあ取調べ始めるね」などと優しい口調で言い、対面のパイプ椅子に腰掛ける。
女刑事は、じゃりン子チエみたいな顔をして、表面上は男勝りに気丈に振る舞っていたが、口調や表情からは女性的な献身性が感じられた。
Tumblr media
女刑事は、取調べの前に黙秘権について説明をしてきたので、僕はすかさず「事件については黙秘します」と言い、「雑談でしたらしてもいいですよ」と付け加える。
すると女刑事は急に真剣な眼差しになり、「どうして?」と聞いてくる。僕は、前に弁護士に「なんで黙秘するのか聞かれたら、“怖い弁護士に黙秘でいいと言われた”とでも言っておけばいい」と言われたのを思い出し、そのままその台詞を言っておく。
女刑事は「あなたの人生に関わることなんだから、弁護士のいいなりになるんじゃなくて…」うんぬんかんぬんと言ってきたが、僕は「でも黙秘しないと弁護士に怒られるので嫌です」などと幼稚な返答をして、テキトーにあしらっておいた。
刑事調べは、僕が黙秘権を行使したため、事件とは関係のない雑談をすることになった。女刑事は僕が出身した中学校の隣の中学校に通っていたらしく、色々と共通点が多かったので、割と会話が弾んだ。
昼食の時間になり、一旦休憩ということで、留置場の居室に戻される。昼食はいつも、コッペパン2本、小さい包装に入ったジャムとマーガリンに、チョコレートペーストかピーナッツバターが各1個、小さい容器に入った2口3口で食べ終わる惣菜、果物系の味の小さい紙パックジュースかカルアップなのだが、今日は日曜なので昨日購入した自弁もついてきた。
Tumblr media
自弁とは、自費で購入する弁当(お菓子や飲み物も含む)のことで、日曜の昼食はお菓子と飲み物を頼めることになっていたので、この日は小さい紙パックのコーヒー90円と、どら焼き150円を頼んでいた。
どら焼きは別に美味しくもなんとも思わなかったが、コーヒーはとても美味しく感じた。僕は毎日3杯はコーヒーを飲んでいたので、4日ぶりに飲むコーヒーの苦みは舌中に染み渡ったし、何よりカフェインが効いてきて、珍しく覚醒作用をしっかりと実感できた。
昼食後、玉音放送みたいなノイズ感のニュース音声がスピーカーから流れ、それから10分ほど日本の歌が流れる。この日は福山雅治の「家族になろうよ」とかいうしょうもない歌がループでかかっていた。
それからすぐに招集がかかり、例によって手錠をかけられ、取調室に連れて行かれる。女刑事は「まだ話してくれないかな?」などと物寂しそうな風を装って聞いてきたが、僕は「無理ですね。でも、留置場に戻っても退屈なので、雑談してくれると嬉しいです」と正直に応えた。
女刑事は聞き上手だったし、僕はカフェインを摂って多弁になっていたので、それから3時間半ほど、事件に無関係な戯れ言をほとんど一方的にベラベラと喋り続けた。
「ブラジルの刑務所は半年に一度女を連れ込んでSEXができるらしい」とか「ノルウェーの刑務所はスタジオがあってギターを弾けるらしい」とか、「日本の刑務所は娯楽の重要性を軽視していて人権侵害だ」みたいなことを言っていた気がする。
夕方頃、女刑事は少し疲弊した表情で「じゃあ、今日はこのへんで…」と話を切り上げて、「調書を取らなかった」と記載された調書に僕の指印を押させた。文言に問題はなさそうだったので指印を押しておいたが、別に押さなくてもよかった。
女刑事相手に一方的に喋り散らかすという行為でストレスを発散できたようで、僕は非常に愉快な気分で取調室を後にし、留置場の居室に戻っていった。
Tumblr media
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
35 notes · View notes
castatratewriter520 · 6 months
Text
女兒的閹割癖
我是一個二寶爸爸,辛辛苦苦拉拔兩個女兒長大,如今我也已經56歲了,大女兒雪兒也已經28歲了,小女兒麗莎也22歲了,大女兒也有一個交往多年的男友大衛,準備論及婚嫁,直到有一天晚上,大女兒氣沖沖的跑回來,身為父親的我,直接認為是大衛欺負了她,問了雪兒到底發生了什麼事,大女兒哭哭啼啼的說,大衛不願意跟她結婚,還說打死也不願意,我聽了之後,很是憤怒,就算我們家不是什麼富有家庭,好歹我也是辛苦的培養出兩位優秀的女兒,怎能容許別人這樣任意踐踏我女兒的感情,我氣沖沖的跑到大衛的住處,打算要大衛給個說法,大衛一看到我的到來,很有禮貌的請我進入屋內,又幫我倒了茶,我開始質問起了大衛,到底為什麼要這麼對待雪兒,大衛很是為難的開始說到,叔叔,我也想跟雪兒結婚生子,但是她竟然告訴我說,等她替我生完兩孩子之後,要我把我的睪丸割下來給她,叔叔你也是個男人,你能接受這種條件嗎,我客觀的說,或許是你會錯意思了,她應該是要你去做結紮而已,大衛很激動的說,原本他也是這樣認為,但是雪兒真正的意思是就是把我的兩顆蛋割下來給她,我覺得我真的不能接受,但是我真的很愛雪兒,叔叔你幫我勸勸雪兒吧,割掉我的睪丸,我真的不能接受,看著大衛的我,頓時感到尷尬,沒想到我一手栽培長大的女兒竟然有這種嗜好,讓我也不好意思責怪大衛了,我只好答應大衛,我回去會好好勸勸雪兒,我便離開了大衛的住處。
一回到家後,雪兒立刻跑來問我,大衛答應跟她結婚了嗎,我遙遙頭,一語不發,心想這麼尷尬的話,究竟要如何說出口,我們坐在沙發上,難以啟齒的看著雪兒,我問了她,雪兒妳怎麼會想要大衛割掉他的睪丸,雪兒一臉尷尬的表情,心想著大衛竟然跟爸說了這件事,這樣以後不就讓爸知道我有這種嗜好了嗎,我馬上收拾一下情緒,平靜的告訴爸,我只是想著這樣做,我覺得我的婚姻才有保障啊,怎麼知道我如果替他生了兩個小孩後,他就不要我們了怎辦,我聽到這話之後,感覺意有所指,我也告訴雪兒說,我相信大衛是真心愛你的,他絕對不會做出傷害妳的事情,你真的不用太過於擔心,爸爸我比較想知道,為什麼你會想割掉大衛的睪丸,難道是他有什麼問題嗎,雪兒害羞的說,其實我從小的時候,那個時候爸爸跟我一起洗澡的時候,我就時常覺得爸爸的睪丸很大,隨著時間慢慢改變,我如今就對於男人的睪丸也越來越好奇,而大衛的睪丸也很大,我就覺得很好奇,這麼大的睪丸,不知道拿出來是什麼樣子,甚至出現了想收藏的念頭,所以我長大後才選擇讀醫學系���選擇了泌尿科,就是希望可以有機會收藏個幾副蛋蛋,可是如今這樣已經無法滿足我的渴望,我甚至覺得想收藏一下自己的老公的,面對女兒這樣的坦承,我頓時感到無語,我心目中那天真可愛的女兒,沒想到有這樣的想法,但是我總不能因為自己的女兒的癖好,就讓大衛為了他犧牲他自己的人生,我問了雪兒,難道你一定要割了大衛的睪丸才行嗎,你這樣子做,大衛都快嚇死了,你們這樣怎麼走一輩子,雪兒很激動的說,可是我真的很愛大衛,我也很喜歡他的大蛋蛋,我被雪兒鬧到頭痛,於是我又跑去找了大衛,我告訴大衛,你們結婚之後,雪兒要照顧孩子,時間一長她就會忘記這件事情了,大衛說,但是這樣我就會覺得雪兒一直想拿走我的睪丸,這讓我覺得很可怕,我不想一輩子提心吊膽的,我也只能表示尊重,於是跟大衛道別回到了家中,我告訴雪兒,大衛不願意一輩子提心吊膽的擔心妳隨時想割掉他的睪丸,還是放棄吧,好嗎,看著雪兒如此的難過,整天都不吃不喝,把自己關在房間裡,我心裡想,我這個父親真沒用,都沒辦法替寶貝女兒們解決問題,但是要找到一個願意為她割掉睪丸的人,恐怕真的也不容易,於是我做了一個大膽的想法,我告訴雪兒,不如我的睪丸給她當收藏吧,她就放過大衛的吧,不能因為這種嗜好而毀了一段緣分,這個癖好是因為我而開始的,就由我來結束吧,我告訴雪兒,爸爸我已經56歲了,有沒有那兩顆睪丸,說真的一點也不重要,如果妳願意,爸爸的割下來給妳當收藏,而你也不要再想說割掉大衛的了,好嗎,雪兒像是看到一個希望一樣,看著我,爸你真的願意給我嗎,你這輩子都為我跟麗莎付出了這麼多,難道這也要嗎,我告訴雪兒,只要是為了你們,爸爸什麼都願意,只要你們可以得到幸福,那就夠了,雪兒開心的點頭,大力的把我抱著,跟我說謝謝。
我問了一下雪兒,那我應該做些什麼,雪兒很興奮的說,要我先把毛剃乾淨,手術的時候不能有毛,我走到了浴室,坐在了馬桶上,手裡拿著除毛刀,看著手上的刀,我心裡想著,如果我這樣做可以讓雪兒開心,得到她的幸福,那我沒有蛋蛋也沒差,只是活了50幾年,沒想到我也有被割掉睪丸的一天,我小心翼翼地把陰毛剃掉,馬桶裡滿是我剃下來的陰毛,光禿禿的老二,我將一切整理好了之後,我回到雪兒的房間,雪兒已經將一切需要的東西都準備好了,我將房門鎖上,深怕這件事被麗莎知道,問了雪兒接下來要做什麼呢,雪兒告訴我,爸你可以把衣服都脫掉了,雖然這是一定要的,但是在女兒面前脫光衣服,還是非常的尷尬,雪兒看到我剃光的老二,開心的說,爸你的蛋蛋還是一樣這麼大顆,完全就是我記憶裡的樣子,來吧,坐在這張椅子上,我緊張的坐在了椅上,雪兒要我兩腿張開,我很緊張也只能照做,雪兒的手捧起我的睪丸,活到這年紀,沒想到再次被女人碰了我的生殖器,這個人竟然還是我女兒,心裡真的五味雜陳,雪兒感受了一下睪丸的重量後,竟然握住我的陰莖,開始套弄了起來,我開始撥開她的手,但是雪兒很堅持的握著它,不斷的套弄起來,隨著雪兒細嫩的手掌不斷的套弄,陰莖竟然不知廉恥的硬了,雪兒說,我這麼做只是想讓爸體驗最後一次射精,不知道為什麼我這9吋長的陰莖,竟然這麼快就射了,還是被女兒用射的,也因為很久沒有這麼做了,射的很多也很濃,雪兒笑說,爸很久沒有射了吧,射了這麼多,而且太快了,是不是想早點被割掉蛋蛋啊,我不發一語,只知道這是我人生中最恥辱的一天,雪兒用乾淨的毛巾清理了一下,拿著膠布將我的陰莖固定著,以免影響她動刀,雪兒拿著消毒藥水開始對陰囊進行反覆消毒,旁邊還有放著好幾支麻醉針,雪兒問我,爸你有想要保留陰囊嗎,割掉蛋蛋分成兩種,一種是單純把睪丸擠出來割掉,一種是連多餘的陰囊皮膚都切掉,爸會想要選擇哪一種方式呢,我心裡滿滿是問號,我也是第一次面對這樣的事情,我怎麼可能知道該怎麼選,我於是告訴雪兒,你自己決定吧,爸爸都尊重你的意思,雪兒說,那爸爸我幫你把陰囊皮也切除吧,因為多一塊皮在那邊其實不好看,我只是點點頭,雪兒開始拿著麻醉針在我的睪丸陰囊上面打針,很快就沒了感覺,雪兒先是捏了一下陰囊皮,問我還會不會痛,我沒有感覺,於是雪兒說,那我們開始吧,雪兒從中間捏起陰囊,刀子橫著劃開一個小口,沿著陰囊周圍慢慢劃開,過程中雖然不覺得疼痛,但是看到血淋淋的畫面還是很難受,隨著雪兒的每一刀,我的眼前出現了兩顆血色的睪丸,陰囊被雪兒整塊切了下來,雪兒將陰囊皮放到一旁的盤子裡,兩顆血色肉球慢慢的滴著血,雪兒把左邊的睪丸拿起,用手術剪慢慢把膜剪開一個開口,順勢把睪丸擠了出來,一顆白色的睪丸跑出來了,看著雪兒專心的樣子,身為父親的我,犧牲自己的睪丸,或許也值得了,雪兒小心的剪開精索,止血鉗固定住動脈血管後,另一支止血鉗固定住輸精管,剪刀沿著止血鉗剪下,我的睪丸就這麼被雪兒給剪下來了,看著雪兒把睪丸放到旁邊的盤子裡,接著開始進行縫合,看著旁邊的睪丸早已沒了生氣,又看著等等要被割掉的另一顆睪丸,或許這就是我的命運吧,雪兒很快就完成了縫合,開始對我的右睪丸下手,雪兒熟悉的操作下,我的右睪也完全跑出來了,白色的一顆睪丸,上面還有很多多細小的血絲,不到兩分鐘的時間,我的右睪也被剪下,看著雪兒細心的縫合傷口,我被雪兒徹底的閹割了,我現在沒了睪丸,剩一條直直的縫合傷口,包紮好後,雪兒要我先躺著休息,她去做好睪丸的保存,雪兒先是將左右兩顆區分開來,放在白紙上面,用尺進行量測,拍了幾張照片後,睪丸跟陰囊就被放到雪兒原本準備裝大衛睪丸的容器裡面,裡頭用福馬林泡著,一個新的收藏品就這樣誕生了,隨著麻醉藥退去,傷口的疼痛真的很可怕,我吃了雪兒準備的消炎止痛藥跟抗生素,過了大概一星期,我總算可以下床走動,隨著縫線拆除,我走向鏡子看著我被雪兒閹割的地方,沒了兩顆睪丸跟陰囊,剩下一條細細長長的疤痕,雪兒將照片給我看了一下,我的睪丸每一顆都有10公分長,我偶爾會去雪兒的收藏室看看我的睪丸,看著躺在瓶底的睪丸,我想我的犧牲如果換來他們的幸福快樂,那也值得了,但是我很快看到放在角落的一個空瓶子,上面的標籤竟然是寫著大衛的名字,還有一個三年後才會到的日期,沒想到雪兒依然沒有放棄大衛的睪丸,只是暫時隱藏在心裡而已,而我的睪丸不過是雪兒想得到的其中一副收藏品罷了。
6 notes · View notes
oka-akina · 7 months
Text
0920
今度の文フリ東京の新刊、ツイートした件とその続き。
新刊をお願いしようと思っていた印刷会社さんが11月の文フリ東京では直接搬入をやらないことがわかりちょっと慌てている。 配送ドライバー等人手不足とのことで時勢柄まあそうだよなという感じなんだけど、かなり〆切が変わってくるのでぎゃーーっと声が出た。問い合わせてみたらやはり宅配搬入だと一週間以上前倒しになるだろうとのことだった。 直接搬入は、イベント当日に印刷会社が自社便などで会場へ運び入れてくれるもので、やってない会社も多い(同人誌専門の印刷会社がある程度大きめのイベント・会場だとやってくれる…というイメージ)。宅配搬入は、印刷会社から宅配業者経由で会場へ搬入する。イベント主催の指定した搬入期間内に送るので〆切は早くなる。参加者が自宅から荷物を宅配するのと同じ。イベント前日に入稿して当日できたてほやほやの本になっている…みたいなギリギリ入稿は直接搬入ありきの話。 いやまあべつにそんな騒ぐようなことではないんだけど、気が小さいので自分で決めた予定が崩れるとけっこう動揺してしまう。とくに今回はひとさまに表紙デザイン(カバーイラスト)をお願いしているのもあって、動揺しながら取り急ぎ連絡。〆切が前倒しになるかもなので別の印刷会社さんの利用含めていったん検討したい…と伝えた。こういうときのぎゃーーって感じはぜったいメールの文面ににじみでちゃっていると思うので恥ずかしい。
今回の文フリ東京は土曜日開催で、直接搬入をやらない業者さんも多いみたい。しかも例年より二週間近く早い日程なので、そもそも〆切がとても早い。なんかこう自分の体内時計的に慣れない感じで落ち着かない。文フリ=勤労感謝の日らへん=慌てるのは文化の日過ぎてから…みたいなスケジュール感覚が自分の中にできてしまっているというか。
とりあえず使いたい紙やプランを比較しつつ、いくつかの業者さんに直接搬入の有無と〆切を問い合わせ(11月のイベントあわせスケジュールはまだ公開してない印刷屋さんが多く、サイトを見ただけではわからなかった)。夜のうちにぽこぽこメールを送って返信待ち。
・本文用紙は嵩高紙 ・カバーは特殊紙 ・本体表紙は色付きがいいな ・〆切は可能な限り遅く ・直接搬入
こうして挙げてみると、自分の希望はかなり贅沢なような気もする。直接搬入についていえば、体力的なことを考えると家から宅配便を送ったり手搬入したりはできるだけ減らしたいし(重いものを持つのが本当にとても苦手)、何よりギリギリまで〆切を引っ張れるという点でもできるだけ直接搬入を利用したいんだけど、そういう便利さに慣れきった同人活動をしているんだよなーとちょっと省みる。 というかこういうさまざまな便利さに頼らなければ自分のような人間は本を作ってイベントに出るのは難しいかもとも思う。計画性や体力のない人でもやれる方法があるというのはありがたいし豊かなことだよな…。計画性や体力のない人の作品もあったほうがいいし世の中に出回ったほうがいい…とちょっと自分を励ましてみる。
次の日の昼すぎ、回答メールがぽこぽこ届き始めた(メールを送るのも受け取るのも「ぽこぽこ」って感じだと思うんだけどなんでなんだろう)。 「〆切は調整中、待ってて」「だいたいそんな感じだけどまだ日にちは決まってない」「目安はこのくらい」「未定だけどだいたいこれでいけます」…まだ出揃わないけどだいたいどこもそんな感じの回答。まあやっぱ1ヶ月以上先だとそんな感じだよなーと思った。 ふだんなら自分一人の作業だから「やってるところに突っ込む」でどうにかするだけなので(これまでそれで本当にどうにかなっている)、こんなに早くからカレンダーとにらめっこして日にちを数えているのはちょっと新鮮。ひとさまにデザインを依頼するのって大変だな…と思いつつ、描いていただく作品がめちゃめちゃ楽しみなので、こういう大慌てのぜんぶの根底にも喜びがある。 直接搬入できる業者さんは意外とあった。ただサイトの書きぶりだとそのあたりを読み取れないところも多かったので(土曜のイベントについては言及してないとか)、こういうプラン等の比較もある程度元気なときにやらないとしくじりそうだなと思った。調子が悪いと人と会話をするとか質問するとかがおっくうになってしまうので、パッと問い合わせするとかが本当にできなくなるし、思い違いや見落としもやらかすし。
まだ回答待ちの印刷会社さんもあるけど、〆切日や仕様がけっこうちがうのでどこにお願いするかとても悩む。「本体とカバーをべつべつの印刷業者に発注して当日会場でカバー巻きする」…という力技になるかもしれない…? 本体だけ直接搬入にして。ただ会場の長机でカバー巻きなんてできんのかな〜とも思う。 じゃあやっぱカバー巻きありで直接搬入のある印刷屋さんにお願いした方がいいのかな。でもそれだとカバー用紙か本文用紙かどっちかはあんまり希望のものではないんだよな…とか���るぐる考える。こういうの検討していると、自分にとって譲れないポイントってそこなんだなーみたいな発見もある。あと利用したことない印刷屋さんや用紙は単純にワクワクするというのもある。読む本でも旅行でも、いつも未知のものがいちばん面白い…気がする。 そうしてぽこぽこ届いたメールの一通に、「入稿お待ちしております。頑張って描いて下さい。」と励ましの言葉があり、ちょっとなごんだ。
Tumblr media
エチオピアのカレー。神保町の本店のところはカレー屋が三軒くらい並んでいる。
7 notes · View notes