#皆の今後の発展を願う
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先週から2週間のアジア出張中。この週末はバンコク泊だったが、珍しく2日間フリーだったので、金曜日深夜にいつものサイトを物色し、ほどなく現地人在住のヨーロッパ人のdaddy二人と会うことに。
訪れた立派なアパートの最上階には、俺より10才ほど年上と思われるdaddyが住んでいて、既にそのdaddyのセフレと言う俺より少し若めのdaddyが待っていた。年上daddyはスリムなイケオジで、若めdaddyはがっしりした筋肉質で口の周りのヒゲが似合う男らしい爽やかでハンサムなイケメン。二人に会うと、笑顔で迎え入れてくれて、すぐやろうと。
ベッドルームに案内され、皆で服を脱いで用意されたハーネスやケツ割れ、コックリングを装着する際、二人の共通点に気付く。二人共、白人らしい形のいい20cm以上はあろうかと言う太い立派なデカマラと、コックリングでパンパンになったデカい金玉袋をぶら下げている!!💉は既に年上daddyが3本用意してくれてあり、それぞれで打つことに。
二人のイケメンのデカマラdaddyと、着替えたエロい姿と、どれだけ入っているか分からない💉を目の前に俺の胸は高鳴り、既にフル勃起のチンコからは我慢汁垂れまくり。
3人で同時に打ち終わるや否や、俺は咳き込み、いつもと違う鼓動の高鳴りにハアハアいいながらベッドに倒れこんだ。初めて咳き込みを経験し、これまでにないほどハイになっているのが分かるが体がすぐに動かないのは初めての経験。二人も打ち終え同じく一気にハイになったかと思うと、いきなり若めdaddyは仰向けになっている俺の勃起したチンコをケツ割れから引っ張り出してしゃぶりまくり。年上daddyは俺にエロいベロチューをしたかと思うと、俺の顔を抑えてガマン汁が垂れている勃起したデカマラを俺の口に突っ込んで来た。のぶといデカマラにむせながらも、よだれ垂らしてしゃぶりまくった。続いて若めdaddyが俺のケツの穴を舐め、年上daddyは俺の顔にまたがってデカいマラと金玉とエロいケツの穴を押し付けながら俺のチンコをしゃぶるというこの上ない至福の展開に。
気付くと若めdaddyは俺の上に乗ってビンビンになったデカマラを揺らしながら俺のチンコを筋肉質ながっしりしたケツに突っ込んで腰を振っている。男らしいイケメンdaddyが高揚した顔で俺のチンコを自分の穴に突っ込みながら柔らかい生暖かいケツの穴を時々キュッと締めるのを繰り返す度に俺は感じまくり我慢汁放出しまくってた。
あまりの気持ち良さにもうろうとしていると、次は年上daddyが代わって騎乗位になった。使い込まれたケツの穴はローション付けずにチンコを飲み込み、グチュグチュといやらしい音を立てて、俺の興奮は収まらず腰を何度も突き上げてやった。その間は若めdaddyのデカマラときれいなケツの穴は俺の顔の上に押し付けられていたことは言う間でもない(幸)
それから正常位に体制を変え年上daddyの足を抑えてベロチューしながら掘っていると、若めdaddyが後ろにまわり、掘っている俺のケツの穴を舐め始めた。あまりの気持ち良さにしばらくその姿勢で掘っていたが、突然柔らかい舌から熱い固いデカマラがぐいっと俺のケツの穴に押し込まれ、思わず悶絶。
これぞ究極の3some、念願のイケメン野郎の真ん中に入ってサカリ合いが実現し、エロさと嬉しさで頭の中が真っ白になって腰振っていたら、我慢出来ずに年上daddyのケツの穴に発射。年上daddyは嬉しさのあまり俺に激しくベロチュー。
すると若めdaddyもいきなりピストンが早くなり、Fuck!の声と同時に俺のケツの中にデカマラをギュッと奥まで突っ込みピクピクと脈打たせながら大量のザーメンを放出。俺達3人はチンコをケツに突っ込んだままのサンドイッチ体制でしばらく抱き合って放心状態。
そこから動いたのは年上daddy。俺のザーメンが入った自分のケツの穴を俺と俺に重なっている若めdaddyに見えるように四つんばいになり、ケツの穴を緩めてザーメンを流れ出して見せた。むちゃくちゃハイになってた俺達はケツの穴と流れ落ちるザーメンに食いつき、ザーキス。次に年上daddyは俺の腰をぐいっと引き上げケツの穴を両手で拡張。すると俺のケツの穴から若めdaddyの大量のザーメンが流れ出るのを二人が競うようにむさぼっていた。3人はお互いのチンコとケツの穴を舐めまくりザーメンをきれいに舐め取りしばらく3人でザーキスしながら抱き合った。
ここまでの話は💉を打ってからたったの2時間弱。あまりの興奮に3人共一気にハイになって無我夢中だった。
一旦3人でシャワーを浴びて休憩した後は、イケメンyoung daddyの甘えた声での度重なる追加要請により、翌日のお昼頃までいろいろな変態プレイを4回戦最高に楽しみまくった。
今度は仕事じゃなく休み取って来ると約束。今��の夏休みの予定は決まり!昨日終わったばかりなのにもう待ち切れない。
#daddy
#キメセク
#3some
#ザーキス
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知��ないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、���うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠���いし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼��鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、��戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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🐾個展終了のお礼🐾名古屋巡回展示のお知らせ
八犬堂ギャラリーでの個展が本日17時を持ちまして終了しました。
雨や強風の日も多い中、ご来場頂きありがとうございました!感想ノートも大事に読ませていただきます。
また、SNS等を通して応援を届けてくださいました皆様に感謝申し上げます。
今回は柴犬とトラネコシリーズが中心という事で犬猫好きの方が多くご来場いただきました。2匹の姿にみるさまざまな想いをお聞きでき、より一層制作に力が入ります。
そして、今回絵をお迎えいただいた皆様にお礼申し上げるとともに、私の作品が日々の癒しの一つとなるよう願っております。
ご来場いただいた皆様、応援くださった皆様、展示に関わっていただきました皆様に改めてお礼申し上げます🐾
〜速報〜
🐾名古屋の松坂屋本店にて展示決定!🐾
この度、松坂屋名古屋店本店8階のART HUB NAGOYA(ギャラリーαスペース)にて今回の個展の巡回+他作品を合わせた柴トラ夏子の個展が決まりました!
※今回ご成約済みの作品は巡回しません。ご了承ください。
会期は8/20〜9/2を予定しております。
詳細が決まりましたら追ってお知らせいたします。
※会期等変更される場合がございます。
(個展は今年最後なんてお知らせしていましたが、早とちりをしてしまいすみません🙇♀️)
実は、まとまった数の作品が武蔵美と東京の会場以外で展示されるのは初めてとなります。
名古屋で展示できることを光栄に思います!決まったばかりの展示ですが、楽しみです!
どうぞよろしくお願いします🐕🐈🐾🐾🐾🐾🐾
#柴犬とトラネコ 🐕🐈
#shibainuandtoraneko
#shibainuandtabbycat
⚠️以下の個展は終了しました
柴トラ夏子個展
「あの日。-犬と猫が見ていた風景-」
🐾会期 5/31(土)~6/7(土)※月曜休み
🐾時間 11:00〜19:00 ※最終日17時終了
🐾入場 無料
🐾会場 八犬堂ギャラリー(京橋)
→〒104-0031 東京都中央区京橋2-6-8 2階
◇ 銀座線 京橋駅 6番出口 徒歩2分
◇ 都営浅草線 宝町駅 A5出口 徒歩1分
◇ JR 東京駅 八重洲南口 徒歩10分
※WEBでは会期中20:00〜10:00(8:00pmー10:00am)までkonoyo.netでも販売します。
八犬堂ホームページ
https://hakkendo.net/index.html
🐕🐈🐾🐾🐾🐾🐾……………………………………………………
🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾
≪柴トラ夏子 ≫ #shibatoranatsuko
日本画画材を中心に、絵を描いたり立体造形をしています。愛犬と愛猫をモデルにした「柴犬とトラネコ シリーズ」の他、動物や子どもなどをテーマとした作品を発表しています。
🐾HP https://shibatoraneko.tumblr.com
🐾Instagram
https://www.instagram.com/shibatoraneko/
🐾X(Twitter)
https://x.com/shibatoraneko
#お知らせ#exhibition#柴犬とトラネコ#shibainu&toraneko#shibainu&tabbycat#日本画#nihonga#japanese stylepainting#art#artists on tumblr#original#japan#shiba inu#tabby cat#個展情報
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Persona 3 the Weird Masquerade ~The Blue Awakening~ pamphlet message and keywords transcription.
MESSAGE
遂に「ペルソナ3」も舞台化となりました!
「ペルソナ3」というゲームは、限りある「今」に真剣に向かい合って生きることの大切さと、それを分かち合える「絆」の素晴らしさを描いた作品です。発売から長く経った今でも、ゲームプレイとは全く異なる形で背さんと一緒に「ペルソナ3」の世界を体験出来るのは、応援���して下さる情さんがいらっしゃってこそ。
おかげさまでゲームの最新作も続々とリリースさせて頂く予定となっていますので、こちらも是非、宜しくお願いします!
橋野 桂
KATSURA HASHINO
原作「ペルソナ3」 ストーリー原案、ゲームデザイン
本日はWeird Masquerade (仮面舞踏会) にご来場いただきまして誠にありがとうございます。まさか自分で「ペルソナ3」を舞台化することになるとは夢にも思っておりませんでした。しかし演出の奥さんほか、様々な方のご縁でプロデュースすることになり、キャストの皆様もこれまで馴染みのあるキャスト、初めましてのキャスト、それぞれのご縁で集まっていただきました。そういう意味では、この舞台は、人と人とのつながりや絆なくしてはなり得なかった作品です。それはまさに、ペルソナのテーマの一つでもあることに気が付き、原作とのご縁も深く感じながらこの作品に取り組んでまいりました。
奥さんの創造する映像とステージのコラボレー��ョン、清実さんの秀逸のダンス、いいむろさんの紡ぎ出すマイムに、役者たちの情熱が加わったとき、きっと皆様の目の前にはペルソナ3の壮大な世界が現れていると思います。本日は存分にこの舞踏会をお楽しみください。
吉井敏久
TOSHIHISA YOSHII
舞台「ぺルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」プロデューサー
まずはじめに、ペルソナ3の舞台化に関われた事を心から感謝します。
珠だという言葉こそがふさわしい沢厚なストーリー美しい楽曲の数々凛として、でもどこかはかなげな人間味あふれるキャラクター達と迎えた幾度の側焼け⋯はじめてクリアしたときに体験した、あのとてつもない余肌は今でも忘れません。
いつまでも決して色あせる事の無い魅力にあふれたこの作品、自分を信じ、強い気持ちを持って前に進む事の大切さを教えてくれます。
あの時、あの日の自分が感じたあの感動を分かち合いたいです。ペルソナ3を愛する全ての人達とともに。
奥秀太郎
SHUTARO OKU
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」演出
原作ゲーム「ペルソナ3」は、今でも多くのファンに愛されている、まさに記憶に残る名作です。そんなペルソナ3を舞台という全く別ジャンルに持ち込むことに、不安がなかったかと言えば嘘になります。ですが奥秀太郎さんの素晴らしい映像・演出、そして役者のみなさんの熱演が、必ずやゲームという二次元を再現、さらに言えば超えると⋯⋯まあそんな堅苦しい話はいいとして。
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」を観に来て頂きありがとうございます。ペルソナ3は劇場アニメ版の方の脚本もやらせて頂いているのですが、きっと間違いなくこの郷台も負けないほどおもしろいものになるでしょう。なんといってもペルソナ3なので。
舞台の一番の見所はやはり役者のみなさんの熱演だと思ってます。いかに原作のキャラクターを再現しつつ、役者さん自身の味を滲ませてくるか。そのあたりに注目して見て頂けると嬉しい限りです。俺も観るのが楽しみですホント。ではでは、最後までお楽しみください。
熊谷 純
JUN KUMAGAI
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」脚本
KEYWORD
[ ポートアイランド ]
月光館学園は、ポートアイランドにある。主人公たちは学生寮から毎日モノレールでこの人工島まで通う。
[ 辰巳ポートアイランド ]
巨大ショッピングモール、ボロニアンモールを擁するポートアイランドの中心地。私立月光館学園もこの一角に建てられている。
[ 私立月光館学園 ]
主人公が学園生活を送ることになる月光館学園は初等部から高等部まである私立学園で、桐条グループが有する名門。小学校から高校までの一貫教育を旨としている��、柔軟な受け入れ体制もあって編入者も多い。自由な校風とファッショナブルな制服などにより近隣の学生からの人気も高い。ポートアイランド誕生と同時に桐条グループの資金が流入し、実質、グループの傘下となって現在の場所に移動した。
[ 巖戸台分寮 ]
表向きには月光館学園が所有する寮の一つ。しかし実際には特別課外活動部の拠点となっており、ペルソナ使いの資質を持つ者だけが選ばれ、入寮を許される。
[ 桐条グループ ]
世界規模で展開されている巨大な複合企業。病院や学校経営、都市開発などさまざまなジャンルに進出しているが、その根幹となっているのは機械技術・部品製造関連部門で、グループ内で最大シェアを誇っているのが、電子機器の開発、製造を行う桐条エレクトロニクス。現在、桐条グループ全体のトップに立ち、全権を握っているのは、美鶴の父親である桐条武治。
[ 桐条鴻悦 ]
先代の桐条グループ総統。桐条武治の父親。10年前の事故で死亡。
[ 影時間 ]
午前0時から約1時間存在するこの時間は、多くの人にとっては「ないもの」として認識される。その存在にすら気づかない人が多い中、主人公たちのように「適正」を持つ者は影時間の間でも自由に動くことが出来る。
[ シャドウ ]
影時間にあらわれる謎の敵。彼らは様々な能力・姿を持つ。影時間への適性を持っていたとしても、彼らと戦う力がなければその精神を貪り食われてしまう。
[ 象徵化 ]
影時間に適正を持たないものは、午前0時以降、“象徴化”して棺のオブジェに姿を変える。何も見えず、聞こえず、感じず、起こったことを覚えてはいることはない。
[ タルタロス ]
影時間の訪れとともに集合したシャドウの力が空周に干渉し、月光館学園校舎を変容させた姿。午前0時になると突如出現するタルタロス。遥か上空までそびえたつこの謎の迷宮に一体なにが隠されていると言うのだろう。
[ ペルソナ ]
ペルソナとは、もう一つの自分。シャドウとの戦いだけでは得られない仲間たちとの絆が、心の力ペルソナをより強くする。
[ 召喚器 ]
ペルソナ使いが召喚に使用する器具で、特別課外活動部の部員には、拳銃型召喚器が支給されている。召喚器は拳銃を模しているだけで、引き金を引いても弾は発射されない。死と恐怖を連想させる形状と、みずからに引き金を引くという行為が、召喚をスムーズにしている。
[ オルフェウス ]
主人公が最初に覚醒させたペルソナ。ギリシャ神話の太陽神アポロンの息子で、竪琴を得意とし、死んだ妻の蘇生を願って、冥界へと降りたオルフェウスがモチーフ。
[ イオ ]
ゆかりのペルソナ。ギリシャ神話に登場する、ゼウスの妻ヘラの神殿の巫女、イオがモチーフ。
[ ヘルメス ]
順平のペルソナ。ギリシャ神話に登場する、神々の伝令を務める神、ヘルメスがモチーフ。
[ ポリデュークス ]
真田のペルソナ。ギリシャ神話に登場する、ゼウスの子で不死身の神ポルックスがモチーフ。
[ ペンテシレア ]
美鶴のペルソナ。トロイアとギリシャの戦争の際、12人の女戦士を引き連れて劣勢のトロイア単に加勢したとされる、アマゾネスの女ペンテシレアがモチーフ。
[ ルキア ]
風花のペルソナ。中世キリスト教に伝わる型人、聖女ルキアがモチーフ。
[ 特別課外活動部 ]
略称はS.E.E.S.。ペルソナ使いを集めてシャドウと戦うことを目的としている。発足者兼部長は美鶴、顧問は幾月。その活動の真の目的は一般人には知られてはならないため、対外的には部活動という体成をとっている。発足当初はペルソナ使いは美鶴だけであったが、真田をはじめとするペルソナ使いが次第に増え、現在に至る。拠点は巌戸台分寮。
#persona 3#persona 3 the weird masquerade#p3#p3wm#ive had this for a while now#the rest of it is just photos and a bit of information about the cast which tbh isnt very interesting
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つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本を代表する音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、新譜をBandcampにて発表した。つじしま女史曰く、この度の新譜は、令和に元号が変わってから初めてのものであり、発表と同時に、シリアや北朝鮮、東欧地域からの注文が相次いでいるという。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。
はじめまして、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。全く存じ上げないのですが、つじしまみちこさんは何者なのでしょうか? 世界的な音楽家ですが、コロナ禍に体調不良(後述)に見舞われ、��舞台から一度降りたので、日本の皆さんがご存じないのは無理もございません。2010年代より「つじしまみちこ」名義で純音楽の作曲に勤しんでおりましたが、平成末期の頃、電子音楽に興味を持ち、ウェブ上でいくつかの作品を公開しておりました。
つじしまみちこさんの名前の由来を教えてください。 ネトウヨに刺される恐れがある為、その質問への回答は差し控えさせていただきます。
つじしまみちこさんは、太宰治の妻であった津島美知子さんと何か関係があるのでしょうか。 ない。
つじしまみちこさんは、こしじまとしこさんから影響を受けておりますか? とても良い着眼点です。ないです。
つじしまみちこさんが最も影響を受けたアーティストは誰ですか? 何人もおりますが、一番影響を受けた人物を挙げるとすれば、子供の頃に目撃した、河川敷で黙々とドラム缶を半裸で殴打する名も知らぬ老人です。ヴィジュアル、音響、発想、その全てが芸術的でした。
つかぬ事をお聞きしますが、本当につじしまみちこさんは、専業の音楽家でしょうか? 音楽だけでは一年当たりの手取りが2000万円ほどしかなく、これだけでは食べていけないので、普段は株式、債券、金やレアメタルへの投資で生活費の大半を稼いでいます。所謂「億り人」です。
つじしまみちこさんにとって音楽とは何ですか? 単なる聴覚異常の原因でしかありません。実はコロナ禍に、頭の中で中島みゆきの「糸」が止まらなくなる奇病を患った事があり、心療内科・脳神経外科・内科・循環器科・耳鼻咽喉科・性病科をハシゴしたのですが、何処の病院に掛かっても原因が不明故に一向に快方へ向かわなかった為、処方された薬をゴミ箱に捨て、代わりに朝昼晩の食前食後に日本酒を飲んで自己治療をしている内に、恐らく音楽が原因ではないかと思うようになりました。非常に辛い思いをしたので、もう音楽なんてやめたくて仕方がなかったのですが、覚醒剤と同じでやめたくてもやめられませんでした。
つじしまさんが音楽制作を始めた理由は何でしょうか? 2010年代の半ば、それまで勤めていたブラック企業を解雇された後、楽して稼げる方法はないかと模索を始め、やがて、音楽配信と広告収入で不労所得が得られる事を知り、菊池有恒の「楽典―音楽家を志す人のための」や放送大学のテクスト「音楽理論の基礎」を熟読して音楽理論を独学し、楽曲制作に明け暮れていた時期があるのですが、殆ど誰にも見向きもされず、どれ程営業努力をしても数千円の収入しか得られ��せんでしたので、空しくなって3ヶ月ほどでやめてしまいました。当時の音楽シーンを見渡すと、病気や精神障害を抱えた人しか活躍していない惨憺たる有様でしたので、心身共に健康でおまけに京大卒と言う絵に描いたようなエリートである私に居場所などある筈もありませんでした。その後は、マーケットに戻り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で活躍していたのですが、人が一所懸命汗水流して世界経済を動かしている最中、いい年して子供の遊びに夢中になり、事あるごとに感情的な言葉を下水道から逆流した汚物の如くSNS上にぶちまける所謂クリエイターと呼ばれる輩が憎くて仕方がなくなった為、彼らへの嫌がらせの一環としてウェブ上で不快極まりないミュージックを次々と公開し、戦いを始めたのが「つじしまみちこ」誕生のきっかけです。
今回の作品ですが、発表しようと思ったきっかけは何でしょうか? Bandcampのページ内のライナーノーツに記載の通りです。
今回の作品ではAI技術を活用したNEUTRINOというボーカルシンセサイザーが大々的にフィーチャーされております。ボーカロイド等の音声合成技術はお好きでしょうか? 好きで使っているのではなく、予算と私の人徳の問題でボーカリストの協力が得られない為、仕方なしに利用しています。NEUTRINOにせよボーカロイドにせよ、未だプロのボーカリスト程の歌唱力や表現力を持っておらず、また活用できる楽曲のジャンルは基本的にエレクトロ色の強いポップミュージックに限られていると感じており、不満の方が大きいです。
ジャケットに描かれた化け物は何ですか? 生成AIに「みちこ」の画像を生成するよう命令した所、アジア系の少女の画像が出力されたので、それをポリゴン加工し、目と口をつけました。化け物ではなく、AIと私のコラボレーションによって生まれたつじしまみちこの肖像です。
私は今回の作品でつじしまみちこさんの作る音楽を初めて聴いたのですが、いずれの楽曲も、オウム真理教が布教の為に作った音楽や旧ソ連の人々がジャーマンテクノなどに代表される西側のニューウェーブを模倣して作った電子音楽を彷彿とさせるものでした。実はインタビューの前に公安関係の方から、つじしまさんは以前よりオウム真理教や〇〇〇〇〇(自主規制)との関係が噂されていると聞いたのですが、これは本当でしょうか? (記者の問いかけに対し、額に手を当て沈黙するつじしま)
つじしまさん、もうオウムなんて辞めて創価学会に入りませんか。楽しいですよ。 断る。私は尊師を裏切る事は出来ない。
真面目な質問に軌道修正しますが、つじしまさんの新譜は、キング・クリムゾンやピンク・フロイド等の往年のプログレッシブ・ロックの影響が色濃いように感じるのですが、つじしまさんの年齢は、一体おいくつですか? つじしまみちこ自体は平成生まれの永遠の27歳であり、年を取らないのですが、中の人はGHQ統治時代に生まれた昭和世代の為、年齢が年齢だけに、新しい音楽を聴いても、作風にアップデートが掛かりません。近頃は耳そのものが聞こえなくなってきました。
コード進行、曲の展開が非常に独特ですが、何か曲作りの上での拘りはございますか? 私は楽典にもポピュラー音楽理論にも知悉しておりますので、音楽理論に基づいた作編曲が出来るのですが、ロック、古楽、雅楽、民族音楽、果てはノイズミュージックに至るまで、古今東西の様々な音楽を聴き続けた結果、不協和音さえもハーモニーと捉えられる程に感覚がおかしくなった為、最早、自分でも一体全体何をしているのか分からない状態で作品作りをしております。 かつて「躁鬱ポップ」を標榜し、Aメロはメジャーコードのクリシェで安定しつつも停滞した印象付けをし、その後のBメロはオーギュメントコード、ディミニッシュコード、クラスターコードの嵐という混沌状態、サビはメジャー・マイナーが混在する90年代的な懐かしい進行とし、リスナーが散々苦しんだ末に救済されるような構造の作品を濫造していましたが、今回はサイケデリック・ロックを彷彿とさせる不気味な進行の楽曲を、メロディーとアレンジを熱心に研究・工夫して、ポップミュージックに仕立て上げました。陽気ながら、どこか不気味で違和感溢れる仕上がりとなったと自負しています。 新譜の発表前、音楽業界の関係者に「マイク・オールドフィールド以来のプログレの名盤が出来たので聴いて欲しい。内田裕也の跡を継ぐロッカーとして、ネット出身の軟弱なアーティスト達を日本の音楽シーンから駆逐したいと考えている」と伝え、私の作品の試聴をお願いしたのですが、視聴直後より、誰もが次々と体調不良を訴えたり、家庭環境が崩壊したりと様々な災いに苛まれるようになったようです。唯一、異なる反応を見せたのは数年前から懇意にしているディスクユニオン新小岩店の店長で、曰く「このアルバムはプログレの棚には並べられない。そもそもロックミュージックのアルバムと言うより、歌謡曲のシングルと呼んだ方がしっくりくるので『つのだ☆ひろ』の中古8cmシングルと同じ棚に置く事になる」とのことでした。「せめて『人生(ZIN-SÄY!)』と同じ棚にして欲しい」と頼んだのですが「当店には既に『人生(ZIN-SÄY!)』は在庫がない」と言われました。ピエール瀧が逮捕された時期に一掃されたそうです。
新譜制作に当たって使用した機材を教えていただけますでしょうか? 20世紀末に購入した古いNECのPC-98マ��ンで制作をしました。PC-98と言っても今のZ世代は分からないと思いますが、かつてMicrosoftのWindowsやAppleのMacintosh、フリーOSのLinuxと拮抗していた日本産OSです。既にサポートどころか新製品の販売すらされなくなって久しく、ウィルス感染が怖いのでオフラインで利用しています。楽器についてですが、3トラックとも、電子音は、全て初代Moogを手弾きしたもので、ピアノは10年以上愛用しているSteinway、パーカッションはJazzの名盤から抽出した音源で、予定調和の展開を悉く破壊して心をざわつかせる民族楽器の類は現地の方に弾いてもらったものです。今回の作品の為にモニタースピーカーやオーディオインターフェースは一新しており、自宅も防音仕様に改築しました。
機材を一新したとの事ですが、これまでとの曲作りで大きく変わった点は何でしょうか? 曲を仕上げた後、火照った頭と体を鎮める為に夜の街へ飲みに出かけるようにしているのですが、以前は炭水化物抜きで日本酒とつまみだけで飲み続けていたのを、今回からは、シメにご飯物を頼むか、あるいは最初から丼物を頼んで酒を愉しむようにしました。一年ほど前から一升ほど酒を飲むと正体不明になって、自宅に帰る途中に車道で寝てしまったり、気が付くと明け方のゲイバーで店主と口論になっていたりと大変な事態に見舞われるようになっており、当初は年のせいかと思ったのですが、どうやら、医学的には酒を飲んだ時は炭水化物を摂った方が良いとの事でしたので、飲酒の仕方を大きく変えるようにました。太るかと思ったのですが、毎朝、酔っぱらった状態でジョギングをしたり、ジムでトレーニングをしている内、代謝が良くなり、沢山食べても体形が変わらなくなりました。時折、血尿が出ますが元気で暮らしています。
アナログシンセの音作りが絶妙にレトロで、YMOを想起させますが、坂本龍一氏と同じクラシック畑出身のつじしまさんは、坂本氏にどのような印象を抱いておりますか? 彼の作品は「千のナイフ」と「音楽図鑑」しか聴いた事がないのですが、電子音楽という形態を取らず、ピアノや管弦楽器などの生楽器を主体とした編成の方が良いものになると思っておりました。彼にこの事を伝えようと、上野辺りに呑みに誘おうとしていたのですが、その前に癌で亡くなってしまいました。
つじしまさんがヨーロッパ出身というのは本当ですか? はい。フランスで生まれました。
虚実入り混じるお話を延々として頂いた所で恐縮ですが、最早、誰もが理解不能な内容になっている上、好い加減、私自身が耐えられなくなっておりますのでインタビューを仕切り直したく思います。ここから先は真剣に答えていただけますか? 構いません。
つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本在住の音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、Bandcampにて新譜を発表した。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。デビュー以来、初めて真実を語るつじしまに迫りたい。
2020年代に入って音楽活動を事実上停止していたつじしまみちこさんがこの度、新譜を公開した背景は何でしょうか。 事の発端は昨年2024年11月にアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが再び大統領に選出されるという歴史的場面を目にした事でした。開票結果の出た日、私は、アメリカの知識人たちが民衆に対して語る言葉や伝える力を失った結果、あのような事態を招来したと感じました。同時に、私自身も、これまでの音楽活動の中では、具体的な説明を放棄し、受け手である視聴者に冷淡な態度を貫き、事あるごとに辛辣な言葉を浴びせかけてきたものの、よくよく考えると、私のしていた事は、反知性主義者の前に脆くも破れ、時代の敗者となったアメリカのインテリゲンチャと変わらない事に気付き、これまでの態度を猛省し、次こそは、難解な事柄を理解出来る知性を持つ少数者が聴いても、そして、前提知識のない愚昧な一般大衆が万が一聴いてしまっても、両方の層が楽しめるような作品を作ろうと一念発起した事が新譜制作の動機です。
今回の作品では全ての曲で、NEUTRINO(AI技術を用いたボーカルシンセサイザー)が使われておりますが、理由は何でしょうか? 私はボーカロイドやUTAUなどの従来のボーカルシンセサイザーには、歌唱力や表現力の点で落胆させられてきました。発売当時から、キャラクター性やCVを担当した声優の人気に頼る以外、セールスポイントがない代物とさえ思っています。しかし、2020年に登場したNEUTRINOは別格でした。従来のボーカルシンセサイザーに特有の発声の不自然さはなく、人間の歌声と遜色がないものでしたので、是非自身の楽曲に使いたいと思いました。調声はAI任せなので殆ど弄れませんが、素晴らしい技術であるのは事実です。それにも関わらず、NEUTRINOが大きな話題にならないのは、非常に残念に思います。今回の作品では、何も知らずに聴いた場合、私がボーカリストに頼んで歌ってもらったと思われるような楽曲にしようと考え、飽くまで生成された歌声に合う音作りを心掛けました。NEUTRINOにもボーカロイドのようにいくつかのキャラクターがあるのですが、私はボーカルシンセサイザーにせよ人間の声にせよ単なる音、楽器の類と捉えておりますので、キャラクターの情報を出しておりませんし、楽曲のテーマは、あらかじめ設定されたキャラクターの性格とは関係がございません。
いずれの楽曲も3分未満のたいへん短いものですが、これは何故でしょうか? 飽くまで、NEUTRINOの実験の為の楽曲と自身の中で位置付けており、一般流通する音楽とは異質なものにしたかった為です。今の時代とは異なり、20年以上前のウェブ上には、一般市場に流通する音楽作品とは一線を画した、実験的な音楽作品が数多く存在していたと記憶しておりますが、かつての「作品未満の作品」が気軽に発表出来た時代の雰囲気を再現できればと思った事ももう一つの理由です。既に過ぎ去った過去であるのは間違いありませんが、リアルな世界では体験し得ないような出来事に遭遇する事がゼロ年代のインターネット上にはあり、当時の私はバブル崩壊以来の「失われたウン十年」を打ち破るポテンシャルをインターネットに感じ、明るい未来を期待をしていたのですが、その後、年を重ねた私の目の前に現れたサイバー空間は最早、フィルターバブルによって正気を失った輩が、自分とは何の関係もない事柄に首を突っ込んで気狂い沙汰を起こす、ただただ不愉快な世界となっており、現実世界と何の違いもなくなっておりました。しかし、私はシニシズムに陥る必要はないと考えています。今回の作品では、サイバー空間、そして、過去への郷愁にさえ別れを告げ、新たな世界へ出発する事を全楽曲を貫くテーマとしています。当初、新譜のタイトルは「Goodbye to Vaporwave」とするつもりでしたが、楽曲がVaporwaveと程遠い質感のものしか出来なかった上に、既にVaporwaveの時代でもないので「Goodbye to AI」に変更しました。
それぞれの楽曲のテーマは何でしょうか? ライナーノーツにも英語で記載しておりますが、1曲目は「SNSにおけるデジタル・ファシズム」、2曲目は「過去との決別」、3曲目は「青年期」です。
ご説明頂きありがとうございます。しかし、楽曲を聴いた際の印象との乖離が激しく、説明していただいたのにも関わらず理解が追い付きません。 以前から同様ですが、歌モノの楽曲を制作する際は、曲調とは対照的なテーマを設定し、それを元にして作詞をしております。今回は長調の曲しかないので、テーマはいずれも、暗く、重く、深刻なものです。 私は元々Aphex TwinやClarkのようなIDMに強い憧れを抱いて音楽制作を始めたのですが、その後、プログレッシブ・ロックや現代音楽等の方面へと音楽の関心が広がるにつれて、趣味も作風も著しい変化を遂げ、今ではOrchestral Manoeuvres in the Darkのようなスタイルに行きつきました。尤も、意図的に似せようとしている訳ではなく、また、歌詞が英語ではなく日本語の為、楽曲のメロディーやコードは全くの別物です。
制作に当たって苦労された点は何でしょうか? NEUTRINOは基本的にAI任せの為、生成される声には細かな調節がききません。望んだようなボーカルが生成されるまで、音声合成の為の処理を幾度も走らせる必要がありましたが、まるで、スタジオにおけるレコーディング作業において、延々ボーカリストにリテイクを求めるのと同じ思いがしました。人間に匹敵するAIを使いこなす為には、人間が行った場合と同じ労力が求められるのではないかとさえ思い奇妙な気分になりました。 アレンジについては、実験作品でもあるので、音数を出来るだけ少なくし、チープな質感を出そうとしていたのですが、NEUTRINOは、発声の再現度が高すぎてピッチが怪しいものや息切れしかかった歌声までもが生成される場合があり、ボーカルのサポートの為に楽器を足している内、結局、30トラック超のアレンジにならざるを得ず、いつもの事ながらミックスにたいへんな時間を取られる事になりました。また人間的で生々しいボーカルとの調和を図る為、オケは電子楽器であっても生演奏感が出るようにピッチやテンポ、ベロシティを細かく調整し、揺らぎが出るようにしています。 マスタリング工程では、AIに因んだ作品ですので、Bandlab MasteringというAI技術によるマスタリングサービスを利用したのですが、敢えて音にアナログテープの質感を持たせるような形でマスタリングしています。音割れする程に音圧を上げた作品が流通している時代ですが、私は元々高音圧のマスタリングが好きではないので控えめに仕上げています。飽くまで、視聴する側で音量を調整すれば良いと思っています。
その他、新譜制作の際のこぼれ話はありますか? 久々の音楽作品制作でしたので、MP3配信の他に有料のアナログレコードかソノシートを用意しようとしたのですが、思いの外、高額な見積もりとなり、予算の都合が付かず、実現できませんでした。尤も、売る売らない以前に、単純に、自分の楽曲がアナログ盤になった場合、どういうものが生まれるか関心がありますので、1枚だけでもよいので、いつの日か作ってみたいと思っています。
質問に対して真摯にご回答いただきありがとうございました。つじしまさんが案外、まともな方で安心しました。 はい、仰る通り、実際の私は至って常識人です。
個人的な相談なのですが、この間、実家の猫が認知症になり、自分の前世が尿結石だと語り始め、家の中で妹に四六時中DVを振るうようになりました。果ては、近隣住民や自治体とトラブルを起こすようになった為、私は家族と協力して、止むを得ず、市長を山に埋めたのですが、以来、私も家族も霊障に苦しめられています。夏休み子ども科学相談室にも相談しましたが納得のいく回答が得られず、一向に解決の兆しがありません。妹は私のDVに耐え兼ね、手首の傷を増やす日々を送っております。家業の競輪でも立て続けに負けており、不幸の連続で、このままでは一族郎党離散せざるを得ないのですが、どうすればよろしいでしょうか。 病院行ってください。
最後になりますが、リスナーの皆様へ何か一言お願いいたします。 特にございません。ありがとうございました。
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こちらは2025年4月13日(日)に東京で開催されました、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-(以下、ハンドラ)』のプレミアム試遊会&完成発表会の、ステージイベント部分のファン目線でのレポートです。
公式レポート記事には載っていない部分を中心に補足する形でレポートしていますので、各登壇者の詳細、全体的なイベントの流れ、実際のステージの写真などは公式レポート記事を参照してください▼
Gamerさん
ファミ通さん
アニメイトタイムズさん
電撃オンラインさん
電ファミニコゲーマーさん
電ファミニコゲーマーさんの記事が一番内容が充実してるかと思います
⚠️ 注意: この記事にはメインストーリーの直接的なネタバレは含まれていませんが、未公開のゲームシステムやエンディングの構成についてのヒントになるような情報が含まれています。何の予備知識もなくプレイしたい方は、この先を読まないことをおすすめします。
このレポートは個人的な記憶やイベント直後に記録したメモを元に書いたものです。各登壇者の発言の順番、言い回し、発言時の表情などは不正確な部分があります。「大まかにそのような発言or出来事があった」という参考としてご覧ください。
上記の点をご理解いただけたら以下を展開してお読みください。(かなり長い記事なのでご注意ください)
このイベントは先日YouTubeで公開されたTokyo Game Show 2024 Special ProgramにてMCを担当された田口尚平さんが引き続きMCを担当されていました。
まず最初に、小高和剛さん、木村太飛さん、ねねさんの3人が登壇しました。個人的には、最初に話を振られた小高さんの、 「神ゲーが完成しました。あ、違いました、"歴史的神ゲー"が完成しました。」 という挨拶が印象的でした。
また、MCからの 「こうして目の前でファンの皆さんの顔を見てどうですか?」 という質問に対して小高さんは 「このゲーム、実はまだ発表していない要素っていうのがありまして、それが分かると、途端に面白さにブーストがかかるっていう。途中から面白さにブーストがかかるという珍しい作品なので、そこに到達した時の皆さんの反応が楽しみですね。」 とコメントされていました。
「その"ブーストがかかる部分"っていうのはそんなにすぐ分かるものなのですか?」 「すぐ分かると思います。あ、これか!って。」
その後エンディングの分岐についての話にも触れられましたが、その時の説明からすると"面白さにブーストがかかる要素"というのは分岐に関わっ��いるらしく、それを知ることにより「あぁ、だから100種類もエンディングがあるんだ」と分かる要素のようでした。
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それから、木村さんがどのようにして澄野拓海役に選ばれたのかの経緯についての話題がありました。 ※これについてはほとんどの公式レポートで紹介されているので、詳しくはそちらを参照してください。
ただ、2回目のオーディション(実際には木村さんしか呼ばれていなかったのですが)で小高さんがその場で「木村さんにお願いしたいです」と伝え、木村さんがとても驚いて「衝撃のあまり放心状態になってしまった」と語っていたくだりで、実は小高さんがぼそっと以下のようなことを言っていました。笑
調べた限り、他の方のイベント感想などでこのくだりについて触れている方が全然いないようだったので、聞き逃してた方もいるかも?😅 「採用」という言い回しは多分されていなかったと思うのですが正確に覚えてなくて申し訳ないです。また、MCからのツッコミもかなりうろ覚えなので大幅に違う可能性があります。でも「ぺろぺろ」は絶対言ってました!!!笑 右上の絵は当然ながら私の勝手な想像であり事実無根ですが、ただ私の席からだと小高さんがつま先を若干持ち上げる仕草をしてたのが見えたので一応それに基づいています。
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それからねねさんに対して 「ハンドラでの推しは誰ですか?って聞くまでもないかもしれませんけれど」 と質問がありましたが、ねねさんは 「こんな格好ですっごく言いづらいんですけれど、実は比留子様が好きなんです。強い女が好きで。」 と、実は雫原推しであることを明かされていました。 「いつか比留子様のコスプレをしてみたいですね」と語るねねさんに客席からは大きな拍手が送られていました。 私も見てみたいです!
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その後、ハンドラの特別アンバサダーを務める本郷奏多さんが登壇しました。 TGSのSpecial Programでも語られていたようにダンガンロンパを発売前に体験版からプレイしていた、(小高さん曰く世界に7人しかいない)貴重なプレイヤーのうちの1人であるというエピソードなどが語られていましたが、実は【デスカムトゥルー】でカラキ マコト役を演じた時にはすでに小高さんから「とてつもない量の分岐があって、それら全てのエンディングが真のルートというゲームを作りたい」というお話を聞いていたそうです。 (デスカムトゥルーの発売年は2020年ですが、ハンドラはファミ通さんのインタビューによれば2017年のトゥーキョーゲームス設立当初から既に企画が動いていたとのことなので、その後"一度企画が立ち消えてしまった"という事情を考慮しても、デスカムトゥルーの撮影時には「とてつもない量の分岐があって全てのエンディングが真ルート」というゲームの構想は概ね固まっていたのだろうと思われます)
本郷さんは小高さんから「本郷くんのYouTubeチャンネルでハンドラの実況を配信してほしい」と頼まれていたそうで、すでに製品版を受け取っており、「50日目��らいまでプレイしている」という話をされていました。
「もちろんストーリーのネタバレはできないのであまり深く語れませんが……体験版をプレイされた方は分かると思うんですけど、最初、『なんだコイツ?』って思うキャラっているじゃないですか?でもプレイしていくうちにみんな好きになれるので、安心してください」 本郷さんのこのコメントに対してMCから「その口ぶりからすると、"ブースト"はまだっぽいですね?」と話をふられると、小高さんが「そうですね、その時点だとまだですね」と回答していました。
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続いて、質問コーナーに移った後、MCからアンバサダーである本郷さんからまずは質問をどうぞと振られると、本郷さんは「ストーリーに関する質問はネタバレに配慮するために答えられないと思うので」という前振りの元、「小高さんの作品はいつもそうですけど、ハンドラもすごく豪華声優陣じゃないですか?その中で、ダンガンロンパで苗木や狛枝を演じられた緒方恵美さんも今回、九十九今馬役で出演されていますよね。それで思ったんですけど、小高さんにとって緒方恵美さんとはどのような存在ですか?」という質問を投げかけ、会場から拍手が起こりました。 小高さんは「まさかそんな質問が来るとは全く想像もしてなかった」と若干戸惑いつつも公式レポート記事にあるように「ハンドラはトゥーキョーゲームスの集大成になる作品なのでもう一度仕事したいと思っていた人にはできるだけ声をかけるようにした」ということを語られていました。ただ、その後の回答については公式レポートでは結構削られていたので思い出せる限りで補足したいと思います▼
「ただずっと一緒に仕事しているから阿吽の呼吸になっているかというと実はそうでもなくて、緒方さんと仕事する時は必ずバトることになるんです。こっちが指示したことをそのままやってもらうというよりも、緒方さんが自分なりに考えた演技を聴いて、『どっちがいい?』って選ぶ、って感じで。毎回収録の時にお互いに意見を出し合いながらキャラを作り上げてきたので、僕の中では"戦友"みたいな…向こうのほうが全然先輩なのでおこがましいですけど、"戦仲間(いくさなかま)"みたいに思ってますね」
個人的に、小高さんが最初緒方さんのことを"戦友"と呼んだのに"戦仲間"と言い直したのが印象に残っていました。「向こうのほうが全然先輩」というくだりも公式レポートでは削られていましたが、友という字が入るような気安い関係性というよりは尊敬する仲間という感じなのだなぁと思いました。 ※「先輩」という点に補足すると緒方さんは小高さんより13歳年上で、小高さんが高校生になる頃には既に人気声優として様々なアニメで活躍されていました。
また、この回答に本郷さんは 「小高さんのお話を聞いて、あー、なんかそれってすごく想像できるなと思ったんですけど、確かに、僕もダンガンロンパ3で御��洗亮太を演じさせていただいた時に現場でご一緒させていただきましたけども、緒方さんはベテランなのに誰よりもスタッフの方達と積極的にディスカッションされていて、常に全力な姿勢が尊敬できる方だなと思っていました」 と頷かれていました。
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その後、観客から事前に募集していた質問に回答するコーナーでは、"小高さんが担当したルートは、小高さんが担当したものだとゲーム内で分かるようになっているのでしょうか?"という旨の質問がありました。 「僕が担当したのは、ゲーム内で実際にそういう呼び方があるわけではないのですがいわゆる真相解明ルートです。今までの謎が明らかになるルートですね。今進んでいるのがどのルートかというのは開示されないですが、エンディングで今のは○○編でしたっていうのが明かされるので、僕が書いたっていうのは明確にわかります。」 「ストーリーを読んでいる時にはわからないんですか?これを書いてるのは小高だよって書かれてたり。」 「…怠美でもそのメタ発言はしないね。笑 でも多分大体わかるんじゃないかな…多分みなさん、これ小高が書いてるでしょってわかると思いますね」
この後木村さんに話が振られて、「拓海のセリフの収録も真相解明ルートからまず最初に録ったんですけど、すごく分岐が複雑で一つ一つ確認しながら収録をしました。本当に色々なセリフがあったので、拓海と一緒に成長していったみたいな感じでしたね」というような話をしているときに小高さんが「色々録ったよね」と相槌を打つ中で「あとどエロとか」と言って、拓海の喘ぎ声の収録があったという話をしていました。 これは完成発表会の終了直後に色んな人が話題にしていたのでご存じの方も多いかもしれません。😆
まさかの発言に会場はかなりざわめきましたが「やってるこっち側としてはかなり面白かったんだけどね」と収録時ブース内はかなり盛り上がっていたという話をされていました。
個人的に気になったのは、MCから「プレイヤーの皆さんにも100ルート全ての声を聴いて欲しいですか?」と質問された時の木村さんのこのリアクションでした▼
私は木村さんのこの反応を見た時に、「あぁ、だから小高さんと打越さんは色んなインタビューでずっと『全てのルートを遊ばなくてもいい』と言っていたんだ」と思いました。個人的には好きなキャラが苦しむ展開は出来るだけ見たくないので本当に興味のあるルートだけ遊んで、他のルートのことはいずれ調べようと思いました。😅 ※木村さんは「収録時にはほとんど実際のゲームの画面を見れていなかった」と話していたことだけは補足しておきたいと思います。なのでここで見られた反応と実際のゲームの内容はちょっと違うかもしれません!
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最後に、「ハンドラ先行チャレンジ」として、プレミアム試遊会でも遊ぶことができなかった、澄野、面影、大鈴木、凶鳥、霧藤の5人で戦う防衛戦の先行プレイが行われました。 制限時間内にWAVEをクリアできたら、観客の中から抽選5名にハンドラの販促ポスターがプレゼントされるという企画でした。
プレイを担当した本郷さんは、既に製品版で同じ戦闘をクリアしたことがあるので、この戦闘では侵校生の進行を妨害するためにバリケードを配置したり、薬を使ってキャラクターの能力を強化できることを紹介するなど、最初は順調でした。しかし、説明をすることに夢中になりすぎた結果、澄野を前線に出しすぎて、ターン終了後に澄野が完全に攻撃の的になってしまって真っ先に死んでしまうというまさかの展開に。
本郷さんはそれでも「大丈夫です!味方が死ぬとVOLTAGEを100%獲得できるから、まだ逆転のチャンスはあります」とめげずにプレイを続けるものの、その後拓海が死んだ事実を忘れて次のターン中に「あれっ、拓海がいない」と拓海���探そうとして、木村さんから「あなたが死なせたんですよ!?」とツッコまれてました(笑)▼
結局、その後体力が低い面影も死んでしまい、残り制限時間も短くなってしまったところで小高さんが積極的に戦略のアドバイスをし始めた結果、なんとか制限時間内にクリアし、チャレンジは成功となりました。 (最終的にほぼ小高さんの言うままに操作していた本郷さん▼)
※前述の通りこのチャレンジは観客へのプレゼントが懸かっているものだったので、小高さんが積極的にアドバイスしたのはチャレンジ不成功でプレゼント無しとはならないように気を遣われたんだと思います!
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最後に、以下は私の感想を交えたまとめです。 (登壇者が締めの挨拶で語ったことは公式レポート記事の方が正確な文言が読めるので、ぜひそちらを参照してください!) このイベントは非常に多くの関係者の方々が集まっていて、どのタイミングだったのか忘れてしまったので上の文章では省きましたが、イベントの途中で小高さんが関係者の方に向かって「完成おめでとうございます」と声をかけられる場面もありました。 もちろんハンドラは小高さん自身が大変な労力をかけて開発したゲームですが、他にもたくさん頑張ったスタッフの人たちが居てこのゲームが完成した、その喜びを分かち合っているようなイベントでした。
各コーナーの区切りでは過去に公開されたビデオがスクリーン上に映し出され、その間、会場の照明による演出があり、青と赤、青緑とピンクのように、ハンドラのテーマカラーによって壁面が照らされたりもして、これが"観客を無料で招待しているイベント"であるということを忘れるほどに豪華なイベントでした。そういった点からも、開発スタッフ全員がこのゲームは絶対に面白いし人気が出るだろうという自信が現れているように思いました。
本当に発売が楽しみになるとても良いイベントでした!
HUNDRED LINE -最終防衛学園- は2025年4月24日発売です!皆さんで一緒に楽しみましょうね!
読んでいただきありがとうございました!🫶💖
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ��で、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。

そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。

惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お���の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。

打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。

張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。


その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)

二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。

べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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2025.1.23
中村明珍のイベント会場がオープン!
元銀杏BOYZのギタリストで、現在山口県の周防大島で農家兼僧侶として活動中の中村明珍の企画ユニット「寄り道バザール」が、戦後まもなく建てられた木造の芝居小屋を買い取りました。長年地域の交流、文化発信の場として使われてきた会場が解体回避、存続決定となりました。会場名を新たに『和佐星舎』と名づけ、いよいよ3月から活動をスタートします。
その柿落としとして、落語会と音楽イベントの開催が決定しました!
和佐星舎オープニング記念『Up Around The Sun w/ Bosco Japan Tour 2025』
日時:2025年3月16日(日) 開場 18:00 / 開演 19:00出演:Up Around the Sun w/ Bosco (from Austin, Texas) メンバー��Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle)
二階堂和美 with 黒瀬みどり、Vanishing Men
チケット 一般 / 前売 3,500 / 当日4,000���(各+ドリンク代) 中学・高校生 / 前売 1,000円 / 当日1,500円(各+ドリンク代) ※要学生証提示 ※未就学児・小学生無料(必ず保護者同伴)
チケット取り扱い:https://yorimichishop.com/ 主催:寄り道バザール 制作協力:ベストフレンド・COFFEE コナ 後援:和佐自治会・周防大島町・周防大島町教育委員会
Up Around The Sun -- パンクとファンクを融合したBig Boys を始め数々のバンドのギタリストでビジュアルアーティストであるTim Kerrと、Banjo奏者Jerry Haginsの2人組ユニット。今回はそこにフィドル(ヴァイオリン)奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。前回来日時にこの3名で録音された最新アルバムとともに、レジェンドの生の演奏をご堪能ください。
そして今回はさらにスペシャル、なんと歌手の二階堂和美さんが出演を快諾してくれました!寄り道バザールの周防大島でのライブ1回目に出演してくれて以来約10年ぶり、待ちに待ったライブです。唯一無二の歌声、バイブレーション。この場所で全身で浴びられる幸せ。
なによりこのライブを作るきっかけとなった大切なバンド、大阪からMasaki Poserと横須賀のNathanによるユニット、Vanishing Menも来島。お二人は2年ぶり2回目の出演。深く揺らぎ、美しい旋律の気持ちよさに浸ってください。
この三組でのライブの場が生まれるなんて。うれしさMAXです。皆さんとともに楽しめるのを心から楽しみにしております。 プロフィール
Up Around The Sun w/ Bosco メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle) オースティンのレジェンド、Tim KerrとJerry Hagins によるアコースティックデュオ。そこに、前回来日ツアー時にレコーディング参加したFiddle奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。大阪で録音されたそのアルバムは2024年7月にセルフタイトル”Up Around The Sun w/ Bosco“として発表。 2025年の日本ツアースケジュールは以下の通り 3/14(fri) Kyoto Gorey Café3/15(sat) Nagoya K.D.Hapon3/16(sun) Suo Oshima 和佐星舎3/18(tue) Osaka Bake Brown3/19(wed) Osaka Namba BEARS3/20(thu) Shizuoka 8th Rest3/22(sat) Tokyo La Cana3/23(sun) Tokyo La Cana"Tim Kerr Exhibition"3/12(thu)-19(wed) Osaka BARRICADE3/17(mon)-23(sun)Tokyo Kit Gallery
Tim Kerr(Up Around The Sun) make art, play music, take photos, breathe1956年3月11日生まれテキサス・オースティン在住。BIG BOYSを始め、POISON 13, BAD MUTTHA GOOSE, MONKEYWRENCH, JACK O’FIRE, LORD HIGH FIXERS, THE NOW TIME DELEGATIONなどのバンドでギタリストを努める。パンクにファンク、ブルース、ガレージなどを融合した音楽の先駆け的存在。また、国内外の数多くのバンドのレコーディング・プロデュースも含め、その影響力は多大で多岐にわたる。絵画と写真のアーティストとしても活躍し、レコードジャケット、ポスター、本、広告、スケートボードデッキなどを手がけるほか、世界中で個展を開いている。
Tim Kerr インスタグラム
二階堂和美 ジャンルにとらわれない音楽性と、類いまれな歌唱・表現力で国内外から幅広く支持されているシンガーソングライター。1999年のデビュー以来多くのミュージシャンと共演し、その変幻自在ぶりを発揮。現在までに約20作を発表。代表作は2011年発表のアルバム『にじみ』。スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』(2013年)で、主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲・歌唱。NHK「おかあさんといっしょ」への楽曲提供曲に「ショキショキチョン」(作詞・作曲)、「ぎゅーっはかせ」(作曲:渋谷毅)。著書に『負うて抱えて』(晶文社) 他。CM歌唱も多数。広島県在住。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。
www.nikaidokazumi.net Vanishing Men Masaki Poser(BRONxxx、LP)とNathan Bennett(Capricorns, Bridge & Tunnel, White Daughter)によるユニット。30年前にサウス・ロンドンで出会い、ハードコア・パンクへの共通の愛で結ばれた。2022年、ふたりは日本に住みながら、なぜ一緒に活動しないのか不思議に思っていた。そして、バンドよりもデュオの方が手間がかからないということを経験から学び、Vanishing Menが誕生した。 中村明珍 農家兼僧侶。1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZのギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月に初の単著「ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ」(ミシマ社)を刊行、現在続きを連載中。2024年から真言宗善通寺派・「不動院」住職。 和佐星舎開館までの経緯かつては塩づくりを行っていたといわれる地域・和佐。昭和24年に、住民たち自らの手で山から木材を切り出し、船で海の上を運びながら、「青年会館」の名で建立。芝居小屋として、自身たちが舞台に立ったり、歌舞伎座を呼んで興業を行ったりしながら、のちに地域住民の「公民館」として幅広く使用されるようになりました。和佐の出身である作詞家・星野哲郎ゆかりの地であることから、鳥羽一郎や島津亜矢、水前寺清子などの多くの歌手も出演。のちに寄り道バザールではキセル、二階堂和美のライブや立川志らく、立川談笑の落語会、山縣良和によるワークショップなどを開催。ところが2019年、住民の話し合いで「解体」が決定します。修繕が必要な箇所はあるものの木材は丈夫なため、解体を回避する方法を模索していくことに。6年後の2024年10月、町から売却が告示され、2025年1月寄り道バザールが購入。存続が正式に決定しました。新公民館がすでにあることから、名前を「和佐星舎」に改名。前述の作詞家・星野哲郎や和佐の海岸「星のビーチ」、周防大島の正式名称「屋代島」の由緒にちなんで名づけました。今後もこれまでの地域での愛され方を継承しながら、老若男女問わず楽しめる、新しい居場所になるようにいろいろ企画していきます。経緯について、詳しくはweb「みんなのミシマガジン」(ミシマ社)の「ダンス・イン・ザ・ファーム2」にて連載中。

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かすが野にふれるしらゆきあすのごと けぬべくわれはいにしへおもほゆ 秋艸道人
今年最後の出張は奈良と伊賀でした。撮った写真を数葉載せます。手向山八幡宮で見た、遅い落葉は杉謙太郎さんの花を思い起こさせるものでした。

2023年もお客さま、作り手・配り手の皆さんのご協力を得てなんとか一年を過ごすことが叶いました。ありがとうございます。
店の仕事としては、今年は「風の会」「LICHT LICHT 金澤さんのサンダルと靴」「小島優さんの椅子」「オホーツクの木工」といった新しい試み、また久しぶりだった大隈美佳さんの会、二年ぶりの出西窯青年展なども行いました。新しい会をやろう、やりたい、やるぞ!と思って準備を始めるわけですが、いざ告知も済ませ、品も届き、展示替えをしている時には、これ、僕らはすごく好きな仕事、そして好きな作り手なんだけど、みなさんにこの気持ちが伝わるかなあ、伝わって欲しいなあ、と不安になります。振り返ってみれば、それぞれにお客さまに楽しんでいただけたようで、ほっとします。
また、今年からは術後の経過もある程度落ち着き、執筆仕事はもちろんのこと、あらためて出張や講座が増え、各地でたくさんの方にお世話になりました。みなさんからご教示いただいたこと、来年以降の仕事に結実すべく、準備を進めます。
ほか、民藝関係の仕事としては、五月に福岡民藝協会長を引き継ぎ、六月に日本民藝協会の役員改選があり、常任理事及び民藝誌編集長の続投が決まりました。これに合わせて編集委員会の改組を行い、これまで以上に多様なメンバーに参加いただくようにしました。民藝というキーワードを固定した記号としてとらえず、今の暮らしのなかから生まれる言葉によって、様々な方の口から語っていただけたら、と願っています。そして、九月号から民藝誌の電子版を発行したことも、一つの転機かと思います。1926年の「民藝」提唱からあと2年で100年。その年に向けた準備も進めます。
いずれにしましても、来年は店も20年、僕も50歳。五十而知天命、といくかどうかはわかりませんが、しなくていいことがはっきりしてきた、とは思います。まあ、ずっと以前から年末に記す「来年の方針」は「したくないことは、しない」なので、変わらないと言えば変わらないのですが。
2024年もよろしくお願いいたします。

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猫の「アイーダ」
フォトジャーナリスト 安田菜津紀さんが東エルサレムで出会った猫・アイーダをモデルに、イラストレーター 坂本千明が紙版画を制作し、2024年1月から2月にかけて、東京 Amleteronにてパレスチナチャリティとしての展示を行いました。展示詳細と寄付報告に関してはこちら↓をご覧ください。
アイーダとの出会いやその背景を、安田さんが副代表を務める認定NPO法人Dialogue for peopleサイトにて、エッセイを綴ってくださっています。こちらもぜひお読みください。 『パレスチナとアイーダ』
*また「アイーダ」と、パレスチナの周知や支援を目的としたポストカードを2枚セットにして販売しています。
①猫の「アイーダ」ポストカード ②ひとりでもパレスチナ応援カード 2枚で1セット 税込¥250

左の1枚はポストカードとして、メッセージを書いて送ったり、部屋に飾ったり。
もう1枚はオモテ面にはイラストと意思表示のための言葉が、ウラ面にはこのwebページと同様に、ごく基本的で、ひとりでもできる支援や行動について、ORコードと共に掲載しています。

購入後、ご自身で5つにカットして

それぞれ「しおり」や「カード」として家族や友人知人に配ったり、スマホケースやアクリルキーボルダーなどに入れたりして、身につけるなど、個人プロテストや周知活動に自由にお使いいただけます。

※しおりを挟んでいるのは「それでもパレスチナに木を植える」 高橋美香 著・写真(未來社)。アクリルキーホルダーは百円ショップなどで5cm正方形が入るものがピッタリなようです。
もちろんカットせず、そのまま友人や知人、家族などに配ったりしても。
経費などを除いた売り上げをパレスチナへ支援のための寄付といたします。販売にご協力頂いているお店の情報はこちらに随時更新していきますので、ぜひお近くのお店で、通販でお求め頂けたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
《5/30 販売店情報更新》 お近くの店頭、または通販にてお求め下さい。
【青森】ネコ曜日 店頭・通販
【岩手】ひめくり 店頭
【秋田】かぎしっぽ 店頭・通販
【長野】本・中川 店頭・通販
【富山】巣巣 店頭販売中
【仙台】パレスチナ・オリーブ イベントなどで販売
book cafe 火星の庭 店頭
【群馬】灯り屋 6/20発送済
【埼玉】ねこのみち 店頭・通販
ベイクショップ ミリ秒 店頭
【千葉】ときわ書房志津ステーションビル店 店頭
【東京】Ameleteron 店頭・通販(メールにて受付)
URESICA 店頭・通販
キャッツミャウブックス 店頭・通販
今野書店 店頭販売中
カフェ潮の路 毎週木曜12~15時 品切中
necoya books 店頭・通販
ひるねこBOOKS 店頭
MOMO 店頭・通販(パレスチナ支援につながる「オリーブの枝葉をくわえた鳩のクッキー」も販売中)
【神奈川】ポルベニールブックストア 店頭・通販
鎌倉ねこの間 店頭(来店予約制)
【静岡】書肆猫に縁側 店頭・通販販売中
お菓子と絵本ちびねこ 店頭
【京都】 nowaki 店頭
【奈良】とほん 店頭・通販
猫雑貨さんちこ 店頭・通販
【兵庫】毎日食堂 店頭・通販
【松山】 erimaki 店頭・通販
【熊本】長崎次郎書店 ※残念ながら6月いっぱいで休業されましたが、長崎書店さんにて引き続き販売中です。
長崎書店 店頭
【沖縄】CONTE 店頭
またありがたいことに、バイコットでご協力頂いた架け箸さん、APLAさんもイベント出店などで販売して頂けることになりました。APLAさんのオンラインショップでも販売中です。
お近くのお店店頭で、または通販で、「アイーダ」を見かけましたら、どうぞよろしくよろしくお願いします。
これまでの「アイーダ」ポストカードセットの寄付報告はこちらに。

「アイーダ」©chiaki sakamoto2024
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「家」開催によせて
12月8日に下北沢spreadで企画します。
普段はバンド主催の形で企画することが多いけど今回は個人として企画します。
企画は割とよくするけど、どうしてもバンド出演も兼ねると、気も張るし単純に体力が持たなくて観たかった人たちの演奏を平常心で見れるケースがかなり少ない、特に東京で演奏するとなると、バンド単位で移動だと車が基本になるからかなりキツい。(この前は初めて新幹線で移動して演奏したけど、負担も少ないし良い演奏できるし絶対マストだ、と思った。)あと、京都に来てもらうとなると交通費とかの経費がかかってそれも負担になる。大阪に比べると人もあんまり入らないし。うーん、という感じで最近は過ごしてました。
そんな時に、たまたま京都市の補助金を見つけ、一気に企画の構想が浮かんで、応募すると受託された(正確に言うと受付の要件を満たした事業者の中で抽選があって当選した)、ということで東京で企画することになった。
ちなみに応募したのはこれ↓
https://aak2024.kyotoartsupport.com/
今回は「若手交流促進枠」での採択を受けた。
なので京都から行く象の背と自分の交通費実費分が補助されることになります。
コロナ禍で文字通り、若手交流だったりバンド活動自体が中断したのは自分も象の背もなので、この機会を活かさないわけにはいかない!と思った。
話を戻す、思いついた企画の構想は嘘偽りなく今決まっている人たちで新しいコンセプトの企画をする、ということだった。
ライブハウスやそれに付随する文化とか空気が苦手な自分が、それでも企画して何をしたいんだろうと考えたとき、思ったのは「その場にいる一人ひとりが1人でいれる場所を作りたい」「そこにいることが意思になる場所を作りたい」ということだった。そのために作ったグランドルールも一読いただきたいです。
音楽もそうやけど、一般的に優劣のジャッジに付随するのは、大きさ・強さ・数という尺度だと思う。そこに反抗するための小ささ・弱さ・少なさにも魅力はあるけど、その尺度を手放したいとずっと考えている。
1人で目をつぶっていてもいいし、その場から離れてもいいし、あいさつしなくてもいい。暴力や差別が存在しないことが努められている空間の中で、そこにいる人が好きに過ごしてほしいと思ってます。
そして、その尺度から離れさせてくれるような人たちを今回は呼んだ。
M.A.Z.E.のbushbashでやってたコロナ禍のライブ映像、かなりしびれたのを今でも���えている。
言葉にして発することの責任とか行く先が画面を通して貫通した。
メンバーの演奏が掛け算や割り算じゃなく、ちゃんと足し算として形になる喜び。(象の背もWETNAPもそうかも。最近はこの感覚を信頼している。)
なによりも音源もライブもめっちゃイケてる。東京で観れたらめっちゃ上がると思ってお誘いさせていただきました。まだお会いしたことが無いですが、真摯に対応いただき、胸が熱くなる瞬間がすでにたくさんあります。出てもらえてうれしい。
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WETNAPも最高。カセット出した時のライブをネガポジで観たことがあるけど、過出力でシステマチックを拒絶したパンクでうれしくなった。レコードの作品も当然カッコいい。あんまり自分の語彙ないけど、パンクを聴きたいじゃなくて、WETNAPを聴きたいと思う。あと、一方的に3名ともカッコいいと思わされるエピソードがあってかなり信頼しています。まだ対面して話したことないけど。すみません。ライブハウス苦手と言ったけど、ライブハウスでWETNAPの名前があったらめっちゃ安心するんじゃないかと思う。
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象の背、この組み合わせで観たかったから本当に良かった。
勘違いされているとは思わないけど、関西でグッとくる組み合わせで象の背観るの少ないからマジで楽しみ。比較的距離の近い位置で演奏や活動を観���ことが多いけど、やりたいことをしっかり選んで活動をしている姿、かなりカッコいいと思う。年上だけじゃなく同世代の人たちにもっと観てもらいたい。現在の京都で最もいいバンドと断言できるのでマストで観てもらえれば!
DJにminorsuicide。村上くんとは先日初めて会った。でも、ずっと前からその活動や言葉に、いつも背中を押されています。詩やZINE制作を主体に活動されているけど、いつかのツイートでDJをやられていたような…と思いだした。
DJの姿は見たことないけど、自分も参加させてもらったZINEに付属されていた彼の曲を聴いて、DJとして参加をお願いさせてもらった。どんな場所にいてもここに居座る、黒くて形のない感情みたいな暗闇が融和していくような感覚。そういう瞬間が自分の企画にも訪れてほしいと思ってます。自分だけのリズムを見つけたいし、見つけてほしい。
自分も今回DJをする。Spreadは平日の夜に一回遊びにいった事があって、あまりにも空間としてカッコよくて衝撃を受けた。音もびっくりするぐらいよかった。そんな場所でDJできるのマジでうれしい。安心と緊張を繰り返す時間になるかも。
あと、クレジットしてないけどオープンの時間に友達のなかにしがDJしてくれる。本当はオープンの時間はDJとは別に自分が好きな曲流そうかと思ってたけど、この前会ったら「DJやりたい」って言ってくれたからお願いした。決まってからCDJ買ってて気合入ってるぽい。なかにしに甘えて、オープンの時間は会場でバタバタしようと思う。
今回の企画は入場料を固定していません。
500円から3000円の間で任意の金額を受付のboxに入れてください。
「実際いくらいれたらいいんやろ」となる人も多いと思うので、標準価格として2000円を提案しています。参考になれば。
この形は以前、京都芸術センターでやっていた公演で実施されていた形式を参考にしました。お金の価値は大事にしたいけど、それによって機会が奪われることはあってはならないと思ってるので、入場料が来場検討の足かせになる人にとっての負担を軽減できればという気持ちです。(Spread入場の際の1ドリンクチャージは別途お願いします。)
会場内にも投げ銭BOXを配置する予定なので追加で払ってもらうことも可能です。当然イベントなので会場費や出演いただく人たちの経費(出演するまでに発生している練習代などもあります)も発生しています。あなたにとって素晴らしいイベントになれば、追加で支払ってもらえると嬉しいです。
また、会場では「フリマ・出店自由」としています。
自分の作品を出展いただていもいいし、フリマ収入で入場料を賄ってもらってもいいです。入場料を支払ってもらう皆さまにもイベントを作り上げてもらえればと思います。自分もフリマと参加した作品の販売をしようと思ってます。
spreadは下北沢駅からスグですが、階段を下る必要があります。
会場ではシートを敷いて地面に座れる場所を作ろうかと思ってます。(当日の会場の状況次第でフリマスペースも兼ねるかもしれません。ご了承ください。)
来場いただくにあたり考慮すべきこと、不明な点があれば事前にご連絡いただければ幸いです。[email protected]

当日来場者には企画用に制作したパッチとZINE(フリーペーパー)をお渡しします。パッチは既に制作しましたがかなりカッコいい。イベントもカッコいいイベントだからパッチ無くなるくらい来てほしい。ZINEは今から作ります。毎回企画の直前に書いて印刷する。
最後に、企画のタイトルは「家」です。これからも続ける予定。
村上くんがブログに書いてくれた文章が全てと言っても過言ではないけど、
帰るための家、安心できる家、それは関係性でも血でもなく場所でしかない。
誰かにとっての家は、どこにでもあるべきで保証されるべきだと思う。
収益の一部は、家の鍵をもって避難を続けるパレスチナ・ガザの人々を支援する機関への寄付を予定しています。暴力と差別、そういうものを拒絶し反省する家。何度だってはじめたい。予約不要。あなたの歩みを心待ちにしています。
2024.12.08(Sun.) 12:00-15:00
@下北沢spread
入場料:\500-3000(標準価格\2000)+1drink
来場特典ZINE パッチ有
フリマ・出店自由
「家」
M.A.Z.E.
WETNAP
象の背
minorsuicide(DJ)
knit(DJ)
※収益の一部はパレスチナ・ガザの支援機関へ寄付します。

連絡/問い合わせ先:[email protected]
フライヤー配布場所:リンキーディンク下北沢1st,2st、下北沢ERA、Irregular
Rhythm Asylum、エトセトラブックス bookshop
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1 制度の創設 我が国では、国民皆保険制度の確立によって、自らが選択する保険医療機関で必要な医療を受けることができます。 この制度は、現在では広く社会に浸透し、皆様の生命と健康に対する安心を確保するために不可欠な社会基盤となっています。 国民皆保険制度の根幹を支える国民健康保険制度については、昭和13年7月の旧国民健康保険法の施行により、その基礎が創設されましたが、当時は保険者の設立や加入が任意であったことから、無保険のかたが多く存在しました。 一説によると、国民の約3分の1に当たる約3千万人のかたが無保険であったとのことです。 その後、国の政策により国民健康保険は、終戦まで一定の拡大が図られました。 終戦直後においては急激なインフレ等によって、国民健康保険制度は制度破綻の危機に直面していた時期もありましたが、日本経済の復活や保険診療の急速な増加に伴い、数度の国民健康保険法の改正を経て、現在の国民皆保険制度が構築されました。 昭和13年7月 旧法による国民健康保険 施行 任意の国保組合と非営利社団法人が運営 昭和23年7月 旧法による国民健康保険 第3次改正 国保は原則として市町村が運営(任意) 昭和28年4月 国保に対する国庫負担を初めて予算化 療養給付費の2割 昭和34年1月 新(現行)国民健康保険法 施行 国保は原則として市町村が運営(義務) 昭和36年4月 大都市における国民健康保険の実施により国民皆保険体制が実現 2 拡充期 新法の施行後においては、高度経済成長を背景とした社会保障政策の充実により、「医療の質のさらなる向上」や「患者負担のさらなる抑制」を図り、以降、次の改正を行い、国民健康保険制度の発展と拡充を続けてきました。 昭和37年4月 国庫定率負担 20パーセントから25パーセント 昭和38年9月まで 一部負担割合 5割 昭和38年10月 国保世帯主の一部負担割合引き下げ(5割から3割) 昭和41年6月 国庫定率負担 25パーセントから40パーセント 昭和43年1月 国保世帯員の一部負担割合引き下げ(5割から3割) そして、昭和48年1月、老人福祉法の一部改正により、70歳以上のかたの医療費自己負担が制度上無料(国と地方の折半で全額負担)になりました。 3 見直し期 高度経済成長は、昭和48年の第1次オイルショックをもって終わりを告げ、日本経済が安定成長期に突入したことで、インフレに対応した給付水準とするための改定が行われました。 昭和58年2月には老人保健法が施行され、70歳以上のかたの医療費自己負担が復活しました(定額方式)。 70歳以上という限定があったにせよ、「老人医療費無料化」制度は、他のどのような福祉サービスを活用するよりも安価であったため、利用者が急増し、「病院のサロン化」や「社会的入院」といった状況を生む結果になりました。 また、農家等の家族従業者や自営業が減少し、被用者保険の加入者が退職後に国民健康保険に移行したため、国民健康保険は高齢者の加入率が被用者保険に比べて高くなっていきました。そこへ老人医療費が急増したことにより、国民健康保険の財政状況は非常に厳しくなりました。 それ以降の医療保険制度は、 国民皆保険(すなわち国保)の維持 そのための患者負担の確保 老人医療を何とか維持するための財政調整制度の整備 のため改正に追われ、そのたびに複雑な制度に変化していくこととなります。 4 再整備期 老人医療費が急増する中、社会保障制度の持続可能性の確保を図るため、高齢者のかたへの医療は、様々な改革が行われることとなります。 昭和57年には、国民健康保険財政の負担軽減のため老人保健法が制定され、翌年には老人医療費の一部負担が導入されます。 バブル経済崩壊後、経済状況の悪化等により保険料収入は伸び悩む一方で、高齢化に伴い医療給付費は伸び、医療保険財政は大幅に悪化しました。そして高齢者医療制度は、自己負担の段階的引き上げや、老人保健法の対象年齢の70歳から75歳への引き上げが行われました。 しかし、従来の老人保健制度は、医療費を各保険者からの拠出金と公費、老人の患者自己負担で賄われており、現役世代と高齢者の保険料の区分がされていない等、財政運営の責任が不明確であること等が問題点として指摘されていました。 そこで、現役世代と高齢者の費用負担の明確化および財政の安定化を図る観点から、平成20年4月から老人保健制度に代わる後期高齢者医療制度が実施されることになりました。 このような背景から、柏市では、平成20年度に国保の保険料引き下げを行いました。 しかしながら、予想外の景気回復の遅れと前期高齢者加入者数の増加により、平成21年度には早くも柏市の国保は運営困難となり、平成21年度からは県からの借金を余儀なくされた上、平成22年度は保険料を引き上げざるを得ない状況に至りました。 5 広域化 平成24年に成立した社会保障制度改革推進法に基づき設置された「社会保障制度改革国民会議」において、年金・医療・介護・少子化対策の各分野の改革の具体的方向性が議論され、平成25年8月に報告書がとりまとめられました。 これを受け、平成29年度までを目途に、「国保の運営業務について、財政運営をはじめとして都道府県が担う」(広域化)ことが閣議決定されました。 そして、平成27年5月27日に成立した「持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律」により、平成30年度から国保は広域化されました。 これまでの国保では、全国的に「1.被保険者の年齢構成が高く医療費が増え続けている。」、「2.所得の低い人が多く保険料(税)の負担が重い。」及び「3.小規模な市町村では国保の財政運営が不安定」という課題を抱えていました。 この度の広域化は、国保制度を持続可能なものとするために行われたものです。 今後も被保険者の皆さんに必要な医療を確保していくためにも、次のことについてご協力をお願いします。 保険料は、納付期限内にご納付いただくこと。 医療費を節約するために重複受診をしないことやジェネリック医薬品を希望していただくこと。 特定健診(無料)を毎年受診し、健康を保持・増進していただくこと。 6 まとめ 日本の国民皆保険制度は、世界に冠たる相互扶助の制度であって、その根幹を国保が支えています。 引き続き、本市国保運営にご理解とご協力をくださいますようお願いします。
国民健康保険「こくほの歴史」 | 柏市
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我が国の未来を見通す(87)
『強靭な国家』を造る(24)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その14)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
今回は、これまであまり取り上げて来なかった話
題に触れてみましょう。最近、百田尚樹氏が「日本
保守党」を旗揚げし、フォロアー数がすでに自民党
を超えたことを自ら月刊誌に発信していました。
旗揚げに至った理由についても縷々述べておりまし
たが、前回紹介したような我が国の現状に対する
“いらだち”や自民党、特に保守系の政治家に対す
る期待感の喪失が百田氏を本気モードにさせたよう
です。彼らに対して「国民を裏切ってきた」の厳し
く批判しているところにその決意のほどが窺い知れ
ます。
個人的には百田氏の心境をよく理解できるつもりで
すが、私自身は、自衛官を退官した後も“気持ちの
上では”「生涯自衛官」を決意し、引き続き「政治
的活動には関与せず」と誓いを立てました。
退官後も、様々な(特に保守系の)団体からお誘い
もありましたが、“その色に染まる”メリットとデ
メリットを勘案し、あえて所属することを辞退し、
あくまで“肩書”なしの一個人の立場で、できる範
囲で活動することを心がけ、実践してきました。
メルマガ発信などもその一環として実行しています
が、私たちは、人を“肩書”で判断し、自分の考え
に近い組織に所属する人が書いたり話したりするこ
とには目を開き、耳を傾けますが、自分の考えと反
対側にいる人たちが書いたり話したりすることには
拒否しがちで、歩み寄ることも交わることがないの
が通例です。
つまり、保守系の人たちがいくら“いきり立って”
立派な主張を述べても、革新系の人たちには届かず、
理解もされず、“揚げ足”をとられるか、反論のた
めの理屈を並べ立てる材料にしかならないのです。
そして、その逆もまた“真”でしょう。
このように、戦後の出発点から70数年の間、政党
名などがひんぱんに変わることはあっても、たとえ
ば、憲法とか国防などの根幹の部分はお互いにほと
んど歩み寄ることなく、(失礼ながら)不毛の議論
に時間を費やしてきました。このようなことが“我
が国をどれほど不幸にしているか”、政治家と言わ
ず、大多数の国民もそろそろ気がつかねばならない
時期に来ていると考えます。
私は、最近は特に、幅広いテーマについて様々な立
場から書かれたものを読む機会がたびたびあります。
現在も、「日本を守ってきたのは憲法9条と国民の
平和希求だ。戦争を放棄した国に戦争を仕掛けてく
る国はない」(原文のママ)と堂々と書いている大
学教授ら著名人が書いた書籍を読んでいます。
少し前に発刊された書籍ではあるのですが、当時の
国際情勢の分析の視点が私などとは180度も違う
ので、とてもおもしろいし、参考になります。この
ような人たちに、その後の国際情勢は自分たちの分
析どおりに展開したのか、もし違っていたのであれ
ばその原因はどこにあったのか、とか、「ウクライ
ナ戦争」や「中台問題」などをどのように分析して
いるか、などについて訊ねてみたい衝動にかられま
す。一方で、このような人たちは、永遠に“こちら
側”に来ることはないのだろうと思ってしまいます。
心配するのは、このような考えを持つ先生たちに教
えられた学生は“先生の考えに染まってしまう”、
つまり、“世代が変っても、考え方の対立構造が変
わることがないのではないか”ということです。現
在は情報が溢れています。若い世代の皆様には様々
な情報に接して、先生の考えの是非をみずから咀嚼
するなど、何としても“賢くなってほしい”と願わ
ずにはおれません。
今回はこのくらいにして、この続きは、のちに取り
上げる「国家意思」のところで触れましょう。
▼「国力」の「ハード・パワー」の総括
さて、だいぶ前に「『強靭な国家』造りは、『国力』
の増強に挑むことにある」と考えるに至り、私なり
に「国力」を新しく定義することから始まり、以来、
13回にわたり、「国力」を構成する「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素ごとにブレイクダウンして
分析してきました。
改めて、76話で取り上げた「国力」を定義する方
程式を再提示します。
国力=(人口+領土+経済力+軍事力+食料・天然
資源+政治力+科学技術+教育+文化)×(国家戦略
+国家意思)
です。人口や領土など、ある程度数値化してイメー
ジ・アップしやすい「ハード・パワー」を、(粗々
ではありますが)実際に個々にブレイクダウンして
分析した結果、なかには「政治力」とか「文化」な
ど国際比較が難しい要素もありましたが、「国力」
を構成する要素としてほぼ漏れがないものと自負し
ております。
そこで、「ソフト・パワー」としての「国家戦略」
や「国家意思」を考察する前に、「ハード・パワー」
を総括しておこうと思います。
まず、「ハード・パワー」の筆頭に「人口」を掲げ
ました。「人口減」が即、「国力の低下」に直結す
るのはあらゆるデータから疑いようがありません。
その対策としてこれまでも何度も試みられ、現在も、
“異次元の対策”が現政権の看板政策として掲げら
れていますが、戦前のように、国家が半ば強制的に
「産めよ!増やせよ!」と号令をかけることができ
ない今、“どのようにすれば、適齢期の若者たちが
子供を産むのか”の本質的な議論が欠けているよう
な気がしてならないのです。
その答えの一つは、「将来の希望があるかどうか」
にあると考えます。言葉を代えれば、人口減を防止
して、再び人口増に転じる方策は、小手先の子供手
当などばかりではなく、「未来に希望が持てる国造
り」にかかっているのではないでしょうか。つまり、
「国力」を構成する他の要素と密接にかかわってい
るのです。
次に「領土」です。人類の歴史は、かつての植民地
主義のように、武力に“物を言わせて”一方的に
「領土」拡大を企図するか、はたまた、互いの「領
土」争奪を目的とする「戦争」の繰り返しだったこ
とはすでに述べました。そして、「外国資本による
土地の購入」防止を含めて、“寸土”といえども
「領土」を守り抜く強い意志が必要であることを強
調しました。
戦前の反動として戦後の日本人が失ったものの中で
最大のものは、「国家を誇りに思う心」とか「愛国
心」であり、さらには「国を守る」意識であろうと
思います。ウクライナ戦争のように、今なお「領土
争奪戦」が繰り広げられていることから、「領土」
を守るための最終手段として「軍事力(防衛力)」
が必要不可欠なことも自明であり、「防衛力」を保
有することに対する理解と支持を含めて、「領土」
も「国力」の他の要素と切り離して考えることは不
可能です。
次に「経済力」です。我が国は、依然、GDPは世
界第3位をキープしていますが、「経済力」を比較
するほとんどの指標が“右下がり”になっているこ
とはすでに紹介しました。中でも、「1人あたり名
目GDP」(USドル)は30位まで低下、「経済
成長率」も「失われた30年」と揶揄されるように
ほとんど停滞し、デジタル競争力などの「国際競争
力」も低下傾向にあります。
「財政」「通貨」などに加え、「科学技術」や「教
育」など、「経済力」を強くするために、“打たな
ければならない手”(打ち手)は多岐に及ぶでしょ
う。小手先の「物価」対策に奔走しているだけで不
十分なことは明らかです。
次に、「軍事力(防衛力)」です。我が国が戦後、
「吉田ドクトリン」によって国家の安全保障の大部
分を日米安保条約に委ね、「軽武装重経済」の路線
を歩んできたことはすでに述べ、現下の厳しい情勢
の中で、その路線を保持し続けるだけで十分なのか、
についても問題提起しました。
昨年末、ようやく「安保3文書」も策定されました
が、依然、“かゆい所に手は届いていない”ことも
指摘しました。「防衛力」については、依然、国民
の中に各論があ���ことから、この分野こそ、為政者
の断固たる決意と実行が求められています。某月刊
誌の見出しにあった“作文だけに終わらないよう”
祈るばかりです。
次に「食料・天然資源」です。これらの乏しい「自
給率」の“生”のデータをみると、食料やエネルギ
ーの将来にわたる安定確保こそ、我が国の最優先課
題と言えるでしょう。
我が国は、元来の「性善説」を保持し、かつ戦後長
い間のアメリカの“庇護”に慣れ過ぎたせいか、世
界の人口増や国際情勢の急変などに対する「危機意
識」を持つ“感性”を失ってしまいました。人口減
などに伴う「経済力」の低下も手伝って、食料やエ
ネルギーなどの安定確保のパワー自体が落ちること
も懸念されます。
農業など「一次産業」の保護政策についても、「聖
域なき構造改革」などと“戦略のかけらもない”よ
うなことを繰り返してきた結果、先進国の中でワー
ストだったことも判明しました。この分野も、(言
いにくいことではありますが)選挙対策最優先の政
治家や現場感覚が欠如している官僚に任せておいた
“ツケ”が溜まっているという事実を再認識しなけ
ればならないでしょう。
また、気候変動対策とエネルギー確保については、
雰囲気や情緒に流されず、科学的根拠に基づき、資
源小国の日本ができること、やらなければならない
ことを冷静に選別しつつ、我が国が“国家として生
き残るための優先順位”を間違わないことが肝要で
しょう。
次に「政治力(外交力)」です。すでに「政治家」
の「資質」について取り上げました。若干付け加え
ますと、我が国の国会議員710名の約27~28
%はいわゆる世襲議員で、自民党に至っては約4割
が世襲だそうです。G7を含む先進国の国会議員の
世襲の割合は1割以下なので、我が国の世襲議員の
割合は、先進国平均より異常に高くなっています。
世襲議員が悪いと言っているわけではありませんが、
「政治家」という仕事は、一般的な「親の家業を子
供が継ぐ」こととその本質が異なることは明らかで
す。いくら「地盤、看板、鞄」が十分でであっても、
当人に政治家としての「資質」があるかどうかが問
題なのです。
不幸なのは、これら「3バン」が盤石で“必勝間違
いない”候補者に対して、政治家としての「志」や
「資質」に勝る候補者が勝てないことです。有権者
たる国民にそれを見抜く力が要求されますが、実態
は“ほぼ見抜けない”か、“白けて”しまって“政
治離れ”になることが心配されます。現にそのよう
な現象が起きていることも紹介しました。
巷には、政治家がサラリーマン化し、「自分がやら
なければ、日本はダメになる─そんな熱い政治家は
いないのか」と“現状”を嘆く意見も散見されます
が、「国家観」をしっかり持って、背水の陣で国を
リードする「志」と「資質」を有する政治家(達)
の“一念発起”、省益を捨てそれを支える官僚、そ
れを支持し、エールを送って国民を感化善導する有
識者やマスコミが我が国の未来を左右することでし
ょう。
次に「科学技術」です。近代から現在に至る国際社
会で、世界の覇権国としてその地位を保持し続けて
いるアメリカをして、それを可能にさせている要因
の筆頭に「科学技術」に対する国家戦略が挙げられ、
その戦略の果敢な推進が他国の追随を許さなかった
のでした。
我が国あっては、「ものづくり技術」という伝統的
な能力を持ちながら、時代の変化を先取りするよう
な戦略を立てきれなかったところに今日の低迷があ
るのではないでしょうか。予想される様々な将来環
境の中で、人類が“より幸福に”“より豊かに”日
々の生活を営むために、期待されるイノベーション
は限りないことでしょう。それらのイノベーション
に対するリスクを国家が引き受ける覚悟と実行こそ
が、日本の未来はおろか、明日の人類を救うことで
しょう。
次に「教育」です。「国家100年の計」としての
「教育」についても紹介しましたが、「低学歴国」
と揶揄されるように、その現状は寂しいものがあり
ます。残念ながら、戦後の長い間、様々な原因が重
なって、国家として「教育」を怠ってきた“ツケ”
がこの分野も溜っているのです。この分野も専門集
団に任せないで、早急にメスを入れる必要があるで
しょう。
最後に「文化」です。歴史的にみれば、国際社会を
席捲した「西欧文明」に“棹を立てた”最初の国が
「日本文明」でした。現在も8文明の一つとしてか
ろうじて残っている「日本文明」ですが、文明間の
“調整役”として機能発揮する「力量」を保持して
いるのか、と自問自答すれば、寂しいものがあるこ
とも紹介しました。
「一国家一文明」として孤立しているがゆえのメリ
ットがあるとハンチントンは期待していますが、そ
のためにも国家としての「力量」をアップする前に
立ちはだかる、様々な“障壁”を乗り越える必要が
あるでしょう。逆に、“調整役”としての機能を発
揮することが国家の「力量」アップに繋がる道であ
るとも考えます。
▼「ハード・パワー」の総括からわかったこと
さて、これら「ハード・パワー」を総括してみて改
めて分かったことは次の2点です。第1点目は、繰
り返しますが、「我が国の『ハード・パワー』はほ
ぼ例外なく“下降期”に入っていること」です。ま
ずはこの“現実”を認識し、急ぎその原因を究明し
つつ、それぞれ必要な処置を講ずる必要があると考
えます。
第2点目として、これまで、それぞれの専門家(達)
がそれぞれの知見をもって現状改善や改革を試みた
ことは何度もありますが、ほとんどドラスチックな
改善には至らなかったという“事実”もまた再認識
する必要があるでしょう。
その理由も明白です。何度も繰り返したように、
「ハード・パワー」のそれぞれの要素は、相互に関
連し合っていることから、それぞれの専門家(達)
の“狭い了見”をもってしては抜本的な解決策を導
くまでには至らず、そればかりか、“ある分野の最
適解が他の分野に悪影響を及ぼしている”ような現
象もかなりあることを認識する必要があるのです。
なかには、憲法はじめとする法制度や戦後政策上の
制約、国会対策上立場が異なる政党への対策、省毎
の縦割り責任を有する官僚への説得限界や妥協、あ
るいは国民への説明責任のようなものから、改善あ
るいは改革計画を当初案から大幅に修正せざるを得
なかったという側面も影響していることでしょう。
その根本をたどっていくと、我が国の戦後の「統治
制度」の問題に行き着くのかも知れません。
一方、それぞれの要素を現状分析しているうちに、
“未来へのヒント”がたくさんあることも発見しま
した。“勇気をもって一歩踏み込めば、まだまだ打
開の道はある”としばしば感じたことも事実でした。
総じて言えば、「国力」増強の集大成として「強靭
な国家」を造り上げることは容易なことではありま
せんが、振り返れば、先人たちもその時代時代の
“課題”に果敢に立ち向かい、時に様々な失敗を繰
り返しながら困難を克服しつつ、現在に続く「資産」
を残されました。それらに乗っかるような形で、私
たち・戦後世代は、“割と贅沢な生活”を謳歌でき
ているのです。
これからしばらくは、私たち・戦後世代がもがき、
苦しみ、考え、実行し、我が国の「資産」を受け継
ぎ、後世のために残して行く、つまり、しっかりと
“歴史の縦の糸をつぐむ”ことが求められているの
ではないでしょうか。
次回以降、そのための「ソフト・パワー」について、
少し詳しく考えてみたいと思います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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Transcription of Persona3 The Movie #1 Fanbook's Producer interview
INTERVIEW
プロデュー���ー
足立和紀
Profile
株式会社アニプレックスのプロデューサー。『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』、TVアニメ『ペルソナ4』、TVアニメ『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のプロデューサーを歴任。『ペルソナ』アニメシリーズ以外では、『ガンスリンガー ストラトス』 『閃光のナイトレイド』等の作品をプロデュースしている。
「“生と死” を彼が最初どう思っていて、何がきっかけとなってどのように変わっていくのかを 考えました」
01
PERSONA3 THE MOVIE
Creators Interview 1
Producer
Kazuki Adachi
『ペルソナ』シリーズとはかなり長いお付き合いになっていると思いますが、どのような思い入れがありますか?
足立 そもそも原作ゲームがとても好きなんです。学生時代に『女神異聞録ペルソナ』をいちゲーマーとしてプレイして以来ですね。1作目はもう本当に難しくて(笑)。ダンジョン内でのセーブポイントの少なさに泣かされたことを今でも鮮明に覚えています。PSP版では助かりました(笑)。あと、当時から非常に印象的だったのがべルベットルームの曲ですね。『全ての人の魂の詩』の、あの曲、あのフレーズとボイス。当時、歌声がBGMに含まれていること自体、ゲーム音楽で相当珍しかったんじゃないかと思います。仕事としての関わりですと最初に『真・女神転生Ⅲ-NOCTURNE-』のサントラCDを担当したのですが、その際に目黒さんとお会いした最初のご挨拶で、ベルベットルームの曲が好きなんですって話したことを今でもよく覚えています。『真・女神転生Ⅲ』の後、『ぺルソナ3』のサントラもやらせていただいて、それがおかげさまでゲームサントラ史上稀に見る大ヒットとなりまして、そこから『ペルソナ 〜トリニティ・ソウル~』をはじめとするアニメ化という話にプロジェクトとして加速していったんです。いちゲームファンとしてぺルソナに出会い、それがこういう風にお仕事として続いてきているのは本当に幸せなことだと思います。
『ペルソナ3』が改めて劇場版という形でアニメ化されるまでには、どのような経緯があったのでしょう。
足立 『トリニティ・ソウル』は『ペルソナ3』というゲームを原案とはしつつも、オリジナルの世界観を描かせていただきました。当時はいろいろな経緯があってそういう形になったのですが、それでも、いつか原作のストーリーをそのまま描く形でもアニメ化したいという気持ちを持っていました。ただ、テレビアニメとしては難しい部分もあるなと思っていて、これはできれば複数章立ての劇場作品にしたいという気持ちを胸に抱いていたんです。でもいきなりそんな何部作もの映画化というのも非常に大きなプロジェクトになってしまうため、先にテレビアニメとして非常に相性が良いと思った『ペルソナ4』のほうを原作のストーリーに忠実に制作しました。結果、そのヒットがあってようやく下準備が整って、念願の形でこの企画を動かすことができるようになりました。
テレビアニメでは難しい部分というのは、 どういったところですか?
足立 ストーリーや演出、表現的な部分だけでなくいろいろなところを総合してということにはなるのですが、例えば召喚シーンで銃口を自分に向けて引き金を引くというのも放送上の倫理面でも気を使うところです。ストーリー構成も『ペルソナ4』はテレビ尺(1話30分×何本)の放送ペースに上手くハマる波になっていると思うのですが、『ペルソナ3』はもう少し大きな波でドラマ展開があって、1話30分の掛け算ではまとめづらいなと思っていました。
原作ゲームのシナリオは膨大ですが、劇場版の内容はどのように決めていったのですか。
足立 どこを残してどこを切るかということは、もちろん脚本会議上のスタッフみんなで考えています。それでも『ペルソナ4』のアニメから一緒にやってきた人達だったのと、あれだけ人気のある原作ですので、ユーザーにとって好きなシーンや、ここを描いたらファンが喜んでくれるよねっていうところは言わずもがなという感じで、感覚を共有できていました。
ストーリーの主軸として理の物語が続き、それとは別に第1章では風花のエピソード、第2章では荒垣と天田のエピソードに焦点が当てられています。そういったバランスも会議で決まっていったのでしょうか。
足立 劇場版で特に決めていったということでもないのですが、アニメでは結城 理という主人公が、例えば荒垣たちのエピソードにも絡んでくるという点が違ってくるところですね。原作だと、実は主人公のドラマとあのふたりのドラマってまったく切り離された状態なんですけど、それでは映画として結城 理の物語にならないので、うまく繋がるように構成しています。第1章の風花と夏紀のドラマについても同じことが言えます。どの章もそうなのですが、オリジナル要素を盛り込んでいるところは、ゲームだとプレイヤーと主人公がイコールであるため、主人公のドラマと他のキャラクターのドラマに距離感があるものなんです。アニメでは主人公のドラマにも他のキャラクターがいますし、その逆もあります。そこを調整していくチューニングの部分を、アニメのシナリオ打ち合わせでまず考えないといけないところでした。
理の心情描写ができるところも、アニメならではのポイントですね。
足立 企画としてまず、理の成長物語にしたいということがありました。『ペルソナ4』もそうだったのですが、主人公は最初 “空っ ぼ” な状態で、物語が経過するに従い、仲間との絆で満たされていく、成長していくという形です。これは原作にも共通したテーマだと思いますから、そこは大切にしなければいけない。加えて『ペルソナ3』ならではの設定として、主人公・結城 理は最初とある理由から死に対しても無頓着なんです。そんな彼が、仲間との絆を紡いでいくことによって変わっていくというのが、全体の大きなテーマとなります。
理の性格についてはどのように決まっていったのでしょうか。
足立 原作ではプレイヤーによる部分でもありますから、劇場版のシナリオ打ち合わせでは最初に考えるところですね。アニメでの主人公がどういったキャラクターで、どういうことをしていく物語にするのか。原作の持っているテーマとちゃんと関連付けていかなければいけないところで、“生と死” を彼が最初どう思っていて、何がきっかけとなってどのように変わっていくのかを 考えました。
原作ユーザーの意識を想定しながら?
足立 ゲームユーザーにとってみれば、主人公ってひとりひとり持っているイメージが違うと思うんです、それこそ、『ぺルンナ3』のどういうところが好きなのかというのも人それぞれ違ってくるところだと思いますし、戦いの要素もあれば、仲間たちとの日常やコミュニティキャラクターたちとの関わりに重点を置いている方もいると思います。それらも主人公が成長していく要因になってくるわけですから、できるだけ多くの方にとって外れてはいないという形になるよう意識しています。それからゲームをプレイしていない方にはわからないと思うのですが、ゲームの主人公は喋らないんですよね。なので、理のセリフは基本的にほぼアニメオリジナルのものです。ゲームの中は『ぺルソナ!』とぺルソナ名くらいしか声聞くことはできないですし、あとは選択肢を選んだときにどう言ったのかがわかるくらいです。アニメでは、その選択肢をひとつひとつ拾っていって、肉付けしていってドラマに組み込んでいます。『ぺルソナ4』のときもそんな感じだったのですが、『ペルソナ3』の場合、ゲーム内の「どうでもいい」という選択肢がある種この作品の主人公らしくも見えたので、そう言う主人公がどういうキャラクターなのかを想像しながら理の性格が作られていったと言うこともできます。「死ぬことなんてどうでもいい」、「生きるなんてどうでもいい」、「友達なんてどうでもいい」出発点の “空っぽ” なキャラクターなんです。そんな彼が、「どうでもいい」と思えなくなっていくことが描かれていくわけですね。
第1章と第2章で、ここを見てほしいというところを挙げていただけますか
足立 映画ということを意識した作りになっていますから、アクションシーンもひとつひとつ派手になっています。テレビでは時間や予算の制約もあってなかなか難しい表現も積極的にやっているので、そういったところを是非見ていただきたいですね。あとは、テレビとはまた違った間の取り方もポイントになると思います。僕が一番印象に残っているのは、第2章で天田が墓参りをするシーンなんですけど、ああいうシーンとかも非常に映画的で、テレビではなかなか取れないような間で表現をしています。あとは、劇場作品ということで(第1&2章キャラクターデザイン兼アニメーションディレクターの)渡部さんをはじめとするスタッフの皆さんの力のこもったシーンの数々も見所になると思います。例えば第1章での理の召喚シーンとか、第2章冒頭のホテルでのバトルとか、渡部さんに存分に力を発揮していただいたシーンです。これらのテレビでは難しい部分の表現が、劇場アニメで『ペルソナ3』を再現したいという企画における一番の成功例と言えると思いますし、こういうシーンを見たくて劇場版の企画を立ち上げたと言っても過言ではありません。第2章で言えば、最後の荒垣と天田のシーンもそういった例として挙げられると思います。
最後のシーンのために、前半と後半で大きな心情の落差を作ったと聞きました。
足立 複数章立ての作品にする上で、第2章のラストシーンをあそこにするというのは割と最初から決めていた事ではあります。第2章の終わりがあのシーンというのは、非常に映画的な終わり方というか、ある種すごくショッキングな終わらせ方にもなっていると思いますが『ペルソナ3』のお話全体として、非常に重大なテーマを秘めたシーンなので、そこを印象的に見せる上で前半をなるべく相反するような明るい日常であるとか青春、仲間との絆を描いています。
第2章までの段階では言いにくいところもあるかもしれませんが、ご覧になった方々にどんなことを感じて欲しいと思いますか?
足立 そうですね。感じて欲しいというと上から目線になってしまいますし、劇場版自体をというよりも、原作ゲームが面白いんだ、ということを伝えたいですね(笑)。こんなに面白いゲームがあるということが、少しでもこのアニメから伝わればと思っています。自分もやはりゲームの『ペルソナ3』をやって面白いと思い、アニメでその魅力を伝えたかったんです。もちろん、この劇場版で原作『ペルソナ3』の持つ魅力を全て描ききっているというつもりはありませんので、興味を持ってもらって、ゲームをまだやっていないなら是非原作ゲームの方を遊んでいただきたいなと思います。まだゲームを遊んでいない方は、こんなに面白いストーリーをゼロから体験出来るんですから、なんて羨ましいんだろうなって思いますよ(笑)。
他スタッフの方々からお話を伺っていても、原作への思い入れを強く感じました。
足立 この現場は、1日でできるものではないと思っています。そういう意味では、テレビの『ペルソナ4』の存在は大きかったと思うんです。クリエイターひとりひとりだけでなく、スタジオと周辺の人たち全体の意識があって、作り上げてこられたものです。とにかく自分がみんなに言い続けたのが、原作『ペルソナ4』をまんま描きたいんだということで、それを口酸っぱく言い続けた結果の『ペルソナ4』のテレビアニメがあって、その成功体験をみんなで共有できた。そのムードのまま『ペルソナ3』を作ろうと一致団結してやってくることができたんだと思います。
足立 ゲームをプレイされていない方はもちろん、プレイ済みの方でも先の展開を楽しみにしてくださっていると思いますので、この先どうなるのかはお話しできませんが、それでも自分自身がゲームをプレイした人間として言わせていただくと、原作ファンにとって物語最大のクライマックスは、やはり最後のシーンだと思うんです。それを描きたくて企画を立ち上げたといっても過言ではないので、そこを楽しみにしてもらいたいですし、自分自身も楽しみです。
それでは、ゲー��をすでにプレイされている方には、どんなところを楽しみにしてほしいですか?
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緊急脱出時、車いすのお客様はどうなるのか? 鳥塚亮えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。 1/9(火) 10:58 羽田空港で日本航空の旅客機が海上保安庁の飛行機と衝突するという事故が発生しました。 これだけの大事故でありながら、日本航空の旅客機に乗り合わせた乗客、乗員379名全員が脱出に成功したことは不幸中の幸いだと思いますが、これを実現したのはクルーの皆様方の不断の訓練と、乗務員としての心構えであり、また、乗客の皆様方の冷静な行動と協力だと海外メディアからも絶賛されているようです。 ところで、こういう緊急脱出時に車いすのお客様など行動に身体的な制約があるお客様はどうなるのでしょうか。 そのような疑問をお持ちの皆様も多いと思いますが、航空会社の対応やどのような考え方で規則が成り立っているのかをお話させていただきます。 事前のお申し出が必要です 車いすなど、特別なお手伝いを必要とされるお客様はどの航空会社もご予約の際に事前にお申し出いただくことが必要とされています。 一例として車いすのお客様が飛行機にお乗りいただく場合ですが、航空会社では3つのカテゴリーに分けてコードを付けています。 WCHR:階段の上り下りなどはできるが、長距離の歩行ができない方。 WCHS:階段の上り下りはできないが、飛行機のドアから座席までは一人で行かれる方。 WCHC:一人で歩行ができない方。
航空会社ではご予約時にお客様のお申し出から上記3種類のどれに該当するかを判断し、どのようなハンドリングが必要かを事前に準備します。 事前準備には、チェックインカウンターに車いすを用意して、搭乗ゲートまでご案内する職員を確保することはもちろんですが、飛行機がボーディングブリッジを使用するゲートに発着する場合以外の、いわゆるスポットからタラップで機内に入るゲートを使用する場合は、ハイリフトと呼ばれるエレベーター型の自動車を手配することもあります。その場合、機内でお座りいただく座席の位置も決定します。 車いすのお客様は非常口座席には座れない 車いすのお客様のみならず、身体的な移動制限があるお客様のことをPRM(passengers with restricted mobility)と呼びます。 PRMのお客様はご旅行の際に例えば優先搭乗など様々なサービスを受けることができますが、航空旅行では同様に様々な制約が課されます。 その一番大きなものはお座りいただく座席の位置です。 移動に制限がある車いすなどのお客様、あるいは介助が必要な方は足元に余裕があるお席を求められる傾向があります。また、搭乗したドアの前のお席であれば、出入りに便利です。 しかしながらバルクヘッドと呼ばれる非常口前の広めのお席はそういうお客様にお座りいただくことはできません。その理由は緊急脱出時に他のお客様の障害(impediment)になるからです。 こういう表現をするとクレームされる方もいらっしゃるかもしれませんが、すべては国際的に定められている「90秒以内に脱出を完了する」ためのもので、全員のお客様がスムーズに脱出するためには、車いすをはじめ、PRMのお客様はあらかじめお座りいただける座席の位置が決められています。 乗務員はお客様の体に触れることは許されない 車いすだけではありませんが体のご不自由な方は介助が必要な場合があります。でも、乗務員は機内でそのお手伝いをすることはありません。 トイレや食事、あるいは移動など、身の回りのお世話が必要なお客様は、介助する方と同伴でご搭乗いただく必要があります。 上記カテゴリーのWCHC(機内での移動も一人ではできない方)の場合、たいていの航空会社では機内の通路専用の車いすを準備していますので、それを利用して移動していただきますが、その車いすからの乗り降り、通���から座席の横移動についてはご自身で、あるいは介助の方にやっていただく必要があります。乗務員がお手伝いをするのは車いすを押すだけです。これはどこの航空会社も同じです。 小さな子供がぐずったりした場合、子供を抱き上げてあやすのはサービス的には美談かもしれませんが、乗務員は子供を抱き上げてあやすようなことも基本的にはしません。お客様の身体に触れるような行為は一切禁じられています。 車いすの方のお席は限られている 車いすの方がご利用いただけるお席は限られています。 飛行機の機種にもよりますが、1機当たりの車いすの方の利用される上限人数が2名とか4名などと限られている航空会社が多くあります。 また、お座りいただける座席位置も限られます。 非常口座席などにお座りいただけないのはもちろんですが、機種によって座席の位置が指定されている場合が多く、特にWCHC(自分で機内移動ができない方)の場合はひじ掛けが上がる席となります。そして、お座りいただくのは窓側のお席となります。 車いすの方は通路側の方が便利かもしれませんが、車いすの方が通路側に座ってしまうと、緊急脱出の際に窓側のお客様が脱出できなくなる可能性があるからです。 以上のような理由により、車いすをはじめ、PRMのお客様はご予約の際に事前に航空会社にご連絡いただく必要があるわけで、ご連絡をいただかずに空港にいらしたときには、その時の機内の状況によっては、ご搭乗を次の便にお願いするなどということも発生しますし、ご自身でご予約サイトから事前座席指定をされていたとしても、その座席は無効になり、航空会社が指定した座席にお座りいただくことになります。 緊急脱出の際にはどうなるか これははっきりと明示されている文章はありません。 ただし、客室乗務員の訓練時のマニュアルにはこのように書かれています。 某航空会社の客室乗務員訓練マニュアルから抜粋 内容としては ・身体的行動制限があるお客様は事故発生時には大きなリスクに直面する。 ・大多数の健常者の脱出の妨げとなってはならない。 ・定期便やチャーター便などの一般のフライトでは、緊急事態発生時には乗務員から満足なサポートは受けられない。 ・乗務員は自分の身を危険にさらしてまで救助を手伝うようなことはしてはならない。 ということです。(チャーター便というのはPRMの方々の団体、例えばパラリンピックへ向かう選手団のような団体の貸切などと考えられます。) 筆者の友人で30年の経験を持つ客室乗務員が、若いころ訓練時に教官に 「どうしたらいいんですか?」 と尋ねたことがあります。 その時の教官からの答えは「最悪の場合は置いていく。」だったそうです。 これが航空会社のPRMのお客様に対する考え方です。 「車いすの方は、どうしたら安全に避難できるんですか?」と質問したら、「プライベートジェットしかない」と言われたということが数日前にネットで話題になっていましたが、回答者は救急搬送用の飛行機などの存在を示していると思われます。 定期便の旅客機というのはあくまでも公共交通機関であり、緊急事態発生時には最大限の効率的避難を求められるものです。 この議論が日本人になじまない理由 以前にもこのニュースで書きましたが、航空輸送というのは運送約款に基づく契約の世界です。 義理人情にあつい国民性の日本ではなかなか受け入れられないものかもしれません。 緊急脱出時の対応も運送約款に基づく契約としては、はっきり言ってドライなものです。 これは航空機というものが西洋を中心に発展したものであり、細かな規則やハンドリング規定というものがアメリカやヨーロッパの法律をもとに作られているからかもしれません。 そして、その西洋社会と日本社会を比べた場合、考え方が根本的に違うその大きな原因は、日本人の法律的考え方の中に「善きサマリア人の法」というものが存在していないか、あるいは希薄であると言われています。 この「善きサマリア人の法」についての解説はここでは行いませんが、災害発生時のトリアージと呼ばれる優先順位を付けた救助や治療行為なども、日本で論じられるようになってからの歴史はまだ浅いものがあります。 今回の海上保安庁と日本航空機の羽田空港での衝突事故を見ても、海上保安庁の隊員5名がお亡くなりになられているのも関わらず、ペットが2匹死んだことが大きな議論になったりするのを見ても、日本人の考え方に特徴的なものを感じます。 緊急事態が発生した場合に客室乗務員が最終的にPRMのお客様をどうするかということは上記のマニュアルには書かれていませんが、その根底にあるのは「目の前に困った人がいれば見て見ぬふりはできない。できる限りのことをしなければならない。でも、そのために自分の身を犠牲にすることは許されない。」という考え方が国民の間に浸透している社会かどうかということではないかと筆者は考えます。 補足 客室乗務員はお客様の体に触れてはならないというのが大原則です。 しかしながらWCHCのお客様が搭乗される際、あるいは降機の際に「お手伝いしましょうか?」と言って屈強な男性クルーがお客様をヒョイと抱き上げて機内を移動している姿を筆者は何度も目撃しています。 欧米ではお客様の体に触れることは、後々様々なトラブルの原因になりますから、基本的にはお手伝いをすることはないのですが、お客様の同意を得て、証人となる他の同僚がいる場所で、「自分にできることは何でもする。」というのが乗務員の考えだと感じました。 ただ、そのことをお客様の側から期待されて、求められてもお手伝いはできないということをご理解いただきたいと思います。 今回の日本航空機の事故でも、PRMのお客様が乗っていらしたと聞いておりますが、きちんと全員脱出できているのも、クルーの皆様方の不断の努力と的確な判断力があってのものであると、高く評価していただくに値するものだと考えます。 皆様方の安全で快適なご旅行をお祈りいたしております・ 参考 善きサマリア人の法(Wikipedia) 緊急脱出したら手荷物はどうなるのか(YAHOOニ���ース 2024-1-3) ※おことわり 本編は筆者の長年にわたる航空会社での経験をもとに、読者の皆様方の一つの参考となることを目的として平易に書いたものであり、各航空会社の取り扱いを示すものではありません。また、本編の内容につきまして、各航空会社へお問い合わせをされても航空会社が回答の責を負うものではありません。 あらかじめご了承ください。
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Technical Dry Hoodie Pike & Grayling
すごく久しぶりのBlogを書いてみてます。昔のように釣りに行く度に釣行記を書くわけでもないし海外の釣りもどちらかというと動画で見せたいこの頃に、じゃあ何を書いていけばいいんでしょうね。と言うことで、今回はかなり苦労して出来上がったアパレルの告知をしておきましょう。

テクニカルドライフーディーは、その名の通り機能性を重視した薄手のパーカーです。速乾素材はもちろん紫外線対策もUPF50+でバッチリ。過去にドライロングを制作した時よりもより軽やかな生地を採用してます。
こだわりは色々とあるのですが、一番目立つ部分はやっぱりフード。フードをかなり大型にすることで、帽子を着用時や僕のようにもともと頭のデカイ人間でも、フードを被った時に首周りは引っ張られないようにしました。「大きめのフード」と言っても実際ここまでゆとりを持ったフーディーは少ないかなと思います。このサイズにすることで着心地はもちろん、横からの日差しも遮りやすく顔への照り返しを緩和するなど、夏の本流やオフショアなど日差しの強いシチュエーションで活躍できるディテールです。
リブもサンプルを複数試して、程よい絞りとフィット感に仕上げてます。リブのないデザインも嫌いじゃないのですが、時計をする時やグローブを嵌める時なんかも視野に入れると、程よく手首周りを抑えてくれて干渉してこないリブはやっぱり欲しかった。インナーとして着る時もリブの有無は結構重要だったりしますね。
ボディカラーも本当に悩みましたが、大人のオシャレには可愛らしさが必要不可欠だと思っているので、大胆に見えて意外と馴染むオレンジを先ずは選びました。ここ数年は毎年の行事となっている南西諸島の遠征時もこのカラーはとにかく活躍します。日差しの青い海の中でのコントラストは最高ですし、特に西表のマンゴージュースとの色の相性は抜群ですね。
もう1色はステルスグレー。これはもう本当に誰にでも選びやすい普遍的なカラーでもあり、実際にたくさんいても姿の見えないトラウトたちにもちなんだカラーです。見た目にも涼しく、パステルカラーのショーツを履いているお客さんも多そうに感じたので落ち着いたカラーを採用しました。僕個人的には渓流はこっちかなぁ、プリントもグレイリングだし。


どこまで行ってもフィッシングを忘れるわけにはいかないので、パイクストリートのアパレルには当然魚のモチーフが多くなる訳なのですが、今回のドライフーディーはそこを限界まで抑えたデザインに仕上げてます。
きっと帽子にも魚がプリントされていたり刺繍されていたりするでしょうし、大きく魚をあしらったシャツは他にもリリースしていることもあり、このドライフーディーの魚に関してはフードを着用時にさりげなく存在感をアピールしてくる場所とサイズ感にプリント。生地の機能性を最大限に発揮するのにも一役買ってくれます。

それとサイズに関してですが、1からオリジナルボディを制作してますのでSから4XLまで展開してます。Sサイズは女性にもおすすめできるし、海外のアウトドアメーカーでしかなかなかぴったりのサイズに出会えないBIG BOYSも着てもらえると思います。
とまぁこんな感じがざっくりとしたアパレルの解説でした。
今年の目標は「真面目にやる」です。釣りばっかりやってないで色々企画していきますので2024年も何卒よろしくお願いします。

さて、最近よく考えていることとしては僕ぐらいの中年のアングラーで業界に携わる人間ってどんな風にたち振る舞うのがいいのかです。例えばキャリアが進むにつれて、関係者が集まった時なんかは〇〇さんとか〇〇君を知っているかとか、どこどこのアレ作ったの俺とか、なんかマウントチックな会話が多くなって来まして、本当に無知な僕は誰々さんは知らんし興味もないため、自分が知られていなくても何も感じない、、、。
最終的には釣りが上手いとか下手とか、大御所たちの話に話題が進むと遂に耳が塞がってしまって困ってます。別にリスペクトがないとかじゃないんです。自分なりにキャッチしてきた情報とか出会いとか様々な���っかけで好きな先輩も大御所もいます。でもなんか、世界がとっても狭くなってこちらに迫ってくるような恐怖を感じる時があり、そもそも群れるのが本当に苦手なのと、その根底にあるのは自分の知名度がまだまだ低いことに対するコンプレックスからくる一種の”逃避欲”だったりするのかなぁとか、考えたりする訳です。
僕はよっぽど嘘を並べたり話ばかりで実際釣りしているのか分からないアングラーでもない限り、上手いとか下手で判断して関わり方を変えたり嫌ったりっていうのは本当にないし、どれだけ有名だろうが大きなメーカーの代表だろうか「こいつはダメだ」って判断したらそれっきりです。皆そうでしょう。同じ会社の上司で今後も関わっていくとかなら話は別だけど。
で、多分それがカッコイイってどこかで思ってきたけどこんな歳になると無駄につっぱってるだけなのか?とか思う時もあり、、、。きっと寝込んだ時に島耕作を読みすぎたせいだと思うので、これまで通り好きにやってこうと思います。
何が言いたかったのかよくわかりませんが、僕の心の軌跡を残しておきますね(笑)
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