2023/12/19 木実ヶ池 釣行 ミドスト練習4日目 52.5cmBass
本日も木実ヶ池へ釣行に…。
今日は、一日曇空で小雨もポツポツ降る予報だが、最近では珍しく風が吹かない!風が吹かないのであればミドスト練習したい!ということで、スピニング1本持って野池へ。
午前中は、ひたすらミドストやり続けるもノーバイト…。
12時過ぎまでひたすら粘るも、まったく反応ない。
小雨がポツポツ降ったり止んだりで、鯉が時折水面を割っているが魚の気配はなし。
0.9と1.3gのジグヘッドを使ってみたりワームもチョコチョコと変えてみたりしたが反応なく、3回目の根掛かりロストをした所で集中力が切れたので、一旦ミドスト休憩。
ミドストは集中力が必要な釣りなので長時間やると疲れるのかも?
水路前と堰堤側を行ったり来たりしていたが、メタルバイブSSの5gに結び変えて、適当に沖を流してみる事に。
水路前のシャローから、堰堤側に一気に深くなるブレイクラインに沿ってメタルバイブをリフト&フォールさせていたら、ゴミが引っかかったような感触がありピックアップしたら小バス釣れた。
こんな気温でもリアクション効果なのか小バス釣れるのかーと関心しながら同じラインにキャストしたら、今度は少し重たいアタリが!
フッキングするも4lbのフロロ通しだから、めっちゃライン伸びる!
えっちらおっちら巻き上げて34cmバスキャッチ。
ULロッドに4lbフロロだとこんなに大変なのか…。
とりあえず気分転換でメタルバイブに変えて数投でバスキャッチできたので気持ちもリフレッシュしたので、ミドストにチェンジして水路側へ移動しながらキャストを繰り返す。
何事も無く水路前へ到着し、先週の土曜(4日前)にここで知り合いが50upをチャターでキャッチした際に水路前から右斜方向のラインから水路真横まで引いて足元でバイトがあったと聞いていたので、いつもは正面と左方向の垂直護岸側をメインにキャストしていたが、今日は右側も多めにキャスト。
すると、水路の正面から少し右側にキャストした際に、ククッっとわかりやすい感触でルアーが持っていかれて右側に走っていったので、フッキング。
めちゃくちゃ重たい!でドラグがすごい勢いで出ていく。
きました!野池の50up!
すごい勢いで走るもんだから、ラインブレイクを恐れてドラグ緩めたけど足元の水路に突っ込んできたので水路に入られたら終わりだと思ってドラグを適度に締め直してゆっくりゆっくり足元に寄せて、ランディングネット持ってきてる事も忘れてハンドランディングしました。
サイズは、52.5cm!! ↑のほうで34cmのバスを同じスケールで測っているので体高の高さが分かると思います…。
筋肉万太郎とは言えないかもしれませんが、コンディション最高のバス!
全然、足元に引き寄せる事ができずかなり長い時間ファイトしてキャッチしました。途中、水路脇のコンクリや沈んだ木枝にライン擦られたりして本当にヒヤヒヤしましたよ…。
ここの池のバスは引きが強いと聞いていましたが、本当に強い。
ヒットルアーは、バークレーマックスセントのフラットノーズミノー4インチ(ブルーバック)に、カルティバのレンジローラー(ミドスト用ジグヘッド)1.3g #2フックでした。
ちなみに…フラットノーズミノーは先日タックルベリーでブルーバック1パックとブラウンバック1パックを追加購入しておきましたw
1パック10個入りで特価セール300円税込み!1尾30円!!!
マックスセントのワームは、見た目硬そうですけど結構柔らかくて、特にフラットノーズミノーは細身なのでフニャンフニャンの柔らかさです。それでいて、少しスポンジっぽい素材なので針持ちがめっちゃ良くて割りと頑丈なワームです。匂いはきっついけどねw
ロッドはメジャークラフトの古いロッドで、ULロッドのソリットティップです。
正直、ミドストがやりやすいとはお世辞にも言えない感じで、どちらかというとダウンショットのほうがやりやすいと思います。
感度は最高に良いんだけど、ラインスラッグをシェイクするミドストのロッドアクションには不向きな感じ。
フッキング箇所は、口内の皮に貫通している形で…いつ歯でライン切られてもおかしくないような位置でした危なすぎ。
手を伸ばした画角に収めて写真撮ると…小さく見えちゃいますが
腕プルプルしてますw
いや~本当にヒヤヒヤしてファイト中は生きた心地がしなかったけど、キャッチした後となれば最高のファイトでした。
初めて釣った50upもスピニングでしたが、PEラインだったので…。
ベイトの太糸セッティングでゴリ巻きも楽しいけど、スピニングの細糸でドラグファイト最高ですねw
数回前の投稿から、今年最後のバスになるかも~とか言いながらもちゃっかり50upキャッチしてしまって本当に思い出に残る日になりました。
そして、自己最高記録を2.5cm更新!
去年のクリスマスにベイトリールとロッドをプレゼントしてもらって本格的にバス釣り初めて、今年7月に初バスキャッチから、年内50upを4本も釣れてしまうとは…。次の目標は55upですね。
使用タックル
リール Daiwa 17 Theory 2506H
ロッド MajorCraft Volkey VKS-S642UL/SFC
ライン フロロマイスター フロロライン4lb
ルアー バークレー マックスセント フラットノーズ 4インチ (ジグヘッド Cultiva Range Roller 1.3g HookSize #2)
結果 3バイト 3キャッチ
ミドスト1匹、メタルバイブ2匹
外気温 7度 水温11度 曇時々小雨
ミドスト練習4日目にして50upキャッチ…ミドスト恐るべし。
※3日目だけノーキャッチですが、1バイト有りと…今のところノーヒットなしw
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【クチコミ】
"清潔感のあるキレイなクリニックで、看護師さんも、先生も優しくて、施術も丁寧です。"
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ヘアメイクの友人からアラサー以上の大人へのアドバイス (趣味の範囲なので逸脱はもちろん自由)
・黒髪に青白い系のメイクはダメ、黄みかピンクみを持たせること
・大人はチーク必須、アイメイクに凝らない(目周り痩せていて汚く見える)
・年々女性らしい曲線や質感失われる、男顔の方に寄せない
・男顔とは→目と眉近い、左右の眉が中央に寄ってる、頰やエラがシャープで骨っぽい
・元から目の位置が高く目と眉が近い男顔は無理に女っぽくすると良さがなくなる、ニュートラルに寄せる
・男顔の場合→眉の存在感なくす、目と眉を遠ざける、眉間広く開ける、骨の角が取れて見える光の入れ方
・男顔はガクンとおばあちゃんっぽくならない、若い頃の印象のまま綺麗なミドルを目指すとお姉さんの印象のままいられる、ハツラツ感やキリッとした雰囲気は若さ
・女顔とは→丸顔、目の位置が低い、顔の下半分が小さい、口元が上品、骨を感じにくい ・女顔こそ油断したらダメ
・女顔は何もしないと冴えないしょぼんとした寂しい印象になりがち
・丸顔や卵型の人はほうれい線やマリオネットライン深く出やすい、ある日突然おばさんのような印象になる
・女顔こそ可愛い系はある程度のところで卒業すると若く見える、爽やかさやナチュラルさがあるとしょんぼり感緩和する
・男か女かどちらかにはっきり分けられるわけではない、例えば目が高く顎が小さくて口が出ているなど日本人に多いがどちらにも入りにくい
・チーク、ハイライト、シェーディングはファンデを塗って初めて生きてくる
・大人になったらカラコンやまつエクはあまり勧めない、清潔感出にくい
・年齢サインの中でも最低限隠すだけで清潔感出るところ→小鼻のキワの赤み、眉間の毛穴、唇の乾燥、目の充血(ほうれい線なんかよりもかなり目につくポイントとのこと)
・もみあげ、生え際、うなじが無毛なのは不自然、少し残した方が小顔で首も細く見える(うなじはデザイン大切とのこと)
・美容医療は控えめなヒアルやボトならバレないが、額や眉間や目尻が全く動かない人は異様な印象
・ピーリングやレチノールのテカテカした質感はごく一部の流行り、リアルでは1割もいない、プロのモデルはキメがなくなることはやらない
・プロのモデルにメイク前のマッサージは殆どの場合当然やる
・整形の傷痕はもちろんわかる、プロのモデルや女優は基本的に肌をメスで切らない
・視聴者が思ってるほど大御所女優は切開リフトとか額挙上とかしない、傷できたら映せない
・ヘアメイクは全員毛穴の左官工、完璧に埋められる
・ドラマ主演級の女優は肌綺麗、��れでもすっぴん風に人工の色��ラ作る
・埋没の糸玉や鼻翼基部のヒアルはよくわかる、プロでなくても見えやすい
・出っ張った丸い額、下唇より分厚い上唇は今だけの流行り
・無加工で不自然に見えるものは実物はもっと不自然
・目周りは年齢必ず出る(脂性で皮膚厚く目が小さく、目元が人一倍ふっくらして頬骨が出ていないタイプだけは別)
・いわゆるパーソナルカラー診断はプロでも間違っていることがかなり多い、誰でも簡単に取れて今稼ぎやすい資格
・人の顔色は4分割で考えることはできない
・服もメイクも、選択肢を絞れば簡単に売れやすい
・顔色は年単位で変わるがそれ以上に日によってかなり違う
・自分の顔色や色ムラ、透け感だけはどんな鏡でも正しく見ることはできない
・反転する鏡やはっきり色が写る鏡もあるけど一度見ておくといいくらいのもの
・鏡で見える姿には補正が入るが、それを正せばいいわけでもない
・若い頃の古いメイクでも気にしなくていい、老けて見える要素だけなくせばいい
・インフルエンサーが使っているものを簡単に真似しないこと、あくまで売る目的がある、自分の専属メイクではない
・他人に一番似合うものは自分のベストではない、例えその人にどんなに似ていても真似した自分は下位互換になる
・自分だけのベストは探すのに時間がかかって当たり前、人真似は遠回り
・まつエク(付けまつげ)、カラコン、デザインネイルの3点セットは頑張り過ぎ感出やすい、どれか一つ控えめにすると余裕出る
・大人のギャル感はお水の印象
・コンサバ系は髪型だけでも令和に
・今のナチュラルでカジュアルな流行が似合わない顔タイプは、髪型かメイクのどちらかラフにすると浮かない
・大人の抜け感とだらしなさは違う
・あからさまに媚びたモテメイクは安っぽく見えナメられる、大人がやることではない
・抜け感=工程の少なさ、アイメイクは盛らない
・引き算メイクはベースメイクが整っていないとだらしなくなる
・真顔ではなく笑った時に映えるメイクにする
・完全に赤みを消すと不自然で血色が悪く見える、プロはグリーンのベース殆ど使わない
・赤みを相殺するハイライトやチーク使う
・髪のボリュームと水分量は20代の前半と後半でもかなり違う
・美容院ではカラーリストよりケアリストを選ぶのおすすめ
・若く見せたければツヤにこだわるよりトップのボリューム(艶出しに躍起になるとボリュームが出せない、ツヤによって輪郭はっきりするとここまでが髪とはっきりわかってしまう)
・前から見た時に髪の面積が少ないと老けた印象→トップふんわりさせる
・艶が出にくい髪質は明るめのカラー
・今の若者メイクは実際には大人は応用しにくい
・ツヤメイクは毛穴の目立たない肌向け、皮脂に見える、最近はセミマット主流
・シースルーバングは全体の髪薄く見えることもある
・流行っていても男顔は眉を濃く太くしなくていい
・サロンや美容クリニックは美容関係者は紹介でしか行かない(紹介の新規患者が多いクリニックはプロが通っている)、ヘアメイクは人脈幅広くインフルエンサー以上に重宝される
・モデルもヘアメイクも個性をなくす(プチ)整形はしない、個性をなくして整うことで売れなくなることも多い
・童顔は可愛らしい雰囲気だが、実物は若く見えるわけではない ・大人世代はいわゆる男顔や大人顔の芸能人の方が圧倒的に多く残ってる、顔が短く目の位置が低い人の方が少ない
・芸能人は特別童顔ではない、卵型、ベース型、面長多い
・芸能人は目の絶対的なサイズが大きいわけではない、鼻高くない
・フォギー肌目指すべきか?→肌の健康のためにはもちろんそう、メイクのノリもフォギーでないと叶わない、ツヤツヤにピーリングで剥くのは一度やってみたければでいいのでは
・美容医療をやるならすっぴん肌でいいわけでもない、メイクしないと出ないオーラもある
・大人のストレートロング自体はイタくはないが保つのが大変、重さでトップ寂しくなるとそこばかりに目が行く
・髪の絡まりは抜け毛に繋がる(抜けなくていい毛まで持っていかれる)
・白髪を元に戻す方法も無いわけではないが、まずは増やさない&黒髪を抜けさせない努力
・帽子を被るならハーフアップなど脱いだ時に決まる髪型にする(脱いだ瞬間や帽子で潰れた状態が一番老けて見える)、もしくは脱いだら結ぶ
・帽子と日傘どちらも必要なら相当バリア機能が弱っている、薄肌のモデルもそこまでしない
・サロンもクリニックも、悩みと解決法を全て言語化して欲しい人ばかりが来るわけではない、可愛くしてあげるね!と優しく励まされたい人も多い、技術は紹介で担保されているのでその先は相性が全て
・何度も通うと雑になる美容師が多いのは本当、いい人もいる、失礼な態度と感じたら行かなくていい
・イエベとかブルベとか勿体無い、顔の中には黄みも青みも赤みもある、それを自然に引き出すベースメイクすれば良い
・PCに忠実すぎる人はメイクやファッション大きく上達しない、他人の決めた商業戦略に支配されなくていい
・PC一通りやったらそこから外れるのがステップアップ、PC経由しなくてもいい
・顔色=血行、撮影前にモデルに足湯やウォーキング、ストレッチさせることもある
・運動の習慣大切、毛細血管を育てると皮膚に栄養行き渡る ・丸まって鏡ばっかり見てると顔垂れる
・歯列矯正で輪郭整う人実際に多い→やったー
・モデルは裏側矯正が多い(抜歯したところには仮歯入れてる)
・モデルはまつ毛美容液使わない、せいぜい保湿目的のオイルを顔のついでに塗るくらい(色素沈着)、まつ毛パーマもしない
・まつ毛が長いことは採用基準にはならない、今の流行
・整形について思うことは色々ある ・童顔ブームは整形ブーム(自然に逆らうことはビッグビジネス)
・売れてるモデルなら肌荒れしてても受かる、そこまで名前がないと肌荒れひとつで修正のコストがかかり落とされる
・肌の綺麗なモデルみんなが規則正しくナッツとか食べてるわけない、顔脱毛すら終わってないことも多い
・普通の人は痩せすぎると背が低く頭大きく見える、モデルに寄せると老ける
・ごくまれに寝なくても目が小さくならずクマもできない人がいる、テレビ向き
・モデルは痩せそうな生活をSNSで演出するがリアルは違うことも多い、真似しなくていい
・弛みや毛穴や痩けは痩せたり太ったりすると解決する人も多い
・若くいたい人がそうすれば良いだけ、見た目若くなると気持ちも上がる
・まつエクは少し古い印象、骨っぽく肌薄い人はさらに目元が暗く見える
・ハイライト、チーク、シェーディングはファンデで色を均してから使う前提で作られている、カラーレスなベースでは本来の発色せず皮脂と混ざって早い時間にくすむことも
・若者は立体感出すメイク、大人はフラットなレフ板メイク
・美容医療やプチ整形は良いと思うがそれだけで顔を完成させると整形顔になりやすい、顔の流行はすぐ変わるからメイクで変えられる余地を残して
・流行は常に若者発信、大人がそこに媚びなくていい
・顔の赤みは気付きにくい、クリニックで診てもらうのが一番 ・肌、髪、ファッションのバランス取る
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雑 詠
花鳥誌 令和4年11月号
雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
天の川の端より天の川仰ぐ 伊藤 ひとみ
この句の構成には信じられないような前衛と写実がある。我々の地球もまた銀河系の端に乗っている、そこからは巨大な銀河の一部が夜の空に見える。それが天の川。その科学を知らないとこれは理解できない。そんな句があっても良い。この句の勇気と先進性に拍手を送る。
流星や余人通れぬ個個の道 伊藤 ひとみ
人生あるいは俳句道は自分だけのもの。他人にはわからない自分の道がある。それは流星とても同じ事。自分一人で流れて消えてゆく。それは運命であり、これもまた宇宙の法則のひとつ。
果てしなき俳句銀河に迷ひ込み 伊藤 ひとみ
俳句宇宙も銀河の一部。この銀河も個個の中の俳句銀河も同じ価値を持つ。観念的だがこれは真理の句。俳句世界にこの現実を持ち込んだ希有の句。
あの夏を無言の白きマリア像 天野 かおり
「あの夏」はいつの夏か。無言なのだから戦争や天災を思う。個人の夏では物足りない。その夏も今もマリアは無言である。だからこそ人類の愚かさがこの余韻。現今の夏もまた愚かな人類はマリアの口を閉ざす。
夜の蟬星のあはひを登りけり 天野 かおり
夜の蟬ってもう弱っているのだろうか。鳴く事はもう無く、無言でよじ登りやがて墜ちる。星たちはそれを俯瞰している。その運命を知っている。それが輪廻転生することを願っている。
てつぺんは波の高さに夏氷 天野 かおり
この愉快で溌剌とした表現は素晴らしい。ビーチの海の家で食べているかき氷。その頂点から遙かな沖を見るとそこに波が砕ける直前の光景が見えた。天辺はかき氷のそれであり波の屹立する高さのそれでもある。遠近の天才的表現。
零戦に少年口を閉ざす夏 栗原 和子
零戦は昔から少年の憧れ。それを眼前にしたのだろう。憧憬と怖いような感動。あらゆる衝動に包まれ言葉を失う。この少年は現代の少年であり昭和の少年でもある。夏はそれを知っている。
夏蝶は翅で息して歩みたる 栗原 和子
この夏蝶はおそらく断末魔なのではあるまいか。蝶はその命の最期には地上に落下してそして喘ぐ。翅の開閉はその息づかい。歩みはもう意識的では無い。死への歩みはあと数歩で終焉を迎えるのだ。
万緑にゆつくり溶けてゆくリフト 猪俣 北洞
リフトは冬のもの。それは夏は樹木の中へ吸い込まれる。冬の雪と同じように。
みんみんや栄華の墓へ木の根張る 平山 きみよ
この栄華は明治か江戸か昭和か。英雄の墓へもまた蟬は賛辞し七日の命を墜とす。
風鈴の休めぬ風のある夕べ 平山 邦子
風鈴はそう言えば休みが無い。無風は続かない、必ず少し風に鳴く。もののあはれ。
知床の海霧にまぎれし霊ありぬ 三浦 一明
これは知床の遊覧船の事故のことか。もう夏霧になりまだ帰れない御霊がある。
練兵の靴音となる蟬時雨 松井 秋尚
練兵は先の戦争のそれだろう。蟬たちは今もそれを覚えて居る。靴音でさえ。
子らの声繋ぐ願の糸やはら 藤原 寛
柔らかな糸に繋がれて居る子らの願いの言葉。今年はどんな事を願ったのかな。
落書の句点となりし蟬の殻 尾田 美智子
この落書きは塀にあるのか。へのへのもへじの口のあたりに殻が点とある。
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夢をはむ
人類が永遠の眠りについた後の世界を舞台とした、バクが語り手のファンタジー寄りSF。
この作品は第2回日本SF作家クラブの小さな小説コンテストの共通文章から創作したものです。(9,915文字/2022年6月5日)
https://www.pixiv.net/novel/contest/sanacon2
ーーー
そうして人類は永遠の眠りについた。
ということらしいのですが、そうして、がどうしてなのか、私たちは知らないのです。
ほうぼうに訊ねてまわれば事情に通じるものがみつかるのかもしれません。しかしながら、ヒト族に対してそこまでの情熱を燃やすものは、私たちのなかにはおりません。
真相究明の労をとるかわり、私たちは憶測をならべたてました。神というのが天罰とやらを下したのではないか、どこぞのお姫さまが糸車の錘で手を刺したのではないか、夜な夜な眠りの砂を撒いてまわるのが嫌になった砂男が袋の中身をぶちまけたのではないか……。
本当のところはわからずじまい。
たしかなことはただひとつ、人類、ヒト族、そういった名で呼ばれていたものたちがひとり残らず眠りに落ちて、それきり目覚めなくなったということでした。
問題はありませんでした。大半のものにとっては。むしろ喜ぶ声のほうが多かった。
「よかったよかった」「せいせいしたよ」「やっと絶えたか」
当然の報いです。人類が古来より暴虐の限りを尽くしてきたのは周知の事実なのですから。
もっとも、イヌ族は親しい友人との、ネコ族は都合のいい共生相手との、別れをそれぞれに惜しみました。ほかにもヒト族のそばで暮らしてきたものたちのなかには、多かれ少なかれ戸惑いをおぼえたものがいたようです。
でも、じきにみんな、慣れました。
こうして人類は忘れ去られた。
唯一の例外が、私たちです。
私たち。バク族。夢をはむもの。
私たちは暗がり、物陰、粒子と粒子の隙間などに棲まいます。寝入った獲物が内側から淡くひかりだすのを待ってから、薄い翅で音をたてずに忍び寄り、体のおおきさを調整したのち耳やら口やら鼻孔やら毛穴やらから頭蓋のなかの脳のなか、そのまたなかの、夢のなかにしのびこむ。内壁に目をひからせてほころびをみつけだし、そのほころびに鼻先をひっかけつかみましたら、ちからまかせに引きちぎり、蹄のついた前脚と後脚、そのあいだにはえた器用な五本指の中脚を破れ目に突っこみまして、ひろげてほぐし、干し草のような繊維状にしたうえで、反芻しいしいいただくのです。
ひとくちに夢と言っても、その在りようは様々。
たとえばヒトと暮らすイヌ族の夢は、おおむねこのような形をしています。
「なでてなでてなげてうおおおおおとったとってきたなでてなげてごはん! ごはんごはんごはん! おいしいごはん! おいしいうれしいたのしたのしあそぼあそぼあそぼあ、匂い! 風はこぶ! ひんやりばしゃり、しゃばしゃばの! 鼻そわそわしっぽわくわくそわそわくわくそわそわくわく走れ走れ走れのれのれ風のれのれのってなって水ばしゃりしぶきひかるひかるひかりひやり匂い呼ぶおいでおいでどこ? あっち! それっ!」
跳ねまわり駆けまわり切りかわり、目まぐるしいこと目まぐるしいこと。三半規管の弱いバクがイヌ族の夢をくちにすると、ヒトでいうところの車酔いのような症状を起こしてしまいます。
対して野生のネコ族はこう。
「――びくっ! ――ぎくっ! ――ぎょっ! ――びくっ!」
警戒心の強い彼らは安眠を知りません。みる夢も浅く短く頼りなく、腰を落ちつける前に床がぬけ、外へと放りだされてしまいます。
ちなみにトリ族の場合はこんな感じ。
「ちいちいちいちゅるるるるるじじっじじじじっぎゅーえぎゅえぎゅえぎゅえひゅーいひゅーいつーぴーつーちろろろろろろろろろ――」
夢の主にはさぞや美しい音の情景がみえていることでしょう。絡まりあった声をときほぐしてゆけば示唆に富むメッセージをうけとることもできるはず。が、いかんせん、私たちの耳には余る。さえずりと地鳴きの嵐に呑まれ、前も後ろもわからなくなってしまいます。
打って変わって食べやすいのが、ヒト族の夢なのでありました。
「宇宙っぽい空間を、宇宙船っぽいなにかですすむ。向かいあう二組の座席と大きな窓、スキー場のゴンドラリフトみたいな乗り物。窓の外を流れてゆくのは箒星、イワシの群れ、忘れられた約束の墓標。違う、リフトじゃない。ゴンドラはゴンドラでも観覧車。輪からはずれて宙を舞い大気圏外に飛びだした、はずが自転車に乗っている、補助輪のついたのを、汗をかきかき漕いでいる」
ヒトの夢には、支離滅裂ながらもなんとなくの筋がある。ゆえにほころびがみえやすいのが特徴です。ひとたびほころびをみつけたならば、あとは中脚をさし入れるだけ。ひと掻きふた掻き、み掻きもすればするするほぐれてくれるから、脚先の発達が未熟な仔バクも手助けなしで食べられます。細かくほぐしやすいぶんおなかにもやさしい。
ヒトという種の感覚の鈍さもまた、都合のよい点でありました。イヌ族の嗅覚やトリ族の聴覚のように際立った感覚は、舌にも胃にも刺激がすぎる。その刺激を好むものもおりますが、そればかりが続いては健康を損なってしまいます。毎日食べるものならば、薄味ぐらいでちょうどいい。
そういうわけで私たちの多くは、ヒト族の夢を主たる糧としておりました。
人類が眠りについた当初、私たちは歓喜しました。
なんせずっと眠っているのですよ。おもに夜にしか食べることのできなかったヒトの夢を昼のあいだも食べられるようになったのだと、もいでももいでも果実の尽きることのない豊かな森を手に入れたも同然と、そう思うではないですか。
ところがところが。人類の眠りは私たちの想像した以上に深かった。深く深くあまりにも深く、もう誰も、誰ひとり、あぶくひとつぶんの夢さえみようとはしませんでした。
森は一夜にして焼け落ちたのです。
仕方ない。ないならないで済ませましょう。それが私たちの出した答えでした。というか出すまでもなく、自分たちはそうするのだと知っていました。私たちはヒトとは違います。過去を嘆くことも未来を憂うこともなく、ただ今を生きている。なにかを失ったなら、その不在に順応するまでです。
とはいえ、道のりはやさしいものではありませんでした。おなかの弱いもの、好き嫌いのはげしいもの、それから私のように鼻先脚先の不器用なものなどは、ことに苦労を強いられました。胃もたれにやられ、目眩で寝こみ、四つの胃袋が残らず引っくりかえるのではないかというほど吐きに吐き……。
思いだすだに気の滅入る、散々な日々でした。
時間をかけてやっとこさ、私たちはヒト以外の夢でやってゆくのに慣れました。
慣れたことには慣れたのですが。
私をふくめた一部のものの身に、ちょっとした異変が起きたのです。
異変といいますのは、すなわち虚ろ。
おなかの奥のほう、四つめの胃の裏側あたりに、食べても食べても満たされない部分がぽっかり残るようになったのです。詰めこめるだけの夢を詰めこんではちきれんばかり、もうこれ以上はバクの毛一本入らない、そんなときすら虚ろはけっして埋まらない。寝ても覚めてもか細い声で空腹を訴えつづけます。
私たちはこの奇妙な感覚に戸惑いました。戸惑い、もてあましながら、虚ろを埋めるすべを探しました。
そうしてはじまったのが、焚き火のゆうべです。
焚き火を象徴に据えたのは、焚き火のゆうべが物語りのゆうべだから。物語るとき、ヒトは炎をかこむでしょう。あれに倣ったというわけです。
人類が眠りについたあと、彼らが独占していた火はみんなのものになりました。しかしながら、私たちの鼻や脚のつくりでは、火を熾すことは難しい。そこで翼を貸してくれるのがトリ族です。彼らの体もまた、火を熾すのには向いていない。ではどうするのかと言いますと、どこからか取ってきて隠し持っているらしい秘密の種火を、枝のさきにちょいと灯して私たちにわけてくれるのです。あまり知られていないことですが、ヒト族が眠りにつく以前より、トリ族の一部は火を使っておりました。ヒトからくすねた炎を草むらに放ち、あわてて飛びだしてきた小さきものたちを嘴や鉤爪でごっそりさらう。そんな形で狩りに役立てていたのです。
森の奥、木々の切れ間の原っぱで、焚き火の支度をしましたら、ぐるりとかこんですわります。集まるものの数は日によりますが、十を超えることはありません。はじめのうち、私たちはおたがいの顔のうえに火影がおどるのを眺めつつ団欒を楽しみます。火の粉に鼻をかざそうとする幼仔、それを鼻先���やさしく引きもどす親、寄り添った背中のうしろでこっそり中脚をつなぐもの、余分に獲ってきた夢の切れ端をおひとついかがと配るもの。そうしているうちに、じょじょに意識が焚き火のほうへとうつってゆく。ゆれる炎をじっとみつめておりますと、かつて食べた夢の味が舌によみがえってまいります。とっておきのとびっきり。思いだすだけでくちがよだれでいっぱいになる、そんな夢の記憶です。
あかあかと照らしだされたそれを、なるべくそのままの形で語ろうと試みます。が、これがなかなかむつかしい。もともと言葉でできていないものをむりやり言葉にしようとすると、損なったり取りこぼしたり、変に整ってしまったりするのです。ああ、舌に浮かんだこの味を――色を香りを音を質感を、そっくり手渡すことができたなら、どんなにかよいでしょう。
「砂嵐とメトロノームの夢の話をしようか」
その晩、最初の語り手として前脚をあげたのは、黒い顔に木漏れ日のような白いもようを散らしたバクでした。
「いいね」「おいしそう」「はじめて聞く話だ」
聴衆にうながされ、木漏れ日は話しはじめます。
「夢の主は、まだちいさな男の子。砂漠のまんなかで嵐に襲われ、身動きがとれなくなっている」
「あらあら」「まあまあ」「そりゃ大変」
「荒れ狂う風の外から、規則正しい音が聞こえてくる。そう、こんな感じで」
チーン、カッ、カッ、カッ。木漏れ日のバクが言いました。
チーン、カッ、カッ、カッ。私たち聞き手も真似をします。
「なんの音? 男の子は考える。チーン、カッ、カッ、カッ。この音知ってる。チーン、カッ、カッ、カッ。けど思いだせない。チーン、カッ、カッ、カッ。鉄の音。硬い音。ぴしゃり!」
「ぴしゃり?」
「先生が、鍵盤のうえをすべっていた男の子の手をぶったんだ」
「ひどい!」「ぶつなんて!」「暴力はいただけない」
「でもそのイメージは一瞬で消え、チーン、カッ、カッ、カッ。音が世界を切り刻む。正しく、正しく、小さく、正しく。――と、そこで」
「なになに?」
「音の輪郭がぶれるんだ。ぶれてくずれてくだけてとけて、しみわたり包みこみ熱を帯び高鳴って、そうして男の子は思うのさ。――ああ、これは、心臓の音」
そう言うと、木漏れ日は鼻先をもちあげ、ひょいひょいと夜をかき混ぜる仕草をしました。お話の終わりの合図です。
私たちは、各々のくちのなかにひろがった夢の味に舌を澄ませました。
木々のあいだから滲みだすしじまにくるまって、目を閉じ、つばを呑み、くちびるを舐めまわし。
「いい夢だ」「おいしい夢だ」
「不可解で」「へんてこで」「謎めいて」
「さっぱりしたくちあたり」「淡白できりりとしまり」
「ほころびが綺麗」「ほぐしやすそう」
「私ならぴしゃり! からほぐすかな」
「ぼくだったら心臓のとこからいくね」
「その心臓というのは、誰のだろう」
「自分のじゃないの」
「隣で寝てたヒトの線もある」
「愛だ」「愛だね」
「愛の夢なら、僕にも持ちあわせがあるよ」
そう言って、次なるバクが語りのバトンを引き継ぎます。耳のつけねに花の形をした痣のあるバクです。
「彼女には伴侶がいた。その伴侶と死によって分かたれることを、なによりも恐れていた」
「年寄りだったの?」「病気だったの?」「怪我してた?」
「いいや、ふたりとも若かった。病気も怪我もしていなかった」
「変なの」「変だね」「いつ来るかもわからないもの」「怖がったって仕方ないのに」
「でもまあヒトって、そういうところあるだろう」
「まあね」「そうかも」
「残してゆくのはいや。残されるのもいや。同じ瞬間に息絶えたい。あるいはひとつの生きものになりたい。彼女はそう願ってた」
「そんなの無理でしょ」「無理だね」「夢のなかならできるかも」
「残念ながら、夢でも願いは叶わなかった。それでかわりに、こうしたんだ」
花痣のバクは、そこで言葉を切りました。
たっぷりと思わせぶりな間をとって。
ふたたび話しだしたとき、口調と声音ががらりと変わっておりました。
「ねえ知ってた? 多少の味や匂��の違いなら、涙の塩を隠し味にひそませればごまかせるって。好物のビーフシチュー、あなたはきれいにたいらげる。そうしてしまったあとで、わたしの姿がどこにもないのに気がつくの。大丈夫。悲しくないよ。怖くもない。これからさきは、ずうっと一緒」
芝居がかった調子でそう言うと、花痣は鼻先をもちあげ、ひょいひょいと夜をかき混ぜました。
一同、顔をみあわせます。
つかのまの沈黙ののち、
「……愛か?」「愛かな?」「愛だった?」「いやいやいや」
疑問と抗議が噴きだしました。
「ぼくはむしろぞっとした」「うん。ぞっとした」「怖かった」
「夢にしては筋がとおりすぎてるのも気持ち悪い」
「語り手の作為がなあ」「ちょっと鼻につくんだなあ」
花痣が黙します。平静をよそおってはおりますが、平らな頭のてっぺんで小さな耳がしおれています。
言いすぎたことに気づいたのでしょう。ほかのものたちも気まずそうに鼻面を下げ。
そうしてみんな、黙りこくってしまいました。
仔どもらが無邪気な声でもって空気を変えてくれないかと期待しますが、残念なことにみんなぐっすり寝入っています。ヒトの夢を食べたことのない彼らにとって、私たち古いバクの語らいは刺激に欠けるものなのでしょう。
居心地の悪い間がのしかかってきます。
火の粉のはぜる音と木が身を捩る音が、いやに大きく響きます。
トリ族のものが、あたらしい薪を運んできてくれました。宵っ張りのワタリガラスです。狙いを定めて炎に投げ入れ、翼で風を送ります。完璧な位置と角度でおさまった薪に赤い舌が絡みつく。ぱちぱちごうごう音を立て、熱風が吹きあがる。
渦巻く炎をみつめていたら鼻面が火照ってきました。私は顔を背け、視線をさまよわせます。仲間たちも、ぼんやり虚空をみています。
なんとなく集まったまなざしのさきに、年かさのバクがいました。額に古傷をもつバクです。四すじの流れを思わせるそれは爪の痕。遥か昔、ジャガーとやりあった際につけられたものだと聞いています。
「あれが聞きたいな」
誰かがそっと切りだすと、
「そうだよ聞かせて」「いつものあれを」
車座のあちこちから熱っぽい声があがりました。
爪痕のバクはうなずいて、
「仔熊のいびきの糖蜜パイ」
しっとりと艶のある低い声で、夜の底をふるわせました。
「その料理が食べたくて食べたくて、逃げまわる店を追いかける。無限につづく石段をケンケンパ、のぼってのぼって気づくと席。レストランというより純喫茶。あの店に似てる。あの路地裏の薔薇の看板の、三年前になくなった。目の前にキノコが立つ。ひょろ長い首のうえに紅くひらたい楕円形。中央のくぼみのせいで赤血球の化け物じみてみえる。シロキツネノサカズキモドキ。キノコの種類などわたしは知らない。なのに確信に満ちている。シロキツネノサカズキモドキが言う。ご注文は陰気なかさぶたのボンゴレ・ビアンコですね。いいえ、とわたしは首をふる。では偏頭痛のサバラン? いいえ。草冠のどんと焼き。いいえ、違います。わたしが食べたいのは仔熊のいびきの糖蜜パイ。シロキツネノサカズキモドキが眉をひそめる。目も鼻も口も、それどころかひそめたはずの眉すらないのっぺらぼう、なのにその顔ははっきりこう言っている――おととい来やがれ。かたわらから袖をひかれる。ウナギがぬるりと目配せし、私を厨房につれてゆく。厨房は暑い。大鍋の湯が煮えたっている。ウナギが笑う。白く輝く歯がこぼれる。わたしは見惚れ、遅れて、歯? と首をかしげる。違う、刃だ。柳刃包丁がひらめく。喉をつらぬかれて目が覚める」
爪痕が鼻をもちあげ、ひょいひょいと夜をかき混ぜました。
思い思いに味をひろげて浸っていた私たちは、古くなった皮をぬぎすてるときの要領で彼女の語りからぬけだします。
「最高だ」「絶品だね」
いくつもの溜め息がかさなりました。
「芳醇で」「馥郁として」「舌になめらか」「目にも綾」
「語りもうまい」「何度聞いても飽きがこない」
「ほんとに食べたみたいな心地がする」
「なんのなんの。もとの夢が上等だからさ」
なんでもないような顔で賛辞を受けとった、そのあとで。
「そうなんだよ。本当に上等な夢だった」爪痕は思いがけないことをくちにしました。「あまりのうまさに引き際を見失ってね。ついついぜんぶ、食べてしまった」
静寂が落ちました。
火の粉の舞う音ひとつ聞こえない、耳の痛くなるような静寂が。
食べることは奪うこと。私たちがすっかりたいらげてしまったら、夢の主は夢をみたことそれ自体を忘れてしまう。完食は罪です。必ず少し食べ残す、それが私たちの掟です。
ですが――
「私もです。ありました。そういうこと」
爪痕の告白に引きずられて思わず白状したところ、
「ぼくもだ」「おれも」「じつは、あたしも」
あとに続くものがぞろぞろ出てきました。
「一度や二度の話じゃなくて」「かなりの頻度で」「ほぼ毎晩」
「よくないことなのはわかってる」「でもさあ」「あんまりおいしいと、つい」「そうなんだよ、つい」「ぺろりと食べちゃう」「かけらもつぶも、汁さえ残さず」
なんのことはない。私たちはけっきょく、みんな同じ穴のバクだったというわけです。
私はおなかをさすります。食べても食べても埋まらない虚ろが疼きます。
思わず食べ尽くしてしまうほど夢中になった夢々の味は、今でもはっきりおぼえています。無限ビー玉の夢、螺旋状の交差点の夢、フラフープをあつめる旅の夢、薬缶にとじこめられる拷問の夢、鎌を失くしたカマキリに追われてビルの屋上から落ちる夢……こうしてくちに浮かべるはしから、つばがわきだし喉が鳴る。ああいう夢。妙ちきりんで、ひとはみごとに変化する味わいが面白く、掟が頭から吹き飛ぶほど引きこまれてしまう、ああした夢が生みだされることは、もう二度とないのでしょうか。
おなかが鳴きます。私にしか聞こえない声で、鋭くなにかを訴えます。
焚き火のむこう、真向かいより一匹ぶんずれたところに花痣のバクがすわっています。あのビーフシチューの話。愛の夢の話。仲間たちには不評でしたが、私はあれが嫌いじゃなかった。歯が溶けそうなほど甘ったるいのに春の野の草みたいな苦さが残る、変な夢。あの夢がねっとりとおなかに居座って、少しだけ虚ろを埋めてくれている、そんな気がするのです。
花痣の平たい頭のうえで、愉しげに耳がゆれている。目の端でそれをたしかめて、私は息を吐きました。
こっそり吐いて、やわらかく吸って。そうしてひくり、気づきます。
匂いがします。朽ちかけた樹木のような、キノコが飛ばした胞子のような、甘く湿った匂いがただよってきます。あちらからもこちらからも、輪になった仲間たちのおしりのあたりからふわふわと。匂いにうながされるように、おなかにちからがこもります。下っ腹の、それからおしりの、筋肉がぎゅっと縮こまり――きゅぽん! 雨あがりの森の匂いがひときわつよく立ちのぼりました。私たちの糞には色がない。透明の膜につつまれ夜風にふるえるそれは、浜辺に打ちあげられたクラゲに似ています。海もクラゲも、私は実際にはみたことがありません。いつか誰かの夢でみて、それで知っているのです。
すっきりしたものから、一匹また一匹と原っぱをあとにして。
これで焚き火のゆうべはおしまいです。
クラゲはしばし土のうえにとどまります。
最後の薪が灰になるころ。あるいは朝露がむすぶころ。いつのまにか消えています。
今朝ほどふしぎなことに気がつきました。
焚き火の原っぱのここかしこで、ちいさなまるい双葉が顔をだしているのです。
二枚貝の赤ん坊のような佇まいに心を惹かれ、私は顔を近づけました。つややかな緑に耳を寄せると、いくつもの音がかさなりあって聞こえてきます。水をすいあげる音、呼吸をする音、日光を噛んで砕く音――その向こう、遠くかすかに鳴るこれは――ああ、わかりました。のびようとする音です。高きひかりに、ひらけた青に、焦がれる音。ゆるく脈打つそれは、眠るヒトの心音を私に思いださせました。
水とひかりをとりこんで、草はすくすく育ちます。凛と姿勢よく茎がのび、にこ毛のはえた葉が茂り、季節がひとつすすんだころに、ぽつりと花が咲きました。五枚の花弁が星に似た、薄青色の花でした。花はみるみる数を増し、原っぱを青く染めました。原っぱはゆっくり色褪せて、やがて緑にもどります。花の落ちたそのあとに、色も形も真珠のようなゆかしい実がなりました。真珠は月の満ちるにつれて白から透明へと色づいて、ある新月の晩、硝子細工さながらに熟したところで静かにはじけ――なかからぽわん、飛びだしたのは夢でした。
あちらにみえるはいつか私が食べた螺旋状の交差点の夢。そちらをよぎるは、かつて別のバクが食べた雷鳴轟く入れ歯の夢。高飛車なさざれ石の夢に、ひっくりかえった鳥居の夢、愚鈍な佃煮の夢に、砂嵐とメトロノームの夢……いずれも焚き火のゆうべで語られて舌に浮かべたおぼえのある夢ばかりが、風にのってぷかりぷかりと流れてゆく。
私たちは背中の翅で飛びたちました。夢中で夢をつかまえて、片っ端からほおばりました。
私たちは排泄します。糞に溶けた夢は土に消え、緑のおくるみにつつまれてもどってきます。めぐるめぐる夢はめぐる、草は繁茂し眠れるヒトビトをおおいつくす。もしもこの星を外からながめるものがあったなら、雪解け水をたたえた湖を思わせる澄んだ碧のかがやきに、ひとみを奪われることでしょう。
長い年月が経ちました。
人類はあいかわらず眠っています。
新しい夢がもたらされることはありません。
だから私たちは循環させます。
いつか誰かのみた夢を、はんで呑んで出して、またはんで。
そうやって、生きています。
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