『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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JR最南端の駅へ Day 2-8
西大山駅から徒歩+バスで指宿へ
西大山駅から 2km 少々歩いて永利のバス停へ。14時半頃に出発。所要時間約30分。
鹿児島交通 永利バス停 上り・指宿方面の時刻表(平成29年10月1日)~ 15:44 に乗車予定。40分ほどの待ち時間。
暑くて汗をたくさんかいてもトイレに行きたくなる ~ バス停前の永利集落センターでお借りしました。助かりました。お話した館長さん(?)は台風14号を心配してありましたがどうだったでしょうか。その後、福岡県を横切った台風でしたが予想よりひどくはありませんでしたが。(福岡では吹き返しの風がやや強かった。)
↓ かつてあったお寺さんから譲り受けたそうです。
指宿方面のバス停は集落センターの向かい側。
YouTube > 鹿児島交通路線バス 利永→指宿駅前(26分49秒)
つづく
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久々の玄米ごはん
Friday 11 April 2014
真観は禅寺に行った。暖かくなったことで起きるのが難儀ではなくなった。
御陰で坐禅会へは休みなく通っている。当たり前のことを当たり前に出来る事は嬉しい。
どこでどう間違えたのか右の腰が痛い。パソコンチェアでの昼寝が腰に負担をかけたのだろうか?他に理由が見付からない。腰が痛いと辛いしジジ臭い。数日で治ってくれないかと願う。
禅寺への行き帰りで散歩(2.5km)が自然に出来ているが1日茶畑庵にいるとやはり運動不足が気になる。ということで何とか散歩を1日にもう一回出来ないか模索する真観。それで今日は最近見付けた天ぷら屋まで歩いてみることにした。方角は駅方面。その天ぷら屋の近くには古くからある八百屋がある。この両方が押さえられるのは良いと思う真観。天ぷらの他にもカツ類も売っていて何とも懐かしい感じがする。お店そのものは新しいが天ぷらを小売しているのが嬉しい。例えば今日買ったのはゴボウのかき揚げ60円、鶏の唐揚げ30円だ。値段もリーズナブル。そして八百屋に行くとこれまた安い。ほうれん草一束50円、極小みかん10ヶ100円。この通り道にベーカリーもあるが真観の好きなクロワッサンは売っていない。この買い物兼散歩は約2kmと行ったところか。何にして散歩は必要と思う。
HOLSTEEのマニュフェストポスターの日本語訳の一部を間違えていたのを最近友人から気付かされ今日直した。始めは手書きで直そうかと思ったがプリントし直した。自分で作成した元の文章を書き直してA4サイズでプリントアウトしてそれをセブンイレブンでコピーする。A4のサイズをA3サイズに四分割にして出力する。たった40円でA1ポスターの出来上がり。素晴らし過ぎる!!真観満足。
夕食は、久しぶりに玄米を土鍋で炊いた。小豆も入れる。この為に機能から玄米も小豆も水に浸しておいた。おかずは今日買ったほうれん草をおひたしにして1品。1菜1膳。美味しかった。玄米は炭水化物だが白米とは栄養面で格段の違いがある。玄米ごはんには自家製のごま塩も振りかける。なんともいい!禁煙して11日目。大分ニコチン中毒(こう書くとなにやら大袈裟)も落ち着いて来た。精進していこうと思う。
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カンボジアのVANNDAさんとタイのOG BOBBYさんの、Rolling Loud Thailand 2023!
曲は「BONG」 in Levi's STAGE。生きているうちに”もう1度”だけでも、カンボジアの
ラッパーのパフォーマンスを見る機会が「ある」のかな?とか、考えながら見ていました。
あとエロい事と、みんなトラップミュージックとスモークとCBDが好きね、とか思いながら.
カンボジアの他にもマレーシアやシンガポールとかのラッパーのステージを生で見る
ハードルは、決して低くは「ない」。
4月11日 (DAY1 in Thailand)
外国語が、テレビの『オモシロ動物特番』に出てくる”サル”並に話すことができない。
あとタイって街中に地図がない。そのため、目的地に着くのが大変なのを現地で知る。
さらにグラフィティはどこに描かれているのか正確な場所&情報は、ネットにほぼ無い。
30℃を超える高温多湿の中を数時間近く捜索して、日本・羽田空港発の深夜便で
タイに到着してわずか3時間後に、脱水&身体の熱でアタシ死にかける。ちなみに・・・
グラフィティ・スポットとして有名な、高架鉄道BTSのラチャティーウィー駅近くにある
チャールムラー公園に、”BLACKPINK”がモチーフのグラフィティがありました!
1日目は、タイ東北部のイサーン地方やお隣の国・ラオスの伝統歌謡であるモーラムの
ショーを見ることができるパブ『イサーン・ラムプルーン』へも行くことに。しかーし、
店がある地区へのルートが徒歩だとトンネルの中ある横道の階段を登っていかないと
着かないような激ムズのコースで、マジ分からない。最寄駅から到着するのに2時間・・・
夜も気温は30度近く、高温多湿で、1日目から死にかける×TWICE!TT
4月12日 (DAY2 in Thailand)
Rolling Loud Thailandへ向けてバンコクから南東へ160キロ、開催地であるパタヤへ。
パタヤといえば、タイ湾に面したパタヤビーチが有名なリゾート地。BAD HOPで知った
「Ocean View」がセールスポイントのホテルを取りました。でもね、アタシの部屋は
海の反対側に配置。窓の外に広がる景色は、社会経済発展の裏側、住民が生活する
平屋のゴミ置き場でした!海が見えない。当然、ホテルにはアメニティもない。
4月13日 (DAY3 in Thailand)
世界最大級のヒップホップフェス『Rolling Loud』が、2023年にタイで開催される初日。
パタヤビーチからRolling Loud Thailandの会場となるレジェンド・サイアム・パタヤへ。
『レジェンド・サイアム・パタヤ』はテーマパークだが、近くに電車の駅やバス停はない。
シャトルバスも出てない。日本へ帰った今も、他の人たちがどうやって会場入りしたか
疑問なのですが、アタシはバイクタクシーを選択。バイクタクシーa.k.a.モーターサイ は
バイク(HONDA Wave)にドライバーの後ろに乗る2ケツで移動する交通手段である。
ただし客にヘルメットはない、シートベルトも荷物置き場もない、スピードは80km/hを
超えると思うが保険の加入もない、スピードメーターとか計器は動かない、また運賃は
決まっていない、すり抜けはデフォルト、あと客の2~3人を一台に乗せてたりするし・・・
道路は、白線がなかったりもする。またアタシが乗ったバイクタクシーのドライバーは、
レジェンド・サイアム・パタヤを知らない、Googleマップで場所をお伝えしました。
現地の人でも知らない、シャトルバスもない、でも世界最大級のHipHopフェスとあって
来場している人は多くいる。となりますとですよ、交通手段の供給を需要が上回る。
Rolling Loud Thailand 1日目が終了した午前24時過ぎ、パタヤに”難民”が出現です。
もちろん、Me Too!
タクシーかバスが捕まるか、ホテルまでひたすら歩く人たち。道端やコンビニで休憩、
また2kmくらい歩いていた人も見ました。アタシも、徒歩&タクシーでホテルに着くまで
約2時間かかりました。そして午前2時過ぎからシャワーを浴びて、携帯機器を充電、
荷物を詰めて、寝たら飛行機を乗り過ごす可能性があるため、睡眠なしで帰路につく。
4月14日 (DAY4 in Thailand)
まだあたりは暗い、早朝5時前。飛行機へ乗り継ぐ、パタヤ市内のバスターミナルへ。
タイ4日目で、寝床はついにバスターミナルのベンチ!しかも、途中からホームレスの
女性が来て、そして4列くらいベンチはあるのに同じベンチで添い寝。ディープな現地の
女性とタイの朝を迎えました!
タイには現在10万人近いホームレスの人がいるそうです。その中には、隣国である
ラオスやカンボジア、ミャンマーなど外国人も多くいるようです。背景にはタイが抱える
貧困、またアルコールやドラッグの問題や、そして各国の政情などがあるみ���いです。
タイで苦労がある方も多いようですが、アタシも苦あり。パタヤからバンコクの空港へは
移動できたものの、飛行機が遅延。タイの空港で5時間待機し、1日を掛けて移動して
羽田空港へ到着したのは深夜の23時30分頃。そして税関&手荷物検査を終えたのは、
日をまたいだ翌日の午前0時過ぎ。とうぜん、家までの電車もバスもない。そのため
空港から、逆”Cardi Bさん「Money」状態”のお金に余裕はないけどタクシーで帰宅。
そして帰宅し約4時間の睡眠をとり、つまり2日で5~6時間程の睡眠で帰国1日目から
オール、約18時間を超える徹夜仕事(空き缶を拾う)へ出たのでした。そんな・・・
from Japan to Thailandの444+222日。
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Davao Triathlon 70.3 2023
ハーフアイアンマンレース@ダバオ フィリピン 2023/3/26
5回目のハーフアイアンディスタンスのトライアスロンレースで、6月のフルに向けて、すごく自信に繋がる良いレースになったと思う。フィリピンのダバオの街中がレース会場ということで,シンガポールからのアクセスはよかったんだけど、いろいろとハプニングが起こりすぎて、ネガティブな印象が結局ずっとぬぐえなかった。ポジティブに言えば、すごく頑張ってるし、スタッフとか沿道の声援にも人の温かみみたいなものが溢れてて、東南アジアのレースだったなー、っていう後味。でも、2回目は残念ながらないかな。
あとは、優勝したプロの選手もキャリアの中で最も暑いレースだった、と言うほど、気温・直射日光・体感温度のどれも過酷な環境で、トライアスロンのレースが世界中一様でないことを思い知る。
結果からいうと、スイムの記録が無効になっちゃって、2競技のみの結果しか公式にはなっていない。だけど参考までに載せておくと、5時間45分(スイム1.9km:: 42分,バイク90km:: 2h 52m ,ラン21km:: 2h1分)だった。これは昨年の (バイクのパンクがあった) デサルーよりも20分も早い記録で、もちろん自己ベストに相当する。わりと辛い環境の中で6時間を切れたことはすごく大きな意味があるし、やっぱりようやくバイクとランのタイムが連動して短くなってきたことの成果だと思う。でも、タイムはあくまでも結果であって、競技始めたころの初心通り、笑顔で完走できたことが何よりも大事なこと。
スイム 1.9km (?)
今大会の鬼門はスイムだったよう。(僕はさほど体感したわけではなかったけど)実はとても海流が早くて、ブイが流されたり、亡くなった人も出てしまうほどだったみたい。周りに聞いても20分以上普段よりも遅かった、ということをよく耳にした。それほどタフだった、ということなのかな。前日朝のスイム練に参加して気づいたのは、砂浜ではなく,狭い桟橋を下ってスタートすること,それと透明度はまあまあ高くて魚や海底がけっこうよく見えた。コース自体はカクカクしていて、曲がる箇所が多いことと,スタートとフィニッシュが同じ狭い桟橋だったことで、どうやって選手同士がぶつからずにすれ違うんだろう、とロジについても若干疑問があった。
レース当日朝は5時にはトランジションエリアに着いて(シャトルバス降り場から約15分も荷物持ったまま歩かされた…)、そこから準備・トイレ・体操して、6時20分からのゾーン別スタートを待つ。一番早いゾーンにエントリーしてしまったこともあって(1.9kmが30分よりも早い人?)、何か余計にプレッシャーを感じてしまった。心理的にずっとうしろから追われてる感じで泳いでた。スイムでのミスは、ガーミンのスタートを押すのを忘れたこと、あとワセリンを塗らなかったこと。プーケットの時はウェアズレは大してしなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、42分間という長い間泳いだことで、右首(僕は右でしか呼吸しない)と両脇下がやばいことになって、最後半のあたりでは燃えるような痛みになってた。反省。結局、なにはともあれ、スイム自体は大きな問題もなく、ドラフトしたりされたり、の状況でわりと楽しく泳いでた。コースから外れたからか分からないけど、岸壁すれすれを泳いでいたり、なんかいつもより長いなー、と思ったり、そういうイレギュラーさはあった。友人たちの意見もあわせると、たぶん1.9kmよりは長く泳いでたはず。
前日のバイクコース下見。レース当日は通行止め。
バイク 90km
バイクへのトランジションはわりと長めにとって、初採用のアームカバーをつけたり、日焼け止めを塗ったり,五本指靴下・手袋もちゃんとはめてた。唯一ダメだったのは、腰に巻くジェル入れベルトがダボダボで固定できず、仕方なくトライバーに巻き付けることに。バイクスタートしてすぐに気づくのは道路のガタガタがひどいこと。特に町の中心部では酷くて、よりスムーズな舗装面を探しては車線変更をこまめにしてた。特にトライバイクの場合は振動が伝わりやすいみたい。でも道自体はほぼフラットで、沿道の声援がとにかくすごかった。町を抜けると、スムーズでまっすぐなアスファルト舗装になる。
今回の反省はバイクボトルを落としてしまったこと。ガタガタのコースだったこともあって、後ろに付属で付けたボトルケージだけでは不十分で、結局途中でドリンクを半分失うことに。落とした場合,マナー・ルール的には拾いに戻らなければならないようなんだけど、それを知らずに前進してしまったのは僕の過失になる。マーシャルが隅に押しやるのがちらっと見えたのが幸い。次回はマジックテープみたいなのでちゃんと固定しようと思う。
それ以外は、特に何事もなくかなり快調だった。初の3時間切りはとにかくびっくりした。事前情報通り、行きが向かい風で時速きっちり30km平均で、帰りが追い風で時速33kmぐらいはすんなり出てた。足先で車輪を漕ぐのではなく,腸腰筋(?)を使って足全体で漕ぐことを強く意識してた。その甲斐あってか、最後まで疲労でやられることもなく終えることができた。一応,1-3月はバイクに乗る時間を徐々に増やしていたし、前々週の週末あたりからは100km近い長距離をちゃんとコンスタントに乗っていたことが幸いしたんだと思う。コーチには週に6時間のバイクを、というアドバイスをされてたな…
あと今回、かなり栄養補給(グルメ?)に気を使うつもりだったのに、意外と食べてない(食べることに億劫だった)ことに気づいた。いい感じにスピードが出てるときは特に面倒に思ったり、あるいは、お腹が痛くなるのが心配���食べなかったり,ということが起きてた。180kmのような長距離になる場合には、もっと食べることを意識した方がいい気がした。細かいことだけど、水を足とか体にかけるのはけっこう気持ちよくて何かの効果がありそう。
水分補給は5分おきに:ポカリ・ゲータレイド
ジェル類:マグオン X 2 (これ良い),塩ジェルX1,PUREX1,In ゼリーゴールドX1。
栄養補給に持っていったもの。完全に多すぎた…
ラン 21km
炎天下のランが一番きついかな、と想像してたんだけど、そこまで崩れなかったのはこれからの自信につながる。長い距離を走ることに慣れておくことが結果的に良かったんだと思った。週に1回は20kmぐらいの長距離を走って、もう1回はメタスポーツのスピード練をしていたんだけど、そのコンビでよかったっぽい。
トランジションでは、今回初採用のカーフスリーブをつけて、さらに日焼け止めを上塗りした(アームカバーはつけっぱなし)。やっぱりランの最初は足が重くて、暑くて、スピード感覚が全く掴めず、とにかくすごい息が上がってた(心拍数200近かったみたい)。最初の数キロはすごく辛かったんだけど,とあるタイミングから急に楽になって、いつもの調子がでてきた。本当に不思議な感覚。それ以降はかなり順調にキロ5分半のスピードが出てたみたい。エイドステーションで毎回やや止まるのは仕方ないけど、今回はとにかく水・コーラ・氷の3点を目当てにゲットして、氷はずっと手でもって体を冷ますのに使ってた。フラットな道、5.5kmを単純2往復。メタスポの連中とすれ違うのは励みになる。16km地点までほとんどペースを崩すことなく、快調に走れてた。最後は微妙に足のつりそうな感覚が出てきて厄介に思えた。僕の好きな塩飴はけっこう舐めてたんだけど、それでもゴール手前はすごく危なかった。この感覚はフルまでにはなんとか克服してないとまずいなーと。足の疲労と、塩?の欠如が原因、というのが一応の結論。結局,ランの最中に食べたのは塩ジェル一つと塩飴X5だけかな。ゴールドはあけたけど、結局全然喉を通らなかった。2時間きれるかな、とも思ったけど、ぎり及ばず。道に〇〇kmという看板がない方が逆に気分的に良いかも、とふと思った。
まとめ
今回はゴールでうるうるすることはなかったんだけど、朝,トランジションで準備しているときに(明るくなりかけ&のりのりの音楽がかかってる状況)、あっこの感覚好きかも,とじわりと感じるところがあった。ゴールして嬉しい、だけでなく、スタートラインにたててることに感謝できるようになった、という心の変化かもしれない。
レース終わったあとに関しては,特に何も思い出がなく、むしろ15分の休憩のあと、すぐに会場をあとにして、バイクを取りに行ったり、片づけを済ませて、すぐにホテルまで自転車で向かった(2kmぐらいの道のりかな)。ホテルの部屋に着いて1時間でシャワーを浴びて、荷造りして、そしてバイクケースにバイクをしまう、という全てを無心でやった(むしろやればできるんだ!と思った)。そこから車で空港に行って、チェックイン・搭乗という成り行き。飛行機の中で、あれ?今日1日まだ何も食べてない、ということに気づく。
その他,細かいことは;往復Scootだったけど、圧縮CO2ポンプは手荷物として持っていくように言われた。あと、日焼け対策はちゃんとしよう。汗と混じって目に染みる、のは論外だし、アームカバー下でも日焼けするみたいだから、その対策もしたほうがいい。カーフスリーブは再度使ってみよう。
次回はいよいよフルアイアンマンレースだから、今まで以上にトレーニングと下準備(ウェットスーツ練とか)がシビアになるんだなー。まあ、楽しく、を一番のモットーに気長にやっていくんだろうな。頑張りましょー。
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2022.12.18
先日、家族の用事で鴨川市の天津へ。
先方に家族を預けると、「カルトーラでお茶してれば?終わったら送り届けるよ。この辺はなんもねえからよお」 そう言ってくださった。カルトーラは鴨川市の老舗カフェ。ケーキや焼き菓子そのどれもが美味しい。そうしようかと思ったけれど、その日はなんだか歩きたかった。
本当に何もないのだろうか?
Googleマップをみてみると確かに何もないが(失礼)、マップ先生によるとどうやらこの先に「ロシア人上陸の地」なるものがあるという。ロシア人上陸…?有名な人なのだろうか?何だその漠然とした国籍と事実のみが刻まれた史跡は?直線距離で1kmほど。往復で約2km。散歩にはちょうどよい歩いて行ける距離だった。よし、ここへ行ってみようと思い歩き出す。海っぺりの歩道を歩くあるく歩く。外房らしく波はざぶざぶしていたけれど風はほぼなく、海面がきらきら光っていた。
12月にしては暖かい日だった。
車とはすれ違うものの、人がいない。長年潮風を受けたコンクリブロック造りの建物や朽ちた民家や、使っているのかどうだか分からない冷凍倉庫などを眺めながらどんどん歩く。歩きながらこの感じどこかに似ているなあと考えていた。そうだ与論島だ。この人のいない感じと冬の日差し。10年ほど前やはり12月に行った与論島を思い出した。途中からは歩道が無くなりすぐ横を車が通ってなかなかスリリング。それにしてもとにかく人とすれ違わないのだ。あ、お店だと思い近づくと、「4時には戻ります」という張り紙が貼ってある肉屋さんだった。やはり人の気配はなかった。
その先をぐいぐい歩くと急にぽつんと石碑は現れた。周りには何もなく、石碑へ続く参道的なところだけ人が通れるくらいの幅でタイルブロックが敷かれていて、ドラクエだったら絶対ここでセーブできそうな、ぼんやり歩いていても自動的に石碑に吸い込まれるような造りになっていた。イッツオートマチック。
石碑には何やら刻まれていたが、読んだ感想としては私が歴史に疎いため、「そうでしたか上陸しましたか」というものではあったが、鎖国時の出来事としては石碑にして後世に残したい大変な事だったのだろう。結局参拝時間は20秒ほどで、今度は来た道を引き返す。また肉屋の前を通る。まだ人は居なかった。すぐ近くのヤマザキショップの脇の自販機でコーンポタージュかコーヒーか迷って結局ポッカの「顔が書いてある缶コーヒー」にした。
そこで初めて人を見かける。私の少し後ろの方を歩いていた。そのころにはもう暑くなってきて、着ていたフリースを脱いで砂浜に降りてみた。そこで振り返るとさっきの人は居なくて、同じところを黒い猫2匹が縦列でこっちに歩いてきて、さっきの人が化けだのかと思ってぞわっとした。いつかのロシア人もこの砂浜を歩いたのだろうか、なんて思いながらコーヒーを飲んだのだけれど、ロシア人に想いを馳せるならボルシチは無理でも、せめてコーンポタージュにすれば良かったと甘い缶コーヒーを後悔しながら、磯臭い漂流物の隙間を歩いた。
振り返ると黒猫はもう居なかった。
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モビリティ探索日記 ~シェアサイクル編~
皆さんこんにちは!野澤ゼミ3期生のハナマルです!
実は10月下旬に自転車がパンクして
使えなくなりました…
修理しようかな…と思ったのですが、あえて
シェアサイクル生活にトライしてみよう!
という思い付きでこのブログを執筆しています!
今回は
自転車を”所有”から”シェア”に変えてみたよ編
でお送りします!
今回のブログは以下の内容で進めていきます!
シェアサイクルについて
レンタサイクルとシェアサイクルの違いは?
1ヶ月シェアサイクル生活をして感じたこと
社会全体で自転車が“保有”から“シェア”に変わっていくためには?
ではまず、
シェアサイクルとは?
ということについて説明します
シェアサイクルとは
自転車を共同利用する交通システムで、特にコミュニティサイクルは多数の自転車を都市内の各所に配置し、利用者はどこの拠点(ポート)からでも借り出して、好きなポートで返却ができる新たな都市交通手段。現在、欧米を中心に世界中の500 都市以上で本格運営されている。
日本シェアサイクル協会より
コロナ禍を経て、「シェアサイクルをよく見かけるようになったな…」と感じている方もいらっしゃると思います。
特に東京エリアでは
ドコモバイクシェア
HALLO CYCLING
この二つの事業者のシェアサイクルがメインで提供しています。
うちのゼミでは、どちらの自転車のサービス提供エリアかどうかを、
「この地域は黄色いね(=HALLO CYCLING)」
などと話し合ってます(笑)
これらは、駅前や高架下、コンビニやマンションの小さなスペースなど街中のいたるところにポート設置が進められています!
特にこの2つは、松本市などエリアを限定して定額利用(サブスクリプション)プランの提供も行っているようです。
シェアサイクルの会社では、京都発3人でシェアサイクルサービスを立ち上げ、京都シェアNO.1を達成した「PiPPA」さんに個人的に注目しています!
ここで、なんとなくは分かったけど
シェアサイクルとレンタサイクルって何が違うの?
と思われた方もいらっしゃると思うので
2つの違いについて説明します!
レンタサイクルは基本的に借りた場所(店舗)へ返す
シェアサイクルは借りる場所も返す場所も指定されているポートの中で自由に行える
という違いがあります。
また、店舗による有人サービスがあるかどうかもレンタサイクルとシェアサイクルの違いになっているようです。
ここ最近は先ほども書いたドコモバイクシェアやHALLO CYCLINGなどのシェアサイクルが普及してきている印象です。
それでは、ここから本題、
シェアサイクル生活をしてみて感じたこと
についてお伝えします。
大きく感じたことは2つです。
1.コストの低さ・歩行量の増加
2.自転車量の偏りがみられた
まず、コストの低さについてです。
今まで、私は最寄り駅から自宅までの2km(約15分)の往復にて自転車を利用していました。
ここで意外とかかるのが駐輪場の定期料金です。
私が利用していた駐輪場はなんと月額2800円もかかります…
切実に電車の通学定期と合わせると1ヶ月で1万円以上もかかるのはつらいです(笑)
しかし、シェアサイクルはポートが空いてさえいれば駐車料金は全くかからないので、この2800円は大きな変化でした。
そして、シェアサイクル生活に変えると、毎日自転車を使わない生活になりました。
今日は自転車を使わずに歩いて家に帰ってみよう!
そんな気持ちを後押しされるようになり、
今では週に2回程度しか利用しません。
意外とこの変化は思っている以上に大きかったです。
このような生活スタイルになったため、
シェアサイクル利用料金は一か月合計で1200円でした!
-1,600円、自転車に関わる支出を減らすことができました。
それに加えて、歩行量が大きく増加しました!
以前は平均9000歩だったのがこの一か月では平均14000歩まで伸びました。
そのおかげで、毎日のようにiPhoneが活動量の多さを通知でほめてくれるようになりました(笑)
運動不足を少し気にしていたので少しは健康になったかな?と満足しています。
このように、必要な時のみシェアサイクルを活用する生活に変わったことで、基本的には徒歩で生活するリズムへと変わり、コストの面でも最低限の支出で済むようになりました。
次に、自転車量の偏りについてお伝えします。
シェアサイクルは使う人の出発したポートから目的地近くのポートへと自転車が動くため、常に流動的に場所移動を繰り返しています。
この一か月、乗っている中では、特に住宅地エリアで自転車不足が深刻だなと感じました。
私は、週に2回駅から住宅地の中にあるバイト先までシェアサイクルで移動していたのですが、ほぼ毎回、住宅地のポートは空の状態になっていました。
きっと家から近くの駅などへ移動するニーズが高いことから住宅地のポートには自転車があまりストックされていないのだなと感じました。
今後、自転車のシェアリングをより普及させていくためには、
利用ニーズの高い地域に対してどのように自転車を移動させてストックを残していくか
という視点は非常に重要なのだなと感じました。
では、最後にまとめとして、
自転車が“所有”から“シェア”へ変わっていくためには何が必要か
ということについて
1.自転車保有コスト>シェアサイクル利用料 の実現
2.自転車の偏在問題への対策
私はこの二つが重要となるのではないかと考えています。
①自転車保有コスト>シェアサイクル利用料の実現について
東京都をはじめとする都市部においては、駅前に自転車を停めるだけで月額数千円かかることが珍しくありません。
さらに、定期的なメンテナンスやパンクなどの修理を考えると意外と自転車保有にかかるコストがかかっています。
仮に、シェアサイクルが駅前駐輪場の利用料とほぼ同じ水準(約2~3000円)に抑えることができれば、
保有からシェアへ自転車利用の形がシフトしていくのではないかと感じました。
②自転車の偏在問題への対策について
シェアサイクルの一番の問題、それが
自転車の偏在・再配置コストの問題です。
一か月間のシェアサイクル生活を通じて、
シェアサイクル利用のニーズは地域差が大きく、
ニーズが高ければ高いほど機会損失が大きくなる現状を目の当たりにしてきました。
そのため、今後“所有”から“シェア”へ社会行動の変容を起こしていくためには、
使いたいときに使えるという利便性の保証が何よりも重要になると思います。
しかし、人々の出発地と目的地を指定することはできないため、
私は、自転車数の少ないポートへの移動に対し、利用料割引を通じたインセンティブを利用者に付与していくことを提案します。
シェアサイクルは利用履歴やOD(出発地・執着地)の位置・需要量をデータとして把握できていることから、
それらのデータを活用し、利用ニーズに応じて
ダイナミックプライシングの導入やインセンティブの付与
を通じて自転車の偏在リスクをコントロールしていく仕組みづくりも今後求められていくのかなと感じました。
今回は自転車のパンクというハプニングから生まれたシェアサイクル生活について書かせていただきました。
何よりシェアサイクルは電動自転車ということで、推進力がすごい。
「これは人をだめにする乗り物だな~」とのんきに考えながらこのブログの構成を考えてみました。
みなさんも身近にあるシェアサイクルを活用してぜひお出かけしてみてください!
モビリティ探索日記はこれまで3回執筆しています。
ぜひそちらもご覧ください!
野澤ゼミでは、ゼミ活動についてInstagramにて発信しています!
そちらもぜひのぞいてみてください!!
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旧鎌倉街道を北へ歩くと東芝工場に遮られる。構内の道を真っ直ぐ行けば国分尼寺跡だが、通行禁止のためコの字形に大きく(約2km)迂回しなければいけない。 (Fuchu, Tokyo) https://www.instagram.com/p/CkKZKK6yQAk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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必要じゃ無いって気づいただけでして
ベルリンでは毎日3食自炊生活。週2ほどのバイトがあるときの賄い以外、毎日自炊。料理自体嫌いでは無いし(むしろ好き)、ラップトップや携帯の画面ばかりを見つめている毎日の中で、今日は何を作ろうかな〜って考えたり、ひたすらに野菜を細かく切る時間が自分にとってある種メディテーション的な役割を果たしている。何より自炊は節約になるしね。毎週近所のスーパー5軒のオンラインチラシをチェックするのが趣味でして、この野菜はここが安いんだ〜じゃあ明日は散歩がてらここに行こう〜みたいな。一つの野菜を買うために片道2km歩いたりしちゃう。笑 そのおかげもあるのか、1ヶ月の食費が5000円もいかないのよ…異常よね。ひもじい思いは全くしてないから安心して。
去年の9月からベルリンにいるけど何か外食したっけ?と思い出してみたら、3回ほど食べたベジケバブと3回くらい行ったカフェで頼んだカプチーノくらい。笑
そしてベルリンに来てからプラントベースになった。無意識的に自炊はほぼveganになっていた。たまにチーズ食べるくらい。あとノーマルのマヨも使うか。たまに買うベーカリーのパンも普通のバターを使用してるものを買ってるな。
でもね、バイトの時は賄いではお肉も頂いているし、日本に帰っている時は家族とお肉もお魚も食べるよ。誰かに食事をご馳走になる時は動物性の食べ物を頂いている。俗にいうflexitarianというものでしょうか。ああ、あとね、昨年のクリスマスに学校の友達とKFCにも行ったよ。前に私が日本人はクリスマスにKFCを食べる変なカルチャーがあると言ったことを覚えてくれていて、家族と過ごすであろうクリスマスに一人ぼっちの私にKFCに行こうって誘ってくれたの。単純にその優しさが嬉しかったから一緒にチキン頂いた。
高校生の時から動物性の食品・製品の消費について色々思うことがあって、実は長い間モヤモヤしていた。当時は毎日母親が食事を作っていたし、家族みんな同じものを食べる生活をしていたが故に、私一人だけプラントベースになることはかなりハードルが高かった。
高校を卒業してから1年半働いていたゲストハウスで働いていた時、海外からくるお客さんがほとんどだったんんだけど、その中でかなりの割合の人がプラントベースだった。少し距離が近くなったお客さんにプラントベースになったきっかけや理由を聞いてみたりもした。環境のため、動物にため、普通にお肉の味が好きではない、などなど人によって理由は様々で興味深かった。
コロナ禍で時間を持て余していた去年の夏に1ヶ月間牧場でアルバイトをした。第一次産業にずっと興味があったし、食の裏側を知りたかった。いつも食べている食べ物がどのように生産され、どのような長い道のりを経て私たちの食卓まで届くのか、単純に知りたかった。野菜はお家でも家庭菜園をしているし、何となくの生産過程は想像がつくものの、畜産・酪農業は道民の私にとっても表面の事しか知らない未知の世界だった。プラントベースになる/ならないに関わらず、ネット上の数字や情報を一方的に過信して批判するのではなく、自分の目で見にいこうと思った。でね、1ヶ月の牧場生活のこと、ちょっとここでは完結的に話せない。スイッチが入ったらすごく文が長くなってしまうのよ。昨年のインスタの投稿でめちゃ完結的に牧場生活を通しての私の経験と思い、考えを書いた投稿があるからもし気になったら見てほしい。1年経った今も私のスタンスは変わってないから。
ということで、ベルリンではプラントベースで生きてます。無意識的になっておりました。ベルリンに住み始めた当初、母親にそう言えば肉魚を食べてないんだよね〜と伝えたら、キレられました。かなり。良質で十分な量のタンパク質をとらないと身体に悪いと。同時にベルリンに住み始めた最初の3ヶ月間、生理も止まってしまって、それも栄養バランスが悪いからだと母親に叱られた。でもあれは恐らく、日本→ベルリンという環境の変化で知らぬ間に身体に負荷がかかっていたからだと思うの。その後は普通に生理きてるし。とは言え、安易な考えでプラントベースになるのは良くないとは思う。ある程度の栄養素の知識がないと身体に悪いね。いや、これはプラントベースにならなくても当てはまるか。生きている上で栄養素について少し考えながら食事を取ることは大切よね。あぁ今日の食事はあれが足りてないな〜とか、少し偏ってるな、とか。そんな程度でいい。
私、野菜大好きすぎるのよ。パスタつくるはずだったのに、野菜の量が多すぎてサラダ?パスタ?みたいな現象が毎回起きてしまう。野菜にもタンパク質は入っているけど、お魚やお肉に比べたら全然足りないから、私は日々の生活で豆を食べてるよ。ひよこ豆とかレンズ豆とか色々。活用しまくれるし、かなり優秀なのよ、お豆さんたち。ドライの方が安いから、ドライの豆を買って一晩水につけて戻したり、茹でたり。お肉、お魚を調理するより全然楽よ。安いし。
て感じで、強い信条を持ってプラントベースになったというよりかは、私の食生活の中で動物性の食べ物の必要性があまりないと気づいて、我慢をしているわけでもなく、気づいたらプラントベースになっていたという感じです。それに加えてその私の食事スタイルが動物や環境のためになっていたらラブアンドピースだね、Happy Lucky Love Smile Peace Dreamだね、というお話です。それだけです。でもね、たまに、あぁあああああ早く北海道帰ってお寿司食べたぁあああああああいってのはなるよ。もちろん。
フランス上空が美しかった。頭の中でcmbynのサントラとfkjのylang ylangが流れた
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Jogging(10/Feb)
朝8時過ぎには、御殿場に着いた。そして牛丼屋にでも寄って焼き肉定食でも食べるかと思ったが止めてスーパーマーケットでいなり寿司とサラダを買って朝食とした。肉と酒を許したのは、昨日のこと。今日は、元に戻り禁酒菜食。僕は、日々そうしていてる。その方が調子がいいからだ。それにやっと金曜日からジョギングがスタートしている。健康オタクになるのだろうか?
昨日は、良く動き良く踊った。
茶畑庵に帰りシャワーをして布団に入ったが、昨夜の続きで興奮気味なのか数時間で起きてしまった。
夕方「継続は力なり」と頑張ってジョギングスタート。走ったり歩いたりとかなりまったりだが急に精を出しても長続きしないと思うのでマイペースで。2kmくらい走り、気分的にも満足。
夜も9時を待って茶畑温泉へ。サウナ3回半。露天風呂でゆったり。いつもの様に温泉も満足。この調子で頑張ろう!
肉は、大好きだがたまに食べる、でいいとしてる。以前は、"頑張って"菜食主義だったが挫折。酒も好きだが毎日は少量でも癖(中毒)になるから避ける。だから東京に行った折に何でも楽しく制約なしで飲み食いするのがいいと思う。魚は、食べている。
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三月後半日記
3/16
紀伊國屋の国書刊行会選書フェアへ行く。魔法のカードが発動してしまいそうになったため、一旦心を落ち着かせてから出直すことに。サイン本はズルいぞ!欲しかった本がずらずら並んでいるのを眺めるのはなんとも壮観でした。
3/17
パフェ食べてお寿司食べてお茶してジュンク堂へ行く。結局何しても本屋に帰結するのが面白いですね。とりあえず「矢川澄子ベストエッセイ妹たちへ」を買う。通勤の時に本を読みたいので手頃なブックカバーを作りたいと思う。
3/18
夜はまだ冷える春先。それでもエバーフレッシュは蕨のような新芽を展開させ、薔薇はちいさいつぼみをつけている。月下美人はそろそろ鉢増しすべきだろうか、と明るい部屋から暗いベランダを眺めながら煙草を喫んだ。花をつけるのは来年か再来年か。面倒を見るとその分必ずこたえてくれる植物は好きだ。
3/19
昼休みに靴のヒールのゴムが取れた。しかたなくカンカン音を鳴らしながら仕事をした。四月から革の黒いパンプスが入り用になる気がしたのでメトロに乗って都会の靴屋に行ったがぴんと来ず、そのまま帰る。金曜の夜はそれなりに人が多く、みんな笑顔で、きゃあきゃあとおしゃべりしている。一年前と違うのは顔を覆うマスクだけだ。いつからチークやリップを買っていなかったっけ。日に日に濃くなるアイメイクを拭き取りながら、まつげパーマの予約をしないといけないなと呟く。
3/20
久しぶりにテディベア教室に行く。一人だと全然進まないので、お教室の仲間と手を動かそうと考えたのでした。結果、物凄く捗り大満足で帰宅。そのあと12時間も寝てしまった。実は疲れてたのね。
3/21
大雨のなかキャンドル教室へ。ミモザのボタニカルキャンドルとブレンドキャンドルを作りました。私一人だけてっぺんが盛り盛りで少し恥ずかしかったです。欲が出た。ソワレのゼリーポンチをイメージして作ったのよ。
3/22
リスの手足をひっくり返すのに悪戦苦闘。家人が「良い感じの細さに削った棒」を作ってくれたおかげでなんとか腕の形ができた。今後型紙引くときはもっと返しやすさを考慮しよう……。あとは耳をつけるだけ。ついつい根を詰めすぎて呼吸が浅くなる。何もかもほっぽりだして縫ったり詰めたりするの、苦しくて楽しいの。今夜は早めに休む。
3/23
いちごを2パック買ってるんるん。そろそろ刺繍にも手をつけようとユザワヤへ寄ったら毛糸の代わりにエコアンダリヤが出ていて季節の移り変わりを感じました。来月のレッスンまでにエプロンに刺繍を入れようと思います、が、真面目になりすぎないようにやる。真面目は健康に悪いのだ。
3/24
今日はいつも以上に花粉が飛び散っているのか気管支がゾワゾワします。水筒に入れた熱い紅茶の湯気を吸引するとちょっと落ち着く。
3/25
仕事で良いことがあったのでいちごタルトを買って帰る。電車から見える桜は二分咲きくらいです。黄昏時のダスティ・ピンクにまざってきれい。夕方発の普通電車は秘密のお花見スポットです。
3/26
先日まつ毛パーマをかけ直したため、お顔の仕上がりが良くなって嬉しい。新しいアイシャドウが欲しいなあ。THREEのディメンショナルビジョンアイパレットの6か10を仕事用に。早く自由にサンプルが触れるようになると良い。
3/27
熱い緑茶を水筒に淹れてお花見へ行く。ぽくぽくと2kmほど歩いて到着。桜餅やお団子を食べていると全然知らないおじさんから「いいねえ、ビールあるの?」と声をかけられたので「ノンアルコールですよ」と笑って返す。河川敷にはタモを持った子供が水しぶきをはねあげている。帰った後はこたつを押入れにしまったり月下美人を植え替えたり。
3/28
朝からしっとりと春雨の降る休日。新鮮な野菜が食べたくて少し離れた農協まで買い物に行く。どれもこれもぴちぴちおいしそうで予定外に買ってしまった。さて何を作りましょうか。
3/29
昨日のうちに仕込んでおいたコロッケを揚げる。家で作るコロッケは何故こんなにも美味しいのか?調子に乗ってたくさん食べてしまいました。明日はスペアリブのマーマレード漬けをグリルするのだ。
3/30
朝起きてベランダに出ると水仙が二輪咲いていた。そっと顔を近づけてると甘くて青い香り。球根の植物はまず間違いなく花が咲いてくれるので大好きです。
3/31
リスの耳をつけるのにまだ試行錯誤している。聞き耳立ててる子かリラックスした子かどっちがいいかな……。どんぐりもらってうれしそうです。ぬいぐるみ作りに刺繍にやりたいことがたくさん待っているので来月も元気に。
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ニセコに行った。 元々夏は人が少ないけれど、 2km歩いても 人にも車にもすれ違わないくらいには 閑散としていた。 ・ 母子旅行なんて あと何回行けるんだろうねぇ。 ・ ・ さてさて、 noteで始めた連載 #人生とは自分にかかっている呪いをひとつひとつ解いていく冒険 を ただいまキャンペーン価格はひとまず今日まで。 結婚とか離婚とか再婚とか、 妊娠出産育児とか、 女性の社会進出とか、 さまざまな人から放たれる何気ない一言、 自分が誰からも強要されてないのに脅迫概念を感じることに、 ひとつひとつ丁寧に向き合って 言語化していこうという試みです。 今までは家のコラムやらに ピリリと盛っていたことたちですが、 今回はそれを本題にして 個人的な自分にかかっている呪いと 社会問題とも言える一般的な呪いの数々を とにかく棚卸して わたしと読者の生きにくさを 取っ払っていこうという試みです。 女性も男性も これまでのロ��ルモデルではない 未来を構築しようと思うと、 どちらも大変です。 そして、見えている景色が全然違う。 その風景をいちいち言語化していきます。 こんなひとに読んでほしい: ・夫が帰ってきたら共働きなのにごはんを温めないと、と思う(わたし) ・パートナーと平等じゃない感にモヤっとしてる ・パートナーがあなたは全然わかってない、と感情的に起こりがち ・子どもを産んで仕事やパートナーシップにこんなはずじゃなかったと思うことがたくさんある ・家族も仕事も両立したいのにモヤモヤ イライラする ・子どもを産んで自己肯定感が下がりまくっている ・わたしの人生どうせこんなもんだと思って新しい一歩が踏み出せない ・努力をしつづけないと誰も自分と一緒にいてくれないと思ってしまう ・結婚を控えている ・出産を控えている など! 思い当たった方、 先月のコラムは半額、 今月分はマガジン登録で初月無料(そのあと解約すれば0円)なので ぜひぜひ読んでみてください! ・ 言語化されたり メカニズムがわかると 生きやすくなることたくさんあるからね。 https://note.com/bouken_life/m/m6db7ec33c438 https://www.instagram.com/p/CCz2T_Mgf2o/?igshid=1omu3ikljp9hn
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【鈴鹿】釈迦ヶ岳~雨乞岳~樹氷の山頂をつないで鈴鹿セブンマウンテンも達成
こんにちはみーパパです。
最近は走ることにハマっている次男みぃ君。保育園から家への帰り��約2Kmを毎日走っています。先日は家の近くの名城公園を2人で約4Km。1Km5分ほどで走るので流石に驚きました。こんなに力がついて来たんだなとビックリです。
さて、今回は地元の山、鈴鹿山脈の釈迦ヶ岳と雨乞岳を登ってきたので記録しておこうと思います。
名古屋から1時間でアクセス出来る鈴鹿山脈
少し強めの寒波の入った12月初めの日曜日。ヤマテンの予報では少しのまとまった積雪と、鈴鹿や比良山系でも樹氷が見られるかもしれないとのこと。
各地のライブカメラを見比べながら、八ヶ岳などもう少しまとまった雪が降るのを待つとして、今回は雪をあえて避けて少し長めの距離を歩ける山をと考え選んだのは三重県の鈴鹿山脈。
名古屋から1時間ほどでアクセス出来る身近な鈴鹿山脈。滋賀県から三重県にかけて1000ⅿから1200ⅿほどの登…
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organik festival 2019に行ってきた
organik festival 2019に行ってきた。
2〜3年前からorganikに行ってみたいなーと思っていたが毎年GW近くで連休+GWなんて社畜の自分にとっては現実的では無く不可能に近かった。しかし今年13年勤めてきた会社を辞める事にしたので後の事など知ったこっちゃ無いと飛ぶ鳥跡を濁しまくりの勢いで参加を決めた。
参加にあたり現地での情報をwebやSNSで探したがほとんどヒットせず下準備が完全に出来なかったため苦労した。自分の様に細かく調べて万全の状態で参加をしたい人の為にここに記録を残す。情報がない中で行くのが楽しみな方は見ないで下さい。
1.チケットの購入
1-1 航空券&レンタカー
スカイスキャナーで購入。GW近くということで価格は高騰し5万くらいした。レンタカーは30000円くらい。電車の選択肢もあったが移動の自由度が低いため却下。https://www.skyscanner.jp
格安航空券の比較 スカイスキャナー | 国内・海外・LCC飛行機チケットの最安値検索世界のレンタカーやホテルだけでなく、多数の格安航空券を無料で比較できます。スカイスキャナーは SKYSCANNER.JP
1-2 organikのチケット
RAで事前購入。16000円くらい。
https://jp.residentadvisor.net
2.持ち物
今回、開催中はテント泊を選択した為に必然と荷物が多くなった。現地で話した日本人は宿泊が多かった気がする。聞いた話ではタクシーで20~30分ぐらいの距離に宿が数件あるみたい。宿泊は快適性が上がるがフロアの盛り上がり具合が全くわからないのとみんなで行動を合わせなくてはいけないのが面倒なので却下。最小限の荷物で行きたい人はいいかもしれない。
パスポート
日本の免許証
レンタカーの事前予約した書類
航空券の書類
会場チケット
クレカ×2枚
衣服×5日分
帽子(晴れた時の日差しはかなり強い)
サングラス
防寒着(自分はソフトシェルを持って行ったが飛行機でしか着なかった)
カッパ
テント
Y字ペグ(テントを張る場所が砂浜のため)
ランタン
インフレートマット
寝袋(友人O氏はいらなかったと行っていたが朝方寒い時があったのであるとベスト)
お風呂セット
温泉タオル×3枚
日焼け止め(必須。台湾の日差しかなり強い)
汗拭きシート
モバイルバッテリー(持っていくのに上限があるので注意)
充電コード
ナルゲンボトル(ボトルを持参していきバーカンで作ってもらうとバーテンが適量がわからなくなり大盛りにしてくれて少し得した気分になるのでオススメ)
ライト
ゴミ袋
現地用SIMカード(必須。ナビにも使うし英語が堪能でない自分はGoogleにお世話になりっぱなし)
免許証の中国語の翻訳文(なぜかJAFのみで対応していて利権的な何かを感じる)
http://www.jaf.or.jp/inter/taiwan/
自分が忘れて後悔したもの
中型のバック(会場で車を止めてから2kmくらい移動するのでハードケースのみはキツかった)
tシャツ(多めに持って行ったが晴れれば暑くて雨が降れば濡れるしもっと持って行けばよかった)
3.台湾での移動手段
web上でヒットする過去の参加者たちは電車&タクシー、高速バス&タクシーなどが多かったが今回はレンタカーを選んだ(1−1参照)。レンタカーだと自分のペースで進めるのが最大の利点。高速道路はレンタカー返却時の後精算で桃園空港から牛山呼庭までで往復215台湾ドル(日本円で776円)日本の高速道路料金の高さを考えさせられた。ナビはsimフリー携帯に通信無制限のカードを挿してGoogleマップを使った。Google先生は偉大なり。
4.現地での気候
今の時代調べる気になれば朝のクソ忙しい時間でも1分あれば世界各国の天気を調べられる。開催地でもある台湾の花蓮も同じだが今回は落とし穴があった。国内にいる時に調べた天気予報では開催中の4/26~28は全て100%雨予報(しかも雷雨)。しかし行ってみると三日間ほぼ同じ気候で朝〜夕方まではほぼ晴れ、18〜19時くらいから雨が降り3~5時くらいまで続き朝方止む。ほぼこれの繰り返しだった。嬉しい誤算。
5.会場情報
ここの情報が一番欲しい情報だったが前でも述べた通りweb上ではほぼ見当たらなかった。
5−1 会場での駐車場
入り口付近の道に縦列で駐車した。道幅も路肩もとても広く全く問題なかったが3日間置きっ放しになるので心配な人はレンタカーでの会場入りはやめた方が良いかも。自分的には2016年ハーベスタ会場の三河高原キャンプ場の縦列駐車や2018年のParamount会場の銀河の縦列の方が遥かにトラブルの危険性を感じた。
5−2 駐車した場所から会場まで
organikの会場はビーチに面しているので道路からビーチまで降らなければならない。距離は約2kmぐらい。急なつづら折りの坂道だった。行きは入り口付近でタクシーが待機していたので利用した(200台湾ドルで街中では考えられない高金額だったがこんな暗い山道を重い荷物で歩くぐらいなら全然安いと感じた)帰りはシャトルバスを待ったが一向に来なくてスタッフに聞いたら「来ないよ」と言われた。officialに��いてあったシャトルの文字は何だったのか。中型のバックパックを忘れた自分はハードケースで山道を登った。途中で休憩していたら現地の台湾人と思われる若者がUターンして乗せてくれた。超多謝!今回のレイヴで一番他人に感謝した出来事であった。
5−3 現地での使用通貨
現地会場では台湾ドルの使用は出来なかった。officialカウンターで台湾ドルをトークンに両替する必要がある(入り口の所とサブの横にあった)。ちなみに両替は500台湾ドルからで500台湾ドル=16トークン。500台湾ドルが約1800円なので1トークンは112円。日本円から台湾ドルに脳内変換するだけでもややこしいのに更にトークン変換するのでパニックになり適当になっていた。ちゃんと計算したのも帰りの空港だった笑
5−4 会場での飯や水の確保について
会場では日本のレイヴと同様に屋台が並んでいた。ハンバーガー、台湾料理、パエリア、フレッシュジュース等。メインとサブにもofficialのバーカンもあった。しかし朝方から昼前まではofficialのバーカン以外はほぼ閉まり朝食難民になるので注意が必要。夜寝る前に嫌でも飯を食べておかないと空腹の中で翌日昼まで過ごすことになる。店に人がいるので「何でもいいから作ってくれ」と言っても「午後にならないと無理」と言われる。料金は酒が5〜7トークン。なぜかエビアンが7トークンもしていた。無料の飲料水はサブ横のofficialカウンター付近にあったが湧き水なのか雨の後は軽く濁っていた。エビアン500mlに784円も出せないので濁った水を3日間飲んでいたが問題はなかった(あくまでも自己責任で)。飯は4~10トークンくらいで味はまあまあ。価格は日本のレイヴとさほど変わらない印象だった。
5−5 お風呂
フロアマップ(この事前に出されるフロアマップが超絶見にくい)にシャワーがあることが書いてあったので安心はしていたがいくらなのか紙幣は使えるのか硬貨なのか何台設置なのか全然解らなかった。結論から言うと温水シャワーが2箇所にありメイン横に3つとサブ裏に2つ。メイン横はシャワータイプ(ヘッドが壊れていて横から激しく漏れていた)サブ裏はアジア圏によくある洗面台の様な所に水とお湯を溜めてケロリンでかぶるタイプ。気になる料金だがなんと無料だった。朝イチのシャワールームは長蛇の列になるので空いてる時間を狙って行った方が良い。ちなみに自分はピーク前かピーク後の誰しもがゆっくり喋りたい時間にあえて行っていた為、1度も並ばずに入れていた。最終日の夜中3時くらいに入った時はなぜかお湯が出ず悲壮感全開で水のみでシャワーを浴びた。
5−6 電波状況
自分は出国前に遠傳通信(現地キャリア)のsimをアマゾンにて購入した。5日間パケット無制限で1000円しないくらい。英語も堪能では無いので必須だった。会場では常に4Gが入っていて快適だった。
5−7 飲食物の持ち込みについて
official的にはNGと言っていた気がする。友人のO氏の話では「酒類の持ち込みが厳しい様だ」と情報があったがセキュリティチェックではほぼ見ていなかった。ただチェックする人は時間で交代するだろうし現地にお金を落とす意味でも持ち込まない方が良いかと思われる。友好国の台湾人に日本人はルールを守らないと思われても嫌だしね。飯の持ち込みは他のテントで焼肉等をしている人も見かけたので不問かと思われる(あくまでも自己責任で)
6. 終わりに
恐らくここまで書いたことで自分が渡航前に心配だったことは全て潰せたと思う。アーティストの感想なら他のSNSで色んな人が書いているのであえて自分が書く必要はないと判断した。日本国内のレイヴにマンネリを感じていてorganikに魅力を感じているが未知数すぎて重い腰が上がらない人へ届いて来年か再来年の渡航の手助けになったら本望だ。自分は来年も参加する予定。
谢谢你的美好时光
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