【No.6/鼠苑】Bonding (R)
【Bonding】鼠苑(R) copyright. Mi-Wu
「嗯……不要這樣、尼茲米。」身體因蓄積的快感而弓了起來,接觸到那人的溫度燙得就像火一樣。總是如此,儘管平常對自己冷言冷語、挑三揀四地動不動要跟自己找架吵;可是在做愛時,老鼠總是會用他所能盡到的——最溫柔的方法去碰觸他。
小心翼翼地親吻、撫摸。就好像自己是他所最珍視的東西一般。
但坦白說這令紫苑有時覺得有點不耐,自己又不是什麼紙娃娃,更投入一點地親吻我、難道不行嗎?就好比說現下這漫長的前戲,真是說不清到底是溫柔還是種折磨……。
老鼠的指尖與唇瓣循著自己身上的紅色蛇痕,一點一點地輕輕觸碰與舔舐;雖然現在也習慣了,但當初非常討厭的、死裡逃生後所留下來的『記號』——不知怎的,老鼠總是很喜歡親吻那如藤蔓綁縛自己身軀的疤痕,或許就如他當時所說的……『嫵媚』?不過那樣的親吻方式,不時會讓紫苑覺得那其中似乎帶著一點感激的意味。
老鼠的手指劃過自己胸前的那條紅痕,灰色的眼睛對視了上來,口中吐出因寒冷的冬日夜晚而暈開的白煙,但在兩人之間,卻感覺是熱的。���唇碰上紫苑的臉頰,又輕柔地覆蓋上他的唇瓣,表情似笑非笑地對自己漾開。
「怎麼…?不喜歡嗎?」
「才不是……」想要碰觸對方的慾望。想要更深入、更加激烈的……和眼前這個人結合在一起的慾望。情熱之際,自尊也無招架之力,撇過頭想唸那人幾句,卻只是氤氳著雙眼、抬起手遮住自己肯定變得奇怪了的臉,雙頰感覺熱得不行,整個人都像是要被煮透了一般,整個人都在渴求著那一個人。
「哦?那是怎樣?」拉開鼠苑毫無意義遮擋的手,看著那纖細白皙的手指,毫無想法地就在指尖上輕輕地吻了一記。
紫苑眉頭皺了一下,抬起自己沒有被抓住的那一隻手撫上老鼠的臉頰。「……是想要更多。」
老鼠看上去像是有點吃驚,微微地嘆了口氣。「……天然呆還真是可怕啊。」
「嗯?」紫苑還是看上去像是完全不明白的樣子。不過誰知道呢。
欺下身,柔軟彼此碰觸、交疊,一張一合地吞去對方的吐息,濕潤又炙熱的舌尖捲上自己的,回應得理所當然。不夠,還是不夠,還想要得更多。
就著相擁的姿勢,難以忍耐的紫苑闔腿蹭了老鼠一下,讓自己與他的腰身能夠更加接近。
老鼠沒說話,雖然自己沒有張開眼睛,卻能感覺他在嘴邊輕輕笑了一下。粗糙的手掌撫向下、滑落至自己的大腿向內探時,壓抑不住的喘息聲越來越重,紫苑覺得自己的慾望已經勃發得再難以克制。吻在自己的胸前遍佈、紮根,直至深入軀殼底層。感覺到他細削的指尖勾過囊袋、柱身,帶繭的指節沾著鈴口所溢出的滑液沿著輪廓摩娑著。
寂靜的夜晚,地下的廢墟中,有炭火滋滋地在爐灶裡烤著的聲音,外頭風拍打門壁、呼嘯而過的颯颯聲,月夜、哈姆雷特、克拉巴特不知在房間哪處竄著所發出的吱吱聲。除此之外,便剩下我們兩個人了。床單和衣料磨擦的聲響,破舊的彈簧床墊咿啞陷落的聲音,我的喘息聲,你一聲一聲地呢喃著我的名字,傳達過來細碎而低沉的語氣。有時聽起來就好像,我並不在你身前一般。
老鼠的指節擠入那穴縫之中,雖然還不夠濕潤、稍有點乾澀和疼痛,可是仍然覺得自己渾身的快感都被挑逗了起來,在輕柔的按壓之間逐漸失去了分寸,收縮著向你迎了過去。「嗯……」
「你也太急了。」老鼠微笑地親了一下紫苑的眉梢,額頭沁出細密的汗卻不像是自己游刃有餘的樣子。
「……已經夠了。」眨著眼睛宛如懇求的模樣。
「還不行吧……會弄傷你的。」手指伸入那雪白的髮間,撫至後頸,又在那人的嘴唇上吻了一下。
拼命地搖搖頭,手抓上那人的後背,感受到那人肩胛骨的稜線在自己的手心內起伏,一手向下探去到那炙熱的根源,突地包覆住的刺激讓老鼠不禁倒抽了一口氣。「進來……。」
對那人感到無奈,卻也不能抵抗。「…你有時真的不知道自己在做什麼呢。」
「我知道的好嘛、啊……。」話音未落,即感受到堅硬的那物從入口緩緩地推擠進來,掙開的皺壁服貼地裹著那人的形狀,酸麻感頓時從脊椎尾處傳遞了上來。
累積的每晚開拓的經驗,讓插入也變得沒有當初那麼困難,不一會兩個人就完全契合在一起了。可是還是不夠,那是自然,因為這才不過是開始而已。雙腿盤上老鼠的腰際,只為了能夠更貼近那個人,讓那人在律動之中可以更輕易地抱著自己。
「嗯、尼茲米……舒服……啊!」越是想要壓抑、越是感覺自己往其中陷入,呻吟聲在房間內清晰得令人羞怯。身體深處有股被熱源鑿開的感覺,他的性器滑順地被自己包覆、吞吐著,頂過濕濡軟熱的腸壁,突擊他脆弱的那一點。
老鼠低下身吻著紫苑的耳朵、脖頸,然後是他的嘴唇,那雙灰得好似西區入夜的星空的眼睛,積聚的亮光如同星屑一點一點地在他眸中閃耀著,此刻裝的只有他紫苑一人。儘管紫苑總是覺得那雙眼睛看起來離自己很遙遠,似乎總是在預告,來日那必將到來的分離。
他們是非常不相同的兩類人。和對方待在一起的日子越久就越能感覺如此。可是或許就是如此不同,也才會這般好似無法切斷的引力,把兩人聚在一起。想要追上去,想要一探究竟,想要互相了解,想要改變對方,想要改變自己。
待在西區的這段日子,雖然不比留在No.6時過得安逸舒適,這裡難以融入的民情、各式各樣生存的潛規則、髒亂臭氣與腐敗味四溢的屋舍與市集、廢墟中寒冷的夜晚、美味的肉湯但他仍然想念著母親親手烘烤的麵包與櫻桃蛋糕………羅列起來的話,待在這裡的難處或許真的不少呢。可是,這些日子也讓紫苑感受了至今從未感受過的充實感、自由,重新認識了自己究竟是什麼樣的人,以及即便懷有遺憾,仍然帶點罪惡地感到十分幸福,非常地。
可是,人在感覺到幸福的時候,是不會前進的。而日子分分秒秒地過去,明明該憂心的事要更多,卻覺得一天一天都像在倒數,如果可以,能不能夠停留在這刻就好了呢…?
擁有需要守護的東西時便輸了,是這樣嗎?
「…疼!」耳朵被咬了一下,紫苑才回過神來。
「……分心嗎?想什麼?」老鼠一臉不太高興地看向自己,一手不懷好意地向下伸去握住紫苑的性器,配合著深入的節奏捋動著,下身原本就凝聚著的熱流更加滾燙了起來,刺激下穴壁更加絞緊,惹得兩人都悶哼了一聲。
「嗯…不行了……快一點……」熨熱地喘著氣也咬上老鼠的耳垂。
雖然已經知道這個人天然到了一個極致,有時候不知道是誠實還是語彙能力缺乏,總是可以面不改色地做出令人驚愕之事。天知道自己是怎麼在一次次不經意地挑逗下忍住沒把這個呆子給吃光扒盡,但當然理智也是有一定的極限的。
加快速度的抽插,腸壁被擠弄得紫苑一陣一陣地顫抖,他也能感受到對方一跳一跳的脈動、越發的熾熱與堅挺,在幾次深深的挺入後,柱身的痙攣在自己體內勃動著,下身一股像是要把自己扭乾的收縮不止,汲取自己噴瀉而出一波波白流。
暈花的視線還未清晰過來,歡愛過後重重的疲累感壓著自己,卻也額外清楚地感受到那人蹭過來的體溫,在自己脖頸間有股搔癢的感覺,紫苑聽見老鼠用輕得彷彿只有他自己能夠聽見的音量說著。
「喜歡,好喜歡你。」
或許未來自己可能會有一天為這句話感到痛苦、悲傷,但那一定都是杞人憂天。這一刻,我要幸福地把它收藏起來。
「嗯,我也是。」
-FIN-
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『ドギーアンドバニー:前篇』
~追うものと追われるもの~
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
▽序章『龍馬が通る!』
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英語は義務教育を受けた“全人類”に通じる共通語である。
しかしながら私は単純な英単語までは理解できても、仔細な文法となるとまったくもってさっぱりよく解せない。昭和時代に於いての義務教育では、中等教育から"This is a pen"と実用性の乏しい幼稚園児以下の文脈をようやく学び始め、1から100までを英語で数えられるのか否か朧気ないい年をした大人たちが為政者、"内閣総理大臣"となり、そうして今日の日本国があるのだ。
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幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。
犬は純粋無垢な心でどこまでも飼い主を信頼するから飼うのは荷が重い。
時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。
でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。
僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
少しでも君を幸せに出来たのならいいのだけど。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。
もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、沢山の思い出をありがとうな!
親愛なるカナ。
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■Bump Of Chicken - "スノースマイル"|YouTube
一聴したらただの恋愛歌ですが、一説によると実は「死別」について歌っているのだとか。
普通なら老人にならないと気付かないようなことを、二十代の段階で気付き、歌えてしまうのが凄いところだと思います。
一体、何度目の人生なのでしょうか?
男女が出逢い、結ばれても、いつか死が二人を分かつ日が来ます。
子供を儲けても自立させれば、結局はまた独り暮らしに戻ってしまうこともあるでしょう。
人にとって最も畏怖すべき事柄は自分自身の死ではなく、大切な人との死別だと私は思います。
結末を予知しながら生きることが「未来の概念」に気付いてしまった“人類”だけの背負う最大の恐怖であり免れない運命です。
「今日あるのものは、明日なくなるかも知���ない」
「生きるということは、少しずつ死にゆくことだ」
それを理解した上で、どう振舞い生きるかは自分で決断すればいいだけの話に過ぎません。
《キリスト教》におけるプロテスタントの結婚式では、「良いときも悪い時も、富めるときも貧しき時も、病めるときも健やかなる時も、死が二人を分かつまで」と牧師の前で宣誓しますが、ヨーロッパでは古くから「死別」を理解しながらも、家庭を築き子孫を残す道を歩むべきだと、《仏教》とは正反対の思想が説かれ続けているのでしょう。
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『歴代の飼い犬』
――時は明治時代。
日独両国の通商条約が締結されたのを契機に、ドイツの軍用犬ジャーマン・シェパード・ドッグが日本に輸入され始めたのでした。
▲🇩🇪"七福亭七不思議シュバルツヴァルト菜々子"(通称:ナナ)
筆者が3歳の時分に拾った雑種の捨て犬。日本犬とシェパードの混血だと慮る次第であります。
シェパードは、1880年頃にドイツ陸軍騎兵大尉のフォン・シュテファニッツ氏が、馬学の知識を活かし、各地の牧羊犬を基礎として、如何なる作業をもなし遂げる万能な犬の作出を目指して完成させました。
ドイツ陸軍は戦争に備え、シェパードに訓練を仕込み大量に配備。その真価を遺憾なく発揮したのは第一次世界大戦でした。この「第一次世界戦争」という用語が初めて使われたのは、1914年9月にドイツの生物学者のエルンスト・ヘッケルが「恐れられた『ヨーロッパ戦争』は疑いもなく(中略)完全な意味での『初の世界戦争』となる」と述べた時とされます。
それ以来、各国が軍用犬として採用し、さらに盲導犬、麻薬探知犬、災害救助犬としても成果をあげました。
日本には1920年代に輸入され、軍用犬や警察犬として使用されましたが、近年に入り他犬種の台頭もあり減少の傾向があります。
▲🇮🇹"猛虎《タイガー》ジェットペペロンチーノ"(通称:ペロ)
初等部入学時に譲り受けた雑種犬。
か細く秀麗な為に幾度となく女狐と呼ばれたが、中々の耳年増かつおしゃまさんでありました。
近所の子供らに「カンガルーや!」と言われたこともありましたが、慥かに何の犬種を交配したらこのような犬が誕生するのか未だに疑問ではあります。
▼英傑"フラッシュ"列伝
─《序章》─
▲🇯🇵"閃光爆裂犬FLASH拳志朗"(通称:フラッシュ)
初等部四年生の頃に迎え入れた犬界の"チャップリン"こと、ドイツ原産の狩猟犬ミニチュア・ダックスフント。
しかしながら面白いのは短足胴長の容姿だけであって、彼自身にユーモアは一切備わっていなかったように思います。
明治時代に幕府が開国政策に移行し、日独通商条約が締結された頃に、日本へ輸入されたドイツの犬もまたM. ダックスフントである。
歴代の飼い犬の中で唯一の雄犬で、繁殖用として去勢をしなかった為に大型犬のような野太い美声を持ちます。先祖にあたるアイルランド原産の狩猟犬“アイリッシュセッター”の如く馬のような色艶の良い毛並みが特徴。ストレスが溜まると短い両前脚で頬を挟みながら欠伸をするポーズから「ムンクの叫び」の異名を与えられました。温厚な性格で、他の犬と異なり唸っても絶対に牙を見せないお人良し。ただし、狩猟犬のくせに小動物が苦手な憶病者。
筆者が10歳の頃、ミニチュア・ダックスフントの"フラッシュ"と初めて邂逅した日のことを今も鮮明に覚えています。
ある日のこと、母上から突然「犬を買(こ)うたる」と提案され、新装開店のペットショップまで赴きました。
幼い頃は日本犬に多い立ち耳の犬が好みでしたが、その頃は垂れ耳の犬もめんこいのでは考えを改め始めた頃で、スヌーピーのモデルとなった「ビーグル」にするか、はたまたゴールデンレトリバーの親類とされる「ミニチュア・ダックスフント」の赤毛を選ぶべきか悩みながらも、色合いが綺麗な後者を選ぶことにしました。
ペットショップに入り、三匹のM. ダックスフントが入った檻を見ると、その内の二匹は仲良くじゃれ合っていましたが、一匹だけ隅に座りそれを厭うように縮こまっていました。
店員に頼んで三匹を順番に抱きかかえさせてもらうと、先ほど仲良くじゃれ合っていた二匹は私の顔を見るなり尻尾を振って顔を舐めてきましたが、角で固まっていた一匹だけは、こちらと目も合わせようとしませんでした。
その時、周囲に馴染めないこいつは自分と同類だと直感して、我が家に迎え入れることにしました。
"フラッシュ"という名は、いかがなものだろうと思いましたが、三歳年上の兄上が命名したので甘んじて受け入れた次第です。
血統書に記された正式なJKC登録名は"Beat of Friend Pretty JP" (ビート・オブ・フレンド・プリティ・ジェイピー)という名らしく、祖先たちはドイツ本国のドッグショーで何度か優勝経験があるようでした。
ちなみに「血統書付きの犬」のことを富裕層にしか購入できないほど高価な犬だと思い込む人もいるようですが、ペットショップで販売される犬は須《すべか》らく血統書付きの犬であります。
国内の血統書付きの犬の管理は"一般社団法人ジャパンケネルクラブ"(JKC)の管轄で、犬の交配を行う際は雄雌双方が血統書付きでなければ正式な犬種としては認められず、ペットショップでの取り扱いも困難になる場合もあります。
しかしながら昨今ではミックスの犬も流行っていますし、愛玩犬として飼うのであれば犬の血統なんてものは無関係ですが、もし店側が客に対して"ゴールデン・レトリーバー"として販売した犬が実は雑種であった場合は「詐欺罪」に抵触するおそれもあるので遵守しなくてはなりません。
犬の純血を保つことにどのような価値があるのか判然としなくても、需要と供給があるということはそれもまた必要とされる分野であるということなのでしょう。
ちなみに随分と前より《メンデルの法則》における「優性遺伝子・劣性遺伝子」は、語弊を避けるために「顕在遺伝子・潜在遺伝子」という語に置き換えられたようであります。
1997年春。人類だけの持ち得る高度で複雑な言語野による誹謗中傷が一切通用しない英傑"フラッシュ"と桜並木を散歩!
ペロとフラッシュの記念写真。
一つ断わりを入れると、妻と出逢う以前の健全な交情の記念写真であり、いかがわしい点は皆無である。
▲左・娘の"ケモ耳ドジっ子メイド巫女カナスタシア"(通称:カナ)
◇中・花嫁"百合ゆりっぺリリィ"(通称:ユリ)
◆右・女房の尻に敷かれ苦悶の表情を湛える亭主"閃光爆裂犬FLASH拳志朗"(通称:フラッシュ)
「ノストラダムスの大予言」が大外れした1999年夏撮影。
人類だけの持ち得る高度で複雑な言語野による誹謗中傷が一切通用しない英傑フラッシュが我が家に訪れて二年の歳月が流れた頃、少々強気で高飛車なご令嬢ユリ様と婚姻し、子宝に恵まれました。
1998年頃の飼い犬関係
ある日のこと。フラッシュが近くの炬燵に座る母の膝の上に乗ろうと歩き出した処、それを見たユリに先回りされた。仕方なさそうに今度はクッションに座ろうと反対方向に歩き出したが、またユリに先回りされていた。
困り顔でフラッシュは私の方を見ながら「ぼふぅ……」とひとりごちていましたとさ。
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先に庭で飼っていたペロと、後から我が家に来たユリは仲が険悪だった。ユリが先にペロに噛みつき、返り討ちに遭ったこともあった。一方のフラッシュとペロは仲が良く、以前から何度も交尾を試みようとしていた。尤も、腰の高さが違うので未遂で終わった。犬にも性格の相性があるのだろうか。
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ある日、何となくフラッシュの口に手を入れてみたら、怪訝な顔をしてすぐ放してくれた。それでも懲りずに手をさし入れたら、今度は甘噛みを始めた。しかし、少しずつ噛む強さを強めるので「痛い」と言ったら、噛む強さを緩めてくれた。
それを何度か繰り返して、犬なりにどれだけの強さで噛んだら人は痛がるのか試しているのだなと感心しました。
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犬が何処まで人の言葉を理解し得るのか確かめた処、「御飯(餌)」や「散歩」と云った、自身の欲求や生存に繋がる単語迄は覚えられる事を確認出来た。
また、フラッシュが炬燵のコードを噛んで感電した際に「ビリビリ」という単語を教えたところ、その単語を聞くだけでも脅えるようになってしまったので以後、気を付けたい。
さらに犬の言語理解がどれほどのものか確かめる為、「食卓の肉は元々犬や人間と同じ哺乳類の肉」と教えようとしたが、少々難しいのか、あからさまに怪訝そうな顔をするだけなのでそっとしておく事にした。
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――人類が誕生する前。肉が主食の哺乳類は、トラやオオカミ等の肉食目(ネコ目)だけでした。
本来は多くの哺乳類にとって肉食目は天敵でした。
その天敵から逃れる���に、霊長類は智慧を振���絞り「木登り」を会得しました。
さらに"ヒト"だけが、道具を作り、それを駆使し始めたのです。
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■1999年8月"ミニチュア・ダックスフント四姉妹"誕生!
長女。父犬フラッシュの��少期と同じく、背に一本の黒い線のような毛色を持つ赤毛。安産にて誕生。健康状態や発育は良好でありました。
次女。姉妹の中で唯一の背中に黒毛がない綺麗な薄茶の犬。難産にて誕生。分娩の際に羊膜が半分ほど見える状態で産道に長時間留まり、生まれてもすぐに産声を上げませんでしたが、しばらくして奇跡的に仮死状態を脱して産声を上げてくれました。他の姉妹よりも体が小さく、母乳の取り合いの際はいつも競り負けてしまう目の離せない虚弱児でした。
三女。全体的に黒っぽい毛色。次女と同じく難産。分娩の際、逆子だったので引っ張り出した思い出があります。事前に買っていたオペ用のゴム手袋が役に立ちました。
四女。三女と同じく黒っぽい個体。安産で誕生しました。
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――時は明治時代。
徳川幕府の鎖国から開国政策に移行し、日独両国で通商条約が締結。
丁度その頃にドイツの狩猟犬M. ダックスフントも日本へ輸入され始めました。
それから月日は流れ、筆者が12歳の時分に飼育するM. ダックスフントの交配と繁殖に成功しました。
そうして産まれた虚弱体質の次女犬"カナ"を手元に残し、他の仔犬3匹をペットショップに売って得た《ブリーダー業》の14万円が筆者の初収入でした。
犬の発情期は半年に1度で妊娠期間は約2ヶ月。1度の出産で産まれる仔犬の数は4頭ほど。繁殖期ごとに40頭を売れば月30万円ほどの収入になります。オス1割に対しメス9割が理想の繁殖環境といわれるので、この場合はメス10頭に対しオス1頭が理想的な比率になります。
しかし当時の家庭環境では、そんなに多くの飼育は困難な上に、母体を危険に晒しながら産ませた子供らを売りさばくことに罪悪感を感じ、早々にこの《ブリーダー業》は廃業したのでした。
「生と死」は、対義ではなく表裏一体。
生まれたということは――いつか必ず死ぬということだ。
ならば産ませたということは――殺したことと同義になる。
法的には男女同権を目指すべきであっても、男と女では担う使命や資質が異なるから、お互いに出来る事と出来ない事があるが故にそれを補い合いつつも分かち合うのが理想的な社会であると常日頃から考えたりするようなしないような判然としない状態で今日に至る次第であります。
──僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
少しでも君を幸せにできたのならいいのだけど。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。
■『風のクロノア』(ナムコ, 1997年)
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・予兆
1999年当時に発売されたPS用ゲーム『クロノ・クロス』をプレイした日のこと。
前作『クロノトリガー』はSFC時代のスクウェアを代表する作品だっただけに、ファンの間で期待が大きかったようですが、正直「地味な作風だな」という感想でした。
そんなことを思いつつも気付いたら朝から6時間もプレイして兄にあきれられてしまいました。
戦闘システムやストーリーはとにかく、なぜだか登場人物の台詞がしばらく脳裏に焼き付いて離れませんでした。
「歴史は選択と分岐で成り立っている。自分で選び取ったものが新たな世界を創り、新たな未来を生み出す。しかし、何かを選び取るということは、同時に選ばれなかった他の未来を失ってしまう、ということでもあるんだよ」
「今日あるのものは、明日なくなるかも知れない」
「生きるということは、少しずつ死にゆくことでもある」
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▼英傑"フラッシュ"列伝
―《完結篇》─
・寸劇
「――どうやら生き残ったのは俺たちだけのようだな」
ついに私たちは敵に包囲された。
背中合わせの彼は構えの姿勢を取った。
「俺が囮になる。その隙にお前は逃げるんだ! 妻と娘を――よろしく頼むッ!」
そう言い残すと、彼は敵陣に向かって突撃して行ったのだった。
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・別れの曲
1999年10月24日。筆者が12歳の頃に、不慮の事故でフラッシュが亡くなった。1997年10月17日の出逢いから、僅か2年後の出来事だった。
最初は死の実感が湧かず「これは夢かもしれない。朝起きたら全て元通りに戻っているかもしれない」と思いながら、その日の夜は眠りに就いた。
しかし、深夜に目覚めて、まるで眠っているかのようなフラッシュの亡骸を改めて見て「これが現実なんだ、もう二度と会えないんだ」と理解した途端に、はじめて堰を切るように涙があふれ出たのだった。
飼い犬や家族が亡くなって泣いたのは、その時が最初で最後だった。
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■『テイルズ オブ ベルセリア』ストーリーの冒頭|YouTube
歴史の長い姉よりも、まだ幼いのに知識の豊富な金髪碧眼の弟!
『ベルセリア』はシリーズ初の女主人公とショタヒーラーを起用した異例の作品でしたが、Amazonレビューでも好評なのがわかります。
冒頭でライフィセットが朝起きる場面の「ベルベットのモーション」に驚きました。
まるで私がフラッシュをしつける時の動きを再現したかのようでした。
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▲歴代最後の飼い犬"ケモ耳ドジっ子メイド巫女カナスタシア"(通称:カナ)
虚弱で片目の視力も芳しくありませんでしたが、おっとりとした"やまとなでしこ"だったと慮る次第であります。
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1.千年、続きますように
『君が代』の原文は藤原定家(ふじわら の さだいえ)らが編纂《へんさん》した『古今和歌集第7巻(912年以前)』に記載されています。
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
現代語に訳すと「あなたは千代も八千代も長生きしてください。小さな砂利が悠久の年月を経て巌となり、さらにそれに苔が生えるほどまでも」
「わが君」とは、"皇帝"を指すだけではなく広義の意味も含むとされ、"主君"、"両親"、"親族"、"配偶者"、"友人"等にも当てはまり、敬愛する人に向けた長寿を祝福する歌とされています。
日本では古来より人は生まれ変わるものだと信じられていました。肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。つまり「さざれ石の巌《いわお》となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味として捉えられます。
忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となるという点です。ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力で団結したら、それは大きな「巌」となります。
つまりさざれ石は「きみ=男女」の結束で生まれる子供らや、新たに親戚となる者たち、その総ての人々が固く協力し合うことの象徴でもあります。
そうして最後に『君が代』は、「苔のむすまで」と締めます。苔は冷えきったり、乾燥したところには生えません。濡れていて、水はけの良いところに生育します。濡れたものと固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。
また、「苔のむす」のむすを漢字で書くと「生す」と書きます。生すとは子供を養い育てると言う意味合いがあり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり、徐々に広がりを見せるという子孫の繁栄を示しているというのです。
《神道》の中心にあるのは「生む」ことではなく「育てる」ということ。「苔の生すまで」とは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て繁栄させましょうという意味合いなのです。
すなわち「苔」とは、「きみ=男女」が互いにしっかりと結びつき、一緒になって互いに協力し合い、時には笑い涙を流し、長い年月をかけて生育する。
男女の慈しみと協力を意味します。
「きみ」=成長した男女が
「代」=時代を超えて
「千代に八千代に」=千年も万年も、生まれ変わっても
「さざれ石の巌となりて」=結束して協力し合い
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結び付こう
以上のように『君が代』とは、人類の持ち得る愛情を高らかに謳い上げた「祝辞の歌」だと慮る次第であります。
賛否両論あるかと思いますが、たとえばフランス国歌は「国のために心臓を差し出し盾となれ」というような内容なので、経緯はどうあれこの和歌の内容自体はずいぶんと平和裏だと思う次第であります。
『君が代』の作曲は幕末~明治前期の雅楽演奏者"林廣守"。編曲はドイツ人の音楽教師"フランツ・エッケルト"です。明治時代の日本にはまだ西洋和声・音楽理論の専門家がいなかったので、ドイツ人の音楽家によってオーケストラ編曲がなされたのです。
冒頭をC長調と仮定すると、長9度の音から旋律が始まります。この音使いは戦場のメリークリスマスや千本桜のサビ、《ビートルズ》のイエスタデイの歌い出しでも聴けます。途中のルートが半音階で動く箇所は、G長調として捉えると《D#dim - Em》というコードの流れとも読めます。このルートの半音階の動き(《#Ⅴdim7 - Ⅵm7》)は昨今のアニソンやボカロ曲のサビでも頻繁に聴けます。また、筆者がその昔にブログで取り上げたFountains of Wayneの《Stacy's Mom》のサビでも聴けます。
2.『平家物語』の冒頭
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
祇園精舎の鐘の音には諸行無常、即ちこの世の総ての現象は絶えず変化して行くものだという響きがある。沙羅双樹の花の色は、どれだけ勢いが盛んな者も必ず衰えるという道理を表す。世に栄え得意になる者も、その繁栄は永久に続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んな猛き者もいつか滅び去り、まるで風に吹かれる塵と同じようである。
3.釈迦
紀元前5世紀前後の北インドで釈迦(シャカ)族の王子として生まれた“釈迦”(後の仏陀)は、子供の頃に城下町で老い・病み・死にゆく者たちを見てこの世の無常を覚ったのだとか。
それ以来、思い悩み塞ぎ込むようになってしまった釈迦の将来を案じた国王は、釈迦が16歳になる頃に隣国の姫と結婚させた。
そうしてしばらくの間は平穏を取り戻したかのように見えた釈迦だったが、19歳の頃に息子が生まれてからまた何かを思い詰めたように表情に影が差し始めたのだった。
「人は老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見て考え込んでは嫌悪した。そう考える自分もまた老いゆくもので、その宿命は免れない。私はこのように『病』『死』を観察して、健康時における健康の意気はまったく消え失せてしまった。そうして生存時における生存の意気もまったく消え失せてしまった」
(中村元『ブッダ 釈尊の生涯』中村元選集第 11 巻、春秋社)
この世の総てのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する。目に映るもの、形創られたもの《色》は、実体として存在せずに時々刻々と変化するものであり、不変なる実体は存在しない《空》。仏教の根本的考えは因果性《縁起》であり、その原因《因果》が失われたら、たちまち現象《色》は消え失せる。それが「色即是空」である。
《此》が有れば《彼》が有り、《此》が無ければ《彼》が無く、《此》が生ずれば《彼》が生じ、《此》が滅すれば《彼》が滅す。
《見られる人》がいなければ《見る人》はなく、《読む人》がいなければ《書く人》はいない。
諸行無常、すなわちこの世の総ては移り変わるもので何一つ確かなものはなく、富や名声、愛する人の命も永久には続かない。
釈迦は29歳の頃に安逸な生活に留まらず、人生の真実を追求するために王子の地位を捨てて出家したのだった――
4.馬の耳に念仏
「馬の耳に念仏」とは、馬に念仏(お経)を唱えても馬の頭では理解に及ばないという意味合いの諺ですが、そもそも人間に生まれたところで坊さんに読経されたとしても、ほとんどの人類にとって理解不能なのが念仏なので「人類の知能は馬に等しい」という意味合いにも受け取れてしまうのではないでしょうか。
人類史において真っ先に文明が発展した国々の共通項として、"馬"を活用していたことが挙げられます。車のない時代では馬が車の役割を果たしていたからです。荷車を数頭の馬に牽引させれば馬車になり、それを戦場で応用すれば戦車にもなりました。つまり当時は車・電車・貨物車・戦車として馬は必須だったのです。
ちなみに日本では4世紀末頃に中国大陸より騎馬の風習が伝わって6世紀には広まり、武芸の一つとして「弓馬の術」が、鎌倉時代・室町時代以降に盛んになり諸流派を生みました。しかしながら、戦国時代・関ヶ原の戦いを経て江戸時代には戦のない世になり、数百年後には黒船が到来し、明治時代に政府は兵制の改革を行い、日本式馬術は採用せず洋式馬術が取り入れられました。
これにより古来より日本にあった馬術はほぼ廃れ、現在は一部の研究家が実践するに留まっており、時代劇や大河ドラマなどの乗馬シーンのほとんどは、🇬🇧ブリティッシュ(イギリス式)馬術か🇺🇸ウエスタン馬術が用いられます。
■暴れん坊将軍 第一話[公式]|YouTube
カルマ(業)
■ Bump Of Chicken - "カルマ"|YouTube
排卵や受精について歌っているのではないかと諸説のある曲。
インド哲学の《仏教》におけるカルマ(業)とは、行為や所作、意志による身心の活動や意志による生活を意味する語。仏教、及びインド発祥の宗教では、善悪の業を作ると因果の道理によってそれ相応の苦楽の報い、果報が発生するとされます。
インドには宗教と哲学の境界線がなく、またこれを東洋哲学とも呼びます。仏教はすべての結果について「偶然による事物の発生」「原因なく事物が突然、生じること」「神による創造」を否定し、その因果応報を説きます。カルマの思想はインド発祥の宗教と道教において輪廻転生(生まれ変わり)と強く結びつく概念で、これらの説では善因善果、悪因悪果をもたらすとされます。
16進数
Google、Microsoft、Adobe等など世界を牽引する著名なIT企業におけるCEO(代表取締役社長)はインド系アメリカ人の方が多いようです。筆者の認識では「0の概念」や仏教発祥の地がインドであり、その他にも義務教育(算数)の学習が4歳から始まり、小学二年生の段階で20×20までの暗算を覚え、小学校を卒業するまでに三桁の掛け算の暗算を会得すると聞き及んでいます。インド人は関節のしわを用いて、片手で16まで数えられますが、それが16進数の礎になったようです。
16進数とは、0から9までの10個の数字と、AからFまでの6個のアルファベットを使って数値を表現する方法。16進数では一つの桁において0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、A、B、C、D、E、Fと並ぶ16個の数値を扱うことが可能で「A」が10進数における「10」に相当し、「F」は同じく10進数の「15」に相当。「F」の次は位取りをして1桁上がり「10」となります。
日常生活では0から9までの10個の数字を使った10進数が主に使われますが、コンピュータでは2進数と並んで16進数を扱うことが多く、ASCIIコードや日本語の文字コード、色を示すカラーコード等は16進数を使用します。
16進数の3F7Bを10進数に変換すると4096×3+256×15+16×7+1×11=16251になります。また、10進数の12345を16進数に変換するには次のように計算します。
12345=4096×3(余り57)
57=256×0(余り57)
57=16×3(余り9)
9=1×9(余り0)
10進数の12345は、16進数では3039になりますが、わざわざこのような計算をしなくてもweb上には10進数と16進数の相互変換サイトがそこら辺に転がっているので、異なる進数間での変換が必要な際はそちらを利用すればいいでしょう。
■2進数、8進数、10進数、16進数相互変換ツール
その数値が16進数であることを示すために、3F7B(16)や0x3F7B、3F7Bh、&h3F7B、$3F7Bのように記述することもあります。なお、AからFまでの6個のアルファベットは小文字で表記してもいいとのこと。
プログラムや遺伝子は「1《有/優性遺伝子》」「0《無/劣性遺伝子》」の二進数で表記されることが往々にしてあります。インドが「0の概念」を発見していなければ、コンピュータのプログラム表記は今と大きく勝手が違っていたのかも知れません。
ちなみに世界中の人類が使用する数字(1, 2, 3)は、インド数学に起源を持つ「アラビア数字」です。
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▼英傑"フラッシュ"列伝
―《俺の屍を越えてゆけ》―
🌸"さくらみこ"に轢かれる"米津玄師"|YouTubeショート
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■Bump Of Chicken "車輪の唄"|YouTube
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■"リリィ"|YouTube
インディーズ時代最後のアルバムにして金字塔『THE LIVING DEAD〈2000年発表〉』収録曲。'00年代初頭の"FLASH"(フラッシュアニメーション動画。Flash Player 6以降を利用してインターネット上で動画を配信するために利用されるコンテナ型のファイルフォーマット。元はマクロメディアが開発していたものを、アドビ・システムズ(現Adobe)が会社ごと買収した。Flash VideoはSWFファイルの内部に埋め込まれる場合もある。なお、アドビによって定義され、Flash Playerが対応している動画ファイルフォーマットには異なる「FLV」と「F4V」の2つが存在する。Flash VideoフォーマットはYouTubeやGoogleビデオ、Yahoo! Video、ロイターを始めとした多くのニュース提供元などで次々に採用され、Web上における埋め込み動画の形式としてその地位を確立したが、Adobe Flashの終了に伴い、現在は非推奨)全盛期において、某大型匿名掲示板で"バンプオブチキン"の楽曲(『K』『ラフメイカー』『ダンデライオン』等)を基にした「歌詞字幕付きFLASH動画」が著作権的な問題を差し置いて流行り、意外にも"お絵描きを嗜むネット民"等からの絶大な支持を獲得するに至りました。
前作まで歌詞の題材は若人特有の「夢」や「情熱」の類が中心でしたが、さり気なく今作のアルバム曲として盛り込まれた楽曲『リリィ』を始め、アルバム『THE LIVING DEAD』以降の作風では「童話(物語性)」や「出逢いと別れ」「死生観」を題材にした同世代とは異質の作詞法を、この頃より確立したのだと思われます。
そうこうして年末恒例のCDJ(COUNTDOWN JAPAN)を除く、すべての民放のテレビ出演オファーを拒否しながらも、チャート上位を維持し続ける謎の怪物バンドに成長を遂げるに至りました。
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■"R.I.P."|YouTube
「母の日の朝」「父と尻尾の付いた友達の墓」という箇所で、幼い頃に母親が亡くなったことを示唆しています。その経験が一種の死別に対するトラウマになっているのであって、ただ単に「猫」や「親」が死んだことだけが悲しかった訳ではないのだと解釈できます。
「子供の頃、親に手を引かれて催事場までヒーローショーを観に行った時、自分は世界で最も幸せだと思ったけど、君といる今の方がそれよりも幸せだと感じる。地球で一番幸せだと思ったあの日の僕に君を見せたい」
でもそれと同時に「この幸せも永久に続くものではない」という恐怖心を、この歌の主人公は抱えているのだと慮る次第です。
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■"新世界"|YouTube
初めてこの楽曲を拝聴した時、「バンプオブチキンって象徴的に『愛』とか歌うバンドだったっけ?」と訝しく思いましたが、総合的に鑑みて喪失したくないという感覚によって輝くのが「新世界」ということなのでしょう。
歌詞に出てくる寝起きについての内容は、老人の持つ些末な不安のようですが、人は無意識の内に愛するものを失いたくないと思うからこそ今を大切に思えます。
《抜け殻》とは「喪失」や「死」を想像できると同時に「魂の抜けた肉体」も想像できます。そう考えると《待ち合わせしよう》とは「魂だけになったら一つになろう」と解釈ができます。
愛について説明するには生きている部分だけではなく、死生観や生命の根源的なところまで遡る必要があります。
世界には「見える世界」と「見えない世界」の相反する二つの世界が存在し、この二つがそろって初めて世界は成り立ちます。
見えない世界を信じられないという人もいますが、「��念」や「愛」のように目に見えない存在は数多くあります。
「愛」と言ってもその定義は様々ですが、欧米化して表向きは恋愛結婚が正当だとされる昨今では「恋愛」から「恋人」になり、それから「夫婦」になり家庭を築くのが定石でしょう。
邦楽の歌詞に頻出する「愛」とは、"恋愛"や"恋人"の段階を連想されることが多いようですが、人々の"愛"における目的地や終着点は「愛情」や「家族愛」にあるのだと思われます。
さらに踏み込むと「博愛」や「慈悲」にもなりますが、それは"マザーテレサ"級の博愛主義者が持ち得る話なので、大多数の人々にそこまでの理解は不要でありましょう。
ちなみに「恋愛」「結婚」「セックス」は別問題なので、お金で「結婚」と「セックス」はできますが、清純な「恋愛」は機会に恵まれないと中々できないと慮る次第であります。
事象には必ず"ポジティヴ"な部分と、"ネガティヴ"な部分があり、二つは重なって一つになります。
東洋思想(仏教・儒教・道教)の「太極図」で謂うなら、陰と陽が重なって一つの円になるように、ネガティヴな部分がなければその存在は浅薄な嘘になります。
「生と死」のように死のない人生は決してないし、「獲得と喪失」のように、喪失がなければ失うまで大切にしたいという気持ちは芽生えません。このように相反する二つの事象��あるからこそ物事に理由が生まれます。"今"が輝くのはきっとそういう仕掛けがあるからなのでしょう。
人生は泣いたり笑ったりするからこそ輝くように、一般的にネガティヴとされる「死」や「喪失」を認めることができた時に初めてすべては意義を持ち、二つの相反する事象を受け入れられた時に見えるのが「新世界」なのだと思います。
人は生まれた時に"生"を与えられ、その瞬間から既に生命を獲得した状態から始まるのと同時に、"死"という喪失の可能性もまた始まっているのでしょう。
「先進国で性風俗があるのは日本だけだから撤廃すべき」と宣う輩もおりますが、他の先進国(白人の国々)は「宗教上の理由」で性風俗を禁止しているのであって、本来は《キリスト教》とは無関係な日本がそれを模範する道理はありません。
ヨーロッパ人種の主要な宗教である《キリスト教》では、男女の結婚は神との契約の形でおこなわれるのはさておきまして、欧州から渡来した「貞操観念」が定着する江戸時代以前の日本では、男女ともに「経験人数は多ければ多いほどいい」とされており、十代前半になれば男女は初体験を迎えていたようです。
京都や江戸と異なり、遊郭(政府が管理・運営する性風俗)などもない山陽地方の田舎では、夜這いが正常な異性間の交渉とされ、それにより子供を身籠れば、女性の方から複数の相手から一番好きな殿方を選び、それを正式な夫だと宣言すれば血縁関係と認められていたとのことです。
明治時代頃までは中学生ほどの年齢にもなって未経験なのは相当恥ずかしいことだったらしく「14歳にもなる処女が風呂屋の前で男性客に『ちぎってくださいまし』と手あたり次第に声を掛けていたので、往来を行く男性客が困惑していた」というような話題も当時の性風俗に関する書籍に記述されていたようです。
ちなみに明治時代までは普通だった銭湯の混浴風呂を欧米の要人に見せたところ「日本人の精神年齢は12歳程度だ!」と酷評されたのをきっかけに、都市部の混浴風呂は廃止されたのだとか。
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アルバムジャケットに描かれた人物は、楽曲『ラフ・メイカー|Spotify』に登場する「泣いている人を笑顔にするために現れる謎の語り部"ラフ・メイカー"」ご自身とのことです。
■『THE LIVING DEAD〈2000年発表〉』プレイリスト|BUMP OF CHICKEN - YouTube公式チャンネル
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嫌われ者のライオンが吊り橋を渡った先で出逢ったのは、生涯の友人でした――
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「私たちはまた再会できると確信(sure)しています」というコーラスのリフレインが印象に残ります。
この曲はボーカルのBradleyさんが、自身の死産だった子供に捧げたレクイエムとのことです。
このアルバムを最後に、毎回ジャケットを飾ったマスコット的なキツネは姿をくらましました。
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“ドーベルマン”は、シャープな体躯となめらかな短毛が芸術的までに美しく完成されたドイツの中型犬です。
歴史は比較的新しく、19世紀後半に“ドーベルマン”氏によって攻撃力のある護身用の犬として品種改良により作出されました。基礎となったのはロットワイラーやドイツ・ピンシャーなどと伝えられています。
外見のイメージ通り、敏捷性に富み、気性は大胆で警戒心が強く、飼い主以外には気を許さない面もありますが、訓練はしやすい犬です。
日本には明治時代の1920年代に輸入され、30年代には軍用犬の指定を受けました。戦後は警察犬としても使用されましたが、近年は飼育者の減少が見受けられます。
『旧約聖書』
「降って止まない蛙」とは、『旧約聖書』出エジプト記8章2節モーゼの十災。奴隷としてイスラエル発祥のユダヤ人を迫害したエジプト王に、天罰として天からカエルを含めた十の災難を神が降らせたエピソードより。カエルは罪と贖いの象徴でもあります。
まず始めにギリシア語で書かれたキリスト教『新約聖書』の前身となるユダヤ教『旧約聖書』はヘブライ語で書かれました。ユダヤ教徒は園児ほどの年齢から聖書で読み書きを覚えていたのだとか。一方の日本は、江戸時代まで人口の5%だけしかいなかった公家などの神道における上層部や商人しか読み書きを教わる機会がありませんでした。
イラクはアラビア語を公用語とするスンニ派アラブ人の住むイスラム教の国で、イランは白人の祖先シーア派のペルシャ人も住む中近東の国です。「アラビア語を公用語とするイスラム教徒の国」がアラブの定義なので、公用語がペルシア語のイランや、ヘブライ語のイスラエルは、精確にはアラブではなく中近東に区分されます。
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