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#薪ストーブを楽しむ家
aa-labo · 2 years
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おはようございます。 穴橋の家|愛知県春日井市 リビングスペースから薪ストーブのある玄関土間を見たところです。 2階の奥に見える窓は子供部屋のもの。リビングから子供部屋の気配が何となく感じられるように。 #穴橋の家 #薪ストーブを楽しむ家 #薪ストーブ #玄関土間 #吹抜け #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家 #建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/Ckg7sJ-PI3y/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ichinichi-okure · 8 months
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2024.2.10sat_tottori
今日の朝ごはんはパンケーキにする。 生米をコーヒーミルで挽いたかなり粗めの米粉と市販の小麦粉を半々。砂糖、塩、豆乳、重曹と酢。 重曹で膨らませる方法は初めてなので軽く調べる。少しでいいらしいので小さじ1くらいの気持ちで適当に。 フライパンに流し込んだ時点でいつもと違う質感になっていて嫌な予感がする。 フタをしてコーヒーの準備。miepumpの1月のブレンドと、パータンで買ったデカフェ。 焼けたパンケーキはどら焼きみたいな質感になっていた。美味しそう。妻のあみこと生後8ヶ月になる寧子が起きる。 自家製の豆乳クリームを添えて。 めちゃくちゃ苦い。びっくりした。豆乳クリームがなかったら食べきれなかったと思う。重曹を入れすぎたみたいだ。
昨日に続いて冬の山陰には珍しくいい天気だ。 飼っている鶏を畑に出し、小屋の床と発酵飼料を撹拌する。 晴れているので畑の玉ねぎとにんにくに一つまみづつ米ぬかの補いをしていく。この野菜たちはどうも元気いっぱいな感じに育てられたことがない。どっちも好きな野菜なのでこれからに期待したい。 作業していると飼い猫のミミが傍で毛づくろいを始めた。あみこは横の小川でおむつを洗ってくれている。背負われている寧子は畑を歩く鶏を見ている。
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昨日伐採した庭の木を整理するために新しく薪棚を作り積んでいく。 そのあと畑の奥の荒れ地にあるフキノトウをみんなで採りに行くことにした。昨日の夜食べた天ぷらが忘れられない!飼い猫のミミも付いてくる。 畑からカブと白菜を収穫する。 白菜だと思って育てていた野菜は切ってみるとチンゲン菜に見えてきた。付け根のあたりは白菜っぽい。交配したのか親の形質が出てきたのか?夜食べるのが楽しみ。
昼ごはんはアジとローズマリーをオリーブオイルで煮た自家製の"オイルアージン"とエリンギ、フキノトウのパスタ。めっちゃ美味い。 洗い物をしながらあみこが「ちょっと苦かったね」と言う。 フキノトウのことか朝のパンケーキのことか分からないまま「たしかに」と返す。
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昨日今日の陽気にあてられて身体が汗をかく喜びを思い出してる。フキノトウとの生活も始まった。春がそこまで来てる。
制作を始める。僕は彫刻を、あみこは陶芸を。 これが僕たち家族の生業だ。 どちらかが寧子を背負ったり、遊び相手をしながらちょこちょこと進める。
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17時にあみこは予約していた歯医者へ向かう。 さいわい寧子は寝てくれていたので背負いながら制作を続ける。ストーブの火を絶やさないように。
機嫌よく帰宅したあみこ。寧子が寝ているからか大きな口パクで何か言ってる。 どうやら虫歯は一つもなく、歯石もないと褒められたらしい。歯の痛みは知覚過敏によるもので「あいうべ体操」をしていたら大丈夫とのこと。大丈夫か? トイレから「あーいーうーべー」が聞こえる。
夜ごはんはカボチャとカブのグリル 自家製豆乳マヨネーズ添え、白菜かチンゲン菜かと鶏手羽の三五八煮、ぬか漬け。 めちゃくちゃ美味い。
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カボチャは日持ちしない小さいものから食べていたからか、ラグビーボールくらいの大きさの今日のカボチャはとても濃厚な味がする。カボチャは畑のコンポストから勝手に芽が出たものを育てていて、今回で3年目になる。皮の色から形まで様々な姿を見せてくれて、味もそれぞれ。豆乳マヨネーズとの相性が最高。 白菜なのかチンゲン菜なのかわからない野菜は8:2でチンゲン菜ということに決着した。 この野菜の名前は何にしよう。ともかく鶏手羽の旨味が染み込みまくっていて最高。三五八(塩麹)は調味料として優秀すぎる。
春が来たらこのチンゲン菜寄りの白菜のような野菜も種を採り、その種を秋に蒔く。 来年の今頃はどんな姿をしてるだろう。その前に春の菜の花はどんな味がするかな。
-プロフィール- 中川亮二 28歳 鳥取 彫刻家/百姓/フベン https://www.instagram.com/fuben_paddling フベン 陶器と彫刻を起点に、便利さや機能性にとらわれない人の手によるいびつさを取り入れた生活を提案しています。 周囲の植物や生物とともに生きる生活者として、無理のない持続性をテーマに陶器と彫刻の制作と販売、家庭菜園や米作りなどを行っています。
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doglok · 8 months
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冷たい雨の日|猫と薪ストーブ|雪国の古民家での冬の楽しみ|テントと自作のハンモックでキャンプのように炎を楽しむ猫のマサ 猫のマサのために作ったハンモックを薪ストーブの前に置いてみました。薪のはぜる音やくつろいでいるマサの様子をお楽しみ ... via YouTube https://www.youtube.com/watch?v=h12uGZvT5K0
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beso · 1 year
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田舎に住む意味って田舎でしか享受できないモノを堪能するほかに何かあるだろうか。逆に都会で住む人は都会のそれ。 だけど、お互い無いものねだりで、田舎に住む人は都会のそれを欲しがったり、都会の人は田舎の遊びをオシャレにアレンジして休日に一生懸命やるよね。 生活を楽しむという事をベースに、住むところを関係なく選んで動ければ、日本は意外と広い国で気候から食べ物からの違いを選べるくらい選択肢が広いと思うし、 そうやったら東京から適度に人は減り、過疎の町に適度に散らばると思う。もう田舎にいたほうがい絶対、って人沢山いるもんね。 オシャレなキャンプとか無くなるんじゃないだろうか。 あれは都会から田舎に逆輸入されてきたというか。 でも生活って縁あっていつくわけで、縁がないといる意味も見つけなきゃいけないしね。 だから田舎に住んでて、薪ストーブついてないとか、、 意味わかんない笑 畑やらないとか。 山菜採りにいかないとか。 それでおいしいもの作らないとか。 釣りしないとか。 鶏飼わないとか笑。 東京に出張に行くとタワマンの山脈と灰色のキリッとしたビジネスマンの波に流されながらいつも「とはいっても俺薪ストーブで暮らしてるしな」とか「家の前でサウナ入り放題だしな」とか「なんだかんだ言って俺の方が日々うまいもん食ってるしな」とか「俺、、木の名前とか知ってるし」とか笑 俺の方が完全に豊か(完全に俺の価値観だけで 笑)だって思うもん。っていうかそう思わないとその波を渡っていけない 笑 何も田舎がソフィスティケートされていくこと無いよね。田舎の良さバンバン出していかないとさ。誰よりもワイルドになろうよ。 田舎に住んだら家に露天風呂つけるの目指したりしよ。 庭で焚火できたり。 薪ストーブは迷ってるとかじゃなくその入り口で、マスト。 後は薪ストーブがあるという環境があなたを変えてくれるから。
田舎に住む意味 – 函館の薪ストーブ・メイスンリーヒーター・薪サウナ firepit(ファイヤピット)
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canty-essay · 2 years
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冬仕度
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 薪ストーブを毎晩つける季節になると、日々の焚き木拾いに精を出す。薪ストーブ用の薪は太くて大きいので、マッチでいきなり火をつけようとしてもてもつかない。最初はストーブの中にひねった紙を置き、その上に燃えやすい竹串か鉛筆ぐらいの細めの枝を積んで、まず紙の方にマッチで火をつける。火吹き竹をふーふー吹いて、火が小枝に燃え移るようにする。よく乾いた小枝だとすぐ火が燃え移り、上昇気流が起きて、煙は煙突に吸い込まれていく。火に勢いがついてきたら、もう少し太い枝を次々に放り込む。二十分ほどしてストーブの外側についている温度計が300度になったら、ここで初めて太い薪を入れる。その時はストーブの空気孔は閉じて酸素を減らして、太い薪がゆっくりと燃えるようにする。
 太い薪の方は、移住してきた年の初めての冬は、軽トラ四杯分を買った。翌年からは、夫と息子が林業グループに入り、伐採のお手伝いをして(と言っても木を伐るのはベテランの人たちで、夫と息子は枝を拾ったり集めたりの仕事)、帰りに薪を分けてもらったり。古い納屋を片付けるので手伝いに来てと言われて、中にかつてそこのおじいさんの作った大量の薪があって、そのお宅にはすでに薪ストーブはなかったので、全部持ち帰らせていただいたりと、こちらでは薪を手に入れられる情報にいつも気をつけてアンテナを張り巡らしている。また家で薪割りした分も、一年乾かしてから使うので、常に先を見て準備していく。
 最初のスタートと温度をどんどん上げるために燃やす小さな焚き木拾いは、日常生活の一部になっている。近所にはたくさんの木が生えているので、愛犬るりの散歩の時に、大きな布の手提げ袋を持っていく。この手提げは、昔子どもたちが小さかった頃、図書館に通っては三人分の絵本や紙芝居を借りるときによく使っていたものだ。厚い木綿地の丈夫な手提げだが、取っ手は修理して、別の布を当ててある。これを持って散歩して、道々落ちている小枝を拾うのだ。
 ご近所に、日本人の方の住まいだが「TARA」と洒落た立て札のあるお家があって、その家を過ぎるとずっと林になっている。我が家ではそこを「タラ裏林」と呼んでいて、車の通れない小道の続く林になっている。そこで竹串ぐらいの細い枝から、すりこぎぐらいの太さの枝まで、歩きながら次々と拾っていく。降り積もった落ち葉で隠されている枝もいっぱいあって、それを宝探しのように見つけては手提げに放り込む。毎日同じ道を歩いても、木たちも日々新陳代謝をしているので、毎日のように古い枝を落としている。強い風の吹いた次の日は、あっという間に手提げ袋がいっぱいになる。杉や松の枯れた葉っぱのついた枝も、大変良く燃えるので必ず拾う。針葉樹は油を含んでいるのでよく燃えるのだ。
 子どもたちが、もしまだ小さくてここで暮らしていたとしたら、喜んで焚き木拾いをしたことだろう。先を争って、誰の手提げが先にいっぱいになるか競争していたかもしれない。もう大きくなってしまった子どもたちの幼い頃の顔を思い浮かべる。あの頃週末だけでもこんな場所に来ていたらと思うが、当時夫は毎日深夜まで働いており、とても週末に出かける元気はなかっただろう。
 あるいは、もし子どもたちがずっとここで生まれ育っていたら楽しかっただろうなとも想像するけれど、そうしたら焚き木など拾うのには飽きて、東京ディズニーランドに行きたいなどと言っていたかもしれない。この辺りでもいくらか子どものいるうちはあるけれど、スクールバスで学校から帰ってきた後に、林で遊んでいる子どもや親子の姿を見たことはない。
 ご近所に住む人はたいてい家に薪ストーブを備えているので、みんなこぞって焚き木拾いをしているかと言えば、全然そんな姿は見かけない。みんなどうやって薪に火をつけているのかしらんと思うけど、オガクズを圧縮したすぐ火がつく着火剤などの商品もあるので、そういうものを使っているのかもしれない。
 前時代的な我が家では、大きな袋を持って、更にこちらに来てフリマで買った昔ふうの竹でできたしょいこを担いで拾いに行くこともある。昔読んだ物語の中では、継母に言われて寒い吹雪の中焚き木を拾いに行く話もあったように思う。そんな物語の主人公になりきって、一生懸命焚き木拾う自分が可笑しい。
 しかしちょっと前まで、人間は暖を取るため、煮炊きをするためにけっこう必死に焚き木拾いをしてきたのだ。この辺りは縄文時代には多くの集落があったそうだ。男たちは狩猟に出かけ、女子供は焚き木拾いや、食べられる木の実やキノコ集めをしていただろうか。それから何千年も後の自分が、林の中で太古の昔の人の気持ちを味わおうとしている。
  焼きりんご作り
 薪ストーブを使うのも三年目になり、だいぶ慣れてきた。近所の果樹園を持つ友人のところで、地面に落ちたりんごをたくさんいただいたので、生で食べるだけでなく、せっかくストーブがあるのだからと、焼きりんごを作ってみることにした。
 最初はりんごを銀紙で包んで、ストーブの上に置いてみたが、思ったほど火が通らなかった。では今度はと、銀紙に包んだりんごを小さい土鍋に入れてストーブに置いてみたが、それはまだ蒸しりんごだった。
 その次に銀紙に包んで、ストーブの中に入れてみた。すると今度は皮がだいぶ焼けて、焼き芋のような風味になって、なかなかおいしかった。次の日も同じようにしてみると、それはいぶりがっこになって、もはやりんごの味はしなかった。ちょっとした火加減や加熱時間の長さで変わってしまうようだ。
 ネットにいいヒントはないかと探してみると、りんごを濡らしたキッチンペーパーでくるんでから銀紙で包んで焼くとあり、やってみると失敗が無くなった。ストーブが300度になってから、50分ほど入れておく。夜それをやって、翌朝いただく。種と、わずかな硬いところを除いて、ほとんど全部食べられる。好みによってシナモン少々振りかけてもおいしい。
 
  土鍋愛用
 ある時、土鍋でお味噌汁を作ってみると、大変なおいしさであった。それまではたいていステンレスのお鍋か、大量に作る時はアルミの大きな大きなお鍋を使っていた。同じ材料と作り方なのに、お鍋が変わるとこんなに変わるとは! 
 土鍋についていた説明書を取り出して改めて読んでみると、土鍋は金属鍋に比べると非常に多くの遠赤外線を出しているので、食材の中心部に早く熱が伝わる、と書いてあった。読んだだけでは、わかったようでわからない。遠赤外線という言葉はよく聞くけれど・・・
 ともかく味噌汁で気をよくしたので、何を料理するのにも土鍋を使ってみる。最近昔の同級生のライングループで、おでんが残り少なくなったら、その煮汁と具材を細かく切ったので炊き込みご飯を作るという話題が出ていたので、早速作ってみる。お米を研いでおでんの残りと合わせ、お醤油少々を足して水加減して土鍋で炊く。大変おいしいご飯ができて、胡麻と海苔をかけていただく。
 ますます土鍋に気をよくして、大中小と取り揃えた。さらに、物置にしまっていた釜飯弁当の釜も仲間に入れた。よく炊飯器で麹を使って甘酒を作るのだが、温め直すのに今まではステンレスの小鍋を使っていたが、使い終わった後こびりついてしまうので、たわしでガシガシ洗う必要があったのだが、釜飯の釜で温め直すと、後はするりと洗うことができる。
 豆を煮るのに、ずっとアルミ製の圧力釜で煮ていたのだが、それも短時間で煮えてよかったが、土鍋でコトコト煮た方がなんだかおいしい気がする。
 台所は土鍋オンパレードとなった。難点は場所を取ることだ。またお鍋のお尻の水気をよく拭いてから火にかけないと、あえなくぱっくりと割れてしまうこともある。一番小さい土鍋はぱっくりいってしまい、買い直した。
 以上の料理はあたかも私が調理しているような書きぶりだが、全て夫がやっていることをお断りしておく。
  2023年1月
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wasite · 2 years
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WASITE.store 2023/01/24 now OPEN 今日の海 日本全国で天気が劇悪! 沖縄では強風が暴れておりますw 7年前の今日には 沖縄本島で、観測市場初となる 降雪が観測!(2016年) うちの店の外看板が 吹っ飛ばされて壊れた日でもありますw そんな大荒れの1/24。 こんな天気が悪い日は、 家に閉じこもって あったかく過ごすのがベストですが、 閉じ込もるそこは 「密室」 密室といえば、 推理もので「密室殺人事件」 というわけで 1864年の今日誕生 イズレイル・ザングウィル(〜1926) イギリスの推理作家で、 最も古い密室殺人小説「ビッグ・ボウの殺人」を書く!!! みんなは密室に入ってしまったことはある? 私は18年前の今頃 熊本の阿蘇山で、 雪の山荘に閉じ込められたことがある。 別に事件的なことは何もないからねwww ただ、阿蘇のカレー屋で行われた ライブの帰り、降雪によって道が封鎖! どうする!? って時に、知り合いのご縁で ログハウスに住む音楽家のお宅に、 何人かで数日お世話になったって感じ。 雪と倒木で塞がれた道! 携帯の電波は届かない!(確か) 食料は少なく見積もっても3日分。 そこに大人7人、子供4人の運命は!? 「ねぇ、チェーンソー貸して」 と前触れなく現れるご高齢者。(ご近所さんw) ちょっと目を離すと、 外で笛吹いてる高齢者のご近所さん! いろいろカオス。 いや〜、あの時は本当にお世話になりました。 (熊本のロクさんご一家・風さん・ちかさん) そんでまぁ 雪山の中じゃ何にもやることないから とにかく暇を潰そうって 近くにある楽器を適当に持って ジャムるわけ。 暇を持て余し ダラダラしたリズムや ロックになったり 薪ストーブで煮込むシチューのように とにかくジャムる。 煮込む���いえば 今日のイズレイル・ザングウィルは 多種多���な民族が混在している都市や状態を 「人種のるつぼ」 と表現しました。 かつてはアメリカを象徴する言葉でしたが、 現在はちょっと違う。 混在しているんだけど 混じり合うことはない多文化主義、 それを共立共存を強調し 「サラダボウル」 と言う事の方が今は多い。 これは都市や国家の姿勢によって、 言葉が変わり、 カナダもまた多民族国家ですが、 「一つの皿に入れる」 と言うことを強要せず、 これによって 「パッチワーク」 と表現したりもする。 人は世界という点描画の中の 「ひとつの点」とも言えるし、 遠くから広い視野で見渡すと1枚の絵になる。 しかし、一つの点も、ただの点ではなく 1次元の広がりを持つ「弦」である。 そう考える「弦理論」! そう考える理論物理学者が 1947年の今日誕生 ミチオ・カク! 日系アメリカ人で76歳のバースデー! おめ!!! この弦理論。 何を解決したかと言うと、 ちょっと前に「粒子」の話ししたじゃん!? 素粒子。 ちょっとわかりづらいけど、 イメージで聞いてね。 粒子と粒子の距離が、 ゼロ の時、相互作用は 無限大になってしまう! はい、意味わからん〜。 けど、もう少し聞いて。 粒子は「点」じゃなくて、 「弦=ひも」 だから、 弦は「振動」している。 (ギターの弦をイメージ) 振動は振動と重なると 共振したり、打ち消しあったりする。 とにかく、点はただボールペンで チョン、って紙に押し付けた点ではなく、 中で振動しているヒモなんだってこと。 私たちも点描画のただの点じゃない。 それぞれに鼓動して、 DNAの2本の紐が構築する 「個」の存在です。 距離感ゼロで出会えば 共振して共鳴してお互いに高め合う。 その可能性、相互作用は無限大です。 超弦理論!!!(なんだと思うw) とまぁ、勉強できない、 ミステリー映画には翻弄され、 推理小説には大いに裏をかかれ、 壊滅的に理解力のない私ですが、 目の前のお客様の調香には、 弦を共振させて香りをお作りしております。 ですが、今日みたいな天気の悪い日、 本州の降雪地帯、 不要不急のお出かけは控えた方が良さそうです。 シチューでも煮込んで 暖かくしてお過ごしくださいね。 というわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! 今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CnycelEv-XQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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abeya38 · 2 years
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(三洋産業 |コーヒー店カフェ開業支援(焙煎機などの指導)、コーヒーフィルター、充填加工、PBオリジナルブランドを支援から) ◇----------------------------
私は最近、お家珈琲にハマつてゐる。まだ焙煎はしてゐない。 そもそも全くの素人だし、珈琲如きの味だ香りだの、特に拘りもない積りではある。むろん珈琲自体は嫌ひではない。むしろ好きだが、なんだか専門的すぎて面倒だし、最終的にはウイスキーを入れて飲む爲のものといふ認識であつた。 それが、アウトドアの付加価値として、何気に安価なコーヒーミル(セラミック刃)を手に入れたのが発端であつた。 アウトドア用の格安ミルでも「豆からだと違ふな~。」と最初は満足した。 その後、豆を挽くのが億劫になり、ドリッパーにも不満があつた。お家で楽しむ爲に少しまともな器具が欲しくなつた。色々と必要になる。 ネットで調べた。田舎での暮らしである。近所のホームセンターなどでも現物を確認できるハリオやカリタの製品にしようかなといふのはごく普通の感覚だつたと思ふ。 ・・・これが沼の入り口とは、その時には考へもしなかつた。 You Tubeのおすすめに珈琲系ユーチューバーが出てくるのは時間の問題だつたのだが、参考にしたのは岡山県の「暮らしと珈琲の動画」である。 なのでフラワードリッパーの事は、知識として持つてゐた。 近所に豆を買ひに行つた折、親切なイケメン店主にあれこれと質問して、それは大分県の企業が出してゐるのだとも聞いた。 アバカフィルターも、知識としては持つてゐた。 紙の神といふ存在も知つてはゐた。 なんてことだ!大分県民として、恥ずかしい! 大分県は、なるほど温泉県なのだらう。 しかし、実は世界的な珈琲県でもあつたのだ! 大分県民は、全てのご家庭でお家珈琲を始めるべきだ! (最初のミルはタイムモア(正規流通品)が良いと思ひますがAmazonでも売つてはゐる。) 整理すると、今の私は。 庭やガレージでアウトドア的な事をしつつ、自宅のラジコンコースでバギーを走らせて、手挽き珈琲をドリップするのが趣味の人といふ事になる。自宅の敷地から出てゐないので「インドア派」ともいへるだらう。 しかし。そのインドア的趣味を野外でも実行する爲には、やはりバイクも欲しい。拘りはないがホンダのレブルとか。車検は面倒なので250で良い。子供とタンデムできるな。インカムが必要だな。ならば合法的にバイクに乗る爲に二輪免許も欲しい(二人乗りは免許取得後1年)。しかし薪ストーブを運ぶなら大型の方が良いのでは?といふ思考回路の極めて趣味的な人になりつつある。
・・・元々が趣味的な人生ではあるのだが。 それらの趣味的活動は、皇國の礎となるべく、遂行されてゐる(?)といふ認識は揺らがない。(無駄に)欲しがりません勝つまでは。
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nohohonya-fediverse · 3 years
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スキー場でキャンプをした話
こんにちは。こちらは、mstdn.beer 2nd Advent Calendar 2021
12月3日の記事です。企画してくれた「てすとくん」ありがとうございます。アドベントカレンダーというものに参加するのも、Tumblrを使うのも初めてで楽しいです。
わたしはFediversにて「おいも」という名前で活動しており、ビア鯖をメインに銀河丼や名古屋丼にもいます。サーバーを移りつつも2017年から利用しており、Fediverseが大好きです。
キャンプができるスキー場
本題に移りますが、10月末にキャンプをしました。わたしは以前からキャンプを趣味としており、特に秋のキャンプがお気に入りです。長野県でキャンプ場を探していたところ、個性的なキャンプ場を発見したため、早速行ってみました。
何が個性的かというと、キャンプ場=スキー場。オフシーズンのスキー場で野営するというもの。しかも、中上級者向けの新エリアができたばかりです。もちろん新エリアを予約しました。(初心者用エリアもあります)
ゲレンデを車で登る
スキー場というのもあり、キャンプ場は非対面接客の体制が整っており、チェックインすらオンライン、最初の説明は一人で受けるというものでした。レンタル品やフードメニューもオンラインで注文できます。
新エリアは「林の中で森林浴を楽しめる」とのこと。どこかと思えば、ゲレンデの中腹にある森みたいなところでした。
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つまり、車でゲレンデを登れます。車好きやオフロード好きにもおすすめですよ。
ゲレンデを車で登り所定の駐車場に駐車し、林の中を徒歩で進みます。探検している感じが味わえて楽しいです。
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設営~夕食
キャンプ場は段の下の平地でした。地面がふかふかのおがくずで覆われおり、お尻がかなり快適。全然ワイルドじゃない。むしろ尻セレブ。
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上田名物「おいだれ焼き鳥」やコッペパンなどをつまみつつ、テントを設営。
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テントはネイチャーハイクのもので、前室付きのタイプです。おがくず及び柔らかい土質のおかげでスムーズに設営できました。
しばし雰囲気を味わった後、薪ストーブに点火して夕食の準備に取り掛かります。この日のキャンプめしはビーフシチュー!調味料は計量済み、野菜はカットした状態で持っていきました。つまり、鍋に投げ入れるだけです。
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写っているバゲットも手作り!
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パン作りが趣味なのもあり、頑張って事前に作りました。シチューを煮込んでいるうちに辺りは暗くなり、燃え盛るストーブの炎を眺めながらの優雅な調理に。
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アクを取りハインツのデミグラスソース缶を加えてさらに煮込みます。
完成!ちなみにじゃがいもも家庭菜園で育てたものです。ドヤァ✨
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肌寒い時期のキャンプが好きなのもあり、キャンプでは煮込み料理をすることが多いです。
そのため薪ストーブは大活躍。なんたって、料理と湯沸かしが同時にできるのです。暖かいコーヒーを切らさないのは大切。
キャンプ場でリフトを見たことある?
パッポー🕊二日目の朝です。
朝霧の中のキャンプ場は大変美しく、さらに新エリアには自分たちしかいなかったため、ブルジョワジーな気分に浸れました。
朝食はメスティンでご飯を炊き、バーナーで目玉焼きとウインナーを焼きました。野外で食べるメスティンごはんは格別ですね。
朝食を食べたら、撤収作業をのんびり進めてながら付近を探検してみました。小道を少し進むとスキー場らしいアレが。。
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そう、リフトです!坂の途中のリフトをこんなに近くで見たことがありません。
このあたりからは、斜面の下にいる初心者向けエリアのキャンパーたちもよく見えます。キャンプ場でリフトを眺めるという、貴重な経験ができました。
まとめ
オフシーズンのスキー場でキャンプをするという、中々面白いアウトドア活動でした。
利用した新エリアの「ワイルドフリーエリア」は快適そのもので眺めも良く、近所に温泉もある素晴らしい立地。
一体どこがワイルドなのか?と後から考えてみました。「ゲレンデの坂を登る」部分がワイルドなんだと思われます。
我が家の車は(夫が運転)トラック並のパワフルなエンジンが搭載された四駆、さらに夫は運転が好きとあって普通に登ったのですが、車によっては登るのが大変かもしれません。
また、既存のエリアはフロントやトイレに近く、レンタル品が豊富です。そもそものターゲット層がキャンプ初心者なのだと思われます。そのため、林の中で何も助けてもらわずキャンプが出来る層は中級者なのでしょう。
面白い光景が見られて、快適なキャンプ場だったのでまた行きたいです。本当に設営がしやすかった!
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はい、キャンプ体験記でした。12月22日にもう一つ記事を書こうと思っているので、よかったら読んでください。
Tumblrはアドベントカレンダー及びFediverse向けに作りました。固定投稿に普段から更新している個人ブログのURLを載せておきます。
それでは明日の記事をお楽しみに!
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saikoito · 5 years
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#弊社長 (5さい)の薪(運び)活。 玄関に積まれた薪を 朝ごはんの支度をしている間に こんなに運んでた👏🏼👏🏼👏🏼 ・ この家は断熱気密性能が ものすごく高い家なので -5度を下回らなければ 8畳用エアコン1台で 暖房が賄えるくらいの燃費なのです。 ・ その"なくてもいい"くらいの状況で 嗜む程度につける薪ストーブの 幸福度の高さよ、、、。 と、一昨年までは 薪ストーブ一本でやってきた わたしは思うのです😭 ・ ライフスタイルには 向き不向きも 求める楽チンさも ひとそれぞれで、 いろいろ試していい落とし所を 見つけられたら しあわせだよな、って思う。 ・ というわけで、 人生も家も試行錯誤の連続じゃっ。 そして、しあわせになるのだっ💪🏻✨ ・ ・ #薪ストーブ #薪活 #pecan #heysapporo #札幌 #裏札幌 #高性能なエコハウス ・ #詳しくは #著作 の #あたらしい家づくりの教科書 #これからのリノベーション (Sapporo-shi, Hokkaido, Japan) https://www.instagram.com/p/B5nG0cUFzCX/?igshid=1iuw1rb5aw74o
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tsuntsun1221ts · 5 years
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2019.3 谷川岳
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強風のため登山道にすらたどり着けず、スキーして終わった北アルプス唐松岳(八方尾根)からちょうど1ヶ月。高い金出して揃えた雪山装備を使わないともったいないし、今年のうちに雪山中級まではレベルアップしておきたい。次に目指す山は関東からアクセスしやすく以前にも登ったことがある谷川岳に決定。日帰りだともったいないので、1日目は谷川岳、越後湯沢で宿泊して2日目は平標山・仙ノ倉山のお泊り雪山登山。
【コースタイム】北赤羽(0623)→上毛高原(0753) →谷川岳RW山麓駅(0849) →天神平 →登山開始(0935) →避難小屋(1025) →肩の小屋(1150) →トマの耳山頂(1200) →避難小屋(1300) →休憩 →天神平(1345) →水上駅(1530)
茂原からだと始発に乗っても到着時刻が遅くなるので、実家の東京に前泊。大宮0702発たにがわ401号に乗車し上毛高原駅へ。平日金曜日の少し早い時間とあって、自由席は余裕で座れる。上毛高原の天気はくもり、谷川岳RW行きのバスには自分を含めて4人乗車 (バスは片道1250円)。 駅の周辺には全く雪なし、少し不安になったが、約1時間乗車して終点のRW駅に到着したら車窓から見える山々はみんな雪化粧していた、安心。せっかく雪山に来たのに、雪がないなんて寂しい。RW乗り場では登山客とスキー客がちらほら。やはり平日なので空いてるのかな。ゴンドラ往復チケットを購入し、いざ乗車。
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天神平駅は曇り~晴れ、微風、氷点下までは下がっておらず5℃くらいか?この日は全国的に少し暖かくなるとのこと。一緒のゴンドラに乗って上がってきた登山者4名並んでゲレンデで準備する。登山者は見渡せる範囲では自分たちしかいない。谷川岳は夏はもちろん、冬でも人気の山で混むと思っていたからありがたい。積雪はあるけど雪が締まっているのでアイゼン装着して出発!雪山経験に乏しい自分が一番うしろについてゆっくり行こうと思う。
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登山者用の道はゲレンデの横にちゃんと作られているが、リフトは使わないでということかな?この道は上級コースに沿う形で作られているので、いきなり結構な急坂を登らされる。この急登を登りきったら尾根へ出る。高さとしてはリフトで登るのと同じとこまで、ただしここまで登りきらなくても途中で迂回できたみたいね、登りきったら下ることになった。
尾根を超すとそこからはずっと稜線歩き。山頂は完全に雲に覆われており見えない。道中はときおりかなり強い風が吹き、姿勢を低くするか立ち止まって耐風姿勢をとる。初めて本格的な雪山を体験しており楽しいですな!これぞ雪山、冬の山の環境!ワクワクしてきた。それはいいとして、この天気じゃあ山頂までは登れないだろうなと、諦め半分。途中3人とすれ違った。避難小屋の時点で風が強く、これ以上登れないと判断してUターンしてきたとのこと 。やっぱりそんな感じなんだと、残念に思いつつ、とりあえず避難小屋までは向かうことに。
登山開始してから約1時間で避難小屋に到着。小屋全体が雪で完全に埋まっており、屋根から突き出た突起で判断できた。マジか...冬の谷川岳すげぇな、どれだけ降雪したんだよ。 避難小屋から山頂を眺めると、風がかなり強いらしく雪煙がずっと舞い上がっていた 。先に進むのは厳しそうだが、とりあえずここで休憩して天候の回復を待ってみる。縦穴が掘られており、ここを潜っていくと小屋の玄関前に繋がっている。みんな入らないで外で休憩しているけど、ちょっとおもしろそうなので穴に潜って小屋の中で休憩することに(中の様子は下記)。リュックがでかいから穴に引っかかって少しだけ苦労した。中は誰もおらず、完全防風で静か、快適。果たして天候は回復するだろうか・・・。
10分くらい休憩していると、自分らの後に到着した人たちが外で話しているのが聞こえた。小屋の外へ上がってみると先程より風が弱くなっており、山頂は相変わらずガスっているけれども、道中雪が舞い上がっている様子はない。しかも少しだけ晴れ間がみえる。この様子なら、山頂まではともかく先へは勧めそうだ。行ける所まで行き、無理そうなら途中で引き返すことを条件として先へ進むことに。
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進んでみると、思っていた以上に風は強くない(強いけど)。歩けば歩くほど進む方向がどんどん晴れていく。雪山初心者の当てにならない直感が、このまま山頂まで行けると言っている。
避難小屋からはソロ4人が一列になって4人PTになっていた。このメンバーは、下山までずっと一緒だった。この天候で山頂まで登れるかみんな不明であったが、とりあえずそのうちの1人のベテランさんが進めると判断し、皆でその人のあとを付いていった感じ。自分は一番初心者っぽいので、この天候では一番無理をしてはいけないが、みなで進むなら自分もと付いていった。山頂以外では全く話さなかったけど、心強かった。このPTが組めなかったら自分も避難小屋で引き返していたかな。
谷川連邦は日本海側と太平洋側の境界なので季節風が強く、避難小屋から先はモロに風を受ける。ただしこのときは進めないというほどではなかった。そして山頂は相変わらずガスっている。夏に来たときに通過した「天狗のトマリ場」は岩のてっぺんだけしか出ておらず、ほとんど雪に埋もれてる。その先の「天狗のザンゲ岩」も同様。無心でザンゲ岩まで登っていたので、進捗確認で山頂までもう少しと分かったときに、初めてずいぶんハイペースで来たのだと知った。
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ザンゲ岩から先は周囲が完全にガスっており、風も強い。PTは小休止して進むか悩む。別にみんなで相談していたわけではなく、あくまで各々が進むか戻るか考えているだけなんだけどね。経験が浅い自分は、完全なソロだったら引き返していた。しかしこれだけの天候の中登山をするというのも、雪山を経験する上では非常に貴重な経験だと思った。ヤバければ当然引き返すけど、この程度で引き換えしていたら、ちょっと天気が悪かったらいつも引き返さなければならないと思う。
完全に雲の中 且つ強風に舞う雪で、20~30m間隔で雪に挿してあるオレンジの道標がどこにあるのかわからなくなるときも。次のあれが見えないと進むべき方向がわからなくなり、遭難のリスクがハネ上がる。今回のPTはベテランさんが一人いたので、道標+その人のトレースをたどっていく。肩の小屋が見えたら、もう山頂までは目と鼻の先。肩の小屋は先程の避難小屋のように雪に埋もれていなかった。風が強すぎて雪を吹き飛ばしてしまうのだろうか。
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登山開始から2時間半でトマの耳に登頂!思った以上に早く着いた。視界絶不良、銀世界はおろか、ひどければホワイトアウトとなりかねない景色の中でも大満足!!この雪山ならではの厳しい天候の中、何に注意して登るべきかということを学べ非常に良い経験となった。これほどの天候の場合、まずトレースがなければ引き返すべし。また今回は気温も味方したかもしれない。ガスって風が強くても、終始下着+ハードシェルだけで行動できた。というか、もし中間着着るなら避難小屋で着ておかないと、風をしのげる場所がない稜線ではとても着替えられない(まぁ、これは雪山の常識だけどね、身をもって経験した)。
山頂では写真を撮ったらすぐ撤収。当然ながら、冬の山頂は長居する場所ではない。肩の小屋まで降り、風をしのげる場所で腰を下ろして休憩、 ピッケルでザックを固定するのも初めて(ワクワク)。 完全に風を防げるわけではないしこの気温なので10分も休憩していたら寒くなってくる。雪山は満足に休憩できるとも限らないから、やはり長時間重い荷物背負って行動できる体力はとても重要。
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肩の小屋で行動食を頬張ったらすぐに下山。4人PTのうちのベテラン1人はオキの耳まで向かったので離脱。他の2人は別のところ(山頂?)で休憩していたっぽい。下山時は完全にソロになった・・・と思ったらいつの間にか後ろに付いてきており、ベテランさんを除く3人PTになっていた。
登るときも気がついたんだけど、途中で雪崩の前兆のような亀裂を発見しゾットする。ちょうどこの週辺りから気温が高くなり始めたので、もう1週遅かったらどうなっていたか。
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やはりガスっているのは山頂付近だけで、下れば視界がはっきりするだけでなく、風も幾分収まっている。
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山頂から下って約1時間で避難小屋に到着。ここでようやくまともな休憩ができる。縦穴に潜り小屋の中でくつろぐ(自分一人だけ)。サーモスに早朝入れたお茶がまだ温かくホッと一息。15分くらいは休憩していただろうか。
避難小屋出たら雪が少し降っており、上空の雲も厚く天気が悪くなる予感しかない。ずいぶんと標高を下げたとはいえ、さっさと下山するに越したことはない。
避難小屋から45分で麓に到着。ここで先行していたPTに自分が合流。なんだかんだで4人PTに戻り登山終了。往復で4時間と、夏のタイムとあまり変わらないのでは?
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天神平のレストランで遅い昼食。一応ゲレ食なのでそんなに期待していなかった舞茸天ぷらそば、意外とうまい!冬とはいえ、夏と同様に大量の水分が失われるので、汁もほぼ飲み干した。塩分とかちょうどいい濃度。
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1510発上毛高原行きバスに乗車し、水上駅で途中下車。下山後の楽しみといえば温泉。温泉といえばこの近辺だとやはり水上温泉。ホテルじゅらくは1200円(+バスタオル300円)で露天ありの大きな温泉を利用できる。ちょっと値段高めだけど、水上駅周辺で利用できる日帰り温泉では最もいろいろ充実している。ちゃんとしたホテルだからフロントで荷物預かってくれるし、かなりキレイだし、ゆっくりくつろぐスペースもある。しかも最近リニューアルされたらしく、薪ストーブがかなりおしゃれ。
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18時に温泉のすぐお隣の居酒屋「魚信」へ。ここは前回夏に谷川岳へ登ったときに寄ったお店で、水上に来たら必ずここで飲んでこうと思ってる。名物「馬のレバー刺し」は当然注文。あと温泉湯豆腐。谷川岳(日本酒)などで¥4980。 チャージで900円くらい取られてるかもしれんが?お通しで豪華なサラダ出てきたし。その分女将さん相変わらずサービスいろいろ、懐かしいこの感じ。値段相応だと思います。
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レバー刺しには削った岩塩を振って食べるのが珍しい。ちなみに岩塩はヒマラヤ産らしいのだが、山つながりなのかな?
1943水上発の上越線長岡行きに乗り、越後湯沢駅へ。水上より北はSuica未対応のため、きっぷを購入していなかった場合は車内で車掌さんに精算してもらう。
今回使用した宿は「Sansan Yuzawa」。駅から徒歩5分くらい、また比較的近くにコンビニもある。5000円で6畳和式の個室に泊まれる(素泊まり)。翌日は朝早いバスに乗っていくので、こういった形で拠点を設けられるのはかなり負担が減る。
翌日の平標山・仙ノ倉山は、ある意味では谷川岳よりも強風ならぬ恐怖体験をすることに。
2日目につづく
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aa-labo · 2 years
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おはようございます。 穴橋の家|愛知県春日井市 家の中心にある吹抜けのある玄関土間に置かれた薪ストーブ。 玄関土間は他のスペースとも一体化し、玄関でもありリビングでもあり、吹抜けを介して家中が暖まります。 玄関框は薪ストーブを取り囲むためのベンチの役割も持たせています。 土間は耐火煉瓦を眠り目地で敷き詰めています。 薪ストーブは北欧スキャン社の、みにくいアヒルの子の愛称で呼ばれる定番ロングセラーモデルで、小さなこのお家の雰囲気に合わせ、愛くるしいデザインの薪ストーブを採用しました。 大変厳しい予算で設置費用などを考えると薪ストーブの採用はかなり難しい条件でしたが、クライアントの「薪ストーブだけは絶対に譲れない」という強い意志の元に実現しました。 #穴橋の家 #薪ストーブを楽しむ家 #薪ストーブ #みにくいアヒルの子 #土間玄関 #土間リビング #吹抜けリビング #25坪の家 #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家 #建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/CkecWgPS6-R/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ishiharastyle · 2 years
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股旅社中。午後の部。
前回の続きです。 現場を移動しまして午後の部は8/20にお家を見せてもらう日を行います「新屋敷の平屋」からスタートです。 たまたまですが、アンフォルムを設置したお家のLDKと室内の仕上げ、広さやキッチンの配置が似ています。 アンフォルムはより省スペースに、ほどよく便利さも取り入れつつ、すっきりと美しく暮らす。 タフなキッチンはお���理やお気に入りの生活道具を飾って楽しむという暮らしのイメージです。 新屋敷の平屋のキッチンシリーズはタフなキッチンと作業カウンター、ラウンドテーブルの3種。 この時にはついておりませんでしたが、テーブルのそばには薪ストーブも設置予定です。 季節を感じながら、のんびりと暮らすイメージのわくLDK。 上永良の家やみどり川沿いの家でも採用されたラウンドテーブルですが、フィードバックを経て脚の見た目が変わりました。 ↓ひっくり返して村澤さんにどのように…
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ichinichi-okure · 10 months
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2023.12.2sat_nagano
娘がむくり、なんのおとだろ〜?とにやにや起き上がり、下でごはん作ってるんじゃない?と答える。めずらしく朝機嫌が良い。 昨晩はカニを食べるために妻の実家に来てそのまま泊まった。義父の友人の親戚のサッシ屋にわざわざ兵庫から長野の端まで来てもらって全窓にペアガラスの内窓を入れたら、家が異常に暖かくなった上に、社長の実家の城崎から松葉ガニが大量に送られて来たとのこと。 カニは棘が刺さるし、しみるし血が出るしで有難いけれどうまいものではないと思っていたが、身に味噌つけで燗で流すと夢のようにうまいものだった。 カニばかり食べたので朝はパンとかめいらくのスープとか。食後に娘と義姉とかくれんぼ。娘はいつも同じところに隠れ、義理の姉は土間とかトイレとかトリッキーかつ寒そうなところに隠れるから、そっと放置してみようかと思うが、相手はダウンパンツを履いているから強い。 そのまま義姉に娘をみてもらい、妻とゴミ処理場に。長野に越して二年経つが燃やせないゴミの分別や捨てるタイミングが困難すぎて、とりあえず持ってけば済む実家のほうに時々もってゆく。 こちらがおろおろと割れたものを割れないようにと捨てている横で係の人は荒々しく割り散らかしながら処理する。ごみはごみなのだ。がなかなかそのふんぎりがつかない。
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近くで毎日伐採木を玉切りにして人にあげる尊い運動をしているおじさんのところに行って薪用に軽トラ一杯いただいてゆく。帰りにスーパーに行くと入口で見たことあるような人がいて、二度見したらはっきりと大学の時の先生だった。あまり関わりなかったし、20年ぶりだし、脳内で会話をシミュレーションしたけど成り立たなかったせいにして愚かにも話しかけなかったけれど、話しかけるべきだった。 実家に戻る重い軽トラで妻に大学の曲者教授たちの話をする。かっこわるいのにかっこつける人とかっこいいのにかっこつける人とかっこわるいのにかっこつけてそれがかっこわるいって気づいている人がいて、みんなスリリングな授業をしていて最高だったが、みんな年金ももらわず死んでしまった。 お昼パスタ食べて娘と二人で家に帰る。妻は別々で、通ってない保育園のママ飲み会が駅前のおかまバーであるから電車で帰る。娘はいっしょにかえりたい〜!!おとーちじゃない〜!!と15分くらい助手席で泣き続け、途中から睡魔と闘いはじめて負けてそのまま寝る。家まで1時間くらい。家まであと3分の橋のところの段差のゆれで目覚めてしまったので、少し遠回りしてまた寝てもらう。 家にたどり着いてそっと横にするけれど、少し眠りが浅いのか、僕の首元から手を突っ込んできて乳首を掴まれる。妻がいると妻のを触るけれど、いないと仕方なさげに僕のを触る。いつまでこれを許容していいのかわからない。精神分析はおもしろ読み物だと思っていたが、子供が生まれてからいろいろ真実めいてきてうっすらとした不安に包まれる。 子が寝ている間に薪ストーブをつけて、晩ごはんを作る。玉ねぎ人参じゃがいもしめじ鶏もも重ねてストーブにのせとく。今日はカレー。 あっさりと娘が起きたので、荷台の薪を一緒に降ろしてみようと車まで連れてくけど、イスにすわってる!とのことで車内から応援してもらうことに。日没を迎えぐんと冷えてくるなか急いで降ろすが娘は車内からおおすみくんおそい!おおすみくんおそい!と妻の真似をして怒りつづけている。 ブロアーで荷台の木屑を飛ばしてもち米の籾袋をのせる。明後日、友人の出産を赤飯蒸しあげて近所の友達たちと祝おうと籾摺りしに行く。娘はコイン精米が好きだと思っていたが、着いてみると車からおりない!というのでひとりで楽しむ。娘はまたガラス越しに立って見ている。 もち米は育ててるときも水口に近いからか生育がバラバラで籾摺りしてみても粒の大きさがバラバラ、味に不安、でも食べてみないとわからないから仕方なし。 もち米と残ってたカニを4杯届けに行くと会場となるおうちの姪っ子がいて、玄関先でバナナのクッションで家対抗綱引きをして、大人だからてこの原理で圧勝する。 帰ってお風呂入れてる間にカレーにルウを入れて仕上げる。市販のルウなんてと思っていたけれど、娘のカレーインストールにゴールデンカレーの甘口を使ってからはその驚異の完成度に感謝と反省を繰り返している。 二人で風呂入って出てカレーをガバガバ食べてたら、妻から帰り送ってくれるらしいから二次会も行くとのLINE。終バス19時半、夜は猪鹿熊の氷点下の暗闇の土地からすると「二次会」は「正月」くらいに響いたからよくわからないれど行ってらっしゃい。 食後、娘にパソコンでペッパピグを見せてる間に洗い物して洗濯物を干してたらパタンと自分で閉めて、もうねるじかん!おんぶ!という。明らかに小さい登山用のベビーキャリアーを引っ張り出してきて、14kgを担いだまま残った洗濯物を干す。うとうとしたり起きたりしてるけれどこちらの肩に限界がきたため布団に横にする。母親のいない寂しさか、ぎゅっと寄ってきてまた首元から乳首を掴まれて痛い。とんとん背中を30分くらい叩いて手首に違和感を感じはじめたら寝たかな起きたかな、くらいのところでバタバタと妻が帰ってきてプゥプゥおならをしていた。
-プロフィール- 大隅健司 39 長野 百姓、小間使い、音楽家
@osumijnek
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usickyou · 2 years
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ラブリー・ラブリー・フィーリング
「小さいころから、絵は好きだったんだよね」  そう、周子さんは言った。少し背をまるくして鉛筆を削っている、その横顔に銀色の、清らかな光がそっと影を落としていた。 「まあ、おかたい家だったから習い事とかいろいろやらされてさ。だいたいほっぽりだしたけど、けっこうハマるのもあって」  錆色のだるまストーブ、その上のまるまるとした薬缶がしゅうしゅうと心地良い音を響かせていた。この部屋ではまた、時おり屋根から雪の滑り落ちる重低音が聞こえた。 「高校のとき、いちばん描いてたかなあ。美術室に入りびたってたら入部しろって怒られて、流してたらそのうち言われなくなったけど」  周子さんは、よく削られたため著しく芯の露出した鉛筆をなぞり、満たされたものの静けさをもってほほえむと、一瞬ののち木くずを吹きちらした。それは精霊が運ぶ極北からの風にまかれたように、まばゆいばかりの光をはじいた。 「まあいいや。で、上京してからあんまり描けてなくてさ。せっかくの機会だし、ね、文香ちゃん」  このとおりです、と彼女は大仰ないきおいをつけて手のひらを合わせた。火花が弾け、散るような音が響くと、短い髪がさらさらとその頬を撫でた。  私は少し、窓の外を眺めた。  空はよく晴れており、なにものにも妨げられない無垢の陽光が降り注いだ。冬枯れの森は雪冠に彩られ、多様なる色のすべてを純白がその無限の包容力で包み込んだ。一面の、起伏を失ったなだらかな雪景色は、家人をうしなった家々に垂れ込めるかなしみを感じさせた。 「こうして、かけていればよいのですか」と私はたずねた。 「そう、それでオッケー」と彼女は答えた。 「姿勢などは、崩しても?」 「平気へいき。イスけっこう固いからね。楽にしてて」 「書があるので、問題ないかとは思います」 「あはは、うらやましい。あたしのがしんどいかもなあ」 「ではお互い気をつけましょう。ひとつ、伺ってよいでしょうか」 「いくつでも」 「どうして、私なのでしょう」 「……描きたいから?」と彼女は答えた。そうしてから、「いや、静物はいまいち合わなくて」とか「文香ちゃんはいいモデルだから」とかあいまいに続けたあと、真っ白なキャンバスの誠実さで「描いてみないとわかんないや」と言った。 「わかりました」と私は答えた。書を開くと、間をおかず周子さんは絵を描きはじめた。ページをめくって聞こえる音と、鉛筆を滑らせて聞こえる音と、私たちはまるで交響楽の奏者のようだと思った。
 あるおやこの物語だった。父は大陸極東の岬にて、巡礼の徒のために建造された灯台を守っており、数多の迷えるひとびとのため光をともし続ける役割を背負っていた。娘は絶えず彼のそばに寄り添い、いかなるときも離れようとしない、そういうおやこだった。  彼は少女を背に抱き、胸のうちに抱き、そしてすべてのひとびとを隔てなく歓待した。陸路にて訪れる旅人には、ぬくい湯を際限なく施した。海路にてたどり着いた旅人には、新鮮な野菜や果実を惜しげなく分け与えた。彼は清貧を善性の最たるあらわれと信じており、ひと掴みのパンより一度の祈りを優先した。しかし少女にそれを押しつけることをよしとせず、その瞳が飢え乾きにくもることはなかった。ふたりはよく笑い、汗を流し、旅人の語る未知なる景色に胸躍らせた。  大陸中央の高原に横たわる、まるまると太った竜。  地溝より姿をあらわす、溶岩泥の巨人。  気まぐれに航路を知らせる光帯と、それを形成する白光球。  旅人の語ることはときにいたずらな恐怖を伴い、少女はそのたび父の話を乞い願った。彼は記憶のうちより、とびきり優しい物語を語って聞かせた。少女がすっかり眠ってしまうまで、ガラスのランプが吹き消されることはなかった。  私はこれを、犠牲についての寓話だと思いはじめた。
 こころよい香りが、ふと感じられた。記憶より、畳や湿ったナラ材の香りが呼び起こされ、それは祖母の住まう家の風景を伴った。きわめて小さな集落ではわずかなひとびとが密接なつながりを保っており、それぞれの家を結ぶ小径をゴムの長靴がつよく踏み固めた。足りたものを分けあい、足りないものを与えあい、炭焼きの竈からはくろぐろとした排煙が絶えず昇った。 「いる?」と周子さんがたずねた。彼女が差し出したものは、若草色をした湯のみだった。もうもうとした蒸気が、私たちの間で立ちのぼっては消えていった。「ほうじ茶、あたしのはうまいよー」 「いただきます」と私は答えた。湯のみに口をつけると、温もりは唇よりじんわりと体内にしみ入った。実際、ほうじ茶は彼女の言うとおりたいへんおいしく、何より適切に整えられた温度をすばらしいと感じた。「……よいものですね」 「でしょ。あと甘いもんでもあったらね」 「でしたら、たしか鞄に……」 「あるん?」 「ミルクキャンディ、ですが」 「ありかな」 「どうでしょうか」 「いけたら儲けもんだね」 「では、どうぞ」 「ありがと。いただきます」  そうして飴玉を口にして、「なしやわ」と周子さんは言った。私が「悪くはないと思います」と答えると、彼女は「まじか」と小さく笑った。  おもての景色は、日の向きが変わったせいか、ずいぶん違って見えた。陰影のかたちが変わり、遠近をはっきりさせる立体感が生まれていた。どうやらあたりは田畑であるらしく、均一な畦と耕地の起伏がさながら格子のような模様を描き出していた。よくよく目をこらせば、雪の覆いの奥より顔を覗かせる河川の水の反射さえ、うかがうことができた。 「進捗は、いかがですか」と私はたずねた。 「見る?」と彼女はたずね返した。 「見ても、よいのでしょうか」 「ぜんぜんいいけど、なんか気になる?」 「……伝わればよいのですが」 「うん。あたしも努力するよ」 「ありがとうございます」  それから私は、こんなふうに言った。絵画とは、完成に至るまで人目に触れてはならないものではないだろうか。私が見ることで、あなたの純粋で、孤独な祈りのようなものが消散されてしまうのではないだろうか。しかし、そのおそれとともに、私は描きかけのそれを見たいと思っていた。あなたの筆致がどのように私を描いている、私を見ているのかを知りたいと望んでいた。つまり私は、雪の一片がかたち作る氷晶を手のひらに乗せて観察するような、子どもじみた好奇心を抱いていた。  周子さんは、じっと聞いていてくれた。しずかに頷いて、時おり私の言葉に補助線を引いて、決して自分の意見をはさまず、わが子に相対する母の誠実さをもって、私の言うことを聞いてくれた。 「たぶん、わかったと思う」と彼女は言った。ゆっくりとほうじ茶をかたむけ、閉じられたまぶたをゆっくりと開くと、「でも、あたしはもうひとりじゃないからなあ」と笑った。  おもてを見て、こんなふうに続けた。  あたしはいつも、まっしろな雪の原に放り出されたみたいな気持ちでいた。そこはよく晴れてるのに、あたりにひとの姿はない。あたしは、誰でもいい、誰かに会いたくて歩いたり走ったりするけど誰にも会えない。たまに吹雪がやってくると、体をまるめて凍えるしかない。やっと晴れた、そのときにはあたしの足跡なんてぜんぶ消えてて、絶望的な気分でまた歩きはじめる。  それで、十何年か歩いたらいきなりぽつんと明かりが見えた。最初はひとつ、でもそのひとつが見えた途端あたりに次々明かりがともりはじめた。すごいってあたしは思った。夜だって寂しくなくなった。でも、どうしても吹雪はやってくる。たくさんあった明かりがひとつずつ見えなくなっていって、そんなもんかって思ったとき、消えない明かりに気付いた。ひとつ、ふたつ。それであたしは、もう永遠に孤独になれなくなった。 「つまりなにが言いたいかっていうとさ」周子さんは不意に立ち上がり、私の肩に腕をまわした。やや粗雑なふるまいが、おし隠されようとした情熱をかえって鮮明に伝えた。「この絵は、最初からあたしたちのものなのよ」  私は、取りこぼしかけたほうじ茶の、焼けた黄金の色をした水面を眺めた。それがしずまるのを待つと、湯のみを置いて、「見せてください」と言った。胸のうちにかがやいた温かな光は、周子さんの持つ吹雪の夜を照らしたものと同じであるように感じられた。  彼女はいまさら面はゆげにほほえみ、手の動きのみで促した。私ははやる心をおさえ、激しく胸を揺さぶる初めてのこのたかぶりが私たちの作品を変容させてしまわないよう、新雪の野に向ける態度で歩いた。そうしてキャンバスを前にすると、ああ、とこぼした。
 灯台が焼け落ちたのは、いかずちの精霊の手落ちでしかなかった。彼らは稲妻の季節をよろこび、あふれる雨の雫の甘露に酔い、そのみだれた軌道が幾度か灯台を射抜いた。一度めには尖塔の頂上を横断し、数多の巡礼者を導いた単閃光レンズをばらばらに破壊した。広野の巡礼者は永遠の光が消えたことに驚き、涙し、地に伏したが、まだ幸いであったといえる。彼らは、やがて立ち上がるとふたたび聖なる地を目指す。もしくは、みずからの生まれた家へ帰っていく。  二度めのいかずちは灯台の側面なかほどをかすめ、三度めにはうずたかく積まれた薪に落ち、それを焼いた。炎はまたたく間に燃え広がり、灯台をなめ尽くした。父はまず、娘を連れ出し、そののち巡礼者の金品や祭具を懸命に運び出した。みずからの持てるものについて、彼は一度たりとも省みなかった。  そうして、すべての巡礼者の安全をたしかめると、彼は娘の姿がないことに気付く。彼は聞いてまわった。少女を見た者はいなかった。彼はぼろ布を水たまりにこすりつけ、火口のごとき炎のうちへ踏み入った。  果たして、少女はそこにいた。小さな身をまるめ、いまにも暗澹とした炎の重みにおし潰されてしまいそうだった。彼は少女に覆い被さり、その呼吸がはっきり続いていることをたしかめた。顔を上げると、ただ一つの出口が焼け落ちた梁により塞がれる様子を目にした。彼は少女を抱きかかえ、炊事場を突っ切り、浴室を目指した。そこはやはり炎にまかれていたが、陶製の浴槽は堂々としたかたちをとどめていた。  父は娘を浴槽に押し込むと、持てる力を尽くし、空になるまで井戸の水を流し入れた。そうして彼もまた体をまるめると、少女を抱きしめた。「どうして戻ったんだい」と彼はたずねた。少女はぷっくり膨れた衣服のうちより、ガラスのランプを取り出した。そうか、と彼は声をあげて笑い、彼の知るいちばん優しい物語を、星々の向こうにある国にあまねく満ちるというまっしろな明かりについての物語を話しはじめた。
 私たちは同じ交響曲を奏でる楽隊の一員であったため、必然、書を読み終えるときと絵を描き終えるときとは重なった。私は書を畳み、周子さんは筆を置き、内なる指揮者がうやうやしくホールへ礼をしてようやく、はあーと弛緩した息をはくことができた。  日の色が、変わりはじめる時間だった。あとはもう一瞬のうちに過ぎていく、と私は思った。 「ありがとね」と彼女は言った。大きく伸ばした腰や腕の関節が気持ちのいい音をたてた。「文香ちゃんのおかげで、楽しかった」 「こちらこそ」と私は答えた。彼女をまねして体を伸ばしてみると、指先の関節の数本のみがなんだか遠慮がちな音をたてた。「得難い、きっと、何度も思い返すような体験でした」 「はは、おおげさ」 「心から、そう思いますよ」 「そらおおきに」 「信じていただけませんか?」 「いや、信じてるよ、あたしは文香ちゃんのぜんぶを信じてる」 「……私も、そうです」 「照れた?」 「いささか、ですが」 「かわいい子やねえ」  そう言って、彼女は私の頬をそっとなでた。あなたもです、と私はどうにか言い、その手のひらに込められた優しさが肌にしみこんでいく様子に集中した。  それから、完成した絵をたしかめて、私たちは帰り支度をはじめた。やはり見る間に日は沈み行き、おもての景色は眺めるごと魔術のようにそのかたちを変えた。ぼうっと見とれたのち、陶のシンクに視線を落としたとき、「よかったら、どういうはなしだったか聞かせてくれん?」と彼女が言った。ちらと見ると、彼女はキャンバスをやわい布でくるみ、革の紐を結んでいるところだった。私は、きゅうすや湯のみに茶しぶが残らないよう心をくだきながら、父と娘の物語について彼女に話した。  結局、おやこが生き延びたのは精霊同士のいさかいが引き起こした偶然に巻き込まれたために過ぎなかった。水の精霊はいかづちの精霊の粗野なふるまいを嫌っており、その力が及ぼした余分な影響をなきものとするため、地に豪雨を与えた。燃え盛る炎は鎮められ、父はさんざめく雨のもとへ踏み出すと、娘を強く抱きしめ、何度も背をたたき無事を祝福した。巡礼者たちは口々に感謝を告げ、おやこへ衣類や食物を提供した。父はそれをこころよく受け取り、ほとんどを娘に、わずかをみずからのために用いた。  おやこの新たな住まいを築くと巡礼者たちは去っていったが、彼らはうしなわれた灯台の代わりに、ゆく道々に石塔を築いた。石塔はまた新たな巡礼者をおやこのもとへ導き、父はそれまでと同じように彼らを歓待し、送り出すようつとめた。石塔の連なりに沿った足跡は、やがて踏み固められ道となり、その一つひとつは家となり、岬には小さな街が生まれた。そのころ父は老い、娘はもう少女ではなかったが、ふたりはともに穏やかな日々を暮らすと、数十年ののちにこの世を去った。かつての灯台、おやこの住まいはふたりの亡き後も街のひとびとにより丁重に保存され、なかでも小さなガラスのランプは大切に扱われており、いま現在も年に一日だけ、寒気の最も厳しい折にともされているのだという。 「信じる者は救われるってこと?」と彼女はたずねた。 「情けはひとのためならず、ということでもありますね」と私は答えた。 「家族は大事にしましょう」 「自然を前にひとは無力だ、とも」 「神さまは残酷だ」 「しかし、私たちはなにかを残すことができます」私は続けた。「私は、あなたは、吹雪の夜にともる明かりの一つひとつなのだと思います」  彼女はふむと頷いて、布ですっかり覆われたキャンバスを眺めた。そうして、「これ、文香ちゃんから奏ちゃんに渡してほしいんだけど」と言った。  私は拒んだ。しかし、彼女が言い出してはきかないひとだと、よく知っていた。やわい口論を交わし、ほとんど負けを認めるかたちでその理由についてたずねた。  彼女はこう答えた。奏ちゃんはあたしが好き。奏ちゃんは文香ちゃんが好き。好きなひとの描いた好きなひとの絵を、好きなひとから受け取って、それってなんか、めちゃくちゃ愛ってかんじがする。  私はここで、声をあげて笑った。これまで感じたことのないよろこびが、腹の底からわき上がると全身をすみずみまで行き渡り、おさえようもなく唇からあふれ出しこの世界を満たしていく様子を感じた。  彼女は続けた。奏ちゃんはまじめだから、たぶんお返しをしようって文香ちゃんに提案すると思う。そしたら文香ちゃんは奏ちゃんを描いてほしい。あたしは奏ちゃんからそれを受け取って、そのうち奏ちゃんにあたしを描いてもらう。そんなふうに、いつかあたしは、あたしたちを文香ちゃんに贈るよ。  私は頷いた。嬉しくて笑いながら、こんな景色を思った。吹雪の夜に、ひとつの明かりがともる。いまにも消えそうに凍えていたそれは、遠くにかすかな光を見つけると、少しだけ寂しくはなくなる。やがて、ふたつを結ぶようにもうひとつの明かりがともると、それらはそっと寄り添いはじめる。互いが互いを守るよう、みっつの明かりが身を寄せ合うと、あたりをもう少し照らすだけの光が生まれる。それはまた遠くの明かりへ届き、光は次第に、たしかに広がり続ける。そうして、そのうち誰かがふと気付き、冬の終わりを口にする。明かりは一つひとつ、ゆっくりと立ち上がり、新雪の野を見渡す。まるみを帯びた地平の果てより、朝日が昇りはじめる。あたりはどこもまばゆくきらめき、おとずれた新世界を誰もが歓喜のうちに迎え入れる。そのときには、はじめにともった明かりは消えている。ふたつめも、みっつめも、もういない。けれど明かりは寂しくない。私たちはもう、寂しくはないのだ。  私がいっこうに笑いやまないので、いよいよ心配になったらしい彼女が背中をさすってくれた。私は「大丈夫、大丈夫です」と答えたのち、きれぎれの息の合間から、「あなたに、触れてもよいですか」とどうにかたずねた。  彼女はぽかんと口をあけたままでいた。あんまりにも長くそうしているので私は、「親愛の……つまり、そういうことです」とつけくわえた。  すると途端に、彼女は笑いはじめる。「はは」とこぼし、なにか巨大な堰が崩れひと冬のあいだ溜められた雪融け水があふれ出すように、おなかをおさえたまま晴れやかな笑い声をあげ続ける。西日が頬をあかく染める。まなじりの涙がきらきらと光る。そうして、大口をあけたままいつまでも笑いやまない様子に私が呆れはじめたころ、「おいで」と答えた。  私は、彼女の頬に手で触れた。そうして、「愛というかんじがします」と言った。  そうだね、と彼女は答えた。私の手をそっと包むと、おどろくほど優しい声で「愛というかんじだ」と続けた。
 奏さんの帰りは遅くなった。私たちはああでもない、こうでもないと議論を戦わせ、結局はいちばんシンプルな方法を選んだ。ものごとはだいたい、透明の球体がそうであるよう、単純なものがいちばん美しい。 「ただいま」と奏さんが玄関を開いた。暗くした部屋のなか、私がどきどきして返事を遅らせたので「文香? 周子、いるの?」と彼女は続けた。私は「帰っています」と言って(なんて不自然なこたえだろう!)、彼女を待ち受けた。胸に抱きしめたキャンバスが、周子さんとともにラッピングをほどこしたそれがかすかにふるえた。 「文香、どうして……」と奏さんがリビングに踏み込むやいなや、私は照明をつける。ぱっと室内が明るくなり、彼女はまぶしそうに目を細める。その、ほとんど鼻先へ「贈り物です」とキャンバスを差し出すと、いきおい造花のばらの飾りがこぼれ落ちた。  奏さんはばらを拾い、室内の明るさにゆっくりと目をならしているようだった。花弁に触れ、その最も優雅に広がったきわを指先でなぞると、「ええと、なにかあったかしら?」と首をかしげた。 「いえ、なにもありません」と私は答えた。 「じゃあ、贈り物って?」 「贈りたくなったのです」 「そういうもの?」 「私は、私たちはそう思いました」 「……周子は?」 「少し、買い物に出かけています」 「ふたりから、私に?」 「そのとおりです」 「……うん。ありがとう」  あけていい、とことわりを入れて、奏さんはラッピングを開きはじめる。あわただしく��意した、ほとんど急ごしらえのそれを、彼女は数十年の別離を隔てた家族より届いた便箋の封に向けるような手つきで開いていく。金糸にふちどられた赤色のリボンは折り目ひとつなくほどかれ、白と銀の格子模様の包み紙は決して破られることなくはがされ、革の紐とややくたびれた布さえ丁寧にたたまれると、キャンバスがあらわれる。彼女はいかにも不思議そうに、ここにいる私と絵の中の私を何度か見比べて、「すごくきれい。文香が自分で描いたの?」とたずねた。  私は話した。周子さんが描きたいと言ってくれたことや、ふたり過ごした時間について。私は話さなかった。私たちの期待や、ちょっとした計画について。  奏さんは聞いてくれた。美しいほほえみを浮かべ、時おりささやかな笑い声をあげ、嬉しそうに、私たちのことを聞いてくれた。 「ありがとう。大切にするね」と彼女は言った。それから、神妙なおももちを浮かべてつぶやきはじめた。「次は私が文香を描かせてもらおうかしら。でも、なんだか不公平ね。それより……文香、私を描いてくれる? そうしたら、私が周子を……」  そのとき、寝室よりくぐもった、しかしあからさまな笑い声が聞こえた。続けて「やば」という声が聞こえたと思うと、奏さんがとてつもない速度でリビングを横切りドアを開いた。  果たして、周子さんの姿はない。  奏さんが「十、九、八……」と数えはじめると、「わかったわかりました」と彼女はクローゼットより姿をあらわし、「すいませんでした」と有無を言わせない早さで言った。 「心底思うけど、隠れる意味はあったの?」と奏さんは呆れたふうにたずねた。 「クローゼットこと? この部屋のこと?」 「どっちもよ」 「びっくりさせた方が、喜んでくれるかなって」 「サプライズ?」 「それそれ」 「ほんとは?」 「その方が面白いかなって」 「あなた、ほんとうはばかなの」 「そうかもしれん」  私は、ふたりのやり取りを眺めた。そうしていると、とてつもなく温かな、巨大なおもいが胸のうちで膨れ上がっていく様子を感じた。  私は嬉しかった。泣いてしまいそうだった。笑い声が喉もとまでせり上がり、叫びたくなるような心地をおさえることに必死だった。どこへでも行ける気がした。彼女たちのとなりから、いくつも銀河を飛び越えてたどり着く彗星の尾の先にまで、心は広がった。  これはなんでしょう、と銀河の果ての私がたずねた。  わかりません、とここにいる私が答えた。  だから描くのだ、と私は思った。
 絵のなかの私は、椅子に腰かけている。ひざにストールを敷き、畳んだ書の上に手のひらを重ねている。ささやかなほほえみをたたえた横顔を薄明光線が照らしており、そのまなざしはまっすぐ前へ向けられている。  私が向く先にはただ、茫漠たる雪原のみが広がっている。しかし、私は見ている。私は目を細め、幸せそうに笑っている。私が見るものは、存外近くにあるのだとその表情が伝える。 「お手本ばっかり見てないで」と奏さんが言った。「放っておかれたら、私、いなくなっちゃうかも」 「ですが、奏さん」と私は答えた。「ものごとには準備が必要です。特に、このような場合にあっては」 「だからって、いつまでもは待てないわ」 「わかっています。もう少し……」 「がんこ。いじっぱり」  彼女はそう言って、脚を組んだ。手のひらに顎を乗せ、いたずらを覚えたばかりの仔犬みたいに、「おくびょうもの」と愛らしく吠えた。  臆病者! あなたが、それを!  私は胸がどきどきと高鳴り、息がうまくできなくなるのを感じた。彼女は私をじっと見て、うまくいったとばかりに鼻歌を口ずさみはじめた。「ちゅっちゅーちゅちゅちゅ」と、この世界のなにものよりも美しい少女が、あかい唇をとがらせほほえんだ。  しゅうしゅうと、薬缶が蒸気をあげる。  窓の外に、雪原をわたる鳥の群れの影が落ちる。 『難しいのははじめの線だけだよ。あとはもう、息をするのとぜんぜん変わらん』と周子さんは言った。『ちゃんと、奏ちゃんを見れば大丈夫』と、人生への態度をささやく母のように、絵を描くためのとくべつな鉛筆の削り方を私に教えてくれた。  私は息を吸う。しっかりと削った鉛筆を握り、キャンバスにはじめの点を落とす。  奏さん。その黄金の瞳には、女王の気高さと孤児の悲しみが同居する。けれどあなたは、私のおもいが正しいのであれば、出会ったころよりずっとやわらかく笑うようになった。黄金のかがやきはやや鈍り、しかし夜空の月のあおじろさはずいぶんと薄らいだ。あなたはコーラルピンクのドレスをまとい、波うち際でほほえんだ。あなたを照らすのは夕日でなく、清らかな朝の光だった。  奏さんはややお行儀わるいかっこうで、どこか挑発するような視線を私に向ける。そこには少女がいて、いつかうまく泣いたり笑ったりできなかった少女が、いま、いたずらにその瞳をかがやかせている。  私には、それが嬉しい。幸せになりたいと、あなたがほほえむたび思う。  私は、みずからの手がある種の霊性に駆られ動くのを感じた。はじめの線だけが難しい。けれどそのあとは。私の手は、とどまることなく動き出した。描きたい。その衝動は彗星の尾のように描くべき線をしろいキャンバスへ落とし、私はそれを追いかけ続ける雪原の野兎だった。  鉛筆のすべる音が、指先から響きはじめる。それは巡礼者の絶えることのない足音にも聞こえる。奏さんは鼻歌を、しずかに口ずさむ。それは敬虔な祈りの声にも聞こえる。私たちはそうして、この世界で最も美しい交響楽の奏者となる。  それは鳴り止まない。私たちが描き終えようと、決して。  まっしろな野に、響きわたる。
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unosuke-cat · 2 years
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今日は3年ぶりの「この祭り、乱れ咲き 17th」がコロナ対策を厳密に行なって、いつもの三島商工会議所1階TMOホールで開催される。   午前10時過ぎに実家で母親の部屋のエアコン状況を確認して出かけた。 っと先々週かなアーティチョークを買わせていただいた小出正吾さんの記念碑のある小出ビルの前に紺色テントが居るではありませぬか。まだお店に商品が並んで居ないのね。これからねぇ。と思っていたら、あたしを呼ぶ声、おおっお懐かしやとDENさんつまり鷲見さん。すんごく久しぶり。 まだお店を開く準備真っ最中(いやいやその前だぞ)だというのに、アーティチョークと大蒜を買わせていただいた。 「仏蘭西ではごく普通の野菜でしてね。」っと教えてくださった。そうだよね。やはり伊丹十三がアーティチョークを知ったのも仏蘭西にいた時で日常的な野菜と「ヨーロッパ退屈日記」に書いてあった。 さてっ三島商工会議所1階TMOホールに着いて、正面でギター演奏している「和尚」、食のイベント関係には必ず顔を出し情報の精査は欠かさない「ぬらさん」、そしてここイベント『この祭り、乱れ咲き』は欠かさない「アロハねこまる」氏。   ねこまる氏に一袋おみやげとして渡す。 あたちを含めた4人が「あっアーティチョーク」っと知名度はしっかりある。 ぬらさん曰く「いやぁ10年ほど前にうちでも育てたのよぉ〜。知っている人は『おっ』て買っていくけれど、知名度とレシピがわからないって人が多くてね。仏蘭西ではごく普通に売られているんだよね。」 ねこまる氏が「知ってはいるけれど、食い方がわからん。どんな味?」というので「一番近いのは・・・茹でた空豆に一番近いかな。」っと食べ方を簡単に説明して「以前、DENさんのこけら落としのコンサートと薪ストーブ覚えてる?」 「うんうん」 「小出ビルの前でね。」 「あ〜『子どもには子どもの世界がある』って碑ね。」 「そそそ、DENさんが毎週日曜日の朝、販売しているのよ。」 「ふむふむ」 というわけで、オンライン上に置かれている「ヨーロッパ退屈日記」のページを開いて「これね」と渡す。 「茹で20分?」 「いやぁ〜昔は固かったのかなぁ、今はだいたい沸騰して5〜6分というところかなぁ・・・」と説明しながら、アーティチョーク一袋はテーブルの上に鎮座していた。   っと突然 「アーティチョークですよね。どのコーナーで売られていますか?」と尋ねてきた女性が居た。 やはり知っている人は知っているのね。 「あ〜ここで販売されているのではなくて、市役所の前の小出省吾さんの碑がある場所わかりますか?」 「はい」 「そこにテントがあって、売っています。」と教えてあげた。 きっと行かれたと思うんだな。   アーティチョーク 結構楽しい。 https://www.instagram.com/p/CeIf-MNBIyi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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canty-essay · 2 years
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静かな私
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 なんとく心がざわざわするなぁ、というのが最近の実感だ。何かをしていても、そのざわざわのせいなのか集中できない。身体がどこか悪いわけでもないと思うのだけれど、倦怠感がありすぐごろごろするか、ボーッとしたくなる。私はこの数ヶ月、機織りも仕立ての仕事も進まず、一体どうしたことだろうと思っていた。
 そんな矢先、この春から北軽井沢に移住した友人を訪ねることとなった。そこは彼女のご両親の別荘のすぐ隣の土地が数年前にたまたま売りに出たという場所に、彼女とご主人が家を建て、まず先に定年退職したご主人から暮らしの拠点を北軽井沢に移し、彼女もこの春定年退職し、横浜のマンションを引き払い、完全移住を果たしたところだ。
 我が家から車で約2時間、北軽井沢に到着した。山梨の我が家のあたりと雰囲気が似ているけど、空気感がちょっと違う。こちらは完全なる避暑地の感がある。我が家の辺りも別荘地エリアではあるけれど、地元の人の農地もたくさんあるし、移住してきた人も農業やらお店をやろうという人が多いので、住む人の意識の違いが空気に表れているのかもしれない。
 早速見せてもらった彼女の真新しい住まいは、全面に貼られた無垢板もおろしたての香りを放ち、微塵の翳りも無くきちんと整えられた、大人2人の住まいであった。吹き抜けのリビングに立派な薪ストーブ、その横に敷かれたふかふかの絨毯に、2人分のリクライニングチェアと大画面のテレビ。白い流しの対面キッチンに丸いダイニングテーブル。1階奥の寝室には、ダブルベッドにきれいなベッドカバーがかけられホテルのよう。吹き抜けから階段を上ると、天井が斜めになっているちょっとした空間があり、1階のリビングやキッチンが見下ろせる。その奥にはご主人のオーディオルームがあり、スピーカーが置かれ、ここで音楽を聴いたらさぞかしすごいだろうなと思わされた。ご趣味のカメラとレンズがガラスケースの中に並べてあった。
 長年フルタイムできちんと働いてきた彼女とご主人の夢が実ったお家だと思った。お茶のお稽古を重ねてきた彼女がたてたお薄に、和菓子とフルーツを添えた洋菓子のおもてなしを受けた。最後に青く塗った外壁と洒落た赤いドアの前で彼女と記念撮影して、いとまを告げた。
 帰った翌日は、服の仕立てをしなければと思いつつも、前日の遠出の疲れもあり、例によってごろごろしていると、お昼過ぎに友人グループからラインがあり、安倍元首相が狙撃され、救急搬送されたというニュースを知った。夕方には死去されたというニュースに変わった。友人たちは、身内のおじさんが非業の死を遂げたかのような、「断じて許せない、あってはならないことだ、悲しい」と口々にラインしてきた。それはそうなんだが・・・私は自分の意識をそのニュースに持っていかれたくないなと思った。その晩は気分転換に、アマゾンプライムで映画を観た。
 翌朝室内を裸足で歩くと、ずいぶんざらざらしているなと思い、夫も息子も朝から出かけているし、気の済むまで掃除をしようと思い立った。棕櫚のほうきで床を掃く。愛犬るりの毛の抜け替わる時期なので、ほうきの先はすぐ毛だらけになる。それを手でむしってゴミ箱に入れながら掃く。我が家の床は、薪ストーブの周りを除いて全て板張りだ。板と板の間に溝があり、そこにるりの口から落ちたと思われる乾いたご飯粒やら砂つぶが溜まり、掃除機をかけてもなかなか取りきれないが、ほうきだと全てではないが、はき集めることができる。
 はき終わったら、雑巾をかける。ところどころ床の木が白く乾燥しているところが目立ってきたので、最近「ミストdeワックス」という、汚れを取りながらも艶を出すという液体を買った。材料はエゴマとミツロウとアルカリ水のみでできていて、子どもや動物が舐めても安心というので、これに決めたのだ。なるほど、けっこうきれいになり白っぱくれていたところが目立たなくなってきた。1階の床と2階に上がる階段も拭いたらくたびれたので、ちょっと早めのお昼にした。
 お昼ご飯の支度をしながら、掃除の仕方って、実はちゃんと習ったことないなと思う。お料理教室はあっても、お掃除教室なんて聞いたことない。みんなどうやって掃除をしているのかな。最近は何か知りたいことがあったらユーチューブを観るのが習わしになっている。どれどれ。
 きれいなお家の人は押し並べて、モノトーンの家に住んでいる。顔出しはしないで、その人の手元や後ろ姿、首から下のみの出演が多い。無印良品的な家具や食器に囲まれた生活。カラフルなものがごっちゃりなんていう家はまず出てこない。そしてみんな口を揃えたように同じことを言う。「ものが多いと掃除も管理も大変なので、極力ものは減らしています」と。頭の中には北軽井沢の友人の住まいの映像も浮かび、がんばろうと思った。
 午後は、気になっていた窓ガラスを拭くことにした。最近どうも視界が曇っているなと思い、指でガラスをなぞると、外側ではなく内側に指の跡がついた。内側を拭くにあたってまず邪魔になる、十センチほどの幅の窓枠に並べていたものをどける。天井近くに張ったクモの巣をはたきではたく。こちらは昆虫が多いので、クモの巣がすぐ張るのだ。ガラスを拭くと雑巾はたちどころに黒くなった。冬の間に焚いた薪ストーブの煤がついたのだろうか。ようやく外がクリアに見えるようになった。
 さて、どけていた小物を戻そうとしたら、ふと何もない方がすてきじゃない? と思った。並べていたものは、両親や祖父母の家にあったものだ。ただ捨てるには忍びないと思っていただけで、役に立つ物でもなく、格別愛着があったわけではなかった。無い方が掃除がラクではないか。思い切って手放そうか。ユーチューブで言っていたのはこういうことだったのだ。
 もう一箇所の窓も同じ手順できれいにした。また同じように、窓枠に置いていたものがいらなくなった。なんだか楽しくなって、食卓の横で炊飯器やオーブントースターにティッシュの箱など置いている低いテーブルも同じように片付けると、やはりいらないものが出てきた。
 こうして掃除に夢中になっているうちに夕方になった。お茶を飲みながら、ひとりきれいになった窓を眺めていたら、掃除というのは部屋を掃除しているように見えて、実は自分の内側からいらないものを取り除いて、きれいにするためにしているのかもしれないなぁと思えてきた。禅寺などでも掃除を修行の一環として大事にしているではないか。
 昔読んだ本に、ある女流作家が幼い頃、明日家にお客さまがあるとなると、小さな子どもでも自分の引き出しを開けて、中からゴミや不要なものを取り出し、鉛筆などもきちんと削って元の場所に戻すことが慣わしになっていたとあった。ある時そんなことをしてもお客さまには見えないのに、なぜするのと母君に尋ねるとその答えは、たとえ見えなくても内側のちょっとした乱れをお客さまは感じてしまうのよ、というものだった。
 これはずいぶん前に読んだ本で、その中でさらに昔の話として書いてあるのだから、昭和の戦前あたりの話だろうか。その頃の人は感覚がこんなにも繊細だったのだろうか。きれいに拭き清められた室内にきちんとしまわれた持ち物。そこにはざわざわ感など少しも無かったに違いない。
 考えてみると、私たちはもう長いことざわざわ感の中に生きてきたのではないだろうか。ああしなくっちゃこうしなくっちゃと常に追い立てられるような感じ。たくさんのものを買っては捨てて。ざわざわが聞こえそうになると、テレビなどつけて世の中のニュースに注目して、自分の気を逸らす。自分の中から自分宛にメーセージが届こうとしているのに、聞こうとしていないのでは? 無視し続けていると、もしかして大切な何かが手遅れになるかも。
 夜になり息子が帰ってきた。
「お母さんは今日一日何をしていたの?」
「なんだかね、一日中掃除しちゃった。そしたらけっこう自然に捨て��れるものが出てきて、片付けられたわ」
「うん。なんか少しすっきりしているよ。そういうことが世界平和に繋がるって知ってる?」
「え、そうなの?」
「よくさ、『戦争反対』とかのプラカードを持って行進するとか、この議員さんなら世の中をよくしてくれるかもと応援するとかあるけど、そんなの全然関係ないんだ。それよりも、ひとりひとりが家を片付けて、物を持ちすぎないで気持ちよく暮らして、その上で好きなことをする。それをみんなができたとき、世界は平和になるんだよ」
 そうかもしれない。コロナだ、ワクチンだ、マスクだ、戦争だ、狙撃事件だ、これから食糧危機が起きるかも、、、と今いろいろな心をざわざわさせることが次々に起きているけど、大事なのは「静かな自分」を作ること。ほうきで掃いて雑巾で拭いて、案外こんな単純なことで自分を整えることができたなら、世界も整っていくのかな。
  
  2022年7月
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